人気グループ・TOKIOの国分太一が、『ジャパネット夏のエアコン祭り』のテレビCMで、高橋みなみ、さだまさしと共演。国分がスパイ、高橋がボクサー、さだが博士に扮し、強大な「敵」と闘うストーリーで、23日より、「夏前のスパイ篇」「梅雨のボクサー篇」「真夏の博士篇」「残暑のTHEEND」の4種類が放送されている。何者かに追われ闘う3人の様子は、まるで大作アクションのよう。しかし、その「敵」は暑さ・湿気・夏だったことが分かり、「それ、エアコン買えば解決するでしょ!」とツッコばれ、ネタバラシに「ハァ!?」と思わず怒る表情の変化にも注目撮影は、アクション映画のように見せるため、国分がメインとなる「夏前のスパイ篇」では、8階建てビルの屋上へ高さ7メートルのクレーンカメラを持ち込み、ダイナミックな映像に。高橋さんがメインの「梅雨のボクサー篇」では、湿気の再現にスモークマシーンが導入され、たった6秒のボクシングシーンのために現役のプロボクサーが演技指導を行った。小道具にも細部までこだわり、さだがメインの「真夏の博士篇」の研究室のガラクタには、身近なものをかき集め、塗装・裁断して手作りしたものも。博士が乗る印象的な自転車は、1970年代に日本で流行した希少なフラッシャー自転車を探し出して手が加えられた。本編で伝えきれなかった様子は、メイキング動画で楽しむことができる。
2022年05月24日7月スタートのTBS系金曜ドラマ『石子と羽男ーそんなコトで訴えます?ー』に有村架純の父親で、法律事務所の所長弁護士役として出演することが発表されたばかりのさだまさしが、本日5月21日(土) より今年の全国コンサートツアー『さだまさし コンサートツアー2022~孤悲~』を千葉県・市川市文化会館よりスタートさせた。この日のコンサートではエレキギターを抱えたさだがステージに登場すると、“若い頃は随分嫌われたもんだった……”そんな歌いだしが印象的な新曲「偶成」からスタート。アップテンポナンバー3曲を披露しての最初のMCでは「市川の皆さん、初日ですよ!市川は長いこと暮らしてきたから地元みたいなもんでいいですね!今日のこのスタートの3曲、さだまさしのコンサートじゃないみたいでしょ?さっきのエレキギターはTHE ALFEEの高見沢くんからもらったものです。」と紹介。続けて、「孤独の“孤”はさみしいって意味。悲しいの“悲”は心が張り裂かれそうってこと。ひとりぼっちで心が張り裂けそうなのは、この2年間のコロナを体験してきた私たちの想いそのものではないでしょうか?そんな想いを、今回アルバムのタイトルにしました。」とニューアルバムについて触れつつ、最近発表されたばかりの連ドラ初出演についても語り、「TBSの7月期の金曜22時ドラマに出ることになって。有村架純さんのパパですよ!“生さだ”(NHK総合『今夜も生でさだまさし』)が4月から金曜日に変わりましたから、この7月からは最終週の金曜はプレミアムフライデーですよ、ドラマが終わってすぐに“生さだ”ですから!」と会場を沸かせた。そんなコンサートはニューアルバム収録曲を中心に「道化師のソネット」などの代表曲から「パンプキンパイとシナモンティー」といった久々披露の名曲まで、さらにふんだんのトークをもって大盛況のうちに幕を閉じた。そんなさだの次回の公演は5月24日(火) 神奈川県・カルッツ川崎(川崎市スポーツ・文化総合センター)で、その後6月1日(水) には今回のツアーのセットリストの軸を飾るニューアルバム『孤悲』をリリース。6月3日(金) 19時からは配信番組『アルバム「孤悲」発売週だから生でさだまさし』をLINE LIVE / YouTube Liveにて生でお届けすることも本日発表となった。ニューアルバムのことはもちろん、今年のツアーや来たるドラマの撮影秘話?などもぜひ期待したいところだ。また、さだまさしオフィシャルレーベルサイトではニューアルバム『孤悲』の全曲視聴もスタートとなったので、アルバム発売までまずはこちらもチェックしていただきたい。<番組情報>配信番組『アルバム「孤悲」発売週だから生でさだまさし』2022年6月3日(金)19時~生配信LINE LIVE: Live:さだまさしオフィシャルレーベルサイト音源視聴:<リリース情報>New Album『孤悲』2022年6月1日(水) リリース価格:3,850円(税込)『孤悲』ジャケット【収録曲】01. 孤悲02. 抱擁03. 詩人04. キーウから遠く離れて05. 緊急事態宣言の夜に06. 風を贈ろう07. 偶成08. OLD ROSE09. 鷽替え10. 歌を歌おう【店舗別特典】■ビクターオンラインストア「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄A■山野楽器CD / DVD取扱い店舗(一部店舗を除く)およびオンラインショップ「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄B■WonderGOO / 新星堂(一部店舗を除く)「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄C■五番街「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄D■楽天ブックス「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄E■その他店舗・オンラインストア※タワーレコード各店舗(タワーレコードオンライン含む)/ HMV各店舗(HMV&BOOKS online含む)/ TSUTAYA各店舗(TSUTAYAオンラインショッピング含む)/ ネオ・ウィング / セブンネットショッピング(他対象店舗はオフィシャルサイトにて追加発表いたします。)「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」絵柄F■Amazon.co.jp「メガジャケ」※特典付きカートをお選び頂きます様お願いします。※各特典ともに数には限りがございます。ライブ作品『さだ丼~新自分風土記Ⅲ~ さだまさしコンサートツアー2021 ほぼソロコンサート4500回ぐらい記念公演 アオハル入り』2022年7月6日(水) リリース●CD:4,950円(税込)●Blu-ray:8,800円(税込)※特典映像収録●DVD:7,700円(税込)※特典映像収録【収録内容】・春夏秋冬・誰もいない海・北の国から~遥かなる大地より~・案山子・道化師のソネット・無縁坂・桃花源・天までとどけ・にゃんぱく宣言・関白宣言・空に星があるように・傘がない・あなたが好きです・聖夜・しあわせについて・SMILE AGAIN・奇跡2021・いのちの理由【映像特典】※DVD&Blu-rayのみトーク「八丈島の“体当たり追っかけ娘”とちょっと久米島(2021.6.15 ウェスタ川越)」【店舗別特典】「直筆メッセージ・プリント・ミニ色紙 」(4500 version)■山野楽器(CD / DVD取扱い店舗)/ 山野楽器オンライン■WonderGOO / 新星堂(一部店舗を除く)/ 新星堂WonderGOO楽天市場店■TSUTAYA全国各店 / TSUTAYAオンラインショッピング■五番街■タワーレコード / タワーレコード オンライン■HMV / HMV&BOOKS online■楽天ブックス ※特典付きカートをお選び頂きます様お願いします。■ビクターオンラインストア「ビジュアルシート / メガジャケ」■Amazon.co.jp※特典の数には限りがございます。<配信情報>配信限定シングル「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」配信リンク:<ライブ情報>『さだまさし コンサートツアー 2022』詳細はこちら:
2022年05月22日令和の時代はアウト!?際どい歌詞で大ヒット(左から)尾崎豊さん、ASKA、テレサ・テン、チェッカーズの藤井フミヤさきごろ放送された音楽系番組で、さだまさしの代表曲『関白宣言』やおニャン子クラブのデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』の歌詞に、番組出演者の藤田ニコルや乃木坂46のメンバーらが「ムリムリ」「すごい歌」など拒否反応を見せたことが話題を集めた。いずれも大ヒットしたものの、当時から一部で反発されたり問題視された曲でもあるが、かつては不倫や暴力、犯罪など、現代の倫理観、コンプライアンス基準からみればありえないような事柄を歌ったヒット曲はさほど珍しいものではなかった。尾崎豊はバイクを盗み、チャッカーズは傷つけた不倫系の大ヒットで思い出されるのが、1985年のヒット曲、島津ゆたかの『ホテル』(作詞/なかにし礼)だ。「付き合っている男性の家に、電話もかけられない、手紙も書けない。携帯もメールも身近にない時代ですからつらいですよね。曲名どおり、ホテルでだけ会う関係で、これは今もありそうですが、自分の名前が男性の名前で書かれていたり(笑)。この曲に限らず、こういった歌詞を共感できる立場の方々ばかりでなく、ときには小中学生も普通に聴き親しんでいたということが、今の感覚からすると一番の驚きかもしれませんね」と、ある音楽系ライターは、許されない恋愛をせつなく歌われていた『ホテル』の歌詞を見直し、時代の流れに驚く。過去を見返すとほかにもまだまだある。土曜の夜や日曜日には会えなかったり、電話を気軽にかけられないせつなさを歌った小林明子の『恋に落ちて-Fall in Love-』(85年)、テレサ・テンのそのものズバリの『愛人』(85年)、サザンオールスターズの『LOVE AFFAIR~秘密のデート~』(98年)などなどといったところだろうか。「近年でいうとドリカムの『やさしいキスをして』(04年)、EXILEの『Ti Amo』(08年)、宇多田ヒカルと椎名林檎が歌った『二時間だけのバカンス』(16年)など、時代が変わっても普遍のテーマではあります」(同前)このような過去の名曲の詞の世界の話になると、必ずといっていいほど挙げられるのが尾崎豊の楽曲ではないだろうか。盗んだバイクで走り、校舎の窓を割ったり、思春期の爆発しそうな葛藤を表現した歌詞は、あまりにも有名すぎる。前出のライターが続ける。「デビュー直後のチェッカーズも、触るものすべてを傷つけたり、チャゲアスが“一緒に殴りに行こうか”と問いかけるのも、今の時代ではアウトかもしれませんね(笑)。一部のメタルやパンクの楽曲も、そういう観点ではアンチテーゼを掲げた表現だとしても、ダメだと指摘されるかもしれません」『セーラー服を脱がさないで』はいまだに敬遠洋楽のヒップホップやロックのCDジャケットなどに、「PARENTAL ADVISORY」と書かれたステッカーや印刷がされているのを見たことがあるだろうか。これはアメリカで暴力や性的など過激な表現を含む歌詞に対する警告として、全米レコード協会が添付し保護者への注意喚起をするもので、一部の店舗では販売できないこともある。「それが逆に過激でカッコいいということで、日本のCDにも同じものが添付されることもありますが(笑)、日本では基本的にはこういった基準はないですね」日本の場合はというと、問題がありそうだと懸念された場合には、「基本的に自主規制のような対応をすることが多いです」と、あるテレビ関係者は言う。続けて、「よく放送禁止曲という言い方もしますが、実際にはそういう指定は現在は存在せず、エロすぎたり差別的な表現があったりする場合は、各局、各番組での判断ということになります。今でも『セーラー服を脱がさないで』は炎上を避けるために敬遠される曲だと聞きます」過去には自主規制でなく、回収や販売中止といった措置がとられることもあったが、メッセージ性を大切にし、“届けたい”と強く思うアーティストもいるはずだ。「RCサクセションの『カバーズ』(88年)がいったん発売中止になって、別のレコード会社からリリースされた一件は、今も有名ですね。あえてインディーズでリリースするなどしてメッセージを届けるというやり方もありましたし、今は動画サイトなど別の形で届けるやり方もあります。炎上をおそれるあまり、一部の名曲が地上波などでは気軽に流せなくなったりしないといいですね」制作当時は問題なくても、今の時代では“不適切な表現”と認識した場合、過去の作品を放送するときに、理解を求めるための「おことわり」が出されることがある。昔の曲を扱うとすると、同様の措置をとる時代が来るのかもしれない。ちょっと寂しい気もするが。〈取材・文/渋谷恭太郎〉
2022年05月20日デビュー50周年を迎えた歌手・さだまさしが、TBS系金曜ドラマ『石子と羽男―そんなコトで訴えます?―』(7月スタート毎週金曜後10:00)で“初の連ドラレギュラー”を務めることが決定した。弁護士で石田硝子(有村架純)の父親・綿郎を演じるさだは「全部が新鮮で撮影現場のスタッフさんの動きを見ているだけで楽しいですね」と充実感たっぷりに語っている。有村と中村倫也がW主演を務める本作は、問題を抱えてマチベン(町の弁護士)の元にやってくる人々の人生や社会にひそむ問題、またそれに関わる人間模様にスポットを当てる。それらのトラブルに向き合うのは、4回司法試験に落ちた崖っぷち東大卒のパラリーガル・石田硝子(有村)と、司法試験予備試験と司法試験に1回で合格した高卒の弁護士・羽根岡佳男(中村)。正反対のようでどこか似た者同士の2人が、さまざまなトラブルに挑む中で自らのコンプレックスに向き合い成長していく姿をオリジナル脚本でコミカルに描く。さだが演じる“石羽コンビ”が働く「潮法律事務所」の所長で弁護士の潮綿郎は、困っている人を放っておけない根っからのお人好しで、誰とでも友達になり、綿のようにふわふわとした性格。無料で相談を受けてしまうため、娘の石子からいつも小言を言われている。仕事上は上司ということやある事情から、石子からは敬語で話しかけられており、それに寂しさを感じることもしばしば。羽男を事務所にスカウトしたのは綿郎で、誰にも弱音を吐けない羽男が唯一、心を開く相手でもある。<さだまさし>連続ドラマに出させていただくのは初めてなので、どうしていいかまだ分からないでいるのですが、全部が新鮮で撮影現場のスタッフさんの動きを見ているだけで楽しいですね。スタジオに置いてある小道具を見たり、積んである本を読んで面白いこと書いてあるな、と感じたりしています。まだ誰にも具体的なことはお話ししていないので(情報解禁後に)きっと驚くと思います。有村架純さんのパパなんて羨ましがられるのではないかしら?僕は、子どものころからとても好奇心が強くて、面白いなと思ったことはすぐやってみたいタイプ。この年になって新しいステージを与えられるというのは本当に幸せなことなので、「ここへおいでよ」と言ってくださったスタッフのみなさんのために、一生懸命できる限り、芝居は素人ですからへたくそですけど頑張ろうと思います。温かな小さな町の人情ドラマなので、安心して楽しんでいただけるかなと思います。僕も楽しみに参加させていただきます。
2022年05月20日この夏のTBS新金曜ドラマは、有村架純×中村倫也のW主演で贈るリーガルエンターテインメント「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」を放送。この度、本作にさだまさしが出演することが決定した。本作は、4回司法試験に落ちた崖っぷち東大卒パラリーガル・石子(有村さん)と、1回で司法試験予備試験と司法試験に合格した高卒の弁護士・羽男(中村さん)の“石羽コンビ”が、誰にでも起こりうる珍トラブルに挑む物語。さださんが演じるのは、2人が働く「潮法律事務所」の所長で弁護士・潮綿郎。困っている人を放っておけない根っからのお人好しで、誰とでも友達になり、綿のようにふわふわとした性格。無料で相談を受けてしまうため、娘の石子からいつも小言を言われているキャラクター。羽男を事務所にスカウトしたのも綿郎で、誰にも弱音を吐けない羽男が唯一、心を開く相手でもある。俳優として連続ドラマにレギュラー出演するのは、今作が初となったさださんは「全部が新鮮で撮影現場のスタッフさんの動きを見ているだけで楽しいですね。スタジオに置いてある小道具を見たり、積んである本を読んで面白いこと書いてあるな、と感じたりしています」と撮影に参加した感想を明かし、「温かな小さな町の人情ドラマなので、安心して楽しんでいただけるかなと思います。僕も楽しみに参加させていただきます」とコメントしている。「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」は7月、毎週金曜日22時~TBSにて放送予定。(cinemacafe.net)
2022年05月20日さだまさしが、70歳の誕生日である4月10日に行った生配信番組に、各界からお祝いコメントが到着。さらに番組中に、6月1日(水)発売のニューアルバム『孤悲』の詳細も発表された。4月10日に70回目となる、”古希”の誕生日を迎えたさだまさし。2020年からコロナに苦しむファンのために自身の誕生日に配信番組を届けてきたさだは、この日もLINE LIVE / YouTube Liveにて番組『祝 70 誕生日だから生でさだまさし』を生配信。Play.Gooseによるおめでとうハーモニー&コメント動画で番組がスタートすると、それを受けたさだが「Birthday」を早くも弾き語りで生歌唱。その後も泉谷しげる、平原綾香、笑福亭鶴瓶からお祝い動画コメントが相次いだ。番組中盤で作曲家・編曲家・指揮者・音楽プロデューサーでさだの作品の編曲も担当する渡辺俊幸からのコメントを受けて、現在制作中のアルバムについてトーク。『孤悲』ジャケット画像と収録曲目を初めて公開した。そして「今回のアルバムはコロナを避けては通れない作品になってます」「(さだ工務店の)ドラムの島村英二とパーカッションのキムチ(木村”キムチ”誠)が先にリズムパターンを作って、って新しい試みの曲もあるんで楽しみにしていてください」とコメントした。その後も森山直太朗、岩崎宏美、そしてヴァイオリニスト・指揮者で前・東京藝術大学長の澤和樹、さらに敬愛する加山雄三からも動画コメントが届き番組を大いに盛り上げた。番組の最後にサプライズ登場となった吉田政美を迎えると、グレープとしての「精霊流し」も急遽披露されファンを沸かせた。この番組は4月23日(土)20時から再配信されることも番組内で発表されたので、見逃した方はぜひチェックしてほしい。そんなさだは、『さだまさしアコースティックコンサート 2022』(全8本)を現在絶賛開催中。さらにニューアルバムをひっさげての今年の全国ツアー『さだまさしコンサートツアー 2022 ~孤悲~』は5月21日(土)千葉県・市川市文化会館からのスタートを予定している。<リリース情報>さだまさし43thアルバム『孤悲』6月1日(水)リリース■収録曲(曲順未定)孤悲抱擁詩人キーウから遠く離れて緊急事態宣言の夜に風を贈ろう偶成OLD ROSE鷽替え歌を歌おう通常盤(CD):VICL-656993,500円+税(込3,850円)※ストリーミングサービスおよびiTunes Store、レコチョク、moraなど主要ダウンロードサービスにて6/1より配信開始※音楽ストリーミングサービス:Apple Music、LINE MUSIC、Spotify、YouTube Music、Amazon Music Unlimited、AWA、KKBOX、Rakuten Music、TOWER RECORDS MUSIC<『孤悲』レコード店別チェーン特典>下記チェーンにて、『孤悲』を予約・購入すると先着でチェーン別オリジナル特典「デビュー50周年カウントダウン・カレンダー付ポストカード」(全6タイプ)をプレゼント(Amazon.co.jpは「メガジャケ」)。・ビクターオンラインストア→絵柄A・山野楽器CD/DVD取扱い店舗(一部店舗を除く)およびオンラインショップ→絵柄B・WonderGOO / 新星堂(一部店舗を除く)→絵柄C・五番街→絵柄D・楽天ブックス→絵柄E・その他店舗・オンラインストアタワーレコード各店舗(タワーレコードオンライン含む) / HMV各店舗(HMV&BOOKS online含む) / TSUTAYA各店舗(TSUTAYAオンラインショッピング含む) / ネオ・ウィング / セブンネットショッピング(他対象店舗はオフィシャルサイトにて追加発表)→絵柄F■Amazon.co.jp→特典「メガジャケ」※各特典ともに数に限りありさだまさし配信限定シングル『証城寺の狸囃子 ’22』配信中※ストリーミングサービスおよびiTunes Store、レコチョク、moraなど主要ダウンロードサービスにて3/18より配信開始※音楽ストリーミングサービス:Apple Music、LINE MUSIC、Spotify、YouTube Music、Amazon Music Unlimited、AWA、KKBOX、Rakuten Music、TOWER RECORDS MUSIC<ライブ情報>『さだまさし アコースティック・コンサート2022』現在開催中。詳しくはオフィシャルサイトにて『さだまさし コンサートツアー 2022』5月21日(土) 千葉県・市川市文化会館よりスタート。詳しくはオフィシャルサイトにてオフィシャルアーティストサイト:
2022年04月11日さだまさしがコンサートツアー『アコースティック・コンサート2022』の初日公演を3月23日に千葉・市原市市民会館で開催した。同ツアーは約1カ月で8公演を予定しており、この日のステージは名曲「案山子」でスタート。歌とトークで構成されたステージの終盤には、6月1日にリリースされる2年ぶりのオリジナルアルバム『孤悲』に収録される新曲が早くも披露された。コンサートの前半では、先日いよいよ役者としても出演を果たしたNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』について触れ、「僕もこの間(ドラマに)出たんです、終戦記念日にお化けになって。」「でもよく考えましたね~、“証城寺の狸囃子”に英語の歌詞をのっけるだけでなにか英語に興味が持てるようになりますもんね。平川唯一さんのアイデアはすごいですね。私も歌ってみました!ジャケットも私書きました!配信限定なんで孫にダウンロードとかしてもらってくださいね。絶賛配信中です。」と先週配信限定でリリースされたばかりの「証城寺の狸囃子’22」を宣伝する場面も。この日の11曲目では、「今日このコンサートが始まったまさにその時間に、ゼレンスキー大統領による国会オンライン演説が行われてることと思います。どっちが良いとか悪いとか、どっちかに加担するとかではなしに、何も悪いことをしていない一般市民が命を奪われているってのは我慢が出来なくってね。今度のアルバムに1曲書いてしまった。まだレコーディング中なので歌っちゃってよいのかどうか…?ウクライナの大使館から“キエフ”と呼ばないでくれって申し入れがあったそうです。“キエフ”ってのはロシア語読みなんですよね。アルバムになった時に“キイフ”なのか“キーウ”とするのかまだわかりませんが、今日はひとまず“キエフから遠く離れて”、このタイトルでお伝えしておきます。一刻も早くこのしょうもない戦争が終わってくれることを祈るしかない私たちは、こんなに遠い8200キロも離れた極東に暮らしています。」そうコメントして新曲を披露。さらに「音楽は平和の象徴。平和が破られたら音楽の自由も奪われてしまう。例えば災害の時には歌を歌っている場合じゃなかった。例えば新型コロナ感染症ではコンサートが出来なかった。音楽が自由にできる、自由に発言できる、それが自由と平和の象徴だと思う。だからこの現場を我々音楽家は命がけで守っていかなければならない。そのためにも思ったことは伝えていこう、そんな風に思っています。」と締めくくった。この日のコンサートはそんな新曲を含め2時間を優に超えて幕を閉じた。<配信情報>さだまさし 配信シングル「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」Now On Saleさだまさし「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」ジャケット配信リンク:<リリース情報>New Album『孤悲』2022年6月1日(水) リリース●通常盤(CD)3,850円(税込)※収録内容等の詳細は後日発表<ライブ情報>『さだまさし アコースティック・コンサート2022』3月23日(水) 千葉県 市原市市民会館よりスタート『さだまさし コンサートツアー 2022』5月21日(土) 千葉県 市川市文化会館よりスタートライブ詳細はこちら:<番組情報>『さだまさし セイ!シュン 49.69』文化放送:毎週金曜20:30~21:00※ネット局北海道放送:毎週土曜25:30~26:00東海ラジオ:毎週土曜20:30~21:00信越放送:毎週土曜19:30~20:00長崎放送:毎週月曜20:50~21:20宮崎放送:毎週水曜21:00~21:30関連リンクオフィシャルアーティストサイトオフィシャルレーベルサイトさだまさし 公式LINEさだまさし Instagramさださまし(Staff Official)Twitterさだまさし Official YouTube Channel
2022年03月24日さだまさしの配信シングル「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」が本日3月18日にリリースされた。現在放送中のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』にNHKラジオ英語講座講師・平川唯一役として声の出演を務めてきたさだ。「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」はドラマのタイトルでもあり、主人公親子三代の絆をあらわすキーワードとも言える童謡「カムカムエヴリバディ/証城寺の狸囃子」をさだ流に解釈しカバーした楽曲。ジャケットにはさだ直筆の躍り舞う狸が描かれている。また、同ドラマ内で平川が初めて画面に登場した本日の放送では、終戦50回忌のタイミングで岡山へ帰省していたるいの横には一度も会うことなく他界した父親の稔が、同じ頃るいの部屋にいたひなたの前には彼女がかつて聞いたことのないラジオ英語講座講師・平川が現れ「みんな誰でも最初は英語の赤ちゃんなんだよ」とひなたに優しく語りかける、そんな印象的なシーンが放送された。ドラマの中でひなたと一緒に「証城寺の狸囃子」を歌ったさだは、「平川さんが“証城寺の狸囃子”に目を付けて、それを英語でカバーして“カムカムエヴリバディ~”って歌ったその音楽的直観ってすごいな!って思う。僕らの時代は(その英語バージョンを)みんな知っていたし、僕も心のどこかで覚えていた。“証城寺の狸囃子”は(平川さんのお陰で今や)ワールドミュージックだと思う。」と平川についてコメント。また撮影に関しては「ドラマに出るって言っても実在の人物だし特に役を作る必要はなかった。白髪にしたりもしたけど兎に角楽しかった。カムカムの商店街にも行ってきました!」と出演を振り返った。<配信情報>さだまさし 配信シングル「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」Now On Saleさだまさし「証城寺の狸囃子 ’22 ~COME COME EVERYBODY~」ジャケット配信リンク:<リリース情報>New Album『孤悲』2022年6月1日(水) リリース●通常盤(CD)3,850円(税込)※収録内容等の詳細は後日発表<ライブ情報>『さだまさし アコースティック・コンサート2022』3月23日(水) 千葉県 市原市市民会館よりスタート『さだまさし コンサートツアー 2022』5月21日(土) 千葉県 市川市文化会館よりスタートライブ詳細はこちら:<番組情報>『さだまさし セイ!シュン 49.69』文化放送:毎週金曜20:30~21:00※ネット局北海道放送:毎週土曜25:30~26:00東海ラジオ:毎週土曜20:30~21:00信越放送:毎週土曜19:30~20:00長崎放送:毎週月曜20:50~21:20宮崎放送:毎週水曜21:00~21:30関連リンクオフィシャルアーティストサイトオフィシャルレーベルサイトさだまさし 公式LINEさだまさし Instagramさださまし(Staff Official)Twitterさだまさし Official YouTube Channel
2022年03月18日さだまさしが、43枚目のオリジナルアルバムを6月1日にリリースすることを発表した。前作『存在理由~Raisond’être~』以来約2年ぶりとなるアルバムのタイトルは『孤悲』。収録内容などの詳細は今後随時発表される。今年の4月10日に70歳、10月25日にはグレープとしてシングル『雪の朝』でレコードデビューしてから“50周年”という節目を迎えるさだまさし。5月21日からは、全国コンサートツアー『さだまさし コンサートツアー2022』が千葉県・市川市文化会館よりスタートする。また、さだはフジテレビ系『ミュージックフェア』にて2,900回記念コンサート出演時の模様が3月月間放送されるほか、3月23日より全8回にわたるアコースティックコンサートツアーを予定している。さらに、3月29日と30日にはグレープがファーストコンサートを行った長崎NBCビデオホールにて『さようならNBCビデオホール~さだまさしコンサート~』と題して同ホール最後の公演を担当。4月6日には『文化放送開局70周年 セイ!シュン コンサート”@東京国際フォーラムホールA』へ海援隊、南こうせつ、グレープ(さだまさし・吉田政美)のゴールデンメンバーでの出演も決定している。<リリース情報>New Album『孤悲』2022年6月1日(水) リリース通常盤【CD】3,850円(税込)※収録内容等の詳細は後日発表<リリース情報>さだまさしNew Album『アオハル 49.69』(読み:アオハル フォークロック)発売中配信リンク:●通常盤【CD】3,850円(税込)『アオハル 49.69』通常盤ジャケット●初回生産限定盤【2CD:通常盤CD+カラオケCD】4,950円(税込)※紙ジャケ仕様『アオハル 49.69』初回生産限定盤ジャケット●数量限定生産アナログ盤【2LP】7,590円※重量盤LP2枚組『アオハル 49.69』アナログ盤ジャケット【CD収録曲】01. 空に星があるように02. 旅人よ03. 誰もいない海04.悲しくてやりきれない05. 春夏秋冬06. 旅の宿07. 白い一日08. 神田川09. 北山杉10. 僕にまかせてください11. 東京12. 学生街の喫茶店13. なごり雪14. 眠れぬ夜15. 傘がない16. 翼をください【カラオケCD収録】※初回生産限定盤のみ上記16曲のカラオケ【アナログ盤】上記16曲を4曲ずつAB面に収録した2枚組LP。重量盤。さだまさし『アオハル 49.69』トレイラー<前編>さだまさし『アオハル 49.69』トレイラー<後編><ライブ情報>『さだまさし アコースティック・コンサート2022』3月23日(水) 千葉県 市原市市民会館よりスタート『さだまさし コンサートツアー 2022』5月21日(土) 千葉県市川市文化会館よりスタートライブ詳細はこちら:<番組情報>『さだまさし セイ!シュン 49.69』文化放送:毎週金曜20:30~21:00※ネット局北海道放送:毎週土曜25:30~26:00東海ラジオ:毎週土曜20:30~21:00信越放送:毎週土曜19:30~20:00長崎放送:毎週月曜20:50~21:20宮崎放送:毎週水曜21:00~21:30関連リンクオフィシャルアーティストサイトオフィシャルレーベルサイトさだまさし 公式LINEさだまさし Instagramさださまし(Staff Official)Twitterさだまさし Official YouTube Channel
2022年03月01日1971年5月にシュリークスに参加してデビューしてから50年。1991年10月にラジオ番組『イルカのミュージックハーモニー』が始まって30年。こうしたイルカにとってアニバーサリーな年にあわせ『イルカ50周年 イルカのミュージックハーモニー30周年記念 青春のなごり雪コンサート』が、東京国際フォーラム ホールAにて開催。会場には番組のオープニングテーマ「ダンス・ウィズ・ミー」とともに、イルカの「時刻は午後4時を回りました」といつもの番組と同じような雰囲気のナレーションが流れる。会場が暗転し、ステージにスポットライトが当たるとイルカ、伊勢正三、南こうせつの3人がステージに登場。イベントのタイトルにもなっている「なごり雪」をオープニングから3人で歌唱し、記念すべき周年イベントはスタートした。なごり雪は伊勢正三が作詞、作曲したかぐやひめの楽曲で、伊勢と南はいわば生みの親。イルカがこの曲を広めた育ての親としたら、生みの親と育ての親による歌唱に、会場は冒頭から大きな拍手に包まれた。この日のセットリストは、『イルカのミュージックハーモニー』でリクエストの多い楽曲を選曲して構成。続く「海岸通」も3人で。同曲も伊勢が作詞・作曲を担当しており、フォークデュオ「風」で歌われた後、イルカがカバーしヒットさせた楽曲だ。MCでは「正ちゃん(伊勢)良い曲ばっかり書くのよ~」と伊勢の作曲力を改めてイルカが絶賛すると、それに同意するように観客から盛大な拍手が。それに対し、伊勢も「広めていただいて~」とイルカに感謝を述べていた。続いては杉田二郎とのデュエットで、杉田が所属したグループ「はしだのりひことシューベルツ」の楽曲「風」を歌唱。杉田はイルカのデビュー当時にご飯を食べさせてくれたりと、一番お世話になった人だという。イルカが杉田の事務所に所属するきっかけとなった人物だからこそ、当時の知られざる秘話を次々と告白。そのほかにも、気心知れた仲だからこそのエピソードが多数語られた。そんな杉田とイルカは、杉田が作曲した楽曲「戦争を知らない子供たち」を歌い上げ、会場はリズムよく拍手で応えていた。杉田がステージを去ったあと、イルカは番組内で「もしかしたらサプライズゲストが来るかも?」と匂わせていたことを話し出す。「スケジュールが間に合うかわからない。まだ会場に来ていないから、どこかで“雨やどり”しているのかしら? “関白宣言”しちゃってたらどうしよう!」と話し、観客はすぐに誰が登場するのかわかったよう。イルカに呼び込まれたのは予想通りさだまさしで、イルカ50周年のお祝いということで50本のバラの花束を持ってかけつけたさだは「本当におめでとうございます!」とお祝いの言葉を伝えた。隣の会場で行われているコンサートのゲストを少し抜け出してかけつけたさだは、番組で最もリクエストが多いという「案山子」をイルカのリクエストで弾き語り。歌詞の一部をイルカも一緒に歌唱するなど案山子を歌い上げ、感動の余韻を残したまま足早にステージを去ったが、観客の拍手はずっと鳴りやまぬままだった。息子・神部冬馬がサプライズ出演で親子デュエットも新型コロナウイルス対策のため換気休憩を挟み、イベントは第2部へ突入。後半戦は尾崎亜美とのデュエット「サラダの国から来た娘」から幕を開ける。尾崎はイルカの妹分で、2人で「声の美人姉妹」「ふかのう姉妹」「もののけクローバーZ」「ドタキャンディーズ」と冗談で言い合っているのだそう。また、この日は尾崎の夫でベーシストの小原礼も会場に来ており、2人を「阿佐ヶ谷姉妹ならぬ、有楽町姉妹だな」と名付ける一幕も。尾崎は小原のベースに乗せて「春の予感 ~I‘ve been mellow~」「マイ・ピュアレディ」を披露した。続いて、オープニングでは南と共に登場した伊勢が一人でステージへ。「なごり雪」以外にもイルカの曲を数多く制作している伊勢。アーティスト歴50年ともなったイルカの“始まり”となったソロデビュー曲「あの頃のぼくは」も伊勢の楽曲だ。また、「なごり雪」に次ぐヒット曲「雨の物語」も伊勢が作詞作曲しているということで、そんなイルカのルーツともいわれる2曲を2人でデュエットした。今度は南が一人で登場し「うちのお父さん」を披露。イルカが包んだ癒しの雰囲気を、南は一気にハツラツとした空気に切り替える。そして、南の幼き頃のある夏の日の思い出が語られたかと思えば、その思い出を歌った「幼い日に」の歌唱へ。1曲目とは打って変わった哀愁ただよう歌声を会場に響かせた。南はそのままステージに残り、伊勢を呼び込み「神田川」と「22才の別れ」を2人で歌唱。「神田川」は昨年逝去された喜多條忠氏が作詞した曲。「22才の別れ」は「風」のデビュー曲で、ともに活動していた大切な音楽仲間、大久保一久さんも昨年亡くなられている。2人への追悼の意を込めて歌われたこの2曲は、それぞれにとっても大切な楽曲で、歌い上げた後2人は「生きていると色々あるよね……」としみじみと語っていた。ここからは、イルカのソロパートへ。この日のイルカの衣装は、大胆に足を露出したミニスカート。「今まで履けなかったけど、人生楽しまなきゃ」と挑戦のための衣装だったようで、観客にも人生を楽しんでほしいと「人生フルコース」を笑顔で爽やかに歌う。そしてイルカの人生を振り返るにあたり欠かせない人物である息子・神部冬馬が2人目のサプライズゲストとして登場し、初の合作「原石」をデュエット。息ぴったりのハモリで親子の絆を見せつけた。そして、イルカの原点と言われるシュリークス時代の楽曲「いつか冷たい雨が」をソロで歌った後、さだを除く今日出演したゲスト全員がステージに集結。全員で「まあるいいのち」を大合唱し、最後イルカは大きな声で会場に集まったファン、リスナーに「ありがとうございました!」と感謝を述べ、イベントはフィナーレを迎えた。アンコールでは「なごり雪」を再び息子の神部冬馬と一緒に熱唱。最後に「これからも是非『イルカのミュージックハーモニー』を聴いてくださいね! また会いましょう!」と集まった観客にメッセージを送り、イルカにとってのアニバーサリーを祝う記念すべきイベントは、晴れやかに幕を下ろした。
2022年01月24日さだまさしが、10月27日に初のフォークソングカバーアルバム『アオハル 49.69』(読み:アオハル フォークロック)をリリースすることが決定した。今作には、今年10月25日にデビュー49年目を迎える69歳のさだがセレクトした次世代に歌い継ぎたい“青春”の名曲16曲を収録。荒木一郎「空に星があるように」や、憧れの人・加山雄三の「旅人よ」や盟友・泉谷しげるの「春夏秋冬」、自身が詞曲提供したクラフト「僕にまかせてください」などのカバーが収録される。『アオハル 49.69』は通常盤のほかに、収録全16曲のカラオケCDが付属した紙ジャケット仕様のCD2枚組初回生産限定盤、数量限定生産となるアナログ盤(重量盤LP2枚組)の3形態でリリースされ、いずれのジャケットにもさだ直筆のタイトルがデザインされている。■さだまさし コメント僕の青春期、日本で興ったフォーク・ロックのムーヴメントはある意味では僕の育った「学校」とも言える。僕がどんな生徒であったかは別にして、振り返れば確かにそこは「母校」であった。ところがある深夜、テレビを見ていたら、現代まで綿々と繋がる音楽の源流の1つである筈の「母校」がいつの間にか「過去の遺物」として扱われていることに衝撃を受け、少し悲しかった。それで憧れの先輩や同級生また愛しい後輩達など「同窓生」の面影を、懐かしい校舎の陽の当たる窓辺に並べてみることにした。彼らの楽曲が現代の若い世代に届いた時、その音楽が如何に時代を超えた「良きもの」であるかに気づいて貰いたいからだ。勿論僕の歌が原曲を超えられる筈もないが、これをきっかけにオリジナルに触れ「母校」の素晴らしさに気づいて貰えるきっかけになったら嬉しい。僕にとってデビュー49年目、69歳での「帰郷」だ。<リリース情報>さだまさしNew Album『アオハル 49.69』(読み:アオハル フォークロック)10月27日 リリース●通常盤【CD】3,850円(税込)『アオハル 49.69』通常盤ジャケット●初回生産限定盤【2CD:通常盤CD+カラオケCD】4,950円(税込)※紙ジャケ仕様『アオハル 49.69』初回生産限定盤ジャケット●数量限定生産アナログ盤【2LP】7,590円※重量盤LP2枚組『アオハル 49.69』アナログ盤ジャケット【CD収録曲】01. 空に星があるように02. 旅人よ03. 誰もいない海04.悲しくてやりきれない05. 春夏秋冬06. 旅の宿07. 白い一日08. 神田川09. 北山杉10. 僕にまかせてください11. 東京12. 学生街の喫茶店13. なごり雪14. 眠れぬ夜15. 傘がない16. 翼をください【カラオケCD収録】※初回生産限定盤のみ上記16曲のカラオケ【アナログ盤】上記16曲を4曲ずつAB面に収録した2枚組LP。重量盤。【配信】10月27日より主要ダウンロードサービスにて配信開始【CD予約・購入特典】下記店舗・オンラインストアにて、10月27日発売アルバム『アオハル 49.69』をご予約・ご購入いただきました方に先着で共通特典「CDジャケットステッカー」をプレゼントいたします。(Amazon.co.jpは「メガジャケ」になります)■対象商品さだまさし『アオハル 49.69』初回限定盤 / 通常盤 / アナログ盤【共通特典】CDジャケットステッカー【共通特典対象店舗】■タワーレコード各店舗 / タワーレコード オンライン■HMV各店舗 / HMV&BOOKS online■山野楽器CD / DVD取扱い店舗■WonderGOO / 新星堂(一部店舗を除く)/ 新星堂WonderGOO楽天市場店■TSUTAYA全国各店 / TSUTAYAオンラインショッピング※TSUTAYAオンラインショッピングは予約分のみとなります。■五番街■ビクターオンラインストア■楽天ブックス※特典付きカートをお選び頂きます様お願いします。■セブンネットショッピング■その他店舗・オンラインストア(オフィシャルサイトにて随時追加発表いたします。)■Amazon.co.jp※特典「メガジャケ」※特典付きカートをお選び頂きます様お願いします。※アナログ盤は特典対象ではございません。関連リンクオフィシャルアーティストサイトオフィシャルレーベルサイトさだまさし 公式LINEさだまさし Instagramさださまし(Staff Official)Twitterさだまさし Official YouTube Channel
2021年09月01日MISIAが、日本テレビ系『24時間テレビ44』のチャリティーソング「歌を歌おう(24時間テレビ ver.)」を本日8月21日に配信リリースした。今回のチャリティーソングは、MISIAの「弱音が吐けなくて、挫けそうになっている人がいっぱいいると思うので、直接は抱きしめられないから、音楽でギュって抱きしめられたら」という想いがきっかけとなり、昨年12月にオンエアされた『HAPPY クリスマスおもちゃ屋 MISIA』でのコラボをきっかけに交流がスタートした天才ピアニスト・紀平凱成、そして同郷長崎県の大先輩でもあるさだまさしとの3人で制作された楽曲となっている。さだまさしが作詞作曲を手がけた同曲のレコーディングには、MISIA(Vo)を筆頭に、紀平凱成(Key)、押尾コータロー(Gt)、寺岡呼人(Ba)、渡辺裕之(Dr)、黒田卓也(Tp)、Little Black Dress(Gt / Cho)、Mayumi Watanabe(Cho)、KOTETSU(Cho)、佐々木詩織(Cho)の個性的かつ実力派ミュージシャンが参加。なお彼らは8月21日から22日にかけて放送の『24時間テレビ44』にて“24時間テレビ 歌おうバンド”としてスペシャルライブを行うことも決定している。なお楽曲のリリースを記念してMISIAの公式YouTubeでは、レコーディングの様子が収められたスペシャルムービーが公開されている。「歌を歌おう(24時間テレビ ver.)」スペシャルムービー<リリース情報>配信シングル「歌を歌おう(24時間テレビ ver.)」発売中「歌を歌おう(24時間テレビ ver.)」ジャケット配信リンク:<ライブ情報>『MISIA 星空のライヴACROSS THE UNIVERSE』全国ツアー開催中特設サイトはこちら:
2021年08月21日小林幸子(提供:ニコニコ)「幸子さん、かっけ―!!」ネット世代から「ラスボス」と慕われ、絶大な人気を誇る大物歌手は、コロナ禍で音楽業界が大打撃を受ける中、変わらず忙しい日々を送る。デビュー当初の“苦い経験”を糧に人生最大のピンチを“新しいステージ”へのステップにかえてみせた。ネット文化を盛り上げる存在となった小林が大切にしてきた「受け入れる」精神とは――?暗いステージに浮かび上がる人影。中央には、背後にバンドを従え、黒の衣装に身を包み、細かいウエーブの長髪の人物が仁王立ちしている。「みんな、行くぞ~!」叫び声とともに、ステージに真っ赤な照明が落とされた瞬間、会場にはどよめきが上がった。サプライズで登場したその叫び声の主が、小林幸子(67)だったからだ。これは、4月25日に幕張メッセで行われたイベント『The VOCALOID Collection~2021 Spring~』のひと幕。この日、人生初のヘビメタに挑戦した小林は、白塗りした顔にペインティングを施し、『サチコサンサチコサンヘヴィメタルver.』を迫力満点に歌い上げた。厚底ブーツでステージをノッシノッシと動き回り、時にはスピーカーに足を豪快にのせ、圧巻のパフォーマンスを見せる小林。その姿は、和服姿で演歌を歌う“小林幸子”と同一人物とは思えない。約500人の観客とライブ配信の視聴者も同じ気持ちだっただろう。「ヘビメタ、サイコー! 私はババメタ!」曲の途中で小林がシャウトするたびに、ステージ上のLEDパネルには、《幸子さん、かっけーー!》などと視聴者からのコメントが躍った。■“演歌歌手”の枠を超えた存在古希の足音が聞こえる年齢にして、さまざまな“人生初”に挑み続けている小林。5月9日には、自身初となる単独での配信ライブも開催。ヒット曲『もしかして』や、美川憲一の『さそり座の女』をジャズ風にアレンジしたり、MISIAの『Everything』をカバーするなど、12曲を熱唱した。このライブを小林が振り返る。「配信ライブの楽しさは、コメントが即座にモニターに表示され、視聴者の方とのつながりを感じられるところですね。このときのライブでは『先日、母が天国に行ってしまいました。今日は母の写真と一緒にライブを見ています。よい供養になりました』というコメントがあって……。思わず涙ぐみました」コロナ禍で、コンサートが軒並み中止になるなど音楽業界は大打撃を受けている。中でもダメージが大きいのは演歌だ。ファンの年齢層が高い演歌の世界では、オンラインライブも難しく、歌を届ける場が激減している。しかし、小林は「ありがたいことに私、今、とても忙しいんですよ」と笑顔を見せる。その理由は、彼女が“演歌歌手”の枠を超えた存在になっていることにある。ファン層は今や高齢者だけでなく、中年から若者、小学生まで驚くほど幅広い。若者人気を決定づけたのが、近年、小林が注力してきたインターネット上での活動だ。演歌歌手とネット。一見、もっとも縁遠い存在ともいえそうなこの2つがなぜ結びついたのか。そこには、長い人生をかけて彼女が築いてきた“受け入れる”という姿勢が深く関わっていた。■15年耐えたキャバレー回り「物心ついたころから、歌が好きだった」という小林。新潟で生まれ育った少女は、幼いころ歌の才能を見いだされ、わずか10歳でデビューを果たし、上京。デビュー曲こそ話題になったが、その後はヒット曲に恵まれず、15年もの間、不遇の時代が続いた。「歌手をやめたいと思ったこともありましたが、やめられなかった。というのも、新潟の両親とふたりの姉が私を頼って上京していたから。いつの間にか私が大黒柱になっていて、家族の生活を支えるためには歌い続けないといけなかったんです」時は高度経済成長期の真っただ中。夜は、酔客が集うキャバレーが小林の仕事場になった。そのステージで披露していたのは演歌だけではない。シャンソン、ジャズなど、リクエストされれば何でも歌ったという。「キャバレーのお客さんは、お酒を飲むために来ているのであって、私の歌を聴きに来ているわけじゃない。どうやったら聴いてもらえるか、興味を持ってもらえるか、そればかり考えていました。だから、知らない曲をリクエストされても『歌えません』とは言いたくなかった。ピアニストにどのような曲なのかこっそり聞いて、即興で披露するなんてこともありました」並行して全国各地のレコード店やショッピングモールでのキャンペーン、手売りでのレコード販売も行っていた。「キャンペーンでは、歌い終わって、いざ『これからレコードを販売します!』となると、蜘蛛の子を散らしたように人が去っていって、足元には捨てられた歌詞カードだけが落ちているなんて光景も何度も目にしてきました」当時の小林の様子をそっと見つめていた人物がいた。今は友人として親しく付き合っている夏木マリ(69)だ。「このころ、幸子さんが福岡の空港で、1人で衣装を持ってタクシーを待つ姿を見かけたことがあります。私も同じようにキャバレー回りをしていた時代だったので、親近感を覚えました。そのときは、お話ししたことがなかったので声をかけませんでしたが、幸子さんの姿と自分を重ね合わせて “私たちは、いつトンネルを抜けられるんだろう”と感じたものです」長く続いた暗いトンネルにひと筋の光が差したのは、25歳のとき。シングルレコードのB面だった『おもいで酒』が有線放送のランキングで1位になったのだ。「でも、『おもいで酒』のキャンペーンをやろうというレコード会社の提案は断りました。これまでキャンペーンで人が集まらなくてさんざんな思いを経験してきたから、その痛みをまた味わうのかと思うと心が折れそうで……」そんなとき、一緒にショーに出ていたダンサーの女性の言葉が頭をよぎった。「『“諦める”は、“明らかに極める”こと。極めるぐらい徹底的に頑張って、今回が最後だと思って未練がなくなるまでやってみたら』と言われたんです。その言葉に背中を押されてキャンペーンを始めたら、これまでとはまったく違う景色が待っていました。大勢の人たちが私の歌を聴くために集まってくれたんです。ダンサーさんの言葉を受け入れていなければ、あの光景を見ることはできなかったでしょう」その年には、紅白歌合戦に初出場。その後もヒット曲を連発し、紅白での豪華衣装をはじめ、日本の演歌界になくてはならない存在に。しかし、デビューから半世紀を迎えようとしていた’12年、人生の大きな岐路が彼女を待ち受けていた。■「さだ兄、助けて!」小林にとって人生最大のピンチとなった騒動。その発端は、長年のビジネスパートナーが退社したことだった。この退社にさまざまな尾ひれはひれがつき、騒動は泥沼化。小林に対するバッシングが連日のように報じられたが、彼女は一切反論しなかった。「ありもしない話がひとり歩きしてどんどん流れて、悔しい思いもありました。でも、反論してもおもしろおかしく書かれてしまうだけ。だったら、何も言わないでおこうって……。きっと、時間がたてばわかってもらえると思ったんです」しかし、騒動の余波を受けて新曲のリリースが無期限延期になり、レコード会社は契約解除に。33年続いていた紅白歌合戦の出場記録も途絶えた。自分でレーベルを立ち上げ、新曲を出そうとしても、作詞や作曲を引き受けてくれる人すら見つからなかった。「これまで周囲にいた人が、潮が引くように去っていった。新曲が出せないというのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなもの。このときは、さすがに精神的につらかったです」窮地に追い込まれた小林が頼ったのは、若いころからの付き合いで“さだ兄”と慕うさだまさし(69)だった。さだに電話した小林は「さだ兄、助けて!」と留守電に吹き込んだという。さだが振り返る。「メッセージを聞いて、本当に精神的に追い込まれているんだなあ、と胸が痛くなりました。すぐに電話をして『お金ならないぞ』と言いましたが、『お金のことなら、さだ兄に頼まない』と言われて(笑)。まあ、状況は理解していましたから、すぐに事情はのみ込みました」小林は、さだに現状を伝え、曲を作ってもらえないかと依頼。さだは、その日のうちに曲を仕上げた。それが『茨の木』だ。「こういうときはできるだけ早いほうが安心するだろうなと思って“エール”を送るつもりで、当日仕上げてデモ・テープを彼女に届けたんです」さだが贈ったのは歌だけではなかったと小林は言う。「さだ兄は、“真実はひとつしかないんだよ。何も言わなくていい。歌い手はいい歌をきちんと歌っていれば、それでいいんだ”と、励ましてくれた。この言葉に奮い立たされ、歌うことに集中しようと思えたんです」懸命にもがく小林を歌の神様は見放さなかった。やがて、彼女の飛躍につながるひとつのめぐりあいが訪れる。■ボカロ相手に湧いた闘争心小林の歌手人生を大きく変えることになった運命の出会い。それが「ニコニコ動画」、通称「ニコ動」だ。これは、株式会社ドワンゴが設立した動画共有サービス。配信される動画の画面上にリアルタイムでコメントを書き込めることで、ユーザーが思いを共有できることが最大の特徴だ。’12年、小林は初めてニコ動の番組にゲストとして登場している。「収録のため足を踏み入れたのは、見たこともないような小さなスタジオ。カメラもテレビカメラではなく一眼レフで撮るんです。その代わり、大きなモニターがあって、そこに次々と視聴者のコメントが流れてくる。それがとても面白いと感じました」小林の出演を決めた理由について、株式会社ドワンゴ専務取締役CCO横澤大輔氏(39)が明かす。「当時は、“ネットはテレビなどのマスメディアより格下”というイメージが強く、そのイメージを払拭するためにわれわれも奮闘していた時期でした。そういったこともあって、幸子さんが置かれていた立場とニコ動には通じるものがあるような気がしたんです。また、演歌界を長年牽引してきた幸子さんがニコ動に出てくれたら、ニコ動で活動する歌手や踊り手などのクリエイターにとっても大きな励みになると思いました」実は、それ以前から小林は、ネット世代の若者たちから「ラスボス」の愛称で親しまれていた。紅白歌合戦での豪華絢爛な衣装が、ゲームの最後に登場する最強の難敵、ラスボスを彷彿とさせるというのが、その所以だ。小林が苦笑する。「ニコ動に出演したとき、司会の方が『ラスボスって呼んでもいいですか』と聞くので、『いいですよ』って答えたら、画面に“ラスボス降臨~!”という言葉がいっぱい流れてきたんですよ。でも実は、私、ラスボスの意味を知らなくて。後でスタッフに聞いて初めて『悪いやつじゃん!』って気づきました(笑)。その後は、道端で若い人に『ラスボスだ、生きてる!』なんて驚かれたことも。私は人間だと思われていないのね(笑)」やがて自身でも動画投稿を始める。その第1弾として、『ぼくとわたしとニコニコ動画』をカバーした動画を投稿すると、たった2日半で再生回数100万回を突破した。「この曲の歌詞を見て感じたのは、居場所を見つけられず、生活に楽しさを感じられない子たちにとって、ネットは人とつながれる大切な場所だということ。その感覚に興味が湧いたんです」ネットの世界に惹きつけられた小林は、今度はボカロ曲の歌唱に挑む。ボカロとは音声合成技術「ボーカロイド」の略。パソコンなどにメロディーと歌詞を入力して歌声を合成すると、初音ミクをはじめとするバーチャル・シンガーが歌い上げるというものだ。「ボカロ曲は生身の人間が歌うわけではないので、100小節以上息継ぎするところがないとか、ありえないような曲もあります。でも、『機械ができて人間が歌えないわけがない!』なんて妙な闘争心が湧いてきてね(笑)」このとき小林が感じたのは、“歌の引き出し”の重要性だ。「下積み時代にキャバレーでジャズやシャンソンを歌って引き出しを増やしてきたことで、ボカロという新たなジャンルに挑戦することにも抵抗がなかった。自分のやってきたことに無駄なことなどないとあらためて実感しました」次々と新たなことに挑戦し、そのすべてに全力をそそぐ小林の姿に、ドワンゴの横澤氏は感銘を受けたという。「当時は“ネットはテレビなどより格下”という感覚からか、タレントさんの中には、ニコ動の仕事には一生懸命取り組んでくれていないと感じる方もいました。でも、幸子さんは違った。視聴者を楽しませることに貪欲で、『こうしたらもっと面白くなるんじゃない?』と提案してくれたり、一緒に作り上げているという実感がとても強かったんです」■若者とは感覚が違うから面白い!小林の姿勢とユーザーの反応に、新たな可能性を感じた横澤氏は、次々と企画を持ちかけた。’14年夏、東京ビッグサイトで行われた世界最大の同人誌即売会「コミックマーケット」、通称「コミケ」に参加したのも横澤氏の提案によるものだった。「『コミケに出ませんか?』と提案したとき、幸子さんの口から出たのは『コミケって何?』でした(笑)。そこで、会場で手売り販売するイベントなのだと説明したら、『なつかしい!』と目を輝かせたんです」小林の脳裏に浮かんだのは、キャバレーで歌い、キャンペーンでレコードを手売りしていたあの日々のことだろう。「幸子さんは『私、昔イベントでレコードを手売りしていたの。だから、またやりたい!』と言ってくれました」昔さんざん苦労して売り歩いてきたから、二度とやりたくないと感じてもおかしくないはずなのに、今さら新人歌手のようなことをするのに抵抗はなかったのか。そう尋ねると小林は朗らかに答えた。「売れない時代にさんざんやってきたからこそ、手売りは私の原点でもあるんです。私の歌を“聴かせてあげる”ではなく、“歌わせてもらっている”。その思いを忘れないためにも、自分の手でお客さんにCDを届けることは大事だと思うんですよ。ずっと立ちっぱなしだったから、足腰はつらいけどね(笑)」手売りは原点─。その言葉どおり、コミケ当日、小林はCDを詰めたキャリーバッグを引いて一般の参加者と同じ入り口から入場。頭にバンダナを巻いて自らブースに立ち、ひとりひとりにボカロのカバー曲を収めたCDを手渡しで販売した。小林のブースには客が殺到し、1kmにも及ぶ長蛇の列が。用意していた1500枚のCDは、2時間半で完売したという。自分の子ども、いや孫であってもおかしくない年齢の若者と接したこの日の思い出を、楽しそうに振り返る。「コスプレをした人たちがいっぱいいてね。私が“かわいいね”と話しかけたら、“コスプレの女王に褒められてうれしい!”って。私、いつの間にか“コスプレの人”という立ち位置になっていたみたい(笑)。若い人との感覚の違いに驚くこともたくさんあるけれど、“感覚が違うから付き合わない”じゃ、もったいないですよね。違うからこそ面白いと私は思うんです」コミケというリアルな場に登場したことで、これまでニコ動で小林を見てきたユーザーとの距離は一気に縮まった。横澤氏が分析する。「幸子さんは、コンサートなどの場で観客と向き合いながら歌ってきたので、リアルなお客さんの心をつかむ術を知ってる。われわれは、ニコ動の画面に流れてくるコメントなどでユーザーの心理やニーズを分析するノウハウは持っていますが、リアルなお客さんと向き合う経験は幸子さんの足元にも及ばない。僕らとしても幸子さんに学ぶべきところはとても大きいんです」思えば、小林は下積み時代から、どうすれば振り向いてもらえるかを考え続けてきた。彼女が長年かけて培ってきた観客の心をつかむ術。それを横澤氏はほかの場面でも目の当たりにしている。’15年、さいたまスーパーアリーナでのライブ『ニコニコ超パーティー』で、『存在証明』という曲を披露したときのこと。「君は君のままでいい」というメッセージが込められたこの曲を歌うにあたり、小林から「歌う前にトークを入れたい」と提案があったという。当日、小林は会場の観客2万人とネットで視聴している10万人のユーザーに向けて語りかけた。「君は君のままでいいんだよ。私も自分が自分でいられなくなるようなつらいときもあった。でも、困難を乗り越えたからこそ、今の私がある」と─。「このトークは幸子さんが自分で考えたものです。幸子さんは、自分をカッコよく見せることではなく、自分の歌を聴いてどのような気づきを得てもらえるかをいつも意識している。これこそが、究極のエンターテイナーの姿なのだと気づかされました」横澤氏のこの言葉は、小林が“演歌歌手”なのではなく、“演歌も歌えるエンターテイナー”なのだと教えてくれている気がした。■紅白舞台袖で交わしたハイタッチ小林がカバーしたボカロ曲の中で最も話題を呼んだのが『千本桜』だ。これは、バーチャルシンガー・初音ミクを使ってネット上で公開された曲だが、小林がカバーするやいなや、ネットユーザーのみならず、従来の小林のファンだった年配層にまで浸透。老若男女問わず愛される歌となった。横澤氏が語る。「われわれは“ネットの世界から、もう一度紅白に”というストーリーを描きながら幸子さんとともに歩んできました。紅白出場にはさまざまな条件があるかと思いますが、無視できないほどのムーブメントを起こせば、出場の可能性は高まる。そう考えていたんです」その読みは当たり、’15年、NHKから「小林幸子の歌う『千本桜』をラインナップに入れたい」というオファーが届く。小林はニコ動とファンの思いを背負い、特別枠として紅白の舞台に再び立つことになった。このときの小林の喜びようを横澤氏はよく覚えている。「幸子さん、泣いていたんです。『私が紅白に出られることがうれしいんじゃない。ニコ動を背負わせてもらえるということが本当にうれしいの』と」大みそか、視聴者のコメントが流れるLEDパネルを背景に、小林は堂々と『千本桜』を歌い上げた。NHKホールに足を運んだ横澤氏も万感の思いがこみ上げたという。「ステージに出ていく幸子さんを舞台袖でハイタッチして見送ったのですが、そのときの晴れやかな笑顔は今も目に焼きついています」■「挑戦」を後押しした夫の言葉小林が新たな挑戦を続けることができた理由のひとつに夫の存在がある。長年独身を貫いてきた小林だったが、知人を介して知り合った8歳下の実業家・林明男氏と’11年に電撃結婚を果たしている。「夫がよく言っている言葉に『思い込みを捨て、思いつきを拾う』があります。彼は再生医療に関する事業を行っているのですが、医学の進歩にはこれまでの常識にとらわれない発想も必要。そのため、新しい思いつきを大切にするという精神を忘れないようにしているそうです。この言葉は、とても心に響きました。“自分は演歌歌手だから”とか、“もうこの年だから”などと思い込みで自分の枠を自分で狭めるのではなく、思い込みを取っ払って、新たな自分を見つけてみたいと思うようになったんです」結婚の翌年に勃発した事務所騒動の際も、夫が大きな支えになってくれたという。「芸能界のことしか知らない私にとって、まったく違う世界で生きてきた彼の助言はとても心強かった。心ないバッシングを受けて落ち込んだ時期もありましたが、人の批判を気にして落ち込んでいる時間がもったいないと思えるようになったんです」互いのパートナーも交えて4人で食事する機会があるという友人の夏木マリが、夫といるときの小林の様子を明かしてくれた。「お2人の旅の話などを聞かせていただくとこちらも幸せな気持ちになります。“姫”が、ご主人の話を聞いているところは、とても可愛らしいんですよ」さだまさしもユーモアを交えて次のように語る。「さっちゃんは男に興味がないのかと思っていたら、忘れたころに結婚したので驚きました。例のあの騒ぎのことも支えてくれる人があったから耐えられたのだと思います。明るさに一分の隙もなくなり、人柄も衣装以上にさらに大きくなりました(笑)」結婚して本当によかった。インタビュー中、小林の口から出たこの言葉が、何よりも彼女の心が夫の存在によって満たされていることを物語っていた。■「真っ白にしてやろうと思った」コロナ禍にあっても、小林は活動のギアを緩めていない。YouTubeチャンネルでは、ファンのリクエストに応え、さまざまな曲をカバーして自宅で歌う動画を公開している。昨年、ロックバンド『SOPHIA』『MICHAEL』のボーカル・松岡充(49)とコラボし、『シロクマ』というユニットを結成した。「楽曲には歌う人の心から生まれた言葉が必要」という思いから、新曲を作るにあたり、松岡は小林に長時間に及ぶインタビューを敢行している。「幸子さんは、いつも笑っていますが、芸能界で長年生きていればいろいろなことがあるはず。その笑顔の下に隠れた苦しみや悲しみを知りたいと思ったんです」松岡のインタビューを受けながら、小林は時折涙ぐみ、返答に詰まりながらも誠実に回答した。「中でも印象的だったのは、『人生にひとつひとつ“白”を並べていって、自分の歴史を積み上げてきたけれど、突然、四隅に黒を置かれて、すべてを真っ黒にされてしまった』という言葉。ただ、幸子さんはそれだけでは終わらない。続いて『だったら、真っ白にしてやろうと思ったんだよ』という言葉が出てきたんです。『この人は、どんなに悔しくて投げ出したくても歯を食いしばって前に進んできたんだろうな』と感じました」そうして松岡が書き上げた曲が『しろくろましろ』だ。その中にある《白を黒に変えられても真白に戻せ》というフレーズは、まさに小林の言葉をそのまま使ったものだ。力強く背中を押してくれるこの曲は、ミュージックビデオもユニーク。真っ白な服を着た小林と松岡が色とりどりのペンキを塗り、最後にはペンキまみれになる。「僕が内容を提案したら幸子さん『おもしろそう! やろう!』ってすぐに賛成してくれて。しかも、僕は刷毛でペンキを塗ろうとしたんですが、幸子さんは、子どものようにはしゃぎながらペンキをぶちまけていました(笑)」そんな天真爛漫な一面がある一方、他人に寄り添う一面があると横澤氏は言う。「『ちゃんとご飯食べてる?』と、僕のことを心配してくれたり、まるで母親のようなところがあるんです」さだが小林のことを「苦労してるから立場の弱い人の痛みを知っている。誰に対しても優しい」と評すれば、夏木も「“ぜひこの曲を歌って”とリクエストしたら、後日、本当に歌って配信してくれました。律義な人です」と語る。昨今の活躍について、小林は「みんなが私を素材にして面白がってくれるから、それに乗っかってきただけ」と謙遜するが、多くの人が小林と仕事がしたいと感じるのは、周囲を惹きつけてやまない人間性があってこそだろう。「自分のことって、実は自分がいちばん知らないのかもしれませんね。だから、周囲の意見を大切にしたいんです。信頼する人が『これ、面白いですよ。やってみましょう』と言ったら、一度は受け入れて考えてみる。また、一生懸命頑張っても思いどおりにならないときは『精いっぱい努力したんだから』と、自分を受け入れる。“受け入れる”という引き出しがあるとすごく楽になれるんです。だから私は今、すごく楽に生きています」とはいえ、ただ楽に生きているだけではない。同じ歌の世界の後輩である松岡は、小林に尊敬のまなざしを向ける。「あの大型衣装はかなり体力が必要で、並みの歌手ではとても着て歌えない。難しいボカロ曲にしても、幸子さんは自分のものにして歌いこなしている。きっと陰でものすごく努力していると思うんですよ。“ラスボス”という呼び名は、ある意味ピッタリなんですよね。だって、人間を超越している存在だと思うから」閉塞感漂う時代を軽やかに駆け抜けていく小林にとっては「どこに向かっているの?」という問いすら愚問なのかもしれない。「特に、行き先を定めているわけじゃないんです。これまでもそうだったように、出会った人によって道は変わっていく。そのために、引き出しをたくさん用意して、『これ、面白い』と思える感性を磨いておきたいですね」今後、小林の人生にはどんな引き出しが増えるのだろうか。無数の引き出しから繰り出されるのは、見たこともない鮮やかな景色に違いない。〈取材・文/音部美穂〉おとべ・みほ ●フリーライター。週刊誌記者、編集者を経て独立。著名人インタビューから企業、教育関連の取材まで幅広く活動中。共著に『メディアの本分 雑な器のためのコンセプトノート』(彩流社)
2021年06月19日皇族方は、映画の試写会などで芸能人とお会いになることも。とくに美智子さまは、いくつもの試写会にお出ましになるなど、芸能人と対面される機会が多かった。’07年5月、さだまさしの小説を映画化した『眉山』をご覧に。美智子さまは主演の松嶋菜々子に「素晴らしかった」と何度もおっしゃったという。’09年11月にご覧になったのはミュージカルを映画化した『マンマ・ミーア!』。美智子さまはアメリカの大女優メリル・ストリープと仲睦まじく談笑されていた。ストリープは「とても優雅で、本当に本当にお美しい方でした。終わったあと、良かったとおっしゃってくださり、記念すべき夜になりました」と話していた。皇后時代、日本赤十字社の名誉総裁を務められていた美智子さま。’09年5月の全国赤十字大会では、日本赤十字社の「初代広報特使」としてアフリカ・ケニアで活動してきた藤原紀香に声をおかけになった。’11年1月には映画『僕と妻の1778の物語』の試写会に。草なぎ剛はのちに、美智子さまからのお言葉は「人から褒められた中で一番うれしかった」と話している。’13年11月、101歳で他界した詩人・柴田トヨさんを描いた映画『くじけないで』の試写会へ。美智子さまは八千草薫さん、武田鉄矢と鑑賞された。美智子さまは八千草さんに「とても良いものを見させていただいた」と感想をお伝えになったという。’14年9月映画『蜩ノ記』の東日本大震災復興支援チャリティ試写会にご出席の美智子さま。主演の役所広司と並んで映画をご覧になった。役所は「こんなに不動の姿勢で映画を観たのは初めてです」と緊張した様子だった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日皇室の方々は、試写会やコンサートなどで芸能人とお会いになる機会は少なくない。過去の意外な対面シーンを振り返ってみよう。天皇陛下は青春時代、歌手の柏原芳恵のファンだったことは有名な話。’86年10月にはバラ「プリンセスサーヤ」を一輪持ってリサイタルにお出かけになった。同年11月には、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』の収録現場を見学された陛下。主演の渡辺謙らの前で伊達政宗の兜のレプリカをかぶられ、ご満悦の表情。陛下はハリウッドスターとの“共演”も。’93年11月には山岳地帯が舞台の映画『クリフハンガー』の試写会へ。登山がお好きな陛下は主演のシルベスター・スタローンと意気投合されたのか、固い握手を交わし歓談されていた。秋篠宮ご夫妻が’92年4月に試写会でご覧になったのは、井上靖原作、ロシアを舞台にした映画『おろしや国酔夢譚』。西田敏行、故・緒形拳さんと歓談された。’92年6月、紀子さまは人気絶頂だったトム・クルーズと笑顔で握手。当時の妻・ニコール・キッドマンと一緒の来日で大きな話題となっていた。上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは、美智子さまとも交流のあるさだまさしの大ファン。’92年7月など、コンサートにも何度かお出かけになっている。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日『北の国から』(フジテレビ系)父と子たちが試行錯誤しながら人生を乗り越えるドラマは、これまで数々の作品がお茶の間の涙を誘ってきました。どうして感動するのか、おもしろいのか、つい見てしまうのか。話題となった作品を振り返りつつ、識者に見解をうかがいました!存在感のある俳優として知られ、映画やドラマで活躍した田中邦衛さんが、さる3月24日に88歳で亡くなった。■「シンパパ」ドラマの最高傑作田中さんといえば、『北の国から』(フジテレビ系)で演じた、父子家庭の父親「黒板五郎」役が鮮烈だ。『秀吉』『利家とまつ』といった大河ドラマをはじめ、数々の映画やドラマを手がけてきた脚本家の竹山洋さんは、「『北の国から』は日本のドラマの最高傑作のひとつといっても過言ではない」と語る。「それまでは、日本の最高傑作ドラマは『岸辺のアルバム』(山田太一脚本)といわれてきました。『北の国から』は、倉本聰さんの書いたストーリーもさることながら、スタート時はテレビ局の制作費が潤沢なころであり、北海道富良野での長期ロケができた。また、細部にまでこだわって世界観を作り上げた演出の杉田成道さんや、楽曲を手がけたさだまさしさんの手柄も大きいでしょう。そして、田中さんや、子役だった吉岡秀隆さん、中嶋朋子さんたちの演技力があった。長年、役柄とともに年をとり、自分の人生をさらけ出してくれたわけで、あのドラマの制作過程も“ドラマ”なのだと思います」ドラマウオッチャーとしても知られる、テレビコメンテーターでデザイン書家の山崎秀鴎さんはこう話す。「頼りがいがあって男らしい父親だけが、子どもに対していい影響を与えるわけではない。情けない姿を見せながらも悪戦苦闘する父親の姿というのも、子どもに対していい教えになったりすると思うんです。『北の国から』の五郎さんも、そんな父親でしたよね。あのドラマが多くの人に支持されたのは、ともすると『大自然と、父親の愛に包まれて……』という、家父長制的で陳腐な内容に収めずに、世代の違う登場人物たちそれぞれの葛藤を、常にさらけ出していたから。見る人たちが誰かしらに心を寄せられたからではないでしょうか」『北の国から』に限らず、男性が男手ひとつで子どもたちを育てるという内容のドラマは、根強い人気があるもの。今回は、話題となった作品を踏まえつつ、そんな「シングルファーザーもの」のドラマが視聴者を引きつける理由について、前出のおふたりに見解をいただいた。■父が子育てに悪戦苦闘……父と子の絆がテーマで思い出される懐かしいドラマといえば『子連れ狼』(日本テレビ系)だろう。剣客・拝一刀が、息子の大五郎を乳母車に乗せ、渡世を続けるというもの。この作品の成り立ちと人気ぶりについて、竹山さんはこう分析する。「『子連れ狼』が最初に放送された’70年代初頭は、『木枯し紋次郎』や『必殺仕掛人』といった、荒唐無稽な時代劇に人気が集まっていたころ。その流れとして出てきたといえます。乳母車に武器が隠されているというのも、昔の映画ではよくあった手法であり目新しいものではないのですが、復讐の鬼と化した男が幼いわが子と旅をするという設定を考えた作者の小池一夫さんはすごいなと、今でも思いますね」いっぽう、現代もののドラマについて、竹山さんはこんな見解も述べる。「’90年代くらいまで、ゴールデン帯のドラマの主な視聴者は、女性のほうが多かったんです。それまではただ威張っていたり自由気ままに暮らしていた男性が、困っている、悪戦苦闘している……というシチュエーションは、視聴者にとっておもしろいエピソードとなりえた。また、子どもとのふれあいは感動にもつながりやすい。だから支持されやすかったのではないでしょうか」そこで思い出されるのが、『池中玄太80キロ』(日本テレビ系)や、『パパはニュースキャスター』(TBS系)などだろう。両作品とも、『北の国から』同様、本放送後に何度もスペシャル版が放映された人気作だ。「どちらも当初はコメディー要素と感動要素の配分が絶妙だったと思います。主演の西田敏行さんと、田村正和さんの役者としての技量もあるでしょう」(竹山さん)『いきなり父親になる』系のドラマについて、山崎さんもこう語る。「そういうシチュエーションは、みんな大好きですよね。あたふたぶりが確かにおもしろい。また、まったく家庭を顧みなかった男性が、いきなり自分の子どもと真正面から向き合うことになる……というドラマも多いものです。私は『パパと呼ばないで』(日本テレビ系)とか、『マルモのおきて』(フジテレビ系)といった、本当の父子ではないけれど、男性がいきなり子どもを育てなくてはならないという話も大好きですね。男性が価値観を変えていく、成長していく、という内容は、人間はいくつになっても成長できるんだ、という希望も持てますから」(山崎さん)■大人が成長する過程を描く山崎さんは、そういった、父親が成長する物語で忘れられない作品が2つあるという。『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ系)と、『弟の夫』(NHK)だ。「『僕と〜』は、草なぎ剛さん演じる主人公が家庭を顧みない銀行員だったのですが、妻が出て行ったため、娘の面倒をひとりで見るようになる。当初はまったく自分本位で冷徹な男だったのですが、娘の家庭教師の助言を聞き入れるようになり、本当に大切なものは何かに気づくんです」『弟の夫』は、両親が残したマンションの管理を生業としながら小学生の娘をひとりで育てている男性(演:佐藤隆太)のもとに、カナダで亡くなった双子の弟の同性婚相手が訪ねてやってくるところから始まる。「その“弟の夫”との交流と、まだ大人のような固定概念を持たない自身の娘の言動を通じて、主人公はさまざまな偏見を持っていた自分に気づきます。気づいて初めて、長年わだかまりとなっていた亡くなった弟への複雑な思いも変わります。2つとも、とても素晴らしい作品でしたね」(山崎さん)子どもの成長だけでなく、大人の成長も見ることができるのも、シングルファーザーものの大きな魅力のひとつなのだろう。■娘がまるで恋人のように!?ほかにも、シングルファーザーものでよくあるパターンといえば、「娘が父親の妻のように支える」というものがある。実際に、父を支える娘というのが主軸にある作品『タクシードライバーの推理日誌』(テレビ朝日系)も手がけた竹山さんによると、「テレ朝系のドラマは、シチュエーションが決まっていて、さまざまな脚本家たちがそれをベースにして物語を書く、というパターンが多い。そういう場合、特徴的なシチュエーションは主人公を際立たせるためには有効な方法」だという。『タクシードライバー〜』しかり、『はぐれ刑事純情派』しかり、主人公の周りの女性たちは、理解者だらけだったもの。「女性にも人気のシリーズでしたが、男性にも人気があったのは、そのあたりが要因ではないでしょうか。ドラマって、ファンタジーであればあるほど根強いファンもつきますから」(山崎さん)ファンタジーといえば、こんな作品も。「中山美穂と後藤久美子という、当時の大人気アイドルを起用した『ママはアイドル!』(TBS系)もシングルファーザーものでしたが、父親を恋人のように見ていた娘が、いきなりやってきた後妻にライバル心を抱くという、コメディーでした。同じくTBS系で、田村正和さんが父親で小泉今日子さんが娘役という『パパとなっちゃん』という作品は、美男美女の恋人同士にも見えなくないふたりの、父と娘にしてはありえないほどの仲のよさが展開される話でした。どちらも、登場人物がみんな美男美女だったから成立し、受け入れられたのであって、現実だったら、周囲の人間は対応に困ってしまいますよねえ(笑)」(竹山さん)確かに、現実だったらちょっとありえないかもしれない……。■父親は期待されていない!?ドラマは現代社会の映し鏡ともいわれるが、シングルファーザーものも、「昔ではありえなかったシチュエーションが多くなった」と竹山さんは感想を述べる。「『監察医 朝顔』(フジテレビ系)には、“これが現代のドラマか”と、ハッとしましたね。上野樹里さん演じる法医学の監察医の娘が中心で、時任三郎さん演じる刑事である父親は、完全に娘のサポート役に徹しています。これは数十年前だったら、ありえない話、コメディーとしてだったらあったでしょう。でも『朝顔』は、どちらかというとシリアス寄りのドラマ。時代は変わったな、と思います」山崎さんは、『家政婦のミタ』(日本テレビ系)にこう見解を示す。「父親が何もできず、難しい年ごろの子どもばかりの父子家庭に、完璧な家政婦がやってくる。つまり、登場人物たちも視聴者も、最初から父親に期待をしていないし、むしろそのままでいいとさえ思っている(笑)。父親はこの程度でいいんだ、という設定は斬新でした」また、幼い娘とふたり暮らしの父親が若年性アルツハイマーを発症するという『ビューティフルレイン』(フジテレビ系)についても同じことがいえる、とも。「成長することはない父親を、ただ見守るしかできない幼い娘……って、“父親の威厳はこうあるべきもの”と考えていた時代には思いつかない話だったでしょうね。とはいえ、芦田愛菜ちゃんみたいに、演技が上手な子役が出てくるだけで号泣は鉄板なのは、今も昔も変わらないんですけど(笑)」かといって、「父子の絆」ものに人気がなくなったわけではない。長瀬智也の事実上の引退作となった『俺の家の話』(TBS系)も、母がいなくなってからが長い、父と子どもたちの話だった。「ひとえに、脚本自体がおもしろかったから、支持されたのでしょう。また、大人になってからの親子ならではの感情のぶつかりあいというのは、普遍的なものがありますからね。そういった、普遍的な感情を持つことも、親子の絆なのかもしれません」(竹山さん)いつの時代でも、親子の複雑な感情は、ドラマになりうるということなのだろう。おもなシングルファーザードラマ●疑似父子家庭もの『パパと呼ばないで』(日本テレビ系列1972年~1973年)出演:石立鉄男、杉田かおるほか『マルモのおきて』(フジテレビ系列2011年スペシャル版は2011年、2014年)出演:阿部サダヲ、芦田愛菜、鈴木福ほか●ファンタジーもの『ママはアイドル』(TBS系/1987年)出演:中山美穂、後藤久美子、三田村邦彦ほか『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系/1988年~2009年)出演:藤田まこと、小川範子、松岡由美ほか『パパとなっちゃん』(TBS系/1991年)出演:田村正和、小泉今日子、浜田雅功ほか『タクシードライバーの推理日誌』(テレビ朝日系/1992年~2016年)出演:渡瀬恒彦、風見しんごほか●父子の絆もの『子連れ狼』(日本テレビ系/1973年~1976年)出演:萬屋錦之介、西川和孝ほか『俺の家の話』(TBS系/2021年)出演:長瀬智也、西田敏行、桐谷健太ほか●父親が成長もの『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ系/2004年)出演:草なぎ剛、小雪、りょうほか『Oh,My Dad!!』(フジテレビ系/2013年)出演:織田裕二、長谷川京子、八嶋智人ほか『弟の夫』(NHK/2018年)出演:佐藤隆太、把瑠都ほか●悪戦苦闘もの『池中玄太80キロ』(日本テレビ系/連続ドラマ:1980年、1981年、1989年、スペシャル版は1982年・1986年・1992年)出演:西田敏行、長門裕之、杉田かおるほか『北の国から』(フジテレビ系/1981年~1982年スペシャル版は1983年~2002年)出演:田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子ほか『パパはニュースキャスター』(TBS系/1987年)出演:田村正和、浅野温子ほか『とんび』(TBS系/2013年)出演:内野聖陽、常盤貴子、佐藤健ほか●世情の映し鏡もの『家政婦のミタ』(日本テレビ系/2011年)出演:松嶋菜々子、長谷川博己、相武紗季ほか『ビューティフルレイン』(フジテレビ系/2012年)出演:豊川悦司、芦田愛菜ほか『監察医 朝顔』(フジテレビ系/2019年、2021年)出演:上野樹里、時任三郎ほかお話をうかがったのは……竹山洋さん ●1946年、埼玉県生まれ。テレビ局演出部を経て、脚本家となる。主な作品に、連続テレビ小説『京、ふたり』、大河ドラマ『秀吉』『利家とまつ』、映画『四十七人の刺客』ほか多数。1994年に第2回橋田壽賀子賞、2001年に『菜の花の沖』で第51回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2007年に紫綬褒章、2017年に旭日小綬章受章。山崎秀鴎さん ●1960年、埼玉県生まれ。教師を経て、書道家に。デザイン書家とも名のり、映画『ラスト サムライ』『あの夏、いちばん静かな海。』をはじめ、さまざまな媒体の題字を手がける。テレビやラジオのコメンテーターも務める。(取材・文/木原みぎわ)
2021年05月04日「(松田)優作、(原田)芳雄さん、根津(甚八)さん、菅原(文太)さん、蜷川(幸雄)さん、桑名(正博)さん、ジョン・レノンさん。みんな長生きしない人ばっかりで……。コンサートの当日、彼らに降りてきてほしいですね。客席のどこかに座ってくれないかな。席をつくろうかなと思うくらいですよ、名前をつけてね。ほかのお客さんを怖がらせてしまうかもしれないけど(笑)」低音が響く渋い声。白いジャケットに黒のシャツとパンツというモノトーンの色合いが実に似合う。宇崎竜童さん(75)が、4月29日、有観客で、妻で作詞家の阿木燿子さん(75)プロデュースで「宇崎竜童コンサート〜風のオマージュ」(東京国際フォーラム・ホールC)を開催する。天国の盟友ら9人(冒頭の8人に加え自身の同級生も)につくった楽曲を披露する内容。“その人に宛てた、もしくはその人が歌うことを思って書いた曲”の数々を歌うとともに、彼らにまつわるエピソードなどを語る予定だ。今回のコンサート用に新曲『風のオマージュ』も書き下ろした。「僕の気持ちに寄り添って、阿木が書いてくれた詞です。いい言葉を生んでくれるな、と思います。曲のクオリティを、詞が何倍にも膨らまして、奥深くしてくれる」夫婦が尊敬し合い、高め合って半世紀。2人がつくった『横須賀ストーリー』が、伝説の歌手・山口百恵さんの新境地を開いたエピソードはあまりにも有名。先ごろNHKで百恵さんの引退コンサートが放送され再び話題に上がっているということで、百恵さんとの思い出話を聞くとーー。「あのころ僕はカメラに凝っていて。百恵さんの引退コンサートのとき、『客席じゃなくカメラマン席にしてくれる?』って頼んでね。だから撮ることに専念していて、肉眼で百恵さんの姿を見た記憶がないんです。最後の曲が終わって、百恵さんがマイクを置くときに、初めて肉眼で見て、すっごい残念な気持ちになりました(笑)」夫妻が百恵さんに書いた曲は5年間で69曲。「1曲1曲大変でした。必ずヒットしなきゃいけないんですから」と話すが、それだけの曲をつくりながらも私的な交流はまったくなかったそうだ。「電話番号も知らないし、そもそも個人的に飯食おうとか、マネージャーを通さずに会うのはルール違反だと思っていますから。ただ、一回だけ『阿木さんと宇崎さんにごちそうしたい』と言われて、西麻布のイタリアンでおごってもらったことがありました。マネージャーも連れず、彼女おひとりでいらっしゃって。僕と妻と百恵さん。お金を払ったのは百恵さん(笑)。ワインをテイスティングしていましたから、百恵さんも20歳になっていたころでしたね」百恵さんが引退の決意を表明したのは21歳になってまもなく。この食事は“最後のお礼に”という気持ちがあったのかもしれない。引退から30年後にも、夫妻と百恵さんは久しぶりに会い食事をともにする機会があった。そのとき宇崎さんは、最初に自分たち夫妻に曲を依頼したのは誰だったのかを百恵さん本人に聞いている。「『ああ、私が言い出したことです』と百恵さんから直接、聞きました。すごいなと思ったのが、当時17歳ほどの少女がマネージャーにそういうふうに頼んで、マネージャーも“わかった”と聞いて本当に僕たちにオファーしてくれて。セルフプロデュース能力がやっぱり只者ではないですよね。さだまさし、谷村新司が百恵さんの曲をつくったときは、僕、外されたと思いましたけど(笑)。さださんについては、あれも百恵さんのオファーだったんじゃないかと僕は勝手に思っています。僕と百恵さんが一緒にやっていたラジオがあったんですが、そこで百恵さんが“さださんって面白いですね。『雨やどり』笑っちゃいました”というような話をしていて。その直後ですから、『秋桜(コスモス)』は」’14年には、百恵さんの長男・三浦祐太朗が宇崎さん夫妻の手掛ける舞台『フラメンコ曽根崎心中』のシンガーに選ばれている。「シンガーを探しているときに、阿木が若手のCDや音源を端から聴いていって、“この人いいんじゃない。誰?”ってスタッフに聞いたら、それが祐太朗くんだった。あの舞台のときは、百恵さんも『見たい』と言ってくれたのでご招待しました。それまで祐太朗くんのライブも見たことがなかったそうです」以後、百恵さんとは、年賀状のやりとりが続くのみだという。「あのね、親しくなってはダメなんですよ。曲を何曲書こうが、仕事相手とは絶対的な距離を持ちます。その人に向かって『これでもか』みたいなものをぶつけないと、よい作品は書けない。優しくなってしまうとダメなんです。百恵さんは、僕がぶつけた曲で想像を超えてきた完全なプロ。10代から20歳そこそこですごいです」才能と才能のぶつかり合いが名曲を生み、未来へと歌い継がれていくのだろう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月15日「つい一昨日までも、このスタジオで、4月から始まる月9ドラマのテーマ曲などの録音をしてました。本来、4月放映ならば3月でも間に合うのですが、僕ら音楽の仕事も、コロナで予定がガタガタになっています」1月最後の日曜の午後。機材がズラリと並んだ東京・市谷の録音スタジオで、自身の近況を語り始めたのは服部隆之さん(55・隆は旧字)。『王様のレストラン』『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)といった名作ドラマやNHK大河ドラマ『新選組!』、そして映画『HERO』などのテーマ曲を手がけた、当代きっての作曲家・編曲家だ。最近では、多くの流行語を生み出し、昨年の年間視聴率トップとなったドラマ『半沢直樹』(TBS系)で、血がたぎるストーリーを音楽でさらに熱く盛り上げてくれた。「僕はふだんから自宅の地下2階の仕事部屋で、ときには10日間も籠って、曲を作っているのですが、さすがに60代を前にして、健康には気をつけています。祖父も親父も、亡くなる前には大病していますから」隆之さんの祖父は、『東京ブギウギ』『青い山脈』などの曲で戦後のわが国を元気づけ、「日本歌謡界の父」とも称された服部良一さん。父は、『ミュージックフェア』(フジテレビ系)の音楽監督や『ザ・ベストテン』(TBS系)のテーマ曲はじめ生涯に6万曲以上を手がけた服部克久さん。つまり、隆之さんは、「華麗なる作曲家ファミリー」である服部家の3代目だ。服部隆之さんは65年11月21日、渋谷区で父・克久さんと母・時子さんとの間に生まれた。「6歳から、先生についてピアノを始めましたが、その年ごろの男の子にとってね、ピアノってつまんないですよ(笑)。祖父の誕生日とクリスマス、正月には親戚が集まって『歌唱コンクール』が開催される。歌い手は僕と妹やいとこたち。服部克久が審査員、服部良一が審査委員長ですから、たしかにスゴイ(笑)。でも、音楽一家らしいエピソードは、逆にそれくらい。祖父とは別に暮らしていて、ふだんはそんなに交流はなかったんです」一方、父の克久さんは前述の音楽番組に加えて、郷ひろみや山口百恵らトップスターのショーの音楽作りなどに慌ただしく過ごす日々。「父は、『最近、サボってるらしいな』とソフトな口ぶりでしたから、そのゆるさが僕にはありがたかったですね。ただし僕も音楽自体は好きで、中高ともブラスバンドをやり、仲間とバンドも組んでましたから。音楽を決定的に嫌いにならずにすんだのは、『家業を継げ』と強制されなかったことが大きい」高校を2年で中退し、フランス留学に踏み切ったのも父親の影響だった。この留学を決心した時点で、ひそかに「真剣に音楽でやっていこう」と決めていたそうだ。「背中を押してくれた親父との会話が2度あったんです。1度目は中3のとき。『俺と同じ仕事をやってくれたらうれしい』と」そして2度目は、まさに明日からパリ留学が始まるという前夜、場所はイタリアだった。「家族が夏休みを利用して、ちょうど欧州旅行に来てました。2人で白ワインを飲んでいると、親父がふと口にしたんです。『商業音楽をやるというのはな、自分のスキルとテクニックを切り売りしてお金に換えることだ』。留学で頭でっかちになって、僕がクラシックとポップスに優劣をつけるような考えに陥るかもしれない。音楽に優劣はないし、また奇麗事でもすまない。『心して取り組めよ』という意味だったと思います。きっと親父自身、30年ほど前のパリで、同じような経験があったのでしょう」5年間のパリでの生活を終えて帰国した隆之さんを、いきなりビッグな初仕事が待っていた。89年1月発売のさだまさしさん(68)の『夢の吹く頃』で、アレンジを任されたのが、隆之さん。「七光り、いや、祖父からだから十四光りですよね(笑)。でも、この七光りは、僕にとっては、非常にナチュラルなものになっちゃうんです。だって親父の克久がもうすでに服部良一の息子で、『父親の名前をおおいに利用させてもらった』なんて公言してる。僕自身、さださんのあとにも谷村新司さん、さらに『夜のヒットスタジオ』の音楽監督など、普通の新人ではありえない。そうやってデビュー直後からいろんな仕事をいただけたけど、うまくいけば『さすが服部先生のご子息ですね』となり、ダメなら『ご子息なのに』と言われるだけ。いつか、七光りも気にならなくなってました」そして、13年7月放送のドラマ『半沢直樹』の音楽を担当することになる。最初の依頼は放映の1年ほど前で、TBSの名物ディレクターの福澤克雄さんからだった。「新ドラマの主人公は銀行員で正義感が強く、汚職や悪に敢然と立ち向かうキャラクターであり、主演は堺雅人さん。そうした基本情報をお聞きして、そこからイメージを膨らませます。 曲作りに際して僕が思い描いたのは、風車に立ち向かうドン・キホーテ。いや、もっともっと熱い男像を、音楽に込めました」その結果こそ、あの波乱が巻き起こる予感でワクワクするような名曲だったのだ。(撮影:田山達之)「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月23日バナナマン今年もいよいよ残すところあと1日。毎年、『紅白歌合戦』に加え、『笑ってはいけない〜』や『RIZIN』で盛り上がりを見せる大晦日のテレビ番組だが、今年は新たな“刺客”が……!? コラムニスト・テレビ解説者の木村隆志さんが解説する。もともと在宅率の高い日であることに加えて、今年はコロナ禍でさらにその傾向が加速。あらためて大晦日に放送されるテレビ番組に注目が集まっている。大晦日の番組と言えば、やはり『第71回 NHK紅白歌合戦』(NHK)を軸に考える人が多いだろう。活動休止目前の嵐を筆頭に7組がそろうジャニーズ勢から(うちSnow Manはコロナの影響で出場取りやめ)、NiziU、YOASOBI、瑛人などネット上で話題を集めた初出場組、松任谷由実、GReeeeN、さだまさしなどの特別企画組まで、幅広い出場者がそろっている。近年との比較はさておき、今年も視聴率トップの座は揺るがないだろう。対抗馬となるのは、10年連続で民放1位を記録している『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日スペシャル 絶対に笑ってはいけない大貧民Go Toラスベガス24時』(日本テレビ)。さらに、『ザワつく!大晦日 一茂良純ちさ子の会』(テレビ朝日系)は昨年に続く2年連続、『格闘技RIZIN』(フジテレビ系)は6年連続、『第53回年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)は53年連続の大晦日放送となる。よく言えば「定番」だが、悪く言えば「代わり映えしない」という番組が並ぶ中、唯一の新顔が『バナナマンのせっかくグルメ!!大晦日に豪華芸能人が超満腹・全国縦断食べまくり旅SP』(TBS系)。『バナナマンのせっかくグルメ!!』は日曜夜にレギュラー放送されている番組で、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)、『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)、大河ドラマ(NHK)の“3強”の対抗馬として結果を出しはじめている。新顔の登場によって、大晦日の勢力図が変わるのか。また、『笑ってはいけない』の視聴率民放1位に影響はあるのか。■あえて通常放送に近いムードで勝負あらためて民放各局の狙いを見ていくと、「笑いでファミリー層を狙う」日本テレビ、「中高年層を手堅くつかむ」テレビ朝日、「格闘技ファンに狙いを定める」フジテレビ、「ブレずにベテラン歌手の歌を届ける」テレビ東京と、各局の特色がはっきりと表れている。一方、「グルメ」「旅」というジャンルを選択したTBSは年齢や性別にとらわれず、「老若男女の視聴者を引きつけよう」という狙いが見て取れる。『紅白歌合戦』や『笑ってはいけない』のような年に一度の特別感は捨てて、「通常放送に近いムードでおいしい料理と美しい景色を楽しんでもらおう」としているのだ。たとえば、『紅白歌合戦』や『RIZIN』の視聴者が本当に見たい歌手や対戦でない時間帯は、『バナナマンのせっかくグルメ』が有力候補に浮上する。そもそも大晦日の番組は長時間のものばかりで、見ている途中で飽きてしまうことが多いだけに、TBSも「チャンスはある」と踏んでいるのだろう。また、『バナナマンのせっかくグルメ』には、もう1つ「底抜けの明るさ」という武器がある。全国各地を旅して名物料理を食べるバナナマン・日村勇紀は、他番組出演時をはるかに上回る“明るく、元気で、感じよく、かわいらしいキャラクター”を徹底。それを見守る相方・設楽統などのスタジオメンバーも日村に近いハイテンションのため、視聴者を明るく元気にしてしまうような魅力がある。初めての大晦日放送だけに、「裏番組からどれだけ視聴者を引っ張ってこられるか」は未知数だが、「一度引きつけてしまえば、ズルズルと長い時間見せられる」という可能性を持った番組と言えるだろう。■紅白歌合戦の出来が民放に影響を及ぼすでは、『笑ってはいけない』の視聴率民放1位が危ういかと言えば、それはほぼないだろう。同番組が初めて大晦日に放送されたのは2006年だが、世帯視聴率は10.2%に過ぎなかった。そこから毎年放送することでジワジワと数字を上げ、現在は10%台中盤に定着している。今年は渡部建の出演騒動でミソをつけたが、唯一のお笑い系である上に、これほどの長い歴史を持つ番組が急に視聴率を落とすことはまず考えづらい。一方、他番組は前述したように、特定の視聴者層を狙い撃ちした安全策であるため、世帯視聴率は「1桁台が濃厚で、よくてギリギリ2桁」といったところではないか。だからこそ視聴者層を限定せず、しかも「グルメ」という普遍的な人間の欲を押し出した『バナナマンのせっかくグルメ』の結果が気になってしまう。その結果を左右しそうなのは、民放の裏番組ではなく『紅白歌合戦』にほかならない。たとえば、桑田佳祐、松任谷由実、北島三郎らがステージにそろい踏みした2018年のような盛り上がりがあると番組を見続けるため、『バナナマンのせっかくグルメ』は厳しくなるだろう。しかし、近年は演出過多が批判されているだけに、今年も繰り返されるようであれば、チャンスが増えるのかもしれない。最後に1つあげておきたいのは、活動休止目前の嵐が行う配信ライブ。これが「テレビ番組の視聴にどれくらいの影響を及ぼすか」と注目を集めているのだ。嵐だけでなく、YouTubeやInstagramなどを含めて独自の配信ライブを行う芸能人も少なくないだけに、人々がどんなものを選んで見るのか興味深い。木村隆志(コラムニスト、テレビ解説者)ウェブを中心に月30本前後のコラムを提供し、年間約1億PVを記録するほか、『週刊フジテレビ批評』などの番組にも出演。各番組に情報提供を行うほか、取材歴2000人超の著名人専門インタビュアーでもある。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。
2020年12月31日「12月31日まで何が起きるか分からない。視聴者の皆さんの期待が高いアーティストに対しては、可能性は探っていきたい」12月9日、囲み取材でそう語ったのは「第71回 NHK紅白歌合戦」の制作統括・加藤英明チーフプロデューサーだ。今回の正式な出場歌手は紅白合わせて42組(紅組20組、白組21組)。14日にはさだまさし(68)が13年ぶりに特別企画「今こそ歌おう みんなでエール」コーナーで出演することが発表された。「実は『紅白』の制作側は今回、さだまさしさんだけではなく、大物国民的歌手にも出演依頼しています。それが、もし登場となれば94年以来となる、沢田研二さん(72)なのです」(NHK関係者)沢田といえば17回の『紅白』出場を誇る大ベテランだ。「78年には山口百恵さんが紅組のトリ、沢田さんが大トリを務めました。しかしながら、94年の出場を最後に、“曲を出場者全員で歌うことに違和感を感じるようになった”という理由もあって、『紅白』出場を辞退されるようになったのです。“ソロ歌手”としての矜持だったといいます」(音楽関係者)確かにアーティスト気質の強い沢田。18年10月17日にはさいたまスーパーアリーナでのコンサートを“ドタキャン”したことが記憶に新しい。翌日の会見では「事務所とイベント会社には9,000人の集客と聞いていたが、リハーサルでモニターを見たときに異変に気付き、実際には7,000人しか集まらないことを知った」と説明していた。そんな沢田だけに、一度決めた『紅白』不出場の決断を覆すことはなさそうだが…。「制作側も沢田さんの思いを知っているだけに、数年前から水面下で話し合いを続けてきました。実は今月4日に、その“交渉”の一環として、全80曲以上、約5時間にもおよぶNHK映像の集大成DVD『沢田研二BEST OF NHK』を発売したんです。もちろん、過去の『紅白』の出演映像も収録されています。特に今年はコロナ禍にあり、『今こそ歌おう みんなでエール』というコンセプトを丁寧に説明しているそうです」(NHK関係者)実際、コロナの影響で沢田の公式サイトは8月から休止状態。沢田のライブも1月の正月ライブ以降、開催されていない。「今年の『紅白』は感染対策を徹底し、初の無観客開催となります。沢田さん自身、現状では歌うことに積極的になれない面はあるようです。しかし、制作側は、朝ドラ『エール』に志村けんさんが出演していたこともあり、映画『キネマの神様』で志村さんの代役を務め上げた沢田さんに“天国の志村さんのためにも”と粘り強く交渉しているそうです」(前出・音楽関係者)沢田の事務所に今年の『紅白』出場について問い合わせたが、締切日までに返答はなかった。盟友・志村けんさんのために、四半世紀ぶりに沢田がサプライズ登場することはあるのかーー。
2020年12月15日(写真左上から時計回り)田原俊彦、郷ひろみ、さだまさし、氷川きよし、松田聖子、柏木由紀今年はコロナのせいで、エンタメ業界も大打撃。それでもやってくるクリスマスの季節。ファンにとっては楽しみな、芸能人にとっても書き入れ時となるディナーショー。今年はやるの?やらないの?知りたいアナタのために徹底取材だ!■業界内は絶望的な状況今年のディナーショーについては、どのホテルも「新型コロナの感染拡大防止の観点からイベントの開催を見送ります」との回答を繰り返し、ディナーショーの企画会社も「今年はほとんどありません。業界内は絶望的な状況ですよ。国が示すコロナの対策基準に振り回されてます」と話すだけ……。それでも週刊女性読者の中には楽しみにしている人もきっといるのでは?芸能人にとっても書き入れ時であるはずの“ディナーショー戦線”を追跡取材してみると──。トップバッターは毎年ランキング上位に名前を連ねる五木ひろし。今年もちゃ~んと開催するはず!と思いきや、まだ何にも発表されてない。どういうこと?所属事務所に確認すると、「毎年開催している東京プリンスホテルさんと打ち合わせをしているのは事実ですが、現時点で開催するかどうかも決まっていません」とのこと。ならばと、東京プリンスホテルにも聞いてみると、「今年もディナーショーを開催する予定ですが、情報公開はまだでして、どなたのショーを開催するのかなど、細かいことはお話しできません」と回答。まだわからないけれど、期待はできそうな気配はある。■今年68歳でも“なによりもファンのために活動”今年開催が決まっているチケットのお値段ランキング1位は、5万2000円のさだまさしと高橋真梨子(高橋の高はハシゴ高)。ディナーショー常連のさだも今年で68歳。それでも、ソロコンサートの回数は通算で4000回を超えるなど、精力的に活動中。8月には感染症の専門家をスタッフとして招き、チャリティーライブ開催を試みたが、断念。無観客ライブ配信を行った。なぜ、そこまでしてライブやイベントを開催し続けるのか?芸能レポーターの川内天子さんは、「レギュラー番組もありますし、がむしゃらに稼ぐ必要はないはずです。そんな彼がやり続けるのは、なによりもファンのためでしょう。ファンが来てくれるから。ファンのおかげで自分がある。そういった気持ちが強い人なのです」高橋真梨子は、毎年続けてきた全国ツアーを今年で最後にすると発表していた。そんな大切な年のはずなのだけど……。高橋の所属事務所は、「コロナ禍で全国ツアーの開催は来年に延期することになりました。この状況がいつまで続くかわからないので、あくまで予定。開催できればいいのですが……」今年で最後は、なぜ?「’78年から42年間、毎年1~3月はレコーディング、そのあとに全国ツアーを行い、最後にクリスマスディナーショーというスケジュールをずっとやらせていただいてきました。本人は楽しんでやっていたのですが、移動も大変ですし、ずっと緊張感を持ってやってきたので、全国ツアーだけ、今回でお休みさせていただければとのつもりでした」じゃあ、ディナーショーも今年で終わりなの?「ディナーショーはホテル側からお話があれば、来年もやらせていただきたいです。毎年各地で開催していましたが、ホテル側が“今年はやらない”という決定をしたので、今年はニューオータニさんだけで開催することになりました。今年は旅行に行けない人も多かったでしょうから、クリスマスぐらいはおいしい食事とお酒を楽しんでいただければ」お休みは来年に延びてしまったけど、ファンのためにもあと少し、頑張ってほしい。■意地をかけても……今年でデビュー40周年となる松田聖子。コロナ禍で全公演は来年に延期……。ディナーショーはどうなるのか?前出の川内さんが解説する。「彼女にとって40周年はとっても大切な時期。でもコロナでライブも開催できない。そこで彼女が“最後の砦”に据えるのはディナーショーのはず。彼女のディナーショーのチケットは一瞬で完売してしまうほど人気があるんです。毎年ファンが楽しみにしているディナーショーだけは、意地をかけても開催すると私は見ています。きっと聖子ちゃんらしいディナーショーが今年も見られると思いますよ」来年50周年となる郷ひろみはディナーショーはやらず、ライブツアーに切り替えた。「年末になったらやっていたというだけで、彼の場合は聖子ちゃんと違い、ディナーショーへのこだわりはそこまで強くない。50周年という特別な年は来年だし、ライブの中でファンとの絆をつなげるし、特別な演出でぶち上げればいい。特別なライブにはなると思いますよ」(川内さん)ライブでも十分、A CHI CHIと燃えているんだろう。40周年は近藤真彦も。昨年のディナーショーはのどの不調から今年4月に延期。しかしコロナで、その振り替え公演も中止に。公式ホームページではライブツアーも軒並み中止になっているが……?「彼はカーレースに夢中なんですよ。それでも、ライブツアーやディナーショーを毎年行っていました。後輩に“俺はまだ現役だぞ”とアピールするためなんでしょうが、コロナで開催は難しいのかもしれませんね」(川内さん)一方でマッチの“ライバル”であった田原俊彦も40周年。9月からは全国ライブツアーを敢行中。年末のディナーショーもマッチと違って、ちゃ~んと開催する予定だ。今年も“ビンビン”なトシちゃんのステージが楽しみだ!■ファンと触れ合うようなことも難しい全国で開始されていた『Go To キャンペーン』だが、10月1日からは東京も解禁。帝国ホテル東京ではこんな企画も。「今年は開業130周年を迎えることから、宿泊がセットとなった特別プランを企画しました。宿泊は前泊か、ディナーショーが行われる当日泊のどちらかをお選びいただけます。前泊してショーに備えていただいてもいいですし、ディナーショーの後に夜景を見て余韻に浸っていただいても。特別な日にしてほしい」(帝国ホテル広報)価格は2人1部屋で26万円。『Go To キャンペーン』適用で23万2000円に。「谷村新司さん、由紀さおりさんの単独ディナーショー以外にも、谷村さんとバイオリニストのNAOTOさん、井上芳雄さんとクミコさんの共演ディナーショーも開催を予定しています。当ホテルで最も広い『孔雀の間』で、各公演130名限定で行います。ゆったりとしたスペースで、フランス料理のフルコースを楽しんでいただければ。お客様にはアーティストゆかりのクリスマスプレゼントもお渡しさせていただく予定です。かなり埋まってきていますが、残席はまだあります。早めのご予約をお待ちしております」そんな中、赤字覚悟で開催を決めたのは、毎年紅白でけん玉のギネス記録に挑戦する三山ひろし。三山のディナーショーを主催する制作会社の担当者は、「例年300名分を少し超えるぐらいの席を用意させていただいていますが、今年は160席ほど……。それでも毎年楽しみにして来てくださる方もいらっしゃいますし、開催することに決めました。例年のような抽選会や客席を回ってファンのみなさまと触れ合うようなことも難しいかもしれません。それでも特別なショーになるよう、これから打ち合わせをしていく予定です」と気合を入れる。同ホテルでは毎年開催しているが、値段は据え置き。席数が減ってしまっているが、大丈夫?「本当にギリギリ……。それでもファンのみなさまのためにも、赤字覚悟でやらせていただくことを決めました」すでにファンクラブ先行で販売を開始しているが、一般発売は10月20日から。昨年の紅白ではギネス挑戦に失敗したが、ディナーショーの成功を祈りたい。■“大人の女”として路線変更を狙っている?同じ紅白歌手の貴公子・山内惠介も開催を決めた。デビュー20周年を迎え、どんなディナーショーにしてくれるのか、期待が高まる。今年ディナーショー初参戦となるのは国民的アイドルグループ『AKB48』の柏木由紀。グループ最年長の29歳となる彼女について、前出の川内さんは、「クイズ番組で珍回答を連発したり大丈夫かなぁ……という印象でしたから、ずっとそのキャラでいくのは厳しい。来年は30歳になりますから、ディナーショーで“大人の女”として路線変更を狙っているのではないでしょうか」“30歳までAKBを卒業しない”と宣言している柏木だが、新たなキャラを確立できるか。忘れてはいけないのは『週刊女性』でもおなじみの氷川きよし。今年はどうする?「今年の開催はないと聞いています」(芸能プロ関係者)毎年、会場だったホテル椿山荘東京はいっさいのイベントを開催しないと発表ずみ。残念だが来年まで我慢だ。今年は大変な状況だけど、年末ぐらいは夢を見よう。
2020年10月18日森山直太朗NHKの朝ドラ『エール』第88話(10月14日放送)で、森山直太朗(44)扮する藤堂清晴が壮絶な戦死を遂げた。窪田正孝が演じる主人公・古山裕一をかばいながらの最期であり、翌日の放送で藤堂の妻は裕一にこう告げる。「あの人、あなたのこと、本当に好きだった。きっと、自分の人生、託してたのね」そう、藤堂は裕一のいわば分身的存在であり、実はこのドラマの「影の主役」といえる。彼は裕一の才能を発見し、自身があきらめた音楽への夢を委ねた。ドラマの初回では、藤堂の死から20年後の東京五輪が描かれる。裕一が『オリンピック・マーチ』を作曲したことを、裕一の盟友が藤堂の墓前で報告するのだ。つまり、藤堂は自らの分身が夢をかなえてくれたことを、草葉の陰で見届けるわけだ。■森山は「死と再生」の唯一無二それにしても、このドラマは思いきった起用をしたものだ。森山の本業は歌手で、演技経験はほとんどない。にもかかわらず、このような大役を任せたのだから。その謎が個人的に解けたのは、藤堂の戦死シーンから数時間後のことだった。たまたま観た映画『望み』(10月9日公開)のラストで、森山による主題歌『落日』が流れたのである。この映画は、少年同士の殺人事件がもたらした家族の混乱、そこからの喪失と再出発をテーマにしていて、いわば「死と再生」の物語である。そして『エール』もまた、戦争を通して、主人公たちが直面する「死と再生」を描こうとしている。そこでふと、思い当たったのだ。それは森山が「死と再生」の表現者として当代随一であるということ。『エール』はそこを演技でも生かせると考えたのだろう。実際、劇中では裕一の作曲した軍歌をうたう場面があったが、彼のそれは勇ましさよりむしろ、死を予感させる儚さと、それでもなおギリギリまで生きて何かを残そうとする芯の強さを感じさせたものだ。ちなみに『望み』のパンフレットには、制作側が主題歌を彼に依頼した理由がこう記されている。《未来の明るい光を照らすものにしたい》たしかに、彼の歌には凄惨な現実にも希望をもたらす力がある。その秘密を探るうえで見逃せないのが、母・森山良子から受け継いだ音楽的DNAだ。彼女は反戦フォークが流行した時代に世に出て『さとうきび畑』など、戦争をテーマにした作品も歌ってきた人である。そしてもうひとり、母経由で受け継いだ才能がある。さだまさしだ。良子はさだが若いころに作った『掌』が好きで、直太朗にもよく歌って聴かせたという(のちに、良子も直太朗もこれをカバーしている)。また、さだは『精霊流し』『防人の詩』『償い』など死をテーマにした作品に定評があるほか、難病の青年を描いた小説『解夏』は『愛し君へ』(フジテレビ系)というタイトルでドラマ化された。これは主題歌『生きとし生ける物へ』をはじめ、直太朗作品が随所に使われたドラマでもある。■森山が示す「生」の概念そんな先人たちの影響を受けた彼は、2008年に『生きてることが辛いなら』を世に問うた。「いっそ小さく死ねばいい」というフレーズが物議をかもしたが、終盤には「くたばる喜びとっておけ」というメッセージが置かれている。そこには、死を意識し直視しながら、それを生への意志とエネルギーに変えていこうとする姿勢が見てとれた。『エール』もまた、物語的にそういう転回点にさしかかっている。主人公は自らの音楽が日本人の士気を煽り、死へとかきたてる結果になったのではと落ち込むが、やがて生への希望の音楽を書こうとすることで自らを甦らせていくのである。そもそも、森山の出世作『さくら(独唱)』自体、死と再生という意味合いが秘められていた。彼は咲いては散り、散っては咲く桜に、別れと旅立ち、再会への祈りを重ねたのだ。なお、これ以前のJ-POPや歌謡曲に桜ソングは意外と多くない。昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠などは、桜に軍国日本の「負」のイメージを感じるとして、あえて避けていたほどだ。森山は桜に新たな希望を吹き込み、「正」のイメージを再生させたともいえる。そんな出世作から17年、森山は『最悪の春』という曲を発表した(配信限定)。コロナ禍で迎えた今年の春への屈折した思いを赤裸々に歌ったものだ。8月に情報番組『あさイチ』(NHK総合)で披露すると、MCの博多大吉はこんな感想を漏らした。「ネガティブも口に出すと、なんかポジティブに通じる、みたいな、ね」そのあたりはまさに、森山の表現者としての真骨頂だろう。その特性は『エール』でも発揮された。朝ドラとしては異例なほど、戦争の凄惨さに踏み込む描き方がされたなか、彼はそこにどこか清冽(せいれつ)な空気と、希望の予感をも付け加えたのだ。ネガティブをポジティブに。それは人生の極意でもあり、戦争やコロナ禍からも、そうやって立ち直っていくしかない。ただし、藤堂ロスからはなかなか立ち直れないという『エール』ファンも多そうだが――。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
2020年10月17日映画『エデンの海』撮影時の山口百恵さん(’76年3月)山口百恵さんがこれまでに発表した楽曲のストリーミング配信が始まり、往年のファンから若い世代までもが、ふたたび彼女に夢中に―。時代を越えて愛され続ける歌姫の軌跡を、週刊女性取材の写真とともにプレーバック!5月29日、山口百恵さんがこれまでに発表した600曲以上の楽曲のサブスクリプション配信が、ついに“解禁”。往年のファンをはじめ、若者世代でも大きな話題となり、SNSでは喜びの声があがっている。サブスクリプション配信とは、定額の月額料金を払うことで、音楽が聴き放題になるサービスのこと。配信元はApple MusicやSpotifyなど各社さまざまで、スマートフォンやパソコンでダウンロードすることによって、利用することができる。もともと百恵さんの“サブスク解禁”を待ち望む声は多かった。とはいえ引退から40年たった今でも、世代を越えて語り継がれる彼女の魅力とはいったい何なのか?『としごろ』や『ひと夏の経験』など、多くのヒット曲を作曲した音楽プロデューサーの都倉俊一さんは、次のように話す。「山口百恵の持って生まれた個性というのは、ほかの人には見られない稀有(けう)なものだと思います。僕らがあらかじめ用意した、キラキラしたお姫様のようなドレスやニコニコさせて撮るような画というのは彼女には全く似合わなかった。彼女自身も気づいていなかったかもしれないような、自分の決めたことを一貫する姿勢やブレない芯の強さというのが世界観になっていて、それがいちばんの魅力でした」■アイドルからアーティストへと脱皮また、尚美学園大学副学長で、音楽評論家の富澤一誠さんいわく、“歌謡ロック”という新しいジャンルを築き上げた歌手であるため、その栄光が語り継がれているという。「デビュー当時、ともに“花の中3トリオ”と呼ばれていた森昌子さん、桜田淳子さんに比べて、百恵さんは地味な存在でした。その印象がガラッと変わったのが’76年に発表された『横須賀ストーリー』だと思います。歌謡曲とロックを合わせた“歌謡ロック”を歌い始めたことで、アイドルからアーティストへと脱皮しました」サブスク解禁後、再生回数1位を誇るのは言わずと知れた’78年の名曲『プレイバック Part2』。当時、革新的だった“強い女性”を歌った歌詞は、同性の支持を得るきっかけにもなった。「当時のアイドルは、自分の意思を持たない可愛らしいお人形のような存在でした。そんななか、’70年代後半は、自分の意思を持つ女性こそが美しいのではないか、という認識が広がっていく時代でもあったんです。その先駆者となったのが、百恵さんだったと思います。『プレイバック Part2』や『絶体絶命』のような歌詞でもわかるように、かなり強気な女性の歌を歌っています。“女性もこうあるべきだ”というマニフェスト的な歌を歌ったという点が、男性だけではなく同性から支持を集めた理由だと思いますね」(富澤さん)そして、なにより印象強く残っているのが、’80年の引退表明。彼女が“伝説”となった瞬間だ。「活躍し続ける俳優さんやアーティストは、年々変化し続けます。若いころより成長していくことで、人々の心に残り続ける人もいるでしょう。しかし、若くして表舞台から去った人物というのは、その一時が思い出として冷凍保存状態で残るんですね。彼女は何の未練もなく芸能界を去って新しい人生を選んでいった“あの瞬間”というのが、人々の心に色濃く残り続けている。若さや美しさだけではなく、生きざまや世界観までをも印象強く残して去ったことが、彼女が伝説としてあり続ける理由だと思います」(都倉さん)その伝説は、“サブスク解禁”というきっかけを経て、現代の若者にも広く知られることに。「現代の若い世代にとって、CDを買うことは非常にハードルが高い。サブスクリプションで聴いてみたら、案外よかったという“きっかけ”が重要なんです。百恵さんの歌が配信されるようになって、いまを生きる若者たちにもささる歌として好評を得ることで、さらに今後へと語り継がれていくことになると思いますね」(富澤さん)1973年(14歳)’72年にオーディション番組『スター誕生!』をきっかけに芸能界入り。’73年の楽曲『としごろ』で歌手デビューを果たす。同じ時期にデビューした桜田淳子、森昌子と並んで“花の中3トリオ”と呼ばれた。この年に発表された楽曲『青い果実』は、人気のきっかけとなった“青い性路線”(純朴な少女に大胆な歌詞を歌わせる路線)の先駆けとなる。1974年(15歳)女の子の一番大切なものって何ですか?「まごころです」 5枚目のシングル『ひと夏の経験』が大ヒット。「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」という歌詞を歌い、話題に。インタビューでそれは何かと問われると「まごころ」と一貫して答えたという。グリコプリッツのCMで三浦友和(当時22)と初共演を果たし、映画『伊豆の踊子』でも共演。同映画で主演を務め、演技でも評価を得た。1975年(16歳) 映画『初恋時代』に桜田淳子、森昌子と“高2トリオ”で出演。曲は『ささやかな欲望』や『夏ひらく青春』を発表。『夏ひらく青春』で2年連続、紅白歌合戦出場も果たした。ゴールデン・コンビと呼ばれるようになった三浦友和とは、映画『絶唱』で初のキスシーンが話題に。TBS系の“赤いシリーズ”として人気を誇ったドラマ『赤い疑惑』の放送もスタートした。1976年(17歳)「初めて自分の歌というものに出会えたと感じました」歌謡曲とロックを融合した“歌謡ロック”の先駆けである『横須賀ストーリー』が発表される。作詞を阿木燿子に、作曲を宇崎竜童にと、自ら指名して生まれた異色のコラボだった。それまでの「早熟な少女」から「自分の意志を持って生きる女性」へとイメージ転換成功。インタビューで「初めて自分の歌というものに出会えたのだと実感した」と語った。1977年(18歳)この年に発表した『秋桜』は、さだまさしが作詞作曲。“ツッパリ路線”の楽曲とは違い、嫁ぐ娘が母を思う心を歌った歌で、若者以外の年配の世代からも支持を得た。この歌で、第19回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。高校卒業とともに森、桜田との“花の高3トリオ”の解散コンサートも行われ、それぞれ自分たちが目指す道を進む再スタートを切る年となった。1978年(19歳)ヒット曲『プレイバックPart2』、『いい日旅立ち』を発表。『プレイバック』はこの年の音楽賞を多数受賞し、第20回日本レコード大賞では金賞を受賞。NHK紅白歌合戦は、最年少で紅組トリを飾った。5月には、ラジオにて相手の名前は明かさないものの、「真剣に愛している人がいます」と恋の相手がいることを発表。ファンを騒然とさせる事件となった。1979年(20歳)「普通の女の子に戻りますと言ったとき、戻れる人間でいたい」映画『ホワイト・ラブ』の撮影で三浦友和とスペインに出発すると、現地での“お忍びデート”が話題に。10月、大阪厚生年金会館で行われた『山口百恵リサイタル』で、自身の恋人について「三浦友和という人です」と“恋人宣言”を行った。翌年の引退を予言するかのように「普通の女の子に戻れる人間でいたい」という言葉も残している。1980年(21歳)「やり残したことはなかったように思います」3月、三浦友和との婚約を発表し、同時に引退を宣言。10月には武道館でファイナルコンサートが行われ、最後の歌となった『さよならの向こう側』でステージにマイクを置き、惜しむ声が響くなか舞台を去った。10月15日、引退会見に臨んだ百恵は「悔いはない」とキッパリ言い放ち、8年間という短くも鮮やかな芸能人生に終止符を打った。
2020年06月21日新型コロナウイルス感染症感染拡大を受け、在宅勤務に切り替える会社が増えています。外出する機会が減り、感染のリスクが抑えられるだけでなく、通勤にかかる時間も削減でき、「快適」との声が寄せられる一方で、在宅での仕事にリスクを覚える人も。というのも、職場のように仕事に最適な環境が整えられていない場合、仕事中の体勢に負担がかかり、腰などを痛める可能性があるのだといいます。マッサージ師の、あき(@planetofU)さんは、家で仕事をする際の注意事項をTwitter上に投稿。さだまさしさんのヒット曲『関白宣言』の替え歌にして、ユーモアたっぷりに紹介しています。リモートを始めたお前たちに言っておきたいことがあるかなり厳しい話もするが 現場(マッサージ師)の声を聞いておけちゃぶ台(ローテーブル)で作業をしてはいけないクッションなしで椅子に座るのもいけない膝の上に枕を乗せて 肘置き場を作ろう出来る範囲で 構わないから— あき (@planetofU) April 1, 2020 なぜローテーブルで作業をしてはいけないのか、そしてクッションなしで椅子に座っていはいけないのか、その理由を投稿者さんはこう説明します。なんかしらまとめる予定なんだけど、なんでちゃぶ台やローテーブルでの仕事が駄目かっていうと、紀伊國屋ホールの椅子で腰が死ぬのと同じ原理です 骨盤より高い位置に膝がくると姿勢保持に腿の筋肉を使わ(え)なくなり腰周りの筋肉だけで支えることになるから負担が凄まじいの — あき (@planetofU) April 2, 2020 その上で投稿者さんがイラストで描いた、理想の在宅勤務環境がこちら。わたしがお客さんにオススメしてるリモート環境のあれそれまとめてみたので参考になれば幸いです pic.twitter.com/iab2vR6HtW — あき (@planetofU) April 2, 2020 しかし、特に一人暮らしの場合は、職場と同様の仕事環境を整えるのは部屋のスペース的にも、経済的にも難しいもの。そこで投稿者さんは、重要なポイントとして以下の点をあげています。骨盤より低い位置に膝がくれば、多少は負担が軽減できるので、分厚めの座椅子を買ったり、クッション重ねたり、毛布を座布団にしたりして座高を盛って、とにかく膝を低く保ってほしい。家にちゃぶ台しかない人も今後もテレワークするなら椅子とテーブルを是非買って欲しいけど無理な場合は、用は骨盤より低い位置に膝がくれば負担が多少軽減出来るので、分厚めの座椅子買ったりクッション重ねたり毛布を座布団にしたりして座高を盛って、とにかく膝を低く保ってほしい— あき (@planetofU) April 2, 2020 短期間であればまだしも、長い間無理な体勢で仕事を続けると、身体に不調をきたす原因になってしまいます。こうしたアドバイスを日常の中に少しでも取り入れていくと、より仕事への集中力も上がるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年04月12日『すべての子どもたちに音楽を――フランスの “感性を育てる” 音楽教育』では、音楽が子どもたちにすばらしい影響を与えることについて詳しくご紹介しました。その本質を理解し、「音楽を通した人間教育」を世界に広めた人物が、ヴァイオリニストの鈴木鎮一氏です。歌手のさだまさし氏やヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏、海外では世界的ヴァイオリニストのヨーヨー・マ氏も、スズキ・メソードを経て、音楽の世界で成功した方々です。そして音楽家に限らず、医師や弁護士、科学者など、音楽とは違う分野で大成された人が多くいるのは、音楽を通して育む「人間教育」の賜物でしょう。70年の長きに渡って46か国の子どもたちを導いてきた教育法はどんなものなのでしょうか。そこには、AIの時代を生き抜いていかねばならない今だからこそ必要な「人間力」を育む要素が、たくさん詰まっているようです。今回は、そんな「人間教育」の面にフォーカスした音楽教育「スズキ・メソード」をご紹介します。赤ちゃんが言葉を覚えるように音楽を学ぶ「母語教育法」戦前、鈴木氏が帝国音楽学校教授だった頃に子どもたちへの早期教育の道がスタートし、“才能教育第1号”と言われる桐朋学園元学長の江藤俊哉氏へのヴァイオリン指導が、「母語教育法」を生むきっかけになりました。江藤少年への指導に悩んでいたとき、「日本人は皆、流暢な日本語をしゃべっている」ことに気づき、衝撃を受けた鈴木氏は、この事実に才能教育の礎を見いだします。日本で育つ日本人はもれなく完璧に日本語を操るようになります。その点において、ほぼ例外はありませんよね。“母国語”でなくあえて“母語”となっているのは、第一言語(はじめに覚える言葉)は、必ずしも国と結びつかないから。そこに潜む教育のヒントはとても大きなものでした。赤ちゃんは毎日繰り返し耳にしている言葉を、いつのまにか話せるようになります。それを誰も特別なこととは思いません。お父さんお母さんがていねいに、よく話しかけることで、言葉が話せるようになり、たくさんの言葉を身につけていきます。(引用元:スズキ・メソード音楽教室|母語教育法)音楽についても同じことが言えるのではないか?母語が育つときと同じように、毎日音楽に触れる教育があればいいのではないか?まさにスズキ・メソードの原点はここにあります。そして、「母語のような教育」をめざした3つの基本方針ができたのです。まさに、赤ちゃんが母語を覚える過程と同じではありませんか。【環境】良い演奏を繰り返し聴く。音楽があふれる環境をつくる。【能力】演奏を聴いたり、レッスンを見学したりすることで、「お母さんやお友だちのように弾きたい」という意欲を引き出す。【喜び】「あの曲を弾きたい」など自主的な気持ちで取り組み、達成の喜びを知ることで、次の意欲と向上心を引き出す。さらに、メソッドの才能教育五訓は、「より早き時期」「より良き環境」「より多き訓練」「より優れたる指導者」「より正しき指導法」。この鈴木氏の理念の集大成が、「母語教育法」なのです。「私には才能がない」は努力をしなかった人の言い訳「自分には才能がないから」誰もが、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。この考え方を鈴木氏は「努力を怠った者の言い訳」だと言っています。耳が痛いです。「人間は環境の子。“へたな努力”をすれば、へたな才能が育つ。“正しい努力”をすれば、自分を正しく育てることができる。」つまり、「ただ努力すればいい」わけではないということ。たとえば、音痴のお子さんは、「ファ」の音が半音高くなっていることが多いそうです。それを直す方法に、スズキ・メソードの考え方の基盤を見ることができます。すでに身についてしまった「ファ」の音を“矯正する”のではなく、正しい「ファ」の音を新たに身につける努力をするのです。過去はもうどうすることもできないので、正しい経験を積み重ねて、過去の上書きをするということ。正しい努力を続ければ、いつか、正しい「ファ」が身につきます。これはとても理にかなっていて、無駄な努力を省けるため、結果を大きく変えるでしょう。しかし、当然ながら実行するには多くの努力が必要です。その過程に真の教育のヒントがたくさん潜んでいます。そのポイントをさらに見ていきましょう。我が子の「人間力」を育てるために親ができること3つ鈴木氏の理念には、多くの気づきと学びがあります。それは、70年も前に提唱されていたことなのに、今の時代にも響く、人としてとても大切な普遍性を持っています。子どもと一緒に努力をするためのポイントを3つにまとめてみました。ポイント1:急がず、でも休まない(持続性・忍耐力)前述の「ファ」の音の例であれば、正しい音を身につけるには、正しい「ファ」の音を繰り返し根気強く聞くしかないのです。とにかく休まず続けることが何よりも大切。6歳の子どもで新しい能力が身につくまでに半年はかかるそうです。反復の努力で得た能力により、新しい道が開ける実感を得ることができ、それが次のチャレンジにつながり、人生を切り開く大きな力へと結実していく――まさにこれは、いま注目のGRIT(*)。達成で得られる成功は、「繰り返す」ことから始まるのです。(*GRITとは、Guts度胸、Resilience復原力、Initiative自発性、Tenacity執念の頭文字を合わせた言葉で「やり抜く力」を意味する)ポイント2:行動力こそが人生を切り開く(自主性・行動力)人には誰でも短所がありますが、一番悪いと言えるものが「やらなければいけないと思いながら、すぐにやらないこと」。鈴木氏は、これは「人の一生の運命を左右するほど重大な能力」だと述べています。多くの人が抱えている欠点だと思いますが、その原因は「親や先生に言われてからやる」受け身の習慣が身についてしまっているから。自主性を育むことが、行動する能力を伸ばす解決策となります。ポイント3:子どもの生きる力を信じる(生命力)「教育の“教”にフォーカスしすぎて、“育”という子どもの生命力を忘れている」と鈴木氏。「教える」ことは手段で、本来「育つ、育む」ことが目的なのに、今の教育は本末転倒になっているというわけです。子どもに本来備わっている“生きる力”を伸ばすべく、「結果(テストの成績など)重視=教える教育」ではなく、「学びの過程を大事にする=育てる教育」への転換が求められています。子どもは自分自身で育つ力を持っています。まず親がその力を信じるべきではないでしょうか。これら3つは全て、2020年の教育改革の中でも提唱される「目標に向かって頑張る力、感情をコントロールする力」などの非認知能力と言えます。その言葉がなかった時代から、人間力を身につけるための要素は変わっていないのです。「継続は力なり」ですね。次に、メソードから学ぶ、家庭でのお子さんとの関わり方についてご紹介します。「親子一緒に」がキーポイントの人間教育スズキ・メソード自体は音楽教育ですが、同時に音楽というツールを使って行なう人間教育でもあります。学習などのさまざまな場面で生かせそうな、家庭でできる学びのポイントを押さえておきましょう。■親子で同じ目標に向かって努力するスズキ・メソードでは、「親子で学ぶ」が基本で、親も子どもと同じ曲を練習してもらうそう。同じ目標に向かって努力することで、苦労も喜びもシェアできますよね。お母さんと一緒だったら毎日の練習を乗り越える力も倍増しそうです。家庭では、サッカーでもバスケットでもお習字の練習でも、どんなテーマでもかまいませんので、親子で一緒に頑張る目標を作ってみましょう。お互い楽しく努力することで、行動力、持続力、忍耐力を育みやすい土壌を作ることができます。■親子で毎日ひとつ覚えよう鈴木氏が「もっとも大切な能力のひとつ」とあげるのが記憶力です。スズキ・メソード初期の頃、いかに早く覚えて長く忘れないかの訓練をさせたそうです。その方法のひとつが、子どもたちにも親しみやすい小林一茶の句を毎日一句ずつ覚えさせること。最初は苦戦していても、だんだん早く覚えられるようになり、最後には自分流の俳句を作ることを楽しむまでに。記憶力の訓練から感受性や想像力も育まれていったのです。家庭でもまねできそうですよね。興味のあるものをテーマにして、毎日ひとつずつ親子で覚えて、成果を披露し合えば、共通の話題もでき、親子のコミュニケーション効果も得られて一石二鳥です。■何度も繰り返して質を高める鈴木氏のバイオリンの指導は次のような手順で進められました。課題曲が与えられたら、まずその曲を毎日聴く。弾き方を丁寧に指導し、丁寧に稽古する。一通り弾けるようになったら、“さらに立派に”弾けるように練習を繰り返す。十分弾けるようになったら、その曲を演奏しているときに、全く関係ない質問を投げかけて、演奏しながら答えてもらう。同時にふたつのことをこなせることが確認できたら、しっかり能力が育ったと確認できる。つまり、広く浅くではなく、「ひとつのことを深く掘り下げること」が大事だということ。ひとつを極めることが、能力を育む最適な方法なのです。たとえば、問題集を一冊を何度も何度も繰り返し、書いてあることを全部覚えてしまうほどやる。これは、東大を主席で卒業したNY州弁護士・山口真由さんも「7回読み勉強法」として推奨しています。このときのプロセスを、いかに苦痛ではなく「楽しい」と思わせられるかも大事です。鈴木氏も実践していましたが、前述の「同時にふたつのことをこなす」訓練も、質問を楽しいクイズにするなど、ゲーム感覚で遊ぶように行なうことが、継続の鍵となりそうです。***育てばいいのです。“教育だ”と四角ばったとき、とたんに子どもはゆがみます。まず心を育て、そして能力を身につけさせていく。これが自然の正しい道でした。(引用元:鈴木鎮一著(1966),『愛に生きる 才能は生まれつきではない』,講談社現代新書.)子どもの才能を解放するためには、やはり親の関わりは必要不可欠です。親がやっていることを「やりたい」「親のようになりたい」という自然と生まれる願望が才能の芽となり、自主性が育まれます。その後は、「楽しく続ける」ことを念頭にサポートしてあげたいですね。(参考)スズキ・メソード音楽教室ウィキペディア|スズキ・メソードSTUDY HACKER|最速で確実に結果がついてくる「7回読み」勉強法――東大首席卒・NY州弁護士 山口真由さんにインタビュー【第1回】StudyHackerこどもまなび☆ラボ|才能よりも大切なGRIT!子どもの“やり抜く力”の育て方〜家庭内ルール〜鈴木鎮一著(1966),『愛に生きる 才能は生まれつきではない』,講談社現代新書.
2020年04月05日2年前の2018年にスタートした、ギタリスト荘村清志のスペシャル・プロジェクト「デビュー50周年特別公演」がいよいよ大団円を迎える。Vol.4の今回は、大友直人指揮東京都交響楽団との共演によるロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を中心に据えた豪華なプログラムが用意され、50周年記念の最後を飾る素敵なステージに華を添える。その中身はといえば、モーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」序曲を皮切りに、ロドリーゴの代表作「あるき貴紳のための幻想曲」&「アランフェス協奏曲」のほか、cobaの「ギター協奏曲」世界初演まで行われるという、なんとも盛り沢山な内容だ。しかも会場は、日本最高峰のステイタスを誇るサントリーホールとなれば、ギターファンならずとも気になるところ。ピアノと並んで最も身近な楽器ギターの奥深さを、“ギター界のレジェンド”のステージで堪能したい。●公演概要3月29日(日)サントリーホール「荘村清志 スペシャル・プロジェクト vol.4デビュー50周年特別公演」●荘村清志(ギター)荘村清志は実力、人気ともに日本を代表するギター奏者として近年ますます充実した活動を展開している。2017年から20年にかけてギターの様々な可能性を追求する「荘村清志スペシャル・プロジェクト」(全4回)に取り組んでいる。第1回は17年にさだまさしと、第2回は18年6月(いずれも東京オペラシティコンサートホール)にcoba、古澤巌、錦織健と共演し、ジャンルの垣根を越えたコラボレーションが話題となった。本年はデビュー50周年に当たり全国各地でリサイタルを行っている。9歳からギターを始め、父・荘村正人と、後に小原安正に師事する。1963年、来日した巨匠ナルシソ・イエペスの歓迎演奏会で氏に認められ、翌年スペインに渡りイエペスに師事。同時期にスペインに滞在していた岩崎洋に音楽理論も学ぶ。1967年イタリア各地で18回、翌1968年にはミラノなど22都市でリサイタルを開き、各地で好評を博す。帰国後、1969年の日本デビュー・リサイタルで、「テクニック、音楽性ともに第一人者」との高い評価を得る。1971年にイタリアで開かれた世界青少年協会国際フェスティヴァルに日本代表ギタリストとして参加し、この成功により北米各都市で28回にのぼる公演を開き、国際的評価を確実なものにする。1974年にはNHK教育テレビ「ギターを弾こう」に講師として出演し、一躍、日本全国にその名と実力が知られることになった。1977年と1980年に再びスペインに渡り、イエペスのもとでさらに研鑚を積み、ヨーロッパ各地でコンサート活動を行なう。以後、リサイタルや、日本の主要オーケストラとの共演で活躍を続けている。99年マルク・グローウェルス(フルート)、2001年グローウェルスと、インマ・ゴンザレス(カスタネット)との共演、2004年女優の岸田今日子とのコラボレーションによる《ギターと朗読の庭》のツアーを行い、カステルヌオーヴォ=テデスコの「プラテーロとわたし」をメインにした内容が好評を博す。05年にはCD《郷愁のショーロ》をリリース、アコーディオンのシュテファン・フッソングをゲストに、猿谷紀郎の委嘱新曲と新アレンジを含む意欲的なアルバムで、東京や大阪で記念コンサートを開催するなどギターの魅力をさまざまな形で伝えている。07年にはNHK教育テレビ「趣味悠々」に講師として登場し、改めて日本ギター界の第一人者としての存在を強く印象づけた。08年ミラノ弦楽合奏団の日本ツアーにソリストとして参加。同年ビルバオ交響楽団の定期演奏会に出演。《アランフェス協奏曲》を録音09年にCDをリリース、また同団との日本ツアーを行い好評を博した。14年デビュー45周年を記念して東京にて大友直人指揮東京都交響楽団と協奏曲3曲を演奏。2015年10月にはイ・ムジチ合奏団と共演、レコーディングを行い、ジュリアーニ、ヴィヴァルディのギター協奏曲を含むアルバムが16年1月にリリースされた。現代のギター作品を意欲的に取り上げるだけでなく、日本人作曲家に多数の作品を委嘱、初演するなど、ギターのレパートリー拡大にも大きく貢献している。特に武満徹には74年に「フォリオス」、93年に「エキノクス」を委嘱、77年荘村のために編曲された「ギターのための12の歌」を初演・録音、96年には「森のなかで」を全曲初演している。16年は武満徹没後20年に際し、同氏のギター曲を各地で演奏し好評を得た。現在、東京音楽大学客員教授。
2020年03月18日いつも折れてきたけれど…この日ばかりは我慢ができなかったんです。この私のひと言が、どうやらまさしくんの怒りスイッチを押してしまったようです。次回(12/26 16:00 UP)につづく。「うちのダメ夫」連載は こちら ※この漫画は実話をべースにしたフィクションです。イラスト・ もちふわ
2019年12月26日アイドルグループ・ももいろクローバーZが27日、12月31日に横浜アリーナで開催する年越しライブイベント『第3回 ももいろ歌合戦』の記者会見に出席した。今回は初となるメンバー対決が実施。百田夏菜子と佐々木彩夏の白組と、玉井詩織と高城れにの紅組に分かれ、対決が行われる。2017年のスタートから今回で3回目となる『ももいろ歌合戦』は、加山雄三、さだまさし、水前寺清子、親交の深い氣志團ほか、その年に活躍したアーティストが登場して豪華なコラボライブを行っていく1年に1度の"祭典"。今年のテーマは「ノーサイド」。第1弾出演者として発表されたのは、総合司会を東京03、応援団長を紅組・野々村真、白組・森尾由美が担当し、初出場組には、泉谷しげる、m-flo、私立恵比寿中学、声優ユニット・Poppin’Party、和田彩花らが名を連ねる。また連続出場組として、氣志團、さだまさし、松崎しげる、ヒプノシスマイク、BOYS AND MENなど、世代ジャンルを超えたアーティストが駆けつける。「日ごろのうっぷんを、年1でぶつけ合おうじゃないか」と佐々木は早くも臨戦態勢。一方、紅組の玉井は、メンバーカラー赤の百田が白組にいることを指摘し「この勝負にもし(白組が)負けるようなことがあれば、ももクロの赤を名乗る資格はないんじゃないか」と宣戦布告すると、百田は「えー!」と大絶叫。追い打ちとばかりに、高城は「最近気づいたんですけど、夏菜子ちゃんが赤を着るより赤が似合う自信があります。これは赤をかけた戦いでもある」と話し、百田は「思った以上に重要な戦いになってきた」と苦笑いを浮かべていた。会見の途中には、スモーク噴射をまき散らしながら泉谷しげるが乱入すると、百田は「泉谷さんは生放送に出ちゃだめなんです」と泉谷を警戒。しかし、百田の発言などどこ吹く風と言わんばかりに泉谷は「NHKは御難続き。向こうが裏番組だ」と早々に吠え、「御難続きのNHKを応援するためにもこうすればいいんだと伝える番組にしたい」と息巻いていた。<『第3回 ももいろ歌合戦』実施概要>日時:2019年12月31日(火)open 15:30 / start 16:30 / (24:40終演予定)会場:神奈川県・横浜アリーナ【タイムスケジュール(予定)】・16:30~ 「年忘れももクロライブ」スタート・17:30~ 「歌合戦まで待てない!年の瀬芸能ショー」・18:30~ 「ももいろ歌合戦スタート~新春ももクロライブ」~終演■出演者(50音順)※( )内は出場回数浅草出身の大物師匠(2)アップアップガールズ(仮) (2)飯塚高史(2)泉谷しげる(初)m-flo(初)大友康平(2)角田晃広(東京03)(3)氣志團(3)Creepy Nuts (2)サイプレス上野とロベルト吉野(3)さだまさし(3)C&K(初)塩乃華織(3)笑福亭鶴瓶(3)私立恵比寿中学(初)水前寺清子(3)杉山清貴(初)たこやきレインボー(2)CHAI(初)東京女子流(2)東京ホテイソン(初)徳井健太(平成ノブシコブシ)(3)中澤卓也(初)永野(3)妃海風(初)ヒプノシスマイク(2)平松愛理(初)ファンキー加藤(初)Poppin’Party(初)BOYS AND MEN(2)松崎しげる(2)松本明子(3)ももいろクローバーZ(3)森口博子(3)和田彩花(初)■放送・配信予定・AbemaTV『【大晦日恒例!年越し歌合戦】第3回 ももいろ歌合戦 10時間ぶっ通し生中継』放送日程:12/31(火)16:15~26:55放送チャンネル:AbemaSPECIAL2チャンネル・BS日テレ放送日程:12/31(火)19:00~・ニッポン放送放送日程:12/31日(火)21:00~
2019年11月29日(左から)志村けん、田代まさし薬物がらみでは4度目の逮捕となった田代まさし容疑者(63)。薬物依存からの回復がいかに困難か、改めて感じさせるとともに、イベントなどで披露していた替え歌が話題になっている。PUFFYのヒット曲『アジアの純真』の冒頭のメロディーに合わせて、《アヘン コカイン マリファナ ヘロインたまにやって パーになってやらんフリして たまにはやらないか?》薬物をネタにしたものだが、これも『め組のひと』が大ヒットした鈴木雅之率いるラッツ&スターに所属していた、田代らしい歌ネタなのだろうか。そういえば、師匠的な存在にあたる志村けんも歌ネタでブレイクした人だ。■志村けんと田代まさしの師弟関係『東村山音頭』しかり『ヒゲダンス』しかり『カラスの勝手でしょ(「七つの子」替え歌)』しかり。その後、田代と組んだ『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)では『ウンジャラゲ』『婆様と爺様のセレナーデ』を一緒に歌った。田代いわく、「志村さんにお前はツッコミのリズムがよいと褒められたなぁ」ということで、志村なくして、彼がこれほどの大物になることはなかっただろう。しかし、今回の逮捕について、志村は沈黙している。田代が盗撮で最初の逮捕となった2000年、「ミニにタコができる」というビデオを作るつもりだったと説明し、この期に及んで笑いをとりにいく彼に世間は冷たい視線を送っていたものだ。志村は、そんな彼の復帰に尽力したが、翌年、覚せい剤で逮捕されたのを機に《あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい》とコメントして、突き放した。かつては飲みに連れ歩くなど可愛がっていたから、裏切られた思いだったのかもしれない。’04年にはまた覚せい剤で捕まり、実刑に服した。それでも、’09年には田代が志村の楽屋を訪れ、土下座して謝罪。『だいじょうぶだぁ』のDVDボックスが発売されるタイミングでの再会でもあり、志村はブログに、《今は仕事 生活 大変そう 私には今はDVDを出してやる事しか出来ませんが 頑張ってほしい いつか心は通じると信じて 生きる1のマイナスは10挽回しないとね》と、綴った。一方、田代も──。《出所したはいいけど仕事も地位も全てを失って途方に暮れていた頃から1年4か月。地道にコツコツと歩んできて、ついにその宝物である志村さんから声をかけて頂けるところまで来たというのは本当に万感の思いだった》と、ブログに書いた。が、翌年、今度はコカインで逮捕(薬物がらみでは3度目)され、その後、両者の交流エピソードは伝わってきていない。■志村けんがコメントしない理由はこうした経緯を見たうえで、志村を冷たいと感じる人は少ないだろう。実は彼自身、こういう過ちに二度目があってはならないことを肝に銘じている。最初の全盛期を迎えていた81年、競馬のノミ行為で書類送検され、1か月謹慎した過去がある。当時『8時だョ!全員集合』(TBS系)は子どもたちに絶大な人気を誇っていたから、世間の激しい批判にさらされたものだ。それ以降、志村に大きな不祥事はない。女性がらみでは、3年以上同棲した女性と別れる際「内縁関係」とみなされて財産を半分持っていかれたことを告白している。それ以降、同棲は「3年ごとに」と決め、下半身のスキャンダルを免れてきた。このように、危機を回避するための学習能力があるおかげで、40年以上もトップの座に君臨していられるのだ。「バカ殿」どころか「名君」といえる。一方、田代は売れっ子になっても驕(おご)ることなく、誰に対しても腰が低かったという。では、なぜ志村を裏切るようなことをしてしまったのだろうか。実は今回、冒頭で触れた替え歌をイベントで披露したあとにも、こんな趣旨の発言を付け加えたりしている。「反省してないわけじゃないですよ。みなさんを笑わせるために無理してやってるんですから」無理して笑いをとらなくても、地道に回復への努力を続けていればよかったのでは……という気がしてしまうが、志村ほど芸にも人生にも自信を持てない田代はとにかく笑わせることで誰かに認めてもらいたい気持ちが強かったのかもしれない。そこに芸人、さらには人間としての業(ごう)があるのだろう。芸と人生をそれなりに区別することができ、失敗を繰り返さない志村には、そんな田代の哀しい本質も見えているはずだ。バカ殿ではない志村には“沈黙は金”に徹して、見守るしかないのである。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に「平成の死」「平成『一発屋』見聞録」「文春ムックあのアイドルがなぜヌードに」などがある。
2019年11月13日薬物事案で5度目の逮捕となった田代まさし容疑者「お父さんが逮捕された日、タツヤ君は働いている渋谷のバーでイベントをやっていました。お父さんのことをネタにして盛り上がっているかと思ったら、バーのスタッフは“今日は、そういう感じじゃないんだよ”って話していた。30本以上のシャンパンを開けて、飲み明かしていたようです」(バー近くの飲食店店員)“タツヤ君”というのは、今回の薬物事案で5回目の逮捕となった田代まさし容疑者(63)の息子のこと。彼は’17年に自身のツイッターで《ウチの父親は最高に今頑張ってて素晴らしいよ》などと投稿していたのだが……。11月6日、覚せい剤取締法違反の疑いで現行犯逮捕された田代。8日に送検された。田代はこれまで2度の実刑判決を受け服役。’14年7月に出所してからは、薬物依存回復施設『ダルク』で職員として働いていた。「講演や書籍の執筆などの啓発活動をするなかで、絶縁状態だった家族とも関係を修復していました。バンド活動をする息子のタツヤとは、一緒にDJイベントをやったりもしていた」(スポーツ紙記者)■薬物依存症患者の家族が語る“苦しみ”出所して5年を経た田代も、薬物をやめることはできなかった。何度断とうとしても、やっぱりやめることができないのが薬物の恐ろしさだが、それに振り回されるのは、本人だけではない。「本人のことは支援や治療の場に委ね、ご家族には自分の生活を大切にしてほしい」そう話すのは、高木恵さん(70代、仮名)。薬物依存症の息子をもつ。恵さんの長男(48)が33歳のとき、薬物使用が発覚した。「息子の部屋で注射器を見つけ、薬を使っていたんだ……と身体の力が抜けました。警察に行けば逮捕される。どうしたらと、すごく悩みました」『ダルク』へ入所したが、2年で行方不明に。3年後に届いた手紙で行方が知れた。「それ以降、盆や年の暮れには帰って来るようになりましたが、仕事をしていてもいつもお金がなくて、生活が安定しない。結果として’11年に警察から“息子さんを逮捕した”との連絡を受けました」執行猶予付きの有罪判決が下ったが、’13年に2度目の逮捕で1年半ほど収監された。現在は出所し、再び『ダルク』へ入所しているという。「今がいちばん安定した状態だと思います。5月に会ったときも本当にいい顔をしていました。ただ、依存症は病気です。また手を出してしまう可能性は消えません」親子で向き合い続けて15年の時が流れたが、恵さんはこれまでの苦しみを吐露する。「長男だからと厳しく接し本人を認めてあげる機会が少なかったこと、陰湿ないじめを受けていた彼のつらさに気づけなかったことなど、自分を責めてきました。家族会を通して少しずつ前向きに考えられるようにはなりましたが、その気持ちは今も心の中に抱えています」家族を苦しませてしまうのも薬物なのだ。
2019年11月12日