なんだかいつも幸せな恋愛ができない……とお悩みのあなた。もしかして、「わたしなんて」という言葉が口癖になっていませんか?言葉は、とても強い力を持っています。「わたしなんて彼の彼女にふさわしくない」「わたしなんてきっと幸せになれない」そんな風に思っていると、あなたの中に暗示として残り、やがて現実になってしまうかも……。楽しく幸せな恋愛がしたいなら、「わたしなんて」を卒業しましょう。■ 自分の魅力は自分で決める「あなたの魅力はなんですか?」と聞かれると、「優しいところかな……」「気が利くところかな……」といくつか自分のいいところが浮かぶと思います。でも「わたしなんて」と考えがちな人は、「でもあの子のほうが優しいから、自分はそこまでじゃない……」という考えに進んでいきがち……。「でも……」と、人と比べる考えは、意識してSTOPをかけてみてください。あなたの魅力は、だれかと比べて優劣をつけるものではありません。自分の魅力は自分で決めていいのです。■ スペックよりも相性重視「わたしなんて」と思っていると、素敵な男性が目の前にいても「きっと釣り合わない」と勝手に判断してしまい、結局選んでしまうのは「ダメ男」ばかりだった……ということがあります。スペックが高い男性を前にすると、ためらってしまうのもわかりますが、大切なのは「スペックが釣り合うかどうか」ではなく「相性が合うかどうか」。「わたしは彼と合わない」と考えてしまったときは、「どうしてそう思うの?」と自分に聞いてみてください。それが「相性」ではないのなら、無視しても大丈夫な心配ですよ。■ 自分が楽しむことを優先「わたしなんて」が口癖の人は、「彼はわたしといて、楽しんでいるのかな?」と彼の顔色をうかがって、気を遣いがちです。でも多くの人は「気を遣われる」と「自分も気を遣わなければ」と感じてしまうもの……。あなたが彼の顔色を気にすれば気にするほど、彼は自由に楽しめなくなってしまうのです。彼が「楽しい」と思うためには、あなた自身が楽しんでいることが必要。デートの行先や見たい映画などを、「あなたの基準」で選んでみるようにしてみてはいかがでしょうか?そして選んだあとは、思いっきり楽しんでくださいね。そんなあなたの姿を見て、彼もきっと楽しもうと思ってくれるはずですよ。■ おわりに「私なんて」と言ってしまうと、自分で自分の限界を決めてしまうことになります。本当のあなたはもっと素敵なのに、「ここまで」と決めてしまうと、それ以上輝くことはできません。自分で自分の可能性を、捨ててしまわないで。あなたの魅力はあなたが思っているよりも、ずっとずっとキラキラしていますよ!(矢島 みさえ/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2019年12月05日「個性を大事に」「向き不向きは人それぞれ」「自分らしく」「自分と他人は違う、違っていて良い」と、子どもに伝えようにも、親自身がそういう状態でなかったとしたら、どのように「みんなちがってみんないい」の素晴らしさを示せばよいのでしょう?■「子どもかわいそう」押し付けにさようなら私も大好きな金子みすゞの詩にこんな一節があります。「みんなちがってみんないい」出典:『わたしと小鳥とすずと』このように語りかけることが「オトナと子ども」の間ではままあると思いますが、これはママやパパにも当てはまることではないでしょうか。現時点で、とくに女性は妊娠や出産を機にこれまでの生き方からガラッと生活を変えざるを得ない方が大半ではないかと思います。親になることは「自ら選択したこと」だとしても、「成長や変化」として受け入れるにはあまりにも環境やシステムの不具合が多く、個人個人が思うような子育てをかなえにくいのが現状ではないでしょうか。また「お母さん」になった途端に、社会から求められる「理想や幻想」も多いと感じます。「お母さんだから」「お母さんなのに」「お母さんじゃなきゃ」…この辺の言い回しはすべて平成以前から脈々と受け継がれてきた「呪い」のように感じます。しかもこれらはたいてい「子どもがかわいそう」という善意(あるいは善意とみせかけた何か)からくる個人的な価値観の押し付けではないかと(もちろん子どもの生命や尊厳に関わる場合はこの限りではありません。その時は第三者だろうが速やかに然るべき機関へ!)。そして厄介なことにこの「呪い」はたいてい言葉のみ、そう「口は出すけど手は出さない(手助けしない)」。 ■「お母さんだから」は博物館の倉庫に!価値観だけ押し付けて、膨大な責任と仕事はすべて「お母さん」に丸投げ…。そんな逃げ場のない育児は、令和に持ち越さず、旧時代の遺物として参考までに博物館の倉庫にでもしまっておけばいい。ママやパパになっても1人の人間であることには変わりはありません。どんな生き方やどんな選択をしても、親になったことを一瞬でも後悔することなく、親になってからも「選択肢を失わない・奪われない」社会であってほしいなと思います。というわけで、昭和生まれ平成育ち現在進行形でドタバタ子育て中の私も、「呪い」をはねのけて、まずは気持ちだけでも「令和ママ」でいこうと思います! 「オープン! マインド」「オープン! リソース」「オープン! アップ」親となり育児をしている限り、ささいなことで、多少なりとも不安に感じたりや悩んだりはつきもの。でもそれを1人で抱え込む必要はありません。■ママが楽することへの批判は受け流そうそんなときは、頼れるものなら「子育てサポート」や「ベビーシッター」などの育児のプロ、「家事代行」などの家事のプロ。そんな各種プロを自分の体調不良や仕事など「止むに止まれぬ事情」だけではなく、「リフレッシュのため」「パートナーとデート」「ひとり静かに過ごしたい」など気軽に頼っていいのではないかと思います。しかし前述したものはお金がかかります。あまりお金をかけず手軽に余暇や息抜きをするなら、パートナーだけでなくおじいちゃんやおばあちゃん・ご近所さんを頼ったり、SNSや動画サービスや各種アプリなどもあります。親だけでなく子どもも楽しく過ごせるなら、活用しない手はないはず!そういったことに、いわゆる「楽をしている」「手抜きだ」という批判にこそ、「キミはキミわたしはわたし」の精神で受け流すのがいいのではないでしょうか。■「キミはキミわたしはわたし」は親子でもそれから、じつはこの句には子育て中のママやパパに対するエールの意味だけではなく「親と子の関係」に対して「キミはキミわたしはわたし」を意識することで、「子どもを尊重する」という意味も込めています。突き放すとか放任主義とか、自分さえよければということではありません。別の人生を歩む他者であるということを認めるからこそ大切な存在として接することができるのではないかと。かけがえのない存在ということに対して「お母さんだから子どもを思うのはあたりまえ」という発想は過去の遺物として倉庫へ…。もちろんこれは子どもに語りかける言葉ではなく、あくまで私自身が子どもに向き合う時に意識しているというだけのことです。子どもから見れば、今のところ私に対する気持ちは「お母さんだから」に他ならないでしょうから。それを否定することはしません。それでも子どもたちが成長していくなかでだんだんと「キミはキミわたしはわたし」という発想を、考え方の一つとして身につけてくれたらという願いはあります。まず相手を他者として認識することで、違う考え方や文化を理解するきっかけにできるのではないかと思うのです。他者とは当然コミュニケーションが必要になります。「人は人、自分は自分なんて当たり前じゃん」と言われそうですが、それをないがしろにしてきたから、さまざまな「ハラスメント」が発生してきたのではないでしょうか。そして、それが平成の後半になって、インターネットやSNSなどの普及により噴出し顕在化したように感じます。「キミはキミわたしはわたし」という考え方は、子どもたちがそれぞれ社会で生きていく上で、自分自身を守り、これから出会うであろう大切な人たちを守るスキルになるのではないかな、とも思うのです。育児に奮闘するママやパパ、これからの社会を生きる子どもたちに送る一句です!\「1人で抱える」は平成でおしまい!/「令和ママ」は「OPEN子育て」主義! 家事も育児も1人で抱え込む時代はもうおしまい! 3つの「OPEN」 をキーワードに、もっとオープンな子育てをしませんか?平成から令和に変わるこの時代の変わり目に、ウーマンエキサイトは「平成」ママを調査結果から振り返り、新しい時代「令和」を生きる新しいママ像を提案します。■令和の時代に期待することを詠む「#令和ママ川柳」も大募集!最優秀賞の方には「令和(=018)」に合わせて賞金18万円を贈呈! さらに100名様以上の方を対象に数々の賞をご用意しています。応募期間は2019年4月23日(火)~2019年6月16日(日)23時59分まで。>>>「#令和ママ川柳」のご応募や詳しい応募要項は こちら から!
2019年06月11日2018年にカナダでスマッシュヒットを記録した、小さな街に住む17歳の少女レオニーのひと夏の成長を描く青春映画『さよなら、退屈なレオニー』から、本編映像がシネマカフェに到着した。この度到着した本編映像は、カレル・トレンブレイ演じるレオニーとピエール=リュック・ブリラント演じるスティーヴが、何気ない会話をしながら犬の散歩をするシーンが映し出されている。スティーヴにギターを習うことになったレオニーだが、なぜか練習そっちのけで散歩することになった2人。「ゾンビだらけの死んだ街よ。イライラする人ばっか」と街の不満をぶちまけるレオニーに、「別にいいだろ」となだめるスティーヴ。また、足が悪い母の代わりに犬の散歩をするスティーヴに「男らしくない」と言いつつも「優しい息子なのね」とフォローするレオニーに、「君は面倒くさそうだ」と返し、軽口をたたき合う2人のようすが確認できる。ここじゃないどこかを求めイラついてばかりの少女レオニーが、彼女を優しく受け入れるスティーヴと出会うことで少しずつ変わっていく、その始まりを捉えた本編映像となっている。いまの世の中に居場所が見つけられない若者や大人たちに、ささやかな勇気を与えてくれる青春映画の傑作。親子でも恋人でも、ギター講師と生徒でもない2人の不思議な関係性が、この後どのように変わっていくのかにも注目してみて。『さよなら、退屈なレオニー』は6月15日(土)より新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:さよなら、退屈なレオニー 2019年6月15日より新宿武蔵野館ほか全国にて公開©CORPORATION ACPAV INC. 2018
2019年06月07日女優の小松菜奈、門脇麦、俳優の成田凌、塩田明彦監督が31日、東京・TOHOシネマズ新宿で映画『さよならくちびる』の初日舞台あいさつを行った。『さよならくちびる』は、『害虫』(02)や『どろろ』(07)などで知られる塩田監督が脚本・原案を務め、小松演じるレオと、門脇演じるハルのインディーズデュオ・ハルレオが、ローディーとして2人を支える元ホスト・シマ(成田凌)と共に解散ツアーを巡る日々を描く。小松は、「北海道の最後のライブシーンで空き時間があって3人でなんとなくギター演奏して歌を歌って。気持ちもリラックスした中でやっていたので、3人がそろって何でもない空間で曲を弾いた時にすごく感動したというか。最初の頃は何もできなかったのに。うれしいというか感動して、頑張ってよかったと純粋に思いました」と楽器を懸命に練習して臨んだことも達成感につながったようだ。一方の塩田監督は、「ハルさん、レオさん、シマさんはそれぞれ歌いながら心を通わせて、歌いながら反発し合ったり、共感し合ったり」「歌のシーンであると同時に芝居のシーンだと思って、この人たちの歌詞をセリフをしゃべっているように撮ればいいと思って撮っていました」と説明し、「小松さんがインタビューで……」と取材時の小松の言葉を思い返した。小松がインタビュー時に語ったのは、「セリフを言うように歌えばいいんだと思ったら歌いやすくなった」。この言葉に塩田監督は、「思いは同じだった」と救われたという。ところが、このエピソードを終えた塩田監督から「何か一言」とコメントを求められた小松は、「怒られるのかと思いました!」と驚いた様子。塩田監督の“小松さんがインタビューで……”に身構えたようで、会場が笑いで包まれる中、司会も「お褒めの言葉でございました」とフォローしていた。イベントの締めくくりには、「この映画は秦基博さんとあいみょんさんのお二人が台本を読んでいただいて、一から書いていただいた曲。本当にすばらしい曲で、聴いた時は最初の感動が本当に忘れられなくて、その曲があってこの作品ができました」と2人の存在もしっかりとアピールした小松。「いろいろな年齢で感じ方も違うと思うので、淡々としている話の中にリアルな感情だったりとか、3人の愛おしい姿だったり、前向きになれる映画だと思うので、気に入っていただけたらうれしいです。何回も見てください」と観客に呼びかけていた。
2019年05月31日本日5月23日は「キスの日」。小松菜奈、門脇麦をW主演に迎えた『さよならくちびる』から、ふたり仲良く並んで幸せそうにギターの練習をするカット、さらに門脇さん扮するハルが、小松さん扮するレオの頭にそっと“キス”をするカットをシネマカフェが独占入手した。本作ではショートヘアが印象的な小松さんと門脇さん。今回入手した写真では、小松さんはどちらもストレートのロングヘア姿となっており、なぜ劇中でロングヘアからショートヘアに変更となったのか、その経緯も塩田明彦監督が明かしてくれた。「ねえ、音楽やらない?あたしと」――上司に叱られ、喫煙所でむくれていたレオ(小松さん)をいきなり誘ったハル(門脇さん)。この日をきっかけに、それぞれの事情でずっと孤独だった2人の心は徐々に共鳴し、互いの距離を近づけていくことに。ハルとのかけがえのない時間に思わず涙を流すレオと、そんなレオにそっと頭にキスするように優しく寄り添うハルの姿を捉えたカットもあり、“ハルレオ”の友情を超えた関係性が垣間見える。「小松さんに導かれた」ロングからショート、マッシュヘアへ元々ヘアチェンジについては「シナリオになかった設定」と明かすのは、メガホンを取った塩田監督。本作の撮影が行われたのは、小松さん本人の髪型が急変した時期でもあり、それがきっかけとなって髪型を変更するアイディアを思いついたという。「当初の構成通り初めはロングで、ハルと関係が深まっていく過程で同じ髪型になり、現在は自分なりの髪型にすれば、レオの心の変化を表せる」という意図があり、物語の中でレオはロングヘアからショートカット、そしてマッシュヘアへと大幅にイメージチェンジしていく。「小松さんに導かれた感じでした」と語る監督の言葉通り、小松さんの存在が本作で描かれる世界観にも大きく影響を与えていることが伺える。門脇麦は「自分に何が出来るかと常に考えている“アーティスト”」一方で、見た目とは裏腹に、ものすごく複雑な内面を抱えたハルを演じた門脇さんに対しては「何も言わなくても大丈夫だという一方的な信頼がありました」とふり返る。撮影は絶大な信頼関係のもと行われ、門脇さんから監督に質問があったのも、ライブのMCでハルが語りだすシーンでの撮影だけだったという。「ハルの心情を聞かれ、『さよならくちびる』という曲がはらみ持つレオへの憧れと愛情を、言いたいのに言えないという想いのもとに語っているということを説明しました。門脇さんは、いい映画を作るために自分に何が出来るかと常に考えている“アーティスト”でしたね」と当時の様子を明かしつつ、難役に挑んだ門脇さんの真摯な姿勢を絶賛した。“友達以上、恋人未満”のような、絶妙な距離感や空気を漂わせるハルとレオ。そこに付き人のシマ(成田凌)が加わり、徐々に切ない三角関係へと発展していく3人の恋愛模様にはもちろんのこと、その突出した演技力で観る者を物語へと引き込む力を持つ、小松さんと門脇さんの熱演には目が離せそうもない。『さよならくちびる』は5月31日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:さよならくちびる 2019年5月31日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開(C)2019「さよならくちびる」製作委員会
2019年05月23日2018年東京国際映画祭にて上映され、輝きを放つ若手キャストに贈られる「ジェムストーン賞」を受賞した『さよなら、退屈なレオニー』の予告編と場面写真が解禁となった。2018年にカナダで公開され、スマッシュヒットを記録した本作の監督は、カナダ映画界の新世代として注目を集めるセバスチャン・ピロット。主演は、2015年のトロント映画祭で「未来を担うひとり」に選ばれ、2018年東京国際映画祭で本作が上映された際には、輝きを放つ若手キャストに贈られる「ジェムストーン賞」を受賞したカレル・トレンブレイが務めた。今回解禁となった予告編では、17歳のレオニーが思春期ゆえに苛立ち、ここではないどこかをぼんやりと夢見る、誰もが通った青春時代の葛藤を繊細に描きだしている。退屈な街を飛び出したいが、やりたいことが分からず、まだ何者でもない自分に苦しむレオニーの姿は、いつかのきらめきや痛みを思い出させる。青春映画で同じくティーンエイジャーのヒロインを演じた『ジュノ』のエレン・ペイジ、『レディバード』のシアーシャ・ローナンを彷彿とさせる新ヒロイン、トレンブレイの魅力が詰まった予告編となっている。予告編と同時に場面写真も解禁。思春期特有の迷いや不安がそのまま表情に表れたようなトレンブレイの姿が映し出されている。いまの世の中に居場所が見つけられない若者たち、そして、大人たちにささやかな勇気を与えてくれるひと夏の青春ダイアリー。大人と子どもの狭間で葛藤しながら日々を過ごすレオニーの姿に、いまの自分もしくはかつての自分を重ねながら見てみて。『さよなら、退屈なレオニー』は6月15日(土) より新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2019年04月13日子育て真っ最中に迎えた実の母親の死、そんなときにどうやって自分の生活を続けていけばいいのでしょうか。母親が亡くなってつらいけれども、子どもとの日常はとめどなくやってきます。昨年出版された 『さよならわたしのおかあさん』 。前回の記事、 「“母は助けてくれてあたり前”と信じてた『さよならわたしのおかあさん』(前編)」 では、作者・吉川景都(よしかわ けいと)さんに、母親との日々や亡くなった後の生活について教えていただきました。今回は4歳になった娘のえっちゃんとの日々や、将来目指したい親子像などについて吉川景都さんに話を伺いました。■母の死と娘の誕生はセットで考える――おかあさんが闘病している中でのえっちゃんの誕生は、大変なこともあったのかなと思うのですが…。おかあさんがしんどい時期に自分もしんどくてダブルパンチのように感じることもありました。ただ、新しい命の誕生というのはあきらかにいいことで、おかあさんもそのときはすごく喜んでくれたし、私も子どもに対して親がこう思うんだっていうのを、おかあさんがいるうちに感じられて、すごくよかったですね。――なるほど、同時にあったことにも意味があるということなんですね。「おかあさんの死」と「えっちゃんの誕生」は、私の中ではセットになっているんです。娘が生まれてきてくれて、そこの開いたドアにおかあさんが入っていった。向こう側に行ったおかあさんは新しく生まれてきたえっちゃんのことを見守っていてくれているんだなと捉えています。■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。いつも見ているんだよ」と言っています。■家族の闘病と子育ての両立――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、日常に戻る時間を確保していました。おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。■母から受け継いだもの、自分なりに作る娘との関係――どういう親子関係を目指していきたいのか、吉川さんなりにどう考えているのでしょうか。私はおかあさんに何でも話してきたので、えっちゃんにとってもできれば、私が一番の相談相手でありたいし、友だちや恋人ができたりしても、最後は「お母さんがいるからね」って言える存在でありたい。おかあさんにしてもらったように、ベッタリするのではなくうまくサポートしていってあげられたらいいなと思います。――ほかにおかあさんのようになりたいと思うところはありますか。私は心配性なので、つい先回りしていろいろと心配してしまうんです。でも、おかあさんは私が「芝居がやりたい」とか「音楽がやりたい」と言ったとき、いつもまずは「やってみれば」と言ってくれました。だから、私も将来えっちゃんのことをあまり心配しすぎずに見守りたいですね。たとえ「ユーチューバーになりたい」とか言われても(笑)。本人に任せて、もし失敗しちゃったときは受け止めてあげたいです。――おかあさんが弱音を吐かなかった、そうした姿も目標になりそうですよね。おかあさんがまったくつらい面を見せなかったというのは立派だと思うし、自分もそうありたいと思うけれど、とてもできないなあと。いまとなっては、もっと弱音を言ってほしかったという思いもあるし、自分だったらもうちょっと弱音を言っちゃうと思いますね。そういうところを、おかあさんの要素も入れつつ自分なりの母親になっていきたいです。ただ、本当に自分がそういう風になったら「お母さんは大丈夫だよ」って言っちゃうのかもしれないですけどね(笑)。■「命のバトンをつないでいく」吉川さんのメッセージインタビューでは、吉川さんが言葉ひとつひとつを丁寧に選びながら話をしてくださり、おかあさんとえっちゃんを大切にする思いが伝わってきました。そして、まさに子育てとは「命のバトンをつないでいく」ことなのだと、書籍とインタビューをとおして強く実感しています。筆者自身も2年半前に実の母親を大腸がんで亡くし、喪失感がなかなか埋められずにいました。そんなときにこの本に出会って、心のささくれていた部分にそのメッセージが染みこんできました。母親から私に確実に命のバトンは受けつがれていて、きっと次は自分がそれを子どもに渡す番なのだと感じています。おそらく書籍を読み終えると、「お母さん」のことを深く知りたい、どう思っているのか感じたいと願うのではないかと思います。親、自分、子ども、そのずっとつないでいく命のバトンのなかに、何を込めていけばいいのか。そんなことを考える機会となりそうです。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))■吉川景都(よしかわ・けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo
2019年04月10日子育てする中で実の母親というのは、お手本ともなり、頼れる存在ともなりえます。そんな母親がもし死を迎えることになったら、娘である自分たちはどうすればいいのでしょうか。漫画家の吉川景都(よしかわ けいと)さんは、昨年肝臓がんを患い母親との別れをつづったコミックエッセイ 『さよならわたしのおかあさん』 を出版されました。いつも笑顔で冗談を言い続けたおかあさんとの日々や、3年間の闘病、そして亡くなった後の生活について描かれた作品は、連載中からSNSでも話題を集め、出版後も多くの反響を呼んでいます。母親と過ごした日々や、別れの乗り越え方などについて、吉川景都さんに話を伺いました。吉川景都(よしかわ けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo ■一番の相談相手のおかあさんが病気になったとき――吉川さんとおかあさんはどんな関係性だったのですか?私は3姉妹の真ん中なのですが、将来やりたいことを見つけるまでにも時間がかかったので、姉妹の中でも一番心配をかけたんじゃないかと思います。でも、どんなときもおかあさんは「しょうがないよ、まあ、やってみたら?」と言って受けとめて、伴走してくれました。私にとっても、一番の相談相手はおかあさんでしたね。――ガンだとわかったとき、おかあさんはどんな様子でしたか。おかあさんはC型肝炎からガンに進行したのですが、それがわかったときに送られてきたメールは、いつもどおりの絵文字が盛りだくさんの、おもしろいメールでした。私は驚いて、すぐに電話でわーって泣きながら、「どうするの、ガンなんて!?」と、言ってしまって。おかあさんは「いまは治る病気だし、大丈夫」と言ってくれた。ただ、母が亡くなったあとで、父から「病気がわかったときは、おかあさんは泣いて『どうしよう』と言っていたんだ」と聞きました。――あくまでも母親として心配をかけまいとしたんですね。私は、おかあさんの不安を聞いてあげようって気持ちよりも先に、自分がおかあさんを失う不安を取り除きたい気持ちが来てしまいました。「おかあさんはまあ治るだろう」と、現実感がなくて。同時に私は不妊治療をしていたので、「急がなきゃ!」という焦る気持ちが急に湧きあがってきました。■おかあさんのガンがわかってから迎えた妊娠と出産――産前に里帰りしたときは、どんな気持ちでしたか。出産は自分にとって、思っていたよりも前代未聞なことで自分の生活が根底から変わることへの不安がすごく大きかったんです。自分だけがその立場に立たされていて、こんなに大変なんだと思ったら、今まで築きあげてきた「大人っぽい自分」という外側がなくなって、わがままな自分が出てきました。そのときにおかあさんがちょうど病気で、甘えるに甘えられない、不安な気持ちもぶつけるにぶつけられないと感じた時期でしたね。――お互いにつらかったでしょうね…産後はどうでしたか。産後1~2ヶ月で仕事を再開したのでいっぱいいっぱいで、同時におかあさんの病状がだんだん悪くなっていって。おかあさんの状態を受け入れられない自分と初めての子育てで大変な自分というのがごちゃごちゃになっていて、余裕がありませんでした。「その時期もっと実家に帰ればよかった」って今は思うけど、当時はそれどころじゃなかったですね…。■みんな後悔を抱えながら生きていく――最期の日々、おかあさんはどんな様子でしたか。ホスピスに入ってからも、私たちにはつらい表情はほとんど見せなかったです。ただ、一度だけ「くるしい」って電話を掛けてきたことがあって、よっぽどやりきれなかったんだろうって思います。大急ぎで病室に行ったら、やっぱりまたいつも通り「大丈夫。さっきはごめんね」って言うんですよね。――おかあさんとの最期の日々について、今思うことはありますか。私は実家から少し距離があったところで暮らしていたので、「もっと会いに行けばよかった」という思いは、亡くなってからずっとありました。ただ、後悔って家族全員に何かしらあって、一番近くにいた父も、姉や妹たちもそれぞれ「もっとできることがあった」と思っているんですよね。そう考えてみると、「全部やりきったぞ」と言って終われることなんてないんだろうなとは感じています。みんなある程度の後悔を抱えながら生きていくのかなって。■母との別れは、生のままの傷が残っていてほしい――おかあさんが亡くなってから、どれくらいで気持ちに区切りがつきましたか。まずお葬式が終わったときに、おかあさんとの間にある扉が閉まった感じはしました。さらに、亡くなってから1年くらいしてから、母の地元の大分県に分骨に行ったのですが、その道中が家族旅行みたいで。母はいないけど、家族としての形をなんとか保っていけると感じられて、少し気持ちに区切りがついたように思います。あと、私にとっては『さよならわたしのおかあさん』を描いたことがすごく大きかったですね。――読者からの反応はどうでしたか。同じ経験をした方から、「同じような気持ちだった」、「書いてもらえてよかった」と言ってもらえることがあって、描いてよかったなと思いましたね。あとは、「この本を読んで、今日母親に電話しました」とか、「先延ばしにしていた帰省を来月に決めました」というような声もいただいて、描くのはやっぱりしんどかったけどやってよかったなと感じています。――母親の死をどうやって乗り越えればいいか、少しでも気持ちが楽になる方法はないでしょうか。漫画を描くまでは、おかあさんにまつわるさまざまな事柄がそれぞれバラバラに自分の中にありました。しかし思い返してみると、すべてにつながりがあるのだと見えてきたんです。母が亡くなったあとは、悲しいシーンばかり思い出しがちでしたが、つなげて考えるとその間に笑えることや楽しいこともあったなと。起きた出来事を書き出して時系列順に並べてみると、気づくことがあるんじゃないかと思います。――今でもつらいときもありますか。すごくしんどい時は、今も「おかあさんがいない」って泣いてしまいますね。けどそれって頻度が減っていくだけで、多分これからもずっとそうなるときはあるんだろうなって。そこは別に整頓しないで、いつまでも泣ける自分でありたいし、忘れずにいたいですね。生活の中では落ち着いて整頓はされているけれど、おかあさんとは遠く離れたくないし、生のままの傷が残っていてほしいって思っています。■母から見た子ども、子どもから見た母親像とはインタビューでは、吉川さんのおかあさんへの深い愛情が伝わってきました。そして、自分自身のつらい経験を漫画という媒体をとおして伝えてくれた思いを、ママという立場だからより強く共感することも多々あるように思います。本書での最期までほとんど弱音を吐かず、娘を支えた「おかあさん」の姿には、母親のあり方とは何か考えさせられるものがありました。その一方で子どもから見た母親像というものも強く印象付けられ、自分と母との関係、そして自分と子どもとの関係について深く思いを馳せる良い機会にもなりえると感じました。「どんな最期だとしても、何も後悔が残らないことはない」という吉川さんのメッセージには、経験した人だからこそわかる言葉の重みがあります。家族とのつらい別れは、避けたくてもきっといつか必ずだれにも訪れますが、そのとき少しでも自分の心を楽にできるようなエッセンスが、吉川さんの漫画にはところどころに散りばめられていました。次回は、現在の娘さんとの生活、これからの親子関係について、引き続き吉川さんにお話をお伺いします。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))
2019年04月09日映画『わたしは光をにぎっている』が、2019年11月15日(金)に全国ロードショー。松本穂香が演じる“子供のまんま”でいたい女の子の物語『わたしは光をにぎっている』は、“子供のまんまでいたい”女の子が、新しい場所でどのように居場所を見つけるかを描いた作品だ。舞台は長野・野尻湖。祖母と2人で淡々と暮らす宮川澪は、あるきっかけで上京し、父の親友が営む銭湯で働くことに。都会に馴染めずにいる澪は、銭湯の常連客達と親密になっていき、東京での暮らしが楽しくなっていく。そんなある日、銭湯が閉店することを知ってしまう。主人公・宮川澪を演じるのは、実力派若手女優の松本穂香。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」で、主人公の同僚・澄子役を演じて以降、門脇麦主演の映画『チワワちゃん』や『君と月夜に光輝く』、湯浅政明監督の最新作『きみと、波にのれたら』に声優として出演するなど、出演作が続いている。メインキャストまた主人公・澪を取り巻く登場人物たちには、以下のキャストがそれぞれ抜擢されている。銭湯の常連・緒方銀次役(渡辺大知)銭湯の常連・島村美琴(徳永えり)美琴の彼氏・新井稔仁(吉村界人)銭湯の店主・三沢京介(光石研)澪の祖母・宮川久仁子(樫山文枝 )監督に中川龍太郎監督は、1990年生まれの新進気鋭監督として注目を集める中川龍太郎。本作は、第41回モスクワ国際映画祭の出品が決定。なお、第39回モスクワ国際映画祭において国際映画批評家連盟賞を受賞した前作『四月の永い夢』に続き、2作品連続の出品となる。あらすじ宮川澪は、20歳。両親を早くに亡くした彼女は、長野・野尻湖のほとりのこじんまりした民宿を祖母と2人で切り盛りし、淡々とした日常を送っていた。しかし祖母の入院を機に民宿を閉めざるを得なくなり、父の親友であった京介を頼って上京し、彼がひとりで経営する都内の銭湯の元で居候をすることになる。職を探すが、都会の空気にうまくなじめない澪は、徐々に銭湯の仕事を手伝うように。映画監督の夢を持つ銀次や会社員の美琴など、銭湯にたむろする常連客達と次第に親密になる澪。銀次の映画を観たり、美琴に飲み会に誘われたりと、東京での日々が少しずつ楽しくなっていく。しかし、区画整理のため銭湯が近いうちに閉店する運命にあることを知った澪は、ある決断をするのだが・・・。【詳細】映画『わたしは光をにぎっている』公開日:2019年11月15日(金)監督:中川龍太郎出演:松本穂香、渡辺大知、徳永えり、吉村界人、光石研、樫山文枝
2019年04月06日小松菜奈と門脇麦がW主演を務める映画『さよならくちびる』(5月31日公開)の本予告映像が21日、公開された。同作では、数々の大ヒット作を生み出してきた塩田明彦監督が、自らのオリジナル脚本をベースにキャリア初の“音楽映画”に挑戦。インディーズの音楽シーンで一時期話題になった2人組女性バンド“ハルレオ”。解散を決めたレオ(小松)とハル(門脇)は、バンドのサポートをする“ローディ”の志摩(成田凌)とともに、解散ツアーとして、全国を巡る。しかし、レオは志摩に恋を、志摩はハルに思いを寄せ、ハルもレオに友情を越えた感情を抱いていた。公開された本予告では、秦基博が手がけた主題歌楽曲「さよならくちびる」と、あいみょんが作詞作曲した「たちまち嵐」が、“ハルレオ”の歌声で披露される。突然解散を決めたレオとハルに、「2人とも本当に決心は変わらないんだな?」と問いかける付き人のシマや、全国ツアーの道中衝突を繰り返すレオ、ハル、シマの3人の姿が描かれる。途中のシーンでは、優しく慰めてくれたシマにキスを迫るレオの姿や、ステージの楽屋裏でハルに迫るシマの姿、そして、自販機にもたれかかるハルのくちびるを強引に奪うレオの姿といった、“衝撃的なキスシーン”の数々も。“ハルレオ”のキスの瞬間を捉えた印象的なカットも公開となった。劇中、小松と門脇の2人は、 “ハルレオ”の楽曲を実際に自らの歌声と演奏で披露。キャリア初の歌唱演技となる小松は、門脇と共に数ヶ月のトレーニングを経て、息の合ったコーラスはもちろん、ギター演奏も完璧にこなせるまでに上達し、エモーショナルなライブシーンの撮影を成功させた。
2019年03月15日小松菜奈と門脇麦がW主演する映画『さよならくちびる』から、2人が劇中で組む人気デュオ「ハルレオ」の歌唱シーン初解禁されるショート予告、そして新カットが到着した。映画で人気ギター・デュオ「ハルレオ」として活躍する、小松さん演じるレオと門脇さん演じるハル。実際に2人共、自らの歌声で撮影に臨んでおり、ライブシーンにも挑んだ。今回到着した予告映像では、カリスマ的存在のレオと才能の持ち主ハルのデュオが、突然解散を決めるところからスタート。そして、キャリア初の歌唱を披露する小松さんと、門脇さんの2人でギターを弾きなが主題歌「さよならくちびる」を歌うシーンが収録。主題歌「さよならくちびる」は秦基博がプロデュース、挿入歌「たちまち嵐」はあいみょんが作詞・作曲をしており、映像ではこの2曲の一部を聞くことができる。また、ハルとレオのキス寸前(?)シーンもあり、成田凌扮するシマら3人の関係とその行く末が気になる映像となっている。そして、予告編と併せて到着した劇中写真では、ハルレオ、シマの3人が全国ツアーに向かう車中の様子、ハルとレオの練習風景と、何気ない瞬間を切り取ったものとなっている。さらに今回、本作のノベライズが4月5日(金)に発売されることも決定。相田冬二により、映画とは違うノベライズ独自の描写で3人の心情を浮き彫りにしている。『さよならくちびる』は5月31日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:さよならくちびる 2019年5月31日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開(C)2019「さよならくちびる」製作委員会
2019年02月21日小松菜奈と門脇麦がW主演し、劇中では歌唱も披露する映画『さよならくちびる』のポスタービジュアルが到着した。本作は『どろろ』の塩田明彦監督が自らのオリジナル脚本をベースに、キャリア初の“音楽映画”に挑戦し、主題歌は秦 基博、挿入歌をあいみょんがプロデュースしていることでも話題になっている。今回完成したポスタービジュアルには、人気ギター・デュオ「ハルレオ」のレオ(小松さん)とハル(門脇さん)がギターを手に向き合う、写真家・川島小鳥が撮り下ろしたカットを使用。また、成田凌演じるシマを加え、3人がそれぞれステージに立つ姿も写し出されている。さらに追加キャストとして、「ダンドリ。~Dance☆Drill~」「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」の篠山輝信、「ホリデイラブ」「ブラックスキャンダル」の松本まりか、芸人・マキタスポーツらが出演していることも発表された。小松さんと門脇さんは数か月のトレーニングを経て、実際にギター演奏をしながら楽曲を披露できるまでになり、自らの歌声で撮影に臨んでいる。特に小松さんは映画やCMなど含めキャリア初の歌唱ということで要注目だ。『さよならくちびる』は5月、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:さよならくちびる 2019年5月、全国にて公開予定(C)2019「さよならくちびる」製作委員会
2019年02月06日将来の夢は「お嫁さん」。女性がそんな夢を持っていた時代も過ぎ去っていきました。今や女性も生涯にわたって仕事を続けキャリアアップをはかっていく時代です。夢はお嫁さんだけではなくなり、多岐にわたりました。そんな時代でもやっぱり結婚は、女性にとって一大イベント。結婚する・しないが自由な時代だからこそ、「どうしよう」という迷いは常に生じますよね!ここでは女性が「もう結婚は無理だな」と感じてしまう瞬間についてスポットライトを当てました。1. 現実的に!?「もう結婚できないんだな」と感じた瞬間結婚を諦める要因は、さまざまです。周囲の反応や自分の境遇から結婚を諦める場合や、自分自身のポリシーや人生観から結婚はしないと判断する場合もあります。結婚自体はいくつになっても可能です。結婚したい・やっぱりしたくないという気持ちにも「波」があると思います。いい出会いがあれば結婚したいという気持ちもあるでしょう。まずは、結婚したいけど、どうもできそうにない…そんな風に思わず判断してしまう瞬間について紹介します。 (1) 「良い人紹介しようか?」そんな言葉もかけられなくなった年齢的な分かれ目で言えば、40代に入ったところで結婚を諦める方は多いようです。出産リスクが高くなるという意味でも、諦めが入るのかもしれませんね。年末や親戚の集まりで「結婚まだ?」「良い人いるんだけど、どう?」などと声を掛けられていたうちが花だったのかもしない。40代に入った今や、「紹介しようか」の言葉はなくなります。もし紹介があったとしても、相手の男性は50代60代のかなり年上の男性になってしまうのが現実といえます。 (2) 婚活パーティで男性が寄り付かなくなったとき20代の女性というのは、婚活市場では、その存在だけで男性から大人気です。たとえ器量が良くなくても若いというだけで価値があるんですね。30代前半の女性も、婚活パーティでは人気です。ところが30後半になってくると、なぜか男性が寄り付かない!都会的で洗練された雰囲気なのに男性が寄ってこないという事が良くあります。結婚を真剣に考える男性は、少しでも若い女性をゲットしようと必死なんですね。そんな自分の立場を現実的に目の当たりにしたとき、結婚を諦める女性が多いです。 (3) ずっと彼氏がいない、これから出会う予定もないと気づいたとき結婚に切っても切れない大切なもの。それは「良い出会い」ですよね。彼氏がいればまだ可能性はある。でも長年彼氏もいないし、これからも出会う機会は恐らくない。そんな境遇の女性は結婚を諦めてしまいがちです。職場の男性は既婚者ばかりだったり、新しい出会いは望めない環境、友達も既婚者ばかりとなっては、出会うチャンスはどんどんなくなってしまいます。特に「受け身」で自分から出会いのチャンスを広げようとしない女性は、結婚を自ら諦めてしまいがちです。2. ある意味前向きに「結婚は無理」と判断した瞬間女性特有の年齢のことや、周囲の目など、ネガティブな話ばかり続いてしまいました。ここからは、ある意味前向きな理由で「結婚は無理だな」と判断する瞬間についてまとめていきます。結婚ばかりが幸せじゃない!それはこの現代において常識となりつつあります。結婚しても離婚するカップルは本当に多いですからね。一人で生き抜いてきた女性でこその、潔い決断。前向きに結婚を止めていく女性の判断についてご紹介します。 (1) 友人の結婚の愚痴を聞いて「一人で良いかなぁ」と感じたとき既婚者の愚痴って聞いていて本当に暗い気持ちになりますよね。とくに子どもがまだ小さくて育児が大変な時期の女性の話は、聞いていてこちらも辛くなります。旦那は仕事ばかりで、帰りも遅い。自分も仕事があるのに、子どもの世話、掃除洗濯、料理まですべて任されてしまう!育児の大変さ、旦那への不満を聞かされると、結婚するメリットってなんだろう?と考えてしまいますよね。既婚者の苦労話を聞き、その上で「私は無理だな」と結婚を諦める女性が多いと言えます。 (2) お金も時間も自分のためにたっぷり使えると気づいたとき結婚すると自分の時間は減り、夫婦もしくは家族の時間となります。金銭面は夫婦で稼げば倍になりますが、その分、家のローンや教育費、生活費もかかります。それなら自分で稼いだお金は自分の好きに使いたい!そんな風に考える女性が増えてきています。人と暮らすのも「疲れそう」という風に考える女性が多いです。特に長年キャリアを積んできて、仕事に誇りがある女性は、自分の生活リズムを完璧に作っていて他人の入るスキはほとんどありません。結婚するよりも自分の道を行きたい!そう判断する女性も増えてきています。社会に出て働いていると毎日があっという間に過ぎていきます。そんな早い流れの中で、いつの間に年齢を重ね、出会いのチャンスを逃し、婚期を逃してしまう。自分の結婚したい良いタイミングに、ちょうどよい出会いがあるとも限りません。しかし、いくつになっても結婚は可能です。自分のしたいタイミングで結婚をして、納得のいく人生を送っていきたいですね。written by さとうまい
2018年11月21日「劇団鹿殺し」の代表・丸尾丸一郎による初めての小説(10月12日刊行)を原作にした舞台「さよなら鹿ハウス」が11月8日(木)に開幕する。小説の著者であり舞台では作・演出を手掛ける丸尾と、丸尾をモデルにした“角田角一郎”を演じる主演・渡部豪太に話を聞いた。【チケット情報はこちら】丸尾が「小説のお話をいただいたときに“自分しか経験していないことを書きたい”と思い、人生で1番濃い2年間を書きました」と語るように、本作は、劇団鹿殺しのメンバー7人が中古のハイエース1台で関西から上京し、「鹿ハウス」で共同生活をしながら“伝説”になるために心身を燃やし尽くした日々を描いた作品。小説を読んだ渡部は「すごく面白かったです。路上パフォーマンスをしたり警察のご厄介になったりとなかなかハードコアな生活なのですが、それを仲間の愛で乗り切ってる感じがやさしくて。丸尾さんの人柄が出てるなと思いました」と感想を語った。登場人物は、角田角一郎、鹿の子チョビン、オレノハーモニー、ジョン・J・ウルフ、入交ヨシキ、渡辺ダガヤ、山本サトル。微妙に名前を変えたのは「7人の思い出を自分の主観的な目で書くから」だそうだが、舞台化について「『劇団鹿殺し』の話にはならないと思います。こういう7人組がいた物語として捉えてもらえれば」と丸尾。演出するうえでも「自分の記憶とは完全に切り離してフラットにつくっていくと思います。“この劇団員はこういうヤツだった”とこだわるつもりもない。7人のキャラクターが立って、単純に劇として会話が面白くなればいいです」と構想を語る。それを聞いて渡部も「僕も“角田さん”を演じるのであって、丸尾さんを演じる感覚ではなかったので、今の言葉を聞いて“それでいいのだな”と思いました。丸尾さんには当時の出来事やみそ汁の匂いとかを教わって、役に繋げていこうと思っています」。脚本については「小説に書いていない日常生活を、会話劇でみせたいと思っています。でも日常会話ってすげー難しいの!」(丸尾)と頭を抱えつつも楽しそう。「いきいきとした7人の生活を表現したいから」と、今までやったことがないというエチュード(即興劇)を稽古に取り入れる予定だそう。渡部も「今は一緒に冒険に出られるというような気持ちです。劇中で劇団員になれるのも面白そう」と期待をのぞかせ、同じく楽しげな顔。そんなふたりを筆頭にどんな作品が生まれるのか、幕が開くのを楽しみに待ちたい。OFFICE SHIKA PRODUCE「さよなら鹿ハウス」は、11月8日(木)から18日(日)まで東京・座・高円寺1、11月22日(木)から25日(日)まで大阪・梅田 HEP HALLにて上演。
2018年10月26日自然の力に着目した『精油とわたし』新ブランド『精油とわたし』の美容オイル3種類が、2018年10月17日(水)から発売される。『精油とわたし』は、"自然の力"を活用し、人間が本来持っているポテンシャルを生かすことを製品開発のモットーとし、フリーアナウンサーの小川りかこが製品アドバイザーを務める。10月17日(水)、CASICA StudioAにおいて、『精油とわたし』の商品発表会が行われる。開催時間は11:00から18:00まで。商品を手にとって試すことができる他、製品アドバイザーの小川りかことチーフバイヤー小林邦宏によるトークイベントも予定されている。商品発表会への参加は、『精油とわたし』のウェブサイトにて受け付けている。『精油とわたし』の美容オイル3種類「Breathe」は、ホホバオイルにゼラニウムとラベンダーをプラス。リラックス効果が高く、カラダや髪の毛にも使用可能。子どもにも安心して使うことができる。アルガンオイルがベースの「Survive」は、肌トラブルが気になっている人にオススメだ。レモンとゼラニウムで、毛穴を引き締めながら皮脂バランスを整える。注目度が高まっているマルラオイルが使われているのが「Waken」。ローズマリーとラベンダーが配合されており、アンチエイジング効果が期待できる。(画像は精油とわたしより)【参考】※精油とわたし※小川りかこオフィシャルブログ
2018年10月07日「あの人ってちょっと重いよね」このように「重い」という言葉はマイナスなイメージで使われます。みなさんは自分が重いと思いますか?大抵の人は「自分がそんなはずない」と否定したがりますが、本当にそうでしょうか?重い女の人は自覚症状がないことが多いです。「重い女」と言われないためにはどのような対策をとれば良いのでしょうか?今回の記事では、「重い女の特徴」と「重い女であることのデメリット」についてお話しした後、「重い女にならないための対策」について紹介していきます。1. 重い女の特徴 (1) 大げさに考える重い女の特徴の1つとして、まず「物事を大げさに考える」という点が挙げられます。例えば彼氏が女の子がいる飲み会に行っただけで「浮気だ!」と怒ったり、女の店員さんと話をしてるだけで機嫌を悪くしたり、いちいち大げさに考えます。こんなことが続いていては、彼氏とうまくいくはずもありませんよね。彼氏を独占したい心理から、このような行動をとるのかもしれません。 (2) 疑い深い1つ目の特徴に通じるものがありますが、2つ目の特徴として、「疑い深い」という点が挙げられます。友達と遊びに行くと言えば「女の子でしょ?!」と言うような女性がまさにそれです。これもまた相手を思う気持ちが大きすぎるゆえに、とってしまう行動なのかもしれません。過去に浮気されたことがある人ほど、このような傾向に陥ってしまいます。2. 重い女のデメリットさて、次にご紹介するのが重い女であることのデメリットについてです。メリットもあるかもしれませんが、デメリットの方が多いと思います。その理由を説明していきます。 (1) 彼氏とうまくいかない重い女である以上、彼氏との喧嘩やいざこざは、必ず頻繁に起きると思っていてください。すでにお話しした通り、重い女の方は物事を大げさに考えたり、疑い深い特徴があります。いちいち彼女に問い詰められる彼氏の気持ちを考えれば、答えは明快ですよね。そんな二人がうまく行くはずがないんです。 (2) 楽しく過ごせないそもそも私たちはなぜ付き合うのでしょうか?その人のことが好きだからです。それなのに相手を思うばかりに、周りに迷惑をかけていてはいけません。相手にとって、そして自分にとってもマイナスなことしかありませんよね?一緒に過ごして行く中で、重い性格はお互いにマイナスでしかありません。可能な限り改善していった方が良いでしょう。3. 重い女にならないためにはここまでの話で、重い女の特徴については分かっていただけたかと思います。それでは最後に、「重い女にならないための対策」について紹介します。自分が重い女に当てはまると思った方は、ぜひこれを参考にしてください。 (1) ポジティブに考えるまず一つ目の対策が、「物事をポジティブに考える」ということです。重い女の人というのは、何事もすぐネガティブに捉えてしまう傾向があります。例えば彼氏が女の人と話をしているのを見たとき「あの女の方が好きなんだ、私は捨てられる」と言ったように、なんでもかんでも大げさに考えてしまう。そんなことでは負の連鎖です。対策としては「ポジティブ思考」が最適です。先ほどのようなケースだったら「あの女の子は誰だろう、友達として紹介してもらおうかな」といったように、前向きに物事を捉えてみてください。信じられないかもしれませんが、このような「考え方」が一番効果的なのです。 (2) 彼氏を信用する重い女の人は「疑り深い」という特徴があります。一度彼氏を信用してあげてみてください。仮に彼氏が本当に浮気をするような人でも、あなたが彼に信頼を寄せていれば、彼もその期待に応えようと思うはずです。人は不安に思えば思うほど、勝手な妄想を膨らましてしまうものです。その妄想を取っ払ってみてください。どんな人が重い女に当てはまるのか、そしてデメリットや対策など、少しでも分かっていただけたのではないでしょうか?もし当てはまった方がいたら、今回の記事を参考に改善を図ってみてくださいね。(重いことは個性の1つでもあるので、無理して直す必要はありませんよ。)
2018年10月04日わたしにできること…それは、町のおしゃべりおばさんになること。虐待には色々な背景があると思うけれど、愛を持って懸命に子育てしてるママだって孤独や疲労や不安が溜まって虐待に繋がるケースも…。私自身、初めての子育てでワンオペ育児の私は家にこもりがちで今思うと軽い育児ノイローゼ気味に…泣き止まない娘を前に「どうか泣き止んでください、、、お願いします」と土下座した記憶があります。今思うと笑い話ですが、当の本人はマジの本気…そんな折、児童館でママ達と何気ないおしゃべりや育児の話をして、帰りに久々に外でランチをした日、とても心がほぐれ普段の自分を取り戻すきっかけになりました。日頃から信号待ちなどで出会った小さい子を連れたママにたまにしゃべりかけたりします。軽く声を交わすくらいですが、私の心がほぐれたように、もしかしたらそのママの心もほぐれてくれてる?かもしれない。そう信じて、これからも積極的におしゃべりしていきたいと思います。これが ”わたしにできること” です。けろよんInstagram : keroyondialy
2018年09月07日<#わたしたちでもできることベビモフ特別対談>この世から児童虐待がなくなるように、との願いから「♯こどものいのちはこどものもの」というチームを組み、さまざまな活動をしているイラストエッセイストの犬山紙子さん。児童相談所で長年子どもの問題を扱ってきた元児童心理司で、『告発児童相談所が子供を殺す』などの著書もあるカウンセラーの山脇由貴子先生。児童虐待の根絶に向けた活動を続けているお二人に、“#わたしたちでもできること”というテーマで対談していただきました。※お二人の対談を3回に分けてお送りします。自分も子育てや仕事でいっぱいいっぱい。そんなときに、児童虐待に対してできることってなに?犬山:はぁ……こうした虐待の実態を聞いているだけでも相当しんどいです。私たち、ベビモフを読んでいる人たちって、子育てしながら仕事をされている方も多いかな。とにかく毎日大変だと思うんですよ。なので、児童虐待に対して何かアクションを起こそうと思うと、すごくハードルを感じてしまう。マザー・テレサみたいな人じゃないと、やれないんじゃないかとか。私ひとりが動いたところで、とか。いや、そもそも今、自分の子育てでいっぱいいっぱいだから、そんな余裕ないわ、とか。私も今回、アクションを起こすまでは、そういうイメージが強くて。でも、そんな余裕がない人でも、何かワンアクションで、ちょっとは状況がよくなるんじゃないかと思うようになったんです。虐待を受けているかもしれないお子さんがいるとしたら、近所の人はどんなことができるんでしょうか?山脇:とにかく私が一般の方向けに講演するときに言っているのは、みなさんがおかしいなと感じたら、大抵の場合、きっとそのおうちに何かあるということです。児童相談所の職員のほうが、慣れすぎているせいで「これくらいなら、あんまりおかしくない」って思っちゃうので。犬山:でも、一般の方にはなかなか見抜けないことも多いと思うんですよ。何かこういうサインがあったときは、気をつけたほうがいいという例はありますか?山脇:たとえば、家に帰りたがらないとか。基本的に、幼児から小学校低学年くらいまでの子が、夕方以降ひとりでフラフラしているのは危険ですよね。これはまず間違いない。あと、これは他人には分からないかもしれないけれど、夜、親が家にいないっていうのは絶対にダメですよね。仕事柄もあるのかもしれない。朝の5時まで仕事していましたっていう人も職種によってはいますよね。でも面倒を見る大人が誰かいる必要はあります。犬山:夫や祖父母とか、誰かがいるんだったら、いいけれども。夜、子どものそばに大人が誰もいないっていうのはダメですよね。山脇:それに付随して、子どもひとりでコンビニに行く、みたいなことも出てくるので。コンビニでは、おなかが空いて万引きする子もいれば、親に万引きさせられる子もいますし。コンビニにそういう子が来たら、通報するという運動をやっている地域もあります。そういう運動も広がっていくといいですよね。犬山:すばらしい!コンビニで何かできないかな?っていう話、ちょうど先日していたんです。もう何かやるとしたら、民間なのかなって。街中にたくさんあるところ、コンビニとか、歯医者とか……。山脇:歯医者にはガイドラインがありますね。犬山:やっぱり虫歯だらけとか?山脇:虫歯が多いのは、虐待のサインですからね。過去の経験では、5歳と6歳の男の子の兄弟で、虫歯がひどくて離乳食しか食べられないというケースがあり、その日のうちに保護しました。あと、朝ごはんを食べてこないとか、やせすぎているとか。小学生だったら、給食をあまりにもガツガツ食べているとかね。「大食いの子なんです」って言われちゃうかもしれないけど。犬山:給食ドカ食いとセットで、不潔だとか……。山脇:保育園に通っている子で、いつもすごく不潔で、持ってくるタオルも汚くて、みんなと一緒にプールに入れられないというケースもありました。犬山:自分の家の前でポツンと立っているみたいな子は?山脇:家からの閉め出しは、もう絶対に110番。ためらわず。ベランダに出すのも、基本は110番だと私は思っています。やっぱり亡くなってしまう子がいるので。いきなり児童相談所に連絡する前にできることはたくさんある犬山:気になる子がいた場合、ハードル低めのできることって、何がありますか?山脇:ひとつは保育園や幼稚園、学校の先生とか、その子に関わる人に話をしてみるっていうことですね。先生は園や学校でしか子どもの姿を見ていないので。放課後はこんな様子なんですよね、っていう情報が入ると「放っておくわけにはいかないな」となる。そこから、先生たちが子ども家庭支援センターや児童相談所に連絡しようか、っていう流れができると思います。だから、気になる子を発見したら、まずは仲のいいママ同士でもいいので、ちょっと情報を集めてみて、その情報を集約したものを先生に持って行く。先生がママたちに言ってくれるかどうかは分からないけれど、もうすでに子ども家庭支援センターが関わっている、という子どももいるかもしれないですし。「あの子についてはすでに把握しているので大丈夫です」と先生に言われれば、これ以上心配しなくていいんだなって思えるじゃないですか。犬山:そうですね。いきなり自分が児童相談所に連絡するとなると、ハードルが高いと感じる人も多いと思います。なんか自分のせいで、あそこの家がバラバラになるのかな……?って思うと、ビクビクしてしまって。先生だったら「すみません。ちょっと匿名でお願いしたいんですけど」みたいな感じで、相談しやすいかな。山脇:ただ、先生によっては、相談した後、すぐにその子の親に連絡しちゃった、というケースもけっこうあるんですよ。だから、ママたちから「先生はどうされますか?」と聞いてみるといいですよね。先生に「まず、親に確認します」と言われたら「それは危険ではないですか?」って。先生が親にいきなり連絡しちゃったせいで、家に帰った子どもが親に責められたなんてことがあると困るので。犬山:まだ園にも入っていない乳児の場合は、どうしたらいいんですか?山脇:乳児の場合は保健所になりますね。保健師さんなどが新生児のいる家庭を訪問する“新生児訪問”のほか、生後4ヵ月までの乳児がいる家庭をスタッフが訪問し、産後のサポートをする“こんにちは赤ちゃん”事業なども各自治体でやっています。犬山:うちの子が生後1カ月のときに来てくれた保健師さん、すっごく優しい方でした。山脇:だから自分の子の健診のついでに「ちょっと気になる子がいて」っていう話をしてもいいわけですよ。歯科健診とかもありますし。あとは、各自治体の子ども家庭支援センターのほとんどが、0歳~3歳を中心として親子で遊べるような“子育てひろば”を開設しています。そこにはちゃんとプロがいますから。犬山:乳児のママたちって、児童館にもけっこう行っていますね。山脇:自分の子どもが児童館や学童を使っていたら、そこの職員の方にちょっと言ってみるというのもいいかもしれない。一番話しやすい人に。犬山:なるほど。この知識はシェアしたいですね。山脇:それに、子ども家庭支援センターって、子どもを預かってくれるショートステイやトワイライトステイの窓口など、働くお母さんにとって活用しやすいサービスがいっぱいあるんですよ。登録しなきゃいけないのが面倒くさいっていう人もいますけど。費用もそんなに高くないですしね。だから、住んでいる自治体の情報を一度しっかり調べてみるといいかもしれない。犬山:でも自治体のホームページって、見づらいんですよね……。山脇:役所や支援センターにはリーフレットがいっぱい置いてあるので、一度行ってもらってくるのもいいと思いますよ。緊急性のある場合はどこに連絡すればいい?児童相談所と子ども家庭支援センターの違いとは――厚生労働省が作った児童相談所全国共通ダイヤル189(いちはやく)はどうですか?山脇:“いちはやく”は電話しやすい反面、実はそんなに早いわけじゃないんですよね。相談員が電話を受けた後、担当の児童相談所に連絡を入れるという流れなので、むしろ時間がかかっちゃう。緊急性があるときは、地区の児童相談所に直接連絡したほうが確実です。児童相談所に直接来た連絡は、虐待通報として「このケースはどうしましょうか?」って、緊急受理会議をするので。そっちのほうが、よっぽど早いです。さっき、犬山さんは「自分が連絡したせいで、その家がバラバラになったら……」と心配していたけれど、通報があったからといって、すぐに児童相談所が子どもを保護することはないですよ。たくさん調査をして、それから預かるかどうかを会議で決めるので。もちろん、その子が全身傷だらけ、アザだらけだったら、すぐ保護しますけど。犬山:うん、たぶんそのことを知らないからハードルが高いと思うので。この知識があるといいですよね。山脇:その一方で、今どきは子ども本人が「家でお母さんに叩かれている」とか「家に帰りたくない」って連絡をして、即、保護になるケースもあるんです。親に何か嫌なことをされると「それ虐待だから!」って騒ぐ子もけっこう増えていて(苦笑)。軽い一言で、すごいことになっちゃうよ、というのを子どもにも知ってほしいですね。あと、児童相談所じゃなくて、子ども家庭支援センターに「気になる子がいる」って通報するのでもいいんです。支援センターには子どもを預かる機能がないので。そこにはどんどん情報を入れてもらって大丈夫。自分の子どもに「気になる子」のことを聞いてみる――というのも、ひとつの方法山脇:そのほかに、自分の子どもに「気になる子はいないか」を聞いてみてもいいかなと思っていて。犬山:あ、いいですね。例えば虐待のニュースがあったときに、子どもに「友達でしんどそうな子がいたりする?」って。それ、すぐできることだ。山脇:で、気になったら、お母さん同士で情報共有してみる。ただ、お母さんたちも忙しいですけどね。犬山:でも、虐待のニュースがあって、何かしたいけど、何もできない。そんなとき「じゃあ、一回ちょっと集まってみましょうか?」って、ママ会をやるだけでも、ひとつのアクションになるかもしれない。何もなかったら、お茶するだけでもいいし。山脇:そうそう。ただの雑談になってもOKなんですよ。雑談は平和の象徴なので。犬山:自分がPTA役員になったら、それを提案してみるとか。山脇:うん、PTA活動が活発な学校っていうのは、とにかく平和ですよ。子どもが明るい。友達のお父さんが会長をやっていたり、お父さんたちが学校の花壇の手入れをしていたり。それだけ大人の目があることになるので。犬山:PTAって、働く親からすると、うわ、めんどくさい!って思っちゃうイメージなんですけど。子どもを守るっていう気持ちだったら、私もがんばれそうな気がする(笑)。山脇:気になる子が、自分の子どもの同級生とか知っている子だったら、チャンスがあったときに、その子から直接話を聞くっていうのもいいと思う。例えば、いつも季節に合わない服を着ているとしても、それは本人のこだわりなのか、親がこれを着ろと言っているのか、服がないのか、理由はいろいろですよね。子どもって、わりと無防備に話してくれるので。そこから何か大きなことが出てきちゃったら、そこで学校の先生に言えばいいし。通報までしなくても地域の力で救われる子も必ずいる山脇:気になる子どもの“お母さん”に声をかけてみることもできますよね。犬山:その声のかけ方も、先生にぜひ教えていただきたくて。「あなた、虐待してるでしょ?」っていうのは絶対にダメじゃないですか。いい声のかけ方って、ありますか?山脇:まぁ、前提として、そのお母さんが話をしたがる人かどうか、っていう見極めが必要だけれど。「いやいや、放っておいてください」みたいな感じになっちゃう人だったら、やっぱり調査の段階から専門家が入らなきゃいけない。でも、そうじゃなかったら、まずふつうに仲良くなって「子育て、大変だよね」っていう話からでいいと思うんですよ。この人は何を大変だと感じているのか、っていうことからだと思うんですよね。困っていることが分かれば、「何か手伝えることがあったら、手伝うよ」って言える。世の中には通報しなきゃいけない人もいるけど、地域の仲間同士のサポートで助かる親、救われる子どもも絶対にいるんです。地域に期待できるのは、そっちでしょうね。どうやって発見して、どうやって手伝ってあげるか、という感じ。「ぜひお願い」と言う人も、きっといると思うので。第3回へと続く……Text:Keiko IshizukaPROFILE山脇 由貴子Yukiko Yamawaki女性の生き方アドバイザー。家族問題カウンセラー。 東京都に心理職として入都し、都内児童相談所に心理の専門家として19年間勤務。2015年に退職後、「山脇由貴子心理オフィス」を立ち上げ、現職。『教室の悪魔』(ポプラ社)、『告発児童相談所が子供を殺す』(文春新書)、『思春期の処方せん』(海竜社)など。PROFILE犬山紙子Kamiko Inuyama1981年生まれ。コラムニスト、イラストエッセイスト。著書に『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス)、『地雷手帖嫌われ女子50の秘密』(文春文庫)、『言ってはいけないクソバイス』(ポプラ社)ほか多数。2017年に女児を出産し、育児体験者への取材記録や自身の出産体験記を収録した『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)を刊行。現在は「SPA!」「anan」「steady.」「文學界」「読売新聞」などで連載中。▼第1回はこちら
2018年08月30日女子の恋愛とか、女子のステキな生活といえば、ほぼ決まってキラキラという言葉がついてまわっていますね。こういう女子向けのネットメディアにしても女性誌にしても、ほとんど毎月、キーワードは決まってキラキラで(オフィスで輝くとか、キャンパスで輝くみたいな特集の切り口)、今月はキラキラするのをやめてみましょうか、みたいなことを言っているメディアって、見たことないですが、あなたは見たことありますか?■■男子にはない女子ならではの悩み?キラキラしているものが苦手とか、わたしはどう転んでもキラキラした女子になれないと思っている人は、メディアが出してくるキラキラ感が苦手で怖くて、キラキラしている女子の写真を見るたびに自己嫌悪に陥る人もいるみたいで、こういうのって男子にはない、女子ならではの生きづらさなのかなと思ったりもします。この前は、非キラキラ女子が、「わたし、恋愛が苦手」と言っていました。で、話の流れで彼女はこうも言いました。「わたし、人と会うのが苦手だから、就活したくない。就活しないで、自分の家でネットでモノを売る仕事をしたい」・・・・・・キラキラしているものが苦手とか、どう転んでもキラキラできない(したいと思えない)人って、恋愛が苦手というより、人全般が苦手ということもあるのだね。もう生きてること自体がしんどそうですよね・・・・・・。■■インスタの苦労あれこれインスタを見ていても、キラキラしている女子は、ほとんど毎日なんらかのキラキラした写真をアップしていますよね。今日は丸の内のカフェに行きましたとか、今日は二子玉川のカフェに行きましたとか、キラキラしたカフェでなにかを飲むのが仕事なんですか的に、それはもうお金も時間もかけてキラキラしている写真をアップしていたりする人、いますよね。そういう人のパワーみたいなものにやられて、ますます落ち込んじゃう非キラキラ女子もいると思います。でも、キラキラした写真をいっぱいアップするのも、大変といえば大変らしいですよ。みなさん、そうそう毎日カフェ遠征ばっかりできるわけじゃないから、写真を撮りためておくとか、写真に写りこむ小物を変えるとか、なんかいくつか聞いたけど忘れましたが、みなさんキラキラする努力をしているみたいです。*おそらく誰だってポジティブな自分とか、成長しているのが手に取るようにわかる自分のことって好きだろうと思います。キラキラと前向きに輝いている自分でありたいなあと思うと思います。そういうのができない人は、「わたしの人生おわってる」くらいに思うこともあるのだろうと思います。■■人の気持ちの法則って決まっていますとくに若いうちは、物事の裏というかカラクリをそこまでたくさん見ていないこともあってか、いかなる若い人も皆キラキラを目指さないといけないとか、若い人はキラキラを目指して当然であって、それを目指さないというのは、女としてどうなのよ、みたいな強迫観念にとらわれている人もいるんじゃないのかなあと思います。でないと、「わたし、人と会うのが苦手で、だからもうわたしの人生おわっている」なんて言い方、しないですよね。かわいそうに。人の気持ちって、水は高いところから低いところに流れる的に、わりと当たり前の法則にしたがってできていて、キラキラした時間が続けば、そのあとには必ずちょっと落ち込む時がやってきます。ずっと落ち込んでばかりだと、いつか前向きになれる時がやってきます。こういうのって、心が自然とそうしていることであって、ことさらなにかを意識しないとそうならないとか、なんらかの努力をしないとそうならないわけではないんですよね。人が等しく持っている心の動きって、みんなに共通しています。いつもいつもキラキラしている人なんていないし、非キラキラ女子にはやがて、太陽が輝くまぶしい夏がやってきます。なので、むしろ今キラキラしていない女子のほうが、伸びしろがたくさんあっていいじゃないですか!と思いますが、あなたはどう思いますか?(ひとみしょう/文筆家)【今夜はちょっと、恋の話をしよう】(ハウコレ編集部)
2018年04月20日こんにちは、Mamiです。 つい最近まで寒い夜を過ごしていたのに、気づけばすっかり春。イランは3月末にノウルーズ(お正月)を迎え、1397年がはじまりました。(イラン暦、まだ慣れません…) そんな異国でのはじめての年越し。日本から私の母と母の友人が2人で遊びに来てくれました。もちろん2人は初イラン、せっかくなので国内旅行に!首都テヘランから、シーラーズ、エスファハンという都市をゆったりとしたスケジュールでまわってきました。 今回はその中から1カ所、シーラーズという街の絶景体験を記事にしたいと思います。 --- 首都テヘランから飛行機で1.5時間、夜行電車やバスだと大体14時間離れた場所に、シーラーズという街があります。 大きな遺跡「ペルセポリス」があったり、シラーという品種のワインの原産地だったりする土地です。都会のようなせかせか感があまりなく、その代わりに広い空と大きな山と緑がたくさんある、のびのびとした雰囲気はさながら暖かい北海道のよう。 シーラーズを訪れるのは今回で2度目。なかでも、わたしが大好きな場所がここ! 通称「ピンクモスク」こと、マスジェデ・ナスィーロル・モスクです。 まさに、光を浴びるという表現!とはじめてここにきた時に感じました。 モスク内の壁一面のステンドグラスに朝日が差し込み、床にひいてあるペルシア絨毯や繊細な模様が描かれたタイルを彩ります。係員の方に伺うと、この景色を見るためには、季節にもよりますが朝8時ごろがベストとのこと。 ですが観光の繁忙期にはたくさんの人で賑わうので(ノウルーズの期間はイラン人もみんな旅行に出る時期)、わたしのオススメはオープン直後の朝7時ごろ。それはこれから綺麗に光が差し込む様子を、贅沢に独り占めできるから!早朝のまだ薄暗い時間帯には、ふんわりと柔らかなパステルカラーの光。それが陽が昇るにつれてパキッと鮮やかなビビッドカラーの光に変化していくさまは、思わず見とれてしまうほど美しいのです。また、春の光、冬の光…季節によっても、また天気によっても光の差し方が変化するのも見所のひとつ。 そしてモスク内だけでなく、外壁も可愛い! イランのモスクはブルー系が多い印象なのですが、ここのモスクはピンクやイエロー系。ひとつひとつ手で丁寧に修理、手入れをしています。 もし、イランに来られる際は…頑張って早起きしてピンクモスクの光を浴びて。お昼頃からちょっと遠出して、ペルセポリスでシルクロードを感じる、なんていう過ごし方もいいかもしれません。 シーラーズのピンクモスク、いかがでしたか。 次はイラン ノウルーズ旅行の2都市名、エスファハンをご紹介出来ればと思います。エスファハンはかつては「世界の半分がそこにある」と言われた場所! これからもどうぞよろしくお願いします。 Mami
2018年04月10日誰かに好意を寄せる権利が、わたしにあるのか?by Pixabay「彼氏、いるんですか?」と聞かれる度、少しほっとしている自分がいる。この人から見れば、私は普通に恋愛をしてもいい人間で、恋人がいてもいい人間。この世界のどこかにいる男性が好意を抱く要素のある人間であり、男性の隣を歩いていても不自然ではない人間に映っているのだろう。普段から女性らしさとは無縁で、「女の子らしい」「女子力」と言われることを身の毛がよだつほど嫌うのに、この時だけは、目の前の人から普通の女性として認められているような、どこにでもいる女性のひとりとして映っているような気がして、安心するのだった。それから、「いないんですよ」「なかなか出会いがなくて」というありきたりな返事を、いつもする。未だに、「私は恋愛をしてはいけないんじゃないだろうか?」と思うことがある。Facebookを開けば、毎週のように友達は結婚し、子どもを産んでいる人だっている。みんな当たり前のように誰かを好きになり、誰かと人生をともに歩む決断をしている。それなのに私は、その前の前の前の前の前の段階くらいで躓いてしまった。こういう考えを持つこと自体恥ずかしくて、かなり情けない。そんなことは分かっている。人を好きになったことだってあるし、恋人だっていたこともある。でも、どうしてもこの疑問を自分の中から抜き切ることができない。周りの人間からどう見られようが構わなくて、好き勝手生きてきたはずなのに、例えば、私がかなり一方的な片思いをしたときに「身のほど知らずだ」「あんな人でも恋愛ができると思っているんだね」と思われるのが、その通りすぎて、どうしても怖い。誰かに好意を寄せる権利は誰にだってあるはずなのに、私だけははく奪されている気がしてしまう。だからなのかもしれない、と、ふと考える。私がひとりでいるのを好きでいて、気にならないのは、そのせいなのかもしれない。家族が周りにいて、友達もたくさんいた幼少期を過ごした私が、ひとりでいることに特段何も思わなくなってしまったのにはきっと色々な理由があって、恋愛ができないことも、そのうちのひとつの要素であるように思っている。ひとりでい続けることは強さではない駅の改札で別れるとき、家路を酔っ払いながら歩いているとき、とても長い間誰とも触れ合わずにいるときに、私はいつも「寂しい」「一緒にいて欲しい」「悲しい」と言えない。言えなくて、後悔して、今も胸に引っかかっている思い出なんていくつもあるのに、きっとこれからも誰かにそういう言葉を言える日は来ないのだろう。私が言っても、何も意味がないんじゃないかと思っている。私のような人間が、誰かに何かを求めても仕方ないんじゃないかとも、思っている。そうして、焦りや悲しみの嵐が過ぎ去っていくのを耐えて続けているうちに、ひとりでいることに慣れてしまった。そんな気がしている。もっと若い頃は、ひとりでいることがかっこいいと思っていた。友達が毎日誰かと連絡を取り合って、寂しさを紛らわすことに何の意味があるのだろうとも、思っていた。常に周囲に誰かを置いていないと落ち着けない彼ら・彼女たちを見下していることもあった。けれど、本当にひとりでいられなくなったとき、頭のなかで真っ先に浮かんだ人にきちんと自分の気持ちを伝えなければ、言葉や感情なんて意味を持たない。ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。ひとりでいることに慣れ過ぎてしまい、自分の内側で育っていく感情を自分でどうにかする術を知ってしまった私は、とうに人としての大切な何かを失ってしまっていて、もう恋とか、誰かを好きになるとか、そういう感情が腐っていっているのかもしれない。だからこそ、やっぱり私は恋なんてしてはいけないんじゃないかと、そう思うときが、たまにある。Text/あたそ<恋愛なんてただの思いこみ。それでも、孤独を救うにはちょうどいいのだろうか>もチェック!恋愛は孤独の痛み止めになりうるか?『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て感じたこと。
2018年04月10日俳優で歌手・菅田将暉の3rdシングル「さよならエレジー」(2月21日発売)がロングヒットを記録している。菅田将暉のデビューアルバム『PLAY』同曲は、菅田が敬愛するシンガーソングライター・石崎ひゅーいが菅田の思いを受けて書き下ろしたロックナンバーで、菅田が出演した日本テレビ系ドラマ『トドメの接吻』の主題歌。配信数は累計20万ダウンロードを超え、ミュージックビデオのYouTube再生数は2,000万回を突破した。音楽ストリーミングサービス・Spotifyの国内チャートでもリリース以降に順位を上げ、3月22日発表のウィークリーチャートでは2位に。デイリーチャートも23日から3日連続で1位になるなど、Spotifyチャートの上位を席巻している。また、同曲を収録したアルバム『PLAY』が最新のオリコンウィークリーランキングで2位になるなど、俳優のみならず歌手としても存在感を示している。
2018年03月27日どうしてこの1曲に、ママたちはモヤモヤするのでしょうか…。動画配信サービスのHuluで始まった親子向け番組「だい! だい! だいすけおにいさん!!」で、絵本作家のぶみ氏の作詞による「あたし、おかあさんだから」という歌が流れ、その歌詞が「母親の犠牲を美化している」などとしてTwitterなどネットで炎上しています。のぶみ氏が「『あたしおかあさんだから』発表」と歌のリリースを告知したTweetには、200件以上の批判のリプライが寄せられました。テレビの地上波放送で流れたわけでもないのに、「あたし、おかあさんだから」はどうしてこんなに炎上してしまったのでしょうか?原因のひとつは、歌を歌う番組MCの横山だいすけさんがNHK Eテレ「おかあさんといっしょ」11代目うたのおにいさんであり、9年間にわたって乳幼児を育てるママたちに寄り添ってきたメジャーな存在だから。もうひとつの原因は、作詞をしたのぶみ氏がママたちの間で物議を醸すのは今回が初めてではなく、以前から彼のベストセラー絵本「ママがおばけになっちゃった!」などの内容に違和感を抱くママが少なからずいたからでしょう。この歌詞が拡散された時「また、あの人?」と即座に反発する動きになったと思われます。■歌の中の“おかあさん”はワンオペ育児で大変すぎる!?「あたし、おかあさんだから」の歌詞は、ひとりのママの物語として綴られているようです。内容を追ってみると、そのストーリーは…以前はひとり暮らしをし、ネイルしてヒールはいて働いていた女性。若い頃はやせていて、好きなことばっかりして好きなものを買っていた。自分のことばかり考えていた。↓(おそらく結婚・出産し)お母さんになって爪を切ってパートに出るようになった。↓毎朝5時に起きて、料理は苦手だけれど頑張って作り、好きなおかずは子どもにあげ、カレーも子ども用の甘いカレーしか作らない。↓子どもの好きな新幹線の名前を覚え、テレビも子ども向けのものばかり見ている。夜中に遊びに行ったり、ライブに行ったりすることはやめた。自分用の服も買わなくなった。↓でも、それらをすべてやめても、おかあさんになってよかった。あなた(子ども)のことばっかり考えている。という流れ。まとめると、「母親になってあきらめたことがいっぱいあるし、育児はしんどいけれど、子を持った喜びには代えられない」というメッセージになっているようです。■「実際の育児はそんなに我慢ばかりではない」という違和感のぶみ氏がFacebookなどで「お母さんだから我慢していることは何ですか?」と呼びかけ、実際のママたちの声を集めて歌詞を書いたというだけあって、ひとつひとつのエピソードはそれなりにリアルです。例えば、子育て中のママが友だちから「子どもできたら、大変なことって何?」と質問された場合、「唐揚げ作ると、ほとんど子どもに食べられちゃう」、「辛党なのにカレー辛口にできないんだよね」、「ライブには2年ぐらい行ってない~」などと(笑)付きで答えそうなことばかり。ひとつひとつはちょっとした愚痴ていどなのに、それを歌詞の中で“ひとりのお母さん”に全部背負わせ、「お母さんだから頑張るの」と言わせてしまったとたん、歌詞から漂いだす悲壮感たるや! ママたちがこの歌詞に抱いた違和感は、第一に「私たちの子育ては、ここまで大変じゃない。なにもかも我慢しているわけではない」ということではないでしょうか。実際に、Huluの番組でこの歌が流れた時は、番組で募集したらしき母子のハッピーな写真が映し出されていました。歌詞ではネイルをやめた“おかあさん”ですが、写真にはきれいにネイルしているママも出てきましたし、歌詞では自分の服を買えない“おかあさん”ですが、写真にはおしゃれな母子コーデをしているママもいました。どうも実際のママたちと歌の中の“おかあさん”にギャップがあるのです。多くの場合、子育てってこんなに悲惨なものじゃないはず。私たちママを“かわいそうな”存在にしないでほしいという思いが、反発を呼んだのかもしれません。 ■ママが死ぬという衝撃的な幼児用絵本にも批判があった“かわいそうなお母さん”は、のぶみ氏の絵本にも登場します。ベストセラーにもなった「ママがおばけになっちゃった!」では、おっちょこちょいゆえに交通事故で死んでしまったママが、ひとり息子のかんたろうの前に幽霊として現われ、「(あの世に)行かないで」と息子に大泣きされて自分も泣いてしまいます。それ自体は泣ける話ではあるのですが、版元の講談社は対象年齢を「3歳から」としており、同社のサイトには「冒頭でママが死ぬ、衝撃のベストセラー」というキャッチコピーも載っています。それについて、親子の愛着形成が大切な幼児期にこの本を読むことで、子どもたちに「お母さんが死んでしまう、いなくなってしまう」というこれ以上ないほどの大きな不安を与えていいのか? という指摘もされてきました。ママと子どもがボロボロと大泣きして「さよならしたくない」と言い合うこの絵本。のぶみ氏のほかの作品でも「ママのスマホになりたい」、「おこらせるくん」など母子の関係を描いたものでは、最後におかあさんが涙を流して、子どもも泣くというウェットな展開が多いように感じます。母と子だけの完全なる愛の世界。これらの絵本には一度も「お父さん(父親)」が描かれず、まるで、お父さんがいないかのようなことになっています。■「あたし、おかあさんだから」の世界にはお父さんがいない…「あたし、おかあさんだから」の歌詞にも、お父さんはいっさい出てきません。この父親の不在が、ママたちに違和感を抱かせるもうひとつの理由になっているのではないでしょうか。歌詞に登場するお母さんは、毎朝5時に起きて家事に育児にパートにと追われているのですが、その間、お父さんは何をしているのでしょうか? お父さんは、休日ぐらい“子鉄”の息子に付き合って新幹線を見に行き、その間、お母さんを好きなライブに行かせてあげればいいのでは? お母さんにパート代で自分の服を買ったらいいよと言うことだってできるはずです。Twitterでこの歌の内容に反発する「#あたしおかあさんだけど」というハッシュタグが生まれ、ママたちが次々に「私はお母さんだけど、おしゃれや趣味を楽しんでいるよ」と投稿しました。そこから、さらに育児しない夫のことを愚痴るハッシュタグ「#おまえおとうさんなのに」へと広がっていったのは象徴的です。お母さんにとって、育児はこの歌で歌われるような苦行ではない。けれど、育児の負担がお母さんばかりにのしかかっている現状は不公平だと思っているし、もっとお父さんが育児を分担するようになってほしい。そんなふうに考えているママたちの願いを、この歌は「あたし、おかあさんだから」つまり「あなたはお母さんなんだから我慢しなさい」と封じ込めているようにも聞こえるのです。のぶみ氏はTwitterで「これはママおつかれさまの応援歌」とも説明しましたが(現在そのツイートは削除)、「不公平な状況を我慢している“おかあさん”ってすごい!」と男性の立場から言われても、馬鹿にされているようにしか思えないのかもしれません。
2018年02月07日本当にわたしたちを縛るものは何もないし、わたしたちは何も縛ることはできないよ。“僕”とアートからもらったエネルギーこんにちは。ふらふらと写真を撮っている、ふじ がらといいます。“おふじ”って呼んでもらえたら嬉しいです。いまわたしは24歳だけれど、なんだか昨日産まれたばっかりのような気分で毎日を過ごしています。そんななか、なぜだかひどく惹かれて衝動的に買ったコンパクトフィルムカメラと、それと同時期に観た映画、デヴィット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」…。「もしかしたら“僕”は消えたんじゃなくて、わたしのなかに戻っただけかもしれない」“僕”は、ひとりで抱えきれないことを代わりに受け止めるためにわたしがつくった、もうひとりの自分だったんじゃないかな、と考えるようになりました。写真を撮る行為とそのひとつの映画が、自分と向き合うきっかけをくれたんです。そこからゆっくりと思うがままに写真を撮って、絵を描いて、惹かれる音楽を聴いて、映画を観て、舞台を観て。いろんな表現に触れることで、ここにいていいんだ…と思えるようになっていきました。これは大袈裟なことじゃなくて、誰かが発する表現には、そのぐらい大きな力があるんじゃないかな。そこには生きるためのエネルギーが止まることなく流れていて、すごく居心地がよくて、すべてがフェア。アートが身近にあったことは、わたしにとって本当にラッキーなことだったと思う。というのも、わたしが惹かれた映画や音楽、美術、舞台っていうのは、すべてお母さんからの影響だから。もしお母さんが音楽を全く聴かず、デヴィット・リンチって誰?って感じで、たくさんの色のクレヨンよりたくさんのドリルを買ってくるような人だったら、わたしはとっくに死んでいたかもしれない。たくさんのドリルで勉強することが好きな人もいるけれど、自分にはクレヨンで絵を描いたり、踊ったりするほうが合っていたみたいだし、母もそれをよく理解していました。子どもが必要とする大人という存在「自由」は、ひとつじゃないあの時のことがフラッシュバックして気持ち悪くなったり、突然人が恐くなったり、恋愛感情や性欲というものがよく理解できなくてまわりに置いてかれてるような気持ちになることが、いまでもあります。過去に虐待の被害にあった人で、そういった後遺症に悩む人は結構いるんじゃないかな?前まではその悩みが、父に精神的に支配されているような感じがしてすごく嫌だったし、世の中の流れに追いつかなきゃ!普通にならなきゃ!って焦っていました。だけど最近は、気持ち悪くなったら休むし、恐くなったらカメラを持って一度ひとりになる。いつか誰かと恋愛するかもしれないし、しないかもしれないし、そんな感じでいいかなって。そうやってゆる~く過ごすようにしたら、はじめは心配だったけどなんだか徐々にいろんなことが楽しくなってきたし、そんなんでも世の中意外と生きていけるんだなって思った。人によって置かれてる状況や考えも違うからみんながみんなそういう生き方をする必要はないけれど、けど苦しかったら、ひとまずそこに止まってゆっくりしてみてもいいんだと思う。それか、自分を真っ直ぐに見てくれる人に「助けて!」って声をあげてもいい。マイペースに生きてみてもいいんじゃないかな?いまこうして生きていて思うことは、人間はひとりじゃ生きていけない弱い生きものなんだなってこと。そして「人」対「人」の関係は危ういけれど、生きていく上で崩せるものではないんだなということ。わたしたちは常に、「誰か」から影響を受けて過ごしてる。音楽や映画や美術も「誰か」のエネルギーからできていて、わたしはそれをキャッチして自分のエネルギーにする。母は虐待のことを何も知らない(死んでも言わない)けれど、わたしたちの間にはお互いの話を聴いて、いっしょに考える時間が存在する。「人」と「人」がいまを共に生きていくには、「共に、聴いて考える」という行為と、その時間が絶対に必要だと思う。そしてそれは、虐待の連鎖を断ち切る唯一の方法なんじゃないかな。過去に負わされた傷は、死ぬまで消えない。でも他者との対話を通して自分と向き合うことができれば、痛みをなくすことはできるし、傷跡が残ろうとも、わたしたちは笑って生きていくことができる。わたしは、その可能性を信じています。fujigara(ふじ がら)Website|Twitter1993年生まれ。2016年より写真を撮り始める。2017年10月、自身の夢や幻覚を写真にした1stZINEを発行。2018年に展示を計画中。
2018年02月02日マーク・ウェブ監督映画『さよなら、僕のマンハッタン』が、2018年4月14日(土)より全国の劇場で公開される。『(500)日のサマー』マーク・ウェブ監督最新作『(500)日のサマー』や『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのほか、家族の素晴らしさを描いた感動作『gifted/ギフテッド』を世に送り出してきたマーク・ウェブ。『さよなら、僕のマンハッタン』は、彼が長編デビューする前に脚本と出会い、映画化を熱望してきた青春ドラマだ。およそ10年の時を経て今回待望の映画化となった。なおハイセンスな音楽使いで知られる彼は、今作の劇中曲としてサイモン&ガーファンクルの楽曲を取り入れた。NYを舞台にした、男女の物語主人公は、大学卒業を機に親元からニューヨークのロウアー・イーストサイドに引っ越したトーマス。同じアパートに住む小説家の男と出会い、彼から人生のアドバイスを受けることに。ある日、想いを寄せる女の子と出かけるが、行った店で偶然父とその愛人の密会を目撃してしまい、事態は思わぬ展開へ発展していく。主演は英新鋭俳優のカラム・ターナー主人公トーマスを演じるのは『グリーンルーム』『アサシン クリード』、そして2018年冬に公開が控えている大ヒットファンタジー大作の続編『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』に主人公の兄役で出演が決定したイギリス人の新鋭俳優、カラム・ターナーだ。彼に起用に関してウェブ監督は「大人と少年の狭間にいる俳優を探す必要がありました。カラムはこの役柄をとてもよく理解していましたし、大人と少年の両面の存在感を持っていて完璧だと思いました。」とコメントしている。このほか、出版社を経営する父親に『007』シリーズのピアース・ブロスナン、母親に『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズのシンシア・ニクソン、主人公の隣人の小説家に『キングスマン:ゴールデン・サークル』のジェフ・ブリッジスなど、豪華キャスト陣が集結している。オスカー受賞歴を持つアン・ロスが衣装を担当なお、衣装を担当したのは『イングリッシュ・ペイシェント』でオスカー受賞歴を持つアン・ロス。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』や『ヤング・アダルト・ニューヨーク』など、ニューヨークに暮らす登場人物たちの衣装を手掛けてきた。今回の作品ではエイチ&エム(H&M)からオートクチュールまで幅広い衣装を用意し、ニューヨークで生きるキャラクター象をリアルに表現した。ストーリー大学卒業を機に親元を離れたトーマスは、風変わりな隣人W.F.ジェラルドと出会い、人生のアドバイスを受けることに。ある日、想いを寄せるミミと行ったナイトクラブで、父と愛人ジョハンナの密会を目撃してしまう。W.Fの助言を受けながらジョハンナを父から引き離そうと躍起になるうちに、彼女の 底知れない魅力に溺れていく。退屈な日々に舞い降りた二つの出会いが彼を予想もしていなかった自身と家族の物語に直面させることになる・・・。作品詳細『さよなら、僕のマンハッタン』公開日:2018年4月14日(土)監督:マーク・ウェブ脚本:アラン・ローブ出演:カラム・ターナー、ケイト・ベッキンセール、ピアース・ブロスナン、シンシア・ニクソン、ジェフ・ブリッジス、カーシー・クレモンズ原題:The Only Living Boy in New York© 2017 AMAZON CONTENT SERVICES LLC
2018年01月21日長年にわたり、日本を代表する映画館として親しまれた「日劇」の閉館に伴い開催される「さよなら日劇ラストショウ」。このたび、『STAND BY ME ドラえもん』や『踊る大捜査線THE MOVIE』『ウォーターボーイズ』などの追加上映作品とともに、縁あるゲストが登壇する上映作品が発表された。1月27日(土)より9日間実施する「日劇」のフィナーレイベント「さよなら日劇ラストショウ」。新たにラインナップに決まったのは、『ウォーターボーイズ』『ラヂオの時間』『踊る大捜査線THE MOVIE』『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』『ドラえもん のび太の恐竜』など8作品。追加オールナイトイベントでは、『映画 ドラえもん』『映画 クレヨンしんちゃん』『踊る大捜査線 THE MOVIE』シリーズ、<日劇アニメナイト>として『AKIRA』『ファイブスター物語』『イノセンス』『ルパン三世 カリオストロの城』といった作品の上映が決定。「日劇」の歴史を彩った数々の名作を筆頭に、またスクリーンで観てみたい作品が揃った。さらに、『ゴジラ』(1954)の宝田明や『マルサの女』の宮本信子、『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』で主演を務めたマッチこと近藤真彦ら、映画公開当時の想い出なども伺えるトークショー付きの登壇イベントも決定。また、記憶だけでなく、形に残せる記念品として、『ゴジラ』シリーズの各作品に「フィルムしおり」(有楽町マリオンにゴジラが激突するシーンが印象的な『ゴジラ(1984)』のフィルムから作ったしおり)など、一部作品には入場者プレゼントや、特別商品も用意される。「TOHOシネマズ 日劇」は2月4日(日)をもって閉館、新たに「TOHOシネマズ 日比谷」が3月29日(木)よりオープンする。ゲスト登壇上映作品は以下の通り1月27日13:00~の回(上映終了後)『用心棒』司葉子1月28日12:20~の回(上映終了後)『マルサの女』宮本信子1月28日16:20~の回(上映終了後)/19:00~の回(上映開始前)『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』近藤真彦2月 3日12:20~の回(上映終了後)『Shall we ダンス?』周防正行監督2月 3日18:00~の回(上映開始前)『ゴジラVSメカゴジラ』高嶋政宏、大河原孝夫監督、富山省吾プロデューサー2月 3日21:00~の回(上映開始前)メカゴジラナイト大河原孝夫監督、手塚昌明監督、中野昭慶特技監督、富山省吾プロデューサー2月 4日15:20~の回(上映終了後)『ゴジラ』(1954)宝田明「さよなら日劇ラストショウ」は1月27日(土)~2月4日(日)まで開催(閉館日:2月4日)。(text:cinemacafe.net)
2018年01月16日毎日同じことの繰り返し、毎日同じ自分…マンネリを感じていませんか?大人女子ともなるとメイクの研究をすることもなく、コーディネートも自分が似合うアイテム・似合わないアイテムを熟知している、どれくらい食べれば太って、疲れているときのサインも、どんなことにイライラして、これだけは許せないポイントも全て、自分のことはよーく分かっているかと思います。でも、心のどこかで”新しい私”を求めている、そんな大人女子のみなさんに是非試してもらいたい、新たな私に出会うためのプチメゾットをご紹介します。日常の中でほんの少し意識するだけでOKの簡単なモノばかり!だけど、そんなちょっとしたことに自分自身をアップデートしていくヒントが隠されているんです…♡今回は「自宅編」です♪①洋服の居場所を作ろう♡第5回目となる新な自分に出会える簡単メゾット、最終回の今回は「自宅編」をお送りします。自宅って、その人の本来の姿が映し出される場所。いくら身だしなみがきちんとしていても、自宅が汚ければどこかから必ずボロが出ます。最初のメゾットは洋服の居場所を作ること。クローゼットはもちろんですが、そうでなくすぐに洗わないけれどまたすぐ着るものの居場所です。これからどんどん寒くなりますが、みなさんコートの居場所ありますか?1番部屋が散らかりやすいのが洋服なのです。明日も同じコートを着る場合、帰宅後から明日の朝までかけておくラックなど、コートの居場所を作っておきましょう。また、明日は違うコートを着る場合でもすぐにクローゼットにしまうのはNG。きちんとスプレーをして1日休ませてからコートのお家へ(クローゼット)返してあげましょう♪モノを大切に扱うことも、美しい人への近道です。②ポーチの中を整理整頓しよう♡メイク道具の汚れは美を妨げます。いくらメイクを研究してもコスメポーチの中がぐちゃぐちゃだったら、メイクが上達することはないと思いましょう。定期的にコスメポーチのお掃除をして、常に美しい状態を保つこと♡同時に、アイテムの寿命や道具の買い替え時期も把握するのも忘れずに。③古い下着は捨てよう♡見えない部分まできちんとする、その気持ちが美しさを高めます。毎日が勝負下着!というくらいの感覚でOK。古い下着をつけた自分に自信が持てますか?最高に自信が持てる下着を毎日身につけて過ごしましょう♪④ときめくアイテムに囲まれて過ごそう♡ルームウェア、スリッパ、キャンドル…どれもこれも全て自分がときめくものを!毎日過ごす部屋を好みのもので揃えることは、気分を上げるためのとても大事な工夫です。好きなモノに囲まれて過ごすことで、気持ちのコントロールがしやすくなります。また、それと同時に少しでも迷ったモノは潔く手放すことも大切。どうしても…という思い出の品などはひとつ"思い出BOX"を作ってその中に収まるだけにしましょう。無駄なモノ、必要ないモノを手放すことで心の中がスッキリしたり、過去の呪縛から解き放たれることができます。そうして空いたスペースに今度は新たな、今の自分が必要としているモノが入ってくるのです。いかがでしたか?どれも本当に”ちょっとしたこと”ばかりですよね♪少し意識するだけで、自分自身に対する見方に変化が訪れるはずです。まずは3日、1週間、3週間…と少しずつできる範囲で意識していきましょう♡
2017年10月24日「ヤル・ヤラない」で男子と押し問答を続けた結果、彼女が「あなたってさあ、わたしのカラダだけが目当てなの?」と言い、彼は「そんなことはない、それは誤解だよ」なんて言い、彼女は「ウソばっかり!もう終電が行ってしまうから今日はとりあえず帰るね」なんて言う…まあ、若いふたりにありがちな光景だろうと思います。これって、女子が男子の気持ちを誤解しているってことなんですよね、と書くと、全国の女子を敵にまわしてしまうことになるかもしれませんが。男って昔から「寝たらハマる」生き物女子のなかにも「男子のカラダだけが目当て」な人っていますよね。たとえば超タイプのイケメンに出会ったとき、「わたしはこんな超イケメンを攻略できるほどの女かどうか」をたしかめるために、彼にうまく言い寄って彼と寝る。で、1回寝たあと、もう2度とこの彼とは寝ない女子とか。「こんなイケメンにわたしのカラダが通用するかどうか試してみたかった」とか「彼と寝たあと、彼がわたしにハマって追いかけてくることに優越を感じたかった」とか、いわばゲーム感覚の女子(と言えば女子に失礼かもしれませんが)。男子って一般的に、1度寝たら情が入ってしまう生き物ではないかと思います。だから風俗店で1回エッチしただけの相手にハマっていくのです。なにも極端な話ではなく、明治時代や大正、昭和初期のいわゆる古典文学に、プロの女性にハマっていく男の姿が描かれ、それがあろうことか(?)歴史に残る名作として今でも多くの読者の支持を得ているわけです。プロの女性にどんどんハマっていく文学のくだりって、大学受験用のテキストに採用できないから知らない人も多いのかもしれませんが、男って相手がプロであれ素人であれ、昔から「寝たらハマる」生き物なわけですよ。どこかしら遠い目をするのが男おそらく「ヤる・ヤラない」で押し問答している今の男子だって、「1度ヤッたら彼女のことをポイ捨てしてやろう」なんて、ある種の女子が思っているようなことを思っていないはずなんですよね。それが証拠に、「ヤラして」「イヤだ」と押し問答し続けた結果、どうにかヤれた男子があとになって、「あの子と寝ることはできたけど、何回かヤッたら音信不通になった」と、「すごく」悲しんでいるわけですよ。「彼女のことは適当に遊べる相手としか思っていなかったから、彼女と数回エッチできてそのあと音信不通になっても、まあしかたないか。さあ、次の女を探そう!」と割り切れないんですよね。だから悲しい顔をして、男同士で酒を飲んでいるときに、どこかしら遠い目をしているわけです。男心を誤解しているんですってば「ヤル・ヤラない」で押し問答をした結果、ヤレなかった男子は…いつまでもヤレなかった女子のことを覚えていたりします。「あのとき、おれがあと一歩、彼女のことを押していればヤレたかもしれない。あんなにいい女とヤレていたら、今頃おれはもっと男としてじぶんに自信を持って堂々と生きているにちがいない」なんてことを、いつまでも思っているわけです。たとえば18歳の出来事を50歳になっても覚えているのです。**100%カラダだけが目当てという鬼畜みたいな男も、世の中にはいるはずですが、多くの男子はカラダ「も」目当てです。好きになった女子のすべてを知りたいし、すべてを受け入れてほしいと思っているわけです。すべてというのはカラダだけではなく、本当にすべてです。だから「カラダだけが目当てじゃないって、そんなのウソに決まってるじゃん!もう終電が行ってしまうから今日はとりあえず帰るね」なんてことをしれっと言う女子は、男心を誤解しているんですってば。(ひとみしょう/文筆家)
2017年10月23日