無事を祈るように見送り、とうとう口蓋裂手術が始まりました。 ところが……。 娘が手術室に入ってから1時間半が過ぎたころ、手術室にいる担当の先生から連絡が入り、ナースセンターに呼ばれることに。 娘に何かあったのかと急いでかけつけ内線の電話を受け取りました。 その内容は……!? この1年不安定な状態のままレチナがうまくつけられなかったために、左側の鼻穴が横型になるくらい鼻の形が潰れているということでした。 また、鼻腔の奥で肉の塊のようなものができていてしまっているので、このまま軟口蓋部分を塞いでしまうと、鼻腔が完全に塞いでしまうという知らせでした。 突然の連絡に動揺していると、先生はこう続けます。 鼻腔の中の肉の塊を切除し、倒れきってしまった左の鼻の穴にはレチナを直接縫い付けるという処置をおこなうとのことで、その旨を確認を受け、頭を下げてお願いし、そのまま会話は終了。 術前に説明された処置に加え、追加の処置が必要になるという連絡に動揺したあと、この1年、レチナに関して厳しくても娘のためには必要なことだということをもっと自覚するべきだったと深く後悔し、反省しました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年03月16日んぎぃちゃんが1歳4カ月のころ、デルモイドシスト(※1)の手術を受けるため、入院したときのお話です。 6時半ごろ起き出し、手術着に着替え始めます。 おなかが減っていたせいでただでさえぐずっているのに、んぎぃちゃんは何かを察したのかよりぐずり始めた。 ママはこれからおこなわれる手術のことを心配しつつも、泣いて抱っこを求めるんぎぃちゃんをやさしく抱きしめます。 (※1)別名、類皮嚢胞(るいひのうほう)。良性の腫瘍で様々な部位にできます。皮膚、汗腺、脂腺、毛などを含む腫瘍で円形、楕円形、のう胞様、円盤型等の形を呈します。治療は外科的に摘除することで、MRI検査などで診断されますが、最終的には摘出した組織の病理検査が必要です。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年03月13日翌日の手術に備えてできるだけ病室内にいるようにしていましたが、歩きたい盛りの1歳11カ月には病室だけの行動制限は難しく……。 持参したおもちゃもDVDもすっかり飽きてしまい、困っていました……。 それを見かねた看護師さんがこう提案してくれました。 というわけで、消灯までの少しの間だけくぴことプレイルームで遊ぶことに。 1日半ぶりとはいえ、思いっきり大きな声ではしゃいで楽しそうなくぴこ。 病室よりは広々とした明るい部屋でペタペタと歩き回り、ブロックや積み木など部屋にはないおもちゃで一緒に遊びました。 少し気晴らしができたのか、短い時間でも十分満足だったようで……。 「ママ、しゅみ(おやすみ)」と言って穏やかに眠りにつきました。 明日には自分が手術を受けていることなど知らないんだと思うと胸が痛みます……。 手術を迎えた後に、次この笑顔が見られるのはいつなんだろう……? そんないたたまれない気持ちでいっぱいになりながら、手術前夜を過ごしました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年03月02日■前回のあらすじ子どもが食事を食べてくれないと不満を爆発させる母と夫。そして、ついに母の滞在が終り、私は手術に向け準備することに…■手術前の診察へ手術前の診察は手術に関わるすべての科で診察の必要がありました。先生方同士で手術前に会議をしてどんな手術をするか、という話し合いをされているようです。重要なことは主治医の先生から患者に伝えると言うのが決まりのようで…。■耳鼻科の診察、手術方法は…腫瘍が小さくなっていたため、手術は内視鏡で行うことに!手術のため再度入院になります。 ※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年02月14日口蓋裂手術が2回に分けておこなわれることを知り、大変驚いた私たち夫婦に先生はさらに今回の口蓋裂手術の詳しい説明を続けました。 具体的にどのように手術をしていくかというと……。 今までも口唇手術よりも危険で、大がかりなものになるということは聞いて覚悟していたつもりでしたが、詳しいその内容を改めて聞き、不安はより一層増すばかり……。 まだ2歳前の小さな娘がこれから受けると思うと聞いているだけでも想像以上に壮絶な内容だったので、本当にこのまま手術を受けさせてもいいのか不安で怖くなりました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年02月09日■前回のあらすじ次々と薬剤師さんや先生方が病室に現れ、薬の説明や動脈注射を打つ場所の確認をし始めます。■夫出張のため、義母が子どもたちの面倒を見てくれることに動注=動脈注射猫かぶりの子どもたちの真の性格を暴露!2泊3日も子どもたちのお世話をしてもらうことになりましたが、義母がとても大変な思いをするのではないかと心配でたまりませんでした…。■ついに抗がん剤動脈注射を打つ手術が始まる…!ついに抗がん剤動脈注射当日…。夫と義父に励まされて手術に向かいました!当時の私は、注射のイメージが強かったので、手術扱いになるとは思っていませんでした…。気楽に考えていたので、手術と聞いて急に緊張してしまいました!次回に続きます。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。 【同じテーマの連載はこちら】 女性のがんとお金の話 この連載の全話を見る >> 湯本もゆのオドオド育児 この連載の全話を見る >> 長男の川崎病と職場の板挟みで大変だった話 この連載の全話を見る >>
2020年11月09日■前回のあらすじ隣の寝たきりのおばあちゃん、苦しそうな声がずっと聞こえてくるのが気になってしまい、部屋を変えてもらえないか相談することに…■抗がん剤投与と手術について説明を受ける画像はイメージです切開!? 鼻を開くの…!?!?K先生の説明を聞いてかなり怖くなり、抗がん剤が効くことを切に願いました…!■鼻を開く手術とは?画像はイメージです画像はイメージです画像はイメージです画像はイメージです画像はイメージです「切開」と聞くとやはり怖い…切った方が癌が隠れている場合も取りきれると分かってはいても、出来れば内視鏡手術が良い…と思ってしまいます。次回に続きます。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。 【同じテーマの連載はこちら】 女性のがんとお金の話 この連載の全話を見る >> 湯本もゆのオドオド育児 この連載の全話を見る >> 長男の川崎病と職場の板挟みで大変だった話 この連載の全話を見る >>
2020年11月02日先天的な心疾患のため、1997年と2018年に肺動脈弁の置換手術を受けたアーノルド・シュワルツェネッガーが、再び心臓手術を受けた。「(オハイオ州の)クリーブランド・クリニックの医療チームに感謝します。前回の手術で新しく換えた肺動脈弁に合う、新しい大動脈弁を得ました。気分は最高で、すでにクリーブランドの通りを散歩して、素敵な像を見て楽しんでいます」とSNSで報告した。ベッドの上で、笑顔でサムズアップしている写真や、様々な像の前で記念撮影をしているアーノルドの写真が添えられている。息子のパトリックは「お願いだから今日はワークアウトに行かないで」とジョークの効いたメッセージを送り、アーノルドと元家政婦の子どものジョセフ・バエナは「大好きだよ、父さん。もうラットスプレッド(背中の筋肉をアピールするボディビルダーのポーズ)はやった?」とやはり運動ネタのジョークでコメント欄を盛り上げている。娘のキャサリンはハートマークと両手を合わせた祈りのマークの絵文字で気持ちを伝えた。2018年に手術後目覚めた際は、自身の代表作『ターミネーター』での名ゼリフ「アイル・ビー・バック」にかけて「アイム・バック」と言ったことが明らかになっているが、今回は果たして…?(Hiromi Kaku)
2020年10月26日45歳で巨大子宮筋腫が見つかり、子宮全摘手術をすることに。手術前のホルモン療法で本格的な更年期症状を体験し、更年期症状のつらさを実感するとともに、自らの体と向き合う大切さを学んだ体験をお話しします。腹腔鏡手術をするためホルモン療法を開始!腹腔鏡手術で子宮を全摘するために4カ月間、筋腫を小さくするためのホルモン療法をおこないました。私がおこなったのはリュープリンという薬を1カ月ごとに注射する方法です。医師によると、子宮筋腫は女性ホルモンの影響を受けているので女性ホルモンを止めれば小さくなるとのこと。そして筋腫が小さくなったところで、腹腔鏡を使っておなかの中で子宮を刻み腟から出すという手術をおこなう予定でした。腹腔鏡手術は開腹手術よりも傷が大きくないので回復が早く、痛みが少ないというメリットがあるそうです。デメリットは技術的に難しいので、医師の技量や経験が必要ということでした。近くの婦人科から最初に紹介された大学病院では開腹手術をすすめられたのですが、私は腹腔鏡手術がよかったため、腹腔鏡手術件数の多い同系列の大学付属病院を再紹介してもらい、転院しました。女性ホルモンを止めることで、副作用や更年期症状が出るとのことなのですが、私の場合、1回目の注射で生理は止まりましたが、頭痛や歯痛などの副作用も出て、4回のところ2回しかできませんでした。それでも筋腫は16cmから10cmほどに小さくなり、腹腔鏡手術をおこなうことができました。本格的な更年期症状を体感!思った以上に大変ホルモン療法をおこない、女性ホルモンを止めたことで起こった更年期症状は主に3つありました。1つ目は不眠。とにかく眠りが浅くなり、夜に何度も目を覚ましました。2つ目は発汗。特に夜中に襟足や額から大量の汗が出るのです。これも不眠の原因の1つかもしれません。季節は冬でしたが、首にタオルを巻いていなければならないほど。日中も急に顔がほてって汗が出たりしていました。これがホットフラッシュと言われるものだと身をもって実感しました。3つ目は首や肩の凝り。鉛を肩に乗せられているかのように、肩や首が重く固く凝っていました。これらの症状は術後、リュープリンをやめたあと徐々に改善されました。術後、更年期症状は感じるもののラクに!手術して2年が経過。その間、手術前と比べて更年期症状は少しずつ変化しています。イライラは相変わらず続いていますし、発汗も時々起こります。ただ、ホルモン療法で本格的な更年期症状を体感したことで、余裕ができたというか、原因がわかっているので気分的にラクになっています。子宮を取り除いたことで大きかったおなかは術後しばらくはへこんでいましたが、その後はまた大きなおなかに戻ってしまいました。手術をしてよかったのは、下腹部痛がまったくなくなったこと、生理がなく大量の出血に悩まされることもなくなり快適に過ごせることです。まとめ子宮筋腫を取り除いたあとでも卵巣は残っているので、更年期症状は普通に起こると医師から言われています。今はレディースクリニックで「加味逍遥散(かみしょうようさん)」という漢方薬を処方してもらい、更年期症状と付き合っています。そして、年に1度は婦人科の定期健診を受けることにしました。体の不調を放置せず体の声を聞いてあげる。自分で自分を大切に扱ってあげる。そんなことを手術を通して感じられて良い経験になっています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2020年09月21日私は緊急帝王切開で長子を出産したのですが、次子は予定帝王切開だったので手術前におこなうことがいくつかありました。産院によって異なるのかもしれませんが、手術前はどのような様子だったのか、私の体験をご紹介します。 出産予定日はこう決まった手術予定日は出産予定日の約2週間前に設定され、妊娠38週3日で出産しました。私が通っていた産院では希望日を受け付けておらず、予定帝王切開手術をおこなう曜日が決まっていたようで、妊娠38週周辺で1番近いその曜日の日に決まりました。 出産する日があらかじめ決まっているのは、なんだか不思議なような変な気持ちでした。赤ちゃんの準備ができないうちに、無理に出してしまうようでちょっとかわいそうな気も。しかし、「仕事の休みがとれる。出産に立ち会える!」と、パパはうれしそうでした。 前日から入院 幸いにして妊娠中にトラブルはなく、赤ちゃんは順調に育ってくれました。もし何かあったり、手術予定日前に陣痛が起こったりしたら、緊急帝王切開になると言われていました。 手術予定日の前日から入院し、夜の9時以降は水も飲んではいけないということでした。点滴をして、院内は空調が効いているので「喉が渇いて仕方がない」ということはありませんでしたが、結構つらかったです。予定された手術は人生で初めてだったので、こんなことまでするのかと驚きました。 手術直前にすること手術直前に浣腸をして腸内をできるだけ空にしました。浣腸は必須ではなく、「しておきますか? どうしますか?」という軽い提案でした。出産時の排泄物が気になるのであればしてもいいし、出ちゃってもきれいにするから大丈夫ですよと助産師さん。私は一応浣腸をしたのですが、便意を我慢できずにすぐ便と一緒にその薬を出してしまったので、あまり意味がなかったかもしれません。 そして点滴をつけたままで、手術台に上がりました。手術中ずっと顔の近くに助産師さんが立っていて、ときどき顔を覗いて「大丈夫ですか、気持ち悪くないですか」と声を掛けてくれたのが心強かったです。手術中、特に異常なく、無事に出産することができました。 長子のときは緊急帝王切開だったので無我夢中でしたが、予定された帝王切開の場合はいろいろと事前にすることがあり、初めてのことばかりだったので不安も募りました。手術前にどのようなことをするのか知ることで、不安が少しでも軽減できるのではないかと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて出産予定の産院や病院、医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:sawawa著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2020年08月03日アメリカ・フロリダ州で1匹のオス猫が保護されました。名前は『ポニョ』。まだ子猫のポニョは路上でひとりぼっちで鳴いていたところを猫好きの優しい女性に発見されたのです。海外メディア『The Dodo』によると、ポニョを保護したサマンサ・スマートさんの家にはすでに猫がいるため、新しい猫を飼う予定はなかったのだそう。ところがポニョを見たとたん、「この子は我が家に来るべきだわ」と思ったといいます。母親がそばにいないことでポニョがさびしくないようにと、サマンサさんはポニョに緑色のドラゴンのぬいぐるみを買ってあげました。するとポニョはそのドラゴンが気に入って、毎晩一緒に眠るようになったのです。『親友』と一緒に手術を受ける子猫その後、ポニョが去勢手術を受ける日がやってきます。サマンサさんはポニョが病院で不安にならないように、彼の『親友』のドラゴンを一緒に預けることにしました。Ponyo was so nervous! Luckily he had his best buddy Dragon with him!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020ドラゴンの陰に隠れて緊張しているポニョ。するとそんなポニョを見た病院のスタッフや医師たちは、「友達が一緒のほうが、頑張れるだろう」とドラゴンも一緒に手術をすることにしたのです。Checking Dragon's heart ratePosted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020Shave for Ponyo!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020Shave for Dragon!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020Almost done!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020隣に並んだポニョとドラゴンに同じ手順で手術をしていく医師たち。そして無事に終わった後は、2匹を寄り添って寝かせてあげました。The most special friends!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020Best friends forever!Posted by Operation Catnip on Sunday, July 5, 2020病院のFacebookに投稿されたこれらのかわいらしい写真にはたくさんのコメントが寄せられています。・ハートがとろけた。・涙が出たわ。かわいすぎる。・ポニョって素晴らしい映画からとったいい名前だ!まだ子猫のポニョは知らない人たちに囲まれて手術を受ける時、不安だったはずです。でもそんな時に友達がそばにいてくれて、しかも自分と同じ体験をしてくれたら、どんなに心強いことでしょうか。優しさとユーモアにあふれた医師や病院のスタッフたちに拍手を送りたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月22日私の子どもは、先天異常の口唇口蓋裂を持って生まれてきました。口唇口蓋裂は、治療として数回手術を受ける必要があります。口唇口蓋裂の治療の第一関門である口唇を閉じる手術を、わが子は生後5カ月目のときに受けました。小さかったのでとても心配だったことをよく覚えています。今回は、その当時の様子などについてお伝えしたいと思います。 口唇口蓋裂の1回目の手術を受ける前わが子は、体重6kgを目安に1回目の手術をおこなうことが決まっていました。日程が決まったら、先生に意見書を書いてもらって市役所に申請をおこなうことで、私が住んでいる市では手術費等は無料になりました。 術前には検査日が設けられていて、先生の診察を受けたり、看護師さんから入院について説明を受けたりと、落ち着かない日々。入院は手術の前日からで、その病院は付き添い不可だったため、わが子を看護師さんに任せて自宅に戻りました。 口唇口蓋裂の1回目の手術、無事に終了手術当日の朝は、本当にドキドキしました。けれども親の心配とは裏腹に、まだ小さいわが子は目新しい場所に興味津々です。やさしい看護師さんに連れられ、泣くことなく手術室の入口で別れました。 上の子を遊ばせながら待つこと約2時間。看護師さんに呼ばれていくと、目を覚ましたばかりのわが子。口にはガーゼなどが貼られていて痛々しい様子でしたが、目を覚ましていたため、ひとまずホッとしました。 口唇口蓋裂の手術後の様子 手術後、麻酔の影響か、娘はしばらくボーっとしていましたが、痛そうな感じではなく安心しました。顔を触らないよう腕が固定されましたが翌日には外され、鼻腔形成のため、鼻にレティナという装具を着けました。 入院中、夜は親と離れましたが夜泣きなどはなかったようです。日中は病棟内のキッズスペースで遊んだりすることができて、穏やかに過ごすことができした。ちなみに感染症予防のため、小学生以下のきょうだいは面会不可で、ガラス越しに会わせました。 今回は、口唇口蓋裂の1回目の手術についてお伝えしました。次回は、口蓋裂を閉じた2回目の手術についてお伝えします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年05月21日初めて美容整形手術を受けたのは、大学生のとき。メイド喫茶で働いていた友達が「見て!2万円で二重にしたの」とうれしそうに話していたのを見て、そんなに安く、しかも簡単に二重にできるの!?と驚いたのが整形をしようと思うきっかけだった。身近な人の話を聞くと、今まで別世界のように感じていた整形という行為が一気に具体的なものになり、自分もやってみようかな?という心境になったのだ。その頃、気になっていた子に温泉旅行に誘われたのも大きな理由のひとつ。気になる男性の前でアイプチを取って顔が変わるのが恥ずかしかったので、いっそ元からの二重に整形してしまおうと決めた。■カウンセリングを受け、そのまま手術室へ友人に話を聞いたりインターネットで情報を集めたりした結果、某美容外科で「三点留め埋没法」という手術を受けることにした。メスを使わず針と糸でまぶたを留めて二重を作る施術で、短時間で手軽に受けられ、腫れが早く引くこと、約12万円と比較的安価だったことも決め手になった。予約した日に医師とカウンセリングをして、そのまま手術という流れだった。カウンセリングでは「どんな二重になりたいのか」「なりたい目のイメージはあるか」などを細かく聞かれる。こちらからの要望も伝えつつ、「あまり広くしすぎると不自然だからこのくらいの方がいいですよ」など医師の意見も聞きながらデザインを決め、料金を払った。あまりにもあっさり手術まで決まってしまったので、心の整理なんてものをつける余裕はなく、あっという間に同じフロアにある手術室へ。■笑気ガスのおかげで怖さは感じず、30分ほどで手術終了初めての手術、とても緊張していた。痛みを感じにくくするため、手術前に「笑気麻酔」(笑気ガス麻酔、笑気吸入鎮静法とも呼ばれる)というものをする。笑気ガスを吸うと、周りの景色がフワンフワンして、広いホールにいるように音が反響して聞こえる。医師と看護師の声がやたら響いて二重に聞こえたのを良く覚えている。ガスが効いてきたところで、まぶたを裏返して麻酔の注射を打つ。その時は思わず頭の中で「痛い!なにするんだよ〜やめて〜〜」みたいな声をあげたけれど(もちろん声は出していないが)、笑気ガスのおかげで耐えられた。笑気麻酔なしで注射を打ったら、きっと耐えられないくらい痛かっただろう。手術中は意識があるので、まぶたに通す糸やハサミが良く見えたが、頭がフワフワしてるので怖さは全く感じなかった。麻酔とはすごいものだ。手術は30分程度で終わり、すぐに頭がスッキリし始めた。目には少しの痛みと違和感。鏡を渡されて確認してみると、そこには腫れ上がった両眼が!それを見たときは、この腫れ本当に引くのかな?と不安になった。その日は傷口に塗る軟膏などを渡され、入浴時の注意などを聞いた後帰宅した。■手術後の経過埋没法の手術は、個人差はあるが2週間くらいかけて徐々に腫れが収まってくるという。入浴は翌日〜2日後くらいから、傷口を避けて優しく洗う。お酒やタバコは腫れが長引くので、手術直後は控えた方がいいとのこと。私は腫れの少ない細い糸で手術する方法を選んだので、1週間ほどで内出血と大きな腫れは引いていた。手術前の目元手術後の目元その期間は就活中だったので、メガネをかけて面接や説明会にも行ったが、面接官に何か言われることはなかった。2週間ほど経つと、腫れは収まり傷跡も綺麗になくなった。よほど注意して見ない限り、言わなければわからないだろうと思った。整形前はアイプチで二重にしていたので、整形後も化粧した後と同じ目になるようにデザインしてもらった。見た目的には整形前と変わらないが、心境の変化は大きい。それまでの私は、たとえば好きな人の前では夜に化粧をしたまま寝て、朝早く起きてアイプチを直すことや、二重が取れてないか気になって眠れないこともあった。埋没法の手術を受けたことで、そういった悩みやストレスがなくなったのは、私にとってとても大きな変化だった。■埋没法二重の注意点(専門医のコメント)1.手術を受けるにあたり気をつけること術前に医師と二重幅、形、カーブなどについて十分に具体的にカウンセリングしておく必要があります。漠然と「キレイな目元に」のようなあいまいな方向性ではなく、しっかりとシミュレーションしてもらい具体的なイメージを事前につかむことが大切です。美容外科では、「ブジー」と呼ばれる細い針金をまぶたに当てることで、仕上がり結果をほぼ予測することができます。これが一番正確な結果予測法であり、コンピューターソフトを使ったCGシミュレーションで仕上がりを正しく予測することは基本的にできません。また、ライン幅を選ぶ際に気を付けるべきポイントとして、あまりに広すぎる二重はおすすめできません。二重幅が広すぎると眠そうな目元となってしまうことがあります。無理なく作れる二重の幅は、一般的には目を閉じた状態で睫毛の生え際から4〜8mmが限界です。逆に生え際から4mm以下のようなかなり狭い二重を作る際も、二重ラインが取れて元に戻りやすくなるなどのデメリットが生じますので注意が必要です。2.手術後の適切な手入れ術後にすべきこと、してはならないことのリストは各クリニックによってかなりの違いがありますので、あくまで一般的な考え方をご紹介します。術後の腫れ・内出血の対策としては、アイスパックなどで冷やすことはある程度有効です。少なくとも手術当日は行うことを推奨します。血流の良くなることを控えるという意味では、入浴は腫れがある程度落ち着くまでの1週間は湯船に浸かることは控え、温めのシャワーのみとしたほうが良いです。もちろん、アルコール、香辛料、塩分の摂取を控えるなども腫れ・むくみ対策として心がけましょう。寝る時に枕を少し高くして寝るなども有効な方法です。そして、洗顔・メイクオフの際にまぶたに指で触れるときはできるだけソフトタッチでお願いします。埋没法で使用する糸は、通常髪の毛くらいの細さのナイロン糸を使用しているので、強い力で押したりすると糸が切れてラインが取れてしまったりすることもあるからです。3.手術中の痛みと術後経過手術に伴う痛みの感じ方は、かなりの個人差があるため一概には言えませんが、通常この手術は局所麻酔注射単独で十分に行える手術です。但し、手術に対する不安感がとても強い方や注射の痛みに対して極度に弱い方は、記事中にあるように、ごくまれに笑気ガスや静脈麻酔を併用することもあります。その他、痛みを軽減する処置として術前に麻酔クリームを塗布したり、特別に細い針をオプションとして用意しているクリニックも多いです。術後のダウンタイム(腫れ・内出血)は医師のもつ技術レベルによってかなり左右されます。熟練した経験値の高い美容外科医であれば、ほとんど腫れを生じさせずに仕上げることはできます。仮にわずかな腫れが生じたとしても、引くのに最長で1〜2週間くらいが目安となります。しかし、クリニックの技術レベルによっては数カ月にわたって腫れが続いたという話も(患者さんご自身の口から)聞くこともありますので、一概には言えません。監修医師プロフィールみずほ クリニック院長 小松磨史1995年 札幌医科大学・形成外科にて医師としての経歴がスタート。 形成外科専門医を取得後、形成外科のなかでもとりわけ美容外科を極めるべく大手美容外科に入局し美容外科専門医として長く修業を積む。 10年間の形成外科医時代につちかった技術と、 さらにプラス10年間の美容外科医としての経験をうまくミックス融合させて相乗効果を発揮し、質の高い美容医療を提供している。
2020年05月13日人生初の全身麻酔手術で、親知らずを抜くことになった私。手術というだけでもナーバスなのに、手術直前に何となく生理の気配が……。生理周期の不安定な私の誤った判断が引き起こした、思わぬ事件をお伝えします。 手術直前に訪れた生理の前ぶれ20代後半に、大学病院で全身麻酔をして親知らずを抜く手術を受けました。手術直前、何となく生理になりそうな感覚が。生理周期が不安定な私は、その月も生理日を予測することができなかったのです。念のため、トイレでナプキンをつけて手術室へ向かいました。とはいえこれは歯の手術。主治医も歯科の先生だったため、生理なんて関係ないだろうと思い、生理がきそうなことは誰にも伝えませんでした。この判断が後の大事件を引き起こしたのです。 手術後起こった事件と不幸中の幸い無事手術が終わってから数時間後、気がつくと太ももから背中までシーツが真っ赤! 疑問に思いつつ、急いで看護師さんを呼んでトイレに行き、血だらけの下着を下ろすと、手術前に付けたはずのナプキンがありません。まったく意味がわからないまま、とりあえず着替えた私。 幸運だったのは、たまたま歯科病棟が満床で、産婦人科病棟に入院していたことでした。点滴をしている私の着替えを手伝ってくれたり、病室に戻るとすでにベットのシーツも交換されていたりと、看護師さんの迅速な対応に感動した一方で、歯の手術で入院したのにこんなことになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 ナプキンが外されていた意外な理由 なぜつけていたはずのナプキンがなくなっていたのだろう?と疑問でしたが、それは手術室で私が麻酔で眠ったあと、助手の方が全身の確認時にナプキンを外したからです。病院によって異なりますが、私が手術を受けた病院は、生理中でも手術時のナプキンやタンポンの装着はNGで、病院側が用意する専用の紙パンツで対応するそうです。 そのときはまだ出血がなく、生理の話もなかったため、手術後もそのまま病室に運ばれました。「生理なんて関係ないだろう」という私の誤った考えが、この事件を引き起こしたのです。 まさか歯の手術でこんな失敗を経験するとは思いもしませんでした。どんなに生理と関係なさそうな手術だとしても、手術前に必ず主治医と生理の話をして、生理周期が不安定なことを伝えておくこと、生理が重なった場合はどう対応するか確認をしておくこと。これが私が今回の失敗から学んだことです。 著者:秋山小夜
2020年04月27日日本の三大死因といわれているのが、悪性新生物(がん)、心疾患、脳血管疾患。身近な人をいずれかの病気で亡くした、または自身がなったことがあるという人も多いのではないでしょうか。脳血管疾患の1つには、脳の外側を覆っている『くも膜』の下で起こる『くも膜下出血』というものがあります。漫画家の安堂維子里さんは、ある日、突然くも膜下出血になり危険な状態になりました。その体験をウェブサービス『note』で公開し、注目を集めています。『くも膜下出血で入院した話』大きな後遺症のない人の体験談が少ないことから、自身の体験を公開した安堂さん。脳の手術を受けた衝撃から、眠れなくなるほど感じた強い不安、リハビリの様子などを克明に記しました。そして、改めて次のように気持ちをつづっています。闘病…というには私はただ寝てただけで…戦ってくれたのは先生とスタッフと家族だったと思います。本当にありがとうございます。家族には突然肉親が亡くなるか介護が必要になるのではという心理的負担をかけてしまって申し訳なかったです。ゴメン。心配してくださった方々も、本当にありがとうございます!現在は本当に通常の生活を送れている状態で原稿も進めております。週2で運動して週1で英会話に行って。「本当に普通であの1か月は不思議な時間だった」と夫と話しています。こんなエッセイですがお役に立てれば幸いです。漫画の公開後、ネット上で反響が上がり「助かって本当によかったですね…!」「私も20代で手術を受けました。当時のことを思い出して気が引き締まります」「これで亡くなった祖父のことを思い出しました」などさまざまな声が寄せられています。いつ自分の身に起きるか分からない病気の1つ『くも膜下出血』。誰かの体験談を知っておくだけで、いつの日か心の支えになることもあるでしょう。安堂さんは、このほかにもnoteやTwitterで作品を公開しています。気になる人は覗いてみてはいかがでしょうか。note::icori_aTwitter:@icori_apixiv:鼻チュー(安堂維子里)[文・構成/grape編集部]
2020年04月15日伊藤英明主演「病室で念仏を唱えないでください」の6話が2月21日放送。ムロツヨシ演じる濱田達哉が見せた胸の“手術痕”と、変化球な“優しさ”に視聴者から「何かありそう」「好きになっていってしまう」などの声が上がっている。本作は僧侶でありながら救命救急医でもある主人公・松本照円を伊藤さんが演じる医療ヒューマンドラマ。伊藤さんのほか松本の同僚の救命救急医・三宅涼子に中谷さん。松本に敵意を抱く有名心臓外科医の濱田達哉にムロさん。濱田の下で心臓外科医をしていたが松本に誘われ救命医となる児島眞白に松本穂香。救命で研修医をしている田中玲一に片寄涼太。救命救急センター長の玉井潤一郎に萩原聖人。整形外科医の藍田一平に堀内健。理事長の澁沢和歌子に余貴美子といった俳優陣が出演する。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。松本を幼い頃から支えてきた憲次(泉谷しげる)に肺腺癌が見つかる。延命治療を拒む憲次に治療を受けるべきだと薦める松本だが、憲次に医者としてではなく僧侶としての答えを問われ思い悩む。あおば台救命救急センターに倒壊事故で意識不明の30代の男性と60代の男性と、ボウリング場でケガをしたという40代の男性が搬送されてくる。40代の男性はなんと整形外科医の藍田先生。そして倒壊事故で意識を失った患者・和田洋平(吉沢悠)は、三宅の“元カレ”だった。濱田は理事長の澁沢から、状態が悪くリスクは大きいが病院の宣伝に使えると大物芸能人・御代田(藤井隆)の手術を持ち掛けられ、それを引き受ける…というのが今回のストーリー。入院していた和田が肺血栓塞栓症となり、松本は濱田に執刀を願うも、濱田は御代田の手術と時間が重なるとして断る。怒りに語気を強める松本だが、冷静を装う濱田も拳を握りしめていた。そして手術着に着替える濱田の胸には手術の傷跡が…。これに視聴者からは「サービスショット!!!と思ったら手術痕?」「胸の傷……何かありそうですな」など驚きの声とともに、濱田の行動の裏に隠された理由にも注目する声が上がる。その後松本と三宅のもとに児島が応援に駆け付けるのだが、児島は濱田から和田の手術のことを聞かされたという…。この松本らを助けるような濱田の行動に「表面上は最も嫌な奴だが、内面は違うのか」「ムロさんの役いけ好かないと思ったけど、回を追うごとに好きになっていってしまう」といった反応も。理事長とともに何かを企んでいる濱田だが、その“真意”も今後の見どころになってきそうだ。(笠緒)
2020年02月22日マイリー・サイラスが声帯の手術を受けたという。「People」誌などが報じた。マイリーは約1か月前に扁桃炎を患い入院して手術を受けたが、その際に扁桃炎とは別の問題が数年前から声帯に生じていたことが発覚。医師から年内に手術を受けた方がいいと勧められ、先週中に踏み切ったようだ。交際中のコーディー・シンプソンが、8日にインスタグラムにマイリーとの写真を掲載し、「成功」とコメント。手術がうまくいったことに触れたとみられる。現在、回復過程にあるマイリーは、数週間声を出してはならないとのこと。新曲の録音やパフォーマンスはしばらく休止となる。関係者は「マイリーは順調に回復しています。来年早々には完全復活となるでしょう」と語っている。先月の扁桃炎の手術からのどを休めてパフォーマンスはお預け状態のマイリーだが、彼氏のコーディーは、マイリーにインスピレーションを受けて書いた新曲「Golden Things」をリリース。「ぼくらは一緒にいると、お互いがよい状態でいられるんだ。それってすごく健康的なことだよね。いままでの(恋愛)関係で初めてのことだと思う。考え方が似てるんだ」と語っている。(Hiromi Kaku)
2019年11月11日LUNA SEAのボーカルで歌手の河村隆一(49)が、10月2日にブログを更新。「手術」というタイトルで、声帯ポリープ切除手術を受けたことを明かした。《今朝の9時手術室に~手術の一連の説明を受け~点滴~麻酔~意識はなくなりました》と告白。そのうえで《手術は1時間程…その後ベッドで病室に運ばれ午後1時くらいまでうとうと…術後麻酔がきれても、痛みはほとんどありません!!》と手術が成功したことを報告。河村は前日の1日にも《今日は今年二度目の入院。明日、声帯ポリープを切除する手術を受けます》と報告。この報告を受けて、LUNA SEAメンバーでギタリストのINORAN(49)は《I WISH good luck to my voice…!!!!》とツイート。ドラマーの真矢(49)も《ずっと共に笑顔で音楽しようね LOVE》と河村にエールを送っていた。そんな河村の手術成功に、ファンからは安堵の声が寄せられている。《手術成功おめでとうございます!良かった、、》《手術、無事に終わって安心しましたパワーアップした隆一さんの歌声を聴けるのを楽しみにしています》河村は、今年1月にも肺腺がんの手術を受けたことをブログで報告していた。手術後はジムでのトレーニングやランニングなどでコンディションを取り戻し、音楽活動を再開。今年2月から、ギリシャ語で「復活」を意味する「anastasis」と題したツアーをスタートさせていた。全国各地の教会では、マイクを使わない生声でのライブを披露している。さらに河村はブログで《そして予定通り・・DREAM FESTIVALに間に合いそうです》と告白。10月14日にLUNA SEAで出演が決まっている「テレビ朝日ドリームフェスティバル2019」へ、予定通り出演する意気込みを見せている。ライブを心待ちにしているファンからは、応援のメッセージが寄せられた。《手術大成功のご報告いただき安心しましたドリフェス楽しみにしております》《よかったです第一声、どきどきですね。 ドリフェス、楽しみにしてますくれぐれも無理なさらず 気持ちよく歌えるようになりますよう 祈ってます!!》《手術の成功安心しました!ドリフェスに間に合わせるなんて大丈夫?って思いましたが、やる気満々で頼もしいです楽しいフェスになるよう応援してます》
2019年10月03日長男は生後3カ月ころから、陰嚢がペチャンコのことが多い気がしていました。受診しましたが、この時期は問題ないとのこと。その後、10カ月健診のときに専門医から「移動性精巣」と診断されました。治療するなら全身麻酔の手術が必要ですが、必ず手術を要する疾患ではないとのこと。長男に手術は必要かどうか悩みましたが、手術を決断してから手術後までの様子をご紹介します。 移動性精巣の診断から手術を決意長男は生後10カ月で専門医にて「移動性精巣」と診断後されましたが、経過観察のための通院のみでした。医師によると、成長とともに改善することも多く、無治療で経過観察だけの場合もあるとのこと。しかし長男の場合は、精巣が陰嚢より上に上がっている時間が長かったので手術が必要でした。精巣が上がっている時間が長いほど停留精巣と同じ状態になり、将来の癌や不妊のリスクが上がるそうです。全身麻酔のリスクもあるので、1歳半まで待って手術となりました。 手術前日から当日朝の様子2泊3日の予定で、手術前日の午後に入院しました。前日まで保育園に行き、いつも通りの生活でしたが、風邪をひくと手術は延期になるので体調には非常に気をつかいました。親の付き添いは自由でしたが、心配だったので私も付き添い入院することに。病棟という慣れない場所で私が離れると泣いていましたが、機嫌が悪くなることはなく寝かし付けて就寝。食事は手術前日の夕飯を食べて、当日朝から絶食となりました。 1時間半で無事に手術終了朝から眠くなる薬でトロンとしている長男。ベッドに横になったまま手術室へ移動し、入口のところで長男を見送りました。約1時間で手術は終了し、医師から説明がありました。精巣を上から支える筋肉の引き上げる力が強くて精巣が上に上がってしまうため、支える筋肉をそいで減らす手術をしたそうです。 その後、すぐに眠ったままの長男が出てきて、30分ほどで目を覚ましました。午前10時に手術は終わり、夕食から普通に食べることができました。 退院翌日に保育園に復帰!手術翌日に退院し、さらにその翌日には保育園に復帰できました。傷跡は接着剤のようなもので固めてあり、1週間後の通院日まで清潔を心掛ける程度のケアで済みました。そして1年経過観察に通い、問題なく終了。本人はまだ理解していませんが、精巣も陰嚢内におりてきている時間が長くなりました。ちなみに多少の行き来は健康な人でもあるそうです。私はホッとしてうれしくて、おむつ替えのたびに陰嚢を触りニヤニヤしていました。傷跡は陰嚢を裏返すと多少切開の痕がわかりますが、しわでうまくごまかせています。 「移動性精巣」は、停留精巣に比べて情報も少ないので当初は不安になりました。経過観察も手術も心配でしたが、2泊3日で退院できましたし、その後心配がなくなったのでよかったと思っています。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:佐々木めい7歳、5歳、2歳の3児の母。実家は遠方で夫は単身赴任中。看護師と養護教諭の資格を持ち、元小児科ナース。育児と仕事の両立を図っている。自身の体験談などを中心に執筆しています。
2019年09月16日左胸に早期の乳がんが見つかった美智子さまは、9月8日、東京大学医学部附属病院で、がんの摘出手術を受けられた。手術は乳房を残す温存手術(部分切除)で行われ、がん組織だけを摘出。術後には必要に応じて放射線治療を受けられ、順調なら2〜3カ月で軽い運動ができるまで回復するという。美智子さまが84歳で手術を決断されたことは、高齢化が進む日本で、がん治療をどうすべきか、考えるいい機会でもあるーー。がんは加齢とともに増加する病気。平均寿命が延びたことで高齢者の患者数が増え、’14〜’15年にがんと診断された人では、75歳以上が約4割を占めている。福岡大学医学部総合医学研究センター教授で「高齢者のがんを考える会」の発起人でもある田村和夫先生はこう語る。「がんの治療には、3大治療である、手術、抗がん剤療法、放射線治療があります。それぞれに副作用や合併症などのマイナス面を伴い、それが高齢者には高いハードルになるのです。特に体の負担が大きいのが手術。がんを切除できても、ダメージから、体力や免疫力の低下による肺炎で死亡するケースもあります。当然ながら、高齢者のがんの治療によって、その人の本来の寿命を短くしてしまうことは避けなければいけません。さらに副作用で寝たきりになったり認知症になったりしないよう生活の質(QOL)を維持することも重要なのです」東京大学医学部附属病院放射線治療部門長の中川恵一先生はこう語る。「高齢者のがん治療は、体の負担の大きい手術よりも、放射線治療が中心になります。放射線治療では治らず、手術が必要なのは胃がんや大腸がん、子宮体がんなどです。早期の胃がんや大腸がんは、身体的なダメージの少ない内視鏡・腹腔鏡などで腫瘍の切除ができるため、高齢者でも耐えることができます。しかし、進行したがんで胃や大腸の全摘となると体の負担が増え、術後に体重減少や筋力低下を招き寿命を縮めてしまうことがあるので慎重な判断が必要です。子宮体がんの全摘手術も、体へのダメージが大きいので、80歳を超えて健康状態の悪い方は、慎重に考える必要があります」がんは部位ごとに違う病気といっても過言ではない。さらに進行スピードも異なる。進行が速い、肺がんは注意が必要だ。「肺がんの根治を目指し、肺葉切除をすると、呼吸機能が大きく損なわれます。高齢者で早期の肺がんなら放射線のピンポイント照射、進行した肺がんなら抗がん剤と放射線の併用が、比較的体の負担も少なくメリットが大きいのです」(中川先生)逆に、高齢であっても手術という選択が適切な場合も。「乳がんの手術は、おなかを切るわけではないので、体への負担が少ない。そのため高齢者であっても、健康状態がよければ、手術をしたほうが完治や再発を防げるなどメリットが大きい」(中川先生)美智子さまのご決断は、医師との話し合いのうえ、最善の方法を選んだことがうかがえる。最後に田村先生が語る。「高齢者のなかには、すごく元気な人もいれば脆弱な人もいます。同年齢でも個人差がとても大きい。さらに、若い人のがん治療は、根治や長期延命が目的ですが、高齢者の場合には“残された人生をどう過ごすか”ということが重要な要素になってくるのです」
2019年09月16日美智子さまは9月8日、東京大学附属病院で乳がんの摘出手術を受けられた。宮内庁によれば、手術は無事に終わり、経過は順調だという。美智子さまにとって初めてのがん手術。不安もおありだったのではないかと思うのだが、8月下旬の軽井沢・草津ご静養の際、美智子さまに悲愴な雰囲気はほとんどなかったという。「幸いなことに、美智子さまの乳がんは“奇跡的な早期発見”だったのです。本当に極小のがんで、ベテラン医師でも見逃してしまうようなものだったようです」(宮内庁関係者)美智子さまは、15年以上前から乳がんの検診を受けられている。本誌も’03年5月、美智子さまが都内の癌研究会附属病院(現・がん研究会有明病院)で精密検査を受けられたことを報じている。「そのころから検査を担当してきた女性医師の高橋かおるさんに、美智子さまは絶大な信頼を寄せられています。彼女は’06年の1月に地元・静岡県の県立静岡がんセンターに移りましたが、その後も毎年、美智子さまの検診を担当してきました。そのことが、今回の奇跡的な早期発見につながったのです」(前出・宮内庁関係者)今年7月、高橋さんは乳腺超音波検査で美智子さまの左胸に病変を発見、MRI検査でも乳がんの疑いと診断した。その後、いくつかの検査を経て乳がんの告知を受けた美智子さまは「よくぞ見つけてくれました」と高橋さんへの感謝を述べられたという。医療関係者が明かす。「実は、彼女は“スーパー女医”ともいうべき名医なのです。患者さんと丁寧にやりとりし、なおかつはっきりものを言う医師。術例数も非常に多いので、手術の腕も間違いありません。20年ほど前から“乳がんといえば髙橋かおる医師”と言われるほど評価が高かったのです」高橋さんは以前から、日本の乳がん検診受診率の低さに警鐘を鳴らしてきた。’05年度の時点で欧米諸国では6~8割だった受診率が、日本ではたった17.6%だった。そうした状況に危機感を覚えた彼女はいち早くマンモグラフィーを導入して、触診でわからない「非蝕知がん」の発見にも尽力してきた。触診で判別できる大きさになる前に発見すれば、より治癒の可能性が高くなるからだ。「高橋さんは“忙しくても笑顔を忘れない”、そして“自分自身が受けたいと思える医療を行う”をモットーとしていて、女性患者の信頼がとても厚いのです」(前出・医療関係者)8日の手術は高橋かおる医師と東大病院乳腺・内分泌外科の合同チームにより行われた。がんの大きさは1センチ弱で、乳房温存手術によりその周辺5センチ弱を摘出。手術は4時間ほどで終了した。美智子さまは、経過が順調ならば術後数日で退院される見通しだという。
2019年09月10日私は長子を出産する際に緊急帝王切開だったのですが、次子は予定帝王切開だったので手術前におこなうことがいくつかありました。産院によって異なるのかもしれませんが、手術前はどんな様子だったのか、私の体験をご紹介します。 出産予定日はこう決まった手術予定日は出産予定日の約2週間前に設定され、妊娠38週3日で出産しました。私が通っていた産院では希望日を受け付けておらず、予定帝王切開手術をおこなう曜日が決まっていたようで、妊娠38週周辺で1番近いその曜日の日に決まりました。 出産する日があらかじめ決まっているのは、なんだか不思議なような変な気持ちでした。赤ちゃんの準備ができないうちに、無理に出してしまうようでちょっとかわいそうな気も。しかし、「仕事の休みがとれる。出産に立ち会える!」と、パパはうれしそうでした。 前日から入院幸いにして妊娠中にトラブルはなく、赤ちゃんは順調に育ってくれました。もし何かあったり、手術予定日前に陣痛が起こったりしたら、緊急帝王切開になると言われていました。 予定日の前日から入院し、夜の9時以降は水も飲んではいけない、ということでした。点滴をして、院内は空調が効いているので「喉が渇いて仕方がない」ということはありませんでしたが、結構つらかったです。予定された手術は人生で初めてだったので、こんなことまでするのかと驚きました。 手術直前にすること手術直前に浣腸をして腸内をできるだけ空にしました。浣腸は必須ではなく、「しておきますか? どうしますか?」という軽い提案でした。出産時の排泄物が気になるのであればしてもいいし、出ちゃってもきれいにするから大丈夫ですよ、と助産師さん。私は一応浣腸をしたのですが、便意を我慢できずにすぐ便と一緒にその薬を出してしまったので、あまり意味がなかったかもしれません。 点滴をつけたままで、手術台に上がりました。手術中ずっと顔の近くに助産師さんが立っていて、ときどき顔を覗いて「大丈夫ですか、気持ち悪くないですか」と声を掛けてくれたのが心強かったです。手術中、特に異常なく、無事に出産することができました。 長子のときは緊急帝王切開だったので無我夢中でしたが、予定された帝王切開の場合はいろいろと事前にすることがあり、初めてのことばかりだったので不安も募りました。手術前にどのようなことをするのか知ることで、不安が少しでも軽減できるのではないかと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて出産予定の産院や病院、医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2019年08月13日私の子どもは、先天異常の口唇口蓋裂を持って生まれてきました。1回目の手術は生後5カ月目のとき。口唇口蓋裂治療の第2関門である、口蓋裂の手術は、1歳2カ月のときに受けました。今回は、口蓋裂の症状や2回目の手術の体験談をお伝えしたいと思います。口唇口蓋裂ってどんな様子?私の娘の場合、くちびるの裂に加えて口腔内の上あご部分にも裂があり、1cmほどの隙間がありました。口の中と鼻がつながってしまっているため、食べた物が鼻から出てくることが多く、発声も鼻がかった状態。 そのため、1回目の手術前から引き続き、上あごの隙間を塞ぐ器具である「ホッツ床」を装着し、そのおかげでミルクを飲むことや離乳食を食べることには困りませんでした。また、ほかの親御さんも言っていたのですが、舌が長くとても器用です。 入院前に「抑制筒」を準備2回目の手術は、体重が10kgになるころが目安で、娘は1歳2カ月のときに受けました。1回目の手術時と同様、あらかじめ市役所に申請して入院手術代は無料。定期受診や術前検査もすこやか医療費で無料でした。 2回目の手術の際は、術後に顔を触らないようにするための「抑制筒」という筒を準備する必要がありました。抑制筒を腕につけると、肘を曲げられないため、術後の顔に触る恐れを防ぐことができます。 私は病院で頂いたリーフレットを参考に、ポテトスナックの筒状の箱で抑制筒を作成しました。ちなみに抑制筒は、その手術時1回きりの利用なので簡単なものでした。 口唇口蓋裂の2回目の手術も無事に終了1歳となると、1回目のときより物事がよくわかっていたので、入院を少し怖がっていました。けれども手術前に眠くなるお薬を飲んだため、手術室へは泣くことなく向かうことができ、1回目より長めの3時間弱ほどで手術は無事に終了しました。 口内の手術のため、外観は変わらず、痛みもなさそうな様子で、抑制筒を腕につけてキッズコーナーでよく遊び、よく食べました。そして食後は、注射器で水鉄砲のように手術した場所を洗い流す必要がありました。 親として2回目の手術は、初めての手術よりも気持ち的には落ち着いて望むことができました。2回目の手術までは毎日「ホッツ床」の付け外しなども大変でしたが、裂もふさがり安心しました。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月18日私の子どもは、先天異常の口唇口蓋裂を持って生まれてきました。口唇口蓋裂は、治療として数回手術を受ける必要があります。口唇口蓋裂の治療の第一関門である、口唇を閉じる手術をわが子は生後5カ月目のときに受けました。小さかったのでとても心配だったことをよく覚えています。今回は、その当時の様子などについてお伝えしたいと思います。 口唇口蓋裂の1回目の手術を受ける前わが子は、体重6kgを目安に1回目の手術をおこなうことが決まっていました。日程が決まったら、先生に意見書を書いてもらって市役所に申請をおこなうことで、私が住んでいる市では手術費等は無料になりました。 術前には検査日が設けられていて、先生の診察を受けたり、看護師さんから入院について説明を受けたりと、落ち着かない日々。入院は手術の前日からで、その病院は付き添い不可だったため、わが子を看護師さんに任せて自宅に戻りました。 口唇口蓋裂の1回目の手術、無事に終了手術当日の朝は、本当にドキドキしました。けれども親の心配とは裏腹に、まだ小さいわが子は目新しい場所に興味津々です。やさしい看護師さんに連れられ、泣くことなく手術室の入口で別れました。 上の子を遊ばせながら待つこと約2時間。看護師さんに呼ばれていくと、目を覚ましたばかりのわが子。口にはガーゼなどが貼られていて痛々しい様子でしたが、目を覚ましていたため、ひとまずホッとしました。 口唇口蓋裂の手術後の様子 手術後、麻酔の影響か、娘はしばらくボーっとしていましたが、痛そうな感じではなく安心しました。顔を触らないよう腕が固定されましたが翌日には外され、鼻腔形成のため、鼻にレティナを装着しました。 入院中、夜は親と離れましたが夜泣きなどはなかったようです。日中は病棟内のキッズスペースで遊んだりすることができて、おだやかに過ごすことができした。ちなみに感染症予防のため、小学生以下のきょうだいは面会不可で、ガラス越しに会わせました。 今回は、口唇口蓋裂の1回目の手術についてお伝えしました。次回は、口蓋裂を閉じた2回目の手術についてお伝えします。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年04月26日ステージ4の舌がんを公表したタレントの堀ちえみ(52)のブログが22日に更新され、手術が無事に終わったことを夫が報告した。「手術終わりました」と題した投稿で、「本日22時に、耳鼻咽喉科・口腔外科・形成外科による、舌癌の手術が無事に終わりました事を、ご報告致します」と報告。「先ず頸部リンパ節を取る手術を行い、次に舌の6割を切除する手術を行いました。そして最後に太腿の組織を取り、舌の再建手術です。11時間にわたる大手術でした」と説明した。続けて、「手術後はICUに入り、今はゆっくり休んでいます」と伝え、今後について「ICUでは来週月曜日まで集中治療を、行うそうです」と報告。そして、「病院の皆様には、心より感謝申し上げます。また皆様からの心温まるコメント、励みになったと思います。ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。
2019年02月23日流産後の処置の話です。生理で体外に流れ出ることを待ったものの、胎嚢が残ってしまったため、そうは手術を受けることに。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。初めての「そうは手術」を経験「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて…次に目を覚ますと手術は終わっていました。初の、そうは(掻爬)手術。全身麻酔、日帰りです。家族の付き添いが必要ということで、オットに休みを取ってもらいました。いつもの不妊治療クリニックではなく、地元の産婦人科での手術となりました。朝9時に病院へ。子宮口をひろげるための処置をして、病室へ入院しました。血圧、熱を測り、点滴の針を入れました。途中、抗生剤などの液も入れるとのこと。 が、これが曲者でした。針は5cmくらい。それを全て血管に刺さなきゃいけないもよう。私はもともと血管の出にくい女。看護師Aさんは、初めから自信なさげ。「針が長いんですよね~」と言い訳(?)しながら、ぷすり。ぐりぐりと血管を探し、針を出し入れされます。痛い…。2回目も同じく、散々ぐりぐりしたあと、点滴を投入するも液漏れしてきて超痛い…。看護師Bさんにチェンジしました。おなじく失敗。右手に変えて4回目にチャレンジ。失敗。すでに不信感でいっぱいです(笑)。すると看護師Bさんは頭を使いました。洗面所にお湯をたくさんため、ここにしばらく手を浸けててくださいとのこと。温まって血行がよくなり血管が見えやすくなるという。なるほど。5度目の正直で無事成功! が、すぐに点滴につながなかったので血がタラタラタラと逆流してシーツを汚しました… 妊娠してかかるならこの病院かと思っていたけど、考え直そうと本気で思いました…。しばらく、テレビをみながら点滴を受けました。出産が控えているということで、予定より早めに手術台へ上がりました。足をくくられ、鼻に酸素チューブをさされ、口元に酸素マスクを当てられます。「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて、返事をしたところまでは覚えています。次に意識が戻ったときは「終わりましたからね~」と言われた時でした。 朦朧とした意識の中で、病室で待っているオットのことを思い出したら、涙が出てきました。涙はとまらず、やがて号泣に。自分で拭くこともできず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で病室に戻り、麻酔が覚めるまで横になっていました。経過は問題なく、夕方に退院できました。 術後は、たくさん泣きました。夜寝るときも涙があふれて止らず、オットがティッシュで何度も拭いてくれました。成長していないと分かった時点で、お腹にはもう赤ちゃん(の魂)はいないと思っていたので手術自体に抵抗はありませんでした。でも、それまでの「いろいろ」を思い出して泣きました。ごめん…ありがとう…ごめん…。泣きすぎて頭痛がひどく、痛み止めを飲みました。次は、1週間後に検査結果を聞きに手術をした産婦人科へ。そして1ヶ月後(もっと長い可能性もありとのこと)に生理がきたら不妊クリニックへ。そこで子宮鏡をして取り残しがないか、状態が正常に戻っているかなどをチェックし、さらに次の生理から2度目の移植の準備に入ります。不妊治療の長いトンネルはまだ終わりが見えませんでした。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月22日先週、シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーが肺動脈弁の置換手術を受けた。先天性の心疾患により、1997年に肺動脈弁の置換手術を受けてから20年以上が経過。新たに弁置換が必要な時期はとっくに過ぎているということから、再手術に踏み切ったという。スポークスマンのダニエル・ケッチェル氏は、ツイッターでシュワルツェネッガーの無事と術後の経過が良好であることを報告。医療チームの献身的なサポートに感謝した。また、シュワルツェネッガーの目覚めの第一声が『ターミネーター』シリーズの決め台詞「アイムバック」(戻ったよ)であったことも明かした。非常にご機嫌だったもよう。2度目の開胸手術となったシュワルツェネッガーだが、以前、手術における痛みについて「People」誌にこのように語ったことがある。「心臓の手術よりも肋骨を骨折することの方が断然苦痛だった。比べようがないほどにね」、「肋骨の骨折は、もう本当に最悪だった!」シュワルツェネッガーは2001年にバイク事故で肋骨を6本骨折するという大怪我を負った。2006年には2度目のバイク事故で唇を15針縫うはめに。スキーで大腿骨を骨折して手術したことも…。数々の怪我を乗り越えてきたシュワルツェネッガーには開胸手術もノーダメージのようだ。(Hiromi Kaku)
2018年04月02日昨年5月にタイで性適合手術を受けたいたことを告白したタレントのGENKING(年齢非公表)が29日夜、自身のインスタグラムで手術前夜に撮影したという動画を公開した。手術を控え「でもね、今ね、すごく怖い」と涙する動画は、87万回以上再生され大きな反響を呼んでいる。 同日の午前にフジテレビ系『ノンストップ!』で手術を公表し、戸籍上も女性になったことを告白。また、本名も「元輝(げんき)」から「沙奈(さな)」になったと報告した。 放送を終えたGENKINGは「嫌なコメントが1つも無くて、みんなの優しさが暖かく沁みました。本当にありがとうございます」とインスタグラムを更新。「みんなに伝えたかったのでこの動画をUPします」と手術前夜の動画を公開した。 動画では「ずっと悩んでいた性転換手術を明日ついにタイで受けることになりました」と語りだし、「本来生まれるべきだった姿に戻ろうと思います」と報告。男性に生まれてつらかったと心境を告白するいっぽうで、「でもね、今ね、すごく怖い」と手術の恐怖に涙する姿を包み隠さずに公開した。 最後は「けど、頑張って明日乗り越えて、また変わったGENKINGを見せて、みんなの生きる目標になれるようにがんばりまーす」とGENKINGらしく明るく手を振る姿で動画は終了した。 GENKINGは、この動画に添えたコメントで「元輝の漢字の通り、人生の輝く元をくれて、色んな人生経験をありがとう!!元輝が悩み、満たされなかった人生を、あたしが満たすからね」と過去の自分に誓った。 この投稿にファンからは「泣けた。ずっと応援する!」「手術おつかれさまでした!」「めちゃ泣けました。生き方がほんとにかっこいい」と応援するコメントが多数寄せられている。
2018年01月30日タレントのGENKINGが29日、自身のブログを更新し、性別適合手術を受けたことをファンに報告した。GENKINGこの日放送されたフジテレビ系『ノンストップ!』で、昨年5月に性別適合手術を受けたことを告白したGENKING。ブログでは改めて「私GENKINGは、去年本来産まれるべき女の子に生まれ変わり、名前も元輝(げんき)から沙奈(さな)になりました。しばらく芸能活動をお休みしてた理由はそのためです」と伝えた。芸能界デビューした当初はカミングアウトする予定は全くなく、自分でも整理がつかないままテレビ出演し、約2年間仕事をしたという。「幼い頃からの偏見や言葉のイジメを思い出す暮らしの中で、自分を守る為に“ユニセックス系”と偽る事が、唯一自分を守る方法だった」とし、「そんな辛かった記憶も、幼い頃からの夢であった芸能界に入ることができ、人気が出たら全てが報われ、幸せになれると思っていた」と当時の思いをつづった。だが、“性別”の悩みは消えることはなく、強くなる一方だったとのこと。「イジメや偏見が怖くて、自分を“ユニセックス系”と偽ることで、余計に本来の自分と芸能人GENKINGとの差が広がっていきました」と明かし、「プライベートでは『ワタシ』と言っていたし、スカートやワンピースも着ていたけど、テレビに出る時はユニセックス系の服装や『ボク』と言ってみたり... とにかく今振り返って思う事は、全てにおいて無理をしていたなと」と振り返った。さらに、「当時の私は長生きなんか望んでいなく、いや望んでいないというより、こんなに辛いならむしろ生きてくのが怖いって感じかな」「それくらい私は辛かった。とにかく満たされない日々が生きるほどに苦しくなりました。平気なフリをしてる毎日が限界だった」などと打ち明け、「それまでお世話になった事務所を辞める決意をし、本来産まれるべき姿に戻る為にタイへ行きました」と性別適合手術を決意した経緯を説明。「そして、私は生まれ変わった。感想は、“自分で自分を生んだ”っていう感覚」とつづった。手術を終え、「不思議なんだけど、目が覚めてから“元輝”の人生は自分の人生とは思えないというか、もう新しい人生が始まっていて、双子というか、前世の記憶をもったまま生きているっていうか…幼い頃からの悩みや、苦しんできた事は何だったんだろうっていうくらいに、悩みは小さくなり生きやすくなりました」と心境も変化。「今は、“沙奈”としての新しい人生を歩んでいます。仕事、プライベート、恋愛。“女”として全て0からのスタートです」と宣言した。「男性→ユニセックス→女性と3度の人生を経験したからこそ、性や恋愛に関して私と同じ悩みを持った人たちが、少しでも前向きになれるキッカケになりたい」と思いを伝え、「これから、“沙奈”(芸名:GENKING)として頑張っていくので、見守って頂けたら嬉しいです」と呼びかけた。
2018年01月29日太ったり痩せたりを繰り返しているマライア・キャリーがまたダイエットに成功したようだ。今回はついに外科的な減量手術に踏み切ったのだとか。日本でもその太りっぷりが報道された今年7月の終わり、その体重は100キロとも120キロとも言われていたマライア。あれから約3か月後の先週水曜日(現地時間)、ハリウッドのチャイニーズシアターで手形と足形を刻むセレモニーに出席したマライアのボディはずいぶんとほっそり。「Page Six」によると、マライアは6週間前に減量手術を受け、胃を小さくしたことで食事の量がかなり減ったとのこと。関係者は、「マライアは体重の増減にいつも悩んでいた」と語っており、「自分のサイズを見るのがイヤで、いつもサイズのタグを服から切り取ってしまっていた」という。手術により、全盛期の頃ほどとは言えずともかなりスリムダウンしたマライアは、「いまの私はイイ感じ」と気分もよく、「これが新しい私のはじまりだわ!」と意気込んでいるそうだ。減量の成功が影響したのかどうかはわからないが、土曜日、3年ほどマライアのマネージメントを担当していたステラ・ブロチニコフの辞任が明らかになった。後任は現在マライアが交際しているブライアン・タナカ。この選択がキャリアに吉と出るか凶と出るか…。新しいマライアのこれからが楽しみだ。(Hiromi Kaku)
2017年11月08日