実業家のひろゆきこと西村博之氏の妻である西村ゆかさんが、9日放送の日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!3時間SP』に出演し、ひろゆきの意外な私生活を暴露した。ゆかさんは「(ひろゆきが)自分で掃除とかを絶対にしないで、汚すだけ汚して『空気が悪い』って私に怒ってくる」と不満を吐露。「(ひろゆきは)ティッシュもゴミ箱に捨てられない」そうで、YoouTubeをしている際に「しゃべりながら鼻をかんだティッシュが床にいっぱい散らかっていて、終わった後に私が全部片付けてる」と明かした。ゆかさんがなぜ捨てないのか問うと、ひろゆきは「また使うかもしれない」と驚きの回答をしたといい、明石家さんまら共演者からは悲鳴が上がった。また、ゆかさんは「彼は物を置きたくないって言ってるけど、言ってることと行動が別」と指摘。居間には威圧感のある物がたくさんあると言い「マリオカートみたいな、ゲームセンターにあるような(大きな機械を)買っちゃったんです。でも自分のYouTubeでミニマリストっぽい発言をしててすごい怖いなと思った」と、意外な姿を次々と暴露した。そのことをひろゆきに指摘しても論破せず自室に逃げてしまうそうで、「一人になった空間で『いっぱい物とか置くやつとかバカだと思うんですよね』とか言ってるんですよ」と明かし、スタジオは爆笑に包まれた。
2024年04月10日金谷みひろ、神川さあや、佐野実咲、榎本凛が、発売中のマンガ誌『週刊ヤングマガジン』(講談社)第12号のグラビアに登場している。金谷は2003年2月10日生まれ、三重県出身のインフルエンサー。神川は1999年9月23日生まれ、茨城県出身でミス茨城2023グランプリを獲得している。佐野は2005年3月25日生まれ、東京都出身で現在バズり中。榎本は1998年12月29日生まれ、京都府出身で約10頭身のスタイルを活かしモデルとしても活躍中。4人は同誌期待のフレッシュ美女としてグラビアに登場。金谷のTikTok風カット、神川のサウナカット、佐野の初水着、榎本のバレーカットなど『ヤンマガWeb』にも掲載されるという。
2024年03月09日2023年、「バブみピンク」というワードがトレンドとなり、バブみピンクカラーのコスメがたくさん発売されました。淡くかわいらしいカラーなのですが、大人にはちょっと使いづらいと思っているかたも多いのではないでしょうか。そこで、コスメマニアが大人でも使いやすい「バブみピンクコスメ」を紹介。使いかたもあわせて解説いたします!「バブみピンク」って?2023年から多く見かける「バブみピンク」というワード。赤ちゃんのようにふわふわとした、淡くやわらかいピンクカラーのことを指します。“バブみ”という言葉から、大人には使いづらいというイメージを持っているかたが多いのですが、まったくそんなことはありません!アイテム選びと使いかたを間違えなければ、大人メイクに取り入れてもすごくかわいいカラーなんです。そこで今回は、筆者おすすめのバブみピンクカラーコスメと、その使いかたを解説。春っぽいメイクにもぴったりなので、ぜひマスターしてみてくださいね。8色アイパレットで色合いを自在に調整©比嘉桃子バブみピンクのアイシャドウには、かわいらしくなりすぎたり、腫れぼったく見えたりと、使い勝手が悪い印象を持っている人も。そんなかたにおすすめなのがキャンメイクから発売している「プティパレットアイズ」の「03ミニョンヌリボン」というカラー。ピュアで旬なピンクメイクにぴったりのカラーが8色詰まっています。©比嘉桃子パレットで見ると似たようなカラーに見えるのですが、使ってみるとそれぞれに個性があるため、このパレットひとつでさまざまなニュアンスのメイクが可能。使いかたを工夫することで、自分らしいバブみピンクを作り上げることができます。筆者は上段左から2番目のカラーと、下段左から3番目のカラーを使うのがお気に入り。かわいらしいピンクに、ちょっとくすんだピンクを重ねることで大人な雰囲気を出すことができます。ラメカラーを使うと甘い印象になるので、落ち着かせたい時はマットカラーのみで仕上げるのがおすすめ。パーティーなど華やかな場ではラメを追加してみるなど、シーンによって使い分けてみてください。<商品情報>キャンメイク プティパレットアイズカラー:03 ミニョンヌリボン価格:¥1,078青みピンクのチークで透明感をプラス©比嘉桃子チークには血色感をプラスする役割があるのですが、つけすぎると時代遅れな印象を与えてしまうことも。とはいえ量が少ないと、せっかくかわいらしいカラーのチークをつけていても目立たなくなってしまいます。そこでおすすめなのが、KiSS「クリアルディ ブラッシュ」の「01 アイシーオーロラ」というカラー。透明感のある青みピンクカラーで、しっかりつけても今っぽい印象に仕上がります。©比嘉桃子写真は分かりやすいようにしっかりめに塗布したのですが、それでもふんわりかわいらしい発色。儚げな印象を与えられる、バブみピンクメイクにぴったりのカラーです。最初はブラシで頬全体にふんわりとのせ、頬の高い位置は指でちょんちょんとつけるのがおすすめ。ハイライトのような輝きを兼ね備えており、グラデーションをつけることでツヤ感と立体感も手に入ります。肌のくすみが気になるかたにもおすすめのカラー。ドラッグストアでも展開されているため、ぜひ気軽に手に取ってみてください。<商品情報>KiSS クリアルディ ブラッシュカラー:01 アイシーオーロラ価格:¥1,650マットなリップで落ち着いた印象に©比嘉桃子バブみピンクカラーのリップはとてもかわいらしいのですが、ちゅるんとした質感のものは甘くなりすぎることも。より落ち着いた印象で取り入れたいかたには、マットタイプのリップがおすすめです。Too Cool For School「アートクラス フィックシングブラーリップ」の「06 ピータルピンク」は、マットで落ち着いた印象のバブみピンクカラー。大人な印象のまま、流行ピンクを取り入れることができます。©比嘉桃子甘めの粘膜色でありながら、マットな質感で品のよさも感じられるカラー。一度塗りでヌーディーに、重ね塗りでより大人かわいい印象に仕上がります。バブみピンクカラーのリップは、オーバーリップで使うのが大人っぽく見えるポイント。まずは唇の輪郭を少しオーバー気味になぞり、仕上げに中央まで塗りつぶします。印象を変えたい時は、他のカラーとグラデーションで使うのもおすすめ。中央に少し濃いめのカラーをプラスし、指でポンポンとぼかせばぷっくりと立体感のあるリップメイクが楽しめます。<商品情報>Too Cool For School アートクラス フィックシングブラーリップカラー:06 ピータルピンク価格:¥1,400プチプラでトレンドカラーをゲット!©比嘉桃子今回ご紹介したバブみピンクカラーのコスメは、どれも1,000円台で購入できるプチプラコスメ。今までピンクカラーにあまり挑戦してこなかったかたでも気軽に挑戦できるのではないでしょうか。淡く優しい色合いのコスメは、春になるにつれてより盛り上がりを見せるはず。ぜひ今のうちから取り入れてみてくださいね。筆者情報比嘉桃子1992年生まれのフリーライター。化粧品検定1級を保有しており、美容ジャンルを中心に執筆中。いち消費者としてもコスメやスキンケアを愛する美容オタク。文、写真・比嘉桃子
2024年02月15日タレントの薬丸裕英が24日に自身のアメブロを更新。お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきからの頂き物を公開した。この日、薬丸は「頂き物」というタイトルでブログを更新。「本日の楽屋飯」と切り出し「納豆とろろうどん」と堪能した料理の写真を公開した。続けて「今日の仕事で一緒だったキャイ~ン天野くんからのお土産」と天野から貰った土産の写真を公開。「ウドちゃんの実家のお餅」と天野の相方・ウド鈴木の実家の品であることを明かし「ありがとう!」と感謝をつづった。
2024年01月25日正月の元日から3日までの『三が日』は、新しい年がよい1年になることを祈り、多くの人が初詣に行きます。初詣で参拝した後は、おみくじを引くのもまた、楽しみの1つ。おみくじは、その年の運勢が書いてあるので、開ける時にはドキドキしますよね。2024年1月3日、お笑いコンビ『ジャルジャル』の後藤淳平さんが、Instagramを更新。初詣で引いた、おみくじに書かれている内容が話題を集めています。※写真は複数枚あります。左右にスライドしてご覧ください。 この投稿をInstagramで見る ジャルジャル 後藤 淳平 ごとうじゅんぺい(@jarujaru_jjg)がシェアした投稿 見事に大吉を引き当てた後藤さん。おみくじには、「災自ずから去り福徳集まり…」と記されており、相方である福徳秀介さんの苗字と被っていたのです!『福徳』とは、「財産や幸せに恵まれる」という意味があり、縁起のいい言葉です。しかし、後藤さんは「福徳は一人でじゅうぶんです」とツッコミを入れていました。後藤さんのおみくじに、ファンからは、このような反響が寄せられていました。・本当に縁起のよすぎる苗字ですよね。・福徳さんが集まることを想像したら笑ってしまった。・今年も『福徳』をたくさん集めて人々を笑かしてください!・私も大吉でした!『福徳』を集められるといいですね。後藤さんの『福徳』被りに対する見事なツッコミは、新年早々に笑いを届けてくれました。相方の名前が書いてある、おみくじからは、2人の運命を感じさせますね![文・構成/grape編集部]
2024年01月05日引いたおみくじは、どうすればいいの?引いたおみくじを神社で結ぶか、それとも大切に持って帰るか、迷ってしまう方もいるのではないでしょうか。よく「大吉は“福を持って帰る”ため結ばない、凶や大凶は逆に“家に災いを持ちこまない”方がいいから結ぶ」などと聞きますが、はたして正解はあるのでしょうか?実はおみくじをどうするのかについて、決まったルールはありません。結んでもよし、持って帰ってもよし、引いた人の自由なのです。なぜおみくじを結ぶの?そもそも、なぜおみくじを神社で結ぶのか、その意味合いが気になる方もいるでしょう。おみくじを結ぶのは、「神社と縁を結ぶ」という意味合いがあります。ひいては、神様との縁を結び、「物事を良い方向に導いていただけるように」との願いが込められています。結ぶ場合は、神社で指定された場所で結びましょう。また、せっかく引いたおみくじなので、運勢の結果だけ見ておしまいにするのではなく、どんなことが書かれているのか一度は熟読してから結ぶと良いですよ。持ち帰ったらどこに置いておけばいい?引いたおみくじを持ち帰る場合は、手帳に挟むなどして大切に保管するか、すぐ目につく場所に貼っておくことをおすすめします。おみくじには吉凶の結果だけでなく、今後の指針や戒めとなることが書かれているので、何度も読み返してみてはいかがでしょうか。となると、持ち帰ったおみくじはいつまで保管するものなのか、ということも気になってきますよね。持ち帰った場合は、1年ほど経過した後お焚き上げをしてもらう、もしくは、おみくじを引いた神社で結ぶと良いでしょう。(マイナビ子育て編集部)※画像はイメージです
2024年01月03日おみくじの順番には2種類の解釈がある結論から言うと、実はおみくじのラッキー順は地域によって異なることもあり、複数のパターンが存在します。つまり……実は正解はないということなんです!スタンダードなおみくじには「大吉から大凶まで」7種類の結果がありますが、順番には2通りのパターンが存在します。パターン1【吉の方が中吉より上】縁起の良い順から、大吉>吉>中吉>小吉>末吉>凶>大凶となります。「吉」が2番目で、「中吉」よりも上に来ています。「小吉」は4番目、「末吉」は5番目です。パターン2【吉がなんと小吉の下!?】縁起の良い順から、大吉>中吉>小吉>吉>末吉>凶>大凶となります。なんと、パターン1では2番目だった「吉」が、パターン2では4番目までランクを落としてしまっているではありませんか!「小吉」は3番目で、「吉」よりも上に来ています。「末吉」が5番目、「凶」が6番目、「大凶が」最下位の7番目であることは、パターン1と共通しています。「浅草寺」のユニークな序列また、東京・浅草寺のおみくじは、ラッキーな順に、大吉>吉>半吉>小吉>末小吉>末吉>凶となっています。同じ7種類ですが、「中吉」「大凶」はなく、代わりに「半吉」「末小吉」があります。おみくじを引いた時の心構え新年早々に引くおみくじは、この先の一年を丸ごと占っているようにも感じてしまい、結果に一喜一憂することもあるでしょう。しかし、おみくじで大切なのは、吉凶の結果以上に「どんなことが書かれているか」ということ。結果のみにとらわれてしまうのは、実はナンセンスです。どんな結果のおみくじにも、今後の生活指標となり得るアドバイスや戒めが色々と書かれているので、ぜひじっくりと読んでみてはいかがですか?まとめ今回はおみくじの縁起の良い順番について解説しました。実は色々なパターンがあるとは驚きですね!2024年の初詣でおみくじを引く予定のある方は、ぜひ参考にしてみてくださいね。(マイナビ子育て編集部)※画像はイメージです<関連リンク>→【2023年度版】厄年は何歳? 前厄・本厄・後厄の年齢と数え方は? 厄払いのタイミング、封筒の書き方や相場も解説→初夢でタバコは縁起がいい!? 「一富士二鷹三茄子」には続きがあった! 由来と意味を解説→お年玉で1万円はあげすぎ!? お年玉の金額の相場、知ってる?
2024年01月02日神奈川・相模原のアウトドア複合リゾート「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」では、光り輝くイルミネーションの中、音楽ライブや花火とともに新年を迎える「さがみ湖イルミリオン カウントダウンパーティー」を、2023年12月31日(日)20:00から2024年1月1日(月)0:05までの期間で開催する。「さがみ湖イルミリオン」カウントダウンパーティー「さがみ湖イルミリオン」は、関東三大イルミネーションに認定されるイルミネーションイベントだ。2023年を締めくくる今回は、年越しのカウントダウンイベントを開催。約600万球のイルミネーションが広がる園内では、2023年のヒットソングメドレーを届ける「DJ タイム」で、音楽とともに1年の出来事を振り返る。また、アイドルグループが登場する音楽ライブや、豪華賞品があたる「大抽選会」の開催も見どころだ。盛り上がりが最高潮となった0時ちょうどには、色鮮やかな花火が華やかに吹き上がる。DJや音楽ライブ、さらに煌めくイルミネーションと花火で、新年の訪れを盛大に祝う年越しイベントとなっている。【詳細】さがみ湖イルミリオン カウントダウンパーティー 2023-2024開催日:2023年12月31日(日)~2024年1月1日(月・祝)開催時間:20:00~24:05 (予定)場所 :さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト 園内特設ステージ住所:神奈川県相模原市緑区若柳1634観覧料:無料※別途、「さがみ湖イルミリオン」入園料がかかる※大抽選会の参加は別途料金がかかる、詳細はWEB サイトを確認料金:・入園料大人 2,000 円、小人 シニア 1,300円、愛犬 1,300 円・イルミパス 大人 2,900 円、小人 シニア 2,300 円・フリーパス 大人 4,500 円、小人 シニア 3,700 円※小人は3歳~小学生以下、シニアは60歳以上※料金は時期により異なる【問い合わせ先】さがみ湖リゾート プレジャーフォレストTEL:0570-037-353
2023年12月16日ひろゆきこと西村博之氏(46)が、ビジネス動画メディア『ReHacQ−リハック−』のYouTubeチャンネルで11月25日に配信された動画『【ひろゆきvs立憲民主党】米山隆一が激怒!独裁か民主か【西田亮介の思い】』に出演し、前新潟県知事で立憲民主党衆議院議員の米山隆一氏(56)と舌戦を繰り広げた。同番組で米山氏は、地方の医師不足を解決するために、都道府県ごとの人口に応じて医師を配置することを提言。実現のためには健康保険組合を統合することが必要だと私見を述べた。これに対してひろゆきはすでに“健康保険組合の統合は実現している”と主張。これに政治家で医師・弁護士の米山氏が「国民(健康)保険という制度としては1つだけど、(国民健康保険の)組合は市町村ごとだからぜんぜん実現していないんです」と説明。すると、ひろゆき氏は「実態として市町村がやらざるを得ないじゃないですか。サービスはいっしょですよね?金額は一緒ですよね?国民(健康)保険って地域によって変わります?」と切り返した。しかし、米山氏は呆れながらこう語った。「地域によって保険料率違うよ。変わるよ。国民(健康)保険の地域によってできるサービスが違う。(金額も)変わる」米山氏の解説にひろゆきは瞬きが増え動揺している様子。たまらず、東京工業大学准教授・西田亮介氏が「健康保険と年金保険が混ざっているのかもしれないですね。年金保険はひろゆきさんがおっしゃる通り基本的にナショナルサービスなので変わらない」と、状況を整理し、動画上にも“国民健康保険料は市町村ごとに異なり、国民年金保険料は所得等に関係なく全国一律”と注釈が入った。初歩的な知識不足で、米山氏に“論破”されてしまった論破王・ひろゆきの姿が拡散すると、SNS上ではひろゆきに失望したという意見が多数みられた。《これ全部見たけど、ひろゆきって専門家の前だと知識全然無いこと露呈しますね。》《ひろゆき完敗》《これは面白い。残念ながらひろゆき完全敗北。》《ひろゆきが大人気ない醜態を晒していた》
2023年11月28日インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者で元管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏(46)が「レディースデーは差別である」との持論を展開し、賛否さまざまな意見が飛び交っている。ひろゆき氏は10月25日にX(旧Twitter)で《人種、 性別、肌の色、門地など、本人が変えられないことを理由に冷遇するのは差別です。レディースデーは、女性では無い性を冷遇する差別です。 女性だけ10%割高←差別 男性は10%割高。女性は10%割安←差別 日本では男性への冷遇は差別にならない謎文化》と私見を述べた。さらに、《女性の給与水準が、男性より低い事からの配慮に過ぎない》という読者のコメントを引用する形で、《差別を肯定する人「女性が差別をされてるから男性が差別をされるのは当然」裏を返すと「レディースデーで女性を優遇してるから、男性が給与で優遇されるのも当然」となります。「理由があれば差別していい」という考えだと差別は永遠になくなりません。誰に対してもどんな差別でも無くすべきです》と反論した。X上では《じゃあ、シニア割引も差別ですか?》《婚活で女性無料はどう思います?》などの疑問も上がった。それについてはそもそもこの投稿のきっかけとなった自身のYouTube動画によせられた「日本は男尊女卑の社会ですか?それとも女尊男卑の社会ですか?」という質問に回答するかたちで私見を述べている。ひろゆき氏によると「日本は“男尊女卑”と“女尊男卑”が入り混じった国」であり、「専業主婦という“職業”が許されてるんですよ。それは“女性は働かなくても許されるよね”っていう“女尊男卑”の考え方なんですよね」と、“専業主婦は働くことを免除された存在”であるから“女性が優遇されている社会である”との持論から始まり、女性以外への優遇措置については、「身体障害者の優遇とか、高齢者の優遇とかは、ある種、福祉の問題があるから、まあまあ許される」と私見を述べた。また婚活や出会い系関連の男女差については、「出会い系サイトとかで男性が圧倒的に多くて、女性が少ないから女性が安いとかは需要のバランスなので、それはそういうサービスですよ。だからいいんですよ。だから男性と女性が出会うという性別で役割が違うものなので、値段が違うのは当然」と、“合理的理由があれば差別ではない”との考えを示した。これらのひろゆき氏の意見に対しては、《それ昔から気づいてましたけど 大きな声で言えないです 言えるひろゆきさんがかっこいい》《男女平等というならこういう割引も必要ないよな》と賛同する声があがっている一方、“差別ではないのでは”と異論を唱える声も。《まあ、メンズデーも有れば良いなとは思ったことは有るけど、別にレディースデーを差別とは思わない》《店側が「女性に来てほしい」って思ってターゲット層に向けた宣伝をしてるだけ》《レディースデーは財布の紐が硬い女性を呼び込むための営業戦略で差別とは関係ないと思いますよ》《なんでもかんでも差別と叫ぶのも、なんか違う気もしますけどね。。。》《対象を限定する=差別ではないと思うけどな》
2023年10月26日インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者で元管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏(46)が自身の極貧節約生活を明かした。ことの発端は、ひろゆき氏が生活保護者のデモの方法に疑問を提示したこと。10月20日、ひろゆき氏は自身のX(旧Twitter)で、国が2013年から生活保護の基準額を引き下げたことに反対する市民デモが開催された際に「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」などの訴えがあったという報道を引用。《働いてる人が「最後にウナギをいつ食べたかわからん」、「旅行に行く余裕もなく休日は寝てる」のを知らずに主張をするのは生活保護者への非難を増やす。活動家はアホなん?》と、デモにおける主張の仕方を批判した。このひろゆき氏の投稿には批判の声も上がり、それを引用する形でひろゆき氏は《日本の生活保護の捕捉率が低いのは後ろめたさ、スティグマが原因の一つです》と、生活保護受給者に対するいわれのない差別や偏見が定着していることが問題だと指摘。そのうえで、《活動家に扇動されて納税者の気持ちを逆撫ですると、生活保護受給者への視線はよりきつくなります》とし、《生活保護でもやりくりすればウナギは食べれるし旅行はいけます。活動家のせいで、生活保護を取らずに餓死する人が出ます》と、生活保護受給者ではなく”活動家による扇動”が問題であると私見を述べた。しかし、こうしたひろゆき氏の発言を受け、コメント欄には《こういうデモを見て、自分が一生懸命働いて納税したお金がこういう人たちに使われていると思うと、嫌悪感しか生まれないですね》《贅沢したければ働け》などと、結果的に生活保護受給者への差別や偏見を助長するような投稿が殺到することに。さらに、こうした事態を生じさせたひろゆき氏に対して、読者が《実際に生活保護で生活してみたらいい》と批判。すると、それに応える形でひろゆき氏は《大学時代は家賃28000円の井戸水で水道無料のアパートに住んで、朝は大根を切って食べて、昼は炊いたご飯だけ持って大学行って、友達からおかずを一品づつもらって、夜は大根を煮て食べる。みたいな生活で月5万円以下で暮らせてましたよ。カーテンは新聞紙でした。服は友達に貰ってました》と自身の節約術を明かした。X上では、《そのレベルでの生活ができるなら生活保護の費用でやりくりして鰻も食らべれて旅行にも行けそう》《使わなければ残るという考えは多くの人が参考にすべき》と賛同する声が上がった一方で、生活保護受給者にそこまで求めるかのような発言に対する疑問の声も散見した。《ひろゆきさんは、おかずをくれる友達や、服をくれる友達がいて良かったですね》《暮らせていた。のと、暮らさなきゃいけなかった。 では、違うと思うんだ…》《人から恵んでもらわないと成り立たない生活って、「健康で文化的な最低限度の生活」じゃないのでは?》
2023年10月23日《餃子屋に対して俺は一ミリも悪いことしてない。だから謝る根拠はないし、補償金?なんだそれ笑。ひろゆきに唆されてクラファンで焼け太ってるだろ奴は》9月6日、X(旧Twitter)でこう綴ったのは堀江貴文氏(50)。ことの発端は、5日に堀江氏がXに投稿したれいわ新選組の山本太郎氏(48)を揶揄するポストに《ところで、あの餃子屋さんには謝罪して補償金払ったんですかね》というリプライがついたことに始まる。堀江氏といえば、’20年9月に広島県内の餃子店を訪れた際に、同行者がマスクを着用していなかったことから、店側と口論に。その結果、入店拒否になるという騒動があった。さらにその後、店に嫌がらせが相次ぎ、従業員として働いていた店主の妻が不安障害を患ったと店主がブログで明かしている。冒頭の投稿に続いて、餃子店が騒動を機にメリットがあったことを指摘するリプライが来ると、堀江氏は、《マスク云々で揉めてるように見えてた客を追い返しに行ったらまさかのホリエモンで、突如ミーハー心が炸裂し態度を変えたことに、私が「それ関係なくない?」的なこと言ったらいきなりキレたって話だからな》《え?いいことなのこれ?あのおかしな言動を繰り返し、私を評判を下げたあの餃子屋が焼け太りって、おかしくない?まともな人間が批判されて、おかしなこと言う方が儲かるって良い事なのか?》と続け、約2年経過した現在も怒りが収まらない様子。さらにこの騒動時に、餃子店側を支持し、仲違いした“ひろゆき”こと西村博之氏との仲直りを希望するリプライに対しても《それさ、ひろゆきにまた掌で転がされて騙されてるよ笑。一見もっともらしそうに見えるけど、彼は単に私を使って、困ってる私を世間に晒して、面白がって遊んでるだけ。あの奥さんを精神的に追い込んでるのはそもそも餃子屋の旦那だからな。。》としていた。堀江氏と西村氏のやりとりを待望するファンも多いが、雪解けはほど遠いようだ。
2023年09月08日実業家のひろゆきこと西村博之氏がアフリカを旅する新番組『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』が、ABEMAで8月12日21時よりスタートする(毎週土曜・日曜配信、全9回)。同番組は、ひろゆき氏に「アフリカを横断して帰ってきてね」と伝え、ナミビアにあるナミブ砂漠のど真ん中に置き去りにし、10万円&陸路のみで無事ゴールまでたどり着けるかという挑戦を追うもの。言論界にて強烈なインパクトを残し続け、日本一ロジカルな男とも言えるひろゆき氏を、論理の通じない過酷な世界に10万円だけ渡して放り込んだらどうなるのか?移動手段は、ローカル路線バスやヒッチハイクなどの基本陸路のみ。旅の道中では、ひろゆき氏が人生初のヒッチハイクにチャレンジし、現地の人に囲まれ、怒鳴られ、大量の汗をかき、木に登り、びしょ濡れになり、そして、アクシデントにより暗闇のアフリカに放り出され……。旅を通して、「人はなぜ旅をするのか?」、「“人生”という旅の目的は?」を考えていく。ひろゆき氏と共に人生を考える旅のパートナーとして、俳優の東出昌大とアーティストのToshIも参加する予定となっていたが、アフリカの地を前にすべてが予想外の展開へ。果たしてひろゆき氏はゴールへ無事到着できるのか。スタートに先駆け、8月5日21時より、同番組の特別編としてEpisode0「人は、なぜ旅をするのか?」を公開。また、新番組発表を記念し、5日22時よりReHacQの公式YouTubeチャンネルにて、ひろゆき氏と同番組プロデューサーの高橋弘樹氏によるトークライブが生配信される。(C)AbemaTV,Inc.
2023年08月05日5月4日、“ホリエモン”こと実業家の堀江貴文氏(50)が、Twitterで“ひろゆき”こと西村博之氏(46)を真っ向から批判した。発端となったのは、4月30日にひろゆきがTwitterに投稿した《NHK党に融資してる人から返金が殺到したのは「立花孝志氏が最高裁で有罪判決が確定した犯罪者で、執行猶予中の身分だから」というのも理由の一つなのに、なぜ書かれてないのだろう?》という呟き。これに反論する形で、政治家女子48党(旧NHK党)創設者の立花孝志氏は5月3日に、《おい! 西村ひろゆき そんな理由で返金希望されてる人は一人も居ません! その理由なら、一審有罪判決の時に返金要求来てるだろう!って、話! デタラメ言う暇あったら、私と対談したら? ドワンゴ川上さんみたいになるのが怖いだけでしょう? 何が論破王だよ! 弱い相手しか論破出来ない、卑怯者が!》と反論した。そして、堀江氏は立花氏のこの呟きを引用しながら、4日にこう呟いた。《笑。卑怯者というよりは、安全地帯から人を小馬鹿にして楽しむゲームをしてる奴なんですよね。実害ないならほっとけばいいんですが、めちゃくちゃ実害あるんで》ひろゆきを痛烈に批判した堀江氏だが、かつては盟友関係を築いており、11年に堀江氏が刑務所に収監されるときも付き添ったのはひろゆきだったほど。ところが、20年に堀江氏の餃子店でのマスク着用をめぐる騒動で2人の関係が悪化。後に堀江氏が“絶縁”を宣言したものの、昨年11月には堀江氏のYouTubeチャンネルでひろゆき氏について「嫌いじゃない」などと発言しており、関係の修復を期待する声も上がっていたところだった。そんななか、ひろゆきへの怒りを“再燃”させた堀江氏。これには2人の関係を見守ってきた人々もネットで反応した。《なんか似たもの同士のような?》《やっとホリエモンがひろゆきについてはっきり言ったな。これまではひろゆきについてどう思っているかについて質問をされても、(たぶん)ひろゆきファンなどから反感を買わないように上手く交わしていたように見えたけど、今回の件ではっきり言えるきっかけになったのかな》《仲直りすりゃいいのに》2人が“仲直り”する日はまだまだ先のようだーー。
2023年05月04日株式会社Earth Hirosは、ライフスタイルデザイナーの西内ひろが手掛ける、世界を旅して繋いで生まれたサスティナブルなブランド「KIGINU」が、ライフタイル提案の先駆者「ACTUS」アクタス・青山店と「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店の2店舗にて、2022年12月3日(土)~12月25日(日)の期間、POP UPを同時開催することをお知らせします。2022年12月4日(日)・10日(土)・11日(日)には、西内ひろが「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店に来場予定です。■世界を旅して繋いで生まれたサスティナブルなブランド「KIGINU」KIGINUイメージKIGINUロゴ美しい自然と共存するモノづくりをテーマに、ローシルクを中心としたサスティナブルでエコな素材から生まれる、洗練された大人の魅力をより一層引きたてるリラックス感あふれるブランド。オフの日は優しい自然素材で、時間をゆったり贅沢に過ごせるウェアを…ワンマイルなお出かけや旅行の時もカラダが喜ぶ装いで時間をかけて楽しみたい。リラックスウェアとして街中でも、旅先でも様々なシーンで着てもらえるようなそんな服をイメージして展開しております。オンラインストア: Instagram : ■ライフスタイル提案の先駆者「ACTUS」ACTUSイメージACTUSロゴ日本の暮らしの質的向上を目指し「美しく丁寧な暮らし」を広めるために、衣食住のすべてにまつわる優れた商品とサービスを、幅広い販売チャンネルで提供し続ける株式会社アクタス。「家具を中心とした耐久消費財」を取り扱う企業として、環境へ配慮した製品作り、家具を使用する全ての人へ安全・安心をお届けすること、そして社会の抱える問題の解決に向けて、取り組みをされています。「ACTUS」アクタス・青山店 : 「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店: ■KIGINUがACTUSとコラボレーションすることに至った経緯西内ひろSDGsやサスティナブルをライフスタイルの一つに取り入れている西内ひろが以前からプライベートでも通っていた“ACTUS”と“スローハウス”は店内にも緑があり、自然と共存をテーマにしたKIGINUとイメージが合うと想い彼女自らACTUS様にお話をさせていただきました。ACTUS様もKIGINUのコンセプトやブランディングに共感いただきPOP UP開催という流れとなりました。普段はオンラインストアのみで販売のKIGINUに実際に触れ、ご試着いただけます。■大切な人や自分自身のご褒美にKIGINUが届けるインナーウェアギフトイメージ(1)ギフトイメージ(2)ギフトイメージ(3)クリスマスプレゼントにピッタリなインナーウェアをギフトBOXにてご用意致しました。あなたの大切な人や自分自身へのご褒美にいかがでしょうか。メッセージをギフトBOXに書きプレゼントできるようなデザインになっております。普段伝えきれていない想いを書いて大切な人に伝えてあげてほしいです。さらに今回ACTUS様とのPOP UP限定としてリボンラッピングをしてお渡しさせていただきます。インナーウェアは全て日本製でホールガーメントという手法を用いています。ホールガーメントで商品を作ることにより縫い目がなく、肌へのストレスがない最高の着心地となっております。アイテムはキャミソール、ホルターネックブラトップ、腹巻パンツの3点をご用意しております。その他商品も一部ご用意させていただいております。全ての商品をラッピング出来るKIGINUの巾着袋のサービスも行う予定です。(別途有料)<ホールガーメントキャミソール>¥11,000(税込)TOP BEIGE、TOP GREY、TOP NAVY、BEIGE、BROWNの5色展開<ホールガーメント腹巻パンツ>¥11,000(税込)TOP BEIGE、TOP GREY、TOP NAVY、BEIGE、BROWNの5色展開キャミソール&腹巻パンツ着用画像<ホールガーメントホルターネック>ホルターネック着用画像¥11,000(税込)TOP BEIGE、TOP GREY、TOP NAVY、BEIGE、BROWNの5色展開■開催概要実施期間:2022年12月3日(土)~2022年12月25日(日)※12月4日(日)・10日(土)・11日(日)は西内ひろが「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店に来場予定(変更の可能性あり)■実施店舗<「ACTUS」アクタス・青山店>「ACTUS」アクタス・青山店所在地 :〒107-0061 東京都港区北青山2-12-28 1FTEL :03-5771-3591Instagram:@actus.aoyama<「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店>「SLOWHOUSE」スローハウス・天王洲店所在地 :〒140-0002 東京都品川区東品川2-1-3TEL :03-5495-9471Instagram:@slowhouse_tennozu■ライフスタイルデザイナー 西内ひろ/Hiro Nishiuchi西内ひろ福岡県出身、モデル・女優・タレント、フィリピン観光親善大使・宗像国際環境会議アンバサダー1989年、福岡県生まれ。16歳でデビューしタレント、モデルとして活躍。2014年にミス・ユニバース・ジャパンで準グランプリを獲得。2018年にフィリピン観光大使に任命され、同国の映画『KINTSUGI(金継ぎ)』にヒロインとして出演(2021年、日本公開)。2020年フィリピンマニラで行われた第四回Pista ng pelikulang Pilipinoにおいて140本の映画ラインナップの中からBest Actressにノミネートされる。最近はSDGsに根差した環境問題への取り組みを国内外で積極的に行っている。趣味で始めた海外旅行では、これまでに40ヶ国を訪れ、そのセンスが好まれアパレル、映画など幅広くプロデュース・ディレクション業にも力を入れている。Web: KIGINUロゴ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月25日この度、写真家の大島央照(オオシマチアキ)とライフスタイル・デザイナーの西内ひろで表参道のワンダーフォトショップにて、【#PASSPORT BOOK IN THE ROOM 写真展】展覧会を2022年9月23日(金)~10月5日(水)に開催します。キューバ、ギリシャ、モナコ、フランスを旅した、部屋にかざりたくなる写真セレクトの展示、写真販売をいたします。main【オンラインイベント】●インスタライブ配信日時:9月22日(木) 20:00~20:40内容:大島央照×西内ひろによる展示写真の旅、撮影エピソード、旅、写真を通じて伝えたいことetc.インスタライブはコチラから→Instgram: ●大島央照が撮影するポートレート撮影会(事前予約制)日時 :9月24日(土) 11:00~14:0010月1日(土) 11:00~13:0010月2日(日) 14:00~18:00展示写真の背景をバックに、旅した気分になる写真撮影をいたします。料金 :1カット撮影、データお渡し2,000円、データ+プリントお渡し3,000円応募方法:お電話にてお申込み下さい。03-6427-9703(受付時間11:30~18:30)※定員になり次第、締切りとさせていただきます。場所 :FUJIFILM WONDER PHOTO SHOP内スタジオ3【写真展概要】#PASSPORT BOOK IN THE ROOM 写真展■日時:2022年9月23日(金)~10月5日(水)11:00~19:00 ※第2・第4木曜日は17:00まで■場所:FUJIFILM WONDER PHOTO SHOP 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山 1FTEL:03-6427-9703■電車でのアクセス表参道駅 B2出口から渋谷方面へ徒歩3分渋谷駅から表参道方面へ徒歩11分■お車でのご来店当店には専用駐車場がございません。表参道・渋谷界隈にある有料駐車場をご利用願います。【#PASSPORT BOOK IN THE ROOM 写真展】部屋で過ごす時間が多くなった今、写真は時に癒やしてくれたり、気分を変えて笑顔にしてくれたり、旅に行った気分にもしてくれる。西内と大島が一緒に旅をしてきた、キューバ、モナコ、ギリシャ、フランスで撮影した部屋に飾りたくなる写真のセレクトをFUJIFILMのWALL DECORや額を使って展示、販売いたします。旅は心を開放して、新しい自分に気づかせてくれる人生に必要な時。一緒に旅した気分を感じてもらえると幸いです。<大島央照/Chiaki Oshima>京都府京都市出身雑誌IN ROCK, MOVIE STARにて来日ハリウッドスター、各界のセレブリティのポートレートを中心に、雑誌、広告、オフィシャル撮影、映像撮影・ディレクターなど手がける。ライフワークで人の人生の一部を追いかけたフォトドキュメンタリーを国内外で撮影、展覧会に多数参加。2016年 #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBAを企画・撮影・制作・出版。2002年 ミス・ユニバース・ジャパンファイナリスト、モデル、女優として舞台、イタリア映画(TARDA ESTATE/ベネチア国際映画祭招待作品)出演など。最近は、各々のライフステージに寄り添ったChiaki Oshimaフォトプランの展開や、撮影ディレクション、ドレスやジュエリー撮影など幅広く行っている。Web: oshima<西内ひろ/Hiro Nishiuchi>福岡県出身モデル・女優・タレント・フィリピン観光親善大使・宗像国際環境会議アンバサダー1989年、福岡県生まれ。16歳でデビューしタレント、モデルとして活躍。2014年にミス・ユニバース・ジャパンで準グランプリを獲得。2018年にフィリピン観光大使に任命され、同国の映画『KINTSUGI(金継ぎ)』にヒロインとして出演(2021年、日本公開)。2020年フィリピンマニラで行われた第四回Pista ng pelikulang Pilipinoにおいて140本の映画ラインナップの中からBest Actressにノミネートされる。最近はSDGsに根差した環境問題への取り組みを国内外で積極的に行っている。趣味で始めた海外旅行では、これまでに40ヶ国を訪れ、そのセンスが好まれアパレル、映画など幅広くプロデュース・ディレクション業にも力を入れている。Web: nisiuchi【#PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA】60年代から止まったままのキューバの景色を残したい。アメリカとの国交が回復して変わってしまう前に今のキューバの街と、西内ひろが旅するキューバを写真集として残したいという想いのもと、キューバの旅を初めとして#PASSPORT BOOK制作を開始した。#PASSPORT BOOKとは、旅先でスタンプをおしていく様に、旅の思い出を写真と文章で綴るブック。ここにしかない自分だけの#PASSPORT BOOK。一緒に旅をした気になる、旅をしたくなるブックを写真と文章で構成。Web: cuba 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月22日2022年7月15日、絵本作家の、あいはらひろゆきさんが亡くなったことが分かりました。61歳でした。かつて、あいはらさんが代表取締役を務めていた株式会社キャラ研によると、あいはらさんは同年6月27日に亡くなったといいます。あいはらさんが文章を担当した絵本シリーズ『くまのがっこう』は子供を中心に愛され、図書館や学校の図書室でも人気を博しました。くまのがっこう 公式ホームページ スクリーンショット子供が生まれたことをきっかけに、『くまのがっこう』シリーズを作ったという、あいはらさん。絵本に登場するくまのこたちに、笑顔をもらった人は多いようで、「思い出の絵本をありがとうございます」という感謝の声が続々と上がりました。今後も、幅広い世代の子供たちに、『くまのがっこう』シリーズは本を読む楽しさを教えてくれることでしょう。あいはらさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2022年07月15日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。なんらかの理由があって不満そうにする子供。大人がその気持ちを理解し、解決に導くにはどうすればいいでしょうか。第18回『あなたごととわたしごと』外食をしていると、少し離れた席で子どもの泣き叫ぶ声が聞こえた。姿は見えないけれど、保護者らしき人がどうにか静かにさせようとしているのが伝わってくる。なかなか泣き止まない声を聴きながら「周りの目も気になるだろうし大変そうだな」「自分ならどんな風に声をかけるだろうか」と思い見ていた。僕が泣き声を気にしていることを察したのか、一緒にいた友人が声の聞こえる方を一瞥しながら「なんや不満なんやろなあ」とつぶやいた。呑気なセリフに笑ってしまう。そりゃ何か不満なことがあるから泣いているのだ。なにを当たり前のことを、と思いながら、当たり前であるのになにか大事なことを言ったように感じる。さっき僕は、大人の目線で「泣きやますことが大変そうだなあ」と思っていた。当然に子どもには子どもの泣いている理由があるけれど、なぜ泣くのかを考えるときに具体的になにが嫌なんだろうかと想像することはあっても、漠然と「不満なんやなあ」と思うことはあまりない。「不満なんやろなあ」という言葉は他人事に見えながらも(実際に他人のことではあるけれど)、実はその子の気持ちにそのまま寄り添う言葉なのではないか。子どもが泣いてしまったり癇癪(かんしゃく)を起こしたりした時に真っ先にそれを鎮めようとする。何が嫌なんだろう、どうやったら泣き止んでくれるんだろう、と焦ってしまう。そんな時に一旦、無責任に「不満なんやなあ」と呟いてみるのもいいかもしれない。それで何かが分かったり解決の糸口を見つけたりするわけではないかもしれないけど、その一言で少し肩の力が抜けて向き合い方が変わるかもしれない。ある時、小学校からの帰り道に急に「学童に行きたくない」と言い出した子がいた。無理に連れて行くわけにはいかないため、休めるかどうかを確認するために保護者に連絡してみたが都合がつかず、渋々学童に向かうことになった。話を聞くと学校で嫌なことがあったらしい。施設に着くまでに気分を切り替えられるように、愚痴を聞いたりくだらない話をしたりして笑いながら到着できた。けれど、いざ室内に入ろうというところでその子は足を止めてしまった。説得しても動こうとはせず、他の子が室内で活動しているのを放っておくわけにはいかないため、別の支援員にその子を見守るようお願いして、僕は一度室内に入り用事を済ませることにした。室内から様子を見ていると、支援員はずっとその子の愚痴を聞いているようだった。埒があかないのでタイミングを見て再度室内に入るように声をかけようかと思っていると、しばらくして何事もなかったかのように部屋に入ってきた。相変わらず不貞腐れてはいるけれど、少しスッキリしているようにも見える。相手をしてくれていた支援員にありがとうございますと声をかけると、「いえ、どうしていいか分からなくて、ただ話を聞いていただけでなにもしていないです」と返ってきた。「なにもしてない」という言葉で、自分が見落としていたものに気づく。僕は玄関先で過ごされるのも困るため、その子を室内に入れることしか考えてなかった。楽しくなるようにと話したことも、その子が学童を嫌がらないようにと思ってやっていた。けれど、それは僕の思いをただ押し付けているだけだったんじゃないかと。なにもせずただ話を聞く。それはすなわちその子の話に耳を傾けるということだ。なにもしていないように見えるけれど、そのなにもしないということがその子に寄り添っているということなんだ。そうやってうまくいったから、子どもに言うことを聞いてほしいときにはまずその子の言葉を聞こう。という話ではなく、知らぬ間に自分ばかりになってしまっているかもしれないから気をつけていたいという話。「こちらの思い通りに動いてもらう」ためにその子の言葉に耳を傾けるのではないもんね。こちらがしてほしいと思っていることは、その子がしんどくならないための数あるうちの一つだ。僕にできるのは、僕が思うその“いい方法”を押し付けることではなく、その子のしんどさに目を向け耳を傾け、そのしんどさを解消できる色んな方法を一緒に見つけていくことだよね。こないだ、掌の中(たなごころのうち)という言葉を知った。文字通り「手のひらの中」のことなんだけど、転じて「手のひらの中にあるように、思いのままになること」の例えとして使われるらしい。そういえば相手を思い通りに動かそうとすることを「手のひらの上で踊らせる」と表現するな、とか、子どもの頃に読んだ西遊記という本でそんなエピソードがあったような気がするな、とか曖昧ながら思い出す。相手を思い通りに動かしたいという欲求は人類の普遍的なテーマなのかもしれないな、と大層なことを考えながら、「けれど」と思う自分もいる。そんな傲慢な思いばかりではないよなあ、と。純粋に、本当に心の底から相手のことが大切だからこそ、という思いは間違いなくあるはずなんだ。その思いを表現する方法を間違うことがあっても。本心として「その子のために」と思ったことが自分の傲慢なのかもしれないことを知ると、自分のその子を思う気持ちさえも否定されたように感じてしまう。全部が間違っている気がして前に進めなくなってしまう。そんなことを思いながらその言葉について調べていると「思いのままになることのたとえ」だけでなく「大切に育て、取り扱うことのたとえ」としても使われることがあるらしいことを知る。同じ言葉なのに反対にも捉えられる意味を持っていて、その言葉が僕と同じように葛藤しているように見えた。大切だからこそ掌の中で育ってほしい、そんな葛藤を子どもとの関わりの中では多く感じる。「その子のために」と思えば思うほど、自分があれもこれも世話をしてあげたくなるけれど、「その子のために」と思うこと自体は悪い事ではないんじゃないか。もし「思い通りにさせたい」という“傲慢な僕”が顔を出したら、そんな僕を否定したり無理に失くしたりしようとせずに「それだけ大切に思っているんだ」って思うことにしよう。そして「大切にする方法を間違えないようにね」って自分に言い聞かせながら、“傲慢な僕”を横に置いておいてあげるのだ。別の方法を見つけてみるから、君はそばにいてもいいけれど大人しくしておいてね、って優しく諭しながら。余談ですが「お腹が痛い」と訴えてきたので「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫じゃないけど大丈夫」と返ってきた。心配するほどではないけれど痛いものは痛いということだろう。痛みが落ち着いたと思ったらまた痛みが押し返してくるようで、その度に「いたた」とこぼしている。何度も「大丈夫?」と聞くのもしつこいような気がして、なんて声をかけようかと悩んだ挙句、棒読みで「かわいそう」という言葉が出た。他人事な感じがすごい。全然心配しているように聞こえない。なんかごめん、と思っていたら案の定「ひとごとか!」と笑いながら突っ込まれた。「ほんまに心配してんねんで」と弁解しながら、その人の痛みはその人のもので、どうしたって他人事だよな、とも思ったりする。同じように、自分のことはどこまでいっても自分ごとだ、と“傲慢な僕”を思い浮かべる。そんな中でわずかにある、相手のことを思ったり心配したりする気持ちはどっちなんだろう。と考える。どちらか一方だけとは限らないか。自分ごとと他人事が重なる部分があって、その部分を自分ごとにし過ぎたら相手の領域にまで踏み込んでしまうけれど、自分ごとでなくなったなら心配することもなくなってしまうもの。突き放すでも寄せすぎるでも混ぜるでもなく、その重なったところを重ねたまま大切にする。それが寄り添うってことなのかもしれないな。それからは、僕が例えば「二日酔いか気圧のせいか、朝から頭が痛くて」と嘆いたりするたびに、棒読みで「かわいそう」と返ってくるようになった。気持ちのこもった心配ではないけれど、二人にだけ分かる符号のようなものだから、労ってくれていることが伝わってくる…なんてことはない。全然心配してもらっているようには感じない。もっと心配してくれよ!と少し寂しくなる。けれど、それでいいのだと思ったりもする。その少し素っ気なく感じるお決まりのやりとりが、お互いに踏み入れない部分があることを尊重するためのやりとりな気がして心地よかったりするのだ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2022年03月10日・めっちゃ辛辣。・地味にグサッとくる。・「あっ、はい…すみません」て謝っちゃう。ヨダタケシ(@astroscape)さんが神社で引いたおみくじに、多くの人が心をえぐられています。辛辣すぎるおみくじの一文神社を訪れた際、おみくじを引いたヨダタケシさん。引いたおみくじは中吉で、大吉ほどではないものの、まずまずな運勢といえます。しかし、『縁談』の項目だけは、凶や大凶よりもさらに希望が持てない辛辣な言葉がつづられていました。言いたい事はわかるんだけど言い方… pic.twitter.com/eVYptl1Yij — ヨダタケシ /テルミン奏者/作曲家/ (@astroscape) January 5, 2022 身の程を知れ。身の丈にあった人を選ぶべきということなのか、価値観があう人がいいということなのか、解釈次第で、ポジティブにもネガティブにも受け取れます。…しかし!違ういい方はなかったのだろうかと思えてなりません。ほかの項目が比較的優しめに書かれている分、より一層辛辣さが増す一文。ショックを受けてしまいそうですが、一方で身が引き締まりますね!ヨダタケシさんのYouTubeチャンネル辛辣なおみくじを引き、注目を集めたヨダタケシさんは、テルミン奏者や作曲家としても活躍しています。YouTubeではテルミンの演奏動画も公開しているので、興味を持った人はぜひご覧ください。ヨダタケシ Tokyo Theremin Channel[文・構成/grape編集部]
2022年01月06日年が明け、神社や寺に行って新年の無事と平安を祈願する初詣。「運だめしに」とおみくじを引いて、運勢次第でその年のよしあしを判断してみる…そんな光景は正月の風物詩の1つといえるでしょう。Eisuke Mizuguchi(@eisukewater)さんは、数年前に引いたおみくじの内容をTwitterで公開。そこに書かれていた内容は、想像を絶する『凶』だらけだったのです…!私が過去にひいた最凶のおみくじ、今年もおいておきますね。 pic.twitter.com/V8Jbd4qtT5 — Eisuke Mizuguchi (@eisukewater) January 1, 2022 ・病気は注意を要します。・悦びごとはありません。・失物は出にくいですが、高いところに包んであるかもしれません。・待人は来ません。・訴訟は負です。・売買はともに損があるので見切るべきです。・争いごとは勝ちません。・新築、移転、縁談、旅行みな悪いです。健康から恋人との縁談など、生活のあらゆる場面でよくないことが起きると書かれていたのです!Mizuguchiさんによると、実際に就職活動が思うようにいかなかったり、就職できても労働環境の悪さから、すぐに辞めてしまったりといいことが起きなかったとのこと。ある意味運勢通りのことが起きたといえるかもしれませんね。【ネットの声】・フルボッコな勢いに笑った。最後はやけくそ感がある。・ここまでボロボロに書かれているのも珍しい。引いたらへこみそうだ。・清々しいほどの凶だらけで、引きたくない結果。おみくじはあくまで、「まあこんなもんか」と思うにとどめることが一般的なはず。ですが、ここまで凶だらけの内容だと、思わず笑ってしまいそうですね![文・構成/grape編集部]
2022年01月04日株式会社ヒューマン・モア(所在地:広島市西区、代表:西原 梨沙、以下 ヒューマン・モア)は、広島市中区紙屋町「ひろぎんホールディングス本社ビル」の1階「トゥモロウスクエア内イベントスペース」にて開催される、地域特産品を紹介・販売するイベント「ひろしまあたり⁉」に参加致します。参加日程は12月16日(木)の午前11時から午後4時までとなっており、広島県産牡蠣を使用した万能だし「かきの極み 万能だし」を販売致します。「ひろぎんHD本社ビルトゥモロウスクエア」詳細:【 】「ヒューマン・モア」詳細: 【 】販売商品のご紹介かきの極み万能だし寒い季節の鍋物にお好み焼きもより美味しく牡蠣の濃厚な旨味がすごい!「かきの極み 万能だし」地元広島の名産である牡蠣を使用した、牡蠣の旨味たっぷりの万能だしです。健康食品で使用している湯煎抽出された牡蠣肉エキスを使用し、パックにしました。臭みも少なく味も良く、栄養も豊富と評判です。いつものお料理が簡単にますます美味しく出来上ります。かきの極み詳細ページ : 通販サイトよりのご購入ご遠方の方は通販サイトによる販売も承っております。こちらでは現在、12月25日までの期間「かきの極み」を2,000円以上(かきの極み2袋以上)お買い上げの方に、弊社製品サンプルセット1,000円相当をプレゼントいたしております。対象の購入先は下記記載の通販サイト、弊社運営の購入ページとなります。お電話でのお問い合わせも受け付けております。この機会に是非ご利用くださいませ。47club : Yahoo!ショッピング : ヒューマン・モアは、今後もより一層サービスを充実させ、お客様の食と健康をサポートしてまいります。「ひろしまあたり⁉」参加概要参加日時: 12月16日(木) 11:00~16:00会場 :ひろぎんHD本社ビルトゥモロウスクエア内イベントスペース〒730-0031 広島県広島市中区紙屋町1丁目3番8号アクセス: アストラムライン「本通」駅すぐ広島電鉄宇品線「本通」電停すぐ詳細URL :【 】会社概要社名: 株式会社ヒューマン・モア代表者 : 代表取締役 西原 梨沙所在地 : 広島市西区中広町三丁目3番21号設立 : 平成16年9月1日事業内容: 健康食品及び栄養補助食品・一般食品の製造・販売、機能性素材の研究・開発資本金 :1,000万円URL :[ ]本件に関するお客様からのお問い合わせ先株式会社ヒューマン・モアTEL : (082)295-2204お問い合せフォーム:[ ]{ } 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年12月14日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。親なら一度は直面する「静かにしないといけない場所で子供が騒いでしまう」という悩み。子供と触れ合ううちに、きしもとさんはあることを感じたといいます。第17回『今できなくても、ずっとでも。』「子どもに注意するときに笑いながら怒るやつ、よくしてたでしょう?僕もあれ最近やるんです」と、同僚から言われた。「真面目な顔して言うんじゃなくて、あえてミステリアスに笑いながら注意するんです」と、丁寧に説明してくれるけれど、意味がわからない。まったくピンときていない僕をよそに、「宿題してる子の横で騒いでいる子に厳しく注意しても、またしばらくしたら騒いじゃうでしょう。で、こっちも疲れるじゃないですか。ていうか、そもそもなんでやかましくしたらあかんねんって話なんですよ」と、誰に向けているのかわからない愚痴を漏らしている。「子どもにとっては、あんな狭い部屋で静かにするってことの方が無理なんですよ」と、急に話の核心が現れた。なるほど、たしかにそうだな、と納得する。子どもがやかましいこと自体は別段悪いことではない。良く言えば快活で元気な子とも言える。その部屋が狭いから元気なことが困るだけで、べつにその子に「静かな人」に育ってほしいわけではないのだ。ただ今、その場所でそうしてほしいだけなのに、「それができない子は悪い」として怒ってしまうことって、色んな場面で起きている。もちろんルールを守れるっていうのは大事だけれど、ルールってのはお互いに気持ちよく過ごすためにあるものやもんね。静かにしなきゃいけない環境がその子にとってはしんどいことだってある。静かにできない子が悪いのではなく、「静かにしなきゃいけない環境」と「元気なその子」とが噛み合っていないのだと見ると少し見え方は変わってくる。いい気づきだなと思っていると、「だから最近は、“今だけ静かにしてほしいねん”って伝えるようにしているんです」と言うので「笑いながら怒った顔で?」と尋ねると、「そんな変なことしませんよ」と返ってきた。いや、自分が言うたんやん。通勤途中の電車で、赤ちゃんが泣いていた。抱かれて座っているうちはご機嫌だったけれど、ベビーカーに乗せようとすると泣いてしまうようだった。荷物が多いのでどうしてもベビーカーに乗ってもらわないと次の駅で降りられないらしい。泣き声が車内に響くこともあり居た堪れないようで、嘆くように「お願いだから」とこぼしながら困ったようになだめていた。もしそんな時があったら、と想定していたその時が来たと思い、勇気を出して「ベビーカー押すので抱っこしててあげてください」と声をかけた。警戒して当然なのに「お願いします」と言ってもらえたので、緊張しながらもホームに降ろした。エレベーターの近くに辿り着く前に「ここで大丈夫です」と言われて、たどたどしくベビーカーを手渡すとすぐに去っていった。出過ぎたマネだったかな、怖がらせたなら逆に申し訳なかったな、とその日は一日反省会だった。助けになりたかったけどうまくできなかった。ずいぶん前に発達支援の仕事をしていたころ、障害がある子に付き添って電車やバスに乗って出かけることがあった。小学生から中高生までそれぞれが行きたい場所へ、例えば科学館や映画館やファストフード店など、その子の“お出かけ”に付き添う。その子の特性によって、電車やバスの中で独り言を呟いていたり、急に大きな声を出してしまったりすることがあった。その度に僕は周りの目を気にして言い訳するように「静かにしようね」と声をかけた。本当はその子のことを怒る必要なんてないのに、周りの目を気にして怒らなきゃいけないように感じて半ばアピールのように怒ってしまっていた。その子は悪くないのに、静かにしなきゃいけない場所とその子とがただ噛み合わないだけなのに、もし大きな声を出してしまうにしても、出さないように工夫するにしても、その子がしんどくないようにできたかもしれないのに。電車に乗って、赤ちゃんが泣き止まなくて周りに謝っていたり、飲食店で癇癪(かんしゃく)を起こして叫んでいる子に静かにするよう怒っていたりする場面を見るたびに、その時の後悔を思い出す。本当は怒らなくていいのに怒ってしまうことって、お互いにとてもしんどいんだよね。誰も悪くないもん。迷惑かもしれないけれど、変なやつだと思われたかもしれないけれど。「大丈夫ですよ、気にしないで大丈夫だから」と伝えたかったんだよな。下手だったけど。幼児や小学生と電車に乗るとき、「静かにしていようね、大事なことだからね」と教育や躾の上で大切なことのように話していた。静かにじっとできてえらいね、と褒めてあげることもあった。けれど、よく考えたら電車のなかでは静かにすることを、その子の力による必要ってあるんだろうか。じっとしていられることって、大事なんだろうか。そもそも「静かにする力」ってなんなんだと聞かれたら答えられない。もちろん、静かにしなきゃいけない場面もあるけれど、それならどんな方法であっても「その場で静かにする」ができればいい。じっと座っていなきゃいけないのなら、どんな方法であっても「その場でじっと座っている」ができればいいんじゃないか。その時、その環境でそれをする必要があるだけなら、その子がしんどくないようにスマホで動画を見たりお菓子を食べたりして気を紛らわせたっていいんじゃないか。その環境で、自分がしんどくない方法で適応できるならそれでいいはずなのに、なにか、物に頼らずにその子の力でそれを克服することが大切なことのように思っている節があった。「その子がそれをできるようになること」ばかりを大事にしなくていいのかもしれないな。たとえば子どもがガラス窓に向けておもちゃを投げたとして、当然投げちゃいけないよと伝えるけれど、今その子が「窓に向かって物を投げない」を身に付けないといけないか、身に付けられるか、といったら、その子の発達によっても性格によっても変わってくるんだよね。ダメなことをまだ理解できなかったり、理解できても衝動を抑えられなかったりするのなら、その子に繰り返し注意して怒って怒られてを繰り返すのはとてもしんどい。それなら、「その子の力で我慢できること」にこだわらずに、投げても大丈夫な環境に変えたり、投げてもいいものを与えたりすれば、怒ることも怒られることも減ってお互いのしんどさが軽くなる。「しないでって言ったことを何回言ってもする」と悩んだ時には、今その子が身に付けなくてもいいことを、身に付けることが難しいことを、その子に求めているのかもしれないと思ってみれたら。僕たち大人は、子どもに「やらないでほしいこと」もたくさんある。「きちんとさせなきゃ」と思っている。あいさつができるようになってほしいし、ありがとうが言えるようになってほしい。廊下は走らないでほしいし、道路には飛び出さないでほしい。ガラス窓に物を投げないでほしいし、公共の場では静かにしてほしい。けれど、それは「いまできなきゃいけないこと」なんだろうか。「ちゃんとさせなきゃ」と思っていたことが、もしかしたら「いまだけ」できたらいいことかもしれないし、「いつか」できるようになってほしいことかもしれない。「やらないで」と言ったことをやって、その度に注意して、また同じことを繰り返してまた怒って、そうやってお互いにしんどくなっていくのなら、できなきゃいけないと思っていることの中から、できなくてもいいことを見つけてみたい。「できなくていいこと」は「怒らないでいいこと」だ。それを少しずつ増やしていけたら、しんどさは少しずつ減っていくんじゃないか。それは「怒っちゃいけない」と自分を責めるためのものではなく、「怒らなくて大丈夫だよ」と余裕を持つために。あわよくば、笑って見過ごせるように。高学年にもなると、「おかえり」と声をかけても無視をされることがある。お年頃、と言ったらその子に失礼だろうけれど、いわゆるそういう時期だ。無視されるのはなかなか辛いんだけれど、かといって無理にあいさつをするように怒ることはしないようにしている。子どもが言うことを聞いてくれなかったり、約束を守ってくれなかったりすると、残念な気持ちになる。それは、裏切られた悲しさというよりは、思ったように育っていないように見えて抱く不安のようなものだ。なんで言うことを聞いてくれないんだろう、なんで思ったように育ってくれないんだろう、と自分や子どもを責めてしまう。けれど、言うことを聞かなかったり思ったように育ってくれなかったりするのって、よく考えたら、その子がその子として育っているということだ。期待を裏切られたら裏切られた分だけ、その子はその子として生きていて僕の想像の外側で育っている。あいさつしないのも、ごめんねを言わないのも、ピーマンを食べないのも、その子がその子として生きている証だ。そんなふうに思えたら、返事が返ってこなくてこっそり傷つきながらも、その子の小さな意志を感じて少しだけ嬉しい気持ちになれるんだ。余談ですが電車に乗ったらおじいさんからジャズが流れていた。もちろんおじいさんから音楽が鳴るわけがないので、繋いだはずのイヤホンが外れているのだろう。おじいさんは気づいていないようだ。車内は空いているとはいえ、少し離れて座る僕にも聞こえる大音量で漏れているので誰かが指摘するかと思ったけれど、みんな気づいていないのだろうか声をかける人はいなかった。気づいたぼくが声をかけるのが親切かとも思ったけれど、そうはしなかった。そのジュークボックスおじいさんに気を遣ったというよりは店内BGMのように流れている音楽が心地よかったからだ。お裾分けしてもらう気分でそのままにした。これが、YouTube動画の音が若者のイヤホンから漏れていたらまた心境は違うのかもなと考えて、自分の身勝手さに苦笑いする。目的の駅に着く少し前でジャズの演奏は聞こえなくなった。おじいさんが自分でイヤホンのコードが繋がっていないことに気付いたようだった。最後まで聞けなかった残念さと、おじいさんが音漏れに気づいた安堵を感じながら電車を降りた。子どもたちと生活をともにしていると、子どもたちが自分の人生の一部に感じることがある。けれど、その子はその子の、僕は僕の人生を生きていて、たまたま重なり合った時間を過ごしているだけなんだよね。その子が聴く曲を僕が選べはしないけれど、漏れた音をお裾分けしてもらうような、たまにイヤホンを片方貸してもらうような、そんな関係であれたらいいなと思う。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年12月03日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。生きていると、後悔をするような出来事が起こることも。子供と接する上で、きしもとさんが悔やんだ出来事とは…。第16回『まっくろイヤや、まっしろがいいの。』「明日早起きをして、おいしい朝ご飯を食べに行こう」と言われて「きっと朝寝坊するよ」と、僕は答えた。夜更かしをしているからきっと早起きはできないだろうし、早起きできないままダラダラとしてしまう、いつもそうでしょうと。案の定、次の日は朝寝坊して朝食兼ねた昼食、あえておしゃれに言うならばブランチを食べることになった。食べながら「ほらやっぱり言った通りでしょう」と僕が言う前に「早起きできなかったなあ」と残念そうにしている姿を見て、昨晩のことを少し後悔した。それが叶わないと思っても、その時はただ楽しみだねって返せばよかったな。先回りなんかせずに、今の楽しみとして“明日を一緒に楽しみにすること”はできたんじゃないかなって。そして、一緒に「早起きできなかったなあ」と悔やめばよかった。学童の施設で、お泊まり会をしてみたいと言い出した子がいた。何年か前に企画した子がいたことを知って興味を持ったらしい。子どもの「今やりたい」という気持ちを尊重して、前向きに実現していくのが僕の役目だ。なんでもかんでもできるわけではないけれど、やりたいなって思った気持ちを逃さずに、大事に育ててあげたいと思っている。けれど、その時は別のことで手がいっぱいになっていて「いいね、どうやったらできるか考えてみようか」と促したまま、そのあとなにも言ってこなかったのでそのまま放ったらかしにしていた。数日後、「そういえばあの話」と切り出すと、「もういいねん」と素っ気なく返事をされた。ただ興味が薄らいだというだけでなく、友達関係も思うようにいかない時期でそんな気分じゃなくなったらしい。本当にやる気があるのなら諦めずにやり遂げるし、それができないのは本当にやりたかったわけではない…なんてことはなくて、やりたいと思ったことをやり始めて自分で走り出すためには助走が必要で、その助走をつけるための環境や支援がさらに必要だ。できるかできないかの主導権をその子が持っていないならなおさら、その子のやる気のせいにしてはいけない。その子がやめてしまったのは、単に興味が薄らいだのではなく、僕がうまく拾えなかったからかもしれない。タイミングを逸してしまったことを悔やみながら、けれど無理に引き戻すのも違う気がして、「また思いついたら言ってね」とだけ声をかけた。数ヶ月経って、友人関係も良好になっていき、学童での活動も充実してきた頃にまた、その子から「冬休みを使ってお泊まり会がしたい」と提案があった。一度失くなったチャンスがまた来たことはありがたかった。このタイミングは逃さないぞ、と張り切って企画を進めることにした。その子が友達たちと色々な案を出し合い練っている間に、僕は組織上層部に掛け合って施設利用などについての手回しをする。しかしながら、なかなか組織からはゴーサインが出なかった。過去に何度も開催しているのに、その時は色んな事情が重なり一筋縄ではいかなかった。冬休みには間に合わず、僕はその子に春休みに向けて交渉していくことを伝えた。もちろん嘘をつくわけにはいかないので、できるか分からないけれど相談しているということを伝えて、その子は「それでもいい」と楽しみにしてくれていた。そしてその春、結局お泊まり会は開催されなかった。大規模な感染症流行が原因だとその子には伝えたけれど、それは表向きの理由で、本当は“大人の事情”がクリアできないままパンデミックが起きて、そのまま有耶無耶になったのだった。多くの子どもたちが通う場所だから、すべての子どもたちの思いに応えたりやりたいことを叶えたりすることは難しいし、安全が第一なのでどちらにしてもできなかったと言えばそうだ。そうやってじぶんで自分に言い聞かせるけれど、後悔は消えない。その時にしか咲かないのに、水をやるのを怠って、目を離したすきに姿を消している。そんな風に育たなかった芽が数え切れないほどある。また新たな芽が出てきたのを見て安心してしまいそうになるけれど、気づかれずにそのまま閉じてしまった芽は間違いなくあった。すぐに気づいていたらグングンと育っていたかもしれないものさえも後回しにして枯らしてしまっていたんじゃないかと、いつも過ぎてから後悔する。その全てを拾えるわけないし、悔やんだってしょうがないのは分かっている。けれど、あの時拾えていたら、その子はワクワクできたしその楽しそうな顔を僕は見ることができたのにと思うことが数え切れないくらいある。7歳の友人が、先日「アスレチックに行ってみたい!」と言い出した。YouTubeで見て興味を持ったらしい。楽しそうだね、と話をしてネットで調べたりしたけれど、その日は時間がないからアスレチックはまた今度にして近くの公園で遊ぶことにした。たっぷり遊んで満足げに帰っていったのに、夜になってひとりビールを飲みながら、「アスレチック行きたい!」と言ったその子の姿を思い出して、「ああ、なんでちょっと無理してでも行かなかったんだろう」って後悔している自分がいる。何年か前にはアンパンマンミュージアムに行きたい!と言っていたのを思い出す。何度か行ってはこれで最後かなあ、まだ楽しめるんやなあ、と思っていたらいつの間にか言わなくなった。いつまで行きたい気持ちがあったのかな。最後に行きたいなって思った時に連れていってあげれたかなと考えてしまう。数週間後に会った時に「さあ、アスレチック行こっか!」と決定事項のように言ってくれた姿を見て、「なんで決まってるねん」と笑ってツッコミながらホッとする。まだ失くなっていなかった、間に合ったと安心する。おもちゃコーナーで大好きなアンパンマンのおもちゃをねだられたときに「また今度ね」って言って、次に行った時には「もういらない」って言われてしまう。「これ好きって言ってたよね」と、変身して戦うプリティな癒しキャラの人形を手に取ると、「もうお姉ちゃんやから好きちゃうし!」と怒られる。そんな時に、ああ過ぎてしまったのか、と大事なものを取り逃してしまった気持ちになる。その子にはその時しかないのに、「また今度ね」って言うたびに色んなものを取りこぼしてそのまま気づかずに過ぎていくのかもしれない。なんでもかんでも拾えるわけないし、その興味の移り変わりがすべて僕のせいなんて、おこがましいことを言うつもりもない。成長の中で変わっていくことも逃したことで偶然生まれる新たな関心もあるだろう。ただ何度も同じような後悔をしてしまうのは、半分はそのワクワクを拾えなかったことを申し訳なく思う気持ちと、もう半分は僕が寂しいからなんだろう。その時にしかない、その子の姿を、もしかしたら見られたかもしれないその子の姿を、もう二度と見られないんだろうなと思うと、後悔のような残念なような寂しいような切ないような、うまく言い表せられないけれど、そんな気持ちになる。ついこないだも、後悔するのを分かっているはずなのに、キックボードが欲しいと言い出したその子に「危ないからな、気をつけなあかんからな」と買う前から言ってしまった。次会った時に一緒に買いに行こう。一緒に練習して、一緒に楽しみながら、一緒に危ないから気をつけることを確認しよう。そうやって大事なものを逃さないように心の準備をしておくことにする。余談ですが何年か前、当時3歳のその友人が泊まりに来た時のことを思い出す。朝から一日中遊んでいたのに、日が落ち始めて窓の外が暗くなってくると「まっくろイヤやの!まっしろがいいの!」と、泣きながら天に向かって怒っていた。この楽しい時間が終わってほしくない!もっと遊びたい!と、つたない言葉で表す姿が、「いまを生きているんだ」と全身で語っているようで、とても愛おしかった。遊びたくて遊びたくて仕方がないのだろう、夜中になっても全然寝ずに、電気を消しても布団の中で延々としゃべり続けていた。「はよ寝えな」と半ばうんざりしながら、終わって欲しくないほど楽しい時間だと思ってくれていることを嬉しく感じた。大きくなったいまはもう、“まっくろ”になっても、寝て起きればまた“まっしろ”が来ることを知っているんだろう。夜になることを「まっくろ」なんて表現しないんだろうなって寂しくなりながら、「まっしろがいいの!」と泣いていたその姿を何度も思い出す。ずっとずっと「まっしろがいいの!」と、言えるような人生でありますように。「楽しい今日が終わってほしくない!」って、そんな毎日を送っていてほしいな。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年10月21日実業家の堀江貴文氏(48)が10月12日、宮迫博之(51)のYouTubeチャンネルに出演。動画内で、同じく実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏(44)について“絶縁宣言”する一幕があった。宮迫が動画後半で「聞きたいことがあってん」と切り出し、単刀直入に「ひろゆきくんと仲悪いってホンマなん?」と堀江氏に質問。すると堀江氏は「仲悪いっていうか、僕が縁を切っただけです」とキッパリ。その理由について、「去年、餃子事件でめちゃくちゃ叩かれて。あいつが最後炎上させたようなもの」と語ったのだ。また絶縁する前の様子について「(ひろゆき氏と)言い合いになりましたよ。Twitter上で」と振り返り、「これはもうちょっと無理だな」と感じたという。堀江氏は昨年、広島の餃子店を訪れた際に同行者がノーマスクだったことで入店拒否された。そのことを堀江氏がFacebookに投稿したことで、SNS上で論争に発展。堀江氏の投稿をきっかけに、餃子店にいたずら電話が殺到。結局、お店は休業に追い込まれたのだ。そんな状況を見たひろゆき氏は、Twitter上で餃子店に《クラウドファンディングとかでお金集めて、通販とかデリバリーで再開するとかどうですかね?》《サイト作る人居ないとかだったら、手伝いますよ》と呼び掛けていた。その後、餃子店がクラウドファンディングを立ち上げると、ひろゆき氏も支援したことを表明していた。■ひろゆき氏「言い争いをしたことはない」「堀江さんは当初から“自分は悪くない”のスタンスです。たしかに堀江さん自身はマスクを着用していたようですし、いたずら電話もかけていません。ですが一般人以上に影響力があるため、『少なからず非があるのでは』との声が上がっていました。餃子店が立ち上げたクラファンは、最終的に1,500万円以上もの支援金が集まりました。店側にそういった同情が広がる風潮に、堀江さんは不満げでした。Twitter上で自らの正当性を主張したり、《金儲けのネタにされてさらに居た堪れない》などと綴ったりしていました。ひろゆきさんは経営が立ち行かなくなった餃子店にアドバイスをしたにすぎず、堀江さんとは直接的な“バトル”はなかったはずです」(ITジャーナリスト)ひろゆき氏は13日にTwitterを更新し、堀江氏の“絶縁宣言”にこう疑問を呈している。《ホリエモンこと堀江さんの餃子事件はおいらが居ない所で起きたのに「あいつが炎上させたようなもんなんで」と言ってる。twitter上で堀江さんとおいらが餃子事件で言い争いをしたことはない。 堀江さんの事実認識がおかしくなってる気がするのですが、どうしちゃったのかな?》堀江氏の主張にネット上では「この件に関してはホリエモンが悪い」と批判する声が多く、共感はさほど得られなかったようだ。《餃子事件は、ひろゆきさんがいない所で 発生したのに堀江氏はひろゆきさんを恨んでいる。これは「逆恨み」ですね》《餃子の件に関してはひろゆきは悪いことしてないけどな。ホリエモンからしたら味方してほしかったんだろうけどホリエモンのせいで営業できない状態までいってた餃子屋をクラウドファンディングで救ったわけだし》《ひろゆきが炎上させたとおもってたのか自分が勝手に炎上したのを人のせいにすんのはなぁ。。。》
2021年10月15日30代以降に気になり始める肌トラブルの一つに、黄ぐすみがあります。とくに、まぶたの黄ぐすみに悩み、目元が暗くなって不健康そうな印象を与えると悩んでいる女性も少なくありません。まぶたの黄ぐすみには、アイシャドウを塗って目元を明るく仕上げていきましょう。本記事では、30代以降の黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウについて紹介します。黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウは「オレンジ系」「パールを含む」「しっとりとした粉質」タイプの3つです。30代以降は黄ぐすみが気になりやすい時期出典:byBirth30代以降は、肌の黄ぐすみが気になりやすい時期といえます。原因としては、代謝が下がって肌のターンオーバーが遅れ、メラニンや古い角質が蓄積することが挙げられます。また、古い角質は水分を保持する力が弱いため、肌のうるおいがなくなりくすみがひどくなります。顔の中でも、とくにまぶたの皮ふは薄くうるおい不足になりやすいため、くすみによって目元が暗くなりがちです。黄ぐすみに合うアイシャドウを使って、目元を明るく仕上げていきましょう。黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウ出典:byBirth黄ぐすみまぶたを明るく仕上げるためには、適切なアイシャドウを選ぶことが重要です。ここでは、黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウを3つ紹介します。1.オレンジ系のアイシャドウオレンジ系のアイシャドウは、まぶたの黄ぐすみをカバーして透明感を与えます。また、血色をよく見せる効果もあるので、健康的な明るい目元を演出できます。例えば、オレンジブラウンは肌なじみがよいので、ナチュラルな印象に仕上がって普段使いに最適です。一方、オレンジゴールドなど黄みが強いカラーは、くすみをより目立たせてしまうため避けるようにしましょう。2.パールを含むアイシャドウパールを含むアイシャドウにはハイライト効果があり、まぶたに塗ると光を反射して明るく見せる効果があります。そのため、まぶたの黄ぐすみを目立ちにくくするのに最適です。また、パールにはカラーのバリエーションが豊富で、色によって目元に与える効果が変わります。例えば、ピンク色が入ったパールであれば、血色をよく見せる効果があるため、目元のくまやくぼみを目立ちにくくできます。シルバーパールは、ハリ感を出し目元を引き締める効果があります。パール入りのアイシャドウは、黄ぐすみだけでなく、ほかの目元のトラブルを解消するのにも役立つのです。一方、パール系のアイシャドウに対してラメの入ったアイシャドウもあります。しかし、ラメはパールに比べて粒子が粗く、くすみなどのトラブルをカバーする力に欠けるため、避けたほうがよいでしょう。3.しっとりとした粉質のアイシャドウ黄ぐすみまぶたには、しっとりとした粉質のアイシャドウを選びましょう。まぶたは皮膚が薄く、乾燥してくすみやすい部位です。そこで、油分や保湿成分が配合されているしっとりとしたアイシャドウを使えば、まぶたの乾燥を防ぎうるおいに満ちた明るい目元をキープできます。また、まぶたへの密着力が高いので、黄ぐすみのカバー力も高いこともメリットです。一方、パウダータイプのアイシャドウは、まぶたへの密着力が弱いため粉飛びしやすく、黄ぐすみを十分にカバーできません。アイシャドウを選ぶときは、質感に注意して選ぶことが大切です。黄ぐすみまぶたにアイシャドウを塗るときのポイント出典:byBirthまぶたの黄ぐすみを抑えるために、アイシャドウの塗り方にも注意しましょう。ここでは、黄ぐすみまぶたにアイシャドウを塗るときのポイントを2つ解説します。パープルの入った下地を塗るアイシャドウを塗る前に、パープルの入った下地をまぶたに塗って状態を整えましょう。パープルは黄色の補色で、発色を抑えてくれる働きがあるため、まぶたの黄ぐすみを抑えて素肌の色に戻してくれます。また、パープルは透明感を与える効果があるため、まぶた全体をトーンアップしてくすみを目立ちにくくしてくれます。ただし、パープルの色味が強すぎると白浮きして不自然になることがあるので、ラベンダーベージュなど肌なじみのよい下地を選ぶことをおすすめします。また、使用するときは少量を薄くのばす程度にとどめましょう。アイホール全体にベースカラーを塗るまぶたの黄ぐすみを抑えるために、アイシャドウのベースカラーをアイホール全体に塗っておきましょう。ベースカラーは、ハイライトの役割があり、くすみを飛ばして目元を明るくします。下地とベースカラーをセットで使うことで、より黄ぐすみを抑える効果が高まり、アイシャドウの発色を持続させられるのです。もし、黄ぐすみが強く、下地やベースカラーでもカバーできない場合は、コンシーラを使って状態を整えましょう。まぶたの黄ぐすみをしっかりとカバーするためには、アイシャドウのセカンドカラーをのせる前に、まぶたを明るく整えておくことが非常に重要です。まとめ出典:byBirth30代以降になると、ターンオーバーが遅れてうるおいが減少し、肌が全体的に黄色くくすみやすくなります。とくにまぶたは皮膚が薄いため、乾燥しやすく、黄ぐすみが目立つ部位です。まぶたを明るくするためには、アイシャドウで黄ぐすみを抑えることが必要です。黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウは「オレンジ系」「パールを含む」「しっとりとした粉質」タイプの3つです。「パープルの入った下地」「ベースカラー」をまぶたに塗ると、より黄ぐすみを抑える効果が高まります。黄ぐすみまぶたに合うアイシャドウを有効に使って、透明感のある明るい目元に仕上げましょう!
2021年10月04日この度、モデル・タレントの西内ひろとフォトグラファーの大島央照(オオシマチアキ)で「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展を開催。新たに、フラワーアーティストのMASSAをお迎えし、展覧会を開催いたします。また、西内ひろが初プロデュースするアパレルブランド“KIGINU”の初公開、オンラインイベントも開催いたします。URL: #PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展【オンラインイベント】9/18(土)17:00~18:00/出演:西内ひろ、大島央照ギリシャで大島が撮影したドキュメンタリー映像を見ながら、旅、写真、写真集の裏話などをいたします。お申し込みURL: ※取材いただける方はURLを発行いたします。オンラインイベント終了後15分間、質問を受け付けます。E-MAIL passportbook2021@gmail.com にオンラインイベント参加と書いて17日(金)21時までに、媒体名、掲載予定日、担当者名を明記し、お申し込みください。#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展■女性ふたり旅。ギリシャで見た美しい景色と植物の生命力・色彩を見せる空間、旅で得たインスピレーションで作る洋服、ここにしかない初のコラボレーション!!「#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE」2nd 写真展「2014年ミス・ユニバースジャパン」準グランプリの西内と、「2002年ミス・ユニバースジャパン」ファイナリストの大島がキューバの旅をスタートとして動き出した#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE。今作は、西内が“一番天国”だと思ったギリシャのサントリーニ島とミコノス島の旅、第2弾。広大なエーゲ海、青い空、宝石のように輝く街、大きな太陽に照らされたピンクに染まる夕景の街etc。ギリシャで見た、ただただ美しい景色と、どんどん開放的になっていく西内のドキュメンタリーを写真と映像に収めました。今回は、ギリシャの写真を見てインスパイアされたMASSAの生命力溢れる花、そして、旅で得たインスピレーションを受けて作った西内の初ブランドとのコラボレーション展示!【#PASSPORT BOOK vol.2 IN GREECE 2nd 写真展×MASSA/at UNDER THE PALMO】Hiro Nishiuchi×MASSA×Chiaki Oshimaギリシャをより近くに感じることができるような葉山の海が目の前に見えるUNDER THE PALMOにて、モデル 西内ひろと写真家 大島央照が旅したギリシャの開放的な景色とリアルなドキュメンタリー写真・映像と、唯一無二の空間づくりを演出するフラワーアーティストMASSAが「天地人・力強さ」をコンセプトとし植物の生命力/色彩を表現。ここにしかない新たな空間を作るコラボレーションを展開。そして西内ひろが初めて監修するブランド1st Collection“KIGINU”。ヨーロッパを旅しながら得たインスピレーションで、美しい自然と共存するものづくりをテーマに、サスティナブルでエコな素材から作り出される生地を使用し洗練された大人の女性の魅力を引き立てるリラックス感あふれるブランドも展示いたします。是非ご覧ください。<西内ひろ/Hiro Nishiuchi>モデル・女優・タレント・フィリピン観光親善大使・宗像国際環境会議アンバサダー/福岡県出身1989年、福岡県生まれ。16歳でデビューしタレント、モデルとして活躍。2014年にミス・ユニバースジャパンで準グランプリを獲得。2018年にフィリピン観光大使に任命され、同国の映画『KINTSUGI(金継ぎ)』にヒロインとして出演(2021年、日本公開)。2020年フィリピンマニラで行われた第四回Pista ng pelikulang Pilipinoにおいて140本の映画ラインナップの中からBest Actressにノミネートされる。最近はSDGsに根差した環境問題への取り組みを国内外で積極的に行っている。趣味で始めた海外旅行では、これまでに40ヶ国を訪れ、そのセンスが好まれアパレル、宿泊施設など幅広くプロデュース・ディレクション業にも力を入れている。Web: 西内ひろ<Massa Nakagawa>フラワーアーティスト/ダイナミックさと繊細さを合わせ持つ独創的なスタイルと、日本的な感性を融合させたフラワーデザインが信条。世界のハイブランドのレセプション、オープニングパーティーの装花演出、雑誌、広告、ウェディングなどのデザインワークを数多く手掛ける。またコンサートのステージデザインなどのアートワークやディスプレイは既成の概念に囚われない空間デザインとして国内外で高く評価されている。2010年「Flowerアート&デザイン協会」会長就任。2012年パレスホテル東京でのWEDDING装花ブランド「MUKU」を立ち上げ、デザイン監修、同エグゼクティブアートディレクターとして就任。Web: MASSA<大島央照/Chiaki Oshima>写真家/京都府京都市出身雑誌IN ROCK, MOVIE STARにて来日ハリウッドスター、各界のセレブリティのポートレートを中心に、広告、雑誌、オフィシャル撮影、映像撮影、ディレクターなど手がける。ライフワークで人の人生の一部を追いかけたフォトドキュメンタリーを国内外で撮影、展覧会に多数参加。2016年 #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBAを企画・撮影・制作・出版。2002年ミス・ユニバースジャパンファイナリスト、モデル、女優として舞台、イタリア映画(TARDA ESTATE/ベネチア国際映画祭招待作品)出演など。最近は、各々のライフステージに寄り添ったChiaki Oshimaフォトプランの展開や、料理撮影のディレクション、ドレスやジュエリー撮影など幅広く行っている。Web: 大島央照【#PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA】60年代から止まったままのキューバの景色を残したい。アメリカとの国交が回復して変わってしまう前に今のキューバの街と、西内ひろが旅するキューバを写真集として残したいという想いのもと、キューバの旅を初めとして#PASSPORT BOOK制作を開始した。#PASSPORT BOOKとは、旅先でスタンプをおしていく様に、旅の思い出を写真と文章で綴るブック。ここにしかない自分だけの#PASSPORT BOOK。一緒に旅をした気になる、旅をしたくなるブックを写真と文章で構成。Web: #PASSPORT BOOK vol.1 IN CUBA 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月16日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第15回は、『素直な子供』について。また、誰もが持っている劣等感について、きしもとさんが持論を展開します。第15回『気休めだけど、持ってってや。』レジャーシートを広げてごっこ遊びをしているところに、フリスビーが飛んできた。遊んでいた女の子たちは突然飛んできたフリスビーに驚きはしたものの、特に迷惑そうにすることはなく、不安定に転がるフリスビーの行く先を見つめていた。レジャーシートから少し離れた、手を伸ばしても絶妙に届かない辺りでフリスビーが止まる。拾ってあげようかそのままにしていようか迷っている。一人の子が立ち上がりフリスビーの方へ歩いて行ったが、案の定というか、拾おうとした女の子と取りに来た見知らぬ男の子とほぼ同時にフリスビーの元に辿り着いた。お互いに気まずそうにしながらも「せっかくだから」という雰囲気で、女の子が拾って渡してあげた。男の子が「ありがとう!」と思いのほか大きな声でお礼を言ったので、素直な子だなと感心する。女の子は返事をせずに戻っていった。素っ気ないなと思う。普段はおちゃらけて僕たちを笑わせてくれるような、天真爛漫を絵に描いたような子なので不思議に思う。それでも、知らない子に親切にしてあげているのを見て嬉しかったので、僕はその子の側に行き「ありがとうって言ってもらえたなあ」と声をかけた。褒められるためにやったわけではないだろうから、偉いとかすごいとかではなく、喜んでもらえて嬉しかったねという気持ちをただ共有するつもりで、話しかけた。少し照れながら、まんざらでもない顔をする。返事をしなかったのは照れ臭かっただけなのだと思い「答えてあげたらよかったのに~」と、助言をするいうよりはどちらかというと調子付かせる感じで言った。するとその子は笑いながら「わたしの声へんやから」と答えた。思いもしない言葉だったので「ん?なんで?変じゃないで?」と間の抜けた返答をしてしまう。「こないだ友達に、笑い声が変やって言われたから声聞かれたくないねん」言う。そんな一言で声を出すことを躊躇するようになるなんて悲しすぎる。けれど、その場で「誰やそんなこと言ったん!許せへん!」と息まくことができないのは、僕自身もその一端を担っていたかもしれないと思ってしまったからだ。いつも変な顔をしながらみんなを笑わせていたその子が、笑われることに本当は傷ついていたのかもしれない。なにも知らずになにも考えずに笑っていた僕は、大きな間違いを犯していたんじゃないか。「まったく変なんかじゃないし、君の楽しく話す声も元気に笑う声も好きやで」と伝えたけれど、その言葉は不安を打ち消す魔法の言葉ではなく、ただの気休めにしかなっていないような気がした。気の弱い、控えめな女の子がいた。その子には仲のいい友達が2人いて、その日も、その2人に付いて遊んでいた。自分の意見をあまり言わずに2人の言いなりになっているように見えて、その子がひとりになったときに「嫌なら嫌って正直に言っていいんだよ」と、声をかけた。「僕はあなたの気持ちに気づいているからね」という風に、救いの言葉として伝えた。するとその子はしばらく黙ってから涙を流した。残念ながらその涙は、理解者が現れた感動からではない。「怒られた」と思って泣いていた。「嫌って言っていいんだよ」という言葉が、嫌だと言えない自分が悪いのだと思わせてしまっていた。そんなつもりじゃないんだよ、と言っても遅い。自分の思いに正直になっていいよっていう言葉で僕は、嫌と言えないその子自身を否定しまっていたのだ。その子は、仲良しの2人に付いて遊ぶことを嫌とは思わず、もしくは自分で嫌だという気持ちに気づいていない中で、外側から「嫌って言えない自分はダメなのだ」と、元々は持っていなかった不安を持たされたことになる。素直な子と聞いてどんな子を思い浮かべるだろう。気持ちよく「ありがとう!」と言えたり、悪いことをして「ごめんなさい」と言える子を見て素直だなと感じる。なにかお願いをして「うん!」とか気持ちよく返事してくれると素直ないい子だなあと思う。けれどそれは、子どもに素直になることを求めているんじゃなくて、聞き分けが良くて可愛げがあることを求めているのかもしれない。僕が求めている姿や正しいような姿だから素直だと感じているのかもしれない。以前、ある保育士さんが「子どもに注意した時、すぐにケロっとしていると馬鹿にされている気になったり、もっとしょんぼりしろよ…と思ってしまう自分がいる」と言っていたのを思い出す。言い返してきたり、嫌がったりしても、それがその子の率直な思いなら「素直」ということのはずなのに、「素直じゃない」と思ってしまう。そんな風に思ってしまう自分に気づいて、自分はダメだなあって落ち込む。じゃあ、「嫌だ」とはっきり言えることが素直なんだろうか、と考えてみる。いや、自分の気持ちを表せられたらいいけれど、表さないのもその子の表現であるなら否定しちゃいけない。自分の気持ちを真っ直ぐ表すことが素直であることならば、恥ずかしくて黙ってしまうことも、嫌って言えないのも、その子のそのままの気持ちでそのままの姿だ。その子の「素直な姿」を僕が勝手に、「自分の思いが言える子に」と理由をつけてひねくれさせているだけだ。もちろんうまく自分を表せられなくてしんどい思いをしている場合もあるだろうから、ほっとけばいいわけじゃない。素直であることを大切にしたいなら、その子の素直な気持ちを「自分の気持ちを素直に表そうよ」なんて矛盾した言葉で否定してしまわないようにしたいということ。その保育士さんは「自分が言っていた素直な子って、自分が保育しやすい子どもなんじゃないか、そこからズレた素直さが受け入れられないんだろうな」と葛藤を見せながら言った。そして「その子の素直さって「価値」ではなくて、ただ守られるべきもののはずなのに」と続けた。本当だな。素直であるかどうかを測っている時点で、その子の本当の気持ちなんて見ることができていないのかもしれない。それでも、僕は子どもに本当の意味で素直な気持ちでいてほしいから、間違えて傷つけてしまわないように向き合っていたいんだ。そのためにできることはなんだろうって考えたら、その子がどう感じているんだろうって思いを巡らせることしかないのかもしれないけれど。小学生のときに「笑い方気持ち悪いな」と言われたことがある。たったその一言だけで、それから20年以上経った今でも、自分が笑っている顔を写真で見たり、ビデオ通話をしていて視線の端に入ったりするのも嫌だ。きっと言った子は覚えてないだろうから、同じようなことを僕も誰かに言っていて、同じように僕も覚えていないんだろう。あからさまに意地悪で言っていることもあれば、全く悪気がなく言っていることもある。自分にそんなつもりがないのに相手を傷つけてしまうことも、相手にそんなつもりがないって分かっているのに自分が傷ついてしまうこともある。自分の笑顔をまじまじと観察して嫌いになったわけじゃないのに、なんとも思っていないそいつに言われたその一言で、なんで自分で自分を嫌いにならなきゃいけないんだろう。「お前に言われたないわ」と一言返せばよかったのに、と思いながら、一言返したとしてもきっと傷ついていただろうし、ずっと心に残っている。それは、人格を揺るがすような大袈裟なものだけでなく、例えば好きなお菓子なんかを「そんな味が好きなの?」と馬鹿にされたりしても、「大きなお世話じゃ」とは言えず、言えたとしても心のどこかでは「自分は変なんだろうか、劣っているんだろうか」って思ってしまうだろう。いま抱いている不安や劣等感はどこからやってきたんだろうって改めて考えてみると、もしかしたら自分で見つけたものではなく、僕じゃない誰かが作ったものを持たされているだけかもしれない。僕は頭髪が薄くおデコが後退している。いわゆるハゲだ。ただ僕がハゲていることを喜べないのは髪型でオシャレができないからではない。なぜか劣っているように感じるからだ。ただ、冷静になってみたら髪の毛が少ないだけでなんで劣ってるってことになるんだ。ならないだろう。悪口で「ハゲ!」とか言われるけど、誰が言い出したんだ。あれ悪口じゃなくてただの事実やからな。事実を言うだけやったらこっちだって言ったるわ!イケメン!ハンサム!いかん、取り乱してしまった。劣等感を刺激して、さも正しい姿があるように見せて、そうでなければ劣っている、と感じさせる物を社会の中では多く目にする。戦略的な商業広告から、普段の生活の会話まで、なにかしら「こうあるべきなんじゃない?」という感情を持たされている。小学生のまだ低学年の子でも「太ってるからおやつ食べない」とか「足の毛が濃いから見せたくない」と言う子がいる。周りと自分との違いに気づいて自分の身なりなどが気になっていくことは発達の過程で見られる育ちのひとつだ。だけどこの場合は違うだろう。その子が自分とほかの子を見て気づいた違いではなく、自分ではない誰かから持たされた劣等感だ。そしてそれはとても悲しくてしんどいことだ。「素直になろう」とか「元気でいよう」という言葉も、もしかしたらそうなっているのかもしれない。子育てでしんどいことや不安に思うことも、自分で考えて生まれた不安ではなく、周りから持たされた劣等感ということも多くあるんじゃないか。「子どもがかわいそう」「親として」「愛情が」そんな言葉なんか「大きなお世話じゃ!」と一蹴すればいいのかもしれないけれど、そう思おうとしても心の奥底では「自分はできていない」と思ってしまう。子どもたちと楽しく過ごしたいと思っていても、行儀良くさせなきゃ、好き嫌いさせない、手抜きしちゃいけない、そんなことを考えてしまうと、なぜだか楽しく過ごしているだけではダメな気がしてしまう。逆に「心の余裕があることが大切です」「楽しんだほうがいいです」なんて言葉を聞いても、楽しめていない自分がよくない気がするし、さらに余裕がなくなっていく。そのしんどさは、もしかしたら誰かに持たされているのもかもしれない。その子の姿を見て不安になっていると思っていても、どこかで聞いた正しい姿ではないから不安なのかもしれない。自分とその子の関係が苦しいように見えて、誰かが言っていた形にならないから苦しいのかもしれない。その子と自分との関係は、ふたりにしか分からないのに。色んなしんどさがあるけれど、その子と自分との関りだけで両手はいっぱいなんだから、誰かに持たされた不安はその辺に置いとけたらいいな。いや、この言葉もまた僕が誰かに不安を持たせているかもしれないから、置いておけなくてもいいなとも思えたらいいなって書き足しておこう。余談ですが「笑い声が変だと言われたから」と言っていたその子が、その後声を出さなくなったり話さなくなったりすることは、少なくとも一緒に過ごした一年程の間には、なかった。相変わらずおちゃらけている姿を見てそんな大げさに考える事ではなかった、と思いたいけれど、それはできない。もしかしたら、あれからずっと気にしているかもしれないし、忘れていたとしても何かのきっかけで思い出すかもしれない。みんな何かしら誰かから持たされた不安を抱えているのだと思う。「そんなことないよ」って言われても、きっと残念ながら、その呪いみたいなものはずっと無くならない。けれど、そのたびに「そんなことないよ」って言ってもらえたことも思い出して、どうにかやっていけるのかもしれない。「大丈夫やで」「そんなことないで」そんな言葉は気休めのように聞こえるかもしれないけれど、僕もその気休めの言葉に救われていたりする。誰かに言われたしんどい言葉を捨てられないなら、ついでに別の誰かが言った気休めもカバンにぶち込んでおくのはどうだろう。なんとなく取り出してしまったしんどい言葉に絡まって「そんなことないで〜」と出てきてくれ。僕がかけた言葉も「でも、あいつはそんなことないでって言ってくれてたよな」って、しんどい言葉に釣られて思い出してくれたらいいな。「なんて言ってたか覚えてないけど、そんなことないでって言ってくれてたような気がするな」って。「どこの誰やったか覚えてないけど」って。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年08月14日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日フレンズが4月30日、昨年末より活動休止をしていたメンバー・ひろせひろせ(MC / Key)の脱退を発表した。配信がスタートした新曲「急上昇あたしの人生」のミュージックビデオも公開されている。この脱退の発表により、今後はえみそん(Vo)、三浦太郎(Cho/Gt)、長島涼平(Ba)、関口塁(Dr)の4人でバンドは継続。そして新体制となったフレンズの初の新曲となる本MVでは、えみそんが初めてMVの監督を務めている。自らが企画立案しアイデアに溢れた演出で、疾走感ある楽曲の世界観を見事に表現。音楽のみならず多彩な才能を発揮し、これからのバンド活動に期待が膨らむ見応えのある内容だ。楽曲自体は、ひかりTVオリジナルドラマ『取り立て屋ハニーズ』の主題歌として好評配信中。新ビジュアルも、これからも様々な形で楽しませてくれる予感のする、爽快なメンバーの姿が印象的なものだ。新たなフェイズを迎えたフレンズの今後の更なる飛躍を期待しよう。■リリース情報『急上昇あたしの人生』4月30日(金)配信リリース■公演情報「フレンズワンマンツアー “UNO!”」5月29日(土)会場:愛知・THE BOTTOM LINE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:305月30日(日)会場:大阪・Banana Hall1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:306月5日(土)会場:東京・duo MUSIC EXCHANGE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:30※各回90分程度の公演を予定。料金(税込):全自由¥5,000※未就学児入場不可※お一人様2枚まで※ドリンク代別途必要※政府指定のガイドラインに沿った形での開催。※オンライン配信の予定なし
2021年04月30日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日