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フジテレビでは10月17日より、松本若菜主演の木曜劇場『わたしの宝物』を放送中です。12月19日からはFODにて、木曜劇場『わたしの宝物』FODオリジナルストーリー『ぼくの宝物』の配信がスタートしました。(配信ページ)■中学生の冬月と美羽の出会いと別れを描く、“もう一つの物語”同作は、夫以外の男性との子どもを、夫の子と偽って産んで育てる「托卵(たくらん)」を題材に、大切な宝物を守るために悪女になることを決意した一人の女性とその夫、そして彼女が愛した彼、3人のもつれあう感情を完全オリジナル脚本で描く、ひりつく大人の恋愛ドラマです。主人公の神崎美羽を松本若菜さん、美羽の夫・神崎宏樹を田中圭さん、美羽の幼なじみ・冬月稜を深澤辰哉さんが演じています。木曜劇場『わたしの宝物』FODオリジナルストーリー『ぼくの宝物』は、冬月と美羽が出会った中学時代の冬月(小山十輝)と美羽(原田花埜)の交流が描かれています。大人になった冬月が過去の自分と向き合い、「宝物」となった過去の美羽との出会いと別れを振り返っていきます。同作はFODプレミアムにて独占配信されます。本編とあわせてぜひ、楽しんでみてはいかがでしょうか。◇『ぼくの宝物』あらすじ冬月稜(深澤辰哉)にとって、中学1年生の時に夏野美羽(原田花埜)に出会ったことは、忘れられない思い出だった。中学生の冬月(小山十輝)は、怪我のためにバスケ部を辞めざるを得なくなり、夢をあきらめなければならない悲しみの中にいた。そんな時、引き寄せられるように入った図書館で美羽を見かける。別の日、冬月が再び図書館に訪れると、同じ席で刺繍をしている美羽の姿があった。そんな美羽に心を惹かれた冬月は、毎日図書館に通うようになって……。大人になった冬月にとって大切な「宝物」となった、中学生の冬月と美羽が交流を重ねながら心を通わせていく日々が描かれる。■番組概要『ぼくの宝物』〜木曜劇場『わたしの宝物』FODオリジナルストーリー(全1話)配信:2024年12月19日22時54分配信開始出演:深澤辰哉原田花埜小山十輝脚本:井本智恵市川貴幸音楽:福廣秀一朗植田能平主題歌 :野田愛実『明日』(avex trax)プロデュース:三竿玲子(『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』、『あなたがしてくれなくても』、『BOSS』シリーズ他)演出:國武俊文(FILM)制作著作:フジテレビジョンURL:(オフィシャルサイト)(エボル)
2024年12月20日現在放送中の木曜劇場「わたしの宝物」のオリジナルストーリー「ぼくの宝物」が、FODプレミアムで独占配信される。「わたしの宝物」は、夫以外の男性との子どもを夫の子と偽って産み育てることを決めた女性の物語。主人公の神崎美羽を松本若菜が演じ、彼女の夫・神崎宏樹を田中圭、美羽の幼なじみ・冬月稜を深澤辰哉(Snow Man)が演じている。今回配信が決定したオリジナルストーリーでは、冬月と美羽が中学時代に出会ったころのエピソードが描かれる。深澤演じる冬月が過去をふり返り、彼にとっての「宝物」となった美羽との思い出をたどる。あらすじ冬月稜(深澤辰哉)にとって、中学1年生のときに夏野美羽(原田花埜)に出会ったことは、忘れられない思い出だった。中学生の冬月(小山十輝)は、怪我のためにバスケ部を辞めざるを得なくなり、夢をあきらめなければならない悲しみの中にいた。そんな時、引き寄せられるように入った図書館で美羽を見かける。別の日、冬月が再び図書館に訪れると、同じ席で刺繍をしている美羽の姿があった。そんな美羽に心を惹かれた冬月は、毎日図書館に通うように。大人になった冬月にとって大切な「宝物」となった、中学生の冬月と美羽が交流を重ねながら心を通わせていく日々が描かれる。「ぼくの宝物」は12月19日(木)22時54分~FODプレミアムにて配信(全1話)。「わたしの宝物」は毎週木曜日22時~フジテレビにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年12月18日人は皆、それまで蓄積されてきた経験のなかから自身の言葉「わたしの言葉」を育んでいる。誰かのことを知ることは、その人の「わたしの言葉」をそのまま受けとろうとすることから始まるのではなかろうか——そうした思いを出発点として「ことば」について考えるグループ展が、4月18日(木)から7月7日(日) まで、東京都現代美術館で開催される。参加するのは、様々なかたちで言葉に関わる作品を発表している5人のアーティストたちだ。日本とフランスの2拠点で活動し、第一言語ではない言葉と向き合いつつ、アイデンティティの不安定さや多重性、記憶の持続をめぐる新しい「語り方」を探るユニ・ホン・シャープ。日本列島北部周辺の先住民族であるアイヌとして、アイヌという存在自体の否定や、ステレオタイプや理想の押し付けに直面しながらも、個人として言葉を紡ぎ続けているマユンキキ。マユンキキ《Siknure – Let me live》2022 年、Ikon ギャラリー(バーミンガム)での展示風景 Photographer Stuart Whipps, courtesy of Ikon Gallery.3歳半で失聴し、音声日本語を母語として育つも、今は視覚言語である日本手話を第一言語として、複数言語の「ゆらぎ」をテーマとした身体表現を行う南雲麻衣(なぐもまい)。南雲麻衣 Photo: 齋藤陽道障害のある人や高齢者など、言葉の表出や身体の動作を思い通りにしにくい人たちと向き合い、内なる「からだの声」に耳を澄ます身体表現ワークショップで高い評価を得ている新井英夫。新井英夫《踊ルココロミ Improvisation Dance with ALS》2022 年- 撮影:イタサカキヨコ独自のコミュニティをもち、日本語を使わずに暮らす在留外国人たちとのコミュニケーションを丁寧に積み重ね、2023年の恵比寿映像祭でコミッション・プロジェクト特別賞を受賞した金仁淑(キム・インスク)。金仁淑《Eye to Eye》2023 年 恵比寿映像祭 2023 コミッション・プロジェクト ©KIM Insook出品作は、皆が同じ言語を話しているように見える社会にも異なる言語があることや、同じ言語の中にも違いがあることに目を凝らそうとするものだ。会話の様子をとらえた映像作品が多いが、ただ見るだけでなく、鑑賞者が映像内の人物と目線を合わせて座ったり、ときにアーティストの言葉に従った行動を体験するといった仕掛けもある。自らの身体性を振り返りながら相手の話に耳を傾けることが、自分とは異なる誰かの、そして自分自身の「わたしの言葉」を大切に思うことにつながるのではないか——それが展覧会に込められた願いのひとつのようだ。なお、会期中は、アーティスト本人が展示室で過ごす時間が設けられているとか。アーティストと言葉を交わすことによっても、作品体験をより深められる興味深い展覧会だ。<開催概要>『翻訳できない わたしの言葉』会期:2024年4月18日(木)~7月7日(日)会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F時間:10:00~18:00(展示室入場は17:30まで)休 館:月曜(4月29日、5月6日は開館)、4月30日(火)、5月7日(火)料金:一般1,400 円、大学・65 歳以上1,000円、高中600円公式サイト:
2024年04月02日「わたしなんてかわいくないから…」「あー…」男性が避ける女性の特徴男性にとって「モテなさそうな女性」は恋愛対象から外されてしまうケースもあります。今回は男性が避ける女性の特徴を紹介します。ネガティブ思考が強い恋愛する際に、過去の失敗体験からネガティブ思考に陥る女性もいるでしょう。「私にはできない」「うまくいく訳がない」などと感じてしまっていませんか?これらの感情を内面に留めているのか、口に出してしまうのかで評価が変わります。男性たちは、ネガティブ発言が多い女性とすごす時間には、楽しさを見いだせないだろうと感じます。なるべく、ポジティブな思考に切り替えてみるといい結果が待っているかもしれません。飲みすぎて終電を逃す彼と一緒にいる時間を延ばしたくて、あえて飲み会の帰りは終電を逃す、そんな経験はありますか?ですが、すべての男性が女性を「持ち帰りたい」と願うっているわけではありません。まだ恋人同士ではない異性と飲む場合「終電を逃す」女性に対して引いてしまう男性もいるのです。それぞれの距離感を大切にし、少しの期待感を残すくらいがベストかもしれません。感情のコントロールが難しい起伏の激しい女性は「モテない」イメージがつくことが多いよう。恋愛の話でつい顔色が変わってしまったり、お酒を飲んで突然泣いてしまったり。他人の機嫌を読むことは、予想以上にエネルギーを要します。自分で自分の機嫌をとれるように、コントロール方法を学ぶといいでしょう。元カレへの否定的な発言過去の恋愛に向き合うため、元カレの悪口を言う女性も、男性からの評価は低くなります。単に口が悪いだけではなく「自分も恋人になれば、同じように見られるのでは?」と考える男性もいます。過去は過去として捉え、誰も傷つけないような軽い話題として上手く話すとよいでしょう。なりたい女性像は…一方で「あの子はモテるらしい」と噂が立つと、その女性に対する意識が高まることがあります。自分がどんな女性像を目指しているのか、一度考えてみてはいかがでしょうか?(愛カツ編集部)
2024年02月12日自分に女性としての価値がどれだけあるんだろうか……。好きな男性がなかなか振り向いてくれなくて、自分の価値がわからなくなってしまったことはありませんか?「わたし、大丈夫かな……」と焦ってしまうとき、何をどうチェックすればいいんでしょう。今回は、そんな女性として自信をなくしてしまいそうなときに確認すべき4つのことについて紹介していきます。「思い込み」をしていない?たとえば、ある企業が「コレは最高の商品だ!」と自慢の品を売り出していたとしましょう。しかし、それを「最高だ!」と認める買い手がいなければ、企業の思惑は空振りと言えるかもしれません。同様に、「エステにも行ったし、美容院にも行って、男ウケする服を着たから、私はモテるに違いない」と思うのはキケン。自己満足や女友達からの褒め言葉は、彼が下す評価に等しいとは限らないかもしれません。色気を過剰アピールしていない?色っぽいのはいいけれど、アピールの仕方には注意した方がいいかもしれません。過剰な露出など、パッと見てわかるものではなく、女性らしいほんのりと匂い立つような色気をかもし出すことが大事ですよね。美しさや女性らしさを高めることは、確かに男性の目を引くものです。でも、ただの自己満足で終わっている女性も少なくないかもしれません。彼のニーズに応えられてる?「抱きたいと思わせる魅力があるか」「彼女としての関係を期待させる魅力があるか」「妻としてふさわしいと思わせる魅力があるか」彼が求めているものに自分はちゃんと合致しているか、確認してみてもいいでしょう。たとえば、彼が結婚を視野に入れている場合。外見を磨くことに加えて、「彼の胃袋を掴むためにも料理の腕を上げる」ことも必要かもしれません。彼にとって、なにが高い価値と見なされているのかを正しく見極め、身につけるようにしましょう。彼はなにを求めているのかが重要もし意中の男性を射止めたいなら。彼が「彼女・奥さんに何を望むのか?」を、正しく把握してアピールすることが重要かもしれません。それさえキチンとできていれば、すぐに振り向いてくれるはずですよ。「私、大丈夫? 賞味期限切れしてない?」なんて不安を感じているならば、ぜひ参考にしてみてくださいね。(沙木貴咲/ライター)(愛カツ編集部)
2023年06月10日『「わたしはわたし」で生きていく。』書影株式会社PHP研究所(京都市南区・代表取締役社長 瀬津要)は、2023 年5月20日に『「わたしはわたし」で生きていく。』(バービー著/税込 1,540円)を発売します。これを記念して、紀伊國屋書店新宿本店でバービーさん本人が登場するサイン本お渡し会を開催いたします。■「私は私」をモットーに、読者の悩みに答える生き方エッセイ“ボディポジティブ”とか“セルフラブ”とか、そういう新時代の波がやって来る前、私はただの変わり者で、マイノリティで、考え方や価値観に共感されることもあまりなかったし、ときには笑われることもあったほどで、周囲からは宇宙人みたく思われていました。それなのに今、私の話を聞いてくれる人がこんなにもいる。私は私のままで、中身は同じ人間なのに、世間の評価が変わったのです。(プロローグより)価値観の移り変わりで、自分の評価が変化することに、最初は戸惑うこともあったというバービーさん。高評価に感謝しながらも世間は当てにならないことを再認識し、「私は私で生きていれば結果オーライ」と思いを新たにします。本書はこのメッセージをベースに『外見って大事なの?』『「いい女」ってどんな人?』『愛とお金、選ぶならどっち?』など、読者の疑問にバービーさんが“持論”で答えます。■書店イベント開催本書の刊行を記念して、バービーさん本人が来場し、紀伊國屋書店新宿本店でイベントを行ないます。当日、会場で『「わたしはわたし」で生きていく。』をご購入の方に、バービーさんが直接サイン本を手渡しいたします。【日時】5月20日(土)18時~【会場】紀伊國屋書店新宿本店【参加方法】チケットサイトPeatixにて。ご当選の方は紀伊國屋書店新宿本店にて新規で対象書籍のご購入が必要です。詳細は当選メールを参照ください。【イベント参加に関する詳細】紀伊國屋書店HPをご確認ください。 【お問合せ】紀伊國屋書店新宿本店2階売場直通03-3354-5702【取材のお申込み】当日は同会場での囲み取材を予定しています。詳細決まり次第ご案内を差し上げますので、取材ご希望の方は、下記までお問い合わせください。〇株式会社PHP研究所 広報宣伝課野畑、瀬間TEL 03-3520-9638/MAIL prinfo@php.co.jp ■著者プロフィール著者近影バービーお笑い芸人、コメンテーター。1984年北海道生まれ。2007年、お笑いコンビ「フォーリンラブ」を結成。男女の恋愛模様をネタにした「イエス、フォーリンラブ!」の決め台詞で人気を得る。2020年7月から2022年3月までTBSラジオ『週末ノオト』パーソナリティを務める。また、話題を呼んだピーチ・ジョンとのコラボ下着は、好評につき第6弾まで続いている。現在は、芸人としての活動だけでなく、地元北海道の町おこしや、FRaU webにてエッセイの執筆や、TBS『ひるおび!』のコメンテーターとしても活躍中。2019年末開設したYouTube「バービーちゃんねる」では355万視聴回数を超える動画もある。著書に『本音の置き場所』(講談社)がある。【書誌情報】タイトル:「わたしはわたし」で生きていく。著:バービー判型・製本:B6判変型並製ページ数:192ページ定価:1,540円(税込)発売日:2023年5月20日ISBN:978-4-569-85365-9発売元:株式会社PHP研究所Amazon.co.jp: 「わたしはわたし」で生きていく。 : バービー: 本 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年04月25日株式会社サンクゼールは2022年12月1日(木)より、サンクゼール公式オンラインショップにて、「わたしの毎日スープ蟹のビスク」(以下、蟹のビスク)、「わたしの毎日スープブイヤベース」(以下、ブイヤベース)を発売いたしました。また、全国のサンクゼール店舗でも順次販売を開始しております。蟹の濃厚な旨味と牛乳のまろやかさが絶妙「わたしの毎日スープ蟹のビスク」ビスクとは甲殻類を使ったスープのこと。 牛乳で3倍に割って電子レンジで温めるだけで、蟹の濃厚な旨味と牛乳のまろやかさが絶妙にマッチした滋味深いスープをお楽しみいただけます。蟹の身だけではなく蟹みそも使って味に深みを出していますので、お口の中いっぱいに蟹の旨味と蟹みそのコク深さが広がります。ご飯と牛乳、チーズを加えたリゾットのアレンジもおすすめです。▲わたしの毎日スープ蟹のビスク:754円(税込)※イメージ商品情報はこちら : 魚介の味わい豊かなスープ「わたしの毎日スープブイヤベース」あさり、えび、白身魚の旨味をたっぷり凝縮した魚介の味わい豊かなスープです。香辛料の効いた本格的な味わいで、湯気とともに立ちのぼる香りが食欲をそそります。えびやあさり、玉ねぎといった具材感も豊富で満足感ある食べ応えです。飲み方はお湯で3倍に割って混ぜるだけ。スープだけでなく、お好みの具材を入れて洋風おでんへのアレンジもおすすめです。▲わたしの毎日スープブイヤベース:754円(税込)※イメージ商品情報はこちら : 体の芯から温まる「わたしの毎日スープ」はこれから寒くなる季節にピッタリですね。かわいらしいデザインのラベルは、大切な方へのプレゼントにもおすすめです。ぜひお試しください!商品情報商品名:わたしの毎日スープ蟹のビスク販売価格:754円(税込)商品ページ: 商品名:わたしの毎日スープブイヤベース販売価格:754円(税込)商品ページ: 販売店舗:全国のサンクゼール店舗(一部店舗を除く)、オンラインショップオフィシャルオンラインショップ: 楽天市場店: 会社概要会社名:株式会社サンクゼール本社:長野県上水内郡飯綱町芋川1260代表者:代表取締役社長久世 良太創業:1979年設立:1982年事業内容:ジャム・ワイン、その他食品の製造販売、ワイナリー、レストラン、売店などの直営、及びフランチャイズ展開オンラインマーケットプレイス「旅する久世福e商店」の運営ホームページ URL : オフィシャルオンラインショップ: 楽天市場店: オンラインモール「たびふく」: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年12月01日無添加コスメの企画・販売を行うgreenGORILLA(所在地:大阪府大阪市、代表:酒見 梨花(サケミ リカ))は、Instagram上で抽選5名様に「ぼくとわたしのバブルバス」の現品をプレゼントする『greenGORILLA商標登録記念キャンペーン』を開催いたします。「ぼくとわたしのバブルバス」は、こどもと赤ちゃんの『知育・五感あそび・愛着形成』ができる自然由来指数98%<*1>の肌にやさしい無添加<*2>浴用入浴料です。キャンペーンURL : Instagramアカウント: @green.gorilla222ぼくとわたしのバブルバス 商品イメージ「ぼくとわたしのバブルバス」URL: greenGORILLAは商標を出願(登録料支払い済み)しており、今後ますますブランド力を上げて『国産無添加バブルバス』、『子どもの知育・愛着形成』、『子どもたちの未来を考えたサステナビリティ』をテーマにした唯一無二のブランドの拡大を目指していきます。■キャンペーン応募条件・Instagram公式アカウント(@green.gorilla222)をフォロー・10月15日のキャンペーン投稿をいいね&コメント・募集期間10月31日23:59まで。当選者発表は11月3日のストーリーにてメンションにてお知らせをさせていただきます。■注意事項・当選確定後、当選者にはDMにて詳細を送り、11月15日までに発送完了を予定しております。・メンションしてもOKな方のみご応募お願いいたします。・当選者様は「#ぼくとわたしのバブルバス」のハッシュタグをつけて、フィードorリール&ストーリーの投稿ができる方のみのご応募をお願いいたします。■「ぼくとわたしのバブルバス」開発背景「泡風呂は子どもの知育・感触遊び・情操教育にとてもいい!」海外製バブルバスを輸入して使用してきた実感。しかし日本市場はキャラクターの版権や大量製造、肌に不要な添加物まみれで“本当に子どものことを考えた製品”が少ないことを母親として懸念していました。そこでコロナ禍の『お家時間』に着目し、2児の母親でもある代表が、ストレス緩和・家族間コミュニケーションが取れる商品開発をしました。絵本感覚で読めるオリジナルイラストのバブルバスの遊び方リーフレット付き■商品の特徴*自然由来指数98%<*1>二児の母親が考えた肌にやさしい無添加<*2>国産バブルバス。他製品のバブルバスの9割以上に入っている石油系界面活性剤を使用せずに、べビー・敏感肌向け製品用植物由来界面活性剤を使用。原液も弱酸性にすることでよりやさしい仕上がりに。*エモリエント成分はシア脂やアロエベラ葉エキスなどの自然派成分や、塩素を中和するビタミンC(アスコルビン酸)配合。さらにお肌への負担を考え、やさしい乳化剤(オレイン酸ポリグリセリル-10)使用。*【天然香料100%】子どものからだ基準の精油、最大量配合。天然精油のラベンダー・クラリセージ・ベルガモットの独自ブレンド。コロナ禍のストレス社会にピッタリな、気持ちを前向きにしてくれる爽やかで上品な香りと、入眠前に気持ちが落ち着くパパ・ママ・子どもたちがリラックスできるように考えられたリラックスフローラルの香り。*どんな浴室に合うように作られた自然派ブランドらしいシンプルなデザイン。“一目見て何かわかる”日本語の商品名に親と子ども目線のあそび方ガイドブックの配布。サステナビリティを意識して省プラスチック&省ゴミ&省スぺース設計。ネット販売での配送負担を減らすために薄型容器を採用。■商品概要商品名: ぼくとわたしのバブルバス発売日: 2022年8月1日(クラウドファンディング終了日以降)価格 : 2,310円(税込)サイズ: 約 縦170mm×横100mm×奥行3cm全成分: 水・デシルグルコシド・ラウリルグルコシド・シア脂・アスコルビン酸・BG・ラベンダー油・オニサルビア油・ベルガモット果皮油・オレイン酸ポリグリセリル-10・クエン酸・フェノキシエタノール・エチルヘキシルグリセリンURL : ■事業概要屋号 : greenGORILLA代表者 : 酒見 梨花所在地 : 大阪府大阪市北区梅田1-1-3 大阪駅前第3ビル29F 1-1-1設立 : 2022年2月事業内容: 化粧品企画・販売元URL : <*1>自然由来指数98%(水含む)ISO16128準拠<*2>石油由来界面活性剤(ラウレス硫酸Na)フリー・パラベンフリー・アルコールフリー・合成香料フリー・合成着色料フリーラベンダー・ベルガモット・クラリセージ 独自ブレンド天然精油100%【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】お客様相談窓口TEL : 050-6878-6145お問い合せフォーム: LINE公式アカウント @193hrkje 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月13日娘とのお出掛けでは、もっぱらリュックを愛用しているわたしですが、子育て以前はトート派でした。子ども抜きでお出掛けする日だと「またトートを持ちたいな」と思うものの、わたしももう40代。定番のキャンバストートはカジュアルすぎるし、かといって子育てしているとあまりカチッとしたものも持ちにくい。そこで見付けたのが、Agreable(アグレアーブル)の舟形トートバッグです。大人っぽさのさじ加減が、今のわたしにちょうどいい。ママ友ランチや保護者会などで大活躍しています。ナイロンなのに上品、その理由は?一見キャンバス地のように見えますが、本体は撥水加工されたナイロン100%素材。普通ナイロンバッグというとカジュアルすぎたり、スポーティーになりやすいのですが、そんなイメージをまったく感じさせません。上品見えする3つのポイント1.程よい厚みがきちんと感を演出クタッとなりやすいナイロン素材ですが、こちらは程よく厚みがあるタイプ。ハリがあってきちんとした雰囲気が漂います。2.効果的なレザーのアクセント持ち手部分には牛革をポイント使い。アクセントとしてのレザーが、バッグ全体をグッと大人っぽく見せてくれます。3.大きすぎないサイズ感バッグは小さいほど上品に見えるもの。こちらのトートは本体をA4が入るギリギリ大きさにし、持ち手はショートハンドルでスッキリと。収納力はあるのにコンパクトに持つことができます。見た目以上に軽くてたっぷり入る!持った印象は、「軽い!」そして使ってみると、「こんなに入るの?!」ナイロン製ということで、本体はたったの350g。そして小さく見えて収納力がしっかりあります。お財布やスマホといった必需品のほか、日よけ帽子、晴雨兼用傘、水筒といった今の季節ならではのアイテム(しかもかさばるもの)が余裕でイン。日によってはここに携帯用の室内履きやおやつを入れることもあります。そして嬉しいのが、コンパクトながらA4のクリアファイルが入れられること。▲荷物が多いと書類が少し曲がります。またA4を入れるとスナップボタンは留まらなくなります。参観日や保護者会など園の用事では、持ち帰り用の書類をもらうことがよくあります。だからA4が収納できるのはわたしにとって、バッグの必須条件。気負わず持てるから、自然と出番が増えていくナイロン製バッグといえば耐久性の高さも魅力ですが、こちらはさらに、デイリーユースしやすい機能がいろいろ備わっています。◎撥水加工(小雨程度なら平気)◎置いた時に自立する(出し入れスムーズ)◎底の金具(直置きしても汚れにくい)屋外でも、多少の雨でも、荷物がパンパンになっても、ぜんぜん平気。取扱いに気を使わなくていい、というのが本当にラクちんで。もともとは、わたしがひとりで出掛ける日だけ使う予定でしたが、子どもとのお出掛けでもつい手に取ってしまいます。カジュアルからきれいめまで、ニュートラルなトートバッグママ友ランチできれいめの装いをする日は、コーデにきちんと感を添え、公園遊びの日は、子育てカジュアルを底上げしてくれる存在。カジュアルすぎず、カチッとしすぎず、そのバランスがすごく絶妙。このニュートラルさは、ありそうでないなと感じます。通勤や休日のお出掛けはもちろん、子育てママにもフィットするAgreableの舟形トート。子どもの手が少し離れて自分の時間が取れるようになった方や、マザーズバッグを卒業して次のバッグを考えている方は、ぜひチェックしてみてください。 【ご紹介したアイテム】光沢を抑えたナイロン素材に牛革をポイント使いした大人のトートバッグ。コンパクトに見えてA4サイズもぴったり入ります。通勤からカジュアルスタイルまで幅広くマッチ。⇒ 撥水ナイロン 舟形トートバッグ/アグレアーブル Agreable【送料無料】 池田奈未好きなものは、まち歩き、カメラ、淹れたてコーヒー。収納の少ない家で3人暮らし。すっきり心地よい暮らしを目指しています。
2022年08月02日アカデミー賞国際長編映画賞・脚本賞ノミネート、カンヌ国際映画祭女優賞の話題作『わたしは最悪。』より、本予告映像とポスタービジュアルが解禁された。本作は、海外の映画祭で高く評価される『母の残像』『テルマ』などのヨアキム・トリアー監督が斬新な映像表現で、主人公の女性、ユリヤの衝動的な日々を描いたノルウェー発の異色作。これが映画初主演となるレナーテ・レインスヴェが、子どものような無邪気さと愚かさ、大人のずるさと賢明さが混在する感情の揺れ動きを、グラデーション豊かに表現、繊細かつ大胆な演技でユリヤを演じきった。今回解禁となった予告映像では、主人公のユリヤが新たな出会いに胸高鳴る様子から始まる。いまの彼の元で幸せと思いながら、小さな違和感に気づかないふりをして過ごしてきたユリヤ。けれどもある時自分に「これは望んでいた自分?」と問いかけ、オスロの街を新しい恋に向かって走り出す。60~70年代に活躍したハリー・ニルソンのキャッチーな楽曲「I Said Goodbye to Me」にのせて、遊び心溢れる独創的な映像が映し出される。ユリヤのセリフは行動とはうらはらなところもあるが、常に本音だから突き刺さる。世界中から共感や絶賛の声が続々と寄せられる本作ならではの新鮮な映像や構成が垣間見える予告編となっている。さらにポスターは、添えられたキャッチコピー<人生は選択―時々、運命>を体現するかのように、ユリヤが吹っ切れたような表情とともにオスロの街中を駆け抜ける様子を切り取ったもの。加えて、本作の原題でもある「The Worst Person In The World」のテキストの中に、彼女のいくつもの人生のワンシーンが切り取られコラージュされたユニークなビジュアルとなっている。『わたしは最悪。』は7月1日(金)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2022年04月29日全国のクリニックから検索美容医療ポータルサイト「わたしの名医」がリニューアルされた。「わたしの名医」では美容医療が受けられるクリニックを探すことができ、美容医療に関する情報なども知ることができる。「わたしの名医」を運営する株式会社ヘッドスプリングがこのサイトを公式リリースしたのは2020年7月のこと。その後も美容医療への需要が高まっており、美容医療に興味のある人や、医療関係者にもおすすめのコンテンツを掲載し続けている。効果・施術後の経過・ホームケアのレポートも健康や病気に関することでは、それぞれが「かかりつけ医」を持つことが推奨されている。「かかりつけ医」には健康に関するあらゆる相談ができるが、美容医療に関する限り、そのような医師や医療機関を探すことは難しい。「美容医療のかかりつけ」をコンセプトとする「わたしの名医」は、全国のクリニックと患者をつなぐポータルサイトである。美容医療の医療機関の検索はもちろん、施術やダウンタイム、ホームケアなどについての知識も得られる。また、「医人VOICE」のコンテンツではドクターの人柄やクリニックの魅力を含め、診療のこだわりなどを掲載。「名医こだわりのブランド」では、おすすめのドクターズコスメを紹介し、それらを購入できるクリニックやオンラインショップも紹介されている。(画像はプレスリリースより)【参考】※美容医療のかかりつけ医 わたしの名医
2022年04月29日■前回のあらすじ人見知りな私が子育て支援センターデビューをしたものの、周りの会話についていけず…。こんにちは、宝あり子です。周りの会話についていくことができない。しかし帰るタイミングも見つからない…。じっとみんなの会話を聞いているだけの状態が続きました。■心がポッキリと折れ、子育て支援センターに行かなくなった同じマンションの人たちが帰ろうとしていました。慌てて、わたしも一緒に帰ろうと思い…。同じマンションの人たちは先に帰宅。同じマンションという話をしていたので、一緒に帰れるのではないかと期待してしまいました。メンタルが豆腐のように崩れやすい私は、この出来事に心がポッキリ。こうして子どもが成長して遊べるようになるまでは、わたしは子育て支援センターに行かなくなりました。まだ動けない赤ちゃんだから無理して子育て支援センターに行くこともない…と自分に言い聞かせました。しかし、なんだか寂しかったです。主人は仕事から帰ってくるのも遅いので、自宅で赤ちゃんと2人きりの日々に孤独を感じることもありました。人見知りなわたしだけかもしれませんが、育児がこんなに孤独を感じるものだとは思いませんでした。 ■育児ブログをきっかけに孤独を感じなくなったそんなときに、わたしは育児ブログをかきはじめました。それがきっかけで、娘と同じ年頃の子どもを持つ方たちと交流することができました。気がついたら孤独を感じなくなっていました。SNSはわたしにとって孤独感からの救いでした!今でもリアルな【ママ友はゼロ】ですが…。こうして自宅で孤独を感じることはなくなりました。しかし、保育園や小学校の集まりで孤独を感じることは今でもあります(笑)。でも無理して輪に入ろうとはもう思いません。自分の性格上、余計に疲れるのはわかっているので焦ることはなくなりました。でも誰とでも気軽に話せるようなコミュニケーション力はやっぱりほしかった(本音)!
2022年03月28日シンガーソングライターで女優の藤原さくらが、きょう23日に新曲「わたしのLife」を配信リリースした。先日最終回を迎えたTBSドラマ『ファイトソング』に出演し、強くも切ない役柄で共感を集めた藤原。2022年初のリリースとなる同曲は、「みんな、毎日本当に頑張っているよね」と“自分で自分を褒めたい”といったメッセージが込められており、春先にそっと背中を押してくれるような、そしていつもの日常に寄り添ってくれるような楽曲となっている。リリースを記念してSpotifyとLINE MUSICではキャンペーンを実施中。また、藤原がDJを務めるInterFM897のレギュラーラジオ『HERE COMES THE MOON』(毎週日曜24:00~)が、27日の放送で100回を迎えることを記念し、生放送を実施することが決定。新曲「わたしのLife」についても語り尽くす。
2022年03月23日キモノ バイ ナデシコ(KIMONO by NADESHIKO)は、振袖「わたしの、ふりそで」の新作を2022年1月20日(木)より各店舗にて発売。振袖「わたしの、ふりそで」新作“祈りと願い”をテーマに2020年にスタートした「わたしの、ふりそで」。着用者を宝石と捉え、包み込むふりそでを小箱とする「小箱シリーズ」と、シンプルでクラシカルなデザインの「小紋シリーズ」を展開している。今回は「小箱シリーズ」から新色2色、「小紋シリーズ」の人気柄から新色1色が登場する。“雨上がりの森”のような深みのある緑「小箱シリーズ」の新作「緑の小箱」では、雨上がりの神秘的な森の中のように深みのある色を表現。エキゾチックさと穏やかで芯のある雰囲気を併せ持つ、凛とした佇まいが魅力だ。“太陽”カラーの新作振袖同じく「小箱シリーズ」の新作「黄色の小箱」では、太陽のように明るくやわらかい光をイメージ。ヴィヴィッドになりすぎず、クリーム色のように柔らかすぎない絶妙なカラーに仕上げ、ハッピーなムードを演出した。ブラウンカラーの千鳥格子ワンピースのように全体的に柄を施した「小紋シリーズ」には、人気柄「千鳥格子」の新色・ブラウンが仲間入り。幅広いスタイリングが可能な柔らかい色味を採用しているので、好みの帯と合わせて自分らしさを表現できそうだ。カスタムオーダー“パイピング加工”また、キモノ バイ ナデシコでは好みに合わせたカスタムオーダーも可能。新登場の「パイピング加工」では、アンティークゴールドの上品なラインを袖・裾・衿元に入れることができる。ヘッドドレスの期間限定イベントなお、新作振袖のリリースにあわせて、1月20日(木)から30日(日)まで全国のキモノ バイ ナデシコ店舗で、帽子ブランド「テテ サロン・ド・シャポー(tete salon de chapeau)」の期間限定イベントを開催。コラボレーションアイテムをはじめ、華やかでさりげないヘッドドレスを豊富なバリエーションで取り揃える。【詳細】キモノ バイ ナデシコ「わたしの、ふりそで」新作販売開始日:2022年1月20日(木)取扱店舗:全国のキモノ バイ ナデシコ店舗、やまとオンラインストアアイテム:・「緑の小箱」99,000円(仕立て付き)・「黄色の小箱」99,000円(仕立て付き)・「小紋シリーズ」新色 99,000円(仕立て付き)オプション加工:・パイピング加工 17,600円(両袖口・衿・裾周りに取り付け)■テテ サロン・ド・シャポー期間限定イベント開催期間:2022年1月20日(木)~30日(日)開催場所:全国のキモノ バイ ナデシコ店舗アイテム例:・コラボレーションアイテム オリジナルトーク 17,490円・片結びリボンベージュ 16,500円■新作の振袖・小物が揃う期間限定イベント<福岡会場>開催期間:2022年1月20日(木)~23日(日)場所:大濠テラス(ヘッドドレスの期間限定イベントも同時開催)住所:福岡市中央区大濠公園1-9<名古屋会場>開催期間:2022年3月18日(金)~21日(月)場所:Crema Gallery住所:愛知県名古屋市中区栄3-25-39 サカエサウススクエア 3階
2022年01月17日「子育てするなら ふっさ」をスローガンに掲げる東京都福生市では、子育てに関する情報発信のさらなる強化を図るため、市ホームページ内にある子育て特設サイトを、「子育てするなら ふっさ情報サイト『こふくナビ』」として大きくリニューアルしました!本サイトは、本日10月1日(金)から公開を開始しています。こふくナビ: イメージキャラクター「こふくちゃん」■イラストを用いてかわいらしく、スマホで見やすいサイトにこれまでは通常のページと変わらず、文字のみの特設サイトでしたが、リニューアル後は情報を一から整理し直し、イラストを用いた大きなボタンで、閲覧者が「目的別・年齢別」にも情報を探すことができるように分かりやすく、そしてかわいらしいデザインに生まれ変わりました。なお、リニューアルにあたり、ホームページのアクセス分析を行った結果、約7割の方がスマートフォンで閲覧していることが確認できたため、スマートフォンからの閲覧を特に意識してサイトを構築しています。■リニューアルに併せて新たに用意したコンテンツ●福生市ってどんなまち?福生市への定住化を目的に、子育ての視点から市の強みを紹介するページ●親子deおでかけスポット子育て中の市職員や市内保育園・幼稚園に、子どもが喜ぶ市内の魅力あるスポットについてアンケートを行い、人気の高かった場所をおでかけスポットとして、写真を用いて雑誌のように紹介するページ●ふわふわカレンダー(子育てイベントカレンダー)子育てに関連したイベントをカレンダー形式で掲載する「ふわふわ便り」という、子育て世代に好評である紙のお便りを「こふくナビ」に搭載することで、スマートフォンでいつでも気軽に市の子育てイベントをチェック可能 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月01日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをしています。今回は、産婦人科医の善方裕美先生に3人の娘さんの子育てについて聞いてみました。 善方裕美先生よしかた産婦人科院長。横浜市立大学産婦人科 客員准教授。日本産婦人科学会専門医。女性ヘルスケア専門医。日本骨粗しょう症学会認定医・評議員。年間約800人の赤ちゃんが誕生する分娩施設の院長であるとともに、女性医学の専門家として大学での研究、行政の女性健康セミナー講師、NHK健康チャンネルの出演など情報発信をおこなっている。 子どもが大きくなった今でも「子どもと共に生きている」ー23歳、20歳、16歳の3人の娘さんがいらっしゃるとのことですが、お子さんが小さかったころの思い出などありますか? 【善方先生】上の2人が小さかったころには、すでに夫と開業で産婦人科をしていました。夜遅くに出産があるときには、どうしても対応しなければならない。そんなときには、ひとりをおんぶして、もうひとりを抱っこして分娩室に入ったりしてました。もう、しょうがないですよね(笑)。 昼間の外来診療の時間も預けていて、夜の時間もまた預けるっていうのが私にはどうしてもできなくて…。とにかく一緒にいたかった、できるだけ離れたくなかったんです。だから、子どもたちはそんなふうに私が仕事をする姿を見てきていると思います。 ーそんなお母さんの姿をどう思ってたんでしょう? 【善方先生】長女は今、医学部に行ってます。まさかそうなるとは!とは思って、驚いてます。両親が二人とも医者だと、一般的に「後継ぐんでしょ?」みたいになると思うんですが、私は1回も「医学部に行ったら?」とか言ったことないんですよ。長女が言うには、私が仕事をしている姿は楽しそうに見えたって。「楽しそうだな」「やりがいがありそうだな」「いいな、勉強したいな」って思うんだよねって言うんです。子ども心にすごく私が忙しそうにしているときには、手伝ってあげたいって思ってくれていたそう。私が学会などで勉強している姿は、夢を追っているといういいイメージを持ってくれていたみたいです。 逆に、次女は幼稚園のときにはずっと「お医者さんになりたい!」って言っていたのに、海外に留学したのをきっかけに、全く別の夢を見つけて日本文化を研究する学部の大学生になりました。3人目は、今ちょうど16歳なんで、悩んでいるんじゃないかな。いずれにしても、子どもたちの進む道はそれぞれが自発的に決めるべきだと思っています。ーお子さんたちには楽しそうに見えても、実際は仕事と育児の両立は大変じゃなかったですか?【善方先生】仕事と育児の両立…と言えるようなカッコイイことは何もなくて、日々必死に子供たちと過ごし、やらなくてはならない最低限の仕事に関わって、ごちゃごちゃの時間を過ごしていたら子どもたちが育ってくれた、みたいな感じです。 私は仕事ですごく疲れてても、どんなにつらくても「子どもたちがいれば生きていける!」と思ってました。小さいころはとくに「ママ、ママ!」って求めてくれるじゃないですか。それがうれしかった。子どもたちにおいしいご飯を食べさせてあげたい、情緒豊かに育ってほしい、シンプルにそう願っていて、だから、気持ちの上では「仕事よりも子どもが優先」と思っていました。それがよかったのかもしれないですね。 子どもが大きくなった今でも、娘3人と私は、住む場所は離れているけど、とても仲よしで、音楽という共通の趣味で盛り上がったりしています。自分の年齢があがるにつれ、さらにもっと「子どもと共に生きている」って思います。 子どもたちと一緒に遊んでたときが人生で一番キラキラしてたーお子さんと遊んだりした思い出もありますか? 【善方先生】私、子どもと外で遊ぶのが大好きなんです。自分の子どもだけじゃなく、お友だちのママと子どももみんなで一緒に海や山やアスレチックに行くのが好きで、企画するもの好きでした。今、思い返しても私の人生で一番キラキラしていた時期だったと思います。 ーえーっ!自分が若いときに友だちと遊んだりするよりですか? 【善方先生】全然! 本当に真面目にそう思うんです(笑)。楽しかったな、みんな可愛かったな〜って。私はどちらかというと、ママたちといるより、子どもと一緒になって遊んでるほうが多かったんですけど。 今、コロナや災害もたくさんあって、どんよりしたり、辛かったり、イライラしたり、落ち着かない状態になることも多いじゃないですか。でも、1カ月健診の赤ちゃんが来た瞬間に、赤ちゃんの周りはふわぁ〜っと明るくなるんですよ。 これって、例えば海外の戦時下でも、赤ちゃんの笑顔って変わらないと思うんです。キラキラした目をしてて「世界は素晴らしい」って顔をしてる。何より周りにいる大人たちを巻き込む力があるんです。赤ちゃんが笑えば、大人も笑いますよね。 うちの産院は毎週木曜日に1カ月健診をやってるんですけど、木曜日は幸せでしょうがないんです(笑)。嫌なことも忘れちゃうくらい。赤ちゃんからたくさんパワーをもらってます。 完ミ・混合・完母どれも経験したからどの気持ちもわかるー善方先生は母乳育児を推進しているとのことですが、ご自身の育児ではどうだったんでしょうか?【善方先生】おっぱいに関しては本当に三者三様でした。なので、どのママの気持ちもよくわかります。長女のときには時代的にも生まれてすぐに母子別室。授乳指導も何もなく、おっぱいの咥えさせ方もわからないまま退院し、結局、母乳は断念して乳児用ミルクで育てることになりました。次女は生後6〜7カ月くらいまで混合で頑張ってたんですけど、その後、母乳不足の不安がぬぐえず乳児用ミルクに。三女が生まれるまでの4年間に自分の病院を母子同室にして、母乳指導もしっかりできるようにして…と今と近い形へ変えていきました。 なので、三女を出産するときには妊娠中から当院の助産師さんにおっぱいケアをしてもらって、産後も完全母乳で育てられたんです。それまで、自分はダメなおっぱいなんだってずっと思ってました。すごく悲しかったし、トラウマになっていたと思います。それが、完全母乳にできたことでストンとラクになりました。うれしくてうれしくて、三女は5歳くらいまで飲ませてましたね。 でも、そのうちお姉ちゃんたちから「もう、年長さんになるのにぃ~。いつまで飲んでるの〜?」とか言われるようになって、ある日、自分から「今日はちょっと我慢してみる」って。「我慢しなくていいよ」って言ったんですけど、「でも、がんばれる、大丈夫」って(笑)。それで、私は寂しかったんですが、その日が卒乳の日になってしまいましたね。 ー自ら卒業していったんですね(笑)。【善方先生】さすがに5歳まで飲んでいたからか、高校生になって「私、母乳の味、結構覚えてるんだよねー」とか言うんです。「そんなにおいしくはなかったな。甘いような甘くないような…。でもなんか、ホッとするんだよね」って。 ー味や感覚が記憶にあるんですね。 そうなんです。「ホッとする味」だなんて、すごいいいこと言いますよね。「おっぱいは心の栄養剤なんです」って患者さんにお伝えして、つい仕事に使っちゃうこともあるくらい! 私は自分の子育てと仕事がうまくリンクしてて、子どもたちに教わったことを実践している感じです。 ー最後に、若い女性にメッセージはありますか? 子どもがいなかったら知らなかったこと、感じることができなかったことを、子どもたちからたくさん教えてもらったと思います。子どもが新しい世界を切り開いてくれた。歳を取れば取るほど、子どもがいる生活っていいなと実感することが多いです。これから先もまだまだ楽しみなことがいっぱいあります。子どもたちが結婚したり、母親になったり。私、おばあちゃんになるのが夢なんです。また、赤ちゃんに会える!そうやって命がくり返されていくのが慈しみ深いと感じるようになりました。全然知らなかった世界に連れていってくれて、人生を豊かにしてくれるのが”子ども”という存在なんだと思います。 産婦人科医でありながら、3人のお子さんのママでもある善方先生。子どもがいない人生なんて考えられない!と素直に言える姿は先輩ママとしても素敵でした。大きくなった娘さんとも仲良しの秘訣は、お互いに信頼しているからこそなのかもしれませんね。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年08月31日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、いろんな方へのインタビューをスタート。今回はベビーカレンダーでも連載中の漫画家・まっふさんにお話を聞きました。 まっふさん令和元年産まれの2歳の男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊活、妊娠を備忘録としてブログにのんびり更新中。 子どもがいることで健康的になって人との繋がりもできたーいつから漫画家としてお仕事していたんですか? 【まっふさん】18歳くらいで漫画家デビューして、それからずっとフリーランスで働いてきました。仕事柄、家にひきこもって作業することが多く、さらに夜も遅くまでゲームをしたり、漫画を見たりして夜ふかしばかり。ずっと健康には悪いなと思っていたんです。不規則な生活と運動不足のせいで、一時期は自律神経がおかしくなったこともあったりしました。 ずっと家にいるので、会話も家族くらい。コンビニのレジ対応されただけで「今日は人と会話したな」と感じるくらいに会話する機会がありませんでした(笑)。 ー子どもができてから生活は変わりましたか? 【まっふさん】そうですね。子どもと散歩しているだけで、知らないおばあちゃんが「あら、いくつ〜?」って話しかけてきてくれるんです。子どもが人をひきつける力は本当にすごいなと感じました。「かわいいね〜」「お散歩いいね〜」って声をかけられることも多いし、歩いているだけで挨拶されたり。ー急に自分が社会の一員になった感じがしますよね。 【まっふさん】そうそう! そんな感じです!今まで自分ひとりの世界だったのに、子どもがいることでパッと開けた感じがして。公園に連れて行けば、子どもを追いかけるだけで軽い運動になるし、その公園で自分の子どもと同い年くらいの子どもがいれば、話しかけに行っちゃったりするし。私ってこんなに社交的だったかなって自分でも思います。 婦人科に行くのは勇気がいる…でも、気軽に行ってみてほしいー「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されて、妊活を始めたそうですが、自分が「不妊」かもしれないとわかったとき、どんな気持ちになりましたか? 【まっふさん】正直初めて診断されたときは、今すぐ子どもがほしいと思っていたわけではなかったのでピンときませんでした。自分の生理不順や不正出血、にきびができやすいのはこういうのが原因だったんだなと納得しただけだったんです。 ただ、自分の年齢を考えて「子どもが欲しいかも」と思ったときにネットで調べて、「不妊」という言葉に行きついたときは一気に焦りました。ただただ「今、始めなきゃいけない!!」って。それで、今の旦那さんにすぐに相談したんです。ー当時はまだ結婚はしていなかったんですよね。 【まっふさん】はい、同棲して2〜3年ぐらいでした。でも、すんなりOKしてくれましたね(笑)。夫も結婚するつもりはあったけど、なんとなく同棲したままになってしまっていたので、いいきっかけになったみたいです。仕事も夕方から夜中まで働くような感じだったんですが、転職までしてくれましたね。 ーその後、まっふさんは無事に妊娠・出産するわけですが、今、生理不順を自覚している女性に何か伝えたいことはありますか? やっぱり出産経験のない女性は婦人科って行くのが恥ずかしいと思うんです。私も最初はイヤでした。「生理不順くらいで…」って思うのは本当によくわかります。でも、それで行っていいんです。やっぱり一度受診してみるのは大事なこと。原因がわかってスッキリするかもしれないし、ラクにもなるかもしれない。将来のためにも気軽に受診してほしいです。 一人でいることや子どもをもたないことも正解。でも、私には子どもがいるのが大正解!時代の流れか、私の周りには未婚や子どもをもっていない友人もたくさんいます。私は一人でいることや子どもをもたないことも全然正解だと思っています。実際、楽しそうに毎日を過ごしている友人たちをみていると、毎日育児に追われ、毎日同じような日々を過ごす自分と比べて、うらやましいと思うときだってあります。だけど、子どものころから漠然と考えていた「将来は結婚して子どもを産んで…」という未来を進めたことは私にとっては大正解! それくらい子どもの存在は大きなものになっています。 「一日の終わりに子どもの寝顔を見ると疲れなんてふっとぶ!」ってよく聞くと思うんですが、あれは本当の本当です。子どもの寝顔みながらしみじみ思っちゃうんです。「産んでよかったな。最高にかわいいな。あ〜、かわいい」って。子どもの匂い嗅ぎながら、明日もがんばろうって。 旦那さんに言うと「今だけだよ」って言われるんですけど、そのたびに「ずっとかわいいを更新してるんですけどー」って言い返してます(笑)。 買わないと思っていたアンパンマンのグッズも子どもに欲しいと言われたら、どうぞどうぞと買ってしまうと笑って話してくれたまっふさん。ベビーカレンダーでは、現在「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。ぜひチェックしてみてくださいね。 ★♡★♡ベビカレ夏のマンガ祭り★♡★♡マンガ家100人突破を記念して『べビカレ夏のマンガ祭り』開催中!大人気のマンガコンテンツを増量し、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ 無料でザクザク読めちゃう!ぜひチェックしてくださいね!著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年06月25日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、いろんな方へのインタビューをスタート。今回は初のパパが登場してくれました! ベビーカレンダーでも連載中のイラストレーターYUDAI9℃(ユウダイクド)さんにお話を聞きました。 YUDAI9℃さんイラストレーター、こぶたのキャラクター「ポトフスキー」のイラスト、グッズを作成しています。奥さんの妊娠をきっかけに記録のため、マンガを描くようになり、様々なメディアで子育ての失敗を戒めとして公開しています。 泣かないと思っていたのに出産では泣いてしまいましたー出産のときに、思わず泣いてしまったと連載にも書かれていましたね。 【YUDAI9℃さん】はい。泣かないと思ってたんですよ。そのときは、緊張の糸が切れたというか安心したというか。奥さんはそんな僕を見て笑っていましたね。ー子どもが生まれる前と後で変わったことはありますか? 【YUDAI9℃さん】子どもが生まれる前までは、日常の生活に充実感を感じたことがあまりありませんでした。小さなことを人と比べたり、ネガティブになることも多かったと思います。 以前の会社にすごく優しくて子煩悩な先輩がいたんです。当時の僕は「子どもなんていらない」と思っていたので、その先輩が自分の子どもだけでなく、再婚した相手の子どもも自分の子どもと平等に愛することができているのを見て、とにかくすごいと思っていました。 ある日、興味本位で聞いてみたんです。「子どもってそんなにいいものなんですか?」って(笑)。そしたら、「幸せのレベルが下がる」って言われたんです。「低いレベルですごく幸せを感じるようになるんだよ」って。 聞いた瞬間は「なんだ、それ!?」って思いました。やっぱり20代前半だったんで、幸せって、もっと他人から評価されたり、大金を手に入れたり、そういうわかりやすいものの方がいいでしょ!って思っていたんだと思います。なので、そのときは「そーなんすねー」みたいに流しちゃったんですけど、今はその言葉の意味が身に染みてわかります。 理想の父親って? 不安だったときに救ってくれたのは1冊の本ーYUDAI9℃さんのお父さんはどんな方ですか? 【YUDAI9℃さん】子どものころの僕と父のエピソードでよく母が話すことがあるんです。小さいときの僕は、姉がいたこともあって、戦隊ものよりもむしろサンリオが好きな男の子でした。 僕の誕生日に、父親が戦隊ものの大きなロボットを買ってやるとおもちゃ屋さんに連れて行ってくれたのに、それを欲しがらず、僕が選んだのがかわいいカラスのぬいぐるみだったと言って、父親が怒って帰ってきたそうです(笑)。 そんな感じで、僕の父親はよく手が出るし、寡黙で愛想もない人間だったので、子どもの教育に対してはあまり積極的ではなかったと思います。今でも、父親と真面目な話をするのはなんだか恥ずかしいです。そのせいか自分が父親になることに対し、あまりいいイメージが湧かずに、子どもを作ることも躊躇していました。 僕が父親の必要性を感じだしたのは自分が社会に出て働くようになってからかな。お金を稼ぐ大変さや親の大変さは、自分がその立場になってやっとわかるようになるんではないかと思います。 ーなるほど。では、理想の父親像などはありますでしょうか? 【YUDAI9℃さん】特にはないのですが…。子どもがうまれすぐ、Twitterで知った写真家・幡野広志さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』という本には影響を受けました。この本は、ガンで余命宣告された幡野さんが自分の息子に伝えたいことが書かれているのですが、いざ父親になって不安がいっぱいだったときに出会い、この本に救われたことを覚えています。 いざというときに息子に適切なアドバイスができるよう、自分の意見をしっかり持つこと、息子とちゃんと会話できるような家族でいることが、当分の私の目標です。 ーちなみにパパがイラストレーターだと「あれ描いて、これ描いて」とお子さんにせがまれませんか?(笑) 【YUDAI9℃さん】あ、言いますね。でも、言われる前に自分から描きます(笑)。この間も、保育園の連絡帳の表紙に何か描いてと言われて、たまたま鬼太郎を描いたんです。しかも、筆ペン使って水木しげるのタッチで。子どもすごい喜んでくれてましたね。そのあたりは楽勝です。 不自由なことがあってもやっぱり子どもはかわいいー過去のご自身と同じように子どもを持つことに躊躇されている方にメッセージはありますか? 【YUDAI9℃さん】よく思うことですが、子どもが生まれて不自由になることははるかに多いです。自分の時間がなくなる、休日に休めない、行く場所・お店に制限がかかるなど、マイナスの点をあげればきりがありません。でも、そのマイナス全てと子どもがいる心の充実感と天秤にかけたとき、子供の存在の方がはるかに大きいです。 私は人より過去に対して後悔することが多く、あの時ああしていればと夜眠れないことも多いのですが、親になるという選択に関しては、一回も後悔したことはありません。 夏になって子どもが半袖になるだけで、腕のむちっとしたフォルムがかわいいな〜と思うし、子どもとおそろいのになるのはなんだかうれしい。子どもがきれいな「まる」が描けた! たったそれだけのことで、夫婦そろってこんなに喜べるなんて!こんな小さなことで人生を楽しくしてくれることは、ほかにないと思います。 子どもが生まれるまでは子どもが苦手だったというYUDAI9℃さん。今ではそんな片鱗はどこにもなく、とってもやさしいパパそのものでした。奥さんと子どもに好かれたいと奮闘するYUDAI9℃さんの育児マンガも、ぜひチェックしてみてくださいね。 ★♡★♡ベビカレ夏のマンガ祭り★♡★♡マンガ家100人突破を記念して『べビカレ夏のマンガ祭り』開催中!大人気のマンガコンテンツを増量し、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ 無料でザクザク読めちゃう!ぜひチェックしてくださいね! 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年06月11日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。 そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚! 現在は妊娠中ということで、今回は第二子の妊娠についてやコロナ禍の妊娠・出産をどういう風に捉えているのか、いろいろとお話を伺ってみました! 第二子の妊娠発覚! 一番に来た感情は”驚き”だった…!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー今年の2月15日にオフィシャルブログで第二子の妊娠報告をされていますが、初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 杉山さん:妊娠が発覚したのが昨年の11月くらいだったのですが、本当にビックリしました。年齢も年齢なので、もう子どもは欲しくてもできないと思っていました。なので、特に妊活もしておらず、妊娠が分かったときは、ただただびっくりしましたね。とにかく驚きが一番に来ました。ただ、時間の経過とともにじわじわと喜びがこみ上げてきましたが、高齢出産になるので、何が起こるかわからないため、慎重な気持ちで毎日を過ごしていました。コロナ禍での妊娠でしたが、そこまで戸惑いなかったです。今は無事に7カ月が経ち、力強い胎動を感じられる喜びを感じています。 ー旦那さまの反応はいかがでしたか? 杉山さん:主人もものすごく驚いていました。私自身も、最初に生理が来なかったときは、閉経したのかなと思ったくらいだったんです。でも、様子を見ているうちに、だんだん胸のあたりが気持ち悪くなって、なんとなく1人目のつわりの感覚を思い出したんです。それで妊娠検査薬を試したら陽性で……。ただ、1人目のときは本当に苦労して授かったので、今回の自然妊娠が信じられず、違う種類の検査薬でもう一度試したんですが、そこでも陽性だったので、2人で「あぁ、良かったねぇ」という風に安堵し、妊娠を喜びました。 ー息子さんには報告をされたのでしょうか? 杉山さん:何が起こるかわからなかったので、安定期に入るまでは話さずにいました。まだ5歳なので、いろんな人におしゃべりしてしまうんですよね(笑)。ただ、私たちは正直第二子に関しては諦めていたのですが、息子は一人っ子というのが物足りなかったらしく、家族の中でも一番に第2子を望んでいたんです。何かあるたびに「いつ妹とか弟ができるの? 」とよく聞かれていたので、言ってしまったらうれしさの余りたくさんの人に言ってしまうことが想像できたんですよね(笑)。なので、大々的に公表する2、3日前に伝えました。 ー報告後、息子さんの反応はいかがでしたか? 杉山さん:すごく喜んでいて、テンション上りまくっていました(笑)。私自身も6歳下に妹がいるので、当時の喜びを覚えていますし、小さなママ気取りでいろいろお世話していた記憶があるんですね。息子も弟か妹ができるというのを知ってから、お兄ちゃんという意識が高まって、「お世話したい」という気持ちが出てきたようで、しっかりしてきたなという印象がありました。 コロナ禍の今…不安になりがちだけど、考えすぎないことも大切画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーコロナ禍で妊娠に気付いたことに対して、戸惑いなどはなかったですか? 杉山さん:戸惑いはなかったです。こんなときに来てくれた子だからこそ、力強い子なんだろうなと思っていました。ただ、普段の妊娠でも薬を飲めなかったりと体調管理には気を使うのですが、コロナ禍なのでより気をつけないといけないなと意識が高まりましたね。 ーコロナ禍での妊娠、出産となりますが、どんなことに気を付けていますか? 杉山さん:自分の中で行動は気を付けていたので、そこまで心配はしていないんですよね。とはいえ、変異種や変異株が流行ってくると妊婦も重症化しやすいと聞いたので、ちょっと怖いですが。でも、無駄に心配してもいいことはないので、開き直って、基本的なことだけを気にかけるようにしています。 ー今の時期に妊活や妊婦生活を戸惑う人も多いと思うのですが、杉山さんはどう思いますか? 杉山さん:コロナ禍の妊婦健診や不妊治療って、どうしても1人になってしまっているので、不安も増えると思うんです。でも、STAY HOMEが当たり前になってきた今、家族で一緒の時間を感じられる貴重な期間だと思うんですよね。これまであわただしく時間に追われていた生活を一度リセットして、考え直すいいきっかけにもなりますし、そこで家族の絵がイメージとして湧いてくるのであれば、そこまで怖れることもなく、妊活に取り組むのは、すごくいいことだと思いますね。 ー考えすぎないことも大事ですよね。 杉山さん:そう思います。心配ばかりしていると、気持ちがマイナスの方向に働いてしまうことがあるんですよね。ちゃんと普段から気を付けていれば、結果もちゃんと伴ってついてくると思っています。 子育てして思うのは、「想像を絶する楽しさがある」ということ画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー子育てに対する考えのすり合わせなどは、どのようにされていたのですか? 杉山さん:実は妊娠中に、仕事と並行して大学院に行っていたんです。なので、てんやわんやで目の回る大変さで、当時のことをあまり覚えていないんです(笑)。ただ、落ち着いてからは、主人と話し合いながらルールをしっかり決めて、向き合うようになりました。主人とは育った環境も違いますし、子どもに対しての接し方、考え方も違うのでぶつかることもありますが、その都度早めに話して解決することを大事にしています。 ー ”一緒に育てている”という感覚が強いご夫婦なんですね。 杉山さん:そうですね。すごく強いです。主人は私が子どもに対してしていることを絶対に否定しないし、私も否定しないというのをルールにしているんです。そこで違和感を覚えたとしたら、子どもが寝たあとにちゃんと話し合い、すり合わせをするようにしています。そこでどちらかが否定し、責めるのを見せることで、子どもが、パパのほうに、ママのほうに味方に付くというのはダメだと思うんですよね。 ー お子さんが生まれて良かったと思う瞬間は、どんなときでしょうか? 杉山さん:子どもがいるのといないのとでは、生活自体が異なる物だと思いますが、息子の存在すべてが私に喜びを与えてくれているのだといつも思います。子どもの成長を見たり、共に成長していきたいと思ったり、彼の中で自分を垣間見たとき、すべてが感謝の瞬間です。 ー すごく素敵ですね。望んで家族ができたからこそ、今思うことはどんなことでしょうか。 杉山さん:想像を絶する楽しさです(笑)。息子に人生を広げてもらっている実感があるんですよ。生まれる前は夫婦2人で、独身のときは1人でという選択肢ももちろんある世の中なので、それぞれの人生で自分らしく輝けるということが一番幸せなことだと思うんです。ただ、私自身の選択としては、パートナーを得て、そこで子どもを授かることで広がりができたので、子どもには本当に感謝しています。 インタビュー配信1回目となる今回は、青天の霹靂だった第二子の妊娠や、コロナ禍の妊娠・出産についてなど、いろいろ話していただきました! 今回の取材で印象に残ったのは、「子育ては想像を絶する楽しさ」と話していたことでした。この言葉から、子育てを全力で楽しんでいることがすごく伝わってきて、とっても素敵だなと感じました! さて、配信2回目となる次回は、杉山さんが「すごくつらかった」と語っていた不妊治療のお話がメインになります。次の配信もぜひご覧くださいね! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月27日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをスタート。今回は、ベビーカレンダー で育児漫画を連載しているイラストレーターのじぇにこさんにお話を聞きました。 じぇにこさん愛知県出身。デザイン学校を卒業、社会人生活を経て結婚。2013年に長女を、2017年に次女を出産。口唇口蓋裂を持つ長女のこれまでの治療の過程の記録やその時の自身や家族の様子を綴るためブログを開始。現在はベビーカレンダーにて「口唇口蓋裂ちゃん、育ててます」を連載中。 「口唇口蓋裂」と診断されたときは本当につらかったー1人目のお子さんが口唇口蓋裂ということですが、今までで一番大変だったことや辛かったことはどんなことでしょうか?【じぇにこさん】一番つらかったのは、お腹の中の娘が口唇口蓋裂だと診断されたときです。初めての妊娠がほんとうにうれしくて、赤ちゃんのためによかれと思うことは積極的に取り組んでいました。ですが、妊娠5カ月の妊婦健診でエコーにはっきり鼻の下に縦線が入っているのが見え、口唇状態であることが確認されました。 その瞬間、頭が真っ白になってしまいました。医師から言われたことは、口唇口蓋裂は治る病気であるということ、そして、妊娠中は何もすることができないし、生まれてきてからしか手術はできないということでした。 ただ、生まれてきてくれた娘はその不安を吹き飛ばしてしまうくらい可愛くて、口唇口蓋裂が気にならないくらい可愛くて小さくて、「この子にしっかり治療をうけさせてあげよう」という強い決意に変わりました。ー旦那さんと衝突することもあったようですが、具体的にどのようなことなことがあったのでしょうか。 【じぇにこさん】これは今でもなんですが……。口唇口蓋裂の原因ははっきりわかってはいないと、頭ではわかっているんですが、私自身「健康に産んであげられなかった」という気持ちがあり、そのバランスが取れないことがあります。 特に最初の手術を受けるまでは、「早く手術をしてこの子を治してあげないと!」と焦っていました。将来子どもになんて言われるだろうとか、この子は自分自身でどんなふうに思うのだろう?と先走っていろんなことを不安に感じていました。 一方、夫はすぐに病気を受け入れて、目の前のことを1つずつクリアしていこうという考えでした。今考えると、夫がこんがらがっている私の思考をときほぐしてくれようとしていたのかもしれないのですが、当時は「どうしてそんなお気楽でいられるの?」「本当にこの子のこと可愛いと思っているの?」と思って、衝突してしまっていました。 でも、娘が手術を受けたときに付きっきりの私だけじゃなく、パパの姿が見当たらないことにもとても不安がって泣いている姿を見て、娘にとって私たち二人が必要なんだと強く感じました。そのあと徐々に、夫は夫の方法で娘のことを考えているんだとわかり、今の娘自身を愛しているんだということもわかりました。 ー1回目の手術の前と後では気持ちの変化が大きかったんですね。 【じぇにこさん】そうですね、見た目の変化も大きいので。それまでは基本的に抱っこひもでの移動。娘にも口元を隠すような帽子をつけて電車に乗ったり、自宅から離れたところの公園で人のいのない時間を選んで遊んだりしていました。お家でも楽しく過ごせるように、台所セットやブロックなどを用意してお部屋を工夫しました。 でも、1回目の手術の前夜は「もうこの口元の姿は見られないのか」と思うと、どこか寂しい気持ちにもなりました。私たち夫婦にとっては、口唇口蓋裂の娘の顔が生まれたときからのお顔で、その顔の娘がそのまま可愛いし、そのままが好きなんです。なので、「今の顔もよく見ておこうね」と夫婦で話したことを覚えています。 口唇口蓋裂を知ってほしいというより、子どもに残したい!ーベビーカレンダーで連載することになった経緯を教えてください。 【じぇにこさん】口唇口蓋裂のお子さんを持つ親は、基本隠される方が多いと思います。娘が生まれて2013年ごろは情報がほどんとありませんでした。口唇口蓋裂は人によって状況も違ければ、治療も違います。それでも、情報が欲しくてすごく苦しかった当時の自分と同じような人がいたら、こういう一例もあるよと知ってもらい、参考にしてもらえればいいなという気持ちがあります。また、口唇口蓋裂という病気を知ってもらえるキッカケになればという思いで描いています。 ただ、最終的に読んでほしいのは娘自身。娘は赤ちゃんのときから、力強く手術を乗り越えてくれているので、「私よりもあなたのほうがすごいんだよ」と伝えたい。「あなたがどれだけがんばったか、もう忘れてしまっているかもしれないけど、こんなにすごいことをしてきたんだよ」という記録を残しておきたかったんです。 今は小学生ですが、私が漫画を描いていることや、自分のことが描かれているということはなんとなくはわかっているみたいです。今後、大きくなってから見てもらえればいいかなと思っています。そのときに、私たち夫婦がどういうふうに思って治療を見守ってきたのかというのが伝わればいいなと思ってます。 ー2人目のお子さんの育児はどうでしたか? 【じぇにこさん】次女の育児は新鮮なことばかりでした。彼女が生まれてきてくれたことで、私も本来の自分を取り戻せた部分もあります。次女がいることで、ゆっくりとした赤ちゃん時代を過ごすことができましたし、ミルク育児も母乳育児も経験させてもらい、二人そろって眠ってくれる姿を見守る瞬間が、今は一番幸せな気持ちになります。 あなたの気持ちはわかってあげられないけど、あなたは宝物ー妊娠中に口唇口蓋裂と診断されて、今もやもやと悩んでいるママに伝えたいことなどありますでしょうか?【じぇにこさん】戸惑う気持ちから原因を探ったりいろいろと調べたり、ご自身を責める気持ちやお腹の赤ちゃんの将来に不安を持たれる人も多いと思います。ですが、口唇口蓋裂を発生する原因はハッキリわかっていないと現状では言われています。同じ口唇口蓋裂でも今まで私が見聞きしてきた症状も軽度から重度と程度も異なり、治療の進め方も一人ひとり違う事が多かったです。 なので、他の人のケースはあくまで参考としてとどめ、誰かと比べるのではなく目の前の我が子の治療をひとつひとつ乗り越えるしかないと感じています。まずはお腹の中の赤ちゃんの成長を見守りつつ、生まれてくるその子に向き合いながら、治療を一緒に乗り越えようという気持ちで迎え入れてあげてほしいです。 ー今、娘さんのことで不安に思っていることなどはありますか? 医療関係の方からは「口唇口蓋裂は治る病気」と言われていますが、当事者本人からすると「治る」という感覚とは少し違うようです。その穴埋めは今のところ難しいので、いつか娘がそのことを悩むのではないかと思うと、はがゆい気持ちになります。私自身は健康で、病気などの経験もないので、その気持ちがわかってあげられないのではないかと不安でした。 でも、例え親子であっても、仮に自分が口唇口蓋裂だとしても、治療の工程がひとりひとり異なることが多い口唇口蓋裂という病気の場合、お互いの気持ちが100%理解しあえるということは難しいことだと気づいたんです。 いつか娘に「ママに私の気持ちなんてわからない!」と、言われたらどうしようと思っていました。でも今は、「思いの全てをわかってあげることはできないけれど、一人じゃないよ。パパもママもあなたのぶつけたい気持ちにも全部寄り添って、支えさせてほしいと思っている。あなたは私たちにとってかけがえのない宝物だよ」というの気持ちを伝えながら娘たちと向き合っていきたいと思っています。 口唇口蓋裂の話が多くなってしまいましたが、じぇにこさんとお話ししてわかったことは、親にとって子どもは目の前のたった1人のその子しかいないということ。子どもひとりひとりに目を向けて向き合っていくことが大切なんだと実感させられるインタビューになりました。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年05月16日画像出典:丸高愛実さんのInstagramより 丸高愛実さんは、エイベックス・マネジメントに所属するタレントです。バラエティ番組で活躍するほか、女優としても映画やドラマにも出演しています。また、最近ではご自身のYouTubeチャンネルを開設し、日常の様子やお料理動画などを配信しています。丸高さんは2016年12月にサッカー選手の柿谷曜一朗さんと入籍し、2018年11月には第一子を出産。2021年4月の現在は第二子を妊娠中。今回は、第一子の長女を出産後に変わっていった夫婦の関係性についてや、コロナ禍で家族の絆がどう変化したのかをインタビューさせていただきました。 母性ってすごい! 命に代えても守りたい存在画像出典:丸高愛実さんのInstagramより ー2018年に第一子の娘さんを出産されました。子どもを持つ前と後では、どんな変化がありましたか? 丸高さん:タレントの仕事をさせてもらっていますが、私自身好きな仕事をのびのびとさせてもらっていたので、そんな自分に母親が務まるかなっていうのは、妊娠してからも思っていたんです。でも妊娠を経て出産して、勝手に母性というのか「母親になるんだ」って気持ちが芽生えてきて、生活もガラッと変わりました。大好きだったお酒とか、友達と夜飲みに行ったり、カラオケに行ったりもなくなりましたね。ただ、タイミングもすごく良かったんです。同じ時期に周りも妊娠・出産ラッシュで、友達との会話自体が自然とお母さんの会話になって、私だけではなく周りも一緒に変わっていってくれた感じだったので。 ーそうだったのですね。気持ちの面での変化はありましたか? 丸高さん:いい意味で、自分はどうでもいいと思うようになりました。それまでは、自分が楽しければそれが一番だったけど、今は自分はいいから、娘が楽しければいい。自分の命に代えても守りたい、かけがえのない存在って、まさしくこういうことだなって思ってます。母性ってすごいなって。 ーパパにも変化はありましたか? 丸高さん:夫はもともと子どもが好きで、ほかの選手のお子さんとも交流があったんですけど、自分の子どもは自分に似ているし、周りからも「そっくりだね」と言われるので、かわいくて仕方ないみたいですね。本当に似てるんですよ。娘も男の子かなってくらいやんちゃだし、「2人して何してるの! 」って私が2人を叱ることもあります(笑)。ほかにも、ゲームをする時間を減らしてくれたり(笑)。娘がおなかにいるころから、たくさん話しかけてくれるようになりました! あとは「家事を手伝って~」と言わなくても、気付いて手伝ってくれるようになりましたね。 夫は恋人から家族に。娘を大切にする夫を見ると、私も幸せ!画像出典:丸高愛実さんのInstagramより ー娘さんの出産前後で、夫婦関係に変化はありましたか? 丸高さん:いや、ぜーんぜん変わりましたよ! 子どもが生まれる前までは夫が一番で、「夫のためにおいしいごはん作ろう」とか思っていましたけど、今は娘のごはんもあるし、手際重視。こっちは味薄く、じゃあこっちは……と流れ作業です。夫に好かれようという気持ちはいつの間にかなくなって(笑)。きっといい意味で家族になったんですかね。夫も私も、「夫(妻)に好かれよう」ではなくて、一緒に娘に何かしてあげようってシフトチェンジしてます。女の子だから、特に夫は自分の恋人かのようにデレデレ尽くしていますよ(笑)。 ー丸高さんは、そこに寂しさを感じることはないですか? 丸高さん:私は不満はないですね。記念日にお花買ってきてくれたり、一応ちゃんと私のことも気遣ってくれるんですよ。それがなかったら寂しく思うのかな? でもびっくりしたのは、今年のホワイトデーにもお花をくれたんですけど、娘にまで買ってきたんです(笑)。「娘にもお花!? 」って驚きましたけど、娘が「お花かわいい! 」ってすごく喜んでいて。それまでは、そんなにお花が好きって知らなかったので、良かったですね。夫もそれを見てすごい喜んでいたし、そんな風に子どもを大切にしてくれている夫を見ていると、私も幸せだなぁって感じます。 ー子育てでこだわっていることはなんですか? また、パパとも育児について話し合ったりするのでしょうか? 丸高さん:夫とは、元から育児に対する考え方が一緒で、まずは娘の好きなように、のびのびと育ってくれたらというスタイルです。もちろん、いけないことは叱るし、自分がされて嫌なことはしないんだよっていうのはよく言っています。ただ、私が日々叱っていると、だんだん聞かなくなってきちゃったりして、そういうときに夫にガツンと叱ってもらうと、聞いてくれたりするので、役割分担みたいのはありますね。 ー子育てしているとなかなか自分の時間が取れなかったりしますけど、丸高さんはどうですか? 丸高さん:今は、産院の健診に行ったり、整体も行かせてもらってるんですけど、それ以外では自分の時間はあまり取れていないですね。でも、娘が寝た後にアイス食べながら、夫と一緒に映画や録っておいたバラエティ番組を見る時間が好きです(笑)。恋愛リアリティー番組とか好きなんですけど、お互いに「自分だったらどうする? 」とか「絶対パパはこうしてるよね! 」とか言いながら見てます。これは、娘が生まれる前からやっていて、好きでしたね。同じ空間にいて、同じものをダラダラしながら見ているだけなんですけど、そのまったりとした時間が好きです。あとは、妊娠中は色んなところが凝ったりむくんだりするので、マッサージをたまにしてくれます! 仕事柄夫もよくしてもらっているからなのか、ツボがよくわかっていてめちゃくちゃうまくて! 助かってます(笑)。 おうち時間が増えたことで深まった家族の絆画像出典:丸高愛実さんのInstagramより ーコロナ禍では、家族で過ごす時間が増えたと思うのですが、コロナ前と比べて、家族の関係性が変わったなと感じたことはありましたか? 丸高さん:今までではあり得なかったくらい、家族3人で過ごす生活がすごく長かったですよね。一緒に過ごす時間が増えたことで、娘とパパの仲の良さというか、信頼関係がすごく深まったのを感じました。あと、育児ってやっぱり大変じゃないですか。子どもってかわいいだけじゃないし、家事育児ともにやることはたくさんあるから。そういった育児の大変さが、前よりもわかってもらえたかなって思います。この大変さを共有するのって、夫にしかできないことだから……うれしかったですね。ほかには、コロナ禍で妊娠したので、やはり除菌や手洗い・うがいなどは徹底しています。夫はチームで毎日動いているので、1人でも具合悪い方が出るとお家には帰って来ないで、一応近くのホテルに宿泊してくれますね。 ー共感してもらえるのってうれしいですよね。子育ては大変だとおっしゃっていましたが、そんな中でも「子どもがいる生活ってやっぱり良いな、幸せだな」と感じるのはどんなときですか? 丸高さん:そうですね。夫と2人で娘が好きそうなところを探して、連れて行ってあげて、娘が喜んでいる姿を見たときは、幸せだなって感じる瞬間です。最近だと、アンパンマンミュージアムに行きました。娘の笑顔を見ると、やっぱりいろいろなところに連れて行ってあげたいってなります。あと、最近は「ママ大好き! 」とか言葉でストレートに伝えてくれることが増えたので、キュンとしますね。 ー最後に、これからママになる方、なろうとしている方にメッセージをお願いします。 丸高さん:コロナ禍の終わりが見えない中での妊娠は、私も不安はありました。でも医療機関もしっかりしていますし、パートナーと相談し合って、しっかり予防対策ができる方は過度に怖がりすぎずに、踏み出してみても良いんじゃないかなと思います。妊娠・出産ってタイミングとか、パートナーの協力とか、いろんなことが重なる奇跡だから一概には言えないですけど、やっぱり後悔しないことが一番だと私は思います。大変な時代ですが、一緒に頑張って乗り越えましょう! インタビュー中に、娘さんのことを「自分の命に代えても守りたい、かけがえのない存在」と話していたのが特に印象に残りました。結婚、妊娠、出産と段階を経て変わっていった気持ちの変化をしっかり答えていただきまして、この度は本当にありがとうございました! 7月が出産予定とのことなので、かわいい赤ちゃんに会える日を私たちも楽しみにしています! PROFILE:丸高愛実さん1990年6月12日生まれで東京都出身。エイベックス・マネジメントに所属をしており、タレントや、女優としてバラエティ番組やドラマ、映画などに出演。InstagramやYouTubeチャンネル「MARUTAKA CHANNEL」で自身のライフスタイルや子育ての様子を発信している。2016年12月にサッカー選手の柿谷曜一朗と入籍し、2018年11月に第一子を出産。現在第二子を妊娠中。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2021年04月30日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをスタート。現在シンガポール在住で、ライターとして活躍している平さんにお話を聞きました。 平理沙子さんWebライター。特に関心のある領域はフェムテックやジェンダー。ITスタートアップ企業での広報PRも約5年従事し、ライターとしても活動。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。2020年8月〜夫の仕事の都合でシンガポールに帯同。音楽鑑賞(バンド)としいたけ占いとインターネットが好きです。 妊娠はうれしかったけど、産後は焦ってばかりいましたー平さんは社会人になって半年後に妊娠がわかったそうですが、とまどいなどなかったのでしょうか? 【平さん】妊娠が判明したときは、驚きもありましたが素直に「うれしい!」という気持ちでした。夫とはつきあって2年くらい経っていたので、とんとん拍子で結婚の話にはなったのですが、当時、私が大阪にいて遠距離だったことや、つわりで体調がすぐれなかったりなどのことから会社を退職することに決めました。 ただ、仕事を辞めたあとは「今後仕事にまた再就職できるのか」と焦ってばかりいました。「これまで同じようなライフステージで生きてきたはずの大学の同級生である夫は、着実に仕事で成果を出していてどんどん差が広がっている」などとついつい考えてしまい、葛藤もありました。なので、娘が生後3カ月ごろから仕事を探し始めたんです。 ーずいぶん早くからお仕事探されたのですね。 【平さん】すごく焦っていたんだと思います。生後半年になるころには派遣会社に登録して、仕事を始めました。派遣先の会社ですぐに正社員になることができ、その会社で2年くらい働いたあと、IT系の仕事に興味が出てきて、ITスタートアップ企業の広報に転職しました。 制約があるからこそ行動的に! 人間関係も行動範囲も幅が広がったーすごくアクティブなんですね! 子どもがいるからこそ行動的になれると言うこともあるのでしょうか?【平さん】それはあると思います。一般的に子どもがいると人間関係や行動範囲は狭くなるというイメージを持つ人もいるかと思います。たしかに物理的に飲み会に行きづらくなったり、行ける場所が限られたりという側面もありますが、実は自分の意志でだけでは、行動範囲などはそこまで広がらないのかなとも思います。 子どもを育てる中で築く人間関係や行動範囲は、今までの自分とは全く違った人や場所との出会いになることも。そういった意味で子どもがいるおかげで人生の幅が広がってると実感します。 例えば、朝活を始めるきっかけになったのも子どもがいたからこそ。「夜はどうしても子どもがいるから出かけられない」「でも、モヤモヤする!」「じゃあ、どうすればいい?」ということで、「朝渋」というコミュニティに参加することにしました。渋谷に7時半に集まるのですが、そこでは普段知り合えない人とも知り合うことができましたし、そのまま会社に行くことで時間の有効活用もできました。独身時代なら絶対そんなに朝早く起きて出かけようとは思わなかったでしょうね。今考えても5時半起きで、自宅の千葉からよく行っていたなと思います(笑)。 ー今は、シンガポールにお住まいとのことですが、新たな交友関係も生まれたのでしょうか? 【平さん】娘が学校で仲よくなったのが中国人の女の子だったのですが、子どもを通して、お互い家族ぐるみの付き合いができ、旧正月(中国のお正月)にご自宅に呼んでいただいて手料理を振る舞ってもらったり、娘の誕生日パーティーに来てもらったりと貴重な異文化体験ができました。 私は英語が堪能なわけでないので、自分のためだけであれば積極的に国籍の違う人に声をかけることはしなかっただろうと思います。でも、娘はお友だちと遊びたいって言うし、夫も「せっかくだから連絡しなよ」と言うので、2人に背中を押された感じです(笑)。聞いたら向こうのお母さんも英語がそこまで得意ではないことがわかって。こんなきっかけも子どもがいるからこそかなと思います。ー平さんだけでなく、娘さんにも変化はありましたか? 【平さん】先日、日本にいたころの保育園の友だちとそのママとオンラインで話したとき、「なんか頼もしくなったねー」と言われて、自分自身も毎日必死で見えていなかった娘の成長を実感できました。 それ以外にも、シンガポールにきてから言葉が通じないからなのか、子どもが身振り手振りを使って、いろんなことを伝えてくれるのがおもしろい! 今までとちょっと違った“ひょうきんキャラ”な部分が見えるようになりました。子どもが小さいときは、「自分が子どもを笑わせたい!」ということばかり考えてましたが、今は娘に笑わされることの方が多くなってきてます。 今は2人目不妊治療中。早い段階で検査だけでもしてほしいー最後に、子どもを産もうか悩んでいる女性に何かメッセージはありますか? 【平さん】すごく現実的なメッセージではありますが…。私自身第一子はありがたいことにすぐ授かることができたのですが、第二子の不妊治療を長らく続けています。「第一子を授かれたから大丈夫」「(当時は)まだ20代だから」と病院には行かず、3年ほど過ごしていましたが、病院に行ってみると子宮内膜症や多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を抱えていることがわかりました。 もし「子どもがほしい」という気持ちを少しでも持たれているのであれば、まだ100%気持ちが固まっていなかったとしても、できるだけ早い段階で検査だけでも行ってみるのも一つの選択肢だと思います。 「子どもを産んでからしか働いたことがないのがコンプレックスなんです」と言っていた平さんですが、ママになってからもいろんなことにチャレンジを続けている姿勢がとても印象的でした。「子どもがいたら、何もできなくなってしまうのかも…」と悩んでいる女性にとって、勇気づけられるインタビューになりました。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年04月18日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。第1回では他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方について、第2回ではシングルで育てるためのさまざまな工夫や、実際に利用しているサポートなどについてお話を伺いました。そして、インタビューの締め括りとなる今回。子育てをする中で傷ついた言葉や救われた言葉、幸せに感じる瞬間について語っていただいています! 障害児を育てるママへの接し方は難しい-吉田さんとお話していると明るくさっぱり伝えてくださるのであまり悲壮感を感じないのですが、過去に言われて傷ついた言葉ってありますか? 吉田さん:エッセイにも書いたんですけど、母親に「いつ普通になるのかね」と言われた時は、すごく傷ついたというか、頭に来ましたね。「普通って何?」みたいな。あと、障害を持った子と触れ合ったことがない人たちに、遊んでいる姿を見て「そうは見えないのにね」「いつか喋れるようになるよ」と言われた時は、モヤモヤしました。 -障害のあるお子さんを持つママへの接し方って、傷つけるつもりでなくても傷つけてしまうこともあって、難しいと感じることがあります。 吉田さん:そうですよね。慰める気持ちや、相手を安心させようする優しい気持ちで言ってくれていることは分かっているんですよ。でも、実際にそういう言葉を聞くとやり切れない想いになってしまうんです。もし、身近にそういうママがいたとしたら、普通に話を聞いてあげるだけで十分だと思います。当事者にしか分からないことが多いし、変なアドバイスとかは逆撫でしてしまうことも多いと思うので。普通の会話の中で向こうが聞いてきたら答えるくらいで良いんじゃないでしょうか。 -障害の有無関係なく、人の家の子育てに口を出さないで!ってことですね。 吉田さん:まさに、簡潔に言うならそれです!障害って、うちの子みたいな言語障害にも知的障害がある場合とない場合があるし、自閉症やダウン症にもいろんな種類があって、本当に1人1人全然違うんですね。それなのに、「あの自閉症の子はこうしたからあなたもこうしてみたら?」とか、「あのダウン症の子、すごく書道が上手だからあなたも習わせてみたら?」とか言われると……。その人が良かれと思って言ってくれているのは分かるし、ありがたいとも思うんですが、どうしても素直に受け止められないんです。 -もし、障害児を育てているママ友がいて、すごく苦しんでいたとしたら、どうするのがベストなんでしょう? 吉田さん:何かママ自身がリフレッシュできることを考えてあげてみてはどうでしょうか。一緒にどこかに出かけたり、美味しいものを食べたりとか、そういうことが喜ばれるんじゃないかなと思います。あと、子どもたちを一緒に遊ばせてあげる。力の加減が分からないから強く掴んじゃったりすることもあるし、難しいんですけどね。そこはもちろん、ママが責任を持って制するようにして。全部理解して欲しいなんてワガママなことは言わないから、ある程度そういう子なんだというのを分かったうえで一緒に公園で遊んでくれたりするだけでも嬉しいものです。 障害を「逆手に取ろう」という言葉に救われた-なるほど。では、逆に救われた言葉や出来事はありますか? 吉田さん:同じマンションに住んでいた自閉症のお子さんを持つママに「うちの子に障害があるかもしれない」と伝えた時、「じゃあそれを逆手に取って遊ぼうよ」って言ってもらったことですね。知的障害者に交付される【愛の手帳】(※1)というものがあって、それを持っているとテーマパークでも列に並ばずに遊ばせながら待ち時間を過ごすことができたり、交通機関が割引になったり、旅行が格安で行けたりするんですよ。そういうのを使ってどんどん遊びに行こう!って。 ※1愛の手帳…東京都が知的障害者(児)に対する社会の理解と協力を深めるために交付している手帳。障害の程度によって、1度から4度に区分される。東京都以外では「療育手帳」が交付されている。 -すごく前向きな言葉で、励まされますね。 吉田さん:本当に、その言葉にはすごく救われました。今はちょっと遠いところに住んでいるのですが、今でも年に1回くらい会っていて、相変わらずすごく明るいし、勇気をもらえます。しかも、その自閉症の子は、知能指数(IQ)と日常生活の様子を見る障害の判定基準をクリアすることができて、最近手帳を返還したんですよ。そういうやり方もあるんだという前例を見せてくれることで、希望が持てました。私のところにも「実は誰にも言えなかったけどうちの子もそうなんです」とか、「今3歳で、障害があって絶望していたけど元気が出ました」とかDMが送られてきたりして、自分がこうやってぽんちゃんとのことを話すことで、安心してくれたりとか元気になってくれたりするのがすごく嬉しいです。 -先が見通せるって安心しますよね。 吉田さん:そうなんですよね。小学校に上がることすら怖いかもしれないけど、そこはぽんちゃんを見て、デイサービスに通わせれば日中ママは普通に働けるんだとか、そういうことを知って安心してもらえたら。極論的に言えば、健常児であってもこの先、何があるかわからないですよね。未来のことは誰にも分からないし、先のことを憂いて暗くなるよりも、今日はこれが楽しかったねって毎日楽しいことを積み重ねて10年過ごした方が絶対に良いと思うんです。 3人で入るお風呂がコミュニケーションの時間 -子育てする上でのこだわりや譲れない部分ってありますか? 吉田さん:ずっと大事にしていたのは、オン/オフをちゃんと切り替えることですね。お姉ちゃんが小学生のうちまでは、土日は仕事を入れないようにして必ず出かけていました。ちょっと遠出をしたりとか、泊まりがけで旅行に行ったりとか。2ヶ月に1回くらいは旅行に行っていたと思います。 -すごいパワフル。では、お子さんを育てている中で特に楽しい、幸せだなと感じる瞬間はどんな時ですか? 吉田さん:お姉ちゃんが今年で中学2年になるんですけど、すごく良い子に育ってくれていて。友だちみたいにAbemaの恋愛ドキュメンタリーを一緒に見たり、原宿に遊びに行ったりできて、すごく楽しいですね。ぽんちゃんも、そこに対して「やだ」とかが一切なくて、どこでも付いてきて楽しんでくれるんですよ。とにかくぽんちゃんはかわいいです(笑)。ビジュアルもかわいいし、言葉を発さないから生意気なことも言わないし、毎日かわいいね、かわいいねって言っています。あと、今でも毎日3人でお風呂に入っているんですけど、それが楽しくて。そこだけがちゃんとコミュニケーションがとれる時間というか、お風呂には携帯も持ち込まないしテレビもないから、その30分くらいはみんなでギャーギャー喋っています。成長するにつれてどんどん湯船が窮屈になってきているんですけどね(笑)。 -それは素敵ですね。最後に、2人にどんな子に育って欲しいですか? 吉田さん:今、本当に2人に対して不満がないんですよ。お姉ちゃんは中学生になって友人関係とかもいろいろ複雑になっていく年頃ですが、そういう中でも客観的に物を見て上手くサバイブしているので、それはそれで良いなと思っていて、ぽんちゃんもすごく人懐こいので、どこでも上手くやっていけるタイプだと思うんです。2人とも、そのまま楽しく毎日を過ごしていってくれたら良いなと思います。 3回にわたりお届けしてきた吉田可奈さんのインタビュー。知的障害を持つ子どもをシングルで育ててきた経緯や工夫、考え方などについて語っていただいきましたが、終始明るく前向きで、聞いているこちらが幸せな気分になり、元気をもらえました。きっと、この10年の間には大変な思いや出来事もあって、これから壁にぶつかることもあるかもしれませんが、しっかり者のお姉ちゃんと可愛いぽんちゃん、そしてパワフルなママの3人であれば、どんなことも負ける気がしませんね。同じ境遇のママや子育てに悩んでいるママも、吉田さん一家のポジティブな空気を感じて元気になっていただけたら幸いです! PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月18日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。前回は、他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方についてお話を伺いました。 今回の記事では、シングルで育てるためのさまざまな工夫や、実際に利用しているサポートなどについて語っていただいています! じぃじとばぁばにお金を払ってサポートを依頼-シングルマザーで2人のお子さんを育てていて、さらに下の子に障害がある状態って大変だと思うのですが、実際に苦労したことなどありますか? 吉田さん:うちは本当に、運が良かったというか。シングルになると大体は経済面やサポートの面で苦労すると思うのですが、私の場合、1冊目に出した本『シングルマザー、家を買う』(扶桑社刊)にも書いたように、実家の目の前に良い物件を見つけて、両親のサポートを受けることができたんです。 -それが今住んでいらっしゃる家ですか? 吉田さん:はい。私が死んでも子どもたちが雨風をしのげる場所が欲しくて、離婚届を出したその足で不動産屋に行ったんです。そうしたら、運良くこの家に出会えて、30年ローンで購入しました。団地なんですけど、80平米もあって実家の目の前。その頃は年収が200万円くらいしかなかったのでローンを組むのは勇気が要ったのですが、当時の収入でも無理のない月額4万円の返済で契約したので、その後も経済的にかなり助かっています。 -ご両親のそばだとサポートしてもらいやすくて良いですね。 吉田さん:本当に、じぃじとばぁばには助けられていますね。私の仕事はライブレポートとかもあって週1〜2回は夜遅くなるので、そういう時はじぃじが家に来て泊まってくれたりとか、上手くサポートを受けて仕事ができています。コロナで緊急事態宣言が出てからは夜の仕事がほとんど無くなったので、だいぶラクになりましたけど。あと、うちの場合は完全に頼りきるのではなく、金銭が発生しているんですよ。年始に1年分としてある程度の金額を振り込んでいるんです。 -金銭が発生しているのは面白いですね。親しき仲にも礼儀あり、ということでしょうか。 吉田さん: どうしても食費など、子供を預けるのであれば発生する金額があります。それを振り込むことで、両親の負担が金銭面だけでも減るのであればと思い、年に1度、まとめて振り込むようになりました。 シングルでいることで逆にストレスフリーでいられる -じぃじとばぁばのサポートがあるとはいえ、やはり働きながら子育てするのは決してラクではないのでは? 吉田さん:今までシングルの状態でしか子育てしていないので、他とくらべて大変なのかどうかはよく分からないです。よく友だちかから旦那さんへの不満で「何もしてくれない」とか、「こういう扱いを受けている」とか聞くじゃないですか。うちの場合はそこに関しての悩みがひとつもないから、むしろすごくラクなんですよね(笑)。1人だったら自分でやるしかないし、期待する相手もいないじゃないですか。家事効率も完璧なんですよ。何時何分にご飯が炊けて、何時何分に風呂に入れて、何時何分に寝られて、何時何分から仕事ができて……という、完璧なタイムスケジュールで進められるんです。子どもたちも、上の子は中学生なので自由にやっているし、ぽんちゃんは「こうするよ」って言えば全部「はーい!」って素直にやってくれるし。やっぱり、同じくらいの年齢で同じくらいの思考を持った人が近くにいると、すごく面倒くさいんだろうなと思いますね(笑)。 -人にペースを乱されることがないっていうのは確かにストレスフリーですね。 吉田さん:そうそう。全然ラクです。 障害児手当と放課後デイケアサービスに助けられる毎日 -ほかにサポートなどを受けたりしていますか? 吉田さん:シングルマザーに【母子手当】(※1)が出るのはご存知の方も多いと思うのですが、あれって所得制限があって、たしか230万円を超えると貰えないんですよ。(母1人子ども1人の母子世帯で、一部支給額が支給される場合)普通にフルタイムで働いたらそんなの余裕で超えちゃうじゃないですか。私も離婚後1~2年くらいしかもらっていませんでしたし。ただ、私が受給してもらっている障害児手当【特別児童扶養手当】(※2)には助けられています。医師に診断書をいただき、審査に通れば受給できるのですが、結構知らない人が多いんです。障害の状況に応じて1級だと月5万円くらいと結構手厚いので、知的障害があるならすぐにでも調べて利用した方が良いと思います。 ※1母子手当(児童扶養手当)…離婚による母子世帯など、父又は母と生計を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進のために支給される手当。※2特別児童扶養手当…精神又は身体に障害を有する児童を家庭で監護、養育している父母等に支給される手当。 -なるほど、そういうものを駆使すればシンママでもガッツリ働きながら育てられると。 吉田さん:そうですね。あとは、小学校に入ったら障害児向けの放課後デイサービスがあるので、それもおすすめです。うちは曜日別で2カ所に通わせているんですけど、そこが本当に手厚くて、小学校まで迎えに行ってくれて、18時過ぎになったら自宅まで送ってくれるんですよ。さらに土曜日でもイベントをやってくれたりするので、すごく助かっています。 -デイサービスを2カ所利用しているのはどうしてですか? 吉田さん:良さげなところを探したんですけど、保育園と一緒で空きがないと入れないんですよね。それに、入りたいところと入れるところが違っていたりもして。結局2カ所に通うことになってしまったのですが、今となってはそれが逆に良かったなと。 -空きがなかったからなんですね。でもなぜ、結果的に良かったと? 吉田さん:親だけが見ていると子どもの変化って分かりづらいけど、より多くの大人がぽんちゃんの存在を知って見てくれていることで、昨日の状態と今日の状態が違うことに気付けたりするんです。例えば、うちの子は金曜日だけ違うデイサービスに通わせているのですが、そこでは気づけなかったことに別の曜日で気付いたり、またはその逆があったりとか。私はそのデイサービスのことをめちゃくちゃ信頼しているんですけど、知的障害があって喋れないので、何があったとかも言えないじゃないですか。虐待などのニュースも日々ある中で、リスクを分散するというのはすごく大事だなと思います。 -病気の発見とかにもつながりそうですね。 吉田さん:うちの子は隠すことができないので、分かりやすいと言えば分かりやすいんですけどね。中には優しくて気を遣っちゃう子もいて、そうすると、嫌な目に遭っていても一切表情に出なかったりして、そういうところは気を付けてあげないといけないなと思います。あと、デイサービスに通わせてから、私は全然知らない人がぽんちゃんのことを知っていたりするんですよ(笑)。他の施設に通っている子のママに駅で声をかけられたりとか、郵便局に行ったら職員さんが「あ、ぽんちゃんだ」って声をかけてくれたりとか。結構いろんな場所に散歩に連れて行ってくれているみたいで、見守ってくれている大人が増えて、本当に助かっています。職員さんのお給料上げて欲しいくらい(笑)。 -なかなか昼間に出かけられないご家庭だと特に有難いですね。 吉田さん:本当に。1人で不安や大変さを抱え込む必要はないし、そういうサービスや支援に頼ることはすごく大事だと思いますよ。 働きながらシングルで障害のある子どもを育てるためのさまざまな工夫や、実際に助けられているという行政支援、民間サービスなどについて、メリット・デメリットも含め詳しく教えていただいた今回。次の記事では、子育てをする中で傷ついた言葉や救われた言葉、幸せに感じる瞬間について語ってもらいました。次回もお楽しみに! <第3回につづく>PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月17日江上敬子さんは、「ニッチェ」というコンビを結成しているお笑い芸人です。現在はバラエティー番組にレギュラー出演するほか、「ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん~胃ぶくろをつかむ、嫁ラクレシピ!」「ニッチェ江上敬子ダンナやせごはん~かさ増し!レンチン!缶タン!編」など、料理本の出版もおこなっています。また、2015年9月には一般男性と結婚し、2020年9月5日に第一子を出産しました。今回はコロナ禍の妊娠・出産についてや、出産を乗り越えて変化していった夫婦の関係性について、いろいろとお話を伺ってみました! 立ち会い出産を考えていたものの、コロナ禍で断念… 画像出典:江上敬子さんのオフィシャルブログより ー昨年9月にお子さんを出産されましたが、コロナ禍での妊娠・出産は不安でいっぱいだったのではないでしょうか? 江上さん:そうですね。最初に想像していた出産とはかけ離れたものでした。本当は立ち会い出産も考えていましたし、出産してすぐに私の両親に抱っこしてもらおうと思っていたんです。でも、コロナ禍ということもあり、立ち会い出産はできませんでした。また、妊娠中の健診も1人で行かなくてはならなかったので、赤ちゃんの心音も旦那に聴いてもらうことができず、本当に1人で頑張らなくてはいけないという寂しさもあったんです。でも、まわりの妊婦さんもみんながそうだと思って、なんとか乗り切りました。 ーいろいろとバースプランを考えていたのですね。 江上さん:はい。とはいえ、ふわっとですけどね。何よりも、これから2人で育児をしていくにあたって、嫁がどれくらい苦しんで出産をするのかを絶対に旦那に見せなくちゃいけないって思っていたんですよ(笑)。 ー女性は命がけで出産をおこなうので、ちゃんと最後まで見守って欲しいですよね。 江上さん:私の中では、立ち会い出産は外せないなと思っていたので残念でしたね。でも、私が出産した病院は、終始テレビ電話をしながら出産ができたので、そこは親切だなと思いました。結局、帝王切開になってしまったので、途中で切ってしまったんですけど。 ー出産したときのパパの反応はいかがでしたか? 江上さん:実は、陣痛がきたときはいつもより大げさに苦しんだんですよ。この痛みを伝えなくちゃいけないと言う使命感があって(笑)。それを見た旦那は、あたふたしはじめて「俺はどうすることもできない」「頑張れ!」と焦っていました(笑)。でも、ちゃんと寄り添ってくれたのがわかって、うれしくなりましたね。結局、子どもがまったく降りてこなくて、最終的に帝王切開になったので、あまり臨場感は伝えることができなかったんですが、産後、15分だけ赤ちゃんと旦那の面会が許されたんです。そのときの旦那の手が、緊張でめちゃくちゃ震えていたのですが、それを見た瞬間、“これはこれから一緒に育児をしていくんだから、しっかりさせなくちゃいけない”と思いまして。私が退院するときに旦那が迎えに来てくれたんですけど、そのときにはすでにおむつ替えとミルクをあげるのを実践してもらっていました。 子どもに触れるうちに着実に芽生えていったわが子への愛情画像出典:江上敬子さんのオフィシャルブログより ー「一緒に育児をする」ということを、第一に優先していたのでしょうか? 江上さん:はい。女性はおなかの中に子どもが10カ月間もいるので、自然と母親になれると思うのですが、男性はやっぱりピンと来ない人が多いみたいで。なので、ちゃんと子どもに触れさせることで、「一緒に育てていく」という想いを強く芽生えさせなくちゃいけないのではないかと思いました。 ー 実際にその効果はありましたか? 江上さん:すごくありました。最初からミルクもおむつ替えもやってもらっていくうちに、父性というか母性が芽生えてきたようで(笑)。結果的に旦那のほうが神経質になってしまったくらいで……(笑)。今では「息子のためにはこうしたほうが良いんじゃない?」と言ってくれるようになりました。 ー出産を経験して、どんなことを想いましたか? 江上さん:出産って、やはり命懸けの行為だと感じました。産後は母体がすぐに回復するわけではないので、旦那の協力が大切になります。やっぱり育児は2人でやっていくものなんだなぁと改めて思いました。ありがたいことに、うちの旦那は育児に精を出してくれたので本当に助かりましたね。 育児が始まると夫婦の関係が「戦友」へと変化ー子どもが生まれてから、パパはどのように変化しましたか? 江上さん:子ども第一になりました。それに、もともとは家事をそんなにやらない人だったんですが、進んで家事をやってくるようになったんです。子どもが生まれると、家事がどうしても増えるんですよ。でも、ちゃんとしたルーティーンができたので、以前よりも家事に対するストレスが減った気がします。 ー「ちゃんとしたルーティーン」とは、具体的にどのようなものですか? 江上さん:例えば、子どもをお風呂に入れる係と、子どもを受け取ってお肌のケアをして、寝かしつける係を交互に担当しているんです。お風呂に入れていない係は、洗濯担当として子どもの服を子ども用洗剤で洗って干し、大人用を乾燥機にかけて寝るというサイクルを作ったんです。それからはすごくラクになりましたね。そうして1日1日育児をしていくうちに、旦那は戦友のようになっていきました。 ー大きな変化があったんですね。江上さんにはどんな変化がありましたか? 江上さん:旦那に対して、まったく謝ることができなかった私が、すぐに謝れるようになりました! 以前は喧嘩をしたら絶対折れなかったんですが(笑)、今は子どもが優先だからこそ、意地の張り合いがなくなり、いい関係になった気がします。これから先が長いので、このまま戦友として仲良くしていきたいと思っています。 コロナ禍だからこそ、より不安な気持ちになったり、思い描いていた出産ができないなど、いろいろと大変な部分があったと思いますが、夫婦2人で手を取り合って協力しながら育児をおこなっているというお話を聞いて、とても素敵だなぁと思いました。一つひとつの質問に対しても、真摯に向き合って話してくれた江上さん。これからもパパと二人三脚でかわいい息子さんの育児を頑張ってくださいね! PROFILE:江上敬子さん島根県出身の1984年9月17日生まれ。マセキ芸能社に所属しており、女性お笑いコンビ「ニッチェ」ではボケを担当している。著者:ライター 吉田可奈
2021年04月11日画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより 浜田ブリトニーさんは漫画家として活動する一方で、タレント活動をおこなったり、最近ではYouTube動画を配信するなど、幅広い分野で活躍中しています。そして、今年の1月には待望の男の子を無事出産。2歳の雫ちゃんと0歳の茶蔵(ちゃくら)くんのママになりました!前回の記事では、コロナ禍の妊娠・出産エピソードを中心にお話を伺いましたが、今回は最近生まれた第二子の息子さんについてのお話や、浜田さんにとって「子どもがいる生活」とはどういうものなのか、子育てをするなかで意識していることなどをインタビューさせていただきました! コロナ禍で生まれた新しい命! 第二子、茶蔵(ちゃくら)くん画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー今年の1月21日に出産した男の子は“茶蔵(ちゃくら)”くんと名付けられましたが、とってもかわいいお名前ですね。名前の由来は何でしょうか? 浜田さん:ありがとうございます! 以前、飼っていた茶色いトイプードルが、“茶衣蔵(ちゃいぞう)”という名前だったんです。茶衣蔵は、今の旦那さんとお付き合いしていたときに、旦那さんのメンタルがちょっと弱ってしまったことがあったんですね。そのとき、元気になるようにとサプライズで飼い始めたんです。彼は茶衣蔵をすごくかわいがっていて、茶衣蔵の散歩のために早寝早起きになり、健康的な生活になったんです。それもあって、どんどんメンタルが復活しました! でも、それと同時にまだ3歳くらいだった茶衣蔵が亡くなってしまったんです。私と旦那さんが溺愛した茶衣蔵も、また家族の一員になれたらいいねという想いもあり、茶以蔵の名前から二文字をとって息子に“茶蔵”という名前を付けました。また、「チャクラ」という言葉はスピリチュアル的な意味も含まれているのですが、私自身スピリチュアルが好きなので、そういう意味も込めて名付けています。エネルギーポイントという意味らしいのですが、エネルギー溢れる人になって欲しいなぁと思って。 ーそうだったんですね。そんな想いのこもった茶蔵くんと一緒にいて癒される瞬間はどんなときですか? 浜田さん:全部かわいいんですが、首をなでるとニッコリするんですよ。もう表情が出て来て、触られるとくすぐったいのか、ニコッてするんですよね。 ーお姉ちゃんの雫ちゃんはもうすぐ3歳になりますが、赤ちゃん返りなどはありましたか? 浜田さん:それが、まったくなかったんです。もちろん、やきもちを焼かないように、雫が第一になるように気を回して接していました。例えば、雫が話かけてきたら雫のことを優先したり、構ってほしそうだったら、茶蔵より雫のほうに行くようにしていましたね。また、夫婦2人で茶蔵くんにつきっきりといった状況にならないよう、どちらかは雫ちゃんに集中するという感じでパパと協力していました。ただ、妊娠中から雫は「お姉ちゃんになるの」とずっと言っていて(笑)。その甲斐もあり、準備は万端だったようで、今は茶蔵のことをずっと抱っこしたり、なでたりといいお姉ちゃんをしています。 子ども優先が当たり前! でも、自分を優先することも大切画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー子育てをしているなかで、気を付けているところはどんなことでしょうか。 浜田さん:雫はもうすぐ3歳になるので、動きや口グセなどをマネされても大丈夫なように気を付けています(笑)。例えば、物を持っているときにドアを足で閉めたりすると、すぐにマネをするんですよ。すごくよく見ていますし、聞いているので、ちゃんといい見本にならないといけないなと感じています。 ーあはは。人の振り見てわが振り直せ、ではなく、わが子の振り見て~という状態になっているんですね。 浜田さん:その通りです(笑)。あとは、イライラしたとしても、衝動で怒らないように気を付けています。自分の気持ちは怒らずに、ちゃんと伝えるようにしています。そのためには、心に余裕がないと難しいんですけど……。ただ、余裕をもって接するだけで、子どもも言うことをよく聞いてくれるんですよ。 ーそういった気づきがあったのは最近ですか? それとも、もともと肝が据わっているような性格だったのでしょうか。 浜田さん:実は、出産前はあまり子どもが好きではなかったんですよ。というのも、子どもと接すること自体が少なかったので、未知の世界だったんですよね。だからこそ、わからないものを理解するために、一歩距離を置いて接していたのが良かったのかもしれないです。 ー一歩距離を置いて接するとは、例えばどんな風にでしょうか? 浜田さん:そうですね。育児をしながら仕事をしていたことは、すごく良かったのかなと思います。また、雫のときは第一子というのもあり、初めての育児に悩んだり考え込むことも多かったのですが、茶蔵はその経験をもとにある程度しなくちゃいけないラインが分かっていたので、さらに肩の力を抜いて育児ができ気がしています。何でも子ども優先になってしまいがちですが、自分のことも優先するときはしないと、良い子育てってできない気がするんですよ。 ー自分の余裕がやさしさにつながっていくということですね。 浜田さん:そう思います。なので、基本的には子どもが好きなものを食べさせたりするけれど、自分も好きなものを食べたり、自分へのご褒美を買ったりと、子どもだけでなく、自分も甘やかすことも大事にしてます。 日々の成長が愛おしい…子どもがいるから強くなれる! 画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー浜田さんは、子育てに関するYouTubeも配信されていますが、どんなきっかけだったのでしょうか。 浜田さん:雫のチャンネルは、ブログの読者さんが「動いている雫ちゃんの姿を見たい」というリクエストがあったので、アップをし始めました。今は茶蔵のチャンネルも開設したので、2人の成長する姿をこれからもアップしていこうと思っています。ブログを読んでくれている人はもちろん、離れて暮らしているお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに今の姿を見せることができるのもすごくいいですよね。 ー反響はいかがですか? 浜田さん:小さなころから見てくれている人たちは「大きくなったね」とコメントをくれるので、一緒に成長を楽しんでもらえているようなんです。これからもこまめにアップしていきたいですね。 ー子育てをしているなかで、楽しいと思うのはどんなときでしょうか。 浜田さん:子どもって一緒に遊んでいると、どんどん成長しますよね。歩けるようになって、しゃべれるようになって……。その一瞬一瞬がすごくおもしろく感じるんです。スプーンを使えるようになったりとか、そんなちょっとしたことを家族で喜べるのはすごく楽しいですよね。改めて、人間ってすごいなって思います(笑)。 ーママになって変わった点は何かありますか? 浜田さん:より頑張るようになりました。子どもがいると、さらに頑張れちゃうんですよね。ちょっと難しい問題が起きたとしても、子どもの顔を見ると「よし、やってやるか! 」って思うんですよ。そんなときに、強くなったなと感じますね。 ーありがとうございました! 最後にメッセージをお願いします。 浜田さん:こんな時代になってはしまいましたが、だからこそ、応援してくれる人も多いと思うんです。今の時期を乗り越えて出産した母は、より強くなると思うんですよね。そして、この時代だからこその育児もあると思うので、一緒にさまざまな問題を乗り越えて、楽しく育児をしていきましょう! 浜田ブリトニーさん、この度は取材にご協力くださりありがとうございました! インタビューでは終始、明るく笑顔で対応してくださいました。コロナ禍の妊娠・出産は本当に大変なことも多かったと思いますが、無事に乗り越えられて本当に良かったです。これからも雫ちゃんと茶蔵くんの成長過程をYouTube動画を通して、陰ながら見守っていきたいと思います! PROFILE:浜田ブリトニーさん1979年4月7日生まれの千葉県県出身。日本の女性漫画家、タレントとして活動をおこなっている。株式会社PIECE EIGHT(ピース・エイト 個人事務所)に所属。著者:ライター 吉田可奈
2021年03月31日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをスタート。今回は、4人のお子さんのママでもあり、専門家相談コーナーや専門家ライターとして活躍している助産師の高塚さんにお話を聞きました。 高塚安希子さん都内の看護大学にて保健師・助産師・看護師の資格を取得。大学卒業後、大学附属病院の総合周産期母子医療センターにて、助産師として妊娠期から産後のケア、新生児のケアに携わる。9年程勤務した後、出産を機に、横浜市内の総合病院にて勤務している。現在、7歳・5歳・3歳・1歳5カ月の4人の子どもの育児に日々奮闘中。 私にとっては「子ども4人」は自然な流れでしたーお子さんが4人いらっしゃるとのことですが、元々子どもはたくさんほしいと思っていたのでしょうか? 【高塚さん】私の周りの助産師だけかもしれないですけど、子だくさんの方が結構いて、子ども2人は少ないほう、3〜4人が当たり前みたいな雰囲気だったので、私も4人くらいはいてもいいかなと思っていました。 あと、助産師として仕事していく上で、経験があるというのは私にとっては役に立っています。実際に、出産する前と出産してからだと出産への関わり方もなんとなく違っていて。子育てにおいても、育児の悩みとかって知識では話せるんですけど、本当に実感があるかどうか、経験があるかどうかは大きいと思います。子どもが4人いれば、2人育児や3人育児で悩んでいる人にアドバイスするのにも役立つかなって。なので、経験として可能なら4人育てるのもいいのではと思いました。 ー4人の子育てはやっはり大変でしょうか。よくいう「赤ちゃん返り」とかってありましたか? 【高塚さん】1番上の子は2人目が生まれたときに、「私もおっぱいが飲みたい」って言うことがありましたね。そんなときは「いいよ」って言って、2人同時に授乳をしました。赤ちゃん返りする時期って、下の子はまだ新生児なので、おなかがいっぱいでおむつがきれいであればママじゃなくても大丈夫。なので、下の子をパパや祖父母に見てもらい、意識的に上の子に関わるようにしていました。 今はそのお姉ちゃんがすごくしっかりしてきて、下の子のおむつを替えてくれたり、ごはんを食べさせてくれたりもします。ちょうど1番下の子が1歳5カ月で目が離せなくって。私が家事や他の子のお世話で手が離せないときには、お姉ちゃんに頼っています。結構ちゃんと見てくれるので本当に助かっています。 2番目や3番目の子たちも「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」扱いされるのが好きみたい。「さすがお兄ちゃんだね」「3歳になるとこんなことも自分でできるんだね」というとすすんでやってくれることが多いです。3番目の子はまだ幼稚園にも行っていないんですが、上の子2人が母の日などに絵や工作を私にプレゼントするのを真似して、同じように絵を描いてプレゼントしてくれるんです。 あと最近になって、一番下の子も「だっこ、だっこ」って言えるようになって。今までは、仕事帰りに祖父母の家にお迎えに行くと、2番目と3番目が争奪戦みたいに私のところに来るのを、呆気にとられて見ていただけだったんですが、やっと一緒に参戦できるくらいになりました(笑)。子どもたちが元気に迎えてくれると、待っていてくれたんだなってうれしくなりますね。 誕生日には主役の子のリクエストを聞くのが我が家流ーそう言えば今日(3月19日)は、3番目のお子さんのお誕生日だったんですね。 【高塚さん】そうなんです。今日は平日で夫の帰りが遅いので、お祝いは明日する予定。うちは誕生日には、その日の主役の子がメニューや行き先を全部決めるんです。「キドキドに行きたい」とか、「プレゼントのおもちゃを選びに行きたい」とか。長女はきっちりと朝ごはんから決めます。2番目の男の子も「朝ごはんはパンケーキ!」とか(笑)。明日は大きな公園に遊びに行って、夜はおうち焼肉です。 ー3歳でもしっかりリクエストするんですね(笑)。 そんなところも上を見習ってなのか「ケーキはアイスケーキがいい!」としっかりリクエストします。4人いるからこそ、そんな日が1年に1回くらいあってもいいかなって思っています。ただ、4人中3人が2〜3月生まれなので、クリスマスから3月までは、まとまった出費が続いてちょっと大変ですけどね(笑)。 子どもの成長を見届けられるのは親だけができる経験ー助産師として仕事で赤ちゃんに接していて、「子どもっていいな」と思うのはどんなときでしょうか? 【高塚さん】生まれたばかりの赤ちゃんは、まだおっぱいも上手に飲めなかったり、うまく眠れなかったり、吐きやすかったり、ある意味まだとても不器用な状態です。そんな不器用で純粋な状態の赤ちゃんに接していると、変な言い方ではありますが、とても母性が湧きます。 ーすごいですね! 私は初めて自分の子どもを見たときには不安で仕方なかったんですが……。 そうなんですね(笑)。仕事でたくさん赤ちゃんのお世話をしてきたので、慣れているっていうのはあるのかもしれないです。 ーでは、「自分に子どもがいてよかった」と思った瞬間などはありますか? 今は人生100年時代とも言われますよね。その人生の始まりの、ひとりでは生きられない、完全に他者に依存しなければ生きられない状況から、少しずつできることが増え、自立していく成長を見届けられるということは、親しかできないかけがえのない経験だと思います。 例えば、寝返りができないときとか、何回も何回もトライしてもできなくて、もどかしい段階ってあると思うんですけど、そういうのをあえて手伝わずに待って、ようやく赤ちゃんが自力で達成したのを見届けたときは感動的でした。「今、すごい瞬間見たなぁ」って思ったのを覚えています。 あと、ママ友ができたのもよかったことの1つです。大人になってから、今の悩みをわかり合える新しい友だちができてうれしかったですね。 ー助産師さんでも育児の悩みがあるんですね。 全然ありますよー。助産師は仕事のときだけで、普段は「私は助産師です」なんて思っていないので、普通のママと一緒。いろいろな人の意見や考えを聞くことで、そういう考えもあるんだなと教えてもらっています。それが、まわりまわってまた助産師の糧にもなっているんだと思います。 助産師でありながら、4人のお子さんのママでもある高塚さん。そんな育児経験豊富な高塚さんが書いた記事もぜひチェックしてみてくださいね。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年03月26日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをスタート。今回は、専門家ライターやライブ配信で活躍している助産師の高杉さんにお話を聞きました。 高杉絵理さん看護師、助産師、保健師の資格を取得。国際ラクテーションコンサルタント。総合周産期母子医療センターの産科やNICU、産科クリニックで経験を積む。現在は世田谷区の保健センターで妊婦さんやママたちの相談業務に携わる。助産師にオンラインで相談できる「助産師サロン」も運営。自身も1児の母として育児に奮闘中。 コロナ前はワンオペ育児。今では「家族」を実感できるようにーちょうど2才になるお子さんがいるそうですが、コロナ禍での育児は大変でしたか? 【高杉さん】もちろん大変なこともあったんですが、コロナがきっかけでうちは家族の時間が増えました。私は昨年春に仕事復帰する予定だったんですが、緊急事態宣言で延長になり、夫もリモートワークになり、1LDKに家族3人。最初はどうなるんだろうと思っていたんですけど。 それまでは夫は仕事が忙しく、家族と関わるのは土日だけ。平日はお風呂に入れるどころか、私と息子が寝てから帰ってくるような毎日だったんです。それが、夫がリモートワークになったら、通勤時間もなくなって、ごはんも一緒に食べられるようになって、お風呂も子どもと一緒に入れるようになりました。私も子どもが小さいうちはどこか諦めていたところもあったんですが、「パパがすごく関わってくれる家庭ってこんな感じなのか。ちょっといいな〜」なんて(笑)。 子どももパパと一緒にいる時間が増えると慣れきたのか、今では「公園に遊びに行くのはパパ!」になっています。リモート会議の間に「1時間だけ公園行くか」と言って、子どもを遊びに連れて行ってくれたりと格段にパパ力がアップ! コロナがきっかけで、基本ワンオペ育児だった我が家もだいぶ変わりました。 息子は父の代わりに私たちの元にきてくれた天使ー自分の子どもが欲しいと思ったきっかけは何かあったんですか? 夫は中学生ときの同級生。ずっと友だちのまま34才のときに、交際0日で結婚することになったんです(笑)。当時私は大分で仕事をしていたので、結婚後に仕事を辞めて夫の住む東京に行く予定でいました。ところが、その直前に私の母の乳がんが発覚。当時父は大阪に単身赴任していたので、一人暮らしの母の闘病生活を私が支えることにしたんです。結局夫とは約1年くらい別居生活になりました。 その後、母の病気が快復し、結婚2年目からようやく夫と一緒に暮らすように。私も東京で仕事をするようになって、毎日夫婦2人で充実した生活を送っていました。「子どもは来年くらいかな?」「そうだね」なんて話していたころに突然、今度は父が末期がんで余命1カ月と宣告をされました。 余命宣告されたあとに父に言われた忘れられない言葉があるんです。「さみしがらなくていいよ。またすぐに会えるから。絵理のところに戻ってくるから」って。闘病生活で暗く沈んでいた弟たちがそれを聞いて「そうだよ、姉ちゃん早く妊娠しなよ! 父さんに孫、見せてないじゃん!」みたいになって。 そのときにふと思い出したんです。病気が分かる前に父が「そろそろ絵理の子どもが見たいな」って言っていたのを。でも、当時の私はなんとなく“未来はいつまでもある”って思っていたから、「来年ぐらいね」って何の気なしに答えていて……。初めて後悔しました。 父は本当にその後、1カ月ちょっとで亡くなってしまいました。家族みんなやりきれない思いでいっぱいでした。余命宣告されて1カ月って、何ができるんだろうっていうくらいあっという間で、何もできていなんじゃないかと責める気持ちばかりが浮かぶんです。家族みんなが悲しみを抱えていたときに、自分の体調の変化に気づきました。 ーお父さまの死後にすぐ妊娠がわかったんですね。家族のみなさんの反応はいかがでしたか? 【高杉さん】それはもう、希望の光でした。兄弟たちも「お父さんの生まれ変わりだ」って喜んでくれて。なによりふさぎ込んでいた母にとっての生きがいができました。子どもって本当に希望なんですよね。パーッと周りが明るくなるような。息子は私たち夫婦だけでなく、母や兄弟たちみんなが悲しみに暮れているときに幸せを運んでくれた天使です。 生まれ変わりのように子どもが生まれてくる話は、仕事でもよく聞くエピソードなんですが、自分が体験して「亡くなる命もあれば、生まれてくる命もある」って実感しました。実際、息子は全然生まれる様子がなかったのに、予定日よりも早く陣痛がきて生まれてきて、気づけばその日は父の月命日。やっぱりこの日に生まれてきたかったんだねと母と話しました。 ただ、産後は思った以上に大変。私はもともと体が丈夫だったのですが、産後はめまいに悩まされるようになりました。体調がよくないというのが私自身とてもストレスで、思うように育児ができないのが辛かったです。 子どもを産んで育てることは確かにデメリットなことも多い。というかデメリットなことだらけ。たぶん、たくさんのデメリットの中にほんの少しのメリットがあるだけなんじゃないかと思います。夜泣きはするし、イヤイヤ期は来るし、何もかも本当に大変(笑)。でも、その子の成長の兆しや一瞬の笑顔ですべてを帳消しにしてくれるから不思議。あんなに大変なことがあったのに、育児のつらかったり大変だったりした経験は、今振り返ると楽しく幸せな思い出になっています。 だから「子どもをかわいいと思えない日があっても大丈夫」っていつもママたちに言っています。いつかまたちゃんと戻ってくることができればそれでいいと私は思うんです。 機会があるなら、ぜひ子どもを産んで育てる体験をしてほしいー高杉さんは助産師として多くの出産の現場に立ち会われていますよね。実際に赤ちゃんの出産に立ち会われるときはどんな気持ちなのでしょうか? 【高杉さん】出産の瞬間はとても冷静です。絶対に安全に生まれてくる保証はないからこそ、安全に生まれてきてほしいし、安全に生まさないといけないという緊張感があります。でも、私はその緊張感が嫌いではないんです。そして、無事に生まれてきたあとのほっとした喜びと高揚感はなんとも言えません。 一度産んだママから「高杉さんは名キャッチャーです!」と言われたことがありました。本当にうれしかった。実際にがんばっているのはママなんだけど、見えないところでリードし、安心して共に出産を乗り越えようという気持ちが伝わっていたんだなって。本当に助産師冥利につきる言葉です。 私は、子どもを生まない人生を選択してもいいと思うし、それを否定しているわけでもないけど、多くの女性に機会があるなら子どもを産んで育ててほしいと思っています。 「機会があるならぜひ子どもは産んでみて。見えない世界が広がるから」 実は私が助産師になりたてのころに一緒に働いていた先輩助産師に言われた言葉なんです。それを聞いたときには「確かにそうかなのかも」ぐらいにしか思っていなかったんですが、育児をしている今、頭の片隅にあったこの言葉を思い出すことがあります。 子どもを産む前は、「子ども産んだことあるんですか?」って仕事で聞かれるのが苦手でした。でも、今ならわかります。知識よりも体験するということがどれだけすごいことなのか。だから、人生にはいろんな選択肢があるし、仕事をしながら子どもを育てるのは大変なこともあるけど、機会があるなら、子どもを産んで育てる体験をしてほしいとたくさんの女性に伝えたいと思っています。私も子どもが生まれて2度目の人生をもう一度歩ませてもらってるなと日々感じています。人生に幅が出て、2倍も3倍も人生が豊かになりました。 夫にも言われるんです、「今、助産師実践編をしてるんじゃない?」って。本当にそうだなって(笑)。今まで助産師として学んできたことを、今は子どもの育児を通じて実践している毎日です。 お父さんの生まれ変わりとして誕生したかのような息子さんのエピソードを聞かせていただき、取材中にもかかわらず思わず涙が出てしまいました。助産師としての知識と子育ての経験から生まれた高杉さんの言葉は、ママたちにとってもわかりやすいものばかり。ぜひ、チェックしてみてくださいね。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年03月25日