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ヤマシタトモコの人気漫画を、新垣結衣主演で実写映画化した『違国日記』が、6月7日(金)に劇場公開を迎える。ある理由から疎遠だった姉が事故死。姪の朝(早瀬憩)と久々に再会した小説家・槙生(新垣結衣)は、葬儀会場で腫れ物を扱うような目に遭っている彼女を見て「たらい回しは無しだ」と朝を引き取る決断をする。その日から始まる同居生活を描いた物語だ。「あなたの感情も私の感情も自分だけのものだから、分かち合うことはできない。あなたと私は別の人間だから」というセリフに代表されるように、真の意味で他者を尊重しながら寄り添う道を探していく人々を温かく見つめる本作。原作の大ファンという新垣さんに、撮影の舞台裏と自身の芝居に対する「無意識の変化」について伺った。原作の魅力「日々を優しく丁寧に生きている姿が愛おしい」――『違国日記』が映画化されると聞き、最初に新垣さんのビジュアルを目にした際に「槙生ちゃんだ!」と感じました。どのように具現化していかれたのでしょう。とにかく原作を何度も読み返して、画を自分の中にしっかり焼き付けて「こんな感じではないだろうか」とイメージしながら演じていった、ということに尽きます。自分の中だけじゃなくて見ていただいた方にも伝わっているのであれば、すごく嬉しいです。私自身が元々原作を好きだったということもあり、オファーをいただいた際には驚きと、好きな作品なので嬉しい気持ちと、だからこそプレッシャーを感じました。自分自身に対しても、ハードルを上げてしまうところがありました。本番前には、頭の中で原作の該当シーンの槙生ちゃんの顔を再生して臨んでいました。――新垣さんにとっての、『違国日記』という作品自体の魅力をぜひ教えて下さい。好きなところは本当にたくさんあって挙げたらきりがありませんが、まずはこの作品ならではの言葉選びが好きです。『違国日記』の登場人物たちも、それぞれが“違う人間”であることを理解しながら、誰かと一緒にいて楽しくなったり寂しくなったり、トラウマに触れることもあったり、様々な気持ちになった事実をただただ抱えながらも日々を優しく丁寧に生きている姿がとてもリアルですし、愛おしく感じます。――ご自身にとって思い入れがある作品であるぶん、映画づくりという多数の方々が関わる創作の場では、必ずしも他者と解釈が一致しないこともあったのではないでしょうか。撮影に入る前に瀬田なつき監督にお会いして、作品についての話し合いをさせていただきました。そのうえで、実際の芝居の細かい部分については任せていただけた気がしています。もちろん監督の中で「このシーンではこういう風に見せたい」が演出としてあるので、そういったことは現場で確認しながら調整をしていきました。衣装やヘアメイクについては、事前にスタッフさんが用意して下さったものをとにかく全部着てみるのですが、やはり実際に身につけてみないとわからないもので、アイテムだけ見ると槙生ちゃんっぽくても、私が着るとサイズ感やデザイン的にこっちのほうが槙生ちゃんに近くなる、というものはやっぱりあって、みんなで意見を出し合いながら進めていきました。スムーズにいかなかった印象は全くないのですが、かといって最初からバチッと決まったということもなく、常に確認しあいながらの作業でした。芝居において「どういう風に見えるか」は意識しない――新垣さんが以前「槙生ちゃんは無理に表情を作らない」と評していたのが印象に残っています。作品を拝見していても、自然な雰囲気が流れていました。監督がお芝居の雰囲気に関してナチュラルさを重要視していて、シーンの最後などに「アドリブのアイデアが何かないですか」と聞かれることが結構ありました。長尺でアドリブだったのは餃子のシーンくらいですが、そうしたアプローチが自然な雰囲気に繋がったのかもしれません。――今回の現場ではモニター確認に行く時間が取れなかったと伺いましたが、完成した本編をご覧になって「こういう表情になったのか」と感じた部分はございましたか?撮影中に「どういう顔になっているのだろう」と特に気にかけていたのが、お葬式のシーンでした。原作の槙生ちゃんの表情をイメージしつつ取り組みましたが、出来上がったものを見たときに「こういう顔になったのか」とは感じました。――新垣さんほどのキャリアをお持ちであれば「表情筋をこう動かしたらこういう風に見える」という技術的な計算はある程度成り立っているのではないか?とも思うのですが、いかがでしょう。お芝居を始めたばかりのときは表情が乏しくて、自分ではこういう風にやっているつもりでもカメラを通すと全然足りない、という経験をしました。カメラの向こう側にいる、ご覧になっている方々に届けるためには自分の感覚よりももっとパーセンテージを上げる必要があり、それでやっとちょうどよくなる――といったことを少しずつ覚えていきました。ある段階から「これくらい動かせばこんな風に見えるんじゃないか」とはなんとなく想像できるようになりましたが、その感覚が毎度バチッとハマるわけではありません。そのため日々勉強ですが、最近はあまり「どういう風に見えるか」は考えていないかもしれません。まずは考えないでやってみて、監督が「もっとこういう風に見せたい」があればご指示いただいて、応えられるようにするという意識で取り組んでいます。そういった意味では、先ほどお話しした葬式のシーンも「どういう風に見えているんだろう」とは思いつつも、本番前に原作の槙生ちゃんの顔をイメージしたらその後は考えていませんでした。出来上がったものを見て「こういう表情になったんだな」と後から感じる、という形です。「見え方を意識しない」芝居の自覚とその後の変化――新垣さんは近年、映画『正欲』『違国日記』やドラマ「フェンス」「風間公親-教場0-」等々に出演されています。見え方を意識しすぎない“変化”は、何かきっかけがあったのでしょうか。いえ、気づいたら「そういえば意識していないかもしれない」という感覚です。昔は、お芝居をしながらこういう動きをしたというような“つながり”をしっかり覚えているタイプでした。映画やドラマは同じことを違うアングルで何度も演じる必要があるため、例えば食事シーンだったら「このセリフを言いながらこれを食べて、その次はこれを食べた」をしっかり覚えておかないと、違うカットでカメラの向きが変わったときなど、あとから編集した際に動きが繋がらなくなりますから。もちろんタイムキーパーさんが教えて下さる場合もあるのですが、全ての現場にいらっしゃるわけではありません。そのため自分でしっかり覚えて動くようにしていましたが、最近は気づいたら「あれ、私はこの時どんな動きをしたっけ」と何も覚えていない感じになっています。きっと自分が気づいたタイミングよりも前からその兆候はあったような気がします。――自覚されたときから、お芝居に対する意識は変わったのでしょうか。ある作品の撮影中に、不意に不安になりました。そして「自分がさっきどんな動きをしたか・言い方をしたのか覚えていないのですが、大丈夫ですか」と監督に伺ったら「僕はそういった編集が得意なので大丈夫です。気にせずにお芝居してください」と言っていただけました。そういうこともあって、「ダメだったら監督が言って下さるはず。その時に前のカットに近づく努力をすればいい」と思うようになりました。そのため、「意識していない」ことを自覚した後も、あまり意識はしていません。もしいつか怒られちゃったら、そのときに変えます(笑)。ヘアメイク:藤尾明日香(kichi)スタイリスト:小松嘉章(nomadica)(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:違国日記 2024年6月7日より全国にて公開Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
2024年06月03日【らぁ麺飯田商店湯河原本店】/湯河原【中華そば銀座八五】/東銀座【麺や紀茂登】/茅場町【Japanese Ramen 五感】/池袋【Ramen Break Beats】/祐天寺お話を伺ったのは…大崎裕史(おおさきひろし)さんラーメン評論家。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立、取締役社長に就任。2011年に取締役会長へ。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年4月末現在約13,500 軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)などがある。今やネット予約必須の高級ラーメン店、5選をご紹介!【らぁ麺飯田商店湯河原本店】/湯河原『わんたん入り醤油らぁ麺』2150円神奈川県湯河原にありながら、整理券方式を経て今では週に一度のネット予約で“席の争奪戦”になっており、『日本一予約の取れないラーメン店』とも言われている。年に1度発売される『TRYラーメン大賞』(講談社刊)4連覇で殿堂入りしている名店中の名店。今や価格もいち早く“千円超え”を果たし、“上質かつ高級”なラーメンを提供している。店内に入ると高級割烹か高級寿司店かのようなカウンターが広がる。ラーメン店では最少人数での経営が多いが、ここでは多くのスタッフがきめ細かく動き、接客も抜群。東京から2時間かけて異空間で味わう最高級のラーメン。私も年に1回行けるかどうかなので、行ったら2杯食べて帰る。味や食材は頻繁に変えており、年に数回、食材の研究と開拓のために店を休み、全国を旅して生産者を回ってくる。なので、ここで食べられること自体が大きなご褒美。もちろん食べたら身も心も満足になること間違いなし。らぁ麺屋 飯田商店【エリア】湯河原/真鶴【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】1,000円 ~ 1,999円【ディナー平均予算】-【アクセス】湯河原駅【中華そば銀座八五】/東銀座『ラビオリグルマンディーズ中華そば』(1日30食限定)2200円2018年12月8日オープン。ミシュランガイド2年連続一つ星、ビブグルマン含めて4年連続掲載の人気店。11時からは当日の並び順で30人ほどを案内。日によっては午前6時から並ぶ人も居るとか。12時半からは週に一度のネット予約者の時間で、総数で当日分のスープがなくなり次第受付を終了。昨年の9月1日から新メニュー『ラビオリグルマンディーズ中華そば』を発売。これは「味玉中華そば」にラビオリが1個追加したもの。グルマンディーズとは、フランス語で「食いしん坊」「食道楽」「ごちそう」などの意味がある。フレンチ出身の店主だけある。 スープは、業界を騒がせた「タレ無し」(ラーメン店では一般的な“タレ”を使わない)スープ。タレが無くても旨さは抜群で申し分なしで、ため息が出るほど。麺は浅草開化楼のスーパー製麺師による特注麺。スープに合わせて作った麺なのでスープとの相性も抜群。ラビオリはワンタン風。中に挽肉や野菜以外にトリュフやフォアグラを使った具が入り、フレンチ風。1個ではあるがボリュームもあり、満足感もある。半分くらい食べたところで中身をスープに放流し、味変するのも楽しい。銀座 八五【エリア】銀座【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】東銀座駅【麺や紀茂登】/茅場町『特製』3500円2023年8月3日オープン。元は神戸にあった日本料理店で今は神楽坂に移転。ネットで予算を見ると6~8万円の高級日本料理店。そんなお店がラーメン専門店をオープンし、話題騒然。ネットでの予約制で30分交替。高級感のあるカウンター10席。開店してすぐに行ってから、日々進化するのですでに7杯食べた。銘柄鶏の丸鶏を中心に高級食材も活用しながら“他では食べられない一杯”を提供。ある日のスープの材料は、クエ、アワビ、カツオ、地鶏三種(熊野地鶏、天草大王、岡崎おうはん)から。芳醇&豊潤な旨味がど~んとやってくる。麺も頻繁に変わるがかなり“ラーメン”寄りの麺になってさらにおいしくなった。そしてもうひとつのオススメが「おかわり和え麺」。もっちもちの極太麺を紀茂登流のタレで食べさせる。一般的な和え麺は半分くらい食べて、残しておいたスープに入れて食べるというパターンだが、これはこれだけで完結する「おかわり麺」。余裕があれば烏龍茶も推奨。贅沢したい日は追加で東京Xバラチャーシューもいい。高級日本料理店が作るバラチャーシューも乙な物だ。麺や 紀茂登【エリア】茅場町【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】4,000円【ディナー平均予算】-【Japanese Ramen 五感】/池袋『特上醤油らぁめん』1800円2023年4月12日オープン。開店二日目に食べに行き、感動。すぐに行列店になり、ミシュラン掲載やネット予約に移行することを予想したら1年経たずにそれらの予想が全部的中。今は週に一度のネット予約のみ。オススメは特上。醤油か塩かはお好みで。どちらもおいしい。スープは無化調でさらに「無酵母エキス」まで明記している。地鶏出汁は名古屋コーチン、岩手産いわいどり、鳥取大山どり、みつせ鶏と羅臼昆布。貝出汁は天然蛤、天然浅利、しじみ、ホタテ貝柱など。国産天然物にこだわっており、原価も手間もかけており、この値段はそれでも安いと思えるほど。チャーシューは3種類、豚ロース(炭火焼、薫香)、鶏むね肉(炭火焼、低温調理、仕上げに再炭火焼)、鴨ムネ肉(炭火焼)。ワンタン(岩手鴨ミンチ)、味玉(奥久慈)、メンマ(糸島)、麺(大成食品特注品)、醤油(本醸造5種類)、九条ネギ、輪島の塩、国産柚子。器は四季火土のオーダーメイド。もはやおいしい食材がたくさん入った“丼一杯のフルコース”。ハレの日に食べるラーメンとも言える。Japanese Ramen 五感【エリア】池袋東口/東池袋【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】池袋駅【Ramen Break Beats】/祐天寺『特上塩らぁ麺』2100円2022年1月8日オープン。こちらも開店して二日目に食べに行き、ミシュラン掲載を予想。こちらは1年後になったが最新版で掲載。すぐに行列になり、今は週に一度のネット予約制。この店では醤油にしても塩にしても“特上”しか頼まない、と決めた。特上にしかのらない具もあり、それらが素晴らしくおいしいので、それを食べ逃すことはかなりもったいない。コース料理を食べているかのような感覚と満足感。ラーメンでこういう気持ちにさせてくれるお店はそんなに多くはない。盛り付けの最新版は揃えた麺が見えるようになっており、見た目もさらに綺麗になった。そしてそれぞれのトッピングも、複数種類のチャーシューも、どれもがこのラーメンには必須と思える出来映え。だから私はここでは「特上」しか頼まないことにしたのだ。スープは無化調で醤油と塩ではまったく別のスープを取っており、醤油は地鶏と昆布、塩ではしじみやホンビノス貝の旨味と鶏出汁をブレンド。タレには羅臼昆布、海人の藻塩などを使用。特上でも醤油と塩のトッピングは変えている。麺は三河屋製麺だが醤油はもっちり麺で、塩では低加水麺を合わせている。まるで別店かのように違ったタイプのラーメンを提供。Ramen Break Beats【エリア】目黒【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】祐天寺駅
2024年06月03日取材・文:瑞姫撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部スタイリスト:中井綾子/crêpeヘアメイク:犬木愛/Ai Inuki人生を変えるひとつの大きな要素に、“環境”がある。環境を変えることは、これまで自分が身を置いていた安定した生活から離れ、未知なる別の世界に飛び込むことだ。それは時に勇気のいることだったり、不安なことだったりする。けれど、その大きな決断によって、これまでにない新たな視点を得ることができるし、自分の人生観を見つめなおすきっかけにもなる。そして、新たな人や場所との出会いにもつながるだろう。女優であり、3児の母でもある杏さんも、2022年の夏に日本とフランス・パリの二拠点生活を始めるという人生で“大きな決断”をした1人。現在は日本とパリを行き来しながら生活を送っている。そんな彼女の移住前最後の作品となったのが、映画『かくしごと』。この作品もまた、環境を変えることで思いも寄らない変化が訪れたことを描く、ヒューマン・ミステリーだ。映画の中で演じた千紗子について、そして杏さんのフランス・パリでの生活で感じた変化や新たな発見について、杏さんにとって“環境を変えること”とは何か、聞いた。■映画『かくしごと』が描く“おとぎ話のような世界”映画は、杏さん演じる絵本作家の千紗子が、長年絶縁状態にあった父・孝蔵(奥田瑛二)の認知症の介護のため、渋々田舎に戻るところから始まる。他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年(中須翔真)を助けた千紗子が彼の身体に虐待の痕を見つけたことから、物語は思いも寄らない方向へと進んでいく。少年を守るため、自分が母親だと嘘をつき、少年と一緒に暮らし始めた千紗子。次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく3人。しかし、その幸せな生活は長くは続かない。物語が進むにつれ、ひとつの“嘘”をきっかけに、それぞれの“かくしごと”が明らかになっていくが、最後は予想し得ないラストで締めくくられる。台本を最初に読んだ時、杏さんは「現代のおとぎ話みたい」と率直に思ったそう。そのことについて杏さんは「なかなかできないことを行動に移して、束の間かもしれないけれども、本当の幸せを体現できるというのが、おとぎ話みたいなんですよね」と説明する。「不自然かもしれないけれども、確かにそこに本当のものを一瞬でもいいから作りたかったっていう、本当に自分の中のエリアというか箱庭を作っていくかのように、社会からは隔絶された自分の空間を作り上げたというのは、もし私が同じ状況になってもできるか分からないなと思いました。できるか分からない、というのは、本当に映画を観たみなさんが一人一人考えることなんだと思います」この作品は、愛について、自分の中の正義について考えさせられる作品のように思う。作中で演じた千紗子について杏さんは「違う人格」だと話すが、限りなく千紗子の考えに寄り添う理解の深さは、この作品へ向き合って来た杏さんのすごさを感じずにはいられない。「感情がすごく揺れ動いて疲れることもありました。つらいシーンもたくさんあったので、その感情に揺さぶられていたらその日の撮影が終わっていた、ということも多かったように思います。2日に一度くらいのペースで泣いていたので、結構大変な現場でしたね」作品について「箱庭の中の、花が枯れるまでのおとぎ話」だと表現し、「きっと長くは持たなかった」と話す杏さん。その美しくも儚い表現に、作品を思い出してはグッと胸が締めつけられる。千紗子の行動は、法の下では許される行為ではなかったかもしれない。しかし、少年にとって安らかな場所を提供するために、自らの環境はおろか、境遇さえも変えてしまう。善悪の判断はそれぞれに委ねられるが、この作品で描かれている千紗子は、環境を変えることに対して、そうした“強かな心”を持っている。■「おおむね面白く生きてます」パリで暮らすもう1人の自分映画で千紗子が田舎に戻ってきたことで思いもよらない変化が訪れたように、環境を変えることは、人生を大きく変えることだ。あらためて、杏さんに日本とパリの二拠点生活に、不安などはなかったのかと問うと、意外な答えが返ってきた。「多くの人が入学や就職をはじめとする引っ越しで環境が変わる経験があったかと思うんですが、私は今まで東京から出たことがなかったんです。だからそういった意味では、一般的に多くの方が18歳くらいで経験してきたことが、逆に私は今、初めてで。パリは仕事や旅行で何度も訪れているので“知っている街”ではあるものの、自分がこれまで住んでいた場所とは全く違うところで生活を始めるというのは、すごくわくわくしました。もちろん大変なこともあるんですけど、おおむね面白く生きてます」環境が変わることを、ポジティブに捉える人、ネガティブに捉える人がいる。しかしそれは、人の受け取り方の問題で、いくらでも前向きに変換できることなのかもしれない。杏さんはパリに来てからの変化を「自分がもう1人増えたみたい」と説明してくれた。「日本の自分と、フランスの自分がいる感覚。人格が変わったりはしないけれど、生活習慣は変わります。日本に帰ってくるとバリバリ仕事をして、パッパと段取りしてって感じですけど、パリでは日本と同じようにはできないこともあるので、のんびりと過ごしていることも多いですね。2つになったことで、良い刺激もあるし、安らぎもあるし、それはすごく自分にとっても良い変化だなって思います」日本の便利さとは違う、パリでの少しの不便さも、「やっぱり根本的に全然違うっていうのが面白い」と新たな発見と捉える杏さん。マイナスに感じがちな部分に対しても感情的になるのではなく、ひとつの価値観や生活習慣として自分の中に消化して楽しむことは、どんな環境の変化においても大切なことのように感じた。■時間の使い方で見つけた“パリの新たなメリット”日本とパリを比べた時、仕事と休みのバランスに対して異なる考え方を持っていることは、日本に住む私たちも何となく感じる部分がある。そこで、環境の変化は杏さんの“時間の使い方”にどんな影響を与えたのか聞いてみると、またしてもポジティブな答えが返ってきた。「フランスはバカンスが多いので、子どもの学校が半月ぐらい休みになることが年に何回もあるんです。その期間は自分の仕事も控えめにして子どもと過ごすようにしているんですが、そのおかげもあって、圧倒的にメリハリが生まれました。マッサージなどの自分の時間も、人と会う時間も取りやすくなりました」まさに環境を変えたからこそ出会うことができた、新たなメリットだ。とはいえ、大きなバカンスの連続に、戸惑いはなかったのだろうか。「今までにない休みの多さに過ごし方に悩むこともありますが、休みだと言われることって、ある意味ありがたくって。休みじゃなかったら行かなかった場所にも行けるので、ありがたいなと感じています」自分では制御のできない“休み”だからこそ、ゆっくり休んだり新しい体験をしたり、今まで考えもしなかったことに時間を使うことができるようになる。そして、それを“新たなメリット”として前向きに捉える杏さんだからこそ、その時間を有効に使うことができているように感じた。インタビュー中、杏さんは日本とパリ、両方のメリットを話してくれたものの、どちらに対しても後ろ向きな意見は語らなかった。それはきっと、杏さん自身がどちらのメリットも理解し、享受しているからなのかもしれないと思った。私たちが環境の変化に直面した場合、どうしても今までと違う部分や、不便になったところばかりに目が向いてしまう。しかし、杏さんのように前向きに“新たな発見”と捉えることで、そのマイナスな思いさえ、自分の中で形を変えてくれる気がした。映画『かくしごと』その嘘は、罪か、愛か ― 心揺さぶるヒューマン・ミステリーの誕生長年確執のあった父親の認知症の介護のため、田舎へ戻った主人公・千紗子は、ある日、事故で記憶を失った少年を助ける。少年に虐待の痕を見つけた千紗子は、少年を守るため、自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始める。ひとつの嘘から始まった疑似親子はやがて、本物の親子のようになっていくが、そんな幸せは長くは続かなかった――。2024年6月7日(金)全国ロードショー(C)2024「かくしごと」製作委員会
2024年05月31日取材・文:ミクニシオリ撮影:佐々木康太編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部ヘアメイク:野口由佳(ROI)スタイリスト:鬼束香奈子春といえば、ビジネスパーソンにとっては新生活の季節。年度が変わって、いつもの環境にも変化があったり、自分自身が新しい環境に移ったりする場合もあるかもしれません。新しい環境では、新しい人間関係やコミュニケーション、チャレンジもつきもの。ポジティブにチャレンジできたらいいのだけれど、やっぱり不安……。「その気持ち、分かります」と話してくれたのは、5月24日公開の映画『帰ってきた あぶない刑事』で正義感の強い刑事役を演じた女優・西野七瀬さん。数年前まではアイドルとして人気を博していた西野さんですが、現在は女優としてさまざまな役柄に挑戦する日々。日々たくさんの方と交流する西野七瀬さんですが、実は「人付き合いがあまり得意ではない」と語ります。そんな彼女が、コミュニケーションで意識していることとは?■自分とは全く違う「周囲を引っ張る先輩役」への挑戦。不安はあったけれど……――『あぶない刑事』シリーズといえば、昭和〜平成をまたぐ人気作品ですが……。今回、『帰ってきた あぶない刑事』のお話がきた時、どう感じましたか。私は世代ではないですが、『あぶ刑事』といえば世代に関わらず、誰もが知っている人気シリーズ。お話をいただいた時は、うれしかったです。お仕事が決まってから、映画シリーズを見させていただいたのですが、いい意味で分かりやすく親しみやすい作品で、楽しく拝見しました。――西野さんが演じた早瀬梨花は正義感が強く、部下を引っ張る頼りがいのある先輩刑事。役柄に対しては、どんな印象を持ちましたか?早瀬は私と設定年齢が近かったのですが、かなりしっかりした性格の女性で、これまであまり演じたことのない役柄でした。普段は後輩的な配役も多いので、周囲を引っ張る存在になれるよう、頑張りました。私自身はリーダーシップを取れるタイプでもないですし、上司とされる人に意見を言うのも得意ではないので、肝が座っていてすごいな、と思いました。――演じる上で気をつけたことなどありますか?シリーズの歴史も長いですし、やっぱり主人公のタカ(舘ひろし)&ユージ(柴田恭兵)のお二人が現場の雰囲気を作ってくださっていたので、私はとにかくしっかりセリフを覚えていくようにしていました。早瀬はきっとこの仕事に就く前から正義感が強い女性だったと思うので、早瀬らしさを意識するようにしていました。――西野さん自身、アイドルとして活動していた頃には、後輩と接する機会も多かったと思うのですが、グループ活動での経験は、今回の演技に生かせましたか?私はグループの中でも、引っ張っていくような先輩ではなかったと思うんです。あまり教えられることもなかったですし、乃木坂は本当に自由なグループだったので……。だからこそ、早瀬に憧れる部分はありました。同性目線で見ても、早瀬梨花という女性はとてもかっこいいですし、自分が普段絶対にできないことをやってのけてしまうので、演技中「今、私はかっこよくなれているのかな」と不安になる瞬間もありました。――その不安の中でどのように挑んだのでしょうか。撮影に入る前はたくさん不安があったのですが、私は「やってみたらなんとかなる」タイプなんです。どんなことを始める時も、やる前の不安の方が大きいです。だからこそあまり考え込みすぎないことも大切だと思っていて、今回もその姿勢で臨みました。必要なだけの準備ができていれば、意外となんとかなると思っています。■前を歩く俳優の先輩たちから学んだこと――現在は女優としても活躍されている中で、アイドル時代から一転して、先輩と接する機会も増えていると思いますが……コミュニケーション面で気をつけていることはありますか?もともと性格的に、歳上の方や、落ち着いている方と接する方が安心できるんです。人にも恵まれていて、関わる方々も優しい方ばかりなので、いい意味であまり気を遣いすぎることもなく、リラックスして交流させていただいています。――人に恵まれているとのことですが、先輩たちの背中から学べたことはありますか?私は末っ子気質で、あまり周囲に気を配ることが得意ではなかったのですが、周りの先輩方は、状況をしっかり見ていて、気遣いを行動に移せる方が多いんです。自分にはまだできないことですが、優しさを言葉や態度にしてくださるのですごく安心します。自分もそういったことができるようになりたいと思っています。感情だけの意見を言うのではなく、その場その場で伝え方を変えることができる人はすごいですよね。■西野的・毎日会う「苦手な人」の克服方法――西野さんは今年で30歳を迎えられますが、変化していきたい部分や目標はありますか?実は、10代の頃から30歳を迎えることを楽しみにしていたんです。私にとって、30代はとても自由で、楽しい年代だと思っているので、30代でしかできないことを、楽しんでいきたいと思っています。――30代といえば、会社では中間的な年代にもなっていくのですが……さまざまな環境でお仕事されている西野さんから、働く女性へのエールをいただけますか?私は人付き合いがそんなに得意な方ではないので、人との距離感を大切にしています。会社の中で働いていると、毎日部署の方や同僚と顔を合わせますよね。中には苦手な人、嫌いな上司とかがいたりするのかもしれないけれど……。どんな時でも自分だけの世界や、息抜きの時間を大切に過ごしてほしいです。自分の居場所って、働いている会社にしかないわけではないと思います。プライベートの時間や、自分が好きと思えるもの、人を大切にしてください。苦手に感じる人も、関わる必要があれば分析をしてみるのもいいと思います。その人の傾向やクセが分かると、自分がその人とどう接したらいいかが分かると思うんです。避けたり逃げたりした方がラクなのか、自分が接し方を変えるのか、どちらの方がいいかは、人それぞれだと思うのですが……。自分に合うやり方でいいと思うので、頑張ってください!『帰ってきた あぶない刑事』探偵事務所の依頼人・第1号は、タカ&ユージどちらかの娘!?娘(?)彩夏の依頼は、母親の捜索。タカ&ユージが行方を探る傍ら、多発する殺人事件。一体ヨコハマで何が起きているのか?その矢先、爆破テロが仕掛けられ、最大の危機が勃発!果たして彩夏の母親は見つかるのか?ふたりは、愛するヨコハマを守ることができるのか?公開日:5月24日(金)脚本:⼤川俊道、岡 芳郎監督:原 廣利製作プロダクション:セントラル・アーツ配給:東映©2024「帰ってきた あぶない刑事」製作委員会
2024年05月17日万引き事件が様々な人物に波紋を広げていく『空白』ほか、長所も短所もひっくるめた人間の本質を悲喜劇的に描き続ける奇才・吉田恵輔監督(※吉は<つちよし>が正式表記)。彼が新たに書き下ろした最新監督作『ミッシング』(5月17日公開)は、幼い娘が行方不明になってしまった両親の苦しみを描いた物語だ。のちに主人公・沙織里を演じることになる石原さとみが「この人なら自分を変えてくれるかもしれない」と吉田監督の作品に感銘を受け、伝手を辿って直談判し、その3年後に彼女の手に渡った脚本が『ミッシング』だった。 沙織里と夫の豊(青木崇高)を取材するテレビ局員に扮したのは、中村倫也。石原さんが壊れてゆく一人の母の姿をひりつく熱演で魅せれば、中村さんが他者の人生を食い物にしがちな世の中で苦悩する報道者の心情を細やかに体現し、動と静の競演が展開する。シネマカフェでは石原さんと中村さんの対談インタビューを実施。撮影の舞台裏からそれぞれの芝居における“感覚”の共有まで、存分に語り合っていただいた。石原さとみ「6年前から思い描いていた夢が現実に」――石原さんが6年前に吉田監督に直談判されて、その3年後に脚本が届いたと伺いました。石原:3年前は妊娠・出産を経験前だったため「こういう感じかな」と想像しながら読ませていただきました。その後、子どもが生まれてから本作が復帰作となることに決まって、改めて読もうとしたときに怖くて読み進められない感覚になりました。3年前は想像だったのが、自分の中ではっきり絵が浮かんでしまったんです。とてつもなく覚悟は必要だと久々に感じました。子どもが生まれたことで安易に想像できてしまうぶん、「この作品の世界に入ったら私は壊れてしまうんじゃないか」と怖くなりました。中村:そうだったんだ。――僕も3歳と0歳の子どもがいるのですが、本作を拝見して最初から食らってしまいました。石原さんが感じていらっしゃった不安というのは、全体的なものか具体的なものか、どういった類のものだったのでしょう。石原:吉田監督が脚本を書かれた際、きっといままでの私だったら演じるイメージがないものを私で、とトライして下さったんです。だからこそ、自分でもどうすればいいのか本当にわからなくて。先ほどお話したように想像はできるけれど、沙織里という人がどういう人間かがわからなくて、自分が通ってきた道じゃない人生を歩んでいる人に思えて不安で仕方ありませんでした。実際に吉田監督が「こういう人」とイメージされていた方がいらっしゃって、お会いしに行ったりもしました。そのときに、今までの私の周りにはあまりいない方だとも感じて「自分に演じられるのだろうか」と余計に心配になってしまって。ですが、役作りには 産後の自分の状態が上手く作用してくれた部分はありました。髪の毛が抜けたり痛んだり、そばかすが一気に増えたり、ジムにも一切通っていなくて腰痛もずっとあるようなボロボロの状態が沙織里とリンクして、準備をする必要がなかったんです。実際に自分が出産・育児を経験して、生活したうえでの感覚がある状態で演じるとなったときに「いまの自分だったらどっぷり漬かれるはず」とは感じました。そのうえで「心が壊れないように帰ってこないといけない」という不安があった感覚です。ただ、撮影期間にセッティング風景を眺めながらふと「いま私は6年前から思い描いていた夢を現実に出来ているんだ」と客観視したとき、とても幸せを感じました。中村倫也「芝居は柔軟に対応していくのが楽しい」――石原さんは元々吉田監督の作品のファンだったと伺いました。中村さんはどのような印象をお持ちでしたか?中村:これは今回に限らずですが、ここ何年か極力前情報を入れないようにしています。現場で知って、その場で合わせていく方が僕は面白くて。そのため、あえて「吉田組はこう、吉田さんの作品はこう」というような先入観を持たないようにしていました。そのうえでですが、吉田さんは一緒にいて落ち着ける方でした。僕は悪すぎない悪意がある人が好きなのですが、まさにそんな人でした。美術部さんが用意したであろう変なキャラクターを見てひとりでニヤニヤしていたり、シーンの中心にいる人物だけでなくその周りにいる人たちの動きをモニターで観ながら「いいねえ」と笑っていたり、端々に愛を感じました。今回のようにシリアスな作品だと、人によっては閉塞感が続くものになるかと思います。でも吉田さんの場合は、本当に短いフレーズでシュッと抜けるポイントがあったり「これであなたは笑いますか?」と試されている感じもあり、そういった部分が僕自身の感性とぴったりハマって楽しかったです。そういった意味では、砂田に関しても自分が演じる身ではありますが「この人、実は違うことを考えてるんじゃないかな」と思われるくらいに「真意がわからない」ほうが面白いかもと思いながらチューニングしていました。――中村さんが演じられた砂田は、沙織里ほか相手に対するリアクションが多めかと思います。そういった意味では余白を多めに撮影に臨んだのでしょうか。中村:そうですね。何も決めずに現場に入りました。砂田のキャラクターや職業による部分もありますが、相対する相手によって微妙に変わる人物だろうなと思い、彼の中で大切にしたいもの(輪郭も自分でちゃんと定められていないかもしれませんが)は大事にしつつ、その場その場で人と接することで何が生まれるか、は決め込まずに臨みました。――先ほどの作品に入る前の心構えのお話にも通じますが、その場でチャンネルを合わせる感じですね。中村:その部分が近年より増えてきた感覚です。常に突貫工事です(笑)。だって、どれだけ台本を読んで僕が想像していっても、現場でのさとみちゃんの芝居はそれ通りになんてならないから。監督がどういうことを要求してくるかもわからないですし、その方が僕には面白い。芝居においてリスクが高い状況で柔軟に対応していくのが楽しいんです。初めての吉田組「常に勉強の連続」――吉田監督は「早撮り」と言われていますが、いまお話されたように今回はテイクごとに様々な芝居を試すといいますか、その都度変わっていったところがあるのかなと感じました。中村:そうですね、あまり固めていなかった印象です。石原:私は生まれて初めて「動物を撮っているみたいだ」と言われました。吉田監督に「最初のテイクと次のテイクで全く違うことをやるよね。次に何をしでかすかわからない」と言われたのですが、自分ではそんなつもりはさらさらなくて、衝撃を受けました。これまではどちらかといえば器用と言われていた人間で、お芝居において同じことを繰り返しできるしテンポも揃えられるし、カットとカットの映像的な“つながり”を把握して演じられるタイプでしたが、今回は初めてパニック状態に陥りました。中村:そうした回路をあえて切っていたとか?石原:そういった意識は全くなかったと思う。多分ですが、お芝居をここまで休んだのが初めてで久々だったことや、吉田組が初めてだったこと、沙織里という人物と自分自身の乖離等々、最初からわからないことだらけでパニック状態だったのだと思います。だけど、心や気持ちの部分は嫌でもわかってしまうから苦しくてしょうがなかったです。現場では吉田組のスタッフさんも「こんな感じは初めて」とおっしゃっていて、私は初めて「自分って器用じゃないんだ」と気づきました。中村:いやいや、そんなことないと思う。タイミングや役、チャンネル等々色々な要因があるだろうし、次は違うんじゃないかな。石原:確かに、その次の仕事だった連ドラはすごく優等生でできました(笑)。やっぱり、吉田組で経験した時間はこれまでと全く違っていました。たとえば左手でお水を取って飲んでスマホを出して見てしまう――という一連の動作を、私は無意識でやっていたんです。その後もう一回撮るとなったときに「自分は何をやっていたっけ」と思い、意識してやった瞬間に吉田さんから「なんかお芝居っぽい」と言われてしまい、「この人には全部バレているんだ」と感じました。吉田さんはずっと「ドキュメンタリーを撮りたい」とおっしゃっていたのですが、その意味がすごくわかった瞬間でした。じゃあどうすればいいのかと考えて、違うことに意識を向けたりといったことを試して、また無意識にその動作を出来た瞬間にOKをいただけました。「無意識を意識するってこんなに難しいけれど、こういう感覚なんだ」と知り、吉田組の出演者さんたちはみんなこれを知っているからすぐにOKをもらえるんだ!と思い至りました。吉田組は常に勉強の連続で、得るものが多すぎてお金を払いたいくらいです。いまお話ししたように“無意識の意識”を知ったことで、他の役者さんたちに対する尊敬も一層強くなりました。『ミッシング』でお芝居の本当の面白さに気づけた気がしています。吉田さんは「新人女優を撮っているみたい」ともおっしゃっていましたが、私の感覚としてもそうでした。わからないことだらけですし、学ぶことが多すぎて発見もたくさんありました。「これでいいんだろうか」と思っているものほどOKをいただけて、気持ちが爆発したら「やりすぎ」と言われてしまい…でも私は困難を充実だと思う人間なので、とても幸せな時間でした。中村:僕の感覚としては、さとみちゃんは毎回がらりとやることが違うということではなく、行動やタイミング、言い方といったニュアンスの精度と飛距離とアングルが毎回違ったという感覚です。こちらも感度を上げて見ていたからかもしれませんが、芝居をキャッチしてつなげていく側としてはすごくやりがいがありました。崇くん(青木崇高)もきっと同じことを言うのではないかなと思います。石原:でもそれは、倫也さんだからです。私がどこにどれだけ投げても絶対に戻してくれるんです。青木さんはどちらかというと一緒に変動してくれるタイプで、吉田さんから「どっちも抑えて」と言われることもありました。中村:こっちは取材している側というポジションの違いも大きかったんじゃないかな。石原:もちろんそれもあるかとは思いますが、中村さんを見て「自分も抑えなきゃ、出し過ぎてもダメだ」と客観的に思える瞬間が多々ありました。こちらが揺らいだり動いたりしてもずっとブレずにいてくださったから、とても助けられていました。中村:取材対象者として、沙織里・豊・圭吾(森優作)との会話の中で相槌を入れたり、切り口の矢印を変えてみることで向こうがどう変わるのか――というアプローチは砂田もそうですし、僕も意識しながら演じていました。ちょうどいまSYOさんがやっているみたいに、聞き手の自分がトーンやテンポを調整して返すことで空気感を作るといいますか。芝居をしている自分、ある種打算的に考えながら誠心誠意対象の人と向き合っている自分/砂田といったように、2重・3重構造があって、やりがいがありました。「こんな吉田組は初めてだから面白い」撮影秘話――その場で「変わる」「変える」という方法論は、吉田監督がテーマに掲げていたという「ドキュメンタリー的に撮る」にも通じますね。中村:でもそれってなかなか難しいですよね。台本はあるわけだから。石原:そうなんですよね。ただ、その意識も実は薄くて。というのも、セリフを必死に覚えよう、というものではなかったんです。台本がスッと肌に入ってくる感じがありました。圭吾と車中で話すシーンがありますが、何回やっても全然うまくいかなくて。そうしたら吉田さんが元々あった長ゼリフを現場でバッサリ切ったんです。オリジナル作品で監督・脚本の両方を吉田さんがやっていらっしゃるからできることだとは思いますが、そのおかげで高まった部分を言葉にせずに感情だけで動けた感覚がありました。中村:相当テイクを重ねたとは聞きました。石原:少なくとも10回以上はやりました。中村:そんなに!?あなたは本当に偉い。僕なら帰りたい(笑)。――今回の撮影の中では、特に回数を重ねた方なのでしょうか。中村:シーンによってまちまちでしたが、そうかと思います。ただ一方で、言われているように全体的に早撮りで、熱量といいますか塊肉のようなものをほぐして撮っていくには相当スピーディな方という印象です。石原:そんな方がテイク数を重ねるということは多分私でてこずっているんだろうな…と申し訳なく思いつつ、でも決して諦めることなく付き合って下さって有難かったです。中村:いやいや、客観的に見て全くそんな感じはありませんでした。吉田さんも初めて接するタイプの女優さんで、それが面白くて一緒に探りながらやっている風に見えていました。石原:スタッフさんも「こんな吉田組は初めてだから面白い」とおっしゃっていて、でも自分はその面白さがわからなくて。自分は幸せだけれど、皆さんにご迷惑をおかけしてしまってすみません…と言い続けていました。ちょっと話が変わってしまうのですが、倫也さんと一緒にお芝居をしていると“音”が聴こえないんです。セリフではなくて、人の音といいますか。抽象的な表現で申し訳ないのですが、青木さんだとすごく聴こえるのが倫也さんはそうじゃなくて、私も1回収まる感覚がありました。それは砂田を演じているのか、倫也さんだからなのか…今回は敢えてそうしていたんですか?中村:そういう役だからという部分もあるし、人間的な部分もあると思う。基本的に準備はしないんだけど、どんな“質”でいくかだけは考えて現場に行くようにしていて、今そこに近い話をしてくれている気がする。石原:無音なわけじゃないけど、何の音が鳴っているのかわからなくて、すごく独特でした。倫也さんがそういう風でいてくれたから、砂田と沙織里の関係性が生まれたのだと思います。――演じていらっしゃる方ならではの“感覚”のお話、とても面白いです。石原:でも、なかなかそうした感覚を共有する機会はなくて。いま初めて言いました。中村:そうだよね。後輩にいきなり「いまの倫也さんの芝居、ドラム鳴ってますね」なんて言われたらビビっちゃうし(笑)。もしそう感じても、言わないほうがいいかなと思っちゃうよね。石原:そうですね。ただ私個人の感覚として、基本的に役者さんは皆さん色々な音が鳴っている方が多い印象です。倫也さんはすごく珍しいタイプでした。中村:なるほどなぁ。でも、僕も物事が数字に見えたりするときはあります。なかなか言語化は難しいですが、みんなきっとそうした色にしろ音にしろ何かしらの感覚があるんでしょうね。考えながら人と相対して、探りながら芝居しているわけですから。石原:そうですね。倫也さんにわかってもらえてうれしいですし、ホッとしています。■石原さとみヘアメイク:猪股真衣子スタイリスト:宮澤敬子(WHITNEY)■中村倫也ヘアメイク:Emiyスタイリスト:戸倉祥仁(holy.)(text:SYO/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:ミッシング(2024) 2024年5月17日より全国にて公開©︎2024「missing」Film Partners
2024年05月13日実力派俳優と韓国のヒットメーカーが集結し、破天荒な熱血刑事が権力の腐敗を暴くために奮闘するクライム・サスペンス「捜査班長 1958」がディズニープラス スターにて独占配信中。韓国で記録的大ヒットとなった犯罪捜査をテーマにした伝説的ドラマ「捜査班長」の前日譚となる本作。この度、主人公のパク・ヨンハンを演じるイ・ジェフンと、警察署の狂犬といわれるほど恐ろしい警察官キム・サンスンを演じるイ・ドンフィが作品への想いを語るインタビューが到着した。【ストーリー】時は1958年、野蛮な時代の韓国ソウル。地方から赴任してきた牛泥棒専門の田舎者刑事パク・ヨンハンが、狂犬とあだ名される後輩のサンスン、怪力を誇る青年ギョンファン、エリート新人のホジョンの3人とチームを結成し、醜悪な犯罪に立ち向かう。汚職にまみれた刑事たちの中で、信念を貫くヨンハン。彼の型破りな捜査と熱い信念で、チームは堕落した権力に立ち向かい、人々のための刑事に生まれ変わるべく成長していく。――イ・ジェフンさん、この作品への出演の決め手と、ヨンハンというキャラクターへの思い入れを教えてください。イ・ジェフン:韓国のオリジナルの「捜査班長」というドラマは、1971年から89年まで放映された、韓国の本当に伝説的なドラマなんですね。僕は、まだ幼かったので、リアルタイムで観ることはできなかったんですが、僕の親や祖父母の世代から、世代を通してこのドラマの存在を知ることはできました。オリジナル作品のプリクエル(前日譚)が、今回作られるということでとても気になりました。パク・ヨンハン役(「捜査班長」でチェ・ブラムが演じた役)ですが、韓国を代表する俳優であるチェ・ブラムさんは、本当にレジェンドなんです。そのチェさんがすごく思い入れがあった作品が、今回プリクエルが作られるということで。パク・ヨンハンがどういう風にチョンナム署に来て4人の捜査チームを作ることになるのか、その背景がすごく気になったんです。視聴者の皆様も気にされてるとは思うんですが、僕も一視聴者としてぜひ見たいなと思い、この作品をやらせていただくことになりました。チェ先輩の若かりし頃を僕がちゃんと演じることができるのかな、と心配だったんですが、チェ先輩から「あなたならできる」というふうに励ましていただき、また「その情熱、怒りを胸に秘めて思いっきり発散しなさい」と言われたんです。「悪い奴らを叩きのめして、弱い者には、寄り添うそういう役を今回演じなさい」と言われて、そのチェ先輩の言葉を胸に刻んで演じることになりました。――キャラクターとのシンクロ率はどうだったのでしょうか?イ・ドンフィ:(シンクロ率を考えているイ・ジェフンの顔をじーっと見つめている)イ・ジェフン:シンクロ率は、僕の口では、まあ50%しかないと。まあ、ただ、気持ちとしては100%、200%はやりたいなという気持ちで、今回臨ませて頂きました。チェ先輩の想いを胸に秘めて、ちゃんと継承したいなと思いまして、常に先輩のことを感じながら今回取り組ませていただきました!(言い終わって笑顔を見せる)――イ・ドンフィさんは警察署の狂犬と言われるキム・サンスン役ですが、役作りで意識したことを教えてください。イ・ドンフィ:僕もやはりキム・サンスンのその想いをちゃんと継承して、頑張ろうと今回やらせていただきました。それと、ヨンハンを演じたジェフンさんと、やっぱりお互いに良い影響を与えながら、一緒にシナジー(相乗効果)を生み出したいなと思いながらやることで、自然にどんどんと自分の役に近づくことができたんじゃないかなと思うんです。シンクロ率に関しては、気持ちとしては、やっぱり100%を目指したかったんですが、自分の口では、やっぱりそれはちょっと言えないんじゃないかなと思うんですね(笑)やっぱり同僚、まあ仲間たちとですね。一緒に役作りに向けて、台本に集中することを一番意識したんじゃないかなと思います。――警察チームの4人のチームワーク、ブロマンスが見どころの本作ですが、制作発表会でのキャストたちの雰囲気も仲もとても良かったですね!イ・ジェフン、イ・ドンフィ:(制作発表会のくだりでなぜか笑い出す2人)――撮影中のエピソードでネタバレにならない程度に、一番記憶に残るエピソードがあれば教えてください。イ・ジェフン:第1話、第2話は、それぞれのキャラクターを紹介するエピソードなんですね。彼らがどういう経緯で集まるかがとても興味深いと思うんですが、イ・ドンフィさんと僕は、最初っから刑事なんです。ですが、ユン・ヒョンスさん(以下:ユンさん)と、チェ・ウソンさん(以下:チェさん)が演じる役、特にチェさんが演じる怪力の持ち主チョ・ギョンファンは、警察になろうというつもりは全く無かったんですが、僕たちが「警察になろうよ」と口説き落として彼が加わることになったんです。イ・ドンフィ:そうそう(笑)イ・ジェフン:ユンさんが演じるキャラクターは、警察になろうという夢は持っていたんですが、家の反対にぶつかって。本当に、自分の意思を貫いて警察になる人なんです。彼は、特別採用で警察にはなれたものの、最初ちょっと空回りをしてて、捜査2チームで靴磨きをしているところを見て、僕たちがすごく可哀そうだなと思っていたところに事件が発生して、そこから一緒に4人でチームを結成することになるわけなんです。最初は、彼らがこれからどういう風に活躍するのか、全く想像がつかないと思うんですよ。すごく個性がはっきりしてる人間たちなので(笑)これから起こる事件や、エピソードを通して、どういう風に成長して、変化を遂げていくのか、そこがこのドラマの一番の見どころだと思うんですね。1つコツを申し上げたいのが、第1話から第10話までをご覧になってから、もう一回、第1話をぜひご覧いただきたいんです。第10話を見て、彼らの成長した姿を見てから第1話をまた見たら「彼らこうだったんだ!」ってとても驚きがあると思うので、ぜひそれをお勧めしたいですね。――作品を楽しみにしている視聴者へのメッセージをお願いします。イ・ジェフン:1958年を舞台にしたドラマや映画を皆さんご覧になったことはありますか?僕は、ほとんどないと思うんです。ですので、ドラマを通して韓国のあの時代の人々のその姿や暮らしぶり、どういう物を食べていたのか、などですね、ほんとうに人間くさいヒューマニズムのドラマをぜひ楽しんでいただきたいなと思います。あと、この作品をご覧になってオリジナルの「捜査班長」も気になるんじゃないかなと思うんです。けれど、個人的にすごくシーズン2を作りたいなと思うんですよ。(シーズン2で)彼らがまた集まって、どういう活躍を見せるのか、ぜひ楽しみにして頂きたいと思うので、シーズン2のためにはぜひご覧いただきたいです。よろしくお願いします。「捜査班長 1958」は毎週金・土曜日1話ずつディズニープラス スターにて独占配信中(全10話)。(シネマカフェ編集部)
2024年05月11日日本に先駆けて公開された台湾をはじめ、アジアの国々でヒットを記録している日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』。5月3日(金・祝)の日本公開を前に、来日した台湾の人気俳優シュー・グァンハンと藤井道人監督に話を聞いた。国際的なプロジェクトへの参加は初めてだったというお二人。新たなチャレンジの裏にあった思いとは…?お互いの作品は観ていた?「すごい才能」「定義付けない」――グァンハンさんにうかがいます。藤井監督と今回一緒にお仕事をされる前に、監督の作品をご覧になったことはありましたか?シュー・グァンハン(以下、シュー):最初に観たのは『ヤクザと家族 The Family』でした。ヤクザの映画も撮れるしアクションも撮れる、おまけに美しいラブストーリーも撮れる、特別な監督だと思いました。『青春18×2 君へと続く道』を撮り終わってから、時間がなくて事前に観られなかった『余命10年』も観ました。何でもできるすごい才能を持った監督だと思います。藤井道人監督(以下、藤井):本当に?(笑)――実際に一緒にお仕事してみて、監督に対するイメージは変わりましたか?シュー:変わりました。よりよい方向に(笑)。プライベートでも監督のほうから声をかけてくださって友達のような、とても付き合いやすい監督だと思います。撮影現場では、演技指導をするとき、とても適切な方法で、僕らと意思疎通を図ってくださいます。俳優が想像を膨らませやすいように導き、自分が撮りたい形にもっていく。その能力に非常に長けた監督だと思います。本人が隣にいなければ、もっと褒めますよ(笑)。――藤井監督にも同じ質問をさせていただきます。一緒にお仕事をされる前に、グァンハンさんの作品をご覧になったことはありましたか?藤井:悩んだのですけど、見なかったです。俳優はたくさん人の目に触れて、勝手に定義される。僕が俳優だったら見て欲しくないなと思いました。俳優の演技を研究していこうとか、そういうことは自分の中ではやりたくなくて、フラットな状態で一緒に物を作りたかったんです。でも、たまたま見ちゃった作品はありました。Netflixでおもしろい台湾のドラマを見ていたら、「グァンハンが出てきた!」みたいな(笑)。撮影が終わってから、台湾で大ヒットした映画『僕と幽霊が家族になった件』を観て、彼はこっち(コメディ)もできるんだなと思いましたね。かわいかったです(笑)――あらかじめイメージを持たず、新鮮な気持ちで撮影に臨まれたのですね。藤井:僕は「決めつけない」「定義付けない」ということを大事にしているんです。ビジュアルのイメージや僕自身が求めているものはありますけど、ジミーの心の部分は、僕が持っているものより、グァンハンが持っているものを見せてほしいと思いました。監督「スタッフは、表現者たちが集まっているという認識」――グァンハンさんが演じるのは、36歳で情熱を傾けてきた仕事と人生の目標を失った主人公ジミー。18年前に日本からやってきたバックパッカーの女性アミとの初恋の記憶をたどり、日本の彼女の故郷を訪ねる旅に出ます。驚いたのは、18歳と36歳のジミーが全く別人に見えること。演出の面で、違いが出るように工夫されたことはありましたか?藤井:ありました。グァンハン自身の年齢は、大人になったジミーの方が近いので、18歳のジミーのシーンは、お互い共通認識を持つことが必要だと思っていました。18歳のシーンでは“恥ずかしいことも愛しい経験なんだよ”というメッセージが必要で、18歳のジミーがかっこよく見えたら、この映画は失敗だと思っていたんです。「いろんな失敗をしてジミーは大人になった」ということをちゃんと表現したかった。そういう思いをグァンハンに伝えました。――グァンハンさんの出演作は、いろいろ拝見しているのですが、今回のように大きな年齢差を行き来する作品(「時をかける愛」)や、ラブストーリーやコメディの主役、『ひとつの太陽』や「罪夢者 NOWHERE MAN」で演じたような個性的な脇役まで、いろんな顔を併せ持った振り幅の大きさに驚かされます。そんな持ち味をご自身ではどう思っていますか?シュー:意識することはないですが、できる限り、自分が思い描いているとおりの人物を演じられるよう努力しています。たとえば、この映画で36歳のジミーを演じたときは、僕の実年齢と近いので歩き方や話し方といった外見より、できる限り心理的な部分を考えて演じようとしました。18歳のジミーは、年齢的にまだ落ち着きがないし、とても活発。そこに可愛らしさみたいなものもあっていいと思って、そういうイメージで演じました。藤井:18歳のジミーの手の落ち着きのなさとか、なんだか背筋が定まっていない感じは、グァンハンがテストでやってくれることを、そのまま取り入れました。見ていてすごく楽しかったです。――撮影に入る前、必ず行う準備はありますか?シュー:特に意識してこれをやらなきゃと決めていることはないですが、だいたい1日から2日の時間を自分に与えて、自分自身を空っぽにするようにしています。――基本的には監督の話を聞いて一緒に作り上げていくようなイメージですか?シュー:今回の作品でも、監督は自分が欲しいものを明確に持っているので、僕はそのとおり一生懸命に演じるだけです。方向性に関して、監督が求めているものと僕がやっていることに違いが生じた時には意見を交換します。どの作品も、現場で話し合うといえば、だいたい同じような状況ですね。そういう時以外は冗談ばかり言っています(笑)。――藤井監督は今回の台湾の現場で学んだことを今後の仕事に取り入れたいとおっしゃっていましたね。その後の現場で実際に応用したり、実践したりしたことがあれば教えてください。藤井:台湾で学んだことをそのまま持って帰ってきたのは、12時間以上の撮影をしないということです。スタッフのことを、労働者ではなく、表現者たちが集まっているという認識のもとにケアしているという感じがすごくしました。日本には日本独特の文化もあるんですよね。日本では演出部がカチンコを打つけど、台湾では撮影部が打つ。台湾のやり方を丸ごと使うわけではなくて、たとえば演出部の手が足りていないときは撮影部に打ってもらうとか、「そういうパターンもあってもいいよね」というフレキシブルな考え方になりました。「みんながやりやすい現場って何なんだろう?」ということを、以前より考えるようにもなりましたね。――台湾のスタッフには、海外帰りの若い方が多いとうかがいました。そういう部分も、日本とは違いますか?藤井:違いますね。日本人は日本の現場で学んで、日本で作品を発表する人が多いですが、台湾のチームは、海外から戻ってきて仕事をしている人がすごく多かったです。映画に対する敬意のレベルが高いという点はすごく参考になりました。スタッフの年齢層も僕と同世代がメイン。それをプロデューサーたちが校長先生と教頭先生みたいな感じで見守っているという感じです。「日本映画」「台湾映画」ではないアジア映画としての作品――グァンハンさんは本作が初の国際プロジェクトへの参加でしたが、その後、韓国ドラマにも出演されましたね。中国語圏のマーケットは非常に大きく、今はNetflixなどで世界各国に台湾の作品が配信されています。仮に台湾の作品だけに出演していても、世界中の人に見てもらえるわけですが、それでもこういう国際プロジェクトに参加する面白さをどう感じていますか?シュー:今回、仕事という形で異なる文化を体験できて、とても嬉しかったです。日本も韓国も、それぞれ文化が全然違う。僕が一番好きな異文化体験はご飯を食べる時間なのですが、現地だからこそ味わえる楽しさがあります。僕は自分に挑戦し続けることが必要なタイプ。韓国での撮影は、詳しくは言いませんがまた別のチャレンジです。新しいことを学ぶことが好きなんですね。例えば、飯山線の電車内での撮影は、実際に走る電車の中で俳優がとった行動を記録するという方法でした。「こういう撮り方もあるのか」と、新しく学んだことがたくさんあります。――監督にうかがいます。日本のシーンやロケ地について「こういう場所を見せると喜んでもらえる」など、台湾の観客のことを意識しましたか?藤井:すごく意識しました。なぜかというと、今回この作品の企画書を見て、監督をお引き受けしようと決めた大きな理由が二つあるんです。その一つが、僕がジミーと同じ36歳だったということ。そして、もう一つが、企画書の1枚目にあった「雪の中を電車が走る」という言葉でした。台湾の人たちは雪が好きだということは知っていましたし、(プロデューサーの)チャン・チェンやロジャー・ファンの「コロナ禍で会いたかった人に会えない、行きたかった場所に行けなかった人たちが、もう一度“旅”というものを考え直す作品にしたい」という思いも知っていたので、「こういう景色を撮ってほしいんだろうな」という景色を取り入れたりはしましたね。――本作には、日本の人がイメージする台湾と、台湾の人がイメージする日本の風景が、うまく両方取り込まれていると感じました。バランスには気を遣ったのでしょうか?藤井:カメラマンと一緒に、それぞれ色味や場所の撮り方は工夫していますが、「この地域だからこう撮ろう」というより、「ジミーという人の生きている世界が同じアジアの中にある」ということを意識しました。多分みんな意識的に「日本映画」「台湾映画」と区別して映画を観てきたけれど、今回は「アジア映画を作る」という思いで作っているんです。僕らがボーダーを取り払って作ったことがこの映画の中で作用していたなら、うれしいですね。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年05月02日漫画「呪術廻戦」の人気もあり、“呪術”という言葉がすっかり社会に定着した感がある昨今だが、そもそも呪術とは何なのか――?そんな問いに正面から向き合った映画が誕生した。誰もがその名を知る陰陽師・安倍晴明が陰陽師になる以前の学生時代の日々を描いた映画『陰陽師0』。本作の劇中で晴明らが結ぶ印や口にする呪文、さらには劇中の小道具など呪術にまつわる全てを“呪術監修”として司っているのが作家の加門七海である。佐藤嗣麻子監督とは三十年来の仲で、監督たっての願いで呪術監修を務めることになった加門さんに“呪術オタク”の視点から本作の魅力について語ってもらった。加門七海/カメラマン・富永智子――“呪術監修”というポジション自体、なかなか聞かないですが、加門さんが引き受けることになった経緯をお聞かせください。私は記憶にないんですけど、10年以上前に別の作品で、佐藤監督に似たようなことをお願いされて、その時は「とても自信がない」とお断りしたらしいんですね。だから今回も監督は「断られるかな…」と思っていたらしく、最初は婉曲的に「加門さん、若い俳優さんで好きな人はいる?」と聞いてきて、私は「うーん、私は若いのはネコが一番好きかなぁ」みたいな答えを返して「俳優なら、若くはないけど國村隼さんがすごく好き」と言ったんです。そうしたら「國村さんが出る映画があるんだけど、呪術監修やって!」とお願いされて「は?」みたいな…(笑)。ただ、いままでの呪術を扱った映画は、ストーリーありきで、呪術というものは相手を攻撃するための道具というか、そこまで凝ったものを出すことってあまりなかったんですよね。なので、今回もそういう感じかと思っていたんです。記憶にないけど(笑)、前に一度、お断りしたという経緯もあったし、國村さんも出るしということで「じゃあ、やってもいいよ」と言いつつ、規模の大きな作品だったので「できるかな…?」とビビってました(苦笑)。そこからトントン拍子に話が進んだんですけど、最初に脚本を読んだ時は「こんなに本格的にやるの!?」と仰天しました。「私の手に負えるかな…?」というのが正直な気持ちでした。ただ、話が進んでいく中で思ったんですが、もし本物の呪術師の方や学者さんや研究者さんにお願いするとなると、どうしても(呪術の描写に関して)曲げられない部分、融通が利かない部分が出てくるんじゃないかと。私は本業が作家で、呪術に関しては佐藤監督がおっしゃっているように、ただ好きで自分でいろいろ調べたり、集めたりしている“呪術オタク”ですから(笑)、フィクション作品にも理解はありますし、アレンジなどにも柔軟に対応できるので、そういうところでの期待もあったんじゃないかと思います。――“呪術監修”として、どのように仕事を進められていったのでしょうか?とにかく脚本ありきですから、まず先方の「こういう話がやりたい」、「この場面で呪術の効果としてこういうことがしたい」というのがあって、それに沿って、こちらで史料などを提供するというのが第一の仕事でした。ただ、映画ですので当然、尺の問題があるんですね。本来は呪術でこれを表現するとなると大がかりな仕掛けが必要なところでも、言葉ひとつで済まさなくてはいけない部分もありますし、何よりもエンターテインメント映画ですから、“映える画”じゃないとダメなんですね。そこは、あれこれとこねくり回して(笑)、もっともらしくカッコよく見せるかというのを考えていきました。――具体的に担当されたのは、晴明らが結ぶ“印”や口にする“呪”などの創作ですね。そうですね。特に多かったのは呪符(=神への願意、要請先、約束の取り付けなどを書いた紙)についてのやり取りでしたね。とにかく映画のありとあらゆるところに符が貼ってあるので、その種類やバリエーションについて、そこは精神的な意味ではなく、映像としてどうカッコよく見せるかということを注意しました。――監修で関わったシーンの中で、特に印象に残っているシーンや映画的な描き方について提案をされたシーンを教えて下さい。細かい部分――例えば金龍を封印するシーンでは、金龍は決して悪い龍ではないので、悪い存在を封じるような感じではなく、徽子女王(よしこじょおう/奈緒)の想いを封じるものなので、晴明役の山崎(賢人)さんにも怖い感じではなく、丁寧な感じでやってほしいということをお伝えしました。また、晴明が「開!」と言って空間を切り裂く指の動きは「なぞるのではなく、剣で切るような感じでやってほしい」と指導をさせてもらいました。――呪術監修を務めるにあたって、ご自身なりに決めたり、監督と話し合った呪術のルールや世界観といったものはありましたか?特に監督やスタッフの方々と相談したということはないんですけど、やはり一家言ある人たちはみんな、自分なりの“呪術観”というものを持っていますから、この映画における呪術観と私自身の呪術観でズレというのは当然あるわけです。ただ、今回はあくまで映画『陰陽師0』の世界観に沿ってつくっていくという点は了承した上でやらせていただいています。その中で、まず大切にしたことは「“本物”を出さない」ということですね。フェイクを混ぜつつ、でも嘘にはならないで、みなさんに納得していただけるような幅を持たせる――完全な本物ではないけど説得力を持たせるということを意識しました。――それは本物の呪術を行なうことで、本当に呪いが発動したり、厄災が降りかかることがないようにという配慮から?そうです。万が一、何かあって「これをやってしまったからだ」とスタッフさんや演者のみなさんに思わせるようなことがあってはいけないというのがひとつ。加えて、そもそも呪文やお札というのは、宗教の核心や秘密に触れる部分も多いので、それを映画であからさまに見せるのは、私自身、とても怖いですし、やりたくないことなので、少しだけ(本物から)ずらしてあります。とはいえ、見る人が見れば、元ネタはちゃんとわかる程度のアレンジですので、お好きな方は探してみてください。映画の中で「蟲毒」が出てきますけど、あれは本当に呪詛の術で、やはり本物は怖いですから、そこまで深入りし過ぎず、ごく普通の本で「蟲毒とは何か?」という説明に書いてある程度の内容で収めるようにしたりしています。やはり描きすぎると怖いですから(笑)。――映画用に印や呪を考えるにあたって、参考文献や史料というのはどのようなものを?晴明の時代の陰陽道に関しては、実は史料は非常に少なくて、とてもそれだけでは今回の映画の呪術をカバーできないので、時代的には近世くらいのものも使っています。日本、およびアジア圏の道教の史料が多いですね。陰陽道の基礎資料としては「陰陽道基礎史料集成」(村山修一)という本がありまして、古いものだと鎌倉時代あたりの頃からの様々な史料が収められています。ここから呪文などを採らせてもらっています。また映画の中で、(晴明らが学ぶ)陰陽寮にいろんな図が描かれた紙が貼られていますが、それらは美術書などから、使用可能なものを使わせてもらっています。印に関しては、中国の書物である「符咒指訣秘鑑」(法玄山人)などを参考にしていますが道教だけではまかなえず、密教の史料なども参考にしています。――完成した映画を観て、呪術の第一人者の視点で驚かれたシーンはありましたか?先ほども少し触れましたが、晴明が「ここは現実ではない」と気づいて「開!」とやることで空間を切り裂き世界が切り替わるシーンがあります。ほんの一瞬で「世界を変える」――自分が立っている空間を術によって変えるという非常に大きな術ですが、それが映像だとああやって一発で見せることができるんですよね。あの爽快感はすごかったですね。実際の呪術というのは、効果の有無ってその場ですぐにはわからないものですし、普通の人の目には映らないものなんですよね。それを見事に映画で可視化していて感動しました。――安倍晴明という人物が、令和のいまの時代に陰陽道の世界のスーパースターとしてこれだけ親しまれ、愛されているのはなぜだと思いますか?まず“陰陽師”という存在が(本作の原作でもある)夢枕獏さんの小説「陰陽師」シリーズおよび、そこから派生した岡野玲子さんの漫画、またそれとは別にCLAMPさんの漫画(「東京BABYLON」)などによってフィーチャーされたことが大きいですが、その中で安倍晴明がスーパースターになったのは、身も蓋もない言い方ですけど、名前がすごくカッコいいということが大きいんじゃないかと思います。“安倍晴明”って完全にヒーローの名前ですよね(笑)。例えば敵方で出てくる蘆屋道満という陰陽師がいますけど、普通の主役にはならないですよね。(晴明の師である)賀茂忠行も残念ながらならないですね。安倍晴明という名前に既に“萌え”があると思います。それはすごく大きいですよ。――名前もある種の言霊ですね。そうなんです。名前って本当に大事で「陰陽師」という言葉も、いまは「陰陽師(おんみょうじ)」と読むのが一般的ですけど、歴史的には「陰陽師(おんようじ)」、「陰陽道(おんようどう)」という言い方もかなり正統性があるんです。古文書にはルビが振っていないので、実際にはどちらが本当なのかわからないんですけど、もしかしたら「陰陽師(おんようじ)」だったら、ここまで流行らなかったんじゃないかと私は思います。「陰陽師(おんみょうじ)」と「安倍晴明(あべのせいめい)」というキラキラ感の影響って実はすごく大きかったんじゃないかと。――先ほど名が挙がった蘆屋道満や賀茂忠行などほかにも陰陽師はいたわけですけど、陰陽師として安倍晴明はやはり特別なんでしょうか?そうですね、例えば賀茂保憲(忠行の息子)のほうが、貴族社会に及ぼす影響という点で、晴明よりも実力的には上であったとも言われるんですが、決定的な差異として安倍晴明が“神”として祀られたということがあると思います。神社にご祭神として祀られているわけです(=晴明神社)。「陰陽道の神=晴明」となっていて、そうなると実力的、歴史的にどうだとか言っても無駄な話ですよね。――改めて加門さんにとって、呪術の魅力とはどういう部分にあると感じていますか?もはや、自分の仕事や生活と一体化しているので(笑)、どこが魅力と答えるのは難しいところですが…。呪術というのは科学の素(もと)でもあるわけです。現代において「科学」と「魔術」というのは別々の存在として分かれていますけど、もともとは魔術の中に科学があり、一般の人にとってはそこに区別はなくて、専門家がよくわからない術を施して効果を得るというものであったのが、それが反復によって立証されていくことで魔術が科学となっていったんです。それこそ数世紀前であれば、パソコンも魔術の領域にある存在ですよね。逆に、個人の力量によって差異が高低するようなものは、魔術として残ったりしているんです。つまり、魔術や呪術というのは、まだわからない未知の部分――でも過去から連綿と受け継がれて、世界や人の心を動かしてきたものなんです。その未分化の存在ってすごく魅力的ですよね。――最後に、加門さんと同じく呪術が好きでたまらないコアな人たちに向けて、本作の呪術の描写に関して「ぜひここを注目して見てほしい!」というポイントを教えてください。では、せっかくですので、凝った呪術の描写に関してクイズ形式で探していただきましょう(笑)。まずひとつは、「金龍封印」のシーンで晴明が指で符を書きますが、あの符はアレンジはしてありますが、実はとても格の高い、めったに表に出てくることのない符が元になっています。さて、それは何でしょうか?もうひとつ、映画の中でほんの一瞬なんですが、晴明が片手で印を結ぶシーンがあります。一秒あるかないかというシーンなので、多くの方は気づかないと思うんですが、そこで使ったのは、陰陽道の印ではなく、実は昔の呪禁師(じゅごんし)が使う印なんですね。さてそこはどのシーンでしょうか?この2つをぜひ探し当てていただければと思います!※山崎賢人の「崎」は、正しくは「たつさき」(黒豆直樹)■関連作品:陰陽師0 2024年4月19日より公開©2024映画「陰陽師0」製作委員会
2024年04月29日映画監督の役割とは何か――?そんな極めて抽象的な質問に、濱口竜介監督は「ある種、自分の生理的な判断によって“OK”と“NG”を振り分けること」と答えてくれた。ヴェネチア、カンヌ、ベルリンの世界三大国際映画祭とアカデミー賞の全てで受賞歴を持ち、いまや新作が発表されるたびに常に世界的な注目を集める存在となった濱口監督だが、彼はどのようにして“映画監督”になったのか? そして、彼はどのように新作を企画し映画として形にするのか?まもなく公開となる『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』でもタッグを組んだ音楽家の石橋英子のライブパフォーマンスの映像作品として企画がスタートし、制作の過程で当初の作品とは別に1本の長編映画として誕生したという、まさに異色の作品だ。世界を魅了し、驚かせ続ける“濱口映画”の作り方について、じっくりと話を聞いた。映画監督への道「漠然としていました」――濱口監督は、大学で映画サークルに入る以前は、映画をむさぼり観るようなタイプではなかったとうかがいました。それ以前は、どういったカルチャーに触れられていたのでしょうか? また、映画に深くハマるようになったきっかけは何だったんでしょうか?テレビドラマにゲーム、漫画、J-POP…当時の日本のどこにでもあったサブカルはごく普通に触れて楽しんでいましたが、夢中になっていたとは言えないですね。引っ越しばっかりしていたもので、その土地に根ざした遊びはしてなくて、それしかなかったというのが実際だと思います。ただ、映画館に行くのは昔から好きでした。小学生の頃『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て、中学生で『ターミネーター2』を観て面白いと思って、高校生くらいになるとミニシアター系やアート系の映画も観るようになって、自分のことを「映画好きなんじゃないか」と思って、大学で映画サークルに入るんです。そこで、自分なんて実は全然観てなかったんだって気づいた感じです。映画自体は好きだったけど、全然足りていなかった…と。――「自分で映画作りたい」という思いで映画サークルに入られたんですか?そうですね。僕は一年浪人して大学に入ったので、浪人期間中は、なかなか映画館にも行けず、すごくつらさもありました。なので、大学に入ったらやりたいことをやろうって思いが強まって、そのひとつが映画でした。とはいえ、いま思うと、映画をどう作るのかということについて、何も知らなかったですね。――その後、大学生活を送りつつ、仕事として“映画業界”を志すようになったのは?大学3年くらいになると就職活動が始まるんですけど、何を大学でやってきたかと振り返るわけです。大学で大して勉強したわけでもないんですけど、何かしら、大学でやってきたことを就職で活かしたいなと思うんです。学科も映画で卒論を書けるところを選んだし(※大学では文学部 美学芸術学専修課程を専攻)、考えたら映画のことしかやってこなかったので、就活でも映像関係の会社ばかりを受けていました。でも、時代が就職氷河期だったからなのか? 私のコミュニケーション能力に問題があったのか…(苦笑)? 映像関係の会社も軒並み落ちまして…。「どうしようか?」と思っていた時、助監督の仕事を紹介していただけたんですね。――その後、しばらくして、東京藝術大学大学院の修士課程に入り直されていますが、そこに至る経緯は?商業映画の現場で助監督の仕事を始めたんですけど、何も知らないまま入ったわけです。助監督としてどう動くかなど全くわかってない状態で、しかも、そんなにコミュニケーション能力も高くなくて、ちゃんと人から教えてもらえないまま、目の前で現場が動き始めているという状況で…。商業映画1本と2時間ドラマの助監督をやったんですけど、端的に言って仕事ができなかったんですね(苦笑)。その時の監督の知り合いの映像制作会社を紹介していただいて「修行してきなさい」となって、そこでそれなりに楽しいと思いながら働きつつ、その会社が作っているのはBSテレビの経済番組などでしたので「楽しい」がちょっと違うわけですね。「自分は映画がやりたかったはずなんだけどな…」と。そうしたら、芸大の映像研究科が映画監督になるコースを開講することになって、2005年に第一期生を募集していて、しかも教授は北野武監督と黒沢清監督だと。そりゃすごい! 自分のこれまでの趣味と照らし合わせても「ここしかないかもしれない」と思って受けました。一年目は落ちて、二度目で翌年の2006年に受かりました。流れ流れてという感じでしたね。濱口竜介監督――当時から「将来、映画監督になる」といことは意識されていたんでしょうか?本当に五里霧中というか「なんも見えねぇ…」って感じでしたね。あの当時、いや、いまも若い人にとってそうかもしれませんが「監督にどうやったらなれるのか?」というのが全然わかんなくて、聞いたところでは「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」で入賞するとプロデューサーにピックアップされるらしいとか、助監督を続けて階段を昇っていくと、30代後半から40代手前くらいで監督の口があるんじゃないか?とか…漠然としていました。ただ自分に助監督の能力がないことは明瞭にわかったので、その線は消えたわけです。PFFに出したりもしたんですが、全部落ちたり。とは言え、そんなに悪いものは撮っていないはずだという思いもあったので、自主映画で撮っていこうと。「職業にする」というよりは、まずは自主映画・学生映画という形で作品をつくらないと、次の段階に進めなさそうだなって感覚でした。それで藝大大学院も受験するわけなんですけど、「職業として映画監督になれるか」というのはどこまでもわかんなかったですね。――その後、自主映画で短編、長編を含めて様々な作品を手掛け、『寝ても覚めても』では商業監督映画デビューを果たしましたが、自分が「映画監督である」と実感がわいたのはいつ頃ですか?これもすごく難しくてですね…、ある意味、意識の中では自分はずっと「監督」ではあるんですよね。その意識は学生時代からあるんですけど、ただそれが「職業」になったのは、本当に最近ですね。それで食べていけるようになったのが本当にごく最近なので。“商業映画”の意識「せめぎあいの中で作品ができていく」――『寝ても覚めても』以前に『ハッピーアワー』が国際的にも非常に高い評価を受けました。ただ、あの時点で無名の若手監督が5時間を超える映画を作り、劇場公開されるというのはすごいことだと思います。企画を通すということや、プロデューサー的な視点でどうやったら多くの人に劇場で映画を観てもらえるか?といった部分は、意識されていたんでしょうか?その意識が全くなかったわけではないですが『ハッピーアワー』に関して言えば、コントロールが全く効いてなかったというのが実際のところですね(苦笑)。クレジットとしても自分はプロデューサーではないですし。『ハッピーアワー』やその後の『偶然と想像』、今回の『悪は存在しない』でもプロデューサーに入ってもらっている高田聡さんという方がいて、(高田プロデューサーが所属する)「NEOPA」という会社は、実はIT企業なんですけど、高田さんは映画サークル及び学科の先輩なんです。その会社の取締役である高田さんの裁量の範囲で、NEOPAから出資していただけることになりました。『ハッピーアワー』最終的に「すいません、5時間になっちゃいました」という感じだったんですが、それでもOKをいただけて、これはプロデューサーである高田さんの度量の広さというのがまずありますね。『ハッピーアワー』は製作に2年くらいをかけていて、僕にとってもスタッフにとっても人生の一部のような存在になるわけですよね。“お祭り”というよりは、生活の一部みたいな感じですね。有名な人も出ていないですし、『ハッピーアワー』の時は、お客さんというよりは、一緒に仕事をした人たちのために最良の形で完成させるというモチベーションが強くて、その結果、あの長さになって、それを受け入れていただいたという感じです。その意味で、プロデューサー的な才覚は自分にはあまりないと思いますね。――『ドライブ・マイ・カー』のような作品の製作プロセスでも、商業的な部分を意識することはないのでしょうか?特に、いわゆる商業映画の枠組みでやるときはプロデューサーという立場の人たちがいて、C&Iエンタテインメントにいた山本晃久さん、その上司の久保田修さん、ビターズ・エンドの定井勇二さんが主にクリエイティヴ面でも関わってくださっているんですけど、その方たちの意見はきちんと聞いて参考にしています。まず、多大な経済的リスクを負っているのはその方たちなので、その人たちの「これでよいか悪いか?」というジャッジは受け入れるんですけど、そこで「自分が面白いと思うことかどうか」という部分はきちんと出すようにしています。ただ、山本さん、久保田さん、定井さんは『寝ても覚めても』の頃から、それぞれの立場から、かなり自分のやりたいことを尊重してくださったので、自分も含めたそれぞれの立場の意見の、そのバランスの中でできていくというか。自分もプロデューサーのジャッジへの信頼があるので、そのせめぎあいの中で作品ができていくという感じですね。『ドライブ・マイ・カー』――本作『悪は存在しない』は、石橋さんからライブパフォーマンス用の映像の依頼を受けて企画がスタートし、そこからさらに枝分かれして長編映画になったという異色の作品ですが、この作品に関しても、クリエイターとしての「これは映画になる」という手応えと、プロデューサー的な目線で「これは(商業)映画になる」という感覚が重なるような瞬間は?それはどこまでもなかったですね。今回、また高田さんにプロデューサーをお願いしていますが、製作中の高田さんの名言で「まあ、できてから考えようか」というのがありまして(笑)。完成してどんな作品なのかわかって、それから考えればいいんじゃないかと。まあ経済的なリスクが自分たちの耐えられる範囲内であるならば、明らかにそれが最良の選択肢なので、じゃあそうしようかとなった感じです。実際、それがこうやって劇場公開までされることになって、本当に運がよかったなって思いますし、高田さんのそのスタンスには心から感謝していますね。――濱口監督にとって、映画づくりのプロセスにおける「映画監督」の役割・仕事はどういうものだと思いますか?ある種のビジョンを提示したり、作品の全体の方向性を示すことが求められる部分もありますが、基本的には撮影の1テイク、1テイクであったり、編集の一工程、一工程に対し「OK」か「NG」かを判断する仕事ですね。単純に「OK」か「NG」かを示すだけでは暴力的なので、必要なら言語化も説明もしますけど、究極的には、個人の生理的な判断で「OK」と「NG」を振り分けていくのが仕事のような気がしますその基準をきちんと守り通せたら、映画になるだろう、という思いでやっています。――繰り返しの質問になりますが、企画を「成り立たせる」という部分や「いかにこの企画を通すか?」という部分に関して、意識されたことはないんでしょうか?これは本当に、僕がプロデューサーに恵まれているんだと思いますが、そういう経験がないんですよね。プロデューサーが「こういうことなら商業映画として劇場に掛けられる」と判断して、商業映画の枠に入れてくれたり、高田さんのように、僕のジャッジを信頼してくださって、とりあえず完成させて、その後のことは、できたものを見て考えればいいと考えてくださる――。もちろん「お金にならなくてもいい」と思っているわけではないでしょうが、そこは自分に対する信頼感をもって「この枠組みの中でやるなら、何をしてもいいですよ」とやらせてくださる方がいるので、「この企画をどうしなきゃいけない」ということは考えず、どちらかというと、その時に自分の中にある課題意識――「現場のここをもうちょっと改善したい」「演出のここをもうちょっとうまくなりたいな」みたいなことに取り組める企画を立てることが多いですね。インプット、キャラクター、ラスト…濱口映画ができるまで――ここから、具体的な作品づくりのプロセスについてもお聞きしていきます。今回の物語はオリジナル脚本ですが、石橋さんの知り合いから実際に起きた問題について話を聞き、それらをベースに物語を構築していったそうですね。物語の組み立てやキャラクターの膨らませ方はどのように行なっていくのでしょうか?脚本に関しては本当に難しくて、いまだに「これが正解」というものがないんですよね。「こうしたら面白い本が書ける」という方式は良くも悪くも確立していなくて、その都度、企画に合わせて七転八倒的な感じで、のたうち回るようにしてできていきます。今回は、まずリサーチをしてみようということで、でも、どこから手を付けていいかわからず、とりあえず、石橋さんの音楽ができる場所の近くでリサーチをすれば、石橋さんの音楽に合うものが何かできるんじゃないか? というくらいのところから、藁をもつかむような思いでリサーチを進めていったら、だんだんと「こういうものが撮れるな」とか「こういうことがあるのか」というのが積み重なっていき、ある時、スーッと筋が通ったということしか言えないんですよね。ある瞬間に突然、組み上がっていくというのは、今回もそうだし『ドライブ・マイ・カー』もそうでした。原作を何度も繰り返し読む中で、ある時、組み上がったという感覚でした。そのために必要なのはインプットをするということですね。インプットが十分にされていれば自然とアウトプットされるんだろうと思います。『悪は存在しない』――今回でいうとインプットにあたるのは…?今回の場合はリサーチそのものがインプットでしたね。使われなかった要素もいっぱいあるんですけど、土地を回って教えていただいた「あの木が〇〇で…」「水はこっから湧いていて…」といった話やその土地の歴史や何かの話のひとつひとつがそうですね。『ドライブ・マイ・カー』では原作そのものもそうだし、「ワーニャ伯父さん」の存在もインプットになったと思います。『偶然と想像」では、喫茶店で隣のテーブルで話されていた会話がインプットになったことがありました。あとは普段の日常の暮らしの細かい感情がインプットになる――「いま、自分の中でザワっとしたこの感覚を覚えておこう」ということもありますね。――キャラクターの膨らませ方に関して、例えば今回の物語で巧(大美賀均)や娘の花(西川玲)を中心に進むかと思いきや、中盤以降で思いもよらない人物が重要な存在になっていきますが、これはどのように…?これは面白くしようと思ったらそうなったって感じですね。単純な映画の好みの話なんですけど、僕自身が不意打ちを食らうのが好きなんですね。「まさかそんなことになるなんて!」というのがすごく好きで、そのパターンのひとつとして「お前、そんな重要なキャラだったのか?」というのがありまして(笑)、急にガツンと来るみたいなのが、映画を見る側の体験としても好きで、自分が作るときもそういうことを起こそうとするんですよね。先ほどのインプットで言うと、映画を観ている時の自分の身体に起こる状態の変化も、ひとつの大きなインプットとしてありますね。『悪は存在しない』――ラストシーンの意図や重要性についてもお聞きします。『ドライブ・マイ・カー』では、ラストで描かれているあの状況はどういうことなのか? という“論争”が起きましたが、そうやってラストシーンの描き方で観る者の心をざわつかせようというのはかなり意図的にされているんでしょうか?それはメチャメチャあると思いますね。映画を観た人は、ラストシーンの印象を引きずって映画館を出るということになるので、ラストシーンというのはかなり大事だと思っています。これも個人的な映画の趣味なんですけど「え? これはどう感じたらいいんですか…?」という気持ちで映画館を出るのが好き、というかかけがえのないことだと思うんですよね。数日途方に暮れますが、気がついてみれば、それが最も残る体験になっている。長く映画ファンでいますが、それが結局最高なのでは、と思っているので、観客にもそういうものを提供したいです。とはいえ、あまりにもわからないと「え? これはどう感じたらいいの?」と感じる“土台”そのものがなくなってしまうので、ある程度の土台を構築した上で、どこかでズレというか、ある種の不条理が入ってくることで「いや、こういうふうに思ってたのに、何なんですか、これは?」というものができるのが大事だなと思います。ただそれもあまりやり過ぎると、観客との関係性が切れてしまうので、その塩梅は常に難しいですけど、観客の体験のためにやるのが大事なことだと思いながらやっています。――今回のラストの衝撃に関しては『ドライブ・マイ・カー』以上だと思いますが、監督の中で様々な構築があった上で、あのラストを選ばれたということですか?ああいうのを明確に言語化してやっているかというと、必ずしもそうではないと思います。ただ結局「こうあるべきだ」という基準が言語化されずとも自分の中にあるわけです。ずっと物語を書いてきて「これがこの物語のラストになるんだ」という納得感――自分の中で腑に落ちた感じで書けることがすごく大事で、そういう身体レベルの納得感があると、やはりそれを演じる人にも伝えることができる気がします。そうすると、今度は演じる人も「これはこういうものなのだ」と確信をもって演技をしてくれて、その確信に満ちた演技を見ると「やはりこういうことなのかな」と観客もまた納得ができるのでは……と思っています。(そのラストが)起きたこととして、そこから「じゃあ、なんでそういうことになったのか考えよう」という、書いているときの感覚は、観客の視点とすごく近いと思いますね。――最後に映画業界で働くことを志している人に向けて、メッセージをお願いします。大事なことは二つで、まず「イヤなことは無理にやらない」ということですね。いまの若い人の感覚で「なんかこの映画の現場、おかしいんじゃないか?」、「こういう働かせられ方は変じゃないか?」と感じたら、その感覚は正しいです。そんなところにいる必要はありません。その感覚を大事にして成長してほしいし「何かがおかしい」と思うことに無理に自分を合わせないことはとても大事だと思います。とはいえ、イヤなことから遠ざかるだけでは成長できないのは確かなので、何かしら勉強を続けることが大事だと思います。現場から離れた時期も自分がやっていたことは、「映画を観る」ってことですね。現場の経験があると、「これはこう撮っているのかな」とか「こう撮れるのはすごいことだ」という感覚もより繊細なものになっていきます。映画館に行くのがベストですが、最近では配信サービスも充実して、低コストでたくさんの作品を観ることができる。これはやっぱりすごいことです。現場に行くと、やっぱり映画を観るって大事なことだなというのはスタッフやキャストとのコミュニケーションでもすごく感じます。「勉強する」というと堅苦しいですが、でも勉強して自分の感覚が変わっていくのを感じるって楽しいことなんですよ。そういう楽しみを自分から手離さなければ、イヤなことを拒みながらでも意外と生きていけると思います。保証はできませんが(笑)、自分の人生を振り返るとそういうことなんじゃないかと思います。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:悪は存在しない 2024年4月26日よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国にて公開© 2023 NEOPA / Fictive
2024年04月26日「Dining around Noto」「料理人としてできることはないか」と立ち上がった、能登地域のシェフ4名をゲストに迎えた6名のシェフたちによるコラボレーションディナー「Dining around Noto」。会場となった【Social Kitchen TORANOMON】には、その想いに賛同する多くの人々が集まっていました。この日の会場は虎ノ門ヒルズ ガーデンハウス1F、【Social Kitchen TORANOMON】実はこちらのイベントは、能登半島地震があった日の翌日に【Auberge"eaufeu"】の糸井章太シェフから【unis】の薬師神陸シェフへ「何かできることはないだろうか」と連絡があったことがきっかけとなったのだそう。元々お2人は料理学校での先生と生徒という間柄で、その信頼関係や密なコミュニケーションが、今回の発信力のあるイベントに繋がったご様子です。また、集まったシェフたちはみな“同世代”とのこと。日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」を機に繋がった人たちが多いそうで、まさに、これからの食シーンを牽引していく存在の方々。熱い想いを持って集まった同志としての団結力や、北陸の未来へ向かっていくパワーが、場内に溢れていました。ゲストとシェフが一体となる、臨場感たっぷりの空間食を通し、未来へ繋げる、シェフたちの想い最初のアミューズは、6名のシェフによるフレンチ、イタリアン、洋食、和食の多様なコラボレーションプレート6名のシェフそれぞれの、今回のイベントにおいて考えていらっしゃった“想い”や、これからの未来へ向けての“メッセージ”を頂きました。当日イベント会場で、参加者の目の前で作られた北陸の食材を活かしたお料理とともにご紹介いたします。【Auberge"eaufeu"】糸井 章太シェフ1992年京都府生まれ。調理師専門学校を卒業後、フランスに留学。アルザスの3つ星レストラン【オーベルジュ・ド・リル】で研修を受け、帰国。【メゾン・ド・ジル 芦屋】、ブルゴーニュの1つ星【レストラン・グルーズ】を経て、2017年に帰国。2018年若手料理人コンテスト「RED U-35」にてグランプリ(RED EGG)を大会初の20代で受賞。2019年、経済誌Forbes Asia主催「30under30 Asia 2019」受賞。2022年、アメリカ・カリフォルニア州の3つ星レストラン【マンレサ】、【フレンチランドリー】で研修。2022年7月【Auberge"eaufeu"】シェフに就任。『能登猪のタコス』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。今回の企画は僕が陸さんに何か能登の応援ができる事をしたい! とお声掛けした事から始まりました。今回のイベントをきっかけに能登、石川の料理人や人々の事を知ってもらい、未来につながるキッカケになればと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。今回のイベントでゲストに僕から何かを伝えたいというより、ゲストの人達に能登、石川の料理人達の事をもっと知って欲しい。料理を通して、人々、風土、ポテンシャルを感じで欲しい。それが、復興そしてその先の架け橋になると信じています。【Villa della pace】平田 明珠シェフ1986年東京都生まれ。大学卒業後に料理の道へ進む。都内のイタリア料理店勤務の後、食材を探しに訪れた能登半島に惹かれ、2016年に七尾市に移住、レストラン【Villa della Pace】をオープン。2022年、七尾市中島町の塩津海水浴場跡地へと移転、宿泊施設を併設したオーベルジュへとしてリニューアル。ミシュランガイド北陸2021特別版において、一つ星、ミシュラングリーンスターを獲得。「RED U-35」2017 SILVER EGG , 2018 BRONZE EGG『菜の花のパスタ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。地震から3ヶ月(イベント開催時)が経ち、まだまだ大変な状況が続いてはいますが復旧が進んでいる地域や事業を再開させたり新しい取り組みを行っている人達もいます。料理を通して再び能登へ来てもらったり、これまで能登に来たことのない方たちにも足を運んでもらうきっかけを作りたいと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まず感じてほしいのは能登という土地が持つポテンシャルの高さ。豊富な食材や人と自然が共生する土地の美しさを知ってほしいです。しかし年々人口は減り、その中で今回の震災が起きました。地震の前に戻すというよりも、以前よりもより良い地域にならないと美しい景観は守れません。土地に根差した料理人としてこれからも活動していきますので、長い目で見て応援して頂ければ幸いです。【Restaurant Blossom】黒川 恭平シェフ1988年石川県生まれ。専門学校卒業後、京都のフレンチ懐石や、フランスの星付きレストラン、大阪【ラ・シーム】で腕を磨く。北陸新幹線開通を機に、七尾市にある両親が営む【レストランブロッサム】を受け継ぐべく帰郷しシェフを務める。「RED U-35」 2023 GOLD EGG , 2019 BRONZE EGG , 2018 SILVER EGG『能登の恵みハンバーグ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。まずは薬師神シェフと井口シェフが石川・能登の支援のため、このイベントを企画してくださった事に感謝しています。私の住む地域では、まだ飲める水が使えません。そんな中で、今回は、自由に料理ができる環境で、素晴らしい料理人の皆さんと共に料理が出来る事は本当に嬉しく思います。精一杯楽しみたいと思います!-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。コンセプトは「能登というダイニングテーブルをみんなで囲む事」。各参加者が持つ体験や感情は1人1人違う中で、お互いに支え合いながら前を向いて進んでいます。そんな私たちの想いをこのイベントでお伝えできればと思っています。【一本杉川嶋】川嶋 亨さん1984年石川県七尾市生まれ。短大で経営学を修了後、調理師専門学校を経て、大阪で修業を開始し、全国屈指の名割烹と知られた京都【桜田】など関西の名店を渡り歩き腕を磨く。料理コンテスト「食の都・大阪グランプリ」で総合優勝、2018年に若手料理人コンテスト「RED U-35」でファイナリストに選ばれ、ゴールドエッグを獲得。和倉温泉の旅館で料理長を歴任し、2020年、能登食材の魅力を伝えるべく【一本杉川嶋】を開業。「RED U-35」 2018 GOLD EGG『甘鯛真丈 新若布 木の芽』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。震災後、困っている人を料理で助けたい元気づけたい一心、無我夢中でずっと炊き出し配食を行っておりました。今回素晴らしい環境のもと、久々に日本料理を作ることが出来ること、仲間と共に料理を作れること、たくさんのお客様にお越し頂けることが凄く楽しみです。たくさんの笑顔が溢れる素晴らしいイベントになれば嬉しいなと思ってます。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。発災から3ヶ月が経ち、ニュースで取り上げられる回数はかなり減りました。ニュースで水が出ました、電車が復旧しました、お店が再開しましたと報道され、能登や七尾はもう再建していっていると間違った認識をされているのではないかといつも不安になります。もちろん復旧し再スタートしているところもあります。しかし現実はまだまだ何も変わっていないのです。瓦礫がどかされブルーシートしてあるだけです。私の自宅もお店も水は断水しております。お店の再開の目処はたっておりません。私が拠点としている七尾市と奥能登では全く状況は違いますし、同じ七尾市内でも状況は違います。お店を再開され今回一緒にイベントを行う平田シェフ、黒川シェフのお店には是非お越し頂き応援して頂きたいですし、どんどん経済を回して頂きたいです。と同時にまだまだ被災している人がいること、再建復興には10年20年それ以上まだまだ時間がかかることを知って頂きたいです。能登が震災にあったことを忘れてほしくはないです。もちろん被災されている方々はこのままでいいとは思っていないし、笑顔の奥には心が傷付いており本当は苦しい想いをされている方々がほとんどだと思います。みなさん必死に耐えているのです。だからこそ僕たち料理人の役割は大きいと思ってます。食は人を笑顔にし明日への生きる活力となるものだと思ってます。これからも茨の道が待ち受けていると思いますが、諦めず前だけ向いて一歩ずつ歩んでいきたいと思います。諦めなければ必ず能登は復興出来ると信じています。そのためには皆様のご支援やご声援がこれからもとても大切です。これからも能登の応援を何卒宜しくお願い致します。【TOUMIN】井口 和哉シェフ1988年兵庫県生まれ。大阪の調理師専門学校卒業。【タテルヨシノ銀座】、【ル・コントワール・ド・ブノワ】、【ミッシェル・ブラストーヤジャポン】で修行を積む。その後、【ビストラン エレネスク】のシェフとなる。2019年にコスメブランドTHREEが運営する野菜がご褒美となる料理を展開する【REVIVE KITCHEN AOYAMA】のシェフに就任。野菜を中心としたクリエイションを届けている。2023年10月に東京・西麻布【TOUMIN】をオープン。「RED U-35」で2016 SILVER EGG , 2017 SILVER EGG『白海老のフリットと川端蓮根』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。薬師神シェフから石川県のシェフたちと未来に繋がるイベントをしよう! と声をかけてもらい参加させていただきました。今回使わせていただいた石川県の食材はどれも本当に美味しく、また生産者さんも出来ることがあるならなんでもやりたいです! と皆さんエネルギッシュな方ばかりでした。そんな想いのこもった食材やお酒を楽しんでいただき今回のイベントをきっかけに石川県に足を運んでいただけるよう、また今回限りでなく継続して魅力を伝えていけるようにこれからも連携しあっていきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。石川県のシェフや生産者さんと連携を取り合うなかでまだまだ万全な状態で料理するには程遠いと改めて実感し、ふとコロナ禍を思い出しました。当時働いていたお店は半年近く通常営業ができず料理人としては早く全力で料理がしたいと強く思っていて、なので今回はシェフの皆さまと思い切り料理する瞬間をゲストの方々と一緒にテーブルを囲み、料理を通して石川県の魅力・エネルギーを楽しんでいただきたいです。【unis】/Social Kitchen ディレクター薬師神 陸シェフ1988年愛媛県生まれ。2008年辻調理師専門学校を卒業。同校フランス料理講師としてスタートし、教育指導・テレビ料理監修・雑誌制作などにも携わる。その後、2014年予約困難なレストラン【SUGALABO】の立ち上げからシェフとして国内外を飛び回り、日本の素晴らしい食にまつわるコンテンツをシェアするため料理を振る舞う。2020年12月より虎ノ門ヒルズ【unis】シェフ、2021年1月より「Social Kitchen TORANOMON」ディレクターとして活動。日本で唯一のカリナリープロデューサーという肩書きで“食のリテラシーを磨く”をコンセプトに、新しい料理人の在り方や企業・社会とのレシピ・商品開発にも意欲的に取り組み、新たな食体験の提案を続ける。「RED U-35」 2015 SILVER EGG , 2017 GOLD EGG『ころ柿と焙じ茶のグラス福みりんのメレンゲ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。「復興」「チャリティー」というニュアンスではなく、「新しく生まれ変わる」ための築きになればと思い、今回東京・虎ノ門という場所で多くの方が集まりやすく、今後につながる出会いになればと思い企画しました。当初の見込みの倍の人数のご予約を頂戴し、お客様皆さんの「何かしたい」というメッセージを受け止め、お料理を通じて還元していきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まだ能登の一部の地域では、全く手付かずで自衛隊やボランティアも撤退するような状況もあります。そんな中、いつも炊き出しを率先している七尾のシェフ達が、「いつも通りに料理ができる環境」をやはり作りたく、料理を通じて感じていただける事を大切にしたい。シェフ1人1人のストーリーを感じてもらいたいと思っております。未来への想いを込めて本イベントが行われたのは、一夜限り。ですが、今回限りで終わらせることなくこれからも継続的な繋がりを考えていらっしゃること、そしていつかは能登でも「Dining around Noto」が開催できれば、との話が出ていました。シェフそれぞれのお話を伺っても、この日だけではなく“北陸の未来”を見据えていらっしゃるご様子がとても印象的。今後も益々目の離せない6名のシェフとお店、そして“北陸の未来”に、日々思いを巡らせずにはいられないでしょう。「Dining around Noto」に集まった、料理人の皆さまVilladellaPace【エリア】七尾周辺【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】15000円【ディナー平均予算】30000円Auberge “eaufeu”【エリア】小松市【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】20,000円 ~ 29,999円【ディナー平均予算】30,000円 ~unis【エリア】虎ノ門【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】40000円【アクセス】虎ノ門ヒルズ駅 徒歩2分TOUMIN【エリア】西麻布【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】35000円【アクセス】乃木坂駅 徒歩10分
2024年04月22日配信プラットフォームの普及もあって、新作・旧作を問わず、スマホで映画を鑑賞することがごく当たり前の日常となった。それは善し悪しの問題ではなく、もはやスタイルである。それでも「絶対に映画館のスクリーンで観なくてはいけない映画がある――」。映画宣伝プロデューサーの岡村尚人さんは、そう言葉に力を込める。このたび、日本で初となる一挙上映が実現したセルジオ・レオーネ監督×クリント・イーストウッド主演「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)。その企画者であり、宣伝プロデューサーを務める岡村さんのインタビュー【後編】をお届け。36年におよぶ宣伝マンとしての歩みと共に、レオーネの映画をスクリーンで観ることの素晴らしさについて熱く語ってくれた(インタビュー【前編】はこちら)。「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ること」――『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』という社会現象にまでなったメガヒット作品の宣伝に携わってきた岡村さん。所属していたメイジャーの宣伝部解散に伴い、映画会社ムービーアイに移籍し、ここでもさまざまな作品の宣伝を担当するが、映画業界をとりまく厳しい現実を目の当たりにすることになる。2005年にムービーアイに入社し、そこでも多くのいい作品に関わらせてもらいましたが、2009年に残念ながら倒産してしまいました。以前『ラストエンペラー』や『アマデウス』といった名作を配給した松竹富士がなくなってしまった時、映画ファンとして「映画会社ってなくなるものなんだ…」と驚き、悲しくなりましたが、それを我が身で痛感したのが2009年でした。会社がなくなって、どうしようかと思っていたら、ちょうど2010年から「午前十時の映画祭」という企画が始まることになって、その事務局を立ち上げようとしていたのが、以前『もののけ姫』の宣伝プロデューサーだった矢部勝さんで、矢部さんから「午前十時の映画祭」の事務局に誘っていただいたんです。いまでこそ昔の映画を映画館で観ることが自然になりましたけど、「午前十時の映画祭」が始まった当時は「え? だってこのラインナップ、全部DVDで見られるじゃん。何で映画館でやるの?」という反応が多かったんです。でも、映画祭の企画プロデューサーで、かつて東宝の宣伝部長もされていた中川敬さんが「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ることだ」とおっしゃって、それは本当に素晴らしいことだと思いました。私は「午前十時の映画祭」の10回目まで事務局でお世話になったんですが、それと並行して宣伝プロデューサーとして他の企画にも関わっていました。最初はウィリアム・フリードキン監督の『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】の日本初公開です。『恐怖の報酬』が1978年に日本公開された時、「これはすごい映画だ」と思ったんですが、この超大作の上映時間がたった90分なのはどう考えてもおかしいと感じていたんです。その後、フリードキンがインタビューで「本当は2時間あったけど、北米以外では90分に切られた」と話しているのを読んで、以来ずっとこの作品のことが頭の隅にありました。『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】(C) MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.業界で働き始めてからもずっと気になっていて、2009年に知り合ったキングレコードの長谷川英行さんとも「『恐怖の報酬』の完全版、何とかできないか?」と話をしていたんです。そして遂に2013年にヴェネツィア国際映画祭で4Kリマスター版が上映されて、その後も長谷川さんにずっと動きを追ってもらっていたんですが、キングの国際部の方がスペインのシッチェス映画祭に行った時、そこで知り合いと話しをしていて、個人的にフリードキンを紹介してもらえることになったんです。確かそんな流れでした。ウィリアム・フリードキンPhoto by Stephane Cardinale - Corbis/Corbis via Getty Imagesそうしたら、フリードキンからメールが来て「この作品はすごく大事なので、よほどのことがないと権利は出さない」と言ってきたそうなんですが、長谷川さんが腹を決めて「我々は本気だ。ちゃんと劇場公開するし、パッケージも出す」と伝えたら、フリードキンは「わかった。それなら出そう」と納得してくれたそうです。この作品をなんとかしたい、と言い出したのは私でしたが、長谷川さんとキングレコードの皆さん、そして配給のコピアポア・フィルムのおかげでオリジナル版を初公開することができ、興行的にもヒット、作品の名誉回復に繋がったことが何よりうれしかったですね。TVやスマホではなく、スクリーンで観るべき作品――続いて、岡村さんが手がけたのが、セルジオ・レオーネ監督作で、原案にはダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチが名を連ねる西部劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の完全版の上映だった。『恐怖の報酬』の成功で調子に乗りました(笑)。この作品も日本で最初に公開された1969年当時は『ウエスタン』というタイトルで短縮版での上映だったんです。2時間45分の完全版をどうにかしてやりたいと思って、あちこちに声をかけて実現することができました。初日の丸の内ピカデリーはかなりの盛況で、上映後に拍手が起こりました。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(C) 1968 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.――岡村さん自身、その機会に同作のリマスター版をスクリーンで観たが、劇場のスクリーンで観るからこそのさまざまな発見があったという。家のテレビやスマホで見ても面白い映画はたくさんあります。例えば『ローマの休日』は名作ですし、もちろん映画館で観るのが一番だと思いますけど、じゃあTVのサイズで見たらその魅力が大きく損なわれるかというと、実はそうでもないと思います。なぜならあの映画の魅力の中心はオードリーとグレゴリー・ペックで、撮影ではないから。でもレオーネの映画はスクリーンで見ないとダメなんです。なぜかというと、画面のレイアウトがスコープサイズ仕様になっているから。レオーネの映画ほど考え抜かれた構図やフレーミングの映画って滅多にないんですよ。60年代だと市川崑監督の『雪之丞変化』のスコープ撮影も素晴らしかったですけどね。ベルトルッチの『ラストエンペラー』もそうですけど、“空間”をカッコよく表現する映画監督っているんですよ。レオーネはその筆頭だと思います。『夕陽のガンマン』(C) 1965 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved――その後、コロナ禍が世界を覆い、さらには円安も相まって海外作品の買い付け自体が非常に難しい状況になる。そんな中、岡村さんはレオーネ監督×イーストウッド主演の『夕陽のガンマン』を何とかできないかと考えていたが…。『夕陽のガンマン』は「午前十時の映画祭」でもやっていなかったので、権利だけでも押さえておけないかと考えました。ところが円安がさらに進んで「これはもう高くてちょっと手が出せないな」と思っていたんです。そうしたら、ムービーアイの元同僚で『ワンス~イン・ザ・ウェスト』も配給してくれたアーク・フィルムズの上野廣幸さんが、「どうせなら『夕陽のガンマン』だけでなく、3部作全部やろう」と言ってくれたんです。資金調達には上野さんのお知り合いの方々が協力してくれて、今回非常に感謝しています。ただ『荒野の用心棒』に関しては、日本での上映権を有しているのが「黒澤プロダクション」なので、私たちの企画意図をご説明し、上映権をお借りすることが出来ました。他の2作品に関しては、旧作上映の窓口になっているイギリスの代理店を通じて権利元MGMと交渉し、日本での上映権を取得。今回、日本で初めて“ドル三部作”の一挙上映を行なうことになったわけです。「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」本気の宣伝は人の心を打つ――岡村さんにとっては、映画の世界への引き込まれるきっかけとなった作品であり、宣伝にかける思いも並々ならぬものがある。今回のチラシやポスターの文言は、全て自分で考えました。チラシに「面白くてカッコいい映画の原点にして頂点、それが《ドル3部作》だ」と書きましたけど、この言葉が全てですね。売り文句、宣伝文句というよりも、私の本心です。世の中には面白い映画、立派な映画、すごい映画はたくさんありますけど、「面白くてカッコいい」映画、しかも3部作全てが面白くてカッコいい映画があるかと言ったら、実はこの“ドル3部作”以外に思い付かないんですよ。いいやそうじゃない、という人がいても構わないんですが、自分にはやはりこの3本しかないんです。今回の宣伝は、いま見て「カッコいい」と思ってもらえなきゃダメだという意識でやっています。ポスターの写真やロゴも、往年のマカロニ・ウエスタンのファンが「懐かしい」と思うようなものじゃなく、今の若い人たちにも響くようなデザインにしたつもりです。その一方でチラシの宣伝のコピーに関してはいつ観ても傑作 『荒野の用心棒』誰が観ても傑作 『夕陽のガンマン』どこから観ても傑作『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』バカみたいでしょ(笑)。宣伝としては禁じ手です。その映画が傑作かどうかを決めるのはお客さんですから。それでも言い切ったのは、自分自身が本当にそう思っているからです。こいつバカかと笑われても、今回はいいやと思いました。自分に嘘はついていません。いま、若い宣伝プロデューサーにアドバイスするとしたら、「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」ということですね。私自身、考え方がヌルい時もあったから分かるんですけど、本気で考え抜いて作ったビジュアルやキャッチは、やはり人の心を打つんですよ。必ずお客さんに伝わると思います。――最後に、これから映画業界を志す人たちに向けて、岡村さんはこんなメッセージを残してくれました。自分の経験を振り返ると、仕事って人と人とのつながりの中から生まれてくるんです。それはどの業界でも同じだと思います。相性の悪い人もいれば、相性ピッタリの人もいるけれど、まずは人間関係を大切にしてほしいですね。そして出会った人たちの中から、仲のいい友人や同僚、尊敬できる先輩を見つけてほしいと思います。年下の人でも面白い考え方を持つ人はたくさんいます。いろんな人から学び、吸収することを、仕事をする喜びにしたいですね。岡村尚人 氏人とのつながりを大切にしていれば、何かあった時に「あぁ、あいつがいたよ」という感じで思い出されて仕事が回ってきますよ。自分もずっとそうやって周りの人たちに助けられてやってきました。世の中、本当に想像もつかないことが起こりますからね(笑)。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日何ともカッコいい若き日のクリント・イーストウッドのポスターの前で、36年におよぶ映画宣伝マンとしての歩みを語ってくれたのは、岡村尚人さん。このたび、日本で初めて一挙上映されるセルジオ・レオーネ監督×イーストウッドの「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)の宣伝プロデューサーであり、企画者である。中学時代にTVで視たイーストウッドのマカロニ・ウエスタンで洋画に目覚め、大学卒業後に映画業界に足を踏み入れ、スタジオジブリの『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』をはじめとする数々の話題作の宣伝に関わり、昭和、平成、令和の映画業界を歩み続けてきた岡村さん。今回の“ドル3部作”の一挙上映実現に至るまでの道のりを貴重なエピソードを交えながら、たっぷりと語ってくれた。映画業界での仕事の始まり、宮崎駿監督作品の宣伝への参加――話題のドラマ「不適切にもほどがある!」で、主人公は1986年(昭和61年)からタイムスリップしてくるが、岡村さんがこの業界で仕事を始めたのは、ちょうど同じ年のこと。学生時代は映画研究部にいて、映画ばかり観ていました。で、卒業する段になって「就職どうしようか」と思い、映画会社の新卒採用に応募したんですが、まるで引っかからず。そんな時、洋画配給のヘラルド(※当時は日本ヘラルド映画株式会社)に電話したらバイトなら募集しているというんです。ちょうど『サンタクロース』(1985年)という洋画の大作があって、幼稚園に行って前売券を売ってくるという仕事でした。それでもいいと思ってヘラルドに入れてもらい、都内各地の幼稚園を廻っては、先生や園児たちの前でサンタクロースの格好をして宣伝をし、券を売りました。その時へラルドで、映画の前売券を扱うメイジャーという会社の人たちと知り合いました。いま、代表取締役をしている西牧(昭)さんと佐川(慎二)さんです。1986年の年始まで3か月ほどヘラルドにいた後、西牧さんから「そんなに映画好きならうちに来る?」と声をかけてもらいました。当時のメイジャーの営業部は、プレイガイドや大学生協などに映画の前売券を卸す仕事です。何でもいいから映画に関わりたいという気持ちだったので、すぐに「やります」と応え、入れてもらいました。それから2年間、営業部でアルバイトとして働いていたんですけど、当時メイジャーには宣伝部もあって、そこのボスが徳山(雅也)さんという『宇宙戦艦ヤマト』劇場版の宣伝プロデューサーだった人でした。他にも東映のアニメーションの仕事を次々と受けていて、宮崎駿(※崎=たつさき)監督の『風の谷のナウシカ』も担当していたんです。TVシリーズの「未来少年コナン」や『ルパン三世 カリオストロの城』で、私は宮崎作品の大ファンだったんですが、「アニメージュ」で連載していた「風の谷のナウシカ」を映画化したのが1984年で、大学4年生でしたが、初日に朝一で観に行きました。メイジャー宣伝部は『風の谷のナウシカ』の後、1986年には次の『天空の城ラピュタ』の宣伝に取り掛かっていて、「この宣伝部すごいな。自分も宮崎アニメの宣伝やりたいなあ」と思い、営業で2年働いた後、メイジャーの社長と徳山さんに直訴して宣伝部に入れてもらいました。それが1988年ですね。当時の宣伝部ではアニメ作品だけでなく、官能映画もたくさんやりましたよ。『エマニエル6 カリブの熱い夜』(※『エマニエル夫人』シリーズ6作目)とか『CODE90 愛欲指令』、『欲望という名の女』とか、そんなのもう誰も覚えていませんね。で、スポーツ紙や週刊誌の編集部に足を運んで「官能大作の資料持ってきました。ぜひ載っけてください」とお願いするんです。あの頃はまだ「トゥナイト」や「11PM」といった深夜番組でもそんな官能映画を紹介してくれていました。ドラマ「不適切にもほどがある!」でも、「11PM」の話が出てきましたけど、まさに当時、私は「トゥナイト」や「11PM」に「この映画を取り上げてください」とお願いに回っていたんです。それから念願かなって、宮崎アニメの宣伝にも参加させてもらいました。私が関わったのは1989年の『魔女の宅急便』からです。その前の『となりのトトロ』が「キネマ旬報」の日本映画第1位に選ばれて、宮崎作品に対する世間や評論家の受け止め方も大きく変わっていたこともあって、『魔女の宅急便』は大ヒットしました。それ以降『おもひでぽろぽろ』、『紅の豚』と続き、2006年の『ゲド戦記』まで、ジブリ作品には一宣伝担当者として関わらせてもらいました。他にもディズニー・アニメの『アラジン』や『ノートルダムの鐘』、あと洋画実写の宣伝もやりました。特に思い出深いのは『セブン』ですね。『羊たちの沈黙』以降、当時サイコ・スリラーがブームで、主演のブラッド・ピットはまだ「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の若い読者しか知らない存在でした。暗くて恐ろしい作品でしたが、強烈なインパクトがあって、『セブン』は日本でも大ヒットしました。それが1995~96年ですね。『セブン』(C) APOLLOそれから1997年の忘れられない大ヒットがジブリの『もののけ姫』ですね。東宝の宣伝プロデューサーの下で、メイジャーが宣伝を担当しました。ジブリの鈴木敏夫プロデューサー以下、宣伝スタッフ全員で事前に熱海に合宿に行って、そこで鈴木さんから、制作費がいくらかかっているから、興行収入はいくら以上にならないといけないという話をされたんですけど、当時の日本映画の歴代1位が『南極物語』で配給収入59億円(※当時は配給収入で計算/興行収入で110億円)で、それを超えないといけないと言われました。宮崎監督のひとつ前の『紅の豚』が当時の日本のアニメーション映画の配収記録を更新したんですけど、それでも28億円(※興行収入で54億円)でしたからね。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDしかもその年の夏はライバルが強力で、スピルバーグの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』が『もののけ姫』と同じ7月12日の公開でした。宣伝チームは、この夏は「恐竜vsもののけ」ですよ!と媒体を煽っていきました。いまでも忘れられないのが、初日の7月12日の朝8時ごろかな、立ち合いで日劇プラザのある有楽町マリオンに行ったら、ビルの周りにグルっと長蛇の列ができていたんです。そんなことは初めてで「ヤバい。これは大変なことになっている」と思いました。その頃は予約販売なんてないですから、午前中の段階でその日は「札止め」になりました。今日はもうチケットを売らないということです。『もののけ姫』を観に来たのにチケットを買えなかった人たちが、同じマリオンの丸の内ピカデリーに流れて、同じ初日の『乱気流/タービュランス』を観たよ、なんて話もありましたね(笑)。「想像を超えることが起こりうる」2回の経験――『もののけ姫』は社会現象と化し、最終的に興行収入は201.8億円にまで達した。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDちょっと遡って『もののけ姫』の完成は6月の終わりごろだったかな。宣伝スタッフ一同、初号試写を見せてもらいました。自分は「凄いものを観た」と興奮しましたが、宣伝する立場としては「この凄さをどう伝えればいいんだろう。子どもたちに理解できるのかな?」という不安もありました。ただ、特報の映像で腕が切れる描写を見せたり、ジブリの鈴木さんも意識的に「これまでのジブリ作品とは違うぞ」というのを世の中に示したかったんだと思うし、そういう覚悟がポスターや宣伝コピーを通じて伝わっていったと思います。その結果、空前の大ヒット・スタートになりました。宣伝部としては、メディアに対して配収(当時は興収ではなく配収)がどれくらい行きそうか、というリリースを打たなきゃならないんですが、東宝の興行の偉い方に数字(予想配収)を訊くと、「まったく想像つかない」というんですよ。いまでは前日に予約状況を把握できて、細かい予想もできるけど、まったく前例ない状況だったんです。「間違いなく『紅の豚』は超えるが、それ以上のことはわからない」というのがその時の興行の方の言葉でした。世の中、想像できないことが起こるんだ、ということを身をもって知った最初の経験でしたね。――ところが、そんな想像を超えた大ヒットをさらに超える特大ヒット作品が4年後に再びジブリから放たれる。それが『千と千尋の神隠し』である。興行収入316.8億円を記録し、2020年に「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」に抜かれるまで日本の歴代興行収入1位の座を守り続けた。『もののけ姫』が歴代興行収入の新記録を打ち立てたのが1997年ですが、半年後の同じ97年の年末に『タイタニック』が公開されて、配給収入160億円(興行収入277.7億円※リバイバル上映を含む)を記録して、あっという間に『もののけ姫』を抜いてしまうんです。その記録をさらに塗り替えたのが4年後の『千と千尋の神隠し』でした。『千と千尋の神隠し』(C) 2001 Studio Ghibli・NDDTM2001年7月の公開でしたが、その時もスピルバーグの『A.I.』に『パール・ハーバー』、『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇』、『猿の惑星』リメイク版、と話題作がひしめき合っていて、「こんな強力なライバルたちと戦って、しかも『タイタニック』を超えなきゃいけないの?そりゃ無理でしょ」という感じでした。しかし、結果的には2回目の「世の中、想像を超えることが起こりうる」経験になりました。その後、『ハウルの動く城』にも関わりましたが、通常であれば、映画が出来上がると我々が取材日をブッキングして、宮崎監督や鈴木さんにインタビューに出てきてもらうんですけど、『ハウル』では、宮崎監督も鈴木さんもあえて「表に出ないという形でやりたい」ということで、ほとんど取材もありませんでした。その手法をさらに徹底して突き詰めたのが、最新作の『君たちはどう生きるか』でしたね。『君たちはどう生きるか』(C) 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli余談になりますが、メイジャー宣伝部で私と一緒に働いていた後輩女性が二人いるんですが、一人は今やジブリの広報部長、もう一人は東宝宣伝部で『君たちはどう生きるか』の宣伝プロデューサーを務めたんです。メイジャーのDNAが、そんなふうに受け継がれたことがとてもうれしく、感慨深いですね。洋画ファンになったきっかけ、クリント・イーストウッドとの出会い――岡村さんも、メイジャー宣伝部の解散を受けて、別の配給会社に移ることになった。2004年にメイジャーの宣伝部が解散した頃、私は一時、体調を崩していたんですが、その後、『セブン』の時知り合った宣伝プロデューサーに声をかけてもらい、ムービーアイという会社で働くことになりました。2005年の春に働き始めたんですが、入社して3日後に『ミリオンダラー・ベイビー』でクリント・イーストウッドが来日したんです。『ミリオンダラー・ベイビー』はその春のアカデミー賞(作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞)も獲っていたんですが、イーストウッドは次回作の『硫黄島からの手紙』のロケの許可を取るために石原慎太郎都知事(当時)に挨拶に来ていて、ちょうど『ミリオンダラー・ベイビー』が公開するということで、プロモーションの時間を取ってもらったんです。ここで、今回の「ドル3部作」の話も関わってくるんですが、私自身、洋画ファンになったきっかけがイーストウッドなんです。なので、入社してすぐにイーストウッドが来日すると聞いて「これはたいへんなことになった」と(笑)。プロモーション稼働の時間は3時間くらいだったんですが、終わって関係者みんなでイーストウッドと写真を撮ることになって「ここで頼まないと一生後悔する」と思い、持参した『続・夕陽のガンマン』のLPにサインをお願いしました。入社してまだ3日なのに図々しいヤツですよね(笑)。1975年に買ったLPで、イーストウッドには「キミは物持ちがいいな」と言われました。『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(C) 1966 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved.1975年当時は、中学生でしたが、それ以前は東宝の怪獣映画が好きだったんです。ただ、あの頃は中学生になると、みんな親から「いつまで怪獣見てるんだ」って言われて卒業していくものだったんですよ。それがいまでは『ゴジラ』がアカデミー賞を獲る時代ですからね。親の圧力に屈せずに特撮と怪獣を愛し続けたのが、庵野秀明監督であり、山崎貴監督だったんでしょう。親の圧力に屈した私は怪獣映画を卒業し、じゃあ、これから何を見たらいいんだ…? と思っていたら、そこで出会ったのが、イーストウッドのマカロニ・ウエスタンだったんです。イーストウッド再び映画宣伝マンとして始動した岡村さんは、その後、「午前十時の映画祭」に関わり、さらに宣伝プロデューサーとして、数々の名画のリバイバル上映を実現させていくことになる。〈後編〉へ続く『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日米津玄師の「Lemon」やあいみょんの「マリーゴールド」ほか、名だたるMVを手がけてきた山田智和が、佐藤健を主演に迎えて劇場長編映画デビューを果たした。川村元気の小説「四月になれば彼女は」を映画化した本作は、精神科医の藤代(佐藤健)と失踪した婚約者・弥生(長澤まさみ)、大学時代の恋人・春(森七菜)をめぐる切ないラブストーリー。初対面から4年。脚本会議から参加し、共にクリエイティブを高めあってきた山田監督と佐藤さんの“同世代対談”で、健全な創作環境づくりについて教えていただいた。「その場で生まれた感情や景色を撮りに行く」――劇中、エスカレーターを上ってくる藤代が泣き崩れるシーンが強く印象に残りました。こちらはどのように生み出されたのでしょう。佐藤:演じる際の考え方はいつもと同じです。あのとき自分が一歩踏み出して彼女を呼び止めていたら、もしかしたら未来は違ったかもしれない。でも自分は弱いからそれが出来ず、もう二度と会えない気がする――つまり、別れのつらさと自分のふがいなさ、「なぜできなかったんだ。俺はダメだ」と自分を責めて泣くというシーンでした。――構図的にはシンプルでしたよね。画面/観客に向かって藤代が徐々に近づいてきて、それに伴って感情が増幅していくといいますか。今にも泣きそうな人が接近してきて、決壊してしまう“痛み”のグラデーションを感じました。佐藤:そうした意味では、ドキュメンタリーに近い手法でした。カットを割って光(照明)をセッティングしてそれに合わせて芝居していく形式とは、全く違っていました。山田:実際に人が泣くときは、薄暗いベッドの上などではなく移動時のような街の隙間ではないかと思います。いま(佐藤)健くんが言ってくれたドキュメンタリー性ではないですが、そうした空気感を作りたいと思っていました。佐藤:エスカレーターを上りながら泣く、というのもその日のノリで決まりましたから。もし僕が「階段で座って泣きたい」と言ったらそうなっていたでしょうし、自然現象をそのままとらえるような現場でした。――ドキュメンタリー手法は、どういった経緯で選択されたのでしょう。山田:元々僕がそういった手法でしかやったことがなく、今回は長編初監督だったこともあって自分の得意なものをやらせていただきました。そこに健くんはじめ俳優部の方々が反応してくれた形です。エスカレーターのシーンも最初はもう少し落ちついて座って泣くものを想定していましたが、前後の芝居をやっていくなかで「やっぱりここがいいね」となる健康的な空気が流れていました。想定と違ったとしても、健くんが「やってみる」と言ってくれるのが本当に有り難くて。決めつけすぎずにみんなで正解を探しに行くことができました。その場で生まれた感情や景色を撮りに行く、を初日からやらせていただいた現場でした。――なるほど。例えばロケーションにおいても、ある程度広く空間を押さえておいて「この範囲で好きに遊ぼう」といったような形だったのでしょうか。山田:それに近かったと思います。一瞬しか映っていない点描シーンも現場では長い時間カメラを回していました。藤代と春(森七菜)や藤代と弥生(長澤まさみ)の間に流れる空気感を撮りたくてセリフを撮りたいわけじゃない、といったときに「この道路を歩いて、ここで座って下さい」くらいの大まかなものだけお伝えして、細部は俳優部にお任せしていました。佐藤健、同世代の活躍は「非常に喜ばしいこと」――おふたりの信頼関係がうかがえますが、初対面は本作の顔合わせのタイミングだったのでしょうか。佐藤:イタリアンか何かを一緒に食べたんじゃないかな。まだキャスティングも決まっていない時期でした。山田:かれこれ4年ほど前です。まず健くんに主人公をお願いしました。その食事会で言っていただけたのが「ようやく一緒にやりたい同世代の監督に出会えて、すごく嬉しい」ということ。一発目でそう言ってくださって、僕もとても嬉しかったです。佐藤:僕はそもそも同世代の監督と仕事をしたことがなかったんです。どんどん一線で活躍してほしいと思っていたから、ついにその機会が得られた、という気持ちでした。――長澤まさみさん、撮影の今村圭佑さん、照明の平山達弥さんほか同年代の多いチーム編成になりましたね。山田:自分は年齢こそ近いですが健くんや長澤さんとキャリアが同じとは全く思っていません。僕が乗っからせていただいている気持ちです。ただ、この世代がいま集まって一緒にものづくりを出来ることに意味があるとするならば――東宝恋愛映画を観て育ち、リスペクトのある世代が次にどんな恋愛映画を作るのか、それは本作の裏テーマでした。脚本会議でも健くんたちとずっと話していたことですし、劇中には様々な恋愛の価値観をちりばめています。初恋のようなものもあれば、30代として向き合わないといけない恋愛の形、この先どうなっていくかも含めて必然的にこぼれてきたテーマが染み出ているようには感じます。佐藤:僕個人は年上の監督だからどう、ということもないですし、世代がどうであっても本質的には変わりません。現場に入ったら監督を信じてやっていくだけですから。ただ、いちクリエイターとして自分と同じ世代がどんどん活躍してくれるのは非常に喜ばしいことです。残念ながら、日本の映画業界は20代の監督が活躍しづらい・育ちづらい環境だと思います。どうしてもヒット作を出した実績がある人にオファーしたくなってしまうものですから。ただ、絶対に若くて才能のある人はもっといるはずですし、どんどん日の目を浴びてほしいとはずっと感じていました。そもそも誰しも最初は実績のないところからスタートするわけですから、もっとこういったチャレンジ/チャンスがあってほしいと思います。「普遍的な恋愛」と「現代を映す」作品作り――山田監督がおっしゃった「東宝恋愛映画へのリスペクト」は作品を拝見していても強く感じました。チームにおいて共通項として挙げた作品やイメージ等々、ございますか?山田:まずはやはり「恋愛」でしょうか。いつの時代もみんな恋愛に悩むし、必死に正解を探すもので、共通した変わらない部分は絶対にあるはず。そこを外したくないという想いはこのテーマをやる以上不可欠でした。そのうえで、これまでの恋愛映画は社会を映さなさすぎる問題もあったような気がしています。普遍的な恋愛、そして原作が持つ時代へのまなざしの鋭さが上手く合わさって新しいものになったのではないかと思います。10年前の社会と現在の社会は当然違っていて、恋愛をする人や結婚をする人も少なくなっているかと思います。それは別に悪いことではないし、新しい方向に社会が進むなかで、必然的に描くべきテーマやスポットライトを当てたい人間は連なっていくはず。たまたまコロナを挟みましたが、いまの社会の方がこの映画は説得力を持つような気がします。――普遍性と現代性のハイブリッドですね。改めて、協働の手ごたえを教えて下さい。佐藤:山田監督の話の中で出た「空気を撮りたい」は、僕たち俳優からすると「芝居をちゃんと見てくれる」という安心感でした。その空気感を作るためには、役同士のつながりがあればいい。変に「どう表現しよう」と余計なことを考える必要がなく、ただ芝居に集中できる環境でした。山田:僕は映画というものが初めてで、今回「俳優部ってこんなに真摯に一つの作品に向き合ってくれるんだ」とすごく嬉しかったです。映画というのは共作で、それぞれの部署が一つのイメージを作るものですが、健くんは作品に入る前から本当に高い熱量で関わって下さいました。これを当たり前だと思ってはいけないと重々承知しているのですが――健くんは脚本会議に何回も参加してくれて演じる側の視点で指摘してくれたり、良いアイデアをくれてブラッシュアップしていけたんです。そういった過程を経験できたため全幅の信頼を置いていて、撮影もとにかくスムーズでした。きっと、往々にしてクランクインしてから1週間くらい探る時間があると思うんです。でも今回はそういった「だんだんフィーリングが合ってきたね」ということが全くありませんでした。初日の撮影は藤代と春の大事なシーンで、鮮烈に描かなければならないなか周りのスタッフもびっくりするくらい円滑に進んで、僕自身も楽しい!という想いしかありませんでした。これは決して運や巡り合わせなどではなく、健くんがどこまでも真摯な姿勢で作品に臨んでくれたからこそです。主人公に背中を預けられることで、周りの人たちも話しやすくなるし僕も演出がしやすくなる。その軸があることで「じゃあ主人公にこれくらいぶつけてみよう」というアイデアが監督/共演者からもどんどん出てきますし、その結果が現場で生まれたアドリブだと感じます。健くんの芝居はもちろん素晴らしいですが、そうした向き合い方にものすごく感銘を受けました。そういった意味で、健くんは一番フェアな人だと感じています。媚びを売ったり変に気を遣う必要もなく、芝居や画に対して自分の想いを伝えるだけでいい。本当に健康的な場を作って下さいました。僕がまだ経験が浅く、“言葉”をうまく持っていないなかで抽象的なことを言ったとしても、健くんは「監督が伝えたいのは多分こういうことだと思うから、1回やってみる」と常にオープンでいてくれてとにかく助けられました。僕自身も物事をあまり決めつけたくないという側面があるなかで、一緒に探らせてもらえて楽しかったです。――一例を挙げるなら、どういったアイデアをもたらされたのでしょう。山田:僕がすごいアイデアだなと思ったのは、脚本上では「洗面台の前で、鏡に映った自分と向き合って泣く」という風に書かれていたシーンのことです。撮影現場に入った健くんが「自分よりも、2人の思い出が詰まったものを見る方が心が動く」と伝えてくれました。それが本作全体のキーになったグラスです。こういったことを現場に限らず、脚本会議でも共有してくれました。頭の中では「こうやって動く」と考えていても、実際やってみると「やっぱりこっちがいいね」ということはありますが、本作はかなり大きなシーンでもそれが出来ました。健くんのアイデアには常に助けられていました。――佐藤さんのそうしたアプローチについては、キャリアを重ねていくなかで変遷してきたものでしょうか。『グラスハート』(2025年Netflix配信予定)では共同プロデューサーも務められていますね。佐藤:そうですね。10代のときはそういったものはなく、だんだん増えていきました。ただ、俳優は誰しもやっていることではあります。特に主演ともなれば、台本に書いてあるものをただやっているだけの人はいません。セリフやチーム、作品をより良くしようと動くものですし、僕自身もそうしてきましたが、20代後半くらいからもう少し公式的に「プロデュース」という役割をもらって行動した方が健全と考えるようになりました。俳優の力は、すごくちっぽけだと思います。だからこそ、もう少し早い段階から入っていきたいという想いはどんどん強くなっていきました。ただ、「作品を良くしたい」という本質自体は、これまでと何も変わりません。(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:四月になれば彼女は 2024年3月22日より全国東宝系にて公開©2024「四月になれば彼女は」製作委員会
2024年03月20日はじめに「NOGUCHI -酒造りの神様-」より農口さんが杜氏を務める「農口尚彦研究所」は、石川県小松市観音下(かながそ)という小さな里山にあります。米と水だけでつくる日本酒は、水が要。霊峰・白山に降り積もった雪が、長い年月をかけて地層の奥深くに浸透して生まれる清らかな伏流水を見つけた農口さんは、この水を使うためにこの場所を選びました。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より“あと何年酒造りができるかわからない”“酒は飲んだらなにも残らない、口笛のように消えてしまう。私は後世になにを遺せるのか”引退と現役復帰を三度繰り返し、”引退を諦めた”91歳。16歳から75年間、その人生のほとんどを日本酒に注いできた農口さん。日本酒に関わる人にとって、彼は永遠の憧れであり伝説であることは言うまでもないですが、常に前を見据えて高みを目指す生き様は、誰が見ても尊敬の念を抱かずにはいられないでしょう。“わしが残していくものは、ここにあった”あらすじ「NOGUCHI -酒造りの神様-」より2020年10月、例年通り農口尚彦さんの酒造りが開始します。蔵入から半年間、蔵人たちは共同生活を送りながら、全ての時間を蔵で共に過ごし、酒造りに没頭します。この年に集まった蔵人は、8名。半数は、酒造りとは全く異なる経歴を持ち、初めて酒蔵に入る方です。農口さんは、一度見どころがないとみなせば二度とその蔵人を呼ぶことはありません。「NOGUCHI -酒造りの神様-」よりそんな中、生産計画の中には「20BY山廃純米大吟醸」の文字。「世界の人たちの価値観が変わるような酒を造りたい」という農口さんの想いからつくられる酒です。山廃純米大吟醸は、大吟醸の淡麗さと、山廃の芳醇さという反対の性質を持つ、難しい酒造りです。さらに通常より仕込みに時間がかかり、蔵人たちにも大きな負担がかかります。蔵入りから3ヶ月目を迎え、いよいよ山廃純米大吟醸の仕込みが開始。果たして、この蔵人たちの手で最高の「山廃純米大吟醸酒」は無事に完成するのでしょうか……?「NOGUCHI -酒造りの神様-」より映像のなかで、農口さんや蔵人たちが日本酒に向き合う姿には目を見張るものがあります。「酒造りは繊細だ」と分かってはいても、実際に時間は秒単位、温度も1度単位で調整をしながら、まとまった睡眠は取らずに「生き物」を扱う、そのまっすぐな姿勢を目の当たりにして、大きく心が動きました。詳しい内容は実際に映画を見ていただきたいのですが、必ず何か得るものがあると思います。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より酒造りでは“鬼の農口”さんですが、散歩と銭湯を愛する“好好爺”の日常も写されています「NOGUCHI -酒造りの神様-」より日本酒の知識が全くなくとも、日本酒の造り方や構造、種類についても簡単にまとめられていてとても勉強になります農口さんにインタビュー――今回が初の長編ドキュメンタリー映像とのことですが、実現するまでの経緯や、受けられた理由を教えていただけますか?農口さん:良いお酒を造るために、どれだけ一生懸命に努力しても、皆様に知っていただかなければ意味がないと考えております。以前もいくつかのテレビドキュメンタリーに出たことがありますが、その経験から、お受けすることになりました。今後は、ドキュメンタリーを通じて海外の方にも知っていただけたらと期待しているところです。――実際に映像をご覧になって、いかがでしたか?農口さん:ちょうど酒造り期間中でありましたので、まだ完成品を見ておりません。終わったらゆっくり視聴する予定です。――この映画を通して視聴者に最も伝えたいことは、どのようなことですか?農口さん:一人でも多くの方に、私が人生を捧げた日本酒造りの奥深さや、世界に誇れる日本文化を再認識していただけるきっかけになってくれたらと思っております。――1月の能登半島地震。「農口尚彦研究所」や能登にいらっしゃる農口さんのご家族はご無事だったと伺い、ホッとしました。当時の様子はどのようなものだったのでしょうか。農口さん:地震があった時は、杜氏室で酒造りの経過簿をまとめる事務作業中でした。机の前の窓ガラスが飛んでくるかと思うくらいの揺れでした。頭をよぎったのは家族のこと。幸いにも妻は、元旦を長女、孫と過ごすために、白山市に住む娘の家に出てきていたので、すぐに連絡が取れました。能登に嫁いだ次女とは4日間連絡が取れませんでしたが、避難しており無事でした。走って蔵中を確認しましたが、奇跡的にお酒も割れておりませんし、設備も無事でした。たくさんの方からご心配のご連絡をいただきましたが、酒造りに影響はありませんでした。――能登半島は農口さんのご実家も含め日本有数の酒造りの地で、多くの酒蔵に被害が出ました。現在の想いをお聞かせいただけますか。農口さん:地元能登にあるいくつかの酒蔵は、建物が崩壊し再建も困難な状況と聞きます。また能登外に出ている能登出身の杜氏や蔵人も、正月休みに帰省した能登で被災して酒造りに復帰できない者や、被災を免れても、酒造りが終わった後に帰る家がなくなってしまった者もいると聞いており、心配しております。――「世界の人たちの価値観が変わるような日本酒をつくりたい」という、農口さんの30年来の夢は「20BY山廃純米大吟醸」が叶えていくのだと思います。農口さんの現在の夢を教えてください。農口さん:やはり、世界中のお客様に「美味しい」と言っていただけるお酒を造ることです。原料の酒米は、気候によって状態が毎年変わります。毎年造り始めは初心の気持ちで原料米と向き合います。ですので一生かけても「酒造りはわかった」ということはありません。それがやりがいでもあります。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より「NOGUCHI -酒造りの神様-」“酒造りの神様”の異名を持つ、日本で最も有名な日本酒醸造家の1人・農口尚彦。彼がこれまで誰にも見せなかった仕事の神髄と“NOGUCHI”の酒の秘密に迫る。2023年/77分
2024年03月19日日本有数のアニメ都市・新潟にて、アジア最大規模の「第2回新潟国際アニメーション映画祭」が3月15日(金)より開幕する。本映画祭の長編コンペティション部門で審査員長を務めるのは、アカデミー賞ノミネートの『ブレンダンとケルズの秘密』(共同監督)や『ブレッドウィナー』、Netflix映画『エルマーのぼうけん』を手掛けた世界的アニメーションスタジオ「カートゥーン・サルーン」のノラ・トゥーミー監督だ。昨年3月に初めて開催された新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)は、世界で初の長編アニメーション中心の映画祭として、また多岐にわたるプログラムとアジア最大のアニメーション映画祭として各国で大きな反響を呼んだ。今年はレトロスペクティブ部門にて長編映画全作品ラインアップの高畑勲特集ほか、イベント上映では世界を舞台に活躍する湯浅政明監督の貴重な短編の特集上映、『機動戦士ガンダム』シリーズの富野由悠季監督の来場などを予定。長編コンペティション部門には、『アリスとテレスのまぼろし工場』(監督:岡田麿里)、『クラユカバ』(監督:塚原重義)といった日本作品をはじめ、29の国と地域の49作品から選りすぐった12作品が集結する。ノラ・トゥーミー監督といえば、アイルランド・キルケニーにある「カートゥーン・サルーン」にて初期から受賞歴のある短編映画やコマーシャルの監督を務め、アカデミー賞にノミネートされた『ブレンダンとケルズの秘密』ではトム・ムーア監督と共同監督、同じくアカデミー賞ノミネートの『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』ではストーリーとボイスのディレクターを担当。タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にした『ブレッドウィナー』ではアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にノミネートされたほか、アヌシー国際映画祭で最優秀インディーズ長編映画賞、観客賞、審査員賞など数々の国際賞を受賞。最近では、ルース・スタイルズ・ガネットのベストセラー児童文学にインスパイアされたNetflixオリジナル長編アニメーション『エルマーのぼうけん』を監督した。今回の初来日では、時間が許せば、小泉八雲として知られるアイルランド系ギリシア人のラフカディオ・ハーンの記念館を訪れ「彼の人生や彼の見た日本に思いを馳せてみたい」というトゥーミー監督。自身や「カートゥーン・サルーン」のクリエイティブにおいて大切にしていることや、アニメーションの未来についてたっぷりと語ってくれた。高畑勲監督の『火垂るの墓』は「美しい傑作」ーー「カートゥーン・サルーン」のアニメーションは日本でも大変ファンが多いです。ご自身が作品を作るときに心がけていることは?ノラ・トゥーミー(以下、N・T)「カートゥーン・サルーン」では私たちも常に自問自答しています。何が「カートゥーン・サルーン」作品たらしめているのか? アニメーションにして語るだけの価値があるものとは何か?なぜなら、アニメーションはフィルムとしてつくるのに驚くほど手間がかかるので…手描きの2Dアニメーションは特にそうです。アイディア出しの段階から劇場で上映されるまで5年、10年かけて制作されるものもザラにあります。そのため、本当に語るだけのストーリーである必要があります。私たちは「勇気」を「美しい語り口」で、と自分たちによく言い聞かせています。この2つがとても大切なのです。まずは、私たちが語らなければ、おそらく決して語られることのない物語をやろう。そして、語るにしても私たちだからこその語り口でやっていこう、と。そしてこの「美しい語り口」ですが、決して砂糖をまぶしたような歯が浮く甘いお話、というわけではなく、アニメーションというメディア表現の可能性をさらに広げるようなものを指しています。高畑勲特集『かぐや姫の物語』©2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTKそれも必ずアニメーターの手によるものを見せる。業界でこれまで20年30年と経験を積んだ人たちと一緒にスタジオで働いているのですが、同時に業界入りしたばかりの新しい才能や学生たちとも一緒に仕事をしています。彼らが一丸となって、「最も優れた完璧なもの」を目指すわけですが、そこに人間味のあるというか、人間だからこそのミスや間違い、というのも当然混ざってくるわけです。そこがアニメーションの良さといいますか、どうしてそうなるかというと、アニメーターによるテーマやキャラクターへの思い入れが強いため、なんですね。まさに「カートゥーン・サルーン」が目指しているところはそこにあるのです。ちょっとした間違い、人間であるからこそ起こり得るミス…それこそがメディアの可能性をさらに高めるものなのです。高畑勲監督の傑作『火垂るの墓』は、2人の子どもが過酷な状況を生きのびようとする物語で、とても難しいテーマを扱っています。映画の中では、兄妹の互いの温かい思いやりの心が描写されており、それは決して他の手法では描けない。絶対にあのアニメーション表現でなくてはならなかったのです。高畑勲特集『火垂るの墓』©野坂昭如/新潮社, 1988監督や各アニメーターがキャラクターに心を寄り添わせながら(他人事ではなく自分のことのように愛情を込めて)描いているのがわかります。それがこの作品を唯一無二のものにしています。美しい傑作であり、監督から世界への贈り物だと感じています。人は誰しも困難に直面します。個人的であったり、より大きな国や世界規模ででも。いま、世界中がそのような状況となっていますよね。そんなとき、こうした作品は私たちを助けてくれる。これまでの歴史を振り返り、未来がどうなっていくのかを考えさせてくれると思うのです。「自分たちの声を見つけること」それがスタジオの真髄ーーご自身が作品を作られる場合、マーケットについてはどのように意識されていますか?N・Tマーケットについては必ず意識しています。アニメーションのビジネスマーケットにはサイクルがあって、活発に作品を求めている時期とそうでない時期があります。いまはちょうど活発でない時期。もともとアイルランドは500万人の小さな国なので、自分たちだけで映画をつくることはできません。国内の観客動員数の規模は小さく、上映できる映画の本数も少ないからです。そのため常に国外に目を向けているのですが、そうなると自分たちの声(語り口)を失くしてしまうリスクも生じます。アメリカやよその国でつくられるようなフィルムになってしまう可能性もある。何年もかけて学んだのは、人々が私たち「カートゥーン・サルーン」独自の「声」を求めていること。必ずしも主人公がアイルランド人でなければならない、ということはなく、ときにはアフガニスタン人やアメリカ人の男の子だったりするわけです。スタジオが独特な感性をしっかり持つことの意味を理解するようになりました。長編コンペティション部門『深海からの奇妙な魚』(ブラジル)「カートゥーン・サルーン」がつくった初めての映画『ブレンダンとケルズの秘密』のプロデューサーはフランス人のディディエ・ブリュネール氏だったのですが、彼から教わったことはディズニーや他のスタジオに倣うのではなく、「自分たちの声(語り口)を見つけること」でした。それがスタジオの真髄として、当初からずっと貫いてきたスタンスであり、これからもそれを目指していきます。そういった意味でも、マーケットは意識しており、どういう状況であろうとも、自分たちを失わずに突き進めるように頑張っています。正直、未来を見据えて正しい判断をいつも下すのは難しいです。そこでやはり重要になってくるのが、映画祭などでスタジオが専門知識や経験を持ち寄り人脈をつくることです。そうやってアニメーションビジネスがどんな状況であろうと、力を合わせてしのいでいけるのです。AIがアニメーションに与える影響、そして未来は…?ーー制作を取り巻く環境はご自身が始められた時からどのように変化していると感じていますか?一番変化が大きいと感じた点はどのようなことでしょうか?N・T25年前に「カートゥーン・サルーン」がスタートしたわけですが、それがもう少し前であったら、スタジオ設立にはお金がかかりすぎて無理だったでしょう。アイルランドやヨーロッパではそれまでアニメーションはすべて手描きでしたが、ちょうどその頃、徐々にデジタル処理を制作プロセスに導入しつつあったのです。そのため2Dアニメーションでも、スキャナーで手描きの絵を取り込んでいましたので、とても高価な撮影機材を設置しないですみました。デジタル革命の技術をうまく取り入れながら、私たちにとって一番大切なことにはとことんこだわりました。例えそれが紙の上であってもモニターの上であっても、いままでと変わらずに水彩絵の具などのブラシタッチで絵を描く、ということ。以降、様々な変化がありますが、やはり3Dアニメーションの進歩が大きいでしょう。ですが「カートゥーン・サルーン」としては、あくまで2Dにこだわることにしたのです。手描きが私たちの一番得意としているところですし、古くならないもの、私たちの紡ぐ物語が一番確実に伝わる方法だ、と信じているので。本当に多くの変化が起きました。仕事があったり、なかったり…そういった中、なんとかやりくりしてきて。長編コンペティション部門『クラユカバ』(日本)©塚原重義/クラガリ映畫協會将来的には様々な問題が起こりそうですよね。AI、機械学習などがそうです。頻繁に議論されてはいますが、それがどういった影響を業界に及ぼすのか、まだ誰にもわかりません。昨年末にはアメリカの脚本家と俳優が自分たちの知的財産の権利を守ろうとストライキを起こしましたが、様々な問題がある中、私自身もこの先どうなるのか、まったく読めません。それでもアニメーションにおいては、人間によるストーリーテリングが求められる、と信じています。「私はつらいこんな経験をしたが、あなたにも共感してもらえるだろうか?」と実際にあった経験を他者に語りかける。そして「この共有した経験を活かしながら、未来に向かって一緒に歩んでいけるだろうか? あなたはいつも心にとどめておいてくれるだろうか?」と問いかける。これが実体験に基づくのではなく、以前あったストーリーを断片的によせ集めるだけのAIができるとは思えません。実際にAIが経験したり、本当の喜びや苦しみを味わったりしたわけではないですから。そういったものに耳を傾ける人は世の中にいるのでしょうか?私はいないと思います。長編コンペティション部門『アリスとテレスのまぼろし工場』(日本)©新見伏製鐵保存会結局、人々が物語を欲するのは、単なる娯楽(エンターテインメント)だけでなく、そこから何かを学ぶためで、そこが私たちを人間たらしめている部分です。私個人はそのように考えていますが、この先どうなるかはわかりません。それでも私はこれからも人々の「勇気」ある「本当の声」に耳を傾けていきます。1人の観客としても。人類をそれくらいには信頼しています。ーーこれから5年後、10年後、20年後、アニメーションはどのように変化していくとお考えでしょうか?N・Tいまの時代、半年の間でも大きな変化はありえます。将来アニメーション業界に大きな影響を与えると思えるのは、やはりAI。AI技術が業界全体に与える影響が気になります。ただ、AIの専門家で今後の可能性について知っていようと、従来の手法で紙と鉛筆で仕事をするアニメーターであろうと、誰一人として未来がどうなるかは予測できないのではないでしょうか。AIが私たちの活動にどんな影響を与えるのか?これはアニメーション業界だけにとどまりません、創作活動を行う業界すべてに同じことが言えます。本当に目を見張るような状況が続いていて「もうすぐこんなことができるようになる!」といった将来性についてもよく耳にします。アニメーションスタジオを運営する事業主として、また監督としては、これからも人間の手によって生み出されるものへの尽力は惜しまないつもりです。決して量産されたものではなく、人間の体験を下地にした唯一無二の「声」の持つ力、それが人々が欲するものだと信じています。長編コンペティション部門『マントラ・ウォーリアー ~8つの月の伝説~』(タイ)一方で、ポジティブに作用するテクノロジーを見極めていって、自分たちも納得のいく方法で使っていくべきだとも思います。アーティストやストーリーテラーの生み出すものの価値を下げるのではなく、映画のストーリーテリングが伝わり、受け入れてもらえるような形で導入するのです。繰り返しますが、アニメーション業界には昔からよい時期もあればよくない時期もあります。どんな経済状態に晒されても、アニメーションスタジオは歯を食いしばって状況を乗り越えなければなりません。今後もかつてなかった問題に直面するでしょう。これから10年後、業界がどうなっているかは本当に予想がつかない。それでも人間とは太古の昔から常に表現したがっている生き物です。すべてのストーリーテラーが持つ「物語を語りたい」という欲求、それは未来永劫変わることはないと思います。長編コンペティション部門『アザー・シェイプ』(コロンビア)「第2回新潟国際アニメーション映画祭」は3月15日(金)~3月20日(水・祝)、新潟市民プラザ、新潟日報メディアシップ(日報ホール)、だいしほくえつホール、シネ・ウインドなどにて開催。(シネマカフェ編集部)■関連作品:アリスとテレスのまぼろし工場 2023年9月15日より全国にて公開(c)新見伏製鐵保存会クラユカバ 2024年4月12日より全国にて公開©塚原重義/クラガリ映畫協會
2024年03月14日ハリウッドで活躍する。言葉にすると簡単だが、もちろん容易なことではない。それを誰よりも知る1人が、真田広之だろう。『ラスト サムライ』でのハリウッドデビュー以来、彼は世界の第一線で戦ってきた。そんな真田さんが主演を務め、プロデュースも手掛け、ディズニーが持つ製作会社の一つ「FX」が制作するスペクタクル時代劇、「SHOGUN 将軍」が全世界で配信中。天下人が死去し、その座を狙う武将たちの思惑が入り乱れる戦乱の世界を、真田さんはハリウッドでどう作り上げたのか。そこには、細やかな気配りと揺るぎない信念があった。ハリウッド作品でリアルな日本を描く――長年にわたり、このプロジェクトに関わってきたそうですね。当初は(主人公の)吉井虎永役のオファーをいただくところから始まったのですが、紆余曲折あって企画の立ち上げから何年か経ち、プロデュースも兼ねることになりました。虎永役をお引き受けした一番のモチベーションは、虎永のモデルが徳川家康であること。家康は戦乱の世を終わらせて平和な時代を築き上げた人物ですが、まさに今この大変な時代に求められているヒーローだと思います。――その虎永は大局を見ているからこそ、なかなか真意を見せません。ミステリアスであり、策略家であり、ファミリーマン。敵にはポーカーフェイスで接しながら、身近な者には弱みも見せる人です。ある意味、非常に人間らしいですよね。そういった人間性を見せながら、視聴者の皆さんの理解力と想像力を信じ、遠い球を投げる気持ちで。最終話までご覧いただき、ようやく見えてくる部分もあると思います。――日本の戦国ドラマとはいえ、ハリウッドで製作されたドラマの日本人が日本語を話していることに驚いてしまいました。目指したのは、あくまでもオーセンティックなもの。それには日本人が日本語を話し、字幕をつけるのがいいだろうと、製作陣の間では意見が一致していました。ですがその分、台本作りには時間がかかりましたね。何度も何度も書き直し、調整して。あの時代の言葉を重視しつつ、あまりに分かりづらいものは多少シンプルに。ただし、現代っぽくしない、西洋化しない、ステレオタイプの描写は排除するというスタンスは貫かれていました。キャストへの細やかなケアも――キャスティングにも関わっていらっしゃいますか?各役の最終候補が2~3人に絞られてきたところで、エグゼクティブ・プロデューサーのジャスティン(・マークス)から意見を聞かれていました。キャラクターに合った配役にするため、かなり意見を申し上げましたね。別の役を演じるはずだった方に関し、「こちらの役のほうが合うのでは?」といったことを申し上げて採用されるパターンもありました。――旧知の方々との再会もあったようですね。樫木藪重役の(浅野)忠信くんは、彼が10代の頃からの付き合いです。忠信くんの薮重はもう、最高ですよ!すばらしい方々が出演してくださっていますが、戸田広松役の(西岡)徳馬さんはかなり強く推薦させていただきました。広松は虎永にとって非常に大事なパートナーですから、徳馬さん以外は考えられなかった。虎永と広松の友情を台詞ではないところで伝えるには、30年以上の付き合いとなる徳馬さんと僕の関係性が必要でした。――バンクーバーの撮影現場では、キャストのケアもなさったのでしょうか?日本の現場とは撮影のシステムも違いますから。1日の流れを説明したり、時には通訳をしたり。監督の指示を通訳さんが伝えるわけですが、(キャストが)戸惑っているような場合は補足をして。言葉を通訳するというよりは、演出意図をそれぞれに合った言い方で伝えていきました。台詞だけでなく、動きに関しても。着物の着こなし、刀の抜き方、鞘への納め方、寸止めの仕方など、慣れない方にはコツをアドバイスさせていただいて。皆さんが不安なく演じられる状態にまでリハーサルで持っていき、本番はモニターで見守っていました。――長期滞在となりますが、皆さん、お食事などは大丈夫そうでしたか?なんと、撮影現場には和食と洋食、両方のケータリングが用意されていて(笑)。バンクーバーには美味しい日本食のレストランもたくさんありますし、むしろ食事には恵まれていました。なかには炊飯器を持ち込まれていた方もいましたけど(笑)。――食事だけでなく、撮影現場の設備も豪華そうですね。セットのスケールがとにかく大きくて。嵐のシーンでは、実物大の船が用意されていました。船を自動操縦で揺らしつつ、ウォータータンクから水をダーッと流して。そんな中で芝居する役者を、カメラマンが手持ちカメラで撮っていきます。ディズニーシーみたいでしたね(笑)。藪重が崖の下の海で溺れそうになるシーンが序盤にありますが、あの崖もまるごとセット。ここでもウォータータンクが活躍し、大量の水で波を作りました。忠信くんは溺れそうになっていましたね(笑)。橋渡しとなった役柄と自身の存在「オーバーラップしているかも」――真田さんが通訳を務めることもあったとのことですが、劇中では戸田鞠子(アンナ・サワイ)が通訳の立場にあります。異なる者同士の橋渡しとなる鞠子と、この作品を作る真田さん自身に通ずるものを感じました。言われてみれば、そうですね。そういう意味ではストーリーの中の虎永の立ち位置も、プロデューサーとしての僕の立ち位置とどこかオーバーラップしているかもしれません。謀反人の父を持ち、キリシタンとなり、2つの主に仕える鞠子もまた非常に複雑なキャラクター。虎長はもちろん、そういった人々の繊細な心情をダイナミックなスケールの中で描けたことにも満足しています。――この作品でやりたかったことはすべてやれましたか?まだまだ完璧とまでは言えません。ですが、たとえすべてが揃わなくてもその中でやりくりし、折衷案を生み出すことをこの20年間で学んできました。スタジオが満足し、日本人として許せる範囲を見出す術とも言えますね。しかも、限られた時間の中で。それを踏まえたうえで言うなら、ベストは尽くせたかなと思います。――改めて、ご活躍の中でモットーにしていることは?より良いものにするための努力を惜しまない。ギリギリまで諦めずに粘る。そして、勇気を持って意見を言う。そんなところでしょうか。相手のプライドをなるべく傷つけないよう、けれども守らなければいけないところは死守して。それって、コミュニケーションの取り方次第で可能だと思うんです。一俳優としても、コンサルする立場としても。そういった学びが、今回の経験でも生かせたんじゃないかなと思っています。※西岡徳馬の「徳」は旧字が正式表記ヘアメイク:高村義彦(SOLO.FULLAHEAD.INC)(text:Hikaru Watanabe/photo:You Ishii)
2024年02月29日2023年秋にブランド生誕30周年を迎えたレディスブランド「23区」。そのアンバサダーを務める女優・杏さん出演の新CM動画が3月14日より全国のTVでオンエアスタート。TVでの放映に先駆け、新CM動画と杏さんのインタビュー動画が「23区」30周年特設サイトと公式YouTubeで公開されました。■杏さんが語るパリでの生活と40代へのビジョン杏さんへのインタビュー動画では、パリでの休日の過ごし方や来たる40代に向けての抱負などが語られています。インタビュー中の杏さんは穏やかでナチュラルな雰囲気。 ▼最近の杏さんのお休みの過ごし方は?ここのところはやはり子ども優先で行きたいところに一緒に行ったりして、私も一緒に楽しんでいます。なるべくいろんなところに行ってみたりとか、普段できないちょっと時間のかかるお料理を作ってみたりとか、そういったふうに過ごしています。一緒に餃子を作ったりみたいな感じですね。▼最近お出かけして楽しかった場所は?ノルマンディーの方に車を借りて行きました。自然があって気持ちよかったです。▼現地の方との会話も勉強になりますか?話す機会は本当に自分から作らないと、日本もですが今はセルフレジも増えてきて、お話ししなくても買い物ができちゃったりするので、自分からいろいろ、生きたものに触れていかないとなっていうふうに思っています。▼来たる40代をどのように過ごしたいですか?どんなに健康であっても、からだを能動的にメンテナンスしていかなければいけない年齢にも差しかかってきているなと思います。とにかく元気いっぱいで過ごすために、栄養や運動はいっそう気をつけて、あとは何よりたくさん楽しんで過ごしたいなと思っています。新CMでは最新春コーデに身を包み、5変化を披露。東京を舞台に、美術鑑賞やカフェ、東京タワーやオフィスビルなどの日常的なシーンの中で、知的好奇心あふれる、美しく洗練された女性の姿を杏さんが表現。東京の街を颯爽と歩く杏さんはさすがトップモデルの風格。ファッションの着こなしや身のこなしもお手本にしたい。▼運動で意識していることは?背が高いぶんかがむことが多く、けっこう猫背の癖がついちゃっているので、なるべく背中や腰のストレッチは意識的にしていきたいなって思っています。▼食事の面で気をつけていることは?旬のものを食べて、体を温める、冷やすとか、きちんと美味しいものを美味しく食べたいと思います。▼50歳を迎えるときの理想像はありますか?私の50歳だとちょうど子どもたちがだんだんもう自立してきているような段階だと思いますので、そのときにきちんと子どもたちと並べるような人間でありたいなと思います。教えられることも増えてくるとは思うんですけれども、尊敬できる余地が残っているような人間でいたいなと思います。女優として美しく強く、また母親として優しくたくましく、自分らしくステキに年を重ねている杏さん。2023年は出演映画「キングダム 運命の炎」や「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」に加え、女性の社会問題をテーマにした7つの短編からなるアンソロジー映画「Tell It Like a Woman[私の一週間]」に主演し話題に。今年は主演映画「かくしごと」(6月7日公開予定)も控えており、女優としての活躍もますます楽しみですね。新TVCM「23区 JAPANESE WOMAN’S STANDARD Anne in TOKYO」(15秒・45秒 ※45秒ver.はWeb上のみで公開)Webで先行公開中、3月14日(木)より全国にて順次オンエア開始15秒: 45秒: 杏さん インタビュー動画公開中 お問い合わせ:「23区」
2024年02月20日高橋文哉は、俳優デビューして5年。主演ドラマ、映画、CMなど、その快進撃はとどまるところを知らない。当の本人はと言うと、「まだまだ」といった鋭い表情ではるか先を見据えていた。満足をしない自分への飢餓がガソリンとなり、次の大きな道を拓いているのだろう。こうした進化に、観る者も惹きつけられるわけだ。2024年の最初の出演作は、竹内涼真主演による『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』となった。高橋さんは、竹内さん演じる間宮響と終末世界で行動を共にすることになる柴崎大和役として登場。喧嘩っぱやく、熱い側面を持つ元とび職人の大和は、いつも無我夢中で考えるより先に行動するタイプで、どこか初期の響を彷彿とさせた。何よりも、大和は高橋さんがこれまで演じることのなかった役柄となり、まさに新境地を踏んだといえる。劇中で大和が宿した「愛する人を必ず助けたい」という一途な想いは、俳優業にメラメラと全身全霊を傾ける今の高橋さんの真っすぐさに通じるよう。その想いをインタビューで聞いた。本格的に挑戦したアクションシーン「グッときました」――高橋さんは「君と世界が終わる日に」Season1をリアルタイムで視聴されていたそうですね。人気シリーズの劇場版に、ご自身が足を踏み入れた感想からまずは教えてください。現場に入った瞬間に、涼真さんやスタッフの皆さんがこれまで培ってきたものが、すごく見えたような印象を受けました。現場がかちっと固まっている感じがしたんです。それは4年という長い期間をずっと一緒にやってきているからこそ生まれる環境なんですよね。自分もこのパワフルさに負けないように、しっかりと熱量を持ってエネルギッシュにやっていきたいと奮い立ちました。――演じた大和は派手なアクションシーンも多く、特に窓を突き破るシーンは衝撃的な格好よさでした。ありがとうございます!窓を突き破るところは自分で観ていても格好いいと思いました(笑)。撮っているときは、まさか曲に載ってガラスを突き破るとは想像していなかったので、あそこはゾクっとしましたしグッときました。大和は自分としてもやっていてすごく面白い役だったので、その魅力が出ていたシーンだったのかもしれません。――本格的なアクションに挑戦してみて、実際に身体を動かすと気持ちも乗ってくるなど、新たな気付きはありましたか?アクションシーンで転がるようなときでも、例えばちょっとくらい痛いほうがその世界にぐっと入れるのは発見でした。物理的なことが影響することを、この作品ではすごく体感しました。涼真さんとのアクションシーンも、涼真さんが本気の力で耐えてくださったので、なるべく力を抜かないように、本当に首を絞めさせてもらったりもしましたし。常に危険はないように、けど本気で、いい塩梅を二人で探りながらやっていました。竹内涼真との共演が「何よりも大きかった」――竹内さんとの初共演は刺激的でしたか?はい、すごく。僕は『きみセカ』撮影のときまで、映画では『仮面ライダー』シリーズ以外で主演をやったことがなかったんです。今回の現場に入って、僕からすると涼真さんが“まさしく”という主演像でした。涼真さん自身は意識していないそうなのですが、全キャストに気を遣って話しかけたり、現場をなるべく揉んでゆるくできるようにしてくださっていて。それでもいざ本番になった瞬間は、きゅっとしめてくださって、すごくメリハリがあるんです。それでいて包み込んでくれるような雰囲気もあって…。もう、涼真さんのことは語り尽くせないです!映像に映っていない、残っていないところでの涼真さんの現場での振る舞い、立ち回り、現場での“いかた”が本当にすごいなと思いました。先日、連ドラの主演をさせていただいたときにも意識して思い出したのは、やっぱり涼真さんの姿でした。――“竹内涼真”という俳優の魅力、高橋さんの想いを強く感じるエピソードの数々ですね。この作品で得たものはアクションの経験ももちろん大きいですが、涼真さんのもとでお芝居ができたことが何よりも大きかったです。もう1回すぐに涼真さんとお芝居をさせていただきたいと思いましたし、今でも変わらず涼真さんと一緒にやりたい…。また会える日のために頑張れることも、この作品から受け取ったものなのかなと思いました。――今後、竹内さんと共演するならどんな役柄でご一緒したいですか?兄弟役をやりたいです!涼真さんは僕のお兄ちゃんと同い年ですし、年の差的にも絶対いけると思うんです。こうした生死に関わるようなハードな作品ではなく、ほんわかしたものがいいです(笑)。家のセットでずーっと撮っているような作品で、いつかご一緒してみたいですね。「相手の役者さんから吸収してお芝居をするタイプ」――高橋さんの俳優としてのキャリアは現在5年になります。急成長を遂げているイメージもありますが、ご自身としての手ごたえはいかがでしょうか?よくこうした取材で、「役でどういうことを受け取りましたか?」とか「どういう成長ができましたか?」と聞いていただくのですが、いつもわからなくて(苦笑)。まだ気づいていないんですよね。成長や自分が大きくなったという瞬間は、自分では気づかないものかもしれないな、と今は思っています。でも、例えば、『きみセカ』を応援してくださる方に見てもらって、「高橋、芝居うまくなったな」とか「いい顔するようになったね」と思っていただけたら、それはすごくうれしいです。――本作での大和は、ファンの方以外からもそうした声が届きそうです。もしも僕のお芝居がいいなと思ってくださるなら、それは共演の皆さんのおかげが本当に大きいと思っています。何というか…自分なりに分析したのですが、どうやら僕は相手の役者さんから吸収してお芝居をするタイプなんです。『きみセカ』だと涼真さんの声やセリフの言い方ひとつで自分の芝居が変わりましたし。なので、皆さんとのお芝居のおかげで、たくさん知らない自分のいい顔が引き出されていたのかもしれない、とも思います。――ありがとうございました。最後に、劇中では「ユートピア」と呼ばれる希望の都市にある高層タワーが舞台となっています。高橋さんにとってユートピア(=架空の理想世界)とはどのようなものでしょう?僕のユートピアですか?え~…ないですね。現実でいいです。――現実がいいんですね。はい。あとは僕、寝ているときに夢を見ることが大好きなので、そういう話ならあります。――夢の内容を覚えているんですか?覚えています。しかも「これ、夢だな」と思いながら夢を見られるという特技があるんです(笑)。それがすごく楽しいです。最近で言うと…でっかい石に追いかけられる夢を見ました。下に土を掘って逃げましたけど(笑)。たまに空を飛んでいたりもするんですよね、最高です!最近は見たい夢を見られるようにと、寝るときに「空飛びたい、空飛びたい、空飛びたい」と念じながら寝るようになりました。そうすると本当に高確率で空を飛べるんですよ!僕にとってのユートピアかもしれないですね。(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:劇場版 君と世界が終わる日に FINAL 2024年1月26日より全国にて公開ⓒ2024「君と世界が終わる日に」製作委員会
2024年01月31日『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が本年度の米アカデミー賞を席巻し、絶対的な存在へと上り詰めた感のあるアメリカの映画会社A24。そのA24の初公開作品計11本を上映する「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」が、12月22日より全国5劇場で開催中。ホラー、コメディ、ドキュメンタリーと多彩な作品が入り乱れる本企画の実施を記念し、『ミッドサマー』や『aftersun/アフターサン』ほかA24作品の日本版ポスターやパンフレット等を多数手がけるグラフィックデザイナーの大島依提亜と、A24のクリエイターに多数インタビューしたSYOの対談を実施。「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」のラインナップを中心に、A24の今後についても考察していく。大島依提亜映画のグラフィックを中心に、展覧会広報物、ブックデザインなどを手がける。A24の日本版担当作は『パーティで女の子に話しかけるには』『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』『ミッドサマー』『Zola ゾラ』『カモン カモン』『X エックス』『LAMB/ラム』『MEN 同じ顔の男たち』『エブリシング・エブリウェア・オール』『Pearl パール』『aftersun/アフターサン』『ボーはおそれている』など。SYO1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、複数のメディアでの勤務を経て2020年に独立。A24好きが高じて『インスペクション ここで生きる』日本公開時のオフィシャルライターを務めたほか、『アフター・ヤン』『X エックス』『Never Goin' Back/ネバー・ゴーイン・バック』等のパンフレットに寄稿。アリ・アスターやマイク・ミルズほか、多数のA24系クリエイターにインタビューを行う。「A24の知られざる映画たち」ではケリー・ライカート監督のオフィシャルインタビューを担当。『エターナル・ドーター』© ETERNAL DAUGHTER PRODUCTIONS LIMITED/ BRITISH BROADCASTING CORPORATION MMXXIISYO:最初に簡単な流れを話すと、元々僕たちが「A24の知られざる映画たち」のセンチュリーシネマさんでのイベントに出ることになっていて。そこでは『エターナル・ドーター』を中心に話す予定なのですが(本対談は12月中旬に実施)、先日シネマカフェさんのポッドキャスト番組「ツクリテラジオ」に依提亜さんに出ていただいた際に「今回の特集上映についてもっと語りたいね。時間足りないね」という話になり、今回の対談につながりました。大島:「A24の知られざる映画たち」で上映されるのは11本ですが、個人的に5つ星の作品が半分以上あって、これはぜひじっくり話したいなと。最初は「未公開のやつだからどうかな」と思っていたのですが、まだまだこんなに傑作が揃っていたのか!と驚きました。SYO:全作観て思ったのは、「これもA24なんだ!」と。自分の中のA24のイメージから外れたものもあって面白かったです。それこそ「未体験ゾーンの映画たち」(ヒューマントラストシネマ渋谷で開催される劇場未公開作品一挙上映イベント)を全部A24作品でやったみたいな。大島:そうそう。SYO:個人的に意外だったのは『ゴッズ・クリーチャー』です。これA24よりNEONなんじゃない?(『パラサイト 半地下の家族』『PERFECT DAYS』等の米国配給を手掛けるスタジオ)と思うような、それこそ賞を獲りに行く系の渋~い作品で。『ゴッズ・クリーチャー』© A24 DISTRIBUTION LLC, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, NINE DAUGHTERS, SCREEN IRELAND 2022大島:もしくはサーチライト・ピクチャーズとか。SYO:そうそう(笑)。ろくでなしの息子を守るために母親がついた嘘が波紋を呼んでいく…というような話なのですが「日本でも置き換えられるよな、エミリー・ワトソンの役をやるのは吉永小百合さんか?いや、田中裕子さんかな」などと思いながら観ていました。息子役のポール・メスカルは『aftersun/アフターサン』で日本でも認知が広がりましたね。大島:ポール・メスカル、ハマっていましたよね。僕の今回のイチオシは『ファニー・ページ』です。これは傑作だった。『ゴーストワールド』のイーニドとレベッカの出てこないモブキャラだけで成立しているような作品で、ダメダメな人たちしか出てこないんだけど(笑)、16mmフィルムで撮影していることもあるけど、愛に溢れた視点で汚いものも美しく見えてくる。『ファニー・ページ』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.SYO:漫画家に憧れる男の子を中心にした、才能の話なんですよね。持っていない人たちや、持っているけど続けられるほどではなかった人たちが登場して「この部屋にいる奴らは全員才能がない」と自嘲するシーンなど、切なかった…。大島:そして、出来がものすごくいい。『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』のサフディ兄弟がプロデュースをしているのですが、彼らがコメディを撮ったらこうなるのかなというような、あまり観たことのない感じがありました。主人公が下宿する先が、地下の温室みたいなところじゃないですか。あのシチュエーションを撮りたかったんだろうなと思いました。SYO:なんでわざわざここに!?と思うような場所ですよね。住人みんな汗かきまくってるし、眼鏡も曇っていて(笑)。自分がプロデュースする立場だったら「ここにする必然性は何?」と聞いてしまいそう。だからこそそこに、作家性が出ますよね。大島:監督は撮影中、もっと汗を!と演出してたみたいです(笑)。カンヌ国際映画祭の監督週間に出品されてA24が買い付けたみたいなんだけど、凄い才能ですよね。監督・脚本のオーウェン・クラインは、『イカとクジラ』に出演していた俳優で本作が監督デビュー作。今後がすごく楽しみです。主演のダニエル・ゾルガードリは、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』今回の特集上映のラインナップにも入っている『ロー・タイド』とA24御用達の若手俳優ですね。ダニエル・ゾルガードリ縛りで観てもいいかもしれません(笑)。SYO:僕のイチオシは『アース・ママ』です。良すぎてびっくりしました。先日発表された英国インディペンデント映画賞2023でダグラス・ヒコックス賞(新人監督賞)を受賞したのですが、納得です。『アース・ママ』© 2023 Earth Mama Rights LLC, Channel Four Television Corporation. All Rights Reserved.大島:これは最高でしたね。『aftersun/アフターサン』と『Zola/ゾラ』を足したような撮り方も良かったし、本作でデビューしたサバナ・リーフ監督がバレーボールの元オリンピック選手というのもびっくりしました。SYO:短期間に11本一気見したことで、ファーストカットで大体いい作品かどうかがわかるようになったのですが、本作はちょっとレベルが違いましたね。大島:わかる。主演のティア・ノーモアはラッパーなのですが、『アース・ママ』を見た後に即Apple Musicで彼女の曲を探して聴きまくっています。SYO:そうなんですね!僕も聴かなきゃ。『アース・ママ』は育児の資格がないと判断され、子ども二人が児童養護施設に収容されてしまった妊婦が主人公なのですが、貧困や有害な男性性といった問題や文化的なアイデンティティについても触れられていて見ごたえが凄まじい。大島:生まれてくる子どもを養子縁組に出すかという部分で、人種のアイデンティティと実生活のせめぎ合いが描かれていくのも上手いですよね。離ればなれになった子どもたちに電話でお気に入りの曲を流すシーン、グッと来ませんでした?SYO:あれは泣きました…。僕自身が親になったことで共感ポイントが増えると同時に、厳しい目で見てしまうことも出てきましたが、本作はノイズを全然感じなくて。先ほど有害な男性性の話をしましたが、加害者であろう男性がほぼ全く出てこない・意図的に登場させていないというのも特徴だなと。大島:確かに、出てこないですね。僕はへその緒の描写も印象に残りました。現実問題を描きながら、新しい映像を撮ろうとする野心もちゃんとある監督だなと。『カモン カモン』のようなドキュメンタリー的な取材シーンと創作の物語をミックスさせているから、深みも出ていたし。SYO:そしてヴァル・キルマーのドキュメンタリー『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』。これは感動しましたね…。幼少期からヴァル・キルマーが撮りためていた日常の記録が1本の映画になっていて。『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』© 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC. All Rights Reserved大島:エディットがうまいですよね。素晴らしかったです。これを観た後に『トップガン マーヴェリック』を観たら、感動がものすごいんじゃないかな。しかし、A24のドキュメンタリーはハズレがないですね。『AMY エイミー』に『ボーイズ・ステイト』『オアシス:スーパーソニック』とみんな面白い。SYO:今回のラインナップの中で一番「劇場で観たい人が絶対いるはず」と思った作品かもしれません。彼の演技に対する想いや、完璧主義すぎて敬遠されてしまう苦しみ、ナレーションを息子が担当しているところ等々、見どころが多すぎました。大島:ドキュメンタリーはその人のどこを切り取るかによって180度イメージが変わるし、自分がプロデュースしている作品だからいい人に見せすぎてしまうきらいはあるけど、本作は一歩手前で止まる冷静さがあるのが素晴らしい。SYO:「過去の栄光にすがっている俺はダサいだろ?」と自嘲しつつ「でもこういう機会がないとファンと交流できない」と告白するシーン等々、全部を開示してくれる感じがありましたよね。大島:そして『ショーイング・アップ』も最高でした。ケリー・ライカート監督は日本でも人気だし本作は今回の特集上映の顔になっていますが、観たら作品自体が素晴らしくて顔になる理由がよくわかりました。しかし、ホン・チャウは素晴らしいですね。『ザ・メニュー』『ザ・ホエール』『アステロイド・シティ』そして本作と、いい作品に連続して出演していて凄いなと。『ショーイング・アップ』© 2022 CRAZED GLAZE, LLC. All Rights Reserved.SYO:本作は2人のアーティストの対立構造になっていて、芸術系の一家に育ったけどなかなかブレイクしきれない主人公(ミシェル・ウィリアムズ)と、自分ひとりで道を切り開いていく野心家のアーティスト(ホン・チャウ)の衝突も描かれるのですが、そこにお互いに認めているシスターフッド感があって心地よかったです。大島:ミシェル・ウィリアムズとホン・チャウが並んで歩き去っていくシーンでクリント・イーストウッドがよくやるエンディングショットというか、ふたりの遠ざかる姿をクレーンが上がっていく方法で撮影されていて、「ケリー・ライカートがこれをやるんだ」と思ったらハト目線だったのか!と気づいて面白かったです。あのシーンの演出はちょっと『フェイブルマンズ』を思い出しました。ミシェル・ウィリアムズ、ジャド・ハーシュとキャストもかぶっているし。あと僕は、映画に出てくる現代美術のコレクターなんです。例えば『ザ・スクエア 思いやりの聖域』などもそうだけど、『ショーイング・アップ』に出てくるアートも素晴らしいものばかりでした。SYO:今回の特集上映に際してケリー・ライカート監督にインタビューさせていただいたのですが、ミシェル・ウィリアムズとホン・チャウが演じたキャラクターは「どんな作品を作るか」から生み出されていったようです。実際にアーティストのもとでレクチャーを受けてから撮影に臨んだとか。大島:そうだったんだ。あとは、『ザ・ヒューマンズ』も良かったですね。『WAVES/ウェイヴス』のトレイ・エドワード・シュルツ監督の長編デビュー作『クリシャ』は、ホラーテイストに見せかけた家族の話という仕掛けですが、本作はその逆。最初から「家族の話ですよ」といいつつ、撮り方がホラー的でめちゃくちゃ上手いし、凝っている。『ザ・ヒューマンズ』© 2021 THE HUMANS RIGHTS LLC. All Rights Reserved.SYO:舞台となる家が怖いんですよね。壁の汚れとか、割れたトイレとか。そしてそれをじっと見ている父親がいて…。その中で展開していく会話が、聞かせようとしていない家族の内々の日常会話だから独特の居心地の悪さを感じました。それでいて、キャストが異常に豪華。『シェイプ・オブ・ウォーター』のリチャード・ジェンキンスに『ミナリ』『BEEF/ビーフ ~逆上~』のスティーヴン・ユァン、ジェイン・ハウディシェルは『その道の向こうに』に出演しているんですね。大島:『レディ・バード』のビーニー・フェルドスタインのシリアスめな演技が見られるのもいいですよね。本作はピュリッツァー賞に2度ノミネートされた劇作家スティーヴン・カラムが、トニー賞を受賞した自身の戯曲を映画化した作品だそうですが、映画としての完成度が非常に高い。いわゆる「劇作家の人が映画を撮りました」的な癖がないんですよね。演劇で出来ることをやり尽くしたから、映画ならではのことをやるんだという意志を感じました。SYO:エイミー・シューマー演じる姉が、妹カップルが仲良くしているところを見ちゃって「あっ」となるシーン等々、映像的な視点を感じました。大島:日常のディテールを強調することで醸し出される気持ち悪さが上手いですよね。ちょっとアリ・アスター監督の来年2月公開の『ボーはおそれている』にも通じるところがあるかもしれない。冒頭の建物で切り取られた空を映したカットもカッコよかったですよね。SYO:かなりじっくり見せていましたよね。ちょっと十字架に見える意味深なカットもあって…。僕は『アフター・ヤン』や『ブレードランナー 2049』のような“家映画”が好きなのですが、そうした方にもハマる気がします。大島:『フォルス・ポジティブ』も面白かったです。マタニティホラーなんだけど、こういう映画にピアース・ブロスナンが出ているのが新鮮だった。『フォルス・ポジティブ』© 2019 FP RIGHTS, LLC. All Rights Reserved.SYO:『007』のイメージを効果的に使っていましたよね。ファーストカットがラストカットと一緒で「なぜこうなったのか?」が明かされる構成の上手さ、そして床に垂れてしまった血が胎児の形になるなど、魅せ方も印象的でした。『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』『アース・ママ』含めて妊娠を描いた作品も今回多かった印象です。ここまでバーッと話してきましたが、こうやってA24縛りで様々な作品を観られるのは楽しいですね。A24にも色々な作品があるし、個人個人で最高!と思うものや微妙…と感じるものもあるでしょうが、本数が増えていくと「A24」というレーベルに対する解像度も上がっていきますし。大島:僕はA24全作品鑑賞マラソンを続けていますが、すごく楽しいです。観続けていくと「この監督は絶対に追っていこう」という人に出会えるし、青田買い的な楽しみ方もできる。新人・ベテランにかかわらず、A24は気に入った監督と継続的に組む特徴がありますから。『エターナル・ドーター』のジョアンナ・ホッグとは『スーヴェニア私たちが愛した時間』でも組んでいるし、『ショーイング・アップ』のケリー・ライカート監督とは『ファースト・カウ』もやっていますしね。SYO:『ファニー・ページ』はサフディ兄弟、『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』はバリー・ジェンキンス(『ムーンライト』)プロデュースですしね。『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』© 2023 CARDINAL RIVER LLC. ALL RIGHTS RESERVED.大島:とはいえ監督を追いかける観賞スタイルって、やっぱりその人の作家性があるからあまり広がっていかない部分もあると思うんです。じゃあもっと広い意味で色々な映画を観てみようといっても、多すぎて何を観たらいいかわからない方もいるはず。そんなときに、制作・配給会社縛りで観てみるのは効果的ですよね。映画の多様性も味わえるし、一貫した自分の好みにフィットする映画を観ることもできる。「ホラーだったらブラムハウス」みたいなブランド感ってあると思いますが、A24の場合はひとつのジャンルによらず様々な作品が観られるから面白いですよね。SYO:しかも最近、A24自体も次なるフェーズに入ろうとしていますよね。先日情報解禁された『MEN 同じ顔の男たち』のアレックス・ガーランド監督の新作『Civil War(原題)』なんて、IMAX専用映画ですから。A24史上最高の製作費らしいのですが、まさかIMAX映画を撮るとは思わなかった…。大島:ロック様(ドウェイン・ジョンソン)が伝説のレスラーを演じた『The Smashing Machine(原題)』をサブディ兄弟の弟、ベニー・サフディが監督するのも驚きですし、『セイント・モード/狂信』のローズ・グラス監督の新作『LOVE LIES BLEEDING(原題)』等、アクションの方にかじを切ってきた?と思うようなところもありますよね。明らかにこれまでとは違う動きだなと。SYO:確かに、来年日本公開が発表された『アイアン・クロー』もプロレスラーの映画ですしね。主題は違っていても、アクション要素はあるでしょうし。小島秀夫監督のゲーム『DEATH STRANDING』実写化も発表されましたし、アートフィルムと並行して大きめなバジェットの作品もどんどん作っていくのかな、とは感じています。大島:今後の戦略として、アートフィルムを撮っている監督にエンタメやアクション映画を撮らせて、毛色の違うものを作ろうとしている感じはありますよね。アレックス・ガーランド監督は『アナイアレイション -全滅領域-』も撮っているけど、『Civil War』はもっと現実的な話でしょうし。SYO:個人的には政権がひっくり返るディストピア映画『ニューオーダー』的なテイストの話かなと思っています。依提亜さんと話していて思ったのですが、こうした新たな動きは劇場体験を追求した結果なのかな?と。これまでは『ミッドサマー』だったり『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』のヒットもあってA24の武器の一つにホラーがあったように思いますが、劇場に呼び込むさらなる施策として臨場感や肉体性を感じられるアクション映画の比重を増やしているのかもしれませんね。「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」12月22日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町・渋谷ほかにて4週間限定ロードショー。2024年1月26日(金)よりU-NEXTにて独占配信。※『ロー・タイド』『ファニー・ページ』『スライス』はPG-12作品。(SYO)
2023年12月29日「悪との距離」「次の被害者」「模倣犯」など話題の台湾ドラマを次々と世に送り出し、台湾の映像業界で一目置かれる名プロデューサー・湯昇榮さん。製作の舞台裏を聞くと、見えてきたのはグローバルに展開するための脚本開発へのこだわりと、ローカル色を取り入れたストーリーの多様化だった。配信サービスの普及でグローバル化に方向転換――近年の台湾ドラマは飛躍的にクオリティが上がったと感じます。その背景には、文化コンテンツの産業化や国際化を促進する「台湾クリエイティブ・コンテンツ・エイジェンシー 」(以下、TAICCA 読み:タイカ)や台湾政府によるサポートがあるとうかがっています。現場で感じる変化があれば教えてください。まず、これは世界的なトレンドですが、Netflixのようなストリーミングプラットフォームの台頭によって視聴者の鑑賞スタイルが変わりました。テレビと違い、見たい時に、見たい速度で見られる。こうしたビジネスモデルによって、好まれるジャンルが明確になったと思います。台湾のドラマはここ10年間で大きな変化を遂げました。とりわけこの5年間で、さまざまなジャンルの作品が作られるようになったと思います。約5年前にTAICCAのような機関ができてからドラマ製作へのサポートが強化されましたし、政府も政策面の改善を進めています。――最近の映画やドラマのヒット作を見ると、ホラーや社会派ドラマ、LGBTQ+など、ジャンルが多岐にわたっています。台湾の市場でうけるジャンルと海外展開を狙ったジャンルに違いはありますか?まず映画に関していえば、台湾の観客に人気のジャンルはホラーです。ラブストーリーも人気ですね。次にドラマの話をすると、台湾ならではのジャンルとしては、BLドラマがあります。ニッチな視聴者層ではありますが、世界的に関心の高いテーマでファンも多く、LGBTQ+の要素がある作品は海外市場をさらに開拓できる可能性のあるジャンルだと考えています。海外向けでいうと、クライムサスペンスですね。手ごたえを感じたのは、私が代表を務める製作会社・瀚草影視が6年前に手掛けた医療サスペンス「麻酔風暴2」のあたりから。この作品はヨルダンでの撮影を敢行し、海外にも版権が売れました。もともと台湾の人も、日本や米国のクライムサスペンスはよく見ていたのですが、製作会社には予算がないし、撮影手法やストーリーの語り方もよく分からなかった。そこで私たちは何年もかけて研究を重ね、「次の被害者」(2020年)、「模倣犯」(2023年)の2作で自信を深めました。Netflixシリーズ「模倣犯」独占配信中もう一つ大事なジャンルは、社会的テーマを取り上げた作品です。「悪との距離」(2018年)を製作した時から、ああいう社会の一面を切り取った作品は台湾の視聴者にうけると信じていました。台湾ではケーブルテレビがほぼ全家庭に普及しており、ニュースチャンネルだけでも10数チャンネルある。ニュースを視聴する習慣があるので、社会の動きを追うことに関心が高いのです。ですから「模倣犯」にも社会的テーマを盛り込みましたし、こうした作品を製作することで、世界中の人に台湾の姿を見てもらうチャンスが生まれると信じています。脚本家の創作活動を支える取り組み――TAICCAとの協力で実現した作品の例と、TAICCAによる支援の意義や成果についてどのように考えていますか?韓国のKOFIC(韓国映画振興委員会)のように、TAICCAは台湾において大事な存在で、瀚草影視はTAICCAとファンドや脚本開発で協力関係を結んでいます。2022年には台湾の新進監督や作品を支援するファンド「合影視」(Tomorrow Together Capital)を設立しました。今年金馬奨にノミネートされたホウ・シャオシェン監督のプロデュース作『老狐狸』(『Old Fox』のタイトルで今年の第36回東京国際映画祭で上映)はこのファンドを使って製作した作品です。『老狐狸』(文策院提供)もう1点、TAICCAがすばらしいのは脚本開発をサポートしてくれることです。最近では「次の被害者2」で協力をいただきました。ほかにも脚本開発が進んでいる映画やドラマの企画がいくつもありますが、まだお話できる形にはなっていません。TAICCAは、台湾のクリエイターが生活に困らず、よりよい環境で創作に臨めるように、まず脚本開発費を提供してくれるので非常に助かっています。TAICCAとは脚本家のワークショップも行っています。昨年、一昨年は、Netflixのオランダの脚本家にご協力いただき、台湾で初めて大規模なワークショップを行いました。台湾の脚本家が大勢参加し、米国ドラマの脚本執筆のノウハウを学びました。――「模倣犯」についてうかがいます。原作自体は少し前に書かれた小説ですが、今の時代に合った巧みな改編をされていたと思います。脚本開発には、どのくらいの時間をかけたのですか?原作に書かれている事件について、設定されている当時の時代背景をいろいろ調べる必要がありました。そして得られた結果を分析し、取り込める要素は今回の脚本にも取り込み、キャラクター設定やストーリー構成も再考したのです。脚本完成までに約2年半の時間をかけ、今の台湾にローカライズした「模倣犯」を作り上げました。台湾のクリエイターたちに宿る日本の“養分”――日本のコンテンツのどんなところに魅力を感じますか?かつて台湾では日本漫画などを原作にしたドラマが数多く制作されていましたが、今では台湾における影響力を見ても、韓国のコンテンツに押されています。漫画やアニメ、小説など、日本は世界で最も重要なクリエイティブの発信地だと思っています。私は日本のドラマを見て育ちましたし、推理小説や漫画など、日本のコンテンツは今も魅力的です。「おしん」の大ヒット以降、大勢の日本のアイドルやドラマが私たち台湾のクリエイターの養分となっています。ここ10年ほどで皆、韓国ドラマを見るようになりましたが、日本から吸収した養分は今でも生きていますし、日本にはまだまだ大勢のクリエイターがいる。「模倣犯」も宮部みゆきさんの過去の小説ですが、物語の核となる部分は、改めてドラマにする価値が十分あると思いました。ドラマ化の機会を下さった宮部さんには、とても感謝しています。現在も、複数の日本とのプロジェクトが進行中です。日本と台湾だけではなく、世界中の視聴者にも理解してもらえるようなテーマの作品を発信していきたい。日本と台湾でヒットすれば、世界でも通用すると思っています。実は私が小さい頃、母が10年間、日本で働いていたことがあるんです。兄も日本の大学を卒業しました。家族が長い間日本にいたので、私も80年代、90年代の日本をよく知っています。ローカルの多様なストーリーを生む背景――湯さんのプロフィールを拝見すると、以前はテレビ局で客家や原住民に関する番組などを製作されていたそうですね。その経験も今のドラマ制作に活かされていますか?私自身、客家人なので、自分のルーツには非常に関心があります。学生時代は原住民のサークルに入っていましたし、母はホーロー語(台湾語)を話す所謂“本省人”。私にはいろいろな背景があるのです。小さい頃は「眷村」(戦後、中華民国政府とともに大陸から台湾に渡った軍隊とその家族が住んでいた集落)に住んでいたこともあります。こうした経験や背景から刺激を受けましたし、移民や外国人労働者の問題、民族といったテーマに関心を持つようになりました。2021年に製作した「茶金 ゴールドリーフ」は、改めて客家というルーツを見つめて製作したドラマです。多額の予算をかけた作品で、台湾で大きな反響を得ました。日本でも美術家の奈良美智さんがTwitterで言及してくださいました。世界共通で視聴者が見たいのは物語に流れる感情やキャラクターです。そこにローカル色ある独自の背景を加えると作品が多様になって面白くなります。ストリーミングサービスが普及し、ローカルの視聴者のニーズも増えているので、もっと多くのジャンルのストーリーを打ち出していきたいと思っています。――日本では映画やドラマの制作現場の労働環境の厳しさやハラスメントの横行が問題になっています。台湾ではいかがですか? プロデューサーとしてどんな取り組みをされているのか教えてください。この業界で長く働いていますが、ここ3~5年で大きく変わったと思います。既定の労働時間内に作業を終えることや労働環境の安全を保つためにも、撮影に入る前にスタッフ全員が講習などを受けなくてはなりません。我々のチームは女性が多いので、女性が働きやすい環境づくりにはとても気を配っていますし、いつでも訴えを聞ける体制にして、対処するようにしています。映像業界の仕事はハードです。時間的にも、集中力が必要という点でも、生活面でも十分な目配せが要る。産業の健全性を保つため、しっかり取り組まなければなりません。こうした対策をしっかり行って初めて、スタッフ一同が共通認識を持ってグローバルに展開していけると思います。このインタビューは、台北で開かれた文化コンテンツ産業の大型展覧会「2023 TCCF クリエイティブコンテンツフェスタ」(Taiwan Creative Content Fest)の合間に行った。TCCFを取材して感じたのは、台湾の文化コンテンツ産業にとってグローバル化は、市場という意味だけではなく、国際社会に台湾の存在感を示すためにも非常に重要な意味を持つということ。エンターテインメント性と台湾ならではのローカル色を両立させたドラマ作りにおいて、湯さんの脚本へのこだわりと、公的機関からの手厚いサポートが印象的だった。やはりTCCFに参加していた深田晃司監督にもお話をうかがうと、「日本の場合は脚本開発への助成が少なく、安価に抑えられてしまいがち。少ない報酬や短い期間で脚本執筆を迫られることも多い」といい、経済的に一番リスクの高い脚本開発の部分をサポートすることの重要性を指摘。「たとえば韓国のエンターテインメント作品の粘り強さというか、脚本上の練り込まれ方を見ると、実はエンターテインメント作品こそ、脚本開発って重要なのかもしれませんね」と語ってくれた。台湾から今後、どんな厚みのあるドラマが生み出されるのか、これからも注目したい。プロフィール湯昇榮(フィル・タン)プロデューサー、監督、記者など、映像業界で25年以上のキャリアを持つ。プロデュースした「次の被害者」「悪との距離」「火神の涙」「茶金 ゴールドリーフ」はいずれでもネットフリックスで数10週にわたりランキング1位に輝いたほか、「模倣犯」は台湾ドラマ史上初めて世界の非英語作品ランキングで2位に入った。〈協力:台湾クリエイティブ・コンテンツ・エイジェンシー〉(新田理恵)
2023年12月25日韓国を代表する俳優であるに止まらず、NETFLIXのドラマ「Sence8」(15~18)や是枝裕和監督と組んだ『ベイビー・ブローカー』(22)などの海外作品にも積極的に出演し、独自のキャリアを築いてきたペ・ドゥナ。『アーミー・オブ・ザ・デッド』(21)のザック・スナイダー監督が長年にわたって温めてきた構想を映像化したSFスペクタクル大作『REBEL MOON』では、主人公と共に戦う人物ネメシスに扮し、華麗なアクションを披露。俳優としての可能性をさらに広げた。国境と言語を越えて表現できること――宇宙を支配する巨大帝国マザーワールドに挑む戦士コラと彼女の仲間たちの戦いを描く『REBEL MOON』への出演を決めた理由を教えてください。私は基本的に規模の小さい映画や、人間の内面を描くような映画が好きですが、ファンタジーもとても好きです。それまで誰も見た頃もない、想像の中にしかなかったイメージを具現化して見せるというのも、映画というジャンルの持つすばらしい特徴のひとつだと思うからです。自分がその世界の中にいるのもとても楽しいです。『REBEL MOON』へ出演することは、SF大作を作ってきた歴史の長いハリウッドのCGI技術を自分の体で感じることができるチャンスだと思いました。いったい、どんなふうに撮っているのだろうか、それを学んでみたいという気持ちが強かったんです。好奇心を刺激されたのが大きかった気がします。――日本では今年、実際に起きた事件をモチーフとし、ペ・ドゥナさんが刑事役を演じた韓国映画『あしたの少女』(22)も公開されました。『REBEL MOON』とは規模もジャンルもまったく違う作品ですが、俳優として撮影に臨む際に違いはあるのでしょうか。演技をする時、特に国境を越えて何かを伝えようとする場合に大事なのは、すべての人間が持っている“心”というものが通じ合えるかどうかだと思います。もちろん、言語も大事ですが、心を伝えられるキャラクターかどうかを第一に考えます。日本の監督と組んだ『空気人形』(09)や『リンダ リンダ リンダ』(05)のときもそうでしたけれど、日本語があまりうまくなかったとしても、なんとか自分の気持ちを日本の観客に伝えようとしました。今回も、国境と言語を越えて自分がうまくできるところがあると思ったので選びました。もし、「感情のない役をやってほしい」と言われたり、ワンシーンにしか登場しないような役をオファーされたりしたら、やらなかったと思います。私が演じたネメシスの物語は、『REBEL MOON パート1:炎の子』よりも4月から配信される『REBEL MOON パート2:傷跡を刻む者』の方でより詳細に描かれていきます。あと、基本的に、静かで憂鬱な役を演じると、次の作品ではより活動的で楽しいものにひかれます。キャラクターを考え、衣装に自ら意見も――『REBEL MOON パート1:炎の子』の中でネメシスは、卓越した戦闘能力を発揮しますが、同時に、自らが倒したモンスター、ハーマーダの死を悼むような言葉を口にするような人物でもあります。彼女の背景をどのように理解して演じましたか。上半身が女性で下半身が蜘蛛の姿をしたハーマーダは、人間たちのせいで子どもが産めず怒りを抱いていますが、ネメシスはそんな彼女に母として共感しているんです。なぜなら彼女自身も母親で、傷を抱えた人物だからです。パート1だけだと少し背景がわかりにくいのですが、パート2を見ていただくと、彼女にとって母親としてのアイデンティティがどれだけ大きく、ハーマーダになぜそこまで同情したのかという理由もわかると思います。――ペ・ドゥナさんが韓国人であることは、ネメシスというキャラクターにどれくらい反映されていますか。特に意識して演じたことはありません。映画をご覧になって韓国っぽさを感じるとすれば、それは衣装のせいかもしれません。ネメシスが被っているつばの広い帽子は、韓国の伝統的な帽子“カッ”をもとにデザインされたものです。衣装合わせに行ったときに、すでに部屋に置かれていたので聞いてみると、私がキャスティングされたと聞いて衣装デザイナーのステファニー・ポーターが「韓国的なものを衣装に取り込もう」と考えて調べ、帽子に興味を持ったそうです。この帽子は朝鮮時代に両班(ヤンバン)と呼ばれた支配階級の男性が被っていたものです。私が出演したドラマ「キングダム」でも、王の息子が被っていましたね。あのドラマではとても低い身分の女性を演じていたこともあり、今回、この帽子を被ったときにはすべてを超越したような爽快感がありました。そのほか、上着も伝統的な韓服の上着チョゴリに似ています。私が意見を出したのは、ボトムスについてです。もともとは裾が短く、足首が見えていましたが、ネメシスが剣を使うキャラクターなので、剣道着のように裾を長くしてはどうかと言いました。足が見えないほうが、動きがわかりにくくなり、より高段者のように見えるのではないかと思ったので。――完成された映画を観てどのように感じましたか。本当にびっくりしました。私たちはロサンゼルスのスタジオを中心に撮影していましたが、スクリーンに映し出されたものはまったく違いました。CGも加わっていたし、背景の描写もすばらしく、脚本を読んだり撮影をしたりしていたときには想像できなかった映像でした。自分の格闘シーンを見ても「こんなことをやっていたのかな?」と驚いたほどです。監督のザックがポストプロダクションで工夫してくれたおかげでとてもかっこよくなっていました。みなさんに観ていただくのが待ち遠しいです。(text:佐藤結/photo:You Ishii)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2023年12月22日『湯を沸かすほどの熱い愛』や『楽園』など、役の人生を丸ごと背負うような熱演を見せてきた杉咲花。彼女が、壮絶な宿命を背負った女性を演じた『市子』が、12月8日(金)に劇場公開を迎える。「ただ穏やかに、生きていたい」と願いながら、家庭環境に恵まれずに受難が続く市子(杉咲花)。恋人の長谷川(若葉竜也)にプロポーズされた翌日に姿を消した彼女の足跡をたどる形で、その過去が紐解かれてゆく。作品と出合った誰もが、頭から離れなくなる生きざまを具現化した杉咲さん。彼女はいま、どのような想いで「演じること」に取り組んでいるのか。対話に近い形式で、語っていただいた。「物語に関わることは、社会との接点を持つということ」――以前、杉咲さんに本作のお話を伺った際に「自分の特権性に気づかされた」とおっしゃっていたのが強く印象に残っています。これはまさに、近年の映画を語るうえで重要なトピックのひとつではないでしょうか。私自身も近年に関わる作品であったり、コロナ禍などの様々な社会の動きから、尊厳が守られない環境で生活せざるを得ない方が社会の中に確かにいるという状況を今まで以上に肌で感じるようになりました。そして自分のようにそう感じている方も、まだその事実に触れたことのない方も、きっと世の中にいるはずで。だからこそ物語を通して自身の特権性を知ったり、区切りを付けずに考え続けていくこと、誰かと議論していく動きにつながることが大切だと感じています。――おっしゃる通り、一過性にしないことが大事ですよね。『市子』はまさに、そうした効果を促してくれる作品かと思います。先日の28回釜山国際映画祭でワールドプレミアを迎えられましたが、現地の反応はいかがでしたか?ご覧になった感想はまだ自分のもとに届いていないのですが、戸田監督・若葉竜也さんと一緒にお客さんに交じって観賞し、上映後には何と言えばいいのでしょう――張りつめているわけでも、感動と表せるようなものでもなく、その場にいた皆さんと“言葉に出来ない何か”を共有した感覚を味わいました。そしてなんだか恥ずかしくて、そのまま劇場から去りたくなってしまいました(笑)。ワールドプレミア後にはQ&Aコーナーが設けられたのですが、本当に多くの観客の方々が手を挙げて質問をしてくださいました。自分自身、この作品が海を渡り、日本とは異なる歴史や文化を持った方々にどう受け止めてもらえるのだろうと気になっていたのですが、興味深く観ていただけたのかなと実感できてとても嬉しかったです。――ちなみに、杉咲さんが一観客として「気づかされた」近年の作品はございますか?『エゴイスト』です。ここ数年でクィアな方々を描いた作品に関わらせていただく機会が増えたことをきっかけに、当事者の持つ歴史や、クィア映画/ドラマが日本や世界でどのように作られているのかを学んでいきたい気持ちがより深まっています。性的マイノリティの方が他者に否定をされてしまうような、差別や偏見による被害の側面だけが描かれるのではなく、当たり前にそこに存在している姿が描かれた映画はこれまで国内にはあまりなかったように思います。そういった作品がこれからも増えていってほしい気持ちがとても強いですし、自分にとって本当に学びのある作品でした。――同時に、演じ手においてはより責任感が増す、という側面もありますね。つまりそれって、自分がどういう人間でありたいのかということに繋がる気がしているんです。自分自身、気になっているトピックが色々とあるのですが、まだそこに学びが追いついていない感覚もあるのが正直なところです。そんな自分にとって、物語に関わることは、社会との接点を持つということでもあり、だからこそ、作品に関われることはとても貴重な時間だと感じています。“市子”を演じて起きた想定外の感覚――『市子』では、役作りで減量もされたと伺いました。そのように削いでいく作業をすることで、感覚が研ぎ澄まされるようなところはありましたか?それが直接作用したかどうかは分からないのですが、市子という人物を演じていて、身体的にどうしようもなく反応してしまう瞬間が何度かありました。と同時に、何も感じられない瞬間もあって、カットがかかってから大きな不安に襲われるようなシーンもありました。例えばキキ(中田青渚)ちゃんに「ケーキ屋さんをやろう」と言われたシーンや、ある行為の後で母(中村ゆり)に話しかけるシーンを撮り終えた後に「この表現で大丈夫だったのだろうか」という焦りを感じてしまって。ですが、出来上がった映画を観たときに、「市子自身も自分のことがわからなかったのかもしれない」という気がしてきて。もしかしたら、その感覚自体が市子という人の心境近かったのかもしれないな、といまは思っています。また、プロポーズのシーンでは想像もつかなかったような感情が湧き上がってきました。婚姻届けを渡された際、これ以上ないほどの幸せと苦しさが押し寄せてきたんです。ああいった境地にいく想像は、していませんでした。――役者は先の展開も全て知ったうえで演技を行うと思いますが、杉咲さんご自身の「わからない」という感覚が、市子と重なったのですね。ちなみにそういった、ある種イレギュラーな状態になった際は杉咲さんご自身も動揺されるのでしょうか。めちゃくちゃ動揺します。カットをかけてほしい気持ちになってしまったり、自分から「ごめんなさい」とストップをするべきか、迷ってしまうこともあります。ですが時として、そういう瞬間こそ何か突き抜けていくような表現に繋がる場合もあったりするんですよね。未だにその感覚が掴みきれていないんです。こんなにも不安定でいいのだろうかと、落ち込んだりもするのですが。――でもそれは、ひょっとしたらお芝居の本質なのかもしれませんね。作品を重ねていけば経験自体は増えていきますが、その人を演じるのは多くの場合その1回きりでしょうし。相手役の反応も気になるところですが、たとえばプロポーズのシーンの若葉さんはいかがでしたか?若葉さんは、現場での立ち回りやお芝居での表現に対していっさいの欲を持たずに、ただ、ただ目の前にいるひとのためにそこにいて、素直に何かを感じとって反応をしてくれる方なんです。だからこそ、その瞬間にしか起こりえないものが紡がれていく。視聴者としても一共演者としても、本当に素敵な俳優さんだと思っています。役との向き合い方は「対話」――杉咲さんが『市子』で経験されたアプローチは、ワンアンドオンリーのものなのか、以降の作品にも導入されていくものなのか、どちらでしょう?私はお芝居において本当にルーティンがなく、何をやっても「これよりベストな方法があるのではないか」と探し続けているような感覚もあります。もしかしたらそれは、初対面の他者と向き合うように、役に対しても「はじめまして」という感覚が強いからなのかもしれません。――演じるうえでのある種の怖さや不安に、杉咲さんはこれまでどのように向き合い、乗り越えてきたのでしょう。自分の中では、基本的には乗り越えられていないというか…。恐怖と共に歩むような感覚が強いです。うまくいかなかったときは、後悔しても仕方がないので、それを受け止めて次の日のことを考えていくしかないのかな…と。――演じ手のセルフジャッジ的にOKなものが、演出サイドから見た作品的なOKと必ずしも一致しないぶん、難しいですよね。そうですよね。独りよがりになってしまう恐れを抱きつつも、対話を続けていたい気持ちはあります。――そうしたなかで作品を作る、届ける意識も変化しているのでしょうか。そう思います。いままではいただいたお仕事、受けた演出に対し全力を尽くし、作品が終わったら次の現場に向かっていく感覚がありました。ですが、物語が作られていく過程を人は見ているし、作品が世に放たれることに対しても、今まで以上に緊張感を持つようになってきました。巡り会えた作品と、自分だからこそできるような関わり方をしていきたい気持ちが、いまは強いです。【杉咲花】ヘアメイク:中野明海/スタイリスト:吉田達哉(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:市子 2023年12月8日よりテアトル新宿、TOHOシネマズシャンテほか全国にて公開©2023 映画「市子」製作委員会
2023年12月04日好きになってはいけない。そう暗示をかければかけるほど、その人に惹かれていってしまうのはどうしてだろう。林遣都は映画『隣人X -疑惑の彼女-』で、そんな惹かれてはならない相手に恋をし、嘘と真実の狭間で揺れる笹憲太郎を手触りが伝わる温度感で表現した。第14回小説現代長編新人賞を受賞したパリュスあや子の「隣人X」を映画化した本作。舞台は、紛争のため故郷を追われた“惑星難民X”を受け入れた日本。Xは人間の姿をコピーして日常に紛れ込み、誰がXなのかはわからない。週刊誌記者の笹(林さん)はスクープのため、正体を隠してX疑惑のある柏木良子(上野樹里)に近付く。しかし一緒に時を過ごすうち良子への恋心が芽生え、笹は自分の想いに正直に突っ走るべきか、記者として貫くべきか、苛まれる。X疑惑をかけられる良子を演じたのは、上野さん。彼女にしか醸せない良心やピュアさ、そして惹かれていく林さんの演技。二人の関係性はときに緊張感をはらみながら、素朴なロマンスを下地にうごめく。上野さんのプロ意識に感銘を受けたと嬉々として語る林さんに、本作にかける想いや初めての経験に加え、過去の出演作まで話を聞いた。現代社会と向き合う、やりがいのある役――劇中で描かれる“惑星難民X”は得体の知れないものが広がっていく点で、コロナや今の世の中に通じるところがあるように思います。林さんは脚本を読んでどのように感じましたか?最初タイトルを聞いたとき「熊澤(尚人)監督がSF要素のある作品を撮るんだ…!」と思ったんです。でも蓋を開けてみると、描かれていることはここ数年の出来事を振り返らせてくれるような内容で。今の日本の姿や、現代社会で目を向けなければいけないこと、自分自身も普段大事にしていかなければいけないと感じていたことが描かれていました。すごくやりがいのある作品・役でしたので、参加したいと思いました。――演じられた笹は、Xの正体を暴く大スクープで記者として認められたい一方、取材対象者である良子に心を奪われてしまいます。彼の葛藤や行動は、どう思われましたか?笹の年齢(30代前半)は自分と近いこともあり、いろいろ共感できるポイントが多かったんです。将来に対して20代とは違った危機感、不安、焦りを感じ出す年齢だよなと。笹は現状もうまくいっていないですし、人に認められたいという思いも強い。それは常に自分にもありますし、笹が抱いている感情として理解できるものでした。良子さんとの出会いも、恋心も大切にしたいはずだけど、いろいろな事情があって…と。誰かのためを思って自分を犠牲にしなければいけないことは、誰しも、あると思うので。結果、たくさんの人に共感してもらえる役だったんじゃないのかなと思います。――笹は良子さんに「いっちゃだめだ」と思いながら惹かれていきましたが、笹にとってどのような存在だったと林さんは考えましたか?良子さんは笹にとって「救い」のような存在だったと思いました。笹にとっても、この世の中においても必要な人間だなと。良子さんは弱みや痛みを知っている人だからこそ、ちゃんと人の本質を見ることができる人。笹自身も、気づかぬうちに良子さんとの出会いに救われていったんじゃないかなと思います。仕事の内容や、人とはちょっと変わっている部分で人を判断しないところ、その人のいいところを探そうとするところこそ、良子さんのすごく素敵なところですよね。上野樹里のプロ意識と責任感に魅了――上野さんとのお芝居はいかがでしたか?お二人にしか生み出せない空気感があふれていました。樹里さんと初めてお会いしたのは、ホン読みとリハーサルの日でした。その夜、監督とプロデューサーさんと食事に行くスケジュールでしたが、リハーサルを納得いくまでやり続けて、当たり前のように食事会が中止になったんです(笑)。僕は「終わんない!」っていう、その樹里さんの姿勢がすごく好きで、その瞬間、自分の中で高揚するものがあったんですよね。樹里さんのプロ意識と作品と役に対しての責任感に、とにかく惹かれました。その1日だけで「この人となら何かいい関係性が築けるんじゃないか」という予感がしたし、撮影が終わるまでずっとそうでした。――いいものをつくろうという意識が共通してあった。そうですね。最初にお互いのスタンスというか、毎作品どういう心掛けで取り組んでいるかというところで、感覚が合うものがあったと思います。最初の段階で確認できてうれしかったです。「人の弱い部分や気持ちを理解できる俳優でありたい」――Xの存在感に揺るがされる映画で、「信じるとは」、「心の目で相手を見るとは」といろいろ感じるところがあります。林さんは本作に携わったことで、何か考えたり感じたことはありましたか?脚本を読んだとき、熊澤監督の想いがすごく込められていると思いました。今はコロナだけじゃなくて、悲しいニュースが日々絶えないですし、…生きるのって本当にしんどいことばかりですし、笹のようにやむを得ず人を傷つけてしまう、人を陥れたりしてしまうことは、誰しもあるかもしれないと思うんです。無自覚に人を傷つけてしまいやすい世の中でもあるからこそ、ひとりひとりが心掛けを少しだけ変えて、自分のことだけじゃなくて誰かの幸せを願って生きていれば、そんなに悪いことは起きないんじゃないかなって。そういう考えになれば、と自分も心がけているところがあったので、「こういう世の中になればいいな」という思いを込めていました。――林さんご自身も思いを込めていたんですね。いつからかは覚えていないですけれど、あるときから「人の弱い部分や気持ちを理解できる人間であり、俳優でありたい。そういった作品や役に関わっていきたい」という気持ちが、この仕事をする上で自分の中で大きく軸となっていきました。ここ数年は特に生きることの大変さ、世の中の怖さを強く感じるようになってきていて。そんな中でこういった僕たちがやっている仕事が何か人の力になれる瞬間がある気がしていて、やっていく意味にもなっていました。そうした役をやったときに、同じような思いや経験をして生きていた人たちに、「その役を見て、自分はこれでいいんだと思えた」や「頑張って生きていこうと思えた」という言葉をいただけたりしました。こんなに素敵なことはないと思いますし、「ああ、やっていていいんだ」とか「やり続けなければ」と思わせてくれるというか。自分自身も救われているところがあると思っています。悩みは「考え事をすると周りが見えなくなる」――林さん自身「人に“変わっているね”とよく言われる、けど直らない」ところはありますか?いろんなことを同時にできないんですよね(苦笑)。こう(真っすぐに)なっちゃうので。例えば、今は舞台(「浅草キッド」)をやっているんですけど、日々役やお芝居のことを考えてしまうんです。同じことを毎日何十回もやっているのに、袖にはけて脱いではいけない場所でズボンを脱いだりしちゃって。スタッフさんに「ここ脱ぐところじゃないですよ!!」と言われたり(笑)。考え事をすると周りが見えなくなるのは、しょっちゅうなんですよね。いつも大体「あれでよかったかな…」と考えることが多いんです。それで結構悩まされますね。――「今日のここ、よかったな」ではないと。そっちじゃないですね。…たぶんこの取材が終わって控室に入った後も、5分ぐらいは「あれでよかったのかな?」と鏡を見つめながら、でも自分の顔は全然見ていない、みたいな時間になると思います(笑)。――ちなみに、本作において林さんのそうした集中力や真っすぐさが発揮されたシーン、「ここ」というところはありましたか?集中力というか、すごく練習したシーンがあります。笹がXなのかもしれないと思っている人間が、笹のアパートに何回も訪れるシーンがありますよね。言ってしまうと、あそこは同じ場所なので1日で衣装だけを変えて、全シーンを撮っていたんです。――予告でも出てくる、アパートで笹がおびえているシーンですよね。そうです。あれを何回もやるのが、精神的にも肉体的にもとにかくしんどかった!監督の1000本ノックみたいな演出で、ひたすら怖がっておびえて叫んで、全部ひとり演技というのは初めての経験でした。言ってしまえばパントマイム的なお芝居なので、かなり練習して臨みましたし、集中してすごく頭を使いました。何回も叫んだり、何回も転がったりして。ああいう動きを極めているのが、舞台でご一緒させていただいた大先輩の浅野和之さんなんです。浅野さんの動きを参考にしながらやってみて、やったことのない表現にチャレンジできました。デビュー作には「なくしてはいけないものを感じさせてもらったり」――林さんご自身が最近観た中で、印象に残っている作品はありますか?ぜひご紹介ください。いま「浅草キッド」をやっていることもあり、(北野)武さんの映画をずっと観ています。なので武さんの作品です。自分がいちお客さんとしても、俳優としても、すごく刺さるものが多いんです。『ソナチネ』とか、特に好きですね。――『ソナチネ』は1993年の映画で、北野監督の初期作品ですよね。林さんも代表作がたくさんありますが、今でも「印象に残っています」とよく言われる出演作はありますか?その時々によりますが、回数で言うと『バッテリー』がいつまでも言っていただける作品です。本当に大きなデビュー作だったんだなと思います。「当時、学生で小説を読んでいて」という話をしていただくことがすごく多くて。あの頃は全く何の実感もなかったんですけど、10何年経って「本当にすごい作品に参加させてもらっていたんだな」としみじみ振り返ります。――とても純度の高い演技言いますか、衝撃のデビュー作ですよね。見返したりもされますか?数年に1回観ます。こういうお話のきっかけがあったときとかに(笑)。観ていると…俳優として、なくしてはいけないものを感じさせてもらったりすることもあります。純粋にもう今では撮れない空気感の映画だなとも思うし、滝田(洋二郎)監督のことも思い出しますし、大事な作品の一つですね。【林遣都】ヘアメイク:竹井 温 (&'s management) /スタイリスト:菊池陽之介(text:赤山恭子/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:隣人X ‐疑惑の彼女‐ 2023年12月1日より新宿ピカデリーほか全国にて公開©2023 映画「隣人X 疑惑の彼女」製作委員会 ©パリュスあや子/講談社
2023年11月27日飛ぶ鳥を落とす勢いの若手俳優・磯村勇斗は、ここ数年で人気と実力が一致する稀有な俳優へと進化を遂げた。「きのう何食べた?」シリーズで、かわいさと絶妙な小憎たらしさを兼ね備えたジルベールを好演していたかと思えば、公開中の映画『月』では、心やさしいさとくんが一線を超えていってしまう工程を演じた。そのふり幅、作品によって使い分ける顔の違い、実力は推して知るべしと言える。最新出演映画『正欲』では、磯村さんは佐々木佳道を演じた。佳道は、両親の事故死をきっかけに、横浜から中学3年まで暮らしていた広島に戻ってきた男。新垣結衣演じる桐生夏月の中学時代の同級生で、夏月とは誰にも言えない秘密を共有している。なかなか人に理解されない、言えない指向を持ちながらも何とか大多数に混じろうと生きてきた佳道の葛藤、変化していくグラデーションの体現はさすがの一言に尽きる。(c) 2021 朝井リョウ/新潮社(c) 2023「正欲」製作委員会インタビューでは、悩みながらもまっとうした佳道という役についての解説と、自らを「ハングリーマン」と言い切る、お茶目な表現で俳優という職業への入れ込みまで語ってくれた。演じた役は「すごく理解と共感ができた」――『正欲』で演じられた佐々木佳道は、いわゆるマイノリティに属する人間として描かれていました。どう読み解き、演じていったんでしょうか?佳道の性的指向の部分に関しての理解が、やはり一番難しいところでした。岸監督、プロデューサーと「どういう感覚に近いんだろう?」と、ああでもない・こうでもないと話し合いました。結果、佳道が持っている指向に関して「コレ」というものは見つからなかったけれど、人には隠しているマイノリティというところに、僕はすごく理解と共感ができたんです。なので、その感覚を大事にしたほうがいいんじゃないかと、最初に佳道を作っていった…近づけていったような感じでした。――生きづらさを抱えながらも、マジョリティに寄っていこうとしていた佳道ですが、夏月と再会し彼女と対話を重ねることで移り変わっていきますよね。佳道は最初、生きる上でカメレオンのように周りに溶け込んで生活をしなければならないみたいなことを考えたと思うんです。(大多数に)染まらなければいけないというのは、おそらくマジョリティの圧だとは思うんですけれど。世間の目みたいな部分で、彼なりになるべく馴染もうと、頑張ろうとしていたと思うんですね。でもそれはやっぱり自分を苦しめてるだけであり、自分らしさはなくなってしまうので、葛藤はすごくあったと思います。その狭間でかなり闘っているんだろうし、そこで生きている人だな、というのは感じていました。新垣結衣、稲垣吾郎との共演――夏月を演じられた新垣さんと磯村さんの空気感が、すごくぴったりでした。初共演ですよね?はい、そうです。新垣さんは僕がデビューする前からテレビでずっと見てきた方なので、最初はちょっと幻かな?と思いました。僕たちはガッキー世代なので(笑)!そういう方と対面してお芝居する不思議さは、どことなくありましたね。新垣さんご本人は、ものすごく柔らかい空気感をお持ちの方なんです。誰にでも優しいですし、おそらく感受性がとても豊かな方なんだろうなと、お芝居を一緒にやっていてすごく感じました。特に受けのお芝居が魅力的だなと思っていました。(c) 2021 朝井リョウ/新潮社(c) 2023「正欲」製作委員会――主演の稲垣吾郎さんに関しては、少ないシーンでしたがご一緒していました。いかがでしたか?稲垣さんとの撮影は本当に1日だけだったんです。しかも、かなりヘビーなシーンでご一緒したので、挨拶を交わしたくらいでした。そしてお芝居の演出上、(セットの)テーブルを挟んで2人とも無言で座っていて、お互い集中し合っている、みたいな感覚で緊迫していたので「稲垣さんは怖い方なのかもしれない…」という印象だったんです。だけど、撮影が終わって最近取材でご一緒したときに、すごくフランクにお話しさせていただいて「あれ!?全然怖くなかった!」みたいな(笑)。趣味も似ていたのでお話も弾みました、すごく楽しい方という印象に変わりました。また共演できる機会をいただけたら、そのときはもっといろいろお話したいです。「自分は自分でいい」「今の自分自身を認めてあげよう」――夏月と佳道の関係性については、どう解釈していきましたか?佳道にとって、夏月が一番の理解者であり支えてくれる存在なので、やはり逢うべくして出逢ったような運命的な二人だと思いました。再会の仕方も、ちょっと変わった出逢い方をしているじゃないですか。必然性も感じたので、導かれているものを大事にして二人の時間を紡いでいきたいなとやっていました。佳道として演じていて、夏月といる間はやっぱりいい時間が流れていたんですよね。今まで佳道が歩んできた社会の棘のあるような空気とはまったく違って、なんか…まろやかな時間になっているなあと感じました。しかも、恋愛にいくわけでもなく、お互いの指向だけで理解し合えている。その不思議な感じが、居心地が良かったんですよね。そこだけでつながることもできるんだな、という発見もありました。――恋愛ではないが強固な結びつきということですよね。磯村さんご自身も感じるところがあったんでしょうか?そうですね。佳道と夏月の出逢い方は、僕の中でも新しかったんです。その感覚で通じ合えて一緒に過ごすことができるのは、今の時代だからこその形なのかもしれないなあって。ただ、すべては本人次第で他人がああだこうだいうことじゃないな、というのはすごく感じています。ここ数年、作品を通したり、出会った人と話す中で共通して思うのはそこです。すべて本人たちがよければ、それが一番の幸せなんじゃないかと感じています。――磯村さんご自身は『正欲』という映画を、どんな風に受け取りましたか?観終わった感覚で言えば、ものすごく温かい気持ちになったんです。「自分は自分でいいんだな」と思わせてくれたというか、救われるというか。観終わった後にホワーッとする感覚になれる映画でした。人とのつながりの大切さ、今の自分自身を認めてあげようというメッセージを僕は受け取りましね。常にハングリーマンで「貪欲さは大事に」――劇中では、「人生の通知表」という言葉が出てきました。磯村さんが現段階でご自身の人生に通知表をつけるなら、どうなりますか?「5」がマックスだったら、「2」「3」ぐらいじゃないかな?――え!どうしてそんなに低いんですか?だって「5」にしたら面白くないじゃないですか!――なるほど!伸びしろですね。そうです、伸びしろです!やっぱり、「5」にしちゃうと、先がないのでつまらないですよね。登っていくほうが面白いと僕は思うんですよ。なので今は「2」「3」がバーっといろいろある感じかなあと思います。そのほうが自分はまだ挑戦していけますし。…逆に「5」なんて作りたくないって思うんです。それぐらいがちょうど役者は楽しいんじゃないかなあと。ずっとなんかもうひとりの自分を追いかけている、みたいな。その追いかけっこみたいなのが楽しいと思ってます。僕は、ハングリーマンです(笑)。――「5」にならずずっとハングリーでい続けるために、今後の自分に期待したいことは何ですか?例えば、10年後に同じことを聞いていただいたときに「5ですね(きりっ)」とか言わない自分でいたいです。万が一、「5だね」とか言ったら、過去の自分が殴り行きますよ。「お前、そんなことを言うようになったか!!」って(笑)。それぐらいの貪欲さは、何年経ってもずっと取っておきたいというか、大事にしておきたいなとすごく思っています。【磯村勇斗】スタイリング:笠井時夢/メイク:佐藤友勝(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:正欲 2023年11月10日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開ⓒ 2021 朝井リョウ/新潮社ⓒ 2023「正欲」製作委員会
2023年11月13日いままで聞いたことのないような、悲痛な叫びだった。映画の中で、神木隆之介演じる敷島が、得体のしれない理不尽かつ圧倒的な暴力、蹂躙によって、全てを失った際に発する、言葉にならない声のことだ。神木さんは目の前にそびえ立つ“それ”を「目に見える絶望」という言葉で表現した。佐々木蔵之介は、撮影中はまだ見ぬ存在であった“それ”を、完成した映画の中でようやく目にした時「怖くて仕方がなかった」と明かす。2人の口調から『ゴジラ-1.0』のゴジラがどれほど恐るべき存在であるかが伝わってくる。大の大人たちをこれほどまでに恐怖させ、同時に魅了するゴジラとはいったい何なのか――? 『3月のライオン』以来の共演を果たした2人が、記念すべき誕生70周年、シリーズ30作目となる『ゴジラ-1.0』について語り合う。ゴジラ映画70周年、30作品目出演の心境――ゴジラ映画への出演が決まった際の率直な心境はいかがでしたか?神木:僕はプレッシャーが大きかったですね。ゴジラという大きなコンテンツ、70周年で30作品目という重圧――日本が誇る、世界中の人が知っている存在なので、その映画に携わるとなると、責任がすごく大きいんだろうなと想像して、嬉しかった反面、「自分に最後まで背負いきることができるのか?」という不安がありました。ただ、お話を伺ったのが28歳の時だったのかな? 20代の最後の力を振り絞って、30代につなげられるような作品にできたらいいなと思いました。自分がどこまでできるのか? という思いもあってお引き受けしました。――これまで、様々な作品に出演されてきましたがプレッシャーを感じることはよくあるんでしょうか?神木:作品ごとに常に感じますね。ちゃんとお届けできるのか? 自分のキャラクターを通して、作品のメッセージをみなさんに伝えることができるのか? といったことを含めて、プレッシャーも責任もありますし、それは作品ごとに大小や優劣がある話ではないんですけど、ただゴジラというのはやはり特別なものがあって、それは僕にとってもそうだし、みなさんにとってもそうだと思うので、それを意識した瞬間はビビりましたね。佐々木:僕は神木くんとは対照的に何のプレッシャーもなかったです(笑)。「あの怪獣映画に出させていただけるんだ!」と。いままでは観客として「観ていた」映画の中の世界に存在するという不思議な感覚を味わえるのかという思いでした。ゴジラに加えて、山崎貴監督の作品に参加できるという喜びも大きかったですね。ずっと拝見していましたけど初参加なので、ゴジラの世界、山崎組の世界に入れるというのが嬉しかったです。――撮影の中で、ゴジラ映画ならではの感覚を味わった瞬間はありましたか?神木:「大きさ50メートルです!」と言われても、なかなか想像できなかったですね(笑)。ゴジラの目線を示すための棒があって、先端にゴジラの顔が描かれていて、それをスタッフさんが「このあたりです」と振るんですけど、そこに描かれてるゴジラの顔がちょっとイケメンでしたよね(笑)?佐々木:うん(笑)。神木:怖い顔じゃなくて、かわいらしいタッチで。佐々木:「はい、ゴジラ吠えますよ!」とか指示がくるわけですね。「ガァ―」とか。「これがVFXか…?」と(笑)。ああやって、グリーンバックの中で、まだ見ぬゴジラに立ち向かっていくという経験で、みんなを“戦友”と思う感覚が養われましたね。「まだ見ぬ」というか、実際に会うこともないんですけど(笑)。これこそ役者に一番大切な想像力だなと。神木:役者全員、人生を懸けて想像力をフルで働かせましたね(笑)。終戦直後を生きる役、意識した役作りとは?――戦後、神木さん演じる敷島や佐々木さん演じる秋津が木造船に乗り込んで、戦後処理の特殊任務に従事し、ゴジラにも遭遇することになる海でのシーンの撮影はいかがでしたか?神木:いや、それがですね、ウワサによると、我々があんなに頑張った海でのシーンの映像が、他のシーンのCGが凄すぎるせいで「海のシーンも全部CGなんでしょ?」と思われているらしいですよ。実際に我々は海に出たのに!――実際に木造船で沖に出て、結構揺れて大変だったとか?佐々木:結構どころじゃないですよ!神木:転覆寸前ですよ! (撮影に協力してくれた)地元の漁師さんが「そろそろ戻らないとヤバいです」って言うくらい。あれはちゃんとリアルな撮影なんだと言いたいですね、この場で。海に出て、ゴジラと戦いました! こうやって船をわざわざ作って海に出るという、大がかりな撮影もなかなかないですよね。それはゴジラならではだと思います。佐々木:4人(佐々木、神木、山田裕貴、吉岡秀隆)で戦ってたね。空と波の高さ、風の条件が全部そろわないとダメで、ずっと待機しながら「今日はどうかな?」、「天候は良さそうだけど」、「いや、あの風車見てよ。無理っすよ」、「波は?」ってずっと待ってたよね。ようやく船を出して、沖合に着いたら「いまです!」って、テストもリハもなしにすぐ本番でね。「いま撮るんかい!」って(苦笑)。あの経験があったから、みんなで一緒に戦った感がすごくありますね。だから、全部CGだと思われてるって聞いて残念なんですけど(苦笑)。――お2人も船酔いで苦しんだりされたんでしょうか?神木:1日目は酔いました。すごかったです。佐々木:あの船がまた怪しい木造船でね…。神木:一回、通報されましたからね。「怪しい」って(笑)。佐々木:僕は船長なので、2階部分の上に立たなくちゃいけなくて、すごく揺れてました…。何とか酔い止めの薬を飲んで耐えてましたけど、1回、ダメになりましたね。途中で衣装さんがダウンしたことがあって、そのときはみんな自分で衣装の乱れを直して撮影してましたね。神木:ふと横を見ると監督もダウンしてましたからね。佐々木:監督は(一瞬だけモニタを見るそぶりをして)「はいOK」って言って、またすぐよこになってましたからね。本当に見てたのか…(笑)?神木:「OK」の後にトランシーバーから「今日はもう早く帰ろうよ」「まだ撮るの?」って声が聴こえてきましたからね。――役柄についてもお聞きします。時代設定を終戦直後にしているのが、本作の大きな特徴です。敷島は戦争から生きて戻ってきた男で、戦争によって非常に大きな苦しみを背負っています。戦争というものとの距離を含め、どのように役を作っていったのでしょうか?神木:そこは本当に難しかったです。戦争は史実であり、ゴジラという存在はフィクションで、その2つが混ざり合っている世界で、敷島という男は戦争というノンフィクションを前提に生きつつ、フィクションに立ち向かっていかなくてはならないわけです。僕自身、戦争に関わる役柄は初めてでしたが、決してものすごく遠い歴史ではなく、実際に経験された方たちもご存命ですし、そういう方たちは計り知れない傷や思いを背負っているわけで、戦争を経験していない僕がそれを表現しないといけないというのは、すごく難しく、大きなプレッシャーでした。敷島は、戦争で死にきれず“生き残ってしまった”男であり、自分を責め続けている人間であり、そんなものを背負っている人間の顔つきは、絶対に普通とは違うと思うんです。普段の自分、他の作品やプロモーションで見せている顔と少しでも違うものを見せることができればと思いながらやっていました。すごく難しい役でした。――秋津は、戦後処理の特殊任務に当たる男で新生丸の艇長です。過去についてあまり詳しく説明はされませんが、戦後を生きる男を演じる上でどんなことを意識されましたか?佐々木:表立って描かれることはなかったですけど、僕の中で、おそらくは彼も大切な仲間や家族を失っているんだろうと考えて作っていきましたね。だから、やり残したことや果たさなくてはいけないことが山積みになっている…いや、山積みなのか、それとも心の片隅にあるのか――いずれにせよ、彼の心の中の大きな部分を占めているんだろうと。だから、水島(山田)のことを「小僧」と呼びつつ、その成長を嬉しく思うし、近くにいる人間が家族を持って、新しい時代を生き続けてほしいと思っている男だと思います。周りの仲間は“家族”だと思って接しようと思って演じていました。「自分の中の“何か”がゴジラに投影されている」――お2人の共演は「3月のライオン」に続いてとなりますが、前回との違いを感じる部分はありましたか?神木:前回も2人で取材を受けましたけど、その時はまだ「あ、ど、どうも…」みたいな感じで(笑)、どう話していいかわかんないところがありました。「3月のライオン」では一緒のシーンはありましたけど、棋士の役ということでそれぞれに背負っているものがあって、将棋盤を挟んで向き合って、個々に戦うという感じだったんですよね。今回は仲間であり、クルーであり、同じ方向を向かないと乗り越えられない敵がいて、船の中で本当に蔵さんに助けてもらうことも多かったですね。それもあって、今回からこうやって気軽に「蔵さん」と呼ばせていただいてます。佐々木:『20世紀少年』で僕の役の若い頃を演じてくれたんですよね。あとは名前の字面がちょっと似てることもあって(笑)、以前から縁を感じてたんです。神木:わかります。パッと見た時にね。「ん?」ってなりますよね(笑)。佐々木:「3月のライオン」が実質的な初共演だったんですが、師弟関係ではないんですけど、ふとしたところでアドバイスを送ったり、心の支えになるような立場でね。今回の共演を経て、やっぱりあの荒波を乗り越えた戦友としての絆みたいなものが深まった気がします。いろんな役をやってきているからこそ、本当にしなやかに役を演じていくのを見てましたし、今回もお互いに構え過ぎずに、地続きに演じることができた心地よい時間でした。――ゴジラの存在は、ある時は恐ろしい敵であり、時に人間の味方のように感じることもあったり、作品ごとにイメージも違いますが、70年もの間、なぜこんなにも愛され続けてきたのだと思いますか? ゴジラとは何者なんでしょうか?神木:何でしょうね…? ただの脅威ではないのかな、とは思いますね。生まれた理由があって、最初の作品(1954年)でも水爆実験による変異が起きて…ということが描かれたりもしていますけど、人間が作り出してしまった生物であり、人々によって見方は違うけど、ただの怪獣ではなく、それぞれが何かの象徴としてゴジラを見ているところがあると思うんですよね。自分にとって怖いもの、絶望する存在に重ね合わせる人もいるし、そうした恐怖や絶望に毎回、人類が立ち向かおうとする。場合によっては味方のように感じられたり、かわいく見えたりすることもあったり、作品によっても全然違うんですよね。作品ごとにみんな、自分の中の“何か”がゴジラに投影されているようなところもあって、毎回違いを楽しめるのかなと思いますね。佐々木:僕自身、ゴジラが「愛されてる」のか「恐れられている」のかわかんないです。時代ごとにゴジラが現われて、時代や人々がどういう対象としてゴジラを見るのか?やっぱり、いま神木くんが言ったように「人間が作り出したものである」というのが大きいんでしょうね。そこで、ゴジラという存在が全てを背負ってくれているんだと思います。いろんな感情をゴジラが背負ってくれているからこそ「味方だ」とか「脅威だ」とか、周りの人間たちがゴジラに対していろんな感情を持てるんでしょうね。ゴジラはしゃべらないので、“鏡”のようにいろんな思いを投影しやすいんだと思います。僕にとっては今回のゴジラはすごく恐ろしい存在でした。「破壊する」ということが、こんなに恐ろしいことなんだということが一番突き刺さりました。【神木隆之介】ヘアメイク:MIZUHO(VITAMINS)スタイリスト:橋本敦【佐々木蔵之介】ヘアメイク:晋一朗(IKEDAYA TOKYO)スタイリスト:勝見宜人( Koa Hole inc. )(text:Naoki Kurozu/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:ゴジラ-1.0 2023年11月3日より全国東宝系にて公開©2023 TOHO CO.,LTD.
2023年11月03日「窪塚洋介」。その名を発するとき、どこか憧れを込めてしまう。90年代~00年代に圧倒的なカリスマティックを放つ彼の存在を、ブラウン管のテレビ越しに強烈に浴びた人間なら皆同じだろうし、00年以降のグッと大人な色気に少年っぽさも入り混じった彼ののびやかな雰囲気をスクリーンで感じた人間だって、また同じように痺れていることだろう。どの時代を生きていても、誰にも似つかず、気負わず、自分軸で仕事もプライベートも謳歌しているように見える窪塚さん。その姿勢は彼の出演作品選びからもうかがい知れる。主演級の映画出演はもとより、近年ではポイントとなるポジションをむしろ嬉々として演じている。例えば、現在公開中の齊藤工監督作『スイート・マイホーム』では主人公(窪田正孝)の兄の引きこもり、かつキーマンとして驚きの姿をさらしてくれた。11月2日(木)より配信される最新出演作、Amazon Original映画『ナックルガール』でも、窪塚さんは、主人公のボクサー・橘蘭(三吉彩花)の妹を拉致する犯罪組織の役員・白石誠一郎を演じた。もともと韓国で人気の同名コミックを映画化した本作だが、窪塚さんの役は原作にない映画オリジナルの存在。製作勢立っての熱烈な希望で、オファーとなったのだ。窪塚さんへのインタビューでは、本作のエピソードのほか、いつまでも輝きを失わずしなやかに生きるマインド、さらに多忙なスケジュールを乗り切る息抜き方法まで教えてもらった。役選びは「その役、作品をやりたいと本当に自分が思えるか」――『ナックルガール』で演じた白石誠一郎、公開中の『スイート・マイホーム』の清沢聡など、近年、窪塚さんは主演以外でも意外な役で作品に彩りを与えています。役を選ぶスタンスは、20~30代から変わってきたんでしょうか?どうですかね。そんなに意識はしていないというか、もともといろいろな役をやりたい気持ちがあってデビューしたんです。確かに10代後半や20代前半は主演が多かったけど、あのときも脇役で面白いものがあればやりたいスタンスではあったから、「俺はこの役じゃないとやらない」とかは、ないんですよね。やはり一番は台本を読んでその役をやりたい、その作品をやりたいと本当に自分が思えるか。それだけを基準に考えています。なので、主演のものがあればさせてもらうし、脇役で面白いのがあればさせてもらうし、というような。すごくフラットな、ニュートラルな感じなんです。(齊藤)工の作品で言えば、工があの役でとオファーしてくれて。近年なかなかなかったタイプの役だったのもあって、すごく感謝しています。あ…でも『沈黙 -サイレンス-』のキチジローは、ざっくり分けると何となく同じような感じだったかな(笑)?――確かに見た目もそうかもしれません!ご本人的にはポジションにこだわることなく、いろいろな役で楽しみたいという思い自体、変わっていないということなんですね。そうですね。毎日毎日ラーメンを食っていたら、飽きるから。ハンバーグを食べたいとか、生姜焼きも食べたいとなるような感じで。役が違うという意味だけじゃなくて、その役のサイズ感とか、主演だろうが脇役だろうが、どちらもやれるのはすごい大事だし楽しいことだと思うんです。主演しかできないのも、脇しかできないのも「んー」となる感覚があるので。シンプルに役者として、どんな役もやれる自分でいたいんですよね。あと、作品を作って完成したら、それがまた次につながってくるなあと思っています。正直、観ないとわからないときもあって、「ああ、あそこであんなことやっちゃったな!」とか、「あー、これやんなきゃよかった…」と思うこともあるんですよ。そうやって「ああ、やっぱこうだったな」と思うことは次に絶対に生きるから。そういう意味では常に何の作品でもリハーサルでも本番でもなくて、それでどんどん成長していくのかな、と思っています。――楽しみながら挑戦して吸収していくという窪塚さんのスタンスは、ストレスの多い現代社会においてもすごく重要なサバイブ術のようにも思います。窪塚さんのように常にしなやかに生きるための極意…というかヒントはもっとありますか?俺がしなやかなのかは、置いておいて(笑)。思うのは、出来事は絶対全部よくなるために起こっているんじゃないかな、と。それは世の中で起こっていることでも、自分の身に降りかかることでも、直接的にエフェクトを受けることも間接的にエフェクトを受けることもありますよね。どちらの場合であれ、その出来事は絶対によくなるために起こっているはずなんです。今がよりよくなるためのギフト、インビテーションみたいな感じで捉えられるような自分で常にいられれば、どんな瞬間も楽しんで前向きに生きていけるんじゃないのかな。そう思えたら、失敗は成功のもとだし、成功の母だし、という考え方になってくるじゃないですか。いろいろなことにトライできるかもしれないし、失敗してへこんで…へこむことも全然あってよくて。そこにまたやる気が芽生えてきたり、「ちくしょう」とか「くやしい」とか思ってまた頑張れたりするから。そのマインドセットだけはミスらないようにしているので、おっしゃっていただいたような「しなやか」に見えているのかもしれないですね。日韓合作で新たな経験「すごい新鮮」――『ナックルガール』についても教えてください。白石は窪塚さんのためにできた役だったそうですね。なんかね、そう言ってくれていたけれど「ほんまかなあ?」と思って(笑)。でも、だからお引き受けしたということでもなくて。ひとつは、今回は日韓合作のプロジェクトという枠組みが面白そうだったこと。あと、原作の流行っていた韓国の漫画を読んで、脚本を読んだら設定を日本に置き換えていたので、「そういうアプローチがあるんだ!」と思って、そこも面白いなと感じたんですよね。――窪塚さんが演じられたことで、白石という役がより怖くも、チャーミングにも見えました。だといいです。白石は東大卒で、本当は不良じゃないけど悪いヤツなんです。はしばしにそういう立ち居振る舞いが出てしまう、本当のところで根性が入っていない、という感じでやりたいなと思っていました。温室育ちできちゃったから修羅場のときに対応できないのが、修羅場じゃないシーンにもちょっと出るといいな、という感じで。――先ほどお話のあったキチジローもですが、窪塚さんは海外での現場経験も多いですよね。日韓合作ということにおいて、新たな経験はありましたか?そうだな…でもそういう言い方をすると、ひとつとして同じ現場はないんです。たとえ同じ監督でも座組みが違ったり、作品が違ったりすると雰囲気が違うものなので。今回の現場だと、スタッフが韓国と日本の合同だったところがすごい新鮮でしたね。特にすごいなと思ったところは、韓国の監督やスタッフの感覚で撮られているから、日本の見慣れた景色がよく出てくるんだけど、すごく新鮮に感じたんですよね。撮っていく画と、その構成の仕方が違うんだろうな、すごいなあと感心しました。あとね、チャンさん(監督)がとってもチャーミングな方なんですよ。『ナックルガール』はアクションクライムというジャンルだけど、もともと優しい作品も撮っている方だから、推して知るべしではあるけれど。すごい波長が合いました。チャンさんがハグして撮影を始める、みたいな感じだったんです。――ハグされるのは窪塚さんだけですか…!?ほかの人は…わかんない(笑)。俺は「イエーイ」とか言って、ハグしてから撮影が始まる感じでしたね。――なかなか聞かない話ですよね。窪塚さんも毎回監督とハグはされないですよね?誰とでもしているわけじゃないですよ。堤(幸彦)監督にはしないし、豊田(利晃)監督にもしないし(笑)。だけどそうしたくなるような、チャンさんの人柄だったんですよね。現場でチャンさんはすごく柔軟でいてくださって、こちらの提案やアイデアを聞いてくれました。懐が深いなと感じましたし、ご一緒できてよかったです。息抜きは“お酒”「こんなに好きになるとは」――最後に、多忙な窪塚さんの日々の息抜き方法も教えていただきたいです。うん、お酒かな(笑)!20代の頃はそんなに飲まなかったんですよ。飲むときは雰囲気で「みんないるし」とか「打ち上げだし」という感じでパーっと飲んで「ヒャーっ!」となっていたりしていたけど。今は酒自体が好きで、こんなに好きになるとは思わなかったですね。最近、特に日本酒にハマっているんですよね。――味が好きになったということなんですか?味も、そのときの空気も、そのときの自分も含めて。今日もこの取材が終わって家に帰ったら、飲みながら「今日も楽しかったな」とじんわり感じると思うんです。その瞬間こそ、圧倒的なガス抜きなんだなと思っています。ヘアメイク佐藤修司(Botanica make hair)(text:赤山恭子/photo:Maho Korogi)
2023年10月30日『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のギャレス・エドワーズ監督のオリジナル脚本によるアクション超大作『ザ・クリエイター/創造者』が10月20日(金)に公開となった。人類とAIの壮大な戦争を描いた物語の主な舞台となるのが、近未来の日本を含む“ニューアジア”と呼ばれる地域であり、実際に撮影はアジア各国で行なわれ、スクリーンには進化した未来の都市と自然の風景が融合した独特の世界が映し出される。(C) 2023 20th Century Studios『GODZILLA ゴジラ』を手掛け、大の親日家としても知られるギャレス・エドワーズ監督だけあって、本作にも随所に日本のカルチャーを反映した描写が散りばめられており、東南アジア各国に加え渋谷、新宿でも撮影が行なわれた。この東京ロケを取り仕切り、サポートしたのが、田中ハリー久也氏がファウンダー兼CEOを務める「STUDIO MUSO」である。海外の都市と比べて、格段に「難しい」と言われがちな東京での撮影だが今回、どのようにして実現したのか? そして、単なる撮影許可の取得にとどまらない「STUDIO MUSO」のプロダクション・サービスの内容とは――?弁護士資格を持ち、2020年に「STUDIO MUSO」を設立する以前は、ウォルト・ディズニー・ジャパンでディズニー映画配給事業の日本代表も務めてきた田中さんに、たっぷりと話を聞いた。『ザ・クリエイター/創造者』に関わることになった経緯とその業務内容――どのような経緯で『ザ・クリエイター/創造者』の東京ロケに田中さんが関わることになったのでしょうか?まず、弊社の成り立ちをご説明させていただくとわかりやすいかと思います。「STUDIO MUSO」は4人のパートナーで2020年に設立されました。設立の理由のひとつが、外国から日本に撮影に来る方々に向けて、プロダクション・サービスを提供するということで、日本の景色や文化を世界規模の映画やドラマ、CMで撮影していただき、世界に発信していきたいということ。そしてもうひとつが、日本の漫画、小説あるいは、日本オリジナルのストーリーを企画として成立させて、ハリウッドやヨーロッパ、アジアなど世界規模の作品に仕上げて、映像作品として日本の文化を世界に発信していくということ。この二本柱を大きな目的としています。4人のパートナーのひとりに、15年以上前からバンコク在住のニコラス・サイモンという者がいるのですが、先ほど申し上げたプロダクション・サービスに関しては、まさに彼がバンコクをベースに東南アジア各国で10年以上営んできた事業でもあります。彼は以前からこのプロダクション・サービス事業での日本への進出を考えていて、言語や慣習、コストなど様々な問題がある中で、たまたま私と知り合いまして、日本でのサービスを広げるチャンスだということで、彼を「STUDIO MUSO」に迎え入れる形で、この事業を始めました。その最初の大型案件となったのが、この『ザ・クリエイター/創造者』のお話でした。もともと、この作品はギャレス・エドワーズ監督の意向もあって、東南アジアでの大規模な撮影が行なわれることになっていました。ニコラスがタイで経営しているのが「Indochina Productions」という会社で『アベンジャーズ』シリーズやNETFLIXの「タイラー・レイク -命の奪還-」、『MEG ザ・モンスターズ2』や『キングコング:髑髏島の巨神』など、ハリウッドのスタジオが東南アジアで撮影する際のプロダクション・サービスを行なってきた会社なのですが、今回の企画でもニコラスに声がかかったのです。映画を海外で撮影する際、脚本が全て出来上がる前の段階から、ロケーションハンティングという名目で、撮影の候補地となる色々な国にあたります。「こんなシーンを撮りたいけど、この国で撮れますか?」とか「この国ではどんな画が撮れますか?」ということもそうですし、「インセンティブ(※助成金の支給、免税などの優遇処置)はありますか?」など財政面や人的・物的な面も考慮して、候補となる国にあたっていくわけです。ニコラスから東南アジアの数か国に加えて「日本でもどうか?」と提案があり、ご存知の通り監督のギャレスも日本は大好きなので「ぜひやりたい」ということで、メインの撮影は東南アジアですが、最後の撮影地を東京にすることを決めて、企画が進んでいきました。以上のような経緯で我々が日本での撮影のプロダクション・サービスを請け負うことになりました。(C) 2023 20th Century Studios――東京での撮影が行なわれるにあたって、具体的に「STUDIO MUSO」が担った業務を教えてください。東京で何を撮るか? ということは、当初はギャレスの中でハッキリとは決まっておらず、「とりあえず、撮れるものをいろいろ撮ってみよう」という感じでした。撮影の何か月も前から、メールベースで「こんな場所があるのだけどどうか?」、「こういう画を撮りたいんだけど候補地はあるか?」といったやりとりを、ニコラスを挟んでプロデューサーや制作陣と議論を重ねていきました。撮影のスケジュールもなかなか決まらなかったのですが、撮影の1~2か月ほど前になってようやく「そろそろ東南アジアでの撮影も終わりが見えてきたので、東京に向かえそうだ」という連絡がありました。撮影に際しては、作品の中での一貫性を保つために、東南アジアでの撮影に参加していたニコラスの「Indochina Productions」のクルーを日本に連れて行きたいというリクエストもありました。それに伴って、機材も日本に持ち込まないといけないので、関税の手続きもありましたし、持ち込みではなく、東京でどんな機材を調達できるのかということもこちらで調べました。ホテルに関しても、宿泊のための部屋だけでなく、打ち合わせのためプロダクションルーム、機材部屋も確保しなくてはなりませんが、他の宿泊客への配慮もありますし、それが可能なホテルも決して多くはありません。不幸中の幸いだったのが、2020年に開業した都内の某ホテルが、コロナ禍もあって、当時はあまり宿泊客も多くなかったということもあり、こちらの要望を受け入れてくださいました。今だったら、おそらく難しいだろうと思います。2フロアを貸し切りにして、キャストや関係者の出入りのための専用のエレベーターを確保していただくなど、非常に助かりました。加えて、人の手配もあります。ロケーションの候補地を探し出し、そこでの撮影に必要な許認可を取ってくれる専門家のスタッフを引き入れ、プロデューサーのジム・スペンサーやギャレスと打ち合わせを重ね「到着して数日は、ロケハンでこの場所とここに行ってみましょう」といった細かいスケジュールを詰めていきます。もちろん、移動のための手段も手配しなくてはならず、ワゴンは何台必要なのか? 運転手は丸1日の拘束になるのか? クルーの待機場所の確認などといった細かいロジスティックスに関しても事前に確認し、決めていきます。現場でギャレス・エドワーズ監督と会話する田中氏――「都内でのロケ撮影の許可を取る」というのがお仕事の主要な部分かと思っていましたが、それはごく一部に過ぎないんですね。その通りです。少し話がそれますが、ロケーション以外の仕事で言うと、例えばギャレスは「イチゴミルクが好き」ということだったので、事前にイチゴミルクを箱買いしていました。でも、来日してみると「もうイチゴミルクは飽きた」ということで、大量に余ってしまいましたが…(苦笑)。食べ物のアレルギーはもちろん、こうした個々の好みも含めて事前に確認し、パッケージで全てを準備して、制作費の中から費用をいただくというのが我々の仕事です。案件としては、CMの撮影が一番多いです。我々以外にも同じような「プロダクション・サービス」を提供する会社はありますし、海外の制作スタジオから連絡があった場合、bidding(入札)を行ない、「これくらいの予算でこんなことができます」ということを提示し、受注します。どうしたら海外の撮影隊に満足してもらえるか?「変化に対応し、それをしっかりと説明していくこと」――ちなみにロケーションに関しては今回、新宿や渋谷で撮影が行なわれたとのことですが、海外の都市と比べて、東京でロケ撮影するのは難しいという話をよく聞きます。どのように撮影が可能になったのでしょうか?海外の都市と比べて、許認可が下りることが少ないということが「難しい」と言われる理由なのでしょうけど、決してできないわけではないのです。例えば、渋谷のスクランブル交差点ですと、「深夜○時以降、○人までのクルーによる撮影であればOK」などとルールが決まっているので、取ろうと思えば許可を取ることはできます。ただ、朝から晩までの何百人ものクルーが参加しての大規模な撮影となると無理です。また、Tik Tokerがひとりでカメラを持って歩きながら撮影している場合も、実質的に規制されることはないですよね。実際に交通の妨げになるか否かといったことが関わってくるので、公共の場での撮影の可否というのは、グレーゾーンの部分が大きくて、それが「(日本での撮影の許認可は)わかりにくい」と言われる理由のひとつでもあると思います。じっくりと突き詰めていけば、撮りたい場所に近しい場所で、撮りたい画をカメラに収めることは可能ではあるんですけど、「手続きが煩雑で時間がかかる」「書面での契約を結ぶのが難しい」といったこともあり、なかなか日本での撮影が増えないという現実があると思います。こうした部分を踏まえて、「この場所での撮影は可能だけど、きちんとしたバックアップが必要だ」ということや「急に場所を変えたくなっても、替わりの場所をすぐに見つけることは難しい」という条件を事前に制作陣にわかりやすく説明し、彼らの期待値をコントロールするというところが、職人芸といいますか、我々の腕の見せ所でもあります。「あれもダメ」、「これも無理」とばかり言ってたら、彼らも嫌になってしまうので「これは無理だけど、こういうやり方ならできるのでは?」、「ここならどうだろう?」という様に、可能なことを提示して、彼らの気持ちを盛り上げ、気持ちよく撮影を進めてもらえるようにするスキルが実は何よりも大事です。逆に言うと、そこをしっかりとできれば、結果的に撮影場所が1か所しか押さえられなかったとしても、彼らは満足して帰って「日本は素晴らしかった」という声を広げてくれるわけです。日本人はどうしても真面目というか「できること」と「できないこと」をハッキリと言って「以上!」となってしまいがちですが、そうではなく、民間の外交官になったつもりで、どうしたら海外の撮影隊に楽しんでもらえるか? どうしたら満足して撮影してもらえるかを先回りして考えながら随時、変化に対応し、それをしっかりと彼らに説明していくことに尽きるのではないかと思います。(C) 2023 20th Century Studios――現段階のルールやリソースで決して「無理」というわけではないんですね。ルールはありますが、やり方次第で可能です。先ほども言いましたが、日本でもこういうビジネスをされてきた方は多くいらっしゃいます。ただ、個人や小さな規模の会社でやっている方が多いので、どうしても今回のようなハリウッドの大作であったり、大型の案件にすぐには対応できなかったりします。そういう体制や組織づくりの部分がまだまだ日本では足りていないのかなと思います。ロケーションだけのことで言えば、各地にフィルム・コミッションも増えていますが、それは撮影受け入れのごく一部に過ぎないわけで、全てを含めてサービスを提供できる体制を整えていく必要があります。そこは「STUDIO MUSO」でも進めているところです。――都市や自治体の側にとっての撮影を受け入れることによるメリットはどういう部分にあると思いますか?それを「よし」と思うか否かは価値観の問題になるのですが、私がディズニーに在職していた時、マーベルのケヴィン・ファイギ社長に対して、ずっと「『アベンジャーズ』の続編は東京で撮ろう」という提案をし続けていました。例えば、渋谷で『アベンジャーズ』を撮影するとなったら、いろんな人の協力が必要で、警察の認可だけでなく、渋谷区の行政も巻き込んでやっていかないとできないわけです。いま、まさに渋谷ハロウィンが大きな問題となっていて「ハロウィン当日は渋谷に来ないでください」と呼びかけていますけど、これをむしろポジティブな方向に舵を切って、渋谷区や警察の全面的なサポートを取り付けて、十全な根回しをした上で、渋谷での大規模な撮影をするのは決して不可能ではないと考えていました。それができれば、街のブランド価値の向上が見込めるし、海外の人たちが「あの映画で見たあの街に行ってみたい」となる――いわば無料の広告のような機能を果たすことになります。ニューヨークやロンドンはまさにそれを狙って、昼間から街の一部を封鎖して、撮影に協力しているわけです。もちろん、反対する声も一部にはあるでしょうが、街のブランドイメージが良くなれば、そこで様々な形でのビジネスも生まれるし、それが住んでいる人たちにも還元されます。(C) 2023 20th Century Studios――今回の『ザ・クリエイター/創造者』の一連のお仕事の中で、一番大変だったことや苦労されたのはどんなことですか?期待された答えじゃないかもしれませんが、常に全部が大変です(苦笑)。ひとつとして、スケジュール通りに進むということがないんですね。「誰かが来ない」とか「荷物が届かない」とか、何かしらのトラブルが常に発生するし、それはその人だけの問題ではなく、全体のスケジュールに影響し、外部の方々にご迷惑をおかけすることになるので、現場のスタッフはほぼ朝から晩まで何かしらの対応に追われることになります。こうしたトラブルの対処はもちろん大変ではあるのですが、やはり本当の問題は“コミュニケーション”に尽きると思います。日本の側の現実と海外の撮影隊が抱いている期待値に大きなギャップがあるので、その差を埋めるためのコミュニケーションが必要なのです。法律業界からエンタメ業界へ「より自由に、しがらみにとらわれずに」――ここから、田中さんご自身のキャリアについてもお話を伺っていきます。日本、ニューヨーク州での弁護士の資格を持ち、アメリカ、ヨーロッパの法律事務所でもお仕事もされていた田中さんですが、2002年より17年間にわたってウォルト・ディズニー・ジャパンに勤務され、ディズニー映画配給事業の日本代表も務められました。そもそも、なぜエンタメ業界で働こうと思ったのでしょうか?もともと、エンタメは好きでドラマや映画はよく見ていましたが、それもオタクというほどではなく、エンタメ業界で働こうとも思っていませんでした。ひとつのきっかけとなったのが、弁護士という頭も使うし責任も重い仕事をする中で、唯一、自分の中で楽しめたのがエンタメ系の仕事だったということです。エンタメ系の仕事といっても、様々な契約に際して、決まった雛型の書面に著名人の名前を入れる程度のことなので、とてもミーハーなんですけど(笑)、それだけのことにワクワクドキドキしていました。そこで気づいたのが、同じような大変な仕事をするにしても、楽しい時とそうでない時がある。それならば、自分の持っている法律という専門性を用いてエンタメの仕事ができたら面白そうだなと思って、そっちの方向に進むことを決めました。――その後、ディズニーという大手映画会社で数々のヒット作にも携わってきた田中さんが、独立してご自身で新しい事業に挑戦しようと思ったのはなぜですか?ディズニーで働いていた時から「いつかは自分でやらなきゃいけない」という思いは抱いていました。人と関わりながら集団で仕事をして、喜びも悲しみも分かち合うという仕事の仕方は好きですし、だからこそ大きな組織での集団でのキャリアを選んできました。実際、ディズニー時代に色々な人とご一緒して、一生のお付き合いができるような人たちに出会えてよかったと思っています。ただ、大きな会社で17年間もやっていると、会社のために仕事をすることが第一義であることだと分かりつつ、自分独自の経営判断、価値観と会社の経営方針が必ずしも一致しないことも多々出てきます。どちらが正しい、という訳ではないですが、残り50年の人生、大会社の価値観に迷惑をかけずに、自分のやりたい、やるべき事業を手掛けていきたい、という想いが強くなりました。弁護士の仲間の多くが、自分で独立して事務所を構えたり、経営者としてやっていたりということも大きかったですね。『ザ・クリエイター/創造者』では日本でのプロダクションサービスに加え、映画にも出演。写真は撮影現場でのもの。――最初に説明していただいた「STUDIO MUSO」の事業の2つ目の柱となる「日本の漫画などのオリジナルのストーリーを企画として成立させ、世界規模の作品に仕上げて世界に発信していく」というビジネスは、ディズニーでされてきた仕事やプロダクション・サービスとも異なり、完全にクリエイティブの部分を担う仕事になります。「一から企画して作品を作りたい」という思いは以前からお持ちだったんでしょうか?ディズニーで働き始める際、もう一社、オファーをいただいて迷った会社がありまして、それはギャガ(※当時はギャガ・コミュニケーションズ)さんでした。当時は創業者の藤村哲哉さんが社長を務めていて、その時のオファーは法務ではなく、プロデューサーのポジションでした。当時、ナムコの「鉄拳」やカプコンの「鬼武者」といったゲームを実写映画化できないかという企画があり、単に権利を取得するだけでなく、ギャガも共同プロデューサーとしてガッチリ入って作品を作ろうということで、藤村さんが奮闘していました。そこに私のようなdeal-making(取引の成立)の知見があり、現地と話ができる人間が入ることで、企画を進めていこうというお話をいただいたんですね。最終的に、ディズニーに入社することにはなりましたが、いまでも自分にとって、藤村さんはこの業界に入ったきっかけでもあり、メンターとして尊敬している方です。その経験があったので「そうか、自分は法律のキャリアしか積んでこなかったけど、映画のプロデューサーもできるんだ!」という思い――良くも悪くも勘違いがありました(笑)。実際、ディズニーでも法務の人間として入社しながら、勝手に日本の原作の映像化をアメリカの本社の映画部に提案したりしていました。『シュガー・ラッシュ』という映画がありましたが、その元となる企画があって、そのために日本中のゲームメーカーにキャラクターの使用許諾を取りに行ったりしていました。全然、本来の私の仕事ではなかったんですけど(笑)、ゲーム部門のスタッフと一緒にナムコさんやタイトーさんのところに赴き「やりたいです」と交渉していました。――『シュガー・ラッシュ』に別々の会社のゲームキャラクターがあれだけ出ていることはかなりの驚きでしたが、そこに田中さんが関わっていらしたんですね!大変でした(笑)。あとは「Dlife」(※BSディズニーのチャンネル。2012年放送開始、2020年終了)が始まる前、ちょうど日本の映画で『ROOKIES -卒業-』が盛り上がっていた頃には「ディズニーでも邦画を作りましょう」と提案して企画が通って、予算もつけてもらい、脚本開発をしていたこともありました。結局、「Dlife」ができたことで企画がストップし、私は関係各所に「すみません」と謝罪して回るハメになったのですが(苦笑)。ただ、その時の人脈はいまも活きていて、色々な企画を実現させようと進めています。――今後、実現したい企画や夢はありますか?まだ何ひとつ、成し遂げていない状況で、そんなことを聞いていただけるというのがお恥ずかしいのですが、企画自体は進んでいるものがいくつかあるので、まずはしっかりと形にして、世に出したいと思います。いまの日本では、そういう企画を立てる人間はTV局や大手の映画会社のプロデューサーが多いですが、インディペンデントの会社でも、大きな企画を実現できるということを示して、より自由に、しがらみにとらわれずに日本の面白い作品を世界に発信できるような道筋が見えてくるといいなと思っています。――最後に、これから映画業界で働くことを志している人たちに向けてアドバイスやメッセージをお願いします。まずは、映画というフォーマットにこだわるのかどうかをよく考えてほしいなと思います。個人的に映画への憧れ、「映画にこだわりたい」という思いもありますし、私が大変お世話になった東映の故・岡田裕介会長も映画一筋の方でした。ただ、この十数年で、アメリカのプロデューサーや俳優も含めて、映画とTVの垣根というのがかなり取り払われたのも事実です。日本でも同じで、映画というのはひとつの媒体に過ぎないと考えて、いろんなものに興味を持って、まずは「良いものを世に出す」ということを地道に頑張れば、例えばショートムービーであったとしても、いずれ長編を監督できるかもしれないし、実績を積み重ねることで“次”に必ずつながっていくと思います。あまりこだわり過ぎず、まずはいま、何を作っていけるのか? ということを考えてみると、意外とできることはたくさんありますし、楽しい業界だと思います。(C) 2023 20th Century Studios『ザ・クリエイター/創造者』は公開中。(黒豆直樹)■関連作品:ザ・クリエイター/創造者 10月20日(金)全国劇場にて公開© 2023 20th Century Studios
2023年10月20日「Elles Films株式会社」代表取締役・粉川なつみさん。ウクライナで制作された1本のアニメーション映画を劇場公開するため、勤めていた会社を辞め「ほぼ全財産をなげうって」日本での配給権を獲得し、たった一人で「Elles Films」を設立。その後もクラウドファンディングの実施から製作委員会の設立、日本語吹替版の制作、宣伝業務など、映画公開に向けた作業の中心を担ってきた。そんな粉川さんの情熱に突き動かされる形で、多くの賛同者が集まり、アニメーション映画『ストールンプリンセス:キーウの王女とルスラン』が先日より公開中だ。もともと映画が好きで、映画業界で働くことを志し、その念願かなって宣伝会社で働き始めたという粉川さんだが、そんな彼女が20代半ばにして、自ら会社を設立してまで同作を公開しようと思ったのはなぜなのか? 粉川さんにたっぷりと話を伺った。映画宣伝へ入社、配給会社への転職――「Elles Films」を設立する以前から、映画宣伝会社で働いていらしたそうですね。映像業界で働くようになった経緯を教えてください。大学時代、ゼミの先生のツテもあって、映画宣伝会社「ガイエ」でインターンをしていて、そのまま入社することになりました。もともと、映画の美術監督になりたくて、それを学べる大学に進学したんです。ただ、実習で美術スタッフとして映画の現場に行くとものすごい激務で「これはちょっと自分には無理だなぁ…」と挫折しまして…。ただ、大学では現場のことだけでなく、映画のビジネスについても学ぶことができて、その授業がすごく楽しかったんです。当初は映画ができるまでの仕事をしたいと思ってたんですが、徐々に完成した映画をいかにお客さんに届けるか? という部分に興味がわいてきて、ガイエでインターンをさせてもらうことにしたんです。インターン初日に行ったのが、柳沢慎吾さんが『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』の公開アフレコをするという現場だったんですが、イベントを仕切ったり、マスコミ向けのリリースを執筆したり、その様子をSNSで拡散している会社の先輩たちの姿がすごい大人に見えました。インターンからその後、アルバイトになって、新卒のタイミングで入社しました。業務は映画のパブリシティ(※作品について、新聞や雑誌、テレビ、WEB媒体などのメディアで紹介をしてもらうための宣伝業務)、特にWEBを担当していました。公開される新作映画についてのリリースを作成して媒体さんに配布したり、マスコミ向けの試写会の対応、イベントの手伝いやライターさんやWEB媒体の編集者さんに作品をPRなどをしていました。――実際に映画業界で働き始めて、いかがでしたか?どんな業界、お仕事でもそうだと思いますが、中に入って、実際にやってみないとわからないことがたくさんありました。例えば、私はリリース(※作品の公開決定や、キャストの発表、舞台挨拶のレポートなど、マスコミなどに配布するための文書)を書くのがものすごく苦手でして(苦笑)。大学でも卒論を書いたりしていますし、文章を書くこと自体、決して苦手意識を持っていたわけではないんですけど、仕事のリリースが本当に書けなくて…。苦労して書いて、先輩に提出すると真っ赤になって戻ってくることの繰り返しでしたね。パブリシティの業務は1年ほどやらせていただいて、その後、タイアップ営業の部署に異動となりました。結局、ガイエにはアルバイト時代も含めて3年ほど在籍していたんですが、人事、パブリシティ、営業といろんな部署に関わらせていただきました。その後、2021年に映画の企画・制作からアニメ作品やアジア映画の配給・宣伝などを行なっている「チームジョイ」という会社に転職しました。――お話しできる範囲で、転職することになった経緯についても教えてください。コロナ禍で、映画業界もいろんなことがしばらくストップしてしまったんですよね。私がいたタイアップの部署も、全てのタイアップ案件が飛んでしまって…。会社も方向転換を余儀なくされた部分があって、どこまで映画に関わっていけるのか? という思いはありました。その時期、コロナでヒマだったこともあって、私はなぜか「OCTB -組織犯罪課-」という香港ドラマにめちゃくちゃハマってしまったんですね(笑)。別に以前からアジア系のドラマや映画が好きだったというわけでは全くないし、キラキラの恋愛ドラマでもなく、香港警察とマフィアの攻防を描く渋いドラマなんですけど…。そこから、中国語ができるようになりたいなと思って勉強を始めたりして「やっぱり、エンタメって面白いな」という気持ちになったんです。こういう作品に携われるような企業はあるかな? と思って、いろいろ調べて行き着いたのがチームジョイでした。――アジア系の作品の配給・宣伝だけでなく、企画や制作、グッズの販売など幅広く行なっていますね。まさにそこに惹かれました。映画の宣伝って、私がやっていたようなWEBの宣伝やタイアップだけでなく、本当にいろんな業務があるんですよね。それを最初から最後まで見られるのは配給会社だなと思っていました。ちょうどその時期、コロナ禍にもかかわらず、チームジョイの担当していた『羅小黒戦記ぼくが選ぶ未来』も大ヒットしていて、勢いも感じて応募しました。――転職されてみていかがでしたか? チームジョイではどんな業務を担当されたんでしょうか?チームジョイでの日々はめちゃくちゃ濃かったですね。実質、在籍したのは1年半くらいだったんですが、5年くらい働いていたんじゃないかって思うくらい。入社後は『羅小黒戦記』のグッズの輸入・販売に始まり、アニメーション映画『白蛇:縁起』の日本語吹替版制作パッケージ制作、宣伝と本当に何でもやっていましたね。入社して驚いたんですが当時、チームジョイには私のほかに中国系の社長を含めて、4人の社員がいたんですが、社長が中国のテレビ局の日本支社でジャーナリストをしていた経験がある以外、過去に映画業界で仕事をしたことがある人はひとりもいなかったんです。海外の映画を1本買うにしても、普通なら映画祭のマーケットに行ったり、セラーに連絡したりするんでしょうけど、そんなノウハウを誰も持っていない状況でした。そんな中、社長から「今日中にタイの映画で買えそうな作品をリストアップして」みたいなことを言われて…。私は英語もろくにできないし、日本に入ってきてないタイ映画をどうやって調べたらいいんだろう? という感じで(苦笑)。スマホに「HelloTalk」という語学系のアプリをインストールして、タイ語に設定して、タイで日本語を勉強したいという人たちを集めて「最近、おススメの映画を教えて」と聞いたりしたり、現地の大使館に直接、電話してみたり…。めちゃくちゃ非効率なんですけど、何とかやり方を探すという感じで、すごく鍛えられましたし、逆に通常のやり方を知らないからこそ、既存の方法にとらわれずにいろんな新しいことを試すこともできたのかなと思います。ウクライナのアニメ映画を日本で公開「私がやらなきゃ誰がやるんだろう?」」――ウクライナのアニメーション映画である『ストールンプリンセス』に巡り合うことになったのも、そうしたお仕事の中で?まさにそうで、『羅小黒戦記』も『白蛇:縁起』もヒットして、中国以外の作品もやってみようということになって、リサーチする中でウクライナのアニメーション映画の存在を知りました。――その後、会社を辞めて、自分で配給会社を設立して、『ストールンプリンセス』の日本での興行権を購入することになるまでの経緯について、教えてください。チームジョイでの日々は本当に楽しかったんですが、仕事をする中で、「自分だったらこういうこともするのにな」とか「将来、独立してみたいな」という気持ちが少しずつ芽生えてもきていました。先ほどもお話しましたけど、チームジョイは社長も自由で面白過ぎて、それを見ているうちに「私にもできるんじゃないか?」みたいな気持ちがわいてくるんですね。そんな中、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったんです。正直、それまで世界情勢にものすごい関心を持っていたわけではなかったんですけど、21世紀にもなって大国が他国に侵攻して戦争が始まったということにものすごい衝撃を受けました。自分に何ができるか? と考えた時、ふとウクライナのアニメの存在を思い出したんです。調べてみたら、これまでウクライナのアニメーション映画が日本で劇場公開されたことはなくて、もしそれができれば映画業界としてウクライナ支援ができるんじゃないかと思ったんです。そこでウクライナの制作会社に「お問い合わせフォーム」から連絡してみました。連絡を取って、それこそ、いまどういう状態なのか? というところの話から始まって、スタッフのみなさんがポーランドやイギリス、フランスに散らばりながらも元気にやっているということで、最初は『MAVKA the forest song』という作品を買い付けたいと思ったんですが、まだ完成もしていない状況で、それとは別に『ストールンプリンセス』という作品もあるよという話になったんです。チームジョイでこの作品を配給できないかと思い、社長に相談したんですが、会社の規模的にひとつの作品の公開に全社員を注入するという感じなので、スケジュール的にいま、買ったとしても公開できるのはかなり先になってしまうので、難しいだろうということだったんですね。それをウクライナのスタジオにお伝えしたんですが、ウクライナって実は日本のアニメの人気が高くて、アニメEXPOみたいなものが開かれるくらいで「もし日本でウクライナの映画が公開されたら、これまでのような一方通行ではなく双方向の交流が生まれることになったので、残念だね。明るいニュースを届けたかったんだけど…」ということをおっしゃられたんですね…。それを聞いた時「これは私がやらなきゃ誰がやるんだろう?」という使命感に駆られてしまいまして…(笑)。そこから、会社で製作委員会を組んで配給できないか? など、いろんな方法を検討したんですけど、なかなか難しくて…「じゃあ、辞めようか」って。――そこで会社を辞めてまでやろうと決断できたのはなぜだったんでしょう?そこは本当にいろんな人に相談しました。だいたいみんなに反対されたんですけど、ガイエの元社長で、「映画.com」の編集長をされている駒井(尚文)さんにも話を聞いてもらったら、駒井さんは賛成してくれたんですよ。駒井さんご自身も30代で起業されたんですけど「もし(いまの粉川さんと同じ)20代半ばに戻れるなら、即起業してるよ」って言われました。配給権を買うのは自分のお金を使うつもりだという話をしていたんですけど「もしダメだったとしても、借金を背負うわけではないし、作品の権利も持ってるわけだから、それを持ってどこか別の配給会社に入社してもいいんだし、何とかなるよ。だからそんな不安に思わず、軽い気持ちでやってみな」と。経験やコネがないことが不安だという相談もさせていただいたんですけど「経験は、やっていくうちについてくるし、会社を作って自分で“社長”を名乗れば、相手方も社長クラスが出てくることが多くなるし、コネも向こうからやってくるよ」とおっしゃっていただいて、背中を押されました(笑)。そこでまず、ウクライナのスタジオに「私が買います」と連絡しました。――それから「Elles Films」を設立されたんですね。「会社を作る」となると、こまごまとした事務的な仕事などもあって大変そうなイメージがありますが、いかがでしたか?私、メッチャ雑なんです(苦笑)。正直、ギリでしたね。これ以上、あれこれ細かいことがあったら、無理だったろうなと思います(笑)。とはいえ、昔と違って起業自体はしやすくなってますし、ネットの情報も増えているので、何とかやれましたね。映画公開を実現させた“人との繋がり”――その後、映画の日本公開に向けて、どのような仕事があり、どうやって進めていったのかを教えてください。『ストールンプリンセス』の配給権は自分で買って、会社も設立したんですけど、日本で公開をするとなるとP&A費(プリント代と広告費用)がかかるんですね。広く日本で観ていただくには、吹替版であることはマストだと思ったので、日本語吹替版の制作費用も必要でした。最初は融資を受けることを考えて、計画書を持って銀行を回ったりもしたんですが、なかなか難しく…。そこでクラウドファンディングをすることを決めました。2022年の9月から11月にかけて、約2か月で目標金額は1,700万円だったんですけど、最初の1か月くらいは40万円くらいしか集まらず「これは終わったな…」と思いました(苦笑)。それでも、あきらめきれず、地方も含めていろんな媒体のお問い合わせフォームにニュースとして取り上げてほしいと連絡を入れて、そこから少しずつ取り上げていただけるようになり、最終的に950万円が集まりました。それでも足りなかったので、製作委員会を組むことにして、朝日新聞さん、KADOKAWAさん、ねこじゃらしさん(※『ドライブ・マイ・カー』の製作などにも参加している映画・映像コンテンツ製作会社)、ユナイテッドシネマさんの協力を得られることになりました。当初、1700万円で小規模での公開を考えていたんですが、5社のご協力によって、予算を増やして、日本全国で公開しようということになりました。――劇場公開の見込みが立ったわけですね。それ以外の日本語吹替版の制作についてはどのように進めていったのでしょうか?今回、ありがたかったのは、製作委員会方式を取ってはいるんですけど、日本語吹替のキャストなどに関して、委員会の意向などが入ってくることが全くなくて、こちらから相談したいことがあれば、アドバイスをいただくという形で、すごく自由にやらせてもらえたんですね。なので、日本語吹替版の制作は基本的に私が中心に進めさせていただきました。日本語版を制作する上で、まずは制作会社に当たって見積もりを取ってみたんですが、これがかなり高くて…(苦笑)。そんな時、クラウドファンディングに参加してくださった方で東北新社にお勤めされている方がいて、ある日、ご連絡をいただいて「東北新社で、できる限り値段を抑えて日本語版を制作できます」と言っていただけたんです。打ち合わせに伺うと「こういうやりかたをすれば、予算を抑えられるんじゃないか?」といろいろご提案をいただきまして、本当にありがたかったです。日本語版の台本に関しても、ウクライナの大使館のイベントのブースにクラウドファンディングのチラシを置かせていただいたんですが、それを見た方で翻訳を仕事にされている方が「もし協力できることがあれば」とご連絡をくださったんです。最初「タダでいいです」とおっしゃってくださったんですが、プロの方に仕事としてお願いするわけですから、ささやかではあるんですが報酬はお支払いしたんです。そうしたら、その額をそのままクラウドファンディングに出資してくださって…。キャスティングに関しては、日本語版の制作にあたっては、声優の方だけでなく、いろんな人に参加してもらって、より多くの人に興味を持ってもらえるような作品にしたいと思い、アイドル、芸人さん、YouTuberやVTuberなど、いろいろリサーチしました。東北新社さんからも「この役はこの方はどうでしょう?」などといったご提案をいただいて、進めていきました。――劇場回りのことや宣伝業務はどのように?劇場公開の規模に関しては、私が希望を出した上で、KADOKAWAさんが全国の劇場に営業をしてくださいまして、ユナイテッドシネマをはじめ、全国の劇場で公開されることになりました。宣伝は「紙・電波」と「WEB」でそれぞれ、フリーランスのパブリシスとの方にひとりずつ入っていただいてます。――予告編はどうやって制作されたんですか?予告編は大学時代の同級生にお願いしました。大学時代の友人たちは、制作の現場で働いている人が圧倒的に多いんですね。なので「映画をつくるなら手伝うよ!」と言ってくれる友人は多いんですが、映画完成後の仕事に関しては、残念ながら、あまり手伝ってもらえる人が少なくて…(笑)。そんな中でも、その友人は、テレビや映画の編集を仕事にしていて、助けてもらいました。――いろいろな人のつながりが…。本当に今回、多くの方に助けていただきました。どうしても少人数なので手が回らない部分も多いんですが、映画のポスターやチラシの配布についても、SNSでサポーターを募集して、ご厚意で配っていただいたり。本当にありがたいです。「軽い気持ちで(映画業界に)入ってきちゃえばいい」――ちなみに今後『ストールンプリンセス』以外の新たな作品の展開なども考えられているんでしょうか?めちゃくちゃ考えてます。既に2作目の配給は決まっていて、決して映画制作が盛んとは言えないシンガポールで、日本のコンテンツにも影響を受けたという監督が11年の歳月をかけてつくった映画がありまして、その配給と宣伝の委託を受けています。他にも韓国のアニメーション映画を交渉中で、今後は映画配給を中心に展開しつつ、他のエンタメ事業も色々考えています。銀行の融資を受けようとしたというお話をしましたが、どうしても映画って水モノで波があるものなんですよね。担当の方からは「低くてもいいから、安定した収入があれば…」みたいなことを言われて、その時はすごく腹が立ったんですよ。「それがあれば苦労しないし、そんなこと言う人がいるから映画という文化が…!」って(笑)。でも、冷静に考えたら、本当にその通りなんですよね。映画は好きなので、映画配給は継続的にやっていきたいけど、そのためにも一定の安定した収入がなくてはいけないなと。――最後に映画業界で働くことを志す人たちにメッセージをお願いします。私は映画にそこまで詳しいわけではなく、例えばゴダールをちゃんと見てるかというと全部見てないし、そんな自分に自信がなかったんですよね。でもここまでやってきて、感じたのは、私が楽しければ、きっとみんなも楽しいし、それでいいんだなということなんですよね(笑)。映画ってたくさん見てないと「映画好き」と名乗ってはいけないし、映画業界で生きてはいけないと思う人もいるかもしれませんが、そんなことは決してありませんし、映画だけでなく「エンタメが好き」という人がどんどんこの世界に入ってきてほしいなと思っています。――中途入社されたチームジョイでの仕事も、単に“映画好き”という視点ではできなかったことが多かったでしょうね。本当にそうで、チームジョイって良い意味で「お金好き」の人が集まった会社なんですよね(笑)。普通、そんなことしないでしょ? ってことをどんどんやってるし、「いままで、やったことのない仕事をどんどんやりなさい」という教えをいただきました。とりあえず、軽い気持ちで(映画業界に)入ってきちゃえばいいと思っています。(黒豆直樹)
2023年10月05日韓国ノワールの金字塔ともいえる映画『新しき世界』で主人公を演じ、Netflixのドラマ「イカゲーム」で世界的に知られることとなったイ・ジョンジェ。『スター・ウォーズ』の前日譚シリーズ「The Acolyte」で、ジェダイ・マスターを演じることも決定している。そんな彼が脚本・監督、そして朋友のチョン・ウソンと共同主演を務めた映画『ハント』が日本でも公開となる。「この映画を実現させるのは難しい」と多くの監督や脚本家に断られてもなお、映画を完成させたいと彼を突き動かしたものはなんだったのだろうか。「イカゲーム2」の撮影の中、自分の声で映画の魅力を伝えたいと来日した彼に話を聞いた。映画完成までの経緯と苦労――この作品は元々原案があって、様々な監督の手を渡った後にイ・ジョンジェさんの元にたどり着き、それから4年に渡ってシナリオを書いて完成させたと聞きました。イ・ジョンジェさんを突き動かしたものは何だったんでしょうか?はじまりは本当にシンプルだったんです。これまで多くの作品に出演してきたんですが、一度もスパイ映画に出たことがなかったんですね。だから、一度、スパイ映画をやりたいなと、本当にそんな感じだったんです。それと、チョン・ウソンさんとは、1998年に『太陽はない』という作品に出て以来、共演がなくて、共演したいと思っていました。その後も、ウソンさんと共演したいと思って努力をしていたんですが、なかなかうまくいきませんでした。この映画のシナリオの初稿を見たときに、スパイ映画をやってみたいなと思う気持ちと、ウソンさんと二人、かっこよく映画に出たいなと思ったことが重なって、初稿の段階の原案を購入したんです。――映画が実現化するまでに苦労はありましたか?版権を買ったとき、これは大幅に変更する必要があるなと思いました。そのため、いい作品に仕上げてくださる監督や脚本家の方を探していたんですが、「これは難しそうだ」ということで皆さんに断られました。作業が止まってしまい、時間だけが流れていくので、自分でなんとかしなくてはと思い、シナリオを読んで「ここはこう変えたほうがいいな」と思ったことをノートに箇条書きで書き留めるようになりました。そのノートをもとに、また監督や脚本家に会って、こんな風に作品を作りたいと思いを伝えたんですが、やっぱり一緒にやってくれる監督と脚本家が見つからず、もうそれなら…と自分でシナリオを書いてみようということになったんです。ただ、僕には映画やドラマの撮影もありますし、書いては中断し、撮影が終わったらまた書き始めて…とそんな風にしていたら4年の月日が経っていました。チョン・ウソン演じるジョンドの役割が変化――イ・ジョンジェさんが演じるパク・ピョンホと、チョン・ウソンさんが演じるキム・ジョンドの関係性は、最初に買い付けたシナリオと、実際に出来上がった映画とでは、違っていると聞きました。どのように変化したのでしょうか?初稿ではジョンドの役は小さな役で、ピョンホがワントップの主人公として描かれていたんです。でも僕はウソンさんと一緒にこの映画をやりたいという大前提があったし、ウソンさんを助演にはしたくなかったんです。だからジョンドの役割を大きくするために、ジョンドがどのような人物なのかというヒストリーを強化し、ジョンドが成し遂げようとしているミッションに意味を与え、そのミッションは必ず成功させないといけないものだという名分を強化したんです。その過程でジョンドとピョンホの関係性も変わっていきました。ですから、二人が強烈にぶつかりあう部分もより強力になりました。ぶつかりあった後、ふたりが手を取り合うシーンがより熱いものになるためにもそうする必要がありました。ジョンドの人物像がより鮮明になったことによって、描かれる状況やエピソードも変わっていきました。――さきほど、「ウソンさんと二人、かっこよく映画に出たい」とおっしゃっていましたが、「かっこよく」撮るとはどのようなことだと思われますか?映画全体の中で、一部分のシーンをかっこよく撮ったからといって、映画がかっこよくなるわけではないと思います。シナリオに説得力があって、内容に厚みがあることによって、人物というものが、より際立つと思うんですね。登場人物が観客にとって素敵な人物に映るには、シナリオの段階から、その人の考え、行動などがしっかり練られていなければなりません。その上で、ポイントとなるシーンをひとつひとつ丁寧に撮っていきました。それはビジュアルをかっこよく撮るということではなく、その人の感情が最大限よく見えるように撮るということで、そのことによって、人物が素敵な人として観客に届くと思うんですね。だから僕は、登場人物の心理状態が観客に完璧に伝わるように撮ることが、上手い撮り方だと思いましたし、俳優を素敵に見せる撮り方だと思いました。絵コンテは689枚「最初から最後までは、僕が初めて」――イ・ジョンジェさんがシナリオを大切にしているということは映画を観ていて伝わりました。そのシナリオを書いている間、誰かに読んでもらって助言をもらうことはありましたか?シナリオを書いている最中、感想を聞くために読んでもらったことがあったんですが、読んでくれた方によって、意見がまったく違いました。なので、その感想から映画に役立てるということはなかったのですが、映画を撮影することが決まった後、スタッフ同士でたくさん話し合いをしまして、それが役に立ちました。映画を撮影する前に、監督はコンテを書きますが、僕はコンテを書く専門の方と一緒に、このカットはこういうアングルで…ということをお伝えして、全689枚の絵コンテを書きました。そのコンテをもとに、撮影監督、照明監督、アクション監督なども交えてスタッフ会議を重ねました。その話し合いをしたとき、「この部分は観客に伝わりにくいかもしれないんじゃないか」といった意見が出てきて、それを元に修正していきました。なので、シナリオの段階で意見を聞くというよりも、スタッフの会議の中で意見を交わしながら作っていきました。――通常、絵コンテというものは、そこまで緻密に準備するものなのでしょうか?僕の場合は、689枚の絵コンテを準備するのに3か月かかりました。全部書き終えてスタッフに見せたら、とても喜んでくれたんです。それでビールでも飲みに行こうと誘われました。撮影監督は、韓国でたくさんの映画を担当している人なんですが、その彼が、「最初のカットから最後のカットまで全部、事前にコンテを描いてきた監督は初めてだよ」と言っていました。通常は、撮影する前に、ある程度の絵コンテを準備して、「これはどうですか?」と確認して、OKが出れば次にいくものなんですけど、最初から最後まで全部書いてきたのは、僕が初めてだということでした。――そのエピソードをお聞きすると、イ・ジョンジェさんはタフであり、また緻密に映画に取り組まれたんだなと思ったのですが、普段からそのような部分があるのでしょうか?僕もここまで自分が緻密にものごとに取り組む人間だとは思っていませんでした。今回は、責任感からそうなったんだと思います。すべてのスタッフが監督の決定を待っている。その決定が遅れてはいけないと思ったんです。そして、その決定が正しいものでないといけないという責任感によって、頑張れたんじゃないかと思います。チョン・ウソンとカンヌへ「最も尊い記憶に」――映画が完成して、カンヌ国際映画祭に行かれたときは、チョン・ウソンさんが隣にいたことが心強かったというようなことを言われていました。映画の撮影でも、やはりウソンさんがいたことで心強かったと思われたことはありましたか?一番親しい友人が傍にいるだけで、それは本当にうれしいことですよね。僕の監督デビュー作で、いい映画を一緒に作ってみようと意気投合できただけでもうれしかったし、僕もベストを尽くしました。その結果、カンヌ国際映画祭に一緒にいけるなんて、本当にうれしかったです。映画にかかわる人間として、カンヌに二人で肩を並べて行くということは、本当に簡単なことではないと知っていますから…。これまで僕が映画の仕事をしてきた中で、最も尊い記憶になったんじゃないかと思います。――監督第一作を見て、次も撮ってほしいと期待してしまうのですが、イ・ジョンジェさんはどうお考えですか?今はまだ実際に撮るという計画はありません。でも、以前から書いてみたいと思っているストーリーがありまして、今、書いているところなんです。シナリオを書いているだけなので、まだどうなるかは未知数なんですけどね。(text:西森路代/photo:You Ishii)
2023年09月29日イギリスの最長寿SFドラマ「ドクター・フー」に出演した国民的スター、ビリー・パイパーと、エミー賞受賞のHBO人気ドラマ「メディア王 ~華麗なる一族~」などを手がけてきたルーシー・プレブルがタッグを組んだドラマ「超サイテーなスージーの日常」のシーズン1&シーズン2<字幕版>が「スターチャンネルEX -DRAMA & CLASSICS-」にて独占配信中。シーズン1では、この2人が肌で感じたエンタメ業界で働く女性のジレンマや経験を盛り込み、シーズン2ではメンタルヘルスの問題にも切り込んだリアルなドラマを構築。女性の本音や欲求、固定観念に対する不満、性差別などを率直に、かつ辛辣なユーモアをまぶしながら描き、“ただのコメディではない深みを感じさせる作品”として、英・Skyや米・HBO Maxで大ヒット。シーズン1が批評サイト「Rotten Tomatoes」で95%フレッシュを記録したことに続き、キャリアも家庭も失った主人公スージー・ピクルスがダンス・リアリティ番組に出演して起死回生を目指したシーズン2は100%フレッシュという高評価を獲得。ビリー・パイパーはシーズン1、2続けて英国アカデミー賞(BAFTA)主演女優賞にノミネートされた。ルーシー・プレブル photo credit: William Kennedyこの度、ビリーとともに本作を手がけた共同クリエイター、ルーシーのインタビューが到着。シーズン2をどんな思いで作りあげたのか語っている。Q:前回のスージー・ピクルスから、状況はどのように変化しましたか?ルーシー・プレブル(以下、R.P):「超サイテーなスージーの日常2」は、前作の終わりから数か月後に始まります。人生を投げ出したスージー・ピクルス(ビリー・パイパー)は、姉の家に身を寄せ、世間の目から逃れようとしていて、離婚を乗り越え、キャリアを立て直す方法を見つけ出そうとしています。スージーの女性としての経験はテレビのタレント・コンテストから始まりました。そしていま、彼女は自分がよく知っていて理解している世界に戻ることを決意します。「ダンス・クレイジー」という国民的人気を誇るダンス番組です。セレブたちがテレビで大衆の愛を競い合います。いまこそ彼女はステージに立ち、本当の自分を世界に示そうとするのです。Q:シーズン1の反響は、今回の脚本に反映されましたか?R.P:(反響の大きさは)かなり奇妙で強烈で、おかしな感じでした。愛と同じくらいヘイトも期待していましたし、自分が特別な存在だと思えば思うほど、人々は自分自身を受け入れるようになるということを学びました。これは驚くべきことです。また、悲しいことに、本当に人々の心を動かし向上させる脚本とは、ページ上に血がにじむような脚本なのです。自分自身の向き合いたくもない、隠しておきたいような部分をさらけ出し、解剖するようなもの。それは非常に疲弊する作業ですが、それこそが真実です。そして、これほど多くの番組があるいま、あえて一般的ではない番組を作ることを楽しんでいました。その意図は、見慣れた番組を作るのではなく、TVというメディアを使って、人生とは本当はどんなものかを思い出させ、お決まりの展開の裏に隠されたものを探らせることでした。Q:今回はどのようにストーリーを進めたのですか?R.P:3話にわたって、スージーがダンス・コンペティションに出場し、彼女の私生活がどのようにダンス大会と絡み合い、影響を与えていくのかが描かれます。クリスマスに3夜にわたって放送されるBBCの時代物ような、大きなコンセプチュアルなアイデアなんです。あなたが歴史劇を観たくないときに観る番組ですね。親と一緒に見る番組ではありません。前シリーズは、エピソードごとに異なる感情を持つというコンセプトでした。でも今回は序盤、中盤、そして終盤の3幕構成になっています。Q:クリスマスを舞台にすることで、何が生まれるのでしょうか?R.P:クリスマスは、喜びと同じくらい苦痛と騒乱に満ちた魅力的な時期です。特に女性は、この時期に多くのプレッシャーと混乱を感じると思います。 感情的に高まる時期です。このシリーズは両極端で、相反するものをテーマにしています。ステージ上のきらびやかさと舞台裏のたたずまい。1年で最も素晴らしい時期であり、人々が離婚を決意しやすい時期でもあります。多くの芸術作品には、クリスマスは魔法のように、甘くて、気取ったものとして見せなければならないというプレッシャーがあるようですが、それが悪夢になることもあります。この作品は、クリスマスの華やかさと激情を描いた楽しい作品であり、1年で最も素晴らしい時期に、ある種の“仮面”を保ち続けなければならないと感じているすべての人にとって、かなりのカタルシスを感じられると思います。Q:ビリーの演技はどのように進化したのでしょうか?R.P:ビリーは国宝級の並外れた俳優だと思います。もちろん、あのダンスをすべて自分でこなすというすごいことを含めて。トレーニング、パフォーマンス、演技、そして振付師として、また編集者として、そして彼女はエグゼクティブ・プロデューサーとして、すべてのことに携わっています。印象的だったのは、このキャラクターが関心を集めたいわけではなく、どれほど一生懸命なのかということです。初めてラッシュ(編集前の映像)を観たとき、この作品が持つ怒りに驚きました。Q:今シーズンのスージーの軌跡は、実話に触発されたのでしょうか?R.P:もちろんそうです。ブリトニー・スピアーズやアンバー・ハードがビリーに近いとみんな言いますが、ビリーはこうしたことを理解できる素晴らしい役者です。出発点はもっと政治的で文化的なものです。Q:テレビ界の内輪ネタになりすぎないように気をつけなければいけませんでしたか?視聴者は舞台裏を見るのが好きだと思いますか?R.P:そういうことはあまり考えていませんでした。「メディア王 ~華麗なる一族~」の脚本と製作総指揮から学んだことですが、この業界の裏側について忠実であればあるほど、より多くのリサーチを行えば行うほど、視聴者はそれを感じ取り、信頼し、傾倒していく。一般的で分かりやすい視点から書こうとすればすぐに、見下されていると感じ取るのです。これらの番組を見ている人たちは、仕事を持っていて、これらの世界が本当はどんなものかを知っています。それが正直に描かれているのを見ると、ホッとすると思います。※以下、シーズン2の内容に触れている表現があります。Q:スージーが妊娠中絶をするシーンは、動揺を感じさせると同時に、現実のように感じられます。女性の権利に対する現在進行形の攻撃に照らして、このシーンを見せることはどれほど重要だったのでしょうか?R.P:中絶をスクリーンで一度も見たことがないなんて、どうかしています。もちろん、様々な形で中絶が取り上げられてはいますが、多くの場合、東欧の圧政や、ヴィクトリア朝時代の路地裏の体験など、悲惨な視点から取り上げられることが多いものでした。まるでそれが、いまではまったく起こってないかのように。実際にはほとんどの中絶には正当な理由があって、女性たちが見届けるなかで現実的で管理的な方法で行われています。女性たちは、子宮外妊娠という医学的理由から、妊娠を継続することが受け入れられないという理由まで、中絶が必要になる事情がたくさんあることを知っています。妊娠を継続できるかどうかは、生殖に関する一般的な文化的理解とはまるで異なる毎月の“現実”があります。毎月の出血にはむらがあるんです。ときには、それが受精卵であることさえわからない場合もあるのです。妊娠、流産や中絶を理解するための会話は、特にアメリカ合衆国では、不愉快なほどに狭視野で家父長的で、女性蔑視の無知で恐ろしい恥ずべきものとなっています。(本作のスージーのような)中絶の経験の真実味のある思慮深い表現は貴重なのです。Q:エンディングは、多くの人にとってショックかもしれないですね。特に、クリスマス・スペシャルであることを期待すると、この結末は、多くの人にとって衝撃的かもしれません。R.P:この結末は、ビリーと私の話し合いから生まれました。ここ数年、女性に関する衝撃的で受け入れがたい現実がありました。私たちは、それを正直に表現しないまま番組を終わらせたくはなかったのです。体裁よく整えられた結末が正しいとは思えません。私は自分の悲劇にうんざりしています。女性にまつわる悲劇が、男性にまつわる悲劇よりも低く評価されることにうんざりしています。私が書いたものは怒りに満ちたものなのに、面倒くさいものと言われることにもうんざりしているんです。もうこれ以上、笑顔を振りまいてなんていられないんです。Q:シーズン2の見どころは?R.P:カオスでした。カオスです。カオスを見てほしいです!<海外ドラマ「超サイテーなスージーの日常 シーズン1」(全8話)><海外ドラマ「超サイテーなスージーの日常 シーズン2」(全3話)>【配信】スターチャンネルEX -DRAMA & CLASSICS-<字幕版>独占配信中<吹替版>シーズン1:全話配信中、シーズン2:10月2日(月)より全話配信開始【放送】BS10スターチャンネル【STAR1字幕版】10月10日(火)より放送開始 毎週火曜23時ほか【STAR3吹替版】10月12日(木)より毎週木曜22時ほか▼シーズン1(全8話)再放送【STAR1字幕版】9月26日(火)&10月3日(火)23時より4話ずつ放送 ※第1話は無料放送【STAR3吹替版】10月5日(木)22時より全話一挙放送(シネマカフェ編集部)
2023年09月28日