「インタビュー」について知りたいことや今話題の「インタビュー」についての記事をチェック! (4/30)
2000年代にワインブームを日本で再燃させた伝説的漫画「神の雫」が、国際連続ドラマのHuluオリジナル「神の雫/Drops of God」として、9月15日(金)よりHuluで独占配信される。原作の主人公・神咲雫をフランス人女性カミーユに置き換えるという大胆なアレンジがなされた本ドラマでは、もうひとりの主人公・一流ワイン評論家の遠峰一青との、カミーユの父の遺産をかけたワインバトルが華やかに展開される。フランス、日本、イタリアと国を横断して描かれる国際ドラマならではのスケール感が、独特な世界観に没入させてくれる。そして、要となる遠峰一青を演じるのが山下智久だ。これまでいくつもの国内外の作品に携わった山下さんだが、海外ドラマでは初主演を飾ることになった。2021年8月にフランスでクランクインし、その後、各国へ渡りながら約10か月に及ぶ撮影を実施した山下さんは、充実の表情でインタビューに応えてくれた。人気の高い原作の実写映像化へ臨むための高い意識からはじまり、役を深めるための手段、さらにガストロノミー(美食学)の世界を描いた本作にかけ、山下さんの最近の「美食」事情まで、多面的にいまの山下さんを見つめる。国際色豊かな現場「本当にいいチーム」――国内外で人気の高い「神の雫」を国際連続ドラマ化し、山下さんは海外ドラマ初主演となりました。オファーがきたときは、どのような気持ちになりましたか?うれしかった部分もありますし、実写化するときは原作のファンの方がたくさんいらっしゃるので、そういう意味ではプレッシャーと緊張感もすごくありました。ただ、ドラマの脚本を読んだとき「これは漫画『神の雫』のDNAを持った別の作品だ」と理解したんです。そこからは原作へのリスペクトは忘れないようにしつつも、脚本の世界観に忠実に掘り下げていこう、と意識が向くようになりました。――国際色豊かな現場は、多言語が飛び交うような感じでしたか?現場はすごく和気あいあいとしていましたね。監督はイスラエルの方ですけど英語はほぼネイティブに近い感じなので、基本は英語でやりとりしていました。監督からは、演技についてがっつり指導をされる感じではなく、「今、一青はこういう状況でこういう感じだと思うんだけど、それでやってみてもらっていいかな?」という感じで進めていっていました。脚本家の方も何人かいらっしゃって、本当に皆さん、毎日練りに練って考えに考えて真剣に取り組んでいる熱があるんです。それがどんどんこっちにも伝わってきて。だからこそ、ぎりぎりまでセリフが変わる現場でもありました。一青が生きていた感じがすごくありましたし、新鮮な環境だったので、僕もとにかく楽しもうと思ってやっていましたね。監督もすべての時間をここに費やしてくださっていたし、本当にいいチームでした。――ワインがもうひとりの主人公とも言えるストーリーですが、山下さんは本作きっかけでお好きになったとか?そうなんです。作品がきっかけで勉強して好きになりました。いろいろなワインをピンからキリまでちゃんと飲んでおかないと、と思ったので、もう…いくら使ったんだろう、って感じです(笑)。――コストのかかる役作りでもあったんですね(笑)。飲んでみて発見はありましたか?ありがたいことに、ものすごく高いワインも飲ませてもらったりしたんです。もともとは「高い=おいしくて当たり前」という気持ちがあったんですけど、作り手さんの気持ちや思いを感じながら飲むと、より深みが出るものだとわかりました。一方で、安くてもめちゃくちゃおいしいワインもいっぱいあるんですよね。自分の好みは、飲んでいくうちにわかっていったので、その感覚はちょっとアートに近いかなと思いました。アートも見ていくうちに自分の好みが見えてくるじゃないですか。その背景も含めてロマンや哲学があったりするので、大人の趣味にはいいかもしれない、という発見もありましたね。アクティングコーチは「自分ひとりで考えるよりも幅が広がる」――ワインの知識を深めていくこと以外で、役作りでされたことはありましたか?一青のライバルとなるカミーユは、人並み外れた味覚や嗅覚があるという特殊な能力を持っているんです。なので、監督と「一青は味覚、嗅覚を最大限研ぎ澄ますことをするべきだよ」という話になりました。痩せると飢餓状態になるから、味や香りにすごい敏感になるんですよね。だから、カロリーをほぼ摂らないようにして、めちゃくちゃ痩せました。何事もやるとなったらいろいろなものが見えなくなって、やりすぎてしまうタイプなので死にそうになりましたけど(笑)。命がけでした。あとは今回、役を深めるために、アメリカ人のアクティングコーチの方に指導をお願いしました。――アクティングコーチとは、どのような役割なんですか?簡単に説明すると、役者に演技指導を行う専門家です。台本を送って、そのシーンをコーチに解析してもらう、という形なんです。コーチの視点で「この部分はこういった心情だから、ちょっとこんな雰囲気でやってみて」と提案をしてもらえるです。例えば、「“愛している”という言葉を“殺したい”という気持ちで言ってみて」とか。自分の演技の幅をすごく広げてくれる存在なんです。チューニングしていく過程は、やっていてすごく面白かったですね。――アクティングコーチをつけるのは、今回が初めてで?同じくHuluオリジナル「THE HEAD」をやったときに、現場にアクティングコーチが来てくれていました。それが初めての経験でした。自分ひとりで考えるよりも幅が広がるから、大事なことだなと思います。――日本だと、まだあまり浸透していない文化でもありますよね。そうかもしれません。日本にもおそらくアクティングコーチはいらっしゃるとは思うんですけど、まだあまり定着していない感じですよね。僕がまだ出会えていないだけかもしれないけど…。演技の広がり、深みが出てくると思うので、すごくいい文化だと思っています。ライバルに年齢は関係なし「勝手に闘志を燃やしています」――カミーユと遠峰はライバルに当たりますが、山下さんにとって“ライバル”に当たる存在はいますか?ライバルは、その都度、その都度やっぱりいっぱいいます。ライバル的な存在がいると、自分がより強くなるとは思います。「負けないぞ」という気持ちはすごい大事だと思うんです。ライバルがいてくれるのは、ある意味すごく幸せなことだなと思いますね。――どんなときに「ライバルかも」と相手を意識するんですか?昔は年代が近い、同年代の人をライバルというふうに思うことが多かったかな。けど、今は年齢は関係ないです。自分がなりたいと思っている存在に近いようなことをしている人に対しては、まだまだ全然追いつけていないという気持ちで、勝手に闘志を燃やしています。――ライバルに奮起することもそうですし、ほかにも山下さんがご自身でステップアップを実感するために意識していることは何でしょう?自分を高めていくこと、自分の感覚をグローバルスタンダードに持っていくのは、すごく大事だと思っています。自分の知識や経験が増えたりすると、波長が合う人が変わってくるじゃないですか。そうやってどんどん高め合っていく作業が、たぶん一番近道なのかなと思います。日本の方でも、海外の方でも、一流の人たちの話を見たり、聞いたり、読んだりして、自分の感覚値を上げていく作業をしています。やっぱり内を広げていかないといけないな、とすごく感じているんですよね。これまで外に外に意識が向いていたんだけど、今はどちらかと言うと自分の内の質量を、どんどん大きくしていきたいなと思っています。――最後に、最近の山下さんについてもいくつか教えてください。カミーユは父との「ふたりだけの場所」を持っていましたが、山下さんにとっての特別な場所、落ち着けるような場所はどこになりますか?僕は海が好きですね。海は定期的に見に行きたくなるんです。国内でも海外でも、どこというわけじゃないんですけど。やっぱり広がりとあの音を聴いたり感じたりすると、すごい心が楽になるから。ヒーリング効果があるのかなあと思いますね。直近だと、近いのでお台場近辺の海を見ました。――ありがとうございます。本作の世界観・ガストロノミー(美食学)にかけて、最近、山下さんが感じた「美食」エピソードを知りたいです。ええー、何だろうな?この間、コンサートで名古屋に行って、ひつまぶしを食べたらすごくおいしかった(笑)。――食はツアーの楽しみでもありますよね。ちなみに、自作の美食レシピもありますか?美食というほどでもないし、最近全然やっていないですけど好きなレシピはあります!鶏ひき肉と玉ねぎを塩コショウで炒めて、それをご飯の上にのっけて、卵かけごはんにするというやつ。玉ねぎと一緒に炒めるとくさりにくいですし、冷蔵庫に入れておくと食べたいときに食べられるのでいいですよ。たんぱく質もしっかり摂れるし、安いし、簡単だし、お気に入りのレシピです。(text:赤山恭子/photo:You Ishii)
2023年09月12日「映画、芸術、メディアを通して女性を勇気づける」をスローガンに掲げる非営利映画製作会社「We Do It Together(WDIT)」が企画制作したアンソロジー映画『私たちの声』。多様化が叫ばれながらも、今もジェンダーギャップに苦しみ、社会の中で孤立してしまいがちな女性たちを支え、応援するストーリーが、世界各国の女性監督、女性俳優たちによって7つの短編映画として集結した。日本からは「国際映画祭で評価されている女性監督」「主演は日本で5本の指に入る女優」として、呉美保監督と杏の二人に白羽の矢が。日本版ストーリー『私の一週間』では、2人の子供を抱え、育児に家事に、お弁当屋の経営にと超多忙なシングルマザーの一週間が淡々と描かれている。そこにこそ、日本の女性たちが抱える大きな問題があり、なかなか社会に届かない「声」があると考え、リアリティ溢れるごく普通の日常を通して丁寧に現代をあぶり出した呉監督と主演の杏さん。日本代表として本作を世界に届けた二人に、本作の魅力について聞いた。淡々と描かれているからこそドラマチック――監督、今回「私たちの声」に参加されようと思った理由を教えてください。呉監督:最初にお話をいただいた当時、下の子が0歳だったんです。そんなときに映画なんて作れるのかなと思いました。でも、ジェンダーギャップというテーマを聞いた時に、「今、映画なんて撮れるのか」と思っていること自体が、まさにジェンダーギャップなんだと気づいて。上の子は5歳(現在8歳)で、つまり5年間も長編映画を撮っていなかったんです。今頑張って作らなくて、私はいつ頑張るんだと思いましたね。――杏さんへ。一週間の日々が繰り返される中で、頑張りつつも、日を追うごとに徐々に疲弊して行く母親の様子が、強く心に訴えてきました。杏:あれは、子を育てる者が毎日行っている作業であり、どれだけ疲れていてもどれだけ調子が悪くても、仕事が忙しくても必ずやらなければいけない最低限の行為。もっと手厚くやっている方もいっぱいいると思います。そんな様子を淡々と作業として映像で積み上げていくと、現実を描けるのかなと思いました。――確かに力強いリアリティがありました。杏さん演じるシングルマザーと子供たちの日々が積み上げられていくなかで、助けがない親たちが直面している苦労、言葉にならない戦いのようなものが凄く感じられました。杏:今回、問題提起とか、「大変なんだよね」「どうにかしてよ」とか、そういうことは強調しないようにしようと、最初に監督と話をしました。それを言ってもねっていうところもあるし、淡々と描かれているからこそ私はこの作品をドラマチックに感じました。ですから、この物語の受け取り方はきっと見た人それぞれ、引っ掛かるところが違うのではないかとも思います。そういう余白がある作品。短編の中で1週間を描ききったということも本当に素晴らしいと感じます。――監督も、杏さんも、母親ですが、主人公にはどんな言葉をかけてあげたいですか。杏:お疲れ、ですね。頑張れは言えないですし、休んでと言ってもしょうがない。休むのも難しいですしね。呉監督:本当にそう、お疲れ、ですね。ほんのささやかな言葉をもらうだけでいい。子供に「ママいつもありがとうね」とたまに言われるんです。別にそんなに深く考えて言っていないと思いますが、それだけでも報われる感じありますね」コロナ禍を経て再び他者を認め合う時代へ――このアンソロジー映画では、ジェンダーギャップをテーマにしていますが、全7作品とも共通して、理解者とか手を差し伸べる存在の重要性も描いていますね。呉監督:いろいろな国で、女性たちが今置かれている状況、抱えている問題を知ることができるので、すごく大事な、そして必要な映画だと感じました。それこそジェンダー問題だけじゃない。多様性という意味で、もっともっと世の中が開けていくといいなと思っています。新型コロナウィルスの蔓延をテーマにした作品もありましたが、世界各国がコロナで閉鎖的になったこともありました。そこでもう一度、自分を見つめ直せたからこそ、みんなが再び他者を認め合おうとしている。この映画からはそれを強く感じました。杏:各作品それぞれ、女性キャラクターをはじめ、登場人物の多くがどこかしら閉塞感を抱えています。そこに風穴が開いて、差し込んできた光が心地いいなとか、ちょっと救われるという展開が、どの国の作品にも含まれていますよね。それぞれの国には、異なる事情や違った背景があるとは思う。それでも、同じ光のようなものを感じられた気がしました。――「WDIT」の主旨についてはどう思われますか?杏:寄り添うことの大切さや難しさが、今、注目されていますよね。 核家族化していたり、ネットワークの発達によりコミュニケーションの形が変わってきたり。SNSのように以前は無かったツールが生まれて、これまでとは違ったコミュニケーションの感覚も生まれている。そんな時代だからこそできることはあると思います。「We Do It Together」のように。変わるチャンス、変えられるチャンスがやってきていると感じます。こういった意義のあるメッセージ性を持つ作品に参加できたのはとても嬉しいです。呉監督:少し前に、#MeToo運動がありましたよね。声を上げる、共鳴することのひとつの代名詞になっています。「WDIT」も、一緒に頑張ろうというひとつの大きな共通認識。声を上げるのはとても勇気がいることで、特に日本人、ましてや著名人が「私もです」と言うのは難しい。周囲に忖度してしまう瞬間もあると思うんです。でも、個人の権利や、日本を始め世界に対してどういう社会になって欲しいかという希望、どういう人が増えてほしいかという未来を考えて、ちゃんと声を上げるのはすごく大事。そこを素直に言える社会にどんどんなって欲しい。本作もそのきっかけになると嬉しいですね。――#MeToo運動は、告発や告白を主としたものでしたが、WDITはここから一緒に新たな世界を創り出そう、前に進んでいこうという次の段階。前向きなムーブメントですね。杏:最近、母親としてインタビューを受けることもあるのですが、そういう立場で話をするときには、「がんばらない」とは声高に言いますね。それこそ家事と育児と仕事なんて、WDIT。つまり、もう皆でやっていかなくては本来成り立たないものだったのだと思います。今は何とかやっていても、それが本来のあるべき姿や自然なことではないかもしれない。もちろん、いろいろな形があるし、人によって理想も価値観も違いますが。だからこそ、「私、大変なの」と言う人に、「もっと大変な人もいるよ」と言うのではなく、その声をちゃんと受け止めることも大切だと思うんです。私は、取材だとつい取り繕う部分もある。でも、家庭について語るときは、肩肘を張りすぎず、「実は…」というところは積極的に、素直に出していきたい。それも、WDITに繋がるのではないかと思っています。――最後にお2人が目指したい共生社会、それを目指すにあたりどうあったらいいなという希望はありますか?呉監督:私は子供を産まなければ気づかなかったことが多く、この映画にもそういったことをいっぱい描きました。子育てについて言えば、保育士さんや学校の先生たちにすごく助けられて来ましたが、同時に、日本の子供教育に関わる人に対する待遇や評価の低さを強く感じています。良い先生なのに辞めていく人も多いんです。もっと高待遇だったら、続けてくれていたかもしれないのに。今、気になることと言えば、そういった社会の未来に大きく関わる教育問題ですね。杏:日本では、他者の介在がとても難しい気がしています。困っている人に他人が手を差し伸べにくいというか。二つの国で暮らしをしていると、違う国の違うやり方を知ることができます。ならば、二つのいいとこ取りをしていきたいと思っています。情報が発達したこの世界では、同じ事柄に対して極論も見えやすくなるし、良いアイディアもあまり良くない考えも見えてきたりする。だからこそ、古今東西の違う文化や昔のいいところ、これから起こる未来のいいところを選べる状況にもなってきている。それなら、いろいろな国の良い部分を取って行くという考えもありだと思うんです。習慣や文化にとらわれすぎず、少しでもみんなが意識して自分の手で自分のやり方を選びやすい社会になったらいいと思います。(text:June Makiguchi/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:私たちの声 2023年秋、新宿ピカデリーほか 全国ロードショー©2022 ILBE SpA. All Rights Reserved.
2023年09月01日直近で放送されたドラマにおいて「観ないクールはないのでは?」と驚いてしまうほど、躍進目覚ましい俳優の坂東龍汰。「王様に捧ぐ薬指」では山田涼介の恋敵役を、「リバーサルオーケストラ」では一途なフルート奏者を、「ユニコーンに乗って」ではコミュ障な天才プログラマーを立て続けに好演している。数年前までは顔を指されることもなかったが、近ごろは「あっ、あの作品に出ている…!ですよね?」と声をかけられることも珍しくなくなったと、インタビューで朗らかに話した。多種多様な役を柔軟に渡り歩き、自分のものにする坂東さんの最新出演作は、津軽塗がつむぐ家族の映画『バカ塗りの娘』。通称“バカ塗り”と言われる津軽塗の職人を目指す美也子(堀田真由)と寡黙な職人の父・清史郎(小林薫)の物語において、坂東さんは美也子の兄・ユウを演じた。ユウは父と祖父に期待されながらも家業を継がず、美容師として独り立ち、さらには将来を見据えて花屋の尚人(宮田俊哉)と付き合っている人物。奔放さと繊細さを絶妙に織り交ぜた、坂東さんの演技に魅せられる。青森県弘前市で全編撮影したという本作、坂東さんに撮影中のエピソードや深部まで考え抜かれた役への思い、息抜きの仕方や価値観の変化に至るまでインタビューで聞いた。撮影も心地よく進んだ最新作――最初に『バカ塗りの娘』への出演が決まったときの気持ちから、教えてください。鶴岡(慧子)監督の映画は今まで観ていたので、ご一緒できることが素直にすごく嬉しかったです。物語は、津軽塗というものを軸に伝統工芸をやられている家族のお話。津軽塗がきっかけで家族が離ればなれになってしまい、またその津軽塗を通して元に戻っていくという再生物語なんです。脚本を読みながら画が浮かぶようで、すごく美しい作品になるだろうし、静かで心地のいい空気感の映画になるのかなという印象をまず受けました。――坂東さんは主人公・美也子の兄ユウを演じています。どのような人物という印象で臨んでいかれたんですか?ユウは、お父さんとの関係がだいぶぎくしゃくしていて本音で話し合えない状況にあるけど、美也子のことはすごく気にかけていて、いい関係でいられている…そんな家族との関係性だと思っていました。丁寧に演じていけたら、と意識していました。――ユウは美也子、父、恋人の尚人と3人に見せる顔がそれぞれ少し違いましたよね。その表情がリアルさを帯びていました。脚本を読んだときに、映画に映っていないときの時間…どういうことがあって、みんなそれぞれ何を考えていたのかが、すごく大事な作品だと思っていたんです。映っていないときに人間はいろいろなところでいろいろなことがあって、悩んで、葛藤したあげく、やっと話せる瞬間だけを映画(映るところ)は切り取っていたりするものかなと。相手によって見せる顔が違うのは、僕も普段生活していて同じだなと思うんですよね。マネージャーさんと話すとき、友達と話すとき、親と話すときは違うので。本質は一貫しているけど、そこには別の自分がいるというか。その本質さえちゃんと捉えていれば、ユウもいろいろな表現の仕方があるのかなと思っていました。――その4人が一堂に会す、ユウが尚人を連れて父と美也子に挨拶に行くシーンは印象的でしたね。美也子が「津軽塗をやる」と決意するきっかけにもなるシーンなんですよね。印象的にしたいなと思っていたので、すごく大事に演じました。現場では、いつもみんなすごく話すんですけど、あのシーンに向けてのときだけは口数が自然と減っていました。待ち時間も映画そのままの空気がずっと流れているような感じで、心地よかったです。共演者、その土地との空気感を大切に――坂東さんはユウと尚人の状況について、どう感じていましたか?宮田さんとの空気感も絶妙でしたが、ふたりでお話もされたんでしょうか?特に話し合うことはしませんでした。弘前で撮っているという場所の力と、監督にゆだねている部分があり、そこにすごく信頼を置いていたんです。純粋に「尚人と一緒に生きていきたい」気持ちを大事に、自然体で演じられたらとやっていました。――劇中ではぎくしゃくした親子関係でしたが、小林さんと共演していかがでしたか?僕、薫さんのことが大好きなんです!薫さんは現場で本当にムードメーカーでいてくださって。お芝居をしているとき以外、ずっとしゃべっているんです(笑)。役柄とのギャップがすごくあって、もうギャップ萌えでした。現場ではお芝居の話はせずに、「昨日何を食べたよ」、「あのお酒がおいしい」とか本当に他愛もない話をしていました。――そうした会話や現場での雰囲気は、演じる上で大きく影響するものなんですよね。今回の作品に必要なコミュニケーションだったと、僕は思いました。薫さんと「役者とは」とか「こう演じると、こうなって」という話をしなかったのも、作品と地続きな感じがすごくしていて。現場の空気を薫さんと一緒に吸えているだけでも、本当に学びをもらうばかりなので、お芝居しているときにどれだけこの人のことを感じられるか、というのが今回の僕の勝負でした。――空気を感じてお芝居をするということ、つまり、その土地で撮影することも坂東さんにとって重要な意味を持つし、演技にも響いてきますか?はい。地方で撮影するとき、その土地で撮るということは、そこの街になじんだり、そこの街のものを食べたりすることに意味があるのかな、と思うタイプなんです。この作品に限らず、地方での撮影のときは率先していろいろな居酒屋に行って、地元の人と話すようにはしています。その土地でどういう風に生きているのかがわかる気がするので。弘前で撮ることの意味は、そこで生まれてくるのかなと思いました。「そのとき周りにないものを見つめたりして、価値観は逆転していたり」――ちなみに、オフにどこかに行ったというエピソードもあります?あります!クランクアップしてから、青森を2日間ぐらい車で旅しました。地元の人に「ここに行ったほうがいいよ」とたくさん教えていただいたので、いろいろ行きました。県立美術館に行って、おいしい弘前の天ぷらとおいしい蕎麦屋さんに行って、山の上にも登りましたし、パーキングでソフトクリームも食べた…(笑)。――満喫されたんですね!出演作品も多い中、自分なりの息の抜き方みたいものは芸能生活で身についてきましたか?だいぶ身についてきました。そして、僕にとっては自然の中にいることがすごく必要だということもわかりました。今思い返すと…自然が足りていないと思うときは、よく代々木公園や明治神宮外苑、井の頭公園という自然がある大きな公園に行って、お昼寝したりしていたな(笑)。思い返すと、それはプチ自然充電でしたね。今は休みがあったらすぐ車で地方に行くような感じです。僕、もともと海外に行ったり旅をしたり、知らない土地の人と話したりすることが大好きだったんです。あと、北海道の大自然の中で育ったので、都会にどこか息苦しさみたいなものを感じて生きているんだろうなって、今も感じるんですよ。今、自分がやりたいことを東京でできているということにはものすごく感謝していますし、本当に恵まれた環境に身を置いていると思っています。東京が嫌いということではまったくなく。――自然を摂取されに行く、と。そう、自然を感じに行っています。でも…僕自身、すごい驚いています。北海道に住んでいたときは、そんなことは全く考えなかったんですよ。ないものねだりじゃないですけど、そのとき周りにないものを見つめたりして、価値観は逆転していたりするんだろうな、と最近感じています。(text:赤山恭子/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:バカ塗りの娘 2023年9月1日より全国にて公開※青森県先行あり(C)2023「バカ塗りの娘」製作委員会
2023年08月29日1959年に生まれ、世界で最も有名なファッションドール“バーバラ・ミリセント・ロバーツ”、愛称バービー。デビュー以来、多くの人々を魅了してきたのは、彼女がファッショナブルだったからだけではなく、多くの人々にとってアイコニックな存在だったから。64年にわたり、女性を取り巻く社会環境の変化を体現し、多様性を映し出してきたバービー。さまざまな可能性を秘めた彼女の物語が、誕生65周年を前に実写化された。メガフォンを執ったのは『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』などを手がけたグレタ・ガーウィグ。女性の自立を描いた作品で評価が高いガーウィグ監督に、“バービーを撮る”ということについて話を聞いた。バービーの変化を通して「人間のもろさや変わっていく部分を逆に祝福したい」――バービーのイメージを壊さず、その魅力を掘り下げ、現代性を与えるに当たり、最も意識したのはどんなことでしょうか。バービーが64年間存在し続けているということです。そこをどう捉えるかが、ひとつの挑戦でした。1959年に生まれて、バービーには今まで色々なバージョンがありました。そんなバービーが持つ意味というのは、時代によって違います。ブランド自体が、そのときどきの時代や文化に発信したものも変化してきた。時代に先んじているというときもあれば、ちょっと時代に遅れたこともあったと思う。その64年間のいろいろあった歴史にまず踏み込むことで、バービーとは何なのかという答えを自分の中で出さなければいけないと思い、そこから制作を始めました。――バービーに感情が芽生えていく様子はとても感動的でした。バービーの変化を描く上ではどんなことを意識したのでしょうか。バービーは静物、動かないものです。人形ですからね。だからこそ、手の届かない完璧な存在でもある。一方で、私たち人間には体があって衰えていく。ある意味で壊れていくわけです。でも、バービーの映画を撮るにあたっては、人間のその部分をどうにかして祝福する方法はないかと考えました。バービーの経験する目覚め、変化というものを見せることによって、人間のもろさや変わっていく部分を逆に祝福したいと。それはバービーが今まで象徴してきたものと逆ですよね。でも、実写版を撮るにあたっては、そういう表現をしたいと思いました。表現の可能性を感じるために「映画といつも向き合っている」――バービーが体現する女性の目覚めという視点からすると、歴史の中でファッションから女性の自立をサポートした「CHANEL(シャネル)」を衣装として際立たせたことは、とても意味のある演出だと感じました。まさにその通りです。いろいろなデザイナーにインスピレーションを与えてきたバービー。多くのファッションデザイナーと話をしてみると、子供の頃、バービーのために作った服が人生で最初のデザインだったという話をよく聞きます。主演のマーゴット・ロビーは、もともと「CHANEL」と仕事をしていました。今回のコスチューム・デザイナーであるジャクリーヌ・デュランは、クリスティン・スチュワートが主演の『スペンサー』で、メゾンとコラボレーションをしていたんです。彼女は、「CHANEL」のアーカイブ担当者と仕事をした経験があり、クリスティンのための多くのルックはそのアーカイブを参考にしながらデザインしています。今回、素晴らしいと感じたのは、バービーの歴史と「CHANEL」の歴史という両方を衣装作りによって持ち込めたこと。それはやはり、マーゴットとジャクリーヌ、2人の存在があってこそでした。――本作では、様々な名作が引用されていますね。男性優位社会の価値観を表するものとして、『ゴッド・ファーザー』や『ロッキー』なども登場しています。私はシネフィルなんです。いつも映画を観ています。私にとって1番のインスピレーション源は映画。自分が映画制作において、視野が狭くなってしまったり、表現の可能性をもっと追求したりしたくなったときに映画館に行くんです。そうすると、必ず自分が解放される。自由になることができるんです。映画って何でもありなんだと改めて感じることができる。素晴らしいフィルムメーカーの才能、素晴らしい作品を観ることによって、クリエイティブ・マインドが再びオープンになって開けていくんですよね。映画作りに関して、正しい道なんてあるわけじゃないし、道もひとつじゃない。もちろん作品にはある種の品格と、それから美しさを与えたいし、優れたものにしたいとは思うけれど、そのための道のりは本当に沢山あるんだと、映画を観るとしみじみ思い出せる。常に表現の可能性を感じるためにも、映画といつも向き合っているんです。(牧口じゅん)
2023年08月11日名探偵ポアロやミス・マープルなどの名キャラクターを生み出してきた“ミステリーの女王”アガサ・クリスティ。そのミステリー小説の中でも、誰もが知るような著名な探偵は登場せず、ウェールズの幼なじみ2人が思いがけずコンビを組み、ある事件の謎を追うことになる痛快なミステリーが、現在スターチャンネルEXにて配信中の海外ドラマ「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」だ。今回の映像化で監督・脚本・製作総指揮を務めたのは、「Dr. HOUSE/ドクター・ハウス」や「ナイト・マネジャー」で知られ、生粋のクリスティファンだという俳優のヒュー・ローリー。偶然から事件に巻き込まれる元海軍の実直な青年、ボビイ役に『ミッドサマー』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』など幅広い役柄をこなすウィル・ポールター、そしてボビイとともに事件を調べる伯爵令嬢、フランキー役に『ボヘミアン・ラプソディ』や「ハリー・パーマー国際諜報局」(8月5日からBSにて再放送)のルーシー・ボイントンを迎え、ときに勇敢で、ときに無謀な(?)探偵コンビを描き出している。この度、好奇心旺盛で行動力抜群、ボビイとともに冒険に飛び込んでいくフランキーを演じたルーシーのインタビューが到着。映画『オリエント殺人事件』に出演したこともあるルーシーが、ヒュー・ローリー監督の脚本について、クリスティ作品の魅力について語っている。Q:あなたにこの作品に参加したいといわせたヒュー・ローリーの脚本の魅力を教えてください。ルーシー:ヒュー・ローリーの名前があれば、それが何であれ良いものであることは間違いないと察しがつきますし、脚本を読んでさらに確信できました。彼に会う前に脚本と原作を読みました。こう言っては良くないかもしれませんが、私は脚本のほうが好きでした。というのも登場人物たちと一緒に長い時間を過ごしましたし、彼ら自身や彼らの関係性、世界をより細かく深いところまで考察したからです。ヒューの原作の解釈は愛情が滲み出る素晴らしいものでした。アガサ・クリスティの魅力の輝きはそのままに、そこにさらにヒューのウィットとアイデアが込められているのです。もう好きにならずにはいられない脚本でした。Q:脚本の第一印象を教えてください。ルーシー:最初に脚本を読んで、次に原作を読みました。第一印象としては、とにかくフランキーに惚れこみました。もちろん演じるわけなのでフランキーの気持ちに寄り添って読みましたが、そこにヒューが描いた生き生きとした躍動感、斬新さ、軽やかさに惚れこんでしまったのです。役者としてフランキーのようなキャラクター、彼女のような人と出会えることは滅多にありません。そんなキャラクターを演じる機会が訪れてとても興奮しました。Q:以前にもアガサ・クリスティの作品にご出演されていますが、再び演じた理由を教えてください。ルーシー:それはアガサ・クリスティの大ファンだからですよ!彼女の作品は紛れもなく魅力的です。文体もウィット溢れるセリフも見事ですし、常に彼女の作品は読者の3歩先を行っているのです。登場人物は知的で十分すぎるほど魅力的です。しかも悪役たちの中には純粋さという幻想があり、知的センスのある狡猾さが物語の中に編み込まれているのです。アガサ・クリスティの作品の登場人物を演じられるチャンスがあるなら絶対にNOとは言いませんし、ましてやヒュー・ローリーが脚色したとなればなおさらです。わざわざ検討してみることなんてありません。Q:レディ・フランシス・ダーウェント、通称“フランキー”について教えてください。ルーシー:ヒューとフランキーについて話し合っている際に、“エネルギッシュ”と“度胸”という二語が頻繁に出てきました。このふたつは私がフランキーの中でもっとも気に入っている部分でもあります。彼女は予測不能で周りにいる人々や自身の人生にも存在感を示す人です。ある種の自信にも満ちていますが、何よりも存在感と強引さ――あらゆる喧騒の中に身を置きたいし、すべてを最前列で体験したい、という強い信念があるのです。ヒューの描き出す彼女のエネルギッシュさ、愛らしさ、人生を楽しむ姿は私にとって最も魅力的でした。Q:フランキーは素晴らしい女性主人公ですが、あなたが彼女を演じてみたいと思った魅力は何でしたか?ルーシー:アガサ・クリスティの描く女性たちは知性があり、ユーモアのセンスも知識もあります。フランキーはバイタリティと瞬発性があり、さらに人生に好奇心と緊張感、ハングリーさと刺激を求めています。そんな女性を演じることは私にとって大きな学びの機会となりました。彼女は決して自分本位ではなく、自分のことをより理解し、当たりやすい直感を信じて良心のままに行動する人です。それが彼女にとっては自分を解放するということなのですが、私自身もそんな彼女を演じることが自分を解放することにつながりました。フランキーは自分の力をよく理解していて、存在感もあり、自分を見失うこともない、まるでお手本のような人だと思います。私たち誰もがもっとフランキーのようになれると良いですね。これからも生き方のお手本として、きっとこの脚本を読み直すと思っています!Q:フランキーの登場シーンについて教えてください。ルーシー:教会でボビイの視点から見たフランキーから彼女の幕が開きます。ふたりにとっては子どもの頃以来の久々の再会です。互いに別々のタイミングで相手に視線を送るのですが、共に成長してきた人が「ああ、あの人がこんなに変わったとは!」とそれぞれに驚く様子はとても愛しくて、素敵な瞬間でした。あの時代の多くの女性は生活に縛られ、思うように生きられないか、想像していたのとは違う人生を歩んでいます。ところがフランキーは少し違っていて、この点においては自由に生きています。アガサ・クリスティがフランキーのことを目の前に立ちはだかる制約を押しのけていくような女性として描写している点はとても素晴らしいと思います。フランキーには反逆心がある。そして気まぐれな部分もあるのですが、ボビイとフランキーのふたりはまるで互いにウィンクを交わすように、それぞれの良さを引き出しあう関係になります。まだどちらも人生を真面目に考え過ぎず、ある意味どこか気楽に楽しんでいる段階なのです。フランキーは相手の良さをうまく引き出す持ち前の明るい性格でボビイをからかうのですが、ふたりのそんな姿はとても素敵でした。Q:ドラマの中で両親役を演じるのは、エマ・トンプソンとジム・ブロードベントでしたが、どんなお気持ちでしたか?ルーシー:エマ・トンプソンとジム・ブロードベントが私の両親です、と言うなんて、まるで現実離れしていますよね!ふたりとの共演はとても楽しいものでしたし、ふたりのエネルギーに触れることもできました。ふたりの演技を通じて、フランキーがどうして今のような女性になったのかを知る多くの答えを得ることもできました。とても素敵な一家です。かなりエキセントリックですが、それは家族の中心に強い愛情がある一家だからです。フランキーと母親が時折、気難しくてぶつかり合うのは、お互いへの愛情と相手を守ろうという強い想いがあるからです。Q:ボビーとフランキーは事件の裏に潜む怪しい空気を感じているのでしょうか?ルーシー:フランキーとボビーはまず謎の人物の死について捜査しようとしたところで、不穏な空気を感じ取ります。それからすぐに、これは本当に危険な捜査になることに気付くのです。アガサ・クリスティ作品には数多くの魅力がありますが、素晴らしいのは彼女が常に読者の3歩先を進んでいて、最初はさりげなく、やがて読者が青ざめるような展開を用意しているところです。驚くような展開に持ち込むためには、具体的なテクニックが必要ですがヒューの脚本をそれを的確に捉えてアドベンチャーとコメディのバランスを見事にとっているのです。おかげで視聴者は気楽に登場人物の人間関係を楽しんで見ていられたと思うと、次の瞬間には急にシリアスで手に汗握るような緊張感を味わうことができるのです。Q:様々なロケーションでの撮影はいかがでしたか?ルーシー:ボビーとフランキーが博覧会を訪ねていくシーンの撮影は、実際にあちこち移動しては撮影をして撮り終えることができました。そして最終日にカーニバルの撮影ができたこともこのドラマの撮影にふさわしい最後だったと思います。乗馬のシーンの撮影では美しいアルコーブや並木道を馬と一緒に走ることができて……とても静かで濃密な時間でした。ストーリーに沿ってとてもエネルギッシュでハイペースな撮影が続く中で緩急のついた非常に美しいシーンになったと思います。Q:「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」の見どころを教えてください。ルーシー:これはラブストーリー、ロードトリップ、犯罪スリラーといった要素が見事なバランスで混ざり合った、見どころが満載のドラマです。ほかにもボビイ、フランキー、ノッカーたちが主に繰り広げるコメディ色のあるアドベンチャーでもあります。さらにストーリーの闇の部分から漂ってくる恐怖や迫りくる危機も体感することができて、非常に洗練されたストーリーが繰り広げられています。このローラーコースターのような目まぐるしい展開が満載のストーリーとキャラクターたちの織り成す人間模様、ユーモアから急転直下のスリルと恐怖をぜひ視聴者の方々にも楽しんで頂きたいです。私たちも大いに楽しんで作った作品ですから、視聴者のみなさんにも楽しんで頂けると嬉しいです。<ストーリー>ウェールズの海外沿いの村に暮らすボビイは、ある日崖から転落した男を発見する。重傷を負った男は最後に「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」という謎めいた遺言をボビイに伝え、息を引き取る。その不可思議な言葉と、男のポケットに入っていた写真を手掛かりに、ボビイは幼なじみの伯爵令嬢フランシス・ダーウェントと共に事件の解決に挑むことに――。「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」<字幕版>はスターチャンネルEXにて全話配信中(全3話)。(シネマカフェ編集部)
2023年08月05日A24が配給を手掛けた『インスペクション ここで生きる』が、8月4日(金)に劇場公開を迎える。ゲイであることで母親に捨てられ、16歳から10年間ホームレス生活を送る青年が唯一の選択肢として海兵隊に志願。しかしそこは差別や暴力の温床で――。俊英エレガンス・ブラットン監督の実体験が基になった本作では、2000年代初めの米国社会の一側面を映し出しつつ、主人公フレンチ(ジェレミー・ポープ)があまりにも過酷な環境に屈せず、偏見を乗り越えていく過程をエモーショナルに描き出す。自身の過去をふり返り「透明だった」と語るブラットン監督は、いかにして這い上がっていったのか。その一端を明かしてくれた。自分の経験を基に映画を製作――改めて、ご自身の経験をベースにした映画を作ろうと考えた契機や理由を教えて下さい。私は16歳から25歳まで10年間ホームレスとして生活し、その後海兵隊に入りましたが、当時は「自分には何の価値もない」と感じていました。多くのホームレスの仲間は若くして亡くなったり刑務所に入ったりしていて、黒人でゲイの彼らがそういった結末を迎えるなら、自分も同じ道をたどるに違いないと思っていたのです。しかし、幸運なことにブートキャンプ(新兵訓練施設)で出会った教官が「君の命には価値がある」と教えてくれました。海兵隊員には両隣にいる仲間を守る義務があって、それは生きる目的になるんだと。教官がくれた信頼は私の意識を大きく変え、その言葉はいつまでも心に残ることとなりました。あの言葉があったから僕はホームレスシェルターを抜け出せて、いまこうして話せています。そしてこれこそが、僕が『インスペクション ここで生きる』を作った理由です。いま、世の中は二極化してきています。右派と左派、保守と自由、男と女、黒人と白人――全てにおいて極端に立場が分かれつつありますよね。でも、そんなことはどうでもいい。大切なのは、我々はいまこそ結束して互いを守らなければいけないということです。海兵隊に入り、僕はバックグラウンドが全く違う人々と友情を築くことができました。それぞれに考え方は異なるけれど、海兵隊員として「世界には目の前の問題より大きな戦いが存在している」と認識しているから、大切なことは必ず議論して、相手の意見に耳を傾けられるのです。もちろん同意に至らないこともありますが、議論をやめることはしません。この映画を観て、どちらか一方の側に付くべきではないと気づいてほしいし、議論の外にいる人も大切にすべきだと気づいてもらえたらと思います。作品完成までの様々な苦労――完成に至るまで――例えば資金繰りやクリエイティビティの保持など、どのような苦労がありましたか?実現に至るまでのプロセスは、全てが大変でした。脚本の初稿を書いたのは、2017年のことです。当時、僕にはA24にジュニア・エグゼクティブとして入った友人がいて、彼に「君のキャリアを一変させるような脚本がある。君はイエスと言えばいいだけだ」とメールを送りました。でも彼の返答は「これはA24向きの映画じゃないからもう一度練り直してほしい」というものでした。そこで脚本を書き直し、ラボ(脚本開発のためのワークショップ)に応募したものの選ばれたのは数か所で、ほとんどはNOを突き付けられました。そこから約5年かけてハリウッドを回り、話を聞いてくれる人全てに売り込みましたが、とにかくNOと言われ続けた日々でした。そんな折、ハリウッドで70人の重役の前でプレゼンする機会を得られたのですが、そのうち12人が興味を示してくれたのです。ようやく風向きが変わった瞬間でしたね。そこで、先ほどのA24の友人に再度連絡を取りました。9と4分の3番線からホグワーツ特急に乗って手を振るハリー・ポッターのGIFと共に「列車が出発するから乗り遅れない方がいいよ」とね。そうしたら彼も映画化に乗ってきてくれて、いまに至ります。――そこまで大変だったとは…。ところが、撮影はわずか19日間しかありませんでした。猛暑のなかミシシッピ州で撮りましたが、毎日気温が40度くらいあって倒れる人も出てきてしまい…。そのうえ、コロナ禍で4か月の中断を強いられました。ようやく撮影が再開できたとき、残された時間は1週間。母親役のガブリエル・ユニオンが登場する重要シーンをその期間で撮り終えなければならなくなったんです。コロナの保険で想定外の出費もありましたし、大変なことばかりでした。こうして日本での公開が叶い、作品が完成してからは順調に進んでいますが、人生何事も楽なことはないなと思います。でも、たとえ壁にぶち当たっても耐え抜けば、必ず大きな喜びが待っているはずです。僕自身がそうでしたから。観終わった後には「自分には価値がある」とわかる――主人公フレンチの「どんな逆境でも他者からの理解を諦めない」意志に胸を打たれる方は多いかと思います。ご自身の経験も踏まえ、なぜ折れずにいられたのでしょう?僕自身においては、自力でつかみ取らないと誰も与えてくれなかったからです。何の保障もないからこそ、信じるしかありませんでした。そして『インスペクション ここで生きる』においては、希望や不安という意味では100%自伝です。むしろ、言いたかったことややりたかったことという心の中の願望においては、実際に僕の身に起きたこと以上にリアルですらあります。フレンチは、自分がゲイだから弱く、それが理由で本物の男として認められていないとずっと信じていて、現状を変えるために海兵隊に入ります。でもブートキャンプを体験し、隊員の誰もが「自分は本物の男になれないかもしれない」という不安を抱いていると気づくのです。そして「自分は独りではない」と知った彼は、“ラディカル・エンパシー(革新的な思いやり)”を用いてある種、戦略的に優しさを見せていきます。移民やリベラル(自由主義)寄りの白人の海兵隊員を選んで、相手の繊細な部分に触れて寄り添おうとするのです。軍服を着ていなければフレンチのことなど相手にしなかった仲間に対して、不可欠な存在になろうと努めること――その体験を通して彼は「自分には実は何の問題もなく、問題なのは自分を変えないと馴染めない社会だ」と考えを深めていきます。こうしたプロセスは、虐げられてきた僕自身の経験が基になっています。誰かに虐げられると「原因は自分にある」と思いがちですが、良い出会いや正しい導きがあれば、「それは違う」と気づけるのです。もしかしたら相手は、自分らしく自由に生きる僕に嫉妬して、虐待することで自信を喪失させようとしているのかもしれません。でもこちらがそこで諦めてしまえば、壁の向こう側を知る機会は永遠に失われてしまいます。だからこそこの映画は、周囲に無視されたり「不十分だ」と言われ続けたりしてきた人たちに観ていただきたいです。観終わったころには、きっと「自分には価値がある」とわかるでしょうから。次回作以降の活動にも期待「全て順調」――次回作『Hellfighter(原題)』はジェイムス・リーズ・ヨーロップ(ジャズの先駆者で、メインストリームに進出した最初のアフリカ系アメリカ人ミュージシャンの一人)を描く伝記ものと伺いましたが、今後の活動について教えて下さい。ジェイムス・リーズ・ヨーロップは黒人として初めて、国外の戦争で米陸軍の将校を務めた人物です。第369歩兵連隊、通称“ハーレム・ヘルファイターズ”を率いていて、1919年フランスにラグタイムの音楽を紹介しました。いわば、フランスとアフリカ系アメリカのカルチャーが恋に落ちるきっかけを作ったわけです。にもかかわらず、彼の存在はこれまで忘れられてきました。だからW・E・B・デュボイスが説いた“二重意識”(アメリカ系アフリカ人は、黒人としての意識と、白人から見た黒人という意識の両方がある)のレンズを通して、彼の人生を描くことにしたのです。映画では、奴隷解放後の第一世代として社会に参加し、道を開拓してきたヨーロップの生涯を追っています。とても実験的な作品で、ベースはドキュメンタリーですがミックスメディアになっていて、当時の状況を体感できるように各時代のアーカイブ映像も多く用いています。観ていただけたら、きっと驚くと思います。ウィントン・マルサリス、コリン・パウエル、ジョン・バティステほか著名人も多く出演してくれて、ヨーロップの物語を伝えるために協力してくれました。あとはまだ発表できないのですが、フィクション映画も2本動き始めています。うまくいけば、そのうち1本は今年秋に撮影を開始できる予定です。公開されたら、日本に行って、みんなの前で作品について語れたらと思っています。また、これも話していいのか分かりませんが…テレビドラマも1本完成したばかりです。才能あるすばらしい製作陣やクリエイターたちが揃っている企画です。全て順調に進んでいて、あとは“上がる”だけですね。マーティン・スコセッシ、スパイク・リー、ペドロ・アルモドバル、黒澤明など、尊敬する監督たちのように輝かしいキャリアを築いていきたいと思っています。その野望を実現するために、いまは必死に頑張っているところです。(SYO)
2023年08月04日人気漫画「今際の国のアリス」の原作者・麻生羽呂が高田康太郎(作画)と組み、2018年に連載開始した「ゾン100 ~ゾンビになるまでにしたい100のこと」が、Netflix映画として実写化された。『シン・ゴジラ』(2016)C班の監督を務めた俊英・石田雄介がメガホンを取った本作は、ゾンビパンデミックで混乱に陥った世界で、逆に活力を取り戻していくブラック企業社員・アキラの冒険を描く物語。ディストピアで底抜けに明るく振る舞うという特徴的なキャラクターを任されたのが、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気俳優・赤楚衛二だ。新宿・歌舞伎町や青梅街道にゾンビがあふれかえる世界基準の映像が展開する作品の舞台裏や、大の漫画好きである赤楚さんが語る『ゾン100』のオリジナリティについて、語っていただいた。発想や見方の転換を教えてくれた『ゾン100』――赤楚さんのお好きな漫画は「サンクチュアリ」と「ザ・ワールド・イズ・マイン」だそうですね。なかなかハードな2作かと思いますが、いつ頃出合ったのでしょう?2作品とも20歳過ぎてからです。ただ、ハードな作品は昔から好きでした。元々は少年ジャンプ系の作品を読んでいましたが、小学校6年生のときに「バトル・ロワイアル」の1巻を読んで衝撃を受け、中学時代には漫画喫茶やゲームセンターの漫画コーナーで「ドラゴンヘッド」や「多重人格探偵サイコ」といった大人向けの漫画を読み漁っていました。その中で出合い「本当に面白いし、考えさせられる」と感じたのが「サンクチュアリ」と「ザ・ワールド・イズ・マイン」です。――筋金入りの漫画好きである赤楚さんが考える、『ゾン100 ~ゾンビになるまでにしたい100のこと』の独自性を教えて下さい。ゾンビの世界を描いた作品は悲壮感が漂っていて、哀しさや息苦しさを感じさせるものが多いですよね。映画『ゾンビランド』などはちょっとコメディチックになっていますが、『バイオハザード』や『ウォーキング・デッド』『新感染 ファイナル・エクスプレス』など、哀しくてシリアスな話が多いなか、『ゾン100』を読んだときに「ここまではっちゃけている作品は新鮮で滅茶苦茶面白い」と思いました。元々、弟から「面白いよ」と薦められて読んでいた作品だったので、出られると決まったときは嬉しかったです。ちょうど実写化のお話をいただいたときはコロナ禍で、やりたいことができない鬱屈した状況が続いていて「まさに今の状況が『ゾン100』の世界と似ている」と感じました。本作は「陰鬱になるんじゃなくて、こういう状況でもできること、楽しめることはあるんじゃないか」という発想や見方の転換を教えてくれます。人生において何が大事なのか、豊かさにつながるのかを伝えてくれる作品だと思います。――おっしゃる通り、漫画「ゾン100」は「どう楽しんで生きるか」がテーマになっていて、アキラたちがお遍路さんに挑戦するエピソードなどもじっくり描かれています。ゾンビものの中でも珍しい作品ですよね。そうですね。漫画自体に専門的な説明も多くて、読んでいくと知識が増えるのも面白いです。実写版もハッピーな気持ちになれるエンタメ性が強い作品になると感じていたので、自分自身のアプローチも「全力で楽しむ」を軸に考えていきました。全シチュエーションで思いっきり楽しみ、ブラック企業で死んだ目をして働いているシーンでは、とことんしんどく見えるようにコントラストを付けていきました。つまり、「楽しむ」と「苦しむ」の差を目一杯広げていこうと意識していました。撮影時から「早く完成版が観たい!」――漫画「ゾン100」には具体的な地名も頻出しますし、街中がゾンビであふれかえるシーンなども「実写化できるんだろうか」と思っていたのですが、本編を拝見して驚かされました。新宿の歌舞伎町のシーンはオープンセットで撮影しました。その時点で「すごい」と思いましたが、完成した映像を観たら歌舞伎町のまんまで「どうやって撮ったんだろう」と自分でも感じてしまうくらいびっくりしました。歌舞伎町のドン・キホーテのシーンも、再現度が凄まじかったです。実際に働いている方がポップを書いてくださって、商品も全てドン・キホーテに陳列されているものをご用意いただきました。あとはやはりゾンビです。台本を読んでいるときは動きが想像できなかったのですが、現場で見たときに「気持ち悪い!怖い!」となってしまうほどの完成度でした。石田雄介監督自身がとにかくエネルギッシュでアキラみたいな人ですし、森井輝プロデューサーもそうで、映画好きで情熱的な人ばかりが集まった楽しい現場でした。ライティングや装置一つひとつへのこだわりが強く、目の前のカットをどう撮っていくか丁寧に話し合いもできて、撮影時から「早く完成版が観たい!」と思っていました。――赤楚さんが提案したアイデアなどはございますか?基本的に僕は、自分の中に生まれた違和感を解消するためにアイデアを出すことが多いです。例えばケンチョを助けに行くシーンでは、僕が「シー!(静かに)」と指を立てるシーンがありますが、そうすることで「『ゾン100』のゾンビは目が見えず音に反応する」を改めて説明できるんじゃないかと思ったのと、その前のシーンで僕と柳くんが大声でセリフを喋っているので(そこでゾンビに気づかれないことが)ご都合主義にならないようにしたい、とは話した記憶があります。プライベートで見たい作品は?――インタビューの冒頭で漫画について伺いましたが、赤楚さんは普段漫画をどのような時に読んでいますか?いまは移動時が多いです。小説などは集中しないと読めないので撮影期間中は難しいのですが、漫画はペラペラとページをめくっているうちにどんどん頭に入ってくるからすごいですよね。僕にとっては簡単に現実逃避できるツールであり、しんどくならないようにしてくれるものでもあります。――ご多忙の中で自分自身のペースを保つにも、漫画が効いているのでしょうか。漫画に救われているところは多々ありますが、それだけではどうしようもないところがあって、まさにいま「どうしましょう」という感じです(苦笑)。ちょうどテレビドラマ「こっち向いてよ向井くん」を撮影中なのですが、会話劇でセリフも多いのでここ2週間くらいはセリフ覚えに追われまくっているんです。僕自身、セリフを覚えるのがあまり得意じゃないので前もってしっかり準備していく必要があるのですが、「ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と」がクランクアップした直後にこちらの撮影が始まったので、なかなか大変で。ただようやく「うわ、ヤバい」と言えるくらいの余裕は持てるようになりました。――連続してドラマ出演が続いていますもんね。Netflixの「悪霊狩猟団:カウンターズ」がお好きと伺いましたが、いまはなかなか映画やドラマを観ている時間もなさそうですね。そうですね。僕はできることなら365日動き続けていたいタイプなのでモチベーション自体はずっと高いのですが、ただただセリフ覚えが苦手なぶん心の底から「ドラえもん」の“アンキパン”が欲しい!と思っています(笑)。ただ、何かしら息抜きの場所は持っていたいとも思うので、ちょっと余裕ができたら観たい作品を探すところから始めたいです。最近の作品だと、公開したばかりの『君たちはどう生きるか』は気になっています!【赤楚衛二】スタイリスト:壽村 太一/ヘアメイク:廣瀬瑠美(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2023年08月03日第一印象最悪で「この人とは絶対にうまくやれない!」と思っていた人が発する言葉に、思いも寄らない新たな気づきを与えられたり、逆にずっと一緒にいてお互いにわかり合えている近い関係の人だからこそ、本当の気持ちをなかなか伝えられなかったりという経験は誰しもあるはず。ディズニー&ピクサーの最新アニメーション『マイ・エレメント』はまさにそんな物語。火・水・土・風のエレメントたちが暮らす世界を舞台に、異なるエレメントの2人が起こすピクサー史上最も“ロマンティックな奇跡”のドラマを描き出す。主人公である火のエレメントの女の子・エンバーの声を演じるのは川口春奈。そして、玉森裕太がひょんなことからエンバーと出会う水のエレメントの青年・ウェイドの声を担当する。正反対の2人が織りなす物語の魅力について、川口さん、玉森さんに語ってもらった。演じた役の魅力は「真っすぐさや正義感」「愛らしいキャラクター」――この物語からおふたりはどんなメッセージを受け取りましたか?川口:「自分はこうでなくてはいけない」ということだったり、「自分らしさ」ってなんだろうか?と考えるきっかけになる作品だと思うし、新しいことやいままで経験したことのない環境に足を踏み入れる時って、誰しも悩んだりすると思うんですけど、そういうのを取っ払って、前に一歩踏み出す勇気をくれる映画だなと思います。自分と全然違う人、自分にはない感覚を持っている人と付き合うことの大切さ、家族愛、恋愛も描かれてますけど、軸となる部分にすごくメッセージ性が詰まっている作品だなと思います。誰にでも当てはまる、共感してもらえるメッセージが詰まった作品です。玉森:川口さんがおっしゃった通りで、自分だけじゃ気づけなかった可能性というのが一番伝えたいメッセージなのかなと思います。自分の中で「こうでなきゃいけない」とか「自分はこうなんだ」と思いがちだけど、誰か違う人と触れ合うことで「こんな可能性も自分にはあるんだ!」と気づかされたり、自分の可能性を広げさせてもらえる、そんな物語だなと思いました。――ご自身が演じた役柄の魅力や共感できる部分、お互いの役柄の印象について教えてください。川口:エンバーは真っ直ぐであるがゆえに熱くなりすぎて後悔してしまうようなところがあって、でもその真っすぐさや正義感が魅力でもあるし、コンプレックスでもあると思います。でも熱くなっちゃう気持ちもわかるし、「自分がいなきゃ」とか「こうしなきゃ」っていう責任感の強さは理解できるなと思いました。――川口さんご自身もコンプレックスをお持ちですか?川口:コミュニケーション能力がすごく低いです(苦笑)。人見知りというか、人づきあいが上手にできないところですかね…。――玉森さんが演じられた水のエレメントであるウェイドについては、どんな印象を持たれましたか?川口:こういう人が近くにいてくれたら最高だなと思います。自分の周りにはあまりいないようなキャラクターだと思うし、彼の突拍子のないコミカルな部分も、ちゃんと人のことを見て意見を言ってくれるところも、面白いところもありつつ、しっかり芯が通っているキャラクターだと思うし、すごくかわいらしいなと思います。玉森:水らしい、物腰が柔らかい青年ですけど、すごく涙もろくて、ちょっとしたことでも感動する愛らしいキャラクターですよね。共感できるところ…? ウェイドって、エンバーに何度か突き放されるんですけど、それでもあきらめないでちゃんとそばにいて寄り添うんですよね。それはすごいなと。俺はあんなに突き放されたら耐えられないなと思っちゃうけど(苦笑)、やっぱり優しいウェイドなので、そこは魅力的でいいなと思いました。――川口さんが演じられたエンバーに関しては、どんな印象を持たれましたか?玉森:エンバーは本当にエネルギッシュな女の子ですよね。見習いたいなと思うし、こういう人がいてくれると付いていきたくなるし、ウェイドと同じように「支えてあげたい」と思いますね。――声でキャラクターに命を吹き込むというお仕事はいかがでしたか?川口:私は本当にまるっきり初めてで、事前に準備しようがないところもあって、実際、収録に行ってモニターを見て「今日はここをやります」という感じだったので、毎日不安絶頂のままスタジオに行く感じでした。録り方も、てっきり玉森さんがいて、会話をしながらやるものだと思っていたら、全然そうじゃなくて…。いつも、こういう状態で収録されている声優さんって本当にすごいなと思いましたし、もちろん難しさ、大変さを感じながら、最後まで慣れずにやっていました。玉森:本当に難しいことばっかりでした。いかに自分が普段、表情や身振り手振りに助けられていたのか…。声だけで全てを表現しないといけないというのは本当に大変で、収録期間中は家に帰ったら、気絶レベルで寝ていましたね(笑)。集中もするし、普段あまりやらないことなので体力も使ったし、「声優さんってすごいな」と思いました。新たな可能性を気づかせてくれた出会いとは?――エンバーやウェイドのように、誰かとの出会いで新たな可能性や自分らしさに気づいた経験はありますか?玉森:僕はやっぱりSMAP兄さんかな?異次元な人たちだなと思って。デビューしたその日に「BISTRO SMAP」にメンバーと一緒に出たんですけど、食事の味をひとつも覚えてないです(苦笑)。もうオーラがすごすぎて、自然と一歩、二歩下がってしまう迫力を間近で感じて「ヤバイ! この人たちはすごすぎる」と直感で感じました。と同時に「カッコいいな」、「こういう人たちになりたいな」と思いました。終わった後、メンバーで話しましたもん。「すごかったね!」みたいなことを。――その後、少しずつ共演する機会が増えたりして、親しくもなったかと思いますが、少しは近づけたという感覚は…?玉森:全然(苦笑)! 知れば知るほど、遠ざかっていくような…。本当にいろんなすごさを知って「かなわない!」と思ったりしますね。いまだに目標でもあり、いつか超えられたらいいなとも思いますし、すごい人たちです。川口:私も、初めて木村(拓哉)さんとお仕事をさせていただいた時、いろんなことが衝撃的過ぎて…。こんなにも目標に対して、チームに対して熱量をもって、全力でいる姿を見て「(自分に対して)こんなんじゃダメだ!」と思ったり。すごく面倒見の良い方なので、作品が終わった後も、連絡を下さったりもするし、あそこまで全身全霊でものづくりをし、チームを大切にする姿がカッコいいな、偉大だなと思いました。――お会いしてイメージ通りでしたか? それとも意外な姿が見えてくる部分もあったんでしょうか?川口:どちらもありましたね。その時の役柄がすごく怖い役柄だったこともあって、現場ではメチャクチャ厳しくしていただいたんですけど、現場が終わったり、帰り道でお会いすると普通の“おにいさん”という感じで、いま思うと、私たちにとってもすごくやりやすい環境にしてくださっていたんだなと。――言われて印象に残っている言葉などはありますか?川口:別のバラエティ番組で、一般の方の夢をかなえるという企画をやられていて、本当にこの人は、とんでもない数の人の人生とかを変えたり、とんでもない影響力を持っているんだということを再確認して、それにすごく感動したんです。こちらから連絡してお伝えしたら「俺らの仕事はそういうことだから。人に夢を与えるのが仕事だし、それを信念を持ってやってるから生半可な気持ちじゃできないし、それがエンターテイナーだよね」とおっしゃって「あなたも頑張って」ということを言ってくださって、背筋がしゃんとしました。ひとつひとつのこと、人に対して誠実にちゃんとやらなきゃと改めて感じました。身近にもいる、気づきや発見を与えてくれる存在――映画では異なるエレメントの交わりが描かれるだけでなく、親子の関係性――同じエレメントであっても別々の人間であり、かなえたい夢と「親の期待に応えなきゃいけない」という思いの間の葛藤も描かれています。こうした部分に共感を抱いたり、周囲の期待に押しつぶされそうになったり、そこから解き放たれた経験はありますか?玉森:僕は逆にというか、事務所に入った時は、自分が入りたいと思ったわけではなく、それこそ親の夢というか「やってみたら?」という感じで、勝手に(書類を)送られてたんですが、知れば知るほど向上心というか「もっともっと」という気持ちになりました。最初は部活感覚で「何でもいいや」という思いもあったんですけど、仲間ができて、夢を語り合って、そこに向けて頑張ろうという気持ちになったりという、気持ちの切り替えはありました。――逆に親御さんが、新たな可能性、扉を開いてくださったんですね。玉森:そうですね。最初は「ふざけんな」くらいの気持ちだったんですけど(笑)、いまとなっては感謝していますね。川口:私はあんまり親に厳しく怒られたこともなくて、三姉妹の末っ子で、みんなに甘やかされながら、放任されながら「どうぞ好きなことをやってください」という環境でのびのびとやらせてもらってきたので、(周囲の期待に応えなきゃと葛藤するような)そういう経験はないんですけど…。ただ、この仕事をやるとなって、きっとたくさん心配もしただろうし、地元から通っていたこともあって、そこでどう思っていたのかは知らないですが、きっといろんな思いがあったなかで「とにかくやりたいことをやれば」と見守ってくれていたのかなと思います。――逆に「もっと厳しく言ってほしい」と思ったり、反抗するような気持ちが芽生えたりすることもなかったんですか?川口:寂しかったですね。お姉ちゃんたちはすごく厳しく育てられていたんですけど、私は歳も離れていたので怒られたこともなかったし、それが寂しいなと思う時期もありました。大人になってからのほうが、きちんとコミュニケーションも取れて、お互いに言いたいことも言えて、ケンカもできるという関係性になれましたね。――エンバーとウェイドのように、身近に自分とは正反対でタイプが全然違うけど、気付きや発見を与えてくれる存在はいますか?玉森:やっぱりメンバーですかね?同じものを見て、同じ方向に向かっているけど、その中でも少しずつやりたいことも思ってることも違うし。自分と違う意見が出たりすると「なんでだろう?」と思ったりする反面、「そんなこと思ってくれてたんだ?」とか「俺にはそういう発想はなかったな」とか、いろんな感情にさせてくれます。乗っかってみると新しい気づきがあったり。信頼している人たちでもありライバルでもあるし…。――メンバーに言われてハッとしたりしたことも…?玉森:メチャクチャありますけど、例えば宮田(俊哉)さんはメチャクチャ“アイドル”なんですよね。自分はそこまでは行けないかも…と思うこともあって。宮田さんを見ていると「アイドルってこうじゃないとダメだな」と思わせてくれたりしますね。川口:気づいたら、同じ感覚、価値観の人が(周囲に)多いですよね。「マジで合わないな」と思っても、言っていることは的を射ていたり、筋が通っているなと感じるという経験はわりと日常であるので、ちゃんと聞くということ――「この人はこういう人なんだ」「なるほどな」と思うことはわりとありますね。(text:Naoki Kurozu/photo:Maho Korogi)■関連作品:マイ・エレメント 8月4日(金)全国ロードショー©2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
2023年07月31日5歳で芸能活動を始め、6月に18歳となった俳優・山時聡真。中村倫也・松坂桃李・菅田将暉・杉野遥亮といった人気俳優が多数所属する芸能事務所トップコートに所属し、次世代を担う期待を寄せられている彼が、連続ドラマでレギュラー出演を果たす。7月15日からスタートする日本テレビ系新土曜ドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」(毎週土曜22時放送)だ。「3年A組 -今から皆さんは、人質です-」のプロデューサー×監督が再び組み、松岡茉優が主演を務めた本作。卒業式の当日に担任生徒の誰かに突き落とされた教師が、1年前の始業式の日に時を遡り、容疑者=生徒たちと再び向き合う。山時さんは本作で、いじられキャラの瓜生陽介を演じている。過去に戻る本作にちなみ、現時点での心境と、ここに至るまでの道のりをじっくりと伺った。――山時さんは「夢だった学園ドラマにレギュラーで出演できるということが、飛び跳ねるくらい嬉しかった」とおっしゃっていましたが、どんな学園ドラマがお好きだったのでしょう。僕が最初に観た学園ドラマは「タンブリング」(2010)でした。当時は6歳くらいでしたが、未だに記憶に残っています。そして事務所の先輩・菅田将暉さんも出演されている「35歳の高校生」(13)。学園モノでありつつどの世代の方も共感できる話だなと思って観ていました。学園ドラマというジャンルには、年齢を問わずに伝わる想いがちゃんと込められている印象があります。――今回の「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」も、ひねった設定によって生まれるメッセージ性がありそうですね。「最高の教師」は、松岡茉優さん演じる教師がタイムリープして過去に戻る作品です。先生はこれから何が起こるか知っているからこそ、生徒たちの人生を変えていけるし、どうすることもできなかったとしても、生徒たちを支えていきます。そして生徒自身も変わっていき、自分の想いを主張するようになっていくんです。エピソードごとにフォーカスを当てる生徒も変わりますし、それぞれに違った悩みや想いがあって、その人に応じたストーリーが展開していくのを楽しんでいただけるんじゃないかと思います。――先の山時さんのコメントですと「レギュラー」というのも大きかったのではないかと思います。ゲストで出演するときとは、どのような違いがありますか?ゲスト出演のときは短期集中型です。台本の中には様々な情報がありますが、途中参加の場合は自分が経験していない部分も多く、どうやって馴染ませて演じていくかを考えます。今回僕はドラマのレギュラー出演が初めてなのでまだ探り探りではありますが、関わる人数や時間が増えるぶん、「どういう役なのか」や「どういう想いでこういう言葉を使うのか」、または相手役との関係性に応じた声の出し方など、役に対してじっくりと考えることが多くなっています。役として生きている感覚があって、自分の中でも「成長できているのかも」と思えています。――山時さんは5歳から芸能活動をされていますが、10年以上ものキャリアを経て今現在はひと味違う新しさを感じていらっしゃるのでしょうか。正直に言ってしまうと、これまでは演じているときに山時聡真という自分が常にちょっとだけいたんです。「ミスしないようにしよう」だったり、山時として考えて動いている瞬間がありました。でも今回は、セットに入ったら「役として生きる」ができるようになってきたように感じます。プロデューサーの福井雄太さんや鈴木勇馬監督からの助言などももちろんありますが、「役として生きる」という気持ちが強くなったなかで、プライベートの山時聡真が抜けて、芝居中のアドリブも自然と出せています。いままでそうできなかったことに対しての後悔はありますが、成長を実感しています。――「相手役に合わせて芝居を変える」をアプローチの一つとして語っていらっしゃいましたが、演技の仕方自体はいかがですか?相手に適応していくやり方はずっと大事にしていることですが、最近意識していることだと「自然の中でも面白さを求める」があります。例えば笑い方ひとつとっても、「こういう人いるなぁ」という笑い方ってなかなか出せないんです。でも「最高の教師」の台本を読んでいると「ガハハと笑う」という役の人がいて、それをうまくできたら面白いし、役の特長にもなりますよね。僕も今回は吹き出すような笑い方だったり、観ている方が「こういう人いるな。面白いな」と思ってくれるようなところを目指しています。――見え方から逆算するアプローチといいますか。そうですね。“自然”を大事にすると、”自分”も出ちゃうんです。だからあくまで「役としての自然」を意識して、それが観てくれる人にとっての「面白さ」にもなるように意識しています。それができたのは、この現場だからだと思います。スタッフの皆さんが役者発信の考えや演技をすごく大切にしてくれて、その雰囲気にすごく支えられています。僕は2話にしっかりと役目があるのですが、芝居が新鮮に出るように「こういう風に撮っていきます」「こういう段取りでやっていきます」と事前に伝えて下さって、すごく有り難かったです。――山時さんは『死刑にいたる病』で白石和彌監督、『流浪の月』で李相日監督、『ラーゲリより愛を込めて』で瀬々敬久監督の現場を経験されています。いま名前を挙げた方々以外にも錚々たるメンツが並びますが、いまの自分につながった出会い等はございますか?僕は中学1年生で東京に越してきたのですが、当時は同世代の俳優だと同じ事務所の中川翼くらいしか知らない状況でした。そんななかで、様々な現場で経験を積む時間を与えていただき、たくさんの方々との出会いがありました。僕の中で「グッと成長したな」と感じられた作品は、映画『約束のネバーランド』(20)です。僕はドンというキャラクターを演じたのですが、漫画の実写化作品ということもあり見せ方によってキャラクターの印象が全く変わってしまうので、すごく大変でした。撮影前の稽古でも平川雄一朗監督から厳しい言葉をいただいてしまい、最初は落ち込んで「稽古に行きたくない…」と思ってしまっていたのですが、頑張って参加するうちに言われていることがだんだんわかってきたんです。しかもどんどん平川監督が褒めてくださる回数が増えてきて「成長できているんだ」と明確に感じられるようになりました。撮影期間が長かった作品なので体力面や精神面でも力が付きましたし、平川監督が「キャラクターとしてどう生きるのか」を教えて下さったような気がしています。当時は14歳でしたが、その年頃は心身が大きく成長するらしく、タイミング的にも平川監督との出会いは大きな出来事でした。――『約束のネバーランド』にはトップコートの先輩・松坂桃李さんも出演されていますが、同事務所の先輩方と芝居について話す機会もこれまでありましたか?松坂さんとは『約束のネバーランド』では同じシーンがなかったのですが、『ラーゲリより愛を込めて』の現場では色々とお話ができました。僕は舞台「アナザー・カントリー」の出演を控えていたのですが、初舞台はどんなものか、どういう風に進んでいくのかがわからなくてとにかく不安だったんです。「もうちょっとで舞台が来る…迫って来る」と怯えてしまうくらいに。でも松坂さんが「舞台はすごく面白いから、全然不安に感じなくていいよ!」と言ってくださって、すごく勇気づけられました。実際にやってみたら本当に楽しくて、松坂さんのおっしゃる通りでした。また菅田将暉さんは『CUBE 一度入ったら、最後』(21)で共演させていただいたときに「最高だった!」とすごく褒めて下さいました。また、つい最近ですが僕の誕生日(6月6日)にスニーカーをプレゼントしてくれたんです。トップコートの先輩たちにはお芝居以外でも、人として大切なところを教えてもらえている感覚があります。自分も将来こうなりたい!と思えるような背中をいつも見せてくれるんです。――素敵なお話です。事務所のメンバーが一堂に会する「トップコート夏祭り」の開催も近づいてきましたね(「TopCoat夏祭り2023 ~いい夏にしようぜ!~」は8月19日生配信)。去年はキャンプでした。皆さん集まるので、普段なかなか会えない方々とお話しできるのはすごく楽しいです。去年はゲーム形式で食材の争奪戦もあって、「ここでミスしたら先輩に怒られるかも…」と責任重大でした。皆さん絶対に怒りませんが(笑)これはもう事務所の企画が素晴らしいからなので、僕はいつも全力で乗っかって楽しませていただいています。――先ほどお話に挙がった中川翼さん・大西利空さんとの企画「星道。(スターロード)」もありますね。「事務所のセンパイたちのようなスターを目指し、あらゆることに挑戦する」シリーズです。2022年の4月からかれこれ1年以上続いていて、3人の絆も深まっています。僕たちはライバルでもありますが、仲間としての意識も強くて。例えば同じオーディションを受けて僕が落ちたとしても、翼くんや利空が勝ち獲ってくれればいいという気持ちがありますし、ふたりにはいつも感謝しています。――僕自身もトップコートランドの会員ですが、山時さんがおっしゃるトップコートのメンバーの仲間意識の強さは傍から見ていても感じます。年に1回事務所の忘年会があるんです。そこで先輩・後輩が交流する機会を作って下さることでいい関係性を築けているのではないかと思います。企画等もそうですが、事務所の中で出来ることがたくさんあると気づかせてくれますし、僕も最大限色々なことにチャレンジしたいと思っています。――自分から企画会議に参加されることもある、と伺いました。はい。「星道。」のなかで翼くんと利空がしたいことの企画はもう行ったので、次は僕の番なんです。「こういうことをやってみたい!」と企画を提案すると、事務所スタッフの皆さんが聞いてくださるだけでなくちゃんと実現してくれて、優しさや心強さを感じています。――本日は貴重なお話、ありがとうございました。「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」から山時さんの新たなフェーズが始まりますね。ドラマ放送期間に「TopCoat夏祭り2023」もありますし。自分の中では、今までなかったくらいの追い上げを見せられる気がしています。僕自身も役の想いをこれまで以上に持ったままお芝居ができていますし、「最高の教師」もきっと多くの方に観ていただけると信じています。このドラマを通じて自分のことを知って下さる方が増えたら嬉しいですし、反響を楽しみにしています!(text:SYO/photo:Maho Korogi)
2023年07月13日【取材・構成/叶 精二】オランダの長編ストップモーション・アニメーション『愛しのクノール』が公開中だ。第42回オランダ映画祭で最優秀映画賞・最優秀監督賞・最優秀プロダクションデザイン賞をトリプル受賞し、第1回新潟国際アニメーション映画祭の長編コンペディション部門にもノミネートを果たした快作だ。主人公は子犬を飼いたい少女バブス。しかし両親は反対。そこへアメリカに行ったきりだったおじいちゃんトゥイチェスが突然帰って来る。おじいちゃんは、バブスに子豚の「クノール」をプレゼント。子豚をしつけていくことで、家族の関係は穏やかに改善してゆく。しかし、おじいちゃんには隠れた野望があった…。家族と子豚の物語を丁寧に綴った愛らしい作品だが、決して無害なファミリームービーではない。大胆なシーンや予想外の展開も待ち受けており、スピーディなアクションシーンも秀逸だ。長編第1作となる新進気鋭のマッシャ・ハルバースタッド監督に本作の演出意図から次回作についてまで、広範に伺った。低いカメラでリアルな世界と人間関係を撮る──クノールはアニメーションでよく見られる「トーキングアニマル(しゃべるマスコット動物)」ではありません。人間の言葉を離さず、モノローグで話すこともしません。人語を解さない動物らしい動物という設定にこだわりを感じました。マッシャ仰る通り、意図的にそのような演出をしています。原作小説でもクノールは人語を話さないのです。この映画はクノールよりも、バブスとおじいちゃんやお母さんたちの人間関係を中心に描いた作品です。クノールが話し出すと映画は全くうまく行かなかったと思います。ただし、クノールが肉屋に行くシーンだけは、意図的にクノールの主観で描いています。このシーンでは彼の思いを大切にしたいと思ったからです。──ストップモーション作品では、ミニチュアセット舞台の大きさの制約からカメラを自由に配置出来ない、自在に動かせないという制約がありがちです。しかし、この作品ではカメラが子供たちや子豚の視点に合わせて大変低く設定されていますね。マッシャ実写映画のような形で撮影したかったのです。カメラを高い位置に設置すると世界観が失われてしまうのです。私自身も小柄なのですが、カメラを低い位置に設置するとリアルな世界観を表現出来るのです。低いカメラで登場人物を近距離で撮影することによって、心理的にも近づくことを意識しています。私はカメラを大きく動かすアニメーションは好きではありません。大きなカメラワークは、アクションシーンのみで採用しています。必要な時だけ動かすことを心掛けています。──あくまで生活のリアリズムを基調としているということですね。どこにでもありそうな小さな家族の物語。しかし、ファンタジーでもある。そのバランスが絶妙だと思いました。一方、アクションシーンではカメラが縦横無尽に動いて人物を追いかけます。お得意ではないのかも知れまませんが、バブスの自転車、車やトラクターチェイスのアクションは素晴らしいと思いました。マッシャトラクターチェイスのシーンの撮影には1年半かかりました。カメラマンのピーターが設定を行い、トラクターのクローズアップを撮っています。実はカメラ自体は動かしておらず、トラクターの方を少しずつ動かしているのです。ミニチュアセットの制作にも時間がかかり、組み合わせが大変でした。全てが上手く行き、完成したものは最高でした。この映画の中で最も誇らしいシーンです。個人的に面白いと思ったのは、通常はゆっくり動く筈のトラクターがチェイスするという点です。手作りのパペット(人形)の魅力──クノールのふわふわした産毛、母やバブスのカールした髪の毛が光に揺れて質感が見事でした。パペット(人形)の素材は羊毛でしょうか。マッシャはい、素材に羊毛を使いました。母に関しては特殊なウィックのような物を作り、上から羊毛を糊付しています。髪に動きが出るし、質感もすごく良い感じでした。──最近は3Dプリンターで出力したツルツルのパペットが多用される傾向にあります。本作の手作りの温かみを感じるパペットがとても良いですね。マッシャありがとうございます。3Dプリンターは使用していません。登場人物の頭部は硬質プラスチック製で、瞼や口は別のパーツで付け替えられるように出来ています。しかし、おじいちゃんだけは眉毛や顎が動かせる特殊な仕組みのパペットを使っています。彼はアウトサイダーなので、他の登場人物とは造詣から明確に変える必要がありました。髭を付けたりしているのも、本性を隠すために意図的にやったことです。ロアルド・ダールの影響と「悪いままのおじいちゃん」──おじいちゃんのエネルギッシュで懲りない性格は、確かに強烈な印象を残します。マッシャ監督は幼い頃からロアルド・ダールの愛読者だったと伺いました。ダールの小説に登場する大人たちに共通するものを感じました。演出の際にダールの作品を意識されたのでしょうか。マッシャええ、大変意識しました。私はダールの作品を読んで育ちました。原作と出会った時におじいちゃんのキャラクターは、完全にダールのキャラクターだと思いました。彼は周囲の評価を裏切って、途中から豹変します。この物語はハッピーエンドではあるけれども、おじいちゃんは悪いままです。そこが大好きになりました。子供たちにはお伽噺らしいお伽噺だけを与えれば良いとは思いません。今の子供向け映画は健全なものだけを描こうとしているように感じるのですが、大人のいやらしさを描くことも同じように必要だと思うのです。──ダールの原作は過去にヘンリー・セリック監督『ジャイアント・ピーチ』(1996年)、ウェス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr.FOX』(2009年)と2作品もストップモーションの長編になっています。どちらも名作です。3作目に挑戦するお考えはないですか。マッシャ私は元々ダールの作品を映画化したかったのです。もしダールの作品の映画化の企画があれば、今すぐにでも快諾しますよ!──アニメーションではずっと避けられて来た「動物の排泄」を物語に組み込んで、きちんと表現されていました。抽象的な表現に逃げていないと思いました。マッシャははは(笑)、ありがとうございます。スピンオフ短編と次回作の構想マッシャ・ハルバースタッド監督──本作のスピンオフ短編『Koning Worst(ソーセージ王)』が既に完成していると聞きましたが。マッシャバブスの両親や二人の肉屋が登場します。『ウェスト・サイド・ストーリー』を思わせるミュージカルのラブストーリーです。(『愛しのクノール』と)同時上映されている国も多いようです。日本でも観る機会があると良いですね。──マッシャ監督は現在長編第2作『FOX AND HARE SAVE THE FOREST(キツネとウサギが森を救う)』を制作中だと伺いました。こちらもストップモーション作品なのでしょうか。マッシャいいえ、ストップモーションではなく3DCGアニメーションです。アムステルダム・ベルギー・オランダの合作となる予定です。『愛しのクノール』とは全く違うテイストのハートウォーミングな笑える作品になる予定です。──本日はありがとうございました。今後の作品にも期待しております。(叶 精二)
2023年07月12日映画や演劇などの芸術作品を“誰もが楽しめる”ように取り入れられてきた、多言語翻訳や音声ガイド、バリアフリー字幕。最近では、岸井ゆきのがろう者のボクサーを演じて第46回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した映画『ケイコ 目を澄ませて』が、話者や情景、音楽などを可能な限り音声情報や文字情報で表す音声ガイド、バリアフリー字幕付きで劇場上映されていた。“誰もが”こうしたエンターテイメントに出会うことができるよう、“アクセシビリティ”に特化したオンライン劇場として知られるのが「THEATRE for ALL」だ。「THEATRE for ALL」では新たな取り組みとして、今年5月~6月に東京のリアル会場とオンラインにて「TRANSLATION for ALL」を開催。歌手の小林幸子とラッパーの鎮座DOPENESSが歌う楽曲「文明単位のラブソング」をAR(拡張現実)と手話によって伝える、という試みがなされた。この「文明単位のラブソング」手話版の制作に関わった小林さん、鎮座さん、そして手話翻訳を担当した手話エンターテイナー・那須映里の対談インタビューが到着した。「歌」をARと手話で伝える…身体表現での翻訳に挑む「TRANSLATION for ALL」は、作品に込める思いを、障がいや言語の隔たりなくわかち合い、さらなる表現へとつなげていく挑戦の数々を結集させた“身体表現の翻訳”を考えるフェスティバル。アーティストたちはワークショップや公開稽古を行いながらクリエーションを進行していくが、その公式作品の1つが、最新のAR技術を活用した楽曲「文明単位のラブソング」の手話版。「バーチャル身体図鑑」などで知られる開発ユニット「AR三兄弟」川田十夢が作詞に参加し、蓮沼執太が作曲を手掛けた本楽曲は、360度の方向から立体的に楽しめるAR技術を活用した立体的なパレード。その先導を、「バーチャル身体図鑑」にも登場する小林さんが務め、文明ごとの変遷に思いを馳せる鎮座さんのラップが重なり合っていく。小林幸子「こういうことだったのか」これから先のエンターテイメントへ那須映里小林幸子鎮座DOPENESS――まずは小林幸子さん、鎮座DOPENESSさん、「文明単位のラブソング」AR作品をご覧になって試してみましたか?いかがでしたでしょう?小林:とても新しいものですよね。これから先のエンターテインメントにいろんな形で影響を及ぼして、皆が楽しめるものへと繋がっていくのではないかと感じました。鎮座:様々な場所で再生できる面白さがありますね。縮小したり、いきなりデカくもできるし、いろんなサイズでパレードを進行するのは楽しそうですね。小林:家から出られなくても遠くに住んでいても同じ条件で楽しめる、自分のやり方で、さあ、遊んでっていうのがいいですよね。川田十夢さんって、天才?といいますか、最初はわけがわかりませんでしたよ。おっしゃることは聞こえるんですが、理解ができなくて。もう随分昔にお会いしたんですけど、時間が経つにつれ、おっしゃっていたのは、ああこういうことだったのかと。――歌ができていく過程でどんな風に感じましたか?小林:メインの歌詞とメロディーはあったのですが、スキャットのあたりはほとんど白玉音符でした。ラップを先に聴いて、イメージ画を見て、あとは幸子さんの感性でおねがいします、という感じでした。「何でもありですか?」「何でもありです」というやりとりの中で、わからないながら、やってみましたが、歌い手として長く歌ってきているので、絶対NGってあるじゃないですか、今回はそれを超えるかな?と思う表現でも「それは面白いですね」って言ってもらえて。歌い手って褒められると本気で喜んじゃうものですから。とにかくわからないことだらけでしたけど、自分なりに解釈して挑戦してみました。最初は、ラップを聴いたときも「なんだこれ?」って思いましたけれど。3Dデータの収録風景より撮影:菊池友理小林:歌詞も繋がっているようで繋がってなくて、その行間を埋めるための想像力が必要でした。ものすごく刺激になりましたね。何回も聴いてるうちに、世界が伝わってきて、やってるときは「大丈夫かな」と思ったんですけど、終わったときにたいへん面白いなって感じました。鎮座:同じくです。(笑)ラップを録音したときも、まだ全体像が見えてなかったので、自分なりに想像して。これ、どうなるんだろうって思いながら、ARありきで作ったっていうところがありますね。小林:やりながら見えてくるんですよ。でも、それが十夢さんの狙いだったのかもしれないですね。鎮座:自分がパーツになってる感じはありました。小林:そうそう、きっと十夢さんの頭の中ではもう出来上がっていたのかもしれないですね。モーションキャプチャーとラップの収録風景より撮影:高木美佑“こぶし”&ラップを手話の言語感覚で表現対談の様子(鎮座DOPENESS) 撮影:加藤甫――鎮座DOPENESSさん、歌を手話に翻訳していく作業を見て、いかがでしたか?鎮座:手話の言語感覚、身体で表現するという、特徴や違いを改めて感じました。あと、自分的には歌詞を結構削って整理してきたつもりでしたが、手話を音楽の時間にあてはめていくと、まだまだ…(笑)ラップの情報量が多いのがたいへんそうでしたね。那須:日本語の特徴と手話の特徴は違うんですね。だから語順や文章の順番を入れ替えたり、なるべく日本語の情報を欠落させないように、意味を重ね合わせた掛け言葉のようにしてまとめて出すという方法をとりました。鎮座:情景、言語、リズムをどう表現していくのかということで、まだ全然理解しきれていないですけど。少しずれると意味が変わってしまうし、タイミングが遅れてもばっちりハマらないという、非常にセンシティブなものですね。小林:微妙なところをどうやって手話にするか、難しいですね。“こぶし”はどう表現するんですか?那須:手話で表すときに歌の様子を真似ました。(首を振る身振り)小林:(笑)表情がすごく大事ですね。那須:初めはもっと大袈裟にやっていたんですが、鎮座さんのラップを手話表現してもらったダンサーのかのけん(鹿子澤 拳)さんにくどいって言われて(笑)抑えめにしました。対談の様子(小林幸子) 撮影:加藤甫小林:私は手話を専門に勉強したことはないですけど、自分の歌で「さよならありがとう」って『クレヨンしんちゃん(嵐を呼ぶジャングル)』の主題歌があるんです。その歌をちょっとだけ手話でやらせてもらったんですね。「何度も」「この世の果てまで」「ありがとう」とかいくつか教えていただいて。手話を歌いながらやるのはすごく難しかったですけど、やってみたら、ファンの方にすごく喜んでもらえてうれしかったです。ろう者が見て楽しい「手話歌」を作りたい対談の様子(那須映里) 撮影:加藤甫小林:歌を手話にするのはどんな難しさがあるんでしょう。那須:まず手話歌で、日本で多いのは日本語の語順に合わせて声を出しながら手話をやるものです。声を出しながらろう者にも楽しめるように手話をやるのは不可能です。それに、ろう者から見ると楽しくない、面白くない、意味がわからないから嫌いだって言う方が多いんです。今回、依頼を受けるときに私ができるかどうか自信がなくて正直すごく迷ったんですけど、もし私が断った場合、新しいチャレンジができる機会をなくすんじゃないかと思って、とにかくチャレンジさせていただきました。本当に難しいんです。ラップの内容を見たとき、何を伝えたいのか、と。小林:ラップは膨大な言葉の量ですよね。鎮座:時代を現代から昔へ行くという、そのキーワードになる映像が4行ずつ表現されていて、ARの映像ありきだからそのイメージを伝えるのが難しいですよね。那須:4行ずつ歌うときのリズムがきれいでわかりやすいので、その気持ちよさを少しでも翻訳したいと思いました。韻を踏んだり、ろう者が見てラップだ、楽しいと一緒にノレるようなものにしたいと思って、ダンサーでもあるかのけんさんに相談して、翻訳を確定させて手話表現を決めていきました。ラップの韻を踏むところに手話をどうやって入れていくかというのを考えるのが工夫した点です。たとえば、「安室奈美恵になりたかった女子たちはガングロ」という歌詞のところで、同じ手の形を応用しながらリズムに合わせていくことで、韻を踏むようにしました。鎮座:手話的な韻ということですよね。興味深い。那須:それからリズムの強弱を上下にしてわかりやすく手話を作ってほしいとお願いしたんですけど、「天下分け目~」のところは手話通訳では「日本」「治める」「誰」という3つの単語の動きをリズミカルに体を下に下げていく感じで表しました。小林:凄いですね。鎮座:変換作業!手話撮影の収録風景(左:かのけん右:那須映里)撮影:加藤甫那須:難しかったのはリズムもそうですが、手話の場合は具体的な表現が多いローコンテクストな言語なので、日本語の持つ綺麗で抽象的な感じを綺麗で抽象的な感じをどう表現するか、すごく考えました。鎮座:それが情景表現になってくるんですね。那須:たとえば「津軽海峡冬景色」なら想像して情景を表現しやすいんです。ただ、今回は抽象的だったので、具体的に表現するとあまり綺麗に見えないので、どうやって想像に任せて余白を残すかを考えるのが大変でした。――那須さんにとって歌というのはどういう存在ですか。那須:ロック系が好きなんです。中学生のときに尾崎豊が好きだったんです。ビデオで見て、ミスチルとかサカナクションとか。たぶん私が聴きやすい声というのがあると思うんですね。で、ラップもずっと好きなんです。高い声は聴きにくい、楽器でもフルートとかホルンとかヴァイオリンはちょっと聴きにくいかもです。歌は自分で楽しむもの、聴者の世界の遊び、別の世界の遊びという感じで見てます。自分の世界にはない遊び。実際、自分の世界には歌みたいな遊びはあるんですけど、まだ開発途中みたいな感じです。聴者の世界のなかでの歌は5000年位昔から、積み重なっていまの技術でいまの音楽、芸術があるわけですが、ろう者の場合、手話は比較的新しい言語です。芸術と手話がいま、同時に発展はしていますが、歌を見るとラップやこぶしを私が手話でどう表現すればいいのかなと、改めて勉強になりました。小林:手話ってそんなに歴史がまだ浅いんですか?那須:いろいろな見方があるのですが、フランスで300年前くらいに誕生したと言われてます。ろう教育的にも、社会的にも、手話が禁止されていた時代が長らくありました。だから今ようやく手話人口が少し増えて、手話が言語として認められてきたところです。そして芸術として聴者と一緒に楽しめる時代が来るということですね。鎮座:いまだに新しく言語が作られている、表現が増えているということですよね。那須:手話も日本語と同じ自然な言語なので、自然に起こるし、使いやすいものが広まっていきますね。小林:時代によって少しずつ変わって行くんですかね。那須:そうですね。たとえばテレビ。昔はチャンネルを回す動作で表現していましたが、今は画面を表す動作で表現します。垣根をつくらず、遭遇した相手との出逢いを大切に対談の様子(小林幸子) 撮影:加藤甫――小林さんは、これまでも既成概念を良い意味で壊しながら、多くの人にメッセージを届けていらっしゃるかと思います。我々のテーマ、アクセシビリティを切り開いていく、という視点で考えたときに今後何かやってみたいことはありますか。小林:いま、あることを一所懸命やっていると必ず、新しい誰か、何かと遭遇するんですね。そのときに垣根を作らない。そうすると、そこから次の局面が展開していくんです。ボーカロイド曲を歌ったのも、Youtube番組「YouTuBBA!!」もそうですけど、これはできないというのでなく、やってみようと思っています。それは障がいのある方でもそうでない方でも、その巡り合いやその出会いを大事にしたいからです。興味を持ったら、実は何でもできるんですよね。私の原点は、生まれて初めて飛び出す絵本を見たときの、衝撃的な体験でした。こんなに面白いものがあるんだって。紅白歌合戦の衣装のルーツでもあります。皆を驚かせて自分も楽しく、相手も楽しませるには一体どういう方法があるかなと考えるんです。だめだったらやめればいいんですから、やってみて自分が面白がれることを見つけることです。原点を大事にしていくといろいろ展開していきます。手話から歌をつくってみたい対談の様子(那須映里) 撮影:加藤甫那須:手話から歌詞をつくっていくような歌の作り方をしてみたいです。手話を日本語の歌に合わせて表すことが多いので日本語が先になることがほとんどですが、逆バージョンのを作ってみたいです。歌いながら手話を表すのは、なんだろう?ダンスの振りとしてやってるのかな。ろう者が見て本当に楽しむには日本語音声と手話を一緒に出すのがNGで、手話をやって別にアフレコ的な感じで音声を後から入れる方法で作っていかないといけないんです。いつも歌が先にあって、その後に手話に翻訳するんですけど、その逆の順番で作られるような歌があると面白いかなと思います。VV(ビジュアル・バーナキュラー)という視覚的に描写できる手話アートがあるんですけど、それを見てもらって。小林:手話に合わせて歌詞って、たとえばどういう言葉になるんですか?那須:歌のイメージですととたとえばこんな感じで(手話表現中)鎮座:ああ、高いところから落ちていって水に入るっていう表現、ですね。いまの動きのリズムと合わせて歌詞を当てていくってことですかね。小林:情景ですね。鎮座:闘争劇で、走っていって崖から飛び降りて水に潜る、みたいな。そしたら竜宮城だったとか(笑)小林:(笑)浦島太郎?那須:そういう話し合いをしながら作っていくと面白いかなと思います。小林:そっか、そんな作り方は誰も思いつかなかった。詞先なのかメロ先なのかっていうのはあったとしても。鎮座・小林:手話先!鎮座:それ、新しいじゃないですか。小林:いいわー。私、歌ってみたい。手話先ラップ、難しそうですね。やりましょうよ。それ、十夢さんが歌詞書いてくれるの?鎮座:皆で歌詞を書くところからやると、より勉強になりますね。複合的に作って行くとどういう世界観が現れるのか、手話先だとどういうリズムが出来上がってくるのか、どういう旋律になるのか。その過程も面白い。那須:手話を固めたあとに、曲を作るって感じですね。小林:歌います!AR作品「文明単位のラブソング」はTHEATRE for ALL YouTubeにて公開中、各種音楽サイトで配信中。※この鼎談は2人の手話通訳(発話→手話・手話→発話)を介して実施された。(シネマカフェ編集部)
2023年07月10日年齢を重ねていく中で、人間の感性や好みは変わっていくもの。以前はおいしいと思わなかったものが好物になったり、学生の頃はさほど仲良くもなかった知人となぜか意気投合したり。映画の見方も然り。10代の頃は見向きもしなかったジャンルの作品に惹かれたり、若い頃であれば何気なく聞き流していたかもしれないセリフが心に刺さったり…。今年、34歳を迎える岡田将生も、そんな変化を自らの内に感じつつ、それをポジティブに捉えている。20代の頃はプライベートで恋愛映画を観ることはほとんどなかったというが、30を超えて、期せずして恋愛映画に心を揺り動かされことが増えたという。台湾で大ヒットを記録した映画『1秒先の彼女』もそんな作品のひとつ。何をやるにも他人よりワンテンポ早いヒロインと、常にワンテンポ遅いバス運転手の恋模様を描いたこの作品に岡田さんは深く感動したという。そして、同作を男女の設定を反転して京都を舞台にリメイクした『1秒先の彼』が制作され、岡田さんは他人より常に1秒早い郵便局員・ハジメを演じている。岡田さんにとって本作が特別なのは、まず日本版リメイクの脚本を、映画『謝罪の王様』、ドラマ「ゆとりですがなにか」など、コメディ作品における岡田さんの新たな魅力を引き出してきた宮藤官九郎が執筆しているという点。そしてもうひとつ、監督を務めるのが、岡田さんにとって10代で初めて映画のオーディションを経て参加した『天然コケッコー』の山下敦弘監督であるということ。実に16年ぶりとなる山下組は岡田さんに何をもたらしたのか――? 16年前の思い出と合わせてたっぷりと語ってくれた。台湾版とは男女の設定が逆「日本的な笑いみたいな部分が含まれて」――オリジナル版の台湾映画『1秒先の彼女』をご覧になった感想をお願いします。感動しました。設定は奇抜なんですけど、それを映画に全て収めていて、これは脚本そのものもきっと素敵だったんだろうなということがすごく伝わってきました。純粋に映像も美しくて、台湾に行ってみたいなと心の底から思えるような映画で、それこそロケ地巡りツアーみたいなのがあったら、回ってみたいなって思うくらい素晴らしかったですし「これをどうリメイクするんだろう?」という思いもありました。僕は最初、男女の設定を逆にするということを聞いていなくて、男性の方を中心に見ていたので、その後に、(男女を反転させると)聞いて「そうだったんだ!」と思ってちょっとびっくりしました。でも本当に素敵な映画でした。多分、20代のときに観ていても、いまぐらいの感動はなかった気がして、純粋にあの2人の思いに30代になってグッときてしまって。それは監督ともそういう話をして「なんかちょっとウルッときてしまったんです」と。20代のときって、なんかちょっとひねくれてて、あんまりそういう映画を観てなかったせいなのか、最近、そういう作品を観ると、また見え方が変わってきたなと思います。――台湾版と男女の設定を逆にして、宮藤官九郎さんが執筆された『1秒先の彼』の脚本を読まれての印象は?まず設定を京都にしたっていうのが絶妙で素晴らしいなというのがあって、ハジメくんも京都弁でやらせてもらってるんですけど、これを標準語でやるとちょっと浮いてしまう可能性があったけど、京都弁でやることによって、より一層、ハジメくんがちょっと憎たらしいけど愛せるキャラクターになっているなと思います。それには、京都の方が聞いても違和感のないように滑らかな京都弁でやらなきゃいけないという大きな壁はあったんですが…(苦笑)。あとはやっぱり宮藤さんの笑いというか、リメイクすることによって日本的な笑いみたいな部分がものすごく含まれてて、やっぱり宮藤さんのホンは面白いなと思いながら読ませていただきました。映画デビュー作以来、16年ぶり山下敦弘監督作品への出演――映画デビュー作『天然コケッコー』以来、実に16年ぶりの山下敦弘監督の作品への出演となりました。感慨深いです。本当に感慨深くて、あんなに緊張した現場もないですけど(笑)。巡り合わせでまた、しかも宮藤さんの脚本でやれるなんて、こんなに嬉しいことはないなと思いながら、その中で、成長した姿を見せるというわけではないですけど、ひとりの俳優として監督と真摯に向き合うことで、より緊張感を増すというか…。ひとつひとつ言葉を自分の中で選択しながら、会話をしていったんですけど、やっぱりどこかで「がっかりされたくない」という思いもあって、それはすごく複雑な感じなんですけど…。でも、監督の演出の意図を感じながら映画を作るということに関しては、他の映画とは全然、思いが違うというのはありますね。――山下監督とは今回、どんな会話をされたんでしょうか?桜子役のオーディションがあって、そこに呼ばれて、ハジメくんとして相手役の方と演技する時間があったんですけど、最初の30分くらいはそこでハジメくんの演出を受けてました(笑)。それはそれで初めての経験で山下監督に「オーディションに来てほしい」と言われて行ったものの、自分の中でまだキャラクターが固まっていなかったんですが、でも、その時間がすごくよくて、みなさんとお会いしてお芝居する時間が楽しかったですし、ハジメくんの新しい一面がどんどん出てきました。あの時間が今回の映画で活きた気がします。――改めて、当時10代で、映画の現場に足を踏み入れた『天然コケッコー』の現場は岡田さんにとってどういう経験だったんでしょうか?たくさんの諸先輩方のお話を聞くと「デビューの頃の作品を超えることはできない」とみなさん、口を揃えておっしゃるんです。その意味がなんとなく、わかってきたところがあって、純粋な気持ちでカメラの前に立つことがなかなかできなくなってくるんですね。回数を重ねるたびによこしまな気持ちがわいてきて(苦笑)、見せ方とかを考えている時点で絶対的に(デビュー当時の気持ちに)勝てないんです。僕は(『天然コケッコー』を)見返すことができてないんです。どこか構えてしまって、公開時に映画館で観て以来、観てないんです。ありがたいことに何回か、(リバイバルで)流してくださる劇場があったんですけど、行こう行こうと思いつつ、行けなかったんです。山下監督とも「何かイベントがあればお声を掛けてほしいです」という話もしたんですけど、それくらい自分にとっては“原点”と言える作品で、ずっと超えられないもの、死ぬまで身体に残っていく作品のような気がしています。――当時、山下監督に言われて心に残っている言葉や忘れられない思い出があれば教えてください。当時、まず“映画監督”という存在を僕は知らなかったんですが、山下監督はだいたい現場でカメラ横で、なぜか口を隠しながら芝居を見てるんですね(笑)。モニターではなく自分の目で僕らの芝居を見てくれていて、その安心感は今回の現場でも感じましたが、『天然コケッコー』の時もそうだったので、僕にとって “監督”というのは、そうやってカメラ横で見る人なんだと思っていたんですけど、他の現場に行ったら、そういう監督はあまりいなくて…(笑)。もちろん、現場でモニターではなく、自分の目で芝居をジャッジする監督はいらっしゃいますけど。今回、この映画が始まった時、カメラ横にいる監督を見てなんだか嬉しくなりました。当時はまだデジタルではなくフィルムだったので「お前、フィルムだぞ!」と言われても、何のことか僕はわからなくて…。「デジタルと違って何回もやり直しが利かない」という、一発、一発の重要性をあの現場で教えていただきました。その後、デジタルが増えて「フィルムで撮ったことある?」とよくいろんなスタッフさんに聞かれるんですけど「デビュー当時に、フィルムで撮っていただきました」と言うと、みなさん「そうか、よかったな」とおっしゃってくださるんです。そういう時代を知っていることがいまにも活きていると思います。その後も何度かフィルムで撮っていただいた作品はありましたが、やっぱり緊張感があるし「フィルムっていいなぁ」って思いますよね。あの時は、季節が移り変わるのを待って、1か月空けて、また秋に撮影するということをやったんですけど、そういう撮影方法も、いまではいろんな事情でなかなかできないことだし、あんなに恵まれた環境で撮影をさせていただいてもらっていたことは、いまでも経験として良かったなと思いますね。今回もやっぱり、山下監督とのお仕事は何にも替えがたいもので、やってよかったなと思いました。一瞬、迷ったんです。監督とこの作品をやること――果たしてこの作品でいいのか? この役でいいのか? など思うことがあって、でもこの作品とこの役でもう一度、山下監督と出会って、映画をつくることは、僕にとって今後に活きていく経験になったんじゃないかと思います。歳を重ね、感じる変化「求められることのレベルも変わってきて…」――何をするにも周りよりも“1秒早い”ハジメを演じましたが、岡田さん自身は同じようにせっかちなタイプですか? それとも“1秒遅い”レイカのようにのんびりしたタイプですか?僕はどちらかというとせっかちなタイプですね。仕事の時はわりとゆったりやりたいんですけど、プライベートの時はスケジュール通りに進まないとダメで(笑)、友達と待ち合わせするにも早く行ってしまいます。――昨今、映画を早送りで視聴する人が増えたり、“タイパ(タイムパフォーマンス)重視”ということが叫ばれがちです。一方、映画の中で、登場人物のひとりが「世の中のスピードについていけなくて…」ということを言いますが、効率化の波にせきたてられて生きる中で、その言葉に共感する人も多いのではないかと思います。そうですよね。僕自身、台本を読んで共感する部分ではありました。生活のいろんな部分で効率化によってすごく助けられているし、快適さを感じるんですけど、全てが効率化されていってしまう中で「ついていけない」と感じる部分もあります。だからこそ「丁寧な暮らしをしよう」というのは日々の中でなるべく心がけていますね。朝食の時間、お昼の時間、掃除の時間、映画を観る時間――余裕を持って生活できるようにと心がけていますし、ちょっとアナログな生活をしてもいいんじゃないかと思いますね。――オリジナル版を観ての感想で、もし20代の頃に観ていたら、印象が変わっていたかもということをおっしゃっていましたが、10代、20代の頃と比べて、感性や考え方の変化を感じますか?ちょっとずつ感じるようになってきましたね。そもそも観る作品も、20代の頃はプライベートで恋愛映画を観ることがほとんどなかったんですけど最近、たまにそういう作品を観ると、人が人を想う気持ちが、より鮮明に自分の体の中に入ってくるのを感じます。今回、台湾のオリジナル版を見ると、主人公の家族たちが父親がいない生活をしていて、前面に明るさを押し出しつつも、どこか根底に「父の不在」という哀しみを共有しているところがあって、そんな家族の姿を見ているだけでウルッと来ちゃったんですよね。日本版でもレイカちゃんが、手紙でハジメくんに想いを伝えようとする部分でグッと来たんですけど、それは20代では感じられなかったことかもしれないなと思いますね。恋愛映画って、いろんな面が見えてくるんですよね。登場人物たちがいろんな表情を見せてくれて、それを面白いって思えるようになったのかなと思います。――仕事面でも30代になって、変化を感じますか? 岡田さん自身ももちろん、周囲に求められることや役柄も変わってきている部分はあると思いますが…。すごく変わったと思いますね。求められることのレベルも変わってきて、毎回「超えられるかな?」と心配になりながらやってますけど…(苦笑)。ここ最近、関わる作品ひとつひとつに重みを感じるというか、責任という意味でもそうですし、この作品における自分の役割やポジション、任せられる幅が20代とは全然違うと思うし、単に主人公というだけでなく、物語のキーパーソンとなる役や、周りを動かす役だったり、変わってきたなと感じています。――今回、この作品への出演を「一瞬、迷った」とおっしゃっていましたが、本作に限らず、作品への出演を決断する上でどんなことを大切にされていますか?絶対的に大事なのは脚本のクオリティなんですけど、最近は少しずつ“人”になってきました。「誰と」という部分がすごく重要で、今回は山下監督との縁がありましたが、そういう縁は大切にしたいなと思います。どの作品でも人との出会いがありますが、誰と一緒にやるがで、自分がどんな影響を受けるか、ということを以前よりも考えるようになったと思います。ヘアメイク:小林麗子/スタイリスト:大石裕介衣装クレジット:ジャケット、シャツ、パンツ、ミュール(全てNEEDLES)(text:Naoki Kurozu/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:1秒先の彼 2023年7月7日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©2023『1秒先の彼』製作委員会
2023年07月04日稲森いずみを主演に迎え、毎回反響を呼んできた金曜ドラマDEEP「夫婦が壊れるとき」がまもなく最終回を迎える。見逃し配信では、6月16日(金)の第11話放送終了後に「TVer」での全話累計再生回数が2,500万回を突破(※6月17日現在、第1話~11話、スピンオフ第1~3話の全話合算)。また、公式TikTokでもドラマの切り出し配信が総再生回数4,500万回を超えており、多くの視聴者が不倫された妻の壮絶な復讐劇を見守ってきた。最終回の行方が気になるなか、本作のメインライターを務めた脚本家・鹿目けい子さんにお話を伺った。世界的大ヒットドラマのリメイク「一番話し合ったのは主人公・陽子のキャラクター」まず、ドラマの反響について伺うと、「反響の大きさは率直に嬉しいです、が、正直『嬉しさ<安堵』という気持ちが強いです。金曜深夜の新枠、第一弾の作品なので、皆さん結果を残したいという思いが強かったです」と鹿目さん。金曜ドラマDEEPは大人がハマれる沼ドラマを目指した新枠だが、今作は十分な結果を残したといっていいだろう。原作となったのは、英BBCの「女医フォスター 夫の情事、私の決断」。韓国ほか各国でリメイクされた世界的ヒットドラマだ。「海外ドラマが好きなこともあり、『女医フォスター』は随分前に観ていて、その後、韓国版も観ました。BBC版も韓国版も、とにかく一気に見たことを覚えています。どの登場人物にもあまり共感は出来ないのに目が離せない(笑)。復讐する妻の狂気と、クズな夫、スピーディな展開に圧倒されました」。「女医フォスター 夫の情事、私の決断」 (C)APOLLOそして今回のドラマ化も、「タイトルを聞かずに、枠のコンセプトと海外ドラマリメイクで不倫ものという情報を聞いただけで『もしかして女医フォスターですか?』と、こちらから訊ねたくらいだったので(笑)」とすぐにピンときたよう。「同時にオリジナル版、韓国版の大ヒットはもちろん知っていたので、プレッシャーが大きかったんです」とも打ち明けた。日本オリジナル版の脚本を創りあげるにあたり「一番話し合ったのは主人公・陽子のキャラクター」だったという。「イギリス版の主人公は野性的で直情型、韓国版で描かれる主人公は、抑制の効いた理性的なキャラクターです。それは文化の違い、国による夫婦の在り方にも関係していると思います」と話しつつ、「日本版ではやはり日本の視聴者に共感をしてもらえる主人公を作ろうと、話し合いを重ねました。夫以外の男性と関係を持つことや、父の浮気を知ってしまった息子と対峙するシーンは、陽子にも観た人にも納得できるよう、そこに至る経緯を丁寧に積み上げました」と鹿目さん。プロデューサーや監督、脚本家(三國月々子さん・上野詩織さん)ら女性スタッフから参考になる意見をもらえた、と続ける。「複数の脚本家で作業する場合は、始めにメインライターが全体構成を考えます。今回なら13話の展開を先に考え、どこで話を区切るか、各話のクリフハンガーとなる出来事や、その回での主人公の心情の変化を明確にして情報を共有し、他のライターさんと同時に作業をしていきます。担当回以外の打ち合わせにも極力参加して、流れを掴めるようにしていました。コロナ禍以降リモートでの打ち合わせ参加が出来る環境が整ったこともあり、その辺りはフレキシブルに対応出来て良かったと思います」。稲森いずみが体現した感情移入できる主人公「本当にそこに陽子がいて」鹿目さんはこれまでにも、映画版から30年後を舞台に女子相撲を主軸にしたDisney+オリジナルドラマ「シコふんじゃった!」や、中国の大ヒットドラマを原作としたAmazonOriginalドラマ「ホットママ」など、既存の人気映像作品にオリジナル要素を加えて再構築する作品に携わってきた。「シコふんじゃった!」では「設定は映画の世界を踏襲していますがストーリーはオリジナルでした。ただ、映画で愛されたキャラクターも多く出てくるので、キャラクターの描き方には細心の注意を払いました」と言い、「ホットママ」も「“働くママ”という中国版の設定は生かし、話は日本オリジナル要素が強いです。予期せぬ妊娠をした女性に共感をしてもらい、愛されるキャラクターにすることを心がけました」とふり返り、「どの作品でもとにかくキャラクター造形には気を遣います」という。今作では主人公・陽子のキャラクターが「日本の女性に感情移入してもらえるか」が最重要となった。「例えば、話のロジック的には、陽子が夫以外の男性と関係を持つことは必要な出来事ですが、そこまでの感情の積み上げ方次第では、観る側が『あり得ない』となる危険性もあります。そうならないために感情を丁寧に積み上げました」と、説得力を持った心情描写で共感を得られるよう構築してきたことを明かす。「また、稲森さんを初めて現場でお会いした時には、本当にそこに陽子がいて、ぞくっとしました。改めて素晴らしい俳優さんだと思いました」と、感情移入できる陽子を見事に演じ切った稲森さんに称賛を贈る。“完璧”な陽子が「そもそもどうしてあんな人と結婚したのか」今作では吉沢悠が演じている不倫夫だが、そのクズっぷりは相変わらず。むしろ昂太は若々しい雰囲気で人懐こさがあるため、不誠実な言動とのギャップが際立ち、稲森さん演じる陽子には「とにかく幸せになってほしい」「報われるラストでありますように」といった応援の声がSNSに上がるほど。「昂太は、本当にダメな夫ですよね。そうなると、どうして陽子のような完璧な女性が、昂太と結婚したのか、視聴者が気になるのではないかと思いました。言葉で多くを語らずとも愛される男と考えると、吉沢さんのようなそこにいるだけで癒してくれる男性でなければいけなかったと思います」と鹿目さん。確かに、周囲から同情されることを嫌い、医師となり、母となり、副院長となってからも、何事も全力で打ち込んできた陽子にとって昂太は癒しとなる存在だったはず。その点では、日本オリジナルである「スピンオフストーリーでキャラクターの強化が出来たことも良かった」という。スピンオフは「主人公に共感してもらうことを目的としているところが大きい」と言い、「本編の23分では収まり切れなかった過去のエピソードを知ってもらうことで、いかに主人公にとって夫の存在が大切だったかということを描くためのストーリーにしました。また3本のうち2本は夫側のエピソードですが、本編では描かれない不倫に至る経緯が見えたほうが、より複雑な感情を持てるのではという狙いがあります」。「本編だけを見るとクズ男で、視聴者の中には、そもそもどうしてあんな人と結婚したの?と思うのではないかな、と。なので夫のキャラクターがこれまでのどんな出来事に裏打ちされたものなのかを描きました。ただ、あれを見て、さらに許せない!となるか、情状酌量、となるかはお任せです(笑)」。果たして、陽子はクズ夫と決別し息子・凪(宮本琉成)と自分の人生を守りながら幸せになることはできるのか。もしかしたら、原作とは違った結末が待ち受けている可能性も…?「同じラストであってもより共感してもらえるように、そこまでのエピソードを重ねていきました。違うラストであったら、それは、より最善のものを選んだということで…楽しみにして頂ければ、と思います」と、意外な結末も匂わせつつ自信を覗かせる鹿目さん。「原作にはシーズン2があり、夫の逆襲も描かれるのですが、それも日本でもやれたらいいな、という思いもあります」と、“続編”の可能性についても語っていた。第12話あらすじ夫を自分の人生から排除しようとする陽子(稲森いずみ)は、離婚の条件が書かれた書類と離婚届を昂太(吉沢悠)の元に送りつける。家も財産も息子・凪(宮本琉成)も全て陽子のもの…その要求に、昂太は納得できずにイラ立ちを募らせる。一方、芽衣(結城モエ)は睡眠薬を服用していることを康生(犬飼貴丈)に気づかれてしまう。「お前、あの医者に使われてるんだな」…陽子への仕返しを考えていた康生は、ほくそ笑んで理央(優希美青)と昂太の元に押しかけ、陽子と芽衣の関係を暴露する。また、離婚の条件をひっくり返そうと昂太が陽子のクリニックに乗り込んでくる。離婚書類へのサインを求める陽子に対し、「家も出て行かないし凪も渡さない」と反論する昂太は…。「夫婦が壊れるとき」は第12話は6月23日(金)深夜25時05分~日本テレビにて放送。放送後よりTVer、Huluにて配信。「女医フォスター 夫の情事、私の決断」と「夫婦の世界」(韓国リメイク版)はHuluにて配信中。(上原礼子)
2023年06月23日同じ監督の同じ作品なのに、国ごとにポスターのデザイン、そこから伝わってくるニュアンスが驚くほど違うことがある。それはまさに、各国の配給・宣伝会社が、そして何よりもデザイナーがその映画から何を感じ、どこを切り取り、何を観る者に伝えようとしているか? というクリエイティブの発露に他ならない。今回の【映画お仕事図鑑】は、ホン・サンス監督の最新作『小説家の映画』の公開を記念して、同作を含め、日本でホン・サンス監督の近年の作品のポスターデザインを担当してきた若林伸重、同じくアメリカ版のデザインを担当してきたBrian Hung(ブライアン・ホン)のオンラインでの対談をお届けする。6月16日(金)からは、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺、特集上映が決定したStrangerや代官山 蔦屋書店などで、2人が手がけたホン・サンス監督の4作品(『小説家の映画』(22)、『あなたの顔の前に』(21)、『イントロダクション』(21)、『逃げた女』(20))の日米ポスターを展示する、ポスター展も開催される。2人はどんなアプローチでホン・サンスの世界を切り取り、1枚のポスターに仕上げたのか? 日米クリエイター談義をご覧あれ!【プロフィール】若林伸重グラフィックデザイナーとして映画のポスターをはじめ、演劇や美術展のポスター、本の装幀のデザインなどを行なう。『花様年華』、『CURE』、『愛のコリーダ 2000』、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』はじめ、ヴィスコンティ、ソクーロフ、ダルデンヌ兄弟、アルモドバル、侯孝賢、大島渚、鈴木清順、石井輝男など錚々たる監督たちの作品のポスターを手がけてきた。 Hung(ブライアン・ホン)独立系配給会社Cinema Guildのポスターデザイナーとして働く一方で、プロの料理人としての一面も持つ。ホン・サンス監督作品やジャ・ジャンクー監督『海が青くなるまで泳ぐ』(20)、ワン・シャオシュアイ監督『Chinese Portrait』(18)など、アジアの映画監督たちとの一連のコラボレーションで知られ、『逃げた女』のポスターは、定額配信サービス「MUBI」が選ぶ「2021年のベスト・ムービー・ポスター」に『LAMB/ラム』や『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』、『スペンサー ダイアナの決意』といった話題作と並び選出された。――お2人がデザインの世界に足を踏み入れることになった経緯、特に映画ポスターのデザインに携わるようになったきっかけについて教えてください。ブライアン:そもそも業界に入るきっかけは、映画の配給会社への入社でした。そこで映画に関するいろんなことを学んでいたのですが、ある時ふと、もう少し情熱をもって何か新しいことができないか? と考えたんです。映画の配給会社でしたので、そこにデザインの仕事もあることを知り、上司に「僕にもトライさせてもらえないか?」とお願いしたんです。そうしたら「いいよ。でも会社の仕事とは別にきちんと自分でそのための時間をつくりなさい」と言われました。それから自分でチャレンジした仕事が幸運なことに評価してもらえました。それがこの仕事をすることになったスタートでした。ブライアン・ホン(Brian Hung)氏イラスト若林:僕は映画会社の宣伝部で宣伝の仕事をしてたんです。とはいえ、もともと自分は美術畑の人間で、宣伝の才能がないことを自覚して、それで一からもう一度デザインの勉強をし直すために、デザイン会社に入社しました。映画会社の宣伝部にいたくらいですから映画は大好きで、ミニシアター系のポスターの仕事を自分で営業して受けるようになって、30年近くこの仕事をやらせてもらっています。若林伸重氏――デザインをされる上で、これまでに影響を受けた映画作品や印象深いポスターなどはありますか?ブライアン:ひとつ挙げるのは難しいんですが、私は上海で育って、当時はDVDレンタルのお店がたくさんありました。そこで何を借りるか? 映画の内容はわからなくても、パッケージのビジュアルを見て、面白そうなものを選んでいました。タイトルは覚えてないんですが、男性がひとりでイスに座っていて、彼の影が床に伸びているデザインを見まして、それはすごくシンプルなんですが、強烈な印象があって、何も知らないその映画を「観てみたい!」と思ったんです。その体験は、デザインというものに影響された最初の経験だった気がします。若林:映画のデザインを手がけるにあたって、自分は映画の作品を参考にしたことは一切なくて、むしろ横尾忠則さんや田中一光さん、井上嗣也さんといった、映画ではないデザイナーたちのデザインを研究し、どういうフォント、どういう色、どういう紙を使っているか? といったことを勉強し、それを映画に持ち込んでやってきた部分が大きいと思います。なので、自分の映画ポスターはあんまり映画らしくないデザインだと思うし、むしろそういうものをつくっていこうという思いでやっています。――映画のポスターの制作のプロセスについて、お聞きします。最初にオファーが届いて、その後、どのようにポスター制作を進めていくのか教えてください。若林:最初にオファーをいただいて、試写でその作品を観るんですが、そこで感じた自分の気持ちを心に留めておきつつ、打ち合わせをしながら先方が何を求め、自分はどんなデザインにしたいのか? すり合わせていきます。これはごく普通にみなさん、やってらっしゃることだと思います。僕はデザインにおいて、タイポグラフィを非常に大切にしているので、そこをガッチリと固めた上で、写真を触っていくという感じですね。正直に言いますと、デザインの過程で観客の存在というのはあまり考えないですね。自分がやりたいことを大切にしつつ、クライアントさん(=宣伝・配給会社)が喜んでくれればそれでいいというスタンスでやっています。ブライアン:いまのお話を聞いて、僕の仕事の進め方とよく似ているんじゃないかと感じています。最初に映画を観て、その時の第一印象をしっかりと心の内で忘れないようにして、クライアントとの打ち合わせに入るわけですが、基本的には自分が何を感じたか? ということを大切にしています。もうひとつ、クライアントの要望を聞きながら、彼らがなぜこの仕事を僕に頼んだのか? という部分について、理屈ではなく“ニュアンス”的なところでできるだけ理解して、仕事を進めるようにしています。若林さんもおっしゃったように、全くとは言いませんが、見た人がそれをどう受け止めるかというのは、どうでもいいことだと思っています。自分がやりたいことができたのか? それが唯一で絶対だと思っています。少なくとも、しばらく経ってから自分が見た時に、幸せに感じないようなデザインをしたくはないので、自分が好きなものをつくるということはとても大切にしています。――今回、お2人がデザインされたホン・サンス監督の『小説家の映画』のデザインに関して、具体的にどういったことを考えてデザインされたのか教えてください。ブライアン:決して“簡単な仕事”と言うつもりはないですが、作品によって、思いがけずとても多くの時間を要するデザインの仕事もあれば、ポンっと方向性やデザインが決まっていく仕事もあります。この『小説家の映画』に関していえば、間違いなく後者でした。物語を見ながら、重要なポイントをピックアップしていきましたが、白黒映画でありながらも、とても温かい印象を受けたんですね。この“温かみ”をポスターの中にどう取り入れていくか? ということがデザインのポイントでした。既に何度か一緒に仕事をしている配給会社だったということもあり、何度も打ち合わせや確認をすることもなく、非常にスムーズに進んだ仕事でしたね。『小説家の映画』アメリカ版ポスター――公園で向かい合って話をする作家のジュニと女優のギルスの姿を階段の下の方から引いて捉えています。どういう意図でこうした構図にされたんでしょうか?ブライアン:この映画の物語の中でも重要な部分は、やはり彼女たち2人の関係性だと思います。ホン・サンス監督は普段、あまり同じようなシーンを繰り返すことはしないのですが、この映画に限っては、階段が非常に多く出てくるんですよね。昇ったり、降りたりということが、幾度となく表現されます。そこに何か意味があると感じたので、これをポスターにも取り入れました。――若林さんは、2人がレストランで机を挟んで向き合うシーンをデザインに取り入れました。若林:ホン・サンス監督の作品を担当するのは4回目になるんですが、作品を重ねるごとに監督は非常により“とがった”ことを試していくので、それに付いていくのが大変ではあり、面白くもあります(笑)。僕の中で、ホン・サンス監督の作品のデザインは「デザインしてやるぞ!」と入れ込み過ぎるとダメなんですね。常にニュートラルに構えつつ、力まずにフッとうまく力を抜くということを心がけています。今回の『小説家の映画』に関しては、モノクロで長回しを多用し、会話も多く、カットも少ないので、場面が限られています。そういう意味では楽なんですけど、その中からいかにこの2人が良い表情をしているところをチョイスするか? といった、なかなか伝わりづらい部分で努力はしていますが、最終的にできあがったデザインを見た人が肩に力が入らないようなものにしたいなと思いました。『小説家の映画』日本版ポスター――タイポグラフィに関しては今回、どのようなことを大切に?若林:モノクロ作品であり、ある意味で「何も起こらない」映画なので、タイポグラフィも凝り過ぎず、一番シンプルでスタンダードなものを使いました。先ほども話しましたが「どうですか!」みたいな感じで見る人に訴えるようなものではないデザインを心がけました。タイポグラフィに関しては、読ませるべきことを読ませないといけない――写真などが邪魔して文字が読めなくなってしまっては本末転倒なので、情報を伝えるためにきっちりと固めた上で、空いた部分で写真を処理するというやり方をしています。写真は僕自身が撮ったものではないですが、タイポグラフィは自分で考えて作り上げていく部分なので、ある意味、自分の“信念”みたいなものなんですね。――おふたりとも、これまで同じホン・サンス監督の作品をいくつも担当されていますが、『逃げた女』のポスターを見ると、同じ作品のものと思えないくらい、印象が異なります。どんなことを大切にし、このデザインに至ったのかを教えてください。ブライアン:あのデザインは結構、苦労しました(苦笑)。当時、ポスターデザインの仕事に決して飽きたというわけではないんですが、同じようなことの繰り返しをしている気持ちになっていたんですね。ちょうどその時期にあの映画を観て、これまでにやったことのないデザインを試してみたくなって、やってみたんですが、クライアントからは即「ダメ」と言われまして…(笑)。そこでもう一度、自分のデザインを見直して、「この映画はこういう作品なんじゃないか?」と考えて、映画に寄り添いつつ、自分がつくっていて楽しいものをつくろうとやり直しました。その時、自分が感じていた停滞感は、新しいことをやろうとしてこなかったから感じたものなんだとわかりました。自分自身を楽しませて(=entertain)、デザインすることができたんです。それを見せたらクライアントはすぐに「これはいいね」と言ってもらえました。『逃げた女』アメリカ版ポスターその後、いくつか修正を加えて完成品になったんですが、黄色いラインが入っているのは、最後の最後になってふと思いついて入れてみたら、非常にうまくハマってくれました。あのデザインはいろんな意味で、自分に新しい方向性をもたらしてくれた楽しい仕事でした。若林:さっきブライアンさんがおっしゃったことですが、自分自身が満足できなくては他人を納得させることはできないので、いかに自分がつくったものに自信と愛情をもってプレゼンテーションできるか? ということが非常に大事だと僕も思います。『逃げた女』に限らずですが、ブライアンさんのデザインは空間、余白を多くとっていて、広がりを感じます。ホン・サンスの世界ってこういうものだなと僕も思います。ただ日本では、どうしてもメインキャストの人たちの顔が見えるくらいにしないといけないところもありまして、人物を小さく扱うというのはなかなか難しいんですよね。無名の俳優が主演の作品であればそれもできるかもしれませんが、世界に名を知られたキム・ミニですから、それなりに顔がわからなくてはいけないし、その上でホン・サンスが作り出すニュートラルな世界を表現したいということで、この『逃げた女』のポスターでは、上にキム・ミニが演じた主人公を置いて、下は大きく空間を入れるというデザインにしました。『逃げた女』日本版ポスターブライアン:若林さんと比べると、私はキャリアが短いので、ちょっと厚かましい質問になってしまうかもしれませんが、デザインに捧げる時間や労力と“効率性”についてお聞きしたいです。どんなに一生懸命、時間をかけてデザインをしたとしても、予算が少ない仕事もありますし、自分が捧げたものが報われるとは限りませんよね? それだけの時間を費やすことに意味があるんだろうか? と考えてしまうことがあります。そういう部分について若林さんはどんなふうに考えて、仕事をされていますか?若林:僕はどんな作品であっても、それが自分の仕事であることは変わりませんので、予算がある映画か否か? 規模の大きさに関係なく、常に同じスタンスで、効率ということについてもあまり考えません。僕の生活は仕事が中心で、仕事をする部屋に布団も置いてある状態で、疲れたらそこで寝て、起きてまたパソコンに向かうという生活を送っていて、仕事と日常を切り離してもいません。遊びも仕事の一部という感じです。そういう意味でも“効率”ということを考えることが一切ないんですね。『逃げた女』のブライアンさんのデザインを見ると、キム・ミニの姿をたくさん散りばめていますよね。これをやるのってすごく労力も時間もかかるので大変だったと思います。これを試したとして、もしNGになったら、その虚しさというのは本当に耐えがたいものがあると思うけど、それでもこのデザインにチャレンジして、形にしたということにうらやましさを感じています。日本でもこういうことができないかな…と思うくらい、素晴らしいと思うし、それはやはり、効率を考えず、それだけの時間と労力を掛けたからこそ生まれたんだと思います。ブライアン:僕は料理人としても仕事をしていまして、いまの段階で料理人のほうを本業として感じていて、その意味でデザインの仕事はプロでありつつも半分アマチュアのような、すごく中途半端な立場にいるなと感じています。台所で仕事をする上では、常にいかに効率的な動きで多くの料理を作っていくかということを考えなくてはいけないこともあります。それもあって、失礼かもしれませんが、そんな質問をしてしまいました。――映画の世界における映画ポスターのデザイナーという仕事の役割について、どのようなことをお考えですか?ブライアン:先ほどの話とも重なりますが、主演の俳優の顔を大きく見せなくてはならなかったり、クレジットを大きく出さなくてはならないなど、様々な縛りはあるとは思いますが、正直、自分にとってはあまりそれは重要ではなく、大切なのは映画の中からどこをハイライトとして抜き出すか? ということです。考えてみれば、ポスターが表現しているのは、その映画のごく一瞬を切り取ったものに過ぎないわけです。それがどういうふうに観る人に伝わるかをコントロールすることは不可能です。もちろん、制作会社のリクエストも含め、いろいろありますが、多くの要素を入れれば良いというものではなく、そんなポスターは何も伝えることはできません。私の役割は、映画の中のどこにフォーカスするか? その一瞬をとらえるということだけです。若林:おっしゃる通りで、お客さんというのは不特定多数なので、全ての人たちの好みに合わせるデザインをすることは不可能です。なので、まず自分がそのデザインを気に入る、そしてクライアント(配給・宣伝会社)の担当者が気に入ってくれる――この2つで僕は「よし」としています。ブライアン:同意です(笑)。若林さんは、デザイン案をプレゼンテーションする中で、ご自身の“エゴ”をどこまで出すべきか? ということについて、どうお考えですか?若林:プレゼンテーションする上で、自分のエゴを通したものを必ずひとつは提案すべきです。たとえ通らなくてもそうすべきだと思います。まあ、だいたい通りませんが…(苦笑)。デザイナーとしてそれをやらなきゃ楽しくないですよね。具体的に言うと、「クライアントが望むであろう」デザインを1点、「でも、自分はそうは思わない。こう思う」というデザインを1点、「その中間の」デザインを1点用意します。でも、それをやっているうちに、それらとはまた違った、「ちょっとぶっ飛んだ」アイディアがもうひとつくらい、浮かんでくるものなんです。なので、最終的には4点くらいを提案し、決めてもらいます。たまに最後のぶっ飛んだアイディアが採用となる場合もありますが、“エゴ”を通したデザインが採用されることは、なかなか難しいですね(苦笑)。ブライアン:いまのお話に出てきた4つ目の「ぶっ飛んだ」デザインの例を教えていただけますか?若林:以前、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』のポスターをデザインさせていただいた時、それこそ何十パターンものデザインをプレゼンテーションしました。クライアントさんのやりたいことが決まってないのか? それとも間に入る関係者の数が多すぎてなかなか統一できないのか? 詳細はわかりませんが、とにかくたくさんつくったんですが、なかなか通らないわけです(苦笑)。最終的に、僕自身が「この映画はこういうものなんだ!」と思って作ったのが、当時の35ミリフィルムを拡大して、トニー・レオンとマギー・チャンが寝そべっているものでした。「もうこれだけでいいじゃないか!」と(笑)。「これがダメならこの仕事は降りますよ」というくらいの思いだったんですが、そうしたらこれが通ったんです。こういうことがあるから、この仕事は楽しいんですね。『花様年華』ポスターブライアン:『花様年華』のポスターはいろんなものを見ましたが、若林さんのデザインは本当に大好きですし、本当に素晴らしいです! もうひとつ、質問させてください。黒沢清監督の『CURE』のポスターも素晴らしいです。若林さんが手がけたデザインの中でも最も好きなデザインのひとつです。まさにポスターを見て「この映画を観たい」と思いました。映画自体は暗めのトーンの作品ですが、映画に登場するいろんなアイテムが並べられたあのデザインは、間違いなく映画のハイライトであり、かつ楽しさを感じさせてくれます。どのような制作のプロセスであそこにたどり着いたのか教えてください。『CURE』ポスター若林:ありがとうございます。アメリカのAshley Bickertonというアーティストの「Bad」という作品で、世の中の“武器”――拳銃、ライフル、ミサイル、戦車、毒薬、爆弾など、ネガティブなモチーフを白い画面いっぱいにちりばめている作品があったんです。それを見て「あぁ、こういうデザインこそ映画でやってみたいな」と思ったんです。そうしたらちょうど『CURE』のお話をいただいて、あの作品がたまたま、古い病院にある注射器や古い本、拷問道具などが出てくる作品だったので、それを並べたら、日本では誰もやったことのないような映画ポスターになるなと思ったんです。やってみたところ、ちょうど黒沢清監督がそのデザインを気に入ってくださって一発OKが出たんです。ブライアン:そのアイディアが一発で通るというのは一番嬉しいことですし、すごいことですね。若林:監督の一発OKという形でなかったら、おそらく通らなかったんじゃないかと思います。監督のひと声が効きましたね。こんなに細かくアイテムを切り抜いて並べるって、デザインとしてはすごく大変なんですよね。これがダメだったら、労力すべて水の泡なんですけど、どこかで「黒沢監督はこれを気に入ってくれるんじゃないか?」という妙な自信がありましたね。――そろそろお時間になります。貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。若林:最後にひとつだけ。また『小説家の映画』の話に戻りますが、私のデザインした2人がレストランで向き合っているカットですが、実はこれは同一のシーンのカットではないんですね。このシーンは定点カメラで長回しで撮っているんですけど、それぞれがちょうど良い表情をしている瞬間を切り取って、合成してるんです。ただ2人の距離も離れすぎていたので、テーブルの幅も狭めて、近づけているんです。そういう裏話って、言われなきゃわからないものだと思いますし、もちろん、本来はお客さんは知らなくて良いことなんですけど。ホン・サンスの映画ってまさに優雅に泳いでいるように見える白鳥が実は水面下では足をバタバタと漕いでいるようなもので、水面下でデザイナーはなかなか大変な思いをしているんですけど(苦笑)、それが今回、良いデザインに仕上がり、とても満足しています。そこに至るまでに、ブライアンさんの空間を用いた階段のポスターを見て、良い刺激をいただいて「負けたくない」「じゃあ、日本のデザインはこういうものを見せよう」と思った部分がありました。ブライアン:そう言っていただけて嬉しいです。いろんなお話が聞けて楽しかったです。若林:僕もこういう機会は初めてで、緊張しましたが、もしまた次の機会があればさらに腹を割っていろんなお話ができたら嬉しいです。ブライアン:ぜひお願いします。若林さんのデザインのファンなので、これからも常にお仕事を見ています!『小説家の映画』は6月30日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2023年06月22日“運命の分岐点”は誰の人生にも訪れる。あのとき、こうすればよかった。このとき、こちらを選択すればよかった。『ザ・フラッシュ』の主人公であり、幼いころに母親を亡くしたスーパーヒーロー、フラッシュことバリー・アレンも、運命の分岐点と選択がもたらしたものに苛まれる。そんな彼を見守り、ともに戦うことになる仲間として、劇中にはスーパーガールことカーラ・ゾー=エルが登場。その吹き替えを担当した橋本愛に、役柄と声の演技について、さらには自身の“運命の分岐点”について聞いた。「“後悔はしないけど反省はする”の気持ちで行きたい」という橋本さん。その真意は…?イメージとは全く違う役への挑戦「徐々にいろんな表現をしていきたい」──スーパーガールことカーラ・ゾー=エルのキャラクターをどう捉えましたか?スーパーマンのいとこであるカーラは強さやかっこよさ、たくましさを持つ一方、繊細で儚く、弱さも持ち合わせている人。けれど、弱いからこそ人の痛みが分かるし、人を助けたい気持ちもあるんですよね。そういった彼女の愛情深さや温かい人間味を感じながら演じました。──声を演じるにあたり、気をつけたところは?演じられているサッシャ・カジェさんの声質やトーンと全く同じにするのは難しくて。ですが、限りなくにじり寄る気持ちでやりました(笑)。声って、ある程度は骨格や体格で決まってくるものですよね。でも、「この体からこの声は出ないよな」とは思ってほしくなかった。サッシャさんの表情を見て、声を聞いて、何を感じながら演じていらっしゃるのか、なるべく汲み取りながら演じたかったんです。リスペクトを持って演じるという意味でも、彼女の表現からかけ離れることはしたくありませんでした。──劇中では、カーラのすべてが描かれるわけではありません。彼女の過去などについて、想像を巡らせたりもしましたか?私自身の解釈でしかありませんが、1つ想像したのはクリプトン星が滅んだときのこと。カーラとカル=エル(スーパーマン)は唯一の生き残りとして、故郷が滅びる瞬間を見ているわけですよね。それってものすごい体験だし、想像しようもないほど壮絶な心境になったと思うんです。と同時に、何かが滅んだ瞬間を知っているからこそ、何かを守るという気持ちの強さが彼女の中に芽生えた気もしていて。そのあたりの心の変遷は自分の中ですごく想像しました。──声だけでなく、カーラのようなスーパーヒーローを演じたい願望はありますか?可能であれば、もちろん演じたいです!体はまだ硬いんですけど、アクションが好きなので。実はプライベートでキックボクシングやダンスを習っていたりもするんですが、そういったイメージが私にはあまりないかと…。機会があれば、ぜひよろしくお願いします(笑)。──パブリックイメージから離れた役柄を演じて驚かせたい気持ちも?なんて言うか、私の中にはいろんな人格があって。しかも、対極の人格がいっぱいあるんです。でも、今はまだその中の2つか3つぐらいしか認知されていない気がして。これまでのイメージとは全く違う役をいきなり私に託すのも難しいとは思いますが、徐々にいろんな表現をしていきたい気持ちはあります。──人格はいくつぐらいあるんですか?いっぱいあるんですよ、本当に(笑)。幼稚園児みたいな自分もいれば、大人びた自分もいる。上品な人がいるかと思えば、ヤンキーみたいな人もいる(笑)。優等生もいるしギャルもいる。盛りだくさんで楽しいですけどね。そんな子たちをいつか解放してあげたいです。過去のすべての選択とともに生きる──ぜひ(笑)。さて、本作では“運命の分岐点”が物語の鍵を握りますが、橋本さん自身、「あの瞬間があったから、今の自分がある」と思えるような出来事はありますか?たくさんあります!それこそ声に関して言うなら、(『グッドバイ~嘘からはじまる人生喜劇~』で)成島出監督とご一緒したとき、「昔の日本女優のような声を出してほしい」という演出を受けたことがあって。当時の私の体の使い方では、監督の要望に応えられなかったんです。けれど、「君の骨格なら出せるはず」と粘り強くおっしゃっていただき、トレーニングを重ね、新しい声を出せるようになりました。自分の声に興味を持ち始めたのもそのときからですね。「あっ、こんな声も出るんだ」って。そういった発見が面白かったし、成島監督との出会いがあったからこそ、自分の中に広がるものを感じました。──逆に、過去をやり直したいと思ったことは?そういった気持ちを持ったことがないと言えば嘘になりますが、この『ザ・フラッシュ』やタイムループを題材にした作品たちのおかげで、過去を変えてもあまりいい結果にならないと学んで(笑)。結局、「今が大事」という結論にたどり着きますよね。もちろん、失敗した直後は「もう、変えたい…」と思います。でも、その失敗がないと学べないし、学べていないからミスが起こる。だから、「後悔はしないけど反省はする」の気持ちで行ければ。──もともと前向きなタイプですか?もともとなのかな?少なくとも今はそうです。私の好きな言葉に、「そのときにした選択は、それしか選べなかったから選んだ」というものがあって。どんな選択もそのときの自分の限界であり、そのときの自分の最善だったと考えるようになってからは、いい意味で仕方がないと思えるようになりました。それが未熟な自分にとっての頂点だったということは、その頂点をこれからいくらでも突き破っていけるという伸びしろを意味しているとも言えます。そう考えることで、過去のすべての選択を許せるようになりました。──「過去のすべての選択を許す」のは、なかなか難しいことでもあります。「許す」というより、「ともに生きる」と言ったほうがいいのかも。これも言葉の話になりますが、深田晃司監督の『LOVE LIFE』という映画で、主人公が経験した過去の過ち、喪失に対して、「君だけは乗り越えるな」といったような台詞があって。例えば大切な人の死を周りがどんなに乗り越えようとも、私だけは乗り越えなくていい。悲しい気持ちを無理になくさなくても、それと一緒に生きればいい。そういった考えが、私の姿勢の基本になっているのかもしれないです。──最後に、ご自身の俳優人生を変えた“運命の映画”についても聞かせてください。15歳のときに出演した『桐島、部活やめるってよ』です。当時はまだ、この仕事に対して何の覚悟も誠実さもなくて。そんな中、同年代の共演者さんたちが信念を持ってお芝居に取り組んでいる姿を見て、「このままではこの人たちに失礼だな」と思うようになりました。自分はこの道から降りるのか、続けて頑張るのかを考えたとき、彼らに追いつきたいなと思ったんです。あの映画によって自分の基盤みたいなものが形成されましたし、日本映画の至高に携わることができたという意味でも思い入れのある作品ですね。(text:Hikaru Watanabe/photo:Maho Korogi)■関連作品:ザ・フラッシュ 2023年6月16日より全国にて公開© 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved © & TM DC
2023年06月20日仕事終わりやおいしい料理のおともに、友人たちとのひと時に、お酒を飲みたくなる人も多いのではないでしょうか。ライフスタイルの変化から、健康面を気にかける人が増え、お酒を飲むタイミングや頻度はもちろん、ノンアルコール飲料(以下、ノンアル)を好んで選ぶ人も増えてきているのだとか。日本コカ・コーラ株式会社(以下、コカ・コーラ社)は、2018年に『檸檬堂』でアルコール飲料に参入。2022年には、レモンサワーテイストのノンアルコールブランドとして、『よわない檸檬堂』を発売しました。『よわない檸檬堂』は、どのようにして誕生したのでしょうか。ブランドマネージャーの岸田卓真さんに、ノンアル商品の開発についてお話をうかがいました。日本コカ・コーラ株式会社マーケティング本部岸田卓真さんお酒が好きな岸田さんも、リモートワークになった時に、ノンアルを日常的に飲むようになった一人。「『檸檬堂』で培ったおいしさというものを、ノンアルコールで酔うことなく提供できるのではないか。飲まなくても楽しみたい、楽しめているという人たちに喜んでもらえるものをノンアルコールで届けていく」という想いから、『よわない檸檬堂』を開発したのだそうです。左から『よわない檸檬堂』、『よわない檸檬堂すっきりレモン』ノンアルコールとは思えない、お酒らしい余韻SNS上では、お酒が好きな人や飲めない人、飲みたいけど飲めない人から「うまい」「箱買いしたい」「ロング缶も発売してほしい」という声もあるほど人気な『よわない檸檬堂』ブランド。より多くの人がノンアルを楽しむ味にするには、一筋縄ではいかなかったそうです。岸田さんに、味開発の担当者とともにこだわった点をうかがうと…。当たり前のことですが、味づくりで一番気にかけたのは、おいしさです。『よわない檸檬堂』をお酒くさくすることはできるんですけど、やっぱりおいしいものを楽しんでいただきたい気持ちがありました。『檸檬堂』の時は果汁感など、レモンサワーとしておいしいとはなんだろう、と…。『檸檬堂』と『よわない檸檬堂』は別ブランドですが、その時に培った、おいしいレモンサワーを作った経験から、おいしいノンアルのレモンサワーを追求するとどうなるのかと、追求しましたね。おいしさとお酒らしさの両立が一番苦労しました。ノンアルのレモン味の炭酸飲料といえば、レモンスカッシュを思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。レモンサワーとレモンスカッシュの違いが気になった筆者。岸田さんに尋ねると…。この議論はよくありますよね!レモンスカッシュはリフレッシュ、スッキリという感じが強いと思います。一方で、ノンアルコールのレモンサワーテイストでは、お酒を飲んだような余韻や、お酒を飲んだような気持ちになれるリラックス感を、味や香りで楽しんでもらえるというのが、すごく大事だと思っています。すっきり感だけではなく、お酒感を味わいたいときにノンアルのレモンサワーを手にする人にとって、納得の答えではないでしょうか。開発に関わった担当者たちが、お酒らしさにこだわったからこそ、お客さんの期待を超える『よわない檸檬堂』が誕生したのですね。『よわない檸檬堂』が醸し出す居心地のいい雰囲気さまざまな食材と食べ合わせがいい『よわない檸檬堂』。その中でも、特に合うおすすめのおつまみを、岸田さんが用意してくれました。2022年2月に発売したオリジナルの『よわない檸檬堂』には、カットフルーツをチョイス。『よわない檸檬堂』はジューシーなレモン感と甘さ、そしてお酒の余韻を感じるほどよい苦みがあり、ひと口ひと口をじっくりと楽しむことができます。レモン味の飲み物に、フルーツとは一見不思議な組み合わせですが、フルーツの甘さとレモンサワーの甘さや苦みが合わさって、満足感が味わえます。カットフルーツのほかにも、ヤンニョムチキンなど、ガツンと濃いめなおつまみにも、マッチしそうです!早速、2本目を空けようとする岸田さん2023年4月に発売した『よわない檸檬堂』ブランドの新フレーバー『よわない檸檬堂すっきりレモン』には、特にお漬物がピッタリとのこと。お漬物の甘さと塩味に、合わないはずがないレモンのすっきり感と、味をキュッと引き締める苦み。パクパクとお箸を進めながら、缶を持っているほうの手がとまりません!『よわない檸檬堂すっきりレモン』は、オリジナルよりも甘さが控えめで、苦みが引き立ち、すっきりとした味わいなので、暑くなるこれからの季節には、より一層飲みたくなりそうです。食事と合う『よわない檸檬堂』ブランド。味だけではなく、食卓に並べたときのビジュアルも楽しんでもらおうと、パッケージにもこだわりがあるのだそう。このパッケージは、食卓に置いてもさまになるようにしているのですが、身近に感じてもらうようにも工夫していて、さまになるけど親しみやすいんですよ。お客さんからも評判がよくて、SNSでも缶と食事を一緒に載せてくれる人を見かけると、担当としてはすごく嬉しいですね!いい晩酌、いい食事、休みの日の旅行先とかでも。例えばハンドルキーパーの人は飲めないけど、楽しみたいじゃないですか。そんな時にも、ノンアルコールだけど飲めるという瞬間を演出できると思っているので、みなさんの飲む瞬間を写真に撮っていただけると嬉しいです。『よわない』と平仮名表記にしているのも、肩ひじ張らずにカジュアルに楽しんでもらいたいというちょっとしたこだわりが込められています。愛おしそうに『よわない檸檬堂すっきりレモン』を眺める岸田さんコカ・コーラ社だからこそできた『よわない檸檬堂』カシュッと缶を開けて、口元に缶を運んだ時に新鮮なレモンの香りと、さわやかな炭酸がふわっと香ってきたのも印象的だった同商品。 缶を開けたところから、コカ・コーラ社がつくったものだと分かります。果汁飲料をずっとつくってきている会社なので、果汁と炭酸を組み合わせるのは強いと思うんですよ。そこにさらに『檸檬堂』の経験があって、「お酒らしいおいしさってこうだよね」というのがある。だから、ノンアルコールができたと思うんですよね。一足飛びに、『よわない檸檬堂』には行きつけなかったと思います。アルコールブランドの『檸檬堂』をやったからこそ、「我々のノンアルコールってこうだよね」というところに行きつけたのかな。それでも、さらなる探求は続けていきたいですね。「ノンアルコール業界が面白くなってきている」と、感じている岸田さん。「『よわない檸檬堂』もより面白くなれるよう、ノンアルコール業界のみなさんと一緒に楽しんでいきたい」と語ります。にこやかに話す岸田さんからは、ノンアルコール業界の躍進に燃える熱い気持ちと、『よわない檸檬堂』を愛する気持ちがあふれていました。これからも『よわない檸檬堂』の動向に注目です!『よわない檸檬堂』が緊張感をほぐす[文・構成/grape編集部]
2023年06月12日初めて“岸辺露伴”に触れた者は、その奇妙さと比類ない面白さの融合にいささか戸惑うことだろう。高橋一生が主演を務め、飯豊まりえが共演する「岸辺露伴は動かない」が最初に放映されたのは、2020年のことだった。「ヘブンズ・ドアー」の言葉で人の顔が本になり、その人物の経歴や考えが読める特殊能力を持つ、人気漫画家の岸辺露伴。実写映像にするには、あまりにもトリッキーな露伴先生を、飄々とやってのけたように見える高橋さんの稀有な存在、そしてそんな露伴を「先生~!」と明るくタックルする担当編集・泉くんを演じた飯豊さんの潔さ。「一体これは何を見ているのだ…」という不思議な気持ちが、容赦ない面白さとディテールまで完璧な演出と美術にいつしか夢中になり、「もっと見たい」の興奮へと相成る。中毒になる独特の世界観は、荒木飛呂彦の原作の映像化の最高峰と言っていいだろう。映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は、高橋さん、飯豊さんというキャストのほか、渡辺一貴監督、脚本を担当した小林靖子らドラマの製作陣が再集結。ルーヴル美術館でこの世で「最も黒い絵」を見るべくパリに向かう露伴と泉が描かれるかたわら、その絵にまつわる露伴の青年期パートも展開され、新たなストーリーで魅了する。露伴と泉という稀代のバディを演じた高橋さん、飯豊さんのふたりに、撮影にまつわるエピソードなどをインタビューした。チームでの撮影は「幸福な現場」――1~3期までのドラマを作り上げたメンバーで『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の製作となりました。このチームワークでの撮影は、いかがでしたか?高橋:実は、1期のときからあくまで夢の話として映画の話をしていたんです。(渡辺)一貴さんから「一生さん、その動きは『ルーヴル』のときに残しておいてもらえませんか?」などと言われたり。だからか、『ルーヴル』のお話をいただいたときは、とても自然に受け入れることができました。実際、現場でフランスのスタッフの方々を見ていても、特段、日本のスタッフと変わりないんです。「全世界共通なんだな」とわかって面白かったです。ですから、映画を撮るんだ!という気負いのようなものは、ほとんどなかったかもしれません。――フランスで撮ったから特別どうこうではなく、これまでやってきたことを地続きでできたということですね。何とも『岸辺露伴』らしいお話です。高橋:『岸辺露伴』のチームは、海外に来たからといって何かが変わることなく、いつも通りの感覚で撮影をしてくださいました。シーンの頭から最後まで一連で通して撮り、余韻を残しながら撮影が進んでいく。その流れは非常に一貴さんらしい、まったく地崩れしていない作品への思いのようなものをスタッフワークとともに感じました。とても楽しい、幸福な現場だったと思っています。――飯豊さんはこれまでも『岸辺露伴』の現場は最高だとおっしゃっていたそうですが、本作の撮影も同じでしたか?新たな感慨も生まれたんでしょうか?飯豊:今、一生さんがおっしゃられていたみたいに、一貴さんは一連で撮ってくださるので、これまでと変わらずいい緊張感の中、泉くんを演じさせていただくことができました。それに加えて、初号を観させていただいた時に、人のいないルーヴル美術館の静けさを、そのまま体感できるような、堪能できる感覚がありました。すごく見どころだと思いますし、余白が楽しめる作品になっていて、改めて今作に参加させていただけた喜びをかみしめています。菊地(成孔)さんの音楽も本当に素晴らしくて。いろいろな楽器で演奏されているのですが、クラシックや日本的な音楽、様々なものが織り交ぜられているところや映像美と音楽の融合が本当に格好よかったです。本当に早く皆さんに観ていただきたいです。『ルーヴルへ行く』は露伴が能動的に動いていく――飯豊さん演じる泉くんは、1期からずっと露伴先生を傍で見てきています。『ルーヴルへ行く』の撮影で、改めて発見した露伴先生のすごさ、演じた高橋さんのすごさなど、どう感じていますか?飯豊:映画を観ていただけたら露伴先生の魅力は存分に感じていただけると思います!今回で言いますと、冒頭、骨董品屋さんで露伴先生が取材しているシーンがあるのですが、そこの店主たちが「ヘブンズ・ドアー」をされるところから、圧倒的でした。――反対に高橋さんからご覧になって、露伴先生を通しての泉くんの魅力はどう感じますか?高橋:1~3期を通して、泉編集が一番の強敵だということを(露伴は)だいぶ理解してきたのではないでしょうか。なぜならば、泉編集が何か問題を持ってこなければ、露伴も怪異に対峙することはありませんから。また面白いのが、彼女自身には悪意がまったくないということ。それが大体わかってきて、ある意味感心する、という感覚になっているんじゃないかと思います。泉編集は露伴の能力を一度たりとも見ていなくて、それが3年続いていますから、その時点でかなり不思議なバディだと思います。露伴のことをすごい漫画家ではあるとは思っているけれど、その漫画をちゃんと評価できているかどうかは…(笑)。飯豊:「偏屈だなぁ、一筋縄ではいかないなぁ~」みたいに思っているかもしれませんよね(笑)。高橋:その不思議なバディ感が熟成されてきていて、露伴自身も「次は何を持ってくるんだろう」という気持ちを抱いているんだとは思うんです。――露伴先生的にも楽しんでいらっしゃるといいますか。高橋:ただ、好奇心で顔をつっこむと痛い目に遭うということはわかっているので、その覚悟のようなものは持っていると思います。もともと「岸辺露伴は動かない」は、露伴が能動的に動いていくことはなく、受動的に事件が舞い込んでくるんです。けれど、今回は『ルーヴルへ行く』と能動的になっている。自分が何かを感じて初めて能動的に動くので、そこで泉編集がどういう風に立ち回っていくか、そのあたりも注目してもらえるといいのかなと思います。泉編集と岸辺露伴、それぞれの過去の話が出てくるので、人間的な奥行きは、より深まるんじゃないかなと思います。露伴の声は「17歳ぐらいのときから、ずっと脳内でイメージしていた声」――そもそもの話になってしまいますが、高橋さん演じる露伴先生の声は非常に独特でぴったりですよね。どのようにあの声を生み出していったのか、製作秘話を伺いたいです。高橋:1期の初日のファーストシーンは2話の「くしゃがら」で(森山)未來と共演するシーンだったのですが、そのときにはもうできあがっていました。ですから…1話の冒頭、(中村)まことさんと増田(朋弥)さんと一緒のシーンのリハーサルのときだったのかもしれません。――露伴の家に強盗が入ってくるところでしょうか。高橋:そうです。撮影に入る前にリハーサルをさせていただいて、そのときに一貴さんが「すごくいい」と言ってくださって。僕が17歳ぐらいのときにはじめて露伴と出会ってから、ずっと脳内でイメージしていた声を出しました。――その声で原作を読まれていたということですよね。高橋:はい、そうです。第一声から“その声”が出たのは、自然だったかもしれません。――最後に、おふたりがお気に入り&お勧めの映像作品を、何か1本ご紹介いただけますか?飯豊:すごく迷います。何回も観ているものなど…何にしましょう!高橋:なかなか思いつかないですね、こういうときは。飯豊:今パッと出てきたのは、ディズニーの『ソウルフル・ワールド』という作品です。「人生のきらめきとは何か」が描かれていて、何回も観ているくらいすごく好きです。お勧めなので、観られたことのない方はぜひ観ていただきたいです。高橋:僕は『ライムライト』です。最近ブルーレイも買い直しました。ちゃんと残しておきたいものは、何とかして所持したい欲求にかられてしまうんです。『ライムライト』はたまに「ああ、そういえばあれを観なきゃいけないな」という気になるんです。バスター・キートンの作品もそうなんですけれど、最近それらの映画を深夜に観ることが多いです。飯豊:そうなのですね。魅力は何ですか?高橋:『ライムライト』は(チャールズ・)チャップリンの人生そのものが集約されていて、喜劇役者としてのあり方が、どこか自分に重なってしまうと感じるときがあるんです。俳優の悲哀というか、道化として生きていくことの悲哀のようなものを。これだけ有名なチャップリンでさえ、今、知っている人は少なくなっているかもしれません。そう思うと、何ともいえない感覚になってしまうんです。「忘れちゃダメだな」という作品は、ちゃんと観ておこうと思います。【高橋一生】ヘアメイク:田中真維(MARVEE)/スタイリスト:秋山貴紀[A Inc.]【飯豊まりえ】ヘアメイク:笹本恭平/スタイリスト:高木千智(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:岸辺露伴 ルーヴルへ行く 2023年5月26日より公開© 2023「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
2023年05月26日映画業界で働く人たちに仕事の裏側やその魅力についてじっくりと話を伺う【映画お仕事図鑑】。今回、ご登場いただくのは、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『新聞記者』、興行収入30億円の大ヒットを記録した『余命10年』など近年、次々と話題作を世に送り出している藤井道人監督。最新作『最後まで行く』(5月19日公開)では、岡田准一と綾野剛をメインキャストに迎え、同名の韓国映画のリメイクに挑戦している。スマートフォンひとつで「映画を撮る」こと自体、誰にでも可能になったいま、藤井監督が考える“プロ”の映画監督の仕事、映画づくりの醍醐味とは――?映画監督への道のりは「消去法で選んだ進路」から――子どもの頃、どんなふうに映画と関わり、どういった経緯で映画監督を志したんでしょうか?地元の映画館は近くにあったんですけど、そんなに足しげく映画館に通ったという感じでもなく、映画を教えてくれたのはTSUTAYAでしたね。ビデオやDVDをレンタルして観るのが僕にとっての映画体験で、お金もそんなになかったので、映画館に行くのは特別な時だけでした。学生時代はずっと剣道しかやってこなかったので、高校3年生の進路選択の時、紆余曲折あって、英語と国語だけで受験できる「映画学科」というのがあるらしいと聞いて、日本大学芸術学部の映画学科の脚本コースを受けました。脚本家を目指す脚本コースに在籍はしていたんですけど、大学でみんなで自主映画をつくる中で、自分が監督をするターンが回ってきて、実際に監督をやってみるといろんなことが見えて楽しくなって、20歳の頃には監督に魅力を感じていましたね。――高校の進路選択の時点で「将来は映画に関わる仕事がしたい」という思いはあったんですか?当時、マイケル・ムーアの映画(『ボーリング・フォー・コロンバイン』、『華氏911』など)が流行っていたこともあって、どちらかというとドキュメンタリーが好きでした。もともと、推薦で受けた大学もメディア系の学科だったし、そこまで「映画」とか「監督」というものを意識していたわけでもなかったですね。大学に行ったらまた剣道をやって、普通に就職するのかな…くらいの感じのことしか考えてなくて、自分の将来について楽観的でしたね。ところが推薦に落ちちゃって「ヤバい! どうしよう?」となって(苦笑)、それまで英語と国語しか勉強してなかったので、それで入れる大学という、消去法で選んだ進路でした。――大学の脚本コースの講義というのはいかがでしたか? 実際の“映画のつくり方”や“脚本の書き方”といった実務的なことを学ばれたのでしょうか?どちらかというと理論的なことの方が多かったです。モノクロ時代からどんな変遷を経て、いまの映画技術が生まれたのか? みたいなことだったり、昔の名画を観たり、ギリシャ悲劇から脚本について学んだり。脚本コースに関しては、あまり実践的なことは教わらなかったですね。自主制作映画で実際の映画のつくり方を学んでいったという部分が大きかったです。――仕事として“映画監督”というのを意識されたのは?当然ですが、大学の先輩で映像系の仕事に就いている方も多いので、あちこちの現場にお手伝いに行ったり、その先輩のツテでお仕事をいただいたりという感じで、大学2年生くらいから、学校に通うよりも、現場で仕事する比率のほうが多かったんですね。大学卒業を迎えて、みんなそのままフリーターをしながら映像の仕事をするのかな? と思っていたら、みんな普通に就職していて、フリーターになったのは僕だけで…、「え? みんな就活してたんだ!?」という感じでした(苦笑)。――そこで「この世界で生きていこう」と?その頃は「俺、いけるな」と勘違いしてた時期だったんですね(苦笑)。「俺はこの仕事で飯が食っていける」と。全然、そんなことなくて、社会人1年目は全く仕事がなかったです。それまでは学生という立場だからこそ、いただけていた仕事があったけど、学生ではなく“プロ”となると、同じ土俵にもっとすごい人たちがたくさんいるんですね。そうなると、自分のところに来る仕事の依頼というのがなかなかなくて…。そこからは営業の日々でした。「BABEL LABEL」という屋号を名乗って、あたかも映像集団に所属しているように見せつつ(笑)、あちこちに営業して仕事をいただいていました。――現在も所属されている映像制作会社「BABEL LABEL」の設立にはそんな経緯があったんですね。もともとは“フリーター”と名乗るのがイヤで、勝手に屋号をつけたんです(笑)。そこで細々と自主映画などをつくったりもしてたんですが、社会人になって3年くらい経つと、普通に働いていた同級生たちが次々と会社を辞めて、「BABEL LABEL」に集まるようになったんです。そこで「俺たちで面白いことをしようぜ!」という感じになりまして。最初は会社組織ではなかったんですが、数が増えていくにつれて「会社にしてもらわないと制作費の振り込みができません」といったこともありまして。「1円で会社が作れる」という情報を耳にして「じゃあ会社にしよう」と。実際には35万円くらいかかって、当時は36万円しかなかったんですけど(苦笑)、なけなしの貯金をはたいて作ったのがいまの会社です。――ご自身の中で、職業として「映画監督になれた」と思えた瞬間は?形式上のことで言えば、(商業映画デビューの)『オー!ファーザー』(2014年公開)になるんでしょうけど、映画だけでご飯が食べて行けるようになったのは『新聞記者』(2019年公開)以降ですね。以前は自分のことを“映像作家”と名乗っていたんですけど、最近はMVやCMのディレクターをやることもほとんどなくなりましたし、自分で“映画監督”と言うようになったのは三十を越えてからですね。――お話に出た『オー!ファーザー』で初めて商業映画の監督を務めたのは、監督にとってどういった経験でしたか?自分の実力のなさを実感したというのがすごく大きかったですね。それまでは同世代の仲間たちと自主映画を作っていただけでしたが、『オー!ファーザー』の現場では僕は年齢的に下から3番目くらいでした。40代や50代のベテランのスタッフさんと一緒に映画をつくる中で、彼らを導く“言語”を持っていないことを痛感しました。『オー!ファーザー』以降、僕は再び自主映画に戻るんですけど、あの人たちと渡り合って、一緒にお仕事ができるような実力をつけないと、この先、通用しない、職業としての映画監督にはなれないなと思いました。河村光庸プロデューサーとの出会い――その後、『青の帰り道』や山田孝之さんのプロデュースによる『デイアンドナイト』を監督され、2019年公開の『新聞記者』は日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝きました。同作で製作・配給会社スターサンズの河村光庸プロデューサーと出会い、その後も河村プロデューサーと共に『ヤクザと家族 The Family』、『ヴィレッジ』などを作ってこられました。そもそも、どういった経緯で河村さんとお仕事をされることになったんでしょうか?いろんな理由が複合的に絡まっているんですが『新聞記者』という映画はもともと、僕が監督する予定ではなかったんですね。クランクインの直前に、監督をされるはずだった方が降板となってしまい、「どうする?」となって、河村さんは周りの人たちに「誰かいないか?」と声をかけていたんです。ちょうど僕は『デイアンドナイト』を撮った後で、そのラッシュを見た河村さんから突如、電話がかかってきまして「明日、会えませんか?」と言われて「会えます!」と。「スターサンズからのオファーだ!」と思って待ち合わせの宮益坂のパン屋に行ったら、なんかいかがわしい感じのおじいちゃんがいて(笑)、「おーっす! これ一緒にやろうよ」ってタイトル『新聞記者』と書いてある企画書を自信満々に見せられたんです。帰りにマネージャーさんに「ちょっとこれはやりたくないです」って言いました(笑)。そんな出会いです。――河村さんは2022年に亡くなられましたが、藤井監督にとって河村さんとの出会いはどういうもので、作品をご一緒されて、どんなことを教わりましたか?本当に僕の人生における、一番大きなターニングポイントだったと思います。人間、大人になると大人なりの“距離感”というものができるじゃないですか? 人のパーソナルスペースにまで踏み込んできて、映画を作ってくれる人なんて滅多にいないんですけど、河村さんは自分のパーソナルスペースを周りのみんなのパーソナルスペースだと思っているというか、良く言うとすごくフレンドリーな方なんですね。毎日電話がかかってきたし、毎日一緒に過ごしてました。親子ほど歳が離れているけど、この人は何かを俺に伝えようとしてくれている――70年もの人生で培ってきたものを自分に伝えようとしてくれているのをひしひしと感じました。その中で企画の作り方から宣伝の取り組み方まで、本当に全てを教わった気がします。映画監督としての作品選び、向き合い方――藤井監督の作品を語る上で、“ジャンルレス”という言い方をされることが多いかと思います。『青の帰り道』のような青春群像劇から『余命10年』のような恋愛映画、そして『新聞記者』のような社会派に『ヴィレッジ』のようなサスペンスまで、ジャンルを飛び越えて、様々な作品を監督されていますが、ご自身にとって“ジャンル”というのはどういうものですか?やっぱり、気にしないというか、ジャンルにとらわれずにいたいとは思っています。別格というか、神様みたいな存在ですけど、スピルバーグだってジャンルレスですよね。僕は、いちコックと言いますか、映画制作の中での技術者のひとりという側面で見た時、「人間を描く」ということさえ通底していれば、ジャンルというものは、まず誰よりも僕らが壊していかなくてはいけないと思っています。恋愛を描いても人間、人生を描くし、もし僕がホラーを撮るとしても、そこに登場する人たちがどういう時代にどんな思いで生きているのか? という部分をきちんと描くことができればと思っています。社会派ではなく、いつも 映画の中に社会が入っているだけです。もちろん、ひとつのものを人生をかけて磨き続ける人もいますし、ひとつのジャンルでつくり続ける方も素晴らしいと思いますが、自分はジャンルというものよりも、プロデューサーとのセッションを楽しんで、映画をつくるという側面を大事にしています。――藤井監督にとって、プロの「映画監督」というのはどういう仕事ですか?映画づくりにおける、いち部署ですね。決定権のあるいち部署だと思っています。責任という点で考えると、もちろん組織における重要なポジションであると思いますが、「監督だからえらい」とか、「監督の言うことは絶対である」といった思いで映画をつくったことはないですね。――ここ数年、次々と監督作品が公開されていますが、オファーが届いた際にその企画を「やりたい」と思う判断基準や企画選びで大切にしていることはありますか?どんな企画と出会うかは「運」と「縁」と「恩」の部分が大きいと思います。たとえば、今回の『最後まで行く』のリメイクも、10年前であれば僕には来なかったと思うし、10年後だったら僕はやってないかもしれない。『新聞記者』、『ヤクザと家族』、『余命10年』という作品をやった上で、自分が好きなアクション、そして喜劇に挑戦してみたいなと思っていた時期にこの企画をいただけたので、まさに縁ですね。「脚本は映画づくりの精密な設計図」――今回も含め、ご自身で脚本の執筆もされますが、脚本を書く上で大切にされていることはどんなことですか?(脚本は映画づくりの)精密な設計図であるべきということですね。小説ではないので、具体性を大事にして、読み物として全スタッフがその内容を認識し、この船がどこに向かうのかを明確に書いたコードであるべきだと思っています。――藤井監督は毎作品、必ず登場人物たちの経歴や嗜好、どんな人生を送ってきたかなどを記したキャラクターシートを作成されるそうですね? その意図やどのように活用されるのかを教えてください。さきほど脚本を「設計図」と言いましたが、作品という船のエンジンがあったとして、そのエンジンがどんな部品でつくられているのか? 知りたい人は知っておいた方が良いと思っています。キャラクターシートはまさにそのための存在で、細かく映画に登場する人物のことを理解し、描いていくために活用するものですね。どうしても、現場で撮影に費やせる時間は限られています。俳優さんたちに迷わずに「こういう思いでこのキャラクターは存在していて、それをあなたに委ねています」ということを伝えなくてはいけない。「はじめまして」とお会いして、現場で芝居をしてもらった時に、その芝居がこちらのイメージと「全然違う!」という状況になった時、キャラクターシートがあることによって、共通認識を持って「もっとこうしてみるのはどうですか?」「これは必要ないんじゃないですか?」と話すことができるのかなと思います。「絶対に読んでください」ということではなく、(より深くキャラクターについて)知りたい人は見てくださいという感じですね。――このキャラクターシートはどの段階で作成されるんですか?基本的には脚本を書き進めながらつくっていく感じですね。初稿を書き終えた段階でできていることもあるし、改稿を重ねて脚本が完成してつくる場合もあります。どういう家庭環境で育って、どんなスポーツをやってきたか? 家族構成、年収、好きな言葉など…今回、岡田准一さんが演じた工藤で言うと「なぜ彼は自堕落な生活を送るようになったのか?」といったことも書いてあります。パーソナルカラーや好きな音楽などもあるので、部屋の美術や衣装でも活用できます。韓国映画を新たにリメイク、日本版ならではの面白さとは?――ここから、映画『最後まで行く』の制作について、より掘り下げて話を伺ってまいります。大ヒットした韓国映画を新たにリメイクするという作業はいかがでしたか?今回の企画は、本当にプロデューサー陣に恵まれていたと思います。「リメイクだからといって、塗り絵をしてほしいわけではない」「日本映画として、藤井さんらしい『最後まで行く』にしましょう」と言ってくださったので、脚本を大胆に解釈し、アレンジを加えることができました。韓国版のオリジナルの美しいプロットラインがあったので、それをベースに自分たちで新しい映画に作り直すという思いで臨みました。なので、オリジナル版を何度も見直すといったこともなかったですね。――リメイクに際してルールや制約などはあったんでしょうか?特になかったです。韓国のオリジナル版の最大の魅力は、開始5分で物語に引き込まれるプロットラインの面白さだと思っていて、そこはしっかりと拝借しつつ、でも、その後の展開を全く同じにするのであれば、韓国版を観ればいい。そうじゃなく、自分たちなりの新しいストーリーとして、工藤と矢崎という2人の男がどこまで行くのか? というのを純粋に楽しみながら脚本づくりができたと思います。――誤って人をひき殺してしまった刑事・工藤がそれを隠蔽しようとするも、窮地に陥っていくさまを描く本作ですが、韓国版に比べて、綾野剛さんが演じる県警本部の監察官・矢崎の存在が、もうひとりの主人公とも言えるくらい、より深く描かれています。韓国版では(矢崎に当たる男の)バックボーンが描かれるのは1分くらいでしたよね。その割り切り方も面白いと思いますが、やはり自分が映画をつくるときは、何よりも「人間をちゃんと描きたい」という思いが強くあります。“A面とB面”といいますか、人間の愚かさみたいな部分を(表に見える部分との)対比で見せたいなと思いました。『最後まで行く』という物語が、主人公の工藤ひとりで最後まで行くのではなく、2人の運命が絡まり合いながら、最後まで行くという構成になったら面白いんじゃないかと。――今回、平田研也さんと共同で脚本を執筆されていますが、共同脚本ならではの魅力や面白さはどんなところにあると感じていますか?やはり複眼的な視点で構成していけるというのは共同脚本の面白さですよね。監督として「これをやりたい」ということは伝えますが、逆に脚本家の方からしか出てこない構成の妙みたいな部分は確実にあります。30年そこそこしか生きていない自分から出るアイディアだけでなく、平田さんのような円熟した脚本家さんのアイディアが加わることで、本に広がりが生まれるんですよね。僕はできることなら常に共同脚本という形で映画づくりを進めていきたいなと思っています。――改めて日本版『最後まで行く』ならではの魅力、面白さというのはどこにあると思いますか?そうですねぇ…、オリジナル版をリスペクトをしつつも、そこまで意識しなかったので、オリジナルとの“区別化”みたいなこともあまり考えてなかったんですよね。自分の中では、喜劇や転落劇というものが、いまの日本映画にはあまりないと感じていて、笑いながらハラハラして楽しめる映画に、いまの日本映画の現在地で、僕らがどれくらいトライできるか? という部分が挑戦だったので、そこに関しては満足のいく作品になったと思っています。――激しいアクションがあり、痛みを描きつつ、思わず笑ってしまうシーンがたくさんありました。岡田さんと綾野さんの2人が素晴らしかったというのが大前提にありますが、ベースにあるのが“愚かさ”なんですよね。2人とも愚かしい(笑)。でも、奇をてらったりはしてないし、「笑わせてやろう!」という意識もない。「あぁ、この人たちは、這いつくばってでも生きようとしてるんだな」というのが伝わってくるし、2人のお芝居によって脚本を大きく超えた物語になったなと思います。――ひき逃げの被害者・尾田(磯村勇斗)の携帯にかかってきた電話に工藤が出るシーンが面白かったです。韓国版でも同様のシーンがありましたが、緊迫したやりとりになっているのに対し、日本版のほうはちょっとしたやりとりでくすりと笑ってしまうシーンになっていました。コミカルなシーンの演出で大切にされたのはどんなことですか?もともと、コメディは大好きなんですけど、自分が映画をつくる上では、一発ギャグではない笑い――人間の愚かさや、どうしようもない人間らしさが感じられるものがコメディだと思っています。そのためにも、2人にも“状況”をきちんと与えないといけないなと思っていました。様々な受難が振りかかり、そこで慌てたり、怒ったりしていろんな表情を見せてくれて、それが喜劇としての面白さを生んでくれたなと思います。今後の目標は「映画を取り巻く環境の変化、それを日本の映画界にどう取り込んでいけるか」――映画監督としての目標、今後、実現したいことなどはありますか?いま、配信プラットフォームが増えたり、映画を取り巻く環境が加速度的に変わっているので、海外などの環境を勉強して、それを日本の映画界にどう取り込んでいけるか?というのが、この数年の目標ですね。凝り固まった概念をたたき壊していかないと、永久にこのままじゃダメなので、システムを含めて、変えるべきところは変えていかないといけないと思っています。――最後に映画業界を志す人たちに向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。僕から言えるのは3つくらいですね。まず「横のつながり」の大切さ。一緒に仕事をする仲間たちや出会いの縁を大事にして、その人たちがどうしたら楽しんで仕事をしてくれるかを考えてほしいということ。それから、仕事がない時期に「オファーは絶対に断らない」ということ。「こういう仕事はしない」と言ってる人は永久にやらないので「自分が適任だと思われてるんだな」と受け入れてやりましょう。最後に、自分の人生なので「自分が納得できることを仕事にする」ということ。そこに関しては、僕自身、昔から変わらないですね。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:新聞記者 2019年6月28日より全国にて公開©2019『新聞記者』フィルムパートナーズi-新聞記者ドキュメント- 2019年11月15日より新宿ピカデリーほか全国にて順次公開©2019『i –新聞記者ドキュメント-』最後まで行く(2023) 2023年5月19日より全国にて公開©2023映画「最後まで行く」製作委員会
2023年05月22日2021年日本公開劇場実写映画No.1となる興行収入45億円を記録した大ヒット作『東京リベンジャーズ』。その続編が、前後編の2部作で帰ってきた(前編『-運命-』が公開中、後編『-決戦-』は6月30日に公開)。かつての恋人・ヒナタ(今田美桜)を現代で凶悪化した犯罪集団の東京卍會(東卍)に殺された主人公のタケミチ(北村匠海)。ひょんなことからタイムリープ能力を手に入れた彼は、過去に戻ってヒナタが殺される未来を変えようとする。しかしそのミッションには幾多の試練が立ちはだかり…。凶悪化する以前の東卍と接触し、総長のマイキー(吉沢亮)らの信頼を得たタケミチ。しかしマイキーの旧友ながら憎悪を募らせる一虎(村上虹郎)が少年院から出所し、彼の誘いで壱番隊の隊長・場地が敵対する芭流覇羅に移籍するなど東卍に亀裂が走る。様々な陰謀と思惑が絡み合う中、タケミチの新たな戦いが始まる――。本稿では、物語のキーマンとなる場地を演じた永山絢斗と、彼を慕う壱番隊副隊長・千冬に扮した高杉真宙にインタビュー。『東京リベンジャーズ』の独自性から日本映画界の“未来を変える”提言まで、熱く語っていただいた。永山絢斗、原作を読み「とんでもねぇ役をやることに」――おふたりは「東京リベンジャーズ」というコンテンツがマンガ→アニメ&実写映画と人気を獲得していく過程を、どうご覧になっていましたか?(※原作の正式名称は「東京卍リベンジャーズ」。本稿では「東京リベンジャーズ」で統一)高杉:僕は元々、原作者の和久井健さんの作品(『新宿スワン』ほかで知られる)を読んでいて、「新しい作品を作っているんだ」と思って読んだら面白くて…というのが「東京リベンジャーズ」との出会いです。それで兄弟や父親に薦めたら僕よりハマって…。永山:原作って、何年くらいに始まったんでしたっけ?――2017年に連載が開始され、2022年に完結しました。全31巻です。永山:約5年で30巻分…。そう聞くと、凄いペースで描かれていたんですね。高杉:そうなんですよ。僕はまだ「血のハロウィン編」までしか原作を読めていなくて、完結したら一気読みしようと思っていました。家族が僕を追い越してドハマりしちゃったから、原作が実家に全部そろっていて(笑)。――高杉さんは「じゃりン子チエ」から「PSYCHO-PASS サイコパス」まで幅広くマンガ・アニメに精通していらっしゃいますが、「東京リベンジャーズ」の独自性をどう分析されていますか?高杉:やっぱり、ヤンキー漫画とファンタジーを組み合わせたことだと思います。ヤンキー漫画はいわゆる少年漫画に比べてより上の世代が好きな印象がありますが、「東京リベンジャーズ」は世代や性別問わずに幅広くキャラクターが愛されていますよね。そこもほかのヤンキー漫画にはあまりない特徴かと思います。永山:「東京リベンジャーズ」はタイムリープする設定が上手いですよね。それによって昔の不良スタイルになっても違和感がないし、それが幅広い年代の読者をつかみやすいキーにもなっている。独特のアイデアが詰まった作品だと思います。実は僕はお話をいただくまで「東京リベンジャーズ」に触れてこなくて、まず映画(第1作)を観て、「そういえば甥っ子が読んでいたはず」と思って連絡を取ったら…断られました(笑)。高杉:えぇ!?永山:「絶対折り目とか付けるでしょ」って(笑)。俺、そんなことしないタイプなのに…。そこで所属事務所のスタッフに原作を借りて、10巻くらいまで読んで「とんでもねぇ役をやることになったな」と感じました。アクションシーン撮影は苦労の連続――永山さんは『クローズEXPLODE』にも出演されていますね。永山:『クローズEXPLODE』は監督が豊田利晃さんなので、とにかく試されまくる現場で今回とは全く別物でした(笑)。『東京リベンジャーズ』はエンタメ色も強いですし、今回は2部制の大作。とにかく赤点を出さないようにという意識で芝居をしていました。場地って動いた瞬間にぶっ壊れちゃうような危うさがあるので、そのイメージで演じつつ、過去パートはとにかくみんなで楽しそうにしている空気感が出せたらなと考えていました。細かく動きを付けるというよりも、そういったところに意識を置いていました。――『東京リベンジャーズ2』の最大の見せ場となるのが、廃車場の決戦です。相当なボリュームでしたが、撮影は相当大変だったのではないでしょうか。画面の手前も奥も、終始乱戦状態でしたから。高杉:このパートの撮影全体で10日間以上はかけているんじゃないかな?そうじゃないとおかしいくらいの分量ですよね。映像を観ながら「大変だったな…」と思い出しました。高崎で撮ったのですが、ロケ地に行ったらフラッシュバックしそうなくらいです(笑)。――土埃もずっと舞っていましたし…。高杉:実は、土埃じゃなくて画面映えするようにキラキラ光る特製のものを使っているんです。あれが舞う中で戦うのはきつかった…(苦笑)。永山:俺は下で戦ってないからみんな大変そうだなって…(笑)。(※劇中では千冬たちは地面で、場地は廃車の上で戦う)あの大人数が、朝からずっと取っ組み合いをしていますからね。でも役者さんはみんな気合いが入っていました。――永山さんも、足場がかなり悪いなかでのアクションだったのではないでしょうか。永山:そうですね。でもみんな殺陣が上手ですごく助けられたし、僕自身も足場を気にしないくらいアドレナリンが出まくっていました。そうじゃないと「早くこの殺陣終われー!」ってなって続かなかったかも(笑)。目的にたどり着くまでに、色々な敵が立ちふさがってきますから。高杉:俺らは特攻服でしたが、永山さんが着ていた芭流覇羅のジャケットも暑そう…。永山:MA-1だったからね。綿を抜いてもらっていたけどそれでもある程度の重さはあるし、暑かった…。高杉:映像だと全然そんな風に見えないから、つらいですよね(笑)。永山:そうそう(笑)。年を感じた…(笑)。高杉:そんなの一切感じませんでしたよ!永山:編集でどうにかしてもらったんだと思う(笑)。まぁでも、アクションシーンの撮影は俺らは苦労続きだったけど、お客さんにはそんなこと気にせず楽しんで観てもらいたいです。これからの映画界に思うこと「人生を少しでも変える作品を」――永山さんは2007年、高杉さんは2009年に俳優デビューされ、同じ時代を役者として生き抜いてきた間柄でもあるかと思います。映像・映画界の歩みをどうご覧になっていますか?永山:このままだと海外で戦える作品が生み出せないなとは思います。コンプライアンスに縛られすぎなんだと思います。この前、映画祭で韓国の映画人と話して「低予算でもガツガツ作っていかないと。このままだとヤバいよ日本」と言われて悔しかったです。実際韓国は勢いがありますよね。高杉:どこにも配慮しないで言うと、もうちょっと時間をかけて作りたいですよね。永山:単純にお金がないんでしょうね。でも、お金がなくてもいいものを作ることができるでしょうし、諦めたくはないです。夢を持って仕事していますから。先ほど韓国の話をしましたが、本来は勝負事じゃないんですよね。芸術というものを日本の中で生み出せるかどうかの話ですから。ただまだまだ水商売というか色物というイメージが強いとも思うので、変わらなければいけない部分は多々あると感じています。高杉:僕はこれまで、作品を観た人たちに変化が起きることがあまり好きじゃなかったんです。永山:そうなんだ。高杉:だって怖いじゃないですか。自分の仕事で、どこかの誰かの人生が変わってしまうって。その責任を負えるのか?とも感じてしまって。この仕事は自分の評価でなく、他人の評価で判断されることが多いですし。永山:でも俺も「この映画を観て人生変わった」とか言うけど、それはこっちが勝手にそうなっただけだから。それでいいと思うよ。高杉:そうですよね。でも今は、もう少しその責任を負いたいという気持ちに変わってきました。その人の人生を何か少しでも変える、糧になるような力を持った作品を一個一個作っていかないと、1時間半や2時間を費やして観る価値は生まれないと思っています。(text:SYO/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命- 2023年4月21日より全国にて公開©和久井健/講談社 ©2023映画「東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編」製作委員会東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -決戦- 2023年6月30日より全国にて公開©和久井健/講談社 ©2023映画「東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編」製作委員会
2023年05月12日『全員、片想い』の打ち上げの場で出会い、オーディションを経て『青の帰り道』で共闘して――。藤井道人監督と横浜流星はいまや、名実ともに黄金コンビにまで成長した。そして、藤井監督作における横浜さんの長編初主演映画『ヴィレッジ』が、4月21日に劇場公開を迎える。舞台は、能が盛んな辺境の村。ゴミ処理施設の敷設計画に伴い住民が対立し、父親がある事件を起こしてしまった優(横浜流星)は、事件から歳月がたった今、親が遺した汚名、そして母親の借金返済に追われていた。村中から蔑まれながら、村から出られない生き地獄の中、幼なじみの美咲(黒木華)が帰郷したことで光が差していくのだが――。横浜さんの狂気すら感じさせる熱演と共に、観る者に強い衝撃を与える意欲作。藤井監督×横浜さんが、チャレンジ尽くしだった撮影の日々を振り返る。「ちゃんと腰の据わったもの撮れる」と証明する作品に――まずは横浜さん、舞台『巌流島』お疲れ様でした!(取材は3月末に実施)横浜:ありがとうございます。もう抜け殻です(笑)。藤井:終わったばっかりだもんね(笑)。お疲れ様でした。――そして『ヴィレッジ』がいよいよ劇場公開を迎えます。本作はマスコミ試写が連日満席で「席が取れない」と業界内で話題を呼んでいます。現時点で、反響はおふたりに届いていますか?横浜:仲良くさせていただいている「関ジャニ∞」の丸山隆平くんや、高校の同級生の岩谷翔吾(THE RAMPAGE from EXILE TRIBE)から連絡をもらいました。翔吾は普段そんなことないのですが、長文で『ヴィレッジ』の感想を送ってくれましたし、丸ちゃんは優の気持ちになって作った詩を送ってくれて。こんなに人の心にこの作品が届いたんだとすごく嬉しかったです。藤井:僕は前作が『余命10年』で、次回作が『最後まで行く』(5月19日公開)ですが、この2つの感想は結構近くて「めっちゃ良かった!」というものが多いんです。『余命10年』だったら「感動して涙が出た」とか。でも『ヴィレッジ』においては「ここ数年の1本になりました」という人と「すぐ感想が出ません」という人に分かれていて、自分で作っておきながらすごく映画らしい体験をしていただけて良かったなと感じています。みんなが「良かった」という映画って、どこか「本当?」と思っちゃうんですよね。でも『ヴィレッジ』は、様々な形で観てくださった方々の人生の余白に入り込めている気がしていて。拒絶しちゃう人の気持ちもわかるし、色々な感想が出る映画はいままでビビっちゃっていたけど、今回チャレンジできたのかなと思っています。――いまの藤井さんのお言葉通り、ひょっとしたら本作は、おふたりのタッグ作の中でも最も作家主義的映画かもしれません。藤井:SYOさんには粗編(編集段階の本編映像)段階からアドバイスをいただいて、その過程でそういう話もしましたよね。僕も内容が内容だけに、コミック原作の公開数300館規模の演出をするのも多分違うなと思っていました。どちらかというと、ちゃんと腰の据わったものを30代の僕と20代の流星でも撮れるんだよ、としっかり証明する作品だったなと思います。多分このコンビは、商業映画だったらたくさん組むチャンスが来ると思うんです。でも河村(光庸)さん(スターサンズ代表)とのコラボレーションというのは、なかなかない。そういうことも含めて、重心を低くしてどっしりした映画を目指しました。――横浜さんにおいては、演技に上限や縛りを付ける必要がなかったのではないでしょうか。スターサンズ作品ということもあって、「わかりやすい」芝居を求められない自由さがあるといいますか。横浜:本当に、いま出来てよかったと思います。おっしゃる通り、わかりやすい芝居を求められていた時期に『ヴィレッジ』に挑戦できて、そういうことを全く気にせずに芝居に集中できました。優として生きるのはつらい瞬間も多々ありましたが、役者としては幸せな1か月でした。「いままでに経験はなかった」撮影期間中のポスター撮り――作家主義的映画ですと、より演じ手が躍動できる向きもありますよね。編集時に藤井さんとA24の話もしましたが、アリ・アスター監督の新作『Beau Is Afraid』の本国公開が『ヴィレッジ』と同日の4月21日です。藤井:えっ、早い!昨日メイキング映像を観たばかりです。アリ・アスターは僕と同い年ですが、A24とだけ組んで作品を作って…まさに作家主義を地で行っていますよね。――4月のA24作品ですと、おふたりのお気に入り映画『バーニング 劇場版』のスティーヴン・ユアン主演ドラマ『BEEF/ビーフ~逆上~』がNetflixで配信されます。藤井:スティーヴン・ユアンは素晴らしい俳優ですよね。楽しみです。――A24の話を無限に続けたいですが『ヴィレッジ』に戻って…(笑)。作家主義のお話にも通じますが、藤井組ではポスター用の写真撮影が撮影スケジュールに組まれることも多いかと思います。映画業界では珍しい形態ですが、こだわりをぜひ教えて下さい。横浜:本ポスター用の撮影は夜中…いや、朝方でしたね(笑)。藤井:そうそう。能のシーンを撮り終わったあとに、兵庫県にある平之荘神社にある能舞台の前に全員集合して撮りました。撮影期間中にポスター撮りをするのは河村さんの教えでもあって、現場中のメイキング写真を宣伝部さんにお渡ししてポスターを作ってもらうのではなく、宣伝も一気通貫だから企画の段階から宣伝部と一緒に見えていた方がいい、という考えです。河村さんに「現場で一番いいと思う写真を撮ったほうがいい」と言われて、最近は撮影の時間を設けるようにしました。そのほうが俳優部も気持ちが乗っていますしね。横浜:確かに。本ポスターはすごい画になっています。現場は時間も時間だったし、全員集合でわちゃわちゃしていました(笑)。藤井:本ポスターは特にね(笑)。横浜:ティザーポスターの撮影時は、そのためだけに霧をセッティングしてくれてすごくありがたかったです。僕自身も優として生きているときだったから、より入り込むことができました。いままでにそういう経験はなかったし、どうしても「ポスターは別撮り」が当たり前だと思い込んでいましたが、『ヴィレッジ』のようなやり方の方がもっといいものが作れる気がします。横浜流星、脚本の改稿段階から参加「役作りにおいて本当に大きかった」――『ヴィレッジ』では横浜さんも脚本の改稿段階から参加したり、ロケハンに同行されたと伺いました。より良い映画づくりの在り方自体を模索した作品でもありましたね。藤井:今回が1作目の間柄だったら、本人に「ロケハン一緒に行こうよ」と言う前にマネージャーさんに連絡して「何でですか」と断られちゃっていたかもしれないし、積み重ねる大事さを感じます。過去に一緒にやったことがあるからこそ「もっと良くしよう。良いものを作りたい」と思えますしね。横浜:積み重ねてきたからこそロケハンに同行できて、すごく得るものが多くて「本来役者もやるべきことだ」と思えました。ちょうどその日が、優の家やゴミ処理施設といった大事な場所を見学できる日だったんです。僕たち俳優は当日その場に行き、「思っていたのと違う」となることもあります。だからこそ、事前にその場所に行って色々と感じられる経験は、役作りにおいて本当に大きかったです。良い作品を作るためにみんながひとつになるのはとても大事ですし、自分自身もよりよい役者になるために積極的に動いていきたいと思います。藤井:脚本においては、1シーン1シーンを一緒に作っていくというよりも、僕が悩みながら書いているときに「待っているよ」と声をかけてくれたり、自分がしっくり来た部分を教えてくれる形でした。横浜:多少は自分の思っていることを伝えはしましたが、絶対に渾身の脚本が来ると思っていたので僕はただ信じて待っていました。藤井:そんななか、優の人物像においては、ふたりで雑談しながらお互いの悩みを共有して落とし込んでいきました。横浜:そうですね。役者をやっていて、数年前とはまた違った状況にいますし、恐れや憂い、怖さといったものは藤井さんに全て伝えて、反映してくれているのを感じていました。優もそうですが、いきなり祭り上げられて次の瞬間には転落していく。僕自身、周囲で転落していく人を見てきたりもしましたし、この仕事はひとつの失敗だったり過ちで一気に転落し、許してもらえないところがあります。その恐怖は常に感じています。――今回だと藤井さんから横浜さんに「コミュニケーションが取りづらくなるから、入り込みすぎないように」と事前にリクエストがあったと伺いました。作品を経るごとに、おふたりの“つくり方”も収斂してきていますね。藤井:そうですね。『ヴィレッジ』の後に流星と組んだ作品でも新しいことを試しているし、ジャンルや作品によっても変わってくるかとは思いますが、それらを楽しめる環境だったらいいなと思います。現場もそうですが『ヴィレッジ』の興行面含めた反響を見て、「宣伝のときにもっとこういうことをやっておけばよかったね」と次の作品に生かしたり、良いものを作るためにこの先も試行錯誤していきたいです。藤井監督流“粘りの演出”は「可能性が広がる」――変わらないものとしては、藤井さんの“粘りの演出”があるのではないでしょうか。横浜さんは以前「もう1回」を待っているところもある、と話されていましたね。横浜:そうですね。何度もチャレンジできるのはもちろん大変さはありつつ、色々なことを試せるので可能性も広がりますし、ありがたいです。もちろん演じるときは1回目から常に全力で挑みます。もしかしたら1発OKがあるかもしれませんしね。絶対ないですが(笑)。藤井:(笑)。横浜:逆に一発OKが出たときは「本当に大丈夫!?藤井さんどうしたの!?」とびっくりしちゃうかもしれません(笑)。だから「もう1回」と聞くと安心するところもあります。――ちなみに今回、最もテイクを重ねたのはラストシーンでしょうか。横浜:ラストシーンもそうですが、一番多かったのは村長(古田新太)に「人生変えるなら今だ」と言われるシーンだったかと思います。藤井:あそこは一番回数を重ねましたね。優にとって嬉しいのか、怯えなのか…。優にとって“蜘蛛の糸”をようやくつかんだ瞬間ですが、同時に彼は自分の罪や家のこと、様々なことが頭をよぎってしまって「やった!」とは言えない。その複雑さを流星の表情に課した部分が多かったので、一番大変でした。ラストシーンは僕からするとすごく良い芝居を見せてくれてとにかくうれしくて「素晴らしい役者になったな」と一発OKにしたつもりだったのですが…。他のスタッフから「監督はすぐ『もう1回』って言ってましたよ」と言われて(笑)。一発OKにしてなかったみたいです(笑)。横浜:そうそう(笑)。――藤井さんは以前「2回目からは確実に演出が乗る」というお話をされていましたよね。藤井:そうなんです。まずは俳優部が準備してきたものを自由にやっていただいて、2回目から僕の演出を乗せていく。そうするとやっぱり調整に何回か時間はかかるんです。ロボットじゃないから感情が伴うのにも時間がかかるだろうし、3回目・4回目と徐々に馴染んできて5回目で1番いいものが撮れることもあります。感情演技においても、俳優部の「泣かないといけない」という義務的な感情が正しいとは思えないんです。台本に「泣く」と書いてあったらやっぱりそうしようという意識が働いてしまいますから。先ほどのシーンで、古田さんは流星に「君すごいね!」と話していました。「毎回同じところで泣けるなんて」と。それを見ながら、確かにすごいな流星…と感じました(笑)。横浜:(笑)。――逆に藤井さんが1発OKされることはあるのでしょうか?藤井:いや、ほとんどないですね。物撮りのケータイの手元くらいじゃないですか?(笑)いつも「はいOK、早く次のシーン撮ろう」ってなってます(笑)。【横浜流星】ヘアメイク:永瀬多壱 (VANITES)/スタイリスト:伊藤省吾 (sitor)(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:ヴィレッジ(2023) 2023年4月21日より公開©︎2023「ヴィレッジ」製作委員会
2023年04月19日フィリピン発、釜山行きの貨物船に乗っているのは、現地で逮捕された極悪犯罪者たちと、彼らを護送する刑事たち。“海上の監獄”と化した船内では、やがて血で血を洗うサバイバルが繰り広げられ…。容赦ない残酷描写が話題となり、各国のジャンル映画祭でも注目を集めた『オオカミ狩り』に、日本でも人気のソ・イングクが出演。極悪犯罪者の1人であり、刑事たちに牙を剥く男ジョンドゥを嬉々として怪演している。2012年の初主演ドラマ「応答せよ1997」から「ショッピング王ルイ」「空から降る一億の星」、そして昨年の「美男堂の事件手帳」まで、スウィートな役も哀愁漂う役もユーモラスな役も自在に演じ上げてきた彼は、全身にタトゥーを施した狂気の殺人鬼にどう向き合ったのか。韓国とのリモート画面越しには、柔らかな笑顔のソ・イングクがいるのだが…。演じたジョンドゥには詳細な設定が「とりあえず内緒」――ジョンドゥは残虐性の塊のような男ですね。その通りです。そんな彼を演じるのは、体に電流が走ってゾクッとするような体験でした。役というものは僕自身に似たものもあれば、共通点の少ないものもありますが、ジョンドゥは僕には全くない暴力性や残忍さを持っている役です。とは言え、僕なりの表現を用いて演じることに変わりはありません。与えられた役や物語を上手く表現したい気持ちで彼を自分の中に作っていくのは、とても楽しい過程でした。――囚人仲間にウィンクをしたり、人を殺すときに軽く笑ったり。ソ・イングクさんのウィンクや笑顔を見て、ときめくのではなくゾッとさせられる日が来るとは…。リハーサルのときに試してみたところ、監督がすごく気に入ってくれたんです。なので、本番でもやってみました。ウィンクをしたり、笑顔を見せたりしても、キャラクター次第で残忍に見えることもあるんだなと学びましたね(笑)。――劇中では、ジョンドゥの生い立ちや背景はあまり明かされません。実は、ジョンドゥの過去については監督の中に詳細な設定が出来上がっていました。彼がどんな人生を送ってきたのか。それを教えてもらった上で演じたのですが、この『オオカミ狩り』が大ヒットしたら、続編で彼の前日譚を語るプランもあって。今は状況を見極めているところですが、続編を作る可能性もなくはなく…。なので、ジョンドゥの過去についてはとりあえず内緒にしておきます(笑)。細部から徹底した役作り――これまで様々な役を演じてきた中、決まって実践するアプローチ方法はありますか?いろいろありますが、まずは台本を受け取った後、監督も交えて細部を入念に話し合います。その人物の行動、習慣、癖、歩き方、話し方に至るまで。例えば、(ナチュラルな口調で)「こんにちは。お会いできて嬉しいです」と話す人なのか、(荒っぽい口調で)「こんにちは。お会いできて嬉しいです」と話す人なのか。話し方1つからいろいろ試し、ディテールを作り上げていきます。――ジョンドゥはどんな「こんにちは」だったんですか?これ以上は無理というほど軽いトーンの「こんにちは」です。それでいて、鋭さも含んでいる。ぶっきらぼうでつっけんどんで、無礼な人をイメージしました。――「僕自身に似た役もあれば、共通点の少ない役も」とおっしゃっていましたが、演じてきた中でご自身に通ずる要素が多い役はどれですか?あえて1人を選ぶとしたら、「応答せよ1997」のユン・ユンジェだと思います。彼も僕も小心者ですから(笑)。――キュートなところも共通点ですか?たしかに、ユンジェはキュートで愛らしく見えます(笑)。ですが、素っ気なかったり、1人であれこれ悩んだり、嫉妬を見せたり、かと思えば周りに愛嬌を振りまいたり。友達に優しく接することもあれば、ふざけて悪戯をすることもある子…と僕は捉えています。役を選ぶポイントは「楽しめる役かどうか」――役を選ぶときに大切にしていることは?最も大事なのは、僕自身が楽しめる役かどうかです。楽しんでキャラクターを表現できるかどうか。楽しめなければ、本当の意味で役を演じることもできませんから。――1つを挙げるのは難しいでしょうが、今までで最も楽しめた役は?日本のタイトルは…、「元カレは天才詐欺師 ~38師機動隊~」でしたよね?ちゃんと覚えていますよ(笑)。この作品は本当に楽しかったです。すごく挑戦してみたい役柄(詐欺師)だったんですよね。撮影しながら、俳優としての成長を肌で実感することができました。それに、キャストが全員楽しい人ばかりで、現場の雰囲気がすごくよかった。もちろん、他の作品でもいろいろと学びましたし、楽しめましたが、特に印象深い作品の1つです。――ジョンドゥのような悪役も、挑戦したい役柄だったとか。「悪役を演じたい」とずっと言い続けていて舞い込んできた役でした。だからこそ演じる楽しさがありましたし、撮影現場自体も明るい雰囲気で。もちろん、安全第一でしたけどね。血糊だらけの船内でしたから、足を滑らせようものなら大怪我に繋がってしまいます。ただ、この現場の特徴としては、(物語の中で命尽きて)寝転がっている人が終始あちらこちらにいて。彼らが「カット!」のたびに立ち上がり、「あ~、腰が痛い」とぼやいているのがおかしかったです。撮影した映像はとことん残忍ですけど(笑)。――ソ・イングクさんの出演作には面白いものがたくさんあります。作品を見抜く力もお持ちのようですが、どんな映画やドラマが好きですか?普段からいろいろな作品を見ますが、最近のお気に入りは『THE FIRST SLAM DUNK』ですね。子供のころに親しんでいた作品なので、あの感動を映画館で味わうことができて嬉しかったです。あと、Netflixの「ウェンズデー」も。登場人物たちがみんな魅力的でしたし、もともとティム・バートン監督の描く作品世界が大好きで。ああいったダークでファンタスティックな世界観にすごく惹かれます。――では、今度はダークファンタジーにもぜひご出演を!実を言うと、僕も今それを強く願っているところです!(渡邉ひかる)■関連作品:オオカミ狩り 2023年4月7日より新宿バルト9ほか全国にて公開ⓒ 2022 THE CONTENTS ON & CONTENTS G & CHEUM FILM CO.,LTD. All Rights Reserved.
2023年04月05日2023年3月17日(金)に公開される『長ぐつをはいたネコと9つの命』のキティ・フワフワーテ役を担当した土屋アンナさんにインタビュー。小さい頃から憧れていたアニメーションの世界で吹き替えをした感想、勇敢で愛情深いキティへの想い、プスとキティの関係から学ぶ新しいパートナーシップについて話を聞きました。また多忙な日々の中で4人の子育てをするアンナさんの子育てルール、力を入れている環境保護活動についても伺いました。2011年に公開された人気アニメーション映画『長ぐつをはいたネコ』、前作から12年の時を経て、新作の続編『長ぐつをはいたネコと9つの命』が公開されます。“A cat has nine lives”——「猫は9つの命を持つ」というヨーロッパで言い伝えられることわざをモチーフにしたストーリーは、主人公のプスが最後のひとつになった命と共に進む冒険物語です。作品から新しいパートナーシップ、家族のあり方に共感——キティ役のオファーがきた時の感想を教えてください。「先に英語版を観させてもらったのですが、キティ役を担当したサルマ・ハエックさんの声を聞いた時に、私とすごく似ている! と思って。しかも、キティはちょっと悪役っぽい雰囲気もあり、美しくてキュート。ぜひやりたいと思いました。私はアニメーションが大好きで、これまでたくさんの作品を見てきました。その中に、キャラクターとして入らせてもらえるのがとても楽しみでした」——『長ぐつをはいたネコ』は、物語の面白さはもちろん、ネコそのものの愛らしさが描かれているところも魅力のひとつです。「そうなんです。一般的な猫の魅力と言われるようなやわらかい肉球とか、まん丸い瞳孔とか、その辺りはもちろんですが、ネコらしいしれっとした性格、喧嘩する前の逆立つ様子とか。ネコの本質的な部分が淡々と描かれているのも魅力なんですよね。ミルクを飲むときも舌でぺろぺろ飲んだり(笑)。片や、吹き替えは山本耕史さんが演じていて、愛らしいネコというより渋くてかっこいい雰囲気。ネコのイメージを覆す演出も気に入っています」——キティは、前作ではプスの恋人のような存在でしたが、今回は“元カノ”として登場します。関係の変化をどのように受け止めて吹き替えましたか。「プスとキティ、かつては恋心があったとはいえパートナーシップとしての男女関係はあると思うので、性別を超えたつながりが今の時代にぴったりだと思いました。例えば、私が男性と戦いに行ったとして、普通は男性が先に戦いに行くのかもしれないけど“私が先に行きます!”みたいな。男女対等な関係ですね。キティのプスに対する母性や助けてあげたいというやさしさにも共感します。そういう意味では、私とキティはすごく似ていてやりやすかったです。一方で、ちょっと人を騙しちゃうような可愛げのある表情は、私が持ち合わせない部分だったりするので(笑)、可愛い子ぶるような声を出すのは、ちょっと難しかったですね」——今回の物語は、スケール感のあるストーリーや豪華なアクションが見どころでもあります。アンナさんのお気に入りのシーン、好きな場面などはありますか。「キティがプスに騙されたと思って、“あなたは自分のことしかやらないのね”と言うシーンですね。キティは淡々として怒ってはいないけど、すごく悲しくて深く傷ついている。あのシーンで、キティが崩れ落ちるでもなく、“私は私でやるからいいけど、あんたは私を傷つけたのよ”ときっちり説明して去っていく姿にはグッときちゃいます」——ヒロイン像としても新しく、かっこいいですよね。アンナさんの話を聞いていると、子ども向けのアニメーションに留まらず、大人が感じる部分が多い作品にも思いました。「見方によっては、ものすごくメッセージ性が強いと思います。例えば、願い事って、みんなそれぞれあると思うけれど、気づいたら実は叶っている、というのも印象的ですよね。3匹のクマと一緒にいるゴルディがそう。家族が欲しいと思っていても、愛を確かめ合えるなら、血のつながりや形はどんなものでもいい。今の世の中、いろいろなシチュエーションの家族がいると思うから人と比べちゃいけないんですよね」——視点を変えてみると、気づきの多さに驚きますね。私の役目は子どもの命を守ることだけ子どもの人生は子ども自身のもの——アンナさんは18歳から下は4歳の、4人のお子さんを育てられていますが、子育てで大切にしていることは何でしょう。普段、子育てで悩むことはありますか。「悩まないですね。4人それぞれ得意不得意が違うし、私とも違いますし。それぞれに合った道に進めばいいと思います。もちろん大まかなレールは引いてあげる必要はあると思いますが、そこから誰と出会うか、何に目覚めていくかは誰も分からない。それなのに親がレールを引いてしまうと、完全に私の人生になってしまいます。不得意なことを無理にやらせても苦しい人生になるだけ。私が母親として唯一やることは、子どもたちの命を守るだけです。それだけはちゃんとしていますが、基本自由にやっています。母親でいるというより、きょうだいのひとりとして同じ屋根の下で暮らしているという感じですね」——子どもが10代になると思春期を迎え、反抗期になるお子さんもいます。そんな時期はどう対処しましたか。「そういう時期はあまりなかったのですが、たまに話をしているときに、完全に心がここにない目になっていることはありましたね。そのときは、すかさず“今反抗期来てるよ!” “私のこと、うざいと思ってるでしょ?”と先に言っちゃいますね。そのおかげか、わかりやすい反抗期や無視もなくてハグもしています。もちろん、思春期の男子特有の匂い問題があるときは、『臭いから洗って』とかはあります(笑)。ざっくばらんにやっていますね」——ちなみに家でこれだけは守っているというルール、土屋家の家訓はありますか。「”嘘をつかない”ということは伝えていますね。誰でも経験するものではあるし、大人も嘘をついてしまうことがあるので絶対ではないのですが、”人を傷つける嘘は、全部自分に返ってくる”と教えています。1回目の嘘、2回目の嘘、嘘をつくとつき続けなくてはいけない。苦しいのは自分ですが、それまでにどれだけの人を傷つけてきたのかを考えなさい、と。現実的なもので言えば、部屋に閉じこもらない。ちょっとでも部屋に閉じこもりそうになったら、みんなで映画を観たり、“何やってるの〜?”“おいで〜!”と声をかけますね。成長とともにひとりの時間も大事になってくるんだけど、私がいなくなったあと、残るのはきょうだいだけだから、そこの絆は強くして欲しい。年齢が離れているからこそ、いっぱい喧嘩をして、いっぱい話して、お互いを守り合って欲しい。だから私との会話よりも、きょうだいで一緒に遊びなさい、と伝えています」——きょうだいの仲がよければよき相談相手にもなるし、頼れる存在になりますよね。「あとは困っている人は助ける、弱いものいじめはしない。例えば、飛行機でバッグを取ろうとしている年配の人がいたら手伝うとか。気づいたら、すぐ行動に移すようにと言っています。私はついやり過ぎちゃうタイプだから、逆に気をつけてと注意されちゃうんですけど(笑)。見てみぬふりって、いちばん怖いじゃないですか。それだけはできる子になって欲しいですね」——最後に、最近力を入れている環境保護活動について聞かせてください。「はい、保護活動は以前から続けていますが、最近とくに力を入れているのは“知ること”ですね。珊瑚の生態について、読んだり、話を聞いたりしています。実際に宮古島に足を運んで、環境保護活動をしている人からも話を聞きました。地球は人間のためのものと思ってしまいがちですが、ほかの生き物が住む場所でもあります。ほかの生き物の生態を知ると、ゴミを捨てることがどれだけ悪いことか分かる。知ると、ゴミを捨てないようにしようと思うし、分別しようと思う。そしてそれを私が伝える。すると周りの人も気づき、行動を起こすことができます。例えば、ゴミを拾うことも、ひとりでやるとひとつしか拾えないけど、みんなで拾えば同時にたくさん拾える。24時間テレビでそれができたらおもしろいなとか。そんなことを考えながら、知識を増やしています。知識を持つことが行動のもとになると思っています」——家族には、環境保護活動についてどんなことを話していますか。「いちばんは、食べ物を残さないことです。魚1匹、そこには魚の命があって、それが私たちのお薬にもなる。だからちゃんときれいに食べようねと伝えます。大きなことをやろうと思っても続かないから、まずはそこからです。子どもたちは、それを楽しんでやってくれるんですよね。今見ている青い海が、子どもたちの世代では見られなくなるかもしれない。そのためには、私たちも行動を起こさないといけないと伝えています。今戦争もしているから、いろいろな矛盾があるんです。戦闘で落とした爆弾が海に行く、そうすることで海の生き物が死ぬ。そう考えると、戦争がいかによくないことか分かりますよね。地球に住むひとりとして、ともに生きる動物たちの生命を考えることは大事だと思います」『長ぐつをはいたネコと9つの命』監督:ジョエル・クロフォード本国声の出演:アントニオ・バンデラスサルマ・ハエック日本語吹替版キャスト:山本耕史、土屋アンナ、中川翔子、小関裕太、木村昴、津田健次郎gaga.ne.jp/nagagutsuneko2023年3月17日(金)TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー© 2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
2023年03月16日「ソラニン」や「おやすみプンプン」で知られる人気漫画家・浅野いにおが己の業(ごう)をさらけ出したと評される「零落」。存在意義を見失った漫画家の彷徨を生々しく描いた本作が、竹中直人監督・斎藤工主演で実写映画化された。売れるとは何か?売れればいいのか?自分はどうしたら幸福でいられるのか?才能を持ってしまったがゆえに奈落に堕ちていく主人公・深澤を演じた斎藤さんは、本作で己の内臓と向き合うような体験をしたという。『フェイブルマンズ』や『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』といった最新映画の話題もはさみつつ、作り手の業について語っていただいた。「零落」は読者自身が自分に向き合わされる作品――斎藤工さんは、浅野いにお先生の作品が世に与えた影響をどう見ていますか?自分は同世代であり、進行形で常に浅野先生に衝撃を受けてきました。どんな映画よりも映画を感じるところすらあります。かつて竹中直人さんが監督された『無能の人』を観たときに、竹中さんと原作者のつげ義春先生の親和性をすごく感じました。そして今回、『零落』を竹中さんが監督されると聞いて、日本の漫画のカルチャーが積み重ねてきたものを改めて思いました。つげ義春先生、水木しげる先生(※つげさんは水木さんのアシスタントだった)、そして浅野先生。つげ先生の「貧困旅行記」に代表されるように、貧困や暗部、何かしらが欠落していることにある種の美しさを見出していく文化が、この国にはそもそもあるんじゃないかと思っています。そこに迫りうる映画や漫画はいままでにも数多くありましたが、浅野先生はそこにより写実性を与えたように考えています。実際にロケハンして写真から背景に起こす描き方をされる方だから、漫画の持つリアリティが現実とシンクロして強いインパクトを受けるんですよね。と同時に、いまお話ししたように浅野先生はつげさんや様々な方の影響を受けて、ある種現代版に翻訳しているとも感じました。そして「零落」においては、スティーヴン・スピルバーグ監督ですら『フェイブルマンズ』で自伝を映画化したように、自分の赤裸々な部分をさらけ出している。「ここを表現しないと次にいけない」というクリエイターの性(さが)――「これは人に受けるだろう」がもう通用しないと気づいたとき、壁にぶち当たった表現者たちがもう一回自分の中を掘り出し、自らの内臓と向き合う。それがこの「零落」であり、初読ではっとしたのはその部分でした。僕はどうしても「いかに取り繕うか」という思考に陥りがちなんです。衣装を着せてもらい、メイクをしてもらって場所を整えてもらって光を当ててもらったうえでの自分ですが、その逆に真実があるといいますか…自分が向き合わないといけないのに目を背けてしまっていた部分に、浅野先生は「零落」で斬り込んだと感じて。それはきっと僕だけじゃなく、多くの読者がご自身の生業と状態とどこか目を背けて先延ばしにしていた自分事に向き合わされる瞬間が、この作品だったんだと思います。確定申告みたいなタイミングといいますか(笑)。だからこそ、そうした浅野先生や竹中さんの覚悟が出合った方々に伝われば、実写化した意味になるのかなと思います。――浅野先生という作り手が自身の内臓と向き合った作品を実写化し、主人公を体現するなかで工さんもまたご自身の深淵と対峙したかと思いますが、そうした作品における主観と客観、「役に入り込む」と「作品を俯瞰する」のバランスは非常に難しかったのではないでしょうか。そうですね。主観と俯瞰の温度感がつながってくるとこんなに大変なんだ…と感じました。冷めているというとちょっと違うかもしれませんが、僕は普段、この2つのアングルをスイッチするみたいに切り替えてガス抜きをしていたんだと気づかされました。いまやっている連ドラもそうなのですが、作品に入っているときって主観だけでは決してないんですよね。連ドラは数字や納期に追われてしまっているから、自分が1ピースとして何を必要とされているかを明確にしないと間に合わない。つまり俯瞰の意識が強く働いているわけです。でも『零落』はそうした染み付いてしまった方法論が全く通用しないというか、持ち込んではいけない現場でした。垂れ流してしまわないといけないしんどさといいますか…。ただ、僕自身が「見られたくない・見せたくない部分を表現者が表現したとき、その作品に近づける」という観客としての実体験があるので、ある種の赤裸々さや、覚悟すら持っちゃいけない垂れ流し感が必要だとは理解していました。どこか『トゥルーマン・ショー』的でもありましたね。だから正直、心の底からみんなに観てほしいかというとそうじゃない側面もあるんです。でも、そこにいかなければきっと『零落』じゃない。――非常によくわかります。先ほどお話しされていた『フェイブルマンズ』でも、多幸感にあふれた映画ながら作り手の業(ごう)も克明に描かれていました。その部分が見えない作品って世の中にあふれているかと思いますが、観ている瞬間は楽しくて娯楽として成立しているけど、自分の中に残るか残らないかといったらやっぱり残らないんですよね。残る部分は意外とそうしたネガティブな部分というか、日向じゃないもののほうが地続きの何かとして自分の中に蓄積されているように思います。“業”のあり方で作品が決まる――まさにそうなんですよね。ある種の真実味を観た気になるといいますか。そうした業をさらけ出した映画で、工さんの中で印象的だったものはありますか?人様の作品でいうと、やっぱりラース・フォン・トリアー監督の作品ですね。特に『ドッグヴィル』のドキュメンタリー『メイキング・オブ・ドッグヴィル ~告白~』は強烈でした。――あれは凄かったですね…。出演者たちが撮影の合間に「告白部屋」にやってきて不満をぶちまけるという。いま日本でも、現場で監督の方がどう働き、どう映ってどう影響を及ぼすかが追及されていますよね。僕らはどこかで「芸術だから」とかこつけて認可してきてしまったけど、心のどこかで良くないことだとはわかっていた。いまは「そういうことはもうやめよう」という切り替わりの時期でそれはすごくポジティブなことだとは思いますが、ただやっぱり作品を観たときに何が残るかというと、人の本性や本分、決して美しくない心根が見えたときにどこかその人に近づくという不思議な現象がある。僕たちのように表に出る人間はパブリックイメージと自分自身のギャップや摩擦は常に感じていますが、それが思いっきり浮き彫りになっているものをそのまま作品にしてしまういやらしさも含めて、『メイキング・オブ・ドッグヴィル ~告白~』は記憶に残っています。――そうした“業”は、俳優や監督といった関わり方によっても変わりますよね。僕は常々、仕上げで作品が生まれると思っています。俳優はポスプロに立ち会わないものですから、素材としていかに“内臓”を提供するかで、それをどうパッケージするかは仕上げで決まります。監督業は、2回作品が始まるんですよね。現場のクランクインとクランクアップ、仕上げのクランクインとクランクアップというように。どう素材を調理するか、生のままなのか火を通すかという意味では、仕上げの段階は業の塊のようなところもあります。――集めた素材を「編集で落とす」等の判断も含めて、ですね。そうですね。ただSYOさんがおっしゃるようにその業の部分が作家性として見えてこないと、監督のクリエイションをちゃんと受け止められたか?となってしまう。その部分の判断基準は、ある意味で業の残り方だと思います。A24の監督の引き上げと作品の残り香のバランスは非常にスムーズで機能的ですよね。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観ていても、同じマルチバースでもルッソ兄弟(『アベンジャーズ/エンドゲーム』ほか。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』にもプロデューサーとして参加)とダニエルズでこんなに違うのか!と驚きました。――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で描かれるのは、あくまで一つの家族のマルチバースですもんね。「こういうマルチバースが見たかった!」という観客の声を反映しているようにも思いましたね。シリーズの風呂敷を広げすぎた感のあるMCUに対して、A24が何をやるか。ある種の作家性と商業性の折衷案が一番の理想形に近づいていくといいますか、ひとつの答えを提示したようにも感じました。しかも、映画業界ではマイノリティであるアジア系にフォーカスを当てたり、様々な側面でいま映画界がすべきチョイスを全部叶えたうえでああいう仕上げをするのはすごくロジカルですし、気持ちよかったです。変わりゆく環境「理想のような現場」――先ほど伺った作品に対する関わり方の多様さでいうと、『零落』は竹中直人さんが監督、工さんが主演、MEGUMIさんがプロデューサーと出演を兼任と実にフレキシブルな座組ですね。竹中さんはあれもこれも…とやりすぎないようにディレクションに専念されていました。それによって作品が機能的になることを誰よりわかっている感じがありました。その竹中さんをどうMEGUMIさんがサポートしてプロデュースしていくかを見ながら、これが新しい形だとも思いました。阪本順治さんはかねてから椎井友紀子さんというプロデュサーとずっとやってきていますし、昨日たまたま来日しているエリック・クー(『家族のレシピ』監督)と久々にご飯を食べたのですが、彼もフォンチェン・タンという女性のプロデューサーと組んでいて、椎井さんもフォンチェンも非常にやり手なんです。クリエイターが作品を純度高く作れているのは、彼らがそうであるように竹中さんがMEGUMIさんに絶大な信頼を寄せているからだと感じます。ハリウッドなどだと主演の方がプロデュースにも入っているのは全然珍しくないものですが、日本だとあれもこれもやっていることが時として変わった映り方をしてしまう。でももう明らかにそういう時代ではありませんし、MEGUMIさんのように力のある方、そして女性が主導権を持つのは非常に健全だと思います。一つのひな型のような景色でした。――MEGUMIさんはBABEL LABEL(藤井道人監督たちが所属するコンテンツスタジオ)にもプロデューサーとしてジョインされましたね。彼女は業界を良くしていきたいエネルギーがものすごくて、食にまつわる事業に多数携わられていますし、今回の現場でも非常に刺激を受けました。いままで撮影現場に尽力されていたお弁当屋さんを切り離すんじゃなくて、お弁当屋さんのキッチンを使った食の提供といったことまでMEGUMIさんは考えていて。僕も狭い半径ではありますが、自分なりに託児所の設置や自分なりにこうなったらいいなということをやってきて、向かっている方向はすごく近いと感じました。希望をいただけましたね。そして、竹中さんは現場の判断がとにかく早い。ロケハンの段階で絵が見えているからカメラテストも早々に終わりますし、テストを挟まずに本番というときもあるので現場のテンポが非常にいいんです。ただテンポが速いんじゃなくて明確だからみんなが迷わないし、撮影が早く終わる日もちゃんとあることでスタッフの皆さんもきちんと翌日に備えられる。プライベートの時間にも使えますし、一つの理想のような現場に僕には見えました。◆ヘアメイク:赤塚修二◆スタイリスト:三田真一◆衣装クレジット:スズキ タカユキ2023年3月17日(金)よりテアトル新宿ほか全国にて公開(c)2023浅野いにお・小学館/「零落」製作委員会(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:零落 2023年3月17日よりテアトル新宿ほか全国にて公開©2023 浅野いにお・⼩学館/「零落」製作委員会
2023年03月16日今年でデビュー5周年を迎える、6人組ダンス&ボーカルユニット「ONE N' ONLY」。メンバー全員で挑んだ初主演映画『バトルキング!!-We'll rise again-』のインタビュー後編では、自分にとって大切・大好きな作品を、それぞれたっぷりと語ってもらった。――後編からは、シネマカフェに初登場となる皆さんのことをもっと知るために、ご自身のお気に入りの映画を1本ご紹介いただきたく思います。高尾:じゃあ僕から!『ステップ・アップ』という映画がずっと大好きで、今回僕らが主演した『バトルキング!!』ともちょっと近いニュアンスの作品です。『ステップ・アップ』はシリーズ5ぐらいまで出ているんですけど、ダンスがテーマになっています。シーズンごとにテーマがあって、バトルっぽい1本もあったり、スクールでのストーリーもあったり、主役とヒロインの女性がペアダンスをしたり…そうしたダンスをからめたストーリーが主体です。ダンスをテーマにした映画はほかにもたくさんあるけれど、『ステップ・アップ』はストリート感があるところが特に好きなんです。主人公が大体ストリート出身なので、僕もそういう感じに憧れてスクールに通ったりしていたので(照)、自分の人生のテーマとまで言うと大げさですけど、それに近い感じです。高尾颯斗(ONE N’ ONLY)――スペシャルな1本なんですね、きっと何回もご覧になっていますよね。高尾:めちゃくちゃ何回も観ています!ダンスシーンなんかは踊れるくらいすっごく観ています(笑)。実際、『バトルキング!!』の撮影のときも、監督と「こういう感じでも撮りたい」みたいな話を『ステップ・アップ』を例に挙げてしていました。劇中で披露した振り付けもこの映画の影響をすごく受けているので、本当に好きな映画ですね。草川:僕は普段お芝居を観ているとき、目にとにかく注目してしまうんです。台詞も大事ですけど、顔の表情、目だけで伝えるお芝居が好きで。そういう意味で、特に好きな俳優さんは菅田将暉さんです。最近観た菅田さんの作品では、『糸』が特に印象的でした。榮倉奈々さんとのシーンで、「しっかりしろ」という台詞を言うんですけど、そのときの菅田さんが目だけでズバっと(心情を)伝えられていて、すごく心に残っています。あともう1本いいですか(笑)?ドラマの「MIU404」での菅田さんの目もすごく好きです!悪役を演じているんですけど、最後の屋形船のシーンで捕まったときの失望した目が本当に上手で…。伝わるか、伝わらないかのほんのちょっとのラインが絶妙なんです。ああいうお芝居を観ていると、僕もそのラインでのお芝居をして、人に何か届けられるようになりたいなと思います。草川直弥(ONE N’ ONLY)――お芝居自体に、すごく影響を受けていらっしゃるんですね。草川:はい、そうですね。上村:…実は、僕も菅田さんのお芝居が好きで。これまで1番ぼろ泣きした映画が、桐谷健太さんと菅田さんのW主演の映画『火花』なんですけど。――又吉直樹さん原作、板尾創路さんが監督を務められた映画ですね。上村:そうです!あれはすごかったです…。売れない漫才師を演じているんですけど、全然結果が出なくて、最後、コンビを解散するときに漫才をするんです。そのときに菅田さんが客に向かって「死ね」と何回も叫ぶんですね。「漫才なんかやっていたから、こんな苦しい思いをした、でも楽しかった」みたいな気持ちを「死ね」の2文字で伝えているところで、号泣してしまいました。そういう感情を爆発させた芝居も好きなんですけど、自然な演技もすごい好きで。最近だと『花束みたいな恋をした』もよかったです。菅田さんは歌がうまいじゃないですか。だけど、カラオケのシーンでは素人が歌っている、みたいな歌い方をしているんですよ。すごすぎると思いました。挙げていけばキリがないくらい好きな作品はいっぱいあるんですけど、今回僕が演じた鞍馬も感情を爆発させるシーンがあったので、そうやって好きな作品を観て勉強したりもしました。上村謙信(ONE N’ ONLY)沢村:僕は、アカデミー賞作品賞を受賞した『グリーンブック』にすごく衝撃を受けました。優秀なピアニストの黒人と、彼のドライバーで用心棒をする育ちが悪い白人の物語なんですけど。ピアニストは自分の背景にある、それまで受けた迫害や家族のこととかは、一切人に見せないようにしていたんです。だから、感情的に動くドライバーが「いや、これはこうしたほうがいいんじゃねぇの!?」と言っても、最初のうちは割り切って対応していた。けど、ドライバーが迫害や差別から彼を守ってくれたりするうちに、少しずつ自分自身のことも見せるようになっていく。その過程がすごくいいんですよね。最終的に、ピアニストがドライバーの家に招かれて、みんなで仲良く食事をするんです。みんなが仲良く彼を受け入れてくれるところ、そのあたりは少し『バトルキング!!』の役の引き出しとしても参考にしてやりました。僕が演じた早乙女は音楽1本でやってきて、ほかの人間の関係は付属品、という風に捉えていた人物。だけど、5人の仲間を見て、ちょっとずつ変わり、最後「一緒にやろうよ」となっていくところは、まさに似ているなと。そういうところで人の背景が見えたらいいな、と思いながら僕も演じていました。沢村玲(ONE N’ ONLY)――ご自身の演技をする上で参考にされている方も多いんですね。続いて山下さん、いかがですか?山下:僕がよく観るのは『BECK』という佐藤健さん主演の映画です。大きいフェスに出るために頑張る姿を描いている作品で、何度も映画を観てますし、原作も読んでいます。バンドマンは、ひとりひとりの方向性がぶつかり合っちゃう一面がたくさんあると思うんですけど、それでも最終的にみんなの思いがひとつになって夢をかなえるところが、とにかく大好きです。――ご自身もグループ活動をしていく中で「わかるな」と共感する気持ちがありますか?山下:ありますね。やっぱりみんなの気持ちがひとつに向いていなくてバラバラだと、どうしてもうまくいかないものだと思います。グループ全体がひとつに向かっていくのは素敵なことですし、自分たちはやっぱりそうでいたい、と思います。山下永玖(ONE N’ ONLY)――ありがとうございます。最後に、関さんお願いします。関:映画ではなくてドラマでもいいですか?賀来賢人さん主演でやっていた「クローバー」という作品で、結構前なんですけど…。――入江悠さんが演出をされているドラマですよね!関:それです!有村架純さんも出ていらして。俺は賀来賢人さんのちょっとコメディチックな役柄が好きなんです。ちょっとどんくささもあるけれど、どこか男として憧れる部分があって。「クローバー」の賀来さんがまさにそういう演技で、めっちゃ好きでした。賀来さんで言えば、「スーパーサラリーマン左江内氏」のコメディも好きです。僕自身、性格がけっこううるさいというか明るい感じのタイプなので(笑)、今挙げたような作品の役や演技をいつかやってみたいなと思います。関哲汰(ONE N’ ONLY)――ありがとうございました。ところで、5年間活動してきて一番変わったメンバーさんはと聞かれたら、皆さんから見てどなたですか?全員:(口々に)永玖じゃない?関:永玖はまずは男らしさが増したかな!沢村:それだわ。関:最初に会ったときは本当に少年で、髪の毛も真っ黒なぱっつんで「いい子ちゃん、おぼっちゃん」みたいな感じだったんです。今はもうザ・男、ですよね。一番『バトルキング!!』に近づいている感じがします。沢村:うん。どんどん源二郎に近づいている感じだよね。関:ね、ガタイもよくなって。たぶんそれが本質だったんじゃないですかね。男らしさが歳を重ねていくうちに出てきて、彼の味になっている感じがします。山下:ふふ(笑)、自分でもちょっと思います。――最後に、2023年スタートしたばかりですが、こうしていきたいという抱負をメッセージに代えてお願いします。高尾:ONE N' ONLYの初主演映画ができました。皆さんに観ていただけることが、まずはすごくうれしいです。僕らはグループとしても今年5周年という節目を迎えるので、この作品で勢いをつけてこの先の5周年イヤーにつながるような年にしたいです。『バトルキング!!』から知って好きになってくださる方もいたら本当にうれしいので、たくさんの方にこの作品を届けたいです。よろしくお願いします!ヘアメイク:NOBU(HAPP’S.)映画『バトルキング!! -We’ll rise again-』3月10日よりユナイテッド・シネマ アクアシティお台場ほか全国公開(text:赤山恭子/photo:Maho Korogi)■関連作品:バトルキング!!-Weʼll rise again- 2023年3月10日よりユナイテッド・シネマアクアシティお台場ほか全国にて公開©映画「バトルキング!!」製作委員会
2023年03月09日学生時代、ひとり暮らしの部屋に貼っていたお気に入りの映画のポスター、ずっと捨てられずにいまも手元にある思い出の映画のパンフレット、映画館に足を運ぶたびに集めたスタイリッシュなデザインのチラシ。映画の楽しみは映画そのものだけではない。劇場に足を運んでもらうための宣伝ツールであるポスターやチラシ、作品への理解を深め、映画の余韻を味わうための(もちろん、映画会社にとっては売り上げにもつながる)パンフレットもなくてはならない映画のカルチャーの一部である。そんな映画ポスター、チラシ、パンフレットの分野で近年、邦画・洋画を問わず、次々と話題作のビジュアルデザインを担当しているのがアートディレクター、デザイナーの石井勇一である。『ムーンライト』、『君の名前で僕を呼んで』、『花束みたいな恋をした』、『Mid90s ミッドナインティーズ』、『燃ゆる女の肖像』、『わたしは最悪。』…とこれまで担当した作品を並べてみるだけで、いかに彼が映画ファンの心をくすぐる仕事をしてきたかがわかる。ちなみに、この2月はパク・チャヌク監督作『別れる決心』、ジョージ・ミラー監督『アラビアンナイト 三千年の願い』、そして、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドール受賞作で、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞にもノミネートされている『逆転のトライアングル』という3本の劇場公開作品で日本版アートディレクションを担当している。映画に携わる“仕事人”にその裏側や魅力について話を伺う【映画お仕事図鑑】。今回は、『逆転のトライアングル』の公開に合わせて、石井さんのお仕事についてたっぷりと話を聞いた。映画のポスターやパンフレットのデザインに関わるようになった経緯――映画のみならず、様々な分野でアートディレクター、デザイナーとして仕事をされていますが、そもそも石井さんが映画のポスターやパンフレットのデザインに関わるようになった経緯を教えてください。独立してもうすぐ10年になりますが、それ以前のアシスタント時代に所属していた事務所がこうした映画のデザインの仕事を手がけていて、僕は補佐する立場で関わっていました。当時、一緒に仕事をさせていただいていた配給会社の方が、僕が独立して2年ほどしたタイミングで声を掛けてくださって、こうした映画関係の仕事をするようになりました。――もともと映画はお好きで、映画に関わるデザインをしたいという思いはお持ちだったんですか?そうですね。昔から映画は好きでしたし、最初の事務所を選んだ際も、ファッション、映画など多角的にやっている事務所だったというのが、理由としてありましたね。あとは、ポスター文化というのはずっと前から根強くあって、特に20~30年前くらいは映画のポスターってデザインの仕事における花形でしたので「デザイナーたるもの、ポスターの仕事をすべし」という思いはなんとなく昔からありました。ポスターを作品にできる仕事というと、意外と限られているんですけど、映画ってかなり自由に展開できる媒体なんですね。――お仕事で関わる以前に個人的に好きな映画のデザインやポスターなどありましたか?初めてポスターを自分で買ったのは『トレインスポッティング』でしたね。あれは強烈に刺さりました。あのカルチャー、ロンドンのぶっとんだ世界の若者たちが人生を謳歌していて、それがメッセージとして発信されていて、それらがデザインとしてカッコよく落とし込まれているんですよね。あのポスターは迷わず買いましたし、ピチピチのTシャツまで買ってしまった覚えがあります(笑)。いまでも忘れられないデザインですね。――奇しくも独立されて、初めてデザインを手がけた作品が、『トレインスポッティング』と同じくロンドンを舞台にした映画『追憶と、踊りながら』だったそうですね。その後、アカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』をはじめ、次々と話題作を担当することに?そうですね。『追憶と、踊りながら』の後、『ムーンライト』を担当させていただいたんですが、後になって聞いてみると『追憶と、踊りながら』のチラシや試写状を見てくださった配給会社の担当の方が気に留めていてくださって、1年後くらいにお声がけいただいたんです。それくらいからですね、いろんなお話をいただけるようになったのは。――2月だけで石井さんがデザインを手がけた作品が3本公開されるなど、かなりハイペースに様々なジャンルの作品を手がけられている印象です。まあ、この時期はアカデミー賞が3月にある関係で、作品が込み合う時期だというのはありますが、たしかに映画の仕事の割合は増えていますね。他にも、書籍の装丁やファッションのブランディングのロゴまわりのことなどもやっていまして、そちらの仕事もありがたいことに増えてはいるんですけど…。独立してもうすぐ10年ですが、徐々にやりたい仕事にフォーカスしてきているのかなと思いますね。日本独自のポスターデザイン、完成までの工程――ここから具体的に映画(洋画)のポスター、チラシ、パンフレットなどのデザインの仕事をどのように進めていかれるのかうかがってまいります。まず最初にお話をいただいたら、初号試写と呼ばれる関係者・マスコミ向けの試写があるので、そこで作品を拝見した上で、引き受けられるかどうかを決めます。そこで正式にお引き受けすることになったら、その後、1か月くらいをかけて(ポスターやチラシで使用される)メインビジュアルを開発していきます。実は、その間にムビチケの入稿期限があることが多いので、ムビチケの画像に関しては、本国のビジュアルを使い、仮ロゴとして組んだものを入稿したりする場合もあります。なので、みなさんの手元に届くムビチケのビジュアルは、実は最終的なビジュアルやロゴとは全く違うものだったりする場合もあります。『アラビアンナイト 三千年の願い』これは余談ですが、昔の「前売券」全盛の頃は、メインビジュアルを決めて、マスコミ用の試写状を作って、その後のタイミングで前売券を作っていたんですけど、ムビチケは少し早いんですね。その後、メインのビジュアルが決まって…と言ってもすんなり決まればいいんですが、なかなか決まりにくい作品性の場合もあって(苦笑)、そういう場合は事前に複数案を提案して絞り込んでいきます。そこで方向性が決まったら、チラシの裏のデザインに移ります。このあたりは毎回、時間がありそうで意外とないことが多くて、一番つらい時期ですね(笑)。それを越えると、マスコミ用のプレス、映画館で販売されるパンフレットを作っていきます。――メインビジュアルが本国のポスターなどで使用されていたものから変わることは多々あるのでしょうか?そうですね。そこは宣伝の方向性にもよります。日本と本国で、映画の宣伝方法が異なるという部分が大きいと思います。日本だと広告性を重視していて、とにかく数を動員しないといけないという方向で動いていて、打ち出し方が広告に近いんですよね。作品性やアート性を出し過ぎても、(ポスターの前を)素通りされてしまいがちなので、その作品からどういう感動や感覚を得られるかを説明しないと実際に人が動かないという実情は昔からあります。コピーなしのファンポスターみたいな感じでいけるかというと難しいんですね。今回の『逆転のトライアングル』で言うと、本国のビジュアルを派生して作っているんですけど、そうじゃなく全くガラッと変えて、劇中のシーンからビジュアルを切り出して使うこともありますし、そこはわりと自由ですね。――洋画が日本で公開される際のポスタービジュアルや邦画タイトルが、本国のものとかけ離れていたり、その作品の持っているアート性が反映されていないということがSNS上で批判を呼ぶこともあります。コアな映画ファンとなかなか劇場に足を運ばない人々がいる中で、後者を広く呼びこまなくてはいけないという部分で難しい部分、ジレンマもあるかと思いますが…。そういう様々な意見が飛び交うのは良いことだと思いますし、批判的な意見もありがたく受け止めています。ただ、そこはおっしゃるようにジレンマもありまして、普段、あまり映画を観ないという方にもいかに劇場に足を運んでもらうか? というのが、多くの場合、映画ポスターの目的なので、ペルソナ(=ターゲットとなるユーザー像)を決めて、作っていくというのが日本独自のやり方だと思います。――今回の『逆転のトライアングル』のポスタービジュアルは、傾いた黒い枠の中に、豪華客船に乗り込んだセレブたちがくつろいでいる姿が映りつつ、後部では炎上が起きているというゴージャスさと不穏な空気が混在した構図になっています。そして、映画を観た人ならわかる黄金の“あるもの”がポスターにもぶちまけられていて…というデザインですが、どのようなコンセプトで作られたのでしょうか?作品性の高さという点では、カンヌでパルムドールも獲っていて、ファンや映画好きは間違いなく動く作品だと思うので、あとは若い人たち、特に皮肉も含めてファッション文脈の多い作品でもあるので、そういうのが好きな人たちにも広げるという意味で、感度を上げていかないといけないだろうと思いました。ファッションブランドで、フチをとって背景を白にする角版(切り抜き)をあえて内側に入れるデザインというのをよくやるんですね。黒枠は「CHANEL(シャネル)」や「CELINE(セリーヌ)」といったブランドで、昔からよくあるもので、下にシンプルにロゴをバンっと入れるというものなんですけど、意外とこのスタイルってファッションでしか見たことがなかったんですよね。あの面白い文化を上手く皮肉に落とし込めたらいいなというのが最初に思い付いたアイディアでした。『逆転のトライアングル』あとはこの写真をどう調理してはめるか? いくつかのパターンを提案しました。写真が斜めに傾いているのは、本国のビジュアルでも船長だけが斜めになっているものがあったので、それをあえて正対にして、全体が斜めになるようにしたら、ポスターとして貼った時に、なぜか曲がっている違和感が人間の錯視的に引っ掛かるだろうと考えました。加えて、ポスターとして貼られた時、今回の作品でも非常に印象的な“ゲロ”がポスターに掛かっていたら、それ自体がセンセーショナルだし、そんな汚いポスターはいままでないだろうと(笑)。でも、加工されてそこまで汚くはないんですよね、シャンパンだからなのか…(笑)。あの「キレイなのにグロい」という謎の違和感を出せたら良いなということで、あえて金のインクをアナログ的に垂らして作っています。富豪の象徴としての金(ゴールド)やシャンパンゴールドのゲロという、ポスターを見て「なんかキレイだけど、これは何だろう?」と思ってもらえて、映画を観ると手にも取りたくなくなるような(笑)、そんな二面性を出せたら面白いなと思いました。――序盤のレストランでの「誰がデート代を支払うか?」という口論を中心とした、モデルでインフルエンサーのヤヤとカールのカップルのパート、中盤の豪華客船パート、そして、船が難破し、たどり着いた無人島でのサバイバル生活のパートと本作はパートごとに雰囲気がガラッと変わります。この豪華客船のセレブたちの姿をメインビジュアルにした決め手は?この映画、いろんな切り口があって、おっしゃるように場面ごとに全く雰囲気も変わるので、いろんなつくり方ができたと思います。ただ、この場面が一番、これからまさに逆転が起こる直前の違和感があるんですよね。我々からしたら、豪華客船に乗ってシャンパンを飲みながらのんびりしている様子って、思い切り“非日常”じゃないですか? しかも、後ろのほうを見ると炎上しているというのは、フックとしてすごく良いレイヤードをしているなと本国のビジュアルを見て思ったんですね。しかも、海の先には島があって、“逆転”してのし上がるアビゲイルの姿も控えていて……というビジュアル性の高さを1枚でうまく表しているんですよね。シンメトリーの構図も美しいですし、よくできたビジュアルだなと思ってこれを採用しました。『逆転のトライアングル』――ちなみに、洋画と邦画ではポスタービジュアルのデザインの工程、コンセプトなどは大きく変わってくるのでしょうか?全然違いますね。同じ業界ですが、つくり方も時間も違ってきます。邦画ですと、撮影される前からお話をいただくことも多いですし、それこそ昔は台本の表紙のデザインからスタッフTシャツまで担当することもありました。洋画はスケジュール的に、短い時で3か月、長い時でも6~7か月ですが、邦画なら1年半前からということもあります。邦画のほうが、製作委員会があったり、関係者の数も多いですし、各俳優さんの所属する事務所の確認などもありますので、工程数も大きく変わってきます。――先ほどお話に出たような、日本の映画興行におけるポスタービジュアルに対する批判がある一方、近年、邦画でもアート性の高いポスターやチラシが掲出され、話題を呼ぶことも増えてきました。『花束みたいな恋をした』、『はい、泳げません」などではティザーポスターで、キャストの写真を使わず、イラストを使っているのも話題になりました。それぞれの作品のキャストの豪華さ(『花束みたいな恋をした』は菅田将暉、有村架純、『はい、泳げません』は長谷川博己、綾瀬はるか)を考えると、なかなか稀有なケースかと…。あのティザーに関しては、配給・製作会社がリトルモアさんだったという部分が大きいと思います。わりと文化的アプローチを好まれるプロデューサーさんが多いので、イラストを使ったりして何かしらのフックをつけて気に留めるというやり方を採用されていました。制作の時間が長いゆえに、そういう戦略が広がってきていて、それは良い傾向だなと思います。「買いたい!」となるようなものを日本オリジナルで――改めて、石井さんが考える映画ポスターの役割、デザインする上で大切にしていることを教えてください。僕の中でポスターって、それこそ昔『トレインスポッティング』を思わず買ってしまったように、昔は1000円くらいで劇場などで売っているものだったんですよね。いま思うと、すごく良い時代だなと思うんですけど、そういうのが理想としてありますね。思わずほしくなって「買いたい!」となるようなものを本国のものではなく日本オリジナルで作ることができたらという思いはあります。(観客の興味を惹くための情報を伝えるという)機能は持ちつつ、憧れの存在としての映画のポスターというものは保っていきたいなと思っています。――その一方で、パンフレットは基本的に映画を観た人が、さらにお金を出して買うものであり、あちこちに掲出されるポスターとはまた役割や意味が違うものだと思います。パンフレットをデザインされる上で意識していることはどんなことですか?やっぱりパンフレットって映画を観て、作品性を理解した上で読まれるものなので、劇場を出てもそのまま手元に取っておきたくなるようなものであってほしいなと思っています。僕自身、いまだに捨てられない映画のパンフレットってあって、何度か引っ越すタイミングで「捨てるか?」「いや、これは捨てられないよなぁ…」と(笑)。そこがパンフレットの寿命なんですよね(笑)。そこで何十年も取っておきたくなるものにしたいし、いろんな思いがあったり、当時の自分につながっているものだったりするので、その思いに寄り添える媒体でありたい。それが、あえてフィジカルなパンフレットの面白さですよね。――先日、公開を迎えた『別れる決心』のパンフレットもTwitter上などで話題になっています。茶封筒に入っていて、しかも絆創膏で留められているという…映画を観た人にはたまらないつくりになっていますね。『別れる決心』に関していうと、「捜査資料」というポイントでまとめることができたので封筒というアイテムが使えるなと考えました。じゃあ封を留める必要があるな…なにか留める文脈ってあったかな? 映画の中に絆創膏が出てきたけど、あの登場人物なら絆創膏で留めてもおかしくないなと。そうやって、キャストの存在も含めた作品性、文脈にうまくハマると、こういうことが起きるんですね。毎回、そうやってモヤモヤと妄想を広げながら、つながる部分を見出していく感じですね。『別れる決心』――そして『逆転のトライアングル』のパンフレットもちょっと変わったつくりになっていますね。雑誌をモチーフにしているようですが…?これは豪華客船の船内誌をイメージしています。飛行機でよく見る前の座席の網棚の部分に置いてあるなんとも言えない独自のラグジュアリー感、かつ販売をしてない媒体というあの皮肉さを本作のシュールな違和感のあるビジュアルとハメたら面白くなるだろうと思いました。架空のロゴも含めて一冊の船内誌としてまとめてみました。その上で“謎のマガジン”感を思いきり出しています(笑)。表紙はヤヤの水着姿ですが小口折の二面になっていて、180度逆転したら、裏も表紙になっていて、こちらは表紙とは正反対の島で苦労するヤヤのビジュアルを載せています。前後には広告がたくさんあるのもこういう機内誌の特徴ですけど、実際の劇中の写真もライフスタイル系の広告っぽい写真なんですよね(笑)。リゾート地ってファッションの撮影でよく使われますけど、そこに思い切りハマるんですよね。これを使わない手はないなと。面白おかしく謎の船内誌に仕上げています。――最後にデザイン分野で映画の仕事を志す若い人たちにアドバイスや大切にしてほしいことなどメッセージをお願いします。映画が好きな人は、劇場に足を運んでいろんな作品を観ていると思いますが、作る側になるなら、それ以外のいろいろなことを“体験”として知って、理解していないと表現にまで落とし込めないと思います。僕も、これからまたパリのコレクションにも足を運ぶ予定なんですけど、現地に行き、各国の富裕層を目の当たりにして、どういう感覚でその人たちが世界で動いているのを見て、フィルターして語れないといけないと思います。そこから表現がにじみ出てくるものなのだと思うので、いろんな体験、経験にお金を惜しまずに投資していってほしいですね。逆にデザインや映画に注力し過ぎない方がいいと思います。様々な体験が財産としてのちのち活きてきます。(photo / text:Naoki Kurozu)
2023年03月05日今年でデビュー5周年を迎える、6人組ダンス&ボーカルユニット「ONE N' ONLY」。TikTokの動画総再生回数は2億回超え&フォロワー数は日本人アーティスト1位の520万人を誇るなど、今後ますますの活躍が期待される彼らが、メンバー全員で初主演映画『バトルキング!!-We'll rise again-』に挑んだ。本作は、ダンスや音楽の出会いを通して、自分たちを見つめ直し夢に向かって突き進む男たちの青春ストーリー。仲間とともに踏み出す姿は、スクリーンを離れたところでも仲が良い「ONE N' ONLY」に重なるようだ。役を通して、6人は6様のフレッシュな魅力を振りまいた。シネマカフェでは、メンバーの山下永玖、高尾颯斗、草川直弥、上村謙信、関哲汰、沢村玲に前後編でインタビューを敢行。前編では自身が演じた役へのこだわりを、後編では自分にとって大切な作品を、それぞれたっぷりと語ってもらった。――初主演映画の完成、おめでとうございます。全員:ありがとうございます!――撮影に臨む際、役へのアプローチでこだわったこと、意識していたことなど、おひとりずつうかがえますか?上村:はい。僕の演じた鞍馬憲一郎は、一番最初にラップのシーンがあるんです。鞍馬は中学のときにラップ大会で優勝して実力はあったんですが、喧嘩早いことが原因で夢を諦めてくさっていて。そこを表現したかったので、ラップの歌い方はいつものONE N' ONLYのKENSHINで歌っているラップとは全然違う形にしましたし、めちゃめちゃこだわりました。上村謙信(ONE N’ ONLY)もうひとつはアクションです。『バトルキング!!』自体、ヤンキー映画ということもあるので、アクションがひとつの大きな見せ場で課題としてありました。二度目になりますけど鞍馬はとにかく喧嘩早いので(苦笑)、鞍馬きっかけでアクションが始まることも多いんです。この作品の勢いをつける役割なのかなと思ったので、そこもすごく意識して、役づくりなりラップなりアクションなりに取り組んでいきました。――冒頭から引き込まれると、一気に映画の世界観に入っていけますもんね。要のシーンを、上村さんがしっかり体現したんですね。上村:そこは本当にプレッシャーでしたけど、「最初の掴みだから」と監督といろいろコミュニケーションを取って作りました。表情や歌い方、会場を煽ることも、殴ったりするシーンも、ひとつひとつ丁寧に作りあげたつもりです。だからか、完成した作品を観たときはめっちゃ感動しました。――メンバーの皆さんからご覧になって、上村さんのたたずまいはいかがでしたか?関:普段の謙信とは全然違いました。僕は鞍馬と一緒にいる時間が多い役で、役柄的にふたりでひとつみたいな、親友の関係性だったんです。常に横にいたので、謙信との違いもよくわかりました。普段は温厚で優しい感じなんですけど、役になるとすごい活発で喧嘩をふっかけたりして、ギャップがすごくて!映画の一番最初に流れるラップのパートも、かましているなとすごく思いましたね。出だしでちゃんと掴みにいってくれているので、これから観る人にも楽しみにしてほしいです。――ありがとうございます。関さんの役作りの秘話もぜひ聞かせてください。関:役作りで言うと、僕は難しく考えすぎずにやりました。最初、台本を読んだときはもうちょっとクール系かなと思ってやっていたんですけど、監督とコミュニケーションを取っていくうちに、「もっと素を出してほしい」と言ってくださって。なので、あまり深く考えず、自分らしくできた感じがします。関哲汰(ONE N’ ONLY)――何と言っても「アメイジング・グレイス」のアカペラシーンが印象的でしたが、緊張しませんでしたか?関:歌うときはめちゃくちゃ緊張しましたね!!あのときの撮影は奇跡に奇跡が重なって、一発撮りで終わったんです。太陽がいい感じに差し込んでくれてロケーションも最高で、歌も一発で決まって…。監督も「これでいこう!もうこれ以上ないよ!」みたいな感じの雰囲気になったぐらいでした。あのシーンが個人的には一番印象的でした。だけど、こう…試写で聴いたときもまた緊張しましたね(笑)。シーンと静まり返っている中で、アカペラの歌が流れてくるのはちょっとドキドキしました。山下:「アメイジング・グレイス」のシーン、本当にめっちゃよかったです。現場で、監督が「よっしゃー!あのシーンよかった!!」と言っていたんですね。だけど、僕はその場にいなかったから「どんな感じなんだろう?」と楽しみにしていたんです。実際に観て感動しましたし、すごくぐっときました。山下永玖(ONE N’ ONLY)――見どころのひとつですよね。山下さんは物語を引っ張っていく役どころでした。シーン数も多かったですし、いろいろと準備していたのではないですか?山下:はい。僕が演じた源二郎は意志が強くてプライドもあり、仲間もいるという役柄でした。小学校からダンスをしていたけど、ヤンキーになってやらなくなり、だけどもう1回ダンスをやりたいと向き合っていく、という感じで。僕も昔から音楽活動をしていたので、そのころの葛藤や辛い思い、悔しい思いを思い出しながら演じていました。感情の起伏が大きいところは大変でしたが、性格的には僕も源二郎と同じというか、意思が強くてプライドもあるので、そこは安心してできたなと思います。僕自身も重ねて演じられた役でした。草川:この作品は源二郎という人間がすごく成長をしていく物語なんですよね。僕が演じた甲斐は、源二郎と中学のときのダンス仲間だけど、今は源二郎がダンスをやめたので不仲になった感じで再会するんです。源二郎と甲斐とのシーンでは、永玖とふたりで「ここ、俺はこう思っているから」みたいに話し合ってやっていました。ぶつかるところや、昔はふたりがどういう仲で何がきっかけでダンスを始めたのかとか、すごく話したんです。山下:うん。めっちゃ話し合いはしました。草川直弥(ONE N’ ONLY)――草川さんが演じる上で、こだわったところはどこでしたか?草川:今回アクションシーンやダンスシーンももちろんあったんですけど、最初に脚本を読んだときに、甲斐玄武という人物自体がすごく掴みづらいな、と思ったんです。甲斐は物語の途中から出てくるのもあるから、物語にどうスパイスを注ぎ込むか、どう変えていくのかが難しいと思っていました。だから、芝居面ではどうやるかめちゃくちゃ考えました。簡単に作っても面白くないし、近づきすぎてもあれだし、みたいな。高尾:確かに、甲斐はダンスがすごく上手で、源二郎に対してのライバル意識みたいなのがすごくあるキャラクターなんですよね。直弥くん自身が、甲斐のようにバチバチのライバル意識みたいなのを素で出すタイプじゃないから、演技している姿を見ていても、完成した作品を観ても、全然違う人に見えました。甲斐がいないと物語が動いていかなかったので、すごい大事な人物だなと改めて思います。高尾颯斗(ONE N’ ONLY)――高尾さんはいかがでしたか?今回、実の弟さんと兄弟役で共演というリアルさもありました。高尾:そうですね。実際にリアルな弟と兄弟役というのが、僕の中では一番大きかったです。僕が演じた愛之助という人物は、めちゃくちゃ弟思いなんです。愛之助自身はダンスという夢を諦めてヤンキーになっちゃったけど、その道は弟に追ってほしくないという葛藤があって。実際の兄弟だけど自分たちとは違う雰囲気があったので、そのあたり「こういう家庭環境だから、こうなったんだろう」とか、リアルに弟と話し合ったりしました。そうやって弟とふたりで役を作っていくのは新鮮すぎましたね(笑)。ふたりで温泉に行ったりして話すのもなかなかできないことだと思うので、すごくいい経験になりました。――最後になりましたが、沢村さんも役についての裏話をお願いします。プロのアーティストになるために、5人とは少し異なる立ち位置の役どころでした。沢村:今振り返ると、監督としゃべっている時間がすごい多かったです。僕が演じた早乙女以蔵は、元ヤンキーという一面と、名門アートスクールの生徒という一面があって。さらに、5人とは唯一、仲間意識という面でつながっているわけではない人物でもありました。そういうのもあって、早乙女は(仲間の)この5人が羨ましくありつつも、自分はやりたいことをやって生きていくという気持ちがすごいあるのかな、と思ってやっていきました。沢村玲(ONE N’ ONLY)――今回コメディパートも担っていましたよね。そのあたりはいかがでしたか?沢村:面白いほうに持っていくことについては、監督から「この作品に凸凹をめちゃくちゃつけてほしい」というオーダーがあったんです。振り切った感じにやるように、撮影の直前でやっと決まった感じです。僕なりに考えてやったら「ばっちりだ!」と言ってくださったので、それで臨んだ感じでした。――ありがとうございました。引き続き後編もお願いします。ヘアメイク:NOBU(HAPP’S.)映画『バトルキング!! -We’ll rise again-』3月10日よりユナイテッド・シネマ アクアシティお台場ほか全国公開(text:赤山恭子/photo:Maho Korogi)■関連作品:バトルキング!!-Weʼll rise again- 2023年3月10日よりユナイテッド・シネマアクアシティお台場ほか全国にて公開©映画「バトルキング!!」製作委員会
2023年03月03日映画『エゴイスト』が話題を呼んでいる。国内外の大作ひしめく中、初週の週末興行収入ランキングでトップ10入りを果たし、鑑賞後のレビュー、満足度でも軒並み高い評価を叩き出している。鈴木亮平演じる浩輔と宮沢氷魚演じる龍太の激しく濃厚な愛の交わり、彼らを襲う過酷な運命、そしてゲイであるがゆえに彼らが直面する様々な困難を描いたテーマ性の深さなど、高い評価を得る理由は数多くある。だが何よりも心に突き刺さるのは、俳優たちが発する強く、生々しい感情、特に映画の後半で、浩輔と龍太の母・妙子(阿川佐和子)のやりとりには心揺さぶられずにいられない。これは浩輔? それとも鈴木亮平そのもの――?昨年のアカデミー賞最優秀助演男優賞に輝いた『孤狼の血 LEVEL2』で見せた狂気のヤクザや数々の漫画原作のキャラクターなど、体重の増減などを含め、どちらかというと役柄に合わせて自身を“変身”させるというイメージが強い鈴木だが、本作では役柄と本人が一体になったような錯覚さえ感じさせつつ、弱さや葛藤、それを覆い隠そうと虚勢を張る姿を見せている。そして、そんな彼の感情を受け止める阿川佐和子の包容力――。どのようにして彼らのやりとりは生まれたのか?公開初日の翌日、映画館での舞台挨拶を終えた鈴木亮平に話を聞いた。<こちらのインタビューは、映画の核心部分、ネタバレに触れた内容になっております。映画ご鑑賞後にお読みください。>映画完成後に初めて気づく撮り方――映画を通じて、セリフではなく表情から感情が伝わってくるシーンが多いですね。歩道橋でのキスシーン、後半に病院で“愛”について話すシーンなど「こんな鈴木亮平の表情、見たことない!」と驚かれる人も多いのではないかと思います。一方で「え?ここで顔は見せないの?」というシーンも多くあって…。そうですね。浩輔が龍太に「さよなら」を告げられるシーンも、浩輔の顔はずっと裏なんですよね。僕も映画を観ながら「こんなに浩輔の顔、映らないんだ!」って驚きました。普通、ああ言われた浩輔の表情を映したくなるものですけど、これは松永(大司)監督の意図ですね。――現場では浩輔の表情も含め、いくつかのパターンを撮った上で、編集でああなったんでしょうか?いや、全く撮ってなかったと思います。最初からああいうふうでした。――病院に見舞いに行った際に、阿川さん演じる妙子が「自慢の息子なの」と言うシーンも、そう言われた瞬間、浩輔がどんな表情をしているのか気になりますが…。あそこも撮ってないんですよ。監督はもちろん、あれがキラーフレーズであり、浩輔にとってそのひと言がどれだけ大きいのかを理解しているんですけど、それでも「撮らない」という選択をしています。その場で本当に物事が起こっているようなドキュメンタリー感を大切にするという意図もあると思いますが、その後のトイレに駆け込む浩輔の姿で、お客さんは十分に感じ取ってくれるはずだ、とおっしゃっていました。――そういう、少し変わった切り取り方をしている映画であると現場で感じながらそれぞれのシーンに臨んでいたんですか?いえ、この作品は撮影前からリハーサルを重ねてきて、しかも台本に存在しないシーンをリハーサルで演じた部分も多かったんです。そうしたリハーサルの間も、ずっと手持ちのカメラが近い距離で回っているんですね。そうすると、逆に演技をしていても「いま、何を撮られてるのか?」というのを忘れる状況になるんです。だから撮影初日から、カメラがどこを向いていて、何を切り取っているか?ということを気にせずに現場にいられた気がします。――完成した映画を観て、初めて「こんなふうに撮っていたのか」と気づくような?全くその通りで、やっと最近、この映画を客観的に見られるようになってきました。だから、先ほど言った龍太とのシーンで浩輔の顔がほとんど映っていないことも昨日の公開初日に劇場で観て、初めて気づきました。あそこで映っていたのは、まさに現場で僕が見ていた龍太の顔なので、それまではただ「そうそうそう!」って思って観ていました(笑)。正直いうと、昨日まで、みなさんがこの映画のどこにそこまで感動してくださっているのか、いまいちピンときてなかったんですよ。僕はただ自分が生きた時間の記録を見ているような感覚で。たぶん、運動会で頑張ってる子供って自分ではただ精一杯走ってるだけで。でも、それを客観的に見る親は感動してくれていて。演技も、それに近いところがあるのかもしれませんね。<以下、映画中盤以降のネタバレを含んだ内容となります。未見の方はご注意ください>役のほとんどは“自分”という感覚「それは本当に怖いこと」――今回は公開後のインタビューということで、特に後半部分のやりとりを中心にお話を伺えればと思います。龍太の母親・妙子を演じられた阿川さんと共演されて、いかがでしたか?素晴らしかったです。本当に自然体で、2人のシーンに関して、僕はセリフはほとんど決まっていなかったので、阿川さんが龍太の母親として投げかけてくれる言葉に自然に反応するだけでいいという状況でした。――セリフが決まってなかったんですか?特に食卓のシーンはそうでした。「別れた夫のことを話す」とか、何となく会話の内容は決まっていたんですけど。もちろん何度も繰り返すので、だんだん固まってくるんですが、監督は固まることを嫌うので…。「別れた亭主から電話があってね」という阿川さんの言葉に対して「ちょっと待ってください。当てていいですか?」と言ってみたり…“生”の感じを求めるというか、そのテイクごとに新しいことが起きないとOKが出ないんですね。――浩輔が妙子にお金を渡そうとするシーンでは、松永監督は阿川さんに「受け取らなくてもいいです」と伝え、鈴木さんには「絶対に受け取ってもらうように」と指示されていたそうですね。妙子としては当然「受け取れません」となるわけで、それをどう説得して受け取ってもらおうかと思案し、苦慮する様子が伝わってきました。あれは本当に決まってなくて…。台本に書いてあることはガイドみたいなことで、それじゃ妙子さんを説得できないんですよね。当然、断られるわけです。どうすればいいのか…?いや、あれはそもそも断られて当然の無理な交渉なんですよね。なんで自分はこれをそこまでして受け取ってもらいたいのか――?それを言葉にすると、自分が正気ではいられないような気がして…。でも、そこまで踏み込まないとこの人は受け取ってくれないんだというところに気づいていきました。――最初は「龍太くんを応援してまして…」という言葉を口にされますが、言いながら「いや、この言葉は違うな」と感じているのが伝わってきます。かといって、単に「お願いします!」と頭を下げるのではなく、何とかして自分の“言葉”で思いを伝えないといけないという、役柄を超越して、鈴木さん自身の“誠実さ”みたいなものがにじみ出てくる最高のシーンでした。「応援」と言ったはいいけど「その言葉じゃないんだよなぁ…」というのが自分でも感じられて。なかなか自分の気持ちを言葉で説明できなかったんです。なんというか、ああいう撮り方で、本当に嘘のないものを見せたいと思ったら、半分くらいは“自分”を混ぜていかないと…いや、半分以上ですね、浩輔の8割方は僕自身だと思います。自分の見せたくない生々しい部分、傷みたいなものを見せないと成立しない役だったように思います。――現場で浩輔という人物に向き合い、自身の中からわき上がってきた感情を取り込んだからこそ、繊細さや弱さ、葛藤が生々しく伝わってきたんですね。いま、おっしゃったような、“役に自分を混ぜていく”アプローチの面白さや大変さについて教えてください。怖いですね。それって僕自身が魅力的な人間じゃなかったら、役も魅力的に見えないということじゃないですか?僕は自分を魅力的だと思えるほど自信家ではないので、本当に怖いですよね。自分の繊細さであったり「自分だったらこうする」というのを前面に押し出さないといけないわけで…。「自分の生々しさに賭ける」というやり方は、もしかしたら20代から仕事が順調にいっていた人間だったら自信を持って当然のようにできるのかもしれませんが…、僕は、否定とは言わないまでも、「求めているのは君じゃないんだよ」と突きつけられる経験を現場やオーディションなどで重ねてきたので「こんな自分で勝負できるわけがない」という強迫観念みたいなものがどこかにあるんです。それでも勇気を持って「でもこれしかないから」と自分を解放させようと思えたのは、即興に近い今回のような撮り方の作品だったからこそできたのだと思います。もちろん、セクシュアリティという部分で、ゲイの方たちがこの作品を観た時、リアルな物語、自分たちの物語であると納得していただけるものにしなくてはいけないということは、また別の側面としてありました。そこは監修の方と相談しながら作っていますが、そうは言っても、浩輔という役のほとんどは“自分”という感覚でやっていました。それは本当に怖いことでもありました。<以下、映画中盤以降のネタバレを含んだ内容となります。未見の方はご注意ください>映画を通じてそれまでの“常識”を疑う――映画の公開と重なるタイミングで、同性婚の法制化についての議論が巻き起こっています。劇中でも浩輔の友人が婚姻届けを手にする描写などが出てきますが、例えば浩輔と龍太の関係性も、男女の関係性であれば、婚姻によってカップルが経済的な部分も含め、互いを支え合うというのはごく当たり前のこととして受け止められていたかもしれません。本作への出演を経て、いま、社会で議論されていることに対して、どのような思いを抱いていますか?原作者の高山真さんのエッセイなどを読ませていただくと、果たして彼らの関係性で「結婚」まで至ったかは分かりません。もしかしたら結婚していたかもしれないし、たとえ同性婚が法制化されていたとしても、そうはならなかったかもしれない。そこは彼らだけにしか分からない部分ですので。ただ、僕がこの作品で演じていてつらかったのは、お葬式のシーンで、あんなに愛し合っていたのに、なぜ浩輔は堂々と龍太の“恋人”としてお母さんを慰めてあげられないのか? 親族側とは言わないまでも、関係者として参列できないのか?そもそも、当日に病院に駆けつけて慟哭することだってできたかもしれない。葬儀のシーンでも、浩輔は絶対に恋人であったとバレちゃいけないので、さっと済ませて早く帰らなきゃいけない。――泣き崩れながらも「大丈夫です! 大丈夫です!」と気丈にふるまおうとする姿に胸が締めつけられます。自分が泣き崩れたことで関係がバレたとしたら、どれほど周りに迷惑をかけるのか?でも、それってとても悲しいことですよね。一番大切な人が死んでしまって、それでもお葬式で「周りに迷惑をかけちゃいけない」と思うのは。同性婚や法律的な部分での整備に関して、僕は進めるべきという意見ですが、それと同時に自分たちの意識を変えていくことも大切だなと感じています。いままで育ってきた環境で身に着けた“常識”と言われるものだったり、価値観を自分で疑っていくということ、「これってどうなんだろう?」と自分で自分に問いかけることが大事なんだと思います。この映画に出演させていただいたことが、LGBTQ+について考えるきっかけになりましたが、他のイシューに関しても、自分の中に気づかないままの“偏見”ってまだたくさんあると思うんです。(映画作品など)エンタテインメントを通して、そこに気づかされるということもすごく多いです。だからこそ僕らは、映画やドラマをみなさんに観ていただき、「いや、その描き方、こうしたほうがいいんじゃないの?」という前向きな意見もいただいて、お互いに前に進む力を高め合っていくことが重要だなと今回の作品を通じて感じました。(text:Naoki Kurozu/photo:Maho Korogi)■関連作品:エゴイスト(2023) 2023年2月10日より全国にて公開© 2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会
2023年03月01日『サマーフィルムにのって』『由宇子の天秤』『ちょっと思い出しただけ』『PLAN 75』『ある男』等々、話題をさらった力作に立て続けに出演している河合優実。彼女の待望の初主演映画『少女は卒業しない』が、2月23日に劇場公開を迎える。朝井リョウの同名小説を、『カランコエの花』の中川駿監督が脚本・監督を務めて映画化。廃校が決まった高校の“最後の卒業式”までの2日間を美しくも切なく描き出す青春群像劇だ。河合さんは本作で、卒業式での答辞を任された卒業生・まなみを繊細に演じている。2019年のデビューから4年。河合さんが歩んできた初主演映画までの道のりを、じっくりと語っていただいた。デビューから丸4年「ステージがどんどん上がっていく」――河合さんは『少女は卒業しない』公開タイミングで、デビューから丸4年を迎えます。怒涛の年月だったかと思いますが、改めて振り返ってどういった出来事が印象的でしたか?たくさんありますが、初めて舞台に挑んだ際(2019年上演の「some day」)に「これが原風景であり、原点だ」とはっきり感じました。そのときにマネージャーさんが「原点と思うものが、この先どんどん更新されていくかもしれないね」と言ってくれたのですが、だんだんとその意味が分かってきた気がしています。セーブポイントが増えていく感じといいますか、「この経験は初めてだな」と思えるものがひとつずつ増えて、ステージがどんどん上がっていく感覚があります。記憶に新しいところでいうと、去年お仕事で海外に行ったことはいままでと全く違う経験でした。短編の撮影だったし、海外だから全部そうというわけではないかなと思いつつ――お金にも時間にも日本より余裕がある現場だったんです。そして、敬語がないのも一つの要因かもしれませんが、スタッフさん皆さんと対等に、友達のようにコミュニケーションを取りながら作っていけました。毎日「How are you?」から始まる現場を経験できたことで、私の“いつも”の余裕のなさに気づけたんです。慣れない環境で撮る経験も初めてでしたし、とにかく体の隅から隅まで新鮮な感覚で撮っていました。――「セーブポイント」という表現、非常にしっくりきます。経験がたまっていくことで、「ここからもう一回始めよう」というリロードできる場所が進んでいく。自分の中では結構たまってきたようにも感じますし、「これ2周目だな」と思う日がいつ来るんだろうとは思いますが、まだ経験したことのないポジションや感覚はまだまだある気もします。――それこそ『少女は卒業しない』は初主演映画ですしね。こういった取材の場でも「主演」ということを聞かれる機会が増える、つまり周囲も変わってくるかなと思うのですが、撮影現場ではいかがでしたか?出来るだけ自分にかからないように心がけていましたが、プレッシャーというか責任感はやっぱりありました。――出演した年はバラつくでしょうが、去年公開・放送・配信された河合さんの出演作はなんと15本以上でした。他に類を見ない数字かと思います。そんなに本数があったんですね…。もちろん公開年やその前年に全て撮っているわけではないのですが、数が増えていくことで怖いなと思うのは、こなしてしまうことです。現場に行ってセリフを言っちゃえば演じたことになってしまうので、それは絶対にしたくないと思います。ファストにしたくないんですよね。そこは常に気を付けています。いっぱい出させてもらったことはすごく嬉しい反面、いまは色々なプラットフォームがあって作品の全体数もすごく多い。消費のサイクルに飲まれないようにしたいと思っています。「演じること」への意識の変化「“好き”で終わりじゃない」――多忙を極めるなかで役を生きる=演じる準備等はどのように工夫されてきたのでしょう?そうですね、なかなか準備の時間が取れないことが一番苦しいのですが、自分にもバレないようにうっすら次の作品を考え始めて、撮影が終わった瞬間に準備を始めるというやり方をするしかないなとは感じています。ただ、自分のリアルなリズムでいうとそこまで働きづめということでもないんです。公開が重なってはいますが毎回ちゃんと準備する時間は取れているので、今後もそうでありたいと思っています。――『少女は卒業しない』だと、実際の学校で卒業式シーズンに撮影できたり、中川駿監督が俳優のその場の発想を吸い上げる作り方をされたことで、準備時間をカバーしてくれる部分もあったのではないでしょうか。それはありました。脇役やスパイスになるような役だとがっつり決めてかかるというかその日に出たものしかできないところがありますが、本作のように主演だったり撮影期間が長いと自分が考えていることも変わってきますし、今回はそれを反映できる環境でした。時系列順に撮っているわけではなくとも自分も役も成長していく感覚があって、それを利用しながら演じていきました。そうした自分の変化が作品に上手く作用していたら、一番ですよね。――今回は最後のセリフが空欄のまま、河合さんも中川監督もどんな言葉が入るか考えながら撮影をしていたとか。ここまではっきり空欄だったのは初めてでした。中川監督は「脚本通りじゃなくていいよ」と自由に泳がせてくださる方でありながら、同じ目線で悩んで考えて一緒に取り組んでくださる方という印象がすごく強いです。――そうした本作での経験も含めて、「演じること」への意識はこの4年で変わってきましたか?そうですね。演技のアプローチ自体は計算式があるわけではないので、「今回はこれをやってみよう」と常に何かしら試している感覚です。ただ、演じる“重み”は変わってきたように感じます。昔は「自分がやっていて楽しい」だけでよかったのが、いまは「好き」という気持ちもありつつ、それで終わりじゃないという気持ちが芽生えました。『少女は卒業しない』で主演を務めさせていただいたこともあり、「映画に出る」ということの中に演じる以外のこともたくさん含まれていると思うようになりました。いまは、「ものを作って届ける」という重みをより感じています。――河合さんは高校時代からダンスなどで人前で表現する機会は多かったのかと思いますが、プロの現場となるとまた心持も変わってくるというか。そうですね。特にいまは、気持ちだけでやる時期じゃないと思っています。藤原季節の言葉がいまも生きている――『少女は卒業しない』は、他者からかけられた言葉がその後の人生を左右するさまを描いています。河合さんの中で、いまも生きている言葉にはどのようなものがありますか?この作品にせっかく出ていらっしゃるので、(藤原)季節さんからいただいた言葉をお話ししたいと思います。季節さんとは『佐々木、イン、マイマイン』で出会いました。この作品の最後に季節さんや皆さんが佐々木コールをしているなかで私が泣くシーンがあるのですが、撮影時には音声さんからは「他の方は音声オフで、河合さんの声だけを録りたいです」と言われたんです。でも、どうしてもダメだと思い「本当にごめんなさい。皆さんにも声を出していただいていいですか」と相談したら音声さんも季節さんたちも快くOKしてくださって。後から季節さんに「あれは役を守った瞬間だったね。守れないときもあるから」と言われました。そのときは真意がわからなかったのですが言葉だけはずっと残っていて、年を経るごとに「そういうことか」とわかってきた感覚があります。『少女は卒業しない』で、答辞のシーンの撮影で「テスト段階から回していただいてもいいですか」とお願いしたのも、この経験がつながっています。季節さんは自分にとって、熱くて優しい先輩です。――河合さんは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『ラ・ラ・ランド』がお好きと伺いましたが、観る側としてのご自身はいかがですか?変化があったのか、それともなかったのか。そこは変わっていないように思います。もちろん仕事につながることではあるけど別に勉強とは思っておらず、かといって完全な娯楽でもない。映画を観るのはずっと変わらない日常です。――素敵な言葉ですね。自分だとそれこそ映画の仕事を始めて3・4年目くらいで「実写を観るのが無理」みたいな状態に陥ってしまい、しばらくアニメばかり観ていました…。ライターさんだと「この時までに観ないといけない」があるでしょうから、より大変だと思います。私の場合も、波はありますね。例えば現場中だと「最近あまり観る気分になれないな」ということはあります。直近だと年末までがっつり撮影していたので映画館に行けていなかったのですが、ようやく『RRR』を観に行けました。最高に面白かったです。――河合さんの『RRR』評、気になります。すごく評判になっていたので気になっていた作品でした。ある意味思っていた通りの面白さというか、「インドの映画の力がここに結集しました」というようなエネルギーを感じましたね。インド国民の観賞率がものすごいだろうな、と思いました。――劇場の熱気も凄まじいと聞きます。本当に、近年稀にみる客席のざわめきでした。席も埋まっていましたし、上映後にみんなが熱くなったまま作品の話をしている光景を久々に観た気がします。――まさに劇場映画の良さですね。河合さんも『少女は卒業しない』の東京国際映画祭の上映などで、お客さんの熱を感じたとおっしゃっていましたね。舞台挨拶等でお客さんの前に立たせていただくことはありますが、基本的に上映前の登壇が多いため、上映後に皆さんの反応を見られることは稀なんです。東京国際映画祭ではお客さんと一緒に観賞できたので、リアルタイムな反応を見られました。皆さんマスクをしていて言葉にしなくても、伝わってくる空気ってありますよね。今後もそういった機会があると嬉しいです。(text:SYO/photo:Maho Korogi)■関連作品:少女は卒業しない 2023年2月23日より新宿シネマカリテ、渋谷シネクイントほか全国にて公開© 朝井リョウ/集英社・2023 映画「少女は卒業しない」製作委員会
2023年02月23日『JSA』『オールド・ボーイ』『渇き』『お嬢さん』など、エンターテインメント性と芸術性を兼ね備えたセンセーショナルな作品を生み出し続けているパク・チャヌク監督。6年ぶりとなる長編映画『別れる決心』も、登場人物のセリフや表情の1つ1つが見る者を翻弄する予測不能なサスペンスだ。韓国国内や海外の映画祭で絶賛された本作の日本公開を控え、来日したパク監督にお話を聞いた。こだわった瞳の演出――登山中に転落死した男の事件を追っている刑事へジュン(パク・ヘイル)が、容疑者である被害者の妻ソレ(タン・ウェイ)を監視するうちに、2人の間に特別な感情が生まれていくという物語です。視線を交わす2人がよく似た黒目がちの目をしていることが印象に残りました。瞳を映す演出にこだわりを感じたのですが、その意図は?俳優2人の黒目が大きいということは偶然なのですが、目を強調したというのは確かにおっしゃるとおりです。この映画は、「霧」という歌からインスピレーションを得て作り始めました。霧の中にいると、全てのものがぼやけて見えます。それを何とか、はっきり見ようとする人のイメージからスタートしているのです。実際、「霧」の歌詞にも、「霧の中で、しっかりと目を開けて」という意味のフレーズがあります。全ての始まりがそこだったので、劇中でヘジュンがしきりに目薬をさすなど、「しっかり前を見よう」という意志を表現した演出を入れました。後半、ソレが頭にヘッドライトをつけて、へジュンが照らされるシーンがありますが、そこはちょっと意図が違っています。どちらかというと、へジュンは普段、自分の感情を隠そうとする、気弱なところがある人間ですが、ソレという強い光を放つ女性の前では、全て丸裸にされてしまうという関係性を表そうと思ったのです。「愛してる」と言わないラブストーリーを――主役の2人はどちらも感情を抑制しているキャラクターですね。作品のトーンは脚本の段階ですでに決まっていたのでしょうか?一緒に脚本を書いたチョン・ソギョンさんと、今回の作品においては、情事や暴力的な場面をできるだけ排除しようと話し合いました。繊細で、優雅で、深みのある、そんな感情を内に秘めた映画にしたいと思ったのです。そのためにも、それ以外の刺激的な表現は避けようということになり、俳優の目の動きや揺らぎ、細かな表情、さらに編集やカメラワークといった映画的な技法で補おうと考えました。「愛してる」という言葉を一度も発しない、そんなラブストーリーを作ってみようと思ったのです。――映画のテーマが、復讐から愛に変わったことに、どのような心境の変化があったのですか?「今までもそうであったように、今回もまた新しい愛の映画を作りました」と言うと、皆さん笑います。私は決して、笑わせようと冗談を言ったわけではないのですが。復讐劇の代表作ともいえる『オールド・ボーイ』も愛情を描いていますし、『渇き』やドラマ「リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ」など、今まで作ってきた大部分の作品に、いろいろな形の愛情を盛り込んでいます。皆さんが笑う理由をよく考えてみました。やはり暴力やエロティシズムといった肉体的な表現が強すぎて、観客は内面的な愛情やロマンスの部分を忘れてしまうようです。だから今回は、「愛の映画を作りました」と言っても笑われることのないような作品を作りたいと思ったので、暴力やセクシュアルな表現を抑えました。パク・チャヌク監督独特のセリフ回しを生んだタン・ウェイのこだわり――ソレは中国人で、演じるタン・ウェイさんは『レイトオータム』(2010年)で韓国映画への出演経験があるものの、韓国語は話せません。彼女が話す韓国語がネイティブにはどんな風に聞こえるのか日本の観客には分からないので、韓国語での演技のディレクションについて教えてください。タン・ウェイさんは韓国語が全くできない状態からのスタートでした。普通、俳優が外国語で演技をする時、まずセリフを音として覚えて、それを発することになります。でも、タン・ウェイさんには愚直すぎるぐらいのこだわりがあって、それでは納得できないと言うのです。文法から学び、それぞれの単語はどういうことを意味するのかまで理解したい、「なぜこのシーンでは、この単語ではなく、こっちを使うのか?」というところまで納得したいという人でした。自分のセリフだけではなく、相手のセリフもちゃんと理解して、覚えて、演技に臨みたいタイプ。時間もかかるし、大変な作業だったとは思いますが、それをして演じてくれました。タン・ウェイさんには韓国語の先生を2人つけました。1人は文法から教える先生、もう1人はご自身も演技ができる先生で、演じながらどう言葉を乗せればいいか教われるようにしました。さらに、私が演技指導をしたうえで、舞台俳優の女性にソレのセリフを全て録音してもらい、タン・ウェイさんに渡しました。へジュンのセリフを全部録音したものも渡しましたし、どうして必要としたのか分からないのですが、彼女が「監督の声のものも欲しい」と言うので、私もソレのセリフを録音して渡しました。彼女はずっと、それらを聞きながら練習していました。――ソレはテレビで時代劇をよく見ているという設定ですが、それがセリフにどう関係しているのですか?彼女の発する韓国語には、どうしても外国人が話すイントネーションがあり、発音もつたないので、誰が聞いても外国人だと分かるのですが、文法的には完璧にできていました。そして、ご指摘のとおり時代劇をよく見ているので、普通の韓国の人が使う言葉よりも、むしろ優雅で品のある言葉遣いをしたりします。「強い男と弱い女」から、男の愚かさが際立つ展開へ――ヘジュンは優秀な刑事で、一方のソレは外国から逃げてきた移民。韓国語のたどたどしさがへジュンの庇護欲をかき立てた可能性もあるし、さらにソレにはDVを受けていた疑いもある。最初は力のある男性が弱い者に興味を示すという構図が見えるのですが、それが次第に覆されていく。2人の関係の設定の意図を教えてください。おっしゃるとおり、一見すると「強い男と弱い女」という設定に見えるかもしれません。ソレは容疑者ではあるけれど、へジュンは彼女を哀れに思い、親切にしてあげなければという気持ちから関係が始まっていく。結局どちらが本当に強いのかは、徐々に分かっていきます。ヘジュンは内面的にとても弱い部分があり、また愚かでもあります。自分が抱いた愛情、彼女から向けられた愛情に気づく頃には“時すでに遅し”で、ラストではその愚かさが際立って見えます。この作品においては、もう1つ、越えなくてはいけない段階がありました。これは、いわゆるフィルム・ノワールと呼ばれるジャンルの映画です。そこに出てくる女性は、男性を利用する悪女、つまり“ファム・ファタール”とよく表現されます。本作のソレも、最初は観客から「彼女はファム・ファタールで、この刑事を利用しようとしている」と思われるような女性ですが、それをもう一段階、「あ、違ったんだ」というところに持っていく必要があり、そのハードルを越えなくてはいけないと思っていました。ですから前半は典型的なフィルム・ノワールのように見せて、後半は本格的なロマンスが展開する。後半でソレが見せる行動は、彼女の命懸けの愛の現れなのです。(text:新田理恵)■関連作品:別れる決心 2023年2月17日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開© 2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED
2023年02月17日孤独死した人々の弔いに従事する誠実な公務員を描いた前作『おみおくりの作法』(2013年)が昨年、日本で阿部サダヲ主演の『アイ・アム まきもと』としてリメイクされたウベルト・パゾリーニ監督。久々の新作『いつかの君にもわかること』は余命宣告された30代のシングルファーザーと幼い息子の物語だ。北アイルランドのベルファストに暮らす主人公・ジョン(ジェームズ・ノートン)は窓拭き清掃の仕事をしながら、4歳のマイケル(ダニエル・ラモント)を育ててきたが、不治の病のために余命はあとわずかだ。自分の亡き後の息子の幸せを願って養子縁組手続きを行い、マイケルの“新しい親”を探し始める。偶然目にした新聞記事の実話から着想を得た物語は、全編が静かなトーンで貫かれ、余計なものを削ぎ落とすことによって親子の日常の愛おしさを際立たせる。幼い子どもの視点に立ち、死と向き合うことで生の希望を描いた監督に、繊細な名演を見せたキャストについて、演出術について語ってもらった。ウベルト・パゾリーニ監督© Oksana Kanivetsドラマティックな物語を「静かに」紡ぐ――英語に「Less is more(少ない方がより豊か)」という表現がありますが、その概念をこれ以上ないくらい証明する作品だと思いました。それこそが、この映画で僕がやろうとしていたことです。この映画のキャラクターたちは人生の中で非常にドラマティックな瞬間を生きていますが、だからこそ、なるべくそのように描かないことがとても重要だと思ったのです。脚本はもちろん、演技、カメラワーク、音楽、全ての要素が静かでなければ、と心がけました。それがあなたに響いたのであれば、すごくうれしいですね。映画作りは賑やかな方が楽です。静かに物語を紡ぐのは大変ですが、今回は素晴らしい役者とチームに恵まれました。非常にドラマティックな状況だからこそ、最もドラマティックではない映画的言語を使いたかった。ただ、役者としてはもう少し表現したいのでしょうね。ジェームズは「もう1回、もうちょっと大きめにやっていいですか」と言うんです。だから「全然構わないけど、使わないよ」と言いました(笑)。――ジェームズ・ノートンの静かな佇まいが、非常に印象深かったです。彼を選んだ理由をまず聞かせていただきたいです。とにかくボリュームを絞った作品を作りたかったので、ジョンが置かれている状況や彼が感じている気持ちを言葉にするシーンは、ほぼありません。つまり言葉ではない形で多くのもの、感情を伝えられる俳優でなければならないのです。ジェームズのキャリアは幅広くて、コメディもドラマも、善人も悪役もやっています。ある作品でのかなり抑制した演技を見て、彼ならできるんじゃないかと思って脚本を送ったら、すぐ連絡が来て「泣きました」と言ってくれました。彼に子どもはいませんが、駆け出し時代に子ども向けのエンターテイナーの仕事をしたことがあるので、子どもと接するのは慣れているそうです。実際、彼は素晴らしかった。最初こそ演技は少し大きめでしたが、すぐに共通の映画的言語を見つけることができました。子役ダニエル・ラモントの起用「演技体験の旅を共にしたい」――マイケル役のダニエル・ラモントと本当に親子に思える自然さでした。撮影当時4歳だったダニエルがあれだけ演技ができたのも、ジェームズのおかげだったと思います。ジェームズはとても心が広いのです。そんなジェームズを見ることによって、ダニエルもまた物静かな演技をできたと思いますね。――幼い子どもが死と向き合う内容に、フランス映画の『ポネット』(97)を思い出しました。『ポネット』で主演した少女も撮影時は4歳で、名演を絶賛されましたが、ダニエルの表現力はそれに勝る勢いです。彼をどのように発見したのですか?撮影地がベルファストで、北アイルランドのとても優秀なキャスティングディレクターが3歳半から4歳半の子を100人ほど集めてくれました。私が実際に会ったのは30、40人ですが、彼らがどんなふうに遊んでいるのか、大人のいる空間でどう振舞うのかを見ました。全く演技未経験の子を求めていましたが、中でもダニエルは自分自身もしっかり持っていて、幼いながらも大人と一緒の現場で怖がらずにいる子でした。そして元気いっぱいで、いつも幸せそうで楽しそうですが、部屋の角で1人静かにしている時もある。そういう側面を持っている点がポイントでした。ご両親もとてもサポートしてくれました。特にお父さんが脚本を読んで、ご自身とダニエルの関係性に近いものを感じてくれたそうです。彼らとは今も交流があるんです。この映画をきっかけにダニエルに出演オファーが来るようになったのですが、そのたびに「どう思います?」と1週間に1回ぐらい連絡があります(笑)。――演技経験のない子を起用したいと思われた理由は?演技とはこういうものだと既に考えを持っている子ではなく、その子の初めての演技体験の旅を共にしたい、一緒に発見していきたかったんです。とはいえダニエルの起用は一種のギャンブルでした。実際に演技できるかどうかなんて、撮影が始まるまでわかりませんから。先ほど話に出た『ポネット』はいい映画ですが、メイキング映像を見ると、主演の少女に対して1から10まで細かく指示してひとつひとつのカットを撮り、後で編集して繋げていました。実は私たちも撮影前には、同じようにしなければならないと思っていたんです。ところがダニエルは「アクション」の声がかかるとマイケルになる。もちろん事前に「ここに立って、こっちを見て」と指示はしますが、カメラが回ると、もう一言足りとも私が演出する必要はなかった。本当に奇跡です。編集室で親子関係を人工的に作る必要がなかった。あの2人がワンフレームで収まっているカメラワークは私自身、とても気に入っています。「これは誰にでも起きること、誰もが共感できる物語」――冒頭でジョンが窓拭きの仕事をするシーンがあります。様々な場所の窓から様々な光景が見えますが、どういうふうに思いつかれたのですか?着想の元になった新聞記事を読み、この男性は労働者階級で、友人が少なく、お金もあまりない。それでもこの4年間、全てを息子に捧げてきた父親だとわかりました。そこで、自分の置かれている状況や感情を相談する相手がいないような孤独な仕事として窓の清掃という職業にたどり着きました。個人で元手があまりなくてもできる仕事であり、窓を拭きながら部屋の中の様子が彼の目に映る。自分の死や生について考えている彼が、他人の生を目撃することにもなるわけです。窓ガラスを通して、反対側にいる人たちの人生を見ることによって、自分の息子がこれから進むかもしれない人生を想像する。実際、自分が亡くなった後を考えて養親候補の家庭を訪問する時も、家族と対面する前にその家のキッチンの窓などから彼らが見えるシーンも入れました。ジョンは、物理的にも心理的にも外にいて、自分がいなくなった後の世界での息子に思いをめぐらせ、夢や可能性を見ているんです。つらいけれど、同時に彼を癒やしてくれる部分もありますね。――監督の作品はいつもタイトルが印象的です。原題『NOWHERE SPECIAL』にどんな想いを込めたかをお聞きしたいです。私はメル・ブルックス監督の『ブレージングサドル』(74)でジーン・ワイルダーとクリーヴォン・リトルが交わす、「どこへ行く?」「特別な場所じゃない(Nowhere Special)」「そういう場所に前から行きたかったんだ」という会話が大好きなんです。私のオフィスの壁にそのやりとりを引用したものを貼ってあるんですが、本作の元になった記事の親子の写真を偶然その真下に貼ったんです。それがすごく合致した。つまりこれは誰にでも起きること、特別なことではないんです。特別な世界で起きる特別なストーリーではなくて普遍的なもの。リアルな真実に、誰もが共感できる物語だと思いました。彼らはヒーローではない、ただの普通の人々です。だからこそ、観客も彼らの心の旅に帯同できるのではないでしょうか。(冨永由紀)■関連作品:いつかの君にもわかること 2023年2月17日よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国にて公開© 2020 picomedia srl digital cube srl nowhere special limited rai cinema spa red wave films uk limited avanpost srl.
2023年02月16日