フードエッセイストの平野紗季子さんのフィルターを通してみると、料理や店が一段と魅力的に見える。唯一無二の視点と言葉のセンス、その裏には意外なものが…?!2冊目の著書『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』についても聞いた。夢を叶えるためには、声に出すことも大事。――今回出された本は、雑誌『Hanako』での連載をまとめられた一冊だそうですね。はい。その連載も、編集長に私から「散歩の連載をやりたいんです!」とお願いをしまして。今はなき、銀座の『水コーヒーどんパ』という喫茶店で。私本当に『どんパ』が好きだったので、超悲しいんですよ…って、脇道それました、すみません(笑)。もともと散歩好きなもので、散歩と食で何か書きたいな、とは思っていたんです。でも文章だけではなく、写真と、それをちょっとおもしろいデザインで見せる、そんなページができたら…と思い、お話を。――平野さんの行動力はすごいです。ええ!?そうですか…?でも私、やりたいと思っていることをまとめた“やりたいことリスト”っていうのをPDFにまとめていて、機会があればそれを見せて、新しいことをやるチャンスを持ちたい、とは思っています。――やりたいことは口にしないと実現しない、という意識がある?ありますね、それは強いかも。いろんな仕事で声をかけていただけますが、それは、「平野さんはこれができる人だから、この案件を頼みましょう」という、今までの仕事の延長線上のことが多い。例えばフードエッセイストと名乗る人に、「お菓子作りませんか?」と声をかけてみよう、という人はなかなかいないですよね。でも私は、実はお菓子も作ってみたかった。その夢を実現するには「私はお菓子を作りたい!」と声に出し、アピールするしか方法はない。そのような経緯で実現したもののひとつが、「(NO) RAISIN SANDWICH」という、レーズンを使わないレーズンサンドのようなお菓子です。――不定期の発売、しかも少量だけということもあり、毎回あっという間に売り切れだそうですね。そうなんです、ありがたいことに。パティシエやデザイナーなど、いい仲間と巡り会え、最初は部活の延長みたいな感じで小規模で始めたのですが、徐々に「買えなかった…」という声を多くいただくようになり…。この先続けるならば、少しずつ大きくしていこうということになり、これから工房を構え、新しい一歩を踏み出す予定なんです。ディレクターのような立場で、本格的にフード作りに関わるのは初めてなので、とても嬉しいし、とても楽しみ。このお菓子を通じて、私が好きな“食体験”の楽しさを、たくさんの人と共有できたら嬉しいです。でも、流れの外にある夢を叶えるチャンスってそうなかなか巡ってくるものでもないし、思っても実現するまでは結構長く時間がかかるんですけどね。時空の歪みをまたぐ、そんな経験が散歩の醍醐味。――4年半ほどの連載で、東京の街をかなり散歩されたと思います。印象は変わりましたか?東京って、最先端のものの隣に、“今”から取り残されたような、古い時間が流れている場所があって、その落差を“時空の歪み”と呼んでいるんですが、散歩中一番ワクワクするのが、“時空の歪み”をまたぐ瞬間なんです。この連載で、麻布台を歩いたときに、それを深く実感して。飯倉片町の交差点に向かう行合坂(ゆきあいざか)という坂の途中、左側に昔からあるピザ屋さんやベラルーシ料理のお店があり、その裏に入っていくと、古い家が立つ、時が止まったような静かな空間が広がっていて、今じゃない時間が流れていることにゾクゾクしました。でもそこは、ピザ屋さんなども含め現在は全部取り壊されてしまって、更地なんです。それこそ、何もなくなってしまった。――切ないですね…。先ほどの、レストランの感動をどう形に残すかって話につながるんですが、お店も、なくなっちゃうんですよ。店主やシェフがお店を開き、開け続けてくれ、そのおかげで、お店という空間や料理が今日まで存在しているということが、いかに尊いか。そのお店から人がいなくなったら、そこにあった時間も歴史もすべてが失われてしまう。その儚さは、レストランの宿命ですよね。だからこそ素敵なお店に出合うと、なんとかしてその味、歴史、空気感、食体験を残したい、と思うし、それを人と分かち合いたい。もしかしたらそれは、美味しいものを食べさせてもらったことへの、食べ手側ができるせめてものお返しなのでは、とも思います。――それにしても、平野さんの文章の独特のリズムと言葉選びのセンスは、読んでいて楽しいです。文章の礎は、いったい何ですか?えぇ~!?なんだろう…。あ、さくらももこさんのエッセイにはすごく影響を受けているかも。小学生のときに読んで、“こんな赤裸々に、思ったことを書いていいのか!”と驚きました(笑)。恥を捨てて正直に書く、取り繕わない、というのは、さくらさんから学んだことかも。あとは、あゆ…?――え、まさか、あの、浜崎あゆみさんですか?大好きなんです!!中学生のときからずっと…。中3のとき、学校の課題で5000字のレポートっていうのがあったんですが、私、あゆのことを書いていたら8万字になってしまったという過去が…。――それ、出したんですか?はい(笑)。先生、完全に引いてましたけど。今でも彼女は私の精神的支柱です。“あゆ”の歌詞世界は、私の文章や思考にかなり影響していると思います(笑)。雑誌『Hanako』での連載をまとめた『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』(小社刊)が好評発売中。毎回1つの街と、そこにある食をテーマに散歩をし、そこで出合ったあれこれを紹介する内容は、さながら“街と食文化のフィールドワーク”。これでもか!と詰め込まれた情報量は圧巻!読み応えたっぷりです。¥1,600ひらの・さきこ1991年生まれ、福岡県出身。小学生時代から食日記をつけ続け、大学在学中にブログが話題に。2014年にエッセイ『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)を発売。現在は、雑誌やウェブなどで食にまつわる連載多数。また、プロデュースするお菓子「(NO) RAISIN SANDWICH」も大好評。Instagramは@sakikohirano※『anan』2020年10月7日号より。写真・清水奈緒インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年10月05日マンガエッセイスト・川原和子さんに「その言葉と表情に心が揺れる。色気を放つマンガのセリフ」を教えていただきました。非日常的な色っぽいセリフも、マンガだとなぜか受け入れられる。絵と言葉、コマ割りで構成されるマンガの世界。しかも色は、ペンの黒と地色の白のみ。構成要素は非常にミニマムであるマンガ。「線で描かれる美しい絵と心に響くセリフの融合で生み出される色気は、ときに紙の上に脈打つような熱を孕み、私たちを誘惑するのだと思います。また、実写だと少し大仰で不自然に感じてしまうようなセリフでも、作者の世界観がしっかりと確立されている作品であれば、なぜか違和感なくその色気を味わえてしまうのも、マンガの不思議な魅力です。“絵と文字とコマ割りが織りなす世界を読む”という、マンガ独自の快楽には、そこでしか楽しめない色気があるのだと思います」と言うのは、マンガエッセイストの川原和子さん。マンガに宿る色気は、他のメディアに比べて人と共有しやすい部分がある、とも。「“このコマ!”と言えるのもマンガの良いところ。語り合うことで新たな色気の発見もあるかもしれませんね」まあなんていうかわざとだからね河原和音『素敵な彼氏』6巻より高校生になったら彼氏が欲しい。そう思っていた主人公・ののかの彼氏である桐山くんは、常にポーカーフェイスのクールな男子。「付き合う前、内面がわからないミステリアスな男子でしたが、親しくなるにつれ、“わかりにくさ”の向こう側にある優しさや本音が垣間見えるようになる。その一例がこのセリフ。もどかしい行き違いを経て、ストレートに手の内を明かすギャップが、色気を際立たせる気がします」1~12巻各¥440/集英社©河原和音/集英社リリアン自力じゃ無理でした河内 遙『関根くんの恋』1巻より容姿端麗&なんでもできる主人公の関根くんは、他人から欲望の眼差しを向けられる一方、自分の欲望には無自覚。「リリアンに挑戦したもののできなかった、という顛末を、手芸店の女子に伝えるこのセリフ。一見色気と無縁の言葉ですが、涙を浮かべた無防備な表情で口にすると一気にパワーワードになり、罪作りな色気を発露。傍目には完璧な彼が、自分の気持ちに対しては恐ろしく無知。そのアンバランスさが彼のセリフに色気を宿すのでは」全5巻¥952~/太田出版©河内遙/太田出版きみもおいでよひとりではさびしすぎる……萩尾望都『ポーの一族』1巻より不朽の名作であり、現在も新作が描かれる本作。不老不死の吸血鬼、ポー一族の一人であるエドガー。永遠に成長できないという絶対的な孤独の中で生きる彼が、アランという少年と知り合い、彼を吸血鬼の世界に誘うときのセリフ。「彼の深い絶望と、他者を求めずにはいられない“人の業”が凝縮された言葉。前後のコマではエドガーの妖しい魔的魅力が描かれ、このコマの気品すら感じる表情と合わせて、超越的な色気を放っています」全5巻各¥420/小学館©萩尾望都/小学館“恋”なので仕方ありません西 炯子『娚おとこの一生』1巻より30代半ばの主人公・つぐみは、亡くなった祖母の家で、51歳の哲学者・海江田と奇妙な同居生活を始める。恋愛が苦手なつぐみを海江田は翻弄。親族の前で、突然公開プロポーズをするのがこの場面。「ふだんは飄々とし、地位も分別もある大人の男が、公の場で“私”極まりない恋心を堂々と宣言。本質的なことをぶれずに伝えるストレートさと、ある種の強引さが、愛の言葉をあまり口にしない日本の男性の中では稀有。それが色気の源なのでは」全4巻各¥429/小学館©西炯子/小学館かわはら・かずこマンガエッセイスト。著書に『人生の大切なことはおおむね、マンガがおしえてくれた』(NTT出版)が。※『anan』2020年4月1日号より。(by anan編集部)
2020年03月29日日本のエンタメ界のゴッドマザーと言っても過言ではない、女優の黒柳徹子さんが、50周年を記念し大量のパンダと一緒に登場。今、女の子たちに伝えたいこと、語ります!昔の若い人たちって、もっとめちゃくちゃだった。――今の若い世代をご覧になって、何か思うことはありますか?黒柳:そうねぇ…。良いか悪いかは別なんだけれども、お行儀の良い子が多いかしら。昔、私は『ザ・ベストテン』という音楽ランキング番組の司会をやっていたんですけれど、例えばマッチ(近藤真彦さん)とか、桑田(佳祐)さんとか、にっちもさっちもいかない“きかん坊”みたいな子たちが、結構いたのよ。どうなっちゃうかわかんないって感じの子たち(笑)。もちろん、今の子たちに面白みが足りないってわけでもないんだけど、昔のほうがみんな、めちゃくちゃだった気がするの(笑)。ananの方も、取材でいろんな人に会われるでしょ?今、どうなっちゃうかわかんない感じの人って、います?――え?!あの、ちゃんとした方ばかりだと思います(笑)。黒柳:そうでしょ?そうよね(笑)。でも別にそれが悪いわけじゃないのよ?誤解しないでね(笑)。――はい(笑)。特に女の子たちに伝えたいことはありますか?黒柳:やりたいことがあったら、やったほうがいいわよ、っていうこと。これをやったらどう言われるかなとか、どんな目で見られるかなとか、ありますよね。あとお金がない、とかもね。でも、やりたいと思うことは、やったほうがいい。失敗したとしても、そこからまた新しい道を見つけて生きていけるんだから。それから、誰かと比べたりするのも、しないほうがいいわね。あ、あと、くよくよしないってことも大事ね。――確かに徹子さんって、くよくよしなそうです。黒柳:そうでしょ。面白い話があるんだけど、大昔、夜に私が家でワーワー泣いてたんですって、なんでだか知らないけど(笑)。で、泣きながら母にいろいろ話をしながらふと見たら、テーブルの上におせんべいがあったから、おせんべいを食べてたの。そしたら母がね、「あなた今バリバリ音を立てておせんべいを食べているけれど、今のあなたの頭の中に、さっき泣いていたことが少しでも残っているのか、いないのか、そこちょっと知りたいんだけど」と。うちの母、面白いわよね。それで私はちょっと考えてみたんだけど、なんにも残ってないの。頭の中にあるのは、おせんべいおいしいな、くらいなことなわけ(笑)。それで「残ってない」って言ったら、「そうでしょうねぇ、そうじゃなきゃそんなに音立てて、おせんべい食べられないわよね」って。それを思い出すと私って、つまり、くよくよしないのよ。終わったことは終わったことって、思えちゃう。それも私の生きる秘訣かもしれないわね。――先ほど“自分らしく”という言葉が出ましたが、徹子さんのファッションは、まさに“自分らしさ”のかたまりだと思います。おしゃれの極意を教えてください!黒柳:うーん、やっぱり、個性的であること、よねぇ。何を個性的と言うかは、人によってそれぞれですけれども…。個性的で、人の迷惑にならないようなもの(笑)。でも今思うと、私のおしゃれはやっぱり、母(エッセイストの黒柳朝さん)の影響が大きいんじゃないかしら。戦争中、東京大空襲の翌日に、母が「もうこれは疎開しないわけにはいかない」ってことで、偶然汽車の中で知り合った青森のおじさんのところに身を寄せて、畑の中にあるりんご小屋に住まわせてもらったの。で、その小屋に着いた途端にね、母が風呂敷にしていたゴブラン織の布を、カーテンにしたのよ。その布は実は、東京の家にあったソファに使われていた生地で、どうやら母は「どうせ置いていくなら」って切り出したらしい(笑)。あと、ドライフラワーを壁にくっつけたり。たった6畳の狭い小屋だったけれど、母のこだわりで、とても楽しい空間になったわけ。その、“どんなときでも、自分らしく楽しむ”っていう母の精神は、ファッションはもちろん、いろんなことに受け継がれていると思う。――特に『徹子の部屋』の衣装は、毎回見ごたえがあります。黒柳:今から44年前、番組が始まったときは、衣装を毎日変えるつもりはなかったの。でも衣装を楽しみに見ている方がいらっしゃるのを、視聴者からのお便りで知ったので、毎日違うものを着たほうがいいな、と思ったわけ。でも収入的にも、そんなにバンバン買える余裕もなかったのよね。だから、白いブラウスを買ったらまず白で着て、次に染め粉を買ってきてピンクに染めて、今度は水色を加えて薄紫にして、グレーにして、最後は黒に染める。都合5回は着られるでしょ。ストッキングなんかも、昔は黒いストッキングが高くてね、肌色のを買ってきて、それも家のお鍋で染め粉と煮て、黒にしてたの。ささくれだったお箸でつまむと伝線しちゃうから、きれいなお箸でそーっと取り出してね(笑)。母も染め物が好きで、いろんなお鍋で染めちゃうから、黒柳家のお鍋が一時期みんな染まっちゃって、もう大変(笑)。でもそうやって、研究して工夫するのって、自分らしいものができるじゃない。だからおしゃれって楽しいのよね。70年以上抱えてきた謎がつい最近、解決しました。――噂によると、100歳になったら政治記者になりたいとか…。黒柳:そう。100歳のおばあさんがマイク片手に「総理!総理!」って迫ったら、誰も蹴飛ばせないし、総理も無碍にはできないでしょ?(笑)だから90歳になったら政治の勉強しようと思って。――確かに(笑)。そういえば徹子さんは、女優の仕事と並行して、ユニセフの親善大使の仕事も長くなさってますよね。黒柳:そうね、去年亡くなった緒方貞子先生の紹介で、国連から任命していただいて、もう36年になります。この仕事をしていなかったら、世界の子どもの状況を知らずに生きていたかもしれないって思うんです。何ひとつ、子どもたちのせいではないのに餓死したり…。私がひとつ世界に望むとしたら、本当に、とにかく戦争をしないでほしい。私は、戦争がどんなにいやなものかっていうことを、身をもって知っていますから。でもね、そういえば、私それこそ戦争中からずーっと不思議に思っていたことがあって。――なんですか?黒柳:戦争って、いつ爆弾が落ちてくるかわからないような状況で、親もいつ死ぬかわからないわけ。そんな中、私たち子どもはなんで毎日学校に行くんだろうって思ってたの。しかも学校に行っても空襲警報が鳴れば防空壕に入らなきゃいけないし…っていっても、その辺に掘った穴に入るだけなんだけど(笑)。学校、意味ないじゃないか、国の策略か?!くらいに思ってたの(笑)。でもね、この間レバノンに行ったとき、大勢入ってきている難民の子どもたちに教育を受けさせるのに、本当に苦労してるって話を聞いて。シリアの方が言うには、「小学生くらいのときに教え込まれたことが、大人になってからきっと役に立つ」って。私そのときやっと、ずーっと不思議に思ってきた、戦火の中でも学校に行く意味がわかったの。なるほどって。それにしても、86歳になってまだ発見があるんだもの。人生って面白い(笑)。くろやなぎ・てつこ東京都出身。日本にテレビが誕生した1953年からNHK専属テレビ女優となり、以降テレビドラマや演劇に加え、司会者、タレント、エッセイストなどとして幅広く活躍。トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は放送45年目を迎えた大人気番組。クイズ番組『世界ふしぎ発見!』(TBS系)も今年35年目を迎える。※『anan』2020年3月11日号より。写真・下村一喜(AGENCE HIRATA)スタイリスト・大野美智子ヘア・草替哉夢メイク・mahiro(by anan編集部)
2020年03月07日“ananを後ろから開かせる女”という異名はいまだ健在。林真理子さんが書くエッセイは35年を経ても、新しく、そして斬新!今や親子2代でのファンも多いのです。ananパンダを愛し、そして愛された林真理子さんの“奇跡の軌跡”とは?2020年3月に50周年を迎えるananの歴史のうち、35年に渡ってエッセイを寄稿してくださっている林真理子さんにお話を伺いました。anan50周年おめでとうございます。エッセイも35年。私のような年齢で長いことananに出していただけるなんて、本当にありがたいことだと思います。田舎から東京に出てきた私は、ananが特集するファッションを必死に追いかけ、カタカナ職業に憧れていました。先日、週刊誌の対談でお会いした女優の土屋太鳳ちゃんが、お母さんが若くて地方にいた頃、ananの私のエッセイを読み、都会ってこんなにすごいんだ。都会にはこんなものがあるんだと思っていた、とお母さまからの手紙を代読してくださいました。昔の私と同じだったんですね。今は学生さんもOLさんも、皆さん本当におしゃれ。若い女性たちのメイクのうまいこと!昔は雑誌が新しいものや斬新なものを見つけ出し、それをいち早く発信し、読者の方々が好みに合わせて拾い集めるといった感じでした。でも今は同じフィールドに集い、編集者も読者もお互いに情報を発信し、ボールを投げ合うような時代ですね。私は今の読者の方々とはすでにカルチャーが違うと思うし、好奇心がなかなか同じ方向に向かないけど、ananでエッセイを書いていて学ぶこともいっぱいあります。ジャニーズの新しい素敵な方を知ったり、新しいブランドの服も(サイズが許す限り)買うし、エステや“痩せる”と噂のお店にもなるべく足を運ぶようにしています。ananといえば、なんといってもグラビアページの美しさ。旬の俳優さんやタレントさんをキャッチして作る表紙。実用記事でさえ、おしゃれに作っているし、コラムを書く人もよく選んでいるなあといつも感心しています。今は美容室でもiPadで雑誌を読ませるところがあるそうですが、私はなぜかデジタルの文字が、全然記憶に残らないんです。読者の皆さんも本や雑誌から遠ざからず、ネットで誰かが発信したものだけを信じるのではなく、知りたいことにはお金を出して、自分の足で見に行くべきだと思います。美容もおしゃれも上手ですが、もうワンランク上を目指し、もっともっと雑誌が発信するものを見て、楽しみながら学んでほしい。ananにも「これがトレンドなんだ」というものを、これからも作り出してほしい。私も好奇心を奮い立たせ、皆さんと一緒にもう少し走っていこうと思います。ananとの10の思い出1、おしゃれなブランドは、ananが教えてくれました。ananは昔からハイブランドより、ジャパンブランドを大切にする媒体でした。コム デ ギャルソンやワイズ、DCブランドの全盛期も支えていたと思います。私もワイズはよく着ていました。ギャルソンは恐れ多くて……。ファッションブランドのプレスの方やスタイリストはとてもキラキラとかっこよくて、私なんぞ近づけませんでした。2、夜の原稿執筆は、編集部のライター部屋で。連載を書き始めた当初は、完全に夜型の執筆だったんですが、真夜中にひとりで原稿を書くほど孤独で寂しいものはありません。そこで夜な夜な訪れていたのがanan編集部。仲良しのライター・トミちゃんや遅くまで仕事をする編集者がたくさんいて、寂しくなく仕事をすることができました。みんな、仲間に入れてくれてありがとうね。3、マガジンハウスの2大イケメンが私の担当に。35年もの間、私の連載担当者っていったい何人いたんでしょう。なかでもおなじみのテツオさんと、その大学の同級生の林良二さんはマガハ2大イケメンで思い出深いです。あのふたりが笑いながら話す姿を見るのが、目の保養でした。もちろん、女性の編集者もいましたよ。今の担当は、私のエッセイによく登場する女性のシタラちゃんです。4、バーやレストラン、トレンドの店は編集者たちと。テツオさん、バブルの頃はエッセイのネタにと、いろいろなお店に連れていってくれてありがとう。六本木のINGOとか、芝浦のインクスティックとか、トレンドの店に連れていってくれたのはananの編集者の方々。――当時、バーでお酒を飲みながら、30分ぐらい集中してエッセイを書き上げる林さんは、本当にお見事でした。byテツオ5、あの頃は気軽に誘えた、大物プロデューサーA氏。ananで何度も座談会をご一緒した、作詞家の秋元康さんと漫画家の柴門ふみさんと私。AKB48の生みの親と呼ばれ、今や恐れ多いほど大物の秋元さんですが、昔「ジュリアナ東京に行ったことがない」という私と柴門さんを哀れんで、終業後におばちゃんがモップをかけているジュリアナにわざわざ連れていってくれたこともありましたっけ。6、ananを読みながら、さまざまなダイエットにも挑戦。私が取り組むさまざまなダイエットや美容法が、年齢が離れている読者からも共感を呼ぶと編集長のキタワキさんは言ってくれます。そう、連載を書いた35年間はダイエットの記録といってもいいほど。あまりにいろいろ試みるせいか、どれだけのダイエットドリンクが編集部に届いたことか。これからも試せる方法はなんでもチャレンジします。7、トレンドキーワードは、私もananで学びました。私は昔から流行に疎かったんで、ananでレッグウォーマーの流行を知り、すぐに買いに走る下流の女の子でした。ジャージー素材の服が流行り、ananで見たらとてもかっこいい!それもすぐに試したんですが、どこから見てもトレーニング中の運動部。でもメイクもトレンドもおしゃれも、すべてananの誌面から学んだんです。8、パンダの原稿用紙にずっと憧れていました。昔、編集部の人たちは原稿を書くのに、ananパンダの絵が印刷された原稿用紙を使っていました。それを最初に見たのは地下鉄の中。つり革につかまっていたら、目の前に座っていた女性がとつぜん膝の上に原稿用紙を広げて、何かを書き始めたんです。なんてかわいい原稿用紙なの!と、当時コピーライターだった私は心から憧れました。9、撮影時のケータリングは、昔からいろいろ工夫してくれた。ananの撮影では、ケータリングがとにかく豪華でした。予算が厳しい今でも、食いしん坊の私のためにと担当者の皆さんはおいしいお菓子やお弁当を用意してくださいますが、当時はカービングを施したフルーツや見たことがない、食べたことがないお菓子がずらっと並んでいて。マガジンハウスは、昔から食べ物は豪勢で、こだわっていましたね。10、夜中の東銀座は私の遊び場。あの頃は麻雀もしたんですよ。マガジンハウスがある東銀座といえば歌舞伎座も有名です。私は歌舞伎が好きなので、観に行っては幕間の休憩時間にマガジンハウスの会議室をお借りしてエッセイのイラストや原稿を書くことも。昔はたいてい夜中に原稿を書きに行っていたんで、書き終わると麻雀に交ぜていただくこともありました。今思うと、あの頃は体力があり、元気でしたね。はやし・まりこ1954年、山梨県に生まれる。コピーライターとして活躍後、エッセイスト、作家に。第94回直木賞を受賞。著書『西郷どん!』は’18年NHKの大河ドラマに。※『anan』2020年3月11日号より。写真・天日恵美子スタイリスト・平澤雅佐恵ヘア&メイク・面下伸一(FACCIA)取材、文・今井 恵(by anan編集部)
2020年03月04日トーク番組『徹子の部屋』をはじめ、86歳になった今も様々なフィールドで活躍し、日本中から愛されている黒柳徹子さん。『anan』2000号にもご登場いただき、徹子さんと『anan』の間には、実はパンダにまつわる強い絆がある件をお話ししてくださいました。今回もスタートはそんなパンダの話から!知れば知るほど謎深い。興味が尽きないからこそ、パンダが好き。――日本にまったく情報がない頃から、パンダを愛していらしたと伺っていますが、パンダの何に惹きつけられたのでしょうか?黒柳:前にもお話ししましたけれど、最初はね、アメリカ帰りの叔父さんがおみやげにくれた、ぬいぐるみだったんです。白と黒の熊みたいな動物、かわいいなぁと思って大事にしてたの。その頃はその動物がパンダであることも、そして実在していることも知らなかったんだけど。戦争中も、リュックにそのぬいぐるみを入れて大事に持ち歩いていて、その後戦争が終わり、中国に実物が棲んでいることを知り、いつか本物を見たいって思うようになったわけ。なぜそんなに惹かれたか?そうねぇ…、なんていうのかしらね、見るからにかわいいのはもちろんなんだけど、とにかく謎が多い動物なの。調べれば調べるほど不思議な動物。結果的に、いつの間にか私は素人ながらパンダに相当詳しい人になっちゃったんだけど、今でもまだ興味が尽きない。あとね、パンダは平和的なのよ。――平和的、とは?黒柳:パンダって、熊みたいに後ろ脚で立ち上がって、わーって吠えて威嚇したりしない動物なんです。普段の鳴き声も、メェ~みたいな感じだし。前に聞いた話なんですけれど、飼育員さんがパンダ舎の掃除をしてたとき、外から誰かに「パンダって、おとなしいんですか?かかってきたりしないんですか?」って聞かれたんですって。「おとなしいですよ」って言いながら、じゃれついてくるパンダを竹のほうきでグイグイ押して、転がして、「ほら、こんなもんですよ」って。で、ほうきを中に置いたまま一瞬檻の外に出たらしいんだけど、飼育員がいなくなった途端、中にいたパンダが竹ぼうきをバキッて折ったんですって(笑)。つまり、力はすごく強いんだけど、誰もいなくなってからそれを試すってところが、なんともかわいいじゃないですか。そういうところが好き(笑)。――本当は力強いけれど、見た目はとってもかわいい。そして知れば知るほど興味が出る。愛される理由にあふれてますね、パンダ。黒柳:たしかにそうね。私が初めてパンダを見たのが’67年、ロンドンだったの。チチってメスがいて、そこにソ連(現ロシア)から、アンアンって男の子パンダが婿入りに来てて。帰国後にその話をしたことが、雑誌に“アンアン”って名前が付く、きっかけのひとつになったのよね。その雑誌が50年も続いているなんて、すごいことよね。私も嬉しく思います。――弊誌の読者は20代から30代の女性が中心です。今から50年前、徹子さんも30代半ばだったと思うのですが、その当時はどんなことを考えていましたか?黒柳:30代よね…。私は女学校を出たあと音楽学校に行って、すぐNHKの専属女優になりデビューしたの。毎日毎日朝から晩までテレビとラジオに出てたんだけれども、共演者の中に舞台役者さんなんかがいると、すごく演技が上手なわけ。一方私は、個性的とは言われたけれど根本的には演技の勉強なんて何もしたことがなかったから、30歳を越えたくらいから、このままじゃ駄目だなと思うようになっていたのね。一度考える時間を持たなきゃ、と思ってたの。それでNHKを辞めて、すべてやめて渡米したの。それが38歳のとき。――ニューヨークで、演劇学校に通われたそうですね。黒柳:そうそう。今でもすごく新鮮に思い出せる。あのときは楽しかったなって。何度も思い出すから、思い出が全然薄くならないの。いつまでたっても、とっても鮮烈。――学んだことで、今でも役に立っていることはありますか?黒柳:役の作り方で、とても思い出に残っていることがあって。演劇の先生がね、チェーホフの『三人姉妹』って芝居の中の、1分くらいのモノローグをある生徒にやらせたの。それでその生徒が、窓の外を見ながら「あぁモスクワに帰りたい」って言うんだけど、そこで先生が、「ちょっと、モスクワに帰りたいっていうけど、モスクワのどこに帰りたいの?」って。「えーとモスクワの家です」。それに対して先生が、「家?家のどこ?人は“自分の家に帰りたい”って思うときには、頭の中にその場所の映像があるものよ。あなた、モスクワのあなたの家のどこに帰りたいの?階段?日が当たる自分の部屋?どこ?あなたの頭には何も浮かんでないっていうのが私にはわかるのよ。そういうウソは、ついちゃ駄目なの」って先生がおっしゃって。すごくその教えが印象的でね。それ以降、私は芝居をするときには、全部のセリフに裏付けを考えるようになったわ。だから、マリア・カラスを描いた舞台『マスター・クラス』をやるときは大変だった。彼女の人生を全部勉強して、もちろん出演したオペラ30作品も勉強した。それを頭に入れなきゃいけなかったんだから。でもそのおかげで随分評価していただいて。とっても嬉しかったのを覚えてます。――徹子さんは、常に前向きに、楽しく生きている印象がありますが、その秘訣はなんでしょう?黒柳:正直仕事に関して、「あれをしたい!」とか、「賞が欲しい!」とか、そんなことを思ったことは一度もないんです。毎日朝起きるたびに思うのは、「今日は何をするのかしら、面白いことがありそうだわ」ということ。それもニューヨークの先生に習ったことなんだけど、特にアメリカのショウビズ界は役を取るのも大変だし、毎日が戦いなわけ。だから、“前に進む”ってことを、いつも考えてなきゃ駄目よって言われたんです。だから常に、私自身が面白いなと思うことに対して、正直に、生き生きとしていようって思います。なんかね、ズルズルしてるのって私らしくないの。自分らしくあろうと思うと、自然に行動がサッサとしちゃうのよね(笑)くろやなぎ・てつこ東京都出身。日本にテレビが誕生した1953年からNHK専属テレビ女優となり、以降テレビドラマや演劇に加え、司会者、タレント、エッセイストなどとして幅広く活躍。トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は放送45年目を迎えた大人気番組。クイズ番組『世界ふしぎ発見!』(TBS系)も今年35年目を迎える。※『anan』2020年3月11日号より。写真・下村一喜(AGENCE HIRATA)スタイリスト・大野美智子ヘア・草替哉夢メイク・mahiro(by anan編集部)
2020年03月04日9月5日(水)から、松屋銀座8階のイベントスクエアで『田園の快楽玉村豊男展』がはじまります。玉村さんは、長野の里山に移住した人気エッセイスト。画家としても活躍し、さらにワイナリーのオーナーもされています。そんな彼のステキなライフスタイルを展覧会でご紹介します!玉村豊男さんって?【女子的アートナビ】vol. 123玉村さんは1945年、日本画家・玉村方久斗(ほくと)氏の末子として東京都杉並区に生まれます。東京大学仏文科に入学し、在学中には2年間パリに留学、卒業後は通訳・翻訳業を経てエッセイストとして活躍されています。執筆のテーマは、旅や料理、田舎暮らしなど実にさまざま。味わいのある内容を軽やかな文体で表現され、新聞や雑誌での連載のほか、単行本も多く出版。この夏には新刊『新 田園の快楽』(世界文化社)と『はじめて描く人へ花の水彩画レッスン』(KADOKAWA)も刊行されました。自然豊かな長野での暮らし1983年から長野県の軽井沢町で生活し、その後は同・東御(とうみ)市に移住した玉村さんは、ハーブなどを栽培する農園をはじめます。さらに、果実酒製造免許を取得し、カフェやショップなどを併設した『ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー』もオープン。また『日本ワイン農業研究所』を創立し、栽培醸造経営講座「千曲川ワインアカデミー」も主宰するなど、精力的に活動されています。展覧会では、ワイナリーやぶどう畑、ステキなキッチンの写真などが紹介されるほか、実際に使われている愛用の品々も展示。緑豊かな里山や、居心地のよさそうなリビングの写真を見ているだけで、さわやかな気分になってきます。また、会場にはワイナリーガーデンの一部も再現されるとのこと。銀座にいながら憧れの里山暮らしを体感できそうです。新作12点も展示!玉村さんは、画家としても活躍されています。1987年より、高校以来中断していた絵画制作を本格的に再開され、2007年には箱根芦ノ湖畔に『玉村豊男ライフアートミュージアム』がオープン。作品のモチーフは、身近な植物やパリをはじめとした海外の風景などで、特に玉村さんが日常的に慈しみ育てているぶどうの絵は人気があります。今回の展覧会では、新作12点を含む絵画のほか、版画も含めて約70点の作品を展示。やさしい色彩で描かれた花や植物の水彩画は、眺めていると気持ちが癒されていく心地よさがあります。玉村作品には女子のファンも多く、また、花の絵がデザインされた文具や食器などのグッズも大人気。今回、同展のショップでも販売される予定です。夏の終わりに、銀座で里山のライフスタイルを体感してみてはいかが?クレジット:・画像2枚目~4枚目:撮影 鈴木一彦・画像5枚目:「ぶどうの時間」(鉛筆・水彩) ©TOYOO TAMAMURAInformation会期:2018年9月5日(水)~10日(月)開催時間:10:00~20:00 9月9日(日)は10:00~19:30。最終日は17:00閉場。入場は閉場の30分前まで開催場所:松屋銀座8階イベントスクエア料金:大人¥1,000/高校生¥700/中学生¥500/小学生¥300
2018年09月04日フードエッセイストの平野紗季子を始め、様々なアーティストによる“食”をモチーフにした作品やグッズを展開する「平野紗季子の(食べれない)フード天国」が、三越伊勢丹で9月29日より順次開催される。食べものを“食べて楽しむ”だけでなく、むしろ“食べられない”からこそ広がる“新しい食欲”に目を向けた同イベント。会場では、フードエッセイストの平野紗季子を中心に、ファッションデザイナーやアーティスト、ミュージシャン、ジュエリー作家などによる“食”をモチーフにした作品を展開する。期間中は、平野紗季子がこよなく愛する洋菓子店「ローザー洋菓子店」の包み紙をモチーフにしたスカーフやハンカチ、白子や天むすなどをモチーフにしたユニークなフードブローチを制作するブローチ作家・Crepe.、本物のフードを樹脂加工してアクセサリーを作るROTARI PARKER、お菓子の包み紙やおかきなどをジュエリーに昇華させるコンテンポラリーアクセサリーブランドのCHIMASKIらによる“身につけられるフード”が販売される。その他、平野紗季子が愛読する“食”にまつわる個性的な古本を揃えた小さな書店もオープン。平野紗季子の旧友であるモデルの小谷実由とのコラボレーションにより、2人が惚れ込んだ東銀座の喫茶店「喫茶 YOU」の店頭のネオンサインや名物のオムライスをモチーフにしたグッズなども発売する。また、食パンを愛する4人組・チーム未完成も登場する予定だ。同イベントに際し、平野紗季子とDJみそしるとMCごはんが、伊勢丹新宿店本館地下1階の食品フロアをテーマにした新曲とメインPVを制作。伊勢丹マクミラン柄の特製デザイントートをセットにした新曲CDを伊勢丹限定で販売する。なお、開催期間は、伊勢丹新宿本館2階のセンターパーク/TOKYO解放区、及びイセタン羽田ストア(レディス)ターミナル1が、9月29日から10月13日まで、伊勢丹オンラインストアが9月29日から11月3日まで、ジェイアール京都伊勢丹5階の特設会場が10月28日から11月2日まで。なお、会期中10月3日17時半から19時には、平野紗季子とDJみそしるとMCごはんの2人によるトークセッションや、DJみそしるとMCごはんのライブパフォーマンスイベントが伊勢丹新宿店本館2階=TOKYO解放区で開催される。
2015年09月25日『ほんとうの贅沢』(吉沢久子著、あさ出版)は、今年で97歳になる家事評論家・エッセイストである著者が、「自立」をテーマに自身の考え方を記したエッセイ集。年齢を重ねてきただけあって、温かく柔らかなことばの裏側に、しっかりとした芯を意識させてくれます。特に印象的なのは、ひとりで暮らすということについて、確固たる信念を持っていること。というわけで、1章「いくつになっても『自分の足』で立つ」から、「老いて『ひとりで暮らす』ということ」を見てみましょう。■ひとりでも生活のリズムが大切ご主人が亡くなり、著者がひとり暮らしをはじめてから、もう30年だそうです。97歳でひとり暮らしをしているというと、「寂しくありませんか」「大変ではありませんか」と心配する人もいるのだとか。たしかに老いてひとりで暮らしていると聞けば、つらく寂しいことのように思えなくもありません。しかし著者は、「ただ、私はひとりがいいから、それを選んでいるだけなんです」と記しています。また、ひとり暮らしは気ままですが、やるべきことはしっかりとやり、生活のリズムは大切にしているのだとか。だからやることはたくさんあり、あっという間に時間が過ぎてしまうといいます。そのため、ひとりが寂しいなんて思う暇もないそうです。■自立したいなら人も認めること先に触れたように、著者が意識しているのは「老いてこそ自立して生きたい」ということ。ただし、そこで自分の権利だけを主張してもうまく生きてはいけないもの。自分が自立したいのなら、人のことも認めるべきだと著者は主張しています。■自分に厳しくできることも自立人にはお節介を焼いて厳しいのに、自分に甘かったとしたら、それは自立とはいえません。人はどうしても自分に甘くなるもの。だからこそ、いつも自戒が必要。もちろん、自分に甘くなるというのは、ある程度は仕方がないこと。でも、すべてがそうではまずい。自分に厳しくできることも、自立のひとつではないかと、著者は思っているのだといいます。これだけでもわかるように、著者のいう「自立」についての考え方は、どの世代にとってもあてはまるはず。だからこそ、深みとともに説得力を投げかけてくるのです。しかも文体が柔らかなので、読んでいるだけで温かい気持ちになれるでしょう。(文/印南敦史)【参考】※吉沢久子(2015)『ほんとうの贅沢』あさ出版
2015年05月15日