電通こころラボは10月8日、電通マクロミルインサイトと共同で、「心理カウンセラーによる、カウンセリング・グレイン」を開発したと発表した。定性調査の現場に、心理カウンセラーの参加・協力を容易に得ることが可能な体制を構築した同社は、ブランドインサイトの探索や広告表現のクリエーティブチェックなどのニーズに対応する定性調査手法として、コラージュ法やフォト分析といった心理学を応用したインサイト手法が一般化しつつあるとして、同社の持つ全国の心理カウンセラーとのネットワークのリソースを活用し、新たなアプローチによる調査手法の開発に至ったという。同サービスでは、既存のグループインタビューやディテールドインタビュー調査において、心理カウンセラーの専門技能を活かしたセットプランとなる「スペシャルプラン」「基本プラン」「オプション」の3種類を用意。スペシャルプランでは、アウトプットとして「調査企画サポート」や「調査実施サポート」「モデレーター」を提供し、導入価格は15万円(税別)だ。なお、調査実施費用は別途必要。同社は今後、心理カウンセラーの関連団体と同調査手法に関する知見やノウハウの共有化を進めつつ、企業や官公庁、自治体、諸団体向けに提供する予定だ。
2014年10月09日カウンセラーによるダイエットセミナー開講三重県鈴鹿市にあるMPCメディカルでは、2013年10月20日、「ダイエットの基礎セミナー」 を行う。MPCメディカルは精神科医が常駐する三重県最大規模のカウンセリング機関で、併設の三重心身クリニックと連携してさまざまなカウンセリングや各種セミナーなどを行っている。メタボリックシンドロームとは肥満が原因となるメタボリックシンドロームによって発症する生活習慣病は、症状のないままに進行してしまい糖尿病、高血圧症、虚血性心疾患などを引き起こす。生活習慣病は発症してから治療するのでは遅く、健診などでウエストサイズや血中脂肪、血糖、血圧の状態などを調べ、できるだけ早い段階でメタボリックシンドロームを予防し、改善することが大事だと言われている。ダイエットをする意味をわかりやすく解説本セミナーでは、「なぜ肥満になるのか?」「なぜ肥満は良くないのか?」をテーマに、肥満予防管理士やスポーツトレーナーとして多くの方のメタボリック解消の手伝いをしてきた田中英彦カウンセラーが、メディカルクリニックならではの理論的な実践ダイエットについて、スライドを使ってわかりやすく解説する。セミナー概要日時は10月20日(日)10:30から12:00まで。場所はMPCメディカル三重心身クリニックで、受講料は6300円(教材費500円)。予約、問い合わせはTEL(059-375-1100)まで。セミナー後、個人カウンセリングも受けられるとのこと。【参考】-MPCメディカルセミナーのお知らせ- 「ダイエットの基礎セミナー」 開講です!!人は弱い生き物だと知った人から幸せになれる!「強くない私たち」が幸せを掴むうまい方法とは?(10月15日)
2013年10月17日総合探偵社「MR」は9日、同社所属の離婚カウンセラーを対象に、高嶋政伸の離婚裁判をテーマとしたアンケートを実施。「失敗しない離婚の方法」についての調査結果を発表した。「今回の離婚騒動をプロの目線からどう思うか」との質問では、「スピード婚/結婚への理解度が低かった結果」が30%で1位。「両者に責任、問題があった」が26%で2位、「プライドとお金など欲と執着が問題」が11%で3位だった。その他の回答内容では、「強烈な憎しみの内面が見え隠れする」「主張のためには証拠が必要。それがないためにドロドロになったのでは」「高嶋政伸さんに同情」「高嶋政伸さんの見る目がなかった」「パートナーの横暴に苦しむ一般人も多いのでは」などがあがった。「問題を長引かせない離婚解決法はあるか」との問いには、「離婚理由となる証拠を持つ」が32%で1位。以下「感情的にならず、お互いに歩み寄る」(28%)、「結婚時に書面作成し、未然に防ぐ」(24%)となった。その他の回答では、「妻の性格を考え怒らせないように導くべき」「不用意な言動が自身の首を絞めることになるので、興奮したり、相手の誘いに乗ったりしないようにする」「特に金銭的な面であれば、収支を明らかにする」「ごまかし、うそをなくす」などがあがった。「離婚成立後に起こりやすい問題と対処方法」についての問いには、「慰謝料、養育費などの未払い」が53%と半数を越えた。以下「財産分与」「ストーカーや嫌がらせ行為」が13%で並んだ。その他の回答には、「相手の所在不明」「子供との面接権」「離婚成立後の浮気発覚」などがあった。また、こういったトラブルへの対処方法については「公正証書を作成する」「専門家を介入させる」などがあがった。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月12日子供に「なんでもしてあげる」という行為を通じて何かしらの「罪悪感」や「責任」から逃れようとしていませんか?「子供には子供の人生。」自分の「モノ」じゃないのです……【杉元 信代 カウンセラー】「家族」って、距離感がとっても難しい関係だと思うのです。ちょっと気を許すとものすごくべたーっとなってしまう。それが心地よいときももちろんあるのだけれど、その状態が続くとまちがいなく息苦しくもなるわけで。特に「親子」。こんな私も、気をつけてはいるものの、ついつい息子に「なんでもしてあげて」しまいそうになるわけです。きゃあ、おそろしい。「なんでもしてあげる」のは子供から見たら一見「ラクチン♪」なことかもしれないけれど、実は私から「おとなになるな~」「いつまでもこどもでいろ~」「おまえはなんにもできないんだ~」というメッセージをね、垂れ流してるわけですよ。おっとろしおっとろし。私は私で、「なんでもしてあげる」という行為を通じてなんかの「罪悪感」や「責任」から逃れようとしてるわけで。それを息子を利用してしたらいかんわねえ。反省反省。そんなときはこのおまじないを。「彼には彼の人生。」そりゃ親だからいろいろ心配はありますよ。「いらん苦労をしてほしくない」という思いもある。だからこそ、口も手も出したくなるわけです。なんせこっちは人生の先輩。たいていのことは「このままだったらこの先こんな風になっちゃうぜ」的なことは見えちゃうんですよね。(あっているかどうかは別にしてね)だけど、親である私の「心配」を排除する目的で、息子の「修行の場を奪うこと」はいかんですよね。そもそも、こっちが思う「いらん苦労」が彼にとっても「いらん」かどうかは誰にもわからない。親としては、「日々観察」ぐらいしか、できないんじゃないかなとも思うのです。なんせ大事だけど、自分の「モノ」じゃありませんから。距離感保って見守るのは「親としての修行」なのかもしれません。このカウンセラーにお悩みを相談する⇒ 杉元 信代 カウンセラー
2011年07月29日旦那さんや奥さんに愛情表現していますか?冷めた関係の夫婦では「愛しているよ」なんて言えない。だから言った人はそれだけで勇者!但し問題は、あなたが「愛している」って言いたいかどうか……瀬尾 真一郎 カウンセラー嫁さんに「愛しているよ」って言ったのは何年ぶりでしょうか。それくらい、真剣に嫁さんと向き合うの久しぶりでした。みなさんは、旦那さんや奥さんに愛情表現していますか。「今更、愛しているって言うなんて恥ずかしい」とか、「裏切られたあの人に愛しているなんてとても言う気がしない」とか「言わなくても態度で分かるもんだ」とか「いつも嫌味を言われるのに、そんな気になれない」とか思っているとそんな事、言う気にもならないですよね。きっかけは先輩カウンセラーから聞いた“奥さんに「愛している」と言って勇者になる”という話でした。若いカップルやラブラブの関係でいるときは問題ないでしょう。でも、結婚して何年も経って、普段話すこともなく、冷めた関係の夫婦では「愛しているよ」なんて言えるはずないかもしれません。だから言った人は、それだけで勇者という事なんです。ある意味とても勇気がいります。そして重要な前提は、あなたが「愛している」って言いたいかどうかです。冷めた夫婦関係をなんとかしたいと思うならまずは自分から勇者になってみるという気持ちで表現してみてはいかがでしょうか。人間は実に多様で、複雑な感情をもっています。さまざまな感情をもってよいし、それらを表現してもよく表現してはならない感情はありません。でも普段私たちはそのように考えて生活していないようです。どこかで表現してもよい感情としてはならない感情を区別し、さらに表現してもよい人としてはいけない人がいるようです。あの人には素直になれるのに、こいつには素直になれないという認識があるなら、その原因はなんでしょう。例えば、言わなくても分かっているはずだという誤解とか妻なんだから、夫なんだから、分かってくれて当たり前という甘えだったりするのかもしれません。甘えや誤解のために、率直な気持ちが伝わらずお互いにいやな思いをするならば、いっそ勇者になってぶつかってみるのもひとつの方法です。案外、相手はあなたのそんな優しい言葉を待っているかもしれませんよ。感情は誰にでもあるもので、それを表現してはならないということはありません。誰でもどの感情でも表現してよいのです。さて、前置きはこれくらいにして我が家の場合。うちの嫁さんは、子どもが大きくなると「話すことが無くなるよね」とか「2人だけになると、どうなるか想像もできんわ~」とか熟年離婚とも取れるジャブを繰り出されていた今日この頃。私も勇者になるべく言ってみました。「いつもありがとう、○○のこと(嫁さんの名前)愛しているからね」嫁さんが洗濯物をたたんでいる時に、一緒にたたみながら勇気フルパワーで言いました。すると嫁さんは「愛してないし・・」「何を言っとるん」瞬殺でした。。。真っ向から否定されると、かなりくじけます。それでも何のために言ったのかということを考えてみるとまずは相手を尊重して「愛しているよ」ということを伝えるためです。「愛しているよ」は「愛を持って接しているよ」とか「愛を持って話しているよ」とかに心の中で言い換えてもいいかもしれません。その気持ちがあればきっと相手に届くと思います。ちなみに私の場合、1回では伝わらず2回目は食卓で子ども達のいる時に言ってみました嫁さんの答えは「あんな事言ってるけど、どう思う」と子どもに振られてしまい、3回目でようやく「一緒に生きていこうかな」という答えでした。ずっと一緒に生きていこうと思い込んでいたのは私だけだったようです。ふぅ~。危なかった。でも、これからもたくさんの困難にぶつかって行くのですからこれくらい何でもないのかもしれません。愛とはお互いの成長と幸せを願う意思なのだと思います。そして「愛しているよ」とか「愛しているから」と言って相手を甘やかすのではなく、相手と自分のことを思って時には厳しいことも言うことも愛です。相手も自分も「愛している」と言えることはとっても幸せなことなのだと思います。あなたも「勇者プロジェクト」をやってみてはいかがですか。このカウンセラーにお悩みを相談する⇒ 瀬尾 真一郎 カウンセラー
2011年07月28日「私は今現在、再婚していますが、去年まではシングルマザーでした。子どもが1歳になる前に離婚しこれからどう生きていくか?!……」佐藤 文 カウンセラー私は今現在再婚していますが、去年まではシングルマザーでした。子どもが1歳になる前に離婚し「これからどう生きていくか?!」「確実に就職できる資格をとらなくちゃ!!」と思い、とにかく勉強して資格を取得をしました。介護ヘルパー2級、医療事務、介護事務、簿記の勉強・・・ それらは「就職するため」の資格で、自分から「やりたい」と思ったことのない職業でした。生きるのに必死で「夢」とか「希望」とか「自分らしさ」とか、そんなものとはかけ離れていました。確かに、子どもを抱えるシングルマザー、「あの仕事はいや、こんな仕事もいや!」なんてわがままは言っていられません。ですが、自分のやりたいことを犠牲にして頑張るのが「子どものため!」と思い込み、カウンセラープロフィールにある「ありのままに」なんて言葉も、以前の私には全く当てはまりませんでした。以前の私の中には「何かをやりたければ、何かを犠牲にしなければならない」という鉄則があり、それが「子どもを育てるためには、自分の好きなこと、やりたいことは全て犠牲にしなければならない」と無意識の方程式ができあがっていました。もしかしたら、私と同じように思っている方も多いのではないでしょうか?小さな子どもを『預けること』=『悪いこと』と・・・。小さな子どもを置いて『自分の好きなことをする』=『いけないこと』。周りの目(世間体)を気にしすぎて、思うように動けない…。友達にも「子どものために、自分のことを諦めてるように見える」と言われたこともあります。あのときは意識していなかったので、グサっときたのを覚えています。でも、それは本当に本当に『子どものため』なのでしょうか??もしも、自分の親に「あんたのために、私は好きなことをずっと我慢してきたんだ!」って言われたらどんな気持ちでしょう?なんだか、いや~な気持ちになりますよね。恩着せがましいというか…「子どものため」と見せかけて、本当は…「私は悪いお母さんじゃない!」「私はこんなに頑張っているから、いいお母さんなんだ!」って・・・、実はびっくり、「私のため」なんです。確かに子どもが小さいときには、シングルマザーでなくても働くお母さんでも、専業主婦のお母さんでも「自分の趣味や好きなことに時間をとる」ということは難しいです。でも「子どもが幼稚園に入ったら、趣味を再開しよう♪」とか、小学校に入ってお留守番ができるようになれば「好きな仕事をしよう」とか、そういうふうに考えるだけでもいいと思います。ちょっとずつインターネットや本などで情報収集して準備しておけば、ばっちり☆他にも、月に一回だけは、旦那さんや親に子どもを預けて、リフレッシュする日と決めて、周りの大人と相談してみるのもいいです。喫茶店で一人の時間を満喫したり、ウインドウショッピングも私は好きです。公共施設で託児つきの教室などもありますね。ヨガやスポーツなどの身体を動かしてリフレッシュする方法もあれば、何かを作ることがストレス解消になったりもしますよね。これらは、全然悪いことじゃないし、むしろ家でずっと子どもと二人きりでイライラしいているお母さんよりよっぽどいいですよ!以前働いていた子育て支援施設(まだ幼稚園や保育園に行っていない子どもと親が来る場所)で実際に見たことですが、お母さんがスタッフに子育ての悩みを相談したり、託児つきの講座に参加して、ほんの少しでもイライラから開放され、リラックスすると、自然と子どもに優しくなります。そして、そのお母さんの優しい対応や声かけで、子どもの反応も全く違ってきます。それが続いていくと、お母さんも変わってきますが、子どもの表情も劇的に変わります。お母さんがずっとイライラして、なんだかいつもそわそわしていた子どもが、お母さんがリラックスすることで、目が輝き、笑顔が多くなり、意欲的になるんです。子どもはお母さんの気持ちを敏感に察知しているんですね。そんな親子を今まで何組も見てきました。本当の意味での『子どものため』に、自分自身も大切にしましょう!好きなこと、やりたいことをやって生き生きしているお母さん、笑顔のお母さんは、子どもの太陽です♪このカウンセラーにお悩みを相談する⇒ 佐藤 文 カウンセラー
2011年07月27日今回のコラムは「家族」をテーマに書きます。第一弾は、子どもとの関わりについて体験したこと、またそれが自分にとってどんな意味があるのか。私の率直な気持ちをお伝えしたいと思っています。長谷川 さとみ カウンセラー私には、二人の娘がいます。年は二つしか違いませんが、性格はほぼ正反対です。・長女は明るく活発、自由で大らかです。赤ちゃんのときから誰にでもニコニコ笑顔を向けていました。そのため、誰からも可愛がられ学校では先生からも気に入られたりクラスでもにぎやかな中心にいるような子です。周りと競い合い努力して得ることも自然と学んだように感じます。親を困らせるようなことはあまりなく、育ち方もいわゆる標準で中学生まではこれと言った反抗期もなく、育てやすい子どもでした。・二女は大人しく恥ずかしがり屋、やさしくて真面目です。小さいときは天真爛漫といった感じでしたが大人しく内向的なので、あまり気にとめてもらえないこともあったと思います。学校でも人と競い合うことは苦手で、努力がすぐには実らず自信を持てないようでした。自己表現をしないので、我が子の気持ちを理解できぬまま親も大いに悩んだのです。ざっくり言うとこんな感じで、私は親として長年にわたり「長女は分かりやすく、二女は難しい」こんな風に感じていたように思います。ですが、最近は子どもたちも成長し思春期に入った頃からそれぞれの個性、持ち味が表面化してきたことで私の見方が変わってきました。・長女は自由で大らかであるため、時に自由奔放、マイペース。他人には気を遣うが、家族には甘えてやりたい放題が目につくようになってきた。遅ればせの反抗期がやってきて戸惑うばかりの私はイライラ。けれど上昇志向や自立心はあるようで、私自身が葛藤している真っ最中です。・二女はまだ、本音とたてまえの区別がないので不器用であるが粘り強いことでゆっくりでも結果がついてきている。真面目であることが信頼に繋がっているが自分に厳しくなるためなかなか自分を認められない。けれど、自分よりも弱い立場のものに対するやさしさがにじみ出ている。私は親でありながら、自分にとって都合の良いことはマルでも都合の悪いことはバツ、と自分が基準で我が子の評価をしていたのかもしれません。なんて情けない母親なんだろう…「はぁー…」自ら自分をダメだしするとかなりしんどくて前に進めなくなります…ですが今の私は、心理学やカウンセリングを学んだことによってこのまま立ち止まるのか、進んでいくのかを選択するのは自分であると分かったので、進むことを選びました。自分の至らなさをバネにしてジャンプすると決めたのです。【過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えていける】のです。そして、子どもたちの内面をじっくりと意識しながら見つめることが出来るようになってきたからこそ、今までとは違った角度から我が子を客観的に捉え今まで見てこなかった部分を認めることができるように努力しているのです。が、これまたしんどいのです…<反抗期の娘に対して>「分かっているよ」「信じているよ」との気持ちを持って接していながらも、自立しようとする娘の姿に対し自分から離れてしまうのではないか…親の知らないところへ行ってしまうのではないか…自分の手をもぎ取られるような恐怖感、喪失感、悲しみ、怒りに襲われ胸をかきむしられる様な苦しさを覚えました。夫の仏前にしゃがみこんで、「しんどいよ…」と泣きじゃくりました。ひとしきり泣いた後わかったのです、子どもは自分の体の一部だと。そして学んだことを思い出し、まずは親の気持ちの部分をストレートに伝えました。「心配やねん」「大事に思ってるよ」「安心したいねん」子どもにとっては初めて私の気持ちを聞いて『おかんの気持ち』に触れたのではないかと思います。すぐに何かが変わるわけではないけれど反抗期は人の成長にとって大事なことだから、親は覚悟と度胸をもって構える必要があるのだと解りました。<自分の殻に閉じこもってしまう娘に対して>なかなか意思表示してくれず「思ってることを言わないなんて卑怯だ!」と追い詰めてしまったこともありました。「我が子の気持ちがわからない」という焦りや、脱力感、寂しさ、そして怒り。やっぱりこんな感覚にさいなまれ、辛くて仕方がなかったのです。ここでも勇気を出して学習したことを実践してみました。好きで殻に閉じこもっているわけではないはず、貝のように口を開かない娘をじっと待ちました。「こんな風に思ってんの?」「それともこんな感じ?」「ひょっとしてこんな風に考えてんのかな?」などなど、いくつか確かめるように問いかけていくと、少しずつですがその中から選んでぽつぽつとしゃべり出しました。「どうやって言えばいいか分からへん。」「ふてくされた態度を取ってしまう。」そんな自分が嫌だと泣きながら教えてくれました。「教えてくれてありがとう。」「それでいいよ、大丈夫。」「解ってあげなくてごめんな。」娘の気持ちが解ったことで安心感を持てた私、親から受容されたことで娘も少しは安心して自己表現することを体験出来たのではないかなと感じています。簡単な事ではないからこそ、ゆっくり、じっくりその子のペースに合わせて子が成長するから親も成長できるのだと実感しています。ある日突然、夫を失ったとき「自分一人でこの子たちを育てるなんて無理」だから自分も死んでしまいたいと思ってしまった出来そこないの母親です。でも、生きていてよかった。全てはこの子たちのおかげです。私のために子はいる。私の成長を子は見ている。だから諦めるわけにはいかないのです。まだまだ思春期の子育て奮闘中の私ですが、子は体の一部だから我が子を大事にすることはつまり、自分自身をも大事にできることなのですね。 このカウンセラーにお悩みを相談する⇒ 長谷川 さとみ カウンセラー
2011年07月26日