『牛宮城』オープン初日に撮影クルーを連れてやってきた江頭2:50店の前を通りかかった多くの人が、ビルに入るテナントを示す看板をスマホで写した。そこに写る文字は『牛宮城』――。やはりその注目度は高い。祝花も搬入されて行く。プライベートでも家族ぐるみの付き合いがあり、闇営業問題のころから番組で“擁護”と取れる発言をくり返していたカンニング竹山や彼が好む高級時計店のオーナーなどからだ。オープン前にして、各方面からさまざまなダメ出しを食らい続けた店がついにオープンした。元『雨上がり決死隊』、現在は基本的にユーチューバーとして活動する宮迫博之がオーナーを務める焼肉店『牛宮城』だ。「コンセプトが“アートとカルチャーがスクランブルする進化していく渋谷でシンプルに昔ながらの焼肉に向き合う”という意味がよくわからない、日本語としてもおかしいものであったり、堀江貴文氏が指摘したようにお金のない若者が多い渋谷のセンター街に高めの値段設定だったり。ほかにも、ずさんな計画のため追加の改装費用がかかり続けたことなどに対し、批判と笑いが殺到していました」(スポーツ紙記者)さらに、かつての『牛宮城』共同経営者であるユーチューバーのヒカルが“試食会”で「まずい」とまで言い切ったことがネット上でも大きな話題に。次第にテレビ番組で芸能人が取り上げるまでの一大事になった。しかし、そんな波乱しかなかった店は今日、オープンを迎えた。青汁王子は再来店「予約を開始したら殺到。現在もしばらくの間は予約することすらできない状況となっています。ただ、怖いもの見たさや話題性で一度は……という人がほとんどではないかと思いますが」(同・スポーツ紙記者)『牛宮城』は渋谷駅前のスクランブル交差点から徒歩5分ほど。さすがは家賃が月280万円だけあって立地だけでいえば好立地と言えるかもしれない。「(焼肉屋オープンをやめてもやめなくても)どっちにしても地獄やからね」と語っていた宮迫。オープン当日、牛宮城で見えた景色は変わらず地獄だったのか、はたして……。3月1日、オープンの17時を迎えた。店の前には出川哲朗から開店祝いの花も届いている。集まっていた見物客に話を聞いた。「オープン初日の今日については、最初から予約が取れないようになっていました。今日お店で食べることができたのは、一般人ではなく招待客がメインなんじゃないかと思います」(予約が取れず牛宮城を訪れた男性)オープン日に来店したのは数万人のフォロワーがいるようなインフルエンサーたちばかりだった。確かに“有名人”が営業時間外に現れている。YouTubeにてコラボ動画を配信、試食会にも参加し味を絶賛していた“青汁王子”こと実業家・ユーチューバーの三崎優太氏だ。青汁王子はオープン2時間前の15時ごろに店を訪れ、いつの間にか退店しており、その後18時に再度来店したものの5分後に店を後にした。青汁王子は、記者の「焼肉はどうでしたか?」の問いかけに、「いや、美味しかったですよ!」と笑顔で返答した。やはり牛宮城の焼肉は美味いのか?宮迫とヒカルのファンもその他にも店の前に集まった人たちに話を聞いた。「もしかしたら、ヒカルが来るかと思って来ました。宮迫も好きです。焼肉店に関しては、1度離れたヒカルが戻ってきてよかったです」(20代男性)「(自分は)底辺ユーチューバーです。有名人をアップしたくて来ました。誰も来なくても、雰囲気を味わえればいいかと。宮迫はどうでもいいです」(30代カップル)「宮迫さんのファンです。あまりテレビは見ないし、法律相談以外は知らなかったけど、ユーチューバーになってからすごくかわいいです。いわゆる"ギャップ萌え"ですね。今日は予約取れないけど、今月後半に取りましたので、お父さんと行きたいです」(20代女性)「ヒカルのファンで、一昨日から店に顔を出しています。1人だとキャンセルなどで入れるかもと言われたので、一応来ました。初日は価値がありますからなんとか入りたったけど、ムリみたい」(20代男性)「茨城から親子で来ました。今日入りたかったけど、予約初日から一般枠はなかったです。宮迫さんのファンでしたが、YouTubeでヒカルも知り、ファンになりました。今日はもしかしたらヒカルが来るかもと思い、来ました。予約は20日過ぎに取りましたよ」(40代と10代の父子)「名古屋からです。東京に用事があったので、もしかしたら誰かを見れないかと思って来ました。ヒカルがいたらラッキーだなって」(20代男性)1回転目の2時間制が終わったころ店を訪れたのは現在、ユーチューバーとして大人気となっている江頭2:50だ。取材陣に対してポーズを取るなど、寛容に対応。「忖度なしでレビューするぜぇー!!!」と、『牛宮城』を批評することを宣言し、入店していった。素人から今をときめくインフルエンサーたちも訪れた『牛宮城』。オープン直後は「どれだけヤバいのか1回くらい行ってみたい」という人たちでごった返すだろう。問題はその“オープン特需”が終わった後だ。進むも地獄、退くも地獄だった牛宮城。未来は天国となるか……。
2022年03月01日■前回のあらすじ娘が点数の悪いテストを学校に捨てていると知った朱音は、今後は悪い点数を取ることがないようにと、勉強時間を増やすことにする。順調に勉強しているように見えた娘だったが、「解答をカンニングしているのでは」との疑惑が生じて…。 >>1話目を見る 勉強を頑張っていると思っていた結衣が、実は解答をカンニングしていることに気づいた私は、まず夫の弘毅に相談することにしました。娘がカンニングするのは私のせい…?そんなことを考えたこともなかった私は、なぜ自分が責められなくてはいけないのか、意味がわかりませんでした。「娘のため」と夫は言うけれど、ずっと「結衣のため」だけを考えてきたのは私。それなのに私の育て方が悪かったかのように言う夫に怒りが止まらず、感情をぶつけてしまいました。次回に続く(全10話)毎日15時更新!※この漫画は実話を元に編集しています原案・ウーマンエキサイト編集部/イラスト・ のばら
2021年12月26日女優の篠田麻里子が、Twitter上で配信している家族会議型バラエティ『竹山家のお茶の間で団らん』に出演中だ。番組の魅力や、MCとしてタッグを組んでいるお笑い芸人・カンニング竹山との共演の感想など、篠田に話を聞いた。同番組は、パパ役の竹山とママ役の篠田がMC、娘役の越智ゆらのがアシスタントを務め、“竹山家”がいま知っておきたいアレコレを深掘りしていくバラエティ。テーマは毎回異なり、その道のプロと言える有識者や専門家などをゲストに迎え、そのジャンルの最新情報を学びながらトークを展開する。篠田は、番組の魅力について「身近なものだとしても知らないこともすごく多くて、新しいことを知ることができるのが楽しいです。アットホームで、笑いもあり、ゆる~く見られるのが魅力かなと思います」とアピール。「ツイッターでの番組というのは新しくてワクワクします。ツイッターと連動させてバズるものを探していけたら面白そうだなと思います」と語った。パパ役の竹山は50歳、ママ役の篠田は35歳、娘役の越智は23歳。竹山が娘の越智をつれて篠田と再婚したというバツイチ設定だと3人は解釈しているようだったが、篠田は「ゆらのちゃんのお母さんという設定で、こんなかわいい子のお母さんになれて楽しいです」と笑った。竹山との夫婦設定については「いろいろな番組でご一緒することが多いですが、夫婦の設定はなかったので新鮮でした」と面白がりつつ、「竹山さんはみんなの緊張をとってくれる方で、みんなが緊張しないように気を遣ってくださるので、すごくアットホームな雰囲気で進められました」と竹山の気遣いに感謝。竹山はキレキャラとして知られているが、「優しいです。キレキャラを演じるときもあると思いますけど、この番組では穏やかで安心感があります。これからキレることもあるのか、わからないですけど(笑)」と人柄を伝えた。さらに、「この番組は、学びが仕事になっている。こちらは勉強させてもらっているんですけど、それがお仕事になるという、こういう日々ってすごく幸せだなと思います」と語った。『竹山家のお茶の間で団らん』第2回は、10月28日21時より番組公式ツイッターアカウント(@takeyamake2021)で配信。今回は「格安スマホ」をテーマにトークを繰り広げる。■篠田麻里子1986年3月11日生まれ、福岡県糸島市出身。2013年7月にAKB48を卒業後、女優、タレントとして幅広く活躍中。2019年2月に一般男性と結婚し、2020年3月末に第1子女児を出産した。出産後、YouTubeチャンネル「篠田麻里子ん家」を開設し、子育てなどプライベートの様子を配信。2021年に「第13回ベストマザー賞」芸能部門を受賞した。現在、Twitter上で配信している家族会議型バラエティ『竹山家のお茶の間で団らん』に出演中。
2021年10月28日2021年6月24日付にて、YouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』では、とんねるずの石橋貴明さんと古坂大魔王さんとの対面動画を配信中です。この企画は、2021年5月、カンニングの竹山さんが、芸人業界の中で最も『とんねるず愛』のある芸人として古坂さんを推薦したことがきっかけ。竹山さんと事前打ち合わせを済ませ、タカさんは、いよいよ古坂さんと対面することになりました。この対面動画には前半と後半があり、前半は、楽屋でのスリーショット・トークの様子を、後半は対面後に行われた『とんねるず愛検証クイズ大会』を収録したもの。対面後、『とんねるず愛』が強いという古坂さんが、どれほどくわしいのかを検証するためにクイズ大会へと流れたようです。ちなみに、クイズの作成者は、タカさん本人。古坂さんの地元である青森県では、放送されない『とんねるず』出演のテレビ番組やラジオ番組もあったようで、古坂さんも、前半の動画で『とんねるず』にくわしいというよりは『愛』が強いことをアピールしていました。このクイズ大会、結果はいかに…早速、動画をご覧ください。なんと、古坂さんがほとんど『不正解』という、まさかの展開。タカさんの顔色をうかがいながら必死にいいわけしていましたが、落ち込んで『しょんぼり』した古坂さんには、思わず同情してしまいました。そんな古坂さんを必死にフォローする竹山さんが、なんとかクイズを先に進めていましたが、果たして古坂さんの『とんねるず愛』は本物なのでしょうか。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2021年07月26日2021年5月27日付にて、YouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』では、これまで閉ざされていた会員制の『竹山報道局』についての動画を配信中です。『竹山報道局』とは、2020年にお笑い芸人のカンニング竹山さんが立ち上げた、いわゆる『サブスクリプション』タイプのオンラインサロンのこと。現在は、『TAKEFLIX』として月1回、『竹山報道局』だけでなく、さまざまな話題が生配信されています。そんな会員制の『竹山報道局』の様子が、YouTubeで公開されることになったきっかけは、YouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』。貴さんが、雑誌の取材と称して竹山さんを呼び出し、人生初のパーマをかけさせるという『恐怖の初めてシリーズ~ラストパーマ in 竹山~』という企画に出演してもらったお礼に、ゲスト出演することになったそうです。この動画は、まさに『とんねるず世代』であり、大ファンでもある竹山さんが『竹山報道局』として貴さんに取材したもので、YouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』にて口外禁止ということで公開されています。一体、どんな秘話が語られているのでしょうか。まずは、『とんねるずファン』必見の動画をご覧ください。40代、50代世代は、竹山さんのように、深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)、バラエティ番組『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)を観ていたという人も多いと思います。今やお笑い界で『不動の地位』を得ているとんねるずにも、ブレイクするまでには長い苦労があったようですが、動画では、そんなとんねるずへの竹山さんや古坂大魔王さんの『愛』が、ひしひしと伝わって来ましたね。ちなみに、オープニングで話題になったギャラ代わりの『色つき』とは、高級シャンパン・ブランド『ドンペリニヨン』の『ピンドン』『ドンペリピンク』と呼ばれるロゼ・シャンパンのことのようですよ。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2021年06月28日お笑いタレントの狩野英孝が先月24日、陣内智則の公式YouTubeチャンネル『陣内智則のネタジン』に出演。不祥事を起こして芸能活動を自粛中に、自身のことを気遣ってくれた芸人たちとの秘話を語った。この日公開された動画「陣内智則×狩野英孝【前世は兄弟!? アノ騒動を語り合ったら共通点が多すぎた!】」で、「芸能界からほぼ抹殺しかけられた」と、約4カ月半にわたる謹慎生活を振り返った狩野。その期間は、どうしてもバラエティ番組を観ることができなかったそうで、「でも、観なきゃいけない。もしテレビに戻るなら、テレビを観なきゃいけないって言われて……。最初は、BSの海外の風景だけが流れてるやつを観て。徐々に徐々に、バラエティ番組にいくようになったんですけど」と、“テレビ恐怖症”になってしまった様子。また、陣内に、「自分の報道を観たか?」と聞かれると、「僕は観ました」とキッパリ。謝罪会見後のニュースはすべてチェックしたという狩野だが、「会見後に、色んな芸人さんからすごいメッセージが来て。『明日ワイドショーで、どうしてもこの案件を扱うんだけど、英孝ちゃんごめんな。どうか頑張って耐えてくれ』って。それで、その方は何て言ってくださるのかな? って。それで観てたんですよ」と、コメンテーターやゲストとして出演する芸人たちのコメントが気になっていたことも打ち明けた。実際に放送された番組では、「すげーフォローしてくれて。カンニング竹山さんも、『この人を芸能界からいなくさせちゃダメですよ。芸能界の宝なんですから』って。ジュニアさんも、何か言ってくださったり。(テレビに)一週間出ないと、忘れられるじゃないですか。それで、サンドウィッチマンが、色んな番組で忘れられないように言ってくれたり」と、たくさんの芸人たちが気遣ってくれた様子。狩野は、「それがうれしくて、ちゃんと復帰しないとなって。もうクヨクヨしてられない。みんなが、先輩たちが助けてくれるから、もうバラエティ番組観ようと思って」と、決意したことを明かしていた。
2021年05月03日6月25日公開の映画『それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国』の公開アフレコイベントが12日、都内で行われ、深田恭子、アンタッチャブルの山崎弘也が出席した。『それいけ!アンパンマン』の劇場版第32作目となる本作は、雲の国で生まれた"雲の子・フワリー"とアンパンマンたちが雲の国を救うために大奮闘する物語。本作で愛犬に深田恭子がヒロインのフワリーを、山崎弘也が雲の長老役の声をそれぞれ担当している。この日は報道陣を前にして深田と山崎が本作で演じたフワリーと雲の長老をアフレコで披露した。深田が「やっぱり報道陣の皆さんがいるとちょっと恥ずかしかったです」と赤面し、山崎は「でも顔は隠しちゃダメですよ(笑)」とツッコミ、「皆さんがシャッターの音で乗せてくれるんですけど、僕の時は少なかった! それは気を遣ってシャッターを切っていただけたらと思います」と話して笑いを誘った。また、生まれたての赤ちゃんから成長して容姿が大きく変化するフワリーについて深田は「成長過程を家で練習していたら犬がビックリしてました(笑)」と明かし、「今回参加させていただくことになって本当にうれしく思いました。精一杯やらせていただいたので、是非たくさんの方に楽しんでいただけたらと思います」と笑顔を見せた。愛犬に"メロンパンナちゃん"と名付けるほど大のアンパンマン好きである深田。「今年で13歳なんですが、犬のいる13年といない13年って違うなと思います。喜びを犬は一生懸命表現してくれるので、自分が嬉しい時は人にキチンと伝わなければいけないなと学びましたね」と愛犬に刺激を受けている様子。また、子どもたちから大人気のアンパンマンにちなみ、「芸能界でのアンパンマン的な存在は?」という質問に深田が「私は吉田沙保里さんですね。引っ込み思案の私を引っ張ってくれるので、沙保里ちゃんは私にとってのアンパンマンです」と回答し、山崎は「僕はカンニング竹山さんですね。困った時に助けてくれるしいつもどこにいるか分かっているので、本当に頼りになるお兄さんです!」と答えていた。映画『それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国』は、6月25日より全国公開。
2021年04月12日吉本興業のダウンタウンとワタナベエンターテインメントのネプチューンお笑いのよしもとが今年4月にスタートする『吉本興業高等学院』。開校2か月前という直前のこの時期に、スポーツ紙が報じ明らかになった。お笑いタレントを抱える芸能プロダクションの多くは、お笑いタレントの養成所を抱えている。ダウンタウンや渡辺直美、チョコレートプラネットら、いわゆる“よしもと芸人”は、よしもとが運営するNSC吉本総合芸能学院の出身者だ。アンジャッシュらが所属する『人力舎』も、カンニング竹山が所属する『サンミュージック』も、お笑い養成所を構えている。■高校の卒業資格を取れる「養成所、スクールなどいろいろ呼び方はありますが、言ってみれば私塾です。そこを出て芸人にならない限りは、公的なキャリアにはならない。そこで高校卒業資格を取ることができるようにしたのが、今回の吉本興業高等学院です」とプロダクション関係者が開設する。NSCの入学資格は18歳以上であり、それより若い年代のお笑い芸人志望者は引き受けていなかった。そこを網羅する。お笑い業界で同様のシステムをいち早く取り入れたのが、ネプチューンやアンガールズ、イモトアヤコなど多くの芸人が所属する老舗芸能プロダクション『ワタナベエンターテインメント』だ。芸能のレッスンと勉強の両立ができ、高校卒業資格が取れる『渡辺高等学院』を2014年に設立している。さらに今春、オンラインの特性を生かした『ワタナベNオンラインハイスクール』を開校する。スポーツ紙芸能記者が、『吉本興業高等学院』の開校メリットを伝える。「お笑いなどの芸能に必要なスキルのレッスンを受けながら、高校卒業資格が取れるというところがミソです。親御さんにも、卒業資格が取れるのなら、と進学を許してもらえる。お笑いの養成所の中には、中学卒業で入れるところもありますが、そこを出たところで高校の卒業資格は取れません。よしもとは、ワタナベエンタに続いて、きっちりそのあたりをカバーしたという感じです。3年間でお笑い芸人に向いていないとわかれば、生徒さんも進学や就職活動など路線変更もできるし、吉本興業高等学院は、裏方になる道も模索できるようで、将来を漠然と考えている10代にはうってつけですね」さらに『ワタナベNオンラインハイスクール』に関しては、こんな見方も。「オンラインであれば、授業に必要な教室、けいこ場のような空間も必要ない。地方からだって入学できる。コロナ禍で、オンラインを活用する社会の土壌が急速に熟成していますからね。そのあたりが巧みだなと思います」(前出・スポーツ紙芸能記者)先行する渡辺高等学院の次に、芸能界として高等学校を設立した吉本興業だが、4月開校にもかかわらず、この直前の時期での報道。出遅れ感もあるが、関係者はこう漏らす。「いいんです、このタイミングで。この学校を第一志望に受験勉強をする人は、今年度に限ってはいないということですし、新しくできた学校が第一志望になるのは、どんな特化した学校でも、かなりの実績をつかんでからでしょう。これから全国各地で高校入試があり、そこでうまくいかなかった人の選択肢のひとつになればいいんです」お笑い芸人の卵を取り合う芸能プロダクションの養成所に、新たな開校、新たなスタイルが加わるこの春。中堅プロダクションが同様の学校の設立、同様のオンラインシステムを構築するには、人材的にも資金的にも追随が難しい“お笑い高校”を舞台に、将来のお笑い芸人の育成が始まる。〈取材・文/薮入うらら〉
2021年01月30日海外ドラマ『フレンズ』トークイベントでの小林麻耶(’19年9月)小林麻耶(41)の「迷走」が世間をザワつかせている。レギュラー番組『グッとラック!』(TBS系)のロケを欠席して、番組自体も降板。所属事務所からは「なかなか正常なマネジメントができないので」として契約を解除されてしまった。■迷走しはじめた小林麻耶その真相についてはさまざまな憶測がされているが、個人的に予兆めいたものを感じたのは10月15日の『グッとラック!』だった。彼女はホリエモンと餃子店のトラブルの話題で、別の曜日のレギュラーでもあるひろゆきを批判。彼が『2ちゃんねる』のような匿名掲示板を創設したことで、利用者が「本音を出せたこと」は「いいこと」だとしつつも、「そこから派生して、傷ついた人がいるんですよね。今回のと似てる気がするんですよ。すごく大きな影響力がある人たちがやったことが、いいこともあったかもしれないけど、堀江さんはちょっとアレか、ひろゆきさんは……(ほかのコメンテーターを見て)私、何が言いたいんでしたっけ」いわば身内のことをやや感情的になって批判するうち、我を忘れてしまった姿には違和感を覚えた。また、29日にはメイン司会・立川志らくの「母親がいないと子供にとっては不幸なことじゃないですか」という発言に対し「私はそうは思いません」と涙をにじませながら反論。この番組での彼女は、涙目や涙声になることも珍しくなかった。カンニング竹山のキレ芸みたいに、泣き芸でも始めるつもりならまだしも、いたって本気だ。正直、これはきついと感じたものだ。というのも、彼女はデビュー以来「かわいい」というイメージを保ちながら表に出てきたからだ。大学時代に出演した『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)しかり、TBS入社後に担当した『チューボーですよ!』や『王様のブランチ』しかり。ときにはその言動が女性の反発を生んだが、かわいいと感じる男性陣もいたはずだ。しかし、今はもう誰からもかわいくは見えにくい状態になっているようにも思える。彼女はいったいどこで変わってしまったのだろうか。そのひとつめは、報道番組への挑戦だろう。2009年、彼女は退社を機に、TBSと専属契約を結び『総力報道!THE NEWS』(TBS系)のメインキャスターになった。が、暗いニュースでも明るい声と笑顔を変えられずに酷評され、番組は1年で終了。報道に向かないことを露呈させてしまった。それまでの彼女は入社2年目にして「嫌いな女子アナ」1位に選ばれながらも「結婚したい女子アナ」でも常連であり続け、局の看板番組『輝く!日本レコード大賞』のサブ司会を5年連続で任されるほどだった。それは華のあるかわいさが評価されていたからだが、TBSの大先輩・吉川美代子(現・フリーアナ)はこんなアドバイスをしたという。「局アナでニュースやいろんな情報を伝えるよりもタレントの方がいいかもね」(『行列のできる法律相談所』日本テレビ系、’15年2月22日放送)つまり、そのほうが持ち味を活かせるという見方だ。これには多くの人が同意するのではないか。しかし、本人はそこに気づかず、もっとも向いていないジャンルである報道に手を出してしまった。とはいえ、その失敗から彼女は巻き返す。『総力報道!THE NEWS』終了を機に本格的にフリーになると、原点に戻ったようにぶりっこキャラをアピール。要は、各メディアの需要に応えた結果だろうが、おかげで’14年には「嫌いな女子アナ」1位に返り咲くほどの注目度を回復した。’15年には『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ系)で懲らしめられるぶりっこ女子をコミカルに演じるようになり、’16年にはコミックソングの『ブリカマぶるーす』で歌手デビューも果たすわけだ。■「かわいい」→「面白い」ぶりっこキャラへいわば、ネタとしての強度が増したわけで、ぶりっこもここまでくると、男性にとっての「かわいい」は希薄になる。ただ、そのぶん、女性にとっての「面白い」が加わり、彼女はタレントとして安定していった。その一方で、’16年には『バイキング』(フジテレビ系)の生放送中に倒れ、救急搬送されてしまう。その後、妹の麻央ががんで闘病中であることが判明し、同情の目でも見られるようになった。しかし、’18年に結婚して芸能界をいったん引退する。ここでまた、方向性に疑問を感じさせることとなった。夫・國光吟(くにみつあきら、芸名は「あきら。」)の影響でスピリチュアルな世界に目覚め、いわば“洗脳”みたいな状態に置かれることに。引退したままならまだよかったが、’19年に復帰。そして『グッとラック!』のコメンテーターという、報道的な仕事にもまた手を出したのである。おまけに、夫は彼女をサポートするどころか、現場に介入しているとの報道もあり、彼女が降板になる前日には、配信したYouTubeの動画で志らくをこうこきおろしていた。「あのMC、どうかしてますよ。ダッサ。(略)何ごまかしてんだよ、男らしくない。自分が正論言ってると思ってんじゃねぇよ。全然トンチンカンなこと言ってっから」所属事務所が「なかなか正常なマネジメントができないので」として契約を解除したのも、この夫の存在が影響しているのだろうか。なお、あのぶりっこキャラは八方美人な性格に由来するそうで、彼女はこんな自己分析をしている。「基礎は幼少期に。度重なる転校がありました。転校生は受け入れられるために愛想を振りまく努力が必要」(『しくじり先生 俺みたいになるな!!』テレビ朝日系、’16年2月22日放送)そんな性格を変えたい思いが、彼女のなかでくすぶっていたのかもしれない。芸能界ではアイドル的に生きてきた女性が、年上のミュージシャンや演出家などから「本当の自分を見せろよ」などと言われて恋におちることもあるが、もしかしたら彼女の結婚もそのパターンだったのではないか。しかし、長年ぶりっこでやってきた人が急に路線を変更しても、周囲は戸惑うばかりだ。彼女がドタキャンの理由とした、番組スタッフからのイジメにしても、ぶりっこのイメージがあるだけに、同情目当ての主張にも見えてしまう。しかも、若いうちならいざ知らず、今ではもう、いい歳をしてと相手にしてもらえないのがオチだろう。ぶりっこ女子からイタイ40代へ……。「かわいい」の賞味期限が切れた今の彼女には「かわいそう」への境界線を超えてしまった哀しさしかない。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
2020年11月17日大麻取締法違反(所持)で起訴された伊勢谷友介被告(44)が9月30日、留置先の警視庁東京湾岸署から保釈された。保釈保証金は500万円。伊勢谷被告は29日に起訴され、弁護人が同日に保釈請求していた。「東京・目黒区内にある自宅マンションで、乾燥大麻およそ13.7グラムを所持したとして起訴されました。発見された大麻の量から、常習性も疑われています。『自分が吸うため』と供述した伊勢谷被告は、約1年前から使用を再開。違法性についても認識していました。また大麻の所持は認めましたが、入手先は黙秘しているようです」(スポーツ紙記者)いっぽう29日の起訴を受けて、自筆の謝罪文を公表した伊勢谷被告。だがその内容に、波紋が広がっている。まず冒頭で、ファンや関係者に向けて「深くお詫び申し上げます」と謝罪。続けて、「私は無責任極まりない甘さで、自分をそして自分と一緒に活動してくれている方々を、さらに世間の皆様を裏切ってしまったことを今、留置場にいて、身体拘束を受けるなかで、噛み締めています」と反省。そのうえで、「すべては私自身の奢り、未熟さや愚かさ、役者、及び経営者としての責任感の欠如により引き起こした事態です」とし、「これまでの身分に甘じることなく、一社会人として社会的制裁をしっかりと受ける所存であり、失われた皆様のご信頼を一日でも早く取り戻せるよう、努力していく覚悟でおります」と結んでいる。反省の気持ちを表すにあたって、「身体拘束」「身分」「社会的制裁」といった言葉を使った伊勢谷被告。ネットでは疑問の声があがっている。《身体拘束、は誤用ではないかと、社会的制裁を受ける宣言は不要ではないかと思いました》《「身体拘束を受けるなかで」あかんなぁ、、まるで不当なことのように書いてるわ》《「社会的制裁」ではなく「罪を償う」ではないの?》《「これまでの身分」???どんな身分ですか?って逆に聞きたい》30日放送の『バイキングMORE』(フジテレビ系)では、伊勢谷被告を特集。自筆の謝罪文には、裁判で裁判官の心証を良くする狙いがあるという。だがコメンテーターの金谷俊一郎氏も、伊勢谷被告の謝罪文にある「身体的拘束」が心情的に引っかかると指摘。「身体拘束を受けているから、噛み締めているように感じる」と疑った。保釈が認められた伊勢谷被告だが、大麻の入手経路は黙秘している。そのことについても、スタジオから懸念の声があがった。カンニング竹山(49)は「個人的には保釈されないと思っていた」と発言。「『黙秘します』で保釈ということは、裁判が終わって刑が決まったとしても復帰するときにどこか引っかかります」と私見を述べた。番組では、一般的に黙秘する理由について「入手先が判明して報復されることを恐れている」「入手先が判明しなければ再び薬物を入手できる」といった見解があると伝えている。9月8日の逮捕から23目で保釈となった伊勢谷被告。果たして、この短期間で改心できたのだろうか。
2020年09月30日8月19日放送の『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系)での、メインキャスター・安藤優子(61)の言動に波紋が広がっている。番組では炎天下の京都・嵐山の様子を紹介。生中継する女性ディレクターが立つ渡月橋には、日影が全くなかった。ディレクターは、「かなり暑くて頭がフラフラする」とコメント。14時の時点で、手元の温度計は40.1度を示していた。あまりの暑さから、途中でディレクターの様子に異変が生じた。上手く話せず、「暑すぎて頭が働かない」と体調不良を訴えた。そして中継を「お返ししておきますね」と、スタジオに切り替えようとした。しかし安藤は「返しちゃうの?」と笑い、ディレクターの様子を無視。続けて「もう1度(現場に)お返ししていいですか?」と、中継を続けるよう指示したのだ。共演者の高橋克実(59)は、「休憩したほうが良い」とフォロー。カンニング竹山(49)も、「車の中に入って休んだ方が良い」と促した。共演者らの心配をよそに、安藤は「関西の方はよく(暑さ対策で)きゅうりを持ってらっしゃる方もいる」と違う話題に切り替えた。このような安藤の対応や番組制作の在り方に、批判の声が殺到している。《昨日の放送は見ていて気分がいいものではありませんでした。リポーターの方の様子から、明らかに意識が朦朧とされているのは分かります。必死でスタジオに返そうしているのに、笑いながら無理矢理続けさせようとした安藤優子さん。ゾッとしました》《昨日の京都からの中継、リポーターの方はあの後大丈夫でしたか?連日、熱中症の報道をされておいてあの対応は酷すぎます》《そもそも連日熱中症アラート出て殺人的な暑さって分かりきってるのに炎天下レポートする意味あるのかな》安藤の発言は、これまでも視聴者から批判を浴びてきた。「安藤さんの不適切な発言は、年々問題視されています。そのため視聴者からの支持を得られず、同時間帯の他番組に差をつけられています。制作者側も、安藤さんの扱いに頭を悩ませているといいます。9月末で『グッディ!』は終了しますが、安藤さんが“有終の美”を飾るのは難しいかもしれません」(テレビ局関係者)19年2月12日の放送回でも、白血病を発症した競泳・池江璃花子選手(20)に対する安藤の発言は炎上を招いた。池江選手に対して、「かわいらしさとすべてを持ってらっしゃる」「神様がちょっと試練を与えたのかな」と笑顔をのぞかせた。2月下旬に本誌がその真意を尋ねると、安藤はこう語った。「すみません、私は本当に、他意はなかったんです。ただ本当に池江さんには良くなっていただきたい、そう思っていただけなので……」果たして、今回の言動も「他意はなかった」というのだろうかーー。
2020年08月20日2020年8月19日、情報番組『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)でのひとコマがネット上で話題となっています。そのシーンが、京都府京都市にある渡月橋から、現地の暑さをディレクターが中継で伝えるというもの。中継時、ディレクターが手にする温度計は40.1℃を示すほどの猛暑でした。そんな中、ディレクターが中継の途中で「暑さのあまり頭がぼんやりする」と訴えたのです。すいません、ちょっとですね、暑すぎて頭がぼけっとしてるんですね。ごめんなさい、(スタジオに)お返ししておきますね。直撃LIVE グッディ!ーより引用ディレクターは「暑さで頭がふらふらする」「リポート内容を準備していたものの、頭がぼんやりして思い出せない」とも伝えていました。ディレクターの呼吸は荒く、熱中症の症状が表れているようで、視聴者もディレクターの体調を心配してしまうような状態。中継を続行するよう、ディレクターに指示する声も上がりましたが、コメンテーターとして出演していた、お笑いコンビ『カンニング』の竹山隆範さんは…。危ない危ない、大丈夫ですか。(映像をスタジオに)戻したほうがいい。無理しないで。車に入って、車に。直撃LIVE グッディ!ーより引用そして、司会を務める俳優の高橋克典さんも、不調を訴えるディレクターをフォローしたのです。いやいやいや。ちょっと休憩したほうがいいんじゃないですか。直撃LIVEグッデイーより引用その後、指示に従い中継を続けようとするディレクターの言葉を、スタジオのキャスターが「はい、ありがとうございました。引き取ります」とさえぎり、半ば強引に中継を終わらせたのでした。この一連の流れに、ネットではさまざまな声が上がっています。・竹山さんと高橋さん、思いやりがある。っていうか、人として、体調不良を訴える人にはすぐ休むようフォローするのが普通だよね。・2人とも、本当に優しい対応。人として素晴らしいと思います!・そもそも、「危険な暑さ」を伝えるなら、太陽の下でなく、せめて日陰からリポートするべきでは?テレビ番組であっても、熱中症対策は必要でしょう。今後、暑さを伝える場面だけでなく、台風や事故など、時には危険な状況を伝える生中継の在り方も、変わっていくかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年08月20日坂上忍情報番組『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)が9月末で打ち切りになるという。そして、その前の時間帯に放送されている『バイキング』の放送枠が拡大され、3時間番組となることが決定した。『グッディ!』打ち切り理由の1つに視聴率の低迷があげられているが、ほかにもコロナ禍で広告収入が減ったところにメインキャスターの安藤優子への巨額の出演料が追い打ちをかけたなど、いろいろ取りざたされている。番組が打ち切りとなることで、タレントやコメンテーターなどへの影響は甚大だ。カンニング竹山も他番組で「グッディ終わって働き場がなくなるんです」と自虐的なコメントを出している。制作会社のスタッフもレギュラーの仕事がなくなるわけだから、その混乱は相当なものだろう。ところが、『グッディ』の現場スタッフからは、不思議と焦りは感じられないという。■「やっと“ガミ”から離れられる」「彼らは横滑りでリニューアルされた『バイキング』のスタッフになることが決まってるんです。その結果、今まで『バイキング』を担当していたスタッフが、ほとんど切られるそうです」(ワイドショースタッフ)それでは、その煽りを受けるのは現『バイキング』のスタッフたちなのかというと、こちらもそうではないという。それどころか喜んでいるスタッフさえ多いという。「やっと“ガミ”から離れられるということで、ホッとしているスタッフが多いですよ」と証言するのはとある制作会社のスタッフ。この“ガミ”と呼ばれているのはほかでもない、『バイキング』のMCの坂上忍だ。「もともと『バイキング』は『笑っていいとも!』の後継番組として始まりました。なので、『バイキング』も制作をバラエティー班が担当しており、バラエティー色が濃かった。サンドウィッチマンが出ていたころの『地引網クッキング』などの企画モノなどがその例です。それが、平日全部のMCを坂上さんがやるようになってから内容がガラッと変わってしまいました。坂上さんが“キャスター的ポジション”をやりたがり、政治や経済、事件など社会問題も扱う情報番組になってしまったんですね。それからというもの、スタッフの負担が大きくなりました」(同前)■“切られても”困らない理由バラエティーを作るつもりでいたスタッフが困惑したのは容易に想像がつく。走るつもりでいたのに泳げと言われたようなものだろう。政治や経済、社会で起きている問題を取り扱う以上、出演者もスタッフもそれなりの心構えが必要になる。事前の打ち合わせもバラエティー番組以上に入念にしなければならず、リサーチや取材も正確さが要求されるように。「ニュースを扱うわけですから、前日に資料やフリップを用意しても、当日の朝、あるいは放送直前に新しい情報が出てくることも多い。そんなときは放送時間に台本が間に合わないといったことも少なくありません。ですが坂上さんはスタッフの事情を考えずに、“なんでこの情報が入ってないの”と不満をぶつけてくることがあるんです」(同前)突発的なニュースが飛び込んでくることもある。よほどの重大ニュースでもない限りバラエティー番組ならスルーしてしまうところだが、今では情報番組と化した『バイキング』は取り上げることも多い。そんなとき、スタッフは混乱するのだという。また、芸能ニュースを扱う際も、芸能界の事情に疎いスタッフもおり、地雷を踏んでしまったこともある。圧力がかかっていたのはスタッフだけではない。共演者も同様だ。「番組で、坂上さんはゲストのタレントやコメンテーターに均等に話を振ります。タレントサイドにとってこれはありがたいことなんです。自分の“ターン”がちゃんとあって、存在感を示すことができますから。でも、それは台本がしっかりあるからなんです。番組の“回し”はそういった予定調和でできているところが大きいので、台本に沿った発言をしない人は坂上さんに嫌われますね」(芸能プロ関係者)意向に沿わないことで、消えていったゲストは何人もいる。そのゲストに対し坂上は、「誰だよあんな奴を呼んだのは」とネチネチ文句をつけるという。呼んではみたが番組の方向性に合わないゲストだったということだから仕方ないことかもしれないが、坂上の“王様”ぶりがわかるエピソードだ。最近は現場にいる制作会社のスタッフは局の上層部から、「もっとしっかり番組を作れ」と、プレッシャーをかけられることも多く、スタッフのストレスは溜まるばかりだったという。そんな重圧から解放されるのだから、彼らの安堵ぶりもよくわかる。しかし、人員削減となり、番組を離れることになる『バイキング』のスタッフは仕事がなくなるのでは?という疑問も浮かびそうなものだが……。「この番組は曜日ごとに担当のプロデューサーやスタッフが変わる“縦割り”の制作方式を敷いており、自分の担当曜日以外は、別の番組の制作をしているんですね。なので、『バイキング』だけを制作しているスタッフはほぼおらず、切られても別の番組に異動になるのだけで、困りはしないんだとか」(前出・ワイドショースタッフ)新生『バイキング』には『ミヤネ屋』(日本テレビ系)や『ゴゴスマ』(TBS系)という強敵が待ち構えている。荒海をどう乗り越えるか――。
2020年08月03日お笑いコンビ・とんねるずの石橋貴明と元プロ野球選手の清原和博氏が24日、石橋の公式YouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」に公開された動画で、読売巨人軍の元木大介ヘッドコーチについて語った。「【清原和博3日連続スペシャル】第2夜清原、野球談議に花を咲かせるってよ YouTubeスタート1ヶ月記念!沢山見てくれてありがとうシリーズ」と題して公開された動画に出演した清原氏。カンニング竹山から清原氏に宛てた、「元木はうまいことやった?」との質問が読み上げられると、石橋は「ジャイアンツのヘッドコーチですからね、元木。昔はずっとキヨさん(清原)のほぼ舎弟で」と語った。清原氏は「その通りだと思いますよ。今の時代の選手たちに合ってるんじゃないですかね。僕たちの先輩・後輩の厳しい時代よりも、だんだんコーチと距離感が近くなって、そのコミュニケーションがうまいんじゃないですかね」と私見を述べた。すると石橋は「俺思うんだけど、あれだけバラエティで(島田)紳助さんとかあのへんに鍛えられてるから。バラエティってやっぱりバカじゃできないじゃん。ここでどう振舞えば、どういうふうにウケるかっていうことを元木は勉強したと思う。バラエティで培った視野の広さが、今のジャイアンツの野球に合ったんじゃないかな」と持論を展開していた。
2020年07月25日お笑い芸人・カンニング竹山が、お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之の公式YouTubeチャンネルで、27日に公開された動画に出演した。「【放送事故!?】泥酔でカンニングの竹山さんと業界のことについて語りすぎた」と題して公開された動画にて、宮迫が「まず最初に聞きたいのが、なんで出てくれたん?」と切り出すと、竹山は「宮迫さんに個人的に昔から世話になっているのもありますし、家族ぐるみで世話になったりもするし。あと、僕がやってる『放送禁止』ってライブで、宮迫さんをずーっと尾行するっていう。『宮迫さんは絶対遊んでるはずだ』って(笑)」と明かした。そして、竹山が「ぶっちゃけ宮迫さん、テレビ出たいですか?」と聞くと、宮迫は「出たい」と回答。「絶対1度は戻らないと、自分がやってきたことを全否定してしまってるような気になってしまうから」と説明した。テレビへの復帰について「そこにゴールテープがあるのかもしれない」と言いつつも、宮迫は「YouTubeを敵やと思ってた俺が、今、YouTubeをすごいとも思ってるし、すごく楽しんでいるのもあるから。テレビとYouTubeをもっと融合して、新しいメディアを作れたら1番最高なんじゃないかな」と構想を披露した。また、竹山が「『アメトーーク!』観てますか?」と質問をぶつけると、「最近ようやくちょこちょこ観れるようになった。自分が出てた番組って思うとこあるやん。『俺、おったら…』とか。思うのが嫌やねん。結局、自分のせいでこうなってるわけやから、それで俺がいなくなったからおもんなくなったなんて思うことがナンセンスやんか」と宮迫。さらに「俺が横にいるときやったら相方が言ってたかもしれないことを、俺がいないからあいつは流してるとか、俺がおったら絶対そこツッコんでるとかを思いたくなさ過ぎて、『もう観んとこ』と思って観てないのは事実だな」と本音を吐露した。
2020年06月30日《“がんばろう福島”と言われてもむなしく、涙が出た》震災後、リスナーから届いたそんなFAXをきっかけに“現場”に通い詰めるようになった。権力者にも鋭く斬り込む姿勢で県民から厚い信頼を寄せられる男が、幾度も大学生を原発取材に同行させ、見据える福島の未来とは―。ラジオアナウンサー大和田新さん「さあ、ラジオ福島のふるさとレポーターのみなさんに、地域の話題をお聞きいたしましょう。今週は南相馬市の上野敬幸さんにお話を伺ってきました」毎週土曜日、張りのある男性アナウンサーの声が、福島県民に朝を告げる。午前7時から午後1時までの6時間、“ニューシニアマガジン”と銘打つ番組『ラヂオ長屋』のパーソナリティー、大和田新(64)だ。■心のひだを知りたい、伝えたい2011年3月11日に発生した東日本大震災では、被害状況を涙ながらに伝えた。停電の続く部屋で、避難先の車中で、人々は震えながら耳を傾けた。電池で動くラジオが頼りだった。震災から9年を迎えるにあたり、大和田は津波で両親と2人の幼い子どもを失った上野敬幸さん(47)を真っ先に取材した。震災の半年後に生まれた次女は、小学2年生になっていた。「震災から10年目ということで私たちメディアは節目みたいなことを言うのですが、今回はどういう気持ちで迎えられそうですか」やや斜に構えた問いかけから、被災者の率直な意見を阿吽の呼吸で引きだした。「被災地はいまもこんなに大変ですとか、こんなに復興しましたと報道されますが、それを見た第三者はなにを受け取るのかと考えると、とても疑問です。それより、いまある命をどう守るかを考える機会にしてほしいと思います」◆取材の模様をさっそく、大和田は自身のフェイスブックに載せた。上野さんの着るTシャツの左胸に「心」とあるのに対し、大和田のTシャツには「下心」とある。上野さんが贈ったのだという。そんなところに、時間をかけて深めてきた関係がうかがえる。「大和田さんはおもしろい人ですよ。大好き。普段会っているときはふざけてばかりいるけど、いざ仕事になると謙虚でまじめで、真摯なんです」2人の出会いは最悪だった。取材に来た大和田は「なにやってんだ!お前なんかにしゃべることねえ」と上野さんに怒鳴られ、けんもほろろに追い返されたのだ。南相馬は津波で壊滅的な被害を受け、見渡すかぎりの大地に上野さんの家が1軒だけ、かろうじて残っていた。象徴的な被災地の姿を写真に収め、住人に話を聞こうと、多くのメディアが集まった。土足で亡くなった娘の部屋に上がり込む記者もいた。そのたびに「ここでなにが起きたか知っているのか!」と、上野さんはたしなめた。原発に近いことから警察も自衛隊も来ないなか、上野さんは行方不明になった家族を地元の消防団仲間と探していた。近所に住む知人を遺体で見つけると、メディアはすかさずカメラを向ける。上野さんは込み上げる怒りを押し殺し、捜索を続けた。原発事故に関心が集まるあまり、津波の大きな被害が福島でもあったことが見過ごされていた。疑問をもった大和田は、めげずに上野さんのもとへ通い詰めた。ただ挨拶をして帰ることを来る日も来る日も続けたのだという。「語りたくても、すぐには語れないドラマというのが必ずある。上野さんの怒り、悲しみ、苦しみ、不安、家族を亡くした人の心のひだを知りたい、伝えたいと思っていました」夏が近づいたある日、インタビューに応じると上野さんのほうから声をかけてきた。そして、ポツリ、ポツリと大和田に語り始めた。「死んだ娘をがれきの中から見つけて抱きしめて。そのまま遺体安置所に連れて行きました。顔は泥だらけ。水がないからね、顔を洗ってあげられないんです。でもね、涙で娘の顔を洗ったよ……」震災後、学校の宿題がそのまま机に置かれた娘の部屋に上野さんは入れずにいた。「あの日抱きしめた遺体と、生きた痕跡が残る部屋。そのギャップに耐えられなかったんです。そこに土足で入る記者が許せなかった……」そんな胸の内を泣きながら明かしてくれた上野さんの姿が、このとき大和田のなかに深く刻まれた。■本当に怖いのは無関心番組で相方を務める山地美紗子さんは、新人のときから「とにかく現場だ」と大和田に教えられたという。「“現場に行かなければわからない”“現場に行かないかぎり伝えられない”と口すっぱく言われました。子どもを亡くしたお父さんにも、大和田さんはストレートな言葉で気持ちを聞きます。みなさん“自分のせいだ”と苦渋するのでひやひやしますが、決まってあとから、“あのとき聞いてもらえてよかった”と言われるんです」震災当時、そうした大和田の報道が部分的に切り取られてネットに広まり、全国から批判が集まった。ラジオ局が「大和田クレームマニュアル」を用意したほどだ。しかし、本人に気にする様子はなかった。「批判は、応援と受け止めました。私は見ていませんが、ネットには想像を超えるほどたくさんの批判があふれていたようです。でも、本当に怖いのは無関心ですからね」大和田がいまも被災地の現場にこだわるのは、マスコミが継続的な取材をしないのも無関心のうちと考えるからだ。震災があった当時、大和田はラジオ福島の編成局長を務めていた。「未曾有」とまで国が形容した地震と津波による被害に原発事故が重なり、なにがどうなっているのか、報道の責任者であるにもかかわらず、さっぱりわからなかった。原子力や放射能についての基本的な知識もなく、勉強不足を痛感した。「福島は北海道、岩手県に次いで広く、手分けして取材するにも限界があります。そこで被害状況から、どこでなにを売っているといった生活にまつわることまで、各地から寄せられる情報を裏もとらずに伝えました。リスナーとの信頼関係があったからこそできたことです」地方のラジオ局は地域のほのぼのとした話題が主で、社会的な問題を深く掘り下げることはまずない。それが被災地となって一転、15日間にわたり、CMを入れずに状況を伝え続けた。広告収入が経営基盤となる民間放送としては異例のことだった。大和田は「いいか。語るなよ」と、新人アナウンサーに注意をうながした。「私たちは科学者ではないので自分の意見や見解は言えず、“がんばろう福島!”とひたすら呼びかけるしかありませんでした。代わりに専門的な知識をもつ医者や大学の先生に出演していただきました」専門家とひと口にいっても、立場によって言っていることが異なり、ときに矛盾した。聞き慣れない専門用語や数値の単位が理解を妨げた。一貫性を欠いた説明が混乱を招き、国やマスコミは情報を正しく伝えていないとの不信感が全国的に高まっていた。■「現場を見てから物を言え」大和田のもとに、視聴者から長文のFAXが届いたのは、震災から3週間が過ぎた4月2日のこと。その日付を大和田は忘れられずにいる。差出人は福島市内の人で、混乱の最中、何度も沿岸部に行って仕事をしていた。そこで見た被害状況を、丹念に伝えてきたのだ。《瓦礫のなかから子どもを探し回る人がいれば、陸に打ち上げられた漁船を呆然と眺める人がいる。そんななかで「がんばろう福島」と言われてもむなしく、涙が出た》自分にあてられたFAXを読んだ大和田は、「現場を見てから物を言え」と言われている気がしてならなかった。実際、リスナーから集まる情報で放送を続けていたものの、現地取材はほとんどできていない。先の見えない状況で誰もが不安を抱えるなか、「がんばろう」「力を合わせよう」と感情に訴えるのが精いっぱいだと決め込んでいた。「番組への批判というより、まだラジオ福島が見限られていないのだと思いました。しかし、沿岸部の現状がどうなっているのかわからず、部下を取材に行かせるわけにはいきません。俺が行くしかないよなと思い至りました。それで毎週、沿岸部の被災地に通うようになったのです」大和田の「現場主義」はこのときから始まった。被災した街はどこも、風景を一変させていた。海岸沿いの住宅地では家が軒並み流されて土台だけ残り、見渡す限り瓦礫の山。遺体を収容する場面に何度も遭遇した。「まだこういう状況なのか」と実感した大和田は、スタジオではなく、現場からレポートするようになる。4月末には行方不明者を捜索する警察官に同行し、原発から5キロのところまで近づき実況した。「びっくりしたことがあるんです。当時、福島市内でも25マイクロシーベルトありましたが、原発のすぐ近くなのに3マイクロシーベルトしかない。国は20キロ圏内、30キロ圏内と同心円で避難指示を出していたので、どういうことかと疑いました。そして、国や東電の発表する数値には心がないのだと感じました」第一原発のある大熊町に隣接する川内村は全村避難を余儀なくされていた。震災から2か月たった5月はじめ、ようやく一時帰宅が許可された現場に大和田は足を運んだ。真っ白い防護服に身を包み、線量計を首から下げた人々に許された滞在時間はわずか2時間。思い思いのものを入れて持ち帰ってきた村民に、村長の遠藤雄幸さん(65)は「ご苦労さん、ご苦労さん」と声をかけていた。「袋は透明なので、中身が嫌でも見えました。身の回りのものや位牌、写真アルバムなどが多かったです。子どものおもちゃと勉強道具で、袋がいっぱいになった夫婦もいました。空っぽの人もいて、どうしたのかと村長が聞いていました。2度と戻れないからビデオに収めていたという人や、愛犬が死んだので、庭に埋めたという人がいました」こんな不条理なことはないと涙をこぼす遠藤さんに、大和田はすかさず近づき、単刀直入に尋ねた。爆発した原発がこれからどうなるのか見当もつかないなか、「川内には戻るんですか」と聞いたのである。リーダーの覚悟を確かめたかったからだ。「もちろんだよ。戻れない人のためにも、戻らない人のためにもふるさとは必要なんだ」原発は安全だと信じ込み、避難訓練などしたことがない。その意味では自分も加害の側にいると遠藤さんは考えていた。大学の研究チームに村の状況を詳しく調査してもらい、自らチェルノブイリを視察し、原発事故の影響とはなんなのかを把握していった。そして、震災から1年足らずで「帰村宣言」をする。「行政は町や村を元の姿に立て直すことが復興だと考えがちですが、遠藤村長はちがいました。新しい川内村をつくり、たとえ離れて暮らしていても心の中ではともにあり、帰るとなったらいつでも温かく迎える。そんなふるさとをつくろうとしていました」■学生を連れて原発を視察大和田は、震災の翌年から『月曜Monday(もんだい)夜はこれから』という番組のなかで、震災報道を続けていた。国会議員や東京電力の幹部、県知事や市町村の首長らをスタジオに招いては、本音を質した。タレントのカンニング竹山やジャーナリストの堀潤など、県外のゲストと被災地を回り、率直な感想を語らせたこともある。大和田自身、仮設住宅に住む被災者を週に何度も訪ねて困りごとに耳を傾けた。だが、震災から5年が過ぎた2016年、震災報道の潮目を感じる。前年に福島ラジオを定年退職した後も、フリーランスの立場で続投していたが、会社の幹部に番組の終了を告げられてしまうのだ。「もう十分、震災報道の役割は果たしたよ」震災当初は全社一丸となって報道に取り組んだが、時がたち、その熱量は失われていた。福島を地場とする広告主への配慮も見え隠れした。大和田はふくしまFMに場を移し、『伝えるラジオ福島リアル』という番組を2017年に始める。相方に福島大学の学生だった上石美咲さん(23)を抜擢した。中学2年生で3・11を体験し、大学生になると都市計画の研究室に所属。浪江町の仮設住宅で調査を重ねた上石さんから、大和田は思ってもいなかったことを言われる。「原発に行ってみたい」動機は、特産の桃をキャンペーンする「ミスピーチ」として県外のデパートで試食会をしたときの屈辱だった。口にした桃を福島産と知って吐き出す人がいたのだ。大和田はこう諭したという。「きちんと説明できないあなたにも責任がある。農家の人たちは放射線量を厳しく測定し、出荷しています。数値はすべて平均以下です。買う買わないはお客さまの勝手ですけど、身体に影響のあるものをもってきているわけではありません。風評被害に対し、きちんと説明すべきだった」大和田の厳しい言葉を受け、上石さんの真実を知りたいという気持ちは固まった。「正直、不安はありました。親もずいぶん心配しました。でも、医師の話を聞いたり、公表されている数値を調べて、自分なりに納得できる入構の理由を見つけていきました。案内してくれた東電の人は学生の疑問にも真剣に向き合い、きちんと答えてくれました。なにかを隠していると疑っていましたが、少なくともこの方の言っていることは信用できると思いました」以来、大和田は希望する学生に原発を取材させては番組のゲストに呼び、感想を尋ねてきた。その回数は第一原子力発電所(1F)に20回、第二原子力発電所(2F)に8回で、のべ88人におよぶ(2020年2月現在)。「負の遺産を若者に押しつけるのは申し訳ないけど、廃炉にはまだ40年、50年とかかる見込みです。そのときいまの大学生は60代、70代になっています。次世代に伝え、託していかなくてはならないと思うようになっていきました」自分の目で確かめるまで、原発の状況は事故当初とさほど変わらないと考える学生が少なくないと大和田は言う。■ふるさとを取り戻すために視察者にはまず、東電の担当者が経緯と進行状況を説明する。それによれば、事故後8か月くらいは不安定な状況にあったが、注水がうまくできるようになってから、危機が次第に収束していった。さらに構内の地表面をモルタルで覆う「フェーシング」の進んだ2015年を境に、空間放射線量が少しずつ減り、作業員の装備が徐々に軽くなっていく。一方、燃料取り出し装置のトラブルで延期を繰り返すなど、廃炉に向け、一進一退を繰り返しているわけだ。大和田が決まって学生たちと作業員向けの社員食堂で食事をするのも、現状を知ってもらうためだ。「作業員の方々は地面に座って冷たいお弁当を食べていると思っている学生が多いのですが、2015年にこの社食ができて、温かな食事ができるようになりました。毎日5種類から選べ、これがとてもおいしいんですよ。環境が改善され、作業員のケガや事故が激減しました。視察の感想を自分の言葉で書くように言っていますが、“廃炉に向けて大事なのは作業環境ですね”などと、作業員の笑顔が見られる食堂のことに触れる学生が多いんです」栃木県出身の川島史奈さん(21)が進学先に福島大学を選んだのは、福島の現実を学びたいとの一心からだった。「東電は住民の方々をひどい目にあわせたとずっと考え、敵愾心さえもっていました。しかし、いま第一原発で働く4000人あまりの作業員のうち、6割近くが地元の方だと知り、意識を改めました。みなさん、ふるさとを取り戻そうと必死なんだと気づかされたのです」こうして原発を視察した学生に対して、「いつまでも見てきたと言うな。同じことをずっと言っていては事実ではなくなる」と大和田は必ず釘を刺す。何度も入構してきて、状況が一変するのを目の当たりにしてきたからだ。視察の窓口を務めるのは東京電力福島復興本社の広報部長・岡崎誠さん(52)。さまざまな目的をもつ学生を受け入れる背景には、大和田との深い信頼関係がうかがえる。2016年の人事異動で福島に来た岡崎さんは、ここで何をすべきか、大和田に教わったと話す。「震災から5年過ぎていましたので、遅れを取り戻したい気持ちもあって、大和田さんの話をよく聞いたり、あるいは大和田さんとご縁のある方と付き合うようになりました。会社の机に座って仕事をしているだけではわからないたくさんのことを、大和田さんがハブのようなかたちになって、教えてくれたんではないかなと思います。復興で肝心なのは、東京電力で働く者が浜通りに居続けること。単身赴任が多いので人の入れ替わりもあるのですが、累々と思いをつないでいくことで、人の営みとしてなにかが生まれ、はじめて新しい街ができていくのではないでしょうか」大和田は被災者を数ではなく、ひとりひとりの声として伝えてきた。東日本大震災ではなく、「東日本・津波・原発事故大震災」と呼ぶべきだとも提唱してきた。当然、東電に対する激しい怒りも番組で何度もぶつけた。2018年に東京電力本社でおこなった社員向けの講演では、東電内の温度差を強く批判した。「東京の東電と、福島の東電はまったくの別会社だ。東京の社員にとって福島なんて、他人事でしょ?でも、現場に携わる東電の社員はみなさん、命がけですよ」事故を起こした責任から、福島を忘れずに仕事をしているつもりでいた社員は大和田の語る福島の状況を知り、「びっくりした」「想像もつかなかった」と感想を綴った。そこに温度差を見いだし、「東電にはいま2つ会社がある。1つにならなければならない」と放送で指摘した。■メディアの報じる“復興”は“復旧”にすぎない講演を聞いた東京電力社長の小早川智明さん(56)から、「私たちが福島にできることはなんですか?」と尋ねられ、大和田は「あなたが福島に来ることです」と断言したという。以来、小早川さんは、お祭りや植樹祭など地域の催しを訪れては、被災者ひとりひとりに頭を下げて回っている。震災後、東京電力の社長は3回代わっているが、知事や市町村の首長に謝ることはあっても、一般の人々にそのような姿勢を見せる者はいなかった。大和田の送りつづけた被災地の声が、ようやくトップに届いたのである。大和田の事務所は、福島大学にほど近い学生向けアパートの一室にある。ここから車で学生を案内する。ナンバープレートの「20-11」には、あの日を忘れないでほしいとの願いが込められている。「原発の現状を見ることで、廃炉までどのような道をたどればよいかを考えてもらうきっかけになればと思っています。単に原発に反対か賛成かではなく、この先エネルギーをどうしていくのか、日本の将来にきちんと向き合い、考えてほしいのです」第一原発へは福島市と浜通りと呼ばれる福島県の沿岸部を結ぶ、国道114号線を走る。この山峡の道は途中、浪江町の帰還困難区域で原発事故以来、通行規制がなされていた。2017年に解除されたが、いまもオートバイや自転車で通ったり、道を歩くのは禁じられ、いたるところで脇道が封鎖される。年間放射線量が50ミリシーベルトを超える場所がまだあるためだ。「ここは浪江町の津島と呼ばれる地区です。町内では原発からいちばん離れているので安全だろうと、町長はここに町民を避難させました。国も県も情報を出さないのでわからなかったのですが、このあたりの放射線量がもっとも高かったのが後でわかりました。私も取材で来ましたが、車のなかで100マイクロシーベルトを記録したこともありました。町民を被ばくさせたと、亡くなった町長は泣いて謝っていて、かわいそうでしたよ」国道の通行量はそれほど多くはないものの、除染土を運んで隊列をなす大型ダンプカーとひっきりなしにすれ違う。除染土を入れたフレコンバッグと呼ばれる黒い袋の山も目につく。家の前には大きなバリケードが置かれ、ひっそり静まり返る。時間の経過を物語るように、生い茂る木立に埋もれた家もある。典型的な被災地の風景を見て、他県からはじめて訪れた大学生は誰もが驚き、復興にはほど遠いとの印象をもつ。事実、いまも4万人が避難生活を送る。昨年だけで36人の震災関連死が出て、うち13人自殺しているのが福島の現状だ。「道路や鉄道が開通したり、学校や病院ができるたび、復興だとメディアは騒ぎますが、それは“復旧”にすぎません。復興とは亡くなった家族の分まで、一生懸命に生きていくことだと私は思います。震災関連死を止めない限り、福島の復興はありえません」■ポルノ映画の解説が原点!?大和田は福島の出身ではない。神奈川県の横須賀に生まれ、逗子の高校に通っていた。かつての夢は福祉の仕事に就くこと。同級生が中途失明し、頼まれるがまま手伝うようになったことがきっかけだ。「教科書を読んで聞かせ、ポルノ映画を見ながら場面を解説してほしいと頼まれたこともありました。よがり声がすると、なんでだって聞くんです。“おっぱい、もんでんだよ”“どっちのおっぱいだ?”“右だ”“どっちの手でもんでんだ”という具合に、細かく聞いてきたりしてね(笑)。見えない人に状況を正しく伝えるにはどうしたらよいかを考えた経験は、ラジオの仕事で活きたかもしれませんね」視覚障害者の支援施設で朗読のボランティアをし、「大学を卒業したら、ここで働きたい」と館長に申し出た。喜んでもらえるとばかり思っていたが、予期せぬ答えが返ってきたという。「本当に視覚障害者の人たちと付き合っていこうと思っているのであれば、それを生業にしてはいけません。福祉を仕事にしてしまうと、福祉本来の意味がわからなくなります。ですから、それを外から見る仕事を選びなさい」中央大学の法学部に進学し、一時は法律関係に進もうとも考えたが、しゃべるのが好きなことからラジオのアナウンサーを希望した。1970年代、深夜放送が流行り、ラジオは人気の就職先だった。キー局を中心に10社近くを受けたがうまくいかず、最終面接まで漕ぎつけたラジオ局も落とされた。「推薦するから、ラジオ福島を受けてみないか」どうしたわけか、面接を担当したアナウンサーが救いの手をさしのべてきた。1977年、ラジオ福島に入社。当時は福島がどこにあるかも漠然としか知らなかった。3年ほど修業してフリーアナウンサーに転じ、東京で仕事をしようとひそかに考えていたのだという。「気持ちを読まれたのか、歴史のある競馬場があるから、福島を好きになるには、競馬のアナウンサーがいいと先輩に言われました。4年目にようやく実況中継ができるようになり、ドラマがあっておもしろいと評判になりました。いつしか東京で仕事をしたいとは思わなくなっていました」1986年、アイドル歌手の岡田有希子さんが自殺し、後を追う若者が相次いだのが転機になった。担当していた深夜放送にも、自殺をほのめかす手紙や電話が届いたのである。「死ぬな、死ぬな」と必死に呼びかけても、いまひとつ手応えがない。リスナーにはいじめにあったり、親が離婚し、心に悩みを抱える若者が多かった。命の大切さをわかってもらうにはどうしたらよいかを考え、障害のある2人の難病患者と番組づくりをはじめた。視聴者から感想が山ほど届き、高校生がスタジオに遊びにくるほど人気になった。■被災地の小学生から贈られた言葉視覚障害者との交流はいまもつづく。福島市内で鍼灸院を開く中途失明者の星純平さん(44)はそのひとり。3・11の日、電気が5日間、水道が7日間も止まるなか、ラジオから流れる大和田の声に家族と耳を傾けた。「アナウンサーの仕事は、目の前にきた原稿を読み上げるだけだと思っていましたが、“いまきたこの被災者の人数は正確かどうかわからないので読めない”と言っていました。すごく人間味のある人だなと思いました」フルマラソンに出る星さんを取材するため、はじめて実際に会った日のこと。あまりに走るのが速いものだから、「本当は目が見えているんだろう」と大和田は口にした。星さんはびっくりしたという。「親が腫れ物でも触るように接してきたのとは対照的でした。腹が立ちましたが、視覚障害者と長い付き合いがあるのを知り、障害があるからといって区別しない大和田さんの真意を読み取りました」震災報道を通じて県民から厚い信頼を集める大和田に、2019年、参議院選挙への出馬要請があった。国政に出ればこれまでとはちがうかたちで、被災者や被災地への支援ができる。最後の最後まで悩みながら、周囲に相談した。そのひとりである川内村村長の遠藤さんは「スケベ根性を出すな」と止めたと話す。「大和田さんの判断基準は常に被災者の立場、視聴者の立場にあるのだと思います。政治的に中立を守り、特定の組織に忖度することなく、自由に物を言ってきたからこそ共感を集めてきました。リスナーが信頼するのはラジオ局ではなく、大和田さん個人なんです。政治家になって一方向からしか発言できなくなるとしたら、彼らしくないかなとぼくは思いました」大和田も、かつて視覚障害者を支援する施設の館長に言われた言葉を思い出していた。「学校の先生が教育を見失うように、政治家が一般国民の気持ちがわからないように、ひとつの世界にどっぷりつかってはだめなんですね」大和田の仕事部屋には、2013年度日本民間放送連盟賞を受賞したとき、被災地の小学生から送られた手紙が額に入れられ、飾られている。そこには手書き文字で、「伝えることの大切さ伝わることのすばらしさ」とある。大和田は子どもに贈られた言葉の意味を噛みしめ、全国でおこなう講演のタイトルにしている。福島県のおかれた状況が、全国にきちんと伝わっていないのを大和田は歯がゆく思ってきた。帰還困難区域以外では、普通の暮らしが変わらずあるにもかかわらず、震災直後のイメージを拭えずにいる人が少なくない。まるで日本が福島と、それ以外で分断されているかのようだ。「原発でなにか問題が生じると、メディアは大きく報じますが、改善されてもまず伝えません。人々の頭のなかで時間がいつまでも止まったままになりがちなのはそのためです。放射線についての科学的な知識はいまだ周知されておらず、福島に来たことのない政治家が的はずれなことを言い出すこともあります。こうしたなか、私たち福島県民には、原発事故を正しく、県内にも県外にも、そして世界にも伝えていく責任があります。でも、いまだに放射能と放射線の違いがわからない福島県民もいる。これから福島の復興に必要なのは教育ですよ」現場に行かなければなにも伝えられないと考える大和田は、この3月にも3回に分け、10人あまりの学生を原発の視察に連れて行く。3・11を原体験にもつ若者の発信は真摯で、社会がその声に耳を傾け、認めていくことが真の復興につながると期待してやまない。大和田は「伝える」の先にある未来を見据えている。取材・文・撮影/増田幸弘ますだ・ゆきひろフリーの記者・編集者。スロヴァキアを拠点に、国内外を取材・おもな著作に『独裁者のブーツイラストは抵抗する』(共和国)、『イマイキテル自閉症兄弟の物語』(明石書店)、『プラハのシュタイナー学校』(白水社)などがある
2020年03月11日城咲仁、期間限定でホストに復帰撮影/矢島泰輔神の再降臨が、東洋一の歓楽街に流れる風を変えた――。元カリスマホストでタレントの城咲仁(42)が、古巣である東京・新宿歌舞伎町の老舗ホストクラブ『愛本店』において、2019年12月の1か月間限定でホストに復帰。年の瀬でにぎわう歌舞伎町にさらなる彩りを添えた。■今の僕なんておっさんなのに店の前には、黒木瞳、吉田沙保里、錦野旦、杉本彩、カンニング竹山など、城咲のホスト復帰を祝う錚々たる芸能人の名前が連なり、行きかう人々の足を止めていた。城咲を目当てに訪れる客のおかげで、『愛本店』は連日いつも以上の賑わいを見せたという。また、忍成修吾や山咲トオルといった芸能人も訪れ、ますます華やかになったようだ。『愛本店』の前身である『クラブ愛』では5年連続でナンバーワンを維持し、年収が1億円を超えていたことから「夜の1億円プレイヤー」と呼ばれたことも。だが2005年に突如、引退しその後はタレントとして活動をしてきた。そんななか、城咲の原点ともいえる『愛本店』の現店舗が、建物の老朽化のため、2020年6月をもって取り壊されることが決定。移転先は未定という。今回の期間限定の復帰は、まだ現店舗が現存するうちに最後の花火を打ち上げようと、城咲がひと肌脱いだ、という形だ。1971年創業の『愛本店』といえば、ダンスホールと生演奏のバンドを所有し、その独特な煌びやかさで国内外からも注目を浴びてきた。アメリカのファッションブランド「マークジェイコブス」が貸し切りパーティを開催したり、映画やミュージシャンのPV撮影などの依頼が引きも切らないという。そんな原点の場所で1か月間復帰してみて、城咲は何を思ったのか。昨今、再びホストたちが話題になることが増えたが、そのあたりについてどう感じているのか。また、今後の『愛本店』には何を望み、どう関わっていくのか。城咲の後輩であり、『愛本店』代表の壱さん(37)同席のもと、今の思いを聞いてみた。――1か月間お疲れさまでした。来店したお客さまの反応は?城咲「会いたかった!うれしい~!」という方が大半でしたね。「これぞ本当のホスト。エンターテイナーとしてすごい」とか、「子どものころ、テレビで見ていて、いつか来てみたかった」とか言っていただきました。昔の指名客の方も2人ほど来てくれました。芸能界に入るとき、この世界には二度と戻って来ないと決心して、当時のお客さんたちの連絡先はすべて消去してしまっていたから、僕は待つことしかできなかったので。ネットのニュースを見て、わざわざ会いに来てくれたわけだから、本当にうれしかったですね。あと、同業(ホスト)のお客さんも多くて、地方から団体で来てくれました。「小中学校のときにテレビで見て、憧れてホストになったんです」という子が何人もいました。なかでも、子どものころから僕が好きで、源氏名を「白(しろ)咲(さき)仁(じん)」にしたという人気ホストの子が在籍している『TOPDANDY premiere』の社長さんと一緒に来てくれたんです。復帰のテーマが「ライバルは自分。テーマは『城咲仁 VS 城咲仁』」だったんですが、本当に「しろさきじん」がやって来たという(笑)。その白咲くんは本当に僕のファンだったそうで、手が震えていて思いっきり緊張していたんですよ。ちょっと感激しましたね。ただ、彼らにしてみたら今の僕なんて十分おっさんなのに、そのおっさんを見てカッコいい、憧れると言ってくれる。彼らが今よりもっといいホストになって、かついい男になるためにも、僕と会ったことを今後につなげてくれたらうれしいですね。14年も現場を離れていたから、今のホストクラブは以前とノリが全然違っていたらどうしようと不安もありましたが、僕の接客に誰もが本当に喜んでくれた。人が求めているものって根本的には変わらないんだな、と思いました。でも、調子をつかむのに2、3日はかかりました。■あの場にいられたことは人生の財産初日から最終日までで5回来てくれた方がいるんですが、「最初の方はなんだかかしこまっていて、あのカリスマホストの仁さんでも緊張するんだと思った」と言われました。でも彼女が言うには、その変化も楽しかったとか。おかげさまで、日にちを重ねるごとに勘を取り戻すことができて、これまで培った「『愛本店』のホストとしての城咲仁」らしさが出せていけたのかな、と思います。そうはいっても、あと何日かしたら自分の中で「あのとき、ああすればよかったかな」と反省点が出てきそうな気もします。答えはない仕事ですからね。壱さん仁さんが来てくれた1か月は、店の中はもちろん、店の外までいつもより華やかでしたね。オーラが店の外まで感じられるというか。ホストを引退してから14年もたつのに全くブランクを感じさせず、話術や人を引き付ける力はさすがだと思いました。――14年ぶりにホストをしてみて、当時と決定的に違うなと思ったことは?城咲いろんな意味でカジュアルになったな、と思いました。僕がいたころの『クラブ愛(※愛本店の旧名)』は、午後7時から0時の1部、0時から朝までの2部と、2つに分かれていたんですが、雰囲気が違いましたからね(※風営法改正されたため現在、歌舞伎町では0時以降の営業できない)。現在はその1部の時間帯の営業しかしていないから、ということもあるかもしれません。午後7時くらいからだと、まだお酒が入っていない状態でいらっしゃるお客さまも多いので、堅苦しくなく、すぐに打ち解けられるような雰囲気が好まれる。カジュアルな、いわゆる親しい友達的なホストのほうが喜ばれるのかな、と思いました。それが最近のホストの傾向なのかもしれないですね。僕に会いに来てくれたホストの子たちもそうだったけど、『愛本店』以外の場合、一目で見て「ホスト」とわかる感じの子はまずいないですね。僕が働いていたのは0時から朝までの2部だったので、お店を終えてからやって来る夜の仕事の方や、『愛』が2軒目、3軒目の方なども多かったので、緊張感や盛り上がりがすごかったですね。当時はホストも100人くらい在籍していました。しかし、その独特の緊張感や盛り上がりで磨かれたと思うし、あの場にいられたことは本当に人生の財産です。とにかく「ホストとして存在すること」にこだわることを学びました。服装から所作、姿勢、お酒の出し方まで厳しく言ってくれるお客さんも結構いて、「24時間、最高の男として振る舞わないといいホストになれないよ」と、毎回きついダメ出しをしてくるんですけど、チップをはずんでくれたりして、そのあたりがとてもスマートなんですね。こちらも、次はほめられるようにと頑張ったものでした。また、いつもビシッとしていて、しぐさや会話で女性をメロメロにさせる危険な魅力のある先輩たちが何人もいました。そんな先輩のしぐさや立ち振る舞いを盗み見て、どうしたらあんなに男の色気を出せるんだろう、「悪い男だな~」がほめ言葉になる男になれるんだろうと、時間があれば分析をしていました。とはいえ彼らと僕は違うから、僕ができること、僕ができないこと、こうしたら喜ばれた……ということを書き出して考えたりして、常に売れっ子でいられるようにいろんな努力をしていましたね。■「『愛本店』をなめるな」ヘルプのころから、フリーのお客(指名のホストがいない客)を見つけると、違うテーブルにいながら不快に思われずにアピールする方法を考えていました。ナンバーワンになってからも、自分のまうしろ以外、いつも300度くらいを視野に入れているつもりでしたね。指名のお客さまと一緒にいるときも、すぐ近くを通ろうとするフリーのお客さんにもアピールしたりとか。いろいろ“技”を考えたんですよ。壱さん僕も2部にいて、仁さんとは2年ほど一緒にお仕事させていただいたんですが、仁さんが店内に入るだけで空気が変わるんです。店内でも歌舞伎町でも、仁さんが通ると男性も女性も振り返っていたほど。お客さんたちにとって仁さんは「恋人に会いに来る」というより、仁さんのふるまいや勢いを楽しみに来る感じなんです。その場の空気が一気に華やかになる。ふと手をあげたときの指先までもがかっこいいんですよ。なのに、テーブルのお客さんはもちろん、テーブルにいながら、来店したばかりのお客さんに対しても気配りができた。憧れましたね。城咲そのころから時代は変わったけれども、今回、復帰してみて『愛本店』のブランド力は変わっていないなと思いました。ここにお客として来るのも、ホストとして勤めるのも、かなり敷居が高い。あと、この独特の内装もどこよりも特別感がある。久々に戻ってきて気づいたことがあるんですが、この店って実は普通のホストクラブよりかなり店内が明るいんですね。だから、ホストとしてごまかしがきかないんですよ。所作や表情、身だしなみなどがお客さまにはっきりわかってしまう。僕は『愛』にしか在籍したことがないから、ほかのホストクラブにはお客としてしか行ったことはないんですが、どこのお店に行っても「うわ、暗い」と思いましたね。あと、ホストの子たちがあまりしゃべることができない。お客が僕ということがあるからかもしれないですが(笑)。もうね、「『愛本店』をなめるな」ですよ。お客さんもホストも、『愛本店』を選ぶだけですごいんです。このすごさを維持してほしいし、自覚をしてほしいですよ。その点では、この唯一無二の場所を作った愛田武社長こそがすごかったのかもしれないですね。■AIより『愛本店』ですよ――故・愛田武さんといえば、『クラブ愛』を創業し、のちに歌舞伎町に日本初のホストクラブ・グループ『愛田観光グループ』を作り上げた人物(最後の肩書は会長)。城咲さんを発掘するなど経営者として辣腕をふるっていたものの、脳梗塞に倒れ、長らく闘病生活を送り、’18年10月に逝去されました。城咲愛田社長はおしゃべりな印象がありましたが、実際はそこまでおしゃべりではないというか、スタッフひとりひとりに細かいことを言う人ではなかったんですね。全体ミーティングのときに「売り上げがあげられない人はやめたほうがいい」と、ビシッと言ったりはしましたが、自分の売りは自分で気づけというタイプでした。あと、ホストは夢を見させたり人を癒す商売であり、ホストクラブは非日常の場所、夜のテーマパークだという信念は徹底していましたね。実はこの店の料金設定って、ほかのホストクラブと比べて決して高くはないんです。今回僕は、もっと高くしてもいいと思いました。有名テーマパークの入場料がそれなりにするように、この値段だから愛本店は楽しいんだ、すごいところなんだ、という認識にしてもいいのではないかな、と。ホストが売り上げあげるのって、ある意味簡単なんですよ。いろんな手段で見境なく営業したり、色恋営業をして高いボトルをボンボン入れてもらえばいいんだから。でもそれって、エンターテイナーとして人を楽しませるのとはちょっと違いますよね。そして結果的に長く続かないし、トラブルも起きやすい。ホストの価値は売り上げじゃないと思うんです。人を楽しませたり、悩んでいる人の気持ちを楽にしてあげたり、その楽しい時間を胸に明日から頑張ろうと思わせるのがホストの仕事なんだと思う。ひとりひとりの心に寄り添うって、AIでは決してできない分野です。AIより『愛本店』ですよ(笑)。あと、ホストには年齢は関係ない。でも、人生の経験値というか、深みがモノを言う仕事だと思う。お客さまを楽しませるために、どれだけ人の気持ちに寄り添い、考えることができるか。その点は、今の『愛本店』のスタッフもすごく頑張っていると思います。スタッフをまとめている壱の力もあると思う。これからも愛田社長が作りあげた『愛本店』らしさは貫いてほしい。ただ、壱に言いたいのは、全員に改めて所作の研修をしたほうがいいかもね。お酒の注ぎ方とかグラスの持ち方、アイスペールの運び方、ダンスホールでのお客さまの送りの待ち方とか。結構、気になったよ。壱さんそうですか、すみません。仁さんてあれだけ真剣に接客をしているのに、本当にいろんなところ、隅々までを見ているんですよね。さすがです。この前、全体のミーティングに出ていただいたときも、かなりピリッとして、いい刺激になってありがたかったです。僕は上京してからずっと『愛本店』に勤めているんですが、変化というか、世の中のニーズにあわせてある程度進化はしていったほうがいいと思っています。例えば、ホストにしても、以前はほぼ全員が毎日スーツとネクタイ着用でしたが、最近は金曜から日曜は、ジャケットは着るもののカジュアルな服装でもOKになっています。海外のお客さまも見えるようになりましたし、『愛本店』の店舗に魅力を感じてやってきてくれる方々もいる。6月以降の移転先でも、基本、内装は今のような感じでお願いするんですが、常にプラスアルファの方向性は考えていきたいと思っています。今後もぜひ、仁さんのお力は借りたいですね(笑)。――移転後も、第2弾の復帰は?城咲ないですないです(笑)!でも、壱に言われるなら、いろんな形でサポートをしていきたいとは思っています。“神ホスト”の“神対応”を待ちたいもの!
2020年01月04日芸能人たちのモヤモヤ事件を、スッキリと深いところまで捜査し解決するリアルドキュメントショー「芸能人モヤモヤ事件簿人生の未解決事件は2019年のうちに解決SP」が12月29日(日)に放送される。今回はゲストに、原宿でスカウトされ、アイドルグループ「乙女新党」のメンバーとして活動しながら、女優としても『瀬戸内海賊物語』『暗殺教室』などに出演。数々のCM出演でも話題となり知名度が上がったところで、2017年には連続テレビ小説「わろてんか」のヒロインに抜擢。放送終了後の2018年春には日曜劇場「ブラックペアン」、夏には『青夏 きみに恋した30日』に出演するなど大きな飛躍をみせた葵わかな。小学生の頃から子役として『DIVE!!』などに出演。その後ダンスロックバンド「DISH//」のメンバーに選ばれ、4年連続で元日日本武道館公演を敢行するなど人気に。音楽活動と同時に俳優としても「仰げば尊し」や「隣の家族は青く見える」『君の膵臓をたべたい』などに出演。今年1月クールの日曜劇場「グッドワイフ」で演じた若手弁護士役も評判を呼んだ北村匠海。そのほか人気お笑いコンビ「カミナリ」やコメンテーターとしても活躍するカンニング竹山、俳優の高橋克実、元プロレスラーでタレントとしても活動する北斗晶らも出演。番組では北斗さんが“デンジャラスクイーン”と呼ばれ最強の女子プロレスラーだった頃、アメリカのプロレス団体・WCWで世界女子王座のチャンピオンベルトを獲得したが、その後団体が消滅。北斗さんにとってそのベルトは宝物のような存在だが「果たして自分が持ったままで良いのだろうか?」とモヤモヤしているという…そんな芸能人たちの“モヤモヤ事件”を捜査していく。今回のゲストの葵さんは、世界中で愛され続けるミュージカルの金字塔を同名実写映画化した『キャッツ』で主人公ヴィクトリア役の吹き替えを担当。同作には葵さんのほか山崎育三郎、高橋あず美、ロバート秋山、森崎ウィンらも吹き替えで出演する。北村さんは新春に放送されるSPドラマ「『半沢直樹イヤー記念・エピソードゼロ』~狙われた半沢直樹のパスワード~」に出演。同作は来年4月からの「半沢直樹」(仮)に先駆け放送されるものとなり、半沢直樹が前作で出向を命じられた「東京セントラル証券」に赴任した後に起きるある事件を中心にした物語。主人公に吉沢亮、北村さんのほか今田美桜、吉沢悠、井上芳雄、尾上松也、緒形直人らが出演する。『キャッツ』は2020年1月24日(金)より全国にて公開。「半沢直樹イヤー記念・エピソードゼロ」は2020年1月3日(金)深夜23時15分~TBSにて放送。「芸能人モヤモヤ事件簿人生の未解決事件は2019年のうちに解決SP」は12月29日(日)22時~フジテレビで放送。(笠緒)
2019年12月29日出演者たちが“常識力”対決を繰り広げるクイズ番組「ネプリーグ」。12月16日(月)放送回は、ドラマ「悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~」から主演の加藤シゲアキ、泉谷しげる、国生さゆりらが登場。カンニング竹山、陣内智則、横澤夏子ら「売れっ子芸人チーム」と競い合う。小学生時代にジャニーズ事務所に入所、「NEWS」のメンバーとしてCDデビュー。アーティストとしてだけでなく俳優としても「時をかける少女」「ゼロ 一獲千金ゲーム」などに出演してきたほか、2011年には「ピンクとグレー」で作家デビューも果たし同作は映画化。「傘をもたない蟻たちは」がドラマ化もされるなど多彩な活動で知られる加藤さん。フォークシンガーとしてデビュー、「春夏秋冬」などのヒット曲を世に送り出すと、歌手活動だけでなく演技にも活動領域を広げ『サブイボマスク』「後妻業」など数多くの作品に出演。コメンテーターとしても活躍する泉谷さん。おニャン子クラブのメンバーとして人気を博すとその後女優、バラエティに活動をシフト。番組での歯に衣着せぬコメントも人気の国生さん。この3人に堀内健、林修が加わった「金田一耕助チーム」が、横澤さん、竹山さん、陣内さんらに名倉潤、原田泰造が加わった「売れっ子芸人チーム」と勝負する今夜の本番組。あらゆる分野から出題される穴埋めクイズ「ネプレール」では初登場の泉谷さんが「ネプリーグをぶっ壊していきます」と過激な意気込みを見せる。常識的な日本語の問題が出題される「日本語ツアーズバギー」では探偵役に加え作家という肩書を持つ加藤さんが、大きなプレッシャーを感じながらクイズに挑む。漢検2級を持つ横澤さんらと対戦する。「トロッコアドベンチャー」まで白熱の戦いが繰り広げられる。加藤さんが主演する「悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~」はミステリー&ホラー小説界の巨匠、横溝正史が生んだ“探偵推理小説の金字塔”金田一耕助シリーズのドラマ化作品。怨念めいた村で起きる血で血を洗う争いが描かれるシリーズ屈指の傑作を、加藤さん、泉谷さん、国生さんをはじめ「ジャニーズWEST」小瀧望や中条あやみ、生瀬勝久、寺島しのぶ、古谷一行ら豪華キャストで描く。ドラマ同様、加藤さんがクイズでも“名探偵”ぶりを発揮できるかにも注目だ。土曜プレミアム「悪魔の手毬唄~金田一耕助、ふたたび~」は12月21日(土)21時15分~フジテレビ系にて放送。「ネプリーグ」は12月16日(月)19時~フジテレビ系で放送。(笠緒)
2019年12月16日『月曜から夜ふかし』スタッフの悪意に怒りの熱弁をする桐谷さん「私の意に沿わない放送をされることはしょっちゅうなんですよ」そう熱弁するのは、元棋士の桐谷(きりたに)広人(ひろと)さんだ。関ジャニ∞の村上信五とマツコ・デラックスがMCを務める人気バラエティー番組『月曜から夜ふかし』(以下、『夜ふかし』)への出演で人気を博していたが、10月14日に放送された2時間スペシャルは、およそ1年ぶりの登場だった。「実は、番組スタッフと絶交状態だったので、出演オファーをずっと断っていました」約900社3億円以上の株を保有し、“株主優待だけで生活する人物”として『夜ふかし』に初出演したのは12年ごろだが、その少し前からテレビ出演をしていた。きっかけを作ったのは、投資家の深田萌絵さん。「彼女が毎日放送の『カンニング竹山の銭ナール』に出演していて、そこに出てくれないかと言われたんです。まぁ、しぶしぶ出演したのですが、竹山さんは私をすごく褒めてくれました。“私の事務所に入らないか?桐谷さんは有名になれるから”とも言ってくれて。そのときは芸能人になるつもりがなかったので断ったんですけど、芸能事務所に入るのは狭き門なんだと後で知りましたね」桐谷さんのスター性を見抜いた竹山から、たびたびテレビ出演の依頼が来ていたが、「中居正広さんがMCを務めるフジテレビ系の『うもれびと』という番組に出てくれと言われていたんですが、断っていたんです。すると、ある日、テレビ局から連絡があって、“忙しい中居さんと竹山さんがわざわざスケジュールを作っている。あの中居さんが待っているんだから来て!”と怒られました。まぁ、そこまで言われたら出ようかと」■“ウチにも出てほしい”と頼み込まれ──次にオファーが来たのは、『笑っていいとも!』。これも3か月ほどは出演を断っていたという。「番組を見てみると、出演者がみんな笑ったり、踊ったりしてるんですよ。そのころ、株で大損して暗い人間になっていた私には絶対無理だなと思っていました」だが、懇願されると断りきれない桐谷さん。結局、『いいとも』の出演も決めてしまう。「事前に履歴書を書かされたんですけど、そこに“株式投資を始めたこと”とか“大失恋のこと”とかを記入したんです。それで生放送のスタジオに行くと、ナレーションがいきなり“失恋をきっかけに株式投資を始めた”とか言い出して……。思いがけない展開でしたね。そこに、千原ジュニアという人がいてね、“失恋相手はどんな人でしたか”って聞いてくるんですよ。それはとんでもなく私が騙された恋愛話なんですけど、“年上で水商売の人です”と答えたら会場にドッと笑いが起きて。そしたら、その千原ジュニアが女性の話ばっかり聞いてくるんですよ。本当はVTRも作っていて、“株主優待でたくさん贈られてきたら困るモノは……お米”とかクイズを用意していて、爆笑問題さんとかに質問する予定でした。でも、この千原ジュニアのせいで女性の話ばっかりになっちゃったんですよ」この放送が評判となって、『夜ふかし』への縁がつながっていく――。「『いいとも』を見ていた『夜ふかし』のスタッフから“うちにも出てほしい”と連絡が来ました。それで頼みこまれて、まぁ1回ぐらい、いいかなぁという気持ちになったんです」だが、最初から『夜ふかし』とはモメていたという。「ギャラがいくらなのかを確認しないまま、何度もスタッフと打ち合わせを重ねました。そしたら、撮影前日に日テレの経理から電話があり、“明日のギャラは1万円だ”と言うんです。“終日撮影で1万円なんて冗談じゃない!”と言うと、“では2万円にします”と言われて」金額的に納得していなかった桐谷さんは“明日来ても帰ってもらいますから!”と伝えたという。すると翌日に、「チャイムが鳴って玄関に行くと、菓子折りと現金10万円を持ったスタッフがいて“これでお願いします~”と、深々と頭を下げるんです。1万円が10万円になったら、ヤル気が出ましたね(笑)」彼の独特なキャラクターと、60代とは思えない猛スピードで自転車をこぐ姿が話題に。『夜ふかし』はこんなことを言い出してきたという。「“今後は他番組への出演はすべて禁止”と言われました。さらには、雑誌の取材を受けても“私と自転車が一緒に映った写真はダメ”とか。私の書籍が回収騒ぎになるほど、厳しかったんです」■“ドジなシーン”以外は全カットすっかり人気者となった桐谷さんに、日本将棋連盟から“桐谷さんのうちわを作りたい”という依頼も来たが、「せっかく言ってくれたけど、私と自転車が映っている写真が使えないとなると売れないから止めようと。そうしたら連盟の役員が“顔写真だけでもいいから作らせてほしい”と言ってきたんです。その心意気に感動して、『夜ふかし』とは絶交しようと。これが1回目ですね」すると、喫茶店で『夜ふかし』との話し合いが行われ、日本将棋連盟のイベントを『夜ふかし』で放送するということで手打ちに。だが、それでも規制は緩まなかった。「“講演会なら自転車に乗ってもいいですよね?”と聞くと、すぐに“ダメだ!”と返事が来ました。これでまた絶交しちゃいました」再び、喫茶店で話し合いが行われた。「なぜ、そこまで規制されなければならないのかと聞くと、“メディアに消費されてしまう。桐谷さんには息の長い芸能人になってほしい”なんて言うんですよ。私は当時すでに63歳(笑)。別にずっと芸能界にいるつもりはないと伝えると、“まぁまぁ”と諭されましたけど」絶交2回で規制はなくなったが、出演を重ねるたびに、スタッフへの不満が募っていった。「私がドジをしたシーンばかり放送するんですよ。壁をよじ登るスポーツ『ボルダリング』をやらされたことがあったんですけど、私はスイスイできちゃったんです。そしたらどんどん難易度の高いコースをやらされて……。でも、全部クリアしましたよ。ジムの人も“すごい、最年長記録ですよ!”って褒めてくれたんですけど、放送を見たら全カット。スタッフに詰め寄ったら“桐谷さんのドジなところを撮りたかった。だからボツです”と悪びれもせずに言われました」例の自転車で颯爽と走るシーンにも不満がポロリ。「スタッフらはロケバスに乗っていて、私は必死で自転車こいでるんです。それで、“ハイ、立ちこぎして!”とか指示を出してくる。彼らはバスの中でサンドイッチを食べてくつろいだりして、みんな遊んでるだけなんですよ!」■2部屋分の家賃を払わされるハメに……ロケ日数を突然、増やされてキレたことも。「ニューヨークでロケをしようと提案されて、私も忙しいので“拘束4日間ならOK”と言ったのに、いざスケジュールが来たら8日間になっていた。私が怒って“もうヤメだ、スタッフが遊びたいだけでしょ!”と伝えると、“ハイ、そのとおりです”と開き直って……。それで話し合いになって、“ロケ日数は7日間”“好きな食べものをおごる”という条件を出されました。なので、リーマンショック以降、お金がなくて何年も行けなかった『かに道楽』でカニをごちそうになりました。ニューヨークも行ってみたら、楽しかったんですけどね」いちばんの大ゲンカとなったのが、昨年10月の放送内容だった。「3年前に引っ越しして、いまだ未開封の段ボールが150箱もある状態なのに、スタッフが“引っ越し企画”をどうしてもやりたいと言って聞かないんです。結局、無理やり引っ越ししたもんだから、新居にネット環境が整備できず、何もなくなった前のアパートの部屋で仕事をしていた。その間は、2つ分の家賃を払っていたんですよ」決定的だったのが、スタッフが用意した台本に書かれていた“ひと言”だった。「私は学生時代、いつも寝るときに猫を抱いていたほどの“猫好き”なんでけど、ひとり暮らしだから飼えるわけがないんです。でも、スタッフは“猫を飼え”としつこくて。そこで、ペットショップへ撮影に行って、彼らの台本どおりに“いちばん安い猫はどれですか?”と発言したら、ネットで大炎上。愛猫家からたくさん批判を受けました。私は猫を飼うとしても、ペットショップで買うつもりはまったくなかったのに」さらには、スタッフが買ってきた3000円の猫のぬぐるみを渡されて、「ずっと抱いたまま、何日も撮影をさせられました……。マンションのベランダで猫のぬいぐるみを抱いて空を見るシーンも撮ったんですけど、これもすごい叩かれて。私もスタッフも知らなかったんですけど、マンションのベランダに猫を出すのって“ご法度”なんですってね」この一件で、桐谷さんは『夜ふかし』の打ち上げにも食事会にも参加せず、完全な絶縁状態となっていた。だが、頭を下げられると、なんだかんだ許してしまうようで……。「結局、23年前からファンになってる演歌歌手の山口かおるさんと共演ができるなら、まぁ出演してもいいかなと」23年ぶりに再会した彼女に、いきなり“結婚しよう”と言ってしまったという。「どうも彼女の色気に惑わされちゃったのかな~。でも、23年前にひと目ぼれした女性と再会したもんだから運命というかね……。かおるさんの歌に『最後の恋人』というのがありますが、私も70歳ですから最後の恋かなと思っていまして」桐谷さんにとって、彼女は特別な存在のようだ。「彼女には現金でぶどうを買って送ったんですよ。ポスターを7枚もいただいていたので、お礼をしたかったんです。私は今まで株主優待で得た金券を使った贈り物しかしたことがなかった。現金を使わない私に、初めて現金を使わせたのが彼女なんです。うちの親戚が経営するブドウ園に足を運んで、いちばん高いぶどうを選びましたよ」■『夜ふかし』の“善意”『夜ふかし』では、“松たか子好き”として知られていたが、「昔ね、かわいい動物を見ると仕事の作業効率が上がるって聞いたんで、それなら私は人間の美女を見るのがいいんじゃないかと。それで、『ヤマザキ 春のパンまつり』の松たか子さんの写真がキレイだから集めていました。それで、私が好きということで彼女との対談の話もあったんですが、実は断ったんです。彼女はもう奥さんだし、背が高いしね。対談しても親しくなる可能性はない。先が見えないので」現実的に考えて、独身の山口さんへの思いを募らせたのだろう――。彼女との共演を果たした今回の放送については、「かなり満足のいく出来映えでした。番組側も頑張ってくれたなと思っているんです」昨今、やらせが発覚して打ち切りになる番組が続出しているが、『夜ふかし』はほぼガチだという桐谷さん。「道でコケたり、海鮮丼のワサビが辛くて涙が出たり……。私のドジって、すべてやらせじゃない。ほかにも、携帯で話している女性が写った大きなポスターの前に、私が自転車で停まって、たまたま同じポーズをとったことがありました。これも本当に偶然なんです。あと、自転車で走行中に携帯が鳴ったと思って電話に出たら、近くにいた赤ちゃん連れの母親の携帯が鳴っていて彼女と私の動きがシンクロした。これも偶然。だって1週間ずっと撮りっぱなしで、偶然の一瞬としてとらえたものを20分間にまとめているんですから。ガチなんですよ」今回の放送には『夜ふかし』スタッフの温情も感じたという。山口さんとのボーリングのシーンで、「私は基本、ノーミスなんですが、それができなかったのが悔しくて。すると放送で私のスコアを映さなかった。初めて『夜ふかし』スタッフのやさしさを感じましたね。ネットで《桐谷さん》を検索すると、《ボーリングうまい》って出てくるんですよ。だからスコアを晒されたら本当に恥ずかしいことで……。スタッフが勘弁してくれたんですよね」さらには感謝の言葉もこぼれ出た――。「今は1週間のロケでギャラが30万円。一時は60万円になったこともありました。でも、お金だけじゃない部分も大きい。何回も絶交して、『夜ふかし』に説得されて復縁のパターンでしたけど、今があるのは彼らのおかげとも言えますよね。私の講演料も最初は10万円でしたがすぐに20万、30万円になりましたから。講演会にたくさんの人が集まってくれるのも『夜ふかし』を見てくれた人がほとんどかもしれませんしね」桐谷さんと『夜ふかし』にケンカが絶えないのも、仲のよい証拠。MCの2人も、たまには桐谷さんのグチに付き合ってあげて!
2019年11月15日お笑い芸人・たむらけんじ、カンニング竹山らバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)のレギュラー出演者が8日、ツイッターを通じ、お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志が新局長となっての初収録を報告した。先月25日、俳優・西田敏行の後任として、松本が3代目局長を務めることが発表された。松本は会見で、「僕があんまり変えてはいけないのでは?というのが正直ある。(初代の)上岡(龍太郎)さんもリスペクトしてるし、僕の中では西田さんの次の局長は、(島田)紳助さんではないかなと…。紳助さんに代わって、僕が勝手に命を受けたような気持ちです」と大役への思いを語っていた。たむらはツイッターで「ナイトスクープ松本新局長の初収録」と明かし、「とても新鮮でした! あんなにボケる局長は新鮮です」と興奮。一方の竹山は、「探偵局は走り出しました! 新生松本探偵局業務開始! 今までとは一味違う依頼も始めてます!」と伝える。また、石田靖も「『探偵ナイトスクープ』松本新局長、初収録~色んな緊張感の中、ボケる新局長にスタジオ爆笑」とその雰囲気をつづり、「OAでお確かめください~~」と番組ファンに呼び掛けている。
2019年11月08日出演者が“常識力”対決を繰り広げる「ネプリーグ」の11月4日(月・祝)放送回は2時間SPでオンエア。好評放送中のドラマ「モトカレマニア」から新木優子、高良健吾、小手伸也らが出演するほか、ジャニーズから「Snow Man」の9人も参戦する。「家売るオンナ」や「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班」などで頭角を現すと、「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 3rd season」に「トドメの接吻」などヒット作に立て続けに出演。「SUITS/スーツ」に「トレース~科捜研の男~」と2クール連続で月9ヒロインを務めるなど一気にトップ女優への階段を駆け上がった新木さん。映画『蛇にピアス』での全身刺青姿で大きなインパクトを与えると「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」や『シン・ゴジラ』、朝ドラ「べっぴんさん」などに出演。今年は『アンダー・ユア・ベッド』『葬式の名人』と出演作が連続公開された高良さん。舞台を中心に活躍するなか2018年に「コンフィデンスマンJP」に出演し大ブレイク。新木さんとも共演した「SUITS/スーツ」に日曜劇場「集団左遷!!」などでみせるアクの強いキャラで人気を博す一方、朝ドラ「なつぞら」などでは違う一面をみせるなど実力派として知られる小手さん。今回はこの3人に原田泰造と林修が加わり、チームを結成。ジャニーズ初の気象予報士として知られる阿部亮平をはじめ、岩本照、深澤辰哉、向井康二、ラウール、渡辺翔太、宮舘涼太、目黒蓮、佐久間大介の9名で構成され、YouTubeチャンネルを開設しネットから話題となると、来年2020年1月22日(水)には「SixTONES」との2組同時メジャーデビューも決定した「Snow Man」もチームで参戦。さらに今回はスペシャルということで復帰した名倉潤、大久保佳代子、岡田結実、陣内智則、カンニング竹山ら「売れっ子芸能人チーム」がそこに絡み、三つ巴の対決を繰り広げる。今回ゲストで参戦した新木さん、高良さん、小手さんが出演中のドラマ「モトカレマニア」は、元カレの存在が忘れられず“モトカレマニア(MKM)”になった主人公と、それを取り巻く人々の物語。主人公のユリカを演じる新木さん、そのモトカレ・マコチ役の高良さん、2人の上司を演じる小手さんをはじめ浜野謙太、「ガンバレルーヤ」よしこ、田中みな実、山口紗弥加らが出演。「モトカレマニア」は毎週木曜22時~フジテレビ系で放送中。「ネプリーグ」2時間SPは11月4日(月・祝)19時~フジテレビ系で放送。(笠緒)
2019年11月04日大河ドラマ『いだてん』がクランクアップ主演の中村勘九郎(写真左)と阿部サダヲ(同右)(c)NHKいよいよ1964年東京オリンピック編に突入する大河ドラマ『いだてん』。何かと視聴者をザワつかせたけれど、最終章には豪華キャストも新登場!“いだてんワールド”を堪能しちゃいましょう。■身近な有名人も続々登場!これまで駆け抜けてきた金栗四三役の中村勘九郎と田畑政治役の阿部サダヲが、ついにクランクアップ!「今はまだ実感がわかないんですけれど、これだけ長い作品に携わると、もうファミリーになっていますので、このチームと別れるのはさみしいですね。役者人生の宝物になりました。本当に1年半、ありがとうございました!」(中村)「田畑政治のことが好きなので、まだやっていたいという気持ちもあります。かかわった役者の数がものすごく、中でも治五郎(役所広司)さんとのシーンが思い出に残っています。今日、最後の撮影でも頭をよぎりました。みなさん本当にお疲れさまでした。楽しかったです」(阿部)クライマックスを迎えてもまだまだ波瀾万丈な(?)物語も加速していく中、『いだてん』制作統括の訓覇圭プロデューサーに、今後の見どころや展開を教えてもらいました!Q. 今後の見どころは?A. 1940年の東京オリンピック返上、そして敗戦を経た田畑たちが1964年の東京オリンピックにどのような希望を託していったのかを描いていきます。時代が現在にグッと近づくので、東洋の魔女、市川崑、丹下健三など、身近な有名人も続々登場します。高度経済成長を迎え活気に満ちた東京を舞台に、これまで紡いできた金栗四三、田畑政治、そして古今亭志ん生の物語が東京オリンピック当日に向かってどう結びつき、クライマックスを迎えるのか、注目してください。Q. これからどんな展開が待ち受けてる……?A. 第40回(10月20日放送予定)で東京へのオリンピック招致が決定しますが、そこから開催まで、順風満帆とはいきません。選手村をどこにするか、ポスターのデザイン、聖火リレーのコース、盛り上がらない日本国内など、2019年の今と重なるような問題が山積み。田畑は持ち前の勢いで半ば強引に問題を解決していきますが、そこに浅野忠信さん演じる川島正次郎が最大の壁として立ちはだかります。大きな挫折を味わうことになりますが、それでもオリンピック愛を貫く田畑はあきらめません。最終回は1964年10月10日、快晴の開会式当日の朝から始まります。■“オリンピック知事”と呼ばれた●東京都知事/東龍太郎(松重豊)もともとはスポーツ医学の草分けである医師で、日本体育協会会長やIOC委員を務めていたところ、田畑の熱意に押し切られて東京都知事に。1964年東京オリンピックが決まるや“東京大改造”と銘打って首都高速道をはじめとするインフラ整備にまい進し“オリンピック知事”と呼ばれた。●JOC常任委員/岩田幸彰(松坂桃李)元東大ヨット部主将のスポーツマンで、選手としてオリンピック出場を目指していたことも。田畑政治(阿部サダヲ)から懇願され秘書になり、二人三脚のオリンピック人生が始まる。1964年東京オリンピックを成功に導いた立役者。愛称は“いわちん”。●ジャーナリスト/平沢和重(星野源)ニューヨーク領事などを歴任後、外務省を退官。NHK解説委員になり、お茶の間のマダムたちの人気を集める。かつて日本へ向かう氷川丸の船上で嘉納治五郎(役所広司)の最期を看取った人物として、1964年オリンピック開催地を決めるミュンヘンIOC総会で、最終スピーチの大役を任される。■濃〜い俳優陣にも注目●聖火リレー最終ランナー/坂井義則(井之脇海)1945年8月6日、原爆が投下された広島で生まれる。東京オリンピックへ陸上競技で出場を目指すが、代表選考会で落選。田畑によって開会式の最終聖火ランナーに抜擢される。●1964年東京オリンピック バレーボール日本代表監督/大松博文(チュートリアル・徳井義実)女子バレーボール実業団『日紡貝塚』を率い、175連勝という大記録を打ち立てた名監督。その厳しさから“鬼の大松”と呼ばれる。●自民党幹事長・初のオリンピック担当大臣/川島正次郎(浅野忠信)戦前・戦後に活躍した大物政治家。初のオリンピック担当大臣として田畑と対立し、田畑失脚の引き金となる。●タクシー運転手・聖火リレー踏査隊員/森西栄一(東京03・角田晃広)タクシー運転手としての腕を見込まれ『聖火リレー踏査隊』の一員となり、ギリシャ・アテネからシンガポールまでの2万キロの距離を自動車で走破する。●『水明亭』/店主(カンニング竹山)国立競技場のそばにある食堂『水明亭』の主人。オリンピック開会式当日、ひょんなことから聖火リレースタート直前の坂井義則をかくまうことに……。●公式記録映画『東京オリンピック』総監督/市川崑(三谷幸喜)日本を代表する映画監督。黒澤明(増子直純)に代わり急きょ、映画『東京オリンピック』の総監督に就任する。●Information●大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺~』 NHK総合・毎週日曜夜8時~ほか
2019年10月13日現在放送中の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」より、東京オリンピックに関わる人々16名の新キャストが発表された。中村勘九郎と阿部サダヲの2人がリレー形式で主演を務める「いだてん」は、いよいよクライマックスを迎えようとしている。1964年10月10日東京オリンピック開会式。それは、1940年東京オリンピックの悲劇を乗り越えた日本の悲願であり、「いだてん」のゴールでもある。今回発表された新キャストは、三谷幸喜、松田龍平、井上順、立川談春、井之脇海、カンニング竹山、前野健太、増子直純(怒髪天)、浜野謙太、角田晃広、黒田大輔、平原テツ、須藤蓮、川島海荷、吉川愛、駿河太郎の16名。そんな1964年東京オリンピックの実現のために結集した、夢と希望とパワーに満ち溢れた人たちだ。日本を代表する映画監督の三谷さんが演じるのは、黒澤明監督に代わり、急遽、公式記録映画『東京オリンピック』の監督に就任する市川崑。松田さんは、国立代々木競技場を設計した日本建築界の巨匠・丹下健三。井上さんは、東京オリンピック組織委員会会長・津島寿一を演じる。また、1964年東京オリンピックを首相として見届ける内閣総理大臣・池田勇人役を落語家の談春さん。最終聖火ランナー坂井義則役を、連続テレビ小説「ひよっこ」などに出演する井之脇さん。国立競技場のすぐそばにある食堂「水明亭」の主人役をお笑いタレントのカンニング竹山さんが。ほかにも、東京オリンピックのシンボルマークを制作した亀倉雄策役を前野さん。黒澤明監督役を増子さん。歌手・三波春夫役を浜野さん。聖火リレー踏査隊員役を角田さん。選手村の料理長役を黒田さん。東京オリンピック組織委員会選手強化本部副本部長役を平原さん。国旗のスペシャリストとして須藤さん。通訳役に川島さん。田畑政治の娘役に吉川さん。そして航空自衛隊パイロット役に駿河さんが決定した。また脚本の宮藤官九郎は「まだ出るか! まだ出すか! なんで出るんだ!? という超豪華な顔ぶれに驚きを隠せません」と今回のキャスト発表へコメントし、「そんな最終章を楽しむ最良の方法、それは、現在放送中の幻の東京オリンピックパートをしっかり観みることです。今こそ観なくちゃ。戦前の招致活動とその反省が、1964年東京オリンピックへの布石となって結実する。作者として最も心血を注いだ部分であり、手前みそですが、最も大河ドラマ的な流れを意識した部分です」と熱く語っている。大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は毎週日曜日<総合>20時~、<BSプレミアム>18時~<BS4K>9時~放送中。(全47回)(cinemacafe.net)
2019年09月20日国民的人気を誇った映画シリーズ『男はつらいよ』50作目の最新作『男はつらいよお帰り 寅さん』。この度、新撮された登場人物たちの”今“を描く映像と、4Kデジタル修復されて蘇る“寅さん”のシリーズ映像が見事に紡ぎ合う本編が初めて明らかになる予告編が解禁となった。50年の歩みがあったからこそ完成した最新作は、生みの親である山田洋次監督自身が「今まで観たことのない作品が出来た」と驚くほど、奇跡の映画となった。ついにお披露目された予告映像の冒頭には、若き日の母・さくら(倍賞千恵子)、父・博(前田吟)たちが、寅さん(渥美清)を囲み、楽しそうに話している様子が。少年時代の満男(吉岡秀隆)も映し出されている。そして現在――。小説家になった満男と、かつて結婚の約束までした初恋の人・イズミ(後藤久美子)との再会や、年頃の中学3年生の娘(桜田ひより)の姿も。さらに、いつも自分の味方でいてくれた寅さんへの思いが溢れ出る満男の悩める姿が描かれていく。「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ」という寅さんの台詞とともに、満男が涙を流し見つめるその先には…。23年ぶりに女優復帰を果たした後藤さんの映像に、主題歌「男はつらいよ」を歌唱する桑田佳祐、さらに、4K修復されて現代に蘇る寅さんシリーズの映像には要注目。カンニング竹山と出川哲朗の共演シーンもあり、見どころ満載の本予告となっている。『男はつらいよお帰り 寅さん』は12月27日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:男はつらいよお帰り 寅さん 2019年12月27日より全国にて公開©2019松竹株式会社
2019年09月12日7月1日、俳優の鈴木亮平(36)がTBSラジオ「たまむすび」に出演。NHK大河ドラマ「西郷どん」で演じた西郷隆盛の役作りについて語った。鈴木といえば、役に合わせて体形をコントロールする役者として知られている。番組では、やせる方についての質問が多いとコメントした。そこへカンニング竹山(48)が「太り方を教えてください」と投げかけたところ、鈴木は「なんでですか?」と困惑しながらも「西郷どん」の撮影当時をふり返った。太ってお腹が出てしまったため、靴下がはけなかったという鈴木。そんなどっしりとした体形を作るには「ひたすら食べるよりほかに近道はなかった」と明かした。そして1年以上かけ、元の体重よりも25キロほど増やしたことも告白した。また、周囲からは役作りのために「太らなくてもいい」と言われていたとも明かした鈴木。しかし西郷隆盛のどっしりとした体格が役に説得力をもたらすと判断し、太ることを決意したという。そうした決意の背景には、西田敏行(71)の存在があったという。西田は1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」で同役を演じた。鈴木は「まさに西郷そのものだった」と絶賛し、「西田の後に自分が演じるのは凄いプレッシャーだった」とふり返った。これまで「西郷=西田」のイメージだったという竹山は、「西郷どん」以降はイメージが鈴木に変換されたとコメント。これに対して鈴木は「その言葉が一番嬉しい」と喜んだ。今秋には舞台「渦が森団地の眠れない子たち」で藤原竜也(37)と共に小学生役に挑戦する鈴木。5月には同舞台のビジュアルも公開され、鈴木の体形はすっかり元に戻っていた。そんな鈴木に《想像のはるか上を超えてきましたね~》《本当に小学生に見えるから凄いです!》《違和感ねぇーですぜっ!》とファンから絶賛の声があがっていた。
2019年07月02日「テレビで言いたいことを言っても嫌われないのがすごい」と、カンニング竹山(47)を以前から高く評価していた美輪明宏さん(83)。その竹山と異色の対談が実現。幅広く活躍する才能を持つ大先輩が、竹山に授けたアドバイスとは?美輪「私と対談するなんて、不思議だと、そうお思いにならなかった?」竹山「はい。最初マネージャーから話を聞いたときは驚きました。でも、“美輪さんと対談するんだ”と妻に話したら、“美輪さんって、あの美輪さん?なんで?間違ってるんじゃないの!”って。いちばん驚いていました」美輪「“惚れられてるらしい”って言えばよかったのに(笑)」竹山「いやいや(笑)。初めてお話しさせていただいたのは、美輪さんがレギュラー出演されている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)にお邪魔したときです」美輪「もう7~8年ぐらい前になりますね。ところで、竹山さんをはじめ、最近はいろんなお笑いの人たちが、学者さんたちと同じようにコメンテーターとしての扱いも受けていますね。コメントもロジカルで、ふさわしい発言をなさっています。その中でいちばん目立つのがあなたですよ」竹山「ありがとうございます」美輪「政治、経済に関連する読み物を注意して読んだりされていらっしゃる?」竹山「本も読みますし、新聞もインターネットで6紙ぐらい買って、ザッと見ています。世の中で何が起こっているか。新聞によって書き方も違う。そういうのを見比べて読むのも面白い」美輪「右寄りや左寄りとか」竹山「テレビでいろいろ言うときって、いろんな方が見ていらっしゃるわけですから、あまり偏りすぎないように常に中道でいなければいけないと心掛けているところはあります。その中で、右や左じゃなくて、おかしいものはおかしいと言うようにしています」美輪「奥様は何ておっしゃってる?」竹山「妻は意外と反対してますね。コメンテーターとかをやらずに、お笑いだけをやってほしいと思ってるんだと思います」美輪「やはり、できれば波風を立てないでいてほしいのでしょう」竹山「そうですね。僕はまったくその気はないですけど、もし立候補したら妻は離婚するって言ってます(笑)」美輪「政界からそういう要請があるのですか?」竹山「要請はちょこちょこ。話が遠回りで来たりはするんですけど、ぜんぜん興味がないですから」美輪「政治家になったらお終いですよ」竹山「好きなことも言えなくなりますから。ところで美輪さん!僕はこのままのスタンスでやってていいんでしょうか(笑)」美輪「お笑い芸人だからとか、コメンテーターだからとか、別にジャンル分けしないほうがいい。まったく自由でいいと思います」竹山「世間の流れがジャンル分けするようになっている気がする半面、僕は僕だから、分けられるのが嫌だと思ったりして……」美輪「ジャンル分けなんて、全然無視したほうがいいです。そういうことを言いだしたら、私なんかジャンルはめちゃくちゃですから」竹山「(笑)。歌手だし役者だし」美輪「演出家でしょ、舞台美術をやって、衣装も音楽も担当して、作詞・作曲もやる。歌い手としてシャンソンを歌い、クラシックの曲も歌う。役者としてチャンバラもやるし、女形もやる。そうかと思ったら、身の上相談もやる。もうめちゃくちゃでしょ?(笑)」竹山「美輪さんにもおっしゃっていただいたので、これからもいろんなことに自信を持って、やる人になります」美輪「それをおやりになれるのだから、存分に羽を伸ばしておやりになったほうがいいんじゃないですか」竹山「仲間から“おまえは自由に何でもやれていいな”ってたまに言われるんです。それはそれで言われるとうれしいんですけど、自分自身でそれが見えていないことがあって、“俺はこのままでいいんだろうか?”と思うことがあるんです。でも、今日美輪さんとお話しして、このままでいいんだなと確信しました!」美輪「根本的に人柄がよくないと続かない。人柄の悪い人は見透かされます。あなたは人柄がいい。だから、キレ芸で怒りの竹山というのは、結局営業用でしかなかったのよ(笑)」竹山「そんなはっきりと言われても……。自分ではわからないところがありますけど、あと20年ぐらいはまともに頑張りたいと思っていますから」美輪「自然体で“望まれればやれますよ”というスタンスで、これからもおやりになればよろしいと思いますよ」
2019年03月17日「テレビで言いたいことを言っても嫌われないのがすごい」と、カンニング竹山(47)を以前から高く評価していた美輪明宏さん(83)。その竹山と異色の対談が実現。幅広く活躍する才能を持つ大先輩が、竹山に授けたアドバイスとは?美輪「私と対談するなんて、不思議だと、そうお思いにならなかった?」竹山「はい。最初マネージャーから話を聞いたときは驚きました。でも、“美輪さんと対談するんだ”と妻に話したら、“美輪さんって、あの美輪さん?なんで?間違ってるんじゃないの!”って。いちばん驚いていました」美輪「“惚れられてるらしい”って言えばよかったのに(笑)」竹山「いやいや(笑)。初めてお話しさせていただいたのは、美輪さんがレギュラー出演されている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)にお邪魔したときです」美輪「もう7~8年ぐらい前になりますね。じつは竹山さんの履歴を全然存じあげなくて。私は面白いと思った方の人生に興味があって、その方の過去の歴史を詮索するのが趣味なんです。どういう方なんですか?」竹山「僕は東京で芸人になろうと思って19歳で(福岡県から)上京。そこで小学校の同級生(故・中島忠幸さん)と『カンニング』というコンビを組むんです。それから10年ぐらい売れないまま、東京でやっていたんですけど、30歳ぐらいから、漫才ネタで怒ったりすることがウケ出して、なんとなく仕事が上向きになってきたんです。でも、34歳のとき、相方が白血病になって……。36歳で亡くなりました。そこからはずっと1人でやってますね」美輪「その方は今でもずっとあなたを守ってらっしゃるわね」竹山「その相方の息子は今年で中3なんです。うちは子どもがいないので、その息子と一緒にキャンプに行ったり、旅行に連れていったりするんですけど、疑似父親体験みたいで楽しいですね」美輪「お優しいのね」竹山「いやいや、こっちも楽しいし、勉強にもなるんです」美輪「とても素敵な物語じゃありませんか」竹山「そういう感じできてます(笑)」美輪「竹山さんはふだんから、政治や経済などに特別な興味をお持ちなのですか?」竹山「もともと嫌いじゃなかったと思います。小さいころからニュース番組を見るのが好きでしたから。じつは以前から、コメンテーターのオファーがあって、番組でやってみたのですが、なかなかうまくできなくてクビになったりもしてるんですよ。その後ラジオ番組で週1回、3時間のニュース番組を持たされたことがあって、そこでかなり勉強しましたね。それまでは新聞もまともに読まないような生活をしていたので」美輪「お忙しくてそれどころじゃなかったのでしょ?」竹山「まあ、そうですね。ラジオの報道スタッフに鍛えられたというか。そのあたりからニュースが面白くなっちゃって。政治って難しく考えるけど、政治の世界も芸能と同じだな、とか。芸能スキャンダルと同じように捉えればすごくわかりやすいな~とか」美輪「政治も芸能も、水木しげるさんの漫画に出てくるキャラクターのように置き換えて見ると、わかりやすくて何てことないんです。総理大臣や代議士、役人たちを漫画として捉えて見ると単純なことなのに、ジャーナリストが筆を入れると、あたかも複雑で難しい観点で見ざるをえないようになる。その点、竹山さんはわかりやすくコメントされていますね」竹山「ワイドショーでコメンテーターの仕事をするうちに、テレビがものすごく楽しくなってきたんですよね。“ワイドショーってもっと面白くならないかな”“何か変えられないかな”とか」美輪「それはすごいですね。たとえばどういうことですか?」竹山「先日も、東京のJR中央線が止まっているというニュースを朝のトップニュースでやっているんです。受験生や通勤客は大変でしょうけど、停電して新宿-東京間が止まっているだけなんですよ。これは全国の人には関係ないし、前の日の沖縄の県民投票をやったほうが面白くないか?ってスタッフに言ったんです」美輪「ディレクターもプロデューサーも大変ですね」竹山「ただ、もう少し、勝負してもいいのになって。一方で、僕はコメンテーターになろうという気はないんですよ」美輪「そうでしょうね」竹山「本音を言うと、いつクビになっても、いつ辞めてもいいと思っているんです」美輪「それはご自身のレパートリーを増やすだけで、そこに定着するお気持ちがないから。仕事のレパートリーを広げるだけだから、こっちがダメになったらこっちがある。あなたには、そういう余裕がおありになるからでしょう」竹山「僕は11年前から単独ライブを年に1回、4日公演ぐらいでやってるんです。2時間ちょっとネタを作ってしゃべるんですけど、その舞台が主軸にあるから、それが僕の本業なので、コメンテーターをやって他人に何を言われようがこれは本業じゃないから思いっきりできるというか。いつ辞めてもいいし、僕これ本業じゃないですからというのがあるので、気を使わずにおかしいと思うことにはおかしいと言おうと。疑問に感じたことはちゃんと言ったほうがいいと思ってるんです」美輪「余計なことですけど、本業じゃないとおっしゃらないほうがいい。“自分の持ち駒の1つ”と言うほうがいいです」竹山「はい」美輪「“レパートリーが広いですから”“守備範囲が広いですから”とおっしゃっておくといいですよ」竹山「わかりました」
2019年03月16日「テレビで言いたいことを言っても嫌われないのがすごい」と、カンニング竹山(47)を以前から高く評価していた美輪明宏さん(83)。その竹山と異色の対談が実現!美輪「私と対談するなんて、不思議だと、そうお思いにならなかった?」竹山「はい。最初マネージャーから話を聞いたときは驚きました。でも、“美輪さんと対談するんだ”と妻に話したら、“美輪さんって、あの美輪さん?なんで?間違ってるんじゃないの!”って。いちばん驚いていました」美輪「“惚れられてるらしい”って言えばよかったのに(笑)」竹山「いやいや(笑)。初めてお話しさせていただいたのは、美輪さんがレギュラー出演されている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)にお邪魔したときです」美輪「もう7~8年ぐらい前になりますね。ところで、竹山さんをはじめ、最近はいろんなお笑いの人たちが、学者さんたちと同じようにコメンテーターとしての扱いも受けていますね。コメントもロジカルで、ふさわしい発言をなさっています。その中でいちばん目立つのがあなたですよ」竹山「ありがとうございます」美輪「じつは竹山さんの履歴を全然存じあげなくて。私は面白いと思った方の人生に興味があって、その方の過去の歴史を詮索するのが趣味なんです。どういう方なんですか?」竹山「どういう方って……。どこから説明すればよろしいですか?」美輪「お生まれはどちらですか?」竹山「生まれは福岡です」美輪「え~、九州人?」竹山「はい、うちの父親の実家は筑豊、炭鉱ですね」美輪「素敵」竹山「僕は福岡市生まれで、3人きょうだい(兄、姉)の末っ子で育ちました」美輪「私は『ボタ山の星』という筑豊の子どもたちの歌を作っているので、“筑豊”って聞くとなんだかとても親しい感じがします」竹山「僕が小学校4年生ぐらいになるときまでは、父が貿易とか金貸しみたいな商売をやっていて、けっこう裕福でしたね。手広くやっていたみたいですけど」美輪「その当時は、そうでないと生きていけなかった時代ですからね。お父さんも何でもやらないといけない時代だったんですよ」竹山「だから、小学校ぐらいまでは結構お坊ちゃんで育ちましたね。父がもともと貧乏だったのもあると思うんですけど、無理やりバイオリンをやらされたり(笑)」美輪「バイオリンをお弾きになるの?」竹山「もうだいぶ忘れましたけど」美輪「今も持ってらっしゃる?」竹山「最近新しいのを買いました」美輪「ストラディバリウス?」竹山「そんなの買えないですよ。割と普通に売っている数十万円ぐらいのやつを買いました」美輪「裕福な家庭でお育ちになられたのですね」竹山「ところが、父の会社が倒産。生活は一変し、借金生活になりました。当時、まだ小学生でしたけど、いろんなものを見ましたね。“人間って金で変わるんだ”と」美輪「いちばん大事なところを勉強なさったのね」竹山「貧しくなった途端、父と仲がよかった友達たちの態度が豹変しましたからね。親戚連中も態度が変わり……父もどこかに行って家からいなくなりました」美輪「“この人は大丈夫な人間だ”と信じ込んでいた人ほど、豹変するんですよ」竹山「それが高校生になると世はバブルを迎えて、倒産後、どこかに行ってた父が、土地転がしで儲かって家に帰ってきたんです。僕は東京で芸人になろうと思って19歳で上京。そこで小学校の同級生(故・中島忠幸さん)と『カンニング』というコンビを組むんですけど、21歳ぐらいのときにバブルが弾けました。その後父は、何十億円という借金ができるとわかって、商談中の事務所で脳出血で倒れて急死したんです。52歳でした」美輪「ショックだったでしょうね」竹山「そうですね。でも、亡くなって蓋を開けてみると莫大な借金だけが残ってました。父は僕と兄の名前を使い、会社の常務とかにしてたり、僕らの名前で勝手に土地を転がしていたり……。めちゃくちゃしてたな親父!って(笑)」美輪「責任を取られた?」竹山「いえ、遺産放棄という手続きをしたので負債は免れました。でも、何もかもなくなりましたね。唯一残ったのは実家の家だけ。父がだいぶ前に母の名義に変えていたんです。だから、家以外はすべてなくなりました。家だけは母が住めるようになりました」美輪「竹山さんはいろんな経験をされてこられたのですね」竹山「それから10年ぐらい売れないまま、東京でやっていたんですけど、30歳ぐらいから、漫才ネタで怒ったりすることがウケ出して、なんとなく仕事が上向きになってきたんです。でも、34歳のとき、相方が白血病になって……。36歳で亡くなりました。そこからはずっと1人でやってますね」美輪「その方は今でもずっとあなたを守ってらっしゃるわね」
2019年03月15日フリーアナウンサーの赤江珠緒が14日、TBSラジオの番組『赤江珠緒たまむすび』(毎週月曜~金曜 13:00~)で、テクノバンド・電気グルーヴのメンバーで俳優のピエール瀧容疑者について言及した。コカインを摂取したとして麻薬取締法違反の疑いで逮捕された瀧容疑者は、同番組の木曜パートナーを務めていた。14日の放送では、月曜パートナーを務めるカンニング竹山が代役として出演。赤江は「リスナーの皆さんからたくさんメッセージをいただきまして。1,500通以上、瀧さんのことについて思いを語ってくださったメールが届いてます」と感謝した。また、昨日の放送で謝罪したことについて、「瀧さんのことを謝罪してるわけじゃなくて、それは瀧さんがしたことで、瀧さんが謝ることでね。私がリスナーさんに申し訳ないなと思ったのは、『たまむすび』という店だとしたら、朗らかな、どうでもいいバカっぽい話をお昼にお届けするっていうことをモットーにやってきたのに、来てくださったお客さんに、今日はその商品をお届けすることができないっていうことの申し訳なさでの謝罪だった」と説明した。さらに赤江が「これだけうちの店に迷惑をかけよって、いつかタダ働きをさせてもいいんじゃないんですか」と提案すると、竹山は「復帰してちゃんと謝らなきゃだめですから。今は順番がありますから、法律違反をやったから罰がある。まずはそれをやって、そして薬物は病気ですから、治しながら社会復帰しないと。徐々に働けるようになったら、働き出して…」と話した。続けて赤江が「その時にはタダで働かせよう。『たまむすび』のいろいろなことを」と再び提案すると、竹山は「本当にそうですよ。まずはリスナープレゼント、メール出しから」と同調していた。
2019年03月14日