47歳の夏、私は介護の学校に通いました。何かを勉強するのは大学時代以来。若いころに比べたら集中力も記憶力も体力も落ちていますが、かけがえのない私の3カ月間の体験を紹介します。私が出会った仲間たち介護の学校では、いろいろな人と出会いました。特に心に残っているのは、3つの出会いです。1つ目は、同期生たちとの出会い。8人のグループだったのですが、30〜50歳までの幅広い年齢層の男女が集まり、経歴もさまざま。銀行マン、美容師、車の営業マン、工場勤務、パチンコ勤務、林業、カメラ屋勤務、そして私は飲食店勤務。40代が私を含めて4人もいたのですが、新しい扉を開けたくなる時期なのかなと思いました。仲間が持つ背負うもの仲間には皆、背負うものがありました。9カ月の子どもがいる人、病の奥さんがいる人、大病から復帰した人、親を介護している人、思春期の子どもがいる人。未婚、子なしで実家住みの私とは違うなと感じていました。そして、背負うものがある仲間たちは、学ぶことにとても熱心。何も考えず入学した私にも、仲間が持つ熱がどんどん伝染しました。実技で注意されたところは家で復習したり、実技の動画などを見ながら自習するなど工夫していました。このように学習に意欲的になれたのも、素晴らしい同期生に出会えたおかげだと思っています。1番大変だった、グループホームとデイサービスでの実習も、同期生の皆と一緒だったおかげで乗り切ることができました。通信教育という選択肢もありましたが、通学してよかったと思いました。先生や現場での出会い2つ目は、学校の先生との出会いです。実技を教えてくれたのは厳しい先生でしたが、うまくできたときは、たくさん褒めてくれました。先生は30年以上、介護の世界にいるようで、「今は介護の世界は求人の数が多いから、あなたたちが職場を選びなさい。合わないなら他に行きなさい」、「介護福祉士の資格を取れば選択肢が増える、そこで職場を変える人もいる」など、ためになる話をたくさんしてくれました。また、先生ではないですが、実習先の理事長の話も心に残っています。「介護の仕事は転々とする人が多いから、就職前に見学に行くように」、「介護の仕事で辞めたくなるのは、年下の先輩にいろいろ言われたとき。だけど今の介護専門の高校生は、たくさん資格を持っているから、負けるのは当たり前だと思っていい」など、経営者ならではの含蓄のある言葉をいただきました。そして、3つ目は、実習先で出会った施設の利用者さんとの出会いです。利用者さんとお話をしたり、散歩に行ったり、夕食の下準備したり、体操したり、一緒に過ごす時間がとても楽しかったです。また、実習先では「学生さん」と呼ばれることが多かったのですが、ある利用者さんがエプロンに書いてある私の名前で呼んでくれて……! 自分が肯定されている気持ちになり、すごくうれしかったです。まとめ実り多い学生生活を経て、無事に「介護職員初任者研修」を取得し、就職することもできました。スロースターターな私ですが、これからもすてきな仲間たちから教わった、学ぶ気持ちを忘れずに、新しい扉をどんどん開けていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/田久保 さえ東京生まれ、30歳で秋田へ移住。趣味は、世界遺産巡り、登山(これまで日本百名山やキリマンジャロなどでトレッキング経験有り。)など。2023年の夏、職業訓練に通い介護資格を取得。
2024年01月22日私は36歳で現在の会社に転職しました。最初は英語・日本語翻訳という担当で雇用されたのですが、43歳のときに営業職をやってみないかと言われ、突然のキャリアチェンジのオファーにビックリ! それまでのキャリアで営業職に就いたことはありませんでしたが、悩んだ結果、新しい職務に挑戦することに。加齢と戦いながら人生初の営業職に40代でチャレンジした体験談です。36歳で前職とは異なる分野の会社に転職現在の会社に転職したのは36歳のときでした。それまで勤務していた会社をリストラで退職することになり、2カ月間くらいの転職活動を経て転職したのです。転職した会社は外資系企業で、応募したポジションは英語と日本語の翻訳という100%内勤でした。私にとってはまったく新しい分野での仕事で、最初は業界のことを学ぶのに必死。業界内の関係性を理解することから使っている業界用語まで、初めて知ることがたくさんあり、毎日が残業しながら勉強の日々でした。当時のオフィスは小規模でビジネスのサイズに対して人員が不足しており、私も翻訳担当のはずがカスタマーケア、イベント担当、マーケティング資料作成など担当業務内容が広がっていきました。さまざまな業務を担当していくうちに業界のことや扱っているサービスのことを学び、なじみのお客様も増えてどんどん仕事がおもしろいと感じるようになりました。会社の上司にも信頼してもらえるようになってきたと感じ始めていた矢先、会社に勤めて7年目を迎えたタイミングで上司から「営業をやってみないか?」と言われたのです。43歳で訪れたキャリアチェンジの機会私はそれまでのキャリアの中で営業職に就いたことはありませんでした。しかも外資系企業での営業の厳しさはうわさに聞いていたので、営業職のオファーを受けるべきか否かで悩みました。仕事の厳しさとは別に、43歳という自分の年齢でまったく新しい職務に挑戦できるのか?という点にも不安があったのです。43歳という年齢は更年期に向かって一直線という状況です。営業職となると出張も多く、仕事量は圧倒的に増えるため、体力的にも厳しくなるでしょう。不安のほうが大きかったというのが正直な気持ちでした。悩んだ結果、営業職への職務転換について伯母に相談してみることにしました。伯母は大企業で定年まで勤め上げ、当時としては珍しく女性で課長にまでなったキャリアの持ち主です。女性が年齢と戦いながら企業で働く厳しさを知っています。43歳での営業職挑戦について、「女性としては40代後半から50代にかけて体が変化する時期なので加齢との戦いは覚悟しておくことが必要。でも、新しいことにチャレンジするのはやりがいもあるし、やってみたいのなら応援する」と言ってくれました。その言葉を受けて、営業職のオファーを受けることを決めたのです。チャレンジによる責務と加齢との戦い営業職はまったく新しい世界でした。法人営業担当として、名の知れた大企業を相手にそれまでの経験や知識を総動員して、信用・信頼を勝ち得てサービスを導入してもらう。お客様となる新しい企業やその担当者である人々とのお仕事はやりがいを感じると同時にプレッシャーや責任は重く、53歳の今、人生で一番忙しく働いているように思います。そして、10年前の伯母の言葉通り、体力的にはキツいものです。例えば、更年期の症状の1つであるホットフラッシュと闘いながら、日帰りで大阪や神戸に出張に行くことなどはこたえました。40代までは1日に複数のアポイントを入れてお客様訪問をしていましたが、50代になると体力的に厳しくなり1日1つをしっかりこなすように方針転換しました。また、加齢によりだんだん理解力が衰え物覚えが悪くなり、新しい商品やサービスを学ぶのに時間がかかるようになりました。営業なのに扱う商品やサービスを覚えられないのは最悪です。お客様に迷惑をかけることのないように、わからないことや理解できないことは恥ずかしがらず周囲のわかっている人に教えてもらうようにしています。まとめキャリアチェンジの相談をしたときに伯母が言ってくれたように、更年期の症状とともに営業の職務を果たすことは容易ではありません。頭は鈍ってきているし、体力的にも厳しいなぁと感じることもしばしば……。しかし、年齢を重ねても新しいことにチャレンジするチャンスをもらえたことは、とてもありがたいとも感じています。それまで自分が担当してきた翻訳業務やイベント担当、カスタマーケアなどの職務をしっかりこなしてきたからこそ、新しいポジションのオファーがいただけたのだと思っています。お客様との打ち合わせや社内のミーティングなどのスケジュール調整をうまく工夫して、キャパオーバーにならないように心掛けてこれからも頑張ろうと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ST(53歳)更年期と戦いながら外資系企業で働く営業ウーマン。若い子に置いて行かれないように必死で頑張るも、年齢のせいか最近は物覚えの悪さに拍車がかかり、厳しい毎日。家族は夫と猫1匹。
2023年10月19日何年も同じ部署で仕事をしていて、急に他の部署に異動と言われて私はとても驚きました。所属する部署の仕事が好きであることと、その部署でのキャリアアップを図っていたからです。これまで私が思い描いていたキャリアアップが部署異動によって打ち砕かれた気持ちになりました。しかし、視点を変えてポジティブに考えることで、当初思い描いていたキャリアアップを目指すことにした体験談を紹介します。★関連記事:会社が能力主義に変更! 生き残るためにスキルアップを図るべく勉強の必要性を痛感した出来事【体験談】部署異動を言い渡されて私はWeb関連の会社に勤務し、編集部に所属していました。ある日、全体会議が開かれ、突然、部署異動の宣告。悲しみと悔しさでいっぱいになりました。そして辞令が自宅に届き、いよいよ本格的に部署移動が現実で迫っていることを思い知らされます。心の準備ができていなかったのかもしれませんが、これまで所属していた部署では役に立たなかったのではないかと考えてしまい大変落ち込みました。部署のメインの仕事を振ってもらえるチャンスがありましたが、これまでの私の仕事の成果を見た社長がストップをかけ、実現することはありませんでした。再びメインの仕事をもらえるように努力をしてきたつもりですが、それ以降チャンスはなく異動という形にショックを隠せなかったのです。自分のキャリアを棚卸し以前の部署ではあまり役に立たなかったこと、これから先にしたいことを考えると今の自分はどんな位置にいるのかを知りたくなりました。会社からの評価が低く判断されたとき、自分の市場価値がとても低いのではないかとさいなまれました。転職サイトの市場価値診断を受けたり、副業で能力を試してみたりしたものです。ただやみくもに手当たり次第に能力を試していたのですが、これでは今後のキャリアアップにつながらないとわかり、一度見つめ直すことに。自分が本当にしたいことは何か、前の部署にこだわる理由は何かを問いかけました。自分の強みは何か、スキルは市場でどんな価値があるかをシートに書き出しました。シートに自分の強みを書き出したところで、自分に自信を持てるようになりました。編集の仕事以外にも、私が目指すキャリアに通ずる仕事は多いことに気付いたのです。同じ業界で働く姉にも相談すると、姉は大学で学んだものとは別の分野で活躍していることを知り、気持ちが明るくなったのです。部署異動を前向きに捉えるようにそうすると、新しい部署の企画部での仕事は、自分がやりたかった仕事にも関係があり、異動を命じられたことに恥ずかしさや負い目を感じることはなくなりました。副業で以前の部署の仕事をしてスキルを磨こうという考えに収まり、新しい部署で仕事を頑張ろうと思っています。ただ、キャリアアップも視野に入れているので、転職活動を緩くしながら、新部署での業務にあたりスキルを磨こうと考えています。40代の転職は100社以上受ける覚悟が必要と、転職経験のある姉に話を聞いていたので、焦って会社を辞めるのではなく、のんびり転職を進めようと思い始めました。まとめ部署異動を命じられて自分が会社の役に立っていないと思い、とても悲しくなりました。一度下された評価を覆すことは難しく、その後の仕事での成果をきちんと見てもらえるチャンスがないことに不満を覚えたものです。しかし、姉と話したり棚卸しをしたりしたことで、明るく前向きに捉えて部署異動を受け入れられたのです。ひとりで悩みを抱えていても、前に進めなかったので、私を助けてくれる周りの人に感謝しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/サトウユカ著者/Y.N.(44歳)大学生の子どもが2人。自宅で過ごすことが多くなり、パン作りやお菓子作りに励む。季節感を取り入れた生活が好きで、フルーツシロップ作りもしている。
2023年02月27日私は東日本大震災を機に好きな旅行関係の仕事から転職することになりました。しかも、今まで患者として通うことすら苦手ともいえる歯科医院に勤めることになったのです。そのときの私は41歳でした。私の仕事の変遷、働き方についてお話しします。★関連記事:「もう会社に行けない」夫が転職して半年でうつ病に。約2年の療養期間を経て再スタート【体験談 】東日本大震災により退職を余儀なくされた結婚を機に、東京へ引っ越した後からずっと憧れの旅行会社勤務でした。出産を機に仕事を辞めなければいけなくなったのは残念でしたが、娘が小学校へ入学してからは、旅行会社のコールセンターで約7年働きました。しかし、東日本大震災後は長期休暇を余儀なくされました。いろいろと検討した結果、旅行会社は退職することになったのです。私にとっては、こんなに大きな人生の転機はありません。東日本大震災は本当に怖かったですし、しばらくは旅行どころではない雰囲気でしたが、旅行業界から離れることが、本当に悲しかったのです。そんなとき、たまたま近所に歯科医院が開院しました。自宅から近いという点に惹かれた私は、履歴書を手に歯科医院へ面接に行きました。自宅から近い点がよかったのは、愛犬が東日本大震災での経験をきっかけに臆病になったため、働くなら自宅からの近い職場が良いと思っていました。職場が近ければ昼休みにも様子を見に帰れますし、終わるとすぐに帰れるのも安心だと思ったからです。歯科医院での仕事は、今まで経験のない初めての医療業務でしたが、その場で採用となりました。苦手ながらも学んだ歯医者での勤務経験患者として通うのも嫌だった歯医者ですが、歯科助手として勤めながら勉強していくうちに、歯医者が苦手ではなくなりました。歯医者の独特な「キーン」という音や、独特な薬品のにおい、麻酔しているのに痛いのか?など、働きながらその理由や仕組みを学んだためです。しかし、歯科助手の仕事は本当に大変な仕事でした。医師のアシストに付いたときは、少しも気が抜けません。治療している場所を集中して見ているため、目も疲れます。また、立ち仕事なので、足もパンパンです。 朝から医師と二人だけの勤務で、受付から先生のアシスト、洗浄、消毒、最後の診療室の掃除機など、すべてひとりでおこなっていたために、ついに体調を崩してしまいました。精神的にも不調が続き、メンタルクリニックにも通い始めるようになりました私が体調を崩してからは、午後から出勤にさせてもらっていましたが、それでも仕事が終わるのが、夜の9時や10時です。診療時間は夜7時までだったのですが、治療が終わってから2時間は洗浄、消毒に時間がかかりました。ついに体も心も疲れ果てて歯科衛生士は、歯医者では必要不可欠な人材です。同じ過ちをしたとしても、同僚の歯科衛生士は許してもらえても、歯科助手の私はやり直しをさせられました。歯科衛生士は時間が来ると帰ってしまいますが、私は仕事が終わるまで仕事をします。歯科衛生士との待遇の差もありますが、コロナ禍でさらに消毒の手間も増え、疲れ切ってしまいました。休憩もままならないのですが、受付の方が休憩しているコーヒーのにおいを嗅いで、休憩した気分に浸るのが精一杯です。こんな生活に、本当に体と心が悲鳴を上げていたのです。さらに追い打ちをかけるかのように、施設に入っていた祖母が入院したという知らせが入りました。状態も良くないとの連絡です。私はお休みをもらい、帰省しますが、コロナ禍で入院している病院に入れてもらえません。それでも祖母の容態が気になり、すぐに東京へは戻ることができませんでした。祖母に会えないのなら、すぐに仕事へ戻れば良いのでは?と思われるかもしれませんが、私は幼いころから、祖父母に育てられたと言っても過言ではありませんから、会えなくてもそばにいたかったのです。退職し、新たな生活に挑戦中!祖母のこともあり、私は51歳で歯科医院の退職を決意しました。大切な人とお別れもできない職場にいることも、悲しくなってきたのです。結局は祖母に会えないままでしたが、1週間は病院に毎日通い続けることができました。退職後、祖母との別れを悲しむのを避けるために、すぐにWebライティング実務士の資格を取得し、持病を持っているわが家の老犬もいるので、在宅で仕事をすることにしました。さらに、歯科助手経験を小冊子にして出しました。私自身が勉強になったことや、意外と歯医者選びに困っている患者さんも多かったので、役に立てればと思ったのです。1年間修行した歯医者の先生が受付に置いてくれています。心は相変わらずで引き続きメンタルクリニックに通っています。いつもキャパを超えないようにと先生に言われてしまいます。まとめ私にとっては、東日本大震災が大きな人生の転機となりました。ずっと続けてきた大好きな旅行業界から、まさか患者として苦手意識を持っていた歯科医院に勤務するとは思っていませんでした。でも今となっては、良い勉強と良い経験になったと思っています。歯科医院では薬について扱うことも多かったため、薬にも興味を持ち、「登録販売者」の勉強もしています。気付けば、東日本大震災から12年たとうとしています。やはり昔ほど頑張りも利かず、心と体は悲鳴を上げていました。これからは、無理をしない範囲で仕事をしようと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/takaramomo(52歳)2021年に歯科助手を退職し、現在はWebライターとして活動中。夫と生まれる前から反抗期の25歳の娘、宝物わんこの桃太郎くんが唯一の癒やし。好奇心旺盛なアラフィフゆえ寺・国内地理・城郭・日本茶・救急救命指導員・アマチュア無線など多数の資格を保持。
2023年02月16日43歳でキャリアチェンジをして転職し、Web制作を主に事業としている今の会社にお世話になっています。子どもが大きくなり、これからは仕事も頑張ろうと思った矢先に、会社の方針変更があり戸惑う日々。今後の仕事のために私が一念発起したことの体験談を紹介します。★関連記事:「何かスキルを身に付けたい」社会人経験が少ないアラフォーが将来を考えて新しい仕事に挑戦した結果はこれからは能力主義!技術は外で学べある日、社長が部署にやって来て「今度会議でお話ししますが、これからは能力主義として組織改革をおこないます」そう話しました。能力によって給与形態が変わるので、新人でも前からいる人よりも給与が高い人も出てくることだと説明を受けたのです。勤務先はWeb制作事業の他にいくつかの事業をおこなっています。職種は専門的な技術を必要とする技術職と、事務や営業といった総合職に分けられています。組織改革をおこなったあとは、技術職のみ給与がベースアップされることになりました。今後、会社は社員教育をおこなわないとのことで、スキルを身に付けたいときは外で学ぶようにも言われました。会社の業務が忙しいので、人材を育てることはせず、自らスキルを学ぶ姿勢が必要だということを重要視するようになったというわけです。組織改革以降、上司からの指導をほとんど受ける機会はなく、自己申告や仕事の成果で、スキルがあることを証明しないといけなくなりました。もちろん、指導はなくても業務上での間違いといった指摘は受けられます。少しでも評価を上げたく、いかにその指摘を繰り返さないためにはどうするかを、自分で考えて改善することがより大切となったのです。能力がないと仕事を任せてもらえない実際に部署内でも私が今までおこなっていたメインの編集の仕事から外されることも多く、自分のスキル不足を実感する日々でした。いつも部長から頂く仕事は、単発で終わる企画のものや雑用が多かったです。43歳で入社して半年ほどしか部署のメインの仕事に携われず、その後しばらくは編集部のコンテンツ企画と雑用係です。雑用の仕事もとても大切なものと考え、取り組みました。編集部が忙しくなり、少しでもお手伝いできないかと上司に相談しました。そして、上司が今後の私のためにもなると考え、私にメインの仕事を振ってくれたことがありました。しかし、上司が私にメインの仕事を振ることが社長の耳に入り、社長からストップがかかりました。そして、その話はなかったことになってしまったのです。なぜ社長からストップが入ったかというと、一度コンテンツ企画で内容を間違えるといった失敗をしたため、編集の仕事は任せられないと判断されたからです。仕事も信用が大切なので、仕方ないことだと諦めました。生き残るためにはスキルアップが必須今の私には、スキルがあまりなく足切り対象に入ると思ったものです。これでは、将来のキャリアアップも難しいと考え、足りないスキルを補うべく勉強を始めようと思いました。ただ、独学で学び直しても客観的に何がダメなのかがわからず、時間の無駄となってしまうのではと思います。従って、人から指導を受けられる環境に身を置くことにしたのです。本業である会社では、スキルが低いと評価をされてしまいましたが、スキルがないままではいつまでたっても上を望めません。そこで、普段の仕事と家事の他に新たに勉強する時間を取ることに。子どもが小さいころは勉強する時間をつくるのは難しかったのですが、子どもが大学生となったことで勉強する時間が取れるようになったことで可能となりました。まとめ会社の方針が変わり、これまでのんびりスキルを磨いていましたが、すぐにでもスキルを上げなければならなくなりました。生き残るためや将来のキャリアアップを目指すために、スキルの見直しと勉強が必須だと痛感した出来事です。男女平等で年齢も関係のない能力主義への変更は、私の仕事を見つめ直す良い機会となりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/Y.N.(44歳)大学生の子どもが2人。自宅で過ごすことが多くなり、パン作りやお菓子作りに励む。季節感を取り入れた生活が好きで、フルーツシロップ作りもしている。
2023年02月04日2021年半ばのコロナ禍に、海外拠点でバリバリ働いていた私を襲ったのは、突然のリストラ宣告でした。え、なんで私? これって現実?と一瞬受け止められず頭が真っ白に。それからは、50歳過ぎの今後の生活や転職を考えると不安がどんどん膨れ上がるばかりでした。そんな私が思い切ってこれまでの人生を一掃したことで、今まで見たことのない人生に巡り合えた体験をお話しします。★関連記事:53歳で退職し、人生を見つめ直し。時間を金で買う私が青春18きっぷの旅にハマった理由【体験談】転職活動がうまくいかず友人に紹介されたのはキャリアを捨てたら拾う神ありコロナ禍で世の中がパニックになっている真っただ中、リストラ宣告を受けた私。これからの生活はどうする? 50歳過ぎの私に転職先はある? このコロナ禍で日本に本帰国? など、先立つ問題が頭の中でグルグルと回り、超ネガティブ思考のまま3カ月も何もせずに過ごしていました。そんな中、半ば強制的に自分を奮い立たせて転職活動をしてみたけれど、やはり、50歳過ぎの転職事情はかなり厳しいのが実情。自分の市場価値の低さと端にも棒にも引っかからない厳しい現実に、さらに落ち込む日々が続きました。そんなときに、友人から紹介を受けたのが、限界集落(人口の50%以上が65歳以上を占める集落)の地域おこし協力隊の仕事でした。それは、まったく土地勘のない地域で、しかも今までのキャリアからは思いもつかない業種。これも何かのご縁、新しい挑戦の機会だと思い、思い切ってエイやッと飛び込むことを決意し、田舎へ移住しました。人生の見方を変えたら見えてきたもの人生初の田舎暮らし、しかもコンビニやスーパーがない中山間地域の限界集落。都会生まれの都会育ち、仕事も大都市でキャリアを積み重ねてきた自信があった私ですが、これまでの自分の常識が田舎暮らしでは通用しないことにしばしば直面しました。そんな里山生活ゼロ知識の私が最初に実行したことは、地域を知るために地域の人と同じ目線に立つために、生活をともにすること。厳しい山間の暮らしは、都会にはない生活の知恵や工夫がたくさん詰まっていて、どれもこれも自分本位では成り立たないことばかり。まさに、人生のスキルを学ぶことの多い暮らしがありました。特に強く感じたことは、これまでの自分の生活が効率重視にとらわれていたことです。忙しさを言い訳に、物事の本質を見る前に、非効率だと感じたことには必然と切り捨ててきた傾向があり、自分の思考がシステム化されたロボットのようだったと気付かされました。また、良い悪いの判断は自分のバイアスでしかなく、ものすごく非効率なことでも、時には回り道したほうが新しい発見に出合えることを学びました。まさに、生きる力を身につけるチャンスに巡り合えたことが、大きな収穫です。人間力を鍛えてストレスフリーな生活田舎に移住し、地域おこしの観光やイベントの仕事に携わりやっと1年が過ぎ、本当に必要なものを大切にして暮らすことや、不便を楽しむ術を日々学んだことで、無駄に着飾っていた見えないよろいをばっさり脱ぎ捨てることができ、心身ともに身軽になれました。そのおかげで、現状にあるものを工夫する力や、何とかなるという心構えが鍛えられ、いい意味で無理をしないストレスフリーな生活を楽しむことができています。また、生活の中でイライラすることが減り、物事への許容範囲が広くなり、私自身の人間力も鍛えられました。最も身近な人間力の教科書は、里山で暮らす80代、90代の現役で活躍しているおじいちゃんやおばあちゃん。日々、年を重ねることの楽しみ方を学んでいます。まとめこれまでの私は、世間一般が評価したレールに乗り、あちこちぶつかりながらも何とか脱線しないように、自分自身に無理な折り合いをつけ現状をキープしようとしていました。だけど、思いっきり脱線し人生の大きなピンチに直面したおかげで、これまでのキャリアをバッサリ捨てて、新しい世界に飛び込むことができ、プライスレスな豊かな生活を得ることができました。やはり、何かを得るためには何かを捨てる勇気が必要なようです。これからもし行き詰まりを感じたときは、思考を切り替えれば、案外身近にある答えを見つけられるものだと思えるように成長しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/いずみ(53歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2022年08月08日私は36歳で現在の会社に転職しました。最初は英語・日本語翻訳という担当で雇用されたのですが、43歳のときに営業職をやってみないかと言われ、突然のキャリアチェンジのオファーにビックリ! それまでのキャリアで営業職に就いたことはありませんでしたが、悩んだ結果、新しい職務に挑戦することに。加齢と戦いながら人生初の営業職に40代でチャレンジした体験談です。36歳で前職とは異なる分野の会社に転職現在の会社に転職したのは36歳のときでした。それまで勤務していた会社をリストラで退職することになり、2カ月間くらいの転職活動を経て転職したのです。転職した会社は外資系企業で、応募したポジションは英語と日本語の翻訳という100%内勤でした。私にとってはまったく新しい分野での仕事で、最初は業界のことを学ぶのに必死。業界内の関係性を理解することから使っている業界用語まで、初めて知ることがたくさんあり、毎日が残業しながら勉強の日々でした。当時のオフィスは小規模でビジネスのサイズに対して人員が不足しており、私も翻訳担当のはずがカスタマーケア、イベント担当、マーケティング資料作成など担当業務内容が広がっていきました。さまざまな業務を担当していくうちに業界のことや扱っているサービスのことを学び、なじみのお客様も増えてどんどん仕事がおもしろいと感じるようになりました。会社の上司にも信頼してもらえるようになってきたと感じ始めていた矢先、会社に勤めて7年目を迎えたタイミングで上司から「営業をやってみないか?」と言われたのです。43歳で訪れたキャリアチェンジの機会私はそれまでのキャリアのなかで営業職に就いたことはありませんでした。しかも外資系企業での営業の厳しさはうわさに聞いていたので、営業職のオファーを受けるべきか否かで悩みました。仕事の厳しさとは別に、43歳という自分の年齢でまったく新しい職務に挑戦できるのか?という点にも不安があったのです。43歳という年齢は更年期に向かって一直線という状況です。営業職となると出張も多く、仕事量は圧倒的に増えるため、体力的にも厳しくなるでしょう。不安のほうが大きかったというのが正直な気持ちでした。悩んだ結果、営業職への職務転換について伯母に相談してみることにしました。伯母は大企業で定年まで勤め上げ、当時としては珍しく女性で課長にまでなったキャリアの持ち主です。女性が年齢と戦いながら企業で働く厳しさを知っています。43歳での営業職挑戦について、「女性としては40代後半から50代にかけて体が変化する時期なので加齢との戦いは覚悟しておくことが必要。でも、新しいことにチャレンジするのはやりがいもあるし、やってみたいのなら応援する」と言ってくれました。その言葉を受けて、営業職のオファーを受けることを決めたのです。チャレンジによる責務と加齢との戦い営業職はまったく新しい世界でした。法人営業担当として、名の知れた大企業を相手にそれまでの経験や知識を総動員して、信用・信頼を勝ち得てサービスを導入してもらう。お客様となる新しい企業やその担当者である人々とのお仕事はやりがいを感じると同時にプレッシャーや責任は重く、53歳の今、人生で一番忙しく働いているように思います。そして、10年前の伯母の言葉どおり、体力的にはキツいものです。例えば、更年期の症状の1つであるホットフラッシュと戦いながら、日帰りで大阪や神戸に出張に行くことなどはこたえました。40代までは1日に複数のアポイントを入れてお客様訪問をしていましたが、50代になると体力的に厳しくなり1日1つをしっかりこなすように方針転換しました。また、加齢によりだんだん理解力が衰え物覚えが悪くなり、新しい商品やサービスを学ぶのに時間がかかるようになりました。営業なのに扱う商品やサービスを覚えられないのは最悪です。お客様に迷惑をかけることのないように、わからないことや理解できないことは恥ずかしがらず周囲のわかっている人に教えてもらうようにしています。まとめキャリアチェンジの相談をしたときに伯母が言ってくれたように、更年期の症状とともに営業の職務を果たすことは容易ではありません。頭は鈍ってきているし、体力的にも厳しいなぁと感じることもしばしば……。しかし、年齢を重ねても新しいことにチャレンジするチャンスをもらえたことは、とてもありがたいとも感じています。それまで自分が担当してきた翻訳業務やイベント担当、カスタマーケアなどの職務をしっかりこなしてきたからこそ、新しいポジションのオファーがいただけたのだと思っています。お客様との打ち合わせや社内のミーティングなどのスケジュール調整をうまく工夫して、キャパオーバーにならないように心がけてこれからも頑張ろうと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2020年11月05日チャンスが広がって転職しやすい時代とはいえ、判断ミスや思い込みが命取りになることも…。うっかりハマりがちな“落とし穴”を回避して理想のキャリアチェンジを叶えよう!まず転職活動は、さまざまなリスクを回避するためにも前職に在職中にスタートするのが大前提。希望の企業が見つかったら、しっかりリサーチして曖昧なところは応募前に確認すること。そして、面接では「等身大」を心がけて。内定だけを目的にすると、転職してから後悔するハメに…。「企業のHPや求人サイト、口コミなどを参考に、条件面はもちろん、社員の雰囲気や社風まで多角的にリサーチしましょう。そうすれば、入社後の『こんなはずじゃなかった』も防げます。また、不利になりそうだからと、結婚や出産の予定を隠すのはNG。内定をもらえても、あとあと信用を失って働きづらくなります」と、転職エージェント「morich」代表の森本千賀子さん。新卒の就活と違い中途は企業側も「短期決着」が基本。「1か月活動をして決まらなかったら希望職種を変える、成長業界の企業を選ぶなど見直しも必要です」と、マイナビキャリアアドバイザー・千本佳奈子さん。エージェントなどへの相談は無料だから、「転職のプロ」の力は大いに活用しよう。ひとりで活動するより、効率よく成果が出せるはず。資格は一部の場合を除いて重視されません!「あれば安心!」と、やみくもに資格取得に走ってもメリットは皆無。「弁護士などの専門資格が必須な職種は例外として、実務経験にまさるものはありません。資格の勉強をする時間があるなら、今の業務の習熟度を上げるほうが自分のバリューはアップします」(森本さん)。「資格で有利になる可能性があるのは、成長業界でもある医療に従事する医療事務。また、英語力は業務で使わない限り、それほど求められません」(千本さん)給料交渉を自分ひとりで行うのは至難の業。少しでもいい条件で入社したいのは当然のこと。でも給料交渉は危険な“諸刃の剣”にも。「自分で相談できるタイミングとしては面接の場面ですが、交渉すると心証が下がってしまう不安も。コンサルタントなどに入ってもらい、客観的に探ってもらうのが賢明です」と話すのはコンコードエグゼクティブグループ・西谷有生さん。「自分ひとりで給料を交渉するのは、言い方やタイミングが難しい。評価軸や将来的に給料がアップする制度があるかを確認するのはOKです」(千本さん)身近な人に安易に助言を求めないほうが安全。転職活動中はなにかと迷いやすいもの。でもパートナーや親など身近な人に相談してしまうと、最良の選択から遠ざかることも…。「転職市場を把握している、プロに相談するのがおすすめ。セカンドオピニオン的に複数人に聞くのがベスト」(西谷さん)。「エージェント以外にも、自分との利害関係がなく、客観的にアドバイスをくれる人が◎。特に自分のロールモデルに近い人からは有益な意見を得られそう」(森本さん)森本千賀子さん昨年リクルートを退社して、(株)morichを設立。転職エージェントを軸に、さまざまな相談業ほか講演活動も。『本気の転職パーフェクトガイド』(新星出版社)など著書多数。千本佳奈子さん(株)マイナビのキャリアアドバイザー。求職者との面談をもとに適切な情報を精査して提供し、ひとりひとりに合ったキャリアプランを提案している。人材業界歴は11年。西谷有生さん(株)コンコードエグゼクティブグループのゼネラルマネージャー。長年コンサル業界に従事した経験と転職支援の豊富な実績を活かして、望むキャリアの実現をサポート。※『anan』2018年12月12日号より。イラスト・谷口奈津子取材、文・熊坂麻美(by anan編集部)
2018年12月08日このまま今の仕事を続けていていいのか不安に感じたり、もっといい職場があるのではと思うことってありますよね。仕事をしながら転職について考えているという方も多いと思います。転職を考えるときに、経験のある業界や自分のできることに絞って考えてはいませんか?未経験の業界だと転職は難しいのではないかと諦めてしまっている人もいるかもしれませんが、未経験の業界でも転職は可能です。実際に異なる業界への転職に成功した女性のケースを参考に見てみましょう。全くの異業界への転職大手メーカーで広報として働いていた夕紀さん。安定しているものの、大企業の分業体制での仕事に自分の関われる範囲の限界を感じるように。もっと幅広くいろんなことにチャレンジしたいと思った夕紀さんは、39歳でアプリ開発や自社メディアを運営しているITベンチャーに、広報兼メディアプランナーとして転職をします。これまでの経験や業界にこだわることなく、幅広く応募企業を探していたところ、広報の経験を活かしながら自社で運営するウェブメディアの企画などを担当するメディアプランナーという新しいことにもチャレンジできるポジションへ応募することに決めたそう。これから大きく成長していくというベンチャーの将来性にも興味を持ったとのことです。面接ではヒューマンスキル、やる気をアピールする今までと違った業界への転職は難しいと思うかもしれませんが、会社によっては積極的に異なる業種や職種からの転職を受け入れているところもあります。会社の多様性を高めるために、あえて異なる業界の経験者を採用するという会社もあるようです。業界経験の面では不利であっても、仕事で大切なのはそれだけではありません。経験以外にも、個性や仕事の能力、会社にマッチする人材かどうかなど、面接で見られる要素はたくさんあります。夕紀さんは面接では30代後半の女性向けメディアのプランナーも兼務する募集ということで、ターゲット層と同じ年代の自身の感覚を活かせることをアピールしました。また取材や提携企画など社内外の人とのやりとりも多く調整力が求められるポジションであったため、社内外の人とのコミュニケーションをとることが得意だというヒューマンスキルをアピールしました。さらに業務については、「限定することなくいろんな業務にチャレンジしていきたい」とやる気をアピール。業界経験にとらわれずに、自分ならではの強みやアピールポイントを見つけてアピールするようにしましょう。未経験の職場で働くことになったら未経験の業界で働くとなると、はじめは戸惑うことも多かったという夕紀さん。専門用語などが分からず、ミーティングで話についていけないこともあったそう。しかし分からないこことはメモしておき、自分で調べたり周りの人に聞いたりしているうちに知識はどんどん身についていったそうです。また、業界未経験ということについて不安を感じていた夕紀さんは、転職先の業種で働く知人に業界の動向や、その業界での一般的な働き方について聞いてまわったそう。こうした事前準備や対策も大切です。新しい職場ではただでさえ覚えることたくさんあるのに、未経験だと業界の用語やルールなども一から覚えなければいけません。その点を理解しておき、目指す業界がある場合は、勉強をはじめておきましょう。未経験の業界に転職して活躍している女性はたくさんいます。未経験だからとはじめから諦めることはありません。自分で可能性を狭めることなく、興味のある業界やチャレンジしてみたい業界があればどんどん挑戦してみてください。
2017年01月22日ワークポートは、9月22日~10月3日にかけて、20~40代の男女(336名)を対象に「転職希望者の意識調査」を実施した。まず、キャリアチェンジ願望はあるか尋ねたところ、70%が「YES」、30%が「NO」と回答した。「YES」と回答した人の理由は「今後の生活(5年~10年)をイメージしている」「成長したい」「自分の好きな職種にチャレンジしたい」「新たに自分の価値を見出したい」などが挙げられた。一方キャリアチェンジ願望がない人は「現状のスキルでまだやっていきたいことがあるため」や「現在の仕事が好きだから」という回答が多かった。現状に満足しているため、キャリアチェンジ願望がないと思われる。また、「キャリアチェンジが実際に可能だと思いますか?」という質問に対しては、76%が「YES」と回答した。「やる気があればできる」「企業が求めることと、自身のスキルが 合致するポイントが多ければ可能」という意見が多い。一方「NO」の理由では「スキル不足」「若くない」「未経験者には魅力を感じにくく採用が難しいと思う」などが挙げられた。
2014年10月15日