■前回までのあらすじ結婚式前に整形するよう言う母に、容姿よりも人間性の方が重要と気づいたハム子は、「もう整形をやりたくない」と告げるのだが…。■母にとって私の気持ちはどうでもいいことなの…?母には私の気持ちは伝わりませんでした。いえ、伝わらないというより、母にとっては私の気持ちなど「どうでもいいもの」なのだということがよくわかりました。今まで、「幼い頃の自分の伝え方が下手だったから伝わらなかったんだ」、「冷静に、真摯に話せば母もきっとわかってくれる」…そんなかすかな希望を持ち続けていました。しかしそれがすべて打ち砕かれました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年06月11日■前回までのあらすじ結婚の挨拶に実家を訪れると、母は「こんなに素敵な人がこんなブスな娘を…」と卑下する発言を始める。しかし彼の口から出たのは「自分にとって世界一可愛い女性」という言葉だった…!■「もう整形をやめたい」私の気持ちを母はわかってくれる?母に自分の気持ちを説明しました。これまでは母に言われたことは、「私のため」で、それを実行することはあたり前だと思って生きてきました。でもこの頃の私は、「自分にとって何が必要で何が必要ではないのか」ということが、だんだんとわかってきた時期でした。私にとっては、整形は必要ないと思ったのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年06月10日■前回までのあらすじ母に結婚の挨拶に行かなければと思うが、母がなんて言うか想像ができてしまう。見るたびにため息つかないで、傷つけないで―そう願いながらも、心の中で思うのは「世界で一番会いたくない」…。■実家に刻まれた母から受けた言葉の痛みこの頃になると、頭と心が同じ意見か、分離されてないかを確認しながら生きることができるようになっていました。頭と心が同じだととても清々しく、安心できました。今考えると母の会話はとても複雑でした。実家にいた頃の母の会話を振り返ったコマを入れましたが、どれも母のいろいろな感情が混ざり過ぎています。私は母との会話で、清々しさや安心を感じたことはありません。会話の後は、いつもモヤッとした気分だけが残りました。そしてそのモヤは、子どもの頃は複雑であるがゆえに、消化できませんでした。ただ、毎日母と話すたびにモヤモヤが少しずつ追加されていくのでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年05月21日■前回までのあらすじ彼からの思いがけないプロポーズ。母に愛されるため感情を封印してきたハム子にとって生まれて初めて「心から喜ぶ」出来事だったのだが、彼に「親に挨拶しないと…」と言われてしまい…。■母に結婚の報告をすると… 私がこの世で1番会いたくないのは母でした。これが他人だったらどんなに良いことか…何度もそう思いました。心が生き返り、元気になればなるほど、今まで抑えられていた母へのネガティブな感情がタガが外れたように溢れてくるのでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年05月20日■前回までのあらすじ彼に告げられるだろう別れの言葉。でも今の自分ならどんなことがあっても乗り越えられる! そう思って話し合いの席に着くのだが…。■彼からの言葉…自分の思い込みと真逆だった!話の内容は、予想とは真逆のプロポーズでした。自分が思っていることと人が思っていることはこんなにも違うと知った出来事でした。私はこの時生まれて初めて、「心から喜んでいる」という感情がわかりました。いままでは、「感情とはコンピューターのように頭で考えるもの」だったのです。そしてそれが当然だと思って生きてきました。心を殺して頭で考えられることが「優秀な大人の生き方」だとすら思っていたのです。この日、心のままに感情を表せることが、こんなにも清々しいことなのだと、初めて知りました。この初めての体験が、今後を生きていくうえで私にとって大きな気づきとなりました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月30日■前回までのあらすじ夢だった仕事を開始。さらに付き合いが途絶えていた友人とも交流を深めていこうとするが、どうしてだか彼は反対する。そしてとうとう彼に「話がある」といわれてしまい…。■もし、彼と別れても… 恋人との別れはすごくつらいこと。それはほとんどの人がそう思うことでしょう。でも、そのつらさがずっと続くわけではないことも、多くの大人は知っていると思います。『人は、つらいことがあっても乗り越えることができる』私はそれを摂食障害を克服したことで学びました。一生治らないと諦めていた摂食障害。時間はたしかに9年もかかってしまったけれど、私は回復することができた。このことが私の大きな自信になりました。これまでの私なら相手の顔色を伺い、相手の意に沿わないようなことは決してしなかったでしょう。でも今の私なら、恋人と別れても、1人でも生きていける。そう思うことができるようになったのです。だから逃げることなく、落ち着いて話し合いにのぞむことができました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月29日■前回までのあらすじ仕事依頼が来たけれど反対する彼。しかし心の声は「やってみたい」と言っていて…。ずっと母の意見に従って生きてきた私が、はじめて自分の意思を尊重することに!■自分の好きな生き方と誰かの希望を優先する生き方はじめて自分の心の意見に従って始めた仕事は、順調に進んで行きました。この成功体験は私の自信になっていました。そうして少しづつ自信がつき始めると、多少傷つくことが起こったとしても、自分の中で処理できるようになっていきました。例えば、SNSで嫌なコメントが来たとしても、「自分で選択して漫画を描いているんだから、このくらいで負けないぞ!」と、自分の中で気持ちの処理ができるようになりました。それがまた、自分への自信となっていきました。だんだん自信がついた私は、引きこもりも解消し、友人に会いに行くことができるように。トシさんは心配してくれて良い顔はしませんでしたが、それよりも自分の心に従って行動していました。つまり、トシさんの希望はないがしろにしてしまっていたのです。すると、とうとうトシさんから「話がある」と言われてしまったのです…!→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月09日■前回までのあらすじコミック執筆に熱中するうちに摂食障害が治ってきたが、体重は増えてしまう。でも「安心して太りたまえ」と言ってくれる彼。これまで太ったら周りに見下されるという思い込みが消えていくことを感じて…。■好きを仕事にすること。彼は反対したけれど…ずっと沈黙を続けていた私の心でしたが、退職するあたりから声が聞こえ始めました。そしてこの頃になると、心の声がだいぶはっきり聞こえるようになってきました。幼いころから打ち込まれてきた釘も溶けていき、それによって私も元気になっていきました。そして結果として心は声が大きく出せるようになっていました。いま、はじめて、私は自分にとって大切な人の意見よりも、自分の心の声を尊重することにしたのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月08日■前回までのあらすじずっと好きだった漫画を描き始めたハム子。すると「漫画なんてみっともない」と小さい頃に植え付けられた釘が溶けたことがわかる。自分を苦しめていた無数の釘は、もしかして…!?■摂食障害で食事に脳が支配されていた私が…! この頃ちょうどガラケーからスマホが一般的になり、SNSやブログブームが始まったころでした。この「誰でも手軽に投稿できる」が、この頃の私にはとても合っていました。もし従来型の『出版社に応募する』方式だったら、ハードルが高すぎて、きっと始められなかったと思います。この気負わずに一歩を出せたのが幸運でした。最初の一歩を出せると、少しずつ、ゆっくりと、前に進み始めたのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年03月19日■前回までのあらすじ同棲によってニートになったハム子。猫の飼育で少しずつ元気を取り戻し、SNSを見ると他人の幸せに落ち込むことも多く…。そんなときある投稿に目が留まる…!■「好きなこと」を「好き」って言っていいの?少しずつ『自分を縛り付けているのは自分自身』ということがわかってきました。でも釘を溶かすことは、当時の私には、まだ自分だけの力ではできませんでした。信頼している人、1番愛されたい人の力が必要でした。もしかしたら多くの人は、この作業を幼少期に家族にやってもらっているのではないのかなと思っています。たとえば学校などの外の世界で、レッテルや固定概念といった釘を打たれてしまっても、家族が自分を信じてくれれば溶かすことができる気がします。さらに子どもの頃だったら頭も心も柔らかいから、釘は比較的簡単に溶けるかもしれない…。こうして周囲に打ち込まれた窮屈な釘を「溶かすことができる」を経験できた子は、大人になってもし釘が刺さってしまったとしても、その経験を糧に自分一人の力で溶かしていけるのではないか。でも、もしその経験がないままに大人になってしまったら…その人は、1人ではなかなか溶かすことができない。というよりも、そもそも溶かせるということすら知らず、ただただ耐え、新たな釘は増える一方で、どんどん生きづらくなっていく。しかも大人になると心も固くなってしまうから、釘はガチガチに固まってしまう…。そんな風に私は思っています。この頃の私は、まるで幼い子が親に甘えているような感覚でした。もう一度、子ども時代を生き直している――そんな感じでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年03月18日■前回までのあらすじ誰も知らない場所で彼と同棲を開始したが、仕事を辞め所属を失ったことで「誰からも必要とされてない」と絶望感が加速。いつしか何もできない引きこもりに…。■自分は必要とされていると思えること生活に猫が加わったことで、少しずつ動けるようになりました。「猫のお世話をする」という自分の役割ができたからだと思います。役割があるということは、『自分はここにいていいんだ』『自分は必要とされているんだ』と思えて少し気が楽になっていきました。当時はSNSが流行り始めたころ。私の周りも多くの人が頻繁に更新をしていました。おそらく私にとってSNSに投稿するということは「人に幸せだと思われたい」からだったのではないかと思います。だから身体と心の調子が良いときは、「自分も投稿したい!」という気持ちになるのですが…。SNSには自分よりもさらに幸せな投稿がたくさんあり、結局自分と比べてかえって落ち込んでしまう…ということもしばしばでした。このころの私は気分に波がありました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月26日■前回までのあらすじ「俺のせいにするのはおかしい」母に言われたのと同じセリフを彼に告げられる。相手の望みに従わないと愛されないと思いこんでいた私は、自分の考えが歪んでいることにまだ気づけなかった…。■私の存在価値が見当たらない…今まで目に見えるステータスこそが自分の価値だと信じてきた私にとって、それがなくなるということは、「自分の存在価値がなくなった」と同じことでした。どこにも所属していない、美しさもない…そんな自分は価値のない存在だと、このときは信じ込んでいたのです。それなのに一緒にいてくれるトシさん。「自分のせいで私を退職させてしまったから、罪滅ぼしで一緒にいてくれている。でも数年したら私は捨てられるんだろうな…」そんな風に思っていました。なぜならステータスのない私なんて誰にも愛してもらえるはずがない…と思い込んでいたから。でもそう考えれば考えるほど、トシさんに申し訳なくて、「早く仕事を始めなくちゃ」と気持ちだけは焦るけれど、体も頭も思うように動いてはくれず、ツラい日々を過ごしていました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月25日■前回までのあらすじ彼の転勤先についていくために仕事を辞めたことを伝えると、「泣くほど嫌なら辞めなければよかったのに…」と言われて…。■私は彼に母の時と同じことをしている…!?私は、自分の心の声というものがもうずっと聞こえなくなっていました。最後に聞いたのは、過食症に陥る直前の高校生の頃でした。そしてその自分の心の声が、今回の出来事を境に、また少しずつ聞こえるようになってきました。心の声――それは「とりつくろわない本心」。私が自分よりも人の希望を尊重してしまうのは、それが幼少期に培った『自分が愛されるための手段』だったことに気付き始めていました。そして、同時に、とても弱い自分が心の中にいることに気付きます。「自分の判断で失敗したら嫌われた上に、さらに責められ見下され続けてしまう。そんなの私には耐えられない」と、弱い私は責任から逃れて、判断を誰かに委ね依存しようとしてしまう。実際には、自分の希望を尊重しても嫌われることはないし、一度や二度の失敗で、責められ続けたり見下され続けたりもしない。もし仮に失敗してつらい事態に陥ったとしても、人は耐えられるし、立ち直ることができる。しかし子どもの頃に形成された思考はなかなか変えられないのです。でも、何かきっかけがあれば変えることは可能。そのきっかけさえ掴むことができれば────…→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月05日■前回までのあらすじ小さい頃から母の顔色を伺ってきたので、自分の気持ちを封じ込めればうまくいくと信じていた私は、彼のの望み通り退職届を出すことに…。■母は喜んでくれなくても彼が望むなら…誰かに仕事を辞める理由を話すときのために、『他にやりたいことができた』というセリフを用意していました。上司には正直な「恋人の希望」などは伝える必要がないでしょうし、同僚に話してもこじれることが予想できたからです。しかし、母は辞める理由を聞いてくることもなかったので、用意していたセリフも必要ありませんでした。聞いてこないのは、おそらく母にとって私が辞める理由には興味がなかったからでしょう。昔からずっとそうでした。私が何かをやりたい理由も、やりたくない理由も、母に聞かれたことはありません。母にとって重要だったのは、「結果として人にどう思われるか」だけで、「私がどう思うか」ではなかったんだと思います。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月04日■前回までのあらすじ仕事を辞めてついてきて欲しいという彼。でも母と自分が目標としてきた職を辞めるなんて簡単に考えられず…。■私は自分の選択に自信が持てない…『自分の気持ちを大切にする』ことは『我が強く、わがまま』であり、良くないこと。『人の気持ちを優先してあげる』ことは『懐が広く、優しい』であり、正しいこと。私はずっとこう信じていたのです。おそらく小さい頃からの母との関係の積み重ねが、そんな強固な思い込みを築きあげてしまったのでしょう。また、『自分の中に正しい答えはない』とも思っていました。母に自分の考えや感情を否定されて育ったので、他人と意見が異なったときには、いつも自分が間違っているのだと感じていました。だからなのか、自分の感情に自信が持てません。この時も、自分は納得しきれていないのに、彼の気持ちを優先するという選択をしてしまったのです。※ストーリーでは、1日で退職を決めたように描いていますが、実際には1ヶ月間ずっと毎日悶々と悩み続けて出した結論でした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年01月15日■前回までのあらすじ整形していることを知っても態度を変えることがない彼。そんな自分を好きと言ってくれる人がいると知り、心が生き返ってくるように感じたのだが…。■「一緒についてきて欲しい」という彼だが…結婚や転職をするわけでもないのに『仕事を辞める』という考えは私の中にはありませんでした。そして摂食障害の療養も必要ないと思っていたのです。なぜならいままで高校も大学も社会人の3年間も、ずっとその状態でも頑張れていたのだから、いまさら休養するなんて甘えた考えだと思いました。また、この仕事は今までずっと目指してきた職でした。ただ「私」が目指していたのか、「母」が就かせたかったのか、「母の希望に応えなければならない」と思ったのかは、もう心の中で複雑に絡みあっていて、自分でもよくわかりませんでした。その職に就くためのどんな理由があったとしても、ずっと目指していた職には変わりありません。それをそんな簡単に「辞めればいい」と言われ、職や私自身の人生を軽視されたような気がして、ショックでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年01月14日■前回までのあらすじ過食嘔吐が彼にバレたことで、整形している事実も打ち明けることに。彼に整形前の写真を渡すと…。■整形前の写真を見た彼の反応は…?今まで、自分の中のほとんどの部分が嫌いだった。けれど、もしかしたら…【自分の嫌いだった部分を、すべて好きと言ってくれる人がいる】かもしれないということ。これは私の中で新しい発見でした。母が「ダメだダメだ」といっていた部分も、母ではない人から見たら、全然ダメではないのかもしれない…。家族以外の人は本音を言ってくれないものだと思っていましたが、この時の彼の言葉にはなぜだか、本音を言ってくれていると素直に思えました。『母の理想どおりの自分になれなくても、私を愛してくれる人はいるのかもしれない』そんな感情が、私の心を生き返らせてくれたのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年12月18日■前回までのあらすじ過食嘔吐した直後に、突然彼が部屋に来てしまう。そこで食べ散らかした部屋の中をみられてしまい…。■過食嘔吐、整形を彼に話すべき? いつかは伝えないといけない…そうと思っていた整形と摂食障害のこと。予想していないタイミングで彼に打ち明けることとなりました。もし彼に本当のことを伝えたら――ドン引きされて嫌われるもっと健康な子と付き合いたいから振られてしまうと思っていました。「どうせ振られるならどうにでもなれ」と、自棄になって少し取り乱しながら告白してしまいました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年12月17日■前回までのあらすじ気持ちが落ち込むと、大量の食べ物を詰め込み吐き出してしまう…。そんなことしても新しい自分にはなれないのに…。■今の私を絶対見られたくない人だったのに…!今まで連絡なしで彼が来ることはありませんでした。この日だけ、なぜか来たのです。実際には、彼だとわかってからドアを開けたのですが、このとき、まさか中に入られてしまうとは思いませんでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年11月27日■前回までのあらすじ私と波長が合う彼氏ができたけれど、いつか終わる。だって本当の私が劣った人間だといつか隠し通せなくなるから…。■気持ちが落ち込んだときは…胃の限界まで食べて吐くのは苦しいことです。とくに吐く時は涙が出ます。胃液やよだれを無理やり逆流させて出すかのように、自分のなかにある醜い感情を力づくで苦しみながら押し出そうとする…そんな感じでした。「自分のすべてが出ていってほしい」…そう思って吐いていました。でもそんなことは叶う訳がありません。吐き終わっても、新しい自分になれるはずはないのです。ただむなしさと自己嫌悪が強まるだけでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年11月26日■ 前回 までのあらすじ「職業は何でもい」と言われた彼の言葉にショックを受けつつ、その後も外で会うようになり…。■誰かが私を好きになってもそれは本当の私ではない…彼とは相性が良く、一緒にいても疲れませんでした。なので流れのまま付き合い始めてしまいました。やはり若かったのもあってか、パートナーを求めるのは本能なんでしょうかね…。手を繋いだとき、私の心のなかにある「嫌われてしまう恐怖」、「この先ずっと演じ続けなければいけない苦痛」といった自分の感情に無意識に蓋をしていました。だってその恐怖よりも「付き合いたい」という気持ちが強かったから。でも少し時間が経ち一人で冷静になると、ふとした時にやはり恐怖がわきあがってきました。『本来の私を見せたら嫌われる』『私はずっと元気で明るく、しっかりしている女性を演じなければいけない』だって私の職に魅力を感じてくれない彼には、性格や容姿で好かれるしかなかったのですから。だけれども、その性格や容姿にしても、実際には作り物。今までも、容姿を整形し、過食嘔吐で体型を維持し、明るい女性を演じ続けてきたからこそ、母や友人は私を愛してくれた…。そう思っていました。『ありのままの弱い私を愛してほしい――だけれども、それは不可能なこと。だったらできるだけ長く、すこしでも弱い私を彼に見せないようにする。でもそれはとてもつらい。そしてやっぱり本音では弱い私を愛してほしい…いややっぱりそれは不可能なんだ…それもこれもすべて私がこんな弱いからいけないんだ…』こんな堂々巡りの想い。彼との付き合いには、そんな苦しい思いが心の奥にいつもありました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年10月30日■ 前回 までのあらすじ職場の先輩に「街コン」に行こうと誘われる。母に「あんたは結婚は無理」と言われて育った私は…■私が大切にしてきた価値は意味がないもの?当時、私は自分で唯一価値があると思っていたのは、仕事でした。昔からずっとこの考え方をしてきたのです。「スポーツ強豪校でレギュラーのハム子」「進学校、有名大学に通うハム子」「安定した資格職のハム子」自分の所属しているものが私の唯一誇れる価値でした。自分自身は何も長所がないから、世間的に良いと言われる団体や肩書に自分が所属することで、なんとかかろうじて「自分には価値がある」と思うことができていたのです。それなのに、この男性に、「所属には価値を感じない」と言われてしまい…。(実際には、そのように言われたわけではなかったのですが、私はそう感じてしまいました)まるで「私自身がまったくの無価値である」と突き付けられたようでした。それどころか、『所属に頼って、学歴や経歴にすがりついている器の小さな人間』と、自分で自分が恥ずかしく、情けなくなりました。でも、とてもハッとさせられ、心に残る出来事でした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年10月29日■ 前回 までのあらすじ友人たちから結婚の案内が送られてくるように。だけど結婚することは一生ないように思えて…■結婚をする自信がない…私は当時、人からの誘いを断るのが苦手でした。目上の人だったり、権力があったりといった人たちからの誘いを断るという選択肢はほぼありませんでした。なぜなら、いままでの人生経験、そして母との関係から、『相手の希望に従わない=嫌われてしまう』という考えが、私の中奥深くにこびりついていたのです。とくに嫌われたくない相手には、自分の気持ちなど無視して従おうとしてしまうのが、私の中ではもうあたり前の事でした。でもそれは、母も同じだったのでしょう。だから、職場の上司に勧められた習い事を、たとえ娘が嫌がろうと、断るという選択肢はなかった…もうそれが当然の正しさとして認識していたのだと思います。子育てには『世代間連鎖』という言葉がありますが、このように、価値観はごく自然に親子間で連鎖されていってしまいます─────さらに母は幼いころから私に『あんたは容姿が悪くて結婚はできないだろうから、1人でも生きて行けるような良い仕事に就くべき』『独り身でいることは恥ずかしいことではなく、むしろ強いことだ』と言っていました。母は自分が1人だったので、それを自分自身で納得、肯定させたかった、というのもあるのかもしれません。【容姿の悪い娘が将来どうなっても良いように、就職はしっかりしたところに就かせなければ】という親心もあったのでしょう。しかし私には、【お前は結婚できないだろう】というメッセージが残り、周囲が結婚をするようになってそのメッセージがじわじわと、自分でも気づかないうちに私の自信を奪っていってしまっていたのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年10月16日■ 前回 までのあらすじ母から子育ての苦労を聞いたことで自分は恵まれていた…そう思うとするけれど、ネットでは「生きるのが辛い」ばかり調べていて…■人前ではごく普通の社会人、でも家に帰ると…社会人になっても過食嘔吐は続いていました。病院に行った方が良い、という知識ももちろんありましたが、「自分の意思が弱いだけじゃないか」、「もうすこし自分自身の力でどうにかできるんじゃないか」という気持ちもあり、結局病院には行かず、過食嘔吐を続けていました。いま思えば、病院に行って治療することで、自分自身に何か変化が起こることを怖れていたのかもしれません。過食嘔吐を辞めたいはずなのに、辞められない…吐いた後はいつも激しい自己嫌悪に襲われる。それなのにその存在を失ってしまうのを恐れてしまう…。自分のことなのに自分じゃどうしようもできない。それは過食嘔吐だけではなくて、人生のすべてにおいてそうでした。容姿も、職業も、趣味も、生き方も…自分のことなのに、自分ではどうしようもできない。整形もずっとしつづけなければならない。いつも「いつ二重の線が取れてしまうか」というぼんやりとした恐怖を抱えながら生活していて、心の底から笑ったことはありませんでした。このころ常に私は被害者でした。被害者意識でした。自分が自分の人生の当事者である勇気も責任も持てず、楽で言い訳ができる被害者の立場にしがみついていました。そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。→次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年10月15日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>周囲が私の子育てを絶賛する中、文句ばかりの娘。感謝されこそすれ不満を言われるなんて、思っても見なかった…!■母に感謝できない私…どうして生きるのがつらいの?ここからはまた私(ハム子)目線の話になります。私は学生時代も、就職もすべて母の希望を叶えることがあたり前だったので、社会人となり目標がなくなると、仕事中以外は自分では何も動けない人間になっていました。せっかくの休日でも、趣味も特技もありません。母の希望で10年間やっていた剣道は、段を持っていましたが、やりたいとはまったく思えませんでした。漫画は好きですが、漫画を描くなんてオタクっぽくて世間ウケの悪いことはできるはずがありません。ダンスもやりたいという気持ちがないわけではないけれど、将来性のないただの趣味に時間を費やすなんて意味のないこと…そんな、自分でやりたいことが自分でもわからない。自分の感情がマヒしているような状態でした。母からの教えが脳内に深く根を張っていて、それが正しいことだと信じて疑いませんでした。唯一の趣味は、ネットサーフィンだけ。調べることといえば、【生きるのが辛い】【過食嘔吐】【過去に戻ってやりなおしたい】そんな暗いワードばかり。死ぬ勇気もないのに、自殺方法のサイトを毎日のように見る日々。寝る前は何時間もネットを見続け、そして起きているときは、過食嘔吐を繰り返す。とてもつらい日々でした。皆は普通に楽しんで生きているのに、自分は人生に「つらい」「つらい」と文句ばかり言っている…なんて自分は愚かな人間なのだろう…生きているのが苦痛でしかたがありませんでした。→次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年09月25日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>能力の低かった娘を志望校に入れ、安定した就職まで就かせることができのは、私の子育てが正しかったからだ…■私の子育てを周囲は絶賛するのに、娘だけが…こうして母は、今までどんな想いで私を育ててきたのかを話しはじめたのです─────。今回の話は、第21、22話で私目線で語った内容を母目線から描いたものです。■グラハム子side STORY私が母のために作ったストラップを、親戚一同の前で母は「マサト(いとこ)からもらった」と言いました。「自分の子を少し下げて話す=謙遜」は理解できます。ただ、話を作り変えてまで他人を上げ、自分の子を下げる必要があるのかを、当時の私には理解できませんでした。でもきっと母の中では必要なことだったのでしょう。*次回から私(ハム子)目線に戻ります。文:著者(グラハム子)→次回は9月24日(金)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年09月24日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>「親は子どもの気持ちを尊重する」と話す学校、「子どもの意見を親が聞くときは見放した時」とする私。娘はどちらが正しいのか?と聞いてきて…■能力がない子は堅実な道を歩むべき■能力の低い娘をここまで…私の子育ては成功した!母は私が母の希望の職に就いたのがとてもうれしかったようでした。そのこと自体は私もうれしかったです。母を喜ばせてあげることができた。親孝行ができた、と思いました。ある日母から『エリちゃんのお母さん、最近俯いて歩いてるよ。話しかけてもすぐ行っちゃうの。エリちゃんの就職先がアレだから、なるべく人と会いたくないんだろうね。話しかけちゃかわいそうよ』と言われました。でも私は少し前に偶然エリちゃんのお母さんに道で会ったのですが、別に俯いてもいなかったし、普通に立ち話もしてくれました。「それはきっとお母さんにだけだよ。お母さんがマウンティングしてくるのが嫌なだけで、お母さん以外の人とは普通に話してると思うよ」母にそう言いたかったのですが、やめました。エリちゃんのお母さんが、母と私は親子なのに、私にはちゃんと話をしてくれたことがうれしかったです。※エリちゃん:剣道の習い事で一緒で同じ中学に通っていた女の子文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は9月24日(金)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年09月11日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>娘が一番気にしている体型を褒めてあげたら、急に怒りだして…。どうしてこんなに性格が歪んでいるの?■娘が進学先を好き勝手しようとしている!?■私は提案してるだけ!決めたのは娘なのに…当時、世の中はだんだんと『自分の好きなことを仕事にしよう』という流れになっていました。そんななか私は、世の中と家庭内の乖離に苦しんでいました。親の望むように生きることが親孝行だと信じていた私は、「母の理想どおりに生きてあげたい」という気持ちを当然もっていました。しかし一方で、「自分で自分の人生を決めたい」、「たとえ母であっても介入されたくない」という感情もありました。でも、母の期待を裏切ることは親不孝なことだと信じ込んでいたのです。(私は母を裏切ることはできない)そう思うと、自分の進路を真剣に考えること自体、放棄しました。ほぼ無意識で、親に従う選択を自らしていたのです。しかし自ら親に従う選択をしたくせに、胸の中には常に重く黒い靄があり、その靄は晴れたことはありませんでした。文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は9月11日(金)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年09月10日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>食べては吐くを繰り返す娘が、「精神科を受診したい」と我儘なことを言ってきたので、思いとどまらせたのだが…。■娘を褒めなければ!と思ったのだが…当時摂食障害だった私は、体型を人一倍気にしていました。「細いね」と、他人から言われることはうれしかったです。でも、母にはそこを褒められてもまったくうれしくありませんでした。うれしいどころか、絶望を感じてしまうのです…。文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は9月10日(木)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年08月28日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>他人は建前しか言ってくれない。だから、親が本音で娘に「太っていることは見苦しい」と言ってあげなければ…。■娘が痩せて嬉しい!しかし気がかりが…■娘はどうしてこんなに意思が弱いのか今でこそ世間に理解されてきた摂食障害ですが、母世代(昭和20年代生まれ)にはなかなか理解されにくい病気だと思います。当時は戦後間もなく、食べるものがあるだけで感謝しなければいけなかった時代ですから、理解できないのも当然なのかもしれません。そして、昔は今よりも精神科や心療内科への偏見も強かった気がしています。『そんなの病気ではない』『意志が弱すぎる』『もっと自分に厳しくなりなさい』そう何度も母に言われました。私も、「どうして自分はこんなに弱いのだろう。なぜ人が当たり前にできていることができ来ないのだろう…」と劣った自分が大嫌いでした。文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は8月28日(金)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。また、適切な時期に医療機関に受診することをお勧めします。
2020年08月27日