グラハム子(gura_hamuco)さんが描く創作漫画をご紹介します。ご紹介するのは、ピンチになった主婦のもとへ現れる戦隊ヒーロー『ババキュア』が登場する『ダルっとババキュア』シリーズです。ある日、幼い息子や義母と過ごしていた女性。目を話している隙に、義母が息子にプリンをあげていて…。卵アレルギーを持つ子供に、義母は「ちょっとは食べないと免疫がつかない」といって、プリンを与えていました。慌てる女性のもとに現れたのは『ババキュア』。ババキュアたちは、花粉症の義母に同じ思いをさせることで、態度を改めさせたのです。さらに「悪気はなかった」という義母をかばい、「命に別状はなかったんだから許せよ」という夫を、ババキュアは華麗に制裁!ババキュアの活躍によって、女性はピンチを脱し、家族は自身の行動を省みたのでした。漫画に対し、読者からは「よくぞいった!」「私のところにもババキュアが来てほしい」「スカッとした」といった声が続出。食物アレルギーはじんましんや呼吸困難など、人によって差はありますが、重い症状の場合は「意識がなくなる」などの危険な状態を引き起こす可能性もあります。漫画に登場する義母や夫のように、事態を甘く見ていると、恐ろしい事態を引き起こすでしょう。ピンチに陥った時に「ババキュアがいてくれたら…」と願わすにはいられませんね![文・構成/grape編集部]
2020年08月24日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>高校入学した娘が私のことを「厳しすぎる」と反抗する。しかし親は子どもの言いなりではなく、我慢や忍耐が大切だと考える私は…■わが子を成功ルートに乗せたい■他人が建前しか言ってくれないなら親は…高校の部活は、人生で初めて「自分で選んだ」と思えるものでした。しかし、母は3年間、結局最後まで応援してはくれませんでした。【母の意に反して自分の希望をとおす=母にずっと不快な思いをさせていまう】ということを学びました。逆に、今までは【自分の意に反しているけれども、母の意見に従う=母は喜んでくれる】でした。母の気持ちを殺すか、自分の気持ちを殺すか。どちらもつらいものでした。本当なら、自分の選んだものを母にも応援してもらいたい。もしくは、母の選んだものを自分が心から好きになりたい。でも、それはどちらも無理で、お互いが気持ちよく過ごせる環境はこの世に無いということを学びました。どちらかの意見を尊重すれば、どちらかは苦痛を強いられる。それだったら、女手1つで育ててくれた母に苦痛を与えたくない。自分が我慢するべきだったんだ…。部活を自分で選んだことは、私の中で初めてのチャレンジでした。でもそのチャレンジをしたせいで、そんな「自分の気持ちは殺すべき」という考えがより強まっていきました。文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は8月27日(木)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年08月14日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>長所が何もない娘が不憫で、高校入学が決まった段階で、整形させることに…。■どうして娘がすることに親が口出しをしてはいけないの?■「親は絶対だ」この価値観こそ正しい「親は威厳あるものだ」「親を敬わなくてはいけない」「最近の親は子どもに嫌われたくないからって、子どもの好き勝手にさせているバカ親が多すぎる」「世の中は思いどおりにいかないことばかりだから、忍耐を養わねばいけない」当時母がよく言っていた言葉です。当時、【個性を伸ばす教育】が流行り始めた時代でした。母はそれを間違っているとよく言っていました。母には【個性なんてなくていい。潰せ】という教育をされ、学校では【個性を伸ばしましょう】という教育を受けました。もちろん世の中にはいろんな価値観があって良いと思いますが、当時の私は『自分の価値観』を自分でまったく信じていませんでした。ずっと母から自分を否定されて育ってきたので、「自分の価値観はすべて間違っている」と思い込んでいました。だから「外で良いとされること」が「良い価値観である」という生き方をしてきたのです。しかしここにきて、外からの価値観が母と学校とでバラバラになってしまい、もう何が正しいのかもわからなくなっていき…。ただただ生きづらかったのを覚えています。文:著者(グラハム子)■グラハム子side STORY→次回は8月14日(金)更新予定です。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年08月13日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>周りから見下されてると感じ、わが子を偏差値の高い学校に進学させることに…■大切な娘なのに受け入れられない…■子どもの評価は親の評価となる■悲惨すぎる娘に親がしてあげられることは母は失敗を極度に恐れる人でした。失敗したら影で嘲笑われる、見下される、と思ってしまっているようでした。もちろん見下したり嘲笑う人もいるとは思いますが、「嘲笑われたからって別にいいのに…」と今の私なら思えますが、母はそうは思えない、心の弱い人だったのだと思います。自分が弱いからこそ、傷つきたくない傷つかないためには、娘に失敗してもらっては困る母がどこまで自分の気持ちを深くまで考えていたかはさだかではありませんが、今になって考えるとこう思えるのです。母は心が弱いからこそ、世間の評価が良いものを身にまとわせ、強くしていく必要があったのだと思います。きっと母も、祖父母から、私と同じような子育てをされてきたのだと思います。だから自分に自信がなく、弱くなってしまった…。世代間連鎖だったのでしょうか。私も今でこそ心が強くなってきましたが、当時は母の考え方が当然で、世の中の道理だと思っていました。文:著者(グラハム子)→→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■グラハム子side STORY
2020年07月24日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>熱心に学校の部活をさせたが、思った通りの結果が出せない娘のために、親である私が適切な道をサポートすることに…■周りが我が家を見下している…!?■最終的に勝つのはうちだ!母はよく、『勉強か運動か、どちらかが上位でいなければいけない』と言っていました。私が運動で上位にはいけないと判断した母は、今度は勉強で上位にいかなくては、と考えたのだと思います。母にとって、『普通』ではダメだったのでしょう。でももし私の容姿が上位なら、勉強や運動は普通でも良いと判断したのかもしれません。容姿が劣っているからこそ、別の所でカバーしなければいけない、と考えたのだと思います。何事も、世間からの相対評価で物事をはかる母でした。わが家では、世間から見た評価が絶対でした。それが当然だと私も思っていました。『私は良いところが一つもないから、せめて学校はネームバリューのあるところにいかないといけない。そうしないと私は目も当てられない悲惨な人間になってしまう。』と、私自身も本気で思っていました。文:著者(グラハム子)※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年07月23日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>親が決めた習い事を娘は嫌がるのだけれども、教育をおろそかにしたくない私は…■娘にはできるだけ良い条件の環境を与えたい■娘の希望を聞くよりも親として大切なことこうして私は越境して剣道部の強い学校へ行きました。もし自分で選べるのなら、私は学区の中学校に行きたかった。このころよく、私は母にこう言っていました。「もし生まれ変わったら、学区の中学校に行って新体操部に入りたいな」母は「そうなのね」と笑っていました。いま考えれば、今を生きているにもかかわらず『生まれ変わったら』ばかり考えるなんておかしい。でも当時は、自分が願いや望みと言った感情を持ってしまうことは間違いで、母の進める方向こそが正しい生き方なのだ、と本気で思っていました。『人生とは親の決めた方向に行くもの。世の中の子どもは皆そうなのだ』と思っていました。文:著者(グラハム子)→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年07月09日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>娘の容姿や性格といった欠点ばかりが目に付いた私は、娘の将来のためにある習い事をやらせる決心をする。■上司に紹介された習い事を嫌がるなんて!■習い事を子どもが嫌がったとき親は私はこのエリちゃんのお迎えが毎回恐怖でした。『人に迷惑をかけてはいけない』この想いが染みついていた私には、「エリちゃんが迎えにきてくれたんだから行かない訳にはいかない」と、思っていました。これが週4回あったのです。憂鬱でした――。でも母としては、「どうにか私を行かせよう!」と、必死に考えた結果だったのです。習い事は、私の中で『どんなに嫌でもやらなくてはいけないもの』という位置づけ。学校の勉強と同じ感じでした。私には「習い事を辞めてもいい」という選択肢はありませんでした。文:著者(グラハム子)→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年06月26日■ 前回 までのあらすじ<母が語る物語>夫と別居したことで「どこに出しても恥ずかしくない娘に育てる」という重圧が私にのしかかってきて…。■娘の欠点ばかりが目に入る…■娘が自立できるために親がしてあげられることは…母は「強くて外交的=長所」「気弱で内向的=短所」という考えを持っていましたまた、「漫画は教育に良くないもの」という認識でした。もしかしたらそういった考えを持っている方は、多いのかもしれません。でも、気弱なことを欠点と捉えないで『優しい子』として捉えてくれていたら…私の人生は変わっていたのかもしれません。「短所は長所」という言葉をよく聞きますが、人の見方によって短所に感じたり、長所に感じたりするのでしょう。もしこの頃の私に声をかけてあげられるなら―――『おとなしいことはダメなことじゃないよ。あなたはあなたのままでいいんだよ』と言ってあげたいです。その上で、『自分の気持ちはちゃんと伝えようね』『大勢と遊ぶことでしか得られないものがあるんだよ』と、外にも目を向けられるような声をかけてあげたい。まず否定が先にくるのではなく、『そのままでもダメなんかじゃない。あなたは唯一無二の大切な存在なんだよ。生きていていいんだよ』このことを、心に根付かせてあげたいなと思います。文:著者(グラハム子)→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年06月25日■前回までのあらすじ母がどんな想いで私を育ててきたのか――母が話してくれた私が産まれた時の気持ち、そして母の考え。母は、「褒められない=ダメ」と考える人だった…! 母が語る私を育てることの苦悩とは。■「二重じゃないとかわいそう…」娘のためにできること■母に課せられたプレッシャーとは私が具合が悪くなると母がうれしそうだったのは、私自身も覚えています。「熱が出ると優しく看病してもらえてうれしい」「お母さんがうれしそうで私もうれしい」こんな気持ちもありました。でも「私が熱で苦しんでいることよりも、二重になったことが母はうれしいんだ」という気持ちもあり、私自身どこか複雑な感情を抱いていたのを覚えています。父のことは、ずっと単身赴任だと聞かされ、数年に一度、会っていました。父が単身赴任だと言うと、周りからは「お母さん大変ね」「お母さん偉いわね」「ハムちゃんもお母さんの迷惑かけないようにしなくちゃね」と言われていました。私はそれが、【良い子でいなくてはいけない】と、常に少しプレッシャーでした。でも母は、そんな私のそれよりも遥かに大きな、『1人で育てないといけない』『ひとり親だからって言われないように立派に育てないといけない』という、とてつもないプレッシャーを常に抱えながら、私を育ててくれていたのです…文:著者(グラハム子)→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年06月12日■前回までのあらすじ親戚の集いの場で私を貶す母。「お母さんはいつも私を傷つける!」と本心をぶつけると、母から返ってきたのは「あんたは昔から育てにくかった!」という言葉だった…!■母の本音が紐解かれる!■なぜ母は娘の容姿にこだわったのか…?ここからは母から聞いた話を基にした、母目線の話を綴っていきます。母の話を聞いていくうちに、「私が感じていたこと」と「母が考えていたこと」との違いが段々とわかっていきました。母は、「褒められない=ダメなのだ」と感じてしまうタイプだったのです。そして、「顔がダメなのに可愛い服を着せるなんてみっともない! 周りから笑われる!」と考え、私(ハム子)に「スカートを履かせたくなかった」と言っていました。母には母なりの正しさがあったのです。文:著者(グラハム子)→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年06月11日■前回までのあらすじ親戚の集まりで、容姿や就職先について「母の育て方がよかった」と口々に言われ、私自身も「やっぱり母の考えが正しいのだ」と思っていました。しかし、いとこが母にプレゼントしたとき、私は何もプレゼントしたことがない冷たい人と母が言っているのを聞いてしまい…。■母は私がプレゼントしたものを忘れてしまった?■親は自分の子どもを貶すもの!?■私が母にかけた苦労とは…?普段は母の日に実家に帰ることができないので、宅配便でプレゼントを送っていました。でも、大学4年のとき母校で1ヶ月の教育実習のため5月に実家に戻っていました。だからその年の母の日は、プレゼントを手渡しすることができたのです。私は、少し張り切って、母のためにテディベアのストラップを手作りしました。そのとき、母はとても感謝してくれて、携帯への付け方が分からないというので、私がストラップを付けてあげたのです。そんな、私にとっては思い入れのあるストラップだった…しかし母にとっては『いとこを褒めるためなら、娘は蔑ろにして構わない』程度のものでした。私は母とのあまりの考え方の乖離(かいり)に、とてもショックを受けました日本の文化で、『謙遜の文化』があるのはもちろん分かります。人前で自分の子を褒めるのを控えるというのもわかります。ただ、大きな嘘をついてまで自分の子を貶めて、他人に良い顔をする…それが私には理解できませんでした。そして母にとってはおそらく大きな嘘ではなく、ほんのささいな嘘なのです。母は、身内よりも他者からの評判に比重を置き、世間体や周りからの評価をとても大切にしている人。そのために身内は犠牲になるのは当然、という考え方です。それが悪いと言いたいわけではありません。周りからの評判は生きていく上で大切なものだと思います。そして生きていく上で「何に比重を置くか」は人それぞれ異なるでしょうし、きっとそのどれもが正しいのだろうと思います。ただ、母の正しさと私の正しさとでは、大きなズレがありました。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年05月29日■前回までのあらすじ3回目の整形手術の日。涙が止まらなくなった私。これまでも意志に反して涙が出て、先生に呼び出されたことも。しかし親のことを打ち明けても、「お前は甘えている」としか言われず…。■親戚に私が褒められると母が決まっていう言葉■「母の育て方がよかった」そう言われて…■母にプレゼントしているのに…うちの家系は、お正月は本家に集まるのが習わしでした。田舎ではそういう家庭が多いのではないでしょうか。だから毎年お正月は親戚の叔父叔母、従兄弟などに会うのが恒例となり、今年はとくに親戚たちから私は褒められました。なぜなら公務員という安定した就職に就いたことが高く評価されたのです。そして私を褒めると同時に、それ以上に親戚が口にしたのは、「私を育てた母」への賛辞でした。そんな母はとても嬉しそうでした。母がこうやって育ててくれたから今の私がある。だから「母が正しいんだ。私のこれまでの選択は間違えていなかった」と、自分を思い込ませようとしていたのですが…。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年05月28日■前回までのあらすじある日、二重の線が薄くなっていることに気づく。本当は整形はせずに「ありのままの自分」で母からも周りからも愛されたい。しかし「せっかく整形させてらもった」母に対して、醜い容姿のままでいるという選択肢を選ぶことはできなかった…。■自分で決意した整形だったはずが…■整形は「やらなければいけない」もの泣きながら施術を受けました。いまなら「泣くほどつらいならやらなければいい」と判断ができるのですが、当時はそんな判断はできませんでした。意志に反して涙が出てくることは、中学生の頃からたまにあったのです。中学校で授業中突然泣いてしまったとき、一度先生に呼び出され、「なぜ泣くのか?」「悩みがあるのか?」と聞かれたことがありました。そして正直に『親が厳しい、部活をやりたくない』と打ち明けると、『そんなの皆そうだ。お前は甘えている。お前の悩みはたいしたことない』と言われました。『かまってほしくて泣くのなら不適切だからやめなさい』とも言われました。いくら先生でも、生徒の家庭の内部の内部まで見ることは難しいと思います。家庭は、たとえ内部が歪みに歪んでいたとしても、表面だけなら取り繕えるからです。うちの場合、親が外での評判がとても良かったので、『親はあんなに良いのに、なんでお前はそんなんなんだ』と言われたこともあります。そういった少しずつの積み重ねで【母が正しい。自分は悪い。自分以外の人が正しい。】と、すっかり刷り込まれ、疑う事もありませんでした。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年05月15日■前回までのあらすじ小さいころから『母の求める正解』だけを探し求めていたために、「自分の好きなこと」「やりたいこと」が自分でもわからなくなってしまった。そうして、成長するにしたがって母の評価指標である「他人からどう思われるか」が判断基準となっていってしまう。■整形をしたい気持ちとしたくない気持ち■「整形しなくても愛されたい」これを考えることは罪なの?整形するか否か、考えているときに、脳裏に浮かんだのは母の言葉でした。『他人は言ってはくれない。親だから容姿の悪さを言ってあげられるんだ』『他人も口に出さないだけで、皆ブスだと思って見下しているよ』そう思うと、【もう整形しなくてもいい?】と一瞬でも考えてしまった自分が、とてもおこがましく感じました。母は私を思って整形させてくれたのに、それを嫌だと感じてしまう自分が悪い、間違っているのだ、と思いました。母は私を思って整形させてくれたのだから、ブスに戻って絶望させてはいけない。美人でなければ、母からはもちろん、誰からも愛されないと思い込んでいたのです。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年05月14日緊急事態宣言が発表されてから、家族ですごす時間がグッと増えました。増えたは良いものの、毎日家の中ばかりで、子どもたちもマンネリな様子。そこで、子どもたちと「落ち着いたらやりたいことリスト」を作ることにしました。とりあえずやりたいことを思いつくだけ言ってもらい、ズラッと書き出しました。■外出の希望はかなえてあげられないけどまぁ出るわ出るわ。行きたいところや、やりたいことがあふれ出てきました。しかし後半になると…?今すぐにでもできそうなことが結構ありました(笑)そんな感じでリストを作り終えると、結局、半分くらいは今すぐにでもできそうなことでした。なので、すぐにできることから順番に実行していくことに!そして、実行できたらリストに丸をつける。 ■子どもたちの「好き」を知る時間ができたそれを繰り返していくと、どんどん丸が増えていき、子どもたちも「願いがかなった!」と、うれしそうでした。すると、最後に残ったのは「どかこへ行きたい」系。これは、どうしても今はかなえてあげられません。なので、どうしてそこに行きたいのか、理由を聞いてみることにしました。今まで「●●へ行きたい」と言われたら、とくに何も考えず、「了解!」と、ただ連れて行くだけでした。でもこうやって子どもとゆっくり話す時間があると、どうしてそこに行きたいのか、子どもは何が好きなのか、どんなことを考えているのか…そんな、今まで知らなかった子どもたちの興味や内面を知ることができました。日々の生活に追われていると、どうしても必要なことを優先して話してしまい、内面の部分まではなかなか会話が深まらないときも多いです。今回ゆっくり過ごす時間ができたことで、わが家では、子どもたちの心に寄り添って会話ができる絶好のチャンスとなりました。いつまでこの時間が続くかわかりませんが…。もし時間が短くなったとしても、これからもずっと、この心の対話の時間を大切に過ごしていきたいと思ったのでありました。
2020年05月04日■ 前回 までのあらすじ友人が語る将来の夢に「親が味方してくれる」と聞いて愕然とする。なぜなら小さいころから、「母からみっともない」と言われた回答を探し続けてきたから…。小学1年の時の七夕で「母の求める正解」を選んだつもりだったのだが…》 「将来」は母の言葉でしか決められない…夢を後押しする友だちの親と縛る母 ■「母の求める正解」を探し続けてきた日々■「母の求める正解」と「自分のやりたいこと」の区別がわからない…自分の好きなことややりたいことが、自分でわからない。そんな状態でした。小さい頃は漫画が好きだったのを自覚していたけれど、成長するにつれ、母や他者からどう思われるかが気になるようになりました。そうすると、いつの間にか漫画を描くのはやめてしまっていました。なぜなら「他人からのウケの良いものでないと、堂々と好きとは言えない」となっていったからです。他人からの評価が自分のすべてで、社会的に評価の高い職に就くことが正解だと思っていました。それは、まるで身体をのっとられたような、自分の人生を生きていないような、むなしく、常につらい状態で生きていたのです…。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年04月24日■ 前回 までのあらすじ大学合格で一人暮らしが始まった。好きな髪型、洋服、彼氏…すべては順調にいっているはずだった。しかし母から離れれば治ると思っていた過食嘔吐は治らず…。》 母と離れて順調なはずだったのに…それでも過食嘔吐を止められないのはなぜ? ■私が、好きな人にも本心を言えないワケは■「嫌われたくない」と必死だったけど…1人暮らしは、本当に1人でした。友人たちは長期休みになると、「しばらく実家に帰ってのんびりしてくる」などと言っていました。でも私は実家に帰ってものんびりすることはできません。むしろ精神的に疲れてしまいます。だからお正月やお盆など、一般的な帰省シーズンの時だけ、義務的に帰るようにしていました。きっと多くの人は、“家族”という安心できる場所を持っているのだろうと思います。私には、そのような絶対的に安心できる場所がない。すべてを受け入れてくれる人もいない。そして、自分ですら自分のことが大嫌いでした。自分でもどうしてか理由はわからないのだけれども、常に「満たされていない」という思いが離れませんでした。そんな心理状態のなか、一番近くにいてくれる恋人の存在は、私にとってとても大きいものだったのです。しかし、彼との別離。それは予想以上に、私にとってとてつもなくつらいものでした。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。また、適切な時期に医療機関に受診することをお勧めします。
2020年04月10日■ 前回 までのあらすじ「人に聞かれても恥ずかしくない大学」に合格したことで喜ぶ母。そんなとき顔に異変が…。母はすぐに二重整形の予約を入れるのだが…。》 整形せずには生きられない…「ブスな私は愛されない」母の教えに洗脳された私 ■母に干渉されない生活が始まった!■母と離れれば幸せになると思ったのに…高校を卒業し、親元を離れ生活することに。母の目がなくなり、のびのびと過ごすことができました。「摂食障害はストレスと比例して症状が酷くなる」とこれまでの経験から体感としてわかっていました。だからこそ、「1人暮らしで自由な生活をすればきっと治る」と思っていましたが、それは間違っていました。せっかくできた彼氏とも、少しずつ、少しずつ、すれ違うことが増えていってしまったのです。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。また、適切な時期に医療機関に受診することをお勧めします。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年04月09日こんにちは! グラハム子です。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。いまの大変な事態の影響で、子どもたちが家にいる時間がグッと増えたというご家庭も多いのではないでしょうか。わが家もまさにそうです。毎日毎日、「今日は何をしよう…」という状態。そんな最近のわが家の過ごし方をご紹介いたします。それは、お菓子づくり!■ズボラでもかんたん! ミックス粉でお菓子づくりお菓子づくりといっても、本格的なものではありません。というか、私ができません。なのでごくごくかんたんなもののみ。小学生であれば、1人でできるかもしれません。それでも、親子で一緒にやるとなかなか楽しいんです。とくにうちの子たちが好きなのが、ホットケーキデコレーション。それぞれ思い思いにデコレーションをして楽しんでいます。実際の写真がこちらです。しかも、これになにかちょっと足せば、お昼ごはんにもなるし。私も楽だし、子どもたちも楽しいし、一石二鳥です。あとは、もうすぐ小学生になる息子の部屋を作る計画を進めています。今は店舗に行かなくてもネットで何でもそろう時代。助かります。■部屋の模様替えでスッキリ過ごす息子の新生活グッズがどんどんそろってきました。息子の部屋ができていくのを見ていると、つい欲が出てきてしまいます。せっかくこんなに時間があるのだから、普段やりたくてもなかなかできないリビングの模様替えも行うことにしました。思いきって部屋の模様替えをすると、気分も良い! ごきげんで過ごせます(私が)。子どもたちがごきげんで過ごせることも大切ですが、それと同じくらい母がごきげんでいられることも大切だと思います。ふさぎこみがちな状況ですが、家の中でできる楽しみがあるとうれしいですよね。いまは外出レジャーはなかなかできないかわりに、普段やりたかったことがかなった絶好の機会でした。また「外でのレジャーは避けたい」とはいっても、お外が大好きな子どもにとって完全にこもりきりなのも難しい…。わが家の場合、人が大勢集まるような人気の公園は避けますが、近所の公園までくらいまでは散歩しています。外に出ると、ところどころに春を感じられます。こんな状況ですが、春の訪れを感じるとやっぱりうれしいものです。いつまで自粛が続くのか、先のことは、なかなかわかりません。そして私と子どもが気をつけていても、夫は仕事の都合上、毎日のように電車通勤しています。どこから感染するのかも、もうかんたんにはわからない状況になっているように思います。考えてもわからないものは仕方ない。できるだけの備えをしたら、あとは不安になりすぎず、「イマ、ココ」の幸せを十分に楽しみたいと思います。
2020年04月06日■ 前回 までのあらすじ親の言うとおりにすれば優しくされ、親の意に沿わないことをすれば冷たくされる。そんなときに子どもは親に従うしかなくて…。でも母を完全な悪者として恨むこともできず…。》 「私の人生を返して」台無しにされた子ども時代…それでも母を憎めない理由 ■大学受験が終わった、その時! 顔に異変が…■「大学入学前にキレイにしよう」と予約を取る母 ■整形は私の希望なのか?大学入試も高校入試同様、自分の行きたい学校なのかわからないまま受験しました。『自分が本当に行きたいところを真剣に考える』ということを、私は放棄していました。だって、いくら真剣に考えても、母の意見と違ったらまた母は猛反対し、不機嫌になることがわかっていたからです。それだったら母の言いなりになる方がずっと楽でした。整形も同じでした。「自分が整形したいか? したくないか?」と考えることは放棄していました。それに、このころにはもう『整形していない自分はブスだ』『容姿が悪いと見下される』『愛されない』という母から教わった固定観念が染みついていました。固定観念と言えば聞こえは悪くないかもしれませんが、要は母からの洗脳です。【ありのままのブスな私は見下される。愛されない】そう洗脳された私は、整形しないでブスなまま生きるということが恐怖でした。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年03月27日■ 前回 までのあらすじ過食嘔吐の治療の話のはずが、いつの間にか私の進路の話に…。学校も部活も容姿さえも母のいいなりになってきたが、母は「私だって親が決めてきた」と聞く耳を持ってくれない。さらに「親のせいにするな」と言われ…。》 学校も容姿すら母が支配してる…それでも「親のせいにするな」と言われて ■私はいつだって自分の意思を引っ込めるしかなかった■母の「理想の子」じゃなければ愛してくれない…■母を悪者にして憎み切れないワケ母に対する感情は、そう簡単に割り切れるものではありません。私としては嫌だったことも、母としては愛情だったと言うことがわかるからです。『ある部分は自分の希望を押し付けている代わりに、ここの部分は娘の希望も取り入れてあげよう』『そうすれば娘もきっと納得してくれるだろう。お願いだから納得してほしい』などの、母の中での葛藤もわかります。母の【支配していたつもりはない。むしろ愛情のつもりだった】は、いじめの【いじめてたつもりはない。むしろいじってあげているつもりだった】それと少し似ているような気もします。いじられた側にとってはつらいこと。でも、そこで反撃したら、その場の空気を壊してもっと酷いいじめ(ハブられる、など)になることが恐怖だったから、嫌ないじりに耐えていた…こんな感じなのかもしれません。大人同士、もしくは子ども同士だったら『合わない人とは距離を置く』『違うグループと仲良くする』ということもできますが、親子の場合はそれも難しい。『合わない親子』はどうやって付き合っていくのが最善なのでしょうか────※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2020年03月26日こんにちは! グラハム子です。だんだんと暖かくなってきましたね。ようやく冬も終わりかな、という感じです。この冬、みなさまは元気に過ごせましたでしょうか?私はと言いますと、園ではやっていた胃腸炎に子どもが感染し、もれなくうつってしまいました(泣)感染症に気をつけてマスクなどをしても、子どもとの接触時間が長いので母親はどうしてもうつってしまいがち…。そんな胃腸炎に感染してしまった私。その日は1日中トイレとお友だち状態でした。子どもたちはすでに回復した後だったので元気元気。幼稚園に行く気満々だったし、むしろ行ってくれないと私の身も持ちません。しかし、私は体調が悪すぎてなにもできません。夫にヘルプをお願いしました。■幼稚園になにを持っていくか知らなかった夫助かりました。本当に感謝です…!あぁ、これでゆっくり休める…と思いきやそうなんです。幼稚園の準備は、いつも私がすべてやってしまっているため、夫は園の持ち物などが全くわからないのです。内心「もお〜! ちょっとは自分で考えてよ!!」と思いましたが、そのときは小言のひとつも発する元気もなく…。とにかく子どもたちを無事に送らなければなりません。体だけでなく、頭も全く働かず。これを言うのが精一杯でした。■母の体調不良で息子の成長を感じる起きてきた息子は、びっくりするほどテキパキと準備をしてくれました。頼もしい息子の一面が見られて、体調は最悪ながらも心はホッとしました。こうして子どもたちは無事に幼稚園に行くことができました。夫にも子どもにも、助けられた1日でした。このあと1日中寝ていたら、体調もだんだん良くなってきました。そして回復してきて思ったのは、園の準備の件については、息子の方がずっと頼れる男でした(笑)でも、このような「もしもの時」に備えて、夫婦のどちらかだけが幼稚園のことを担当するのでなく、夫婦どちらも把握しておくと助かるのだな、と学びました。そして朝の準備は「時間がないから」「遅刻したらダメだから」と母がやってしまうのではなく、子どもを信じて、見守るのも良いかもしれないな、と思いました。今回の胃腸炎で、このことに気付けたのは私の中で収穫でした。体調不良ってつらいし、大変なんですが、だからこそ新しい気付きに出会えることもあると思います。
2020年03月02日こんにちは! グラハム子です。わが家のふたりの子どもは、幼稚園の年長と年少です。うちの子たちが通う幼稚園では、月に1回、月末に「来月のお便り」が配られます。そこに来月の予定だったり、必要な持ち物が記載されていたりするのですが…■工作で使う牛乳パックが必要にときどき工作で使う牛乳パックなどの資源系用品が必要です。しかもわが家の場合、年長にも年少にも子がいるので、2人同時に同じモノを求められることも多々あります。「3日後までに牛乳パック2つかぁ…。今、あいてるのがまだ8分目くらい入ってる…さらにあともう1本丸々消費しなきゃ…!」こうして「牛乳使い切り大作戦」が始まりました。なんとまぁ、われながら料理のレパートリーの少ないことでしょう。でもこうして、家族からは若干の不満の匂いを感じつつも、どうにか3日間で牛乳パック2本を使い切ることができました。このことをママ友に話すと…■料理のレパートリーを増やそうと意気込むも料理苦手勢の私には、全くない発想でした。料理上手なママは、やっぱりレパートリーがたくさんあるのかな? 突然の牛乳消費もおしゃれなレシピで対応していて、すごいと思いました! 求められた材料でパパッと作れるって、かっこいい…! と憧れます。「よし、もし次に牛乳を大量消費する機会があったら私もアイス作ろう! レパートリーを増やしていくぞ!」そんなことを意気込んでいる矢先。次回の持ち物は、まさかのラップの芯(×2)泣突然の持ち物に備え、日頃から資源用品系は捨てずにストックしておこう! と、学んだのでありました。
2020年02月10日■前回までのあらすじ私を見て「みっともなくて外出もできない」という母。容姿が悪くて“かわいそう”な私のために、母が準備したのは整形手術だった…!》 私を「醜い」と嘆く母…認められたい私は15歳で整形に踏み切った ■誰も本当の私を知らない世界■みんなに好かれて楽しいはずなのに…新しい生活の始まりは好調でした。誰も私が整形をしていることを知らない環境。容姿が違うと周りの反応はやっぱり違う。それを強く実感しました。私の顔を見ては、哀れでいた母。「かわいくない」という言葉をずっと母にかけられた私にとって、周りからの「かわいい」という言葉は強烈に突き刺さりました。でも周りに好かれ、「かわいい」と言われるほど、自分が否定されていくような錯覚。そして自分に嘘をついているような気持ちになっていってしまったのです…※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■本連載が書籍化!オール描き下ろし 『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』 (グラハム子著/KADOKAWA 1210円(税込))ウーマンエキサイトで連載された本作をイチから再構築した作品が書籍化!『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』として発売中です!
2020年01月31日■前回までのあらすじ習い事も、髪型も、学校もすべて母が決めていってしまう。私が誤った道を進まないように、「お母さんが指示してあげる」という母。私は何も考えられなくなっていき…。》 母が私のすべてを決めていく…髪型も、学校も、何も想いが届かないく ■私を見て、「みっともない」と嘆く母■私はかわいそう? そして整形手術へわが子のためならなんだってやってあげたい親心。それは本当に子どものため…?それとも、自分が恥ずかしくてみじめだから…?母にとって私はアクセサリー代わりなの…?当時の私にはその区別ができませんでした。私はみっともなくて、かわいそうな娘。お母さんが喜んでくれて、認めてくれるなら、私は整形してもよいとすら思ってしまったのです。たとえそれによって自分自身で犠牲を払うことになったとしても…。※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■本連載が書籍化!オール描き下ろし 『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』 (グラハム子著/KADOKAWA 1210円(税込))ウーマンエキサイトで連載された本作をイチから再構築した作品が書籍化!『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』として発売中です!
2020年01月30日■前回までのあらすじ父と別居した母は、私への要求がエスカレート。「強い女になりなさい」と、スカートを6年間禁じられることに。私が歯向かおうとしたとき、母がとった行動は…。》 服を切り刻む母。着たい服すらも支配されていく ■髪型も、習い事も、学校も…すべて母が決めていく■「あなたのため」という釘で、私はもう何も考えられない子どもの頃は『子は親に従って当たり前』と思っていました。たとえそれが嫌なことでも、親に育ててもらっているのだから仕方ない、と思っていました。『お母さんと同じ価値観になれない私が悪いんだ』いつも自分を責めていました。でも自分が親になって、あの頃のことを思い出すと、あの頃はまだ考えられなかった、処理しきれなかった感情が湧き上がってくるのです──・・・※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■本連載が書籍化!オール描き下ろし 『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』 (グラハム子著/KADOKAWA 1210円(税込))ウーマンエキサイトで連載された本作をイチから再構築した作品が書籍化!『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』として発売中です!
2020年01月17日■前回までのあらすじ教育熱心でみんなから「良いお母さん」といわれる私の母。「私のため」と母が思ったことだけはやらせてくれた。でも本当に私がしたかったことは…。》 「良いお母さん」とみんなに言われる母。それなのに不満を持つ私は悪い子? ■父と別居した母。私への要求がエスカレートしていく■母は私に罪悪感を植え付けて、私を支配する母が怒るのは全て私が悪いからだ───・・・ずっとそう思っていました。この日以来禁止されていたスカート。次に履けたのは中学校の制服でした。6年ぶりに履いたスカートは女の子らしくてかわいくて、嬉しかったのを覚えています。言うことを聞かないのは子どものわがまま?言うことを聞かせたいのは親のわがまま?本当にわがままなのはどっち・・・?※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■本連載が書籍化!オール描き下ろし 『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』 (グラハム子著/KADOKAWA 1210円(税込))ウーマンエキサイトで連載された本作をイチから再構築した作品が書籍化!『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』として発売中です!
2020年01月16日あけましておめでとうございます!6歳息子、4歳娘の母、グラハム子です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。ところで子どもって、言い間違いが多いですよね。それがまた、なんとも面白かわいい。そんな、クスッと笑えるうちの子たちの言い間違いをご紹介します。■息子の発想にびっくりした言い間違い息子は3歳のころ、麦わら帽子のことを「わらびもち」と言い間違えていました。むぎわらぼうし→わらぼうち→わらびもち…そういわれれば、ちょっと似てますね。でも大人にはできない発想の間違え方なので、かわいいなぁと思いました。これも同じく息子が3歳くらいの言い間違いです。「みみず」と「水たまり」がごっちゃになってしまっているようでした。「み」と「ず」が一緒だもんね。全然違うけどね。お次は、娘が3歳のころ。■娘の言い間違いはちょっと物騒!?「ハッピーバースデー」を「ハッピーセット」と言い間違えていました。娘、ハッピーになれる例のおもちゃのセット、大好きだもんね。とくにおもちゃがアイドル要素満載のドールシリーズのときは、必ずあのファストフード店に連れて行かされます。そんな娘とスーパーでお買い物中…なんとも物騒な間違え方をしておりました。この「ブッコロリー」、我が家のお弁当には必ずと言っていいほど入っています。いつもお世話になっております。そして、うちの子たち2人ともいまだに共通して間違えているのが…こんな子どものかわいくて笑える言い間違い。今しか聞けませんもんね。今のうちにたくさん聞いて、ほっこりしたいと思います。
2020年01月03日夫婦2人とも健康なら、子どもは自然と授かるもの…とは限りません。今や約6組に1組のカップルが不妊( 日本産科婦人科学会「不妊症」より )といわれています。「もしかして不妊かも?」「2人目がなかなかできない…」「夫は大丈夫かな?」と感じたら、まずは専門医に相談してみてはいかがでしょうか?今回は日本にわずか800人弱しかいない日本生殖医学会認定生殖医療専門医でもある、 桜十字渋谷バースクリニック 院長 井上治先生に、不妊やその治療、不妊につながる生活習慣についてうかがいました。教えてくれたのは…桜十字渋谷バースクリニック院長 井上治先生医学博士。2005年、福岡大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院産婦人科医局入局。東京歯科大学市川総合病院をへて、2018年、桜十字渋谷バースクリニック院長に就任。日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医、日本生殖医学会認定生殖医療専門医、母体保護法指定。 >>桜十字渋谷バースクリニック 公式サイト ■女性の加齢と妊娠率の関係とは?最近の不妊治療の傾向「幅広い年齢の方が受診されますが、最近は、結婚間もない若い方が早めに受診されるケースも増えましたね。妊活して2~3カ月とか、まだ妊活もやっていないけれど『心配だから…』と来院される方もいます(井上先生)」井上先生は、若い方の受診増加傾向について、不妊治療に関する正しい情報が認知され、子どもが欲しい方の意識の高まりが影響しているのではないかと分析します。「以前は、40歳を越えても治療さえすればすぐ妊娠できると思われて来院される方が多かったんです。でも、女性の場合、加齢によって妊娠が難しくなるというのはデータ(下記グラフ参照)でも顕著に表れています。そういった情報が認知されて『何か不妊の原因があるなら、先に治療してしまおう』と考え来院される方が多くなっているのでしょう(井上先生)」受診する年齢の目安は?グラフでもわかる通り、不妊治療をしていても35歳を境に、妊娠率の低下は加速します。「35歳がひとつの目安となります。日本産科婦人科学会では、『妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、1年以上妊娠しないもの』を不妊と定義づけています。これは、排卵検査薬などを使って排卵があることを確認し、一番妊娠しやすい日に性交するタイミング療法を取り入れての1年です。しかし、妊娠には加齢が大きく影響しますので、当院では、35歳以下なら1年、35歳以上なら6カ月、40歳を越えている方なら、できればすぐにでも受診していただきたいと考えています(井上先生)」。■最近よく聞く不妊の原因は?最近は、「2人目不妊」という言葉がよく聞かれるようになりました。「1人目はスムーズに自然妊娠できたのに、2人目がなかなかできない…」。その原因について、井上先生に伺いました。「2人目ということで当然、お母さんの年齢が上がっていますから、1人目の時より妊娠しづらくなります。女性の場合は、加齢による子宮筋腫や腺筋症なども増加します。また、授乳中は妊娠しにくいことも挙げられるでしょう。男性の加齢も影響します。それに加え、育児で忙しく、なかなかタイミングをとるのが難しいのではないでしょうか。2人目だから不妊になるというわけではなく、加齢と育児による忙しさが原因だと思います(井上先生)」若い男性の不妊傾向も一方、最近の不妊の傾向として、男性が原因というケースが増えているそうです。「最近は、最初から夫婦そろって検査にいらっしゃる方が増えていますが、男性側に不妊原因があるというケースが増えているように感じます。環境ホルモンの影響などといわれていますが、若い男性で精液所見が悪い方も散見されます。逆に、女性の不妊傾向は今も昔もあまり変わりません。しかし、ご夫婦両方を検査しても、実ははっきりとした不妊の原因がわからないというケースが多いです。その場合は、治療をステップアップしていくことになります(井上先生)」■あなたは大丈夫? 不妊リスクチェック実は、日常生活で何気なくやっていること、あまり気にしていない症状が、不妊の遠因になっているかもしれません。不妊に少なからず影響しているといわれる項目を、男女それぞれ井上先生に挙げていただきました。1つでも当てはまれば、不妊のリスクがあります。この中で、当てはまるものはありますか?【女性の不妊リスクチェックテスト】□1. 年齢が35歳以上□2. たばこを吸っている□3. 仕事や育児で忙しい□4. 運動不足□5. 生理不順□6. 不正出血や生理時の出血が多い【男性の不妊リスクチェックテスト】□1. 年齢が35歳以上□2. たばこを吸っている□3. 仕事で忙しく、睡眠時間が短い□4. 運動不足□5. サウナに頻繁に入る□6. 携帯電話をズボンのポケットに入れたり、ノートパソコンを膝の上にのせて作業する□7. 自転車やオートバイに乗ることが多い女性の不妊リスクチェック解説1.~4.は男女共通となります。「2. 喫煙」や、「4. 運動不足」は、万病の元といわれており、不妊にもつながります。また、「3. 忙しい」は、妊娠しやすい日に性交するタイミングがなかなか合わせられないことが不妊原因と考えられます。「女性の『5. 生理不順』は、排卵日の予測が難しいため。タイミング療法を取り入れるには、まず生理周期を整える必要があります。また、『6. 不正出血や生理時の出血が多い』というのは、筋腫といった別の病気が隠れている可能性があるためです(井上先生)」男性の不妊リスクチェック解説一方、男性の「5. サウナに頻繁に入る」、「6. 携帯電話をズボンのポケットに入れたり、ノートパソコンを膝の上にのせて作業する」「7. 自転車やオートバイに乗ることが多い」が不妊の遠因となるかもしれないことに、驚いた人も多いのではないでしょうか。「男性の精子は熱や圧迫に弱いんです。ある研究によると、サウナや熱を発する携帯電話・ノートパソコン、サドルによる圧迫が精子に悪影響を及ぼす結果が出ています。精子はとても弱く、Wi-Fiにも影響されるという研究結果もあるくらいです。最近は、精子をチェックできるアプリもありますから利用してみるのもいいですね(井上先生)」■「妊娠できるかな…」まずは気軽に受診を不妊治療には健康保険が適用にならない治療もあるため、高額となってしまう検査や治療があります。しかし、所得や年齢、回数などに制限はあるものの、2004年から特定不妊治療には国からの助成が受けられるようになりました。また、自治体でも助成金を給付しているところがあり、ハードルの高かった不妊治療が身近になってきました。初診の内容は?「当院は7~8割の方が不妊治療は初めてという患者さんなので、まず最初は希望をお聞きします。検査ご希望か、タイミング指導だけか、1人ひとりに合わせた治療をします。ただ、何か問題があって妊娠ができない場合もありますので、検査をされたほうが安心だと思います。初診時には、基礎体温表をつけているかどうか、排卵検査薬(排卵アプリ)を使っているかどうかなどをお伺いします。それも、つけていれば・使っていればなお良いくらいのお話なので、必須ではありません。まずは、ご相談にいらしてください(井上先生)」「子どもは欲しいけれど、妊娠できるかどうか」といった漠然とした不安を抱えながら年齢を重ねるのは、妊娠率を下げることにつながります。少しでも不安があるようなら、まずは専門医に相談してみてはいかがでしょうか? 井上先生が院長を務める 桜十字渋谷バースクリニック のご紹介JR渋谷駅より徒歩約5分の好立地に、2018年開業した渋谷エリア唯一(※)の不妊治療専門クリニック。日本生殖医学会認定生殖医療専門医である井上治院長をはじめ、体外受精を数多く手掛けるクリニックで経験を積んだ培養室長など高い技術を持った医師・スタッフがそろい、胚(受精卵)へのストレスを最小限にした最新型培養器「タイムラプス」や培養液の工夫、卵子凍結技術の向上など、ソフトとハード両面で患者さんを支えています。※2019年12月現在【住所】東京都渋谷区宇田川町3-7 ヒューリック渋谷公園通りビル4階( Google Map )※JR山手線 渋谷駅 ハチ公口 徒歩5分/東京メトロ 渋谷駅 6番出口 徒歩4分【診療日】月~土 ※水土午後・日祝休診( 詳細はこちら )【TEL】03-5728-6626 渋谷バースクリニックを公式サイトで見る イラスト:グラハム子[PR]医療法人社団 東京桜十字
2019年12月25日こんにちは! グラハム子です。私は恥ずかしながら、ペーパードライバーです。出産前までは車通勤だったので、毎日運転していたのですが…子どもが生まれて退職すると、乗る機会がなくなってしまいました。そしてだんだん運転するのが怖くなり…今に至ります。現在、上の子が5歳です。もう5年間も運転していません。子どもたちを病院に連れて行くときや、子連れでの買い物は大変ですが、それでもどうにか自転車や徒歩、夫のいる日の車を駆使して乗り切ってきました。夫も「運転に自信がないなら無理に乗ることはない」という考えの人で、(私が車をぶつけるのがいやなのだそうです)完全に甘えていました。が、■ママ友親子と一緒に遊ぶとき…だんだん幼稚園に慣れてくると、仲の良いママ友もでき、遊びに誘ってもらえる機会が増えました。こんな感じで、ママ友の車で連れて行ってもらうのが常でした。もちろん乗せていただいてるわけだから、ガソリン代と高速代の半分、それにプラスしてお礼をお渡しします。ちょっとした距離のときでも、お菓子などの気持ちは必ず渡すようにしていました。しかし回数を重ねていくうちに、■車に乗せてもらったらお礼していたけどだんだん申し訳なさが募っていきました。すると、それをそばで聞いていた子どもたち。この言葉で私のハートに火がつきました。今までは「運転できればなあ…」とうじうじ悩んでいたのが、「運転しよう!」に一気にスイッチが切り替わりました。「よし! 運転できるようになるぞ!!」それから数週間、子どもたちが幼稚園に行っている間や夜、夫が帰ってきてから運転の練習をしました。まずは普段から慣れていて、車の通りの多くない家のまわりや、車庫入れから。そして少しずつ大きな道に出て運転。夫に助手席に乗ってもらって、駐車の練習もしました。そして、運転に少しだけ自信がついたころ、習いごとに車でお迎えに行きました。すると…■子どもがよろこんでくれてうれしい!こっちが恥ずかしくなるくらい子どもたちがよろこんでくれました。運転ができるようになって自分自身ももちろんうれしいのですが、まさか子どもたちがこんなによろこんでくれるなんて思いませんでした。(そういえば、子どもたちが自転車に乗れるようになったとき、私もすごくうれしかったなぁ。)「大切な人が何かを頑張って練習して、できるようになった!」これをわがことのようにうれしいと感じるのは、大人も子どもも一緒ですね。努力の過程をずっと側で見ていたからこそだと思います。こんなささいなことだけど、子どもたちとよろこびをともに分かち合って生きていけて、幸せだなぁ。いくつになっても人生って挑戦と達成で楽しいな、と思った出来事でした。
2019年12月23日