コロナウィルス感染防止対策として休校措置が取られてから2週間が経とうとしていますが、皆さまいかがお過ごしですか?我が家も何かしらこの休み中に有意義な事は出来ないかな? といろいろ模索しているのですが、先日親子ともどもすごくいい体験ができたので皆さまと共有したいと思います!せっかく長い春休みに突入したので、これを機に子どもたち3人と、子ども部屋のオモチャを整理しようと思い立ったんです。でも、ただ片づけをするだけではテンションがあがりきらない。お片づけの先に何かさらなるモチベーションに繋がるものはないか…そこで思いついたのが、フリマサイトで販売してみることでした。不要になったオモチャをフリマサイトで販売してみて、売れたら売上金は子どもたちの「お給料」にして、そのお給料を子どもたちに管理させてみようという試みです。お給料を稼ぐためにはもちろん子どもたち自身に働いてもらわなければいけません。そしてそのお給料をどういう風に使うのかも、自己責任のもと選択していかなければなりません。身近なツールであるフリマサイトを通して、「売る」「買う」「お金の流れ」などを学び本物のお金を手に入れる社会学習を、家にいながらやらせてみようと思ったのです。子どものオモチャをフリマサイトで売ってみた事ってありますか?私、今まで「子どものオモチャなんて絶対売れないだろう」な~んて思い込んでいたんです。でも結論から先に言うと売れたんです!!売れない事はない。意外と売れます!(あ、そこのお母さんの目の色が変わるのが見えました(笑))ぜひ皆さんも春休み中にチャレンジしてみてほしいです~。それでははじまりはじまり~。■ステップ1. 販売できそうなオモチャを選別してキレイにするまずオモチャを全部出して、まだ使えそうなものと、もう使えなさそうなものに分けていきます。ブロック類は赤ちゃんの頃にガジガジ噛んだりして噛み跡がついてるので、全部処分することにしました。まだ使えそうなもの&ほかに欲しがってる人がいるかもしれないものはより分けて、子どもたち3人に拭いてもらいます。売上金を分配するのですからしっかりと働いてもらわないといけません。どうして商品を売りに出す前に拭くのかも子ども達と話し合ってみました。私:「こうしてキレイにするのはどうしてだかわかる?」次男:「なんで?」私:「消毒してキレイにしておいた方が次に使う人が安心して使えるでしょ?だから気持ちよく使ってもらえるためにキレイにしよう!」また、なにかを「売る」ということは必ず「責任」が生じてくることも話し合いました。正直言って我が家のオモチャは美品は少なくて、汚れや傷が入ったものばかり。それを見た長男が、「この傷を隠して写真撮ったらいいんじゃないの?」的な質問を投げかけてきました。私:「お金を出して買ったお客さんが「がーーん、こんな傷があるって知らなかった~」ってなったらどうするの?」長男:「…」私:「傷があったり汚れがあるのを知ってるのに、さも無いかのようにして売るのはだましたのと一緒ってことになるよね?嘘をついて売るよりも、ここにこんな傷があって、ここにこんな汚れがついてますけどって全部報告して、それでもいいから欲しいっていう人も買ってもらいたいって思わない?」長男:「うん」私:「ごまかしたりせずに、正直に発売しないとお店の信用にかかわってくるよ。信用は大事!」フリマサイトを通して、商売の基本も学べるような気すらしてきました。お金を貰うということは責任を問われる事、信用が大事なこと、そしてそれは仕事は他人に評価されるということ。同じ商品がいくつかあった時に人はどこを見てひとつのものに絞って買ってもらうためには、見た目がキレイな方が売れやすいよね? とか、写真はキレイな方がいいよね? とか、どうしたら今から出品する商品が売れるかもみんなで考えました。どこまでわかってくれたかはわかりませんが、世の中の仕組みを少しでも感じてくれたらと思い3人に話しました。■ステップ2. いよいよ出品!さて肝心の出品なのですが、まず最初に一番キレイだったオモチャから出品してみたんです。 比較的高額で出品したのですが、そしたらなんと!!1分もたたないうちに売れたんです!!えーーーーーーこんなに早く売れるとは…!まさか一発目からこんな好調な滑り出しが出来るとは私自身も思っておらず、子どもと一緒になって驚きました。すっかり気をよくした私たちはもうひとつ出品してみることにしました。次は長男と一緒に価格を考えて、相場よりも高めの2000円からスタート。「最初は高い金額からいきたい!」という長男の意向を尊重しました。しかし、数時間たっても…微動だにせず。もしかしたら何日も粘っていたら売れてたのかもしれません。でも、何日もフリマサイトに残すということは、「オモチャの片づけ」が滞ります。ず~~っと在庫を抱えていないといけないことになります。それじゃ本来の目的からズレていってしまいますよね。何日もお部屋の中にいらなくなったオモチャを保管しておくのもそれはそれで気持ちが悪いものです。そこで私はみんなが休憩して昼寝している間にしれっと、勝手に値下げしたんです!なんと2,000円から500円への大幅値下げ!(笑)いきなり1,500円も安くなったもんだから一瞬で売れまして…!!お昼寝から起きた子どもたちが「え!! 500円で売っちゃったの!?」と呆れてました。正直言って私自身もやってしまったな…と思いはしたのですが、どうせ捨てるつもりにしていたものだし、マイナスにならなければ…というぐらいの心づもりだったので後悔はありません。そして最後の出品は1,000円で出しました。すると今度は、値下げ交渉が入りました。これもいい機会だと思って三男に聞いてみました。私:「さっき出したオモチャ、100円安くしてほしいな~って言ってるお客さんがいるんだけど5歳の長男は考えました。彼の出した答え。 「100円安くしてっていうんだったら売らない」。こういうことらしいです(笑)それも選択肢のひとつです。必ずしも値下げ交渉に応じないといけないわけでもないですし、これ以上は無理ってしっかり断る事も大事です。三男の意志を尊重しながらももう一度確認してみました。私:「このオモチャを今100円安くして売らなかったらもう買ってくれる人がいないかもしれないよ?いま100円安くして早く買ってもらうか、100円安くしないで売れないか売れるかわからないけど頑張るっていうのかどっちがいいと思う?」って聞いたら三男:「早く買ってもらう方」っていったので、100円の値下げ交渉に応じる事にしました!!よし!!これでめでたく出品したものすべてが売れた事になります!!まさかこんなにスムーズに売れるとは思ってもみませんでした。子どもたちと一緒に梱包したり、コンビニに発送しにいったり、一緒に仕事をやり終えました!!!ふぅ…。すべてを終えて私が何をやりたかったかというと、今回の振り返り&学習です!!■ステップ3. 売上発表&フリマサイトの仕組みを教える!兄弟3人を集めて、話をしました。私:「今から本日の売上を発表をしま~~~す!!子どもたち:「おぉ~~~!!!」私:「ところであなたたち、もしかして、今日売れた金額、3,000円で売れたとしたら3,000円全部自分たちにもらえると思ってない?」もちろんそのつもり満々だった子どもたち。私:「3,000円で売ったものがそのまま全部自分たちにもらえるわけじゃないの。説明するからこっち来て。そういいながらアイパッドを広げました。(画面を見ながら)私:「3,000円で売るでしょ?そしたらそこから、荷物を送る人に支払うお金と、荷物を入れる箱を買うお金と、そしてフリマサイトが取っていく『手数料』っていうのがあるの。」子どもたち:「手数料?」私:「そう、手数料っていうのは、何もしていないフリマサイトがお金を横取りしていくっていうこと!」(言い方よ…)私:「3,000円で売れたら300円ピッてもっていくの。一見、ずるい! って思うかもしれないけれど、そもそもフリマサイトっていう大きな『お店』がないと私たちは物を売ることすらできないし、いつでもだれでも匿名で売り買いできるこのシステムを生み出すまでに膨大な時間と労力を使って出来上がったものだから、手数料として一部を持っていくのはすごく当たり前のこと。手数料や送料ってすごくもったいないような気がしてくるけれど、ひとつひとつちゃんと考えてみたら理由があって、もったいなくもなんともないんだよ」といった話をしました。私:「利益っていうのは必要な経費を全部引いたあとに残るお金のことを言うんだよ。ママは途中500円で売っちゃったものがあったから結果はこの通り。70円…(笑)値付け失敗した例です(笑)0円で捨てるよりかは70円になってよかったじゃんって思うのもよし、もう少し高く売れるために粘ってもよかったって思うのもよし、色々みんなであーだこーだ言いながらも総じて勉強になりました!結果的に子どもたち1人当たり740円のお給料となりました!日頃コツコツお手伝いをしているよりもはるかに短時間でお金ももちになれた子どもたち!!私も楽しかったです!!このことをブログんで書いたら、実際にすぐに取り組んでみた読者さんが数名いらっしゃいまして。なんと「秒で売れた!」って喜んでおられました。やってみるものですね~~!お役に立てて私もうれしかったです。子ども部屋もすっきりするし、学べるし、お小遣いはできるし、いいことづくめの社会学習でした!
2020年03月13日お盆には実家や義実家に帰省された方も多かったのではないでしょうか。自宅に戻ってきてまたいつもの日常が始まりましたね!子ども達の夏休みもあともう少しとなりました。 私が子どもの頃はお盆に数日間、父の田舎に帰省するのが恒例行事でした。父の兄弟も多いので、たくさんのおじやおばが祖父宅に集合し夜遅くまでお酒を飲んだり話に花を咲かせている中、私たち子どもはいとこたちと戯れながら過ごしていました。何をするわけでもないのですが、雰囲気だけで楽しいものでした。家族旅行に行った事がなかったので、唯一家族で遠出した思い出は「おじいちゃんおばあちゃん家」です。 しかし、現在。我が家の子ども達はというと親戚づきあいはほぼありません。定期的に会う親戚はわずかに存在しますが、そもそも親戚一同が集まる機会がないですし、人数自体もものすごく少ないので、もしかしたら我が子にとって「親戚」という概念すらないんじゃないかというぐらい疎遠な存在となっています。 それはそれで特に不自由はないのですが、子ども達にとって機会損失しているな~と思うことは、「お年寄りの昔話を聞けない」事です。 いまどきのおじいちゃんもおばあちゃんも若いのでまだまだ現役世代が多いですが、80代以上の方(父や母の姉妹にあたる年齢)の話って聞いた事ありますか?戦争や、戦後の混乱した日本を生き抜いてきた人達の昔話を聞くって、子ども達にとってだけでなく私たちにとっても貴重な機会だと思うのです。今から7年前、私の父の初盆の際に実家におじやおば(父の兄や姉に当たります)が集まったのですが、その時の話が私にとってはとても衝撃的でした。今日のテーマは子育てに関係ありませんが、何十年か前の日本はこんなんだったんだよ~~と子ども達に伝えたくて書く事にします。 あくまで私の親戚の体験談で、戦場に出向いて命がけで帰ってきたとかそういうエピソードではないのですが、戦争の時代に人々がどういう暮らしをしていたかという貴重な体験を聞かせてくれました。 ■謎の母乳神話…戦時中のトンデモ話何故 父(父は戦後生まれ)の初盆で戦時中の話になったのかというと、仕出し料理に入っていた「お麩」がきっかけです。 おじ(愛媛出身)がおば(大阪出身)と結婚した当初、おばがお味噌汁にお麩を入れたんだそうです。 そしたらおじが「麩なんて鯉が食べるもんや!!」とキレたってゆう話から始まったんです。 今の私からしたらお麩は立派な食材のひとつですが、当時のおじからしたらお麩は「鯉の餌」だったんでしょうね。 そこから、鯉の話題になりました。 昔、おじが小さかった頃は家の庭に池があり、100匹以上の鯉が泳いでいたんだそうです。そして、戦時中には、自分たちは食べるものもロクにないのに、家の中から庭の鯉に麩をやって鯉を愛でたらしく、ここからおじとおばの夫婦漫才かのような掛け合いが始まっていきました。 おば:「自分たちの食べるもんないのに、鯉かわいがっとってわけわからんやろ。ハハハ! 鯉とって食べたらよかったのに。ガハハ」 お…おばよ…(笑) 歯に衣着せなさすぎる…(笑) おば:「わたしら、鯉食べとったで」 がーーーん!笑大阪では鯉食べていたんだったら愛媛のおじも食べといたらよかったのに。おじ:「たまに近所の人が『病人がいるから鯉分けてくれ』って来たからあげたりしとったけど」おば:「昔(戦時中)は鯉の生き血が結核に効くっていわれてたんよ」鯉の生き血…!?(ゴクッ…) 結核に鯉の生き血が効く…。 今のご時世だったらどこに根拠あんねん! エビデンス出してこーーい! で一蹴される話ですが、当時は生き血で病が治すと信じられていた時代だったんですね。おば:「私の親戚のお姉ちゃんなんかは母乳の出が良くなくって、お乳が良く出るようにって、鯉の血絞って飲まされてはったで。あんな生臭い血!! かわいそうに」 母乳の出も結核も鯉の血頼み!!ひぃぃ…。 今なら母乳が出ないなら粉ミルクでぜんっぜんオッケーですが、当時のお母さんにとって母乳が出ないって死活問題ですよね。本当にワラにもすがる思いで鯉の血を飲んだんでしょうね…。さらに、おじが自分がひもじくとも愛でていた100匹以上の庭の鯉。 その後、どうなったかといいますと、おじ:「忘れもせん、小学2年のとき。学校から帰ってきたら、朝までおった鯉が1匹ものうなっててのー。どうしたんかと思うたら、”よかれん(※)”っつー兵隊のグループが、兵士の食料にするからっつーて根こそぎすくって持ってってしもた」※旧「海軍飛行予科練習生」の略ええええ…!!人の家の庭から勝手に鯉を根こそぎ!!おじ:「あの時代は、鍋やら金属やら、根こそぎ持っていかれても文句は言えんかったから」ひぃぃ…。 どうせ根こそぎ持っていかれるんなら、やっぱり食べてればよかったのに…。 おじ:「それが戦争が終わってしばらくして、新しくできたプールに行ったら、そこの池に、うちの鯉がおってのぉ。うちの鯉が泳いどんのよ。フォッフォッフォ…」何じゃそりゃ!! 鯉、生きとったんかーーーーい!! それじゃぁ、ただ家からプールに引越しただけじゃん!! いやいや、そうやって笑って済ませられるのも、混沌としたメチャクチャな時代だったからこそですよね。■戦時中に盲腸になったら…おじ:「昔は、何もかもがめちゃくちゃで、適当やったから。医者も役所も適当よ」おば:「そうよ、戦争中は、盲腸でよう人が死んどったわ」え!? 盲腸で!?盲腸で死んでたんですか!?おば:「よう死んではったで。なんてったって、手術するっつっても、麻酔なんてないから、意識あるまま、お腹切るんやで」 ヒーー!!!! もう、「ヒー!」しか出てきません。。。 おば:「押さえつけられて生きたままお腹切られて、消毒もなにもないから、化膿したり、術後の回復がよくなくってよう死んではったわ」 切腹じゃないですか!!こぅっわーーー!!!! おば:「私の親戚の兄さんも、盲腸になったゆうて、兄さんのお母さんが、リアカーに布団しいて、兄さん乗せて、茨木から、大阪城のとこまで押して歩いて運んどったわ」 ひーーー!! 大阪をご存じない方には分からないかもしれないけれど、茨木から大阪城まで歩く…。歩けない事はないのでしょうが、、ろくに整備されてない道をリアカーに人乗せて…とても行ける距離じゃぁありません。おば:「あのお兄さん、どうしはったんやろ。あ、でも、こないだ死んだから、生き残ったってことやろうな。ガハハ」 わ…わろてる…。 戦時中の話はメチャクチャすぎて、激動の中生きてきた世代の人たちの生命力が凄すぎる!! と、改めて敬意を払ったのでありました。■戦後復興を支えた人々に感謝せずにはいられない結局父の初盆なのに、父の話は一切出てきてないことに後から気づきましたが…(笑)鯉と盲腸の話はこの時の話のほんの一部です。 戦後の、日本全体が復興に向けて伸びていくまさにALWAYS(映画)の時代の話も聞きました。 今私たちが当たり前のように使っているトンネルだったり電線だったり高速道路だったり…。 今整えられているインフラは、昔の方々が必死に汗かいて働いて作ってきてくださったものだと考えると、感謝せずにはいられません(おじの話聞いてたら仕事が過酷すぎました。ブラックどころじゃない)。 いまのお年寄りたちが現在の日本の土台を作ってくださったからこそ、私たちは今こんなにも便利な生活を送れているんだと敬意を表しながら、カーナビ・ETC・Bluetooth搭載の涼しい車でバビューン! とトンネルくぐりたいと思います!(ほんっと…数十年後の日本がこんなになってるだなんて当時の人達は想像もしていなかったでしょうね)
2019年08月22日こんにちは! ちゅいママです。 子ども達がまだ小さかった頃、うちの夫はどちらかというと育児に非協力的でした。正確に言うと、当時は非協力的だとは思っていませんでしたし、むしろ、「世の中の父親はこんなもんだろう」と夫自身が言っていました。私も夫に育児の協力を求めるのを諦めていて(というか期待していなくて)、夫婦の間でなんとなく「夫は外で働くかわりに、妻は家事育児をするのが仕事」という意識で繋がっていました。 当時は非協力的であるという認識はなかったけれど、今、昔の記録を見返してみるとがっつり非協力的でした!(笑)なんだコイツ! こんなんだったんだぁぁぁ~~と驚くとともに(今の夫は随分変わりました)、ひとりで抱えて頑張っていた私を労りたくなりました。長男が3歳、次男が1歳になってすぐの頃のお話です。 ■夫への「はじめてのお願い」今日は、夫にお願いしたいことがあるんです。妻のたってのお願いなんです。ずばり「息子2人の子守をしてほしいの!!」次男が生まれてもう1年もたつけど、今まで一度も夫に息子2人を預けたことはなかったんですよね。なぜなら夫にとって2人も同時に子守するだなんて、完全にキャパオーバーだからです! 子守が苦手な夫にとって1人が限界。 そして私もそんな夫に息子2人を預けると、かえって心配で気が気でなくなるので、今までお願いしたことはなかったんです。怪我をするんじゃないかとかそういう心配じゃなくて、なんていうか…面倒見るといいつつ結局そのへんで昼寝してるだけなんじゃないかとか、スマホ片手にグダグダしてるだけなんじゃないかとか…夫が「私のしてほしい育児」をしてくれない事にモヤモヤしてしまうんですよね。 だけど、今日は違う。 今日は、いい加減、そろそろ預けたい。私、パーマをあてたいんです!!人生で1回だけかけたことがあるパーマ。もはや10年も前の話だけどそれ以来のパーマ!美容院に行きたいから子ども2人の面倒を見てくれないかと、私の胸のうちを思いきって夫に打ち明けてみました。そしたらもちろん、子守りはすぐに引き受けてくれました。次男も卒乳し、おっぱいの心配もなくなったのでハードルはだいぶ低くなっていたようです。 じゃ、お願いします!!だけど余計な一言がふたつもみっつもーーー!!夫:「なんでいきなりパーマなん?」なんでってイメチェンしたいからだよ。 夫:「…なに色気づいてんの?」ハ!? なにそれ!!!! この手のツッコミってすごくハラタツんですよね!! 本人は冗談のつもりなのかもしれないけれど、すごく傷つきます。 そういえば産後、息抜きに洋服を買いに行ったら、「どうせそんなに来て行く場所もないのに」って言われたことがありました。すごーーーーーく悲しかったです。 そりゃ幼い子ども2人いる専業主婦なんですから、せいぜい出かける場所は児童館か幼稚園か小児科かスーパーぐらい。服だってそんなにいらないし、着飾っていく場所もないのは自分がいちばん分かっています。 でも「どうせ着て行く場所もないんだから、服なんて買ったってしょうがない」って妻自身がそう決めるのならいいけれど、周りが決めるのはおかしいですよね。 息抜きに服を買ったっていいじゃない!髪の毛にパーマあてたっていいじゃない!それを色気づいてどうすんのとか言わないでほしい!!夫:「だって、ママの髪の毛なんてゴワゴワなんだから、そんなパーマなんて無理だって。どうせすぐとれるって」ムッ!! 人の髪の毛をタワシみたいに! 夫の失礼発言は無視して、意地でもふわふわのパーマをかけに美容院に向かうことにしました。でも、その前にまずは長男を公文に連れていかなければいけません。11時から習い事に連れて行って、長男と家に戻り、お昼の13時から私は念願のパーマネントへ向かうのです!(夫の兄弟子守は13時からです)でも今日はいつもに増しててんやわんやな朝でした。■毎週末戦力外な夫… ちなみに夫はというと、休みの日はいつもなかなか起きてきません。 昼過ぎまでは毎週末戦力外です。 長男が、「タワーあびたーい」と言い出しました。朝からシャワーが浴びたいそうです。 掃除をしたかったので、「ちょうどいいや!」と思い立ち風呂場で遊ばせることにしました。「お風呂で遊んだらいいよ! ほら、泡立て器でアワアワ作ったら?」と、私の一声で「やるーー!!」と喜ぶ長男。 長男、「ママ、おふろのとちはやたちーねー!」ですって(爆)普段どんだけ優しくないんでしょうか(笑) そして、そうこうしてるうちに次男もお風呂に入りだして、しばらく2人で楽しそうにお水遊びをしていていました(見守りつつ掃除をしています)。ですが、もちろん、ビチョ濡れのまま部屋にあがってきて2人してウロウロするもんだから床は水がボトボト。 ひとつ用事が済んだと思ったら次から次へと用事が出てきます。 もう、どーでもいいや! と開き直り裸ん坊で次男をベランダで遊ばせていたんです。 そして私は洗濯物を干し終わり、部屋に入って洗濯カゴをしまってきたら、長男の呼ぶ声がします。「マーーマーーー!! 次男くんがベダンダでうんちしたったーーー!」 えーーーーー!?しまったーーー!! オムツ履かせておけばよかったーー!!!!(すぐに履かせるつもりだったけどちょっとぐらいいいかと思ってスッポンポンのままにしていました) 早くしないと、習い事も閉まっちゃうし、美容院も遅れちゃうし…あぁぁーーーー! パパ!! ちょっとは手伝ってよーーー!!!!時はすでに11時。いつものように寝室でグーグー眠り続ける夫。もう、私は諦めているので、週末は予定がなければ夫はお昼頃まで眠っています。 いつもは放置していますが、今日、いま、この瞬間はさすがにちょっと手伝ってほしい!! なぜなら、しつこいようだけれど、ひとつ用事が済めば次になにか用事が増えて、一向に準備が進まなかったから…。 思い切って、「ねーー! ちょっと手伝ってくれない?」と起こしてみました。だけど… 完全に無視したんです!! シカトですよシカト!! ひどくないですか!? むむむむむぅーーー! 今日は久々に腹立ってきたぞぉ!!ちょっと今、この時だけ少し手を貸してほしいって訴えてるのに、どうしてそうもグーグー寝続けるのか。あなた言ったよね!?家事は妻の仕事でも、育児は2人の仕事と言ったよね!?そもそも夫婦2人の子どもなのに、なんでこんなに気を使わないといけないんだろう。私が毎日子どもを見るのは当たり前なのに、土日に夫に託すと「子守り」になってしまうのはなぜなんだろう。 よっぽどキレそうになる気持ちをぐぐぐーーーっと押さえ、忍耐忍耐そして忍耐!(この頃の私は自分の気持ちを主張するのがすごく苦手で、私ひとりが我慢すればうまく回るんだと自分に言い聞かせていました)夫には、私がキレそうになってることが完全に伝わってるだろうが、怒りを口にだけは出さないように注意し、なんとかひとりで乗り切り、習い事へと出かけました。 (そしてこういう小さな事が積み重なって、私の心は「夫には何も期待しない」へと変化していきました。夫からしたらその時に眠かったから記憶になかったとしても、「オレだって休みたい」と思っていたとしても私は悲しかったです。きっと聞いてもらえないだろうなって分かっていながらも、ダメ元でお願いをしてみるって勇気がいることなんですよね。起こしたってどうせ起きてくれないだろうな…と思いつつも、「起きて助けてほしい!」と頼んだ時に無視された悲しさといったら…)あぁーーー、もう、ほんと…ひとりでバタバタしてるときに、目に付くところでグーグー寝続けられるとムカつきます。こんなんならいっそのこと仕事でいない方が諦めがつきます。そうそう!今日は半ばヤケクソの当てつけで次男を夫に託して、長男の習い事に出てきました!! 私のささやかな反抗です。 いよいよ、パパ。子守タイムのスタートです!! とりあえず頑張ってもらいましょう!!
2019年06月28日