思いがけない心の支え妊活をするレズビアン女性と出会い、とても強い衝撃を受けた私。動揺もしましたが、彼女との出会いから “子どもを持ちたい” と願うレズビアン女性について知るようになりました。よく一言で “レズビアンマザー” と括られますが、我が家のようなステップファミリーもあれば、カップルで子どもを迎える、(ノンケカップルで言うところの)初婚ファミリーもあります。このようにタイプが異なると、悩みも違うし、お互いのことを知らないものです。私がレズビアン女性の妊活の大変さについて、何も知らなかったように、血の繋がらない娘を育てる戸惑いを、彼女に共感してもらうのは難しいことなのです。自分と同じような家族を探したくて始めた「にじいろかぞく」ですが、そこに集まってきてくれるLGBTの家族というものが多様すぎて、自分と同じような家族になかなか出会わないのです。これにはちょっと焦っていました。そんな焦りを抱えていたのは、「にじいろかぞく」が想像よりもずっと肯定的な雰囲気で受け止めてもらえて、ホッとしていた時期でもありました。今から8年ほど前のことですが、世間のLGBTへの偏見は今よりもずっと色濃く、それに比例するようにLGBTコミュニティの内部でも、LGBTの人が子育てをすることに、戸惑いの空気が漂っていたのです。だから「子育てをするLGBTの集まり」なんていったら、バッシングを受けるんじゃないか?とドキドキしながらスタートしたのです。例えば、妊活をしていたレズビアン女性も、妊娠をとても喜んでくれた人がいた一方で、仲間内のレズビアン女性から「子どもが生まれたら、大人ばかりの場に子どもを連れて来てほしくない」と言われたそうです。その空気は、私もヒシヒシと感じていました。LGBTのイベントは、子どもを連れていけるような雰囲気ではなさそうだったし、子どもがいるなんて言ったら、ギョッとされたり、子どもは大丈夫なの?と心配されたり、さらには「前に男性と結婚してたのね」なんて冷たい反応もされたものです。世の中の偏見が減ると同時に、LGBTコミュニティ内に漂う緊張感も緩和されてきたように思います。こういうことって地続きなんですね。特に「にじいろかぞく」を歓迎してくれたのは、若い世代でした。「将来、自分は畳の上で死ぬことはない。誰にも看取られず、一人でのたれ死ぬ将来しか思い描けない」と、泣きながら打ち明けてくれた大学生に、「私、同性のパートナーと子育てをしてるんだよね」と言った時の、あの驚いた顔。今でも忘れられません。「子育てをするなんてこと、あるんですか!」と喜ぶその大学生に、これまで出会ったいろんな家族のこと、自分の家族のことを話せて、とてもうれしかったのです。自分たちのような家族の存在を、若い人が喜んでくれている。それは思いがけない支えになりました。さらには、ちょっとしたイベントや大学の授業で、同性カップルで子育てをしている様子を聞かせてほしいと、声を掛けていただくようになりました。最初は、本当に信じられませんでしたよ。一人ぼっちで作っていたホームページにも、連絡してくれる方が一人増え、二人増え、少しずつ仲間が増えていきました。妊活していた、例のレズビアンの友人にも子どもが生まれ、LGBTファミリーはもちろん、子どもを持ちたいと思っている若いカップルも遊びに来てくれるようになりました。そうすると「みんなで交流したい!」という声があがるようになりました。私はもともと下戸で、新宿2丁目にもなかなか縁がありませんでした。子どもがいて夜に出かけづらいので「できれば昼間、子どもを連れて集まれるようなことをしたい!」という、小さな野望を抱いていました。「子連れで楽しめて、みんなが気軽に交流できて……、そうだ!ピクニックがいい!」。このピクニックには、すっかり仲良くなった、前述の大学生も仲間たちと参加して、子どもたちの遊び相手になってくれました。そんな交流は、いつの間にか新聞の取材を受けるようにまでなっていました。徐々に会の“ような”形にはなり始めたものの、「会にしたい」とは長く言い出すことができませんでした。みんな子育てや妊活に忙しいし、なんといってもボランティアなわけです。「そんな面倒なこと、嫌だろうなぁ」と思って言い出せないまま、何かイベントをする時は手伝ってくれる仲間が、なんとなく固定化していきました。アメリカ(大使館)への道そんな頃でした。私が同性パートナーと子育てをしていることを知るゲイの友人と、くだらない話をしていたところ、彼がふと思い出したように「ねぇ、小野ちゃん。アメリカに研修に行くなんてどうよ?」と言ったのです。さして本気そうでもなかったし、子育てをするようになってから、私の狭い行動範囲はますます狭くなって、本当に半径数キロ以内で生活していました。海外どころか東京を出ることだってほとんどなくなっていて、アメリカに行くなど、あまりにも非現実的な話。だから「またぁ、夢を語ろう的なやつ?」と、気にも留めませんでした。それから数ヵ月後。その彼から「こないだ話した、アメリカの話。あれ、いけそう?」という連絡が来たのです。「ん?アメリカ?」と、すっかり忘れていた私に「ほら、こないだ話したじゃない。アメリカに研修に行く話!覚えてないの!? あの話に推薦しといたから、面接を受けてきて!」。へ?となる私に、彼は驚くべきことを言いました。なんと、アメリカの国務省が主催するIVLP(International Visitor Leadership Program)という研修プログラムに私を推薦したから、アメリカ大使館に行って面接を受けてこい、と言うのです!な、なんかえらいことになってる!?アメリカ大使館!?大使館なんて入ったこともないのに、しかも面接!?英語かな?英語だよね、大使館だもんね……。私の英語って、ディス・イズ・ア・ペン レベルなんだけど、面接受けられるの?っていうか、研修ってなに!?なんで私みたいなオバちゃんに、そんな大きすぎる話が!?っていうか、子どもは?仕事は?目を白黒させていると、間もなくアメリカ大使館の担当者から、面接の案内メールが届きました。覚悟を決めるしかありません。物々しい警備のアメリカ大使館に、一人で向かうことになりました。当日は、ものすごく厳しいセキュリティチェックで、アメリカ大使館の中に入るまでが、まず大変。アメリカ大使館に入るために横断歩道を渡るのでさえ、複数いる警備員に呼び止められるのです。「どちらに行かれますか?」、「どなたとお約束ですか?」といった具合。たかが数メートルの道を渡るのも大騒ぎ。横断歩道を渡ったら、今度は入り口のチェックでまた足止め。受付を通った後は、IDもケータイも全部預けなければなりません。大使館の中はもうアメリカそのもの。その雰囲気にがっつり飲み込まれました。職員に案内されて、部屋で待っていると、アメリカ人男性と日本人女性が現れました。堂々とした二人の様子に、こちらの緊張はピークです。まずは二人から、詳しい説明がありました。このIVLPというのは、アメリカ国務省が主催する、社会人向けの研修プログラムで、およそ3週間にわたり、アメリカ国内の企業やNPOを訪問し、視察するものだということ。研修テーマは多岐にわたり、私たちのチーム(どうやら複数の人間で視察に行くようでした)はHuman Rights、つまり“人権”がテーマであることも説明されました。あまりに珍しい状況に、緊張はピークであるものの、そもそもなぜ私なんかが呼ばれているのか全然分かりません。ただ、こんなところで面接を受けられているだけでも棚からぼた餅。通るはずもない面接だと思えば「まぁ、そんなに緊張することもないな」という気持ちが湧いてきました。こんな体験も、そうそうすることはないし、「ここは率直に話すまで」と思い、自分の家族のこと、LGBTファミリーについて思うこと、アメリカに行ったら知りたいことを話しました。一人でホームページを作っていた頃は、日本ではなかなか知ることのできないLGBTファミリーの情報に飢え、読めない英語を辞書を片手に、なんとか探しているような状態でした。アメリカに行けるようなチャンスがあるなら、LGBTファミリーについて聞きたいこと、知りたいことは山ほどあります。インターネットで見つけたLGBTファミリーの団体のこと。LGBTファミリーを扱った絵本が、いろいろあるらしいこと。さらには日本では入手できない、レズビアンのステップファミリーについての指南書があるらしいこと。LGBTファミリーのサマーキャンプがあるらしいこと。など、など、など。最後に、思い切ってこんな質問をしてみました。「なぜ、私のような専門家でもない普通の人間に、こんな面接のチャンスをくれたのか?」。すると、こう答えられたのです。「アメリカは今、同性婚で揺れています。この同性婚の問題は、家族の問題そのものです。ですから日本のLGBTファミリーの方に、今のアメリカの運動の様子を見てもらえたらと思って」。全米で同性婚が認められるようになったのが2015年6月のこと。その2年ほど前のことでした。(つづく)Composition:Yoshiyuki Shimazu
2019年02月02日