Amazon Original作品「パニック ~秘密のゲーム~」シーズン1のオリジナルトレーラーとオリジナルキーアート、場面写真が一挙公開された。「パニック ~秘密のゲーム~」は、ローレン・オリバーが自身のベストセラー小説を脚本化し、シリーズクリエイターも務めたPrime Videoの1時間ドラマシリーズの新作。舞台は、テキサスの小さな町。毎年夏、卒業生が繰り広げる勝者全獲りのゲームがあり、勝者になればいままでの境遇から抜け出し、今後成功した人生を送れる唯一のチャンスになる。しかし今年、そのルールが変更され、賞金もかつてなく巨額になり、危険に満ちたゲームとなる。出場者は次々と心の奥底にある恐怖と対峙し、勝つためにどれだけリスクを冒せるかが試される…。大金が掛かった謎に満ちたゲーム、ティーンエージャーの友情、ロマンスを盛り込んだ本作は、全10話で構成。世界的スーパースターのトーンズ・アンド・アイが歌う未発表曲「Not Going Home」がドラマに彩りを加え、また第9話でもトーンズ・アンド・アイのデビューアルバムからの曲が使われていることも注目。また、今回配信に先駆けてトレーラーも到着。燃え上がる炎や猛獣の登場、高所でのチャレンジといったスリリングなシーン、ロマンスを思わせる場面も垣間見える。キャストには、オリビア・ウェルチ、マイク・フェスト、ジェシカ・スーラ、キャムロン・ジョーンズ、レイ・ニコルソン、エンリケ・マルシアノといったバラエティ豊かな俳優たちが集結している。「パニック ~秘密のゲーム~」シーズン1(全10話)は5月28日(金)Amazon Prime Videoにて独占配信開始予定。(cinemacafe.net)
2021年05月13日まだまだ発生するパニック。広汎性発達障害の娘は、小学4年生。来月には5年生になりますが、パニックはまだまだ発生しております。特に多いのが、宿題に関する忘れ物のパニック。プリントや教科書を忘れると、この世の終わりかというくらい泣いてしまいます。Upload By SAKURA娘にとって忘れものは、この世の終わりに匹敵するほどの悲しみなのです。国語の教科書を忘れて、宿題ができない!つい先日も帰宅後、音読の宿題をしようとして、国語の教科書を忘れたことに気がつきました。Upload By SAKURAこんなとき、感情的に「仕方ないでしょ!」と言っても、娘にはあまり効果がありません。Upload By SAKURAこういうとき、私はいつも娘にどうしたいかを聞くようにしています。Upload By SAKURA希望を聞いても、叶えられないこともある。娘は、学校に教科書を取りに行きたいと言いました。しかし、この日は学校の後に放課後等デイサービスに通った日だったので、このときすでに夕方の6時すぎ...学校も閉まっているだろうし、この時間から学校に物を取りに行くことはさすがにできません。私は娘にそのことを説明しました。Upload By SAKURAどうしたいか聞きはしますが、叶えられないこともあります。一つひとつ娘の要求が不可能なことを説明していくと、今度は謝り始めます。Upload By SAKURAこの『ごめんなさい』は、私に対する謝罪ではなく、ミスをした自分が許せず、発している言葉。娘は『ごめんなさい』と言った後は、黙り込んでしまいました。できることを提案。そこで私は、一つ提案しました。Upload By SAKURA提案は、受け入れてほしいという思いよりは、ただ「こういう方法もあるよ」と教える感じでするようにしています。無理強いはもちろんしません。最終的には、時間がかかっても、娘に決めてもらいます。学校で先生に説明して...次の日、私はいつもより早く娘を学校に送りました。念のため事の経緯を連絡帳には細かく書いていましたが、まだ娘の気持ちが凹んでいたので、学校の中まで付き添いました。教室に行く途中、去年まで娘の特別支援学級の担任をしてくれていた先生にばったりあったので、経緯を説明。Upload By SAKURA娘の特性をよく理解している先生のおかげで安心した娘は笑顔になり、私は学校を後にしました。パニックが起きた後、自分で抜け出せるように。宿題を忘れるぐらい...と思われるかもしれませんが、娘にとって宿題を忘れるということは許せないこと。その気持ちが、パニックを起こしてしまいます。ただ、人生、予想外の事態はつきもの。パニックが起きないように回避することもできますが、自分でそこから抜け出す力を身につけるのも必要なことだと、私は思っています。パニックが起きたとき、そこからどうするかを自分で見つけることができるようにすることは、娘の将来に必要なことです。今はできる限りのサポートをして、同じようなシチュエーションで練習をして、娘の経験にしたいと思っています。
2021年03月10日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 面会時間も終わり、夜もう一度赤ちゃんと再会できるチャンスタイムがあった。今連れてきますからね~という話のあと、一向にやってこない。 不安に思っていると、助産師さんがやってきて「赤ちゃんね、多呼吸の状態になってて、ちょっと保育器に入ります。あとで先生から説明しますね」とのこと。 産んだあとはすべてが順調に進むと思い込んでいたので、急に「入院治療計画書にサイン」とかになって心臓はバクバク。 書類には、「新生児一過性多呼吸」との病名が記されており、推定される入院期間が約1週間との記載もあり、「え、一緒に退院できないの?」と不安になる。 今思えば、その場でいろいろ聞けばよかったものの、疲れ果てて頭も回らないし、質問するという発想もなく、ヨボヨボしながらサインをした。 「終わったんじゃない、始まったのだ」ということを強く自覚した瞬間だった。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月23日前回 のあらすじパニック障害になってしまったことを思い切って母に伝えることに!パニック障害になったことを母には伝えることができ、理解もしてもらえました。しかし遠くに住む友人たちにはどう伝えようか…と。もし友人がパニック障害について全く知らなかった場合は、なぜ帰省して会えないのか、という質問についてうまく説明できないなと思いました。ケガをしたわけでもなく、〇〇が調子悪くて〜という説明もできず、電車に乗れないから…と聞かされても普通の人からしても???と思われるだろうな…と。友人に言えなかったのは「気を使われたくない」という気持ちが大きかったからだと思います。私の友人たちは偏見などを持つタイプではないし、理解してもらえるとは思っていました。でも、私自身が気を使うタイプなので、病気の事で気を使ってもらったり、迷惑をかけるかもしれないと思うとしばらく言わない方がいい…また体調が良くなって元気になったら言えばいいや…と思っていました。遠方に越してからも定期的に誘ってもらえて嬉しかったのですが、仕事で忙しいと嘘をつきながら毎回断り続けていました。ただただ申し訳なさと、悲しさで毎回心が痛みました。友人には気を使われたくない。友人の中では元気な私がいる。はっきり言ってしまった方が楽だったのかもしれませんが、私は遠いところでも元気でやってるよ! 毎日楽しく笑ってるよ!と思われたかったのだと思います。…これについてはどう考えても仕方ないなと思います。毎回誘いを断っていたら、あちらも気を使ってじゃあ誘わない方がいいなーとなるのが当たり前だと思います。この件で友人たちが去っていくわけでもないですが、地元ではみんなで楽しくやってんだろうなー…と思うとすごく寂しかったです…。パニック障害と診断されても、自分で受け入れることができない。診断は受けたけど軽度の方だから私はすぐ治るんだ。どこにも行けないのも、友達に嘘をつき続けるのも今だけだ。そう信じつつも、心の奥では一生このままかも…と思う心が交差していて、この頃はひたすら何も考えたくない時期でした。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月20日前回 のあらすじパニック障害の私が「周りの人にしてもらって嬉しかった対応」とは…?パニック障害でなくても、精神疾患に罹った場合周りの人に話すかどうか、というのはためらう人が多いかと思います。私の場合は地元から引っ越し後に発症したため、知っているのは夫のみ。なのでパニック障害になってからも半年くらいは誰にも伝えずにいたのでした。ただでさえ、パニック障害になってしまったことだけでもショックなのに更に周りに理解もされず引かれるのみだったら…と思うと怖くてなかなか言えませんでした。母はとても明るくさっぱりした人物なのですが、そのさっぱりとした性格ゆえ時々悪気なくはっきりモノを言うことが今までも多く…。そして「昔は良かったわ~」などを言いがちで、古い考え方をするタイプなので、何を言われるか怖くてメンタル落ちてる今はとてもじゃないけど言えない…。と言う感じで、なかなか伝えられずにいました。しかし長い間実家に帰ってこない私に対して、どうしたのかと問い詰められ…これは逃げられないなと腹をくくり伝えました。告白したあとの静かな間が本当に長く感じられ、緊張して心臓が飛び跳ねていました…。しかし母は予想外にもあっさりと理解をしてくれました…!!母に対して失礼ながら、偏見の塊人間だなと思っていたのでこれには驚きました。これも全て母がテレビっ子だったおかげ…!テレビの言うことは全て信じ込む母です(笑)私も確かに以前はパニック障害なんてどんな病気かも知りませんでした。今は芸能人などの有名な方が公表してくれることによって、偏見が少しずつ減ってきているなと思っています。こんなことならもっと早くに話せば良かった…母よ…!!しかしやはり身内には話せても、友人はもっと話しにくい。どうするか葛藤しまくり、ひたすら悩む日々が続きました…。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月19日前回 のあらすじ早くパニック障害を治して子どもが欲しい…! 主治医の先生の答えは…乗り物に乗ること、遠い所へ行くことこれらができなくなってしまったことは、私の人生を大きく変えてしまいました。もちろん好きなだけ好きなところに行く、ということは金銭的にも難しいのですが、例えお金があったとしてもそれを実行することができない…もう私にはずっとこの狭い世界で生きていく人生しかないんだ…と。「一生治らなかったらどうしよう…」と思いながらも、少しの希望で少しだけ前を向くことができました。そう思わなければ絶望で壊れていたかもしれません…。パニック障害は主にこの「予期不安」で苦しめられているといってもよいです。要するに日常生活で「倒れたらどうしよう…」「外で発作起きても誰もいないし…」など、悪い事ばかり考えてしまい、発作を恐れて何もできなくなるのです。もし頑張ってチャレンジしたのに…予想通り外で発作に見舞われた場合、更に恐怖が増して外に出るのがますます怖くなる…そういった負のループで毎日苦しめられています…。パニック障害のきっかけは、ストレスなど色々あるとは思いますが、自分でも意図せずに恐怖を感じたりするこの現象は考え方や精神論でどうにかなるものじゃないなと思っています。「精神的に弱い人間がなってしまう」と思っている人もいるかもしれませんが、脳の誤作動や脳内神経伝達物質のバランスを崩すことが原因になっているようです。脳の病気…と考えるとそれはそれで怖いですが、「精神的に弱いのが原因なのかな…」と思い込んでいたので、少し救われた気持ちになりました。そして私も誤解していたことがあって…。これはその病気を知らないことからくる「あるある」かもしれませんが、「パニック障害」という名前から、いろいろな偏見や誤解をしてしまいがちですね…。リラックスしている時や、1人で考え事ができるような状況だと予期不安が出て不安になるので、逆にそれを全く感じる事ができない状況(本当の恐怖に襲われている場合)の時は発作は出ないのです。パニックとパニック障害はあくまで全く別物、と考えておくといいかもしれません。パニック映画などで出てくる「怪獣に追いかけられる」ようなことがあったら、パニック障害など吹っ飛んで全力で逃げると思います(笑)これは人によると思いますが、周りの人にしてもらって嬉しかったことは、たとえ何もできなくても本を読んだりネットで調べてくれることでした。タマオくんは本を読んでも「ああした方が良い、こうした方が良い」などのアドバイスをしなかったこともありがたかったです。パニック障害の患者の私は、そっとしておいてもらえる、もし外出先で倒れたら側にいてくれる、というだけで充分嬉しいなと思いました。これは治療や治るような病気だったら、私も全力で調べていたのだと思います。しかしこの時は何度も発作を起こした場面や、パニック障害になってからのことがフラッシュバックをしてどうしてもパニック障害について調べることができませんでした。知れば知るほど、意識をしてしまい余計に不安感が増す…それが怖くてあえて何も調べない、という方法を取りました。その時の私は、ただただ薬を飲んで時が経つのを待つ…それくらいしかできませんでした。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月18日息子のパニックに困り果てていた私の心に刺さった、主治医の言葉息子はもう成人していますが、幼児期、小学校低学年の一番状態が悪かったときの主治医の言葉です。「パニックを起こす理由が立石君にはあるのです。『こうしてほしい』というこだわりには応じ、小さいうちに安心できる生活環境をお母さんが与えてください。パニック起こして一番しんどいのは本人なんですから」「もし、お母さんが人の履いたスリッパがどうしても履けなかったとしましょう。『履け』と命令されたらどうですか?それを履いて落ち着いていられますか?こだわりは自分だけのスリッパと同じなんです」「人が食べたガムを食べることができますか?子どもにとって偏食は、芋虫や他人が食べたガムを食べろと言われているようなものなのです」「喘息発作も起こせば起こすほど、それを誘発させます。『普段から吸入して発作を起こさない予防をすることが肝心です。自閉症児のパニックもそれと似ています。起こさないように周りが配慮してやることです」「お母さんからすれば『なんでこんなことにこだわるんだ』と思うことも、本人にとってはとても耐えがたい嫌なことなのですから、こだわりには応じてあげてください。」Upload By 立石美津子親は安全基地になるまだ言葉を話せない赤ちゃんは不快な状態のSOSを泣いて訴えます。お腹が空いても「ミルクが欲しい」と言えない。オムツがうんちでベチョベチョになっても「不快だ、交換して」と言えない。暑くても自分では服を脱げない。かゆくてもかけない。寝ようとしてもなかなか寝つけない。だから泣いて必死に訴えます。母親はその泣き方から「なぜ泣いているんだろう?」と原因を探り、「おお、よしよし。今、おっぱいをあげるからね」、「オムツをとりかえてあげるからね」と助けてやります。そして、子どもは「この人は僕を保護してくれる人だ」と母親を認識し、親の愛情の元「この世は生きていても安全な場所なんだ」とだんだんとわかってきます。パニックが起きたときは自閉症のある子には同じ道順しか通れない、決まった服しか着られないなどさまざまなこだわりがあります。それを押し通すことを周りの大人が許してくれないとき、また感覚過敏により「この音は耐えらない」と感じるときは、“止めてくれ”とばかりに全身の力で訴えます。地面に頭を打ちつけたり、自分の腕を噛んだり、自傷(自分自身を傷つける)したりパニックを起こすこともあります。私も親として未熟だったころはパニックを起こされたときは「いい加減にして!」と私もパニック状態になりました。親に助けを求めているのに子どもの世界を理解してやらないで、押さえつけたり叱ったりする最悪の対応をしていました。Upload By 立石美津子どう対応すればいい?大人だって悲しいとき、泣きたいとき、怒りが込み上げてきたときその感情を抑え込んでしまったら八方塞がりになります。もし、パニックを起こしてしまった場合は嵐が過ぎ去るのを待つしかありません。時間が本人をクールダウンさせ解決してくれるような気がします。パニックに親が巻き込まれてしまっては、共倒れ、何もしないことが一番の解決法だと感じています。「ああ、悲しいんだね。あなたの負担になる原因はつくらないようにするからね」と安全地帯になることです。また、自傷するときは自分の身体がダメになるほど傷つけたりはしないと感じています。「これ以上やるとひどい怪我になる」のマックスギリギリのところをわかって本人はやっているように見えます。そのコントロールが難しい場合は専門医師の処方の元、抗精神病薬を使う場合もあります。できれば、パニックを起こさないように、子どもの望みを聞いてやることです。“同じ道順をいつも通ってやる”、“同じ服を着せてやる”など。「毎日同じ服を着たら汚くなってしまう」と思うのならば、同じ服を何着が買っておけば済むことです。親の忍耐が必要ですが、これを続けているうちに子どもも安定し、新しいことにチャンレンジできるようになってくるのだと思います。主治医の言葉が心に刺さってからは、息子が「これだけを着たい」と言えばそれを着せ、同じデザインの靴しか履かなければ、13センチ、14センチ、15センチと何足も買っておきました。自閉症児として生まれて数年しか経っていない幼児期に、「苦手なことを克服しなさい」と言われるのは本人にとっては酷なこと。母親として子どもが安心できるよう、まずは寄り添うことで、恐々でも新しいものに挑戦できるようになっていくのだと思います。こだわりには“それを何とか治そう”ではなく、“とことんつきあう覚悟”が親には求められているのではないでしょうか。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月12日ベビーカレンダーをご覧のみなさん、こんにちは。2018年4月生まれの男の子を育てています、じゅのです。私は40歳で入籍、41歳で妊娠しました。出産時は42歳。不妊治療をしていたわけでもなく赤ちゃんを授かったのは本当に奇跡的なことでした。今回は、妊娠糖尿病になってしまったお話の第10話、最終話になります。ここまでお付き合いいただきまして本当にありがとうございます。 第1話で少し触れましたが、私は産後の心身が回復するまでに5カ月ほどかかってしまいました。出産時は42歳、高齢だから回復が遅いというのもあるかもしれませんが、妊娠糖尿病になったりしたストレスからパニック発作を起こしたことが響いていたのだと思います。 では、そこからどうやって回復していったのか……。 出産直後は初めての育児でバタバタで、パニック発作のことを考える暇もないほどでした。それが1カ月ほど過ぎたころ、糖尿病の心配はなくなったものの、睡眠不足や慣れない育児の疲れやストレスが溜まってくると、また息苦しくなってしまったのです。 思えば、妊娠がわかったときから高齢出産のさまざまなリスクに対する不安をずっと抱え続けていました。「順調です」と言われても、どこか不安で常に神経質になっていました。 それに加えて妊娠糖尿病。赤ちゃんを無事に産むことを最優先にして血糖コントロールを頑張っていましたが、正直、逃げ出したくなるほどのストレスでした。 そんな不安やストレスの積み重ねが、出産後に一気に噴出してしまったのかもしれません。 夫が会社に行っているときにもしも自分が倒れてしまったら、この子はどうなるんだろう?考えるとよけいに不安で息苦しくなってきます。 あ……これはまずい……限界が来る前に助けを求めよう! ひとりで育児をすることに不安を覚えたので、しばらく実家に帰ることにしました。 いきなり子どもを連れて帰省することになってしまったから、実家には迷惑をかけてしまうなぁ……と思って申し訳ない気持ちでいたのですが、両親は孫と一緒に2カ月ほど楽しそうに過ごしてくれていたので、私は勝手に「これは親孝行!」と思うことにしました。 母親に育児や食事のことをサポートしてもらいながら少しずつ回復。実家に帰省している間は両親や妹に子どもを見てもらったり、たまに来る兄夫婦にも遊んでもらったりしたおかげで、子どもはよく笑ってくれるようになりました。ああ~、あのときひとりで無理しないで人に頼ってよかった~! 住んでいるマンションに、子どもと一緒に戻ってきたころは産後4カ月。睡眠時間がまとめて取れるようになってきて、私の身体はほとんど回復していましたが、精神的にはまだまだ不安がありました。 そして5カ月が過ぎたころ、育児に慣れてきて少しだけ精神的余裕が生まれてきました。子どもを寝かしつけてから絵を描くことを再開しました。もともと趣味で描いていたのですが、子どもが生まれたら忙しくてそれどころじゃないだろうと思ってやめてしまっていたんです。 自分の好きなことを少しでもできる時間が持てると、みるみるうちに精神的にも回復してきました。子どもの成長を見守りながら、自分の好きな絵を描くことで記録する。これが私の一番の楽しみです。 そういうことを続けていたら、パニック発作が起こらなくなってきました。長くかかりましたがようやく自分でも回復してきた実感を得ることができました。そして、このマンガコラム描かせていただいている今に至ります。 ここまでの体験記をお読みいただきまして、本当にありがとうございました!この記事がどなたかのお役に少しでも立てたなら幸いです! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じゅの2018年生まれの、自分と同じ誕生日の男の子の母。元グラフィックデザイナー。高齢出産、慢性腎臓病、妊娠糖尿病、そして出産間際にパニック発作を経験。インスタグラムにて育児絵日記・漫画を更新中。
2020年12月10日ベビーカレンダーをご覧のみなさん、こんにちは。2018年4月生まれの男の子を育てています、じゅのです。私は40歳で入籍、41歳で妊娠しました。出産時は42歳。不妊治療をしていたわけでもなく赤ちゃんを授かったのは本当に奇跡的なことでした。今回は、妊娠糖尿病になってしまったお話の第8話です。 妊娠糖尿病で入院していたときは、毎日担当の医師が血糖値を見ながらインスリンの量(単位という言い方をします)を決めてくださっていました。 退院後は1週間に1度通院し、診察の際に自己管理ノートに記録していた1週間分の血糖値を見てもらって、次の1週間はこのインスリンの量にしてくださいということが決まります。 ただし、このインスリンの量は必ずしも一定ではなく、食前の血糖値がもし下がり過ぎていたら◯単位下げてくださいとも言われていたので、じょうずに血糖コントロールをするにはいつも血糖値を気にしていなければなりません。 血糖値が低くなりすぎれば、低血糖を起こす恐れがあるからです。(もちろん、低血糖になったときにはどう対処するかという方法も入院中に指導を受けていました) 「あ~……毎日毎日食事のたびにインスリン……早くこの生活が終わればいいなぁ……早く陣痛来て……早く赤ちゃん出てきて……」 出産予定日が近づくころには、花粉症の息苦しさやいろいろなストレスでパニック発作を起こしたりして、本当に大変だったんです! インスリンだけがストレスだったのではなく、もうすぐ出産という不安や心配事が積み重なってのことだと思います。ストレスって怖いですね……。 パニック発作を起こすと「息が吸えない」と考えてしまって「呼吸の仕方がわからない」っていう感覚に陥るんですよ……。生きている心地がしません! すぐに同じ大学病院の精神科の先生を紹介していただいて受診。処方していただいた薬でどうにか症状を落ち着けていました。 それでもどうにか毎日やるべきこと(食べる、寝る、血糖値測定、インスリン投与)をこなし、はやく1日が過ぎ去ってほしいと思いながら過ごしていたある日。 その日は自分の誕生日だったのですが、まったくハッピーな気分にはなれません。いつもどおり食事前にはインスリンを……と思っていたら、陣痛が!!! やっと来たか~!という思いもあり、初めてのことで陣痛の間隔がうまく計れないということもあり、一度病院に陣痛タクシーで向かったんですが……。 「う~ん……まだ子宮口が1cmくらいしか開いていません」ということでいったん帰らされるという、フライングをやってしまいました!! そしていったん家に帰ったのですが、すぐに陣痛の間隔が狭まってまた病院へとんぼ帰り。 そんなこともありつつ、なんとか無事出産。やっと赤ちゃんに会うことができました! いざ出産となると不思議とパニック発作は出ませんでした。自分でも信じられないほど冷静。 妊娠糖尿病になると赤ちゃんが巨大児になって難産になることがあるそうですが、私の場合は巨大児になることも難産になることもありませんでした。 さて次回は……。まだまだ産後の血糖値が正常であることがわかるまでは、妊娠糖尿病は終わりではないのです! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じゅの2018年生まれの、自分と同じ誕生日の男の子の母。元グラフィックデザイナー。高齢出産、慢性腎臓病、妊娠糖尿病、そして出産間際にパニック発作を経験。インスタグラムにて育児絵日記・漫画を更新中。
2020年12月08日前回 のあらすじパニック障害を発症する原因はいろいろあるようですが、私の場合は‥この二週間の間は、とにかく休むことが大事とのことで…とにかくのんびりダラダラ、穏やかな気持ちでなるべく過ごすことを心掛けました。休息をしたことで、発症時の全く動けない体はだいぶ良くなり、爆発しそうだった心臓も通常にもどりました。ありがたいことに私にはこうして理解のある配偶者がいてくれましたが、1人でパニック障害を抱えている人たちのことを考えました。外へ行くにも誰かが一緒でないと本当に不安になるので、助けがない人たちはどんなに苦労をしているのだろう…それを考えるととても辛い気持ちになりました…。抗うつ薬は今は一錠(25mg)を飲んでいたのですが、薬の増量をすることに。それを聞いて…そう、結婚前から思っていた事。「なるべく早く子どもが欲しい」しかし新婚早々、それが難しくなったことがずっと心の重しになっていました。でも子どもは焦ってでも、なるべく早く欲しい…!早くパニック障害を治して子どもが欲しい…!主治医の先生の答えは…半年…それは、人によっては長いと感じる時間ではないのかもしれないけれど、この時の私はやはり落ち込みました。もちろん苦しいパニック障害を治すことが先ですが、それと同時に子どもも欲しい…。もっと私が若く20代前半くらいだったらこんなに焦ることもなかったのだろうか…と思ったのですが、パニック障害の発症の時期と、子どもが欲しい時期が被ってしまいました。ですが、この時は「まあ薬飲んで寝てさっさと治そう!」くらいにしか思っていませんでした。しかし現実はそう甘くもなく…。今日は体調もいいから、外食にチャレンジしよう!→ご飯待ちの時に発作車なら買い物に行けそう!→ショッピングモール目前に発作この時は、目の前なのになぜ…? と自分でも理解ができないのと歯がゆい思いでかなり落ち込んでいました。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月16日前回 のあらすじ パニックの発作と闘う決心をして、心療内科でもらった薬で治療がスタートしたけれど‥パニック障害の原因はストレスや遺伝が関係していて、環境の変化、離別、孤独、虐待などなどのストレスで発症することが多いようです。脳内の不安の神経系の機能が関係しているので、脳の誤作動のようなのですが、これが!というハッキリとした原因もまだ分かってないようで、発症の原因はいろいろあるようです。私の場合は、やはり結婚による環境の変化と、東日本大震災、しっかりしないとと自らを追い込んだことが原因かなと思っています。色々なものが重なって大きなストレスを爆発させてしまったんでしょうね…。優しさのつもりで励ましてくれた夫のタマオくん。しかし私はその言葉に固まった…結婚前にタマオくんが発言したセリフをずっと気にしていて、結婚後は無職になるししばらくタマオくんのおうちでやっかいになるわけだし、これはタマオくんが否定していた専業主婦だ…!働かない後ろめたさもあって、その結果引っ越してすぐに仕事を探すという行動に移りました。子どもがいないのに働いてない、今の私は何の為にいるんだろう…この時は相当ネガティブになっていました。タマオくんは別に専業主婦批判をしていたわけではなく「子どもがいない間は働いた方がお金は貯まるし、何もしないともったいない」という意見を言っただけとのことで…それを私が「タマオくんは働かない女は嫌いなんだ…」と勝手に思い込んでしまったのでした。新婚当時はタマオくんに嫌われたくない&タマオくんに好かれたい! と思っていたため、頑張りすぎていたようです。(もちろん今はそんな気取らない、ゆるゆるの夫婦関係です笑)1人で知らない土地に来た寂しさを、忙しくすることで紛らわしていたのもあると思います。すぐに仕事をしたので会社で同僚はできたのですが、プライベートで遊ぶ友達はいないため結婚後は毎日孤独を感じていました。もちろんタマオくんは夫として側にいてくれますが、地元の友達のように気楽に遊べる友達が欲しい…いつもそれは思っていました。改めてお互いの悩みや思っていることをしっかり話し合うことが大事だなと痛感しました…すぐ暴走してタマオくんに相談する前になんでも行動に移してしまう癖も治そうと思いました。もちろん私がパニック障害になってしまった原因は特定できません。しかしもうなってしまっては後の祭り。過去の原因を探しても仕方ないので、あとは治るまで闘うべし!次回はまた病院でのお話です。女神先生にずっと考えていたアレを伝えることにしました…。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月15日前回 のあらすじついにパニック障害と診断された日のこと…いよいよ心療内科での治療がスタート!!主治医の女神先生から2つのお薬を提案されました。※この物語に登場する薬名は架空のものとなります。症状、処方薬は個人差があります。かかりつけ医にご相談くださいこれまで精神系の病気を経験したことがなかったので、抗うつ薬というのも、抗不安薬というのも初めて聞くものでした。以前の健康な時の私だったらこういった薬には偏見があり、飲むのをためらっていたかと思います…。しかしもう体も精神もギリギリの状態になっていたので、お薬が私を助けてくれる唯一の救世主のように感じ、頼もしい限りでした。これを飲めばきっと助かる…。これですぐに元の生活に戻れるんだ…。そう思っていました。来るときにパニック発作を起こしたこともあり、オサカナパワーをその場で飲むように言われました。本当に不安が取れるのかな…?と疑問に思いつつ、口にほおりこみました。抗うつ薬のマタタビーはゆっくり効果が現れてくるお薬なので、二週間毎日1錠を飲んで様子を見るようです。待合室で何時間も待っていてくれたタマオくん…本当にありがとう…!やはりパニック障害だったよ、と伝えてほっとしたような、少し悲しいようなそんな感じで二人で帰ろうとしました。すると…車に乗ろうとすると、急に視界がぐるんと回るような、ほわほわっとした感覚に…!!頭の中がほわほわクラクラっとするけど、決して気分が悪いわけでもない…でもなんだろうコレ!?さっきの頓服の影響なんだろうけど、こんな感じで大丈夫なの…??初めての感覚に急に不安になってしまいました。もちろんそれは先ほどの頓服オサカナパワーの効果だったのですが、初めて体験したものでつい焦ってしまいました。このほわほわっとした感じで不安を感じにくくなり、発作が出そうなときに飲むと効果があると言われました。ちなみにこのオサカナパワーは抗不安薬の中で相当弱い分類にあたるようで、弱いものなのにこの体感…!他のものはどれくらい効果があるのだろう…とふと気になってしまいました。私はお酒が飲めない体質で、お酒に楽しく酔う感覚は分かりませんが、気持ちよく酔っぱらったらこんな感じなのかな…?と思いました。個人差があるようですが、初めての抗不安薬を飲んだ私の感覚です。いやもう、当時の私からしたらパニックの発作はもう妖怪!何か見えないモンスターに血液を吸い取られて、殺されるのではないかというイメージでした。もちろん体験をしていないタマオくんからしたら「急に訪れる体調不良」ということで納得してもらいましたが、このモンスターに襲われる恐怖は体験した人しか分からないと思います…。とにかくあいつが来る…!と思うと怖くてたまりません…。でもこれだけ遠回りしてやっとたどり着いたパニック障害との闘い!頑張って討伐しようという目的ができて、少し前向きになりました。当時20代後半で新婚だった私。そして今から精神薬という薬を飲み始める私。自分なりに色々考えて、また女神先生に相談しようと心に決めました。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月14日2012年から配布が開始された『ヘルプマーク』。赤色の本体には、十字マークとハートマークが描かれています。難病や内部障害など、外見からは分からない疾患を持っている人が身に着けており、配慮や援助を視覚的に伝える役割があるのです。※写真はイメージ外見で分からない疾患は、初対面の人に理解されづらいもの。内部疾患を持つ人が「優先席に座っていたら怒られた」という体験談も少なくありません。ヘルプマークの利用者である女性の投稿が、Twitterで話題になっています。持病の発作が起こり、駅でうずくまっていると…エピソードを投稿したのは、強いめまいや難聴、耳鳴りなどの発作が起きる『メニエール病』を患っている、髙原 梓(@azujackie)さん。ヘルプマークの利用者の多くは、裏面に白紙のシールを貼るなどして、病名や対処法、緊急連絡先などを記載しています。投稿者さんも発作が起きた時に備えて、ヘルプマークの裏面にはこのようにメモを貼っていました。2020年11月1日、東京都新宿区の新大久保駅にいたところ、投稿者さんは発作を起こしてしまったといいます。気分が悪くなり、その場でうずくまっていた投稿者さん。すると、見知らぬ女性が声をかけてくれたのです。女性は投稿者さんのヘルプマークを確認すると、周囲の人に協力を呼びかけました。そして駅員が来るまでの間、ずっと投稿者さんの背中をさすっていたのだとか。また、女性の呼びかけを聞いた周囲の人は、水を買ってきてくれたり、優しく声をかけてくれたりと、親切な対応をしてくれたそうです。【拡散希望】今日13時頃、新大久保駅で気分が悪くなりうずくまっていたところ、女性の方が声をかけて下さり助かりました。持病のことは周りの友人にもあまり話していなかったので、呟くつもりはなかったのですが、めまいと気持ち悪さで話すことができなかったので、どうしてもお礼がしたいです続く pic.twitter.com/mP2EF9qPrd — 髙原 梓 (@azujackie) November 1, 2020 あまりの気分の悪さに会話をすることもできなかったため、回復後、ネットを通してお礼を伝えるために、このエピソードを投稿。突然発作に襲われ不安だったところを助けられた投稿者さんは、今回の出来事を経て「いつか困っている人を助けた時は、この女性のように安心させてあげたい」と思ったといいます。『困っている人を助ける』というのは、当たり前に感じるかもしれませんが、実はとても勇気が必要です。人の温かさが伝わるエピソードは拡散され、多くの人からコメントが寄せられました。・自分もメニエール病なので、つらい気持ちが分かります。親切な人がいてよかったですね!・周囲で何かがあった時、自分もヘルプマークに気付けるようにしたい。・素敵なエピソード!世の中、まだまだ捨てたもんじゃないですね。社会は人が支え合って成立しています。他人に親切にされた際、そのことを実感する人は多いでしょう。投稿を通して、多くの人に優しさの輪が広がったのではないでしょうか。投稿全文はこちら【拡散希望】今日13時頃、新大久保駅で気分が悪くなりうずくまっていたところ、女性の方が声をかけて下さり助かりました。持病のことは周りの友人にもあまり話していなかったので、呟くつもりはなかったのですが、めまいと気持ち悪さで話すことができなかったので、どうしてもお礼がしたいです続く pic.twitter.com/mP2EF9qPrd — 髙原 梓 (@azujackie) November 1, 2020 ヘルプマークに気づいて周りの方に伝えてくださり、駅員さんがくるまでずっと背中をさすってくださって、とても安心しました。お水を買ってくれた方、他にも声をかけてくれた方、本当にありがとうございました。— 髙原 梓 (@azujackie) November 1, 2020 いいねとRTありがとうございます。返信するのに文章を考えて、時間かかかりすぎてしまうので、質問していただいたものだけ返します。体調は治まって良くなっています。2度も人の温かさに触れました。同じ病気の方もいらっしゃって、私だけではないのだと思いました。本当にありがとうございます。— 髙原 梓 (@azujackie) November 2, 2020 [文・構成/grape編集部]
2020年11月04日次男は1歳のとき、熱性けいれんを起こしました。風邪をひいて熱が出ただけだと思っていたのに、まさかけいれんを起こすなんて……。なんとかパニックにならず落ち着いて対処することができた経験をお話しします。 けいれんするとはまったく考えていなかった1歳の誕生日がくる前の休日、せっかくの休みの日に次男が朝から熱を出してしまいました。病院も休みだったので地域の休日診療に行き、風邪の薬をもらい家に帰りました。 水分やごはんも少しですがとることができ、薬を飲ませ昼寝をしだしたので、このまま熱が下がればと思っていたのです。熱は38度後半でしたが、このときはまさかけいれんを起こして救急車を呼ぶなんて考えてもいませんでした。 熱性けいれんは本当に突然に!夕方になり、昼寝から目を覚ました次男。少しラクになったのかニコニコと笑うことができるほどになっていて、私も安心していた矢先のことでした。上の子が次男を笑わせて遊んでいると、突然様子が変わり、笑っていたはずの次男が白目になって手足がピクピクと動き、けいれんし始めたのです。 本当に突然過ぎて驚き、慌てて駆け寄り次男の名前を呼び続け、同時に私自身も焦らないように心の中で「落ち着け! 落ち着け!」と考えていました。 けいれんしたときの対処法をおこなってみる以前けいれんについての記事を読んだことがあり、その際にあった対処法を思い出し実行しようと考えました。 とにかく大声を出したり抱きかかえたりしないようにし、すごく不安ですができるだけ静かに名前を呼びながら様子を見ていました。もし嘔吐しても危なくないように顔だけ横に向け、あとで病院で状況を説明する際に役立つと思いスマートフォンで動画を撮影することに。 同時に夫は救急車を呼んで、症状や家の場所の説明など対応してくれていました。 落ち着いたものの疲れ果てる慌てていたのではっきりと覚えていませんが、けいれんの時間は5分以上はあったのではないかと思います。救急車がきたころにはけいれんが治まっていましたが、手足の軽い硬直や意識があるのかわからない表情でグッタリしていました。 病院に着いてからダイアップというけいれん予防の坐薬を入れてもらいました。意識が戻ってきて安心しましたが、けいれんはすごく体力を使うようで次男は疲れていて、坐薬の作用もあり、落ち着いたらすぐに眠ってしまいました。 ただの風邪だと油断していたので、突然けいれんが起きたときは本当に焦ってしまいました。いざとなるとどうしていいかわからなくなるものです。現在2歳ですが、再び熱性けいれんになったときも不安になりましたので、もっと落ち着いて行動できるようにしたいと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/まっふ著者:中西まむ4歳・2歳・0歳の男の子3人のママ。夫は出張が多くほとんどいないため、ワンオペ育児に奮闘中。自身の経験をもとに、子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月01日むっくんの癇癪・パニックむっくんの癇癪・パニックは2歳頃から始まり、現在も続いています。むっくんはパニックになると暴言や暴力が始まり、私の心もかき乱されるので、冷静な対応が難しい!と日々悪戦苦闘しています。最近は、むっくんのこと、私自身のことを切り分けていく必要性を感じています。それでも、年齢と共に暴力は減ってきており、最近では暴力だけはコントロールしようと、必死で自分と戦う様子も見られるようになりました。攻撃対象も誰彼構わずだったものが、最近は外では我慢して、帰宅後に私をターゲットにストレスをパニックとして吐き出す形に変化してきています。パニックをその場でどう落ち着けるか、というマニュアルはなんとなくできてきたのですが、将来を見据えて自己コントロール力をつけることに関しては、むっくんの成長にまかせるしかないというのがわが家の現状です。Upload By ウチノコどうしてパニックを起こすの?パニックを起こす理由は人によってさまざまだと思いますが、むっくんの場合、大きな要因は感情のコントロールが苦手なことと、「他者への恐怖感」からくる「疲れ」だと考えています。むっくんは感覚や周囲の雰囲気、人の持つ感情などに敏感で恐怖を抱く傾向があります。特に対人コミュニケーションが苦手なむっくんにとって、他者からの予測不可能な刺激は恐ろしく、対応に大きなエネルギーを使っている様子。結果、疲れによりいつもはできる、感情コントロールしながら人と関わることが難しくなります。すると、まるでヤマアラシのように全身から棘を出し攻撃を開始。相手を戸惑わせ退けて自分を護ります。きっかけはさまざまですが、パニックの底には「自分を護りたい欲求」があるように感じています。Upload By ウチノコパニック後のようすパニックを起こした後はすっきりして穏やかになることもあります。むっくんにとってパニックや癇癪は、どう表現するのか解らない心の苦しさを発散する効果があるようにも感じています。ぶつけられる方はたまったものではないのだけど…ただ、穏やかな時を知っていると、「普段はあれだけのエネルギーを自分で律しているのだな…」と、その苦労を感じる瞬間でもあります。Upload By ウチノコパニックをしばしばおこすむっくんですが、パニック後には「周りに酷いことをしてしまった」と理解しています。聞き分けの良い子でいようとする時もあり、周囲の反応を気にしている様子がうかがえ、パニックはむっくんにとっても好ましい発散方法ではないのだとも感じています。穏やかに戻ったむっくんとパニックについて話すこともありますが、別人なんですよね・・・。穏やかむっくんは、話すまでもなく自分の行いが好ましくないことも理解しているし、どうしたらよかったのかも理解している。更にパニックを起こしている自分に対し、恥ずかしいという感情まで持っている。こんなむっくんですが、パニックを起こすと人格が変わるので、いつもの倫理観は吹き飛んでしまうのです。Upload By ウチノコパニックを起こしているむっくんのことを、穏やかなむっくんに話しても別人に説教しているようでしっくりこない。そう思っていたらむっくんが面白いことを言いました。「あれは『ビックバンむっくん』だから・・・」むっくんの自分研究5、6歳ごろから、癇癪やパニックを起こしている自分を「ビックバンむっくん」と呼び、通常の自分と分けて考えるようになったむっくん。この頃から「自分研究してみようか!」と私が呼びかけ、むっくんが自分のパニックについて客観的に考えることを促しています。Upload By ウチノコ「ビックバンむっくん」という別人格の行いについて話し合うことで、私もむっくんも敵対するのではなく、共同研究者のような気持ちでパニックと向き合えることも増えました。自分を客観視しつつ、自己理解を深めていく。時間はかかりますがこのやり方こそ、将来のむっくんを助けうる力になるのでは?と期待しています。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ癇癪・パニックを肯定し共に生きる覚悟むっくんのパニックは、私に対する暴言や暴力で現れます。先日は夕方に「買い物に行きたいのだけど、一緒に来る?待ってる?」と聞いただけで始まり(行きたいか行きたくないか、自分の気持ちがわからず表現できなかったから)これは私の予告不足の影響なのですが、そんな時はさすがに心が折れます。暴言や暴力で負の感情をぶつけられると、腹は立つわ、悲しいわ、「なんでこんな目にあわないといけないの?」と、私まで怒りに支配され、言い争ったり取っ組み合いになる日もあります。「私は子どものころ我慢したのに…自由で羨ましい!」と嫉妬してしまい、引きこもって泣いて過ごす日もあります。しかし、視点を変えてみるとパニックはむっくんに、どうして自分はこうなんだろう、嫌われてしまう、見捨てられるという恐怖を生み出します。むっくんが叩いているのは私なのか、むっくん自身なのか。どこか自傷行為のように感じることもあり、彼の苦しみに切なくなる日もあります。Upload By ウチノコだけど、その場しのぎの対応でその瞬間はおさめることができても、本当の意味で私にむっくんを救うことはできません。感情のコントロールはむっくんがこれからも自分で向き合っていかないといけない課題だからです。この先も自分と向き合い、理解し、自分自身の好ましくないと感じている面も、否定するだけではなく、時に受け入れ、時に工夫し、折り合いをつけながら生きていく先に、幸せがあるのだと私は考えています。そのために今、私にできることは何なのか。これからも考え続けていきたいです。
2020年10月31日「もう少しで心臓発作を起こすところだった」こんな説明付きでTwitterに投稿された写真に多くの人がドキッとさせられています。Twitterユーザーのi drink good(@aleashuhh)さんは犬と猫と一緒に暮らしています。ある日、彼女が自宅のリビングルームでくつろぐ愛猫の姿を見つけた時、心臓発作を起こしそうになったのだとか。その理由がこちらです!Nearly had a heart attack. pic.twitter.com/oWFb9kT8hB — i drink good (@aleashuhh) October 6, 2020 猫の右手が…!!しかしご安心ください。実はこの時、猫は右手を体の下に入れていたのです。では猫の手のように見える物体の正体はというと…犬用のおもちゃだったのです。It’s this dog chew pic.twitter.com/jJprhTwbsH — i drink good (@aleashuhh) October 13, 2020 この投稿は68万件近くの「いいね」が付き、たくさんのコメントが寄せられています。・猫がハロウィーンのいたずらを仕掛けたな。・ドキッとした後で、大笑いしたわ!・この猫は猫界の名マジシャンだ。ツイートがあまりに広く拡散されたため、投稿者さんは猫の手がちゃんとあることを証明するために別の写真もアップしました。Relaxing after a long day of going viral. pic.twitter.com/MhnW9H6tHR — i drink good (@aleashuhh) October 7, 2020 なぜか右手を隠した猫と、絶妙な位置に置かれた猫の手に似た犬用おもちゃ。奇跡的な偶然とはいえ、こんな心臓に悪いシーンは今後はお断りしたいものですね![文・構成/grape編集部]
2020年10月19日癇癪とパニックについてコウに聞いてみるUpload By 丸山さとこ「ふと周囲を見たときに『あれ?皆自分と同じような状況でも怒ったり泣いたりしてないな。もしかして、自分の表現って人より激しいのかな…?』と思った」と言うコウ。癇癪とパニックを繰り返した6年間。母との試行錯誤の末に得た、小5ASD息子の気づきとは【かんしゃく特集】現在のコウは以前よりパニックになることは減り、癇癪もジタバタと暴れることは少なくなっています。今でも癇癪を起こさないわけではないのですが、大爆発をしているとき以外の小規模な癇癪のときは“ただのイライラしている人”といった雰囲気になってきました。そんなコウに、癇癪とパニックはコウの中で何が違うのか聞いてみました。「癇癪とパニック、それぞれコウの中で何が違うの?」という質問に対して、癇癪については「『あー!』ってムシャクシャする感じ」と即答したコウ。Upload By 丸山さとこ一方、パニックについては「意識がうっすらしていて記憶が曖昧なんだけど」と前置きをした上で、「うーん…心や思考が遠心分離機にかけられる感じ?回されてバラバラになっちゃう。まとまってないから答えるのが難しい…」とゆっくり考えながら答えてくれました。癇癪についての『ムシャクシャする感じ』というシンプルかつストレートな答えに「なるほどー!」と深く納得しつつ、「意識があって会話も可能な癇癪は、自分の内面に起きていることについても言語化しやすいのだな」と興味深く思いました。私はコウに対して、「ムシャクシャするのはOK」と言っています。同時に、「それをそのまま他人や物にぶつけるのはOKではないと思う」とも伝えています。Upload By 丸山さとこ「感情が生まれてくることも、それを出したいと思うことも自然なことだし悪いものではない。けれど、”自然なことだし仕方ないでしょ!”と言えばトラブルになる。人と暮らしていく中で、何らかの対処は必要になると思う」と言うと、「それはそうか」とコウも納得したようでした。Upload By 丸山さとこ脳の機能やホルモンバランスや精神の発達度合い等の事情により”感情のコントロール”が難しい状況はありますし、”感情をぶつけられた相手の痛みや不快”を理解し配慮するということも、コウにとっては高度なことなのではないかと私は考えています。けれど、それをそのまま爆発させれば近くにいた人まで爆風を浴びることになるのも事実です。そのときに「僕は爆発しただけであって『爆風を浴びせよう』と思ったわけではない」と言えば、非難を浴びるのは必至だろうなと思います。癇癪とも共存していける(かも?)爆風を浴びる周囲の人が大変なのは事実ですが、それと同時に「爆心地である本人も大変なのだろうな」とコウを見ていると思います。私自身、時々爆発して泣き怒りすることがあるのですが、エネルギーの消耗が激しく後になって寝込むこともあります。Upload By 丸山さとこそれでも、私の場合の爆発は家族や友人に「それは仕方ないね、爆発もするよ」と共感や同情を得られる理由であることが多く、爆発を責められることはありません。コウの場合は「そんなことで爆発するなよ」と対応されてしまうことは多く、本人にとっては癇癪の最中もその後も散々な目にあって踏んだり蹴ったりだろうな…と思います。癇癪を起こすとき、近くに人がいると爆風に巻き込んでしまうのが問題だ…ということで、「1人で爆発しとけばええやん」と私は考えています。Upload By 丸山さとこコウにも、「周囲を巻き込まない癇癪」を勧めています。「お母さんはストレスがマックスになったとき、枕に顔をつっぷして叫んだり筋トレしたりするよ」と言うと、「お母さんそんなことしてんの!?(笑)」とコウは笑いながら意外そうにしていました。「せやでー。お母さん、『あー!』ってなると声が出ちゃうんだけど、突然家族がいるところで叫んだら皆ビックリしちゃうでしょ」と言うと、「そうだね、『うわぁ!ど、どうしたの?』ってなるよねぇ」と頷いていました。「あ、爆発しそうだな、してるなって思ったら、周囲の人もそっと離れるといいのかもね」と話し合いながら、『何より、癇癪の理由に対して爆発せずにアプローチできるようになったらいいよねー…』としみじみ頷きあう、爆発しがちな親子でした。※発達ナビに無料会員登録をしていただくと、他の【かんしゃく特集】記事もお楽しみいただけるようになります。コラムをもっと読みたい!無料会員登録はこちらから
2020年10月15日前回 のあらすじ動悸とめまいがあまりにも酷くて、立ち上がる事すら困難に。もう助けてくれるのは心療内科しかないだろう…私だけではなく、健康な時は自分は大丈夫だという楽観的な考えが誰にでもあるのかもしれません。当時こころの病気といえば、うつ病の名前ぐらいしか知りませんでした。が、「自分はそういうタイプ=こころの病気になるタイプ」ではないと思っていて、症状が出ても、メンタルクリニック系の病院へ行くことに抵抗がありました。当時はこころの病気に理解がなかったのです。今はそんな偏見があったことをとても恥ずかしく思っています。この2週間の間、外出のための準備をしていたのですが、やはり当日は怖くて恐怖でつぶれそうでした。車で横たわり、外が見えないようにして祈りながら移動しました。病院も病院らしくない内装で、受診されている人たちも普通でした。(独り言を言っていたり、暴れたりするような人も来ているのかと偏見がありました…すみません…)また血の気が引きましたが、予約時間は気にせず休んでていいという言葉に救われました。問診の量が多くて本当に驚きました。病歴や、何故この病院にしたのか? そして性格判断テストのようなものがありました。選択肢も「はい」「どちらかというとそうである」「わからない」「どちらかというと違う」「いいえ」など細かかったです。そしていよいよ初めての心療内科の診察…!どんな感じなのか、何を聞かれるのか、そしてどんな病名がつくのか…ドキドキしながらドアを開けました。第一印象から本当に優しそうで癒される雰囲気を出していました。(以下、「女神先生」と呼ぶことにします(笑))女神先生がとても感じの良い先生だったので、気を張ることも無く穏やかに話すことができました。そしてついに診断が…ついに私は「パニック障害」と診断されました。頑張ってきた自分、どうしようもない日々、外へ出られなくなってしまった恐怖今までの辛かった日々が押し寄せるように頭にかけめぐり、泣いてしまいました。原因が分かって本当に良かった…これできっと治ることができるんだ…!しかし…ここからパニック障害との長い長い闘いが始まるとは、この時は全く想像してませんでした……次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年09月20日アメリカ・ジョージア州のグイネット郡刑務所で刑務官として勤務しているウォーレン・ホブスさんは、たくさんの独房が並ぶ大部屋で仕事をしていました。ウォーレンさんが巡回を終えて自分のデスクに戻った直後のことです。彼は突然意識を失って倒れ、コンクリートの床に頭を打ち付けてしまいます。その衝撃でウォーレンさんは頭に裂傷を負い、出血し始めました。するとウォーレンさんのデスクに近い独房の中にいた数人の受刑者が彼の異変に気付き、ドアを叩き始めます。その騒音で一瞬意識を取り戻したウォーレンさんは、受刑者たちが自分の名前を叫んでいるのを聞いて「彼らが何か助けを求めている」と勘違いしたのだそう。そして何とかして起き上がり、独房のドアを解錠するボタンを押したのです。独房から外に出られた受刑者が向かったのはドアが解錠された途端、独房から3人の受刑者が外に飛び出しました。そして彼らはウォーレンさんのもとへダッシュして、彼の無線とデスクの電話で救助を求めたのです。この直後に救急隊員が駆け付けて、ウォーレンさんは病院へ搬送されました。処置が早かったため命に別状はなく、現在は自宅で回復中だということです。グイネット郡保安官事務所はウォーレンさんを救った3人の受刑者に感謝を表し、「ユニフォームが人をヒーローにするのではない。ヒーローとはそれを着ている人自身のことなのだ」と勇気ある行動を称えました。Kudos to these inmates for coming to the aid of our deputy when he suffered a cardiac emergency in a jail housing unit. We thank them for their timely assistance and the lesson their actions provide. It's not the uniform that makes a hero. It's the person wearing it. pic.twitter.com/tVDJX2FcQP — Gwinnett Sheriff's Office (@GwinnettSO) July 29, 2020 この投稿には3人の受刑者に対して「命を救ってくれてありがとう」などの称賛の声が殺到しています。ウォーレンさんは心臓発作を起こしていたということです。また頭から大量に出血していたため、もし受刑者たちが気付かずに処置が遅れていたら、命にかかわる状態になっていたと思われます。海外メディア『Mirror』によると、3人のお手柄への感謝としてこの大部屋に収監されている受刑者全員にピザが配られ、ピザパーティーが行われたそうです。ウォーレンさんは普段からすべての受刑者に対して、彼らの尊厳を大切に接していたといいます。きっと受刑者たちから信頼されているのでしょう。人命を救うために行動した受刑者たちの姿は、多くの人の心を打ちました。[文・構成/grape編集部]
2020年08月07日1989年に稼働し、一斉を風靡したアーケードゲーム『ワニワニパニック』。バンダイナムコアミューズメント(当時のナムコ)からリリースされ、モグラ叩きなどに代表される『エレクトロメカニカルマシン(エレメカ)』の中でも伝説的なゲームとなりました。その『ワニワニパニック』が31年の時を経て、『ワニワニパニックR』として復活&リニューアル!多くの人々から歓喜の声が寄せられています。【㊗本日より全国のゲームセンターにて順次稼働開始】ついに!あの伝説のエレメカが、『ワニワニパニックR』として復活! 外観は初代を忠実に再現!✨初代にはない特別な仕様も追加されてる ワニを叩いて高得点を目指そう!!(イデッ)> #ワニワニパニックR #ワニワニ pic.twitter.com/SCBx5q3zwW — バンダイナムコアミューズメント公式アカウント (@bnam_jp) June 16, 2020 バンダイナムコアミューズメントの公式Twitterは、ゲームプレイの動画とともに『ワニワニパニックR』のリリースを発表。「外観は初代を忠実に再現。初代にはない特別な仕様も追加されている」とのことで、ゲーマーから注目を集めています。・うわ!こんなんやるしかないやろ。・初代にはない仕様って何かな。毒霧かな。・神運営大集合やぁ。・ストレス発散によくやりました!久しぶりにバンバン叩きたい。ロングセラーだった『ワニワニパニック』は、製造元の倒産や修理に必要な部品の調達が難しいなど、ゲームセンターで絶滅危惧種になりかけていました。そんな危機的状況だった『ワニワニパニック』の復活劇に、喜びの声が寄せられいます。・消えゆく運命のはずが奇跡の復活を遂げたワニ。・ワニワニパニック、もう製造できる型がないとかTVで見た気がして。バンダイさんで新型として開発していただきありがとうございます!もうプレイできないと思っていたので嬉しいです。今度やります!ゲームセンターで『ワニワニパニックR』を見かけたら、ぜひ叩いてみてくださいね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月02日前回 のあらすじ新しい生活がはじまり、体やココロの疲れがたまっていたところに、2011年のあの震災が起こって…新しい仕事は、内容も同僚も私には相性ピッタリでした。体力の無い私が週5のフルタイムなどできるのだろうか…と働く前は不安だったのですが、居心地の良い職場のおかげで毎日楽しく過ごせました。そして少しして地元の友達から改めて「結婚のお祝い飲みがしたい!」と言われ1カ月ぶりに地元へ。久々の友達とは恋愛話やオタ話で盛り上がり、やはり地元の昔からの友達は改めて大事だな…としみじみ…。楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。この日は一泊しようかどうか迷ったのですが、日帰りで帰ることに決めていました。「遠いと思ったけど新幹線なら、カバン一つで簡単に帰れるじゃーん!」と、遠方に引っ越した距離感を実感したくなかった…というのもあるのかなと今では思います。しかし、この後「やはり泊まれば良かった…」と大きく後悔することに…座席に座って一息入れた直後、急に訪れた血の気が引く感覚!! 頭の中の血の気は全て下がり、身体が揺れるくらいの動機と震え。この時は「貧血だ!」と思いました。普通の体調不良なら、座席をフラットにしてそのまま寝ていればいいと思うのですが、この時は「誰か助けて!誰か何とかしてほしい!」という気持ちでした。とにかく誰でもいいので助けて欲しいと思い、近くにいた駅員さんに助けを求めました。そしてすぐに駅員さんの仮眠室のような場所を貸していただけたのですが…今思うととっても迷惑だっただろうなと思いますが、この時の私は周りを気遣う余裕は全く持てなかったのです…この時寒気と共に、腹痛と下痢にも襲われました。出すものは出し切っても、お腹だけが痛みトイレへ…。横になっていれば収まるかと思ったのが、横になっていても全く収まる気配がありませんでした。腹痛と寒気…降りたくても降りられない新幹線の中。まさに地獄の道中でした…この日のできごとが、これから先も私を苦しめるパニック障害の始まりだとはこの時の私は知る由もありませんでした…。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月09日はじめまして!現在7歳と2歳の子を持つ2児の母です。猫のポン子を主人公として、私の壮絶だったパニック障害のお話を描かせていただきます。時はさかのぼり、10年前…当時の彼氏(現旦那)のタマオくんとは訳あって、100キロほど離れた距離での遠距離恋愛でのお付き合いでした。付き合っている当時は、休日にタマオくんが私の家にくる形が多かったです。当時薄給だった私に気を使っていたからでしょう(移動は新幹線で交通費が高かった…)そんな生活を1年くらい続けたのち、結婚へ。正社員でもなかった私は、仕事を辞めあっさりと彼について行くことができました。タマオくんとの結婚に浮かれ、全てを捨てて住み慣れた地を離れるという事がどんなことか、この時の私は深く考えていなかったのだと思います…そして…初めてのパニック障害の発作が起こりました。次回に続きます漫画を通じてパニック障害とはどんな病気かを知ってもらえたらと思います!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月07日6月19日(金)本日のテレビ東京「午後のロードショー」では、シルベスター・スタローン主演のパニック・アクション大作『デイライト』を放送する。80年代『ロッキー』『ランボー』シリーズのヒットでアクション俳優として世界的に名をはせたスタローンは、90年代に入ると新しい可能性を追求すべく多彩な作品に出演するように。山岳アクションの代表作となった『クリフハンガー』をはじめ、健全すぎる未来に現れた現代の刑事を演じた『デモリションマン』。引退を目前にしたスナイパーを演じた『暗殺者』など、幅広いスタイルの作品を世に送り出し続けた90年代のスタローン。本作もまたその一連の作品群の1つである。マンハッタン島とニュージャージーを結ぶ巨大な海底トンネルで1台の暴走車による大事故が発生。火災は瞬く間にトンネル内の車に飛び火し、やがて危険な産業廃棄物を積んだトラックを巻き込んで大爆発を起こす。地上への出口はふさがれ、何万台もの車が行き来するトンネル内に閉じ込められた人々が、爆発の炎と有毒ガス、なだれ込んできた水によって次々と命を落としていく。この事態にEMS(緊急医療班)が出動するが、事態を全く打開できず、トンネル内部の酸素もあと3時間しか保たない…取り残された人々の救出はもはや絶望的かと思われたその時、偶然現場に居合わせたタクシー運転手キット(シルベスター・スタローン)が単身トンネル内部に突入。彼は元EMSのチーフで、かつて自分の判断ミスで同僚3人を死なせてしまった過去を持ち、自責の念に捕らわれて隊を辞めた男だった。売れない女性脚本家のマデリーン(エイミー・ブレネマン)や、まさに今夜プロポーズをしようとしていた交通局の警備員ジョージ(スタン・ショウ)、少年院に移送される途中のビンセント(セイジ・スタローン)ら、トンネル内には数人が生存、死の恐怖に怯えながら救出を待っていた。崩壊を続けるトンネル内でキットの決死の救出が始まる…という物語。本作にはスタローンの実の息子であるセイジが救出を待つ少年、ビンセント役で出演。『ロッキー5/最後のドラマ』でスタローン演じるロッキーの息子役で共演、本作で2度目となる“親子共演”にも注目だ。常に挑戦を繰り返しながら現在に至るまでアクションスターとして一線を張り続けてきたスタローン。その最新作となる『ランボーラスト・ブラッド』は6月26日(金)より全国公開。午後のロードショー『デイライト』は6月19日(金)13時35分~テレビ東京で放送。(笠緒)
2020年06月19日愚かなパニック買いが起きているため、我々は生活必需品を見つけるために、警察犬の『マック』にヘルプを頼むことにした。@polscotdogsーより引用(和訳)こんな説明とともに、スコットランド警察のTwitterに投稿された動画が話題になっています。新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の拡大防止のために外出自粛を余儀なくされている地域では、人々が生活必需品の買い溜めをしています。そして中には必要以上に買い込む人がいるため、すべての人に食料品や日用品が行き渡らなくなっているのです。そこでスコットランド警察は麻薬探知犬として活躍するマックに手助けを依頼。早速仕事に取りかかったマックの様子がこちらです。With all the silly panic buying. We enlisted the help of #PDMac to help find the essentials. Only buy what you need, think of others. #StayAtHome pic.twitter.com/OuIPcMfzvL — Police Scotland Dogs (@polscotdogs) March 25, 2020 マックが何かを嗅ぎつけた場所に隠されていたのは…トイレットペーパー!動画を見た人たちは大笑い!マックを称賛するコメントがたくさん寄せられています。・賢い犬だ!・超ウケる!この結末は予想できなかった。・次回買い物に行く時にこの犬を借りていいかな?「ほかの人のことを考えて、必要な分だけ買おう」という大切なメッセージを、ユーモアたっぷりに呼びかけたスコットランド警察。マックの優秀さとかわいさは、コロナウイルスの影響でストレスや不安を抱えている人たちを笑顔にしてくれました。[文・構成/grape編集部]
2020年04月22日目の前で事件や事故が起きた時、あるいは自身が巻き込まれた時…あなたは通報で、正確に情報を伝えられますか。すぐにでも警察に駆けつけてほしい時、分からないと困るのは『場所』の情報ではないでしょうか。近所を歩いていたとしても、事件が起こったその場所が『何丁目のどこ』なのか、すぐには分からない場合が多いかと思います。パニックに陥った時のため、意識して歩いてみようそんな時、どこを確認すればよいかについて、警視庁警備部災害対策課がTwitterに投稿しました。電信柱や道路標識、自動販売機、信号機などに、現在地に関する表記があるそうです。外出先で災害や事件事故に遭って110番通報する際に、現在地を確認する方法をご紹介します。電柱や自動販売機などに住所が表示されていることがありますが、都内では道路標識や信号機に管理番号が書かれているものがあります。その番号を通報していただければ、警察は場所を特定することができます。 pic.twitter.com/Bizz1BGmsp — 警視庁警備部災害対策課 (@MPD_bousai) March 24, 2020 警視庁警備部災害対策課の投稿を元に、道路を歩いてみると、あちこちに住所の表記や管理番号が見られました。110番をすれば、係員が丁寧に状況を聞いてくれるそうですが、パニックになっている時には、落ち着いて位置情報を伝えられませんよね。一度、近所の自動販売機や電信柱にどう表記されているかを意識して歩いてみると、いざという時に役に立つかもしれません。この情報に、多くの人がコメントしていました。・子供の時から学校で教えるべき大事な話。大人になっても知らなかった。・これはいい情報。とても参考になります。・自動販売機にも住所って貼ってあったんだ!知らなかった。ほかに、「携帯電話で通報したら、自動的に現在地を把握してくれた」という声も、実際に体験した人たちから寄せられました。『au』『ソフトバンク』『NTTドコモ』などの携帯会社のスマートフォンには、110番や119番へ通報をした際に、位置情報を相手に知らせる『緊急通報位置通知』という機能がついているようです。この3社でも、中には対応していない機種もあるそうなので、不安な人はそれぞれの契約内容を確認してみてくださいね。また、『緊急通報位置通知』でも大まかな場所しか分からない場合もあるそうなので、その時には周りの電信柱や自動販売機の情報が、助かるための『カギ』となるかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年04月02日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。長かった夏休みも終わり、涼しくなってきましたね〜!過ごしやすくなって嬉しいです。さて、今日は私の第一子出産体験記を描こうと思います。■家族不在中に突然破水!!私は妊娠8ヶ月まで東京で働き、出産するために実家の宮崎へ一人で帰省しました。父も母も仕事をしていたので、日中は誰にも干渉されることなく、昼すぎまでベッドの上でダラダラ過ごす妊婦生活。出産当日も、昼すぎまでベットに横になり「笑って◯いとも!」を見ていました。夜勤明けの父が家にいてくれたので助かりました〜。でも父には用事があったらしく…私を病院へ送り届けるとすぐどこかへ消えて行きました。母にも「破水した!」と電話したんですが「仕事だから行けない!頑張ってね!」と言われました。先生に「初産でしょ?? 誰も立ち会わないの? えっ、いいの?」と、とても心配されました(笑)■痛みがない!もしや楽して出産できる!?陣痛促進剤を使うと陣痛の痛みが増すと聞いたことがあったので、正直怖かったのですが、先生の指示に従いました。促進剤を入れてから少しずつお腹が張るような痛みを感じるようになりました。が、まだまだ全然痛くなくて…「子宮口5cm以上も開いているというのに全然痛くないって…これはもしかして…私このまま楽して産めるかも!!!」なーんて思っていました。実際2回目の内診では、子宮口が7cmも開いているというのにあまり痛くなくて、小躍りで分娩室まで行きました。…が、しかーーーーーーし!やっぱり出産はそんなに甘くない!■象に踏みつけられるような激痛急に激痛がズドーーーーーーンと!ものすごい勢いで私を襲ってきました!もう痛くて痛くて痛くて!急に激痛が始まったので心の準備もできぬまま「痛くて息が…息の仕方がわからないどうしよう」とパニックになりかけました。私が出産した病院では「ソフロロジー式分娩法」を採用していたので、事前にソフロロジー講座を受ける必要がありました。※「ソフロロジー式分娩法」とは、リラックスした状態で出産を行うことを目的とした分娩法。ソフロロジー式のエクササイズやイメージトレーニングをすることで、陣痛の痛みを前向きにとらえ、出産に対する不安や恐怖を減らせるともいわれています。その為、呼吸法や生まれる時の赤ちゃんの状況、出産のイメージトレーニングなどを丁寧に教えてもらっていたのでパニックに陥らず冷静に出産に挑むことができたと思います。生まれてすぐ、カンガルーケアをするために娘が私の胸元へ運ばれてきました。その時感じた赤ちゃんの「心地よい温かさと重み」を今でもよく覚えています。この幸せな感覚はきっとずっと忘れない。一方で陣痛の痛みは実はもうよく覚えていないんです…(とにかく痛かった!という曖昧な記憶だけ)産んですぐは「こんな痛いの無理!もう産みたくない!」とか思っていたんですけど、しばらくすると痛みのことは忘れちゃって…「二人目欲しい…赤ちゃん産みたい…」と考えている自分がいました。これから出産される方、不安と恐怖でいっぱいだと思いますが…大丈夫!赤ちゃんも頑張っていると思えば頑張れる…きっと!!金銭的に余裕があれば「無痛分娩」も検討してみるといいと思います! 痛かろうが痛くなかろうが「母性」はちゃんと芽生えます!だって赤ちゃんはかわいい!!人それぞれ、自分に合った出産方法で赤ちゃんを迎えるのが一番だと思います。
2019年09月11日ジンベイザメを金魚と言っただけで『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。自閉症の息子は、特別支援学校高等部に通っていた頃、学校で制作したこのTシャツを持ち帰ってきました。Upload By 立石美津子私は赤い魚が描いてあったので、「可愛い金魚だね」と言いました。すると…「違う!ジンベイザメだ!違う!違う!」とスイッチが入りパニック!朝食にいつもは食パンなのに、ロールパンを出した。私が「お薬飲んで」を「お薬食べて」と言い間違えた。そんな些細なきっかけで、パニックや自傷は始まります。息子は家の床を蹴り、トイレのドアを思い切り「バーーーーン!」と閉めました。私は「そんなことすると家が壊れて、引っ越しすることになるよ!」と傷口に塩を塗るような言葉をぶつけてしまいました。その朝、息子は折れて黙って登校していきました。家で禁止された息子、外で自傷をその夜、腕に酷い噛み痕があることに気づきました。「この怪我どうしたの?」と聞いたら「登校中、噛んで自傷した」と答えました。その日の朝、私から「家が壊れるよ」「引っ越しすることになるよ」と脅されたので、おそらくものすごく自分の感情をコントロールして、それ以上パニックを起こさないよう、つとめていたのだと思います。でも、結局外で自傷していました。私だって悔しくて泣いているとき「泣くな!」と言われたら、気持ちの持っていき場がなくなり、かえって苦しくなります。泣くことで、少し気持ちも落ち着きます。自閉症のある子にとって、パニックはそれと同じように、自分の気持ちを落ち着かせるためにしているものなのかもしれません。でも、この日の朝、私に強く言われたことで息子は”気持ちの持っていき場”を奪われてしまい…私が見ていないところで自傷をしました。言葉でうまく気持ちを伝えられないとき赤ちゃんは、「お腹すいた」「オムツが汚れて気持ち悪い」「暑い」「寝たいのに寝られない」など、不快な状態を泣いて訴えます。そんなとき、「泣くんじゃない!」と叱ることなく、親はその泣き方から「なぜ泣いているんだろう?」と原因を探り、「おお、よしよし。今、おっぱいをあげるからね」「オムツを替えてやるからね」と不快を取り除いてやります。この体験を通して子どもは「この人は僕を保護してくれる人だ」と母親を認識し、「この世は安全な場所なんだ」とわかってきます。私は保育園や幼稚園で長年仕事をしてきましたので、こうしたことを理解していたつもりですが、息子にはなかなか対応できないでいました。自傷を禁じることしかしていなかった息子は5歳になるまで言葉を話しませんでした。自分の思いがなかなか親に伝わらないとき、こだわりが通らないとき、床に頭を打ちつけ自傷することで伝えるしかなかったのでしょう…。でも、自傷する息子をみることはつらいものです。またそのことで近隣トラブルにつながってしまうこともあり、そのころの私は「やめなさい!」と叱ってばかりいました。息子の行為の背景にある思いまですべてを理解してやれず、叱ってばかりいたことで、「これがいやなんだ!」という気持ちが伝わらず、さらに叱られてしまうことでよりひどく自傷するという悪循環に陥っていたのです。どうすれば良かったのか息子がパニックを起こしたときは、赤ちゃんが泣いたときと同じように、「息子のパニックの原因はどこにあるんだろうか」と探り、「お前の負荷になる原因をなくしてあげるからね」と安全地帯を作ってやらなくてはならなかったのです。でも、大パニックを起こしている息子を目の前にした私に、そんな心の余裕なんかありませんでした。さらに、息子の場合は一度パニックを起こしてしまうと、嫌な原因(例えば「音を消す」)を取り去っても、もう収まりませんでした。パニックを起こしたきっかけを忘れてしまったかのように、今度は息子自身の泣き声に反応して大騒ぎをするのです。そんなときは、そっとしておくしかありませんでした。そして、15分くらいしてから、お風呂の湯船につからせました。すると息子は気分が変わるのか急速に自傷行為は収まってきました。今、私が心がけていることは、「頭ごなしに叱らない」ということです。指摘しなくてはいけないことがあるときも、叱るのではなく共感。そして、説得です。共感も説得もなく、ただ叱っても、息子の気持ちがおさまるどころか大きなパニックにつながってしまうからです。大怪我をするほど自傷していない…!?何度も起こすパニックと自傷に途方に暮れていた私でしたが、息子は、「これ以上やるとひどい怪我になる」のギリギリのところで踏みとどまっていることに気づきました。例えば、外出時パニックを起こして、道路上でスライディングすることもありましたが、大怪我をしない凸凹が少ない道路を選んでいるようにみえました。また、身体を触って抱きしめ「よしよし」となだめる行為自体が、感覚過敏の息子には不快なことで、パニックが増幅されていくことにも気がつきました。さらに1時間も続くように感じましたが、パニックを起こしている時間を測ってみると、一番長くても20分程度でした。修行中Upload By 立石美津子自傷やパニックを起こすのは精神のバランスを保つためにやっている行為。だから、嵐が過ぎ去るのを待ち、余計な手出し口出しをしない方がよいのかもしれません。時間が本人をクールダウンさせてくれます。親が巻き込まれるのは“火に油状態”となります。何もしないことが一番の解決のような気がします。太陽光の角度によっては赤く見えるジンベイザメもいるようです。まだまだ修行中の私です。
2019年08月13日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 面会時間も終わり、夜もう一度赤ちゃんと再会できるチャンスタイムがあった。今連れてきますからね~という話のあと、一向にやってこない。 不安に思っていると、助産師さんがやってきて「赤ちゃんね、多呼吸の状態になってて、ちょっと保育器に入ります。あとで先生から説明しますね」とのこと。 産んだあとはすべてが順調に進むと思い込んでいたので、急に「入院治療計画書にサイン」とかになって心臓はバクバク。 書類には、「新生児一過性多呼吸」との病名が記されており、推定される入院期間が約1週間との記載もあり、「え、一緒に退院できないの?」と不安になる。 今思えば、その場でいろいろ聞けばよかったものの、疲れ果てて頭も回らないし、質問するという発想もなく、ヨボヨボしながらサインをした。 「終わったんじゃない、始まったのだ」ということを強く自覚した瞬間だった。 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2019年06月10日私は22歳のときにパニック障害を発症しました。すでに長女を出産後だったのですが、きょうだいを作ってあげたいと思い、3年の不妊治療の末、待望の長男を妊娠。家族で大喜びしました。しかし、心配なのはパニック障害を抱えてのお産……。陣痛のさなかに発作が起きないか、不安でたまりませんでした。 発作に対する不安つわりの時期も乗り越え、妊娠5カ月からは大きなパニック発作も起きず、安定した妊娠生活を送っていました。 ところが妊娠後期に入ると、出産時に発作が起きないかと不安になるように……。第一子を出産時、陣痛の痛みに耐えて酸欠になったのを覚えていたので、過呼吸になったらと考えると、不安でいっぱいでした。出産が近づくにつれさらに不安感が増し、度々発作を起こすようになってしまいました。 医師との相談と事前のシミュレーションパニック障害を治療してもらっている主治医に相談し、あらかじめ出産時の対処法などを聞いておくことにしました。医師からは、陣痛が始まり発作が出てしまったら、“呼吸に意識を集中させること”、“頓服薬を飲むように”とのアドバイスをもらいました。 自宅で呼吸法を練習し、いざとなれば頓服薬を飲めると思うことで、不安感は減りました。また出産時のシミュレーションをすることで、安心感を持てるように努めました。 出産当日の陣痛出産の2週間ほど前から、度々前駆陣痛があり、いよいよ来た? と構える日々が何日も続きました。それが功を奏したのか、陣痛に対する心構えができました。 いざ陣痛が始まると、意外にも落ち着いている自分がいました。もしものために頓服薬を半錠飲みましたが、陣痛中に発作を起こすことはありませんでした。というのも、痛みでそれどころではなかったのが正直なところでした。結果的に発作も起きず、無事に第二子を出産することができたのでした。 パニック障害は不安障害の一種ということで、突然に激しい不安に見舞われ、息切れやめまいなどの 発作に襲われます。そして、不安になるとパニック発作を誘発してしまうことがあるそうです。私は陣痛やお産の流れを理解しておくことで、不安感を減らすことができました。安心感を増やしておくことで、落ち着いてお産に臨むことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩) 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年05月26日昨年10月、アイドルグループ「King&Prince」のメンバー岩橋玄樹(22)がパニック障害の治療に専念するため休養。翌11月には「Sexy Zone」の松島聡(21)も、同じ病いで療養に入ることを発表した。相次ぐ休養宣言でにわかに注目が集まった「パニック障害」だが、過去には多くの有名人が病いと闘っていたことをカミングアウト。決して、珍しい病気ではないのだ。「がんのように明確な診断基準がないため、患者の特定が難しいのが、この病気の厄介なところです。ただ、ストレスや自律神経の乱れが発症の引き金になることが少なくないため、ストレス社会の現代では『予備群』も含め、患者は増えているのでは、と考えられます」そう語るのは、あゆみクリニックの宮沢あゆみ院長。アメリカの調査でもパニック障害の有病率は増えていると推測され、100人のうち5人近くがなるというデータも(NSC調査)。しかも女性の患者数は男性の2.5倍に上るというから(同調査。いずれも厚生労働省ホームページより)、決して人ごとではない。長いパニック障害との闘いを克服した経験を持つ、女優の大場久美子さん(59)。克服までの道のりを聞いた。「私の場合は動悸と息苦しさが主な症状でした。40歳手前ぐらいから、楽しいときでも苦しくなるので、なぜだろう?と。でも、検査を受けても何も異常が見つからず、ドクターショッピングに近い状態が続いていたんです」(大場さん・以下同)原因もわからないまま、数年間苦しんだという大場さん。その後、’03年にパニック障害などの疾患に詳しい医師に巡り合い、ようやく診断されたという。「原因がわからない不安のほうが大きかったので、診断されたときはむしろうれしかったです。病気とわかったのだから、治そうと」現在、パニック障害の治療には、薬物療法のほかに、偏ったものの見方を修正し、行動を変えていく『認知行動療法』も重要とされている。しかし、当時の大場さんが医師から提案されたのは「休養して入院し、お薬を飲みましょう」というものだった。「でも、私にはその選択肢はなかったんです。入っている仕事をキャンセルすることなんてできないし、一人暮らしだったので収入が必要でした。軽い精神安定剤を処方されたこともあったのですが、もともと風邪薬も慎重に飲むほどで、薬が効きすぎる体質なのか、めまいで起き上がれなくなったこともあって、飲みませんでした。何より芝居が大好きだったので、休業して入院するなんて、とても考えられませんでした」闘病を見守った事務所の代表いわく、大場さんは「ど根性の人」。試行錯誤しながら、自力でパニック障害に向き合っていった。「たとえばパニック障害だと、発作が怖くて電車に乗れなくなることが多いのですが、私は乗れないと決めつけず、どうやったら乗れるかを考えました。発作が出たときに、誰にも見つからずに座り込めるトイレの場所を把握しておくだけでも、安心材料になりました。ほかにも、予期不安(発作を繰り返すと、『また発作が起きたらどうしよう』と強い恐怖感を抱くようになる)に襲われたときに、すぐ誰かとつながれる携帯電話も大きな支えでした。そうやって自分の中の『安心アイテム』を増やすことで『できない』から『できるかもしれない』が増えていく。いま思えば、私は自然と『ものの見方を変えていく』ことをやっていたのだと思います」だが、当然闘病には苦労も――。「テレビ番組の公開収録のときなどは、たくさんのゲストもお客さまもいる抜け出せない状況に、息苦しくなってしまうこともありました。そんなときは、自分を思いっきりつねったりして、やり過ごしていました」それでも階段を上るように、症状は改善されていった。支えになったのは、生きがいである仕事を続けられたこと。そこには事務所の全面的なサポートがあった。「自宅から仕事場までの間にある、あらゆるトイレの場所を調べてくれたり、収録中に発作が起きて歌えなくなった場合に備えて後輩をたくさん連れてきてくれたり。『何があっても大丈夫』という環境を整え、見守ってくれました」こうして、テレビで公表するころには「克服」していたと振り返る。もちろん、これは大場さん個人の体験で、パニック障害の克服には専門家のサポートが不可欠だ。「本当の認知行動療法は、まず、心理療法士やカウンセラーとともに進めていくのが一般的です。お医者さんに薬を処方していただくことが必要な時期もあると思います。ただ、きちんとカウンセリングを受けて、認知のゆがみを修正する必要性があればそれを行うことで、病気に限らず、その後の人生も生きやすくなると思います」大場さん自身も、闘病経験を生かして心理カウンセラーの資格を’08年に取得。現在は女優業と並行して、さまざまな人の心の悩みに耳を傾ける日々だ。「パニック障害が再発する可能性は、ゼロとは言い切れません。一度体験して脳裏に刻まれたので、『完治』ではなく『克服』。でも、『どうしよう』を『こうしよう』に変える自分の中の安心アイテムがあるので、もう怖くはありません。パニック障害は必ず克服できる。私はそう、信じています」
2019年03月01日