ドイツ・ブンデスリーガで日本人初の「デュエル勝利数1位」に輝き、2022年のカタールワールドカップでは日本代表の要として活躍が期待される遠藤航選手。今でこそ華々しい活躍を見せていますが、幼少期からエリート街道を歩いてきたわけではありません。小学生時代はセレクションに2年連続で不合格、地元でも名の知れた存在ではなかったといいます。そんな遠藤航選手が初の著書「楽しい」から強くなれるプロサッカー選手になるために僕が実現してきたことの中で明かす、夢を叶えるために実行してきたステップを一部抜粋してお届けします。(C)中河原 理英<<関連記事:ブンデス・デュエル王を育てた「過去と他人を気にするな」の名言。先のビジョンを見据えて逆算できる選手に...遠藤航・父の教育②■中学の時に書いた「目標」が現実になった「僕は未来の自分がサッカー選手になり、プロとして活躍している事、日本代表として活躍している事を期待しています」「世界に通用するDFとしてサッカーを楽しんでいることを期待しています」これは、僕が15歳のときに、未来の自分に投げかけた言葉。中学3年生のとき、10年後の自分に向けて手紙を書くという授業があって、みんなでタイムカプセルに埋めた。真剣に書いたから、25歳のころに「10年後の遠藤航」に宛てた手紙が届いたとき、昔の自分が抱いていた期待のことは覚えていた。あの手紙を書いてから12年後の2020年9月、僕はブンデスリーガで2020‐2021シーズンを迎えた。プロになった当初からの目標が現実になった。10代のころ、香川真司さんや、岡崎慎司さん、長谷部誠さん、内田篤人さんが、ドイツのトップリーグで活躍する姿をテレビで観ながら、僕は自然とブンデスリーガを意識するようになった。でも、将来ブンデスでやれるようになるなんて、サッカーを習い始めた小学生のときはだれも予想していなかったと思う。実際、シュトゥットガルトに加入して最初の3か月間は、全然と言っていいくらい出番がなかった。■大きな目標をかなえるために今何をすべきか、を理解するために必要なこと大きな目標を立てて、それを叶えるために今何をするべきか、身近で小さめの目標に落とし込むこと。僕は昔からそれが得意だった。だからそのときも割り切って、監督が何を求めているのか、先発している選手にあって自分に足りないものは何か、逆に他の選手にはない持ち味をどうやって生かすか、じっと観察しながら、どうすれば自分がチームに貢献できるかを考えた。そしてシーズン半ばに、初先発のチャンスが回ってきた。今思えば、人生でいちばん大切な試合になった。■もしだめでも、またゼロからやればいいだけ与えられたチャンスで結果を出す。その意味では、僕にとってすごく重要な試合だ。アンカーとして力を出し切り、チームの零封勝利に貢献できた90分間、特別に緊張したりはしなかった。やるだけのことをやって準備してきたという自信があった。それに、もしだめでも、またゼロからやればいいだけ。考えてみたら、子どものころからその繰り返しだった。小学校のときも、中学校の部活でも、ユースでも。自分より上手い選手が活躍しているのを見れば、「どうすれば俺も?」と考えたし、「なら、今の自分はこれをやるべきだ」と、逆算していた。■好きだから続けたい、だからやるべきことをやるプロのサッカー選手になりたい。そのために、できる範囲でまず何をすべきなのか。そう考え、もう少し頑張れば超えられそうなハードルを自分で用意しては、1つずつクリアしてきた。好きだから続けたい。楽しいから続けられる。続ければ、もっと楽しくなる。楽しみ続けること。これが基本。続けるためにやるべきことを考える。やるべきことをやる。すごくシンプルだ。でも、その繰り返しが、校庭からドイツのメルセデス・ベンツ・アレーナに僕を連れてきてくれた。この本には、僕がプロサッカー選手になるために大切にしてきたことや、実行してきたさまざまなステップがつまっている。どれも特別なことじゃないかもしれないけど、夢や目標を叶えるための何かのヒントになってくれたらいいなと思う。
2021年12月17日2022年カタールワールドカップ(W杯)アジア最終予選がスタートした9月、日本代表ボランチ・遠藤航(シュツットガルト)が「『楽しい』から強くなれる」という初の著書を出版しました。「僕は未来の自分がサッカー選手になり、プロとして活躍している事、日本代表として活躍している事を期待しています」「世界に通用するDFとしてサッカーを楽しんでいる事を期待しています」これは遠藤選手が中学3年の時、10年後の自分に向けて書いた手紙だと言います。その内容通り、彼は日本代表となり、ドイツ・ブンデスリーガ1部でデュエル(球際)勝率1位に輝くという大輪の花を咲かせています。偉大な遠藤航選手はどのような育てられ方をしたのか......。それは多くの保護者や指導者が関心を抱く部分でしょう。その疑問に答えてくれたのが、父・周作さんです。(取材・文:元川悦子)(C)中河原 理英■「子どもに期待しない」遠藤家の育児方針茨城県で育った学生時代にセンターバックをしていたという周作さんは、航選手が横浜市立南戸塚小学校入学と同時に加入した南戸塚少年サッカークラブ(SC)で指導者として息子を指導。航選手にとって「最初の恩師」ということにもなります。「私は子育てするうえで2つのポリシーがありました。1つは子どもに期待しないこと。親の過度な期待が子どもの負担になるケースは少なくありません。内心期待していてもそれを感じさせないような立ち振る舞いに努めました。もう1つは子どもを1人の人間として扱うこと。幼いなりにも考えはありますから、彼らの頭の中をのぞきにいかないと理解できない。『この子は今、何を考えているんだろう』という疑問を持って接するようにしていたんです」周作さんは淡々とこう話しますが、子どもの側に立って考えるのは大人にとって容易ではありません。思い通りにならなくてストレスを感じたり、忍耐を強いられたりすることも少なくないでしょう。それでも、遠藤家では「あれしろ」「これしろ」とは絶対に言わず、彼らの答えを引き出すように仕向けていたというから、驚嘆に値します。■親にできるのは選択肢を与えること「長男の航を筆頭に子どもは3人いるのですが、我が家ではすぐに答えを言わないようにしていました。サッカーの指導をしていても、社会人として働いていても感じることですが、物事の答えは1つじゃない。自分なりの回答を見つけてほしいと思っていました。子どもは1つ1つの判断に時間がかかりますし、何回やってもできなかったりするのですが、それでも焦れずに辛抱強く待ち続けたんです。親にできるのは、沢山の選択肢を与えてあげることくらい。航にも小学校低学年くらいまでは野球やパターゴルフ、サッカーといろいろやる機会を作り、本人は野球にも熱を入れていました。最終的にはサッカーを選びましたが、別のトライからも多くの学びがあったはず。『好きなことを突き詰める』という今につながるメンタリティも養われたのかなと感じます」■やらなくて困るのは本人周作さんのこうしたポリシーはスポーツにとどまりませんでした。勉強に関しても「やらなくて困るのは本人。必要だと思えば自分からアクションを起こすだろう」と考え、一度も「勉強しろ」「宿題をしろ」などと言ったことはないそうです。航選手本人はもともと真面目に勉強する子どもだったようですが、サッカー強豪校で偏差値も高い桐光学園などへの進学を視野に入れ始めた中学2年の時、自ら「塾に行かせてほしい」と言い出し、積極的に通ったほど。この時点ですでに自立心と自主性に長けた人間に育っていたのでしょう。■「反抗期終わったから」と本人から報告があった「ウチは妻(母・香さん)も教育ママではないし、両親2人ともボーっとしたタイプ(笑)。航には『人に迷惑をかけるな』とは言っていましたが、怒ったことは一度もありません。思春期の中学2・3年頃、本人が『オレ、反抗期終わったから』と言ってきたころがありましたけど、反抗した印象がなかったので驚いた記憶がありますね。親から見てもあまり感情を露わにするようなタイプでもないし、つねに『もう1人の自分』がいて、客観的に自身を見ているようなところがあったんでしょう」(周作さん)こうした冷静さと落ち着きは年齢を追うごとに養われたようです。生粋の負けず嫌いの航選手は低学年の頃は負けるたびに泣いていたものの、高学年になると自分をコントロールできるようになり、周りを励ましたり、指示を送ったりもしていました。周作さんも指導者として我が子だけを特別扱いするのではなく、全員とフラットに接し、長所を伸ばそうと努めていました。チームメートに誠心誠意歩み寄る父の姿勢を間近で見て、息子はフォア・ザ・チームを養っていったはずです。■セレクション不合格でも挫折感を感じなかった理由一方で、周作さんは「子どもにはもっと広い世界を知ってほしい」とも考えていました。そこで小学4年の時、横浜F・マリノスのジュニア・スペシャルクラスのセレクションを受けるように勧めました。「航は南戸塚SCの中ではうまい方だったと思いますけど、もっとうまい子はいくらでもいる。その現実を分かってほしくて、『こんなのがあるよ』とセレクションの情報を伝えました。本人は『じゃあやってみる』と二つ返事でしたが、受かるとは全く思っていませんでした。実際のセレクションも見ましたけど、ドリブルが上手で3~4人をスイスイ抜いていくような子が何人もいて、航は決して目立ちませんでした。案の定、結果は1次テストで落選。小学5・6年の時もジュニアユースのセレクションを受けましたが不合格。本人も自分の実力を分かっていたのか、落ち込んだ様子もなかったですね」(周作さん)著書の中で航選手は「大きな挫折感はなかった。『見返してやりたい』とか『合格者がうらやましい』とも思わなかった。落ちた後もマリノスの試合を普通に観に行っていたくらいだから」と語っていますが、そう思えたのも「サッカーが好きだから続けたい」という感情が強かったからでしょう。「自分で判断して前進することの重要性」を早い段階から知らしめた父のナイスアシストによって、航選手はよりサッカーを突き詰めるようになり、現在に至るトップ選手への道を貪欲に切り開いていきました。「子ども自身が自発的に行動を起こすように親は黙って見守る」というスタンスが奏功したのは、紛れもない事実と言えるでしょう。
2021年10月22日株式会社ボランチより株式会社ボランチは、スーパーフルーツパウダー「WE’RE SUPER FRUITS(ウィーアースーパーフルーツ)」を12月1日より一般向けに販売開始します。「ウィーアースーパーフルーツ」はパウダーサプリメント。一般的なフルーツよりも栄養価が高いといわれる「スーパーフルーツ」をパウダー状にしてあり、効率よく栄養を補うことが可能。スーパーフルーツとはスーパーフルーツとは南米などで自生する栄養価が高い希少な果実類。その抗酸化成分の含有量は、一般的なフルーツの約20倍とも。美容にとって必要なフルーツシミや老化の原因といわれる、「活性酸素」。この活性酸素を除去するのに適しているのがフルーツだといわれています。果物の1日あたりの奨励摂取値は200グラム(30代の場合)。それに対して「2014年国民健康・栄養調査」によると30代の平均摂取量は、1/3以下の60グラム。これらを背景に「スーパーフルーツパウダー」は世界中で注目を集めているのです。ミックスベリー味今回、発売されるのは「ミックスベリー味」2,980円。マキベリー、カムカム、アサイー、ゴジベリーなどの希少で栄養価の高い果実を使用しています。ミックスベリー味。(画像はプレスリリースより)【参考】・海外セレブも愛用するスパーフルーツパウダーがついに登場!「WE’RE SUPER FRUITS(ウィーアースーパーフルーツ)」発売!
2014年12月05日