大学院への道は途絶え、研究インターンはお役御免に。”40歳で新しいチャレンジは、やはり無謀?”と袋小路な状況のなか、かねてから予定していた二度目のヴィパッサナー瞑想合宿へと向かいます。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 66大学院への道、途絶える…。先日アカデミックディレクターの人に「大学院への進学はどうするのか」とたずねられ、朝の8時キャンパス近くのコーヒーショップ『Café Strada』で話をしたんです。この店はサードウェイヴコーヒーショップ的なオシャレさは微塵もありませんが、朝6時からオープンで無料Wifi・電源完備。テラス席もあり、リーズナブルな値段でドリンクを提供してくれるうえ、どんなに長居をしても迷惑がられないとあって、学生や教師の憩いの場となっています。ちなみにカフェで見かける使い古されたツイードのジャケットに丸メガネの着こなしが素敵なダンディな教授陣は私のバークレーにおけるファッションアイコンでした。通い詰めて顔なじみになると、こんな不思議なラテアート(※そういう店では無いのです)をにこりとも笑わないメキシカンのおじさんがそっとやってくれたりして……。ここ最近は学校にいく用事が無いので全く足が遠のいていましたが。さて爽やかな朝、『Café Strada』のテラス席で「私には確かめたい仮説があって、会社を辞めてアメリカに来てからずっと自分を治験者に見立てて実験・観察しています。でもそれが大学院の研究室でなければできないことなのかが、よくわからなくなっちゃって。例えば “慈悲の心” について研究している研究者たちよりも、私にとって思いやり深く接してくれた大学中退のインターン先の社長や、私財を投じてギフトの世界で生きている人たちから学ぶことのほうが今は大きく感じるんです。なので、今のところ大学院を目指す気はありません」と爆弾発言を投じました。すると彼女から「わかるわ…」と言われた後に、彼女自身大学の教授や講師陣たちと友人になろうとアカデミックディレクター、そして講師として奮闘していたことを打ち明けられます。「キャンパス内で真の友だちを作りたいとある教授に相談したの。そうしたらなんて言われたと思う? 『だったら子どもを早く作って、子どもがいる教授と交流を深めることだね』って……」。それに対して思わず、「Disgusting!(気持ち悪っ)」と叫んでしまいました。彼女は私とちょうど同年代の独身女性だからです。はい、ここでバークレーへの道は完全終了!その後、日系人を治験者とした体内感覚と感情についての研究インターンへ。年明けランチミーティングがあると教授に招かれて向かったのです。某名門大学心理学部博士課程在籍の台湾系日米バイリンガル学生が自身の卒業論文のテーマにするため、教授の研究を無償で手伝いたいという話で。「では私は今後どう関わりましょうか?」とたずねると、特にやることが無い様子。お役御免です。入館証を眺めながら、これを使うことももう無いのか……。結局私がこの研究で行ったこととは、治験者募集のための広告を作ってこちらにあるタブロイド誌と料金・スペース交渉をして掲載すること。電話でスクリーニングをして研究に最適な治験者を選ぶこと。座談会への参加とテキスト起こしされたものを編集して、日本独自の考えや文化について補足説明を加えることのみでした。でもこれは今までやってきた編集や広告の仕事の延長上で、私はその先の研究結果をどう分析していくのかを学びたいとこのポジションに昨年6月から無償でお手伝いしていたのですが。それが、タダでもできないのか。”タダ!(いくぶんか使えます)” と書かれて道端に放出されていたライトのことをふと思い出しました。ところであれは無事に拾われたのだろうか……。40歳で新しいことに挑戦するなんて、やっぱり無謀?というような袋小路な現状を友だちに打ち明けると、「最近採用する側になったんだけど、みなシビアよ。コスト削減を強いられているから育つまでなんて待てない。そういえばこのあいだ面接していてキツかった35歳の女性がいたなぁ……」と言われて落ち込みます。35歳って私よりも5歳も歳下じゃないの……。やはりこの歳になって全く新しいことをやろうとするなんて無謀だったのかな。自分がハマらないところにしがみつこうとしているのカモ!? 人生の方位磁石が狂ったようなズッコケ続ける日々を過ごしながら、かねてから予定していた2度目のヴィッパサナー瞑想合宿に向かうことになったのです。※ヴィパッサナー瞑想合宿・初体験記事は、こちらをどうぞ。度目の瞑想合宿。ライドが5時間経ってもやって来ず。今回向かったのはバークレーから車で片道4時間半のノースフォークという街にある、California Vipassana Center。ライドを提供してくれたのは、39歳の歯科衛生士の女性、ピィーでした。ところが待ち合わせ時間30分前に「急用ができてどうしてもまだ出発できない」とのテキストメッセージを受信し、ガーン! 偶然目にしたドアに日本語の “天使” と書かれていたので(笑)「これこそ “気づき” と “平穏な心” を培うヴィパッサナー瞑想の実践だ」と気を取り直して、コーヒーショップで待機。待ち合わせ時間から5時間が経って到着した彼女にまずはカフェモカを振る舞いました。ちなみにオシャレ サードウェーブコーヒーショップ『Algorithm Coffee』だとラテアートはこんなふうになりますね。その後の車内ではピィーの “40歳を目前とした不安” (ねぇ、ケンカ売ってる? 苦笑)について延々と耳を傾け、ついにセンターに到着したのは受付時間を大幅に過ぎた午後7時30分。もう外は真っ暗です。ボランティアのサーバースタッフのみなさんに「申し訳ありません」と平謝りしながら、なぜ私が謝らないといけない? と割り切れない気持ちにも。乗せてくれたピィーに感謝こそしないといけないのに、こんなに釈然としないのはナゼ? 心が狭いですね。あぁ、車を持っていない私が悪い。社会的に安定していないのがいけないんだと思って、今度はモヤモヤ。これまでの経験から外側で起きることは心の内側の反映なんだとわかりつつも、ザワザワした気持ちを収められず就寝しました。翌日からいよいよ朝4時から夜9時までのヴィパッサナー瞑想合宿が再び始まります。今回は図らずとも相当やさぐれた気持ちで臨むことになりましたが、いったいどんな体験が待っているというのでしょうか(第67話へ続く……)。SEE YOU!
2018年02月14日ノンアルコールで、リラックス・鎮静効果があるという不思議な飲み物、カヴァ。ベイエリアで最も古いというカヴァ・バーで、白髪頭にポニーテールのおじさん、モヒカン女子、フレンドリーな大型犬に混じって、そのメロウな世界を堪能してきました。どんな味がする?体や心の感覚はどうなるの?レポートします!写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 64【第64話】メロウな気分になれる不思議な飲み物、カヴァって?突然ですが、KAVA(カヴァ)のことをご存知でしょうか?アルコール成分は一切ゼロなのに、リラックス効果をもたらすという摩訶不思議な飲み物、カヴァ。ポリネシアの島々やハワイなどで3000年ほど前から親しまれ、宗教儀式や村への訪問者を歓迎するなどといった政治的・文化的セレモニーなどで用いられてきました。日本では違法でこそありませんが、厚生労働省のサイトによると肝臓に悪影響を及ぼす可能性があると、カヴァの成分が入った食品やサプリメントの売買は禁止。規制管理されているようです。ところでラム酒に目がない私ですが、瞑想をやっているためにお酒はなるべく控えているという今日このごろ。しかも日本ほどには治安がよくない、こちら米・カリフォルニアで女ひとりふらりとバーなんぞにいってほろ酔い気分になるというのはちょっと危険。でも荒波をダイブする毎日、ときには息抜きしたいものです。そんな折、瞑想スペースに向かう途中に再三見かけていた場所、『Melo Melo Kava Bar(メロ メロ カヴァ バー)』。ベイエリア(カリフォルニア州のサンフランシスコ、バークレー、オークランドなどを含む場所)で最初にできたカヴァバーなんだそうです。なんだかよくわからないけれど、バーっていうより日中の雰囲気は雑誌『Casa BRUTUS』とかに載っていそうなオシャレ度満点なカフェ。お昼の12時から開いていて、大きな窓からはたくさんの観葉植物と座り心地の良さそうなソファが見えて…、なんだか健康的。気になる! 壁に貼られたメニューをチェックすると、超シンプルなラインナップです。「なんかカヴァ絡みのやつばっかりじゃん」。鎮静、麻酔、陶酔作用があるコショウ科の植物の根。で、カヴァって何? ということでさっそく帰宅してネットで調べてみると……。まずコショウ科の植物であるとのこと。そして、その根には鎮静、麻酔、陶酔作用があり、有効成分・カヴァラクトンには軽度の精神活性力があり(カフェインのようなものだけれど、カヴァの場合は全く逆に作用する) 短期不安の治療に置いて一定の効果があるという研究結果も。メカニズムは、鎮静・抗不安作用を有するGABAのリガンド結合を促し、逆にストレス・ホルモンのひとつ、ノルエピネフリンが神経細胞へと再取り込みされることを抑制するためのようです。……って、なんだかややこしい! もとい平たく言えば、戦闘態勢に入るホルモンの取り込みを減らし、心と体をリラックスさせてくれる成分が入った植物の根を粉状にして水に混ぜた飲み物みたい。とりあえず、まずはどんなものなのか飲んでみよう。というわけで18時に入店してみると、なんだか日中とはちょっと違う怪しげな雰囲気。店内はなんともいえないパープルがかったネオンカラーに包まれています。「ド・怪しい…」。でも、賑わってる! モヒカン頭の女子からバークレーに住んでから見かけない日は無いと言っても過言ではない、白髪頭のポニーテール姿のおじさんもいます。フレンドリーな大型犬まで! ギャーギャーと騒いで、メロウな気分になっているほかのお客さんの邪魔をしない限り、犬や子供と一緒に来店してもOKなんだそうです。3がマジックナンバー。さて、まずはカウンターで注文します。「初めてなんですが、カヴァが何なのかがわかる、一番トラディショナルなものはどれですか?」ととてもフレンドリーなカヴァテンダーさん(勝手に造語。たぶんそう呼んでも、通じないよ!)にたずねて出してもらったのが、ピュリスト(Purist)。価格は4オンス(約113g)で5ドルです。ココナッツの殻でできたカップになみなみと注がれ、小さなみかんと一緒にサーブされます。「どれぐらい飲めば、リラックス効果を感じられるのですか?」と聞くと、「3がマジックナンバーだよ」とニッコリ。「この泥水みたいなものを3杯も飲むのか……」と躊躇っていると、「よし。ハッピーアワーということで、2杯注文してくれたら1杯サービスするよ!」と言われ、イエーイ3杯いってみよー!見た目は良く言えば、ミルクたっぷりめのコーヒーミルク。もしくは、泥水。で、ひと口ゴクッと飲んでみると、全然おいしくない! どんなものかと言えば、山椒のようなビリビリ感が舌に残り、テイストは高麗人参のような漢方薬っぽい苦味のあるハーブ風味。香り高いラム酒を飲んだときの、ちょっとデカダンな感じは全く味わえず、「うん! マズイ! 体に良さそう!」という感じです。で、けっこうキツイんですよね、これを3杯も飲むのって。泥のように下に沈殿物が貯まるので、それをスプーンのようなものでかき混ぜながらグイッと一杯。「一気に飲むんだよ」と店員さんに言われて、なんだか健康診断のバリウム気分です。ちっちゃいことがどうでもよくなる。とはいえ店内に流れる音楽は、私好みのちょっとメロウなエレクトロニカ。ジェームス・ブリッケルが監督したドキュメンタリー映像『グレート・バリアリーフ』が壁一面に映し出され、そこにはカラフルな弱肉強食の世界が。謎の軟体動物に飲み込まれる魚、ワニに食いちぎられる大ウナギ……。「なんだか怖いぐらいにキレイだなー」。弱肉強食のアメリカ社会のなかで、圧倒的な弱者である私の状況も「アリかな」と錯覚させてしまうような美しい映像をソファにもたれこみながら見ていると、おっしゃる通り2杯目の半分ぐらいからでしょうか。カヴァの成分が効いているせいか、変なモンを何杯も勢いにまかせて飲んでしまったせいかわかりませんが、ちっちゃいことがどうでもいい気分になってきました。「私の意見をないがしろにするあの教授のことも、買ってもいないトイレットペーパー料金を毎度請求してくるハウスメイトのことも(冷静に考えてみるとなんてミクロな世界に生きているのだろう、私ってば……)、どうでもいいわい」と。しだいに携帯のテキストメッセージを打つ指が微かにかじかんだような妙な感覚になってきました。でもお酒に酔っ払っているときとは全然違って意識も完全にクリアだし、バスルームに向かう足取りなんかもしっかりしているんですよ。当然、幻覚を見たり、極彩色の世界に包まれたりってこともありませんよ。不思議でしょう? 試しにつけあわせ(?)のみかんを口に含むと、すっごくおいしく感じます(空きっ腹にマズイものを続けざまに飲んだ後だから? それともカヴァの成分で感覚が鋭敏になったので?)。高揚感はあるんだけど、お酒を飲んでハイになっている感覚とは違って、カヴァの場合誰かと関わりたいという気分は薄れます。ふわりと上がっているんだけど、自分ひとりの世界を味わいたくなるイメージというか。瞑想のように少し内省的な気分にしてくれる感じですね。実際にひとりで来ている人も多く、イヤフォンしながらずっとPCでリアルコンピューターゲームをしている人なんかもいました。いかんせん、おいしくないので頻繁に足が向かう感じはありませんが、カヴァの成分を用いてチャイにしたもの(7ドル)、チョコレートバーにしたもの(5ドル)などもあるのだとか。いつか試してみたら、またお知らせしますね。SEE YOU!カヴァの写真:見よ、この泥水的な代物を。軽く震えます。沈殿物をかき混ぜて、罰ゲームよろしく、一気に飲み干します。メニューの写真:カヴァ儀式もの、カヴァの混ぜもの、パーティーの後のカヴァ。選択肢があるようでいて、全部カヴァ絡み。フードは出していないので、好きな食べ物の持ち込みOKです。とはいえガッツリしたものというより、チップス的なスナックを持ってきている人が多かったです。Purist セットの写真:カヴァ、みかん、チェイサーの水がセット。テーブルはチェス台になっていて、オシャレ。大スクリーンの写真:真ん前がスクリーンの大ソファに王さまみたいに席を陣取りしました。SEE YOU!の写真:ヴェジタリアンなら一度は注文することになる(!?)、バークレーにあるカフェの定番メニュー、アヴォカド・トースト。こちらは、Mariposa, Artisan Crafted Gluten Free Bakeryのもの。
2018年01月30日週末の爽やかな朝に、子どもからお年寄りまで人の目を気にせず、自由に踊りまくるというエクスタティック・ダンス。「シングル同士の男女が良い友情関係って築けるもの?」「まともな中年独身女性の行動って?」。そんなふうにカテゴリーやレッテルに囚われすぎてしまう自分のものの見方から少し自由になりたいと、筆者・土居がまたまた体験してみたようですが……。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 63【第63話】NOドラッグ&アルコールフリーの楽園?! エクスタティック・ダンスで自我を解放せよ!年齢とか性別とか肩書きとか国籍とか。そこを超えた視点を持って人と向き合いたいと思っているのに、なぜ、私はいつもどこかでカテゴリーやバイアス(先入観)に縛られてしまうのか? 自分がとっさにとってしまった態度や言動を客観視しては、毎晩反省会の日々です。突破口を見つけたいと、彼女ができたという友だちに「今こそこの質問ができる!」とたずねてみたんです。「あなたみたいに彼女がいたり、パートナーがいる男性とは自然な流れで友だちになれるんだけど、お互いがシングルだとなんか微妙な感じになっちゃって。どうしたら、シングル同士の男女が良い友情関係を築けるのか。アドバイス、くれない?」と。すると彼が「僕もシングルだったときは、それがうまくできなかったから、偉そうなことは言えないんだけど」と返事に窮します。ここで「そうでしたか……」と諦めていたのでは、旧バージョンの私。短期インターン先の社長(現メンター)の助言に習い、コンフォート・ゾーンを超えるべく、2018年は食い下がります。「ちなみに女性誌の編集者をしていたことがあって。そのときに『男と女 浮気の事件簿』っていうモノクロの特集を担当して、パートナーがいる男性に取材したことがあるんだけど」と言うと、「へぇ、おもしろいね。それによると彼らはどうして浮気するってハナシだったの?」。「単なる生理現象だって。だから生物学的な違いで、男女の友情っていうのは、そもそも難しいのかしらね」と試しにけしかけてみると、友だちが言葉を選びながら話し出しました。男性性と女性性のバランスを整えることが先決?「僕が思うに、男性も女性もみんな、男性性と女性性の両方を備えているんだと思うんだ。決断する強さや論理的に行動する力という男性性、そして受け容れるしなやかさや思いやり、ときにインスピレーションに従えるという女性性。100%男性性でできている人も、100%女性性でできている人もこの世界にはいない。それぞれの人に固有のバランスがある。そしてこの2つのバランスが崩れていると、ジェンダー絡みのパワーゲームに巻き込まれやすくなると僕は個人の体験から思ってる。だからまず、キミがするべきことは土居彩という人の男性性と女性性のバランスを整えて、ジェンダーを超えたエネルギーというか。キミの本質のようなものと繋がることじゃないかな。その先にきっと、女性だからだとかっていう部分を超えた土居彩という存在と向き合いたいという人との最適な関係が築けるようになるよ。それが友情なのか恋愛関係なのかはわからないけど、キミのバランスが整った状態で一番必要なリレーションシップだということは確か」。彼のセオリーには大いに納得したけど、で、2つの性のバランスを整えるって実際問題どうしたらいいワケ? ヴィパッサナー瞑想を一緒にしている別の友人に聞いてみると、「まずアヤは考えることから自由になるってことから始めてみたらいいんじゃないかな」と言われ、だから、それが難しいんだってば。すると「あ、じゃあさ。週末、エクスタティック・ダンスに行こうよ」と誘われたんです。エクスタティック・ダンスって?「エクスタティック・ダンスっていったいナニ?」。なんだか口にするのもちょっと照れるような、色っぽいネーミングです……。「ヒッピーのためのダンスみたいなもの。お酒もドラッグもナシで、週末の朝にみんな好きにダンスをするんだ。誰の目も気にせずにね。クレイジーに踊り狂っている人もいるし、パートナーとずっとハグしあっている人も。子どもと来てストレッチしている親子や、木みたいにずっと突っ立ってるおじいさんもいる。ただ自由に自我を健康的で安全な形で解放するんだよ!」と説明されます。よくわからないけど、なんか楽しそう! とりあえずピンときたら、考えるよりも体験してみる。ということで、向かった先はオークランドのダウンタウン。普段は劇場だという雑居ビルの2フロアです。費用は19ドル。日曜の朝9時30分からスタートし、13時15分終了とのこと。9時30分からの1時間はヨガだということで楽しみにしていましたが、駐車場探しに難航した結果、それは断念。10時30分スタートのダンスから参加しました。お酒も入らず、明るい場所で踊るのは……。超・恥ずかしい!高校時代(化石時代とも言えるほどの過去)はダンス部でスポ根をしていたので、「エクスタティック・ダンス、今回は楽勝だな」と思っていたのですが。フロアに入った途端、明るッ! 想像以上に爽やかな光が差し込む日曜の朝に、大音量のダンス・エレクトロニカに合わせて踊り狂う老若男女を目にして、まさかのドン引き。「一体感を味わえるよ!」という友だちをよそに “(友だちも含めた)みんな” と ”わたし” の間には、『出エジプトの奇跡』では割れたはずの紅海の大海原(※)がどーんと広がっています。※イメージは、チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』のあのシーン。ひとまず心を落ち着けようと持参したポットから温かいお茶を注ぎ、友だちに勧めるも「来たばかりで、もうお茶?」と笑われます。一緒に踊ろうよと手を差し伸べられますが、「ちょっとストレッチをしてからにします……」とやんわりと断ると(男友だちと手をつなぐのもなんだしね)、彼は素足になってダンスフロアへと軽やかに消えていきました。「お酒も飲まず、暗くもなく。こんな状況でなぜみんなは恥ずかしくないんだろう……」「ちょっとあの人、さっきから芋虫みたいに背中をフロアにこすりつけて床掃除状態? 服汚れるよ」「アレアレ、私って超ノリが悪いんでは……」「ここで踊らないなんて場の空気を乱している!」「やらねば、やらねば」「やっぱ、無理っす、無理っす」。エクスタティック・ダンスで自我を解放するどころか、自意識と先入観まみれになっています。周囲の目が気になる自分から自由になりたい。どうか私のエゴを解放して下さい!とりあえずせっかく誘ってくれた友だちを気遣わせてはならない。彼の目から逃れなければと周囲の状況を探っていると、マッサージ ブースを発見! 1分1ドルからのドネーション(寄付)制だそうです。「よし、これで時間を潰せる」。ボディワーカーのひとり・エム(※以前登場したエムとは別人です)に「お願いします」と言うと、「どこをほぐしたいですか?」とたずねられました。「マインドです。周りの目を気にしてしまう、私の自我をどうか解放して下さい!」と答えると、「……Wow」と一瞬驚かれたのち、「よろこんで!」。手渡されたアイピローをして簡易ベッドに横たわると、耳もとでエムが「僕のワークは、少し変わっているよ。ビジュアライゼーションとエネルギーワークを組み合わせているんだ」と囁きます。「まず、キミのお気に入りの木をイメージして……。視覚化できたかい?」と聞かれて頷くと、「その木になって大地とつながって、どんどん伸びていって……。あぁ、頭でどういう感じかなと考えるのではなく、そんな感覚を持つんだよ」。エムの声と温かなハンドタッチに身を委ねるうちに意識がどんどん遠くなっていき、気づいたらマッサージも終盤に。「キミは守られている」「そのままで大丈夫」「キミは安全と祝福と幸せとともにある……」という祈りのようなエムのアファメーションが聞こえてきて、左目から涙がツーっと頬を伝いました。たった15分のマッサージで涙がボロボロと出てしまった私を見て、「……Wow。キミに必要なセッションだったんだね」とエムに言われ、彼は自宅で4時間に及ぶフルタイムセッションも行っているということで連絡先を交換したのち、再びダンスフロアへ出陣!踊って、踊って踊りまくる!最後はみんなで寝そべり、シャバ・アーサナを。初対面のボディワーカーの前で涙を見せたせいか、首と肩の凝りをほぐしてもらって頭がスッキリしたせいかよくわかりませんが、「ま、いっか」という気分になり、まずはヨガの太陽礼拝を目を閉じて10回。体がほぐれたところで、ビートに合わせてステップを踏んでみます。すると向かいで踊っていたヒッピーと目があって、お互いにニコリ。少しづつ動きを大きくしていって、気づけば汗だくになるまで踊り狂っていました(笑)。その後、「ちょっと休憩しよう」と友だちと屋上を探検して見つけた色鉛筆やパンチを使って、自由に一緒に落書きしたり。男とか、女とか。日本人とか、アメリカ人とか。そんなことはひとまず置いといて、「なんだよ、ソレ」「カウボーイだよ」などと言って、子どものように笑い合います。最後の15分はサウンドヒーリングといって、みんなで床に寝そべり、ヒーリングミュージックと誘導瞑想に身と心を委ね、会がクローズしました。この一連の行動って、まともな40歳女性(未だにこの数字を言うたびに、凍えそうです)の沙汰じゃないですよね。でも、“まとも” の定義っていったいなんなんでしょう? 余談ですが、先日母とLINEでやり取りしていて、「最近、なんかすごく楽しいんだよね。状況はまるでかわらないんですが。とにかく、もっと友だち作らないとな!」と伝えると、しばらく間があいた後に「早く帰ってこ〜い!」とひと言。母よ、娘の何を察知した?ま、いろいろ置いといて。また家族で、温泉行こうね。そんでもって、ダンスとかもしちゃおうね。☆エクスタティック・ダンスの情報は、こちら。SEE YOU!2018年スケジュール帳の写真:手帳はシンプル派でしたが、今年はメッセージ “Amazing things can happen!” (すごいこと、起こっちゃうかもネ!(*土居的意訳です))が気に入り、ちょっぴりファンキーな手帳をセレクト。エクスタティック・ダンスの様子1:2階の倉庫スペースからパシャリ。年齢層は幅広い。エクスタティック・ダンスの様子2:みんな靴も靴下も脱いで自由に踊ります。木の写真:私が思い浮かべたのは、短期インターン先へと1時間かけて歩く途中に目にしていた紅葉が美しい木。落書きの写真:下手くそ! でも、それでいいのです。SEE YOU!の写真:メンターA氏に連れて行ってもらった、廃物アートの聖地・Abany Bulb。ホームレス、警察不祥事による被害者の人権を守る弁護士兼週末廃物彫刻家のOsha Neumannさんの作品の前で。
2018年01月24日日常生活におけるマインドフルネス、思いやりの実践ってどういうこと?論文を読んだり、研究アシスタントをしたり、瞑想しても、常に腑に落ちず、モヤモヤしていた筆者・土居。大学とも心理学やスピリチュアルな世界とも全く関係のない、短期インターン先で出会ったという社長がその疑問をパッと晴らしてくれたといいます。『能力を示そうと必死にならなくていい』『ただキミでいて、自信を持ちなさい』。そう、言われ続けた2か月間。アメリカ生活・第二章が始まります。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 62【第62話】アメリカ生活第二章スタート! アカデミック・コンプレックスをぶち壊してくれた社長との出会い。ヴィパッサナー瞑想から帰った後に何をしていたかというと、事情(私がインターンしている研究機関の研究は、予算がほとんどつかないもので、私を含めた過半数がボランティアで従事。ひとりふたりと協力者が抜けていくなか、メインのリサーチャーまでもが「これ以上続けられない」と言い出し研究業務が数か月間頓挫)があって、2か月間限定で全く違う世界でインターンをしていました。それはこちらでとてもお世話になっている友だちの関係でお話が来た、こだわりのあるユニークな会社でのこと。心理学とも大学ともスピリチュアルな世界とも全く関係ない場所でしたが、面接中、社長に「You don’t have to prove yourself (能力を示そうとしなくてもいいんだよ)。ただキミでいればいい」と言われたことがとても印象的で。アカデミックな世界で、“慈悲の心” やら ”畏怖の念” について研究している有名な人だけど、「なんだかこの人、思いやりに欠けてない?」とスター研究者のことを思ってしまったり、「一緒に本をだしませんか」と声をかけてもらってもスピリチュアルな世界での活動は常に持ち出しで、定職を持たない私にとっては持続可能な関わりかたを見出さなければいけない……。”良き人間でいる” ということと ”社会的に成功する” ということは比例せず、縁の下の力持ち的な人は現実世界では評価されず、最終的には飢え死にしちゃう? と、常日頃疑問に思っていたんです。実生活に落とし込めていない研究ってなんか意味あるのかなぁ、とも。そこでサバイバルな世界であるビジネスの場で、この経営者はなぜ「評価されようとしなくていい。ありのままでいろ」と、まるでスピリチュアルリーダーのように堂々と言い切れるんだろう? そう興味を持ってしまったら最後、私の性格上、まずその世界に飛び込んでみないわけにはいきません。インターン3日目に、自動車事故!ということでヴィパッサナー瞑想から帰った翌日からインターン生活が始まりました。初日にメモを取ろうと握りしめていたノートは社長に没収され、「ただみんながやっていることを観察するんだよ。2週間、キミはそれ以外何もやらなくていい。スポンジみたいに吸収するんだよ」と最初のカウンターパンチが。「2か月間しかないインターン期間の2週間(1/4!)、ただ見学するだけでいいの?!」。ラッキー? いいえ、観察するだけで働けないとなると、恐ろしいほど時間がスローに流れるのです。そこでバレないように、トイレにあったホウキを取り出して床掃除をしてみたりして。そんなふうに過ごしながら、勤務3日目。バーーーーン!! というクラッシュ音がオフィスに鳴り響きました。会社の前で追突事故が起こり、社員の人たちの車が巻き込まれてメチャクチャになったのです。会社の前は黒山の人だかりで、パトカーや救急車が。事故を起こしたドライバーは頭から血を流しています……。とっさにオフィスの前に飛び出して、入り口を塞いでいた壊れた車のドアの残骸を片付けようとしたら、車をめちゃくちゃにされた社員の人のひとりが「アヤ、警察が事情聴取をするから、このままにしておこうね」ととても冷静に優しく諭してくれ、その態度に感心。ほかの人も社内へと走って水の入ったコップを手にし、ドライバーに手渡しています。オフィスの中でも「あそこの十字路は信号が無くて、ずっと危なかったから」と、誰も自分の車を壊したドライバーの批判をしません。やっとのことで、「大変でしたね……」と車が壊滅状態になってしまった人に声をかけると、にっこり微笑んで「Just a car (ただの車だから)」と返事され、まだ瞑想合宿が続いているようなマインドフルで温かな気分になりました。インターン4日目は「営業にいくけど、一緒に来る?」と社長に誘われ、「まず腹ごしらえをしよう」とカフェに連れて行ってもらいました。けっこうゆっくり食べているので「アポ、何時なんですか?」と聞くと、「とくに決めてないよ」と言われて仰天。そんな営業スタイル、聞いたことないよ! と思いながら、新入社員のときに面倒をみてもらったマガジンハウスの上司のことをふと思い出しました(笑)。社長に「なんでキミをインターンに採用したかわかる?」と言われたので、「わかりませんね。なぜですか?」と聞くと、「面接で1時間以上かかったでしょう?」「はい、ずいぶん贅沢に時間をとってくれるなぁと思いました」「あのあいだに、なんか違うなってことをキミが言ったり反応したりするかなと、ちょっと意地悪な気持ちでずっとみてたんだけど、それが全くなかった。いつもこちらの話を中断せずに最後までちゃんと聞いて、言葉を選びながら正直にじっくり考えながら答える。その様子がいいなと思ったんだよ。面接中に『自分はこれができる』『あれができる』とアピールしてきて、こちらの話のこしを途中で折るタイプの人が多いけど、私はあれがすごく嫌いなんでね」と言われて、「そんな地味な部分を評価してくれる人がアメリカにもいるんだ!」と救われたような気分になりました。そして、「あ、社長。それはですね。私は英語がよくわからないので、聞いた英語を日本語に翻訳して、話す日本語を英語に翻訳して会話しているんです。だから、クイックに反応できず、自然にタイムラグができるというわけです。結果思慮深く見えていたなら、ラッキーですけど、からくりはそんなところです」と答えると、「そうだったのかぁ! だまされたなぁ!」と爆笑されました。研究者より、普通の人のほうが断然エライ、かも?交通費節約のため、インターン先まで1時間かけて歩いて通っていたのですが、それに気づいた同僚のエスがライド(車に乗せてくれること)を申し出てくれました。帰りが同じ時間になるといつも送ってもらうことになってしまうので、業務が終わり次第私が忍者のように去っていく様子を指摘されたので、「だって、あなたは私のUberじゃないもの。悪いわ」と答えると、「暗くなったあとに、1時間も歩いて帰っていく人を見過ごすことなんてできないわ。危なすぎる! そんなの当然のことだし、あなたのためというより私の正義感のためなのよ」と言われて、「なんてすごい場所に来たんだろう……」とちょっと震えそうになりました。オフィスにいる誰も慈悲の心も畏怖の念の研究なんても当然していないし、社長に至っては大学を中退したっていってるし。でも、みんなのほうがよっぽどそれらが何か、そして信頼関係を築くためにどれだけ大切なことかをわかっていて、実生活の中で自然な形で実践していたのです。ギフトリボンマスター降臨!インターン期間はクリスマスのホリディシーズンだったこともあって、商品を美しくリボン結びする業務などもありました。ネイティヴのみんなのように英語ができない私はせめてこれぐらいは一番を目指そうと週末にYoutubeを見ながら練習。結果、インターンが終わる頃にはみんなにラッピングを頼まれるほどになりました。ある日社長にちょっと散歩をしようと誘われ、「キミの働きぶりを見ていた。責任感、忍耐力、そして明るくユーモアのセンスもある。新しいことを毎日着実にしっかりと吸収している。それからキミの装いにはスタイルがあるね。まずは1年間、この会社できちんとした形で働いてみない? キミに必要なトレーニングがあれば、会社が負担するし、給料もちゃんと支払うよ」と打診されました。本当に嬉しかったです。やっと今の私に可能性を感じてくれて、現実的に私が自分の足で立って生きていくために力を貸そうという人が現れたのです。そこで友だちに紹介してもらった弁護士さんに相談。すると、現実問題としてアメリカで働くための短期ビザを発行するのはとても費用がかかるだけではなく、私のようなバックグラウンド(文系の学士で日本のマスコミで勤務)の場合、今回のようにアメリカでまったく新しい業務に従事するとなると(例えば、プロダクトデザインの仕事)発行される可能性はゼロだと言われたのです。「なんで私はこんなに歳をとるまで、アメリカに来られなかったんだろう」「なんで私には目の前のチャンスを手に入れることができないんだろう」。不満をぶつけたところでどうしようもない状況に対してひと晩だけ泣くことを自分に許して、とても有り難いお話だけれどお断りしますと翌日返事しました。その一週間後、大事なお得意先に贈るギフトのラッピングをして欲しいと社長に頼まれ、みんなが帰った後に残業をしていました。「アヤ、キミは本当に良い人だよね。そこがとても好きなところだし、会社のみんなともすごくうまくいっている。思いやりや控えめな心、大事だよね。でもそれはときにはビジネスの世界では足かせになる場合もある。バランスだよ。今のように短期のインターンをし続けて、商品のラッピングをしたり、ゴミ捨てしたりって。キミはそれをし続ける人じゃないよね? キミの今までの実績を考えると、それを活かしてキャリアを積み重ねていくことを考えていかないと。アヤ、そろそろコンフォートゾーン(ラクな居心地が良い場所)から抜け出しなさい。“良い人でいよう”とこれからは譲るばかりじゃなくって、もっと堂々と生きていくんだよ」。そして鏡の前に立たされ(苦笑)、「これがキミだよ。もっと自信を持って。自分を好きになって」。それが社長がくれた、インターン最後のメッセージでした。思いやりと自己主張の最適バランス。ところで短期インターンをしていた同時期に、バークレーのプログラムを修了してすでに半年経つのに、未だに修了書が送られてこないという事態が起こっていたんです。「どうなっているんですか?」とメッセージを3名の担当者に送ると責任者から「すぐに確認してメールしますね」と返事が来たけれど、待てど暮らせど連絡が来ない。3週間待った後に「その後どうなりましたか?」と連絡をすると、「責任者の彼女が大学生の期末テストの点数をつけたりで忙しく、しかもホリデーに入ってしまったかもしれない。連絡がつかないかもしれないけれど、もう一度あなたのほうからコンタクトをとりなさい」という返事がサブのひとりから。今までの私だったら、明らかなヒエラルキーのもとにひれ伏し、すごすごと彼女に「了解しました」といって責任者に「お忙しいなか恐縮ですが、修了書の件を再度確認していただけますか……?」と連絡していたのでしょうが。インターン先の社長やみんなのおかげで、「これは明らかに彼らの主張のほうがおかしい」と自分の感覚のほうを認められたんです。そこで「この件は、1週間や2週間の話ではなく、プログラムを修了してもはや7か月以上経っていますよね。私はこのプログラムのために、50,000ドル以上の費用と4学期という日時を費やしてきた。そしてこちらから確認しないと7か月以上も修了書を受け取れないまま月日が流れ、未だに何の連絡も無いという事態に対して、なぜ私のほうがなんどもなんども事実確認をしなければならないのですか? 私の常識では、この事態を理解できません」と主張したら、即修了書がFedEXで送られてきました。なんだ、やればできるんじゃん…。私が今まで信じていたものや、目指そうとしていた世界っていったいなんだったのかな? 最近強くそう思います。そして不思議なことに私の疑問と正比例するように、プログラムの責任者から「このところ、いったいどうしているの? あなたは、今どこにいるの?? 大学院を志望するのはもう辞めてしまったの???」と連絡が入るようになりました。これは私がかつて目標としていたものを今の私はどう見るんだろうと再確認するための良い機会だと思って、「じゃ、よかったらお茶でもします?」と返事し、会って話すことになりました。社長やインターン先のみんなと出会えたことで、アカデミック・コンプレックスやらアカデミック信仰やらをガラガラと崩してもらえた今。半年以上のときを経てその世界と接してみたらどんな気分になるのでしょうね。ちょっと不安でもあり、楽しみでもあります。See You!空の写真:インターン先に向かう、午前7時10分の空。私の一番好きなオパールカラーに染まる。カフェの写真:最近一番のお気に入りは、『Alchemy Collective Cafe and Roaster』というカフェ。バークレーでは、コレクティブといって共同経営者スタイルで運営するピザ屋やコーヒーショップがそこかしこに。カードの写真:今年も日本の家族や友だちにホリディカードを。カードを贈る相手がいるというのは、幸せなことですね。
2018年01月20日携帯やPCはもちろん、本やメモまでもが没収され、会話やアイコンタクトすら禁止というヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきたという筆者・土居。もはや忘れかけていた記憶に思考をハイジャックされたり、耐えきれないほどの身体の痛みと格闘しては、森のなかでひとり号泣したり…。締めくくりには、恋愛アドバイスまでされたようですが?!結果、再び不思議な世界への扉が開き始めたようです。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 60【第60話】携帯没収! &アイコンタクトもダメ。10日間のヴィパッサナー瞑想で心の汚濁を滅す。ずいぶんと更新するまでに時間がかかってしまいました。というのも、ある瞑想合宿に行ってから、視点が変わったとかいうレベルではなくて、リアルな現実として自分の周りの人たちや生活様式がガラッと変わったんです。ビッグウェーブをダイブしているうちに、気づけば3か月も経ってしまいました。申し訳ありません……。そして、この不定期更新連載を読んでくださってありがとう。会社を辞めてアメリカに来るまでは、いろいろあっても私の人生は平凡だなぁと思っていたんです。でも最近思うんです。普段と違う選択をひとつしたら、それに続く次のチョイスもまた一風変わったものになって……。と、気づけば、誰でも簡単に奇妙な世界に足を踏み入れていくものなんだなと。人生って、本当におもしろいですよね。このところ肩の力が抜けたのか、英語だってルー大柴さん風になって(例えば、“英単語+ね?” で事実確認。通じますよ!)、今までストレスだったり困っていた物事も楽しめるようになってきました。今の私の「アリかナシか」という “心のものさし” に影響を与えたのは、ギフト経済という考えです。こちらカリフォルニア・ベイエリアで知った生き方のひとつで、出合った当時は(今現在も)度肝を抜かれました(正確には、現在進行形)。見返りを期待せずに与え続けるという世界に生きる、ニップンさん(第21話)やパンチョとサム(第19話)の生き方は素晴らしいと思う半面、どうしても「それってだいぶ損してるんじゃ?」と損得勘定に囚われてしまう私にはハテナがいっぱい。未だに実践するには至りませんし、お金との付き合い方を模索中の私にとって、心地よいバランスを毎日タッチ&トライしながら手探りしています。そんな彼らが日々のプラクティスとして実践していたもののひとつに、ヴィパッサナー瞑想がありました。「何か手がかりがあるかな?」。それが学べる合宿があるとはずいぶん前から知りつつも、朝4時から夜9時まで瞑想三昧の10日間だと言われてひるんでいたのですが、「とにかくまずは体験してみるのがいいだろう」と参加してみることにしたのです。車&免許ナシの私。合宿場まで連れてって!向かった先はカリフォルニア州北部、バークレーから2時間ほど車を走らせた街にあるNorthern California Vipassana Center(北カリフォルニア・ヴィパッサナー・センター)。センター近郊は、ワインの産地として有名なソノマ郡やナパ郡、大麻農場があるという(!)メンドシーノ郡なのですが、合宿前日に大きな山火事があったため、最短ルートの道路は閉鎖。回り道をしながら向かいました。ちなみに、私には車も免許もありません。そこで、参加者のみが見られるメッセージボードに書き込みをして(例えば私はどストレートな書き込み。”I need a ride because I don’t have a car. Thank you! [車が無いので、乗せてもらう必要があるんです。ありがとう!]” )、「乗せてくれる人」と「乗せてもらう人」の間で直接メールのやり取りをした結果、私は無事、エムに乗せていってもらえることになりました。エムは大学卒業後に投資会社のインターンを1年勤めた後、プログラミングの勉強をし直してプログラマーとして現在サンフランシスコにあるオフィスに勤務して5年目。ヴィパッサナー瞑想は7回目だという28歳の好青年でした。親の意向もあってアメリカ東部にある名門大学でビジネス(会計学)を学んだけれど、哲学に興味があって学生時代からいろいろと読み漁ってきたのだとか。「あくまでも僕にとってだけど、哲学は頭の中の遊びみたいなもので、何の体感もできなかったんだ」。その後ヴィパッサナー瞑想に出合い、そのパワフルさからどんどんハマっていったんだそうです。(ちなみに乗せていってもらったお返しは、ガソリン代を払ったり、ランチをごちそうしたりというカジュアルなものでOK。エム曰く、過去にヒッピーの子を乗せてあげたとき、「私お金が無いんだけど、スペシャルなチョコレートを持っているからそれをお礼にあげる!」とくれたことがあるとか。それはマジックマッシュルーム入りのチョコレートだったようで(笑)「サトシ・コン(今敏監督。こちらでは宮﨑駿監督とともにアニメーション界の巨匠として大人気)の映画を観ながら食べたんだけど、あれは良かったなぁ…。キミも持ってる?」と笑っていました)。参加費は任意の寄付制(ダナ)です。センター到着後は、名前や住所、生年月日や瞑想歴などについて簡単な情報登録をしたのち、貴重品、携帯電話やPC(外部とのコミュニケーションは一切遮断)、メモや本のたぐい(合宿中に文章を読んだり書いたりもNG)を預けます。そして軽い完全菜食の夕食をいただいた後にオリエンテーションが。説明によれば、センターは完全ボランティアで運営されていて、瞑想の疑問に対して答える先生、関わるスタッフ全員がこの瞑想の実践者で無償の奉仕活動を行っていること。参加費は任意の寄付制で、払う金額はもちろん、払うかどうかも自由意志に委ねられている。そして、今回の私の参加費用は私の前に参加した人たちからのギフト(ペイ・イット・フォワード(先贈り制度))で賄われていて、私が寄付をした場合は、それは次の参加者への贈り物になるのだと説明を受けました。オリエンテーションの後は、男女が完全にわけられ、ダイニングルームの真ん中にビシっとカーテンが引かれます。「じゃあね、また10日後に」とエムと別れ、ノーブル・サイレンス(聖なる沈黙)がスタート。ここから瞑想中に疑問が湧いたときに質問できる先生やマネージャー以外の誰とも話せず、アイコンタクトやジェスチャーのたぐいも禁止です。それぞれが自分の心の奥深くまで向き合っていくために外部とのコミュニケーションを一切遮断するというのです。鼻から上唇までの三角地帯に集中せよ!ちなみにこれからお伝えする内容は、合宿中にメモをとれなかったので全てうろ覚えの記憶を辿ったもの。また、エムによれば各自の体験が個別に異なるだけではなく、個人間でもリトリートごとに変わるんだそうです。だからみなさんの体験は、私が書いたものとは全然違うものになる可能性が大ですので、「土居彩はこんなふうに感じたんだ」ぐらいに捉えてもらえれば。10日間(正確には到着日と最終日を含めて12日間)瞑想をし続けるのですが、その内容は大きく3部にわかれています。本格的なヴィパッサナー瞑想に入るまでの第1部は、まず鼻腔と上唇を結ぶ三角地帯に意識を集中し、その場所に吸う息や吐く息が流れていく様子を観察しなさいと指導されます。これが簡単そうに見えて、全然集中できないわけです。思考は予想外なほどに暴れん坊で、三角地帯の息のことなんてそっちのけになってしまうんです。まず、私の頭の中をハイジャックしたのはマガジンハウス勤務5、6年目ぐらいのときのエピソード。出産祝いのために、同じデスクのみんなで上司のご自宅にお邪魔したのですが、そのときに上司から言われた「おむつ代もバカにならないんスよ〜」というひと言が頭のなかでずっとずっとリフレイン。吸う息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。吐く息に集中しては、「おむつ代もバカにならないんスよ〜」。自分でも首をかしげてしまいました。だって今の私、シリアスな話、「これからどうして生きていくの??」と人生や将来設計について、考えなきゃいけないことは山積みなのに。「…え、今、ソレ?!」ですよ。しかしその後も、ほぼ忘れきっていたような一見今の自分の人生とは全く関係ないようなエピソードが雪崩のように押し寄せてきました。それが3日ほど続き、「いかんいかん、三角地帯に」と意識を戻すという日々でした。そしていよいよ、合宿第2部のヴィパッサナー瞑想がスタートします。辛い! 痛い! 瞑想ができなくて、森の中ひとりで大泣き。私が体験したヴィパッサナー瞑想とは何か? 誤解を恐れず私の理解の範囲で超シンプルな形で説明すれば、全身の感覚をくまなくスキャンして、体の部位がどう感じているかを第三者的な視点で観察するという瞑想法です。つまり、頭のてっぺんから足先まで5cmずつぐらいの範囲を各2分ほどの間隔でスライドさせながら、「くすぐったいな」とか「しびれて痛いな」とか「痛みの中心は、熱を帯びているな」といったように注意深くみていくんです。そのうえで抱いた感覚に反応せず、ただ傍観者のように客観的なスタンスを保つというのがポイント。なんでこんなことをするの?! 指導するS.N.ゴエンカ氏によれば、感情というのは必ず感覚とセットになっている。快・不快に繋がる心地よい感覚も嫌な感覚も究極的には同じ性質を持っている。それは現れては必ず消え去っていくというもの。必ず移り変わっていく存在(感覚)を永遠に変わらないものだと錯覚を起こし、良い感情(感覚)に強く執着し、不快な感情(感覚)に嫌悪を抱いて避けようと逃げまどうというのが私たちの性。その結果、常に外側の現象に左右されすぎて、心の平穏や幸せを保てないのだといいます。その真理を頭のなかだけで知識的に理解するのではなく、それぞれの身体感覚を使ってリアルに腹に落とし、経験に基づく理解を持とうというのです。ヴィパッサナー瞑想中は、なるべく姿勢を変えないようにと指導されます。これが、信じられないぐらい辛い! 私の場合、右のふくらはぎと臀部がありえないほどに痛み、脂汗まで出てきました。「おむつ代も」のフレーズはもはや頭に浮かばなくなりましたが、「痛い痛い痛い痛いイターーーイ」の無音の叫び声で体中がいっぱいに。「全然、痛みが去っていきませんけど??」と痛み(不快な感覚)に抵抗し続け、瞑想が終わる前のサイン、まさに戦い終了のゴングのようなゴエンカ氏のチャンティングが始まるころには気絶寸前。「やっとこの苦しみから解放される……」と瞑想が終わるのを心待ちにしながら、チャンティング終了後は戦いを終えた戦士のようにぐったり。就寝前に暗がりのなかで着替え中、脚が青アザだらけになっているのを発見して、”痛い” という感覚がまぎれもないリアルな現実であることを目の当たりにして、ギョッですよ。我慢大会のような毎日を過ごすうちに、いったいなんのために瞑想しているのかよくわからなくなってきました。でも、決めたからにはやりきるしかない。ところで瞑想中に、順番に先生に呼ばれて「感覚を感じられますか?」「どんな感じがしますか?」とたずねられる、Q&Aの時間があるんです。すると、みんなすらすらと「頭の先に空気が触れて、くすぐったいです」とか「鼻腔へ出ていく息は温かく、入っていく息は冷たく感じます」などと答えていくなか、「あなたはどうですか?」とたずねられて。「どんな感覚にも反応せずに平穏さを保てと言われますが、”右のふくらはぎがしびれて痛い!” という思いが私の体と心の全てをジャックして、ほかの微細な感覚なんて感じられません。そこで瞑想で平穏さを得るどころか、他の感覚を感じられない自分を責めてしまい、不安な気持ちやがっかりした気分になってしまいます」と正直に答えました。ちなみにこのQ&Aの時間、いつも私だけが「できない」「よくわからない」「そうは言いましても」という意見を投げかけていました。そんなヴィパッサナー瞑想劣等生の私に対して、先生は常に優しく微笑み答えてくれたんです。「痛みの芯にある性質をよく観察してみなさい。それは熱なのか、圧なのか。フラットな気持ちで調べてみるんです。するとしだいに去っていきますよ。そして、感覚が感じられない部位があったときは、『そうね、感じられないね』と優しくただ認めてみて」と。休憩時間のあいだ、私はサムにアドバイスしてもらったようにひたすら体を休めて寝るか(私の場合、座って瞑想しかしていないのに寝ても寝ても寝られるぐらいよく眠れました)、森を散策していました。森のなかにお気に入りのスポットがあって、そもそもはテントを張るためのウッドデッキなのですが、その上に寝そべりながら木々から覗く太陽を下から眺めるのが好きだったんです。デッキの上で大の字になって試しに目を閉じてみて、頭の先からどう感じているのか再びスキャンしてみます。「やっぱり、感覚がわからないな……」とガッカリして、先生に言われた言葉を思い出します。「そうね、感じられないね」「でも、いいんだよ」「完璧にできなくても、いいんだよ……」と自分に話しかけるように言ってみると、森のなかで木々に包まれていることもあって、涙が溢れてきました。思えば、会社を辞めてからずっとこのレッスンを繰り返しているような気がします。期待どおりに物事を進められない自分に落胆して、焦って、憤って。最終的には、満足にできない私を認めたうえで自分のペースで一歩一歩前に進むことを赦すという作業です。結局何をしていても、どこにいても、取り組むべき同じテーマがやってくるんです。坐布を選び抜いて、痛み対策。私のクッションキャッスルへようこそ。森のなかで泣いてスッキリした後、瞑想に集中するために、まずは自分のできる対策をしようと決意。坐布ひとつで坐禅を組むほうがカッコイイけど、今の私には無理! そこで瞑想のたびに合宿場にある豊富な坐布やクッションの吟味を重ね、ついに理想のコンビネーションを発見。私の席には、右脚、左脚、臀部それぞれの高さにカスタマイズした3つの塔がそびえ立ちました。これだけやってもひどく右の脛が痛む場合もあって、そのときはじっと観察します。感覚をスキャンし続けているうちに、この痛みは臀部の筋肉の硬さを補う姿勢のとり方からきていると感じました。そして私の場合、「できない」とか「怖い」とか、外部の現象に対して心が緊張すると、肩と臀部の筋肉が硬くなることも。そのうえでわかったのは、食べる量を減らすと痛みが楽になるということ。そこで、完全菜食の食事はとてもおいしかったのですが、腹7分目ぐらいに留め、昼以降は一切何も食べないようにしました。洋服もなるべく軽くて締め付けないものを選ぶようにし、「できない」ことを優しく受け入れる。そう繰り返しているうち、到着8日目の就寝前にふと気がついたんです。寝る前に浮かぶあれやこれやが、全く頭のなかに無く、空っぽだということを。「何にも考えることが無い!」。「私の抱える悩みって、そもそも存在しないものだったのかも……」。ものすごい爽快感と同時に、ちょっとした恐怖感さえ感じました。第3部は、メッタという愛と慈悲の瞑想を教わります。ただあるものをあるがままに見て、感じることで、古い思考パターンや心の汚濁を掘り起こすヴィパッサナー瞑想。過去のパターンを掘り起こして穴ぼこになった心の傷口に塗る薬となる瞑想なのだというのです。「意識してか意識せずか、私を傷つけた人すべてを許します。意識してか意識せずか、私が傷つけた人すべてから私が許されますように。生きとし生ける者すべてが幸せで、平和で、本当の自由を得られますように」。「Be Happy (幸せでありなさい)……」「Be Happy……」。メッタ瞑想をリードするゴエンカ氏のチャンティングを聞いているうちに、左目からツーっと静かに涙が出て頬を伝いました。瞑想後に聖なる静寂(ノーブル・サイエンス)は解かれ、初めてルームメイトや参加者たちとおしゃべりをします。ヨガの先生で同僚に誘われてやって来たという人、医療に従事していたが今月仕事を辞めたばかりで自分を見つめにやって来たという人、さまざまでしたがユニークな夫婦にも出会いました。モンゴル人の2人は一年の半分をモンゴルで働いて暮らし、半分はアメリカのこのセンターでボランティアしているというのです。奥さんから「あなたは何をしているの?」とたずねられて「いったい、何をしているんでしょうね? 自分でもよくわかりません、ハハハ」と答えると、「アヤ、あなたにはパートナーがいるの?」と突然聞かれました。そこで「いいえ。今は自分の成長にフォーカスしていて。今の私じゃ、きっと誰ともうまくいかないから」と答えると、「完璧にならないとパートナーシップが築けないというわけじゃないのよ。一緒に成長していけばいいの。私と夫もお互いの成長を助け合っている。ときにはどちらかが成長するのを待ったり、サポートしたり。大抵は私が助けてもらう側だけど、笑」。そういうものなのかなぁ……。自覚している以上に一度離婚してしまったこと、離婚後のボーイフレンドともあまりうまくいかなかったこと、好意を持たれても長続きしないこと。それらに私のものの見方(=今の私のままでは、愛されない)が重なって、自分の心を守るために独りで居ることを課していたのかもしれないなと思いました。合宿終了後は有志で片付けなどを行うのですが、私はメディテーションホールの掃除を行いました。クッションや坐布を整頓することとなり、「ずいぶん助けてもらったなぁ」と汗だくになりながら自然と感謝の気持ちが溢れてきました。掃除が終わるまで待ってもらって、帰りもエムにライドしてもらいました。「ヴィパッサナー瞑想の後って五感が鋭くなっているから、音楽を聴いたらすごいんだよ」と言われ、私のお気に入りのサンフランシスコを拠点に活動するミュージシャン、TYCHOのElsewhereを車の中で大音量で一緒に聴いてみました。何も話さず、ただ景色を見ながら音に耳を傾けます。しばらくすると「ねぇ、変な質問するけど、キミってシングル?」。たしかに今はシングルだなと思い、「イエス」と答えると、「あぁよかった。なんでこんなこと聞くかわかる?」とたずねられ、「ノー」と答えました。すると、「この合宿の前にデートしていた子がいたんだけど、先週『私、結婚しているの』って言われたんだ。ビックリしたのと、ちょっとショックで。だから、ちゃんと聞いとかなきゃって思って」と言われ、「I see…(なるほど)」。「たまに、一緒に出かけるのってどうかな? あ、きっとキミは結婚するなら日本人の男性のほうがいいだろうから、シリアスに考えなくてもいいんだ。僕はバークレーにきてまだ1年ちょっとで友だちもあまり居ないし。そうだね、うん。だからキミに時間があるとき、キミが出かけたい場所に一緒にいけたらなって」。瞑想の後だからか、エムが言っていること(外部の刺激)と自分の間に空間があるような感じがして、すぐに反応できません。またひと回り年下の男子に誘われると、どうしてもバークレーのトラウマがやってくるのもあって(ひと回り以上年下の同級生に告白され、付き合えない理由として年齢を言った途端、化け物を見るような感じになって挨拶さえされなくなった)ぎこちない空気が車内を流れます。前と違うのは、ヴィパッサナー瞑想直後で感覚が鋭くなったせいか、肩とお尻の筋肉が硬くなっているのがわかる点です。さて、どうなるのでしょう?See You!※車の写真:日の出から15分ぐらい経った時間の、バークレーの空が一番好きです。※部屋の写真:部屋はカーテンで区切られ、ベッド、ライト、ハンガーなど必要最低限のものが揃います。シーツや寝袋は持参します。※森の写真:森のなかで山火事から逃れてきた親子の鹿と遭遇しました。息を潜めて見つめていましたが、「もっと見たい」という執着的な意識になった途端、母鹿に気づかれ、去られてしまいました。※坐布の写真:瞑想3日目には坐布やクッション、ベンチが棚からすっかり無くなり、その後再び増え始めました。直接コミュニケーションできないけれど、みんなも試行錯誤しながらベストな組み合わせを研究中なのだなと間接的にわかって、同志的な気持ちが芽生えました。
2018年01月06日カウンセラー・ピィーのもとでエネルギー心理学を学ぶことになった筆者・土居。二回目のクラスでは幸せを阻む有害な思い込みとネガティブな感情をセットにして解放するという心のツボ押し、タッピング療法・EFTを学んできました!写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 59【第59話】指でトントン、心のツボ押し。EFT(イー・エフ・ティー)で嫌な気持ちを吹きとばせ!「どうしてダメな部分も含めたありのままの自分を受け入れられない?」。心理学の世界でもセルフ・コンパッションといいますが、「私は良いところも悪いところもあるひとりの人間です」と、ありのままの自分を受け入れられる人は、自虐的になったり、無理に自分を正当化するのではない形で、過ちや自分の至らなさと向き合え、自己改善するためのモチベーションも高まるのだそうです(Briens & Chen, 2012)。前回の授業では筋反射テストを用いながら、幸せを阻む思い込みの出処を突き止め、解放した結果、アララ情緒不安定になってしまったというワタシ。エネルギー心理学以外にもクンダリニー瞑想、さらにはスティーブ・ジョブズに多大な影響を与えたというヨガナンダ師のアシュラムでクリヤ・ヨガまで始めてみたりと、まさに人体実験状態。あれもこれもと欲張りになった結果、ごった混ぜでプラクティスしていたのもよくなかったのかもしれません…。※第58回の記事授業第二回はまず、報告からスタートしました。つまり、授業の翌日に青竹入り羊羹のようにズルンッと体から何かが抜けていったこと。その後2週間ほどひどい落ち込みを経験したが、今はニュートラルな状態だと伝えました。そこから何を学んだか、とピィーにたずねられ、「究極的には、自分の完璧じゃなさを認めて、それをギフトだと思えるようになりたいんだなということです。誰かに愛されることを期待する前に、まずダメな部分も含めたありのままの自分を認められるようになりたい。そのうえで人間として成長していきたいです」と言うと、ピィーが感激した様子で両手を胸の前で組み合わせ、「潜在意識からの願いを受け取りましたね!」とひと言。そして「完璧な人なんてこの世には誰もいないのよ」と優しく諭されました。「……でも、どうしても私以外の人はみんな、私よりもずっと幸せで、ずっとマシに見えてしまいます」と言うと、ピィーが温かく見つめてくれます。EFT(イー・エフ・ティー)ってナニ?「では今日はあなたにEFT(イー・エフ・ティー:Emotional Freedom Technique)を教えるわ。不要な思い込みだけではなく、それにひっついたネガティブな感情も両方いっぺんに解放させていきましょう」と、ピィー。EFTとは、タッピングを用いた感情解放テクニックなんだそう。人差し指と中指の2本の指先を使って体にある、感情をリリースするというツボをトントンと軽く叩いていきます。開発者のゲイリー・クレイグはスタンフォード大で工学を学び、牧師出身という、心理学者でもなく、カウンセラーでもなく、全く心理学畑とは異なるバッググラウンドの持ち主。さて今回習ったのは、彼が開発した公式EFTをそのまま用いるのではなく、ピィー流に少しアレンジを加えたという方法です。叩いていくツボはイラストの通り(稚拙な手描きイラストでスミマセン……)で、以下のテキストにあるステップで行って。感情解放のためのピィー流・EFTタッピング場所1.眉毛の生え際(眉下)。→2.目の横(目尻側)。→3.目の下。→4.鼻の下。→5.あご。→6.鎖骨(の下)。→7.胸の中心(※ピィーは少し上めをタップしていた)。→8.脇の下。→9.胸の下。→10.頭頂。→11.親指の先。→12.人差し指の先。→13.中指の先。→14.小指の先。→15.空手チョップポイント。※1,2,6,8,9は、両手で左右同時にタッピングする。※手(11〜15)に関しては、左手からでも右手からでもどちらから開始しても良い。※タッピングの回数は各7回が目安。※但し、場所や回数は絶対これを守るべきというよりも、自分の感覚に従いアレンジして。口に出して言うフレーズ。タッピングしながら、嫌な気持ちやつらい気分になる現状、そしてそこで抱く感情について言及し、でもそんな自分でも受け入れると宣言する。例えば、「私は〜(自分のネガティブな状況)で悲しいけれど(否定したい感情)、私は私を完全に受け入れます」というようなイメージ。「さぁ、あなたは今どんなことでネガティブな気分になりますか?」とピィー。「うーんと…。あ、じゃあ、パートナーがいないというのはどうでしょうか?」と答えます。「では一緒にタッピングしながら言いましょう。『私にはパートナーがいなくて自分が至らない気持ちになるけれど、私は私を完全に受け入れる』」。え、マジですか?! それ、言うの? ヘラヘラと苦笑いをしていると、「グサッときているということは、解放するべき思い込みと感情の的が絞られているということですよ。さぁ!」と促されます。スパルタ! もう私はまな板のうえの鯉……。そこで、ピィーと一緒に「私にはパートナーがいなくて至らない気持ちになるけれど、私は私を完全に受け入れる」と声に出して眉の始点を軽くタップし、「私にはパートナーがいないけれど〜」と言っては目の脇をトントンと叩き、「私にはパートナーがいない〜、受け入れる〜」と脇の下をタッピング。「どんな感じですか?」とピィーに尋ねられ、「めちゃくちゃ恥ずかしいです!!! でもなんか、この状況の面白さのせいなのか、感情が解放されているせいなのかは正直よくわかりませんが、不思議と楽しくなってきました、笑」と解答。あらゆる不良債権を明言し、「でも私を受け入れる〜」と叫ぶ日々。この日はありとあらゆる私の抱える不良債権を口に出しては、「でも私は私を受け入れる〜」とタッピングし続けて90分の授業が終了。「私は毎日これを50年続けていますが、強い思い込みと感情解放の効果を感じていますよ。だまされたと思って、次の授業まで毎日やってみてください」とピィーから宿題を出されました。そこで真面目に毎日やっています。「私は無職のプー太郎で無力感を感じるけど、私は私を完全に受け入れます〜」「私は引きこもっているばかりで誰からも必要とされていないと悲しくなるけど、私は私を完全に受け入れます〜」といった具合に。英語でやるとハウスメイトに聞かれた場合、超絶恥ずかしいので、日本語で心置きなくたっぷりと行えるのはラッキーでしたね、ハハハ。より現実と向き合うために私は鏡を見ながら行っていますが、なんかこのタッピングのツボ、血行がよくなるのか、肌艶がよくなってきたような…(気のせい?)。せっせとEFTを真面目にし続けた1週間後ぐらいでしょうか、交際を申し込まれたんですよ。偶然かなぁ? あんまりよく知らないし、お互いに話も噛み合っていないように感じていた方から突然のことだったので丁寧にお断りしましたが。でも金ナシ、職ナシ、なんにもナシな私だけど「交際してみたい」と思ってくれるなんて、単なる珍獣狙いだったのかもしれませんが、非常に有難かったです(合掌)。「パートナーがいなくて虚しいけど、そんな私を私は完全に受け入れる〜」とピィーと叫び続けたEFT効果で芽生えた雑草感がにじみ出て、恋心というよりもむしろタフさを買われたのでしょうか…(うん、あんまり考えるのは止めよう……。良い出来事なのに、私の信念体系のせいで、また落ち込んでしまうから)。私の尊敬する禅僧・ティク・ナット・ハン師が彼の著書『Understanding Our Mind』のなかで意識についてこんなふうに説明しています。「子どもの頃、雨水貯水槽の底に美しい葉っぱを目にしたんです。手を伸ばして拾い上げようとしても、子ども時分の私では腕の長さが短くて届かない。そこで葉が表面に浮き上がってくるように、棒を使ってぐるぐると水をかき混ぜてみたのですが、葉っぱはなかなか浮き上がってこない。待つのもくたびれてしまったので、棒を投げ出し、遊びに行ったんです。そして10分後、貯水槽のところに戻ってみたら、葉が水面に姿を現していたんです。私が去ったあとも、水はずっとかき回り続けて、その動きが葉っぱを浮き上がらせたんですね。私たちの意識もそのようなもの。マインドから『こうしなさい』と命を受けたら、その後ずっと日夜それに取り組むのですよ」。この言葉からは、大変勇気をもらいました。つまり、「なかなか手放せないなぁ…」とがっかりするような根深いネガティブな思い込みや否定的な感情も、「解放するんだ!」という強い意志を持って意識に訴えかけたその日からずっと。私たちがタッチできないような深い深い潜在意識にまで働き続けて、いつの日かきっと置き換えられるのかもしれませんね。See You!街路樹:バークレーの通りを歩きながら街路樹を見上げると、宝石みたいな世界が広がっている。EFTのタッピング場所:胸の中心(6の場所)をトントンと叩くと少し刺激が強すぎると感じる人は、タッピングの代わりにさすってもいい。ちなみに私にはここが一番感情リリースと繋がる場所みたいです。人によってピンとくる場所もタップに必要な回数も異なるので、タップしながら自分の感覚とつながってみて。PUBLIC BIKE REPAIR SHOP:バークレーにある、自転車の中古部品を販売したり、無料で修理の方法を教えてくれたり、道具を貸してくれる場所。青少年が中古部品を組み立て修理した自転車も販売する。SEE YOU!「なんで私のアメリカ生活、我慢比べみたいになっているんだろう?」。EFTで感情を解放し続けた結果、避けられない苦労はあるけれども苦しむために生きているワケではないと痛感し、封印していたかわいいもの好き心が爆発! お店でひと目惚れしたヴィンテージ・メキシカン・ジュエリー。「これは絶対重ねづけしたらカワイイけど、2個は買えません…涙」と返却すると、「その通りね!」と店主が1個プレゼントしてくれた。
2017年10月05日ダライ・ラマ14世も言っています。私たちの人生の目的は幸せになることだと。でもお金があるとか無いとか、恋人がいるとかいないとか、そういう外側の状況を条件にしてしまうと、幸せとはとっても不安定なものに。さらには周りのことを気にしすぎた結果、自分だけの幸せセンサーも鈍っているかも?!そこで、エネルギー心理学で深層レベルに潜む、破壊的な信念体系にアプローチし、幸せを阻む思い込みを解放する方法をお伝えします。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 58【第58話】ピィーのエネルギー心理学①。幸せを阻む、不要な思い込みとさよならする!ただ今唯一の社会との接点であるUCSF Osher Center for Integrative Medicineでのインターン業務は現在、データ結果を個別に自宅作業で分析するということで、ますます家に引きこもりがちな今日このごろ。人との触れ合いはといえば、シャワールームで鉢合わせをしたハウスメイトと「ハイ」とひと言交わすぐらいで、ほぼ声帯を使うこと無く1日が終わる。オークランドにある洒落たセレクトショップに勤める隣室のハウスメイトは「明日から3週間旅行に行ってきま〜す♡」なんて日々エンジョイしているというのに、なぜ私はこんなに内向的で暗いのか。…暗い、暗すぎる! どうして、いつもひとりでいることを選んでしまうんだろう…? 誘ってくれる人が居ないわけじゃないのに。特に差し迫った予定も無いのに「今日はちょっと…」なんて言って、引きこもってしまうのだ。あぁ、暗い…。そんな筋金入りの出不精な私を友だちがお散歩がてら訪ねてくれたので、部屋でお茶をしながら久しぶりの談話♡ お互いにメタフィジカルな世界に興味があったということで盛り上がる。「編集者時代いろいろ頁を作ってみたんだけど、どうしてもフワッとした感じになっちゃって。はっきりとした論拠を言い切れない世界だから、なんか占いとかおまじないっぽい感じになったり。逆にお坊さんとかに瞑想について語ってもらうと説教臭い、宗教臭いって引かれちゃったりね。だから科学的根拠がとれるもので一番理数系から遠くてOKなものって考えたら心理学かなって思って勉強してみたんだけど、瞑想しながら自分の心の動きを観察していると、感情とか肉体(脳)とかってレベルだけでは捉えきれない部分が多くて。じゃあ何を学んだらいいのかっていうのは未だわからなくって瞑想だけに迷走中(おやじギャク……)」と心の内を吐露した。すると友だちがゆっくりと深く頷きながら、「ねぇ、アヤちゃん。まず、ドンズバ気になるところを突き詰めていってみてもいいんじゃないかな」とひとこと。彼女は超高学歴、エリート研究者だったが、今はそのあたりから完全に突き抜け、全くの別世界で羽ばたいている。まぶしい……。「なんか怖いなぁ…。それ、やりきったところで使い物にならなさそうで」と言いながら現状を振り返ってみると、どのみち世間で役立つ人間ではないというアテクシ。「行き着いた先で、得た素材たちをどう変換するかを考えたらいいんじゃないかな? 編集者だったんだし、そういうの得意でしょ(笑)」。彼女のアドバイスはとてもクレバーで、核心をついている。「あ、そうだ」と、ちょうど翌月から彼女のカウンセラーが月に二回のペースで、エネルギー心理学のクラスを始めるという。「一緒に勉強してみない?」と誘われ、一か八か飛び込んでみることにした。エネルギー心理学って?エネルギー心理学のクラスが催されるという指定の場所、オークランドにあるクリニックをたずねると迎えてくれたのは、ほっそりとした真顔も笑顔なピィーだった。彼女はJohn F.Kennedy大学で心理学のマスターを取得したカリフォルニア州認可セラピストであり、ヒーラー。シータヒーリング(脳波をθ波に合わせ、無意識下の思考を癒し解放するとされるヒーリングメソッド)、TAT(体の部位を軽く指圧しながらネガティブな感情やトラウマを消し去るとされる代替セラピー)、DEH(シャーマンの智慧、エネルギー心理学、心理学を組み合わせた代替療法)など、エネルギー心理学をベースとしたワークのインストラクターでもある。「まず始めに、エネルギー心理学って、何だと思いますか?」とピィー。「うーん……。例えば原因不明の腰痛で悩んでいて病院を訪ねたら「ストレスです」と診断されたとしますよね。鍼灸だと肉体を媒介にして症状にアプローチし、心理学だと思考や感情を糸口に働きかける。エネルギー心理学は、私たちを形作っているさらに本質的な領域、無意識下のもっと深いレベルまで踏み込める治療法なのかな…と漠然と思ってやってきました」と答える。「良いですね。そしてエネルギー心理学は、鍼治療の経絡理論、神経科学、物理学、量子力学、生物学、医学、シャーマニズムなどの古来の智慧、心理学など、関連する分野の概念、技術を統合して行います。さて今日は何をテーマに学びましょう?」。ピィーの授業スタイルは、決まりきったカリキュラムは無く自由で、あくまでも生徒とのやりとりをベースにした有機的なものでありたいという。「今私が知りたいのは、どうしたら無条件に幸せになれるのかということ。他人や世間の評価や、お金があるとか無いとか大きな家に住んでいるとかいないとかといった外的な条件に左右されず、自分で自分の愛やエネルギーに繋がれるようになりたいんです。スワミ(ヒンドゥー哲学の先生)からは、それは私たちに内在する無限のエネルギーにアクセスすることで、自分のゴミ箱(シャドー)を認めて受け入れた先にあると言われ続けています。「なるほど」とわかっているのに、どうしても「私は至らない」「まだまだこれをしなければダメだ」という思考が邪魔をして、不足感の中で生きてしまいます。この要らない思い込みを手放さないと幸せを感じられないとわかっているのに、過ちを繰り返してしまい、実践するのが難しいんです」。ピィーは大きく頷きながら「では不足感と逆のもの、豊かさとあなたが繋がった場合、どんな怖いことが起こりうると思いますか?」とたずねてきます。さすがカウンセラー、良い質問!「他者からの妬みです」と、意外にも即答する私。そんなふうに思っていたんだ、私ってば…。「人から妬まれたら、どんな恐ろしいことが起きますか?」。「つまはじきにされて、ひとりぼっちになってしまいます」と返事をしたら、胸がキリリッと痛んだ。「でも……今豊かさの感覚とつながっていませんが、どのみちひとりぼっちですね」と自分の計算式の矛盾に気づくと、ピィーがにっこり。有害な思い込みが潜む、4種類のレベル。ピィーの笑顔に安心し、私は続けます。「苦しみを体験すると、”なぜこの人とわかりあえないのだろう“ ”どうしてこんな気持ちになるのかな“ ”どうしたらこの心の痛みを変容できるのか“ と考える機会が持てます。今この授業を受けているのもそうですが、それは私が学び続けることへの原動力にもなっていて。また、辛い経験をすることで気づきの幅も広がり、少し優しくなれるようにも感じます。元来ナマケモノなので、豊かさに繋がったり幸せな状態になると勉強も、努力もしなくなる。そうなってしまうのが怖いというのもあります」。なるほど、「至らない」「不十分だ」という自覚の奥には、苦行を乗り越えてやっと願いを叶えることこそが素晴らしい、という私の信念もあるのだ。それに対してピィーが「でも、学びの動機が単なる好奇心というのでもいいでしょう? それから苦しみを知らないと人を幸せにできないって、では笑顔で癒してくれる赤ちゃんはどうなんですか? 思いやりを育むために、痛みや苦労は不可欠ではありません」と、私の不要な思い込みの矛盾をついていく。まさに、その通りだ。無意識レベルから顕在意識下まで、私の抱いている不要な思い込みを浮かび上がらせられたのはいいけれど、いったいその信念体系はどこからやってくるものなのか。そして、自覚しているのにパターンが変えられないのはなぜなのか。「リリース作業を進めるうえで、まずあなたのその思い込みがどのエネルギーレベルにあるかを知る必要があります」と、ピィー。彼女のシータ・ヒーリングを元にした考えによれば、その出処は4つの段階に潜んでいるという。信念体系を形成する4つのレベル1.コア信念レベル:「私は十分に賢くない」「人に迷惑をかける自分は存在価値がない」などといった自分が抱える核となる信念。子供のころから大人になるにつれて他者(親、教師、親しい友人など)や社会によって教えこまれた結果、受け入れてきた考え方で、私たちを形作るエネルギーの一部となっている。2.ジェネティック信念レベル:祖先から受け継いだ遺伝による信念パターン。ネガティブ、ポジティブに関わらず、血族から伝承された思考や行動様式が遺伝子レベルで組み込まれる。このインプリントは物理的なレベルで考えるDNAではなく、DNA形成時のエネルギーとして保持されたものと捉える。3.ヒストリー信念レベル:現世や前世で実際に起こった出来事、思い出が引き金となって抱いた信念。母親の子宮の中での深い記憶も含む。4.ソウル信念レベル:魂レベルの信念。信念レベルのなかで最も深い層に位置し、ハートのチャクラ(胸の中央あたり)にエネルギーが存在する。このレベルにある不要な信念をクリアにすると気持ちが軽やかになったり、平穏な気分になる。「さぁ、あなたの信念体系がどこからやってくるのか、キネシオロジー(筋反射テスト)で診ていきましょう」とピィーに促され、起立。キネシオロジーとは、筋肉を通して本音を読み取るテクニックだ。「背筋を伸ばして真っすぐ立って。両手は肩をリラックスさせて体のサイドに。目を閉じてたずねてください。『Yesのサインを教えてください』と」。結果、私の場合Yesだと体が前方に、Noは後方に傾く様子。ペンジュラム(ダウジング用の振り子)を用いる場合も多いが、初心者にはこれが一番わかりやすいという。Yes Noの筋反射を手がかりにしながら、潜在意識に問いかけていく。「私のこの『ありのままの自分では至らない』という信念体系はコアレベルからくるものですか?」というように、コアレベルからソウルレベルまでひとつずつゆっくりと。胸の中央をさすりながら信念体系を解放すると、涙が。キネシオロジーの結果、私の信念体系は2のジェネティック信念レベルからくるようだ。再び筋反射テスト(今度はピィーがペンジュラムを用いて)を行った結果、父方は5世代前、母方は7世代前と父母両方の祖先から代々受け継いできた、根強い信念体系だという。「あなたのご両親はよくやったと思うわ。なぜってご自身もこのパターンを受け継いでいるけれど、あなたはヒストリーレベルでは体験としてそれを抱えていないから。さぁ、もう手放しましょう」。解放の方法は、ハートのチャクラのある胸の中央あたりを優しくさすりながら目をつぶってアファメーションするというもの。「あなたがたから受け継いできた『私は至らない』『何かであらねば存在する価値が無い』という信念を私はもう受け継ぎません。それらを手放します」。そう声に出して宣言するのだ。私がジェネティックレベルの信念をクリアできれば、最大7世代前の(もしくはそれ以上、つまり兄妹や子孫まで)DNAを共有するすべての関係もクリアされるという。そこで父と母、兄、祖父と祖母と目を閉じて思い浮かべていると、その先の会ったこともない着物姿の人たちの姿もふと浮かんできた。すると、左目からのみ涙がツゥーっと。「どうですか?」とピィーに尋ねられて、目を開けるとクンダリニー瞑想中にいつも体験するのと同じように視界が、紗がかかったようにふわっとして強い光に包まれている。「彼らの悲しみがハートに直接伝わってきました。ひどく不憫に感じ、『あなたたちは十分にやってきた。もう苦しまなくていい。みなさんが居なければ、私は存在できなかった。だから、本当に有難うございます』と伝えました。どうしてこんなに精一杯やってきた人たちが自分を責め続けなければならないのか。その苦しみを取り去ってあげたいと思いました。彼らに対するあふれるような感謝の気持ちが湧いてきて、そしてもうこの信念体系による痛みや苦しみを次の世代に受け継ぎたくないとも」と答えた自分が、普段よりもどこか凛としていて、うまく表現できないのだけど…。私が目の前のピィーを見ているのだけれど、私以外の誰かが私の目を使って彼女を見つめているような、そんな不思議な気分になった。まるで青竹入り羊羹。何かがズルンッと抜けてった!その翌日、とても奇妙な体験をする。気絶しそうなぐらいに眠かったので、目の前の全てを中断し、とことん寝ることに。すると眠りながら激しい悪寒が。私は神社やお寺にいった翌日に高熱を出すことがあるので『また、あれか……』と思いつつ、『明日プログラミングのワークショップ、朝からあるから困るなぁ。まぁ、仕方がないか。身を委ねます……』と考えていると、何かがズルンッと体から抜けていった。青竹入りの水羊羹ってありますよね、アレみたいな感じ、笑。かなり深い睡眠だったのだけれど、体験したことのない異変に「な、なんじゃコリャ」と思わず目を覚ましたぐらい。その体験の後1週間ぐらいは、ものすごーーーーーーーーーく、気分が落ちた。「おいおい、エネルギー心理学って大丈夫なのか。タッチしちゃいけない領域まで入ってしまったのでは」と正直不安になったけれど、ピィーは信頼できるカウンセラーだと感じたので、落ち込みに抵抗せず、ちょっと離れて観察してみることに。そこでなるべく緑をみたり、寝たいだけ寝たり、部屋を掃除したり、ピィーにもらったアロマオイルでマッサージしたり、フレッシュなフルーツを食べたりとなるべく穏やかに過ごした。すると少しずつ気分も回復していき、ニュートラルな状態になった、2週間後。二回目のピィーのエネルギー心理学の授業へと向かったのです。See You!写真:doTERRAのオイル授業のあとにピィーにプレゼントされたdoTERRAのエッセンシャルオイル、White Fir。世代間の思考パターンを顕在化させ、クリアしていくという。1日に二度、胸の中心に数滴塗布する。写真:Blue Bottle CoffeeのカプチーノGreater Good Science Centerのインターンを辞めた後、カナダ在住の編集者がバークレーに来るということで誘われてお茶を。「実は履歴書見た時点から、なんでこんなにいろんな資質がある人がこのポジションに応募してきたのかなって疑問に思っていたのよ」と言われ、「えっ、そうだったのー?!」。他人が自分のことをこう評価しているはずというのも、自分の信念体系という色眼鏡から判断したもの。だから実はそれって真実じゃないのかも。写真:蜘蛛の巣ハウスハロウィーンが近くなると、お化け屋敷デコレーションをするお家がちらほらと。遊びゴコロがあって、良いですよね。見習いたい。See You!今年3月、バークレーClaremontにできたヴィンテージショップにて。「欲しい」「いや、買い物なんてしている場合じゃない」とせめぎ合う心の内がちょっと不安な表情に出ているなぁ。
2017年09月30日大学院へのチャレンジをいったん保留し、Greater Good Science Centerのインターンも辞め、目指す方向を見失った筆者・土居。父や元カレに指摘されたように、どうしようもない状態になって帰国することになるのだろうか…。貯金残高やビザのタイムリミットもちらつき、言いようもない不安感が押し寄せる。もはや神頼み、「内なる神さま、向かうべき方向を教えてください!」と心のなかで唱えていると、コーヒーショップで隣席に座っていた女性に思いがけず話しかけられたのですが―。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 57【第57話】ゴールはおろか、今何がしたいのかすらわからない。「だったら、4歳のあなたに聞いてみたら?」。最近よくみる悪夢は、貯金が尽きてビザの期限も切れた。さてアメリカから日本に帰国しなきゃいけないのにこのままでは食べていけない。なんのスキルも無く、生活していけないといった内容です。威勢よく父や元カレに啖呵をきったものの、「彼らの言ったとおりの状態になっているなぁ。やはり彼らのほうが人生経験豊富だし、私は世間知らずのバカだったのだなぁ……」と、うなだれたりして。「大変ですね」「頑張っていますね」と言われますが、目指す方向が定まっているときは、やらなきゃいけないことが山積みでもお金が無くても意外に大丈夫なんです。キツイのは、向かうべき場所がどこなのかがわからないとき。本当に自分がやりたいことが何なのかが定まらず、目を向けられないときです。そして、それはまさに今の私。渡米理由だったGreater Good Science Centerのインターンを辞め、あのまま続けていても違っていたとはわかっているものの、ぽっかりと空いた穴は未だ塞がらぬまま。目覚ましをかけずに思いっきり寝られる、バンザーイ!と思っていたのも、つかの間の極楽・約1週間。その後は、言いようもない不安感と無価値観が襲ってきます。貯金には限りがあり、ビザのタイムリミットとともに「早く答えを出せ!」とジリジリ迫ってきて―。でも、ど、ど、ど、どうしたらいいのかわからない……。本音に目を向けること=社会からはみ出してアウト?第34話では、直感カウンセラーのリン・ロビンソンさんにすべてのプロセスを信頼して、とアドバイスされましたが、心理的にそう悠長に構えてもいられないチキンな私。「内なる神さま、ヒントだけでもいいからどこに向かっているのかを教えてください!」。そうぶつぶつと祈りながら、UCSFオシャー・センターでのインターン業務前、データ計算を行うためにコーヒーショップへ。私にはデスクがないので、自宅やコーヒーショップを作業スペースにしているのです。『The Left Brain Speaks The Right Brain Laughs(左脳は語り、右脳は笑う)』というランサム・ステファン博士の本を机に置いて席を確保し、注文へ。いつものお決まり、本日のコーヒーとバナナブレッドを抱えて席に戻ると、隣の席に座っている女性が「それ、おもしろいのかしら?」と話しかけてきました。「あ……これ前にインターンしていたところ (Greater Good Science Center)で借りた本で、まだ12頁ぐらいしか読めていなくて。だからおもしろいかどうかまだよくわからないです。でもややこしい脳神経学の専門用語をうまく説明しているなと思いますよ。なぜですか?」と答えると、「クリエイティブ・ライティングのコースを教えているから、どんなものなのかなってちょっと興味があったの。私はジェイ、はじめまして」。そこで世間話が終わるかと思ったのですが、ジェイは依然としてがっつりと私側に体を向けています。そこで「あ、私はアヤです。この近くの研究機関で体内感覚と感情のつながりについての研究のアシスタントをしています。日本人と日系人を治験者としたものです」。「へぇ、なにかきっかけがあったの? あなたは研究者かなにか?」とジェイが。「いいえ。私は瞑想の実践者なのですが、その体験から自分が思考に巧みに騙されていると感じまして。では、体内感覚はどうだろうと興味を持って、お手伝いすることになりました。でも、この研究に関わりながら、私も含めて日本人にとって体内感覚に繋がるということもまた、難しいんじゃないかと感じています」と話しました。「おもしろいわね。それはどうしてなのかしら?」とジェイ。「”出る杭は打たれる“ ということわざが日本にあるのですが、ご存知ですか?」とたずねると、ジェイが肩をすくめます。「アメリカ人に比べて日本人は集団の和の中で生きています。目立ちすぎないように注意を払い、規制し合って、助け合って、均整をとる。例えばスターバックスのトイレだって、こちらアメリカと違って日本のものは驚くほど清潔に保たれています。でも体というのは個々のもので、誰ともシェアできませんよね。だから悲しみを感じると胸がギュッとするとか、何か釈然としないとお腹のあたりがざわつくといった体内感覚に繋がるということは集合的な価値観から独立した “自分” とアクセスするということ。それは私たちの感情にもつながっていくことだと感じています。でも、そういった体内感覚に敏感になってしまうと、和を保つために “我慢” が重んじられる日本社会にうまく適合できなくなるんじゃないかという無意識の不安やタブーが私たち日本人にはアメリカ人よりもあるんじゃないかなと感じるんです」。「あなたもそうなの?」とジェイが身を乗り出して聞いてきます。「正直を言えば、そうですね。瞑想なんかをやっていますけど、体内感覚につながった結果、抑圧していた感情とも向き合わないといけないので、しんどいですね」。「でも大切なことよ。どうか、あなたの感覚を信頼して、愛情込めて自分を大事にしてあげて」とジェイ。「でも自分を大事にするという感覚がよくわからないです。集団の価値観の中で生きてきましたから、いきなり好きなことをやればいい、何がしたいの? って言われてもよくわからないです」。ジェイがびっくりした様子で聞きます。「それって子供の頃から?」。あるがままの喜びを知るのは、4歳の頃の私。「たぶん、子供の頃は違いました」。「じゃあどんなときに喜びを感じて自分を大事にできているなと感じた? 子供の頃を思い出してみて」。なんと突然ジェイによる公開カウンセリングが始まりました。コーヒーショップで、笑!「祖母の家で、ただひとりで落書きをしていたときですね。それは、完全な安全と安心感のなかで。描いた絵がうまかろうが下手だろうが誰にもジャッジされない。ただ絵を描くのが楽しいから描くというような、その先のことや評価を考えなくてもいい。ただ今やりたいことをやってOKという守られた感覚のときですね」。「それっていくつぐらいのとき?」。「4歳ぐらいかな」。「じゃあ、これから何かをするとき、4歳の頃のあなたに聞いてみたら? これ、本当に楽しい? やりたいの?って」。「でも人生の大切な決断を4歳児にさせるって、だいぶリスキーじゃないです?笑」と私。するとジェイに「だけど、4歳のあなたしか、あなたの喜びがわからないんでしょう?」と言われ、まさにその通り。「でも私たちは学ばないと、知識を得ないと、経験しないと何かに到達できないと考えていますよね? 4歳児の私に比べて、今の私のほうが長く生きてきた分、それが多少あると思うんですが」。するとジェイが優しく辛抱強く私を諭します。「そうじゃないの。外側の何かは確かに論理的に物事を判断したり、整理する助けになると思うわ。でもね、大事なのはあなたの内側の感覚。嬉しいとか、悲しいとか、辛いとか、あなたの心と体が今何を感じているの? それを聞くのよ。そして、信頼して答えを待つの。その結果として、あなたのクリエイティヴィティとも繋がれるの。内側に聞いて待つ。必要なのはそれだけよ」。するとどんどんどんどん私の自我が、ジェイの言葉を受け入れたいのにそれを無視しようと躍起になります。「ただ今を感じるなんて、贅沢すぎませんか? 私はマインドフルネスの実践者でもありますが、いっぽうで “今を生きる” ということに罪悪感を持ってしまうんです。未来や過去に対して無責任な気分がして。ただ自分の感覚とつながって、今を感じるって、それっていいの?って。社会に対して何も還元できないばかりか、自分の人生をも放棄しているようで…」。するとジェイがキッパリと言います。「それは違うわ。今という瞬間にしっかりコミットすることで、過去や未来も獲得できるの。むしろ全てとさらに強く関わり合えるのよ。”ただあなたである“ というのは、人生を放棄して漫然と好き勝手に遊ぶというのとは違う。今に寛ぎ、それを味わうことで、何をあなたが感じているのかを知る。そこから気づきや本来やるべきことに導かれていくのよ」。私たちをもろくするものは、私たちを美しくするもの。初対面にも関わらず90分ほど話し込み、「いつでも連絡ちょうだい」と最後に名刺をくれたジェイ。彼女は作家だった。17歳で子どもを産み、38歳で夫を亡くして未亡人となり、45歳でスタンフォード大学で学士を取得し、孫が産まれた年にフィレンツェへ海外留学。自分より半分以上年下の同級生とともに学んだ、とインターネット上にありました。全く違う部分もたくさんあるけれど、どこか私の人生と重なる部分もある。しかし人の人生にはそれぞれにそれぞれのタイミングとドラマがあるものですね。体内感覚のように誰ひとりとして全く同じ体験は無く、それが美しい。ジェイに会った翌日はインターン業務も無く、完全なオフでした。そこで「よし自分を大事に喜びで満たしてあげるぞ」と、あのカフェに行って名物チャイを飲み、あの映画を観て……といろいろと妄想するも一応、4歳児の私を心の中に思い浮かべ確認してみます。「何がしたい?」と。すると、「家に居て、GREの勉強がしたい」と言うのです。意外!! 実は前日に「いったいこれからどうするんだ?」と、心配したおじからもらったメールにも「今は大学院を目指す意味がわかりませんので、もうGREは勉強しません」ときっぱり返信したばかりだというのに。ビザだってあと2年しか残っていませんよ? 貴重なアメリカ生活、目標も定まっていないのに、部屋にこもって参考書を読んで潰すのーーー?!で、ふと気がついたのです。頁を開くたびに意味不明でため息すら出てしまう、GREの参考書。文章題を解こうとするたびに「私って、救いようのないほどのバカ……」と自己肯定感もひたすら下げてくれる、G・R・E! 今の私にとってGREというのは「やってもムダ」「時間がもったいない」「ムリだ」「結果は出ない」「(人と比べて)今の私って(歩みが遅くて)恥ずかしい」という私のネガティブな自己知識や信念体系を最も顕著に投影してくれる存在だったのです。でも4歳児の私にはただそれを「やりたいからやってみて悪いの?」「結果が伴わなければ、チャレンジしてみたいって気持ちをムシしなきゃいけないの?」「絶対にどこかに向かってないとやっちゃいけないのかなぁ……?」と、なぜ熱意において成功の保証が必要なのかと、疑問でならないのです。そこで、今に集中して完全に不安や思考からフリーな状態になれていたあの頃を思い出してみます。「あぁ、そういうことなのか……」と、とりあえず参考書に向かってみました。今やっていることが何なのか、その先にゴールがあるのかすらも正直わかりません。さらには未だに大学院を目指したいのかもわかりません。でも、結果を手放し今に集中するというレッスンをしているんだなとわかりました。GREというのは単にそれをわかりやすく表現してくれているひとつのフォームに過ぎないのです。この先、これに変わる別の対象物が見つかるのかもしれないし、これこそがその対象物に向かうための必要な過程なのかもしれません。それはまだ今の私にはわかりません。ただ、私の体験からみなさんにもお伝えしたいことがひとつあります。思考にトラップされて、言いようのない不安を感じることがあっても、自分が存在するのに値しないという恐れがあったとしても、助言が必要なときに心を開いて待てば、必ず答えはいつかやってきます。それがいつになるのかはわからないし、その形もさまざま。例えば今回の私のケースのように通りすがりの人の言葉だったり、または友人からのメールだったり、ふと目にした看板のメッセージだったり、耳にした音楽のフレーズや本の一節だったり、です。そして「答えが欲しい」とすがるような気持ちにさせてしまう、心をもろくするものこそ、私たちを美しくするものなのかもしれないとも感じます。See You!猫の写真:愛想笑いなど一切しない近所の猫。でもどうしても友だちになりたくて、おそるおそる近寄ってみたら、くしゃみをされて鼻水をぶっかけられました。自立について学びます。Activistの写真:学生活動家などのアクティビストたちが盛んにそれぞれの意見を述べたり、抗議のデモや集会をするバークレー。トランプ大統領就任以降、『Black Lives Matter(黒人(も白人もみんな)の生活は大切だ)と書かれた紙が貼られた窓を数多く見かけます。正直私はどこかいつも取り残されたような気分になります。なぜだろう?Bouquet marketの写真:CAVIER & CIGARETTEのオーナー・ブロンディに誘われて足を伸ばした、ブーケ・マーケット。バークレー 4th streetで定期的に行われる感度の高いマーケットで、デッドストックショップや新参デザイナーのジュエリーや家具などが揃います。SEE YOU!週一で友達に教えているヨガでの一コマ。これが公園だというのだから、すごく贅沢。バークレーの豊かな自然にはいつも深い安らぎとインスピレーションを与えられます。
2017年09月22日洋服を寄付した帰り道に、必要な家具を拾う。Uber代を散財した代わりに、読みたかった本が手に入る……。何かを手放すと必ず何かを受け取る体験を繰り返し、「世界は自分が思うよりもシンプルにできているのでは?」と感じ始めた筆者・土居彩。では、ひとつずつ、少しずつ、思い込みを取り去っていったら、どんな自分と出会えるんだろう。そこで、彼女は大決断をします。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 56【第56話】ホント!手放せば、新しいものが入ってくる。渡米理由だった研究所インターンを辞めてみる。最近とっても不思議なのですが、何かを手放すと必ず何かを受け取るようになっているなと思うことが続くのです。例えば引っ越しに伴って洋服をさらに減らそうと、ドネーションボックスに寄付をしたり、友だちに受け取ってもらったりしたんです。80cm幅のクローゼットに入るぐらいだから、最終的に上下8セットぐらいになったのかな? 「これは、あのデートのときのだな」とか「取材のときに着ていったら褒められたよな」などとそれなりに想い出深い品々でしたから、人手に渡すとなると身を切られるような思いもしました。でも、ま、部屋に入らないなら仕方がない。「今までどうもありがとう。良い人と新しいときを過ごしてください」とバタンとボックスの蓋を締めて2ブロックほど通りを歩いたら、なんと引越し先の部屋にちょうどいい感じ。観葉植物とケトルを置くのにぴったりなスツールが放出されていたりして、ラッキー!先日も楽しみにしていた友達のお話し会があったのですが、うっかり寝坊してしまいました。まったくの言いわけですが、最近本当に寝ても寝ても寝足りないのですよ、眠くって! 現地まで1時間かけて歩こうと考えていたのですが、すでに取り返しのつかないほどの大遅刻中。そこで奮発してUberで向かうことにしました。ところが運転手さんが道に迷ってしまい、倍以上の料金がかかってしまったのです。「楽しい会話でした。ありがとう」と降りる際に言われて、それに対して笑顔で「良い1日を」と返事しつつも、ケチな私は内心「チッ」と舌打ち。帰りは友だちがライドを申し出てくれましたが道草したい気分だったので固辞し、ぶらぶらとお気に入りの公園に寄りつつ歩いて帰ることにしました。すると道中で、バークレー名物の道端本ボックス発見。中をのぞくと読みたかったラマナ・マハリシの本が。「おー、またオーバーしたUber代がチャラになったなぁ」というわけです。野花を摘む心と時間の余裕とマリファナハウス。今の生活では友だちが部屋に遊びに来てくれるとなると、まず午前中に野花を摘みに通りを散歩します。バークレーという街は気候が寒すぎず暑すぎず穏やかで緑がいっぱいなので、表参道なんかの素敵なフロリストで売っているような花が普通に道端に咲いていたりするんです。まぁ、それが所有地なのか原っぱなのかそこはちょっと見極めが必要だったりもしますが。そこもスリリングで楽しいところ!(なんて)。今までの人生のなかで、お客さんを迎えるために街を散策して野花を摘むという時間と心の余裕が自分にあっただろうかと思います。無かったですね。お気に入りのキャンドルを焚きながら、その香りを封じ込めるようにシーツをホテルみたいにピーンっとなるように毎日アイロンをかけたりもして。「この時間、すごい贅沢だなぁ」と思います。そんなふうにウットリと悦に入っていますが、現実問題全人生でもっとも狭いうえに、ハウスメイトがシャワーに入ると部屋全体が揺れるぐらいのボイラー音がするシャワー室に隣接した部屋で暮らしています。廊下からは彼らが吸うマリファナ臭が漂いますし。そういえばこのあいだ訪ねてくれた日本の方からは、「なんか、(この家)アジアっぽいですね」と言われましたしね(ソレどういう意味?、笑)。ほかに7人もハウスメイトがいれば、衛生レベルも騒音レベルもそれぞれなので、アジア勢である日本人の私と韓国人の友だちがだいたいいつもふたり頭を抱えながらせっせと掃除することになります(それでも追いつきません)。豊かさと貧しさの価値観がゆらぐ。でも最近、なにが豊かでなにが貧しいのかという自分のなかの判断基準がよくわからなくなってきているんですよ。「いつもヨガを教えてくれるお礼」とハウスメイトがなけなしのお金を叩いてお気に入りのケーキショップで買ってきてくれたティラミス一個を二本のフォークで突きながら一緒に食べたんです。ananでオヤツ頁を担当していたからありとあらゆるスイーツを食べ尽くしてきた私ではありますが、「これ、ティラミスっていって、私の一番好きなケーキなの」なんて言われると、「へぇ、ティラミスっていうんだね。お酒がきいていておいしいんだね」と、まるで初めて食べたときの気持ちを再体験させてもらえたようで、もう本当に一生忘れられない味になるんです。とはいえ未だに、現状を惨めに感じることもあります。2週間ほど前のことでしょうか。バークレーの街を歩いていると、キレイに刈り揃えられた生け垣にぐるっと囲まれた大きな家があったんです。それは、京都にあった祖母の古い洋館を彷彿させる家でした。「もうあんなお屋敷みたいな場所には、一生ご縁が無いのだろうなぁ。速攻で締め出しを食らってしまうような存在になったものだな……」と自分がどうしようもなくちっぽけで、落ちぶれたように感じてしまう、いつものクセが。小さい頃は、ただ “セミが一杯捕れる、大好きなおばあちゃんが住む家” でしかなかったのに、こんなふうにこの家に圧倒されてしまったのは、どうしてなんだろう……?祖母が亡くなったとき、それは私が大学生の頃でしたが、おじに「なんでも好きなものを持っていっていいから、ひとりで一度訪ねてきなさい」と言われたんです。私は大変なおばあちゃんっ子でしたから。祖母がいないガランとした洋館にしばらくひとりにしてもらって、ようやく彼女と一緒に遊んだリボンや祖母の編みかけの毛糸、食事に出かけたときに彼女が履いていた草履などを持って帰りました。それらには、彼女のぬくもりが感じられたからです。すると家族に「なんでそんなガラクタみたいなもんを。翡翠のついた化粧棚とかいろいろあったでしょうに」と苦笑いされて、自分の見る目の無さを恨みましたねぇ、あのときは。あぁ、こういうときにはそういうものを選ぶべきだったんだ、損したッ!と、笑。自分の思い込みにダマされているのかも?バークレーのお屋敷と自分の部屋、ガラクタを持ち帰ってしまった私……。「私って、どうしようもないほど生きていくために必要な見る目がないのかな」。そんなふうにモヤモヤしていたとき、いつも夕食に招いてくれる友人夫婦がたまたまメッセージをくれました。それは私の価値観をぶっ壊してくれるものでした。その内容とは、アヤが我が家にしょっちゅう来てくれるの、すごく嬉しいし、楽しい。お世話している気は全然ないし、励まそうとか、応援しようとか、そんなんでもない。ただ一緒に過ごせて楽しいし、それだけと違って、辛いこともしんどい事も話せるし、学びの事や未来の事も一緒に語れる。アヤはお金じゃ買えないものの価値をちゃんと知っていて、その価値を私たちにも惜しみなくわけてくれていると思っている。わかっていると思ったけど、ちゃんとはっきり伝えておきたいと思ったからあえて書いてみた、というものでした。どこかいつも世話になっていることで申し訳ないと思っていたことを見透かされたような気がして胸がいっぱいになってすぐに返事ができず、「あとでゆっくり返事するね!」と送ると、これまた私の気持ちをちゃんとわかっていて「せんでええ」と即返事が。これには、泣きましたね。あまりの大きな愛に対して。だから、今までガラクタと思っていたものはガラクタじゃないのかもしれない。その宝石は私には必要ないものなのかもしれない。今までよくもいろんな思い込みを重ね、騙されてきたものだなと思います。今も思い込みだらけです。で、いろいろ考えたのですが。Greater Good Science Centerのインターンを辞めることにしました。これはそもそもバークレー大の学生へのポジションですが、私はプログラム終了後も特例で続けさせてもらっていました。そこから自分が得たかったものはすでに学び終えていたのに、なぜまだ続けているのか自分でもワケがわからなかったんですが。アメリカに来た理由のような存在だったし、こことの接点が無くなると本当に自分の存在理由も将来もなくなってしまうような気がして、もはや必要ないのに怖くて手が離せなかったんですね。これを手放したら、何かが入ってくるのかな。それとも何も入ってこないのかな。この期待からまず、手放さなきゃですよね、笑。まぁ少なくとも、私が辞めたら、かつての私のようにこのポジションが欲しくてたまらない人にパスすることはできますよね。ひとつずつ、少しずつ、思い込みを取り去っていったら、私は誰なのだろうと思います。1年前にプラム・ヴィレッジでのマインドフルネス合宿でシスターに言われたように、現在もまたスワミに言われ続けているように、もうちょっと勇気を出して、深く自分を見つめてみたいと思います。See You!写真:本とブックエンド本は道端本ボックスで得たシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』。タイトルは、果実(真理)を得るためには、危険を冒して枝の先まで行かねばならないという意味だそうです。バークレーの野花を押し花にし、祖母の淡水パールを組み合わせて作ったブックエンドを友人に。写真:道端本ボックスバークレーを歩くとそこかしこにある道端本ボックスとはこちら! 自由に本や雑誌を借りたり、提供し合ったりできる。個人宅の敷地内に設置されている。写真:野花とキャンドルすべて道で摘んだ野花。バークレーのクリエイターショップで見つけて以来、ハマっているAYDRY & Co.は2016年にできたLAベースのハンドメイドのキャンドルと美容グッズブランド。クリエイティブ・ディレクターのアユ・カールトンは、日本生まれのようでなるほど!写真:ガラスのドアバークレー南西にあるUrban Oreは、いわばスリフトストアの博物館。ガラスドア、トイレ、家具、洋服、各30セントのカセットまで目移りしてしまう品揃え。日本から家具好きの友だちが来たら、ここへ一番に案内したいです!
2017年08月22日このままじゃ、きっと生きていけない。至らないから、スキルをつけないと。お金を稼がないと……。ずっとそう思って生きてきました。会社を辞めてアメリカに来てからは、さらに強く。でもスワミ(ヒンドゥー哲学の先生)のもとで学んだり、たくさんの人に助けてもらううちに「このままの自分でも、まいっか」と思えるように。「無理になにかを目指さない。周りと違っていても、ただの自分でいてもいい」。そう自分を赦せた途端、目の前のことを最大限に楽しもうと思考がシフト。しみじみとした幸せを感じるようになってきたのです。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 55【第55話】もう何も目指さなくていい。ただ自分でいてもいい。未来思考を中断したら、しみじみと幸せが。またずいぶんと間をあけてしまいました。この不定期更新に、気長にお付き合いくださるみなさん、大変感謝しています。会社を辞めてから決めています。それは、自分で学び、なるべく実体験し、そこから何を感じたのか、どう理解したのかを本音で書くということ。となるとこういったランダムでスローなペースになっちゃって……。すみません、そしていつもありがとうございます。この一か月をおさらいしますと、まず引越しをしました。いろいろと支えてくれたおばあさんとの生活に終止符が打たれたので、異常なほどに家賃が高いうえに(たぶん東京の倍以上)、物件がでれば激戦となるこちらベイエリアで部屋探し。それは定職を持たない外国人としては、大変難航するものでした。けれども幸いにして退去日の3日前に奇跡が起き、現在は無事に大好きな街・バークレーで引き続き暮らせています。男子学生寮に破格で隠れ住む!?どうしても部屋が見つからなかった場合は、知り合いの部屋を又貸し(subleaseと言います)させてもらって、バークレーの男子学生寮のシングルルーム(ただしシャワールームは男子学生3名とシェア)に破格で隠れ住む、というオプションもあるにはあったのですが……。その場合 ”隠れ住んでいる“ ので、住所不定になっちゃうために、銀行の手続きとか郵便とか諸々不便そう。この歳で男子学生寮に住む(しかもスパイのように身を潜めて)っていうのもなかなかできないことなので、やったら書き手としての経験値は上がったと思いますが、それなりに失うものも大きいかなとも思いましたし(ハハ)。まぁ、それ以上に又貸し禁止物件なのでバレて、突然また出ていってくれとなったら困るなぁと。だから、がむしゃらに部屋探しをしましたね。インターン先が見つかったと思ったら、次は部屋探しとなったわけです。なかなか落ち着きませんね。でも、決まりませんでした。退去日1週間前なのに、まだ次の部屋が決まっていない。そんな崖っぷちのなか「だからこそ、今行くのよ!」と、70年代のインドを旅し続けた元祖ヒッピーの大先輩が一泊旅行に連れ出してくれました。向かったのはバークレーから車を北へ2時間ほど走らせた、ユカイヤというこじんまりとしたかわいらしい街。ユカイヤにある彼女のお友達ご夫婦の家を訪ねたのです。そこは朝日と夕日の両方を望める、まさにヒーリングハウス。かつて山のなかでそのリズムとともに暮らしていたという彼らと過ごすうちにすっかり癒やされ、心を覆っていた氷も溶けて寛いだ気分になっていると、バークレーで一緒に学んだ友達から突然メッセージが。彼女が住むシェアハウスに一部屋空きが出て(相場で考えると非常にリーズナブルなため、ほとんど空きが出ない物件)、私の知らないところで彼女が即・オーナーに掛け合ってくれていたのです。そこで旅行から帰ってすぐに内見と面接、そして無事に契約。それは退去日の3日前でした。ふぅ、ギリギリセーフ! そこで現在は7人のハウスメイトと暮らしています。しかし私は本当に運がいいというか、しぶといというか、笑。いつも人とのつながりに助けられていますね。社会的に不安定な場所に身を置くと、わかるんです。人の優しさのキャパシティは私が想像している以上に、ずっとずっと大きいということを。「人に迷惑をかけちゃいけない」と言われて育ってきましたから、なるべく人の負担にならないようにと気をつけて生きてきました。でも、今は頼らざるを得ない。それなりにプライドもありますから、なんとかひとりでやろうとしていても見るからに危ういんでしょうね(笑)。頼まなくても、見かねていろいろな人が手を差し伸べてくれます。プライスレスな経験をしている!日本にいた頃は、「マガジンハウス アンアン編集部の土居彩です」と自己紹介していました。それが私のアイデンティティーだったワケです。そう言えば周りの人に「なるほど、そういう人なんだな」と簡単に納得してもらえたし、社会的な信用にもなりました。生活するのに十分なお給料ももらっていたし、部屋もすぐ借りられたし、離婚をしたときだって洗濯機とか冷蔵庫といった必要なものはためらわずに即買い揃えて、引越し当日には今まで通りの生活を始められ、働いていましたから。だから、たとえ仕事でスタッフに頼ることがあったとしても、蛇口の水は自分が汲んだものではないとはわかっていても、「私はひとりで生きているし、経済的にも社会的にも自立している」と確信していました。傲慢でしたね。でも、いまはそうじゃないですよね? ライターと言ったとしても、ご存知このスタンスだからほとんど原稿を書いていないし(日記はすごい量を書いているけど、苦笑)。行きたかった研究機関2箇所でインターンをしているけどタダ働きだから、職業っていうのとは違うし。バークレーのプログラムを5月に無事修了したので、現在学生でもない。スワミのもとで学び、自分の心の奥にある本音と向き合ううち、本当に大学院に行きたいかどうかもよくわからなくなってGREの勉強を中断。参考書ではなく気になる哲学書ばっかり読みふけっているので「大学院を目指しています」とも言えない。なんだか胸を張って「わたしはこうだ」と自分のことを人に説明できないわけです。いったい今の私って、誰……?と宙ぶらりんで危うい状況になるとですね、予想外なことが起こります。何が起こるというのでしょう? みんながいろいろ助けてくれるんです。車を出して引っ越しを手伝ってくれたり、夕食に招いてくれたり、家具や食器をくれたり……。引っ越し先の洗濯機のノブが取れていて使えず、「毎回コインランドリーは、高いよ」とボー然としていたら、友達が人差し指を軽く湿らせてスライドしたらいい、なんて実践して見せてくれたりしてね。湿り気がノリのように働いて指でダイヤルを回せるようになるのです! これには「なんだか今の私の人生、すごいことが起きているなぁ」と普通に感動しましたね。だって、そうじゃないです? これって、文字通りプライスレスな体験ですよ!マイナス思考が始まったら、いったん脇に置いてみる。こういった境地に至ったのは、この1か月間いろんな人の意見を聞く機会が持てたから。まず、週に二回瞑想を教えてもらっているスワミに「どうしてもやっぱり人と自分を比べてしまうんです。なんであの人みたいに賢くないんだろう、きれいじゃないんだろう、お金持ちじゃないんだろう。面接も部屋探しもあの人と違って、私はなんで選ばれないんだろうって。自分よりも恵まれている人には嫉妬をするし、辛く当たってくる人は憎いと思うし。そんな自分が醜くて受け容れられません」とぶつけてみたんです。すると「私たちはみんなゴミ箱を抱えて生きています。でもゴミ箱って、必要だよね?」とニッコリ。「自分のことをこの体と同一視すれば、あなたは体になるでしょう。あなたの職業と同一視すれば、あなたは職業になるでしょう。嫉妬と同一視すれば、嫉妬になるでしょう。でも私たちの本質は、ただの肉体ではなく、ただの思考ではなく、ただの感情でもない。純粋な私たちとは、個々の形で表現している神性なんです。すべての違いの背後には、本源的なアイデンティティーにおいてあなたと彼女と彼と私の間には何の違いや隔たりもないのですよ。だから、「私はあの人とは違う」としてしまう、誤解した物の見方をいったん停止する勇気を持つ必要があります。あなたを解放することのできる真の喜びとは周りや状況には左右されません。あなたの内にすでにあるのですよ。それはこうだったら……という条件つきではない、無条件の喜びです」。言われたときは、正直ピンとこなかったです。「いや、周囲の状況に左右されるでしょう。そもそもまず、家賃高すぎるし」と、笑。でも一銭の得にもならないのに、私に助け舟を出してくれるさまざまな人たち。行動の理由が損とか得ではなく、自分の信念に沿うか沿わないかということである人たちを見ていると「やっぱり私、自分の見解からいったん自由になってみようかな」。そう思って、何か思考が起こるたびになるべくすぐには反応せず、ひとつひとついったん脇へ置いてみるようにしました。これはユカイヤで出会った素敵なご夫婦にも教えていただいたことです。彼らとお話をしているときに「期待値が高いんだね」と言われたんです。「人に対する、ですか?」と聞くと「”こうじゃないと、ダメ“ っていう自分への期待かな。これはあくまでも僕にとっては、なんだけど。僕にとって僕を一番苦しめたのは、”自分の正しさ” だった」と。この言葉は、ズシーンと胸に刺さりましたね。バスの運賃をケチってバスで10分のところを片道50分かけて歩いていたりすると、「ひょっとして私は取り返しがつかないほど、人生の時間を無駄遣いしているのでは……」という思考がやってきては、置いといて。研究所でインターンをしていると「このサボリ気味なアメリカ人学生は時給20ドルもらえるのに、私はビザの関係で無給なのか、トホホ」という感情がやってきては、また置いといて。そんなふうに「置いといて」を繰り返しているうちに、そもそも50分もかけて歩ける時間の余裕と健康があること自体、とても豊かだなぁ。歩いている最中、道端本ボックスでシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』と出合えたし。部屋に飾るお花は道中で見つけた野花を摘めばいいからお金はかからない。家から歩いて5分足らずの場所には、ヨガをするのにぴったりの公園だってある。なんて豊かなんだろう……。しみじみとした幸せを感じられるようになってきたのです。あるとき風にゆれる街路樹を見て「なんてキレイなんだろう……」と立ち止まっていると、ぶわーーっと胸が熱くなって突然涙が(笑!)。ひとしきり泣いたら、すごく優しい鞘のようなものに自分がすっぽりと包まれたような、穏やかさと安らぎに満ちた気分になりました。パートナーもいないし、子どもを産んだこともないし、定職もない。このところナイナイ尽くしの自分を楽しめるようになってきたんです、不思議と。そうするとしだいに、今のバークレー生活は私の人生において自由の象徴なんだとようやく気づけたんです。別に何かを目指さなくてもいい。ただ自分らしくあれば、いい。私は自分と世界との気持ち良い関係性を探究する旅をしているんだ。今の私は人生のなかで最も幸せで豊かな時間を過ごせているのかもしれません。ある意味、人生ゲームでいうところの “一回休み” のコマにいるような私。「何も目指さないって、いったいどうなっちゃうんだろう……?」との不安もありますが、自分の価値観が大きなトランジションを迎えようとしているタイミングなのでしょう。しみじみとした幸せを味わいながら、まぁゆっくりいこうと思います。See You!写真/公園をオフィスにする女の子:元祖ヒッピーの先輩に連れ出してもらった、とっておきの公園。ラグをひいて机を置いて、公園だって立派なオフィス代わりに!写真/お花:道端で摘んだ野花の美しさに、はっとさせられました。写真/カップ:引っ越しをしたら隣の部屋のハウスメイトが「良かったらいる?」とくれたカップは、なんとオールドノリタケ! 「あなたのカップとしてキープしておくから、いつでもお茶飲みに来てね」と喫茶室・Aya、オープンです。写真/モビール:部屋の壁にもちょっとした喜びを。
2017年08月16日「羨ましい」「あれを持たないと」「私は至らない」と、人と自分を比べてしまう。世界を自分と自分以外に切り離して見てしまうことがすべての苦しみの原因だとはわかっていても、毎回同じことの繰り返し……。そんな迷える筆者・土居は、たまたま遭遇したスピリチュアルセンターでスワミ(ヒンドゥー哲学の先生)のもと、クンダリニー瞑想の手ほどきをうけることになるのですが……。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 54【第54話】人生初! クンダリニー瞑想で変性意識の世界を垣間見る。トリカシャラ・クンダリニー・メディテーションセンターは、バークレー西部にあるクンダリニー瞑想センターです。トリカシャラとは、インド・カシミール地方で興ったヒンドゥー教シヴァ派の宗派のひとつ。ちなみにサンスクリット語でトリカ(Trika)とは、意識、エネルギー、(犬だったり、石だったり、あなたや私だったりという…)固有の形式で存在する生きとし生きるものの顕れ、という三位のこと。そしてシャラ(shala)は学派を意味します。具体的にここで何をやっているかというと、スワミ(ヒンドゥー哲学の先生の意味)ケチャラナタ(通称・ナタジ)がクンダリニー瞑想を無料で教えているのです。ちなみにクンダリニーとは、「とぐろを巻いたもの」「螺旋状のもの」「ヘビ」という意味。人間のもっている潜在的な力であり、それは宇宙に存在する根源的なエネルギー。普段はとぐろを巻いたヘビのように眠っていますが、チャクラと呼ばれる7つのエネルギー中枢を覚醒させ、尾てい骨から頭頂を走るクンダリニーエネルギーを目覚めさせることで、心と体を解放できるというのです。怪しいですか? 笑。もしよかったらついてきて下さい……。ハートを解放させるダブルブレス呼吸瞑想。どうしてわたしがこのセンターに行き着いたかというと、ヨガを再開しようとインターネットでスタジオ検索しているときにたまたま見つけたんです。訪ねてみると「…ヨガクラスのお問い合わせで」というのがはばかられるほど、本気度がビシバシ伝わってくる、エキゾチックな場所。瞑想教育を中心に提供しているスピリチュアルセンターといいますが、ヨガに関してはワンクラス、カーヴィーヨガというものがあるといいます。ハタヨガの一種にそういうものがあるのかな?と「カーヴィー(曲線的)な動きをするものでしょうか?」とたずねると、「カーヴィーな(身体にお肉がついている豊満な)人向けのクラスということです」と言われ、「あ、文字通りのカーヴィーなわけですね」。「ははは、そう文字通り(Yes, literally!)」と、センターの老紳士とともに和やかに会話を交わしました。痩せっぽちの私がそのクラスに参加している構図を2人で想像し、同時に違和感を覚えて苦笑い。「ヨガは週に一度ですが、火曜日と木曜日の夜はスワミによるクンダリニー瞑想のクラスが、そして月・水・金の朝は瞑想室をみなさんに開放していますよ」と言われました。「参加費用はいくらですか?」と聞くとキョトンとされ、「無料ですよ」と当然のように言われます。「は? このべらぼうにお金がかかるベイエリアで(家賃は東京の倍以上)無料とはどういうこと?!」。その太っ腹さも気になり(カーヴィーヨガはしないけど)、帰宅しても気になってしまい、どうにも落ち着きません。どんなに克服しようとしても、”私は不十分だ“、”自分以外の人が羨ましい“ と、人と自分を切り離して比べてしまう思い癖が治らないことも重なり、参加の場合は事前連絡をと教えてもらった問い合わせ先にいてもたってもいられずに電話。すると「瞑想は19時からですが、初めて参加なさる方にはその前に1時間イントロの時間を設けて、心構えなどを指導しています。そこで18時にいらしてください」と言われました。当日ドキドキしながら向かうと、イントロ講習の生徒は私ひとり。スワミのお弟子さんが先生です。「か、貸し切りレクチャー??」。バークレーで4学期間、一学期につき約200万円というべらぼうに高い学費を払い続けてきた私としては、目が点です。インド哲学の流れとクンダリニー瞑想の歴史、瞑想の流れ、心構えなどを説明してもらった後、「では少し練習してみましょう」と10分間の呼吸法を教えてもらいます。それは、このセンターで教えるスワミ・ケチャラナタの師のひとりであるスワミ・ルドラナンダ(ルディ)が開発した、ダブルブレスというもの。具体的には……。【ハートを開く、ダブルブレスの方法】1.深呼吸をします。手放し、リラックス。2.1の呼吸にはスピリチュアルな力と滋養が満ちていることに気づきます。3.息を吸い、それがハート・チャクラ(胸、心臓のあたりに位置するエネルギー中枢)へと向かっていくように意識をします。呼気が喉に位置するチャクラに流れてきたら、飲み込みます。息を力づくでコントロールしようとするのではなく、自然とあなたの胸を満たしハートを開いていくようその流れに身を委ねます。ハート・チャクラをリラックスさせて。意識が拡大していく様子、心身を成長させたいというあなたの深い願いを感じます。深くハートを開き、心に浮かぶ心配事や問題、区別性を手放します。呼吸を10秒間ほど、もしくは自然とリリースされていくまで胸に留めます。4.3の呼吸の1/5程度をリリースします。胸のなかにあるエネルギーに意識を留めます。5.再び呼吸をし、呼吸と意識をハートを通過させた後、おへそのあたりにあるチャクラに向けていきます。息を優しくおへそにあるエネルギー中枢に留め、深くリラックスします。拡大されていくエネルギーとともにお腹が柔らかく、開いていくのを感じます。10秒間ほど息と意識をおへそのあたりのチャクラに留めます。息を吐くに従って、性器のあたりに位置するチャクラと背骨の下に向かって自然とエネルギーが拡大していくのを感じます。6.背骨の土台をリラックスさせ、背骨の下から頭上に向かってエネルギーが上昇していく様子に身を委ねます。エネルギーを感じます。ダブルブレスの後に頭がボーッとしていると、「質問はありませんか?」とスワミのお弟子さんに笑顔で聞かれます。そこで「ハートのチャクラに呼吸と意識を向けたときに、詰まりのようなものを感じました。スムーズに呼吸やエネルギーが流れません」と相談。「ハートを開くのは誰にとっても大変難しいことです。そこで、少しずつやっていきましょう。スワミも30年以上アシュラムに住み、1971年から現在まで46年間実践・指導なさっていますが、まだまだご自身には成長できるスペースがあるとおっしゃっています」。「私は両親に愛されて育ち、恵まれた環境で生きてきたのに、なぜでしょうか? どうしてしばしば人と自分を比べてしまい、心を閉ざしてしまうのでしょう」とたずねると、「ひょっとすると現人生での経験した結果とは関係なく、魂そのものが持つ個性も影響しているのかもしれませんね。私たちには誰にでもクンダリニーの力が潜在しています。そこで私たちができることはクラスに参加し、自分自身を清めてエネルギーを強くすること。”いつ自分を解放させることができるのか“ と心配するよりも、ダブルブレスを自習し、クラスに参加してただ練習をするのです。実践し、経験しながらすべてを自然な成り行きにまかせることで、必要なタイミングで必要な能力が身についていきますよ」。ついにスワミが登場!イントロ後、美しい絨毯が敷かれた講堂に通されました。「またひとりだったらどうしよう…」という心配は杞憂に終わり、瞑想ホールには約40名が集い、人種比率は、8割以上が白人。インド人を含めたアジア人が2割、黒人はいませんでした。けれども参加者の年齢は20代から80代と大変幅広い。これはバークレーで参加したマインドフルネス瞑想のサンガと異なる点でした。インドのギター・シタールなどの生演奏のもと、まず全員でチャンティングといってマントラをメロディーに合わせて詠唱します。実はなんとなく宗教的なイメージを受けて最初は引いてしまったのですが、普通にメロディーとして美しい。そこで先入観を手放し、目を閉じてその音とエネルギーに心を傾けてみることにしました。チャンティングも終盤になり、スワミが登場し祭壇に。想像していたのとは違い、白人の男性でした。「なんて強いオーラがある人だろう!」その後、目を開けた瞑想、オープンアイクラスが行われます。瞑想中はスワミとアイコンタクトをします。スワミは瞑想参加者それぞれと1,2分程度目を合わせ、それが5,6回繰り返されます。エネルギーのことを一般的にシャクティ(shakti)といいますが、トリカシャラではスワミの目を通じて、直接シャクティが伝送されます。その際に私は摩訶不思議な体験をすることに。4回目のアイコンタクト中でしょうか。目の前の世界がものすごく強い光に包まれたのです。麻酔をかけられたときのビジュアルってありますよね。そのような蛍光色の強い、強い光の中の世界です。そのなかにスワミの目があった場所に、2つの黒い点が見えます。オープンアイクラスも大詰めを迎えると、痙攣しだす女性がいたり、腕を上げたり下げたりし始める人、そして後ろに座る男性はずっとゲップをしています。「なんじゃあ、こりゃあ?!」と仰天たまげて、開いた口が塞がらない。自分でもわかるんです。バカみたいにあんぐりと口を開けているのが。でも閉じることもできないんです、唖然としすぎて。「うわぁ……キレイだなぁ……。もっとこの景色のなかに居たいなぁ」と思っているうちにスワミは他の人へ目線を向けます。その途端、また普段通りのビジュアルの世界に戻ります。スワミが目を閉じた途端、オープンアイクラスから、目を閉じる瞑想に切り替わります。しばらくすると、スワミが私の額に手を触れ、第三の眼(サードアイ)がある眉間のあたりに指をぐっと食い込ませて開き、クンダリニーが通過しやすくなるように姿勢を正します。すると、目の奥に青い光のようなものがボォッと浮かんでくるんです。最後にQ&Aです。ぶったまげすぎて何も質問ができなかったのですが、ある人の質問に対するスワミの答えが私の体験へのアンサーでした。「クンダリニー瞑想とは、心を開き、体験したことを手放す。そして制限のある自分の物の見方や理解から自由になるためのものです。感覚が鋭敏になるとか、超能力を身につけるとかそういうたぐいのものではありません」と、キッパリ。「今まさにわたしが取り組みたい課題だ……」。満たされた気持ちでいっぱいになりつつ、何か理解を超えたものを体験したことで、頭をボーッとさせながら家に帰ったとたん、おばあさんの遺産相続人の方からメールが入っていました。そこには「学生であるあなたと、今後さらにお世話を必要とする彼女がこれ以上一緒に暮らすことは、あなたのためにも彼女のためにもやはり難しい。そこで今月末で出ていって下さい。今まで本当にあなたの思いやりあふれる彼女への対応を感謝します。引っ越しの際はお手伝いしますので、おっしゃってくださいね」というメッセージが……。「え……」。ショックを抱えながらも、「この出来事は、いったいどういう意味なんだろう?」。「この状況で、私はどうハートを開けと言うんだろう?」。偶然にも年に2回のリトリートがたまたま2週間後にあるということで、参加を決めるのです。See You!センター外観の写真:大きな窓に差し込む光線が、まるで虹のよう。講堂の写真:毎週木・金の19時〜1時間半程度瞑想とQ&Aが行われる。初めて参加する場合は、INTRO(18時〜)を受ける必要が。Peaceの石の写真:ハートを開き、体験を手放すことで平穏が手に入るとスワミ。またそれは無関心、無感覚になるということではないという。いったいどういうことだろう…?SEE YOU! 写真:センターのトイレが超ゴージャスで思わずパチリ。
2017年07月11日数年前からビジネス書でもよく取り上げられている「マインドフルネス」というキワード。特にストレスの解消や仕事の効率アップに効果的であるという「マインドフルネス瞑想」には注目が集まっており、グーグルやゴールドマンサックスなど一流の企業が社員教育にも積極的に取り入れています。今回はマインドフルネス瞑想の効果と自分でもできる実践方法をご紹介します。マインドフルネス瞑想の効果とは?マインドフルネスとは、今この瞬間の自分に注意を向けるというもの。自分の呼吸に意識を集中することで自分に意識を向けるトレーニングです。ストレス解消に効果的で、うつ病の治療としても活用されています。ビジネス界で注目されているのは、仕事のパフォーマンスアップにも効果があるという点。ストレスが軽減されリラックスすることで、思考がクリアになり集中力がアップします。その他にも想像力が豊かになり、クリエイティブな発想がしやすくなるという実験結果も出ています。さらに情緒が安定し、人間関係にもプラスの影響が出るという研究結果も。グーグルが導入している瞑想プログラムストレス解消だけでなく、仕事のパフォーマンスをよくするのにも効果的ということで、グーグルやアップル、フェイスブック、インテルなど海外の一流企業が、このマインドフルネス瞑想を社内研修に取り入れています。グーグルが2007年から取り入れているという、マイドフルネスのプログラムが「Search Inside Yourself」。このプログラムに参加する従業員は、7週間の期間中、1日数分(理想は30分から1時間)の瞑想を実践するように推奨されます。坐禅をくんでもいいし、自由に座って瞑想してもいいとスタイルは個人の自由となっています。プログラム導入の効果としては、ストレスの軽減、仕事の生産性の向上、感情的になりにくくなる、チームワークの向上などが確認されているそうです。マインドフルネス瞑想の実践法マインドフルネス瞑想は、「呼吸に集中して頭の中を空っぽにする」ということがベースになっています。やり方はとても簡単で難しいことはないので、気軽にトライしてみてください。【マインドフルネス瞑想のやり方】1、リラックスできる姿勢で椅子に座ります。2、目を閉じて自分の呼吸に意識を集中します。3、途中で他のことを考えてしまったらすぐに呼吸に意識を戻すようにします。瞑想する時間は自分の好きな時間で構いません。はじめは5分くらいから始めてだんだんと長くしていくようにします。座るスペースがあればできるので、通勤途中の電車やオフィスでの休憩中にでも数分あればできますね。マインドフルネス瞑想を実践した人の感想は、「イライラする機会が少なくなった」、「トラブルなどに慌てず落ち着いて対処できるようになった」などがあるようです。ストレス解消したい方や仕事での集中力をアップさせたいという方は、マインドフルネス瞑想を試してみてはいかがでしょうか。
2016年11月28日ストレスとの新たな向き合い方として注目を浴びている「マインドフルネス」。近年、国内外の大手企業が社員研修に採用するなか、スキンケアブランド「専科」で”マインドフルネス美容”を提唱しています。株式会社エフティ資生堂では、社長も参加して社員に向けた研修を実施しています。マインドフルネスとは?「マインドフルネスとは、心の状態のこと。今ここで起きていることに意識を向けるよう集中するための心のエクササイズです」と話すのは、同研修の講師・株式会社Campus for Hの西本真寛氏。具体的にはヨガや瞑想などがそれに当たると言います。日常的に取り入れれば幸福感や集中力が高まるうえ、パフォーマンスや想像力の向上に繋がるという研究データもあるそうです。西本氏によると現代人の集中力は年々低下傾向にあるのだそう。その理由には、スマホの見過ぎやマルチタスクな仕事環境、情報過多などによって判断しなければいけないことが増え、「意思決定疲れ」が起きていることが挙げられると言います。日常生活から実践できる!簡単マインドフルネスそんな現代人のストレス緩和に役立つマインドフルネスは、実はヨガや瞑想だけではありません。マインドフルネスの最大ポイント「姿勢・呼吸・注意」を意識すれば、日常生活で簡単に取り入れられるんです!<忙しい日常でもマインドフルネスを取り入れるポイント>・メールを送る際は一呼吸おくなど、タイミングを意識する。・ランチはしっかりと味わい、楽しむ。それもマインドフルネス。・パソコン使用のデスクワークでは姿勢を正す。・毎日の洗顔やスキンケアは意識を集中させる。美しくなりながらストレスケア!簡単スキンケアで「マインドフルネス」今回研修を受けたエフティ資生堂のスキンケアブランド「専科」では、いち早くストレスケアと「スキンケア」の関係に着目。マインドフルネスを意識したスキンケアがストレスを和らげ、リフレッシュ効果があることに基づいた「マインドフルネス美容」を提唱。「専科」の洗顔フォームは濃密な泡が特徴。もっちりとした泡で顔を包み込みながら洗顔することで肌のケアに集中できます。さらに、「専科」の濃密な感触の化粧水を使うことで、意識的なリラックスタイムとして活用することが可能です。これなら忙しい女性でも短時間で気軽にストレスケアできそうですね!早速、今夜から取り入れてみてはいかがでしょうか。【参考】資生堂「専科」
2016年11月01日ストレス軽減のエクササイズとして注目されている「マインドフルネス」。“今、ここで起きていることに意識を向ける”ことで、不安が少なくなり、集中力や幸福感が高まるといわれています。この心のエクササイズを日常的に行うことで、「仕事やプライベートでの充実をはかろう」と社員研修に取り入れたのが、化粧品メーカーの株式会社エフティ資生堂です。マインドフルネスとは何か、どうすればマインドフルネスを生活に取り入れられるのかを学ぶべく、資生堂本社(東京・汐留)で開催された「マインドフルネス研修」に参加しました。現代人の集中力は金魚以下!?現代人を襲う”心ここにあらず”状態もともと仏教に由来する「瞑想法」を意味する言葉だったため、”瞑想”という難しそうなイメージを持たれがちな「マインドフルネス」。でも実は、「ランチを味わって食べる」「目の前の景色を楽しむ」こともマインドフルネスのひとつなのだそう。「マインドフルネスの反対は、”心ここにあらず”の状態です。スマホやパソコン画面を見ながらご飯を食べたり、キレイな夕日を眺めながら、つい仕事のことを考えてしまったり。複数の業務をこなしながら、慌ただしく時間だけが過ぎていくけれど、何をしていたか記憶がない……なんて経験がある方もいるのではないでしょうか。これらは、情報過多のなかでマルチタスクを課される私たち現代人が、日常的についやってしまうこと。常に注意が散漫で、ほっとする時間を持てなくなっているのです」そう話すのは、研修講師の西本真寛(まさひろ)先生。組織の健康づくりやメンタルヘルスを研究する株式会社Campus for Hのリサーチマネージャーとして活躍している、マインドフルネスの専門家です。「現代人は”今ここにあるもの”に集中する時間が8秒しかもたない、という研究結果があります。スマホの普及などによって、情報量に反比例するように私たちの集中力は低下しており、意思決定疲れを起こしているのです。ちなみに、金魚が集中できる時間が9秒なので、人間の方が1秒短いということです。毎日何十、人によっては何百のメールをやりとりするだけで、人の意思決定量のキャパシティを越え、集中力はどんどんすり減ってしまうのです」(西本先生)マインドフルネスは減っていく集中力を高め、心の充足感、幸福感を高めるストレス解消法のひとつとして、近年世界中で注目されています。車に操縦の仕方があるように、脳にも操縦の仕方があるはず。そんな考え方から、”意識を現在に向ける”トレーニング法が、アスリートのメンタルトレーニングや、今回のような企業研修にも取り入れられ始めています。毎日の美容ケアタイムを活用!ちょっとした時間で心の疲れを癒す工夫では実際に「マインドフルネス」を体験するには、どうすればいいのでしょうか。研修では、「遠い過去」「近い過去」「現在」「近い未来」「遠い未来」と書かれたシートを使い、「現在」を指さしながら、思考を現在に留まらせるように3分間意識を集中するワークショップを行いました。実際に「現在」を指さし、今のことに集中しようと取り組んでみましたが、ついつい「研修が終わったら、あのメールに返信しよう」「コーヒーを買いにいこうかな」などと「近い未来」のことを考えてしまいます。そのたびに「今のことに意識を向けなくちゃ」と自分を戒めて、葛藤しているうちに3分間があっというまに終わってしまいました。「私たちは日常的に、複数のことを同時に考える”拡散思考”をしているので、今だけに集中するのはなかなか難しいんです。そこでまずはマインドフルネスの基礎トレーニングである、”呼吸”から入るのがオススメです。姿勢を正し、呼吸を整え、他のことを考え始めてしまったら、また呼吸に意識を戻す。それを毎日、朝や寝る前、通勤時間などに継続的に行うことで、ストレスや疲労が少しずつ和らいでいきます。集中力や記憶力、想像力が高まり、自由なアイデアが生まれやすくなるなど、仕事でのパフォーマンスアップにもつながります」(西本先生)西本先生がすすめる、今日からできるマインドフルネスの方法には次のようなものがあります。(1)メールの送信前に、ゆっくり呼吸をする。吐くときにリラックスするので、吸う時間より吐く時間を長くする。(2)移動のときはスマホを見ず、意識を”今”に向けて瞑想する(3)ながら食べはせず、ランチに集中してゆっくり味わう(4)洗顔や化粧水をつける美容ケアの時間を、マインドフルネスに使う西本先生がとくに注目するのは、毎日の美容ケアタイム。洗顔やスキンケアは毎日欠かさず行うので、マインドフルネスを取り入れやすいのだとか。「手のひらから伝わる肌の温かさ、柔らかな感触を味わいながらお手入れをするので、心もリラックスしやすいんです。まずはお風呂に入って、思考をオフにする。洗顔料を泡立てることに意識を集中したら、泡のなかに顔をうずめるようにして洗ってみてください。30秒ほどのマインドフルネスでも、心がすっとするのを実感するはずです」(西本先生)約90分の研修に参加した社員は25人ほど。そのうちのひとり、株式会社エフティ資生堂の山ノ井さんは「仕事と1歳の子どもの子育てに追われてバタバタな毎日に、マインドフルネスを取り入れられたら」と、研修に興味を持ったのだそう。「マインドフルネスのために時間を作らなくちゃ、と思っていたのですが、毎日のスキンケアの時だけ意識を”今”に向けるだけでもいいんだ!という発見がありました。それなら今夜からでも始められますね」(山ノ井さん)自分のライフスタイルに簡単に取り入れられる「マインドフルネス」。心休まる時間が足りないな……と思ったら、まずはスキンケアに意識を集中することから始めてみませんか?
2016年11月01日ストレスケアやひらめき力の向上を狙って、グーグルなどの世界的な企業も研修に取り入れているマインドフルネス。そのメソッドに精通している、浄土宗光琳寺副住職の井上広法さんと、マインドフルネス・ヨガ講師の山口伊久子さんが実践法を教えてくれました。■マインドフルネスって何のこと?→今この瞬間に心を寄せありのままを観ること。井上:マインドフルネスは、ごく最近に考えられた新しいメソッドだと思われることがよくあるのですが、実は、2500年前に生まれたブッダの教えがベース。山口:ヨガの根本の考えにも多くの点で共通するところがあります。井上:その仏教やヨガが、原点に気づき始めたきっかけでもあるのが、マインドフルネスなんです。山口:学会の定義は、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」。ありのままの今の自分に意識を向けることなんですよね。井上:そう、現代社会は、情報が多くて、いつもあちこちに考えが飛んで、今がおざなりになりがち。けれど、今を重視することができれば、ここぞというときに最大限のパワーを注ぎ込める。世界の企業が目をつけているのも、そこなんです。山口:今この瞬間に起こっていることに意識を向けると、自分のネガティブな感情とも折り合いがつくので、ストレスとの向き合い方も変わってきます。井上:例えば、嫌なことがあっても、ありのままの状況判断ができ、悪い想像が膨らまない。すると、辛さの本当の原因ときちんと向き合える余裕が生まれるんです。山口:嫌なことはなくそうとしても次から次に生まれるものです。そういう自分が存在することを認めてあげることでもあります。井上:さらに、身の回りのことがよく見えて整理がつくようにも。マインドフルネスを始めると、必要なものがはっきり取捨選択できるので、より心地よい生活や環境へ整えたくなる人が多いようです。■どうして幸せに繋がるの?→すべての体験の充実感が増すからです。井上:今に意識を向けることができるようになると、まず、それまで見過ごしていた小さなことにも気づけるようになりますよね。山口:お茶を飲む行為ひとつとっても、動作や感覚を丁寧に観察してみると、体がどう感じ、心がどう受け止めているかに気づき、いたわることができるように。井上:自分と同じように、他者に対しても目を向けるようになって心遣いできるようになり、人間関係が良好になります。山口:マインドフルネスを得ることで、いろんなことに対して思いやりや好奇心が持てるのです。井上:そうすると、いつもやっていることで満足でき、そこに幸せを見出すことができます。既に物質的に満たされている日本人は、もう、物を補うことでは幸せを感じられない。とすれば、時代に見合った幸せの見つけ方のひとつではないかと思います。■どうすればできる?→考え方次第で、日常で実践できます。井上:方法としては、浮かんだ考えをそのまま流して、今に引き戻す、瞑想が定番としてあります。山口:いつもの行動も意識して行えば、マインドフルネスのトレーニングになります。以前、職場で嫌なことがあったときにトイレに行き、ただ歯を磨くということに意識を向けて呼吸とともに行うことをしていたのですが、それだけで自然に冷静になってきました。まさにそういうことです。井上:ほかにも、普段の生活で取り入れられるチャンスはたくさんあります。ひとつの食べ物をじっくり味わってみる、家事を丁寧に行ってみる、通勤時間の姿勢に目を向けてみるなど。山口:言葉で言うと難しく聞こえるかもしれませんが、まずは、実践してみることが肝心です。自分に合った方法を選んで、試してみてください。◇井上広法さん浄土宗光琳寺副住職。テレビ出演のほか、お坊さんのQ&Aサイト「hasunoha」主宰として活動。著書に『心理学を学んだお坊さんの幸せに満たされる練習』(永岡書店)が。◇山口伊久子さんマインドフルネス&ヨーガネットワーク()主宰。マインドフルネス瞑想やヨガの講座を開催。日本マインドフルネス学会理事。※『anan』2016年7月20日号より。写真・小笠原真紀取材、文・小林良子
2016年07月16日マインドフルネスの関連書籍は、これまでにもいくつかご紹介してきたことがあります。簡単にいえばそれは、心の体の疲れのもととなる雑念を取り除くことによって、“自分が自分らしくある状態”を実現するための手段。そして、きょうピックアップした『心を整えるマインドフルネス CDブック』(人見ルミ著、あさ出版)も、そんなマインドフルネスの効能をリラックスしながら実感できる一冊です。■著者はマインドフルネスによって人生が好転著者がマインドフルネスに出会ったのは、28歳のときのことだったのだとか。人生のどん底といっていい時期で、精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたのだといいます。やがてインドに渡り、偶然に出会った師からマインドフルネスの考え方、そのエッセンスとなるヨガや瞑想法を学んだのだといいますが、結果的にはその体験が大きな意味を持つことになります。道場で1年半修行したのちに帰国して働きはじめたところ、携わった仕事のほとんどで大きな成果を得ることができたというのです。具体的には17年間にわたって黒字を出し続けた結果、会社で初の女性役員に抜擢されたのだそうです。まさに、マインドフルネスによって人生が好転したわけです。■マインドフルネスは世界中の先進企業が注目しかし、それは著者に限ったことではありません。マインドフルネスの効果に対しては、近年、世界中で注目が集まっているからです。たとえば世界トップレベルの頭脳集団であるグーグルにおいても、約5万人の社員のうち10人に1人がマインドフルネスを実践して効果をあげたという結果が出ているそうです。また、フェイスブック、インテル、ツイッター、ナイキ、ドイツ銀行、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどなどの先進的企業、さらにはアメリカ海軍やペンタゴン、アメリカ農務省森林局などの政府機関でも導入されているといいます。■活用したいなら「奇跡の90秒ルール」を!そんなマインドフルネスの活用法のひとつとして、本書では「奇跡の90秒ルール」というものが紹介されています。ついイラッとしてしまうことは誰にでもあるものですが、そんなときは90秒だけ、どこかへ避難してしまおうという考え方。そして、ここで紹介されているのが、神経細胞学者であり、ハーバード大学医学部で脳と神経の研究に携わっているジル・ボルト・テイラー博士の著書『奇跡の脳—脳科学者の脳が壊れたときー』(新潮社)から抜粋された文章です。「自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺緑系のプログラムが存在しますが、このプログラムの一つが誘発されて、化学物質が体内に満ちわたり、そして血液からその物質の痕跡が消えるまで、すべてが90秒以内に終わります。たとえば怒りの反応は、自発的に誘発されるプログラム。ひとたび怒りが誘発されると、脳から放出された化学物質がからだに満ち、生理的な反応が引き起こされます。最初の誘発から90秒以内に、怒りの科学的な成分は血液中からなくなり、自動的な反応は終わります。もし90秒が過ぎてもまだ怒りが続いているとしたら、それはその回路が昨日し続けるようにわたしが選択したからです」(「第15章自分で手綱を握る」より)つまり怒りの感情は、「90秒」で血中からなくなるというのです。だとすれば、その90秒さえやりすごすことができれば、落ち着いた対応が可能になるともいえるのではないでしょうか?だからこそ著者は、かっとなって部下を怒鳴りつけそうになったり、子どもに手をあげそうになったりしたら、まずはその場を離れることを勧めています(もちろん、子どもの様子は見える場所に)。そして、ゆっくり深呼吸をしてみる。お水を飲んで一息つくのもいいそうです。その後、90秒経って落ち着いたら、もどって問題に向き合えばいいということです。*こうした記述からもわかるとおり、マインドフルネスは決して難しいものではありません。むしろ楽に取り入れることができ、そこから最大の効果を引き出せる可能性があるということ。なお本書には、自律神経を整えパフォーマンスを最大化する効果があるという528Hzオリジナル曲が4曲収録されたCDもついています。目と耳からマインドフルネスを実感できるわけで、とても充実した内容だといえるでしょう。(文/作家、書評家・印南敦史) 【参考】※人見ルミ(2016)『心を整えるマインドフルネス CDブック』あさ出版
2016年05月02日リバウンドしない「最後のダイエット」の提唱者であり予防医学研究者の石川善樹先生に毎日の生活習慣を変えるうえで大事な「マインドフルネス」について聞きました。―自分自身もそうですが、毎日の生活習慣や考え方を変えるのは難しいなと感じます。そうなんです。ひとは基本的に変わるものではないのです。第一世代は、「行動を変える」トレーニング、第二世代で「考え方を変える」というメンタルトレーニングが出てきましたが、「ひとは変わらない」という結論になりました。現在、第三世代の「マインドフルネス」が世界中で流行っていますが、これはしっかりと自分の感情に「注意」を向けるためのトレーニングなんです。―「注意」を向けるというのは、どういうことでしょうか?ひとは怒りの感情が高ぶっているときには、「I am angry」となるものです。これをいかに自分の感情に「注意」を向けて客観視して「I feel angry」と変えることで全く別の価値観に「気づく」ことができるかどうかということです。この状態を自分自身で作り出すのは困難なことなので、誰もが、簡単にメンタルの状態をコントロールができるようにするためのアプリケーションを開発しました。「MYALO」(というアプリケーションです。東洋では「見て覚えろ」というような教えが多いので、瞑想をして自分のメンタルをコントロールすることは体系化されていません。このアプリでは、誰もが簡単に瞑想の状態に入ることができるように体系化を試みたのです。―瞑想が仕事に与える影響についての調査をされましたよね。そうです。まだ日本では瞑想をはじめているひとはごくわずかで「イノベーター」と呼ばれるようなひとたちですけれども、この瞑想が仕事のパフォーマンスを上げるうえで役に立っているという調査結果が出ました。この調査では睡眠よりも瞑想のほうがパフォーマンス向上に関連するという結果になりました。―瞑想が仕事のパフォーマンスに影響を与えるというのはすごいですね欧米のひとにとっては、瞑想というのは珍しく興味深いものなので、ブームとなっているのです。グーグルなどが組織のトレーニングとして取り入れています。実を言うと日本でも昔から経営者など一部のひとは、座禅を組んだりして瞑想を取り入れていたのですが、多くの日本人にとってはお寺で座禅を組む姿などを身近で見てきた経験があるために、珍しくなく楽しめるものではなかったのです。―瞑想を通して「気づく」というのはどういう心理状態でしょうか?自分自身の体験をお話ししますと、あるときに誤ってPCに水をかけてしまったことがあったんです。この時PCがしばらく使えなくなったのですが、これは自分にとって変わるチャンスではないだろうかと考えました。自分は普段、PCで一体何をしているのかと改めて自分に問いかけてみました。そうすると自分は、ただ単に届くメールに反応しているだけではないか?という考えに至りました。もっと本来は周囲とのつながりを大事にすべきなのではないか?ということに気づかされました。PCが壊れてそこから離れることで、自分自身の「注意」を切り替えることができたのです。―自分自身の「注意」の切り替えですか?ええそうです。またこういうようなこともありました。大学のときに僕は運動部だったのですが、いつも後輩に対して「あいつは使えない」というようなことばかりを言っていました。あるひとから、ひとを「使える」、「使えない」ということで判断してしまってはダメだと言われて、自分はなんて愚かだったと「気づいた」というようなことがありました。―「気づき」は組織にとっても有効なのでしょうか?そうだと思います。他人に「気づき」、考えることが大事なんだと思います。また何か怒りを感じるようなことがあれば、忘れること。そして「自分は愚かだ」ということに「気づく」ことが大事なのです。これが大人として成熟するということだと思います。組織が成熟することが強みを生かせる組織となる秘訣ではないでしょうか?―「気づき」はどのようにして組織に生かせるのですか?日本人は元々強みを軸にした経営を行ってきました。人事についてもローテーションを取り入れて、その人が強みを発揮できるようなポジションを探るというようなことをしてきたのです。ドラッカーもこのような強みを生かす経営法を提唱したひとの一人です。上司は部下を「使えない」と考えるのではなく、どうしたら次世代のスターを育てることができるかと考えるべきですし、部下も上司を思いやるべきなのです。―「気づき」が自分自身も変え、また周囲の環境も変えるのですね?そうなんです。「気づき」で変わることで、日中の生活習慣が変化します。そうすると朝ワクワクとした目覚めができるようになるはずです。それによって、おのずと睡眠も満ち足りるというような良い循環が生まれるのではないでしょうか。石川善樹先生予防医学研究者・医学博士。1981年、広島県生まれ。東京大学医学部を経て、米国ハーバード大学公衆衛生大学院修了。現在は株式会社キャンサースキャンおよび株式会社CampusforHの共同創業者。ビジネスパーソン対象の講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。【石川善樹先生に聞く第一回】はこちらPhoto by Christopher Michel
2015年12月21日睡眠改善にはさまざまな方法があります。今回ご紹介するのは、そのなかの1つである「マインドフルネス瞑想」。アメリカの医学誌にその効果が論文として掲載されて以来、企業でもストレス対策として取り入れられているそうですよ。瞑想が睡眠障害の改善に?人は加齢を重ねるごとに、睡眠時間が減っていき、不眠や睡眠障害に悩む人も増えると言われています。そんな高齢者の睡眠を改善すべく、アメリカではある方法が注目を集めています。それが「マインドフルネス瞑想」と呼ばれるもので、過去や未来にとらわれることなく、現在に焦点を当てて自分のことを客観的に見ようとする瞑想のことを指すのだそうです。「瞑想で本当に効果があるの?」と訝しむ人もいるかもしれませんが、その効果を研究している南カリフォルニア大学の予防医学専門家の論文が米医学誌にも掲載されたそうですよ。マインドフルネス瞑想とは?上記の論文では「マインドフルネス瞑想」の効果を調査するために行った実験について書かれています。その内容は、中等度の睡眠障害を持つとされた高齢者数十人に対して6週間、マインドフルネス瞑想を行うチームと、睡眠衛生教育を受けるチームに分けて行うというもの。その結果、実験前と比べてマインドフルネス瞑想を行ったチームのほうが睡眠障害尺度の減少がみられたそうです。また、日々の疲労や抑うつ症状も改善したと言われています。6週間以内に睡眠改善がみられたことから、他の方法よりも優れていると論文では述べられています。座禅から考案された?このマインドフルネス瞑想、みなさんも一度、試してみてはいかがでしょうか? 寝る前は確かに、過去の失敗やトラブルなどをあれこれ考えたり、将来の不安に苛まれるときがあると思うので、「現在に焦点を当てる」というのは大切なことかもしれませんね。ちなみに、マインドフルネス瞑想はグーグルなどの大企業でもストレス対策の一環として取り入れられているそうです。今後は日本企業にも広まってくるかもしれませんね。この瞑想は「座禅」をもとにアメリカ人が考案したものなので、日本人にもすんなり馴染むのではないでしょうか。Photo by John Nakamura Remy
2015年04月17日