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ABEMAオリジナル連続ドラマ「わかっていても the shapes of love」で、主演・横浜流星の相手役を務める南沙良と、監督を務める中川龍太郎が東京藝術大学の学生限定で行われたトークイベントに参加した。本作は、同名のwebtoonを基にしたNetflixシリーズの韓国ドラマ「わかっていても」(Netflixにて独占配信中)を日本・鎌倉を舞台に再構築。中川監督を中心とした国内外で活躍する珠玉のクリエイティブチームが集結し、恋をした者が「傷つくとわかっていても、愛に手を伸ばしてしまう人間の衝動」を、美しい世界観で繊細に描き出した大人の恋の物語。まず、本作制作の経緯として「原作・原案がある中で、日本の今の時代でしかつくれないものとして新しく『わかっていても』をつくり変えてほしいとプロデューサーから話をいただいた」と中川監督が説明。「(ドラマのタイトルでもある)“わかっていても”という言葉がひとつの道しるべになった」と言い、「傷つくとわかっていても、自分の心が平穏であるかどうかを乗り越えて、それでも誰かに惹かれていくというのは、今の社会に必要なことなんじゃないかと思って引き受けさせていただきました」と続けた。南も、韓国ドラマ「わかっていても」は事前に視聴していたと言い、「韓国ドラマ『わかっていても』がとても素敵で面白かったので、韓国ドラマが好きな方々にも受け入れていただける作品になればいいなと思います」と話した。今回、本作にて初めて恋愛をテーマとした連続ドラマを撮ったという中川監督。「恋愛の話は、自分ではなくもっと得意な方がいるんじゃないかと思いましたが…」と謙遜しつつも、「作品の舞台が美術大学ということで、“芸術家の恋愛”というのは、日常の中にある、ある種の非日常というか…“創作すること”と“恋愛すること”は、人生の“ある普通のリズム”を乗り越えていくものだと思うので、そういう側面をしっかり表現することができれば、作品としても深いものになるのではないかと感じました」と発言。「芸術家がどんな作品をつくるかと、どんな恋愛をするかというのは無関係ではないと思った」とし、本作では、メインキャラクターに限らず全ての役柄に1人ずつ実際の彫刻家がついて、ゼロから作品をつくったことを明かしました。なお、作中の彫刻作品の一部を東京藝術大学の彫刻科の先生や生徒が担当したこともあって、今回の東京藝大でのトークイベントが実施された。また、自身の演じた役柄について「少女漫画でも当て馬を好きになっちゃうタイプなので、正直あまり美羽の気持ちに共感はできなかったんです(笑)」と赤裸々に語った南は、「恋愛に限らず、わかっていてもやめられないことはわかるので、そういう気持ちを引っ張り出して演じました」と話した。なお、イベントでは学生からの質疑応答も。本作関して特に思いを込めて制作したシーンを尋ねられると、南も中川監督も「第1話のラストシーン」と回答。その理由として中川監督は「南さんが演じる美羽が、過去の自分を乗り越えて新しいところに踏み出すというのを象徴しているシーン」と説明し、「南さんは静かで華奢な感じだけど、激しさもある方だと思ったので、このシーンでもその激しさを出してもらいました」と興味深く解説した。最後に、南が「韓国ドラマとは違った良さが詰まっているので楽しんでいただけたらなと思います」とコメントし、トークイベントは終了。本作は、ABEMAでの配信ほかNetflixにて国内および世界同時配信が決定している。ABEMAオリジナル連続ドラマ「わかっていても the shapes of love」は12月9日(月)21時より1~3話を一挙配信。以降、12月16日(月)に4~5話、12月23日(月)に6~7話、12月30日(月)に8話(最終話)配信。(シネマカフェ編集部)
2024年11月25日声優の置鮎龍太郎が14日に自身のXを更新した。【画像】「小さい俺が…」男性声優の“小さな分身”があんなところに…!「草生えました」「こんにち土曜日♪」「神谷くん、15周年LIVEおめでとう\(^o^)/」「頑張って〜」と綴ったツイートを投稿。同じく声優の神谷浩史の15周年記念ライブ「Hiroshi Kamiya 15th Anniversary Live Tour “Messenger”」の開催を祝福した。置鮎と神谷の2人は、声優・小野坂昌也とのYouTubeチャンネル「おしゃ5」で共演している。こんにち土曜日♪神谷くん、15周年LIVEおめでとう\(^o^)/頑張って〜— 置鮎龍太郎 (@chikichikiko) September 14, 2024 この投稿には「おっきーさん、優しいなぁ」「待機しています!」「本当におめでとうございます」など、両者のファンから多数のコメントが寄せられた。
2024年09月14日精神科医で、日本有数の美術コレクターである高橋龍太郎。彼が集めた作品で構成される『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』が東京都現代美術館で8月3日(土)に開幕した。重鎮から若手まで総勢115組の作家作品が2フロアを使って展示される。11月10日(日)までの開催だ。高橋龍太郎は1946年生まれ。学生運動に打ち込んだ高橋は、一旦は映像作家を目指して医学部を中退。しかし、自らの才能に区切りをつけ、再び医学の道に戻ることとなる。現在は東京都大田区で精神科医としてクリニックを開業、地域医療に従事しつつ、ニッポン放送の人気番組「テレフォン人生相談」で回答者を務めるなどの活動も行っている。第1章 展示風景より 合田佐和子の作品群高橋は1997年頃より本格的に現代美術作品のコレクションを開始する。現在までにその総数は3500点を超え、日本の現代美術を中心とするコレクションとしては個人所有でありながら世界最大級だ。同展は、初期から現在に至るまでのそのコレクションの変化を「私観」としてたどっていくものだ。展覧会は6章構成。第1章「胎内記憶」は、高橋のコレクションが本格的に始まる90年代半ばまでに制作された作品を中心に展示する。若き高橋は合田佐和子や草間彌生などに強く影響を受けていたという。第2章展示風景より左:山口晃作品、右:会田誠作品第2章西尾康之《Crash セイラ・マス》2008年第2章「戦後の終わりとはじまり」では、高橋が本格的にコレクションを開始した90年代半ばの作品を、続く3章「新しい人類たち」では高橋のコレクションの主要テーマである「人間」を表現した作品を取り上げる。村上隆や会田誠、奈良美智に加藤泉など、現在、国際的にも評価の高いアーティストの代表作も数多く展示されており、高橋の先見の明に驚くばかりだ。第3章展示風景より左:奈良美智《Untitled》(1999)右:加藤泉《無題》2006年、《無題》2004年第3章展示風景より塩田千春《ZUSTAND DES SEINS(存在の状態)―ウェディングドレス》2008年そして2011年となり、東日本大震災、そして福島第一原発の事故が起こる。この出来事は高橋の感覚を大きく変化させ、コレクションにも影響を与えることとなる。第4章「崩壊と再生」ではChim↑Pom From Smappa!Groupや竹川宣影など原発事故に反応した作家たちや、被災地との関わりのなかで作品を生みだした作家、震災後の空気のなかで作品を制作していた作家作品を紹介する。第4章展示風景より第4章手前:Chim↑Pom《ヒロシマの空をピカッとさせる》2009年奥:Chim↑Pom《気合い100連発》2011年震災以降、高橋がコレクションした作品にはアイデンティティや自己について、アーティスト自身が見つめ直す作品や、鑑賞者に問いかける作品も増えていく。第5章「『私』の再定義」では、岡﨑乾二郎ややんツー、村山悟郎などのこれまでの高橋龍太郎コレクションになかった性質の作品を紹介する。第5章 展示風景より左:小谷元彦《サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)》2022年中央:鴻池朋子《皮緞帳》2015-2016年右:青木美歌《Her songs are floating》2007年最終章となる第6章「路上に還る」では、高橋が一番興味を持っているというストリートに軸を置いて制作する作家たちを紹介する。SIDE CORE/EVERYDAY HOLIDAY SQUADやChim↑Pom from Smappa!Groupらとともに、1960年代からいまも精力的に活動する前衛を代表する作家、篠原有司男のボクシングペインティングも展示される。第6章展示風景よりSIDE CORE/EVERY DAY HOLUDAY SQUAD《rode work tokyo_spilral junction》2022年第6章篠原有司男《89才のパンチ》2021年東京都現代美術館の広い展示室、2フロア分使用して展示したボリュームのある展覧会、一つひとつの作品が力強く、見ごたえたっぷりだ。時間に余裕をもって、ゆっくり、そしてじっくり観賞しよう。取材・文・撮影:浦島茂世<開催概要>『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』2024年8月3日(土)~11月10日(日)、東京都現代美術館にて開催公式サイト:
2024年08月15日日本の現代美術の最も重要なコレクションとして知られる「高橋龍太郎コレクション」。3500点を超える収集品のなかから、伝説の作家から最新の若手まで、総勢115組の作家の作品を選りすぐり、日本の戦後現代美術史の全貌をたどる展覧会が、8月3日(土)から11月10日(日)まで、江東区の東京都現代美術館で開催される。敗戦の翌年の1946年に生まれ、団塊の世代の始まりとして育った高橋は、全共闘運動に参加し、文化と政治が交差する1960年代の空気を色濃く吸い込んだのち、精神科医として地域医療の推進に尽力した。その活動が軌道に乗った1990年代半ばよりコレクションを開始した高橋は、現代美術の動向を内側から観察し、表現者とは異なるかたちでその重要な部分を体現してきた存在だ。青木美歌《Her songs are floating》2007 年、北海道立近代美術館 30 周年記念展示「Born in HOKKAIDO」(2007 年) 展示風景 撮影:小牧寿里高橋龍太郎コレクション蔵同展は、戦後世代のひとつの顔としての高橋龍太郎の視点を手がかりとして、日本の戦後美術をたどる展覧会だ。1990年代から2000年代にかけての日本の自画像のような作品群から、東日本大震災以降に新たな傾向を見せるに至ったコレクションの流れは、高橋の眼が現代日本の姿をとらえた「私観」としてたどれると同時に、時代の感覚の変化を映し出したものとしてもとらえられるという。同展の魅力のひとつは、日本の文化や社会、そして時代に対する批評精神あふれる重要な作家たちの貴重な初期作や代表作が並ぶこと。個人が収集するスケールを軽く凌駕する大型のダイナミックな作品群が、同館の2フロアにわたる広大な展示室を埋め尽くすのも見どころとなっている。金氏徹平《White Discharge(建物のようにつみあげたもの#21)》2012 年Photo: Shigeo Muto高橋龍太郎コレクション蔵高橋龍太郎コレクションの形成は、1995年に開館した東京都現代美術館の活動期と重なっており、東京という都市を拠点に形成されたこのふたつのコレクションは、互いに補完関係にあるとも言えるのだとか。今回の展覧会は、同館がこれまで体現してきた美術史の流れにひとつの「私観」を導入しつつ、批評精神にあふれる日本の現代美術の重要作品を総覧する貴重な機会となるもの。日本の現代美術史の入門編でもあり、また決定版とも言える展覧会をお見逃しなく。<開催概要>『日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション』会期:2024年8月3日(土)~11月10日(日)会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/B2F時間:10:00~18:00、8月の金曜は21:00まで(入場は閉館30分前まで)休館日:月曜(8月12日、9月16日、9月23日、10月14日、11月4日は開館)、8月13日(火)、9月17日(火)、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)料金:一般2,100 円 、大学・65歳以上1,350円、高中840円公式サイト:
2024年07月24日「5月19日に逝去された上岡龍太郎さん(享年81)を偲んで、和田アキ子さん(73)や、ビートたけしさん(76)、今田耕司さん(57)などが、それぞれの冠番組で生前の交流を明かしていました。また6月11日には追悼特別番組『さようなら 上岡龍太郎さん』(ABCテレビ)が放送されました」(芸能関係者)6月2日に肺がんと間質性肺炎のため亡くなったことが発表された上岡さん。`00年にタレント業から引退していたにもかかわらず、訃報には大きな関心が集まった。「幼い頃、がんを患っていた実母のもとに霊媒師や霊能者を自称する人たちが押し寄せたが、誰も病気を治すことはできなかったことから、上岡さんはオカルト嫌いになったといわれています。占いにたいしては、上岡さんが占い師に『あなたを殴るか占え』といい、占い師が『殴らない』といい終わる前に殴ったという逸話は、たびたび伝えられています」(前出・芸能関係者)しかし、上岡さんを知る演芸作家は、「占いや、占い師そのものを嫌っていたわけではないのです」と断言する。「上岡さんは、町などで活動するテレビに出演しない占い師は社会に必要な仕事として認めていました。占いに頼る人もそれで救われるならと考えていました。彼が許せなかったのは、占いそのものではなく、社会的影響力のあるテレビで占い師がなんの科学的な根拠もないことを、まるで確実に起きる真実であるかのように軽々と語ることです。発言の真意や影響を検証せずにテレビで垂れ流すことは、社会的に危険だと警鐘を鳴らしていました。そういった考えから、一連の占い師批判を行っていた訳です。決して占い師や占いそのものを否定したり嫌ったりはしていませんでした」“占い批判”の裏には上岡さんなりの哲学があったーー。
2023年06月14日2023年6月2日、元タレントの上岡龍太郎さんが同年5月19日に亡くなっていたことが分かりました。横山ノックさん、横山フックさんとのお笑いトリオ『漫画トリオ』で活躍するほか、長けた話術を生かしてさまざまなテレビ番組に出演していた、上岡さん。中でも、1988~2000年にレギュラー出演したバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)での司会は、関西在住の人を中心に多くの人から人気を博しました。桂小枝、上岡龍太郎さんから渡された『形見分けの手紙』を公開翌3日、落語家の桂小枝(かつら・こえだ)さんがSNSを更新。桂さんは、かつて『探偵!ナイトスクープ』で上岡さんとレギュラーとして共演しており、逝去が明かされた日は、うっかりコップを落として割ってしまったといいます。共演を経て、生前の上岡さんと交友関係があった桂さん。その仲は、上岡さんから形見分けをされるほどだったのだとか。本来、形見分けは故人が生前に愛用していた物を親しい人に渡す行為を指しますが、芸能界の引退が上岡さんにとっての『人生のひと段落』だったのでしょう。桂さんは、上岡さんが芸能活動を引退する直前にくれたという、直筆の手紙を公開しました。引退される直前に上岡さんから頂いた形見の中に入ってた手紙です〜 pic.twitter.com/JYtOtajQ3C — 桂小枝 (@koedanokai2014) June 3, 2023 丸みを帯び、丁寧な字でつづられた、桂さんへのメッセージ。上岡さんは引退をする前から、形見分けとして大切なのれんを桂さんに贈ることを約束していたのだとか。手紙に添えられたのは、歌集『万葉集』に掲載されている、狭野茅上娘子(さののちがみおとめ)の歌。女性が「再び会う日までの形見としてほしい」という想いを込め、縫った衣を贈る一首です。本来であれば、上岡さんと桂さん以外は目にすることがなかった、形見分けのメッセージ。貴重な手紙の公開に、多くの人から反響が上がっています。・なんという家宝!万葉集の一首を手紙に添えるだなんて、まさに粋だ…。・上岡さんがこんなにもかわいらしい字を書くことに衝撃!イメージと違いすぎる!・「いつかまた会いましょう」という気持ちのこもった手紙に、涙…。手紙を通して、『上岡龍太郎という人』について多くの人が知り、その姿に改めて尊敬の念を抱いたようです。[文・構成/grape編集部]
2023年06月04日上岡龍太郎さんが亡くなっていたと6月2日に発表された。81歳だった。米朝事務所によると上岡さんは5月19日、肺癌と間質性肺炎のため大阪市内の病院で死去したという。「上岡さんは横山パンチの芸名で、’60年に横山ノックさん(享年75)や横山フックさん(現在は青芝フック・85)と共に『漫画トリオ』を結成。’68年の解散後はテレビやラジオ番組の司会などで活躍し、人気番組『探偵!ナイトスクープ』(テレビ朝日系)の初代局長を務めるなど関西では“お笑い界のドン”と呼ばれるほど絶大な人気を誇りました。近年では漫才コンビ『ミキ』の伯父として話題になることもありました」(スポーツ紙記者)そんな上岡さんだが、現役時代に「僕の芸は20世紀まで」「落語や講談と違って、テレビの場合は年を取ったら老醜をさらすだけ」と口にしていたように’00年4月に芸能界を引退。テレビからもステージからも完全に姿を消した。58歳での引退を惜しむ声が相次いでいた。以降、表舞台に姿を見せることはほとんどなかった。師として仰いでいた落語家・桂米朝さん(享年89)の葬儀で取材を求められたところ「一般人ですから」と言って、一度断ってから取材に応じたほどで“隠居者の美学”をずっと貫いていた。「引退後の楽しみは、奥さんと一緒に演芸や舞台を観に行くことだったそうです。それも、関係者席ではなく一般席で鑑賞していたといいます。とある落語家が一般席で上岡さんを発見し、驚きのあまり後日、『一言言うてくださったらチケットをお送りしましたのに』というと、上岡さんは『いやいや、僕はもう一般人だから』と謙遜したそうです」(芸能レポーター)■愛弟子の独演会チケットを自腹で購入また上岡さんは義理堅く、隠居後も友人や知人の晴れ舞台にたびたび顔を見せていた。何より、かつての弟子のことを気にかけていたようだ。「上岡さんにはテントさんというお弟子さんがいました。自らがパチンコ台になる『人間パチンコ』など天才肌タイプの芸風に、上岡さんは惚れ込んでしまい、自ら『師匠をやらせてくれ!』と志願したほどです。なかなか公の場に姿を見せないことから“ツチノコ芸人”と呼ばれていたテントさんが’15年、3年ぶりに独演会を開催。すると上岡さんはやはりそのチケットを自腹で購入し、大勢の一般客に混じって弟子の健闘を見守っていたそうです。しかし、テントさんは独演会の翌年に交通事故で急逝。上岡さんは『君は70歳になったら売れる』といってテントさんを励ましてきた分、憔悴していたといいます」(別の芸能記者)訃報に際し、ネットでは《この方の番組は全て面白かった。この人の番組を見られる年代に生まれてよかったと思います》《キレイに引退し、キレイに旅立ったんやな》《21世紀に入ってからの上岡龍太郎さんも見てみたかったです》と追悼の声が絶えない上岡さん。これは引退から23年経っても、人々の心に「上岡龍太郎」という存在が残り続けた証だ。
2023年06月03日元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日に肺がんと間質性肺炎のため死去したことが2日、明らかになった。これを受け、間寛平と桂小枝が同日、所属事務所を通じてコメントを発表した。間寛平は「上岡さんにはすごくかわいがっていただいたので、訃報を聞いてショックでした」と心境を吐露。「『探偵!ナイトスクープ』でも大変お世話になりました。個人的には38年前に初めてフルマラソンを走ったホノルルマラソンでタイムが3時間13分57秒やったんですけど、上岡さんからお祝いをいただき、封筒を覗いたら3万1千357円入ってました。アースマラソンではゴール地点のNGKにそっと出迎えに来てくれていました。本当に残念です」と悼んだ。桂小枝は「信じられません、上岡さんはパーフェクトな人で死なないと思ってました」と驚きを隠せず。「怒りの上岡と言われましたがボクは怒られた事がありません、何でも自由にやらせて頂きました、今の桂小枝があるのは上岡さんのお陰です」と感謝し、「上岡さんが引退される前に弱ってからでは遅いので形見分けを下さいってお願いすると楽屋暖簾を下さいました。中に手紙が入ってました。上岡さん、本当に有り難うございました。これからも見守って下さい」と偲んだ。
2023年06月02日2023年6月2日、元タレントの上岡龍太郎さんが81歳で亡くなっていたことが分かりました。産経ニュースによると、上岡さんは同年5月19日に、肺がんと間質性肺炎のため息を引き取ったといいます。横山ノックさん、横山フックさんとのお笑いトリオ『漫画トリオ』の経験によって培った、高いトークスキルが人気を博した上岡さん。逝去を受け、上岡さんのトークに魅了された多くの人から「独特の話術が素晴らしい人だった」「天才的な話術とは、まさにこの人のこと」といった声が上がっています。上岡龍太郎さん逝去を受けた、息子・小林聖太郎のコメントに称賛の声逝去が明かされた日、上岡さんの息子であり、映画監督として活躍する小林聖太郎さんは、コメントを発表。上岡さんのファンや、これまで仕事でお世話になった人たちに向けて、息を引き取るまでの経緯を明かし、息子から見た『上岡龍太郎という人間』についてつづりました。お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸......。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。産経ニュースーより引用独特かつ軽快なトークで、多くの人から「聞いていて気持ちがいい言葉選び」と評されてきた、上岡さん。どうやらその才能は、息子である小林さんにも受け継がれているようです。コメントからは、上岡さんに対する強い想いが伝わってきますね。タレントの私生活は、ファンには分かりません。しかし、多くの人が小林さんのコメントを読み、「上岡さんは、やっぱり自分の印象通りの人だったのだ」と感じたようです。・知性とユーモアセンスの塊だな。さすがは上岡さんの息子さん。・感動した。自分も、運と縁に恵まれた『勝ち逃げ』をしたいと思いました。・龍太郎さんも粋だったけど、息子さんも負けず劣らずの粋!これが血筋か。上岡さんの歩んだ人生とその美学に、多くの人が改めて尊敬の念を抱いた模様。息子である小林さんのメッセージは、きっと雲の上の上岡さんにも届いていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年06月02日切れ味鋭いトークなどで人気を集めた、元タレントの上岡龍太郎さんが、2023年5月19日に亡くなっていたことが分かりました。81歳でした。産経ニュースによると、肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で息を引き取ったとのことです。京都府京都市左京区に生まれた上岡さんは、1959年に横山ノックさん、横山フックさんと共に『漫画トリオ』を結成し、お笑いタレントとしてデビュー。『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)の初代司会者を務めるなど、関西地域を中心に活躍し、2000年に芸能界を引退しました。ネットでは、「えぇー!ショック!!」「天才的な話術が大好きでした」など、別れを惜しむ声や、感謝を伝えるコメントなどが投稿されています。上岡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月02日日本屈指のアートコレクターである精神科医の高橋龍太郎氏が所有するコレクションを紹介する『高橋龍太郎コレクション「ART de チャチャチャ ー日本現代アートのDNAを探るー」』展が4月28日(金)から8月27日(日)まで東京・天王洲のWHAT MUSEUMにて開催される。高橋龍太郎氏は1997年より本格的に現代美術の収集をスタート。現在その作品数は3000点を超え、日本の現代アートの多様性を包括的に見ることができる充実した内容となっている。同展では、高橋氏のコレクションから1990年代以降の日本の現代アートシーンを語るうえで欠かすことのできない約30作家による約40点の作品をセレクト。作家たちが日本の伝統文化・芸術の中に何を見出し、どのように自らの表現へと昇華させたのか。展覧会を通して、日本の現代アートのDNAを探求し改めてその魅力を探るという試みだ。会場では、岡村桂三郎の大型作品と杉本博司、井上有一、操上和美らの作品が、光と陰の中に浮かび上がる展示空間が創出されるほか、小沢剛、鴻池朋子、天明屋尚、山口晃、横尾忠則など、日本の伝統的な技術や素材、モチーフなどを取り入れつつも新しい表現を生み出した作家たちの作品を紹介。さらに榎倉康二、菅木志雄、関根伸夫、李禹煥ら、日本の現代美術を語る上で欠かすことのできない「もの派」の作家たちの作品も展示される。なお、同展の音声ガイドのナレーションは、俳優・歌手の柴咲コウが担当。WHAT MUSEUMの公式アプリをダウンロードすれば、無料で聴くことができる。■出展予定作家青山悟、井上有一、岩崎貴宏、榎倉康二、岡村桂三郎、小沢剛、小谷元彦、華雪、金子富之、熊澤未来子、操上和美、桑田卓郎、鴻池朋子、指田菜穂子、菅木志雄、杉本博司、須田悦弘、関根伸夫、田代裕基、束芋、天明屋尚、橋本雅也、畠山耕治、町田久美、松井えり菜、見附正康、村山悟郎、森村泰昌、山口藍、山口晃、山口英紀、横尾忠則、李禹煥【開催情報】『高橋龍太郎コレクション「ART de チャチャチャ ー日本現代アートのDNAを探るー」』展2023年4月28日(金)~8月27日(日)、WHAT MUSEUM にて開催
2023年03月22日映画『MY (K)NIGHT』が、2023年に公開される。監督・脚本は中川龍太郎。新鋭・中川龍太郎が紡ぐ完全オリジナルストーリー『やがて海へと届く』や『わたしは光をにぎっている』を手がけた新鋭の監督・中川龍太郎が手がける映画『MY (K)NIGHT』が公開へ。横浜を舞台に男女3組の小さな冒険を描く物語の舞台は横浜。ある夜、三組の孤独な男女に訪れた、たった一晩の小さな冒険を描く完全オリジナルストーリーを映し出す。2022年公開の『やがて海へと届く』では、実写化困難ともされていた原作小説を唯一無二の世界観で描き出した中川龍太郎が、『MY (K)NIGHT』ではどのようなストーリーを紡ぐのか。出演者などの詳細はまだ明らかになっていないため、続報を待ちたい。【作品詳細】映画『MY (K)NIGHT』公開時期:2023年監督・脚本:中川龍太郎
2023年03月03日置鮎龍太郎、宮野真守、古川登志夫、鳥海浩輔という豪華声優4名が、本日より上映がスタートした『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』に新キャストとして出演していることが明らかになった。炭治郎たちの新たな物語を描くテレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編の放送開始に先立ち、遊郭編から刀鍛冶の里編へと繋がるアニメ「鬼滅の刃」の新たな挑戦として、日本での公開を皮切りに、『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』を開催中。そして今回、最新映像を使用したPVと共に、上弦の鬼のキャストが発表され、上弦の壱[いち]・黒死牟[こくしぼう]役を置鮎さん、上弦の弐[に]・童磨[どうま]役を宮野さん、上弦の肆[し]・半天狗[はんてんぐ]役を古川さん、上弦の伍[ご]・玉壺[ぎょっこ]役を鳥海さんが演じることが決定。また、2月12日(日)には、鬼舞辻無惨と上弦の鬼を演じる計8名のキャストが参加する、『「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』鬼舞辻無惨/上弦の鬼集結舞台挨拶の開催とライブビューイングの実施も明らかに。上弦の弐童磨また、“鬼”に焦点をあてた入場者特典 「上弦集結本」が本日より配布開始となっている。そして、TVアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編のOP主題歌が「MAN WITH A MISSION」とmiletのコラボによる「絆ノ奇跡」に決定。楽曲の一部を使用した映像も公開中だ。Jean-Ken Johnny(MAN WITH A MISSION)は「作中ノキャラクターノ人生ト命ガ交錯シ、紡ガレ繋ガル絆トソノ奇跡ノ物語ヲ、是非本楽曲ト合ワセテオ楽シミ下サイ」と呼びかけ、miletさんは「世界中で愛され続けているこの作品を、MAN WITH A MISSIONさんという無敵の方たちとともに『絆ノ奇跡』で支えられたらと思います。濃密で儚い絆と愛の物語。心を込めて、大切に歌わせていただきます」とコメントしている。なお、すでに発表されているロサンゼルスで開催予定の舞台挨拶の様子が、アニプレックス公式YouTubeチャンネルにて無料生配信することも決定した。『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』は上映中。(cinemacafe.net)■関連作品:ワールドツアー上映「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ 2023年2月3日より上映©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
2023年02月03日中川龍太郎監督最新作『やがて海へと届く』が、2022年春に主演・岸井ゆきの、出演・浜辺美波で公開されることが決定した。本作は、彩瀬まるによる同名小説『やがて海へと届く』(講談社文庫)を映画化したもの。突然消息を絶った親友の死を受け入れられずにいる主人公が、深い悲しみを抱えながらも前に踏み出そうとする姿を見つめる、喪失から再生へと向かう物語だ。主演は『愛がなんだ』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、その演技力の高さでドラマ・映画・舞台と幅広く活躍する岸井ゆきの。自分にないものを持つ親友への密かな憧れ、そんな彼女の死を受け入れられずにいる主人公・真奈の繊細な心の機微を、魂のこもった演技で挑み圧倒させる。共演には『映画 賭ケグルイ』をはじめ、映画のみならずテレビやCMなど引く手数多の活躍で『シン・仮面ライダー』のヒロインにも抜擢された浜辺美波。自由奔放で不思議な魅力を持つ真奈の親友・すみれを存在感たっぷりに演じている。両者の映画での共演は初。現場では演技とは思えないほどの空気を作り出し、他では観ることのできない、強い絆を感じさせる親密な表情が全編に散りばめられるだろう。かつては深く繋がるも12年を経て離れ離れになっる人間模様の切なくも愛おしい物に期待だ。監督・脚本は、モスクワ映画祭で国際映画批評家連盟賞、ロシア映画批評家連盟特別表彰をダブル受賞するなど国内外で注目される、『四月の永い夢』『わたしは光をにぎっている』の中川龍太郎が務める。原作の壮大なスケールや描写から実写化困難とも囁かれていたが、詩人としても活躍する監督の世界観と圧倒的映像美が見事に融合。祈りのような心に寄り添う感動作が誕生した。また写真家・木村和平によるフィルムカメラで撮影された撮り下ろし写真も合わせて解禁となっている。<岸井ゆきの・コメント>自分を満たしていた存在が力づくで奪われたとき、自分は何を感じてどう喪失と向き合うのだろうと考えました。愛しい記憶をつなぎ合わせてもここには何も無いこと、忘れないと決めても「今」が抗いようもなく押し寄せてしまうこと。胸が詰まるような思いの先で、息が出来る場所をさがす物語です。やがて海へと届く。映画館でお待ちしています。よろしくお願いします。<浜辺美波・コメント>どんなに親しく時間を共に過ごしていても人と人である限り、みえているのは側面でしかないことばかりです。そんな側面をつなぎあわせて友人をさがす物語でもあって。エンドロールが流れた瞬間にもう1度はじめから観返したくなりました。どんな物語なのか言葉にするのが難しいお話ではあるのですが、『やがて海へと届く』喪失を悲しみとしてだけ残さない作品です。ぜひ劇場でお待ちしております。<原作:彩瀬まる・コメント>原作を丁寧に型どりして空白の領域を埋め、飛躍が必要な箇所では血が通った真摯な創造を行い、まったく新しい物語を産み出してくれた中川龍太郎監督とチームの皆様に、心よりお礼を申し上げます。ただ当たり前に、うまくいかない日常を生きている彼女ら、彼らの、結実しなかった願い、誠実であろうとしたもがき、そのひとつひとつが、愛おしかったです。<中川龍太郎監督・コメント>誰かに憧れ、恋慕う感情は、この世から居なくなった誰かに想いを馳せる感情と似ていると感じます。僕は、この物語が岸井ゆきのさん演じる真奈と、浜辺美波さん演じるすみれの時間や空間を超えた「ラブストーリー」だと思っています。ぜひ、映画館の暗闇でこの喪失と憧れの物語を体験してみてください。これまでにないタイプの愛の物語として、観客の皆様にとってきっと新しい映画体験になるはずです。『やがて海へと届く』2022年春公開予定
2021年10月22日岡田龍太郎(おかだ・りゅうたろう)さんは、特撮ドラマ『仮面ライダーゼロワン』(テレビ朝日系)に出演し、注目を集めている俳優です。また、YouTuberとしても活動しており、『仮面ライダーゼロワン』をネタにした『ポテトチップス開封動画』を公開したことが話題に。さらにツイッターでは早稲田大学を卒業したことを報告し、ファンから祝福されています。そんな岡田龍太郎さんのさまざまな情報を紹介します!岡田龍太郎は『仮面ライダーゼロワン』に出演!髪型にも注目集まる岡田龍太郎さんは2019年9月から放送されている特撮ドラマ『仮面ライダーゼロワン』に不破諫(ふわ・いさむ)/ 仮面ライダーバルカン役で出演。俳優・高橋文哉さん演じる主人公・飛電或人(ひでん・あると)とともにテロリストと戦う、対人工知能特務機関『A.I.M.S.(エイムズ)』に所属する頼れる隊長を演じています。不破諫は主人公と肩を並べるほどの人気キャラクター。中には、髪型を真似するファンもいるようです。 View this post on Instagram A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Feb 7, 2020 at 4:18pm PST不破諫のヘアスタイルは、若干ウェーブがかかった長めの前髪が特徴的。トップはボリュームを持たせ、ラフで自然な形に仕上げています。岡田龍太郎、YouTuberになる! ポテチを開封して話題に岡田龍太郎さんは2018年8月に公式YouTubeチャンネル『りゅうちゅーぶ』を開設し、ゲーム実況や雑談、ギターの弾き語りなど、さまざまな企画を展開しています。岡田龍太郎初ゲーム実況!2020年6月には登録者数が15万以上となり、俳優だけでなくYouTuberとしても注目を集めています。同チャンネルでは『仮面ライダーゼロワン』のストーリーの振り返りや、撮影の裏話が語られることも。特に2019年10月6日に公開した『ポテトチップスの袋を破り開ける』という内容の動画は、ファンの間で大きな話題になりました。岡田龍太郎ゼロワン6話振り返り動画これは、『仮面ライダーゼロワン』で見られた名シーンのパロディ。コメント欄には「本人がやるなんて最高です」といった声が寄せられ、ファンを喜ばせました。岡田龍太郎がツイッターで早稲田大学卒業を報告岡田龍太郎さんが、2019年3月25日にツイッターを更新。早稲田大学法学部を無事に卒業したことを報告し、多くの祝福の声が寄せられています。【ご報告】早稲田大学法学部を無事卒業しました!これからは社会人としての岡田龍太郎を、どうぞ応援よろしくお願いします!さらば学生生活!関わってくれた全ての人に感謝です!ありがとう! #早稲田 #卒業式 pic.twitter.com/LzrKHMDxEw — 岡田龍太郎 (@RyutaroOkada) March 25, 2019 岡田龍太郎さんは、これまで自身を支えてきてくれた人に感謝。これからは社会人として頑張ることを宣言しています。岡田龍太郎のインスタは仲間がいっぱい岡田龍太郎さんは2020年1月22日にインスタグラムを更新。『仮面ライダーゼロワン』の共演者との仲むつまじい写真を投稿しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Jan 22, 2020 at 5:52am PSTさらに同年3月1日の投稿では、変顔8連発を披露! View this post on Instagram ゼロワン25話ご視聴ありがとうございましたー! 変顔一部始終。 A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Feb 29, 2020 at 5:59pm PST気心の知れた仲間が近くにいるからこそ撮れる写真を、ファンは「爆笑」「いい雰囲気」と絶賛しています。このほかにも、岡田龍太郎さんはインスタグラムで友人たちに囲まれたショットを公開。どの写真でも素敵な笑顔を見せており、好評となっています。 View this post on Instagram ドラ恋男子! #今日は #夢でも #インスタライブ #してました A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Jan 6, 2019 at 4:30am PST View this post on Instagram . テジュが家に遊びにきてくれたよー! 一緒にスマブラしたよ動画お楽しみに! A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Feb 11, 2019 at 6:57am PST View this post on Instagram ジオウとゼロワンのひとたち A post shared by 岡田 龍太郎 (@ryutarookada_official) on Nov 26, 2019 at 4:47am PST岡田龍太郎さんのさらなる活躍に期待です!岡田龍太郎 プロフィール生年月日:1993年12月27日出身地:兵庫県血液型:O型身長:1753所属事務所:ケイダッシュ2016年に開催された『第29回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』で準グランプリを受賞。2017年にドラマ『脳にスマホが埋められた!』(日本テレビ系)と『僕たちがやりました』(関西テレビ)の2本の連続ドラマに出演し俳優デビューを果たす。2018年にはドラマ『ホリデイラブ』(テレビ朝日系)に出演。2019年から放送中の特撮ドラマ『仮面ライダーゼロワン』で不破諫 / 仮面ライダーバルカン役を演じ、注目を集めている。[文・構成/grape編集部]
2020年06月11日●芸風は「似ているようで全然違う」『あらびき団』を機にブレイクし、「R-1ぐらんぷり」など各タイトルを獲得してきたハリウッドザコシショウと、荒唐無稽なネタの数々で芸人間の評価を高め、全国的なブレイク後は音楽・アート面でも多彩なセンスを発揮しているくっきー!(野性爆弾)。ともに超個性的な芸風を貫いてきた2人は、お互いにどんな思いを抱いているのか? 松本人志の発案による究極の笑わせ合いバトル『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(Amazon Prime Video)の王者同士として、2ショットインタビューで語り合ってもらった。――『ドキュメンタル』で、くっきー!さんはシーズン4、ザコシショウさんはシーズン5と7のチャンピオンです。アプローチは違えども「近い匂い」のようなものがあると思いますが、お二人は互いに共感を覚えていますか?ザコシショウ:まあね。言われるんですよ、バッファロー吾郎A先生とかに。「同じ類なのに仲いいよね?」みたいなことを聞かれるんですけど、全然仲もいいし、番組で共演しても、うまいこといってる。くっきー!:そうですね。楽しいですね。ザコシショウ:ボケも重ならないから。くっきー!:ジャンル、似ているようで全然ちゃいますよね。ザコシショウ:ちゃうちゃう。俺がガンガンにボケると、(くっきー!は)ツッコミに回るしな。頭おかしい感じのツッコミに(笑)。――共演の際に打ち合わせとかはしないんですか?くっきー!:しないですね。――お二人の呼吸が合うということなんですかね?くっきー!:たぶん、息してるタイミングが一緒なんですよ。ずっと(笑)。ザコシショウ:はっはっは(笑)!くっきー!:全然ちゃうとこで寝てても、同じタイミングで息してると思う(笑)。――そんなお二人は、大阪NSCの11期生と13期生。大阪時代はどんな交流があったんですか?くっきー!:僕が辞めるって言うたときに、「辞めんな」ではないですけど、そんな感じで言うてくれはったのは、シショウとケンコバさん。それで今がある。続いてますね。ザコシショウ:説得しに行ったんですよ。ケンコバと2人で。二丁目劇場のオーディションライブみたいなのがあって、(野性爆弾が)落ちちゃって「もうやめる」って。「辞めてどうすんの?」って聞いたら「AV男優になります」って言うから、「いやあ、止めろよ」って(笑)。「俺らがネタ見たいから」って。くっきー!:あれがあったから、今がありますよ。大感謝。ザコシショウ:感謝してる(笑)?くっきー!:言うたやろ! しつこいわぁ(笑)。●ザコシ、芸風に悩んだ過去と転機――今では各方面でご活躍中のお二人ですが、ともに見る側が予想しない、荒唐無稽・予測不能なネタを武器にされていたこともあり、お茶の間でブレイクするまでに時間がかかったかと思います。くっきー!さんは『しくじり先生』でそのあたりをお話しされていましたが、ザコシショウさんはご自身の芸風について、迷いなどを感じることはありましたか?ザコシショウ:ありますよ。そりゃあ。くっきー!:ほんまに!?ザコシショウ:コンビ解散するとき。G★MENSを解散して、「普通に仕事をする」って相方に言われたとき、コンビからピンって…あのときはしんどかったですね。今までやってきたことが使えなくなるので、一からピン芸人を耕さないといけないってなって。最初の方はG★MENSでやってきたやつを一人用でやってたから、全くウケん。パワーダウンですよ。くっきー!:はっはっは(笑)。誇張モノマネでバーン! いったんでしたっけ?ザコシショウ:『あらびき団』。アシュラマンの真似とかやってた(笑)。「ああ、これ売れたなあ」と思ったんだけど、ギャラは地獄やった(笑)。でも、『あらびき団』は名前が日本全国に売れたから。そこは感謝してます。――そんな『あらびき団』も、去年は放送されませんでしたね。ザコシショウ:されなかったですね。総合演出の方から「申し訳ございませんでした」って、ご丁寧にメール来ましたから(笑)。「いや、全然大丈夫ですよ」って(笑)。僕は「あら-1グランプリ」第2回優勝者で、その2年後に『R-1ぐらんぷり』を獲って、その2年後に『ドキュメンタル』(シーズン5)を獲ってるので、ぽん・ぽん・ぽんと、2年周期で。くっきー!:あと何があんねやろ…ないなあ、もう。あります? あと獲れるもの。『M-1』に『キングオブコント』もダメでしょ? 頭打ち(笑)。獲れるもの、なくなってもうた(笑)。ザコシショウ:チャンピオン大会とかな。くっきー!:あ~! そやそや! 『ドキュメンタル』のチャンピオン大会ね。ザコシショウ:『水曜日のダウンタウン』の替え歌最強トーナメント。第4回。くっきー!:ほんまや! 替えれてないけどね!ザコシショウ:替えとるわ! あなた替えすぎやろ!くっきー!:俺はちゃんと替えてんすよ(笑)。ちゃう歌でちゃう歌、歌うでしょ?ザコシショウ:歯の替え歌とか、なんなん!?くっきー!:長渕剛歌うだけって、なんなん(笑)!?ザコシショウ:あれね(笑)。くっきー!:なんの曲やったっけ?ザコシショウ:『ultra soul』を全部長渕で歌う。くっきー!:(長渕のものまねをするザコシショウのものまね)ザコシショウ:はっはっは(笑)。●くっきー!「辞めるタイミングを模索中」――では最後に、お二人が抱く芸人としての野望を教えてください!くっきー!:僕は上岡龍太郎さんみたいに、ある一定のタイミングでパッと辞めたいですね。マジで、どっかで辞めたいんですよ。今、その辞めるタイミングを模索中というか…。――辞めた後は、どうするんですか?くっきー!:辞めても大丈夫なくらいお金を貯めて。急にパンって消えたいですね。ザコシショウ:(上岡龍太郎さんがかけていた)黄色い眼鏡で?くっきー!:オール鼈甲みたいな(笑)。シショウ、お笑いずっとやりたいですか?ザコシショウ:俺はずっとやりたいねえ。くっきー!:80歳になっても?ザコシショウ:80歳かあ…80歳でヨボヨボ? 裸じゃ無理だよねえ。くっきー!:まあ見てられんでしょうねえ。ぷーって、皮膚を張らな。もう、後ろをテグスで縫い付けな(笑)。引っ張って。見てられんでしょう。ザコシショウ:そうやなあ。ということは、鍛えていかないといけないかもしれないな。くっきー!:あと、普通に痩せていくかもしれんじゃないですか。年取ったら。ザコシショウ:癌?くっきー!:いやいや、衰えでね(笑)。「癌?」じゃないのよ。聞きたくないの、その言葉。一番怖い言葉なんよ、癌が。ザコシショウ:癌がな(笑)。不摂生の塊やん、あなた。くっきー!:いや、誰が言うてんねん!ザコシショウ:寿命? そういう番組あったじゃん。あなた一桁だったやろ、余命。俺は20年あったよ。同じ番組に出た時。あなた8年くらいでしょ?くっきー!:あたし9年。二人で30年くらいありますやん。20年と9年。ザコシショウ:あ、じゃあ大丈夫か(笑)。くっきー!:大丈夫ですよ(笑)。■ハリウッドザコシショウ1974年2月13日生まれ。静岡県出身。Sony Music Artists所属。1992年に大阪NSCに11期生として入学。同期にはケンドーコバヤシ、たむらけんじ、陣内智則、中川家などがいる。コンビ「G★MENS」として活動後、ピン芸人に。初回から出演した『あらびき団』で一躍脚光を浴びる。2014年には「あら-1グランプリ」を、2016年には「R-1ぐらんぷり」を制覇。2018年には『ドキュメンタル』シーズン5で圧倒的な強さを見せ、初出場にして優勝を果たし、2019年のシーズン7では史上初の連続優勝を達成した。■くっきー!1976年3月12日生まれ、滋賀県出身。野性爆弾のボケ・小道具担当。吉本興業所属。相方のロッシーとともに、NSC大阪校に13期生として入学。グロテスクさや奇抜さを武器にしたネタで芸人間の評価を高め、各劇場や「オールザッツ漫才」などのテレビ番組で活躍。映画『下妻物語』における深田恭子からインスピレーションを得たお風呂の妖精「チェチェナちゃん」として『めちゃ×2イケてるッ!』に出演して注目を集め、Instagramでの「白塗りモノマネ」や『ガキの使いやあらへんで』出演などを経て全国区に。画家・アーティストとしても活躍中で、展示会「くっきーランド」では国内外で総来場者数50万人を記録した。
2020年03月22日女優の中村玉緒(80)と俳優の勝新太郎さん(享年65)夫妻の長男・鴈龍太郎さんが亡くなっていたと12月3日に発表された。55歳だった。日刊スポーツによると仕事関係者が自宅を訪れたところ、亡くなっているのを発見された鴈さん。死因は急性心不全。葬儀や告別式はすでに近親者で行われており、勝さんと同じ名古屋市内の墓に眠っているという。「鴈さんはかつて勝さんの付き人を務め、その後は息子であることを隠して役者修業をしました。そして89年、勝さんが監督・脚本・主演を務めた映画『座頭市』で映画デビュー。しかし真剣を用いた撮影中に誤って切りつけてしまい、斬られ役の役者が死亡。業務上過失致死の疑いで取り調べを受けましたが、後日に無罪となりました」(映画関係者)一人息子に期待していた勝さんからときには愛情深く、ときには厳しく指導されていたという鴈さん。しかし名優から英才教育を受けるようになってから30年余り、その才能が開花することはなかった。今年5月、中村の古くからの知人は本誌取材に「この2年間ほど鴈と玉緒さんは絶縁状態でした。玉緒さんから切り出したと聞いています」と明かしていた。「97年に勝さんが亡くなってから、玉緒さんは鴈とバラエティ番組で共演したり自分が出演する舞台のプロデューサーに頼み込んで役を与えてもらうなどのサポートをしていました。鴈にも勝さんの名前に恥じないようにと頑張る気持ちはあったのですが、プライドが高くあまり“使いやすい俳優”とはいえなかったそうです。くわえて玉緒さんの経済的援助もあったので、やる気も長続きはしなかったようです」(前出・中村の知人)06年1月の「婦人公論」で「私はちょっと贅沢をさせて、(子供たちの)育て方を間違えたかもしれません。でも、私にとっては、大事な子供たちです」と話していた中村。しかし、“縁切り”を言い渡した。「何十年も『きちんと仕事をしてほしい』と鴈に苦言を呈してきた玉緒さんですが、もう80歳。苦渋の決断を下さざるを得なくなったのです。鴈は17年、舞台に出演しました。実に2年ぶりの俳優仕事でしたが、その後も働く素ぶりを見せませんでした。玉緒さんは『私が面倒をみている限り、あの子が立ち直ることはない』と考え、娘さんとも相談したうえで絶縁を決意。そして、経済的援助を打ち切ったと聞いています」(前出・中村の知人)本誌は5月、中村に直撃し絶縁の真意を問うていた。すると“鴈龍太郎”の名前を聞いた途端に口をつぐんでしまった。いっぽう同席していた長女が「親子関係は悪くないです。それにプライベートのことですので……」と静かに返答。そして、2人は自宅に戻っていった。経済的支援を打ちきり、さらに絶縁状態となった矢先の孤独死。母の胸中はいかに――。
2019年12月04日大阪・朝日放送の人気バラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」(毎週金曜午後11時17分~)の新探偵局長に、お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(56)が就任することが25日、同局で行われた収録で発表された。同番組は、視聴者からの悩みや疑問を探偵役の出演者が調査するバラエティーで、1988年3月にスタート。関西地区では、深夜帯の放送にもかかわらず、週間視聴率ランキングでゴールデンタイムの番組に混じってトップ20入りすることがあるほどの人気番組となっている。初代の探偵局長を元タレントの上岡龍太郎氏(77)が務め、俳優の西田敏行(71)が01年1月から2代目局長に就任したが、今月18日の放送回で、11月22日の放送分をもって降板することを表明していた。「ネットでは新局長候補として、大の阪神ファンである俳優の渡辺謙さん(60)、『関西の女帝』と呼ばれる上沼恵美子さん(64)らとともにも松本さんの名前もあがっていた。松本さんはちょうど、レギュラーだったTBS系『クレイジージャーニー』が不祥事で打ち切られたので、タイミングが合ったのでは」(テレビ局関係者)そんな中、ネット上で話題を呼んだのが、同番組の第1回放送から95年3月まで探偵局員として出演していたタレントの越前屋俵太(57)のツイッターへの書き込み。26日に更新したツイッターに《今回の局長人事。話題性もあるし、実際に松本君も番組が好きなんだろうけど》と前置きしつつ、《ある意味、制作側は番組存続のために、吉本に身売りしたようなものだ》と書き込んだのだ。するとネット上では《いろんな畑の人が上岡局長に認められるため戦っていた時代が懐かしい》、《幅広い人選で探偵が揃っていたら良かったのに》といった同調の声があがった。その一方で《松本さんなら上岡さんに負けないくらい厳しいジャッジができるんじゃないかと思ってる》など、松本の起用を期待する意見も。松本新局長に賛否入り混じった声が寄せられたのだ。もともと松本は番組の大ファンで、16年5月には、自ら依頼者としてVTR出演したほど。番組の“伝統”を松本はどう受け継ぐのか――。
2019年10月29日松本穂香が主演を務める、前作『四月の永い夢』で世界的に注目を集めた中川龍太郎監督の最新作『わたしは光をにぎっている』が公開決定。さらに、中川監督としては2作品連続でモスクワ国際映画祭の特別招待作品として正式出品されることも決まった。物語宮川澪は、20歳。両親を早くに亡くした彼女は、長野・野尻湖のほとりのこじんまりした民宿を祖母と2人で切り盛りし、淡々とした日常を送っていた。しかし祖母の入院を機に民宿を閉めざるを得なくなり、父の親友であった京介を頼って上京、彼がひとりで経営する都内の銭湯の元で居候をすることになる。職を探すが、都会の空気にうまくなじめない澪は、徐々に銭湯の仕事を手伝うように。映画監督の夢を持つ銀次や会社員の美琴など、銭湯にたむろする常連客たちと次第に親密になる澪。銀次の映画を観たり、美琴に飲み会に誘われたりと、東京での日々が少しずつ楽しくなっていく。しかし、区画整理のため銭湯が近いうちに閉店する運命にあることを知った澪は、ある決断をするのだが…。2019年飛ぶ鳥を落とす勢いの松本穂香、主演映画が海外初出品主演を務めるのは、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」でヒロイン(有村架純)の同僚・澄子役を演じ、TBSドラマ日曜劇場「この世界の片隅に」では主人公すず役を務め上げ、一躍脚光を浴びた松本穂香。映画『チワワちゃん』『君は月夜に光り輝く』から『酔うと化け物になる父がつらい』『おいしい家族』、声優として『きみと、波にのれたら』など出演作が絶えず、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの実力派若手女優。また今回、本作は第41回モスクワ国際映画祭への正式出品も決定。メガホンをとった中川龍太郎監督といえば、1990年生まれの29歳の新進気鋭監督。東京国際映画祭の公式部門のひとつで、日本のインディペンデント映画を積極的に紹介する「日本映画スプラッシュ」部門で『愛の小さな歴史』、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』と2年連続出品を最年少で果たし、注目を浴びた。今回は、第39回モスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した前作『四月の永い夢』(’17)に続いて2作品連続での出品。さらに、松本さんは主演映画の海外映画祭上映は初めてとなり、大きな期待が寄せられている。松本穂香「監督が紡ぐセリフは優しくて、映画の中に溢れる光はとても美しい」松本さんは本作に参加し、「私たちの暮らす世界はとても儚くて、だからこそ美しいのだと、映画を通して改めて感じました。中川監督が紡ぐセリフは優しくて、映画の中に溢れる光はとても美しいです。色んな視点から楽しんでもらえる映画になっていると思います」と心を込めてコメント。この度のモスクワ国際映画祭出品については「海外での上映はひとつの目標でもあったので、とても嬉しくもあり、海外の人に受け入れてもらえるのかという不安もあり、ドキドキでいっぱいです。堂々と自信を持って参加したいと思います」と期待を寄せている。中川監督「ささやかな『魔女の宅急便』になっていますように」「祖母の代からずっと通っていた近所のお豆腐屋さんが潰れた。学生時代にいつも通っていた銭湯も潰れた。伝統的なものが高級な文化としてしか残らないのだとしたら、日本に暮らしている多くの高級なものとは無縁の僕たちは、この国で生まれ、生きていることの思い入れをどうやって守ったらいいのでしょうか。そんな想いをきっかけに、“子供のまんまでいたい”女の子が、自分の力でどうやって新しい居場所をつかみとるのかを描きました」と、中川監督は作品の経緯をコメント。「この小さな物語が現代日本を舞台にした、ささやかな『魔女の宅急便』になっていますように」と思いを込める。モスクワ国際映画祭については、「モスクワの皆さんと再会できることが楽しみです。今の日本以上に先の見えない世情にあって、ロシアは街の様相も刻々と変わっていると聞きます。この映画が、まさに激動の隣国・ロシアの人々にどう受け止められるのか、ドキドキしています」と言う。「この映画が、これまでの映画のように1つでも多くの文化で生きる人々に届きますように。そして、その声を養分にして、日本の観客の皆様と豊かなコミュニケーションがとれたら嬉しい」と語っている。『わたしは光をにぎっている』は2019年、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2019年04月03日お笑いコンビ、矢野・兵動の兵動大樹と落語家の桂吉弥が2月28日、W主演を務める舞台『はい!丸尾不動産です。~本日、家をシェアします~』(大阪・ABCホール、6月29日~7月1日)の記者会見を大阪・カンテレ本社で行った。2人は初共演だが、兵動は「自分の中でまだ眠っているものが起き出してくるんちゃうかなという楽しみがあり、来ていただいたお客さんに満足していただき、関西での楽しみをひとつ増やせればなと思って頑張りたい」、吉弥は「憧れの兵動兄やんとお芝居ができてワクワクしています。新たなキャラクターを出したい!」と笑顔。互いにリスペクトしあう2人に「自身がすごいと思うしゃべくりの達人は?」という質問が飛ぶと、兵動は「エピソードをしゃべられるときの間は(笑福亭)鶴瓶師匠がスゴいと思うし、初めて落語の世界に入っていったのは(故・桂)枝雀師匠。上岡龍太郎師匠のきれいさの中にある毒とか、松本(人志)さんの臨場感のあるしゃべりや、上沼恵美子さんのボールを持った瞬間、誰にも止められない突破力など、レジェンドが多すぎて絞れないです」と困惑し、吉弥は「この頃思うんですけど、アナウンサーや気象予報士の何かを伝える話し方ってスゴいことやと思います。…ということで関西テレビの豊田(康雄)アナウンサーです!」と回答して、会見会場を盛り上げた。舞台の見どころについて、兵動は「今回のお芝居の脚本がドラマ界のヒットメーカー古家和尚さんというのもテレビ局が作る舞台として1つの見どころです」、吉弥は「関西で新しい楽しみが一つ増えるというか、関西にこういう芝居でお客さんが集まってくれる…そんな舞台にしたいです」と意気込みを語っていた。この舞台は、『ハゲタカ』『任侠ヘルパー』などのドラマを手掛けた古家和尚氏が脚本、舞台『それいゆ』などを手掛けたカンテレの木村淳氏が演出する、ワンシチュエーションコメディ。不動産屋さんにふんする兵動と、とあるシェアハウスに入居申込みに来る元エリート銀行員を演じる吉弥が、“おしゃべりの応酬”を展開する。チケットは、3月30日10時から一斉発売。
2019年03月01日●刷り込まれたヤクザ像と「生々しさ」千原ジュニア(43)のエピソードトークで度々登場する"鬼軍曹"。ジュニアを慕う後輩芸人たちをまとめ上げるその男・三浦誠己(42)は、『侠飯~おとこめし~』(16年・テレビ東京系)、映画『アウトレイジ』(10)、『極道大戦争』(15)、『ディストラクション・ベイビーズ』(16)などその名を彷彿とさせる強面の印象が強いが、近年でも『木屋町DARUMA』(15)、『関ヶ原』(17)、『ナラタージュ』(17)、『火花』(17)など、幅広い役柄のバイプレーヤーとして多くの監督から支持を集めている。その三浦が、芸能事務所・ディケイドの設立25周年を記念して企画・製作された映画『AMY SAID エイミー・セッド』(9月30日公開)で主演を務める。村上淳、村上虹郎、渋川清彦、山本浩司といった同事務所の役者が総出演する中、彼は主演としてある"実験"を行っていた。よしもと所属の芸人時代に一度は見失った「本質」。役者転向後、その重みを噛みしめる三浦の演技は凄みを増している。『AMY SAID エイミー・セッド』は、かつて映画に注いでいた情熱も冷め、人生に疲れた元映画研究会の40代男女8人が行きつけだったバーで再会する物語。三浦演じる朝田は、周囲の羨む声とは裏腹に、誰よりも自身の才能に失望している人物だが、酒を酌み交わしながらの会話では「才能」という言葉が頻出する。芸人としての挫折を知り、演技の実績を積み重ねてきた三浦にとって「才能」とはどのような意味を持つのか。○死ぬまで終わらない目標――公式サイトには「本気で挑んだ大人の青春映画」とありました。そして、ディケイド設立25周年という他の作品にはない要素も含まれてます。そうですね。この映画に出ているすべての俳優がそうだと思うんですけど、「25周年」ということはあまり考えなくて、それぞれが全ての作品を全力で取り組んできたのと同じように。節目になる映画だから特に気合いを入れたということでもなかったんですが、同じ事務所なので予定が合わせやすくて、その上、仲も良いので事前の本読みを3~4回することができたり、そういう部分では他の作品との違いは感じました。――映画化の話を聞いたのはいつ頃だったんですか?去年の夏に撮って……その半年ぐらい前に聞いたと思います。社長から聞いてその時点で台本はできていなかったんですが、「分かりました」と。その後に台本をもらって読んで、そこからですよね。闘いというか。監督と喫茶店で話させてもらって、社長とも意見を交わしました。というのも、僕が抱いていた同窓会イメージとはちょっと違っていたんです。人の出入りが多かったり、電話で外に出たり、登場人物がもっと散らばるのが同窓会のイメージだったんですが、一人ひとりが告白していくのはあまりないことなのかなと。映画のリアリティから外れている印象だったので監督とお話しました。そのやりとりの中で、ピンときたんです。同窓会って、やっぱりみんなどこか装うというか。そこがきちんと伝われば成立して厚みが出る話になると思ったので、僕が演じた朝田という役は「演じない」と決めました。生々しさというか。極端にいうと、どこからか素人の人を連れてきて演じさせたような。「演技を取り除くこと」が、この作品の背骨になればと思いました。――最近の『侠飯』をはじめ、これまでの作品とは三浦さんの雰囲気が何となく違うと感じるのは……その生々しさだったんですね。それは僕が演じる上での裏テーマでもあるんです。地上波やネット、映像カテゴリーがこれだけ増えている中での映画を考えると、昔の映画のアクションシーンは体に当たっているように撮っていました。でも、生で人を殴っている映像はネットで簡単に見ることもできる。映像の中での暴力のリアリティって何だろうとなりますよね。『ディストラクション・ベイビーズ』(16)では真利子哲也監督とそういうお話もしました。ヤクザの役をやることも多いんですけど、多くの人に刷り込まれているイメージは『仁義なき戦い』なんです。そして、実際にヤクザを生業としている方々も影響を受けていたりする。そういう逆転現象が起こっています。だからこそ、演じ方はもっと違っていてもいいはずなんです。きっと時代によってヤクザ像も変わるはず。これが僕の中での「生々しさ」という裏テーマです。――まずはリアリティを重視すると。ウソっぽくならないように。これは雲をつかむような話なんですけど、映画に出ている僕を観た方に「僕」と気づいてほしくないんです。「よっ! 待ってました三浦誠己!」にはなりたくない。「この人は誰だろう?」から、エンドロールで名前を見つけて、「どこに出ていたっけ?」となるのを目指したい。不可能なんですけどね。顔は変えられないわけで。出演作が増えれば増えるほど、それは難しくなります。――先月千原ジュニアさんを取材しました。トーク番組で三浦さんの名前を出されることが多くて、あらためて三浦さんの経歴を確認してみて驚きました。自分が観ていた作品がたくさんあったからです。そうですね、それが理想です(笑)。自分が出ているから観てくださるのはうれしいことでもありますし、それが俳優の仕事だとも思うんですけど、そう思わないと役者として成長できないというか。生々しくありたい。これも変な話になるんですけど、「お嫁さんを僕にください」と相手の両親の実家でする結婚のあいさつ。実はもともと、実際にそういう人なんていなかったんじゃないのかなと。おそらく何かの作品でそういうシーンがあって。そうやって無意識のうちに刷り込まれていることは、日常生活では無数にあると思います。僕は、そうやって刷り込まれているものがたくさんあるんだと意識してこの仕事をしてきました。それが自分のポリシーです。役者としての目標を聞かれた時に、例えば「大河ドラマに出たい」とか「賞が欲しい」とかそういう具体的なことではなくて、「生々しさを追求する」という死ぬまで終わらないようなことが僕の目標(笑)。それいつ終わるんだよというものが本質的なことなんじゃないかなと思ったので。この作品の中で感情が高ぶって泣くシーンがあるんですけど、もともと泣こうと決めていませんでした。どういうリズムでしゃべろうとも考えず。それを本読みしている時とかに、これだとリズムがよすぎるし、観ている人に違和感なく届いてしまうかもしれないとか考えました。それって結局、「刷り込まれている」ことなんですよね。実際の会話は、そんなに流暢にしゃべることなんてないですよね。それを僕は大事にしていますが、それを「芝居じゃない」と監督にけちょんけちょんに言われる時もあります(笑)。基本的には監督に従いますが、話し合って歩み寄れるポイントを探っています。●千原ジュニアから「よしもと辞めたほうがええ」――事務所の方々がみなさん揃って撮影するのは初めてなんですか?こういうアンサンブルではなかったんですけど、5年前に『Playback』を撮りました。その時に僕や渋川清彦、山本浩司とか事務所の俳優が揃って共演したことはありました。年に1回忘年会があったり、出演舞台を観に行ったり、お互い交流しながら俳優として気にしながらの関係なので、今回の映画でも自然と同窓会っぽい雰囲気が出せたんじゃないかなと思います。――親しい間柄でこれだけ熱量の高い作品を演じるのは、役者としてどんなメリット、デメリットがありますか?確かに、やりやすいところとやりにくいところがありますね。やっぱり感情的になるところで、相手は芝居なわけですけど「いつもと同じだ」と思ったりする(笑)。だから僕はプライベートをあまり知らない人の方が演じやすいです。あまり知っていると笑ってしまうというか。千原ジュニアさんなんかプライベートの時間が長すぎるので、絶対に無理です(笑)。仕事なんて照れて緊張してしまいます。――お二人の共演楽しみにしています(笑)。25周年作品の主演と聞いて、率直にどう思われましたか?僕を主演に据えてくだったからこそ、実験的な試みをしようと思いました。「演じない」というか普段やらないスタンスでやること、そのわがままを主演だからこそ通させてもらおうかなと。本読みの前後、監督や社長とこのあたりを話し合いました。そこで「演技をしない生々しさを突き詰めることができる」と確信しました。これができたら、この作品の見え方が変わるんじゃないかと。完成した作品を観た時に、監督と社長がそれを予感してこの映画を作っているような気がして、計画的に俺はハメられたんじゃないかと思いました(笑)。自分では分からないけど、他者から見た自分。的確に課題を与えられているような気がしますし、演じる人間の核となる部分に気づいていらっしゃるのかなと感じた作品でした。○お笑い芸人、俳優の才能とは――この映画の中には、渡辺真起子さん演じる芸能事務所の社長が登場します。「自意識のない俳優はつまらない」というセリフがすごく印象的でした。演技に対してやりたいことがないとか、目標がないとか。悩んだり苦しんだりすることがない俳優はつまらないという意味だと受けとめています。結局はみんな「商売」なんですが、演じることを商売のための「ツール」にしてしまうのは良くないなと。「演じる」をツールにするのではなく、自分の中で膨らませたり、縮ませたり、悩みながら取り組んでいきたいですね。――今回の映画には「才能」という言葉がたくさん出てきます。主人公は同級生から、映画監督としての「才能」をうらやましがられていた。「芸能界と才能」は密接に関係していると思うんですが、芸人から俳優へと転身した中で、「才能」をどのように受けとめていますか?才能……本当に難しいですよね。自分自身のことしかわからないですが、僕は子供のころから歌はヘタだったし、楽器ができる環境でもなかった。それは自分に才能がなかったからなのか、チャレンジしようとしなかったからなのか、そういういろいろな要素が「才能」へと結びつくと思うんです。最初にお笑い芸人になったのは、1990年頃でバブル崩壊や湾岸戦争で世の中でいろいろな変化が起こっていたタイミングでした。当時15、6歳の自分は、こんな時代でどんな大人になろうかと考えた時、立川談志さんとか、上岡龍太郎さんとか、ビートたけしさんとか、松本人志さんとか。世の中の本質を捉えるような発言をしているのが芸人さんだった。すごくかっこよかった。実は最初、教師になりたかったんです。人が生きる上での指針になれる存在。でも、ふと考えた時に、学校の1クラスは40人ぐらい、全校生徒は500人ぐらい。もっと多くの人の耳に届けるには、芸人じゃないかと。本質を捉えている芸人さんは、すごく魅力的な仕事に感じました。和歌山出身なので、よしもとも身近な存在でしたから。あとは、大学に行きたくなかったんですよね。勉強が嫌いで。それから逃げるためというのも半分はあったのかもしれません(笑)。今振り返ると、時代の流れの中で自分の価値観も変わっていったんですよね。笑いの勉強を一生懸命しようと思いながらよしもとの養成所に入り、最初に最終目標を聞かれるんです。みんな冠番組を持ちたいとか、漫才賞がほしいとかあるんですが、僕は「映画監督」でした。すべてのことを成し遂げた先に「映画監督」があるんじゃないかと。そして、それは本質を捉えている人たちに回ってくる仕事なんじゃないかと。そういう人になりたいと思いました。物事の本質を捉え、それを笑いに変えるのが芸人です。世の中のあらゆる本質を見抜ける男になりたかった。17歳からはじめて、27歳で芸人を辞めました。どういう家庭で育ったのかとか、もともと備わっていたとかに才能には関係してくると思いますが、僕が芸人を辞める時に最後に思ったのは、「情熱」と「才能」の欠如でした。お笑いの才能はないと思っていましたが、そんなことより、「情熱」がなくなったことが辞めるきっかけでした。――何か決定的な出来事があったんですか?年齢による考えの変化もあると思いますが、自分がやってきたこと、やろうとしたことが、今になってですが本質を捉えることとはかけ離れていたんだなと感じます。芸人になりたての時はお金がほしいとか、イイ女を抱きたいとか、売れたいとか、よこしまなことばかり。最初はそれがハングリー精神になって努力へとつながっていったんですけど、それが最後は努力を置き去りにしたただの欲望になっていた気がします。それは若さゆえの欲望だったはずですが、一流の先輩方と接する中で「俺、無理やな」と思いました。17歳の頃に思い描いていた未来の自分がそこにはなかった。その時、27歳。僕にとっては挫折ですね。今思えば若いと思うんですけど、10年芸人をやった上だと「もう27歳」だったんです。芸人を辞めて次に何をやろうかと思った時に、映画の話が来ました。これは奇跡的なことなんですけど、あるきっかけがありました。芸人を辞める前に映画のオーディションに行くように事務所に言われて、そこにはたくさん俳優がいるわけですよ。オーディションでは芝居の審査をされて、「こんなん受かるわけないやろ、アホちゃうか」と思いながら適当にやったんです(笑)。そんな僕を監督が気に入って下さって使っていただきました。芸人辞めるときに、その映画を観た別の方が仕事をくれました。タイミングよくつながって、ちょこちょこ俳優の仕事をやりながらアルバイトをする生活が続きました。これからも俳優をやらせていただく環境があるのであれば一度きりの人生、せっかく入った芸能界ですし、もう一度17歳の時の気持ちに戻って欲望を捨て去ろうと。「本質を捉える」ということだけを守ってやっていこうと誓いました。芸人から役者へと職業が変わりましたが、芸人時代の自分を知ってくれている木村祐一さんや板尾創路さんが監督として起用してくださったり、一つひとつは繋がっています。生々しく、本質的でありたい。どんな仕事でも、そういう人と人の縁は大切でしょうし、自分で大事にしていることがたとえ難しいことでも思い続けていれば必ず具現化してくるんだと信じています。――千原ジュニアさんがよしもとから現在の事務所に移るきっかけになったと聞きました。芸人を辞めて俳優の仕事をはじめた頃も、よしもとに籍を置いていました。よしもともそれを理解してくれて俳優部門みたいなところに1年半ぐらいいたんですけど、それをジュニアさんは「よしもと辞めたほうがええ」と。最初、それを聞いてもピンとこなかった。ジュニアさんは映画にも出ていたので見えていたんでしょうね。一度やめて、別の俳優事務所で看板を立て直した方がいいと。だから、あの人は本質を見ているんですよ。活躍していた漫才コンビが解散する時、僕なんかは「解散せんほうがええ」と思いがちなんですが、ジュニアさんは「解散したいんやったらしたらええ」と。「めっちゃがんばらなアカンぞ。ただ、未来のことは誰にも分からへん」「お前がどうなるかなんて誰にも分からへんから」。僕らは過去からつみあげてきたものをまた一からやり直すのが怖かったりするんですけど、ジュニアさんはそういうことを常に俯瞰で見ている感じがします。今は年に1回か2回ぐらいしかお会いしてないんですけど、昔は毎日のように一緒にいて。だからこそ、そういう部分に触れることができたのかなとも思います。毎日、毎晩、飯連れて行ってもらって。「本質を捉える」はここにも通じているような気がしますね。――その後、ディケイドに入るきっかけは? 10年前ぐらいですよね。どうしようかと思って、知り合いのプロデューサーに相談して。いくつかある中で、ディケイドに自分が出ているすべての作品資料と手紙を送りました。佐伯社長から会いましょうと言われて2時間ぐらい話して、「とりあえず預かるよ」とあっさり。まだ、預かられてるんとちゃうかと思います(笑)。■プロフィール三浦誠己1975年11月16日生まれ。和歌山県出身。身長181センチ。B型。『岸和田少年愚連隊』(96)でスクリーンデビューし、同年にお笑いコンビ・トライアンフを結成。翌年、コンビ解散後は東京でピン芸人として活動。2005年に現在の事務所ディケイドに移籍した。これまで、『きょうのできごと』(04)、『ニセ札』(09)、『アウトレイジ』(10)、『人類資金』(13)、『木屋町DARUMA』(15)、『ディストラクション・ベイビーズ』(16)などの映画に出演。今年は『AMY SAID エイミー・セッド』のほか、『なりゆきな魂、』、『昼顔』、『関ヶ原』、『ナラタージュ』、『火花』など。
2017年09月28日会議や商談などのビジネスシーンでは、何かと相手を納得させる話術が求められたりするものですが、口ベタな筆者はいつも大苦戦。もっとウマいこと言えたらいいのになあといつも思います。ただ、今から卓越した話術を身につけることは難しいとしても、相手を納得させるためには、もっとなにかできることがあるような気もしています。テレビの通販番組などでもおなじみの実演販売人・マーフィー岡田さんに"相手を納得させるコツ"、伺ってきました。——どうしたらいいんですか「マニュアルなんてないよ。ただ一つ言えるのは、相手に良い印象を持ってもらうことだね。実演販売の世界は厳しいよ。この販売人が気に食わないとなったら、すぐにお客さんは去っていく。売っている商品がどんなに良いものだって関係ない」(マーフィーさん、以下同)——まずは第一印象ってことですか「だって気に食わない人の商品なんて買いたくないでしょ。だから僕はいつも"清潔感"や"笑顔"を心がけて、相手に良い印象を持ってもらうようにしてきた。これは心がけ次第で誰にでもできることだよ。もちろんそのときだけ意識したってだめだけどね」——でも、笑顔だけで乗り越えられないときもありませんか「僕はいいイメージを持って舞台に臨むようにしている。僕のパフォーマンスがウケて、お客さんがどんどん商品を買っていく。そんなイメージを持つだけで、意外とうまくいったりするものなんだ。もちろん、若い頃はイメージとまったく違う反応が返ってきて『あれ……おかしいな?』なんてときもあったけど」——マーフィーさんもヘコんだりすることあるんですか「あるよ。でも僕はそれをジョークにする。一人、二人とお客さんが去っていく。最後の一人が去ろうとしたときに『そして、誰もいなくなった……』なんて言ってみる。するとしかめっ面をしていたお客さんが、クスッと笑ってくれたりするんだ。落ち込んでいたって何にもならないんだから、そうやってネタにした方がおもしろいじゃない」——エンターテイナーですね「自分をうまく売るということが大事なんだよ。あとは商品にほれ込まないで、ある程度の距離を保つこと。もちろん、実演販売のときはテンションを上げていくけれど、あくまでも冷静さは保つようにしている」——それって経験が成せる技ですよね「だって経験があるんだもん、しょうがないじゃない(笑)。でも今となっては実演販売人なんて、絶滅品種みたいなものだよ。全国で数えたらもう100人程しかいない。だから、僕の実演を求めてくれるところがあればなんでもやっちゃう。最近はネット損保のサイト内で『みてみてイーデザインチャンネル』という番組をやっているよ。ぜひ、見て見て!」——はーい、見てみます。ありがとうございました。ちなみにマーフィーさんの芸名は、かつてテレビ番組で共演していた上岡龍太郎さんに「今日からマーフィーで行け!」と名付けられたことが由縁だとか。「あんまり名前に意味はないんだけどね」と笑うマーフィーさんでしたが、お弟子さんが自発的に「マーフィー」の冠名を付けたりと、実演販売人としての遺伝子は脈々と次代へと受け継がれている様子。相手を納得させるまでの技術は一朝一夕には得られないとしても、そのヒントは実演販売の中にある、といってもあながち間違いではないのかもしれません。(根岸達朗/プレスラボ)みてみてイーデザインチャンネルマーフィーさんの軽快なトークが楽しいマーフィー岡田のみてみてショップマーフィーさんのオススメだと思わず買ってしまいそう【関連リンク】「人は見た目が9割」ですが、第一印象はどこを見て判断してる?やっぱり人は見た目で……?にっくき上司を理論で言い負かせたい!言い負かせたいものですが、実際は?面接官に聞く、「こんな人はかえって悪印象!」見た目も大事ですがやっぱり中身も……?
2010年02月26日