お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の故・上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが11日に自身のアメブロを更新。100均で購入できて凄いと思う品を公開した。この日、広川は「電池交換」というタイトルでブログを更新し「日中、点けっぱなしのLEDお線香の電池が切れていました」と報告した。続けて、新しいボタン電池に交換したことを写真とともに説明し「100均で購入したLEDお線香、よくできてます」とコメント。「100円で買えちゃうのすごいなぁと思います」と感心した様子でつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月12日お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の故・上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが3日に自身のアメブロを更新。毎月、上島さんの墓参りに来てくれる人物を明かした。この日、広川は「今日のランチは、回転寿司」とお笑いコンビ・新宿カウボーイのかねきよ勝則と一緒に回転寿司チェーン『かっぱ寿司』を訪れたことを報告し、堪能した寿司の写真を公開。かねきよについて「今月も竜ちゃんのお墓参りに来てくれました」と明かし「今回は、父の仏前にもお参りしてくれました」とつづった。続けて「毎月のお参りをずっとしてくれているのです」と説明。「父が亡くなったり、私が体調不良だったりで都合が合わなくてちょっと日が空きましたが」と明かしつつ「いつもお忙しいのに竜ちゃんを忘れずにいてくれてありがたいです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月04日お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の故・上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが26日に自身のアメブロを更新。乳がんの定期検診を受けるために病院を訪れた日のエピソードをつづった。この日、広川は「昨日は、2カ月ごとに行っている乳がんの定期健診でした」(原文ママ)と報告し「今回は、血液検査だけ」と説明。2か月後の次の定期検診の際に結果を聞くそうで「その前に、嫌な数値が出たら連絡がくる」と明かし「なにごともなく2か月後」「行けることを願っています」とつづった。続けて「今朝は、鮎釣り仲間から、今度の父の四十九日法要に行けないからとお供えに、佐渡のお酒をいただきました」と報告し、頂いた品を公開。「桐の箱に入っているじゃないですか・・・こりゃ、高そうだ」と述べ「早速、父にお供えさせていただいて とっておきの時にいただきましょうかね」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月28日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが16日に自身のアメブロを更新。上島さんも好きだった何度か作ったことがある料理を明かした。この日、広川は「今日は、午後から竜ちゃんのスタイリストさんがご夫妻でお墓参りに来てくれました」と報告し「私は、午前に続き、再びお寺へ」と再度、墓を訪れたことを説明。「お彼岸ということで、こんなに可愛い和三盆の落雁をお供えしてくれました」と供物の写真を公開した。続けて、胃腸の調子が悪かったという自身に対して「サムゲタン(冷凍)を頂きました」と明かし「滋養がつきますね」とコメント。「いつもどうもありがとう」と感謝を述べ「サムゲタン、竜ちゃんも好きで何度か作ってあげたことがありましたよ」と回想し、ブログを締めくくった。
2024年03月18日『八代亜紀追悼コンサート 〜オーケストラで蘇る 感動の歌〜』が、5月4日(土) に東京・J:COM ホール八王子で開催されることが決定した。1977年に発表した「愛の終着駅」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した八代は、その後も「おんな港町」「舟唄」「雨の慕情」など数々のヒット曲を連発。レコード・CDの総売上枚数は女性演歌歌手1位を記録しており、ポップスからバラード、ジャズまでを歌いこなし、日本の音楽界を牽引してきた。本コンサートでは、生前にレコーディングされた八代の歌声に合わせ、貴重映像とともに40名以上のオーケストラによる大迫力の生演奏で名曲たちが蘇る。進行は八代のコンサートでも司会を務めた宮本隆治が担当し、同じ時代を共に歩んで切磋琢磨してきた盟友・小林幸子、後輩としてその背中を追いかけ、昭和歌謡黄金時代を一緒に築いた天童よしみ、八代と最後にレギュラー番組で共演した福田こうへい、子どもの頃から憧れ、この世界を志したという演歌界のプリンス・青山新が出演。それぞれが八代との思い出と魅力を語り、名曲を捧げる。チケットは最速先行を3月20日(水・祝) まで実施中。<公演情報>八代亜紀追悼コンサート 〜オーケストラで蘇る 感動の歌〜5月4日(土) 東京・J:COMホール八王子開場14:00 / 開演15:00出演:小林幸子(友情出演)・天童よしみ・福田こうへい・青山新司会:宮本隆治演出:宮下康仁■チケット最速先行:3月20日(水・祝) 23:59まで()
2024年03月15日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが11日に自身のアメブロを更新。38.3℃の熱を出し体調を崩したことを明かした。この日、広川は自身について「昨日の深夜、体調を崩して」と述べ「今日は一日中寝ていました」と報告。「熱があるような気がしないけど一番高い時に38.3℃」と発熱したことを明かし「なかなかの数字をたたき出しました」とつづった。続けて「症状を検索すると『胃腸炎』と出てきます」と述べ「先日、母がダウンした時と同じ症状です」と説明。「昨日、鮎釣り仲間から頂いたリンゴを昼間半分、夜に半分食べました」と明かし「しゃくしゃくして私の好きな歯ざわりです 甘さも酸味もとても美味しい」とつづった。最後に「もうちょっと食べたいような気がするけどまた後でにします」とコメント。「もう寝ます」と述べ「明日は、復活してると思います」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月13日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが9日に自身のアメブロを更新。記事を見て思わず声が出てしまった訃報に心境をつづった。この日、広川は「ニュース記事に思わず声が出てしまいました」と切り出し「声優のTARAKOさんの訃報にとても驚きました」とアニメ『ちびまる子ちゃん』で、主人公・まる子の声優を務めてきたTARAKOさんの訃報に言及。自身について「アニメ開始時からのちびまる子ちゃんファンで」と明かし「今でも、毎週楽しみに見ています」とつづった。続けて「まるちゃんのキャラクターにぴったりなTARAKOさんの声が大好きでした」とコメント。「ちびまる子ちゃんのものまねも私のレパートリーに入っていて」と述べ「まるちゃん、たまちゃん、野口さん、山田くん、等々のネタもやったりしていました」と明かした。最後に「さくらももこ先生、TARAKOさん、早すぎます」とコメント。「沢山楽しませて頂きました ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月11日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが4日に自身のアメブロを更新。上島さんの仏前に供えた頂き物を公開した。この日、広川は「ダチョウさんのファンの方から今年も茨城特産のほしいもを頂戴しました」と報告。「秋には、焼き芋を」と焼き芋が届いたことを報告した日の自身のブログをリブログし「春には、干し芋をもう何年も贈って頂いております」と説明した。続けて「早速、竜ちゃんお供えさせて頂きました」と明かし「私が、お芋好きだということもよくご存じで」とコメント。「本当にいつもありがとうございます」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月06日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが23日に自身のアメブロを更新。父親の葬儀の為にマネージャーに相談したことを明かした。この日、広川は「竜ちゃんのお寺の御住職にお経をあげて頂き、私達親族は、安心して父を送ることが出来ました」と報告。「通夜の朝、母に写真を出して貰って、パソコンでスライドショーを作成して会場のロビーで流してもらったり出棺の際には、父が好きだった曲を流したいとマネージャー(ぐっさん)に相談したところ、素早く用意してくれて」と述べ「座頭市のテーマ曲で棺にお花や好きだったものを入れることが出来ました」と父親の葬儀の様子を説明した。続けて「私が子供の頃、父は、酔うと座頭市(勝新太郎さん)の歌を唄ってものまねをしていた光景がよみがえりました」と振り返り「私のものまねのルーツがそこにあると思ったら笑っちゃったけどグッときました」とコメント。「両親は、都内で飲食店をやっていた」と説明し「そこに来てくれていた友人達や今の田舎暮らしの実家に来てくれて父と面識がある友人達には、お知らせした」といい「弔問に来てくれたり供花などを贈ってくれたり感謝でいっぱいです」と感謝をつづった。最後に「私と兄の同級生たちやしのざき見兆さんご夫妻など、親戚やご近所の方が弔問に訪れてくれてとても嬉しく、有り難かったです」とコメント。「お悔やみのコメントを下さった方もありがとうございました」と述べ「スライドショーには、入れなかった若い頃の父です」と若い頃の父親の写真を公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月24日演歌歌手の中村美律子が23日に自身のアメブロを更新。2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんとともに共演した人物の訃報を受け思いを吐露した。この日、中村は「昨日、山本陽子さんの訃報のニュース」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。山本さんについて「4~5年前に『八代亜紀のいい歌いい話』で三波春夫さんがテーマの回だったのですが 山本さんは映画で共演されており共に三波さんの思い出を語ったことを思い出しました」と回想し、八代さんと山本さんとの3ショットを公開した。続けて「先日テレビ朝日の『徹子の部屋』に出演されてお元気な様子でした」とコメント。「元気でいる限りいろんな役に挑戦したいと 役者としてまだまだ活躍されると思っていたんですけどね・・・」と吐露し「ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月24日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが20日に自身のアメブロを更新。父親が他界し友人が心配して来てくれたことを明かした。19日のブログで、広川は「長い間、老人施設に暮らしていた父が、昨晩亡くなりました」と父親の旅立ちを報告。「来月で83歳になるところでした」といい「誕生日が迎えられなかったのが残念でした」と述べつつ「83年ということでいいでしょう」とコメント。「83年間お疲れ様でした」と労いの言葉を送り「お父さんの子供に生まれて良かったよ。ありがとう」と父親への感謝をつづっていた。この日は「お悔やみのコメント、ご心配ありがとうございます」と述べ「心の準備が出来ていたとはいえ、親が亡くなるのは寂しいです」と悲痛な胸の内を吐露。「今、斎場のコテージのようなところに父はいるのですが」と明かし「親戚や私の友人達が来てくれました」と報告した。続けて「よくブログに登場する近所の同級生ひーちゃんと鮎釣り仲間が来客のお茶菓子まで心配して」「沢山のお菓子を持って来てくれました」と明かし、友人らが持ってきてくれた菓子の写真を公開。「竜ちゃんの時もそうだったようにやはり友人達は、『なんでも手伝うからね』と口々に言ってくれる」といい「本当に有り難くて嬉しいです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月22日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが19日に自身のアメブロを更新。83歳を目前に父親が他界したことを報告した。この日、広川は「長い間、老人施設に暮らしていた父が、昨晩亡くなりました」と父親の旅立ちを報告し「昨年末に身体が老衰の準備に入った」と説明。「『あとひと月くらいでしょう』と家族は、お別れの時期を聞かされていました」と明かし「そんな状態で父は、2カ月近くも頑張ってくれました」と父親の様子をつづった。続けて「来月で83歳になるところでした」といい「誕生日が迎えられなかったのが残念でした」と述べつつ「83年ということでいいでしょう」とコメント。最後に「83年間お疲れ様でした」と労いの言葉を送り「お父さんの子供に生まれて良かったよ。ありがとう」と父親への感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈りいたします」「本当に辛いことですね」「寂しいですね」「ご自愛下さい」などのコメントが寄せられている。
2024年02月20日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが18日に自身のアメブロを更新。上島さんの仏前に供えた頂き物を公開した。この日、広川は「市場から帰ると北海道から大好きな魚卵が届いていました」と報告。「友人がよく贈ってくれる甘口のタラコと甘口の筋子、これすごく美味しいの」とコメントし「私も函館に行った時に友人にこのお店に連れて行ってもらったことがあります」と明かした。続けて「魚卵の他に何かいますよ」と述べ「粒立ちが良くてすごく美味しい魚卵と一緒に冷え冷えで入っていたのは・・・・クマちゃんの寅さんでした」と写真とともに説明。「早速、仏前にお供え」と明かし「かわいー うれしいな、クマ寅さん」と嬉しそうにつづった。また「たらこと筋子、早速お昼ご飯におにぎりの具にして頂きました」と報告し「安定の美味しさです」と大満足の様子でコメント。最後に「ご馳走様です」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月19日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが15日に自身のアメブロを更新。上島さんの墓参りに家族で来てくれた人物を明かした。この日、広川は「今日は、しのざき見兆(しのざき美知)さんがご主人様とお嬢さんと3人で竜ちゃんのお参りに来てくれました」とタレントのしのざき見兆が家族で上島さんの墓参りに訪れたことを報告。「ランチを食べに行って私は、野菜天のそば しのざきさんは、ヒレカツとお刺身のセット」と料理を持ったしのざきとの2ショットを公開し「お腹いっぱいです」と満足そうにつづった。続けて更新したブログでは「ランチの後、竜ちゃんのお寺にお墓参りに行って来ました」と述べ「静かで荘厳な立派なお寺だねとお参りして頂きました」と報告。しのざきの夫について「お守りと一緒に私の著書も購入してくれた」といい「しのざきさんは、発売日と出版記念講演会にも来てくれてるからすでに2冊お持ちなのに 3冊目、ありがとうございます」と写真とともに感謝をつづった。また「鬼退治の帰りかなんかですか!?っていうくらい沢山のお土産、お供えを頂いて大変恐縮しております。ランチも私がお支払いするつもりでしたのにすでにお支払いが終わっていて、御馳走になってしまいました」と説明。「小布施の栗の美味しいお菓子に秋田土産のなまはげのお菓子に萩の月 なんとも可愛いイチゴ」「東北土産やうちの母が、食べたいと行っていたGODIVAのチョコ」と土産に貰った品を公開し「すごい、美味しい日本酒だとか・・・今日は、平日だけどどうしましょ飲んじゃおうかな」と写真とともにつづった。最後に「竜ちゃんにお線香、高級みかんのせとか」と上島さんにお供えした品を紹介し「沢山、たくさん、ありがとうございます」と感謝を述べ、ブログを締めくくった。
2024年02月16日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが12日に自身のアメブロを更新。上島さんの墓参りに来てくれた人物を明かした。この日、広川は「先日、温かい寝具をプレゼントしてくれた同級生ノリちゃん」と述べ「ご両親と一緒に竜ちゃんのお墓参りに来てくれました」と友人が上島さんの墓参りに来てくれたことを報告。「お寺に着くと、偶然、私の親族もお参りに来てくれていました」と明かした。続けて「昨晩は、雪が降ったのですが、良いお天気のお参り日和」だったといい「先日の雪も一緒にだいぶ溶けてきました」と説明。最後に「北海道土産やら」「野菜、沢庵など頂き物いっぱい」と頂き物を写真で公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月13日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが7日と8日に自身のアメブロを更新。上島さんの誕生日に貰ったプレゼントを公開した。7日のブログで、広川は「まだまだ庭には、雪が残っています」と写真とともに報告。「特に日陰になっているところは、雪が最期まで残る」(原文ママ)と述べ「今日は、日差しもあるから早く溶けて欲しいなぁ」とコメント。「昨日、すでに痛かった体は、バッキバキの筋肉痛です」と明かし「日頃の運動不足を反省しています」とつづった。8日に更新したブログでは「竜ちゃんの誕生日に私の同級生から頂いたアレンジメント 20日も経ったのにまだこんなにキレイです」と上島さんの誕生日に自身の友人から貰った花の写真を公開。「冬場は、お花が長持ちするのはうれしいです」と述べ、ブログを締めくくった。
2024年02月09日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが2月1日に自身のアメブロを更新。毎月のように来てくれる人物から頂いた品を公開した。この日、広川は「〇〇たっぷり」というタイトルでブログを更新。「今日は、毎月のようにお参りに来てくれる竜ちゃんのスタイリストさんがマネージャーさんと一緒に来てくれました」と報告し、竜兵さんのスタイリストについて「美味しいものをよく知っていていつも人気のスイーツなどを竜ちゃんにお供えしてくれます」と明かした。続けて「こちら、なんだかわかるかな?」と開封した頂き物の写真を公開し「箱にぎっしり入った胡麻のなかにお団子が入ってました」と説明。「見たことある!」と述べつつ「食べたことは、なかった」といい「けっこう、甘めですが、この甘さは、和三盆の甘さ。一日しか賞味期限がないというお団子、めちゃくちゃ美味しかった」とコメントし「お高そうです」とつづったまた「スタイリストばらちゃんのご主人からと、龍のラベルのお酒を頂きました」と明かし「お供えさせて頂きました」と報告。最後に「私もご主人にこの季節限定の地酒とお土産にみたらし団子を用意していた」といい「日本酒と団子の交換会のようになってしまいました」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月02日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが29日に自身のアメブロを更新。上島さんの墓参りに訪れた人物を明かした。この日、広川は「今月も新宿カウボーイのかねきよ君が竜ちゃんのお墓参りに来てくれました」と明かし「お忙しい中、毎月ありがとうございます」とコメント。「今日は、一緒に回転寿司に」と寿司を堪能するお笑いコンビ・新宿カウボーイのかねきよ勝則の姿を公開し「旭川のお寿司屋さんの御子息なのですが、お寿司好きなので回転寿司でも喜んでくれます」とつづった。続けて「かねきよ君、今年はじめてのお墓参りだったので御守り、新しいものをお受けしてました」と明かし「そして、ちょうど手を合わせてる時に、スマホが鳴って新しいお仕事決まりました」と報告。「お墓参りに来ると新しい仕事が入るというエピソードが私の著書の中にもかねきよ君について書いてある」と説明し「今月もエピソード更新しました」とコメントした。また「もちろん、かねきよ君が、頑張っているからなんだけど」と述べつつ「いつもナイスタイミングなので、竜ちゃんの手柄みたいになってます」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月30日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが20日に自身のアメブロを更新。上島さんの誕生日に届いたプレゼントを公開した。この日、広川は「今日は、大寒 暦ってよくできてますね」と切り出し「今日は、グッと寒いですもんね」とコメント。「そんな大寒の1月20日は、竜ちゃんの63回目の誕生日」と説明し「朝から竜ちゃんにお届け物です」と贈られた芋焼酎の写真を公開した。続けて、芋焼酎を贈った人物について「鹿児島の乾き亭げそ太郎君から、生前中も毎年竜ちゃんの好きなものを贈ってくれていたのですが、今でも変わらぬお気遣いに感謝」とコメントし「因みに、げそ太郎君は、昨日19日が誕生日でした」と補足。「こちらのアレンジメントは、私の一番古い友人(2歳から)の同級生ともちゃんから」とフラワーアレンジメントの写真も公開し「ビタミンカラーでパッと部屋の中が明るくなりました いつもありがとう」と感謝をつづった。最後に「他にも0時過ぎてから『竜兵さんお誕生日おめでとう』とLINEをいくつも頂きました」と報告。「竜ちゃんを忘れないでいてくれて嬉しいです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月21日73歳で天国へ旅立った歌手の八代亜紀さん。「ありがとう」という言葉を常に大切にしていたという彼女。その言葉のとおり、本誌が撮影した八代さんは、柔和な笑顔と周りへの感謝とともにありました。そんな彼女を本誌秘蔵写真とともに振り返ります。’73年には『なみだ恋』のヒットで新人賞の有力候補になった八代さん。’71年のデビュー後、’73年には『なみだ恋』が大ヒット。当時23歳の八代さんは山口百恵らとともに誌面を飾りました。’80年には『NHK紅白歌合戦』で『雨の慕情』を熱唱。『紅白歌合戦』での豪華な衣装は毎年話題になりました。『雨の慕情』で日本レコード大賞を受賞。’81年には、母親とともに自宅でくつろぐ八代さんの貴重な姿を撮影。’79、’80年と『紅白』で大トリを務め“演歌の女王”と呼ばれ始めました。若い頃から地元熊本県への支援活動を精力的に行っていました。’83年の年始はハワイへバカンスに。「年末年始の成田空港スターラッシュアワー」企画より。空港でも私服姿で笑顔で手を振る様子が好印象でした。’94年には美智子さまと幼き陛下を絵画に。画家としての一面もあり、本誌増刊『美智子皇后60年の旅路』では『愛』というタイトルの肖像画を描いていました。
2024年01月19日昨年12月30日、歌手の八代亜紀さんが急速進行性間質性肺炎のため73歳で亡くなった。八代さんは昨年9月に膠原病を患っていることを公表、治療に専念するため活動を休止していた。八代さんが行きつけにしていた都内の韓国料理店の関係者は次のように話す。「9月に来店されたときはとても元気そうで、毎回召し上がるスンドゥブチゲをオーダーされましたね。その後もテイクアウトの注文はいただいていて、事務所の方から『11月には退院できそうです』と聞き、安心していたのですが」しかし年末になって容体が急変。突然の訃報に悲しみが広がった。八代さんは中学卒業後、歌手としての第一歩を「ニュー白馬」のステージで踏み出した。その後上京し、’71年にデビューを果たすと、’73年にリリースした『なみだ恋』がセールス120万枚の大ヒット、一躍人気歌手に。『舟唄』『雨の慕情』など数多くの曲で演歌界をけん引してきた。歌手活動の傍らで八代さんが情熱を注いでいたのが絵画だった。二科展で入選を重ねるほどの腕前で、各地で絵画展も開催した。そして、八代さんのもう一つのライフワークがチャリティ活動だ。『なみだ恋』が人気を集めた当時、八代さんは「ヒットしたのは多くの人が聴いてくれたから。世の中にその“恩返し”をしたい」と考えていたという。ちょうどそのころ、女子刑務所から「八代亜紀さんの歌が聴きたい」と要望が寄せられたこともあり、慰問に訪れた。それを皮切りに、全国の刑務所や福祉施設、また災害に見舞われた被災地への慰問を50年にわたり続けてきたのだ。慰問先で歌声を届け、つらい思いを抱える人たちの手を取り、一緒に涙を流した。「療養中も『元気になったら、歌って、絵を描いて、福祉施設の慰問も再開したい』と意欲を見せていたそうです」(芸能関係者)八代さんと交流のあった児童養護施設・八代ナザレ園(八代市)の富田美智子園長はこう語る。「37年前に後援会関係者の方とのご縁で来ていただいて以来、熊本にいらっしゃるたびに、スケジュールの合間を縫って当園に立ち寄ってくださったんです。裏門からこっそり入って子供たちを驚かせるのがお約束で。一人ひとりのことをよく覚えていて、『大きくなったね』と声をかけてくださるんです。子供をひざにのせて絵本の読み聞かせをしてくれたり、上手に絵を描くアドバイスをして喜ばせてくれました」子供たちを思う気持ちは、闘病中も途切れることはなかった。「年2回、夏と冬にお菓子や本、洋服などを贈ってくださっていて、この前のクリスマスにもたくさんのお菓子や絵本をいただきました」亡くなる数日前にも、八代さんのプレゼントが子供たちに笑顔をもたらしていたのだ。お礼を伝えるため、富田園長は事務所へ連絡を入れ、八代さんの近況を尋ねたという。「事務所の方から『まだ入院しているけど、体は動かしていて、病院でも歩いたりしています』と聞いて、近く復帰されるものとばかり思っていました。まだ、心の整理がつかない状態で……」訃報が流れた後、大人になった卒園生が泣きながら電話をかけてきたという。ナザレ園には、八代さんが描いた「マリア様」の絵が飾られている。園の創立100周年にあたって寄贈されたものだ。「八代さんがくださった思いは、私たちの中で生き続けます。誰にでも親身に接して、励ましの手を差し伸べてくれたことに、ただ感謝しかありません」人気歌手であると同時に、子供たちにとってはサンタクロースであり、聖母のような存在でもあった八代さん。やさしい笑顔とハスキーな歌声は、たくさんの人々の記憶の中でいまも輝いている――。
2024年01月16日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが14日に自身のアメブロを更新。友人にプレゼントして喜ばれた手作りの品についてつづった。この日、広川は「我が家は、毎晩、鍋でポン酢しょうゆを使う」と切り出し「今朝は、またゆずポン酢しょうゆを作りました」と報告。「約、2時間かかりました」と明かし「この冬、4回目かな?」と述べつつ「友人にもプレゼントするととても喜んでくれます」とつづった。続けて「今年は、庭のゆずがあまり実を付けなかった」といい「同級生にもらったり、直売所で購入したりもします」と説明。「柑橘類のリモネンは、プラスチックを溶かしてしまうので調理器具には、気を付けています」と明かし「手間はかかるけど美味しいから、この冬、あと2回くらいは作るかも」と述べ、ブログを締めくくった。
2024年01月14日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが11日に自身のアメブロを更新。上島さんの月命日を迎え頂き物を公開した。この日、広川は「今日は、1月11日ぞろ目ですね」と切り出し「竜ちゃんの月命日」と報告。「外山惠理ちゃんアナから頂いた和菓子ろうそくを1月の物にチェンジしました」(原文ママ)と明かし「1月は、椿の和菓子ろうそくです」と写真とともに説明した。続けて「竜ちゃんが、生前中に仕事でお世話になった方とやり取りをしていて先日、その方の故郷の地酒を贈って頂きました」と述べ「仏前にお供えさせて頂いてます」と報告。「来週の竜ちゃんの誕生日に私が代わりにいただこうと思ってます」と明かし「竜ちゃんと一緒に呑んだことがある、美味しいお酒」と頂き物を写真で公開した。また「私のインスタなどのDMに竜ちゃんと一緒にお仕事をしたという方々からメッセージを頂戴することも何度かあって」と述べ「その時のエピソードを教えて下さる」と説明。「そこには私の思っていた通りの真面目で誠実でシャイな竜ちゃんがいました」といい「メッセージを下さる方の優しさや誠実さも伝わってきて、こんなに素敵な方々と御一緒させて幸せな芸能生活だったのが想像できます」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月11日1月9日、歌手の八代亜紀さんが12月30日に亡くなったと発表された。73歳だった。昨年9月に膠原病を発表し、治療に専念するため年内の活動を休止していた。しかし容態が急変し、帰らぬ人となってしまった。所属事務所は発表した文書のなかで、《代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で 常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした 「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という 父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました》と偲んだ。八代さんは’71年にデビューし、「なみだ恋」や「舟歌」、「雨の慕情」など数々の名曲を世に送り出した。卓越した歌唱力で「演歌の女王」と親しまれていた一方で、八代さんには画家としての一面もあった。「八代さんが絵画を始めたのは幼少の頃で、水彩画を描いていたお父さまの影響だそうです。絵画教室にも通っていたそうで、“将来は絵描きさんになりたいと思っていた”と語っていました。八代さんにとって絵を描くことは、音楽と同じくらい情熱を注いでいたライフワークです。繊細なタッチと感性豊かな表現力は高く評価され、フランスの美術展覧会『ル・サロン展』で’98年から5年連続で入選・永久会員に認定されたことも。そのほか『二科展』など、数々の受賞歴があります」(レコード会社関係者)そんな八代さんは、本誌企画でもその腕前を披露してくれたことがあった。それは、いまから約30年前の’94年10月。上皇后・美智子さまが60歳の還暦を迎えられたことを祝し、本誌は増刊号「美智子皇后60年の旅路」を発売。そのなかでスター7人が美智子さまの肖像画を描く企画が。五月みどり(84)や石坂浩二(82)、奥田瑛二(73)らとともに、八代さんも参加してくれたのだ。八代さんは淡く優しい色合いで、まだ幼い天皇陛下に寄り添われる美智子さまを描いていた。お二方が何かをご覧になられているところをモチーフにしたのか、微笑みながら同じ方向を見つめる姿から親子愛が伝わってきた。この肖像画につけられたタイトルは、「愛」。八代さんは当時のインタビューで、肖像画に込めた美智子さまへの思いをこう語っていた。「ご成婚のテレビは熊本県八代の家で見ました。子供心にすごくおきれいな方なのがうれしくて、すっかりはしゃいだのを覚えています。それ以来いつかお目にかかりたいと夢見ていますが、なかなか機会に恵まれないのが残念です。いつもテレビで拝見していて、お顔にあふれている優しさを表現したくて絵筆をとりましたが、時間が足りなくて残念です。美智子さまがお子様とご一緒のときにお見せになる“愛のまなざし”。私も及ばずながら見習いたいと思っています」八代さんが愛を込めて描いた作品は、これからも輝きを放ち続けることだろう。
2024年01月10日歌手の八代亜紀さんが昨年12月30日に亡くなっていたと公式サイトで発表された。73歳だった。昨年8月に膠原病と診断され、活動休止を発表した八代さん。当時、《必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!》とコメントしていたが、急速進行性間質性肺炎のため死去したという。出身地である熊本県八代(やつしろ)市が、芸名の由来となった八代さん。’71年にデビューすると、「なみだ恋」や「おんな港町」「舟唄」などのヒット曲を連発。’80年には「雨の慕情」で「第22回 日本レコード大賞」の大賞を受賞している。また’13年にはジャズのアルバムをリリース。近年は気鋭のミュージシャンとのコラボレーションも精力的に行い、’16年には「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演。ファン層をさらに広げていた。さらに画家としても才能を開花させ、フランスの美術展「ル・サロン」では5年連続入選という快挙も。その結果、「ル・サロン」ではルノワールやモネらと肩を並べ、永久会員として認定されている。歌うことも描くことも大好きだった八代さん。その人生に大きな影響を与えたのは、父・敬光さん(享年63)だった。八代さんは《父が水彩画を描く人で、私が2、3歳の頃から教えてくれて、休みの日は一緒に写生をしたりしていました。で、夜は父の腕枕で浪曲を子守歌代わりにして寝ていたんです。おかげで私も歌好きに育ちました》(『日刊GENDAI』’19.06.16)と明かしている。「八代さんは小学校低学年の頃、地元ののど自慢大会に出て優勝を果たすほど、近所でも『歌が上手い』と評判の女の子だったといいます。いっぽう敬光さん譲りのハスキーボイスのあまり、学校では『そんな大人っぽい声を出してはいけない』と言われ、コンプレックスも抱えていたそうです。そのため、『将来は画家になる』という気持ちのほうが強かったといいます。ところが12歳の時、敬光さんがジャズシンガーであるジュリー・ロンドンのレコードを“ジャケ買い”。ジャケットの写真が、八代さんが幼い頃に描いていた絵の女性にそっくりだったといい、敬光さんは惹かれて買ったそうです。すると八代さんは、自身と同じくハスキーな声を持つジュリー・ロンドンの歌声の虜に。そこで歌手になる決意をしたといいます」(音楽関係者)
2024年01月10日2024年1月9日、歌手の八代亜紀さんが亡くなっていたことが分かりました。73歳でした。この日、所属事務所の株式会社ミリオン企画はウェブサイトを更新し、八代さんが2023年12月30日に息を引き取ったことを報告。同社によると、八代さんは指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症しており、同年9月から闘病生活を送っていたといいます。生前の八代さんの遺志を受け、葬儀は同社のスタッフのみで執り行われたとのこと。その最期は、とても穏やかな顔だったといいます。同社は、八代さんのファンに向けてこのようにコメントをしました。代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりましたこれから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思いますミリオン企画ーより引用八代さんは1971年に楽曲『愛は死んでも』でデビューし、1973年に発表した『なみだ恋』で一躍有名に。同楽曲で『日本レコード大賞』歌唱賞を受賞し、その後も日本を代表する歌手として美しい歌声で笑顔を届けてきました。これまで、八代さんの楽曲に元気をもらってきた人は、日本全国に存在します。ネット上では、多くの人から「素晴らしい歌を本当にありがとう」という感謝の声が相次ぎました。時代が変わっても、八代さんの歌声の力は色あせることがないでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月09日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが6日に自身のアメブロを更新。ずっと続いている鬱陶しい症状を明かした。同日のブログで、広川は「数日前から喉の痛みがあり、今朝は、耳の痛みが酷くなって」と症状を説明し「連休に入るし、このままではマズイと思い、耳鼻咽喉科に行って来ました」と病院を受診したことを報告。「恐らく、中耳炎だろうと思って診察してもらうとやはり、風邪からの中耳炎になっていました」と診察の結果を明かしていた。この日は「中耳炎の御心配コメント、ありがとうございます」と感謝を述べ「大人でも中耳炎になるんですね」とコメント。「左耳だけずっと水の中にいるような感じが続いていて さらに痛いし、下を向くとより、痛い」と症状を明かし「鬱陶しいです」とつづった。続けて「昨日までののどの痛みは、もうなくて」と述べ「片耳水の中状態が、あとどれくらい続くのでしょうか」と不安そうにコメント。「とりあえず、一週間分お薬を頂いたので」と明かし「毎食後忘れないように飲んでいきます」と報告し、ブログを締めくくった。
2024年01月07日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが6日に自身のアメブロを更新。痛みが酷くなり“マズイ”と思い病院を受診したことを報告した。この日、広川は「数日前から喉の痛みがあり、今朝は、耳の痛みが酷くなって」と症状を説明し「連休に入るし、このままではマズイと思い、耳鼻咽喉科に行って来ました」と病院を受診したことを報告。「引っ越してから、かかりつけ医がないので」と述べ「グーグルで探したら一軒だけ病院が空いていて予約が取れました」と明かした。続けて「恐らく、中耳炎だろうと思って診察してもらうとやはり、風邪からの中耳炎になっていました」と診察の結果を説明。「子供の頃に、よく中耳炎になって病院へ行っていたことを思い出しました」とコメント。「病院の帰りにいつも『リカちゃん』の白い家具シリーズをひとつ買ってもらっていました」と幼少期を振り返り「白い家具シリーズをほぼ揃えていたので、何度も病院へ通ったということですね」とつづった。最後に「今回は、小学校低学年以来の中耳炎」だといい「リカちゃん家具ではなく、日頃あまり食べないけどなんとなくドーナツを買って帰って来ました」と明かし、ブログを締めくくった。
2024年01月06日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが5日に自身のアメブロを更新。お世話になっている人物からお年賀が届いたことを報告した。この日、広川は「昨夜は、のどの痛みの他に左耳がいたくなった」と明かし「痛み止めを飲んだら今朝は、痛みも和らいでいました」と報告。「暖かくなってから、ももでん のお散歩に行って身体もポカポカになりました」とコメントし、愛犬の姿を公開した。続けて「散歩から帰ってから荷物が届きました」と述べ「お世話になっている方から『ももちゃんに』とももでんにお年賀を頂きました」とお年賀が届いたことを報告。「散歩から帰って、こたつに潜り込んでいたももでんは、こたつから出ずに頂いたお年賀を見つめています」と愛犬の写真とともに明かし「おおちゃくなワンコだこと」とお茶目につづり、ブログを締めくくった。
2024年01月05日2022年5月11日に亡くなったお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの妻でものまねタレントの広川ひかるが3日に自身のアメブロを更新。上島さんが泣いていたと思うことについてつづった。この日、広川は「元日から震災、昨日は、航空事故」と1月1日に発生した石川県・能登半島地震、2日の日航機と海上保安庁の航空機の衝突事故について言及し「ニュースを見るのも正直、辛いです」と心境を吐露。「でも、この寒空の中、悲しい思いをしている方々に祈ることしかできず」と落胆した様子でつづった。続けて「お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りします」と追悼し「現在避難所生活をされている皆様、お見舞い申し上げます」とコメント。「竜ちゃん・・・がいたら・・・きっと、ニュースを見て泣いてただろうと思います」と推察し「『ヒーチャン、募金してほしい』と言うだろうからそうしようと思います」とつづった。
2024年01月04日