人気ファッション誌「non‐no」で専属モデルを務めたあと、2017年にアナウンサーとしてフジテレビに入社した久慈暁子さん。『めざましテレビ』などに出演し、今年の4月に退社してフリーになりました。そんな久慈さんがインスタで公開した写真が爽やかで美しくて、注目を集めています!アメリカらしい写真 この投稿をInstagramで見る 久慈暁子(@kuji_akiko)がシェアした投稿 久慈さんはフジテレビを退社した直後に、NBAトロント・ラプターズ所属の渡邊雄太選手との結婚を発表。バスケットコートで肩を寄せ合うツーショットを公開しました。現在は、アメリカ・ロサンゼルスに滞在。「見えるもの全部鮮やか」というコメントとともにインスタを更新しました。1枚目は青空をバックに気持ちよさそうに微笑んでいるところ、2枚目はカラフルな商品が並ぶスーパーマーケット、3枚目は街中での後ろ姿の写真。どれもアメリカらしさを感じます。また、スタイルがとても美しく、白のTシャツにデニムというシンプルなファッションがとてもよく似合っています。ファンの反応は?「#時差ぼけ」と戦いつつもアメリカを満喫している投稿に、フォロワーから「可愛い過ぎる〜」「久慈ちゃん幸せそうですね!」「のびのびしてるの画像で伝わりますよ」「スタイルよくて美尻」「暁子さんの美しさも鮮やかです」「めっっっちゃ美人すぎる!」などの声が届いています。これからのSNSには、手作りご飯や渡邊選手とのツーショットなども投稿されるのでしょうか!?久慈さんのいろんな一面、楽しみですね!あわせて読みたい🌈篠崎愛さんのスカートひらり!「令和のモンロー」「女神」「天使」ファン悶絶
2022年06月24日元フジテレビアナウンサーでタレントの久慈暁子が、ファッションブランド「JUSGLITTY(ジャスグリッティー)」のモデルに起用された。初夏の最新7ルックを華麗に着こなしている。久慈アナは2014年にnon-noモデルオーディションでグランプリを獲得し、17年まで『non-no』専属モデルを務めた。同年4月からフジテレビに入社し、今年春に退社すると、現在はモデルやMCなどで活動。先月にはプロバスケットボールの渡邉雄太選手との結婚を発表した。久慈を起用したWEBコンテンツ「WEB ALBUM」が、同ブランド公式オンラインショップ「Arpege story」で公開中。
2022年06月22日この度「大腸劣化」対策委員会では、「予防と対策」に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。6月となり、夏に向けてダイエットを意識する方が増えてくる時期になりました。ダイエットには、食事制限や運動が一般的ですが、近年は大腸の中の腸内細菌がダイエットに影響していることが明らかになってきています。今回は、腸内環境の改善によるダイエットやその鍵となる「ヤセ菌」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。●食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質をつくる我慢して食事の量を減らしているのに、なかなか痩せない。体重が減ってもすぐに戻ってしまう。そんな悩みをもたれている方は、まずは腸内環境を整えてみてください。脂肪を燃焼させるためには、実はビタミンやミネラルなどの基本的な栄養が欠かせません。ところが、お腹に便を溜めていると、小腸の機能が低下し、食べ物からきちんと栄養が吸収できなくなります。腸が栄養を適切に吸収できてはじめて、体内できちんとエネルギー代謝が行われるためのスイッチが入るのです。また、腸内の老廃物が排泄されることでも、体重は減っていきます。ダイエットをはじめる時に大切なのは、やみくもに食事の量を減らすことではなく、まず腸内細菌のバランスを整える善玉菌や食物繊維など、腸内環境によいものをしっかり食べることです。適度な運動や適切なカロリーコントロールで効率的にヤセ体質をつくるには、腸内環境を整えることを第一に目指しましょう。食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質●よく知られている「ビフィズス菌」は“ヤセ菌”だった!その理由とは。私たちの大腸には1,000種類以上の腸内細菌が存在するといわれており、腸内細菌のバランスが太りやすさや痩せやすさにも影響していることがわかってきました。特に注目されているのが、脂肪の吸収を抑えたり、脂肪を燃やしたりする働きを持つ「短鎖脂肪酸」をつくる腸内細菌。いわゆる“ヤセ菌”です。ヤセ菌の1つにあげられるのが善玉菌の代表格であるビフィズス菌。ビフィズス菌は短鎖脂肪酸の1つである酢酸をつくります。酢酸は強い殺菌作用を持ち、腸内環境を整えるのに有効です。また、短鎖脂肪酸の1つである酪酸を産生する日和見菌がいます。これらの腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸は、直接脂肪細胞に働きかけて余分な脂肪の蓄積を抑える作用や、腸のバリア機能を高めたり、全身に運ばれて臓器のエネルギー源になったりして、太りにくい体質づくりにつながり、肥満を防ぎます。このように、ビフィズス菌や一部の日和見菌が短鎖脂肪酸を産生するヤセ菌ですが、日和見菌は、善玉菌が優勢であれば善玉菌の味方をし、悪玉菌の優勢であれば悪玉菌の味方をします。そのため、まず善玉菌であるビフィズス菌を増やし、日和見菌を味方につけてあげましょう。善玉菌優勢の腸内環境バランスを維持することが、“ヤセ菌”を増やして働かせる近道というわけです。その一方で「デブ菌」といわれる腸内細菌がいます。デブ菌は、食事から取り込むエネルギーの量が多く、肥満に結びつきやすいといわれています。肥満体質になるか、ヤセ体質になるかは腸内細菌次第。どんな腸内細菌を増やすかは、あなたの心がけ次第です。短鎖脂肪酸の働き●腸内環境の改善による2つのダイエット効果腸内環境の改善によるダイエット効果には、「むくみの改善」と「脂肪の燃焼」の2つがあります。2つの側面からヤセ体質を目指せるのがうれしいですね。<1> むくみの改善腸の重要な働きの一つに体に必要不可欠な水分の維持、調節があります。水分の調節が上手くいかないと便の不調(下痢、便秘)に直結しますが、腸内環境が悪化し腸の働きが低下すると、過剰な水分を細胞と細胞の間に蓄積して、むくみにつながります。ひどい方は、朝と晩で3~4kgの体重が増えるほどの水分が溜まります。腸内環境が整って老廃物が排出され、むくみが改善すると、短期間で体重を大幅に減らすことができます。腸内環境を整えはじめてすぐに痩せる方がいますが、そういう方は水分によるむくみが影響しています。<2> 脂肪の燃焼ビフィズス菌と食物繊維を一緒に摂ると短鎖脂肪酸が作られます。この短鎖脂肪酸により交感神経が刺激されると、基礎代謝が高くなり、基礎代謝が高くなることによって太りにくい体になり、こうしたサイクルが回ることによって次第に余計な体脂肪が燃焼していきます。そのため、腸内環境が改善した後、効果が出るまでは少し時間がかかります。すぐに体重が減らない場合はこちらのパターンなので、継続することでヤセ体質を手に入れましょう。●ヤセ菌を増やす3つのメソッド【ヤセ菌を入れる】ヤセ菌を入れるヤセ菌を増やすために手っ取り早いのが、善玉菌の代表格でありヤセ菌であるビフィズス菌を腸内に「入れる」こと。ビフィズス菌で腸内環境が改善すれば他の腸内細菌も短鎖脂肪酸を産生しやすくなります。40代以降になると基礎代謝が低下します。特に女性の場合、50歳前後の更年期になるとさらに代謝が下がります。特に食べていなくても太ってしまう方が増えるのはこのためです。40~50代になってから急激に太らないためには、若いうちから腸内環境に気をつけた食事をして、体重の変化の少ない生活を送りましょう。そのためにも手軽に続けやすいビフィズス菌入りヨーグルトはおすすめです。ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも多いため、ビフィズス菌入りのヨーグルトを選んで摂るのがよいでしょう。【ヤセ菌を育てる】ヤセ菌を育てる腸内にビフィズス菌を入れてヤセ菌をふやしたら、その菌を「育てる」ことが大切です。ヤセ菌を育ててくれるのが、ヤセ菌が大好きなオリゴ糖や水溶性食物繊維。これらは、胃や小腸で消化・吸収されずに大腸まで届いてヤセ菌のエサになります。そして、ヤセ菌がこれらを分解、発酵してできるのが、ヤセ菌のポイントである短鎖脂肪酸です。オリゴ糖や食物繊維は、積極的にとることで、善玉菌が増え、日和見菌が味方して腸内環境はさらに改善します。毎日の食事に、オリゴ糖や食物繊維を意識的にとり入れるようにしましょう。【ヤセ菌をキープする】ヤセ菌をキープする腸を内側からケアしたら、今度は腸のまわりの筋肉を動かし、良い状態を「キープする」ことも大切です。腸は体の中でほぼ固定されず浮いているような臓器で、加齢や筋力の低下、出産などで下がりやすくなります。また、便が溜まることでも、下がったり、むくんだりして腸の位置が偏ります。腸の位置を戻すために、ウォーキングやストレッチなどで腸を支える腸腰筋や腸を保護する骨盤まわりの筋肉を動かしましょう。本来あるべき場所に腸を戻せば、ぜん動運動が正しく起こり、便秘も解消します。座りっぱなしは特に腸腰筋がゆるみ、腸の動きが鈍くなるので注意が必要です。小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月16日この度「大腸劣化」対策委員会では、「大腸劣化」の悪影響に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。今回は、大腸のトラブルの中でも多くの方にとって身近な「便秘」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。「便秘」は、近年様々な研究が進み、肌や肥満といった見た目の問題に限らず、糖尿病や脂質異常症、免疫、認知機能といった全身の健康に影響を与えることが指摘されはじめています。春先から梅雨にかけては、自律神経の乱れからくる便秘が起きやすい季節です。便秘に悩まれる方々の参考にしていただければ幸いです。●季節の変わり目は、自律神経の乱れからくる便秘に要注意。便の排出を担う大腸は自律神経の影響を受けやすい器官です。緊張やストレスなどで自律神経のバランスが乱れて交感神経が活発になると、腸の働きが低下して便秘になりやすくなります。自律神経は、気候や気温の変化にも敏感であり、季節の変わり目は特に気を付ける必要があります。四季の中でも特に春は便秘に注意が必要です。日本では4月から学校も会社も新しい年度がはじまることが多く、新しい環境でストレスを感じる方が増えます。その結果、いわゆる5月病になってしまう方もいます。また、本人に自覚がなくとも、社会的な雰囲気や強い緊張を感じている人が周りに増えても交感神経は影響を受けるので、便秘になる方がでてきます。便秘は天気や気温の影響も受けやすいです。春先は気温の寒暖差が激しいですが、特に暖かかった日から急激に寒くなる日は「お腹が張る」、「急にお腹の調子が悪くなった」という患者さんが顕著に増えます。また、春は花粉症やアレルギーがストレスになり、梅雨は雨がストレスになって便秘になる方もいます。このように4~6月は、日本の習慣的にも気候的にも自律神経が乱れやすい時期であり、便秘にとっては要注意の時期です。自律神経の働き●便秘はお腹にゴミが溜まった状態。腸内細菌たちに綺麗なオフィスを。便秘の身体への影響を考える上では、便とは何かを考えてみましょう。便は、すぐに想像できるように体に吸収されなかった老廃物です。体にとって不要となった老廃物は、尿や汗などを通じて体外に排出されますが、多くは大腸を通じて便として排出されます。この老廃物である便=ゴミが処理されずに体内に溜まり、腐っていってしまう状態が便秘です。例えば、あなたが働くオフィスに、ゴミが捨てられずに溜まって腐ってしまい、悪臭を発する様子を想像してみてください。腸内細菌たちも、綺麗な環境で働きたいと思っているはずです。悪臭の立ち込めるゴミだらけのオフィスで、頑張って働けというのは腸内細菌たちに可哀想です。腸内細菌に、綺麗な職場を提供してあげて、栄養のあるご飯をあげて、いい仲間を増やしてあげるのが、社長であるあなたの役目です。自分が「大腸の社長」だという意識を持ってもらうように便秘外来では指導しています。便秘の状態イメージ●見た目だけじゃない。いいことだらけの便秘改善。便秘外来に来る患者さんは、お腹が張る、体がむくむ、体重が増えるといった見た目についての悩みが多く、特に若い女性にはその傾向が強いです。しかし、便秘は見た目だけの問題ではなく、全身の健康に悪影響を及ぼします。近年、腸内細菌を遺伝子レベルで研究できるようになった結果、便秘などによる腸内環境の乱れは、免疫力やアレルギーといった腸の機能に直結する領域に限らず、糖尿病や脂質異常症、さらには眼や脳機能に対する影響も指摘されています。実際に腸内環境が改善することで、血液の質が改善することや腸内細菌の代謝産物である短鎖脂肪酸の抗炎症作用などによって、様々な疾患が改善することが明らかにされてきています。実際に患者さんの便秘の改善に取り組んだ結果、糖尿病や脂質異常症の数値が改善した、認知機能が高まった、肥満が良くなったといった例は数多く経験しています。患者さんの中には、糖尿病の主治医から「こんなに数値が改善していますが、何をやったのですか」と聞かれるといったことは20年前から数多くありました。腸内細菌の働きについては、まだ全貌がつかめていませんが、健康にとって非常に重要なものだということで、様々な疾患の専門医が関心を向けはじめています。大腸劣化によるトラブルイメージ図●まずは2週間、ビフィズス菌で腸内環境を整えてみる。便秘を改善するためにも、便秘にならないようにするためにも、お腹の中で毎日一生懸命働いてくれている腸内細菌を意識することが大切です。腸内細菌には、善玉菌と日和見菌、悪玉菌の3つがあり、それぞれがバランスを保ってすんでいますが、便秘の方の腸内細菌は、悪玉菌の比率が高まっています。悪玉菌が増えて腸内環境が悪化すると、腸の中で有害物質が発生し、それが腸壁から血液に取り込まれます。すると、血液はドロドロと汚れた状態になり、それが全身に運ばれることになってしまいます。便秘になると肌が荒れたりするのも、このことが原因です。便秘を改善するためにも、日頃から善玉菌の代表であるビフィズス菌が入ったヨーグルトを積極的に取り入れてみてください(ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも意外と多いです)。実際に便秘気味の女性にビフィズス菌入りヨーグルトを食べてもらった結果、排便回数が大きく上昇しました。これは2週間続けて食べた結果ですので、まずは2週間チャレンジしてみて、自分のお腹に合うか確認してみるのがよいと思います。乳酸菌のみヨーグルトとビフィズス菌入りヨーグルトの整腸作用の違いちなみにビフィズス菌は、乳児の頃は腸内細菌の大半を占めていますが、大人と同じ食事を摂るようになると全体の1~2割程度に落ち着いていきます。その後、成年期を過ぎ老年期になるとビフィズス菌は一層少なくなります。老年期の方の10人中3人はビフィズス菌がまったくいない状態といわれています。クリニックに来る若い方でも、極端なダイエットによって痩せている女性は、ビフィズス菌がかなり減少している方がいます。女性は、女性ホルモンが減ることに対しては敏感ですが、ビフィズス菌が減っていくことに対しても、そこに若さと健康の秘訣があるのではないかと関心を持ってもらえると良いと思います。年齢による腸内細菌叢の変化(概念図)小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月31日久慈暁子、渡邊雄太選手「雄太、これからよろしくお願いします!」5月26日、フジテレビ系情報番組『ポップUP!』に生出演した、元同局アナの久慈暁子が婚約したことを電撃発表。お相手はアメリカのプロバスケットボールリーグ・NBA『トロント・ラプターズ』に所属する渡邊雄太選手だ。2人の出会いは2019年、久慈がスポーツキャスターを務めていた『めざましテレビ』での取材で、2021年の東京五輪で再会したのか、後に交際スタート。NBAでプレーする渡邊選手に会いに、遠くカナダまで足を運んで愛を育んだよう。婚約までの交際期間はおよそ10か月と、なかなかのランアンドガン(速攻)ぶり。すると翌5月27日、それぞれのインスタグラムにて《私たち、渡邊雄太と久慈暁子は、このたび入籍したことをご報告させていただきます。》との連名で、婚約発表からわずか1日で結婚を報告。しかも入籍日は、久慈が生出演したその日の午後とどこかチグハグな印象も受けるが……。今年1月にブログで退社することを報告、4月にタレントに転身した久慈だけに、「今となれば結婚を視野に入れていたのかも」とはキー局スポーツ部ディレクター。「NBAプレーヤーの渡邊選手と結婚となれば、もちろん仕事を続ける選択肢もありますが、メジャーリーガーと結婚した多くの先輩アナ同様に海外移住が基本路線。27歳と若くしてのフリー転身にどこか違和感を覚えたものでしたが、結婚を考えていたのならば納得です」身体が資本のプロスポーツ選手、しかも稼ぎ出すサラリーも桁違いとなるメジャーリーガーやNBA選手となれば、食事面でも一層の体調管理が求められる。彼女もこれからは夫をサポートする人生を選ぶのかもしれない。フィアンセ置いてけぼりの婚約発表ともに27歳と同い年と比較的若い花嫁となる久慈だが、婚約から結婚までの一連の言動について、ベテラン女性芸能リポーターは少々意地悪な見方。「今時、わざわざ生放送で婚約発表とは珍しいとは思っていました。結婚発表などの報告ごとといえば、インスタグラムやツイッターなどのSNSツールを使うのが最近のトレンド。世界のどこにいても更新できますし、それこそ2人揃って報告、また連名や画像を添えることもできますから。にもかかわらず、フィアンセ置いてけぼりのひとりきりの婚約発表に、ちょっと久慈さんの“先走り”感が出ちゃった印象でした(笑)」たしかに例外なく、インスタやツイッターを利用している渡邊選手だが、彼女が生報告した5月26日にSNSの更新もなく、所属するラプターズの公式HPにもビッグニュースがアップされることはなかった。さらに不可解だったのは、香川県に住む渡邊選手の父・英幸さんの“証言”だった。『スポーツ報知』の取材に対して、《お付き合いしている方がいるのは、ニュアンスで感じてはいましたが、最近知り、まさか結婚する相手とは驚きました。サプライズのような形でした》と答えている。シーズンを終えて帰国した息子から報告を受けたのが5月上旬と、それまでは交際相手が久慈であることも知らされていなかった模様。その後に両家の顔合わせも含めて、婚約を済ませたということなのか、いささか急展開に思えるようなーー。2017年4月に入社、新人にして歴代エースアナも担当した『クジパン』を任されると、さらに同年10月には『めざましテレビ』抜擢のスピード出世。久慈は、将来のエースアナを確約されたと言ってもいい期待の大型新人だった。「青山学院時代からモデルなどの芸能活動を始め、同郷という縁から大谷翔平選手との対談も果たしています。『めざまし』ではスポーツキャスターとして、フィギュアスケートの羽生結弦選手ら有名アスリートの現場取材を任されることも。そうそう、元カレも『東京ヤクルトスワローズ』の原樹理投手でしたね。ただ、彼女がいる現場は華やかにはなるんですが、少々勉強不足というか、たまにとんちんかんな質問をしては選手を困らせることもありました」(スポーツ紙野球担当記者)後輩の井上清華アナに上に立たれた鳴り物入りで“花形”担当になるも、エースを背負う重責か、それとも下積み経験が少ないままに起用され続けた弊害か、どこか伸び悩んでいたような久慈。一方で、局内でメキメキと頭角を現したのが、同じ青学出身で1学年下の後輩・井上清華アナ。同様に学生タレント出身の井上アナだが、こちらはお天気キャスターやリポーターから地道にキャリアを重ね、ついに『めざましテレビ』メインキャスターに昇り詰めたのが2021年3月のこと。実質、久慈より先に看板アナとして“上に立った”のだ。追い打ちをかけるように翌4月、同局アナ7人がとある美容室の広告塔の役割を担ったとされる、“ステマ騒動”が発覚する。久慈もこれに関わったとして上層部から厳重注意を受けたようだが、彼女は納得できなかった部分もあったという。「エースアナの座から追われて、アナウンス部に居心地の悪さを感じていた折に彼と再会したのでしょう。20代後半に差し掛かり、局アナとして先細るよりも若いうちにフリーに転身してトップアスリートの夫をサポートする。今度こそ、海外からSNSを通じてセレブ生活を発信すれば、それも仕事につながりますからね」とは前出の女性芸能リポーター。また、入籍直前に婚約を生報告してみせた不可解な行動については、「業界でありがちなのが、元々入籍する日は決まっていて。渡邊選手は来シーズンに向けて、すぐに海外に立つ可能性もありますからね。それでお世話になった前職場の先輩や上司に結婚報告をしたら、その日のうちに“ぜひ、出演して”と請われたのでは?久慈さんも芸能人としてカメラの前で“婚約発表”するのは悪い気しないでしょうし、同僚や世間に幸せな姿を見せることができますから。ただ、『めざまし』で何度か料理企画に挑戦しているのを見ましたが、お世辞にも得意とは言い難い手際でした(苦笑)。アズリート妻としてそこは心配ですが、持ち前の負けず嫌いな性格で、大急ぎで“アスリートフードマイスター”資格をとるかもしれまんよ」プロスポーツ選手同様に、アナウンサーも勝負の世界で生きているようだ。
2022年05月27日元フジテレビアナウンサーでタレントの久慈暁子(27)とバスケットボール日本代表でNBAラプターズのの渡邊雄太(27)が27日、インスタグラムや所属事務所を通じて、26日に結婚したことを発表した。久慈と渡邊は連名で「私たち、渡邊雄太と久慈暁子は、このたび入籍したことをご報告させていただきます」と発表。「これからもお互いに支え合い、楽しい時間を積み重ねていけたらと思っております。まだまだ未熟な二人ですが、温かく見守っていただけますと幸いです」と伝えた。また「この場をお借りして、日頃より温かいご支援をいただいております関係者の皆様、そして応援してくださる皆様に感謝を申し上げます」と謝意。そして「これからも応援していただけるよう、より一層邁進してまいりますので、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます」と続け、最後は「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」と結んだ。久慈は26日、フジテレビ系情報番組『ポップUP!』(毎週月~金曜11:45~)に生出演し、渡邊との婚約を発表していた。
2022年05月27日フリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。モデルとしてランウェイも歩いた。今年4月末にフジテレビを退社して以来、初の公の場となった久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともにMCを担当した。また、「DRESSTERIOR」のステージにモデルとして出演。黄色のスカートに白のトップスをあわせた華やかなコーディネートで堂々とランウェイを歩き、先端で優しくほほ笑んだ。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日元フジテレビでフリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。フジテレビ退社後初の公の場に姿を見せた。今年4月末にフリーになったばかりの久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともに、MCを担当。久慈はノースリーブのワンピースに足元は黒色のヒールサンダルで女性らしいコーデで魅了。コンビ揃ってタキシードを着用したチョコプラは自身の名前が書かれた“うちわ”を発見し、松尾駿は「こんなの初めて!」と大興奮だった。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日久慈暁子(本人のインスタグラムより)4月末をもってフジテレビを退社した久慈暁子が、5月1日、自身のインスタグラム上で「大学時代に所属していたインセントにてマネージメントをして頂く事になりました」と報告した。学生時代、同事務所でモデル業などを展開していた久慈は、2017年4月に“鳴り物入り”でフジへ入社し、同年7月には冠番組『クジパン』を担当。この『パンシリーズ』なる深夜番組は、フジのエースアナウンサー候補の“登竜門”といわれていて、久慈はシリーズ史上最速の入社4か月目で番組を任されたわけだが、放送期間も史上最短の3か月で終わった。芸人からのイジりで“ガチ泣き”「期待の新人ともてはやされていた久慈ですが、18年2月に開催された平昌オリンピック後の記者会見では、男子フィギュアスケート・羽生結弦選手への質問で“美味しかった料理など、教えていただけたら嬉しいです”とぶつけたことが話題に。さらに同年6〜7月開催のFIFAワールドカップ後の記者会見でも、キャプテンを務めた長谷部誠選手に対して“長谷部選手のインスタグラムが感動を呼びました。どう捉えていますか?”と尋ねるなど、とにかくアナウンサーとしてトンチンカンというか、ポンコツぶりが目立ちました」(スポーツ紙記者)また、21年4月発売の『週刊文春』(文藝春秋)はフジの複数アナによる“ステルスマーケティング問題”を報じ、久慈も疑惑のメンバーに含まれていた。なお、同年12月にはニュースサイト『文春オンライン』が久慈のフジ退社をスクープし、今年1月、本人が正式に発表。その後、2月26日放送の『さんまのお笑い向上委員会』では“ケンカ芸”で知られるお笑いコンビ・鬼越トマホークの坂井良多から「お前が辞めても、フジテレビに1ミリもダメージねえからな!」とイジられた久慈が、“ガチ泣き”してしまったことも話題になった。「そんな久慈ですが、今月からは古巣のインセントに出戻って再スタートを切ることに。フジを退社するにあたって、これまでのレギュラー番組はすべて降板しているためか、久慈はインスタに“また新たな形で皆様にお目にかかれれば幸いです”とつづっています」(同・前)フジの女子アナといえば、3月末に久代萌美も退社し、4月から吉本興業に所属。同21日には『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で脱・局アナ後初のテレビ出演を早々に果たし、夫であるYoutuberコンビ『北の打ち師達』のはるくん関連のトークを武器に、バラエティ番組やイベントなどで活躍している。久代より1か月遅れてフジを離脱した久慈も、同じようにバラエティから攻めていくという道を選ぶかもしれない。ただ、ネット上では久慈に関して「芸人からイジられて泣いてしまうようでは、バラエティは厳しい」という意見も。久慈と久代のキャラクターや、それぞれの所属事務所の雰囲気も異なるため、売り出し方も違ってくるだろう。有名女優たちが所属する事務所「もしかすると久慈は、19年3月末にTBSを退社してオスカープロモーション所属となった宇垣美里と似たような路線もあり得るかもしれません。宇垣はTBSを辞めてからすぐにフォトエッセイ『風をたべる』(集英社、19年4月)を発売し、直後にはファッション誌『anan』(マガジンハウス)の表紙を飾りました。久慈もモデル経験を生かし、まずはそのルックスで勝負できる仕事からこなしていくのもアリなのでは」(テレビ局関係者)さらに、宇垣は21年7月期の連続ドラマ『彼女はキレイだった』(フジ系)に出演すると、今年も1月期の『ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○』(同)、4月期の『明日、私は誰かのカノジョ』(TBS系)とオスカー所属らしく、女優としての露出が増えている。「インセントも、山本美月や山本舞香、桜井日奈子といった女優陣を抱えていますから、久慈もとりあえず“バーター出演”などからチャンスをもらえる可能性があります。もちろん、久慈自身がどうしたいのかにもよりますし、方向性が定まるまで時間がかかるかもしれませんが……。ちなみに、宇垣もオスカー入り直後はそれなりにバラエティ出演していて、19年7月放送の『ダウンタウンなう』(フジ系)では、TBS退社前に報じられていた自身の“コーヒーぶちまけ事件”について触れた上、内部での出来事が週刊誌に載ったことには“(TBSの)民度が知れるわ”と言い放つという過激さで注目を集めていました。そんな宇垣のキャラクター性も魅力に繋がっていると思うので、久慈が簡単に真似できるものでもなさそうです」(同・前)久慈がバラエティに呼ばれ、フジでの失敗談や裏話などを暴露できれば話題にはなるだろうが、下手すると自身が批判にさらされることも。再スタートの第一歩目は、慎重に踏み出してほしいものだ。
2022年05月10日久慈暁子アナ、田中みな実「フリー転身といえば、NHKのアナウンサーが民放に降りて帯番組のキャスターを務めるように、かつてはスキルを高めた30代、40代が満を辞して、というのが主流だったように思います。先日、日本テレビ退社を発表した桝太一アナも40歳ですからね。それだけに、27歳にしてフリーになる決断を下した彼女には余程のことが起きたのでは、と勘ぐってしまいますよ」(スポーツ紙芸能デスク)1月23日、自身のインスタグラムにて《今春でフジテレビを退社することになりました》と報告した久慈暁子アナ。フジの看板アナの1人に数えられた彼女は、入社から5年、27歳と若くして同局を去り、今後はフリーアナとしてタレント活動にも力を入れていくようだ。2017年4月の入社から3か月後には、同局の歴代“エースアナ”の代名詞になっている“○○パン”を戴冠した久慈アナ。7月に『クジパン』がスタートすると、10月には『めざましテレビ』に抜擢されるスピード出世。新人にして将来が確約されたと言ってもいいほどのエリートコースを歩む逸材だった。それもそのはずーー、「青山学院時代にスカウトされて芸能界入りした彼女は、ファッション誌の専属モデルなどのタレント活動を経験した元芸能人。20歳の頃には、同じ奥州市出身で同学年の大谷翔平選手との対談が組まれるなど、そのタレント性は折り紙付きでした。“大型ルーキー”として迎えられたわけですが、それでも研修から間もない新人アナが抜擢されるのは異例のこと。フジはアナウンス力というよりは、彼女のルックスと知名度、人気にも期待したのは確か」(前出・スポーツ紙芸能デスク)期待に応えるように『めざまし』の他にも『めざましどようび』メインキャスターを務め、一方でバラエティー番組でも存在感を放っては着実にステップアップを重ねた久慈アナ。ところが、順風満帆にきていた彼女に“スキャンダル”が降りかかる。■ステマ疑惑と後輩アナの台頭昨年4月に『週刊文春』が、久慈アナを含む同局アナ7人がとある美容室と、その系列店から無料サービスを受ける代わりにSNSで“広告塔”の役割を担っていたという“ステマ(ステルスマーケティング)疑惑を報じた。これを受けて、彼女もインスタで騒動を謝罪して《気を引き締めていきたい》と前向きな姿勢を見せていたのだが、「上層部から厳重注意を受けたという彼女ですが、どうやら納得がいかなかったみたいですね。というのも、数十回も投稿を繰り返していた同僚もいたのに対して、久慈さんは1、2回ほど載せただけ。おそらくは頼まれて紹介しただけで、本人はステマの意識がなかったのかもしれません」(テレビ局編成スタッフ)そして“ライバル”アナの存在も退社を決断した理由になり得たとも。「同じくステマ騒動を謝罪した井上清華です。昨年3月に『めざましテレビ』のメインキャスターに就任した井上アナは、同じ青学出身のタレント出身アナ。そんな後輩に先を越されたとあっては、久慈さんのプライドに傷がついたとしても無理はない。アナに限らす、出世争いに敗れて転職する局員は多いですよ」(同・編成スタッフ)数千人、数万人とも言われるアナウンサー志望者から選ばれた、しかも“エース”候補として迎え入れられた久慈アナ。そんな彼女が5年で退社とあっては余程の理由だったのだろうが、この決断は「若手アナのトレンドになるかも」とは大手広告代理店営業スタッフ。「元TBSの田中みな実さんの成功例があってのこそだと思います。2009年に同局に入社した田中さんも、人気アナとして活躍していた5年目の27歳でフリーに転身した身。しかも久慈アナと同じ青学出身で、学生時代からモデル経験ある“タレントアナ”でした。彼女たちには常日頃、芸能事務所からお誘いがかかりますから」同様にエース候補としてTBSに入社し、“あざといキャラ”を確立すると同局のバラエティー番組に欠かせない存在となった田中。ところが2014年9月に自身のブログで突然の退社を発表。当時は理由を《広い視野で、環境で、挑戦していきたい》としていたのだが、昨年5月の『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)で真相を語っていた。■余力があるうちに外に出た方がいい在籍時には常々「帯番組をやりたい」と上司に掛け合っていたという田中だが、待てども番組改編時のキャスティングに一切名前が挙がらなかったとして、《私は“このままずっと今の感じでぶりっ子を30歳までやって、需要がなくなってしまったらどうしよう”と思って。だったら、まだ余力があるうちに外に出て、もしかしたら外の方が帯番組をやれるチャンスがあるかもしれない》30歳を迎える前に、若いうちにフリーになる方がメリットがあると判断。「女子アナにはかねてより、“30歳定年”なる業界の都市伝説のようなものがありました」とは芸能ジャーナリストの佐々木博之氏。「毎年入社してくる若手アナや、人気フリーアナに押し出されるように、30歳を過ぎるとナレーションや番組合間のニュースなどの“裏側”に回されて、画面から消えていくというものです。それを機にフリーに活路を見出すことは少なくはありません。ただ、引く手数多の売れっ子アナならいざ知らず、ベテランになったフリーアナに開かれた道は狭いもの。ですから30歳になる前に、できるだけ若いうちにフリーになった方が、アナウンサー以外にも活動の選択肢が多いのだと思います」確かに、27歳にしてフリーに転身した田中の活躍ぶりはご存知の通り。念願の帯番組のメインキャスターを任される一方で、アナウンサー業の他にも大胆なショットを収めた写真集は60万部を突破。努力する姿を隠さずに見せることで、女性からの支持を集める“美のカリスマ”として君臨。さらに勢いは止まらず、女優業にも進出。ドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系・2020年)での怪演が話題になると、昨年には映画『ずっと独身でいるつもり?』で主演を務めるなど、局アナ時代よりも充実した芸能生活を送っているように見える。■女子アナは通過点に過ぎないそんな先輩に続けとばかりに、入社から5年経った2019年3月に同じくTBSを退社した宇垣美里。以後はタレント活動をメインにコスプレ姿を披露したり、CMやドラマにも多数出演。さらにフォトエッセイやコスメ本などを出版するなど、活躍の場を多岐に広げている。「特に宇垣さんはそれが明確に見えましたが、もとより“アナウンサーとしてずっとやっていきたい”のではなく、入社時より腰かけと言いますか、“とりあえずアナウンサーになって知名度を上げてからタレントになりたい、女優になりたい”という目的の女子アナも少なくはないと思います」(佐々木氏)では、彼女たちに共通する、テレビ局を退社してフリーになる決断をする「5年」の期間にはどんな意味があるのだろうか。「一般企業においても“3年”は、これはまだ早い気がします。個人差はあれどもテレビに5年間出ていれば世間からの認知度があり、知識や経験も重ねて人脈も広げていると思います。そもそもがアナウンサーになれる優秀な人材ですからね。それでいて27歳、28歳と若さもありますから、彼女たちが転職をする一番いい時期なのでしょう。才色兼備のイメージが強くブランド力が高い“女性アナ”ですが、今の若い女性にとっては“なりたい職業”ではなく、“なりたい自分になるための職業”に変化しているのかもしれません。テレビ局にとっては、優秀な“人材流出”はたまったものではありませんが(苦笑)」(佐々木氏)テレビを見ないという世代だけに、若手アナの意識もまた変化しているのかも。
2022年01月28日中学時代にいじめを受けたことをきっかけに不登校になり、7年間引きこもっている長男とその家族の姿を描いた林真理子さんの小説『小説8050』(新潮社)が4月28日に発売されました。80代の親が50代になった子供を支えるいわゆる「8050問題」を題材に、ある一家の絶望と再生を描いた物語で『週刊新潮』での連載当時から話題になり、単行本も発売前に重版が決定。8万部を突破しました。はたから見たら恵まれた生活を送っているかに見える歯科医・大澤正樹は、長女の結婚をきっかけに引きこもりの長男と向き合う決心をします--。後編では正樹の長女・由依に込めた思いについて林さんにお話を伺いました。「努力したことはちゃんと評価されないと」由依に込めた思い——後編では翔太の5歳上の姉・由依について伺いたいです。由依は中高一貫の女子校を出た後、現役で早稲田の政経に入り、損保会社に入社します。東京出身の家柄の良い一橋卒の男性と出会い、結婚の話が出たところで家族に引きこもりの弟をなんとかするように迫ります。ウートピ読者の中にも由依に自分を重ねて読む人がいると思いますが、由依のキャラクターはどんなふうに作っていったのでしょうか?林真理子さん(以下、林):由依ちゃんは自分にとって結婚のデメリットにしかならない弟を隠そうとするなど、ちょっと「冷たい」と感じる行動や言動があるのですが、彼女は確実に幸せになる人だと思います。私は努力したことはちゃんと評価されるべきだと思っているので、弟のせいで評価が下がるのはかわいそうなので、由依ちゃんに同情して書きました。——個人的に私も由依に自分を重ねて読んだのですが、由依のしたたかさが気持ちよかったです。林:自分で努力して良い大学に入って、良いところに就職して、それなりの男の人を捕まえた。彼女が弟を隠そうと思うのは、当然だと思うんです。——逆に由依がもっと気が弱い子だったら、つぶれてたというか家族の“犠牲”になっていたかもしれないですね。林:したたかだけど憎めない人物です。だってこの子は一生懸命勉強したんだから。私が由依ちゃんの年頃の女性だったら同じことをすると思いますよ。何とかまず地固めして、結婚相手の親にはうまくなんとか取り繕う。——由依は林さんにとって分身みたいなキャラクターですか?林:そうですね。私自身の性格を取り入れているかもしれない。私がこの年だったら、こういうふうに振舞ってるみたいな。「その時の役割を果たしたら、解散したっていいんじゃないの」——まわりを見ていても家族との関係で悩んでいる女性も多いです。真面目で家族思いで“いい子”だからこそ負担がいってしまうというか、自分を後回しにしてしまう。由依を見習ったほうがいいくらい。そこで林さんに家族との向き合い方を伺いたいです。林:介護で言えば、どこで切り上げるかがすごく大切な問題だと思います。親の介護が始まると、自分の生活を犠牲にして田舎に帰るという話もチラホラ聞きますが、それはちょっと違うんじゃない?と。もちろん人それぞれだし、事情はあるでしょうが、もし介護が始まったら、公的なものに頼っていいと思いますし、そのために税金を払ってきたんですから。私は介護の小説も書いていますけれど、本当に介護って終わりが見えないしキリがないんですね。ここまでやろうと思っても、ズルズル引きずられちゃう。だから、週に1回は様子を見に行くと決めたらそれはそれで守って、もし動けなくなったら施設に入るとか今後のことを元気なうちに話しておいたほうがいいと思います。——まわりに助けを求めたり、手を借りたりするのが苦手な人が多い印象もあります。林:手を借りなければダメですよね。共倒れになったら元も子もないから。母と娘の結びつきが強いほど、娘は人生をささげてしまって、最後は二人とも生活に困っちゃう。よっぽどの資産があれば別ですが、そんな恵まれた家がどのくらいあるでしょうか?母と娘って手堅い絆で結ばれていることも多いけれど、いったんクールにならないといけないと思います。子供が勤めをやめて親の介護をするのも「ちょっと待って」と言いたいですね。仕事は絶対にやめちゃダメ。介護にお金や手間ヒマかけたとしても、公的な手も借りないとダメです。ある程度はお金が解決してくれるので、そのためにも自分で稼がなきゃいけないし仕事はやめないほうがいい。——家族のことは家族でという風潮や自己責任論も根強いです。林:小説の中で由依ちゃんに「家族なんて、その時の役割を果たしたら、解散したっていいんじゃないの」って言わせています。そこまでクールになれとは言わないけれど、いったん距離を置いてみるのも大事だと思います。家族だからってべったりするのが幸せとは限らない。距離を置いてみて、それでもやみがたい感情があるのならば、それを大切にするというのでいいんじゃないでしょうか。夫婦や家族を自分に問い直す——コロナ禍で在宅時間も増えました。家族との距離感も変わった人もいると思うのですが、林さんは変化はありましたか?林:私は夜にフラフラ出かけるタイプですが、今はそれもできないし、そもそも仕事が引きこもりのようなものなので実はあまり変わってないですね。夫が出かけないのがちょっとウザいなって(笑)。——家族や同居人と一緒に過ごす時間が増えたことでの戸惑いの声も耳にします。林:私は、成人した子供は、家から出ていくべきだと思っているんですね。夫婦がもう一度対になって、そこでいろいろ考え直すっていうのが一番良いのかなって。由依ちゃんの言う「解散」もいいかもしれない。下重暁子さんの『家族という病』が話題となりましたが、家族に引きずられるのはやめたほうがいいんじゃないかって思っています。子供が自分の手から離れた段階で「何のために結婚したんだろう?」ってもう1回問い直してもいいかもしれない。私たちの年代だと、結婚しなきゃいけない風潮があったからしちゃったけれど、今はしなくてもいいわけだから。しなくてもいい人たちがしたからには、結婚にメリットがないとおかしいですよね。ただ、結婚の厄介なところはメリット・デメリットだけではなくて情のようなものも出てくること。この情がいろんな決断を邪魔するんですけれど、それも悪いことじゃない。情にすがって「もう何年かはやっていけるかな」と思ったらやってもいいし。子供が独立したときに解散するのもいいんじゃないかなって。——離婚や解散というとマイナスのイメージがありますが、悪いこととは限らないですね。どんな意味を与えるかは個人に委ねられている。林:そう。私のまわりには離婚届を出さずに別居している人も多いです。夫が実家に帰って看病するとかね。義両親の介護を“嫁”がしなければいけない時代でもないですし、みんながそれぞれ言いたいことを言ってどんなふうに人生を生きていきたいかを話し合えるといいですよね。——この本を読んで家族との関係を見直すきっかけになればいいですよね。林:本当にそう思います。この物語も息子が変化していくにしたがって、今まで見て見ぬフリをしてた夫婦の亀裂が明らかになってくるので。「いろんな生き方がある」という言葉に思うこと——最後に、由依世代の女性へメッセージをお願いします。林:最近よく耳にする「いろんな生き方がある」という言葉に幻惑されないほうがいいと思います。確かにいろんな生き方があるし、結婚してもしなくてもいいとは思うけれど、その言葉って突き放しているようで愛がない気がするんですよ。「勝手に生きていけば」ってことだから。——私たちも使うことが多い言葉です。ある意味、とても便利な言葉なんですよね。だからこそ思考停止になる危険性があるのかもしれません。林:世界で一番貧しい大統領として知られるホセ・ムヒカ元大統領が「人生を1人で歩まないでください」*と言っていたんです。「家族をつくれ」って。私はこの言葉に深い愛を感じました。*引用元:「それから、ぜひ家族を持ってください。家族というものは、単純に血のつながった家族ということではありません。そうではなくて「考え方の家族」という意味です。同じように考える人です。人生を1人で歩まないでください」——『小説8050』にも家族に限らずいろんなつながりが書かれていて希望が持てました。林:家族をつくらない生き方もあると思うけれど、私は「多様性」という言葉に冷たさを感じてしまう。「家族は突き離してもいい」とか「距離を置くのも必要」とか言いましたが、その前に家族をつくってみるのも決して無駄なことじゃない。まずは1回つくってみたらいかがでしょうかね?まあちょっと違ったかなって思えば訂正すればいいじゃないですか。軌道修正なんて全然できます。人生100年時代でこんなに長生きするんだから、一生同じ人と結婚する必要もないしね。そんな感じでいいと思います。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)
2021年06月03日死ぬときに後悔はないほうがいい……というのが通説だが、下重さんは「後悔が残る生き方もいい」と語る。一体なぜ?その思いと、悔いを残して死ぬコツを聞いたーー。「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」このように、本業でオファーが舞い込む傍らで、趣味にも「真剣に」打ち込んできた下重さん。しかしながら、これは多芸多才な彼女だからこそ、できたことなのでは?と誰もが思うのではないだろうか?「いえ、本当に好きで、やってみたいことだったら、誰にでもできるはず。好きなことなのに、トライもしないで『明日死んでもいい』とは思えないはずですから」確かに、そう言われればそんな気がするけれど、私たちにとってなかなかつかめそうもないのは、その“やってみたいことは何か”を見つけることなのである……。そこへ下重さんが、とっておきの“発想のヒント”をくれた。「中学、高校生のころに戻ってみることですよ。あのとき何に感動し、何が大好きだったのか。特に、好きだったのに大人に反対され、あきらめてしまった淡い夢ーーそれが『後悔の原体験』のはずです。私の場合はオペラ。じつは若いころは音大に進んでオペラ歌手になりたかったんです。けれど、習っていた声楽の先生に『あなたの小柄な体では、オペラ歌手は無理』と言われ、諦めた。みんな忘れているだけで、そういう体験が『ない人はいない』はず」下重さんにとってバレエであり、オペラであったように、ある人には、それが料理や絵画、ファッションであってもいいのだ。その際に心がけたいのは「トライすること」と同時に「考えていたことをアウトプット(=表現)すること」だという。「中高生のころの気持ちを忘れてしまっていたように、いまやりたいことを『思っている』だけでは、必ずいつか忘れてしまいます。私だって忘れる。けれど、文章を書くというアウトプットがあるから、やりたいことを思い出すことができるんです」何かに挑戦するための大きな示唆をくれる下重さんだが、前述のように、「明日死んだら後悔は残るだろう」とも話している。「これまで100冊以上の本を書いてきましたが、私自身が『自由になれた』と思えるようになったのは最近のことです。80代になってやっと『本当に書きたいことを書ける』と思えるし、依然『書きたいことが書けていない』とも思う。ある種後悔とともに生きているし、それでいいんだと思います」死に方を考える、というのは日々の生き方を考えるということ。コロナ禍は“自分と向き合い、やりたいことを見つける”いい機会になるかもしれない。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」下重さんに半生を振り返ってもらうと、現在の境地に至ったゆえんが見えてきた。「私は小学校2年生と3年生の2年間で、たった1日しか登校できませんでした。結核で隔離療養を強いられたんです」“感染症による闘病”を丸2年、少女期に経験していた下重さん。「1日4度検温し記録をつけて、寝ているだけの生活。何もすることがないものだから、父の本棚から抜き出した本をながめては、想像を膨らませるのが日課でした。そこで『自分と向き合う』習慣が身についたんだと思います」当時は致死率が高く“死の病い”とされていた結核。部屋で一人思いを巡らせるなか、否が応でも「死」を意識することになった。’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」さらにこの時期から、少女時代に習っていた歌唱を、再び専門家について指導を受けるようになったという。60歳のときにはフランス料理店を自腹で借り切ってリサイタルを敢行した。「フルコースをご馳走して、その後で私が歌う。食べた後では逃げられないだろうと思って(笑)。アナウンサー時代から、どんな大舞台でも、しゃべりでは緊張しなかったのに、歌ではアガりましたね」下重さんが伝えたいのは「やらないで後悔して死ぬ」より「やって道半ばで後悔して死ぬ」のを選ぶべきだということ。「過ぎ去った時間は取り戻せないけど、前にある時間は、手に入れられる。後半生が残り少ないと思うなら、前を見つめて生きる!そうすればきっと『後悔を残して死ぬ日を迎えられる』はずです」「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日大下容子アナウンサー撮影/矢島泰輔テレビ朝日系昼の情報番組『大下容子ワイド!スクランブル』のメイン司会を務める大下容子アナウンサー。キャリアを重ねるなかで冠番組への思いや仕事への矜持、意外な素顔を直撃インタビュー!「最初は戸惑っていましたが、同世代の女性や先輩、後輩、多くの方が喜んでくださり、“頑張って”と声をかけられて、そういうふうに思ってくださる方がいることは、ありがたいなと思います」こう語るのは、テレビ朝日の大下容子アナウンサー。■テレビ朝日の“昼の顔”4月から自身の名前がついた同局系昼の情報番組『大下容子ワイド!スクランブル』で、メイン司会を担当する。1998年から同番組のサブMCを務め、冠番組で文字どおり“昼の顔”に。「ひとえに番組が続いてきたおかげです。番組を担当して21年目、結婚も出産もなく、フラットにきてしまいました(笑)。女性は節目があって、続けたくても続けられない先輩後輩もいます。ずっと担当しているのは、さまざまな条件が重なっただけですので、みなさんに感謝したいです」’93年に入社。現在は、アナウンス部の女性では最年長に。“女子アナ30歳定年説”ともいわれるが、『SmaSTATION!!』(2001年~’17年)が始まり30代から40代半ばまで週6日、生放送をこなす生活が続いた。「とにかく体調を崩さないように気をつけて、毎日やるべきことをやって、自分の役割を果たすことを必死にやっていました。気がつけば年齢を重ねていましたが、いま考えてみると、それは充実していたことでもあります。夢中になれる仕事に恵まれたという意味では、とても幸せなことだと思います。40歳を過ぎたあたりから、年齢はあまり考えなくなりました(笑)。作家の下重暁子さんも著書で“年齢を捨てなさい”とおっしゃっていて、そこでしばられてもしょうがない、と。自分が納得する毎日を送ることができればいいのかなと思います。人生を終えるときに納得した人生、精いっぱいやったと思えれば、どう見られてもいいかなと、人のことは気にしなくなりました。これって、開き直りでしょうか(笑)」■コンプレックスの塊五輪取材が転機にアナウンサーを目指したのは就職活動中。金融、商社、メーカーなど受ける中、選択肢のひとつがテレビ局だった。「自分が何に向いているのか、何をしたいのかもわかりませんでしたので、いろいろな業種の方にお話を聞きました。アナウンサーは、試験が進むに従って執着心が湧き、どうせ落ちるなら悔いなくやりたい、そして、試験を受ける中で友達になった丸ちゃん(丸川珠代/アナウンサーから参議院議員に転身)に“アナウンサーになって一緒に頑張ろうよ!!”と言われたひと言で、現実的に取り組むことができました」難関のアナウンサー試験に合格し、丸川と同期アナに。他局には雨宮塔子(TBS)、角田久美子(日本テレビ)、八塩圭子(テレビ東京)らがいた。「みんながキラキラして見えました。アナウンサー研修ではいちばん下手で、広島弁のアクセントが抜けず、地味でコンプレックスの塊でした。とにかく練習しかない。華やかさを追い求めてもないものねだり。自分の与えられた仕事に最善を尽くすしかない。仕事ぶりでみなさんに信頼されるアナウンサーになるしかないな、と思うようになりました」アナウンサーのターニングポイントに、’98年の長野冬季、2000年のシドニー夏季と2度の五輪取材をあげた。「昔からスポーツが好きで、五輪取材は夢でしたから宝物のような体験で、アナウンサー冥利に尽きると感じました。競技はもちろんですが、街の様子や人々との会話など、ちょっとしたことが新鮮で楽しくてたまらなかったので、寝不足も全然、苦にはならなかったです」サッカー好きで、’98年のサッカーW杯に日本が初出場したときには、開催地のフランス・トゥールーズで自身の企画を実現させた。「振り返ってみると’98年は、私にとって大きな年だったと思います。2月に長野五輪、6月にサッカーW杯、そして10月にワイドスクランブルの担当になりました。夏ぐらいまではスポーツモードだったので、ワイドショーは予想外でした。先輩に相談したら、ワイドだから幅広くニュースを扱い、スポーツもそのひとつだ、と言われて納得しました。専門分野があるわけでもなく、広く興味があるタイプなので、今となっては、ワイドショーは向いていたのかなと思います」■広島弁でストレス発散ひとり身、未来は……生放送番組を担当してきた20年間は“判で押した”生活でもある。現在は、午前4時過ぎ起床、5時過ぎに出社し一般紙、スポーツ紙合わせて10紙に目を通し、テレビ各局をチェック。8時半から約1時間の打ち合わせ、ヘアメイク、衣装に着替えて10時25分から本番。午後1時40分に本番終了。反省会と翌日の打ち合わせを約1時間程度。アナウンス部で業務をすませ、3時過ぎに退社。9時過ぎ就寝──がほぼサイクル。「30代はジムで30分くらい走ったりしていましたが、40代になって10分も走れなくなり、ストレッチするくらいです。いまは本番が終わると、あしたのジョーじゃないけど、燃え尽きた状態。休日の土日のうち1日は寝たきりで、起き上がれないです(笑)。ストレス発散は、広島弁での身内とのおしゃべりです」今後に向けての抱負は?「ニュースの素材は一緒ですからコメンテーターへの質問で独自性を出していけたら。視聴者の半分は女性ですから、男性の視点だけでなく、女性の視点が出てくれば、より多くの方に興味をもっていただけるのかなと思います。インパクトは小さいかもしれないですけれど、丁寧に真摯に実直に、ニュースをお伝えできたらいいなと思っています。現在は、ひとり身ですが、未来はわかりません(笑)。節目や変化を面白がれるようになりたいし、いまはとにかく番組を一生懸命やることで精いっぱいです」オンとオフが変わらず勉強熱心、聞き上手!入社して第一印象は、スポーツ大好きのさわやかな女性。いまと変わらない明るい声で“おはよう!”と元気に挨拶していました。広島出身なので新人時代はアクセントの違いをかなり指摘されましたが、いつもメモを取って次の研修までにすべてを完璧に直してくる。それはかなりの努力だし、修正力、適応力のすごさに驚きました。今でも覚えているのが、恐竜が大集合するというイベントの司会をしたときに、難しい恐竜の名前をすべて覚えてきた。これには主催者も感心しきりでした。彼女は研修、新人、現在に至るまで準備には妥協しないし、勉強を積んでいる。それが仕事の信頼度につながっているし、いろいろなジャンルの情報を切り盛りできると思います。オンとオフが変わらず、聞き上手。角澤(照治)アナウンサーと同期3人で食事に行っても、男ふたりの話を聞いてくれる。番組でもメインだけど、聞き上手で、簡潔に最小限でコメントする姿に、彼女の美学を見る気がします。(同期の坪井直樹アナウンサー)冠は自然の流れ“大下カラー”が支持!昨年10月に番組をリニューアルすることが決まったときから大下アナをメインにすることを決めていました。20年、サブMCとして頑張ってきて視聴者にも好感を持たれています。清く物事をとらえ、やさしく受け止めようとし、人も社会も美しくあってほしいというイメージのある彼女に、ジャーナルな目線を出してもらいたいと思いました。リニューアル後は世代、性別の違う3人の日替わりコメンテーターと向き合いながら、一緒にニュースをとらえて考える番組に、控えめで、遠慮深い彼女らしい存在感をキープし、自分なりの言葉を発信しています。視聴者からは“大下容子さんの番組”と認知され、視聴率でも横並びトップになることもあり、冠は自然の流れでした。女性の視聴者が多い昼の情報番組で、女性目線を生かした大下カラーが支持されていると思います(小林雄高エグゼクティブプロデューサー)■大下容子アナに20の質問──1.好きな言葉は?「人事を尽くして天命を待つ」──2.嫌いな言葉は?「~に迫ります」「検証します」など使い古された表現はなるべく避けるようにしています──3.好きな食べ物は?根菜の煮物──4.嫌いな食べ物は?特にありません──5.好きな男性のタイプは?品のある人──6.嫌いな男性のタイプは?品のない人──7.ご自身の長所は?まじめ──8.ご自身の短所は?きまじめ──9.特技は?平日オンエアまでは分単位で時計を見なくてもほぼわかること──10.苦手なのは?ユーモアのあるスピーチ──11.得意料理は?広島風お好み焼き──12.カラオケの十八番は?瀬戸の花嫁──13.ハマっているのは?京都。時の流れがゆったりしていて好きです──14.勝負カラーは?白──15.必需品は?目薬──16.最近、泣いた(感動)ことは?映画『凪待ち』を見て──17.最近、腹が立ったことは?日々(自分に)ぷんぷんしていて……情けないです──18.美容(健康)法は?よく寝ること──19.子どものときに憧れたのは?医師──20.生まれ変わったら何になりたい?オペラ歌手
2019年07月11日「これまでに100冊くらい本を書いてきた私は、80代に入ってようやく、『本当に書きたいこと』を書くためのスタートラインに立つことができたと思っています。『女性の人生100年』といわれる時代ですが、『前半50年』は、その意味でいうと、本番に向けての『準備期間』でいいんです」こう話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(83)。最新刊『天邪鬼のすすめ』(文春新書)でその半生をつづっている下重さんだが、著書のタイトルに込めた意味を、こう明かす。「天邪鬼とは民話に出てくる妖怪で、寺の入口などで仁王様に踏まれている小鬼。私は大好きなんです。反骨精神を忘れず、あえて人と逆のことをしてみる。その前提条件は、『自分で考え、自分で決める』。つまり、精神的に自立していることです。それができれば、50代以降の『後半50年』を人に頼らず自分の本当にやりたいことができる。それまで家族のために尽くしてきた人も、自分が主役で生きていくことができると思うんです」若々しく目を輝かせて語る下重さんに、“天邪鬼で生きる”ための知恵を教えてもらった。■家族に縛られない「夫や子どもに期待されすぎるのが苦しいように、逆に相手に期待しすぎてもいけません。私の母は、私が社会人になってからもずっと『暁子命』のように振る舞っていましたから、それはとても苦しく感じられたものでした」下重さんは、家族といえども、「個々がすきなことを好きなように生きたほうが、お互い健全でいられる」のだと続ける。「結婚しても子どもが生まれても『個』というものがあります。妻として母としての役割で生きてきて、必要以上に家族というものに縛られるのは、誰のためにもならないんです」■夫をうまく使うテレビ局の報道マンと結婚した下重さんは、夫のことを「つれあい」と呼ぶ。一人暮らしのころから、彼は買い物にも行き、料理をつくって酒を楽しむマイペースな生き方をしていた。その後に就いた大学教授を辞めた後は、時間のある限り毎食、料理を作るという。「つれあいは、地に足のつかない私に生活の大切さを感じさせてくれました。好きなこと、向いていることを、それぞれがしているというのが、私たち。使えるところを使いあって、暮らせばいいんです。今日も、帰れば晩ご飯ができているはずですよ(笑)」■夫に趣味を極めてもらう下重さんの夫は、10年ほど前から鎌倉でお茶を習っている。家で花も生けはじめた。「花は誰かに習うのではなく、創作で。器はあらゆるものを活用し、つれあいにこんなに美的センスがあると、最近になって気付きました。特に男性は、凝り始めると極めようとするので勉強熱心ですし、夢中になる姿は、なかなかいい。お茶もおいしく飲めるし、花があれば家中が華やぎます。つれあいが語るうんちくは、私も勉強になりますから、もっといろいろと楽しんでほしいですね」
2019年06月20日50歳までは準備期間。まだ自分のために生き直すことはできる。人生100年時代の折り返し点からどう生きればいいかを、ベストセラー作家が指南。「これまでに100冊くらい本を書いてきた私は、80代に入ってようやく、『本当に書きたいこと』を書くためのスタートラインに立つことができたと思っています。『女性の人生100年』といわれる時代ですが、『前半50年』は、その意味でいうと、本番に向けての『準備期間』でいいんです」こう話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(83)。最新刊『天邪鬼のすすめ』(文春新書)でその半生をつづっている下重さんだが、著書のタイトルに込めた意味を、こう明かす。「天邪鬼とは民話に出てくる妖怪で、寺の入口などで仁王様に踏まれている小鬼。私は大好きなんです。反骨精神を忘れず、あえて人と逆のことをしてみる。その前提条件は、『自分で考え、自分で決める』。つまり、精神的に自立していることです。それができれば、50代以降の『後半50年』を人に頼らず自分の本当にやりたいことができる。それまで家族のために尽くしてきた人も、自分が主役で生きていくことができると思うんです」若々しく目を輝かせて語る下重さんに、“天邪鬼で生きる”ための知恵を教えてもらった。■一人遊びを楽しむ「小学2~3年生の2年間を結核で療養していた私は、一人の時間の過ごし方に苦労しません。家では読書や音楽を楽しみ、外出すればオペラや歌舞伎の鑑賞などもします。一人遊びが上手であれば、誰に気兼ねする面倒もなく、日々のストレスも軽減できるんです」■主婦業を生かす「主婦というのは、立派な職業だと私は思っています。だって、衣・食・住に教育や経済と、あらゆる方面にオールマイティでなければ務まらないからです」こう力説する下重さんは、主婦をしているあいだに「主婦業を極めてほしい」と話す。「どの方向に自分が長けているのか、やりたいことは何なのか、わかってくるはずなので、それを伸ばしてほしいんです。料理研究家の栗原はるみさんのように経験とアイデアを生かして、専門知識を増やしていくことはできます。私なら、好きなインテリアデザインを極めます」■まわり道をする31歳でNHKを退職し、民放のキャスターとなった下重さんは、各社の仕事を中心に、オファーが絶えない人気アナウンサーだったが「本当にやりたい仕事」はほかにあったのだと振り返る。「そのつどしゃべる仕事はあり、アナウンサーとしては、チヤホヤされてきたと思います。しかし、自己表現にいちばん向いていると思える『ものを書く仕事』は地味でした。でも、チャンスがあればなんでも、エッチな新聞や雑誌でも勉強のために書いた。その経験があったからこそいまがあるし、これから本当に書きたいことを書けると思うんです」50代から新しいチャレンジをする女性には、こんなメッセージを送る。「いますぐやりたいことの結果がでなくてもいいんです。待つことを学び、10年後を見据えてチャンスをうかがいながら、いろんなことを吸収しましょう」■かなわない友人を持つ下重さんがいま、80代で好きなことができるのは、大学時代からの友人の存在なくしては語れないという。「最高齢で芥川賞作家となった黒田夏子さんは4歳で小説家になろうと決めて、ずっと書いてきた。最低限の生活費を稼ぐために仕事は抑えて、残りの時間を執筆に割いてきたんです。私はというと変に器用で、さまざまな回り道をしてやっと目的地にたどりついたところ。黒田さんのひた向きさにはとてもかないませんが、彼女の存在が刺激になっています」■よく寝る50代から新しいチャレンジをするといっても、何より大事なのは、心身の健康だろう。「私が心掛けているのは、8時間以上の睡眠です。『寝ないのが美徳』だなんて迷信です。やっぱり寝なきゃ、長持ちしませんよ」下重さんが説く知恵は、人生後半の50年を自由に生きるヒントになるだろう。
2019年06月20日イカした「ババア」になるためのアレコレをつづったエッセイ『ババア★レッスン』(光文社)を上梓した漫画家の安彦麻理絵さん。「ババア」というフレーズは言うほうも、言われるほうもうれしくない言葉のように思いますが、安彦さんはこの言葉に「おばさん、と言われるより、何か人間的なおもしろみ、そして自由を強く感じる」と言います。安彦さんが「ババア」という言葉に感じる愛おしさとは——?親友のライター・吉田潮さんと、「ババア」について語っていただきました。今年49歳の安彦さんと46歳の吉田さんが、たどり着いた境地とは?女を傷つけるための言葉を変えていく——安彦さんの新著『ババア★レッスン』、インパクト大のタイトルです。安彦さんは以前にも「ブス」をテーマにしたエッセイを書かれていますが、「ババア」「ブス」などの言葉を意図的に使うのはなぜでしょうか?安彦麻理絵さん(以下、安彦):「ババア」も「ブス」も、女を傷つけるために使われる言葉じゃないですか。当事者である自分がそれらの言葉を、ポジティブな文脈で使うことで、女を傷つけるための言葉じゃなくしたいんですよね。吉田潮さん(以下、吉田):ポジティブな文脈でというのが大事かも。ところかまわず自虐的に使う場合もあるけど、それがより“呪い”を深めてたりもするし。安彦:あ~「私もうババアだからさ」みたいな?それ、若い子たちの「そんなことないですよ~!」っていうおもてなしのセリフと対になってるでしょ。私、もうそういうおもてなしって、いらないと思うんだよ。吉田:「私ブスだから」「私デブだから」とかも同じで、「そんなことないよ」っていう否定を求めていると、より“呪い”がふりかかってくるだけ。本でも書いてたね。「ババア!いい響きですね!」って言ってくれるほうがいいって(笑)。安彦:そうそう(笑)。「ババア」ってなんか「おばさん」より元気がある感じだし、なんか人間的な面白みとか、自由さを感じない?——本の冒頭で、ピースボートにドはまりした知人の姑さんについて書かれてますよね。年とってひとり旅にハマって、夫の訃報で一時帰国するものの、夫の葬式を済ませたら速攻で船にトンボ帰りした「ピースボート・ババア」もいるとか。安彦:そう。「ピースボートにドはまりしているおばさん」と「ピースボートにドはまりしてるババア」だとどう?後者のほうが躍動感と勢いがすごい(笑)。——……たしかに。ニュアンスが変わるし、口に出すと響きがちょっと楽しい。安彦:この話には後日談があって、ピースボートから帰ってきた後、ひとりで居酒屋とか行くようになって、行きつけの店ができたらしいよ。吉田:へぇー。最高!何歳から「ババア」なのか——安彦さんは現在49歳、潮さんは46歳ですが、何歳から「ババア」だと想定して書かれたんですか?安彦:40過ぎたら皆ババア、でよくないかしら?「アラフォー」とか「アラフィフ」とか、まどろっこしくて。吉田:でも、20代の子が「私もうババアだから~」って言ってるのを見て30代が「えっ!?」て思うみたいに、40代がババアを自称したら、50代、60代が「小娘が!」って思ったりしないかな。安彦:たしかに、上の世代から見たら小娘だよね。書店に行くと、ババアエッセイがたくさん並んでるでしょ。いまはたぶん篠田東紅がトップなのよ、年齢的に。『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎)って、105歳だよ!?吉田:105歳かー!今年、『極上の孤独』(幻冬舎新書)を出した下重暁子さんは82歳。105歳から見れば、82歳も小娘かも(笑)。——過去、ウートピでも下重暁子さんに取材をさせていただいたんですが、本当に「できあがってる」というか、迷いがない感じで震えました。吉田:理路整然としてて本当にかっこいい。でも、私はあそこの立ち位置にはとうてい行けないからな……。安彦:私、80すぎても、わたわたしてるかもしれない(笑)。でもそれはそれでいいよね。嫌だと思うことをちゃんと口にする女性を見て吉田:私の父が入ってる老人ホームに、ある80代女性がいるんだけど、彼女は病気で体が不自由なだけで頭はすごくしゃっきりしてるのね。彼女は嫌だと思うということをきちんと口にする人で、それが気持ちよくてすごく好きなの。ああいうババアっていいなぁって思う。今日の対談の依頼を受けて、ふっと思い出して、上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』(文春文庫)を持ってきたんだけど、このなかの「介護される側の心得10か条」が、「こういうババアになりたい」っていう規範になるんじゃないかなと思うのね。1自分のココロとカラダの感覚に忠実かつ敏感になる2自分にできることと、できないことの境界をわきまえる3不必要ながまんや遠慮はしない4なにがキモチよくて、なにがキモチ悪いかをはっきりことばで伝える5相手が受け入れやすい言い方を選ぶ6喜びを表現し、相手をほめる7なれなれしいことばづかいや、子ども扱いを拒否する8介護してくれる相手に、過剰な期待や依存をしない9報酬は正規の料金で決済し、チップやモノをあげない10ユーモアと感謝を忘れない(『おひとりさまの老後』より引用)安彦:へええ、なるほどね~!!吉田:この10か条って、セックスにおいても言えることよ(笑)。理想のババアは見た目じゃなくて……——結婚生活とかにも言えますね。吉田:いろんなものに通ずるのよ!期待や依存もしないし、自分の足でしっかり立って、違和感はきちんと口にできるみたいなババアが理想なんじゃないかなって気がしてる。安彦:「理想のババア」の何を理想とするかって、こういうことなのよね。見た目がかわいいとかそういうことじゃなく。吉田:年取ると、「かわいい、ちんまり」みたいなのを求められてるのが嫌なんだよね。ちっちゃくてキュートな、小花柄きたおばあちゃんみたいなの。安彦:あ~、縁側でひなたぼっこしてお茶飲んでるみたいな、寝てるんだか起きてるんだかわからないおばあちゃんね。吉田:そうそう。私背が高いからその時点でもうムリ、っていう(笑)。安彦:きっと常識的でまっとうな人生だったと思うし、それを否定するつもりはないんだけど、毒と無縁で生きると、「悪気のない余計な一言」をバンバン放ちそうな気がして。吉田:「親孝行のために、赤ちゃん産まなきゃね」とか「母乳じゃないとかわいそうよ」とかね。安彦:そう。だから私は、「スパイシーな、気の利いた毒っ気」を失っちゃいけないんだと思うんだよね。(構成:須田奈津妃、聞き手:ウートピ編集部安次富陽子、撮影:面川雄大)
2018年08月17日「本を書いたのはひとつの問題提起。反論や意見はどんどんしてもらってかまわない」と下重暁子さん「3年前に書いた『家族という病』から派生して、『父という異性(ひと)』『母の恋文』『わたしが子どもをもたない理由(わけ)』を書きました。親子や家族について自分との問題を1冊ずつ書いてきて、その最後が夫婦です。それまでの肉親とは違って夫婦は、まったくの他人から家族になっていくわけで、いちばん大事なことかもしれませんね」こう語るのは『夫婦という他人』の著者、下重暁子さん(82)。結婚して45年。実体験に基づいた夫婦観が綴(つづ)られた最新刊は発売1か月で、すでに何度も重版になった話題作だ。「反響はいろいろありますが、『家族─』もそうでしたが肩の荷が下りたという人が多いです。夫婦という肩の荷をしょっている人、夫婦という名前で縛られている人がいかに多いかということでしょうね。それは女性だけでなく男性にも多いです。(夫婦は)同等でいいと思うけど男性には、自分が面倒みている、あるいは責任者、主(あるじ)だと思い込んでいる人が多いみたいで、そういうことを思わなくてもいいと感じて、肩の荷が下りたんじゃないでしょうか」人生100年時代と言われ男女とも平均寿命は延び、夫婦でいる時間が必然的に長くなる。「子どもを介して三角形で生きてきたのに、子どもが巣立った後に夫婦だけで向き合うのはしんどいことだと思いますよ。そのためには自分たちの生き方を探さないといけない。夫婦の生き方探しの結果、離婚してもかまわない。もし一緒にいるのなら、いろんな暮らし方を探したほうがいいと思う。そのひとつの例として、私たち夫婦は水くさく暮らしていますよということを1冊にまとめました。最初からお互い、水くさくて相手に期待していない関係でした。周囲からは、期待しないなら結婚しなくてもいいでしょうと言われますが、期待しないから一緒にいられるのであって、期待したらしんどくてしょうがないですよ」■結婚の決め手は生活ケンカは時間のロス「結婚する気がなかった」という下重さんは36歳のときに、テレビ報道マンで3歳年下の“つれあい”と称するご主人と結婚した。「大恋愛が終わってくたびれ果てていました。相手は芸術家で、生活感のない人でした。私自身、生活感のあることが好きじゃないし、家の手伝いもしたことがない。一緒に誰かと住んで、その人のために料理をするなんて考えたことがなかったし、嫌いでした。そんな私に生活は生きていく土台だと無言で示してくれたのがつれあいでした。料理好きで、包丁さばきは見事で味もおいしい。そういう姿を見て私にいちばん欠けている生活の大事さを悟りましたが、(心の)隙間に入り込んだのかもしれない(笑)」夫婦の生活は、今は夜型の下重さんに対して、つれあいは朝型と対照的。「夫婦ゲンカはあまりしませんね。お互いに仕事が忙しいこともあるけど、(ケンカは)めんどくさくて時間のロスとしか思わない。気分がよくないと物は書けないので、仕事のほうが大事です。私は母親に愛情をかけられすぎたので、非常にわがまま。自分がいちばん大事な人間。まるで思いやりがないというか、人のことより自分のことしか考えてこなかった。でも、それはある時期から大人とはいえない。一緒にいる人のことを考える思いやり。そういうものが大事だと思えるようになり、心が通じる人がそばにいることのよさを45年の結婚生活でわかるようになりましたね」形式的なことが嫌いで結婚式は挙げず、結婚指輪もしない下重さんに、インターネットやSNSを使って出会いを求める20代、30代の若者はどう映るのだろうか。「いろんな出会いの仕方があるみたいだけど、そうまでして結婚したいのかな……。戦後、日本は貧しかった。だけど精神的には自由な時代に育って、何を考えても何をしてもよかった。今は窮屈な社会になっていて、人目やチェックするものがあったりしてめんどくさいことが多い。本人が気にしなければいいけど、SNSで知られてしまう世の中になって、嫌な時代になりつつある。結婚もそのひとつだと思います」子育てのための夫婦と化していくことに危惧(きぐ)も。「子どもがいるから成り立っていて、会話も子どものことしかないのは寂しい。子どもがいることでケンカをしない、別れない理由になっているのも現実だと思います。でも、それがいい家庭かどうかは別です。子どもは敏感ですから夫婦関係はわかると思いますよ」■可能性は試すべしシニア婚のすすめ離婚や死別などの理由でシングルになった50代以上がパートナーを求めるシニア婚については大賛成という。「いいと思いますよ!なぜ(結婚相手が生涯)ひとりの男、ひとりの女でなくちゃいけないのか。(若気の)勢いだったり、間違いだったりする結婚ではつまらないでしょ。年を取ってからでも可能性は試したほうがいいですよ。縛られている必要なんてないと思うわ。ただし、お金や財産の問題だけはっきりさせて子どもには一切残さない、子どもは親の財産をあてにしないことです」下重さんが人生でこだわってきたことは、経済的自立と精神的自立だ。「自分らしい生き方をするための2つの条件です。自由に生きるためには経済的な自立が必要で、つれあいとは独立採算制です。自分が決めたことには責任と覚悟という精神的な自立が大切です。その2つだけは身につけようとずっと思っていて、守ってきました」十人十色。夫婦もさまざまだとわかっていても“夫婦=(イコール)他人”。至極真っ当な指摘にドキリとさせられる人もいる。「他人ではなく、(結婚相手を)特別な人だと思いたい人はいるでしょう。でも、冷静に考えれば最初から他人。他人だけど不思議な縁で一緒になった。その不思議な縁というのは面白いと思う。夫婦だけでなく、家族だって他人のようなもの。血縁関係はあっても、自分のものではない。でも現実には、そう思えないでいる人もいる。私は最初から他人だと思っていますから、仮に裏切られてもしょうがないとしか思わない。もちろん、人間だから悲しい気持ちにはなるけど傷は浅いかも」夫婦関係を記した妻の著書につれあいの反応は?「読んでいないと思うわ。私の仕事に興味がないの。勝手に仕事させておけば喜んでいるくらいしか思ってないでしょ。期待してないの。私も期待していないけど。愛情の愛はなくなっても情は持ち続けられる。人と人との間に情がなければ、人間関係は成り立たない。夫婦だろうと家族だろうと友人だろうと、お互いに情があれば通じ合うことができますよ。ただ信頼がなくなったら、情もなにもない。人間として信頼できないことはいちばん悲劇。私は、つれあいとは信頼がなくなったら一緒にはいません」潔い語り口は筆致も同様。本の帯にある“その結婚、続けますか?”と問いかける1冊に、心ざわつく人も多そう。<プロフィール>下重暁子(しもじゅう・あきこ)◎早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。アナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆活動に入る。エッセイ、ノンフィクションなど多岐にわたる。『家族という病』『極上の孤独』(ともに幻冬舎)、『鋼の女―最後の瞽女・小林ハル』(集英社)など著書多数。<Information>「藍木綿の筒描き展~下重暁子コレクション~」7月28日(土)~9月2日(日)まで南ヶ丘倶楽部・三五荘資料館で開催。8月19日(日)14時~下重暁子講演会(南ヶ丘倶楽部講義室、入場無料)
2018年08月03日母性などない。あるのは欲望だけー ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017メキシコのリゾートエリア、バジャルタの海辺に立つ一軒家に、2人の姉妹が住んでいました。17歳の妹・バレリアは、定職に就いていない同じ年の頼りない恋人との子供を身籠っており、初めての妊娠と出産で不安がいっぱい。そこに長い間疎遠になっていた美しい母が戻ってきました。突然舞い戻った母親・アブリルは、17歳で娘を産んでいる経験から、初めこそは救いの手を差し伸べ、献身的に娘の面倒をみるのですが、娘の出産をキッカケとして、深い欲望が芽生えていきます。赤ん坊の夜泣きに苦しむ娘から育児の主導権を奪ったアブリルは、さらなる信じがたい“強奪”を重ねていき、様々な物理的かつ法的な段取りをこなしていく手際の良さは、まるで冷徹なる完全犯罪の遂行者のよう。おまけにこの美しき母親は熟した女の匂いを濃厚にまき散らし、ふたりの娘のみならず若い男をも手玉にとっていくのですがー。 母にいったい何が起きたのか、彼女はいったい何者なのかー? ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017日本においても「毒親」という表現が市民権を得て、多くの著名人が自分と親との関係をカミングアウトしています。また、近年では「家族という病」(新潮社刊・下重暁子著)が50万部を超えるベストセラーになるなど、家族や親という者への受け止め方の変化も顕著です。本作においては、娘の出産と元夫からの拒絶をきっかけに、自我を欲望の世界に放り込み、思いのままに人を操っていく「母」という存在の危うさと怖さを見せつけています。それはかつて世間が欲する「母親像」からは離れて、むしろ人間の持つ性を辛辣に描いています。そもそも「母」とはなんであったのか、社会が押し付けたモデルでしかなかったのか、一人の女性として、そのモンスターのような存在に翻弄され、苦しむ人々を通して、その存在を明らかにしています。 ミシェル・フランコ監督の意想外な視点 ©Lucía Films S. de R.L de C.V. 2017ミシェル・フランコ監督は、これまでにもモラルの重圧に苦しみ、その結果としてモラルを逸脱してしまう、普通の人々を定点観察するように、冷徹な眼差しで描いていきました。そして本作『母という名の女』では、母性という神話を粉々に打ち砕き、崩壊した家族の無慈悲なまでのありようを剥き出しにさせています。しかし彼は、人間の不可解さそのものを、あからさまに否定も肯定もせずに、辛辣なアイロニーを込めて描き出しています。人間こそが最も恐ろしく、さらには人に姿を変えた怪物は、私たちの日常に潜んでいます。「母」という不条理な存在に楔を打ち込み、衝撃のミステリーを劇場でお楽しみください。 【情報】 『母という名の女』 6月16日(土)ユーロスペース他にて全国順次公開監督・脚本・製作・編集:ミシェル・フランコ出演:エマ・スアレス、アナ・バレリア、エンリケ・アリソン、ホアナ・ラレキ、配給:彩プロ
2018年06月15日5月29日、オードリーの若林正恭(39)が「第3 回 斎藤茂太賞」を受賞したとわかった。 同賞は旅に関する優れた紀行文、エッセイ、ノンフィクションを表彰するもの。受賞作は17年7月に刊行された「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」であり、審査員の下重暁子(82)は同作について「一人キューバに旅立った3泊5日の弾丸旅行をつづる本書はそのピュアな視点、ものの考え方も高評価の対象となった」と受賞の理由を語った。さらに他の審査員から「『純文学』という言葉が飛び出した」とも明かしている。 ネットでは祝福の声とともに、同作について「泣ける」といった声が上がっている。 《おー若林さんのエッセイが賞を受賞!すごい 若林さんの書く文章すごく好きなのでうれしい》《この作品読んでる時、旅を通して最後に語られる親父さんとの関係に泣かされた》《終盤は比喩じゃなく泣いた》 「泣ける」理由のひとつは、上記の声にもあるように若林が父親への思いを綴っているためだ。若林の父親は16年4月、闘病の末に他界。生前はサボリ癖があり、会社を8回もクビになったという経歴を持つ。家計を圧迫していた上に、「親父がいつも家にいるな」と若林は違和感があったようだ。 それでも父親を慕っており、昨年10月に放送された「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)では“死の衝撃”についてこう明かしている。 「どんな偉い人の聞こえのいい言葉も、全然響かなくなるな、親父が死んだら。『生きてる人の言葉だな』って思うもん。『死んでねぇもんな、この人』って思うもん、どんないいこと言ってても」 昨年9月のインタビューで若林は同作の執筆中、父親について触れるか否か「葛藤した」と発言。しかし「(旅行先として)キューバを選んだ理由の一つに、亡くなった親父の存在がありました」とし、こう語った。 「旅行中もずっと親父が話しかけてくるような不思議な感覚の中にいて。その部分を書くか悩んだのですが、親父との対話をスルーしてしまうと、この旅行記は着地できないだろうなって」 葛藤を乗り越えた若林は「一人で海外に出かけるということは、とても有意義で価値のある経験だと分かりました」と結んでいる。 今月19日放送の同ラジオでは相方の春日俊彰(39)ばかりが評価されているとし、「本当にイヤになってきたよ」と拗ねていたが――。今回の受賞で持ち直すか?
2018年05月29日最近、“現役バリバリ”で活躍している80歳以上の女性が目立ちます。「人生100年時代」ともいわれる今、年を重ねるほどに輝く秘訣は何なのか。そこで、世の女性たちに「生きる指針」を示し続けてきた作家・下重暁子さん(81)に、50代のうちにすべきことについて聞きました。 【“生涯現役”は50代の生き方で決まります】 私は子どものころ、体も弱く、母親から過保護に育てられました。「暁子命」の母が何事につけて世話をしようとするのが嫌で、中学生のときには、 「あなたの生き方は間違ってる!」 そう言って、母を糾弾したこともありました。その母が81歳で亡くなったのが私が51歳のとき。振り返ると、私の50代は、母の手のひらからようやく逃れられたのと同時に、自立して生きる覚悟ができた時期でもありました。 いまや、人生100年の時代。そう考えると、50歳というのは、やっと半分。前の半生が土台作りの時代としたら、あとの半生は、思い描いていた自分の人生を花開かせるとき、といえます。 私自身は50歳を前に、仕事でもプライベートでも、あえて「しんどいことを始めよう」と決めました。それまでの経験や技能をもとに、新たな挑戦を試みたのです。 仕事では、ノンフィクションの取材を始めました。自分の足で現場を歩き、けっして嘘は書けない世界に挑みたかった。実際、3年をかけて書いたのが、最後の瞽女といわれた小林ハルさんの生涯を追った『鋼の女』(講談社)です。 プライベートでは、幼いころから憧れていたクラシックバレエとオペラを習い始めました。 50代になると、みなさん、自分のこと以外でも、大きな変化が生じます。子どもに頼らない生き方については、拙著『家族という病』(幻冬舎)にも書きました。期待とは、夫や子どもにではなく、自分にするもの。 夫との関係も、男性は定年などを意識し始める時期。私の連れ合いも、まさに50歳でテレビ局を辞めて独立しましたが、まもなく大病して、お互いをいかに知らなかったかに気付きました。以来、タイミングが合えば、映画や音楽会などに誘っています。 ただし、夫婦でも一人の生活を大切にするのも、この時期からは必要なこと。私もこのころに連れ合いとは寝室も別にして、夜は自分の時間を楽しんでいます。 人との付き合いも、さまざまな違いが生じているもの。特に同性の友人との間では比較は禁物。違うからこそ個性があり、あなたが生きている意味があるのです。 そして、親の介護。私のまわりでも、本当に苦労されている方が多いです。 しかし、自分自身を振り返ってもわかるのですが、私たちは、夫や子ども同様、父母のことを、どれだけ知っていたでしょうか。そう考えると、介護も、知らない相手を知る時間と捉えれば、少しは苦労も受け入れやすくなるはず。 家族はもちろん、それ以上に知るのが難しいのが自分自身。そこで大切なのが、自分との対話。つまり、孤独とは一人の時間ではなく、自分と対面する時間。その準備は50代とはいわず、もう子どものころからするべきと思います。 私自身、『家族という病』が世間に広く受け入れていただき、もともとの希望だった書くことの楽しさにやっとたどり着いたのが79歳でした。 そう思うと、50代で気付けた人は、本当にラッキーなんです。あきらめず、自分の意志をしっかり持ち続けて、残りの半生を存分にチャレンジしながら生きてください。
2018年05月21日あっという間に8月がやってきました。3連休やお盆休みを利用して実家に帰省したり、行楽地に行ったりする人も多いのではないでしょうか。旅に出る人にも、お家で過ごす人にもオススメの「ウートピ」人気記事(集計期間:2017/07/01〜2017/07/31)をランキング形式でお届けします。1位「もらったプレゼントが自慢」そんな80歳にならないで。西原理恵子さんからすべての女の子へ第1位は、『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』(角川書店)を上梓した、マンガ家の西原理恵子さんのインタビュー記事でした。「美人で若いだけでは資産にならない」「心の中にデヴィ夫人を飼っておけ」など、西原節が続々と登場したインタビュー。ウートピ世代の女性にもぜひ読んでいただきたい名言が飛び出しました。2位西原理恵子さんから30歳の女の子たちへ「下の世代のためにわがままになってください」第2位も、西原理恵子さんのインタビュー記事がランクインしました。“女の子”たちが自分の足で立って、誰の顔色もうかがうことなく自由に自分の人生を歩いていくためには?真面目な“いい子”ほど我慢をしてしまう、自分の大事なものを譲ってしまう……。つい我慢をしてしまう女性へのエールが込められた記事でした。3位猛暑到来!夏をゴキゲンに過ごすための2017年版「盛夏ブラ」6選3位は、川原好恵さんのランジェリーコラムから、夏向きのブラジャーの記事がランクイン。「ブラジャーを夏用に衣替え」なんてピンとこないかもしれませんが、猛暑の時こそ、その実力が発揮されるのだとか。この夏はカップ付きキャミソールを封印して“盛夏ブラ”を試してみませんか?4位そろそろ「わかり合おう」とかやめませんか?家族がしんどい女の子たちへ【西原理恵子さん】4位にも、西原理恵子さんのインタビュー記事が入りました。テーマは「家族」。「親子って必ずしも仲よくなくてもいいんですよ。『わかりあおう』とかやめない?」と、心が軽くなるメッセージをいただきました。5位39歳の卵子と46歳の精子に叩きつけられた「カラダの成績表」不妊治療の超リアル5位は、人気連載「産むも人生、産まないも人生」から。34歳で「子どもを産みたい病」になり、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストの吉田潮さんが、「産みたい」というオンナの欲望と折り合いをつけていく様子を綴(つづ)っています。6位駐妻に憧れる前に知っておきたいこと「セレブ専業主婦でいられるのは数年だけ」6位に入ったのは、「駐在員の妻ってどんな生活!?」ということで、パートナーのインドネシア赴任に帯同中の伊藤ゆいさんに話を聞いた記事。悠々自適な生活が待っているのかと思いきや、「キャリアのブランクが帰国後のリスクになる」とシビアな回答が返ってきました。7位81歳の今だから語れること「子どものいない人生に一度も後悔はありません」7位は、作家・下重暁子さんのインタビュー記事がランクイン。「子どもをもたない選択をして今まで一度も後悔しませんでしたか?」という問いに、「しませんよ」とキッパリ。自分の選択に自信をもてない……という女性は必見です。8位ゆるいからって甘えてない?自由な職場が「最も厳しい環境」である理由【DJあおい】8位には、「謎の主婦・DJあおい」さんの連載から「ゆるいからって甘えてない?自由な職場が『最も厳しい環境』である理由」が入りました。職場が「ゆるい」と感じてしまうという読者のお悩みに、あおいさんは「この世で最も厳しい環境というのは自由な環境」だと言います。その理由とは……?9位34歳から42歳まで踏ん切れなかった自分不妊治療から人生最後の想像妊娠まで9位は、5位にもランクインした吉田潮さんの連載から「34歳から42歳まで踏ん切れなかった自分不妊治療から人生最後の想像妊娠まで」でした。自分の中で踏ん切りがつくまで8年がかかったという吉田さん。そのきっかけは「自分のカラダ」が教えてくれたそうです。10位産むのが無条件に良いとされることに違和感子どもがいないと一人前になれない?10位にも、下重暁子さんのインタビューが入りました。子どもをもつ/もたないは個人の選択に過ぎない。そう理解していても、やっぱり子どもを産まないことに「なんとなく」抵抗があるのはなぜなのでしょうか。特別ピックアップ:「帰省は義務ではありません」 “家族の絆”がしんどいあなたへ大反響のあったミゾイキクコさんの取材記事。この時期、義務感にかられて実家に帰るという女性も少なくないのではないでしょうか。親との付き合い方にモヤモヤを抱えている女性にぜひ読んでいただきたい記事です。お盆が過ぎれば、秋が始まります。ウートピはこれからも女性のリアルに迫ります。8月もどうぞお楽しみに!ウートピ編集部
2017年08月12日「子どもを持つ/持たないで一人前かどうかは計れない」と話す作家の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さん。前回、前々回と、結婚や出産に迷うアラサー世代を代表して、さまざまな悩みを聞いていただきました。最終回となる今回のテーマは、「子どもを産まないと人生の楽しみは減るのか」です。【第1回】81歳の今だから「子どものいない人生に一度も後悔はありません」【第2回】産むのが無条件に良いとされることに違和感私たちが家族にこだわってしまう理由——60万部を超えたという著書『家族という病』(幻冬舎)も拝読しましたが、なぜ私たちは「自分の家族」にこだわってしまうのでしょうか。理想の夫婦とか、親子関係とか。下重暁子さん(以下、下重):家族はこうあるべき、と思い込んでしまうふしはありますよね。でも、家族が一番わかり合っている存在だなんて嘘ですよ。「あなたのお父さんは、どういう考え方の持ち主?」と聞いてちゃんと答えられる人はほとんどいません。それなのに、普段は知っていると思い込んでいるの。今回の取材のように、初対面だと、なんとかその人のことを知りたいと思うからいろいろ質問したり、こちらの考え方を投げかけてみたりしますよね。つまり、知る努力をする。でも、家族に対して努力をしたことはある?——ないですね……。どうしてうちは『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』に出てくるような、“フツーの家族”じゃないんだろうって思春期の頃は悩んでいましたけど……。会話なんてほとんどしませんでした。下重:家族は役割なんですよ。お父さん、お母さん、子ども。その役割を上手に演じられるおうちが良き家庭のように見えるだけ。実際、何か行き違いがあったりすると事件になって、おおげさになると殺人事件になることもありますよね。戦後、日本では、殺人事件が減少し続けていると言われていますが、家族間の殺人だけが増え続けているそうですよ。なぜ父は家出してでも夢を追わなかったのか——悲劇ですね……。下重:私も知らなかったの。父親のことも、母親のことも。父は軍人という職業でしたが、本当は絵描きになりたかった……。でもなぜ、家出をしても夢を選ばなかったのか。聞いてみたいと思った時には、父も母も兄ももうみんな亡くなっていました。だから私は、手紙を書いたんです。誰も答えてくれないけど、本心をぶつけるように、懸命に。その手紙はのちに『家族という病』に収録されることになりました。そして、書くことによって何を得たか。私が何を思っていたかということがよくわかりました。父に対してどう思ったか、母に対して何を考えていたか、自分を確かめることができた。それはとても大きなことでした。母親じゃないから、子どもと共有できる感動がある——「自分を知るための旅」だったとおっしゃっていましたね。もし、子どもがいたらどんな自分になるだろうと想像したことはありませんか?下重:ありません。子どもをもたないと決めたんだから。でも、子どもが嫌いなんてことはないの。よその子とはよく遊びます。自分の子どもぐらいの人とか、その人たちの子どもとか。まるで孫みたい。男の子も女の子もいるし、小学生から中学生ぐらいの子も。うちのつれあいだって、妖精みたいに素敵な女の子と交換日記をしていますよ。——交換日記!楽しそうですね。下重:楽しいですよ。私ね、子どもの発想が大好きなんです。子どもぐらい純粋で、本物を見ようとする存在はいませんよね。それを曲げていくのはみな、大人ですよ。大人とか世の中の常識とかね。——子どもの発想力。たとえばどのような?下重:そうですね、たとえば、軽井沢にある私の家はクモの巣が張るんです。それを子どもがいつまでも見ているの。雨が降れば「露がついてキレイだね」と。それが美しいと言って眺めているんです。私も今でもクモの巣を見るとワクワクするの。だから、同じ目でものを見ているというのが嬉しくてね。「子どもがいないあなたに、子どものことなんてわからないだろう」と言う人もいるけど、とんでもない。子どもがいないからこそ、私は自分の子ども時代を思い出して想像するんです。その感覚や感動を私は今でも持ち続けている。もしかしたら、子どもがいる人よりも考えているかもしれない。母になる恐怖からの解放——感性の他にも、子どもを産まない選択をして、自分のためになったなと思うことはありますか?下重:そうですね……。母と同じようになるかもしれないという不安から解放されたことかしら。自分の性格はよく理解していますから、もし私が子どもを産んだら、母のように「子ども命」になる可能性は多分にあったと思います。それが嫌だったの。子どもは、社会からの預かりものなんです。自分のものじゃないの。ところが自分の子どもになると視野が狭くなってしまう。私はそれがものすごく怖かったんです。——毒親に育てられた女性は同じようなことをおっしゃる傾向があるようですね。下重:どうしても“母”にはなりたくなかったのよね。でも、一緒に遊ぶ人はいっぱいいるの。みんな「暁子ちゃん」って呼んでくれるんです。私が名前でしか呼ばせないからだけど(笑)。「自分を変えてしまう言葉」を使わないで——産んだら母になるのか、育てたら母になるのか……という話もありますが、その役割で呼ばれたら、ということもあるかもしれませんね。下重:そうですね。言葉ってバカにできないもので、そう言った途端にそうなっちゃうの。お父さんと言った途端にお父さんの役割になる。言葉はいい加減に使っていると自分が変えられてくるのよ。これは本当に恐ろしいことですよ。パートナーを「主人」なんて呼ぶのが一番わかりやすい例でね。主人って言っている人は、その家では夫が「主なる人」ですよ。はじめは主人だと思っていなくても、毎日使っていれば、自分の意識や行動まで変わってくる。それはものすごく怖いことよ。私はいつも外でお話しする時はパートナーのことを「つれあい」と呼んでいます。同じように連れ合って生きて暮らしている。だからつれあい。自分の考えにぴったりした表現をしないと、自分が変えられてしまうから気を付けてください。——自分で自分を変えてしまうなんて怖い!下重:ある時、若いお嬢さんに「あなたのお父さんのお名前はなんですか」と聞いたことがあるの。すると、「パパですか?名前で呼んだことないんで、わかりません」と。極端な例ですけどね。でも、父親を個人として認めていないの。父という役割、お金を持って帰ってくる人、と思っている。そうなったらなんの心の交流もないでしょう。血のつながりなんて重要ではないの。心がつながっていれば十分。私は、子どもと心がつながっているし、感覚も共有できる。同じものを見て、キレイねって感動できるし、面白がれるし、そっちの方がよっぽど大事ですよね。人のお節介に悩まないで——今までこんなに考えたことはなかったかもしれないです。そもそも、産む/産まないについて、考えていない人が多い。友人に「子どもがほしいの?」と聞くと、「え、なんでそんな質問するの?」って返ってきます。ほしいと思うのが当たり前だというのが無意識に浸透している。下重:私の友人も、「そんなこと考えていたら子どもなんて産めないわよ。何も考えないから産むのよ」とよく言いますけどね。私は自分の面倒を見るので精一杯なの。自分一人で食べていかなきゃいけないし。つれあいの面倒を見るのも嫌だし。まあ嫌というよりも、できないと言うべきかしらね。責任が持てないものを作るのは、やっぱり無責任だと思うんです。——みんななかなか気づけない……。下重:どんなに伝えても変わらない人はいますから、あまり悩まないことね。とにかく自分で考えて自分に合う生き方をすればいいんです。みなさん、本当はぼんやりと気づいているはず。みんな違う選択をしてもいいというのが当たり前なのに、どうして人と違うことをしたらお節介なことばかり言われるのかしら。そんなことで悩む必要は全くないのにって言ってあげたいの。——その自信は、お仕事で自己表現の場を持っていることも大きいのかなと思います。下重:そうね。私は今とても自由です。その自由をどのように獲得したかというと、2つあります。ひとつは経済的な力。人を養えなくてもいい、死ぬまで自分で自分を養えるだけの力を持つこと。もうひとつは自分で考えて、自分で感じて、自分で選ぶという精神的な自立。経済と精神。2つ揃わないと自由は手に入りません。でもそれは簡単なことではありませんよ。私も長い間かけて自分の身にしてきました。人に養ってもらうのは、もちろんラクですよ。でもそうしたら、自由を売り渡すことになる。私はどちらが大事かといったら自分の自由が大事です。それがどんなにしんどい選択でも、自分で稼ぐことはやめない。自分ひとりを養うぐらいの仕事は今の日本にはありますからね。(取材・文:安次富陽子写真:青木勇太)
2017年07月22日子どもをもつ/もたないは個人の選択に過ぎない。そう理解していても、やっぱり子どもを産まないことに「なんとなく」抵抗があるのはなぜ?産まないと一人前じゃないという意識はどこからくるの?前回に引き続き、『わたしが子どもをもたない理由』(かんき出版)の著者で、作家の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんに話を聞きました。第2回のテーマは「子どもがいないと」という枕詞についてです。【第1回】81歳の今だから語れること「子どものいない人生に一度も後悔はありません」子どもがいなくて淋しいは余計なお世話——自分で決めることが大事だと前回教えていただきましたが、産むって自分の選択でもあるけど、パートナーの希望もあるし、親に孫の顔を見せてあげたいという思いもあって、自分だけの選択ではないような気がして。なんとなくプレッシャーに感じてしまいます。下重暁子さん(以下、下重):パートナーと話し合うことはもちろん大事ですよ。親に孫の顔を見せたいという自分の思いがあるのなら、産めばいいじゃない。私は、母に孫の顔を見せてあげたいと思ったことは一度もなかったし、私のつれあいは私以上に子どもがいる家庭を望んでいませんでした。「彼は子どもを望んでいるんじゃない?」と心配してくれた人もいるけど、余計なお世話ですよね(笑)。——淋しいと感じることはありませんでしたか?下重:それもよく聞かれるけど、自分や世間のものさしで私を推し量るからよね。子どもがいなくて淋しいかどうかなんて、最初からいないんだもの、わかるはずないじゃないですか。猫を飼っていたので、愛情を注いでいた対象がいなくなってしまう喪失感なら私も知っていますよ。でも、最初から産まないという選択をしているんですから、淋しさなんてありません。他人の人生を生きるなんてまっぴら——パートナーとして産まないということを尊重し合える関係って素敵ですね。下重:そういう相手を選びましたからね。一緒に暮らす人を、他人に選んでもらうなんてつまらないことだと思わない?——私はなかなか男性を見る目がないので、「この人が最高のパートナーです!」って誰かが言ってくれたらいいなぁって思うことがあります(小さな声で)。下重:人に決めてほしいというのは、自分の人生に責任を持ちたくないのよね。人に合わせる生き方をしていると、何か都合の悪いことがあった時に、人のせいにできるから。そんなこと私にはできない。全て自分のせいじゃないですか。あの人がこう言ったから、世間がそうだから。親が……って。そんなの他人の人生ですよ。私はそういう人生が一番嫌い。——潔い……。下重:でも、「誰かに決めてもらう人生でいい」と自分の意思で決めるのなら、それでもいいんじゃないかしら。私と同じ考えを持てなんて言いませんよ。それこそ自分のものさしを押し付けるだけになる。みんなそれぞれ違いがあって、それが個性。だから好きなように生きればいいの。産むのは無条件に良いことか——子どもがいる人の方が信頼できる……という趣旨のことを言う人もいますよね。子どもがいるというだけで、もらえる手当が増えるなど、社会に優遇されている気もします。下重:今は国が子どもを産むことを奨励していますよね。なぜかというと、家族でまとまっている状態が、一番管理しやすいから。戦前もそうだったんですよ。国が戦争をするというと、家族はみんな応援するという形が、手っ取り早かったから。敗戦後、私はそれが崩れていく過程を見てきました。だからこれは間違いだということはよくわかっています。子どもを産むのが無条件に良いと思っている人たち、家族の絆を大げさに押し付けてくる人たちの言葉を耳にしたら、その意図をよく考えてほしいと思いますね。——歴史を見てきた下重さんがおっしゃると……。下重:重いでしょう。もう少し、重たい話に付き合ってくださいね。戦後私たちが勝ち取った権利というのは、“個人”なんです。個の権利。それは憲法13条にもあります。個人の尊厳が何よりも大事だと。家族が一番大事なんて書いてありませんよ。昔の修身教育ではあったかもしれませんけど。今まさに、その頃と同じことを言いだしているんです。——不穏な流れですね。下重:家という考え方が根付いたのは江戸時代にさかのぼります。治安が安定して豊かになっていく中で、国を安泰に保つためには、領民たちの“忠義心”が必要だったの。その忠義心の元となるのが、親への“孝行”というわけ。「家族が大事」というのは、江戸時代、明治時代からずっと刷り込まれてきたものなんです。その考え方から抜け出して、個を大事にしようというのが近代化。夏目漱石をはじめとして、文学者たちはみんな家と戦って、それを書いたんです。みんな個として生きていこうと。そして、やっと憲法でも保障されて個になった。それをまた逆行させようというのが今の風潮です。風潮って、何のこと?——風潮ですか……。子どもがいないと一人前じゃないという風潮は強いかなと思います。下重:風潮というのは、勝手にそう思っている人がいるというだけの話よ。よく考えてみて。風潮ってなんですか?たくさんの人が言っているとか、世間が言っているっていうことでしょ。そんなものは自分が考えていることではありませんよね。自分で本当に子どもが欲しいなら、産めばいい。それは誰にも反対できない。その人の選択、考え方ですもの。だけど、子どもがいなくてもちゃんと自分で自己表現をして、自分の生き方を持っている人は、なぜそんな風潮に合せる必要があるの?——合わせておけば、レールの上を歩ける……というか、安心感があるから?下重:結局、自分で責任を持ちたくないのよ。自分で責任を持たない人生なんてね、ラクしたいわけですよ。自分で全ての責任を持つのはしんどいもの。人に何か言われるのは、自分がそれを選んだからでしょう。たとえ嫌なことを言われたって、「私が選んだんだからしょうがないでしょう」というだけの話。だけど、いちいち相手するのは面倒よね。——下重さんもしんどいことをたくさん言われたのでは?下重:それが意外とないの(笑)。言っても変わらないとみんな知っているからかしら。でも、全く私のことを知らない人には言われましたね。まあ、「あ、そう。私はこれが好きなので」と答えるだけだけど。子どもは親の都合で生まれる——強いなぁ……。下重:私ね、子どもは、親の都合で生まれてくるものだと思っています。生まれてくる子どもの意思はそこに反映されていませんよね。自分の血を分けた存在がほしい、愛する対象がほしい、跡取りがほしい、将来自分の世話をしてほしい、自分が生きた証を残したい……。ね、親の都合でしょ。——そうですね。理由を挙げてみると、親が子どもに期待することばかりですね。下重:その期待を子どもが受け入れてくれるかは別問題ですけど。私の母は父と結婚する前から女の子をひとり産むと決めていました。そして見事に女の子を産んだ。それが私です。彼女は途端に「暁子命」になってしまってね。私にしたら迷惑な話よね。とてもしんどかった。彼女は優秀な人だったから、「どうして自分の能力を活かして生きないの」と思っていました。私は中学生の時に、母に、「あなたの生き方は間違っている」と説教したこともあるのよ。期待は自分にするもの——わかる気がします。親が自分のために我慢するなんて、ちっとも嬉しくないですよね。「あなたのために」って言われると、「あなたのせいで」と聞こえる気がします。下重:期待は、自分が自分にするものですよ。私は自分にものすごく期待をしている。これから、どんな人になるだろう、どんな仕事をするだろうって。自分に興味があるってとっても面白いのよ。自分にしか興味がないって言ってもいいぐらい。——周りに期待されることで、自分の存在価値を確かめている人も多いのではないでしょうか。私もその一人です。でもそのせいで無理をしてしまったり、苦しくなったりすることも……。下重:そうでしょう。でも、必要とされることと期待は違いますよ。私は自分がどんなふうに変わっていくのか、自分を作り上げることに興味がある。その結果として誰かが私を必要としてくださるというのはとても嬉しいこと。誰かが必要としてくださるから本も書ける。テレビにも出られる。自分の意見を言うこともできる。だけれども、本を書きたくて「求められる私」を演じたりなんかしないの。期待しないから一緒に暮らせる下重:だから親の期待ほど子どもにとってしんどいものはないですよ。子どもの期待ほど親にとってしんどいものもない。夫が妻に期待するのも、その逆もね。私とつれあいは互いに全く期待しません。それぞれ勝手に生きて、個人と個人が一緒に暮しているの。違いを尊重するから、向き合ったり、相手への理解を深めたりできる。想像力や思いやりが育まれるんです。その日々の中で、確固たる私という人間が作られていく。子どもを持つ/持たないで一人前になるかどうかなんて全然関係ない話ですよね。(取材・文:安次富陽子写真:青木勇太)
2017年07月20日「産んだら人生はどんなふうに変わるんだろう」「産めなくなった時、本当に後悔しないかな……」。産まないと決めても、「まだ産める」と「もう産めない」では違うのではないか。そろそろ本気で向き合って考えてみたい。そこで、『わたしが子どもをもたない理由』(かんき出版)を上梓した、作家の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんに話を聞きに行きました。「子どもをもたない選択をして今まで一度も後悔しませんでしたか?」という問いに、「しませんよ」とキッパリ。全3回にわたってお届けします。結婚したいって顔に書いてあるんじゃない?——下重さんは、若い時から子どもをもたないと決めていたそうですね。当時は今よりも、「結婚するべき」「子どもを産むべき」という考えが強かったのでは?下重:そうですね、今よりも子どもをもたないことに対する理解は広まっていませんでした。でも、自分で決めていたことなので。今のつれあい(下重さんの夫)と暮らし始めたのは36歳の時で、向こうは33歳でした。20代ならともかく、もう自分の生き方も決まっていましたから、結婚したから子どもを産まなくてはとは思いませんでした。——「まだ産める」という時期に気持ちが揺らぐことはありませんでしたか?下重:ありません。だって、産まないという選択をしたんだもの。自分で決めたことなのに、どうして揺らぐの?私はとっても自分勝手な人でね(笑)。本当はひとりで生きて行きたかったの。結婚もしたいと思っていなかったんですよ。だけど、つれあいと出会って。これは縁としか言いようがない。——結婚したい私にとっては羨ましい話です。下重:結婚したいって顔に書いてあるんじゃないかしら?そんなこと書いてあったら相手は逃げるよね。私の周りでも、結婚したいしたいっていう友達は結婚しないのよ。勝手に生きているような女には、一緒に暮らす相手がいるんだけど。不思議なことよね。結婚に必死になる必要はない——そうなんですよ!恋愛とか結婚に興味がないって感じの子にはパートナーがいる。私、婚活とか頑張っているんですけど、なかなか縁がないんですよねぇ……(ため息)。下重:私は頑張って婚活って全然わからないの。なぜそんなに必死に結婚したいの?自分で働いて、衣食住が足りていて、自分の生き方があればそれでいいじゃない。一緒に暮らしたい人がいれば結婚という選択もあるでしょう。でも、そういう人がいないのに無理して探すのは無理ですよ。人の出会いは、それこそとんでもないところから偶然来るのだから。それが面白くて楽しいんですよ。——偶然の出会い……か。恥を忍んでもう一つ相談してもいいですか?下重:いいですよ。——私は、見た目と性格にすごくギャップがあるみたいで。「おとなしい人だと思ったら気が強くて驚いた」と、言われるたびに複雑な気持ちになるんです。騙しているわけじゃないんだけどなって。下重:そうなの?(笑)。私もね、テレビで話をしている分には、とっても優しそうに見えるらしいの。古風な良妻賢母だと誤解する男性が多くて、独身の頃はたくさんのお見合い話が届きましたよ。でも、実際の私と会ってご飯を食べると、みなさん目を丸くして、「全然違うね」って。——そのギャップに悩んだことはありませんでしたか?下重:他の人がどう見ようと関係ないじゃないですか。私は私なんだから。みんなが勝手に誤解する分には構いません。私は「こう見られたい」って思って演技をしているわけじゃないんだから。揺るぎない自分は時間をかけて作るもの——「私は私」と言い切るには自信がなくて。どうしても敷居が高く感じてしまいます。下重:それはそうだと思いますよ。揺るがない自分というのは、時間をかけて作るものですから。それこそ、毎日作るの。積み重ねですよ。私だって、これが自分だと心から思えるのは、ごく最近のこと。人間は毎日何かに迷いながら、必死に考えて選んで、自分の人生を生きていくもの。それをするには、世の中というのはなかなか難しいですよね。いろんな人がいて、いろんな声がある。その中で、毎日自分を確認していかなきゃいけないわけですから。本当に間違いがないかな。私は本当にそれで生きて行けるのかなと思考を繰り返すことで、で自分という人の基礎ができる。最初からしっかりしている人なんてどこにもいませんよ。最期に「私は私らしく生きた」と言えるように——自分で決めたことに後悔はないけど、問いかけは今でも続けている、と?下重:そう。前にも言ったけれど、産まないと決めて、後悔したことは全くありません。自分で決めたことだから。人は生きている間にたくさんの選択をしますよね。後悔するのは、その選択の基準を無責任に他人任せにしてしまうからではないかしら。いつも自分が考えて、自分で選んでいるか。それとも誰かの基準で選んでいるか。誰かがそう言うから。世の中が。世間体が。みんなが褒めてくれるから。そんな基準で選んでいる人はどんどん自分をなくしていきますよ。自分というのは長い期間、それこそ一生かかって作るものです。私だって完全にできているとは思えない。命を全うするその時に、「私は私らしく生きた」って思えたらいいなと思っているの。だから、人から何を言われても私は自分の基準で選ぶと決めている。それが重なってきているので、ひとさまから見ると確固とした考えがもともとある、というように見えるのかもしれませんね。でも、生きていることってそういうことでしょ。日々、自分を確かめながら生きているのよ。(取材・文:安次富陽子写真:青木勇太)
2017年07月18日野際陽子さん(享年81)の逝去に、芸能界では悲しみが広がっている。新人アナウンサー時代、共に研修の日々を送った押坂忍(82)は、野際さんの在りし日のたくましい姿を覚えている。 「私はテレビ朝日、野際さんはNHKでしたが、当時は民放のアナウンサーもNHKで一緒に研修を受けました。野際さんとは同じ立教大学出身で、彼女はとてもクールでクレバーな女性。彼女が名古屋支局でアナウンサーをしていたときは、その美貌でディレクターやプロデューサーにモテモテでしたね」 NHKで女子アナの先輩後輩として野際さんと仲良く寮生活を過ごしたのは、作家の下重暁子さん(しもじゅうあきこ・81)だ。 「入社してすぐ、私は名古屋に配属。そこに1年先輩の野際さんがいました。名古屋の荒田という場所にNHKの独身寮があり、女性は私と野際さんだけ。木造3階建てで、3階の隅の4畳半が野際さんで、その手前が私。野際さんの部屋には、大学の演劇サークルのときの彼氏という恋人の写真が飾ってありました」 「ノンちゃん」「アッコ」と呼び合う仲になり、一緒に飲み歩いたという。 「よく2人でいろんなお店に行きました。私も野際さんもお酒が強かったんです。神話の大酒飲みの怪物ヤマタノオロチになぞらえて、私たちは“荒田の大蛇(おろち)”と寮のみんなに呼ばれていました(笑)。でも、どんなに深夜まで飲んでも、翌日はきちんと仕事していました。当時はセクハラや女性差別は当たり前ですから、いくら飲んでも仕事は絶対ミスしない。そんな“女の意地”を野際さんから学びました」 芸能レポーター・東海林のり子さん(しょうじのりこ・83)は大学の英語会ESSの先輩だった。 「私が1年先輩で、2人で英語劇やったり、合宿をしたり。学生時代は地味で、すっぴんで白いブラウスに紺のスカートだったノギが、ミニスカートを履くようになったのは、びっくりでしたね(笑)。彼女からグチを聞いたことは一度もないです。病気のことも言わなかった。本当に、強い人でした…」 野際さんは都内にも自宅があるが、仕事が休みに日は、神奈川県逗子市の豪邸で過ごすことが多かった。地元の人も、報道で野際さんの逝去を知った。 「ご病状が悪いなんてまったく知らなかったので、びっくりしました。野際さんはご両親が健在の頃から、こちらに住んでいました。独り身になられてからは、野際さんが海沿いを1人で散歩する姿をよく見かけました。気さくで、地元の私たちとも親しく会話してくださる方でした」(地元の商店主) 逗子の家には弔問客と花が絶えない。その中には、TBSの貴島誠一郎プロデューサー(59)の姿があった。『ずっとあなたが好きだった』で野際さんを起用し、同ドラマは大ヒットした。 「僕を一人前にしてくれた芸能界の母です。去年の夏、野際さんと食事をした際、『悪いんですか?』と聞いても『全然。治っちゃったから大丈夫よ』と。心配させたくないという気配りだったのでしょう」 そう貴島さんは偲ぶ。野際さんの遺族と対面したが、娘の真瀬樹里(まなせじゅり・42)をはじめみんなつとめて気丈に振る舞っていたという。
2017年06月23日トーハンは12月1日、「2015年 年間ベストセラー」(集計期間=2014年11月27日~2015年11月26日)を発表した。それによると、総合では芥川賞作品の「火花」(又吉直樹)が1位。以下、2位は「フランス人は10着しか服を持たない パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣」(ジェニファー・L・スコット/神崎朗子 訳)、3位は「家族という病」(下重暁子)となっている(著者敬称略)。
2015年12月01日東京都・浅草のGallery HATCHは、陶芸家・小山暁子氏の個展「小山暁子展-pollen-」を開催する。会期は11月3日~11月8日。開場時間は16:00~20:00(土・日・祝日は14:00~)。入場無料。同展は、身近な題材からストーリーを紡ぎだし、抽象化した陶立体作品やポエティックな陶器のテーブルウェアを制作する陶芸家・小山暁子氏の個展。「pollen(花粉)」をテーマとしたアート作品がを2階ギャラリーに、テーブルウェアの新作が1階バースペースに展示・販売されるということだ。また、開催初日の11月3日 16:00からは、同ギャラリーにおいて誰でも入場可能なレセプションの開催が予定されている。なお、小山暁子氏は1980年東京生まれ。2006年女子美術大学大学院 修士課程陶造形領域 修了。卒業後、都内の陶芸教室講師、陶芸作家のアシスタントを勤め、現在は女子美術大学助手。東京郊外に窯を構える。都内ギャラリーを中心に、近年は国内外の美術館企画展などへも出展している。
2015年10月29日