天明麻衣子さんは東京大学文学部を卒業後、NHK仙台放送局契約キャスターとして活躍。スペインに1年弱移住しながら、一般企業勤務を経て2014年に結婚。帰国後はフリーアナウンサーとして幅広い活躍をおこなっています。また、2021年の4月からは東京大学の大学院に入学し、現在は第一子を妊娠中。7月にご出産を控えています。 今回はそんな天明さんに、妊娠についてお話を伺っています! 初めて妊娠したときの気持ちについてや、不妊治療をされていたということで、不妊治療についてもお話を聞いてみました。 第一子の妊娠は、サプライズ的な驚きはなかった画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー2021年7月にご出産予定で、現在は体調のほうも良好とのことですが、妊娠初期のつわりなどはいかがでしたか? 天明さん:つわりと言うと吐き毛がしたり、匂いがダメとか、特定の物が食べられなくなることをイメージしていたのですが、そういうのは特になかったです。食べる量も変わらなかったし、特定の物だけをすごく食べたいとかいうのもなくて。ただ、あえて言うなら眠気が強かったような気がします。あと、集中力が落ち気味だったかなぁと思いますね。 ーそうだったのですね。ご自身の妊娠がわかったときは、どのようなお気持ちでしたか? 天明さん:実は不妊治療をしていたので、サプライズ的な驚きというのはなかったんです。ただ、今まで自分が妊娠できるということをイメージできていなかったので、一番始めに妊娠検査薬で陽性の結果を見たばかりのときは、どこか現実的ではない感じがしましたね。 ー不妊治療をされていたとのことですが、どれくらいの期間をされていたのでしょうか? 天明さん:病院に通ったのは1年ちょっとくらいです。タイミング法から始めたのですが、最初の体外受精で妊娠しました。 ー体外受精で妊娠されたのですね。ちなみに、妊娠報告を聞いたときのパパの反応はいかがでしたか? 天明さん:私が不妊治療を頑張っていたのを見ていたので、喜んでくれましたが、「まだまだ何があるか分からないしね」といった感じで、抑えめな喜び方をしていましたね(笑)。 無排卵月経がキッカケで通い始めたレディースクリニック画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ーお二人とも「子どもは欲しい」という考えだったのでしょうか? 天明さん:私が今年32歳で夫が39歳になるので、「お互い30代のうちに子どもが生まれたらいいね」という話は、なんとなく話していました。 ー初めてレディースクリニックに行かれたのは、何がキッカケだったのでしょうか? 天明さん:25歳のときに結婚して、妊活は30過ぎくらいから始めようかなぁとぼんやり考えていたんです。ただ、朝早い仕事をしていたのもあって、1回レディースクリニックで体をみてもらったほうがいいとは思っていて。それで、30歳くらいのときに初めてレディースクリニックに行ったんです。そのとき、内診をしてもらったんですが、それがキッカケでほかの検査も受けてみようということになり、不妊治療に進んでいきました。 ー不妊治療を進めていくにあたり、新しいレディースクリニックを探されたりしたのでしょうか? 天明さん:初めて行ったのは、家の近所の小さいクリニックだったのですが、本格的にみてもらおうかなと思ったときには、ちゃんとまた調べ直して体外受精までおこなっているところを探しました。 つらいときはアピールして、ストレスを溜めないように…ー不妊治療をおこなう際ですが、パパはどのようなサポートをしてくれましたか? 天明さん:そうですね。「金銭的なことは全然気にしなくていいよ」とは言ってくれました。ほかには、薬を飲むと結構しんどいなぁと思うこともあったんですが、そういうときには家事を変わってくれましたね。ただ、言わないと伝わらないだろうなぁと思ったので、何かあれば結構自分から言うようにしていました。 ー不妊治療中はわりと女性側、男性側で温度差が生まれたりだとか、パパがつらさを分かってくれないなど、結構治療中につらい思いをされる女性が多いと聞きます。天明さん自身は、不妊治療に悩まれたり、つらい思いをされたことはありましたか? 天明さん:私は結構しんどいなぁと思ったらアピールするほうなので、そこまでストレスは溜めなかったです。ただ、やっぱり病院もすごく混んでいるし、毎月治療のために予定を調整していくのはしんどかったので、これは精神的にもあんまり長く続けるとキツイんだろうなぁとは思いました。なので、どんどんステップアップして、なるべく早く結果を出したいなと自分で思っていました。 ーそうですか。不妊治療中は言いたいことがなかなか言えず、モヤモヤしてしまう女性も多いと聞くので、お互いなんでも言えるご夫婦の関係って素敵ですね。 天明さん:私の場合、「今月はダメだったから、パーッてお酒飲むわ~」って言ったり、「今日は疲れたからお寿司買ってきたー! 」というような感じでやっていました(笑)。夫婦でおいしい物を食べたり、一緒にお酒を飲んだりと、2人で楽しめる気晴らしをしながら、治療中は過ごすようにしていましたね。 ー不妊治療に関しては、パパは協力的だったのでしょうか? 天明さん:そうですね。ただ、注射とかは苦手なんで、採血とかはちょっと嫌がっていましたけど(笑)。ただ、近所の病院だったのもあり、「この日は空けておいて」と言うと、都合をつけて来てくれたりと協力してくれていました。 ー不妊治療が保険適用化されるといった話題が出てきていますが、天明さんはどのようにお考えでしょうか? 天明さん:自分もやってみて驚いたのですが、不妊治療ってすごくお金がかかるんですね。本当は妊娠できるのに、お金がないから諦めるというのはもったいないと思うので、私は保険適用してもらえると助かるなぁと思っています。ただ、難しい問題なんですが、その予算も限られていると思うんです。そうすると、同じ財源であったら薄く広くではなく、年齢を絞って手厚くしたほうが出生率は上がる気はしますね。 インタビューを聞いていて、自分の思いを素直に伝えられる関係性は、とても素敵だなぁと感じました。不妊治療についてもいろいろ伺いましたが、真摯に答えてくださり、ありがとうございました! さて、インタビュー2回目となる次回は、コロナ禍での妊娠についての考え方や、妊娠中に大学院を受験したときのお話などを伺っています。次回の配信もぜひお楽しみに! PROFILE:天明麻衣子さん東京大学卒業後、NHK仙台放送局契約キャスター、大手外資系金融機関といった経歴を持つフリーアナウンサー。著書として「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」「東大・NHK・外資系金融で学んだ、ビジネスで成果を出し続ける本物の勉強法」「時短勉強術」などを出版。2021年4月から東京大学の大学院に入学。第一子を妊娠しながら大学院生活を送っている。
2021年07月08日体外受精レポ 第24話 2回目の移植日の話。 アシステッドハッチングすると2万円かかりました。自分でやるかどうか決めるのかと思ったら、「やっといたよー」って感じでびっくりしました(笑)。 後にお医者さんに聞いたところ、この病院では基本的にやるみたいです。胚の凍結・融解のリスクを下げるため、孵化してない状態で凍結→融解後にアシステッドハッチングするんだって。 でも胚の成長が速すぎると間に合わないこともあるんだそうです。 前回は8分割胚(細胞が8つ)でしたが、この回は胚盤胞という細胞が100個くらいの胚を移植しました。数日でこんなに変わるんですね! 移植前に突然ひらめいた考え……ですが、スピリチュアル的な何かではなく、自分が納得して「痛い手術を受けられる理由」を見つけたって感じです。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月04日体外受精レポ 第23話 2回目の移植日が決まったときの話。 1回目は新鮮胚移植だったので、半日足らずで終わったのです。2回目は凍結胚移植で1日がかり……でもほとんどは待ち時間……ということで、有給をとって通院することになりました。 ちなみに院内はwifi完備、当日の待ち時間はずっと仕事してたよー! 次は移植日の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。※胚移植の際は、移植する胚と子宮内膜の状態を一致させるため、排卵後におこないます。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月03日体外受精レポ 第22話 胚の成長確認の話。 今回は胚盤胞まで育てたので、成長確認のために2回電話をしました。電話、指定された時間通りかけるとなかなか繋がらないんですよねー。 胚の成長が止まってたら、ここまでにかけた30万くらいのお金が水の泡。すごくドキドキします心臓に悪い時間でした。 次はまた移植の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月02日体外受精レポ 第21話 採卵のあと初詣に行ったときの話。 子授・安産のパワースポット、水天宮に行きました。私が行った年が建て直してから初めてのお正月だったようで。正直だいぶ「思ってたんと違う」感があって、思わず漫画にしてしまいました。でも淡いピンクのお守りはかわいかった! 話がそれるんですけど、実家の父がめっちゃ気が短くて行列に1分も並べない人でして。 私、男の人に待たせる場面って、すごい気をつかっちゃうんですよね。旦那も亭主関白タイプだけど、並んで待つのは全然平気みたいです。旦那は東京生まれ東京育ち、田舎者と都会人の差なのかー。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年07月01日体外受精レポ 第20話 2回目の採卵の話。 痛かったけど、何をするかわかっていたので、初回よりは心の準備ができてました。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月30日第二子不妊治療を始めてから約3年の時を経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。 やっと赤ちゃんがきてくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第二子不妊治療。第一子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっときてくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ぎゅっとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精一杯でした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年06月30日体外受精レポ 第19話 ストレートに採精の話です。 わが家の場合を描いてしまいました。妊活となると、夫婦生活の意味合いが今までと違っちゃいますよね……。 愛はあるんだけど、前みたいなときめきはなくなってしまって、今日に至るまでの悩みごとです。 みんなどうやって乗り越えてるんだろう~!?------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月29日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症の可能性を意識するように長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども、私は自分の妊娠をあきらめることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度目・4度目の流産でした。「もしかして、妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進むほかに道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 原因不明の不育症と経過観察不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は、今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月29日結婚後、1年経過しても妊娠しなかったので、不妊治療専門の病院に通いました。実際に通ってみてつらかったこと、でも治療してよかったなと思うことをお伝えします。 まずは検査を受けることに結婚して1年。夫婦で妊娠を待ち望んでいましたが、なかなか妊娠できないので、不妊治療専門の病院へ。まずは夫婦ともに、不妊の原因になりうる感染症や体質的に妊娠しやすいかどうか、各種検査を受けました。 その中でも特につらかったのが、卵管造影検査。「生理痛がひどい場合はちょっと痛いかも」と主治医に言われ、実際、生理痛がひどい私には激痛でした。 次に各種検査の結果を聞きにいき、私はとある感染症にかかっていることが、そして夫は精子の運動率が低いことが判明。お互いに自覚がなく、なんだかとてもショックを受けたことを覚えています。 タイミング療法と人工授精にトライ各種検査の結果がわかり、主治医と治療方針を立てることに。まずは3回、タイミング療法にトライしましたが、うまくいかず。早めの妊娠を希望し、人工授精に切り替えました。しかし、2回人工授精をおこなっても、妊娠しませんでした。 当時はフルタイムで働いており、職場の上司には不妊治療中であることを伝え、理解を得ていました。しかし、私が通った病院は、院長がひとりで治療方針を立てるところだったため、予約しても待ち時間が長い! 仕事を休んだり、時間休を取りつつ、長いときは受付から会計まで6時間……という状況。 また、人工授精の実費負担もあり、大変な割に妊娠しない……。次のステップに進めば体外受精で、さらに実費負担がかさむな……と、うまくいかないことがつらく、先々の不安が重なって、ついに通うことを中断してしまいました。 なんと自然妊娠!ところが中断してすぐ、念のためタイミングだけ取っていたのですが、なんと自然妊娠! 主治医にも驚かれました。思えば、検査結果がわかってから、夫は主治医に相談して、すすめられたサプリメントを摂取し、私は感染症の治療をしたことや、行き詰まったときに思いきって治療を中断したことが気分転換になり、よかったように思います。 不妊治療は、精神的・経済的な負担が大きく、今思い出しても、とにかくつらく大変でした。ただ、不妊の原因がちゃんとわかり、現実的に必要な治療ができたことは、本当によかったなと思っています。 それから、あまりにつらいと感じたときは治療を中断し、気持ちをラクにすることも必要なことだったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/しおみなおこ監修/助産師REIKO 著者:野田 理恵もうすぐ2歳になる女の子の母。福祉関係の仕事に従事するかたわら、記事執筆をおこなう。
2021年06月29日体外受精レポ 第18話 2回目の採卵の日の話。 旦那が一緒に病院に行ってくれたのは、結局初診のときだけでした。 まあ、行かないといけないわけではないから、いいんだけど……。 採精室の感想を漫画にしたかったな~! ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月28日体外受精レポ 第17話 体外受精2周目の話、続き。 漫画では1人目不妊のことを描いていますが、実は2人目も同じ病院で治療しています。 1人目の治療と2人目の治療でも、違うところがいくつかありました。日々進歩している医療現場を実感。 将来さらに成功率が上がりますように……。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月27日これまで大小さまざまな目標を掲げては、達成のために走ってきた私。でも、30歳を前にしてやりたいことがなくなってしまって……。「次は何をしようかな」と考えていたところに、お付き合いしていた彼がふとこんなことを言ったのです。 発端は、ちょっと変わった彼のひと言私は、目標があると頑張れるタイプ。これまでも「好きな仕事に就く」「海外旅行に行く」といった目標を立てては、それぞれクリアをするために努力し、実現してきました。ところが、20代後半になって、目標がなくなってしまったのです。そして「次の目標は何にしようかな……」と考えていたとき、彼がこう言うのです。「次にやることないなら……結婚する?」 初めて結婚と出産を意識彼は、5年ほどのお付き合いをしてきた人。彼からプロポーズされるまで、私は結婚願望がまったくありませんでした。だけど彼に「結婚する?」と言われて初めて結婚を意識するようになり、これからの人生を考えたら、「子どもが欲しい」と思うようになったのです。こうして新たな目標ができました。「次の目標は、自分の子どもを授かりたい!」。28歳での決意でした。そのためにまず始めたのが片付けです。当時彼は、子どものころからお母さんと妹さんとで住んでいたアパートでひとり暮らしをしていたのですが、そのアパートには家族の荷物がありすぎたのです。そこで、2人で一緒に暮らすために、毎週末、半年ほどかけて彼の家を片付け。片付けが終わったあと、晴れて私の実家近くで同棲を開始しました。片付けの合間を縫って、親たちへの挨拶も済ませ、29歳で無事に入籍をしました。 不妊治療を経て出産実は、入籍する前、部屋の片づけを始めたころから「赤ちゃんが授かればいいな」と思っていたのですが、そのまま1年が過ぎてしまい、気が付けば30歳。避妊せずの性生活が1年以上もあったのに妊娠しなかったことから、不妊治療を開始。 そして31歳のとき、無事に子どもを授かることができました!「子どもを授かりたい」という目標を定めてから、達成するまでには3年という時間がかかりました。思わぬ不妊治療などもありましたが、今となってはいい経験ができたと思っています。 私たちは、結婚式も挙げていなければ、結婚指輪もありません。仕事の関係や家族の事情で私自身で決めたことなのですが、いまいち結婚した実感を得られませんでした。でも、不妊治療を経て、夫婦の間に子どもが生まれたことで、家族としての一体感が出たような気がします。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 文/植木 健美さん
2021年06月26日体外受精レポ 第16話 不妊治療を義父母にカミングアウトしたあとの話。 義父母は私にとても気をつかってくれるしやさしくしてくれました。でもやっぱり、子どものことは気になっていたみたいで……あとで知りましたが、息子(旦那)には、子どものことをそれとなく聞いていたようです。気持ちはすごくわかる。 そして私の母ですが、自分が不妊治療と無縁だったため、「不妊治療は高齢とか生理不順とか、理由がある人に必要なもの」と思っていたようです。 それもわかる……私も当事者じゃなければそういうイメージだったかもしれない。 実母は私から不妊治療のことを詳しく聞いて苦労をわかってくれたので、その後、弟やお嫁さんたちにあんまり子どものことを言わなくなりました。よかったよかった。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月26日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、いろんな方へのインタビューをスタート。今回はベビーカレンダーでも連載中の漫画家・まっふさんにお話を聞きました。 まっふさん令和元年産まれの2歳の男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊活、妊娠を備忘録としてブログにのんびり更新中。 子どもがいることで健康的になって人との繋がりもできたーいつから漫画家としてお仕事していたんですか? 【まっふさん】18歳くらいで漫画家デビューして、それからずっとフリーランスで働いてきました。仕事柄、家にひきこもって作業することが多く、さらに夜も遅くまでゲームをしたり、漫画を見たりして夜ふかしばかり。ずっと健康には悪いなと思っていたんです。不規則な生活と運動不足のせいで、一時期は自律神経がおかしくなったこともあったりしました。 ずっと家にいるので、会話も家族くらい。コンビニのレジ対応されただけで「今日は人と会話したな」と感じるくらいに会話する機会がありませんでした(笑)。 ー子どもができてから生活は変わりましたか? 【まっふさん】そうですね。子どもと散歩しているだけで、知らないおばあちゃんが「あら、いくつ〜?」って話しかけてきてくれるんです。子どもが人をひきつける力は本当にすごいなと感じました。「かわいいね〜」「お散歩いいね〜」って声をかけられることも多いし、歩いているだけで挨拶されたり。ー急に自分が社会の一員になった感じがしますよね。 【まっふさん】そうそう! そんな感じです!今まで自分ひとりの世界だったのに、子どもがいることでパッと開けた感じがして。公園に連れて行けば、子どもを追いかけるだけで軽い運動になるし、その公園で自分の子どもと同い年くらいの子どもがいれば、話しかけに行っちゃったりするし。私ってこんなに社交的だったかなって自分でも思います。 婦人科に行くのは勇気がいる…でも、気軽に行ってみてほしいー「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されて、妊活を始めたそうですが、自分が「不妊」かもしれないとわかったとき、どんな気持ちになりましたか? 【まっふさん】正直初めて診断されたときは、今すぐ子どもがほしいと思っていたわけではなかったのでピンときませんでした。自分の生理不順や不正出血、にきびができやすいのはこういうのが原因だったんだなと納得しただけだったんです。 ただ、自分の年齢を考えて「子どもが欲しいかも」と思ったときにネットで調べて、「不妊」という言葉に行きついたときは一気に焦りました。ただただ「今、始めなきゃいけない!!」って。それで、今の旦那さんにすぐに相談したんです。ー当時はまだ結婚はしていなかったんですよね。 【まっふさん】はい、同棲して2〜3年ぐらいでした。でも、すんなりOKしてくれましたね(笑)。夫も結婚するつもりはあったけど、なんとなく同棲したままになってしまっていたので、いいきっかけになったみたいです。仕事も夕方から夜中まで働くような感じだったんですが、転職までしてくれましたね。 ーその後、まっふさんは無事に妊娠・出産するわけですが、今、生理不順を自覚している女性に何か伝えたいことはありますか? やっぱり出産経験のない女性は婦人科って行くのが恥ずかしいと思うんです。私も最初はイヤでした。「生理不順くらいで…」って思うのは本当によくわかります。でも、それで行っていいんです。やっぱり一度受診してみるのは大事なこと。原因がわかってスッキリするかもしれないし、ラクにもなるかもしれない。将来のためにも気軽に受診してほしいです。 一人でいることや子どもをもたないことも正解。でも、私には子どもがいるのが大正解!時代の流れか、私の周りには未婚や子どもをもっていない友人もたくさんいます。私は一人でいることや子どもをもたないことも全然正解だと思っています。実際、楽しそうに毎日を過ごしている友人たちをみていると、毎日育児に追われ、毎日同じような日々を過ごす自分と比べて、うらやましいと思うときだってあります。だけど、子どものころから漠然と考えていた「将来は結婚して子どもを産んで…」という未来を進めたことは私にとっては大正解! それくらい子どもの存在は大きなものになっています。 「一日の終わりに子どもの寝顔を見ると疲れなんてふっとぶ!」ってよく聞くと思うんですが、あれは本当の本当です。子どもの寝顔みながらしみじみ思っちゃうんです。「産んでよかったな。最高にかわいいな。あ〜、かわいい」って。子どもの匂い嗅ぎながら、明日もがんばろうって。 旦那さんに言うと「今だけだよ」って言われるんですけど、そのたびに「ずっとかわいいを更新してるんですけどー」って言い返してます(笑)。 買わないと思っていたアンパンマンのグッズも子どもに欲しいと言われたら、どうぞどうぞと買ってしまうと笑って話してくれたまっふさん。ベビーカレンダーでは、現在「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。ぜひチェックしてみてくださいね。 ★♡★♡ベビカレ夏のマンガ祭り★♡★♡マンガ家100人突破を記念して『べビカレ夏のマンガ祭り』開催中!大人気のマンガコンテンツを増量し、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ 無料でザクザク読めちゃう!ぜひチェックしてくださいね!著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年06月25日体外受精レポ 第15話 不妊治療を義両親に言うことになったときの話。 私は最初から、子どものこと気にしてるだろうし言っちゃえばいいんじゃない~?って感じだったんです。 しかし旦那の意向があり、このときまでどちらの両親にも打ち明けていませんでした。 旦那に理由を聞くとなんとなく不機嫌になるので、ずっと話し合わずにいたんです。でも、こういう形で旦那の気持ちを聞くことができ、そんなふうに考えていたんだなととても意外に思いました。 ……読み返すと、このときめっちゃ「お前」って呼ばれてるな……。 実は子どもを産んだあたりからどんどん私が強くなり、今はほとんどお前なんて言われません。特にやめてって頼んだことないんだけどな(笑)。 次回、カミングアウト後の話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月25日体外受精レポ第 14話 体外受精2周期目の話。 1周期目は薬など何も使わず、完全に自然周期でおこないましたが、2周期目からはちょっと刺激して、一度に採れる卵の数を増やすって方針でした。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月24日体外受精レポ 第13話 「なぜ私は不妊治療をするんだろうか」って考えた話。 前回、1度目の体外受精の話をあげましたが……。妊娠判定までは、正直「まあここまでやればできるんじゃない?」と楽観していました。 それが妊娠しなかったことで、今までそれほど考えなかったことを深く考えるようになりました。改めて言語化すると、子どもが欲しい理由ってけっこう自分勝手なのかも……。旦那との生活はもちろん幸せ。2人だけの人生でも、きっと楽しいんだろうなとは思う。 でも、だからこそ、もし子どもがいたらどうなるんだろうなって思うんですよね。治療をしていたとき、仕事で婚活に関わることがありました。電話で婚活の悩みから派生する人生の悩みを聞く機会があって……。 不妊治療をしていると、「治療をしている人・してない人」って他人が二分して見えてしまうときがありました。でも人生の悩みってそれだけじゃないよなーって思って描いた話です。 長い人生、どこかでつまずくときがくる。私の場合、それがたまたまこのときだったんだなと。 次回から、体外受精2周目の話になります。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月23日体外受精レポ 第12話 体外受精1回目にかかったお金の話。成功報酬(ある程度妊娠継続し、他院紹介となった時点で成功と見なされる)制度でした。この回は妊娠しなかったので、お金がかからなかったほうです。 しかも実は、このあと助成金を申請したので、実質かかったのはその対象外の4万円程度でした。なんだ全然じゃん。……って思うけど、医療費4万円ってそれなりの額ですよね!! しかも、この病院に至るまでに検査やら何やらやってきた分のお金だってあるし……。 そして先に言うと、2回目にかかった金額はもっともーっと大きいです!体外受精、マジ金銭感覚が麻痺するー!------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月22日「この先も私たち夫婦は健康で、そして私はチビちゃんが恥ずかしくないよう、いつまでもきれいでいなきゃ(笑)。とにかく、この子が大きくなるのを、夫婦でしっかりと見届けていきます!」まだ2カ月目の“新米ママ”の小松みゆきさん(50)は、わが子を抱いて微笑んだ。90年代にグラビアで人気を博し、その後は女優として活動を続けるなか、40代初めから不妊治療をスタート。今年2月に念願の長女を産んだときには、超高齢出産ギリギリの49歳8カ月だった。ブログやSNSなどを通じて、自身の不妊治療の体験を発信し続けてきたが、出産後は多くの祝福コメントが寄せられると同時に、社会的なニュースにもなった。「夫は不妊治療には、とても協力的でした。夫婦で努力して、ようやく授かったわが子ですが、振り返れば、知識不足のせいで、不要な治療に無駄な時間とお金を費やしてしまったと、つくづく思うんです」今より、かなり情報が少なかった7年前。手探りの状態で、最初に訪れたのは、産婦人科がメインの、いわゆる“町医者”だった。「私一人で行き、女性ホルモンの値を検査しました。その後、主人のほうも精子の状態を調べました。結果は、夫婦共に“問題なし”。つまりは、私が高齢であることが主な原因とわかるんです。しかし、そこの病院では『回数を重ねるしかない』といった助言でしたから、埒があかないと判断し、すぐに最初の転院をします」そうして、転院7回、顕微授精14回、高度不妊治療を7年間、総額1,000万円という不妊治療の長い苦難の道のりが始まった――。「ずっと2人だけで暮らしてきたのだから、そんな生活が、この先も続いていくんだろうな」夫婦共に、半ば諦めと共にそう考え過ごしていた20年6月半ばのこと。49歳の誕生日を迎えたばかりの小松さんに、待望の妊娠が告げられる。当時日本ではメジャーでなかった「着床前診断」を自分で調べ、その検査を終えてから届いた知らせだった。小松さんは、かつてない、ある確信に満ちた喜びを心から感じていた。「今度は受精卵の検査もして、しっかり着床するはずの卵なのだから、この先もきっと大丈夫と思えたんです」9月14日、5カ月を過ぎ、安定期に入ったところで妊娠を公表。そして2月18日、3,357gの元気な女の子が誕生した。「帝王切開ですから、いわゆる産みの苦しみといった達成感もなくて。やがて産声も聞こえホッとしていたら、私の胸のあたりに赤ちゃんが連れてこられたんです。初めて対面したときの感動ですか?それが、“エコー写真とまったく同じ顔!”と思って、つい笑っちゃいました」高齢出産だからこその万感の思いは、その後、初めての授乳のときに、ふいに込み上げてきた。「母乳をあげながら思うんです。ほぼ50歳で産みましたから、もしかしたら、この子の結婚式には出られないかも、孫の顔も見られないかもしれない。この子と一緒にいる時間はほかのお母さん方よりきっと短いわけだから、しっかりしなきゃ、長生きしなきゃと思っているうちに、初めてホロッと泣けました」この先も悲喜こもごも、いろんな涙のシーンがあるだろう。でも家族3人なら、きっと大丈夫だ――。「退院した朝、私が寝ていたら、夫がいつもより1時間早く起きて家事をやってくれていました。出勤前のことです。いままではなかったことで驚きましたし、素直にありがたかったですね」最初は妻主導で始まった不妊治療について、ご主人はどう思っていたのだろうか。「彼女は何事も決めたらやる人なので、僕にできることは協力しようと思っていました。通院も、それほど抵抗はなかったです。慣れ、でしょうか。逆に仕事で休みが取れないぶん、お金の面での協力は惜しまないつもりでした。まあ、保護猫も11匹いますので、少しは手伝わないと、妻もストレスがたまるでしょうから(笑)」小松さんは、ブログなどで、男性への呼びかけも繰り返してきた。「ご夫婦で不妊治療中の当事者の方、グラビア時代からのファンの男性たちも、理解しようと読んでくださっているようです。同時に女性からは、『うちの夫にも協力してほしい』との声が、相変わらず多い。共に通院してくれる男性は、不妊に苦しむ女性にとってヒーローということを知ってほしいです。また、私は、高齢出産を必ずしも奨励しているわけでもありません。私自身、40代半ばでの限界を身をもって体験しましたから。今後は、俳優業を続けながら、高齢出産や不妊治療に関する情報発信をしていきたいです」取材日の午後の数時間を、ぐずることもなく協力してくれたチビちゃん。インタビューを終えたときも、スヤスヤと天使の寝顔を見せていた。(スタイリスト:佐藤友美/ヘアメーク:市川裕子/衣装:ふりふ/靴:DIANA)
2021年06月21日「そろそろミルクかな」都内のホテルの一室。泣きだした赤ん坊にパパが駆け寄り、ベビーカーごとゆっくり前後に揺するが、泣きやまない。そこへ、「チビちゃん!どうしたの。ママはここにいるからね」隣室で取材のためのメークの最中だったママからの声が届いた途端、ピタッと泣き声はやみ、とびきりの笑顔に。ママの小松みゆきさん(50)は90年代にグラビアで人気を博し、その後は女優として活動を続けるなか、40代初めから不妊治療をスタート。今年2月に念願の長女を産んだときには、超高齢出産ギリギリの49歳8カ月だった。ブログやSNSなどを通じて、自身の不妊治療の体験を発信し続けてきたが、出産後は多くの祝福コメントが寄せられると同時に、社会的なニュースにもなった。高度不妊治療を7年間、顕微授精14回、転院7回、総額1,000万円という不妊治療の長い苦難の道のりを経て、小松さんにはどうしても伝えたいことがある。「最初に訪れたのは、産婦人科がメインの町のお医者さん。私一人で行き、女性ホルモンの値を検査したりです。その後、主人のほうも精子の状態を調べました。結果は、夫婦共に“問題なし”。つまりは、私が高齢であることが主な原因とわかるんです」その後、半年ほど人工授精を繰り返すが成功せず、15年1月、43歳にして初めての体外受精へ。「私は舞台の合間を縫って、生理から排卵までの10日ほど、毎日注射と薬を服用する生活でした。採卵も、最初のころは全身麻酔でした。ですから、夫に送り迎えをお願いしたり。私は役者で少しは融通も利きましたが、夫婦で会社員の方などは、時間調整がつかずに転職したといった話も届いていました」時間の問題に加えて、当時のブログには、《体外受精、お金がかかります》の記述も。「最初は自分の貯金を取り崩していた感じでしたが、やっぱり、すぐに底をついちゃうんですね。年間にすると何百万円単位ですから。夫もまた、いろんなことをセーブしていたと思います。唯一の趣味の車や、仕事にも関わる洋服も我慢してくれているようでした」1回目の体外受精では2個の受精卵を子宮に戻したが、成功せず。2回目も同様だった。「私自身、病院を変えたり、いまはネットで医学論文まで読めますから、そうした情報を集めては疑問を先生にぶつけたりしているうちに、あることに気づくんです。それは、特に私のような高齢の場合、最初から不妊治療の専門病院に行くべきだったということ。無知ゆえに、要らぬ時間とお金を使ってしまったのではないか。ほかのご夫婦に同じ轍を踏んでほしくないとの思いから、ブログでの記述も自然に詳しくなったかもしれません」その後も、治療は続くが、「また流れちゃった─」着床を告げられ喜んだのもつかの間、7~8週目で流産となり落胆する日々が積み重なっていく。そして治療開始から4年が過ぎ、46歳になったときだった。日本でも有数の実績を誇る不妊治療専門クリニックへの転院を済ませたところで、こんな心情が吐露された。《これまで顕微授精も複数回試していましたが、うまくいきませんでした。疲れ果てて、夫とも『あきらめよう』と》当時の心境をこう振り返る。「体力というより、女性ホルモンの値とか、採れる卵の数が40代半ばに近づくにつれガクンと減ってきて、その数字に限界を突き付けられるんです。最後と決めた顕微授精での、移植に使わなかった4つの受精卵に染色体異常の有無を検査する着床前診断を受けたところ、異常が認められず問題ないサイズの卵が1つだけあると判明していました。夫とも相談して、『この最後の受精卵が着床しなかったら、治療を終えよう』と決めました。着床前診断は、ようやく日本でも知られるようになったころでしたが、検査を受けていなかったら、これまで同様に育つ可能性のない受精卵を戻して、またも無駄な時間を費やしていたかもしれません」こうしているうちに、さらに2年近くが過ぎていた。「ずっと2人だけで暮らしてきたのだから、そんな生活が、この先も続いていくんだろうな」 夫婦共に、半ば諦めと共にそう考え過ごしていた’20年6月半ばのこと。49歳の誕生日を迎えたばかりの小松さんに、待望の妊娠が告げられる。かつてない、ある確信に満ちた喜びを心から感じていた。「今度は受精卵の検査もして、しっかり着床するはずの卵なのだから、この先もきっと大丈夫と思えたんです」――。昨年9月、就任以来、不妊治療への支援を掲げてきた菅首相が、その保険適用を重点政策とすることを表明。小松さんも、日本の不妊を取り巻く状況が劇的に変化しつつあるのを感じている。「治療も大切ですが、むしろ前段階の、妊娠が可能かどうかを見極める検査の費用を支援してほしいと思うんです。1回1万円の検査でも、積み重なると大きな負担になる。検査によって、おのずと体外受精などの回数も減るし、確率も上がるというのが、私の7年間の体験からの実感です」当時は、着床前診断も、ネットの海外情報で知ったという小松さん。情報収集し、知恵をつけ、無駄を省くことで、『不妊治療にはお金がかかりすぎる』といった高額費用の問題の解決にもつながる。そう話した小松さんは、同じ悩みを抱える人のため、情報発信を続けている。(スタイリスト:佐藤友美/ヘアメーク:市川裕子/衣装:ふりふ/靴:DIANA)
2021年06月21日体外受精レポ 第11話 初めての判定日の話。成功率は、治療した病院の当時のものです。 長く治療している方からすれば、まだ一回……という感じだと思いますが、期待が大きかった分それなりに落ち込みました。当時この漫画を描きながら、気持ちを整理していました。 次回、ここまでにかかったお金の話です。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。ぶちねこなみさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年06月21日1人目が3歳になり、4歳差で産みたかった私は、そろそろ2人目を……と妊活を始めることにしました。1人目のとき、妊活を始めて半年以内に妊娠できたため、今度もそれくらいでできるかな、と思っていたのですが……それが大間違い! 2人目不妊で排卵誘発剤が体に合わなかった私の治療法は? そして妊娠の決め手となったのは、まさかのアレでした! 私の不妊治療体験談をご紹介します。 2人目妊活。生理の異変に気づき…1人目の出産が28歳だった私は、のんびりと子育てしたかったため、2人目は4歳差にしようかな〜とのんきに考えていました。そして、娘が3歳の誕生日を迎えるころ、私はある体の異変に気づきました。あれ、なんだか生理の間隔がおかしい? それまで、28日前後の周期で7日間ほどだった生理が、24日前後で5日間ほどでくるようになってきたのです。 今思えば、そのときすぐに婦人科にかかるべきでした。もともと婦人科系の疾患を持っていたにもかかわらず、危機感が薄かったことを今は反省しています。しかし当時の私は、産後で体質が変わったのかな、くらいにしか受け止めず、そのまま半年間、婦人科にはかからず排卵検査薬を使ったタイミング法で妊活をしていました。 何もないまま半年が過ぎ、その間にも生理が3日目、4日目に大量に出血するようになるなど、様子が変わってきました。私の生理ヘンかも、とようやく婦人科を受診すると、そこで言われたのは「黄体機能不全」。医師の指導で基礎体温をつけると、私の場合、高温期が短いようでした。そうして始まった不妊治療ですが、このときはまだ、5歳差になっちゃうかなぁ、妊娠するまでにお金かかっちゃうなぁ、くらいにしか思っていませんでした。 漢方&鍼治療で体質改善を試みることに!クリニックでは、排卵チェックと排卵誘発剤の注射を打ち、タイミング法を試しました。しかし、卵子が排卵できないまま残ってしまう「黄体化未破裂卵胞」が繰り返し起こり、排卵誘発剤を使うことでかえって妊娠しにくい状況をつくっていました。 そんな折、もともと風邪を引きやすかった私は、タイミングをとるべき日に高熱を出し、内科にかかりました。先生に、「不妊治療中ですが風邪薬を飲んでタイミングを取っても大丈夫でしょうか?」と尋ねると……、「何を言ってるんだ!」と怒られてしまいました。「こんな体で不妊治療なんて無理がある、今回は諦めなさい!」と強く言われ、泣く泣く次回に見送りました。 しかしなんと、そのひと月後にもまた、私は風邪を引いてしまったのです。これではいけない、体質から変えねば!と気づいた私は、なんとなく気になっていた近所の漢方薬局へ相談することに。そこでは、漢方以外に鍼の治療もあり、先生がしっかりと話を聞いてくれる安心感もあって、しばらく通うことにしました。保険がきかず、決して安いとは言えない漢方薬と、1回4,000円の鍼治療。試しに、という気持ちでしたが、なんとそれから丸2年も通うこととなりました。 なかなか妊娠に至らず、苦手なアレに挑戦人工授精もあわせておこなっていたので、1カ月の出費がクリニックも含め6万円を超えるときもありましたが、それでも通い続けたのは、効果があったからです。子どものころから風邪を引いてばかりだった私が、漢方と鍼を始めてから真冬でも体調を崩すことなく、風邪気味かな、と思っても悪化せず治るように! これは、私にとっては奇跡のような効果でした。 しかし、肝心の妊娠に至ることはなく……。妊娠検査薬にはかすりもしない日が続きました。妊活を始めて2年半、心身ともに疲れ切ってしまい、35歳までに妊娠できなければ、少しお休みしようと考えるように。そこで、私は最後の半年間、これまでどうしてもできなかったあることに挑戦しようと一念発起! それは……、運動です。 運動の楽しさに気づき、ついに…!お恥ずかしいことに、運動が大の苦手で過ごしてきた私は、漢方の先生から「ストレッチでいいから運動するように」と最初から言われていたにもかかわらず、まったくしていませんでした……。しかし、これで最後!とスイッチの入った私は、自分でも驚くほどにのめり込みました。 起床後はストレッチ、仕事のお昼休みに15分のウォーキング、子どものお迎え前に駆け込みでジムのエアロビクラスへ、寝る前にYouTubeで妊活ヨガと、ほんの少しの時間を見つけては何か体を動かしました。それこそ、仕事中にコピー機の前でもストレッチをするくらい。体を動かす楽しみに気づき、運動が毎日のルーティンとなったころ、ついに妊娠検査薬の陽性が出ました! 信じられない気持ちでしたが、同時にもっと早くから運動をしていれば……、との後悔も。もともと冷えが強く、自律神経が乱れがちな私に必要だったのは、巡りを良くするための運動だったようです。もちろん、漢方、鍼の効果も大きかったと感じますが、一番簡単にできたはずのストレッチさえやらずにいた自分が恥ずかしくなりました。 今思えば、ウォーキングやストレッチはどの妊活本にも乗っている基本のキなのですが、苦手だからと言い訳して逃げていたんです。産後5カ月の今、寝る前のルーティンにストレッチをするよう心がけています。サボらないように、上の娘に見張ってもらいながらですが……。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ちよこ7歳と0歳の2児の母。漢方と鍼による不妊治療を経て出産、7歳差育児を楽しんでいます。子どもとのおやつ作りが趣味の元ケーキ教室講師。
2021年06月20日お医者さんの前では超いい子だけど…3歳になってから、久しぶりの眼科受診。行く前は泣くほど嫌がっていたのですが、徐々に様子が変わり、最終的には……。外面最強の息子の体験談をご紹介します。 3歳の息子。外面の良さは重々理解していたのですが、まさか診察のときに微動だにしないとは……。先生は「家で目薬も問題なくできそうだね」と言っていたのですが、嫌な予感がしたので正直に伝えて正解でした(笑)。外出先の息子と家の息子は、まったく別物として考えた方が良いと改めて思いました! 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年06月20日生後初めての眼科受診生後2カ月の息子の目やにが気になり、初めて眼科を受診したときのことです。診察時の息子の様子に衝撃を受けた体験談をご紹介します。 生後2カ月、まだまだねんねの時期だったので、診察前に寝ることは想定内だったのですが……まさか、目を開かれてライトを当てられても起きないとは思いませんでした(笑)。先生や看護師さんも、びっくりして笑っていました。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年06月18日私は27歳から35歳までドイツに住んでいました。そこで、目の当たりにしたドイツの生理事情にカルチャーショック! 生理に対する私の考え方を大きく変えるほど、影響を受けました。 初対面の私に「タンポン持ってる?」ドイツに住んでいたころ、飲み会の席でこんなことがありました。その方はドイツ人女性で、私は初めて会った人。彼女はその日突然、生理になったようで、席についている全員を前に「ねぇ、タンポン持ってない?」と聞いて回ったのです。初対面の私にも堂々と聞いてくる姿に、まずびっくり! ちなみに、そのとき私はタンポンは使ったことすらなかったので、持っていないことを伝えました。そして後日、この出来事をスペイン人の友人に話したのですが、友人は「私がタンポンを使ったことがない」ということのほうを不思議がり、「なぜあんな便利なものを使わないの?」と逆に聞いてくるのです。私は友人の質問に驚きつつも、「そんなに言うなら……」と、次の生理のときにタンポンを使ってみました。すると、確かに便利! 彼女たちに影響されて使い始めたものですが、本当に「なんで今まで使ってこなかったんだろう」と感じ、今では毎月使うようになりました。 「生理中でも検診に行くべき!」と熱弁する同僚またあるとき、ドイツ人の同僚に「今日は午後から婦人科検診があるんだけど、生理がきたからキャンセルしなくちゃ……」と、口にしたことがありました。実は以前、日本で定期検診を受けようとしたところ、生理中ならキャンセルするよう言われたことがあり、自分のなかで「生理期間中は検診が受けられない」と思い込んでいた私。それゆえの言葉だったのですが、同僚は「意味がわからない」という困惑顔。そして「生理中でも行くべき!」と説いてくるのです。少し不安に思いつつも、彼女の説得もあって緊張しながら婦人科へ行き、受付で「生理中なんですけど……」と恐る恐る告げたところ、「そうですか」のひと言だけ。何を緊張していたのだろうと、拍子抜けしました。 ドイツ生活で生理への意識が大きく変わったこのように、私は、ドイツでは生理について、日本よりオープンな雰囲気を感じました。そして、ドイツでの生活は、私の生理に対する意識を大きく変えました。生理だけではありません。婦人病や不妊治療も同様です。日本では初対面の人に生理の話をすることはまずないと思いますし、デリケートな不妊治療の話題であれば、親しい間柄でもなかなか踏み込めないでしょう。でもドイツでは、不妊治療の話題も婦人病の話題も、まわりの友人・知人は普通にしていたのです。センシティブな問題もタブー視しない考えや姿勢に、私は大きく影響を受けました。 帰国した現在、私は不妊治療を経て、妊娠中です。妊娠に至るまでには、2度のタイミング法をトライしたのち、多嚢胞性卵胞症候群、精子欠乏症、私の年齢が37歳という要素が重なったこともあって、すぐに顕微受精へ移行しました。不妊治療中は生理中でも内診があり、それに抵抗を感じる人が多いと聞きましたが、私は一度、ドイツで経験しているので、心理的な負担をあまり感じることなく受診できました。 私が抵抗なく不妊治療が受けられたのも、早期に顕微受精を決断できたのも、ドイツ生活で受けた影響があったからかな、と思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/せな なつこさん
2021年06月14日慣れない育児に取り組み「パパ業・ママ業」に一生懸命になりすぎて、いつの間にか「夫と妻」であることを忘れていました。そんな私たち夫婦が、夫婦関係を見直すきっかけになった言葉があります。産後、夫婦喧嘩が増えた出産後、授乳による睡眠不足や慣れない育児による疲れから、ささいなことで夫婦喧嘩が増えたと感じる人も少なくないのではないでしょうか。かく言う私もその1人でした。 食事やお風呂、就寝の時間など生活のすべてが子ども中心で回っているのに、夫が今までと変わらずマイペースに過ごしていると、ついイライラしてしまうことが増えました。 「夫が1番、子どもが2番」そんな私が人から聞いた、目からウロコの言葉があります。それは「夫が1番、子どもが2番」というもの。 子どもはいずれ親から離れて巣立って行きますが、夫は老後も一生添い遂げるパートナーです。「子どものことばかりを優先して夫婦関係をないがしろにするのではなく、愛する夫への思いやりも忘れないようにしましょう」というメッセージが込められた言葉でした。 「パパとママ」であり「夫と妻」その言葉を聞いてから、私は自分の態度や姿勢を反省しました。子どもを優先するあまり、愛する夫との関係をこじらせるなんて……ということに気付いたのです。私は「ママ」である前にこの人の「妻」だったんだ、ということを思い出しました。 そして、夫の気持ちを思いやることの大切さを再認識した結果、夫も徐々に私の気持ちを汲んでくれるようになり、以前よりも絆が深まったように思います。 「夫が1番、子どもが2番」というのは極端な表現で、実際の生活では子どもを最優先にせざるを得ない場面が多々あると思います。そんなとき、私は「夫も子どもも1番」だと考えます。そもそも家族は順位をつけるものではなく、みんなが大切な存在です。そんな当たり前のことを忘れかけていた私にとって、この言葉は大きな救いになりました。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2021年06月10日結婚して2年、なかなか子宝に恵まれず2年間不妊治療に通い続け、2度の化学流産を経験。不安と喜びの妊娠期間を過ごし、やっと会えた息子。 次の日、小児科の先生から告げられた言葉は、出産したばかりの私にはあまりにも衝撃的でした。 念願の妊娠、出産! だけど…結婚後、なかなか子宝に恵まれず、不妊治療に通い始め、タイミング法をおこなっていましたが、2度のつらい化学流産を経験しました。「神様があきらなさい」と言っている、と本気で思っていました。 半分あきらめながらも治療を続け、超音波検査で赤ちゃんの入った袋が見えたときの感動は、今でも忘れられません。2回化学流産したこともあり、妊娠中はちゃんと育ってくれるか不安でしたが、特に問題なく順調に経過し、あっという間に出産を迎えました。 初めてのことでもうろうとしながらも、無事に出産。夫も立ち会ってくれ、私たちにとって忘れられないものとなりました。病室に戻り2人で喜んでいたのですが、息子の呼吸が安定しないため、保育器で様子を見ることに。私も夫も不安でしたが、それ以上に生まれてきてくれてやっと会えた喜びのほうが大きく、次の日からの母子同室を楽しみにしていました。 ところが、次の日の朝、医師から「午前中いっぱい様子を見て、大学病院に転院するか決めます」と言われ、祈るような気持ちで午前中を過ごしました。息子に何が起こっているのか? どういう状況なのかわからず不安でいっぱいでした。お昼前、小児科の先生から告げられた言葉は、私たち夫婦にとって衝撃的なものでした。 大学病院で検査?「呼吸が安定しません。専門の所で見たほうが安心なので、今から転院しましょう。 それと、染色体異常の可能性があります。検査をしたほうがいいでしょう」。 言葉が出ませんでした。昨日まで、生まれてきてくれたこと、不安だけど楽しみな育児、「早く抱っこしたい」と夫と2人で話していたことが、なんだか夢のようでした。 それから、1時間もしないうちに救急車が来て息子は大学病院へ。夫も手続きのため、追いかけるようにして大学病院に行ってしまい、産婦人科の病室で部屋にひとり。あまりの展開に状況が飲み込めず、泣くことしかできませんでした。 しばらくして戻ってきた夫とは、何を話していいかもわからず、2人ともお互いに心配かけまいと「大丈夫、きっと大丈夫」と声を掛け合うことしかできませんでした。 それから退院まで、できる限り搾乳して昼から夕方まで息子のいる大学病院に会いに行き、産婦人科に戻って休むを繰り返していました。 おっぱいは張って痛いのに息子はそばにおらず、他の人の赤ちゃんの声で眠れない……。入院中、先生やスタッフのみなさんにとても良くしていただいたのですが、ひとりで産婦人科に入院していることがとてもつらかったです。 検査結果は…息子より一足先に私が産婦人科を退院し、3日後に大学病院を息子が退院することに。 息子の退院の時点では検査結果は出ておらず、後日結果を聞きに行くことになりました。 初めての育児、丸1日を息子と初めて過ごすことに不安もありましたが、何より息子を抱きしめることができて、うれしかったです。 慣れない育児に悪戦苦闘しながら、毎日はあっという間に過ぎていき、息子が生まれて1カ月後、大学病院に検査結果を聞きに行く日が来ました。 夫婦2人とも眠れぬ夜を過ごしたかと思います。 結果は「21トリソミー(ダウン症候群)」でした。 先生がいろいろ説明してくれたことがほとんど耳に入らず、帰りの車の中では、ただぼんやり外を眺めていました。 本当に自分の息子がそうなのだろうか? 何かの間違いでは? そんなことを延々と考えていたような気がします。 息子はもう生後3カ月を迎えました。 正直、今でも結果を完全に受け入れることができているかは自分にはわかりません。ですが、800〜1,000人に1人の確率でしか生まれない「ダウン症候群」。そんな息子に選ばれた私は、息子が教えてくれること、息子からしか学べないことがきっとあり、私しかできないことがきっとあると思い、毎日の子育てに奮闘しています。 涙が出ることもあるけれど、「私が今悩んでも不安が息子に伝わるだけ。息子が思い悩んだときに一緒に悩んで考えよう」と思い前向きに育児に取り組んでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:塩田 沙織現在、3カ月の息子の育児に奮闘中。育休前は、介護福祉士として病院勤務。
2021年06月09日《私達夫婦に授かった命は、空へと戻りました》6月8日、夫婦連名でインスタグラムにこう綴ったのは南明奈(32)と濱口優(49)。続く文章で《約7ヶ月という時間でしたが、私達家族は幸せでした。皆様から頂いた祝福の言葉が子どもの生きた証です》と、夫婦の間に授かった子供が死産したことを報告した。また南は《現在は無事退院し、回復に向け自宅で安静にしております》と報告し、《夫婦で支え合って、前に進んでいこうと思います。これからも私達をあたたかく見守ってください》と締めくくっている。南と濱口といえば4月21日に、YouTubeチャンネル『おうちのまさる』で第1子の妊娠を発表したばかり。発表当時、南は妊娠5カ月で安定期に入ったことを報告。「ずっと望んでいたのですごく嬉しい」と、夫婦で顔をほころばせていた。そんな南は5月24日にも、濱口をカメラマンとして妊活の体験談をYouTubeチャンネルで語っていた。19年に結婚式を終えてから妊活を始めたところ、婦人科の検診で子宮内膜症が発覚。薬を飲み続けるも妊娠に至らないことから、不妊治療専門のクリニックに通院するようなったという。その際、左の卵管が詰まっていたといい、手術を受けたことなど苦労の日々を明かしていた。「動画の最後で南さんは『子供が2、3歳の時に、“お腹に来る前の話”をする子もいる』と、本で読んだ内容を語っていました。その本には『お空から見ていて、あのパパとママはいつも笑ってる。すごく楽しそう。あそこの子供になりたい』と“子供の気持ち”が書かれていたといい、南さんは話しながら目を潤ませていました。これまで子供を授かったことや妊活について公表していただけに、今回の件は心中察するに余りありますね……」(スポーツ紙記者)思いがけない出来事に、南と濱口の気持ちを慮る声が広がっている。《南明奈さん、死産だったのか。つい最近、不妊を乗り換えての妊娠を発表されてたの知ってて、彼女の気持ちを思うと胸が痛い》《悲しくて涙してしまいました。お二人の悲しみは、想像を絶すると思います。どうか、今は体と心を休めて自分を責めることはせずご自愛ください。お二人のこと応援しています》《辛すぎて言葉が出ない……今はどんな言葉も辛いと思います……今はご自身と支えて下さる旦那さまとゆっくりお過ごし下さいね……これからもお2人を応援しています》
2021年06月09日「天皇陛下と雅子さまは、6月9日に28回目の結婚記念日を迎えられます。コロナ禍以前は、皇室ご一家が集まってお祝いの食事会が開かれていましたが、今年は昨年と同じく愛子さまと家族3人で過ごされることでしょう」(宮内庁関係者)6月1日には上皇ご夫妻をはじめとする65歳以上の皇族方が新型コロナウイルスのワクチンを接種された。皇族方も国民と同じ基準で進めており、両陛下はまだ接種されていない。「5月30日に島根県で開催された全国植樹祭も、両陛下はリモートで出席されています。ご公務での外出も最小限にとどめ、コロナ禍にあえぐ国民生活を何よりも心配されています」(皇室担当記者)そんな中、菅政権のもとで皇室の未来を左右する議論が進められている。安定的な皇位継承策についての有識者会議が3月から開催されているのだが、その第3回会合で耳を疑うような発言が飛び出した。歴史学者の今谷明氏が、男系男子での皇位継承維持のために、次のような提言を行ったのだ。「悠仁様の後どうなるか。側室制を前提として、なおかつ非常に継承が難しかったことをどうやって維持していくか。ここに書いたように、近代医学の粋を尽くして男子出生を目指すというような医学的なことは当然おやりになったほうがいいと私には個人的に思う。しかし、これはあまり公には出せないことだが、個人的には側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだというふうに考える」男子出生のために用いる「近代医学の粋」とは、いったい何なのか。本誌は発言の真意を聞こうと試みたが、今谷氏からは「取材はお受けできない」との返答だった。本誌が20年にわたって不妊治療に携わる生殖医療の専門医に話を聞くと「技術的には、着床前診断で受精卵の染色体を調べ、男子の受精卵を子宮に移植すればほぼ100%男子を産むことができる」という。だが、技術的に可能だからやっていいというわけではない。この医師は「男女の選別は倫理的に大きな問題があり、日本産科婦人科学会は性別の検査を目的とした着床前診断は行わないとの見解を出している」とも語る。■「人権侵害といってもいい」性別による“命の選別”につながりかねない「近代医学の粋を尽くして男子出生を」の提言――。“男子を産まねばならない”というプレッシャーは、まさに皇太子妃時代の雅子さまを苦しめた最たるものだった。ご成婚後、両陛下は会見で何度も“お子さまの予定”について質問を受けた。外務省での経験を生かした国際親善を目指していた雅子さまだったが、周囲から求められたのは“お世継ぎ”を産むことだったのだ。雅子さまは、陛下とともに不妊治療に取り組まれた。流産を乗り越え、37歳でご懐妊。待望の第1子となる愛子さまがお生まれになった。しかし、愛子さまのご誕生後も男子出生を求める声はやまなかった。そして’03年12月、雅子さまは体調を崩して入院。長期ご療養となり、適応障害と診断された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは「雅子さまが適応障害になられた大きな原因は、“お世継ぎ”についてのこと」と語る。「夫婦が子供を持つことについて部外者が勝手に話したり介入したりするのは、一般の家庭ではありえないことで、人権侵害といってもいいでしょう。男子ばかりを求める意見に対して愛子さまは、ご自身が男の子に生まれていればと悩まれるかもしれません。両陛下は愛子さまがそういった自責の念を抱かないように『生まれてきてありがとう』という気持ちをしっかりお伝えになって育ててこられたのです」ご自身が“なんとしても男子出生を”という声に苦しめられたからこそ、悠仁さまと結婚する“未来の皇太子妃”に同じ苦しみを味わわせるわけにはいかない――。雅子さまは、そうお考えになっていることだろう。皇族に迎える女性を一人の人間として尊重するという、当たり前の考え方が抜け落ちているのではないか――。皇位継承問題を話し合うならば、まず雅子さまが苦しまれた過去をしっかり見つめ直すべきだろう。
2021年06月08日