タレントの中居正広がMCを務める、フジテレビ系土曜プレミアム『中居正広の芸能人!お友達呼んで来ましたグランプリ』の第2弾が、5月11日午後9時から放送される。同番組は、2023年10月に放送され、好評だったスペシャル番組の第2弾。人気芸能人たちが本当に仲の良い“ガチ友達”と一緒に登場し、MC・中居の進行のもと、にぎやかなスタジオトークを展開する。中居の巧みなリードで、芸能人の友達が芸能人の知られざる素顔を次々と明かしていく、新趣向のトークバラエティーとなっている。今回、スタジオには総勢11組22人の“芸能人とその友達”が集結。人見知りで有名なあのが、数少ない友達のメイプル超合金・安藤なつと連れ立って登場するほか、石原良純は世界中でコーヒー農園の技術指導を手掛ける“コーヒーハンター”の川島良彰、平愛梨は14年来の付き合いで週1回は会う仲だという三瓶と出演する。元プロゴルファー・古閑美保&女子フィットネス世界チャンピオン・安井友梨の“アスリート友達”、尾上右近&中村隼人の“歌舞伎俳優友達”、バイきんぐ・小峠英二&ザブングル加藤、ダイアン・津田篤宏&ガクテンソク・よじょうの“芸人友達”ら、さまざまな顔ぶれの親友ペアがそろう。第1弾で爆笑のエピソードを披露した加藤綾菜&鈴木奈々、ヒコロヒー&霜降り明星・せいやも再出場。さらに、芸能界とは全く無縁の“一般人友達”も登場する。平成ノブシコブシ・吉村崇が連れてきた友達は、高校時代をともに過ごした地元の友人・中見宏。寺田心は、ふとしたきっかけで知り合い、たちまち意気投合したという“おじちゃん”と2人で登場する。親友ペアは、とっておきの友情秘話を明かしながら、自分たちの仲の良さをアピールする。長年秘めていた感謝の思いを告白したり、日頃は言えない不満をぶっちゃけたり。仲間たちとの食事会の様子など、普段は見せることのない貴重なプライベート映像も交えて、それぞれのペアの熱い絆を深掘りしていく。あのが、初めて安藤なつの家に遊びに行ったときの様子に密着したドキュメント映像も放送される。「他人の家に行くのは苦手だけど、なつさんの家には来てみたかった」というあのは、安藤と一緒に仲良く餃子を包んだり、“恋バナ”で盛り上がったり、リラックスしている様子。さらに会話が弾むと、あのは真面目に本音を語り始める。中居も「YouTubeかと思うくらい、まったりしすぎ(笑)」とツッコミを入れるほどの、プライベート感満載のガールズトークを繰り広げる。スタジオでは、津田のことを「いじってもOKな人」と「いじりNGの人」の境界線を決める即興ゲーム「津田いじり線引きゲーム」や、寺田の親友のおじちゃんの名前と年齢を当てるクイズコーナーなども展開。あっと驚くサプライズゲストが生登場し、出演者全員で感動のパフォーマンスを披露する一幕もある。エンディングでは、観客の投票で「芸能界ベストフレンド」を決定する。中居は「2回目の『お友達グランプリ』は、1回目と比べると、バリエーション豊かっていうのかな、“お祭り感”があって楽しかったですね。今回スタジオでは、歌を歌ったり、ゲームをやったり、ちょっとしたドッキリもあったり(笑)、あえてトークから派生して、“遊び”っぽいことをたくさんやりました。もちろんゲストの皆さんは、トークだけでも十分成立するくらい面白い人たちばかりなんだけど、番組に奥行きみたいなものがほしいなと思って。だから、ちょっといびつかもしれないけど(笑)、ぜひたくさんの方に見ていただきたいです」と魅力を語った。■ゲストあの×安藤なつ(メイプル超合金)石原良純×Jose.川島良彰尾上右近×中村隼人加藤綾菜×鈴木奈々古閑美保×安井友梨小峠英二(バイきんぐ)×ザブングル加藤平 愛梨×三瓶津田篤宏(ダイアン)×よじょう(ガクテンソク)寺田 心×おじちゃんヒコロヒー×せいや(霜降り明星)吉村 崇(平成ノブシコブシ)×中見 宏ほか
2024年04月21日タレントの中居正広、お笑いコンビ・千鳥の大悟がMCを務めるTBS系バラエティー『中居大悟に言いたい人々』が、15日に放送される(後7:00)。ずっと自分の世界にとどまり続けている“昭和おじさん”代表のMC、中居と大悟をアップデートさせるため、知れば人生が豊かになる情報を伝えたい人々が次々とプレゼン。驚きの情報を知った中居と大悟は、アップデートし情報を「持ち帰る」か、「置いてく」のかを判定していく。ゲストには長嶋一茂、麻木久仁子、大島美幸(森三中)を迎え、さらにVTRゲストとしてMatt、萬田久子、すみれ、中岡創一(ロッチ)が出演する。進行は前回に引き続き田村真子アナが務める。ビジネスホテルにしか泊まらない中居と、ホテルにさほど興味がない大悟に、Mattと萬田が「ホテル」に関する最新情報を全力プレゼン。Mattはすみれと一緒に、ラグジュアリーなホテルや睡眠に特化したホテルを紹介。さらに、実際にホテルで使用されているベッドをスタジオに用意し、中居&大悟が好みのまくらを選んで、ホテルでの快適な睡眠を疑似体験する。萬田は、超セレブに大人気の「ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道」に中岡を招き、ホテルを紹介していく。TPOに合わせて都度衣装替えまでしながら、エステ付きのメゾネットルームや萬田が愛する料理の魅力を伝える。果たして中居&大悟はアップデート必至の最新ホテル情報を持ち帰るのか。
2024年04月09日タレントの中居正広、お笑いコンビ・千鳥の大悟がMCを務めるTBS系バラエティー『中居大悟に言いたい人々』が、15日に放送される(後7:00)。ずっと自分の世界にとどまり続けている“昭和おじさん”代表のMC、中居と大悟をアップデートさせるため、知れば人生が豊かになる情報を伝えたい人々が次々とプレゼン。驚きの情報を知った中居と大悟は、アップデートし情報を「持ち帰る」か、「置いてく」のかを判定していく。ゲストには長嶋一茂、麻木久仁子、大島美幸(森三中)を迎え、さらにVTRゲストとしてMatt、萬田久子、すみれ、中岡創一(ロッチ)が出演する。進行は前回に引き続き田村真子アナが務める。もはや日本の文化となった「推し活」。中居大悟に「推し活の素晴らしさ」を伝えようと19人の女性たちが集結。藤井聡太八冠推しや、マツケンこと松平健推し、力士推し、そしてなんとMCの大悟推しも登場し、どハマりした「推し活」の魅力をプレゼンする。さらに、韓流アーティスト推しだというゲストの麻木が、コロナ禍で一気に“沼った”というBTSの魅力を、嵐推しのはずの大島は、好きを通り越してメンバーになりたいと思うほどBE:FIRSTにハマったエピソードを告白する。果たして中居大悟はアップデートし「推し活」を持ち帰るのか。
2024年04月09日タレントの中居正広、お笑いコンビ・千鳥の大悟がMCを務めるTBS系バラエティー『中居大悟に言いたい人々』が、15日に放送される(後7:00)。ずっと自分の世界にとどまり続けている“昭和おじさん”代表のMC、中居と大悟をアップデートさせるため、知れば人生が豊かになる情報を伝えたい人々が次々とプレゼン。驚きの情報を知った中居と大悟は、アップデートし情報を「持ち帰る」か、「置いてく」のかを判定していく。ゲストには長嶋一茂、麻木久仁子、大島美幸(森三中)を迎え、さらにVTRゲストとしてMatt、萬田久子、すみれ、中岡創一(ロッチ)が出演する。進行は前回に引き続き田村真子アナが務める。前回、選りすぐりの寿司店を紹介し中居&大悟を唸らせた長嶋一茂が、さらにアップデートしてほしいと「お肉」をテーマに2店舗を紹介。1店舗目は、京都に本店を構え、昭和のスターも足繁く通ったという大人気店。牛肉の中でも最高級の部位である“シャトーブリアン”を使った「超高級ステーキ」を紹介する。一茂から店の情報を聞いた大悟が思い出の店と奇跡の再会を果たす。2店舗目は、一茂がとんかつを食べるならここしか行かないというお店で、“豚のシャトーブリアン”が食べられる「とんかつ料理」を紹介。一茂渾身の“ブリアンお肉”連発に中居大悟も驚きの声を上げる。■中居正広(大悟の話で)点と点が線になる奇跡も起きました! 日頃なかなか経験のできないものを食べられたり、普段知らないことを知れ、中居と大悟にアップデートしてもらおうということで始まった番組ですが、今回もアップデートできているのかな? どのプレゼンも見ごたえある内容ですので、ぜひご覧ください!■大悟(千鳥)本当にいろんな意味でお腹いっぱいです(笑)。個人的に何十年ぶりの思い出あるお店が出てきて、本当にびっくりしました! 中居さんがMCとして仕切る番組が多い中で、この番組のときはすごく自由で。わしが訂正していかないといけない体験をして、ノブの大変さに改めて気付きました(笑)。
2024年04月09日3月17日放送の『だれかtoなかい』(フジテレビ系)で、MCの中居正広(51)が、同じくMCを務める嵐の二宮和也(40)の発言に衝撃を受ける場面があった。この日、俳優の永野芽郁(24)がゲスト出演した同番組。フリートークのコーナーで永野が「料理しないです」「(ご飯は)Uber Eatsです」と話したことから、中居は二宮に「料理するの?」と尋ねた。すると、二宮は「僕、両親とも調理師なんで」と告白。中居と永野は思わず「え?!」と驚き、中居が「店をやってるの?」と聞くと、二宮は「服部(栄養専門学校)で先生やってたんです」と明かした。そこで中居は高い声で「えー!?」とビックリし、思わず「有名な話?」とスタッフらに声をかけることに。続けて二宮が「うちのお父さんが日本料理の先生をやってて、それの助手で付いてたのがお母さんなんです」と述べた。中居が「ビストロとか……」と伺うと二宮は「やってますやってます」とうなずいて見せたことから、中居は「まさにじゃん……!」と驚きを隠せない様子。この「ビストロ」とは、SMAP時代に中居が出演していたバラエティ番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の料理企画「BISTRO SMAP」のことだ。「BISTRO SMAP」は中居が司会を務め、他のSMAPメンバーが料理を披露するという人気料理コーナー。そして「BISTRO SMAP」の料理指導に20年間、携わっていたのが服部栄養専門学校だ。自身とも縁が深い同校の名前が二宮の口から出たため、中居は「あっ、そう!」と大きな声で感嘆。続けて二宮は同校の服部幸應校長(78)に会うたび「お坊ちゃん、どうも」と言われると話し、幼い頃から両親が料理をする様子を見ていたと語った。しかし、二宮は「(両親が料理する姿を)見てたんですけど、(子供が近くにいると)逆に邪魔だから」「お姉ちゃんは教えてもらってましたけど。時間がかかっちゃうから、(両親は)パパパッとやりたいから、むしろやらなかったんです、僕は」と料理一家で育ったからこそのエピソードを披露。すると、中居は思わず「へぇー!」と感心していた。二宮とは共にジャニーズ事務所出身という縁を持っている中居。二宮の両親とも、奇縁があるようだ。
2024年03月18日フリーアナウンサーの高橋真麻が13日に自身のアメブロを更新。食べる度にタレントの中居正広の顔がよぎる料理についてつづった。この日、高橋は「親子ご飯」というタイトルでブログを更新し「某日食べた鮭いくらご飯」と堪能した料理の写真を公開。「昔、収録で中居さんが『親子のものは一緒に食べないことにしている』と話されていて」と振り返り「鮭いくらや鶏玉子のものは食べないとのこと」と説明した。続けて「その話がとても印象深くて」とコメント。「私は親子のものを食べると毎回中居さんの顔がよぎるのであります…」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月14日「『私は誰?』まではいかないんですけど、『今はいつ?ここまでどうした?』みたいな……」こう語ったのは中居正広(51)。11月4日、自身のレギュラーラジオ番組で、“記憶消失”の体験を明かしたのだ。1度目は、7月に生放送された大型音楽番組『音楽の日』(TBS系)の生放送後。中居は帰りの車内で「え?TBS……?ここ。TBS出たよな?今日TBS入ったっけ?」と、不意に記憶をなくしたと告白。さらに10月中旬にも似たような体験が。自宅で過ごしていた際、 「あれ…?何月?何日?何をしようとしてた……?」と、突然状況がわからなくなったという。「番組で中居さんは、1分や2分では記憶が戻らないとも明かしています。3カ月の間に2度も体験した“記憶消失”に、SNS上ではファンからも《心配になるよ》などと不安の声が上がりました」(芸能関係者)こうした記憶消失について、ライフサポートクリニックの山下悠毅院長はこう解説する。「脳に心理的なストレスがかかると記憶が飛ぶことはままあります。原因は、過労や睡眠不足、度重なる緊急事態などが代表的。過度なカフェイン摂取や飲酒は悪化を招きます。重度だと解離性健忘と呼ばれる状態になり、記憶の欠落が数十分を超えたり、自分が誰かわからなくなったりすることもあります。予防や治療では十分な睡眠をとり、カフェインやアルコールは控えて脳を休ませることが大切です」前出の芸能関係者は言う。「中居さんは’22年11月から約2カ月間、体調不良のため芸能活動を休止。復帰後に仕事のペースは戻ってきましたが、古巣のことを非常に心配しているようで……」故ジャニー喜多川氏(享年87)による性加害問題に揺れる旧ジャニーズ事務所。中居は、すでに独立しているとはいえ、事務所の窮地に尽力しているという。「最近中居さんは、かねて親交のある後輩だけでなく、顔も名前も知らなかったジュニアの相談にも乗っています。今後が不透明なだけに、後輩の育成を中居さんが手助けするという話も出ているといいます」(前出・芸能関係者)後輩たちの行く末を非常に案じているようだ。「旧ジャニーズの一連の問題が噴出したのは、中居さんが仕事復帰してから間もなくのこと。面倒見のいい中居さんですが、’23年は心労続きの一年になってしまったかもしれません。大みそかに中居さんはWBCに関する特番でMCを務めます。約6時間もの生放送なので、体を気遣いながら臨んでほしいです」(前出・芸能関係者) 古巣の騒動の収束は見えないが、まずは自分の体を大切にしてほしいーー。
2023年11月30日瀬戸内寂聴さん。《書いた愛した祈った》、墓石に刻まれた言葉のように、小説家として、女性として、そして僧侶として命を燃やし尽くした寂聴さんが旅立ったことに喪失感を覚えている人も多い。今回は三回忌を機に、交流のあった6人が、忘れられない思い出と、「いま寂聴さんといっしょにしたいこと」「いま寂聴さんにお願いしたいこと」を語った――。■「いまこそ、平和の尊さを訴えてください」歌手、俳優・美輪明宏さん(88)「時が経つのは早いですね。瀬戸内さんと初めてお会いしたのはもう50年以上前になります。雑誌のインタビュアーとして、私が当時住んでいた新宿のマンションまでお見えになったのです。まだ瀬戸内さんが人気作家になる前でしたが、私はその数年前に小説『女徳』を読んでおりまして、「面白い文章を書く方だな」という印象を受けていました。瀬戸内さんは、私より13歳年上でしたが、誕生日が同じ5月15日だったこともあり、『私たち双子じゃないの』なんて、言い合ったこともあります」三島由紀夫氏が脚本を手がけた舞台『黒蜥蜴』で美輪さんは主演しているが、三島氏は寂聴さんの少女小説家時代のペンネームをつけてくれた人物でもある。「私は三島由紀夫さんをはじめ、多くの小説家とお付き合いしました。皆さんに共通するのが記憶力の凄さです。初対面から数年後に再会したとき、瀬戸内さんがリビングに置いてあった家具や、壁紙にはビロードが張ってあったことなどを記憶していたことに驚かされました。また寂庵の本棚には、たくさんの本がぎっしり詰まっていたのですが、どの本に何が書かれているのか、スラスラ話せるほどだったのです」2015年7月、原爆投下から70年を目前にした長崎市で、2人はトークショーに臨んだ。「トークショーのテーマの1つが反戦でした。私も実家のカフェで働いていた青年が出征することになり、見送りに行ったときのことなどを話しています。汽車が出る瞬間、駅に来ていた青年のお母さんが、彼の足にしがみついたのです。『死ぬなよ。どげんなっても、生きて帰ってこいよ』と。すると憲兵が『この戦時下になんだ!』と、お母さんの襟首をつかんで突き飛ばして、彼女は鉄骨に額をぶつけて、血を流していました……。いまは、そうした時代に逆戻りしてきているように思います。瀬戸内さんも、『戦争に、いい戦争とか、国民の幸せのための戦争なんていうのはないんですよ。集団人殺しですからね。自衛隊員にもそれをさせてはいけない』、そうおっしゃっていました。あの方は同じ思想や価値観を持っている、そう感じてきたのです。現在、ロシアとウクライナ、そしてイスラエルとハマスが戦争をしています。人間はいずれ死にます。ただし、罪なき市民を殺したり、虐殺をしたり、略奪を繰り返した人間は、死んだ後も、その犯した罪は消えません。瀬戸内さんもご存命であれば、世界で戦争が続いている状況にイライラなさっているのではないでしょうか。もしかしたら現地に駆けつけていたかもしれません。いまこそ“反戦”と“平和の尊さ”について、訴えていきたかったんだと思います」■「先生は観音様みたい。あのやわらかくてあたたかいハグを」詩人・伊藤比呂美さん(68)「コロナ禍以前は、2〜3カ月に1回ほど、寂聴先生に会いたくなって、寂庵を訪れていました。私はアメリカでの生活が長かったこともあり、寂聴先生とお会いするときは、いつもハグをさせてもらうんですね。やわらかくて、あたたかくて、小さくて、まるで観音様を抱いているようなんです。叶うことなら、また先生にハグをさせてもらいたいです」こう語るのは詩人の伊藤比呂美さん。’08年、紫式部文学賞を受賞した後、雑誌の対談企画をきっかけに、寂聴さんとの交流が始まった。初対面で伊藤さんが「ブラジャーをつけ忘れちゃった」と、気づいて慌てたが、寂聴さんも法衣の下からブラジャーを脱ぎとり、お互いノーブラで対談に臨んだという。「私は何度か結婚・離婚を繰り返し、20年間アメリカに住んでいましたが、親の介護のために日本と行き来したりしていました。そんな私の経歴も面白く感じてくださったのかもしれません」以降、たびたび寂聴さんのもとを訪れ、さまざまな相談をしたり、話を聞いたりした。「先生の前では、自白剤を飲んだかのように、なんでも話すことができるんです」寂庵の近くにある料亭で会食をしたときは、偶然、政治家の野中広務氏と顔を合わせた。自民党幹事長や内閣官房長官として強面のイメージが強い野中氏だが、「寂聴さんとお会いしたときは、すごくニコニコした笑顔。先生の前では、誰もが鎧を脱いでしまうんでしょうね」寂聴さんは伊藤さんとの話が盛り上がってくると、スタッフに「赤ワインを持ってきて」と、お酒を楽しむことも多かったという。「血の滴るようなお肉をごちそうしてくれたことも。法衣ではなくて、派手な柄がプリントされたトレーナー姿で、ワイングラスをくるくると回す所作がすごくかっこよかったのが印象的です」伊藤さんが新聞紙上で人生相談をしていることも、寂聴さんは自身との共通点と感じていたのかもしれない。「寂庵で法話を見学していたら、寂聴先生が『今日はゲストがいます。人生相談がお上手なので、今日はこの人に任せます』って、いきなり登壇させられたこともありました(笑)」思い出は尽きないが、なにより心を惹きつけられたのは寂聴さんが生み出す文学だ。2019年には、高橋源一郎氏、平野啓一郎氏、尾崎真理子氏らを招き「寂聴サミット」を企画したこともあったほど。「『比叡』や『女人源氏物語』、70代でお書きになった『場所』など、素晴らしい作品ばかりです。ちょうどいまは先生が現代語訳した『源氏物語』を読んでいます。作品にふれることで、先生といっしょにいられます。ただ、ハグをしたときのぬくもりを感じることができないのは……、やっぱり寂しいですね。まだ私の手に残る寂聴先生の感触が頼りです」■「夢に出てきて、思いっきり私のグチを聞いて!」秘書・瀬尾まなほさん(35)「瀬戸内先生の写真のそばに置いてある『日めくり暦』をめくって、お香を焚くことから、私の1日は始まります」寂聴さんが逝去するまで約10年間、スタッフや秘書を務めた瀬尾まなほさん。「いまさらですが先生の言葉は説得力があり、素直に納得するものばかりです。先生が亡くなってしまってから、より先生が残した言葉が胸に響くようになりました」特に最近、印象に残った言葉は次のようなもの。《骨身に沁みてつらいと思う経験も、歳月が経って振り返ってみると、あの時、ああいう目に遭ったからこそ、今の自分があるのだと思えるようなことがあります》自宅や職場、いたるところに寂聴さんの写真が飾ってあるという。「寝室には大きなパネルもあるのです。2022年に私が『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演したのですが、スタジオで先生の写真をパネルにして使っていて、それを後で送ってくださったのです。朝起きたら、『先生、おはようございます』と挨拶をしています。そこは“瀬戸内先生コーナー”のようになっていて、写真や先生が作ったかわいらしい土仏や、少し分けていただいた遺骨も置いているのです。だから先生を思い出さない日はありませんね。それなのに、先生は夢に出てきてくれません。ずっと強く思い続けているのに……。私が育児で悩んだとき、人間関係に疲れたとき、いつもグチを聞いてくれていました。そして『何言ってるの!』と明るく笑い飛ばしてくれたのです。そのおかげで、私も自分の悩みなんて、たいしたことではないのだと思えるようになりました。夢の中で、もう一度先生に思いっきりグチを聞いてほしいと思います」瀬尾さんは3歳と1歳、2人の男の子の母でもある。「先生は教育の悩みを聞いたときには『いいところを見つけて伸ばしてあげなさい』と、おっしゃっていました。私も子供たちの“長所”を見つけてあげたいです」天台寺がある岩手県は寂聴さんのゆかりの地でもある。11月3日から「たくさんの愛をありがとう追悼瀬戸内寂聴展」が盛岡市民文化ホール・展示ホールで開催されており、初日には瀬尾さんが講演を行った。「テーマは『寂聴先生との10年間』。私が大学を卒業してすぐに寂庵に就職することになってから、先生と過ごした日々をお話ししました。1時間というと長いようですが、先生との思い出を話しているとあっという間。話している途中、涙が出てしまうことも。私が最初に講演をしたのは母校でした。先生に『うまく話せるかどうか不安です。いっしょに来てください』とお願いしたら、『大丈夫、まなほならできるから、1人で行きなさい』と、背中を押してくれました。私が大勢の人の前で話すようになるなんて、先生と出会う前は想像もしませんでした。人生を変えてくれた先生は、いまも私の“いちばんの味方”なのです」
2023年11月26日2021年11月9日、99歳で逝去した瀬戸内寂聴さん。《書いた愛した祈った》、墓石に刻まれた言葉のように、小説家として、女性として、そして僧侶として命を燃やし尽くした寂聴さんが旅立ったことに喪失感を覚えている人も多い。今回は三回忌を機に、交流のあった6人が、忘れられない思い出と、「いま寂聴さんといっしょにしたいこと」「いま寂聴さんにお願いしたいこと」を語ったーー。■「“薬のような苦言”でたしなめてほしい」エッセイスト、小説家・阿川佐和子さん(70)「寂聴さんのことは、幼いころに父(作家の阿川弘之氏)から植え付けられた先入観で、圧倒的に男性からモテるタイプだと思い込んでいました。実際にインタビュー取材で初めてお会いしたとき、コロコロとまるくて、ニコニコのお顔やかわいらしい声など、男性にモテる要素が満載でした」こう回想するのは阿川佐和子さん。寂聴さんとの思い出で印象に残っているのは’91年ごろ『筑紫哲也NEWS23』でアシスタントを務めていたときのこと。「世間では女性のニュースキャスターが憧れの職業として見られていましたが、私自身はそんな立派なものでもないし、報道向きの人間じゃない。それに、ちっとも結婚できないし、自分が恵まれているとは思えなかったんです」そんな不満を見透かすように、筑紫哲也氏とともに寂庵を訪れた阿川さんへ、寂聴さんは「あらあら、お父さまは元気?」と挨拶すると、目を見据えて「あなたはね、そこに座っているだけで、人に嫉妬されるわね」と語った。「ハッとしました。たいして能もないのにもかかわらず、運よく親の七光りでライトの当たる場所にいられたのに、私は“恵まれていない”とウジウジしていたのです。寂聴さんの言葉が最後の決め手となって“このままじゃいけない。もっと地に足をつけなくては”と思い、’92年に『NEWS23』をやめることにしたのです。それから1年ほどアメリカで一人で生活をしました。何か大いなる成果があったわけではありませんが、あの経験があったからこそ、いまの私があるのだと思います」帰国後は『週刊文春』でライフワークとなる対談企画を開始し、仕事の幅も広がっていった。それから数年後の’90年代後半にもまた直感力に驚かされることに。「某ホテルでフルコースがついた、富裕層向けのトークショーの司会を定期的に請け負っていたのですね。優雅で楽しい仕事ではあったのですが、一方で“私はこういう仕事をしたかったのだろうか”という疑問も感じていました。そんなとき、ゲスト出演してくださった寂聴さんに『まあ、あなたはずいぶん恵まれた仕事してらっしゃるのね』と言われて……。嫌みではなくポジティブな言葉として受け止めることができて、結局、この仕事もやめることに(笑)。何か大きな決断をするとき、いつも寂聴さんの一言があるのです」阿川さんは11月に70歳となり、節目を迎えたためか、こうした寂聴さんの言葉がよく思い出されるという。「高齢者になれば、人から苦言を呈されることが少なくなります。それは年をとって立派になったわけではなく、年上の人を失ってしまうからです。誰からも怒られないのは快適でもあるけど、それは危ないと思うのです。“それは違うんじゃないの”と意見してくれる存在って、すごく大事。寂聴さんには、ずっと私をたしなめてほしかったです。いまでも“薬のように、よく効く一言”が欲しくなります」■「“すっぴん”の私の悩みを聞いてください」女優・三田佳子さん(82)「寂聴さんの原作で、巨匠・豊田四郎監督が手がけた映画『妻と女の間』(’76年公開)に主演したとき、初めてお会いしました。まだ30代だった私の役どころは、仏門に入る前の“瀬戸内晴美さん”を投影した四姉妹の長女でした。豊田監督からは『女として生きる』を意識して演じるように指導いただきました」三田佳子さんと寂聴さんの出会いは半世紀近く前にさかのぼる。同作品には尼僧役として寂聴さんも出演しているという。「撮影現場にいらしたときにご挨拶しましたが、笑顔が素敵で眩しく感じたことを覚えています」それ以降、季節ごとの手紙のやりとりや対談をするように。さらに縁が深まったきっかけは、寂聴さんのライフワークでもあった現代語訳『源氏物語』のオーディオドラマの朗読を、三田さんが担当したことだった。「私は54歳のときに子宮体がんが見つかったのですが、闘病を終えて1〜2年したころにご縁をいただいたんです」三田さんは紫式部として物語の朗読を、中村橋之助(現・中村芝翫)が光源氏役を担当した。「ほかにも沢口靖子さんが紫の上を担当したり、総勢240人もの出演者により寂聴さんの54帖に及ぶ源氏物語を読み切るというものでした。がん闘病後、初めての大仕事だったので不安もありました。でも、足かけ3年に及ぶ長丁場でしたが、ワクワクしながら寂聴さんの物語の世界に入ることができ、続けるにつれ病気のことも忘れ、CDにして115枚分の録音を終えたときは、すっかり元気になっていました」制作発表会見は、寂聴さんと共に臨んだ。「会見後の控室で、誰かが『オーディオドラマのCDは全巻セットで定価が34万円もする』と言ったんですね。それを聞いた寂聴さんは『あら高いわねえ。私なんて一生懸命書いているのに、本は1冊2千〜3千円くらいなのよ』と笑っていらして。そんなユーモアとかわいらしい笑顔で、場の雰囲気が一気になごみました」寂聴さんはまるで桜のようだと三田さんは語る。「何百年も生きてきた大木に、爛漫として咲く花で人々に華やぎを与え、そして潔く散る姿でも人を魅了するのですから」不倫や子供との別れなど、人生の労苦を作家として作品に書き記し、瀬戸内寂聴という桜を咲かせてきたというのだ。「いつの間にか、私も女優を始めて63年になります。その間にはつらいこともありましたが、“すべて糧になるんだ”と思えたのは、寂聴さんの生き方を見てきたからだと思います。ただ一つ心残りは、2人きりでお話ししたことがないこと。お化粧もせず、寂庵でお酒でも飲みながら、いろんな悩みを聞いてもらったりしたかったですね。きっと寂聴さんは『あなたは、そのままでいいのよ』と、笑って勇気づけてくださると思います」■「思い出話をしながら、お酒を飲みましょう」エッセイスト・嵐山光三郎さん(81)編集者・作家・エッセイストと、多彩な活動で知られる嵐山光三郎さん。寂聴さんとの交流は、作家と担当編集者という関係からスタートした。「僕は37歳で月刊『太陽』の編集長になったのですが、就任から5カ月ほど後に、瀬戸内さんの西国三十三カ所巡礼を誌面で特集することにしたのです。広島県・山野で撮影するため京都駅で瀬戸内さんと待ち合わせをしたら、脚絆・甲掛・草鞋という巡礼姿で、杖や菅笠も持っていましたから、目立って目立って。大作家ですからグリーン車にと思っていましたが、瀬戸内さんは『30分ぐらいでしょ。立っていきましょうよ』と、新幹線のドアの前で、ずっと立っていたのです。その姿を見た人たちが、みんな瀬戸内さんを拝む。『これが巡礼というものよ。私は生き仏だから、みんな拝むのよ』そう自慢していました(笑)」ちなみに、その寂聴さん特集号は、即日売り切れたという。「小説以外の瀬戸内さんの功績といえば、岩手県・天台寺を立て直したことでしょうね。荒れ果ててしまったお寺を、原稿料をつぎ込んで復興したのですから、偉いですよ。私も同行して天台寺の法話を聴きましたが、本当にお上手で。『大勢の人に話すときは、1分に1度は笑いをとらなきゃダメです。吉本興業のタレント並みの技術がいります』と、おっしゃっていました。偉ぶった話ではなくて、生きること・死ぬことを楽しく話すところが素晴らしかったです。瀬戸内さんの『言葉のお薬』で、自殺をやめた人もいるんです」寂聴さんが救ったのは、法話を聴きに来た人々ばかりではない。「当時、僕も出演していた『笑っていいとも!増刊号』に、瀬戸内さんが来てくれることになったのです。ところが前日になって『(東京には)行かない』と。大麻事件の後、ショーケン(萩原健一さん)が京都・寂庵に逃げ込んだことがありました。何の付き合いもなかった彼を瀬戸内さんが匿ったのです。ショーケン自身が自分の居場所をメディアに知らせてしまったそうで、報道陣が寂庵に集まってしまって……。中を撮影しようとしたテレビクルーを、瀬戸内さんはホースで水をかけて追い払った。そのなかにフジテレビのクルーもいたそうで、瀬戸内さんが『そんなテレビ局の番組には断じて出ない』と」ディレクターに頼まれた嵐山さんは、東京に来て番組に出演してもらうために、寂聴さんに電話することになったのだという。「瀬戸内さんは出家した理由について、いろいろ小説に書いていましたが、80歳のときに突然、『あれは更年期障害のせいだった』って。あれだけ自分のことをざっくばらんに話して、それでもあっけらかんとしている。そういう人は、最近はいなくなりました。瀬戸内さんとは、またいっしょにお酒を飲みたいです。思い出話をしながら、楽しくお酒を飲んで騒ぎたいですね」【後編】「平和の尊さを訴えて」「夢に出てきて」三回忌追悼企画“いま寂聴さんに願うこと”へ続く
2023年11月26日タレントの中居正広、女優の広瀬すず、杉咲花が出演する、ソフトバンクの新CM「ペイトク 登場」編が29日より放送される。○■インコは広瀬すず、オウムは杉咲花“魔法のようにポイントが貯まる!”をコンセプトに、「PayPay」(残高/クレジット)での決済でプランに応じてPayPay ポイントを付与するソフトバンクの料金プラン「ペイトク」の魅力を伝える同シリーズ。シリーズ第3弾となる新CMは、前作で主役となった中居が「チチンペイペイ ソフトバンク!」という魔法の言葉で買い物を楽しくする人物“ペイトク”として登場し、シリーズ第1弾から出演していた相棒のインコとオウムの正体も判明。ペイトクの魔法で、インコは“ペイスズ”(広瀬)に、オウムは“ペイハナ”(杉咲)に変身する。一方、前作で主役の座を奪われ悔しさをにじませていた劇団ひとりが“ペイソン”として登場するWEB動画「おトク頂上決戦/ペイトクvsペイソン」編も同日に公開される。○■中居正広、広瀬すずに「バスケ見ましたよ!」同じテレビ番組に出演したことはあるものの、CMでは初共演となる中居と広瀬。先日のバスケットボール世界大会での男子バスケットボール日本代表の活躍に感激した中居が、中継番組の応援役として活躍した広瀬に「バスケ見ましたよ! 現地で雰囲気を味わいたかった〜」と声をかけると、広瀬も「本当におもしろかったです!」とニッコリ。共通の話題で意気投合した2人は、その後も待機時間があるとバスケットボールの話題で盛り上がっていた。○■中居正広、監督の話に…「チチンペイペイソフトバンク!」の合言葉で日本中の買い物をお得にする魔法使い“ペイトク”を演じる中居は、前作に続き真っ赤なマントスタイルの衣装で登場。レストランやパブ、カフェなど多くの店が並ぶ中、本物のパンが並ぶパン屋やファッショナブルな靴やスーツが展示された洋品店をチラリと覗き、ウインドーショッピングを楽しむ姿も。撮影直前の打ち合わせでは、映像のコンセプトやストーリーを丁寧に説明する監督の話に真剣な表情でうなずいていた中居だったが、5分ほどの熱弁が終わると「もう1回、最初から話してもらえます?(笑)」とジョークで現場の空気を盛り上げた。○■広瀬すず、インコと挨拶中居演じる“ペイトク”の魔法によって、インコから人間の姿に変身する“ペイスズ”役の広瀬は、撮影現場の隅で“出番待ち”していた色鮮やかなインコと対面し「この子が私になるの? こんにちは〜」と興味津々で話しかけ、「バイバイ」と返事してもらえたことに感激する一幕も。色鮮やかなミニスカートの衣装とロングブーツで街角の美術セットに登場し、スタンバイを終えた広瀬は、「今から撮るシーンは、インコから変身した後ですよね?(笑)」と監督に確認。“ペイスズ”が明るく元気なキャラクターであることを聞いた広瀬は、やや高めのテンションで撮影本番に臨んだ。○■中居正広へのオーダー「主役っぽく」ダンスシーンの撮影を前に、カメラ前で動きの最終確認を行った中居と広瀬。2人の振り付けが微妙に異なることを知った中居が「じゃあオレもすずちゃんに合わせて踊ろ!」と違うダンスの練習を始めると、監督は慌てながら「“チラ見”なしでお願いします!」と苦笑い。周囲へのサービスで明るく笑いを誘っていた中居だが、いざ本番が始まるとキレのいいダンスで撮影スタッフを圧倒。「もう少し大きな動きがいいかな〜」と映像をチェックしていると、監督から「主役っぽく華やかな感じがいいですね」とオーダーがあり、次のテイクではさらにシャープさが増したダンスを披露した。○■劇団ひとり「オレが“ペイトク”だったのに…」WEB動画「おトク頂上決戦/ペイトクvsペイソン」編の撮影で、劇団ひとり演じる“ペイソン”と対峙する演技に臨んだ中居と広瀬。中居に主役の座を奪われ「オレが“ペイトク”だったのに……」と悔しさをにじませる劇団ひとりに向かって、ファイティングポーズをとる場面では、CM初共演とは思えないほどピタリと息の合ったアクションを見せる。すると、周囲の反響に気づいた中居が、 後ろを振り返りながら「いま、どうやってたの?」と確認すると、広瀬は「こうです」と同じ構えを再現。中居が「わ〜、一致団結だ〜!」と盛り上がると、現場では拍手が巻き起こった。○■中居正広、広瀬すず インタビュー――ソフトバンク新CMの撮影を終えた感想をお聞かせください。中居:コマーシャル、ボク自身久しぶりということもありまして……朝早いですね(笑)。ドラマとか映画とかも、かつて出たことあるんですけど……もう久しぶりで、眠くてしょうがなかった。さっき、お昼ご飯のときにボク寝てたんですよ。ここ(顔)にタオルの跡が……気づきませんでした?(笑)広瀬:だからメイクさんに「まだついてる?」って確認してたんですね(笑)。中居:そのまま撮ってるから、よく見たらあのやつ(タオルの跡)だと思っていただければ(笑)。朝から遅くまでは本当に久しぶりで、前の日から「どうやって起きればいいのかな」とかソワソワしちゃいました。(広瀬さんは)もう慣れてるんじゃないですか?広瀬:はい、ほかの作品入ってたりすると……。でも、広告の現場って(撮影内容が)盛りだくさんですよね。――中居さんと広瀬さんは今回がCM初共演となりますが、お互いの印象をお聞かせください。広瀬:前回のCMを拝見して、(中居さんが)もうすごいキレッキレに踊られてたのが印象的で……。今日も“チチンペイペイ”のポーズとか、本物を生で見たから「すごいな〜」と思いました。中居:最近、ちょっとバスケ(バスケットボール世界大会の中継)を見てまして……(広瀬さんは)バスケの印象がすごく強かったんで、会ったときに「バスケ見ました!」って言ってしまいました(笑)。情報番組(の出演)があって、劇団(ひとり)さんが「プレイヤーも、すずちゃんの前でカッコいいところを見せたいから、いつもより力出るだろうね」って話をしてました。広瀬:すっごく楽しかったです! 放送席に座っていて……、私だけ立ち上がって(笑)。――今回のCM内容にちなんで、これまで「すごく得した」というエピソードはありますか?中居:この世界で(仕事が)できてるのも、ちょっと得してるのかなと思います。特に人より長けたものとか得意なものとか……努力しないで、なんかごまかしながらやっていこうと思ったら、ここまでできたので「得したな」と思います。広瀬:……中居:いや、どこかで「そんなことないですよ!」って言われるのを待ってたんですけど……「やっぱりね」みたいな雰囲気なんで……そういうふうに思われてるんだ(笑)。「違いますよ! 中居さんはやっぱりすごく魅力的で……」みたいな雰囲気になると思ってユーモアで話したんですけど(笑)。広瀬:得したこと……バスケを8年やってて……やめて10年経っているんです。バスケの世界大会もそうですけど、Bリーグ開幕のときもやらせていただいて……自分の歩みたかったこと、がんばっていたことが“延長戦”でお仕事に繋がるのがすごい楽しいし、おもしろいので、得したというか。中居:難しくないですか? 台本ないじゃないですか、ああいうの(中継番組)って。広瀬:めちゃくちゃ難しくて、どんどんどんどん「喋る回数減らしてもらえませんか?」って言ってました(笑)。バスケとかスポーツをやっていたからこそ、言葉で説明するのが難しいと思ったんです。中居:バスケのファンの人たちは見るんですよ。でも、バスケを今まで見たことない人たちが「すずちゃんが出ているんだったら見てみようかな」って、それで“にわか(ファン)”が増えて、全国区になったりするので。ボクはその1人でしたから(笑)。「バスケにハマってみようかな」と思いながら。本当にハマってよかったです、得しました!――新CMでもダンスを披露されていましたが、ダンスシーンを撮影した感想をお聞かせください。中居:筋力と体力と……なんか限界みたいなものを感じながらやらせてもらいました。まわりの人も「いいね」とか「上手だね」ってボクのことを褒めて、気持ちよくダンスしてもらおうとすごく言ってくれるんですけど……「中居くんって若いね」とか「ダンスいいね」とか言ってくれる人って、だいたいボクら世代なんですよね。若い子から見ると、本当に“おじさんががんばってる感じ”に見えると思います(笑)。ちょっと久しぶりすぎて、キレとか可動域とかがあまりにも狭いなとか、遅いなとか思いながら。広瀬:(中居さんと)振りは違って私(のダンス)は簡単なんですけど、(中居さんと)並びたくないな〜って。(中居さんの姿が)視界に入っただけでズレそうで……リズム感がないので(笑)。中居:バスケットやってる人って、ありますけどね、リズム感。広瀬:(バスケットのような)自分の独特のリズムだったら、イケる気がするんですけど……。――中居さんから広瀬さんに“上手に踊るためのアドバイス”をお願いします。中居:アドバイス……難しいですね。あの……練習した方がいいと思います。広瀬:シンプルですね(笑)。中居:練習しないとうまくならないんじゃないかなと思います。ちょっとスポーツと似てるところがありますから。――新CMは中居さん演じる“ペイトク”が日本中に“おトクになる魔法”をかけるストーリーですが、日本中どこへでも行けるとしたら、どこに行きたいですか?広瀬:地元か……わりと家にいたいタイプなので、どこにも行けなくていいかもしれない(笑)。すぐ帰りたくなっちゃうタイプです、私(笑)。中居:ボクもちょっと似てて……そこの扉を開いたら自分のマンションだったらいいなと思います。「はい、お疲れさまでした!」って開いたら、自分の部屋だったらいいな〜って。広瀬:最高ですね。
2023年09月29日9月7日、東山紀之(56)の新社長就任も発表されたジャニーズ事務所による会見。会場となった名門ホテル「パレスホテル東京」は、出版関係者の間では、故・瀬戸内寂聴さんが“東京の定宿”としていたホテルとしても知られている。かつて東山紀之が、寂聴さんと対談をするために京都・寂庵を訪れたのは、’12年1月のことだった。《寂聴ようこそ寂庵へ!嵯峨野の奥まで、よくいらしてくださいました。東山実は萩原(健一)さんと何度もドラマでご一緒させていただいて、そのたびに寂聴さんのお話を伺っていたので、一度お会いしたいな、と思っておりました》(本誌’12年2月28日号)当時、東山は45歳。第1子となる長女は2カ月前に誕生したばかり。対談での話題は、東山の生い立ち、共通の知人である萩原健一さん(享年68)や森光子さん(享年92)との交流、『源氏物語』……と、多岐にわたったが、その間に寂聴さんが繰り返し口にしていたことがあった。それは、「もっと悪人になりなさい」「悪いこともしなさい」といったことだった。自他共に認める“対談の名手”だった寂聴さん。だが東山は生来の真面目さからか、44歳も年上の“人生の先輩”との初対面に緊張していたのか、なかなかリラックスした様子を見せなかった。そんな彼に足りないものとして寂聴さんが指摘したのが、“マイナスの経験もプラスにする考え方”だったのだ。寂聴さんは東山にこんなアドバイスをーー。「あなたは今までだって普通の人よりずっと華やかな人生を送ってきて、それに無限の才能も持っています。でも、私からみるとそれがまだ7割も出ていないような気がして、何かもったいない、と思います。あなたの人生はこれからが本当の盛りです。マイナスをプラスにする前向きの考え方をこれからも忘れないで、もっともっと芸を大きくしてください。ショーケンと同じことをする必要はありませんが、ちょっと“不良”もしてほしいですね。そうすれば、あなたはもっと大きな人物になります」寂聴さんの真情が通じたのだろう、東山は辞去する際、歯を見せて、こう語ったのだ。「悪くなるように勧めていただいたことも含めて、今日は今の僕に必要なことをたくさん教えていただいた気がします」それから11年、危機にある会社を背負っていくために、さらに“大きくなること”を求められている東山。寂聴さんの期待に応えることはできるのか。
2023年09月13日タレントの中居正広、お笑い芸人の劇団ひとりが出演する、ソフトバンクの新CM「チチンペイペイ 中居来日」編が14日より放送される。○■中居正広、主役の座を乗っ取る新CMでは、前作「チチンペイペイ 劇団来日」編で脇役として出演しながらも虎視眈々と主役の座を狙っていた中居が見事に主役の座を乗っ取り、“ニッポンを変えるスゴイ男”として登場。「チチンペイペイソフトバンク!」を合言葉に華麗なダンスやポーズを披露し、 「さあ、はじまるぞ!」と新しい時代の到来を予感させるように歩きはじめる。一方、主役から陥落してしまった劇団は、輝くような中居の活躍を見て悔しさをあらわに。主役と脇役が入れ替わる乗っ取り劇で中居と劇団が見せる表情のコントラスト、そして今後の展開にも注目だ。また、新CMの放送に合わせ、12日からスペシャルWEB動画「中居正広→SoftBank」編が、ソフトバンク公式YouTubeチャンネルで公開。同WEB動画では、新CMで中居が踊っている華麗なダンスシーンがたっぷりと収録されている。さらに、同日より、「ソフトバンクユーザーはPayPayポイントが魔法のように貯まる」というサービスを歌詞として表現した楽曲「Magical Lip Sync」を中居が歌っているようにパフォーマンスするユニークなWEB動画「Magical Lip Sync」編も、同チャンネルにて公開されている。○■中居正広、完璧なダンスを披露前作では、劇団の活躍を眺める“脇役”だった中居だが、今回は主役として出演することもあり、ダンスシーンの撮影前には「カッコいい感じ? ご機嫌な感じかな?」「歩くスピードはこれくらい?」「劇団(ひとり)とは少し違う感じがいいよね?」など、演出について監督と入念な打ち合わせ。そして、ダンスシーンで共演するダンサーと笑顔であいさつを交わしリハーサルに臨んだ中居は、「しっかり振り付けのあるダンスは6年ぶりぐらいかな」とやや緊張の面持ちだったが、本番ではファーストテイクからパーフェクトなダンスを披露。カメラの動きと連携する緻密なステップを監督が「すごいです!」と絶賛するなど、ダンスは完璧だったが、中居の頭に紙吹雪が乗ってしまったことでNGになり、ふたたびチャレンジすることになる一幕も。ダンスシーンで中居さんが苦戦(?)したのは「チチンペイペイソフトバンク!」のポーズ。完成していたダンスの振り付けに対し“決めポーズ”は細かく決定しておらず、「中居さんのセンスにお任せします」と監督に“丸投げ”されてしまった中居は、「決めておいてよ〜(笑)。オレわからないよ〜」と苦笑い。渋々ながらもカメラ前でスタンバイし、完璧なダンスに続いて「チチンペイペイソフトバンク!」と即興でユニークなポーズを決め、おどけながら「これでいい?」とニヤリ。スタジオが笑いに包まれる中、監督は「お願いだからカッコよくしてください(笑)」と困り顔で懇願していた。○■中居正広、劇団ひとり インタビュー――ソフトバンクCMシリーズ第2弾で主演した中居さんの役についてお聞かせください。劇団:中居さん、たった今撮影を終えたばかりだとお聞きしましたが、今回の役どころをお願 いします。中居:ちょっと……全然入ってこないんだけど。いつも通り話してくださいよ。劇団:前回(シリーズ第1弾「チチンペイペイ 劇団来日」編)は同じ出演者としてインタビューを受けたのですが……今回は残念ながら“降格”しまして……聞き手、インタビュアーとして。 前回は主演だったんですけど(主役の座を)乗っ取られまして。すいません、その節は何か偉そうに(笑)。中居:ちょっと入れ替わりましたね。今日で(劇団ひとりさんの出演が)最後かもしれませんね(笑)。劇団:そうですね……でも、できればどこかで使っていただけたら(笑)。よろしくお願いします。中居:自分で言うのあれですけども……(前作で主演した)劇団さんへの憧れが強く、ちょっと“お願い”したらボクのほうに(主役の)座が譲られたという……。劇団:ボクもダンスの撮影したんですよ。一応やったんですけど……スケジュール表を見たらボクのダンスの収録時間が30分で、中居さんは80分だったんですよ。ハナっから力の入れようが違うんですよ。すぐ終わっちゃった(笑)。中居:ボク(撮影風景を)見ましたけど……振り付けは有名な方ですか?劇団:いらっしゃらないですよ。「音が鳴るんで、なんか踊ってください!」「はい OK!」みたいな。中居:さすがですね〜。ボクは逆ですよ、先生がいないとできないタイプです。アドリブでやってくださいなんて無理です。あれを自らやったって……。劇団:自分でやりました。何の手応えもないまま……。中居:ディレクターもまわりのスタッフも本人も、何が正解かわからないまま(笑)?劇団:本当に(カメラが)回ってたかどうかも怪しいくらい(笑)。それくらい中居さんのダンスには力を入れてたみたいですよ。だって久々ですからね。人前で踊るのは何年ぶりですか?中居:振り付けをやるみたいなのはほぼ6年ぶりですね。ちょっと……年はとりましたね(笑)。ボクはトレーニングとかなにもやってないですからね。劇団:ボクら素人から見ると「さすがだな〜」「あの頃と変わってない」と思います。ご本人からすれば「ちょっと動きのキレが……」ってなるかもしれないけど。中居:もう人の前でお見せできるものかどうかもわからない(苦笑)。劇団:いやぁ、もう十分! もし自信なくなったらボクのダンス見て勇気もらってください(笑)。中居:ある意味で励みになる……いや、励みにならないですよ(笑)。あれ、自由に踊ってるんですよね?劇団:最初の立ち位置と終わりの位置しか教えてくれないんですよ(笑)。振り付けの先生がいて……とか、ひとつもないです!中居:もう天才です。これ見てほしい! 本当に主役の座が代わるかもしれない。あれは“自由演技”ですよね。あんなのボク見たことないです。劇団:もしあれが全国のテレビで流れるって考えると……恥ずかしいですよ。いたたまれない。「パパ何やってんの?」「どうしたの?」って。「それ今やってみてよ」って家でイジられるの。恥ずかしい(笑)。――「チチンペイペイソフトバンク!」のように魔法が使えたら、どんなことをしてみたいですか?劇団:「チチンペイペイソフトバンク! 魔法のようにポイント貯まる。」という印象的なキーワードがございました。もし魔法が使えたら、どんな魔法を使いたいですか?中居:ありきたりかもしれないですけど……トレーニングをしたことがないので、1回ムキムキになってみたいですね。(腹筋が)“ワンパック”なんです。“ツーパック”じゃないので……。劇団:“ツーパック”ってあるんですか? “シックスパック”でしょ(笑)?中居:“ツーパック”があって“スリーパック”があって……。劇団:それはただの“三段腹”でしょ(笑)。中居:そうなったらチビTとか着てみたいな。劇団:ダサっ! 20年前ですよ、チビTって(笑)。中居:でもほら、筋肉つけてる人ってワンサイズ小さいよね、タンクトップみたいな。ちょっとやってみたいですよね。そうだね(身体の)外側と……ずっと思ってるけど、(他に魔法が使えたら)英語が喋れるようになりたいな〜。この 2つは永遠かな〜。劇団:この2つに関しては魔法を使わなくても、努力次第でどうにでもなりますけどね。ジム行って、英会話教室に行けば。中居:ズボラなんだよな〜(笑)。劇団さんはどうですか?劇団:ボクは腰痛を治したいです(笑)。もう腰痛(が治る)だけで十分!中居:あの、魔法ってね……無限なのよ。こんな夢のある質問なのに、腰痛って……。劇団:病院行っても整体行っても治らないんだから。あとは魔法しかないですよ、ボクの腰痛を治せるのは。ポワワワ〜ン……「痛くない」って(笑)。6年前のCM出演で中居と共演した“白戸家のお父さん”がサプライズで登場――中居さんはお父さんと6年ぶりの再会ですが、いまのお気持ちをお聞かせください。劇団:中居さん、お父さんですよ! 6年ぶりの再会ですって。中居:こんにちは! お久しぶりです。劇団:この度はお世話になります、お父さん。やっぱり中居さんのことは覚えてるかな〜?中居:覚えてないな、これは(笑)。劇団:お父さん、中居さんですよ。中居:お父さん、お久しぶりです〜。懐かしいな〜。劇団さんは初めて? うれしくない? 「テレビに出てる人だ!」って思わない?劇団:思います! でも、お父さん……けっこう自由な感じなんですね(笑)。撮影現場で会う“お仲間”ってちゃんとしてるじゃないですか。厳粛なお父さんが多いっていうか。中居:芸能の生活に慣れてるから、待つときは待つし行くときは行くけど……お父さんはあまり空気を読まないね。お父さんだもの。お父さんってそんなもんですよ(笑)。
2023年09月12日タレントの中居正広、お笑い芸人の劇団ひとりが出演する、ソフトバンクの新CM「チチンペイペイ 劇団来日」編が7日より放送される。また、スペシャル WEB動画「中居さんからの電話」編が6日に公開。○■中居正広、約4年ぶりCMは“脇役”新CMは、ソフトバンクCMの主役に抜擢された劇団がプライベートジェットで来日するストーリー。豪華なキャビンで「チチンペイペイソフトバンク!」と、魔法の言葉を唱えながら独特のダンスステップを披露する。そんなCMを控室のテレビで眺めていた中居は、軽やかなステップを踏みながら「この役、オレじゃない?」とポツリ。主役の座を狙うかのような不穏な表情をのぞかせる。約4年ぶりのCM出演でありながら“脇役”の中居だが、今後どのような展開を見せていくのかに注目だ。また、スペシャルWEB動画「中居さんからの電話」編は、「チチンペイペイ 劇団来日」編のその後を描いたストーリー。中居と劇団がリモートで会話する様子が描かれる。○■呼び方を「中居さん」と「劇団」に変更CMでは初共演ながら、数々のテレビ番組で共演しているほか、プライベートでも付き合いがあるという中居と劇団。撮影前日も一緒に仕事をしていたという中居が「あ、 劇団。それ、昨日と同じ服(笑)?」と声をかけ、劇団が「違いますよ(笑)!」と掛け合いを見せるなど、現場は朝から和気あいあいとした雰囲気。また、当初、台本上の呼び名は「中居クン」と「ひとり」 だったが、ふたりが日常的に呼び合っている「中居さん」と「劇団」に変更して撮影が行われることになった。○■劇団ひとり、中居正広のNGを主張控室のシーンでは、CMで主演した劇団に中居が電話をかけるWEB動画の撮影も実施。仲の良いふたりだけに会話のテンポも雰囲気も完璧……と思われたところで、劇団が「中居さん、いま2行(セリフを)飛ばしてましたよ」と指摘。中居は苦笑いしながら「え〜……じゃあOKじゃない?」とごまかしたが、劇団は「ダメですよ。飛んでます(笑)!」とNGを主張するなど、カメラが回っていない時間もユニークな掛け合いを披露し、現場の雰囲気を盛り上げていた。○■中居正広、劇団ひとり インタビュー――ソフトバンクの新CMに主役として出演し、撮影を終えた感想をお聞かせください。劇団:ダンスとか不慣れな部分もあったんですけど、いろいろ監督さんとディスカッションして、いい作品ができたんじゃないかと思ってます。劇団へのインタビュー開始直後、共演した中居が“サプライズ”で乱入しようとするが、飛び込むタイミングがうまくつかめないでいると……劇団:なんかチラチラしてるな! サプライズだったらもっとバーッときてくれないと!中居:いや指示がなかったから(笑)。劇団:長年やってんだから分かるでしょ! 全然うまくいってないじゃないかサプライズ!中居:どうしましょうか? この泥仕合(笑)。劇団:普通にこの後二人で座って話してるところから使われますよ! むしろそうして欲しいし。――今回は劇団ひとりさんが主役ということですが、中居さんはどんな役で出演されたのでしょうか。中居:ボクは主役をやってる劇団さんに憧れを持って「いいな〜」って。「ボクもこういうのができたらいいな」っていう眼差しで見ています。劇団:久々のCMでいきなり主役は厳しいんじゃないかと。まずちっちゃな役から(笑)。中居:“階段”を登っていかなきゃいけないのね? ボクは“脱落”したんですか(笑)!?劇団:いきなり主役は重荷だと思って……まずは肩慣らしで、小さな役からやっていただくことに。スタッフと話し合ってそうなりました。中居:うそつけ(笑)。――中居さんと劇団さんはCMでは初共演ですね。中居:日頃は番組で一緒だったりするので〜……どうなんでしょう? “鮮度”というか(笑)。劇団:なに? 「新鮮味がない」みたいなこと?中居:こんな2人がそろって……っていう(鮮度)感はあるんでしょうか?劇団:やめてくださいよ。クライアントさんが気づいちゃったらどうするんですか(笑)!中居:もうそのときは“チョイ役”のボクが遠慮しますので(笑)。劇団:いやいや、(CM出演が)“久々の中居さん”がそもそも鮮度あるんだから(笑)。中居:ということは……「ちょっと2人の鮮度がないな」ってときは……?劇団:ボクが消えることになります……って、やめて! まだ放映されてないんだから(笑)。――改めて共演したお互いの印象を教えてください。中居:(付き合い)長いですからね。ここ何年か同じ趣味(の付き合い)もあったりしたけど……。劇団:お互い趣味が合うので、いろいろ(一緒に)過ごしてます。優しいんですよ。(コロナ禍の)ステイホームで家から出られなかったとき、山盛りの手土産を持ってきてくれて。玄関の前にスッと置いてく様をウチの奥さんがずっとドアから覗いてたんです。中居:恥ずかしい(笑)。こういうのにお礼がないんですよ。でも「何かしてあげようかな」って思ったとき重荷になっちゃう人もいるんですね。「こんなのもらって気が引けちゃうな」とか……って思わない人だからあげたって感じ(笑)。劇団:ハハハ……。いや、思いますよ「ありがたい」って(笑)。中居:それが(劇団の)いいところでもあるんですよ。「恐れ多い」って思う人にはあげないようにしていますが、それを全く思わないので(笑)。劇団:いや、ありがたいです。「恐れ多い」とはぜんぜん思わないけど(笑)。中居:なかなかいないですよ。ボクの年下で「モノだけうれしい」っていう人(笑)。―――CMで「スゴイ男」と紹介される劇団さんですが、お互いの“スゴイところ”を教えてください。中居:(劇団ひとりさんは)さっき話した物怖じしないところはスゴイと思いますし……ボクもそうですけど、劇団さんもいい年齢なんですよ。それなのに何かね、まだ「オレ若手」みたいな雰囲気を堂々と出してますね。劇団:出してます〜? そんなことないとは思うんですよ。でも若手っぽくいたほうが、スタンス的にはやりやすいですからね……って、そんなネタバラシしなくていいんですよ(笑)。中居さんのスゴイところは、ゴルフ行ったとき「オレぜんぜん練習してない」って言って、スゴイナイスショットするんです。でもよくよく聞くと、その前の日に練習してたんですよ。そういう正々堂々とうそをつくところがスゴイと思います(笑)。中居:ゴルフって「練習してない」って言ったほうが、いろんなことが楽なんです。ナイスショットしたら「練習してないのに?」って褒められる。空振りしても「練習してないもんな」で済むじゃないですか。だから猛烈な練習をしても「練習してない」って言った方が楽しく過ごせる気がします。劇団:セコイんですよね、本当に。けっこうリアルにうそついてたんで。「全然練習してないわ」って。で、「昨日、練習場ではな……」みたいな。「行ってたんだ? 練習」って(笑)。中居:うそが続かなかった(笑)。――そんな2人が共演するCMですが、今後はどんな展開になってほしいと思いますか?中居:劇団さんとは共通の趣味があったりして、(今回の共演でさらに)“ソフトバンクという共通点”が増えたなって。でもその趣味は「一緒にやろう」と言ってもタイミングが合わなかったりするので、今後“ソフトバンク”のCM撮影があってもスケジュールが合わないこと もあるんじゃないかなって。(劇団さんは)断ることがあるんですよね、仕事がお忙しくて。だから(CMも)お断りして出なくなってしまうことを懸念しますね……。劇団:いやいや、ないっす。ゴルフの誘いじゃないんだから。「CMの撮影ごめんなさい。ちょっと行けないんです」って断らないでしょ(笑)。中居: (断る理由は)だいたい子守りなんですよね。「今日は子守りの日なんで」って言うんで、今回“ソフトバンク”という共通点が生まれたと思ったけど、子守りのある日は……。劇団:いやいやCMの撮影だったら子どもを連れてでも来ますよ。断るわけないでしょ。天秤のかけかた、おかしいでしょ(笑)。中居:そこだけちょっと懸念しますよね。いなくなっちゃうんじゃないのかな……って。劇団:当然、出ますよ。まだ序盤ですけど、もっと大所帯で激しいダンスみたいなのを今後やって……。実はこの(CM出演の)ために、去年ぐらいからダンササイズをやってました。運命的ですよ、去年の夏ぐらいにふと「ダイエットしたいな」ってダンササイズを始めて「ここに繋がったんだ」という運命を感じましたね。
2023年09月06日アイドルグループ『SMAP』の元メンバーである、タレントの中居正広さんが設立した芸能事務所『のんびりなかい』のTwitterアカウントに投稿された1枚の写真に、38万件もの『いいね』が寄せられ、反響を呼んでいます。中居正広と香取慎吾、『SMAP』解散後の2ショット2023年4月30日放送のバラエティ番組『まつもtoなかい』(フジテレビ系)に、中居さんとともに『SMAP』で活躍していた、現在はタレントの香取慎吾さんの出演が発表されたのは、同月23日のことでした。放送に先駆け、同月29日、『のんびりなかい』のTwitterには、中居さんと香取さんのツーショットが公開されました。あらら〜〜こんなことになっちゃった~ pic.twitter.com/gzfAohsWTc — のんびりなかい ついったー (@nonbiri_info) April 29, 2023 『SMAP』解散後、中居さんと香取さんが共演するのは、すべてのメディアを通じて実に6年ぶり。今もなお復活を望む声が多い人気グループ『SMAP』のメンバーである2人の再会に、ファンからは歓喜の声が寄せられています。・待たせすぎだぞ!涙がとまらなくなっちゃった~。・どんなに時が経っても、色あせることがない、強い絆の素敵な2人。・最高の写真。またこの2人が並んでいるところを見られるなんて。2016年12月31日をもって、28年の活動を終えた『SMAP』。解散後、俳優で歌手の木村拓哉さんはジャニーズ事務所に残り、香取さん、タレントの稲垣吾郎さん、同じくタレントの草彅剛さんが3人のファンクラブ『新しい地図』を、中居さんは芸能事務所を設立するなど、各々が新しい道を進んでいます。メンバー全員が今も第一線で活躍するも、『SMAP』として再び集まる姿を見たいというのは、ファンの共通の思いでしょう。久々の中居さんと香取さんの再会に寄せられた反響の大きさが、何よりの証拠といえます。2人がトークを繰り広げる『まつもtoなかい』は、2023年4月30日夜9時から放送開始予定。放送の内容もまた、大きな反響を呼びそうです。[文・構成/grape編集部]
2023年04月30日2021年に亡くなった尼僧で小説家の瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんは、2023年2月6日にInstagramを更新。瀬尾さんは、寂聴さんの関係者を語った詐欺への注意を呼び掛けました。投稿によると、寂聴さんの関係者や後継者を名乗り、投資話を持ち掛けたり、瀬尾さんの名前を使い、金銭の授受を要求したりする詐欺行為の相談が寄せられているといいます。 この投稿をInstagramで見る 瀬尾まなほ(@manaho_seo)がシェアした投稿 多くの人の悩みに寄り添い、その発言にも影響力があった、寂聴さん。著名人の名前を聞くことで相手を信頼し、詐欺の被害に遭ってしまうケースは少なくありません。瀬尾さんは「実際の関係者、また、私瀬尾まなほが、金銭の授受に関係するお話を持ちかけたり、メールや電話をすることは絶対にありません」とつづっています。著名人の肩書きを悪用する詐欺は後を絶ちません。もし、少しでも違和感を抱くような連絡があったら、まずは警察に相談をしたほうがいいでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年02月06日「休んでいた感じはしないですね。“治してる”って感じ」昨年11月から体調不良のため休養していた中居正広(50)が、1月20日、『金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に出演。実に84日ぶりに同番組のスタジオに登場し、休養について冒頭のように語った。「1月14日に『キャスターな会』(テレビ朝日系)に出演したのを皮切りに、テレビ・ラジオのレギュラー番組4本すべてに復帰しました。『ザ!世界仰天ニュース』は、17日に急きょ笑福亭鶴瓶さん(71)と中居さんのトークを収録。少しでも早く中居さんの元気な姿を放送したいという思いで、急いで編集しその日の夜の放送に間に合わせたといいます」(制作関係者)『金スマ』では、「ほかの番組や演者からはお見舞い品やメッセージが来たのに『金スマ』からは何も来なかった」とぼやくなど、中居節がさく裂。《元気になって本当によかった》などと、SNS上ではファンの安堵の声があがっていた。しかし、その“元気な笑顔”は苦心惨憺の末、収録されたものだったという。「ふだん『金スマ』は休憩を入れずに収録するのですが、20日放送分は中居さんの体調を気遣い、小分けにして収録しました」(TBS関係者)それでも中居の体には負担が大きかったようで……。「収録現場で、徐々に中居さんの声がかすれてきたのです。疲れで声が出にくくなることは珍しくないですが、これまでにないレベルのように思いました。中居さんは『どうして今日は細かく撮るの』『僕なら大丈夫だよ』と言っていましたが……。中居さんの席に置いたクッションも『老人ホームじゃないんだから!』と冗談めかして返されてしまいました」(前出・TBS関係者)また、復帰番組となった『キャスターな会』の舞台裏でも異変が――。「復帰早々の収録で、体力的にはかなり厳しかったのでしょう。カメラが回っている間は元気でしたが、収録が終わるとどっと疲れたような表情を浮かべていました。口数も少ないように思いました。そもそも、中居さんが『キャスターな会』に復帰するとスタッフに知らされたのは収録の2日前。体調を見ながら、ギリギリまで調整していたそうです。復帰自体は喜ばしいことなのですが、決して無理はしてほしくありません。心配は尽きないというのが本音です」(テレビ朝日関係者)前出の制作関係者は言う。「忙しい中居さんですから、1日に2本まとめて番組を収録するというのが主流でした。しかし今後は中居さんの体調が最優先。1本ずつ撮るということになりそうです」テレビでは映せなくても、スタッフには隠しきれない不調。「心配は杞憂だった」と笑える日が早く来ることを願うばかりだ。
2023年01月24日「優しくされるほうが僕、ストレスになると思う」1月21日、中居正広(50)は自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『中居正広ON&ON AIR』(ニッポン放送)に出演。昨年11月から体調不良で休養していたことについて言及し、具体的な病名を明かさなかったことについて、冒頭のように話した。1月14日放送の『中居正広のキャスターな会』(テレビ朝日系)で本格的にメディア復帰した中居。休養に入る直前、テレビ番組で「(病状について)僕は言いたくない。ユーモアを交えて話せるようになったら話したい」と語っていたが、その理由について、ラジオでは次のように話した。「気を遣うじゃん。“大丈夫?”って言われるのも嫌だし、妙に優しくされるのも嫌なんですよね」人に病状を知らせることで、気遣われることが嫌だと話し、こう続けた。「僕の性格上、話してしまった相手、状況を考えると、じっとしてた方が(いい)。自分のエゴで話したくないなって」中居の友人が誰かから“中居の(体調について)話、聞いてる?”と尋ねられた場合、嘘をつかせることになったら悪いとの考えから、休養中は友人にも会っていなかったという。中居は昨年5月にも、同じラジオ番組で夜も眠れないほどの腹痛に襲われた際でも、「こんなに具合が悪いときでも1人っていいなって思いました」と話していた。体調が悪いときこそ、頼れる人が身近にいると安心できそうなものだが……。「その日の放送では、『(大抵の人は)こういうときに結婚したいなとか思うんだろうね』と言いつつ、中居さんは『大丈夫?』『水持ってこようか?』などと気遣われるのが嫌だと話していました。『オレは今まで1人で乗り切ってきたから、構わないで!って』とも言っていて、長年の独身生活で“1人のほうが楽”という感覚が染みついているのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)誰にも心配をかけないように振舞う中居。時には誰かに頼ってほしいが……。
2023年01月23日2022年11月から、体調不良のため芸能活動を休止していた、タレントの中居正広さん。2023年1月14日から仕事に復帰することが発表され、多くのファンが安堵しています。中居正広、1月14日から復帰!「楽しみにしていました!」タレントの大竹しのぶさんも、中居さんの復帰に胸をなでおろした1人。中居さんが司会を務めるバラエティ番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で共演をしている大竹さんは、収録中のやり取りを明かしました。今日は嬉しい日でした。金スマに、中居君が帰ってきたんです。この日をずーっと待っていました。中居君から頂いたベゴニアにお水をあげながら、「ガーンバレ、ガーンバレ」と話しかけてきました。冬の日差しの中でもずーっと元気でいてくれました。スタジオに入る彼を、みんなで拍手で迎えました。私は何だか走り回りたくなった。良かったあ、本当に良かったあ。中居君は相変わらずで、面白ジョークにして休養中の事を話してみんなを笑わせていました。shinobu717_officialーより引用※写真は複数枚あります。左右にスライドしてご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 大竹しのぶ(@shinobu717_official)がシェアした投稿 大竹さんをはじめとする周囲は、中居さんの明るさと元気に、笑顔になったといいます。きっと中居さんも、番組で顔を合わせていた大竹さんたちと会い、喜んだことでしょう。大竹さんと中居さんのやり取りに対し、多くのファンが心情を寄せています。・本当に中居さんが復帰してよかったです!嬉しい報告をありがとうございます!・大竹さんたちとファンの「元気になってほしい」という願いが、中居さんに届いたんですよね!・とても温かい気持ちになりました!長年、同番組で司会を担ってきた中居さん。復帰を果たし、再び視聴者や共演者を笑顔にしてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月17日「(体調は)10月から比べればいいでしょ。10月やばかったじゃないですか?」1月14日、中居正広(50)が『キャスターな会』(テレビ朝日系)に出演。明るい調子でこう話し、芸能活動への復帰を宣言した。昨年11月に1カ月間の休養を発表した中居。12月には期間を延長し、’22年いっぱいの休養を表明していた。同番組に姿を現したのは11月5日以来、約2カ月ぶり。SNSには《元気そうで安心した》《復帰!嬉しい!》などとファンの歓喜の声があふれたが、テレビ局関係者は言う。「外見は休養前と変わらず元気そうに見えましたが、食事をあまり取れていないと聞いています。メークや照明などで、不調を感じさせないようにしていたのかもしれません」具体的な病状について公式発表はされていないが、『週刊新潮』は昨年9月に盲腸がんの手術を受けたと報じ、さらに『女性セブン』は11月に再手術を受けたと報じている。「レギュラー番組への復帰は春ごろになるだろうと聞いていましたし、復帰しても当面は長時間の収録に耐えられるような体力ではないとみられていました。そのため、各番組のスタッフはVTRや音声での出演など、中居さんに負担の少ない方法を提案してきました。収録に復帰するとしても10~15分程度が限界なのではと考えられていたのです」(前出・テレビ局関係者)しかし、テレビ復帰となった14日の『キャスターな会』では通常どおり、約1時間半の番組全編にわたりスタジオでMCを務めた。「中居さんの強い希望だったのでしょう。長年芸能界の第一線で活躍してきて、これほど仕事を長く休んだことはなかったので、“仕事をしていないと不安だ”と感じていたといいます。ただ、周囲のスタッフは復帰に慎重な姿勢をとっていました。『キャスターな会』の出演もギリギリまで調整していたそうです」(前出・テレビ局関係者)反対を押し切るかたちでテレビ復帰を果たした中居。同じ14日にレギュラーラジオ番組へも復帰したが、それに先がけ、7日には同じニッポン放送のKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔(35)のラジオ番組にサプライズ出演している。「放送されると“電撃復帰”と話題になりましたが、収録されたのは年末だったようです。中居さん自ら出演を決めたといいます」(ラジオ局関係者)事前に中居の出演は一部のスタッフにのみ知らされたというが、それすら収録当日のことだったという。「ほとんどのスタッフにとっては寝耳に水でした。特に藤ヶ谷さんには察知されないように気をつけていたそう。中居さんの休養中、レギュラーラジオ番組の代役を務めていた藤ヶ谷さんに、直接会ってお礼したいという気持ちがあったのでしょう」(前出・ラジオ局関係者)番組では、「ギャラとか払えますか。高めなんですよ」とおどけるなど、軽快なトークを繰り広げた中居。久しぶりの肉声に安堵したファンも多かったようだが、ラジオを電撃復帰の場に選んだのには理由がありそうだ。「MCを務める予定だったテレビ番組が12月に放送され、休養中だった中居さんはVTRでコメントを寄せました。その際、“激やせした”と話題になっていましたが、それを気にしていたのかもしれません。テレビとは違ってラジオは姿を見せる必要がありませんからね」(前出・ラジオ局関係者)実際、このときの中居はかなりやせていたという。「中居さんは大きめのコートを着てスタジオに現れたのですが、収録中もそれを脱がなかったのです。やせてしまった体形を隠したかったのだろうと感じました。それでも顔や首はコートで隠せておらず、やせているのがわかりました。特に首はかなり細く、顎のラインもシャープになりすぎていて驚きました」(前出・ラジオ局関係者)中居が本調子に戻るまでにはもう少し時間がかかりそうだと音楽関係者は言う。「経過観察の必要もありますし、再入院する可能性もあると聞いています。休養前は病院から直接収録に向かっていたこともあったようですから、今後もそういうことはあるかもしれません。中居さん自身も“家より病院のほうが体が休まる”と言っていたようです。一人暮らしということもあり、体調管理のためには病院のほうが安心できる部分があるのでしょう」今後は健康第一の芸能活動となりそうだ。「夏までは新規の仕事は受けない意向だと聞いています。休養が長引いてしまったことに申し訳なさを感じているといい、“これまでのレギュラー番組を全力でやっていきたい”と言っているといいます。ただ、周囲のスタッフはあくまで中居さんの体調を最優先に考えています。レギュラー番組であっても決して無理せず、休んで療養する時間も持ってほしいと話しているそうです」(前出・音楽関係者)再入院も見すえての強行復帰は、休養で迷惑をかけた番組キャストやスタッフたちのため。屈指のテレビスターは覚悟を決める――。
2023年01月17日2022年11月から、体調不良のため芸能活動を休止している、タレントの中居正広さん。2023年1月13日、ニッポン放送の檜原麻希(ひわら・まき)社長は定例会見で、中居さんが同月14日放送のラジオ番組『中居正広ON&ON AIR』(ニッポン放送)で復帰することを明かしました。檜原社長は、中居さんの様子について「元気そうで安心した」とコメントしています。檜原社長は「私も心配していたんですけれども、14日に復帰となりましたので、ご安心してほしいなと思います」と報告。中居とは今週、収録の際に直接対面したといい、「本当にお元気で安心しました。体調が完全になるまで留守番していますよというメッセージはお伝えしていたんですけれども、本人のヤル気が100%に近い形で戻っているので、楽しみにしていただければ」と呼び掛けた。サンケイスポーツーより引用中居さんが休養を発表した当初、期間は1か月の予定でした。しかしその後、年内いっぱいまで延長すると発表。年が明け、実に2か月を過ぎた段階での復帰に、多くのファンが安堵や喜びの反応を上げています。・ついに復帰するんですね!待っていました!・どうか無理だけはなさらずに、仕事を続けてほしいと思います!・中居さんの声をまた聞けること、とても楽しみです!明るい性格で、多くのファンを笑顔にしてきた中居さん。復帰初日から、元気を届けてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月13日2023年1月6日、国が発行する機関紙である、官報の本紙第891号が発行。同紙にある褒賞の項目では、国から紺綬褒章や褒状などを授与された人の名前が一覧として掲載されています。公益のため、多額の私財を寄付した人に授与される『紺綬褒章飾版』の欄に記載された、ある人物の名前が注目を集めました。中居正広の『紺綬褒章飾版』授与に称賛の声本紙第891号の紺綬褒章飾版の欄に掲載されていたのは、タレントである中居正広さんの名前。官報によると中居さんは、紺綬褒章飾版を2022年12月24日に受章したといいます。紺綬褒章飾版は、公益のため多額の寄付をした人に授与される『紺綬褒章』をすでに授与された人が、再び同種の褒章に値する行動をとった際に与えられるものです。中居さんは2021年に、プロジェクト『新しい地図』として設立された、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)対策などを目的とした基金を通して募金。同じく元アイドルグループ『SMAP』のメンバーであり、タレントの香取慎吾さんとともに、紺綬褒章を授与されました。中居正広の行動に「こういう人を尊敬する」官報の公開後、ネットでは受章者名の一覧から中居さんの名前が発見され、またたく間に話題に。中居さんは過去にも、東京都品川区にある昭和大学病院で働く、コロナウイルス関連の医療従事者に対し、高価な弁当200食の提供を行ったことも明らかになりました。受章や弁当の提供などに言及せず、自らアピールをしない謙虚な姿勢にも、多くの人が感銘を受けた様子。ファン以外からも称賛する声が上がっています。・本当に、どれだけ尊敬すればいいのだろうか。頭が下がる思いです。・いつも人の心にさりげなく寄り添うけど、それは表に出さないんだよね。本当にかっこいい。・中居くんらしいなあ。ファンであることが、なんだか誇らしいです。続く体調不良を受け、2022年11月から芸能活動を休止している、中居さん。たくさんの人が中居さんに称賛の声を送ると同時に、回復を祈っているようです。[文・構成/grape編集部]
2023年01月07日静養に専念するため、昨年いっぱい活動休止を宣言していた中居正広(50)。年が明けて1週間が経とうとするが、いまだ今後の活動についてのアナウンスはなされていない。さかのぼること昨年11月4日に、1カ月間の休養を発表した中居。しかし、コンディションが整わず、そこから1カ月が経った12月2日に《新しい年が始まるころには活動を再開できるよう、年内は静養いたします》と休養の延長を発表した。翌3日放送の『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)では、Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔(35)が前月に引き続きMC代打を務めた。中居の繰り返す休養発表に心配の声が広がるなか、エンディングで中居の“サプライズ肉声”が流れ、こう説明していた。「ちょっとずつですけど、良くなってるんです。良くなってるんですけど、体力、筋力的なところが日常生活を取り戻すにはまだ至ってないのかなということで、年内の活動を休養に充てたいと思っています」しかし同月9日に、『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2022』(フジテレビ系)にVTR出演する中居の画像が公開されると、かなり痩せた印象の姿に再び心配の声が上がったのだった。これまで公式サイトを通じて体調を報告してきた中居だが、発表される文書も少しずつ“変化”が見られていた。「中居さんが初めに急性虫垂炎による入院を発表したのは、昨年7月16日です。当初は退院時の報告なども、“マー坊”のイラストが添えられるなど文章もポップな印象でした。ところが、11月4日に発表した文書は事務的な文体になり、“マー坊”のイラストもなくなりました。12月2日の発表ではユーモアを交えた報告でしたが、フォントが固い印象の明朝体に変わっていました。そんな中居さんは大みそかに、ファンクラブ会員向けのサイトにメッセージを寄せていました。そのため、そろそろ公式サイトにも何らかのアナウンスがあるかと思われます。復帰か、もしくは再びの休養延期か……その行方に気を揉むファンも少なくないでしょう」(芸能関係者)年が明けても現況報告がない中居に、SNS上では心配の声が広がっている。《待つしかない》《年内休養が終わってもまだ出てこないってことは》《中居くん年内休養で年明けに復帰って言ってたと思うけど、どうしたんだろう…心配だな》《中居さん、ゆっくりでいいのでまたあの笑顔を見せて下さい》
2023年01月06日故・瀬戸内寂聴さんを、秘書として公私ともに支え続けてきた長尾玲子さん。寂聴さんのいとこの母とともに、中学時代から寂聴作品の資料集めなどをしてきた。自殺を心配されるほど悩んだ出家前、50代で発症したくも膜下出血、「青空説法」誕生秘話、お茶目さと対極にある孤独の影……。初めて語る、寂聴さんの知られざる素顔。「’73年の夏ごろ、はあちゃんは、何かに追い詰められていました。編集者や友人らとにぎやかに談笑していたかと思えば、突然、中座して自室に籠もったり。実は当時、近くのマンションで飛び降り自殺があったんです。中学生だった私は、勉強部屋の窓が、はあちゃんの仕事部屋のちょうど真下の位置にあったので、彼女が落ちてくるのが目に入ったらどうしようと、そんな不安を感じながら、日々を送っていました」語るのは、’21年11月9日、99歳で亡くなった小説家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの元秘書だった長尾玲子さん(66)。長尾さんが寂聴さんを、親しみを込めて、本名「晴美」にちなんだ愛称である“はあちゃん”と呼ぶのは、彼女が寂聴さんの親戚でもあるからだ。母親の恭子さん(89)が、寂聴さんの11歳年下のいとこという間柄となる。今年11月に長尾さんが出版した『「出家」寂聴になった日』(百年舎)では、冒頭部分にこうある。〈私は、一九七〇年から二〇一〇年の年初まで、濃淡はあるが四十年間、晴美そして寂聴の文学創作に関わっていた。後半の十五年間は、秘書として〉もともと長尾さん自身が文学少女。4歳で初めて対面し、小学5年のころから谷崎潤一郎の名を口にするこのいとこの娘に、寂聴さんは「おませさんね」と言いながら目をかけた。やがて互いが同じマンションに暮らし始め、親密な交流が始まる。「私がこの本の原稿を母に読ませたとき、はあちゃんは徳島で言う、おへちゃの丸顔の笑みが持ち味だったのに、出家当時はいつも髪の毛が逆立っているように見えたと言うんです」すでに人気作家だった瀬戸内晴美が、突然の出家で瀬戸内寂聴となり、文壇と世間を驚かせたのは’73年11月、51歳のとき。長尾さん母子が自殺を案じていたのと同じ年の出来事だった。「瀬戸内の出家は、一般には、不倫相手たちとの関係を断つためなどとされています。しかし、そんな単純なものではありません。私はずっとそばにいて、本人にも何度か尋ねもしましたが、そのたびに違う答えが返ってきて気になっていました。私なりの真実にたどり着いたのは、つい最近のことです」この秋に一周忌を迎え、長尾さんの本など多くの出版物や、最後の不倫相手だった作家・井上光晴の長女である井上荒野原作の映画『あちらにいる鬼』の公開もあり、寂聴さんの生涯が注目されている。そんななか、出会ってから60年超、血縁にして秘書の長尾さんだからこそ知り得た「人間・瀬戸内寂聴」の素顔と秘話について語ってもらった。■“伝説のはあちゃん”は親戚の集まりでいつも話題にのぼっていた長尾さんが、やはり文学好きの両親のもとに徳島県で生まれたのは’56年のこと。寂聴さんとは34歳の年の差となるが、物心ついたとき、すでに気になる存在だった。「親戚が集まると、いつも話題になっていました。“あの晴美は”、と。まだ子供でしたから、自分が生まれる前の駆け落ち騒動の意味などわかりません。繰り返し大人たちが口にする名前の記憶が鮮烈で、私にとっては長い間、“伝説のはあちゃん”だったんです」はあちゃんこと寂聴さんが20歳で女学校の教師と結婚したものの、夫の教え子だった涼太と不倫して4歳の娘を置いて家を出たのが、’48年。この騒動直後、突然、彼女が親戚の恭子さんの家を訪ねたときのことも、長尾さんの著書に記されている。〈恭子の母が、「生きとって、よかった」と涙ぐんだ。「どこにおるんや」と恭子の父。「京都。女子大の友達んとこに居候しとるん」いつもの早口ではなく、下を向いてぼそっと言う。「日のあるうちに、よう徳島の町を歩けたなあ」〉親戚中の話題の人物だったというが、けっして明るい噂話ばかりではなかったことがうかがえる。その後、上京した長尾さん一家は、前述のとおり、’70年暮れから寂聴さんと同じ東京都文京区のビンテージマンション「本郷ハウス」で暮らすようになる。「もともとは父が事業に失敗し、私が4歳のときに徳島から逃げるように上京したわが家でした。このときは、はあちゃんとは挨拶だけでしたが、その後、父は出版関係の仕事で安定した生活を得て、本郷ハウスの7階に引っ越します。すると同じ日に、はあちゃんも11階で荷ほどきの最中だったんです。で、私に『あら、手伝いに来てくれたの』って(笑)。本当に偶然に同じ日に同じ場所への転居で、私も母もびっくりでした」もっと驚いたのは、伝説のはあちゃんの暮らしぶりだった。「こんな生活って世の中にあるんだ、と。デザイナーが選んだ北欧家具で統一された部屋にジャズが流れて。はあちゃんの普段着のオシャレも独特で、ジーパンに上はヴィトンにシャネルだったり。その後、中学2年で評伝小説の資料探しの手伝いを始めました」すでに『夏の終り』で女流文学賞を受け、続いて『かの子撩乱』など話題作をものにし、多くの連載も抱えていた時期だった。「はあちゃんの指示を受けて、私は神保町の老舗古書店さんを行ったり来たりでした。そのうち店主と顔なじみになって、『その資料なら、○○書店にあるはずだから、連絡しといてやるよ』ということも。学校の文芸部の活動より、よっぽどおもしろかったです」のちに自身もライター業などをする長尾さんには、寂聴さんから学ぶことも多かった。「これだけ膨大な資料を集め、集中して目を通していても、作品になるときにはほとんど捨てていくんだと。そのストイックさに、プロの作家の流儀を知らされました」■出家後、マスコミの目を逃れて長尾家に来た寂聴さんを見て、涙した母当時の新恋人で、寂聴さんの人生を大きく変えることになる作家・井上光晴との出会いは’66年、寂聴さんが44歳のとき。高松への講演旅行までさかのぼる。その後、最初の不倫相手である涼太も絡んでの三角関係となり、さらには、井上の妻も寂聴さんとの関係を知ることに。その複雑な人間関係から逃れるように精力的に書き続ける傍ら、草創期のワイドショーのご意見番までやるようになっていた。「とにかく小学生のような好奇心の持ち主で、新しいものは全部知りたい、やってみたいという人。人気アイドルのコンサートも、とにかく行ってみる(笑)。でも、文壇から、テレビに出ること自体が作家の価値を下げているとの批判もありました。書くジャンルも広範すぎると、4つも年下だった井上さんから、お説教もされていたそうです」文壇デビュー後に冠されていた「子宮作家」のレッテルを剝がせず、憤りを長尾さんにぶつけることもあった。「文芸評論家が、あたしのことを『女の業を書き続けてきた』なんて言うのは腹が立つ。あたしは女の業なんか書きません。人間を書いているのよ、人間を。でも、そう言われるということは、まだ書けてないんだなあ」そう言って、身を削るようにして執筆し、マスコミに登場し続ける寂聴さんを、長尾さん母子は陰で支え続けた。執筆や取材の経費などが、長尾家の持ち出しのこともあった。「中学2年の資料調べのころから、報酬はなくて『好きなだけシュークリームを買っていいから』とはたまに言われました(笑)。取材後など、出版社の方たちと食事になったりする。でも瀬戸内は払わないで、さっさと行っちゃうんです。カードを持たない母は『現金30万円持っていても足りなかったわよ』と言っていました」親戚でもある作家の創作活動を支えているという自負があったのだろうか。「それは違います。私たち母子も好奇心旺盛でしたから、瀬戸内と一緒にいることが、ただただ楽しかった。また、瀬戸内もケチというのとは違うんです。そういう面には頭がまわらない性分なんだと、付き合いの長い母も知っていましたから」やがて’73年の秋が訪れ、“はあちゃん”は、師僧の今東光(法名・春聴)大僧正に導かれて岩手県の中尊寺において天台宗で得度する。「出離者は寂なるか、梵音を聴く」という仏教の言葉から、法名は寂聴となった。その名には、森羅万象の音に寄り添い、出家者は寂かな心で聴く、との意味があるという。この出家は長尾さん母子にとって突然のものだった。血縁者として、ずっと思い詰めた様子だった寂聴さんの自殺まで心配していた2人は、出家の報にふれて、大きなショックを受けたそうだ。「特に母の恭子は、事前に知らされなかったことで落ち込んで、ぎっくり腰で寝込んだほどでした」恭子さんは、幼いころから身近にいた寂聴さんの出家を聞き、こう洩らしたそうだ。「あんなオシャレや美容に気をつかう人が、法衣しか着られない生活を選ぶなんて」出家から1週間後、剃髪姿となった寂聴さんが、長尾家をこっそり訪ねてきた。「あたしのとこはマスコミがいるかもしれないから、あんたんとこにおらせてもらいたいんだけど。やっぱり、頼れるのは親戚ね」その言葉を聞いて恭子さんの目には涙が溢れたという。【後編】元秘書・長尾玲子さんが初告白寂聴さん、たった一度の弱音「私、傲慢だったわね」に続く
2022年12月30日【前編】寂聴さん元秘書が語る出家前の“はあちゃん”の素顔と孤独より続く故・瀬戸内寂聴さんを、秘書として公私ともに支え続けてきた長尾玲子さん。寂聴さんのいとこの母とともに、中学時代から寂聴作品の資料集めなどをしてきた。自殺を心配されるほど悩んだ出家前、50代で発症したくも膜下出血、「青空説法」誕生秘話、お茶目さと対極にある孤独の影……。初めて語る、寂聴さんの知られざる素顔。京都市・嵯峨野に寂庵ができて、寂聴さんは東京と京都を行ったり来たりの生活へ。そして出家からおよそ1年が過ぎた’75年の年明け早々、寂庵から1本の電話が入る。「はあちゃんがくも膜下出血で入院したとの報を受けて、急ぎ、母と私が京都に駆けつけました」病院のベッドの上で、寂聴さんはまひした左手をさすりながら、怪しいろれつのまましゃべり始めた。「あたし、書けなくなるかもしれない」しかし、幸い発作は一度で済み、少しずつ日常を取り戻していった。「周囲には気づかれませんでしたが、ラ行の発音は年末まで戻りませんでしたね。売れっ子だっただけに、当時、病気は公表されませんでした」その2年後、大学3年生になっていた長尾さんに、当の寂聴さんから電話があった。「書庫の整理に、寂庵に来てちょうだい」こうして長尾さんは大学の休みなどを利用して寂庵に泊まり込みで通うようになり、卒業後に正式に秘書となった。「昼間は執筆作業を手伝い、疲れ切って夜中に寝てたら、いきなり起こされて『寝ちゃった?』とくる。だって自分が『あたしは徹夜で書くから先に寝てなさい』って言うから寝てたのに(笑)」それから、2人だけの深夜の宴会となった。話題は世間話に噂話。「お酒はなんでも余っているものでよくて、アテは寂庵の裏の3坪の畑からねぎなどを摘んできて、瀬戸内自ら料理もして。切り昆布と梅干し、かつお節をくしゃくしゃと混ぜただけの簡単なものでも、これが意外においしいんです」このころ、長尾さん自身の私生活でも変化があった。25歳で結婚し、翌年には長男も生まれた。「出産や子育てで忙しい間は、母が私の代わりに手伝いに行ったりもしていました」大病をしたあと、再び以前と同じように精力的に仕事をこなしていた寂聴さんだったが、長尾さんは、明らかな変化を感じ取っていた。「瀬戸内にとって、あのくも膜下出血という、書くことを奪われるかもしれないほどの体験をしたことは、自分の人生を深く振り返るきっかけになったと思うんです。全作品を読み返した私ですが、瀬戸内は、病気をする前、作品中に自然描写のほとんどない作家でした。それが、あの大病を境に、ものの見方も、文章も明らかに変わりました。早くも療養中のエッセイから水彩画のような自然の色や描写が出てくるんです」。■出会いから60年超ーーもっとも近くにいた“相棒”が心に刻み続けた奔放作家“心の声”「これは誰にも話したことがなかったんですが、先日、瀬戸内の出家について考えていて、思い出した会話があったんです」くも膜下出血での退院後、2人で寂庵を散歩していたときのことだという。寂聴さんが庭の緑を見ながら、ぽつりとつぶやいた。「私、傲慢だったわね」「どうして?」珍しく弱気な言葉を発する寂聴さんに、血縁の気安さもあって率直に尋ねた長尾さんだった。すると、こんな答えが返ってきた。「去年は咲いていた名も知らない花をすっかり忘れちゃっても、また1年たって同じ花が咲いている。それを当たり前だと思っていた私は、すごく傲慢だった」そもそも出家後、寂聴さんは、来し方を顧みるような言葉を幾度も発するようになっていた。「傲慢だったというのは男女関係のこともあったのでは。不倫関係に悩む女優さんなどにも、世間的にまっとうな回答をして、がっかりされることもたびたびでした。『あたしは、自立しているので不倫相手の家族には迷惑をかけてないと思っていたけど、違うのよ。存在そのものが迷惑なんだと気づいた』と」傲慢という言葉を思い出して、寂聴さんの心のうちに思いを馳せた長尾さん。そこで見えてきたのは、やはり寂聴さんの、書くことについての強い決意だった。病気の前の出家も、作家としての行く末を考えてのことではないかと、長尾さんは言う。作家として、書くことに馴れてしまった自分を許せなかった。「『ウケるように、売れるように書くテクニックはいくらでもあるが、それは使いたくない』と言っていました。そんな書き方も傲慢ということだと思うんです。当時はそこに、ハードワークや更年期もあり、さらに当時、4歳で徳島に置いてきた娘さんが結婚したのですが、何もできなかった。そうして作家としての新たな地平を開くことが、自分のすべてだと思うようになったのでしょう」出家や大病を経験し、まさしく生まれ変わった寂聴さんに、さらなる変化が起きていく。お経を唱えながら、お金や食べ物を受けて回る托鉢を体験したあとには、こんなことを語った。「『あたしは、あっち側の人間になっていたのでは』と言うんです。徳島の少女時代には、瀬戸内の実家の仏壇店は商店街にありましたから、巡礼の人たちに対して、店先に施しの接待袋を置いていました。でも、大店ほど接待をしないものだったと。成功した作家として過ごすうちに、駆け出しのころに食うや食わずの生活をしていた自分を忘れ、いつかあっち側、贅沢をしている大店側に安住してしまったのではないかと」やがて、作家業とともに、社会に対して奉仕する無償の活動が増えていく。寂庵や、岩手県の天台寺住職に就任したのを機に同寺で始まる、本誌連載でもおなじみだった「青空説法」を始めた。軽妙ながら奥深い語り口で、人生指南の達人としても多くのファンが生まれた。’91年、湾岸戦争後には医薬品などを持って、バグダッドに飛んだ。「生業の書くことはきちんと報酬を得る、講演は主催者の提示した報酬をいただく。しかし、僧侶としての活動と、自発的に行う社会活動は無償だと、自分の中で決めているようでした」青空説法などにも秘書として付き添い、マスコミ対応なども一人でしていた長尾さん。「日本中を飛び回って、1年間に説法と講演を108回も行った年がありました。瀬戸内が言うんです。自分のために出家したけど、出家してわかったのは、そうじゃないんだと。世のために働かなきゃいけないんだと。『こんなことなら、出家するんじゃなかった』とこぼしながらも、本当に身を削るように一生懸命にやっていましたね」■忘れられることを恐れた寂聴さんのことを、これからも書いていく寂聴さんと強い信頼関係を築きながら、長尾さんが’10年に秘書を辞めたのにはこんな理由があった。「直接のきっかけは、私が体調を崩したからです。瀬戸内の仕事をして3回、倒れていますが、特に最後は毛細血管が破裂して目と鼻と耳から血が噴き出したほど。このころは19kg痩せました。辞めたあとは私もシングルマザーになったりして、なかなか直接は会えませんでした」今も思い出すのは、長尾さんだけに見せていた、人間らしい姿だ。「瀬戸内は、いつも自分が世の中から忘れられることをいちばん恐れていました。『5年もしたら作家は忘れられる』が口癖だったほど。作家としてもですが、やはり一人の人間として、みんなに忘れられたくなかったのでは」晩年には、こんな言葉も漏らしていたという。「あたしの作品で残るのは、西行について書いた『白道』などの評伝と『源氏物語』、あとは『夏の終り』くらいだろうね」長尾さんは秘書を辞めたあと、昨年まで日本文藝家協会で著作権管理部長を務めた。「著作権の仕事で瀬戸内に連絡すると、以前の調子で『来ない?』って言われるんですが、私も忙しくて。やがてコロナ禍となり、久しぶりに電話で話したときには、『だあれも来ないの』なんて言いますから、やっぱり寂しいんだと思いましたね」昨年11月9日に訃報を聞き、その4日後に、身内だけの家族葬が執り行われ、長尾さん母子も最後のお別れができたという。「娘さんやお孫さん、母と私など30人弱の集まりでした。その直後からですね、母がはあちゃんのことを語りだしたのは。今、母がよく言っているのは、深夜早朝の長電話の相手がいなくなって寂しいということです」長尾さん自身、寂聴さんに教わったことを大切にしながら、書くことは続けていきたいと語る。「『夏の終り』『源氏物語』はもちろん、『いずこより』など私も大好きな瀬戸内の小説のこと、まだまだ語っていない2人のエピソードも、みなさんに知ってほしい。それが、はあちゃんを忘れないことにつながればうれしいですね」
2022年12月30日現在、休養中の中居正広(50)。“中居ヅラ”こと中居のファンたちは彼の体調を日々心配しているが、さらに頭を悩ますことが起こってしまった。今年7月、急性虫垂炎によって入院して以来、出演番組の欠席と仕事復帰を繰り返してきた中居。12月2日、年内の活動終了と静養に専念することを発表した。12月11日放送の『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞』(フジテレビ系)にはVTR出演していたが、そこにはかなり痩せた中居の姿があり、ネット上は騒然としていた。そんななか「東スポweb」は12月15日、『中居正広の復帰願うファンの結束 グッズ「転売ゼロ」の奇跡』という記事を公開。記事によると中居のファンクラブサイト「中居のヅラ あの子たちに…、」は12月に入ってから、会員に向けて中居のキャラがあしらわれたスマホスタンドを配布しているが、同月14日時点では、フリマアプリで一つも転売が確認されなかったという。また記事で、中居ヅラのひとりは“転売ゼロ”について「これは中居ヅラが中居くんを困らせないよう、結束している証しなんです」とも話している。この記事に対して、中居ヅラは誇らしさを感じていたようだ。Twitterでは《中居ヅラは中居くんに教育されてるからね 中居くんが嫌がることはしないよ》《グッズを転売するような人は、真の中居ヅラではないです。中居ヅラにそんな人はいない》《中居くんとこは優秀なファンと優秀な事務所で成り立ってるんだもん》との声が上がっていた。ところが、その後事態は一転。中居ヅラの思いを裏切るように、フリマアプリに出品されてしまったのだ。15日18時30分時点で、「メルカリ」を覗くと、中居のファンクラブのスマホスタンドが3点販売されていた形跡を確認。「中居のヅラ あの子たちに…、」の入会金は1000円で月額100円(年間1200円)だが、「メルカリ」で販売されているスマホスタンドの価格帯はおおむね4000円。すべて売却されており、なかには25分で売れたものもあるようだ。商品の説明文に「家に複数あるため」といった文言が並んでいるものもある。しかし、中居ヅラは複雑な心境の様子で、Twitterでは転売に対して怒りの声がこう上がっている。《中居くんの転売してる人いるんだ。残念な人もいるもんだね残念》《転売したヅラ!いやいや信じられないって》《もうホント止めていただきたい 中居くんの気持ちを踏み躙る行為》《さすが中居ヅラって思ったのに残念》
2022年12月15日12月11日、約1カ月ぶりにテレビ出演したのは中居正広(50)。MCを務める予定だった『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2022』(フジテレビ系)にVTRで出演したのだ。SNS上では、《中居くん、ものすごく痩せた》《中居くん大丈夫か?…》と視聴者から心配の声が。10月にはレギュラー番組『キャスターな会』(テレビ朝日系)を2週連続で欠席していた中居。10月15日に復帰したが、そのわずか20日後、11月4日には再び芸能活動を休止。1カ月の休養に入ったが、12月2日には“年内いっぱいは静養する”と、休養の“再延長”が発表された。「『珍プレー好プレー大賞』のVTRは1カ月の休養に入る直前に撮影されたものだったそうです」(制作関係者)その病名について公式発表はないが、『週刊新潮』は9月に盲腸がんの手術を受けていたと報道。さらに『女性セブン』も、11月に再び手術を受けたと報じている。記事によると、手術は数十分で終わる予定だったが、不測の事態が起き数時間にも及んだという。現在の中居の様子を、芸能関係者は次のように話す。「まだ体力や筋力が戻り切っていないようですが、手術を経て体調を整えているところだと聞いています。すでに退院しているそうです」前出の制作関係者も言う。「肝臓の調子が悪かったとは聞きましたが、具体的な病状は伏せられたまま。詳しいことは上層部のごくわずかな人しか知りません」休養中ながら、中居の存在感はまったく薄れてはいない。「2日に放送された『金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)には、代役として二宮和也さん(39)が出演。電話出演した中居さんとトークを繰り広げました。二宮さんを代役に指名したのは中居さん自身。二宮さんの主演映画『ラーゲリより愛を込めて』が話題になるようにと中居さんが番組スタッフに相談した結果、生電話をつなぐということになったのです」(前出・制作関係者)『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系)とレギュラーラジオ番組『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)の代役を務めるのはKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔(35)。これも中居直々の指名だったという。「12月3日、中居さんは藤ヶ谷さんが代役として出演中のラジオに肉声を寄せました。年内いっぱいの休養を発表した翌日の放送でしたから、ファンを安心させたい気持ちがあったのでしょう。“藤ヶ谷の代役ラジオは評判が悪い”と冗談めかしたエールも送っていました。プライベートでも親しいナインティナインの岡村隆史さん(52)は、NHKのサッカーW杯の特番に出演した際、中居さんから“見たよ”と連絡があったと明かしていました」(前出・芸能関係者)■テレビ局で不安視される中居の“気配り”何よりファンを歓喜させたのは、中居からのプレゼントだった。「“休養を年内いっぱいに延長する”と発表されたのとほとんど同じタイミングで、中居くんからスマホスタンドが届いたのです」(ファンの女性)今年4月に中居が立ち上げた有料サイトの会員向けに、“入会特典”として贈られたものだという。「長引く休養を心配していただけに、プレゼントはとてもうれしかったです」(前出・ファンの女性)これも中居が自ら発案したものだったと前出の制作関係者は言う。「“実用性のあるものを贈りたい”との考えでスマホスタンドにしたといいます。スタッフとの打ち合わせを重ね、かなりこだわって発注したと聞いています」年末年始に向けて、芸能界は特番の収録などで忙しさを増す。中居は“お歳暮”を計画中だという。「年末になり各番組が年内最後の収録日を迎えると、中居さんは豪華な弁当や寿司の差し入れをしてくれるので、スタッフはそれを楽しみに待つのが恒例です。今年はその差し入れだけでなく、プラスアルファで何かできないかと中居さんは考えているそうです。収録に参加できていない申し訳なさもあり、例年以上に共演者やスタッフを労う気持ちが強いのでしょう」(前出・芸能関係者)しかし中居のこうした気配りを不安視するテレビ局関係者も。「休養中も“心配させまい”と各方面に気を遣っていますが、きちんと休めているのか心配です。本音を言えば、今は仕事のことは忘れてゆっくりしてほしいです」一部では“復帰不能”とも報じられているが、前出の制作関係者は今後の見通しを次のように語る。「そんなわけありません。ただ、これからも長く仕事を続けていただきたいから、番組サイドは中居さんの体調を非常に気遣っています。復帰しても“絶対に無理はさせない”というのが最優先なので、しばらくは音声出演やリモート出演が中心になるかと思います。様子を見ながらの復帰をこちらから提案しなければ、“これ以上は迷惑をかけられない”と中居さんが自ら無理して働くようなことになりかねませんからね。本格的な復帰は来年の春ごろになるのではないでしょうか。中居さんも芸能活動の再開に意欲的で、“必ず戻る!”と覚悟を決めているようです」復帰が来春になるなら休養は“再々延長”となる。信頼する後輩たちに留守を託し、今年は気を緩めて年末年始を過ごしてほしいものだが――。
2022年12月12日年内の活動を終了し、休養に専念している中居正広(50)が司会を務める『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)。12月9日の放送では、これまでの収録での未公開映像が公開されたが、その内容がファンに衝撃を与えている。公開されたのは、’21年9月3日に放送されたKis-My-Ft2のデビュー10周年を記念する放送回でお蔵入りした内容。‘16年のSMAP解散以降、公のステージでダンスを披露していなかったという中居。しかし、じつは’18年にたった1度だけダンスを披露していたのだ。それは、自身がプロデュースしたKis-My-Ft2の派生ユニット・舞祭組の初コンサートでのこと。今回放送された内容は、そこで中居がみせた”ある行動”について、スマイのメンバーが中居を問いただすというものだった。流されたVTRは中居が舞祭組のメンバーとともにキレッキレのダンスを披露する様子。パフォーマンスを終えた中居は、ステージを去る間際、ポーズを決めている千賀健永(31)の腕をポンとハイタッチしたのだ。収録で、このハイタッチについて「リハーサルにはなかった」「準備していたの?」などとキスマイメンバーからいじられると、中居は当時の思いについて以下のように述べた。「多分ですけど、僕の中では最後の踊りだったんです。ステージ上とか公の場では踊るのはもうないだろうなと思って。まあまあ、それも僕らしいなって。最後のステージが舞祭組っていうのはなんか自分らしいなって」実際に、このステージから収録までの3~4年「全く踊ってない」とも明かした中居。キスマイからのいじりに対しては「生涯の最後のダンスを舞祭組のステージでやろうと思って、なんで最後のハイタッチそんないじるんだよ。ハイタッチやりたくなるだろ!最後のダンスなんだから!」と反論。最終的にハイタッチの意味については「なーにかっこつけてんだよ」という意味だとちゃかしていた。キスマイといえば、ジャニーズの中でも特に中居と縁の深いグループだ。「中居さんはキスマイのことをとてもかわいがっていて、彼らが『金スマ』に出演した際には『僕が見たことのない景色を見せてほしい』と伝えています。実際に今回の休養で、自身の冠ラジオ『中居正広ON&ON AIR』(ニッポン放送)の代打パーソナリティーを任せたのもキスマイの藤ヶ谷大輔さん(35)でした」(週刊誌記者)キスマイファンからは中居の舞祭組を思う気持ちに対し、感激の声が上がる一方、自身の出演を「生涯最後のダンス」と評したことを残念がる声も。《中居くんが生涯最後のダンスのつもりで舞祭組と踊ってくれたことそれが自分らしいと言ってくれたこと宝物すぎて泣いてる》《光栄すぎて涙出る中居くんにはありがとうしかないんだよほんとに》《中居さんの生涯最後のダンスをあの場であの機会で与えられて舞祭組は果報者だし幸せ者だな。でも、最後って言葉がちょっと辛いし切ない》《中居さんのダンスする生涯最後のステージが舞祭組…:大泣き:でもでもまた機会があったらぜひぜひだよぉ:祈る:》《中居くんそんなこと言わないで中居くんは踊ってないとダメ!!》現在は休養中の中居。元気いっぱいに復帰して、踊る姿も見せてくれることを祈るばかりだ。
2022年12月10日年内の活動を終了し、静養に専念すると発表している中居正広(50)。12月9日に公開された姿に心配の声が広がっている。11月4日、中居は体調不良を理由の約1カ月の活動休止を発表し、その翌日の『中居正広のキャスターな会』(テレビ朝日系)に出演して以降、カメラの前に姿を現していなかった。「11月12日放送のラジオ番組『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)で、Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さん(35)が代打を務めた際に、中居さんは肉声コメントを提供。また12月2日には公式サイトで活動休止の延長をアナウンスしつつも、同日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に電話で出演しています。ファンは姿こそ見られないものの、こうして肉声を寄せる中居さんの姿勢から回復に向かっていると思っていました」(芸能関係者)そんななか、12月9日に「スポニチアネックス」が、12月11日放送の『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞』(フジテレビ系)にVTR出演する中居の画像を公開。黒いキャップに黒縁メガネを身に着けて笑顔で写る中居。しかし、かなり痩せた様子で、頬や首筋は少しこけた印象を与えた。撮影自体は活動休止が発表された11月4日より前に行われたというが、中居の痩せた姿にSNS上では心配の声があがったーー。《中居さん痩せすぎじゃね…かなり心配になるよな》《中居くんめちゃくちゃ痩せてる…大丈夫なのかな》《えっ、中居くん前より痩せたんじゃない。心配だよー。声は元気だったけど…年内療養で大丈夫なのであろうかって思ってしまう。》
2022年12月09日急性虫垂炎で入院するなど、2022年7月頃から体調を崩していた、タレントの中居正広さん。同年11月4日には、体調不良により1か月の間、活動を休止することを所属事務所を通じて発表していました。その後もコンディションが整わないとして、同年12月2日、中居さんは「新しい年が始まる頃には活動を再開できるよう、年内は静養いたします」と発表しています。今後の活動について。まず、誠に勝手ながら、こちらからの一方的なご報告となりますことをお詫び申し上げます。先日、およそ 1 カ月の休養と発表してから今日に至りますが、体力、筋力の回復を図るコンディションまで整いませんでした。そのため、各番組のスタッフや関係者とも連携を取り、2022 年内の活動は終了し、静養に専念させていただくことになりましたので、ここにご報告申し上げます。また、体調に関しての細かい詳細は慎みたいと思っております。のんびりなかいーより引用体調について詳細の記載はないものの、中居さんは、自身の気力についてはユーモアを交えつつ、コメントしました。気力に関しては、以前より数倍上がっています!天気の良い日は太陽も浴びています。お買い物のため、少しずつですが、外出もしております。夜更かしだってしております!一歩ずつ、日によっては一足ずつ半足ずつですが、進んでおります。一歩…。少し止まることもあります。本来ならここで一曲と、いきたいところですが、喉の調子が 30 年以上改善がみられないため、遠慮させていただきます。のんびりなかいーより引用中居さんの復活を心待ちにしている人は多く、今回の発表に心配する声が続出。「年内休養はビックリした」という感想のほか、「無理せず、療養してください!」「来年、元気な姿を見たいです」など温かな応援のメッセージも、SNSには多数上がりました。中居さんの体調が快方に向かうことを、大勢の人たちが心より祈っています。[文・構成/grape編集部]
2022年12月02日11月初めに、体調不良のために1カ月休養することを発表した中居正広(50)。症状や病名については、「だましだましでいきたいので。うやむやにしたい」と5日放送の『中居正広のキャスターな会』(テレビ朝日系)で本人が話しており、ファンは心配を募らせている。そんななか、古巣ジャニーズの後輩Kis-My-Ft2(以下、キスマイ)が、テレビを通じて、中居へさりげない“エール”を送っているのではないかと、双方のファンが胸を熱くしている。「キスマイが18日放送の『ザ少年倶楽部プレミアム』(NHK BSプレミアム)に出演した際、キスマイメンバー全員が“白いマイク”を持って、SMAPの『らいおんハート』を歌ってくれたんです。“白マイク”は、中居くんとキスマイの絆の証なんです」(キスマイファン)キスマイは10日に『ベストヒット歌謡祭』(日本テレビ系)で生歌唱した際にも白マイクを使っていたというが、実はこの白マイクは中居がキスマイに贈ったもののようだ。「昨年、デビュー10周年を迎えたキスマイにお祝いの品として、中居さんが白いマイクを贈っています。メンバー7人分と、故障した際に使えるスペア1本の計8本で、それぞれにメンバーの苗字が刻印されているそうです。白いマイクは珍しいですが、SMAPも歌番組やライブで使っていたことがあり、中居さんにとって愛着のあるアイテムだと思います」(音楽関係者)キスマイといえば、ジャニーズの後輩たちのなかでも中居との縁が深いグループだ。「中居さんは自身の番組にキスマイのメンバーをよく招き、派生ユニットである舞祭組のプロデュースも手掛けました。中居さんがジャニーズを退所して独立した際には、キスマイ7人から高級腕時計をプレゼントしています。また、中居さんが今回休養するにあたり、自身の冠ラジオ番組の代役を任せたのがキスマイの藤ヶ谷太輔さん(35)でした」(スポーツ紙記者)白マイクで歌唱する姿を見たファンたちはTwitterで次のような反応を見せている。《少プレで中居くんプレゼントの白マイクで、らいおんハートってキスマイから中居くんへのエールなのかなぁ》《キスマイのらいおんハート聞いたら、キスマイから中居くんへのメッセージの様に聞こえて泣けたよ。白マイクだしね。 キスマイ、ありがとうね。》休養中の中居もテレビの前で、後輩からの思いに励まされているはずだ。
2022年11月22日