今回、お店をご紹介してくださるのは……【鎌倉 北じま】北嶋 靖憲氏1989年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本料理を学ぶためにと京料理の名店【和久傳】の門を叩き、【室町和久傳】【高台寺和久傳】【京都和久傳】の3店舗で16年間研鑽を積み、更に同店の系列店【丹】では料理長を務めた。その後独立し、自身の出身地である鎌倉で【鎌倉 北じま】を開業。フランスのレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ2022」ではテロワール賞を受賞している。北嶋 靖憲氏がオススメするお店富山【御料理ふじ居】オススメの理由「いま、チーム富山として「フッコウメシ」を立ち上げられ、震災した方々に希望をあたえていらっしゃいます」御料理ふじ居【エリア】富山市その他【ジャンル】日本料理・懐石・会席【ランチ平均予算】15000円【ディナー平均予算】25000円【アクセス】富山駅北嶋 靖憲氏がオススメするお店石川・輪島【L’AtelierdeNOTO】(※臨時休業中)オススメの理由「今回の震災でご自身のお店も被災されていらっしゃいますが、炊き出し等のボランティアを優先したり、状況が見えない方々に積極的に情報発信をして下さっています。」北嶋 靖憲氏がオススメするお店富山・南砺【レヴォ(L’evo)】オススメの理由「チーム富山として「フッコウメシ」を立ち上げ、被災した方々に希望をあたえていらっしゃいます」レヴォ(L’evo)【エリア】砺波/五箇山【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】25000円【ディナー平均予算】25000円ご紹介してくださった【鎌倉 北じま】北嶋さんの店舗情報鎌倉 北じま【エリア】鎌倉/逗子【ジャンル】日本料理・懐石・会席【ランチ平均予算】20,000円 ~ 29,999円【ディナー平均予算】20,000円 ~ 29,999円※推薦されたお店の営業状況は店舗様にお問い合わせください
2024年03月16日先頃、日本代表(A代表)のロールモデルコーチとして参加することが発表された、中村憲剛さん。世代別代表のロールモデルコーチも務め、U-17ワールドカップを目指すチームにも帯同していました。プロになる前は、世代別代表とは無縁の"非エリート"だった中村憲剛さんは、エリート選手たちに、どんな言葉をかけていたのでしょうか?さらには「伸びる選手と伸びない選手の違い」についても、お話しいただきました。(取材・文鈴木智之)ここだけのノウハウが詰まったDVD【KENGO Academy】>>■日常を、基準を高めていこうU-16、U-17日本代表に、ロールモデルコーチとして帯同した中村憲剛さん。エリートたちを前に、こんな話をしたと言います。「この環境にいることは、みなさんの努力の賜物なので素晴らしいことです。だけど、いまここにいることが、将来を保証するものではないことも確かです。過去のデータを見ると、このチームからA代表に上り詰められるのは、1人か2人ぐらいしかいないよ」さらにこう続けます。 「そして10年後。16歳、17歳の時点で日本のトップにいるキミたちではない、見向きもされないような選手が、日の丸をつけたケースがあります。それが僕です。僕はキミたちの年齢の頃、世代別代表のような良い場所にはいられませんでした。でも、みんなが途中で断念したところを越えて、違うルートで駆け上がっていきました」中村憲剛さんは「みんなはいま、この場所にいられているのだから、そこにいることを自分から放棄するのはもったいない。右肩上がりで成長していけば、他の選手が追いつけないところに行ける」と言葉に力を込めます。「努力を怠ると、ウサギとカメのように、追い抜かれてしまうんです。それが嫌なら、自分の日常を、基準を高めていこう。日本代表という素晴らしい環境で、最高の時間を過ごしているにもかかわらず、自分のチームに帰ったらそれを忘れて、のんべんだらりと過ごしていると、二度と戻ってこられなくなる。そんなもったいないことはないよ」■伸びる選手と伸びない選手の違いこのような話を聞いた選手たちは、「目の色を変えて取り組むようになる」と言います。そのうえで、中村憲剛さんは「伸びる選手と伸びない選手」の違いを、次のように表現します。「伸びる選手は、素直で聞く耳を持っています。人のせいにせず、自分の足りないところを分析した上で、ちゃんと努力し続けられる人。それが伸びる選手だと思いますし、その反対が、伸び悩む選手なのかなと思っています」中村憲剛さんは現役引退後、指導者の道を進み、S級ライセンス取得の過程で、母校・中央大学で指導を行っています。また、現役時代から若手選手の相談に乗り、アドバイスをしてきました。「現役のときは、後輩たちにも伝えていましたけど、話を聞く子、聞こうとする子、アドバイスをもらいに来る子は、継続して努力ができるんです。一方で、こちらの言ったことに対して『ちょっとそれは』とか『俺はこう思ってるんで』など、意見を聞き入れない人は、成長するチャンスを逃しているのかなと思います」■成長するために大切なことプロとして18年間、第一線で活躍してきた、中村憲剛さん。サッカー選手として成長し続けるために、必要なキーワードを3つあげます。それが「素直さ」と「傾聴力」。そして、努力し続ける「継続力」です。「監督も人間なので、目を見て話を聞く人と、明後日の方向を見ながら聞く人の、どちらに伝えたくなるか。僕はいま指導者なので、指導者目線で見ると『話が頭に入っていないな』『真剣に聞く準備ができていないな』と感じることもあります」さらに、選手から指導者に立場が変わり、見えるものが変わってきたと話します。「育成年代の子たちは、本人はちゃんと聞いているつもりでも、それが態度に現れない子もいます。だから指導者である自分自身も、しっかり人を観ないといけないなと思います」■育成年代を指導する上での気づき育成年代の指導に力を注ぐ中で、2023年には東京・調布でKENGO Academyのジュニアクラスを新設。既存の中学生(神奈川県・川崎市)に加え、S級取得の過程では大学生を指導しており、各カテゴリーで「何を、どのように教えるか。その違いに直面している」と言います。「大学生になったときに、新たなサッカーの考え方を入れるのは、なかなか難しいので、ある程度、小学生の段階でサッカー観を提示したほうがいいのかなと思っていました。でも、そうすると効率が良すぎてしまって、子どもたちがそれしか判断しなくなるのではないか。その結果、彼らが本来持っている、クリエイティブさに欠けてしまうのではないかというのが、いま感じている課題です」中村憲剛さん自身、小中高大、プロと、様々な環境、指導者のもとでサッカーをすることで「30代後半から40歳ぐらいのときに、自分のサッカー観ができあがりました」と話します。「それは、たくさんの経験をした結果だと思うので、削ぎ落としたものを小学生や中学生にポーンと渡すのはどうなのかなって。正解のプレーを提示して、それをさせるのは、道を歩いていて、小石をどかす作業をしているようなものですよね」さらに、こう続けます。「小石につまづくことで、次はつまづかないようにしよう、どうすればいいんだろうと考えますよね。そこに対して大人が関わり、正しい方向に持って行きすぎると、エラーが起きなくなるんです。そうするとトライアンドエラーではなくなってしまうので、すごく難しいですし、指導者としてはジレンマだなって思います」■KENGO Academy DVDでサッカーを学ぼう中村憲剛さんは現場での指導に加え、KENGO Academy DVDを通じて、サッカーの考え方のベースを提示しています。現役生活を振り返り「たくさんの指導者のもとでプレーしてきた中で、それぞれの良いところを抽出して、自分のものにしていく作業を繰り返してきた」と話し、「相手をどう攻略するのか。その基礎の基礎となる部分の話をしている」と自信を持つDVD。サッカーに対する考え方を知ることで、サッカー理解が深まることでしょう。ぜひサッカーIQを高めるために、DVDを観て学び、レベルアップに役立ててみてはいかがでしょうか?前回の記事「相手を観て、プレーすることの大切さ」はこちら>>
2024年02月01日2024(令和6)年2月東京・歌舞伎座、3月名古屋平成中村座で上演される「十八世中村勘三郎十三回忌追善興行」の合同取材会が11月28日、都内で行われ、中村勘九郎、中村七之助が出席した。時代物から世話物、新歌舞伎に新作歌舞伎、舞踊に至るまで、幅広い分野で当り役を持ち、人々を魅了し続けた十八世中村勘三郎。その十三回忌追善では、勘三郎の長男・勘九郎、次男・七之助をはじめ、由縁の出演者と演目が揃い、名優を偲ぶ。1987(昭和62)年1月歌舞伎座『猿若江戸の初櫓』猿若=十八世中村勘三郎(当時 五代目勘九郎)©松竹1992(平成4)年10月南座『青砥稿花紅彩画 白浪五人男』弁天小僧菊之助=十八世中村勘三郎(当時 五代目勘九郎)©松竹2月歌舞伎座では、寛政元(1624)年に初代猿若(中村)勘三郎が、後の中村座である猿若座の櫓をあげ、江戸で初めて歌舞伎興行を創始したことを記念して始まった「猿若祭」を開催。続く3月名古屋平成中村座では、初代勘三郎生誕の地とされる愛知県名古屋市中村区で、十八代目中村勘三郎襲名披露として、平成18(2006)年以来となる同朋高校体育館での公演が実現する。勘九郎は歳月の流れに思いをはせながら、「祖父が父に『追善興行ができるような役者になっておくれ』と言っていた通り、追善興行ができるのは本当にうれしい」としみじみ挨拶し、「親孝行は何ひとつできていなかったと思うが、これで少しは親孝行ができるのかなと思う」と安どの表情。七之助も「1年を通して、父の追善興行を行えるということは息子として本当にうれしく、身の引き締まる思いです」と背筋を伸ばした。2010(平成22)年4月歌舞伎座『連獅子』狂言師後に親獅子の精=十八世中村勘三郎、狂言師後に仔獅子の精=中村勘九郎(当時 二代目勘太郎)、狂言師後に仔獅子の精=中村七之助©松竹2月歌舞伎座夜の部では、初代勘三郎が、江戸で芝居小屋建立を幕府に認められるまでを描いた中村屋由縁の舞踊劇「猿若江戸の初櫓」を上演。勘九郎の長男・中村勘太郎が初役で猿若を勤め、出雲の阿国で七之助が華を添える。17代目と18代目の伝説的な共演以来、中村屋を語る上で欠かすことができない舞踊の大曲「連獅子」では、親獅子に勘九郎、仔獅子には10歳となる次男の中村長三郎が初めて挑むことになった。猿若を勤めることを知った勘太郎の様子について、勘九郎は「マスク越しに笑みがこぼれるのが見えて、愛おしかった」と目を細め、「連獅子」に初挑戦する長三郎には「火の玉のような子獅子を演じてくれるはず」と期待を寄せた。2010(平成22)年2月歌舞伎座『籠釣瓶花街酔醒』佐野次郎左衛門=十八世中村勘三郎©松竹昼の部では、勘三郎が当り役にした「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の佐野次郎左衛門を、勘九郎が初役で勤め、女方の大役・兵庫屋八ツ橋を七之助が同じく初役で勤める。「いつかやりたいとタイミングを模索していた。兄弟ふたりでできるので、父も喜んでいるはず」(勘九郎)、「八ツ橋は、女方あこがれのお役。初役はありがたい」(七之助)と声を弾ませた。さらに、各地の芝居小屋やホールをめぐる「陽春・春暁・錦秋歌舞伎特別公演2024」、10月には「俊寛」の舞台である鹿児島県三島村・硫黄島で13年ぶりの開催となる「三島村歌舞伎」も決定した。勘九郎は「2011年に2回目の『俊寛』を三島村で演じた時、私が14歳で千鳥をやらせていただいた」と回想。勘太郎(当時は七緒八)が誕生した頃で、「父が『七緒八が14歳になるのはいつだ?俺が70歳になるから、その記念でまたやろう』と決めていた」と秘話を披露。「それが見られなかったのは悔しいんですが、父の遺志を継いで、三島村で俊寛を勤められるのも、本当に楽しみ」と追善興行ラインナップに奔走する2024年に闘志を燃やしていた。取材・文・撮影(会見写真):内田涼<公演情報>十八世中村勘三郎十三回忌追善■「猿若祭二月大歌舞伎」【昼の部】11:00~一、新版歌祭文野崎村二、釣女三、籠釣瓶花街酔醒【夜の部】16:30~一、猿若江戸の初櫓二、義経千本桜すし屋三、連獅子2024年2月2日(金)~2月26日(月)※13日(火)、20日(火)休演※9日(金)昼の部は貸切(幕見席は営業)会場:東京・歌舞伎座■「名古屋平成中村座 同朋高校公演」【昼の部】11:00~一、弁天娘女男白浪二、身替座禅【夜の部】15:30~一、義経千本桜川連法眼館二、二人藤娘2024年3月6日(水)~3月18日(月)※12日(火)休演会場:平成中村座(学校法人 同朋学園 同朋高等学校 体育館)公式サイト:
2023年11月29日歌舞伎座新開場十周年「『秀山祭九月大歌舞伎』二世 中村吉右衛門三回忌追善」が、9月2日から25日まで東京・歌舞伎座で上演される。2021年に逝去した中村吉右衛門の三回忌追善として行われ、数々の当り役を持ち、多くの人々を魅了してきた歌舞伎界屈指の名立役をゆかりの演目、出演者で偲ぶ。夜の部では、歌舞伎三大名作のひとつ、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』より、原作の三段目にあたる『車引』が上演されることになり、中村又五郎、歌昇、種之助が出演する。松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟の争いを描き、歌舞伎の様式美を凝縮した華やかな演目。又五郎の松王丸、歌昇の梅王丸、種之助の桜丸という配役で、豪快な荒事の魅力を披露する。『菅原伝授手習鑑 車引』平成30(2018)年7月大阪松竹座公演より、松王丸=中村又五郎(c)松竹『菅原伝授手習鑑車引』平成26(2014)年4月金丸座より、梅王丸=中村歌昇(c)松竹『菅原伝授手習鑑車引』2023年「秀山祭九月大歌舞伎」オフィシャルビジュアルより、桜丸=中村種之助(c)松竹又五郎、歌昇、種之助の親子3人で『車引』の三兄弟を勤めるのは、今回が初めて。このたび、都内で行われた取材会に顔を揃え、それぞれの意気込みを語るとともに、在りし日の吉右衛門の思い出話も披露した。「古典中の古典ですし、播磨屋の一員として、お兄さんにお稽古で教えていただいた“核の部分”をしっかり噛みしめながら、舞台に挑めたら」。そう語る又五郎は、「大きなお役を、ここにいる3人で勤められるのは、なかなかない機会で親としてはとてもうれしいこと。子どもたちは嫌だと言うかもしれませんが(笑)」と親子共演に喜びを示し、演じる松王丸については「梅王丸、桜丸を痛めつけるのではなく、体から出てくるパワーで抑えつける感じが出せれば」と語った。梅王丸を勤める歌昇は「播磨屋として、おじさまの舞台に対する姿勢を近くで見てきました。教えていただいたことをしっかりと継承し、おじさまに近づけるように精進することで恩返ししたい。親子3人での共演もうれしいですし、梅王丸は金丸座以来、だいぶ時間が経っているので、成長した姿をお見せしなければ」と決意表明。桜丸を勤める種之助は初役となり、「(尾上)菊之助のお兄さんに教えていただきます。教えをしっかりと自分のものにして、歌舞伎座という舞台に見合う桜丸を目指していければと思います」とこちらも闘志を燃やした。吉右衛門との思い出を問われると、又五郎は「スパルタという意味ではなく、『あそこはこう』とお厳しい指導をいただいた。こちらが進歩をすれば、『そうだ、あれでいいんだよ』と褒めてくださった」としみじみ。「お言葉すべてが財産。舞台に対する姿勢の厳しさは常々でしたが、映画を観たり、絵画を鑑賞したり、そういった体験や経験が自分の豊かさにつながるとも教えていただいた」(歌昇)、「とにかく死ぬ気でやれと言われました。生前には『これからの歌舞伎はどうなるんだろうね』とも。時代が変わり、お客様の求めるものも変わるなかで、古典以外に新作や昔の古典の再演など、工夫をこらしているが、それには驚いていると思うし、どんな歌舞伎を望んでいらっしゃったのか分かりませんが、私たちが教わったことを守っていきたい」(種之助)と話していた。<『菅原伝授手習鑑 車引』あらすじ>三つ子の兄弟、松王丸(又五郎)、梅王丸(歌昇)、桜丸(種之助)は、それぞれ藤原時平、菅丞相、斎世親王に奉公しています。主人たちの対立により、今は敵味方となった三人。ある日、梅王丸と桜丸は主人の無念を晴らそうと、敵である時平が乗る牛車の行く手を阻みます。それを止めに入ったのが松王丸。三人が争う内に牛車より時平(中村歌六)が現れ……。取材・文:内田涼<公演情報>歌舞伎座新開場十周年「秀山祭九月大歌舞伎」二世中村吉右衛門三回忌追善【昼の部】11:00~一、祇園祭礼信仰記金閣寺二、土蜘三、二條城の清正【夜の部】16:30~一、菅原伝授手習鑑車引二、連獅子三、一本刀土俵入取手宿安孫子屋よりお蔦の家 軒の山桜まで2023年9月2日(土)~9月25日(月) ※11日(月)、19日(火) 休演会場:東京:歌舞伎座
2023年08月22日●エレファントジョンに訪れた「今年こいつら、いいらしいぞ」飄々とした小気味いいテンポのボケと熱を帯びた正確なツッコミで、東京のライブシーンを沸かせたお笑いコンビ・エレファントジョン。2014年には『日清食品 THE MANZAI 2014 年間最強漫才師決定トーナメント! 栄光の決勝大会』(フジテレビ系)決勝の舞台にも立ったが、惜しまれながらも2017年に解散の道を選んだ。そのエレファントジョンでツッコミを担当していた加藤憲は現在、ピン芸人としてライブイベントのMCやライブ配信アプリ「17LIVE(イチナナ)」での配信を行いながら、プロレスのリングアナウンサーとして輝きを放っている。『THE MANZAI』以降も笑いをとり続けていたエレファントジョンはなぜ解散したのか。そしてリングアナの道へ進んだきっかけは何だったのか。コンビ解散から現在の活動に至るまでの軌跡をたどった。○■芸人になるっていう選択肢もあるのかと取材現場へは一人で現れた。こうした取材では通常、タレントはマネージャーと共に現場入りすることが多いが、加藤は現在フリーランスで活動しているため、基本的には全て一人行動だという。『THE MANZAI』決勝の舞台で華々しく笑いをとる姿をテレビ越しに観ていた身としては、不思議な感じがした。そう伝えると、「いやいや! 当時から、ずっとそういうもんでしたよ」と回想する。「芸能の他のジャンルの方々がどうなのかは分かりませんけど、芸人は相当上のほうに行かないと、現場にマネージャーさんがついてくることはないんじゃないんですかね? 『THE MANZAI』の決勝みたいな大きい仕事の時には、さすがにいてくれましたけど。だから、マネージャーさんがついてくると、『あっ、今日は大きい仕事なんだ』と。いない時は『今日はそうでもないんだな』という判断ができちゃう(笑)」1976年生まれで、現在46歳の加藤。本人も「僕らの世代はどう考えてもそうですね」と語るように、ダウンタウンから多大な影響を受けた世代だ。「小学生の頃は、とんねるずさんがすごく人気でした。でも、とんねるずさんは自分には遠いもの、みたいな感じで。語弊があるかもしれないですけど、ダウンタウンさんが現れた時、すごく身近に見えたといいますか。後になって、めちゃくちゃ高度なことをされていたと分かるんですけど、自分もそんなんできたらいいなって、何となく思っていた気がします」加藤が高校を卒業する年は、ちょうど東京にも吉本興業の養成所「NSC」が開校された年。ダウンダウンに影響を受けたのであれば、そのままNSCへと入学しそうなものだが、加藤は大学卒業後、プロダクション人力舎の養成所「スクールJCA」に7期生として入所し、芸人の門を叩いた。「高校の時、一緒にお笑いの真似事をしていた同級生がいて。そいつから『仙台に吉本の事務所ができるらしいから、一緒に行かないか?』と誘われたんです。二人とも仙台には縁もゆかりもないのに。今考えたら、すごい頭いいなと思うんですけど、『東京とか大阪だったら負けるだろうから、仙台に行ってデカい顔しようぜ』みたいなことを言われて。この時、芸人になるっていう選択肢もあるのかと思いました」「それで両親に相談をしたんです。『実は、友だちから誘われてて、ちょっとやってみたいんだけど』って。そしたら、『バカなことを言うな』と。今も両親には頭が上がらないですけど、『高校を出てすぐに芸人を始めたら、もしもダメだった時に苦労すると思うから、1回大学に行きなよ。大学に4年間行って、それでもその気持ちが変わらないんだったら、やってみればいいんじゃないか』と言われて。それで大学に入って、イベントのMCをするサークルみたいなところで、学園祭やいろんなイベントのMCをやってたんです。そしたら、より芸人をやりたくなってしまって。そのことを両親に伝えたら、『やってみたら?』と背中を押してもらいました」「当時はまだ、東京には吉本と人力舎しか養成所がなかった時代で、さっきの友だちの考えに近いんですけど、吉本に入っても勝てない気がすると思ったんです。でも人力舎は当時まだ先輩方も今くらい売れてなかったですし、『事務所の名前もよく分からないし、ここなら行けんじゃん?』みたいな感じでJCAに入って、そこからですね」そしてこの養成所で、後にエレファントジョンを結成することになる森枝天平氏(元ガッテン森枝) と出会った。○■エレファントジョンの分岐点元チャップメンの加藤と、元アメデオの森枝氏がコンビを組んだエレファントジョンは、当時芸人の登竜門だったネタ番組『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)で注目を集め、出演者のなかでも活躍した芸人が駒を進めることができるチャンピオン大会にも出場。『THE MANZAI』では2012年から3年連続で認定漫才師50組に選ばれ、2014年には決勝進出も果たした。このキャリアを整理しながら、エレファントジョン時代で一番印象に残っていることを聞くと、「2013年が一番強かった気がしますね」と答える加藤。そして「もう10年も前なんですね」と懐かしみ、「僕が勝手に思ってることなんですけど」と、ある持論を述べる。「『M-1』や『キングオブコント』といろんな賞レースがあるじゃないですか。芸人の界隈では、『今年こいつら、いいらしいぞ』『(賞レースで)いきそう』っていうのがあるんですよ。本当にすごい人は、この『いいらしいぞ』で本当にいくんですよ。その古くはバイきんぐさん。バイきんぐさんが世間的にはまだまだ全然知られてないとき、芸人界隈では『今のバイきんぐはめちゃくちゃ仕上がってる』と言われてて、ライブで一緒になると本当に渦を起こすくらい笑いをとる。その勢いのまま、『キングオブコント』で優勝したんですよね」「それが本物だと思うんですけど、実は『今年いいらしいぞ』のなかには、そのプレッシャーに負ける芸人もいて、2013年の僕たちは多分打ち負けたタイプなんです。『K-PRO』っていういろんな事務所から芸人が集まるライブがあるんですけど、2013年のエレファントジョンはもう毎月優勝、優勝できなくても2位か3位に入る、みたいな年で。それで芸人たちから『今年絶対にいく』と言われてました。でも、『THE MANZAI』は準決勝止まりで、全くダメだった」「次の年になったら、もう『いいらしいぞ』って言われなくなるわけですよ。そしたらちょっと肩の荷が下りた気がして、『THE MANZAI』の決勝にも行けたんです。僕たちのメンタルがもっと強かったら、2013年にそのままバンといけてた気がするんですけど、そこでいけなかったですね」この話を聞いて、ゾクリとした。飛石連休・藤井ペイジのYouTubeチャンネル『ペイジちゃんねる』に出演した森枝氏も、「芸人時代のピーク」として2013年を挙げ、さらにバイきんぐの話をしていたからだ。コンビとしての感覚はピッタリとシンクロしていたのだろう。この2013年以降もエレファントジョンは笑いをとり続けた。しかし、2017年に二人は解散することになる。余談だが、このインタビュー直後、別の芸人の取材があり、「さっき加藤憲さんの取材だったんです」と伝えると、その芸人は「マジですか! 加藤さんの後に自分なんかがすみません!」と謙遜しつつ、「エレファントジョンさん、なんで解散しちゃったんですかね」とポツリと漏らした。思わずそうこぼれ出るほど、エレファントジョンは「まだやれる」と周りの芸人たちに思わせた状態で、解散の道を選んだ。●ライブ配信に思わぬ訪問者「今日は謝罪と感謝を伝えに来ました」○■コンビ解散後、ライブ配信に思わぬ訪問者『ペイジちゃんねる』でも語られているが、解散を切り出したのは森枝氏だった。当時、自身の子どもが高校進学を控えるタイミングで、「自分のやりたいことで、子どもの進む道を減らすのはどうなんだろう」と揺れる思いがあったという。そして、現在は芸人を引退し、構成作家や養成所の講師として活動している。一方、解散を告げられた側の加藤は当時の心境をこう振り返る。「やっぱりお子さんのってなると、ちょっと何も言えないというか。元々森枝という人間は結婚して、お子さんが生まれるまで本当にめちゃくちゃなやつだった。僕はそれを面白いと思ってたんですけど、結婚してすごい真面目になって、お子さんもどんどん大きくなって、受験があって……ってなると、止められなかったですね」「それから、子どもの受験があるから芸人は辞めるけど、ここまでお笑いを一生懸命やってきたから、お笑いに関わる仕事をするみたいだ、とフワッと聞いて。僕としては、もっとしっかりネクタイを締めるようなサラリーマンになるもんだと思っていたのに、芸人を辞めて今度は裏方の仕事を始めました、っていうのが腑に落ちなくて」「解散を告げられて、僕がこの後どうしていくかを模索している時に、森枝が後輩のトークライブに普通に出てたんです。まだ解散してから1カ月後ぐらいですよ? 解散ライブの時に彼はお客さんの前で『引退する』と言って、ライブが終わったはずだったのに。『話が違うんじゃないか』と、すごい喧嘩しましたね」解散以降、森枝氏の近況については人づてに少し聞く程度で、どんな活動をしているかはほとんど知らなかったそうだ。しかし、そんななか、加藤が2019年より定期的に行っている「17LIVE」のライブ配信に、思わぬ訪問者があった。「ライブ配信に、森枝の息子さんが来てくれたことがあって。最初はそうだと分からなくて、初めて配信を観てくれた人にいつもするみたいに『はじめまして』というやり取りをしていたら、『実は僕、森枝の息子なんです。今日は加藤さんに謝罪と感謝を伝えに来ました。加藤さんのおかげで僕は高校にも行けましたし、今は大学生になりました。僕の受験のために加藤さんに多大なる迷惑をかけてしまったとずっと思っていたので、今日謝りに来させてもらいました』とコメントで言うんです」「でも僕、ひん曲がってるところがあるんで、『森枝の息子がわざわざこんなことするはずがない。偽物だ!』と思って。リスナーも顔を出して一緒に話せる機能があるので、『本当に森枝の息子なら、顔を見せてみなさい』と言ってみたら、本物の息子で。最後に会った時の面影があるし、なんなら親父にもちょっと似てるんです(笑)。それで、『いやいや! 色々あったけど、全くもって君のせいじゃないし、君の親父とか僕みたいな風にならずに、もっと堅実な道を選んだほうがいいから頑張ってね』と伝えましたね」●リングアナへの挑戦、今も大切にする下準備○■芸人からリングアナへコンビ解散後、いくつかのコンビやトリオを試しながら活動していると、新たな挑戦につながる転機が訪れる。芸人仲間から、レスラーの高木三四郎が代表を務めるプロレス団体「DDTプロレスリング」で実況を探しているから受けてみたらどうかと声をかけられたのだ。元々プロレスファンだった加藤は、オーディションに参加することに。しかし、即席実況が上手くいかず、結果は散々だったという。このままでは終われないと思った加藤は「何でもいいからやらせてくれませんか?」と志願。すると、偶然にも所属のリングアナウンサーが産休に入るタイミングということも重なり、会場スタッフとして下積みを行いながらリングアナの修行を始めた。そして1年間の修行ののち、晴れてリングアナとしてデビュー。現在は実況を担当する機会にも恵まれている。「何でもそうなんですけど、実情も知らずに色々言うのは嫌なんです。『17LIVE』も最初に声をかけてもらった時は怪しいなと思ったんですけど、やりもせずに文句言うよりは、ちゃんとやってみて、じっくり中まで見てみてから文句を言いたいなと思って、始めてみました。リングアナも正式になってから2年経って、少しずつ文句じゃないですけど、自分の意見を言えるようになってきました」芸人からリングアナへ。異業種からの挑戦である。ファンからの反応を本人はどう感じているのだろうか。「僕がリングアナや実況をしていることをよく思わない人も多分いると思います。いると思うんですけど、それは仕方ないことだなって。僕も言う側の人間なんで(笑)。プロレスのイメージがなかったタレントが『プロレス大好きなんです!』と言ってたら、『あれ、今までプロレス好きとか言ってたっけ? おかしくない?』『ここに空きがあるから、急に言い出したのね』ってなりますもん。だから、ファンの方の気持ちもすごく分かるんです。だからこそ、いまだにちゃんと下調べをしてからじゃないと現場に行かないようにしています」加藤がリングアナになって2年が経ったという報告をするSNSの投稿には、ファンや関係者から祝福の声が多数寄せられていた。プロレスという競技、リングアナという仕事、そしてファンへの誠意がちゃんと伝わっているということでは? そう尋ねると、「どうなんですかね? でも、そう思ってもらえていたら嬉しいですけどね」と少し照れくさそうに口元を緩めていた。■プロフィール加藤憲1976年12月27日生まれ。東京都出身。1998年、スクールJCAへ7期生として入学。現鬼ヶ島・アイアム野田とのコンビ・チャップメンとしての活動を経て、2004年にガッテン森枝とのコンビ・エレファントジョンを結成。2010年、「第9回漫才新人大賞」で大賞を受賞。2014年、『日清食品 THE MANZAI 2014 年間最強漫才師決定トーナメント! 栄光の決勝大会』で決勝進出を果たした。2017年、エレファントジョンを解散。2019年、「17LIVE」にてライブ配信をスタート。2021年、プロレスのリングアナデビューを果たし、現在はリングアナ・実況として活躍している。
2023年03月18日2023年3月に全国12カ所で行われる『中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演2023』のオンライン合同取材会を12月14日(水) に実施。毎年恒例となった巡業への思い、そして各演目の解説、見どころを中村勘九郎、中村七之助が語った。2005年からスタートした〈春暁特別公演〉は、時期によって〈錦秋〉〈新緑〉〈陽春〉と銘打ち回を重ねながら、来春で18回目を迎える。これまでに行った公演を含めて、2022年の春には全国47都道府県を制覇するという偉業も成し遂げた。始まった当初は「こんなに長く続くとは思っていなかった」という勘九郎は、「過去の芸談コーナーで〈継続は力なり〉という話をしたこの巡業ですが、私たちはもちろん、中村屋の弟子たちも含め、みんなの力になっていますし、特別公演をきっかけに、歌舞伎座や中村座、他の劇場に足を運んで下さる新たなお客様が増えたことも、続けてきたおかげだと感じています。コロナがまだ不安定な状況ではありますが、来年も全国を巡業ができることは、本当にありがたいことだと思っております」。七之助は「今回も含めてコロナ禍で巡業を行うこと自体が難しかったり、歌舞伎座や東京、大阪といった大都市に行きづらいという地方のお客様も多いなか、私たちがいろいろな場所へ伺い、歌舞伎を見る機会を作ることできるのが、本当に嬉しいです。中村屋一丸となって、一生懸命良い舞台をみなさまにお見せできたら」と、思いを語る。中村勘九郎今回の『中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演2023』は、「トークコーナー」「元禄花見踊」「仲蔵狂乱」「相生獅子」で構成。勘九郎、七之助、鶴松が参加するトークコーナーについて、勘九郎は「全国どこに行っても歌舞伎に縁があったり、史跡があったりするので、地元の方たちとお話できることが和気藹々として楽しいですね。歌舞伎は伝統芸能で、堅苦しくて敷居の高いイメージがあるので、まずはお客様の心の壁を取っ払って演目を見ていただきたいという気持ちがあります。ですので、できるだけ素の部分というか、飾らないことを意識してお話をするように努めています」。七之助は「兄が言った通りで、地元のお客様と出会えることはもちろん、何度か伺った土地には、馴染みの店や必ず行く場所があります。私事ではありますが、私がMCを務めているラジオ番組のInstagramのために、劇場の近くの名所や神社、歌舞伎に縁のある場所に行くようにしてるので、トークの幅は広がったと思います。事前に頂いたお客様の質問を通じていろいろなコミュニケーションが取れるのがいいですね」とコメント。以前のように手を挙げた方と直接話すことは叶わない時期ながら、その土地ならではの話題が飛び出すトークコーナーを楽しみにしている様子だった。中村七之助「元禄花見踊」は春にぴったりの華やかな演目となる。七之助は「トークコーナーを経て〈春暁特別公演〉の歌舞伎、その踊りの一発目なので、何も考えずに綺麗なものを見ていただいて、その歌舞伎の世界観に入っていただこうかなと思うような踊りです。一緒に花見をするような気分でご覧いただければ幸いです」、勘九郎は「元禄期の男と女が華やかに踊るので、まずビジュアルが見どころ。衣装の美しさや当時の頭のかつらのゆい方を、目で楽しんで頂ける演目です」と紹介した。「仲蔵狂乱」の上演は、本興行では昭和35年の歌舞伎座以来。2021年にNHKで放送された「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」で中村仲蔵を演じた勘九郎にとっても縁のある演目と言える。出演する勘九郎は「なかなか本興行で出ない珍しい踊りを披露するのも、この特別公演のいい部分。仲蔵さんが出世をしていくサクセスストーリーは、落語や講談でも有名ですが、彼は志賀山流の養子になった踊りの名手です。いまでも〈仲蔵振り〉は受け継がれている、なかなかいない歌舞伎役者の一人でもあります。〈狂乱雲井袖〉という本外題ですが、中村仲蔵さんが出てくるわけではなく、でも仲蔵さんが有名だから仲蔵狂乱という名前が入ってしまうぐらいの狂言なんですね。とてもしっとりとした、私もあまり手掛けたことのないような踊りだと思います。気が狂っていると偽っている役なので、踊りの中でその部分と正常な部分を踊り分けて見せるのが見どころのひとつなのですが、すごい細かいんです(笑)。この難しい踊りを、現代のお客様にどれだけ楽しんで頂けるかが、踊り手の腕の見せ所。久しぶりの演目、そして仲蔵さんという私たちにとっても縁のある人物が演じた役ということで、楽しんでいただければと思います」と意気込んだ。ラストを飾る「相生獅子」は、七之助と鶴松が二人の美しい姫を演じる。七之助は「石橋物のなかでも古い作品で、前半はお姫様が二人出てきて華やかに女心だったり、口説きを見せる、品良く綺麗な格式高い踊りをご覧いただき、最後は獅子になって出てきます。お姫様の恰好で毛を振るという珍しい形の踊りなので、一つの相生獅子という演目のなかで、いろんなバージョンの二人が見れる作品です」と説明。「鶴松と二人でがっつり踊ることもなかなかないんじゃないかと思います」とのことで、そこも見どころとなりそうだ。公演を楽しみにしている方へのメッセージを求められた勘九郎は「コロナという流行り病が出てから早三年、日頃から何かに気を付けなければいけなかったり、これまでと勝手が違ったりするなかで、鬱々とした気分を持たれている方もいらっしゃると思います。本当に短い時間ではございますが、劇場で芝居を見ている間だけは、その気分を忘れて頂けるよう美しい世界に誘いたいですし、一生懸命私たちも切磋琢磨しようと思っています。春爛漫のひとときを楽しんで頂ければ嬉しいです」。七之助は「毎年恒例の巡業が今回もできる喜びを噛みしめながら、私たちの体調面やスタッフもコロナ対策バッチリで、安全安心に見ていただけるよう気を引き締めて参りたいと思います。全国12カ所24公演、一つ一つの公演を一生懸命踊りたいと思っておりますので、ぜひ足をお運びください。よろしくお願いします」と締めくくった。取材・文=長澤香奈撮影=福岡諒祠(株式会社GEKKO)<公演情報>『中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演2023』『中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演 2023』ビジュアル【演目】※上演時間約2時間予定1. トークコーナー中村勘九郎/中村七之助/中村鶴松2. 元禄花見踊 長唄囃子連中門弟 一同3. 仲蔵狂乱 長唄囃子連中小野良実(おのよしざね) 中村 勘九郎4. 相生獅子 長唄囃子連中姫 中村七之助姫 中村鶴松【日程・開催地】■2023年3月6日(月) 東京・北とぴあ さくらホール3月9日(木) 千葉・千葉市民会館 大ホール3月10日(金) 埼玉・川口総合文化センター・リリア メインホール3月11日(土) 東京・ティアラこうとう 大ホール3月12日(日) 長野・まつもと市民芸術館 主ホール3月13日(月) 神奈川・相模原女子大学グリーンホール 大ホール3月15日(水) 大阪・サンケイホールブリーゼ3月18日(土) 岩手・盛岡市民文化ホール 大ホール3月19日(日) 宮城・名取市文化会館 大ホール3月21日(火) 福岡・キャナルシティ劇場3月22日(水) 広島・広島文化学園HBGホール3月23日(木) 愛媛・松山市民会館 大ホール公式HP:
2022年12月24日社会学者であり、コメンテーターとしてメディアに出演している、古市憲寿さん。古市さんは、2022年11月15日にTwitterを更新し、スペイン・バルセロナでの様子を公開しました。脱出ゲームを終えた後の写真や、サグラダ・ファミリアの写真に加え、『海外旅行する人が準備しておくと便利なこと』などの情報を投稿。スペインの脱出ゲームで汚れた。でも楽しかった! pic.twitter.com/rf2U4km4Zz — 古市憲寿 (@poe1985) November 14, 2022 いくつかのツイートの中で、自身の若い頃の写真も投稿しており、反響を呼んでいます。14年前、若い。バルセロナの港のどこか。 pic.twitter.com/gUMUt7Lkar — 古市憲寿 (@poe1985) November 15, 2022 古市さんは14年前にもバルセロナを訪れており、その時に撮影された写真を公開。2022年現在の古市さんと比べて、少しあどけない様子が伝わってきますね!投稿には、さまざまなコメントが寄せられました。・やんちゃな雰囲気があって、かわいい。・まったく印象が違う、別人みたい…。・昔もいいけど、今もかっこいいよ!・髪型が若いけど、顔立ちは全然変わらないですね。メディアに出演している時の、臆することのない堂々たる姿勢とのギャップに、魅了された人が多かったようです![文・構成/grape編集部]
2022年11月19日猿若町発祥180年記念『平成中村座 十一月大歌舞伎』が、11月3日に平成中村座(浅草寺境内・仮設劇場)で初日を迎えた。「江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ、多くの方々に歌舞伎を楽しんでいただきたい」という十八世中村勘三郎の思いから、2000年に誕生した平成中村座。2カ月連続公演のふた月目となる今月の第一部は、『寿曽我対面』『舞妓の花宴』『魚屋宗五郎』の古典作品が並び、江戸の芝居小屋を模した平成中村座でしか味わえない舞台となっている。そして第二部では、先月から引き続き、平成中村座で初となる新作歌舞伎、宮藤官九郎が平成中村座のために書き下ろした『唐茄子屋~不思議国之若旦那』と、華やかな舞踊『乗合船恵方萬歳』が上演される。『平成中村座 十一月大歌舞伎』は11月27日まで。なお新型コロナウイルス感染症の影響により、本日11月4日・5日公演は第一部・第二部ともに中止となっている。■中村勘九郎 コメント10月5日、浅草で4年ぶりとなる平成中村座の幕が開きました。初日の幕が開いたとき、お客様の拍手がすごくて、我々役者やスタッフだけではなく、皆さまも平成中村座を待っていてくださったんだと感じられて、とても幸せな気持ちになりました。連日、大勢のお客様に平成中村座へお越しいただき、小屋も喜んでいるように感じましたし、何より毎日平成中村座で芝居ができて嬉しかったです!そして、おかげさまで無事に千穐楽まで完走できたことに感謝です。稽古を経て、いよいよ、11月公演が始まりました。ふた月連続でご覧いただく『唐茄子屋』は、宮藤官九郎さんが今回の二か月連続公演のために書いてくださった新作、宝物のような作品です。幕が開くまでは、どんな反応なのかドキドキでしたが、大いに笑って楽しんでいただけているようで、本当に嬉しいです!11月にも古典作品が並びます。江戸の芝居小屋を模した平成中村座の空間で、古典の持つ魅力も合わせてご堪能いただきたいと思います。さて、すっかり寒さも増してまいりました。是非、11月は防寒対策をして浅草へ足をお運びください。平成中村座に一歩踏み入れれば、関係者一丸となって、熱い舞台空間をお届けします!皆様のご来場を心よりお待ちしております。<公演情報>猿若町発祥180年記念『平成中村座 十一月大歌舞伎』11月3日(木・祝)~27日(日) 平成中村座猿若町発祥180年記念『平成中村座 十一月大歌舞伎』ビジュアル【演目】■第一部一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)出演工藤祐経:中村橋之助曽我五郎:中村福之助曽我十郎:中村歌之助化粧坂少将:中村鶴松小林朝比奈:中村虎之介大磯の虎:坂東新悟鬼王新左衛門:中村勘九郎二、舞妓の花宴(しらびょうしのはなのえん)出演白拍子和歌妙:中村七之助三、新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)出演魚屋宗五郎:中村勘九郎召使おなぎ:坂東新悟磯部主計之助:中村橋之助小奴三吉:中村歌之助菊茶屋娘おしげ:中村鶴松菊茶屋女房おみつ:中村歌女之丞父太兵衛:片岡亀蔵女房おはま:中村扇雀■第二部一、唐茄子屋(とうなすや)不思議国之若旦那作・演出:宮藤官九郎出演若旦那徳三郎:中村勘九郎傾城桜坂/お仲:中村七之助第二太夫/源六倅源助:坂東新悟大工の熊:中村橋之助半公:中村福之助眠 善治郎:中村虎之介若旦那(小):中村勘太郎お仲倅イチ:中村長三郎丹生林/海苔屋のおたね:中村鶴松山崎屋おりき:中村歌女之丞達磨町の八百八/吉原田んぼのあめんぼ:荒川良々番頭小辰/吉原田んぼの蛙ゲゲコ:片岡亀蔵大家源六:坂東彌十郎八百八女房よし/吉原田んぼの蛙ゲコミ:中村扇雀二、乗合船恵方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)出演萬歳:中村扇雀才造:中村勘九郎白酒売:中村七之助大工:中村橋之助若旦那:中村虎之介芸者:中村鶴松角兵衛獅子:中村歌之助角兵衛獅子:中村福之助女船頭:坂東新悟田舎侍:片岡亀蔵通人:坂東彌十郎チケット情報はこちら:※新型コロナウイルス感染症の影響により、11月4日(金)・5日(土) の公演は第一部・第二部ともに中止。最新の情報は公演公式サイトにてご確認ください。
2022年11月04日平川憲秀 著『日本一働きやすい治療院を目指したら、人が辞めない会社になりました』2022年5月16日刊行株式会社あさ出版(代表取締役:田賀井弘毅、所在地:東京都豊島区)は平川憲秀 著『日本一働きやすい治療院を目指したら、人が辞めない会社になりました』 を2022年5月16日(月)に刊行いたします。人が辞めない3つの「好き」のつくり方とは京都・大阪・滋賀に16店舗を展開する平川接骨院/針灸治療院グループ。成熟期に突入した治療院業界で、売上5年で8倍と驚異的な成長を続けています。本書は、同社を支える「圧倒的にホワイトな職場のつくり方」を解説。社員数132名で従業員満足度92%を実現する仕組みを紹介します。「社員同士でなんでも言い合える関係を目指さない」「教育研修は業務時間内に行う」など、業界を問わず、離職率の高さに頭を悩ませる経営者の助けとなるヒント満載の1冊です。「働きやすい」に必要な3つの「好き」※以下、本文より一部抜粋せっかく採用した「人」が辞めてしまう理由には、大きく3つあると私は考えています。それは、「会社がつらい」「仲間がつらい」「仕事がつらい」。逆に、この3つのうちの1つでも「好き」と思えるものがあれば、人はその組織で働くことに楽しさを感じ、「辞めたい」とは感じなくなってくれるはずです。そこで当社では、この3つのうちのどれかを「好き」になってもらうべく、会社の仕組みづくりを進めてきました。「会社が好き」になるために仕事において守るべき明確な「ルール」が あることが社内の心理的安全性を高める。仕事において守るべき明確な「ルール」があることが社内の心理的安全性を高める。手帳型のルールブック「経営計画書」。社員が社長の言葉に振り回されなくなり働きやすさが格段にアップ。手帳型のルールブック「経営計画書」。社員が社長の言葉に振り回されなくなり働きやすさが格段にアップ。「仲間が好き」になるために社員旅行、懇親会、サークル活動、コミュニケーションツールなど社内の人間関係をよくする仕組み。社員旅行、懇親会、サークル活動、コミュニケーションツールなど社内の人間関係をよくする仕組み。さまざまなチーム活動で、チーム力をアップ。社員の結束が高まる運動会は社員から一番人気の行事。さまざまなチーム活動で、チーム力をアップ。社員の結束が高まる運動会は社員から一番人気の行事。「仕事が好き」になるために結果が出れば仕事は楽しくなる。 だから教育研修時間は年間1000時間。結果が出れば仕事は楽しくなる。だから教育研修時間は年間1000時間。マニュアル化の徹底により社員一人ひとりが確実に仕事で結果が出せるようにする。マニュアル化の徹底により社員一人ひとりが確実に仕事で結果が出せるようにする。書籍情報表紙タイトル:日本一働きやすい治療院を目指したら、人が辞めない会社になりました著者:平川 憲秀ページ数:256ページ価格:1,650円(10%税込)発行日:2022年5月16日ISBN:978-4-86667-375-2 amazon: 楽天: 目次1章日本一働きやすい治療院のつくり方2章教育の仕組みで成長できる3章働きやすさは、「仕組み」がつくる4章風通しをよくするコミュニケーションの仕組み5章未来をつくる経営著者プロフィール平川憲秀(ひらかわ・のりひで)著者:平川憲秀EMPOWERMENT株式会社代表取締役。京都市出身。両親が1976年に京都市南区に開業した鍼灸整骨院を引継ぎ、平川接骨院/針灸治療院グループとして京都・大阪・滋賀に16店舗を展開。企業成長率年120%、圧倒的な働きやすさで注目を浴びる。現在は、全国50社以上が集まる「エンパワーメント経営アカデミー」で治療院成長のための「仕組みと組織づくり」のサポートも行っている。【報道関係各位】『日本一働きやすい治療院を目指したら、人が辞めない会社になりました』リリース.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年05月12日戦争の極限下で異質な他者と出会い、人はどう変わるのか。古市憲寿さんによる、極上純愛小説『ヒノマル』。「この2年で、自由というのは脆いものだと痛感しました。ある出来事をきっかけに社会の空気はがらりと変わってしまうし、当たり前だと思っていた“自由”という権利すら、突然奪われてしまう。それが、またすぐに『いまはしょうがないか』と当たり前の形が変わって、いつの間にか窮屈さが増していくことだってあり得ますよね。そんなときに、社会の要請に従順に従うのか、徹底的に抗うのか。ただ、それ以外の第三の道というのはあるんじゃないのかなと思うんです」『ヒノマル』の舞台である戦時下と、コロナ禍にあるいまの状況に共通点を感じたという古市憲寿さん。「たとえば戦時下にも『不要不急』というスローガンがあったんです。そんな非常時だからこそ書けた物語かもしれません。戦争に対して、あるいはコロナウイルスに対してどう向き合うか。価値観が極端に対立していたり、親しい人同士でも本音と本音をぶつけ合えなかったり。そんなふうに疑心暗鬼になってギスギスした空気が蔓延する時代に、人と人はどうすれば信頼し合い、共に行動できるのかを考えたかったんです」主人公は、国家のために命を捧げたいと考えている軍国少年の新城勇二。ある日、中学の同級生で親友の小針啓介から〈魔女退治に行かないか?〉と誘われる。観音山公園内の洞窟に魔女が住んでいると噂があるのだ。探しに行くと、ひっそりとした洞窟に〈秘密の図書館〉を作っていた美しい女の子が現れて…。一ノ瀬涼子と名乗った彼女は、歴史学者の娘で、勇二より1学年上の高等女学校生。勇二は、「日本は負ける」と主張する涼子に反発を覚えながら、無意識に惹かれていく。だが、彼女は兄・優一の恋人だった。「聡明な兄と、国の教育のまま軍国少年になってしまった弟、リベラリストで自由奔放な女の子。いわゆる三角関係の物語なんですが、戦争中の物語なのでどうしても事件が起こるんです。兄が徴兵されたり、非国民呼ばわりされたり、空襲に怯えたり。極限状態で人はどうなるのか」第1稿のときの勇二は、国の勝利を疑いもしないような人間だったそう。書き直すうちに、内心では理知的な大人たちの言説を否定できなくなっていく“二重性”を、にじませるよう意識した。「勇二の正義感のゆらぎをどう書くかが、いちばん気を遣ったところですね。涼子は涼子で気ままに振る舞いすぎて、周囲とハレーションを起こしていますが、優一や勇二らとの交流を経て少し変わった部分もある。異質な他者との出会いによって人はどう変わるのか。それを見つめるのが大きなテーマでした」極限を苦悩しながら生きる若者たちの姿が描かれるが、読み心地は存外に明るい。「確かに重苦しい時代ですが、戦時中には戦時中なりの青春はあったと思うんです。たとえば、勇二らは勤労動員で軍需工場に行かされますが、夜中に涼子たちがいる女子寮に忍び込んだりします。実際にあったエピソードを参考にしたのですが、どんな大変な時代に生まれたとしても、楽しみ方はある。それは現代にもいえる話だと思います」本書には、機転が利いて要領よく立ち回れるような人物も多く登場するが、そんな人間でも時代の常識から完全に逃れるのは難しい。「ただそうした束縛を突破できる力があるとすれば、『自分や大切な人を守りたい。一緒に幸せになりたい』しかないのかなと。そんな思いを込めた作品です」シンプルだが力強いラストの一文まで、一気読み必至の大ロマンスだ。ふるいち・のりとし1985年、東京都生まれ。社会学者。同世代の視点からの新たな若者論『絶望の国の幸福な若者たち』で注目を浴びる。2018年に初小説『平成くん、さようなら』を発表し、コンスタントに作品を書き続けている。近著に『楽観論』など。『ヒノマル』物語は昭和18年、戦争の只中にある日本から始まる。大学生だった優一は学徒出陣で徴兵され、勇二らは勤労動員で駆り出される。重苦しい束縛をかいくぐり、青春を駆け抜ける彼らのたくましさが希望だ。文藝春秋2200円※『anan』2022年4月20日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2022年04月19日冬晴れの1月に東京都江東区で中村憲剛さんのサッカー教室が行われました。子どもたち向けのサッカー教室と保護者向けのトークイベントが行われたこの企画。今回はサッカー教室の様子をレポートします。■小学生30人を対象にサッカー教室を実施よく晴れたフットサルコートに、小学生30名が集合しました。メインコーチを務めるのが中村憲剛さん。現役時代は川崎フロンターレの中心選手として活躍し、引退後は若手選手の指導やサッカー解説などを務め、人気を集めています。さらにはMCとして、名古屋グランパスや川崎フロンターレで活躍した中西哲生さんが参加。憲剛さんの指導内容に合わせて解説するなど、トレーニングを盛り上げていきました。■「正確に止めて蹴る」を実行するにあたり最も大切なもの最初のトレーニングは「2人組での対面パス」。パス&コントロールは、憲剛さんのプレーの代名詞「正確に止めて蹴る」を実行するにあたり、もっとも大切なものです。憲剛さんは子どもたちのプレーを見ながら「棒立ちではなく、ステップを踏みながらやろう」「足のインサイドを使い、体の前でボールを止めよう」と実演を交えながら、わかりやすく伝えていきます。続いて、憲剛さんは「さっき言ったことを意識しながらやったら、すごくサッカーっぽくなった。次はパススピードを意識しよう」と実演。転がってきたボールを両足でピタッと止める姿は、現役時代さながらです。憲剛さんのアドバイスによって、子どもたちの動きがどんどん変わっていきます。それを見て「良くなったよ。パススピードが上がったね!」などの声をかけながら、子どもたちの間を巡回していきます。■1つ1つのプレーにこだわる大切さを伝えた2つ目のトレーニングでは、4人の中心に1人の選手が入り、前後左右からのパスをコントロールして、横の選手にパスを出す動きを繰り返していきます。憲剛さんは「意識することはなんだろう?思い出してみよう」と投げかけると、子どもたちから「足踏み、インサイドにボールを当てる、体の前で止める」などの返事がかえってきます。憲剛さんは「そうだね。それを忘れると、せっかくいいトレーニングをしたのにもったいない。意識してやってみよう」と、1つ1つのプレーにこだわることの大切さを伝えていました。さらには、子どもたちのプレーを見ながら「ミスは問題ないよ」「慌てないで」など、プレーの後押しをする声をかける姿が印象的でした。■中西さん、憲剛さんともに短時間での成長に驚いた中西さんからは「この後にする、ゲームを想定しながらやろう」とアドバイスが送られ、ふたりとも、プレーを見ながら「良くなったね!」と短時間の成長に驚いていました。その後の「3対1のボール回し」では、憲剛さんがディフェンス役になり、子どもたちのプレーとシンクロしながら「遠い足で止める」「左足に出せるよ」「一回でボール止めれば、相手を見れるよ」など、一緒にプレーしながら声をかけていきます。そして「さっき言ったことを意識してやったら、パスは回った?」と質問。子どもたちからは「パススピードが早くなった」などの反応がかえってきます。それを受けて、憲剛さんは「さっき言ったことを意識してやるとボールは回る。ボールを持っている人の技術も大事だけど、ボールを持っていない選手のポジションも大事。試合と同じだからね」と語りかけていました。■「大事なのは自分の考えたことを積極的にやること」憲剛さんからのアドバイス最後のゲームでは、中西さんも飛び入り参加し、場を盛り上げます。中村さんは「ここまでやったことを全部意識しよう。ゲームには全部が詰まっている。みんな、頭の中を整理できたと思うから、ゲームで出そう。失敗してもいいよ。大事なのは、自分の考えたことを積極的にやること」と、子どもたちの背中を押していきます。憲剛さん、中西さんともに、子どもたちと一緒にプレーし、アドバイスを送りながら、楽しそうにボールを蹴っていました。そして、1時間におよぶトレーニングは終了。最後に中村さんは子どもたちに向けて、次のようなメッセージを送っていました。「短い時間だけど、積極的にやってくれたことに感謝しています。今後、みんなが試合を楽しむために必要なことを教えたので、ここで終わりにせず、常に意識してもらえたらと思います。また会えることを楽しみにしています!」■「憲剛さんからパスをもらえてうれしかった」子どもたちも大満足イベント終了後、子どもたちに感想をうかがいました。「中村憲剛さんのパスの一つ一つがすごくて、教え方もわかりやすかった。憲剛さんからパスをもらえたのがうれしかったし、みんな仲良くしてくれてよかった」(リュウジくん/小6)「中村憲剛さんから『ナイス!』と言ってもらえたのがうれしかった。パスをするときに、意識することを知ることができたのでよかった。憲剛さんはあこがれの人なので、会えてうれしい」(イオリくん/小5)子どもたちは、あこがれの中村さんと一緒にボールを蹴ることができて、ユニフォームにサインをもらうなど、かけがえのない思い出になったようでした。
2022年04月13日サッカーをするお子さんを持つ保護者、そして子どもたちが参加したサッカー教室イベント。第一部は名古屋グランパスや川崎フロンターレで活躍した中西哲生さんの司会による、中村憲剛さんのトークセッションが行われました。テーマは「サッカーをする子どもとの関わり方」。貴重な内容の一部を紹介します。■親は子どもの鏡指導者へのネガティブ発言は子どもにも移る憲剛さん自身、サッカーをする子を持つパパということで、サッカー選手・指導者の視点に加え、父親の立場からも話してくれました。まず、中西さんから「保護者の態度が、子どもに影響を及ぼすと思いますか?」という質問に対しては、「それは間違いないですね。親は子どもの鏡だと思います」と即答。「親が監督・コーチに対してネガティブなことを言うと、自然と子どももそうなってしまいがちです。なので、僕はネガティブな事はなるべく言わないようにしています」とスタンスを述べます。■ポジティブな声掛けの重要性お子さんが小学生の頃は「試合を見ながら、チームメイトの良いプレーを積極的に褒めていた」そうで、「そうすると、それが他の保護者にも伝わって、みんなで子どもたちの成長を見守ろうという雰囲気になっていくんですよね」と、ポジティブな声掛けの大切さを話します。中西さんからは「科学的にも、人間はネガティブなことを言うと、通常の3倍定着しやすいそうです」という話があり、「それもあって、僕が選手を指導するときには、ネガティブなことは一切言いません」と実体験を教えてくれました。「つまり、うまくいったことを定着させようと思ったら、ネガティブなことの3倍言わないといけないわけです。そのため、良かったことは何度も言います」と、ポジティブな声掛けの重要性を強調します。参加者のみなさんにも「このことを覚えておくと、子どもに対してネガティブなことを言おうとしたときに、踏みとどまることができると思います」とアドバイス。憲剛さんも「普段の3倍、褒めることを心がけましょう」と同調していました。■子どもが何考えているか聞きたいから「問いかけ」をする中村家では、お子さんに問いかけをよくするそうで、その理由を「子どもが何を考えているか、頭の中を覗きたいんです」と話します。「うまくいったプレーがあったとして、なんでうまくいったのか。それを子ども自身の言葉で聞きたいんです。子どもって、僕ら大人が思っているよりも想像性が豊かです。小学校高学年になると、会話ができてくるので、僕にとって楽しい時間です」現役引退後、時間をみつけては、お子さんのサッカーを見に行くという中村さん。試合を見ていて、プレーについて言いたくなることはあるそうですが、そこはぐっと我慢。ただし、お子さんが「あること」をしないときは、強くたしなめるそうです。「これは妻とも共有しているのですが、子どものプレーを見ていて、チームのために走らない、自分がボールを取られても奪い返さないなど、チームのために頑張ることができなかったときは注意しています」シュートを打つ、パスを出すといったプレーの向上にはトレーニングが必要ですが、チームのために頑張ることは、意識の持ち方ひとつで、すぐに実行に移すことができます。「頑張ることは、意識次第ですぐにできるようになるので、小学3年生ごろから言っていました。『自分が守備の選手だったとして、前の選手がボールを奪われたのに、取り返しに行かなかったらどう思う?』という話はよくしました」そのような対話を続けることで、お子さんのプレーは変わっていき、いまでは「行きすぎじゃない?(笑)」というほどハードワークするようになったそうです。■「怒られなかった育成年代」がプロでのプレーにいい影響を与えた中西さんは、現役時代にともにプレーした、ストイコビッチ選手とのエピソードを教えてくれました。「ストイコビッチ選手は、子どもの頃から、A、B、Cと3つのパスの選択肢を持っていたそうです。子どもの頃はパワーがなくて、パスが通らなかったこともあったけど、当時の指導者から『体が大きくなれば、そのパスは通るようになる。アイデアを持ち続けてプレーしてほしい』と言われたそうです」創造性あふれるプレーで、世界中のサポーターを魅了したストイコビッチ選手。憲剛さんは「僕にとっても、あこがれの選手のひとりでした」と話し、自身の子ども時代のエピソードを語ります。「僕が小学生時代に所属していたチームも同じで、子どもの考えを尊重してくれていました。なんでそこにパスを出したんだとか、なんでそんなプレーをするんだって、言われたことがないんです。『いまのパス面白いね。だけど通らなかったね。じゃあ、次は通るように練習しよう』。そういうチームでした」憲剛さんは「子どもの頃から、プレーのアイデアを尊重してもらったおかげで、いろんなことに挑戦しようと思ったし、人が驚くようなプレーをしたいと思って練習してきました。その過程で生まれたミスに対して、怒られなかった育成年代を過ごしてきたことは、間違いなく現役時代に生きています」と感謝を口にします。■子どもが楽しくサッカーできるかは親にかかっていると言って過言ではないそしてイベントの最後に、次のようなメッセージを送っていました。「子どもが楽しくサッカーができるかは、お父さん、お母さんにかかっていると言っても過言ではないと思います。指導者ももちろんそうですが、一日の中で一番長くいるのは保護者ですから。その中で、親と子どもで一緒に成長していくことが大切なのだと思います。僕自身、失敗と後悔を繰り返しながら、親として成長していきたいと思っています。僕も頑張ります。一緒に頑張っていきましょう」司会が旧知の中西さんだったこともあり、「普段しない話を、結構しちゃいました」と笑顔を見せる中村さん。参加者のみなさんは、ここでしか聞けない体験談やエピソードをたくさん知ることができて、大満足の様子でした。<イベントの様子>
2022年04月11日最近よく耳にする「ポジショナルプレー」ってなに?そんな人に「入門編」としておすすめなのが3月に発売された『こどもポジショナルプレー~ボールを追うサッカーから、ボールを追いかけるサッカーへ~』です。ポジショナルプレーをわかりやすい表現で解説するとともに、ポジショナルプレーが身につく練習メニューも紹介。本書にポジショナルプレーの達人として登場する中村憲剛さんも「これからはポジショナルプレーを標準装備する時代」とおすすめしています。本書の中から今回はポジショナルプレーの鍵となる「5レーン」の解説と練習メニューを紹介します。■「5レーン」って何?ピッチを縦に5分割してそれぞれのレーンに選手を配置近年、ポジショナルプレーについての説明で「5レーン」という言葉がよく聞かれます。どのような考え方かざっくりと説明すると、ピッチを縦に5分割し、それぞれの「レーン」に選手を配置するというものです。相手が4バックの場合、DFだけでこの5つのレーンをすべて埋めることはできず、誰のマークについていいか迷うことになります。この「相手を迷わせる位置どり」が、ポジショナルプレーの基本になります。■「5レーン」トレーニングメニュー5レーンから始まる3vs2【ねらい】レーンの意識付け&どこに立つと攻撃が優位になるか理解させる。【準備】1.12m×20mのグリッドの中に5レーンを作る。2.攻撃側は3人、守備側は2人。3.最初は皆それぞれ異なるレーンにしか立てない。【ルール】1.まずは攻撃側の1人目が好きなレーンを選び、自由に位置を決めて立つ2.守備側の1人目は、異なるレーンに入りながら攻撃側の1人目をマーク3.その後も同じように攻撃側の2人目→守備側の2人目→攻撃側の3人目が異なるレーンにそれぞれ入っていく。4.5人が5つのレーンを埋め、立ち位置を決めたところから、指導者が攻撃側にボールを渡して3vs2がスタート。ここからはレーンに関係なく動くことができ、攻撃側はドリブルで奥のラインを突破したら勝利。■練習のポイント最初はボールを使わずに、立ち位置を考えることに集中させるところがポイントです。こうして5人が異なるレーンに入ると、数が1人多い攻撃側が有利な状況を作り出せるということを理解できると思います。異なるレーンに入るだけでなく、攻撃側の3人が同じ高さに立たない(縦ズレ)ことで相手がマークに付きづらくなるということも、この練習を通して感じることができると思います。まだ指導現場では浸透していないチームもあるかもしれませんが、親御さんもサッカーの最新戦術などを何となくでも頭に入れておくと、お子さんと一緒にサッカーを見るのが楽しくなったり、子どものサッカーへのかかわり方がもっと楽しめるようになることでしょう。
2022年03月29日次世代の歌舞伎俳優たちが更なる活躍ができるよう、未来へ繋ぐ新しい挑戦として企画された「いぶき、特別公演」。2021年6月の京都・南座での初めての公演では、中村児太郎、市川九團次、大谷廣松らによって、『妹背山婦女庭訓』『乗合船恵方万歳』の二つの演目が上演された。好評につき、第二回が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響に鑑み、残念ながら全公演が中止となった。しかし、コロナ禍ではあるが、その土地の多くの若い世代にも歌舞伎の魅力を繋いでいこうという考えから仕切り直しと言える、次回の公演が東京・観世能楽堂、神奈川・横浜能楽堂ほか各地で開催される。今作の出演者は、第一回にも出演した中村児太郎と、初参加となる中村隼人である。そして、中村隼人と中村児太郎が上演演目『二人椀久』の椀屋久兵衛と遊女の松山太夫にそれぞれ扮した「いぶき、特別公演」の本ビジュアルが解禁となった。今回の本ビジュアルは世界的写真家のレスリー・キー氏が撮影したものである。勇ましく、美しく、儚く、そして何より次世代を担う若い二人の瑞々しさをも感じ取れるような仕上がりが印象的なビジュアルとなった。撮影を担当したレスリー・キー氏より、コメントが到着。写真家レスリー・キーコメント「日本の伝統文化である歌舞伎とコラボレーションできた事は、私の日本での約30年間のフォトグラファー人生の中で、最も特別な出来事のひとつになりました。この企画に参加できた事をとても光栄に思います。これからも海外の地から歌舞伎の世界を全力で応援していきます。観にきて頂いたお客様には、ぜひ私の撮影したビジュアルと共に、この素晴らしい舞台を楽しんでいただきたいです。」演目は『雨の五郎』『藤娘』『二人椀久』の三つ。『雨の五郎』は、春雨の夜、蛇の目の傘を差した曽我五郎が大磯の廓の遊女・化粧坂の少将のもとへ向かう道中を描いたお話。亡き父のために敵討を誓って勇壮さを見せる反面、恋仲である少将からの文を手にした姿からは和事風の柔らかみを感じさせる。『藤娘』は、藤の精が愛らしい娘の姿で現れ、移り気な男心を名所“近江八景”になぞらえて踊り、恋心を艶やかに表現する物語。『二人椀久』は、大阪の豪商・椀屋久兵衛が遊女の松山太夫に入れ上げて放蕩の限りを尽くし、周りの者から座敷牢に閉じ込められてしまう。いつの間にか牢を抜け出し、さまよい歩く久兵衛は松山と再会するが、それは全て幻だったという幻想的な逢瀬が描かれている。趣の異なる三つの演目、そして二人の息の合った舞踊など、お見逃しなく。公演の詳細は公式サイト( )にて。【公演概要】いぶき、特別公演〈演目〉一、『雨の五郎』長唄囃子連中中村隼人二、『藤娘』長唄囃子連中中村児太郎三、『二人椀久』長唄囃子連中中村児太郎中村隼人主な日時・会場:東京公演2022年6月1日(水)観世能楽堂 ①12:00開演②15:00開演横浜公演2022年6月4日(土)横浜能楽堂 ①12:00開演②15:00開演チケット: 一般発売 2022年3月26日(土)10:00〜全席指定7,500円(税込)※未就学児童の入場はご遠慮ください。★レスリー・キー監修公演パンフレット付き★※お一人様に一部ずつパンフレットが付きます。 当日会場にてお渡し致します。その他、上演日程(お問い合わせ先などの詳細はホームページでご確認ください)千葉 6月3日(金)成田市文化芸術センター スカイタウンホール石川6月11日(土)こまつ芸術劇場うらら 大ホール京都6月17日(金)京都・観世会館愛知6月18日(土)名古屋能楽堂大阪6月19日(日)大槻能楽堂郡山6月21日(火)けんしん郡山文化センター中ホール熊本6月25日(土)八千代座福岡6月26日(日)大濠公園能楽堂<ご来場のお客様へ>本公演は新型コロナウイルス感染拡大予防のため、できる限りの対策を講じた上で開催いたします。ご不便をおかけすることもございますが、安全に公演をお楽しみいただくため、ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。今後の感染拡大の状況によって緩和される場合がございますので、感染予防対策が変更になる場合がございます。最新情報は公式HP( をご確認ください。制作: 三響会企画 制作協力:全栄企画株式会社 / 株式会社ちあふる 協力:松竹株式会社総合問合せ:Zen-A [ゼンエイ] TEL: 03-3538-2300 (平日11:00~19:00) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月25日ヴィッセル神戸所属、アンドレス イニエスタの来日後初著となる書籍『イニエスタ・ジャパン! 日本に学んだ 人生で大切なこと』が、本日2月14日より発売された。本書では、イニエスタが、衝撃のバルセロナ退団から、来日を決めた真の理由、そして日本での生活における学びや気づきを自身の言葉で初めて告白。彼の言葉や考えを通して、今を生きるすべての人に勇気や人生のヒントを与える一冊となっている。また、イニエスタを尊敬してやまない7名のサッカー選手たちからのコメントをコラム「拝啓イニエスタ様」と題して掲載。サンジェルマンFC所属・メッシ選手はイニエスタ選手を「彼は極めて特別な選手です」とコメント。元サッカー日本代表・中村憲剛は「彼のプレーが日本で観られるということは、本当に日本の選手たちや子供たちにとって、とても大きな財産」と語っている。ほかにも、そばで見てきた選手たちだからこそ知る彼の真摯なサッカーへの想いや、チームメイトにだけ見せていた意外な一面なども。なお、ヴィッセル神戸オフィシャルショップでは、ヴィッセル神戸限定バージョンのカバーも販売している。喜久屋書店全店と、全国18の書店での購入者には、カバーをデザインしたクリアファイルがプレゼントされる。楽天ブックスと、ヴィッセル神戸オフィシャルグッズショップ・オフィシャルサイトでご購入の方にはそれぞれ異なるオリジナル・ポストカードが付属される。また、ヴィッセル神戸オフィシャルグッズショップ 「THE VISSEL」と、全国12の書店には、イニエスタ選手の等身大パネルが設置されている。特典は無くなり次第終了。【コンテンツ】第一章 私が日本を選んだ理由第ニ章 人生2度目の旅立ち第三章 勝者のメンタリティ第四章 責任と感謝の気持ち第五章 学び直しの連続第六章 家族の大切さ第七章 最善の選択コラム「拝啓イニエスタ様」・サンジェルマン FC リオネル・メッシ選手・サンジェルマン FC ネイマール選手・FC バルセロナ ダニエウ・アウヴェス選手・FC バルセロナ ジェラール・ピケ選手・元サッカーアルゼンチン代表 ハビエル・マスチェラーノ氏・元サッカー日本代表 中村憲剛氏・セルティック FC 古橋亨梧選手■購入特典(クリアファイル) 対象書店東京 ブックファースト新宿店東京 ジュンク堂書店池袋本店神奈川 丸善ラゾーナ川崎店神奈川 紀伊國屋書店横浜店愛知 ジュンク堂書店名古屋栄店大阪 ブックファースト梅田2階店大阪 紀伊國屋書店梅田本店兵庫 ジュンク堂書店西宮店兵庫 ジュンク堂書店三宮店兵庫 ジュンク堂書店三宮駅前店兵庫 ジュンク堂書店神戸住吉店兵庫 ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店兵庫 ブックファースト西宮店兵庫 紀伊國屋書店加古川店兵庫 紀伊國屋書店神戸阪急店兵庫 大垣書店神戸ハーバーランドumie店兵庫 大垣書店プリコ神戸店広島 ジュンク堂書店広島駅前店全国 喜久屋書店全店※特典は数量限定のため、なくなり次第終了となります。■購入特典(ポストカード)対象店(1)楽天ブックス(2)ヴィッセル神戸オフィシャルグッズショップ・Jリーグオンラインストア店(2/14 より販売受付開始)・THE VISSEL・ハーバーランド店・スタジアムグッズショップ(ヴィッセル神戸ホームゲーム開催時のみ)※通常版・限定版それぞれのカバーをデザインしたオリジナル・ポストカードになります。特典は数量限定のため、なくなり次第終了となります。■等身大パネル設置書店東京 ジュンク堂書店池袋本店東京 ブックファースト新宿店神奈川 紀伊國屋書店横浜店愛知 ジュンク堂書店名古屋栄店大阪 紀伊國屋書店梅田本店兵庫 ジュンク堂書店三宮店兵庫 ジュンク堂書店三宮駅前店兵庫 大垣書店神戸ハーバーランドumie店兵庫 紀伊國屋書店神戸阪急店兵庫 喜久屋書店神戸南店兵庫 喜久屋書店西神中央店兵庫 喜久屋書店須磨パティオ店兵庫 ヴィッセル神戸オフィシャルグッズショップ 「THE VISSEL」『イニエスタ・ジャパン! 日本に学んだ 人生で大切なこと』著者:アンドレス イニエスタ発行:ぴあ株式会社発売:2月14日定価:1,650 円(税込)版型:四六判/無線綴じ/216Pヴィッセル神戸オフィシャルグッズショップ、全国の書店、ネット書店にて発売
2022年02月14日今年で17年目を迎える中村屋一門恒例の全国巡業公演。歌舞伎俳優の中村勘九郎、中村七之助がリモート会見で見どころを語った。2022年春は『春暁特別公演』に加え、勘太郎、長三郎の子役を交えた『陽春特別公演』の2公演を上演する。生の歌舞伎の楽しさに触れ「元気になってお帰りいただきたい」と声を揃えるふたり。歌舞伎のいろはを解く「歌舞伎塾」や素顔が垣間見られる人気の「トークコーナー」を交えた構成で、演目にも趣向を凝らす。「中村勘九郎 中村七之助 春暁特別公演2022」「中村勘九郎 中村七之助 中村勘太郎 中村長三郎 陽春特別公演2022」チケット情報『春暁特別公演』で勘九郎はお家芸「高坏(たかつき)」に出演する。花見の席で大名から高坏を買うよう命じられた次郎冠者(勘九郎)。しかし、それが何か分からず「高坏買いましょう」と声を張り上げて歩き出すと、そこへ高足売が現れて……。下駄でタップという趣向が楽しい軽妙洒脱な舞踊劇だ。「祖父の十七代目中村勘三郎が今の演出、振りにしたもので、中村屋にとっても大切な演目のひとつ。華やかな作品でお花見気分を味わって」と勘九郎が陽気に盛り上げる。七之助が勤めるのは心中物「隅田川千種濡事(すみだがわちぐさのぬれごと)」。四世鶴屋南北作「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」(通称「お染の七役」)の大詰めを長唄の舞踊劇に仕立てたオリジナル演目で、七之助はお染、久松、お光、土手のお六の4役を踊る。「歌舞伎のエンターテインメント性を生でご覧いただける絶好の機会」であると同時に、男女の演じ分けや早替りなど役者、七之助の魅力を存分に堪能できる。続く『陽春特別公演』は勘太郎、長三郎の幼い兄弟が清元で踊る「玉兎」で幕が開く。息子の成長を見守る勘九郎は「何より芝居好きなのが嬉しい」と目を細める。ふたりともすでに踊りは入っているが、「今回はひとりで踊るものをふたり用に変える構成」につき、ブラッシュアップした内容でお届けする。また、今公演では勘太郎、長三郎がイラストを担当した手ぬぐいなどの公演記念グッズを初めて販売することも明かされた。打って変わり、勘九郎と七之助は清元を代表する名作怪談舞踊劇「かさね」を。腰元かさね(七之助)が最愛の与右衛門(勘九郎)に鎌で殺されたことに始まる因果因縁の物語。「男女のドロドロした部分や清元の名文句、名調子、その美しさも見せる。現代の女性にもドラマティックに観ていただけます」と勘九郎。最終的には顔が醜くなり足が折れどん底に突き落とされるかさね。七之助は「女性としてすべてが崩れる様を見せられたら」と語り、踊りでは勘九郎と阿吽の呼吸で魅了する。「互いが磁石のようにべったり引っ付いたり、拒絶し合ったり関係性にメリハリを付けるのが効果的で、そこが踊りの面白さ、深さになってくる。『玉兎』とはガラッと違う踊りを楽しんでいただきたい」とアピールした。『春暁特別公演』は3月6日(日)から26日(土)まで奈良、滋賀、兵庫ほか全国16か所にて、続く『陽春特別公演』は3月30日(水)から4月4日(月)まで大阪・フェニーチェ堺大ホールほか全国5か所にて。チケットは両公演、1月15日(土)10時よりプリセールを実施。取材・文:石橋法子
2022年01月14日株式会社カブト(所在地:東京都港区、代表取締役:行木隆)のアスリート社員でビーチバレーボール選手の池田隼平(JUMPEI IKEDA)は、庄司憲右(KENSUKE SHOJI)選手とペアを結成し、世界を目指します。■背景株式会社カブトでは、ビーチバレーボールを日本でメジャースポーツにし、人々に夢や希望、元気を与えられる環境を構築するプロジェクトとして「KABTO beach volleyball project」を立ち上げました。その具体的なアクションとして、国際大会での上位進出を1つの目標として掲げています。この度、プロジェクトの目標及び想いを、共に2022年前期男子ビーチバレーボール日本代表※である池田隼平と庄司憲右選手で共有できたことによりペアを結成し、世界を目指すことになりました。池田・庄司ペア※ビーチバレーボールの「日本代表」とは、日本バレーボール協会(JVA)で選出された強化指定選手を指します。■選手プロフィール(1) 池田隼平池田順平出身地:熊本県阿蘇市経歴 :熊本県私立鎮西高等学校・法政大学卒2010年、2011年全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)2大会連続準優勝2010~2011 U-18 日本代表、2012~2013日本代表2012年 U-20 アジア選手権大会優勝【ビーチバレーボール日本代表歴】2018年前期、2019年前期・後期、2020年前期・後期、2021年後期、2022前期(2) 庄司憲右選手庄司憲右選手出身地:鳥取県境港市所属 :愛媛県競技力向上対策本部/湘南ベルマーレ経歴 :島根県立米子西高等学校・天理大学卒【ビーチバレーボール日本代表歴】2019年前期・後期、2021年前期・後期、2022年前期■今後の展開今年は9月に杭州で開催される国際大会出場を目指します。その後は、世界各地で開催されるワールドツアーやアジアツアー、ジャパンツアーを転戦し、国際大会のポイントを獲得していきます。最終的に、国際大会のランキングで上位獲得を目指しながら、プロジェクトを遂行していきます。■会社概要商号 : 株式会社カブト代表者 : 代表取締役 行木隆所在地 : 〒105-0003東京都港区西新橋3-24-10 ハリファックス御成門ビル2F設立 : 2000年7月事業内容: システム開発・販売事業、リスクマネジメント事業、コンサルティング事業資本金 : 4,550万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月12日歌舞伎俳優の中村勘九郎、中村七之助が9月24日、オンライン発表会見を行い、TBS赤坂ACTシアターで上演されるTBS開局70周年記念「赤坂大歌舞伎」(11月11日~)への意気込みを語った。十八代目中村勘三郎が2008年にスタートさせた名物シリーズ「赤坂大歌舞伎」。2013年からは中村勘九郎、中村七之助兄弟が亡き父の遺志を継ぎ、公演を重ねてきたが、昨年5月に予定されていた6回目の上演は、コロナ禍の影響で中止を余儀なくされ、演目も新たに今秋の上演が改めて決定した。今回上演される演目は『廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと』、『越後獅子(えちごじし)』、『宵赤坂俄廓景色(よいのあかさかにわかのさとげしき)』の3作。『廓噺山名屋浦里』は笑福亭鶴瓶の落語をもとに、「この落語を歌舞伎にしたい」と熱望した勘九郎が七之助らとともに舞台化し、今回が5年ぶりの再上演となる。勘九郎は初演を振り返り、「ラストは大団円というより、美しさと幻想の中で終わるので、カーテンコールが起こる演目ではないが、実際にはカーテンコールが起こって、拍手も鳴りやまなかった。鶴瓶さんとタモリさんがいらっしゃっていて、おふたりも舞台にあがって一緒にご挨拶してくださった」としみじみ。昨年の中止については「あとは稽古に入るだけという段階だったので、とても残念でしたし、悔しい思いをした。去年の分も今年にかけている」と闘志を燃やしていた。七之助も「花魁浦里は女形の後輩に人気があって、終わった後、ここぞとばかりに『やりたい、やりたい』とみんな楽屋にやって来た」と初演での印象的なエピソードを回想。「女形は一生懸命汗水たらしても、途中で出なくなって幕切れもあるが、花魁浦里はとってもメインで、いろんな色を見せながら、最後まで残るので“得”なんですよね(笑)」とやりがいを熱弁していた。『越後獅子』は長唄にのせて、手おどり、足拍子、布さらしと、様々な踊りの表現を披露。舞台を締めくくる『宵赤坂俄廓景色』は、赤坂がかつて花街だった時代を想起させるような華やかな作品で、勘九郎の長男・勘太郎、次男・長三郎が初登場することも話題を集める。勘九郎は「父が遺してくれたものですし、僕としても出てほしい思いがある」といい、「大人になって、どれくらい覚えているかはわかりませんが、『出た』という記憶や劇場の空気を味わうのと、そうでないかは全然違いますから、ありがたいですね。堂々と踊ってほしい」と目を細めていた。劇場は大規模な改修工事に入ることが決定しており、その大きな節目の作品として「赤坂大歌舞伎」が華を添える形になる。加えて、コロナ禍での上演となるが、勘九郎は「まだ探り探りの状況が続くと思うが、お客様が満席になっている風景を子どもたちに伝えたいですね」と希望を示し、「以前の熱狂を味わえる日は来ると思うので、需要がある役者として、需要がある作品を積極的にやっていきたいです」と決意を新たにしていた。チケット発売は9月25日(土)より。取材・文:内田涼▼公演概要TBS開局70周年記念「赤坂大歌舞伎」日程:2021年11月11日(木)~11月26日(金)会場:TBS赤坂ACTシアター(東京都港区赤坂5-3-2 赤坂サカス内)一、『廓噺山名屋浦里』出演:中村勘九郎 中村七之助 中村虎之介 中村鶴松 片岡亀蔵 中村扇雀原作:くまざわあかね脚本:小佐田定雄演出:今井豊茂美術:中嶋正留二、『越後獅子』長唄囃子連中出演:中村勘太郎『宵赤坂俄廓景色』長唄囃子連中出演:中村勘九郎 中村七之助 中村虎之介 中村長三郎 中村鶴松 片岡亀蔵 中村扇雀
2021年09月24日社会学者としてだけでなく、TV番組の司会やコメンテーター、小説家など、活躍の場を拡げ続ける古市憲寿さん。その軽やかなフットワークのヒントを教えていただきました。社会学者で小説家、TVのコメンテーターとしても活躍する古市さんが注目を浴びるきっかけとなったのは、ちょうど10年前、26歳で刊行した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(巻末には俳優の佐藤健さんとの対談を収録!)だった。ただし本人の感覚としては、人生を決定付けたターニングポイントは、大学生時代まで遡る。「大学3年生の1年間、ノルウェーに留学したんです。そこで学んだことを元に卒業論文を書いていた頃、大学院進学を勧められ、社会学を本格的に専攻することになった。キャリア形成という意味でも大きなポイントでしたが、あの1年で生き方、考え方自体がかなり変わりました」もともと留学を決めた理由は、「単純に就活したくなかっただけ(笑)。それで一番ゆっくりできそうな国を選びました」しかし留学当初は、後悔することも多かったそう。「初めての一人暮らしだし食事もそんなに美味しくないしいつも天気が悪いし、友達もすぐにはできないし。勝手に思い描いていたキラキラの留学生活とのギャップで、最初の1か月は鬱々としていました。でも、この気持ちって、過度に自分に期待しているから生まれるんだよなと気が付いたんです。“自分はもっとうまくできるはず”とか考えて縮こまらないで、今の自分にできることをやれればいいし、日常の中で楽しいと感じられる小さなことを拾い集めていけばいい。今はもう、自分に期待しないと割り切っているので、どんな大舞台に見える場所でも緊張せずに済むし、トラブルが起こっても一人で抱え込まず、あっさりと人に頼れる。自分に期待しないって、結構いいことずくめだと思うんです(笑)」それは、自己否定とは異なる。むしろ、適切な自己肯定だ。「自分の足りないところや、コンプレックスに感じるところを認識するのは大事だと思うんです。というのも、それが変えられないものだなと分かったら、肯定するしかないじゃないですか。ある種の絶望から、楽観は始まるんですよね。例えば“何をやっても長続きしない”と思っている人は、楽観的な見方をすれば“好奇心が旺盛”ですよね。自分の淡泊な顔が気にくわなくても、実はそれって誰に対しても威圧感を与えない顔かもしれない。太っている人って、優しそうに見えたりしますよね。全ては解釈次第で、どんなコンプレックスも、見方を変えれば必ずいいことだと思えるようになる。別に“新しい自分”を目指さなくても、今の自分のままでも自分を肯定できるはずなんです」8月に出した新著の題名は『楽観論』だが、100%の楽観を目指せと説いているわけではない。大前提として悲観や「諦め」はありつつ、「それでも」自分自身や世の中に対していいところを探す。そんな柔軟なバランスを提案している。「自分の能力を活かせる場所は、この世界のどこかに必ずある。気付いていないだけで、“ここ”がそうかもしれない。こんな時代だからこそ、日常生活の中に少しの楽観を取り入れてみてほしいです」Noritoshi Furuichi1985年、東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。小説家として芥川賞に2度ノミネート。最新の著書は『楽観論』(新潮新書)。※『anan』2021年9月22日号より。写真・井手野下貴弘ヘア&メイク・堤 紗也香取材、文・吉田大助撮影協力・BACKGROUNDS FACTORY(by anan編集部)
2021年09月18日中村勘九郎、中村七之助を中心に、中村屋一門が2005年より毎年行う全国巡業公演『錦秋特別公演』が10月より全国15カ所で開催される。昨年はコロナ禍によりやむなく中止。今年の巡業は中村勘太郎、中村長三郎が初めて参加した春公演に次いで2度目となる。「昨年伺えなかった土地に春と秋、2回に分けて伺えるのがうれしい」と勘九郎。七之助は「待っていてくださる方がいることがありがたい。春公演ではたくさんの拍手に、役者は居てもいいんだと思えた」と振り返る。それぞれ感謝の思いを胸に、合同取材会で秋公演への想いを語った。「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演 2021」チケット情報演目は『浦島』『甦大宝春日龍神(よみがえるたいほうかすがりゅうじん)』『トークコーナー』の全3つ。昔ばなしの後日談を舞踊化した『浦島』は成長株の鶴松が勤める。勘九郎は「歌舞伎を初めて観る方にはストーリー性も分かりやすく曲調も華やか。二枚扇というお扇子を使って踊るテクニカルな踊りは目にも楽しい」と解説。生前、父である中村勘三郎(18代目)が勘九郎の浦島をひどく気に入っていたと言い「鶴松にもしっかり継承できれば」と語る。『甦大宝春日龍神』は春日大社「第六十次式年造替記念」として2014年に創作された奉納舞踊。前半は春日の野の四季折々の素晴らしさを芝居仕立てで踊り、後半は龍神、龍女が荒々しく舞い踊る。「神がかったものに触れることによって、神秘的な思いになっていただければ」と勘九郎。七之助も奉納当日に、龍神の存在を感じるような出来事があったと明かす。「水の神様なので当日は雨だろうと話していたら、踊っている間は降らなかったのに踊り終えた瞬間に土砂降りの雨が降ってきた。野外だったので、兄と二人で『願いが通じたね』と。そういう摩訶不思議な現象が起こったりする。今回はとくに世の中が平穏無事であることを強く思いながら踊りたい」。最後の「トークコーナー」はスーツ姿の2人が等身大の素顔を垣間見せる人気コーナー。2年ほど前から定番だった七之助への結婚に関する質問がパタリと止んだ。「お客様も諦めたのかな」と勘九郎。当の本人は、結婚願望はないと言うが「こればっかりは分からないですよね。理想? 考えたこともないですけど、芝居が好きってことかな。同じものを楽しめる人だったらいいなと思います」。芝居は「心の栄養」とは勘九郎。「辛い状況が続くなかで、歌舞伎という非現実の世界へ飛び込むことによって、少しでもお客様を癒すことができればうれしい。感染対策を徹底して安心安全にご覧いただくというのが私たちの想いです」。七之助も「舞台で得た感動を明日への希望につなげていただければ幸いですし、僕らがやる意味もそこにある」と決意を語った。公演は、10月5日(火)東京・品川きゅりあん大ホールを皮切りに、全国を巡演。チケット発売中。取材・文:石橋法子
2021年09月01日「僕は“勝手口”からこの世界に入った人間なので…(笑)」――。そう語るのはミュージシャンの牛尾憲輔。ソロユニット“agraph(アグラフ)”として活躍する一方、「LAMA」としてのバンド活動、「電気グルーヴ」のライブサポートやDJプレイなど、多方面で精力的に活動している。もうひとつ、牛尾さんの音楽活動の一面として、忘れてはならないのが“劇伴(げきばん)”と呼ばれる、映画やTVシリーズ作品の音楽の仕事。冒頭の「勝手口」発言は、この劇伴の仕事を指したもの。20代の頃から仕事として音楽に携わり、ソロアーティストとしても十数年のキャリアを誇る牛尾さんだが、劇伴を担当するようになったのはこの6~7年のこと。2014年のアニメシリーズ「ピンポン THE ANIMATION」を皮切りに、アニメーション映画『聲の形』、『リズと青い鳥』、さらに『麻雀放浪記2020』など、この6~7年ほどの間で次々と話題作の音楽を手がけてきた。昨年末にアニメ化が発表された「チェンソーマン」の音楽も担当しており先日、公開された音楽が入ったティザー映像も大きな話題を呼んだ。そんな牛尾さんが音楽をつけた最新の実写映画『子供はわかってあげない』が公開を迎えた。この機会に牛尾さんにインタビューを敢行。映画の世界で働く人々にその仕事について話を伺う【映画お仕事図鑑】連載第11回のテーマは「劇伴」!映画の音楽ってどうやって作るの? 普段の音楽活動との違い、その魅力は? たっぷりと話を聞いた。「ピンポン」で初めて担当した劇伴それまでの音楽活動とは「全く別物だった」――牛尾さんが最初に劇伴を担当されたのは2014年にフジテレビのノイタミナ枠で放送された「ピンポン THE ANIMATION」(湯浅政明監督)ですね?そうですね。メインで劇伴の全てを手掛けたのは「ピンポン」です。ただ、その前に知り合いのアーティストの方に「劇伴に参加してみないか?と声を掛けていただいて、ちょっとだけ参加したことありました。――「ピンポン」のオファーが来て、劇伴をご自身で手掛けることになったときの心境は?最初は不安でしたね。「できるのかな…?」と。そもそも劇伴というのは特殊な世界なので、ちゃんと劇伴のことを学ばないとできないと思っていましたし、僕はそれまで、基本的に自分のアーティスト活動しかしてこなかったので、白羽の矢を立てていただいたものの「僕(=音楽)がコケてしまったら、何百人という人が関わっている作品そのものにケチをつけてしまうことになるんじゃないか…?」とすごく緊張したこと覚えていますね。――アーティストとしてもともと劇伴に興味はおありでしたか?アーティストとしての活動の中で、テクノロジーをベースにした音楽を作っていたので、映像に音楽をつけるという部分で、技術的にトライしてみたいことはあるなという思いは持っていましたね。「こういう技術を使ってこういうことをやれば、きっとこんなことができるなぁ…」と挑戦してみたいという気持ちはありましたね。――実際「ピンポン」で劇伴を担当されてみていかがでしたか? それまでの音楽制作とはやはり違いましたか?全然違いましたね。とはいえ「ピンポン」の時にそれがきちんとできていたかどうかは怪しいですが…(苦笑)。とにかく全く別物でした。劇伴の場合、作った音楽を「これでOK」とジャッジするのが自分じゃないんですよね、それまでセルフプロデュースでクオリティを研ぎ澄ましていくということしかやってこなかったのですが、劇伴の場合「いかに作品にフィットするか?」ということが評価軸になるので、それはすごく新鮮だったし、そこで自分の足りない部分が見えてきたりもしました。――その後も京都アニメーション制作の映画『聲の形』、『リズと青い鳥』(いずれも山田尚子監督)など、次々と話題作の劇伴を担当されました。こうした活動を通じて、改めて感じた普段の音楽活動と劇伴の違い、劇伴ならではの面白さなどについて教えてください。先ほども言いましたが、これまでソロでアーティストとして活動してきて、単に自分の世界観とか自分のクオリティを研ぎ澄ますということであれば、自由に作れるんですよ。例えば、普段からダンスミュージックや電子音楽をベースにしていると、どうしても2のべき乗(※1,2,4,8,16…という2の累乗数)のリズムで作りたくなるんですね。でも映画ってそんなリズムとは関係ない。「このシーンは20秒と2コマ」と言われても、それは4小節にはならないわけです。音楽って時間軸をコントロールするものだと思いますが、映画の場合、音楽以外のものに主従関係の“主”があるわけで、それは普段の音楽活動とは全く違うものでしたね。そういう意味で、普段からのアーティスト活動も劇伴もどちらも「音楽」という言葉で表現されているけど、全く違う言葉で表さなくてはいけないものなんじゃないか? と思うくらい違うものだったし、それは発見であり、劇伴での経験から自分の活動へのフィードバックもあったし、すごく面白かったですね。――いま、ジャンルの話が少し出ましたが、agraphとしての活動でやられているのは電子音楽ですが、劇伴では作品に合わせて全く異なるジャンルの音楽を手掛けられています。牛尾さんが手掛けた複数の劇伴とagraphとして発表された作品を並べたとき、同じ人が作ったと知って、驚く人もいるのではないかと思います。いやぁ、そう感じていただけるのはすごく嬉しいです。最近、 “牛尾節”的な言い方をしてくださる人もいて、僕としてはそれはあんまり嬉しくないんですよね(苦笑)。賞味期限が短そうじゃないですか? 細く長くやりたいと思っているので…(笑)。それぞれの作品のジャンル的な違いについて、比喩的な言い方をしますと、真ん中に僕が音楽を手掛けてきた“作品”があるとして、僕が“作り手”の側にいて、作品を挟んで反対の側に“視聴者・観客”がいるとします。“視聴者・観客”側から見ますと、作品ごとに異なる様々なジャンルの音楽に見えると思うんですよ。「ピンポン」のようなテクノ系もあれば『聲の形』のような繊細なもの、今回の『子供はわかってあげない』のように、音楽というよりも映像に合った“音”が並んでいるような作品まで、様々な見え方がしていると思います。でも作り手の側の僕からしたら、制作のプロセスというのはほとんど一緒なんですよ。つまり、もともとの僕が音楽をやる上でのベースになっている“思想・哲学”みたいなものがあって、ほとんどの作品はそのフィルタを通って作られているんです。簡単に言葉にできないけど、ある哲学や思想が最初にあって、それをベースに個々の作品に寄り添いながら「こういう音楽にしよう」「こういうフレージングをして…」という感じでそれぞれの作品ごとの音楽を作っていく感じなんですね。そういう意味で、あんまりジャンルの違いで戸惑うようなことはないんです。同じスタートラインから始まって、4小節を「ドン! ドン! ドン!ド ン!」という強いリズムで均等に分割にすればテクノになるし、そうではなく、作品のゆっくりした雰囲気に合わせて、4小節を均等にではなく、例えば「ドン! ドーン…ドッ」というリズムにして有機的な音を組み合わせれば、また違ったジャンルの音楽になるんですね。創作の最初の一歩目に関しては、同じ部屋で同じコンピュータに向かって同じソフトを使ってやっているので、僕にとっては同じなんですね。ただ、作品ごとに向き合っていく“角度”が少しずつ違っていて、その角度の違いは最初の時点では1°とか2°くらいのすごく小さなものなんだけど、それが劇伴として観客・視聴者のみなさんに届く頃にはすごく大きな差になって見えてくるんですね。――いまおっしゃった「哲学・思想」というのは、担当する各作品のということではなく、あくまでも“牛尾さん自身が、音楽を作る上での”ということですね?そうです。おこがましい言い方ですが、それが例えば今回、沖田監督が僕を選んでくださった理由の部分でもあると思います。“作家性”と言い換えてもいいと思います。――その作家性と関連するかもしれませんが、これまで劇伴のオファーが届いたときに「え? この作風の監督が自分に音楽のオファーを?」と驚かれたことはありますか?ビックリすることはあります。それこそ今回の沖田監督の作品は以前から大好きで、『南極料理人』が公開されたのはちょうど大学生くらいだったかな? 世代的にもドンピシャで、お声がけいただいてすごく嬉しかったです。白石和彌監督(『麻雀放浪記2020』)もそうですね。僕は電気グルーヴとご一緒させていただいてきて、ピエール瀧さんからも白石監督について話を伺っていて「すごいな」と思っていたので、そういう監督からお声がけいただいたのはビックリしましたし、嬉しかったですし、面白いですよね。あえて全ての効果音をミュートして書き上げた、上白石萌歌と千葉雄大の車のシーン その意図は…?――アニメーション作品と実写作品で劇伴制作に違いはありますか?それはありますね。実写は基本的には“ピクチャーロック”と言われる、CGや色はまだ粗い状態だけど、基本的な画が出来上がっている「だいたいこういう映画ですよ」というのがわかる状態の映像が送られてきて、そこから劇伴の制作がスタートします。実写であれば、その段階で登場人物たちは動いているし、色も乗っているし、生音の効果音が乗っているんですね。でも、アニメーションだと、最初に頂く映像はバラバラだし、最後の最後……試写の前日くらいまで出来上がってなかったり、なんなら試写も回せない状態だったりするんですね。――なるほど、音楽をつける段階での映画そのものの完成度が実写とアニメでは全然違うんですね。加えてアニメの場合、当たり前ですけど、生の効果音がなくて、足音も衣擦れの音も、全てつけない限りは無音なんです。その差による違いはすごく大きいですね。影響を受ける部分も多いです。映画の中にセリフや環境音といったロゴス(=論理・意味)的なものが存在するときに、それを「支えるのか?」、「邪魔するのか?」、それとも「引くのか?」 ということをこちらでやらないといけないわけです。だから、元の映像に効果音があるかどうかというのはすごく大きいですね。例えば怒っている人が机を叩いた「ドンッ!」という音があったとして、実写であればピクチャーロックの段階でその音が既に存在していて、聞こえるわけです。なので、音楽をつける際に、その音にかぶらないようにしたりするんですけど、アニメの場合、その効果音が最後のダビングの段階まで鳴らないわけで、それはこちらが仕事をする上ではすごく難しいんですね。今回の『子供はわかってあげない』だと、美波(上白石萌歌)と明(千葉雄大)が、お父さん(豊川悦司)の家に向かう途中の車に乗ってるシーンで、まさにいまお話したような音楽の作り方をしています。僕のほうから沖田監督にお願いして、あのシーンの実景の音や車の音を全てカットしてもらったんです。というのは、僕があのシーンの曲を書いた時、効果音をミュートして、完全に画に合わせて書いたんですね。そうしたら“夏の予感”みたいな、すごくメロウな雰囲気の曲ができたので監督に「もしよかったら、これを聴いてみてくれませんか? 僕自身が効果音のない環境で画だけを見て書いたので」と説明して、それでOKをいただきました。――ここからさらに今回の『子供はわかってあげない』に即して劇伴制作についてお聞きしていきますが、その前に映画そのものについて、牛尾さんの感想をお聞かせいただけますか?もう沖田さんらしい“間”とかが、すごく面白くて…。沖田さんって本当にこういう奇跡みたいなフィルムを作るんですよね。先ほども言いましたが、音楽を作る上で、ある程度の映像をいただいた上で曲を作り始めているので、ずっと自宅のサブディスプレイに映像を流し続けてたんですけど、(細田)佳央太くんがすごくかわいくて好きになりましたね(笑)。「みんな! とにかく佳央太くんを見てくれ!」って思いました。「音が並んでいる」――“何も起こらない”のが魅力の沖田修一監督作品に寄り添ってできた劇伴――今回の劇伴に関して、先ほどのお話の中で「音が並んでいる」という表現をされていました。実際、映画を観ると、牛尾さんの制作された音楽だけでなく効果音やセリフも含めて、“音”がすごく印象的でした。今回の劇伴の制作の過程について振り返っていただけますか?今回の作品で最初に沖田さんと顔を合わせたのは……渋谷の焼肉屋だったはずなんだけど…(笑)、何を話したかなぁ? あぁ、たしか最初に「ハバネラ」の話があったんじゃなかったかな?――序盤の美波ともじくん(細田佳央太)の会話の中で、ゆったりしたリズムで流れる「ハバネラ」(※オペラ「カルメン」で歌われるアリア。本作の予告編でも使用)ですね。ということは、あの「ハバネラ」は監督の提案で?そうなんです。すごく申し訳なさそうな顔をしながら沖田さんが「すいません、牛尾さん。なぜか頭の中に『ハバネラ』が鳴り響いていまして…』って(笑)。こちらは「???」という感じだったんですけど(笑)、いま考えると、言っていただけてよかったなと思います。監督の話を聞いて「ハバネラ」バージョンと、そうじゃないバージョンを作ってみたんですけど、「ハバネラ」のメロディって聴けば誰でもわかる強いメロディだけど、ゆっくりにするとスカスカになるんですよ。音が落っこちてくるような感じというか…本来はすごくハーモニー豊かな曲なんですけど、それが一音、一音に寄っていく感じになるんですね。最初にゆっくりの「ハバネラ」を聴いた時、音が“密”ではなく“疎”になっていくのを感じて、それが大きな発見だったというか「これを劇伴全体を通してやってみようかな」と思いついたんですね。こういう言い方が正しいかわからないけど、それってすごく沖田作品に合う気がしたんです――「ハバネラ」によって、劇伴の方向性が決まったと?この映画、もちろん美波をはじめ、何人かにとっては、人生におけるすごく大きなことが起きる映画ではあるんですけど、とはいえ、それでも沖田監督の映画って何も起きないことが魅力なんですよね。相対的に、例えば宇宙大戦争的な作品と沖田作品を並べたとき、沖田作品って格段に“何も起きない”じゃないですか(笑)? そういう何も起きないけど、でも繊細で些細なことがすごく意味を持ってくる――そんな視点・視野を持っているんですよね今回の映画の中でも、お父さんと美波がご飯を食べている時、食べ物が飛んじゃって「ごめん」「いいよ」ってやりとりがあったんですけど、あれはアドリブなんですよね。でも、あそこにちゃんと視点があるっていうのは、沖田さんの作品ですごく大事なことだと思うんです。あの関係性を描いているってことは、あらすじに太字で書くべき重要なところなんじゃないかって(笑)。それくらい本当に一見すると何も起きてないような状態であっても、でも注目したものが繊細な動きで情感豊かなものになるっていうのは、僕が沖田さんの作品の中でも大好きな部分で、そこに向けて、さっきお話した自分の“哲学・思想”を発射させると、結果ああいう音楽になるのかな? と思います。――他に音楽に関して、沖田監督からリクエストなどはなかったんですか?そこまで大きなリクエストみたいなものはなかったと思います。ただ、こまごまと「ここはどうしましょうか?」という話はいろいろとしましたね。例えば、美波とお父さんが浜辺で歩いているロングショットのシーンとか。あのシーンの劇伴は果たして音なのか? それとも音楽なのか――? 僕自身、あれが曲なのかどうかもわからないんですけど、あれが「ありやなしや?」という話なんかはたくさんしましたね。ドラムの音だけが響き渡るクライマックスの“挑戦”――終盤の美波ともじくんの重要なシーンで、ドラムの音だけをバックにドラマが進んでいくところも印象的でした。冒頭で美波がもじくんと出会ったシーンでは、2人が屋上から校舎を降りてくるんですけど、あの終盤のシーンは、逆にのぼっていくんです。沖田さんからは「もう、しっちゃかめっちゃかでワケがわかんなくなっている美波でありたい」と言われて、それはどんな感じなのかな? とずっと考えていたんですが「フリージャズみたいな」という言葉を沖田さんからヒントとしてもらって、それならドラムで、リズムもだんだんメチャクチャになっていくような感じがいいかなと思いました。それで、冒頭で2人が降りてくるところのセリフのやりとりを使用して、“ダブ(※)”というんですけど、ワーッとエコーを重ねていく手法でやってみたいなと沖田さんに相談したら、最初は「うーん…」と考え込んでいたんですけど、最終的には「それでいきましょう」ということになりました。※リズムを強調してミキシングし、エコーなどのエフェクトを過剰に施し、原曲とは全く異なる作品に作り変えてしまう手法。――沖田監督は、牛尾さんのそうしたアイディアを積極的に取り入れていってくれたんですか?いや、笑顔で譲らないんですよ、沖田さんって(笑)。何より作品のことを第一に考えて、ダメな時はダメとハッキリと言うので、その中で僕は「こんなのどうですか?」「じゃあこれは?」と次々と球を投げるというのを繰り返していました。――改めて今回の劇伴において、本作ならではの新たな部分、いままでにない挑戦をした部分はどういったところですか?やはり、先ほどお話した、ドラムのソロでセリフがグルグル回るという終盤の部分ですね。ダビングステージという映画館のようなスタジオなんですけど、そこで実際の映像を流しながら、ミキシング・コンソールという機材を使って、その場でDJのように卓を演奏して、あのシーンの音楽を聴いてもらったんです。あれはセッションみたいですごく面白かったですね。――最後に牛尾さんが感じる劇伴の魅力、面白さについて教えてください。なんでしょうね? 勝手口からこの世界に入っておいて、その視点で好き勝手なこと言うと、他のちゃんと劇伴を学んで活躍されている作家さんたちに失礼ですけど……でも劇伴って楽しいなって思います。やってて楽しいですよ(笑)。ミュージシャンってつい手癖でやってしまったりするし、アーティスト活動をやってても、結局、いつも同じことの繰り返しになっている部分もあって悩むんですけど、劇伴って自分にない引き出しや忘れていた引き出しを引っ張り出さないといけなかったりするんです。さっき「フリージャズのような」という話が出ましたけど、僕自身は電子音楽畑の人間なので、ジャズは全く通ってないし、フリージャズなんてできないんですよ。でも、おそらく沖田さんが「フリージャズ」という言葉で表現したものは、本当のフリージャズじゃなくて、もっと衝動的な何かだったり、グチャグチャになっていく何かだったんだと思うんですよね。そこで、自分の引き出しの中にあるものをあれこれと組み合わせて、沖田さんの求めるものを狙って曲を作っていくんですけど、そういうことをしていると、今度はアーティスト活動のとき、それまでの自分では思いつかなかったようなことを思いついたりするんです。例えば普段の音楽活動でもドラムの打ち込みをすることはあるし、それで生っぽいものを表現したり、先ほども話に出た“ダブ”という手法でエコーを重ねるようなこともするけど、それらを組み合わせて何かを作るっていうことは、リクエストがないと自分には思いつかないですよね。そういう意味で、劇伴の制作が自分の中の面白い発見につながるなと感じています。僕のような者がお名前を出すのも本当におこがましいんですけど、武満徹(※)先生が、「ノヴェンバー・ステップス」という世紀の名曲を書かれる前に、その着想を得たのは劇伴だったそうです。それは『切腹』(1962年/小林正樹監督)という映画で、そこでオーケストレーションの中に邦楽器を取り入れたことで、そちらに意識が向いたということをおっしゃっていたのを以前、拝見しました。※ほぼ独学で音楽を学び、西洋音楽に東洋の伝統的な楽器や手法を取り入れるなどして、映画や舞台の劇伴から電子音楽、オーケストラまで幅広いジャンルで名曲を残した世界的作曲家。代表作に「ノヴェンバー・ステップス」など。1996年没。そうやって劇伴での経験を自分の作品にフィードバックして、そこからまた新しいものが生まれていくというのはすごくポジティブなスパイラルだなと思いますし、楽しいです。「劇伴と普段の音楽は全く別物」と言いましたが、とはいえ、そんなことを意識せず、楽しめる素敵なお仕事だなと感じています。(text:Naoki Kurozu)■関連作品:子供はわかってあげない 2021年8月20日より全国公開©2020「子供はわかってあげない」製作委員会©田島列島/講談社
2021年08月30日江戸時代の伝説の歌舞伎役者・初代 中村仲蔵の下克上物語を、忠臣蔵を軸にドラマ化した「忠臣蔵狂詩曲 No.5 中村仲蔵 出世階段」が今年12月に放送決定。主演は中村勘九郎が務め、上白石萌音、中村七之助、尾上松也、藤原竜也、段田安則、市村正親ら豪華キャストが共演する。落語や講談で人気の「中村仲蔵」は、初代 中村仲蔵(1736ー1790)が裸一貫からはい上がる実話をベースとした下克上物語。今回、その物語を国民的人気を誇る「忠臣蔵」を軸にドラマ化。大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」以来の映像作品主役となる勘九郎さんが、その傑出した身体表現力で天才俳優の一代記を演じる。また、もうひとつの主役ともいえるのが、江戸の芝居小屋。初代 中村勘三郎が興した中村座(猿若座)に始まるとされる芝居小屋は、江戸時代を通じて庶民最大の娯楽場となった。日の出から日没まで熱気に満ちていたという当時の芝居小屋を巨大セットで再現。小屋に生きる裏方や地方(歌舞伎音楽の演奏家)、稲荷町(いなりまち)と呼ばれた大部屋役者たちなど、芝居小屋を取り巻く人々も生き生きと描き、江戸歌舞伎の熱狂と魅力を伝えていく。超人気演目「仮名手本忠臣蔵」の五段目で、全く見せ場のない地味な役を割り当てられた仲蔵に一発大逆転はあるのか?厳しい階級制度で縛られた当時の歌舞伎界で、貧困やいじめに苦しみながらも、血の滲むような努力と才智でスターの座をつかんだ仲蔵の痛快な出世物語を、年末にエンターテインメント巨編として放送する。仲蔵の才能を見抜いて抜擢をする当時の大スター・四代目 市川團十郎、それを妬んで敵対する人気歌舞伎役者や座付き作者など、ひと癖もふた癖もある実在の江戸の演劇人たちを演じるのは現代の演劇界のオールスター。今回、勘九郎さんら5名のキャスト陣からコメントが到着した。中村勘九郎/初代 中村仲蔵 役「不思議な縁を感じます」中村仲蔵のことは父(十八代目中村勘三郎)が三代目仲蔵の伝記「手前味噌」に大変感銘を受け愛読していたので、よく聞いていました。仲蔵ゆかりの志賀山三番叟を踊ったこともあります。江戸時代、初代勘三郎が興した中村座に出演し、中村座を救った人でもあるので、その役を演じられることに不思議な縁を感じます。今回とても素晴らしい芝居小屋のセットに足を踏み入れ、思わず泣きました。持って帰りたい!仲蔵は差別を受け大変苦労した人ですが、芝居が好きという情熱に支えられていたと思います。「好き」こそ人を奮い立たせ、上達させ、信念を与えるものです。そんな情熱を感じていただけたら本望です。上白石萌音/仲蔵の妻・お岸 役「朗らかに務めたい」「令和元年版 怪談牡丹燈籠」以来、再び源(孝志)監督のもとでお芝居ができることが心底うれしいです。脚本はやはり本当に面白く、夢中で読んでしまいました。お岸は、こんな女房が家で待っていたら愉 しいだろうな、というような女性です。三味線と唄で仲蔵さんを癒やし、励まし、勇気づけられるよう、朗らかに務めたいと思います。これ以上ないほど豪華な出演者の皆様による「芝居」の真髄。もうすでに完成が待ち遠しいです。ぜひご期待ください。藤原竜也/謎の侍 役「もっと一緒に演っていたい」僕の撮影は2日間だけでしたが、内容の濃い2日間でした。勘九郎さんと空気を合わせて、芝居を作っていく感じがとても楽しかったです。「もっともっと一緒に演っていたいな」って思わせてくれるような人ですね。刀や傘のさばき方は非常に難しかったですが子供のころから厳しく作法を仕込まれている歌舞伎俳優さんから直接教えてもらえたのは貴重な経験でした。最初から最後まで楽しめる贅沢な作品になると思います。段田安則/狂言作者・金井三笑 役「演じがいがあります」勘九郎さんが仲蔵を演じられるのは、ピッタリだと思いますが、その仲蔵をいじめる狂言作者の役ということで演じがいがあります。今も昔も嫌味な演出家やプロデューサーはいて、大人の事情で配役が決まったりとかあったのでしょうね。みんな芝居が心底好きでそのためなら命がけというのも一緒でしょう。ヒエラルキーの厳しい世界で成り上がっていくサクセスストーリーですが、そうそう簡単に成功はさせませんよ。大きな障害として立ちはだかって仲蔵をいじめたいです。(笑)市村正親/四代目 市川團十郎(二代目 松本幸四郎)役「歌舞伎役者を演じられるのは役者人生のごほうび」歌舞伎は昔から演技の勉強のために拝見していました。勘三郎さん(十八代目)の芝居に感激してファンレターを送ったこともあります。今回歌舞伎役者を演じられるのは役者人生のごほうび。天国で勘三郎さんもびっくりしていることでしょう。歌舞伎は見るとやるとでは大違い!ミュージカルでも「歌いすぎるな、芝居しろ」と言いますが、歌舞伎独特の語調の心地よさを感じさせながら、ぐっと 芝居心を入れるのにはどうすればいいのか、悩みながら一生懸命演じています。ドラマ「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」は12月、NHK BSプレミアム・BS4Kにて前・後編放送(各89分)。(text:cinemacafe.net)
2021年07月20日過去のいじめ問題がきっかけとなり、ミュージシャンの小山田圭吾さんが、東京五輪開会式の楽曲担当を辞任することが発表されました。同件は、小山田さんが、障害のある同級生などにいじめを行っていたことを明かした、1990年代のインタビュー内容が拡散されたというもの。小山田さんが楽曲を担当する東京五輪には、障がい者スポーツの大会であるパラリンピックもあり、かついじめの内容も度を越えたものだったことから、批判の声が殺到しています。古市憲寿「そもそも『いじめ』という言葉がよくない」2021年7月19日、社会学者の古市憲寿さんが自身のTwitterを更新。内容に反響が上がっています。フォロワーに小山田さんの件について聞かれた古市さんは、自身の考えをこう明かしました。「いじめ」に関する報道に思うことはずっと一緒で(これまで何度も発言したり書いてきています)、そもそも「いじめ」という言葉がよくないと思うんです。刑法における暴行罪や傷害罪に当たるなら刑事事件になるべきで、学校空間を聖域にするべきではありません。@poe1985ーより引用古市さんはそもそも『いじめ』という言葉がよくないとした上で、「学校空間を聖域にするべきではない」と指摘。また、問題なのは『いじめから時間が経過してしまった場合』とし、「すべての被害者がすぐに告発できるわけではない。言葉にできるまでに10年、20年かかることがある」と被害者の心に寄り添いました。続けて、古市さんはこう持論を展開しています。当事者の問題であること、日本は法治国家であること、の二点が重要だと思います。私刑は許されないわけですから、当事者が告発したい場合に、それを支援する制度や社会のあり方は大事です。だけどそれを、それこそ「いじめ」のような形で加害者を糾弾するのは反対です。@poe1985ーより引用最後に、「当事者が告発をしたい場合に、それを支援する制度や社会のあり方が大切」と持論をつづっています。投稿には、ネット上でさまざまな声が寄せられました。・「『いじめ』という言葉がよくない」というのは本当に共感。その言葉があることで、いじめの実情が曖昧になっている気はする。・当事者が告発できる社会の構築っていうのは少し難しいのかも。もちろん実現するのが理想だけど…。・開会式の作曲家としてふさわしくないという批判は仕方がないと思う。けど古市さんのいうように、私刑にしていい、というわけでもない。ネット上では賛否が分かれた、古市さんのいじめに対する持論。いじめに関する問題を他人事として済まさず、正しい方法によって少しでも傷付く人を減らす努力が必要でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年07月20日女優の中村アンがブランドアンバサダーを務めるアンダーアーマーの新ムービー「THE ONLY WAY IS THROUGH 前へ -中村アン」が1日、公開された。今回の新ブランドムービーでは、現代の女性のNEW NORMALなライフスタイルシーンを等身大の姿で切り取り、スポーツやトレーニングを習慣化することで身体と心が強くなれるということを表現。不安定で目まぐるしく変化する現在の状況でも、逆境に負けずに進み続ける女性像を描いた。あわせて公開されたビジュアルでは、引き締まった美尻や背中が印象的なバックショットなど、中村がトレーニングに励む姿を披露している。
2021年04月01日女優の中村アンがブランドアンバサダーを務めるアンダーアーマーの新ムービー「THE ONLY WAY IS THROUGH 前へ -TRAINING 中村アン」が15日、公開された。今回のムービーでは、不安定で目まぐるしく変化する現在の状況でも体と心を強く持ち、逆境に負けず前に進み続ける女性を中村が表現。真剣な表情でトレーニングに打ち込み、鍛え抜かれた美ボディを披露した。「不安や悩み、葛藤があったとしても、トレーニングやスポーツのあるライフスタイルを通じて心は強くなり、自分と向き合うことでポジティブな気持ちが生まれる」そんなブランドメッセージを通じて、女性たちを勇気づけることを目的としたムービーに仕上がっている。
2021年02月15日SNSの普及にともない、昔の友人や連絡の途絶えた幼馴染などをインターネット上で見つけ、再び連絡をとりあうことができるようになりました。昔の友人とつながることは懐かしい話で盛り上がったり、現在の姿に驚いたりと、楽しいものですよね。古市憲寿「18年ぶりに話せた!実は大学の同級生で…」2021年2月9日、社会学者の古市憲寿さんがTwitterを更新。音声SNS『Clubhouse(クラブハウス)』で、18年ぶりに会話したある友人とのエピソードを明かし反響を呼んでいます。クラブハウスとは、自分でルーム作りそこに友人を招待して会話を楽しんだり、ルームに入って話を聞いたりすることができるサービス。驚きの声が多く寄せられた、投稿がこちらです。クラブハウスで水嶋ヒロくんと18年ぶりに話せた!実は大学の同級生で、入学当初に会っていたのを覚えていてくれた。あと昔、YouTubeの悪口を言ったのもばれていた— 古市憲寿 (@poe1985) February 9, 2021 なんと、古市さんと俳優の水嶋ヒロさんは、2003年に慶応義塾大学へ入学した『同級生』だといいます。音声での会話を楽しめるクラブハウスで、水嶋さんと久しぶりに会話した古市さん。投稿では、「昔水嶋さんのYouTubeチャンネルの悪口をいったことがバレていた」と冗談交じりに明かしました。きっと、水嶋さんが18年経った今でも自分のことを覚えていてくれたことを、嬉しく思ったことでしょう。ネット上では、古市さんと水嶋さんの意外な関係に、驚きの声が上がっています。・まさかすぎる2人でした…!どちらも好きなので、嬉しい!・覚えていてくれてよかったですね。意外な組み合わせだったのでビックリです!・古市さん、悪口はほどほどに!クラブハウスで聞いていましたが、とても楽しいやりとりでした。SNSを通じて、学生時代を振り返った古市さんと水嶋さん。同窓会などができない中でも、SNSを通じて懐かしい友人とやりとりをするだけで、ちょっとした同窓会気分を味わうことができるかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2021年02月10日本日1月27日に発売された『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、中村憲剛氏とつながりが深い方々にインタビュー。誌面の都合で泣く泣くカットせざるを得なかった盟友・伊藤宏樹氏(現・川崎フロンターレ強化部)との対談の未公開部分を昨日に続き掲載。後編は長年、兄と弟のような関係で切磋琢磨してきたふたりが、印象に残っている試合やゴールについて語り合う。――印象に残っているゴールを教えてください。中村憲剛(以下、中村)「俺は2007年のナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で、宏樹さんがアウトサイドに(巻いて)かけて、サイドネットに突き刺さったゴール。あれは、宏樹さんのゴールのなかでもすごく覚えてる」伊藤宏樹(以下、伊藤)「あれ?その試合に憲剛いたんだっけ?」中村「いましたよ」伊藤「いたか」中村「あれはいました(笑)」伊藤「憲剛はいつもカップ戦にあると、代表でいないイメージだったから」中村「あのときはいたんですよ、なぜか」伊藤「(チョン・)テセのゴール、アシストした?」中村「した、した。俺、意外と宏樹さんの生涯ゴールの半分ぐらいはアシストしていると思う。セットプレーも含めて」伊藤「少ないからな(笑)」中村「たぶん5点、6点くらいでしょ?そのうち3点ぐらいは俺がアシストしているよ」伊藤「もうちょっと(点は)多いわ!」――宏樹さんは憲剛さんのゴールで印象深いものはありますか?伊藤「ゴールでいうと、プロ1年目のアウグストからのボレー。まだ憲剛が26番のとき。引退セレモニーの『ThanksVTR』のなかでも流れていたけど」中村「あれね」伊藤「あとは、アシストは熊谷での大宮アルディージャ戦。ジュニーニョに出したロングスルーパス、かな」中村「それもう、だいたい世に出ているやつじゃないですか。……別のやつもらってもいいですか?(笑)」伊藤「じゃあ、やめようか?(笑)」中村「大丈夫、大丈夫、それでいい(笑)」伊藤「まだ、いっぱいあるけど、憲剛とジュニーニョの“翼くん・岬くんゴールデンコンビ”みたいに決めたやつも好きだけどね。あれはFC東京戦だっけ」中村「FC東京戦のやつね。あれもすごかった」伊藤「あれは本当にすごかった」中村「宏樹さん、ほとんど俺のゴールを後ろから見ているからね。確か、宏樹さんが俺と一番試合に出ていたんだよね?この間、誰かとその話をした覚えがある」伊藤「この間、タニ(谷口博之)が言っていたな」(写真左より)中村憲剛、伊藤宏樹――ふたりのなかで一番印象深い試合は?伊藤「ふたりのなかでか。俺が悲しかったのは、2004年に昇格して、2005年にいざ念願のJ1開幕戦を迎えた柏レイソル戦。憲剛が前日に熱を出して、いないという。あれは悲しかった」中村「それを挙げるのは、よくないなあ(苦笑)」伊藤「本当、そこを楽しみにめっちゃ(練習して)きていたのね。そしたら、前日のホテルで知らされて」中村「俺もそうだよ。飯を食って、部屋に戻ったらもう急に寒気がしちゃって」伊藤「39℃くらいあったよね?」中村「ああーってなった」伊藤「『何してんだよ!』と思った。あれが本当に残念だった」中村「現役最初のJ1の試合と最後のJ1の試合が柏戦で、両方とも行っていないという……(苦笑)」――なるほど。中村「実は2005年にJ1に昇格したときの試合日程が柏、続いて浦和レッズだったんです」伊藤「ああ」中村「しかもアウェイ柏、ホーム浦和で。それで、自分の現役最後のリーグ戦は、ホーム浦和、アウェイ柏!」伊藤「すごい偶然だね」中村「2020年のスケジュールが出たときにもう、ゾゾゾってなったよ。それで始まって、それで終わるの?という日程だったので。だからその2試合は絶対に出なきゃいけないって思ってた」伊藤「でも、最後、出ていないからちょうど良かったのかもしれないね(笑)」中村「というか、(伊藤が挙げた)一番悔しかった試合、印象に残っている試合に、俺がいないことが問題です(笑)」伊藤「印象に残っている試合……他は……」中村「何ですかね。もう、あり過ぎて…」伊藤「個人的にはあれかもしれない。俺の引退試合になった(2013年の)横浜F・マリノス戦。あの試合は憲剛がめっちゃめちゃパフォーマンスが良かったから。あれにはびっくりしましたよ」中村「俺ね、最初で最後だと思う。人のために頑張ったの」伊藤「結構、神がかっていた」中村「神がかっていましたね。『宏樹さんの等々力ラストゲームを負けて見送るわけには、絶対にダメだ』と思っていた」伊藤「しかも、相手は優勝のかかっていた大きな試合。大舞台ですよ」中村「あの試合は、もう本当に心震えましたね。それにこの人、引退すると言ったのが、その週の初めなんですよ。F・マリノス戦の週のオフの日に、電話がかかってきて、あり得ないよ、本当に」伊藤「(笑)」中村「それもあったから、俺は2カ月前に言ったんです。だって、さみしい。1週間前に言われて、気持ちの整理がつかないじゃないですか。だから自分は、引退するときは絶対に先に言いたいと思っていたんです。そうしたら、たまたまチームの調子も良くて言いやすかった。やっぱり、唐突なお別れになっちゃうのはダメだなというのは、宏樹さんから学びました(笑)」伊藤「あはは(笑)」中村「残される方はさみしいからね。俺、今回は去っていくほうの気持ちが初めてわかったけど、意外と去っていくほうは、さっぱりいけるんですよ」伊藤「うん」中村「ただ残された方は、キツいから」伊藤「俺の場合は、フロンターレだけで、憲剛の場合は背負っているものが違うから。俺はあれで良かったんだよ」中村「いやいや、そんなことないでしょ」伊藤「でも、改めて、憲剛のこの終わり方は本当にすごいよね。リーグ優勝を決めたことを考えても、最後に天皇杯決勝の舞台まで整ったことも含めて。普通のスポーツ選手では、なかなかできないことだと思います」取材・文:林遼平撮影:佐野美樹FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストやスキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号発行:ぴあ株式会社発売:2021年1月27日定価:1,500円(本体1,364円)判型:B5判・96ページAmazon: 楽天ブックス: 書店、ほかネット書店にて詳細はこちら:
2021年01月27日明日1月27日(水)に発売される『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、中村憲剛氏とつながりが深い方々にインタビュー。その企画のひとつとして行われた、かつてのチームメイトである伊藤宏樹氏(現・川崎フロンターレ強化部)との対談は関係性の深いふたりの歩みがわかる貴重なトークとなっている。今回、誌面の都合により、本誌ではカットせざるを得なかった未公開部分を特別に掲載。兄弟のように強い絆で結ばれたふたりのクロストークをお楽しみあれ。――ふたりがチームメイトだったときは、どんな話をすることが多かったのですか?中村憲剛(以下、中村)「本当にずっとしゃべっていたよね。だから、いつ、とかではなく常に、だよね」伊藤宏樹(以下、伊藤)「うん、何をしゃべっていたかが分からないくらいに(笑)」中村「アウェイのときに宿泊するホテルでも、普通に部屋に行って話していた。今はあり得ないけど、本当にずっとベッタリだった」伊藤「ね。でも、試合になれば、いつも喧嘩していた」中村「そうそう。ちなみに俺ら、仲良くはないんですよ?(笑)」伊藤「憲剛は俺しか文句を言える人がいないから、こっちにばっかり言ってくる」中村「みんな先輩だったから(笑)」伊藤「当時、ボランチなのに、まあ守備はしないし、ポジショニングはめちゃくちゃで(笑)。だからこっちも言うけど、でも、それがたまにいいチャンスになるし、(当時監督だった)関塚(隆)さんもそれを褒めるんですよ。それで憲剛は伸び伸びやっているから、こっちは(守備面などの)文句を言って、喧嘩をするわけです。そうしたら、だんだん憲剛が成長してくるにつれて、賢いから的確なことを言うんですよ。すると、こっちも言い返せなくなって、グーってなって、とりあえず『うるせえ!』となる(笑)。そういったやり取りが多かったかな。でも、昔はそんなことがおもしろかったけどね」中村「こっちとしても言い負かしているというか。この人ね、リアクションはそんなに多くないんですよ。我慢して、我慢して、最後に『うるせえ!』と言う。あとは『取れよ!』とか。まあまあな口を……」伊藤「そんな言い方ですよ。もう、昔は(笑)」中村「こっちも『宏樹っ!』とか、呼び捨てにしていて(笑)。だからシーズン最初のキャンプのときに、それをやると新加入(の選手)が『えっ?』ってなっていたよね(笑)。普段にしても好きなものや趣味も全部、違うからね。馴れ合うような仲の良さじゃない」伊藤「うん」――それなのにアウェイのホテルなどでも一緒にいられる理由とは?伊藤「何だろうね、あれ。バスや新幹線でも隣だったし」中村「居心地がいいから。何を言っても大丈夫という安心感。たぶん。失礼な後輩ですよ。今、思えば」伊藤「失礼極まりない後輩だよ(笑)」中村「極まりない(笑)。だけど、昔からのフロンターレのサポーターは結構、知っているよね」伊藤「ふたりのつながりで言うと、僕が(2013年に)引退するときに、憲剛は二人組(の練習相手)や隣に座る人がいなくなってさみしいんだろうなという話をしていたんだけど、この間、憲剛が引退するときに、(小林)悠が全く同じ話をしていたから『ああ、歴史っておもしろいな』というのは、個人的には思ったね」中村「だって大変だったよ。“宏樹ロス”……」伊藤「長くやったら、そうなるんですよ。やっぱり悠も憲剛と長く一緒にやって、そういう関係になった。それでまた、何年後かに悠が何を言うんだろう、というのは思います」中村「宏樹さんの引退VTRを、当時、妻とずっと見ていてふたりで泣いていましたもん(笑)」伊藤「あはは(笑)」中村「うう……いなくなるって……。だから結構、大変だった。2014年から悠がそういう存在になるまでは本当に。要は、宏樹さんがやっていた役割を俺がやって、俺がやっていたことを悠がやらなくてはいけなくなったから。本当はタサ(田坂祐介)だったんですけどね、俺のなかでは。宏樹さん、俺、タサで、いつも3人一緒だった。だから、つなげていこうと。だけど、あいつ(田坂)はドイツに行ってしまった(笑)」伊藤「そう」中村「だから、後継者を探さなきゃいけなくなってしまった。タサは今も仲がいいし、俺と宏樹さんみたいな感じだけど、でも、いなくなっちゃったから、当時は慌てましたよね」伊藤「あれは慌てたね(笑)」中村「せっかく宏樹さんがフロンターレの先輩から受け継いできたものを、俺もちゃんと受け継いで、それをタサにつないで、(その次は)悠と決めていたのに、いなくなったから結構大変だったよね」(写真左より)中村憲剛、伊藤宏樹――確かに、考えると中村選手と小林選手の間が、世代的にも少し空いている感じはあります。伊藤「年齢的にね」中村「タサやタニ(谷口博之)だったんだけど、間にいた選手は全員、菊地(光将)も横山(知伸)も移籍しやがった(笑)」伊藤「しやがったって(笑)」中村「だから俺が頑張んなきゃいけなかったんですよ。宏樹さんがいなくなって、いかに宏樹さんが、あらゆる日陰の仕事をやっていたかがわかったから」伊藤「それ、もうちょっと大きな声で言ったほうがいいよ(笑)」中村「(笑)。要は、俺と宏樹さんは“表と裏”ではないけど、俺が表面をやって、宏樹さんが裏面のマネージメントというかチームの雰囲気作りを含めて、いろいろなところに目を届かせてくれていたことに初めて気付いた」伊藤「俺らはチームキャプテン・ゲームキャプテンみたいな感じで別れていて、ふたり(の間)では『ふたりで一人前だな』みたいな自覚があった。お互いにないところを補いながらね。そういうのも含めて、僕が引退してからの憲剛には注目していましたけど、そこからの憲剛の歩みは成績にも出ていますけど、周りに伝えることを含めて後輩たちを育ててきたところがあるし、今のチームを作り上げるためにすごく貢献したと思います。本当にすごいと思いますよ」――“世代をつなげていく”話は、昔からそういうふうに話していたんですか?中村「昔からですね。『そこの木の“幹”をちゃんと太くしていかないと』という話はずっとしていた。だけど、自分ひとりではできないから、育つのを待つしかなかった」――宏樹さんは自身の引退後のことはどう考えていたんですか?伊藤「あまり考えてはいなかったですけど、自分の引退は関係なしに、ターニングポイントとしては、風間(八宏)さんが2012年に(川崎フロンターレに)来て、やるサッカーが明確になったことで、憲剛も楽しそうにしていた。そこを突き詰めたことが、今のこのスタイルになったところもあるし、そこについての心配はしていなかったです」中村「サッカー的なところはね」伊藤「うん」中村「振り返れば、最初は、サッカー自体も風間さんになって『大丈夫か?』みたいになっていた。でも、最初のサンフレッチェ広島戦で、俺のアシストから宏樹さんが先制点を取ったんですよ。不慣れな右SBで宏樹さんが珍しくいい動きをしていてさ」伊藤「あれ、面白いよね。本当に最初の試合で、みんな(従来の)ポジションと違うところをやっていて。ある意味、今までのフロンターレの概念みたいなものを壊して、一つでもいいプレーができればみたいな感じでやった試合だった。それで、あの得点が取れた」中村「あの1点は、今のフロンターレのベースの本当に第一歩になったから。あのゴールを俺と宏樹さんで取ったというのは、歴史的には非常に大きかったんじゃないかなと、改めて思いますけどね。……うれしそうだな、おい宏樹っ!(笑)」伊藤「『何で、お前があそこにいんねん!』みたいな感じだったんですけどね(笑)」中村「本当にそういうゴールだった。連戦がスタートするなか、風間さんになってからの新たな船出。『大丈夫かな、フロンターレ?』となっているときの1試合目。その試合はボッコボコにされるんですけど(笑)、それでもあの1点を俺と宏樹さんで取ったというのは『あ、これでやっていける』みたいな思いはありましたからね」(明日1月27日(水)7:00配信の未公開記事後編に続く)取材・文:林遼平撮影:佐野美樹FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストやスキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号発行:ぴあ株式会社発売:2021年1月27日定価:1,500円(本体1,364円)判型:B5判・96ページAmazon: 楽天ブックス: 書店、ほかネット書店にて詳細はこちら:
2021年01月26日2021年1月25日、歌舞伎役者の中村勘九郎さんと、息子である長男の勘太郎さん、次男の長三郎さんがトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演しました。中村さん親子は、4年前にも同番組に3人で出演。2021年1月現在、9歳になった勘太郎さんと、7歳になった長三郎さんの成長ぶりに、MCを務めるタレントの黒柳徹子さんは頬を緩ませていました。歴史好きは隔世遺伝?中村勘太郎と亡き勘三郎の共通点2人の成長ぶりに触れながら、それぞれの好きなことについて黒柳さんが質問。すると、勘太郎さんは、「歴史が好きで、歴史博士になりたい」と回答しました。その後、勘太郎さんは黒柳さんに、オリジナルの武将クイズを出題。黒柳さんも答えが分からないほど難題なクイズを出題し、博識ぶりを見せつけたのです。父親の勘九郎さんによると、亡き十八代目中村勘三郎さんも歴史が大好きだったのだとか。(勘太郎さんは)本当に好きなんですよ、歴史が。これ、隔世遺伝で。うちの父が史学科出身で、歴史が大好きだったので。もし生きていたら彼と、とてもマニアックな話で盛り上がってるんだろうなと思いまして。徹子の部屋ーより引用中村勘太郎と長三郎、『BTS』にドハマり中また、勘太郎さんと長三郎さんは「歌とダンスも大好き」と話し、現在、韓国のアイドルグループ『BTS』に夢中になっていることを明かしました。勘太郎さんと長三郎さんは黒柳さんの前で、『BTS』の楽曲『Dynamite』の歌と踊りを披露。母親が歌うのを聞いて、英語の歌詞も完ぺきに覚えてしまったのだそうです。2人のなめらかな英語の発音と、勘太郎さんの完ぺきなダンスは視聴者を驚かせています。・何気なく見ていた『徹子の部屋』で勘太郎くんと長三郎くんの、英語の発音のよさにびっくり。・突然の『BTS』がかわいすぎて癒されましたー!さすが、歌もダンスも上手ですね。・勘九郎くん、長三郎くん、かわいすぎてもう胸がいっぱい!話し方から、所作から、本当に素敵だなあ。『BTS』の歌と踊りも、もっと見ていたかった。・勘太郎さんと長三郎さんの『BTS』が、インパクト強すぎて思わず目がくぎ付けになった!とっても上手!番組の最後に黒柳さんは、「今度は、勘太郎さんと長三郎さんの2人でいらしてね」とひと言。父親の勘九郎さんが「もう僕はいらないですか!?」と反応すると、「もうその頃には2人でお話しできるでしょうから」とスタジオを笑わせていました。これからの勘太郎さんと長三郎さんの成長ぶりが楽しみですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月25日川崎フロンターレひと筋18年の“クラブの象徴”、中村憲剛選手が現役引退を電撃発表したのは、大怪我から復帰し、40歳となる誕生日にゴールを決めた翌日。いま明かす胸の内とは……。無観客試合の味気なさ。コロナ禍で痛感したのは…。――シーズン中の引退会見は、我々が度肝を抜かれました。僕にとっては前々から思っていたことで、先輩である伊藤宏樹さん(現在、川崎フロンターレ強化部スタッフ)の引退も考えるきっかけのひとつになりました。宏樹さんは、僕が33歳の時に引退されたのですが、その発表をホーム最終戦の週初めにされたんです。僕たちは報告を受けて、気持ちを無理やり整理して試合に挑みました。結果は勝利こそしましたが天皇杯では負けてしまい、宏樹さんはドタバタしたまま退かれました。その様子を見て、チームメイトにも応援してくださる方々にも、お別れまでの気持ちの猶予みたいなものが必要だと思ったんです。また、今年改めてサポーターの存在の大きさを痛感したというのもありますね。無観客試合をスタジアムの上から観ていたのですが、何とも言えない味気なさを感じました。これまでサポーターがいて当たり前だったことが、実はそうではなかった。みなさんがいてこそエモーショナルな空間ができるのだと初めて思いました。ですから、ひとりでも多くの人に自分のプレーを見てもらいたい、そうじゃなかったら寂しいと思い、このタイミングでの発表となりました。――選手の方々の反応はみなさん同じだったそうですね。まずは絶句、次に「まだできるじゃないですか」の言葉でしたね。「そうだよね」や「おつかれさま」ではなく、そう言ってもらえるなんて、とても嬉しかったです。ただ、みんなが僕への思いもいろいろと話してくれたので、精神的にはこたえました(笑)。――中村選手も選手やクラブへの思いは相当あるでしょうね。僕は川崎フロンターレに拾ってもらったと思っています。最初はついていくのに必死でしたが、いつしか自分の立ち位置がわかるようになり、毎年すべてをクラブに捧げてきたつもりです。そこから、多くの人に「元気が出た」「勇気をもらえた」と言われるプレーヤーになれたのは、クラブおよび支えてくれたみなさんのおかげ。もう感謝しかないですし、これからはそれを還元していきたいです。なので、引退後もフロンターレを離れるつもりはありません。でも、クラブだけに携わるということでもなくて、まだ何も決まっていませんが、若い選手の育成や、Jリーグの普及活動もお手伝いしたいですし、ゲーム解説にも興味があります。今は指導者のライセンスを取っている最中で、将来的には監督も視野に。でもS級(最高位の指導者資格)を取るまでにあと3~4年はかかりますね。この仕組み、何とかしてくれませんか(笑)。って、これでは体がいくつあっても足りないですね。――ダメもとでお聞きします。現役復帰の可能性は、本当にもう1ミリもないのですか?本気で決断したことなので、それはないですね(笑)。自分を裏切ることになりますし、今はそのイメージは湧かないです。ともかく、これまで好きなサッカーを40歳まで続けたのは我ながらよくやったなと思います。そして、むしろここからだなと思っています。今まではいわば自分がメインで周囲を巻き込んでいましたが、これからはサポートや応援する側になりますから。自分なりにブランディングを考えていかなければいけない。でも、不安よりは期待のほうが勝っていますよ。第二の人生を思い切り楽しもうと思います。――とはいえ、現役生活はまだあります!(本誌発売日の)2日後は天皇杯の準決勝ですね。もちろん勝って、元日の決勝で優勝して引退できたら本当に幸せ。簡単ではないと思いますが、実現できたら、こんなに恵まれたサッカー選手はいないと思います。泣いても笑っても僕のラストになりますが、他の選手に余計なプレッシャーをかけたくないので、一選手として優勝を狙いにいきます。リーグ優勝も泣くかなと思ったら笑ってましたし、今回も笑って終えそうです。涙はきっと、グラウンドにひれ伏すほどに泣いたリーグ初優勝で枯れたのかな(笑)。なかむら・けんご1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ所属。ポジションMF。中央大学卒業後、同クラブ入団。幅広い視野と高度なテクニック、特にスルーパスが持ち味で、長年チームを牽引し3度のリーグ優勝に貢献、常勝軍団へと導いた。日本代表にも招集され活躍。2020年11月1日、今シーズン限りでの現役引退を表明。カメラマンがドリブルとシュートをいきなりリクエスト。「本当に怪我していたのかな、と思うくらい好調です。天皇杯は自分にとってラストの試合ですが、私情抜きに完全燃焼で頑張ります」。天皇杯準決勝は12月27日(日)、決勝は2021年1月1日(金)。クラブでは中村憲剛選手への感謝を込めて「One Four KENGO」プロモーションを実施中。※『anan』2020年12月30日‐2021年1月6日合併号より。写真・藤尾真琴インタビュー、文・伊藤順子(by anan編集部)
2021年01月01日