リーボックはこのほど、ブランドアンバサダーとしてモデル・タレントとして活躍中の中村アンさんを起用したことを明らかにした。ブランドアンバサダーに就任した中村さんは、学生時代からチアリーディングに取り組み、現在もクロスフィットトレーニングやランニングなど日常生活のなかにフィットネスを取り入れている。フィットネスを通して理想の自分を手に入れるために努力し、進化し続ける中村さん。その強さ、美しさは、フィットネスを通じて自らの可能性を最大限に高めるという同社のブランドメッセージ「Be More Human」とも重なる。その姿を通し、フィットネスで自分の可能性を引き出して進化させる喜びを発信していきたいという思いから、アンバサダーに中村さんを起用した。中村さんはアンバサダー就任について、「フィットネスがダイエットや減量目的のためだけではなく、『新しい自分を創るための努力』として捉えてもらえるよう発信していきたいです。これから、リーボックのブランドアンバサダーとして活動することが本当に楽しみです」と意気込みを語った。
2015年05月25日4月2日(木)より東京・歌舞伎座で上演される「松竹創業120周年中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露歌舞伎座四月大歌舞伎」。同公演の成功を祈願し、四代目中村鴈治郎、坂田藤十郎らが東京・浅草の浅草寺でお練りを行なった。【チケット情報はこちら】中村鴈治郎は今年の1月・2月の大阪・大阪松竹座で襲名披露公演を開催。今回、歌舞伎座で行なわれる公演で、四代目中村鴈治郎が東京に初お目見えする。お練りのあと行なわれた囲み取材には、四代目中村鴈治郎が出席。報道陣に自身の名前には慣れたかと聞かれると「なんとか(笑)。ただこれでおどおどしているようではダメですけどね。襲名してつくづく思うのは鴈治郎という名前の大きさですね。この名前はどこに行っても皆さん知っていてくださる。改めて凄いなと思っております」とコメント。さらに「初代はあまりにも伝説的な役者ですが、そこを意識しすぎるとプレッシャーにやられてしまう。二代目、三代目という自分が目に焼き付けてきた鴈治郎を、良い意味で追いかけていければと思います。どんな役をやっても光っていられるような役者になりたい」と抱負を述べた。新開場した歌舞伎座で襲名披露公演が行なわれるのは今回が初。公演に向けて意気込みを聞くと、「江戸とは違う上方の役者のにおいを出して、お客様にそれを感じていただければと思います。ただ、いかんせん歌舞伎座というのは大きな小屋。なので、お客様にはその大きさを感じさせない、空間を埋められるようなお芝居をできれば良いなと思っています」と語った。「松竹創業120周年中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露歌舞伎座四月大歌舞伎」は4月2日(木)から26日(日)まで、東京・歌舞伎座で上演。チケットの一般発売は3月12日(木)午前10時より。なお、一般発売に先がけて、先行抽選プレリザーブを実施。受付は3月4日(水)午前11時から9日(月)午前11時まで。
2015年03月04日【相談者:20代女性】最近、好きでもない人からの猛アプローチに困っています。上手な断り方を教えてください。●A. 片思いされている人からのアプローチを断る3つの方法。こんにちは。ポジティブ恋愛専門家のチオリーヌです。ご相談ありがとうございます。好きな人からの猛アタックなら大歓迎なのですが、好きじゃない人からの猛アタックには本当に困りますよね。特に仲良しのグループの一員だったり、仕事関係の人だったりすると、下手に完全に無視するなどの行動に出ることもできず、やんわりと断ろうとすると逆に勘違いされてしまうケースなんかも多々あるものです。そこで今回は、筆者がモテ男、モテ女たちに調査した“片思いされている人からのアプローチを上手に断る方法”をご紹介したいと思います。●(1)恋愛アクションに関わらない相手は一生懸命2人の関係を恋愛関係に持っていこうとアクションを起こしているでしょう。しかし、そういったアクションに一切興味を示さず、関わらないようにします。たとえば、2人で食事やショッピングに行くお誘いなんかが来ても、2人だけという状況には一切応じません。1回だけなら……が相手を勘違いさせてしまうからです。●(2)連絡は淡泊に相手が長い長いメールを送ってきても、用件のみ返信する、電話でだらだら話したいようなそぶりを見せても、少し会話はするものの、「用事がある」と言って長く付き合わないようにします。相手のことが可哀想だと思ってそれに付き合っていると、相手を勘違いさせてしまうだけ。自分のためにも相手のためにもなりません。●(3)趣味に夢中であることをアピールどうしても2人で話さなければならない状況ができたときには、恋愛ネタの話を持ち出されないように、ひたすらあなたが夢中になっている趣味の話をして、休みの日や平日の空いた時間にも趣味以外に時間を使う気にもならないといったニュアンスで、愛すべき趣味について熱く語ってみてください。そうすれば、相手は自分が入る隙がないことに気付いてくれるはずです。----------いかがでしたか?誰かに好かれていることは心地のいいモノでもあるので、なんとなくキツく対応できない、はたまた立場上そういった対応ができないと思う人も多いでしょう。しかし、先ほども申し上げたように、相手があなたのことを好きでも、あなたにその気が一切なければ、その状況をキープすることはお互いにとって何のメリットもないわけです。お互いに時間をより有効に使うためにも、ご紹介した3つの方法を使って、現状をクリーンにしてみてください。●ライター/チオリーヌ(ポジティブ恋愛専門家)フリーランスライター。イギリス・ロンドン在住。都内某出版社に勤務した後、ロンドンへ移住。世界一カオスな街で想定外の国際結婚に発展し、現在に至る。自身の著書に『B型男を飼いならす方法』『ダイエットマニア』がある。 世界中から集めたお部屋のデコレーションアイデアを紹介するサイト『Lovely World House』を運営中の他、自身のブログ『Newロンドナーになるのだ!』ではロンドンライフを皮肉に書き綴っている。
2015年02月23日中村屋はこのほど、「スパイスデリ 新宿中村屋 純カリー粉」を発売した。同商品は、1927(昭和2)年に、日本で初めて純印度式カリーを発売したという中村屋本店のレストランで使用しているオリジナルブレンドのカレー粉。オリジナルブレンドのスパイスは、高温で焙煎(ばいせん)した後に、石壷でスタンピング(型押しのように上から突くこと)した。さらにスパイスを熟成させることで、深い香りとコクが引き出されるという。しっかりとした熟成感がありながら、コリアンダーとカルダモンの清涼感ある香りが楽しめるとのこと。カレーだけではなく、様々な料理にも使用可能。なお、本店のレストランではこのカリー粉以外も使用しているという。価格は430円(税別)。
2015年02月19日俳優の中村雅俊と五十嵐淳子夫妻の三女でモデルの中村里砂が、芸能界デビュー1周年を迎えた。2010年にモデルデビューを果たし、女性誌『LARME』(徳間書店)のレギュラーモデルを務めるなど、ガーリー系女子の間で高い人気を誇っているが“2世”であることを公表したのはタレント活動を始めた1年前から。活動の場を広げたのも自らの意思で、「テレビに出演することも全部決まってから報告した」という。「最初は両親とも、すごく驚いていました」と話す中村が、芸能界デビュー後の変化や両親への思いを語った。<全身ショット>中村里砂、キュートなミニスカ&バニー風衣装2014年、両親の結婚記念日でもある2月1日から本格的にタレント活動をスタートさせた中村。1年間を振り返り「改めてデビューと言われると恥ずかしいですね」と照れ笑いを浮かべる。自身としては「モデル業に加えて、テレビという活動の場がひとつ増えた程度にしか捉えていなかった」というが、テレビ露出が増えることでファン層の変化や広がりを実感。「これまでのわたしを知らない人にも、常に新しいわたしを発信していけたら」という思いと旺盛なサービス精神から、最近ではバラエティ番組で家族とのエピソードやプライベートを明かして注目を集めている。「仕事が忙しい時には、お母さんが作るあたたかいごはんは、やっぱり嬉しいですね」と良好な親子関係を明かした中村。「すごく料理が上手なんですよ。ごはんも土鍋で炊くなどしてこだわっていて。特に和食がおいしいんです」と、母・五十嵐淳子の料理を絶賛した。また、2月1日は父・中村雅俊の誕生日だが、「プレゼントってあげたことがなくて…」とポツリ。「何をあげればいいかわからないんです。今年は渡せたらいいなと思います」と、娘としての顔ものぞかせる。家族のエピソードを語ることが増えたが、ここまで両親の力を借りることなく自らで道を切り開いてきた。“2世タレント”という言葉の裏に“親の七光り”という特権を見る視聴者は多いが、「自分のやっていることには責任を持ちたいし、やるからには1ミリも妥協したくない」と力を込める。もともと自立心は旺盛で、「(幼少の頃から)なんでも自分で決めたいタイプ。両親がダメといっても聞かない子だった」という中村。「小さい頃から舞台などは連れられて観に行く機会も多くて、役者の仕事をやってみたら、と言われたこともあった」というが、自らの意思でモデル業からスタート。「みんなでひとつのものを作り上げる作業が好き」だったこともあり、モデルの仕事を続けているうちに、俳優業にも自然と興味を抱くようになった。「両親とは進んできた道が違うから、自分はマイペースに」と語る中村。その大きな瞳からは、持ち前の自立心と、芸能生活2年目に挑む決意が感じられた。
2015年02月01日1世紀に渡り親しまれてきた新宿の老舗食品メーカー「中村屋」が、新宿本店ビルの建て替えにあたり、新たに「中村屋サロン美術館」を開館する。10月29日のグランドオープンに先駆けた内覧会では、開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」がお披露目された。新宿中村屋ビル3階に設えられた中村屋サロン美術館は、展示室と多目的スペースを備えた約240平方メートルの文化芸術施設としてオープンする。白と赤の壁、木製の什器とレトロなランプが落ち着いた雰囲気。開館記念展は、中村屋から広まった近代日本の芸術潮流であり、また館名の由来ともなった「中村屋サロン」にスポットを当てる。荻原守衛、中村彝、高村光太郎、會津八一、中原悌二郎ら関連する作家による絵画、彫刻および書など約50点を集め、明治から昭和に掛けての芸術家達の文化交流の様相を提示した。中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術に深い理解を示した文化人である。愛蔵と同郷の彫刻家・荻原守衛(碌山)を中心に、中村屋には多くの芸術家達が自然と集い、その様子がさながらヨーロッパのサロンのようであったことから、夫妻のもとに開花した芸術潮流は「中村屋サロン」と呼ばれた。同館の染谷省三館長は、「ここ新宿中村屋で生まれ、発信された芸術文化は中村屋のアイデンティティーである。それを後世に伝え、また人々の文化的集いの場“サロン”となる美術館にしたい」と話す。本展の目玉となる作品が、萩原守衛によるブロンズ彫像『女』だ。不安定な膝立ちのポーズに秘められた躍動感を感じる一作であり、その造形美は必見である。同館の太田美喜子学芸員は、「美術史上ではよく知られた“中村屋サロン”の一般認知度の低下を食い止めるとともに、若者にその存在をもっと知ってもらいたい」と言い、若い世代の鑑賞者に向けて、出品作の中から中村彝の油彩画『小女』を推薦した。相馬夫妻の長女・俊子をモデルに制作された本作は、肺病に侵された画家とモデルの恋のエピソードで有名。俊子の強いまなざしときりりとした太い眉、頬にさす紅色の生命感が鮮烈で、どこか現代にも通ずる魅力を持った作品だ。その他、高村光太郎の『自画像』や、鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』など有名作が出展され、コンパクトながら見どころの多い展覧会にまとめられた。かつて多くの企業美術館が立ち並んだ新宿。新たな新宿の芸術サロンとしての同館の今後に注目したい。【イベント情報】中村屋サロン美術館 開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」会場:中村屋サロン美術館住所:東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル3階会期:2014年10月29日から2015年2月15日時間:10:30から19:00休館日:火曜日、1月1日(火曜が祝祭日の場合は開館、翌日休館)入館料:300円
2014年10月22日中村アン 秋冬イベント出演抜群のプロポーションにストレートな発言で人気急上昇中の中村アンさん。バラエティ番組にひっぱりだこの彼女はタレントとして活躍の幅を広げています。もちろん、本業ともいえるモデルのお仕事もノリにのっていて、彼女のオフィシャルブログによれば、8月~10月にかけて複数のファッションイベントに出演が決まっています。ヘビロテアイテムは?同ブログでは、彼女のプライベートをのぞき見ることができ、7月23日付けの記事ではヘビロテアイテムを紹介。「カシウエアの触りに病みつきです」と愛用品を大絶賛しています。また、私服も公開されており、同ブログ7月26日付け記事では、オーシャンパシフィックの水着写真が載せられています。「かわいいし 形がキレイだししっかりしてる」とモデルらしいコメントも。もう秋物ですトレンドの先取りがモデルの宿命。同ブログ7月27日付けの記事では、「and GIRL」の撮影で秋物の撮影をしたことを明かしました。スタッフが半袖のなか、長袖のトップスや厚手のパンツをスマートに着こなす姿はさすがプロ!モノトーンのシックなコーディネイトが秋らしさを誘っています。しかし、同日の私服はスイカ柄のワンピース。スタバのドリンクを片手にまだまだ夏を楽しんでいる写真がアップされています。【参考】・中村アン オフィシャルブログ
2014年07月29日資生堂ギャラリーは、昨年永眠したグラフィックデザイナー兼アートディレクターの中村真の没後初となる回顧展「中村誠の資生堂 美人を創る」を開催している。6月29日まで。本展では、資生堂のイラスト広告を写真広告へと転換させた中村の創作プロセスを、自宅に遺されていた記録写真や校正刷りポスターなどの未公開資料を交えながら展示。モデルに山口小夜子を起用した香水の広告など、数々のポスターも紹介する。デザイン評論家の柏木博、グラフィックデザイナーの佐藤卓と松永真を迎えてのトークショーも6月22日の14時より資生堂銀座ビル3階の花椿ホールにて実施(申し込み制)。中村は1926年岩手生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後し、49年に資生堂に入社。写真を用いた写真表現で頭角を表し、50年代半ばから80年代まで多くの広告を製作した。資生堂の宣伝部政策室長から顧問までを務め、国際グラフィック連盟などで幅広く活動し、93年に紫綬褒章受章。2013年6月永眠。【イベント情報】「中村誠の資生堂 美人を創る」展会場:資生堂ギャラリー住所:東京都中央区銀座8-8-3東京銀座資生堂ビル地下1階会期:6月3日から6月29日時間:11:00から19:00(日曜日は18:00まで)休館日:月曜日入場無料
2014年06月10日戦前のイラスト広告を写真へ資生堂ギャラリー(東京都中央区)で昨年永眠した中村誠氏の回顧展「中村誠の資生堂 美人を創る」が開催される。中村誠氏は資生堂の広告を数多く手がけてきたグラフィックデザイナーでアートディレクター。1949年に資生堂に入社してから戦前の資生堂のイラスト広告を写真広告へ転換させた人物として知られている。ただ単にイラストから写真へ変えただけでなく、その仕事内容は実に繊細なもの。中村氏は生前「計数に表現することのできない表情とか、雰囲気、空気感を大切にしてきた」と語っていた。資生堂が確立していた独自のイラスト広告の伝統を受け継ぎながら、製版の工夫、大胆なトリミングといった手法により広告を進化させていった。(画像はプレスリリースより)「一業、一社、一生、一広告」中村氏が築いたスタイルは他の人ではできなかったということは、こんなエピソードからうかがえる。「一業、一社、一生、一広告」、これは中村氏が企業デザイナーとして掲げていたモットー。「企業のアイデンティティーをビジュアライズするのがアートディレクターの仕事」と語っており、生涯、企業イメージの創出に力を注いだ。そんな実直な意識のもと生み出された広告だからこそ、見る人に深い印象を与えるものになったのだろう。中村氏の広告は国内だけでなく海外でも賞を得るなど世界的に高く評価されている。回顧展は2014年6月3日(火)~6月29日(日)11:00-19:00 (日曜のみ11:00-18:00) 開催される。【参考】・株式会社資生堂 プレスリリース(PRTIME)
2014年05月30日【相談者:20代女性】出会って9ヶ月の彼とは、私が一目惚れして猛アタックをし、付き合い始めました。彼は同じ職場に中途採用で入って来た人で、別階に勤務しています。仕事、仕事仲間や友人との付き合い、趣味にと忙しい彼は、デートする時間すらない状況です。他に女性はいないと思います。彼は私より人付き合いの方を優先するので、文句こそ言った事はありませんが、「さみしい」「もっと会いたい」とは言ってしまいます。私から言い出さないとデートをしてくれないし、デート自体あまりしません。先日、職場の忘年会にて私が飲みすぎて失態をさらしたようです。全く記憶がありませんが、彼には「あんな飲み方の女性は困る」と言われました。同僚に聞くと私は泥酔して泣いたり騒いだりしていたそうです。「もう飲まないね」と謝ると、「そこまでしてくれなくていい」と不機嫌に。毎日メールはしていますが、すべて私発信。天気の話と挨拶くらいで、「どこどこに行きたい」と言っても、「そうだね」と返事するだけで実現せず。もう私からの連絡はしない方がいいのでしょうか?でも、連絡しなくなったら終わってしまうのではないかと思うと勇気が出ません。プライドの高い彼から、連絡は来るでしょうか?●A.男は「苦労しないで手に入った女」に対して、興味を抱きにくいのです。こんにちは。ライターのたえなかすずです。酔ったときに感情をコントロールできないのなら、お酒は控えましょう。彼はその姿を見て幻滅します。見たくないはずですし、酒グセの悪い女と付き合っていることほどかっこ悪いものはありません。●彼とは本当に交際しているのでしょうか?交際中とはあまり思えないのですが。貴女に全く努力をしていないところに疑問を感じます。相談文だけ読むと、「都合のいい関係」にしか思えません。俗に言う、「暇なときに会える関係」なんでしょうか。暇な時もなかなかないようですが……。全力で時間を割かないんですね。優先順位が最下位なんですね。こういうパターンは、「口だけで行動はなくても吐いてくれる言葉は甘い」のですけど。「なかなか時間取れなくてごめんね、愛してる」とか。企画もしないのに、「旅行に行こうね、一緒にずっと居たい」とかね。でも彼はそういう部分もないみたいですね。このテンションの低さはどこから来るのだと思いますか?私だったらもう諦めます。好きでもね。だって悲しいじゃないですか。後回しにされても肝心の埋め合わせはなし。デートの提案もなし。一方通行ですもん。まあそれは、仕方ないといえば仕方ないですよ。だって一目惚れなんですから。それを彼に言っちゃった貴女もどうかなあ、と。こういう場合は言わないことに越した事ないのですよ。「内面が好き」と言うべきなんですがね。顔が好きという話は身体が好きと同義で、裏返すと「顔しか取り柄がない」ということですね。高校生じゃあるまいし、こういう中身のない告白ってどうかなと思いますけど。顔が好きなのですよね?顔が好きってかなり強力なパワーを持っていて、もう何でも許しちゃうんですよね。ルックスに執着しちゃうんですよ。彼はプライドが高いのではなく、自分が愛されているから自信がある。だから何をしても許される。どんな態度をしても許される。だって顔が好きなんだもんね!僕の顔が!と威張っているのではないかと思います。●彼の心境を考えてみましょう・僕の事が大好きな女性。・僕に無理に返事をさせている女性。・連絡がきてうっとうしい。・酒に呑まれる女性。・普段は忘れている。・飽きた。*****貴女から押して押してで交際にこぎつけ、彼はなんとなく付き合っていたのでしょう。「勝手に好きって言ってるし、キープしとくか」そんな感じです。苦労しなくても手に入った女性。その場合はすぐに興味を失ってしまいます。というか、興味などあまり持たないかもしれないですね。興味ない女性が、「会いたい」と文句を言っている。「会いたい」も「さみしい」も、言い方を変えた文句ですね。ダメ出しの一種です。彼は、「なんでそんなこと言われないといけないんだ?うるさいな」と、こんな感じに思っているかと思われます。貴女は尽くしすぎたのではないですか。「何にも尽くしてないよ?待ってただけだよ?」とお思いでしょう。自分から猛烈にアタック=尽くしている、です。尽くしてくれる女性にはあんまり男性はときめかない気がしますね。彼のテンションが高まらないうちに話が進んでいた。そして、「なんだか知らないけど付き合うことになってる」と思っていたと思います。「ま、いっか。苦労することなく身体の関係も持てるしな」とも思ったかも。そんなもんだと思いますよ。「やれるからいいや」と男性は納得する。女性は身体イコール心ですから、もっと心も近づきたい。むしろ近付いていると思い込んでいる。男はそれをプレッシャーに感じて嫌気がさす。積極的に愛してるという言葉もなく、積極的にデートをしていないのなら、彼に本命がいるかもしれません。自分に素っ気無いのはそのケースが多いです。さてここでどうすればいいのか。距離を置くことだと思います。貴女がどれだけ貴重なのか思わせる方法です。●距離を置いて、彼の気持ちを確かめる「距離を置く=連絡を断つ」・そのあかつきにどれだけ貴女が変わっているか。・重くない女になっているか。・彼の周りの女性より美しいか。・誰にも負けず優しいか。・ウザくないか。……と言うことが重要になってきます。距離を置くのは長期戦です。なぜなら本命と今はラブラブでも、必ず中だるみ時期や倦怠期が訪れます。本命が嫌になっているときかもしれません。仕事で落ち込む時期かもしれません。弱る時期が必ず来る。そして、貴女の悪い印象が薄まり忘れかけていい印象に変わっている。その時、貴女をふと思い出すか、思い出して連絡をしてくるか。連絡はしてくると思いますね。「最近どうしてる?」と。それを待ちます。してこなかった場合は、本当に貴女のことが無理だった場合です。半年経つとかなり状況は変わると思います。それまで待ってみましょう。貴女が連絡を断って、彼は自分の事を諦めたと思うかもしれません。フェイドアウトの別れだと判断するかも。でも、それは想定内なので気にしなくていいです。職場恋愛でも別フロアーならあまり会わなくて済むと思います。できるだけ彼が参加しそうな催しには出ないでおく。出たくなるでしょうけれども。仕事の話は普通に接する。「どうしたんだろう?僕に興味がなくなったのかな」と思わせたら成功ですね。プライドが高い彼ならなおさらだと思います。自分に興味がないなんて信じられないからです。そうなるために、今から自分磨きをして価値を上げておいてくださいね。何かアクションはあると思いますよ。でも、よく考えておいてくださいね。復縁できたとしても、また愛されない立ち位置に苦しむかもしれませんから。最初から最後まで貴女の方がテンションが高い付き合いだったら、元に戻る(彼のほうのテンションを上げる)のは至難の業です。それを忘れないでください。(ライタープロフィール)たえなかすず(恋愛短歌専門家)/ライター。トーキョーを駆け抜ける文系女子。ロマンチシズムと現実主義のはざまに棲息中。趣味は人間観察。辛口ですが愛があります。2009年に短歌に出会い目からウロコが転げ落ち、現在はもっぱら短歌を詠むことに熱中しています。特技は書道。昭和マニア。懐かしモノが好きです。
2013年01月21日2月より六代目中村勘九郎襲名披露興行を行う中村勘太郎が都内で取材会を行い、現在の心境を語った。襲名興行は2月に東京・新橋演舞場にて、3月に東京・浅草の平成中村座で上演後、主要都市を回る。新橋演舞場二月大歌舞伎<中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露>チケット情報「演舞場と中村座で襲名興行ができるのは、なんだか勘九郎らしいですね。父が19歳の時から夢見て建てた中村座で初の襲名ができる。うれしいですね」と勘太郎。父・勘三郎が勘九郎時代に築いてきた功績は数限りない。1994年よりほぼ毎年、若者の街渋谷で『コクーン歌舞伎』を上演。また、現代の作家に新作歌舞伎を創って欲しいという思いから、串田和美、野田秀樹、渡辺えり、宮藤官九郎などに演出や執筆を依頼し新たなファンを掘り起こした。2000年には中村座にゆかりある浅草に仮設劇場を建て、“平成中村座”として公演を行った。その後この一座は日本国内のみならず、世界各地で上演を行っている。そんな勘九郎の名を継ぐ重責については「とりあえず怖い」と話す。「やっぱり戦ってきた名前ですから。(中村座やコクーンでの上演は)歌舞伎を愛してもらいたい、色々な人に知ってもらいたいって。危機感をずっと持っていたんでしょうね。お客様が入ってくれなきゃ話にならないですし。ただ、新しいことをするとよく思わない人もいますよ。いいものをすることによって戦うというか。熱い魂を持って戦ってきた名前ですね」12月の中村座は勘太郎として最後の舞台出演になる。「今月はいい最後を迎える事ができるんじゃないかな。『積恋雪関扉』の関兵衛は今までの役者人生の中で一番苦心した役ですね。演じた者にしかわからない苦しみや疲れがあります。勘太郎という名前で関兵衛をやらせてもらい、偉大なる先輩方が愛した役で、同じ疲れを自分自身で体感でき、歌舞伎ってこういう楽しさもあるんだなと思いました」今年は震災はもちろん、長男の誕生、父の病気、祖父(七代目中村芝翫)の逝去と勘太郎にとっても大きな出来事が続いた。「すごい年になっちゃいましたね。(父の代役を務めた際)命を削ってでもやりますと言ってたら、本当にそれぐらい大変でした(笑)」2月興行では『土蜘』の僧智籌と、『河内山』松江出雲守、『春興鏡獅子』の弥生での出演が決定している。「『土蜘』は、今まで中村屋にあまり縁のなかった役ですが楽しいです。弥生は、祖父(七代目中村芝翫)と1対1でずっと稽古をやってました。父も祖父もすごく大事にしています。おじいちゃま(十七代目中村勘三郎)も。全員の血が入っているから大切にしなければと思いますね。3人とは体型が違うので、当時振り付けられた踊りをどうこの身長で踊るかですね」襲名興行まであと僅か。「今月の“勘太郎”最後をまずは楽しみたいです。襲名はお祭りですからね。お客様にも楽しんで頂いて、一緒に祝って欲しいです」。公演は2月2日(木)から26日(日)まで新橋演舞場で上演。その後、3月平成中村座、9月に大阪・松竹座、10月に名古屋・御園座、12月に京都・南座、2013年2月に博多・博多座で上演される。
2011年12月22日歌舞伎俳優の中村勘太郎が、来年2月に六代目中村勘九郎襲名披露の成功を祈願して11月27日、東京・浅草寺でお練りを行った。父、中村勘三郎と弟の中村七之助らとともに雷門前を出発し、ゆっくりと本堂までお練りを開始。晴天となったこの日、人気役者を一目見ようと2万5千人が集まり、「中村屋!」と声がかかると笑顔で応えていた。新橋演舞場二月大歌舞伎<中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露>チケット情報勘太郎は「勘九郎という、父が46年間名乗っていた名前を継ぐプレッシャーはあります。みなさまからの笑顔とご声援を胸に、1年間しっかり務めたいと思います」と挨拶。また勘三郎は「勘九郎っていい名前ですけど大した事ありません。(自分が)勘三郎を継いだ時のほうがプレッシャーがありました。気楽にいい勘九郎にしてもらいたい」とエールを送った。勘九郎を名乗る実感がまだ湧かないという勘太郎だが、「謙虚な気持ちと向上心と、ハングリー精神を忘れないように務めたい」と話し、気持ちを引き締めていた。なお、勘太郎としての出演は今年12月の『平成中村座』(東京・浅草)が最後となる。襲名披露は、来年2月2日(木)から26日(日)まで東京・新橋演舞場にて興行を行い、その後、3月に平成中村座、9月に大阪・松竹座、10月に名古屋・御園座、12月に京都・南座、2013年2月に福岡・博多座と各地を回る。新橋演舞場のチケットは12月23日(金)より発売。
2011年11月28日今年9月、東京・新橋演舞場『秀山祭九月大歌舞伎』興行で、三代目中村又五郎、四代目中村歌昇をそれぞれ襲名する歌舞伎俳優の中村歌昇と長男の中村種太郎が、中村吉右衛門、中村歌六らとともに8月22日、東京・浅草寺で「お練り」を行った。チケット情報鳴物の山車と木遣り(きやり)に先導され、雷門を盛大に出発。1万人の人で賑わう仲見世を経て、「播磨屋!」、「又播磨!」などの掛け声が飛び交う中、本堂に向かい成功を祈願した。朝から激しく降っていた雨も「お練り」が始まるとすっかり止み、天さえも味方につけているかのよう。なお、浅草寺での「お練り」は2005年1月の中村勘三郎以来6年7か月ぶり。三代目又五郎を襲名する中村歌昇は、「本日は本当にありがとうございます。お天気の悪い中、木遣りの方々、お囃子のあやめ連の方々、浅草の芸子の皆様、ありがとうございます。皆様のご声援に応えるべく、この道一層の精進をいたし、ひとかどの役者になることが、皆様へのご恩返しだと思っております」とコメント。また、四代目歌昇を襲名する中村種太郎は「このようにお練りをさせていただくことは、色々な方々のお力があってのことだと思っております。感謝の気持ちを持って、一所懸命舞台を勤めることが一番の恩返しだと思ってております」と抱負を語った。播磨屋一門の長である中村吉右衛門は「本日はお足元の悪いなか、かくも賑々しくお運びいただき誠にありがとうございます。皆様方のお力によって、舞台で力を発揮できることと思います。ぜひとも又五郎、歌昇をどうぞ宜しくお願いいたします」と締めた。公演は同劇場にて9月1日(木)から25日(日)まで上演。チケットは発売中。
2011年08月23日