●「メイクをしないのが自分」だった数多くの偉人たちが「変化」にまつわる格言を残している。「成功体験を含めた過去の否定」が重要だと諭された大政絢(26)は何を思うのか? 主演映画『コスメティックウォーズ』(3月11日公開)は化粧品業界の裏側を通してヒロインの成長を描きながら、化粧とも縁の深い「変わること」が外見だけでなく人の根幹にも密接に関係していることが映し出される。老舗化粧品メーカーに産業スパイとして潜入した茜(大政)の胸を打つのが、研究室の上司・中野渡千香(高岡早紀)の先の言葉だ。2005年にデビュー。中学2年生になる春休み、母と一緒に地元・北海道から東京に遊びに来たことが彼女の運命を変える。お台場でスカウトされたあの日。その後、芸能活動をスタートし、今では女優とモデルを両立する日々を送っていることなど、当の本人が一番想像できなかったに違いない。大政絢の「過去の否定」に迫る。――すっぴんで出演されたことが話題になっています。現場にいる時にも変な感じなんです。これ、本当に撮影するよね……? と身構えてしまいました(笑)。――これまで、すっぴんでカメラの前に立つことはあったんですか?なかなかありません。そこまで気にしていなかったんですけど。チークも全然してない状態だったので、メイクによって顔色も違って見えますからそのあたりの心配はありました。顔を洗うシーンがあったりして最初はびっくりしましたが、周りの出演者の方もみんなすっぴん。撮影が進むにつれて徐々に慣れてきちゃうんですよね。――演じる上で何か支障があるものなんですか?すっぴんだからといって、特に問題はありませんでした(笑)。撮影前には、しっかりとスキンケア。1つでも吹き出物ができると目立ってしまうので、そこは気をつけました。――オフの日は化粧をせずに肌を休める人もいると聞きますが、大政さんはいかがですか。以前はすっぴんで過ごすことも結構ありました。外に出るときも、日焼け止めと少しだけ粉を振るぐらいで。26歳になったことでそのあたりの考え方が変わってきていて、外に出る時は口紅、アイシャドウ、眉毛ぐらいはお化粧するようになりました。雑誌でメイクページをやらせてもらってメイクの楽しさを知ることができたので、自分の手でメイクの魅力を広げていきたいという思いもあります。――最初にメイクをした時のことは覚えていますか?覚えています。この業界に入ったばかりの頃で、たしか15歳ぐらいだったかな。中学3年生ぐらいの時に「まつげを上げて」といわれてビューラーを渡されたんですが、ビューラーの使い方が分からなかった(笑)。この世界に入った頃はスキンケアすら知らなくて、化粧水や日焼け止めも塗ったことがありませんでした。田舎だから、疎かったんです(北海道出身)。モデルをやらせていただいて、十代の頃は濃いメイクが流行っていた時代でした。メイクを知らないまま、つけまつ毛をつけられたりして(笑)。顔の印象がすごく変わるんですよね。それにすごく違和感があったんです。自分でも「誰?」みたいな印象で。普段のメイクの仕方も分からなくて、そのまま帰ったりすると、家族に驚かれることもありました(笑)。当時は、「メイクをしないのが自分」だったんだと思います。――その後、メイクの価値観が変わり始める。そうですね。メイクが似合う歳になってきたんだと思います。中学、高校の時はまだ顔が幼くてメイクが馴染んでいなかったんでしょうね。高校を卒業して、大学生ぐらいの歳になると自分の顔に合うようになって、それから楽しくなりました。20代前半くらいです。――モデルという仕事との向き合い方も変わりましたか。コスメのお仕事がすっごく楽しくなりました。メイクにいろんなやり方があることを知ると、どんどん興味が沸いてきます。20代前半ぐらいからスキンケアもすごく好きになって、今回の映画で奥の奥の魅力まで知ることができて、またスキンケアに対しての概念がガラッと変わりました。これから30代に向けて、今までよりも深く化粧品たちと向き合っていきたいです。――研究室の上司役・高岡早紀さんのセリフで「成功体験を含めた過去の否定」という言葉がありました。つまり、どんなことでも変えていかないと成長はできないと。さまざまな世界の第一線で活躍している方も同じような言葉を残しています。大政さんもこの業界を10年以上生きてきた方です。何か思うところはありますか。10代はそんな変化に順応できなかったというか。20代前半も走ってきましたが、少しずつ仕事に対する気持ちも変わっていきました。24ぐらいからでしょうか。新しいことをしたい。もう一度、一からやり直していきたい。そんなふうに仕事との向き合い方も年齢によって変わってきているような気がします。●「怖い」が先行した十代――化粧のように、仕事も年齢が分岐点だったと。10代後半は負けず嫌いが勝っていました。今振り返ると周りの競争に揉まれていたころ。マイペースに生きてきたつもりでしたが、あの時は負けたくなかったんだと、この年齢になって思います。でも、がむしゃらに仕事をやる時期も自分にとっては大切なことでした。あの時があって、今の自分があるんだと思います。最近は以前よりも1つ1つのお仕事を楽しめるようになりました。無我夢中でやってきましたが、自分らしさをもうちょっと出してもいいのかなって。もちろん自分のことだけじゃなくて周りを見ることも大切ですが、私自身もこんな感じで変化しています。――「自分らしさ」とは?「自分が何を求めているのか」を、より考えるようになりました。まずは言われたことをしっかりやる。その上で、もっと大胆に動いてみようと。そうやって順応するのが怖くなくなってきたというか……縮こまらずにいることが大事なんだと感じられるようになりました。――縮こまっていた時期があったんですね。ありました。10代の頃とか、結構厳しく言われると「怖い」が先行しちゃって(笑)。負けないようにしなきゃと言い聞かせていました。――最近では、『non-no』から『BAILA』モデルに。読者の年齢層も上がりますね。25歳の節目に、自分で決めたことでした。私の周りでは「25から変わる」という女性が多かったんです。体形が変化しはじめて、いろいろなところに肉が付くから運動しておいた方がいいよとか(笑)。内面的にも、周囲から大人として見られる頃です。今回の映画もそうですが、愛をもってお仕事できるのは大きなことだと思います。十代の時は、がむしゃらでした。「1つ1つの仕事に対して愛を持ってできたのか?」と言われると、自信を持って「できました!」とは言えません。今は作品の1本1本、雑誌も1カット1カット、本当に集中していいものを作りたいと思っています。――逆に変わらないところ、変えたくないことは?基本的に性格はマイペースです(笑)。友人関係もあまり変わりません。環境ががらっと変わったわけでもなく。人と接することが20歳ぐらいからすごく好きになって、そこは今でも変わらないところです。――年上の友人が多いというのは本当なんですか?本当です(笑)。ほぼ、年上の方です。――年上ばかりだと、気疲れする時もあるのでは?一応、先輩とは思っていますが(笑)、友達として接しています。頼まれ事も、先輩後輩ではなく友人として。もともと、「人に何かをすること」は私にとっては幸せなことなんです(笑)。自分のことを話すと、「私も当時はそうだった」みたいに感想やアドバイスをくれて、後押しをしてくれる存在でもあります。――『BAILA』モデルへの加入発表時、「モデルとして心掛けていること」について、美容よりも礼儀が大切だとおっしゃっていました。これも昔から変わっていないところなんじゃないかなと。そこは昔から変わってないかもしれないです。10代のころは、こういうインタビューでも全然しゃべれなかった。言葉が出てこなかったのでしょうがないとは思いますが(笑)、あいさつだけはしっかりしようと思っていました。――ご両親のきびしいしつけではなく?そうですね。両親は干渉せず自由にさせてくれました。私、すごく人見知りだったんです。今では意外に思われますが(笑)。事務所に入ったばかりの時にインタビューしてくださった方は、大変な思いをされたんじゃないでしょうか。もうすぐ26になります(取材は1月)。自分の変化、そこから深く突き詰めていけたらいいなと思っています。周りからは何も変わっていないように見えるかもしれません。大政絢として何を残していけるのか? そこは自分次第だと思います。■プロフィール大政絢(おおまさ・あや)1991年2月4日生まれ。北海道出身。身長164センチ。中学2年生の春休み、母と一緒に東京に遊びに来た時に、お台場でスカウトされる。その年に『別冊マーガレット』の「別マ☆ガールズ」に選ばれて芸能界デビュー。『Seventeen』『non-no』専属モデルを経て、2016年12月からは『BAILA』(集英社)の専属モデルである「BAILAモデルズ」に加入した。女優としても活躍し、2016年は『私 結婚できないんじゃなくて、しないんです』(TBS系)などのドラマ、2017年は『コスメティックウォーズ』のほか、『PとJK』の映画、4月18日スタートのTBS系『あなたのことはそれほど』(毎週火曜22:00~22:54)に出演する。(C)2017『コスメティックウォーズ』製作委員会
2017年03月13日