結婚後、1年経過しても妊娠しなかったので、不妊治療専門の病院に通いました。実際に通ってみてつらかったこと、でも治療してよかったなと思うことをお伝えします。 まずは検査を受けることに結婚して1年。夫婦で妊娠を待ち望んでいましたが、なかなか妊娠できないので、不妊治療専門の病院へ。まずは夫婦ともに、不妊の原因になりうる感染症や体質的に妊娠しやすいかどうか、各種検査を受けました。 その中でも特につらかったのが、卵管造影検査。「生理痛がひどい場合はちょっと痛いかも」と主治医に言われ、実際、生理痛がひどい私には激痛でした。 次に各種検査の結果を聞きにいき、私はとある感染症にかかっていることが、そして夫は精子の運動率が低いことが判明。お互いに自覚がなく、なんだかとてもショックを受けたことを覚えています。 タイミング療法と人工授精にトライ各種検査の結果がわかり、主治医と治療方針を立てることに。まずは3回、タイミング療法にトライしましたが、うまくいかず。早めの妊娠を希望し、人工授精に切り替えました。しかし、2回人工授精をおこなっても、妊娠しませんでした。 当時はフルタイムで働いており、職場の上司には不妊治療中であることを伝え、理解を得ていました。しかし、私が通った病院は、院長がひとりで治療方針を立てるところだったため、予約しても待ち時間が長い! 仕事を休んだり、時間休を取りつつ、長いときは受付から会計まで6時間……という状況。 また、人工授精の実費負担もあり、大変な割に妊娠しない……。次のステップに進めば体外受精で、さらに実費負担がかさむな……と、うまくいかないことがつらく、先々の不安が重なって、ついに通うことを中断してしまいました。 なんと自然妊娠!ところが中断してすぐ、念のためタイミングだけ取っていたのですが、なんと自然妊娠! 主治医にも驚かれました。思えば、検査結果がわかってから、夫は主治医に相談して、すすめられたサプリメントを摂取し、私は感染症の治療をしたことや、行き詰まったときに思いきって治療を中断したことが気分転換になり、よかったように思います。 不妊治療は、精神的・経済的な負担が大きく、今思い出しても、とにかくつらく大変でした。ただ、不妊の原因がちゃんとわかり、現実的に必要な治療ができたことは、本当によかったなと思っています。 それから、あまりにつらいと感じたときは治療を中断し、気持ちをラクにすることも必要なことだったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/しおみなおこ監修/助産師REIKO 著者:野田 理恵もうすぐ2歳になる女の子の母。福祉関係の仕事に従事するかたわら、記事執筆をおこなう。
2021年06月29日20代前半の私は生理が疎ましく、生理不順で生理が規則的にこないことを“これ幸い”と思っていました。一応、婦人科を受診してもすぐに放置。真面目に生理不順と向き合ってこなかったのですが……。 生理不順の自分を「ラクでいいや…」と思っていた20代前半まだ結婚や出産が現実的ではなかった20代前半の私は、生理のことを疎ましく感じていました。むしろ、生理不順で、生理がちゃんとこない自分をラクだと思っていたぐらいです。 時折、婦人科を受診して生理不順の治療をしようとしたこともありましたが、当時は仕事が不安定だったことと、「生理がちゃんとくるのも煩わしいんだよな……」という思いがあり、勝手に中断。真面目に治療する気がないのに、それを医師に悟られたくないという思いもあり、あちこちの婦人科に通院してはやめ、通院してはやめを繰り返していました。 病院で婦人科系疾患を診断されるもそのまま放置そんな不真面目な気持ちで受診していたある婦人科でのことです。 その婦人科では、多嚢胞性卵巣症候群であると診断され、「ちゃんと排卵ができていないようです。妊娠したいと思ったときは苦労するかもしれませんよ」と、医師に言われたのです。 しかし、将来のことなど頭になく、当時パートナーもいなかった私は、そう言われても真剣に治療するには至らず、「そうなんですね」と気のない返事をするだけ。その日のうちに生理と思われる出血がみられたこともあって、処方された薬も飲まずに放置し、また不順な日々を過ごしてしまいました。 20代後半でようやく生理不順と向き合う仕事が安定してきた20代後半、ようやく将来のことを考えられるようになった私は、やっと真面目に生理不順の治療に取り組む気になりました。 漢方治療に2~3年、病院を替えて低用量ピルの服用を1年続けましたが、生理不順は改善しません。気づけば30歳過ぎ。このころには結婚をしており、出産も考えていました。 よくなる兆候がみられないなか、思い出したのが、以前診断を受けた多嚢胞性卵巣症候群のこと。「もしかして……」と生理不順の治療をやめて、不妊治療をおこなっている病院を受診。やはり多嚢胞性卵巣症候群であったことがわかり、すぐに治療を開始しました。 いろいろな婦人科を受診しましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたのはあのときだけ。結果的に、この診断が治療への足掛かりとなりましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたときにちゃんと治療をしていれば、その後、生理不順で苦労せずに過ごせただろうと思うと、放置してしまったことを後悔しました。 若いときは煩わしく思える生理も、子どもを産むためには大切なもの。出産にはどうしても年齢制限があるので、生理不順の場合は、面倒くさがらずにしっかりと治療をすることの大切さを知りました。 私と同じような過ちや苦労をする人が少しでも減ればと、今は職場の若い子に自分の経験を話しながら、検診を積極的にすすめています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/加藤まなびさん
2021年05月28日この漫画は書籍『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた』(原作・藍原育子/漫画・内野こめこ)の内容から一部を掲載していきます(全8話)。■前回のあらすじがんは、粘液がんという乳がん全体の約3%ほどしかない珍しいものであるということがわかりました。先生からは温存手術を勧められたのですが…。乳がん再建の会に参加し、目の当たりにした現実。夫婦で治療法を話し合うも、がんは自分だけの問題ではなく、家族の進む道さえも変えてしまう病気なのだと痛感したのでした。次回へ続く 『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた』 原作・藍原育子/漫画・内野こめこ(KADOKAWA)¥1,320(税込) 健康系記事を書くライターが乳がんに罹患。婦人科系の病気について多数の記事を取材・執筆してきたが、いざ自分が患者になってみるとまったく違う世界が待っていた。その戸惑いと苦しみ、そして家族と共に元の生活を再生していく姿を、包み隠さず明らかにした一冊。乳がんは退院すれば終わりではなく、患者とその家族にとっては「退院こそが始まり」、育児・仕事・闘病、戦いつづけた 5年間の軌跡を、患者本人の原作&内野こめこさんの作画でコミックエッセイ化した注目の書籍。
2021年03月04日この漫画は書籍『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた』(原作・藍原育子/漫画・内野こめこ)の内容から一部を掲載していきます(全8話)。どんな人でも罹患する可能性があるがん。健康系雑誌ライターとして知識もあり、人一倍気を使い、毎年検診も欠かさなかったのに…。これからどうなっていくのか、不安ばかりが募ります。次回へ続く 『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!? 育児があるのにがんもきた』 原作・藍原育子/漫画・内野こめこ(KADOKAWA)¥1,320(税込) 健康系記事を書くライターが乳がんに罹患。婦人科系の病気について多数の記事を取材・執筆してきたが、いざ自分が患者になってみるとまったく違う世界が待っていた。その戸惑いと苦しみ、そして家族と共に元の生活を再生していく姿を、包み隠さず明らかにした一冊。乳がんは退院すれば終わりではなく、患者とその家族にとっては「退院こそが始まり」、育児・仕事・闘病、戦いつづけた 5年間の軌跡を、患者本人の原作&内野こめこさんの作画でコミックエッセイ化した注目の書籍。
2021年03月02日日本は世界で最も体外受精の実施件数が多いのに、1回の採卵あたりの出産率は世界最下位―2016年に国際生殖補助医療監視委員会〈ICMART〉が世界60ヵ国を調査したレポートからわかったのは、衝撃的な現実でした。そうしたなか、2020年の菅内閣誕生で不妊治療の保険適用が動き出すなど、不妊治療への世間の注目はますます高まっています。 しかしショッキングな現実が明らかになったものの、決して日本の不妊治療の技術すべてが劣っているわけではありません。赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える世の中になるために、日本の不妊治療の仕組みは、一人ひとりの意識はどうすべきなのか? 日本における顕微授精の草分け的存在の浅田レディースクリニック理事長・浅田医師にお話を伺いました。 出産率6.2%、日本の不妊治療の実態日本の体外受精の出産率は世界最下位―その裏付けとなるのは、ICMARTが発表した下記のレポートです。 ※ICMARTが2016年に発表したレポートより、2010年の60ヵ国・地域のデータから抜粋して作成。顕微授精、体外受精を合わせた数値。参考:『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(講談社ブルーバックス 著:浅田 義正、河合 蘭) 浅田医師(以下、カギカッコはすべて浅田医師の発言):「日本の体外受精からの出産率は、世界でダントツの最下位なんです。採卵件数に対しての出産率が非常に低く、1回の採卵あたりでは出産率6.2%。これは、世界平均20.1%の3分の1にも満たない数値です」 なぜ、日本の不妊治療はこんなにも成績が悪いのでしょうか。その理由は2つ考えられると、浅田医師は語ります。 「まずはそもそも晩婚化が進み、不妊治療を始めるタイミングが遅く、卵子の老化が進んでしまっているからです。もうひとつ、世界では推奨されていない『自然周期採卵』を推奨する風潮も原因だと考えられます」 自然周期採卵とは、体外受精において排卵誘発剤を使わずに採卵する方法。日本ではこの自然周期採卵を“体にやさしい”として推奨するクリニックも多いのです。 しかし浅田医師は「体外受精で自然周期採卵を推奨するのは日本だけ」だと語ります。 「イギリスの不妊治療に関するガイドラインでは、自然周期採卵を患者に勧めてはいけない、とはっきり書いてあるんです。統計的に排卵誘発剤を使って複数の卵子を採卵したほうが妊娠しやすいことは明らかな一方、自然に排卵する卵子はたった1個しかないんですから」 こうした現状を招いてしまうのも、「クリニックごとにバラバラな治療実態」が問題だと浅田医師は指摘。「医師としては、クオリティや品質が統一された生殖医療システムを作っていかなければならない」と語ります。 菅内閣が打ち出す不妊治療の保険適用の課題とは世界と比べ不妊治療の成績が芳しくない現状があるなか、2020年には菅内閣が誕生し「不妊治療の保険適用」が表明された日本。このことについて浅田医師はどう考えているのでしょうか。 「患者さんの費用負担が減ることについては、私は大賛成です」としながらも、課題は多いと語ります。 「まずは不妊治療で現状使用している薬剤や機械を保険適用にするために、治験や手続きのための莫大な時間と費用がかかる点です。 保険適用にするためには使用する薬剤の承認を得ることが必要で、たとえ『明日から体外受精を保険適用にします』ということになっても、保険適用で使用できる薬剤がほとんどなく、事実上治療ができない非常事態になってしまうんです」 さらに、現状の薬が無事に保険適用の承認を得られても、「今後新しい薬が出るたびに承認を得なければならず、不妊治療の技術の進歩に保険が追いつかなくなる可能性もある」と指摘します。 しかし課題がある一方、先ほど問題点として挙げられた「クリニックごとのバラバラな治療実態」については改善が期待されると言います。 「保険適用の過程で、クリニックごとの成績開示の必要性が生じれば、施設のレベル統一につながる可能性もあります。アメリカではクリニックごとの妊娠率・出産率はすべて公開されていますが、日本では日本産婦人科学会に登録して成績を全部出しているクリニックもあれば、登録すらしていないクリニックもある。 今まではこうした現状を議論する場もなかったので、実態が明らかになったのは一歩前進だと思います」 家族を考える、すべての人に伝えたいこと体外受精の成功率が世界最下位というショッキングな現状がありつつも、不妊治療の保険適用をきっかけに制度が見直されつつある日本。枠組みが変わろうとするなか、個人としてはどのような意識を持てばよいのでしょうか。 実際に不妊治療をおこなうカップルはもちろん、不妊治療についてあまり知らない方も含め、将来的に赤ちゃんを迎えたいと願うすべての人に対し、浅田医師からこのようなメッセージがありました。 「まずは正しい知識を持ってほしいですね。妊娠するための女性の体の仕組みや、卵子の老化について。また、今回お話した世界と比較した日本の体外受精の成績や、自然周期採卵を推奨しているのは日本だけ、といったことを知っていれば、どういった方針を持つクリニックに行くべきなのかも判断でき、誤った情報にもまどわされないと思います」 不妊治療というものが日本でも制度から見直され始め、大きな一歩を歩み始めた今。 この時代のうねりのなかで、不妊治療に関する正しい知識を男女問わず世の中の人が当たり前に持ち、制度と意識の両方が変われば日本の不妊治療の成功率も大きく変わるはず。そして赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える、そんな世の中になっていけると願っています。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 平 理沙子Webライター。ITスタートアップ企業での広報なども経験あり。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。フェムテックやジェンダー、現在在住するシンガポール情報などを中心に執筆活動をしている。
2021年03月01日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月14日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月12日昨年、40歳のときに初期の乳がんが見つかり、部分切除の手術をしました。術後の検診で、私の場合は女性ホルモンが影響してがん細胞が増殖することが判明。薬で女性ホルモンを抑える治療をおこなうことになりました。しかし、急に女性ホルモンを抑えたことから、更年期障害が始まったのです。乳がんの治療として始まったホルモン療法私の乳がんは、女性ホルモンを栄養源として増殖するタイプのがんでした。そのため、医師に「がん細胞の増殖を防ぐには女性ホルモンを抑える治療が有効です。しかし、この治療をすると子どもを授かることはできなくなります。お子さん、もっと欲しいという希望はありますか? 」と聞かれました。そのとき私にはすでに2人の子どもがいたので、ホルモン剤での治療をおこなうことに迷いはなく、治療を開始しました。現在は3カ月に1度下腹部への注射を受け、毎日1錠の薬を飲んでいます。10年スパンの治療で、その間に閉経したら注射は必要なくなり飲み薬だけの治療に切り替わるとのことでした。予期しなかった更年期障害の始まり治療を開始して3カ月ほどたったころから、体に違和感を覚えるように。はじめは手の関節の痛みだけでしたが、首の痛み、膝の痛みと徐々にあちこちの関節が痛むようになりました。また、体がだるくて思うように動けなかったり、夜眠れなかったり、ほてりを感じたりすることも増えてきました。がん治療をおこなってくれている医師に相談したところ、女性ホルモンを抑える治療により更年期障害が急に出たのだろうとのこと。薬の副作用ではあるけれどもがんのことを考えると治療をやめるわけにはいかないので、少しでも痛みを緩和させるために整形外科を受診するようにと促されました。しかし、紹介を受け整形外科で治療してもらっても、痛みは一向に良くなりません。痛み止めを飲んだり湿布を貼ったりしているときだけは痛みから解放されるものの、時間がたつとまた痛みが戻ってしまい、その場しのぎでしかありませんでした。まとめ更年期障害は加齢による仕方のないものと思っていましたが、実際自分の身に起こるとあまりの不調に驚くほどでした。特に私の場合はホルモン療法のせいで予想以上に早く更年期障害が起こってしまったので、本当に戸惑いました。更年期障害の症状を和らげるサプリメントや漢方薬などもあるようなので服用について医師に相談しながら、更年期障害を乗り切っていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※がんの治療中、サプリメントの使用は主治医に確認してください。
2020年12月17日不妊治療は、精神的にも時間的にも経済的にも大変なもの。私の場合、まずは地元の産婦人科に通い、そこから大きな病院に転院しました。通院自体も大変なうえに服薬に複数の検査……。しかし、その終わりが来たのは突然でした。そんな私の不妊治療体験談をお伝えします。 赤ちゃんはそのうち授かるものだと思っていた…結婚3年目にして赤ちゃんを授からない私に、母が「それは不妊だよ」と言いました。当時、恥ずかしながら私自身は焦ってもおらず、のんびりと構えていたのですが、このことを機に少し考えるようになりました。 そこで、地元の産婦人科へ行ったのが不妊治療の始まりでした。最初はタイミング療法で「問題がなければすぐにできる」と言われたものの、結局半年経っても赤ちゃんを授かりませんでした。そして、医師に「うちよりも検査が充実した病院に行ったほうがいいね」と、地元で一番大きな病院を紹介されたのです。 通院と検査と服薬の日々不妊治療専門の病院に毎月車で通い、タイミング療法に加えて、私と夫の生殖機能検査、毎月の服薬に卵巣の確認、人工授精……。これらを何度か実施しましたが、半年以上経っても、一向に赤ちゃんを授かる気配がなく、少し疲れてきたころでした。 医師から「子宮卵管造影検査をしてみないか」と打診を受けて、これを実施。しかし、その直後も妊娠はできず、ゴールの見えない治療にあきらめかけ、熱心に取り組めなくなってしまいました。 久しぶりの“治療をしなかった”月に通院している病院が諸事情で1週間ほど休診になったことがあるのですが、折しも私のスケジュールとぴったり合致してしまい、そこで久々の「服薬も検査も何もしない月」ができてしまいました。 次の通院のために記していた基礎体温がなかなか下がらず、まさかと思って妊娠検査薬を用いてみたところ、なんと陽性! そのときに宿ってくれた赤ちゃんは、結果、私たちの子どもとして生まれてきてくれることになったのです。 とはいえ、私としては治療が無意味だったわけでなく、服薬や基礎体温の管理で「妊娠しやすい体」になっていたのかもという印象でした。そして、久々の「服薬も検査も何もしない月」に、気負わずリラックスしていたこともよかったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:半田あきら一児の母で専業主婦。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月02日今年の初め、全額自己負担の乳がん検査を受けました。昨年母に乳がんが見つかって手術を受けたとき、医師に「娘さんも一度しっかりと調べると良いかもしれませんね」と言われたのがきっかけです。終わったあとで受けてよかったと思ったので、そのときの様子をご紹介します。医師やスタッフもすべて女性という安心感母に乳がんが見つかったことで、もうすぐ50歳になる私も医師から総合的な乳がん検診をすすめられました。私は企業に属しているわけではなく、普段は住んでいる自治体の乳がん検診を受けています。ただ、そこでは問診とマンモグラフィのみで少し不安だったので、一度全額自己負担で個別の総合検査を受けることに決めました。事前になんの情報も持っていなかったので、まずはネットで検索を開始。すると、すぐに「医師やスタッフもすべて女性」という文言が多く目に入ってきました。乳がん検診という特別なシチュエーションのなかで、自分にとってこれは安心できる要素の1つだと感じました。また、検診する場所について病院や個人クリニックのような場所を想像していたのですが、総合健診センターが多いようでした。母のこともあり、最初は病気の発見や手術のことばかりが頭に浮かんで怖さを感じていましたが、掲載画像を見るととても明るくてリラックスできそうな印象の場所が多く「これなら行ってみたいかも!」と興味がわいてきました。申し込みはオンラインで手軽に完結最終的に決めたのは、乳がん対象の腫瘍マーカー検査(血液検査)、マンモグラフィ検査、超音波検査(エコー検査)、視診、触診という検査内容で、費用が16,500円のコースです。オプションで骨粗しょう症検査や甲状腺検査などをプラスすることも可能でした。氏名・住所・電話番号等の連絡先を記入して、申し込みは終了。すべてオンラインで完結できる手軽さがよかったです。その後は、申し込み時に記入したメールアドレスに問診票サイトのアドレスが届き、自分と家族の婦人科系の既往歴や質問したいことなどを書き込みました。問診票に関してもすべてオンラインでおこなえるので本当にラクでした。特に今回の場合、申し込みが年末で、検診日が年始という特に忙しい時期でしたので、こうした煩わしさの少ない方法はとても助かりました。明るく、落ち着いた空間でリラックス検診当日、受付を済ませると、更衣室のロッカーの鍵が付いたバーコードと自分の番号を受け取り、そこからは常にバーコードと番号での管理が続きました。通された待合室はとても広い空間で、所々に観葉植物やアクアリウムがあったり、さまざまな雑誌が置いてあったりして、まるでエステサロンの待合室のようでした。また、その待合室にはいくつもの電光掲示板があり、自分の番号とともに次に行くべき部屋が掲示されています。検査室に入るとバーコードをスキャン後に検査が始まり、1つが終わると再び待合室で待機です。各検査室は待合室をぐるっと囲むように配置してあるので動線に無駄がなく、とても合理的だと思いました。すべてがスムーズに進行することと、どのスタッフも非常に親切でゆっくりわかりやすく説明してくださっていたことがとても印象的でした。すべての検査が終わると今度は待合室の一角にあるテーブル席に呼ばれ、お茶とお菓子をいただきました。最後にその日の検査結果や気になった箇所などを医師が伝えてくださるので、その順番を待つためです。最終的に、今回は無事なんの問題も見つからなかったと告げられ、私の初めての全額自己負担の乳がん検査が終わりました。まとめ検診ということで意味もなく怖さを感じていた私でしたが、今回のことでそのイメージが覆されました。何より清潔で落ち着いた雰囲気と、スタッフの方々の丁寧な対応がよかったです。1時間半ほどかかりましたが、終了後には美容院帰りのような、エステに行ったあとのような、ポジティブでウキウキするような気持ちになっていました。費用はかかりましたが、なんの問題もなかったことで母も安心してくれましたし、もちろん私の不安も取り除かれたので、本当に行ってよかったと思いました。1週間後に送られてきた結果報告書をお守り代わりに、今後もきちんと検診を受けながら自分の体を大切にしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2020年09月23日いつかは受けるものだとわかっているけど、まだいいかと思いがちな乳がん検診。どんな人が、どんなときに必要なの?自分でもチェックしたほうがいいって本当?検診デビューの前に予習しておくと安心です。9人に1人がかかる、実は身近な病気。早期発見で治るからこそ検診がいちばん大切。私たち女性がかかる可能性の高いがんといえば乳がん。割合にすると、がんを患った女性のうち、約2割が乳がんに罹患している(2014年の全国がん罹患モニタリング集計より)。「年々増加傾向にあり、最新の統計によれば、日本人女性の9人に1人が生涯のあいだに乳がんを発症するというデータも」こう話すのは、個人診療の乳がん検診にも対応している乳腺専門医の尹玲花先生。乳がんは、乳房の中にある乳腺に発生する悪性腫瘍。比較的進行がゆっくりなので、早期に発見できれば治る確率が高くなる。となると、なんといっても検診が頼みの綱だ。乳がんや検診についての基本的な知識は、もはや知っていて当然、現代女性に必須の常識といえそう。まだ検診を受けたことがない人も、実はよくわからないまま受けてきた人も、正しくアップデートしていこう。若いときに検査をしても発見されない家族歴がなければ30歳までは検査不要!若いうちはマンモグラフィなどの検診を受けなくていい、という噂は本当だろうか?「はい。一般的には30歳までは検診の必要がありません。理由としては、そもそも発症リスクが低いこと、乳腺が発達しているためマンモグラフィでがんを見つけにくいこと、若い人ほど放射線による被曝の影響を受けやすいことなどがあります」もちろん例外もある。母、姉妹、祖母、おば、従姉妹で乳がんにかかった人が1人でもいる=家族歴がある場合は、20代であっても検診を受け始めよう。「遺伝性乳癌卵巣癌症候群という遺伝子の異常によって、乳がんになりやすい体質の人が日本にも一定数いることがわかってきました。該当する人は、一生のうちに乳がんを経験する可能性が約80%あるといわれるので、もし家族歴があれば、若くてもぜひ受診してください」費用は受ける方法によって変わる。若いうちに受けるなら個人検診の一択。費用が安いのは自治体が行う住民検診や会社での職域検診。住民検診は40歳以上の女性が2年に一回受けられるもので、職域検診も、会社によって異なるが原則40歳以上が対象。つまり、20~30代は個人検診を受けることになる。個人検診は費用がかかる分、気になる症状について個別に専門医に相談しつつ診察してもらえるのがメリット。マンモグラフィと超音波、触診というすべての検査を1日で受けられ、その場で結果がわかるのもうれしい。すでに何らかの自覚症状がある場合は個別に受診しよう。住民検診市区町村が行う検診。40歳以上の症状のない女性が、2年に一度マンモグラフィ検査を受診できる。自治体ごとに費用や期間などが異なるので、自分の住んでいる市区町村のHPなどで確認しよう。無料~3000円ほどと費用面のメリットはあるが、超音波検査は受けられないので注意。職域検診事業者(会社)が行う検診。健康診断の一つとして、40歳以上の女性が原則として2年に一度受診できる。マンモグラフィ、超音波検査の両方を受けられる会社もあれば、どちらか一方を選ぶ会社も。オプションとして費用の一部を自己負担する場合など、充実度はまちまち。個人検診自分で施設を選んで受診する検診。健康保険が使えないため費用は全額自己負担になり、マンモグラフィと超音波検査のどちらか一方で5000~1万円弱。両方では1万円台が目安。年齢やタイミングにかかわらず受診でき、気になる症状があれば専門医に個別に相談できる。尹 玲花先生乳腺専門クリニック「mammaria tsukiji」院長。聖路加国際病院で10年にわたり乳腺診療に携わり、クリニックを開業。※『anan』2020年9月16日号より。イラスト・中根ゆたか取材、文・黒澤 彩(by anan編集部)
2020年09月09日「標準治療を敬遠する人は多い。しかし標準治療こそ最善のがん療法なのです」。がん治療の権威はそう語る。まったくアテにならない治療に飛びつく前に、ご一読をーー。「免疫細胞療法やビタミンC療法といった自由診療での療法、そして健康食品やサプリメントによる民間療法……。これらの療法には、がんを縮小させたり延命効果を示したりする効果はありません。ところが日本では、医師さえも、民間療法や自由診療を“効果抜群”とうたっている人がいるのです。そのような“トンデモ療法”を選択してしまい、適切な治療のタイミングを逃す患者さんが後を絶ちません」そう語るのは、日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之さんだ。抗がん剤治療のパイオニアとして知られる勝俣さんは、“トンデモ療法”を信じたため、治療が手遅れになってしまった患者を多く見てきたという。「がんの治療法を、インターネットでやみくもに検索することは、そういった被害に遭うリスクを高めることにもなります。とくに日本では、標準治療を否定して、特定の商品を薦めるような怪しいウェブサイトが上位に表示されるケースが多い。私が5種類のがんを検索し、それぞれ上位20のウェブサイトを調べたところ、信頼できるサイトは1割しかありませんでした」(勝俣さん・以下同)がん治療についての情報はたくさんあるが、効果が期待できる正しい情報とそうでない情報が混在している。これを見分けることができれば、誰も騙されないことはわかりきっているのだが……。「がんと診断されれば、誰でも大きなショックを受け冷静さを失ってしまいます。ゆえに、まったく治療効果がない“トンデモ療法”に飛びつきやすいのです。“自分は大丈夫だろう”と思い込んでいる、教育レベルや収入が高い人ほどこの傾向が見られます」そこで、“トンデモ療法”を見分けるポイントを勝俣さんに解説してもらった。■保険が利かない、高額な治療法を勧めている「まず言っておきたいのは、がんと診断されたら“標準治療”を受けることが最善だということ。これは3大治療といわれる『手術』『放射線治療』『抗がん剤治療』のいずれかです。標準治療は、世界中で最も効果が確認されている最高の治療法だからこそ、保険適用によりコストが抑えられているのです。いっぽう、自由診療は有効性が証明されていない不確かな治療法がほとんどであることが問題です」“○○療法は保険適用外の自由診療となりますので、治療費は自費負担です”という文言が載っていたら注意。「一般的に自由診療や民間療法は標準治療より高額ですが、“料金が高いほどよい治療が受けられる”というのは問題です」■「どのがんにも効きます」とうたっている「がんの3大治療は、世界中で使われている治療法ですが、どれか1つの治療法がすべてのがんに効くというわけではありません」例を挙げると、放射線治療は前立腺がんにはよく効くが、胃がんにはあまり効き目がないと勝俣さんは語る。「抗がん剤治療でも、1つの薬がすべてのがんをやっつけることはありません。がんといっても、それぞれ性質が違います。すべてのがんに効く治療法など、“ありえない”のです」がんは、2人に1人がなる病気。“トンデモ療法”によってかえってがんが進行し、手遅れになることは人ごとでない、と勝俣さん。「抗がん剤治療は、いまだに『効かない』『体がボロボロになる』という誤った情報を信じて、拒否する人が少なくありません。それでみすみす命を失っている人も、たくさんいるのです」「女性自身」2020年7月7日号 掲載
2020年07月01日「5月7日、『レムデシビル』が新型コロナウイルスの治療薬として厚生労働省から承認されました。同薬は、日本国内で初めての承認治療薬になります」こう話すのは、環境ジャーナリストの村田佳壽子さん。安倍晋三首相は4日、かねてより治療薬の候補として注目されていた抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」について、「今月(5月)中の承認を目指す」と言及した。それに先んじて、レムデシビルが承認されることとなった。「アビガンは日本の富士フイルム富山化学が、レムデシビルはアメリカのギリアド・サイエンシズ社が開発したもの。アメリカ発のレムデシビルが先に日本で承認されたのは、アメリカが急ピッチで治験を進め、5月1日には同国で治療薬として承認された影響が大きいと思われます」(村田さん)ゆくゆくアビガンが承認されたとしても、薬としての違いや効果、副作用などわからないことも多い。そこで、感染抑制の専門的知識を有する高知大学名誉教授で高知総合リハビリテーション病院院長の小川恭弘さんに、アビガンとレムデシビルについて解説してもらった。【アビガン】「もともとは『新型または再興型インフルエンザウイルス感染症』の治療薬です。日本で開発されたうえに、臨床研究で使用した患者さんの『8割が改善した』とされています」(小川さん・以下同)同薬については、開発者である富山大学名誉教授・白木公康さんが本誌(5月5日号)に『中国で行われた臨床試験では、“発症6日目まで”に使用することで重症化を阻止できた』と強く解説した。つまり、この薬は感染の初期症状への投薬によって効果を発揮するものだという。小川さんは同薬の治験の現状についてこう続ける。「薬の安全性を判定する『フェーズ1』に続いて、アビガンを使う患者さんのグループを無作為に分けて治療薬効果を比べる『フェーズ2』の治験が始まったばかり。データはまだまだ集めるべきです」【レムデシビル】今回承認されたレムデシビルは、もともと「エボラ出血熱」の特効薬として研究されていたが、アメリカを含め各国で新型コロナウイルスの症状にも有効性を示すとするデータが多く出ている。「しかし、この薬は腎不全などの副作用を起こす頻度が高いため、まだまだ発症初期の患者さんに処方される薬とはならないでしょう。国内ではあくまで『人工呼吸器の装着が必要な重症患者』などに限って使用されるはずです」前出の村田さんは、これらの“期待の治療薬”について、次のように話す。「いずれも、コロナへの治療薬として服用するには、PCR検査を経て感染が判明していることが大前提です。“あ、コロナに感染したかも”と思っても、検査を受けなければ容易に手に入るものではありません。まずはPCR検査の拡充が求められますが、いまの時点で私たちにできることは、落ち着いて電話相談できる“かかりつけ医”を持つことです」「女性自身」2020年5月26日号 掲載
2020年05月14日「5月7日、『レムデシビル』が新型コロナウイルスの治療薬として厚生労働省から承認されました。同薬は、日本国内で初めての承認治療薬になります」こう話すのは、環境ジャーナリストの村田佳壽子さん。安倍晋三首相は4日、かねてより治療薬の候補として注目されていた抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」について、「今月(5月)中の承認を目指す」と言及した。それに先んじて、レムデシビルが承認されることとなった。「アビガンは日本の富士フイルム富山化学が、レムデシビルはアメリカのギリアド・サイエンシズ社が開発したもの。アメリカ発のレムデシビルが先に日本で承認されたのは、アメリカが急ピッチで治験を進め、5月1日には同国で治療薬として承認された影響が大きいと思われます」(村田さん)承認を待つ新型コロナウイルスの治療薬候補はまだまだある。そこで、感染抑制の専門的知識を有する高知大学名誉教授で高知総合リハビリテーション病院院長の小川恭弘さんに、アビガンとレムデシビル以外の「新型コロナの治療薬」候補について解説してもらった。【イベルメクチン】「北里大学の大村智特別栄誉教授が、’15年にノーベル医学生理学賞を受賞した“虫下し”の薬。アメリカのユタ大学で新型コロナウイルス感染症の患者さんに使用したところ、使用しない場合に比べて死亡率が6分の1に低下したとされています」ウイルスの増殖を抑える効果も報告されているイベルメクチン。しかし、治験は本格化したばかりで、北里大学側は1年以内の承認を目指しているという。コロナの治療薬として安心して使用できるのは、まだまだ先になりそうだ。【オルベスコ】今年3月、神奈川県立足利上病院らの研究チームが新型コロナ患者3人に使用。3人ともオルベスコ吸入から2日程度で症状が改善し、うち2人は人工呼吸器をつけていた状態から持ち直したということで注目された。気管支ぜんそくに効能効果があるとされ、’07年にぜんそくの薬として日本で承認されている。「つまり、気管支ぜんそくの薬として国内では処方されている薬ですが、対コロナとしてのデータはまだまだ集めるべきでしょう」前出の村田さんは、これらの“期待の治療薬”について、次のように話す。「いずれも、コロナへの治療薬として服用するには、PCR検査を経て感染が判明していることが大前提です。“あ、コロナに感染したかも”と思っても、検査を受けなければ容易に手に入るものではありません。まずはPCR検査の拡充が求められますが、いまの時点で私たちにできることは、落ち着いて電話相談できる“かかりつけ医”を持つことです」アビガンはもちろんのこと、イベルメクチンやオルベスコが治験を経て、じゅうぶんに安全な治療薬であることが判明したら、一刻も早い“承認”を国に期待したいところだ。「女性自身」2020年5月26日号 掲載
2020年05月14日山内英子ブレストセンター長監修乳がんの治療後のダイエットについて解説している新刊『聖路加国際病院の乳がん術後の心と体を守るダイエット』が女子栄養大学出版部から発売された。女子栄養大学出版部は学校法人香川栄養学園の事業部のひとつであり、『栄養と料理』や『食品成分表』などの刊行、イベントの開催などを行っている。この新刊は聖路加国際病院乳腺外科部長で、ブレストセンター長の山内英子(やまうちひでこ)氏が監修を務め、B5変型判で112ページ、価格は1,600円(税別)である。簡単で続けやすいダイエットレシピなど全ての女性にとって他人事ではない乳がん。女性がかかるがんの中では最も多く、女性のうち約11人に1人が生涯のうちに乳がんにかかるとされている。乳がんの治療では体重が増加しやすいが、乳がん治療後の体重コントロールについての情報は少ない。山内英子氏らのチームは、乳がん治療後も安心して生活できるようサバイバーのための運動と食事による体重、体調のコントールについて研究し実践。新刊では、研究と実践の中で得られたノウハウを楽しく学べるよう解説している。肥満もがんのリスクであること、再発防止には食事と運動が重要であることなどを解説し、しっかり食べつつ、ゆっくりやせるダイエットについて紹介。簡単で続けやすいダイエットレシピ、無理せずに楽しくできる術後のエクササイズも紹介している。(画像はAmazon.co.jpより)【参考】※聖路加国際病院の乳がん術後の心と体を守るダイエット - 女子栄養大学出版部
2020年05月04日世界中で終息の時期が見いだせない新型コロナウイルス感染症。政府は4月7日、新型コロナウイルス感染症対策として、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、大阪県、兵庫県、福岡県に緊急事態宣言を発令しました。これに先駆け、不妊治療に関する情報として、4月1日に日本生殖医学会が「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する日本生殖医学会からの声明」を発表し、医師に対して、不妊治療を延期する選択肢を提示するよう推奨しました。これらの発表によって、各地の不妊治療施設でも新型コロナウイルスへの対策や今後の治療方針が打ち出され、妊活・不妊当事者の困惑と混乱は広がりを見せています。 そんななか、厚生労働省は4月9日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う不妊治療助成における方針を発表しました。 不妊治療の延期、助成金の年齢制限はどうなる?体外受精や顕微授精などの高度生殖医療(ART)を受ける夫婦には、特定不妊治療助成制度による助成金が支給されています。助成金の支給には、治療を開始したときの妻の年齢や受給の回数、夫婦の合算年収制限などの条件があります。 晩婚化・晩産化が進むなか、今回の新型コロナウイルスの感染拡大に伴って出された日本生殖医学会の声明に従うことが、助成金を受ける際に大きな壁となってしまうことが危惧されています。 例えば、声明に従って不妊治療を1年延期したために、治療期間初日の妻の年齢 「43歳未満」という条件を超えてしまった場合には、助成事業対象外となってしまいます。不妊治療を延期することで、助成金が受け取れないという事態が発生してしまうのです。 厚労省が不妊治療助成における対応について方針を発表妊活・不妊当事者の不安の声が高まるなか、厚生労働省は4月9日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う不妊治療助成における対応について方針を発表しました。 具体的な内容は下記のとおりです。 【新型コロナウイルス感染防止の観点から一定期間治療を延期した場合、時限的に、 年齢要件を緩和】 ①対象者について療期間初日の妻の年齢「43歳未満」↓「44歳未満」 ②通算助成回数について初回助成時の治療期間初日の妻の年齢「40歳未満」の場合は通算6回まで(40歳以上43歳未満の場合は通算3回まで)助成↓「41歳未満」の場合は通算6回まで(41歳以上44歳未満の場合は通算3回まで)助成 このように、年齢の上限が1歳引き上げられました。医師や看護師、パートナーとの丁寧なコミュニケーションが必要報道では、不要不急という言葉が繰り返されています。世界各国のARTのデータ収集・分析・普及をおこなう非営利国際機関のICMART( International Committee for Monitoring Assisted Reproductive Technology)の声明文の和訳には、「新規治療の開始を見合わせること、不妊治療に関連するその他の非緊急処置をすべて延期することを推奨する」との一文もありました。 妊婦さんや胎児に対する影響等が不明な状況では、患者の安心・安全を考えると、それも致し方ないことでしょう。しかし、妊活・不妊当事者にとって不妊治療は不要で不急ではありません。不妊治療施設のなかには、この状況において、一律に治療を延期するのではなく、個々の状況や希望に沿って治療方針を決めていく、または治療を継続できるような仕組み、対策を取っているところもあります。 不妊治療当事者は、自身が通院している施設の情報をホームページなどで確認し、また先生とよく話し合い、治療方針を決めていくことが大切です。 著者:ライター NPO法人Fine 理事准ファンドレイザー 野曽原誉枝(のそはらやすえ)福島県郡山市出身。NECに管理職として勤務しながら6年間の不妊治療を経て、2012年12月に男児を出産。自らの不妊治療と仕事の両立での経験、高齢出産の経験から、今の妊活、多様な家族形態を認め合う社会を作るために2013年よりNPO法人Fineに参画、2014年9月同法人理事に就任。主にFine妊活プロジェクト~みらいAction~の推進と企業や自治体向け啓発活動に力を入れている。
2020年04月10日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月15日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年02月14日「日本では年間、約8万7,000人が乳がんと診断され、1万4,000人以上が亡くなっていますが、患者のうち約10%は進行の早い遺伝性の乳がんだと考えられています」こう話すのは、株式会社ゲノムクリニック代表取締役で婦人科医の曽根原弘樹先生。「一般的な乳がんは、厚生労働省が40代以上に推奨する2年に1度の検診でも、ステージ1の状態でよく見つかりますが、遺伝性の場合は、1年でステージ2になることがあります」発症年齢も早くなるようで、通常は30代後半から多くなるが、遺伝性だと20代でもなりやすい。「さらに、ふつうは乳房の片側だけに腫瘍ができることが多いのですが、遺伝性の乳がんは両胸に、同時にできることもあるんです」とても厄介な遺伝性の乳がん。しかし、曽根原先生は「遺伝性」だからこそ、対策できることもあるという。「この乳がんは体の設計図である遺伝子のうち、乳がんと深く関わる遺伝子が壊れている人が発症しやすい。言い換えると、壊れているかどうかを調べれば、罹患する前から発症リスクを知ることができるということです」そこで先生が始めたのが、遺伝性乳がんリスク検査サービスだ。「検査では、唾液から抽出した遺伝子を解析して異常がないかを調べます。検査期間は1〜3カ月。壊れていたら陽性で、発症リスクは最大で約70%になる。欧米の調査だと、約100人のうち1人には変異があるとの報告があります」検査では遺伝性の卵巣がんのリスクもわかるという。「卵巣がんも同じ遺伝子が密接に関与しているからです。陽性だった場合、最大発症リスクは約50%程度です」株式会社ゲノムクリニックのホームページと取材をもとに編集部が作成した発症リスクが次のとおりだ。【乳がん】一般的な日本人:9%乳がん遺伝子を持っている人:最大約70%【卵巣がん】一般的な日本人:1%乳がん遺伝子を持っている人:最大約50%アメリカではハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーが同様の検査を受けて、「陽性」と判定され、’13年に両乳房の予防切除を、’15年には卵巣と卵管の切除を行っている。「彼女には、家系内に複数の乳がん・卵巣がん罹患者がいる濃厚な家族歴がありました。この検査は、医療機関でも受けられますが、対象は濃厚な家族歴のある人だけ。しかし、家族に乳がん罹患者がいなくても、突然変異で遺伝子が壊れていて、発症リスクが高い人もいる」そこで、曽根原先生は濃厚な家族歴がない人でも検査を受けられるようにした。「これまでに約50人が検査を受けましたが、全員『陰性』でした。『陽性』の判定が出た場合は、ステージ1で見つけられるよう、乳がん・卵巣がん検診の間隔を半年に1回行うことを推奨しています」さらに、曽根原先生はより多くの人が使いやすいように、サービスの利便化も図る。「現段階では、検査スタッフと対面しないと検査を受けられないので、遠方に住む人も自宅で受けられるように、唾液は郵送でやり取りして、カウンセリングは電話で行うサービスを計画しています。倫理委員会から許可が下りれば、年内にもスタートさせようと考えています(※)」早期発見できれば、生存率は高まる乳がん。一度、リスク検査を受けるか検討してはどうだろう。※現在、対面方式の検査料は3万9,500円(税別)。郵送方式の料金はまだ決まっていない。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日赤ちゃんが欲しい……! そう願い、不妊治療の末、念願の赤ちゃんを授かったママたちの妊活成功体験談を4つご紹介します。 タイミング指導で見事、妊娠!体力がある20代に子どもを産みたかったのですが、基礎体温をつけてみても、排卵検査薬を使ってみても授かることができず婦人科を受診しました。私も夫も何の問題もありませんでしたが、卵管造影検査後のタイミング指導で妊娠に至りました。詰まりが取れて妊娠しやすくなると聞いていたときは嘘かと思いましたが、無事妊娠に至りました。病院で検査すると原因があるのか、実際に排卵しているかどうかがわかるので、行ってよかったと思っています。(コリラックマ♪さん) 不妊治療が苦になり、うつ状態に……結婚する前から生理不順などあり、夫婦で検査したところ異常はなし。でもなかなか妊娠しなかったためタイミングを3年おこないました。当時まだ不妊治療専門病院が少なかったので、注射のため会社帰りに2時間かけて毎日通院していました。帰省しても会社でも妊娠しないことについて言われ、病院でもいろいろあり、軽いうつのような症状が出て、結局何もかも途中で放り投げてしまいました。 それから10年後、近所に高額ですが評判のいい専門病院があることを知り、通院することに。高齢なこともあり顕微授精をすすめられ、治療期間は1年半、一回の治療で数十万のお金が本当に羽が生えたみたいにとんでいき……ウン百万円もかけて、何も残らないのだろうかと思うと正直怖かったです。採卵4回、5回目の移植で39歳で初妊娠、40歳で出産しました。(はなるんさん) 処女でセックスなし! でも授かりました!処女で結婚、未完成婚だった私たち夫婦は人工授精を選択しました。しかし共働きで単身赴任だったため、排卵日に合わせて毎月トライというのが困難に。そんなとき思いついたのがセルフ人工授精(シリンジ法)です。病院の先生に相談してさっそくチャレンジ。すると、2回目で妊娠。奇跡だと思いました。 セックスすらできなかった私が本当に出産できるのか、正直怖かったけれど、出産は案外スルッと終わり、振り返ってみると単身赴任で過ごしたつわりの時期が一番つらかったかもしれません。(bluetreeさん) 1人目は自然妊娠、その後異常が続々と判明……1人目は23歳のときに自然妊娠。離乳して生理が再開し、夫が7つ年上で実家の仕事をゆくゆくは継ぐこともあり、「まだ時間と体力のあるうちに次を」と考えて、基礎体温や排卵検査薬などを使いトライしましたが、なかなか授からず。 そうこうしているうちに2年が過ぎたので自力では難しいと思い、産婦人科を受診。いろいろ検査した結果、高プロラクチン血症、多嚢胞性卵巣が判明。その他、卵管造影検査をしてみると両卵管狭窄、と次々と異常が! 自覚症状がなかったのでここまでだとは……。自力じゃとても妊娠なんて無理な状態でした。 その後、ホルモンを整えるお薬と卵管を通す処置、基礎体温と毎月の卵巣の超音波検査、フーナーテスト、タイミング指示で1年程経過したころ、無事2人目を授かることができました。 高校生のころから母乳のような分泌物が出たり(乳腺科で診てもらいましたが血液検査などなく、体質と言われ、治療もなし)、最初の妊娠で初期流産を経験していたので、もしかしたらホルモン値異常など、もともと要因があったのかもしれません。3人目が欲しくて、今回も生理不順でまた治療に行かないといけないかなぁ~と思っていたところ、自然妊娠し、今は3人目妊娠中です。(cowboyママさん) 不妊治療の末、待望の赤ちゃんを授かったママたちの声をまとめてご紹介しました。少しでもベビ待ちさんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 【関連記事】・妊娠検査薬はいつから使える?どれがいい?妊娠検査薬のすべてを徹底解説!
2020年01月02日「乳がんは近年、よく治るようになりました。私の患者さんのなかには再発・転移をしても、治療を受けてその後、十数年がんが出てこない人、治療を終えてから出産する人も珍しくはなくなりました」そう話すのは、国際医療福祉大学三田病院乳腺センター長などを歴任、現在はよしもとブレストクリニックを開業し、数千人の乳がん女性と向き合ってきた吉本賢隆先生。発見され、数カ月で命を落としてしまう人もいる一方、再発・転移しても結果的に生還する人がいる。がんは部位やケースによって、まったく違う病気のようだ。「統計精度の問題はあるが、がん全体の生存率は7~8年前と比較すると、おそらく上昇しているといえると思います」こう語るのは、国立がん研究センターがん対策情報センターがん登録センター長の東尚弘先生。そこで本誌は、国立がん研究センターがん対策情報センターで8月に公表された、「がんの部位別・5年生存率」をもとに、がんの部位別に専門医から傾向と対策を聞いた。【肺がん】肺がんは5年生存率が40.6%でいまだに「治りにくい」とされる。ただし、なかでも「非小細胞がん」は、治療成績が上がってきている。日本ではまだ数少ないオンコロジスト(腫瘍内科医)で、抗がん剤のエキスパートである武蔵野徳洲会病院の佐々木康綱先生は語る。「免疫チェックポイント阻害薬など新たな薬剤が開発されたことが大きく貢献しています」肺がんは、小細胞がんと非小細胞がんに分けられ、特に治療が難しいのは小細胞がんで、肺がん全体の15%程度になる。発育が早く転移を起こしやすいので、手術より抗がん剤治療が主となるという。「とはいえ、近年、化学療法が有効であるといわれていたがあまり進歩がなかった。ただし最近は、免疫療法アテゾリズマブの追加効果が認められ、ようやく治療成績の向上が見込めるようになりました」(佐々木先生)非小細胞がんである腺がんは、非喫煙者の女性にも比較的発症する場合が多いので、たばこを吸わない人にも、決して無縁ではないから要注意だ。最後にーー。たとえば、これほど治りやすくなった乳がんの患者の中でも、命を落とすケースもある。前出の吉本先生は、警告する。「標準治療から外れて、代替医療に頼ってしまうケースです。保険がきかないため、治療費に糸目をつけない人は、『この治療法がいいよ』などと、方々から効果の保証されていない治療薬や、サプリメントを勧められ、標準治療を受ける機会を逃してしまい、気がついたときには手遅れになる、適切な治療を逃してしまう人がいるのです。これは乳がんだけでなくどんながんにも言えることです」本来、治るはずが命を落としてしまうケースである。治る・治らないには、危険な分かれ道があるということだ。
2019年11月14日「乳がんは近年、よく治るようになりました。私の患者さんのなかには再発・転移をしても、治療を受けてその後、十数年がんが出てこない人、治療を終えてから出産する人も珍しくはなくなりました」そう話すのは、国際医療福祉大学三田病院乳腺センター長などを歴任、現在はよしもとブレストクリニックを開業し、数千人の乳がん女性と向き合ってきた吉本賢隆先生。発見され、数カ月で命を落としてしまう人もいる一方、再発・転移しても結果的に生還する人がいる。がんは部位やケースによって、まったく違う病気のようだ。「統計精度の問題はあるが、がん全体の生存率は7~8年前と比較すると、おそらく上昇しているといえると思います」こう語るのは、国立がん研究センターがん対策情報センターがん登録センター長の東尚弘先生。そこで本誌は、国立がん研究センターがん対策情報センターで8月に公表された、「がんの部位別・5年生存率」をもとに、がんの部位別に専門医から傾向と対策を聞いた。【乳がん】いまや日本女性の11人に1人が罹患する乳がんであるが、全ステージで5年生存率が92.5%、ステージ1だと99.8%と、実は治りやすいがんの代表格である。「薬物療法の進展が、がん医療を劇的に進化させたことはいうまでもありません。特に乳がんでは日本で’01年に認可された“がん細胞を狙い撃ちにする”『分子標的薬』である『ハーセプチン』の登場が、乳がんのなかでも、比較的悪性度の高かったタイプの治療に、大きく貢献しています。一方、乳がんでも、ホルモン療法も、ハーセプチンも効かない『トリプルネガティブ』のタイプは治療が確立されていませんが、このほど免疫細胞を再活性化する免疫療法『アテゾリズマブ』が、わが国でも承認になり、生存率の上昇がさらに期待できるかもしれません」(吉本先生)【大腸がん】大腸がんは日本人女性の死因1位(人口動態統計 によるがん死亡データ・’17年)である。しかし、全ステージでは5年生存率72.9%で、極端に低い数字ではない。これは実は、ステージ1期で発見できれば、5年生存率は95.4%であり、早期であれば「治りやすいがん」でもあるからだ。だからこそ、早期発見が重要である。「大腸がんの便潜血検査は厚労省推奨で、死亡率減少に有効です。便潜血検査自体は体に負担のない検査なので多くの人が受けますが、残念なことに、陽性という判定結果が出ても、その後の精密検査(内視鏡)を受けない人が多いのです。せっかくの早期発見の機会を逃すので、必ず精密検査とセットで受けることが肝心です」(東先生)また、進行した大腸がんについても、近年劇的に、薬物治療が進化している。日本ではまだ数少ないオンコロジスト(腫瘍内科医)で、抗がん剤のエキスパートである武蔵野徳洲会病院の佐々木康綱先生によると、「EGFR(上皮成長因子受容体)ががん細胞膜上に発現している大腸がんには、10年ほど前に抗体薬が登場して治療成績がかなり向上しました」この先、大腸がんはますます「治りやすいがん」となりそうだ。
2019年11月14日「乳がんは初期に治療できれば治せる病気です。しかし、進行してしまうとがん細胞が多様化したり、薬剤耐性などの問題が起こったりする可能性が高まります。検診を受けることと、乳房に変化を感じたらすぐに病院を受診することが大切です」そう早期検診の重要性を力説するのは、静岡県立静岡がんセンターの西村誠一郎乳腺外科部長。美智子さまの乳がん手術の治療方針を決定する会議・キャンサーボードに参加した医師の一人だ。8月、美智子さまの左胸に乳がんが見つかったと宮内庁が発表し、日本中に衝撃が走った。しかし、幸いなことに腫瘍はステージIの早期乳がんだった。美智子さまも「早い段階で見つけていただき、ありがたい」と話されていた。「9月8日に摘出手術を受けられた美智子さまですが、術後の経過は良好だそうです。がんは完全に切除され、再発リスクは非常に低いという診断でした。現時点では放射線治療を行う必要性はないと判断され、現在はホルモン治療を継続されています」(皇室担当記者)手術が行われたのは東大病院だったが、乳がん発見から手術まで大きな役割を果たしたのは、静岡県立静岡がんセンターの医師たちだった。執刀医の1人だった高橋かおる乳腺センター長は、’07年に宮内庁から依頼を受け、毎年乳がん検診を担当してきた。美智子さまが乳房超音波検査を受け、MRI検査でも乳がんの疑いありと診断されたのは今年7月。そして「針生検」と呼ばれる精密検査を担当したのは植松孝悦医師だった。本誌は植松医師と前出の西村医師に、乳がん“早期発見の極意”を聞いたーー。植松医師はマンモグラフィー(乳房のX線写真)などの乳房画像診断と乳腺インターベンション(超音波などで確認しながらの針生検)の両方が専門。静岡がんセンターにしかない乳腺画像診断科の部長を務める。「画像診断で病変が見つかっても、実際には乳がんではないという場合がかなり多いのです。そこで、発見した病変が乳がんなのか一部を採取して判別し、どのような治療法が有効なのかも決めるために行うのが針生検です。超音波でリアルタイムに病変の位置を確認しながら直接、針を刺して組織を取ります。小さい病変であっても正確に診断できます。慣れた医師であれば10分もかかりません。患者さんの負担も小さい検査です」(植松医師)植松医師の針生検と、東大病院の病理診断、静岡がんセンターの病理検査により、美智子さまの腫瘍は乳がんと診断された。続いて、この検査結果をもとに静岡がんセンターキャンサーボードが開催され、治療内容が検討された。西村医師にキャンサーボードの役割を聞いた。「医師が独りよがりの治療をすることを避けるため、多職種を集めたチームで多角的な視点から治療の方針を決定します。患者さんがどんな生活を望んでいるのか、抗がん剤の使用を望んでいるのか、さらには年齢や収入などさまざまな要素から検討します」ただ、治療法の決定は最終的には患者自身に任せられる。西村医師は、その判断にあたって注意してほしいことがあるという。「たとえば乳がん患者によるブログには、乳がん当事者の心の隙間を埋める言葉がいくつも掲載されています。それらに共感するあまり、ブログの執筆者と自分の状態が違うのに部分手術にこだわったり、医学的根拠がない民間療法に頼ったりする方も少なくありません。ただ、ほかの乳がん患者の経験を実際に聞くことは有益です。体験者から具体的な話を聞くことができる患者会をおすすめします」乳がん検診といえば、近年普及したのがマンモグラフィー検査だ。だが、この検査も決して万能ではないという。「乳がん検診は“対策型検診”と自主的な“任意型検診”に分けることができます。対策型検診は市区町村が実施している、40歳以上の女性を対象とした2年に1度のマンモグラフィー検査です。検診マンモグラフィーによる死亡率の減少という利益は証明されています。しかし、乳がんがあるのに発見できない“偽陰性”や乳がんでないのに要精査となる“偽陽性”など、検診マンモグラフィーによる不利益もあります。マンモグラフィー検査を含めて、100%すべての乳がんが見つかる検査はありません」(植松医師)美智子さまもマンモグラフィー検査を継続的に受けてこられたが、左胸の病変が発見されたのは今年7月の超音波検査でのことだった。西村医師は、マンモグラフィー検査と超音波検査を組み合わせることもすすめている。「今は2年に1度行われている対策型乳がん検診ですが、発見のタイミングを逸してしまうケースも見受けられます。増殖が速いタイプの乳がんであれば、発見できないほど小さな病変が、2年間で2〜3センチの腫瘍にまで大きくなることもあります。心配な方は2年に1度のマンモグラフィー検査の間に超音波検査を任意型検診として受けることもよいかもしれません。治療に不利な状態になる前に発見できる可能性が高まります」進行してしまった乳がんの治療は、医師の立場からも難しく、患者にとっても負担が大きいという。「抗がん剤による脱毛といった副作用、乳房の切除や再建手術の負担、さらに末期がんでのモルヒネでは消せないほどの治療の痛み……。闘病の苦しみをがんになる前から想定できている方はほとんどいないのが実情です。しかし、発見が早ければ治療もスムーズです。そういう意味で上皇后陛下のケースは理想的でした。一般の方が上皇后陛下と同じ水準の検査や治療をすることは難しいですが、まずは一人でも多くの方に検診を受けてもらい、検診率を100%に近づけていくことが大切だと思っています」(西村医師)美智子さまに学び、読者の皆さんもぜひ、早期発見のための乳がん検診を!
2019年11月11日エスティ ローダー グループは、毎年10月を「乳がんキャンペーン」月間と定め、世界の人々に連帯を促し、乳がんのない世界を作るための意識向上を図る活動を行っています。当キャンペーン27年目となる今年も、東京スカイツリー(R)や清水寺などをピンク色にライトアップするグローバル ランドマーク イルミネーション、8ブランドでの支援製品発売、オンライン キャンペーン、社員ボランティア活動等を実施。メッセージの発信や、支援製品の収益金による寄付活動を通じて医療研究や患者団体などをサポートします。本キャンキャンペーンの一環としてオープンする“丸の内 ピンク リボン ガーデン”オープニングセレモニーには、ELCジャパン株式会社 代表取締役社長のスー フォックスさんが登場し、思いを語りました。私たちが今すぐできる支援を通して、「乳がんのない世界」を目指すお手伝いをしませんか。エスティ ローダー グループ 2019 乳がんキャンペーン「治癒への希望が私たちをつなぐ。#乳がんのない世界へ」撮影:GODMake.1992年に、故エヴリン ローダー(元エスティ ローダー グループ シニア コーポレート ヴァイス プレジデント)が設立した「ピンクリボンキャンペーン」。今では世界70か国以上で展開される活動となり、現在までに寄付金総額7,900万ドル、そのうち6,500万ドルが「米国乳がん研究基金(BCRF)」を通じて、260の医療プロジェクトに活用されています。そんなキャンペーン27年目となる今年も、エスティ ローダー グループは「乳がんキャンペーン」月間と定めた10月に、東京スカイツリー(R)や清水寺などをピンク色にライトアップするグローバル ランドマーク イルミネーション、8ブランドでの支援製品発売、オンライン キャンペーン、社員ボランティア活動等を実施。エスティ ローダー グループが日本本社を置き、働く女性が多く集まる丸の内エリアに位置する“丸の内 ピンク リボン ガーデン”のオープニングセレモニーには、ELCジャパン株式会社 代表取締役社長のスー フォックスさんが登場し、「世界中の人に乳がん知識を広め、乳がんのない世界を目指したい。皆で団結しましょう」と、力強いメッセージを日本語でくださいました。私たちができる「ピンクリボン」とは撮影:GODMake.①何よりも正しい知識を持ち、それを広めることでは、「乳がんのない世界」を目指すために、私たちができることには何があるのでしょうか。国立国際医療研究センター病院 乳腺・腫瘍内科/一般社団法人JBCRG(乳がんのない世界をめざして、乳がんの研究をおこなう非営利の研究団体)理事の清水千佳子さんは、とにかく「乳がんについて勉強し、正しい知識を持つことが大切である」と話します。乳がんは、主に更年期以降の50歳前後の女性がなりやすいとされ、10~11人に1人がかかると言われている病気。しかも、世界中で15秒に1人は「乳がん」と診断されているほど身近な病であるにも関わらず、その後の治療方法や病気の進行について、あまり知られていないという問題があります。私たち1人1人が「ピンクリボンキャンペーン」を通して関心を持ち、当事者になった際のことや、友人や家族が発症してしまった場合に必要となる知識を、きちんと身に着ける必要があります。そして、その知識や本キャンペーンの存在を、より多くの人に広めることで、関心の輪を広げましょう。②研究への支援が、早期発見・発展した治療へと繋がるまた「研究により乳がんは良くなるので、その必要性を知り、支援もして頂きたい」と清水さん。乳がんは、早期発見により治る確率がぐんとあがります。また、もし進行してから発見されたとしても、正しい治療で生存率は上がるのです。そして、この確率をこれまで以上にあげるために必要なのが「研究」。研究に必要な支援を私たち1人1人が行うことで、将来的に「乳がんのない世界」を実現することは可能です。具体的な行動は『エスティ ローダー グループ 2019 乳がんキャンペーン』でできるピンク リボン ガーデン等を訪れ写真を広め、支援商品の購入で協力を撮影:GODMake.「正しい知識を持ち広める」「支援をする」その2つをすべきとわかったけれど、何から始めたら良いかわからないという方は、ぜひ、『エスティ ローダー グループ 2019 乳がんキャンペーン』への参加をしてください。“丸の内 ピンク リボン ガーデン”をはじめとする場所を訪れ、そこに込められたメッセージを読み取り「#乳がんのない世界へ」という願いと向き合いながら、お友達同士で乳がんについて深い話をするのも良いでしょう。また、そこで撮影した写真をSNSへアップすることは、ピンクリボンキャンペーンを広めることへと繋がります。エスティ ローダーグループでは、SNSを通じた拡散を目指し、エスティ ローダー グループの人気製品の詰め合わせが当たるInstagram投稿キャンペーンや、購入することで支援へと繋がる製品を発売。誰でも気軽に参加できる、「ピンクリボン」の機会を提供しています。エスティ ローダー グループの人気製品が当たる!Instagram 投稿キャンペーン撮影:GODMake.「乳がんキャンペーン」の一環として、Instagramハッシュタグキャンペーンを実施。「あなたの周りの身近な乳がんのない世界を創るための活動」等の写真を撮影し、ハッシュタグ「#乳がんのない世界へ」を付けてInstagramに投稿すると、抽選で5名様にエスティ ローダー グループの人気製品を詰め合わせてプレゼント。期間:2019年10月1日(火)~10月31日(木)商品:抽選で5名様に、エスティー ローダー グループの豪華な化粧品セットをプレゼント応募方法:1. 下記いずれかの写真を撮る。あなたの周りの身近な乳がんのない世界を創るための活動(キャンペーンイベントも含む)京都 清水寺・東京スカイツリー(R)のピンクライトアップ丸の内ブリックスクエアのインスタレーションイベント2. ハッシュタグ「#乳がんのない世界へ」をつけて投稿。3. 当選された方には事務局からダイレクトメッセージでご連絡します。乳がんキャンペーン支援製品撮影:GODMake.エスティ ローダー グループの8つのブランドで、10月1日よりキャンペーン支援製品を発売。(一部ブランドを除く)収益の一部は、米国乳がん研究基金(BCRF)やJBCRG(Japan Breast Cancer Research Group)等を通じて、医療研究に役立てられます。大好きなブランドコスメを購入することが支援に繋がるなんて、これ以上ないことですよね。※一部数量限定につき、無くなり次第終了いたします。※エスティ ローダーの支援製品のみ、10月6日より順次発売予定となります。一部店舗により発売日が異なりますのでご注意ください。※エスティ ローダーの支援製品のみ、公式オンラインショップでの発売は10月14日からとなります。ラボ シリーズ エイジ RE7,000円ボビイ ブラウン ブラウド トゥ ビー ピンク リップ カラー デュオ5,800円アヴェダ【ピンク リボン2019】チェリー アーモンド CA ハンドクリーム3,600円ドゥ・ラ・メール クレーム ドゥ・ラ・メール ザ・モイスチャライジング クリーム10,000円ジョー マローン ロンドン レッド ローズ コロン16,000円クリニーク「ドラマティカリー ディファレント」シリーズ6,500円エスティ ローダー ピンク パーフェクション リップスティック セット7,000円トム フォード ビューティ リップ カラー6,000円※すべて税抜き表記です。
2019年10月04日昨年10月、本誌が紹介し反響を呼んだ、乳がん検診の最新技術。ついにその技術が、全国的な実用化に向けて第一歩を踏み出した。“乳がん死亡者ゼロ”の未来は近い!?「痛みや被ばくの危険性がない乳がん画像化システム『マイクロ波マンモグラフィ』の実用化に向けて、私たちはプロトタイプとなる機器を開発しました。これからいよいよ医療機関で治験がスタートし、早ければ’21年の冬以降、全国の病院に設置することを目指します」こう語るのは、世界初の画像化システム『マイクロ波マンモグラフィ』の開発者である神戸大学数理データサイエンスセンターの木村建次郎教授(40)。9月13日、神戸大学で行われたプロトタイプ機の研究成果発表には、実用化と普及促進に協力する企業関係者らが出席。新聞、テレビなどメディアも多数訪れ、大きな注目を集めていた――。厚生労働省が40歳以上の女性を対象に、2年に1回乳がん検診を受けるよう呼びかけているにもかかわらず、’16年に同省が実施した国民生活基礎調査によると、受診率は全国で44.9%。半数にも達していないのが現状だ。それほどまでに乳がん検診が敬遠されるのには、X線マンモグラフィが持つ撮影における痛み、X線による人体への影響のリスクが背景としてある。そんな乳がん検診の難点を解消したのが、この「マイクロ波マンモグラフィ」という技術だ。「微弱な電波を出すアンテナを使い、乳房の表面を軽くなぞるようにスキャンし、我々が導き出した世界初の計算理論を用いて、乳房内の構造を立体的な画像で写し出します。表面をなぞるだけで、痛みはない。さらに、機器が発するマイクロ波は、携帯電話の1,000分の1以下の微量の電波なので、身体に与える影響もほとんどないと考えられます」(木村教授・以下同)昨年10月、本誌はまだ研究段階であったマイクロ波マンモグラフィを木村教授の解説とともに紹介。掲載後、教授が所属する神戸大学には「臨床研究に協力したい」という女性の声が、全国各地から寄せられたという。今回発表されたプロトタイプ機は、これまで臨床研究で使用していた装置よりも、さらに高い解像度を有している。「これまでにも臨床研究を重ね、精度を検証してきました。来年からはじまる治験は、関西、関東の複数の病院で行われる予定です」その後、国内に4,000台、アメリカに8,000台、EUに1万6,000台、その他の地域に約1万台を設置することを目標にしているという。早期発見で9割以上が治る、といわれる乳がん。しかし、発見の難しさもあり、日本では1万4,000人以上が亡くなっている。「マイクロ波マンモグラフィが世界中に導入されたら、早期発見が可能と考えられます。10年後には、先進国において、乳がんで死亡する人は激減するでしょう。そして近い将来、乳がんで亡くなる人がゼロになると信じています」“痛くない”、“被ばくしない”、そして“見落としなし”の乳がん検診が、全国の病院で受けられる日はすぐそこまで来ている。
2019年09月25日歌手の太田裕美(64)が9月18日、乳がんを公表した。治療をしながらも「歌っていく」と明かし、ネットではエールが上がっている。同日、ブログを更新した太田は「突然で驚かれると思い、なかなか公表出来ませんでした」と切り出し「乳癌に罹患しました。すでに7月の京都のコンサート後に手術をし、8月から抗癌剤治療に入っています」と報告。しかし来春までのスケジュールが決まっていることや11月に開催されるデビュー45周年を祝うイベントを控えていることを理由に、「あえて、治療しながら歌っていく、ということを選択しました」と明かした。太田は「病気になって初めて知る“気づき”がたくさんあります」とつづり、「神様はまた新たな試練を与えて下さってるんだ、と現実をしっかりと受け止め」家事などの日々の営みを大事に続けていくと述べた。そして、こう結んだ。「これからもまごころ込めて歌っていきます。今までと変わらず、太田裕美の音楽を愛し、応援していただけることを心から願っています」太田の発表は話題を呼び、Twitterでは「太田裕美」がトレンド入りを果たした。さらにエールが上がっている。《大変驚きました。裕美さんの想いお察し致しました。大丈夫です、頑張りましょう》《裕美さんの強いプロ意識に感銘を受けました。裕美さんの歌手活動と、治療も応援させていただきます。》《私達の願いは1日でも長く裕美さんの歌声を聞いていられること、どうぞ最善の選択を》治療を受けながらも歌い続けると発表した太田。04年、本誌に登場した際には育児中にも歌手活動を続けていたことについて語っていた。太田は育児と家事が大変だったと明かしながらも、その分「1年に3~4回の仕事が楽しかった」と回想。さらに「無理をしない」「あきらめない」「心に正直に生きる」という3カ条を心掛けていると告白し、こう語った。「自分の好きなものをあきらめる必要はないんです。私の場合はそれが『歌』だった。いちばん私の好きなことだし、天職だと思っています」
2019年09月19日“お胸の健康”と聞いて、真っ先に乳がんのことを思い浮かべる人は多いはず。検診はどんな人が対象になっているのかなど、まずは乳がん検診について再確認。Q.乳がん検診は受けたほうがいいと思いますか?YES…93%、NO…7%anan読者世代の20~30代の女性100人にアンケート。乳がん検診は、若いうちからほとんどの人が、かなり意識しているよう。ところが!「どんな人でも必ず毎年受けなきゃ!」というその認識、実は間違っているかも!?アンケートには「若い女性が乳がんになったという報道を見た」など不安の声がさまざま。それに加えて“乳がん検診を受けましょう”という運動を目にする機会も多いようで、「私も行かなきゃ」との意識が働く模様だけれど…。「厚生労働省が科学的根拠をもとに推進しているように、乳がん検診が必要なのは、基本的には40歳以上。20~30代の人は、あまり意識しなくていいんです。乳がん啓発運動で知られる『ピンクリボン』が行っている検診への呼びかけも、40歳以上の人に向けられています」(医学博士・福田護先生)とはいえ、やっぱりなんとなく心配という場合は、20~30 代でも検診を受けるのはアリ?「若いうちからの闇雲な検診は、デメリットも伴います。それを理解したうえで、受けるか否か判断するのが賢明です」(医療ジャーナリスト・増田美加さん)検診を考える前に知っておきたい6つのこと。【1】乳がん検診が本格的に必要になるのは40代から。乳がんは、日本人の女性の11人に1人が発症するといわれていて、女性のがんの中でも罹患率は1位だという統計がある。「ただし、その多くが40歳以上で、乳がんは若い人には非常に少ない病気です。とくに20代の人が検診を受けても、ほぼ『異常なし』となります。にもかかわらず、検診方法の一つであるマンモグラフィは、X線撮影を行うため、少量ではありますが放射線を浴びるなど、若い頃から継続すれば体にとって負担に。ほかにも時間や費用がかかることを考えると、20代では一部の例外を除き、検診の必要はないでしょう。乳がんは30代後半から増えてくるので、その頃から考え始め、40代からはすべての女性に必要となります」(福田先生)【2】近親者で乳がんを発症した人がいたら20代でも注意。乳がん検診は、「40代から必須」とのことだが、20~30代の人も気をつけたほうがいい場合がある。「近親者の中に乳がんや卵巣がんになった人が複数いたら、注意が必要です。自分も乳がんや卵巣がんになりやすい遺伝子変異がある可能性があり、それがあるとほかの人と比べて10倍ほど乳がんになる確率が上がります。20~30代のうちに、一度、検診をしておくと安心でしょう」(福田先生)さらに、30代後半からは家族歴以外に、乳がんの“リスク因子”も考慮することが大切に。「乳がんの原因は、女性ホルモンの影響や、都市型の生活が関係しているともいわれています。初経が早く、妊娠や授乳をする機会が少ない人や、栄養過多な生活をしている人は、その蓄積で乳がんを発症するリスクが高まる可能性がある。30代後半はこうした影響が出始める年頃なので、家族歴がなくても、リスク因子に心当たりがあれば、検診をおすすめします」【3】一度受けて問題がなければ毎年は受けなくてOK。アンケートでは「会社の検診でなんとなく毎年受けている」という20代の女性もいたが、受け身の意識は見直したほうがよさそう。「もしも家族歴がなく20代のうちに検診を受ける機会があって、異常なしという結果が出たら、次の検診は5年後でも大丈夫。検診が必須の40代以降でも、毎年受ける必要はありません。マンモグラフィの検診で異常なしであれば、次は2年後に検診を受けてください。あまりナーバスにならないようにしましょう」(福田先生)【4】検診以上にお胸のセルフチェックを習慣にするほうが大事。家族歴やリスク因子のない20~30代は、検診をあまり意識する必要がないからといって、胸の健康に無関心でいいわけではない。「20歳以上の女性は、月に1回、胸のセルフチェックを習慣にしましょう。タイミングは生理初日から約1週間後。乳房のハリや痛みがなくなって、柔らかい状態の時に行いましょう」(福田先生)「乳がんは、皮膚の表面に近い部分にできることが多いため、自己検診で見つけられる可能性が高いんです。よく『しこりがわからない』という声を聞きますが、毎月同じタイミングで触っていれば、変化があった時には気づけるようになります。腋や鎖骨まわりのリンパ節に転移することもあるので、そこもチェックを」(増田さん)月に1回行おう!セルフチェック法まずは見た目をチェック。腕を頭の後ろで組んで、乳房の左右差、腫れ、くぼみ、ひきつれ、皮膚の色の変化がないかを観察する。また、乳首のへこみ、変色がないかもしっかり確認しよう。チェックする乳房の側の腕を上げ、反対側の手の人差し指から小指で小さな“の”の字を描きつつ、乳首の周りを1周させる。指が肋骨にあたるくらいの強さで、乳房全体を確認しよう。次に乳首をチェック。乳首を指先でつまんで、乳首から分泌物が出ないか、前の月に触った時と比べて違和感はないかなどをつぶさに調べる。痛くならない程度の力で行おう。鎖骨まわりや腋の下のリンパ節も確認。しこりや、膨らみ、腫れがないかを調べよう。片方が終わったら、もう片方も同様に確認を。「鏡でチェック」以外は、仰向けで行ってもOK。【5】死亡率減少効果を証明する乳がん検診はマンモグラフィだけ。そもそもなぜ乳がん検診を受けるのかというと、がんがあった時に早期発見をしたいから。「乳がん検診の方法には、大きくマンモグラフィと超音波の2種類がありますが、実は検診をすることで早期発見につながり、死亡率減少効果が見られるというデータがあるのは、マンモグラフィだけです。これは40歳以上の人を対象とした世界的なデータで、具体的には15~20%減。一方、残念ながら超音波は、どの国でも死亡率減少効果が証明されていません。マンモグラフィは痛いからと避ける人もいますが、早期発見を考えるなら、マンモグラフィでの検診が有効です」(福田先生)【6】検診の良し悪しを知ったうえで、必要な人は受けに行こう!乳がん検診は、マンモグラフィで行うことで早期発見ができるというメリットがわかったが、一方で、若い人にとっては高濃度乳房でしこりが写りにくかったり、被ばくをしたりとデメリットもある。「それに検診をすると何かしらしこりが見つかることが多く、再検査になりますが、若年層の場合は大概良性です。そのための心的ストレスや、時間、費用の負担、さらに数か月おきの経過観察など闇雲な検診はデメリットが上回るとのデータもあります」(増田さん)こうした事情を理解したうえで、やっぱり40歳前でも念のため検診をしたいなど、考え方は人それぞれ。自分に合った選択をしよう。福田 護先生医学博士。聖マリアンナ医科大学附属研究所ブレスト&イメージング先端医療センター附属クリニック院長。『改訂版 ピンクリボンと乳がん まなびBOOK』(主婦の友社)編著など乳がん治療の権威。増田美加さん医療ジャーナリスト。エビデンスに基づいた健康情報や患者視点に立った医療情報について執筆、講演を行う。自身も乳がん経験者でがんの啓発活動に尽力。著書は『乳がんの早期発見と治療』(小学館)など。※『anan』2019年9月18日号より。イラスト・HONGAMA構成、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2019年09月16日不妊治療をしている上で大切なもの、それは「お金」と「時間」「お金」は、助成金を受けられると言っても額は決まっている上、後日給付なので一度は支払いをしなければなりませんし、長引けば長引くほどその金額は大きくなっていきます。そして「時間」、排卵日とホルモンの状態を、血液検査と内診で医師が予測しながら治療を進めていく為、どうしても急な診察や連日の病院通いがある上に、予約制ながらも待ち時間はかなりのものです。1回の診察で文庫本1冊読みきれます。(しかも病院によっては椅子が足りなかったりしてかなりしんどい)時は金なりという言葉にもある通り、時間を失うとそれだけお金を稼ぐ機会が減る訳で、この2つのバランスを取るのが非常に難しかったです。私はたまたま退職する機会とも重なったので、正社員から、比較的休みを取りやすいオフィスワークのパートに転職しました。最初に不妊治療中という事を知ってもらえていれば気持ちも楽かもと、求職中、いくつかの会社には面接で「不妊治療中です」と伝えてみたら見事に全部不採用でした。パートは日曜定休で週4の9時~17時のシフト制でしたが、休みをスムーズにとる為にしていたのは「他の人が急に休みを取る事になった時は進んで自分が代わりに出勤する事」。時給制だったのでシフトに入ればお金も稼げるし、急に通院の予定が入った時も普段から代わりに出勤していれば罪悪感も多少減るし、上司も快くお休みをくれるという打算的な理由で… 本当ならこんな気を使ったりせず、どの会社でも、どんな理由でも「お休みもらいますー」「どうぞー」っていう世の中になってほしいですが。そして助成金ももっと幅広くしてほしいですが。連日の通院で仕事の日程の調整を何度も余儀なくされ、もう働きたくない! と思った事もありましたが、やはり治療自体にかなりのお金がかかるので働き続けなければなりませんでした。心と体に影響の多い不妊治療中に、仕事と治療の調整でストレスを溜める事はできるだけ避けたいですよね。
2019年09月05日我が家のママンは4年前に乳がんを患い、無事手術を終えた現在も再発のリスクを下げるため治療を続けています。ただ、この治療には副作用がありまして…。そんな時、娘のアリッサがママンにとった行動とは?毎日錠剤を飲むことで、ホルモン依存性の乳がんの増殖を促す女性ホルモン(エストロゲン)をおさえているのです。ママンの場合は錠剤だけでは足りず、3ヶ月に1度リュープリン注射という強い薬を打たなければなりません。この薬は女性ホルモンに強く作用するので、副作用として更年期障害に似た副作用が出てしまいます。倦怠感、ホットフラッシュ、頭痛、気分が落ち込み、等など…。体調によりますが、2〜3日は家事もままならない状態になるのです。そんな時、ママンに小さな救いの手が差し伸べられました。感情で涙を流す動物は人間だけと言われています。涙を流すことはストレス発散にも繋がり、精神のバランスを保つのだそう。感情を押し殺して、なかなか人に弱いところを見せないママンですが、この日はアリッサの一言に救われました。最近は子供の成長とともに、逆に私達が救われることが増えた気がします。そして我々は年齢とともに、涙腺がゆるみがちです(笑)。
2019年08月30日アメーバブログ女芸人部門でアクセス数ダントツ1位を更新中のだいたひかる(44)。’16年2月に乳がん治療のため右胸全摘手術を受けたときのことや、その後の経過をユーモラスにつづっている。本誌でも、7月に掲載した当企画前編で、今年の3月にがんが再発したことを報告してくれた。乳房を全摘している右側にまさかの再発……。夫の小泉貴之さん(42)と一緒に取材に応える様子は相変わらず仲がよく、夫婦漫才のようだったが、当時は転移の有無がはっきりしない状況だった。今回は最終の検査結果と共に、だいた流“がん患者あるある”をご紹介!ポジティブに乗り切る“だいたあるある”も語っていただこう。【がん患者あるある】夫婦のどちらが先に死ぬかシミュレーションするだいた「前回は再発しているがんが転移していないか、調べている途中でお話ししていたんですよね。PET検査の結果は出ていて、その画像で腰の骨あたりに転移の可能性があるかも……っていうときでした。あの後にMRIで検査をして、転移なしってようやくわかって、安心しました」小泉「あのとき明るく話していましたが、正直、ナーバスな心境でした(笑)。とにかくオールOKとなるまでが長いんですよね」健康な夫婦でも、どちらが先に死ぬかは話題に上るもの。どちらの場合もシミュレーションをしておいたほうがいい?だいた「私のほうが年上なので、そのぶん先に死ぬのが自然。そう思ってますし、言ってます(笑)。棺おけに入れてほしい私のモノを選んでますもん。花じゃなくて、自分がすごく気に入って、ときめいていたモノだけでいい」小泉「そうですね、まあ90歳くらい、せめて80代とかでも、なるべく2人が似たようなタイミングでこの世からスッとね。あんまり考えないようにしてますけど(笑)」【だいたひかるあるある】がんをネタにする「どうでもいいですよ」で始まるだいたのネタのように、どこかひょうひょうとがんを受け流しているように見える彼女だが、治療姿勢はじつに熱い。小泉さんも、仕事の合間を縫うように一緒に立ち向かっている。食事も運動も手を抜かず、夫婦二人三脚で一つ一つ乗り越えてきた。そんな2人の、今後の目標は?小泉「今後、子どもを持つことを諦めているわけじゃないんです。全摘して再発して、抗がん剤と放射線やったけど、その後に不妊治療成功した唯一の例っていうのも目指してやってるんで。それで年齢とか全部無視して、やれることは2人で全部やりつくすっていうのは昔から変わらないです」だいた「再発したのは残念だったんですけど、再発してすごい長生きした人っていうのに挑戦もできるなって。何度再発しても長生きして、起き上がりこぼしじゃないですけど、ダメそうだったんだけどまた起き上がるみたいな。自分がそういう事案っていうか、前例になったらいいかなと思って。ネタに使えるくらいに(笑)」
2019年08月26日