~ あなたと、あなたの大切な人の笑顔を乳がんから守る ~スプリング・ジャパン株式会社(本社:千葉県成田市、代表取締役社長:米澤 章、以下:スプリング・ジャパン)は、10月1日(土)から10月31日(月)まで、乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診の大切さをお伝えすることを目的として「ピンクリボン運動」を機内で実施いたします。乳がんは、日本人女性が患うがんの中で最も多いがんであり、今や日本人女性の9人に1人がかかるといわれています。一方で早期発見・治療ができれば90%以上が治癒するとされており、今回の啓発活動を通じて乳がんについての認知促進と早期受診推進に貢献してまいります。期間2022年10月1日 (土)~ 10月31日(月)内容ピンクリボンバッジ・ピンク色アイテム着用による啓発ピンクリボンバッジおよびピンク色のアイテムを身につけた客室乗務員による、乳がんの早期発見の重要性を呼びかける機内アナウンスを実施します。ピンクリボンオリジナルボールペン・ポーチの販売社員がデザインしたピンクリボンオリジナルボールペン(ピンク/グリーンの2色)とポーチを機内で販売します。ボールペンポーチ※収益の一部を公益財団法人 北海道対がん協会へ寄付いたします。※数量が限られております。なお、なくなり次第終了とさせていただきます。※画像はイメージです。実際とは異なる場合がございます。【公益財団法人 北海道対がん協会について】北海道対がん協会は、昭和4年に我が国で最初の対がん活動の組織として創設され、90年以上にわたり、がん及び生活習慣病の予防、治療及び研究に関し必要な事業を行い、公衆衛生の向上と、地域社会の健全な発展を実現し、道民の健康の保持増進に寄与することを目的とした団体です。ピンクリボン啓発運動をはじめ、がんやがん検診の普及啓発活動、検(健)診事業、調査・研究事業等、がん征圧のための活動を展開しています。公益財団法人 北海道対がん協会 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月30日ジェイメックは、乳がん検診受診率の向上と術後のQOL(生活の質)の向上を目指し、啓発につとめています。株式会社ジェイメック(所在地:東京都文京区、代表者:林 英児)は、10月のピンクリボン月間に合わせ、2019年より毎年実施しておりますピンクリボン活動を本年も実施いたします。私どもの活動が多くの方の笑顔につながるよう、これからも努めて参ります。ピンクリボン活動とは?ピンクリボン活動 啓発リーフレットピンクリボン活動の歴史乳がんの正しい知識や健診の大切さを広める世界的な活動です。活動自体は1980年代ごろアメリカで始まったといわれています。乳がんで亡くなられた患者さんのご家族が「このような悲劇が繰り返されないように」との願いを込めて作ったピンクのリボン。ここから乳がんの啓発運動がスタートしました。欧米は乳がん患者さんが多く、1990年代より急速に拡大。特にアメリカでは、1993年にナショナル・マンモグラフィーデー(10月第3週の金曜日)が制定されました。乳がんの早期発見の手段と重要性を国中に広げるための活動が大きく広がりました。一方日本では1995年1月に発生した「阪神淡路大震災」を機にボランティア活動への気運が高まり、98年に「特定非営利活動法人」(NPO法人)法が制定。NPO法誕生を機に、市民が行う自由な社会貢献活動が多方面で活発化し、2000年代ごろより乳がん啓発活動(ピンクリボン運動)を展開するNPO法人も広がりを見せ始めました。10月は乳がん啓発月間のため、様々なイベントが行われるようになり、ピンクリボン運動が日本中津々浦々に広がっていきました。その結果、乳がん啓発活動の象徴である「ピンクリボン」という言葉自体も浸透していきました。2年に1度は乳がん検診を乳がんは女性が患う病気の中で最も多いがんで、女性の9人に1人が生涯で乳がんにかかると言われています。※乳がんは早期発見と適切な治療により治癒が期待できます。大切な自分の身体、大切なひとのためにも、乳がんを知り、定期的なセルフチェックや医療機関の受診をおすすめします。※国立がん研究センター がん情報サービス「がん登録・統計」および厚生労働省「全国がん登録の概要」 2018 年JMEC PINK RIBBON PROJECTJMEC PINK RIBBON PROJECT 啓発ロゴマーク私たちジェイメックは、2019年から毎年啓発のための活動を行っています。本年の活動内容をご紹介いたします。化粧品のパッケージに啓発ステッカーを貼付弊社は医療機関専売化粧品を販売しており、期間中は人気商品である「クレンジングソープ泡 ホームケア」のパッケージに啓発ステッカーを貼付いたします。化粧品の販売を通して、エンドユーザーである患者さまに「乳がん検診率の向上」と「術後のQOL(生活の質)の向上」について考えていただくきっかけにしていただければ幸いです。「ほほえみ基金」にキャンペーン売り上げの一部を寄付先述のキャンペーン売り上げの一部を、公益財団法人日本対がん協会の「ほほえみ基金」に寄付いたします。ほほえみ基金は、乳がんをなくすため、2003年4月に公益財団法人日本対がん協会がピンクリボン活動など乳がん征圧のために設けた基金です。がんで悲しむ女性を一人でも減らすため活動しており、集まったほほえみ基金は乳がん検診機器の整備、患者・サバイバー、啓発団体の支援、広報活動、がん相談、検診技術者の研修、検診推進キャンペーンや研究事業への取り組みなど、乳がん征圧に向けて幅広く使われています。期間中は名刺にステッカーを貼付より多くの方へピンクリボン活動を知っていただくために、期間中は名刺にJMEC PINK RIBBON PROJECTロゴマークのステッカーを貼付いたします。患者さまに手に取っていただく化粧品だけでなく、我々の企業活動を通じてもピンクリボン活動を知っていただき、自分自身や大切なひとの身体を考えるきっかけを作っていければと考えております。株式会社ジェイメックのご紹介株式会社ジェイメック ロゴマークすべては患者さまの笑顔のために。私たちジェイメックは、皮膚科・形成外科・美容医療領域の医療機器を中心に、関連機器や化粧品を開発・製造・販売する企業です。特に形成外科、美容外科領域においては乳がん後の乳房再建や術後のカバーメイク等、乳がんとも密接にかかわる医療機関の皆さまとかかわりを持たせていただくことも多く、啓発活動の重要性を常々感じております。私たちの企業理念は”for the patients’ smile”。一人でも多くの患者さまを笑顔にするために、私たちにできることは何か。それを常に考えながら、これからも様々な活動に積極的に取り組んでいく所存です。会社概要社名:株式会社ジェイメック 本社:〒113-0034東京都文京区湯島3-31-3湯島東宝ビル事業内容:医療用機器の輸出入、卸売および販売、研究開発および製造理化学機器の輸出入、卸売および販売、研究開発および製造上記機器のメンテナンス業務美容器具の輸出入、卸売および販売、研究開発および製造医薬部外品、化粧品の卸売および販売、研究開発および製造医療用施設内テレビ用コンテンツ配信業務本件に係る報道関係者様からのお問い合わせ先ホームページ内のお問い合わせフォーム、またはメールにてご連絡ください。株式会社ジェイメックDX・PR戦略室広報担当:山田ホームページ: メールアドレス: contact2-jmec@jmec.co.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月30日乳がん検診の方法は、胸部超音波(エコー)検査とマンモグラフィー(乳腺・乳房専用のレントゲン撮影)検査の2種類。マンモグラフィー検査は、乳房が圧迫されるため痛いとのうわさをよく聞いていました。30代は妊娠・出産時期と重なっていたこともあり、まだマンモグラフィー検査を受けなくてもいいかと思い、エコー検査で済ませてきました。しかし40歳の節目の年を迎え、ついにマンモグラフィー検査を受けてみました。その体験についてお伝えします。★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1「マンモ適齢期」になったと感じて決意私は、夫の会社の健康保険で配偶者が受けられる婦人科検診を毎年受けています。30代のうちは、近所にレントゲン車が来てくれるので、乳がん検診はそこでエコー検査のみを受けていました。以前、エコー検査とマンモグラフィー検査のどちらが良いかをネットなどで調べた際に、「若いうちは乳腺が発達しているので、マンモグラフィー検査では乳腺の異常が見つかりづらい。エコー検査がおすすめ」と書いてあったからです。それに30代は、妊娠の可能性が常にありました。妊娠中や授乳中は、乳腺が発達するのでマンモグラフィー検査では結果がわかりづらいと聞いていたので、マンモグラフィー検査を受けても仕方ないと思っていました。30代最後の39歳。エコー検査にするかマンモグラフィー検査にするか、迷いました。しかし「痛いって聞くし、女性芸人さんがバラエティ番組でマンモグラフィー検査を体験していて、ものすごく痛そうだった……」という記憶がよぎり、結局、それまでと同じエコー検査を選択。そして40歳になり、2度の出産を経験して、もう妊娠の可能性も乳腺の発達もなさそうと判断し、ついにマンモグラフィー検査を受けることにしたのです。前半は痛くなかったけど後半は痛かった!レントゲン車での婦人科検診ではマンモグラフィー検査は受けられないので、今年は健康診断専門の施設に行きました。行ってみると、マンモグラフィー検査はかなり大がかりな設備が必要だとわかり、たしかにこれはレントゲン車では無理だなと思いました。私は2方向からのマンモグラフィー検査をおこないました。撮影台の上に乳房を片方ずつ乗せ、透明な板で圧迫して乳房を薄く伸ばして撮影します。レントゲン技師は壁の向こうから操作しており、板がアームのように伸びてきて胸を挟む仕組みです。最初、横から胸を挟むときはやや強めにギュッと挟まれた感じでしたが「あれ? 痛くない」と拍子抜け。やっぱり個人差があるのかなと。ところが、検査後半の上下から挟む動きになった途端、「痛ぁああ! 胸をもぎ取られるみたい……!」と、激しい痛みを感じました。ギリギリと容赦なく、乳房を押しつぶしてきます。どうにか耐えることができたのは「その後の安心のためならここは我慢!」とポジティブに捉えていたからです。あとで改めてネットでマンモグラフィー検査について調べてみたところ、「エコーと比べると、しこりを作らないタイプの乳がんの発見に役立つ」とのことでした。後悔しないための健康診断を深く考えるきっかけに40代になり、「毎年健康診断を受けていて異常がなかったのに、ある日突然、病気が進行していた」という話を身近で聞くようになりました。また、私自身がフリーランスなので「自営業で定期的な健康診断を受けていなかった。そのため、いつの間にかちょっとした体調不良が大変なことになっていた」という話もよく聞きます。たとえ健康診断を受けていても病気の発生や進行の可能性はありますが、それでも、定期的に健康診断を受けることで早期発見の確率は格段に上がり、「ちゃんと受けていれば……」という後悔はしなくて済むと考えています。もし、胸部のエコー検査で見つかりづらい異常があっても、マンモグラフィー検査を加えることで二重のチェックになり、早期発見の可能性がさらに上がると思います。40代になった今、これまでより病気のリスクも上がってくるので自分の体を知るためにも、万が一のときに後悔しないためにもマンモグラフィー検査をしてよかったし、今後も継続していきたいと思います。検査結果は写真の通り「A」で問題なしでした。まとめ私は血縁者に乳がんの経験者がいないので、乳がん検診に関してこれまでそれほど重要視しておらず、「ラクなほうでいいや」と考えていました。しかし今回、マンモグラフィー検査には、エコー検査とは違うメリットがあることがわかりました。厚生労働省でも40歳以上の女性に対し、2年に1度、マンモグラフィーによる乳がん検診の受診をすすめているようです。私自身も今後もマンモグラフィー検査を受けたいと思っていますが、身体的負担(痛い……)や精神的負担(痛いのが怖い……)がすごいので、当面、「来年はエコー検査、再来年はマンモグラフィー検査」と交互に受診しようかなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/Spinof Design(40歳)グラフィックデザインを中心に、講師やライター業などをサービスの柱としている。美術大学を卒業後、デザイン制作会社や広告代理店、印刷所の勤務を経てフリーランスに。仕事と育児のほどほどの両立を心がけている。
2022年09月29日「ピンクリボンフェスティバル」賛同メニュー/レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ)“たくさんの、LOVEを届けよう。”をブランドスローガンに掲げる株式会社ベストブライダル(本社:東京都渋谷区、代表取締役:塚田正之)では、乳がんの早期発見・適切な治療の大切さを伝え、定期的な検診受診を呼びかける「ピンクリボンフェスティバル」(日本対がん協会ほか主催)の活動に賛同し、10月のピンクリボン月間にあわせて、運営する「レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂」にて、ピンク色のいちごパフェ付き「ピンクリボンディナーコース」を1か月限定で販売いたします。お客様にも従業員にも若い女性が多い当社ならではの取り組みとして、フォトジェニックなスイーツをきっかけに、自分と乳がんのことについて考え理解する場をご提供するとともに、レストラン店内に募金箱を設置。寄せられた寄付金は、公益財団法人 日本対がん協会へ寄付します。ピンクリボンディナーコース詳細はこちら : ピンクリボンディナーコースイメージころんとしたフォルムに大きなハート型のルビーショコラ、真っ赤なフレッシュいちごが目を惹く、人気のストロベリーパフェが期間限定で登場。ハーゲンダッツアイスクリーム「ストロベリー」といちごクリーム、甘酸っぱいドライラズベリーとサクサクとした食感のクランブル、あまおうのゼリー、ミントのブランマンジェと一緒に、丸いグラスに閉じ込めました。店内の全席から、黄金色にライトアップされた「青山セントグレース大聖堂」を望める非日常空間で、ロマンティックな創作イタリアンディナーと期間限定パフェをご堪能ください。レストランから見えるライトアップされたセントグレース大聖堂イメージ【販売期間】2022年10月1日(土)~10月30日(日)【販売時間】17:00-22:00(L.O. 20:00)【場所】レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-15-5ポルトフィーノ2F【料金】ピンクリボンディナープリフィクスコース7,200円/フルコース10,700円※すべて消費税・サービス料込【TEL】 03-5774-0758※月・火曜定休【HP】 10月2日(日)限定で「ピンクリボンライトアップ」開催画像はイメージ結婚式場「青山セントグレース大聖堂」は夕方から夜間にかけて黄金色にライトアップされる、知る人ぞ知る表参道の夜景スポット。10月2日(日)はピンク色、LOVE、ハートなどをモチーフとした限定ライトアップを行うとともに、通常は結婚式でしか入ることのできないチャペル内を一般開放いたします。 130年の歴史を刻んだステンドグラスが荘厳な雰囲気をかもし出す、美しい大聖堂をご覧ください。【日時】2022年10月2日(日) 日没~21:00予定【料金】無料【場所】青山セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-9-14【アクセス】地下鉄「表参道」駅A1出口徒歩約3分*社会情勢等により、ライトアップ時間が変更となる可能性がございます。*ピンクリボンライトアップは雨天中止、チャペル内無料開放のみ実施いたします。「青山セントグレース大聖堂」をイメージした秋のディナーコースも好評販売中Anniversarioイメージまるでお城のような外観の大聖堂を店内の全席から臨むことができる創作イタリアンレストラン「VINO BUONO」。ディナータイムは、ライトアップされた光り輝く大聖堂を前に、とびきりロマンティックな雰囲気の中で、大切な友人と集うサプライズたっぷりの女子会や、ご夫婦やカップルの記念日ディナーをお楽しみいただけます。ディナーメニューは、季節ごとに内容が変わるコースをご用意。秋のオススメは、 「Anniversario(アニバサリオ)」。大聖堂のステンドグラスをイメージした前菜、シェフ自慢のスペシャリテ・オマール海老のレモンクリームパスタをはじめ、国産牛フィレ肉やトリュフなどの高級食材をふんだんに使用した秋らしい全6皿のイタリアンフルコースをお楽しみください。【販売期間】2022年9月14日(水)~11月30日(水)【販売時間】17:00-22:00(L.O. 20:00)【場所】レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-15-5ポルトフィーノ2F【料金】 Anniversario 10,000円※消費税・サービス料込【内容】・前菜ヴェトラーテ 大聖堂からの輝き・スープ山栗のポタージュビターナッツとバルサミコドロップ・パンリスティック・パスタオマール海老のレモンクリームパスタ・魚料理国産甘鯛の鱗焼き黒トリュフとシェリービネガーのヴィネグレット・肉料理前田牧場牛フィレ肉のソテーソースヴィーノボーノ・ドルチェペレボーノ ~洋ナシのキャラメリゼ~・食後のお飲みもの紅茶またはコーヒー【ご予約】 前菜ヴェトラーテ 大聖堂からの輝きオマール海老のレモンクリームパスタ前田牧場牛フィレ肉のソテーソースヴィーノボーノディナー内観イメージ新型コロナウイルス感染症拡大防止への対応について当社では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内での発生状況を踏まえ、お客様及び関係者の健康・安全面を第一に考慮し、感染症拡大防止策、ソーシャルディスタンスを確保しております。(詳細はこちら: )また社会情勢により、営業時間変更等を実施する場合がございます。営業情報に関しては、レストラン公式ホームページをご確認ください。【青山】ピンクリボンディナー&秋ディナーPress Release.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月27日40代後半の私。年を重ねるにつれ、健康への心配ごと、体に注意を払うことが増えてきました。「乳がんのリスクが上がる」ということもその1つ。しかし、そのリスクに対し「わが家は『がん家系』じゃないしね」と、すっかり油断していました。この話は、私が思いがけず乳がんになり、検診を通して「早期発見! 早期治療!」に運良くつながった体験談です。★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1まじめに受けていた定期検診国の指針で「40歳以上の女性は2年に1回、マンモグラフィー検査による検診が適切」と定められていて、私の住む市町村でも40歳を迎える年になると「乳がん検診の案内」が届きます。その初診で医師は私の胸を見て「乳房(にゅうぼう)は、念のため、1年に1回の検診を受けたほうが良いですね」と診断され、それからは毎年決まった時期に、乳がん検診を受けてきました。苦手なマンモグラフィーの頻度が増えるのはすごく嫌でしたが、それでも毎年検診の時期になると「そろそろ予約を入れなくちゃ」と、かかりつけの乳腺クリニックの電話帳を開いていました。「コロナ禍でもがん検診を受けよう! 」と叫ばれた2021年。40代になり6度目の秋も、私は恒例の乳がん検診を受けていました。乳房専用のX線撮影装置、マンモグラフィー。2枚の板で乳房を挟まれ、ぺっちゃんこにされる強い痛み。技師さんにやさしく励ましてもらいながら、涙目になりつつ必死で耐えました(痛みの程度はさまざまで、まったく痛くないかたもいると聞きます)。あれ?今日はいつもと違う撮影が終わって「今年も乗り切った! これでまた1年、放免だー! !」と喜んでいた矢先。所見を聞くために診察室に入ると、先生が「気になる部分があるから、今日はそこを『細胞診』するね! 」と初めて聞く検査名を口にされました。「え? 何それ? ? 」とびっくりしている間に準備が整い、先生から「ちょっと痛いよ〜」と声をかけられ、注射器のようなもので乳房から細胞を取る処置がなされました。「ひー、めっちゃ痛い(泣)」「診断結果は1週間以上空けて、また来院してね」と案内され、その日はクリニックをあとにしました。そのころ、私の仕事は繁忙期に入っていました。緊急事態宣言明けの秋、一気に動きだした世の中。仕事に家事に育児にと、例年よりも「ハードだな! 」と感じる日々を、慌ただしくこなしていました。「この忙しい状況でまた通院……タスクが増えるの、困るな」「きっと検査結果は何ごともないに違いない」と信じ、気楽に考えていました。総合病院へ転院を勧められるそして迎えた再診の日。診察室に呼ばれ、先生から「次の段階『針生検』という精密検査が必要です。このクリニックでもできますが、もし、さらに検査が必要になったとき、機器がそろっている総合病院に行くことになります。この段階でそちらに移る紹介状を書きましょうか?」と伝えられました。今回で終わると思っていた通院。「次の段階へ? しかも大きな病院? ?」背筋に冷たいものがすぅっと走り、内心かなり動揺していましたが「早く決断しなくちゃ」と、紹介状を作成してもらうことにしました。先生に指示された看護師さんが「総合病院の乳腺科はすごく混んでいるから、すぐに初診の予約を取りましょうね」とその場で電話を入れてくださったのが心強く、そして温かく感じられ、印象的でした。私が紹介されたのは、さまざまながんの診断・治療にあたっている国指定のがん診療拠点病院。調べてみると乳腺科に力を入れていることがわかり、不安の中にも「頑張って行ってみよう」というポジティブな気持ちが生まれました。見つかってしまった…! 左胸に乳がん総合病院に転院して1カ月がたち、私は診察室で、やさしい口調の穏やかな主治医の先生と向き合っていました。検査結果の画像データが映し出されたパソコンの画面を見ながら「詳しく調べていた左胸のここの部分、乳がんと診断されました」と、告知を受けました。先生が手書きの図解で丁寧に説明してくれるのを目で追いながら、頭の中では「告知をひとりで受けるって寂しいな……」「今ごろ夫が心配しているな……入院となったら負担をかけるな……」「仕事のスケジュールどうしよう。お休みをもらうしかないよね……」と考えをぐるぐると巡らせていました。最初は「がんになった自分」「周りに迷惑をかける自分」にショックを受けて落ち込んでいました。友人に報告すると「がんは残念だけど、見つかったことはよかった。がんになるのは仕方がない。検査して、見つけて、早く治療することだよ! 」と力強い言葉。「本当にその通りだ。もし乳がんが見つかっていなかったらと考えたほうがすごく怖い」と、ハッとしました。それからは「これでよかったんだ」と、入院、手術、治療に対し少しずつ肯定的な気持ちになり、前向きに進むことができました。私の入院は、年末年始をまたいだ12日間でした。手術は全切除(全摘出)術で、左乳房を喪失。この先数年間にわたる、ホルモン療法剤の服用開始。そこで生まれた不安や戸惑いは、そのつど納得がいくまで調べ、考え、一つひとつを乗り越えていきました。そして今、家族や友人、職場の人、医療スタッフさん、たくさんの方にサポートしてもらいながら、無事に日常生活を送っています。まとめ乳がんの発症ピークは、40〜50代の働きざかりの世代といわれているそうです。その乳がん患者さんとお話をする機会がありました。私と同じく働くママ、そのうえ介護も加わった方、がん診断への恐怖心……受診をためらったさまざまな理由を聞きました。私はたまたま、がんの発生と検診のタイミングが合い、早期治療へつなげることができました。もし忙しさにかまけて検診に行っていなかったら……今とは違った状況になっていたかも知れません。全面的に協力してくれ、寄り添ってくれた夫。子どもながらに考え、励ましてくれた息子。家族とともに過ごせる時間に感謝し、これからも大切な人たちと一緒にいられるよう「体を大切にしていこう」と、思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。イラスト/サトウユカ著者/ショコカ(47歳)夫と小学1年生の男子の3人家族。産後の体形が戻らず、コロナ禍でさらに体重増加したのが悩み。日課は朝のラジオ体操とプロテイン飲料、夜は糖質ゼロのビール 。アラフィフの体とうまく付き合うため、仕事と家事のバランスを模索中。
2022年09月23日認定NPO法人J.POSHは、休日の日曜日に「乳がん検診」を受けられるよう、全国の医療機関と協力して、毎年10月第3日曜日に『J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)』を行っており、今年は2022年10月16日の日曜日に実施することをお知らせいたします。J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)は、子育て・介護・仕事・家事などで忙しく、平日に検診に行きにくい女性の皆様が、乳がん検診マンモグラフィー検査を受診できる環境づくりへの取り組みです。2022年ポスター2022年サイト画像J.M.Sの詳細URL: J.POSHのURL : ■「J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)」実施の背景乳がん罹患者数は、女性がんのトップになり、亡くなる方の数は年々増加傾向にあります。その理由のひとつに、40歳以上の方の乳がん(特にマンモグラフィー)検診の受診率の低さがあると言われています。対象女性の乳がん検診を受けない理由の中に「休日に検診ができるなら受診するのに」という声が多いのです。そこで、認定NPO法人J.POSHでは、受診率アップには「検診を受けやすい環境づくり」が重要と考え、その取り組みとして毎年10月の第3日曜日に全国の賛同医療施設でマンモグラフィー検査ができる「J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)」を提唱し、多くの医療施設に参加いただいています。長引くコロナ禍で今年も受診率は低迷していますが、参加施設数は昨年を若干上回っております。この機会に乳がん検診を多くの方に受けていただければと思います。■実施概要実施日 : 2022年10月16日(日)※施設により日程が異なる場合がございます。実施施設 : 全国400施設(9月16日現在)実施施設一覧: 受診方法 : 上記URLから、参加施設をご覧になって、直接、医療施設にご確認のうえ受診をお願いいたします 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月22日ゼニスはスーザン G. コーメン®乳がん財団へのサポートとして、スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクを発表。乳がん啓発月間である10月限定販売で、その売上の一部が財団に寄付されます。財団の価値観はゼニスと深く共鳴しています。女性のエンパワーメントは、数多くのブランドのコミットメントおよび行動を推進する、ゼニス HORIZ-ON イニシアチブの主要な柱の1つです。長年に渡って、ゼニスは女性の8人に1人が罹患し、世界中で無数の命を無差別に脅かす疾患である乳がんに対する意識向上に取り組んできました。ゼニスは、乳がんに対する啓蒙活動やスクリーニング実施の促進、治療法の継続的な模索を行っている組織へのサポートなどによって、スーザン G. コーメン®乳がん財団を支援しており、これによってより多くの女性が乳がんに対する知識、希望、支援を手に入れられるようにするだけでなく、世界的にこの疾患に対する意識を向上させるためのコミットメントをさらに強固なものにしています。乳がんにより亡くなったスーザン G.コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅することを約束し設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。乳がんと闘う世界最大のNPO団体と考えられているスーザン G. コーメン乳がん財団の使命は、世界からこの病気を撲滅することです。包括的なアプローチによって、コーメン財団は乳がんとの闘いの最前線に立ち、米国および世界中の何百万人もの人々をサポートしています。当財団は、患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。ゼニスは今後数年間、スーザン G. コーメン乳がん財団を支援することを確約しており、希望の名の元に構築されたこのパートナーシップの進展を共有できることを楽しみにしています。財団に対するゼニスのサポートについて、CEOのジュリアン・トルナーレは次のように述べています:「信頼関係と信じられないほどの影響力を持つスーザン G. コーメン乳がん財団を支援することは、ゼニスにとって非常に重要なパートナーシップとなります。クロノマスター オリジナル ピンクは、影響力のある研究および治療中の患者をサポートするための資金を提供する助けとなることでしょう。そのことを我々は誇りに思いますし、今後、パートナーとして活動していきたいと思います。」続いてコーメン財団の会長兼CEOであるポーラ・シュナイダーは次のようにコメントしています。「ゼニスは長年に渡って乳がんコミュニティの素晴らしい支持者でありサポーターであり続けてきました。2つの組織が共通の使命によって団結することは、何よりも強力な力となることでしょう。ゼニスとのパートナーシップによって、乳がんのない世界を作ることは、日に日に実現可能な現実となりつつあります。このようなゼニスのサポートに深く感謝しています。」スーザン G. コーメン乳がん財団をサポートするゼニスは、昨年発売されたレトロな雰囲気の代表的なクロノグラフコレクションをベースにしたスペシャルエディション、クロノマスター オリジナル ピンクを発表することを喜ばしく思っています。ユニセックスの38mmスチール製ケースに、最新の1/10秒計測の高振動エル・プリメロ自動巻クロノグラフキャリバーを搭載したこのクロノマスター オリジナル ピンク エディションは、印象的なメタリックピンクの文字盤が際立った存在感を放っており、世界各国で乳がん撲滅のシンボルとなっているこのカラーに敬意を表しています。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクは、従来のシリアルナンバー入りの限定エディションではなく、期間限定エディションとなっています。乳がんへの意識を向上させるというその崇高な目的に寄与するため、国際的な乳がん啓発月間である10月1~31日にのみ、世界各地のゼニスブティックおよびオンラインブティックにて販売いたします。クロノマスター オリジナル ピンクの売上の20%がスーザン G. コーメン乳がん財団に寄付され、世界各地の患者がより良い生活をより長く送れるようにすることで、地域社会に良い影響を与える取り組みをサポートしていきます。日本国内ではゼニス ブティック銀座およびオンラインブティックにて販売いたします。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクだけでなく、ゼニスは今後数年間、資金調達イベント、チャリティー オークション、その他の取り組みに積極的に参加することでスーザン G. コーメン乳がん財団をサポートしてきます。10月2日(日)、ゼニスは「2022 Komen Greater NYC Race for the Cure」に参加します。ここでゼニスはタイムキーパーの役割を果たすだけでなく、チームメンバー、クライアント、広報関係者にレースに参加していただきます。また、ゼニスは、世界各地で行われるDREAMHERSイベントに、スーザン G. コーメン乳がん財団からの代表者をお迎えします。これは、先見の明があり、自立した、刺激的な女性に、それぞれの声と情熱を共有するスペースを提供する、ブランド独自のプラットフォームであり、乳がんに対する意識を高め、重要な情報を共有し、優れた実践を促進するのに役立ちます。次回のDREAMHERSイベントは、10月にシンガポールで開催されます。スーザン G. コーメン®乳がん財団についてスーザン G. コーメン®乳がん財団は、乳がん撲滅に取り組む世界最大の非営利財団であり、乳がんの撲滅を目標に女性の命を救うための活動をしています。コーメン財団では、あらゆる局面からこの病気と闘うため、ほかに類を見ない包括的な全方位アプローチを採用しており、米国および世界各地の何百万もの人々をサポートしています。財団は患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。乳がんにより亡くなったスーザン G. コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅する事を約束し、設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。komen.orgをご覧いただくか、1-877 GO KOMENまでお電話ください。ww5.komen.org/socialで当財団とのつながりをスタートさせてください。クロノマスター オリジナル ピンクリファレンス:03.3202.3600/33.M3200特長:10月限定販売。1/10秒の計測と表示が可能な自動巻コラムホイール エル・プリメロ クロノグラフ。60時間のパワーリザーブを実現。4時半位置に日付表示。秒針停止機構ムーブメント:エル・プリメロ 3600パワーリザーブ: 60 時間以上機能:中央に時針と分針。9時位置にスモールセコンド。1/10秒計測のクロノグラフ。中央に10秒で1回転するクロノグラフ針。6時位置に60分カウンター。 3時位置に60秒カウンター仕上げ:サテン仕上げを施した新しい星形ローター税込価格:116万6,000円素材:ステンレススチール防水機能:5気圧文字盤:サンレイ装飾を施したピンクカラーケース:38 mmアワーマーカー:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布針:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布ブレスレット&バックル:ステンレススチール製ブレスレット&ダブルフォールディングバックル
2022年09月21日「がん検診を受けましょう」。テレビなどでよく耳にすることもある言葉でした。受けたほうが良いとわかってはいても、なんとなく「自分は大丈夫」「忙しくて時間がない」といった理由で受診のタイミングを見失っていました。しかし、なんとなく受けたがん検診で病変が見つかり、手術まですることになってしまったのです。今回は私が体験した、検診から手術までのエピソードをお話しします。★関連記事:「がんかも」えっ!? 下腹部の膨らみは子宮筋腫だろうと思っていたのに #子宮頸がんゆる闘病記 1きっかけは節目の年の特定健康検査40歳になる年の春、厚みのある1通の封書が届きました。それは加入している健康保険組合からの「特定健康診査のお知らせ」でした。特定健康診査とは、40~74歳の人を対象とした、生活習慣病の予防や早期発見を目的とした健康診断のこと。「いろいろとガタが出てくるお年ごろだしなぁ……」なんてどこかひとごとのように思いながら冊子を開きました。読んでみると、この健康保険組合では健診は基本的に無料で、乳がん検診と子宮頸がん検診も初回は無料で受けられるとのこと。子宮頸がん検診は過去に数回受けたことがありましたが、乳がん検診は怖さもあり未受診のまま。いつかは受けないといけないと思っていたし、節目の年に良い機会かもしれない……と、前向きな気持ちで健診と2つのがん検診を受けることを決めました。オプションで受けた子宮頸がん検診特定健康診査は一般的な身体測定や血液検査、心電図検査などから始まり、胸部X線検査、オプションのがん検診へと進みます。健診バスの中に婦人科の診察台やマンモグラフィーの機械があることに興味を覚え、少し楽しい気持ちになりながらすべての健診を終えました。それから約1カ月後、健診結果が届きました。「まぁ何もないでしょ?」と思いながら読み進めると、赤文字で「要精密検査」の文字が。ドキッとして項目を見ると「子宮頸がんHSIL」と書かれています。すぐにスマートフォンで検索。そこには「高度病変」「中等度~高度異形成」「上皮内がんの疑い」という聞き慣れないながらも、何か大変なことになったと感じさせる文字が並んでいたのです。そもそも子宮頸がんとはHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染から発症するがんで、HSIL(高度扁平上皮内病変)とは前がん状態、すなわちがんに進行する手前の状態のことを指すようです。つまり自分はがんの1歩手前の所にいる……この事実にしばしぼう然としました。すぐに夫に報告し、再検査を受けることに。「コルポスコープ診」を受けた結果はやはり「HSIL/高度異形成」という診断でした。高度異形成は治療の対象となるため、手術をすることが決まりました。疑問に感じていたのは、3年前の妊娠中に受けた検診では異常がなかったのに、そんなに急に進行するのか、ということ。これに対しては医師に「進行が早い場合もあるし、前回検査時に病変はあったものの、検査のために取った細胞にたまたま異常が見られなかったのかもしれない」と教えていただきました。軽度~高度異形成の状態からがんへは、数年から数十年という年月をかけて少しずつ進行するそうです。私の場合もいつHPVに感染したかはわかりませんが、ある程度時間をかけて病状が進んでいたと考えられます。この間、自覚症状はありませんでした。また、普段から生理周期はおおむね一定で、生理痛やPMSに悩むこともなかったため、まさかこういった病気になっているとは思ってもいませんでした。全身麻酔で手術~定期的な検診へ手術名は「子宮頸部円錐切除術」。2泊3日の入院で、全身麻酔をかけて子宮頚部を円錐型に切り取ることになりました。入院はお産のときにしか経験がなく、もちろん手術も初めて。病変部はきちんと取り切れるのだろうかという心配や、全身麻酔に一定のリスクが伴うことへの怖さがありました。また、子どもは私がいない状態で夜を過ごしたことは1度もありません。たった2晩とはいえ、子どものメンタルが気がかりでした。子どもには少し前から「この日はママは病院にお泊りだからいないよ」「パパと幼稚園に行こうね」など少しずつ教え、私がいないということを理解してもらうようにしていました。手術時間は約30分。緊張していたものの、麻酔のおかげで気が付いたときには手術は終わっていました。術後数時間は横になったままでしたが、出血や麻酔の後遺症などもなかったため、その後は食事をとったり子どもと電話で話したり、自由に過ごすことができました。術後の状態も良好で、翌日に無事退院。それから1カ月後、切除部分の病理検査の結果を聞くため再度病院へ。ここでも異常は見つからず、治療は完了となりました。今後は経過観察で定期的にチェックしていくことになっています。まとめ子宮頸がんは検診によって早期発見ができ、また予防ワクチンを受けることで唯一予防できるがんだそうです。実際私もがんになる手前で異常を見つけられたため、手術も比較的軽いもので済みました。もし検診を受けず知らないまま放置していたら、気付いたときには病気が進行し、命に関わることになっていたかもしれない……。そう思うと今回検診を受けてがんになる手前の状態で見つかったことは、まさに不幸中の幸いだったと言えます。今後再発しないとは限りませんが、定期的な検診を欠かさず、自身の体に向き合っていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。著者/ふじたすずこ(40歳)推し(娘)への課金が止まらない。将来は夫と旅行三昧な日々を夢見るアラフォーママ。弦楽器が大好きで、次はチェロを弾けるようになりたいとレッスンを探索中。
2022年09月19日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、全摘手術を受けたこほこさん。自家組織による同時再建手術もおこないました。手術から8日が経過して、こほこさんの様子は……。★関連記事:「サバイバーです!」退院後の説明中、聞き慣れない言葉を耳にして #乳がん絵日記 179時間にも及ぶ乳がんの手術から早8日。体は順調に回復しており、退院後の生活についての説明を受けたりしました。私の右胸と左太ももには管が入っていたのですが、今日は右胸の管を抜くことになりました!術後、あまり食欲がなくご飯を残し気味だったのですが、体が回復してきて久々におなかが減る感覚がありました。おかげで朝食は完食、昼食の天ぷらもおいしく食べることができました!15時ごろ、形成外科の先生と一緒に病棟の処置室へ行きました。そこで右胸に刺さっている管を抜くことに。管が刺さっている辺りに黒い糸のようなものがあって、それを切るとき若干痛みを感じました。でも、管自体はスッと抜けて痛くはありませんでした。ずっと管が刺さっていたので、最早体の一部みたいになっていたので何だか物足りないような気もする……。ですが、やっぱりスッキリして軽いという気持ちが強かったです!左脚の管はまだ抜けませんが、管同士が絡まるのを気にしなくなってよくなりました。微熱が出たりしているものの、退院が近付いた気がしてうれしかったです。入院生活の中で一番充実していたのは朝の時間でした。というのも、夜は10時ごろに寝るので、朝5時くらいに自然と目が覚めるようになっていました。当然、出勤の支度も家事もしなくていいのでゆっくり優雅に過ごせました。音楽を聴きながら、パックをして美顔器をかけていました。私が入院していたのは4月だったので、5時半くらいになると外がうっすらと明るくなり6時くらいには日の出を見ることができました。コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、山の端から陽が昇って色がどんどん変わっていくのが見えていました。入院中の私の楽しみで、ぜいたくな時間でした。術後9日目も朝から乳腺外科の先生や形成外科の先生が傷の様子を見に来てくれました。午後は形成外科の先生に右胸の薬の塗り方や左太もものバンドの巻き方を教えてもらいました。その後、前日に撮影した顎のCT検査の結果を聞きに歯科外来へと行きました。外来や売店など病棟の外へ出るときは長めの羽織を着ていました。これがあれば左太ももの管も隠せていたので、入院している感じが薄れていました。歩いているとき、左太ももの管を挿入している部分から体液が漏れていたのですが、気にせず歯科へと向かいました。顎は今は様子見で良いとのことでしたが、念のため6カ月後にまたCT検査の予約をしてもらいました。以前なら放置していたけれど、ちょっとのことでも検査することが大切だなって思うようになりました。ー--------------入院中は朝の時間が楽しみだったというこほこさん。入院経験のある方は何を楽しみにして過ごしていましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「大切にしているものは」今までになかった質問に私は… #看護師でシングルマザーな私の話 39★関連記事:「ラッキー!」健康のために買ったエアフライヤー、妻よりも夫がハマり… #ときめけBBA塾 120★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月16日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは乳がんによる右胸の全摘と再建手術を受けました。手術から1週間、退院後の生活について説明を受けていると「こほこさんもサバイバーです!」と看護師さんから言われ……。★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16私は乳がんの手術のために2週間入院していました。手術から5日目、形成外科の先生に傷口を確認してもらうとその一部が壊死していることがわかりました。乳腺外科の先生から皮膚を貼るなどの処置があることを聞き、心配しつつも入院生活を送っていました。術後7日目になると、組織を取った左太ももの裏にあったピリピリとした感じも少し緩和されていました。前屈みができるようになりましたし、両足のむくみが解消されて靴もちゃんと履けるようになりました!でも、まだ右腕はまだ上げられなかったので、何かするときは左手を使うようにしていました。お箸とペンだけは右手で持っていました。この日は朝食後、歯科で術後の歯の様子を見てもらいました。念のため、と顎のCTを撮影することに。その後、売店で2リットルの水を買ったりして疲れを感じながら病室へ戻りました。それから薬剤師さんが来て、下痢や発疹がないか確認してもらいました。抗生剤を飲むのはこの日が最後でした。形成外科の先生も来てくれて、左太もものテープの貼り直しや右胸の傷を見てくれました。体液の排出は前日より減って、右胸から25ml、左太ももから60mlでした。同じく術後7日目、薬剤師さんが来る前に看護師さんから退院後の生活について説明がありました。「退院のしおり」というものをいただき、わかりやすく教えてもらっていると看護師さんから「こほこさんもサバイバーです!」と言われました。がんサバイバーというのは、がん治療を終えた人だけではなく、診断を受けたりばかりの人や、治療中、経過観察中の人もがんサバイバーというそうです。私も乳がんサバイバー! 何だか戦隊ヒーローのイメージがして強そうだと思いました(笑)。退院後は、動く習慣をつけるために毎日歩いたり、手術した右側の腕をなるべく上げたりしないように指導を受けました。仕事でパソコンを触りっぱなしになってしまうので、1時間ごとに休憩を取ることを心がけようと思いました。退院後の説明をしてくれた看護師さんは、いろいろなことによく気付いてくれる方でした。私は術後、左太ももに管が入っていてシャワーができませんでした。なので、1日おきに温かいタオルで体を拭いてもらっていました。術後5日目くらいにこの看護師さんが体を拭いてくれたのですが、私の足の様子を見て、タライにお湯を入れて足も洗ってくれました! すごくありがたかったです。それから、術後は食欲が落ちていてご飯を残していたのですが、それにも気付いてくれてご飯を少なめにしてくれました。朝食のパンも薄切りにしてくれたりしたお陰で、完食できるようになりました。他の看護師さんや看護助手さんも話かけてくれたり、見守っていてくれたりと、とても良くしてくれました。また入院することがあればあの病棟がいいな〜と思うくらいです!ー--------------こほこさんは入院中、看護師さんたちにとても良くしてもらったそう。心細い入院生活では、やさしくしてもらえるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月12日息を吸う以外はマンガを描いていたいアラフォー女子、ぷよ子さんのマンガを紹介します。婚活アプリを通じて出会ったぷよ子さん夫婦。とある日、子どもやお金について話し合いをした後、Z夫さんは「一緒に飲もう」とぷよ子さんを晩酌に誘って……。★関連記事:「人生はあっという間」宵越しの金は持たない精神の夫のトラウマとは? #デブス女の修羅場 32こんにちは! アラフォーデブス女のぷよ子です。アラフォー夫婦の私たちにとって、子どもについては大きな問題でした。年齢のこともそうですが、子どもを育てるのにはどうしてもお金がかかります。Z夫さんにはローンや借金もあったので、そのことについてもよく話し合いをする必要がありました。結果、子どもはできたらうれしいけどいなくても構わない、お金についてもお互いに生活費を出すという形で落ち着きました。Z夫さんは私と一緒にお酒を飲もうと思っていたらしく、私が一番好きなチューハイを買ってきてくれていました。そのとき、「丹精込めて育ててきたビール腹に栄養補給の時間だ!」とZ夫さんは言っていました。Z夫さんは借金の返済が生きがいだったりしたこともあったので、何か育てるのが好きなのかな……と思ってしまいました(笑)。育てるのが好き、ということは子どもも……!? と思った私は「Z夫さんはいいお父さんになりそう!」と心の中で喜んでしまいました! この考え方、絶対間違っているよな……。その後お酒を飲んでいると、Z夫さんがだんだん酔っ払ってきて……。Z夫さんは酔っ払うと、まさかの歌いだす。音痴なのにリサイタル開催しないで!!ラブソングを熱唱するZ夫さんには私の声が聞こえないようで……歌うな! と言っているのにどんどんヒートアップしていっていました。私もお酒が入っていたので、こうなったら一緒に歌うか! とZ夫さんと一緒に熱唱してしまいました(笑)。お互いに音痴なので音程は外れまくり。でも2人で歌っているからどこかで音程がかみ合う奇跡が起こっていたかもしれません(笑)。ー--------------酔うと歌いだしてしまうZ夫さん。皆さんは酔うとどんなふうになりますか?★関連記事:「美容院より病院!」40歳を過ぎて激変した美容周りのマイルール #キレイな40代になりたい 22★関連記事:「原因がなかなかハッキリしない…」泌尿器科の医師に勧められ、再度内科を受診するも #熟女系 61★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16著者/ぷよ子低収入ブラックバイトで労働しているアラフォーのデブス女。最近妊娠し、不慣れな状況に戸惑いを隠せない。仕事の悩み、高齢妊娠の悩み、夫婦の気持ちを赤裸々に描いたブログを更新中。Instagram:@puyozip
2022年09月10日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘手術と同時再建の手術を受けたこほこさん。手術を無事に終え、順調に回復している一方で傷口の壊死などの問題もあって……。★関連記事:「一部が壊死している」術後の傷を見た形成外科の先生から衝撃のひと言が… #乳がん絵日記 15浸潤性小葉がんというがんが右胸に見つかった私は、約9時間の大手術を受けました。術後すぐは観察室にいましたが、翌日には病室へ戻ることができました。毎日乳腺外科や形成外科の先生方に様子を見てもらっていましたが、右胸の傷の一部が壊死していたそうでした。病棟には洋式トイレが2つしかなかったので、いつも早起きしてトイレに行っていました。しかし、朝5時の時点で満室。みんな早起きしてトイレに行こうという考えは一緒なんだな……という気持ちになりました(笑)。術後6日目の午前10時ごろ、執刀してくれた乳腺外科の先生が右胸に傷を見に来てくれました。前日に形成外科の先生が傷を見てくれたのですが、そのときに傷の一部が壊死していると言われました。乳腺外科の先生は壊死してしまったら皮膚を貼るなどの処置もできることを教えてくれました。左脚のぷよぷよとした膨らみについても「治るから大丈夫!」と心配する私を励ましてくれました。そういったトラブルがありつつも、体調はどんどん回復していました! 左膝を曲げると、太ももの裏が引きつるような感覚があったのですが、それもマシになってあぐらをかいて座れるようになりました。それ以外にも歩くときは左脚を引きずりながら歩いていたのですが、持ち上げて前に踏み出して歩けるようにもなりました。手術のときに気管挿入したせいで生じた喉への違和感も落ち着き、裏返りやすかった声も普通の声で話せるようになってきていました。体液の排出も右胸から30ml、左太ももから80mlとかなり減っていました。入院期間は2週間だったので、時間はたっぷりありました。なので、長期の休みがあったらやってみたかったことを存分にやって過ごしていました(笑)。映画やドラマを見まくったり、電子書籍で本や雑誌を読みまくったり、ゲームしたり。個室に入院できたので、動画を見ていないときはBGMを流したりしていました。カフェミュージックを流しながら持参したコーヒーや紅茶を飲めば、もうそこはカフェでした!体もかなり回復していましたし、病室での生活にも慣れてまるでわが家のように過ごしていました。コロナ禍での入院だったので、家族ですら面会禁止。その分、趣味に没頭していました。ー--------------すっかり入院生活に慣れたこほこさん。期間に関わらず、入院生活はできるだけ快適に過ごしたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、ア著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月10日ボビイ ブラウン(BOBBI BROWN)は2022年冬コスメとして、限定リップグロスセット「プラウド トゥ ビー ピンク クラッシュド オイル インフューズド グロス デュオ」を発売。2022年10月1日(土)より限定販売する。ガラスのように煌めくリップグロス2本セットボビイ ブラウンの「クラッシュド オイル インフューズド グロス」は、ガラスのように透き通った輝きを叶えるリップグロス。ボタニカルオイルを贅沢に閉じ込めているため、つけた瞬間からオフした後まで、“ふっくら”とした潤いが続くのもグッドポイントだ。ピンク色リップグロスを限定パッケージでそんな「クラッシュド オイル インフューズド グロス」から、ピンク色のパッケージを纏ったコフレ「プラウド トゥ ビー ピンク クラッシュド オイル インフューズド グロス デュオ」が登場。ピンクベージュの人気色「02 フリースピリット」と、レッドパールがほんのり煌めく「S02 ベリーニ」の2本をセットにした。なお、「プラウド トゥ ビー ピンク クラッシュド オイル インフューズド グロス デュオ」は、エスティ ローダー カンパニーの乳がん知識啓発キャンペーンの一環として発売される。【詳細】プラウド トゥ ビー ピンク クラッシュド オイル インフューズド グロス デュオ 6mL×2 5,500円<限定品>発売日:2022年10月1日(土)※9月29日(木)公式オンラインショップ先行発売※収益のうち、本体価格の5%を米国乳がん研究基金(BCRF)やJBCRG(Japan Breast Cancer Research Group)等に寄付。【問い合わせ先】ボビイ ブラウンTEL:0570-003-770
2022年09月08日■期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月) ■場所:ストリングスホテル 名古屋 「シェフズ ライブ キッチン」株式会社ベストブライダル(本社:東京都渋谷区、代表取締役:塚田正之)が運営する、ストリングスホテル 名古屋(所在地:愛知県名古屋市中村区平池町4-60-7 )。2022年9月1日(木)~11月13日(日)まで、ブッフェレストラン「シェフズ ライブ キッチン」にて、『フュージョングルメフェア~イタリア×韓国~』を開催中。また、10月の乳がん月間(ピンクリボン運動強化月間)に合わせて、2022年10月1日(土)~10月31日(月)は、ピンクモチーフのスイーツとドリンクが登場いたします。また、乳がんに対する正しい知識の拡散と検診受診率の向上を目的とした「ピンクリボン」活動強化月間の10月1日(土)~10月31日(月)の期間、館内でのポスター掲示、乳がんに関するガイドブック「ブレストケアブック」の無料配布、募金箱の設置にて、さらなる啓発促進に努め、寄付金は公益財団法人 日本対がん協会に寄付いたします。※新型コロナウイルス感染症( COVID 19 )に伴う社会情勢により、一部店舗の営業休止・営業時間変更等を実施する場合がございます。営業情報に関しては、ホテル公式 HP hotel.jp/nagoya/ nagoya/)をご確認ください 。ご予約はこちらから : ■提供期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■ピンクリボンフェスティバル特別メニュー内容:ルビーショコラのムース/クランベリージュレ/いちごブラウニー・カシスフレーバーのいちごミルク(ノンアルコール/+550円 消費税・サービス料込)・カシスフレーバーのカンパリライチ(アルコール/+1,100円 消費税・サービス料込)ピンクリボンフェスティバル概要© 日本対がん協会ピンクリボンフェスティバル(日本対がん協会ほか主催)は乳がん検診の大切さを伝え、患者さんを支えていく活動を続け、今年で20年目です。今年は、乳がんの正しい知識をひろめ、そして乳がん検診の普及率向上のために、「シンポジウム」などの専門医の講演動画配信のほか、乳がんにまつわる連載など、オンラインでの積極的な情報発信に取り組みます。乳がん月間の10月には、協力施設のピンクライトアップや、街頭キャンペーンなどでメッセージ発信の強化に努めます。また、20~30歳代にも乳がんに関心をもってもらうため、若い世代向けのオンラインセミナーを配信する予定です。URL: 『フュージョングルメフェア~イタリア×韓国~』概要■場所:2F/ブッフェレストラン「シェフズ ライブ キッチン」■企画:フュージョングルメフェア~イタリア×韓国~■営業時間:ブレックファーストタイム(7:00~10:00/最終入店9:30)/ランチタイム(11:00~14:40/最終入店13:00)ティータイム(15:00~16:30/最終入店15:15)※週末のみ/ディナータイム(17:30~22:00/最終入店21:00)■電話番号:052-589-0787■詳細URL: ■料金:・朝食:大人¥3,300/子供(6~12才)¥1,900/幼児(3~5才)¥900・ランチ(平日):大人¥4,450/子供(6~12才)¥2,850/幼児(3~5才)¥1,200・ランチ(土日祝):大人¥4,950/子供(6~12才)¥3,150/幼児(3~5才)¥1,200・ディナー(平日):大人¥6,300/子供(6~12才)¥3,400/幼児(3~5才)¥1,350・ディナー(土日祝):大人¥6,800/子供(6~12才)¥3,600/幼児(3~5才)¥1,350※消費税込・サービス料15%込■メニュー:≪Waku!Waku!Time≫愛知県産金鯱しいたけとプチトマトのスンドゥブチゲ(イタリア×韓国)≪APPETIZER≫若鶏と蓮根のナムルコラトゥーラの香り(イタリア×韓国)/海老と今市蕪のインサラータレモン風味(イタリア)/鯖と焼き茄子のマリナータ(イタリア)/本日のテリーヌキムチのラヴィゴット(韓国)/南瓜のムースリーヌスペキュロスのクランブル≪FISH&SOUP≫チャンジャとエリンギのペペロンチーノ(イタリア×韓国)/本日のパスタ(イタリア)/旬魚のローストカポナータのピュレとタプナード(イタリア)/白身魚のフリット青ネギと韮とヤンニョムソース(韓国)≪MEAT&POTATO≫白トリュフ風味のマッシュポテト/金時芋のロースト/豚粗挽き肉のポルペッティローズマリーの香り(イタリア)/パリパリチキンハニーマスタードソース(韓国/ランチのみ)/厚切り豚バラ肉とルッコラのサムギョプサル(イタリア×韓国/ディナーのみ)/豚肩ロースのポルケッタハーブ風味(イタリア/ランチのみ)/アンガス牛のポルケッタサルサ・ヴェルデ(イタリア/ディナーのみ)≪GOHAN≫カプレーゼとコチュジャンのチーズバーガー(イタリア×韓国)/三重県産アオサと茸のきしめん/地場野菜の揚げたて天麩羅/イカ墨のアランチーニ(イタリア)/自家製肉味噌のレッドキンパ(韓国/ランチのみ)/鮮魚の握り寿司(ディナーのみ)≪KIDS≫※お子様が大好きな定番メニューコーナー(土日祝日のみ)チキンナゲット/ポテトサラダ/タコさんウインナー/フライドポテト/キッズカレー≪SWEETS≫マッコリとベリー風味のセミフレッド(イタリア×韓国)/専属パティシエが作るカラフルストーンアイス/自家製ケーキ各種※2022年10月1日(土)~10月31日(月)限定で、ピンクモチーフのスイーツ&ドリンクが登場姉妹店グループでもコラボレーション企画開催!『ストリングス スイーツコレクション~ピンクリボン~』販売概要(ストリングスホテル 八事 NAGOYA)■販売期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:1F / ストリングス ラウンジ■提供時間:11:00~20:00(L.O.18:00)■料金:1,980円 ※消費税込・サービス料15%別■HP :www.strings-hotel.jp/yagoto/restaurant_plan/pink■メニュー内容:【スイーツ】ラズベリーローズシュー&チュイル / ルビーチョコムース / チェリータルト / グレープフルーツのオペラ / いちごのマカロン / ピーチロールケーキ / クリームチーズといちごのヴェリーヌ / パンナコッタとエルダーフラワーのジュレ【ドリンク】シーブリーズ(ノンアルコールカクテル)『ピンクリボンショートケーキ』・ 『ピンクリボン カクテル』・『ストロベリーホワイトチョコレート』販売概要(ザ ストリングス 表参道 )【提供期間】2022年10月1日(土)~10月31日(月)【提供場所】ゼルコヴァ ケーキブティック/カフェ&ダイニング ゼルコヴァ(ザ ストリングス 表参道 1階)【営業時間】11:30~22:00(ケーキブティック12:00~20:00)【料金】・ピンクリボン ショートケーキ:2,100円・ピンクリボン カクテル:1,100円・ストロベリーホワイトチョコレート:880円※消費税込、サービス料15%別(※テイクアウトはサービス料なし)【お問い合わせ】03-5778-4566(カフェ&ダイニング ゼルコヴァ直通)【HP】 『PINK RIBBON CATHEDRAL NIGHT 2022』 概要(青山セントグレース大聖堂)表参道駅から徒歩2分。130年の歴史を刻んだステンドグラスが荘厳な雰囲気をかもし出す大聖堂を、一日限定で幻想的なピンク色にライトアップ。さらに通常は結婚式でしか入ることのできないチャペル内を無料開放いたします。■日時:2022年10月2日(日)日没~21:00予定■場所:青山セントグレース大聖堂(〒107-0061東京都港区北青山3-9-14)■料金:無料※ライトアップは雨天中止、チャペル内無料開放のみ実施。■HP: (イベント情報は9月5日情報公開予定)【Press Release】シェフズライブキッチン/イタリア×韓国/ストリングスホテル 名古屋 ピンクリボンver..pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月06日販売期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月) 場所:ストリングスホテル 八事 NAGOYA株式会社ベストブライダル(本社:東京都渋谷区、代表取締役:塚田正之)が運営する、ストリングスホテル 八事 NAGOYA(所在地:愛知県名古屋市昭和区八事本町100-36 )では、乳がんの早期発見 ・ 適切な治療のための定期的な検診の大切さを伝える活動『ピンクリボンフェスティバル』へ賛同いたします。10月の乳がん月間(ピンクリボン運動強化月間)に合わせて、ラグジュアリーな空間でティータイムをお楽しみいただけるオールデイ・ラウンジ「ストリングス ラウンジ」にて、『ストリングス スイーツコレクション~ピンクリボン~』を2022年10月1日(土)~10月31日(月)の期間限定で販売いたします。※弊社では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内での発生状況を踏まえ、お客様及び関係者の健康・安全面を第一に考慮し、感染拡大防止策を徹底してまいります。また、社会情勢により、一部店舗の営業休止・営業時間変更等を実施する場合がございます。営業情報に関しては、ホテル公式HPをご確認ください。新型コロナウィルス感染症対策 : ストリングスホテル 八事 NAGOYA 公式HP : 乳がんに対する正しい知識の拡散と検診受診率の向上を目的とした「ピンクリボン」活動強化月間の10月1日(土)~10月31日(月)の期間、館内でのポスター掲示、乳がんに関するガイドブック「ブレストケアブック」の無料配布、募金箱の設置にて、さらなる啓発促進に努め、寄付金は公益財団法人 日本対がん協会に寄付いたします。ピンクリボンフェスティバルとはⒸ日本対がん協会ピンクリボンフェスティバル(日本対がん協会ほか主催)は乳がん検診の大切さを伝え、患者さんを支えていく活動を続け、今年で20年目です。今年は、乳がんの正しい知識をひろめ、そして乳がん検診の普及率向上のために、「シンポジウム」などの専門医の講演動画配信のほか、乳がんにまつわる連載など、オンラインでの積極的な情報発信に取り組みます。乳がん月間の10月には、協力施設のピンクライトアップや、街頭キャンペーンなどでメッセージ発信の強化に努めます。また、20~30歳代にも乳がんに関心をもってもらうため、若い世代向けのオンラインセミナーを配信する予定です。ピンクリボンフェスティバル公式HP : 『ストリングス スイーツコレクション~ピンクリボン~』 販売概要■販売期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:1F / ストリングス ラウンジ■提供時間:11:00~20:00(L.O.18:00)■料金:1,980円 ※消費税込・サービス料15%別■HP: ■メニュー内容:【スイーツ】ラズベリーローズシュー&チュイル / ルビーチョコムース / チェリータルト / グレープフルーツのオペラ / いちごのマカロン / ピーチロールケーキ / クリームチーズといちごのヴェリーヌ / パンナコッタとエルダーフラワーのジュレ【ドリンク】シーブリーズ(ノンアルコールカクテル)<店舗概要>【店名】オールデイ・ラウンジ 「ストリングス ラウンジ」【営業時間】11:00~20:00(L.O19:00)※最新の営業時間はホテル公式HPをご確認ください。【席数】約70席【定休日】無休【電話番号】 052-861-7874【店舗HP】 地図 : 姉妹店/グループ店舗でも開催!ストリングスホテル 名古屋にて『ピンクモチーフのスイーツ&ドリンク』を提供ブッフェレストラン「シェフズ ライブ キッチン」にて、10月の乳がん月間(ピンクリボン運動強化月間)に合わせて、ピンクモチーフのスイーツとドリンクが登場いたします。■提供期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:2F/ブッフェレストラン「シェフズ ライブ キッチン」■営業時間:7:00~22:00■ピンクリボンフェスティバル特別メニューを提供■HP: www.strings-hotel.jp/nagoya/recommend/restaurant/chefslive/12393.htmlザ ストリングス 表参道にて 『ピンクリボンショートケーキ』・ 『ピンクリボン カクテル』・『ストロベリーホワイトチョコレート』を提供■提供期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:ゼルコヴァ ケーキブティック/カフェ&ダイニング ゼルコヴァ(ザ ストリングス 表参道 1階)■営業時間:11:30~22:00(ケーキブティック12:00~20:00)■料金:ピンクリボン ショートケーキ 2,100ピンクリボン カクテル¥1,100ストロベリーホワイトチョコレート ¥880※消費税込、サービス料15%別(※テイクアウトはサービス料なし)■お問い合わせ: 03-5778-4566(カフェ&ダイニング ゼルコヴァ直通)■HP: 青山セントグレース大聖堂にて「PINK RIBBON CATHEDRAL NIGHT 2021」開催表参道駅から徒歩2分。130年の歴史を刻んだステンドグラスが荘厳な雰囲気をかもし出す大聖堂を、一日限定で幻想的なピンク色にライトアップし、 通常は結婚式でしか入ることのできないチャペル内を無料開放いたします。 さらに併設レストランではキュートなピンク色のいちごパフェ付き「ピンクリボンディナー」も販売。<ピンクリボンライトアップ&チャペル無料開放概要>■日時:2022年10月2日(日)日没~21:00予定■場所:青山セントグレース大聖堂■料金:無料※ライトアップは雨天中止、チャペル内の無料開放のみ実施。■HP: www.bestbridal.co.jp/restaurant/vino-buono/【Fin】ストリングススイーツコレクション2022.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月06日■一日限定!ピンクリボンライトアップ&チャペル無料開放/青山セントグレース大聖堂■一か月間限定!ピンクリボンディナー販売/レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ)“たくさんの、LOVEを届けよう。”をブランドスローガンに掲げる株式会社ベストブライダル(本社:東京都渋谷区、代表取締役:塚田正之)では、乳がんの早期発見・適切な治療のための定期的な検診の大切さを伝える活動「ピンクリボンフェスティバル」に賛同しています。10月の乳がん月間(ピンクリボン運動強化月間)にあわせて、『PINK RIBBON CATHEDRAL NIGHT 2022』(ピンクリボンカテドラルナイト2022)と題し、運営するゲストハウスウエディング会場「青山セントグレース大聖堂」にて、2022年10月2日(日)限定でピンク色に限定ライトアップし、チャペルを無料開放いたします。さらに、レストラン「VINO BUONO(ヴィーノボーノ)」では、一か月間限定でキュートなピンク色のいちごパフェ付き特別ディナーコースを販売いたします。10月2日(日)限定!『PINK RIBBON CATHEDRAL NIGHT 2022』開催■「青山セントグレース大聖堂」 ピンクリボンライトアップ&チャペル無料開放 ■通常は金色に輝く夜の大聖堂が、10月2日(日)限定でピンク色、LOVE、ハートなどをモチーフに限定ライトアップされる(画像はイメージ)2021年の様子(2021年は雨天後の為ライトアップ)表参道駅から徒歩2分。130年の歴史を刻んだステンドグラスが荘厳な雰囲気をかもし出す大聖堂と、それぞれ魅力の異なる個性豊かな3つの貸切邸宅からなるゲストハウスウエディング会場。“恋人の聖地サテライト”にも認定されている、知る人ぞ知る表参道の夜景スポットを、一日限定で幻想的なピンク色にライトアップ。さらに通常は結婚式でしか入ることのできないチャペル内を一般開放いたします。【日時】2022年10月2日(日)日没~21:00予定【料金】無料【場所】青山セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-9-14*社会情勢等により、ライトアップ時間が変更となる可能性がございます。*雨天時はピンクリボンライトアップは中止、チャペル内無料開放のみ実施いたします。昼の大聖堂内観(夜はステンドグラスが黄金色に輝く)■「レストラン VINO BUONO」 プロカメラマンによる記念撮影付ピンクリボンディナー ■いちごパフェ付き限定ディナーコースイメージピンク色にライトアップされた「セントグレース大聖堂」を眺めながら、ピンク色のキュートないちごパフェ付特製ディナーコースをお召し上がりいただいた後、プロカメラマンによるチャペル内記念写真が撮れるスペシャルプラン。【開催日時】2022年10月2日(日)※要予約【場所】レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-15-5ポルトフィーノ2F【料金】プリフィクスコース7,200円窓際席確約フルコース10,700円※すべて消費税・サービス料込【TEL】 03-5774-0758※月・火曜定休【HP】 一か月間限定!フォトジェニックな“いちごパフェ”付ディナーコース販売いちごパフェ付きディナーコースイメージセントグレース大聖堂の向かいに位置し、店内の全席から輝く大聖堂の夜景を眺められる「レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂」では、ピンク色のキュートないちごパフェ付特製ディナーコースを販売します。オマール海老やキャビア、国産牛フィレ肉などの高級食材をふんだんに使用した全6皿のイタリアンコース、ピンク色のかわいらしいモンブランをお楽しみください。【販売期間】2022年10月1日(土)~10月30日(日)【販売時間】17:00-22:00(L.O. 20:00)【場所】レストラン VINO BUONO(ヴィーノボーノ) 青山/セントグレース大聖堂【住所】〒107-0061東京都港区北青山3-15-5ポルトフィーノ2F【料金】 10,700円(消費税・サービス料込)【内容】・ピンクリボンスパークリングカクテル(ノンアルコール対応可)・ヴェトラーテ 大聖堂からの輝き・山栗のポタージュ・オマール海老のレモンクリーム フェットチーネ・国産甘鯛の鱗焼き 黒トリュフとシェリービネガーのヴィネグレット・前田牧場牛フィレ肉のソテー ソースヴィーノボーノ・ピンクリボン スペシャルデザート・食後のお飲みもの【TEL】 03-5774-0758※月・火曜定休【HP】 席から臨むセントグレース大聖堂VINO BUONO内観ピンクリボンフェスティバルとはピンクリボンフェスティバル(日本対がん協会ほか主催)は乳がん検診の大切さを伝え、患者さんを支えていく活動を続け、今年で20年目です。今年は、乳がんの正しい知識をひろめ、そして乳がん検診の普及率向上のために、「シンポジウム」などの専門医の講演動画配信のほか、乳がんにまつわる連載など、オンラインでの積極的な情報発信に取り組みます。乳がん月間の10月には、協力施設のピンクライトアップや、街頭キャンペーンなどでメッセージ発信の強化に努めます。また、20~30歳代にも乳がんに関心をもってもらうため、若い世代向けのオンラインセミナーを配信する予定です。 株式会社ベストブライダルでは、ピンクリボンフェスティバルの活動に賛同し、レストラン「VINO BUONO」にてディナーを販売するとともに店内に募金箱を設置。寄せられた寄付金は、公益財団法人 日本対がん協会へ寄付します。新型コロナウイルス感染症拡大防止への対応について当社では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内での発生状況を踏まえ、お客様及び関係者の健康・安全面を第一に考慮し、感染症拡大防止策、ソーシャルディスタンスを確保しております。(詳細はこちら: )また社会情勢により、営業時間変更等を実施する場合がございます。営業情報に関しては、レストラン公式ホームページをご確認ください。姉妹店でもピンクリボンフェスティバル賛同メニューを販売!ザ ストリングス 表参道『ピンクリボンメニュー』販売概要【提供期間】2022年10月1日(土)~10月31日(月)【提供場所】ゼルコヴァ ケーキブティック/カフェ&ダイニング ゼルコヴァ(ザ ストリングス 表参道 1F)【営業時間】11:30~22:00(ケーキブティック12:00~20:00)【料金】ピンクリボン ショートケーキ 2,100円ピンクリボン カクテル1,100円ストロベリーホワイトチョコレート 880円※税金込、サービス料15%別(テイクアウトはサービス料なし)【お問い合わせ】03-5778-4566(カフェ&ダイニング ゼルコヴァ直通) ストリングスホテル 名古屋 『ピンクモチーフのスイーツ&ドリンク』 販売概要■提供期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:2F/ブッフェレストラン「シェフズ ライブ キッチン」※期間限定でピンクリボンモチーフのデザートとドリンクが登場■営業時間:7:00~22:00■料金:朝食ブッフェ ¥3,3000ランチブッフェ 平日 ¥4,450 土日祝 ¥4,950ディナーブッフェディナー 平日 ¥6,300土日祝 ¥6,800■ピンクリボンフェスティバル特別メニュー内容:ルビーショコラのムース/クランベリージュレ/いちごブラウニー・カシスフレーバーのいちごミルク(ノンアルコール/+¥550)・カシスフレーバーのカンパリライチ(アルコール/+¥1,100)※消費税・サービス料込■HP: www.strings-hotel.jp/nagoya/recommend/restaurant/chefslive/12393.htmlストリングスホテル 八事 NAGOYA『ストリングス スイーツコレクション~ピンクリボン~』 販売概要■販売期間:2022年10月1日(土)~10月31日(月)■場所:1F / ストリングス ラウンジ■提供時間: 11:00~20:00(L.O.18:00)■料金:¥1,980 ※消費税込・サービス料15%別■HP:www.strings-hotel.jp/yagoto/restaurant_plan/pink【Fin】青山セントグレース大聖堂ピンクリボンライトアップPress Release.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月06日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかったこほこさんは、右胸の全摘と同時再建の手術をおこないました。手術から5日目、形成外科の先生から「手術した右胸の傷が一部、壊死している」と言われ……。★関連記事:「胸のバランスも良いですね」再建した乳房を見るタイミングっていつなの? #乳がん絵日記 14私は乳がんを摘出するために、右の乳房を全摘しました。それと同時に左太ももから取った組織で、乳房を再建しました。術後4日目、初めて正面から手術した右胸を見たのですが何だか自分のものだけどそうじゃないような不思議な感覚になりました。術後5日目の朝、乳腺外科の先生たち3人が術後の容態を見に来てくれました。外来受診していたときにはわからなかったのですが、病院にはたくさんの人がいるんだな〜と思いました。組織を取った左太ももにはバンドが巻かれていたのですが、それを取って状態を確認しました。太ももの裏が引きつっている感覚はだんだんマシになりましたが、管が刺さっている辺りが前より膨らんだ気がしました。触ったらぷよぷよとしていました!今まで左の太もも裏は触らないようにしていたのですが、初めて触ってみると皮膚が固くなって感覚がない所やピリピリと痺れているような所がありました。トイレに行って便座に座るたびにピリピリとする感覚があったので、傷に響いているのかと思っていました。ですが、それは傷の近くの皮膚だったことが判明。手術をするとその周辺の感覚がなくなったりすると形成外科の先生から聞き、納得しました。ぷよぷよとしている部分はどうなっているのか不明だったのですが、ひとまずバンドを巻いて押さえておくことにしました。それから右胸を見てもらったのですが、傷の一部が壊死していたそう。自分で確認することはできなかったのですが、皮膚がよみがえることを期待することにしました。ただ、執刀してくれた形成外科の先生や看護師さんたちには残念なニュースのような感じになってしまいました。退院後は右胸の傷に毎日軟膏を塗ることになったので、その説明も聞きました。軟膏は手ではなく、滅菌ガーゼに塗ってそのガーゼを胸に置いてテープで止めるそう。退院したらガーゼやテープを買わないといけないなと思いました。このころになると、寝る体勢もラクになってきました。術後すぐのころは、ベッドをフラットにしていると右胸と左太ももの傷が引きつる感じやピリピリと痺れているような感じがしていました。なので、ベッドの背もたれと脚の部分は上げっぱなしにして過ごしていました。傷とその周りに響くので術後4日目までは電動ベットの力を使って起き上がっていました。しかし、5日目からは自力で起き上がれるように!左脚はそんなに上げなくてもピリピリする感じがなくなったので、ほぼフラットにして枕を下に入れていました。毎日どんどん回復していて、人間の生命力に感動していました。ー--------------手術した傷の一部が壊死してしまったこほこさん。この先傷がどうなってしまうのか不安になってしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月05日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸にがんがあり、全摘手術をしたこほこさん。全摘手術と一緒に乳房の同時再建手術もおこないました。再建した乳房を見るタイミングとは果たしていつなのか……。★関連記事:「極楽じゃ〜」全摘手術から2日、術後初めての洗髪に感動! #乳がん絵日記 13右胸に浸潤性小葉がんが見つかった私は、9時間にも及ぶ右胸の全摘と再建の手術を受けました。手術の翌日には、観察室から自分の病室まで歩いて戻れるくらいには回復していました。術後3日目には、途中からしんどくなってしまったものの病棟の外で散歩もしました! 抗生剤の点滴も終わり、術後の経過は順調なものでした。術後の3日間は、手術した右胸をかばって寝返りができなかったので熟睡できませんでした。不眠気味になってしまったので、眠剤をもらって寝てみると……爆睡!寝返りを打って傷口が開いたらどうしようと思っていたのですが、無事に朝を迎えられました。この日は日曜日で、乳腺外科の先生も形成外科の先生も違う人が様子を見に来てくれました。胸の傷は新しい皮膚がかさぶたになるのを待つ必要があるとのこと。週に1回の体重測定の日だったので、ナースステーション前で体重を測ると、まさかの2kg増。術後からあまり食欲がなく、食事も残し気味だったので何でだろう? と不思議な気持ちに。まだ体がむくんでいたのでそのせいなのだろうか……。前日に病棟の外まで散歩した疲れが残っていたので、この日の散歩はほどほどにしておきました。手術で自家組織を取った左脚をかばいながら歩くので、右膝と腰に痛みを感じていました。でも、自分で顔を洗えるくらいの余裕ができて、顔を洗ってシートマスクをして美顔器を使ってスキンケアをしました! 今までは拭き取りの化粧水シートを使っていたのですが、やっぱり水で洗うと気持ちがよかったです。持ち込んだiPadで映画を見たり雑誌やマンガを読んで過ごしていたのですが、モバイルWi-Fiの上限になってしまったので、絵を描いて寝ました。手術をした右胸を鏡で正面から見たのは、術後4日目。それまでは上からチラ見するだけで、膨らみがあることしかわかりませんでした。とはいえ、まだガーゼやテープが付いているので形を見たくらいで、傷を見るのはまだ先のことでした。手術の翌日は心身に負担をかけたくなかったこともあり、手術衣からパジャマに着替えるときも胸からは目線をそらしていました。体を拭いたりもしなかったので、胸を見ることなく1日を終えました。術後2日目の朝、執刀してくれた乳腺外科の先生が体液や血管の音、胸の傷を確認してくれました。そのとき「再建したお胸のバランスも良いですね」と言われました。そこでちょっと見てみるかと思いお昼くらいに上からちらっと胸を見ました。たしかに左胸と同じくらい右胸にも膨らみがありました。その日はもう見ないでおこうと思い、胸の確認をすることはありませんでした。術後3日目も上からチラ見するだけにして、4日目になって正面から右胸を見ました。胸の大きさが小さいのもあって、ほぼガーゼとテープで覆われていました。何だか自分の胸なんだけど、自分の胸じゃないような感じもする……と不思議な感覚。組織を取った左太ももはバンドがぐるぐるに巻かれていたので、傷の位置も脚の形もよくわかりませんでした。ー--------------勇気を出して、再建した右胸を見たこほこさん。手術したときの傷口って見たいような、見たくないような、気持ちが揺れてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月03日不妊治療を経て授かった第二子妊娠中、安定期に入ったころ、数カ月前に市の乳がん検診のお知らせが届いていたのを思い出しました。クリニックを受診すると、右にも左にもシコリがあると先生から説明を受け、すぐに大きな病院で精密検査を受けるように言われました。安心して出産に臨めるようにと、精密検査を受けることにしたのですが……。 「右にも左にもシコリがあります」なかなか思うように妊娠できなかった私ですが、3年の不妊治療を経て、第二子を授かることができました。それまでに3度の流産もあり、不安な日々を送っていました。安定期に入り、数カ月前に市の乳がん検診のお知らせが届いていたのを思い出し、クリニックを受診。すると右にも左にもシコリがあると先生から説明を受け、すぐに大きな病院で精密検査を受けてほしいと言われたのです……。 翌週に精密検査を受けたところ「おそらく良性の可能性が高いけど、安心して出産に臨めるように細胞検査をしましょう」と言われました。 2週間後に検査結果を聞きに行ったら、右は良性。左は悪性。すぐに全摘をして産後は抗がん剤治療が必要かもしれないと言われました。「なんで今このタイミングなんだろう。おなかの子におっぱいがあげられなくなってしまう……。せっかく妊娠したのに手術なんてして、おなかの子は大丈夫なのか……」と不安で涙が止まりませんでした。 次女の誕生そして妊娠28週で手術をして左胸は全摘しました。赤ちゃんも一緒に頑張ってくれて、手術は無事に終わりました。病理検査の結果、産後2週間で抗がん剤治療をして、それが終わったらホルモン治療を10年することに決まりました。その後妊娠39週4日で、無事に女の子を出産しました。 わが子は破水せず卵膜に包まれたまま生まれました。これは「幸帽児(こうぼうじ)」と呼ばれ、8万人〜10万人の確率で生まれると言われている非常に珍しいパターンだそうです。日本でも海外でもとても縁起がいいと言われていて、幸福に恵まれると言われているようです。私は娘が「お母さんは病気になったけれど、私は大丈夫だよ!」と言ってくれているような気がしてなりませんでした。その後娘は右だけになってしまった私のおっぱいを2週間だけ飲み、その後は育児用ミルクで元気いっぱい育っています。 かわいいわが子2人のために乳がんが判明したときは「なんでよりによって今なんだろう……」と何度も泣きました。しかし私の治療計画だと、ホルモン治療で生理を先10年止めないといけなかったので、乳がんが先に見つかっていたら第二子には会えなかったかもしれません。おなかに赤ちゃんがいたから、この子のためにも頑張らないといけない!と思い、手術も乗り越えられた気がします。母乳をあげられた期間はとても短く切なさも感じましたが、育児用ミルクを次女にあげるうれしそうな長女の姿を見ると、これもよかった! と思うようになりました。 現在は抗がん剤治療中で育児と治療の両立に苦戦していますが、かわいいわが子2人のために周りに助けてもらいながら頑張っています。まさか自分が38歳で妊娠中に乳がんになるとは思いませんでした。定期検診は本当に大切なのだなと実感しています。 著者:幸20才(前夫との子)、0才(現在の夫との子)の2児の母。現在育児休暇中(看護師)。今の夫と結婚してなかなか子どもに恵まれず、不妊治療するも、流産し、3度目の正直で43才でやっと授かり出産。
2022年08月31日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。乳がんの手術から2日目。右胸と左太ももから体液を出す管がついているこほこさんは入浴できず。そんなとき、看護師さんがしてくれた洗髪が……!★関連記事:「パンツはいて」どうやって着替えるの!? 戸惑う私に看護師さんが… #乳がん絵日記 12右胸の全摘と同時再建の手術から2日がたちました。9時間という大手術を無事に終えたものの、観察室にいる間は心のどこかで不安になっていました。病室に戻ってから安心したのか、少し余裕が生まれてきました。手術前から着圧ソックスをはいていたものの、脚は少しむくんでいて靴がキツくてかかとを踏んで歩いていました。右手もむくんでいることに気付き、左手と比べてみると……両手の甲にたくさんのシミらしきものが! 5日くらいで消えましたが、一体なんだったのだろうか……。目も普段は一重なのにぱっちりした二重になっていました。これも3日くらいで元に戻りました。昼食をたっぷりと食べるとおなかが動き出して、術後初めてのお通じがありました!まだ右胸と左太ももに管を通しているのでシャワーはNGでした。代わりにボディシートで体を拭くことにしました。そして、看護師さんが洗髪台で頭を洗ってくれたのですが……スッキリして気持ち良い〜! とってもうれしかったです。夜に体液測定をすると、右胸から60ml、左太ももから100mlの体液が出ていました。寝る前に抗生剤の点滴をすることに。ベッドをフラットにすると傷口が引きつる感じがするので、寝るときも背もたれと足を上げていました。いつも横向きに寝る私はなかなか寝付けませんでした。手術から3日目。この日は朝食後すぐに乳腺外科と形成外科の先生が一緒に病室へ来てくれました。手術のときに貼ったガーゼやテープを剥がして、傷口とご対面……! でも、ぼやけて見えてしまいよくわかりませんでした。再建して繋いだ胸の血管は問題ないとのことでした。それから、病棟の外まで散歩しようと思い、上着を着てワクワクのお出かけ! まだ左脚を引きずっているので、階段は無理ですが平地ならどんどん歩けました。全然歩けると思いきや、途中からしんどくなってヘトヘトに……。散歩で疲れたからか、午後から胃のムカつきを感じたり胃酸が逆流してきたりしました。空せきも出ていたので、のど飴をなめてやり過ごしました。寝る前に最後の抗生剤の点滴をして、左手に刺さっていた針も抜きました。ー--------------看護師さんに洗髪してもらい、スッキリとしたこほこさん。何日も頭や体を洗っていないと気持ち悪くなってしまうので、洗ってもらえるのはうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月29日がん経験者などに無料のオンラインミーティング9月4日(日)、一般社団法人日本キャンサーアピアランスケア協会が主催する座談会形式のオンラインミーティング「がん経験者とナースで語ろうアピアランスケア」が開催される。参加費は無料となっている。このイベントはzoomによりオンラインで開催され、厚生労働省と公益財団法人日本対がん協会、公益社団法人日本看護協会が後援として参画。がん経験者や看護師、看護師以外の医療関係者などが対象である。当日は女性特有のがんを患った人たちの「よつばの会」代表で、自身も子宮頸がんなどを経験しているタレントの原千晶さんをはじめ、婦人科がん、乳がんの経験者3氏が「患者側」として出演。「看護師側」には、がん看護専門看護師、乳がん看護認定看護師、がん化学療法看護認定看護師の3氏が出演する。「アピアランスケア」とは外見に対するケアがん治療では外見の変化を伴うことがある。「アピアランス」は外見のことを意味し、「アピアランスケア」とは外見に対するケアのこと。がん治療による外見の変化に悩んでいても、看護師などに相談しづらく、悩みを抱え込んだままになりがちである。一方、看護師側も患者が求めているケアとはどういうものかなどの不安や疑問を抱えている。このオンラインイベントでは、がん経験者3氏と、がん専門・認定看護師3氏がアピアランスケアをテーマにそれぞれ経験をしてきたことを語り合うことになる。多種多様なニーズを可視化させ、アピアランスケアの現場に生かすためのイベントであり、参加者には医療現場で嬉しかったことや不満などについて、参加登録の際や当日のチャット機能で伝えてほしいとしている。日時: 9月4日(日) 14:00~15:30参加費: 無料(日本キャンサーアピアランスケア協会のサイトより引用)(画像は日本キャンサーアピアランスケア協会のサイトより)【参考】※「がん経験者とナースで語ろうアピアランスケア」申込開始 - 一般社団法人日本キャンサーアピアランスケア協会
2022年08月24日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。無事に右乳の全摘と同時再建の手術を終えたこほこさん。病室へ戻ることになり、着替えをしようとするも管が通っているのでパンツのはき方がわからない! 戸惑っていると、看護師さんがアドバイスをしてくれて……。★関連記事:「ご主人ですよ!」乳がんの手術後、スタッフが総出で起こしてくれて… #乳がん絵日記 11約9時間の手術を終え、観察室で一夜を過ごすことになりました。ただ、昼間の手術中に麻酔で眠っていたので寝たくても寝れず……。スマホも見る気になれず、ぼんやりとしていました。夜、検温をすると熱が高かったみたいでした。術後は熱が上がりやすいみたいで、看護師さんが氷嚢を用意してくれようとしました。でも、熱っぽく感じなかったのでお断りさせてもらいました。真夜中になっても相変わらず眠気はやってこず……。様子を見に来た形成外科の先生に「あれ、起きてるやん。痛みで眠れない?」と聞かれました。ただ目が覚めているだけです、とカスカスの声で伝えました。先生は右胸の辺りに金属の棒みたいなものを当ててきました。すると、付属のボックスのようなものからゴーゴーとした音が! どうやら血管の音らしく、つなげた血管の中を血がしっかり流れているか確認していました。このときだけではなく、その後もこの確認があったので血管がつながっているかどうか確認するのは大事なのだと思いました。先生がいなくなった後、一瞬うとうとするも隣から「ウワァ!」と大声が聞こえてすっかり目が覚醒。どうやら寝言だったらしいのですが、驚いてドキドキしてしまいもう寝れなくなってしまいました(笑)。組織を採取した左太ももの裏側がピリピリとしていて、痛くなったら嫌だなあと思い痛み止めが出てくるボタンを押しました。しょっちゅう押しても一定の時間が経過しないと出てこない仕組みになっていたので、安心してカチカチとボタンを押していました。看護師さんが様子を見に来てくれたり、明け方に先生が再び来てくれたりして朝になりました。形成外科の先生が経過を見に来てくれ、右胸の血管の音を聞いていました。その後、再建したのでマンマ体操(乳がん手術後のリハビリ体操)はNG、右腕は90度までなら上げていいなどいろいろな説明を受けました。そうこうしているうちに朝食の時間。右手の人差し指に体内の酸素を測る機械を着けていて、お箸が持てないと思って外してもらったのですが……おなかが減っていなかったので、バナナと牛乳のみ頂戴することに。歯磨きはガーグルベースという受け皿と歯磨き用の水を用意してもらって、ベッドの上でおこないました。顔を拭くおしぼりももらって少しスッキリしました!昼前には観察室から病室へ戻ることに。手術衣からパジャマに着替えて、うまく歩けたら尿管も抜けるとのことでした。ひとまず、パンツをはきましょうと言われたものの……ど、どうやってパンツをはくの? と戸惑う私。というのも、私は右胸と左太ももに管をつないでいて、その先には体液のパックが。まるで初めてパンツを見たかのようにぼうぜんとしてしまいました(笑)。すると、抜いちゃいましょうかと看護師さんが尿管を抜いてくれました。いつものように右脚からパンツをはこうとすると、看護師さんからアドバイスが。先にパックと管をパンツの左穴に通して、左脚からはくと良いとのこと。本当だ〜!! と単純なことながら感動。いつもとは勝手が違うので、慣れるまでに2日程度かかりました。浴衣タイプのレンタルパジャマに着替え、観察室から病室へ戻ります。体液のパックは、首からかけた不織布のポシェットの中に入れていました。ゆっくり立ち上がると、ちょっとふんわりした感覚。左脚も引きずっているものの、なんとか歩ける! 自分の病室まで歩いて戻りました。病室の窓から見える風景が穏やかで、心がほっとしました。手術の朝からここまでたったの1日半。長いような短いような……戻ってこれたという感じがすごくしました。昼食を食べても尿意は感じなかったのですが、14時ごろになってトイレに行ってみるとちゃんと尿が出てきました。1回出てしまうといつも通り尿意を感じられるようになりました。抗生剤の点滴中にトイレに行こうとしたら血液が逆流していたようで、それを廊下ですれ違った看護師さんが気付いてくれてすぐに処置してくれました。流石はプロ……! と感動。管と体液パックの感覚や重さにも慣れて、午後は韓流ドラマを一気見していました。飽きたら廊下を歩いて散歩したりと、自由に過ごしていました。ー--------------観察室から病室へ戻る際の着替えに戸惑ったこほこさん。頭ではわかっているけど、行動ができないということってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月22日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女に出会ったとりだまりさん。抗がん剤治療についていろいろ教えてもらい、闘病の決意を固めて……。★関連記事:「エステみたいにツルツル!?」抗がん剤治療の思い込みが塗り替えられ #子宮頸がんゆる闘病記 10乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんに、ウィッグについても教えてもらった私。もし抗がん剤をすることになっても、めっちゃいいウィッグを買うことにして、闘病の決意を固めました。そして、ウィッグへの気付き意外にも、さらにうれしい出来事が……。それは、がん告知を受けたその日に、とてもすてきながん友に出会えたことです。どうせハードな治療をするなら、せめてメンタル面くらいはラクラクのラクをしたいじゃないですか……。だって絶対、そこそこしんどいし。そんな私の怠け者マインドに、彼女の極上におおらかな感性は非常にしっくりきたのです。私も体毛が全部抜けたら、エステで全身脱毛したって思おう~。そう考えただけで、くだらなすぎてちょっと楽しくなれたのでした。ー------------------------入院前からがん友だちができたことが、非常に心強かったと、とりだまりさん。がんである事実は変わらなくても、不思議と心が軽くなったそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月18日定期的に健康診断を受けている私たち夫婦。健康のために、40代になってからは予定を合わせて一緒に受診するようにしています。その健康診断で私だけが引っかかり、大学病院で再検査となってしまいました。もんもんと過ごした1カ月のこと、再検査の結果をお話しします。★関連記事:健診の結果に頭がパニック!「要精密検査」で眼科を受診したら…【体験談】夫婦で受けた健康診断で私だけ再検査に私たち夫婦は、定期的に健康診断を受けています。夫が受けるタイミングで私もついでに、ということが多いのですが、40代になって受けた健康診断で「再検査」という結果に。夫婦2人で受けて、後日私のスマホにだけ電話で「再検査」連絡があったのです。申し訳なさそうな声で、近くの病院の紹介状を書くので専門的な医師の診察を受けてほしいといった内容でした。それまで、健康診断では「再検査」経験がまったくなかった自称健康優良児な私は驚きました。電話をかけてきた人に受診先について「行きつけの開業医の内科」と告げると、より専門的な医師の診察が良いと、大学病院をすすめられました。そして、病院の受診はより早いほうが良いとのこと。「再検査」に「大学病院」、そして「病院の紹介状」、この3点セットに私はおびえてしまいました。再検査の日程を取るときも、最初の希望では予定が合わず1カ月後に。受診科は「乳腺・内分泌外科」でした。「乳がん」?私が考えたこといろいろ再検査の心当たりはありました。健康診断の内科検診で「甲状腺が悪いのか」と医師に聞かれたことです。しかし、電話では「気になる点があったため受診してください」と言うばかりで詳しい説明はありませんでした。そのため、手紙が送られてくるのを待つことに。その後、A4サイズの封筒で診察時に使うと思われるCD-ROM、病院の紹介状、受診の前に記入しておくアンケートが家に届きました。受診の前に記入しておくアンケートには、胸の絵。そして「自分でしこりを感じますか」、「胸で違和感を感じる部分はどこですか」、「両親や親族に乳がんの人はいますか?」のYes/Noアンケート。心当たりのあった甲状腺についてよりも、「胸」についての質問が多すぎるように感じました。これは、自分はもしかすると「乳がん」なのかもしれない……。私にはまだ小学生の子どもが2人いて、成長を見届けたい。再検査では何もないといいけれど、だとしたら健康診断で引っかかることもないわけで……。「乳がんでも早期発見だったら胸を手術すれば生きられるかなあ」など、少し想像するだけでも涙が出てきます。自分では出産を終え、女性として胸は必要なくなったはずなのに未練があったみたいです。胸がなくなり、眉毛がなくなり、髪の毛がなくなるのは嫌だ……。でも、ぜいたくは言わない、死ぬのは嫌だ……。もっと、子どもたちとお出かけしておくんだったなあ……とさまざまな感情があふれてきました。杞憂(きゆう)に終わった再検査結果検査結果から言うと乳がんではなく、他にも異常はありませんでした。大学病院に予約時間に行き、いざ診断。そのとき、胸ではなく首筋のリンパをエコーで見るだけ。乳がんだと思っていたので、これには拍子抜けしました。乳がんだと思った胸についてのアンケートは、「乳腺・内分泌外科」を受診する人に一律に送付していたのでしょうか、受付で「ややこしくてごめんなさい」と謝罪がありました。私の場合は、健康診断での甲状腺の白い影が映った写真が気になったようです。しかし、再検査の結果、投薬も不要、経過観察も必要ないとのこと。「大丈夫ですよ」と担当してくれた女医から言われ、あまりにホッとして泣いてしまいました。「鬼ママの目にも涙」です。まとめこの年齢になるといろいろなことがありますが、自分の「死」を身近に感じたことは、初めてです。小学生2人を育てる親として、子どもを産んで、あとは自分のことよりも子どもを無事に育てなくてはと思っていたものの、自分の人生も大事。胸がなくなるかもしれない不安を思い出すと「残された人生を精一杯生きねば」と思います。女性としても、人間としても、今が一番若い日。メイクもする、おしゃれもする、会いたい人には会う、やりたいことはどんどんやる。人目を気にせず、自分が思うように生きることが一番だと思っています。まだまだしぶとく生きますよ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。著者/Kumiko3(41歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2022年08月17日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女に出会ったとりだまりさん。抗がん剤治療についていろいろ教えてもらい、一番気になっていたことを詳しく聞いてみると……。★関連記事:「めっちゃいい吐き気止めあるから」えっ! 抗がん剤治療は想像と違い… #子宮頸がんゆる闘病記 9すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんのお話を聞いて、私の中のがん治療への思い込みが次々と塗り替えられました。抗がん剤治療を受けてみないとわからないけれど、私が想像していたよりもずっと体を動かすことができるのだな、と。そしてついに、一番気になっていた髪の毛について聞いてみたら……。「それはもう見事にツルツルに。エステかよっていうくらい」と美女患者さん。抗がん剤治療でエステって一体……!?私は髪の毛が抜けることしか想像していなかったのですが、髪の毛だけでなく、全身の毛という毛が抜けるとのこと。ウィッグは慣れるととてもラクで、ナチュラルになじませるためには、それなりにお値段がかかるよう。でも、それでがん治療のつらさを乗り越えられるのであれば……。このときは「絶対に買おう」と決めたものの、後日、家族の猛反対に遭いました。「なぜ見栄のために、そんなに高いものを……」「数千円台からあるんでしょ? だったら、そういうのを何種類か買って楽しめば?」…………まぁ、そういう考え方もありますよね。でも、正直「うるせえ!」って思いました(笑)。だって治療するのは私だもん。自分で買うのだから文句はないでしょうが!とにかく、私はこの決心で、心置きなくがん治療に挑む覚悟ができたのでした。ー------------------------美女患者さんのリアルな話で、一番気がかりだった髪の毛についても前向きに考えられるようになったという、とりだまりさん。がん治療に挑む覚悟の固まり方は、人それぞれだと実感したそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月17日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術の日がやってきたこほこさん。手術が終わり、看護師さんから声をかけられていることに気付いたこほこさんは何だか変な感じがして……!?★関連記事:「準備万端!」 明日の乳がん全摘手術に備えて今日は… #乳がん絵日記 10「浸潤性小葉がん」というがんになった私は、右乳の全摘手術をすることになりました。同時再建もおこなうことになり、手術時間は約9時間の予定でした。手術当日、私はというと……。朝6時までにアルジネードという経口補水液を飲んでおきます。このアルジネード、「ヤクルト」のような「ポカリスエット」のような味でゴクゴクと飲めました!私は髪が長いので、ふたつくくりにしておいたのですが、子どものころ以来だったので何だか違和感。手術衣は肩から腕がマジックテープでくっついているのですが、適当に貼り付けたらコントみたいにはだけてしまいそうでした。T字帯というおむつのような紙パンツと、サージカルストッキングという着圧ソックスをはいたら準備完了です。いざ、手術室へ出発!朝8時半前に病棟から手術室へと向かいました。病棟の入り口で夫が待っていてくれて、看護師さんと3人で手術室へと歩いて行きました。夫とは手術室の大きな扉の前でお別れ。私の手術中、夫は待機室で読書したり庭を散歩して過ごしていたそうです。手術室の内扉の前で看護師さんが話しかけてくれて、いろいろ確認などをしました。その後、手術室のスタッフさんなどたくさんの人と一緒に手術台へ。台に上って寝っ転がると、乳腺外科の先生が腕をさすりながら声をかけてくれて、ちょっと安心。あとはお任せしました! と心の中でつぶやく。麻酔科の先生が左手の甲に注射したり針を刺したりして、口から何か出てくるマスクを当てられました。眠くなるのか〜と思っていたら「まだ眠くなりません」とまさかのひと言。次に「きつめのお薬が入ります」と言われたら、あっという間にスヤァ……と眠っていました。手術が終わり、「こほこさん、終わりましたよ〜」「ご主人ですよ、こほこさん!」と私を呼ぶ声がぼんやりと聞こえました。このときは何かガタガタと移動しているような感じでした。その声に反応して、目を開けてみるも平衡感覚がわからず……斜めのほうに夫が笑っている姿が見えました。しかし私は麻酔の余力に抗えず、再び目を閉じてしまいました。後から聞いたのですがコロナ禍で夫とはこの一瞬しか会えないとのことで、スタッフさんが総出で私を必死に起こしてくださったそうです(笑)。観察室らしき場所に到着し、再度起こしてもらって何とか目が覚めました。形成外科の先生が「どこが痛いですか?」と聞いてくれるものの……声が出ない! 気管挿管をしていたから声が出なかったらしいです。聞いていたと思うのですが、忘れてしまっていた私。背中の右側にクッションを挟んでもらい、手術したほうの肩が上がってちょっとラクな感じがしました。左の太ももから組織を取って再建したので、左脚は股関節から開脚している状態でした。動いていいのかな? と思っていると、右脚は動かしていいみたいだったので足首を回したりしていました。左脚は太ももの裏にピリピリと張っているような感覚があったので、おとなしくしておくことに。夜9時ごろになって水が飲めるようになったので、ベッドの背もたれを上げて水を飲みました。背もたれを上げたせいでずり落ちてしまったので、元の位置に戻りたかったのですが傷に響いてしまいそうで踏ん張れませんでした。小刻みにズリズリと上がっていると手術衣のマジックテープが剥がれてしまいました!水が飲めるようになった時点で、酸素マスクは口を覆うものから鼻に付けるタイプに変更していました。休んでくださいと言われたものの、麻酔で爆睡していたので眠くなく……。スマホも見る気になれなかったので、カーテンの隙間から見える時計をぼんやりと眺めていました。ー--------------無事に手術を終えたこほこさん。コロナ禍の入院や手術は制限が多くて大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月15日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの体験を描いたマンガを紹介します。がんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定したとりだまりさん。入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女に出会い、いろいろ話を聞くと……。★関連記事:「髪は見事に抜けるね!」マジか…抗がん剤を経験した美女に出会い… #子宮頸がんゆる闘病記 8入院手続きをしているときに、すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんにお会いしました。抗がん剤といえば、「とにかく吐きまくり」という印象だったのですが……。「多分吐かない。大丈夫」と言われてびっくり!中には薬が合わなかったり、薬の量が多かったりして吐く方もいるようですが、「今めっちゃいい吐き気止めあるから」とのこと。美女患者さんの場合は、ちょっとムカムカするかな? 程度だったらしいです。さらにこの後、私にとっては意外な事実が告げられました!思えば、私の身近でがんにかかったのは、高齢の祖父母だけ。年齢のことを考慮して、抗がん剤治療はしなかったので、今のがん治療がこんなに進んでいるとは少しも思いませんでした。「もしかして、がん治療をしながら仕事ができるかも?」それは、フリーランスの私にとっては、非常に希望の持てること。だって、休業補償がないし……。長期間休んだら、これまでのキャリアがすべて終わるような気がするし(これは気のせいでしたが)。まぁ、がん治療しているのに休めないという現実もどうかと思いますが、仕事が続けられるという事実は、いろんな意味で支えになります。もちろん、体は治療でそれなりに疲れているので、これまで通りというわけにはいかないのですが。それでも、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきました。ー------------------------想像していた抗がん剤治療とは全然違っていたと知り、驚いたというとりだまりさん。症状の出方やつらさは人によってそれぞれだと思いますが、がん治療中をしながら働いている方もいるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まど(46歳)フリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2022年08月14日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ明日に迫った右乳の全摘と同時再建の手術。手術に向けて朝からバタバタ。そんなこほこさんの1日とは……。★関連記事:「セレブやん」いよいよ乳がん摘出手術! オペ2日前に入院をして… #乳がん絵日記 9私は乳がんを患い、右胸を全摘することになりました。入院初日は医師や看護師などいろいろな人から手術や入院生活の説明などを受けました。ごはんもおいしく、病室もホテルを思い出すような快適さで私は何だか旅行気分になっていました。翌日は朝食の途中に歯科に行き、口腔ケアをおこないました。歯科から戻って残っていた朝食を食べると、すぐに昼食がやってきました(笑)。午後は形成外科で脚のエコーをしてもらいました。以前検査で使ったものよりも良い装置らしく、画質がとてもよかったです! 右乳の再建時に移植する神経もお取り寄せしてもらっているとのことでした。RI検査という放射性医薬品を使った体内の様子を調べる検査もおこないました。この検査は事前の注射と検査時間が分刻みで決まっていて、うっかり昼寝してしまわないよう気を付けていました。台の上にあお向けに寝転がっていると、頭の上を機械が通っていきました。検査が割とすぐに終わったので、ついでに術後すぐに飲む用の水を買い足しに行きました。庭に桜が咲いていたので、ちょっとお花見をして病室へ。乳腺外科の主治医が様子を見にきてくれて、窓から他の病棟を一緒に眺めながら少し話をしました。その後、麻酔科の先生とアレルギーについて話をしたり、看護師さんから手術室の説明を受けました。そして、病棟の看護師さんと術後に使うパジャマや水などのセットを再確認して準備完了!あっという間に夜になっていました。この日の夕食も完食! 手術当日は絶食になるため、しっかりと味わって食べました。空っぽのお皿を見て、看護師さんがにっこりとしていました。必ず洗髪をしてとのことだったので、シャワー室で念入りに頭を洗いました。家に山ほどあったホテルのアメニティーを持ってきていたので、それをバンバン使っていく!日中、看護師さんから「手術中に同じ体勢が続くと背中が痛くなったりするから、なるべくラクな体勢にしておくね」と言われたことを思い出し、何となく背中をチェック……。そういえば、入退院の説明時にも肩凝りがあるかどうかを気にされたりしていたなあ。まあ大丈夫だろう。術後はこの病室ではなく、観察室のようなところに行くので、持ち物に不備がないかシミュレーションしてアイテムを追加したりしました。寝る前に冷やしておいたアルジネードという経口補水液を飲んで就寝。看護師さんが寝られるか気にしてくれましたが、気付いたら寝ていました。手術前とは思えないくらい穏やかな夜でした。ー--------------手術を明日に控え、朝からバタバタとしていたこほこさん。手術前日ってゆっくりと体を休める印象がありましたが、検査などで慌ただしいんですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月08日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術を受けるために入院するこほこさん。コロナ禍で面会禁止の中、入院生活を快適に過ごすためにこほこさんが準備したものとは……。★関連記事:「断面を見て思わず感動!」 私が乳房再建用のCT撮影で見たかったものとは #乳がん絵日記 8「浸潤性小葉がん」という病気にかかった私。がんは右胸にあり、全摘手術をおこなうことになりました。摘出と同時に、太ももの組織から乳房を再建することにもなっており、手術時間は合計9時間を予定していました。PCR検査も済ませ、オペの2日前に入院。入院期間は2週間と言われていました。入院前日、2週間のお泊まりなんて普通ならバカンスだよな……と思いながらせっせと荷造りをしました。コロナ禍ということもあり、面会は禁止で差し入れも難しい状況だったのでティーバッグなど、入院生活を快適に過ごすためのアイテムは多めに準備しました。私は運良く個室に入院することができたので、あれやこれやと持ち込みたいものは全部持っていくようにしました。個室ということもあり、香りがある癒しアイテムを持ち込めたのはうれしかったです。美顔器なんかも持って行って、スキンケアは怠らないようにしていました(笑)。寒さ対策でカーディガンやモコモコの靴下を用意していたのですが、暑くて出番はありませんでした。マスキングテープが意外とお役立ちアイテムになっていました!パジャマとタオルはレンタルで済ませたものの、日用品なんかも入れると機内持ち込み用のスーツケースだけでは足りず……折りたたみできる大型トートバッグもパンパンになるくらいの大荷物になりました。入院日と退院日は同じ格好にしようと思い、前開きのワンピースを着て行きました。病院には朝8時半に到着。入退院の案内が混み合う前に手続きを始めました。最初に体重測定をし、病棟へと向かいました。未知の空間にビクビク……。付き添ってくれていた夫はナースステーション近くの談話室で待機していました。部屋に荷物を運び込んだら、夫と合流して麻酔科の外来で説明を受け、同意書を提出しました。夫とはここでグッバイ。次に会えるのは手術の日の朝でした。夫は元気に仕事へと向かいました。それからは病室に戻って看護師さんから部屋についての説明を受け、入院患者用のバンドを左腕につけてもらいました。こういうバンドって何かアミューズメント感があって、特別な気分になるんですよね。そして採血をおこなったり、手術までのスケジュールを聞いたりしました。荷解きをしているとき、初めて会う乳腺外来の先生がRI検査の説明をしに来ました。RI検査は放射性医薬品を注射したり服用したりして、臓器などの働きや形を観察する検査らしいです。この後もいろいろな先生が登場して、たくさんの人がいるな……と感心。お昼には人生初の病院食を食べ、おいしく完食! 薬剤師さんが薬の説明をしに来たり、看護師さんが体温測定をしに来たりと初日からいろいろな人に会えて楽しかったです。ベッドの上で夕飯を食べているとき、ふと「ベッドルームで食事するのって海外のセレブみたいやん……!」と思いました(笑)。ベッドの上が生活のメインスペースになることに対し、既視感がありました。そこで思い出したのが、出張でたまに泊まっていたホテルの広めの部屋のこと。トイレやシャワーが共同なところも合致して、何だか旅行気分になっていました。シャワー室は30分ごとの予約制でした。名前ではなく、私だけがわかる暗号のような絵を描いてシャワー室の予約をしていました。私は髪が長く、乾かすのに時間がかかっていたので、備え付けのドライヤーではなく持ち込んだドライヤーで髪を乾かしていました。手術までの間、夜はレンタルのパジャマを着て、昼はジャージを着て過ごしていました。昼も夜もレンタルのパジャマを着ていれば荷物を減らせたのですが、いかんせん初めての入院で何もわからず……。どっちでもいいとは思うんですけどね(笑)。ー--------------ついに入院の日を迎えたこほこさん。入院経験のある方はどんなアイテムが役立ちましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月01日ユニ・チャーム株式会社(代表取締役 社長執行役員:高原豪久)は、15年連続で今年もピンクリボン活動を支援することをお知らせします。本取り組みの一環として、「ソフィ ピンクリボン活動」応援特設サイトでの乳がんに関する情報発信に加え、「ピンクリボン」デザインパッケージを発売し、その売上金の一部を寄付します。UC画像01■活動の背景現在、日本人女性の9人に1人※1が生涯において乳がんを発症するといわれており、身近な病気となっています。公益財団法人日本対がん協会によると、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、がん検診の受診率は低下しています。※2 検診を見合わせることにより発見が遅れ、治療難易度の高まりや予後の悪化など、がんによる死亡が増加する恐れがあります。一方、乳がんは自分で発見できる数少ないがんでもあり、正しい知識を身に着け、実践することで早期発見、検診受診、適切な治療へとつなげられる可能性があります。以上のような動向を踏まえて2008年からユニ・チャームでは、乳がんに関する正しい知識の伝播や、がん検診の受診率向上に寄与するべく活動してきました。本年もピンクリボンマークや乳がんに関する情報を生理用品ブランド「ソフィ ボディフィット」のパッケージや特設応援サイトで訴求する取り組みを継続することとしました。※1 国立がん研究センター「がん情報サービス」統計>がん統計>最新がん統計、厚生労働省 人口動態統計を参照しています。 ※2 2021年 日本対がん協会:2021年がん検診受診者数調査のがん検診受診者数を参照しています。 ■2022年「ピンクリボン活動」を応援する取り組み(1)「ピンクリボン活動」を応援するデザインパッケージの展開「ソフィ ボディフィット」から、ピンクリボン活動を応援するデザインパッケージを5つの商品(ふつうの日用羽なし・羽つき、夜用26cm羽なし、29cm羽なし・羽つき)で発売します。対象商品の売上の一部を、日本対がん協会が設立した「乳がんをなくす『ほほえみ基金』」(以下、「ほほえみ基金」)に寄付します。「ほほえみ基金」に寄付したものは、乳がん検診の普及・浸透のための啓発活動や、検診機器の整備、がんに関する正しい知識の普及、がん患者をケアする活動などに用いられます。UC画像02※店舗によって展開時期が異なる場合があります。商品の中身は通常のデザインです。※上記に掲載した商品は、キャンペーン対象商品の一部になります。(2)「ピンクリボン活動」応援特設サイトをソフィブランドサイト内に開設「ピンクリボン活動」を正しく理解していただくことを目的に、取り組み内容をはじめ、乳がんに関する基礎知識や早期発見のためのセルフチェックページを「ピンクリボン活動特設サイト」に掲載し、2022年8月1日から公開します。UC画像03『ソフィ ピンクリボン活動特設サイト』 (3)「ピンクリボンフェスティバル2022」のピンクリボンシンポジウムへの協賛2022年10月上旬より動画配信される『ピンクリボンシンポジウム』へ協賛します。『ピンクリボンシンポジウム』 ■『ピンクリボン活動』の応援を通じて貢献する「SDGs 17の目標」『ピンクリボン活動』の応援は、2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)で定めた17の目標のうち、下記に貢献するとユニ・チャームでは考えております。3. すべての人に健康と福祉を 17. パートナーシップで目標を達成しようユニ・チャームは商品やサービスの提供といった事業活動を通じて、SDGsの目標達成に貢献することを目指しています。これからも事業活動を通じて、環境問題や社会課題の解決に貢献します。■会社概要社名 :ユニ・チャーム株式会社設立 :1961年2月10日本店 :愛媛県四国中央市金生町下分182番地本社 :東京都港区三田3-5-27 住友不動産三田ツインビル西館社員数 :グループ合計16,207名(2018年12月)事業内容:ベビーケア関連製品、フェミニンケア関連製品ヘルスケア関連製品、化粧パフ、ハウスホールド製品、ペットケア関連製品、産業資材、食品包材等の販売ユニ・チャーム株式会社 ホームページアドレス 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年08月01日