新型コロナウイルスの影響により週末を中心に運行しておりました夜行高速バスやまと号「五條新宿線」について、下記のとおり毎日運行を再開するとともに、「夜行高速バスやまと号連絡バス」を新たに運行いたします。記1.運行路線五條新宿線(五條バスセンター~各地~天理駅~各地⇔バスタ新宿~新宿・京王プラザホテル)2.運行日令和3年12月15日(水)から毎日運行3.運賃大人片道5,980円~10,500円(出発日により運賃が異なります。)4.連絡バス五條新宿線の毎日運行に合わせまして、奈良方面からのお客様にも天理駅から五條新宿線にご乗車いただけるよう、JR奈良駅・近鉄奈良駅から直通で天理駅まで運行する「夜行高速バスやまと号連絡バス」を運行いたします。(路線バスタイプ)(1)名 称 「夜行高速バスやまと号連絡バス」(2)運行期間 令和3年12月15日(水)から毎日運行(3)運行時刻 JR奈良駅4のりば 22時16分発近鉄奈良駅20のりば 22時21分発天理駅 22時45分着(4)運 賃 無料(連絡バスを事前にご予約された方に限ります。)5.新型コロナウイルス感染拡大防止対策(1)運転者は点呼時に検温を実施するとともに、乗務中はマスクを着用いたします。(2)抗ウイルス・抗菌加工を施工した車両で運行いたします。(3)車内換気装置を常時作動(約5分間で換気完了)し、バス車内の換気を徹底いたします。(4)車内に手指消毒用のアルコール消毒液を備え付けいたしますので、お客様にはご乗車の際、消毒にご協力をお願いいたします。(5)お客様には乗車時の検温と乗車中のマスクの着用にご協力をお願いいたします。また、発熱や咳・咽頭痛等の症状がある場合はご乗車を見合わせていただきますようお願いいたします。6.お問合せ奈良交通 総合予約センターTEL0742(22)5110(9:00~19:00/年中無休)当社ホームページでもご確認いただけます。奈良交通ホームページ (夜行高速バスやまと号「五條新宿線」のチラシ) 以 上 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年12月08日「本当に忙しかった。いつも新宿の劇場へ通う電車の中で台本を覚えて。舞台が終わると、雑誌や広告の撮影があって何本か映画にも出たわね。その合間に、母が私の手を引いて踊りや三味線のお稽古に連れていってくれました。若かったし、何より舞台が好きだったから、まるで苦にならなかったの」 こう語るのは明日待子さん(98)。日本の家庭にテレビがなかった時代に、レビューや軽演劇を上演していた「ムーラン・ルージュ新宿座」は若者たちの憧れの象徴だった。「インテリと言うならムーランを知らないと」といったハイソな雰囲気も。その場所で、現代のAKB48のごとく絶大な人気を誇った“ライブアイドル”が、明日待子さんだ。 昨年暮れにテレビ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)に出演。「元祖会いに行けるアイドル」として紹介されるや、その驚異の“アラ100美”に注目が集まり、ネット上でも続々と「かわいすぎる!」「お肌がとってもキレイ」といった称賛の声が寄せられた。 現在、北海道札幌市在住の待子さんは、日本舞踊の正派五條流宗家・五條珠淑さんとして舞も披露する現役の日本舞踊家だ。 待子さんは、大正9年、岩手県釜石市に9人きょうだいの末っ子として生まれた。幼いころからその才能を発揮し、小学校の学芸会で義太夫をうたえば「天才だ!」と騒がれた。さらに、可憐な容姿も評判を呼び、13歳で女優を目指して上京する。そんな彼女を一目見てほれ込んだのが「ムーラン・ルージュ新宿座」の創設者・佐々木千里夫妻。「まぁ、なんてかわいい!」とすぐさま養子縁組届を出してしまったという。 菊池寛、志賀直哉、吉屋信子、横光利一らの文豪をはじめ、早稲田大学や慶應の大学生たちも彼女見たさに劇場へと通い詰めた。 しかし、人々が近代化を楽しんだ時代はそう長くは続かなかった。日本が激しい戦争に突入すると、待子さんの華やかな舞台は兵士たちの心のよりどころになっていく。 最後に踊り子が総出演するレビューでは、小柄で可憐なアイドルが登場したとたん、軍服に身を包んだ兵士たちが、声をそろえて「明日待子、バンザイ!」と叫んだ。待子さんは声援に応えて、「ご武運、ご長久をお祈りいたします」とお辞儀をする。二・二六事件が起きた年には客席で“バンザイ”を叫んだ兵士が憲兵に取り押さえられて、戦地へ送られるといった悲劇も……。 「空襲で電車が止まっても、『戦地へ赴く兵隊さんのため、明日、私は死んでもいいから舞台に立ちたい』という思いで劇場に通っていました。けれど結局、劇場は焼け落ちて……。何より残念だったのは、台本がすべて焼失してしまったこと」(待子さん) 待子さんは戦後も地方巡業で舞台に立ったが昭和24年に29歳で結婚する。お相手の須貝富安氏は2歳年下、かつてのファンの一人。当時は早稲田大学の学生で、学徒出陣の直前まで劇場に通い、客席から熱視線を送っていたという。彼は卒業後に、札幌市内で劇場を経営していた父親の跡を継いだが、思いを募らせ、縁をたぐり寄せ、待子さんに求婚した。 待子さんは「『明日待子』は東京に置いていきます!」と決意して北海道に嫁いだ。当然のごとく日々の生活は一変する。 「それまでお世話をされてチヤホヤされて、もてなされる側だったのが、結婚を機にもてなす側に180度転換です。私は、劇場主の女房となり二条市場へ買い出しに行き、巡業団の何十人分の食事を作る毎日が始まりました。朝の3時からおにぎりを握ります。炊き立ては手のひらが熱くってね。お姑様にも13年仕えましたよ……」(待子さん) 裏方の日々が数年続いたが、あるとき、かつての日本舞踊の師から「五條流を北海道にも広めてほしい」と託された。夫の勧めもあり、2人の娘を育てながら、正派五條流「五條珠淑」として、また表舞台に立つようになった。 後継者である、家元・五條淑妃(次女・ミカさん)が話す。 「父はとても優しい人で、忙しい母のことをいつも陰で支えてくれていました。母が公演などで帰りが遅くなったときは、さりげなく、おかゆを用意していたりして。『ムーラン・ルージュの明日待子は東京に置いてきた』と母は言いますが、その舞踊は古典というより、創作を好むスタイルでした。やはり“女優・明日待子”は母の中でずっと生き続けていたのだと思います」(ミカさん) この3月1日に98歳になった明日待子さん。いまだ現役アイドル顔負けのキュートな笑顔で、出会った人すべての心を癒してくれる。
2018年03月11日「『ムーラン・ルージュ』で初舞台を踏んだのは13歳のとき。この芸名は養父で主宰者の佐々木千里が、まだ子どもだった私に、2~3年したら大物になるだろうと願いを込めて『明日を待とう』と命名してくださったの」 そう言って、おっとりとほほ笑むのは明日待子さん(98)。日本の家庭にテレビがなかった時代に、レビューや軽演劇を上演していた「ムーラン・ルージュ新宿座」は若者たちの憧れの象徴だった。「インテリと言うならムーランを知らないと」といったハイソな雰囲気も。その場所で、現代のAKB48のごとく絶大な人気を誇った“ライブアイドル”が、明日待子さんだ。 昨年暮れにテレビ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)に出演。「元祖会いに行けるアイドル」として紹介されるや、その驚異の“アラ100美”に注目が集まり、ネット上でも続々と「かわいすぎる!」「お肌がとってもキレイ」といった称賛の声が寄せられた。 その笑顔に感動した本誌記者もすぐさま連絡を取ると、「2月末に舞を披露するのでいらしてください」とお招きをいただいた。向かったのは北海道札幌市、そこは一面の雪景色--。 「まぁまぁ、遠いところをようこそ!」 艶やかな藤色の和服姿で出迎えてくれたのが、日本舞踊の正派五條流宗家・五條珠淑さん。明日待子さんの“現在の芸名”である。この日は正派五條流の舞初め式。最初に、待子さんが神棚に向かって手をあわせて、柏手を打ってから力強い声でこう宣誓した。 「お守りください。みなさんが一層上達しますように!」 後継者である、家元・五條淑妃(次女・ミカさん)との母娘の舞も披露された。その凜として美しい所作に圧倒されながら、伝統の「日本初のアイドル」が目の前で繰り広げる“ステージ”に感激が押し寄せてくる。 そして、休憩時間になってから、待子さんに時間をいただき、デビュー当時のことを振り返ってもらった。 「本当に忙しかった。いつも新宿の劇場へ通う電車の中で台本を覚えて。舞台が終わると、雑誌や広告の撮影があって何本か映画にも出たわね。その合間に、母が私の手を引いて踊りや三味線のお稽古に連れていってくれました。若かったし、何より舞台が好きだったから、まるで苦にならなかったの」(待子さん) 待子さんは、大正9年、岩手県釜石市に9人きょうだいの末っ子として生まれた。幼いころからその才能を発揮し、小学校の学芸会で義太夫をうたえば「天才だ!」と騒がれた。さらに、可憐な容姿も評判を呼び、13歳で女優を目指して上京する。そんな彼女を一目見てほれ込んだのが「ムーラン・ルージュ新宿座」の創設者・佐々木千里夫妻。「まぁ、なんてかわいい!」とすぐさま養子縁組届を出してしまったという。 菊池寛、志賀直哉、吉屋信子、横光利一らの文豪をはじめ、早稲田大学や慶應の大学生たちも彼女見たさに劇場へと通い詰めた。だが直接言葉を交わす機会など皆無。ファンレターやプレゼントの類いが彼女のもとに渡ることはなかった。 「送られてくるお手紙は『キレイです』『お茶をのみましょう』といった内容が多く、本人がうぬぼれてしまうような褒め言葉は、芸の道の妨げになるからと、見せてもらえなかったのよね」(待子さん) 劇場「ムーラン・ルージュ新宿座」の歴史を振り返るドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』(’11年公開)を撮った田中じゅうこう監督が、明日待子さんをこう評す。 「今の方はご存じないと思いますが、明日待子さんといえば、俳優・森繁久彌さんほか、かつての名優たちがひれ伏すようにあがめた、本当に当時のトップアイドルでした。彼女の笑顔が今も“美しいまま”ご健在なのは、とても素晴らしいことですね」(田中監督)
2018年03月11日