新卒時代の辛い経験を描くHui(ふい)@新卒3週間で退職(@hui31_90)さんの投稿をご紹介!今回は<新卒3週間で仕事辞めました>第3話です。入社数日前に会社から研修の連絡がきたふいさん。しかし、研修はたった1日しかなく…!?#3新卒3週間で仕事辞めました出典:instagramなんと、研修はこの1日間だけ!出典:instagram次回、たった1日の研修が開始されます…!この研修が、ふいさんが新卒3週間で仕事を辞めてしまうことに繋がってくるのでしょうか…!?毎日1日1話更新中♪次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@hui31__90)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※このストーリーは一部フィクションを含んで描かれております。"
2021年10月16日新卒時代の辛い経験を描くHui(ふい)@新卒3週間で退職(@hui31_90)さんの投稿をご紹介!今回は<新卒3週間で仕事辞めました>第2話です。ウェディング業界の会社に就職したふいさん。何故3週間で辞めることになったのでしょうか?#2 新卒3週間で仕事辞めました出典:instagram人と関わる仕事がしたくて…出典:instagram人と関わる仕事をしたくて、某ウェディング会社に就職したふいさん。やる気に満ち溢れているようですが、ふいさんはこのあとかなり苦労することに…!?毎日1日1話更新中♪次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@hui31__90)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※このストーリーは一部フィクションを含んで描かれております。"
2021年10月15日■前回までのあらすじ小さい頃から母の顔色を伺ってきたので、自分の気持ちを封じ込めればうまくいくと信じていた私は、彼のの望み通り退職届を出すことに…。■母は喜んでくれなくても彼が望むなら…誰かに仕事を辞める理由を話すときのために、『他にやりたいことができた』というセリフを用意していました。上司には正直な「恋人の希望」などは伝える必要がないでしょうし、同僚に話してもこじれることが予想できたからです。しかし、母は辞める理由を聞いてくることもなかったので、用意していたセリフも必要ありませんでした。聞いてこないのは、おそらく母にとって私が辞める理由には興味がなかったからでしょう。昔からずっとそうでした。私が何かをやりたい理由も、やりたくない理由も、母に聞かれたことはありません。母にとって重要だったのは、「結果として人にどう思われるか」だけで、「私がどう思うか」ではなかったんだと思います。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月04日お笑いトリオ『ロバート』の秋山竜次さんがいろいろなアーティストになりきり、インタビューを受ける人気企画『クリエイターズ・ファイル』。これまで秋山さんは大きな子役になったり、透明すぎる17歳の女優になったり、双子に分裂したりと、斬新な発想で多くの人を笑わせてきました。秋山さんの仮装と演技力で人気を博す『クリエイターズ・ファイル』ですが、ついに一線を超えてしまうようです…。『ロバート』秋山竜次、犬になる雑誌『月刊ザテレビジョン』では、『クリエイターズ・ファイル』の連載企画が掲載されています。2020年12月16日に発売された2021年新春特大号では、秋山さんが新たな姿を見せてくれるのだとか。秋山さんが扮する『クリエイター』は、世界一クリエイティブな犬種とされるハンプシャー・クリエイティブ・グランドホーマンの男の子・ロルフくん(6歳)です!ついに人間を辞めてしまった秋山さん。連載ではロルフくんの飼い主である名取さん夫妻を取材しているとのことです。高い知能を持つロルフくんは、さまざまな食材の中からカレーの具材を当てることが特技。チャームポイントはトリミングに7万円かかるという、ふさふさの毛並みです。世界一クリエイティブといわれる犬種だけに、ロルフくんは食べ物もおしゃれなものを好み、最近はご飯にダルゴナコーヒーを混ぜてあげているのだとか。一体何をいっているのか分かりませんが、秋山さんもといロルフくんはどんな姿を見せてくれるのでしょうか。※ハンプシャー・クリエイティブ・グランドホーマンという犬種は実在しません。[文・構成/grape編集部]
2020年12月17日大好きな彼氏とこのまま結婚するのかな...と思っていた矢先に「結婚するなら仕事を辞めてほしい」と言われたら、すごく迷いますよね。今は共働き夫婦が多いですが、中には奥さんには家庭に入って欲しいと思う男性もいます。今回は、彼氏に結婚するなら仕事を辞めるように言われたときに考えるべきことについて解説します。自分が働く意味を考えるまずは自分がこの先の人生で何をやりたいのか、あらためて考えてみてください。自分がやりたいことと仕事は関係あるのか、仕事を辞めても影響がないのか考えるのです。もしも自分にやりたいことがあって、それが仕事と関係があるなら、仕事を辞めるという選択はないですね。大好きな人の言葉でも、自分が人生でやりたいことを我慢する必要はないです。自分はこういうことをやりたいから、仕事は辞められないときちんと説明して理解してもらいましょう。一度仕事を辞めてブランクが空くと、再就職したい時に条件が悪くなる可能性が高いということもちゃんと考えて決めましょう。彼氏の年収や貯金を考えるあなたが仕事を辞めてもいいかなと思っても、現実的に彼氏の収入だけで生活できるのかという問題があります。彼氏の年収や貯金次第で仕事を辞めるかどうか決めるのもありです。仕事を辞めろと言ってくるくらいですから、自分の年収と貯金額は教えてくれるでしょう。結婚生活を想定したとき、家を購入する場合にはその資金や、子どもの養育費や教育費などのお金も必要です。彼の年収と貯金額から結婚生活をシミュレートして、大丈夫そうかどうか判断するといいでしょう。お金に不安があるから仕事は辞められないと言えば納得するはずです。平行線になるなら別れも検討彼氏に仕事を辞めろと言われたときは、自分が将来やりたいことや仕事に対する熱意、彼氏の年収などから総合的に辞めるかどうか判断するといいでしょう。しかし、あなたが仕事を辞めたくないと思い、彼氏はあなたに仕事を辞めて欲しいと思うというように、お互いの意見が平行線になる可能性もあります。できれば妥協点を見つけたいですが、どうしても意見が合わないなら、別れも検討した方がいいでしょう。仕事を続けるかどうかは結婚と同じくらい重要なことです。そこで意見が合わないのなら、別れても仕方ないでしょう。別れることはつらいですが、自分の人生の幸せをつかむためと思えば、自分でも納得しやすいです。もちろん意見を合わせて結婚するのに越したことはありません。 彼氏に結婚するなら仕事を辞めろと言われても、彼氏の言いなりになる必要はありません。ちゃんとあなたが自分で考えたうえで決断するのが大事です。彼氏に言われたから...と流されて退職して結婚しても、後悔するだけです。今回の内容を参考にして、じっくりと考えてみてください。困ったら誰かに相談するのも大事ですよ。
2020年11月12日「A24」と「プランB」が再タッグを組み、サンダンス映画祭でW受賞を果たすなど絶賛を受けた最新作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』。この度、「冒頭の5分でこれが特別な作品であることが分かる」とアメリカの「Rolling Stone」誌から評された、映画冒頭の本編映像が解禁された。今回到着したのは、主人公のジミーと彼の親友・モントがスケートボードで2人乗りをしながら、坂道の多いサンフランシスコの街を駆けていく冒頭の映像。雄弁で壮大な音楽に乗せて2人を映すこのシーン。カメラワークやスローモーションが印象的。スケートボードに乗る2人はもちろん、サンフランシスコの街並みやそこに生きる人たちの姿を、スローモーションを用いて撮影した理由について、ジョー・タルボット監督は「サンフランシスコという街を、動きをつけて見せたかった。最近のサンフランシスコは、ITの進化が原因で生活のペースが早くなってしまったから、スローダウンさせて、写真に近い形で何が起きているのかを伝えたかった」と語る。また、スケートボードでの2人乗りも監督のアイディアだったが、実現が難しいのではという現場の意見も多かったそう。しかし、ジョー監督は「Thrasher Magazine」の創設者の息子で、現発行人であるトニー・ヴィテロ氏に相談。トニー氏が古い板を使ってスケボーを作っている人に連絡し、通常のボードよりも幅が広く長いものを映画のために特別に制作。ジミー役のジミー・フェイルズとモント役のジョナサン・メジャースは、2人で練習を重ね、乗りこなし方を習得した。ジョー監督は「モントがジミーの肩に手を置くだけで、2人の友情、いかに親密かが分かる。スケボーのシーンで役者2人の絆は強くなったんだよ」と語っている。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ 2020年10月9日 新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国公開©2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
2020年10月09日映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」が、10月9日より、新宿シネマカリテ、シネクイントにて全国公開される。本作は、注目の映画会社、「A24」と「プランB」がタッグを組んで制作したことでも話題の一本。「A24」と「プランB」は、今、世界の映画シーンにおいて、その動向が最も注目されている映画会社。ともに芸術性と商業性を兼ね備えた、賞レースをにぎわす上質なヒット作を多数輩出している。この二つの会社が、アカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」以来のタッグを組んだのがこの「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」。新鋭監督のジョー・タルボットは、2019年サンダンス映画祭で上映された本作で、監督賞と審査員特別賞をW受賞し、華々しい長編映画デビューを果たした。「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」の舞台となったのは、タイトルの通り“サンフランシスコ”。ゴールデン・ゲート・ブリッジ、坂道を走る路面電車、優雅に佇むヴィクトリアン様式の家が並んでいる。歴史あるこの街は、急速な発展によって地価が高騰し、富裕層が多く住むようになったことで、代々住んでいた者たちは行き場所を失っていた。本作で主人公を実名で演じた、ジミー・フェイルズもその一人だ。生まれ育った場所が面影も残らないほど変化を遂げることで、大切な記憶が上書きされ、自分のアイデンティティまで否定されてしまうような感覚。それは、一見パーソナルな物語でありながら、今や世界中で起きつつある問題を描いている。フェイルズの幼馴染でもあるタルボット監督は、そんな彼の物語を美しい音楽や優しくも力強い台詞で紡ぎ、愛してやまない街の景観をスクリーンに閉じ込めた。自身初の長編映画となった本作は、世界各国の映画祭で高い評価を受け、オバマ前米大統領が選ぶベストムービーにも選出された。多くの財産をもたず、大都市の片隅に追いやられても、家族の記憶が宿る美しい家や、かけがえのない親友を大切にするジミー。そんな彼の姿は、「人生にとって、本当に必要なものとは何か」を見つめ直したい今だからこそ、私たちに温かい抱擁のような余韻を残し、そっと心に寄り添ってくれる一作品となるはず。■「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」のあらすじサンフランシスコで生まれ育ったジミー(ジミー・フェイルズ)は、祖父が建て、かつて家族と暮らした記憶の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。この家に再び住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていた。今や「最もお金のかかる街」となったサンフランシスコで、彼は自分の心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのだろうか。多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁のような余韻を残す、忘れがたい物語。なお、本作の公開に先立ち、この度予告編とオリジナル・サウンドトラックが解禁。まずはこちらをチェックしておこう。■「The Last Black Man in San Francisco」(Original Motion Picture Soundtrack) 【映画情報】「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」10月9日より新宿シネマカリテ、シネクイントほか、全国公開監督・脚本:ジョー・タルボット共同脚本:ロブ・リチャート原案:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ音楽:エミール・モセリ出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ロブ・モーガン、ダニー・グローヴァー配給:ファントム・フィルム 提供:ファントム・フィルム / TCエンタテインメントURL:phantom-film.com/lastblackman-movie/原題 The Last Black Man in San Francisco / 2019年 / アメリカ / 英語 / ビスタサイズ / 120分 / PG12 / 字幕翻訳 稲田嵯裕里 ©2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
2020年09月14日『ムーンライト』の「A24」と「プランB」の再タッグ作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』に、約20年前に公開され、カルト的人気となった青春映画『ゴーストワールド』のソーラ・バーチが出演していることが分かった。『ゴーストワールド』といえば、アメリカのティーンエイジャーのバイブルと言われた人気コミックを映画化、高校を卒業したものの進路を決めずに好きに生きる、シニカルなイーニドと幼なじみで親友のレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)との友情と成長を描いた作品。2001年に公開され、アカデミー賞脚色賞にもノミネート。20年近くたったいまも多くの映画ファンに愛されているが、本作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』のメガホンを執ったジョー・タルボットもそのひとり。『ゴーストワールド』への愛と、いかに作品に影響を受けたかを説いて憧れのイーニド役ソーラ・バーチに出演を熱烈オファー。“15年後のイーニドがサンフランシスコにあるIT企業の技術職に就職したら…”というイメージで彼女の役を作り上げていったという。今回解禁された場面写真は、そのソーラ・バーチ演じる女性がパンキッシュな真っ赤な髪色に黒の革ジャンを着こなし、バスの中でサンフランシスコの街の不満を漏らすシーンで、その姿はまさに大人になったイーニドのよう。よく見ると彼女の右肩には『ゴーストワールド』の際にイーニドが実際に着用していたという、トレードマークの黒ぶちめがねも!ソーラ・バーチ本人のアイディアで実現したという、ファンにはたまらないこうした細かい演出も見逃せない。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は10月9日(金)より新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ 2020年10月9日 新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国公開©2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
2020年08月22日人生は一度きり。近年、これまでの仕事をやめて新たな職業に就く人が増えています。ぽこた(@ponponpokotan)さんの父は、これまでの仕事を辞めて農業を始めたのだとか。しかし、育てている野菜はスーパーで見かけるようなものではなく、ある変わった形をしたものだといいます。その野菜を切った様子がこちら!父が仕事辞めて、農業始めたハートと星のきゅうりを宣伝してほしいとのことで、フォロワーさん少ないけどっていうと、それでも良いというので載せてみるめちゃくちゃ安くで売ってるから(2本60円くらい?)心配になる pic.twitter.com/p52qPlPzQA — ぽこた (@ponponpokotan) August 14, 2020 ハートや星型になっているきゅうり!きゅうりをハートや星型の長い筒に入れて育てることによって、このような変わった形ができるようです。ぽこたさんの父親は、通常は2本100円ほどで売っていますが、形の悪いものや売れ残った場合は2本60円という安さで販売しているといいます。低価格の設定に、ぽこたさんは心配になるのだとか。投稿には「お弁当にいれてもかわいい!」「型抜きしなくてもいいね」「買いに行く!」といった声が上がっていました。また、海外からも「こんなキュウリ見たことがない!」「日本だけのデザイン?」「食べてみたい!」などの反響が寄せられています。かわいい形のきゅうりならば、野菜が苦手な子供でも興味を持って食べてくれるかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2020年08月16日2020年7月現在、就職活動を行っている、男性のちょこ(@chocoUSstocks)さん。以前勤めていた会社を辞めようと思った際に、家族にLINEで連絡をしたといいます。心身ともに疲れてしまい、「もう仕事できない」とメッセージを送ったちょこさんに、両親は…。やめるきっかけとなった日の家族LINE母の謎テンションスタンプはおいといて、このLINEでだいぶ救われました pic.twitter.com/Tdq4m7Rl8l — ちょこ@米国株投資 (@chocoUSstocks) July 12, 2020 「どうした!?」と慌てるも、すぐさま息子の気持ちをくみ取り、「よかよか、辞めてこい」と優しい声かけをした父親。一方、母親はこれまで仕事を頑張ってきたであろう息子の心身を労い、こうメッセージを送ったのです。実際に働いてみないと分からないからね。お疲れさまでした。しばらく心の休養をしてください。両親の愛情が伝わってくるLINEのやり取りに対し、ネット上では「素晴らしい!」「読んでいて涙腺が緩んだ」「自分もこんな親になりたい」といった声が相次ぎました。ちょこさんは当時を振り返り、「このLINEで大分救われた」と語っています。子供のSOSを敏感に察して、本人の意思を尊重し、心が軽くなるような言葉をかけるのは簡単なことではありません。家族の強い絆を感じるエピソードですね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月14日映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』が、2020年10月9日(金)より、新宿シネマカリテ、シネクイント他全国ロードショー。新進気鋭の映画スタジオA24×プランBが、アカデミー賞作品賞受賞作『ムーンライト』以来のタッグを組む。変わりゆく街の中で、“大切な思い出”を守る若者のストーリー映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、美しい街並みが魅力的なサンフランシスコが舞台。歴史深いこの街は、近年の急速な発展によって地価が高騰し、代々住んでいた者たちは行き場を失っていた。物語の主人公であるジミー・フェイルズもそのうちのひとり。かつてこの街の“最初の黒人”だったという祖父が建てた、美しいヴィクトリアン様式の家と家族との大切な思い出を守るため、奔走するジミーとその仲間の友情が描かれる。実体験をもとに映像化実は、本作でメガホンを握ったジョー・タルボットと、実名で主演を務めるジミー・フェイルズは幼馴染の仲。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、フェイルズの実体験を映像に落とし込んだ、パーソナルな物語でもあり、タルボットにとって初の長編作品となる。映像美に映し出される、力強いメッセージ美しい街並みを捉えた映像、スローモーションを活用したカメラワーク、そして登場人物たちの優しくも力強い台詞。「多くの財産を持たなくとも、心の中に大切な居場所とかけがえのない友がいる。それだけで人生はそう悪くないはずだー。」というタルボット監督の言葉通り、映画を通して、“人生にとって、本当に必要なモノとは何か”を、今一度問いただしてくれる。世界の有名映画賞を複数受賞!なお本作は、サンダンス映画祭監督賞・審査員特別賞 ダブル受賞をはじめ、世界中の数々の有名賞を受賞。またオバマ前米大統領が選ぶベストムービー(2019)にも選ばれている。人気イラストレーターによるオリジナルアートポスターも映画公開を祝し、イラストレーターの長場雄、RUMINZ、Ryoga Okamoto がそれぞれ描き下ろしたオリジナルアートポスターが、新宿シネマカリテ・渋谷シネクイントほか全国の劇場に登場。三者三様のタッチで、スケートボードでサンフランシスコの街を走る主人公のジミーとその親友・モントの姿や、ジミーがかつて家族と暮らし、心の拠り所にしているヴィクトリアンハウスなどが描かれている。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』あらすじサンフランシスコで生まれ育ったジミーは、祖父が建て、かつて家族と暮らした記憶の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。この家に再び住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モントは、いつも静かに支えていた。今や”最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は自分の心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのだろうか。多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁 のような余韻を残す、忘れがたい物語。作品詳細映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』公開日:2020年10月9日(金) 新宿シネマカリテ、シネクイント他全国ロードショー監督・脚本:ジョー・タルボット脚本:ロブ・リチャート原案:ジョー・タルボット、ジミー・フェイルズ音楽:エミール・モセリ出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ロブ・モーガン、ダニー・グローヴァー配給:ファントム・フィルム
2020年06月13日『ムーンライト』を生み出した気鋭スタジオ「A24」と「プランB」が再タッグを組んだ『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(原題:THE LAST BLACK MAN IN SANFRANCISCO)が10月9日(金)より公開決定。ポスタービジュアルと予告編が解禁となった。舞台となるのは、ゴールデン・ゲート・ブリッジや坂道を走る路面電車、優雅に佇むヴィクトリアン様式の家が並ぶ情緒豊かなサンフランシスコ。歴史あるこの街は、急速な発展によって地価が高騰し、富裕層が多く住むようになったことで、代々住んでいた者たちは行き場所を失っていた。主人公を実名で演じる、サンフランシスコで生まれ育ったジミー・フェイルズもその1人。メガホンを執ったジョー・タルボット監督は、幼なじみであるフェイルズが体験してきた物語を自身初の長編映画として作り上げた。本作は、サンダンス映画祭で監督賞と審査員特別賞をW受賞したほか、世界各国の映画祭で高い評価を受け、オバマ前米大統領の2019年のベストムービーにも選出されている。生まれ育った場所が面影も残らないほど変化することで、大切な記憶が上書きされ、自分のアイデンティティまで否定されてしまうような感覚。それは一見パーソナルな物語でありながら、いまや世界中で起きつつある問題を描いている。多くの財産をもたず、大都市の片隅に追いやられても、家族の記憶が宿る美しい家や、かけがえのない親友を大切にするジミー。そんな彼の姿は、「人生にとって、本当に必要なものとは何か」を見つめ直し、寄り添う。解禁となった予告編では、ベイエリアを象徴する汽笛の音が鳴り響き、主人公のジミーと彼の親友・モントが2人でスケートボードに乗り、街をかけ抜けるシーンから始まる。歴史あるサンフランシスコに住んだ“最初の黒人”だったという祖父が建てた、1軒のヴィクトリアンハウス。都市開発によって変わっていく街で、家族との記憶が宿った大切なその家を取り戻そうと奔走するジミーと、それを支えるモントの友情が描かれる。美しい街並みを捉えた映像、スローモーションを活用したカメラワーク、そして登場人物たちの優しくも力強い台詞が印象的で、長編デビュー作であるにもかかわらず、世界各国で絶賛されたジョー・タルボット監督の作家性が垣間見える。予告編の最後は、「多くの財産を持たなくとも、心の中に大切な居場所とかけがえのない友がいる。それだけで人生はそう悪くないはずだー」というタルボット監督の言葉で締めくくられ、詩的な雰囲気を纏いながらも、そのメッセージはいまの時代を生きる私たちの胸に強く響くものとなっている。『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は10月9日(金)より新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ 2020年10月9日 新宿シネマカリテ、シネクイントほか全国公開©2019 A24 DISTRIBUTION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.
2020年06月10日あまいろ(@tentijin11)さんが、9年間勤めた会社を退職した実話を元に、漫画を制作。作品をTwitterに投稿し、話題になっています。『会社辞めてみました』会社辞めてみました③ pic.twitter.com/FEuuvGHqKs — あまいろ 漫画家 (@tentijin11) March 28, 2020 同僚からもらった5千円を宝物にし、漫画家を目指す決意を固めたあまいろさん。49歳で『自分のやりたいこと』に専念する決断に、感動と応援のコメントが寄せられています。・最後の1ページに、グッときました。・退職してやりたいことに専念するなんて、とても素敵です。これからも応援しています!・あまいろさんの作品が、胸にささりました。日常に流されるのではなく、目標を持って生きていこうと思えました。ありがとうございます。ばく然と日常を過ごしてしまう人は、少なくないでしょう。そんな時は一度立ち止まり、あまいろさんのように、自分の人生を見つめ直すことも必要なのかもしれません。そうすれば、自分にとって一番大切なものは何かに気付けるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年04月03日サンフランシスコ発のシューズブランド・オールバーズ(Allbirds)が日本初上陸。原宿に、2020年1月10日(金)にコンセプトストアをオープンする。オールバーズは、元サッカーニュー ジーランド代表のティム・ブラウンとバイオテクノロジーの専門家である ジョーイ・ズウィリンガーにより2016年に誕生したシューズブランド。デザイン性と快適さ、サステイナビリティが共感を呼び、世界中で支持を集めている。長年スニーカーを愛用してきたティムが、大きなロゴや目立つ色、ケミカルな素材といった従来のスニーカーのあり方に疑問を持ち、ニュージーランドのメリノウールの優れた特性に着目したことからオールバーズはスタート。最高級のメリノウールを使いシンプルなデザインに仕上げた「ウールランナー(Wool Runners)」は、履いた時の快適さに加え、環境に配慮したモノ作りを凝縮させたシグニチャースニーカーだ。シューレースには再生ポリエステル、インソールには石油ではなくヒマシ油が使われている。その他、ユーカリの木の繊維で仕立てたメッシュ構造の「ツリー(Tree)」シリーズや、サトウキビ由来でカーボンネガティブな「Green EVA」素材を靴底に採用した「ウールランナーアップ(Wool Runner-up)」といった全5シリーズのシューズを揃える。日本1号店となる原宿のコンセプトストアには、オールバーズの全シューズをシリーズごとに販売。メリノウール、ユーカリ繊維などの素材説明とともに、カラフルなスニーカーが展渡欧に並ぶ。【詳細】オールバーズ 原宿オープン日:2020年1月10日(金)住所:東京都渋谷区神宮前1-14-34 原宿神宮の森ビル1階営業時間:11:00~20:00 不定休
2019年12月19日14年間勤めた出版社を辞めて、なんの保証もないまま女一人アメリカに移住した筆者土居彩。大学で半分ほどの年齢の人たちと肩を並べて心理学を学んだり、先住民のみなさんと暮らしたり、恋をしたり失恋したり、禅センターでは雲水修行も行ったアメリカ生活でした。日本帰国を目前にし、この4年半を振り返って、得たもの失ったものを考察します。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 75ここまでのあらすじ。私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた会社を辞め(当時は雑誌『アンアン』編集者)4年半前に、スーツケース二つで渡米しました。自分もそれを提案していた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方を見つめ直して、私にとっての幸せとは何かを実体験の中で確かめたかったからです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、認知症の女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わりました。そして2年ほど定住場所を持たず、オルタナティブ文化の発祥地であるエサレン研究所でボディ・ヒーリングを学んだり、ジョアン・ハリファックス老師のウパヤ禅センターで5か月間の雲水生活をしたり、タサハラ禅マウンテンセンターでボランティアしたりと女ひとり放浪旅をしていました。ハッピーエンドに執着したけれど…ここでは渡米したばかりで右も左もわからない時期からの暮らしをライブでお届けしてきましたが、ことの発端はアンアン編集部に所属していたときの班のキャップが「土居さん会社辞めてアメリカ行くんでしょ? じゃ、なんか書いてくれない?」と、何気なく放ったひと言です。『会社を辞めて、サンフランシスコへ』と題してスタートしたものの、サンフランシスコで暮らしたのは最初の半年ばかりで、最終回のこちらはサンタフェにあるウパヤ禅センターにて、作務の合間の自由時間に執筆しております。で、最終的にこの4年半、ひたすら思うがまま行動して得たもの、失ったものはいったい何か、ということなのですが。現時点で思うことを書きたいと思います。とはいえ、これは時を経てまた新しい思いや発見があり、変わる可能性は大です。正直言えばどこかで、この連載をキレイに終わらせたいという思いがありました。例えば「紆余曲折ありましたが、素敵なアメリカ人男性と結婚して、かわいいハーフの子どもが生まれました。めでたしめでたし」とか、「大学院に合格し、晴れて心理学者の道を目指しています。チャンチャン」のような。でも、なんということでしょう。スタートした4年半前と同じくパートナーは居ないし、学歴だって変わっていません。むしろ仕事を失って、4年半分歳とっちゃったよ! という……。もっとも恐れていた終焉を迎えようとしております。さらには、貯金も相当使っちゃいました、馬鹿高いアメリカの学費と生活費で(こういう急降下ぶりをnose diveって言います。どうでもいいけど良かったら単語帳に加えてみてください)。留学相談はどうか私にしないで。だから、たまに「留学したいんですけど」というご相談をいただくのですが、私のケースは留学ということに関しておそらく世間的に見て失敗例だと思うので、私には相談しないほうがいいです(でも英語ができなくても、バークレー心理学部でオールAを取る方法という謎のメソッドは助言できるかもしれませんが)。むしろ大学院に実際に通って研究室で良好な関係を築いている人とか、ポスドクのポジションで新しいキャリアを築いている人とか、可能なら教授にあたって情報収集してみてください。アメリカの大学院のサイトには、大抵これらの人たちのメールアドレスが全て明記されていますので、興味がある研究室を見つけたらまずはそこで出している論文をいくつか読んでみてください。そして共感できるものや自分だったらこう発展させたいというものがあったら、あとはだめモトで彼らにコンタクトを取ってみてください。さて、では逆に得たものは何か、ということなのですが。現状に腹がくくれるようになったことでしょうか。先日も禅センターのレジデントのひとりに「締めくくりをハッピーエンドで結べず、連載が書けない。読者の期待を裏切りたくない」と吐露すると、「なんでキレイにまとめる必要があるの? 人生なんて、混沌として、とっ散らかったものじゃない、そもそも。パートナーがいなきゃ幸せじゃない、良い仕事についていないと認められない? それってあなたが囚われていた過去の価値観から何も自由になれていないということじゃない? それをあなたの大事な日本の読者に伝えて何か意味があるの? ビートニクみたいに、そういう価値観と反逆するような現実をありのままに書きなよ」。そう言われ「はい、まさにその通りです」と、とっ散らかった現状を目前にして、これを書いております。えーい、どうにでもなれい!中年で会社を辞め、自分の半分ぐらいの年齢の人たちと肩を並べながら勉強することで、「もっと若かったらなぁ」「もっと英語ができたらなぁ」「もっと自由なお金があったらなぁ」といつも無意識に誰かと自分を比較して、一喜一憂している自分の存在を嫌というほどに気づかされました。プログラムを終えて日本に一時帰国したらしたで、母になったり昇進した知人たちと自分を比べて、自分の現状を恥ずかしく思ったりもしていました。渡米して3年ぐらいこれが続いたと思います。当然まだ比較のトラップにハマることがありますが、今はそれをしているのに気づき苦笑いしているという冷静な自分もいます。このように少しは精神的に自立した自分と出会えたことがアメリカに来て得たものでしょうか。「しゃーないしな」マインドは有責態度。おそらくこれが違うステイタスでの渡米だったら、例えばもっと若い年齢で留学していたり、奨学金で学んでいたり、海外転勤や、パートナーに付き添ってのアメリカ生活だったとしたら、私の場合は、この両手を挙げた「しゃーないしな」という降参マインドに到達できなかったと思います。降参マインドは一見無責任にも感じられますが、私にとってそれは目の前の現実とは、大なり小なり自分が作り上げたものだと受け入れ、100%腹をくくる姿勢だと捉えています。ちなみに先日私は友人と考えていた人をひとり失いました。辛い経験でした。ウパヤ禅センターを出たあとに彼女とその友人と3人でビジョンクエストの旅をする予定をしていたのですが、旅の前に彼女は私が滞在していた禅センターに坐禅を組むためにやってきました。そこで前もって黒い服で訪ねてほしいとリクエストしていたのですが、お尻が見えそうなホットパンツに背中全開のキャミソールでやってきた彼女。慌てて黒の作務衣を貸し出しました。そして坐禅の後、レジデントたちが私たちを昼食に招いてくれました。彼女が共有スペースに設置されたサプリメントを取ったり、禅堂用のヨガマットをキャンプ用に借りられないかとたずねる態度にヒヤヒヤしながらやんわりと諭し、時が過ぎ無事に禅センターを早く出発したいと祈っていました。そしてレジデントたちにキャンプ用のテントを3人分借り、せっせと運び出していると、無許可で寮のシャワーを利用し、肩はむき出し胸元が大きく開いた、左胸に赤い大きなバラが刺繍された黒の超ミニドレスを着てシャワールームから出てきた彼女の姿が。そこで私はついにハッキリと言いました。「強く聞こえたらごめんなさい。ここは僧院なの。私の家だったら何を利用してもらっても、どう自由に過ごしてもらっていいのだけど、ここは共同体の場(Place for community)なの。シャワーだって、食事だって、レジデントは労働と学びの対価として、やってきた人は寄付や滞在費を払うことで利用しているの。タダじゃないのよ。そうやってここは維持されているの。あなたはそのどちらでもない。洋服もあなたに似合っていてとても素敵だけど、ここはみんなが教えを守って実践する場所。ここではみんな、肌の露出はなるべく控えているの。僧院がどういう場所か、という点に関して共通理解があると考えて、その点をきちんと前もって説明しなかった私が悪かった。ごめんなさい。謝ります。で、このスペースをみんなが気持ち良く共有するために、もう少し思いやりを持って配慮して行動してもらえないかな? 私の大事なプラクティスの場所なの」。正しい、間違っているを超えて守りたいもの。すると「あなたは規則を守ろうとする人だけど、私は規則があれば破ろうとする人間なの。人が黒を着ろといえば、私は赤を着る。私にとってのスピリチュアルな実践とは、自分を表現するということなの。集団に身をひそめるというのでは無いのよ。悪い人間だ、至らない人間だと、あなたは私を侮辱したのよ。辱めたことを忘れないでちょうだい。あなたは否定的なものに焦点を合わせる人だけど、私は前向きなものに焦点を合わせる人間なの。喜びや楽しさに焦点を合わせることで、そういう現実を創造してきたのよ。あなたが不快な気分を感じることに対して、私は何もできない。だってあなたが目の前の現実を不快だと解釈して、不快を感じるという選択をしたわけだから。それはあなたの選択で、それに対して私は何もできないの。すべてはあなたの投影よ」と言われました。あまりにも雄弁に返されたものだから、「正しい、間違っているとジャッジする私のほうが狭量な人間なのかもしれない」と一瞬煙に巻かれた感じが。でも、その後彼女たちがキャンプに必要な製品をアウトドア洋品店から“買って”使用した後、90日以内の返却保証ポリシーを利用して故意に返却して、全額返金を得ようとしている計画を「私はできない。どうしても正しいことだとは思えない」と言うと「90日返却保証ポリシーから逸脱した行為ではなく、しかも私たちが返却したことで、この高額な製品はアウトレットになり、安く適正な価格で買える人ができる。これは実際には良いことなのよ」という彼らのロジックにどうしても納得できません。確かに正しいとか間違っているという価値判断は人によるものかもしれない。だったら正しい間違っているを超えて、私は私の信条を守りたい。そこで「やはり、この旅行に参加できない。ごめんなさい。どうしても私の価値観とは一致しない。もしあなたたちが不快な気持ちにならないなら、これを私の謝罪と旅への応援だと受け取って」と100ドル札と彼女が持っていなかったキャンプ用のマットを渡しました。贈ったもののどこかで「受け取れないわ」と断ってくれるのを期待してもいたのですが、「ありがとう。正直レンタカー代に助かるわ」と言われ、レジデントから借りたテントや大量の荷物とともに駐車場で彼らを見送ることとなりました。100ドルをさっとカンパすることは今の私にとって大きなことではありましたが、彼女たちが金銭的に余裕がないなかで旅をしていることはわかっていたし、表面的には彼女たちにそれを贈ったと見えますが、実際は自分の信条に投資したということだと捉えています。禅センターで一度は「さようなら」の涙を交わしたバツの悪さから、レジデントたちが夜の坐禅を組んでいる際に忍び足で寮に入ってキャンプ製品を返却し、図書室でコッソリと、滞在するためのホテルをネット検索していました。©Warrenすると法話の準備のために偶然坐禅に参加していなかった先生にうっかり見つかってしまったのですーー。格好悪い! そこでことの顛末を告白することになり、「で、なぜホテルを探しているの? いくらでもここに居たらいいじゃない。みんなも喜ぶわ」と先生に夕食に連れ出してもらい、涙の別れの4時間後には「新しいレジデントのアヤと言います Nice to meet you!」と爆笑の渦のなか、出戻り状態。滞在を二日間延長させてもらうことになり、翌日にはまた典座とともに30人分の食事をこしらえていました。©Tracy写真は出戻りすることなどみじんも想像できなかった別れの前夜に「お礼に」とベジタリアン巻き寿司を振る舞ったときのもの。「すごい!」「フードトラックを始めるべきだ!」とレジデントのみんなに絶賛されましたが、実は巻き寿司を作ったのはこれが初めてという、大胆にもぶっつけ本番。うまくいって良かったです。後ろは強く、前は柔らかく、大胆な心を。心理学者のルネ・ブラウンが言う、”背面は強く、前面は柔らかく、大胆な心 (Strong Back, Soft Front, Wild Heart)”を持つ人でありたいと心から思います。自分が大切だと思うことを貫くためには、ときには「No」と言う必要があります。行動を取るためには常にイエスマンではいられませんし、嫌われ役を買って出る必要もあります。冷静に考えれば、すべての人から好かれることは、どうやったって無理なのです。この4年半でそれがよくわかりました。でも60年代のフェミニズム運動のように硬いバリアを張ったような「No」では無く、ユーモアだったり、与えられるものは差し出せる寛容さを持ちながら、健康的な境界線(Healthy Boundary)を柔軟に引く在り方を模索していきたいと思います。英語がわかると当然も変わる。あとは月並みなことですが、やはり英語がわかるようになって世界は広がりました。知りたいことがあれば、日本語と英語両方の情報源から探れるので、ちょっと角度の異なった意見も参考にできるようになりました。特にアメリカ生活最後に再び過ごしたウパヤ禅センターでは、いろいろなバックグラウンドや価値観の人がやってくるのですが、例えばベストセラー作家のナタリー・ゴールドバーグや、ダライ・ラマとの研究で有名な脳科学者のリチャード・ディビットソン博士を始め、トランスジェンダーのお坊さんが法話をされたりもして、「こういう形で仏教や瞑想を研究だったり執筆活動だったり、新たな創作活動に繋げる方法があるんだ」という、私の「こうあるはずだ」という、無意識の思い込みが外される新鮮な瞬間が日々ありました。写真はウパヤ禅センターで催された、Kaz Tanahashi先生の書道ワークショップで高校生以来の書道を。まず大切なのは「スマイルです。スマイルができていないなと感じたら、一度筆を置きましょう」というKazさんの教えにビックリ。色彩を書道で使うのも初めてで、新鮮でした。アメリカ人の人たちがたった2泊3日で楷書、行書、草書と見る見る上達していく姿に驚きました。一連の出来事の10日前に撮影した写真ですが、「金」「慈」「道」と、偶然にも何かこれから起こることを暗示するような文字ばかり………。自立だけ、依存だけ、を超えた相互存在。ある日、レジデントのひとりに「私は日本にいるときは自立した人間だと思っていたの。でもアメリカに来てからいろいろな人に助けてもらうばかりで、早く自立しなければという思いが強くなった。でもこの4年半で、日本にいたときも決して自立していなかったことに気がついた。今も昔も、『誰かに認められたい』といつも人の反応に一喜一憂し、彼らからどう見られるのか、彼らから承認されなければとどこか精神的に依存していた。これからはあなたのように本当の意味で自立したい」と告白しました。すると彼女に「『私は誰の助けも必要としないわ!』と毅然と振舞うことって案外簡単なの。一番難しいのは、無防備な自分を晒して、相手を頼り、そして裸になってくれた相手にも頼られるという関係性じゃないかしら。生きていくうえでどうやったって、なんの世話にもならないなんて、無理でしょう。だから私がこれから意識的に取り組みたいのは、単に依存(dependence)するだけでもなく、自立(independence)するだけでもなく、助け合いによる相互存在(inter-being/inter-dependence)という関係性なの」と言われてハッとしました。親切するのに、メリットが必要という隠れた思い込み肩書きなし、職なし、女ひとり海外生活という状況に身を置くことで、いったいどれだけたくさんの人が部屋の鍵を私に貸してくれたことでしょう。「なんの得にもならないのに、なんでここまで私に良くしてくれるんですか?」とカリフォルニア州ベイエリアの恩人のひとり、あきよさんに尋ねたときに「アヤちゃん、どうして親切にするために得になるかどうかが必要なの?」と逆に質問を返され、自分の中の歪んだ価値観に気づかされたことがあります。「何か食べたいもん、ある?」とたずねては、いつも私のリクエストのオムライスを作り、「アヤの独特のブレなさは不器用でも絶対それを手放さずに生きていて、星みたいにキラキラしていて。アヤに良くしているなんて思ってないよ? ただそれ、ずっと見ていたいだけやねん。星を見ていたいみたいに」と、パートナーのショーンと待っていてくれるゆかちゃん。「無料は良くない」と断った時点から、KOMBUCHA2本の取引でとてもパワフルなヒーリングをしてくれ、セッション中に生まれて初めてワンネスを一瞬体験させてくれたペルー祈祷師末裔のエミリオ。旅の間中、2年以上も荷物を預かってくれ「今度またカリフォルニアに戻ってくるときまで置いておいてもいいよ」と、今なお荷物を置かせてくれているよしこさん。「あなたならできますよ。楽しんでやってくださいね」と素晴らしい本の翻訳を、翻訳なんて一度もやったことの無い私に任せてくれたカズさん。「存在価値が無いと思ったら連絡しなさい。アヤがそう思わなくなるまで、君がどれだけ優秀な人材なのかを説明しよう」とことあるごとにチェックインしてくれる、元インターン先の社長。帰国に際して不安を拭えない私を「おばあちゃん心を自分にね」と微笑み、抱きしめてくれたハリファックス老師。あなたは涙を見せる前に去っていく人だけど、私たちは本当はあなたの涙を一緒に見たいのよ」と言って送り出してくれたウパヤ禅センターのみんな。そして、「こうあってほしい」という娘像を破壊し続けている私を、感服の「しゃーないしな」マインドで受け入れ、帰国後に延暦寺家族旅行を企画してくれた両親。ほかにも書き出したらキリが無いほどたくさんの人にお世話になりました。たくさん支えられてきたから、支えられる側が持つ喜びと辛さの両方の想いを身にしみるほど経験できました。支え続けられた私はこれから、いったいどうやって人を支えることができるんだろう。そしてまた誰かに支えられていくのだろう。これからの人生をどう構築していくんだろう。まだ何も見えていませんが、宮沢賢治『雨ニモマケズ』マインドヒッピー風味をそこはかとなく醸すカリフォルニア・ベイエリアの人たちとウパヤ禅センターのみんなは、これから私がどこでどう暮らすことになったとしても、人生の師、そして友として大切にしたいと思います。「私がしたことが、アヤの助けになったのだとしたら、私に早くお返ししなきゃと焦るんじゃなくて、それをいつか、ほかの人にやってあげて」と、たくさんの人に言われました。社会の中で無名の良き隣人として目立とうとはせず、さりげなく手を差し伸べてくれたみなさん。はい、できることから少しずつ。不器用なりに、私もやってみます。アメリカのほうが好きか、日本が良いか、と言われるといまだによくわかりません。もちろんアメリカ人だから、日本人だから、という国民性や国のシステムの違いにイラっとしたり感心したりはします。いまだにアメリカ人の公共スペースの使い方や、自己主張の強さには「もうちょっと周りを見ようよー」と辟易とするところがありますし、そのいっぽうで相手の気持ちを推しはかり、地雷を踏まないように話すばかりに焦点が絞りにくい日本の会議をスピードアップしたいという衝動に駆られてしまうこともあります。とはいえ一概にそれもそうとも言い切れず、4年半経って思うのはその人次第だなというところが大きいと思います。心に従って行動した結果、好きが講じて少しずつではありますがそれが仕事にも繋がり始め、瞑想アプリの会社から“セルフ・コンパッション”に関する執筆依頼が来たり、禅センターの体験をインターネットマガジンに執筆する機会があったり、ZENに関する本の翻訳のお仕事をいただいたことも得たもののひとつです。けれども、まだ生活できるレベルには達していません。だからこれからは、第二の冒険が始まると思っています。ひょっとしたら、この帰国後が本当の冒険になるのかもしれません。苦手だった頼んだり頼まれたり、健康的な境界線を引くことも必要になっていくのかもしれませんね。©Yumiko Hiraiいったいこれからどういう形で生活していくのか? 私にとって正しい生計の立て方(Right Livelihood)って?? 四十路の私に仕事が見つかるのかな?? なんて私はまだ古い価値観に囚われていて、仕事は与えられるものではなく、自分で創造するものだと捉えるべき??? まったく謎だらけです。はい、”背面は強く、前面は柔らかく、大胆な心 (Strong Back, Soft Front, Wild Heart)”を忘れずに。ひとつだけ確かなのは、ここでは機が熟せず書けなかったことを含めての4年半の体験を一年かけてまとめたいと思っていることと、結果生計を立てるのとは別の形になったとしても、なんらかの手段で文章を通じてみなさんにお伝えしたり、いつか一緒に瞑想する機会なんかも持てたらなと願っています。そしてこの一年半取ってきたように「これが人生最後の一年だと思って行動しよう」という思いで過ごしていくということ。人生は思うよりも短いのです。最後に緩和ケア看護師のブロニー・ウェアさんによる、人生の最後に多くの人が後悔する5つのことを紹介したいと思います。彼女は死の床にある人々に「人生でいったい何を悔いているか」とたずねてきた人です。以下の5つがそのトップ5だと言います。多くの人が死に際して後悔する5つのこと。1. 人が私に期待する人生ではなく、自分の人生を生きる勇気が持てたら良かった。2. そんなに働きすぎなければ良かった。3. もっと自分の思いを表現する勇気が持てたら良かった。4. 友達ともっと連絡を取り合えば良かった。5. 幸せになることをもっと自分に許せたら良かった。心から、ありがとうございました。この不定期連載をご愛読していただき、大変ありがとうございました。読んでくださった皆さんがいたからこそ、不定期すぎる不定期だったのにも関わらずこちらを続けることができました。心より御礼申し上げます。どうか良い1日をお過ごし下さい!SEE YOU!またお会いする日まで!ありがとうございました。
2019年08月03日ラリン(Laline)から、「ラベンダー」の香りが日本上陸。2019年7月12日(金)から限定発売される。サンフランシスコで人気の「ラベンダー」香るボディスクラブやボディソフレ、ボディミスト、ハンドクリームが日本に初上陸。限定デザインのパッケージには、ケーブルカーやゴールデンゲートブリッジがユニークなタッチで描かれており、サンフランシスコならではの自由で楽しい雰囲気が表現されている。アボカドオイル、ヒマワリシードオイル、グレープシードオイルといった3種の植物オイルと、死海のミネラルソルト100%を配合したボディスクラブは、アロマバスとしても使える1品。週2回程のスペシャルケアとして、優しくマッサージしながら使うことで血行を促進させ、引き締まった透明感のある肌へと導く。また、シルクのような手触りの高保湿ボディクリームであるボディソフレには、肌をしっとりと柔らかく整えるホホバオイル、潤い成分のビーワックス、またアロエベラ・カレンデュラなどの植物エキスをブレンド。しっとりとした潤いでボディを包み込んでくれる。【詳細】ラリン「ラベンダー」サンフランシスコ限定デザイン発売日:2019年7月12日(金)・サンフランシスコ限定 ラベンダー ボディスクラブ 500g 3,600円+税・サンフランシスコ限定 ラベンダー ボディソフレ 200g 2,600円+税・サンフランシスコ限定 ラベンダー ボディミスト 100mL 2,900円+税・サンフランシスコ限定 ラベンダー ハンドクリーム 100g 1,800円+税※数量限定につき、なくなり次第終了。【問い合わせ先】ラリン ジャパン カスタマーセンターTEL:0800-222-2600(フリーコール)※10:00~18:00 土・日・祝休
2019年06月13日14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、女ひとりスーツケースで全米を放浪し続けること早4年。アメリカ先住民のナバホ族のみなさんと生活したり、禅センターでの雲水修行などもありました。さて今回はサンフランシスコで開かれたWisdom2.0に参加し、過去の恋愛関係を見直し、反省するための智慧を授かったと言うのですが……。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 74私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた仕事は辞め(当時はアンアン編集者)4年ほど前に、スーツケース2つでひとり渡米しました。自分自身もそれを提案しまくっていた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方をもう一度見つめ直して、私にとっての幸せのカタチとは何かを実体験のなかで確かめたかったのです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、アルツハイマーの女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わりました。1年ほど前からは定住場所を持たず、オルタナティブ文化の発祥地であるエサレン研究所で暮らしながらヒーリングを学んだり、ジョアン・ハリファックス老師のウパヤ禅センターでは4か月間の雲水生活をしていました。とはいえ、尼さんになりたいわけではない。禅センターに住んでいたというと、必ず次に「で、尼さんになるの?」と聞かれます。そんなつもりないんだけどなぁ。©UPAYA ZEN CENTERでも、スピリチュアルジャーニーとは独りで行うもの。離婚もしているし、当時付き合っていた人に10日間のヴィパッサナー瞑想合宿を終えて、次は4か月間禅センターで暮らしてみると話すと、「俺はリトリートとリトリートの間のつなぎじゃない!」と激怒され別れたという経緯もあったし……。そこで、精神的に成長するまで恋愛は保留です、という思いはあった(いまだにある)ようです。しかしスカラーシップが取れたことで、3月1日から3日までサンフランシスコで開催されたWisdom2.0という会議に参加し、その信念が揺らぎ始めました。Wisdom2.0ってナニ?で、Wisdom2.0とはなんぞや、ということなんですけれども。わかったつもりで使っている言葉、ナニナニ2.0ですが、これってそもそも何なんでしょうか。「10年ぐらい前に流行った言葉だよね」とテックフリークな友人に言われても、ソフトウェアアップデートの通知が出るたびに怯え、『明日再通知する』と後延ばしし続ける超アナログの私には未ださっぱり耳慣れない言葉です。「Web2.0」、つまり発信者と受信者という一方通行ではなく、受信者が発信者になったり、発信者が受信者になったりと多方向に情報を発信できるようになったインターネットの利用法がナニナニ2.0の語源です。そこから、「2.0」という言葉は、当たり前だと思っていた一般常識や価値観がガラッと変わるような新しい考え方、サービスなどを表すのだそうです。創設者の悩めるトレーラーハウス生活が発端。そしてWisdom2.0とは、テクノロジーと新しい「Wisdom(賢さ)」、つまり人生の目的や物事の根本にかかわる深い智慧、を融合させた新しい視点やそのヒントを、スピリチュアルリーダー、心理学、人類学や環境学者、ジャーナリストや作家、政策計画者、社会活動者、企業家などが提案する会議です。見よ! この気の遠くなる程長い受付までの列を。この先もずーーーっと続きます。Perfumeのコンサートじゃないですよ。Wisdom2.0です。そう、大人気なのです。Wisdom2.0は、ホストも務めるソレン・ゴードハマーさんによって創設されました。金髪長身でタイトな黒の上下を着こなし、登壇者たちの言葉を的確かつ優雅に導くソレンさん。その堂々とした姿からは想像もつきませんが、Wisdom2.0の構想が生まれた現場とは、悩める一年間のトレーラーハウス生活だったとか。離婚し、仕事も失い「オレのアイデンティティは何なんだ?!」「いったいオレは何をやっているんだ??」と自問自答する日々を過ごしたそうです。ほぼタダ同然でWisdom2.0コミュニティに紛れ込んでいる私と、そのカースト頂点に君臨するソレンさんとでは現実問題交わるところは全くないのですが、そのエピソードを聞いて妙にソレンさんに親近感が湧いたのも事実(勝手に)。等身大の尼問題について考えてみよう。そもそもこのスカラーシップを申請したのは、私の二人の先生、ウパヤ禅センターのジョアン・ハリファックス老師とUCバークレー心理学部のダチャー・ケトナー博士が登壇するから。社会に関わる仏教(Engaged Buddhism)を実践する老師と、畏怖の念と利他的な行いの相関関係を研究するケトナー博士。そして終末医療におけるドラッグの有用性について新刊を出版したマイケル・ポラン博士による対談を聞いて「畏怖の念と慈悲の心、そして社会変革を」みたいな壮大でかっこいいテーマについて書こうと思っていたのですが。どうもマイクロで申し訳ありませんが、むしろ目前でくすぶっている「尼問題」が緊要なので、Wisdom2.0の中でジョン・ゴットマン博士(写真上)らによって語られた『生涯かけた愛に必須のコミュニケーションとは?』をもとに、恋愛では失敗続き、そのうえ「全ては空である(あらゆるものには自性はなく、変化を続けることが存在の本質)」といった内容のお経を毎日唱えすぎた結果、恋愛に対してすっかり傍観者状態となった私がどうやったら再びモチベーションを上げられるのかを考察することとさせてください。シングルで恋愛も諦めている女。登壇したのは2組の夫婦であり、4人のパネラーです。まずジョン・ゴットマン博士(写真右から2番目)は、ワシントン大学心理学部の名誉教授で、同大学に『The Love Lab(愛研究所。「ラブラブ」と親父ギャグなところがイイですね)』を作って恋愛関係や、パートナーシップについて40年以上研究してきた、まさにラブ街道まっしぐらの権威。ジュリー・シュワルツ・ゴットマン博士(写真右)は、その妻で臨床心理学士として結婚、セクハラ、レイプ、家庭内暴力、同性婚、子育て問題などを取り扱うエキスパートです。ゴッドマン博士の話をリードするのは、ジャーナリストで、ダライ・ラマ、デスモンド・ツツとの共著『よろこびの書-変わりゆく世界のなかで幸せに生きるということ』を出版したダグラス・エイブラハムさん(写真左)。そしてその妻であり、統合医療、セクシャリティや関係性を専門としたレイチェル・カールトン医学博士(写真左から2番目)です(才色兼備!)。まずダグラスさんが会場にジャブを放ちます。「この中で20年以上のパートナーシップにある人はいらっしゃいますか?」「では、10年から20年は?」。ちなみにここで、ダグラスさんが「うわお!」というほど会場過半数の人が手を挙げ、肩身の狭い思いをしました。ダグラスパンチは続きます。「10年以下は?」「シングル?」「シングルで、募集中?」「シングルで、もう恋愛をあきらめちゃってるとか?」(はい、そうですよ。手は挙げませんけどね)。二人だからこそ学べることってなんだろう?禅寺を出たばかり、洞穴でも瞑想したよ、なんていうおひとりさま街道まっしぐらな私は、しょっぱなからダグラスパンチをストレートで食らったワケですが。「私はもう恋愛、キャリア、何に関しても強い望みも執着も、煩悩として手放しました」などと思っていたけれど、パンチの痛みが予想外に強かったので、姿勢を正して真面目に聞くことにしました(若干、前のめり)。そういえば禅センターにいたころ、同レジデントのマリィに「ねぇ、ここでみんなにすごく気にかけてもらって、老師にもいっぱい愛をもらっているのに、なんで寂しくなるのかなぁ? 精神的に満たされているはずなのにそう思っちゃうから、ちょっと罪悪感」と打ち明けると、彼女から「そりゃそうよ。私たち修業したってさ、そもそも動物だもん。スキンシップの無いこの生活は、まぁ孤独にもなるわよ」と言われて、深く頷きすぎて首がもげそうになったっけ。(余談ですが、プロのボディワーカーだったマリィにはクリスマスプレゼントにマッサージしてもらいました。優しいね)。さてジュリー博士も、私たちはそもそも群れで暮らす動物だから、生物学的にもつながりが不可欠であること。1日24時間週7日パートナーと暮らすことで、共感力、調和を育み、良い時間だけではなく、特にストレスや難しい関係から思いやりや分かち合いというもっとも神聖な自分の一面を知り、成長することができるといいます。パートナーは、自分の光と影を写す鏡。ジュリー博士を見つめながら、夫のゴットマン博士は続けます。「パートナーシップから、思うほど自分が聡明じゃないと気付かされますよね。うちの場合も妻はこの世界で知り得ることのすべてを知っていて、私といえば、まぁその残りを知っています。これはマーク・トゥエインがそういうことを言っているのを、盗用したんですけどね」。いいなぁ、いいなぁ。ゴットマン博士、すごい研究者なのに、ちょっとユルくて。好きだなぁ。「二人の関係性のなかで、影響を与え合うこと、そして受け入れることを学び、そこから成長が始まります。つまり、個人の成長ともすべてつながっていますよね」と博士。また、パートナーシップはどうしても心の深い部分に触れることになるので、親子関係など子ども時代にできた傷によって、相手に自分の心の奥底にある恐れを投影してしまうのだとか。才色兼備なレイチェル博士も例外ではないそうで、「見捨てられたり無視されたりすることが怖くて、自分のどうしようもなく酷い部分を夫のダグ(ダグラスさん)に見せつけてしまったりしますよ。パートナーとは、これ以上ないっていうぐらい鮮明に自分の光と影の両方を写す存在です。でもそんな最悪な自分を見せても、ダグは逃げ出さずに私を愛し続けてくれる。そうした関わりから自分の光と影の両方を愛せるようになり、心の奥底に潜んでいた恐れも少しづつ薄れていったんです」。研磨剤として成長を促す。ちなみにダグラスさんとレイチェル博士は全然育ってきた家庭環境が違ったのだとか。「僕はユダヤ系家族で育ったから、言い合いこそが愛、という雰囲気でしたね。いっぽうプロテスタントの家庭で育ったレイチェルからしたら『あなたって、火星から来たの?』という感じで。そこで初めて、『え、みんなこんな感じじゃないの?』って気付かされましたね。このようにひとりではなく二人だからこそ、影響を与えあって、違いを受け入れ合って、さらにはそこでどうやって自分から不純物を省けるかと学んでいけます」。運命の相手、ソウルメイトってどんなヒト?ところで私たちはたったひとりのソウルメイトを求めるものですが、それっていったいどんな人なんでしょうね。「スピリチュアルな男女の道を歩むために、一般的にある種完璧で、カーボン紙で複写された写しみたいに自分にぴったり合うような人をイメージするものですよね。やっぱり自分と同じような人がいいんでしょうか?」とダグラスさんがゴットマン博士に尋ねます。遺伝子型が近い男性のニオイは臭い。「スイス人の生物学者 クラウス・レディケンによって行われたTシャツ研究というものがあります。男性たちが2日間着続けたTシャツをそれぞれ同じ箱に入れて、女性たちにどの匂いが好きか、性的に魅力を感じるのか実験したんです。すると女性たちは、免疫系を司るMHCという遺伝子群があるのですが、自分と異なるMHCを持つ男性が着ていたTシャツの香りを好んだんですね。生物学的に考えて自分の遺伝子を確実に残すためには、異なる免疫系を持っているパートナーを選ぶほうが、生まれてくる子どもが病気にかかる危険を回避できる可能性が増しますよね。そこで遺伝子レベルでは、全く違うタイプの人のほうが相性がいいんですよ」とゴッドマン博士。違うから、相性がいい。さらに最近の研究では、匂いが好みだった男性に女性が実際に会ってみたら気にいるのかを調べたのだとか。「結果は、好きだったんですね。だから全然違う人を実際に選ぶものなんですよ。それなのにうまくいかなくなったときに、『あなたって、違う!』と非難するものですが、そもそも自分と違う人を選んでいるわけですから違っていて当たり前。お互いを気遣い、違いを受け入れ、共通性を作っていくことが円満の秘訣です」。相手選びを誤ったのか、視点が低すぎたのか?前回の恋愛における敗因は、愛されたい症候群の元カレと、愛されているという実感を男性に沸かせるのが下手な女(=私)という最悪の組み合わせによるものだと思っておりました。さらに人種も年齢も生活するコミュニティも全然違ったので、彼の友達の食事会(アジア人ゼロ)に招かれたときに、「えー、日本人なの? 日本人って一番良いアジア人だよね!」と笑顔で言われて、愛想笑いを返しながらも、実は嫌な気分だったと後日打ち明けたら、「えぇ、そうなの?!(良いって言われているのに?)。そういう彼だってメキシカンなんだけどねぇ」と言われて、さらに不快に感じたっけ。あなたと過ごした時間も、ある意味2.0。でも、富士山レベルの高い視点で見れば、苦手パターンをお互いに克服するにはぴったりの相手だったとも言えるかも。猫の毛を逆なでするぐらい、ギャーッな相性の悪さ!と思っていたけれど(ちなみに写真は、親に預かってもらっている猫)心の持ちようでは、スピリチュアルな学びの相手として最高だったとも考えられるのでしょうか(う〜ん……、そこまで宇宙視点で物事を捉えられない)。とはいえ、このところずっと一匹狼的に生きていたので、そんなふうに人に対して怒ったり不安になったりということがあまりなかったので、そんなダークな一面が自分にあると知れたのは、ある意味感謝ですよね。相手無くては、わからないものですから。自分の価値観が全く通用しない場合が往々にしてあると石頭をかち割られ、パラダイムシフトを果たせたという点では、まさに2.0体験でした。どのみち、今はひとりの時間です。先月日本に一時帰国したときには曹洞宗の総本山、総持寺で接心に参禅し、憑き物を落とすように警策を受けてきました。繰り返しますが、総持寺の雲水さんの雑巾掛け姿をFacebookのカバー写真にしているからって、尼さんになるってわけではないんですよ。誤解です。2020年Wisdom2.0日本初上陸さてこのWisdom2.0ですが、来年2020年3月20日、21日、日本に初上陸するとサンフランシスコの会場で発表されました。写真は左から、Wisdom2.0共同創設者の木蔵シャフェ君子さんと荻野淳也さん。お二人は、今ここに生きるマインドフルネスをビジネス、医療、一般の場に活用するための取り組みもされています。「今のまんまなんにも変わりたくないです」という人はヤケドしてしまうかもしれませんが、自由な発想や新しい自分を発見してみたい人はぜひ足を運んでみてはどうでしょうか。Wisdom2.0 Japanについては、以下 YOU!Wisdom2.0 Japanのみなさんとの夕べ。久しぶりのお酒で、顔が寝ています。恋愛全敗中の私にそっと荻野さんが渡してくださった本、ジョン・ウェルウッド著『パートナーシップのマインドフルネス(愛を育てる瞑想のプラクティス)』も、パートナーシップをスピリチュアルな精神成長のための道だと見直すための必読本!
2019年03月15日14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、女一人スーツケースで全米を旅し続けること早4年。アメリカ先住民ナバホ族と暮らしたり、’60年代以来、オルタナティブな文化の発信地として世界的に有名なエサレン研究所の毎日、そしてウパヤ禅センターでの癒しと学びの雲水生活、その9か月間をダイジェストで振り返ります。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 73私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた仕事は辞め(当時はアンアン編集者)4年ほど前に、スーツケース2つでひとり渡米しました。自分自身もそれを提案しまくっていた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方をもう一度見つめ直して、私にとっての幸せのカタチとは何かを実体験のなかで確かめたかったのです。まずはバークレーで幸福心理学を学び、アルツハイマーの女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わり、1年ほど前からは定住場所を持たず、ゴールもあらかじめ設定しすぎない放浪生活をしています。会社を辞めて渡米後にどうなったかをずっとananwebで書かせていただいていますが、ずいぶん音信不通にしておりました。大変申し訳ありませんでした!!!連載をぶっつり9か月間も放置しながら、一体何をしていたかというと…。ヴァレラ シンポジウムに参加する。まず2018年5月にニュー・メキシコ州にある禅センター、ウパヤ禅センターで開催された『ヴァレラ シンポジウム(旧:禅ブレイン)』に参加しました。それは、脳科学者のリチャード・デヴィッドソン博士を始めとする世界的な研究者たちが、非暴力かつ効果的な方法で民族の違いや対立を超えて、解決を導くためのヒントや実例について研究データを交えながら発表、討議するというもの。シンポジウムに参加したのは、大切な友人がつないでくれたご縁で、その後にアメリカ先住民 ナバホ族が暮らす、アリゾナ州にあるビッグ・マウンテンという地での先住民の人々との生活を控えていたからです。彼らは「この聖地は母なる大地の内臓にあたる場所。それを掘り起すなんてもってのほか」と、アメリカ政府の石炭発掘開発に対する反対活動として、水道も電気もガスも走っていない地で暮らす人々です。会社を辞めてから、いろいろと学んだり、瞑想したり、お世話になったりしていくなかで、「で、いったい私に何ができるんだろう?」という気持ちが募っていきました。そんなときに「彼らについて日本のみんなに書いてほしい」とお世話になりまくった友達のリクエストを受けることになって、彼らのことを全く知らない私が「でも、どうしたら?」。そのヒントを得たくてシンポジウムに参加したんです。シンポジウムでは、脳科学的にも人間には本来思いやりの心が備わっていることがデータとともに語られ、ヒマラヤやメコン河での環境保全に携わってきた博士なども登壇し、とても鼓舞されるものでした。ビッグ・マウンテンでの羊飼い生活。シンポジウム後に勢いづいて、「よし!」とビッグ・マウンテンへ向かったのはいいけれど、想像と現実には大きな隔たりがありました。私は単なる足手まとい。そのうえ精一杯でも、ほぼ無収入状態の私が差し出せるお金は僅かなものです。では精一杯働きますと、羊飼いのお手伝いや家事をしながら数日間暮らしたわけですが、羊毛にへばりついた糞やダニを素手で掃除しても、清潔な水では手を洗えず、またその手で料理を作ります。土埃で髪は砂まみれ、体は汗だくでも、当然シャワーなんて浴びられません。そして電気がないので、日の入りとともに床の上に羊の皮をひいて耳栓しながらナバホ族の男性ふたりと一緒に川の字になって雑魚寝します。朝一番には都市から運んできたワイン樽大のプラスチックタンクに入れた水道水を、ホースを使って口で吸い込み大型タンクに移す作業をするも、何度も肺に水が入ってしまい窒息しそうになります。気候変動は、目の前の現実。ある日、頭にべったりと血がついた羊を目にしました。ここ数年続くひどい日照りによって草木が枯れ、ウサギがいなくなり…。餌を失ったコヨーテが極度の空腹に耐えかね、もはや目の前に人がいても、恐れずに羊を襲うのです。気候変動の影響をまざまざと見せつけられる毎日で、このほかにもここでは書けないようなショッキングな体験もしました。たった数日間で、おかしな咳にも悩まされるようになり、やむなく山を降りるという苦渋の決断をしました。その後自己嫌悪に陥り、「私なんてなんにもできない、口先ばっかりの人間だ。そんな私が書くものなんて、なんの救いにもならない」と全く原稿が書けなくなってしまったのです……。エサレン研究所で過ごした1か月。その後、カリフォルニア州ビッグ・サーにある、オルタナティブ文化の発祥地 エサレン研究所で1か月間、施設の仕事を手伝いながら学ぶ学生(ワーキング・スカラー)として暮らしました。エサレン研究所に志望動機エッセイを書いて選ばれると、通常の1/5ほどの費用で滞在できるのです。プログラムを担当する先生は、スザンヌ・スカーロックという30年以上のキャリアを持つクラニオセイクラル・セラピーの指導者でした。彼女はそれに瞑想や西洋心理学、先住民の智慧などを組み込んだ独自のヒーリングメソッド“ヒーリング フロム コア(深部からの癒し)”を開発し、全米を中心に世界でワークショップを行っています。動く瞑想で、号泣する。授業中に身体の声を聴いて何も考えず、ただ手や足の意志に身を委ねて動くという瞑想法も教わりました。私が日常的に取り入れていた身体の動きを固定するヴィパッサナー瞑想とは全く違うアプローチでしたが、両手を目の上に置いたとたん、涙が止まらなくなりました。スザンヌだけではなく、クラスメートたちにも頑張りすぎ、自己批判しがちだとも助言され、これまで見たくないものをたくさん見てきたことをただ認め、自分に寄り添うという自己ヒーリングに集中しました。優しいタッチで触れ合うヒーリングテクニックも学んで、お互いに癒し合いもしました。エサレン研究所では、朝からだいたい15時頃まで草むしりや草木の剪定、道路を掃いたり、ベッドメイキングなどに従事し、授業は夕方から開始。また、週に一度はスザンヌの講座だけではなく、ゲシュタルト療法による公開カウンセリングも受けました。授業の後や週二度の休日には、みんなでギターを弾いたり、歌ったり、エサレン名物の温泉にもつかりました。男女混浴の洗礼。温泉は、男女混浴なので恥ずかしがっていると、「アヤ、体は美しいよ。恥ずかしくなんかない! 見てごらん!」と全裸でミケランジェロ像のように仁王立ちしてくれた同級生(男性)も(笑)。毎日ダンスをしたり、週末には海で子どもみたいに風車をしてもらったり、会話の流れでまじめくさると絶妙なタイミングでオナラをして笑わせてくれたり……。世界的なセラピストによるクラニオセイクラル・セラピーも受け、たくさん泣いてたくさん笑いました。再び青春時代に戻ったような、まぶしい日々を過ごしました。本当は全然大丈夫じゃなかった。実はホームレス旅生活を決行したのは、ここで書いていたほど前向きな理由じゃなかったんです。当時の私は完全に行き詰っていました。バークレー大でオールAを取っても、討議にはついていけない程度の英語力の私は、とてもじゃないけどアメリカで大学院レベルの心理過程へ進むなんて無理だと思い知らされました。UCSFでインターンするも無給で持続不可能だし、日本人を治験者にした研究のアシスタントをしていても、心理過程大学院レベルの学位が無い未経験者だからと重要なデータ分析には参加させてもらえず、あえなく中断。とある会社では就職を打診されたけれど、ワーキングビザが発行できなかったため、断念します。結果、貯金を切り崩しながら暮らす日々で、「本当に伝えたいことだけを書く」と覚悟したのはいいけれど、ライターとしても満足には生活できていません。というわけで、こんな全てが中途半端な状態でビザが切れて帰国したら、どんなに恥ずかしくて、悲惨なんだろう? 親や友達は、そんな私のことをどう思うだろう?? 例えば、一時帰国でウィークリーマンションを借りるも、カード先払いにもかかわらず、どこにも所属せず社会的信用がない私は、親の保証人サインがないと契約できないという有様なのです。消えてしまいたい衝動を抱えながら。応援してくださるみなさんには本当に申し訳ないけれど、「この世界から消えてしまえたら、どんなに楽だろう……」。そんなふうにも考えていました。日々思い詰めて、ふと「ビザが切れるのは約一年後。どうせこの世界からいなくなるなら、その覚悟で残りの時間と貯金を使って生きてみたらどうだろう?」。そして部屋を引き払い、いままでの思考パターン「何かになろうとする」からいったん距離を置き、直感的にただ思いのまま行動してみることにしたのです。というダークな思いを、エサレン研究所でワンワン泣きながら初めてクラスメートに告白することができました。そうして、本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをすることで閉ざしてきた心が少しずつほぐれていったのです。ウパヤ禅センターで4か月間修行。エサレン研究所の後は、ニュー・メキシコ州サンタフェに再び飛び、ウパヤ禅センターで4か月間雲水生活をしました。素晴らしいシンポジウムに参加したのはいいけれど、頭でわかっているだけで実行に移してみたら何もできなかった私。これからまた実社会の中で生活していく前に、コミュニティと一緒にプラクティスしながら、しっかりとした軸を作っていきたいと思ったのです。ウパヤ禅センターでは、作務衣姿で朝6時には起床し、7時から坐禅と朝礼。日本語でも読んだことが無かった、ローマ字で書かれた摩訶般若心経を毎日唱え、侍者として導師に付き添い、参禅中の線香を渡したり、袈裟を整えたり。私はキッチン作務担当だったので、典座と呼ばれる料理長とともに毎日5時間以上かけて20人から100人分の3食を作り続けました。坐禅は朝に加えて、12時、17時半と毎日3度あって、坐りながら開始を知らせるための木版を打ったり、終了の鐘を鳴らしたり。禅センターですが、日本人は私ひとり。アメリカ人を筆頭に、オーストラリア人、ドイツ人、イギリス人、アイスランド人、ポーランド人など老若男女ともに暮らしていました。2か月ほど経ったときに、腰が痛いという母ぐらいの年齢の女性に変わって皿洗い用の水を溜めた大きなたらいを運び続けるうちに今度は私も腰を痛めてしまいました。毎週鍼治療に通っても、そのときはいいのですが、またぶり返してしまいます。今の自分でも、いいんだ。©UPAYA ZEN CENTERそこでプレジデントに「労働と引き換えに、ここに無償で住みこみ、3食いただいたうえに勉強までさせていただいています。それが十分にできない今、ここを去るべきだと思うのですが……」と相談するとビックリされ、「そんな必要はありません。あなたの問題は、コミュニティ全体の問題です。一緒に考えていきましょう」と言われて、今度は私のほうが驚きました。“いい子”じゃなくても、できが悪くても、私を受け入れようとしてくれる人がいる。不完全な私のままでも居場所はあるのだ。それは、ブレイクスルー的な体験でした。ジョアン・ハリファックス老師からの学びと癒し。そして僧院長であるジョアン・ハリファックス老師との出会い。彼女は外国人女性として初めて、昨年曹洞宗の総本山である総持寺で開かれた世界仏教徒会議で基調講演されました。禅センターを作り、何冊もの本を出版し、世界中を飛び回って講演しながら、毎年医師団を連れてヒマラヤの山奥で病院をキャラバンするという老師。こちらでエンゲイジド・ブディズム(社会と関わる仏教)と呼ばれますが、仏教から学んだ教えを社会貢献に活かしている人として全米でとても尊敬され、大変有名な人です。そこで、お会いするまでは勝手に「鉄の女」的な印象を持っていました(笑)。©UPAYA ZEN CENTERそんな老師と初めてお話ししたのは、みんなで輪になって率直な思いを述べ合うカウンシルという集いででした。皆が良い意見を出し合って、では最後の締めくくりをといったタイミングで私が最悪の爆弾を投下しました。それは、仏心があるなんて信じられない!「誰もが仏だと言いますが、私はどうしてもそれが信じられません。だって私はすごく自己中心的だし、できればもっと怠けていたい。朝起きるときも、まだ寝ていたいなぁ、面倒臭いなぁといつも思っています。“もっといい人間になりたい”と思うから、こうして修行しているわけで、どんなに坐っても勉強しても働いても、そんな私がそもそも仏だ、なんてとても思えないんです」というずっと抱いていた困惑をストレートにぶつけたのです。すると老師が、身体全体の慈しみが溢れ出るような思いやりに満ちた目で私をじっと見つめ、ただ「素晴らしい……」「美しい……」と言いました。私を全く否定せず、全身全霊で、ただともに居てくれたのです。それはたった2分程度だったでしょうか。でも、「これが今ここにあるというマインドフルネスの力なのか」、そして「良い悪いと判断せず、ありのままの現実を思いやりの心で見るということが、こんなに癒しになるんだ」と理解するのに十分でした。老師は、本当に包み込むような圧倒的な優しさとエネルギーを持つ美しい人です。頭での理解を超える体験。その体験は、言葉ではうまく言い表せないのですが、頭での理解を超えて、「なるほど」が身体の芯部から突き抜けていくようでした。その日から、私は老師とウパヤ禅センターと恋に落ちたのです。クリスマスには車で2時間ほどいったアメリカ先住民が暮らす集落(プエブロ)へ老師や皆と訪ね、彼らの鹿ダンスを見学しました。寮のドアを開けたら雪が胸の位置まで積もっていて、平泳ぎの手で雪かきしながら朝一番のトイレに行く経験もしました。毎週グルテンフリーのタルトを焼いてくれるレジデントがいたり、安居(あんご)と呼ばれる1か月間の集中修行の後で「髪への執着から自由になりたい!」というレジデントのために急遽ヘアサロンをオープンしたりも(その様子をビデオで記録したら、以来ヨーコ・オノと呼ばれるようになりました、笑)。そんなふうに一緒に笑ったり泣いたり怒ったり支えあったりしながら、ウパヤ禅センターでの4か月間が過ぎて行きました。禅センターを出た今は、まだ少し夢の中にいるようです。しばらくバークレーで翻訳作業に携わりながら生活していますが、今は「こうなりたい」とか「こうしたい」という気持ちがますます薄れていて。価値観や自分の状況がより鮮明に把握できるようになってきたにも関わらず、なんだか少し他人事のような感じなんです、自分の人生が。今ここから自分がどこに向かっているのか全くわからなくて、ちょっと怖いけれど、意外にそれをあまり怖いとも思っていないことがまた怖いというか(笑)。うまく説明できないんですが。でも、目の前のことや人たちにはできるだけ誠実に。今ここに集中して気をそらさず、できる限り、目の前の責任を果たしたいと思います。SEE YOU!
2019年03月02日LINEの返信が来なくなった場合、返信への意欲を失わせる内容になっている可能性が考えられます。うっかりやってしまわないよう、どんな内容が敬遠されるのか知っておきましょう。連続でメッセージを送る男性に対してメッセージを送り過ぎてしまう女性は注意が必要です。LINEは気軽にメッセージを送れるのが魅力ではあるものの、だからといって短時間の間に送り過ぎてしまうのは良くありません。メッセージでの地道なやりとりをするのが苦手な男性もおり、しまいにはウザいと思われブロックをされる可能性もあります。中身のない内容返信に困る中身が詰まっていないメッセージを送るのも気を付けた方が良いでしょう。女性同士ですと、「だからなに?」と思わせるような内容でもやりとりが発展することもある一方、男性の場合は違っていることがままあります。返信の必要性を感じられず、放置してしまうというパターンもあるのです。中身がなく意図が分かりにくいメッセージほど無視をされやすいです。質問攻めのメッセージ「休みの日は何をしているの?」、「どんな人が好き?」など、質問ばかりを送ってしまうと男性を辟易させる可能性があります。最初は答えてくれたからと、調子に乗って連続で詮索をするようなメッセージを送るのは良くありません。それに質問ばかりをされると、男性はプレッシャーにも似た気持ちになってしまうのです。つまり次々に質問をする行為は、相手に圧を掛けている状態でもあるため、気になることがあったとしても連続で尋ねるようなことは避けた方が良いと言えます。スタンプの大量送信LINEと言えばスタンプが特徴のツールです。ただスタンプを多用するのも考えもの。中でも注意が必要なのが、大量のスタンプだけで感情を伝えようとする行為です。男性からすると意図を感じ取りにくい上、返信が必要なのかどうかの判断にも迷いやすく面倒に思われやすいです。
2019年02月23日2年連続でミシュランUSAに選ばれたラーメン店「メンショー サンフランシスコ(MENSHO SAN FRANCISCO)」が、逆輸入で日本初上陸。1号店を2018年7月13日(金)新宿ミロード・レストランフロアにオープンする。「メンショー サンフランシスコ」は、アメリカ西海岸・サンフランシスコの大行列店。2年連続でミシュランUSAに選ばれるほど、地元民に愛される名店である。そんなラーメン店が日本初上陸。オーナーシェフ庄野智治が手がける創作性の高いラーメンが東京でも提供される。【詳細】「メンショー サンフランシスコ(MENSHO SAN FRANCISCO)」オープン日:2018年7月13日(金)住所:東京都新宿区西新宿1-1-3 新宿ミロード 7FTEL:03-3349-5611
2018年06月23日私筆者土居彩は “幸せとは?” と14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへとやってきました。奇跡が重なってバークレー大の研究室で学ばせてもらったり、街の人々に助けられたり、日課の瞑想を続けながら3年が経過。さまざまな経緯を経て、住所を持たないホームレス生活を始めることを決断しました。そして一時帰国中に新しい価値観で働く人たち、逗子市『NPO法人ごかんたいそう』の代表理事 全田和也さん、淡路島で『ヒマラヤ水晶ひかりや』を営む片岡悠さんを訪ねてきたのです。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 721か月間の一時帰国中では、金沢市にある1泊約3千円のドーミトリーに滞在してアメリカに仏教を広めた立役者である鈴木大拙館を訪ねたり、ご縁をいただいて2年ほど暮らしていたカリフォルニア州 バークレー市ではかぶりもしなかった、スローフード活動の中心的存在のアリス・ウォータースさんと’95年から続く彼女の ”Edible Schoolyard(食べられる校庭)” を通じた教育活動について滋賀県で書いたりしていました。一時帰国は毎回楽しみでもあり、少し怖くもあります。というのも毎度少しずつ自分の感覚が変化していることを実感し、ビザが切れて帰国した場合に日本社会でやっていけるのだろうかと不安になるからです。とはいえ、アメリカで生活の基盤を築けているのかというとそうでもない。そこには私の甘さがあり、それを突きつけられるような気分になります。そこで私の持つ恐怖感を超えたフェーズで働いている日本の人たちに会ってきたのです。必要なお金を稼ぎながらも、それに消費されないような生き方をしている人たちです。海と緑に囲まれた淡路島で水晶販売。片岡悠(以下はるかちゃん)ちゃんは、4年ほど前から淡路島で旦那さんの片岡徹さんと息子のアウワくんの3人で暮らしています。はるかちゃんも旦那さんも都市部で育ったのですが、1年半のインド、オーストラリアのバックパッカー旅行を終えて淡路島に移住。 より今はヒマラヤ水晶の原石や精麻しめ飾り、国産精麻、シルク、ヘンプ紐などでひとつずつ丁寧に編んだマクラメ編みのネックレスなどを『ヒマラヤ水晶 ひかりや』として展示販売しながら生活しています。そんなはるかちゃんが介護福祉士から今の仕事に完全にシフトしたのは約3年前。 より©片岡悠はるかちゃん 小さい頃から水晶とか石が好きで。もちろん生活の糧を得る術ではあるんだけど、どちらかといえば水晶を丁寧に浄化してお守り作りごっこをしている感じかな(笑)。幼い時に自然としていた遊びがハートの声に忠実な表現かなと思うの。だから自然と情熱も注げる。 よりとはいえ、翌月の家賃が払えない! という緊急事態になったことも。 よりはるかちゃん 今の私のテーマは、信じること。勇気がいるんだけどそこを踏み込んだ時に新しい扉が開くのだと思います。実際ピンチのときにはいつも何かが救ってくれた。例えば経済的に大ピンチだったときに友だちに相談したら、「雑巾掛けがいいらしいよ」とアドバイスをくれて、さっそく水晶の周りをピカピカにしたの。すると、もうびっくりするぐらいのオーダー数が来て! 今月も生かさせていただいてありがとうございます、といつも感謝している。ーー今の生活は毎日が実験で、目の前の世界のメッセージを謎解きしながら行動に移しているという彼女。はるかちゃん とてもワクワクして楽しいけど、読み間違えたら本当にお金もなくなるし、生きていけなくなる。ピンチにはいつも勇気のいる決断が必要で。意を決し実行するとまたエネルギーが回って生きていける。道無き道をびびりながら一歩踏み出して、そしたら道があった! みたいな感じで日々実験しながら生きています。逗子の森で農園と共にある保育園。全田和也(まったかずや。以下じゃがさん)さんは、NPO法人ごかんたいそうの代表理事。2012年4月より逗子市披露山のふもとに『ごかんのいえ』という保育園、2015年4月からは披露山の森の中に『ごかんのもり』というパーマカルチャー農園を併設した保育園を開きました。©2018 NPO Gokantaiso.凸凹の更地を菜園教育の第一人者で、いまやじゃがさんの大親友となったパーマカルチャー安房(PAWA)代表のフィル・キャッシュマンさんをはじめとした仲間と手作りで自然と共生する暮らしの園を作り続けています (※以下『ごかん』とは、『ごかんのいえ』と『ごかんのもり』を含める)。写真は刈った草を積み上げて山を作ってトランポリンにしたり潜ったりして遊ぶ園児たちの様子。©2016 gokantaiso.じゃがさん 僕、経営の本とか読まないんですよ。そして、かなり身勝手な話ですが、ここ最近は、園児のことを自分の孫、そしてスタッフのことが子どものように思えてきて。だから「この子は共感力が強いことが素晴らしいけど、ややもすると、人を助ける時間が多くて自分の時間が少なくなっているんじゃないかな。自分の時間を大事にしてほしいな」と感じたら、岡本太郎さんの本『自分の中に毒を持て』を渡したりなんかして。思春期の娘に語るように『自分の時間を生きなきゃー』とかスタッフに言ったりします。だからある意味、鬱陶しいと思います(笑)。©増田茜というのも、例えばスタッフとの関係でいえば、僕は雇用契約上の関係だけで割り切れないし、『ごかん』を子どもたちやスタッフ、みんなが自尊心を誇れるような場にしたいんです。「誰の場所?」って聞かれたときにみんなそれぞれが「自分の場所」って言ってくれるのが理想で。それは、それぞれの個性を誇りながら表現できることが最終的には根の強い生態系になると信じているから。僕もその中のひとりとして、天真爛漫に自己表現をさせてね、って。だから一般的な会社や経営者の考え方からは外れてしまっていると思います。ーー自分のことをロジカルではないと言い切るじゃがさんだが、大学を卒業後に国の金融機関での勤務経験も。その後担当していた投資先のベンチャー企業に転職して地域の建物をリノベーションし新規事業のオペレーションなども行ってきた。さらには『ごかんのいえ』準備の途中で資金繰りが大変になったときは、広告代理店でも働いていたという。つまり論理や戦略的な予測を要求されるような職務を経てきたうえで、現在の経営方針に至っているのだ。じゃがさん いろいろな組織論とかもあると思いますが、僕はビジョンを持ったカオスがいいなって思うんです。もちろん個性があると喧嘩とかも起こって、進むスピードが遅かったりもするんですけど。でもなんか僕は同じような色の人ばかりのモノクロな場よりも、カラフルな社会のほうが全体として持続可能なたくましさを持つんじゃないかなって感じるんです。もちろん『ごかん』を作った当初は自分のやりたい世界観を表現しなきゃと必死だったので、ワンマンぽいところもあったと思います。人一倍表現欲も強いほうで、チャレンジしていきたい ”妄想” も尽きない。でもどちらかというと今はいろいろな人たちが予想外な動きをしているのを含めて自分の作品や表現となっているような感覚で。だから、こだわりもなくなってきました。もちろん変に遠慮するのもおかしいから一意見としては素直に発言しますが、だからといって僕の意見が絶対だとは思わないで欲しいし、みんなの意見をオープンに出し切ってほしいんです。©gokantaiso.ーーそして何ページにも渡る企画書を作ったり、クライアントありきでプロジェクトを進めるといったような論理的な戦略も立てないという。じゃがさん なんかそれって自分に言い訳しちゃっているような感じがして。むしろ初期衝動の『これがやりたい!』という熱量のほうが最終的には人に伝わるような気がするんですよ。この場所(ごかんのもり)も実は勝手に園児たちと遊びに入っていたんです。すごいいいところだなぁって。この自然の場にちょっとモダンな建物を建てて園児たちと自然と共生する暮らしができたらいいなと僕の妄想も広がっていって(笑)。そうなると根拠もお金も無いのに、やる前提で友だちとかスタッフに話していったんですよ。©gokantaiso.するとたまたま地主さんのことを知っている人がいたから、むりやり繋いでもらってご提案に行ったら『よく入って遊んでいましたよね』って言われて。すごく謝りました(笑)。結果、とても良い方でここを貸してくださって、いろいろ協力もしてくださることに。さらにその1か月後ぐらいに、資金的にも応援してくださる足長おじさんのような方も現れて。そのときは奇跡的なご縁が2か月の間に立て続けにやってきたので、少し怖くなって『こういうのってドラマでしか見たことがなくて、自分の人生で、いま目の前に起こっていることに現実味が無くて……。僕はだまされているんでしょうか? 』と思わずその人に聞いてしまいました(笑)。ーーこのように戦略的なレンズからではなく、予定不調和な奇跡の連続を通した場づくりを進めながら、日々まわりに生かされているんだと実感しているというじゃがさん。そして最近では、感謝というのは “される” よりも “する” ときのほうが何倍も心が満たされているという感覚が湧いているという。とはいえ、最後は誰かが助けてくれるから大丈夫という甘えの意識が生まれているというのでもない。保育料や月謝を極力抑えながら、いっぽうで、日々取り組む場の質を追求していくことを両立させるという道のりは正直険しい。一週間後の期限が迫りくる資金繰りで駆けずり回ることだってある。また『ごかんのもり』では東京まで働く人のために送迎バスも用意しているが、その経緯をたずねるとそれは全てが持ち出しからのスタートだった。© 2016 gokantaiso.じゃがさん 園が朝の7時半からなので、絶対に会社に間に合わない人がいるんです。その人たちが通えなくなるのは耐えられないなと思って。全然ロジカルじゃないんですよ(笑)。でも、そしたら北海道で中古のバスが見つかったんです。でも納車した初日、駐車場から出る際にいきなり、僕、ぶつけてしまって。園児たちを乗せるスライドドアのほうをガガガガガーッと大きく擦ってしまったもので、バスを待っていた保護者の方たちも不安そうにしてて。僕の運転が危なっかしいということもあって、今はシニアの経験豊富な方に運転をお願いしています。となると人件費はかかるけど、今のところバスの運賃はもらっていない。情熱で突き進んだ結果、金銭的に苦しむこともあります。でも後悔はないっていうか。義務感じゃなくて、心から自分がそうしたいと思ってやることが持続可能な運営の土台を作ったり、長い時間はかかったとしてもサポートしてくださる人たちの共感を積み重ねていけるのだと確信しているから。僕自身もすごくシビアなことが起こっても、しんどいけどどこかワクワクしている部分もあるんですよ。©今堀洋子上の写真は左から今回のご縁をつないでくれた保育士の増田茜さん、筆者、全田さん、園長でガーデナーである前田朋英さん(右)と『ごかんのもり』の前で。最後にじゃがさんの幸せとはなんだろう?じゃがさん 自分ひとりだけでおいしい三ツ星レストランのご飯食べるよりも、仲間と一緒に頬張るピザってすごくおいしいなって思うんです。それから一緒に話しているうちに落ち込んでいた人がいい表情をしたときは自分も幸せな気持ちになるし、スタッフのことを「最近、子どもができて、デレデレやんかー」と微笑ましく思ったり。なんかそういう感じを僕は求めているんだと思います。©gokantaiso.それが究極的には自分の生きている全てのような気もするし、そのせいかどんどん境界線が曖昧になってきているんですよ。所有とかお金とかの。奥さんはそれがちょっと怖いみたいですけど(笑)。みんながありのままで幸せであれる場を守りたい。だからベースとしてそれぞれが個性と自尊心を持てる場が存在することの大切さを痛感しています。僕は正直経営者的な意識はあまりないんですが、この場づくりが自分の生きる幸せだから無責任にはなれない。苦難の壁の矢面に立ちながら最後は大きな孤独とも向き合いながら決断をしています。保育士業界など全く畑違いのど素人から始めた僕の妄想と暴走にずっと辛抱強く付き合ってくれて、この場を一緒に具現化してくれたチームのみんな。彼らが「結婚したいな」とか「子どもを持ちたいな」とか「こんなテーマにチャレンジしたいな」と思ったとき、つまり5年10年先のことも考えて、彼らの生きがい、生活の保障や雇用環境の改善も常に目指しながら、サービスともビジネスとも違う第三の運営の場としての、子どもたちの暮らしの場を作っていきたいと思っています。SEE YOU!乳がんステージ4で起業した、N HEAD WEAR 中島ナオさんデザインの帽子を被って。もみあげや後頭部に毛があってもなくても気にならない。しっかりと、でも締め付けがなく温かく頭を包んでくれる。守られたような気分になるヘッドウェアは、かぶるとワクワクする! たとえ何かがそれを邪魔したとしても、毎日を楽しく過ごしてほしいというナオさんの願いとエネルギーが心と体に充満していく製品です。こちらのインタビュー記事は近日greenz.jpで掲載されるのでそちらもチェックしてもらえると嬉しいです。
2018年06月06日20代〜30代中盤は、仕事でもプライベートでも「このままでいいのかな」と迷いが多くなる時期です。急にこれまでの仕事がつまらなく思えてきたり「もしかして他に向いていることがあるのでは?」と悩んだり、「転職35年限界説(35歳以上になると急に転職が難しくなるという説)」を信じて、焦って転職エージェントに駆け込みがちなのもこの時期です。しかし、転職市場の現実を無視して、簡単に仕事を辞めてしまっては、後悔することにもなりかねません。今回は、仕事を辞める前に知っておきたい転職の現実についてご紹介します。「辞めてもどうにかなる」は本当?転職を成功させた女子は、「辞めてから考えたらいい」「転職35歳限界説は嘘。いくつになっても仕事はある」と言いがちです。それは真実でもあり、嘘でもあります。当たり前ですが、需要のあるスキルやキャリアのある人にとっては、何歳になっても転職は容易です。ですが、それ以外の人にとっては、年齢が上がるにつれて転職が難しくなる、というのは紛れもない真実なのです。年齢が上がるごとに、正社員での就職は難しくなります。簡単に正社員の仕事を辞めてしまって、非正規雇用になった場合、安定や高い収入は失われる可能性がでてきます。35歳〜44歳の非正規で働く独身女性の7割は年収270万円以下、という衝撃的なデータ※もあります。※参照「シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援」(明石書店)退職する前にしておくべき3つのこと「辞めたらどうにかなるよ」「仕事はいくらでもあるから辞めちゃえば」というのは無責任な発言です。転職を成功させたいなら、きちんと準備してから退職する必要があります。①理由を明確にするまず、退職前になぜ今の仕事を辞めたいのかを明確にしておきましょう。ここが明確になっていないと、せっかく転職しても二の舞になってしまいかねません。②平行して転職活動をする次に、仕事を続けながら転職市場を確認しましょう。できれば在職中に次の就職先を決めておくとよいでしょう。退職してしまってからだと、焦って納得がいかない会社に転職せざるを得なくなってしまう可能性があります。③最低3ヶ月分の生活費を貯めておく最後に、どうしても仕事を辞めてから仕事を探したい、という場合は、最低3ヶ月分の生活費を貯めてからにしましょう。自己都合退社の場合、3ヶ月後から失業保険が支払われます。失業保険は3ヶ月分受け取ることが可能なので、半年間という時間的余裕の中で転職活動を行うことができます。さいごに20代〜30代はまだまだ十分キャリアチェンジが可能な年齢です。自分の望むキャリアは何か、じっくり考えて計画的に転職活動を行いましょう。Written by 今来今
2018年05月30日「もう会社辞めて、早く結婚したい」私がOLとして働いていた頃、毎日このような事を考えていました。私は仕事も出来なかった上にシステム化導入による業務の簡略化で、どんどん仕事がなくなっていきました。仕事が減ると共に、どんどん将来に対する不安も増していきました。まるで全ての現実から逃れるように、私は婚活に逃げました。しかし私が本格的に婚活をした35歳以降の年齢で遭遇する男性の中には、今まで自分が「結婚するならこの人」と思うような学歴や職業に勤めている人はいませんでした。「自分が結婚できないのを棚にあげて、相手の学歴や職業で選ぶ権利など無い」と言われてもしょうがないかもしれませんが、当時の私にとって「ある程度名前の知れた企業勤務」「離婚歴なし」「大卒」は譲れない条件でした。しかし、私の年齢ではこのような男性と出会える事すら奇跡になります。結局、色んなことを諦めて「自分に声をかけてくれる人」という最低条件のみで活動せざると得なかった日々が続きました。はっきりいって地獄でしたが、それでも私は寿退社をして仕事を辞めたいと思っていました。今回は、そんな私が「結婚するまで、何が何でも仕事を辞めなかった」理由を紹介したいと思います。婚活で必ず問われる「何の仕事しているの?」の為婚活パーティーや合コンでは、必ず男性側から「何の仕事しているの?」と聞かれます。当時、私は仕事を辞めてフリーライターとして独立する道も考えていました。しかし、婚活で知り合った男性に「将来は、仕事を辞めてライターになりたい」といった途端怪訝な顔をされて音信不通になるという事が後を絶ちませんでした。「小説書くのが趣味」と言えば「小説って、変わった人が書くものだよ」と言って鼻で笑われた事もありました。企業に勤めるサラリーマンにとって、フリーランスの仕事や小説は「得体のしれない世界」だし、理解したくても出来ないんです。ライター業界の大変さを分かち合えるのは、Twitterで知り合ったライターの仲間達。友人に伝えても不思議な顔をされるのに、初対面の男性なんてもっての他でしょう。当時の私は、街中のビルの中にある企業に勤めていました。勤務先と場所を伝えると「凄い!都会のビルで働いている女性なんて、憧れだ!」と言われる事も多かったんです。彼らは、私という存在よりも「都会のビルで働くOL」というキラキラしたイメージに惚れていたんだと思います。その頃の私は、もう35歳も過ぎていたし「自分から、唯一イメージアップ出来るものを消してはダメだ」という思いで一杯でした。40歳手前で仕事を辞めた女性は「この人、何かあったのかな?」と思われそうで私がズルズルと転職に踏み切れないまま仕事を辞めなかったのは、自分にスキルが無くて自信がなかったからだと思います。今は結婚して仕事も辞めてから、資格勉強などに取り組む事ができているのですが、当時は「この年齢で仕事を辞めたら、もう次の仕事なんてないんじゃないか」と思ったからです。特に婚活パーティーでは、絶対にプロフィールカードに自分の職業や学歴を書かないといけません。ここで、自分の職業が何も書けなかったり怪しまれる職業だと不利になってしまうと思った事を覚えています。もう会社辞めたい・・・それでも私が結婚するまで仕事を辞めなかった理由まとめ私が結婚するまで仕事を辞めなかった理由は、結婚するまで「都会のOL」を売りにしたかったからだと思います。勿論、35過ぎた女性が「都会のOL」という肩書だけでは婚活が上手くいく事はありません。それでも、地方に出向くと男性側から目をキラキラされて喜ばれるんです。だから、きっと結婚って「その後の生活がイメージできるか」も大切なんだけど、男性側から「声をかけたい」と思われる人にならなければ声すらかけられないのだと思ったんです。今回は、私の非常につまらない独りよがりな婚活談義を話してしまい申し訳ありません。ただ、最近は仕事が嫌になるとすぐに辞めてしまう独身女性が多いように思うんです。まだ20代なら、いくらでもやり直しがきくのですが30過ぎると正直仕事も婚活も厳しくなってきます。もし、「仕事を辞めたい」「結婚したい」という思いがダブルで来た場合は、まず仕事を辞めてからの婚活プランなどを紙に書いたりして、具体的にイメージしておく事をオススメします。
2018年04月28日私筆者土居彩は14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへやってきました。英語も心理学もわからない私に奇跡が重なりバークレー大の研究室で学ばせていただいたり、街のさまざまな人に助けられ3年が経ちました。その大好きなバークレーを離れて、住所を持たない生活を始めることにしたんです。そのきっかけは大きくふたつあるのですが…...。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 71みなさんこんにちは!突然ですが、カリフォルニア大学バークレー校・心理学部で学ぶために長らく住んでいたカリフォルニア州のバークレー市を離れ、しばらく住所を持たない生活をします。ところで現在バークレーで住んでいる家は8人でシェアしています。ということもあってカルマを作らないために(笑)、次に私の部屋に住む人を責任持って決めてから出て行くことにしました。まずバークレー大の学生が利用するFacebookグループFree & For Saleで募集し(見よ、この私のテンションの高い投稿を! アメリカヴァージョンです笑)、すべてのやりとりを窓口となって行い(私の部屋は相場から考えると激安だったので、毎日何十通とFacebookメッセージが)オープンハウスをして一人ひとり面接し、契約まで立ち会って……。そしてついに次の入居者が決まりました! いい人が決まって、今はホッとしています。ハウスマネージャーもいまだかつてここまで徹底的にやってから退居する人がいなかったようで、「ものすごい、助かったよ!!」と笑顔で感謝され、最後に握手。どことなくクールでシャイな彼の笑顔を見たのは8か月間ここに住んでこれが初めてだったので、「やってよかったな」と心から思いましたね。自分の行き先はまだ決まらないけど、とりあえずは立つ鳥跡を濁さず!“ホームレス” を選んだワケ。さて大好きなバークレーを出て、住所を持たない生活をしてみようと決めたきっかけは、大きくふたつあります。ひとつめは、ヴィパッサナー瞑想合宿でボランティアをしたこと。12日間朝の5時半から夜10時まで80人分のご飯を作ってセッティングしたり、先生に食事を届けたり、合図の鐘を鳴らしたり、ダイニングホールやキッチンを掃除したり、生徒のみなさんのお問い合わせに答えたりしていました。男性と女性がわかれて奉仕するというルールがあるのですが、女性のキッチンサーバーは私ひとり。かなりの肉体労働だったので、肉体的にも精神的にも追い込まれました。ゴミ出しの合間に見る美しい風景にどれだけ救われたことか。©Tony Antonio Nateraとはいえ実は2日目の朝まではもうひとり女性サーバーがいたんです。彼女はメインディッシュを作るけれど、生徒さんが助けを求めてベルを鳴らしても一切応えない。皿洗い、ダイニングホールやキッチンの掃除といった後片付けはせずに、自室に帰ってしまう……という人で。キッチンマネージャーには愛想を振りまきますが、他の人たちを強い命令口調で、アゴで使うところもあって。5人の男性サーバーのうち3人に至っては「耐えられない」「気分がすぐれない」とキッチンに出てこなくなってしまったんです……。いまだかつてここまでの強烈キャラ、会ったことないよ!存在を含めて全否定される。そこで思い切って彼女に直接話してみました。心を込めて話せば、理解し合えるはず。「私ひとりでは力不足でできないから、できれば、後片付けを手伝ってくれないかな」と。すると大激怒されたのです。「私は奉仕の経験があなたよりもあるのよ! 今後バカなことを言ったり、質問したりするのもやめてちょうだい。私はキッチンでは聖なる沈黙を実践しているの。あなたの存在はその妨げになるのよ」と。ガーン、言った言葉だけじゃなくて存在を含めての全否定だよ。これからの10日間どうやっていこうかと思い悩んだ末、先生にインタビューの時間をもらいました。彼女の貴重な時間にわざわざ愚痴を聞いてもらいたいわけじゃないし、ありのままを正しく見るというヴィパッサナー瞑想を実践する人の前で自分を正当化するほどアホらしいこともありません。そこでゆっくり座って呼吸を整えてから、「どうやったら思いやりを持って働けるのか、そしてそれをどうヴィパッサナー瞑想に落とし込んで捉えたらいいのでしょうか?」とシンプルに質問します。自分の内面を整えると、世界が変わる。すると先生が言います。「山積みの仕事に追われて心がせわしなく落ち着かなかったり、人の心ない言葉や理不尽な態度に怒りや憤りを感じたりしたら、まずあなたの感覚を感じてみて。それは熱さ、冷たさ、硬さ、重さ、それとも麻痺した感じ? 今のあなたは実際にどう感じているの? 手と足は神経系が多く走っているから、感覚を捉えやすいと思うわ。そうやって感覚を研ぎ澄まし、加工したり抑圧せずに今そのままの感覚を受け入れていくとしだいに思考が洗われてきます。あなたの内側がクレンジングされていくと、おのずと外側の環境も癒されていきますよ」。大興奮して、「キッチンにいてもヴィパッサナー瞑想の実践なんですね! さっそくやってみます」というと先生がにっこりと微笑みます。「それからこれも大切。夜の慈悲の瞑想では、まずあなた自身に優しい気持ちを贈ってあげてね」と言われました。休憩時間を終えてキッチンに入り、「あの人またサボっている」と意地悪な感情が沸いたらそれを否定せずに受け止め、野菜を切る手の感覚に集中。「で、私なんで人生の瀬戸際にここでひたすら掃除しているんだろう?」と疑問を抱いたらそれを受け止めつつ、ほうきで床のごみを集めることだけに向き合ってみる。ティク・ナット・ハン師と過ごしたマインドフルネス瞑想合宿での実践を思い出します。そんなふうに過ごしているとマネージャーから彼女が合宿所を出て行ったことを知らされます。その後はより少ない人数になったことで、本当にみんなで助け合いました。助けられ続ける喜びと、その辛さ。実は女生徒さんのなかに塩を含んだものが一切食べられないという人がいて、彼女のためにスペシャル食も作っていたんです。いつものように彼女に食事を届けると、「ただでさえ忙しいあなたに余計な負担をかけてしまって、罪悪感を感じるわ」と言われてしまいました。「とんでもない! お役に立てるのは私の喜びなんですよ」と答えるけれど、彼女の心の痛みが伝わってきます。ただただ世話になることを受け入れるというのはとても有り難いいっぽうで、辛くもあるのです。会社を辞めてからそれを体験し続けてきたので、今はすごくよくわかります。実は彼女から食事の後の掃除を手伝いたいと何度か言われていたんです。でも生徒さんは瞑想に集中する必要があるので、お断りしていました。でもこの状況では何が正解なのかがわからない。そこでこのセンターに長らく住むという先生に相談してみることにしました。すると「彼女が心から手伝いたいというのなら、そうさせてあげなさい。昔センターは今ほど大きくなくて、普通の家のガレージだったんだよ。当時は奉仕する人間もすごく少なかったから、それこそこちらから頼んで生徒さんに手伝ってもらっていたんだ。だからそれが本当に彼女がしたいことなら、手伝ってもらいなさい」と。彼女がテーブルを拭きだすと、今度は無言で料理を一緒に片付けだす女性も現れて……。本当にいろんな人に助けてもらいました。女性側の先生をアシストする瞑想マネージャーのジェイも頻繁にキッチンに立ってくれました。歪んだモノの見方、誤解に気づく。今まで自分は人を頼るのが下手な人間だと思い込んでいたんです。頑張りすぎてしまうと。でもあるときテーブルを拭こうと清潔なクロスを取ったときに気がついたんです。「これをきちんと洗って乾燥機にかけて、畳んでここにおいてくれた人がいた。だから、私はこのクロスでテーブルを拭けるのだ」と。私の努力や頑張りは全て、必ず誰かの支えのもとで初めて成り立つことにようやく気がついたのです。ひとりぼっちで戦っている気分でいたとしても、何もひとりではできないのです。サポートを受けている自覚がなくても、生きるということは必ず誰かに助けられているということ。それを体験を通じて腹に落とした瞬間、言いようもない感謝の気持ちと、世界と自分に対する絶対的な信頼感が胸の奥から熱いエネルギーのような形で湧き上がってきて…。その力に圧倒され、もっと謙虚にならなければと思いました。そして自分が無意識に設定してきたコンフォートゾーン(自分が心地よいと思う領域)を超えたいと感じたのです。エネルギーヒーリングの世界。もうひとつのきっかけは、瞑想合宿から帰ってからのこと。バークレーの街を歩いているとどうしても気になる店があって入ってみたんです。『The Wisdom of Heart』という名前のお店で、ああいう経験を合宿でしたばかりだったので店名も気になって。中に入るとエンジェルカードやペルーの神木のパロサントを用いたお香、セージのスプレーなどが販売されています。するとオーナーらしき男性からまっすぐな目で「もしよかったら、これを受けに来なさい。初回は無料ですよ」と一枚のカードを渡されます。それはエネルギーヒーリングのセッションカード。©The Wisdom of Heart実はアンアンやハナコで編集者をしていた頃からエネルギーヒーリングやボディワークには興味があって、そういった特集を編集させてもらったり、さまざまな施術も受けてきました。けれどもアメリカに来てからはちょっと封印していたところがあって。ひとつは経済的な理由です。そして “スピリチュアル” とされるものの科学的な根拠をまずは学ばないと、広く深くは伝えられないはずだ、と意識的に遠ざけていたところもあります。そのうえヴィパッサナー瞑想を始めたことでプラクティスの方向性が異なる部分もあって中断せざるを得ないところもありました。©The Wisdom of Heartけれど、これも何かのご縁だとエミリオ(カードを渡してくれた男性。写真上)のセッションを受けてみたんです。彼はペルーのクランデロ(ラテンアメリカ土着の男性精神治療医、祈祷師)の末裔で、レイキ、エンジェルヒーリング、ビオマグネティスム、フラワーエッセンスなどさまざまなエネルギーワークも一緒に用いてヒーリングをしていきます。セッションの後で、これはすごいとわかりましたね。頭の中のザワザワが止んで、からっぽになるんです。ヴィパッサナー瞑想合宿8日目の夜にいつも抱くあの感じです。もっとわかりやすく言えば、夢の記憶がない朝、目覚めたばかりのちょっとまどろんでいるときのような感覚でしょうか。今の私は将来に対する不安でいっぱいなので、いつもどこかしら未来への漠然とした恐れとともにあります。ところがセッションの後はそれがスカッと飛ぶというか。抱えていた問題などがある意味どうでもよくなって、「なんとかなる」という世界と自分に対する絶対的な信頼感が増すんです。ちょっと危ないですか?(笑)。エミリオが言うには、自分は何も教えていないし、何も加えていない。ただ、私本来のエネルギーに戻るための手助けをしているだけだと。彼自身自分のことをヒーラーだとは捉えておらず、みんなそもそも自分自身を癒す力がある。自分は彼らのヒーリングの過程を助ける友達だよ、と。ではそれを踏まえると、そもそもの私は、根拠のない自信と好奇心が強い、ちょっとクレイジーな人間なのかもしれませんね、苦笑。「今後続けて行く場合はどれくらいの費用がかかるのですか」とたずねるとセッションは90分で$60〜100。その人の経済状態に合わせて一緒に決めていくのだそうです。非常に良心的な施術料です。それでも今の私には払えない。そこで「あなたのやっていることを考えるととても良心的な金額だと思います。すごいパワフルなのもわかる。今の私には難しいけれど、違った状況でいたら絶対に受けていたと思います」とお返事すると、エミリオは全部わかっている。「実は新しいヒーリングの技術もみなさんに届けたいと思っていて、その体験をして率直なフィードバックをくれる人が必要なんだ。週に二度、何度か受けてもらって、正直な感想や体験を教えてくれたら、研究の治験者のような形であなたに無料セッションをしばらく受けてもらいたいと思うのだけれど」と私が受け取りやすい形で助けることを申し出てくれたのです。私の答えは当然、イエス。そしてエミリオに「セッションで心をオープンにして、前に進むために自分を信じられるようになりたい」とリクエストしました。2度目のセッションの後でしょうか。「バークレーを出よう。旅に出よう」と強く思って、ハウスマネージャーに退去の意志を申し出ました。行き先も決まっていないのに、出るってどういうこと? 頭で考えてもわかりません。でもこれは瞑想中にも何度も思ったことと同じで、勇気が持てずに決められなかったこと。エミリオのセッション後には、その直感を信じてみようと強く思ったのです。直感を信じると、扉が開きだす。とはいえ「決めたはいいけど不安だな」と4度目のセッションを受けた後に「セッションルームを掃除させてもらえないか」と、恐縮するエミリオに頼み込みます。ギブアンドテイク信仰が染みついている私には、無償で与えてもらってばかりではエネルギーがうまく循環されない気がしたからです。すると掃除を終えて店を出た直後にエサレン研究所から連絡が。エサレン研究所とはスタンフォードの卒業生二人が始めたエッジィなスピリチュアルセンターで、雑誌ブルータスでCEOの方を取材させてもらったこともあるのですが、あいにくの天候不順で道路が閉鎖されており(太平洋を臨む崖の上にあるので)、当時訪ねることができず苦い思いをしました。振り返ればアンアン編集部に在籍していたころ、8年ほど前でしょうか。山川紘矢・亜希子ご夫妻に取材させていただいたときにも「あなたはエサレンに行ったほうがいいよ!」と言われたことがあったっけ。エサレン研究所へ。そこでバークレーを出ると決めてすぐ、働きながら1か月間住んで勉強するというプログラムがエサレンにあったので、志望動機エッセイなどのアプリケーションフォームを提出したのです。ところがエサレン側からの返事がこず、うなだれていました。それが無事に受け入れてもらえるとの連絡だったんです。そこでとりあえず1か月間は行き先が決定! あとは依然として真っ白ですが、笑。エサレン研究所で学ぶのは、生活のバタバタや人間関係のアレコレのなかでも体感覚を鋭くして体の声を聞きながらプレゼンス(存在感)を高め、自分の内側の声を聞く方法。驚くことに、これはエミリオから言われていた私の課題ズバリ。つまり「思考だけで人生をコントロールしようとする傾向があるね。体には独自の叡智があって、いつも私たちに語りかけているんだ。それを私たちは無視しがちだけど。だから肉体感覚ともっと繋がってみると驚くことが起きるよ! 体の声に注意を傾け、聞いて、対話し、感謝を示してみて」とずっと助言されていたのです。エミリオのエネルギーワーク中に、思考と感情のブロックが取り払われると、物質ではないもののはずなのに何か石のようなものが胸の真ん中から動いていく感覚がしたり、呼吸を用いて体のエネルギーを巡らせていくと、いつも冷たい手先足先がびっくりするほど熱くなっていくのを体感して、「すごい!」と感動していました。アメリカに来てから大学や研究機関の自然科学の世界では真理を追究するうえでの客観性の重要性を学び、計測、計算できるものだけを現実と認めると教わってきました。でも、それはあくまでも現実の一部。もしかしたら一番重要な部分ですらないのかもしれません。点が線になり始める。少しづつではありますがバラバラだった断片が繋がり始めました。バークレー大学では心理学の基礎と自分のなかに強いアカデミックコンプレックスがあったことを学びました。そしてUCSF Osher Center for Integrative Medicineという研究機関で体内感覚と感情の繋がりについての研究のお手伝いをしたきっかけで、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想の世界により深く入りこんでいって。その結果、感覚を鋭くすると信念体系が変わって外側の現実も変わることを実体験。エミリオのエネルギーワークではその感覚をエネルギーレベルで捉えることを経験させてもらいました。次はそれをどう実生活に落とし込んでいくかをエサレン研究所で学んでいく……。まだまだいろんなことが起こりそうで、ワクワクします。もっと言えばマガジンハウスに採用してもらってアンアン編集部で働いていなければ、今ここでこんなふうにみなさんとお話することもできなかったでしょう。全ては意味があって、ベストなタイミングに必要なことが起こるのだなと強く思います。それにはいいことも一見悪いこともあります。今後住所も持たないし行き先もはっきりしない。正直不安です。でも不思議といずれ全てが繋がって全体になるときがくるのだと信頼しています。SEE YOU!©Tony Antonio NateraInformationエミリオさんの詳しいインタビューはOur Giftismでも!『The Wisdom of Heart』
2018年04月07日私筆者土居彩はアンアン編集者時代に14年間勤めたマガジンハウスを3年前に辞め、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへとやってきました。奇跡が重なりバークレー大の研究室で学ばせてもらったり、街で暮らすさまざまな人々に助けてもらいながら"幸せ”について教わり続けています。さてアフルエンザとは、豊かさ(affluence)とインフルエンザのかばん語(混成語)で、”もっともっと欲しい病” のこと。私も心の穴を埋めるために物を買い続けていました。この病を癒やした結果、しだいにホンモノの喜びや本当の願いが見えてくるとか。その方法と私の体験をお伝えします。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 70“40歳独女”という言葉には、一定のイメージがあると思います。おそらくポジティブな印象よりも、同情を誘ったり、「痛いんだろうな……」と感じさせたりとネガティブなもののほうが多いんじゃないでしょうか。実際に私もそうでしたし、今でもまだこの言葉がタイトルに使われると正直少し嫌な気分になってしまいます。私がそうだったのは “こうあるべきだ” という世間一般の既成概念からズレているとダメだ、という考え方が自分のなかにあったからで。つまり「40歳の独身女性だったら、もっとちゃんと稼がなくちゃ」「パートナーがいないのは偏屈だから?」「親になったことの無い自分は未熟だ」など、人との比較のなかでしか自分という人間が誰なのか、何が自分にとって大事なことで、何が自分の幸せなのかがわからなかったからです。世間が考える幸せが自分の幸せのはずだと、そう信じ続けていたんです。アフルエンザ(Affluenza)という言葉があります。それは、豊かさ(affluence)とインフルエンザのかばん語で、”もっともっと“ と物質的な豊かさを執拗に追い求めて、使いすぎや負債、不安、無駄遣いに陥ってしまう社会的感染症のこと。ひらたく言えば、”もっともっと欲しい病” です。このアフルエンザには、物質的な豊かさが幸せの中心にあるいう考えが根底にあります。私は洋服やアクセサリーが好きです。といっても今持っている全ての衣服は10着ほどで、スタメンはこの布バッグとポシェット。スウェードのミニポシェットはBAGGUというカリフォルニア発のブランドのもので、どんな洋服ともよく合うのでとても気に入っていて、持つとハッピーな気分になります。日本で編集者をしていた頃は今とは全く違って、月に10着ぐらいは新しいものを買っていたのではないかと思います。装いに気を遣っていたのは服が単純に好きだったり、会社や雑誌のイメージを損なわないようにというプロ意識ももちろんありました。けれども、クローゼット一杯の高級衣服やバッグのなかにはタグがついたままで一度も着ていないものもあって、自分の心の底にある穴を埋めるためにオンラインショッピングで流行のものを買い続けていたというのも事実。お金を稼いで物を持つという成功概念に完全に囚われていたんです。振り返ってみれば、当時の私もアフルエンザにかかっていたのだなと思います。心理学者によると私たちがアフルエンザにかかってしまうのは快楽順応(hedonic adaptation)のせいだとか。つまり私たちは感覚的・生理的変化に適応するようにできているので、結婚、転職、異動、またはショッピングなどでいっときの幸せを感じたとしても、しだいにそれに慣れて幸福感も薄れ、気づけば当たり前になってしまうというのです。その結果、“もっと、もっと” と新しい刺激(快楽)を求め、永遠に幸せに到達できないゴールのないトレッドミルを漕ぎ続けることに。幸福心理学の権威である社会心理学者ソニア・リュボミアスキー教授は、この快楽順応には二人の犯人がいると考えています。ひとり目は上昇願望。ファストファッションの世界では一年は4シーズンではなく、52シーズンもあるのだといいます。つまり新しいアイテムを買っても1週間もすれば流行に遅れている気分にさせられてしまう仕組みになっていて、「もっともっと欲しい」気分に拍車がかかります。ガジェットなんかもそうですね。新しいバージョンがでると古いものはとたんに値段が下がって、やがて見向きもされなくなります。私の例を出すと、学生生活を送っていた昨年は認知症の女性の家に朝食のお世話と交換で居候させてもらっていました。庭への通路も兼ねた部屋だったので、プライバシーはほぼゼロ。いっぽうで今は家賃を払いながら7人のハウスメイトと一軒家で暮らしています。この部屋は、個室に鍵があるので入ってしまえば自分ひとりの世界。写真の家具はすべてスリフト・ストアという古着や家具を寄付で集めて再販し、収益を慈善事業にあてるという小売店で買いました。あやうくホームレス寸前だったので、部屋が見つかったときは天にも昇る気持ちでした。ところがバスルームに隣接しているために深夜、早朝に関わらず誰かがシャワーに入るたびに部屋が揺れるほどの騒音が。共同のバスルームは大惨事で、ハウスメイトのクマ柄のトランクスが脱ぎ捨てられていることもしばしばです(笑)。「あぁ、自分の清潔なバスルームがある、静かに集中して資料を読んだり文章が書ける部屋に越したい!」と切望しながらも、そういう場所に引っ越せたらまた何か新しい欲求が出てくるのだろうなと。「足るを知りなさい」と自喝しつつも、以前東京で暮らしていた頃の生活を懐かしんだりして。でも洋服の例で考えてみると、実際は多くのものがなくても案外平気なものです。そもそも洋服を減らすつもりは無かったのですが、部屋にあるのは80cmの収納スペースのみ。必要に迫られて減らし続けていくと、結果本当に着たいものがわかってきたり、朝の準備も格段にスピードアップ。今もこの部屋で暮らしながら、自分が譲れないポイントが何かを見つめ直しています。ちなみに家の話で言えば、家賃が恐ろしく高い私が住むベイエリアでは、こんな組み立て式の移動ハウス・Tiny House(タイニー・ハウス。小さな家)で暮らすミレニアル世代(1980〜2000年頃に生まれた人々)が現れ始めました。家賃のために働くばかりの生活から、少し働いて楽しめる人生を送ろうという新しい価値観の人たちが登場してきたのです。アフルエンザの二人目の犯人は、人と自分を比べること。このところ瞑想合宿で一緒になった女性からしばしば電話がかかってきて、“40歳を目前にした漠然とした不安”について延々と語られ、毎日の不満をぶちまけられるようになりました。このあいだも「就職先が決まったけど、最高とはいえない」という話だったので、「ひとまずおめでとう! 希望して転職したということだけど、前に働いていた場所と比べたらどうなの?」と聞くと、前よりは好条件だけど、歯科衛生士の自分は歯科医と比べるとみじめな状態だと。話題は変わって彼女のフィアンセのことになり、花束が家に飾ってあったのでサプライズ的な贈り物かと思って感激したら、「それは隣人のお葬式のために用意したものだよ」と言われ、「1か月ぶりの再会で、それって、酷くない? 別に何かギフトが欲しかったってワケじゃないけど」と、彼への不満が延々と……。30分以上愚痴を聞き続けた後、「まず仕事のことだけど。私は働くためのビザが無いから、アメリカでは就職できないの。だからアメリカで働けるあなたが羨ましいわ。私の今の生活費は貯金を崩しながら、あとはたまに書く原稿料でまかなっている。それから、お隣のお悔やみ用に花を用意する彼って素敵じゃない。というワケであなたの論理でいうと、私って最高にみじめってことになるって気づいていた? あなたよりも年上で、稼げず、パートナーもいない。確かに8人暮らしで、ヒドイ状態で暮らしている。ところがどっこい、今の私は幸せなの。これは自分でも予想外だったんだけど。伝えたいことを書いて、それを誰かが読んでくれるって素晴らしいことだから。あなたは何を一番大事にしているの?」とストレートに聞いたんです。彼女はしばらく無言になったあとに、「彼と旅行に行きたい」と一言。「だったら旅のプランを立てなきゃね!」と言って電話を切りました。実体験から「もっと〜でなくちゃ」という思考がなくなると、自分にとって本当に大事なものに段々と気づけるようになってくると感じます。でもそれは周りの人から見ると、うまくいっていない状態だったり、変わり者に見えるかもしれない。だから、そこは踏ん張りが必要です。なぜなら私の場合「でなくちゃ」が叶った先にあったのは、案外ホンモノの願いや本当にやるべきことじゃなかったりしたので、これからは自分の人生にしたいなと思うからです。「でなくちゃみこし」をワッショイ!ワッショイ!と担いでいた私にとってある意味、40歳になったことは緊張が解けるターニングポイントになりました。というのも昨年から今年にかけてでしょうか。ちょうど周囲の友人たちがラストスパートの出産ラッシュを迎えたんです。彼女たちを祝福し続けるうちに「もう子どもを持つ人生は私には無いかもな。親に孫の顔を見せてあげたかったし、私も欲しかったけど……。ま、それもアリかな」と自分なりの生き方を受け容れられるようになってきたのです。バークレーのスピリチュアルセンターでスワミ(インド哲学の先生)が「私たちの本質は、肉体でもなく思考でもなく感情でもない」と無償で教えてくれたり、サンフランシスコのコーヒーショップで作家のジェイに突然話しかけられて「本当の答えは外側ではなく、あなたの内側にある」と言われたときは、わかったようなわからないような状態でしたが、今はなるほどなと思います。とはいえ、心はどうしても揺れ動くものなので、頭ではわかっていても「今のままの自分でOK」といつも行動できるかどうかはまた別の話。だから今でもかなりバカな考えにトラップされることもあるけど、前よりはだいぶマシになったように感じます。だから、今実際になってみれば40歳独女っていうのも、そんなに悪いものじゃないですよ、フフフ。スワミのお話記事はこちらをどうぞ。作家ジェイのお話記事はこちらをどうぞ。アフルエンザ予防のためにと極端に走って消費活動全般がいけないこと、と一切のショッピングを断っていた時期もありましたが、それも自然な私じゃない。なにごともやりすぎは禁物です。だから今は本当に必要で、着ていて自分らしく幸せな気持ちでいられるものを少しずつ買い足しています。物を増やしすぎて身動きが取れなくならないように、ひとつ増やしたらひとつ手放すという作業を繰り返しながら。先日はもはや継ぎはぎだらけになるまで愛用していたYAECAのオックスフォードシャツが着るたびビリビリに破れてしまうので、ついにXiRENAというLAをベースにしたブランドのシャツと世代交代。日本の桜を思って、淡いピンク色を選びました。もうしばらくすれば、日本はいよいよ満開の桜でしょうか。みなさん、私のぶんまで楽しんでくださいね!SEE YOU!
2018年03月16日離婚理由には様々なものがありますが、意外と多いといわれるのが、夫の収入に対する不満です。「結婚後会社を解雇され生活できない」「会社を辞めたあと働こうとしない」「給与が下がり生活できない」などの理由で、妻が旦那に対し愛想をつかし、「三行半」を叩きつけることがあります。このような場合、第三者から同情される一方で、「夫が働けないなら妻が働けばいいじゃないか」「どうして一緒に苦しみを乗りえようとしないんだ」という批判の声も。そもそもこのような、「旦那が働かない」というような理由は離婚事由として認められるのでしょうか?高島総合法律事務所の理崎智英弁護士に見解を伺いました。 ■仕事をクビになって働かないケースは離婚事由になる?「まず、配偶者が仕事をクビになったというだけでは離婚することは出来ません。ただ、クビになった後も次の仕事に就かず、働く気すら見せないような場合であって、預金も底をつき、他の配偶者の稼ぎだけでは生活費が足りず、日常生活を送ることすらままならなくなっている場合には、もはや婚姻関係を継続していくことは困難と言えますので、離婚事由になり得ると考えます」(理崎弁護士) クビに「なっただけでは」離婚することはできませんが、働く気を見せず預金も底をつき日常生活を送ることが難しい場合は、離婚事由として認められる可能性が高いようです。 ■給与が下がった場合は?「給与が下がったというだけでは離婚は出来ません。さらに、給与が下がって生活費が足りなくなって、それまでと同様の生活を送ることができなくなった場合であっても、夫婦は相互に協力し扶助する義務を負っているところ、一方の配偶者の給与の減額分を他の配偶者の努力によって埋めることもできますので、基本的には給与が下がったという理由では離婚は出来ません。ただ、給与が下がった理由が、配偶者が会社で悪いことをして懲戒処分を受けたなどその配偶者の責任によるところが大きい場合には、別途、離婚事由になり得ると考えます」 給与と離婚事由の関係をお分かりいただけたでしょうか?一口に「働こうとしない」「給与が下がった」といっても様々なケースがあり、それによって認められるか否かの判断も変わってくるようです。夫の収入による離婚を考えている場合は、詳しい弁護士に相談することをおすすめします。 *取材対応弁護士: 理崎智英(高島総合法律事務所。離婚、男女問題、遺産相続、借金問題(破産、民事再生等)を多数取り扱っている。)*取材・文:櫻井哲夫(フリーライター。期待に応えられるライターを目指し日々奮闘中)【画像】イメージです* よっしー / PIXTA(ピクスタ)
2018年03月07日サンフランシスコ発の人気ベーグル&デリカテッセン「ワイズ サンズ トウキョウ(WISE SONS TOKYO)」が2月26日、東京・丸の内、丸ビル地下1階にオープン。アメリカでも美食の街として知られるサンフランシスコで、食べることをこよなく愛する創業者のエヴァン・ブルームと、幼馴染みのレオ・ベッカーマンの 2人が「どこよりも美味しいパストラミ」、「本格的なベーグル」、「心がよろこぶデリフード」をキーワードに2010年、開業したワイズ サンズ。フードトラックやファーマーズマーケットでの出店から始まった同ブランドは、現在ではサンフランシスコ・ベイエリアに5店舗を展開する人気店に成長。今回6店舗目となる「ワイズ サンズ トウキョウ」は、海外1号店。地元サンフランシスコで人気の上質なベーグルやパストラミを、手軽に食べられるモーニングから、ランチセット、ティータイムのスイーツまで、時間帯に合わせたメニューは、サンフランシスコ本店のレシピを忠実に再現した。内装は、本店の雰囲気を踏襲した温かみのあるデザイン。店内には本店同様、ワイズ サンズを象徴する3つのデザインが施された。店内右側の壁に描かれた壁画は、サンフランシスコに拠点を置く画家、エイモス ゴールドバーム(Amos Goldbaum)の作品。サンフランシスコの街並みと日本の象徴である富士山をオマージュし、サンフランシスコと日本の融合を表した。そして、店内正面にディスプレイされた写真は、同店を支える人々に敬意を込めて、従業員やそのファミリーが写る。また、ニューヨーク生まれの柔らかいタイプではなく、しっかりとした歯ごたえが特徴の、伝統的な製法で作る本格的なベーグルを西海岸で提供しているという信念の意味からカリフォルニア州の旗を全店に掲げる。店内では、デザイン性に富んだオリジナルグッズも販売。仕事でもプライベートでも活躍するクリアボトル(1,400円)や、タンブラー(2,500円から)、WISE SONS コーヒー豆(1,200円)など、数種類が揃う。自分用はもちろんプレゼントとしてもおすすめ。【店舗情報】WISE SONS TOKYO(ワイズ サンズ トウキョウ)オープン日:2月26日住所:東京都千代田区丸の内 2-4-1 丸ビル B1F時間:平日 7:30~21:00、土日祝 8:30~20:00席数:42席
2018年02月28日日本初進出となるサンフランシスコで人気のデリカテッセン「WISE SONS」(ワイズ サンズ)が2月26日(月)、東京・丸の内にある丸ビルB1Fにオープン。「WISE SONS TOKYO」では、モーニングやランチなどサンフランシスコ本店で人気の味を日本で味わうことができる。手作り&ローカルフードにこだわった「WISE SONS」本店アメリカ・サンフランシスコにある「WISE SONS」本店では、パストラミやコーンビーフ、ベーグルなど、可能な限り全ての材料を手作り。料理を通じてローカルフードの魅力、そしてオーナーのルーツでもある伝統的なジューイッシュ料理の魅力を伝えている。そして「WISE SONS TOKYO」でもそのスピリットを受け継ぎ、人気の味を再現。手軽なモーニングメニュー(テイクアウトのみ)、ランチBOX、スイーツなど多様なシーンに合わせて商品をラインナップ。WISE SONS名物「ベーグル」は必食!アメリカ西海岸を代表する「ベーグル」はシンプルな原材料を使い、モルト(麦芽)を加えたお湯でゆでた後、黄金色に焼き上げる。トッピング(セサミなど)は裏表にしっかりとまぶすのがWISE SONS流なんだとか。噛み応えもしっかりとあり、噛むたびにモルトの風味が広がるのも特徴。WISE SONSオリジナルブレンドのコーヒーは毎日でも飲みたくなる、なじみのよいテイスト。もちろんベーグルとも相性バツグンで、まさに朝食にふさわしい味わいだ。ベーグルは全5種類。そのままで食べるのはもちろんのこと、様々なフレーバーのシュミア(クリームチーズ)やトッピングを自分好みに選んで、自分流にカスタマイズするのもおすすめ。オーナーのこだわりが詰まった絶品「パストラミ」さらに外せないのは、オーナーのエヴァンとレオがこだわり抜いた「パストラミ」。ジューシーで脂と赤身のバランスのよいパストラミはブレンドしたスパイスに漬け込み、ウッドチップで丁寧にスモーク。マイルドな酸味がクセになる一品。オーナーのエヴァン・ブルームにインタビュー2月26日オープン当日、WISE SONS TOKYOに駆けつけた本店オーナーのエヴァン・ブルームにインタビュー。忙しい東京の人々にどのようにお店を利用してほしいかと訊くと「毎日気軽に利用してほしいんだ!」と話すエヴァン。「朝はベーグルとコーヒーで手早く朝食をとって、ランチは手作りのデリ。夜はサンフランシスコのIPA(ビール)を飲んでゆったりしてほしいよ。サンフランシスコのデリは朝~夜までオールデイダイニングのお店が多いから、東京の人たちにもそのようにいつでも利用してほしいね」。また店の名前「WISE SONS」の由来について訊くと、エヴァンは「『飲食店を開きたい』と両親に伝えたとき、とても反対されたんだ。それは賢明な(WISE)判断ではないよ、と。だから僕はあえてそれを皮肉ったように“賢い息子”と名づけることにしたんだ。いまでは幸運なことに、東京でもお店をオープンできたし、お店を開いたことはよかったと思ってるよ」。「WISE SONS TOKYO」では、デリのほかWISE SONSオリジナルグッズも販売。地元・サンフランシスコで愛される絶品フードを味わってみてはいかが。■「WISE SONS TOKYO」(ニューオープン)店舗:東京都千代田区 丸ビルB1F営業時間:平日 7:30~21:00土日祝 8:30~20:00※オープン日は11:00~※モーニングメニュー(7:30~11:00)はテイクアウトのみ(text:cinemacafe.net)
2018年02月26日こちらアメリカの2017年トレンドメニュー「アボカド・トースト」。原価のわりに値がはるので、これをやめなければミレニアル世代は家が買えないと警鐘を鳴らした億万長者もいたほど大ヒット。今ではオシャレなカフェの定番メニューになっています。けれどもサンフランシスコの現実と照らし合わせて見れば、そう簡単にはことは運ばなさそうで……。考察してみました。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 69みなさんアボカド・トーストのことをご存知でしょうか?その名前の通りズバリ、潰したアボカドを塩こしょうとレモンジュースで和えたオープンサンドのこと。こちらアメリカにおける2017年のトレンドフードだったこともあり、わたしが住む西海岸ベイエリアでは多くのカフェや人気レストランの定番メニューとなり、半熟ゆで卵やサーモン、トマトやフェタチーズなどをアレンジした、お店それぞれの趣向を凝らしたアボカド・トーストが食べられます。例えば『Blue Bottle Coffee』ではシソふりかけ(!!)が和えられたシンプルなアボカド・トーストが9ドル。4.5ドルのラテを一緒に注文すれば、税金(カリフォルニア州税が9.25%)とチップ(15〜20%)を合わせて合計18ドル程度になります。つまりトーストとラテで2000円するわけですね。家が欲しけりゃアボカド・トーストをやめよ、という億万長者のアドバイス。ところで1980〜2000年頃に生まれた人を「Millennials(ミレニアル世代)」と呼ぶのですが、オーストラリア人億万長者のティム・ガーナー氏(彼自身もミレニアル世代)が『60 Minutes』という番組のなかで、ミレニアル世代は流行りのアボカド・トーストを買うのをやめなければ「自分の家を持つことができないぞ」と警鐘を鳴らし、節約を促しました。じゃあ、やめればサンフランシスコに家が買えるのか?ところがParagon Real Estate Groupの調査によれば、2017年5月の時点でのサンフランシスコで販売されている家の中央値は150万ドル(1ドル110円で計算しても、約1億6500万円!)。高級住宅に限り、じゃないですよ。中央値(median price)が、です。つまりアボカド・トーストとラテを8万3334回やめればサンフランシスコに家が買える計算になり、1年が365日だとすれば毎日食べていたとしても229年かかります。人間の平均寿命を考えると、アボカド・トーストを止めたところで家は買えないというわけです。年収1000万円以下が低所得者になり、2018年7月の時点で最低時給が15ドルになるという異常バブルなサンフランシスコですが、当然アボカド・トーストを注文できない人もたくさんいるわけで、いったいアメリカでは何がどうなっているというのでしょう?トップ0.1%の人たちがその他の200倍稼ぐ。INEQUALITY.ORGより経済貧富格差が大きな問題になっているアメリカですが、上の図はカリフォルニア大学バークレー校が2015年度の全米における世帯年収を調査したグラフ。これによるとアメリカの世帯年収トップ10%の人たちの平均所得は、その下90%の9倍以上。さらにはトップ0.1%の人々は、ボトム90%の人々の約200倍も稼いでいることになります。また世界最大のヘッジファンドBridgewater Associatesの創設者であるレイ・ダリオ氏によれば、トップ0.1%の人たちの世帯年収の合計は、ボトム90%の合計と同額なのだとか。つまり、たった0.1%の超富裕層の収入合計とそれ以外のほぼ全員の収入合計が変わらないというのです。つまり、サンフランシスコの所得1000万円以下が低所得者という話もこれに当てはめれば、ものすごく稼いでいる人が平均値を大幅に上げていることは確かで、どうやら過半数の人が1000万円以上の年収があるという話ではないのです。ところで上の動画は昨年観たマイベスト映画、ショーン・ベイカー監督の『The Florida Project』(フロリダ・プロジェクト。日本公開2018年5月予定)のトレーラー。この監督は他作品もiPhoneで撮ったりと低予算で実験的なことをやっていて、個人的に注目しています。さてこちら『Florida Project』では世界最大のアミューズメントリゾートである『ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート』がある、フロリダ州が舞台。『マジック・キャッスル』と呼ばれるモーテルにシングルマザーの母と暮らす6歳の女の子の目線で見た貧困層の人々の暮らしが描かれています。モーテルで暮らすなんて、アパート生活よりも割高では? と一見思えますが、きちんとした定職が無かったり、犯罪歴があったりすると入居審査に落ちてしまうので、結果こういうモーテル暮らしになるワケです。バイト生活者も利用していたフード・バンク。この映画のなかに賞味期限スレスレの食品を企業やスーパーからの寄付を受けて配給するフード・バンクの車が出てきます。映画を観ながらふと、サンフランシスコのヘイト・アッシュビーで暮らしていたころにハウスメイトの女性が毎週末『Haight Ashby Food Program』というフード・バンクの列に並んで、オーガニックスーパー『Whole Foods』や『Trader Joe’s』のパンや果物、惣菜を持ち帰っていたことを思い出しました。日本で暮らしていた頃はこういう配給を受けるのは相当な生活貧困者だろうと思っていたのですが、そうでもなかったんですよ。20年以上サンフランシスコで暮らすという30代の彼女はオシャレな花屋に勤めながらこちらの短大であるシティ・カレッジで何コマか授業を受けていました。彼女にはアルバイトとはいえど毎月収入がありましたが、家賃を払ってたまにカフェに行ってというので生活がやっと。「ここ数年の家賃の異常な値上がりで普通に生活できない」と、彼女のように今までサンフランシスコで暮らせていた人たちも生活がどんどん厳しくなっています。実際に彼女とハウスオーナーと3人で暮らした写真の家は昨年秋に売りに出され、オーナーは北カリフォルニアに引っ越しました。そこはサンフランシスコで初めて自力で問い合わせて住めた家だったので、売り出しの看板を見た途端、想い出が失われるようななんともいえない気持ちが。「サンフランシスコは、もう俺の知っている街ではないよ」と最後に言った、その家で生まれ育ってきた50代後半の彼の言葉は、忘れられません。どうやっても家は買えない。だから、買うことができるたまの贅沢としてヒップなトーストとサードウェイブコーヒーを楽しむという姿勢は、たしかに刹那的ではあります。でも実際にベイエリアで暮らすミレニアム世代を見ると、それはある意味彼らの厳しい現実における自然選択なのではとも思えるのです。SEE YOU!
2018年02月23日ユーモアがスキルだとみなされ、社会的な評価を左右するというアメリカ。米CEOの98%がユーモアのセンスがある人を採用したいという調査結果があったり、大統領候補だって選挙戦での支持率を上げようと深夜のバラエティ番組でウィットに富んだ素顔を見せるほどです。心理学研究によればユーモアは4種類に分類できますが、日本とは違いアメリカでは少し気をつけなければいけないものも。こちらの人気トークショウや心理学の研究結果、実体験に基づくエピソードを紐解きながらお伝えします。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 6898%の米CEOがユーモアのある人を採用したい。短期インターン先でお世話になった社長に「勤勉でユーモアがあるから」という理由で就職を打診してもらった際に、ユーモアのセンスが重大な採用基準になるというのも「ジョークじゃないか」と思いましたが、どうやらアメリカではそうではないようです。バークレーの講義でも、人気教授の授業では10分間に1回の割合で生徒を笑わすポイントがありました。英語がよくわからない私にとっては「何がおもしろいの?」と隣の席の人に教えてもらったりして、むしろナーバスになってしまうひとときでしたが……。ユーモアがスキルとみなされ、社会的な評価も左右するというアメリカ。人材会社のHodge-Cronin and Associatesの調査結果によると、737名のCEOのうち98%がユーモアのある人を採用したいといいます。さらには84%が、ユーモアのある人のほうがいい仕事もするとも考えているのだとか。長年ユーモアについて研究してきたカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のディビッド・アブラミス博士によれば、仕事に笑いを見いだせる人のほうがよりクリエイティブで生産的な仕事が出来、意思決定力があり同僚とうまくやっていけるとか。遅刻や病欠もユーモアのセンスが無い人よりも少ないとのことです。ところでユーモア研究の権威であるロード・マーチン博士は、ユーモアには以下の4タイプがあると分類しています。4つのユーモア スタイル1. Affliative humor (親和的ユーモア)冗談を聞いた人誰もが傷つかず、「おもしろい」と思えるたぐいのもの。目的は相手を笑わせたり、冗談を言い合うことで、他者との結びつきや仲間意識、幸せを深めること。妙な声色を使ったり、顔芸やダジャレもこのたぐいです。例えば短期インターン中に、社長のワークスペースがデスクから床に至るまで資料がダイナミックに散乱していたので、思わず唖然とした様子で見ていたら、睨みを利かした社長に「なんだね?」と言われてちょっと気まずい雰囲気に。機転をきかせて「……なんというか、美術家ジャクソン・ポロック的ですね」と返事したらお互いニヤリ。衝突を避けられたということがありました。ちなみにジャクソン・ポロックの絵の具缶から直接絵の具を滴らせて描くアクション・ペインティングとはこんな様子です。彼のワーキングスペースがどんな様子だったか、想像がつきましたか?(笑)。2. Self-enhancing humor (自己高揚的ユーモア)不都合なことが起こったり、ストレスフルな状況下で自分を寛大な態度で笑うというジョーク。映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公の態度はこれの極地ですね。3. Aggressive humor(攻撃的ユーモア)からかいや嘲笑など他者への批判を含んだユーモア。暴力的な冗談です。下の動画は、「レイト・ショー」というアメリカの人気バラエティトーク番組のひとこま。たくさんのアメリカ人が見ている深夜番組ということもあって、大統領候補なども出演し、笑いをとって国民の好感度を高めることで選挙戦での支持率を増やそうとしたりします。日本の首相候補がそんなことをするなんて、ちょっと想像もつきませんよね。さて、このなかでホストのステファン・コルバートが大統領就任後のトランプ氏を「あなたは、POTUS(The President of The United Statesの略。アメリカ大統領の意)ではなく、BLOTUS(Biggest Liar of The United Statesの略。アメリカ最大のペテンの意)だ!」となじったうえで、「あたまをひっぱたかれたゴリラが手話をしているみたいに話しますよね」と言って視聴者から笑いをとっています。これは代表的な攻撃的ユーモアの例です。4. Self-defeating humor(自己卑下的ユーモア)自分のことを ”かわいそうな私“ と攻撃的な形で貶めて笑いをとるもの。いわゆる自虐ネタです。ウディ・アレンは、この手のジョークの神だと私は崇拝しています。北米文化圏のアメリカ人やカナダ人を治験者とした心理学の研究結果では、1と2は好意的に受け取られるいっぽうで、3と4はひんしゅくを買ってしまう恐れがあるとか。当然ユーモアがどれに分類されるかは、冗談を言った場面、発言者の状況、相手の受け取り方などによって変化します。ということは文化の影響もたぶんに受けるわけで、確かにアメリカで暮らすうちに ”笑ってもらえる“ ジョークと ”笑えない” ジョークが日本とアメリカで違うなぁと実感するのです。特に自虐ギャグは、要注意です。例えば瞑想合宿に行ったときに自己紹介をし合う機会があり、社長のときと同じくアメリカ人アーティストを用いて「言うならば ”宙ぶらりんの女” というところでしょうか。アメリカ人ノーベル文学賞受賞作家ソール・ベローの『宙ぶらりんの男』になぞらえまして」と答えると、ドン引きされてしまいました。「あなた、大丈夫……?」という感じで(笑)。謙虚さが美徳とされる日本では「私は傲慢な人間ではありませんよ」という意思表示にもなる自虐ネタですが、アメリカでは ”かなり自己価値の低い、無能な人“ とみなされてしまう恐れがある様子。使い方を十分に気をつけたいところです。北米文化圏の人が高めたがる、”self-esteem”って?というのもこちらでよく使われるself-esteem(セルフ・エスティーム)という言葉あるのですが、それは自分のことをポジティブ・ネガティブの両面からどう捉えているのかという自己評価のこと。アメリカでは ”高いself-esteemを持つ(=自己評価が高い)” 人のほうが優れているという共通認識があります。このself-esteem信仰が加速したきっかけはというと、カリフォルニアでは1987年に州知事のジョージ・デュークメジアンがself-esteemが児童に及ぼす影響を研究するため245,000ドルもの年間予算を割いたのですが。その結果、高い自己評価を持つことこそが、よりストレス耐久力がある子どもを育み、社会問題を癒やすと強調し、「self-esteemを高めよ!高めよ!」と子育てや教育の現場でも取り入れられてきたのでした。「その弊害なのでは?」と日本人の私は感じるのですが、大学の授業中でも課題図書を読んでいないのがバレバレな状態で、堂々と挙手して的はずれな意見を自信満々な様子で言いながら切り抜けるという学生たちを見かけました。しかも教授はそれに対して決して否定的なコメントをせず、「ナイス!」とむしろ授業への積極的な態度を評価するのです。SOUCE: Adapted from Hene&Hehman, 2003. From Gilvin, Keltner, Chen &Nisbett’s『Social Psychology 4th Edition』(W.W.Norton&Company).これは文化間によるself-esteemスコアの違いを表したグラフです。一番左から、●日本で暮らす日本人●海外に行って北米文化に触れたことのある日本人●カナダに暮らして7年未満のアジア人(日本人以外のアジア人も含む)●少なくとも7年以上カナダで暮らすアジア人(日本人以外のアジア人も含む)●アジア系カナダ人二世(親がアジアからの移民)●アジア系カナダ人三世(祖父母がアジアからの移民)●ヨーロッパ系カナダ人の順番になります。後半アジア人全てをひとくくりにしているところがいささか乱暴だなとも感じますが、右にいくほど、つまり北米文化の影響を受けるほどにself-esteemの値が高くなり、アジア系三世とヨーロッパ系カナダ人のスコアはほとんど変わらないことがわかります。アメリカではなく隣国カナダの研究結果ですが、北米文化に触れるだけでself-esteemの高さが変わるというのです。ほかにもカナダ人は一度目の業務を成功したほうが二度目の業務に長時間取り組むけれど、日本人は一度目の業務を失敗したほうが二度目の業務に長時間取り組むという研究結果も。その理由はカナダ人(self-esteemの高さと個が重んじられる北米文化圏の人)は失敗したことを再認識すること(=self-esteemが下がること)を避けるけれど、self-esteemの高さよりも自己批判を重んじる(謙虚さと集団の和が重視される文化圏の)日本人は失敗(=self-esteemが下がること)を改善のための機会として活かすからだと結論付けられていました。個人差はもちろんあると思いますが、帰国子女だった親友が「生きづらい……」と言っていたのは、何がアリでナシかというものの見方の尺度が文化によって違うからだったのだなぁと今さら彼女がかつて抱えていた苦悩が理解できたり。オバマ元大統領は、自虐ネタを言ってもOK。とはいえ先日アメリカの大御所コメディアン(長らく前述のトーク深夜番組『レイト・ショー』のホストでもあった)ディヴィッド・レターマンのトークショーをNetFlixで見ていると、ゲストの元オバマ大統領が自虐ネタで会場を沸かしていました。愛娘から預かった簡単な組み立てキットを何時間たっても完成させられない自分の無能ぶりについて話し、観客を笑わせていたのです。これは彼の今までの功績を受けて ”オバマ大統領が無能なはずがない“、”キットを組み立てるスキルは彼の分野外であり、彼の価値とは関係ない“、よって ”彼のself-esteemは低くない” という共通認識を視聴者が持つこととなり、アメリカ人が安心して笑える自虐ネタとなるわけです。またジョークを言うときの彼の姿勢を注意深く観察すると、胸を張って深々と椅子に腰掛けて堂々とした様子で発言し、どう見ても劣等感を持った人には見えません。しかもこの眼力!(笑)。ウディ・アレンのジョークもこちらアメリカでは好みがわかれるのが事実。よくよく考えてみると、映画のなかでウディとやりあっている人は誰も笑っていませんね。”ウディ・アレンはすごい映画監督だ” という共通認識のもと、観客として映画を観ているから笑えるのです。つまりユーモアのなかでも自虐ネタで笑いが取れるのは、こちらではある程度社会的に認められた人だという表れなのかもしれません。あとは、間違ってもウディ映画の主人公のように姿勢を丸めたりせず、自虐ネタはあえて “堂々と悠然とした” 様子で言い切ってしまう、というところでしょうか。聞いているアメリカ人が笑えるように安心させる必要があるのです。肩をすくめながら「宙ぶらりんな女」を満喫中の私はまだまだ、アメリカと日本、2つのユーモアチャンネルを使いわけるほうが無難なようです。SEE YOU!バークレーは、もうすっかり春の陽気!
2018年02月18日