倉本聰昨年3月24日に亡くなった田中邦衛さん。一周忌を前に、神奈川県内の自宅はひっそりと静まり返っている。「夜は明かりがついているので、今も奥さんは住んでいると思いますが、ほとんどお見かけしませんね。邦衛さんがいらっしゃったときは、ご近所の方たちと親しくお話ししていましたが、最近はあまり外出もされていないようです」(近所の住民)田中さんの代表作となった『北の国から』は“国民的ドラマ”と言われるが、それまで脇役が多かった彼にとって、同作の主演は大抜擢だった。「’81年の10月から連続ドラマとしてスタート。田中さんが演じた黒板五郎は、妻に逃げられたことをきっかけに幼い子どもの純と螢を連れ、故郷の北海道・富良野で暮らし始めます。不器用で朴訥なキャラクターは、田中さん自身にも共通するものがありました」(テレビ誌ライター)大自然を舞台に家族の絆を描き、大きな話題に。「それまでの富良野は冬にスキー客が来るだけの町でしたが、ドラマが放送されたことで知名度が上がりました。夏の時期もラベンダー畑を見ようと観光客が来るように。富良野がブランドになって、市内の特産物も売れるようになりました」(スポーツ紙記者)連ドラ放送40周年を迎えたが……ドラマがリアリティーを持っていたのは、脚本を書いた倉本聰の実体験が反映されていたことが大きい。「倉本さんは東京生まれ。ニッポン放送に勤めながら脚本家としても活動していましたが、芸能界やテレビ業界などに疲れ、’77年に理想の生活を求め富良野へ移住。自分の力で自然とともに生きることを大事にしています。廃材を炭にするなど、電気やガスなどの文明に頼りすぎない生活を実践していますからね。黒板五郎というキャラクターは、倉本さん自身の体験を投影して生まれたんです」(前出・テレビ誌ライター)大ヒットしたことで、その後も8作のスペシャルドラマで家族の成長が描かれた。フジテレビを代表する作品になったが、’02年を最後に続編は作られていない。「撮影終盤の田中さんは、ずっと具合が悪そうでしたね。普段なら共演者と談笑したりしていたんですが、最後の撮影が終わったらすぐ東京に帰ってしまいましたからね……」(制作会社関係者)田中さんは’15年ごろから入退院を繰り返すように。引退は表明しなかったものの、現場に復帰することはなかった。「今年は連ドラの放送から40周年ということで、富良野ではバスツアーなどのイベントが行われています。純役の吉岡秀隆さんは毎年1回は遊びに来ているんですが、昨年は3回も来訪。仲のいい友人には“また撮影でお世話になります”と手紙を添えたギフトを贈ったそうなので、新たな撮影が始まるのだろうと思っていたんだけどね……」(富良野の住民)倉本の制作意欲は衰えていない。’05年に黒板家のその後を描いた短編『純と結の家』を描き下ろしたり、昨年10月に富良野で行われたトークショーでは、こんな続編構想を明かしていた。フジテレビでは続編制作が難しい「’10年には純の妻の結が勤め先の店長と不倫。’11年に螢と結婚した正吉が東日本大震災の津波に巻き込まれるという展開です。’20年には新型コロナ禍も描写され、五郎は’21年の3月24日、つまり田中邦衛さんと同じ日に亡くなるという内容だったんです」(トークショーの出席者)昨年末のスポーツ紙のインタビューでも、具体的に語っている。「今年は、黒板五郎は実際にどういう死に方をしたかということを書きたかったんです。邦さんは死んでるから、過去の映像を使って計画したんだけどフジテレビに使わせないって言われちゃった。純役の吉岡秀隆に富良野まで来てもらって話し合って、脚本も第7稿まで書いたんですけどね。今年40周年だったから『さらば黒板五郎』を作りたかったんだけどね」“聖地”である富良野をはじめ、確実に続編への期待が高まっているはずなのに、フジテレビはなぜ前向きな姿勢を見せないのだろうか。「今では考えられない撮影スタイルですからね。演者とスタッフ100人以上が富良野市内のホテルを貸し切りにして半年間の合宿状態。倉本さんが撮りたい天候を何日も待つこともありました」(当時を知るフジテレビ関係者)フジテレビ自体も当時とは経営環境などが様変わりした。「社員に早期退職を促すぐらい、収益が悪化しています。働き方改革で長時間労働もできなくなり、以前のような“いいものを作るためだったら、とことん時間もお金もかける”というやり方は無理でしょう。会社の体力的にも、続編制作は難しいのだと思います」(同・フジテレビ関係者)コラムニストのペリー荻野氏も、倉本のこだわりの強さは本物だと指摘する。「撮影するときは台本読みから全員が集まって、倉本先生自らが句読点の入れ方までセリフの言い方を細かく指導するんです。先生は、ドラマでは描かれていない五郎の幼少期まですべて作り込んでいました。長期ロケも含め、今すぐに先生のこだわりを完全な形にするのは難しいかもしれません」時代の流れに抗うことは難しいようにも思えるが、倉本は希望を捨ててはいない。「親しい周囲の人たちには“ドラマがダメなら、アニメで作れないだろうか”と漏らしていたといいます。今回の『北の国から』完結編に関しては、倉本先生の執念のようなものを感じますね」(倉本の知人)脚本家自身が提案した、まさかの“アニメ計画”。実現の可能性はどのくらいあるのだろうか。「アニメという表現なら、確かに長期のロケがなくなりますし、キャストのスケジュール問題も解消されます。北海道の美しい風景描写も、日本の技術力なら倉本さんが追い求める世界観を表現できるかもしれません。しかし、アニメも質を追求すれば当然、制作費は高騰します。ケタ違いに費用を安くできるかといったらそうではないと思いますね」(アニメ雑誌編集者)実際にアニメ化の動きは進んでいるのか。富良野市内にある倉本の自宅を訪ねたが、回答を得ることはできなかった。フジテレビにも、過去映像の使用許可を出さなかった件について問い合わせたところ、「特にお答えすることはございません」との回答だった。アニメならば、五郎の人生を描ききることができるかもしれない。倉本の執念は実るだろうか─。
2022年03月24日成田凌主演の日本テレビ系新土曜ドラマ「逃亡医F」に、前田敦子、「ジャニーズWEST」桐山照史、和田聰宏、酒向芳、堺小春が出演することが分かった。今回新たに発表されたのは、成田さん演じる主人公・藤木圭介の恋人・妙子の死の謎に大きく関わる登場人物。バイオベンチャー企業「バイオネオ」所属のキャリアウーマンで、妙子とは中学からの付き合いで思春期を共に過ごしてきた大親友の烏丸京子を前田さん。帝都医大の脳外科医で藤木の後輩、重い病気を患っている妻がいる長谷川輝彦を桐山さん。妙子の死の謎を追う破天荒な刑事・筋川二平を和田さん。帝都医大で妙子と新薬の共同研究をしていた大学教授・都波健吾を酒向さん。「バイオネオ」で佐々木(安田顕)に心酔する研究員・幹こずえを堺さんが演じることが決定。それぞれ、一筋縄ではいかないキャラクターとして、真実を追い求める藤木と対峙していく。▼キャストコメント・前田敦子オファーをいただいたとき、先の展開が気になるとてもドキドキする脚本だと思いました。主演の成田さんは俳優さんとしても本当に信頼している方なので、お話をいただけて嬉しかったです。私の演じる烏丸は仕事バリバリのキャリアウーマンでかっこいい、そして謎だらけの女性です。衣装が華やかなこともあって、身の引き締まる思いです。成田さんはどんな世界観、役でもすんなりとそこに存在する、安心してお芝居を一緒にさせていただける方です。この作品ではまだお会いしていないので、楽しみです。先日撮影で松岡さんとご一緒させていただきましたが、明るく現場を引っ張る姿がみんなの兄貴でした。これから他のキャストのみなさんとの撮影が楽しみです。・桐山照史日本テレビのドラマにレギュラーで呼んでいただくのは「ごくせん(第3シリーズ)」以来、約14年ぶりになります。監督、スタッフの方々の中にも当時とてもお世話になった皆さんがいらして、懐かしい気持ちと、成長を見てもらえるということを本当に嬉しく思います。僕が演じる長谷川はすごくまっすぐな人間ですが、一癖も二癖もある登場人物たち、そして渦巻く陰謀の中で、長谷川がこれからどう翻弄されていくのか、僕自身も今からとても楽しみです。・和田聰宏この素晴らしい作品に、ふてぶてしさの中にどこか人間味のある刑事、筋川という役どころで参加させて頂けること、とても嬉しく思います。撮影初日がクランクイン当日というタイミングだったのですが、同い年の松岡さん演じる八神とのシーンは、心理的な駆け引きあり、アクションありと、程よい緊張感が心地よく、翌日筋肉痛になりながらも、確かな手応えを感じました。この先、八神との関係がどう発展していくのか、楽しみにしています。・酒向芳どんな新しい出会いがあるのか――。自分に何が出来るのか――。どんな作品に仕上がってゆくのか――。いつものことですが、それが楽しみです。劇画の世界を超えて?行くのは時に難しくもありますが、監督、スタッフ、俳優が、話し合いながら、時に討論しながらでも、新しいものを創り上げてゆくことができれば幸いです。オペ時に主人公が聴く○○○も楽しみの一つです。・堺小春この作品に参加させて頂ける有り難さと共に、緊張とワクワクが込み上げてきました。偉大なキャスト・スタッフの皆さんと一緒に作品作りが出来ることが何より嬉しいです。私の演じる幹こずえという役はとにかく(安田顕さん演じる)佐々木を崇拝している存在で、傍から見ると少し気持ち悪い関係性だと思いますが(笑)、幹にとっては純粋で真っ当な気持ちなんだと感じました。初めて演じる役柄ですが、開放的にお芝居が出来れば最高に楽しく出来るんじゃないかと、今から凄くドキドキしています。どんな事を言われても「佐々木は神」という精神で頑張ります!「逃亡医F」は2022年1月15日(土)22時~日本テレビ系にて放送。(cinemacafe.net)
2021年12月18日「邦さんは亡くなったけど、五郎はきっとまだここに住んでいる。ひょっこり顔を出す気がする」田中邦衛さん(享年88)が亡くなってから2週間ほどがたった4月上旬、北海道富良野市につくられた献花台の前で、脚本家・倉本聰氏(86)はそんなふうに話していたという。“五郎”とは、もちろん『北の国から』シリーズで邦衛さんが演じた黒板五郎のことである。「『北の国から2002遺言』でシリーズは完結したことになっています。ただ倉本先生には、その後の続編の構想があったようです。邦衛さんの訃報の直後には“続編は頭の中だけにしておこうと思う”なんておっしゃっていたんですが……。だから今回のインタビューを読んで興奮しましたね!」そう『北の国から』ファンが話す“インタビュー”とは次のもの。《実は今年は『北の国から』が放送開始40周年に当たります。10月に向けて最後のドラマを書いているんです》(「財界オンライン」6月12日配信)倉本氏自ら“続編執筆中”だと明かしたのだ。40年前の10月に『北の国から』の初回が放送されたことにちなみ、今年、その前後の時期に富良野で記念行事が予定されている。続編は、テレビではなく、そのイベントでの公開を想定しているようだ。倉本氏はこう続けていた。《それは主人公の黒板五郎が死ぬドラマです》五郎も天国へ――。邦衛さんへの倉本氏なりの供養だろうか。さらにその“死に方”まで――。■「五郎は自ら山に入って死に、肉は動物たちに…」《黒板五郎は自分から山に入って死ぬんです。それで、自分の肉が動物たちに食われ、骨は微生物が分解する》かなり衝撃的な最後である。「海外には遺体を鳥に食べさせる“鳥葬”の風習があるところもありますが、富良野の動物で考えると“ヒグマ葬”“キタキツネ葬”といったところでしょうか。衝撃的ですが、倉本先生は自然のなかで生きてきた五郎の人生を、自然の循環のなかで完結させたいというこだわりを込めているそうです」(前出・『北の国から』ファン)本誌は、地井武男さん(享年70)が演じた五郎の親友・中畑和夫のモデル、富良野市の麓郷木材工業株式会社社長・仲世古善雄さんに話を聞くことができた。仲世古さんは倉本氏とも交流があり、『北の国から』シリーズを長年見守ってきた人物。倉本氏の続編の構想の内容を伝えると、「いやぁ、初めて聞いた。驚いています……。でも倉本先生らしいな……」仲世古さんは“五郎の衝撃の死”にショックを隠せぬ様子を見せながらも、しみじみと次のように話してくれた。「やっぱり倉本先生なりに『北の国から』の最後をね、五郎さんが亡くなるところまでやりたかったんだと思いますね」北海道の自然を愛した自らの分身・五郎の最期を、天国の邦衛さんも見守ることだろう――。
2021年07月12日明石家さんま、大竹しのぶ「再婚したほうがいい?」明石家さんまがプロデュースしたアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が公開され、話題を集めている。完成披露報告会では、公の場では久しぶりとなる元妻の大竹しのぶとツーショットを見せ、冒頭のようなトークで盛り上げた。「マツコさん、Cocomiさん、人気声優の花江夏樹さんなどが脇を固めています。大竹さんに関しては監督たちから名前が挙がってのオファーだったそうですが、さんまさんも本当に嫌ならOKは出さないでしょう」(スポーツ紙記者)夫婦仲が悪化し、メディアを使って暴露合戦する熊田曜子夫妻のようなケースがある一方で、離婚後も一緒に仕事を続ける夫婦もいる。「2011年に公開された映画『毎日かあさん』では、2004年に離婚した小泉今日子さんと永瀬正敏さんが夫婦役を演じて大きな話題になりました」(映画ライター)共演が発表された際、「いろいろあった私たちだからこそ、できることがあるはずです」とコメントを寄せていた小泉。その言葉どおり、同作品での演技が高く評価されて『第66回毎日映画コンクール』では女優主演賞に輝いた。■面白がってくれるならいい2017年に放送されたドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)では浅丘ルリ子と石坂浩二の元夫婦共演も実現。「浅丘さんは脚本家の倉本聰さんから直々のオファーを受けて出演したそうです。ふたりと仲がいい倉本さんの脚本だけに、“帝国ホテルで豪華に結婚式挙げたじゃない。そのご祝儀返してよ、離婚したんだから”といったふたりの披露宴をイジるセリフがあって話題になりましたね」(テレビ誌編集者)調べてみると意外と多い元夫婦共演。離婚後、元妻のつちやかおりと何度も共演をしている布川敏和は離婚後も共演する理由をこう明かす。「最初にオファーをもらったときは面白いなって。昔からメディアに出るからには楽しんでもらいたいというのが僕のポリシー。視聴者のみなさんが“離婚しているのに共演するの⁉”と驚いたり、面白がってくれるならいいなって。もともと離婚後も会う関係だったし、つちやさんに電話したら“いいんじゃない?”と言われたので即決しました」元夫婦だからこそやりやすい部分も大きいという。「テレビでは気まずそうにすることもありますが、僕らは17歳から交際していて結婚生活も長かったので、本音を言うと全然やりやすいですね。お互い信頼しているから、共演前に“あの話はNG”みたいに打ち合わせすることもないし、多少の暴露話はOK。うちの場合は子どもたちもそういう話をすることに理解があるというのも大きいですね。やっぱり自分がよくても、家族を傷つけてしまってはダメだと思うので」(布川)『探偵さがしのタントくん』に所属する夫婦カウンセラーの中村拓也氏にも話を聞くと、離婚後も一緒に仕事を続けるケースは一般的にもあるという。「円満に離婚に至った元夫婦に再度お話を伺いますと、離婚後も一緒に仕事を続けるケースは一定の割合でございます。そのような方々が営んでいたお仕事はやはり自営が多く、業種では飲食関係や建築・建設関係、不動産関係などが見受けられます。これまでの環境を継続できるというメリットが大きいと思います」女性の社会進出や多様性を認める時代の流れも、離婚後も関係性がいい夫婦が増えている理由だと分析する。「結婚したカップルの3~4組に1組は、離婚を選択する時代。離婚したあとの生き方や、仕事も自由に選べる時代になっています。私の友人の元夫婦もやりたいことを実現するために前向きな離婚を選択され、おふたりとも職を変え、男性は絵本作家に転身。 女性はカフェの経営を始めました。お互いにコラボして商品を開発。離婚後もビジネス上では良好な関係を築いていますよ」(中村氏)■信頼できる相手だからオファーをさんまとしのぶの共演も「関係性のよさがあってこそ」と布川も語る。「『さんま御殿』などでさんまさんと仕事をすると、“元サヤに戻れ!”と言われるんですが、僕からするとさんまさんこそ元サヤに戻ったほうがいいんじゃないの?と思うぐらい仲よしですよね。さんまさんにとってアニメ映画のプロデュースは挑戦になると思うので、そんな作品で大竹さんに依頼したというのは、それだけ信頼できる相手だからだと思います。さんまさんの性格的に、周りから提案されても自分が信頼していなかったら頼まないと思うので」永瀬正敏もウェブメディアのインタビューで、《ある時期を一緒に過ごした人だから“はじめまして”って会って、“どういう人なのかな?”と勘ぐり合いながら入っていくのとは違いますね。でも、何より一緒に現場に立ってみて、彼女は女優として素晴らしいんですよ》と共演相手としてやりやすかったと語っていた。また、いったん距離を置いたことで関係性がよくなるケースも。「冷静かつ客観的に見つめ直すことで、お互いのいい部分に焦点があたり、関係性が良好になるのだと思います。驚かれる方もいるかと思いますが、離婚後に関係性がよくなった元夫婦の中には“離婚後に新しいパートナーがいても、特に気にしない”という方も多いんですよ」(中村氏)■元夫婦共演は関係良好という証一方、布川は新しいパートナーがいないからこそ良好な関係が保てているのかも……と複雑な思いを明かす。「つちやさんに“彼女をつくれば?”と言われるけど、つくる気が起こらないんですよね。再婚したり、彼女ができたら、今までどおりつちやさんに会うのを新しいパートナーが嫌がると思うので、また関係性が変わってくるかも。子どもや孫もいるから切っても切れない仲なので、そこは難しいですね。僕は家族が住んでいた家に今も住んでいるので、彼女ができてもこの家には上げたくないかな。だから、もしも彼女ができたら引っ越すと思います」そして自分たちの関係性を踏まえて、こう続けた。「元夫婦で共演している方々は、それだけ関係性が良好という証拠。特にさんまさんや大竹さんなんて、元夫婦という話題性を使わなくても仕事に困っていないわけですから。“離婚してもああなれたらいいな”という新しい形の理想の夫婦像だと思います」離婚したから共演NGなんて、もう古い?
2021年06月16日「彼の芝居は本人はとても悲劇的なのに端から見ているとなんともおかしくなる。これが彼の神髄だと思う。情けなさの中に詩がある」そう追悼したのは、名作『北の国から』(フジテレビ系)を手がけた脚本家の倉本聰さん(86)。田中邦衛さん(享年88)が3月24日、老衰で亡くなった。葬儀は家族葬でとり行われたという。「’02年に『北の国から』が終了してから、体力的な衰えもあり、仕事をセーブするようになりました。’12年8月、同作で共演した地井武男さんのお別れ会に参列して以降、公の場に姿を見せることもなくなりました」(映像関係者)’09年、妻・康子さんは彼の体調について本誌にこう語っていた。「ずっと今まで仕事に頑張ってきたから今、少し休ませてあげているんです。人生最後のご褒美のようなものです。私たち、あと何年生きられるかわかりませんからね」前出の映像関係者は言う。「映画『最後の忠臣蔵』(’10年)が遺作となりました。晩年は老人ホームから自宅に戻り、車いす生活を送っていたようです。最後は家族に看取られながら息をひきとったと聞いています」■健さんが編集部に語った「邦ちゃんの名前だけは…」実は本誌は’12年、交流半世紀の盟友・高倉健さん(享年83)が、主演映画『あなたへ』の次回作で、田中さんとの共演を熱望していたという情報を入手していた。「寅さんのような“テキ屋”が息苦しくなった日本を出て、パリに渡る物語です。真面目で頑固な高倉さんと、お調子者の田中さんが日本人観光客をだまそうと珍騒動を起こす。そこに1人の日本人女性観光客が現れる。だましたつもりがだまされてしまう……。そんなシナリオでした」(映画関係者)本誌が当時、高倉さんの所属事務所に確認すると、編集部に高倉さん本人から電話がかかってきた。「新作映画で邦ちゃんとパリで共演したいという話は事実です。でも実は邦ちゃんはいま、体調があまりよくないんです。この共演の話が報じられてしまうと、彼が無用なプレッシャーを感じてしまうのではないかと心配しています。自分としても心苦しいですので、邦ちゃんの名前だけは出さないでもらえないでしょうか――」本誌もこの約束を守り、当時の記事では田中さんの名を伏せた。2年後、高倉さんは他界。本誌はこの話を田中夫人に打ち明けた。「えっ!私どもも初めてお聞きしました。高倉さんはそんなお話を考えていらしたのですね……。田中は高倉さんをお慕い申し上げていましたから、とても光栄なことでうれしいと思います」生前の田中さんの“静かに見送って”という希望でお別れ会、偲ぶ会の予定もないという。遺族はこんなコメントを発表している。《出演させて頂いた作品を通し、故人を思い出して頂くことがあれば、幸甚に存じます》田中さん、高倉さんの数々の名作は後世に生き続ける――。「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月08日’13年11月、妻とともに自宅前を掃除する姿。落ち葉を掃く姿はやせ細っていた《俳優・田中邦衛は、2021年3月24日午前11時24分、老衰のため、息を引き取りました》4月2日、田中邦衛さんの家族がファクスで“お知らせ”を発表した。享年88。安らかな旅立ちだったという。「田中さんは’12年に地井武男さんのお別れの会でスピーチして以来、ずっと公の場には姿を見せていませんでした。長らく闘病していると伝えられていましたが、家族に見守られながら息を引き取りました。葬儀は家族で行っており、お別れの会は開かないそうです」(スポーツ紙記者)田中さんは名バイプレーヤーとして知られ、多くの映画やドラマに出演。悪役からコミカルなキャラクターまで、幅広い役柄を演じた。「昭和ヒトケタ生まれで、俳優座の7期生。同期には井川比佐志や露口茂がいます。広く人気を得たのは、’61年に始まった東宝映画『若大将』シリーズの"青大将"役でしょう。加山雄三の演じる若大将のライバルとして強烈な印象を残しました。いつも姑息な手を使って対抗するんですが、なぜか憎めないキャラクターでしたね」(映画ライター)高倉健さんが主演した東映の『網走番外地』シリーズや、菅原文太さんが主演した『仁義なき戦い』シリーズでヤクザ役もこなし、どんな役も自分のものにした。「名優としての地位を確立したのは、’81年に始まったフジテレビ系のドラマ『北の国から』の黒板五郎役でしょう。大御所脚本家である倉本聰さんの代表作で、北海道の富良野で息子の純と娘の蛍という2人の子どもを男手ひとつで育てながら暮らす寡黙な男です。大自然の中での生活は楽ではありませんが、不器用ながら懸命に生きる姿が共感を呼びました。心に深い傷を負いながらもがき続け、ときに親子関係が危機に陥ることも。温厚な性格と頑固な意地をあわせ持つ複雑な性格の男を演じ、まさにハマり役でした」(同・映画ライター)’00年以降は次第に出演が減り、’10年に役所広司と佐藤浩市らと共演した映画『最後の忠臣蔵』の後は、俳優としての活動はしていない─。’13年には週刊女性が“俳優引退”を報じた。当時、映画会社スタッフは週刊女性にこう話していた。「田中さんに出演のオファーをしたところ、“俺、もう引退したんだ”と言って断られたようです。さらに、“昔に比べると、セリフが覚えられないんだ。年だし、俺ができる役はもうないよ”と、寂しそうに理由を語っていたそう」■晩年は妻が“引退暮らし”を隠し通すも……その際に週刊女性は田中さんの自宅を訪ね、家の前でほうきを片手に掃除する姿をキャッチしたが、話を聞こうとすると田中さんの妻に遮られてしまった。「’15年には『北の国から』のプロデューサーが亡くなりましたが、長年にわたり主演を務めた田中さんは葬儀に参列していません。外出できる状態ではなく、自宅から20分ほどの介護付き老人ホームに入居していました。歩行困難のため車椅子を使うようになり、さらには食べ物、飲み物も飲み込みにくくなるなど、すべてに介助が必要でした」(前出・スポーツ紙記者)’18年には『北の国から』続編の可能性が取り沙汰されたが、実現していない。田中さんは老人ホームから自宅に戻ったものの、周辺住民からは“認知症が進んでいる”との証言もあった。’20年3月に、週刊女性は田中さんの自宅を訪れたが会うことはできず。近所の女性から話を聞いていた。「1年半くらい前に、車椅子に乗った田中さんと奥さんを見たのが最後ですかね。最近はまったくお見かけしませんよ。自宅も長らく不在というわけではないと思いますが、カーテンやシャッターは閉まっていることが多いです」デイサービスの車も見かけられなくなり、施設に入ったままなのではないかと近所で噂されていたという。今回の悲報を受け、近所に住む男性から追悼の言葉があった。「びっくりしました。すごくお世話になった方だったので。10年前くらいですが、僕が中学生のころは登下校の見守りをしてくれていましたよ。すごく優しい方で生徒みんなに声をかけていました。僕らが近所のバッティングセンターで遊んでいると、地域の見回りの一環で覗きに来てくれたりしてね。野球が好きなのか、僕たちに指導してくれたこともありましたよ」スクリーンで見せた、はにかんだような笑顔は、田中さん本来の表情だったのだ。穏やかでシャイな性格だったが、駆け出しのころのちょっと意外な“伝説”もある。「あぁ見えて、邦衛さんは女性からすごいモテたんだよ。おもしろおかしくモノマネされてたから、そんなイメージがないかもしれないけれど、普段の彼は話し好きで面白くて。それに優しかったから、女性たちはみんな放っておかなかった。映画では加山雄三さんや高倉健さんを引き立てる役回りが多かったけど、実際の飲み屋とかでは彼ら“二枚目”よりも女性からモテてたからね」(映画関係者)■気味が悪いと思われた役づくり田中さんのきまじめさもよく知られている。どんな役でも、いっさい手を抜かずに向き合って、その人になりきろうとした。あるドラマで鮮魚店の主人を演じたとき、役づくりに力が入りすぎて不審がられたことも。「ロケ地になったのは、神奈川県の漁師町にある魚屋さん。ご主人が朝早くに市場から帰ってきて、いつものように開店準備を始めていると、近くの電柱の陰に薄汚れた帽子と服を着たオジサンが立っているのに気づいたそうです。そのオジサンは、昼になっても夕方になっても、ずっとそこから動かずにいて、夜に店を閉めるといなくなった。ところが、その次の日の早朝になると、また同じところに立っていたそうです。さすがに気味が悪くなって、“アナタ、ずっとここで何をしているんですか?”と思いきって声をかけた。それが田中さんだったんですよ」(商店街店主)田中さんは役づくりのために、1日中ずっと鮮魚店の主人を観察していたのだ。“いやぁ……怖がらせちゃってすみません”と、照れ笑いをしながら謝ったという。全身全霊で演技に立ち向かい、さまざまな人生を演じきった。俳優生活の続きを楽しむ声が、天の国から……。
2021年04月06日二宮和也二宮和也は俳優業で評価を高めていった。‘03年に公開された映画『青の炎』では、主演を務めた。「義理の父親を殺害し、完全犯罪に挑む高校生という難しい役柄を熱演。演劇界の巨匠・蜷川幸雄さんが監督を務めたことでも話題になりました」(スポーツ紙記者)二宮の母親役で共演した秋吉久美子に当時の話を聞いた。「非常に頭のいい方だと思いました。一緒に記者会見をしたときに、短い時間で映画の内容を説明しながら自分の意見も述べていました。演技力も高かった。撮影のセットのテーブルに座った瞬間にセンサーが動くタイプで、役に自然に入り込んでいましたね。頭で理解して、感受性も強く、見る人の皮膚に伝えるような芝居ができる方でしたよ」10代で主演を務めたが、緊張した様子はなかったという。「撮影の合間にカードを使った手品を見せてくれたり、冗談を言うなど、余裕がありましたね。相葉くんのことをすごく愛していたのを覚えています(笑)。よく彼の話をうれしそうにしていましたからね。相葉くんがお父さんと一緒に、ふんどし一丁でお祭りにみこしを担ぎに行った話をして、“相葉っておもしろい奴なんですよ”と笑っていましたね」(秋吉)■蜷川幸雄も絶賛この作品で撮影を担当したカメラマンの藤石修氏は、二宮のこだわりに驚いたと話す。「学校の職員室で先生と口論するシーンでカメラを入れてテストを2回やったのですが、二宮さんは同じところでセリフをつっかえてしまいました。私は台本を渡そうとしましたが、彼は受け取らず、歩きながら下のほうを見て何度もぶつぶつセリフを言っていた。3回目の撮影では、まったく問題なく言えてOKが出ました。私が冗談交じりに“ずっと間違えなかったのに、どうしたの?”と聞いたところ、セリフを覚えていなかったわけではなかった。最後の4~5行のセリフを一気に言いたかったのに、途中で息が詰まってひと息で言えなかったんだそうです。蜷川さんの指示があったのではなく、主人公になり切ってたたみかけるように言うための工夫だったみたいですよ」撮影現場では、指示されたとおりに芝居をするのではなく、自分で考えながらやっていたようで、「妹役の鈴木杏さんとベッドの脇に座って一緒に頭から毛布を被るシーンや、二宮さんがコンビニの入り口で身体をSの字のように曲げて立つシーンは、彼の判断でやったんですよ。蜷川さんはさまざまな演技をする彼を見て、“それ、おもしろいね”と絶賛していましたね」(藤石氏)撮影の合間には、“二宮らしい”ことも。「よくゲームボーイのような携帯ゲームをやっていましたね。現場に台本は持って来なかったのですが、ゲームは持ってきていました(笑)。ギターを持ってきて弾いたことも。まだ始めたばかりだったので腕前は発展途上でしたが、当時から自分の曲を作っていましたよ」(藤石氏)‘05年には、ドラマ『優しい時間』(フジテレビ系)に出演。「寺尾聰さんと二宮さんのW主演で親子を演じました。絶縁していた2人が長い時間をかけて和解していく物語です。脚本は倉本聰さんで、北海道の富良野市で撮影されました」(前出・スポーツ紙記者)陶芸職人として修行する二宮の師匠役を演じた麿赤兒は、当時のことを懐かしむ。「バスで移動していて彼が前の席で、僕が後ろに座っていたときに話しかけると、背もたれを乗り越えて一生懸命聞いていました。つい親近感を抱かせる不思議な魅力がありましたね。二宮さんと一緒のシーンがないときは寂しく思ったことも(笑)」二宮の父親代わりの役だったこともあって、すぐに打ち解けたという。「陶芸家の役なので粘土の練り方を勉強してから陶器を作ったのですが、なかなかうまくできませんでした。でも、彼はソツなくできていました。 “少しだけ練習したんです”と言っていましたが、すごく手先が器用でしたね。師匠のはずの僕が、“これどうやるの?”と聞いていましたからね(笑)」(麿)■クリント・イーストウッドのひと言同じく倉本が脚本を手がけた‘07年のドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)では、料理人の見習い役で主演を務めた。ロケ地となった東京・神楽坂の毘沙門天善國寺の住職・嶋田堯嗣(ぎょうじ)さんは、忘れられないことがあったようだ。「神楽坂のホテルで打ち上げをした際に私も呼んでいただきました。会が始まる前に、二宮さんは私のところにやってきて、“長い間、撮影に使わせていただいてありがとうございました。お世話になりました”とお礼を言ってくれたんです。タレントの方がわざわざ挨拶に来るなんて、すごくしっかりされている方だと思いましたね」同じ年には、クリント・イーストウッドが監督した映画『硫黄島からの手紙』に出演し、ハリウッド進出を果たした。「硫黄島でアメリカ軍と死闘を繰り広げた日本軍将兵と祖国に残された家族の思いを描いた作品です。主演は渡辺謙さんで、二宮さんは戦闘の中で彼と親交を深めていく役を演じました」(映画ライター)上官役として出演した坂東工は、現場では非常に高いレベルを求められたと話す。「クリントは現場で撮影の開始、終了についてはっきり言わず、1テイクだけでした。セリフを噛もうが、間違えようが、続けるんです。僕は、前日に必死になって覚えたのに、セリフが飛んでしまったこともありました。でも、二宮さんは1~2回台本を読んですべて頭に入っていたというので、驚きましたね」撮影中は、出演者全員が同じホテルに泊まっていたため、誰かの部屋に集まることが多かったという。「僕らが“二宮くんも後でおいでよ”と誘うと、“行きます”と言うのに絶対来なかった(笑)。でも、彼が来なかったのは、雑誌の取材など、日本での仕事をずっと現地でこなしていたからなんだそうです。日本時間とアメリカの時間は違うので、いつ眠るのかと思っていました。ホテルに戻ってからも別の仕事をしていたのに、現場に来れば完璧にセリフを覚えているんですよ」(坂東)撮影の初日に、最初と最後のシーンを撮ったのだが、二宮の演技は世界をうならせていたようで――。「物語の最後に、アメリカ兵士に囲まれてスコップを振り回し、気を失って運ばれるシーンがあったのですが、撮り終えた後、クリントが二宮さんを見て“彼でよかった”と言ったんです。クリントはあまりそういうことを言わない人なので、みんな驚いていましたよ。渡辺さんが亡くなって二宮さんが涙を流すシーンでは、あまりにも自然に泣いていたので、“この人はすごいな”と心から思いました。悲しさや感情が高ぶって泣いたというよりも、感情を超えた何かによって出た涙だったと思います」(坂東)俳優として海外でも評価された二宮だが、“意外な分野”で活躍するメンバーも現れて――。
2020年12月28日貴乃花と破局、会見をした宮沢りえ“世紀の婚約”と世間を驚かせた宮沢りえと貴乃花(当時・貴花田)が“世紀の破局”を迎えたのは、わずか2か月後のことだった。1993年1月、単独で会見を開いたりえは「人生最高のパートナーにはなれなかった」「もっと話し合う時間があれば」として、「悲劇のヒロインにはなりたくない」と、発言。一方、貴乃花も単独会見で「自分の愛情がなくなりました」と語った。りえの引退を前提としていた花田家側と、それを拒んだ宮沢サイドという、双方のズレが真相とはいえ、りえが棄てられたかのような構図だ。■破局会見からの宮沢りえそれゆえ、彼女は誰の目にも「悲劇のヒロイン」に映ったが、そう見られることを自ら否定してみせた。しかし、そう言いつつも、その後「悲劇のヒロイン」を地で行くような姿を世に示してしまう。中村勘三郎(当時・勘九郎)との不倫疑惑と自殺未遂騒動、激やせからの仕事の降板、そして休養。なかでも、’95年10月、ゴルフイベントで見せた憔悴ぶりは衝撃をもたらした。筆者はその日、テレビ朝日で梨元勝氏のインタビューを受けていたので、なおさら思い出深い。ちょうど摂食障害に関する本を出したばかりで、りえの激やせについての分析を求められたのだ。なお、りえに対してはその7年前、彼女が15歳のときに取材したが、印象はあまりよくなかった。りえママこと宮沢光子マネージャーに操られる人形みたいだという、のちに広まるイメージに近い姿を目の当たりにしたからだ。とはいえ、人形みたいだからこそ、アイドルとして成功できたのだろう。ふんどしカレンダーやヌード写真集が売れたのも、母が狙い、世間が期待した新時代のセックスシンボルという役割を彼女が一生懸命、演じたからにほかならない。また、筆者と同じ時期に取材した知人からはこんな話を聞かされた。「地球が滅亡するとしたら、最後の日をどう過ごしたいか」という質問に、彼女はこう答えたという。「お母さんと一緒にいる。一緒にいて、サンドウィッチを食べたい」親の離婚で父とすぐに生き別れ、母とも10歳まで別々に住んでいたというりえ。そう、彼女は愛に飢えた子どもであり、哀しみという感情を持った人形だった。そこを秘めつつ、明るく振る舞ったところに、アイドルとしての魅力があったわけだ。が、破局とその後の迷走は彼女が実は無理をしていたことを浮き彫りにした。そして、その身の上に同情したり、悲劇性に欲情したりする人が現れる。例えば、倉本聰や山田洋次は彼女に薄倖な役を与え、新たな魅力を引き出した。正直なところ、破局したころの彼女は女優としての評価がいまひとつだったものだ。当時のメディアは「代表作がなかったりえにとって、この会見が代表作になるだろう」などと書いた。そこを変えたのが「悲劇のヒロインにはなりたくない」というやせ我慢発言である。これにより、彼女の明るさが一種の強がりで、心の奥底では悲劇のヒロインになりたがっていたのでは、と気づく人が出てきたのだ。彼女自身、役の上でなら自分の哀しみを表現できるようになった。それは破局後の彼女に世間が抱いたイメージとも見事にハマり、女優開眼がもたらされるわけだ。いわば、ひとつの名言が女優・宮沢りえを作ったのである。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
2020年09月17日女優として、数々のドラマや映画、舞台、CMなどで活躍している吉田羊(よしだ・よう)さん。高い演技力と、時に見せるクールな表情で男女問わず「かっこいい!」と支持されています。そんな吉田羊さんの若い頃の姿や活動内容、恩人である俳優・中井貴一(なかい・きいち)さんとのエピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!吉田羊の若い頃は劇団員!写真も紹介吉田羊さんは5人兄弟の末っ子として誕生。実家は九州・福岡県久留米市にあり、2010年1月3日のブログには、『西鉄久留米駅』をバックに撮影した自撮りショットが掲載されています。そんな吉田羊さんは2001年に劇団『東京スウィカ』を設立。同劇団の旗揚げに携わった女優、比佐廉(ひさ・れん)さんは、2014年9月28日のブログで劇団立ち上げまでのエピソードをつづっています。いろいろあって私は吉田と暮らすことになり、そこで以前映画で共演した石津陽子という女優が共通の知り合いだったことから三人で会ったのが運の尽きw。美しく勘が良いのに三枚目も演じられる吉田羊という人に会い、ダブルキャストという形で共演したことで私はすっかり腹が決まり、つまり「この先の人生、こんなに美人で才能のある人と闘っていくより、彼女に演じてもらう側に周った方が敵は少ない!」と悟ったというのもあって、「羊ちゃんが主演女優をやってくれるなら私は脚本と演出をしたい!」と持ち掛け、さらに「引退を考えている」と語っていた石津に「制作を手伝ってくれたまえ!」と、・・・実際はそんなにすんなりはいかず、色々端折っておりますが、まぁでもだいたいそんな流れでやっとこ『演劇Produce東京スウィカ』旗揚げと相成るわけです。2000年のことでした。比佐廉オフィシャルブログーより引用とあるワークショップで出会った吉田羊さんと比佐廉さん。その後、2人は互いの才能を認め合い、尊敬し合う関係になります。やがて、女優の石津陽子さんも合流。3人で劇団『東京スウィカ』を立ち上げ、数々の素晴らしい舞台を作り上げています。若い頃の吉田羊を見出したのは中井貴一!吉田羊さんは2008年に連続テレビ小説『瞳』(NHK)に出演。共演者の西田敏行(にしだ・としゆき)さんとのアドリブの掛け合いが「素晴らしすぎる」と話題になり、一躍注目される存在になりました。すると、この作品をたまたま観ていた中井貴一さんが、その演技を高く評価。同年、自身が主演を務めたドラマ『風のガーデン』(フジテレビ系)に吉田羊さんをキャスティングしています。同作は脚本家・倉本聰(くらもと・そう)さんが北海道・富良野を舞台に書き下ろした人間ドラマ。死を目前にした男が絶縁していた家族のもとへ戻っていく姿を丁寧に描いています。ここでも吉田羊さんの表現力に圧倒された中井貴一さんは、脚本家などマルチに活躍する三谷幸喜(みたに・こうき)さんに「素晴らしい女優がいる」と紹介。その縁で吉田羊さんは三谷幸喜さんが手がける舞台に抜擢され、演劇やドラマの関係者に広く知られる存在になりました。その後も吉田羊さんは大河ドラマ『真田丸』(NHK)や舞台『子供の事情』など、多数の三谷幸喜さんの作品に出演。2019年には政界を舞台にしたコメディ映画『記憶にございません!』にも出演し、同作で主演を務めた中井貴一さんとの共演も話題になりました。初日舞台挨拶も終了し、『 #記憶にございません !』大ヒット当確であります‼️ ご覧いただいた皆さまの感想を一同心よりお待ちしております♂️ #三谷幸喜 #中井貴一 #ディーン・フジオカ #石田ゆり子 #草刈正雄 #佐藤浩市 #小池栄子 #斉藤由貴 #木村佳乃 #吉田羊 #後藤淳平 pic.twitter.com/0yT6LxvoPD — 映画『記憶にございません!』 (@kiokunashimovie) September 13, 2019 この作品では中井貴一さん演じる内閣総理大臣・黒田と敵対する『白いスーツの野党第二党首』山西あかね役を熱演した吉田羊さん。 @seibu2413 仕事のミスなんて…/記憶にございません!\そんなあなたは…白いスーツの野党第二党党首山西あかね( #吉田羊 )タイプ⁉『 #記憶にございません !』9.13公開 pic.twitter.com/tMVxdpe3Ss — 映画『記憶にございません!』 (@kiokunashimovie) September 13, 2019 中井貴一さんの首をネクタイで絞めあげるという過激なシーンをコミカルに演じ、幅広い演技力を示しました。「国民の怒りは、もうそこまで来ているんです!」野党第二党党首・山西あかね( #吉田羊 さん)✨ 野心にあふれた情熱的な人であります‼黒田総理とは“同期”の間柄ということですが…⁉ #記憶にございません ! #記憶に残るセリフ pic.twitter.com/3nxrj9QWSU — 映画『記憶にございません!』 (@kiokunashimovie) September 24, 2019 三谷幸喜さんの作品以外では、2009年公開の映画『20世紀少年 最後の希望』に出演。当時の姿がこちらです!今から10年以上前の写真なので、どことなく初々しさを感じますね。それでも、美しいビジュアルは現在とほとんど変わりません。吉田羊今は若い頃とくらべて大きく飛躍そんな吉田羊さんは現在も精力的に仕事をこなし、女優としてのキャリアを積み上げています。2020年10月にはドラマ『恋する母たち』(TBS系)に主要キャストとしての出演が決定。ついに今日から10月スタートの金曜ドラマ「恋する母たち」Twitter開始です✨クランクインの3shotを初出し公開笑いの絶えない楽しい撮影現場でした三人の美しい母が危険な恋に落ちていく、大人のラブストーリーにご期待下さい #恋母 #恋する母たち #木村佳乃 #吉田羊 #仲里依紗 pic.twitter.com/lR17YSAc3t — 【公式】金曜ドラマ『恋する母たち』10月スタート✨@TBS (@koihaha_tbs) August 29, 2020 吉田羊さんが演じるのは、売れない小説家で主夫の夫と、高校生の息子を養うバリバリのキャリアウーマン。家庭は順風満帆に見えますが、実は息子が長らく引きこもり生活をしていることを悩んでいる難しい役どころです。原作は、漫画家やエッセイストとして活躍している柴門ふみ(さいもん・ふみ)さんによる同名の人気作品。迷える母たちの恋愛と友情が描かれており、放送前から「楽しみ」「早く見たい!」といった声が殺到しています。 この投稿をInstagramで見る ついに今日から10 月スタートの金曜ドラマ「恋する母たち」instagram開始です✨ 皆さん、ぜひフォローしてくださいね ポスター撮影時の3人は和気藹々としていて、笑いの絶えないとってもいい雰囲気での撮影でした 三人の美しい母が危険な恋に落ちていく、大人のラブストーリーにご期待下さい #恋母 #恋する母たち #木村佳乃 #吉田羊 #仲里依紗 #10月スタート 【公式】金曜ドラマ『恋する母たち』 (@koihaha_tbs)がシェアした投稿 - 2020年 8月月28日午後8時02分PDT同ドラマの撮影に合わせ、2020年8月16日に更新したインスタグラムで数年ぶりに前髪を切ったことを報告している吉田羊さん。共演者の木村佳乃さんと仲里依紗(なか・りいさ)さんとの豪華3ショットとともに、新ヘアスタイルを披露しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 皆さま、こんばんは。 この度、10月スタートの TBS金曜ドラマ「恋する母たち」に 出演させていただきます。 主演は木村佳乃ちゃん、共演に仲里依紗ちゃん。 このお二人は、普段私が尊敬してやまないお二人。 ご一緒出来ること、本当に光栄です。 また、原作は柴門ふみさん、脚本は大石静さん。 はい、面白くなる気しかしないー。 時間は、毎週金曜夜10時から。 一週間の終わりに、週末の始まりに、 極上の大人なエンターテインメントを。 どうぞお楽しみに。 I'll appear on the new drama from TBS this Autumn. I'm going to act as a mother. She has a husband who is inspired to be a novelist and a son who just stays home. She has a brilliant career in a company and trusted by her co-workers. But what if she finds a new love one day unexpectedly? What would she do? Which would she choose---love, career or family? Why would a woman fall in love despite of having a family and being a mother. (It may be...instinct.) Please look forward to watching the new prime adult love story this Autumn! #TBSドラマ #恋母 #数年ぶりに #前髪を切りました #HERO以来初 #昨日はみなさま #インスタライブ #ありがとうねー 吉田羊( ♀)Yoh Yoshida (@yoshidayoh_official)がシェアした投稿 - 2020年 8月月16日午前6時25分PDT普段のクールな印象から、どこか優しげな雰囲気に変わった吉田羊さんもとても素敵ですね。そんな吉田羊さんには今後も唯一無二の魅力を発揮し、輝き続けてほしいと思います!吉田羊プロフィール本名:吉田羊右子(よしだ・ようこ)生年月日:2月3日(年は非公開)出身地:福岡県久留米市血液型:O型身長:163cm趣味:着物、スキューバダイビング、ピアノ2001年、劇団『東京スウィカ』の旗揚げに参加し、舞台女優として活躍。2007年にドラマ『愛の迷宮』(フジテレビ系)に出演して以来、映像作品への参加も増え、2009年公開の映画『20世紀少年 最後の希望』に出演。その後、2011年の大河ドラマ『江姫たちの戦国』(NHK)や、2014年にはドラマ『HERO』(フジテレビ系)第2期に出演し、一躍脚光を浴びるように。女優業のほかにもバラエティ番組『SWITCHインタビュー達人達』(NHK)ではナレーションを担当するなどマルチに活躍している。吉田羊が年齢を隠す理由に納得の声「結婚しないの?」と聞かれると?[文・構成/grape編集部]
2020年09月14日嵐・活動休止会見時の二宮和也今年いっぱいでグループでの活動を休止する嵐。今では国民的アイドルとして輝かしい功績を残しているが、ブレイクするまでには多くの苦難を経験してきた。活動休止まで残り6か月となったいま、メンバーが見た光と闇を振り返る──。■演技で魅せた二宮和也バラエティー番組で頭角を現した相葉雅紀(37)に対し、二宮和也(37)は俳優業で評価を高めていった。’03年に公開された映画『青の炎』では、主演を務めた。「義理の父親を殺害し、完全犯罪に挑む高校生という難しい役柄を熱演。演劇界の巨匠・蜷川幸雄さんが監督を務めたことでも話題になりました」(スポーツ紙記者)二宮の母親役で共演した秋吉久美子に当時の話を聞いた。「まず、非常に頭のいい方だと思いました。一緒に記者会見をしたときに、短い時間で映画の内容を説明しながら自分の意見も端的にスピーチして、その凛とした姿勢に感動しました。演技力もすばらしかった。撮影のセットのテーブルに座った瞬間にセンサーが動くタイプで、役に自然に入り込みます。理解も、感受性も強く、見る人の皮膚に伝えるような芝居ができる天才だと思いました」10代で主演を務めたが、緊張した様子はなかったという。「撮影の合間にカードを使った手品を見せてくれたり、冗談を言うなど、余裕がありましたね。相葉くんのことをすごく愛していた?のを覚えています(笑)。よく彼の話を楽しそうにしていました。相葉くんがお父さんと一緒に、ふんどし一丁でお祭りにみこしを担ぎに行った話をして“相葉ってホントおもしろいやつなんですよ”と自分の兄弟のように、愛おしそうに笑っていました」(秋吉)この作品で撮影を担当したカメラマンの藤石修氏は、二宮のこだわりに驚いたと話す。「学校の職員室で先生と口論するシーンで本番撮影を2回やったのですが、二宮さんは同じところでセリフをつかえてしまいました。私は彼に台本を渡そうとしましたが、彼は受け取らず、歩きながら下のほうを見て何度もぶつぶつセリフを言っていた。3回目の撮影では、まったく問題なく言えてOKが出ました。私が冗談まじりに“ずっと間違えなかったのに、どうしたの?”と聞いたところ、セリフを覚えていなかったわけではなかった。最後の4~5行のセリフを一気に言いたかったのに、途中で息が詰まってひと息で言えなかったそうです。蜷川さんの指示があったのではなく、主人公になり切って、たたみかけるように言うための工夫だったみたいですよ」撮影の合間には、“二宮らしい”ことも。「よくゲームボーイのような携帯ゲームをやっていましたね。現場に台本は持ってこなかったのですが、ゲームは持ってきていました(笑)。ギターを持ってきて弾いたことも。まだ始めたばかりだったので腕前は発展途上でしたが、当時から自分の曲を作っていましたよ」(藤石氏)■共演者が語る二宮の魅力とは’05年には、ドラマ『優しい時間』(フジテレビ系)に出演。「寺尾聰さんと二宮さんのW主演で親子を演じました。絶縁していた2人が長い時間をかけて和解していく物語です。脚本は倉本聰さんで、北海道の富良野市で撮影されました」(前出・スポーツ紙記者)陶芸職人として修業する二宮の師匠役を演じた麿赤兒は、当時のことを懐かしむ。「バスで移動していて彼が前の席で、僕が後ろに座っていたときに話しかけると、背もたれを乗り越えて一生懸命、聞いていました。つい親近感を抱かせる不思議な魅力がありましたね。二宮さんと一緒のシーンがないときは寂しく思ったことも(笑)」二宮の父親代わりの役だったこともあって、すぐに打ち解けたという。「陶芸家の役なので粘土の練り方を勉強してから陶器を作ったのですが、なかなかうまくできませんでした。でも、彼はソツなくできていました。師匠のはずの僕が、“これどうやるの?”と聞いていましたからね(笑)」(麿)同じく倉本が脚本を手がけた’07年のドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)では、料理人の見習い役で主演を務めた。ロケ地となった東京・神楽坂の毘沙門天善國寺の住職・嶋田堯嗣さんには、忘れられないことがあって……。「神楽坂のホテルで打ち上げをした際に私も呼んでいただきました。会が始まる前に、二宮さんは私のところにやってきて、“長い間、撮影に使わせていただいてありがとうございました。お世話になりました”とお礼を言ってくれたんです。タレントの方がわざわざ挨拶に来るなんて、すごくしっかりされている方だと思いましたね」■世界をうならせた渾身の演技同じ年には、クリント・イーストウッドが監督した映画『硫黄島からの手紙』に出演し、ハリウッド進出を果たした。「硫黄島でアメリカ軍と死闘を繰り広げた日本軍将兵と祖国に残された家族の思いを描いた作品です。主演は渡辺謙さんで、二宮さんは戦闘の中で彼と親交を深めていく役を演じました」(映画ライター)上官役として出演した坂東工は、現場では非常に高いレベルを求められたと話す。「クリントは現場で撮影の開始、終了についてはっきり言わず、1テイクだけでした。セリフを噛もうが、間違えようが、続けるんです。僕は、前日に必死になって覚えたのに、セリフが飛んでしまったこともありました。でも、二宮さんは1~2回、台本を読んですべて頭に入っていたというので、驚きましたね」撮影の初日に、最初と最後のシーンを撮ったのだが、二宮の演技は世界をうならせていたようで……。「物語の最後に、アメリカ兵士に囲まれてスコップを振り回し、気を失って運ばれるシーンがあったのですが、撮り終えた後、クリントが二宮さんを見て“彼でよかった”と言ったんです。クリントはあまりそういうことを言わない人なので、みんな驚いていましたよ。渡辺さんが亡くなって二宮さんが涙を流すシーンでは、あまりにも自然に泣いていたので、“この人はすごいな”と心から思いました。悲しさや感情が高ぶって泣いたというよりも、感情を超えた何かによって出た涙だったと思います」(坂東)俳優として海外でも評価された二宮だが、“意外な分野”で活躍するメンバーも現れて─。(※次回は7月28日発売号に掲載予定です)■二宮の主な出演作 (デビュー~’08年)’03年、映画『青の炎』で初主演を務める。完全犯罪に挑む高校生という難しい役を演じ、注目されるように’04年、ドラマ『南くんの恋人』(テレ朝系)に出演’05年、ドラマ『優しい時間』(フジ系)で、寡黙で純粋な青年役を演じた’06年、映画『硫黄島からの手紙』で主演の渡辺謙を尊敬する役を演じ、国内だけでなく、海外でも演技力を評価された’07年、ドラマ『山田太郎ものがたり』(TBS系)で主演を務める’08年、ドラマ『流星の絆』(TBS系)で主演を務める
2020年07月02日石坂浩二撮影/伊藤和幸倉本聰が脚本を手がける1年にわたる壮大な人間ドラマ『やすらぎの刻〜道』が3月でついに終幕。前作『やすらぎの郷』から主人公を演じ作品を見守り続けた石坂浩二(78)にクランクアップ間近の現在の心境をインタビュー。作品への思いや撮影エピソード、名優たちとの思い出など、その胸中を大いに語ってもらった。■「思い出すとこみ上げるものがある」「この現場に来ると昔、ロケに行った話とか、一緒にご飯を食べたときの話とか、いつも昔の話で盛り上がるんです。だから、みんなちゃんとセリフを覚えてくる。というのも、覚えていないと撮影の合間に無駄話をする時間がなくなっちゃうから(笑)。現場でも覚えられそうなセリフの量でも、みんな一生懸命に覚えてきてますね」幅広い世代から支持を集めた『やすらぎの郷』(’17年)の続編として、昨年4月からスタート。いよいよ3月で1年間にもわたる物語がクライマックスを迎える『やすらぎの刻〜道』。主人公で脚本家の菊村栄を演じ続けた石坂浩二に、本作の撮影について聞いてみた。「いろいろ思い起こされる中で、やはり昨年10月には八千草(薫)さんが、12月には私のお父さん役を演じられた梅宮(辰夫)さんと、共演者の方が亡くなられたのは本当につらいです。一緒に芝居をするとセリフのかけあいだけではない、独特のコミュニケーションが生まれるので、ふとそういうのを思い出すんですよ。しかたのないことかもしれませんが、思い起こすとこみ上げるものがありますね」■亡き共演者たちとの思い出故人を偲び、その思い出を語ってもらった。「八千草さんとはこれまで何度かご一緒させていただいて。昔、夫婦役を演じたこともあるんです。そのときに食事をご一緒させていただいたことが思い出深いです。梅宮さんとは、若いころに遊んでいただいたことがあって。ゴルフを一緒に回ったり、漬物の話をしたりとか。山谷(初男)さんは独特の雰囲気がある方でした。残念なことに外で飲んだり、お食事することができなかったんです。この作品で印象に残っているのは、お風呂に入っているシーンですね。セリフも何もなく、ただ浸かっているだけなんですけど、それだけで山谷さんらしさが出ていて何ともいえない雰囲気で。一緒に温泉でも行ければよかったなって、ふと思いました」『やすらぎの郷』に出演されたこんな方たちとのエピソードも。「野際(陽子)さんとはご夫婦で親しくしていただいた時期がありました。当時、舞台もやってみたいとおっしゃっていて、私が舞台の出身なので、そういうお話をずいぶんしましたね。津川(雅彦)さんとは昔、ドラマでご一緒したときに打ち上げで熱海に行ったんです。温泉に行ったんですが、そこが混浴で向こうに女性の団体が入っていて。不思議なもので数で負けるんです。こっちがタオル巻いて逃げました(笑)。そんな思い出を撮影の合間にお話ししたら“そうだった、あれは参ったね”って、思い出話に花が咲いたのを覚えています」そして、最後に最終回に向けての見どころを教えてくれた。「前作は『やすらぎの郷』というものを作り上げ、ひとつの形にして完成させて終わったという感じがしました。そして今回、倉本(聰)さんは特に『道』のほうをおやりになりたかったと思うんです。昭和から平成にかけての、ひとつの村の栄枯盛衰みたいなものが描かれていて、非常によかったなと思います。公平たち一家の話も本当に大詰めですが、みんな巣立ったかと思えば、孫たちが帰ってきたり。ある程度、年齢を重ねた人たちは、より共感しながら最後まで楽しんでいただけるのではないかと思います」いま、プラモに夢中です!「私、『ろうがんず』というプラモデルの会をやっているんですよ。結成10年のお祝いパーティーも先日やりました。この間まで仲間と戦艦を80隻作って展示したんです。全部で160隻あって、残り80隻を10月までに作ろうと思っていて。ただ、非常に部品が細かいので、目がすぐ限界になるのが大変ですが(笑)、夢中になってます」『やすらぎの刻〜道』テレビ朝日系月曜〜金曜昼12時30分〜
2020年02月28日山田太一2019年10月24日に女優・八千草薫さんが亡くなり、ゆかりの人々が悲しみの声を寄せた。……あの人を除いて。「なぜか、脚本家の山田太一さんのコメントがなかったんです。八千草さんは、山田さんの代表作といわれるドラマ『岸辺のアルバム』や『シャツの店』に出演した長年の“盟友”ですから、ひと言も追悼の言葉がないのはあまりにも不自然でした」(全国紙記者)山田といえば、『男たちの旅路』(NHK)や『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)などのドラマや、’90年公開の映画『少年時代』など数々の名作を手がけた脚本界の重鎮。同時代に活躍して切磋琢磨した倉本聰は、10月31日付の朝日新聞に八千草さんを追悼する談話を寄せていた。《山田太一さんのドラマ『岸辺のアルバム』(’77年)で、ヤチさんが不倫する主婦を演じて好評だった時は、「やられた!」と。あの人とはどちらがヤチさんに近くなれるか、競ってたんです》倉本と山田は、八千草さんをめぐって“よきライバル”の関係だった。八千草さんの訃報が流れると、マスコミ各社はもちろん、山田にもコンタクトをとろうとした。が、どうしても連絡がつかない。■脚本家として原稿を書ける状態にない「事務所でもある自宅に電話をしても誰も出ない。手紙を送ると“山田はいないので、今後は送ってこないでください”というメッセージだけが返ってきました。あれほどの大作家が、こんなかたちで音信不通になるなんて聞いたことがありません」(前出・全国紙記者)実は、今年の春ごろから山田とは、多くの関係者が連絡をとれなくなっていた。「元号が変わるタイミングで、ある雑誌が“平成の名作映画とドラマを振り返る”という特集を組んだんです。“脚本界の巨人”と呼ばれる山田先生にもインタビューしようとしましたが連絡がつかない。ドラマスタッフやテレビ局関係者に聞くと、誰もが“最近連絡がとれなくて”と言うんです」(文芸誌編集者)山田は’17年に脳出血を発症し、6か月の入院生活を送った。当時、『週刊ポスト』に、《もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、後悔はしていません。これが僕の限界なんです》と告白し、“引退宣言か”と騒がれた。しかし、直後の朝日新聞のインタビューでは、《もう1本くらい、(脚本を)書けるかもしれない》と自ら引退を否定している。神奈川県内にある山田の自宅近くで近所の住民に話を聞くと、最近は姿を見かけていないという。■親友・八千草薫さんへの思い入れ「2年ぐらい前かしら。ご病気をされた後で、娘さんに付き添われてお散歩しているのをお見かけし、“これからも頑張って書いてくださいね”と声をかけたら“俺はもう書けないよ”っておっしゃっていました。その後パタッと姿を見ることがなくなりました。お宅も雨戸が閉まっていて、夜には電気がついているのも見かけません。もう誰も住んでいないと思います。それに奥さんも体調を崩されてしまって、都内の病院に入られたとか……」山田は2年ほど前から別の場所で生活をしていた。「山田先生は、もう自宅にはいらっしゃらないんです。老人ホームに入られて、そこでひとりで暮らしていると聞いています」(テレビ局関係者)自宅からそう遠くない川崎市内にある有料老人ホーム。そこが、山田の新しい住まいだった。山田の年齢だと入居には2000万円以上は必要になる。部屋の広さは20平方メートルほど。室内はテレビや電話、ベッドやイスなどが備え付けられ生活が不自由なく送れるようになっている。一方で、ナースコールも完備。万が一の場合にも24時間対応している。「復帰に向けてリハビリにも懸命に励んでいたそうなのですが……。やはり病気になってしまってから、以前のように自由がきかなくなってしまったのがショックだったんじゃないですかね。最近では“脚本家の僕を知っている人たちとは、もう会いたくない……”とご家族や近しい方々に伝えているそうです」(前出・テレビ局関係者)老人ホームを通じ、山田にインタビューを申し込んだが、「個人情報のため、こちらにその方が入居しているのかどうかは、お答えすることができません」との返答だった。改めて神奈川県内の自宅を訪ねると、たまたま荷物を取りに来ていたという山田の次女が丁寧に話をしてくれた。─山田先生が最近は執筆されていないようですね。「元気ではいるんですけど……。この前は『ラジオ深夜便』に出演していますし……」─ご病気をされていたが、麻痺などの後遺症は?「(麻痺は)ないです。言葉もうまく話せるようになりました」─過去にはもう執筆できないと話していましたが……。「今は仕事をしたいという感じじゃないんです。他のことをやったりという感じです」─八千草さんが亡くなられたときに、コメントがなかったのはなぜ?「……ちょっと不在にしていたので……、電話に出られなかったんですよ……」─八千草さんについて何かお話をされていましたか?「本人は思い入れも強かったのではないかと思います」─老人ホームで暮らしてるとうかがいましたが?「……今は別の場所にいます。私の家とか、姉の家とかを行ったり来たりです」次女の話にあった『ラジオ深夜便』への出演は、くしくも八千草さんが亡くなった直後の10月26日のこと。「収録はもっと前です。番組スタッフが粘り強く何度も手紙でオファーし続けたところ、出演してくださったと聞いています」(NHK関係者)この中で、山田は死生観についても語っていた。《気がつくと、いつ死ぬかわからない。それが人間の最後の物足りなさということに気がついたことがありまして、それが自分で1番大きな問題になってしまいました。いつ死ぬかわからないというのは、非常にあいまいで、いつ死ぬかわからないというのが、今いちばんの悩みです》インタビュアーから「これから書きたいテーマ」を尋ねられると、山田は、《それは今、本当に自分本位に考えれば、死を待っているわけですから、死ぬということがどういうことかということを、ワッと書けたら素晴らしいと思いますけどね》人間の弱さや愚かさを描いてきた山田が、最後に選んだテーマは“死”について。盟友の訃報を、いま噛みしめているのか。
2020年01月03日先日、銀座にオープンしたロエベ(LOEWE)で新作のアウトドアラインのバッグを手にしたとき、ふと何処かへ行きたくなったのがきっかけで、一人旅に出ることにしました。行き先は北海道。今回の旅のテーマは、“デジタルデトックス”。大きな仕事が無事終わりを迎え、常にパソコンやスマホと向き合っていたこの頃。この旅では一度仕事から気持ちを離して、そこに見える風景だけを吸収しようと心に決めました。しかし、冬の北海道はとにかく移動が大変! スマホがないと、乗り換えがわからない...。というわけで、この旅に関する調べ物はスマホOKということにしました。この日は11月末。雪と星空を見たかったのと、行きたいビストロがあったので道北を目指しました。結果、とてもよい旅となり心からデトックスできたのでブログに残すことにしました。冬の北海道の一人旅レポート、どうぞお付き合いください。雪景色と青い池羽田から9時代の飛行機に乗って11時頃新千歳空港に到着(行き先を決めていなかったので、とりあえず千歳空港へ)。雪景色を見ながら電車で旭川駅まで行き、道北バスを利用して美瑛にある「青い池」を目指します。以前、macのデフォルト壁画で見たことがあって、ずっと行きたかった場所。バスに揺られること1時間と少し。大雪山を染める夕日が静かに沈んでゆくのを見届けながら移動します。普段10分でも短縮したいと考える私には、とても貴重な時間でした。「デジタルデトックスの旅」ですから、窓の外を見たり持参した本を読んだり、うとうとしたり…何もしない贅沢を堪能しました。「白金青い池入り口」というバス停に到着、積もった雪をギュギュと踏みながら歩くこと5分。森の中にエメラルドグリーンをした「青い池」が見えてきました。幻想的な青い池には、枯れたカラマツの木々が空に向かってまっすぐ立つ…今まで見たことのない景色に心を奪われます。冬期は寒さで池も凍結していますが、17時からライトアップもしているようです。雪とのコントラストも素敵そう。青い池雪景色と星空冬の北海道での旅の悩みは、移動手段。雪道ともなると車の運転は怖いので公共交通機関に頼るしかありません。今流行りのゲストハウスや、デザイナーズホテルなども興味があったのですが、色々考えた結果、路線バスが停まる「新富良野プリンスホテル」に滞在することにしました。約1時間おきに富良野バスが停車するのと、主要の駅まで循環してくれるのでとても便利! また、館内には、温泉やコンビニ、土産店、少し歩くと山小屋のようなかわいらしい喫茶店やバー、また小さなショップが並ぶニングルテラスもあり、いいことずくめでした。ニングルテラスこの日は、遅い時間の到着になってしまったので、深夜までオープンしているバー「ショーズバー(Soh’s BAR)」に行きパスタをいただきました。腹ごしらえをして外へ出ると、満天の星がお目見え! とてもキレイ…。雪のかすかな音しか聞こえない大自然で、寒さを忘れて数分夜空を見続けていました。脚本家・倉本聰氏が監修した「Soh’s BAR」2日目は、朝からホテル周辺を散策しながらバスを待ちます。晴れた日の雪景色も美しい...。そして、今日は待ちに待った東川町への訪問です。とにかく、東川町への移動手段に悩みました。「デジタルデトックスの旅」のはずなのに、ずっとスマホから離れられませんでした。グーグルマップと時刻表、そして、SNSを駆使しながら最善の移動手段を探します。結果、ホテルから一度旭川空港に行って、そこから10分ほどタクシーに乗るのがベストだったので、予定通り移動を開始。またまた、バスで1時間と少し移動です。>>新富良野プリンスホテル話題の東川町へ今回東川町を選んだ理由は、美食家たちにもファンが多い「ビストロ ヴレ(Vraie)」で食事をしたかったから。タクシーのお父さんに「東京からひとりで何しに来たの? 」と何度もつっこまれながらお店に到着。木のぬくもりたっぷりの店内。お腹も空いていたので早速オーダー。前菜には「豚肉のテリーヌ」を、主菜には「鶏のコンフィー」を注文しました(1,600円~)。テリーヌは、地元の新鮮な野菜と赤キャベツのラペと一緒にいただきます。グリルされた野菜が添えられた「鶏のコンフィ」は外はパリパリで中はふっくらもちもち。おいしすぎてお皿からなくなってしまうのが悲かったほど。さらに、食後の珈琲もおいしくて、カタカタと鳴る薪ストーブの音を聴きながら、時間を忘れてゆっくりいただきました。遠かったけど、お店に行くことができて本当に良かった...(涙)こちらのお店では、週末不定期でデリの販売もしています。食事中、何度もお客さんが予約していたデリのBOXをピックアップに訪れます。近所に住んだら、デリを自宅で味わえるんだ…と羨ましくなりました。>>ビストロ ヴレ東川町は、旭岳を眺めることのできる静かな町。「写真の町」としても有名で、年に一度「東川町国際写真フェスティバル」が開催されるほど、クリエイティブな人たちが集まる町でもあります。中心部には、古い建物をリノベーションしたおしゃれな雑貨屋やセレクトショップ、カフェが点在していて、新旧が混じり合ったとても魅力的な町です。バスの停留所にもなっている「道草館」では、地元の農家や料理家、クリエイターらが創る特産物が並びます。世代を超えた地元の方々が、愛を込めて町づくりをしている様子がよく伝わりました。>>道草館「キッチンファームヤード」のスープカレー東川から夕張郡由仁町という町に移動。北海道で牧場を営む友人に車で連れて行ってもらった「キッチン ファームヤード」というスープカレー屋さん。こちらでは、チキンのスープカレーをいただきました。残念ながら、夜だったので外の風景を見ることができなかったのですが、日中は、北の大地を存分に味わえる、農園が広がっているようです。サラサラのスープカレーに、ほろほろの骨つきチキン、素揚げされたじゃがいもやピーマン、生の葉野菜、ボイルされた人参など、それぞれ野菜のうまみを引き出す丁寧な調理法で、たくさんの野菜を味わうことができました。こんなに野菜たっぷりのカレーは初めて(“宝石箱”とはまさにこのこと! )。一口めからずっとおいしくて、また当分食べられないのかと思うと、悲しくなります。いつかまた、ドライブがてら訪れてみたいです。>>キッチンファームヤード モエレ沼公園道北から札幌へ移動した帰省の日。札幌駅のコインロッカーに荷物を入れて、電車とバスを乗り継ぎ「モエレ沼公園」へ。彫刻家イサム・ノグチによってデザインされたアートパークです。ガラスのピラミッドモエレ山広大な敷地には、有名なガラスのピラミッドに、モエレ山、その他遊具などの施設が配置されています。冬季は、雪が積もりさらに幻想的な雰囲気に。歩くスキー教室も開催されていて、ファミリーで楽しめる公園になっています。>>モエレ沼公園よいモノだけを吸収し、五感をフル稼働して自然と触れ合った、2泊3日の「デジタルデトックスの旅」。たまには、自分へのご褒美も大切ですね! スキーはできないけど、雪をみたいという女子にはオススメの旅プランです。スノーブーツと防寒着だけはお忘れなく...!
2019年12月28日古代インドの国民的な叙事詩であり、「世界3大叙事詩」ともいわれる『マハーバーラタ』。演出家・宮城聰の代表作『マハーバーラタ』では、その中の『ナラ王物語』に焦点を当て、「語る」俳優と「演じる」俳優、そして生演奏の三位一体で再構築。語り継がれてきた“物語”としての壮大な世界観を、絢爛豪華な舞台絵巻として現出させてきた。本日11月23日(土・祝)に池袋西口公園 野外劇場のこけら落としとして上演されるのは、その宮城版に新たなクリエイティブを重ねた、1日限りの豊島区バージョン。野外劇場ならではの開放的な空間に、360度の大パノラマ舞台を設置して、祝祭的なステージを展開する。物語は絶世の美女ダマヤンティ姫が、美貌の貴公子・ナラ王を夫に選ぶところから始まる。だが嫉妬に狂った悪魔カリの呪いによって、ナラ王は弟との賭博に負け、ついには王国をも失うことに。それでもナラに付き従おうとするダマヤンティだったが、眠っている間にナラは去ってしまう。さまようダマヤンティと、運命に翻弄されるナラ。ふたりは再会して、かつての王国を取り戻すことが出来るのか……。初演は2003年、宮城が主宰するク・ナウカ(活動休止中)での公演で、第3回朝日舞台芸術賞を受賞。その後も、宮城が芸術総監督を務める静岡県舞台芸術センター(SPAC)がインドネシアやフランスでも上演し、それぞれの場所にアダプテーションしたステージで高い評価を得た。2014年には、演劇の祭典として名高いフランスのアヴィニヨン演劇祭でも上演、日本で凱旋公演が行われている。それを観劇した尾上菊之助の依頼で、2017年には物語の後半部分(王位の後裔争い)を新作歌舞伎に仕立て、宮城自身の演出で上演されたことも記憶に新しい。常に異文化との化学反応を取り込みつつ成長してきた、宮城版『マハーバーラタ』。今回の豊島区バージョンでは、「インドの叙事詩が、“今の今”の池袋と出会ったらどんなふうに見えてくるのか?!を、皆さんに目撃してもらうスペシャル版」(公式サイトより)と宮城は語る。猥雑な繁華街が熱気を放つ一方で、今年から来年にかけては劇場や映画館のオープンが続き、かつて小説家や画家、劇作家たちが闊歩した“池袋モンパルナス”の雰囲気を取り戻しつつある池袋。こけら落とし公演として、これほどふさわしい演目はないだろう。文・佐藤さくら
2019年11月23日八千草薫*この記事は『週刊女性』2019年7月16日号に掲載され、ニュースサイト『週刊女性PRIME』に転載したインタビュー記事を再掲したものです。八千草薫さんのご冥福をお祈りいたします。「みなさんが心配してくださるんですが、わりあい元気なんです。今のところ、ね(笑)」そう穏やかな笑顔を見せるのは女優・八千草薫。“米寿”を迎えた2019年、すい臓がんを患っていたことを公表し、世間を驚かせたのは記憶に新しい。「2017年の秋に病院で“すい臓にちょっと気になるところがある”と言われて。年末に詳しく検査していただいたら“やっぱりよくないものがある”ということでね。年が明けて手術をしたんです」手術は無事に成功し、順調に回復。2018年4月からの連続ドラマ『執事 西園寺の名推理』(テレビ東京系)に出演、8月には舞台『黄昏』で主演を務めるなど、87歳(当時)とは思えない演技を見せていた。だが、肝臓への転移も判明したことで、「正確なことをみなさんにきちんとお伝えして、治療に専念することにしたんですね」■72年の女優人生で初めての病気降板2017年に話題を集めた倉本聰脚本の連続ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。その続編で現在放送中の『やすらぎの刻~道』には、八千草も後半パートのヒロイン役で出演予定だった。だが、その役を降板することに。72年間の女優人生で初めてのことだった。「倉本先生にもスタッフのみなさんにもご迷惑をおかけするなぁ、申し訳ないなぁ、と。無理をしてでも、どうしても続けたかったのですけれど、撮影がもっと先に進んでしまってから、どうにもならなくなってご迷惑をおかけしてしまうよりは……と思って」現在は、検査で入院する以外は、自宅で療養中。体調も落ち着いている。「抗がん剤も強いものを使わずに、転移がわかる前と同じ薬で、身体に負担をあまりかけないでゆるやかに治療していこうということで、ね。もちろん大変な病気ですから、ちょっと調子が悪いなぁと思う日もあります。毎朝、犬と一緒に散歩をしているんですけれど、いつでも気持ちよく歩けるというようにはちょっといきませんしね」■倉本聰の案内で初夏の北海道へ6月の上旬には、北海道富良野へ2泊3日で旅行へも出かけたそう。「病気になってから、こんなに遠くまで出かけたのは初めて。本当はお友達も一緒に行く予定だったんですが都合が悪くなってしまって、私ひとりに。だから私も“どうしようかなぁ”と思っていたんですけれど、せっかくだし行かないのはもったいないな、と思って」現地では富良野在住の倉本が案内役を務めたという。「倉本先生が、いろいろなところへ案内してくださって。『北の国から』のセットを再現している家がとっても素敵で面白くてね。とても楽しい3日間でしたけれど、倉本先生にお世話になりっぱなしで申し訳なかったですね(苦笑)」富良野と言えば、見渡す限りのラベンダー畑が有名。残念ながら、ラベンダーの時期には少し早く、花はまだ咲いていなかったというが、「旭川空港から富良野まで1時間くらい車で移動するんですけれど、もうずっと山、山、山……でね。ずっと山を眺めながら“あぁ、やっぱり自然はいいなぁ”って。富良野にはまだ昔からの原生林もそこかしこに残っているんですね。自然の真ん中、本当に森の中にいるなぁという感じで、すごく素敵で気持ちのいいところでしたね。こういうところにいたら、それは長生きするなぁ、と(笑)。東京へ戻ってきたらコンクリートばかりで何だかもう、がっかりしちゃいましたね」日常生活も普段どおりだ。「お友達に会いに出かけたり、銀座のかかりつけの歯医者さんへも行きますしね。そうそう、本屋さんへも行きますね。子どものころは“活字中毒”みたいなところがあったんですけれど、今も雑誌を定期購読しています。ええと……『文藝春秋』に『ニューズウィーク』『サイエンス』……。“ずいぶん男性っぽいものを読んでいるんですね”って驚かれるのだけれど」本では最近、こんな失敗も。「この間ね、久しぶりに5冊くらいいろいろな本を買ったんです。さぁ読むぞ!と思って。そうしたら、その本が入った袋をタクシーに忘れてきちゃって。結局、出てこなかったんです。せっかく重い思いをして持って帰ってきたのに、悔しくて(苦笑)」そんな本好きな八千草が、6月末に、自身初めてとなるフォトエッセイ『まあまあふうふう。』を上梓した。■「しかたないこと」はくよくよ悩まない「お話をいただいたときは、“本と言っても何を書いたらみなさんが興味を持ってくださるのかな”と思ったのですけれどね。でも、自分の考えだったり、心の内を正直に見つめ直すチャンスだと思ってお引き受けしたんです」タイトルの“まあまあふうふう”は、八千草の好きな中国の故事成語“馬馬虎虎”から。もともとは「いい加減な」という意味の言葉だが、八千草は“(ちょうど)よい加減な”と解釈して、日々の生活で心がけているのだという。本書では、自宅や長野県・八ヶ岳高原の山荘でのひととき、大切にしている愛用品など、飾らない日常の写真を多数収録。日々の暮らし方や女優という仕事について、そして自身の病気との向き合い方、生き方についても初めて綴っている。「年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が“悔しいなぁ”と思ったり、夜ベッドに入っていると何だか急に心細くなったりすることも、もちろんあります。でもそれは、自分ではどうにもならないことですから。それをくよくよ悩んだってしょうがない、と思うんですね。“ま、いいか”“ま、しょうがないな”と受け入れてやっていくよりほかないですからね」医師から、がんだと告げられたときも、自分の状況を穏やかに受け入れられたという。「“おぉ……来たか”という感じでね(笑)。もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、“病気は病気で、まぁしょうがないな”“精いっぱい、生きるしかないな”って。病気だけではなくて、起きてもいない先のことや、もう取り返しのつかない昔のことも、どうしようもないことでしょう?」だからこそ、いちばん大切にしているのは、“いま”。「まずは目の前のこと、その日、一日一日を大事にして、自分にできることを一生懸命にやって生きることだと思うんですね。ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪いでしょう?それに、やっぱりどこかでうまくいかなくなるし……。でもね、そうやって頑張って一生懸命、進んだとしても、たいていのことは“あぁ、失敗したな”と思うようにできているのよね、悔しいけれど(笑)」そのやわらかな微笑みは、いまも変わらず輝いていた。初フォトエッセイ『まあまあふうふう。』◎どんなときも、一生懸命に楽しく、〝いい加減〟に人生をまっとうしたい――新たな時代を迎えてなお、輝き続ける八千草さんの日々の暮らしと生きるヒントを綴った一冊。主婦と生活社刊1400円+税
2019年10月28日八千草薫*この記事は『週刊女性』2019年7月16日号に掲載され、ニュースサイト『週刊女性PRIME』に転載したインタビュー記事を再掲したものです。八千草薫さんのご冥福をお祈りいたします。「みなさんが心配してくださるんですが、わりあい元気なんです。今のところ、ね(笑)」そう穏やかな笑顔を見せるのは女優・八千草薫。“米寿”を迎えた2019年、すい臓がんを患っていたことを公表し、世間を驚かせたのは記憶に新しい。「2017年の秋に病院で“すい臓にちょっと気になるところがある”と言われて。年末に詳しく検査していただいたら“やっぱりよくないものがある”ということでね。年が明けて手術をしたんです」手術は無事に成功し、順調に回復。2018年4月からの連続ドラマ『執事 西園寺の名推理』(テレビ東京系)に出演、8月には舞台『黄昏』で主演を務めるなど、87歳(当時)とは思えない演技を見せていた。だが、肝臓への転移も判明したことで、「正確なことをみなさんにきちんとお伝えして、治療に専念することにしたんですね」■72年の女優人生で初めての病気降板2017年に話題を集めた倉本聰脚本の連続ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。その続編で現在放送中の『やすらぎの刻~道』には、八千草も後半パートのヒロイン役で出演予定だった。だが、その役を降板することに。72年間の女優人生で初めてのことだった。「倉本先生にもスタッフのみなさんにもご迷惑をおかけするなぁ、申し訳ないなぁ、と。無理をしてでも、どうしても続けたかったのですけれど、撮影がもっと先に進んでしまってから、どうにもならなくなってご迷惑をおかけしてしまうよりは……と思って」現在は、検査で入院する以外は、自宅で療養中。体調も落ち着いている。「抗がん剤も強いものを使わずに、転移がわかる前と同じ薬で、身体に負担をあまりかけないでゆるやかに治療していこうということで、ね。もちろん大変な病気ですから、ちょっと調子が悪いなぁと思う日もあります。毎朝、犬と一緒に散歩をしているんですけれど、いつでも気持ちよく歩けるというようにはちょっといきませんしね」■倉本聰の案内で初夏の北海道へ6月の上旬には、北海道富良野へ2泊3日で旅行へも出かけたそう。「病気になってから、こんなに遠くまで出かけたのは初めて。本当はお友達も一緒に行く予定だったんですが都合が悪くなってしまって、私ひとりに。だから私も“どうしようかなぁ”と思っていたんですけれど、せっかくだし行かないのはもったいないな、と思って」現地では富良野在住の倉本が案内役を務めたという。「倉本先生が、いろいろなところへ案内してくださって。『北の国から』のセットを再現している家がとっても素敵で面白くてね。とても楽しい3日間でしたけれど、倉本先生にお世話になりっぱなしで申し訳なかったですね(苦笑)」富良野と言えば、見渡す限りのラベンダー畑が有名。残念ながら、ラベンダーの時期には少し早く、花はまだ咲いていなかったというが、「旭川空港から富良野まで1時間くらい車で移動するんですけれど、もうずっと山、山、山……でね。ずっと山を眺めながら“あぁ、やっぱり自然はいいなぁ”って。富良野にはまだ昔からの原生林もそこかしこに残っているんですね。自然の真ん中、本当に森の中にいるなぁという感じで、すごく素敵で気持ちのいいところでしたね。こういうところにいたら、それは長生きするなぁ、と(笑)。東京へ戻ってきたらコンクリートばかりで何だかもう、がっかりしちゃいましたね」日常生活も普段どおりだ。「お友達に会いに出かけたり、銀座のかかりつけの歯医者さんへも行きますしね。そうそう、本屋さんへも行きますね。子どものころは“活字中毒”みたいなところがあったんですけれど、今も雑誌を定期購読しています。ええと……『文藝春秋』に『ニューズウィーク』『サイエンス』……。“ずいぶん男性っぽいものを読んでいるんですね”って驚かれるのだけれど」本では最近、こんな失敗も。「この間ね、久しぶりに5冊くらいいろいろな本を買ったんです。さぁ読むぞ!と思って。そうしたら、その本が入った袋をタクシーに忘れてきちゃって。結局、出てこなかったんです。せっかく重い思いをして持って帰ってきたのに、悔しくて(苦笑)」そんな本好きな八千草が、6月末に、自身初めてとなるフォトエッセイ『まあまあふうふう。』を上梓した。■「しかたないこと」はくよくよ悩まない「お話をいただいたときは、“本と言っても何を書いたらみなさんが興味を持ってくださるのかな”と思ったのですけれどね。でも、自分の考えだったり、心の内を正直に見つめ直すチャンスだと思ってお引き受けしたんです」タイトルの“まあまあふうふう”は、八千草の好きな中国の故事成語“馬馬虎虎”から。もともとは「いい加減な」という意味の言葉だが、八千草は“(ちょうど)よい加減な”と解釈して、日々の生活で心がけているのだという。本書では、自宅や長野県・八ヶ岳高原の山荘でのひととき、大切にしている愛用品など、飾らない日常の写真を多数収録。日々の暮らし方や女優という仕事について、そして自身の病気との向き合い方、生き方についても初めて綴っている。「年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が“悔しいなぁ”と思ったり、夜ベッドに入っていると何だか急に心細くなったりすることも、もちろんあります。でもそれは、自分ではどうにもならないことですから。それをくよくよ悩んだってしょうがない、と思うんですね。“ま、いいか”“ま、しょうがないな”と受け入れてやっていくよりほかないですからね」医師から、がんだと告げられたときも、自分の状況を穏やかに受け入れられたという。「“おぉ……来たか”という感じでね(笑)。もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、“病気は病気で、まぁしょうがないな”“精いっぱい、生きるしかないな”って。病気だけではなくて、起きてもいない先のことや、もう取り返しのつかない昔のことも、どうしようもないことでしょう?」だからこそ、いちばん大切にしているのは、“いま”。「まずは目の前のこと、その日、一日一日を大事にして、自分にできることを一生懸命にやって生きることだと思うんですね。ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪いでしょう?それに、やっぱりどこかでうまくいかなくなるし……。でもね、そうやって頑張って一生懸命、進んだとしても、たいていのことは“あぁ、失敗したな”と思うようにできているのよね、悔しいけれど(笑)」そのやわらかな微笑みは、いまも変わらず輝いていた。初フォトエッセイ『まあまあふうふう。』◎どんなときも、一生懸命に楽しく、〝いい加減〟に人生をまっとうしたい――新たな時代を迎えてなお、輝き続ける八千草さんの日々の暮らしと生きるヒントを綴った一冊。主婦と生活社刊1400円+税
2019年10月28日秋野暢子さん(62)撮影協力/オステリアエジリオ・サーラ「どうせいつかは、みんな死にますからね。どんなふうにこの世とさよならするかは、自分の意思で決めたいと思っています」女優の秋野暢子さんは、60歳を迎えた2年前、一般財団法人『日本尊厳死協会』の会員になっている。■延命措置をやめた30分後に母親が他界「病気や事故で自分がまったく意識がない状態になったとき、人工呼吸器をつけたり胃ろうをしたり、いろんな形で延命することはできます」胃ろうとは、胃に穴をあけ、栄養を直接入れる医療措置。口からの食事が難しくなった人が行う。「でも、私は管につながれ、自分で栄養をとれなくなった状態で生きているのは嫌。だから、“延命治療はしないで”という意思表示をしました」進化し続ける現代医療では、回復の見込みのない患者を生かし続けることも可能だ。しかし1度、延命措置を始めたら、やめることは容易ではない。「私の知り合いはお父様が危篤になり、延命をするとどういうことになるか想像する前に、とにかくあわてて延命して10年です。その間に認知症を発症し、会いに行ってもわからない状態だと聞きます」もちろん、考え方は人それぞれだと秋野さん。「ただ、本人が意思表示できない状態であれば、それを決めるのは家族。もし家族間で意見が合わないと、非常に悩みます。“どんな形でも生きていてほしい”と願う人もいれば、“それはかわいそうだからやめてほしい”と思う人も。だから、きちんと意思表示しておいたほうがいいと私は思うんです」日本尊厳死協会では、“平穏死”“自然死”を望む人が、自分の意思を元気なうちに記しておくことで、“リビングウイル”という書状を発行している。いわば、いのちの遺言状だ。小泉純一郎元総理や脚本家・倉本聰さんも会員だという。秋野さんが入会を決めたのには理由があった。「私の母は60歳のとき、日本尊厳死協会の会員になっています。当時、それを聞かされた私は20歳。まったくピンとこなくて、“ふーん”という感じでしたけどね(笑)」そして、今から23年前。腎臓が悪かった母親の入院中に、秋野さんは仕事で海外へ。帰国して電話をしたときは元気だったが、その後、病院に向かうと、危篤状態になっていた。「お医者さんは“このまま何もしなかったら1時間で亡くなります”と。30分くらい悩んで。でも最終的には本人の意思を尊重し、“延命措置はしないでください”と伝えました。それから約30分で、本当に母は亡くなったんです」以来20年近く、自分が母親の寿命を決めた呵責に思い悩む日々が続いた。本当はもっと生きられたのではないか?「ずっと心の中の黒いシミが消えなかった。でも、自分が60歳を迎える前に、ふとわかったんです。“そうか、母は私の人生の邪魔をしちゃいけないと思ってくれたんだな”と。私には一般企業で働く25歳のひとり娘がいます。もし、私が延命をして10年も寝たきりになってしまったら、彼女の人生を邪魔してしまう。それは絶対にしたくない。母も、そう思ってくれたんだと気づいたとき、心の中の黒いシミが消えました。そして、私も尊厳死協会に入り、娘に意思表示をしておこうと思ったんです」入会を娘さんに告げると、若かりし秋野さん同様に“ふーん”と言っていたと微笑む。「女性の平均寿命は87歳。でも、自分のことが自分でできる“健康寿命”は80歳くらい。あともう18年しかないんですよね。そんなことをだんだん考えるようになり、その一環として昨年、エンディングノートも書きました。娘には、私に何かあったときにはエンディングノートを見るよう伝えてあります」■死ぬ瞬間まで健康じゃなきゃいけないさらに昨年は、洋服やアクセサリーなどの量を半分に減らした。「実家が呉服屋だったので、着物や反物は特に多いんですが、処分しにくいですね。でも、思い出は心の中にあればいいんです」今後は、趣味で長年集めてきた食器の大量処分をしたいと話す。そんな秋野さんに最期の迎え方について尋ねると、「直角に死んでいこうと思っています(笑)。晩ごはんを食べて“おやすみ”と言って寝て、朝になったら安らかに死んでいた……が理想的。変な言い方にはなりますが、そのためには死ぬ瞬間まで健康じゃなきゃいけないんです」ゆえに、秋野さんはトレーニングを欠かさない。「去年までは毎日10キロ走ってましたが、今年から5キロに減らしました。そしてヨガに、筋トレ。毎朝、だいたい1時間半から2時間くらいですね」食事にも気を遣う。「朝食は野菜中心に、650キロカロリーくらいとりますが、晩ごはんは少なめ。発酵食品や焼きニンニクは毎日食べてますよ」昨年5月には一般社団法人『0から100』を設立。運動や食生活、睡眠など多方面からサポートし、健康寿命を延ばすことを目的としている。イベントなどで得られた参加費で、災害支援活動も行っている。「浮き沈みの激しい芸能界で、ここまでやってこれたのは、世の中に甘やかしていただいたから。人生の帳尻を合わせるためにも、世の中のために働かないといけないと思ったんです」自らの死に方と真剣に向き合ったことで秋野さんの生き方は、より輝きを増している─。《PROFILE》あきのようこ。女優。’74年にNHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』でデビュー。その後、’75年の朝ドラ『おはようさん』でヒロインに抜擢される。ドラマや映画、舞台はもちろん、バラエティーや情報番組など幅広く活躍中
2019年09月18日直撃を受ける梅宮辰夫「現場に姿を見せたときは、多くのスタッフが“え……!?”ってなりました。出演者のほとんどが後期高齢者なので、みんなある意味、慣れているんですが、予想以上の衰えが見て取れたので……」(テレビ朝日関係者)4月にスタートしたドラマ『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)で、7月15日の放送回から新たな登場人物の1人として出演した梅宮辰夫。同ドラマは、’17年に2クールにわたって放送された『やすらぎの郷』の続編で、今回も倉本聰が脚本を務めている。「梅宮さんは、その見た目からかなりやせていたので、主演の石坂浩二さんもかなり気を遣っている様子でしたね。出演者、スタッフともども緊張感が走った現場になりました」(前出・テレビ朝日関係者)■「迷惑をかけるかもしれないから」’18年に週刊女性が芸能界引退について直撃した際に「芸能界にまったく魅力がないんですよ!昭和育ちの僕からすれば、今の芸能界なんて見れたもんじゃない」「山城新伍も渡瀬恒彦も菅原文太も、僕の親友は全員死んじゃった。仲間がいなくて、ヤル気も起きない」と話していた梅宮。今回の“復帰”はどうして?所属事務所に話を聞くと、「『やすらぎの刻』に出演することになった経緯は、日本テレビの『前略おふくろ様』以来の付き合いである倉本監督よりご依頼をいただいたので出ています。当初、梅宮は“長期のドラマは撮影中に体調が悪くなったら、迷惑をかけるかもしれないから”と、お断りしたんです。でも、監督から“いいよ、出ている人はみんな同じ状態だからね”と言っていただき、“倉本監督の作品なら”と出る気持ちになりました」倉本の熱望による今回の復帰だが、彼自身も不安視したように、体調面はどうなのか。「昨年とあまり変わらないです。違うのは人工透析を1日おきにしなくてはならないこと。あとは少しだけやせたかもしれません。だから元気かといえば違うし、かといって特別に体調が悪いわけでもない。この10年くらい腰が悪いから、長く歩かなきゃいけないときは杖をつくことがあります。それもまぁ、年相応ですよね。相変わらず料理は梅宮が作っていますし、アンナさんもよく遊びに来ます。それ以外では生活に変化はないですよ」(所属事務所担当者、以下同)復帰は今回だけだというが芸能界からの引退は……?「今後も『やすらぎの刻』の出演と同じスタンスでやっていくつもりです。人工透析は一生続けていかなきゃいけないから、どうしてもそこが中心になりますが、仕事は続けていきます」復帰作での演技はどうだったのか。前出の制作にかかわるテレビ朝日関係者は、「見た目からすごく心配だったんですが、やはりそこは昭和のスター。本番の演技はビシッとしていましたね」時代は令和に変わったが、まだまだ“昭和”のスターの演技を見続けたい!
2019年07月30日八千草薫「みなさんが心配してくださるんですが、わりあい元気なんです。今のところ、ね(笑)」そう穏やかな笑顔を見せるのは女優・八千草薫。“米寿”を迎えた2019年、すい臓がんを患っていたことを公表し、世間を驚かせたのは記憶に新しい。「2017年の秋に病院で“すい臓にちょっと気になるところがある”と言われて。年末に詳しく検査していただいたら“やっぱりよくないものがある”ということでね。年が明けて手術をしたんです」手術は無事に成功し、順調に回復。2018年4月からの連続ドラマ『執事 西園寺の名推理』(テレビ東京系)に出演、8月には舞台『黄昏』で主演を務めるなど、87歳(当時)とは思えない演技を見せていた。だが、肝臓への転移も判明したことで、「正確なことをみなさんにきちんとお伝えして、治療に専念することにしたんですね」■72年の女優人生で初めての病気降板2017年に話題を集めた倉本聰脚本の連続ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。その続編で現在放送中の『やすらぎの刻~道』には、八千草も後半パートのヒロイン役で出演予定だった。だが、その役を降板することに。72年間の女優人生で初めてのことだった。「倉本先生にもスタッフのみなさんにもご迷惑をおかけするなぁ、申し訳ないなぁ、と。無理をしてでも、どうしても続けたかったのですけれど、撮影がもっと先に進んでしまってから、どうにもならなくなってご迷惑をおかけしてしまうよりは……と思って」現在は、検査で入院する以外は、自宅で療養中。体調も落ち着いている。「抗がん剤も強いものを使わずに、転移がわかる前と同じ薬で、身体に負担をあまりかけないでゆるやかに治療していこうということで、ね。もちろん大変な病気ですから、ちょっと調子が悪いなぁと思う日もあります。毎朝、犬と一緒に散歩をしているんですけれど、いつでも気持ちよく歩けるというようにはちょっといきませんしね」■倉本聰の案内で初夏の北海道へ6月の上旬には、北海道富良野へ2泊3日で旅行へも出かけたそう。「病気になってから、こんなに遠くまで出かけたのは初めて。本当はお友達も一緒に行く予定だったんですが都合が悪くなってしまって、私ひとりに。だから私も“どうしようかなぁ”と思っていたんですけれど、せっかくだし行かないのはもったいないな、と思って」現地では富良野在住の倉本が案内役を務めたという。「倉本先生が、いろいろなところへ案内してくださって。『北の国から』のセットを再現している家がとっても素敵で面白くてね。とても楽しい3日間でしたけれど、倉本先生にお世話になりっぱなしで申し訳なかったですね(苦笑)」富良野と言えば、見渡す限りのラベンダー畑が有名。残念ながら、ラベンダーの時期には少し早く、花はまだ咲いていなかったというが、「旭川空港から富良野まで1時間くらい車で移動するんですけれど、もうずっと山、山、山……でね。ずっと山を眺めながら“あぁ、やっぱり自然はいいなぁ”って。富良野にはまだ昔からの原生林もそこかしこに残っているんですね。自然の真ん中、本当に森の中にいるなぁという感じで、すごく素敵で気持ちのいいところでしたね。こういうところにいたら、それは長生きするなぁ、と(笑)。東京へ戻ってきたらコンクリートばかりで何だかもう、がっかりしちゃいましたね」日常生活も普段どおりだ。「お友達に会いに出かけたり、銀座のかかりつけの歯医者さんへも行きますしね。そうそう、本屋さんへも行きますね。子どものころは“活字中毒”みたいなところがあったんですけれど、今も雑誌を定期購読しています。ええと……『文藝春秋』に『ニューズウィーク』『サイエンス』……。“ずいぶん男性っぽいものを読んでいるんですね”って驚かれるのだけれど」本では最近、こんな失敗も。「この間ね、久しぶりに5冊くらいいろいろな本を買ったんです。さぁ読むぞ!と思って。そうしたら、その本が入った袋をタクシーに忘れてきちゃって。結局、出てこなかったんです。せっかく重い思いをして持って帰ってきたのに、悔しくて(苦笑)」そんな本好きな八千草が、6月末に、自身初めてとなるフォトエッセイ『まあまあふうふう。』を上梓した。■「しかたないこと」はくよくよ悩まない「お話をいただいたときは、“本と言っても何を書いたらみなさんが興味を持ってくださるのかな”と思ったのですけれどね。でも、自分の考えだったり、心の内を正直に見つめ直すチャンスだと思ってお引き受けしたんです」タイトルの“まあまあふうふう”は、八千草の好きな中国の故事成語“馬馬虎虎”から。もともとは「いい加減な」という意味の言葉だが、八千草は“(ちょうど)よい加減な”と解釈して、日々の生活で心がけているのだという。本書では、自宅や長野県・八ヶ岳高原の山荘でのひととき、大切にしている愛用品など、飾らない日常の写真を多数収録。日々の暮らし方や女優という仕事について、そして自身の病気との向き合い方、生き方についても初めて綴っている。「年をとっていくと、それまで普通にできたことができなくなったり、少し怠けただけで体力や筋力が落ちたり。私もそういう自分が“悔しいなぁ”と思ったり、夜ベッドに入っていると何だか急に心細くなったりすることも、もちろんあります。でもそれは、自分ではどうにもならないことですから。それをくよくよ悩んだってしょうがない、と思うんですね。“ま、いいか”“ま、しょうがないな”と受け入れてやっていくよりほかないですからね」医師から、がんだと告げられたときも、自分の状況を穏やかに受け入れられたという。「“おぉ……来たか”という感じでね(笑)。もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、“病気は病気で、まぁしょうがないな”“精いっぱい、生きるしかないな”って。病気だけではなくて、起きてもいない先のことや、もう取り返しのつかない昔のことも、どうしようもないことでしょう?」だからこそ、いちばん大切にしているのは、“いま”。「まずは目の前のこと、その日、一日一日を大事にして、自分にできることを一生懸命にやって生きることだと思うんですね。ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪いでしょう?それに、やっぱりどこかでうまくいかなくなるし……。でもね、そうやって頑張って一生懸命、進んだとしても、たいていのことは“あぁ、失敗したな”と思うようにできているのよね、悔しいけれど(笑)」そのやわらかな微笑みは、いまも変わらず輝いていた。初フォトエッセイ『まあまあふうふう。』◎どんなときも、一生懸命に楽しく、〝いい加減〟に人生をまっとうしたい――新たな時代を迎えてなお、輝き続ける八千草さんの日々の暮らしと生きるヒントを綴った一冊。主婦と生活社刊1400円+税
2019年07月06日Rock Opera『R&J』の公開ゲネプロが13日に東京・日本青年館ホールで行われ、佐藤流司、仲万美、陣内孝則、鈴木勝秀(脚本・演出)が取材に応じた。同作は、"誰も観たことがない“ロミオ&ジュリエット”として、シェイクスピアの戯曲を鈴木勝秀が大胆に脚色。生歌唱で盛り上げながら、近未来を舞台にした一目惚れの物語を展開する。佐藤は「今回、通し稽古を15回くらいやりましたよね。なのでもう準備万全というところで、あとは本番を楽しむだけ」、仲は「舞台が初めてなので、すごい不安になるのかと思ったら、興奮してしまって。興奮と快感しかない」と頼もしい様子。陣内は「うちの女房には、ロミオ役やるのかと勘違いされて、『高齢者向けの舞台なの?』と言われました」と周囲を笑わせ、「若い女性のファンのハートをガチッとキャッチしたいと思います」と意気込んだ。「Rock Opera」と称した同作について、佐藤は「舞台で歌ったことのない歌い方をしているので、ちょっと聴いていただきたい。心臓に悪い歌い方といいますか、びっくりするような歌もあります」と明かし、「ぶっちゃけ、ロミジュリは予習してこなくても大丈夫です」と強気の発言。「デストロイというか、破壊的な舞台であるということをすごく大切に思ってます」と表現する。さらに佐藤が「ロレンス役の陣内さんも、毎日違うアドリブを随所に入れてきて、半分くらい台本にないですもんね」と暴露すると、陣内は「初日に向けては、台本通りやる。倉本聰先生の作品のようにやる」と弁解し、笑いを誘っていた。脚本・演出の鈴木は「佐藤流司のような、強いハートを持っている若者に出会えて、僕はとても良かった。本当に嬉しかった。万美ちゃんは、強いハートに、激しく共鳴することができて、その2人がロミオとジュリエットで立っている姿を見ると、劇場全体が震えるような気がします」と絶賛。陣内も「流司くんはとにかく達者ですね。歌もうまいし、芝居も長けてるし。万美ちゃんも踊りはとにかくグローバルスタンダートですから、初舞台にして、このセンス。歌に関してもすごく染みる」と実力を褒め称える。また佐藤は「ぶっちゃけダンスとか、少し仕事でやらせてもらうこともあって、『ちょっと俺も踊れるし』とか思ってたけど、次元が違いすぎて」と苦笑。「松田(誠)会長に、万美ちゃんがよすぎて、『お前、もうちょい頑張れよ』ってしっかり発破もかけられた」と明かす。一方、仲が佐藤について「熱いですよね、すごい。両方とも熱い人間で、バカで……」と言うと、佐藤は憮然とした表情に。仲は改めて「流司くんはロミオのような行動をするかわからないけど、(ロミオは)熱くて素敵な人だなと思います」と印象を表した。東京公演は日本青年館ホールで6月14日〜23日、大阪公演は森ノ宮ピロティホールにて7月4日〜7日。
2019年06月13日キャンディーズ解散から41年、これまで女優として活躍してきた伊藤蘭さん(64)が、5月29日にアルバム『My Bouquet』をリリース。ソロ歌手としてデビューした。’78年、後楽園球場の解散コンサートは、女性シンガーで初めてスタジアムで行われたものだった。その後、役者として復帰し、水谷豊さん(66)との結婚後、35歳で出産。育児と仕事の両立に悩みながらもPTA活動も体験した。「何もしないで後悔するより、やってみて苦労するほうが楽しい」とチャレンジすることで自分を成長させてきた。「“年齢の壁”は笑って乗り越えたい」と6月11、12日には東京で、14日には大阪で「ファースト・ソロ・コンサート」にも挑む――。「ソロのお話は、以前からちょこちょこ言われていたんです。でも、ちゃんと受け止められず、軽く受け流していました。去年の春、もう一度言われて、決めました。あと何十年も元気でやっていられるかわからない。元気もあるし、エネルギーもある、いまのうちに尻込みせず、勇気を出して挑んでみようかなという気持ちになりました。娘もしっかり育ちました。主人も変わらず、エネルギッシュに仕事をしている。ですから、タイミング的にも、よかったんです」夫の水谷さん(66)は、俳優業だけでなく、現在公開中の映画『轢き逃げ 最高の最悪な日』で脚本・監督を務めている。娘の趣里さん(28)は、主演映画『生きてるだけで、愛。』で、今年3月、日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いた。「夫からも、娘からも刺激を受けて、私も触発されました。家族それぞれが向かっているものを持っていて、3人が集まったとき、それぞれの話ができるというのは、喜びが3倍になるんです。60代になったからといって、落ち着くモードに入るのは早いかな。オファーがあるとき、それに応えられる私でいたいと思って、ソロデビューを決意しました」蘭さんは’55年1月13日、東京で生まれた。渡辺プロダクションに入ったのは、’69年。14歳のころだ。「もともとね、フォーリーブスに会いたいと思って、そのバックで踊るスクールメイツに応募したんです。最初は母に反対されたんですが、翌年、また、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院を受けて、通いだしたのが、この世界に入るきっかけです」3年後には、NHKの『歌謡グランドショー』のオーディションに合格。同時に受かった田中好子さん、藤村美樹さんと組んで、トリオを結成する。そのとき、NHKスタッフが命名したグループ名が「キャンディーズ」だった。’73年9月、『あなたに夢中』で歌手デビュー。しばらくはヒットに恵まれなかったが、デビュー前からザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』にレギュラーとして出演し、お茶の間では大人気。スターダムにのし上がったのは、センターを田中さんから蘭さんに交代した5曲目『年下の男の子』(’75年)の大ヒットからだった。「いまでこそアイドルというカテゴライズはありますが、あの当時は、なかったんですね。『私たちはアイドルです』という認識では活動していなかったと思います。3人の意識としては、歌手でした。歌があるから、バラエティもやっていい。でも、真ん中は歌で、歌に戻るんだという意識でした」ところが、絶頂期にあった’77年7月17日、キャンディーズは突然、解散を発表する。「普通の女のコに戻りたい」日比谷野外音楽堂でのライブで、蘭さんが泣きながら放ったこの言葉は、流行語にもなった。解散に踏み切った3人の決意に、ファンも涙ながらに呼応した。大学生を中心に結成されていた全キャン連(全国キャンディーズ連盟)を中心に解散の日に向けてファンが盛り上がりを作っていった。’78年3月にはシングル『微笑がえし』が、キャンディーズ史上初めてオリコン1位を獲得する。解散コンサート当日は、途中経過をNHKニュースが生で放送し、後日、TBSで録画放送されると、単独歌手のコンサートでは最高の視聴率32.3%を記録。その記録はいまだ破られていない。「当時の熱ですか?ふっと1人になったとき、いまひとつ、実感として湧かないので、わからないんです。どこかで、あの(解散の)渦に巻き込まれ切れていない自分があったのかもしれない。なんとなく、別世界という……。あのころは、解散というゴールがあって、そこで終わるという最大の目的に向かって、みなさんに盛り上げていただきながら、がむしゃらに走っていました。スタッフと合宿もしましたし、解散コンサートを一緒に作り上げていく感じがありました。4月4日に向かって、全国各地の大きな会場を回って。50曲以上、歌いました。その集大成が後楽園。あの日、私は、この光景を忘れないよう、目に焼き付けるように歌いました。いまでも、目を閉じると、あの光景が浮かんでくるんですよ」キャンディーズ解散後、蘭さんは芝居の世界に足を踏み入れた。実は中学時代は演劇部の部長を務め、東京都大会で2位に入るほど、演劇に打ち込んでいたのだ。’80年、大森一樹監督の出世作であるATG製作の『ヒポクラテスたち』で、女優デビュー。’81年には、野田秀樹さん率いる夢の遊眠社に参加。ジャージ姿で稽古に励み、舞台『少年狩り』などに出演。その後は、山田洋次さん、倉本聰さん、市川森一さんなど、名だたる監督や脚本家の作品に出演。女優としての地歩を築いた。’89年、水谷豊さんと結婚。翌年には長女・趣里さんを出産して、35歳で母親になった。「子どもが生後5カ月くらいのころから、2時間ドラマはやっていましたが、子育てがおろそかにならないように、バランスを取りながら、仕事をさせていただいていました」両立が大変になってきたころ、蘭さんを支えたのは、青年座の女優・初井言榮さん(90年没・享年61)の言葉だった。「蘭ちゃん、女性はね、本当に我慢して、我慢したときに、内側から素敵な薄桃色の優しさがにじむものなのよ」いまの我慢は後の自分に生きてくる――。この言葉が、蘭さんの心にずっと残っている。「20代のころ、ドラマで共演したときに、言われたんですね。フェミニストの方からすると『えっ?』と思う発言かもしれないけれど、たしかにそういうことってあるなぁと私は思うんです。いろんな角度から、我慢ということを考えることは、必要ではないか。自分が何かを主張したいとき、それをやみくもに主張するのではなく、ちょっと我慢することで、表現の仕方や言い方が変わる。そこが大事なのではないか、と。我慢を重ねることで、表現のバリエーションも増えるし、人間としても豊かになっていくような気がします」蘭さん自身、仕事と子育てを両立させていたこの時期は、葛藤を抱えながら自分と向き合っていた。「振り返れば、子どもに寂しい思いをさせたんじゃないか。もっと寄り添えたんじゃないかと思うこともありましたね。仕事も子育ても、どちらもないがしろにはできない。ひとつのことに専念している方、打ち込める方に比べれば、心身ともに分散してしまいます。あのころは、『仕事も、育児も、どちらもちゃんとやるしかない』と、自分に言い聞かせていました。PTAもやりましたよ。娘が小学生のときに安全対策委員を(笑)。何もしないより、やってみて苦労するほうがいいですよね。お母さん同士のお付き合いで学ぶこともありました。それが楽しくもあり、私を人としても、母親としても、成長させてくれたんです。いまに至る大事な過程だったなと思います」アルバム『My Bouquet』には、そんな蘭さんの人生のスピリットがこめられている。11曲中3曲で、蘭さん自ら作詞も担当した。妻の挑戦を夫である水谷さんはどう思っているのだろう?「今回は、特に相談らしい相談はしていなくて、自分でやると決めてから、『どう?』と、伝えたら『いいんじゃない?』と。音が完成するまで、聴くのを待ってもらっていたんですが、最後には『いいかげん、早く聴かせなさい!』って(笑)。マスタリングが終わったものを聴いてもらったら、3~4回、聴いてくれていましたね。『1曲1曲がバラエティに富んでいて、飽きないね。聴き入っちゃうね』と、言ってくれました」【伊藤蘭さん衣装】ワンピース、カーディガン:HANAE MORI
2019年06月03日今春始まったドラマで、ヒロインを演じる女優たちが多忙を縫って実践している美容&健康にいい「美活」術を一挙公開!その効果を専門家にも聞いてみました――。「朝ドラの撮影現場は長期に及ぶため体調管理が不可欠。今回は北海道での撮影も多く、手軽な栄養補給&美肌維持のため広瀬さんは積極的にいちごを食べています。『ビタミンが摂取できるから大好きなんです』と話していました。1パックは食べられるそうです」(仕事関係者)20%以上の視聴率を保つ『なつぞら』(NHK)主演の広瀬すず(20)は「苺活」。以前、静岡いちごのイメージキャラクターを務めたこともあるほど。すぐ食べられる手軽さが魅力だという。「美容に必須のビタミンCがいちご5粒で約1日分取れます。抗酸化作用のあるアントシアニンも豊富でエイジング対策にも有効です」(美容ライター・梅野利奈さん)姉・広瀬アリス(24)も連ドラ『ラジエーションハウス』(フジテレビ系)に出演中だ。広瀬姉妹は“写活”に励んでいるという。「インスタグラムやツイッターでまだ顔の知られていないモデルや一般人の男女を見て『このコ、イイ!』と言い合いながら、写真をスマホで送り合っています。“私もまだ負けられない”という美意識へつながり、衣装やメーク、演技に生かしているとか」(芸能関係者)続編が多い今回の春ドラマ。なかでも『科捜研の女』(テレビ朝日系)は20周年を迎え、1年間放送される。主演・沢口靖子(53)は「蜜活」に取り組んでいるという。「沢口さんはお手製のジンジャーハニーティーを現場に持参してきています。紅茶にすり下ろしたしょうがを加え、ハチミツをたっぷり入れています。長丁場のロケを乗り切る必需品だとか」と、ドラマ関係者。「新陳代謝を高めてくれるしょうがは、体の冷えから守ります。さらに、熱を加えるとしょうがに含まれるジンゲロールがショウガオールに変化し、より血行促進効果が高まります」(前出・梅野さん)倉本聰脚本の『やすらぎの刻』(テレビ朝日系)も『やすらぎの郷』から2年ぶりの新作。八千草薫(88)の体調問題で“代役”主演となった風吹ジュン(67)は「茶活」にハマっているという。「風吹さんの中国茶好きは業界では有名なのですが、近年はさらにエスカレート。お店で気に入った中国茶を見つけると、店主に頼み込んで茶葉の買い付けに同行するほど。『産地は20カ所以上巡ったわ。中国茶って人生のすべてを洗い流してくれるのよ~』と笑顔で話していました」(ドラマ関係者)『緊急取調室』(テレビ朝日系)は今回が第3弾となる。天海祐希(51)は「発酵活」に熱心だ。「『納豆やキムチ、漬け物などの発酵食品が大好きで、毎日食べています』と話していました。また、撮影が長引き帰宅がどんなに遅くなってもシャワーで済ませず、必ず湯船に入るようにしているそうです」(ドラマスタッフ)天海と同じく、発酵食品好きで「漬活」しているのが『ストロベリーナイト・サーガ』(フジテレビ系)に主演する二階堂ふみ(24)。「できる限り自炊していて『自分で漬けた漬け物を、お味噌汁、玄米、お魚と一緒に食べるのが最高~』と話していました。にんじん、かぶ、大根、きゅうりをよく漬けているとか」(仕事関係者)前出・梅野さんは言う。「発酵食品はこうじ菌、乳酸菌などの健康に必須な菌が豊富。整腸効果、美肌効果などが見込まれ、全身が健康になります」春ドラヒロインの「美活」は、日常生活でも役に立つはず!
2019年05月17日『やすらぎの刻〜道』倉本聰脚本、石坂浩二、浅丘ルリ子、加賀まりこら往年のスターが競演し、好評だった昼の帯ドラ『やすらぎの郷』の続編、『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系・月曜~金曜昼12時30分~)。新たなメンバーが加わった人間模様と、劇中劇『道』の2つのドラマで描く誕生秘話、撮影舞台裏とは―。■7人の新たな入居者2つのドラマが展開2017年4月から半年間放送され、好評を博した倉本聰脚本『やすらぎの郷』の続編で、1年間放送する。芸能の世界に貢献した人しか入居できない特別な老人ホーム『やすらぎの郷』を舞台に、石坂浩二扮する主人公の脚本家・菊村栄が、そこで暮らす往年のスターたちのさまざまな騒動に巻き込まれ、人間模様を見つめてきた。出演は浅丘ルリ子、加賀まりこ、上條恒彦、藤竜也、風吹ジュン、ミッキー・カーチス、山本圭ら前作のメンバーに加え、いしだあゆみ、大空眞弓、丘みつ子、笹野高史、ジェリー藤尾、松原智恵子、水野久美ら7人が新入居者として登場する。「倉本先生はそれぞれのキャラクターをあて書きするので、役者さんのプライベートと重なるエピソードが登場することがしばしばあります。ただ、菊村に関しては別。菊村の行動やセリフには石坂さんのプライベートよりむしろ、倉本先生ご自身のお気持ちが強く表れていると思います」と、中込卓也プロデューサー。続編は“やすらぎの郷”の人間ドラマに加え、菊村が執筆中のシナリオ『道』が映像化されていき、2つの物語が展開されていく。「前作終了後から、ぜひ続編をやりたいと思っていました。でも、倉本先生は“(『やすらぎの郷』は)書ききった”というお気持ちが強かった。そのためテレビ朝日開局60周年記念帯ドラマ劇場には、先生のかつての戯曲がベースの物語の企画を進めていました。ところが、その物語だけでは1年間放送のドラマにするボリュームがないと先生がおっしゃったので、“それなら、『やすらぎ』の続編の中でやりませんか?”と提案しました。幸い、菊村は脚本家。劇中劇のような形で展開できるのではないか、と思ったんです。倉本先生は迷っていた様子でしたが、1か月もしないうちに9話までの脚本を完成。“面白い!”と言うと、さらに5話分を見せてくださいました。深い考えなしに提案したのに、先生の手にかかると、劇中劇の“道”が必然性のある作品になりました。シニアを意識したドラマで、視聴者の方には老人のリアルと、その方たちが若かりし時代の思い出の両方を楽しんでいただけると思います」(中込P、以下同)■オーダーメードのお嬢の衣装に注目前作では描ききれなかったお嬢(浅丘)やマヤ(加賀)のかつてのエピソードや、新たな恋などスターたちのそれぞれの物語が展開するのも注目ポイント。「みなさん、セリフ覚えが大変などと言いますが、ほぼ頭に入った状態で現場に入られています。いちばんセリフが多い石坂さんはいつも完璧だし、座長としても気配りをしてくださいます」劇中でライバル視しているお嬢とマヤのような関係が実際にもあるのでは?「当然あるでしょう。文句を言いたいこともあるかもしれませんが、そこは“毒をもって毒を制す”。現場は大スターだらけですから、自分だけクレームを言うとカッコ悪いから、どなたもおっしゃらないんです(笑)」百戦錬磨の役者がそろい撮影は快調で、予定時間より早く終わることも多い。「撮影開始前に呼びに行かなくても、セットの準備ができたころには入ってきてくださいます。多少NGを出しても、監督が止めない限り芝居を続けるのも、フィルムが貴重だった時代の映画で活躍した方々ならではです。一発OKも多く、順調に撮り進んでいます」お嬢の衣装も女性必見の見どころ。「浅丘さんは前作で80着くらいをオーダーメードしていましたが、今回も新しいものを作っておられます。お嬢の衣装についての問い合わせはとても多いので、浅丘さんご自身も“私の衣装を楽しんでくださる方がいらっしゃるから”とこだわって、いろいろとご提案くださいます」放送直前に体調を崩して降板した八千草薫、冨士眞奈美が演じた前作の人気キャラクターが、登場するシーンもあるそうなので、お見逃しなく。いろんな楽しみ方ができる今作は4月8日にスタートしたばかり、まだ間に合います!出演者にも好評“やすらぎ”スイーツ“道”編の舞台である山梨の老舗銘菓『桔梗屋』とコラボした期間限定のスイーツ『「やすらぎの刻~道」オリジナル桔梗信玄 餅どら』が登場。もち入りのどら焼きで、出演者にも“おいしい”と好評。『桔梗屋』やサービスエリア、道の駅などで買えるので、ご賞味あれ!『道』キャスト5000人オーディション“道”編では主人公の夫婦となる、しの(清野菜名)と公平(風間俊介)以外の配役についてはオーディションを行い、5000人が応募し、34人が選ばれた。「この中から“やすらぎ出身”といわれる俳優さんが世に出てくれたら、うれしいなと思います」(中込P)合格者のなかには、ダカール・ラリーに出場するバイクレーサーで俳優の風間晋之介(35)が、公平の兄役で出演。ネクストブレイク予備軍にも注目を!
2019年04月29日ニット帽にサングラス姿で、猫との“会話”を楽しんでいたのは女優・八千草薫(88)。東京都内で1人暮らしをしている彼女は犬と猫を1匹ずつ飼っているが、彼らと過ごす時間は何よりの“やすらぎの刻”なのだろう。路上での語らいが終わり自宅に戻る八千草の後ろ姿を猫は名残惜しそうにじっと見つめていたが、その視線に気づいた八千草が手を振る姿もなんとも可愛らしかった。4月8日からドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)がスタートした。’17年放送の『やすらぎの郷』の続編であり、来年3月まで続く大作だが、すでに八千草の撮影は終了しているという。「『やすらぎの刻』で八千草さんは2つの役に出演予定でしたが、今年に入り肝臓がんが発見されたためヒロイン役は降板することになったのです。前作でも登場した九条摂子としてのシーンは、脚本家・倉本聰さんが大幅に台本を書き換えることで対処し撮影済みです」(テレビ局関係者)現在、八千草はどういった治療生活を送っているのだろうか?八千草のマネージャーに聞いた。「おかげさまで治療は順調で病状も良い方向に向かっております。『やすらぎの刻』撮影終了後にいったん入院しましたが、ちょうど自宅に戻ってきたところです」ドラマスタートにあわせて帰宅したということのようだ。「また入院する予定ですが、あくまでも治療のためで体調が悪化したためではありません。『やすらぎの刻』ですか?毎日放映時間にテレビの前にいるのは難しいので、テレビ局から送ってもらったDVDで視ているようですね。禁じられている食べ物などもなく、ふだんどおり生活しているのですが……」実は困ったことがあるという。「本人は出かけてみたいところもたくさんあるのですが、外出を控えざるをえない状態なのです。皆さんが八千草の闘病のことをご存じで、ずっと入院していると思い込んでいらっしゃるのです。だからデパートなどで買い物をしていても、『八千草さん、なんでこんなところを歩いているんですか!?大丈夫ですか!?』という感じになってしまうんですよ」いまの楽しみは治療スケジュールが終わった後の旅行先を考えることだという。旅行計画と愛犬・愛猫たちとの“やすらぎの刻”が、闘病の励みになっているようだ。
2019年04月19日沢口靖子・米倉涼子・天海祐希今年2月1日に開局60周年を迎えたテレビ朝日は2019年1月1日から2020年3月31日までを「開局60周年記念期間」とし、記念コンテンツとして人気ドラマや大型イベントを展開している。4月にスタートした倉本聰氏の帯ドラマ『やすらぎの刻 道』と沢口靖子主演の人気長寿ドラマ『科捜研の女』は共に通年放送するという大型プロジェクトだ。さらに10月クールでは『相棒』『ドクターX』といった同局の看板番組がそろい踏みするという。16日発売の『女性自身』によると、開局60周年という記念イヤーでもあるため、米倉サイドと『ドクターX』復活へ向けて極秘裏に交渉し、ついに再開に漕ぎつけたのだという。「テレ朝は昨年の年間視聴率“三冠王”の日本テレビに肉薄する勢いです。特に昨年10月クールでは全日帯の平均視聴率は首位になりましたが、もし『ドクターX』が放送されていたら、日テレの三冠を阻止していたのではと言われています」(テレビ局関係者)その10月クールで看板ドラマ3作品が放送され、さらに60周年記念番組のトリを務めるのが世界中で大ブームを巻き起こした米ドラマ『24』の日本版リメイク『24Japan』だ。「1月に制作決定が発表されるや、早速ファンの間では主人公のジャック・バウアーを演じる俳優の予想が繰り広げられました。堺雅人や西島秀俊、堤真一などの名前があがりましたが、最終的には唐沢寿明に決定したようです」(スポーツ紙記者)制作はテレビ朝日と20世紀FOXが共同で行いますが、日本版では、24時間の出来事をリアルタイムで描くフォーマットはそのままに、随所にアレンジも追加し、日本初の女性総理大臣が誕生するまでを描くという。「インターネットテレビ局『AbemaTV』や、動画配信サービス『ビデオパス』とも連携することも明らかにされていますが、実はアジア全域に同時配信することも検討されているようです」(同前)だが、気になるのは唐沢の相手役となるヒロインだ。「どうやらヒロインは天海祐希に決定したそうですね。天海は同じテレ朝のドラマ『緊急取調室』に出演中でこちらも、人気コンテンツの一つですからね。テレ朝としては、これ以上ないという陣容です」(テレビ局関係者)第1回東宝シンデレラで20年という長寿ドラマの主演を務める沢口か、『ドクターX』で不動の地位を築き、ブロードウェイの舞台で主役も経験した米倉か、元宝塚トップ男役で絶大なる人気を誇る天海か。看板女優たちの戦いが楽しみだ。<取材・文/小窪誠子>
2019年04月19日Kis-My-Ft2の宮田俊哉と横尾渉が、27日に放送されたラジオ番組『Kis-My-Ft2 キスマイRadio』(文化放送/毎週水曜24:05~24:30)で、ジャニーズ事務所の風間俊介について語った。4月から放送される倉本聰作の帯ドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)で、風間と初共演している宮田は、「風間くんと一緒に芝居してるとき、うめえな!って思う。何が上手いって、人のセリフ聞いてるのが上手いの。役者だなって感じがするの」と尊敬の念。「風間くんの演技って、食いついちゃうよね」と同意した横尾も、「俺、入所したときはジャニーズのことを知らなかったんだけど、『3年B組金八先生』が好きだったから、風間くんに会えたときはマジでうれしかった」とエピソードを披露した。また、Kis-My-Ft2のメンバーが出演しているドラマや映画について、宮田が、「俺はメンバーのやつって、観ると泣けちゃうんだよな」と語る一方で、横尾は、「俺は泣かない。メンバーのを観ると、照れちゃうの。嵐の二宮さんも、松本潤さんのキスシーンとか照れちゃうって言ってたじゃん。メンバーの恋愛ものとか、泣ける話とかキュンって構えちゃうから、面白いドラマに出てほしい」とメンバーたちに懇願。宮田は、「そんな横尾さんも泣けるドラマが始まるのよ。戦時中の話だから、ぜひ観てもらいたいわ」と猛アピールしていた。
2019年03月28日『家なき子』で主人公を好演した幼少の安達祐実「平成の前半に当たる’90年代、ドラマといえばフジテレビ、もしくは月9と言われてきました」■かつての主人公は「お金をかけながら恋愛していた」そう話すのは、元テレビプロデューサーで上智大学の碓井広義教授。当時は『101回目のプロポーズ』『東京ラブストーリー』(ともに’91年)など、タイトルどおりの恋愛ドラマが花盛り。同志社女子大学メディア創造学科の影山貴彦教授は、「まだバブルの時代。ヒロインは20歳そこそこのOLなのに、都心部の高級マンションに住み、華やかな生活を送っていた。今の時代なら違和感、嫌悪感を持たれるはずですが、当時はみんなが憧れの眼差しで見ていました」と指摘。人々がシンプルなものをストレートに享受していたと話す。「あのころのドラマの主人公は“いつ仕事してるの?”というくらい、恋愛に時間とエネルギーを注いでいました。ドラマ内外の誰もが心や懐に余裕があって、見栄を張ったり、背伸びをしたり。お金をかけながら恋愛をしていました。それができた時代でしたね」(碓井教授、以下同)しかし、’91年にバブルがはじけ景気は急降下、日本経済は暗転する。「ただ、一般の人の生活に影響が出るまでにはタイムラグがあった。不況がドラマにわかりやすく表れるようになった作品といえば『家なき子』(’94年、日テレ土9)でしょう」小学生だった安達祐実が叫ぶ“同情するなら金をくれ”は、流行語に。「『ひとつ屋根の下』(’93年、フジ月9)にしろ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(’94年、TBS金10)にしろ、苦みがあって、ゲラゲラ笑って見られるような作品ではない。恋愛ドラマも『愛していると言ってくれ』(’95年、TBS金10)『星の金貨』(’95年、日テレ水10)など、明るく元気な恋愛ではありません」■常識や概念が変わっていったヒット作には、フジテレビの月9だけでなく、TBSや日本テレビが違う角度からアプローチした作品も混ざるように。主要ドラマはほぼ視聴しているというライターの吉田潮さんは、こう分析する。「平成前期のテーマは“男女関係の絶望”じゃないですか?恋人や夫婦間のもろさ、結婚したからといって必ずしも幸せにならないというメッセージ性のある作品が目立ちます。不倫ブームの火つけ役は『失楽園』(’97年、日テレ月10)。意欲作、問題作も多く’93年なんて『悪魔のKISS』(フジ水9)『高校教師』(TBS金10)『誰にも言えない』(TBS金10)『同窓会』(日テレ水10)。もう、カオスですよ(笑)」’95年には阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件という歴史的な出来事が相次いで発生。「科学技術では抑えられない自然の脅威。人間がやるはずがないことを、実際にやったという恐ろしさ。常識や概念がひっくり返り、日本人の意識下をじわじわと変えていったんです」(碓井教授、以下同)だが、フジの月9は変わらず『ラブジェネレーション』(’97)のような恋愛ドラマを量産し続ける。「視聴者は明るい月9の恋愛ドラマを、もう『東京ラブストーリー』のころと同じ気持ちでは見られなくなっていたはず。実際、習慣や惰性で見ていたのでは?しかしフジは“まだ行ける”と突き進み、時代の空気とズレてしまった。そこが成功体験の怖さであり、フジのドラマが最盛期から下っていった背景だと思います」《PROFILE》影山貴彦教授◎同志社女子大学メディア創造学科教授。毎日放送のプロデューサーを経て、現職。専門はメディアエンターテインメント論 碓井広義教授◎上智大学文学部新聞学科教授。専門はメディア文化論。テレビマンユニオンに20年以上在籍。近著に倉本聰との共著『ドラマへの遺言』(新潮新書)吉田潮さん◎ライター、イラストレーター、テレビ批評家。主要番組はほぼ網羅している。『週刊女性PRIME』で『オンナアラート』を連載中
2019年03月21日(左から)八千草薫と倉本聰「一昨年の年末に、すい臓にがんが見つかり……今年に入りまして肝臓にも……」2月9日、八千草薫が、がん闘病を告白。4月放送開始の『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)を降板し、治療に専念するという。「倉本聰による脚本で’17年に放送された『やすらぎの郷』の続編です。前作は石坂浩二が演じる脚本家が老人ホーム『やすらぎの郷』へ入居するところから始まる物語で、浅丘ルリ子や加賀まりこなど豪華キャストが話題になりました。今回は彼らのその後が描かれるとともに、脚本家が執筆するシナリオ“道”が劇中劇として同時進行します」(テレビ誌ライター)八千草の演じた、主人公の脚本家にとっての憧れの女優・九条摂子という役は、前作で亡くなったことになっていた。だが、倉本は上智大学教授の碓井広義氏のインタビュー取材に“このドラマには彼女が必要だ”と語っている。《九条摂子を殺しちゃったのは誤算でした。まさか続編を作るなんて思いもしなかったですから。八千草さんは『やすらぎ』の象徴ですから。新作にもいてくれないと困ってしまう。でも、こちらの都合で生き返らせるわけにはいかない。それで、九条摂子を脳内ドラマのヒロインにしようという発想をしたんです》■八千草の収録最終日に……倉本が八千草と初めて仕事をしたのは、’71年放送の東芝日曜劇場『おりょう』(TBS系)。それ以来、家族ぐるみの交流がある。「倉本さんが北海道の富良野に家を買おうとしたとき、お金が足りず、八千草さんに3分の1を出してもらったそうです。また、八千草さんの母親の葬儀では、倉本さんが受付をされていたのですが、八千草さんの夫で映画監督の故・谷口千吉さんから“受付係のガラが悪いので弔問客が入りづらそうにしている”と怒られたこともあるんだとか」(テレビ局関係者)『やすらぎの刻』は昨年11月にクランクイン。倉本は全235話を書き上げていたが、「八千草さんの降板で、倉本さんは脚本を大幅に変更しました。劇中劇の主役は風吹ジュンさんに代わりますが、八千草さんは引き続き九条摂子の役で出演します。石坂さんの夢枕に立つなど、短い場面に登場することにしたんです」(同・テレビ局関係者)2月12日、新たに書き加えられたシーンの撮影が行われた。八千草の収録最終日で都内スタジオには倉本の姿も。「普段は脚本家がドラマの撮影に立ち会うことはありません。富良野に住んでいる倉本さんが現場に来たんですからよほど思い入れがあったんでしょう。八千草さんも同じ気持ちだったようで、最後の挨拶で“また来たい、終わりにしたくない”と話していました」(同・テレビ局関係者)深い絆で結ばれた倉本と八千草の友情に、終わりはない。
2019年02月28日冷え込みが厳しい朝7時、東京都内の自宅から姿を現したのは女優・八千草薫(88)だった。彼女は数日前の2月9日に事務所のHPを通じてがん闘病と仕事の休止を公表したばかり。《一昨年の年末にすい臓に癌が見つかりまして、昨年1月に手術致しました。術後は順調で去年は連続ドラマと舞台に出演させて頂きました。ところが今年に入りまして肝臓にも見つかり……》’47年に宝塚歌劇団に入団してからすでに72年。ほとんど仕事を休んだことがないという八千草の休養宣言は世間を驚かせた。しかし本誌が目撃した彼女の足取りはしっかりしており、元気そうだった。右手には小さな食品保存容器を持っている。近年は自宅に出入りする猫にエサをあげるのも朝の日課になっているそうだが、その日課もきちんと続けているようだ。八千草の夫・谷口千吉氏は’07年に逝去し、彼女は1人暮らしを続けている。知人男性は言う。「八千草さんは動物が大好きで、いまは犬と猫を飼っています。がんの治療についてはよくわかりませんが、88歳なのに本人はいたって元気ですよ。今年になって車も買い替えたばかり。車高が高いので、『眺めがいいのよ』なんて喜んでいました」肝臓がん闘病中という八千草だが、続けているのは猫のエサやりばかりではない。4月スタートの連続ドラマ『執事西園寺の名推理2』(テレビ東京系)は降板したものの、なんと同じく4月スタートの『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)には出演していくというのだ。八千草のマネージャーは言う。「『やすらぎの刻~道』は(’17年放映のドラマ)『やすらぎの郷』の続編にあたります。今作では八千草はもともと2つの役に出演予定でした。そのうちヒロイン・しの役は降板しましたが、前作でも登場した九条節子役としては出演します」1月に肝臓へのがん転移が発覚した後、倉本聰さんは台本を大幅に書き換えたのだという。「昨年すでに撮影したシーンもありますし、今後は体調と相談しながら、無理をしない程度に撮影を続けていきたいと考えています。本人は仕事がとても好きですので、(九条節子役以外の)降板も苦渋の選択でした。しかし体調が悪化して共演者やスタッフの皆さんにご迷惑をかけるのも申し訳ありませんので、この度のような選択となったのです」「ちょっとゆるやかに、でも少し無理をして」を信条としている八千草はインタビューなどでも“できる限り仕事は続けていきたい”と語っており、さらにHPでも次のようにつづっている。《また番組を楽しみにして頂いておりましたファンの皆様には体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加できるように帰って参ります》文面からは“女優として、もっといろいろな役を演じてみたい”という、強い意志が伝わってくる。今年買ったばかりだという新車のこともマネージャーに聞いた。「そうなんです。実は車を買い替えるほど、『やすらぎの刻』には意欲を燃やしていたんですよ。山梨県などでのロケも多いので、“もっと乗り心地の良い車にしましょう”と本人がパンフレットも取り寄せて色とか座席とかを選んでいたんです。車高の高いミニバンにしたのも、ロケ先で景色を楽しむためでした。しかし車が届いた矢先に、転移が発見されてしまって、いまはもっぱら病院に通うときに使っています」すい臓がんの際は数時間もの摘出手術に臨んだというが、今後の治療計画はまだ検討中だという。「いまは調子が良いので、しばらくは自宅療養を続けます。しかし、がんのステージによっては入院しての療養に切り替えることになると思います。手術ですか?やっぱり手術は痛みも感じますし、なるべく避けてあげたいですね」八千草の自宅には愛犬や愛猫がいるだけではなく、大切なものも置いてある。彼女の一日は、イーゼルに飾られた亡き夫の大きな写真に挨拶をすることから始まるのだ。2度目のがん闘病でもゆるがない不屈の女優魂を支えているのは、天国の夫の優しいまなざしなのだろう。
2019年02月22日2月上旬の早朝、荷物を抱え仕事場へ向かう風間俊介「奥さまが自転車にお子さんを乗せて、保育園の送り迎えをする姿をよく見ますよ。休日は旦那さんに手をひかれて、一緒に歩いている姿も見かけましたね」(近隣住民)’12年秋から放送されたNHK連続テレビ小説『純と愛』でヒロイン・夏菜の夫役を務め一躍脚光を浴びた風間俊介。昨年10月からは『ZIP!』(日本テレビ)の月曜メインパーソナリティーを務めるほか、現在放送中の連続ドラマ『記憶捜査~新宿東署事件ファイル~』(テレビ東京系)に出演するなど、売れっ子俳優のひとりだ。「風間さんはジャニーズ事務所所属なのですが、CDデビューしておらず、ファンからも“歌わないジャニーズ”と言われています。『ZIP!』はTOKIOの元メンバー・山口達也さんの後任ということもあり、“事務所のゴリ押しなのでは?”という声もありました。しかし始まってみると、風間さんの番組進行はとても安定したもので、各方面から絶賛されています」(テレビ局スタッフ)4月からは,17年に放送された『やすらぎの郷』に続く倉本聰脚本の帯ドラマ『やすらぎの刻(とき)~道』(テレビ朝日系)に主要キャストとして出演することも決まっている風間。アイドルの道では天下を取れなかったが、ジャニーズ事務所にとって欠かせない存在として、光を放っている。■子どもについて触れるのはタブーだが、そんな人気者の彼は芸能界の人々やファンにまだ伝えていない秘密があるというのだが――。「実は風間クンには3歳になる息子さんがいるんです。撮影の合間には、親しい先輩俳優などに、子育てについて話を聞いたりしていましたね。ただ、事務所の方針なのか公にはしていないので、こちらも子どものことに触れるのはタブーなんです。彼に子どもがいることを知っているのは、本当に親しい俳優仲間やスタッフだけじゃないでしょうか」(映画製作会社関係者)風間は’13年5月に5歳年上の一般女性・Aさんとの結婚を発表。だが、決して順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な夫婦生活ではなかった。「NHKの朝ドラ『純と愛』で共演した夏菜さんとの“深夜密会”現場を‘13年10月に写真誌に撮られています。彼女とは夫婦役だったということもあり、本人たちからすれば普通の会話でも周囲から見れば“恋人にしか見えない”と囁かれていました。報道後、奥さんは非常にショックを受けていたと聞きましたよ」(ワイドショー関係者)この報道があったためか、風間が結婚して約6年がたとうとしているにもかかわらず、家族のことは話題にならなかった。だが、風間はしっかりと温かい家庭を築いていたのだ。2月上旬の早朝、小雨降る肌寒い気温のなか、都内の高級住宅街にある自宅から仕事に向かうため姿を現した風間。両手には大荷物を抱えている。これからドラマの撮影に向かうのか、迎えにきた事務所のワンボックスカーにてきぱきと荷物を詰めて乗り込んだ。30分後、傘をさして家の外へ出てきたAさん。その近くには、小さな傘をさした男の子が一緒だった。保育園へ向かうのか、紺色のコートにチェックのズボンという格好。そのまま道路を走って横断し、後から彼女が続く。雨の中だが子どもが楽しそうに話しかけ、2人で話をしながら立っている姿は、まぎれもなく親子だった。また、別の日にはチャイルドシートの付いた電動自転車に長男を乗せて、Aさんが走る姿が目撃されている。ママ雑誌から出てきたような、スタイリッシュな母親ぶりは、さすがはジャニーズの妻だ。「子どもを乗せる電動自転車というと、決してかっこいいとは言えないデザインが多いのですが、風間さんの奥さんが乗っている『HYDEE Ⅱ』というモデルは、デザイン性が高いのが特徴です。子どもを乗せるカゴを取り外しても、オシャレな自転車として乗ることが出来るため、ママたちの間でも人気ですよ。値段はオプションを付けるともっと高くなりますが、15万円はくだらないです」(ファッション誌関係者)近所のママ友とも気軽に挨拶するAさんからは、幸せな雰囲気がにじみ出ている。「奥さんは30代後半で子どもを授かったので、妊娠したときはとっても喜んでいましたね。一時期は夫婦の危機もあったようですが、この妊娠がすべてを解決してくれたそうです。妊娠中は風間さんも親身になって支えてくれましたし、男の子が生まれたあとも、忙しい時間を割いて“イクメン”してくれているそうですよ」(ママ友のひとり)風間は3年間、なぜ子どもがいることを公表しなかったのだろうか。「隠していたわけではなく、公表するタイミングを逃してしまったんだと思います。彼はジャニーズ内でグループに属さず、個人で活動するタレント。グループに及ぼす影響もないので、必ず公表しなければならないというハードルは、低かったんでしょうね」(前出・映画製作会社関係者)公私ともに充実しているジャニーズの人気者は、人知れずひっそりと子育てに勤しんでいた――。
2019年02月11日