渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(99)は、その心身壮健な様子や穏やかな語り口で、多くの人々の注目の的となっている。渋沢栄一の実像を知る貴重な生き証人でもある鮫島さんは、渋沢の三男で実業家渋沢正雄氏の次女である。近年はエッセイストとして著書を出し、近著『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)はいまやベストセラーに。そんな鮫島さんは、様々な人の導きがあってこその、今の健康的な暮らしがあると話す。そのカギを握るうちの1人は、鮫島さんにとって2人目の人生の師である故・荘淑旂(そうしゅくき)氏。鮫島さんは荘氏から伝授された食事、睡眠、そして「防がん宇宙体操」などを日々の暮らしに取り入れ、その健康の源としているのだ。■姿勢をピンと!宇宙体操「ある日、この体操の参加を呼びかけるチラシを見て、自宅から近い明治神宮の宝物殿の前の芝生が会場ということもあり夫婦で参加したことが始まりです」教えていたのは台湾出身で日本で医学博士となった荘淑旂氏で、講習が終わって挨拶をすると、「あなた方ご夫婦をよく見かけていた。」といわれて驚いたという。「漢方五千年の傷寒論をもとに先生はご自身の研究成果を著作として出され、医師からも見放された難病の患者さんを、心身を総合的に診察の上、薬を使わずに自然の食品や薬草で治療されている高名な医師でした。最初はそうとは知らず散歩のついでに参加したのですが、先生のほうから、『あなたたちが夫婦で散歩をされているのをよく見かけていて、歩き方が悪いので気になっていた。見ず知らずの者が注意をするわけにはいかないので黙っていたのです』といわれ指導していただきました。『あの歩き方ではせっかく歩いても健康効果があまり得られませんよ』とも教えていただき、とてもありがたいことだと思いました」体操はがんに精通する荘氏の考案で万病予防する健康法。「タオルかハンカチがあれば、どこでもできますができれば青空を仰ぎながらがいいでしょう」【1】タオルの両端を手のひらに乗せる形で握り、両手を前に突き出す。握った左右の手を内側にひねる。【2】タオルを握ったまま天高く両腕を頭上にあげて、背筋を伸ばす。このとき左右の耳に腕がつくように、腕をまっすぐに上に伸ばす。【3】タオルを天に向かって左右に引っ張りながら歩けば自然と下腹がへこむ。内股が緊張し、つま先立って足の指で大地をつかむ感覚で口は閉じ30歩を目処に歩くだけ「先生のご指導によると、何キロ、何歩歩くということを意識するよりも、歩く姿勢が大切であるということ」という鮫島さんの驚異的な健やかさが何よりの証明だ。※インタビュー(5)へ続く(取材・文:本荘その子/撮影:菊池一郎)
2021年12月26日渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(99)は、その心身壮健な様子や穏やかな語り口で、多くの人々の注目の的となっている。渋沢栄一の実像を知る貴重な生き証人でもある鮫島さんは、渋沢の三男で実業家渋沢正雄氏の次女である。近年はエッセイストとして著書を出し、近著『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)はいまやベストセラーに。エッセイの人気もさることながら、目を引くのはピンと伸びた背筋やツヤのある髪。ハキハキとした話し方も、とてもではないが99歳には見えない。鮫島さんに健康法を聞くと、様々な先人たちから教えを賜ったという。台湾出身で日本で医学博士となった故・荘淑旂(そうしゅくき)氏の教えも、鮫島さんの健康の秘訣の一つだ。日課となっていた明治神宮の散歩中に親しくなったという荘氏。彼女から教えられた健康習慣や、鮫島さんが貫いてきた日々の健康法を今回教えてもらった。■樹の気を浴び一直線に歩く「長年、早朝に明治神宮の森を歩くことを日課としています。主人の存命中は二人で、日の出とともに起床し、明治神宮の森、緑の中を散歩しました。夫を看取り、年を重ね、今は半周になりましたが、これは決定的に心身によいことだと思います。」歩くときは1歩ずつ足を前に出し、いわゆるモデルウォークで一直線上に進む。朝からよい気をいっぱいにいただけそうだ。ちなみに明治神宮は渋沢栄一氏が発起人となり気鋭の学者たちが結集し、建立した都心に広がる100年の森だ。明治の人たちの叡智の詰まった森の中を歩き、鎮座する本殿に鮫島さんがいまも詣でているということだけでも、これに習えばご利益に預かれそうだ。■食事は、朝3昼2夜1の割合で、夜は控えめに「朝はしっかり、夜は控え目に、3食いただきます。比較的少食に、腹八分を心がけています。とはいえこのごろは自然に食が細くなりましたけれど、数年前まで肉料理をいただくのは朝と決まっていました。夜は控えめにし、胃腸へのいたわりで夜8時以降は何も口にしません。そうすると空腹で目覚めて、朝食をしっかりいただけるのです」ただし朝が来たから、夜になったから必ず食べるという無理はしない。いまは一人暮らしなため、その日の体調や自然のリズムに応じて臨機応変にいただくようにしている。■本来の正しい背中で過ごす「健康の源はとにかく姿勢よ」という荘氏の教えはしっかり鮫島さんに受け継がれている。つい先日、招かれたイベントでも立ったまま60分間講演をこなした。その間中スッと伸びた姿勢を保ったまま、居合わせた観客や出演者たちも見惚れるほどだった。「よい姿勢は内臓を圧迫せず血流も消化も呼吸も好条件となり健康維持に効果的です。私は折に触れショーウィンドウなどで姿を点検し、前かがみになっていないかなど、気がつくたびに骨盤を立て直しています」■朝の排泄習慣を心がける「現代人は食べることばかりに夢中になり、出すことをおろそかにしているようです。出すほうがずっと大事です。食物繊維が豊富な食材を摂り、よく動くことで、お通じを促しガスも体内にとどまらないよう気を配っています。荘先生によるとガスは要注意です。体内ガスが増えて胃や横隔膜を圧迫すると背中や肩がこる、腰痛が起こるなどの不調が起こりそんなときに病原菌が体内に侵入してくると簡単に病気を発症してしまうといいいます」余分なガスを溜め込まずバランスのよい生活を心がけることが健康の必須条件と教えられたことを鮫島さんはずっと守っているという。■酵素パワー「ケンコーソ」を創業以来愛飲「現代人に不足しがちな胚芽や食物繊維、ビタミン、ミネラルが豊富に詰まった米糠をベースにした粉末パウダー『ケンコーソ』をスプーン1杯ほど54年間、毎日愛飲しています。糠の栄養素は捨てるには勿体無いほどの健康成分です。肉や魚の下ごしらえにも重宝し、家族の元気の源です」初代創業者が自宅にサンプルを持参し製造過程から見守ったご縁もあり、鮫島さんだけでなく孫からペットまで家族で愛飲している。宣伝にお金をかけていない分、シンプルなパッケージになっている。■感謝の気持ちを忘れない「「ありがとう」の言葉は非常に穏やかなエネルギーを生み出します。感謝することを忘れがちだったころは家中に「ありがとう」の文字を貼り付けていたものです。身についたのでほとんど外しましたが、いまもダイニングキッチやトイレには貼ってありますね。災難に遭遇しても、いわば厄払いをしたと受け止め、これからは好転すると信じて前を向きます」数年前にぎっくり腰になった折にも思わず口から出た言葉は「ありがとう」だったという。(取材・文:本荘その子/撮影:菊池一郎)
2021年12月26日渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(99)。渋沢栄一の実像を知る貴重な生き証人でもある鮫島さんは、渋沢の三男で実業家渋沢正雄氏の次女である。近年は自身の心の成長記録として著書を出し、近著『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)はいまやベストセラーに。そんな鮫島さんに、99歳まで心身ともに健康に心穏やかに生きてきた秘訣を聞くと、戦時下の経験と共に、「感謝の心を忘れないこと」という返答がーー。1922年、鮫島さんは、渋沢栄一も晩年まで過ごした東京都北区飛鳥山の邸宅で誕生。女子学習院高等科を卒業と同時に、岩倉具視の曽孫で海軍文官の鮫島員重氏と20歳で結婚した。「ネイビーブルーの凛々しい軍服姿のお見合い写真を見て、一目で好感を持ちました。太平洋戦争の直前ですから不穏な情勢のなか、お見合いをする場所を確保するのにも一苦労のようでした。お見合いは、お互い母親が華族女学校同級でしたから違和感なく、伯父たちももともと知り合いでしたから、二人そっちのけで話が盛り上がっていました」食糧事情制限のために披露宴は3回行われたという。まず両家の親族による式を帝国ホテルで。翌週は恩師・学友たちを招いて華族会館で。さらに3度目は目黒雅叙園で使用人や、植木屋さんなど結婚生活を営むにあたり世話になる方々を招いて行われたというが、その披露宴の当日、42年4月18日は奇しくも日本本土に先制攻撃がなされたドゥーリットル空襲の日。鮫島さんは当日をこう振り返る。「ドゥーリットルというアメリカの中佐の名に由来する空襲があったのです。まさに宴たけなわでしたが、新郎は横須賀鎮守府主計長でしたから軍服のまま横須賀へ飛び出して行きました。残された私は雅叙園の案内係の方に促されて防空壕へ。文金高島田と打掛姿のままで避難しました」こうして波乱の幕開けのようであったが、夫の員重氏は「今日も楽しかったね、ご苦労様」など、何かにつけて労いの一言を忘れない温厚な性格であったため、結婚生活は穏やかに過ぎていたという。「その後夫は本職である航空機製作所に復職したのですが。夫の出張中の名古屋で、空襲のなか焼夷弾の火を何発も消すなどの大奮闘もしました。あのころを思うといまこうしていられること自体ありがたいと思います」という鮫島さんは常に感謝の心で生きてきた。これこそが健やかのベースにある。現在、数多のエッセイ作品などを通して健やかに過ごすことについて説いている鮫島さん。いまに至るきっかけは3男が幼稚園に入園した27歳のころに遡る、と鮫島さんはいう。「戦中戦後子供達の健やかな成長のみに心を配ってきましたが、自分の時間ができて、振り返ってみると、世間知らずの自分、また子供達を理想的な型にはめようとしている自分の子育てを反省。親として人として、いまよりもマシになるために自分を磨くべきではないか、と思いました」鮫島さんの精神修養の旅がここから始まった。※インタビュー(3)へ続く(取材・文:本荘その子/撮影:菊池一郎)
2021年12月25日東京・日本橋の渋沢栄一邸宅跡地にチョコレート&アイスクリームショップ「ティール(teal)」がオープン。渋沢栄一邸宅跡地にチョコレート×アイスクリームショップ「ティール」「ティール」は、フランスの人気ショコラティエ「パスカル・ル・ガック」で経験を積んだ眞砂翔平と日本橋兜町の人気パティスリー「イーズ(ease)」大山恵介の2人がタッグを組み、それぞれの個性をコラボレーションさせたスイーツを展開するチョコレート&アイスクリームショップ。店内では、2017年Top of Patissier in Asiaベストショコラティエを受賞した眞砂の確かなチョコレート技術と、ミシュラン一つ星レストランパティシエの経験をもつ大山が生み出す絶妙なバランスの食材の掛けあわせを活かしたスイーツの数々を楽しむことができる。チョコレート菓子は、菓子ごとにチョコレートの種類を使い分け、チョコレートの香り・コク・苦味・酸味を生かしながら、合わせる他の素材の個性も引き立てている。ほろ苦キャラメルソース×ドライフルールのチョコレートバー中でもおすすめしたいのが「キャラメルバー」。眞砂が幼少期に愛したキャラメル入りチョコレートバーをパティスリーの味で再構築した一品で、ザクっとした食感のクッキーに苦味が程よいキャラメルソース、たっぷりのドライフルーツを詰め込んでいる。また、レモンバターとハチミツを焦がしてマドレーヌにした「焦がしレモンのマドレーヌ」は、ダークチョコレートやミルクチョコレートなど日替わりでディップしてショーケースに並べられる。白いクリームにまでカカオを使った「上から下までカカオのプリン」は、味だけでなく香りまでカカオの世界観を楽しめる一品だ。絹のようになめらかなジェラート“ちょっと一息”にも最適なジェラートは、口に入れた瞬間に溶けて味わいが広がる絹のような舌ざわりが魅力。その滑らかさゆえに、素材の味や香りがよりダイレクトに伝わるのに、くどくない。牛乳そのものの濃厚さはそのままに、甘すぎずすっきりした味わいの「ミルク」と、アマゾンカカオの華やかな香りとフルーティーな味わいが濃厚に感じられる「アマゾンカカオのソルベ」を展開する。なお、今後は季節限定のフレーバーも展開していく予定だ。重厚感のある意匠を残した落ち着きある内装渋沢栄一邸宅跡地に建てられた歴史資産である「日証館」の一部をリノベーションした店舗は、日証館設立の昭和3年より継承されてきた重厚感ある意匠を残した落ち着きある空間で、店内からは兜神社が眺められる。【詳細】ティールオープン日:2021年11月12日(金)住所:東京都中央区日本橋兜町1-10 日証館1階TEL:03-6661-7568営業時間:11:00~18:00定休日:水曜日価格例:キャラメルバー 1本 500円ジェラート ダブル 756円
2021年11月22日国内最古の銀行として知られる、『第一国立銀行』を設立した、実業家の渋沢栄一さん。2024年度より、新1万円札の肖像として描かれる予定です。2021年11月9日現在、渋沢さんの生涯を題材にした大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)が放送されるなど、にわかに脚光を浴びています。大村 卓(@trialanderror50)さんは、息子さんと出かけた公園で、渋沢さんの肖像がプリントされた、のぼり旗を目撃。そこで、息子さんが取った行動が…。渋沢栄一になりきる息子 pic.twitter.com/t7mU23F2fJ — 大村 卓 Taku Omura (@trialanderror50) November 7, 2021 子供サイズの渋沢さん…!スーツに身を包んでいると思いきや、ジャージ姿なのもどこかシュール。クスッと笑える光景ですね!息子さんの姿を見た人から、「四頭身すぎて、お腹がよじれるくらい笑った」「将来、大物になりそう…。友達になりたい」と爆笑した声が相次ぎました。歴史上の人物の、のぼり旗をここまで面白くした息子さん。今後もユーモアにあふれた行動で、多くの人を笑顔にさせるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2021年11月09日吉沢亮主演で現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」より、後半のメインビジュアルが公開された。今回公開されたビジュアルは、全7種。渋沢栄一が生きた時代の趣を色濃く残す場所や、ゆかりのある建物で撮影されたビジュアルとなっており、東京国立博物館<庭園>で撮られた緑感じる一枚をはじめ、設立にあたって渋沢が中心人物の一人となった東京国立博物館<表慶館>で撮影されたもの。そして、渋沢らが興した日本煉瓦製造(株)の赤煉瓦を使用した、赤煉瓦酒造工場/旧醸造試験所第一工場では、窓から外を伺うような姿が写し出されている。この撮影について吉沢さんは「江戸から昭和まで、激動の時代を、激動の荒波に飲まれる人々を、誰よりも見続けた人だと思います。そんな彼の目線の先に広がる何かをイメージしながら撮影させていただきました」とふり返り、「前回の物とはまた違う、別の色の熱量がこもったビジュアルになったと思います」とコメント。担当した写真家・瀧本幹也は「激動の時代を生きて、様々な顔を持つ渋沢栄一を表現するには、多角的に描くのが最適だと考えました。そのような理由から、様々なシチュエーションでの撮影をおこない、複数枚のポスターで展開することにしました」と明かし、「ファインダー越しの吉沢亮さんは、時代を遡りまさに『渋沢栄一』として佇んでいました。その姿が吸い込まれるようで、凛々しく美しかったです」と感動した様子。3週間の放送休止を経て、8月15日(日)より放送が再開される本作。大政奉還を経て、いよいよ明治時代へと舞台が移される。第24回「パリの御一新」あらすじ(8月15日放送予定)篤太夫(吉沢亮)や昭武(板垣李光人)らが、パリで新年を祝う中、幕府から書状が届く。“慶喜(草彅剛)が政を朝廷に返上した”との文面に、一同大混乱をするが、篤太夫は昭武の留学費用を捻出すべく、更なる節約策を講じる。そんな中、篤太夫はエラールに連れられ、証券取引所を案内される。債券の仕組みを教わり、ひとりひとりの小さな力が合わさり、この世を変えられることを知り、新たな決意を抱く。そのとき日本では、成一郎(高良健吾)、惇忠(田辺誠一)、平九郎(岡田健史)が、新政府軍と戦っていた――。大河ドラマ「青天を衝け」は毎週日曜日20時~NHK総合、18時~BSプレミアム・BS4Kにて放送中。(cinemacafe.net)
2021年08月13日「いま『青天を衝け』で渋沢栄一を演じてくださっている吉沢亮さんはとても爽やかなイケメン。祖父とは違いすぎて……(笑)。けれどあのまっすぐな生命力は、祖父もこうであっただろうと思えます。脚本が素晴らしく、毎回の放映を感謝しながら拝見しています」穏やかにほほ笑むのは渋沢栄一の孫でエッセイストとして活躍する鮫島純子さん(98)。渋沢栄一は、農家の息子として生まれ、後に明治の元勲に並ぶ仕事をやり遂げ、「資本主義の父」として称えられる。その一代記が描かれるNHK大河ドラマ『青天を衝け』は高視聴率を記録。’24年に刷新される一万円札の顔になることも決定しており、まさに渋沢ブーム到来だが、その素顔を記憶する鮫島さんによるとーー。「とにかく優しく穏やかな人だったことを今でも覚えています。『よう来られたな』と、毎度訪問のたびに榮太樓の梅ぼ志飴を、餌をねだる子雀のような口に入れてくれました。突然訪ねてこられた方々の身の上相談にも応じている場面も記憶に残っております」鮫島さんは渋沢家の三男で実業家渋沢正雄氏の次女である。「私の祖母は、後妻の兼子。よいところ取りで、先妻の千代さんがとてもご苦労をされたようです」というように『青天を衝け』で橋本愛が演じる千代は栄一の最初の妻。内助の功でけなげに夫を支えるがコレラに感染し早逝する。栄一は国事に没頭し、家の切り盛りから親の世話まで千代に任せきりだったというのも史実どおり。「祖父は晩年、国事に奔走して家を任せ放しにしたため、若くして亡くなった千代さんへの思いから宝光院様という戒名をつけて功績を称え、後妻の子や孫であるわれわれも千代さんを敬っています」■渋沢家の絆は深く、質素倹約が家訓渋沢家はとにかく結束の固さと質素倹約が家訓。幼いころの記憶では、鮫島さんの両親は栄一を囲む同族会に毎月集まり、一族は和気藹々と付き合っていたという。「両親はいつも楽しそうに帰宅して。ときおり母と伯母が『この出費は内緒にしておきましょう』などと相談していたことを耳にしましたから、家計簿を見せ合う場面もあったのではと想像します(笑)」銀行や保険会社など生涯で500以上の会社設立と、600の社会貢献事業に携わった栄一を鮫島さんはこう振り返る。「祖父は人選に長けていたといわれ、多くの会社を設立しても自分がそこに居座るということはなかった。『渋沢に頼めば悪いようにはしないだろう』と、常に協力者や賛同者に恵まれていたようです。対人関係での信頼がいかに大事であるか、『世の中に役立つためには何ができるか』を晩年まで考え続けた人だと思います」
2021年07月22日8年ぶりに視聴率20%と、大河ドラマの初回視聴率として久々に明るい話題をもたらした『青天を衝け』(NHK)。実業家として近代日本の礎を築いた渋沢栄一は、江戸、明治、大正、昭和を生き、91歳で生涯を終えた。仕事だけでなくプライベートでもバイタリティを発揮していた渋沢には、2人の妻の間に7人の子供がいるほか、実は妾との間にも数十人子供がいたという説も。そんな渋沢栄一翁から学ぶ「食と健康トリビア」を紹介。【トリビア1】朝食は大好物のオートミール!オートミールとはオーツ麦を加工したシリアル食品で、食物繊維やミネラルが豊富な栄養食品。渋沢はスープ皿にオートミールを入れ、ミルクと砂糖を加えたものを食べていた。【トリビア2】もしかしてスイーツ男子だった!?「甘いものは好きでよく食べる」と言っており、和菓子の老舗への注文記録も残っている。ちなみに日本のビール産業に貢献した渋沢だが、アルコールはほとんど口にしなかった。【トリビア3】80代から始めた健康維持法とは?座ったまま背骨を軸に体を曲げたり伸ばしたりするストレッチ運動を80代から始めた。柔術家の坂本謹吾氏が始めた健康体操で「坂本屈伸道」と呼ばれた。【トリビア4】帰郷すると食べていたのは「煮ぼうとう」地元・埼玉県深谷市の名物「煮ぼうとう」をよく食べていたといわれている。深谷ねぎや地元で収穫されたたっぷりの野菜類と、幅が約2.5センチある幅広麺を煮込んだ醤油味のうどんだ。【トリビア5】高齢でも学ぶ心を忘れないすべての人は年齢に関係なく、勉強する心を失ってしまうと進歩がないとした。渋沢の長寿の秘訣は、70歳を過ぎても勉強を怠けたことがないという、その学びの姿勢にあるのかも!?【トリビア6】コーヒーの魅力にいち早く気づいたパリ万国博覧会へ派遣された際「すこぶる胸中を爽やかにす」と、飲んだコーヒーの感想を日記に記していた。コーヒーの魅力にいち早く気づいた日本人といえる。【トリビア7】健康の秘訣はくよくよしないインタビューで健康法について聞かれると「事物に屈託せざるを予の保健法」と答えている。くよくよと物事にこだわらないこと、という意味。落ち込んでも気持ちを切り替えることが大事!健康長寿の秘訣はここにあり!「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月28日俳優の吉沢亮(25)が9月9日、21年放送のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公・渋沢栄一を演じると発表された。各メディアによると同日に開催された会見で吉沢は「『大河ってもう1つ枠ありましたっけ』みたいな」と起用を聞かされた当時の驚きを回想。さらに「『もしこれが発表前に漏れたら主演変わったりするからね』と脅されてビクビクしてました。いま、安心してます」と笑顔を見せたという。また同日、吉沢はTwitterで《大河ドラマ「青天を衝け」にて主人公、渋沢栄一役を演じさせていただくことになりました》と報告。《まさか過ぎる大河の主演 吉沢にはまだ早いと思われる方が大半だと思いますが安心してください 僕が一番思ってます》と明かしながらも《その中でやれる事を精一杯やり抜きたいと思います よろしくお願いします》と意気込んでいる。吉沢は09年「アミューズ全国オーディション2009THE PUSH!マン」を受賞してデビューし、11年の「仮面ライダーフォーゼ」で広く知られることとなった。17年の映画「銀魂」や18年の「リバーズ・エッジ」に出演。さらに現在放送中の「なつぞら」(同局)では山田天陽役を好演したことも記憶に新しい。吉沢のツイートは1日たらずで1.4万件のリツイートと7.7万回の“いいね”を記録。さらにTwitterでは祝福の声が上がっている。《吉沢さんが頑張って頑張って頑張って積み重ねた努力が、10周年のタイミングでこうやって素敵なプレゼントになるなんて、嬉しいです。お体に気をつけて、吉沢亮さんらしく渋沢栄一さんを演じてくださいね。楽しみにしています》《これまでも大きな重圧や逆境を跳ね除けてきた吉沢さんならきっとまた、人の評価をも変える演技を見せてくれると期待しています》《吉沢さんに早いなんて思っていません。来るべくして来たのだと思います。とにかくやり抜かれる姿、毎週正座して、しかと見届けます!》その整った顔立ちのあまり「国宝級イケメン」ともいわれる吉沢。5月に出演した「あさイチ」(NHK総合)では、「中学の時が人生一番のモテ期でめっちゃモテました」「学年の3分の1から告白されて」と“モテエピソード”を明かしていた。そのため今回の起用に《渋沢栄一がめっちゃイケメン!!!》《これまた随分イケメンな渋沢翁…》《ちょっとちょっとイケメン過ぎるでしょ でもねー よくよく考えると渋沢栄一の生きざまは別の意味でイケメンだと思う》といった声が。さらに渋沢は24年度から1万円札の肖像画に用いられるため、こんな声も上がっている。《吉沢亮で1万円札作ってくれ》《1万円=吉沢亮のグッズということですか?たくさん一万円貯めなきゃですね》《吉沢亮の顔面は1万円じゃ収まらないだろうよ》
2019年09月10日東京都・六本木の東京ミッドタウン・デザインハブは、コンピュータを道具ではなく環境・素材として制作された作品を集めた企画展「デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来」を開催する。会期は1月29日~2月14日。開場時間は11:00~19:00。入場無料。同展は、テクノロジーの進化とともに変化し広がり続けるデジタルメディアから、計算を主な技法としたグラフィックス、インターネットなどのデジタル環境を活動の場としたデジタルメディア作品に対象を絞って構成したもの。同展では、日本のグラフィックデザインとデジタルメディアの変革を年表にし、プレデジタルメディアの時代(70年代以前)、CGの時代(80年代)、マルチメディアの時代(90年代)、ウェブ広告の時代(00年代)に分け、各年代の代表作品がパネル、モニター、実物で展示される。展示作品は、コンピュータを道具ではなく環境として、あるいは素材として制作された先駆的な作品が集められているということだ。また、核となる出品作家のインタビュー映像の上映や、テクノロジーの進化によって変化してきた、さまざまなデバイス展示もあわせて行われる。そして、人工知能の発達が爆発的に伸び予測不可能になるといわれている未来モデルの限界点、シンギュラリティの時代(2045年以降)を近未来ととらえ、コンピュータと人間の将来を見据えた作品や研究も紹介されるということだ。出品作家は、荒木経惟、出原栄一、imaginative inc.、エキソニモ、金子國義、 川野洋、川村真司、久保田晃弘(ARTSATプロジェクト)、グレッグ・ベア、幸村真佐男(CTG)、ジョン前田、下村千早、庄野晴彦、田中一光、田中耕一郎、田中良治、勅使河原一雅、永原康史、中村至男、中村勇吾、西村佳哲(センソリウム)、林智彦、原田大三郎、東泉一郎、P-House、藤幡正樹、藤本由紀夫、松本弦人、矢島文夫、RADICAL TV、るじるし、暦本純一、脇田玲、ほか。また、会期中、デジタルメディアとグラフィックデザインの関係について振り返りながら、シンギュラリティ時代のデザインの未来について考えるシンポジウムが開催される。詳細は決定次第、デザインハブ公式サイトより案内されるということだ。
2016年01月18日