メーガン妃が「ニューヨーク・タイムズ」紙にコラムを寄稿し、7月に第2子を流産したことを明かした。第1子アーチーくんのおむつ替えをしていたときに、腹部に鋭い痛みを感じ、アーチーくんを胸に抱きながら床に倒れ込んでしまったという。数時間後、病院のベッドに横たわっていたメーガン妃は、ヘンリー王子とともに涙を流したことなど、詳細を明らかにした。これまで英紙に対してプライバシー侵害訴訟を起こすなどして、プライバシーの尊重をたびたび訴えてきたメーガン妃。今回流産というプライベートな事柄について赤裸々につづったことに、「注目してほしいのか、そうでないのかわからない」と批判めいたコメントもSNSで多数見られ賛否両論があるが、下記のセレブはメーガン妃を支持している。女優のミア・ファローはツイッターで「メーガン・マークルによる賢く、痛みを伴う、寛大なコラム」と評してコラムを紹介。ビル・クリントン元大統領との不倫スキャンダルで注目されたモニカ・ルインスキーは「公にシェアされた個人的な痛みは、あなたの助けにはならないかもしれないけれど、だれかの助けになる」とツイート。9月に第3子を流産したモデルのクリッシー・テイゲン、流産経験がある女優のミン・ナもメーガン妃を擁護。メーガン妃は、「だれかに『調子はどう?』と聞かれたときに、彼らが心をオープンにして本当にその答えを聞こうとしてくれれば、悲しみはしばしば軽減される」と学んだといい、「私たちの痛みを共感してもらうことが、癒しへの一歩となる」とつづっている。(Hiromi Kaku)
2020年11月26日流産し、手術した数カ月後のことです。それまで重い生理痛に悩んでいましたが、生理不順になったことはありませんでした。それが一度流産し、手術したあとは経血量が多かったり少なかったり、また日にちもズレたりとしていたときのエピソードです。 家族旅行中に少量で茶色い出血が!31歳のとき、待ち望んでいた第一子を流産してしまい、ふさぎ込んでいた私を元気付けようと、家族皆で旅行の計画を立ててくれました。 旅行中、少量の出血がありました。旅行期間はちょうど生理予定日と重なっていたのですが、生理にしては量が少なく茶色っぽかったのでおかしいなとは思いつつ、手術後の影響によるものだと思ってあまり気にしていませんでした。 すぐに出血がなくなり、妊娠検査薬を使ってみると…旅行先が遊園地ということもあり、夫とジェットコースターなどに乗ってとても楽しく、旅行を満喫しました! 日帰り旅行だったのですが家に着くころには出血もなくなっていて、そこからはまったく出血がありませんでした。さすがに1日で生理が終わることはないだろうと思い、慌てて妊娠検査薬を使ってみました。 出血は着床出血だった!妊娠検査薬の結果を見てみると、なんと陽性! その後すぐに産院で検査してもらい、出血は着床出血だったことがわかりました。妊活をしていたので妊娠の可能性は十分にありました。それなのに深く考えずに生活し、妊娠に気付かずジェットコースターに乗ってしまいました。 妊娠がわかってから、このような行動を取っていたことにゾッとしました。ですが、何事もなく出産できたことをうれしく思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この体験談について「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 文/岡元 笹子監修/助産師REIKO
2020年11月16日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがありませんでした。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果… 困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、1つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができました。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月07日長年、不妊治療をおこなっていた私たち。体外受精にステップアップしたあと、妊娠判定日前に茶色のおりものが……。いつもの生理の始まりと似ていたので、私は生理が来たのだと思っていましたが、実は違っていたのです。 不妊治療で、体外受精のステップへ私たち夫婦は、長期間、不妊治療していました。不妊理由は不明で、強いていうなら、精子の動きが少し鈍く、また、私に子宮内膜ポリープがあったので精子の進む道の妨げになっている恐れもあるとのことで、念のため手術で除去もしました。 その後、自分たちでタイミングをとったり、産婦人科にかかってタイミング療法を試したり、人工授精を3回ほどしましたが、妊娠には至らず、不妊治療専門クリニックを探し、転院してすぐに体外受精をしました。 「いつもの」茶色のおりものがあり、「生理が来ちゃった…」そして、妊娠判定日まであと1週間ほどという日のことです。茶色のおりもののような出血がありました。 普段から、生理の前後数日間でこのような茶色のおりものが出ることがあったので、特別なこととは思わず、「あ、生理が始まっちゃったのかな。妊娠できなかったのかな……」と悲しく思いながらも、生理用ナプキンをつけて、仕事に向かいました。 ちなみに私の仕事はフルタイムの正社員。業務はパソコン作業がメインですが、リーダー的な立場だったので、同僚の教育・管理などの業務もあって、かなりハード。また、電車通勤に往復3時間かかり、電車は座れずに立ちっぱなしも多いです。朝6時過ぎには家を出て、夜帰宅するのは21時ごろという環境でした。 あきらめモードで妊娠判定へ。すると判明したのは…そして、1週間後の妊娠判定の日を迎えました。私はあきらめモードでしたが、担当医から告げられたのは「妊娠しています」とのこと! 私はあまりにびっくりして喜ぶのも忘れていたほどです。しかし、続けて担当医に言われたのは「ただ、切迫流産で、出血をしています」とのことでした。 茶色のおりもの状のものは生理による出血ではなく、切迫流産による出血だったのです。 このときは「切迫流産」ではありましたが、初めて聞く言葉で、さらに「流産」という言葉に驚き、混乱してしまいました。 医師からは、すぐに安静にするよう指示が出て、ハードだった仕事はすぐに休みました。5日間の自宅安静後に、茶色のおりもの状の出血が大量にあるなどしたため、2週間は入院し、約2カ月間仕事を休職。安静解除後は、仕事に復帰しましたが、残業はせずに定時で帰らせてもらえるようにしました。 ちなみにその後無事に出産し、現在子育て真っ最中です! あのとき、出血を生理と思っていたとはいえ、出血していたのにハードな仕事を続け、流産していたら…と思うとゾッとします。いつもの生理で見慣れているような状態であっても、妊活中は少しでも出血があれば医師に相談することが大切だと学びました。 そして、妊活中ではなくても、いつもの生理に慣れてしまっていると、見落としてしまう病気や症状もたくさんありそうだなと思う経験でした。 監修/助産師REIKO---------文/田中真菜さん
2020年10月29日私は、2男1女のママです。長男のときは妊娠中に起こるトラブルはなかったのですが、次男のときは妊娠初期に不正出血、そして妊娠後期に子宮頚管が短くなり入院をして大変でした。そして今回3人目……。35歳過ぎてからの妊娠や仕事環境、息子たちの育児などあり、自分が思っている以上におなかに負担がかかり再び切迫流産……。休職を繰り返し、職場とのやり取りで感じたことをお伝えします。 妊娠13週に不正出血し、切迫流産と診断妊娠13週のとき、勤務中に出血……。診断結果は切迫流産で、1週間の張り止め内服と自宅安静の指示が出ました。治療の効果があり1週間で回復し、仕事復帰することができました。次男のときも妊娠初期の段階で不正出血して切迫流産を経験していたので、今回も同じような感じかと考えていました……。 そのためまずは、自転車通勤から車通勤に変更させてもらい切迫流産の予防策をとったのですが、復帰して2週間が経たないうちの妊婦健診で子宮頚管が短くなっていると診断を受け、再び休職することに。 妊娠16週より仕事復帰を目標に治療計画切迫流産をかかえながらも私は仕事復帰を目標に考えていましたので、助産師さんと担当医と相談して治療計画を考えていただくことにしました。できあがった治療計画は、1週間の自宅安静と内服治療、その後の1週間は内服治療をせず家事・育児のみ動いて、子宮頚管に影響が出ないかを診ていくという内容です。結果、張り止めの内服治療をしているときは子宮頚管の長さは回復。しかし、内服を中断し、家事・育児に動いてみると子宮頚管はまた短くなる……という状況でした。この経過に、担当医も助産師さんも仕事復帰に首を縦にふることはなく、今の妊娠週数で切迫流産を繰り返すのはよくないと診断を受けてしまったのです。 仕事復帰は諦めてと休職の診断書!?次男のときは張り止めの内服薬治療をしながらの仕事復帰が可能だったのですが、今回は内服しながらの仕事復帰は許可できないとなり、妊娠19週目から出産まで休職指示となりました。 仕事先では私の復帰を考えた勤務調整の計画も立てていたのですが、検討虚しく欠員が出ることで多大なるご迷惑をかける形になってしまいました。上司からは憎まれ口を言われ、不穏な空気のまま休職に入るかたちに……。 切迫流産で休職し、私が感じたこととは?私の職場はクリニックで、院長と非常勤医師・看護師(3名)事務(3名)・クラーク(1名)のため、看護師1人かけても他の職員への仕事量が増えてしまう職場です。私は産休代行の指導を任されていましたが、休職によりできず、他の職員が分担して指導することでさらに仕事量が増え迷惑をかけてしまいました。仕事先には迷惑をかけている一方で、休職してよかったこともあります。それは……在職中は家事や宿題の手伝いに忙しく、息子たちとゆっくり話す余裕がなかったのですが、休職して家にいることで、普段聞けなかった内面の考えを聞けたことです。また、お風呂・部屋・トイレなどの掃除を毎日してもらうことで掃除がじょうずになったこと。別日になってしまうため、どちらかしか行けなかった息子たちの参観日も、医師の許可を得て参加できたことです。 自宅安静指示は他人から見たら働けそうと思われているかもしれないと不安があり、入院するほどの状況のほうが上司も休職に納得してくれたのかもしれない……と思うことも。ですが、無理して働いていたら早産になっていたかもしれません。主治医が仕事復帰で悩む私に休職と診断したからこそ助けられた命だと感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2020年09月20日2歳の息子さんを育てながら、漫画を描いている、ことり(@mamakyoja)さん。「親子には、記憶や経験を共有する、不思議な力があるのかもしれない」と感じることがあるそうです。ことりさんは、そんな『親子の不思議な力』を感じた、ある日の出来事を漫画にしました。 pic.twitter.com/ikErrXTg2Q — ことり (@mamakyoja) August 31, 2020 ことりさんは、息子さんを出産する前、流産を経験していました。その後、息子さんを妊娠した時「流産した時の子が帰ってきてくれたのかも」と思いたかったという、ことりさん。しかし実際には、そう心から思うことができず、流産した子のことがずっと心の奥で引っかかっていたのです。ある日、ことりさんが流産した時のことを考えていると、息子さんが突然「お兄ちゃん」とつぶやき、さらに「お兄ちゃんはね、木星に帰ったの」と話したのでした。息子さんの発言に、ことりさんは「ほかの星で元気にやってるかと思ったら、ちょっと優しい気持ちになれた。センキュー、息子よ」とつづっています。不思議な親子のストーリーに、「泣いてしまった」「不思議で素敵なお話だ」という声が寄せられていました。今も、息子さんの兄は、遠くの星から弟の成長を優しく見守っているのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月03日「あれ、生理?」「もしかして着床出血?」「生理にしては早くない?」「生理にしては茶色い?」……これって妊活している方にとっては一喜一憂の出来事ですよね。ただの生理だと思って放っていたら、取り返しのつかない事態に発展する恐れも…。そこで、私が「危なかった…」と感じた妊活中の体験を紹介します。 妊娠判定日の1週間前、茶色い出血がダラダラと…妊活歴が2年ほど経過し、ついに体外受精までステップアップしたときのことです。凍結胚移植も無事終わり、あとは妊娠判定日を待つばかりでした。 しかし、妊娠判定日の1週間前くらいから、茶色い出血がダラダラと出始めました。生理の終わりかけのような、茶色いおりものという感じ。私は毎月の生理前後にも茶色いおりものがダラダラと続く体質だったので、特に変だとは思わず、「あ、ダメだったか。生理が来たのかな」と勝手に解釈し、仕事も毎晩20時くらいまで普通に残業して働いていました。 担当医からのひと言は予想外!しかも、思わぬ危機までそして、いざ妊娠判定日になり、病院を受診しました。「きっとダメなんだろうな」と思いながら、血液検査を受け、担当医の診察へ。すると、担当医から発せられたのは「妊娠しています」というひと言でした。私は、「じゃあ、あれって生理じゃなかったの!?」と、とても驚き、そして混乱しました。 さらに驚いたのは、担当医からの「切迫流産です、今すぐ安静に過ごしてください」という通告でした。「え、流産?」思わず声が出ました。生まれて初めて妊娠できたのに、喜ぶ暇もなく、いきなり流産の危険性を指摘されてしまったのです。「切迫流産」は、まだ流産しているわけではなく、そのリスクの中にあるという状況。通常は、自宅安静もしくは入院をして出血が収まるまで様子をみます。 私は、診察後に美容院の予約を入れていたのですが、医師には「美容院も、仕事もダメ。とにかく自宅安静か入院を選ぶように」と言われました。 担当医の言葉で思い知った「妊娠って奇跡」私は当初、自宅安静を選びましたが、数日後にさらに大量出血。怖くなって入院に切り替えました。担当医からは、「妊娠判定1週間前の出血があった時点で、なぜもっと早く受診しなかったの? 毎日、仕事も残業もして動き回っている状況で、本当に流産する恐れがあったよ」と注意されました。そこで改めて怖くなり、妊娠がいかに奇跡なのかを思い知りました。 2週間の入院中は、毎日薬を飲み、診察を受けながら寝たきりで過ごし、その後は、また自宅安静。実家に帰ってお世話になり、ここでもほとんど寝たきりで過ごしました。仕事は、結局2カ月ほど休職しました。 この体験から学んだことは、不正出血があったらすぐに病院に相談してみること、そして必要があればすぐに受診したほうがいいということ。そして、決して妊娠がゴールではないということです。私と同じように毎月不正出血があるような人でも、妊活している時期には、たとえ不正出血でも、病院に相談したほうがいいのだなと思いました。 監修/助産師REIKO-----文/佐川ゆきさん
2020年08月27日フライングだけど、妊娠検査薬で陽性反応を確認。しかし生理予定日から茶色い出血が続いています……。 せっかく陽性が出たのだから前回のような悲しい思いはしたくない!調べて安心できればいいけど不安なことも書いてありますよね……。 結局はなるようにしかならないのですが、やっぱり気になるうぅぅ……!! 時間を無駄に持て余してるから余計に調べずにはいられない!というか気付いたら調べてる!!! スマホを置いても! 手が! 勝手に! 無限ルーーーープ!! 【第59話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月21日高温期17日目。基礎体温のさらなる上昇で、かなりの自信を持ちながら妊娠検査薬を使います! 出ました、陽性!今回もなかなかハッキリな濃さでした! でも脳裏に浮かぶのは前回の流産……。あまり浮かれすぎず……冷静に……みーくん(夫)にとりあえず連絡しました。この時のみーくんも前回同様冷静だったと思います! 何より気になってたのは生理予定日から続く出血でした。着床出血なら少量ですぐ止まるらしいんですよね。3日も続いてトイレに行くたびに目についたので、さすがに着床のものではなさそう……。 この不安もあって、かなり冷静だったのだと思います。 第58話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月18日妊娠4カ月、心の準備ができていないまま私は緊急入院することになりました。ここでは、私が切迫流産になった原因と治療の様子についてお伝えします。 妊娠4カ月ごろに切迫流産で入院妊娠4カ月ごろ、突然おなかに張りと痛みを感じました。我慢できてしまう痛みだったので、安静にして落ち着かせようと横になって過ごしました。ところが痛みは強くなり、次第に陣痛のような定期的な痛みになってしまいました。 急いで病院に向かい、担当医に診察してもらうと「切迫流産」と診断されました。その場ですぐに入院となり、私はショックと痛みで唖然とするばかりでした。 切迫流産の原因は「子宮筋腫」だった切迫流産の原因となったのは「子宮筋腫」でした。妊娠前からあった子宮筋腫が妊娠前よりも大きく育ち、さらに細菌に感染して変性を起こしていたようです。 入院中は抗生物質の入った点滴をして治療してもらい、痛みは数日でおさまりました。しかし、おなかは依然として張りやすく、動くとすぐに固くなりました。「なるべく歩かないように」と指導を受け、車椅子で移動するといった入院生活でした。 切迫流産について知っておくこと、緊急時の確認をしておくこと感染の原因は不明、子宮筋腫には菌がたまりやすく、感染しやすくはあると担当医から説明がありました。私は幸いなことに受診と治療が早かったので、その後も妊娠を継続することができました。 「子宮筋腫の有無やその状態」「妊娠したときのリスク」「切迫流産の症状」などをよく知っておくこと、さらに何かあったときの病院の連絡先や移動手段を確認しておくことが大事だと感じました。 切迫流産と診断されたときは、非常にショックを受け、恐怖を感じたことを覚えています。妊娠中は、何かあっても対処できるよう、家族と緊急時の確認をしておくと安心ですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫流産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年08月10日妊娠6週相当で稽留流産(涸死卵)と診断された私の、当時の体調や気分・心理状態の様子、3歳の長女への対応、子宮内容除去術についての体験談をご紹介します。また、この経験を通して、自分なりに学んだことをお伝えします。 募る不安…なかなか見えない赤ちゃん私は32歳のときに2度目の妊娠がわかり、家族と共に喜んだのを覚えています。しかし、健診のたびに大きくなっているのは胎嚢だけで、なかなか見えない胎芽……。長女がおなかにいたときは順調な妊娠生活を送っていたこともあり、私は戸惑いを隠せませんでした。 妊娠がわかってから、においに敏感になったり、強い眠気を感じたりと体調の変化を感じていたこともあり、おなかの赤ちゃんが育っていないことに私は実感が持てませんでした……。 「稽留流産」という現実妊娠6週相当を迎えたころ、担当医から「涸死卵と思われ、稽留流産の可能性がある」と診断。後日、院長の診断により稽留流産が確定。「子宮内容除去術を受けるか、もしくは自然流産を待つか」の2択を提案されました。 自然流産の場合、いつ出血するかわからないという不安が大きく、私は計画的に日帰り手術を受けることに。周りに心配をかけたくないため淡々と振る舞いましたが、ひとりでいると暗い気持ちになりがちでした……。 手術に向けて、心・体調・環境を整える手術決定後、ひとりよがりの情報収集により私は不安と孤独感を感じ、ネットでの情報検索を控えることに。不明点は、担当医や看護師さんへ積極的に質問しました。また、長女が保育園に通っており、手術の前処理や当日の施術、通院の予約状況により送迎時間が変則的になるため、クラスの先生に事情を説明。 日常生活の変化に戸惑う長女へは、「大丈夫だよ!」と伝え抱きしめました。私は規則正しい生活を送り、手術に向けてできることを前向きに取り組みました! 緊張のピーク! 手術日を迎える手術前日の処置から一気に高まる緊張! 親族を頼れない環境のため、夫と2人で病院へ向かうことに。手術は静脈麻酔下でおこなわれました。術中、子宮の痛みはないものの、黄色やオレンジの渦の中に入っていくような……混乱した感覚が苦しかったです。 結果、無事手術を終えることができました! 出血や太ももの痛みを感じましたが、担当医から経過に問題はないと診断され、術後少し休んでから帰宅。立ちくらみがしたので、夫に支えられながら歩きました。 流産という悲しい経験でしたが、私にとって大きな学びでもありました。家族をはじめ、医師や看護師さん、保育士さんとのコミュニケーションの大切さを実感し、感謝の気持ちでいっぱいに。また、友人にも同じ経験をしている人が少なくないことを知りました。妊娠、出産は当たり前ではなく、改めて命の尊さを感じた私です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月08日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症がわかりパニックに長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども私は自分の妊娠を諦めることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度の流産でした。「もしかして妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進む他に道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。検査結果は特に問題はなく、経過観察をすることになりました。 原因不明の不育症と経過観察私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年07月20日■前回のあらすじ妊娠検査薬の線はずっと薄いままで不安を抱えていたある日、突然の腹痛に襲われトイレに駆け込むと、白っぽい塊が落ちたと同時に痛みが消え…。■病院で診てもらうと「初期流産」と伝えられた心にぽっかり穴があいたような気持ちのまま帰宅することに…■夫に報告、悲しさと申し訳なさでいっぱいに誰のせいでもないけれど、思わず原因をいろいろと考え込んでしまいました。■数ヶ月後、新たに妊活開始!妊娠しやすい体づくりをいろいろと試しながら妊活に取り組みましたが、なかなかうまくいきません…。親子3人で並んで歩く日がくることを願いながら、2人で美しい花火を眺めたのでした。次回に続きます。\人気作家の動画もぜひご覧ください!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪Instagramで大人気のすやすや子さんの記事を掲載しています。
2020年07月17日高齢初産婦だった私は、妊娠6週2日に絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)と切迫流産の診断を受けました。しかし産科医から安静の指示はなく、私は通常通り勤務していました。勤務中もいわゆる「茶おり」と言われる出血があり、何度も不安になりました。切迫流産であったころを振り返り、私の後悔をお伝えしたいと思います。 絨毛膜下出血で流産の危険病院で妊娠が判明してから茶色の出血が2~3日に1度ありました。絨毛膜下出血があり、このまま出血が自然に体内へ吸収されれば問題ないと医師から言われました。しかし、妊娠7週目に胎児心拍が確認できてからも出血は続いたのです。 そこで医師からは止血剤が処方されましたが、医師曰く、止血剤は気休め程度であるとのこと。流産する可能性もあると説明を受け、私は出血するたびに仕事後に通院し、エコーにて胎嚢を確認しました。腹痛もあり、歩くのもつらい状態でした。 切迫流産なのに安静指示が出ない!あまりにも不安で体調も悪いので、仕事を休みたいから診断書を書いてほしいと私は医師に頼んだのですが、医師は日本産婦人科学会が出しているガイドラインの冊子を私に見せてくれました。ガイドラインには、「切迫流産に対して安静療法が有効な治療であるというエビデンスはない」ということが書かれていました。 医師曰く、「医師により考えや方針はいろいろあるが、切迫流産の場合、安静にしていても流産するときはする」ということでした。そのため、診断書は書けないと言われたのです。 心身共につらい日々を乗り越えてもともと生真面目な性格で仕事を休んだことがない私は、なかなか自分で仕事を休むという選択をすることができませんでした。毎日出勤し、勤務中に出血してはトイレで涙を流していました。精神的にも肉体的にもつらかったです。 なんとか妊娠10週目を迎え、ようやく母子健康手帳をもらいに行くことができたときは本当にうれしかったことを覚えています。通っていた産婦人科はお産を扱っていなかったのでこの時点で総合病院へ転院することになりました。 妊娠期間中、1日も仕事を休むことはありませんでした。無事に出産しましたが、子どもの愛らしい顔を見ていると、この子のことを第一に考え、どうして休むという選択をしなかったんだろうと思っています。もし流産していたら、もっと後悔していたことでしょう。赤ちゃんの命を守れるのは母親の自分だけなので、自身の体調が悪ければ仕事を休み、体を休め心穏やかに過ごすことが大事だと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:きのもとりんこ0歳女の子1児の母。看護師資格保有。自身の妊娠や育児の体験談を中心に執筆している。
2020年07月13日自然流産後の経過、回復も順調。この先のことを先生とお話します。 気持ちも前向きにして次のタイミング指導の話をしました。 この病院では流産後は体の回復をするために、1周期はお休みしましょうとのことでした。病院や経過で妊活お休み周期も違うんでしょうかね(ちょっとわからない)。 とりあえず1周期だけのお休みでよかった……のですが、忘れてはならない多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の私。生理周期が42~70日周期なので1周期とはいえ長~~~い!!今妊娠できる体なんだってやる気に満ち溢れているのに、次の生理がまた2~3カ月後とかだったらと思うと……! ということで前に話の出た排卵を誘発するスーパー魅力的なお薬、クロミッド様のお話を持ちかけたのですが…… 今回は自然に次の生理を待ちましょうとのこと!玉砕!!! 第49話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月23日流産後の婦人科受診から、さらに1週間後。経過を見るために再び婦人科へ。 今回は残念な結果になってしまいましたが、経過は順調のようで手術などは必要ないとのことでした。 この1週間、手術について調べてはガクブルする日々を送っておりましたが、週数も早かったためか自然に回復していってくれるようです。 初日は激痛だったものの、出血も痛みも普通の生理のように1週間ほどで落ち着きました。 さて、気を取り直してまた頑張ろうと思います!! 第48話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月16日5週3日で流産し、婦人科へ。 先生から流産について話を聞きました。 自分が流産するまでは本当にこんなことが自分に起こるなんて思ってもみませんでしたし、なんなら体に問題があるから流産するんでしょ、なんて浅はかな考えでした。 流産は健康な人でも誰にでも起こりうること。 15%だとしたら約7人に1人は流産を経験するってことですよね? 思ったより結構な割合ではないでしょうか……。妊娠経験者のうち1回の流産経験者は約40%とも書かれてました。(このあたりネットの情報なのであしからずです) 調べ出すと週数での流産率だの、流産にも段階があって名前が変わってくるだのいろいろありますが、こういうのって自分が経験しないと詳しくは調べませんよね。 もちろん流産しないに越したことはないですが、いろいろ知ることができたのはよかったです。 第47話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月09日妊娠検査薬の陽性反応を見るも、5週3日でのお別れ。 流産後、婦人科へ。 気持ちは持ち直してたはずですが、やはり婦人科に行く道中は気が重かったです。 本当だったら診てもらって妊娠を喜んでたはずなのに……と。出血のことを先生に言葉にしたときも、少しうるっときてしまいました。 5週のことだったので生理が大幅に遅れただけかも、とも錯覚しましたが、陽性反応はしっかり出てたので「自然流産」との診断結果でした。先生にそう言葉で言われてやっと流産しちゃったんだなと自覚したりも。 たった1週間のできごとでしたが、本当に長く幸せで楽しみな1週間でした。 第46話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月02日2人目の妊娠中は仕事を続けており、また上の子の育児もあったため、大変なこともありました。そのころの体験談をお伝えします。 おなかの張りを感じる…もうすぐ妊娠後期に入ろうとしたころ、私はまだ保育士の仕事をパートで続けていました。職場には妊娠中ということは伝えていて、仕事も配慮してもらっていましたが、仕事中におなかの張りを感じることがありました。 切迫早産のため自宅療養にちょうど健診の日が近かったため受診したところ、子宮頸管の長さが短く、切迫早産と診断されました。医師から自宅療養をするようにと言われ、おなかの張り止めの薬を処方されました。まだ産前休暇に入っていなかったので、それまで仕事を続けるか悩みましたが、職場に相談して早めにお休みをいただくことになりました。診断書を提出するときは申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「体が大事だから。元気な赤ちゃんを産んでね」と園長先生から温かい言葉をいただきました。 上の子とのコミュニケーション上の子は3歳で園に通っていましたが、2人目を妊娠したころから、夜泣きなどの赤ちゃん返りが始まっていました。特に抱っこしてほしいと訴えることが多かったのですが、切迫早産になってからは、抱っこしてあげたくてもできないのがつらかったです。ですが、何度か伝えると、子どもも次第に理解し始め、お手伝いしてくれたり、自分の気持ちを話すようになりました。 私が気持ちを伝えることで、子どもも徐々に自分の気持ちを言葉や行動で示してくれるようになったのがうれしかったです。また、赤ちゃんのころのアルバムや絵本を見せると、自分が小さかったときのことを思い出すようで、よかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西川 優4歳、0歳の男の子の母。現在は産休中。
2020年05月31日人気インスタグラマーいくたはなさんの連載「夫を泣かせた話」の続きです。■前回のあらすじ母が流産したときの話を話してくれました。辛い決断をした母の言葉は、私の心にまっすぐ響いてきました。しかし、突然母が私の異変に気付き…腕や顔に出ていたポツポツしたものは発疹というよりも、所々点々と赤いシミのように見えたので、その時は気にも留めませんでした。しかし、その翌日からはひどい水下痢に。実家でゆっくりしたいのはやまやまだったけど、次男の誕生日をどうしても祝いたくて帰宅しました。次男は誕生日ケーキに大喜び。当日にプレゼントを用意できなかったのを謝りましたが「ママと一緒にケーキ食べれるからいい」と言ってくれました。ローソクの火を消す時にも「お願い事すると叶うんだよ」と言い、火を消す時にも「ママのお腹痛いの治るといいな」と言って消してくれました。流産の悲しみで頭がいっぱいいっぱいではありましたが、今生きている命がどんなに大切なのか再認識することができました。しかし幸せな気持ちになれたのもつかの間、私の体調はどんどん悪化していきます。次回に続きます。→次回は4月22日(水)更新予定!\「3人目が欲しい私と欲しくない夫」が動画に!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪ 【4人目と5人目の話】 連載 「Vol.1」から読む ≫ 【夫のことを泣かせた話】 連載 【いいから黙って抱いてくれ!】 連載
2020年04月21日流産し、手術した数カ月後のことです。それまで重い生理痛に悩んでいましたが、生理不順になったことはありませんでした。それが一度流産し、手術した後は経血量が多かったり少なかったり、また日にちもズレたりとしていたときのエピソードです。 家族旅行中に少量で茶色い経血が!31歳のとき、待ち望んでいた第一子を流産してしまい、ふさぎ込んでいた私を元気付けようと、家族皆で旅行の計画を立ててくれました。 旅行中、少量の経血がありました。旅行期間はちょうど生理予定日と重なっていたのですが、生理にしては経血が少なく茶色っぽかったのでおかしいなとは思いつつ、手術後の影響によるものだと思ってあまり気にしていませんでした。 すぐに出血がなくなり、妊娠検査薬を使ってみると…旅行先が遊園地ということもあり、主人とジェットコースターなどに乗ってとても楽しく、旅行を満喫しました! 日帰り旅行だったのですが家に着くころには出血もなくなっていて、そこからはまったく出血がありませんでした。さすがに1日で生理が終わることはないだろうと思い、慌てて妊娠検査薬を使ってみました。 経血は着床出血だった!妊娠検査薬の結果を見てみると、なんと陽性! その後すぐに産院で検査してもらい、出血は着床出血だったことがわかりました。妊活をしていたので妊娠の可能性は十分にありました。それなのに深く考えずに生活し、妊娠に気付かずジェットコースターに乗ってしまいました。 妊娠がわかってから、このような行動を取っていたことにゾッとしました。ですが、何事もなく出産できたことをうれしく思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この体験談について「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 文/岡元 笹子
2020年04月12日待望の妊娠でしたが、残念ながら流産してしまった私。その後の妊活や体の変化についてお伝えします。 流産してしまったけれど…諦めきれない!待望の妊娠でしたが、1度目は残念ながら流産してしまいました。とても悲しかったですが、どうしてもわが子に会いたい!という思いが強く、妊活再開を決意しました。元々クロミッドを服用して基礎体温を整えていたので、妊活再開にあたり再びクリニックを受診しました。 クロミッドを処方してもらい、排卵日を待っていました。いつもなら排卵痛後に高温期に突入しますが、いくら待っても高温期にならず……そのまま生理が来てしまいました。なんと流産後、クロミッドだけでは排卵することができず、無排卵月経となっていました。これにはとてもショックを受けました。 hCG注射に挑戦もうステップアップするしかないのかと思い先生に相談すると、hCG注射の提案をされました。排卵を起こしてくれる注射で、卵胞チェックをして排卵前に注射すると2~3日で排卵するとのことでした。 どんな方法でもちゃんと排卵させたい! その一心で注射をお願いしました。生理5日目にクロミッドを飲み、その後卵胞チェック。排卵直前を狙って何度か卵胞チェックをしました。そして排卵ギリギリのところでhCG注射を施行しました。筋肉注射ともあってとても痛かったです。 そして無事に排卵!どうか排卵しますように……!数日間ドキドキとしながら過ごしました。その結果……無事に排卵し、久しぶりに高温期に突入しました!! まだ妊娠したわけではないけれど、無事に排卵したことがとてもうれしかったです。それからクロミッド+hCG注射の治療を数回繰り返し、再び妊娠することができました。流産後は体調が変化しやすいと聞いてはいましたが、私の場合は悪い方へ傾いてしまいました。ですが、新たな治療方法と出合えたため、無事妊娠することができました。ひとりで悩まず、先生に相談し、自分に合った治療を探すことができてよかったと心から思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:南野ふみ妊娠9カ月。不妊治療・流産を経て再び妊娠。
2020年03月29日妊娠中期に切迫流産と診断を受け、大事をとって傷病休暇などを使って早めに仕事を休むことになった私。休暇に入ってから体調も良く、安定した日々を過ごしていたのですが、出産予定日1カ月前に突然切迫早産になってしまったのです。急きょ入院になり、始めた点滴治療が予想外に過酷なものでした。つらい切迫早産の治療体験談と、治療を乗り越えて成し遂げた出産の様子を紹介します。 妊娠中期からのおなかの張り妊娠5カ月に入ったころから、私は体を動かすとおなかの張りを感じるようになりました。産婦人科を受診すると、子宮頸管長が通常よりも少し短めなので動き過ぎないようにと指示を受けました。しかし仕事柄動かずにはいられず、頻繁に張るようになり、とうとう切迫流産と言われてしまったのです。初めての妊娠で仕事を休んで良いのかわからず上司に相談したところ、「医師の診断があるのなら休みなさい」と言ってくれたので、妊娠6カ月のころに傷病休暇を取ることに。休暇を取ってだいぶ体調がよかったのですが、おなかの張りは度々あり、結局そのまま産前休暇に入ることになってしまったのです。 出産予定日1カ月前に突然の陣痛!私はおなかが張らないように安静に過ごしていたのですが、出産予定日の1カ月前、突然「おしるし」のようなピンクのおりものが。同時におなかの張りが頻繁になり、痛みを伴うようになりました。急いで病院へ行くと切迫早産の診断が下って、すぐに入院になり、ウテメリンという張り止めの点滴を打つことになったのです。ウテメリンは入院する前まで錠剤を服用していたので抵抗なく点滴も打ったのですが、予想外に副作用が強く出てきました。おなかの張りがおさまるまでの1週間、とても過酷な治療となりました。 くじけそうだったつらい切迫早産治療点滴を流している間は手足の震えと、心臓が飛び出しそうなほどの動悸で苦しくて仕方がありませんでした。ゆっくり眠ることもできず毎日寝不足。一定量の点滴液を流し終えたあとに、点滴を入れずに様子を観察しているときは、気絶するように眠っていました。私が入院していたときはちょうどクリスマスの時季。家族で楽しい時間を過ごすつもりだったのに、ひとりで過酷な治療と向き合い、気が滅入ってしまいそうな1週間でした。 治療を乗り越え、喜びの出産おなかの張りがだいぶおさまり、赤ちゃんの体重も増えたので、入院から1週間後に私はやっと退院することができました。妊婦生活を満喫することもままならなかったつらい治療から解放されて、とても晴れやかな気持ちだったことを覚えています。退院後はおなかが張ることはありましたが、無事に正期産の時期に入りました。そして、出産予定日の10日前、破水から始まったお産は微弱陣痛で時間がかかりましたが、無事にわが子と対面することができたのです。 点滴治療を受けていたときは、早産でもいいから治療をやめて出産したいと思いましたが、しっかり成長して元気に生まれてきてくれたわが子を見て、つらい治療を頑張ってよかったと涙があふれたのでした。 もともと子宮頸管が短くておなかが張りやすかったのに、あまり体を労わらずに仕事をしていたことを反省したできごとでした。おなかが張っているときは自分もつらかったし、赤ちゃんも苦しんでいるのかなとかわいそうに思っていましたが、おなかの中でしっかり大きくなり無事に生まれてきてくれて感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年03月27日私は妊娠すると赤ちゃんは必ず育つものだと思っていました。でも、子宮外妊娠と流産を経験し、妊娠して赤ちゃんが順調に育つことは奇跡なんだと感じています。その経験があったから、いろいろなことを乗り越えられてきました。そんな私とわが子のお話をさせてください。 妊娠判明から子宮外妊娠と自然流産10代だった私は、妊娠検査薬で妊娠していることがわかりました。うれしい気持ちと同時に不安になり、自分ではどうすることもできなくて母に相談しました。その後、病院に行って検査したところ、子宮外妊娠と診断されました。気になったので調べてみると「子宮外妊娠には“妊娠”という言葉はついていますが、そのまま妊娠を継続することはできない」とありました。ショックで落ち込んでいるさなか、何日か経ったころに突然おなかが痛くなり、病院で流産と言われました。非常につらく、悲しかった経験でした。 2度目の妊娠から出産前日流産から半年が経ち、精神面も落ち着いてきたころのこと。妊娠初期症状があったので、妊娠検査薬を使ってみたところ再び妊娠していました。 臨月のある日、私は尿漏れのような感覚があり、不思議に思ったのですが、あまり気にせずに夕方までのんびりと過ごしていました。ところが、姉にそのことを話すと「早く病院に電話しなさい」とぴしゃり。急いで病院に電話したところ、「早く病院に来てください」との話だったので準備をしていました。するとはっきりとわかるくらいの破水をしてしまいました。 いよいよ出産!次の日の朝、陣痛促進剤を打つことになりました。だんだんと陣痛が強くなり始めてからの記憶はあいまいですが、立ち合い出産だったので姉と夫に後日聞いたところ、顔を真っ赤にしながらいきんでいたそうです。 ですが、なかなか赤ちゃんが下りてこず、急きょ吸引分娩で無事3,916gの男の子を出産しました。保育器に入っていたため、出産したあとはすぐに抱っこできず、ようやく抱っこできたのは出産から3~4日経ってからでした。 子宮外妊娠と流産を経験し、10代での子育て。今考えると自分がどれだけ浅はかな考えをしていたのかを思い知りました。でも、その経験があったからこそ、私は今までいろいろなことを乗り越えられてきたんだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:榊原みやび子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年03月08日第2子を授かり喜びに満ちていた妊娠4カ月のとき、突然の大量出血を経験しました。妊娠初期は流産しやすいとは知っていたものの、まさか自分が「切迫流産」と診断されることになるとは思わず、大慌て。妊娠中は何が起こるかわからないということを実感しました。 突然の大出血! 切迫流産で入院生活に妊娠12週ときのことです。出かけようと椅子から立ち上がった瞬間、突然バシャっと股から何かが出た感覚がありました。足元に目をやると、床が血で真っ赤に! 慌ててトイレに行こうとしましたが、動くたびに鮮血が流れ出てくる状態に。普通のタオルでは足りず、バスタオル数枚で股を押さえ、すぐさま夫に病院へ連れて行ってもらいました。 診察で赤ちゃんの無事は確認できたものの、その場で即入院の指示を受けました。その日から、絶対安静の入院生活となったのです。 出血の原因は不明? 不安な日々……絶対安静の入院生活は、お風呂にも入れず、診察の際も車椅子で移動するほど。24時間ずっと子宮収縮抑制剤を点滴したままでした。しかしおなかの赤ちゃんは元気で、心拍もしっかりしているとのこと。 先生が出血の原因を探ってくれるものの、明らかな原因はわからずじまい。2週間の入院生活を送ったあと、出血が収まり退院できたのですが、自宅でも絶対安静の指示を受けました。そのため、食事とトイレ以外は常に横になっている生活を送りました。 切迫流産から切迫早産へ退院後もトイレに行くたび、少量ながら褐色の出血が……。新たな出血ではなく、子宮内に残っている以前の出血とのことでした。はっきりとした出血の原因がわからないため、いつまた出血するかと心配な日々を過ごしました。 やっとの思いで妊娠22週になり、ひと安心できるかと思いきや、今度は“切迫流産”から“切迫早産”へと診断が変更に。絶対安静は継続のままでした。正期産の時期までの1日1日が、とても長かったです。 そして妊娠38週、無事に男の子を出産! 医師からも「あれだけの出血をして、よく持ちこたえた」と言われました。妊娠中はいつ何が起こるかわからないことを、身をもって知りました。 妊娠できたことに安心し、普通に出産までの日々を送れるものだと思っていました。しかしまさかの大量出血を経験し、妊娠中は何が起こるかわからないということを学びました。妊娠、出産できることは、当たり前のことではないと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月27日切迫早産なんてどこか他人事のように思っていたのですが、妊娠23週の定期健診でまさかの切迫早産に。突然の長期入院生活に戸惑い、悲しい気持ちになったこともありましたが、周りに救われ出産まで至った体験談をご紹介いたします。 切迫早産と入院基準妊娠23週の妊婦健診で、念のため子宮頸管長を測ることに。2年前に円錐切除術を受けており、妊娠初期に計測した際は問題なかったので油断していたのですが、通常3.5~4cmのところなんと2cmを切っていたのです。 先生は大慌てで、夫もすぐに診察室に呼ばれ、「今日から入院です」といきなり告げられました。もちろん入院準備などしていなかったので、夫に少しずつ必要品を届けてもらいました。 子宮頸管縫縮術を体験!入院して張り止めの24時間点滴プラス絶対安静の生活がスタートしましたが、これが本当につらかったです。食事もトイレもベッド上で寝たきりなので、腰痛はひどくなるし散々でした。安静にしているのに頸管長は短くなる一方でしたので、妊娠23週でマクドナルド術という子宮頸管縫縮術(しきゅうけいかんほうしゅくじゅつ)を受けることに。麻酔は下半身のみで、手術自体は5分程度なのですが、術前・術後の準備や片付けを含め1時間くらいかかりました。術前はすごく怖くて医師や看護師さんを困らせていたのですが、術中もこまめに声をかけてくださり、落ち着いて手術に臨むことができてよかったです。 術後の安静度と退院目途入院して2週間後、手術を受けたことで安静度がぐっと下がり、張り止めの点滴もはずれて内服だけになり、これだけでも手術をしてよかったと思いました。トイレ・食事・洗面・シャワーも自由で、院内を歩いてよいというレベルにまで達し、つらく長い長期入院でこの措置はうれしかったです。通常、術後の経過を見て1週間から10日で退院となるそうですが、私の場合、自宅が遠かったのと頸管長が相変わらず1cm台だったので、妊娠35週を目標に入院継続となりました。 夫の支えいきなり切迫早産と告げられ、入院生活がつらすぎて泣くことも多々ありましたが、遠慮せずに周りを頼り、気持ちを吐き出してよかったと思っています。切迫早産で入院している他の妊婦さんたちも頑張っているんだから、赤ちゃんのために私も頑張らねば、と思って入院生活を耐えてきました。夫の「ストレスの耐性値は人によって異なるから、他人と比べるなんて意味ないよ」という言葉にも救われ、ずいぶん気持ちが軽くなりました。 はじめは我慢することが多かった入院生活ですが、好きなグッズを家から持ち込んだり、夫や院内のカウンセラーの方に話を聞いてもらったりとストレスをじょうずに発散していくことができました。最終的に妊娠30週で破水し、その後妊娠31週2日で出産となりましたが、医師・看護師さん・夫、みんなに支えてもらったことをとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田口 玲第二子妊娠中のワーキングマザーです。子どものお受験や、離婚、再婚を経て育児に仕事に奮闘中です。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月23日妊娠の喜びから一転、流産となってしまったとき、その悲しみは計り知れません。私は2度の流産を経験し、やっとの思いで妊娠から出産までたどり着きました。今回は、私のケースをご紹介します。 悲しくて虚しい、2度の流産初めての妊娠では、妊娠11週になっても胎児心拍の確認ができず、稽留流産(けいりゅうりゅうざん)となり、搔爬手術(そうはしゅじゅつ)を受けました。手術から2年後、再度妊娠。妊娠7週で胎児心拍の確認ができましたが、次の健診では胎児心拍が止まってしまい、またしても稽留流産、搔爬手術となりました。 エコーで動いていない赤ちゃんの心臓を見るのはもちろんつらいのですが、その後はさらに悲しみが溢れ出します。特に2度目の流産のときは、自分のおなかの中で2人も亡くなってしまったことで、自分を責めていました。 「子どもが欲しい。でも、もう流産したくない」という葛藤医師からは、流産や死産を繰り返す「不育症」の血液検査をすすめられましたが、もし出産できない体だったらどうしよう、という思いから悩んでいました。また、染色体検査などは、その後の夫婦関係にも影響があると言われています。 「子どもが欲しい。でも、もう流産したくない」。そんな葛藤に苦しみ、検査を受けるか悩んでいた私に、実母は「私があなたに検査してほしいと思っているから、私のわがままを聞くと思って検査して」と言いました。そのひと言に背中を押され、私は検査を決意しました。 不育症検査、治療を経て出産不育症外来のある病院で、まずは保険適用内の検査をし、結果を受けて保険適用外の検査へ進むという段階的な検査を計画しました。 検査の結果、幸いにも原因となっていた病気が判明し、治療法があることもわかりました。そして治療を開始した半年後に3度目の妊娠。病気に関しては妊娠中に合わせた投薬に切り替え、通院を続けることになりました。病気に関しても妊娠に関しても、どちらも専門医に見てもらっているという安心感がありました。 流産の悲しみを忘れることはできませんが、不安な気持ちは家族や医師のおかげで取り除くことができました。子どもは多くの人に支えられて育つということを、この経験から教わった気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku監修/助産師REIKO著者:斉藤ふみ一児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月11日念願の2人目妊娠! しかし、喜びも束の間……。切迫流産で入院、その後子宮口を縛る手術を受け、長期自宅安静に……。どんどん子宮頸管は短くなり、起き上がる時間は減り、ファミリーサポートを利用。それでも悪化し続け、最後は予定より早く里帰り……。第二子の妊娠期間、長男は我慢ばかりでした。 妊娠から出産までの道のり私は第一子(長男)を妊娠中に切迫早産で長期入院をしており、第二子妊娠では産婦人科の先生から子宮口を縛る手術をすすめられました。切迫流産、切迫早産にならないように家事は最低限にとどめ、歩くときはゆっくり歩くことを心掛けていました。 ところが妊娠15週ごろに出血があり、切迫流産で2週間の入院。出血が止まり、一時退院後、再入院し子宮口を縛る手術は無事成功。その後は自宅安静の日々が始まりました。 外に出られない長男は私の自宅安静期間、里帰り期間ほとんど家の中で過ごしていました。夫となら外出できたのですが、私たち夫婦の両親、ファミリーサポートでは大泣きして外出を拒否! 私が切迫流産で入院してから、長男も何かが違うことを感じ取ったのか、私と離れるのを嫌がりました。 外に出られない長男は我慢できずに家の中を走り回り、私は起き上がって止めることもできないので大声で怒ってばかり……。長男を怒ってしまったこと、思いっきり走らせてあげられないことを申し訳なく思っていました。 離ればなれで我慢長男が他に我慢していたのは、私や夫と離れたことです。私は専業主婦なので、長男は生まれてから私と夫どちらか必ず一緒にいるのが当たり前。ところが、入院で私と離れ、私の状態が悪化し、早めの里帰りで夫と離ればなれにもなりました。 私が入院中は面会に来るとずっと緊張していて、帰るときは大泣き。里帰り中に夫がくるとずっとべったり。帰るときは長男が大泣きしないように、夫はこっそり帰っていました。ファミリーサポートを利用して長男を外に連れ出そうとしましたが、私と離れるのを嫌がり、結局家の中で遊んでもらうだけでした。 長い安静期間、家族やファミリーサポート等の力を借りて妊娠38週で無事に元気な女の子を出産しました。長男はやきもちをやくこともありますが、妹ができたのを喜んでくれています。妊娠期間中は我慢ばかりさせて、つらい思いをさせてしまいましたが、2人目が生まれるまで長男とゆっくり関わることができたのはよかったと思っています。 著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2019年12月21日私は、長女・次女の妊娠中、仕事を続けていました。妊娠経過も順調で、妊娠7カ月だからまだまだ大丈夫! と思って動いていたら、突然おなかが張って緊急入院に……。そんな私の体験談を紹介します。 おなかの張りは突然やってきた長女を妊娠しても、私は仕事を続けていました。経過も順調だったのですが、とあるイベントで一日動き回ったあと、急におなかに張りが……。おなかの中で風船がふくらむような、たまに張りを感じていたときとはまったく違う感覚がしました。 これはまずいかもしれないと感じ、病院に連絡をして受診。そのまま緊急入院になりました。陣痛のような張りがあったようで、張り止めの点滴でおさまらなければ、早産になる危険があったとのことでした。 油断と動きすぎは禁物!妊娠中にどれだけ動いても張らない人もいれば、少し動いただけでも張ってしまう人など、個人差はあるようですが、私は後者のようで長期入院となりました。 個人差はあれど、切迫早産は誰もがなる可能性があるということ、おなかの張りは赤ちゃんに負担がかかっているということを知っていれば、無理をしないで済むかもしれない、「自分は大丈夫」という油断と頑張りすぎは妊婦さんには禁物だと感じました。 安定期とは「ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」入院の際、「安定期とは何をしても大丈夫な時期ではなく、ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」と主治医に言われました。 妊娠初期に流産などが起こることもありますが、妊娠5カ月以降はママが気を付けることで、赤ちゃんを守れるということが少し増えるのだそうです。普段の生活で、ほんの少し気をつければ妊娠10カ月まで赤ちゃんをおなかの中で守ることができるのなら、それに越したことはないと感じました。 仕事はもちろん大切です。でも、赤ちゃんの命もとても大切です。バランスよく過ごすためにも、油断をせず無理をせず、少し気を付けながら妊娠生活を過ごしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本かやの二児の母。ウエディング業界から飲食業に転身後、妊娠を機に退職。現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はガーデニングと家庭菜園。
2019年12月18日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは、親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがなかったのです。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果…困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、一つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができたのです。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月27日