東海エリアを拠点に活動するエンターテインメント集団・BOYS AND MEN(ボイメン)を5月に卒業した水野勝(31)が、7日に個人事務所『START IT AGAINエンターテインメント』を立ち上げ、同事務所の社長に就任した。会社の名前は懇意にしているラッパー・AK-69の楽曲タイトルにちなんだもの。水野は「昔から尊敬している方で、ご縁があり今は公私共に自分の悩みを相談してもらってる方でもあります。今回卒業するにあたり、AKさんの『START IT AGAIN』の曲が自分にはずっと刺さってまして、そんな思いも含めて相談させてもらっていた経緯があります」と説明する。また、事務所を立ち上げた日は父の誕生日である6月7日。「今までの感謝の気持ちや心配させた思いとか、これからもたくさんの心配をかけることになると思いますが初心をずっと忘れない思いで父親の誕生日にしました」と思いを語った。今後は「役者やタレント活動をさらに今まで以上に幅を広げて活動していきたいと思っております」と決意を新たにし、「名古屋の大泉洋さんを目指してます!」と宣言する。「地元を大切にしていきたいですし、自分ができる最大限の貢献をしていきたいと思ってます。愛知県にはさまざまな魅力があります。そんな魅力を自分を通して伝えられるような存在になっていきたいです。ただ、俳優や役者などは、東京を中心に活動していくことになると思います。大泉さんのように東京で活躍して結果を残して、地元に貢献できるようになります」と故郷への恩返しを誓った。水野は1990年11月22日生まれ、名古屋市出身。
2022年06月07日三勝株式会社(所在地:東京都中央区、代表取締役社長:4代目天野半七/天野美香子)が運営する三勝ゆかた博物館(所在地:東京都中央区、三勝株式会社内)は、このたび2022年の新作ゆかたを発表いたしました。歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書き」素材:綿100%/反物巾:約40cm×長さ:約13m(乱規格)/反物価格:各77,000円(税込)今回の目玉となる商材は、同社が展開する「江戸元禄」シリーズの一つとなる、「荷宝蔵(にたからぐら)壁のむだ書き」ゆかたです。江戸時代末期の浮世絵師・歌川国芳(うたがわくによし)のむだ書き(落書き)をモチーフとしたもので、大胆なデザインと生地の風合いが特徴です。ほかにも同社のアーカイブ柄を選び、新たな生地で染めたものや、定番の長板中形(注1)など、およそ300種類のゆかた反物がそろいました。注1:長板中形(ながいたちゅうがた)江戸時代に発展した、型紙を使って藍で染める染色技法。伊勢型紙(柿渋の塗った和紙を彫刻刀で彫った型紙。三重県鈴鹿市で1,000年以上の歴史を持つ伝統工芸品)を使用すること、両面糊置きをすること、藍を使用することを条件とし、白がくっきりと染め抜かれる点が特徴■2枚の伊勢型紙を使い、国芳が描いた表情や細かい線を表現!2種類の異なる生地で、個性溢れる着こなしが楽しめる「荷宝蔵壁のむだ書き」*「粋」のある伝統的型染め「注染」三勝のゆかたをはじめ、明治時代から多くのゆかたや手ぬぐいは「注染(ちゅうせん)」で染められています。注染とは、その名の通り、染料を注いで染める伝統的な型染めの一種です。重ねた生地の上に伊勢型紙を置き、特殊な糊で防染します。その上から染料を注ぎ、模様部分を染め上げます。一度に何枚もの生地を染められるほか、生地の表裏なくきれいに染まるのが特徴です。職人の手作業による美しい染めには、粋な風情が生まれます。三勝がこのたび新作として発表した「荷宝蔵壁のむだ書き」は、2枚の異なる伊勢型紙を用い、この注染を2回繰り返す「細川染め」という手のかかる技法で染め上げました。柄番:2313/生地:綿紬刷毛目/刷毛書きをしたような縦縞の織りが特徴の綿紬*風合いの異なる3種類の生地が揃うラインナップ「荷宝蔵壁のむだ書き」ゆかたは、刷毛書きをしたような縦縞の織りが特徴の「綿紬(つむぎ)刷毛目」、黒糸の節が特徴の赤坂紬を用いた「綿紬ネズ」、火消し半纏で使われる刺し子生地の「刺し子」、生地や風合いの異なる3種類のバリエーションを揃えました。個性的な柄も相まって、新しいゆかたの魅力を楽しめる自信作です。柄番:2311/生地:綿紬ネズ/黒糸の節が特徴の赤坂紬という綿紬*歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書き」天保の改革で奢侈禁止令(贅沢禁止令)が初令され、役者絵や美人画も取締り対象になり、国芳らしい反骨精神で落書きを装い、描いたものと伝えられます。四代目尾上梅幸の当たり役・花園や、五代目澤村宗十郎の清七、心中場面の相合い傘、尻尾が二股になっている猫の妖怪・猫又などをデザインしました。なお「大でき」とは、「とてもよい」「お気に入り」「上出来」といった意味。令和4年がよい一年になるよう、デザインに願いをこめました。柄番:2312/生地:刺し子/火消し半纏で使われる刺し子生地□歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書き」・素材 :綿100%・反物巾 :約40cm×長さ:約13m(乱規格)・反物価格:各77,000円(税込)歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書き」着姿イメージ2枚の伊勢型紙を重ねた状態2枚目の型を持ち上げた様子。型ごとに染める部分が異なる■三勝ゆかた博物館の所蔵するアーカイブ柄から「蜻蛉(とんぼ)」と「薊(あざみ)」を復刻!新たな生地と色合いによって、今年らしい新鮮なゆかたを提案します2022年の新作ゆかたとして、三勝ゆかた博物館の所蔵するアーカイブ柄から「蜻蛉(とんぼ)」柄と「薊(あざみ)」柄を復刻しました。とんぼは前にしか進まず、退かないことから「勝ち虫」と呼ばれ、縁起のよい柄として、特に戦国武将に好まれてきました。「蜻蛉」は直線的で大胆なとんぼ柄を、注染で染めた糸を使い、変化のある美しい織りが特徴の「富士やま木綿」と赤坂紬、織りの異なる綿紬で復刻。前者は涼しげな印象を生み、後者は柄がキリッと映える粋な風情を漂わせます。ゆかたで人気のあざみ柄の中でも、「薊」は控えめで品の漂う繊細な図柄を、刷毛目の綿紬としじら織で復刻。大人らしい、洗練された着こなしが楽しめます。「蜻蛉(とんぼ)」(左から)柄番:345/生地:綿紬富士やま木綿(濃)、柄番:346/生地:綿紬富士やま木綿(薄)、柄番:212/生地:綿紬赤坂紬(黒)、ほかに柄番:349/綿紬赤坂紬(紺)あり「薊(あざみ)」(左から)柄番:350/生地:しじら織、柄番:356/生地:綿紬刷毛目□「蜻蛉」・素材 :綿100%・反物巾 :約40cm×長さ:約13m(乱規格)・反物価格:綿紬富士やま木綿/各77,000円(税込)・綿紬赤坂紬/各44,000円(税込)□「薊」・素材 :しじら織/素材:綿78%・麻22%、綿紬刷毛目/綿100%・反物巾 :約38cm×長さ:約13m(乱規格)・反物価格:各44,000円(税込)■三勝でしか実現できない柄と色合い!「江戸元禄」シリーズも充実しています三勝のゆかたを代表する「江戸元禄」シリーズは、浮世絵に登場する江戸の意匠を、現代のセンスにあったデザインで図柄化。注染では不可能とされていた、色を立たせない究極の淡色出しの技術によって、上質な素材に染め上げました。今年の干支でもある虎のモチーフであり、葛飾北斎の名作を用いた「雪中虎図(せっちゅうとらず)」や、歌川国芳らしさが表現され、猫が寄り集まってドクロをかたちづくる「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助(くによしもようしょうふだつきげんきんおとこ のざらしごすけ)」など、人気の定番柄を刺し子生地や綿紬刷毛目など、複数の異なる生地に染め上げました。性別を問わず、傾(かぶ)いたお洒落を楽しめるゆかたを提案します。葛飾北斎「雪中虎図」柄番:355/生地:綿紬刷毛目/生地違いあり/素材:綿100%/反物巾:約40cm×長さ:約13m(乱規格)/反物価格:77,000円(税込)歌川国芳「小子部栖軽豊浦里捕雷(こしべすがるとゆらのさとにらいをとらう)」/柄番:342/生地:綿紬ネズ/生地違いあり/素材:綿100%/反物巾:約40cm×長さ:約13m(乱規格)/反物価格:77,000円(税込)歌川国芳「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」柄番:348/生地:刺し子/生地違いあり/素材:綿100%/反物巾:約40cm×長さ:約13m(乱規格)/反物価格:77,000円(税込)反物で仕立てた羽織の例/上:歌川国芳「小子部栖軽豊浦里捕雷」(348/刺し子)、下:同「荷宝蔵壁のむだ書き」(2312/刺し子)■三勝を語る上で欠かせない人間国宝の染め職人・清水幸太郎と、その三男で三勝ゆかた博物館の前館長・清水敬三郎三勝本社のある日本橋界隈は、ゆかたの製造や卸販売など、繊維問屋街として発展してきました。なかでも三勝は、ものづくりに妥協を許さず、すべて手作業による昔ながらの染色技法にこだわり続けています。頑なまでのこだわりを牽引してきたのが、三勝専属の染職人だった故・清水幸太郎です。長板中形における卓越した技術から、幸太郎は昭和30年(1955年)に国指定の重要無形文化財に指定されました。その技術を受け継ぎ、ゆかたの新たな技法に挑戦し続けてきたのが、幸太郎の三男で、三勝ゆかた博物館の前館長・清水敬三郎です。敬三郎は幸太郎の作品をはじめ、戦禍から逃れた貴重な資料などを大切に整理、保管してきました。さらに複数の伊勢型紙を使い、版画のように美しい作品を数多く手がけ、三勝はもちろん、ゆかたの新たな魅力と文化を生み出すことに精力を注ぎました。惜しまれつつ2021年にこの世を去りましたが、三勝は清水親子の残した遺産を受け継ぎ、三勝らしいものづくりを踏襲しています。清水敬三郎作の反物。4枚の伊勢型紙を使い、4回の染めを経て生み出した、ゆかたの概念を超える作品です裏表それぞれ染め上げる長板中形は、表と裏で異なる柄を染めることが可能人気の裏変わりほか、長板中型の反物の一部「清水敬三郎謹製」の文字が入った、新しい三勝の証紙■ゆかたの新たな文化を発信する拠点「三勝ゆかた博物館」三勝が運営する「三勝ゆかた博物館」は、産地の職人とのものづくりを伝える場所として、2021年3月、装いも新たに三勝株式会社本社1階にオープンしました。館内には1万枚超の貴重な伊勢型紙を所蔵展示するほか、人間国宝の故・清水幸太郎の精巧無比な作品をはじめ、300点超のゆかた・綿きもの・シルクウールの反物、染色の道具、大正時代からの雑誌やポスターなど、貴重な資料を展示しています。また、商談やイベント、ワークショップをはじめ、ビジネスとしてきものに携わる方や、一般のきもの好きの方など、さまざまな交流を通じて、新たなゆかた・きもの文化を発信する拠点を目指しています。*三勝ゆかた博物館〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3-4-7TEL : 03-3661-3860(11:00-16:00 土・日・祝日除く)※事前予約が必要です。詳細やご予約は、メールやインスタグラムのDMで対応していますE-mail : contact@sankatsu-zome.com インスタグラム: ■勝(すぐ)れた生地に、卓越な勝(すぐ)れた意匠を、他に勝(まさ)る技法で染め上げる「三勝」3つの「勝」を誠実に貫き、自らを厳しく律し、高品質の製品をお届けするという志を社名とする三勝株式会社は、明治27年(1894年)創業のゆかたメーカー・染め元です。創業者の天野半七は、浄瑠璃の「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の登場人物「三勝」と「半七」にあやかって屋号を名付けました。人間国宝・清水幸太郎直伝の技術を活かし、美しい色合いや大胆な柄、繊細なものづくりが特徴です。注染や江戸元禄、長板中形など、江戸の風景を現代に忍ばせるゆかたや綿きもの、シルクウールきものを中心に、新たな歴史と文化の創生を目指しています。三勝ゆかた博物館外観三勝ゆかた博物館では、新作ゆかたはもちろん、定番ゆかたや長板中形、綿きもの、シルクウールきものなど、およそ300点の反物を展示・販売しています三勝ゆかた博物館の新たなサービス「山紫水明(さんしすいめい)」。綿や麻の生地を1反単位で、10色のカラーバリエーションの中からお好みの色に染められるサービスです三勝ゆかた博物館は、三勝の製品を通して、ゆかたやきものの新たな文化を発信していきます。■会社概要社名 : 三勝株式会社本社所在地: 〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3-4-7代表者 : 4代目天野半七(天野美香子)創業 : 1894年(明治27年)設立 : 1942年(昭和17年)事業内容 : ゆかた・きもの(木綿・麻・シルクウール等)および和装製品の製造卸販売URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月12日眠狂四郎の市川雷蔵、座頭市の勝新太郎、日本映画のレジェンド中のレジェンドふたりを描いた評伝『市川雷蔵と勝新太郎』がこのほど、KADOKAWAから出版された。著者は『江戸川乱歩と横溝正史』『萩尾望都と竹宮惠子』など、文芸、エンタメの歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気の作家、中川右介さん。37歳の若さでこの世を去った市川雷蔵は、没後50年のいまでも毎年のように回顧上映が行われていて、若い新しいファンも誕生している。勝新太郎も、その個性的な演技と破天荒な生き方に根強い人気がある。雷蔵は関西歌舞伎の若手有望株、勝は長唄三味線奏者、というそれぞれの出自や、歌舞伎の世界と映画との関わりについても詳述されるが、この本が特別なのは、ふたりを対比して論じる俳優論ではなく、この二枚看板を中心に次々と娯楽作を連打した、今はなき大映という映画会社の興亡を時代を追って深く掘りさげているところである。ふたりの誕生は同じ1931年。映画デビューも同じ1954年。映画は右肩あがりの急成長にあり、そこから、58年には観客数(映画人口)が11億人へと頂点に達していく。当時は、東宝、松竹、東映、日活、そして大映の大手五社が独自の配給網、映画館チェーンを持ち、2週間に2本の新作を送り出していた。上映も2本立てだ。東宝はサラリーマン喜劇や若大将、東映は時代劇や任侠ものなど、各社独自のカラーがあった。大映は、この「カツライス」と呼ばれた超人気俳優ふたりの作品がまさに、屋台骨を支えていたのだ。「両雄並び立つ」という章では、その絶頂期が書かれている。1963年はふたりの主演作2本立ての正月興行で始まる。この年、勝は11本の作品に出演し、その10本が主演作。雷蔵は10本に出演、うち主演は9本だった。この本数は、この年だけではなく、ほぼ毎年、雷蔵が亡くなるまで同じペースで続いたのだ。雷蔵には眠狂四郎、若親分、忍びの者、陸軍中野学校のシリーズがあり、勝新は座頭市、悪名、兵隊やくざがあり、これら語り継がれる名作は、いま、回顧上映やDVD・配信などで、ひとつの作品として観られ、絶賛されている。が、実は量産された、いわゆるプログラム・ピクチャー2本立ての1本だったのだ。あの映画はこんなふうにして世にでたのか、という驚きの連続である。テレビの出現で1960年代には映画業界に陰りが見え始める。映画人口は3億人をきり、各社不況のなか、大映は雷蔵が没した2年後の71年に倒産する。その大映映画の権利を現在は、本書の版元であるKADOKAWAが保有している。巻頭フルカラーで24ページ、ずらりと並んだふたりの貴重な全出演作ポスター集ひとつとっても、この版元だからできたこと。丁寧に作られた映画書である。『市川雷蔵と勝新太郎』中川右介著 / KADOKAWA / 2,860円(税込)ぴあアプリ「水先案内人」中川右介さんのおすすめ映画はコチラ
2021年10月05日シリーズ累計100万本を超える大人気ゲーム『薄桜鬼』を原作とし、2012年から上演されている、ミュージカル『薄桜鬼』。幕末を舞台に、父の行方を捜す少女・雪村千鶴が新選組と出会い過酷な運命に巻き込まれていく。2020年4月には「ミュージカル『薄桜鬼 真改』相馬主計 篇」を上演予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響を鑑みプロジェクトが中止に。新たにこの4月より東京・兵庫にて上演されることとなった。(東京公演:日本青年館 4月2日~4日、関西公演:AiiA 2.5 Theater Kobe 4月8日〜11日)今回、風間千景役で出演する鈴木勝吾は、シリーズ1作目から同役を演じ、2014年の「風間千景 篇」では主演も務めている。2020年から続くコロナ禍で公演時期が変更になったことから、キャストも変更となり、5年ぶりに『薄桜鬼』の世界に帰ってくることになった。予想外のカムバックに、ファンからも大反響となった今作について、鈴木に話を聞いた。○■「2.5次元」が受け入れられる時代になった——今回5年ぶりにミュージカル『薄桜鬼』に出演されるということですが、率直にどのようなお気持ちですか? 反響も大きかったと思います。離れてから経った時間は僕の中でもお客様の中でもありますし、久々にミュージカル『薄桜鬼』をお届けすることに怖さもあり、楽しみもあり、みたいな感覚です。反響については、皆さん、意外に思ってくださったんでしょうね。毛利さんとやってきた薄桜鬼と風間という役を、ヒデ君(佐々木喜英)やガウチさん(中河内雅貴)が演じていたところに、僕が戻ってきて、今度は違う場所で一緒にやってきた西田(大輔)さんとできるということに、不思議なご縁を感じています。——コロナがなければ生まれなかった組み合わせかもしれないですね。そうなんです。誰にとっても予期しない時代で、今だからこそ巡り会えた仲間なので、初演の時に「いつか時は過ぎ巡り会う」という歌詞がありましたが、まさに今だ、と感じています。——初演の頃はどういう思いで演じられていたんですか?「2.5次元」という言葉もまだ、できるかできないか……みたいな頃で、最初は劇場も埋まっていなかったですし、まさに自分達が「時代に逆らう新選組だ」といった話をしていたことを覚えています。新選組もヒーローではなく人斬り集団だということもあり、「僕らが握るのは刀だ」ということを皆で大切にしていて、演劇としてミュージカルとして、人間の話をどこまで表現できるか、という戦いをしてきました。生き様の話だということを大切にしてきたので、そういったことをやり合える幸せな場にまた行けることは楽しみです。——ミュージカル『薄桜鬼』に出演していなかった間に自分が成長したと思ったことや、何か作品にも活かしたいと思ったことはありますか?唯一成長したところがあるとしたら、楽曲へのとらえ方かもしれません。色々なミュージカルをやらせていただき、その中で歌に対する考え方も変わっているので、稽古でどうやって楽曲を作っていくのか……殺陣を強みにしながらの見せ方なども、周りと相談しながら、僕が俳優として感じるものづくりをやっていけたら、と思います。これがもし「再演だから稽古期間が少ない」といった作品だったらまた違う関わり方にもなると思うのですが、きちんと時間があるので、色々出し合って新しいものを作っていけたら、という思いがあります。——昨年風間役を演じる予定だった佐々木さんとは、何かお話はされたんですか?実は1度会う機会があって、「次、やるんだ」という話はしました。ヒデ君の公演も観ていて、すごく役を愛しているのが伝わってきたので、またバトンが回ってきたという感覚です。——出られた皆さんもすごく愛している作品なんですね。本当に「この作品をどう届けるか」ということを、すごく考えながら作っていたんです。今、30歳前後の僕達が、すごく血気盛んな若い頃に、時代と戦うキャラクターと自分達とを重ねながら作ってきた作品だから、それ故に、より愛が強いのかもしれません。世間からすべてを受け入れていただける時代ではない時に、その狭間で戦って、思いを寄せあって作っていた感覚があります。——今はまた時代の流れの中で、とらえられ方も変わってきているように感じますか?そう思います。だから、すごく不思議です。「2.5次元」という言葉が世間に受け入れられている時代に変わって、どういう見え方になるんだろう? 僕自身「どうなるんだろう」と言いつつも、見える景色が希望であったらいいなという気持ちでいます。ずっと愛してくれている方がいるからこそ公演ができるわけですし、今回作詞・脚本・演出が西田(大輔)さんになり、新しい挑戦で進化していけるのではないかと。○■ニュー土方との対決が楽しみ——今回共演される方については、どのような印象ですか? 今までに共演された方もいるかと思いますが。(井俣)太良さんはずっと新選組の近藤局長でいてくれているので、1番の柱なのかなという気がしています。風間は作中でそんなに近藤さんと話はしないんですけど、彼がいる『薄桜鬼』の現場で共にまた作品を作れるのがすごく楽しみです。輝馬君や(椎名)鯛造君も出演しているし、土方がくぼひで君(久保田秀敏)なのもまた不思議な感覚です。違う作品では兄弟役ですごく支え合っているので(笑)。やっぱり、風間にとって千鶴と土方の存在がすごく大きいから、土方役を、愛すべき、本当に大好きでポンコツな先輩が演じる、ということにはすごく期待しています。本当に素晴らしい役者さんなんですけど、普段、ぼけっとしてるところもあって(笑)。お芝居でガッツリ敵対するのは初めてなので、寄り添うのではなく、ぶつかる役として一緒にできるのがすごく楽しみです。斎藤一役の大海将一郎さんも1度共演してすごく気骨のある俳優さんでしたし、こんな時代じゃなかったら、皆で飲みに行きたかったです。——土方とは敵対する役でもありますが、俳優さん同士は息が合っているからこそのやりとりが見られるかもしれないですね。大好きだから、仲の良い役ならいいんですが、バチバチやる時にどういうことが舞台上で起こるんだろう? 僕が出演していた時に土方役だった(矢崎)広君はリーダーシップをどんどんとってくれるイメージがあったんですが、くぼひで君は結構かわいい先輩で”鬼の副長”というイメージがなかったから、どのようなニュー土方になるのか、サプライズのようで楽しみです。そもそも去年の公演が発表された時に、「やるんだ」という話をしていたので、まさかその相手を自分がやることになるとは、というところも縁ですね。——改めて見ると、このシリーズは同じ始まりから「○○篇」と様々な分岐を描いていて、なかなかないシリーズだなと思いました。演じる側にとっても色々な立場から物語を紡いでいくことになるのかと思いましたが、いかがですか?風間は常に俯瞰している立場で、新選組の戦い様を見つめているキャラクターなので、そこまでの混乱はないですが、今までだと「藤堂篇」「沖田篇」の時に立ち回り方が違った印象があります。本当に他にない作品ですよね。僕はこのやり方がすごく好きだなと思います。ただ「一生千鶴が手に入らないんだな、俺は」と思いました(笑)。いつもだめなんですよね……。——今後また「真改 風間篇」があれば……。いや、絶対バッドエンドにされますよ!(笑) 西田さんから「お前、それはないだろ」と言われるような気がしています、僕は(笑)。○■『薄桜鬼』は「まず、作画がいい」——風間千景は「ちー様」と呼ばれて人気ですし、観客をキュンとさせるキャラクターでもありますよね。女性目線は考えたことがなかったので、キュンはわからないですけど、男としては憧れます。『薄桜鬼』は生き様を描く物語なので、女性もまっすぐ生きていくことに対してロマンを感じているんだなと、初演からずっと感じています。演出の西田さんも本当にずっとまっすぐ前に傷を負いながら背負いながら生きている人なので、改めて西田さんの下で、この幕末の時代や、人間と鬼の葛藤、千鶴の生き方が描かれることになると思います。——改めて、鈴木さんから見て『薄桜鬼』「薄ミュ」が多くの人に愛される理由、魅力はどんなところにあると思いますか?そうですね……まず、作画がいい(笑)。さんざん色々言っておきながらですけど、やっぱり、かっこいいと思います! ゲームやアニメでも『薄桜鬼』のキャラクター達が美しく魅力的で、すごく素敵なコンテンツだと思います。「薄ミュ」が愛される理由は……逆に皆さんに聞いてみたい気がしますけど、さっきも言ったように幕末であったり、信念を貫いていくことだったり、相手を認めることであったり、男の子も燃える話なんです。役者が興に乗って演じられる題材でもあるってのは、理由の1つなのかなと思います。それから俳優だけじゃなくて、演出家、スタッフさん、原作サイドの方々も、皆がものすごくこのミュージカル『薄桜鬼』を愛していることも、魅力につながっているんじゃないかな。皆がミュージカル版を愛してくださっているからこそ、「薄ミュ」を愛しているお客様にも届けられると思うので、拍手したいです。舞台を作るって簡単なことではないですし、キャストを変えてでも1つの物語をまた作っていくという覚悟は、並大抵のものではないはず。スタッフさん達がまずこのミュージカル『薄桜鬼』を愛してくれて、お客様もその愛に応えて……という循環が素敵ですし、僕としてもすごく大切な役で、すごく支えられたことへの感謝の思いがずっとあります。■鈴木勝吾1989年2月4日生まれ、神奈川県出身。2009年に『侍戦隊シンケンジャー』で俳優デビューして以来、様々な作品で活躍。主な出演作にミュージカル『薄桜鬼』シリーズ(12年~16年)、舞台『東京喰種 トーキョーグール』シリーズ(15年~17年)、ミュージカル『スタミュ』シリーズ(17年~18年)、少年社中×東映『モマの火星探検記』(17年、19年)、ミュージカル『憂国のモリアーティ』シリーズ(19年~)、DisGOONie『PHANTOM WORDS』『PANDORA』『PSY・S』(19年)、音楽劇『星の飛行士』(21年)など。 ヘアメイク:城本麻紀、スタイリスト:吉田ナオキ
2021年04月01日左から松田聖子、中森明菜、市川海老蔵、勝 新太郎テレビでやっていると、ついつい気になってしまうのが「記者会見」。旬の人がマスコミ、そして世間に向けて発表や釈明をするわけですが、数々の伝説が生み出されたものです。そんな、世の中を騒がせた記者会見を総ざらい!その変遷を追って、あのころを思い出してみませんか?■松田聖子の変わり身の早さに全員がズッコケた今年6月、ジャニーズ事務所を退所した手越祐也が、自身のYouTubeチャンネルから緊急記者会見を生配信したことは記憶に新しい。会場に約130人の記者が詰めかけたことからも騒動の大きさを物語る一方、約2時間に及ぶ会見の生配信を132万人を超える視聴者が、リアルタイムで見届けたことも大きな話題を呼んだ。かつての記者会見といえば、芸能人とワイドショーの芸能レポーターが、ときに“にらめっこ”のように、ときに“つば競り合い”をするかのごとく、喜怒哀楽がないまぜになって進行することが当たり前。ところが、時代は変わり、今や自らのチャンネルで配信し、ワイドショーやレポーターを介さずとも、気持ちを伝えることが可能になった。振り返ると、芸能史にはさまざまな記者会見が存在し、その一幕を覗くと時代の変化が垣間見えるから不思議だ。例えば’80年代、松田聖子が郷ひろみとの破局を表明した記者会見(’85年)のように、このころは結婚、破局、出産といったライフイベントを、わざわざ芸能人が自ら報告することが習慣化していた。テレビ越しに、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と号泣する松田聖子を見て、誰もが同情したにもかかわらず、わずか1か月後に、神田正輝との交際が報道される──という流れに、全員がズッコケたのは懐かしい思い出だろう。「ネットが登場する以前は、動画配信はもちろん、ブログすらない。意思を表明する場が記者会見しかなかった。輪をかけて、視聴率が欲しいワイドショーとの相性もよかった」と、語るのは芸能ジャーナリストの渡邉裕二さん。記者会見が、テレビのコンテンツとして機能していた時代を振り返る。■’90年代に入って記者会見の風向きが変わる例えば、海老名美どりの“緊急発表”と題された会見(’82年)は、「峰竜太との離婚!?」をにおわせておきながら、ふたを開けると「タレントをやめてミステリー作家になる」という芸能史に残るどうでもいい会見だった。ところが、いまだ多くの人の脳裏に焼きついているから恐ろしい。同様に、視聴者にもモヤモヤとした思いを残したのが、近藤真彦と中森明菜の交際解消会見(’89年)。「明菜は婚約発表会見のつもりで登壇したと聞いています。それがあんな形になるとは。見ていた人たちもなんとも納得がいかなかったのではないでしょうか」(渡邉さん)。現在だったらブログや事務所の発表ですまされていたであろうこの一件。結果として歴史に残る会見のひとつとなった。その極めつきといえるのが、パンツの中にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕された勝新太郎の記者会見(’90年)。とぼけ続けたあげく、「もうパンツをはかない」と放言し、世間をアッと言わせた。企業の危機管理やメディア対応のコンサルティングを行う窪田順生さんは、「マニュアルどおりの謝罪会見が存在しなかった時代。勝新さんや、フライデー襲撃事件後のビートたけしさんなどは、人間性が垣間見えるような、その人にしかできない記者会見を開いていた」と分析する。このタレント性重視の会見が、百戦錬磨の芸能レポーターとの丁々発止を生み出し、「記者会見が場外乱闘のような表現の場になっていた」と続ける。しかし、’90年代に入ると風向きが変わる。バブル崩壊、阪神・淡路大震災、そして「ああ言えば、上祐」という流行語にもなったオウム真理教による一連の事件が世間を騒がし、芸能の記者会見も、がんを公表するケースや破局系など暗いものが目立つようになる。「’80年代まで通用していた場外乱闘としての記者会見が通用しなくなってきた」(窪田さん)その最たる例が、田原俊彦の長女誕生記者会見(’94年)で発した“ビッグ発言”だ。「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビッグになっちゃうと~」と答えるや、調子に乗っていると受け取られ、田原の芸能活動は一変。’00年に発覚した盗撮事件で、「ミニにタコができる」と弁明した田代まさしも同様だろう。ひと昔前なら笑ってすんだかもしれない会見に対して、世間はどこか冷めたまなざしを送り、シビアに判断する……そして、当事者のタレントはしっぺ返しを食らうことになる。■2014年、記者会見界に訪れた“素人の乱”’00年代に起きた、雪印乳業の集団食中毒事件での「寝てないんだよ!」という社長の逆切れ会見(’00年)や、高級料亭「船場吉兆」による食品偽装等の謝罪会見(’07年)で飛び出した「ささやき(女将)」を見ても明らかなように、誠意なき会見に対して、世の中は拒否反応を示すようになった。そんな中、金屏風の前で離婚発表をした泰葉×春風亭小朝の記者会見(’07年)は、“時代の残り香”とでも言うべき、風化させたくない名記者会見だ。円満離婚を強調するも、後日、ブログで小朝を『金髪豚野郎』と罵る──、今なお場外乱闘をし続け、“海老名家健在”を結果的にアピールするあたり、さすがは伝統を重んじる一家である。「『あの日の自分に声をかけるなら?』という質問に『出かけるのはおやめなさいと言いたい』と語り、失笑を招いた11代目市川海老蔵暴行事件の会見(’10年)、片岡愛之助&藤原紀香の結婚会見(’16年)、6代目三遊亭円楽の不倫謝罪会見(’16年)など伝統芸能系は、今でもきちんと会見を開く傾向が強い。円楽師匠の『今回の騒動とかけまして、いま東京湾を出ていった船と解きます。(その心は)“後悔”の真っ最中』といった大喜利のような会見は絶賛された。きちんと対応できる人は、記者会見を開いたほうがいいということを示した」(前出・渡邉さん)裏を返せば、対応するスキルがない場合は、表に出てこないほうが賢明とも。くしくも、芸能人のブログやSNSが定着化した’10年代は、ライフイベントの発表をネット上で行うことも珍しくなくなった。その影響からか、発表性に乏しくなった芸能人の代わりに、素人たちの記者会見が目立ち始める。新垣隆、佐村河内守、小保方晴子、野々村竜太郎といった芸能人以外の人たちが、立て続けに世をにぎわせた2014年は、記者会見における“素人の乱”といえよう。また、印象に残るような芸能人の会見が少なくなった理由として、「昨今は“お辞儀は〇秒”“決められたスーツを着る”など、『こうすれば世間は納得する』といったマニュアルどおりの謝罪会見が目立ちます。そつなくこなしているように映り、どの会見も似たり寄ったりになる」と、窪田さんは指摘。芸能事務所が、十把一絡げの危機管理をタレントにしいることで、イメージの回復はおろか、事態の深刻化を招くという。その人“らしさ”を無視した会見は、逆効果というわけだ。■“気持ちが伝わる会見”が求められているそれを証明するように、山口達也の不祥事に関するTOKIOの会見(’18年)や、吉本興業の「闇営業」問題について説明する宮迫博之&田村亮の会見(’19年)からは、誠心誠意、気持ちが伝わってきたという人も多いはず。TOKIOのメンバーや田村亮に対する好意的な反応は、記者会見を開いたからこその効果であり、今の時代は“気持ちが伝わる会見”こそ求められているといえそうだ。芸能人の発信の場は広がっている。しかし、どんな形で記者会見を開くにせよ、見ている側を納得させるためには、いつの時代もその当事者“らしさ”や“誠実さ”が鍵のようだ。●芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さん「記者会見はエンタメから政治になった」かつての記者会見は、ワイドショーと連動することでエンタメの装置としての側面が強かった。また、芸能人も記者会見を開くことで、「マスコミから追いかけられずにすむ」という抑止力につながった。しかし、今はどちらかというと事務所の都合で、わざわざ開くという傾向が強い。いわば、政治力の装置としての記者会見。どこか裏を読んでしまうところがあり、かつてのように視聴者が記者会見を楽しむといった感覚も希薄になっていると思います。・PROFILE・わたなべ・ゆうじ。芸能ジャーナリスト。松山千春『旅立ち〜足寄より』CD、映画、舞台などを企画、プロデュース。主な著書に『酒井法子孤独なうさぎ』など。●当事者・林葉直子さん世間を騒がせたアノ人が語る“会見の裏側”「不本意な当事者も多いかも……」失踪騒ぎ、不倫騒動、豊胸手術、自己破産……数々の記者会見を体験した林葉直子さん。記者会見のときの胸中を振り返ってもらった。「う~ん、多すぎて覚えていない(笑)。でも、失踪騒ぎのときは、大騒ぎになっているなんて思わなかった。帰国して、緊急会見を開くと言われて、『なんで!?』って。しかも会見の直前、師匠(故・米長邦雄さん)から『立場を悪くしたくないなら謝りに来なさい』というメモを渡されて……。悪いことをした覚えはないし、まだ公になっていなかったけれど不倫をしていた時期でもあったんで(笑)、いろいろ複雑な思いでしたね。だから、あの場であまり発言しなかったのは、反省していたとかではなくて、話すことがなかったからなんです。あのときの私みたいに記者会見が不本意な当事者も多いんじゃないでしょうか。あ、渡部建さんはやったほうが世間が納得すると思いますよ(笑)」・PROFILE・はやしば・なおこ。1968年生まれ。元女流棋士、小説家、エッセイスト、漫画原作者、占い師。さまざまな行動で世間をアッと言わせてきたことでも知られる。■今は量産型の芸能人が増えた●危機管理アドバイザー窪田順生さん「“危機管理”という概念が入ってから変わった」危機管理の世界では、「雪印乳業集団食中毒事件」と「三菱自動車リコール隠し事件」が発覚した2000年がターニングポイントといわれ、日本の企業危機管理が見直される契機になりました。その影響もあって、芸能界にも危機管理意識が強く働くようになり、芸能人に社会人らしさを求める風潮が強まっていきました。しかし、芸能界は一般企業とは違いますから、定型的な謝罪をさせるといった危機管理でうまくいくわけがない。芸能事務所は、タレントの個性をいかすような危機管理を心がけたほうがいいでしょう。・PROFILE・くぼた・まさき。危機管理・報道対策アドバイザー。ノンフィクションライター。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行う。●関係者・石川敏男さん名物芸能レポーターが斬る、記者会見はこう変わった「今は替えがきく芸能人が多い。だから記者会見に個性がない!」かつての記者会見は、芸能人とレポーターが会話をするように質疑応答が行われていた。しかし、今は一問一答じゃないけど質問ごとに仕切るから、本音や気持ちを引き出しづらい。これじゃ本心はわからないよね。ひと昔前の芸能人は、替えがきかない人が多かった。例えば、丹波哲郎さんに愛人と隠し子騒動が浮上して、彼の自宅へ直撃したら、「なんで今ごろ聞きにくるんだよ?地元の人間はとっくに知ってるよ」と言われた(笑)。こういう人だから芸能人であり、丹波哲郎なんだな、と。今は、似たような決まりきった会見を開くよね。人気はあるかもしれないけど、その人に代わる人がたくさんいるーー、だから誰でもできる会見になるから、記憶に残りづらくて個性がない。量産型の芸能人が増えたってことだと思いますね。・PROFILE・いしかわ・としお。1946年生まれ。女性誌記者を経て、芸能レポーター歴32年。コメンテーターとしても活躍中(取材・文/我妻アヅ子、本誌編集部)
2020年08月30日広島県福山市の山中にある〈神勝寺〉はコンテンツが満載。中に入って体験するインスタレーション〈洸庭〉や、広大な日本庭園に建築が点在するこの寺は別名〈禅と庭のミュージアム〉と呼ばれるほど。インスタレーションやうどんや温泉、座禅で多角的に禅の心を体験して、見るのではなく、感じる場所へ訪れてみませんか?禅の心に触れ、己と向き合う。穏やかなる時が流れる場所。荘厳堂に行く途中にある長い階段。広大な敷地に広がる、四季それぞれに趣を変える日本庭園や建築散策も、ここにしかない体験。神勝寺にはつの別名がある。まずつは〈神勝禅寺〉という、禅寺としてのネーミング。1965年、臨済宗建仁寺派の寺として建立された神勝寺には〈国際禅道場〉や〈無明院〉という本堂がある。ここで、お経を書き写す写経や坐禅といった禅の修行が行われている。神勝寺は一般に向けて広く禅の門戸を開いており、希望すれば、坐禅や写経など様々な禅修行を体験できるコースが用意されている。もうつの別名が〈禅と庭のミュージアム〉。もっと多くの人々に、禅に親しんでもらいたいとの考えから、2016年月のリニューアルオープンの際に名付けられた名前だ。舟形を彷彿とさせる建物〈洸庭〉は名和晃平さんと彼が率いるSandwichによるもの。自然の中に、19m×46mの建築が浮かぶ。ミュージアムとしての新たな船出を象徴するかのように、敷地内に建てられたシンボルが、彫刻家の名和晃平さんとクリエイティブ・プラットフォームSandwichが手がけたアートパビリオン〈洸庭〉。17本の柱で宙に浮かんだように見えるこの巨大建築は、船がモチーフ。下に敷いた石を海に見立て、現代アート、現代建築の視点からとらえた禅を表現している。洸庭の中へ。真っ暗な建物内は、揺らめく波を眺めるインスタレーション。大きな浴室で体と心を清める。これも禅。(浴室の使用は、2020年内休止予定)この中に足を踏み入れると目の前に広がるのは、名和さんとヴィジュアルデザインスタジオWOWによる、真っ暗な空間で波が揺らめくインスタレーション。暗闇の中で揺らめく水面を見つめていると心が鎮まる。その体験はまさに坐禅!心穏やかになった後に外に出ると、ついさっきまで見ていた景色や自然の風景が持つ、明るさや色鮮やかさにハッとさせられる。荘厳堂は、敷地の一番奥の無明院内にある。入口には山門が設けられ石庭が広がる。授与品やお土産が並ぶ松堂が、禅と庭のミュージアムのエントランス。建築家の藤森照信さんの作品。約200点に及ぶ白隠のコレクションから、20〜30点の禅画を披露する荘厳堂。身近なものとして感じられるよう、禅画はガラスケースなどに入れずそのまま展示。敷地の一番奥にある〈荘厳堂〉は、目をギョロッとさせた達磨の絵で知られる白隠禅師の禅画・墨蹟の常設展示館。所蔵するコレクション200点の中から、20〜30点をピックアップし常設展示を行う。アートをきっかけに禅に触れられるのが、寺でありながらミュージアムと名付けられた理由。禅の食事作法でいただく「神勝寺うどん」1,200円。臨済宗の修行僧は、4と9がつく日の昼食に湯だめうどんを食べる。洸庭近くの小さなカフェ。約7万坪の敷地には日本庭園が広がり、所々に建築が立つ。〈五観堂〉では、持じ鉢はつと呼ばれる器と太い箸(雲水箸)を使うなど、禅の作法を用いて、修行僧の一番のご馳走である湯だめうどん「神勝寺うどん」をいただける。〈浴室〉の温泉は、垢を落とし、体と心を清めるという意味がある。ここにあるすべての体験が、禅に紐付いているのだ。禅の教えでは、必ずしも坐禅だけが修行ではない。見ることや歩くこと、寝ることも禅。禅に触れ、ゆったりと流れる時間に身を委ねれば、心が次第に落ち着いていく。〈神勝寺〉JR福山駅からクルマで約25分。広島県福山市沼隈町大字上山南91084-988-11119:00〜17:00(最終受付16:30)不定休大人1,200円、学生900円、中高生500円、小学生以下無料(Hanako特別編集 合本・完全保存版『幸せをよぶ、神社とお寺。』掲載/photo : Tetsuya Ito text : Junya Hirokawa)
2020年08月18日パーティーに向かう車の後部座席にいた徳勝龍を直撃すると、自ら窓を開け答えてくれた令和初の大相撲初場所で、番付最下位の徳勝龍が14勝1敗の成績で幕内初優勝を飾った。結びの一番で大関貴景勝を寄り切りで破り、土俵上で男泣き。“幕尻力士”の優勝は、’00年の貴闘力以来20年ぶり。奈良県出身力士の優勝は98年ぶり。33歳5か月での初優勝は、日本出身力士としては最年長と、まさに記録ずくめの快挙だった。「今場所は幕内だったけど“いちばん下の幕尻だから頑張りなよ”と声をかけたら“大丈夫”と言っていて。まさか優勝するとは夢にも思わなかったですね」そう語るのは、徳勝龍が所属する『木瀬部屋』の元大家の男性。■注目された奥さんの存在勝利後のインタビューでは「自分なんかが優勝していいんでしょうか?」と控えめにおどけてみせたが、優勝争いについて質問されると「意識することなく……、ウソです。めっちゃ意識してました」と笑いを取り、優勝インタビューを受ける練習をしていたことも明かした。「東京に彼の後援会がないから、作ってあげようかと聞くと、作らなくていいって言う。元来、派手なことは嫌なんです」(前出・元大家の男性)そんな徳勝龍もいまや時の人に。1月下旬、同部屋力士の引退パーティーに出席するところだという関取を、相撲部屋の前で突っ張りインタビュー。優勝から数日がたった今の心境を聞いてみると─。「かなりバタバタしていますね。おめでたいけど、忙しくて、ちょっと疲れた(笑)」幕尻Vにも驚いたが、世間が注目したのは、徳勝龍を陰で支える美人妻の千恵さん。「奥さんには感謝しかないです。よくやってくれてます」もともと相撲やプロレスが好きだという千恵さん。仲のいい錦糸町のカレー店の店長に「お相撲さんが店に来てるから見においで」と呼び出され、紹介されたのがきっかけだった。当時、千恵さんが思っていた関取の印象は「白くてカワイイ」。そして、約3年半前に結婚。現在、千恵さんは都内の法律事務所で秘書として働くという、角界では珍しい共働き夫婦なのだ。─優勝して、奥さんはどんなことを言ってますか?「いつもどおりですね。普段から相撲のことはあまり話さないので」─奥さんは、プロレスラーの中西学選手のイベントには行かれるんですよね?「そうなんですよー(笑)」─奥さんの料理は美味しいですか?「なんでも美味しいです」─きれいな奥さんがいて、優勝して、次はお子さん?「子どもは欲しいですね!」─今日は引退パーティーに出席のようですが、自分の引退を考えたことは?「まったくないです。自分が33歳と思ってないですから」─体力も落ちてない?「あー、それは落ちてきてますね(笑)」来場所が正念場。三役とりと子づくりに、まだまだ体力を落とすわけにはいかない!
2020年02月04日俳優の飯島寛騎と鈴木勝吾が、舞台『ちょっと今から仕事やめてくる』でW主演を務めることが31日、明らかになった。同作は、70万部を超えるベストセラーとなり、第21回電撃小説大賞“メディアワークス文庫賞”を受賞した北川恵海の同名小説を初めて舞台化。17年には映画化もされた。ブラック企業で働く若手社員の青山隆(飯島寛騎)は、疲労のあまり駅のホームで意識を失い、電車にはねられそうになったところを幼馴染みのヤマモト(鈴木勝吾)と名乗る男に救われる。しかし、青山がヤマモトについて調べると、出てきたのは3年前に激務で鬱になり、自殺した男のニュースだった。飯島、鈴木に加え、元℃-uteメンバーの中島早貴が、常に優秀な青山の先輩・五十嵐を演じる。葉山昴、ケーナ奏者としても活躍をみせる実力派俳優の田中健が出演。劇団oneor8の田村孝裕が脚本、深作健太が演出を務める。公演はCBGKシブゲキ!!にて6月13日〜6月23日。
2019年01月31日俳優の高杉真宙が23日、都内で行われた主演映画『世界でいちばん長い写真』(公開中)の初日舞台挨拶に、武田梨奈、水野勝(BOYS AND MEN)、草野翔吾監督とともに登場した。同作は誉田哲也の同名小説を実写映画化。目標もなく、冴えない毎日を送る主人公・宏伸(高杉)が、祖父のリサイクルショップで世界一長いパノラマ写真が撮れるカメラを見つけ、だんだんと人生が変わっていく。互いの印象を聞かれると、水野は「真宙くんは物静かで人見知りするタイプなんですけど、すごくチャーミングで、すごい天然なんですよ。つつけばつつくほど色々な面が出てくる」と語る。高杉はその言葉に「フラグですね」と、今後の展開を予感させるように苦笑しながら頷いていた。その後、武田が15日に誕生日を迎えたことからサプライズでケーキが登場。出演者陣は「えっケーキがあるんですか!」「ちょっとこれ聞いてないよ!」「嘘〜!!」と口々に驚きを表し、会場も一体となってハッピーバースデーの歌を歌う。しかし武田は「本当だったら泣いてるはずなんですけど、実はある人がやらかしてしまって」と告白。「打ち合わせをする前に『はい梨奈ちゃん、台本』と渡されたんですけど、私が見てはいけない台本だったんですよ」と明かす。水野が「思いっきり赤字で『バースデーケーキをここで投入』って。誰かさんがね、お配りしたんですよね」とたたみかけると、下を向いていた高杉は「本当に、誰ですか!」ととぼけるが、客席にも伝わった様子。武田が「思わず私さっき、真宙くんの左腕パーン! って」と攻めると、高杉は「やっちゃったんですよね〜。みなさん、すいませんでした」と謝罪した。草の監督も「バレてから、スタッフも一切ケーキを隠さない」と苦笑。水野が「袖に置いてありましたもん。世界で一番驚かないサプライズ!」と作品名にかけて表すと、会場からも「うまい!」と拍手が起こった。フォトセッションでは、約2mのパノラマ写真が登場。実際に作中では145mのパノラマ写真が登場するため、「この173倍」という説明に、観客も驚いていた。
2018年06月23日元SMAPの草なぎ剛が8日、自身のツイッターを更新。元SMAPのメンバーでオートレーサーの森且行の通算600勝を祝福した。森は11月17日にオートレースで通算600勝を達成。草なぎは「森且行さん。森君。600勝おめでとうございます!おめでとう」と3週間遅れでお祝いした。この投稿に、「森くんおめでとう」「森くん!600勝 おめでとう」「森且行選手600勝おめでとうございます」「森くん凄いよね。600勝おめでとう」「森くん600勝おめでとうございます!!!!!!」「森くんも本当にすごいおめでとうですね」とファンからも祝福コメントが多く寄せられている。森は1996年にグループを脱退し、オートレーサーに転身。先月4日にインターネットテレビ局・AbemaTV『72時間ホンネテレビ』で元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾と21年ぶりに共演し、大きな話題を呼んだ。
2017年12月08日■会ってすぐオヤジの毒=魅力にやられたまさに昭和の怪優と呼ぶにふさわしい勝新太郎。彼の没後20年がたちました。女遊び、金使い、芸への情熱。どれをとってもスケールの大きいその生きざまは、今となっては伝説と化しています。そんな勝新太郎のマネージャーとして、6年の月日を過ごしたアンディ松本さん。「オヤジ」「アンディ」と呼び合う関係は親子同然だったといいます。アンディ松本さんの『勝新秘録 わが師、わがオヤジ勝新太郎』(イースト・プレス)には、ありし日の「オヤジ」の素顔が生き生きと描かれています。アンディ松本さん撮影/齋藤修造「オヤジと初めて会ったのはね、京都のベラミっていう高級クラブ。山口組の田岡組長が撃たれたいわくつきのクラブで、関西政財界御用達だよ。いや、行ったのは初めてなんだけどさ、会社を辞めた後、お世話になった先輩を連れて2次会の行き先に選んだんだ。そりゃすごい豪華なクラブだからさ、きょろきょろしちまって。で、トイレに行こうとしたらさ、階段の上に、あの勝新太郎がいるんだよ。いや、びっくりして“大ファンです!”って話しかけた。そしたら、オヤジは“そうかそうか、後で来い”と」社交辞令だと笑う周囲の声を聞かず、アンディさんは勝新太郎の席に行きます。周囲には、江波杏子や太地喜和子などの大女優が控えていたそうです。「オヤジに“おまえさん誰だい?”って聞かれたから名刺を出しちゃった。だけど、よく考えてみたら、もう会社は辞めるんだよな(笑)。“実は現在はこの身分ですが退社するので”と言ったら、オヤジが“なぜだい”と。それで、会社の派閥争いだとかが嫌になったことをオヤジに話した」アンディさんによれば、その流れは自然で、気がづけば、初対面の「オヤジ」に、てらいもなく自分の身の上を話していたそうです。「それからな、いきなり“おまえさん、いい目をしてるね”って、オヤジが言うんだよ。“役者でも素人でも、人間が絶対にダマせないものって何だかわかるか”と聞いてくる。あの完璧な男前の顔を近づけてさ。こっちはもうどぎまぎしちゃって。“それは目だよ。目。目だけはメイクアップできないだろう”と」ベラミでの出会いから、“オヤジ”の人間的な魅力に引き込まれたアンディさん。出会って1週間後には勝新太郎のマネージャーとしての仕事を始めます。「仕事を始める前、“おまえさん、俺に黙って1週間ついてみないか”とオヤジに言われたんだね。これがいわゆる試用期間みたいなもんだったのかな。毎日くっついて行動をともにした。オヤジはああしろとか言うでもなく何を教えるでもなかった。ただ、1週間をともにしているうちに、俺は勝新太郎というより、奥村利夫(勝の本名)という人間が好きになっちまった。全身が魅力というか麻薬性の毒というか。オヤジにやられちゃったんだな、俺は」オヤジの人柄を表すエピソードとして、アンディさんはチップの話をしてくれました。「オヤジはいつもポケットにティッシュみたいに丸めた金を入れて、チップとして渡していました。チップは1万円と決まっていた。ある日、オヤジが俺に1万円札20枚を渡して、自分の代わりにチップを渡してくれと頼んだんだ。俺は、万札を5千円に崩して、それで払った。オヤジにそれを話したら、カミナリを落とされた。“俺がなぜチップを渡しているかわかるか。俺たちはいろんなところで、一生懸命に生きてる人間たちを見させてもらってる。つまり、『生の演技』を見させてもらっているんだ。そんな貴重な演技の授業料をケチるやつがどこにいるんだ!”と」■もらった愛情を次の世代にバトンタッチ金に執着のない勝新太郎。飲んでいると人が増えて大人数になり、気づけば大所帯で飲み屋を移動していたのは有名な話です。知人が借金の申し込みに来た際、白紙の委任状にサインして京都の豪邸を失うはめになったこともあったとか。そして、自ら立ち上げた勝プロダクションでは、妥協のない映画作りを追求した結果、倒産。負債は12億円。この苦境の時期、アンディさんはマネージャーとしてオヤジのそばにいました。「そりゃ大騒ぎだったよ。自分も父親にウソを言って、100万円をもらってきたりな。オヤジにはギャンブルのビギナーズラックだと言ったけど、ウソだとわかってただろうな(笑)。倒産直後、九州朝日放送の社長さんから電話があって、オヤジとスティービー・ワンダーの対談をやりたいって依頼があった。俺は“うちは倒産したんですけど知ってますか”と聞いたら、“御社の倒産は知っていますが、勝さんの芸が倒産したわけではありませんよね”と。あの言葉は忘れられないね」破天荒な生きざまながら多くの人に愛されたオヤジこと勝新太郎。「オヤジはね、24時間365日、心身をすり減らして、俺たちを勝新太郎ワールドへ誘って楽しませてくれた。今は、俺がオヤジからもらったものを、あふれる愛情を、次の世代にバトンタッチしたいと思っています」現在、高校で英語講師として教鞭を執るアンディさん。生徒たちに、オヤジ流の愛情を型破りな教育で伝えているそうです。■ライターは見た! 著者の素顔前の学校では、生徒に熱血指導をして辞めたこともあったと語るアンディさん。座頭市ばりに、現在の学校でも問題児にもひるまず、まっすぐに向き合います。「この野郎ってんで何度も怒鳴りつけた生徒がさ、(契約更新時に)オレが辞めると思って手紙くれたんだよ」手紙には「アンディのこと忘れないよ」や「熱い言葉をうけて成長することができた」などのうれしい言葉が。その手紙は、宝物として今も大事に持って歩いているそうです。取材・文/ガンガーラ田津美<著者プロフィール>あんでぃ・まつもと1949年東京生まれ。大学卒業後、旅行会社に入社。外国人旅行部で得意な英語を生かし活躍。数年で退社。京都の高級クラブで偶然、勝新太郎と邂逅。それが機縁となり勝プロダクションに入社。マネージャーとして親子同然の生活を送る。現在は、英語非常勤講師として教鞭を執りながら、師・勝新太郎の教えを後世に伝えている。
2017年08月09日「神勝寺 禅と庭のミュージアム」が2016年9月11日(日)、広島・福山に誕生する。広島・福山の山間に位置する天心山神勝寺。その広大な敷地内に広がる禅庭の散策をはじめ、数々の伽藍や茶室に展示された禅画や墨蹟の鑑賞ができるのが、本ミュージアムの魅力の1つだ。また、古典建築だけでなく、現代建築や名和晃平によるアートパビリオン「洸庭(こうてい)」も注目の施設。伝統的なこけら葺きを応用し、全体を木材で包んだ柔らかい印象の船型建造物だ。物質感のある石の海を抜け、緩やかなスロープを上がり小さな入り口から中へ入ると、暗がりの奥には海原が広がり、静かに波立っている。さらに訪れる人がそれぞれのペースで歩き、休みそして考えるひとときを提案。座禅や写経の体験、修行僧が食べていたうどんや湯豆腐などの食事体験のような寺社らしいものから、1,500点にも及ぶコレクションから選ばれた禅の書画を鑑賞できる、ミュージアム的要素まで、幅広い体験が用意されている。他にも、建築家・藤森照信の設計による寺務所「松堂」や、滋賀の国宝多宝塔を模して建立された建物、滋賀の永源寺より移転再建した含空院など、歴史的に見ても興味深い建築が多数配置。現代的な「洸庭」とそれらの建物が共存する空間を、ぜひ体感してみては。【概要】「神勝寺 禅と庭のミュージアム」オープン日:2016年9月11日(日)住所:広島県福山市沼隈町大字上山南91開館時間:9:00〜17:00(最終入場は、16:30まで)入館料:未定休館日:不定休【問い合わせ先】寺務所TEL:084-988-1111
2016年06月10日佐野瑞樹、大樹の兄弟ユニットによる公演WBB vol.10『懲悪バスターズ』が5月に上演される。作・演出・出演をする佐野大樹と、佐野の舞台に初出演する鈴木勝吾が、作品にかける想いを語ってくれた。WBB vol.10『懲悪バスターズ』チケット情報「今作は子供にも観に来てほしい。家族で楽しめる舞台にしたいです」と話す佐野。瑞樹演じる天才科学者と、田村亮(ロンドンブーツ1号2号)演じる悪霊によるハートフルコメディ。「落ちこぼれの悪霊とそれを退治する気難しい天才科学者が、お互いを知って仲良くなっていくストーリーです。今回のテーマは『知ること』。病気にしても何にしても知ることで怖くなくなるじゃないですか。未知なものにみんな恐怖を感じるから、そこを描けたらいいなって」鈴木は悪霊役。佐野は「色んなチラシ見るたびに(鈴木の)名前があるんですよ。きっとみなさんお願いしたがる方なんだろうなと思って」と話す。鈴木は「コメディはそんなに体験してきてないのですが、年々『勝吾くんっておかしいよね』って共演者から言われるようになって…(笑)。自分のズレてるところが出せたらと思っています」今作の構想を「お祭りのイメージ。普段はやらないダンスを取り入れたり、いつもより派手に。身体と体力で見せたいですね。どれだけ演劇的に表現できるか」と佐野が語ると、鈴木も「絶対そっちの方が楽しいと思います。演劇でしかできないことだから」と目を輝かせた。記念すべきWBB10作目。佐野は「今作の目標として、最後の最後までこだわり続けたい。どこまで追求できるか、その勝負はしたいです。大人になるとできないこともわかってしまうから、わがままを言わなくなったりもするんですけど、その時期を経て、それじゃだめだよなと思いました。嫌われてもいいからギリギリまで詰めていきたいです」。それに対し鈴木が「すごく共感します。それをやってこそ、ですよね。観客の前に出すものであること以前に、自分が選んでやっていることだったりするので、やっぱり納得いくまでやりたい」と話すと、佐野は「素晴らしい!」と笑顔を見せた。「大樹さんの想いを聞いて、僕ももっと頑張んなきゃなと思いました。夢が詰まった楽しい作品に必ずしようと思います。がんばって踊ります!」(鈴木)「今回は先輩方が多いのでプレッシャーはありますけど、そこは信じて、自分のやりたいものをまっすぐぶつかっていけたらなって思います」(佐野)WBB vol.10『懲悪バスターズ』は5月19日(木)から5月22日(日)まで東京芸術劇場 プレイハウスにて。その後、兵庫にて上演。チケットは発売中。取材・文:中川實穗
2016年04月25日2016年の年頭にあたり、インターネットイニシアティブ 代表取締役社長の勝 栄二郎氏は、以下の年頭所感を発表した。クラウド・MVNO・国際事業を中心に、さらなる邁進を新年明けましておめでとうございます。昨年の2016年度上半期は、おかげさまで売上・営業利益とも増収増益となり、好調な滑り出しとなりました。この勢いを継続し、クラウド、MVNO、国際事業を中心に、今後も事業拡大に向けて邁進してまいります。昨年、IIJは"One Cloud"をコンセプトにクラウドサービスを刷新し、次世代のクラウドサービス「IIJ GIOインフラストラクチャーP2」と、新しいクラウド型ネットワークサービス「IIJ Omnibusサービス」をリリースいたしました。オンプレミス、他社クラウドを含めて、あらゆるIT基盤をひとつのクラウドサービスとして利用できる環境を実現し、ネットワークからセキュリティ、基幹システムまで、すべての企業システムをクラウドで最適化します。常に進化するクラウドサービスを提供し続けることで、マルチクラウド時代の中核を担ってまいりたいと思います。海外市場においては、昨年5月に現地企業との合弁でスタートさせたインドネシアでのクラウド事業が非常に好調に成長しております。他のASEAN諸国においても現地企業とのパートナーシップを通じて積極的にクラウド市場に参入し、日本と同等の高品質なサービスを今後も展開してまいります。MVNO事業におきましても、総回線数はいよいよ100万回線規模になるなど、非常に順調に推移しています。今年も法人モバイルではマルチキャリア対応MVNOとして、IoT/M2M分野での需要拡大を追い風に、積極的にシェアを獲得してまいります。また、事業躍進の原動力となった個人向けモバイルサービスですが、海外に比べるとまだまだ格安SIMの利用者の割合は小さく、マーケット拡大が見込まれます。競争環境の活性化によりMVNOサービスへの認知が広がり、格安SIMの普及が加速することを期待し、引き続き高品質でお客さまに信頼されるサービス展開を進めてまいります。最後に、昨年は電力自由化を見据えた「スマートメーターBルート活用サービス」の試験サービスや、ハイレゾ音源の配信サービスなど、新規事業への参入にも積極的に取り組んでまいりました。今年もセキュリティ分野へのAI技術活用など、最新の技術分野へのチャレンジを続け、新たな事業、サービスを創出し、ネットワーク社会の発展に貢献してまいります。
2016年01月05日ゴリップは12月27日、牛カツ専門店「京都勝牛 池袋東口」を東京都豊島区にオープンする。営業時間は、11時~23時(ラストオーダーは22時30分)。「京都勝牛」は、京の日本料理店をコンセプトに「和の牛カツ」を提案する専門店。京都の先斗町に本店を構えるほか、京都、東京、名古屋で店舗を運営している。今回オープンする同店は、JR・東京メトロ各線の池袋駅東口より徒歩3分の場所に位置している。店内は京の料理店をイメージしたシンプルなデザインで、ゆとりのあるカウンターとテーブル席を設置した。店頭には、同店こだわりの厳選部位の肉を並べたショーケースも置いている。提供する牛カツには、赤身のうま味にこだわった厳選ロースを使用。キメ細やかな衣を薄く付けた後、60秒で揚げる作り方が特徴だという。味わい方は「わさび醤油」「山椒塩」「特製ソース」「和風カレーつけ汁」の4種類を提案するほか、さまざまな食べ方ができる半熟卵の天ぷら「京玉天」も用意した。提供メニューは、「牛ロースカツ京玉膳(京玉天付)」(並/税別1,380円)、「牛ロースカツ膳」(並/税別1,280円)、「みぞれ牛ロースカツ京玉膳(京玉天付)」(並/税別1,480円)、「黒毛和牛サーロインカツ京玉膳(京玉天付)」(税別2,480円)など。またオープン前日となる26日、牛ロースカツ京玉膳(京玉天付)(小/税別1,280円)を税別500円で提供する、1日限りのシークレットイベントを開催する。実施時間は11時~14時、200食限定でなくなり次第終了。
2015年12月25日文字が読めない外国の方には必須のピクトグラム(標識や看板に描かれる人型などの簡略図)。私たち日本人も海外に行けば空港に着いた時からピクトグラムにはお世話になるので、その大切さは身を持って実感されている方も多いのではないでしょうか。日本のピクトグラムは1964年の東京オリンピックの際に生まれたものですが、そのデザインを外国人の皆さんはどう捉えているのでしょうか。そこで日本在住の外国人20名に「日本の街で見る「ピクトグラム」、どう思う?」と質問してみました。■漢字がわからない外国人にもわかりやすいと思います。(トルコ/30代前半/女性)■簡単でわかりやすい。(ロシア/20代前半/女性)■とてもわかりやすいと思います。(タイ/30代後半/女性)■わかりやすくてよいと思います。(フィリピン/40代前半/女性)■わかりやすいと思います。(アメリカ/20代後半/男性)■わかりやすいと思います。(中国/20代後半/女性)■工夫されていると思う。(チュニジア/40代後半/男性)■わかりやすいと思います。(ブラジル/20代後半/男性)■わかりやすいです。(マレーシア/30代前半/男性)■わかりやすいです。(ベトナム/30代前半/女性)■わかりやすくていいと思います(スウェーデン/40代後半/女性)■わかりやすいと思います。(ペルー/30代前半/男性)■わかりやすく、デザインもよいと思います。(イスラエル/30代後半/女性)9割以上が高評価となった今回。「ピクトグラム先進国」なだけある嬉しい結果となりました。この理由は、トルコの方の「漢字がわからない外国人にもわかりやすい」という回答に集約されているのではないでしょうか。中国や韓国、ロシアなどの国と同様に、日本語では表記にアルファベットを使いません。単語やつづりは違えど意味が予想できる国とは異なるため、ピクトグラムが手がかりになるのです。日本でピクトグラムが普及したきっかけは1964年の東京オリンピック。来日外国人が年間15万人ほどだった時代の国際的祭典に対し、言葉の壁を越えるべく、デザイン専門委員会委員長の美術評論家・勝見勝らを中心に若手のグラフィックデザイナーたちがピクトグラムを考え出したそうです。■わかりやすい。居酒屋のトイレドアなどの絵にはかっこいいものがある。(オーストラリア/40代前半/男性)■かわいい。(台湾/40代前半/男性)■マンガ的ですね。(韓国/40代後半/男性)■とてもにぎやかに見えます。(スペイン/30代後半/男性)■棒人間みたいだと思う。(イギリス/20代前半/女性)前述の理由で生まれたピクトグラムですが、競技だけでなくトイレや非常口を始めとする公共施設や設備の表示も作られていました。その後デザイナーたちが著作権を放棄したため、このデザインをお手本として各国で独自の発展を遂げたと言われています。ひらがなやカタカナが漢字をグラフィカルに派生させたものであること、現在のメールでよく使われる顔文字が日本独特の文化であることを考えると、日本人はこうした感覚を平面に変換する作業が得意な人種なのでしょう。マンガ的、かわいい、という回答が出るのもわかる気がします。■普通だ。(アルゼンチン/30代前半/男性)■よくわかりません。(ドイツ/40代前半/女性)普段あまり気にして見ておられないのかもしれませんね。ちなみに、ドイツのピクトグラムは日本のものに比べて説明的なものが多いようです。海外で生まれ、日本で発展したと言われるピクトグラム。グラフィックデザイナーからすると、意味のブレが出にくく、普遍的でシンプルなものでなくてはならないため、制作するのがとても難しい分野なのだそうですよ。今もさまざまな建築物や公共施設にピクトグラムが制作されており、各市町村でも少しずつ違いが見られるようです。その違いをチェックしてみるのも面白そうですね。
2015年02月17日2月22日、設計事務所・ドットアーキテクツ(dot architects)の家成俊勝と、若手建築家・中山英之によるトークイベント「島と建物の新しい関係」が香川県小豆島町・馬木キャンプ(UMAKI CAMP)で開催される。馬木キャンプで、食べながら、飲みながら、ざっくばらんに語り合うイベント「UMAKI CAMP CAFE」。その第1回となる本イベントでは、中山をゲストに迎え、ホストの家成とともに、島の中に建物を建てることの可能性について語り合う。馬木キャンプは、「瀬戸内国際芸術祭2013『醤の郷+坂手港プロジェクト』」の出品作品の一つとしてドットアーキテクツが建築・施工を手掛けた施設。人と人をつなぐ公共空間、教育や福祉に関わる事業を展開させていく拠点として今年から新たなスタートを切る。
2014年02月16日演劇界を牽引するふたりの怪優、生瀬勝久と古田新太が、“本気の劇団”立ち上げに挑んだドキュメンタリードラマ『勝・新(KATSUARA)』(現在WOWOWでシーズン2の第2回まで放送)。その最終回公開収録が、8月27日、東京・CBGKシブゲキ!!にて行われ、出演者の生瀬、古田、オーディションを勝ち抜いた12名の劇団員が囲み取材に応じた。シーズン2に入り、劇団として本格的なスタートを切った「勝・新」。旗揚げ公演としてふたりは、劇団名にちなみ、“勝新(かつしん)”こと勝新太郎の代表作『悪名』に挑戦すると決めた。本作は1961年から上映された人気任侠映画シリーズで、劇団「勝・新」ではその第1作を中心にしたダイジェスト版を上演する。演出を手がけるのは生瀬。「相手とちゃんと会話して」「起きている事象への芝居をしっかり」など、生瀬は舞台で演じる上での意識を若い劇団員たちに叩き込んでいく。そんな生瀬の演出に対し古田は、「非常に分かりやすい。ご本人も役者さんだから、その人が今どういう気持ちになっているのか細かく説明してくれます」と厚い信頼を寄せる。勝新太郎の当たり役、河内の暴れ者・八尾の朝吉に挑むのは古田。自身「オイラなりの朝吉を」と語る古田の芝居は、演出の生瀬から見ても「素晴らしい。やっぱり舞台での古田くんはピカ一です」と言わしめるほど。また時に古田は、劇団員たちのために手本を見せることも。そんな古田の芝居を見て、「完全にインプットしました!」と息巻くのは劇団員のイマニヤスヒサ。だがイマニの芝居を見た生瀬から、「全然出来てないじゃん!(笑)」とストップがかかると、スタッフや共演者からは爆笑が巻き起こっていた。また、WOWOW放送の『勝・新(KATSUARA)』では毎回豪華なゲストも話題で、シーズン1では伊勢谷友介、吉高由里子、藤原竜也などが登場。最終回にはなんとあの長澤まさみが出演しており、劇団「勝・新」の旗揚げを大いに盛り上げる。生瀬が「大人のバラエティって感覚で始まった番組ですが、みんなと稽古をしている今、真面目な気持ちでこの12人と向き合っていると自負しております」と語ると、その横では古田が力強く頷く。若い才能に触れ、舞台への思いを新たにしたふたり。今後、生瀬はケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出の『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹』(12月より東京・シアターコクーンにて上演)に、古田は自身が所属する劇団☆新感線の新作、SHINKANSEN☆RX『ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ』(12月より東京・東急シアターオーブにて上演)への出演が決まっている。映像から舞台へと、怪優ふたりの快進撃はまだまだ止まることを知らなそうだ。取材・文:野上瑠美子
2012年08月28日