美智子さまから引き継がれたご養蚕の作業のため、お車で皇居へ向かわれる雅子さま。その隣には天皇陛下のお姿が――。6月2日、天皇陛下は雅子さまとご一緒に皇居・紅葉山御養蚕所へ。陛下は「かわいいね」と雅子さまに声をかけながら、成長した蚕の世話をされたという。皇室担当記者は驚いた様子でこう語る。「上皇陛下も何度か、美智子さまと繭を収穫されたことはあります。ただ、繭ができる前から一緒に作業をされることはほとんどなかったと思います。今回の“夫婦共同作業”は、異例のことでした」6月9日には、ご結婚27周年を迎えられた天皇皇后両陛下。緊急事態宣言は解除されたが、まだまだ新型コロナウイルス感染症の拡大は予断を許さない状況だ。「皇后となられた令和元年、雅子さまのご活躍ぶりは目覚ましいものでした。世界約190の国や機関から賓客を招いた『即位の礼』でも堂々たるお振舞いで、世界の王族と親交を深められました。卓越した語学力を生かした国際親善など、皇后としての2年目は、さらに雅子さまらしさが発揮されるはずでしたが……」そう語るのは前出の皇室担当記者。突如やってきたコロナ禍という“逆風”は、雅子さまにもショックを与えているという。「名誉総裁として臨まれるはずだった、5月の日本赤十字社の全国赤十字大会が中止になりました。さらに、5月ごろに予定されていた、天皇皇后となられて初の海外ご公務となるイギリスご訪問も延期に。東京五輪も1年延期となり、海外に行くことも、日本に賓客を招くこともいっさいできなくなりました。気丈に振る舞われている雅子さまですが、皇后として大きな目標とされてきた大切な行事や、国際親善の場が次々となくなり、沈みがちな日もあるという話も聞こえてきます」実際に5月18日には、ご養蚕作業を当日直前になってキャンセルされたことも。ご体調が整わなかったことが原因とみられている。「今回、天皇陛下が蚕の世話を雅子さまとご一緒になさったのは、陛下たってのご希望だったと聞いています。できるかぎり近くにいて、見守りたい――。そういった陛下の深いお気持ちを感じる出来事であったと思います」(宮内庁関係者)天皇陛下は今年2月の誕生日会見でも《できる限り雅子の力になり、支えていきたい》と語られていた。陛下が《雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから》とプロポーズされたのは28年前のこと。にこやかな養蚕作業には、雅子さまを「私が守る!」という陛下の今も変わらぬ強いご意志が滲んでいたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう言う。「イギリスご訪問などは、長い時間をかけて、以前からしっかりと準備されていたと思います。そのぶん、突然のコロナ禍での延期は、雅子さまにとって大きなストレスにもなりえます。そんなときに天皇陛下がご養蚕に同行されたことは、雅子さまにとっては陛下のお気持ちを感じて、とても心強かったはずです」しかし、世界を覆うコロナ禍は、いまだ皇室の活動にも暗い影を落としている。「2月23日の天皇誕生日の儀式および一般参賀がお取りやめになったのを皮切りに、ご公務は次々と中止されて、皇族方のスケジュールは白紙状態が続いています。天皇皇后両陛下のお出ましは、8月15日の『全国戦没者追悼式』までないのではないでしょうか。このまま皇室と国民の触れ合いや交流がない状態が続くと、皇室に対する国民の敬愛が薄れて、存在意義を失ってしまうのではないかと宮内庁内でも危惧されています」(前出・宮内庁関係者)そんななか、すでに両陛下は前例なき「皇室改革」へ向けて一歩踏み出されているとみるのは、皇室ジャーナリスト。「陛下と雅子さまが、5月20日、日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招いてご進講をお受けになりました。翌日、そのときの両陛下のお言葉が、それぞれ宮内庁のホームページで公表されたのです。誕生日のご感想以外で“皇后のお言葉が単独で”公表されるのは異例のことです」両陛下は6月3日にも、全国保健所長会の副会長ら保健所関係者3人と面会し、現場の状況などについて懇談された。「宮内庁は新型コロナウイルスをめぐり、両陛下が専門家から説明を聞くご進講や面会に関して、その場でのご発言内容をこれからも公表していくとしました。そして、公表は天皇陛下のご意向を踏まえたものであると明かしたうえで、『その時々にでき得る、最大限のお気持ちの発信の形』と説明したのです」つまり陛下と雅子さまは、前例を打破し、現場の医療関係者に労いのお言葉、国民へのメッセージを発信したのだ。海外渡航が制限されているコロナ禍の状況では、雅子さまが皇室に入られたときから望まれている国際親善もままならない。しかし、前出の皇室担当記者によれば、その状況だからこその“ステイホーム外交”を両陛下が始められているのだという。「陛下は4月、スペイン国王フェリペ6世と両国の状況について電話会談されています。また、カナダのジュリー・ペイエット総督から見舞いの電報が寄せられたのをきっかけにして、電報でのやり取りをされ、コロナ禍に協力して立ち向かうことを確認されています。両陛下が特に親しくされている海外王室といえばオランダとベルギーの王室が筆頭に挙げられますが、それ以外の王室とも緊密なお付き合いがあります。今後、スカイプやズームを使ってのオンライン交流が行われていく可能性も高いのです」前出の香山さんも、両陛下の挑戦に賛成だという。「陛下と雅子さまが現在学ばれている新型コロナの知識を生かして、オンラインで病院の関係者を励まされるなどの新しい活動は、近い将来実行なさる可能性があるのではないでしょうか。過去の慣例から脱却して、新しいスタイルで国民に寄り添われることも素晴らしいと思います」逆境の中、二人三脚で進められている改革――。皇室と国民の距離は、さらに近づいていくはずだ。「女性自身」2020年6月23・30日号 掲載
2020年06月09日5月29日、雅子さまは皇居の紅葉山に出かけられ3度目のご養蚕に臨まれた。「食べるのにどれくらいかかりますか?」エサになる桑の葉を蚕に与えられる雅子さま。ご養蚕は明治天皇の后、昭憲皇太后が明治維新後に絹の生産を奨励するために始められ、歴代皇后に引き継がれてきた。例年は4種類の蚕をお育てになるが、今年は新型コロナの影響で日本古来種の「小石丸」だけを飼育されている。2年前、美智子さまのなさりようを見学されている雅子さまは、落ち着いた様子で丁寧に給桑されていた。「女性自身」2020年6月16日号 掲載
2020年06月08日5月20日、天皇陛下と雅子さまは日本赤十字社の社長と副社長を赤坂御所に招き、新型コロナウイルスの医療現場の対応についてご進講を受けられた。約1時間半にわたり、お2人でメモを取りながら真剣に話を聞かれていたという。その席で、医療の最前線で働く医師や看護師、関係者の苦労や頑張りへの理解を示され、雅子さまは次のように述べられた。「医療活動に献身的に力を尽くしてこられている方々、そして、その方々を支えられているご家族や周囲の方々に、陛下とご一緒に心からのお礼の気持ちをお伝えしたい」翌日には、宮内庁ホームページでもこのときのお言葉を公表。皇后がお誕生日以外でお心を示されるのは異例のこと。日本赤十字社の名誉総裁でもある雅子さまが、現場を強く案じられているお気持ちが感じられた。「女性自身」2020年6月9日号 掲載
2020年05月30日ラジオ好き俳優・千葉雄大が出演するTOKYO FMサンデースペシャル「言ってよ、千葉くん」が、5月24日(日)に放送決定。現在、メールも募集中だ。同番組では、千葉さんが“こんないまこそ聴いてほしい曲”、“最近ハマっている曲”、“リスナーへ贈りたい曲”を選曲してオンエア。また、リスナーから「千葉雄大に喝を入れて欲しいこと」、「千葉雄大に相談したいお悩み」、「千葉雄大に伝えたいことなんでも(フツオタ)」をメールにて募集。千葉さんが番組内で紹介し、喝を入れたり、お悩みに答えたりしていく。今回の放送決定に関して千葉さんは「言ってよ、とのことなので、責任をTOKYO FM様に押しつけて言っちゃいたいと思います(はあと)なんてね」と言いつつ、「最近、独り言スキルは上がってきたと思うので、公共の電波に乗せてその成果をお届けしたいと思います」と意気込み。また「みなさまとたのしくおしゃべりできる時間となればうれしいです。曲も何かけようかワクワク。どうぞ、お付き合いください」と呼びかけている。TOKYO FMサンデースペシャル「言ってよ、千葉くん」は5月24日(日)19時~TOKYO FMにて放送。(cinemacafe.net)
2020年05月21日昨年5月1日に令和の御代を迎えてから1年ーー。生き生きと、そして堂々とご公務に励まれる雅子さまのお姿に、国民だけでなく世界も魅了された。そのご活躍ぶりを振り返ります。■8月30日「アフリカ各国首脳夫妻と茶会」アフリカ開発会議で来日した32カ国の首脳らのお見送りは、長時間に。■9月7日「秋田県動物愛護センターへ」全国豊かな海づくり大会のため、秋田県へ。県動物愛護センターでは保護犬とお触れ合い。両陛下は保護犬と保護猫を飼われている。■9月28日「茨城国体開会式」ひたちなか市で開催の国民体育大会の総合開会式にご臨席。上空を飛ぶ6機のブルーインパルスの祝賀飛行を楽しそうに見上げられて。■10月22日「即位礼正殿の儀」若草色が印象的な十二単姿。皇后のみが羽織れる白い唐衣には向かい鶴の文様が。■10月22日「饗宴の儀」仲のいいスペインのレティシア王妃にチークキスで歓迎を。■11月9日「即位を祝う国民祭典」祭典の終盤、嵐が奉祝曲を歌うシーンでは、涙ぐまれる場面も。■11月10日「祝賀御列の儀」国民祭典翌日の祝賀パレード。沿道からの祝福に思わず目頭を押さえられた雅子さまのお姿に、感動の声が多く上がった。■11月23日「伊勢神宮ご参拝」即位の礼の一連の儀式と、大嘗祭を終えたことを2日がかりでご参告となった。内宮へ向かわれる際は。少し硬い表情を。■1月25日「大相撲一月場所ご観覧へ」令和初の天覧大相撲にご家族おそろいでお出かけ。相撲好きな愛子さまのオレンジ色のワンピースと、色を合わせられた和服姿で。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月01日東北各県に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、今年で9年が経つ。天皇陛下と雅子さまは、’11年6月に宮城県山元町の避難所で被災者を励まされた。そして同年7月には福島県郡山市、8月には岩手県大船渡市へ。その後も継続的に被災地を訪問されている。ただ、今年は新型コロナウイルスの感染拡大もあり、震災関連の報道もやや目立たない状況となってしまった。「政府主催の東日本大震災の追悼式も中止になりました。3月11日は、陛下、雅子さま、愛子さまがお三方そろって震災発生の時刻に黙とうされて、赤坂御所でお慎みになるでしょう」(宮内庁関係者)実は、雅子さまの母方のルーツは、被災県の一つである岩手県にある。「雅子さまの母・小和田優美子さんの両親が、江頭豊さんと寿々子さん夫妻です。2人は東京・目黒にある小和田家と同じ敷地内で暮らし、雅子さまが幼いころから、たいへんかわいがっていました。そんな寿々子さんの父親、つまり雅子さまの曽祖父の山屋他人は岩手県盛岡市出身で、海軍大将として連合艦隊司令長官も務めた人物です」(皇室担当記者)盛岡タイムスの元記者で『山屋他人―ある海軍大将の生涯』の著書もある藤井茂さんに話を聞いた。「寿々子さんに初めて会ったのは、天皇陛下と雅子さまのご婚約、ご成婚があった’93年でした。寿々子さんは、山屋他人にゆかりの山屋坂で写した3~4歳の雅子さまの写真を見せてくれました。かわいがっていた様子でした」藤井さんは山屋他人の取材のために寿々子さんに何度か会ったのだが、雅子さまの話もときどき聞かせてもらったという。「寿々子さんは『雅子さまは本当にいい子で、私の話をずっと覚えていて、実行してくれたこともあります』と言っていました。寿々子さんが、福井県の永平寺に山屋他人の書が所蔵されていると話したところ、雅子さまはお友達と旅行したときに、わざわざ永平寺をお訪ねになって書をご覧になったそうです。寿々子さんの話を伺っていると、雅子さまはとてもおばあさんっ子でいらっしゃると感じます。また、雅子さまは以前、尊敬する人として祖父母を挙げられていたこともあったそうです。ご自身のルーツとして、いまでも盛岡や岩手を意識されているのではないでしょうか」’13年11月と’16年6月には、天皇陛下とご一緒に岩手県の被災地を訪問されている雅子さま。特別な思いを抱かれてお見舞いに臨まれていたのかもしれない。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月15日東日本大震災から9年が経った。痛ましい記憶を風化させないことが課題となるなかで、皇室は被災者の心に寄り添い続けている。雅子さまも、天皇陛下とご一緒に、被災者のもとを繰り返し訪問されてきた。2017年11月には、東日本大震で甚大な津波被害に見舞われた宮城県・閖上地区へ。復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」の被災者と懇談された際には、一人ひとり丁寧にお声がけされたために、15分の予定が25分と大幅に延びてしまった。その後、団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑に供花する際には、あるサプライズが。団地では動きやすいパンツスーツだった雅子さまが、慰霊碑の前に立たれた際にはお帽子をかぶり、スカート姿に着替えられていたのだ。そこには、限られた時間の中でも場にふさわしい装いを、という最大限の心遣いが表れていた。翌年の歌会始で、雅子さまは《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》とこのときの喜びを詠んだ歌を披露された。この歌を刻まれた歌碑が、昨年3月に閖上地区の「震災メモリアル公園」に建立されている。「雅子さまは、過去の誕生日の際のご回答でも、折に触れて繰り返し《被災地に永く心を寄せていきたい》と東日本大震災の被災者を思いやられてきました。皇后となられても、そのお気持ちは変わっていません」(皇室担当記者)昨年12月、皇后として迎えられた初めての誕生日に際しても、《東日本大震災で被災した釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでした》と岩手県・釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーワールドカップの試合を振り返られた。時が経っても忘れない――。雅子さまの愛のメッセージが、被災者の心を照らし続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日「あのとき、雅子さまのヘアメークを手がけたのも、私の祖母と母でした。当時、私は高校生で、ちょうど髪が長かったものですから、自宅で雅子さまの髪型の練習台にもなったんですよ」そう語ったのは、与儀育子さん(43)。港区虎ノ門のホテル、オークラ東京にある「与儀美容室」の3代目だ。即位礼正殿の儀では、秋篠宮紀子さま(53)はじめ眞子さま(28)、佳子さま(25)らの妃殿下のメークを担当した。27年前、今上陛下と皇后雅子さまのご成婚の時の、いわゆる“世紀のパレード”。オープンカーで30分以上も風を受けながら、少しも乱れなかった雅子さまのお髪と輝くティアラは、多くの人の心に残っただろう。あの奇跡の美の場面を成し遂げたのも、与儀美容室が3代にわたって築き上げた技術の賜物だった。近年も、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまの“プリンセス・メーク”や、羽生結弦選手の国民栄誉賞受賞式での羽織はかま姿のヘアメークと着付けを担当したのも、育子さんだった。「雅子さまも、それに先立つ紀子さまのご成婚も、当時の皇后でいらした美智子さまから『ぜひ与儀さまに』とご依頼があったと、祖母たちから聞いておりました。そもそもの始まりは、戦後、祖母が開業した美容室に、一人の妃殿下がご来店されたことでした」やがて、育子さんの祖母の八重子さんは、多くの皇族のお支度を手がけ、“宮さま美容師”とも呼ばれるようになる。「(終戦間際の)物資の乏しい時代に、祖母はGHQ将校の奥様から舶来のパーマ液を入手しては、研究を重ねたそうです」(育子さん)この勉強熱心さを認めて通うようになったのが、昭和天皇の弟にあたる三笠宮殿下と結婚された百合子さま。ここから、現在まで続く皇族とのお付き合いが始まる。証言するのは、終戦の年に生まれた八重子さんの長女で、与儀美容室の2代目となるみどりさん。「皇室の方のご婚儀では、十二単からローブデコルテへのお召し替えがあります。限られた時間で、おすべらかし(平安風の垂髪)の固まった鬢付け油を落とし、洋髪に結い直さなければなりません。母は自分のかもじ(かつら)を使って、何日にもわたって試しながら、髪を傷めずに短時間で行う技法を独自に編み出したのでした」これを契機として、宮中において「与儀さんはよくやってくれる」との評判を呼び、のちの今上陛下ならびに秋篠宮家のロイヤルウェディングにつながっていく。雅子さまのご成婚で、みどりさんは、八重子さんとともに雅子さまのヘアメークを担当することに。本番まで、雅子さまに会えるのはたった2回だけ。「私たちは、まず雅子さまのお顔立ちを研究するために、お姿の載っているあらゆる雑誌を集めたり、デザイン画を何枚も描きました。髪型だけで10パターンは検討しました。(雅子さまは)『私の母も、結婚式のとき与儀さんにしていただいたんですよ』とおっしゃって。長くやっていると、こんな嬉しいご縁もあるんです」お相手と身近に触れ合う美容師ならではの“気づき”もあった。「雅子さまといえば、当時、バリバリのキャリアウーマンと盛んに報じられていました。でも、実際にお会いした印象はきゃしゃでかわいらしい方でした」改めて“内面の美”について考えるきっかけにもなった。「私たちは塗ったり貼ったりはいくらでもできます。けれど、その方の内面からにじみ出た美しさを感じた瞬間、一番いいお顔を引き出せたと思った瞬間に、メークを止める勇気も大事なんです。その意味でも、雅子さまのご成婚のメークでは、そのうちに秘めた純粋さや素直さを、お出しできたのではないかと自負しております」(みどりさん)初代の八重子さんも、いつもこの言葉を口にしていた。「美の真髄は、その人本来の美を引き出し、元気と生きる勇気を与えること」“宮さま美容師”の精神は、その人自身の美しさを引き出すこと――。これからも、その信念は、脈々と受け継がれていく。「女性自身」2020年3月10日号 掲載
2020年03月02日人気俳優の中村倫也が出演し、2014年に上演された舞台「青年Kの矜持」が、CS衛星劇場で3月29日(日)にテレビ初放送決定。HDで新たに編集されたバージョンで放送する。本作は、女優・川田希と制作である吉田隆太によるプロデュースユニット「LAUSU」の第1弾公演。連続テレビ小説「あさが来た」で第24回橋田賞を受賞し、来年の吉沢亮主演大河ドラマ「青天を衝け」も担当する大森美香が脚本を担当し、劇団猫のホテル主宰の千葉雅子を演出に迎え、2014年5月に俳優座劇場で上演。物語は、家も金も家族も何もない青年Kを「なんと不幸な人生だったのだろう」と人々は憐れむが、本当は…というあらすじ。青年Kの愛しき不幸な人生、彼が遭遇するめくるめく嵐のような5日間の物語が描かれる。中村さんのほかにも、家納ジュンコ(サモ・アリナンズ)、弘中麻紀、中村舞、美山加恋、小林健一(動物電気)、大村わたる(柿食う客)、松本岳、田中宏輝ら個性的なキャストが集結している。舞台「青年Kの矜持」は3月29日(日)15時30分~CS衛星劇場にてテレビ初放送。(cinemacafe.net)
2020年01月30日天皇皇后両陛下が今春、イギリスを公式訪問されることが1月14日に明らかになった。ご訪問は5月を軸に調整が進められているという。「今回、雅子さまが英国ご訪問を決断された大きな理由には、ダイアナ元妃への“強い思い”があるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)外務省職員だった雅子さまは’88年から’90年、研修のためにイギリスに留学されていた。「その当時、ダイアナ元妃はすでに2児の母親でもありました。ときには子連れで海外公式訪問に臨み、王族として国際親善のために世界を飛び回っていたのです。その活躍ぶりは雅子さまの目にも鮮烈に映ったはずです。雅子さまは渡英の前年からお妃候補として注目されていました。その後、陛下のプロポーズをお受けになった雅子さまの胸には、ご自身の目指す“皇太子妃のモデル”として、ダイアナ元妃の姿があったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)そして、皇太子妃となった雅子さまがダイアナ元妃と面会を果たされたのが’95年の2月だった。ダイアナ元妃はひとりでの非公式な訪日だったが、両陛下が懇談にお招きになったのだ。3人だけで御所の応接室に入られ、通訳を交えず英語で30分ほどご歓談。話題は日常生活から公務にいたるまで、多岐にわたったという。「ダイアナ元妃は福祉や国際平和の問題にも関心が高かったので、雅子さまとの共通する話題も多かったと聞いています。とくに貧困や紛争で苦しむ子どもたちについては、少しでも早くこの問題を解消しなければいけないと意見が一致し、お互いに努力を誓われたそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)そして、最後に雅子さまとダイアナ元妃は「次はイギリスでお会いしましょう」と約束を交わしたという。この麗しくも充実した会談について、当時の新聞は《新しい“プリンセス外交”が始まる予感が感じられた》などと報じた。ところが、ダイアナ元妃は’97年8月、36歳の若さで交通事故により非業の死を遂げる。英国政府からはダイアナ元妃の葬儀に「皇太子と妃殿下にお越しいただけないか」との打診があった。しかし、国葬ではなかったこともあり、日本政府はその申し出を辞退してしまう。「両陛下が参列を望まれても、政府のOKが出なければ出席は不可能だったのです。それでも雅子さまは親愛なるダイアナ元妃の葬儀に、一人の友人としても参列されたかったと思います」(前出・宮内庁関係者)雅子さまにとって英国ご訪問は、ダイアナ元妃との約束を果たす“25年越しの宿願”なのだ。ダイアナ元妃の葬儀以後、英国王室から陛下と雅子さまに2度の招待があった。しかし雅子さまは、いずれも断念せざるをえなかった。’01年にロンドンで開催された日本文化紹介事業「Japan 2001」には、陛下がお一人で出席。愛子さまをご懐妊した雅子さまは訪英を見送られた。’11年4月には、ダイアナ元妃の長男であるウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式に招かれていたが、直前の3月、東日本大震災が発生。両陛下は訪英の見送りをご即断せざるをえなかった。しかし雅子さまはご療養中も、国連大学で講義を聴講するなど、国際社会への関心を持ち続けられていた。毎年の誕生日に際して発表なさっていたご感想でも《これからの地球や人類の将来について考えていくことも大切なのではないかと感じます》(’14年)、《内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》(’18年)と、繰り返し環境問題や難民問題について訴えてこられたのだ。また、ダイアナ元妃が亡くなった’97年、雅子さまは誕生日の会見で元妃を悼み、こう述べられた。《遺されたお二人の王子様方がこの大きな悲しみをお乗り越えになって、そして、お健やかにご成長なさいますことをお祈りしたいと思います》ウィリアム王子は自らも野宿を体験するなど、若者のホームレス問題解決のために15年近く活動を続けている。ヘンリー王子も、アフリカでの野生動物保護活動やエイズ撲滅のための慈善団体設立など、さまざまな社会貢献活動に尽力している。「両陛下はウィリアム王子との再会も楽しみにしていらっしゃるでしょう。皇后となられた雅子さまは、ご体調も回復しつつあります。イギリス訪問は、ダイアナ元妃の遺志を継ぐ国際貢献活動へのきっかけになるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)多忙極まるなかでの決意のイギリスご訪問。だが、それは皇族としての道標を示してくれた「ダイアナ元妃への恩返し」なのだ。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月23日「今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催され、天皇陛下は名誉総裁をお務めになります。陛下を支える雅子さまもお忙しくなるでしょう。実は、昨年秋ごろまで宮内庁幹部は『天皇皇后両陛下の海外ご訪問は令和2年にはない』と話していたので、両陛下がイギリスを訪問されるとの報道を聞き、たいへん驚きました」そう語るのは皇室担当記者。1月14日、両陛下が今春、イギリスを公式訪問されることが明らかになった。皇室ジャーナリストが言う。「チャールズ皇太子が昨年10月の『即位礼正殿の儀』のため来日したとき、エリザベス女王からの招待メッセージを伝えたのだと思います。それから両国の外務省を通じた交渉が行われ、今回の発表に至ったのではないでしょうか」宮内庁によると、ご訪問は5月を軸に調整を進めているという。「5月前半には春の叙勲があり、月末には『全国植樹祭』が控えています。両陛下は5月半ばから後半の訪英になると思われます。ご訪問の前後のスケジュールはきわめてタイト。両陛下そろっての海外ご訪問は、かなりのご決断だといえます」(宮内庁関係者)ヨーロッパの王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、今回のご訪英の背景に、皇室と英国王室の深い関係があると語る。「英国民の多くは、陛下と雅子さまがオックスフォード大学に留学されていたことも知っています。天皇ご一家がイギリスに親近感を持っていらっしゃるように、実はイギリス王室や国民も日本の皇室に親近感を持っているのです。そして、皇后になられた雅子さまのご快復ぶりを、喜ばしいことと受け取っています」今回、雅子さまのイギリスご訪問が実現すれば、留学されていた’90年以来、実に30年ぶりとなる。皇室と英国王室の交流は、明治維新直後から約150年にわたって続いてきた。その交流が、令和の時代にも引き継がれることになる。「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月23日上皇ご夫妻のお出ましが二重権威を生んでいる……、そんな報道に苦悩されている美智子さまを支えるため、雅子さまは天皇陛下とともに、心温まる提案を――。1月2日の新年一般参賀には、上皇ご夫妻も出席された。しかしその中で、テレビでは報じられなかったハプニングがあった。午前中の3回目のお出ましで、にこやかにお手振りを始められた上皇陛下。するとお隣の美智子さまが上皇陛下に何か囁きながら腕に手を伸ばされ、お手振りを制止されたのだ。「通常の順序では、まず天皇陛下がお一人でお手振りされてから、ほかの皇族方が続くことになっています。しかしこのとき、天皇陛下のお手振りが始まってすぐに上皇陛下もお手振りをはじめられたのです。このままお二人でのお手振りが続けば、上皇陛下が天皇陛下と並び立っているような印象を与えてしまう――。美智子さまは、そのように懸念されて上皇陛下を制止されたのかもしれません」(皇室担当記者)だが、そんなハプニングにも、雅子さまは上皇ご夫妻をフォローするお気遣いをなさっていた。「雅子さまは上皇ご夫妻に身を乗り出して『どうぞ、お手振りを』とお伝えするような身ぶりで、声をかけられたのです。そういったやりとりで安心されたのか、3回目では美智子さまがお手振りされる時間も、1回目、2回目より長くなっていました」(前出・記者)宮内庁の説明では、美智子さまの嘔吐の症状は現在では治まっているという。ただ、美智子さまのご心痛が続いていることは一般参賀のご様子からも明らかだろう。そんな中、皇室ジャーナリストは、天皇陛下と雅子さまが、上皇ご夫妻にある提案をなさるのではないかと語る。「上皇ご夫妻は例年、2月ごろに葉山御用邸でご静養になります。このご静養に、天皇ご一家もご一緒する可能性があるのです。2家族“合同”でのご静養となれば、’02年8月以来、実に18年ぶりとなります」長い間“合同家族旅行”は行われてこなかったわけだが、これには理由があるという。「一つは、雅子さまが適応障害で療養に入られ、なかなかご体調が優れなかったためです。もう一つの理由は、上皇陛下が在位中であったためです。不測の事態を避けるため、在位中の天皇と将来の天皇である皇太子が、一緒に出かけ、宿泊する機会は非常に限られていたのです。しかし、上皇陛下は退位されました。そのため、2家族がおそろいで旅行されることにハードルはなくなったのです。“二重権威”などと報じられて、天皇ご一家と上皇ご夫妻との間に溝があるかのような印象を持った国民も少なくないでしょう。雅子さまの新たなご提案は、そういった声を払拭することにもつながるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)お忙しい中でも、天皇陛下と雅子さまは、上皇ご夫妻への気配りを欠かさないのだという。宮内庁関係者が言う。「12月23日の上皇陛下の誕生日には、愛子さまも連れて吹上仙洞御所を訪問されています。さらに12月27日には、上皇ご夫妻をはじめ、ご親族を招いた昼食会を開かれています。天皇皇后両陛下は、この前日に日帰りで福島県と宮城県の豪雨被災地を訪問され、たいへんお疲れだったと思われます。それでもこの昼食会を開かれたのは、昨年、象徴としての務めを終えられた上皇陛下、そして美智子さまを労うお気持ちゆえだったのでしょう」「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月17日天皇陛下の即位に伴う儀式が終了し、2020年に向けて動きだされる雅子さま。その原点は皇太子妃時代から続ける子供たちとの交流にあった。雅子さまの誕生日に発表された医師団の見解の中に《私的な部分でもご活動の幅を広げていっていただくことが大切だと考えております》との提案があった。12月4日に皇居の宮中三殿の賢所に参拝され、天皇皇后両陛下は即位に関する一連の儀式を終えられた。’20年は新たな活動を始める年となるのだろうか。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう捉える。「令和になり、雅子さまは皇后としてのお立場でしっかりとお務めをなさっています。ただ、医師団の言う『私的な部分』が何かと考えると、皇后の公務だけではなく、雅子さま個人にとってライフワークとなるテーマが必要だということでしょう」12月9日に発表された誕生日文書にはこのような一節がある。《プラスチックゴミなど多くの環境問題や、日本国内の貧困や子供の虐待などの問題、また、世界で紛争や内戦が続いていることなどにも心が痛みます》また1年前、55歳の誕生日に際しての文書にもこのような言及が見られる。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》雅子さまは“子供の虐待”を防ぎたいというお気持ちを繰り返し訴えられているのだ。’18年3月、東京都目黒区のアパートで当時5歳の船戸結愛ちゃんが虐待を受けて死亡した事件。’19年1月、千葉県野田市で起きた10歳の栗原心愛ちゃんが、父親による虐待で亡くなった事件。悲惨な虐待事件が相次いで起こる日本の状況に、雅子さまはずっと以前から心を痛められてきた。20年前、36歳の誕生日にも《特に最近は、児童の虐待が急速に増加していると聞きます》と、子供たちを守るために社会全体の取り組みが必要だと訴えられていた。令和の皇后として歩みだされた今だからこそ、雅子さまは「虐待される児童をゼロにしたい」という宿願を抱かれているのだろう。皇室担当記者が明かす。「実は、雅子さまは療養に入られる前から、難しい状況にいる子供たちに心を寄せられていました。お忍びで聖路加国際病院の小児病棟を訪問されて重病の子供たちを励まされるなど、多くの児童養護施設をお訪ねになっています」神奈川県葉山町の「幸保愛児園」には、療養に入られてからもクリスマスカードを送られた。’02年11月に最初の訪問をされた世田谷区内の社会福祉法人「福音寮」も、長年の交流がある児童養護施設のひとつだ。理事長の飯田政人さんに話を聞いた。「ご訪問後、子供たちは雅子さまのお誕生日に合わせて毎年、将来の夢や思いを手紙にしたためて送ることが恒例になりました。みんな楽しみに書いています。子供たちへの“お返し”として、翌年のバレンタインデーには、雅子さまからお菓子や花が届くようになり、かけがえのない交流が続いています」雅子さまは、長期ご療養中に入られた後の’06年と’16年にも、「福音寮」を私的なご視察という形で訪問されている。「前回のご訪問では、10年前に雅子さまにお会いした卒業生たちも『ぜひお会いしたい』と戻ってきて、皆が笑顔で思い出話をいたしました。それぞれに事情があり親と一緒に暮らせない子供たちを、皇后さまは心からずっと応援し続けてくださっているのです。施設を運営している職員らにも励ましのお声がけをいただき、そのお気遣いに感動いたしました」(前出・飯田さん)療養中も“弱者救済”の信念を貫き、ひそかに活動を続けてきた雅子さま。ベテランの皇室ジャーナリストも期待を寄せる。「即位関連の行事も終了して、雅子さまにも少し心身の余裕がお生まれになるかもしれません。陛下のご公務にもほとんどご一緒にお出ましになられ、ご体調は快復傾向にあります。私的なご活動を広げられるには今がチャンスなのです」皇后になられて2年目の本格始動へ!子供たちの笑顔を守るため、雅子さまは再び立ち上がられる――。
2019年12月24日乳がん手術の経過が心配されていた美智子さまに、さらなるご体調の不安――。発症から3カ月間にわたる“沈黙”にあった悲痛と、雅子さまへの思いとは……。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます。上皇職の見解では、詳しい原因はわからないものの精神的なストレスが原因になった可能性が高いとのことでした」美智子さまを苦しめた“精神的ストレス”の原因となったのは、いったい何だったのだろうか。皇室ジャーナリストは、美智子さまは孫である眞子さまと小室圭さんの長引く結婚問題を憂慮されているのではないかと語る。「やはり眞子さまの結婚問題については、美智子さまもたいへん心配されているようです。秋篠宮ご夫妻が結婚に反対する一方、佳子さまは眞子さまを応援する姿勢を示されています。“小室さん問題”をめぐって秋篠宮家が分裂してしまう――。そういった危惧を、美智子さまもお持ちなのではないでしょうか」しかし宮内庁関係者は、ストレスの原因はほかにもあるとの見解を語った。「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」上皇ご夫妻はこれまで、お体の不調に関してもなるべく公表されてきた。だが、嘔吐の症状が出始めたのは9月のことだというのに、美智子さまはなぜ12月中旬までずっと沈黙を守られていたのだろうか?前出の宮内庁関係者は、皇后となられた雅子さまへの配慮があるのではないかと語る。「9月から12月上旬にかけて、天皇皇后両陛下はたいへんな過密日程でした。適応障害からの快復途上にある雅子さまは、即位に関連する一連の儀式に臨まれることに、大きなプレッシャーがおありだったはずです。すべての儀式が終わったのが12月4日、そして雅子さま56歳の誕生日が9日でした。雅子さまが皇后としてのお務めに集中できるように――。美智子さまはそうお考えになって、症状の公表を遅らせたのではないでしょうか」深く傷つかれ、嘔吐に耐え続けながらも、美智子さまは新皇后を思いやり続けられていたのだ。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日「想定外の事態に記者たちも驚いていましたが、まっさきに心配になったのは、雅子さまのご体調でした」そう語るのは皇室担当記者。12月9日、雅子さまは56歳の誕生日を迎えられた。皇后となられてから初めての誕生日だったが、直前には、とあるハプニングがあったというのだ。「お誕生日に合わせて、雅子さまはこの一年を振り返るお言葉を、文書で発表されることになっていました。もともと宮内記者会には、宮内庁を通じてお誕生日3日前となる6日に、事前に文書が渡される予定となっていたのです。しかし、当日夕方になって、侍従職から『文書の配布は8日に延期する』と伝えられました。8日というと、誕生日前日であり日曜日です。報道各社にとっては慌ただしいスケジュールになりました」(前出・記者)突然の延期発表――。いったい、雅子さまに何があったのか。前出の皇室担当記者はこう語る。「侍従職は、雅子さまのご体調が優れなかったためと説明しました。詳細は明かされませんでしたが、やはり即位の礼に伴う一連の儀式の過酷な日程が、雅子さまにとって大きな負担になっていたのだと思われます」最後の即位関連儀式が終了したのは、文書を記者会に配布することになっていた2日前の、12月4日のことだった。この日、雅子さまは十二単をお召しになり、皇居の宮中三殿をご参拝。天皇陛下に続いて、即位に関する一連の儀式が滞りなく終わったことを奉告された。宮内庁関係者が、令和となってからの7カ月を振り返って語る。「ようやく今年5月から続いた一連の儀式が終わったのです。とりわけ秋に入ってからは、たいへんな過密日程でした。11月も、21日から三重県、26日からは奈良県と京都府へと、それぞれ2泊3日の日程で訪問されています。さらに即位礼正殿の儀や大嘗祭など、十二単で臨まれる儀式は繰り返し所作を練習され、外国からの賓客をもてなされる機会も数多くありました。皇后となられてから7カ月、雅子さまは全力でご公務や祭祀に臨まれてきたのです。雅子さまが誕生日を前に体調を崩されてしまわれたのも“完全燃焼”されたゆえだと思います」誕生日のご感想に先んじて配布された、雅子さまの主治医による「医師団見解」にも、次のような記述があった。《皇后陛下には、依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります》一方で精神科医の香山リカさんは、お言葉が遅れた理由について、雅子さまのたいへん真面目な性格ゆえではないかと語る。「今回の文書が、雅子さまにとって皇后となられて初めてのメッセージになります。しっかりとお考えになりながら、昨年までの皇太子妃時代とは違ったものにしなければ、というお気持ちも強かったのではないでしょうか。内容もさることながら、国民に思いが伝わる文章にしなければと、心を砕かれたはずです」国民への感謝を、自分自身の言葉で届けたい――。そんな“自筆”のこだわりも、ご感想の完成までに時間を要した理由なのだろう。ご感想の中には、次のような国民への感謝の言葉が綴られていた。《5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております》《日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います》11月10日に行われた即位パレード「祝賀御列の儀」では、約11万9千人が沿道に集まった。これは、平成の即位パレードを2千人ほど上回る数だった。「パレードだけでなく、11月に訪問された三重県や奈良県、京都府の沿道や駅前も、歓迎する市民であふれかえりました。皇太子妃時代、適応障害のために公務を休まれることが多かった雅子さまは“自分は国民に受け入れられているのか”という不安を抱え続けていらっしゃいました。それゆえに、沿道からの励ましはとても大きな力になったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月13日小雨が降るなか、傘を手にしたグレーのロングドレス姿の雅子さまは、玉砂利が敷かれた明治天皇陵の参道をゆっくりと歩まれる。そして木立に囲まれた天皇陵の前へ。雅子さまは玉串を供えて深々と礼拝された――。天皇皇后両陛下は、11月26日から28日にかけて奈良県と京都府を訪問された。神武天皇陵と孝明天皇陵、明治天皇陵に、即位の礼と大嘗祭を終えたことを報告する「親謁の儀」に臨まれたのだ。「本当に両陛下とも、にこやかでいらっしゃいました。皇后さまは、ご結婚されたころにお会いした印象と比べても、いまのお立場にふさわしい雰囲気を感じました」そう語るのは、藤原俊成・定家を祖とする冷泉家25代目当主夫人・冷泉貴実子さん。「公家の末裔の方々と一緒に、京都御所で両陛下をお出迎え、お見送りいたしました。主人(当主の為人さん)が『皇后陛下はいつも笑顔で、国民もたいへん喜んでいます』とお伝えすると、うなずいてくださいました」沿道には大勢の市民がつめかけた奈良・京都ご訪問だったが、これに先立って25日にも注目を集める出来事があった。天皇陛下とローマ教皇フランシスコの会談が実現したのだ。ローマ教皇の来日は、ヨハネ・パウロ2世以来、実に38年ぶり。陛下は教皇とどういった会話を交わされたのだろうか。「教皇は最初の挨拶で、幼少のころから日本の天皇家に尊敬の念を抱いていたと話しました。陛下は、教皇が被爆地である広島と長崎を訪れたことに感謝し、『人々の幸福と世界の平和のために精力的に活動されていることに深い敬意を表します』とお伝えになりました」(宮内庁関係者)さらに陛下がライフワークの水問題について話題にされると、教皇は強い関心を示し、こう答えた。「水問題については、次の戦争は水を巡る戦争であるともいわれています。重要なことは人々が環境問題に強い問題意識をもつこと」「若い人たちも施政者たちも、ともに行動する必要があります」約20分という限られた時間で、心を通じ合わせた天皇陛下と教皇。しかし、雅子さまはなぜ同席されなかったのだろうか?「あくまで儀礼上のルールにのっとった決定です。賓客に配偶者がいない場合、天皇陛下は原則として一対一でお会いになります。ただ、雅子さまは以前から難民問題や環境問題に非常に強い関心をお持ちでした。ローマ教皇とお会いになれば、きっと意気投合されたはずです」(前出・宮内庁関係者)雅子さまは、昨年の誕生日にあたっての文書でも《内戦や紛争の影響が、特に子供をはじめとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》と、世界の子供の人権問題に言及。さらに《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》と、環境問題への対応を強く訴えられていた。これらの問題意識は、フランシスコ教皇の活動ともぴったりと重なるのだ。今回の訪問にあたっての面会はかなわなかった。しかし、教皇からは雅子さまへの熱烈な“ラブコール”があったという。「天皇陛下は、’84年にバチカンを訪問され、ヨハネ・パウロ2世と面会した思い出を語られました。すると教皇は『私は3年ほど前、バチカンに秋篠宮ご夫妻をお迎えいたしました。次回は両陛下をお迎えできれば光栄です』と、両陛下をバチカンに招きたいとの意向を示したのです」さらに教皇は「皇后陛下にもよろしくお伝えください」と、会見の終わりと、南車寄せでの挨拶の2回にわたって雅子さまへのメッセージを託されたという。皇室ジャーナリストは、こうした気づかいに教皇の雅子さまへの思いが表れていると語る。「フランシスコ教皇は、雅子さまが長年にわたり適応障害に苦しまれてきたことも当然知っています。むしろ、そういったつらい経験をされた雅子さまだからこそ、世界中の人々に“勇気と希望”を届けられる――。教皇は、そういった思いで、雅子さまとのバチカンでの会見を希望したのでしょう」
2019年12月06日MiMC(エムアイエムシー)からローズの石鹸「ロイヤルローズソープ」が、2019年12月11日(水)より秋冬限定発売となる。雅子皇后の“プリンセス・マサコ ローズ”使用MiMCの「ロイヤルローズソープ」のキー成分は、雅子皇后がプリンセスになったときに作られた特別な“プリンセス・マサコ ローズ”。たくさんの花びらと洗練された上品な香りを持つイングリッシュローズの一種で、栽培がとても難しいといわれている品種だ。今回は、国内の無農薬有機栽培で育てられた“プリンセス・マサコ ローズ”を贅沢に使用。一輪一輪丁寧に手摘みして、ローズの花びらを余すところなく閉じ込めた。ふわふわとクリーミーな泡とともに、ローズの豊かな香りが楽しめる。クリーミー泡&豊かなローズの香り食品として味わえる“プリンセス・マサコ ローズ”に、アルガンオイルやシアバターなどの保湿成分を組み合わせているため、肌に優しいのもポイントだ。10種の植物オイルを贅沢にブレンドし、リッチな潤いを叶えた。クリーミーな泡でボディをケアすれば、しっとりやわらかな後肌を叶えてくれる。【詳細】MiMC「ロイヤルローズソープ」100g 5,000円+税発売日:2019年12月11日(水)限定発売【問い合わせ先】株式会社MIMCTEL:03-6455-5165(平日10:00~17:00)
2019年11月21日帛(はく)の御服と呼ばれる純白の十二単に身を包まれ、髪を「おすべらかし」に結われた雅子さま。この日のためだけに皇居内に設えられた祭場「大嘗宮」の廊下をゆっくりと歩まれていく――。天皇陛下の即位に伴う皇室行事「大嘗祭」の中心的儀式「大嘗宮の儀」は、11月14日の午後6時半ごろに始まり、翌15日の午前3時15分ごろに終了した。雅子さまが皇居正門から車でお出になられたのは午前4時15分ごろだったが、沿道に集まった人々や報道陣にホッとしたような笑顔をお見せになってお住まいの赤坂御所に戻られた。皇室ジャーナリストが安堵した様子で話す。「即位の祝賀パレードが11月10日に延期になって、さらに多忙になられた両陛下ですが、繰り返し習礼(リハーサル)をされて大嘗宮の儀に臨まれました。そして、天皇陛下と雅子さまは2日にわたる神事を見事にやり遂げられたのです。皇后になられてからの雅子さまは、5月8日の『期日奉告の儀』、10月22日の『即位礼正殿の儀』、そして今回の大嘗宮の儀と、大礼に伴う大きな宮中祭祀に100%出席されています。ただ、実は陛下のご即位前、宮内庁内部には『雅子さまに祭祀は無理なのでは』という声が少なからずあったのです」雅子さまが適応障害の長期ご療養に入られた’03年以降、皇太子妃として宮中祭祀に出席されることは、ほとんどなくなった。陛下は’06年の誕生日に際しての会見でこう発言された。《宮中で行われている祭祀については、私たちは大切なものと考えていますが、雅子が携わるのは、通常の公務が行えるようになってからということになると思います》’16年8月に上皇陛下が退位のご意向を示されたころから、雅子さまのご公務への出席が目に見えて増加していった一方で、宮中祭祀への欠席は続いた。《雅子妃はなぜこのような祭祀をするのか、いくら考えても理解できない。合理的に理解できないことをすることに苦痛を感じるのではないでしょうか》’06年12月の『AERA』に掲載されたこの分析は、明治学院大学名誉教授の原武史氏によるものだ。この記事では、雅子さまは結婚前の「お妃教育」で、神道を理解するために英語のテキストを使ったといった例を挙げて、祭祀に心理的な大きな抵抗感をお持ちなのではないかと推測している。宮内庁関係者もこう明かす。「海外生活が長く、西欧流の合理的な考えを身につけている雅子さまは、非合理的な神事を拒絶されている――。雅子さまが適応障害で療養されている間、宮内庁の内部にもそうした見方をする人物がいたのは事実です。御代替わり直前まで『雅子さまは祭祀にはほとんど参加されないのではないか』『新皇后に祭祀は無理なのでは』という声も多かったのです。宮中祭祀に関して言えば、冷たい視線が注がれていたと言っても過言ではありません」上皇后・美智子さまは’94年、還暦のお誕生日に際して《陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています》と綴られている。平成の御代、美智子さまは上皇陛下とともに祭祀に臨むことも非常に重要視されていたのだ。それが“平成流”の皇后像として広く国民に受け入れられたのだが、歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「大嘗祭で皇后も拝礼することが定められたのは明治になってのことです。また、これまで実際に参列したのは昭和の香淳皇后と、平成の美智子さまだけです」宮内庁関係者もこう述べる。「歴史的に見れば、皇后は必ずしも大嘗祭をはじめとした宮中祭祀に出席してきたわけではなかったのです。御代替わりを前に『新皇后は祭祀に出席されなくてもいいのでは』という意見があったのは、そのためでもあるでしょう」それでも雅子さまは、一時期はほとんど出席されなかった祭祀に皇后となられてから前向きに臨まれている。「天皇陛下は皇太子時代から、ほとんど祭祀を欠席されたことはありません。その事実からも祭祀にご熱心なことがわかります。皇室の宮中祭祀を担当する掌典職の職員も『たいへん真面目に行われています』と感心しています。そんな陛下のお振舞いを最も身近でご覧になっていたのが雅子さまです。新しい時代に入り、陛下を常に同じ場所でお支えしたいというお気持ちが強まり、雅子さまは宮中祭祀に対しても奮起されたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)前出の小田部さんはこう語る。「国民は皇后としての宮中祭祀への取り組みを注目しています。雅子さまはそうした状況を理解したうえで、即位という大きな儀式を粛々と行うことが皇后としての大きな務めだと思っておられるのでしょう。大嘗祭に臨まれる雅子さまのお姿を拝見して、新皇后としての並々ならぬご覚悟を感じました」これからも雅子さまは、天皇陛下をいちばん近くでお支えしていく――。
2019年11月20日「天皇陛下―!」「雅子さまー!」爽やかな秋陽の下、お祝いの歓声を受けながら進む黒塗りのオープンカー。3週間の延期を経て、11月10日、祝賀御列の儀(パレード)が執り行われた。雑誌社最多、23人のカメラマンを派遣し、本誌が捉えたのが、雅子さまのティアラが光り輝くこの写真。明治時代の昭憲皇太后から受け継がれてきた「第一ティアラ」は、皇后の証だ。中央のダイヤモンドは、世界で13番目に大きいと言われている。この写真が撮影されたのは、青山一丁目交差点を右折し、赤坂御所の西門前付近の沿道。パレードの終盤にあたるエリアだ。「赤坂御所脇の道路は、ほとんど影になってしまっていたんです。しかし、ここだけ谷間のように日が差していて奇跡的な輝きでした」(本誌カメラマン)11月21日からは三重県を訪問し伊勢神宮をご参拝、さらに11月26日からは奈良県・京都府へのご訪問を控えられている両陛下。雅子さまの笑顔が、今後も感動を与え続ける。
2019年11月19日天皇陛下の即位に伴う祝宴「饗宴の儀」は、10月22日から31日まで4回にわたり開かれ、万事つつがなく終了。雅子さまも笑顔でもてなされていた。しかし一連の儀式のさなかには、皇室の未来を左右するかもしれない重要な報道もあった。共同通信社による世論調査の結果が10月27日に報じられ、女性天皇を認めることへの賛成が81.9%に達したことが明らかとなった。反対はわずか13.5%だった。愛子さまのご成長とともに大きくなっている「愛子さまを天皇に」という期待の声――。ただ、愛子さまの人気が高まるにつれ、雅子さまの苦悩は深まってしまう状況にあるのだ。「政府は年内にも、皇位継承策を議論する有識者会議を設置する予定でしたが、来春以降への先送り案が浮上しています。愛子さまは結婚しても皇室に残られるのか、また、天皇となられる可能性はあるのか――。結論が先送りされれば、愛子さまの将来設計も定めることができません。雅子さまは一人の母として、愛子さまには自由に職業を選び、結婚も自らの意思で決めさせてあげたいというお気持ちもあるはずですが……」(前出・皇室担当記者)しかし宮内庁関係者によれば、雅子さまはすでに苦渋の決断をくだされているのだという。「天皇になる可能性が残されている以上、愛子さまには“天皇になる準備”も必要になる――。天皇陛下と雅子さまは、そうお考えになっています。そして、愛子さまへの“天皇教育”を始められているのです」10月11日、天皇陛下と雅子さまはイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされた。このご懇談には愛子さまも同席されたのだという。「約1時間のご懇談では、ラグビーW杯や東京オリンピック・パラリンピック、さらには即位の礼が話題に上りました。もちろん英語でのご懇談でしたが、愛子さまは熱心にお聞きになり、英語で王女夫妻に質問されることもあったそうです」(前出・宮内庁関係者)即位礼正殿の儀には未成年の愛子さまは出席されなかった。しかし愛子さまにとってこの日は、ご自身のお立場を自覚される重大な一日となったはずだと前出の皇室担当記者は言う。「愛子さまは前日に中間テストを終えられたばかりでしたが、その解放感とは無縁の一日であったことでしょう。早朝から赤坂御所と宮殿を往復される両陛下を愛子さまは欠かさず見送られ、またお出迎えもなさっていたのです。儀式は御所のテレビでご覧になりました。天皇陛下がなさった即位の宣明を、もしかすると将来は、愛子さまがされる可能性もあるのです。雅子さまが事前に“しっかり見ているように”とお伝えになっていたのかもしれません」現在、皇位継承順位1位は皇嗣の秋篠宮さま、2位は悠仁さまだ。紀子さまは悠仁さまとご一緒に全国各地を旅行され、自然・文化・歴史を学ぶ機会を作られてきた。標高3千メートルを超える槍ヶ岳への登山など、体力づくりまで考え、紀子さまなりに万全の“帝王教育”を悠仁さまになさってきたのだ。雅子さまも皇后としてご公務に取り組まれる傍ら、そうした教育までなさることになるのだろうか。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「政治や行政に関わらない象徴天皇であっても、現代社会とその成り立ちについて体系的にきちんと学ぶ場があってもいいかと思います。しかし大切なのは天皇陛下のおそばで、天皇陛下のお考えや行いのあり方を身をもって学ぶことでしょう。すでに5月の御代替わり後の愛子さまは、帝王教育のさなかにあるともいえます」娘が天皇になるのかはわからない。それでも、将来の天皇としての教育を――。見えない未来に向かって、天皇ご一家は新たな一歩を踏み出されていた。
2019年11月05日皇后雅子さまの物語を初めてドラマ化する「雅子さま物語」が、美村里江主演で放送されることが決定した。天皇陛下の即位をお祝いするパレード「祝賀御列の儀」が予定されている11月10日(日)、「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」を放送。番組では、皇室に嫁がれた雅子さまのこれまでを、実際のニュース映像を交えてドラマ化。外務省を退職し、皇室に入った雅子さまが直面された現実。お世継ぎへの期待が高まる中で体調を崩し、適応障害と診断され長い療養に入られた雅子さまの本当のお姿がドラマによって明らかになる。主演には、大河ドラマ「西郷どん」『カノン』に出演し、2018年に“ミムラ”から芸名を改めた美村さん。ドラマでは、雅子さまをご成婚当時から長年取材する雑誌「週刊チェイス」記者・栗島梓の24歳から50歳までを演じる。演じてみて、美村さんは「皇族と一般の国民との違いを感じさせつつ、同時に親しみやシンパシーを抱く視点。それが今回の栗島梓役の役割だと考え、出演が決まって1点だけ、“脚本内の敬語の徹底”をお願いました。もちろん皇族の方のお話だからということもありますが、私が演じる梓は雅子さまに尊敬の念があり、同性として憧れがあり、さらに記者でもあって言葉のプロでもあります。そういう役どころなので、いつも記事を書いているとそのような言葉遣いも身についていると思うんです。また、話をリードする梓の人物像にリアリティーを持たせることが物語の下支えと考えて、26年に及ぶ彼女の記者経験も大事に演じるよう気をつけました」と思いを明かす。また「先日の台風19号の爪痕は深く、それに伴い10月22日予定だった祝賀パレード延期のご判断があられたと思います。被災なさった皆様へのお見舞いの気持ちも込めて、この作品を少しでも多くの方が楽しんでくだされば幸甚です」と視聴者へメッセージを寄せている。そして、梓の上司で「週刊チェイス」デスク・八神真治を神保悟志、梓と現場で取材をするベテラン皇室カメラマン・杉崎省吾をデビット伊東が演じることも決定した。なお、番組では独自取材によって明らかになった天皇陛下の驚きのエピソードも一挙紹介。そしてトランプ大統領やメラニア夫人が賞賛した雅子さまの国際感覚、その“原点”ともいえるアメリカへ番組取材班が向かう。日曜THEリアル!「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」は11月10日(日)20時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2019年10月31日「即位礼正殿の儀」など数々の儀式が執り行われた10月22日。雅子さまは午前5時に起床されていたとみられ、宮殿「竹の間」で「饗宴の儀」が始まったのは午後7時20分すぎ。すでに14時間が経過し、心身ともにお疲れだったはず。だが、その表情は正殿の儀での緊張した面持ちから一転してリラックスしたものだった。その陰には、3人の王族女性の存在があると語るのは皇室ジャーナリスト。「雅子さまは各国王室の王妃や皇太子妃と再会できることを、とても楽しみにされていたのです。オランダのマキシマ王妃とは、’06年にオランダ王室の招きでご静養されたとき、一緒に過ごされたことがあります。また’13年の新国王の即位式に際しては、マキシマ王妃は雅子さまに直接電話をして『ぜひ即位式においでいただきたい』と伝えたそうです。その言葉に背中を押され、雅子さまはオランダへ向かわれました。実に11年ぶりの海外ご公務となったのです。マキシマ王妃は、雅子さまの復活を後押しした“恩人”といっても過言ではありません」饗宴の儀で再会された雅子さまとマキシマ王妃は、左右、そしてもう一度右とチークキスを交わされ、親交の深さが伝わってきた。ピンクの鮮やかなドレスを着たスペインのレティシア王妃は、うれしそうに雅子さまを抱きしめた。「レティシア王妃は2年前に来日したときも雅子さまを抱擁して、『お美しいですね。お元気そうでよかったです』と励ましの言葉をかけているのです。彼女は元国営放送のキャスターというジャーナリストですから、同じ“民間出身”ということで、雅子さまには特別の思いがあるようです」(皇室担当記者)饗宴の儀の翌日、23日に開かれた赤坂御所の茶会では、ほほ笑ましいハプニングがあった。お出迎えの雅子さまに、デンマークのメアリー皇太子妃が歩み寄ってチークキス。続けて膝を深く曲げてあいさつをしようとしたメアリー妃。すると雅子さまは顔をほころばせ、あわてて肩を抱きとめられたのだった。このあいさつは「カーテシー」。おもに王族が目上の者に行うヨーロッパ伝統のもので、実はカーテシーをしてからチークキスをするのが正式な順序だという。「しかし前日の饗宴の儀でも、メアリー妃は先にチークキスをしました。雅子さまが皇后になられるまでは同じ皇太子妃で親しかったため、再会の喜びでカーテシーを忘れてしまったのかもしれません。ですがメアリー妃は茶会でもあえて“目上への挨拶”よりチークキスを先にしてみせたのです。雅子さまが皇后になっても、友情は変わらない――。そんな、お二人の親密な関係を示すシーンだったように思われます」(皇室担当記者)海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんが語る。「3人とも雅子さまと同じように、第一線で活躍していたキャリアウーマンで、王族に見初められて王室に入った女性です。離婚歴のあるレティシア王妃や、アルゼンチンの軍事政権で大臣を務めた父親を持つマキシマ王妃は、王室に入るときにバッシングを受けるなど大変な苦労もされました。雅子さまとも“民間出身”だからこそのさまざまな苦難という共通体験を持っているのです。雅子さまが適応障害の長いご療養を乗り越え皇后になられたことを、心から祝福されたはずです」
2019年10月31日柳家喬太郎が11月1日(金)から東京・下北沢のザ・スズナリで落語会を行う。『ザ・きょんスズ』と題した同劇場での落語会はこれが初めてではなく、2013年には4日間計5ステージにわたって開催されて話題を呼んだが、落語家生活30周年を記念する今回は、そのスケールに驚かされる。じつに30日間30ステージにわたって30席の異なる演目を披露し、春風亭昇太、千葉雅子らゲストが日替りで駆け付け、歴史的イベントを盛り上げる。『柳家喬太郎 落語家生活30周年記念落語会 ザ・きょんスズ30』は、ザ・スズナリにて11月1日(金)から30日(土)まで。喬太郎の演目と日替りゲストは下記のとおり。11/119:00『井戸の茶碗』他柳亭左龍 柳家喬之助11/214:00『ぺたりこん』他三遊亭圓丈11/219:00『おせつ徳三郎』他三遊亭歌武蔵11/314:00『午後の保健室』他柳家喬志郎 柳家小傳次 柳家さん助11/414:00『心眼』他桂文三11/519:00『赤いへや』他橘家文蔵 柳家小せん11/6休演日11/719:00『ハワイの雪』他柳亭市馬11/819:00『文七元結』他玉川奈々福11/914:00『双蝶々』他三増紋之助11/919:00『路地裏の伝説』他林家たい平11/1014:00『死神』他笑福亭松喬11/11休演日11/1219:00『錦木検校』他柳家小平太柳家小志ん11/1314:00『按摩の炬燵』他柳家権太楼11/1419:00『ハンバーグができるまで』他春風亭昇太11/1519:00『棄て犬』他神田愛山11/1614:00『錦の舞衣』ダーク広和11/1619:00『本当は怖い松竹梅』他三遊亭兼好11/1714:00『鬼背参り』他一龍斎貞橘一龍斎貞寿11/18休演日11/1919:00『熱海土産温泉利書』ゲスト無し11/2014:00『母恋いくらげ』他林家正蔵11/2119:00『秘密のレッスン』他入船亭扇辰林家彦いち11/2219:00『純情日記横浜篇』他林家正楽11/2314:00『宮戸川』他神田茜11/2319:00『結石移動症』他三遊亭白鳥金原亭馬遊11/2414:00『八月下旬』他柳家小満ん11/25休演日11/2619:00『うどんや』他柳家花緑11/2714:00『マイノリ』他千葉雅子11/2819:00古典ネタ下ろし他林家二楽11/2919:00『歌う井戸の茶碗』他寒空はだか11/3014:00『道灌』他柳家さん喬
2019年10月30日いよいよ10月22日には即位の礼を迎える雅子さま。回復が目覚ましく、ご活躍になっていらっしゃるが、これまでなぜ16年間も苦しまなければならなかったのか……皇室に詳しい2人の識者が語り合った(司会/皇室ジャーナリスト・近重幸哉さん)。近重「雅子さまが新皇后となって5カ月が過ぎ、いよいよ10月22日には即位の礼をお迎えになります。『女性の品格』などのエッセイでおなじみ昭和女子大学理事長・総長、坂東眞理子さんと、精神科医で本誌の皇室記事にコメントしている香山リカさんに、雅子さまについて語り合っていただきます。最近の雅子さまのご様子をお2人はどう見ていますか」坂東「雅子さまは、本当に生き生きと回復されていて、とてもよかったと思っている人が圧倒的に多いと思います」香山「私は、雅子さまの回復には“助走期間”があったと思うんです。上皇陛下は、退位のご意向が報道される前に、そのお考えをお子さまたちにお伝えしていたことでしょう。それを、ご自分が皇后になることとして、雅子さまが受け入れられた時点で、はっきり気持ちが決まっていらしたことと思います。その助走期間で、ご自分でも計画を立てられてきて、『このころまでには、これをやる』というステップを満足にこなされることができていたのではないでしょうか」近重「8年前の夏から上皇陛下が、天皇陛下、秋篠宮さまと月1回定例の話し合いをされるようになりました。そこには天皇陛下が、雅子さまのご病状を上皇ご夫妻に理解してほしいというお気持ちがあったのではと思いますが」香山「天皇陛下が辛抱強く、ご両親とお話し合いを重ねることで、お気持ちがピッタリお合いになった。上皇陛下が、天皇陛下と雅子さまも努力していらっしゃるとお認めになって、それで、退位のご意向を決められた。雅子さまは、ではその日に向けて頑張ります、といった意思をハッキリされたということではないでしょうか」坂東「ご家族のお力が本当に大きかったんじゃないかと思いますね」近重「坂東さんはハーバード大学に留学体験を持っています。同じ体験を持つ雅子さまは、なぜ16年も苦しまなければならなかったのでしょう」坂東「私がハーバード大学に留学していたころ、ちょうど雅子さまはベルモント・ハイスクールにいらして、直接お目にかかる機会はありませんでしたが、当時の日本人コミュニティのなかで、雅子さまは、とても能力の高い素晴らしい方だという噂は聞いていました。ただ、学校では非常に優秀だった女性たちが、能力を発揮しようというとき、日本の職場には“見えない壁”があるんです」香山「天皇陛下は、本当に皇室を変えたいというご意思で、『あなたのような人が必要です』と、雅子さまを強く説得なさったのだと思います。おそらくご実家の小和田家のほうでも、『そこまで殿下がおっしゃってくださるんだから、きっとあなたの能力が必要とされているんだから』ということで、雅子さまは皇室に嫁がれたのでは……。ところが、皇室という場所では、やはり男子を産むことを最優先に求められたのだと思います」坂東「ご自身が力を発揮なさりたいと思っていらした国際親善の場で、十分なチャンスを与えられない。一方で周囲から期待されている役割を果たしていらっしゃらないというプレッシャーは、想像を絶するものがあったと思います」香山「当時は皇太子だった天皇陛下が『雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です』という発言をされて、話題になりましたが、当時はモラハラという概念は浸透していなかったので、『人格を尊重しない』というのも、どういうことか理解されなかった。だから『お世継ぎを産むということを成し遂げていないのに、人格がどうとか言われても』という批判の声が上がっていた。マタニティハラスメントの先駆ですよね。いまなら大変な問題ですよ」坂東「最近になって、ようやく雅子さまは『お世継ぎを産むという期待には応えられなかったけど、それはそれで仕方がない』と、割り切られたのかもしれません」香山「そうなのでしょうね。悠仁さまも誕生されて、あるいは、ご自身もそういう年齢ではなくなっていらっしゃることで、そこはもうお考えにならなくてもいいということになった。世間の意識も変わって、お世継ぎが生まれないことを責めるという感覚は、なくなっていったように思えます」坂東「グローバルに通用する、新しい時代の皇后という役割なら私は果たせる、という自信を持ち始められたのではと思いますね」
2019年10月19日10月22日の即位パレードは国を挙げての大イベントになる。そんな華麗なパレードの場に限らず、ご公務で地方にいらしたときなどニュースに映る雅子さまや皇族方に寄り添う黒スーツに身を固めた女性たち。過酷な訓練に励む日々を過ごす彼女たちは皇宮警察の皇宮護衛官だ。なぜ、皇族警護の仕事を選んだのか?女性皇宮護衛官の本音に迫ってみた――。天皇皇后両陛下がお暮らしになる赤坂御用地にある赤坂護衛署の地下。分厚いコンクリート壁に囲まれた静謐な一区画で、セミロングの髪を後ろで束ねた小柄な女性がゆっくりと右腕を水平に向けた。その手に握られたピストルの照準は10メートル先の小さな的にピタリと合わされていた――。秋の全国競技会に向けてエアピストルの射撃訓練に余念がないのは小池梨奈さん(25)。彼女は皇宮警察・赤坂護衛署に勤務する巡査長皇宮巡査で、皇宮護衛官(※皇宮警察では警察官とは呼ばない)となって4年目の若手ホープだ。「実は就活するまで皇宮警察の存在を知りませんでした。人事院のホームページに皇宮護衛官が紹介されていて、大学で日本史専攻でしたから、勤務地の1つに京都御所があるのが魅力的だなと。合格したときは、友人から『インドア派なのに大丈夫?』と心配されました」小池さんが就職先に選んだ皇宮警察は、両陛下や秋篠宮家など皇族方をお守りする「護衛部」、皇居や赤坂御用地、御用邸などの警備に当たる「警備部」、組織運営に携わる「警務部」からなる、皇族方の守護を専門とする国内唯一の組織だ。「側衛に加えてオートバイの側車や白バイ、騎馬など場面に応じた形で護衛にあたります。皇宮護衛官は国家公務員となり定員は900人ほど、女性は全体の1割程度です。皇宮警察学校では情操教育として和歌に華道、茶道といった教養も身に付けることが求められます」(皇宮警察本部広報担当)小池さんの場合、皇宮警察学校での射撃で好成績を残したことから、卒業後は護衛署勤務のかたわら、射撃訓練員にも選抜された。「中学時代に弓道をしていたのがよかったのかもしれません。集中力が求められ精神面でかなり疲れますが、肉体面はそれほどでもないので、バランスをとるためによく皇居外周をランニングしています」射撃訓練は泊まり勤務の翌日の非番の日に行うというが、通常の業務は皇宮護衛官の基礎である警戒勤務が主だという。「皇宮護衛官になったばかりのころ、東宮御所の正門で警戒勤務中に、初めて天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)がお車で通られたときのことが今も忘れられません。皇后陛下は笑顔でいらして……緊張しすぎて、立っているだけで精いっぱいでした。夜には門の近くの茂みからカサカサと物音がしてライトを向けると、タヌキやハクビシンが走り去る姿が見えて和んでいます(笑)」夜勤に加えて射撃訓練にもいそしむ小池さんだが、将来見据えているのは、皇宮護衛官の花形だ。「両陛下や皇族方をおそばで警護する側衛官はひとつの目標です。ただ、あまりそれにとらわれすぎないようにと……。向上心を持ち続け、努力を続けることが大切だと考えて、日々取り組んでいます」『女性自身』皇室SPECIAL即位記念号「雅子さま輝く笑顔が時代をひらく!」より
2019年10月15日天皇皇后両陛下は9月28、29日、茨城県を訪問された。両日とも、沿道には3万人以上の市民が集まり歓声を送った。雅子さまはこのご訪問の初日に、ロイヤルブルーのスーツをお召しになっていた。お召し列車が到着した勝田駅でそのお姿を見た30代の主婦は「雅子さまのスーツは茨城ブルーですね。茨城県の県章と同じ色です。本当に美智子さまと同じようなお心使いをされてくださっているんですね。本当に感激しました」と嬉しそうに話していた。「実は、雅子さまのロイヤルブルーにはもう一つの意味が込められています」そう語るのは学習院関係者。茨城ご訪問の初日9月28日には、愛子さまが参加された学習院女子中・高等科の運動会も行われていたのだ。「以前は愛子さまの学校行事があると、陛下がお一人で地方公務に臨まれ、雅子さまは行事にお出かけになることも多くありました。しかし、今年は雅子さまもご公務を優先されて、愛子さまにとって高校最後の運動会への参加は見送られたのです」(前出・学習院関係者)学年別に優勝を争う運動会において、愛子さまが見事な活躍をお見せになったのは午後の部の「ドリブル競争」だった。バスケットボールをドリブルしてシュートを決めた後、再びドリブルで戻ってきて、各学年20人ずつの選手がリレーをする競技だ。愛子さまが競技の副キャプテンとして登場すると、会場内に大歓声が沸き上がったという。学習院関係者が語る。「愛子さまはすごいスピードでドリブルをされて、シュートも一度でお決めになりました。そして、ドリブル競争で見事に1位となった高等科3年生は、最終的に総合優勝も果たしたのです。受験を控える生徒も多く、決して有利とはいえないなかでの優勝に、愛子さまは満面の笑みでした。茨城国体のニュース映像を拝見したのですが、雅子さまは鮮やかなブルーのスーツをお召しになっていました。実は、ブルーは高3のチームカラーで、保護者たちは『青い服を着て応援に行こう』と話し合っていたのです。ご観戦は叶いませんでしたが、雅子さまも愛子さまを応援されていたのでしょう。その母娘の絆の強さに胸を打たれました」雅子さまがご不在でも、しっかりとご自身の役目を全うできる愛子さまのご成長も、雅子さまを勇気づけ、ご公務に励まれる後押しとなっているはずだ。
2019年10月15日10月22日に即位の礼を控え、雅子さまは衣装合わせや所作の確認などに余念がないという。令和になってからの5カ月あまり、雅子さまは奮闘を続けてこられた。皇后として唯一の総裁職である日本赤十字社名誉総裁として、5月の全国赤十字大会と、8月のナイチンゲール記章授与式にご出席。トランプ米統領の接遇をはじめ、外国要人とのご面会、ご引見、さらに保育園や高齢者施設へのご訪問もあった。最近、雅子さまの変化を感じ取ったというのは、9月28〜29日の茨城ご訪問に同行したカメラマン。「長期ご療養に入られる直前は、雅子さまはカメラ取材のときに、陛下の後ろに隠れるようにされていることがよくあったのです。雅子さまのお姿を撮影することが難しく、当時は不思議に思っていました。そのとき私たちは、雅子さまが適応障害で苦しんでいらっしゃったことをまったく知りませんでした」ところが、今回の茨城ご訪問中にこんな場面があったという。「施設ご見学の取材のときでした。我々カメラマンの撮影位置から見ると、天皇陛下の左肩に雅子さまのお姿が少し重なっていました。それにお気づきになった雅子さまが一歩右にずれて、ご自身もしっかりとカメラに写るように気配りしてくださったのです」つまり雅子さまは、ご公務へのお出ましを重ねるうちに、適応障害に伴うカメラへの苦手意識も克服されていたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは言う。「四大行幸啓にお出ましになられたことは、大きな自信になっていると思います。そのときのお召し物も、これまでの着慣れた楽なものではなく、新しいスーツで高いヒールを履かれ、ファッションにも気を使われていました。これは、心に余裕が出てきている証拠です。こうした余裕があれば、雅子さまがもともとお持ちの好奇心や探究心もプラスに働いて様々なお務めに生かされていくのではないでしょうか」茨城県を訪問された9月28、29日の両日とも、沿道には3万人以上の市民が集まり歓声を送った。「昨年までの地方ご公務と比べても、たいへん熱烈な歓迎ぶりでした。雅子さまは、こぼれんばかりの笑顔でお手振りを繰り返されていました。皇后として、大勢の人々の期待に応えたいーー。雅子さまはそういった思いを胸に“常に笑顔で”という誓いを守ってこられたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
2019年10月14日令和の時代を迎えて、ますます笑顔がまぶしい雅子さま。ご公務に臨まれる華やかな表情が、日々脚光を浴びている。そんな“愛され顔”ともいえる雅子さまメークには特徴があるという。広告などを中心として活躍するヘアメークアップアーティスト・大山なをみさんはこう語る。「新たな元号を迎えて、美しく明るい笑顔がますます際立っておられる雅子さま。新たなメーク法も取り入れていらっしゃるようにお見受けします」大山さんが語る雅子さまメークのポイントは、以下の3つだという。■肌…ツヤのある透明感が決め手「ベースは、ダメージをしっかりとカバー。でも、厚塗りを感じさせないようにして、頬などの光沢で立体感も」(C)JMPA今年7月の「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」会場へご到着したときの雅子さま。ファンデーションを丁寧に塗り、ダメージをしっかりカバーされていることで、肌に透明感が。最後にツヤ感もプラスされ、健康的な印象に。■口元…なじみカラーで奥ゆかしさが「リップは、肌になじみやすい色みをチョイス。形も山などをつけすぎないように気をつけて、清楚さも演出」(C)JMPA令和の幕開けとなった5月1日。皇居から赤坂御所に戻られた際の雅子さまは、自信に満ちた表情を浮かべられていた。リップラインをきちんととられているひと手間で淡い色でも鮮やかに発色。存在感が出やすいリップは、肌なじみがいい色を使うと優しい雰囲気が出ている。■目元…明るさを引き立てる太めアイライン「目は、大きくするのではなくアーモンド形になるよう、目頭のアイラインで目元を強調。眉は角度をつけすぎるとキツい印象になるのでナチュラル眉にされているようです。国民に寄り添う皇后さまの優しいお人柄によく合うメークだと思います」(C)JMPA同じく5月1日、上皇ご夫妻に挨拶をするため、赤坂御所から皇居へ向かわれる車中のお姿。アイラインは濃くしっかりと引かれ、やや太めに。幅と角度もきれいにそろっている眉との相乗効果で、表情が生き生きとした印象に。大山さんの指摘するとおり、16年7月に「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵ルノワール展」をご鑑賞された際の雅子さまは現在とは印象がかなり違う。3年前のお姿と比べても、最近のメーク法が変わっているのがわかる。(C)JMPA10月22日には祝賀御列の儀に臨まれる雅子さま。華々しいお祝いの日には、その新たなメーク法にも注目したい。
2019年09月30日天皇陛下が自らの即位を国内外に正式に宣言する「即位の礼」まで1カ月を切った。記念すべき一日も、雅子さまにとっては並々ならぬ決意を要する“試練の日”なのだという。「お召し替えなどを含めると、ほとんどお休みもとれない忙しさで儀式行事が続きます。内容を簡略化するのは難しいでしょうから、皇后陛下のご負担はかなり大きいものになります」(皇室ジャーナリストの山下晋司さん)さらに儀式に臨まれるためのお着替えには、驚くほどの手間がかかる。平成の「即位の礼」に臨んだ美智子さまのご様子について、当時を知る宮内庁関係者はこう語る。「儀式と儀式の間は、ほとんどお召し替えの時間になり、ご休憩といっても、お召し替えの途中でお茶を召し上がられたぐらいです」美智子さまの例を参考にして、雅子さまの“試練の日”をシミュレーションしてみよう。準備に時間がかかるため、雅子さまは天皇陛下より約1時間早く午前7時ごろ赤坂御所をご出発。皇居に到着すると「潔斎所」に入られ、その後ただちに、午前中の2つの儀式「即位礼当日賢所大前の儀」と「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に臨まれる準備を始められる。鬢付け油で整える伝統的な“おすべらかし”は、御用掛が3人で結っても1時間はかかる。白い十二単に身を包まれ、金の髪飾りをお付けになり、手に御檜扇を持たれ、ご準備が整うころには9時過ぎになっている。儀式をおすませになると、ご昼食のためにいったん平服になる必要がある。「11時20分から次のお支度にかかるため、雅子さまのお昼のご休憩は40分ほどしかないと思われます」(前出・宮内庁関係者)次の儀式は午後1時からの「即位礼正殿の儀」。再び1時間20分かけて別の十二単にお召し替え。ちなみに美智子さまがお召しになった十二単は、重さ16キロで約1,300万円だった。儀式後、午後1時半に宮殿「松の間」を退出される雅子さまは、すぐにパレードに臨むご準備へ。ローブデコルテにお召し替えで髪も洋装にするため、シャンプーからスタートし、メークも一新してできあがるまでに1時間30分が必要だ。なんと4回のお召し替えで、トータル4時間以上になるのだ。それだけでも相当な心身へのご負担だが、皇室ジャーナリストはほかにも危惧していることがあるという。「即位の礼のハイライト『即位礼正殿の儀』では、御帳台にお昇りになった雅子さまのお姿が日本中に中継され、世界各国の人々の注目を浴びることになります。想像できないほどのプレッシャーで非常に緊張されるでしょう」それでも雅子さまは“試練”を乗り越えられるはずと、太鼓判を押すのは皇室担当記者。「雅子さまは今年5月8日、すでに即位後初の宮中祭祀となる『期日奉告の儀』に臨まれています。御代替わりの5月1日以降は、過密なご公務にも休むことなく出席されています。9月も秋田、新潟と地方ご訪問が続きましたが、ずっとお車から笑顔でお手振りされて、ご体調のよさが伝わってきました。即位の礼も心配はいらないでしょう。夜には外国の要人などをもてなす『饗宴の儀』がありますが、国際親善に尽力することを望まれてきた雅子さまですから、むしろ楽しみにされているはずです」10月22日の雅子さまの“晴れ姿”に世界が見とれることだろう。
2019年09月27日「雅子さまの笑顔を拝見できて、とても幸せです。皇后となられて新潟に来てくださって、本当に嬉しいです」9月16日と17日、新潟県を訪問された天皇陛下と雅子さま。両陛下の宿泊されたホテルの近くに住む石山イチ子さんは、2日間で3回も両陛下を拝見することができたという。「雅子さまが結婚される前に、ご両親とお墓参りで新潟に来られたときにも、お迎えをしました。26年ぶりのことで、感激しました」新潟県は、雅子さまの父・小和田恒さんの出身地。村上市には曾祖父の生家もあり、小和田家では年越しに、村上市名物「塩引き鮭」を食べるのが恒例になっていたほど“故郷”を大切にしてきた。「雅子さまが新潟から帰郷された翌日の18日は、恒さんの87歳の誕生日でした。大勢の市民の歓迎を受けての“故郷凱旋”は、最高の誕生日プレゼントになったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)恒さんは外務省を退官後、オランダのハーグにある国際司法裁判所で判事や所長を歴任。昨年6月に退任し、現在は妻・優美子さんとともに都内で暮らしている。そんな恒さんは、近ごろある決断をしていたという。宮内庁関係者はこう語る。「実は、恒さんは最近になって運転免許を返納したそうです。今年4月には池袋の交差点で、当時87歳の男性が運転する自動車による暴走事故がありました。運転していた飯塚幸三氏は旧通産省の工業技術院長も務めた人物。恒さんの1歳年上です。同世代の元高級官僚が引き起こした事故をきっかけに、自分も免許返納を……、と決断したのかもしれません」前出の皇室ジャーナリストも、こう証言する。「小和田家は例年、夏になると一家で軽井沢の別荘を訪れています。現地での運転も、もっぱら妻の優美子さんや、雅子さまの妹の節子さんが担当しているそうです」雅子さまはここ数年、ご実家には里帰りされていない。ただ、今年5月1日の御代替わりの儀式にはご両親や妹の礼子さん、節子さんが招待され、雅子さまを見守っていた。「恒さんの免許返納という決断も、雅子さまを心配させまいという心遣いではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇后となった娘のために……。その気持ちは、離れていてもきっと伝わっているはずだ――。
2019年09月24日