猫好き画家の展覧会【女子的アートナビ】vol. 105『猪熊弦一郎展猫たち』では、たくさんの猫に囲まれて暮らしていた猫好きの画家、猪熊弦一郎の作品、約160点を紹介。画家の出身地、香川県にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が所蔵する猫モチーフの油彩、水彩、素描を中心とした作品群をまとめて見ることができます。猪熊弦一郎って?香川県高松市生まれの猪熊弦一郎は、東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学し、洋画家の藤島武二に師事。卒業後は帝国美術院展覧会(帝展)などに作品を発表していきます。その後、1938年から1940年までフランスに滞在し、20世紀を代表する芸術家アンリ・マティスのもとで学びます。戦後は『小説新潮』の表紙絵や三越の包装紙をデザインするなど国内で活躍。さらに1955年からは再びパリでの勉学を目指しますが、渡仏の途中で滞在したニューヨークを気に入り、同地で約20年間も滞在しています。晩年はハワイと日本を行き来しながら活動し、90歳で亡くなりました。まずは犬…?それでは、展示室に入ってみます。まず目についたのが数匹の犬が描きこまれた1941年の大作《長江埠(ちょうこうふ)の子供達》。同作は、中国の前線に文化視察として派遣された猪熊が制作したもので、物売りの子どもたちと犬の姿が描かれています。猫作品が並んでいる展示室をイメージしていたのでちょっと意表を突かれましたが、見ごたえある油彩画です。猫登場!そして、いよいよ猫がテーマの作品が出てきます。猪熊夫妻には子どもがいなかったため動物をかわいがるようになったそうで、猫だけでなく犬も飼っていたとのこと。ただ、絵のモチーフとしては猫が好きだったそうで、特に戦後から渡米するまでの時期と晩年は、スケッチブックから紙の切れ端にまで次々と猫を描いていたそうです。こちらは、マティスの影響を受けたと思われる色彩豊かな油彩画。猫好きの妻・文子さんと猫を組み合わせた作品です。多頭飼いをしていた猪熊は、猫同士が威嚇し合う姿やにらみ合う様子などにも興味をもち、作品に描きました。また、『モニュメンタルな猫』と題された部屋では抽象的な猫の絵も展示されています。これらの作品について、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館学芸員の古野華奈子さんは次のように解説してくれました。古野さんなぜ猫の顔を抽象的に描くようになったのか。戦前・戦時中に具象画家として活動していた猪熊は、40歳を超えたあたりから「自分の具象絵画について納得がいった」という言い方をしています。ここからどんなふうに自分らしい表現をしていくかと考え、“絵というのは色と形のバランスであり、それによって美をつくりだしたい” という考え方をするようになります。そして、猫や人物を使って自分の考えたことを作品として実現していったのだと思われます。さらに会場では猪熊がニューヨークで過ごした時期に描いた抽象画作品も展示されています。猫の世界とはまるで違う空間ですが、抽象表現主義全盛期の本場アメリカで描かれた絵画はとってもクール!かなり見ごたえがありました。そして最後のミュージアムショップでは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館と本展のオリジナルグッズが勢揃い!ユニークな猫グッズが欲しい人はぜひチェックしてみてください。猫だらけのアート展は4月18日まで。開催期間が残り少なくなっていますので、ぜひお早めにお出かけください!Information会期:~4月18日(水)会期中無休時間:10:00-18:00(入館は17:30まで) 毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)会場:Bunkamura ザ・ミュージアム料金:一般 1,300円/大学生・高校生900円/中学生・小学生 600円公式サイト:渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『猪熊弦一郎展猫たち』に行ってきました。とにかく猫が大好きだったという画家、猪熊弦一郎(1902~1993)の作品が集まる同展では、数百匹もの猫たちが登場!カワイイだけじゃない、ユニークな猫アートは必見です!
2018年04月09日1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのかを知るために、猪熊の故郷香川にある「丸亀市猪熊弦一郎美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。MIMOCAを訪ねるまで、頭の中には一つの疑問があった。猪熊弦一郎のことを調べる程、その多彩な絵画様式に驚かされ、そしてまた「どれが本当の猪熊さんなのか」という疑問が沸き上がってきたのだ。もちろん、どの作品もその絵筆を持った猪熊作品に違いないのだが、時にその作品からはアンリマティスを色濃く感じ、時に作品からはピカソの面影を感じる。また、具象と抽象を行き来し、自在に色彩やフォルムを操っているようにさえ見える。さあ、猪熊はどのような生涯をアーティストとして歩んだのか、6月30日まで開催中の展示「猪熊弦一郎展「私の履歴書」前編ーー絵には勇気がいる」を同館学芸員の古野華奈子さんとともに巡りながらお届けしよう。1/2はこちらから。■幼少期から晩年まで、約2万点の猪熊作品の収蔵約2万点もの猪熊作品を所蔵するMIMOCA。猪熊が幼少期に書いた絵から、東京美術大学(現 東京藝術大学)在学時の作品も含めて、日本、フランス、ニューヨーク、ハワイなどで創作された晩年までの作品を収蔵している。それに加えて、猪熊が蒐集していた雑多なものたちも保管されており、その時々の企画に合わせてセレクトされ、彼の絵画作品と共に展示されている。MIMOCAは、まさに猪熊の生涯に渡る創作活動の軌跡を知ることが出来る場だ。■私の履歴書ーー絵には勇気がいる5月にMIMOCAを訪れた時は、1979年に日本経済新聞の連載「私の履歴書」のために猪熊が半生を綴った原稿を元に構成された企画展「猪熊弦一郎展「私の履歴書」:前編ーー絵には勇気がいる」と、猪熊が晩年描いた「顔シリーズ」が展示されていた。学芸員の古野さんと共にこの二つの展示を歩きながら彼の作品を通して猪熊と向き合ってみたい。■絵の上手な少年が画家・猪熊弦一郎になるまで「私の履歴書」を元に猪熊の半生を知る企画展は、猪熊が絵画に目覚めた幼少期の作品からスタートする。その後、現東京藝術大学に進んだ猪熊は、後に画家として活躍する同級生、小磯良平、荻須高徳、中西利雄、岡田謙三、山口長男らの洗練を受ける。同級生たちと切磋琢磨し、自分らしい作品とはと猪熊が試行錯誤を繰り返したことは、次々と作風の変わる作品からも感じ取れる。「どんな絵画表現が出来るのだろうか」と言う問いに対するその時々の猪熊の答えが作品になっているかのようだ。《題名不明》1919年《画室》1932年■マティスからの一言ーー「お前の絵はうますぎる」学生時代よりパリに行くことを熱望していた猪熊は、1938年妻・文子と共に憧れの地を踏む。そこで猪熊はマティスに絵を見てもらう機会を得るのだが、そこでマティスに「お前の絵はうますぎる」と言われる。このことを猪熊は、著書『私の履歴書』にこう記している。ーー結局、うまく描くということは人によく見てもらいたいと思うために描くことに通じている。(中略)思ったことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶっつけることこそ一番大切だ。「絵がうますぎる」という先生の言葉はそんな意味だ。(中略)この言葉は私の一生を通じて、すべてのことに最も大きな教訓となっているーー■自分らしい表現を追求して猪熊と親交が深かった画家の一人に藤田嗣治がいる。藤田と猪熊は第二次世界大戦中、フランスの片田舎へ共に疎開したり、日本への引き上げ船に乗るようにと藤田が猪熊を諭したりと、まさに寝食を共にしながら過ごした友人でもあった。同企画展では、藤田独特の乳白色の地塗りのテクニックを猪熊なりに真似たような作品『レゼシーの人形のような子供』(1939)も展示されている。また、日本への最後の引き上げ船に乗る直前まで、戦火の中描き続けた作品『マドモアゼルM』(1940)。この作品はパリでの最後の作品となり、猪熊の具象作品の代表作と言われている。《マドモアゼルM》1940年3年という短いパリ滞在期間においても、猪熊の作品は次々とその様相を変えてゆく。濃密な3年間、自分らしい表現とは何かを追求する猪熊の姿を、この展示を通じて知ることができた。猪熊は制作活動を通じ、「自分の表現とは何か」「美しさとは何か」を、生涯問い続けていたのだろう。アーティスト猪熊弦一郎の生涯は、創作を通じた発見の連続だったのかもしれない。ーー私は画家になって本当に良かったと思う。(中略)毎日を喜びと感謝を持ちつつ制作を続け、ますます子供の心のように清く生き生きとそして明るく、何事によらず未知の世界に大きな驚きと興味を持ち続けて、いままでにない何かを作り上げたい念願で一杯である。ーー『私の履歴書』猪熊弦一郎著より抜粋MIMOCAでは、勇気を持って絵と向き合うことを選んだアーティスト・猪熊弦一郎の軌跡に触れることができる。瀬戸内を訪ねるのなら、ぜひ訪れたい場所の一つだ。【展覧会情報】企画展「金氏徹平のメルカトル・メンブレン」会期:7月17日から11月6日常設展「猪熊弦一郎展ニューヨークでの制作ーデザイン・壁」会期:7月17日から11月6日特別展示「ホンマタカシ《三越包装紙》」会期:7月17日から11月6日【美術館情報】丸亀市猪熊弦一郎現代美術館住所:香川県丸亀市浜町80-1(JR丸亀駅前)開館時間:10時から18時まで(入館は17時30分まで)休館日:年末(12月25日から30日)※臨時休館の場合あり
2016年06月28日瀬戸内を訪ねるにあたり、気になるアーティストがいた。1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。スキャパレリーピンクの小石が遊ぶように書かれた三越の包装紙「華ひらく」のデザインや、JR上野駅の中央改札の上に架かる壁画「自由」も広く知られる彼の作品だ。きっと誰もが、一度は猪熊の作品を目にしたことがあるだろう。今回FASHION HEADLINEでは作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのか知るために、彼の故郷・香川県にある「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。■駅前に現代美術館を作った理由MIMOCAは、猪熊弦一郎の生前に完成した美術館だ。故に、美術館の設立を猪熊に提案した丸亀市の熱意と、猪熊本人の思いが込められた館になっている。美術館があるのは、高松駅からJR予讃線で約40分のところにあるJR丸亀駅から、徒歩1分のところ。まさに駅前美術館だ。1902年香川県高松市に生まれ、幼少期の一時期を香川県丸亀市で過ごした猪熊弦一郎。MIMOCAの設立は、丸亀市から猪熊へ「猪熊弦一郎の記念館を作りたい」という提案からはじまったという。しかし、猪熊は「私個人の記念館ではなく、世界の現代美術と触れ合える美術館にしましょう」と逆提案したのだと同館の学芸員、古野華奈子さんが教えてくれた。現代美術館にしたいと猪熊が願ったのは、自身の作品だけでなく現代の優れたアーティストや現代美術を紹介することで、何度も足を運びたくなる場所にしたいという願いから。そして、それが西洋の教会のように「訪れるとすっきりリフレッシュできるような「心の病院」のような存在でありたい」と生前猪熊は語っている。■MIMOCAの建築はMoMAも手がける建築家・谷口吉生駅からMIMOCAに向かうと、大きく広げたキャンパスのような猪熊による壁画「創造の広場」の脇に小さなドアがある。このトンネルの中に入って行くような感覚を覚えるエントランスを抜けると高さ14mにも及ぶ自然光が差し込む吹き抜けが私たちを迎えてくれる。「猪熊は小さな頃からいいもの、いい空間を体験して欲しいと願っていました」と古野さん。その願いから、今でも高校生までは無料で入館することが可能だ。猪熊は才能を見出すことにも長けていた人物。丹下健三の名建築の一つである香川県庁も、歴史を紐解けば当時の香川県知事から猪熊が県庁建築にあたり相談を受けた折に、丹下の名前を挙げたのがきっかけだという。MIMOCAの建築にあたっては、後にニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築をデザインコンペで勝ち取る建築家、谷口吉生が猪熊によて選ばれた。谷口の設計による展示室の一つからは、その上部に設けられた横長の窓から丸亀の空を覗くことができる。美術館を訪れた人は、その日の空模様を感じながら作品と向き合うことができるだろう。また、展示室からカフェへと渡るガラス張りの渡り廊下からは駅前の光景を眺めることができる。「街の人々に訪れてもらえる場所に」という熱意はMIMOCAにもう一つのエントランスがあることからもよく分かる。前述の入り口の横に、建物に入らずとも上へ昇ることが可能な大階段がある。その先にあるのは、瀬戸内の海を思わせるような青の絨毯が印象的なカフェレスト MIMOCAや、猪熊の蔵書等を公開する美術図書室などの共有スペースだ。街に開かれた場所でありたいという思いが、至るところから感じられる仕掛けだ。後編は、MIMOCAの収蔵作品を通じて知る、アーティスト猪熊弦一郎が生涯求め続けた"美"について
2016年06月28日古野電気は4月4日、病院・検査センター向けの生化学自動分析装置「CA-800」を開発したと発表した。生化学自動分析装置とは、全血、血清、血漿や尿などの検体に含まれる酵素、脂質、タンパク質、糖などを試薬と反応させて、その反応過程を分光光度計で吸光度として測定する検査機器。同製品は、1時間あたり800テストから最大1200テスト(電解質ユニット付)の高速処理と、最少反応液量50ulを実現したフロアトップモデルとなっている。測定波長は、340~800nmの13波長で、使用環境に合わせて樹脂キュベットまたはガラスキュベットを選択可能。操作画面は、タッチパネル式ディスプレイに対応している。同製品は3月から海外での販売が開始されており、日本でも順次展開される予定。
2016年04月04日