娘さんと本屋に寄った和田さんですが、そのときにとても恥ずかしい事件が起きてしまったそうです。娘と2人で本屋に立ち寄ったとき、その事件は起きました。娘がぐずりだすのを心配していたのですが、意外なほどおとなしくベビーカーに座っていてくれました。私はゆっくりと買いたい本を選ぶことができ、会計しようとしたそのとき…… 本屋さんで事件勃発! いつの間にか平台から本を取っていた娘! しかもどBL!破いたりしていなかったのは幸いでしたが、私が穏やかな気持ちでベビーカーを押して店内をまわっている間、ずっとわが子がこれを掲げていたのかと思うと、「ギエ〜ッ!」と叫び出したい気持ちにになりました。 また店員さんの意味ありげなコメントと笑顔が……!! これで娘が将来そっち方向に興味を示したら、「あなたは赤ちゃんのときから好きだったんだよ」と教えてあげようと思います。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年05月02日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第72話。今回は長年のトラウマを克服して、英語で読書を楽しめるようになった理由をお伝えします。———————————————————————————————————–1年半ほど前から英語の勉強を再開し、ずっと楽しく続けています。オンライン英会話の先生たちからよくすすめられるのが「読書」。もちろん英語の本を読むのが勉強になるのはわかっているのですが、私には長年のトラウマがあり、なかなか手をつけられずにいました。知らない単語に出合っていちいち辞書を引いていると、ストーリーに入り込めず、楽しめません。私はそれがとても苦手でした。学習用に利用しているSNSで、「自分のレベルに合った本を選ぶのが大切」「全部の単語を調べようとしなくていい」などアドバイスしてもらい、おすすめしてもらった10〜14歳向けの児童書を、わからない部分は推測しながら読み進めました。読み終えたときは、30年間抱えてきたトラウマをついに克服した!と清々しい気持ちに。1冊読み終えると自信がついて、2冊目、3冊目とスムーズに読めるようになってきました。今はまだ10代向けの本を読んでいますが、いつか大人向けの本も自然に読めるようになったらいいなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2021年04月29日日に日に成長し、いろいろなスキルを身につけた始めた娘さんですが、その中でも謎すぎる技があったとか。その内容とは……?日に日に進化していく娘が新たに身につけたスキルが、「拍手」でした。 急にやってきた拍手ブーム 当時はあっちでパチパチ、こっちでパチパチ。最初はテレビの影響かと思いましたが、テレビがついていなくても家のどこかで娘が手をたたくので、かわいいやらおかしいやら。 しかし、拍手ブームは一瞬で終了。ビデオにでも撮っておけばよかった……!と後悔しました。赤ちゃんの変化は、本当に目まぐるしいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年04月25日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第71話。今回は家族みんなでハマった、目からうろこの“ボドケ”の魅力についてお伝えします。———————————————————————————————————–今年のGWは家でのんびり過ごす予定のわが家。おいしいものをお取り寄せするほか、家族でも、ひとりでも、いろいろ楽しみたいと思っています。家族で一緒に楽しめること。うちの場合、それは「ボードゲーム」です。ボードゲームカフェができたり、ボードゲーム漫画がアニメ化されたりと、数年前から一部の人たちの間では「ボドゲ」ブーム。夫もそこにのっかる形でハマり始めました。当初は「また無駄づかいして……」と夫を冷たい目で見ていた私でしたが、家族みんなでするとなかなか楽しく、毎週末とはいかないまでも時々プレイするようになりました。サクッと終わるシンプルなゲームもあれば、じっくり30分ほどかかるゲームもあり、とにかくバラエティ豊か。いまだに、名作とされるゲームのごくごく一部しかプレイできていません。ボードゲームってこんなに奥が深かったんだと、目からうろこでした。10代に入り「お父さん離れ」しつつある娘たち。ボードゲームは夫と娘たちとのコミュニケーションツールの1つにもなっています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2021年04月22日歩き始めるまでのお世話で散々頼っていた相棒。が! まさかの落とし穴に愕然としたとか。その理由とは……。娘が歩き始めるまで本当にお世話になったのがおんぶひもでした。購入するときはベビー用品店へ行って娘と試着。2人一緒に試着するというのは初めての体験で、新鮮でした。 私が気に入っても娘がむずがったり、娘はおとなしかったけど私がなんとなくしっくりこなかったりして、数点つけ比べた上で購入!使い始めると、思った以上に便利だったのですが……。 頼れる相方の落とし穴は… つ、つまめちゃうんだ!?首の後ろの肉をたむたむされたときは、ショックでちょっと無言になってしまいました。 それでもなお、とても便利だったおんぶひも。赤ちゃん育児中の頼れる相棒でした!監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年04月18日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第70話。今回はダイソーで見つけたお気に入りのスキンケアについてお伝えします。———————————————————————————————————–甘酒がブームになって久しいですが、私は子どものころから甘酒が大好き。米こうじよりだんぜん酒粕派で、10杯以上飲んで気持ち悪くなったこともありました……(恥)。今はさすがにそこまで飲みませんが、酒粕の香りをかぐと、なんとも言えない幸せな気持ちになります。そんな私がダイソーで見つけた洗い流すタイプの「酒粕パック」を試してみた感想をお伝えします。私の場合、使い始めてすぐに肌色がワントーン明るくなった気がしました。子どもたちからも「使ったあと、肌がプリッとしているよ」と高評価。肌がヒリヒリしたり、赤くなったりすることもなかったので、このまましばらく使い続けてみようと思います。不満があるとすれば香り……。万人受けするためにはこのくらいのほんのりした香りがいいのでしょうが、甘酒ラブの私としてはもっと酒粕の香りがしてほしかった! その不満は、飲むほうの甘酒で補いたいと思います(笑)。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2021年04月16日まだ寝返りができないと心配していた娘さんですが、あっという間にハイハイもマスター。そんな娘さんが突然家の中で消えてしまい……。寝返りしないと気を揉んでいたのが嘘のように、どんどんハイハイが上達していった娘ハナ。そんな娘がある日行方不明になってしまいました……! え、娘がいない! 広いアパートではないので、見つけるまでさほど時間はかからなかったものの、ハナの気配がなかったので慌てました。 テーブルの下で熟睡している娘を見つけたときは、ホッとするとともにちょっと笑ってしまいまいした。しかし、まさかのうんち大爆発! 背中までうんちまみれになっており、床に敷いていたラグマットまでびっちょり……。そのあとの洗濯等が大変だったことは言うまでもありません(涙)。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年04月11日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第69話。今回は生ごみの悪臭を軽減できる便利な袋についてお伝えします。———————————————————————————————————–2020年7月からプラスチック製レジ袋の有料化が始まり、今までコンビニに行くたびにもらっていたレジ袋がなかなか家にたまらなくなりました。と同時に、私が今までいかにレジ袋を安易に使い、そして捨てていたのかに気付かされました。最初に困ったのは生ごみを入れる袋。今まではストックしておいたレジ袋に生ごみを入れ、あとでまとめて捨てていたけれど、その袋が足りないのです。市販のごみ袋を買ってくることはもちろんできるのですが、プラスチックごみを減らす目的で有料化が始まったのに、結局買っていたら意味がないよな……と思っていました。恥ずかしながら、私は環境問題について特に意識の高い人間ではないです。生活スタイルを大きく変えるような大変なことはできない。でも、環境問題が待ったなしなのは知識としては知っているから、そんなに負担が大きくないなら、なるべくやりたい。そのくらいの緩い意識です。そんな私がプラスチックごみを減らそうとするなかで出合ったのが、紙製の水切りごみ袋。自立するので三角コーナー代わりにシンクに置いています。これを使い始めてから生ごみの悪臭がすごく減って驚きました。新聞紙に生ごみを巻いて捨てると臭いが抑えられますが、それと同じような効果があるんだと思います。これからどんどん暖かくなり、またごみの臭いに悩まされる季節がやってきます。今年もこの紙製の水切り袋や新聞紙を活用して生ごみの悪臭を減らし、家の中を快適にしたいなと思ってます。
2021年04月08日競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、2021年4月8日、東京五輪の400メートルリレーの代表に内定。池江選手は、同月4日にもメドレーリレーで代表に内定しており、今回で2つ目の日本代表入りとなります。競泳・池江璃花子選手が東京五輪代表に白血病回復からの内定に「素晴らしい奇跡」この日、女子100メートル自由形で優勝し、2冠を達成した池江選手。2019年2月に、白血病であることを公表していたため、競泳で復活した姿は多くの人の心を打ちました。ネット上では「おめでとう!」「暗い話題が続く中でいいニュース!」などの声が上がっています。池江さんの輝く姿は、同じく白血病を患っている人たちへの励みにもなるでしょう。これからも、努力し続ける池江選手を応援したいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年04月08日和田アキ子がユニバーサルミュージック完全移籍し、第1弾となる新作を2021年内にリリースすることが決定した。和田は大御所タレントとして知られるが、日本を代表するシンガーでもあることを忘れてはいけない。1968年10月25日『星空の孤独』でデビューし、和製R&Bの女王と称される存在なのだ。さらに1970年「笑って許して」で紅白初出場、1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞している。2008年のデビュー40周年では、ブラック・ミュージックの殿堂ニューヨークのアポロシアターにて海外公演を成功させ、2015年にソウルアルバム『WADASOUL』をユニバーサルミュージックよりリリース。さらに2018年はデビュー50周年を記念し、1月に『WADASOUL COVERS ~Award Songs Collection』、9月に『アッコがおまかせ ~和田アキ子50周年記念トリビュート・アルバム~』を発表した。同年10月には日本武道館にて「WADA fes」を開催し、レジェンドシンガー達が一同に集結させた。年内リリース予定の新作は歌手生活53年、和製ブラックミュージックのゴッドマザーの現在を示すソウル / R&Bを収めたアルバムとなるという。楽曲提供には、さかいゆうやOvall、Rin音、WONKら豪華アーティストが名を連ねている。今を代表する彼らの音楽性が、和田のソウルフルな歌声とどの様に響き合うのか。必聴の作品になることは間違いないだろう。さらなる詳細は公式HPとSNSをチェックしてほしい。■リリース情報和田アキ子『タイトル未定』2021年リリース予定
2021年04月07日マタニティヨガで知り合ったママ友たちと集まった和田さん。まるで合コンのような雰囲気にテンションが上がった矢先に、起きたこととは?マタニティヨガで知り合ったママ友たちをわが家に招いたときのこと。ママ6人、赤ちゃん6人の総勢12人が集まったのですが、1人のママがおもしろいことを言い出しました。 まるで合コン!? 「まるで合コンだね!」と笑っていた私たち。うちの娘は当時生後7カ月。ほかの赤ちゃんは生後6カ月〜8カ月でした。子ども同士の微笑ましいやりとりを期待していたんですが、全員すでに寝ているだけの赤ちゃんではなく、かといっていっしょに遊ぶほどには成長していなかったため、それぞれ本能の赴くままに好き勝手なことをしていて、まったく合コンになりませんでした(笑)。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年04月04日2021年4月4日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、東京五輪の代表に内定しました。池江選手は100mバタフライ決勝で57秒77の記録を打ち出して優勝。また、400mメドレーリレーの派遣標準記録を突破しています。インタビュー中では感極まり、美しい涙を流した池江選手。代表の内定について、このようにコメントをしています。「57秒台が出るとは思わなかったし、リレーの派遣標準記録も切れると思わなかった。一番戻ってくるのが時間がかかる種目だと思っていた。優勝も狙っていなかったけど、何番でもここにいることに幸せを感じようと思った。仲間たちが全力で送り出してくれて、とても幸せ。本当にうれしかった。言葉にできない。ものすごく自信がついたレースだった」サンケイスポーツーより引用池江選手は2019年2月に、白血病であることを公表。当時、東京五輪は2020年に開催が予定されていたため、多くの人から惜しむ声が寄せられていました。五輪は多くのアスリートにとって、目標といえる大会です。池江選手は白血病の発覚に加え、東京五輪への出場が絶望的だったことに大きなショックを受けたことでしょう。つらい治療を乗り越えた後、リハビリや練習に励んできた池江選手。今回の内定に対し、多くの人から祝福する声が寄せられています。[文・構成/grape編集部]
2021年04月04日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第68話。今回は台湾のおいしい朝ごはんについてお伝えします。———————————————————————————————————–豆乳を使った鹹豆漿(シェントウジャン)は台湾の定番朝ごはんの1つ。おぼろ豆腐のように少し固まった状態の豆乳スープで、ザーサイや干しえび、揚げパンなどを加えて食べます。私はこの料理が好きで、また食べたいと思っていたんですが、日本では見たことがありませんでした。一度だけインスタント鹹豆漿を見かけて喜んで買ったのですが、思っていたものとは異なりガッカリ。また旅行できるようになるまでおあずけだなと諦めていました。ところが、ある日たまたま見たテレビ番組で鹹豆漿の作り方を紹介していたんです。簡単すぎてビックリしました……! なぜこれを家では作れないと思い込んでいたのか。思い込みって怖い。温めた豆乳がお酢で固まることも知らなかったので、これまたビックリ。ちょっと理科の実験をやるような気持ちになりました。ふるふるの鹹豆漿に小ネギやかつお節など好きなトッピングをのせて、忙しい日のスープ代わりにおいしくいただいています♪
2021年04月01日実感に帰省した際に、本屋で出会った親子の問答があまりに衝撃だったそう。その内容とは……?あれはたしか実家に帰省したとき。母に娘を見てもらい、ひとりで本屋に出かけたことがありました。そこで隣に立っていたきれいな感じのママと、5〜6歳の男の子。その2人のやりとりが衝撃的でした。 親子の問答に驚愕! 何そのクイズ!? 心の中でツッコミが止まらない……!男の子が超真剣なのもおかしかったのですが、ママが1ミリも笑わないのがまたおかしくて、笑いを堪えるのに必死でした。2人にとっては、あのやりとりが日常茶飯事なんだろうなあ。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月28日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第67話。今回はストレスで突発性難聴になったときのことをお伝えします。———————————————————————————————————–つい先日のことです。ある日突然、耳に違和感を覚えました。飛行機に乗って気圧が急に変わったときのような感じで、音がこもってクリアに聞こえなくなりました。耳の奥に痛みもあり、翌日様子を見ても改善しなかったので、耳鼻科を受診。すると医師から驚きの診断を受けました。医師の説明によると、突発性難聴は突然音が聞こえにくくなる難聴で、聞こえなさの度合いは人それぞれ。多くは左右のどちらかの耳、ごくまれに両方の耳の聞こえが悪くなるそうです。まったく聞こえなくなってしまう場合もあれば、私のように特定の音だけ聞こえにくくなるケースもあるそうです。原因ははっきりとわかっていませんが、私の場合はストレスではないかとの医師の診断でした。この病気は発症後1〜2カ月すると聴力が固定してしまうので、早期受診・早期治療がとても大切だそうです。ところが、気付かなかったり侮ったりして受診が遅れるケースもあるとのこと。私も発症後様子を見てしまい、3日目の受診になってしまいました。現在は仕事を少し減らしていただき、内服薬での治療をしています。ついつい自分の健康を後回しにしてしまいがちですが、異常を感じた時点ですぐに病院を受診しないと手遅れになってしまう場合もあると、今回痛感しました(無事に回復するといいなあ……)。※急に耳が聞こえにくくなるなど耳の異変を感じたら、早めに耳鼻咽喉科などの専門科を受診しましょう。
2021年03月25日娘の寝かしつけで子守歌を歌っていると、なぜか白い目で見られるという和田さん。その理由とは?お母さんの歌う子守歌って、なんだかすてきですよね。子どものおなかをトントン叩きながらやさしく歌うお母さん。安心してゆっくりと目を閉じる赤ちゃん。私もそんな寝かしつけをしてみたかったのですが……。 寝かしつけで歌っていたら… 娘の視線が痛い!「ねんねんころりよ」も「ゆりかごの歌」も途中から歌詞があやしくなり、挙動不審になってしまい、結果、娘は寝ず……みたいな感じでした。「ねんねんころりよ」は母が歌っていたのでなんとなく覚えていたんですが、よくよく考えると母も途中から歌詞があやしくなって鼻歌になっていた気がします……。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月21日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第66話。今回のテーマは年齢ともに表れた体の変化についてです。———————————————————————————————————–「年齢は首に出る」というのはよく聞いていたけれど、私の場合、「肘」の変化のほうが気になります。肘をついて作業することが多いせいか、右肘に大きな黒ずみができてしまい、最初に発見したときはギョッとしました。次にびっくりしたのは肘の皮が伸びたのか、ダルダルになっているのに気付いたとき。その次はガサガサに乾燥してしまい、血が出そうになってしまったときです。ガサガサに乾燥したときは痛がゆくなってしまい、見た目もボロボロだったので、それ以来寝る前にハンドクリームで保湿するようになりました。結果、ひどい乾燥は治まりました。普段視界に入らないので気にかけていなかったけれど、肘も年齢がしっかり出るポイントなんだなと、今さら痛感しました……。
2021年03月18日娘さんを連れて病院に行ったときに、強面の男の人に遭遇した和田さん。実はその人は……!娘を連れて病院へ行ったときのこと。いかにも柄の悪そうな若い男性がやってきて、待合室で電話し始めました。 強面の男の人の正体は!? 周りの人たちの緊張感がフッと和んで、「がんばれパパ!」みたいな空気になったのを覚えています。 病院の待合室で電話するのはNGなので、褒められた態度ではありませんが、あの外見からまさか「ねんね」という言葉が飛び出すとは思いませんでした……!(笑) 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月18日和田さんには、もう別れようと思いつつ、長いことつき合ってしまった「戦友」的な存在が。どうして別れられなかったのか、その理由とは……?前回オークションで大失敗してしまった話を書きました。今回はバスチェアのその後です。ボロボロのバスチェアの行方は すぐに捨てようと思っていたバスチェアでしたが、まさか2人目まで使うとは思いませんでした。お風呂で使わなくなっても、部屋で使うようになり、子どもも座椅子代わりによく座っていました。 届いた時点ですでに数年は使われていたようなボロボロ加減だったにもかかわらず、処分するその日までどこも壊れませんでした。すごい! 長い間愛用したので、いざ捨てるときはちょっぴり悲しい気持ちに。ほかにもおんぶひもやベビーカーなど、子どもが小さいうちによく使った物って、「戦友」とか「相棒」みたいに思えることがよくありました。ありがとう! バスチェア! 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月13日東日本大震災の実録第8話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。東日本大震災の実録第8話 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月12日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけ!BBA塾(ばばあじゅく)」第65話。今回のテーマは忘れがちなこともしっかり管理できる100均アイテムについてです。———————————————————————————————————–今年に入ってから、なんだか忙しくなってしまいました。仕事や日常のこまごまとした業務がてんこ盛り。やってもやってもさっぱり終わらないし、そもそも何をしなきゃいけなかったのか忘れがち……。そんな私が最近ダイソーで見つけた便利アイテムをご紹介したいと思います。私はここ数年、手帳を持ち歩かなくなり、日時の決まっている用事はスマホに入力してアラームをセットしたりすることが増えました。それはそれで便利なのですが、アナログにはアナログの良さがあります。ササッと書いてペタッと貼っておけるのは大きな利点。ついつい後回しにしている面倒くさい雑用も、やり終えてTO DO LISTにチェックを入れるとスッキリ! 朝リストアップしたものをすべて片付けられた日は、かなり気分が良いです。なんとなく使ってみたアイテムでしたが、今では毎日これを書くことから1日が始まっている感じです。これからも「その日やるべきこと・やりたいこと」を可視化して、時間を有効に使っていきたいと思います。
2021年03月11日育児グッズを購入した和田さんですが、ついケチってしまってお大損をしたとか。そのアイテムとは……?「安物買いの銭失い」とは、私のためにある言葉だとよく思います。恥ずかしながら、小さい金額をケチって結局損をすることがとても多いからです。育児グッズの購入でもよくやらかしていました。今回はそんな失敗についての体験談です。 ケチった結果… あまり利用したことのないオークション。いつもなら送料までしっかり確認するのに、落札を焦って忘れてしまいました。 届いたのは、「おい!よくこれ売ろうと思ったな!」とツッコミたくなってしまうようなボロッボロのバスチェア。こんなことなら新品を買えばよかった!と激しく後悔したのは言うまでもありません。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月11日東日本大震災の実録第7話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。食料がなくて冷凍庫にある物で何とか耐えている母、水をもらうために何時間も並んでいる妊婦の友だち、私の大切な人たちが食料や水に困りながらも、黙々と頑張っていました。 原発事故の収束の見通しは立たず、いつ何があってもおかしくない状態。自分で助けに行くことはできない。「助けて」と言いたいけど、誰に言えばいいのかわからない。そんな追い詰められた気持ちが続いていました。 東日本大震災の実録第7話 私の故郷は海が近いので津波の被害がありました。実家は海から少し離れているものの、ほんの数百離れたところまで海水が押し寄せたそうです。 住めなくなった家や施設があったり、景観が変わってしまったり。見慣れたはずの場所が、まったく違う場所のようになって、テレビに映っていました。 このころSNSには心ない中傷やデマ、憶測もたくさんあふれていて、誰かを傷つけたりパニックを引き起こしたりすることもよくありました。でももしツイッターなどのSNSがなかったら、そしてたくさんの人が拡散してくれなかったら、福島県、茨城県の困っている人たちの声は届かなかったかもしれない、と個人的には感じていました。 原発事故収束のため日夜必死で頑張ってくれていた方々、まだ高速道路はあちこちガタガタで、鉄道も復旧しないなか、物資の輸送を再開してくれた物流関係の方々、本当にたくさんの人の並々ならぬ努力のおかげで、一番深刻な局面を乗り切ることができたんだと、今改めて思います。 自分にできることを探して動き始めた和田さん。前に向かって和田さんが感じ、決意したこととは…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月11日東日本大震災の実録第6話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 東日本大震災の実録第6話 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あの時必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月10日東日本大震災の実録第5話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 東日本大震災の実録第5話出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 無事に夫の実家にたどり着いた和田さん一家ですが、避難先で和田さんの心は重くなってしまいます……。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月09日東日本大震災の実録第4話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。おふろの残り湯、友だちからもらった井戸水、かろうじて買うことができたペットボトルの水……。水道が復旧する気配はなく、あちこちからかき集めたわずかな水でやりくりするなか、ふいに夫が重大なことに気がつきました。 東日本大震災の実録第4話 食料の確保はすぐに難しくなりました。一日中自転車であちこちかけまわっても、手に入るのは子どもが食べられないような激辛ラーメンや甘いジュースなど。たまたま炊き出しをやっているところを見つけて、列に並んだこともありましたが、並んでいる人数分しかもらえず、また紙皿なので、家族全員分の食事を持ち帰ることはできませんでした。 そんななか、予想外の物資がわが家に到着しました。 食料と水の問題が一応、解決した途端、新たな問題が発生。「一難去ってまた一難」がエンドレスに続いている感じでした……。いつも優柔不断な私ですが、このときはすぐに避難することを決断しました。というのも、前日にある情報を入手していたのです。 いよいよ避難をすることに決めた和田さん。避難先での生活はどうだったのでしょうか?次回に続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月08日東日本大震災の実録第3話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 東日本大震災の実録第3話 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 なかなか復旧しないライフライン、次回はついに和田さんがある決意をします。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月07日産後の抜け毛に悩んでいた和田さん。産後の変化は抜け毛だけでなく、鏡を見て愕然としたそうです。娘が生まれて少し経ったころでしょうか、鏡を見てギョッとすることがありました。 産後の自分にガッカリ… 当時の写真を見ると、笑ってしまうくらい顔がパンパン。化粧っ気もなく、美容院にも行けず、服は同じ授乳服のヘビーローテーション。時間的な余裕も、心の余裕もなく、いつもボッサボサのガッサガサでした。 ずっとこのままかと思っていましたが、子育て生活に慣れてくると、少しずつ自分のケアもできるようになってきました。あのときどんよりしていた自分に「この先少しずつ余裕ができてくるよ、大丈夫だよ」と言ってあげたいです。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月06日東日本大震災の実録第2話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 東日本大震災の実録第2話 ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 食べ物にも困り、途方に暮れる和田さん一家ですが、次回さらに驚くことが起こります。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月06日東日本大震災の実録第1話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも11年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。 東日本大震災の実録第1話 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、二女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。夫の携帯電話も私の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。だれもが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ライフラインがたたれた和田さんですが、さらに困った状況に……。次回に続きます。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月05日