相葉雅紀、佐々木蔵之介、段田安則が演じる、3世代がそれぞれ異なったメディアに携わっている“マスコミ一家”の和田家が織り成す異色のホームドラマ「和田家の男たち」。この度、本作に関西ジャニーズJr.で「Aぇ! group」の正門良規が出演することが決定した。連続テレビ小説「スカーレット」や「DIVER-特殊潜入班-」に出演した正門さん。今作で演じるのは、主人公・和田優(相葉さん)をネットニュース「バズとぴ」のライターとして誘う、編集部員・三ツ村翔星。優の大学時代のゼミの後輩でありながら、編集部では上司にあたる役どころだ。今回相葉さんと初共演となる正門さんは「ほとんど初めましてのような感じだったのですが、『今いくつなの?』という他愛もない話やファッションの話などもしてくださって、楽しく優しく緊張をほぐしてくれました」とコメント。「そんな相葉くんの仕事上の先輩役を演じるということで、びっくりしました。お芝居ではありますが、触れたりするときには、めっちゃ緊張しますね(笑)。でも合間にはとてもフランクに話しかけてくださるので、相葉くんの愛情にたっぷり触れています。最初は緊張しっぱなしでしたが、一日通して撮影してだいぶ落ち着いてきたので、今後はいかに相葉さん演じる和田優を振り回せるかを楽しみたいと思います!」と意気込みを語っている。「和田家の男たち」は10月22日より毎週金曜日23時15分~テレビ朝日系にて放送(一部地域で放送時間が異なる)。(cinemacafe.net)
2021年10月01日展覧会「和田誠展」が、東京オペラシティアートギャラリーにて2021年10月9日(土)から12月19日(日)まで開催される。和田誠のイラスト&デザインなど創作の全貌を紹介「和田誠展」は、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして広く知られている和田誠の創作活動を紹介する展覧会。イラストやグラフィックデザインに加え、映画監督、エッセイスト、アニメーション作家、作詞・作曲家、編集者としても創作活動を行ってきた和田誠の、膨大で多岐にわたる創作の全貌に迫る初の試みとなる。作品&資料約2,800点が集結代表作を中心としたビジュアル年表や、約30のトピックスを軸に、約2,800点の作品や資料を展示し、和田誠の軌跡を辿る。中には、創作のルーツとなる幼少期に描いた絵物語や多摩美術大学在学中に制作したLPジャケットといった貴重な資料も。書籍・原画だけで約800点にものぼる作品が一堂に集結する。『週刊文春』表紙や谷川俊太郎との絵本など40年以上にわたって和田誠が表紙のイラストレーションを手がけていた『週刊文春』は、2,000号までを一挙に紹介。原画や色指定紙、モチーフにしたオブジェなどもあわせて登場する。また、谷川俊太郎とタッグを組んだ絵本や、丸谷才一や村上春樹など様々な作家の書籍の装丁、パロディ作品など、幅広い表現スタイルが見て取れる作品を展示。新宿日活名画座のポスターは、初期の代表作の1つだ。さらに、和田誠が手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定している。【詳細】和田誠展会期:2021年10月9日(土)~12月19日(日) ※72日間会場:東京オペラシティ アートギャラリー 東京オペラシティタワー3F住所:東京都新宿区西新宿3-20-2開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)休館日:月曜日入場料:一般 1,200(1,000)円/大・高生 800(600)円/中学生以下無料※同時開催「収蔵品展 072 難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含む。※( )内は各種割引料金。障害者手帳持参者および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻し不可。※来館の際の注意事項など最新情報は、東京オペラシティ アートギャラリー 公式ウェブサイト、SNS、特設サイトにて告知。【問い合わせ先】TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
2021年09月04日和田アキ子が新曲「YONA YONA DANCE」を本日9月2日に配信リリースし、合わせてMusic Videoを公開した。同曲は、「オドループ」が昨年TikTokでも話題となったフレデリックがプロデュースを手がけている楽曲で、年内リリース予定の和田のユニバーサルミュージック移籍第一弾アルバムに収録される。公開されたMVは、和田にとって初となる全編イラストで構成された作品となっており、Ado「レディメイド」などを手がけている絵師ヤスタツとのコラボレーションが実現。3人の可愛いキャラクターがサビで披露するダンスが見どころとなっている。「YONA YONA DANCE」MVサムネイルまた「YONA YONA DANCE」のリリースを記念して、新曲から名曲まで和田の楽曲が一挙オンエアされる特集イベント「和田アキ子特集LOUNGE」が9月5日17時よりAWAで開催されることが決定した。なお和田のユニバーサルミュージック移籍第一弾アルバムは、さかいゆう、Ovall、フレデリック、Rin音、WONKによるプロデュース作品となっている。■和田アキ子 コメント私のMVが全編イラストで作られるなんて今までなかったので、見た時は本当に面白いと思いました。キャラクターもかわいいし、これ本当に和田アキ子のMV?って感じですよね。令和の時代にアレンジされた和田アキ子が見れて、自分自身で嬉しかったです。キャラクターがサビで踊っているダンス。簡単なので、是非、皆も一緒に踊って欲しいですね!!踊らにゃ損、踊らにゃ損ですよ!!「YONA YONA DANCE」MV<配信情報>和田アキ子「YONA YONA DANCE」配信中「YONA YONA DANCE」配信ジャケット配信リンク:関連リンク■和田アキ子OFFICIAL Twitter Instagram MUSIC HP■フレデリック公式HP
2021年09月02日和田アキ子がユニバーサルミュージック完全移籍し、第1弾となる新作を2021年内にリリースすることが決定した。和田は大御所タレントとして知られるが、日本を代表するシンガーでもあることを忘れてはいけない。1968年10月25日『星空の孤独』でデビューし、和製R&Bの女王と称される存在なのだ。さらに1970年「笑って許して」で紅白初出場、1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞している。2008年のデビュー40周年では、ブラック・ミュージックの殿堂ニューヨークのアポロシアターにて海外公演を成功させ、2015年にソウルアルバム『WADASOUL』をユニバーサルミュージックよりリリース。さらに2018年はデビュー50周年を記念し、1月に『WADASOUL COVERS ~Award Songs Collection』、9月に『アッコがおまかせ ~和田アキ子50周年記念トリビュート・アルバム~』を発表した。同年10月には日本武道館にて「WADA fes」を開催し、レジェンドシンガー達が一同に集結させた。年内リリース予定の新作は歌手生活53年、和製ブラックミュージックのゴッドマザーの現在を示すソウル / R&Bを収めたアルバムとなるという。楽曲提供には、さかいゆうやOvall、Rin音、WONKら豪華アーティストが名を連ねている。今を代表する彼らの音楽性が、和田のソウルフルな歌声とどの様に響き合うのか。必聴の作品になることは間違いないだろう。さらなる詳細は公式HPとSNSをチェックしてほしい。■リリース情報和田アキ子『タイトル未定』2021年リリース予定
2021年04月07日2020年12月27日に放送された、バラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)では、大阪府大阪市にあるテーマパーク『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(略称:USJ)』の新テーマエリアについて紹介。その際、MCを務める歌手の和田アキ子さんが語った思い出話が話題となっています。和田アキ子と任天堂の意外な接点2021年に開業20周年を迎えるUSJ。同年2月4日には、任天堂のキャラクターやゲームの世界を現実世界に再現した新テーマエリア『スーパー・ニンテンドー・ワールド』が開業します。エリア内には『マリオカート』をテーマにしたライド・アトラクションや、マリオの敵キャラクターである大魔王クッパの本拠地『クッパ城』が!番組内では、YouTuberのHikakinさんがオープン前の『スーパー・ニンテンドー・ワールド』を取材した時の映像を放送。「楽しそうだね~!」と感想を述べた和田さんは、続けて…。『スーパーマリオブラザース』ってもう私、懐かしい!いや声をね、やってくださいって(いわれたことがあって)。「えっ!?スーパーマリオ!?嬉しい!やったー!!」って。「なんですか」っていったら、『クッパ大王』。アッコにおまかせ!ーより引用実は、和田さんは1986年公開のアニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』で、クッパの声を演じていたのです。和田さんと『スーパーマリオブラザーズ』のつながりに、ネット上ではさまざまな声が上がりました。・待って、笑いすぎてお腹痛いんだけど。・大王とか、アッコさんにふさわしい役柄じゃないですか!・声だけでマリオを倒せそうなんですが…。・懐かしい。私は今でも、クッパは和田さんの声で脳内再生しています。今後はクッパを見るたびに、和田さんの顔を思い出しそうなエピソードですね![文・構成/grape編集部]
2020年12月28日タレントの勝俣州和が、自身の公式YouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」で17日に公開された動画に出演し、和田アキ子に対して強気に出られるようになったきっかけを語った。「【勝俣はなぜ和田アキ子に強気なのか?】」と題して公開された動画で、勝俣はTBS系番組『アッコにおまかせ!』である時、バンジージャンプに挑戦することになったが、本番中に飛ぶことができず、再びバンジーの機会を与えられた一件を紹介。しかし、何度「3、2、1、バンジー!」とコールを振られても、やはり一歩踏み出すことができず、当時の心境を「(和田から、飛ばなかったら)『つぶす』と言われていたので、『ここで終わりだ』と思ったんです。『もういいや、最後に全部吐き出そう』と思った」と述懐した。勝俣は「アッコさんに『なんで飛ばへんのや!』と言われたから、『うるせぇな! てめえ、このやろう! 何でお前の誕生日のために俺が飛ばなきゃいけねぇんだよ! お前が来て飛んでみろ! かかって来い!』って」と振り返り、「『なんや勝俣! その言い方!』って言われても、『お前が先に仕掛けた口喧嘩だろ! TBSで待ってろ! ぶっ飛ばして芸能界去ってやるわ!』って叫んでいるうちに、酸欠になって、僕は倒れちゃったんです」と告白した。幸いすぐに回復した勝俣は、TBSへ戻ることに。「芸能界終わりは決定」と確信しながら、和田に対して、バンジーを飛べなかったことと暴言を吐いたことを詫び、「長い間お疲れ様でした」と頭を下げた。すると、和田は大笑いしながら「お前めっちゃおもろいな! 今年いち笑ったわ! そのキャラええな!」と絶賛したとのこと。勝俣は「それからなんですよ。アッコさんに『てめぇ!』『しっかりやれよ!』『何やってんだよ!』と言えるようになったのは」と述べ、「誰かが考えたわけじゃなくて、本当に『死んでもいい』と思った弱い犬の遠吠えですよね。それをアッコさんが面白がってくれて、OKになって。その次の週から何でも言えるようになりましたね」と説明していた。
2020年11月20日「もう1年たっちゃうんですね。いまでも毎日寂しくて。散歩していても和田さんがそばにいるような気がして、ついつい『今日も気持ちいい天気ね』って言っちゃいます。和田さんにはお仏壇は似合わないの。だからリビングのよく日の当たるところに、篠山紀信さんが撮ってくれた写真と、谷川俊太郎さんが夫のことを書いてくださった直筆の詩を飾っているの。毎朝、おいしいお茶を入れて、写真の和田さんの口元に『お父さんどうぞ』と、持っていくのが日課です。今朝も『今日は女性自身の撮影に行ってくるわね』って報告してきたわ」料理愛好家・平野レミさんの夫でイラストレーターの和田誠さん(享年83)が逝去してから10月7日で1年となる。寡黙な人柄で知られた和田さんと、天真爛漫なキャラクターでおなじみのレミさん。性格もまるで違ったふたりの出会いは48年前。和田さんの“一目ぼれ”だった。「彼は、当時私がラジオで共演していた久米宏さんともお友達だったから『あの子を紹介してくれないか』って頼んだらしいのよ。でも久米さんは『あれは紹介できません。一生を棒に振りますよ』ですって(笑)。それでも和田さんは諦めずに別の人に頼んでくれて、テレビ局の近くでいっしょに食事をしたのが始まり。品があって懐が深そうで、1週間で結婚を決めちゃった」家庭に入り、そのまま主婦として穏やかな日々を送るつもりだった。しかし和田さんの友人たちの間でレミさんの料理が評判になる。そこからレミさんは雑誌やテレビで活躍し始めた。「みんなに『おいしい』って言ってもらえると、歌を歌ったときに拍手をもらったような嬉しい気持ちになるの。でも私を育ててくれたのは和田さんです。たとえば、ある日『餃子パーティをしよう』って言って、赤塚不二夫さんをはじめとした、和田さんのお友達がたくさん家にいらしたの。でも何百個も作るのは面倒くさいじゃない?それで餃子の具をこねてレンジでチンして、湯通しした皮を上に乗っけてお酢と醤油とラー油をかけて出したら、赤塚さんが『すごいね、こりゃ“怠慢”だ』って言うわけ。すると和田さんが『怠慢は怠慢でも、台湾の台に満州の満で“台満餃子”だ』って言ってくれた。いつも私が即興で作ったお料理に、愉快な名をつけてくれるのよ。ほかにも、ボイルしたキャベツの上に湯通しした豚肉を乗せた料理は『“豚眠菜園(とんみんさいえん)”だね』って。私が仕事で文章を書くときもさっと添削してくれたりしました」レミさんが「料理愛好家」という肩書も、和田さんの命名。「『レミは料理の学校に行っていたわけじゃないから“研究家”じゃなくて“愛好家”だね』って。私は料理愛好家で、夫愛好家。和田さんがいなければ、きっと“ふつうのおばさん”だった」精神的にも大きな支えだった。レミさんが仕事で忙しいことを察すると、職場から戻ってきてスニーカーも脱がないうちに「今日は外に食いに行くか」と、誘ってくれたという。「それで外食して『ああ、楽チンだったし、美味しかった!』って言うと、『レミのご飯がいちばんだよ』って。そんなこと言われたら、また頑張っちゃうわよね!今回のレシピを見てもらってもわかるとおり(※『女性自身』10月6日発売号では、夫婦思い出のレシピを掲載)、私の料理はどれも簡単なの。そのかわりレトルトは使わない。作り方はアレンジしても、祖父や母から受け継いできた味を息子やお嫁さんに伝えていくことは、和田家にとってとても大切なことだと思うんです。スキンシップならぬベロシップって呼んでいるんだけど。和田さんも、私と舌(ベロ)の感覚がいっしょだったみたい。一回も『まずい』だなんて言われなかった」和田家はこれからも「舌」でつながっていく。そして、夫婦の絆も永遠に。「和田さんがいなくなっちゃったことが、まるで昨日のことみたいで。亡くなる前に『私と結婚したこと、(判断は)合ってた?』って聞いたら、ニコリと笑って『合ってたよ』ですって。私も来世の結婚相手は絶対和田さんがいいの。私が死んだら、お骨は和田さんのお骨とミックスしてねって家族みんなにお願いしているぐらい。『愛してる』なんて一回も言われたことなかったけど、結婚生活の47年間、作ったものはなんでもおいしいって食べてくれた。それがすべてです」和田さんの「おいしい」の一言には“愛”が込められていたのだ。「女性自身」2020年10月20日号 掲載
2020年10月07日「悔しいなぁ。否定したいなぁ」2020年8月4日、大和田美帆さんが、亡くなった実の母であり俳優の岡江久美子さんに関する根も葉もないウワサに対して、苦しい胸の内を明かしました。同年4月23日に、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなった岡江久美子さん。突然の訃報は日本中を駆け巡り、早すぎる別れを惜しむ声が相次いで寄せられました。しかし、岡江さん亡き後、あるウワサが出回っているといいます。母はヘビースモーカーどころか、喫煙者じゃなかったのになぁ。。近くにいるおばさま二人が、「岡江さんはヘビースモーカーだったから仕方なかったねー」って話してた。そういえば4月もそんな情報が回ってたなぁ。悔しいなぁ。否定したいなぁ。 と思いつつ抑えて移動。UAを聴く。— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 岡江さんが亡くなった直後にも、喫煙歴を疑うウワサが出回っていたといいますが、娘の美帆さんは事実無根であるときっぱり否定。「真実は私が知っていればいい」とつづった美帆さんではあるものの、実の母に関するネガティブなウワサを耳にするのは、やはりつらいものがあるといいます。そんなん言い出したら、なぜか違う情報だらけなので全てを訂正するパワーは私たちにはないのです。笑ってしまうくらいです。知人って誰だ!!ってね。真実は私が知っていればいい。でも今日みたいに直接聞いちゃうと辛いなぁ。ということで思わずつぶやいちゃいました(^◇^;)— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 美帆さんの投稿に対し、「ひどい話」「無責任すぎる」と、残された遺族を気遣うコメントが多数寄せられています。・心中お察し致します。本当に酷い話ですね…。・誤った情報をSNSで流すことは、人の心に、深い傷を残しかねない。・正しいかどうかをチェックするのが難しいくらい、誰でも情報が発信できるから恐ろしい世の中です。故人のことを勝手な憶測で語ることも不快ですよね。周囲が根拠のないウワサを信じ、さらに、いいふらすような行為は故人を冒涜しているようなものであり、本来、あってはならないことです。ましてや、肉親を失って悲しみに暮れる遺族をさらに追い詰めるようなことは控えてほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月04日和田彩花が8月1日、Zepp Tokyoにて『2020 延期の延期の延期』を行った。uP!!!でも生配信されたこのライブは、和田がハロー!プロジェクト及びアンジュルムを卒業後、初のソロツアーとして予定されていたが、新型コロナウィルスの影響により初日の名古屋公演を除いて全て延期・中止となった『和田彩花ライブツアー前2021―この気持ちの先にあるものはなに?―』を踏まえたもの。3度の延期の末、コロナ禍の中で生まれた新しい視点を加え、和田彩花の現在進行形の表現として一から見直した内容となった。ポエトリーリーディングも交え全て自身の作詞による16曲を披露視聴チケット(当日):8月5日(水)9:00まで販売事後配信:8月5日(水)12:00まで■セットリストOP SE1.Une idole2.少しの寂しさとともにポエトリーリーディング3.空を遮る首都高速4.ホットラテ5.それでも愛を信じるのは6.スターチス7.121位8.オリーブをくわえた鳩が飛ぶ日には9.マリッジブルー10.無題11.For me and you12.あれは運命的な出来事13.この気持ちの行く先に14.あなたが選んだものあなたが選ぶもの15.#1516.エピローグ
2020年08月03日元アンジュルム・和田彩花のソロライブ「2020 延期の延期の延期」が8月1日、エンタメサイト・uP!!!にて、オンライン独占配信される。「2020 延期の延期の延期」は、和田にとってハロプロ卒業後初となるソロコンサート。当初、今年2月から3月にかけて初のソロツアー「和田彩花ライブツアー前 2021 ―この気持ちの先にあるものはなに?―」の開催が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響により、初日の名古屋公演を除いてすべて延期、中止となっていた。再延期を踏まえて開催される本公演。和田はコロナ禍の中で生まれた視点を加え、新たなステージ表現を目指す。配信は8月1日18時30分オープン、19時スタート。視聴チケット購入者を対象とした期間限定のアーカイブ配信を、8月2日12時から5日12時まで予定している。前売り視聴チケット(auスマートプレミアム会員1,500円/一般2,500円)は7月31日23時59分まで、当日視聴チケット(auスマートプレミアム会員2,500円/一般3,500円)は8月1日0時から5日9時まで購入可能(いずれも税込)。
2020年07月22日2020年6月10日、お笑いコンビ『アンジャッシュ』の渡部建さんが芸能活動の自粛を発表しました。俳優の佐々木希さんと2017年に結婚し、現在は夫婦で第1子を育てている渡部さん。週刊誌の報道によって複数の女性と不倫をしていたことが明らかになり、渡部さんは報道が事実であることを認めています。和田アキ子、『渡部の不倫に世間が驚いた理由』に苦言同月14日に放送されたバラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)でも、渡部さんの不倫騒動を取り上げました。番組では、渡部さんの不倫に世間が驚いた理由の1つとして、アメリカの映画情報サイトが行った『世界で最も美しい顔100人』に佐々木さんが6年連続でランクインした美貌の持ち主であると紹介。渡部さんの不倫が報じられた際、ネットでは実際に「あんなに美しい妻がいるのに」といった声が多数上がっていました。そんな中、真剣な表情で不服を申し立てたのはMCの和田アキ子さん。『渡部さんの不倫に世間が驚いた理由』に対して、このように意見を述べました。あたしさ、これちょっといわせていただきたいんですけど。あの、なんていうか(佐々木さんが)アメリカの映画情報サイトで6年連続世界『最も美しい顔に選ばれた6人』…。旦那は美しい奥様ってよくいうじゃない。で、「なんであんなに美しい奥様なのにそんなことするの」って、顔とか美しさは夫婦には関係ないんだよね。これがもしよ…あたしがいうとすごいやっかんでると思われるけど、そういうことじゃないですよ。和田アキ子を妻に持ってるとね、じゃあうちの旦那がもし何かやった時に「あー、和田アキ子!じゃあしょうがねえかな」っていわれるかなと思ったら、あたし、ものすごいむかつくよ。アッコにおまかせ!ーより引用夫婦の美醜で不倫を批判したり、逆に肯定したりすることはおかしいと、和田さんは苦言を呈しました。和田さんがいうように、この考えが当たり前とされる風潮になった場合、他人の不倫のよしあしを美醜で判定する人が出てくるでしょう。また、パートナーに不倫をされた人が「自分が醜いからいけないんだ」と自責の念に駆られてしまうかもしれません。番組放送後、和田さんの発言に対し多くの人から共感の声が上がりました。・アッコさんがド正論。顔の美醜は関係なく、不倫する人はするし、しない人はしない。・顔のことをいっている人たちは、相手がブスだったら不倫して当たり前なの?違うでしょ。・「かわいいのに」という言葉は、確かに「じゃあ、かわいくなかったらかわいそうではないのか?」と疑問に思う。多くの人が、ネットで散見された「美人のパートナーがいるのに不倫をするなんて」という言葉にわだかまりを持っていたようです。きっと、そういった言葉を発していた人たちに悪意はなかったのでしょう。和田さんの意見を聞いて考えさせられた人もいるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月14日タレント・志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなったことを受け、歌手の和田アキ子(69)が30日、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。和田は、「とにかく残念です。本当に回復を願ってました。回復すると信じていたので、、、」と突然の訃報に悲痛な思いをつづり、「志村(昔からそう呼んでいたので、あえてそのまま呼ばせてください)とは、志村がまだ全員集合の時にボーヤをやっていた頃からの付き合いです」と思い出をさかのぼった。「当時、志村はコーヒーを楽屋で売っていて、毎回それを買ってあげると物凄く喜んでくれました。それからの活躍はそれはそれはすごくて。音楽も詳しくて、お笑いの才能はズバ抜けていて、凄いなぁと尊敬していました。飲み屋で一緒になる事が多くて、何度かばったり会って飲みました。とにかく静か~に寡黙に飲むんですよ。『楽しいの? 私といるからつまらないの?』って聞いたら、『楽しいですよ。いつもこんな感じです』って、これまた小さい声で笑って答えていました」そして、「最後に会ったのは、正月の『格付けチェック』の番組です」と明かす和田。「『お互い歳だから、仕事に感謝して頑張って行こうな』って話していたんですよね、、また1人、才能あふれる人が亡くなってしまいました、、本当に残念でならないです」と悼み、「心からご冥福をお祈り申し上げます」と結んでいる。
2020年03月30日タレントの吉木りさが23日、オフィシャルブログを更新し、夫で俳優の和田正人への感謝の思いをつづった。吉木は、2017年11月22日の「いい夫婦の日」に和田と結婚。先月27日には、第1子となる女児を出産した。「いい夫婦の日」と題した記事は、「実はギリギリまですっかり忘れてたのですが、昨日は結婚記念日でした」の書き出しから、「さすがにまだ我が子が小さいので、普通に家で過ごそうね~と話していて」と昨日の出来事を振り返る内容。「じゃあご飯は俺が作る」と買い物に出掛けた和田は、12本のバラを手に帰宅したという。去年は赤で、今年はピンクだった。吉木は、「今年も12本のバラをサプライズでプレゼントしてくれました」「ダズンローズと言って、一本一本相手への様々な想いが込められた12本のバラ」と説明し、「もらった時は授乳中&ボッサボサの髪の毛&へたりきったパジャマだったからロマンチックのかけらもなかったけど」「本当に嬉しかった」と感激。さらに、「わたしがずーっと食べたかった…」「焼肉を盛り沢山用意してくれました」と食事でもサプライズが待っていた。「本当にありがとう」「仕事で忙しくても家事も育児もたくさん頑張ってくれて…本当に自慢の夫です」と感謝の思いを記す吉木。「夜間授乳だけは全く気づかずスヤスヤ眠ってますが笑」「なんとか眠れてるみたいで良かった」「夜中くらいはぐっすり眠ってね~と思いながらひっそり授乳してます」と明かしつつ、「これからも親子3人で頑張ろうね」「私のことは気にせずたまには息抜きしてね」と和田に向けてメッセージを送っている。
2019年11月23日イラストレーターの和田誠さんが7日に肺炎で亡くなったことを受け、女優・上野樹里が11日、インスタグラムを通じて義父である和田さんを追悼した。2016年5月に、和田さんの長男でロックバンド・TRICERATOPSのボーカル・和田唱と結婚した上野。インスタグラムで「誠さん」と優しく語りかけるような書き出しから、「私が間違えて言った映画のタイトルを、さっと直してくれたり、会う度に本をくれたり、その優しいお人柄と寛大さに、いつも感動していました。家族全員でお出かけしたり、ご飯を食べたり、いつも楽しくて、みんな明るくて、和田家に来てからずっと夢をみているようでした」と在りし日の姿を回顧。「誠さんとお別れする時も、みんなの愛が溢れていて、沢山のプレゼントと共に旅立って行かれました。とっても寂しくなりました」と別れを惜しみつつ、「でも誠さんと一緒に過ごした日々は温かく、思い出の一つ一つが宝物です。短い間だったけど、娘のように接してくれて本当に嬉しかったです。これからもみんなで誠さんのお話をしながら、レミさんとお料理して、みんなで元気に生きていきますね。樹里」と前向きな気持ちをつづっている。また、上野の夫・和田唱もツイッターを通じ、「親父が天国へ旅立った。最近は日々具合が悪くなっていったから、どこかで覚悟はしていたけれど、同時に奇跡が起きることも願っていた。でもそれは叶わなかった。今思えば、きっと、親父なりにベストなタイミングでの旅立ちだったんだろう。親父はキャンプとか釣りとかスポーツとは無縁で、その辺のことは一切教えてくれなかった。お陰で俺はインドア派だし、スポーツのルールも大体知らない。でも親父は映画を教えてくれた。ジャズを教えてくれた。ルールに縛られないこと、好きなものは好きでいいこと、自分がこうだと思ったら貫くことを教えてくれた。お陰で俺は幸せな人間だ。だから明るくサヨナラをしたい。それが和田家流だ。でも魂は死なないし、心にその人がいる限り、どのみちサヨナラなんてない。肉体的なしばしの別れに過ぎないから、『おとう、またな!』くらいにしておこう。でもThank YouとI Love Youは添えておくよ。 唱」と思いを記している。
2019年10月12日「『年金生活者支援給付金』とは、公的年金を受け取っている人で、年金を含めた所得が一定額以下の方の生活を支援するために、消費税が引き上げられる10月から年金に上乗せして支援金が支給される公的支援制度のことです」こう語るのは社会保険労務士の和田雅彦さん。10月から消費税が10%にアップすることで私たちの生活はますます厳しくなることが予想される。そんななか最も影響を受ける低所得者への支援という意味合いで「年金生活者支援給付金」(以下、支援給付金)が増税のタイミングで新設されるという。「給付対象者には今月中に請求書が送付される予定です。請求書に所定事項を記入し、返送することで国(日本年金機構)が審査をし、給付の決定を行います。給付対象者になると、10月以降に支給額が記載された通知書が届きます」つまり“自ら手続きをしないともらえるものももらえない”というのは、他の年金関連の申請手続きと同じということ。そこで支援給付金の仕組みと手続き方法について和田さんに解説してもらった。「まず対象となるのは65歳以上で年金が支給されている方。そして、前年の収入が年金と他の収入を合わせても老齢基礎年金の満額相当額(約78万円)以下であること。これから年金を受け取る人もこの要件に該当すれば支給されます」ただし所得が要件をギリギリ超えてしまって対象外となった場合、給付を受けた人より封入が少なくなる“逆転現象”が起こることも。「そのときは、年金と他の収入が約88万円までであれば、逆転が起こらないように、別の給付金『補足的老齢年金生活者支援給付金』が支給されることになります」また障害基礎年金、遺族基礎年金を受けている人で、給付金の受給要件を満たしている場合も支給の対象になる。厚生労働省の試算では、すべて合わせると対象者は約970万人になるという。となると、気になる支給額は?「老齢年金受給者に対する給付ですと、対象者は基本的に『月額5,000円×保険料納付済期間÷480』で計算された額が支給されます。保険料納付済期間とは、20歳から60歳までの40年間(480月)のうち、国民年金の保険料を支払った期間、会社員や公務員であった期間、あるいは会社員、公務員の被扶養配偶者であった期間です。また、保険料免除期間についても給付に反映されます」ちなみに“480月すべて支払った”場合には、月額5,000円、年間6万円が支給されることになる。「また対象は世帯ではなく個人ですので、夫婦どちらも支給対象となる場合は、それぞれに支給されることになります」対象者には9月中に請求書が送付されてくるが、どんな申請手続きが必要なのだろうか――。「請求書はハガキ形式となっており、基本的には、提出日、氏名、電話番号を所定の位置に書き込むだけです。難しくないので、書類が届いたら早く申請しましょう」支給の要件を満たす限り、一度手続きを行えば、以後の手続きは不要だが、いったん支給の要件を満たさなくなった場合は、再開には改めて請求手続きが必要になる。「認定されると10月分と11月分の給付金は、12月中旬に振り込まれます。以降、振り込みは年金と同じ口座に偶数月に行われます。ただし、ハガキ請求の到着が10月18日以降になると、振り込みも来年2月以降になってしまいます。さらに、今年中に請求すると、制度のスタートである10月分から振り込まれますが、請求が来年にずれ込むと、請求した月の翌月分からしか受け取れないので注意が必要です」「申請用紙が届かない」「自分が対象範囲内なのかわからない」という場合は速やかに近くの年金事務所に相談することと和田さん。「とにかく、認定請求をしないことには給付は受けられません。また、申請が遅れると損をしてしまいます。自分の身は自分で守るためにも、早急の申請を心がけてください」
2019年09月18日数カ月の間に母・朝丘雪路さん(享年82)、父・津川雅彦さん(享年78)を相次いで失った一人娘で女優の真由子(44)。だが悲しみと亡き父の教えを胸に、新たな挑戦に臨むという――。「私が今あえて歌手活動を始めるきっかけになったのは、母と父が相次いで亡くなったことです。母が歌っていたなかには『雨がやんだら』『お別れしましょう』といったヒット曲のほかにも、まだまだ素敵なオリジナル曲がたくさんあるんです。母は亡くなる直前まで自宅で歌い続けていました。母が愛した歌を、皆さんにお伝えしたいと思ったのです。また父も音楽好きで、『いい作品は後世に伝えていきたい』という考えの持ち主でした。その2人の思いを私のなかでミックスし、私なりの歌い方で表現していきたいと……。それが父と母が生きた証しを残すことになると考えています」今年2月、「東京エキゾチカ」の専属歌手として歌手活動を宣言した女優・真由子。母は歌手や女優として活動した朝丘雪路さん。そして父は俳優・津川雅彦さん。朝丘さんが逝去してから今年4月で1年になる。一周忌を前に両親の思い出を語ってくれた。昨年4月27日、眠るように旅立った朝丘さん。思いもよらなかった「母の愛」にふれたのは、その直後のことだった。「母の部屋の整理をしていたら、『ママの宝物』と書かれた箱が出てきました。その中に、毎年母の日に渡していたメッセージカードや、私の描いた絵とか、高校生ぐらいまでのテストの答案用紙などが詰まっていて……。全然いい点数ではない答案用紙までとってあったんですよ。まさか娘のものを保管しておくような人ではないと思っていたので、父と2人で本当に驚きました。やっぱり、お母さんだったんだなと……。何十年ぶんもの母の愛が一気に押し寄せてくるようで、号泣してしまいました。そんな母の愛情にふれたこともあり、私のなかに後悔の念が湧き上がってきました。母は自分の結婚式に着た祖父(日本画家の伊東深水)がデザインした打掛けを私の花嫁衣装にすることを夢見ていました。その願いはかなえてあげられなかったのです。私は交際していた男性を、いつも父や母に紹介していましたが、いつも父から痛烈なNGを出されてきました。『さっきお前は、こんなことを言ったけど、世間じゃそれは許されないぞ!』とか、本人に言うのです。シュンとなってしまう人もいるなかで、私の夫になった男性(俳優の加藤裕介・45)は根が明るく、打たれ強い性格なので、全然メゲませんでした。私にとっては“父がいちばん”なので、結婚には父の許しが必要だと思っていました。彼もそれは理解してくれていて、何回も挑戦し、そのたびに父にNGを出されてしまいます。たとえばこんな“ひっかけ問題”もありましたね。『そもそも、お前は真由子と結婚したいんだろ。俺の許可が必要なのか?』との父の問いに、『(黙考)……いえっ、私は真由子さんを愛しているのであって、お父さんの許可は必要ありません』と答えると、『じゃ、なぜここに来た』って」生前の朝丘さんは彼を気に入ってくれていて、『あんなにケチョンケチョンに言われても諦めないんだから、すごいわよね』と、妙に感心していたそう。「そんなこんなで交際も10年以上たっていたのですが、母の他界後、私の気持ちも察してくれたのか、彼が「こんなときだけど、お父さんにもう一度チャレンジしてみたい」と、言ってくれたのです。しかし父に会ってみると、やっぱりお説教が何時間も続いて……。最後の最後でした。父の『付き合いも長いし、もう真由子はいい年だ。それでも娘と結婚したいのか』との問いに、彼が『真由子さんは、私にとって死ぬまで一緒にいたいと思える人なんです』と答えると父が彼に手を差し出して、『娘をよろしく』と――」四十九日が過ぎた朝丘さんの誕生月の7月に入籍。喪が明けたら、結婚式を挙げる予定だった。「父も『俺の残りの楽しみは、お前とバージンロードを歩くことだな』と話していたんです。それなのに……。父は昔から体調管理にも気を使っていて、少しでも体調が悪いと感じると、さっと病院に入るような人でした。昨年の土用の丑の日も、父の大好物のウナギを持っていこうと、連絡をしたら入院中でした。私も風邪気味でしたので、ウナギは看護師さんに預けて帰ると、「おいしかったよ。もう少しで退院するから、飯食いに行こうな」と、連絡があったのです。それが最後に交わした言葉です。翌日、容体が急変して、そのまま……。母のときと異なり、心の準備もしていなかったので絶句しました。昨年8月4日に津川さんも逝去。悲しみにくれていた真由子に立ち上がる力をくれたのは、両親の教えだった。「父は生前よく言っていました。『起こったことは全て正しい!』と――。そんな父の言葉を思い出したのです。2人との別れを無駄にしてしまうのも、意味のあるものにするのも私次第なんだって。歌手として女優として、私の中に流れる両親の血を、まぶしいぐらい輝かせることができれば、別れも意味のあるものにできるし、親孝行にもつながる……。いまはそう、信じています」
2019年03月15日数カ月の間に母・朝丘雪路さん(享年82)、父・津川雅彦さん(享年78)を相次いで失った一人娘で女優の真由子(44)。だが悲しみを胸に、新たな挑戦に臨むという――。「私が今あえて歌手活動を始めるきっかけになったのは、母と父が相次いで亡くなったことです。母が歌っていたなかには『雨がやんだら』『お別れしましょう』といったヒット曲のほかにも、まだまだ素敵なオリジナル曲がたくさんあるんです。母は亡くなる直前まで自宅で歌い続けていました。母が愛した歌を、皆さんにお伝えしたいと思ったのです。また父も音楽好きで、『いい作品は後世に伝えていきたい』という考えの持ち主でした。その2人の思いを私のなかでミックスし、私なりの歌い方で表現していきたいと……。それが父と母が生きた証しを残すことになると考えています」今年2月、「東京エキゾチカ」の専属歌手として歌手活動を宣言した女優・真由子。母は歌手や女優として活動した朝丘雪路さん。そして父は俳優・津川雅彦さん。朝丘さんが逝去してから今年4月で1年になる。一周忌を前に両親の思い出を語ってくれた。「母との思い出の曲ですか?幼いときに子守歌に歌ってくれた『ララバイ・オブ・ブロードウェイ』という曲です。母はサビの部分にくるとすごい声量で歌うので、眠るどころか逆に目が覚めていましたね(笑)。この曲は音域がすごく広く、とても難しいので、6月8日のファーストコンサートに間に合うかどうか。あらためて歌手としての母の偉大さを痛感しました。私は歌手や女優としての母をとても尊敬しているんです。でも母親としては……、インタビューではいつも『母親としては失格でした』と、お答えしています(笑)。母と私は“親子”ではなく“姉妹”という感じでした。好きな食べ物が出されても、母が先に『あ、雪江(※雪路さんの本名)これ好き!』と取ってしまったら、我慢するしかない(笑)。また母は舞台が多く、家を空けることもしょっちゅうでした。だから子どものころは、お母さんって家に通ってくる存在だと思っていたのです。母を玄関で見送るときは『また遊びに来てね』と、手を振っていたそうです(笑)」いつでも仕事第一だった朝丘さん。だが20年前、女優への道を開いてくれた存在でもあった。「成人してから、父が経営していた玩具会社で働いていましたが、あるとき母が『ママが座長を務める舞台があるから、あなた、いっぺん出てみない?』と言うのです。『全然やる気ないから』と断ったら、『食わず嫌いはダメよ!一度も経験せずに、俳優という職業を嫌うのはよくないと思うわ』と、言われてしまって。それで25歳のときに舞台に出たのですが、私の演技に対して、お客さまの反応がダイレクトに伝わってくるのが、すごく気持ちよくて。母はこんなに素敵な仕事をしていたんだと感動し、女優業を続けることになりました。もし初仕事が映画やテレビだったらどうだったでしょうか。いま振り返れば、母の策略だったのかもしれません(笑)」育児に関しては、朝丘さんと津川さんは対照的だったという。生後5カ月のとき真由子が誘拐されるという大事件が起こった。無事保護された彼女を抱きながら津川さんは「世界一の父親になる」と誓ったのだ。真由子自身も「私は究極のパパっ子です」と胸を張る。「母は『わが道を行く』人でしたから、私を育ててくれたのは父でした。学校行事に参加してくれたり、自宅に友達を呼んで飾りつけをして、誕生日やクリスマスパーティを開いてくれたりしたのも、全部父でした。私、初めてのブラジャーを一緒に買いに行ったのも父なんです(笑)。というのも、それより少し前に胸が成長してきたとき、母に相談したことがあったのです。左右の大きさが少し違うという成長過程ではよくあることだそうですが、母は『あなた、それは小児乳がんよ!』と、あわてて私を病院に連れていっちゃった。『困ったお母さんだねえ』と、病院の先生にも苦笑いされました。そのときから「お母さんに大事なことを相談するのはやめよう」と固く心に誓ったんです(笑)」
2019年03月14日●モノマネ誕生秘話「ひどいなと思いながらも…」2018年に歌手・和田アキ子のモノマネで大ブレイクしたお笑い芸人・Mr.シャチホコ。和田の"歌モノマネ"ではなく、「何をされてる方なの?」などといったフレーズが印象的な"しゃべりモノマネ"で、数多くの番組に出演した。そんなシャチホコの、ブレイクに至るまでの経緯や和田本人との交流、そして2018年に印象的だった仕事などについて明かした。○■YouTube投稿がきっかけだった初テレビ出演――経歴を拝見しましたら、日本体育大学を卒業されているんですね。中高はバレーボールや水泳、テニス、柔道など色々とやっていました。体育教師を目指していたので、日体大に進学し、大学ではボクシング部に入りましたね。――それでは、大学入学までは芸人さんになりたいと思ってなかったのですね。まったく考えてなかったです。大学のボクシング部を途中で辞めて、バレーボールのサークルに入ったんですが、部活と比べると味気ないなと思って、YouTubeへの投稿を始めました(笑)。1本目にアップしたのが、Mr.Childrenと桑田(佳祐)さんの「奇跡の地球」を1人2役でモノマネして歌う動画だったんですが、それがきっかけで日本テレビの特番に呼ばれました。モノマネをやっている素人を集め、『ニコ生』のユーザーが似ているかどうか審査するという内容だったんですが、本気でモノマネ芸人をやりたいと思ったのはその番組がきっかけでしたね。――その番組に出演された後、プロとして活動されるまでどのような経緯があったのですか。大学4年生になった頃に、(ものまねショーパブの)『そっくり館キサラ』のオーディションを受けたんですが、落ちてしまいました。どうやったらプロになれるのかと考えた結果、音響のアルバイトを始めたんです。モノマネ芸人さんが営業でネタをするときに、照明やマイクの手助けしながら、ネタを見て勉強していました。その後、大学卒業してすぐに、『キサラ』のオーディションに合格して、ミスチルの歌モノマネをずっとしていました。「Mr.シャチホコ」の"Mr."はMr.Childrenからですし、"シャチホコ"は「Tomorrow never knows」の仮タイトルである「金のシャチホコ」からとっています。――そうなんですね。プロになってからの初テレビ出演はいつだったんですか。1年後の2016年春、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』(フジテレビ系)ですね。当時は今より20kgくらい痩せていたので、ミスチルの桜井(和寿)さんに見た目もかなり寄せて出演したんです。今は嫁のみはるの料理が美味しいこともあり、幸せ太りの限度を超えてしまっています(笑)。○■"しゃべりモノマネ"誕生の影にあった想い――Mr.Childrenのモノマネが中心だったわけですが、現在の代名詞ともいえる和田アキ子さんのモノマネをやり始めたのは何がきっかけだったんですか。みはるとは昨年に結婚しましたが、それ以前もずっと婚約状態が続いていました。桜井さんのモノマネでモノマネ番組には呼んでもらっていましたが、歌モノマネだったので、バラエティ番組には呼ばれるわけではなく…。そういった状況で、「俺はこのままだったら収入も少ないし、この先、みはるを支えていけるのかな」と。そこで「売れたい」という気持ちがさらに強くなり、しゃべりのモノマネを極めて、その人でずっとトークができる状況を作りたいと思ったんです。だから、根底には誰かのしゃべりモノマネをやりたいという理想があって、「アッコさんのモノマネをしよう」という決め打ちではなかったんですよ。2017年の年末にSNSで「結婚します」という発表をしたこともあって、2018年は自分の中で新しいMr.シャチホコの年にしたいと思いました。――実際に2018年に大ブレイクされたのですから、その言葉通りになりましたね。2018年は殻を破りたいという思いが強かったです。そんな折に『アッコにおまかせ!』(TBS系)を見ていたら、確かガンバレルーヤさんがゲスト出演したときに「ちょっとごめんなさいね、君らってさ、そもそも何をされてる方なの?」とアッコさんがおっしゃって、ネタをやらせた後に「あーはいはい。それは見たことあるから分かってんねんけど」と(笑)。そのときにひどいなと思いながらも、これを取り上げてモノマネしたら面白いんじゃないかなと思いました。――では和田さんのモノマネはたまたま生まれたんですね。そうですね。そして、まちゃまちゃさんのお店によく飲みに行くんですが、まちゃまちゃさんがアッコさんにすごく詳しくて、昔のCDを貸していただいたり、「番組でこういうことを言ってたよ」と教えていただきました。――そこから本格的に和田さんのモノマネをスタートされたんですね。まずは『キサラ』などで試したんですが、実は最初は反応があまり良くなかったんです。そんなウケないので、「やっぱり違うのかな」と思っていたところ、ステージに一緒になった芸人の皆さんが「普段のアッコさんのモノマネをする面白いヤツがいる」とすごく広めてくれて。そういう口コミのおかげもあり、『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)に出させていただき、そこから『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)に出させていただきました。『ウチガヤ』で披露したところ、共演した芸人さんにめちゃくちゃウケましたね。――芸人さんは一般の方よりも和田さんに関する前提知識があるので、より面白さが伝わったんでしょうね。そうだと思います。あとはスタッフさんも面白がってくれましたね。アッコさんの芸能界における繋がりのすごさが今の自分を作り上げてくれたと言いますか、周りの芸人さんが面白がってくれたのが、自分にとっては1番大きいです。○■和田アキ子との初共演はドッキリ「泣いちゃいました」――その後、多くの番組に出演されることになりますが、印象に残っている番組はありますか。やはり9月に『林先生が驚く初耳学!』(TBS系)でアッコさんと共演したことですね。収録後にはアッコさんが僕との2ショット写真をインスタにあげてくれて、周りも「公認になったんだ」と。それ以降は、ありがたいことに出演オファーがさらに増えました。――『初耳学!』では、シャチホコさんは「和田さんがモノマネを認めずに怒っている」というドッキリを掛けられていましたね(笑)。いや~、怖かったですよ、あれは(笑)。まさか初対面でドッキリだとは思いませんでしたし。アッコさんが振り切って、「お前、テレビ出さへんからな!」と言ってくだされば、おかしいなと気づいたかもしれませんが、僕があまりに怯えすぎてしまって。アッコさんは本当はすごく優しい方なので、そんな僕の表情を見て、怒りながらも「でも優しそうな顔してるよね」などとちょくちょく挟んできたんですよ(笑)。――(笑)。和田さんも心の葛藤があったんでしょうね(笑)。ネタばらしの後、アッコさんからは「せやから私、やりたくないって言うたんや。ホンマごめんな」と言っていただきましたが、怖すぎて泣いちゃいました。●和田アキ子からのプレゼント――そんな和田さんから言われてうれしかった言葉はありますか。22日に放送される『ウチガヤ』の収録の際に、攻めたネタをやったんです。収録後に「わたし、あんなこと言う?」とおっしゃったので、「ヤバい、怒られる」と思って謝ったところ、「いやいや、めっちゃおもろいわ」と褒められて、ホッとしましたし、うれしかったですね。最初の頃はアッコさんに「シャチホコ、ちょっと惜しいのはイントネーションがね、違うんですよ。ずっと聴いてたら、私は大阪にいましたから、分かるんですよね」と言われていましたから(笑)。――モノマネも快く認められていますし、和田さんはやはり器が大きいんですね。「モノマネをやっていいよ」と認めてもらえているのが、自分にとってすごく後押しになっていますし、本当にありがたいです。10月の『WADA fes』(和田フェス)で館内放送を担当させていただいたのですが、そのときに靴をいただきました。「サイズ合わへんかったやろ。無理して履かんでいいからね。ちっちゃいと思うから」とおっしゃっていたんですが、ピッタリでした。ただ、そのオーダーメイドの靴には26.5cmと書かれていたのですが、僕の足のサイズは27cm。アッコさんは女性ですので、もしかしたらサイズを小さく書いていたのではと思ってます(笑)。――とはいえ、足のサイズがピッタリというのも何かのご縁ですよね。アッコさんも照れ隠しで「別に私、あげようと思って用意したとかじゃなくて、見てみたら私が履かへんタイプの靴やったから。あんた、靴ださかったからさ、ちょっとあげるわ」とおっしゃって。本当に大事に履かせていただいています。○■手ごたえがあった『サンジャポ』『脱力タイムズ』――その他に、2018年のお仕事で手ごたえがあったものはありますか。いくつかありますが、まず1つは『サンデー・ジャポン』(TBS系)が大きいですね。アッコさんに自分の存在を知ってもらったきっかけとなった番組です。アッコさんいわく、普段テレビを見られないそうですが、『サンジャポ』は『おまかせ!』前ということもあり、楽屋で絶対にご覧になっていて。『サンジャポ』のスタッフさんは、アッコさんをよく知る方が多かったので、ワードの引き出しもそこで増えました。――ワードの引き出しというと、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)でのよゐこ・濱口(優)さんとの掛け合いも印象的でした。「ずっとしゃべることもできるんだ」と他の芸人さん方からの評価も上がったので、この回も自分の中では印象に残っていますね。濱口さんも途中で「いつまでやってるんだよ」ということもなく、ずっと最後までアッコさんとして接してくださって、ありがたかったです。――シャチホコさんを見ていて感じることですが、その場のアドリブにもかかわらず、和田さんが言いそうなことでずっと会話を続けられるのがすごいですよね。題材がアッコさんじゃなかったら、アドリブであそこまでしゃべれないと思います。毎日研究していく中で、アッコさんの要素が自分の中に潜在的に入っていて、自然と出ているような感じです。○■先輩芸人とのやり取りは「いまだに緊張」――そういったやり取りの中では、シャチホコさんは"和田アキ子"として接するため、先輩にもひどいことを言う場面もありますよね(笑)。その点についてはいかがですか。やはり不安やドキドキはあります。でも僕がものすごく若いということもあってか、先輩方にはすごく可愛がっていただいていますし、面白がってくれていますね。――確かにシャチホコさんはまだ25歳ですので、共演するほとんどの芸人さんは年上ですよね。いまだに緊張はしますが、大前提として「振り切ってやらないと面白くならない」という覚悟があります。初めてお会いする方に対しては、嫌な気持ちになるんじゃないか、「アッコさんになりきって調子に乗ってる」って思われたらどうしようと頭をよぎることもあります。でも自分が折れてしまったら、芸人さん方にも救ってもらえないだろうし、実力ある方だらけなので、せめて振り切ってやっちゃおうと。そこで変な空気になってしまっても、本当に皆さんに救っていただいています。○■妻・みはるとの"掛け合い"で「応用力がついた」――プライベートでは昨年、みはるさんと結婚されました。みはるさんはモノマネ芸人の大先輩でもありますが、やはり助けられている点はありますか。それこそアッコさんのしゃべりモノマネも、最初はどういう風にやっていくかのイメージもわかず、自分1人でしゃべって完結させるという"自己完結型"の枠しかありませんでした。誰かとの掛け合いでの面白さというのは、家で僕とみはるがモノマネの掛け合いをするなかで応用力がつき、身についたものです。――それでは、自宅での掛け合いが練習となり、テレビ等の実践の場で活かされたんですね。そうですね。みはるはこれまでに何度もテレビにも出ていたこともあり、教えてもらって助けられた部分はかなり大きいです。――それでは最後に、2019年の抱負をお聞かせください。まずは、アッコさんのモノマネをさらに掘り下げて追求したいと思います。それに加えて、アッコさん以外で、新しい形でのモノマネの出し方、「これとこれを組み合わせたら、こういう出し方ができるんだ」という実験を重ねていきたいですね。アッコさんのしゃべりモノマネのように、王道のネタの中でも新しい着眼点で出していくことをMr.シャチホコのカラーにしたいです。■『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系 毎週火曜23:59~)22日の放送では、「芸能生活51年! 和田アキ子のTV初体験SP!」と題して、和田アキ子のテレビ初体験をガヤ芸人が奪う。「アッコとシャチホコが入れ替わり!和田アキ子ひな壇初体験でまさかのモノマネ披露!」「ガヤ恒例ビリビリマシンvs和田アキ子人生初体験」など。
2019年01月21日8月に亡くなった津川雅彦さん(享年78)と4月に亡くなった朝丘雪路さん(享年82)の合同お別れ会が11月21日、東京・青山葬儀所で営まれた。お別れ会には林遣都(27)が参列し、津川さんとの思い出を語ったという。14年のドラマ「銀二貫」(NHK総合)で津川さんと共演した林。各紙によると津川さんから「遣都は必ずいい役者になる。もっと勉強して頑張りなさい」と激励されたことを明かし、「恥ずかしくないよう、一生俳優をやっていこうと思っています。津川さんのような役者を目指していきたいです」と決意を語ったという。Twitterでは林の真摯な姿勢に「心を打たれた」といった声が上がっている。《人が亡くなるのは寂しいけれど、気持ちを受け継ぐ人がいればお終いではありません。遣都くんもいつか後輩を育てるような名優になり、生きた証が続きますよう》《遣都くんを見てると、本当に人との出会いが自分を成長させてくれるんだなとしみじみと思う》《ぜひ津川さんに言われた「いい役者」になってください、貴方なら絶対なれます》「銀二貫」は林が初めて時代劇に挑戦した作品。“名優・津川雅彦”と共演したことは、林の俳優人生におけるターニングポイントだった。「初の時代劇作品ということで林さんは懸命に取り組んでいましたが、撮影時に津川さんから演技を褒められることはありませんでした。その悔しさから、林さんはさらに撮影に没頭したそうです。しかし『褒めない』というのは、実は津川さんの作戦。そうすることで彼をやる気にさせたかったそうです。実際、そのお陰で林さんも役者として成長。今では感謝の気持ちでいっぱいだと言っていました」(ドラマ制作関係者)さらに林は当時、津川さんから「俳優論」を学んだという。「津川さんの演技を間近で見て、林さんは圧倒されたといいます。その貫禄から『俳優とは一瞬で人を魅了する仕事なんだ』と気づき、『津川さんのような役者になりたい!』と決意。そして役者仕事にのめり込んでいったそうです。そんな津川さんを亡くした林さんの悲しみは、計り知れません……」(前出・ドラマ制作関係者)林の成長する姿を、天国の津川さんは見守っていくことだろうーー。
2018年11月22日記念すべき40回目の出場となるはずだった16年、NHK紅白歌合戦に落選した和田アキ子(68)。落選が決まったとき、和田は書面で「40回目という節目でもありましたので、正直悔しい気持ちもあります」とコメントを発表するなど、無念の気持ちをにじませていた。翌17年も和田の出場はなく、「私は急に切られた」と“恨み節”だったが――。「39回も出場したアキ子さんは紅白の歴史を作ってきた功労者。過去10年で番組前半・後半の平均視聴率を下回る回数の多かった出場歌手は他にもたくさんいます。“世代交代”と言われてしまえば仕方ないのかもしれませんが、ここ数年は紅白から大物歌手たちが次々と消えています。少し悲しい気もしますし、高齢の視聴者が離れていかないのかと心配です」(音楽関係者)しかし、ここにきて和田の“2年ぶり紅白復帰”を望む声が上がっているという。「和田さんは68年に『星空の孤独』でレコードデビュー。今年がデビュー50周年のメモリアルイヤーです。10月に日本武道館で開催された『WADA FES』には鈴木雅之さん(62)や倖田來未さん(35)、AKB48ら豪華ゲストが多数出演して大盛況でした。制作スタッフの内部でも『さすがに50周年なんだからオファーを出すべき』との声があがっています。事務所の後輩である綾瀬はるかさん(33)が紅組司会の候補に挙がっていると報じられましたが、もし決まれば和田さんへの出場オファーの可能性も高まるのではないでしょうか」(NHK関係者)98年の紅白で大トリを務めた「今あなたにうたいたい」を、今年こそ大晦日に聴けるかもしれない――。
2018年11月03日和田アキ子が、本日10月18日、日本武道館にて音楽フェス『WADA fes~断れなかった仲間達~』を開催する。同フェスは、昨日と本日の計2日間開催。和田アキ子はデビュー50周年イヤーに突入し、昨年10月にはベスト盤を発売、全国ツアーも行った。さらに今年1月にはカバーアルバムも発表するなど、精力的な音楽活動が続いている。50周年を締めくくる企画として自ら主催するのが『WADA fes』だ。和田は開催にあわせ「和田アキ子らしいお祭りができないかなと思って、マネージャーと話し合い、このフェスを企画しました。沢山の大好きなアーティストに出演して頂ける事、本当に感謝しています。ジャンルを超えたまるで異種格闘技戦のようなお祭りになるんじゃないかとワクワクしています」と意気込みを語っている。“断れなかった仲間たち”こと共演者もバラエティに富み、長い歌手/芸能活動のキャリアを持つ和田アキ子ならではの“お祭り”を見せてくれそうだ。昨日の1日目はMCを出川哲朗が務め、加山雄三、鈴木雅之、氷川きよし、倖田來未、ピコ太郎らが出演し、会場を盛り上げた。そして本日MCを担当するのは、さまぁ〜ずのふたり。出演者は、ToshI(X JAPAN)、GACKT、DA PUMP、氣志團、AKB48(AKO選抜)武田真治、竹内涼真らが揃う。なかなか音楽フェスには出演しないアーティストから、アイドル、若手俳優と幅広いラインナップが揃い、貴重なステージを見ることができそうだ。なお、和田アキ子は先月にはトリビュートアルバム『アッコがおまかせ ~和田アキ子50周年記念トリビュート・アルバム~』を発売。MISIA、MAN WITH A MISSION、竹原ピストル、Toshl(X JAPAN)、横山健、氣志團など、世代もジャンルも多岐にわたるアーティストが和田アキ子の往年の名曲をカバーし話題になった。誰もが一目置くレジェンドでありながら、『WADA fes』のように他アーティストとの交流も活発な和田アキ子。今後の活動からも目が離せない。公演情報『AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY『WADA fes.』~断れなかった仲間達~』日本武道館10月18日(木)出演:和田アキ子 / Toshl(X JAPAN) / DA PUMP / 氣志團 / AKB48 (AKO選抜) / BOYS AND MEN / 祭nine. / BOYS AND MEN 研究生 / MACO / 武田真治 / 岡本知高 / Shiho / 竹内涼真 / and more MC:さまぁ~ず
2018年10月18日歌手の和田アキ子が17日、東京・九段下の日本武道館でライブイベント「AKIKO WADA 50th ANNIVERSARY WADA FES 断れなかった仲間達」のリハーサルに登場した。1968年10月25日に1stシングル「星空の孤独」でデビューを果たしてから、今年でデビュー50周年を迎える和田アキ子。アニバーサリーツアーも残るところ18日の公演のみで、その前日となるこの日は加山雄三や鈴木雅之ら多くのアーティストなどがゲスト出演し、和田の歌手活動50周年を盛大に祝う。公演前には報道陣の取材に応じた和田は、リハーサルで熱唱していた出川哲朗の姿を見て「何とも言えない闘志が湧いてきました。歌っていう部分では相手にしてないですが、すごく良かったですよ。私も頑張らないといけないなと思いましたね」と闘争心に火がついた様子。ツアーのサブタイトルにもなっている『断れなかった仲間達』にちなみ、「断った人は?」という質問に「基本的には断れないでしょ」と笑わせつつ、「スケジュール的にどうしてもダメという人はいました。石井竜也くんはどうしてもダメだったんですけど、差し入れだけ持ってきてくれました」と感謝しきりで、「みんなが50周年で『アッコさん』のためならと集まってくれたのですごくうれしいですね」と感謝の言葉を口にした。50年というキャリアを振り返って「本当に皆さんのお陰だと思っています。(所属事務所の)ホリプロは給料制で迷ったんですけど、結果ここまで来れて良かったですよ。感謝の気持ちがあると人って大きくなれると思いました」としみじみ。今年の10月25日で歌手活動51年目を迎えることになり、「明日終われば50周年は打ち上げ。長ければ良いという訳ではないですが、声さえ出ればいつまでも歌いたいので続けたいと思います」とさらなる活躍に意欲を見せた。また、芸能界のご意見番ということで、離婚裁判にまで発展した川崎麻世とカイヤについても言及。「端的に言わせてもらうと、どっちもどっち。何でこんなに大騒ぎするのか。もうほっときゃいいんですよ」と呆れ顔だったが、「お子さんも成長しているんだから、今は揉めないで夫婦の話し合う機会を持って欲しいですよね。大人なんだから2人で解決して欲しいです」と人生の先輩としてのアドバイスも送っていた。なお、同ライブの模様は、12月にWOWOWで放送を予定している。
2018年10月17日私が津川雅彦さんの訃報に接したのは、ジャカルタ滞在中のことでした。パーティに出席するための身づくろいをしていたとき、手伝ってくれたヘアメイクの女性が教えてくれたのです。私はとっさに思いました。“ああ、雪路さんがお迎えに来たんだわ”と……。振り返ってみれば、私とご夫妻とは不思議なご縁で結ばれていました。朝丘雪路さんとは半世紀以上も親友としてお付き合いをしていました。そして津川さんとお付き合いしたのは2カ月という短い期間でしたが、結婚についても考えたことがありました。“恋多き女”とも呼ばれていた私ですが、津川さんは私が本気で好きになった、ただ1人の日本人男性だったのです……。8月4日、俳優・津川雅彦さんが東京都内の病院で逝去した。享年78。朝丘雪路さん(享年84)の逝去からわずか3カ月、まるで愛妻を追うような旅立ちだった。津川さんとお会いしたのは50年も昔のことなのに、まるで昨日のことのように覚えています。’69年5月に故・田宮二郎さんと故・岡田眞澄さんが、私を励ますパーティを六本木で開いてくださったのです。津川さんは、そのパーティの出席者の1人でした。津川さんとあいさつを交わし、少しお話ししただけで、私の胸は高鳴りました。私たちはお互いに強く心ひかれ、恋に落ちたのでした。デヴィ夫人は’62年にインドネシアのスカルノ大統領と結婚し、大統領夫人となった。だが’65年に起きた政変のため、スカルノ大統領が失脚。大統領の子を宿した夫人は、「安全な日本で、私たちの子を産んでほしい」という強い大統領の勧めで、日本に帰国していた。長女・カリナを産んで2年ほどたったころです。夫の愛人問題を、日本の週刊誌が報じました。それまでも彼の女性関係については、噂としては聞いていたのですが、愛人の顔写真を目にしたことで、激しいショックを受け、傷ついたのです。激励パーティでお会いした津川さんも私に優しい言葉をかけてくれました。「世間はいろいろ面白がって言うものです。そんなことを気にしてはいけません」宴も終わりが近づいたころ、私たちは会場の中央の席に2人で座っていました。彼は、その夜に私が着ていた振袖の袖に隠して、私の手を強く握りしめていたのです。当時、私も津川さんも29歳。津川さんは若くてハンサムな映画俳優というだけではなく、日本や世界の社会問題にも関心が高く、弱い立場の女性を全力で守ろうとする、本物の“日本男児”でした。私の目に凛々しく映りました。それから約1カ月、2人はそれぞれの境遇を忘れ、世を忍ぶ愛を続けた。東京プリンスホテルの同じ階に部屋をとり、六本木や横浜のバーへと出かける日々。だが、世界が注目する大統領夫人と大人気俳優の姿はあまりにも目立ちすぎた。6月には多数の週刊誌により、“世紀の恋”“許されざる不倫の愛”と大々的に報じられることになったのだ。彼は結婚も望んでくれました。でも当時は大統領もまだご存命でした(※翌’70年に逝去)。体力も衰え、病気がちな大統領と離婚することはできないと私も考えていたのです。悩んだ私は、カリナを抱いてヨーロッパに旅立ちました。2人が出会ってから旅立つまでの1カ月は、私と津川さんにとって文字通り“蜜月”だったと思います。それから2カ月後の8月、津川さんは彼女を追って、ヨーロッパへ向かった。そして2人はスイスで再会を果たしたのだが……。津川さんが日本で見た私は、世間からバッシングを受け、夫の愛人発覚にも傷ついた女でした。だから“自分が支えなければ”と、思ってくれたのでしょう。しかしスイスで再会したのは、“自信と誇りに満ちた大統領夫人、デヴィ・スカルノ”だったのです。“あなたの人生に、自分は必要ない”、そんな意味のことを言って、彼は身を引いていきました。日本とスイスを合わせても2カ月にも満たない短い期間でした。でも私は、偉大な大統領を忘れかけるほど彼に夢中でしたから、お別れはつらかったのです。津川さんが、朝丘雪路さんと結婚したのは4年後の’73年。実はデヴィ夫人は、津川さんと出会う前から朝丘さんとの深い交流があった。知日派の大統領は、雪路さんのお父さんで日本画家の伊藤深水さんの美人画をコレクションしていました。’64年には、大統領は深水さんをジャカルタに招聘し、私の肖像画を依頼したのです。そうしたご縁もあって、私が日本に帰国した後、家族ぐるみのおつき合いをさせていただきました。雪路さんは、私がカリナを産んだときに、ニットのおくるみを編んでプレゼントしてくれたのでした。日舞の深水流創家家元となられた後は、私も弟子入りし、何度も舞台をごいっしょしました。雪路さんは日本人形のようなお嬢様で、いとおしい女性。なので私はお二人が結婚したときには、本当にお似合いだと思ったのです。お二人の結婚後、3人で銀座に遊びに出かけたりいたしました。雪路さんとは、ずっと親友同士でした。しかし津川さんとは、その銀座に遊びに行った以降は、プライベートでも仕事の場でも、ほとんどすれ違うことすらありませんでした。大好きだったお二人が、天国でまた一緒になれ、その姿を想像することは、私にとっても何か安堵する思いです。お花畑で無邪気に遊ぶ雪路さんに、津川さんはあの優しいまなざしをそそいでいることでしょう。
2018年08月31日脚本家の宮藤官九郎が、10日に放送されたニッポン放送『宮藤官九郎のオールナイトニッポンGOLD』(22:00~24:00)で、先日亡くなった俳優・津川雅彦さんとの思い出を振り返った。津川さんが死去したことについて触れた宮藤は、「4年前にこの番組にゲストとして出てくれたんですよね」と語り始めた。当時は、リスナーから推薦された映画女優の濡れ場を紹介するコーナーがあり、そのお薦めされた女優の相手役として、高確率で津川さんが配されていることが発覚。以来「津川さんがすごいんじゃないか?」という話題になっていたことを振り返った。そんな経緯もあって、番組へゲスト出演することになった津川さん。宮藤が「濡れ場の話しかしてない」と振り返るその放送回は、「平成26年 日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド部門・東京地区第1位」を受賞するなど、高い評価を受け、宮藤は「番組に箔が付いた」と改めて感謝した。さらに宮藤は「濡れ場は誰かが能動的にやってくれるとすごく助かる」とし、「だから、津川さんが『俺、こうやるけど』とまず女優にOKをもらって、監督にプレゼンしてっていう…それも役者として相当ですよ!」と手放しで絶賛。最後には「ユーモアを分かってくれる方でしたね」と語っていた。
2018年08月14日俳優の津川雅彦さん(本名:加藤雅彦)が8月4日、心不全のために亡くなった。78歳。晩年まで多彩な活躍を見せ、若者たちにも根強い人気を誇る稀有なベテラン俳優だった。幅広い役どころ、映画監督の顔も津川さんは京都市出身で、1956年に『狂った果実』で注目を浴びると、数多くの映画、ドラマ、舞台で活躍。幅広い役どころで、存在感を放った。祖父は“日本映画の祖”とされる映画監督、牧野省三。おじは映画監督、脚本家、映画プロデューサーのマキノ雅弘で、甥にあたる津川さんは映画監督として“マキノ雅彦”名義で、『寝ずの番』をはじめ、3本の長編映画を手がけた。1973年には女優の朝丘雪路さんと結婚し、45年連れ添うおしどり夫婦として広く知られた。今年4月27日、朝丘さんを82歳で亡くしたばかりだった。「#津川雅彦が演じた好きな役を語る」がトレンド入り今回の訃報を受けて、ツイッター上では「#津川雅彦が演じた好きな役を語る」がトレンド入り。“徳川将軍俳優”として鮮烈なイメージをはじめ、『マルサの女』『あげまん』といった伊丹十三作品での怪演などが話題にあがる一方、近年の出演作で、声優を務めた『バケモノの子』の宗士様も高い人気を誇っている。ウサギ頭のバケモノで、バケモノの世界を長年束ねる長老という役どころをひょうひょうと演じ、新たな魅力を披露した。また、2017年にはLDH PICTURESが製作した『たたら侍』に出演。同作の完成披露舞台挨拶に登壇した際には、エグゼクティブプロデューサーのEXILE HIROが現場にコンビニを“差し入れ”した驚きのエピソードを披露し、会場を大いに盛り上げた。続いて、『HiGH&LOW THE MOVIE 2/END OF SKY』『HiGH&LOW THE MOVIE 3/FINAL MISSION』で九世龍心を演じ、圧倒的なカリスマ性を放った姿が記憶に新しく、若い世代にも強いインパクトを残した。(text:Ryo Uchida)■関連作品:バケモノの子 2015年7月11日より全国東宝系にて公開© 2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERSたたら侍 2017年5月20日より新宿バルト9、TOHOシネマズ新宿ほか全国にて公開© 2017「たたら侍」製作委員会
2018年08月08日歌手の和田アキ子が、20日にニッポン放送『和田アキ子のオールナイトニッポンGOLD』(22:00~)のパーソナリティを務めることが決定した。和田が「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めるのは今回が初となる。和田の芸能活動と「オールナイトニッポン」が、それぞれ68年10月にスタートし、ともに50周年を迎えることで、コラボが実現。和田が明かす芸能活動50年間の秘話や、現在チャレンジしていること、これからについてなどが語られる予定だ。また和田は同局で『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(毎週土曜 11:00~)のパーソナリティを務めており、リスナー生電話企画「クイズワダオネア」を行っている。今回の「オールナイトニッポン」でも、事前に和田へのメッセージや悩み相談などを募集し、リスナーとの電話企画が実施される。さらにゲストには、パンクバンド・Hi-STANDARDの横山健が登場。和田が送ったはがきをキッカケに始まった親交の話など、公私ともに交流のある横山とのトークが展開される。
2018年07月12日女優の安藤聖(34)が2日、オフィシャルブログを更新し、演出家で俳優・河原雅彦(48)と結婚、双子を出産していたことをあらためて報告した。同日、スポーツ報知により2人が2016年12月に婚姻届を提出し、2017年8月に一卵性双生児の女児が誕生していたことが伝えられていた。安藤は、「報道に出ています通り、結婚しました! そして双子にも恵まれています」と報告。「お祝いのお言葉、ありがとうございます!」と周囲から祝福の声が寄せられているようで、「慣れない育児でてんやわんやな毎日ですが、ツインズの無邪気な笑顔と笑い声に癒されています」と幸せな暮らしぶりを伝える。一方で、「切迫早産で3ヶ月半寝たきりの妊婦ライフは壮絶な経験でした」と告白も。無事に乗り越え、「産まれてからの双子育児も妊婦時代とは種類は違いますがなかなかパンチのある日々でして、笑、絶賛大奮闘中です。小さく産まれた2人ですが、とても逞しく育ってくれていて、たくさんの幸せを家族に与えてくれています」と2児のママとしての充実ぶりをつづる。すでに女優復帰を果たしている安藤。最近では、AmazonのCM「買い物の数だけ、ストーリーがある。」に出演し、ミツバチリュックを背負った子の母親役を演じている。ブログにはそのリュックの写真がアップされており、「大変ありがたいことに周囲のサポートを受けながら、仕事にも復帰させていただいています」と復帰を支えてくれた周囲への感謝の気持ちと共に、「これからも、人として、という部分を大切に、家庭を大切にしながら、充実したお芝居をみなさまにお届けできれば、と思っています。母ちゃん、頑張りやす!!!」と抱負を記している。安藤は1983年12月25日生まれ、東京都出身。1990年にミュージカル『アニー』でデビューし、1998年からはテレビ東京系『おはスタ』の“おはガール”に。その後も女優として活躍し、これまで映画『アフロ田中』(12)、『ラブクラフト・ガール』(14)、『お父さんと伊藤さん』(16)、ドラマ『ハロー張りネズミ』(17・TBS系)、『宮本から君へ』(18・テレビ東京系)、関ジャニ∞・丸山隆平の主演舞台『マクベス』(16)などに出演している。
2018年07月02日芸能界で一、二を争うにゃんこLOVER・和田 颯さんに、愛猫・シエルちゃんを見せていただきました!朝から晩まで、甘えん坊ぶりにメロメロ♪テレビ番組で見た猫がかわいくて猫に興味を持ち、念願かなって飼い始めたシエルさん。メインクーンは、飼い猫の中でもかなり大きな部類で、体重はなんと6kg!「見るとみんな驚きます。メンバーの(花村)想太くんは玄関先で『デカッ!』とひと言残して帰っていきました(笑)」性格は「甘えん坊」だそう。「帰ってきたら『にゃ~♪』って言いながら迎えに来てくれるんですよ。僕は『ただいま~♪』って返してます。あの『にゃ~』は『早くエサちょうだい』ではなく『おかえり』だと完全に信じてます(笑)。靴を脱いでる間も待ちきれず『なでて』って体をすり寄せてくるし、ほんとうに僕にべったりなんですよ」シエルさんは毎晩、ベッドを共にする相手でもある。「先に僕がベッドに入るんですけど、その様子をシエルはじっと見上げてるんです。で、僕が眠くなってきた頃を見計らって布団にもぐり込んでくる。だったら最初から入ってくればいいのに(笑)。朝起きるのもいっしょですね。休みの日は、出掛けもせず、ずっとベッドでシエルと過ごしてます」引っ掻かれて傷が絶えない。カーテンをビリビリにされてしまう。毛が洋服について大変…。シエルさんの欠点を言う時でさえ、目尻が垂れっぱなしの和田さん。「僕にとっては子どもみたいな存在。何をされても許せるし、おもちゃもたくさん買ってあげたい!完全に猫バカです(笑)」わだ・はやて1994年2月3日生まれ。群馬県出身。ダンス&ボーカルグループ「DaiCE」のパフォーマー。メジャーデビュー5周年の今年、8月8日に4枚目のアルバム『BET』の発売が決定。俳優としても活躍中。シエルさん2016年5月5日生まれ。メインクーンのオス。黄色と青のオッドアイが特徴。スタッフの知人から譲り受けた。名前は「真っ白でふわふわしてて、空に浮かんでいる雲っぽかったから」とフランス語で空を意味するシエルに。※『anan』2018年7月4日号より。写真・和田 颯取材、文・小泉咲子(by anan編集部)
2018年06月30日82歳で死去した女優・朝丘雪路さんの夫で俳優の津川雅彦(78)が20日、都内で会見を行い、心境を語った。津川雅彦4月27日に亡くなったと報じられたことを受けて急きょ会見。肺炎をわずらっている状態の中、鼻に酸素チューブをつけて報道陣の前に現れ、自身の体調について「大丈夫じゃないね。こんな格好をして大丈夫だって言ったら嘘になるでしょ」と話し、朝丘さんの死について聞かれると「すべてに感謝しています」と答えた。原因は「アルツハイマーですね。もう4~5年になるのかな。だんだん深くなって」とのこと。直接の死因を聞かれると「ない」と言い、「診断書を書いてもらった時にアルツハイマー認知症と。それ以外はありませんでした」と明かした。「津川さんのことはわかっていましたか?」という質問には、「それもだんだんだん。なるべくそれ以上深い話は勘弁してください」。また、亡くなる数カ月前の会話を振り返り、「それも俺とわかっていてしゃべったかどうか。僕を見て『あら』って」と話した。結婚生活については「悔いはいっぱいありますね。思い出せないくらいいっぱいあるな」と吐露。朝丘さんに感謝しきりで「あらゆることすべてに感謝ですね。娘を産んでくれたことも、家を売ってくれたことも、僕より先に死んでくれたことも含めて、もう感謝だらけ」と語った。朝丘さんの最期を見届けたのかと聞かれると「ええ」と答え、「声をかけられるような状態じゃなかった」と説明。長女で女優の真由子も一緒で「『ママ』って呼んでいた」という。そして、「安らかでした」と明かした。
2018年05月20日3月15日、歌手の和田アキ子(67)が自身のインスタグラムを更新。後輩芸人からレクチャーを受け、LINEデビューしたことを報告し反響を呼んでいる。 和田はiPhone芸人として知られる、かじがや卓哉(35)を講師に呼び「スマホ講座をやってもらう事になりました」と自身のインスタグラムで報告。テレビ朝日系バラエティー番組『アメトーーク!』の『アイフォン芸人』の放送を見て、「どうしても教えて欲しくて」と理由を明かした。 和田からお笑いコンビ・サバンナの高橋茂雄(42)に頼み、かじがやのスマホ講座が実現したと伝え「1回目なので、高橋にも付き合ってもらいました。二人とも忙しいのに感謝」と後輩たちを気遣った。さらに「まずは、LINEを網羅する事から始まるそうです^ ^私、ついにLINEを始めます(笑)」と嬉しそうに伝えた。 これに対しファンから「楽しいですよ早くマスターして下さいね」「新しいことへの挑戦素晴らしい」「LINEデビュー、おめでとうございますLINEには、電話機能もあるんですよー。ぜひ使ってみて下さいね…」などお祝いや応援メッセージが。いっぽうで「LINEしてなかったんですね!」と、驚きの声も上がっていた。
2018年03月15日