株式会社ラクエモン(本社:東京都渋谷区、代表取締役:杉村 清)は、腰の負担を軽減するアシストスーツ『楽衛門』(読み方:「らくえもん」)を「さつきケアサービス」の介護士さんに体験していただき、その内容をインタビューいたしました。画像1■『楽衛門』を体験した感想インタビュー:「楽衛門」を体験した感想をお聞かせください。介護士さん :力を十分に入れなくても楽に抱きかかえることができます。腰の負担が少ないと思います。取り外しもカンタン。インタビュー:「楽衛門」を使ってみていかがでしたでしょうか?介護士さん :腰が支えられているので、かがんだ時にすごく楽でした。インタビュー:着脱や調整はいかがでしたか?介護士さん :引っ張るだけで締まったり緩めたりできて楽でした。画像2公式HP : 楽衛門Story : 楽衛門チャンネル: ■楽衛門について介護、農業、物流、製造業(工場)など、様々な力仕事で幅広く活用されており、シンプルなデザインで、ユニセックス(男女兼用)で着れる、ニューノーマルなアシストスーツとして注目を浴びています。生地には「抗菌・防臭」の加工をし、衛生面と機能性をプラス。パンツを履いて、両肩にショルダーベルトをかけて、左右のストラップを一気に引き下げると10秒で装着できます。従来のアシストスーツが持つ「高額・重い・複雑」というイメージを覆し、「安価・軽量・簡単」を実現しました。株式会社ラクエモン(代表取締役:杉村 清)が腰椎ヘルニアにより4回の手術を経験し、自ら開発したアシストスーツ「楽衞門」は2021年に特許取得しました。特許取得日:2021年11月8日特許番号 :第6974288号OMOTENASHI SELECTION 2022 受賞:2022年6月1日■商品開発の背景楽衛門の開発を目指したきっかけは、自らが長年患っていた腰痛です。私は過去に4回のヘルニア手術を受けていますが、完治に至らず、腰痛に悩む日々を何年も過ごしてきました。ヘルニアの後遺症による“神経痛”と“身体の痺れ”に耐えながら、高齢者と障がい者への介護トレーナーとして従事していましたが、介護の仕事は想像以上に辛く、特に腰への負担が大きいことに気づかされました。そういう現場を自らも経験し、腰への負担を軽減できる商品を探し求め、いくつものアシストスーツを体験してきましたが、実際に効果を実感できる商品は見つかりませんでした。そこで自らの辛い経験を基に、腰の負担を軽減できるアシストスーツを「世の中で一番興味を持っている人間が創ってやる!」という思いが高まり、その思いを実現するために行動しました。■販売特約店販売特約店(株式会社ビーシステム)の既存顧客のデイサービス(東京・神奈川)約150事業所に対し、パートナーシップを結んだ企業の商材をモニターとしてご利用いただいております。株式会社ビーシステム ■会社概要株式会社ラクエモン代表取締役: 杉村 清所在地 : 東京都渋谷区上原1-3-9公式サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月08日かねてから選択的夫婦別姓制度に異論を唱えてきた自民党・片山さつき参議院議員(62)。10月26日に放送されたラジオ番組でその理由を述べたが、ネットで呆れかえる声が上がっている。同日、TBSラジオの『荻上チキ・Session』に出演した片山議員。そこでパーソナリティの荻上チキ(39)から「選択的夫婦別姓の議論は党内でどういった段階に?」と訊ねられた。すると、「苗字を変えることで不便を感じるというかたの不便は取り除きたいので、事実上、家族戸籍という日本だけが維持しているもののメリットを全部残しながら、通称を公称化しようと思っていて。この夏かけて、かなり広範な戸籍法改正法を準備しております」と返答した。そして「この問題はデジタル化が進んで、そこを全部してしまうと、最後に残るのはほかの国みたいに戸籍をやめて、生まれたときの1人の登録にするかどうか。そこまで行っちゃうと思うんですが」といい、こう続けた。「そうすると『ファミリーヒストリー』みたいな番組が作れなくなってつまらない国になるなと、私は思うので!今あるものを何も全部捨てて消去することはないと思っています」『ファミリーヒストリー』とはNHK総合で放送されている、著名人の家族の歴史を取材する番組。いっぽう選択的夫婦別姓は、権利の話だ。「現行の民法では婚姻にあたり夫婦がどちらかの性を選んで同性になることが強制されています。妻の姓を変えるケースが多いため、妻の姓が夫の姓と同等に尊重されているとは言えません。なにより、姓が変わるということはアイデンティティに揺らぎが生まれます」(全国紙記者)国連は’03年に夫婦同姓を差別的だと廃止を求め、これまで日本に対して3回勧告している。「夫婦同姓を採用しているのは世界中で日本だけです。国連機関『UNウィメン』の事務局長は『女性は選択肢を持たなければならない』と述べたこともあります。面白いテレビ番組が作れないからと、人権問題をないがしろにしてもいいのでしょうか」(前出・全国紙記者)選択的夫婦別姓に対し、「ファミリーヒストリーみたいな番組が作れない。そしてそんな国はつまらない」と持論を展開した片山議員。ネットではこんな声が上がっている。《片山さつき氏によると、夫婦別姓になると、「ファミリーヒストリー」の様な面白い番組が出来なくなるそうだ。本当にそうだとしたら、多くの出演者の歴史がたかだか100数十年しかたどれない、歴史的価値観の番組だってことになるなぁ》《『ファミリーヒストリー』では父方、母方それぞれの祖先、さらにその父方、母方などをさかのぼりさまざま発見がある。当然ながら、違う姓の祖先たちがヒストリーを語り、彩っている》《片山さつきのショボい言い訳。ある意味戸籍のことをめちゃくちゃ馬鹿にしてるよな》《ファミリーヒストリーの為に生きてるんじゃない》《改姓しないで結婚したいっていう権利をそんな理由で奪わないでほしい》
2021年10月29日元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさん(享年52)の元夫で、同局解説委員だった和田圭さんが6月26日に亡くなっていたと発表された。死因は急性心不全。68歳だった。有賀さんは’88年、フジテレビに入社。八木亜希子アナ(56)や河野景子アナ(56)とともに“3人娘”として女子アナブームを牽引した。彼女が’02年に結婚したのが、上司である和田さんだった。2人の間には長女のA子さんが誕生したものの、’06年に離婚。そして有賀さんは’18年1月に急逝。実父によれば、卵巣がんだったという。元夫・和田さんの訃報は3ヵ月もの間、伝えられなかった。『FRIDAYデジタル』によると、フジテレビ広報部は「ご遺族のご意向により、公表を控えさせていただいておりました」と答えたという。「有賀さんが亡くなってから3年ばかり、和田さんは一人娘のA子さんと一緒に暮らしていました。父娘水入らず、幸せそうでした」(和田さんの知人)和田さんに訪れた“最期のとき”。近所の住民はこう語る。「6月のある深夜、和田さんは救急車で運ばれたそうです。てっきり入院されたと思っていたのですが……。あの時、そのまま亡くなったということでしょうか。A子さんは家を出入りしていますが、ここ数ヵ月、住んでいる様子はありません」本誌は和田さんの邸宅を訪ねた。家主のいない夏の間に、庭の草は生い茂り鬱蒼としている。「和田さんがこの家を買ったのは30年ほど前のこと。その後、有賀さんと結婚して一緒に住んで、A子さんが生まれて。近くの人が『和田さん夫婦が赤ちゃんをお風呂に入れている、楽しそうな話し声が外まで聞こえてくるんですよ』と教えてくれたこともありますね。その後、離婚されて有賀さんもA子さんも出ていって、和田さんはまた一人になってしまった。でも有賀さんが亡くなった後、A子さんは戻ってきました。父娘で楽しそうに歩いているのを見かけたこともあります」(前出・住民)■有賀さんの実父が、和田さんにA子さんとの同居を勧めた68歳で逝去した和田さん。「亡くなるにはまだ早い」ともいえるが、そのいっぽう、ある“異変”も起こっていたという。「亡くなる少し前、和田さんが話しかけてくれたんです。自慢したいことがあったみたいですが、ただ言葉がはっきりしなくて聞き取れなくて……。『ご病気なのかな?』と思い、相槌だけ打って聞いている風にしてしまいました。今思えば、申し訳ないことをしました。でも最期はA子さんと一緒に過ごすことができて、和田さんも安息の時間を持てたのではないかと思います」(前出・住民)実は和田さんのもとでA子さんが暮らすようになったのは、有賀さんの実父・洋さんの計らいだったという。有賀さんの一周忌を控えた’19年1月、洋さんは和田さんとA子さんを同居させた理由について「2人は8年ほども会っていませんでしたが、これから何年生きられるかわからない私と暮らすよりかは、和田さんと暮らすほうがA子のためになると思ったのです」と本誌に説明している。さらに当時、洋さんの考えを受け入れた和田さんに「逡巡しながらも承諾してくださったことは、本当にありがたかったです」と感謝の言葉も口にしていた。洋さんは妻に先立たれており、娘の有賀さんも逝ってしまった。それでも取材時、80歳を超えてもなお一人で生活し元気な姿を見せていた。しかし、今は介護施設に入居しているという。「一人の生活が大変とのことで施設に入られました。とはいえお元気そうで、近所で見かけることもあります。洋さんは、和田さんが亡くなったことも知っています」(洋さんの知人)そこで施設のスタッフに取材の意思を伝えると、こう返ってきた。「『孫娘が元気なことだけを頼りにしていますよ』と洋さんは言っています」和田さんと有賀さんも、愛娘の成長を空から笑顔で見守っていることだろう。
2021年09月15日吉本ばなな原作の映画『ムーンライト・シャドウ』より、小松菜奈が演じる主人公・さつきの部屋の場面写真が初公開された。本作の監督は、短編映画『金魚』がヴェネチア国際映画祭のコンペ部門に正式招待され脚光を浴び、『避けられない事』は釡山国際映画祭短編部門グランプリを獲得した、マレーシア出身のエドモンド・ヨウ。学生時代には早稲田大学大学院で映画製作を学んでおり、日本文学にも造詣が深く、自身の映画作りにおいては川端康成や三島由紀夫などからも大きく影響を受けているという。吉本さんは「エドモンド監督の短編をいくつか観たのですが、ちょっとだけ日常からふわっと浮いている感じが、この原作『ムーンライト・シャドウ』に合っているんじゃないかと思いました」と彼の生み出す幻想的な映像美と完成度に厚い信頼を寄せており、そんな監督だからこそ生み出された世界観とこだわりが見られるのが、今回到着したさつきの部屋の写真。ブルーの壁には、独特なアートボードや可愛らしい掛時計などが一面に飾られ、パッチワークのカーテンやチェア、世界中のアンティーク調の小物に溢れている本棚と、こだわり抜かれたインテリアが写し出されている。そんなさつきの部屋についてヨウ監督は「スペインのペドロ・アルモドバル監督の作品やいくつかのヨーロッパ映画を参考にしています。この映画の色のトーンを決めるにあたっては、撮影監督のコン・パフラックと何度もディスカッションを重ね、コンのセンスに任せたところも大きいです」と明かしており、さらに作品全体の映像のカラーは、クシシュトフ・キェシロフスキやルカ・グァダニーノ作品から影響を受けているとも話している。『ムーンライト・シャドウ』は9月10日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ムーンライト・シャドウ 2021年9月10日より全国にて公開©2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会
2021年09月05日「四十九日も過ぎた3月末にさつきが住んでいた家の整理をしました」 そう語るのは、有賀洋さん(84)、1月30日に急逝したアナウンサー・有賀さつきさん(享年52)の実父だ。洋さんが続ける。 「さつきが遺した蔵書は段ボール箱に25箱にもなりましたが、すべて古書店に引き取ってもらいました。あとはテレビに出演するときの洋服とか、アクセサリーとか……。1つ100万円もするブランドバッグなんかもありましたが、売却できるものは、すべて売却しました。そういえば、さつきは孫のA子と乗馬をやっていて馬も所有していたんです。その馬も引き取ってもらいました」 84歳の洋さんにとって、娘の遺品整理は心身ともに大変な作業だったことだろう。しかし、洋さんの表情は晴れ晴れとしていた。実は、洋さんの心をずっと占めていた心配事が解決したのだ。それは、有賀さんが残した一人娘・A子さんを誰が養育していくのかという問題だった。 「さつきには私とA子以外には肉親はおらず、それに突然逝ってしまいました。A子が成人するまで、あと5年もあり、私もそれを見届ける自信はありませんでした。そこでA子にとってはお父さんである、和田圭さんともずっと相談していたのですが……」 有賀さんは元フジテレビ解説委員の和田圭さん(65)と’06年に離婚し、シングルマザーとして生活していた。離婚して以来、A子さんも父と会う機会はほとんどなく、12年もほぼ絶縁状態が続いていたのだ。 「和田さんも最初は『A子は私を父として受け入れてくれるでしょうか』と悩んでいました。でも結局、父娘2人で新生活を始めることになったのです。東京都内にある和田さんの家にA子が引っ越し、4月から同居をスタートしています」 A子さんが持って行ったのは眠り慣れたベッドとバイオリン、それに学用品などだったという。 「和田さんの家は2階建てなので、上の階がA子のスペースになりました。彼女も3歳ごろまではその家で暮らしていましたから、新しい環境に慣れるのも意外に早いかもしれません……」 母と死に別れ、“断絶12年”の父を頼らざるをえなかったA子さん。悲痛な運命に耐える愛娘を、有賀さんは天国から見守り続ける。
2018年04月29日「さつきの自宅……、といっても娘はもういませんが、祭壇や遺影、骨壺はそちらに安置されています。いまも私は娘の住んでいた家から戻ってきたばかりなんです」 そう語るのは、有賀洋さん(84)。元フジテレビアナウンサーでタレントとしても活躍した有賀さつきさん(享年52)の実父だ。 有賀さんが東京都内の病院で急逝したのは1月30日。それから1週間あまりがたっていた。有賀さんにはきょうだいもおらず、2年前には実母も失くしており、肉親といえば15歳になる長女・A子さんと父・洋さんだけ。 だが有賀さんは知人のみならず、たった2人の肉親にも自分の病状を明かしていなかったのだ。洋さんは言う。 「最近ひどくやせてきたので、1月中旬に東京都内の病院へ入院させました。私としては検査入院みたいなものととらえていて、すぐに退院できると思っていたのです。それが、たちまち容態が急変して30日朝に亡くなってしまって……。さつき本人も、自分がこんなに早く死んでしまうとは予想もしていなかったと思います」 1月31日・2月1日に通夜・告別式が営まれたが、出席したのはわずかな人数だったという。 「通夜や告別式は、孫の同級生のご父兄や先生に手伝っていただき、無事に済ませることができました」 だが長女・A子さんの父であり、有賀さんと4年間の結婚生活をともにした元フジテレビ解説委員の和田圭さん(65)の姿も斎場にはなかった。 急逝した有賀さんにも心残りだったろうが、いま洋さんの心を占めるのは、まだ15歳のA子さんの今後のことだ。 「いまA子は、さつきがいなくなった家で、基本的にはひとりで生活しています。もちろん1人きりにしておくのは可哀そうですし、私もできるだけそばにいてあげたいと思っているので、ときどき泊まりに行っています。でも私の自宅から、A子のところまでは電車を乗り継いでも片道2時間ほどもかかりますので、84歳の私が、あと何年続けられるか……。「同級生のお母さんたちが様子を見に来てくれることもあります。しかしこのまま“保護者なし”の状況が続くのは良くないと思います。今後はA子の保護者を私が務めるのか、それとも父親の和田さんが務めるのか決めなければいけません」 病魔に打ち勝つ覚悟で闘病に臨んでいた有賀さんは、遺言も残していなかった。銀行口座の整理など“終活”に励んでいたと報じられていたが、洋さんは否定する。 「通帳とかもそのままで、さつきは何も準備していませんでしたよ。A子が成人するまで、あと5年ほどですね。せめて彼女が成人するまでは見守っていければと願っています」 残されたA子さんの行く末を何とか見守りたい……、老父・洋さんの悲痛な願いは、天国の有賀さんの思いを代弁しているようにも聞こえた。
2018年02月13日1月30日に亡くなった有賀さつきさん(享年52)。人知れず闘病生活を送っていたが、有賀本人は死期を悟っていたようだ。 有賀さんは昨年末までに銀行口座などを整理し、年明け以降の仕事も家族の介護などを理由に断っていたという。フジテレビに同期入社した八木亜希子(52)は訃報を受け6日、同局の「とくダネ!」にVTR出演。昨年は有賀と会う機会がなかったが、年末まではLINEでやり取りをしていたと明かした。 「もちろん彼女はそういうこと(=病気のこと)を言わない人なので、全然そういう様子はなくて。昔からあんまり人に辛いこととかを言わなかったり、なんでも1人でやってしまったり、頼らない人なので…」 とはいえ、周囲の人間はその異変に気づいていた。有賀の先輩にあたる山村美智(61)は6日、自身のブログをアップ。昨年7月、有賀さんに「痩せた?」と指摘したときのことをブログで回想している。 「痩せすぎなようにも、少し思ったけれどいつもダイエットに失敗した話を聞いていたので良かったね、と答えると彼女は、嬉しそうに笑ってくれました」 髪質の不自然さにも気づいていたが、有賀さんは「これ、カツラなんですよ!」「カツラ、便利ですよ」とすかさず返したそうだ。 山村は「とくだね!」に5日、電話出演。当時は有賀の体調について心配になったものの、明るく振る舞う様子を見て「仕事に対する意欲や、頑張って生きていかなきゃという思いがヒシヒシと伝わってきました」と語った。 昨年2月、有賀さんにとって最後の更新となったブログには「私は抱え込むタイプなんです、、、」とある。その言葉は、彼女の心の叫びだったのかもしれない。
2018年02月06日タレントのヒロミが5日、自身のブログを更新。先月末に52歳で亡くなった元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんを追悼した。ヒロミヒロミは「おどろきました」というタイトルで更新。「このニュースを見た時にショックと驚きで未だに信じられない思いです」と胸中を吐露した。そして、「同年代で、彼女がアナウンサーになった頃から毎週のように番組でご一緒させていただきました。明るく真面目でなんかほぉわっとしていてまわりを楽しませる人でした」と有賀さんとの思い出をつづり、「有賀さつきさんのご冥福を心よりお祈り致します」と偲んだ。
2018年02月05日