●イジメられていた時代に感じた“お笑いの力”『さんまのお笑い向上委員会』や『水曜日のダウンタウン』などで強い存在感を示しているお笑い芸人・チャンス大城。そんな彼の半生を綴った自伝『僕の心臓は右にある』が発売された。学生時代の壮絶なイジメからNSC(吉本総合芸能学院)入学、さらに芸人になってからの数奇な出会いが綴られた本書を読むと「人生はなにがあるか分からない」と言いたくなるほどドラマチックだ。いまや街でも多くの人に声を掛けられるようになったという大城だが、自身のなかでの変化をどのように感じているのだろうか。○■間寛平、ダウンタウン、さんまのラジオが心の支えに大城の出身は兵庫県・尼崎。引っ込み思案で人と話せなかったという大城は、幼少期からイジメられていたという。そんななか、間寛平やダウンタウン、明石家さんまのラジオが心の支えになっていた。なかでもダウンタウンの松本人志が話していた「面白い奴はイジメられない」という言葉は大城少年の心に強く残っていた。「ずっと人前でしゃべれない人間だったので、自分でも暗い奴だと思っていたんです。でも小学校5年のときにF1カーのモノマネをしたら、友達が笑ってくれて。担任の先生も『お楽しみ会などでやってみて』なんて言ってくれて、一瞬人気者になったんです」。それでも中学生になると、周囲にはいわゆる不良と呼ばれる人間が多く“お笑い”を封印していたという大城。そしてまたイジメに合い、暗黒の時代がやってきたという。そんななか大きな転機が訪れたのが、中学2年生のとき。「ダウンタウンさんが司会を務める『4時ですよーだ』という番組のなかに素人が一発芸をやるようなコーナーがあったんです。そこでF1のモノマネをして優勝したんです。そこでいろいろな人に声を掛けてもらったり、不良に呼ばれて『ギャグやってくれ』って言われたりして、イジメが減ったんですよね。そこで松本さんが言っていた『面白い奴はイジメられない』というのを再認識できた気がしました」。○■死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていた売れない時代そこからお笑いの力を信じ、中学生ながらNCS大阪校に8期生として入学。千原兄弟やFUJIWARAらの同期となるが中退。その後も紆余曲折しながら芸人として活動を続けるが、まったくと言っていいほど目が出なかった。「途中事務所にも入れなくて、まったく売れる気配すらなかったんです。こんな言い方するものどうかと思いますが、死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていました。テレビなどメディアには出られない。でもインディーズファンっているもので、まったくお金になりませんでしたが、その人たちを笑わすことだけが生きる目的みたいな感じでした」。それでも飲みに行ったりすると、つい自分の生い立ちを面白おかしく話してしまう。どうしても誰かを笑わせたいという衝動に駆られる日々だった。「どんなに食べられなくても、やっぱり好きなんでしょうね。僕はいま47歳ですが、普通ある程度の年齢になれば、居酒屋をやったり、なにか違うことをすると思うんです。でも僕は正直、中学生のときとまったく変わっていない。悪く言えば成長していない。僕はおつむが弱いので、いまどきの人みたいにYouTubeをやったりとかもできない。もう人を笑わせたいという思いしかないんです」。●全国放送で知名度アップ! 風呂&冷暖房付きの生活に○■お酒で大失敗! そこからさらに芸人道にまい進純粋な思いを抱きながらも、なかなか目が出ない芸人人生。大きな転機となったのが2017年に出演した千原兄弟が定期的に行っているトークイベント「チハラトーク」への出演だ。「もともとNSC8期生の同期という繋がりがあったのですが、2013年にある芸人さんのきっかけで、千原せいじさんにお会いする機会がありました。そのとき僕の『オッヒョッヒョ』というギャグを覚えていてくれたんです。そこでせいじさんの居酒屋で働かせていただくようになったことから、縁が繋がって……。そこで『チハラトーク』に出させていただいたことで、その後『人志松本のすべらない話』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』の“細かすぎて伝わらないモノマネ選手権”に出られることになりました」。どちらもしっかりと結果を残し、“チャンス大城”の名前は徐々に浸透していく。しかし『人志松本のすべらない話』で、大城はお酒による失敗をしてしまった。「打ち上げで大酒を飲んでしまい、松本さんに絡んだりして、やらかしてしましました。もう本当にすべてが終わったと思うぐらい。これまでどんなことがあっても辞めなかったお笑いを辞めようと思いました。松本さんに失礼なことをしたのはもちろんですが、『すべらない話』に僕を推薦してくれた千原兄弟の顔にも泥を塗ってしまったので。もう全員に謝りました。まあ暴力とか暴言とかではなかったので、皆さんとても寛大だったのですが、そのときお酒はやめよう、絶対お笑いを頑張ろうと誓ったんです」。○■風呂&冷暖房付きの部屋に喜び「それだけでうれしかった」お酒を断ち、住んでいた家を出て改心した。そして誰かの役に立とうという思いで「吸殻拾い」を毎日行った。「毎日欠かさず吸殻拾いを続けていくなか、ある日空に向かって『吸殻拾い続けるので、ちょっと仕事をいただけませんか?』とお願いしてみたんです。すると千原せいじさんから『さんまのお笑い向上委員会』に出てみたらと紹介していただいたんです。そこからさんまさんにも少しずつ呼んでいただけるようになって……」。2018年当時、風呂なしアパートに住んでいたという大城。現在は風呂と冷暖房がついた部屋に引っ越すことができたという。「もうそれだけでうれしかった。クーラーのある部屋に住めるようになったのは、ここ2年ぐらいなので。夏にクーラーのなか、高校野球を見ながら寝るというのが僕の憧れだったので」。街でも声を掛けられることが増えたという大城。しかし「お金持ちになりたい」や「良い車に乗りたい」など、ある意味で俗っぽい夢は一切ないという。「レギュラーがあるわけでもないですし、来月仕事がゼロになる可能性だってある。努力を怠ったらどうなるか分からない世界。まあ長くこの世界でやっているので、自分のポジションというのは分かっているつもり。限りなく素人に近い芸風なので、そんな大層な生活なんて望んでいません(笑)」。●すべてが不思議な縁で繋がっている人生○■さんま、ダウンタウン、千原兄弟を笑わせることが目標ある意味で欲がないように感じられる大城。彼の芸人としてのモチベーションはなんなのだろうか――。「僕にとって恩人である千原兄弟さん、さらに素人のときからの憧れであるダウンタウンさんや明石家さんまさん、いまこのお三方とお仕事をご一緒しているということが、自分でも信じられないことなんです。そんな方々を僕のギャグで笑わせることができたら……こんなに幸せなことはないですし、大きな目標です。まあ『水曜日のダウンタウン』は笑かしているというよりはドッキリ仕掛けられているだけですが(笑)」。『水曜日のダウンタウン』のリアクション一つをとっても、これまでの大城の経験は大いに役に立っているという。「まあ雑草魂ではないですが、僕がイジメられていた学生時代の経験が、いろいろなところで活きていると思います。もし尼崎でイジメられた青春時代ではなく、田園調布などで平々凡々に暮らしていたら、こうはなっていなかった。その意味で、昔の自分を肯定できるというのはお笑いという仕事の素晴らしさなのかなとも思うんです」。イジメにより、お笑いのラジオが拠り所になっていた幼少期。素人として出た番組でダウンタウンと出会い、さらにNSCに入学したことで、千原兄弟とも接点ができた。そのときはまったく先に繋がらなかった事象だが、俯瞰でものを観ると、すべてがいまの大城に繋がっている。「本当にそう考えると人生って不思議ですよね。中学生のときNSCに入ったときは、挫折して辞めてしまいましたが、それがなければせいじさんに後々声を掛けてもらえることもなかったと思うと、梅田花月に行ってNSCの募集を見たときから、すべてが始まっていたんだなと思います」。○■映画化するなら――理想のキャスティング像を明かす■チャンス大城本名は大城文章。1975年1月22日生まれ、兵庫県尼崎市出身。1989年、中学3年で大阪NSCに入るが退所し、定時制高校に通う。1994年、再び大阪NSCに入るも、また退所。上京後、地下芸人時代を経て、2018年3月よりデビュー時に所属していた吉本興業に復帰。座右の銘は「おまえ、その執念、忘れるなよ」。
2022年08月08日さきわいクレアシオン(長野県長野市)主催、戸隠・是色館プロジェクト第三章『佐藤健作和太鼓ライブ 遊心 YUSHIN 』が2022年9月3日(土) ~ 2022年9月4日(日)に是色館(長野県長野市)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて7月2日(土)10:00より一般発売開始です。カンフェティにて7月2日(土)10:00よりチケット一般発売開始 公式ホームページ 和太鼓奏者・佐藤健作が、心から敬愛する友人であるダンサー・森山開次氏をお迎えします。佐藤健作稽古場「是色館」という山奥の《秘密基地》で、魂と魂が生き生きと出会う、一期一会のライブ。【戸隠・是色館プロジェクトとは】信州・戸隠にある、佐藤健作が日々和太鼓を打ちこむ稽古場「是色館(ぜしきかん)」。澄んだ空気、風の音や鳥たちの声なども通り抜ける、この「自然と共に生きる木造の小劇場」では、最大径170センチを誇る大太鼓「不二(ふじ)」をはじめとする和太鼓の響きを、ダイレクトに体で感じることができます。2020年11月より、神秘的な環境の中、少数限定で上質な芸術を体験していただける劇場として始動しました。和太鼓に選ばれた男佐藤健作 プロフィール佐藤健作和太鼓歴40余年。1998 年サッカーワールドカップ・フランス大会閉会式にて大太鼓を演奏。 2007年青年版国民栄誉賞「人間力大賞」準グランプリ受賞。2008 年文化庁主催「芸術祭」にて、和太鼓奏者初の新人賞受賞。2016 年イギリス国営放送BBCの番組「グローバルビーツ」に出演、全世界で放送された。2011年〜14年東日本大震災被災地無料公演「不二(ふじ)プロジェクト」を東北三都市にて主催し、祈りの太鼓を捧げる。2018年、2020 年在フィンランド日本国大使館主催公演。2020年、真矢ミキ主演「ドラマティック古事記」(読売大手町ホール)等、一流アーティストたちとの共演を多数行う。高千穂神社、厳島神社、出雲大社、熊野本宮・那智大社など神社神域での奉納演奏を行う。2021年、東京オリンピック2020閉会式で大太鼓「不二(ふじ)」をソロ演奏、及び東京音頭盆太鼓演奏。日々、信州の霊地・戸隠にて個人所有世界最大級の大太鼓「不二」を打ち込む。圧倒的な打法と芸術性により「和太鼓に選ばれた男」と称される。【ゲスト】森山開次神奈川県生まれ。21歳でダンスを始める。2005年ソロダンス『KATANA』で「驚異のダンサー」(ニューヨークタイムズ紙)と評され、2007年ヴェネツィア・ビエンナーレ招聘。2012年発表の『曼荼羅の宇宙』にて芸術選奨文部科学大臣新人賞ほか3賞受賞。13年文化庁文化交流使。19年『ドン・ジョヴァンニ』(総監督・指揮:井上道義)でオペラ初演出。2020年新国立劇場バレエ団『竜宮』演出振付美術衣裳。2021年東京2020パラリンピック開会式演出・チーフ振付。同年カイヤ・サーリアホ作曲の国際共同制作オペラ『Only the Sound Remains』にソロダンサーとして参加。伝統芸能とのコラボレーションや映画・テレビ・広告・ファッションなど、ジャンルを自在に横断した活動で、現代のダンスシーンを牽引するアーティストの一人である。公式ホームページ: 森山開次公演概要戸隠・是色館プロジェクト第三章『佐藤健作和太鼓ライブ 遊心 YUSHIN 』公演日時:2022年9月3日(土) ~ 2022年9月4日(日)会場:是色館(長野県長野市戸隠宝光社地区)■出演者佐藤健作(和太鼓)ゲスト: 森山開次(ダンス)■公演スケジュール9月3日(土) 14:00開場/14:30開演9月4日(日) 14:00開場/14:30開演■チケット料金全席指定:12,000円(税込)支援:信州アーツカウンシル(一般財団法人長野県文化振興事業団)令和4年度文化庁文化芸術創造拠点形成事業主催:さきわいクレアシオン 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年07月02日上質なデザインと暮らしを提案するインテリア誌『I’mhome.no.1102021MARCH』が、1月16日(土)に発売しました。今号は“STAYHOME”が楽しくなる「ウォールデコレーション」を特集。壁を楽しむデコレーションアイテムや、失敗しないディスプレイルールを解説。その他、美しい景色と融合した住まいの紹介や、国内外で活躍する14人の建築家・デザイナーへのスペシャルインタビュー「建築家・デザイナーが考える未来」など、見応え、読み応えのある一冊になっています。昨年から“STAYHOME”により住まいで過ごす時間が増え、より一層楽しく快適に暮らしたいと、誰もが思っているのではないでしょうか。そこで今号は「ウォールデコレーション」を特集。美しく配置できるディスプレイルールを解説するほか、絵画やオブジェ、壁掛けシェルフなど壁を彩るさまざまなアイテムを紹介します。ディスプレイルールを知ることで、初心者でも壁を美しく飾ることができ、好きなものに囲まれた心地良い空間を実現できます。また、特集「好きなアートに囲まれた家」では住み手のパーソナリティーが現れた個性あふれる5軒の住まいを、特集「眺望を満喫する住まい」では美しい景色によって豊かな空間をかなえた2軒の住まいを掲載しています。ほかにも、2021年以降の暮らし方・働き方をインタビューした「建築家・デザイナーが考える未来」、陶芸家・奈良祐希さんとドイツ・ROLFBENZのコラボレート展示など、見応え、読み応えのある内容をラインアップしました。“STAYHOME”を機に、住まいを楽しい場所にしましょう!海の絶景が際立つ静謐なセカンドハウスラウンジチェアに身を委ねて朝焼けを眺め、波音を聴きながらくつろぐ至上の時間……。目の前に広がる海や空を存分に堪能できるリトリートは日々の疲れを癒やし、暮らしに潤いを与えてくれます。この住まいには、雄大な自然を生かしたデザインがいくつも散りばめられていました。K Residence設計:甲村健一/KEN一級建築士事務所スペシャルインタビュー/建築家・デザイナーが考える未来暮らし方や働き方にさまざまな変化があった2020年。2021年、さらにその先、私たちが生きる世界はどうなっていくのでしょうか。ここでは、国内外で活躍する14人の建築家・デザイナーにインタビューし、彼らが今考えていることをクローズアップ。その答えには、先の見えない不安を期待に変え、より良い社会をつくる力強さがありました。パトリシア・ウルキオラ/ニコラ・ガリッツィア/中村拓志/彦根明/大城健作/クラインダイサムアーキテクツ/芦沢啓治/鈴木啓太/グエナエル・ニコラ/サポーズデザインオフィス/永山祐子好きなアートに囲まれた家優美な線や大胆な筆使い、目を引く美しい色。住まいを彩るアートはその色や造形で見る人を楽しませるだけでなく、住み手のパーソナリティーを表す要素となります。今回紹介するのは、独自の審美眼でアートがセレクトされた個性あふれる5軒の住まい。アートと一体にコーディネートされた空間から、自分らしいインテリアをつくるヒントを得ましょう。A Residence設計:横堀建築設計事務所MTY Residence/建築設計事務所バケラッタHirawata Residence設計:MOMENTK Residence設計:森 清敏+川村奈津子MDS一級建築士事務所Akasaka Residence設計:TRAIL HEADS+SNARK特集/HOMEWALLDECOR壁を飾って住まいをギャラリーに住まいのあらゆる場所に存在する壁。その壁に気に入りのアートやオブジェを飾りカスタマイズすれば、見慣れた場所が立体的な空間に変わります。住まいで過ごす時間が増えた今だからこそ、空間を楽しくするためのウォールデコレーションに挑戦してみましょう。眺望を満喫する住まいバカンスに行かなくとも、住まいから美しい景色を眺められたら、暮らしはさらに豊かになります。ここでは、美しいシティビューとマウンテンビュー、水景と樹林を取り込んだ2軒の住まいを掲載。傾斜地や水辺といった厳しい環境に立ちながら、景色と空間をどのように融合させたのか、そのデザインを紐解きます。T Residence設計:フジハラアーキテクツK Residence設計:CAPDCLOSE-UP陶芸家・奈良祐希異なる分野のコラボレートが、新たなものづくりを切り拓く時代。建築家と陶芸家、二つの肩書きをもつ奈良祐希さんは、これまでの陶芸の枠を超えたクリエーションで注目を集めています。DESIGNARTTOKYO2020での挑戦は、私たちに新たな陶芸の世界を見せてくれました。デジタルツールが住宅設計を変える-後編-近年、住宅設計にデジタルツールを積極的に取り入れ、新しい発想を得たり、より緻密な設計を行おうとする動きがあります。デジタルツールはどのように住宅設計を変え、施主にはどのようなメリットがあるのでしょうか。後編では、熱や光などの目に見えない要素をプランニングに取り込む“環境シミュレーション”の可能性を探りました。雑誌情報隔月刊I’mhome.no.1102021MARCH価格:1,894円(本体1,722円)版型:A4変型発行:株式会社商店建築社※全国の書店、ネット書店のほか、弊社ホームページにてご購入いただけます。弊社ホームページへ『I’mhome.』について『I’mhome.』は、住まいのインテリアデザインを中心に暮らしにかかわるテーマを幅広く取り上げ、「住まいにおける心地良さとは何か」を提案する、“上質”で“本物”志向のライフスタイルマガジンです。プランニングから素材の選び方、家具のコーディネートまで、ハイエンドな住まいづくりを目指す一般読者だけでなく、建築家やインテリアデザイナーといったプロにも役立つ情報を掲載しています。2000年創刊。1,3,5,7,9,11月の16日発売。ホームページへ企業プレスリリース詳細へ TIMESトップへ
2021年01月29日さて連載も今回で最後になりました。『ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート〜ホームレス芸NO人の一歩〜』皆様のお役に立てていたでしょうか?すぐに目に見えるくらいの大きな変化があったり、幸運を呼ぶような事があったりするわけじゃないけど、心の内面を少し変えるだけで価値観や物の見方は変わってくると思います。生きてると本当に色々な事がある。でもその分、心のキャパスティーが広くなる。たまに逆境はチャンスだなんて言葉を耳にするけど、僕はこの逆境を自分から突っ込んでいったのかもしれない。もちろん家庭環境、仕事環境と自分の身近な環境で仕方のない状況もあったけど。岸田健作がホームレス経験があったとメディアに出た時に一番多かった声はやはり『ホームレスする必要があったのか?大人なんだからバイトでも誰かの家に泊めてもらう事でも実家でもあったんじゃないか?』この意見は多かった。でも僕が思ったのは『大人だからホームレスになったんだ』あくまでも僕が思う『大人』ですけどね、大人とゆう名の成長かな。成長したかったんです。自分はそれまで、人に頼りすぎてた。物事を知らなすぎたんです。その度合いは恐らく信じられないくらい(笑)アルバイトの仕方がわからないって言ったら『嘘!?』と言われるくらいなので、例えば僕も電車に乗った事がない大人の方が『電車の乗り方わからない』と言ったら『嘘!?』と思ってしまう。それと一緒です。人の価値観や経験は人それぞれなので一概には言えないと思います。ただ僕の場合『一般常識』があまりに欠けすぎてたので、勉強しなおす必要があったし、それはもう全てを0に戻し1から、『人のありがたみ』『お金のありがたみ』『食べ物のありがたみ』『夢や希望を持つありがたみそして『生きる事のありがたみ』を体で感じるため『ホームレス』を選んだ。ホームレスとゆうか『マネー&ドリーム&フード&ヒューマン&サンキュー&ホームレス』ですな。もちろん笑えるような経験ではなかったです。それはホームレスをあがっても。とにかく過酷で寂しい。だけどそれをも上まわる宝を手にできた。それはお金でも家でも食べ物でもない。『夢と希望』です。なんだか熱血教師みたいな言葉になっちゃうけど『夢と希望』があれば何でもできる。何でも乗り越えるパワーが湧いてくる。僕はそう感じる事が出来ました。人間は死ぬために生まれてきたんじゃない。みんなそれぞれ『生きる目的』を持ってそれに向かって生きる生まれてきたんだと思う。全てのマイナスをプラスに取る必要はないけど逆境や試練は目的地に近づくチャンスなんじゃないかな。ちょうど今このコラムを書いてる翌日には自分のバンド『RoViN』の1stと2ndのCD発売日であり、記念ライブがある。そんな前日にこのコラムを書いてるとゆうのがなんだか偶然に思えない。僕がホームレスをあがったキッカケは『バンドと音楽とダンスで表現したい』とゆう新たな想いと夢と希望を抱いたからです。もちろんまだまだですし、本当に1からやってきてようやく夢への小さな一歩が人前で形になる瞬間です。でも僕はこのために生きてきた。頑張ってきた。そう言える。というわけで全10回にわたる連載コラムでしたが岸田健作とゆうタレントではなく、1男性の環境の変化と心の変化、そしてそれにより『充実』を手に今を生きています。とゆうのをつづってきました。読んでいる方々の心に何かが残り、良い変化になるキッカケになり明日の景色が変わってもらえたら幸せです。長い間お付き合いしてくださいましてありがとうございました。今後とも岸田健作を宜しくお願い致します。(岸田健作)【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方 ■07.ホームレス経験中のできごと ■08.芸能人だから… ■09.言葉を手に入れた ■10.最終回
2012年08月02日10代目いいとも青年隊【With-T】としてタレントデビューして以来、さまざまなドラマ・バラエティ・舞台・ラジオなど に出演してきた岸田健作。そんな彼がつい先日、ワイドショーをにぎわせた。その理由は……、彼がホームレスをしていた過去を週刊誌に打ち明けたからだった。彼がホームレスになった理由……それは、ウーマンエキサイトユーザーも共感するだろう、いくつかのストーリーがちりばめられていた。『今を生きたい』そんな方に向けたストーリー。夢や希望に気づきにくい今だからこそみてほしい。今回から約半年間、毎月第一・第三木曜に彼の衝撃の数年とこれからをひも解いていこう。***次のページから本編へ***僕がまだ10代の頃、『ニート』という言葉はなかった。学校のクラスメイトたちだって、頭がいい悪い関係なく、皆なにかしら『夢』や『希望』を持っていて、それをガムシャラに追っている人が多かった。その頃は、『リストラ』や『就職難』、そんな言葉もあまり耳にしなかった。そんな時代だった。今では、テレビをつければ、『不況、不況』と取り立たされ、その結果として『ニート』『リストラ』『就職難』という言葉もよく聞くようになった。ニュースでやっているような『リストラ・就職難』をたったひとりの僕が変えられるわけもないのだけれど、タレントという職業につき、今を生きる『岸田健作』という1人の男が、『ホームレス』になってしまったという経験から、なにかみなさんの心に伝わる“なにか”を届けられたらと思いこうやって、ここに記そうと思った。僕は18歳で『笑っていいとも!青年隊』として芸能界デビューし、今日に至る。しかしその間、一度芸能の世界を自ら退いた。それと同時に、僕は『ホームレス』になった。芸に能力がある人。それが『芸能人』。芸能人でありながらも僕にはその『芸』がなかった。そう……『芸NO人』。18歳までは普通高校に通う高校生で、卒業と共に芸能界入りした僕は、『芸』だけがないのではなく、『生きた』ということもなかったのかもしれない。なんとなく勉強し、なんとなく年をとる。そんな生活を送っていた僕に、突然きた芸能界の話。それもやはり、自分からが目指して進んだのではなく、『やってきた』のだった。つまり僕は、『夢』や『希望』、『理想』を持って生きたことがいままでなかった。なんとなくの人生は送っていた。糧もなかった。目的がないから、それを達成するために必要なものさえなかった。例えば、『腕時計が欲しい』→『アルバイトしてお金を貯めるよう!』そんなことさえなかった。うーん、これは例えにならないかな。もっといえば、最低限の生活が家にいることで保障されていたから、それ以上を特に望むわけでもない僕は、アルバイトの経験さえもなかった。小遣い稼ぎでダンスのインストラクターはやっていたけれど、それは、飲み会や遊びに消えていった。そんな学生生活から卒業と同時に芸能界へ行ったのだ。そこでも『目的』という仕事は用意されていて、『生活』という保障もあった。今考えると本当に裕福な人生だ。ただ、なにか小さい不安とゆうモヤがあって、それが年々大きくなっていったのだ。芸能界にいながら、自分には『芸』がない事。そんな自分が果たして、このままこの場所にいていいのだろうか。芸能人である前に社会人として、もっと言うなら人として右も左もわからない状態のまま、周りの方々と環境の支えだけで僕はそこに立っていたのだ。25歳を越え、20代後半にさしかかった時……、僕は決心した。なにもかもリセットして『0』から始めようと。『1』ではなく『0』から。冒頭で書いた通り僕には生きる糧がなかった。だからこそ、本当に『0』からスタートしようと。もし本当にぼくには生きる糧がないのなら、生きる意味がないのではないかなって。生かされているのではなく、『生きたかった』。芸能界を離れ、僕は誰にも言わず1人、ボストンバックと手ぬぐいタオル、毛布にスエットを持ち、代々木公園に向かった。そして、その日からホームレス生活を始めたのだ。お腹が空いた→ご飯が食べたい→ご飯を手に入れたい→お金が必要→お金を手に入れたい→どうやって手に入れる?こんな小さなことでも、僕にとって、それは初めてできた『目的』だった。今まではお腹がすけば、なにかしら家にあった。しかし今はないのだ。お金も、必要な分がなくなれば、小遣い稼ぎをしなくてはならない。そんなことで、ひとつひとつの目的を達成できていたけれど、物事を根本を自分ひとりで解決できていたわけじゃなかった。お金は必要な分がなくなれば小遣い稼ぎする、そんなの今までと同じ…ではなかった。そんなレベルではなく、生きる上で家賃や光熱費や食費など、必ず必要になってくるものに対して、自らで生んだお金を使ったことがなかった。なんだか、とても低レベルな話してるようだけれど、このくらい最低限なところまで自分を戻さないとダメだった。『0』から『1』へ。『1』から『2』へ。『2』から『3』へ。そうやって物事を理解と経験した上で、ひとつひとつ進みたかった。『芸』を志すために、『芸』を探し、その『芸』を磨くことが目的だったのだけれど、それと同時に僕には生きるための『生き方』を探すことも必要だったのだ。前置きが長くなったけれど、そんな僕「岸田 健作」がこのコラムでホームレスの経験により身に付けた『生きる術』を書いていこうと思う。― 続く ―(次回の更新は、3月15日。お楽しみに。)
2012年03月01日