●イジメられていた時代に感じた“お笑いの力”『さんまのお笑い向上委員会』や『水曜日のダウンタウン』などで強い存在感を示しているお笑い芸人・チャンス大城。そんな彼の半生を綴った自伝『僕の心臓は右にある』が発売された。学生時代の壮絶なイジメからNSC(吉本総合芸能学院)入学、さらに芸人になってからの数奇な出会いが綴られた本書を読むと「人生はなにがあるか分からない」と言いたくなるほどドラマチックだ。いまや街でも多くの人に声を掛けられるようになったという大城だが、自身のなかでの変化をどのように感じているのだろうか。○■間寛平、ダウンタウン、さんまのラジオが心の支えに大城の出身は兵庫県・尼崎。引っ込み思案で人と話せなかったという大城は、幼少期からイジメられていたという。そんななか、間寛平やダウンタウン、明石家さんまのラジオが心の支えになっていた。なかでもダウンタウンの松本人志が話していた「面白い奴はイジメられない」という言葉は大城少年の心に強く残っていた。「ずっと人前でしゃべれない人間だったので、自分でも暗い奴だと思っていたんです。でも小学校5年のときにF1カーのモノマネをしたら、友達が笑ってくれて。担任の先生も『お楽しみ会などでやってみて』なんて言ってくれて、一瞬人気者になったんです」。それでも中学生になると、周囲にはいわゆる不良と呼ばれる人間が多く“お笑い”を封印していたという大城。そしてまたイジメに合い、暗黒の時代がやってきたという。そんななか大きな転機が訪れたのが、中学2年生のとき。「ダウンタウンさんが司会を務める『4時ですよーだ』という番組のなかに素人が一発芸をやるようなコーナーがあったんです。そこでF1のモノマネをして優勝したんです。そこでいろいろな人に声を掛けてもらったり、不良に呼ばれて『ギャグやってくれ』って言われたりして、イジメが減ったんですよね。そこで松本さんが言っていた『面白い奴はイジメられない』というのを再認識できた気がしました」。○■死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていた売れない時代そこからお笑いの力を信じ、中学生ながらNCS大阪校に8期生として入学。千原兄弟やFUJIWARAらの同期となるが中退。その後も紆余曲折しながら芸人として活動を続けるが、まったくと言っていいほど目が出なかった。「途中事務所にも入れなくて、まったく売れる気配すらなかったんです。こんな言い方するものどうかと思いますが、死ぬまでの時間稼ぎ的な感覚で過ごしていました。テレビなどメディアには出られない。でもインディーズファンっているもので、まったくお金になりませんでしたが、その人たちを笑わすことだけが生きる目的みたいな感じでした」。それでも飲みに行ったりすると、つい自分の生い立ちを面白おかしく話してしまう。どうしても誰かを笑わせたいという衝動に駆られる日々だった。「どんなに食べられなくても、やっぱり好きなんでしょうね。僕はいま47歳ですが、普通ある程度の年齢になれば、居酒屋をやったり、なにか違うことをすると思うんです。でも僕は正直、中学生のときとまったく変わっていない。悪く言えば成長していない。僕はおつむが弱いので、いまどきの人みたいにYouTubeをやったりとかもできない。もう人を笑わせたいという思いしかないんです」。●全国放送で知名度アップ! 風呂&冷暖房付きの生活に○■お酒で大失敗! そこからさらに芸人道にまい進純粋な思いを抱きながらも、なかなか目が出ない芸人人生。大きな転機となったのが2017年に出演した千原兄弟が定期的に行っているトークイベント「チハラトーク」への出演だ。「もともとNSC8期生の同期という繋がりがあったのですが、2013年にある芸人さんのきっかけで、千原せいじさんにお会いする機会がありました。そのとき僕の『オッヒョッヒョ』というギャグを覚えていてくれたんです。そこでせいじさんの居酒屋で働かせていただくようになったことから、縁が繋がって……。そこで『チハラトーク』に出させていただいたことで、その後『人志松本のすべらない話』や『とんねるずのみなさんのおかげでした』の“細かすぎて伝わらないモノマネ選手権”に出られることになりました」。どちらもしっかりと結果を残し、“チャンス大城”の名前は徐々に浸透していく。しかし『人志松本のすべらない話』で、大城はお酒による失敗をしてしまった。「打ち上げで大酒を飲んでしまい、松本さんに絡んだりして、やらかしてしましました。もう本当にすべてが終わったと思うぐらい。これまでどんなことがあっても辞めなかったお笑いを辞めようと思いました。松本さんに失礼なことをしたのはもちろんですが、『すべらない話』に僕を推薦してくれた千原兄弟の顔にも泥を塗ってしまったので。もう全員に謝りました。まあ暴力とか暴言とかではなかったので、皆さんとても寛大だったのですが、そのときお酒はやめよう、絶対お笑いを頑張ろうと誓ったんです」。○■風呂&冷暖房付きの部屋に喜び「それだけでうれしかった」お酒を断ち、住んでいた家を出て改心した。そして誰かの役に立とうという思いで「吸殻拾い」を毎日行った。「毎日欠かさず吸殻拾いを続けていくなか、ある日空に向かって『吸殻拾い続けるので、ちょっと仕事をいただけませんか?』とお願いしてみたんです。すると千原せいじさんから『さんまのお笑い向上委員会』に出てみたらと紹介していただいたんです。そこからさんまさんにも少しずつ呼んでいただけるようになって……」。2018年当時、風呂なしアパートに住んでいたという大城。現在は風呂と冷暖房がついた部屋に引っ越すことができたという。「もうそれだけでうれしかった。クーラーのある部屋に住めるようになったのは、ここ2年ぐらいなので。夏にクーラーのなか、高校野球を見ながら寝るというのが僕の憧れだったので」。街でも声を掛けられることが増えたという大城。しかし「お金持ちになりたい」や「良い車に乗りたい」など、ある意味で俗っぽい夢は一切ないという。「レギュラーがあるわけでもないですし、来月仕事がゼロになる可能性だってある。努力を怠ったらどうなるか分からない世界。まあ長くこの世界でやっているので、自分のポジションというのは分かっているつもり。限りなく素人に近い芸風なので、そんな大層な生活なんて望んでいません(笑)」。●すべてが不思議な縁で繋がっている人生○■さんま、ダウンタウン、千原兄弟を笑わせることが目標ある意味で欲がないように感じられる大城。彼の芸人としてのモチベーションはなんなのだろうか――。「僕にとって恩人である千原兄弟さん、さらに素人のときからの憧れであるダウンタウンさんや明石家さんまさん、いまこのお三方とお仕事をご一緒しているということが、自分でも信じられないことなんです。そんな方々を僕のギャグで笑わせることができたら……こんなに幸せなことはないですし、大きな目標です。まあ『水曜日のダウンタウン』は笑かしているというよりはドッキリ仕掛けられているだけですが(笑)」。『水曜日のダウンタウン』のリアクション一つをとっても、これまでの大城の経験は大いに役に立っているという。「まあ雑草魂ではないですが、僕がイジメられていた学生時代の経験が、いろいろなところで活きていると思います。もし尼崎でイジメられた青春時代ではなく、田園調布などで平々凡々に暮らしていたら、こうはなっていなかった。その意味で、昔の自分を肯定できるというのはお笑いという仕事の素晴らしさなのかなとも思うんです」。イジメにより、お笑いのラジオが拠り所になっていた幼少期。素人として出た番組でダウンタウンと出会い、さらにNSCに入学したことで、千原兄弟とも接点ができた。そのときはまったく先に繋がらなかった事象だが、俯瞰でものを観ると、すべてがいまの大城に繋がっている。「本当にそう考えると人生って不思議ですよね。中学生のときNSCに入ったときは、挫折して辞めてしまいましたが、それがなければせいじさんに後々声を掛けてもらえることもなかったと思うと、梅田花月に行ってNSCの募集を見たときから、すべてが始まっていたんだなと思います」。○■映画化するなら――理想のキャスティング像を明かす■チャンス大城本名は大城文章。1975年1月22日生まれ、兵庫県尼崎市出身。1989年、中学3年で大阪NSCに入るが退所し、定時制高校に通う。1994年、再び大阪NSCに入るも、また退所。上京後、地下芸人時代を経て、2018年3月よりデビュー時に所属していた吉本興業に復帰。座右の銘は「おまえ、その執念、忘れるなよ」。
2022年08月08日10数年前までは全国的に無名だった昌平高校を今や全国レベルの強豪校に躍進させた藤島崇之監督。短期間での飛躍的成長の背景には何があったのでしょうか。昌平高校に選手を送る育成組織の存在、選手のケガが劇的に減った理由などをお話しいただきました。また、元日本代表を父親に持つ藤島監督に、保護者のあり方についてもお伺いしましたのでご覧ください。(取材・文:元川悦子)コロナウイルスの影響で延期されていたプリンスリーグ関東が再開。昌平高校は三菱養和SCユースと対戦し、勝利を収めた(写真:元川悦子)<<前編:日本一に相応しい言動や振る舞いができ、社会に貢献できる人間を育てる!昌平・藤島崇之監督■短期間で躍進を遂げた背景にあった「FC LAVIDA」の存在藤島崇之監督が2007年に就任してから13年で昌平高校が飛躍的成長を遂げたことは、前回の記事で書きました。短期間で右肩上がりの軌跡を描いた要因の1つになっているのが、2012年に発足した下部組織「FC LAVIDA(以下ラヴィーダ)」の存在です。藤島監督の父・信雄氏が代表を務める同クラブは、藤島監督の習志野高校時代の同期である村松明人監督、関隆倫U‐15コーチらが中心となって指導しており、2019年の日本クラブユース選手権(U‐15)初出場でベスト8を達成。知名度も一気に上昇し、近年は30名弱のセレクションに300人の小学生が殺到するほどになったといいます。「村松は茨城のFOURWINDS(フォーウインズ)というクラブから来ましたが、指導力は日本屈指。厳しい部分もありますけど、伝え方がうまくて、選手たちは確実に技術レベルが向上し、強さを身に着けます。関も大宮アルディージャでプレーしていた元Jリーガーで、tonan群馬などで指導実績を積んでウチのクラブに参加してくれました。彼らを含めて習志野の同期4人が昌平とラヴィーダに関わっているので、サッカー観が近く、言いたいことを言い合える風通しのよさが強み。ジュニアユース年代はドリブルでの仕掛け、タテに早く運ぶスタイルを重視していますが、個の力があればユース年代で羽ばたける。6年かけて長所を伸ばせる環境というのは、選手にとっても大きな魅力だと思います」と藤島監督は胸を張ります。■香川真司の個人トレーナーによる指導でケガが劇的に減った指導スタッフはフィジカルコーチ、フィジオセラピスト、医学療法士含めて総勢17人。昌平には165人、ラヴィーダには約75人の選手がいますが、全員が両チームに関わり、指導しているのも見逃せない特徴です。香川真司選手(サラゴサ)の個人トレーナーを務めていた神田泰裕氏も今年から正式にフィジカルコーチに就任し、週3~4回は練習に帯同していますが、姿勢やバランスを見直すところから徹底的に改善すると神田氏のアプローチのおかげで、動きのスムーズさ、質が上がるとともに、ケガ人が劇的に減少したそうです。有能なスタッフがいる効果は確実に表れています。香川真司選手の個人トレーナーを務めていた神田泰裕さんが今年からフィジカルコーチに就任。神田さんのアプローチでケガが劇的に減少したそうこれだけスタッフ数が多ければ、通常だと練習前にミーティングを開いて指導方針や練習メニューをすり合わせ、それを監督が選手たちに伝える形を取るのが普通でしょう。しかしながら、昌平とラヴィーダの場合は誰がどういう指導をしてもいいことになっています。この体制は「自由で風通しのいい環境がプラス効果を生み出す」という藤島監督の考えによるものなのです。「昌平の場合、集合をかける時は自分が話をしますが、コーチ陣が選手を捕まえて個別指導することも積極的にやってくれと伝えています。僕と村松、関はそれぞれ見る目が違うし、アプローチ方法も異なる。多種多様な視点で教えた方が成長を促せると思うんです。全員が言いたいことを言い合える雰囲気がウチのよさではないかと感じています」■部の一員である自覚を持つことで行動が激変藤島監督の思考やアプローチ方法に賛同する1人が、就任3年目で、監督の教え子でもある日野口廉コーチです。青森山田中学校時代から6年間指導を受けた彼は、さまざまなスタッフが6年がかりで多角的に接し、選手を育て上げる一貫指導スタイルが大きな成果を挙げていると強調します。「ラヴィーダから昌平に上がってきた高校1年生は行動が激変します。中学生まではまだ子どもで、自分のことで精一杯という印象ですが、高校生になって部の一員である自覚を持ち、先輩の行動を見て学ぶことで、規律ある行動をするようにする。部屋のゴミ箱を気づいた人が片付けるとか、そういう気配りができるようになるんです。プレー面でも『技術的にボールは持てるけど、メンタルは足りないな』と思っていた中学生が高1になった途端、体が太くなり、ぶつかり合いも厭わなくなる。逞しくなる様子がよく分かります。僕が高校生だった頃はラヴィーダとの連携はなかったので、今の体制は本当に意味あることだと感じます」自律心を高められ、選手としての成長も期待できるこの環境を、保護者も好意的に受け止め、信頼を寄せているようです。取材当日練習に参加していた昌平高校の選手たち■あえて口出しせず、意見を押し付けないスタンスで藤島監督は父・信雄氏との関係から「親は子どもに干渉しすぎず、見守ってあげるべき」という考えを持っていますが、時には保護者にもアドバイスすることがあるといいます。「父は日本代表だったので、サッカー界の人脈は広いでしょうが、僕にサッカーの話をしたことはほとんどない。元アルゼンチン代表の名選手であるマリオ・ケンペスと対戦したという話も人づてに聞きましたから(笑)。指導者の批判も聞いたことがない。親が悪口を言うと子どもも同じ価値観になりがちですから、それを避ける意味でも、父の向き合い方はよかったなと感じます。父が何かを語るのは、僕の方から尋ねた時でした。『これはどう思う?』と相談すると親身になって答えてくれました。自分がサッカー経験者だった分、言いたいことも沢山あったんでしょうが、あえて口出しせず、意見を押し付けないようにしていた。そういうスタンスはぜひ参考にしてほしいです」尊敬する信雄氏も見守る中、選手とチームのレベルアップに奔走する藤島監督。「勝負の年」と位置付ける今年は、Jリーガーになる3年生が2~3人は出る見通しです。もちろん彼らのようなプロ選手を送り出すだけでなく、社会に貢献できる人材を輩出することも念頭に置いています。これまでの卒業生には、銀行員や不動産会社、学校教員、スーツメーカーのオーナーなど多種多様な道に進んだ人間が出ており、彼らOBは昌平を力強く応援し、できる限りの協力体制を取ってくれているそうです。「そういう支援の輪を広げて、最終的には社会人チームや女子チームのある『昌平クラブ』を作れれば一貫指導体制が完成する」と理想を明かしてくれた藤島監督。大きな夢を現実にすべく、彼らは一気にギアを上げていくつもりです。<<前編:日本一に相応しい言動や振る舞いができ、社会に貢献できる人間を育てる!昌平・藤島崇之監督藤島崇之(ふじしま・たかゆき)昌平中学・高等学校サッカー部監督習志野高校時代は世代を代表する名選手として活躍。元日本代表FW玉田圭司と同期で、高校3年生時の選手権では全国大会まで勝ち進んだ。順天堂大卒業後は青森山田中学で指導者としてのキャリアをスタートさせ柴崎岳らを指導。2007年に昌平高校に着任。14年に選手権に初出場。第98回(2019年度)大会では準々決勝まで勝ち進んだ。16年には18年にはインターハイで全国ベスト4入りなど昌平高校を強豪校に成長させた。
2020年09月15日今冬の高校サッカー選手権で初の8強入りを果たした埼玉の強豪・昌平高校サッカー部。この10年ほどで一気に力をつけ、今や埼玉県内だけでなく全国でもその名を轟かせる強豪校に飛躍しました。そんな昌平高校サッカー部を躍進させた藤島崇之監督に、指導理念や選手を伸ばすための取り組みについて考えを伺いました。(取材・文:元川悦子)取材当日練習に参加していた昌平高校の選手たち■恩師、本田裕一郎氏から送られた言葉「できない理由を探さない」2020年1月の全国高校サッカー選手権大会で初のベスト8入りを果たした埼玉県の昌平高校。チームを率いる藤島崇之監督(40)は2007年の就任からわずか13年で同校を全国屈指の強豪校へと引き上げました。近年は東京五輪代表候補のボランチ・松本泰志(福岡)、彼と同期のテクニシャン・針谷岳晃(磐田)らJリーガーを続々と輩出。急激な躍進ぶりは全国からも注目を集めています。日本鋼管で活躍した元日本代表の信雄氏を父に持つ藤島監督は、習志野高校時代に玉田圭司(長崎)や吉野智行(鳥取強化部長)ら同学年のタレントとともにプレーしていました。順天堂大学卒業後は青森山田中学校で教員になり、柴崎岳(ラコルーニャ)らを指導。4年後に昌平へと赴いています。転職の際、習志野高校時代の恩師である本田裕一郎監督(国士舘高校テクニカルアドバイザー)から送られてきたハガキにしたためられていた「できない理由を探さない」という言葉が琴線に触れ、それを肝に銘じながら現チームの指導に当たっているという藤島監督。「僕が赴任して最初に掲げたのは『日本一』。当時は部員も20人程度しかいなくて、東部支部予選敗退くらいのレベルでしたが、日本一に相応しいチームになるために何ができるかを第一に考えました。学校や先生、仲間や地域に愛され、応援されるのがいいチーム。『挨拶や礼儀正しい言動や振る舞いといった基本的なことをしっかりやって、サッカーしかできない人間にならないようにしよう』と選手には伝えました」■社会に出ればすべてが自分の判断になる。高校時代はその準備期間同時に高校生の本分である学習面も重視しており、文武両道も目指す姿勢も明確にしました。「勉強とサッカーの2つをやろうとすれば、効率よく物事を進めたり、時間を管理する力が求められます。課外学習や趣味などやるべきことが3つ4つと増えていけば、自分をマネージメントする能力がより一層、問われます。そのために自分なりに工夫し、的確な判断をしていくことが非常に重要。学生時代は学校側がカリキュラムを決めてくれるし、練習メニューも監督が与えてくれますけど、社会に出れば全てが自分の判断になる。高校時代をその準備期間を捉えてもらえるように、僕はアプローチをしてきたつもりです」こういった方針の下、チーム強化に取り組み始めましたが、藤島監督は選手に口うるさく指示することはせず、できるだけ自主性や自律心に任せるスタンスを取っています。試合ではあえて戦い方を決めずに入り、選手自身の状況判断に委ね、積極的なトライやチャレンジを力強く後押ししたと教えてくれました。「ユース年代はチャレンジの場。ジュニアユース時代の所属先で『なぜパスをしないんだ』と怒られてウチに来たというドリブラーの選手がいましたが、僕は長所を生かそうとするチャレンジは大いに歓迎。むしろ『なぜ積極的に仕掛けないんだ』と言いますし、失敗しても大丈夫だと思わせる環境を作ろうと心掛けてやってきました。習志野時代に玉田のスーパーな左足のドリブル突破を見て『ファウルして止めるしかない』と思いましたけど、ああいう尖ったストロングを持つ選手の集合体がサッカー。『昌平の選手はうまい』とよく言ってもらいますが、みんなで助け合い、サポートし合うから、そう見えるんだと思います。やはり長所を伸ばしてあげる方が選手は大きく成長する。僕はそう確信しています」■考える習慣を身に着けてもらうことがピッチ上の一挙手一投足にもプラスになる遠征や大会での行動についても、起床時間・消灯時間などを事細かく定めず、自らの判断に任せているといいます。その方が選手のベストパフォーマンス発揮につながるという藤島監督の考えがあるからです。「2年前の選手権埼玉県準決勝の時、2時間半前に会場入りしたら、ミーティングが始まるまで教科書を開いて勉強をしていた選手がいましたね。それも彼のルーティン。一番いい状態になれるサイクルを自ら見つけてくれればいいと僕は思っています。寮も外出時間や門限など多少の規律は作っていますが、オフの日にモラルの範囲内でどこへ行くのも自由。ガールフレンドを作ることも規制していません。それでパフォーマンスが下がるなら苦言を呈しますが、自分の行動に責任を持ってもらえるなら問題ない。何事も判断ですから、考える習慣を身に着けてもらうことがピッチ上の一挙手一投足にもプラスに働く。それが僕の目指すところなんです」藤島監督は今回のコロナ禍でよりそういう気持ちが強くなったといいます。3月2日から全国一斉休校になってから、昌平高校は部活動を全面的に休止。6月15日の再開まで3か月以上を要することになりました。その間、オンライントレーニングなども実施したそうですが、基本的な練習は選手自身に任せざるを得なかったと振り返ります。「『自覚ある行動を取りなさい』と声掛けはしましたが、指導者としてやれることに限界がある。だからこそ、より選手たちの自律心や判断力を伸ばすように仕向けなければいけないと痛感しました」と藤島監督は語ります。■口に出すことで考えを整理する力がつく「この3か月間で選手たちは社会人になったような感覚を持ったと思います。彼らなりに勉強やサッカー、将来の進路などいろんなことに思いを巡らせて、グラウンドに戻ってきたはず。以降は通常通りの活動をしていますし、僕からは『どうだった?』『何してた?』くらいしか聞きませんけど、意識の変化は少なからず感じ取れます。こうした中で再認識したのは、選手は大人と話すことで人間的に成長するということ。口に出すことで考えを整理することもできます。選手権などの大会の際、取材に来られた記者のみなさんに『選手の考えを引き出してください』とよく声をかけていますが、短期間で彼らの自己表現力はグングン上がります。実際にそういう選手を数多く見てきました。言葉での説明は社会に出てからもつねに求められる。その重要性も踏まえながら、選手と向き合っていこうと思います。彼らをサッカー選手として、高校生としてさらに一段階飛躍させられるように頑張ります」2020年前半戦の公式戦がなくなった彼らにとって、ここからが本当の戦いです。9月から始まる高円宮杯JFA・Uー18サッカープレミアリーグ2020関東、その後の選手権に向けて、彼らのチャレンジは続いていくのです。藤島崇之(ふじしま・たかゆき)昌平中学・高等学校サッカー部監督習志野高校時代は世代を代表する名選手として活躍。元日本代表FW玉田圭司と同期で、高校3年生時の選手権では全国大会まで勝ち進んだ。順天堂大卒業後は青森山田中学で指導者としてのキャリアをスタートさせ柴崎岳らを指導。2007年に昌平高校に着任。14年に選手権に初出場。第98回(2019年度)大会では準々決勝まで勝ち進んだ。16年には18年にはインターハイで全国ベスト4入りなど昌平高校を強豪校に成長させた。
2020年09月04日脳性麻痺とは出典 : 脳性麻痺(のうせいまひ)は、妊娠中、出産前後もしくは生後4週間以内のあいだに、なんらかの原因で生じた脳の損傷が原因でおこる運動と姿勢の障害のことを指します。たとえば、脳性麻痺の赤ちゃんは、おすわりなどの姿勢、ハイハイ、もしくは立って歩くといった運動の発達への遅れや、これらのスキルを獲得できないことが起きてしまうことがあります。それではなぜ、脳が損傷すると姿勢や運動に問題が起きてしまうのでしょうか。人が体を動かすときには「筋肉をこんな風に使って、腕をあげなさい」など、脳の神経が筋肉に向かって常に信号を出しています。ところが、脳の損傷によって神経システムが損傷してしまうと、送るべき信号がうまく筋肉に伝わらず、考えたとおりに動けなかったり正しい姿勢をしたりすることが難しくなってしまうのです。脳の損傷部分や範囲は、一人ひとりまったく違います。したがって、子どもの発達過程にどの程度の影響があるのか、もしくはどんな症状が現れるのかも子どもによって異なります。参考書籍: 公益社団法人日本リハビリテーション医学会診療ガイドライン委員会、公益社団法人日本リハビリテーション医学会脳性麻痺リハビリテーションガイドライン策定委員会/編、公益社団法人日本リハビリテーション医学会/監修『脳性麻痺リハビリテーションガイドライン第2版』 (金原出版株式会社、2014年)脳性麻痺の原因出典 : 沖縄小児発達センター小児科の當山医師が、2008年に沖縄県での脳性麻痺の発生率を調査したところ、1,000人に約2人の割合で脳性麻痺が発生することが明らかとなりました。発生原因はさまざまであるものの、現在では3つの症状が脳性麻痺の大きな原因であると分かってきました。1. 核黄疸・ビリルビン脳症・・・新生児にみられる黄疸が原因で起きる症状です。黄疸の原因となる物質「ビリルビン」が脳に損傷をもたらします。2. 低酸素性虚血性脳症・・・出産時に仮死状態でうまれてきた場合など、脳へ酸素が行き渡らないことで脳が傷いてしまうものです。3. 脳室内出血・脳室周囲白質軟化症・・・どちらも未熟児や早産が原因で起こることがあります。脳室内出血では新生児の脳内に出血がみられます。また、脳室周囲白質軟化症では脳の部屋の周りを囲む白質(はくしつ)とよばれる部分に血液が行き届かずに損傷してしまいます。参考文献:當山 真弓、當山 潤/著『沖縄県における脳性麻痺の発生率について』(脳と発達 (40巻5号)、2008年)387-392ページ参考書籍:梶浦一郎、鈴木恒彦/編集『脳性麻痺のリハビリテーション実践ハンドブック』(市村出版、2014年)上記3つ以外にも脳性麻痺を引き起こす原因があるので、その原因をみてみましょう。妊娠中の脳性麻痺になる原因には、脳の中枢神経系の奇形、遺伝子や染色体の異常、そして感染症です。感染症には風疹、サイトメガロウィルス、トキソプラズマなどが考えられています。遺伝子や染色体異常などは、妊娠中の女性がいくら頑張っても防げるものではありません。しかし、ワクチンなどで予防できる感染症もあるので、できる範囲で感染症などに気をつけることが大切です。ただし、これらの感染症にかかってしまったからといって、子どもが必ず脳性麻痺になってしまうということではありません。次に、出産時の脳性麻痺の原因としては、新生児の呼吸障害やけいれんでも引き起こされることが分かっています。また出産後にも、中枢神経感染症・頭蓋内出血・頭部外傷・呼吸障害・心停止・てんかんなどが原因で脳が損傷され、脳性麻痺を発症することがあります。おもに周産期と妊娠期間中に脳性麻痺が起きやすいことも分かっており、周産期に発生する場合が40~66%、出生前の妊娠中に起きてしまう割合が13~35%です。ただ、原因を特定することが難しい場合も多いため、脳性麻痺を完全に予防することは今のところできません。参考書籍: 穐山富太郎、川口幸義、大城昌平/編著『脳性麻痺ハンドブック療育にたずさわる人のために第2版』(医歯薬出版、2015年)脳性麻痺が起こる場所による分類出典 : 先ほどご紹介したとおり、脳性麻痺の症状は脳の損傷部位や範囲によってさまざまではあるものの、麻痺の起きる場所で5つに分類されています。1. 片麻痺:片側半身にだけ麻痺がみられます2. 四肢麻痺:左右の上肢と左右の下肢に麻痺がみられます3. 両麻痺:左右の上肢と左右の下肢に麻痺がみられます。上肢より下肢の麻痺が重度です4. 対麻痺:左右の下肢に麻痺がみられます5. 重複片麻痺:左右の上肢と左右の下肢に麻痺がみられますが、下肢より上肢の麻痺が重度です脳性麻痺の症状による分類とその具体的症状出典 : 脳は、大脳・脳幹(中脳・橋・延髄)・小脳からできており、働きはとても複雑です。したがって、損傷部分によって麻痺の症状はさまざまであるため、どのように分類するかについてはいろいろな考え方があります。Upload By 発達障害のキホン1. 痙直型(けいちょくがた):脳の大脳部分には、錐体路系と呼ばれる運動指令を伝達する神経の道があり、この部分を損傷すると痙直型の脳性麻痺を発生するといわれています。脳性麻痺に最も多くみられるタイプで、脳性麻痺児の約80%が痙直型だといわれています。筋肉がずっと緊張しつづけているために、突っ張った状態となっていることが多いようです。参考書籍: Sieglinde Martin, M.S., P.T/原著、山川友康、上杉雅之/監訳『親と専門家のための脳性まひ児の運動スキルガイドブック』(医歯薬出版株式会社、2015年)痙直型の脳性麻痺では、自分の意思とは関係なく筋肉が高い状態がつづき、姿勢が固定されてしまいます。固定されたままの姿勢でいると、体が好ましくない形に変わってしまうことがあり、背骨がS字にのように曲がってしまう症状は側弯症(そくわんしょう)と呼ばれています。さらに、動かしていない関節は使われないために動かしづらくなってしまいます。関節が動かしづらくなると、さらに体を動かしづらく姿勢の固定させる状態につながり、体の変形がすすんでしまうという悪循環が生まれてしまいます。ただ、痙直型であっても筋肉の緊張が低い子どもも珍しくないようです。2. アテトーゼ型:大脳の奥深くには大脳基底核と呼ばれる場所があります。不随運動に関わっているといわれており、この部分を損傷してしまうとアテトーゼ型の脳性麻痺となります。筋肉の緊張度合いが突然変わってしまうため、姿勢を保つことが難しいのがアテトーゼ型の脳性麻痺の特徴です。また、自分の意志とは無関係に体が動いてしまう不随意運動もともないます。筋肉の緊張度合いが突然変わるとどのようなことが起こるのでしょうか。たとえば、きちんと座っていても、急におなかの筋肉の緊張がゆるんでしまって前に倒れてしまうことがあげられます。また、精神的な緊張の影響を受けやすく、人前で話そうとして緊張すると、全身の姿勢緊張が高まってしまってうまくしゃべれなくなったり、普段できることもできなくなってしまったりすることも多いようです。そのほか、嬉しいことなどで脳への刺激が高まり興奮すると、逆に筋肉の緊張が高まりすぎてしまって、自分の思いとは関係なく腕がピーンと伸びてしまうといったこともあります。アテトーゼ型は早産や未熟児が原因の脳性麻痺に多いことでも知られています。周産期医療の発達のおかげで、早産で未熟児であっても助かる赤ちゃんが増えました。そのため、脳性麻痺の発症が横ばいか減少傾向であるものの、アテトーゼ型は増加傾向にあります。参考書籍: 梶浦一郎、鈴木恒彦/編集『脳性麻痺のリハビリテーション実践ハンドブック』(市村出版、2014年)3. 失調型:小脳にも錐体路外系の神経伝達路があり、この部分を損傷すると失調型の脳性麻痺になります。脳性麻痺の分類で最も少ないタイプが失調型です。失調型は、筋肉の緊張が低く、正常と低緊張をいったりきたりするので、バランスを保つことが難しく姿勢が不安定となってしまいます。また、歩けるようになっても転びやすいことも、失調型の特徴にあげられます。4. その他:そのほかの分類には、痙直型とアテトーゼ型が組み合わさった混合型などがあります。参考書籍: 木舩憲幸/著『脳性まひ児の発達支援調和的発達を目指して』(北大路書房、2011年)脳性麻痺の合併症出典 : 脳が損傷をうけたときに、運動に関係した部位だけが損傷するということはまれで、他の部位も損傷している可能性が高いことが知られています。たとえば、知覚や認知、視覚や聴覚の部位にも損傷している場合は、脳性麻痺に付随した障害がみられます。具体的な障害には、聴力障害・視力障害・てんかん発作・知的障害・発達障害などがあります。トルコにあるイスタンブール大学のKILINCASLAN医師は、脳性麻痺の子どもが自閉症や発達障害を伴うケースは、決してまれではないことを2009年に発表しました。126人の脳性麻痺の子どもを調査したところ、自閉症などの広汎性発達障害(PDD)を合併している子どもが15%いたことを明らかにしています。参考論文:Ayse Kilincaslan and Nahit Motavalli Mukaddes,Pervasive developmental disorders in individuals with cerebralpalsy, Developmental Medicine & Child Neurology 2009, 51: 289–294脳性麻痺の治療・療育法は?出典 : 脳性麻痺は、脳が傷ついてしまったことが原因でおこるものなので、損傷した部分が直接治ることはありません。一方、てんかんなどが合併している場合を除いて、脳の損傷部分が悪化するということもありません。脳の損傷は治らないものの、治療・療育を通して運動機能の発達を促して、運動や姿勢の障害の改善が目指されます。筋肉を緊張したままにしておくと、筋肉が硬直してしまって改善しづらくなってしまいます。この状態は、さらなる筋肉や関節の硬直をもたらすので、早期からの治療・療育がとても大切になってきます。また、単にリハビリ等の療育を通して運動機能の発達・改善を促すばかりでなく、脳性麻痺のある人やその周囲の支援者が、自分自身の身体に合わせた運動方法や生活環境を模索しつくりあげていくというアプローチも大切です。脳性麻痺はいつ、どうやってわかる?出典 : 明らかに麻痺があるなど重度の脳性麻痺をのぞき、特に早期に脳性麻痺を診断することは、一般的にとても難しいと考えられています。おもな理由としては、発達は非常に複雑なものであることにくわえ、脳性麻痺ではない子どもでも、発達には個人差が大きいことが知られているからです。また、おすわりや立つなどの発達過程は、生後すぐにできるものではないことも早期診断を難しくする要因のひとつです。さらに、脳性麻痺の症状である痙性(筋肉の硬さ)は、通常生後数週間でみられるものではなく、7~9ヶ月たって気づくことも多いことで知られています。このように、脳性麻痺の診断は非常に難しいものであるものの、診断には以下の3項目から総合的に判断されます。〇出生歴:未熟児だったかどうか、分娩時に異常はなかったかなど〇子どもの観察:年齢相応の発達をしているかなど〇筋肉の緊張や反射異常をみる検査また、MRIやCTなど脳神経の画像検査は、脳性麻痺の原因を確定するための有効な手段としてよく使われています。参考書籍: 木舩憲幸/著『脳性まひ児の発達支援調和的発達を目指して』(北大路書房、2011年)保護者からの発達相談で脳性まひの診断を診断を行うことも多いようですが、発達には個人差が非常に大きいことから、発達がゆっくりだからといって脳性麻痺とは限りません。そのため、過度に心配しすぎる必要はありませんが、一般的には以下の状態の場合で脳性麻痺の可能性を考慮します。1.未熟児、または新生児脳症などの成育歴のある「リスク児」のフォローアップ.2.運動の発達指標の遅れ.とくに座る,立つ,歩くことの遅れ.3.左右両側のつり合いの取れない運動パターンの発達.たとえば,生後数ヶ月みられる,片方の手の顕著な優位性.4.異常な筋緊張,とくに痙縮(筋肉の硬さ)または弛緩性(フロッピー).出典:Eva Bower/原著編著、上杉雅之/監訳『脳性まひ児の家庭療育原著第4版』(医歯薬出版、2014年)20ページたとえば、抱っこすると手足がピーンとなって筋肉の緊張がみられる、「首が座らない」「おすわりできない」「寝返りしない」などの運動スキルが一般的な発達過程にくらべてとてもゆっくりしているなど、心配なことがあれば医療機関などで相談しましょう。赤ちゃんは1歳半まで3月健診・6ヶ月健診・1歳半健診と健診回数が多いので、健診時を利用して相談することも可能です。参考書籍:Alfred L. Scherzer/原著編著、今川忠男/監訳『脳性まひ児の早期治療第2版[原著第3版]』(株式会社医学書院、2004年)52ページ脳性麻痺の治療・療育にはどんなものがあるの?出典 : 脳性麻痺は、すでに生じてしまった脳の損傷が原因でさまざまな症状があらわれます。残念ながら現時点の医療技術では脳の損傷そのものを治すことを望めません。そこで、あらわれている症状を緩和もしくは改善することや、運動機能を獲得するための治療が行われます。具体的な治療方法をみていきましょう。脳性麻痺の治療としては、リハビリテーションセンター病院や、リハビリ科のある病院で治療が行われることが多いです。ご紹介するサイトでは、リハビリ科の専門医やリハビリ科医師のいる施設を探せるようですので参考にしてください。参考リンク:公益社団法人日本リハビリテーション医学会ここでは、脳性麻痺に実施される代表的なリハビリテーションをいくつかご紹介します。ご紹介しているように、脳性麻痺の症状や程度は個人で大きく異なりますので、治療も一人ひとりに合わせて進めていきます。〇理学療法:理学療法は運動療法と物理療法をあわせて行います。運動療法では、運動や姿勢の障害を改善させるために、さまざまな種類の運動をします。物理療法では、電気刺激やマッサージ、温めたりすることで痛みを軽くします。〇作業療法:理学療法で改善されてすでに獲得しているスキルを、日常活動や仕事で生かせるように作業活動を通じて訓練します。たとえば、理学療法で肩関節の可動域を改善させたとします。作業療法では、獲得した可動域を最大限に有効に使えるように、実際の作業を通じて実用性を高めるようにします。〇言語聴覚療法:脳性麻痺で話すことが難しかったり、聞くことに障害があったり、ものをうまく飲み込めないなどの場合に、発声訓練や、飲み込む訓練などが行われます。具体的な方法などは関連記事を参考にしてください。〇装具療法:関節を固定させて保持することで、歩くことを手助けすることや、運動機能を向上させるために行われる療法です。姿勢を維持する、もしくは姿勢を矯正するために側弯症の治療にも使われています。参考書籍:椿原彰夫/編著『PT・OT・ST・ナースを目指す人のためのリハビリテーション総論-要点整理と用語解説改定第2版』(株式会社診断と治療社、2011年 )そのほか、リハビリテーション以外の治療には、筋肉の緊張部位にボツリヌス菌を注射するボツリヌス療法などがあります。ボツリヌス療法では、筋肉の痙縮が改善されている間に、運動療法を積極的に行います。このほか、変形してしまった腕などを手術して、日常生活の動作を改善させる手術療法もあります。参考書籍: 穐山富太郎、川口幸義、大城昌平/編著『脳性麻痺ハンドブック療育にたずさわる人のために第2版』(医歯薬出版株式会社、2015年)家庭で療育をするときに大切なことって?出典 : 前の章でご紹介した以外にも、遊びを通じていろいろな姿勢をさせてあげるなど、家庭でも療育的支援を行うことができます。この家庭での療育を成功に導くためにはいくつかの原則があるようです。「座ることはできても、座った状態からうつぶせになれない」脳性麻痺の子どもへの家庭療育を例にとって、この原則を考えてみましょう。この場合、どのようにしたら転ばないでスムースにうつぶせになれるかどうかを念頭において療育をすることになります。最適な遊びや介助については、理学療法士などの専門家と相談して決定するとよいでしょう。練習の頻度や時間は、運動や遊びの種類ごとに異なります。もちろん、脳性麻痺の程度によっても練習内容などさまざまです。したがって、理学療法士と相談してすすめることが非常に重要です。〇新しい運動スキルの学習は能動的であることが大前提です介助の方法については、理学療法士から学べますが、子ども本人が自分から行動しようとしたときに、その運動スキルを身につけようとする学習が生まれます。今回の例では、おすわりからうつぶせをなるためのスキルを学習することが目的です。子どもが床にあるおもちゃで遊びたくて、お座りの姿勢から介助を受けながらでも自分から動こうとしたときに、学習がはじまります。〇子どもが「●●したい」という動機づけをおこなう子どもが自分から動こうとするような動機づけが重要です。たとえば、子どもが楽しく座って遊んでいるときなどに、無理矢理うつぶせになるような運動を練習させることはやめましょう。その代わり、子どもの大好きなおもちゃを床において、興味を示すのを待つのです。子どもがおもちゃに興味を示せば、自分からうつぶせになって取ろうとするはずです。このとき、おすわりからうつぶせへのスキル学習への動機づけが生まれます。〇子ども自身で取り組める環境をつくるスキル学習の促進には、子どもが自分自身で取り組み試行錯誤できる環境づくりが大切です。お座りからうつぶせになる動きを大人が全て手助けするのではなく、たとえば床にクッションなどを敷いて、転んでも痛くないような仕組みをつくるなど、ことがスキル学習をすすめる秘訣です。子どもは失敗から学んでいくからです。〇人形を使うなどして、動き方のイメージを促す人形を使うなどして、実際の体の動かし方を見せる方法は、子どもにも理解しやすいと言われています。この例では、人形を床に座らせ、そのままうつぶせにさせる動作をゆっくりと見せながら、床のおもちゃに手を伸ばさせます。〇さまざまなやり方を試してみる同じ方法だけでずっと遊ばせたり、介助したりすることは避けます。スキルを学習するためには、多様な方法を経験することが重要だからです。遊びがマンネリにならないように、いつも決まった場所におもちゃをおかないようにしたりすることも考えましょう。〇反復してもスキル獲得を促す何度も練習することを通じて、子どもはいつでも好きなときに動けるようになります。そこで、成功した動きを獲得できるまで、子どもの様子を見ながら反復練習をすると良いでしょう。〇肯定的な働きかけをする保護者や周りの笑顔や肯定的なうなずきは、脳性麻痺の子どもがスキル学習を行う時の一番の励ましとなることがわかっています。おもちゃに手を伸ばそうとして頑張っている姿に、笑顔や拍手をするなど励ましの対応をするようにしましょう具体的にどのような遊びがあるのか、またやり方については、理学療法士などの専門家に相談したり、詳細を紹介している書籍もありますので参考になさってください。参考書籍: Eva Bower/原著編著、上杉雅之/監訳『脳性まひ児の家庭療育原著第4版』(医歯薬出版株式会社、2014年)参考書籍: Sieglinde Martin, M.S., P.T/原著、山川友康、上杉雅之/監訳『親と専門家のための脳性まひ児の運動スキルガイドブック』(医歯薬出版株式会社、2015年)脳性麻痺の人が受けられる支援にはどんなものがあるの?出典 : 脳性麻痺のある人には、たくさんの支援制度が整備されていますのでご紹介します。ぜひ活用してください。先天性の脳性麻痺ではなく、分娩時が原因でおきてしまった脳性麻痺は、産科医療保障制度が活用できます。医療ミスなど、脳性麻痺になった理由を問わず3,000万円が支給され、原因の究明と情報提供をおこなってくれます。申請期間が定められており、満1歳から満5歳の誕生日までに申請します。なお、産科医療保障制度に加入している医療機関で出産しなければならないことに注意が必要です。加入医療機関は以下のサイトで検索が可能です。加入分娩機関検索|公益財団法人日本医療機能評価機構また、脳性麻痺の症状によっては、身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳・療育手帳などの取得も可能です。障害者手帳を取得することで、障害の種類や程度に応じて様々な福祉サービスを受けることができます。さらに、障害のある子ども本人への支援制度だけでなく、家庭への支援制度「特別児童扶養手当」の活用も可能です。精神、または身体に障害がある児童について特別児童扶養手当を支給することで、生活の豊かさの増進を支援することを目的とした制度で、児童が20歳になるまで、障害の等級に応じて一定の金額が保護者もしくは養育者に支払われます。詳細は下記の記事を参考になさってください。このほか、脳性麻痺では障害年金の申請も可能です。障害の程度に応じて、一定の金額が毎月支給される年金制度ですが、受給要件や金額などは、個人で異なりますので、以下のリンクを参考にしてみてください。参考リンク:障害基礎年金の受給要件・支給開始時期・計算方法|日本年金機構また、障害のある人の税は優遇されていますので、こちらも参照してみましょう。なお、金銭面の支援だけでなく移動支援も整備されています。移動支援とは、移動が困難な人に対してガイドヘルパーによって行われる地域生活支援事業です。自治体によっては、重度脳性麻痺者介護助成が行われているところもあるので、お住まいの地域の自治体に問い合わせてみましょう。他にも脳性麻痺の障害支援についての関連記事があるので、参照してみてください。一人で頑張りすぎないで、困ったときは支援してもらいましょう出典 : 脳性麻痺のある子の保護者は、「子どもの世話は私にしかできない」とすべてを抱え込んでしまう人が多いようです。しかし、まわりの人の中には、何か支援できることがあれば、お手伝いしたいと考えている人も少なくありません。もしかしたら、支援の必要があるか分からないために声をかけられないでいるだけかもしれません。脳性麻痺のあるなしにかかわらず、社会では一人ひとりが関わり合い、支え合って生きています。自分ひとりで抱え込まず、活用できる支援は積極的に受け入れるようにしましょう。「こんなことで相談して良いのかな」と支援を頼むか迷ったときには、「困っているか」どうかで判断してみましょう。もし、本人や家族が何か「困っている」ことがあれば、まずは医療機関や保健センターなどで、自分の困りごとを相談してみてください。治療やリハビリテーションなど、専門家との関わりにはコミュニケーションをうまくとることで成功しやすいことも多いものです。良好なコミュニケーションをとるためには、自分も療育をする当事者の一人として、専門家とともに参加することが重要です。もしかしたら、専門家は難しい専門用語をつかって説明をするかもしれません。そのような場合には遠慮せずに質問して言葉の意味を教えてもらい、専門家の使う言葉を共有するようにしましょう。また、受診やリハビリの際には事前に質問事項をメモしていくことで、聞き忘れることも防げます。参考書籍: Eva Bower/原著編著、上杉雅之/監訳『脳性まひ児の家庭療育原著第4版』(医歯薬出版株式会社、2014年)学校はどうしたら良いの?出典 : 学校に通う場合にはいくつかの選択肢があります。普通学級のほかに、障害のある子どもは特別支援教育を受けることができます。特別支援教育には、特別支援学校のほか、特別支援学級や通級指導教室があります。○特別支援学校脳性麻痺の症状や程度で異なるものの、特別支援学校であれば肢体不自由児の指導を受けることができます。また、知的障害を伴う場合には、重複障害学級に在籍して教育を受けることができます。参考リンク:(1) 重複障害児の概念(重度・重複障害を含む)|独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所○普通学級に在籍する子どもも多数また、2014年に福島県で行われた調査では、肢体不自由の特別支援学級が設置された小学校に通う肢体不自由児のうち、70.6%が普通学級に在籍し、29.4%が特別支援学級に在籍していることが明らかになっています。なお、肢体不自由の小学生児童のうち、脳性麻痺を含めた脳性疾患の児童は45.3%であったことから、数多くの脳性麻痺の子どもが普通学級に通っていることが分かります。参考リンク:肢体不自由特別支援学級を対象とした悉皆調査 調査内容の概要|独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所特別支援学校については特別支援学級との違いも含めて、発達ナビで解説していますので是非読んでみてください。それ以外にも、児童発達支援や放課後等デイサービスなど、施設に通って受けられる支援制度もあるので、参考にしてください。l障害あるなしにかかわらず、必要な配慮を受けながらすべての子どもたちが同じ場所で教育を受ける「インクルーシブ教育」の実現にむけて、日本の教育も日々変化を続けています。上記のような多様な学びの選択肢を提供していくことも、その流れの一環です。脳性麻痺の人の将来の生活は?出典 : 「子どもは将来自立して生活できるのでしょうか」―これは、脳性麻痺の子どもを育てる多くの保護者が医師などの専門家に投げかける共通の質問だそうです。これまで、脳性麻痺は脳の損傷が原因で起こるもので、その症状は一人ひとりさまざまであることをお伝えしました。したがって、自立して生活できるかという問いにも、その道筋は一人ひとりさまざまであると答えなくてはなりません。ただし、脳性麻痺がどの程度であったとしても、共通している保護者の役割があります。それは、「できるだけ多くのことを子どもが自分でできるように励ましサポートすること」です。また、脳性麻痺の子どもに理学療法や作業療法など専門家が連携する目的も同様です。したがって、脳性麻痺の程度にかかわらず、家族だけでなく周りの人たちとともに自立に向けての支援をしていくことがとても大切です。脳性麻痺の方と家族の手記のなかに「自立」について当事者の目線で書かれた部分があったのでご紹介します。私は身障者手帳の1種の1級を持っています.アテトーゼ型の脳性麻痺で四肢と言語に比較的重度の障害があります.移動は車いすを利用しています.食事も完全には自分一人ではできず,一部介助が必要です.2002年に結婚をし、2005年には子どももできて,現在は両親を含め家族5人で自宅で生活をしています.普段は1988年からつとめている佐世保市にある臨床検査会社でプログラミングの仕事をしています.中略私は今までの経験から「自立」とは,自分の意思を決定づけられることだと思っています。自分がやりたいことややるべきことを,いろいろな方法や手段を使って実現できるなら,それは立派に自立していることになると思います.そして自立というのは最終目標ではなく,自分の夢ややりたいことを実現するための1つの手段に過ぎないと思うのです.そして最も大切なことは,たった1度の人生をいかに幸せに過ごすかということだと思います.出典:穐山富太郎、川口幸義、大城昌平/編著『脳性麻痺ハンドブック療育にたずさわる人のために第2版』(医歯薬出版株式会社、2015年)351ページ脳性麻痺のある小児科医・研究者の熊谷晋一郎氏は、あるインタビューの中で「自立は、依存先を増やすこと」であると述べています。リハビリ等を通して自分自身の身体で出来ることを増やすことばかりが自立への道ではありません。それだけではなく、支援をしてくれる人との繋がり・関係を育んでいくこと、車椅子をはじめ、自分の身体の延長として日常生活・社会生活を営むための手段を増やしていくことなど、自分自身が頼り依存できる先を増やしていくことも、自立した生活に向けて大切な視点です。インタビュー「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」TOKYO人権第56号(平成24年11月27日発行)まとめ出典 : 脳性麻痺について、原因や治療方法などをご紹介しました。脳の損傷部位や範囲によって、症状のあらわれ方や程度、さらには治療の進め方も一人ひとりさまざまです。医師や実際にリハビリを進めていく専門家などと、積極的にコミュニケーションをとることが大切です。また、支援制度も十分に活用することで、保護者だけでなく周りの人たちとともに治療を進めていきましょう。参考書籍: Eva Bower/原著編著、上杉雅之/監訳『脳性まひ児の家庭療育原著第4版』(医歯薬出版、2014年)参考書籍: 木舩憲幸/著『脳性まひ児の発達支援調和的発達を目指して』(北大路書房、2011年)参考書籍: 穐山富太郎、川口幸義、大城昌平/編著『脳性麻痺ハンドブック療育にたずさわる人のために第2版』(医歯薬出版、2015年)参考書籍: 梶浦一郎、鈴木恒彦/編集『脳性麻痺のリハビリテーション実践ハンドブック』(市村出版、2014年)参考書籍: 公益社団法人日本リハビリテーション医学会診療ガイドライン委員会、公益社団法人日本リハビリテーション医学会脳性麻痺リハビリテーションガイドライン策定委員会/編、公益社団法人日本リハビリテーション医学会/監修『脳性麻痺リハビリテーションガイドライン第2版』 (金原出版、2014年)
2017年01月31日