女優の岡江久美子さんが23日朝、新型コロナウイルスによる肺炎のため63歳で亡くなった。所属事務所は同日、夫で俳優の大和田獏と娘で女優の大和田美帆のコメントを発表した。2人は連名で「岡江久美子が4月23日5時20分に新型コロナによる肺炎の為、永眠いたしました事をご報告いたします。今はただ残念で信じがたく、悔しくて悔しくて他は何も考えられない状態です」と胸中を吐露し、「どうかそっと送って頂きたいと願っています」とつづった。そして、「仕事関係者の方々、ファンの皆様、ご友人の皆様、長いお付き合いを感謝致します。また、全力を尽くして治療にあたって頂いた医療関係者の皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました」と伝え、「皆様、コロナウイルスは大変恐ろしいです。どうかくれぐれもお気をつけください」と呼びかけた。岡江さんは今月3日に発熱し、4~5日様子を見るよう言われていたが6日朝に急変し、都内の病院に緊急入院。すぐにICU(集中治療室)にて人工呼吸器を装着し、その後、PCR検査で陽性と判明した。懸命な治療を続けるも完治には至らず、息を引き取った。
2020年04月23日俳優の片岡鶴太郎が23日、オフィシャルブログを更新し、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった女優の岡江久美子さんについて言及した。片岡と岡江さんは、テレビ朝日系ドラマ『終着駅シリーズ』で、長く夫婦役を演じてきた。片岡は「岡江久美子さん!悲し過ぎます!!」と題してブログを更新し、「今日午後3時過ぎ、事務所マネージャーから岡江久美子さんの訃報を聞きました!!」と明かし、「えーっと、絶句のまま、言葉を失いました! 余りに唐突で!余りにショックで!!」と記した。そして、「まだ、私の隣には、岡江久美子さんの体温も、御声も、若く美しい御顔も、存在して居ります!! 岡江久美子さん! 悲し過ぎます!! 辛過ぎます!! 寂し過ぎます!! 岡江さん!岡江久美子さん!!信じられません!」と胸の内をつづった。岡江さんは今月3日に発熱し、6日に容体が急変して入院。ICU(集中治療室)で治療を受け、その後、PCR検査で新型コロナウイルス感染が判明していたという。
2020年04月23日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、自身のブログを更新し、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった女優の岡江久美子さんについて言及した。海老蔵は「岡江久美子さん、、」と題してブログを更新し、「信じられない、もうコロナ早く終わってくれ、、」と悲痛な思いを吐露。「私の知り合いも今日コロナで旅立ったと聞きました、、」と明かし、「お二人のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」と追悼した。岡江さんは今月3日に発熱し、6日に容体が急変して入院。ICU(集中治療室)で治療を受け、その後、PCR検査で新型コロナウイルス感染が判明していたという。
2020年04月23日俳優の大和田伸也が23日、同日亡くなった女優・岡江久美子さんについて自身のTwitterでコメントした。大和田は「義妹 岡江久美子のお問い合わせが来ておりますので、コメントさせていただきます」とした上で、「獏と二人は、自慢のすばらしい夫婦でした。私にとりましても、久美ちゃんは最高にかわいい、いい義妹でした。獏から入院していると聞いた時、まさかこんな日が来るとは思ってもいませんでした。残念です。悔しいです。若い頃からの思い出は尽きません。大和田伸也」とコメントした。大和田伸也は、岡江さんの夫・大和田獏の兄。
2020年04月23日女優の岡江久美子さんが、新型コロナウイルスによる肺炎のため都内の病院で亡くなったと、テレビ各局が報じた。63歳だった。岡江さんは今月3日に発熱し、6日に容体が急変して入院。ICU(集中治療室)で治療を受け、その後、PCR検査で新型コロナウイルス感染が判明していたという。突然の訃報に、ネット上では「信じられない」「岡江さんの死がショックすぎる」「岡江さんマジか…」「岡江さん…?嘘でしょ、まって、え?」「岡江さん、悲しすぎる」「フェイクニュースだと言って」「岡江さんんんんいやだ!いやだ!!」「え…岡江さん嘘でしょ…?」「岡江さんもコロナかかってたのか…はやすぎるよ…」「岡江さんも信じたくないよ」と、衝撃と悲しみの声が広がっている。
2020年04月23日2020年4月23日、俳優の岡江久美子さんが亡くなったことが報じられました。63歳でした。死因は新型コロナウイルス感染症による肺炎で、同日に病院で息を引き取ったとのことです。情報番組『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)によると、岡江さんは同月3日に発熱し、入院をしていたとのこと。俳優として多くの作品に出演するだけでなく、バラエティ番組などの司会としても活躍していた岡江さん。突然の訃報に、ネットからは「まだ若いのに信じられない」「悲しすぎる」「『はなまるマーケット』での岡江さんが大好きだった」といった声が上がっています。ご冥福をお祈りいたします。岡江久美子ってどんな人?母の介護と晩年を語り、孫には『ばばバカ』状態?[文・構成/grape編集部]
2020年04月23日2020年4月8日、お笑いタレント『たんぽぽ』の白鳥久美子さんが、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に感染していることが、所属事務所の報告で明らかになりました。サンケイスポーツは、白鳥さんがコロナウイルス陽性と判断されるまでの経緯について、伝えています。3月29日に嗅覚異常を感じたが、アレルギー性鼻炎持ちのため症状の判断がつかなかったという。しかし、今月3日の夜に親しい知人から陽性と診断されたと連絡があり、改めて自身の症状を確認すると、味覚異常のほか発熱があることが判明。そのため、4日以降は自宅待機をして保健所と連絡を取り、7日に陽性と診断されたという。サンケイスポーツーより引用事務所は取材に対し、「今後も関係各所と連携し、感染拡大の防止に努めてまいります」とコメントしています。【ネットの声】・芸能界はこれ以上拡がる前に、収録のしかたを工夫したほうがいいよね。・どうかお大事になさってください。・え、白鳥さんまで…。心配です。・いつ誰がかかってもおかしくない。早く治りますように。白鳥さんは現在、熱やせきの症状はなく、味覚も徐々に戻っているため、保健所の指示により自宅待機しています。また、相方の川村エミコさんについても、症状はありませんが自宅待機をしているそうです。無事に回復することを、多くの人が願っています。[文・構成/grape編集部]
2020年04月08日ステージにずらりと並ぶ美女たち。そのなかには、後藤久美子(45)とジャン・アレジ(55)の長女エレナ アレジ 後藤(23)と、木村拓哉(47)と工藤静香(49)の次女Koki,(16)の姿もあった。芸能関係者は言う。「2人が出演したイベントは12月10日に開催された『ブルガリ アウローラ アワード 2019』でした。エレナもKoki,も両親が2人ともスターであることから週刊誌などで“ライバル関係”として扱われることも多いのです。積極的に娘のプロデュースに尽力する工藤に対抗して、ゴクミも娘のプロデュースに乗り出すのでは、という報道もありました。彼女は12月27日公開の映画『男はつらいよお帰り 寅さん』で23年ぶりに女優復帰しています。宣伝のために来日の機会も多くなるので、スイスで生活しているゴクミも娘のエレナを応援しやすくなるというのも、その根拠の一つだったのですが……」親子共演なども今後は増えるのだろうか?本誌が後藤久美子の実母に聞いたところ……。「確かに久美子は、『寅さん』の映画の公開に合わせて日本にやってくる予定です。お正月もいっしょに過ごせると思います。でも逆に(いまは日本で生活している)エレナは、クリスマスはお友達たちにも会いたいようで、(アレジの)おじいちゃんやおばあちゃんが住んでいる(フランスの)アヴィニョンに行くんです」入れ違いではテレビ番組などでの共演は難しそうだ。そのことも実母に聞くと、意外な返事が。「久美子とエレナはもう共演しないと思いますよ」ゴクミとエレナは’18年8月にバラエティ番組に母娘いっしょに出て以降、共演はしていない。実はその理由は、2人がスイスと日本で別々に生活しているからだけではないのだという。「“親の七光り”とか言われたことにエレナは傷ついているんです。そうですね、インターネットなどで、かなりひどいことを書かれたので……。(傷ついたのは)母親の久美子も同じでした」2人は話し合って“もう共演はやめよう”と決めたのだという。声が沈みがちになった実母だが、話題が新作映画になると表情も明るくなった。「久美子は『寅さん』だから、久しぶりに出演したんです。私も試写会で見せてもらいましたが、涙あり笑いありの素晴らしい映画ですよ。山田洋次監督は本当に天才です。私も映画館で、あと2回は見たいと思っています!」女優活動も目指しているものの母・久美子の現役時代は知らないエレナ。彼女にも『寅さん』を見て、傷心を乗り越えてもらいたい。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月22日女優の後藤久美子が10月28日、東京・六本木ヒルズアリーナで開催された第32回東京国際映画祭(TIFF)のレッドカーペットイベントに登場した。後藤は、オープニング作品に選出された『男はつらいよお帰り 寅さん』(12月27日公開)のキャストとして、倍賞千恵子、吉岡秀隆、前田吟、夏木マリ、浅丘ルリ子、山田洋次監督とともに登場。デコルテがのぞくマーメイドドレスを身にまとい、変わらぬ美貌とスタイルで観客を魅了した。本作は、1作目の公開から今年で50年を迎え、シリーズで50作目となる『男はつらいよ』の最新作。1997年の『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』以来、本作が実に22年ぶりの新作となり、寅さんの甥の満男(吉岡秀隆)と、満男の初恋の相手イズミ(後藤久美子)のその後の物語を軸に、さくら(倍賞千恵子)や博(前田吟)、そして「くるまや」を囲むいつもの面々のいまが描かれる。レッドカーペットイベント後に行われた舞台挨拶で、後藤は「またこうして自己紹介する日が来るとは・・・。でもこうして尊敬する山田監督とキャストの皆さんとここにいることができて光栄に思います。今夜は皆さんの大好きな寅さんにたくさん会えると思います。どうぞ寅さんと素敵な夜をお過ごしください」と語った。
2019年11月05日元F1レーサーのジャン・アレジ氏と女優の後藤久美子の長女でモデルのエレナアレジ後藤が24日、東京・恵比寿ガーデンプレイス シャトー広場で行われた「harper by Harper’s BAZAAR × CR Japan 1周年パーティ」に登場した。エレナは、胸元あらわな黒のドレスで登場し、ミニスカートから美脚も大胆に披露。色気を漂わせながらブラックカーペットを歩き、観客に手を振る場面もあった。同イベントは、ハースト婦人画報社の女性ファッション誌『ハーパーズ バザー』と『CRファッションブック』のコラボイベント。『ハーパーズ バザー』グローバル・ファッション・ディレクター、『CRファッションブック』ファウンダー兼出版ディレクターで あるカリーヌ・ロワトフェルド氏が来日し、『ハーパーズ バザー』日本版の塚本香編集長とともに豪華ゲストをお迎え。エレナのほか、森星、Koki,、剛力彩芽、安藤美姫、武田真治、桜田通、小関裕太、エリー・ローズ、平子理沙ら約30人の豪華ゲストがカーペットを彩った。
2019年10月26日12年ぶりに帰ってきた伝説のドラマ『時効警察』。変わらず主演を務めるオダギリジョーさんと麻生久美子さんにお話を聞きました。12年ぶりに帰ってきた伝説のドラマは、絶対見逃せないと言っても過言ではないのだ!‘06年に放送された深夜ドラマ『時効警察』。三木聡監督を筆頭に、多才なキャストとスタッフ陣が作り出すそのシュールな世界観に、放送当時、やみつきになる人が続出。加えて、時効を迎えた未解決事件を趣味で捜査するという斬新なストーリーも話題を集め、深夜枠での放送にもかかわらず、平均視聴率は10%超え。その人気ゆえ、翌年に『帰ってきた時効警察』が放送されると、こちらも平均視聴率が12%を超えるという、まさに伝説のドラマなのです。そんな『時効警察』が、この秋、なんと12年ぶりに復活!そう聞いて、居ても立ってもいられなくなったアンアン編集部は、シーズン3となる『時効警察はじめました』をさらに楽しむべく、改めてその魅力を考察。個性豊かすぎるキャラクターたちに、作品中にちりばめられた小ネタの数々、新たに参加するキャストやスタッフと、今回も見どころは随所にあり!前作を見ていないという人もまだまだ間に合う、『時効警察』ワールドの魅力を徹底解説します!1分でプレイバックする!これまでの『時効警察』。時は13年前。総武警察署の時効管理課に勤める、とにかく平凡な男・霧山修一朗。ある日、無趣味なことをからかわれた彼は、時効事件の捜査を趣味にすることを決意!その助手として名乗りを上げたのが、交通課の三日月しずか。彼女は、霧山が罰ゲームで記入させられた婚姻届をこっそり盗むほど霧山に恋心を寄せている。そんな二人がコンビを組み、遺留品の返却を理由に事件の関係者を訪ねながら、解決への糸口を探していく。普段は地味な霧山だが、時効事件ではその手腕を発揮。メガネが曇る、髪型が変わる、雨が降るなどの変化を手掛かりに、アリバイ不十分だった容疑者の嘘を見破っていく。ただし、真相を暴いたとはいえ、時効を迎えたため法の裁きはなし(ドラマ放送時)。犯人を不安にさせないために、“この件は誰にも言いません”と書かれた霧山特製の「誰にも言いませんよ」カードを犯人に渡すのが毎回のお約束。毎話ゆるい笑いを届けているが、時にはほろりとする展開も(時効間近の美人犯人に恋をした十文字刑事の葛藤を描いたエピソードなど…)。捜査資金が底をついたことで、一時は捜査を中断していた霧山だが、万馬券が当たり時効捜査を再開することに(シーズン2)。すると、霧山が犯人に間違えられたり、催眠術にかかった三日月がCDデビューを果たしたりと、ドタバタ劇はさらにパワーアップ!そんな過去2シーズンを、現在Amazonプライム・ビデオで配信中。予習をすると、さらに楽しめるはず!12年ぶりの共演なのに、全く変わらない!?――『時効警察』が復活すると聞いたとき、率直にどう感じましたか?麻生:まさか本当に復活すると思ってなくて。何度か話もあったけど実現しなかったから今回もやらないんだろうって思っていたんです(笑)。オダギリ:あ、そうなの?麻生:そうだったよ!これまで2回くらいかな。あ、でもごめんなさい。私、かなり適当なんで(笑)。オダギリ:本当に適当だからね(笑)。麻生:はははは。でも、うれしい半面、大丈夫かなっていう不安もちょっとね。共演自体もほぼ12年ぶりで。最初はすごく緊張しましたよ。オダギリ:でも、昔と何も変わらないよね?現場の雰囲気も。麻生:不思議なくらいに(笑)。ただ、私、とにかく髪型が心配で。オダギリ:そんなに?麻生:女性にとってはすごく大きいことなんですよ!40歳過ぎてツインテールって!でも、ツインテールをした段階である種の覚悟ができたんです。それで自然と三日月に戻れたのかなぁ。――お二人の掛け合いを聞いていると、霧山くんと三日月くんをそのまま体現されているようです。オダギリ:昔からですね。なんというか、もう役を超えた感じがあって(笑)。僕は単純に麻生さんの生態自体に興味があるので。麻生さんが三日月であろうと他の役であろうと、僕はきっと面白がるんですよ。それはどんな作品であろうと、何年経っても変わらないと思いますね。――具体的にはどんなところが?オダギリ:それはあんまり口にしたくないことではありますけど。麻生:ふふふふ。どうして?(笑)オダギリ:最近でいうと……うーん、虫除けくさかったり。麻生:わはははは。よせよ!オダギリ:なんか、そういうところが好きですね(笑)。麻生:オダギリさんこそ、こんなに面白い人はいないですよ。いろんな意味で。なんか、オダギリさんっていじり倒すことが好きですよね?オダギリ:どちらかというとSっ気が強いんで、友達とかもいじれるタイプの人が多いんですけど。麻生さんがもう、本当にぴったりで(笑)。麻生:(笑)。でもね、すごいんですよ。お芝居をしているときは、何をやっても成立させる人なので。いつもすごいなぁって尊敬しています。オダギリ:いや、僕も同じことを思っていますよ。麻生さんに何をやらせても、自分が想像している以上のものが必ず返ってくるから。麻生:あははは。ありがとうございます。オダギリさんって、私のことを本当にわかってくださるんですよ。私、オダギリさんが監督した回(シーズン2・第8話)の三日月がすごく好きなんです。日頃から私のことをよく観察してくれて、うまいこと引き出してくださったんだなって。オダギリ:前回もだけど、待ち時間に麻生さんと喋るじゃないですか。で、そのときの麻生さんの面白さが前面に出てほしいから、「あのやり取りをこのシーンに入れてみようよ」とか話して、普段の会話からひとつのシーンが膨らんだりするんです。今回の現場でもそうです。麻生さんの素材の良さが、三日月の面白さに直結しているんですよね。麻生:ほぉぉ。天才!オダギリ:(笑)。私(麻生さん)が?麻生:いやいや、表現が(笑)。―― 13年前、麻生さんを推薦したのはオダギリさんと聞きました。オダギリ:ええ。なんとなく麻生さんと何かやってみたいと思っていて。麻生:あ、そうなんですか!オダギリ:それが成功とも言えるし。麻生:成功でしょう?オダギリ:麻生さんからしたら…。麻生:歌ったりとか、何でもやるイメージはついたよね(笑)。オダギリ:世の中的には、麻生さんのこういう一面が見ることができた、素晴らしい機会だったと思いますよ。麻生:さすが見る目ありますね(笑)。オダギリ:もう、いい加減、二人で褒め合うのは限界あるって(笑)。完成された世界で光る新たな味も醍醐味。――旬なスタッフやキャストが制作に関わっていることもこの作品の魅力ですが、今回はいかがでしたか?オダギリ:新しい監督さんたちは、物凄いプレッシャーの中、参加されるわけじゃないですか。だから、「僕らが助けてあげないと」という思いがなんとなくありましたね。麻生:そうですね。オダギリ:すでにできあがった世界に、新しく入る人が自分の味を出すってとても難しいことだと思うし。麻生:でも、そこで監督らしさというか、持ち味を出せたらすごいよね。私たちもそれを見るのが楽しみだし。オダギリ:麻生さん、新しいキャストのみなさんのこと大好きだよね?麻生:もうね、本当にかわいい!里帆ちゃんと磯村くん、2人とも。でも、もっと雰囲気が変わるのかと思っていたけど、案外変わらなくて。オダギリ:新しい2人が時効警察の世界に馴染んできたって感じだよね。――最後に、お二人が思う、それぞれのキャラクターの魅力は?オダギリ:三日月はもう、なんでもできるところだよね。どんなリアクションになったとしても、三日月だったら許されるというか。麻生:そう?私は、三木さんの世界にいようと思ってやっているだけだから。霧山くんの魅力は?オダギリ:僕が好きなのは、彼がなんでもないところ。周りの人が面白い会話を回すじゃないですか。そこで霧山はキョトンとしておけばいい。麻生:あぁ、腑抜けた感じね。オダギリ:そう、腑抜けた(笑)。麻生:でも、霧山くんってかっこいいですよ。事件を解決していく、ふとしたときの表情とか。オダギリ:え?そうなの??麻生:それもあって、三日月は霧山くんのこと好きなんじゃないかな。あ、でも二人の進展は、ドラマを見てのお楽しみにしてくださいね。『時効警察はじめました』毎週金曜23:15からテレビ朝日系で放送中(一部地域を除く)。インターネットテレビ局「AbemaTV」と動画配信サービス「ビデオパス」では、新キャストの吉岡里帆、磯村勇斗の過去を描いた特別編も配信。©テレビ朝日オダギリ ジョー1976年2月16日生まれ、岡山県出身。先日公開された映画『ある船頭の話』では、脚本・監督を務め、ヴェネチア国際映画祭に選出された。秋から配信されるNetflix『深夜食堂 ―Tokyo Stories Season2-』に出演。あそう・くみこ1978年6月17日生まれ、千葉県出身。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』に出演中。12月4日から始まる松尾スズキ作・演出の舞台『キレイ-神様と待ち合わせした女-』にも出演予定。※『anan』2019年10月23日号より。インタビュー、文・野村紀沙枝(by anan編集部)池田エライザさんのヘルシービューティのヒミツ
2019年10月16日モデル・タレントの舟山久美子さんが編集長を務めるWEBマガジン「Bloomeee(ブルーミー)」が、10月2日より配信スタートしました。17歳の時に渋谷でスカウトされモデルデビュー。雑誌「Popteen」の専属モデルを6年間努め、現在は様々なファッション誌、バラエティ番組、また2013年にはファッションブランド「MICOAMERI」を立ち上げるなど、精力的に活躍の場を広げている舟山さん。そんな彼女が新たに手がける「Bloomeee」は、ファン・読者とのコミュニケーション型WEBマガジン。コスメコンシェルジュ、ダイエットインストラクターとしての資格も有する舟山さんならではの切り口で、「beauty」、「Cooking」、さらには「travel」、「shop」といったカテゴリごとに、舟山さんのライフスタイルがシェアされる場所でもあります。WEBマガジン開始にあたり、舟山さんからは以下のようなコメントも。「私は父から『人脈は宝』と言う教えのもと、周りの環境や繋がる人により人は左右されるもの、と教えられて育ちました。そのため、身近に感じるものは自分を作っていくものでもあるため、とても気をつけています。その中で気付いた、何気ない感情を都度都度、このウェブマガジンに書いていこうと思います。何気ないライフスタイルを通し、みなさんが幸せをお持ち帰りして頂けたら嬉しいです。」ファンだけでなく、ファッションや美容好きな女性も単推しめるWEBマガジンがスタートします。webマガジン「Bloomeee」価格:500円/月(税込)発行:週2~3回(曜日不定期)Bloomeee:
2019年10月11日モデルの“くみっきー”こと舟山久美子が17日、自身のブログを更新し、直筆メッセージで結婚を報告した。同日ゲスト出演した日本テレビ系情報番組『ヒルナンデス!』で結婚を生発表したくみっきーは、改めてブログで「わたくし事で恐縮ではございますが、この度、舟山久美子はかねてよりお付き合いしていた方と9月16日に入籍致しましたことをご報告させて頂きます」と報告。続けて、「お相手の方は36歳、一般男性の方です」と伝え、「出逢った瞬間から価値観が合い、恋人ですが親友のような心地よさでした。思いやりに溢れていて、優しくマシュマロのように包み込んでくれるお方です」とつづった。そして、「たくさんの方々に支えて頂いたお陰で16歳の頃からこのお仕事を続ける事が出来ています。まだまだ未熟者ですが、皆さんとこれからも一緒に成長していけたら嬉しいです」と感謝し、「初心の気持ちを忘れず感謝の気持ちを忘れず謙虚な気持ちを忘れずより一層の努力を重ねていき頑張っていきたいと思います。今後とも応援よしくお願い致します!!」と呼びかけた。ブログの最後には、幸せいっぱいの表情で夫に抱きついてる2ショット写真も公開した。
2019年09月17日女優・後藤久美子と元F1レーサーのジャン・アレジ氏の長女エレナ・アレジ・後藤(22)が25日、東京・在日スイス大使館公邸で行われたイベント「『スイス・グランドツアー in Japan』完成記念お披露目会」に出席した。エレナはスイスのジュネーブで育ち、2017年10月より日本でモデル活動を開始。最近では、バラエティ番組などにも出演し、活動の幅を広げている。「スイス・グランドツアー in Japan」の日本語版モバイルWEBサイトでは日本各地に点在する、スイスと縁のある場所をデジタルマップを通して知ることができ、エレナは同サイトで取り上げられたロケーションについて独自の視点で紹介していった。イベント後には自身初となる囲み取材に応じ、「スイスで育って大好きな国なのでとても光栄です」とゲストスピーカーのオファーに感謝。「生まれがフランスで、4歳から高校までジュネーブで暮らしました」「インターナショナルスクールに通って、その後はロンドンに」とあらためて説明し、「東京に住み始めてスキーに行ってないので、それがさびしい。スイスではいつもスキーをしていたので。いつか北海道にも行ってみたいです」と故郷を懐かしんだ。また、両親の性格を「母は日本人でとても真面目な人。父はフランス生まれでそんなに真面目な人じゃない」と明かして笑いを誘いつつ、「母から怒られると、父は『大丈夫だよ』と言ってくれて」とバランスがとれているという。母とは毎日電話をしているそうで「両親は信頼してくれています」と感謝し、今後の抱負を「演技のレッスン、アクションのレッスンを重ねていて、いつか女優になりたいと思っています」と述べて笑顔を見せていた。
2019年04月25日麻生久美子と中村倫也がW主演を務めるM&Oplaysプロデュース「クラッシャー女中」が本日3月22日(金)、東京・本多劇場にて初日公演を迎え、舞台写真とともに演出・根本宗子、主演の麻生さん、中村さんから初日を迎えたコメントが到着した。2017年2月に本多劇場で上演され、連日立ち見が出る盛況のうちに幕を閉じた「皆、シンデレラがやりたい。」に続く、根本宗子×「M&Oplays」のタッグ、本多劇場公演の第2弾。全てに貪欲な、やっかいな女・ゆみ子を中心に繰り広げられる悲喜劇となっている。屋敷の女中・ゆみ子を演じる麻生さん、屋敷の息子・義則役の中村さんをはじめ、義則の婚約者・静香役にはNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」や「ブラックペアン」、映画『生きてるだけで、愛。』などの趣里、屋敷の主であり息子を溺愛する母・和沙役には存在感ある確かな演技で観客を魅了する西田尚美。そのほか、佐藤真弓、田村健太郎、演出の根本さん自身と独特な空気感を持つ個性的なキャストが集結している。そんな彼らが脚本・演出も担当する根本宗子によって、どのようにクラッシュしていくのか――。魅力あふれる個性的なキャストが織りなす、いままでに見たことのない化学反応が幕を開ける。中村倫也の「真っ直ぐさ、言葉の裏を読まなさ」は物凄い価値根本さんは「W主演の麻生さんはその声と存在が物凄くて。今回の『ゆみ子』という役は麻生さんの声に当て書きした役なので、違和感しかない役を違和感なくやってのけてしまう感じに『それそれー!!』と稽古中何度も心の中で興奮しました。私の理想のヒロインです」と麻生さんについて語ると、もう1人の主演・中村さんについては「どんな役でもそうなんですが、今回演じる『義則』という役は演劇の中でも特にゴールがない役だと思っていて。千秋楽まで倫也さんが義則を連れて一体どこまで行ってしまうのかがひたすら楽しみです」と、ワクワクのコメント。さらに、「普段ポーカーフェイスな倫也さんですが、すごく言葉をストレートに受け取ってくださる方で、いまの世の中で倫也さんの『真っ直ぐさ、言葉の裏を読まなさ』は物凄い価値だと思います」と、独特の表現で絶賛を贈っている。中村倫也、麻生久美子は「本当にチャーミング」麻生さんは「中村さんは本当に人を観察してる人で分析されてます。とても器用な方で、今作でも色々な中村さんを見せてくれます。そしてやはり心優しい王子さまです」と、その印象を告白。そして「才能溢れる根本さんの作品を自分自身も楽しみつつ、仲間と一緒に、そしてお客様と一緒に、最後まで全力で駆け抜けたい」と意気込みを新たにコメント。また、「久しぶりの舞台、精一杯楽しみ、楽しませたいと思います!」と中村さん。「麻生さんは本当にチャーミングで包容力のある方で、麻生さんの魅力が狂おしいほど爆発する作品になっています! この作品を見て、お客さんがどんな感想を抱くのか、楽しみにしています!」と大きな期待を寄せている。■あらすじある屋敷を舞台に繰り広げられる女と男の対決の物語世界的な画家であり、大富豪の小笠原義一の息子・義則(中村倫也)は、大人気のデザイナーとし、成功を手にしていた。屋敷の主人・義一はこの世になく、彼の母親・和紗(西田尚美)と2人の女中(佐藤真弓、根本宗子)、また彼の幼馴染で孤児の華鹿男(田村健太郎)という男の子も養子として住んでいた。義則は、彼好みの女性・静香(趣里)を婚約者としてこの屋敷に迎える。彼女はゆみ子(麻生久美子)という女中を伴っていた。この2人の女が屋敷に現れたことで、隠された真実が次々とあらわになり、彼女たちの仕組んだ罠が義則の底知れぬ欲望を、その悲しい過去が思わぬ事態を招いてゆく…。M&Oplaysプロデュース「クラッシャー女中」は3月22日(金)~4月14日(日)まで東京・本多劇場ほか、以後、名古屋、大阪、島根、広島にて上演。(text:cinemacafe.net)
2019年03月22日昨年10月、アイドルグループ「King&Prince」のメンバー岩橋玄樹(22)がパニック障害の治療に専念するため休養。翌11月には「Sexy Zone」の松島聡(21)も、同じ病いで療養に入ることを発表した。相次ぐ休養宣言でにわかに注目が集まった「パニック障害」だが、過去には多くの有名人が病いと闘っていたことをカミングアウト。決して、珍しい病気ではないのだ。「がんのように明確な診断基準がないため、患者の特定が難しいのが、この病気の厄介なところです。ただ、ストレスや自律神経の乱れが発症の引き金になることが少なくないため、ストレス社会の現代では『予備群』も含め、患者は増えているのでは、と考えられます」そう語るのは、あゆみクリニックの宮沢あゆみ院長。アメリカの調査でもパニック障害の有病率は増えていると推測され、100人のうち5人近くがなるというデータも(NSC調査)。しかも女性の患者数は男性の2.5倍に上るというから(同調査。いずれも厚生労働省ホームページより)、決して人ごとではない。長いパニック障害との闘いを克服した経験を持つ、女優の大場久美子さん(59)。克服までの道のりを聞いた。「私の場合は動悸と息苦しさが主な症状でした。40歳手前ぐらいから、楽しいときでも苦しくなるので、なぜだろう?と。でも、検査を受けても何も異常が見つからず、ドクターショッピングに近い状態が続いていたんです」(大場さん・以下同)原因もわからないまま、数年間苦しんだという大場さん。その後、’03年にパニック障害などの疾患に詳しい医師に巡り合い、ようやく診断されたという。「原因がわからない不安のほうが大きかったので、診断されたときはむしろうれしかったです。病気とわかったのだから、治そうと」現在、パニック障害の治療には、薬物療法のほかに、偏ったものの見方を修正し、行動を変えていく『認知行動療法』も重要とされている。しかし、当時の大場さんが医師から提案されたのは「休養して入院し、お薬を飲みましょう」というものだった。「でも、私にはその選択肢はなかったんです。入っている仕事をキャンセルすることなんてできないし、一人暮らしだったので収入が必要でした。軽い精神安定剤を処方されたこともあったのですが、もともと風邪薬も慎重に飲むほどで、薬が効きすぎる体質なのか、めまいで起き上がれなくなったこともあって、飲みませんでした。何より芝居が大好きだったので、休業して入院するなんて、とても考えられませんでした」闘病を見守った事務所の代表いわく、大場さんは「ど根性の人」。試行錯誤しながら、自力でパニック障害に向き合っていった。「たとえばパニック障害だと、発作が怖くて電車に乗れなくなることが多いのですが、私は乗れないと決めつけず、どうやったら乗れるかを考えました。発作が出たときに、誰にも見つからずに座り込めるトイレの場所を把握しておくだけでも、安心材料になりました。ほかにも、予期不安(発作を繰り返すと、『また発作が起きたらどうしよう』と強い恐怖感を抱くようになる)に襲われたときに、すぐ誰かとつながれる携帯電話も大きな支えでした。そうやって自分の中の『安心アイテム』を増やすことで『できない』から『できるかもしれない』が増えていく。いま思えば、私は自然と『ものの見方を変えていく』ことをやっていたのだと思います」だが、当然闘病には苦労も――。「テレビ番組の公開収録のときなどは、たくさんのゲストもお客さまもいる抜け出せない状況に、息苦しくなってしまうこともありました。そんなときは、自分を思いっきりつねったりして、やり過ごしていました」それでも階段を上るように、症状は改善されていった。支えになったのは、生きがいである仕事を続けられたこと。そこには事務所の全面的なサポートがあった。「自宅から仕事場までの間にある、あらゆるトイレの場所を調べてくれたり、収録中に発作が起きて歌えなくなった場合に備えて後輩をたくさん連れてきてくれたり。『何があっても大丈夫』という環境を整え、見守ってくれました」こうして、テレビで公表するころには「克服」していたと振り返る。もちろん、これは大場さん個人の体験で、パニック障害の克服には専門家のサポートが不可欠だ。「本当の認知行動療法は、まず、心理療法士やカウンセラーとともに進めていくのが一般的です。お医者さんに薬を処方していただくことが必要な時期もあると思います。ただ、きちんとカウンセリングを受けて、認知のゆがみを修正する必要性があればそれを行うことで、病気に限らず、その後の人生も生きやすくなると思います」大場さん自身も、闘病経験を生かして心理カウンセラーの資格を’08年に取得。現在は女優業と並行して、さまざまな人の心の悩みに耳を傾ける日々だ。「パニック障害が再発する可能性は、ゼロとは言い切れません。一度体験して脳裏に刻まれたので、『完治』ではなく『克服』。でも、『どうしよう』を『こうしよう』に変える自分の中の安心アイテムがあるので、もう怖くはありません。パニック障害は必ず克服できる。私はそう、信じています」
2019年03月01日女優・後藤久美子の長女、エレナ・アレジ・後藤が12日、東京・六本木ヒルズアリーナで行われた「BVLGARI AVRORA AWARDS 2018」ゴールデンカーペットセレモニーにゲストとして登場した。花柄のロングドレスで登場したエレナは「みなさまこんばんは」とあいさつし、ファッションのポイントについて「ベリーフェミニン」と説明。そして、「今日ここに立たせてくれてありがとうございます。とてもうれしいです。ちょっと緊張しています」と語った。同アワードは、創造力、知性、才能に満ちあふれ、多くの人々にインスピレーションを与える女性を表彰するもの。今年は、女優の杏、AMBUSHデザイナーのYOON、女優の福島リラ、MIYAVIの母・石原裕子、宇宙飛行士の向井千秋、建築家の妹島和世、小説家・エッセイストの林真理子、有職彩色絵師の林美木子、指揮者の西本智実、音楽家のコトリンゴの10人が受賞した。ゴールデンカーペットには、受賞者に加え、それぞれの推薦者やブルガリアンバサダーのKoki,、授賞式MC担当の中村アン、さらに、山田優、森星、マギー、西内まりやなど豪華な顔ぶれが華を添えた。
2018年12月13日アイドルグループ・SKE48の須田亜香里と大場美奈が、30日に放送されるTBSラジオ『伊集院光とらじおと』(毎週月曜~木曜 8:30~)にゲスト出演することが決定した。2人は、10時からの「伊集院光とらじおとゲストと」のコーナーに生出演する。6月16日に行われた「第10回AKB48世界選抜総選挙」では、須田が2位、大場が8位を獲得している。そして10周年を迎えたSKE48の活動を追ったドキュメンタリー映画『アイドル』が公開中だ。松井珠理奈が体調不良のため活動を休止していた夏、SKE48メンバーたちは何を考え、何を実行してきたのか。そして10周年の先に見据える未来とは。同番組のパーソナリティ・伊集院光が、素顔に迫っていく。
2018年10月26日梅沢富美男がMCを務める「梅沢富美男のズバッと聞きます!」の2時間スペシャルが8月8日(水)今夜オンエアされ、後藤久美子と娘のエレナ親子のほか、ディーン・フジオカの実妹である藤岡麻美、山崎賢人、上野樹里、藤木直人、戸次重幸ら豪華ゲストが出演する。“元祖国民的美少女”として80年代後半に一大ブームを巻き起こし、F1・フェラーリのエースドライバーとして活躍したジャン・アレジと結婚、世界のセレブとなった後藤さん。娘であるエレナ アレジ 後藤さんもまた4か国語を操り、すでにパリの社交界デビューも果たしているまさにセレブリティ。今回は日本のバラエティに出演するのは13年ぶりという母・後藤さんと娘・エレナさんの今回が最初で最後だというバラエティでの親子共演が実現。番組では彼女の映像ディレクターとしての初仕事に密着、ローマで行われる後藤さんの撮影会の模様を紹介するほか、スタジオでは「父の総資産は400億円って本当?」など、エレナさんの普通では考えられないうわさについて梅沢さんがズバッと斬り込む。また、実は兄より先に日本の芸能界でデビューしていたという妹の麻美さんがスタジオに登場。現在は台湾を舞台に“ある仕事”で大成功しているとうわさされている。その“ある仕事”について、また成功の裏にあった世界的スター2世との出会いなどを語る。さらにドラマ「グッド・ドクター」で主演を務める山崎さんと共演の上野さん、藤木さん、戸次さんらメインキャストも登場。梅沢さんに代わり「平成ノブシコブシ」吉村がドラマ撮影現場に出張して気になる話をズバッと聞く。山崎さんの「包容力のある年上の女性が良いですね」というコメントに吉村さんが斬り込むほか、上野さんは結婚生活や夫・和田唱さんとのプライベートについて話してくれる。そのほかにもブライダルデザイナーの桂由美に、今年5月突然の休養を宣言したピーターなどバラエティに富んだゲストを迎える。山崎さんがサヴァン症候群の小児科医を演じる感動のメディカル・ヒューマンドラマ「グッド・ドクター」は毎週木曜22時~フジテレビ系で好評放送中。「梅沢富美男のズバッと聞きます!SP」は8月8日(水)21時~フジテレビ系でオンエア。(笠緒)
2018年08月08日女優の麻生久美子が、24日深夜に放送された俳優で歌手の星野源がパーソナリティを務めるラジオ番組『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送/毎週火曜25:00~27:00)にゲスト出演し、映画で星野と共演した際の裏話を披露した。現在公開されている細田守監督のアニメ映画『未来のミライ』で、女優・上白石萌歌演じる主人公・くんちゃんのおとうさん役を演じている星野と、おかあさん役を演じている麻生。麻生が番組に登場するなり、星野は「はあ、かわいいっすね…」と感嘆すると、麻生は「もう、ほんとやめてください! あー(笑)」とかなり照れた様子だった。さらに麻生は「私、見れないんですよ! 星野さんを。お父さん役が星野さんと聞いたとき、ちょっと困りました。私、本当にファンなんですよ」と明かし、「(演技中に)星野さんの顔が見れないから、セリフをかわすなんて無理じゃないかと思って…」と困惑したとのこと。麻生は、スタジオで星野にあいさつした時に緊張してしまったようで、「変なテンションだったんですけど…」と謝罪。しかし、「このままだと仕事としてマズイ」と思い、「終わるまではファンを出さないでおこう」と決意し、平静を装っていたのだという。この話を受けて星野は、その時の麻生の様子について、「スタジオの中の待機場所でも、僕から離れた場所に座るんですよ」と暴露。麻生が「そりゃそうでしょ!(笑)」と返すと、星野は「だって夫婦役なんですよ。普通、夫婦役は隣とかのはずなのに、『なにかの意図を感じる』と思っていました(笑)」と明かしていた。
2018年07月26日SKE48の大場美奈が、16日にナゴヤドームで行われた開票イベント「第10回AKB48世界選抜総選挙」で5万3,998票を獲得して8位になり、初めて選抜入りを果たした。2009年にAKB48の9期生として加入し、2014年にSKE48に移籍。総選挙の最高順位は2016年の22位、2017年は26位だった。名前を読み上げられた大場は、ガッツポーズしながら溢れ出る涙を拭った。マイクの前に立ち、「今26歳でアイドルになって9年目です」とあらためて自己紹介しながら、「新しい夢を叶えることができました。これは、ファンのみなさんと一緒に叶えた夢です。48グループは努力をすれば絶対に夢を叶えられます」と断言。「次はテレビを見ている皆さんに私を覚えてもらえるように頑張る。それが次の夢です」と新たな目標を発表し、「私は5年前に名古屋に来て、SKE48に出会えて本当に良かったです。今とっても幸せです! ありがとうございました!」と精いっぱい声を張り上げて感謝の言葉を伝えた。
2018年06月16日5月17日に初日を迎える舞台『市ヶ尾の坂-伝説の虹の三兄弟』の公開フォトコール&初日前会見が16日、東京・下北沢の本多劇場で行われ、 大森南朋、麻生久美子、三浦貴大、森優作、池津祥子、岩松了が報道陣の取材に応じた。前列左から岩松了、大森南朋、麻生久美子、後列左から池津祥子、三浦貴大、森優作同舞台は、俳優としても活躍している作演出家の岩松了とM&Oplaysが定期的に行っている公演で、今回は1992年に竹中直人の会で上演された『市ヶ尾の坂』を岩松の新しい演出によって26年ぶりに上演する。舞台は1992年の神奈川・横浜市の市ヶ尾。その坂にある家で暮らす三人兄弟は、田園都市計画で家が無くなることを余儀なくされていた。そのような中、懸命に生きていこうとする母なき兄弟、 三人と触れ合うことになった母になることが出来ぬ美貌の人妻の絵合わせのような家族劇を描く。公演初日を前日に迎えたこの日は、報道陣向けに三兄弟が住む家でのシーンの一部が公開され、その後に記者会見。長男役の大森南朋は「この1カ月頑張って稽古をしてきました。皆さんに気に入ってもらえる作品になればと思います」と初日の公演が待ち遠しいようで、人妻役の麻生久美子は「正直とても緊張していて、明日を迎えるのが少し不安です。でもせっかく岩松さんの舞台でこういう機会をいただけたので、できるだけ楽しんでやりたいと思っています」と気合十分。岩松作品初参加の三浦は、出演が決まってから周囲に「厳しい」と脅かされたそうだが、「何度も同じことをやるとは聞いていましたが、稽古でその意味が分かりました。何度もやっていくとセリフが身体に馴染んできて、人間関係でセリフを言わないといけないことに気づきました」と振り返り、「これからの役者人生で大切にしていきたいと思える稽古期間でした」と岩松の演出に刺激を受けた様子だった。大森と麻生は、これまで何度か岩松が手掛けた舞台に出演している。大森が「セリフがすごくきれいなのと、その人間が置かれている状況を空間的に教えてくれるので勉強になりますね。岩松さんの作品が大好きです」と岩松作品の魅力について言及。一方の麻生も「私は今まで稽古が楽しいと思ったことがないんですが、岩松さんの稽古場ではすこし楽しさを感じ始めました。岩松さんの言葉が格好良いし、結構しびれています」と絶賛していた。舞台『市ヶ尾の坂-伝説の虹の三兄弟』は、5月17日~6月3日(5月21日、28日は休演)に東京・下北沢 本多劇場、6月5日に宮城・仙台 電力ホール、6月7日に福島・白河文化交流会館コミネス、6月9~10日に大坂・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ、6月12日に富山・富山県民会館ホール、6月14~15日に愛知・名古屋 日本特殊陶業市民会館ビレッジホール、6月17日に静岡・三島市民文化会館 大ホールにてぞれぞれ公演。
2018年05月17日「ク・ミ・コ~!」。アイドル時代そのままに、客席からは“久美子コール”が飛び交っている。 2月12日の祝日、「恵比寿・天窓switch」で開催された「相本久美子 Live Style vol.4」。白いマイクを手にステージに立つ相本久美子さん(59)はスカイブルーのキャミソールドレスで、くるりと振り向けばチュールの裾がひらひらと揺れる。花の髪飾りと花のブレスレット、腰の後ろで大きなリボンを結び、完璧なアイドルファッションだ。 1曲目の『涙のドライブ』(’78年リリース)を歌い終えた相本さんが、とびきりの笑顔で客席に話しかけた。 「じつは今日は『女性自身』さんの取材も入っています。今年5月に還暦を迎える相本久美子が、いまだにフリフリでライブをやっているというので、どんなものか見てやろうと(笑)」 すかさず「ガンバレ!」と野太い声が飛ぶ。長年のファンが詰めかけた会場は、ワクワク感いっぱいのあたたかい空気に包まれた――。 相本さんが歌手デビューをしたのは、’74年、16歳のときだった。大きな瞳と天衣無縫な笑顔で、歌や司会、グラビアやドラマやバラエティ、CMなどでも活躍するマルチタレントとして一時代を築く。 現在デビュー44年目。その間には、結婚と出産、離婚。シングルマザーとしての奮闘もあった。今では、5歳と1歳の孫もいる。 「じつは私、歌には劣等感をもっていたんです。ヒット曲もありませんし、歌の下手なアイドルの代表でしたから」(相本さん・以下同) 相本さんが、ふたたびアイドル歌手としての活動を始めたのは、芸能活動40周年を迎えた’14年9月だった。当初、記念ライブの企画を持ちかけられたときは、「30年も人前で歌っていないのに、無理無理!」と断ったが、周囲の熱意にほだされた。 「考えてみれば、昔のアイドル時代には、お小遣いが足りなくて会いに来られなかったファンも多いはずなんです。余裕のできた今、私のことを思い出して来てくれる人がいるなら、そんなみなさんと楽しく過ごせればいいな。そう思ったんですね。40周年の一度きりのつもりでした」 果たして14曲も覚えられるだろうか。体力は大丈夫か。準備段階からドキドキしながら迎えた40周年記念ライブ当日、会場の「ケネディハウス銀座」は、全国から100人以上の同世代のファンが駆けつけて満員。9割方が男性だった。 「始まる前に袖からのぞいたら、みんなカチンコチンに緊張して、シーンとしてたんです。それを見て私も緊張しちゃって。歌うほうも見るほうも、久しぶりだから(笑)」 けれど、フリフリのドレス姿でステージに登場するや、雰囲気は一変した。 「みなさん、当時のコールや振付をやってくれたり、一緒に歌ってくれたり。紙テープもたくさん飛んできて、あっという間の90分間。ほんとうに楽しかったんです。ライブ後のブログへの反響メールもすごくて」 「またやってほしい!」との声に溢れていた。それを見て相本さんの気持ちも動いた。 「私自身、努力して積み重ねていけば、この年になっても毎回、成長できるんじゃないかって思えるようになったんです」 翌年には、34年ぶりに新曲CDを発表。以来、7回のライブを重ねてきた。 「若いころは、お稽古も満足にする時間がなくて、『もう私、ステージに出るの?』って。言われるがままピョンピョンやっていた気がします。自分のコンサートなのに自分じゃないような日々。選曲も人におまかせでしたし、当時のことはまったく覚えていないんです」 相本さんは昨年10月、長年所属した芸映から独立した。周囲は「今さらそんな冒険を?」と驚いたが、「この年になったからこそ」と言う。 「50代になっても『私って何だろう』と不安を抱えてお仕事をこなしてきたわけですけど、いっそフリーになって自由に動いたら何が見えるだろうって。『なるようになる。それもいい』と、ようやく決心ができたんです」 冒頭のシーン。2月11日は、独立後初めてのライブだった。その日、1曲が終わるたびに、相本さんは曲にまつわる思い出を語り、ファンとの掛け合いに興じた。『青春時代』や『太陽がくれた季節』など懐メロコーナーでは、全員で大合唱。 新曲のバラード『雨のプラザ』を歌ったときの客席は静かに聴き入り、続くアップテンポの『Hey my pretty girl』では“久美子コール”が炸裂。カラフルな紙テープが大量に飛び、盛り上がりは最高潮に。ライブの最後には、花束やプレゼントを手にしたファンがステージ前に列を作った。相本さんの笑顔は優しく、満ち足りていた。 ライブが終わって思うのは、みんなが、前回よりも喜んでくれるものになっていたらうれしい、ということ。 「ステージを通じて私が誰かの力になっているとしたら、今日まで、そして明日からまた、アイドルとして頑張っていく意味があるのかなと思います」 そして、2月11日のライブを終えたばかりだというのに、気持ちはすでに5月27日の誕生日に開催される還暦ライブに向かっていた。 「私の歌はもちろんですが、ゲームや“相本久美子共通一次テスト”をやったり、いつも以上にみんなで楽しみたいと思っているんです。還暦という人生の節目をファンのみなさんと過ごせるなんて、昔は夢にも思っていませんでした」
2018年02月24日2月12日の祝日、「恵比寿・天窓switch」で開催された「相本久美子 Live Style vol.4」。白いマイクを手にステージに立つ相本久美子さん(59)はスカイブルーのキャミソールドレスで、くるりと振り向けばチュールの裾がひらひらと揺れる。花の髪飾りと花のブレスレット、腰の後ろで大きなリボンを結び、完璧なアイドルファッションだ。長年のファンが詰めかけた会場は、ワクワク感いっぱいのあたたかい空気に包まれていた――。 相本さんが、ふたたびアイドル歌手としての活動を始めたのは、芸能活動40周年を迎えた’14年9月だった。当初、記念ライブの企画を持ちかけられたときは、「30年も人前で歌っていないのに、無理無理!」と断ったが、周囲の熱意にほだされた。 果たして14曲も覚えられるだろうか。体力は大丈夫か。準備段階からドキドキしながら迎えた40周年記念ライブ当日、会場の「ケネディハウス銀座」は、全国から100人以上の同世代のファンが駆けつけて満員。9割方が男性だった。 「みなさん、当時のコールや振付をやってくれたり、一緒に歌ってくれたり。紙テープもたくさん飛んできて、あっという間の90分間。ほんとうに楽しかったんです。ライブ後のブログへの反響メールもすごくて」(相本さん・以下同) 「またやってほしい!」との声に溢れていた。それを見て相本さんの気持ちも動いた。翌年には、34年ぶりに新曲CDを発表。以来、7回のライブを重ねてきた。 「ライブを続けてきて、私自身、変われてきたかなと思っています。少しずつでも、前に向かっていけるものなんですね(笑)」 相本さんは、’58年5月27日、東京都港区生まれ。’74年9月『小さな抵抗』という歌でアイドルデビューをする。 「でも小さな事務所だったせいか、ほとんど話題にもされず(笑)」 しかし翌年、転機が訪れる。大手プロダクション「芸映」から声がかかって移籍。その年、『花吹雪はしご一家』でドラマデビュー。さらに翌’76年、17歳にして生放送の人気バラエティ番組『TVジョッキー』の4代目司会に抜擢。以後6年半、メーン司会者の故・土居まさるさんと番組を盛り上げ、ブレークした。 ’87年7月、出会って2年で6歳下のミュージシャンと結婚し、翌年に長女(29)も誕生。相本さんは仕事をセーブし、子育てに全力を傾けた。 「この子を守れるのは私だけだ、と必死だったんですね。でも、男の人は子どもができてもすぐパパになれない。何で僕のことは放ったらかしなのっていう雰囲気で」 夜型のミュージシャンの夫とは生活がすれ違っていく。 「心のなかにモヤモヤをためていくという、よくないパターンに陥ってしまいました」 娘が4歳のときだった。夫からの「あなたも、そろそろ仕事を再開したら?」のひと言で、相本さんの気持ちが切れた。 「私は子どものころ“鍵っ子”で、ずいぶん寂しい思いをしたんです。だから、少なくとも娘が小学校に上がるまでは、家庭にいてあげたかった。それなのにこの人は、私の気持ちを何もわかってなかったんだなって。いずれ限界がきてしまうと思いました」 意を決し、娘が5歳になったとき別居を申し出た。すると彼は、離婚届にサインをして持ってきた。 「そうなると私に迷いはなかった。家のなかの冷たい雰囲気をこれ以上、子どもに味わわせたくなかったですし」 6年間の結婚生活だった。 「娘には申し訳なかったと思います。私が我慢しなかったのは、仕事に復帰さえすれば食べていけるというエゴが、たしかにありましたね。そう思うと、仕事を持っている女性は強いかもしれません」 35歳でシングルマザーになった相本さん。だが、仕事への復帰は甘くはなかった。直後は順調に思えたものの、極端に仕事量が減っていった。 「思えば、私がやっていたタレント業や旅レポートは、代わりがいくらでもいるんですね。それに気づいてからは、ずっと自分の席がなくなる不安を感じながら、がむしゃらだったと思います」 チャンスが巡ってきたのは、40歳直前の’99年のこと。『しおり伝説~スター誕生~』という昼ドラマ主演の話が来たのだ。しかし、連続ドラマとなると家にいられる時間はこれまで以上に少なくなる。相本さんは、10歳になる娘に相談した。返ってきた答えは、「ママ、やりなよ!」。 「その言葉で私も決心しました。でも想像以上にたいへんでしたね」 朝8時から撮影。家に帰るのは深夜0時から1時だった。入浴中もせりふを覚え、3時に就寝。6時起床で撮影スタジオへと急ぐ毎日だった。 「頑張れたのは、やっぱり娘がいてくれたおかげです。しっかり働いて、成人させなければと思ってましたから」 その後は、昼ドラやサスペンスドラマ、舞台などコンスタントに仕事に恵まれた。そして仕事がないときは、娘と過ごす時間が最優先。彼女の好きなアイドルやゲームにも興味をもち、一緒に宝塚歌劇にもハマった。 「でも、小さいときからしつけは厳しかったと思います。『これだから芸能人の娘は』なんて言われたくなかった。レストランで走り回るなんてとんでもない。小学校のときのお小遣いは100円単位。大学生になったらバイトして自分で稼ぎなさい。ズルや手抜きはダメ、と」 相本さんの座右の銘は、“因果応報”だという。 「いえ、冗談ではなく(笑)。いいことも悪いことも、全部自分に返ってくる。だから、後悔のないように『手を抜かないで』と、娘にも言い続けましたね」 その娘は24歳で結婚し、2児の母となった。相本さんは現在、母親と2人暮らし。だが、車で15分ほど行けば、かわいい孫たちのいる娘家族の家がある。 「母は85歳ですが、いたって元気です。健康オタクで、私も見習って食生活はかなり粗食なんですよ。今の何よりの健康法は、孫と遊ぶこととライブですね」 5月27日の誕生日には還暦ライブが開催される。還暦になっても、もちろんフリフリのドレスだ。 「ほんと言うと、自分が60だなんてビックリなんです。だから、この年で恥ずかしいもなくて、『これが、今の私です!』でやるしかない(笑)」
2018年02月24日モデルの佐野ひなこ、舟山久美子らが27日、都内で行われた女性誌『with』(講談社)のウエディングイベント「with Wedding Camp 2017」に出演し、ウエディングドレス姿を披露した。「ウエディングドレスショー」のトップバッターで登場した舟山は、美しいデコルテラインを輝かせ、吉倉あおい、野崎萌香、愛甲千笑美もデコルテあらわなドレスで魅了。ラストを飾った佐野は、お腹がチラリと見える上下分かれたセパレートタイプのドレスで登場した。ランウェイをゆっくりと歩く花嫁姿のモデルたちに、観客はうっとり。その後、ランウェイにモデルたちが全員集まり、観客へのブーケトスも行われ、会場は盛り上がった。「with Wedding Camp 2017」は、幸せな結婚を夢見る女子200人を招待して開催。「ウエディングドレスショー」のほか、「およばれ服ショー」などを実施し、佐々木希のトークショーも行われた。
2017年10月30日女優・後藤久美子(43)の長女、エレナ・アレジ・後藤(20)が、ファッション誌『25ans(バンサンカン)』の姉妹情報誌『Richesse(リシェス)』(9月28日発売・No.21)で、親子初共演することが26日、明らかになった。エレナにとって本誌がメディア初登場、モデルデビューとなる。F1ドライバー(当時)のジャン・アレジ氏と結婚し、現在はスイスとフランスで暮らす久美子。エレナは今秋にロンドンの映画学校を卒業し、年末に来日する。久美子と同じ事務所のオスカープロモーションに10月1日から所属し、モデルや映像の世界に挑む。6カ国語(フランス語・英語・日本語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語)を話すことができ、将来は映画監督になる夢も持っているという。初共演の撮影地はイタリア。ベネチアのサン・マルコ広場にあるカフェ「フローリアン」や「ブルガリ」のブティックで、和やかな雰囲気のもと撮影が行われた。久美子は「ああ、こんな服やジュエリーも似合う年齢になったんだな、と改めて思いますね」と感慨深げ。「お父さんに送らなきゃ」と娘の姿を携帯で撮るなど母親の一面をうかがわせ、エレナも「お母さんと一緒に写真を撮られるなんてうれしい」と無邪気に喜んでいたという。母・久美子のことを、「母から受け継ぎたいものがあるとしたら、それは家族へ捧げる愛。いつか私も母になる日が来たら、彼女のようになりたいと思う。ずっとずっと憧れです」と尊敬してやまないエレナ。一方の久美子は、「(私とは)別の人生をエンジョイしてほしいな、と思う。私とは性格的にまったく違うけれど、だから面白い。彼女の人生を見ることで、もしかしたら歩めたかもしれない別の人生に触れられるようで、それも面白いのです」と娘の将来に思いをはせる。2人はブルガリのハイジュエリー輝くドレス姿で表紙を飾り、全6ページにわたるインタビューを実施。誌面ではブルガリの"セルペンティ"シークレットウォッチ(久美子着用:6258万円、エレナ着用:1977万円共に予定価格)を身につけたカットもあり、「セルペンティのモチーフが好きですね。このゴージャスなデザインに魅了されます」(久美子)、「本物の輝きを身につけると気分が高まります」(エレナ)とそれぞれ感激のコメントを寄せている。なお、『25ans』11月号(9月28日発売)でも、2人の特別インタビューが掲載されている。
2017年09月26日6月18日は「父の日」。そこで、近年に父親が他界した有名人女性が、“親子の絆エピソード”を語ってくれた。愛を込めて――天国のお父さんへ「ありがとう」 「昔ながらの頑固おやじで、気に入らないと“ちゃぶ台”をひっくり返すことも日常茶飯事でした。男性中心の考え方なので、私が生まれるときも男の子の名前しか考えていなくて、女の子とわかると、落胆を隠さなかったそうです。2歳上の兄と、7歳下の弟に挟まれた私はいつも父からは蚊帳の外の存在。それは父が亡くなる間際まで続いたんじゃないかな」 こう話すのは、女優の大場久美子さん(57)。自営業だった父・宣夫さん(享年84)は、正義感が強く、義理人情に厚く、困っている人がいれば助けるのは当たり前。その背中を見て育った大場さんも、人助けをするのは当たり前と信じている。 「父と濃密に過ごしたのは最後の1カ月半。’00年から前立腺がんを患い、発見されたときに『あと半年』といわれながらも、14年を過ごしたのですが……。再び体に異変が生じ、腹水がたまっておなかが腫れていても、自転車をこいで買い物にいったりしていました。父は私の弟夫婦と住んでいたのですが、通院に便利なこともあり、’15年11月に私の自宅へ来てもらうことにしました」 急きょ在宅医療の設備を整え、ひと部屋を片付け、介護ベッドを搬入。大場さんと夫、7人のヘルパーで24時間看護態勢を組むことに。 「気難しく、袖を通すのは右からとか、生活全般にわたり決まり事の多い父に調子を合わせ、夫は『お義父さん、すみませんね』と声をかけ、すべての介護をこなしてくれました。数年前に私はフットリフレクソロジーの資格を取っていたので、父が寝たきりになったとき、脳を刺激するために足裏をマッサージし続けて『痛い?感じる?』と父に話しかけました」 臨終を迎えたのは大晦日だった。前夜からの呼吸の様子で、「最期に近づいている」という予兆があり、大場さんは宣夫さんに添い寝をしながら、「今日は31日だね、いい天気でよかったね」と、ふつうに語りかけていた。 「看病のために眠らずに仕事へ行っていた日々も終わりましたが、いまもときどき『あ、これ好きだったな』って父のために飲み物や食べ物を買おうとしてしまうことも。そして『ああ、もう父はいないんだなぁ』と、われに返る自分がいるのです」
2017年06月18日女優の遠藤久美子(38)が、第1子男児を出産したことを2日、所属事務所を通じて報告した。母子共に健康だという。遠藤は「この度、第一子である男の子を出産しました事をご報告申し上げます」と発表。「母子共に健康で、出産には主人も立ち合い支えてくれました」と明かし、「夫婦の絆をより一層深めてくれた小さな命の誕生に感謝し、これからは家族の絆を深め、温かい家庭を築いていきたいと思います。未熟者ではありますが、温かく見守って頂けたら幸いです」と幸せいっぱいの言葉で呼びかけた。昨年7月に映画監督の横尾初喜氏(37)と結婚。公式サイト上では「誰よりも喜んでくれた両親の笑顔を見た時は、涙が溢れました」と結婚報告時のエピソードをつづり、2017年春に出産予定であることも打ち明けていた。
2017年02月02日女優の遠藤久美子が、きょう22日に放送される日本テレビ系バラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』(毎週火曜19:56~20:54)に出演し、おノロケトークを繰り広げる。今回は、11月22日(=いい夫婦の日)の放送ということで、結婚幸せ組とバツあり組のゲストが登場。今年7月に映画監督の横尾初喜氏と結婚し、現在妊娠中の遠藤は、夫が好きすぎて辛いといい、「旦那の作品に出ている女優に嫉妬してしまうんです!」と告白する。さらには「夫に洋服を全て選んでもらうので、持ってた服は全部捨てました」と言い、おノロケトーク全開。そんなラブラブぶりを披露する遠藤に対し、バツイチのスザンヌがまさかの一言を放つ。また、1年半でスピード離婚したスピードスケート金メダリストの清水宏保も登場。清水は「片付けができない」「甘えてしまう」と、身の回りのことを全部妻にやってもらっていたことを明かし、女性陣からバッシングを受ける。この日の放送には他にも、井戸田潤(スピードワゴン)、鈴木亜美、高橋ジョージ、つちやかおり、平子祐希(アルコ&ピース)、布川敏和、辺見えみり、松田賢二、松田丈志が出演する。
2016年11月22日女優でタレントの武田久美子(48)が17日、自身のブログを更新し、父親が死去したことを明かした。「父とのお別れ」というタイトルで更新した武田は、娘と両親と撮影した家族写真を添えて、「私の最愛の父が亡くなりました。内臓血管の損傷による出血の為病院で家族みんなに見守られる中で他界しました」と報告。「今年の夏に日本に来た際にソフィアと一緒に74歳の誕生日を祝ったばかりでした。。。」とつづった。そして、「アメリカを発つ時は全く考えもしていなかった出来事」と記し、「成田空港を降り立った時に危篤状態と聞かされ名古屋の病院に直行しました。私の到着はわかってくれたようで私は約1日半、ベッドの傍らでずっと父の手を握り続け、私の手をつないだまま帰らぬ人となってしまいました」と状況を説明した。続けて、「心臓が停止する際の最後は全身の力を振り絞って私のつないでいた右手を痛いほど握り返してきたお父さん。。。働き者だった父、私の事はずっと愛してもらいました」とつづり、「これからも残された母を労わり、家族で協力し合って頑張っていこうと思っております」と決意。「アメリカに移住して以来、もしこの様な事があった場合、間に合わないこともあるのではと覚悟を決めていましたが、最後会えて本当に良かったです」との思いも伝え、「何度も何度も父に今まで育てて来てもらったお礼と、大好きだと言うことを伝えることが出来ました。これからは、家族みんなを天国からいつも見守ってくれていると思っています」とコメント。最後に「私は大丈夫ですので皆様安心していて下さい」と締めくくった。
2016年11月17日