タレントの山田邦子(63)が、16日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。車を買い替えたことを報告し、新旧の愛車を披露した。山田は「いよいよですね、この長く乗ってきました私の愛車とお別れの日がやってまいりました。19年間乗りました」と、赤いボディが目を引く初期の頃のトヨタ「プリウス」を紹介。購入時は「まだ自分も40代前半。一番動けて、一番運転が楽しくて」といい、「旅行に行ったり、釣りに行ったり、芸能人を送りに行ったり、迎えにいったり。もう思い出いっぱい。本当にいい車だった」。総走行距離10万6700キロメートルをともに過ごした相棒とのエピソードを話していると、別れの寂しさから声を詰まらせ涙を見せた。そして、「新しい車は黄色いあいつです」「一番新しいプリウスにしました」と、プリウス→プリウスに買い替えたことを紹介。「うんいいね、後ろがちょっとポルシェっぽい感じ」と、外装デザインや内装のポイントを明かしていた。この動画に対し、コメント欄には「赤い車は塗装が傷みやすいのですが、良く綺麗なまま維持してましたね」「本当に大事にしていたのが伝わってきます」「涙出ちゃうほど、いい相棒だったのですね 邦ちゃんの思いとてもよくわかりますよ」「こんなに愛されたなら、プリウス君も嬉しいよね」「黄色ちゃんと新しい思い出を作ってくださいね」など、さまざまな反応が寄せられている。
2024年04月16日お笑いタレントの山田邦子が14日に自身のアメブロを更新。心不全のため54歳で亡くなった第64代横綱・曙太郎さんの葬儀に参列したことを報告した。この日、山田は「第64代横綱・曙太郎葬儀」というタイトルでブログを更新。曙さんの葬儀に参列したことを明かし「お別れして来ました」と報告。大相撲の元横綱・若乃花でタレントの花田虎上も家族で参列していたことを明かし「久しぶりに会えた」とつづった。続けて、ハワイの正装をした元大関でタレントのKONISHIKIが「早過ぎるよ」と言っていたことを説明。曙さんについて「半分くらいに痩せていた」と述べつつ「安らかな顔だった」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「相撲界の宝でした」「寂しいです」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年04月15日お笑いタレントの山田邦子が11日に自身のアメブロを更新。訃報を受けて胸中を吐露した。この日、山田は心不全のため54歳で亡くなった第64代横綱・曙太郎さんの訃報に言及し「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼。曙さんについて「2017年 九州のプロレス会場で何か?心臓が変だ、と倒れ、救急搬送 一回心臓も止まった」と明かし「やや記憶が飛んで足も動かなくなってしまったので大きいし、東京に寝たまま移動させるのはとても大変だったらしい」とつづった。続けて、2018年に自身が見舞いに行ったことを報告し「受け入れられる大きなベッドやリハビリ機器のある武蔵村山の病院だった」と説明。その日の曙さんはとても機嫌がいい様子だったそうで「記憶障害なんて全く無く倒れた時のことや昔の話やリハビリをがんばっていることなど笑ったり、たくさん話した」と当時を振り返った。一方で「機器を装着して歩行のリハビリもがんばっていたが、思うような回復はなかなか難しいようだった」と説明。「横綱の時、強くてカッコ良かった」「プロレスラーになってからももの凄い圧で、怪物のように強かった」と回想し「素顔は思いやりのある、明るくて優しい青年だった」と曙さんの人柄についてつづった。また、曙さんがハワイに帰りたいと言っていたことを明かし「魂はもうハワイの海に行ったかな」とコメント。「悲しくて寂しい」と胸の内を吐露し「たくさんがんばったねまたね」と呼びかけ、曙さんとの2ショットとともにブログを締めくくった。この投稿に読者からは「寂しいですね」「応援してました」「本当に悲しいです」などのコメントが寄せられている。
2024年04月12日お笑いタレントの山田邦子が27日に自身のアメブロを更新。“お別れ”した愛車をバックにした自撮りショットを公開した。この日、山田は「丸19年間乗った プリウス今日でお別れです」と述べ「ありがとう!いい車だった」とコメント。「被災地に行ったりスイカの栽培に行ったり釣り、ゴルフ、山に川に………運転しやすくて」「相棒だった」といい「10万670キロ乗りました」と明かした。続けて「ありがとう!!感謝」と述べ「涙出て来る」と愛車をバックにした自撮りショットを公開。「最後、よく拭いてあげました」と報告し「バイバーーイ」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「19年乗られたのですね」「お別れは辛いですよね」「相棒ですもんね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月28日お笑いタレントの山田邦子が9日に自身のアメブロを更新。マネージャーとの会話でとてもショックだったことをつづった。この日、山田は「ショック」と切り出し「鳥山明先生がお亡くなりになった…」と3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さんの訃報に言及。「ご冥福をお祈りいたします」と追悼し「先生、今まで私たちにたくさん楽しい漫画をありがとうございました!私もたくさんネタにしましたしとてもとても楽しかったです」と感謝をつづった。続けて、鳥山さんについて「お亡くなりになったことがとてもショックだった」と述べつつ「うちのマネージャーが『鳥山明って誰?』と言ったのがえぐるようなショックだった」とコメント。「若いマネージャーが『漫画家ですよ、ほらドラゴンボールとか、アラレちゃんとかの』」と説明していたといい「ああ!え!そーなの!亡くなったの?!となるかと思ったら『へーー………』」と自身のマネージャーの反応を明かし「とてもショックだった」とつづった。最後に「これって、治らないよね」と述べ「私、今のままでいいのかな?」と自身の写真とともにコメントし、ブログを締めくくった。
2024年03月10日YouTubeに動画を投稿すると大バズり、M-1グランプリで審査員を務めると日本中で物議を醸す。現役バリバリのレジェンド女芸人・山田邦子。短大を卒業してすぐ『オレたちひょうきん族』に抜擢されて以降、常に笑いを楽しみ続けてきた。その一方で、芸能界で苦楽を共にした仲間たちが次々と他界。彼らの遺志を受け継ぎ、後輩たちにも笑いを伝えていく。天国の彼らを笑顔にするため――。(全2回・後編)■一世を風靡した“邦ちゃんブーム”が終了邦ちゃんにとって苦い思い出が残った番組終了直後から、追い打ちをかけるようにレギュラー番組は視聴率が取れなくなった。「ブームが終わったということでしょうね。そりゃあ、そうですよ。裏番組にも出演するような状態でしたから。あんなに出すぎていたら、飽きられて当然です」同時にバッシング報道も目立つようになり、身に覚えのない不倫報道に見舞われることもあった。「ハワイロケの手配をしてくれたりした知人男性ですね。それでハワイまで取材に来たのが、レポーターの井上公造。仲がよかったから“偉いね、ハワイまで来て”という気持ちで、直撃する彼に『バカじゃないの。お前、モテないだろう』って答えたんです」しかし、その罵倒ぶりが報じられ“山田邦子は何様だ”と強烈なバッシング。8年続いたNHKの好きなタレント調査女性好感度1位の座も、’97年には6位、’98年には14位と、急落したのだった。「世の中では“山田邦子は終わった”と言われましたが、私には自信がありました。その後、NHKの好感度調査は組織票が支配するようになり、廃止に。8年連続第1位の記録は生涯抜かれることはなくなりました。私はよいスタッフや友達に恵まれ、妙な団体にも何も所属していないし、このままいい芸をしていれば、またいつかブームが来るって思っていました。それに、忙しすぎてできていなかったことができるようになるって、前向きに捉えられたんです」車の免許を取り、家族旅行にも行った。現在は名取となり、弟子も取っている長唄を習い始めたのも、この時期だ。「忙しかったときは、恋愛もボロボロ。冬の寒い時季に失恋し、道端で泣き崩れて、偶然通りかかった行きつけの寿司店の若いコがコートをかけてくれたことも。あれは恥ずかしかった(笑)」だが恋愛する時間が確保でき、’00年にはテレビの制作会社社長の男性と結婚した。「ちょうど40歳で、2000年とキリがよかったから、なんとなく。それに私よりだいぶ年上だから、早く死ぬって思っていたんです。でも、超健康オタクで、今でも元気。失敗しましたね(笑)」こんな毒を吐いているが、’07年に乳がんが発覚したとき、夫は精神的な支えになったはずだ。「たけしさんの健康番組で乳がん特集をするので出演して、偶然、見つかったんです。最初はがんの知識がないから“死ぬんだろうな”って、出演ビデオテープや衣装など、トラック2台分整理したほど。でも、たけしさんに報告に行って『大当たり賞だな』って言ってもらうと、明るい気持ちに切り替わっていきました」幸いにしてがんは早期。たけしの番組に出演していた名医に診てもらい、入院期間も1週間ほどで仕事も休まずに済んだ。まさに番組出演が命を救ったのだ。治療が一段落すると、がんの講演会を行ったり、がんの知識と理解を深めるためにスター混声合唱団やNPO法人を設立した。「がんになって、180度とまではいかないけど、強くなれたし、その分人に優しくなれました。困っている人がいたら支えになりたいって思えるようになったのは、私も人から支えられたからでしょう」がんをわがことのように心配してくれたのは、事務所の後輩の上島竜兵さんだった。「竜ちゃんはすごく優しくて、がんに関しても、私が大丈夫だって言っているのに、『大丈夫?』って電話してきて、ご飯をごちそうしてくれるんですね。まさか竜ちゃんが先に逝ってしまうとは……」このところ、かつて番組を盛り上げてくれた仲間が立て続けに亡くなり、いかに影響を与えてくれたのかを実感するという。「渡辺徹は、俳優からバラエティ番組に進出して初めての仕事が私の番組で。最初は何もできなくてジャマだったけど、半年もしないうちに、ボケる私に無言でビンタをできるくらいに成長。俳優バカで、亡くなるぎりぎりまで舞台に穴をあけずにやり切る。そのプロ根性に影響を受けました」笑福亭笑瓶さんは、邦ちゃんのほとんどのレギュラー番組で共演していた。「ずっと一緒で、現場から自宅まで、笑瓶ちゃんの車で送ってもらうこともあったから、週刊誌に《ベンツに乗る謎のおかっぱ男性と熱愛》と報じられたり(笑)」笑瓶さんは誰にでも優しく、スタジオの隅にぽつんと一人でいる人を見つけると「どうした、大丈夫か?」と声をかけていた。「私の機嫌が悪くて楽屋でふて寝していると『もうすぐ、本番やで』って入ってきて、『今日はメークの笑ちゃんや』と私の顔にメークを始めるんです。それがおかしくて思わず笑ってしまうと、『じゃあ、立とうか』ってスタジオに連れ出してくれて。笑瓶ちゃんのような優しさは、私には欠けていたから、学ぶものが多かった。だからお葬式で“必ず天国に行くんだよ”ってお別れしたんです」たけしやタモリら先輩や、仲間に助けられて、今の邦ちゃんができあがったのだ。■芸能界で44年、いまだ変わらないもの「鶴ちゃん(片岡鶴太郎)や(寺門)ジモンは『太田プロに戻ってこい』って言ってくれるんだけどーー。戻りません!」邦ちゃんは、キッパリと迷いのない笑顔で語る。’19年、長年修業を積んだ長唄杵勝会の名取の襲名披露の際、誰も太田プロのスタッフが出席しなかったことがきっかけで、事務所から独立したと報じられた。「たしかに、あれは残念なこと。でも、太田プロでお世話になった社長が代わったこともあったから、短大時代、自分一人で活動していた原点に立ち返るタイミングだとも思ったんですね」半年ほどフリーランスとして活動し、今は縁あってスポーツアスリートのマネジメント会社に所属しているが、芸能プロとは違い、かなり自由度も高い。「YouTubeチャンネルを開設して、鬼越トマホークとコラボ動画をアップする機会にも恵まれたんです。それで鬼越の金ちゃんは『オレらは邦子組の若頭』と言ってくれて、若手芸人も紹介してくれるように。ご飯に誘って輪を広げています」かつて、たけしやタモリに憧れ、サポートされた思いがあるからだろう、邦ちゃんは次世代を“おぶって”、お笑いのバトンを引き継ごうとしている。「せっかく知り合えた後輩たちをまとめて、盛り上げていきたい。私は子供に恵まれなかったけど、育てる楽しみは後輩で十分。とくに関東の芸人は、吉本芸人と違って小屋(劇場)を持っていないから、お互いが知り合うきっかけが少ないんです。今後はYouTubeでコラボするだけじゃなくて、ライブを主催するのも面白いかも。私はね、生涯、お笑い好きなおばちゃんなんですよ」そう語ると、邦ちゃんのスマホから電話の着信音が鳴りだした。「もしもーし。え、そうなの。今から?大丈夫だけど、金貸してくれとかは言うなよ!いいよ、じゃあこれから行くよ」どうやら、電話の主に、アポなしで呼び出されたみたいだ。「噂をすれば、鬼越の金ちゃんからでした。テレビ収録中で、突然、出てくれって言われて。まったく!きっとこれから何かやらされるんですよ」その言葉とは裏腹に、後輩たちからの出演依頼を笑顔で語り、邦ちゃんは次の現場へと向かっていったーー。
2024年02月18日YouTubeに動画を投稿すると大バズり、M-1グランプリで審査員を務めると日本中で物議を醸す。現役バリバリのレジェンド女芸人・山田邦子。短大を卒業してすぐ『オレたちひょうきん族』に抜擢されて以降、常に笑いを楽しみ続けてきた。その一方で、芸能界で苦楽を共にした仲間たちが次々と他界。彼らの遺志を受け継ぎ、後輩たちにも笑いを伝えていく。天国の彼らを笑顔にするためーー。(全2回・前編)「右手に見えますのが、東京タワー。高さは333メートルで、スカイツリーはムサシ(634メートル)となりま〜す」取材現場に姿を現した邦ちゃんは、背後に大きく見える東京タワーをバックに、さっそく往年のバスガイドネタを彷彿とさせるトークを披露。テレビで見るとおり、サービス精神が旺盛だった。このところテレビで何か発言をするたびにインターネット上で話題になる邦ちゃん。’20年2月にYouTubeを開始すると、『山田邦子が選ぶ怖かった芸能人ランキング!』という動画は210万回再生される“大バズり”。注目を集める邦ちゃんだが、なかでも反響が大きいのはM-1での審査だ。「M-1の審査員は、放送の1〜2カ月くらい前から誰が選ばれるのか予想が始まり、『山田邦子だったら嫌だな』って書き込まれる。で、放送1週間前に審査員が発表されると『辞退しろ』と本格化していくんですね。最初にM-1審査員を務めた前回は、3月くらいまで誹謗中傷が続いていたんだけど、2回目の今回は少し減ったみたい。私のことをまったく知らない世代にとっては“トンチンカンなおばちゃん”って受け止められていたみたいだけど、この1年間でいろいろ調べてみたら、案外面白くて、お笑いに詳しいってわかってくれたのかもしれませんね」にっこりと笑う様子からも、多くの誹謗中傷を軽く受け流せているのが伝わる。「だって年だもん。これが二十歳そこそこならショックを受けただろうけど。本来、お笑いなんて面白いか面白くないかのどちらかなんだけど、細かく点数をつけて競い合い、視聴者も含め論評したりするのがM-1グランプリ。そういう特別な番組だから、審査員へのプレッシャーも覚悟の上です」とはいえ、今回の生放送では番組終了3秒前に、最終決戦で一票も獲得できなかったさや香に対し「最後のネタは、全然、よくなかった」とイジったことが、最下位コンビを救った一言と話題に。「今振り返ると、あそこで今田(耕司)君が私に振ったのは“邦子さんがしゃべっている途中で切れちゃえばいい”って、ちょっとイジワルな思いがあったからかも(笑)。でも今田君が振る、私がイジる、さや香が怒る、会場が笑うって、よくきれいにまとまりましたね。長年、MCをやってきて、出演者をフォローしきれず“悪かったね”って反省することも数々あったけど、みんなが楽しい思いでいられるように心がけてきました。だからこそ、ファーストラウンドですごい面白いネタを披露したのに、最終決戦で一票も入らずお葬式のような立ち位置だったさや香が目に入ったんでしょうね」あの“3秒”に込められた“邦ちゃん砲”の芸人愛は、44年に及ぶ芸能生活でゆっくり熟成されたものなのだというーー。■小学校4年生の移動教室、夜の出し物でみんなを爆笑の渦に巻き込むダジャレを邦ちゃんこと、山田邦子は’60年6月13日に東京の下町・荒川区に生まれた。建設会社のサラリーマンだった父には、下町特有の見栄っ張りなところがあって、カラーテレビを近所でいち早く導入した。「豪華ゲストが出演し、トークやコントまで楽しめる『ルーシー・ショー』という番組に影響を受けていましたね。マットレスを丸めてソファに見立て、母に頼んでカーテンで作ってもらったワンピースを着て、マネしていました」邦ちゃんが、本格的に“笑い”に目覚めたのは小学4年のとき。「日光を訪れた移動教室で、夜、出し物でショートコントを披露。妖怪に呼び止められて『なにか用かい』とやり取りするシーンに、みんなが大笑いしてくれたのが快感だったんです」自信を深めた邦ちゃん。中・高を過ごした私立女子校では、クラスメートとコンビを組んで、天地真理や郷ひろみ、都はるみのモノマネ漫才でみんなを笑わせた。「クラスの人気者で、校内では私を隠し撮りしたブロマイドが出回りました。まるでスター気取りでしたね」短大進学後は、近くの早稲田大学にある寄席演芸研究会に入会。「出たがりが多くて、テレビ局のスタッフが『ネタを3分できる人』と探しに来るんですね」数々の素人参加番組でバスガイドネタなどを披露。短大卒業を控えた二十歳のときには、テレビ局のプロデューサーの目にとまった。「それがネタ番組じゃなくて、ドラマでびっくり。『野々村病院物語』という、宇津井健さんや夏目雅子さんが出演する作品でした」ところが、ドラマ撮影開始は短大卒業後の3月。すでに父親の縁故で建設会社への就職が決まっていたので、邦ちゃんは困った。「ドラマに出たいって言うと、父は激怒して口も利いてくれなくなったんです」ここで邦ちゃんは、同ドラマに出演していた関口宏に目をつけた。実は立教大学の水泳部の指導者でもあった邦ちゃんの父は、関口の父・佐野周二さんの後輩であり、同大卒の関口とも面識が。「関口さんに父を説得してほしいとお願いしたら、私たち親子が見たこともないような薄い肉を出してくれる、高級しゃぶしゃぶ店に招待してくれたんです。それで父も『宏が言うなら』って、私の芸能活動を認めてくれたんです。後年、関口さんから、何年も前に亡くなった父の電話番号を『邦子、そろそろ登録を消してもいいかな』と聞かれたんですね。多分、私の知らないところで、父は関口さんにずっと『娘のことを頼む』って言ってくれていたんでしょうね。若い私は父の優しさまで想像が至りませんでした」芸能活動に専念し始めた邦ちゃんは、ドラマと並行してバラエティ番組にも出演し、初のレコード『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』をリリース。「ドラマ撮影が終わるころ、バスガイドネタを見たフジテレビのスタッフに食事に誘われ、ステーキをおごってもらって。その席で『10月から“ひょうきん族”をやるから、出ないか』って言われて、肉を食べちゃった後だから『出ます!』って答えたんです」大手芸能プロを紹介してもらったが、“ひょうきん族”に出るなら、ビートたけしが所属していた太田プロがいいだろうと考えた。「所属の女性タレントが男性ともめたり、結婚して辞めたりしていたものだから、社長からは『女性は面倒臭い』って言われたんですよ。でも、私のことをお姫様のように扱って、ケーキをぶつけられたり、泥の中を泳ぐような仕事はNGを出してくれていたみたい」ここでも知らないうちに守られていた邦ちゃんは、“ひょうきん族”への出演を機に“唯一、天下を取った女性ピン芸人”へと急成長していくのだった。■尊敬する先輩・たけしから貰った助言「“ひょうきん族”の放送1回目から、ニュースをパロディにする『ひょうきんニュース』というコーナーをさんまちゃんと持つことができたし、『ひょうきんベストテン』のコーナーは、私が得意とするモノマネが披露できました」たけしは、同じ事務所とはいえ、邦ちゃんに頻繁にアドバイスをすることはなかったが、だからこそ、より鮮明に覚えていることがあるという。「私はピン芸人だったし、ドラマにも出演していたから、自分の出番が終わったら、邪魔をせずに目立たないようにしていたんです。するとたけしさんが珍しく『お笑いはドラマと違うから、人と被ったとしても、アハハでも、ウフフでもいいから前に出ろ』と言ってくれたんです。そのアドバイスどおりにすると、司会の仕事が次々に舞い込むようになりました」そして’89年10月、“ひょうきん族”が最終回を迎えた数日後に、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』がスタート。ピーク時にはレギュラー番組は14本を数えた。「高熱で倒れそうになっても、マネージャーは『着替えなさい。家で寝ていてもギャラは出ない。倒れるなら現場で倒れろ。ギャラも出るし病院にも連れていってもらえる』って、今なら問題になりそうな仕事ぶり(笑)」多忙だったが、プライベートでは濃密な時間を過ごした。「自宅のすぐ近くのジャズバーは、内田裕也さんや松田優作さん、原田芳雄さんも常連。タモリさんがコルネットを吹くと、山下洋輔さんがピアノを弾きだしてセッションが始まるんですね。飲めもしなかったバーボンを覚えて、酔っぱらってね。気がついたら、私より背が低いタモリさんが、おぶって送ってくれていたんですね。あるとき、帰宅したら鍵が開いていたことがあって“部屋に誰かいるかも”と思い、ジャズバーに行って、そこにいたタモリさんに見てもらったんです。単なる私の鍵のかけ忘れだったんだけど」ハードな日々でも、そんな先輩の優しさが癒しとなり、邦ちゃんに活力を与えた。「“やまかつ”の現場に行くのもワクワク。スタート当初は千ちゃん(大江千里)が盛り上げてくれました。センスが抜群で、ちょっとしたやり取りから曲を作ってくれて、それがヒットするんです」次に番組で注目されたのは『愛は勝つ』がヒットしたKANさん。「KANちゃんはすごく品がよくて、音楽に真面目。『愛は勝つ』の替え歌が流行ったので番組でも取り上げようと思ったんだけど、自分の曲がイジられるのが嫌だったみたいでNGに」KANさんの次は、大事MANブラザーズバンドが番組からヒット曲を飛ばした。こうしてヒット曲が出るたびに、新たなアーティストが注目され、何事もなかったかのように大江やKANさんが番組から姿を消していった。「私は現場が楽しくて、次の人が出ると前の人が切られている状況に気づきませんでした」使い捨てのような番組方針に“あんまりだ。変なことになる”と危機感を抱き、共演している渡辺徹さんや森末慎二に相談した。「2人からは『オレらはずっと前から気づいていた』と言われてショックで……。楽しいことをやっているのに、悲しい思いをする人がいるなんておかしい。それですぐに番組を降板したんです」こうした決断ができたのも、仲間を思う優しさがあったからだが、いまだに反省点があるという。「あのときは正義感で後先考えずにバッサリ辞めてしまったけど、番組に関わっていたスタッフは100人近くいました。親の介護をしたり、新婚さんもいたはずだから、その人の生活にも責任を持つべきでした」【後編】山田邦子「自信があった」レギュラー14本が続々終了も前向きだったわけへ続く
2024年02月18日優れた脚本作家に贈られる「向田邦子賞」の第41回贈賞式が、昨日5月23日、帝国ホテルにて行われた。今回の受賞者は4月4日に行われた選考会で、三谷幸喜に決定。受賞作は、2022年に放送された大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。式では、三谷さんが「選考委員の方々と一緒に僕が並んでいると、誰が受賞者かわからないような雰囲気で申し訳ないというか、フレッシュな感じが一切ないこの雰囲気…。本当にすみません。本当にうれしいです。ありがとうございます。向田邦子さんは、僕にとって憧れであり目標です。毎回本を書くときは、必ず向田さんのシナリオを読み返して、どうすれば向田さんに近づくことができるのかということを考えながらいつも書いてます」と受賞の喜びを語った。さらに、選考経過の説明や、大石静選考委員より賞状の授与などが行われた。そして、「鎌倉殿の13人」で主演を務めた小栗旬がお祝いのスピーチを行った。「とにかく毎週新しい台本が上がってくるのが楽しみで、どんなお話になっていくんだろう、僕が演じる義時という役はどんな行動をとらせてもらえるんだろうと、本当に楽しみにできる約1年4ヶ月の撮影期間でした」とふり返った小栗さんは、「役者としてこんなに役者冥利に尽きる現場はないなと思いましたし、それも本当に一人でひたすら折れることなくここまで書き続けてくださった三谷さんのお仕事というのは、素晴らしいものだなと思っております。そんなすてきな『鎌倉殿の13人』を作っていただきまして、どうもありがとうございました。そして本日は受賞おめでとうございます」と締めくくった。また、出演者の新垣結衣、菅田将暉、小池栄子、生田斗真、佐藤浩市、大泉洋ら豪華ドラマキャスト陣が集結。「三谷さんの描く世界に関わることができて、本当にうれしく思います。このたびはおめでとうございます」(新垣さん)、「また、呼んでもらえるように頑張ります。本当におめでとうございます」(菅田さん)、「三谷さん、このたびは本当におめでとうございます。三谷さんのおかげで1年半、とても楽しい時間を過ごせました」(小池さん)、「三谷さんおめでとうございます。源仲章というとてもイヤミな役をいただきました。おかげさまで、日本国中で『うっとうしかったです』『イライラしました』という声をたくさんいただきました。これほど冥利に尽きることはございません」(生田さん)、「やっぱり三谷さんの物の見方、感じ方、大河でこれをやりたいと思ったということ、すごいなと思いました。本当におめでとうございます」(佐藤さん)、「三谷さんと一緒にお仕事できると思っていなかったので、今、何本も仕事させてもらえるようになって、夢のような出来事ではあります」(大泉さん)と受賞を称えた。贈賞式にはほかにも、坂口健太郎、瀬戸康史、梶原善、菊地凛子、山本耕史、中川大志、佐藤B作、草笛光子が登壇した。(cinemacafe.net)
2023年05月24日2023年2月22日、落語家でタレントの笑福亭笑瓶さんが66歳の若さで亡くなり、悼む声が上がっています。同月27日、都内で葬儀、告別式が行われ、師匠である笑福亭鶴瓶さんをはじめとする、約200人の人々が参列しました。式には、笑瓶さんと同じ太田プロダクションに所属するタレントの山田邦子さんも参列。笑瓶さんととても仲がよかったという、山田さん。「すごく悲しい」「早すぎる」と心のうちを明かし、最後の対面では「しょうちゃん、天国に行け」と声をかけたそうです。また、報道陣に「最後にかけたい言葉は」と問われた山田さんは、このように答えています。最後にかけたい言葉については「しょうちゃん…天国いけ!絶対天国…天国いけ!わたし葬式で初めて、なんか待っててねって思った。天国…わたしはいけるか分からないけど、行ったらまた仲良くしてね」と涙をこぼしながら、何度も言葉を振り絞るように話した。サンケイスポーツーより引用あまりにも早すぎる笑瓶さんの逝去に、多くのファンが衝撃を受けました。山田さんをはじめとする、深い絆があった友人たちのショックは計り知れないでしょう。山田さんが涙ながらに語った言葉に、ネットからはさまざまな声が寄せられています。・最近、いろいろなコンテンツで親しんできた芸能人たちの訃報が多くて悲しい。山田さんのように、交友関係にあった人はとてもつらいだろうな。・本当にさびしいです。山田さんのいうとおり、天国に行ってほしい。安らかに眠ってください。・幼い頃からテレビ番組で笑わせてくれていた人が亡くなるのが、こんなにつらいとは思わなかった。さびしいよ。山田さんが願う通り、笑瓶さんはきっと天国に行くでしょう。笑瓶さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年02月28日1月下旬の夕暮れ、東京都内のオフィス街をド派手なファッションで闊歩していたのは山田邦子(62)だ。ヒョウ柄をベースに、ヘビ柄の生地などパッチワークした個性的なコートを着込み、茶髪の髪色も相まって、その姿はまるで女豹のよう。街中でも目立ちまくっていたのだが、オーラに圧倒されたのか話しかける人はいなかった。昨年末に放送された『M-1グランプリ』では、“西の女帝”上沼恵美子(67)の後任という形で新審査員になったことで話題を集めた山田。「昭和から平成にかけて山田ほどの人気を誇った女性タレントはいませんでした。テレビをつければいつも“邦ちゃん”がそこにいて、好感度ランキングでは8年連続で1位。『唯一の天下を取った女性芸人』とも称される彼女以外に上沼の後継者は務まらなかったかもしれません」(プロダクション関係者)一時は露出がかなり減っていた時期もあったが、業界内では“今年再ブレイクしそうなタレント”の1人とも目されているという。地下鉄の改札口に消えていった山田。真似できない圧倒的存在感で“やまだかつてない”再ブレイクなるか?
2023年02月01日昭和を代表する脚本家・向田邦子の傑作『阿修羅のごとく』を舞台化。1979年放送の大ヒットドラマ全7本を凝縮、向田のセリフはほぼそのままに、シーンと登場人物を大幅にカットして描く、ある四人姉妹の物語。70歳の父親に愛人がいるらしいと、三女・滝子の連絡で集まった四人姉妹は、母親に知られず浮気を解消してもらう作戦を練るが、実はそれぞれ、自身の生活にも悩みがあり…。脚色は劇作家・演出家の倉持裕、演出は俳優としても活躍する木野花。出演は、長女・綱子が小泉今日子、次女・巻子に小林聡美、三女・滝子に安藤玉恵、四女・咲子は夏帆。夫など男性役は岩井秀人と山崎一がそれぞれ二役を演じ分ける。「10代の頃から向田作品が大好きだった」という小泉が会見、作品の魅力や意気込みを語った。「阿修羅のごとく」 チケット情報ドラマは小泉が12、3歳の頃に見ていた。「今も鮮明にすべてを覚えているぐらい、衝撃的なドラマでした。それを今回、自分が演じられる。生きててよかったと思います」と喜ぶ。多彩な出版物からその世界観に触れてきた小泉にとって向田は「ずっと憧れている人」。他界した81年の翌年、小泉がデビューし偶然にも向田と組んでいた演出の久世光彦とすぐに出会う。「運命のいたずらがなかったら出会えていたかもしれないと思って、勝手に悔しい気持ちになったりするんです」と思いを語る。今回、小泉が演じる長女の綱子は、ドラマでは加藤治子が演じていた。「その時の加藤さんと今の私がほぼ同い年、ご縁を感じます」。実生活では三姉妹の末っ子の小泉。「長女の気持ちはあまり考えたことがなかったですが、自分の人生は自分で責任をとる、みたいなちょっとサバッとしたところが綱子との共通点かなと思ってやっています」。人気の長編ドラマを、たった6人でどう観せるのか。「脚色の倉持さんが、すごく上手に工夫して書いてくださっているので、楽しみにしていてください。今回の私たち4人だったらどんな姉妹になるかという作り方をしているので、とてもおもしろく観ていただけると思います」。さらに今回、演出の木野のアイデアで舞台はセンターステージ形式での上演。観客席はそのままに舞台上の三方にも客席を特設、演技スペースを取り囲む仕様だ。四人姉妹の生々しい演技バトルが臨場感をもって立ち上がるだろう。「この『阿修羅のごとく』で兵庫に行けることが決まって、私はとても嬉しかったです。すごく楽しい、おもしろいことになっているので、たくさんの人に来ていただいて感想を聞きたいです。向田さんと久世さんも、きっと一緒に観に来てくれるような気がします」。公演は9月9日(金)から10月2日(日)まで、東京・シアタートラム、10月8日(土)から10日(月・祝)まで、兵庫・兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホールにて。取材・文:高橋晴代
2022年09月07日向田邦子の最高傑作「阿修羅のごとく」が、この秋舞台化されることが決定。物語の中心となる四人姉妹役は、小泉今日子、小林聡美、安藤玉恵、夏帆が務める。とある日、三女・滝子の話したいことがあるという連絡により、四姉妹が集まることに。数日前、70才を迎える父親が愛人らしき人物といるところを目撃した滝子は、興信所に父の身辺調査を依頼したのだ。四人は、母親に知られることなく父に浮気を解消してもらうための作戦を練る。そんな姉妹だが、実は自身の生活にもそれぞれ悩みを抱えていた。長女・綱子は仕事先の妻子ある男性と不倫関係、次女・巻子は夫の浮気の予感にもやもやした日々を過ごし、三女・滝子はその堅い潔癖さで男との出会いもなく、四女・咲子はボクサーの彼との不安定な生活に疲弊していた。ままならない現実をあたふたと、それぞれの業を抱えて正直に生きようとする四姉妹の闘いの日々は続く、阿修羅のごとく…。1979年のドラマ放送当時、和田勉の斬新な演出と加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンの共演で視聴者に鮮烈な印象を残し、再放送の度にファンを増やしていった名作「阿修羅のごとく」。2003年には映画リメイク、2004年、2013年には商業演劇として舞台化。今回の舞台は、向田さんのセリフをほぼそのままに、シーンと登場人物を大幅にカットし、“四姉妹のバトル”に焦点を当てた物語となっている。奔放に生きようとする長女・綱子役には、向田作品との縁が深い小泉今日子。平和に、堅実に生きようとする次女・巻子役を、主演映画『ツユクサ』が公開中の小林聡美。女らしさを秘めつつも不器用に生きる三女・滝子役を「阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし」の好演も記憶に新しい安藤玉恵。自由にそして必死に生きる四女・咲子役は、『海街diary』の夏帆が務める。ほかにも、三女に父親の身辺調査を依頼される探偵、恋人・勝又と四女の恋人・陣内を岩井秀人。長女の不倫相手・貞治と次女の夫・鷹男を山崎一と、それぞれ2役を演じ分ける。なお、演出は女優・木野花。脚色は『十二人の死にたい子どもたち』『アイ・アム まきもと』の脚本を手掛ける劇作家で演出家の倉持裕。劇場は、四方向に客席を設置し、ステージを囲む形で観るセンターステージ形式となっており、姉妹たちの生々しい戦いに立ち会うような臨場感ある空間作りを目指す。また合わせて公開されたビジュアルは、写真の周りに大宮エリーによる、女優たちそれぞれをイメージして描いた華やかな色彩の花の絵画とコラボ。姉妹のプリミティブな美しさと力強さを際立たせている。<キャスト・スタッフコメント>●木野花(演出)ドラマ「阿修羅のごとく」はリアルタイムで観ていました。お茶の間という枠を超えて、日常を揺さぶられた感じで衝撃でした。“阿修羅”は誰の中にも潜んでいると意識したのもその時です。ドラマの中で役者達が、一歩も引かずに火花を散らしている。その気にさせる何かがこの作品にはある。それを覗いてみたい。怖いもの知らずで今回乗ってみようと覚悟しました。そして心強いことに、この挑戦に打って付けの怖いもの知らずの顔ぶれが揃いました。一筋縄ではいかない魅力を秘めつつ癒される、最強の四人姉妹。こんな姉妹が観たかった! 遠慮なく体当たりでぶつかっていこうと思っています。何が飛び出すかしかと見届けて頂きたい。●小泉今日子大好きな向田邦子作品を舞台で演じることができるなんて!生きててよかったです。信頼している俳優たち、尊敬している演出家とともに作り上げることができるなんて!生きててよかったです。私は3人姉妹の末っ子として育ちましたが、今回は長女役。長女の立場から3人の妹たちを眺めたとき、どんな思いが心に生まれるのか。敏感に心を研ぎ澄まして稽古に臨みたいと思っています。●小林聡美もはや伝説といっていい向田邦子の「阿修羅のごとく」を、木野花さんの演出で、小泉さん、安藤さん、夏帆さんという素晴らしい俳優のかたがたと作り上げる時間を想像するだけで、気絶しそうです。40年以上前に書かれ、これまでも何度となく映画や演劇となった作品ですが、今、この世界観をどうやって表現していくことになるのか、楽しみです。●安藤玉恵「木野さんの演出で、向田作品の舞台で、阿修羅のごとく、四姉妹のお話で…」最後まで話を聞かずに「やりたいです!!」と言った記憶があります。その日から興奮しちゃって、向田さんのエッセーをめくる指にも気持ちが入ってしまっています。今まで黙っているのがツラかった(笑)。真夏の稽古、熱くなりそうです。●夏帆数年ぶりの舞台で今からとてもそわそわしています。この作品のお話をいただいたときに、これは絶対にやりたい...!と胸が高鳴って、また舞台の世界に飛び込んでみようと、覚悟を決めました。稽古に向けて、きりりとリズムカルな向田さんの言葉たちとどう向き合っていこうかと想像する日々はとても楽しいです。初舞台のときにとてもお世話になった木野花さんの演出のもと、頼もしい先輩方の背中を追いながら、精一杯がんばります。●岩井秀人ど偉い俳優さんたちと一緒に出ることになったなあと、感慨に耽っております。思えば引きこもり時代に見ていたのが「やっぱり猫が好き」でして、小林聡美さんの演技だか遊んでるんだか分からない自由すぎる挙動に目を回しておりました。やがて「俳優になってみたい」と引きこもりから脱出して30年ほど経ち、こんな場に呼ばれるとは。共演者の皆さま、軒並み「どうやってるんだか分からない」人たちばかりで、俳優フェチとしては稽古見学だけで済ませたい心持ちですが、めちゃくちゃ楽しもうと思っております。●山崎一出演が決定してとても嬉しかったですね。だって、このメンバーで向田邦子さんの「阿修羅のごとく」をやるんですよ!笑 しかも演出が木野花さんですからね。今からワクワクしてます。台本を読んで感じたのは出てくるキャラクター全員が愛おしいく感じたこと。観に来てくださるお客様もきっとそう感じてくれると思います。そうなるように、頑張ります!モチロンプロデュース「阿修羅のごとく」は9月9日(金)~10月2日(日)シアタートラムにて上演。※兵庫公演予定あり(cinemacafe.net)
2022年05月10日女性の社会進出がこれからという時代に編集者として活動を始め、ラジオ番組の構成作家に。約1000本のテレビドラマの脚本を手掛け、ヒットドラマの旗手となった向田邦子。1978年には初のエッセイを刊行、その後、短編小説で直木賞を受賞した。こうして残された多くの作品は、時を経ても色褪せることなく我々の心に響き続けている。※新型コロナ感染拡大の情勢を鑑みて、公演は配信のみとなりました。(2020年1月13日時点)旺盛な好奇心で風のように生きた向田邦子と現役クリエイターの共演。注目したいのは彼女のライフスタイル。おしゃれを楽しみ、美味しいものに目がなく、旅が好き。多忙の中でも自分らしく暮らしたいという生き方は今、世代を超えて共感を集めている。没後40年を迎えた今年、彼女の特別イベント「いま、風が吹いている」が開催される。「姉に関するイベントの最後は、打ち上げ花火のように盛大に行い、天に向かって良かったねと言いたい気持ちがありました。今回が最後かはわかりませんが、このイベントは姉を回顧するだけでなく、次世代の様々なジャンルの方と新たなクリエイションを生む、未来に繋がる好機だと思っています」と、末妹でイベント監修者でもある向田和子さん。イベントは展覧会やドキュメンタリーの上映、舞台、コンサート、トークショーなどを中心に構成される。1階スパイラルガーデンでは展覧会が。ここでは彼女の愛用品から生原稿、写真まで約300点の資料を展示するほか、事前予約制のトークショーも開催。3階スパイラルホールでは、作家の角田光代らが出演するドキュメンタリー『向田邦子の贈り物』を上映。また浅田美代子らが出演する舞台『寺内貫太郎33回忌』の公演や、向田のドラマのテーマ曲などをセレクトしたコンサート「向田邦子・風のコンサート」も予定されるなど、盛りだくさんの内容に。ちなみに1階MINA-TOでは、著書ほか約30タイトルを取り扱う期間限定「向田書店」をオープン。スパイラルカフェでは、向田和子さんが営んだ赤坂の小料理屋『ままや』の看板メニューが、料理家・冷水希三子さんのアレンジで蘇る。「ひと口カレー」「人参のピリ煮」「さつまいものレモン煮」などが数量限定で楽しめる。飛行機事故から40年。生前の彼女を知らない世代になぜ今、彼女の生き方が支持されているのだろうか。「姉はささやかな暮らしを楽しむ視点を持っていました。食べること、装うこと、人をもてなすことなど、姉の残した作品や生き方には、自分らしく気持ちよく暮らすことへのヒントがあるのかもしれませんね」1.「これは一生モノ。どんな時にも着られるから」と和子さんが譲り受けたワンピース。冠婚葬祭に大活躍。2.料理にも器にも凝った向田。夢は料理人になることだったそう。実はananとも縁深かった!昭和の辣腕ライター。むこうだ・くにこ1929年、東京都生まれ。22歳で雄鶏社に入社。映画雑誌の編集者からキャリアをスタート。’76~’77年にはananに「男性鑑賞法」なる連載をしていたことも。スパイラル東京都港区南青山5-6-231月14日(木)~24日(日)11時~20時会期中無休TEL:03・3498・1171写真提供:かごしま近代文学館※新型コロナ感染拡大の情勢を鑑みて、公演は配信のみとなりました。(2020年1月13日時点)※『anan』2021年1月20日号より。文・山田貴美子(by anan編集部)
2021年01月17日今年2月に開設したYouTubeチャンネル「山田邦子クニチャンネル」が人気を集めている山田邦子(60)。「新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります」、「有名タレントが今、『大手芸能事務所を辞める』のは何故?芸能人が続々と事務所を辞めていくワケ。」など、動画では暴露トークを連発している。特に、彼女の広範な交友関係から繰り広げられる「お酒が強い人ベスト10」「凄いと思った後輩芸能人ベスト10」といったランキング企画が好評だという。「やっぱりランキングは人気ですね。自分も力が入るし、見る方もワクワクするみたい。いちばん人気が高かったのは『怖かった人ランキング』ですね」現在、100万回再生近くを誇る4月に公開した「山田邦子が選ぶ怖かった芸能人ランキング!」では、裏話を次々と連発していた。《梅宮辰夫さんは入りが早すぎるから勘弁してほしい》《石原さとみさんは危険な唇をしている》《高岡早紀さんは会ったら殺されますよ。今はもう熟女になられましたけど、今でも会っちゃダメ。なんかフェロモンが違う。もう目が合ったら死にますよ》《深田恭子さんもすごい。心全部もっていかれますよ。万が一何かで会うようなことがあったらもう目をつぶっててください。やり過ごしてください》こうした“忖度なし”の内容に、視聴者から《歯に着せないのがすっきり》《世代じゃなかったけど、山田さんってこんなに面白いのか!》といった世代を超えた絶賛コメントが相次いでいる。歯に衣着せぬ発言に称賛が集まるいっぽうで、“忖度なし”の姿勢にクレームがくることも……。「マッチ(近藤真彦・55)が風邪で休んだって話したんですが、ファンの方から『そのとき集まった人たちにマッチが風邪をうつしたって話になってしまう可能性があります。そういう配慮はないんですか?』とお叱りを受けてしまったんです。そこまで気をつけて喋らないといけないんだと、とても勉強になりました。それ以来、コメントはいつも読んでいます」動画のコメント欄にはエールが並ぶいっぽう、《バカ》《ブス》といった心ない言葉も。しかし、山田は意に介していないようだ。「それも商売。『はい、がんばりま~す』『応援よろしく!』なんて書いて返しているんです」そんな山田へ、特別、本誌に向けて「大嫌いな芸能人ベスト5」をお願いすると、「怒られたりして……」と言いながらも答えてくれた。「一番はやっぱり面と向かって『殺したる!』って言われたやっさん(横山やすしさん・享年51)ですかねえ」前出の「怖かった芸能人ランキング」では横山やすしさんと共演した際の怖かったエピソードも語っていた。《大阪の番組のメーク室に入ってきていきなり『なんだお前!』って。私のことを敵だと思ったのか、大阪に私が来たことが気に入らなかったのか『ぶっ殺したるわ、お前なんか!』って。殺されちゃいやだと思って収録をやめて即、東京に帰っちゃった》第2位にランクインしたのは惜しまれつつも昨年、この世を去った伝説のロックンローラー。「最後は大の仲よしになりましたけど。『ひょうきん族』などでの悪ふざけを『山田さん、いいかげんにしてくださいよ』って何回も呼び出されて凄まれた内田裕也さん(享年79)が2位かなあ」そして3位は“因縁”の大人気後輩芸人だ。「私が太田プロをやめるときに『根性なし!』とかみついてきた有吉弘行(46)ですね。“そんなことをお前に言われる筋合いはないんだよ!”って今でも思っています。4位は『やまかつ』のメンバーで何度も一緒に仕事したマーシー(田代まさし・63)かな。覚醒剤で逮捕されて、出てくるたびに応援しようと思うんだけど、また捕まっちゃうから……」5位には意外な大御所俳優の名前も飛び出した。「名高達男さん(69)とはくだらないことが理由で大げんかしたことがあるんです。私が座長だったんですけど、『こんな心の小さい座長なんかについていけない』って言われて私も『はぁ?』ってなっちゃって。今は和解して、仲よしですけどね」「女性自身」2020年7月7日号 掲載
2020年06月26日タレントの山田邦子が23日、自身のブログを更新。同日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった女優の岡江久美子さんを追悼した。山田は「訃報」と題してブログを更新。「いやーー!!岡江久美子さんが………絶句です」と書き出し、「放射線治療は毎日 病院に通うのでどこでどう感染したのかはわかりませんが、おそらく乳がん手術は成功したから放射線治療に進んだはずだから、残念過ぎます。最後までがんばったんだと思います。つらい、つらすぎます」と悲痛な思いを吐露した。その後、「ショックです」と題して再び更新。「岡江さん、銀座のクラブにもゴルフ場にも、行ってなかったって。タバコも吸ってなかったって。煙を吸わないように気をつけてたって。がん治療がんばってたって」と無念の思いを記し、「遺骨になるまで会えないって。遺骨になっても、ご家族も濃厚感染者なのでしばらくはダメだって。悲しい」とつづった。
2020年04月23日「アテンション・プリーズ……、ANA231便、ブリュッセル行きは、ただいまご搭乗の最終案内をいたしております。47番ゲートより、ご搭乗ください……」繰り返し流れる、旅情をかき立てるアナウンス。大きなスーツケースを積み重ねたカートが所狭しと行き交い、航空会社のカウンターには、パスポートを手にした旅行者の長い列ができていた。ここは成田国際空港、第1ターミナル南ウイング。出発便の運行情報を表示する電光掲示板の前に、1人の女性の姿があった。足を止め掲示板を見上げる多くの人のなかでも、背筋をぴんと伸ばして立つ美しい姿は自然と目を引く。やがて、彼女は周囲をくるりと見回すと、ほほ笑みを浮かべ、誰に言うともなくこうつぶやいた。「うん、やっぱりいいわね、空港は……」彼女の名は大宅邦子さん(65)。’74年、20歳で入社して以来、ANA一筋、客室乗務員(CA)一筋で、世界の空を飛んできた。’85年にはANAの国際線立ち上げのプロジェクトに最年少で抜擢。以降、おもに国際線のファーストクラスを担当しながら、客室全体の責任者・チーフパーサーとして、最上級のおもてなしを提供し続けてきた。ちょうど1年ほど前の昨年11月。ラストフライトを無事に終え、大宅さんはANA初の、定年退職まで飛び続けたCAとなった。今夏には、45年という長いCA生活での経験や、育んできた思いを『選んだ道が一番いい道』(サンマーク出版)という1冊にまとめ、出版した。「あっ、大宅さ~ん」出発ロビーで本誌の撮影に臨んでいると、娘ほど年の離れた若いCAが彼女に気付いて遠くから呼びかけ、うれしそうに手を振る。それに応え、大宅さんもニコニコと笑って小さく手を振り返す。8,000人を数えるANAのCAたちの多くが憧れ、慕い、そして誇りに思うーーそれが“空のレジェンド”と呼ばれる大宅さんなのだ。「いちばん最初のフライトは……、2便目が鹿児島だったことは覚えてるんですけど、1便目のことは、インストラクターの先輩から『あなた、以前にもCAやってたの?』と聞かれ、驚いたことぐらいで、あまり覚えてないんです。無我夢中でしたし、なにより、50年近く前のことですから」こう言って、空のレジェンドは苦笑いを浮かべる。しかし、記憶が曖昧になってしまうのも無理はない。当時、ANAの、女性の定年は30歳。CAにいたっては結婚したら退職という制度まであったというから、隔世の感すら抱いてしまうことだろう。「あのころのCAはまだ、結婚前にちょっとやる、そんな仕事だったんです。それがまさか……、65歳まで飛ぶことになるなんてね」’86年7月の国際線就航以来、大宅さんは30年以上、チーフパーサーとして乗務を続けてきた。当初の定年、30歳も、37歳になり、45歳に延び、国際線就航のころには60歳になっていた。今では保育所が用意されるなどサポート体制も充実し、結婚、出産を経て、飛び続けるCAも珍しくない。とはいえ、ハードな仕事内容が軽くなったわけでもない。40人いた大宅さんの同期も、わずか1年で寿退社した1人を筆頭に、次々に退社。ともに最後まで残っていた同期も40歳で管理職になり、飛ぶことをやめてしまった。「やっぱり長時間勤務に、時差のきつさ、そういったことを抱えながら気をつかう接客というのはこたえるんでしょうか。体力的にきつくなってしまうんでしょうかね」それでも、大宅さんだけは飛び続けた。「60歳のとき、今後は雇用延長の形になります、と告げられて最初は、そろそろゆっくりしてもいいかな、と思ったんです。でも……」翻意させたのは、90代になっていた母だった。「母が言ったんです。『まだ元気なんでしょ』って。ずっと自分も働いてきた母ですが、56歳のときに耳を悪くして仕事を辞めざるをえなかった。だから母から見たら、私はまだまだ元気だと(笑)」こうして、65歳まで飛び続けることになった大宅さん。そのラストフライトーー。ロンドンを現地時間11月19日19時2分に飛び立った212便は、日本時間20日15時56分に羽田空港に到着した。定年を迎える機長の中には、機内でその旨をアナウンスし、乗客に感謝の気持ちを伝える人も。「でも、CAの仕事はお客さまの安全を守ること、そして快適に過ごしていただくこと。この2つが最優先で、私の個人的なことはお客さまには関係ないですから。安全と快適を確実にするためにも、ふだんどおり、いつもどおりにしてくださいと、皆にはお願いしたんです」長年、第一線で活躍し、輝き続ける秘訣もそこにあると考えている。「当たり前の毎日を慈しみ、積み重ねていくことが大切だと思っているんです。ふだんどおり、いつもどおり、と毎日を生きてきたら、気がついたら45年もたっていた、そんな感じなんです。もちろん、最後のフライトも、その気持ちで臨みました」再雇用後は、チーフパーサーの重責を解かれていた大宅さん。だが、この日は満席となったファーストクラスの責任者として乗務、機内アナウンスも担当した。「最後のアナウンスも、ふだんどおり、いつもと同じ内容を読み上げました」どこまでも、いつもどおりに徹する。だが、飛行機に一礼して降り、到着ロビーに出ると、いつもと違う光景が目に飛び込んできた。大勢の同僚が、後輩が、仲間たちが大宅さんを待っていたのだ。もう涙ぐんでいる後輩CAが、首にレイをかけてくれた。「驚きましたし、申し訳ない気持ちにもなりました。私のために、オフィスには200人以上の人が集まってくれていたんです。制服姿の人もいれば、休暇中の私服の人や、もう30年以上前に退職した元CAの懐かしい顔も。そして、分厚いアルバム7冊分の、後輩たちからのメッセージカードをいただいて……」あふれ出る涙で、カードの文字はかすんで見えた。引退後も、人生相談や職場の愚痴の聞き役と、現役CAとの交流が続く。さらに講演依頼を受けて地方に飛んだり、友人に誘われて18年来の愛車・BMWでロングドライブに出かけたり。そうかと思えば最近始めた囲碁に「奥が深いですね」と夢中になったり。「この記事が出るころには、ヒマラヤを見にネパールなんですよ」
2019年11月04日大宅邦子さん(65)は’74年、20歳で入社して以来、ANA一筋、客室乗務員(CA)一筋で、世界の空を飛んできた。’85年にはANAの国際線立ち上げのプロジェクトに最年少で抜擢。以降、おもに国際線のファーストクラスを担当しながら、客室全体の責任者・チーフパーサーとして、最上級のおもてなしを提供し続けてきた。ちょうど1年ほど前の昨年11月。ラストフライトを無事に終え、大宅さんはANA初の、定年退職まで飛び続けたCAとなった。今夏には、45年という長いCA生活での経験や、育んできた思いを『選んだ道が一番いい道』(サンマーク出版)という1冊にまとめ、出版した。8,000人を数えるANAのCAたちの多くが憧れ、慕い、そして誇りに思うーーそれが“空のレジェンド”と呼ばれる大宅さんなのだ。通算飛行時間は3万750時間29分!「よく、いろんな方から『怖い思いをしたことは?』と聞かれるんですけど……、私、本当にそういう経験がぜんぜんないんです」こう言って笑う大宅さんだが、一度だけ「あとから『危なかった』と聞かされたことがある」と打ち明けた。それはCAになってまだ3〜4年目、羽田発広島行きの便でのこと。機材は懐かしの日本製プロペラ機・YS-11だった。「天候が悪くてなかなか着陸できず、上空を旋回して長いこと待ってから降りたんです。その晩、機長らと食事に行くと、その席で機長から『じつは、あそこで降りられなかったら、もう燃料がなかった、着陸しブレーキ踏んだときは足が震えてたよ』って告げられたことがありました」29歳のとき、大宅さんに会社から声がかかる。「アメリカに行ってみないか?」シアトルのボーイング社などでの訓練の誘いだった。国際線就航に向けての準備の一環だったのだ。さらに’85年、国際線スタートのための11人のプロジェクトメンバーの1人に選ばれ、香港のキャセイパシフィック航空に派遣された。現地の訓練所で1カ月にわたって、国際線ならではの高い食事サービスのスキルの特訓を受けたという。そして、’86年7月。いよいよANAの国際線が就航。直前の結団式では総勢約270人のCAが集まった。1人ずつ名前を呼ばれ立ち上がり、最後は全員で「がんばりましょう!」と気勢をあげた。そして第1便の当日……。「出発前、ANA成田支店でブリーフィングを行って。終了後に客室部全員に見送られてバスに乗り込み、ターミナルに向かいました。そのとき、誰かが映画『ロッキー』のテーマ曲を流してくれたんです。そう、私たちの国際線の第1便は、あの有名な勇ましい曲とともにスタートしたんです」国際線就航以来、大宅さんは30年以上、チーフパーサーとして乗務を続けてきた。それだけ長いこと、第一線の責任者を任されていれば、いろいろなことがある。ある日のヨーロッパ便でのこと。休憩時間に仮眠を取っていた大宅さんを揺り起こす者がいた。見るとエコノミークラスのパーサーだ。彼女は小刻みに震えていた。「申し訳ありません、お客さまからクレームを頂戴して。担当CAでは対応できず、私が行ったのですが、大変なご立腹で。『チーフパーサーを呼べ』と……」サービスに時間がかかりすぎることへのクレームだった。「40代ほどの男性のお客さまで、何時何分にベルト着用サインが消えて、何時何分に飲み物のサービスが始まって、自分のところに回ってきたのが何時何分で、と克明に記録されていて……、『時間がかかりすぎる!』と……」ついに泣きだしてしまったパーサーに、大宅さんは「私が行きましょう」と優しく声をかける。ところが、まず向かったのは、その客の席ではなくギャレーだった。大宅さんは熱い日本茶を1杯いれて、トレーに載せ、それから改めて怒り心頭の乗客のもとへ。「お茶を入れる時間をあえてとる、その少しのゆとりが大事。私自身も落ち着いて対応できましたし、お客さまもお茶をお召し上がりになって、少し落ち着かれたようでした。冷静にこちらの言葉を聞いてくださり、最後は和やかな雑談まで交わした記憶があります」同僚への気配りも忘れない。すっかり落ち込んでいるパーサーにもう一度、言葉をかけた。「あんなに怒っているお客さまへの対応、あなたも大変でしたね。でも、もう大丈夫。お客さまのご機嫌も直りましたよ」記者が改めて大宅さんに、クレーム対応の極意を聞くと、にこりとほほ笑み、こう教えてくれた。「私はよく、同僚のCAには『大丈夫、命までは取られませんよ』と話してきました」一方で、長いCA生活の中では素敵な出会いもたくさんあったという。それは十数年前のクリスマスイブだった。「成田発シカゴ行きの便のファーストクラスに、小学5年生のお嬢さんとそのご両親が搭乗されました。私はお嬢さんに、お酒こそすすめませんが、それ以外はすべて大人と同じ接客をしました」大宅さんは長い経験から、「3歳以上の子どもは自分がどう扱われているかわかる」と話す。「5年生ともなれば大人と同じです。私はお食事をすすめるのも、ご両親とまったく同じように、もちろん敬語で、素材や調理方法まできっちり説明し、ご注文をうかがいました」年が明けると大宅さんのもとに、女の子の父親からお礼の手紙が届いた。そこには、海外出張が多く、たまったマイルでファーストクラスを利用したものの、はたして子連れで乗っていいものか迷っていたこと、子どもを大人同様に扱ってくれて、子ども自身が感激していたことなどが綿々とつづられていた。「私も返事を書くと、今度はそのお嬢さんから手紙をいただくように。以来、彼女との文通が始まりました。中学受験のこと、無事合格したこと、中学では吹奏楽部に入ったことなどの近況報告に、私までうれしい気持ちになりました。そして、本物の大人の女性になった彼女とは、今でも手紙のやり取りが続いています」引退後も、人生相談や職場の愚痴の聞き役と、現役CAとの交流が続く。さらに講演依頼を受けて地方に飛んだり、友人に誘われて18年来の愛車・BMWでロングドライブに出かけたり。そうかと思えば最近始めた囲碁に「奥が深いですね」と夢中になったり。「今でも『飛べ』と言われたら飛びますけれど……、今の暮らしも楽しくて、とても充実しているんですよ」
2019年11月04日5月31日、お笑いコンビ・平成ノブシコブシの吉村崇(38)が、自身のInstagramで誕生日を迎えた有吉弘行(45)の写真を投稿。有吉が山田邦子(58)を連想させる「925」のロゴTシャツを着ており、ファンから反響を得ている。吉村は「お師匠さんお誕生日おめでとうございます」と有吉の誕生日を祝い。続いて「流石の姿勢品のある座り姿流石のTシャツ」とコメント。写真には、パンダとHAPPY BIRTHDAYのバルーンをバックに、お馴染みの“おばショット”という膝に手を添え微笑む有吉の姿が。また、有吉の着ている白いTシャツには赤い字で「925」とロゴが入っており注目を集めた。この投稿にファンは「おめでとうございますクニコTシャツ(笑)」「925→山田さんのことかな?さっすがー」「シャツのセレクト、さすがですよね~」と有吉の誕生日へのお祝いコメントとともに、925のロゴを山田邦子ではないかと推察するコメントが寄せられた。また、そんな有吉に対し「山田くにこさんをいじり倒してますね」とのツッコミも見られた。所属事務所・太田プロの先輩である山田邦子が、ブログで事務所への不信感を投稿したことを受け、自身のラジオ番組で山田が事務所を辞めるであろうという発言をしていた有吉。これに対し山田は「有吉が悪い!」と指摘し、番組やメディアを介し論争が続いていた。
2019年05月31日「あのころは仕事が終わると、寝るというより、気絶していましたね(笑)」今年で芸能生活40周年を迎えた山田邦子(58)。ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人であり、NHK「好きなタレント調査」では8年連続第1位。’80年代から’90年代にかけてレギュラー番組を数多く抱え、多忙を極めていた。「1週間は7日しかないのに週16本くらい出ていましたよ。仕事が午前6時終了で、次の仕事が6時半スタートなんて日もあって。帰れない日は楽屋で寝ていましたね。テレビ局ってお風呂もあるので」まさに働きづめだった。「この後からテレビ局も働き方が変わってきて、夜12時以降の収録がなくなったんです。こんな仕事の仕方をしていたのは私たち世代が最後でしょうね。局入りするキャスターの方を見て、ああ、今何時ごろなんだなと確認していました」学生時代から数々の素人参加番組に出演し、次第にテレビに出るようになる。そして『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の故・横澤彪プロデューサーから声がかかる。「秋から出ないかと誘われて、“ギャラはいくらですか?”と聞いたら、驚かれましたね(笑)」当時はまだ短大生。ギャラの交渉も自ら行った。「事務所に所属するときですね。卒業後の就職先も内定していて当時の初任給の平均が12万円くらい。すでにいろいろ出ていたんで、その3倍はもらわないとって」事務所に入る前にドラマ『野々村病院物語』(TBS系)に出演し、ギャラは週給4万円。その後、数々のバラエティに出演。デビュー当時からまったくものおじしないタイプだった。「私、小さいときからテレビの世界と、現実の世界を区別していなかったんですね。クレージーキャッツやザ・ドリフターズ、花の中三トリオや新御三家は全部、自分と同じ立場の人。勘違いもはなはだしい(笑)。キャンディーズやピンクレディーも、自分が4人目だ、3人目だくらいの感じ。頭の中では西城秀樹と付き合って、そのあと、郷ひろみを振る!みたいな。原辰徳さんと結婚すると日記には書いてありましたからね」そんな“図々しい勘違い”が幸いし、先輩たちにはかわいがられた。「タモリさんには、酔っぱらっておんぶしてもらったこともあるし、宇津井健さんに靴を買ってもらったり。たけしさんにもどれほどごちそうになったことか。そのときに自分も将来後輩にごちそうするようにしますって誓ったんです」『オレたちひょうきん族』では、薬師丸ひろ子、島倉千代子などのモノマネを披露、担当コーナー「ひょうきん絵かき歌」も大人気に。「台本を開くと“など”と書いてあるだけだったりするのはしょっちゅう。たけしさんが昨日はこんなことがあった、なんてしゃべると、それが面白いから、じゃあそれやろうって。するともう本場です。たけしさん、さんまさんらがいて、みんなで手さぐりだけど勢いがすごくありました」デビューして40年、ドラマ、映画、ミュージカル、司会など、あらゆる仕事をこなしてきた。「私はピン芸が職業だから、最初はドラマや映画の仕事が嫌でした。今はそうした作品が残っていることを勲章のように思いますけどね。気づいたら何でもできるようになっていた。歌もまあだいたい平均点くらい歌えるようになって持ち歌もたくさんあるし、モノマネやイベントも。生放送の仕切りも何か突発的なことがあってもへこたれないですね」
2019年04月01日「向田邦子賞」の第36回選考会が4月3日に行われ、バカリズム(42)の受賞が決定した。受賞作品は昨年放送された「架空OL日記」(日本テレビ系)、バカリズムは脚本だけでなく主演の“OL役”も務めていた。 同作は、バカリズム本人がOLになりきって“架空の日常”を綴ったブログが基になっている。ドラマ化にあたり、当時のブログ内容の抜粋や脚色を施し映像化。受賞に際し「素晴らしい賞に選んでいただき、大変光栄です」とコメントしたバカリズムは、撮影時をこう回想した。 「この作品は出演者でもあったので、撮影をしながら控え室で次回の脚本を直すというなかなか忙しい現場でしたが、楽しんで書くことができました」 続けて「今後もいろいろな作品に挑戦したいと思います」と意気込んだバカリズム。ネットでも受賞を祝福する声とともに、称賛する声が上がっている。 《おめでとうございます。これからも面白いドラマの脚本をどんどん書いてください》《色々と発表し、賞として形になり、本当おめでとうございます》《ドラマ観てたけど本当に会話劇面白いし、変にリアルだし、女優陣も芝居がうまくて》 さらに続編を希望する声も。 《「架空OL日記」面白かったからなぁ、これを機に続編を作って欲しいよ》《起伏があるようなストーリーじゃないんだけど見続けられちゃう可笑しさがあって。続編あったらいいな》《『架空バスガイド日記』だとか『架空主婦日記』だとかもう無限にやってほしい》 昨年10月のインタビューで「(同作に)続編はあるのか?」との質問を受けたバカリズムは「僕はやりたいですね。同じキャストで」と“続編計画”も明かしていたが――。 ファンの願うように、その日は近い?
2018年04月04日向田邦子による同名ドラマ原作をもとに、その3年後を描くふたり芝居『家族熱』。義母の朋子をミムラが、先妻との長男・杉男を溝端淳平が演じる。ふたり芝居『家族熱』チケット情報ドラマでの共演経験を振り返り、「その時の溝端さんはコミカルさがベースながら、自然と“善意”が伝わってくる役どころを演じられていました。それが若干今回の杉男さんと共通する気がして。あっ、面白そうと思いました」とミムラ。溝端は「いつも笑顔で、柔らかいイメージのミムラさんが、朋子が秘めている女性の“業”“色気”みたいなものをどう見せてくださるのか。今からすごく楽しみです」と期待を寄せる。没後36年経った今も、衰えることがない向田作品の人気。熱烈な向田ファンのひとりでもあるミムラは、「向田さんのファンって今でも熱いですよね。『家族熱』というより“向田熱”みたいな(笑)。ただ個人的には、今まで見たことがない人がこれを機に、向田作品に興味をもってくれたらいいなと思っていて…」と、ファンならではの思いも明かす。ミムラと同様に熱烈な向田ファンであるのが、上演台本・演出を手がける合津直枝。そんなふたりの熱量に溝端は、「若干圧倒されています…」と苦笑い。だがそれだけに「すごく勉強になります」と続け、本作の魅力について、「杉男と朋子ってお互い思いはすごく強いのに、どうしてもそれを言い出すことが出来ない。そこに美しさや切なさ、もどかしさを感じますし、またそれが文学的で素敵だなと思います」と分析する。杉男が小学生の時、実母と入れ替わるように黒沼家に嫁いできた朋子。しかし杉男の父が前妻と通じていたことを知り、朋子は13年過ごした黒沼家を去ることに。本作ではその3年後、杉男の祖父の墓の前でふたりが再会するところから幕を開ける――。「彼女が黒沼家に嫁ぐ前、お墓で再会した時、さらにその先を考えなければと考えています。ストーリーの柱がとても強い分、ちゃんと生きた人をつくらないといけないと思うので」とミムラ。溝端は、「家族になる、他人になるって実はとても複雑な問題を含んでいると思うんです。でも杉男はそれには気づかず、自分の思うがままに突き進んでしまう。その浅はかゆえの姿が、逆に残酷に見えたらいいなと思います」と抱負を述べた。またミムラは「ストレートな恋愛譚にはしたくない」とも。ふたり芝居という濃密な劇空間でこそ生きる、向田作品ならではの恋愛劇がここに。公演は5月29日(火)から6月5日(火)まで東京芸術劇場 シアターウエストにて上演。チケットは3月10日(土)から先着先行プリセールがスタートする。取材・文:野上瑠美子
2018年03月09日タレントの山田邦子が17日、自身のブログを更新し、出場を表明していた『女芸人No.1決定戦 THE W(ザ ダブリュー)』(日本テレビ系で12月に決勝生放送)を辞退する理由を明かした。この大会は、出場資格は「女性」のみでプロアマ問わず、漫才・コント・ピンネタ・ものまね・パフォーマンスなど、面白ければ何をやってもOKの異種格闘技戦。決勝を放送する日本テレビは、今月9日に山田が参戦することを発表したが、16日夕方、所属事務所の太田プロダクションから辞退の連絡があり、出場がキャンセルになった。山田はブログで、「がっかりしました やる気満々だったのに」と意欲はあったものの、「おととい予選参加の時は\2000払ってくださいと言われ、まさか?と思い お金払って出るの? もしかしてこの番組、出演料あるの?と聞くと………優勝賞金のみです………と」と、ギャラに関する認識が異なっていたことをを理由として説明。「ほほう?スポンサーついてるのに?審査員や司会者は、おそらくギャラがあるのに?」と皮肉しながら、「ま、まあ、いいでしょう、じゃあ、あと芸人は誰が出るの?アマチュアや研究生です、と? え? 芸人は? まだわかりません、て。私の名前は、とっくに発表になっているのに?何じゃそりゃ」と不信感を持ったことをつづった。ちなみに、17日時点では、アマチュアや研究生だけでなく、横澤夏子&山崎ケイ、宮川花子・さゆみ・たま子、島田珠代、酒井藍ら、第一線で活躍する女芸人の参戦が発表されている。それでも山田は「残念だなぁ。予選のネタもかなり面白いのを考えていたのにぃ。ただ名前が宣伝に使われただけか がっかりだ」と不信感をあらわにし、「showroom(配信サービス)か月笑(※事務所ライブ)でやろうっと。」と別のステージに注力する意向を示した。太田プロの関係者は、この事態を受け、「こちらの説明不足。これから本人と話をしていきます」としている。
2017年10月17日日本、韓国、中国を中心にアジアで絶大な人気を誇るダンス・ボーカルグループ「EXO」。この度、カイ(EXO)が日本のドラマに初主演することが決定。向田邦子の「春が来た」を、連続ドラマWで放送する。デパートの下着売り場で働く岸川直子は、地味で冴えない31歳の独身の販売員。ひょんなことからひとりの韓国人のカメラマン、 イ・ジウォン(カイ)と出会う。その日をきっかけにジウォンの存在は直子の家族を少しずつ変えていき…。2013年に発売した初のフルアルバム「XOXO」で韓国で12年ぶりのミリオンヒットを達成し、韓国の音楽賞を総なめにした「EXO」。日本ではデビューシングル「Love Me Right~romantic universe~」が、海外アーティストによるデビューシングル歴代最高の売り上げ枚数を記録。さらにその年のオリコン年間ランキングの新人部門で3冠を達成し、海外アーティスト史上最速で東京ドーム公演デビューを果たすなど日本でも人気のグループだ。WOWOWのオリジナルドラマ史上初の海外キャスト主演となる本作。原作は、鋭い観察眼と愛情あるまなざしで人間の機微を描き出す日本最高峰の脚本家・向田氏の遺作とも言うべき傑作短編「春が来た」。本質的な人間の姿を描く向田作品は、ロングセラー作品としていまも色あせることなく時代と海を越え、日本のみならずアジア諸国においても愛され続けている。そして監督を務めるのは、「鈴木先生」でギャラクシー賞優秀賞、近年では映画『俺物語!!』や『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』も手掛ける河合勇人。ドラマは、“家族の再生”という普遍的なテーマを描いた物語を現代リメイク。オリジナルストーリーを加筆、再構成し蘇らせる。主演に決定したカイは、「初めて日本でドラマの出演が決まったときは凄く嬉しかったですし、初めての日本のドラマ撮影を想像するだけでワクワクしています」と心境を語り、「日本に長く滞在するのが初めてなので、食べ物や日本の様々な文化を経験出来ることを凄く楽しみにしています」と撮影以外も日本滞在を楽しみたいと話している。なお、WOWOWでは「WOWOW Presents EXO Special Programs」と銘打ち、1月より「EXO」の出演番組が放送中。すでに4月までのラインナップ発表されているが、今回追加放送作品として、5月には「EXO」のメンバー総出演のラブコメディ「EXO NEXT DOOR ~私のお隣さんは EXO~」、7月にはカイがドラマ初主演した「チョコバンク」の放送も決定している。「EXO NEXT DOOR ~私のお隣さんは EXO~」は5月26日(金)よりWOWOWにて放送。カイ(EXO)主演「チョコバンク」は7月、WOWOWにて放送予定。(cinemacafe.net)
2017年03月01日向田邦子の名作ドラマを原作にした舞台『阿修羅のごとく』の製作発表が11月5日、都内で行われ、主人公の四姉妹を演じる浅野温子、荻野目慶子、高岡早紀、奥菜恵をはじめ、 母親役の加賀まりこ、父親役の林隆三らが揃って会見に出席した。「阿修羅のごとく」公演情報年老いた父親に愛人と子どもがいることを知った四人の娘たち。それを機に一見平穏に見えた彼女たちの日常は揺らぎ始める。様々な秘密が露呈していく中、家族間に密かに渦巻く嫉妬や猜疑心を繊細に描いていく。原作は、和田勉演出により1979年からNHKで放映されたドラマで、2003年には森田芳光監督により映画化もされている向田作品の中でも人気の一作だ。夫に先立たれ華道の師匠として生活、出入りの料亭主人と不倫中の長女・綱子役に浅野温子。浅野は「名作に出させていただけるだけでもう十分。あとは、舞台があたるよう体当たりでやらせていいただくしかないと思っております」と決意表明。銀行員の夫の浮気を疑いノイローゼ気味の次女・巻子役には荻野目慶子。荻野目は、中学生の時にドラマ版パート2に巻子の娘役で出演していたことを明かし、「その時、憧れの女優たちを見て、興奮したのを覚えている。八千草薫さんの役をやらせていただくのだと思うと感慨無量です。修羅場をくぐって女優を続けてきてよかった」と笑顔で喜びを語った。恋愛下手で潔癖症、独り身の三女・滝子を演じる高岡早紀は、「これまで先輩の女優さんとやらせていただく機会が少なかった。今回はすばらしい女優さんからお勉強させていただく」と意気込みを語り、喫茶店でバイトしながらボクサーの卵と同棲中の四女・咲子を演じる奥菜恵は「このような豪華な顔ぶれの中、家族の一員として参加できて光栄です」と期待に胸を高鳴らせた。公演は、来年1月11日(金)より東京・ル テアトル銀座 by PARCOで幕開け。その後、1月31日(木)から大阪・森ノ宮ピロティホール、2月9日(土)より愛知・名鉄ホールでも上演。チケットの一般発売はいずれも11月17日(土)より。なお、チケットぴあでは東京公演のインターネット先行先着「プリセール」も実施中。11月9日(金)18時まで受付。
2012年11月06日