落語家の桂文枝(80)が、大阪・なんばグランド花月(NGK)での『傘寿を越えて文枝自選集華麗なる独演会』(7月15日)に向け、18日に同所で記者会見を行った。81歳誕生日の前日に開く独演会では、「傘寿を越えて」いく決意とともに、自選の創作落語を披露する。当日は「妻の旅行」、新作の「約束」、そして妻と母が死去後に封印していた「涙をこらえてカラオケを」を復活させるという。そして東西の女流落語家、林家つる子、桂二葉を招く。文枝は「ますます元気に(創作落語)500作を目指すというところを見ていただきたい」と呼びかけた。傘寿となり「健康と喪失感というか、そういうものが一番心配だった。1人ですから、ちょっと寂しくなるときもある」としながら、「頑張れるのは落語があったから」と生き生き。最近はウォーキングを意識し、最高は1日1万歩、ふだんは5000歩ほど歩き、カフェに入るという。「(92歳の)大村崑先生にこの間もお会いして、本当に元気でいらっしゃるので、これはまだまだいけるな」と刺激を受け、「きのうもコメダ珈琲でけいこしてたんです。梅田のケンタッキーフライドチキンの2階にあるんですけども(笑)」とサービストークで沸かせた。
2024年04月18日「今に心を書いて念。見えないだけで念は生きています。この世には悲しいことに誹謗中傷、いじめ、マウントなど、心の殺人が多く存在しています。みんなが幸せな愛の世界になる事を心から願っています」こうコメントしたのは、國光真耶と改名したことを発表した小林麻耶(42)だ。5月21日、来年公開予定の映画『SPELL~呪われたら、終わり~』に出演すると発表した麻耶。原作出版社の公式サイトで冒頭のように述べ、続けて「映画『SPELL』では人間として生きていく上で決して目をそらしてはいけない真実が描かれています」と語っている。國光吟氏(38)と離婚した後に一転して再婚することを発表したり、市川海老蔵(44)に怒りをぶつけながら批判したりと話題に事欠かない麻耶。『SPELL』出演にあたっては、自身のブログで改名も宣言。ますます話題を集めている。さらに『SPELL』は、主演俳優・大村崑(90)にも注目が集まっている。同作で寺西優真(28)とともにW主演を務める大村は、実は“日本映画最高齢の主演俳優”となるのだ。かつて出演した『オロナミンC』のCMで「元気ハツラツ!」というキャッチフレーズが大人気となった大村。そのハツラツぶりは年を重ねても健在だ。’20年9月には『現代ビジネス』で、ムキムキの筋肉を公開。「運動中毒」だとして、筋肉はトレーニングの賜物と明かしている。さらに今年4月に公開された『キネヅカ』のインタビューでは、「35kgのバーベルを肩に背負ってスクワットをしている」とも話している。麻耶だけでなく、“90歳の主演俳優・大村崑”にも注目が集まる『SPELL』。ネットでは、こんな声が上がっている。《大村崑さん90歳!映画で主演されてて、かなりびっくりしてます》《90才で主演する大村崑さんがすごすぎる》《崑ちゃんすごいわオロナミンCパワーおそろしいな!》《図らずも「元気ハツラツ」を証明する形になってた》
2022年05月24日「キャー、こっち向いて~」ライブが始まるやいなや、そんな黄色い声援が何度も何度も飛んでいた。令和2年のこの日会場はレトロな熱気に包まれていた。それもそのはず、ステージの上でスポットライトを浴びていたのは、昭和40年代末から50年代初頭にかけて一世を風靡した人気アイドルグループ「ずうとるび」。今日はおよそ38年ぶりにオリジナルメンバーが再結集した、復活ライブの初日だった。歌い終えて一息つくと、満面の笑みを浮かべたリーダー・山田たかお(63)が客席に向かってマイクでこう呼びかけた。「ひさしぶりだね~。みんな、応援ありがと~!」山田くんといえば、ずうとるびの元メンバーというだけでない。『笑点』に“座布団運びの山田くん”として長年出演し、お茶の間の人気者に。そんな彼には、笑いあり苦労ありの幼少期があったという。1956年、東京の下町・深川に、6人きょうだいの末っ子として生まれた。家は木工所を営んでいた。職人を何十人も抱え、家にはお手伝いさんが3人も。山田くんもそんな裕福な家に生を受けたはずだった。「僕が生まれる直前に親が詐欺に遭っちゃって。いま、地下鉄の半蔵門線の住吉駅、あるでしょ。あそこがまさに僕のうちだったそうです。もし、いまあったら、すごい財産ですよ。それに、埼玉の三郷には500坪の資材置き場も。それ、ぜ~んぶ取られちゃった」山田くんには赤ちゃん時代の写真が1枚もない。生まれてきた愛息の記念撮影もできないほど、家はもう貧しかった。「父は生真面目、母は優しかった。でも、口を開けば『たかお、申し訳ないね、ごめんね』とばかり言ってました。食べるものにも困るような生活で、家族はいつも心配事を抱えて、心の底から笑うことができない、そんな家庭でした」山田くんはそんな家族を「思いっきり笑わせてあげたい」と、いつも思っていた。チャンスが巡ってきたのは小学4年生のとき。当時、子供たちに大人気だったテレビ番組『日清ちびっこのどじまん』の公開収録が行われたのだ。同級生たち皆と観覧に訪れると、出演予定の小学生が1人、風邪でドタキャンしていた。「すごい人気番組で、厳しいオーディションがあって、本来なら後々歌手になるような、歌のうまい子しか出られない。だけど、代役がいなかったんでしょう。司会の大村崑さん(88)が客席に向かって『誰か、歌いたい人?』って、その場で募りはじめたんですよね」観覧席の小学生全員が「ハイ、ハイ!」と手を挙げる。でも、山田くんは挙手もそこそこに勝手に舞台によじ登り、大声でこう告げた。「僕が歌います!」物怖じしない性格を買われ、そのまま飛び入り出演。番組テーマ曲『ちびっこマーチ』を歌って、なんとその週のチャンピオンに。「優勝商品はインスタントラーメン半年分。家に持ち帰ったら、父も母も、それに姉や兄たちもみんな大喜び。それまで見たこともないような笑顔で。それを見てたら、僕も本当にうれしくって」ここから、山田くんの運命が動き出す。番組を偶然見ていた脚本家・花登筺(享年55)に見いだされ、山田くんは大御所の推薦で「劇団ひまわり」に入団。生来の人懐っこい性格で、名演出家やプロデューサー、大物俳優たちにもかわいがられ、子役として引っ張りだこになっていった。その後も多くの仕事相手や噺家の師匠たちに可愛がられ続けた理由はやはり、山田くんの笑顔と人柄によるだろう。そんな山田くん、じつは今、不動産業も営んでいる。2棟の賃貸マンション購入の原資になったのは、山田くんが最初のずうとるび時代、両親に渡していたお小遣いだという。「毎月5万円ずつですけど、爪に火をともす思いで育ててくれた親に、感謝の気持ちで渡していました。でも、親は一切使わずに、僕のために貯金してくれていたんです」優しい心の連鎖が、山田くんの笑顔を形作っている――。「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月29日