元全日本女子バレーボール代表でソウル五輪にも出場した大林素子が6月9日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】よしもと新喜劇の豪華メンバーと!!大林素子が元気をもらった人たちとは…?「TSKさんいん中央テレビ かまいたちの掟感謝祭2025 昨日行われておりまして お祝いコメントを」と綴り、2枚の写真をアップ。続けて「春高バレー中継のスタッフさんが掟のスタッフさんでもあり 山村Pとはもう数十年の仲」「灘脇Dとご一緒出来た時は嬉し過ぎて写真を撮って頂きました」と再会の様子を紹介した。さらに「この番組はスタッフワークが素晴らしく 達人のかまいたちさんらとのマッチングが神すぎて 島根鳥取の皆様が愛から優しすぎて とにかく幸せになる番組」と熱い感想を述べた。最後に「ティーバもだし BSよしもとでは過去作をオンエアしております 再放送沢山なので 皆さん 是非チェックしてみてね」と視聴を呼びかけている。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿にファンからはいいね!が送られている。
2025年06月09日大林素子は4日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】「草原に映えるラーメン大使」大林素子、山形での撮影オフショットが反響音楽グループ「フランクボックス」のTシャツを来て、準レギュラーとして出演するKBF福島放送の番組「シェア!」のスタジオで撮った1枚をUPしている。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿にはたくさんのいいね!が寄せられている。
2025年06月04日元バレーボール日本代表でタレントの大林素子が5月28日に自身のインスタグラムを更新した。【画像】「会津の風」大林素子、会津若松バスターミナルでCD販売中「昨日、宮泉銘醸の宮森社長と食事」と綴り、複数枚の写真をアップ。続けて「自転車だったから、実は飲めず、でしたが」と述べ、「ストーリーにアップしたようなドッキリ映像を撮り、先程シェアで観て頂きました」と報告した。さらに「吉幾三さんとの再会は、本当に偶然、奇跡のタイミングでした」と振り返り、「宮森兄弟もお父さんの様にしたう吉幾三さんは、写楽大好き仲間なのです」と紹介した。また「私も久々にお会い出来たので、思い切って歌のお話したら、私のCDを聴いて下さり、アドバイスを頂きました」と述べ、「嬉しく心におき、しっかりと私の曲を愛して行きたいと思います」と感謝の気持ちを伝えた。最後に「もっきりセンターの皆様、いつもありがとうございます。よっちゃん!ありがとう」と締めくくった。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「大林さん、忙しいですね。体調に気おつけてくださいね」といったコメントが寄せられている。
2025年05月28日元女子バレーボール日本代表で、タレント・歌手としても活動する大林素子が5月21日に自身のインスタグラムを更新した。【画像】「草原に映えるラーメン大使」大林素子、山形での撮影オフショットが反響「会津若松バスターミナルで、会津のお土産が沢山並ぶ中、美味しいお弁当やお土産、そして旅の思い出と共に、私のCDも置いて頂いております」と綴り、3枚の写真をアップ。続けて「本当にありがとうございます。皆様、是非会津の思い出の一つに『会津の風』をよろしくお願いします」と感謝の気持ちを述べた。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「小平市にも置いてもらったらいかがですか?」といったコメントが寄せられている。
2025年05月21日元バレーボール選手でタレントの大林素子が15日、自身のインスタグラムを更新した。【動画】「台風かと思った!」大林素子、石垣島の“爆風動画”にファン騒然投稿では、出演していた舞台「峠のバッキャロー」の終演を報告。演出家・菅野氏との打ち上げが叶わなかったことに触れつつも、「演劇を語る会」として“大人組”との濃密な時間を振り返った。「熱い…凄いパワーが溢れて」と綴り、世代を越えた刺激的な対話があったことを明かしている。また、「どんなに芝居ができても、人として恥ずかしくないことが大事」と語り、人間関係への誠実な姿勢と苦悩がにじむ深いメッセージも綴った。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には「おーっとダイナミックですね〜」といったコメントと共に沢山のいいね!が寄せられている。
2025年05月15日元バレーボール日本代表でタレントの大林素子が12日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】大林素子が祝福「アワードおめでとう御座います」Jスポーツ配信の舞台裏も投稿では、帰京直前に訪れた石垣島の浜辺で撮影した動画を公開した。強風に煽られ髪が舞い、声もかき消されるほどの荒天の中、「本当はエメラルドの海、、なのですが」と苦笑交じりにコメント。梅雨入り直前の空模様に翻弄されながらも、旅の締めくくりを楽しんだ様子がうかがえる。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には「素子さん凄い風ですね」「帰れるか心配になるレベル!」「いつも可愛いです」といったコメントが寄せられている。
2025年05月12日元バレーボール日本代表でタレントの大林素子が31日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、「バッキャロ」仲間と観劇!「素敵な大人組ショット」新たなショートドラマの撮影に臨んでいることを報告した。「久々のスタッフさんとのお仕事 楽しみであり、感謝♀️」と綴り、懐かしい顔ぶれとの現場に感激しつつ、気合いを込める様子を伝えた。これまでの経験を糧にした自然体の演技にも期待がかかる。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいねが集まり、大林の女優としての活躍にも注目が集まりそうだ。
2025年03月31日元バレーボール選手でタレントの大林素子が20日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、ダンプ松本との豪華2ショット!「リングを降りたら優しいダンプさん」舞台『バッキャロ』で共演した仲間たちと観劇したことを報告した。大林は「バッキャロ繋がりの大人組、ご観劇❤️」と綴り、俳優の金子昇、永井なおき、武智健二、レイちゃんとの集合写真を投稿。「少し写真切れてしまってごめんなさい、、サイズ、、」とユーモアを交えて謝罪しつつも、仲の良さが伝わる1枚となった。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 ファンからは、「素敵なショット!」「お疲れ様です」といったコメントが寄せられ、多くのいいねが集まった。
2025年03月21日元バレーボール日本代表の大林素子が20日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、公演裏で“内職”に没頭!剛力彩芽の気遣いに感動女子プロレス界のレジェンド・ダンプ松本とのツーショットを披露した。大林は「全日本女子バレーではなく、全日本女子プロレス時代バージョンな懐かしの感じ」と、極悪女王のジャージ姿を公開。「勿論、極悪に勧誘されることもありませんでした・笑」と冗談めかしつつ、「リングを降りたら優しいダンプさんでした」と、ダンプ松本の素顔を明かした。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には「懐かしいダンプさん、元気そうで何より」「素敵なツーショット!あの頃の女子プロはハマりました」といったコメントが寄せられ、当時を懐かしむ声が多く集まった。
2025年03月20日元バレーボール日本代表でタレントの大林素子が4日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、河津桜の開花に感動「大好きなピンクに癒される」「今日もお稽古頑張ります」と意気込みを綴るとともに、人生観や夢に関する深いメッセージを投稿した。「憧れや夢の世界は広く高い。でも、殻を破り、タッグを組んだら違う景色に見えるもの。人生観、価値観を変えてくれる場所、もの、人は必ずある」と、前向きな言葉を発信した。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には、多くのいいね!が寄せられた。
2025年03月04日元バレーボール日本代表の大林素子が17日、自身のインスタグラムを更新。【画像】「スタート!」大林素子、出演する舞台『女子大小路の名探偵』の稽古開始を報告春の訪れを告げる河津桜の写真を投稿した。「河津桜 段々咲いてきました」と綴り、ピンク色に染まり始めた桜の姿をシェア。「大好きなピンクに癒されます」と桜への愛を語りながら、春の訪れを楽しんでいる様子を伝えた。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいね!が寄せられており、春の訪れを感じたファンからの反応が期待される。
2025年02月17日元バレーボール日本代表でタレントの大林素子が15日、自身のインスタグラムを更新。【画像】「ハッピーバレンタイン!」大林素子、河津桜の開花を報告剛力彩芽主演で舞台化される秦建日子の小説作品の指導に入ったことを報告した。大林は「昨日から指導❤️」と短く綴り、舞台制作に関わる喜びを表現。具体的な内容には触れなかったものの、映画化もされた話題作の舞台版とあって、注目が集まっている。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいね!が寄せられ、今後の続報にも期待が高まる。
2025年02月15日元バレーボール選手でタレントの大林素子が14日、自身のインスタグラムを更新。【画像】「時が止まった」大林素子、静寂に包まれた竹富島オフショにファンも息をのむ!?バレンタインデーの挨拶とともに、春の訪れを感じさせる河津桜の開花を報告した。「ハッピーバレンタイン❤️ 皆様にとりまして素敵な一日になります様に」とメッセージを添え、「河津桜やっと咲きました」と嬉しそうにコメント。春の訪れを感じさせる投稿に、心温まる一枚となった。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいねが寄せられている。
2025年02月14日元バレーボール日本代表の大林素子が8日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、雪景色の鶴ヶ城で自撮り動画を公開!「撮影前のひととき」小平市のご当地ヒーロー「コダレンジャー」との共演ショットを公開した。投稿では、「コダレンジャーの日」と題し、「丸ポストレッドと私の技・モトコスペシャルで敵を追い返す事が出来ました」とコメント。小平市観光まちづくり大使として、街を守るべくヒーローと共闘する姿を披露した。最後には「みんな仲良しに!」と平和な締めくくりを報告し、ユーモラスな投稿となった。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいねが寄せられている。
2025年02月08日元バレーボール日本代表の大林素子が8日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、雪景色の鶴ヶ城で自撮り動画を公開!「撮影前のひととき」小平市のシンボルとも言える「丸ポスト」との2ショットを公開した。投稿では「ルネこだいら前の丸ポストは日本一よ!」と熱く語り、地元愛をアピール。さらに、「駅前のポエムさんは、美味しいコーヒーが飲めますっ」とおすすめのカフェも紹介。まもなく行われるご当地ヒーロー「コダレンジャー」とのトークショーにも触れ、イベントへの期待を膨らませた。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 ファンからは「素子さん可愛い!大好き!」「小平の散歩コースなので親近感」といったコメントが寄せられている。
2025年02月08日「藻類の研究開発で、人々と地球の未来に貢献する」をミッションとする株式会社アルガルバイオ(本社:千葉県柏市、代表取締役社長:木村 周、以下「当社」)は、大林組と日鉄興和不動産が連携し、品川インターシティ(東京都港区)を基点とした品川駅周辺エリアで、オフィスワーカーのウェルビーイング向上に向けてトライアル実施した「みんまちSHOP」に1月28日から29日まで参加いたしました。品川エリアのオフィスワーカーのみなさまに藻サプリメントMoneru(モネル)を使用していただき、摂取前後でアンケートにご回答いただくことで、Moneruのウェルビーイング向上の実証に取り組みました。品川駅周辺エリアのトライアルにアルガルバイオが参画藻サプリメントMoneru(モネル)は、東京大学発ベンチャー アルガルバイオの藻類博士が「良質な休息」に着目して開発した『藻』サプリメントです。多種多様な藻類の中から、カラダの休息に特化した新たなクロレラ株を選抜して配合しました。2023年3月よりクリニックを中心として販売し、様々な専門科の先生にもご愛好いただいています。2024年冬には、飲みやすさにこだわって新たにタブレットタイプの販売を開始いたしました。これまでに、商社や法律事務所の健康経営にMoneruを導入いただいたほか、フェムテックやトライアスロンのイベントでサンプリングを実施。2024年7月には柏の葉スマートシティで睡眠・業務パフォーマンス改善効果の実証( )に取り組みました。今後、さらに実証を重ね、企業単位のみならず、ビジネスエリア単位でのオフィスワーカーのウェルビーイング向上に役立ててまいりたいと考えています。品川インターシティで働くオフィスワーカーの方を中心にお試しいただきました。■藻サプリメントMoneru(モネル)についてMoneruは、東京大学発ベンチャー アルガルバイオの藻類博士が「良質な休息」に着目して開発した『藻』サプリメントです。多種多様な藻類の中から、カラダの休息に特化した新たなクロレラ株「クロレラAL-0015株」を選抜して配合しました。米国にて開催の「テックトレードショーCES2023」でFood&AgTech部門の「Innovation Awards」を受賞しています。商品名 : 藻サプリメントMoneru(モネル)タブレット (10日分)/(30日分)容量 : 10日分 7g(350mg×20粒)/30日分 21g(350mg×60粒)価格 : 10日分 税込1,944円(税抜1,800円)/30日分 税込4,860円(税抜4,500円)販売場所: 公式通販サイト「Moneru Store by アルガルバイオ」URL : ■使用方法1日2粒を目安に、お水か白湯でお飲みください。朝・昼・夜、時間を問わずお召し上がりいただけます。仕事や家事の合間、休息前のリラックス時間など、取り入れやすいタイミングでお召し上がりください。良質な休息は業務パフォーマンス向上へとつながります。■アルガルバイオ独自の微細藻類株「クロレラAL-0015株」Moneruに配合されている「クロレラAL-0015株」は、東京大学における20年以上の藻類研究を基盤技術とする当社が、数ある藻類株から【休息を妨げる原因】に着目してスクリーニングした独自のクロレラ株です。藻類は、約30億年前から地球上に生き続けており、地球上に約30万種存在すると言われています。当社は、この多様性に満ちた藻類を様々な産業に応用するために、100種1260株の独自の「藻類ライブラリー」を構築し、種や株ごとの培養データや、in vivo/in vitroでの試験結果を蓄積しています。「クロレラAL-0015株」はそのライブラリーからスクリーニングを重ねて見出したアルガルバイオ独自の藻類株です。クロレラAL-0015株■アルガルバイオについて「藻類の研究開発で、人々と地球の未来に貢献する」をミッションに掲げ、藻類の可能性をカタチにすることを目指す、研究開発型ベンチャー企業です。東京大学における20年以上の藻類研究の成果を技術基盤とした、バイオファウンダリー型藻類開発プラットフォームを構築しています。このプラットフォームは、100種1260株もの培養データを蓄積する独自の「藻類ライブラリー」をはじめ、藻類ごとの育種・選抜技術、培養条件最適化のノウハウ、スケールアップ検討のためのパイロットプラントなどからなり、お客様のニーズに対して最適な微細藻類の探索から商用化までを短期間で実現します。このバイオファウンダリー型藻類開発プラットフォームを通じて、温室効果ガスの吸収、排水浄化、代替食糧の開発、抗炎症成分の探索など、藻類の可能性を広げるプロジェクトをパートナー企業と共に推進しています。バイオファウンダリー型藻類開発プラットフォーム<沿革>資金調達:2018年のシード資金調達(0.4億円)を皮切りに、2019年にシリーズA(4億円)、2022年にシリーズB(合計9.4億円)の資金調達を実施。事業採択:2020年、NEDO「シード期スタートアップ事業化支援助成金」採択。2022年には同NEDO「カーボンリサイクル・次世代火力発電等技術開発/CO2有効利用拠点における技術開発/研究拠点におけるCO2有効利用技術開発・実証事業(基礎研究エリア)」に選出。2023年には農林水産省「フードテックビジネス実証支援事業」東京都「東京ベイeSGプロジェクト」令和5年度先行プロジェクトに採択。受賞歴:2022年、「CES 2023 Innovation Awards」および「第8回JEITAベンチャー賞」を受賞。2024年には「TECHSAUCE INNOVATION AWARDS」に選出。<会社概要>企業名 : 株式会社アルガルバイオ(Algal Bio Co., Ltd.)代表者 : 代表取締役社長 木村 周本社所在地: 〒277-0882 千葉県柏市柏の葉5-4-6設立 : 2018年3月事業内容 : 藻類及びその成分の研究開発、生産及び販売URL : ■今後の展望健康問題、食糧危機、地球温暖化―自然界に30万種以上存在する藻類は様々な社会課題にアプローチする力を秘めています。当社は、生物多様性の宝庫である藻類の高い機能性を活かし、新たな解決策を見出してまいります。何気なく口にする食品や普段使いの化成品、燃料などが、サステナブルな藻類により支えられている未来を創造し、人々のウェルネスで豊かな暮らしを支えていくことに貢献してまいります。<本件に関するお問い合わせは下記までご連絡ください>株式会社アルガルバイオ担当 : 小田、塩野Tel : 04-7138-6207E-mail: info@algalbio.co.jp URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2025年02月04日元バレーボール選手でタレントの大林素子が28日、自身のインスタグラムを更新。【画像】平野ノラ、大林素子との“デカモニ”2ショットを公開 ファン歓喜数年前までは年に5、6回訪れていたという思い出の地について、「会津に住み始めて来る機会が減りましたが、また通う日々の予感」と綴り、新たな日常に対する期待を込めた投稿を公開した。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 大林の柔らかな筆致から、今後の活動への期待がさらに高まっている。
2025年01月27日元バレーボール選手の大林素子が26日、自身のインスタグラムを更新。【画像】「気をつけて歩こう」大林素子、会津のお家へ帰宅もズッシリ積もった雪に注意喚起⁉「会場では、ふるまい汁が❤️とり野菜みそ身体も心も温かくなりました!美味しかったです!帰りにみそを買わなきゃ」と綴り、数枚の写真をアップした。SVリーグオールスター戦では場内解説とJスポーツ配信の二つを同時にこなすハードスケジュールの大林だが、束の間のほっこりショットにファンも一安心のようだ。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいねが寄せられている。
2025年01月26日元バレーボール選手でタレントの大林素子が17日、自身のインスタグラムを更新。【画像】「気をつけて歩こう」大林素子、会津のお家へ帰宅もズッシリ積もった雪に注意喚起⁉すっぴん姿の写真を投稿し、東京と会津若松の二拠点生活を始めてから6年経つことを報告した。雪道と思われる写真には、「まだ歩き方初心者」とコメントし、生活スタイルの試行錯誤が続いていることを明かした。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 投稿には「すっぴんでも綺麗だから大丈夫!」といったファンの励ましのコメントが寄せられ、親しみやすい素顔に共感する声が上がっている。投稿には多くのいいね!が寄せられ、大林の自然体な魅力が改めて注目された。二拠点生活を続けながらも忙しい日々を送る大林素子の姿に、多くのファンが応援を寄せている。
2025年01月17日元女子バレボール選手の大林素子が15日、自身のインスタグラムを更新。【画像】大林素子、輪島を再訪『自分にできることを動いていきたい』と決意新たに「会津のお家に帰ってきました!気をつけて歩こう」と綴り、自撮りショット1枚をアップした。道にズッシリと積もった雪をバックに写った大林にファンの注目が集まっている。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 この投稿には多くのいいねの他、「お疲れ様です。気をつけて帰って下さい。今日も綺麗すぎ」といったコメントが寄せられている。
2025年01月16日元バレーボール女子日本代表の大林素子が12日、自身のXを更新した。【画像】女子バレーボールのレジェンドが大集合!佐野優子が春高バレー満喫!「春高バレー終幕 ブログでゆっくり! お疲れ様でした」と綴り、複数枚の写真をアップ。大林は12日に春高バレー決勝を観戦しており、男子決勝、女子決勝それぞれの写真を公開。「お疲れ様でしたまたよろしくお願いします」といったコメントが寄せられている。春高バレー終幕ブログでゆっくり!お疲れ様でした pic.twitter.com/8fZFUeRYyk — 大林素子 (@motoko_pink) January 12, 2025 投稿には多くのいいねが寄せられている。
2025年01月13日元バレーボール選手でタレントの大林素子が7日Instagramを更新。【画像】平野ノラ、大林素子とのSpecialランチの様子を公開!「ザ・ギース」の20周年コントセレクションに参加し、2日目の公演を満喫したことをインスタで報告。「パーカー買ったので、明日から張り切って着たい」と、購入した記念パーカーへのワクワク感を披露。20年来の共演関係を振り返りつつ、今後も応援していく決意を語った。 この投稿をInstagramで見る 大林 素子(@m.oobayashi)がシェアした投稿 ファンからも「素子さん可愛すぎます!」「楽しんできてください!」と応援の声が続々。配信で観られる日替わりネタにも期待が高まっており、大林の応援姿勢に多くのファンが共感している。
2024年11月08日大林宣彦監督1989年の名作『北京的西瓜』(ぺきんのすいか)のデジタル配信が開始された。青果店を営む夫婦と中国人留学生たちとの心温まる交流を、実在の人物と実際にあった出来事を基に描いた本作は、およそ20年前にDVD発売されてはいるが、長らく今も続く廃盤状態で入手困難となっていた作品。1989年5月~7月に撮影されたが、天安門事件により、当初予定していた中国での撮影が急きょとん挫したという。現実の青果店の雑然とした空気感、自然で臨場感あふれる撮影手法と演出に安定的に下支えされた物語は、無償の思いやり、愛情と信頼、受けた恩に報いる気持ち、そして時代に翻弄される悲しみまでが、淡々粛々と描かれている。STORY船橋市郊外の青果業・八百春の主人の春三(ベンガル)は、李中山(ウー・ユエ)という中国留学生と知り合ったことから、彼らの苦しい生活を見兼ねて、援助の手を差し伸べた。最初は軽い気持ちでやった春三だったが、次第にエスカレートしていき、ついには自らの生活までをも犠牲にしてしまうのだった。留学生たちは彼を「日本のお父さん」として慕うが、春三が忙しくなればなるほど、女房の美智(もたいまさこ)の負担は重くなり、挙句の果てには店や家庭の危機にまで発展してしまった。「このままでは店が潰れてしまう!」と留学生たちは店を手伝うようになり、春三や美智は感涙にむせんだ。そして数年が過ぎ、中国に帰った李中山から国際電話が入り、彼らの招待で春三と美智は中国へ向かった。映画『北京的西瓜』監督:大林宣彦原作:林小利/久我山通脚本:石松愛弘撮影:長野重一音楽:根田哲雄出演:ベンガル/もたいまさこ/峰岸徹/林泰文(c)1989 MAXDAI CO., LTD.配信はコチラ:
2022年01月02日約3年前「がんが消えた!」と笑顔で語ってくれた大林さん。病魔は大林さんに試練を与え続けたが、映画への熱が冷めることはなかった。それはきっといまでも……。「昨年11月ごろから、新作の公開日に照準を合わせて、大事をとって自宅で療養していました。父は何よりも、母のそばを離れたくない。とにかく自宅が大好きな人でした。亡くなる当日まで、寝室の窓から見える八重桜を眺めながら『きれいだね』と、日課のように話をしていました」悲しみをこらえながら、本誌のインタビューに答えてくれたのは、4月10日、肺がんのため亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)のひとり娘、千茱萸さん。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により公開は延期となったが、大林さんが亡くなった日は、くしくも監督を務めた最新作『海辺の映画館−キネマの玉手箱』の公開予定日だった。’16年8月、「肺がんステージ4、余命3カ月」という宣告を受けた大林さん。本誌はその1年後の’17年8月、そして2年4カ月後の’18年12月に、大林さんに2度インタビューをしている。本誌記者に語りかける大林さんの口調は、まるで親がわが子に語りかけるように優しかった。そして自らの人生哲学を語る情熱は、宣告された余命を大幅に超えて生き続けた大林さんのエネルギッシュさを物語っていた。がん闘病、家族の絆、そして映画にこめた「反戦」への思い……。監督が本誌に残した、約9時間にも及ぶ“魂のメッセージ”に、もう一度触れてみようーー。闘病のなか、映画製作に情熱を注ぎ続けた大林さんは、妻の恭子さん(81)のことを「人生最大の理解者」だと語っていた。「僕と一緒になったときも、『あなたの才能を尊敬しているからお手伝いをします。でも、私があなたを尊敬できなかったらすぐに別れます』と宣言されて、一緒になった。古い時代の人ですから、本当に尽くしてくれますよ。自分の体のことは放っておいても、僕のことを気にしてくれてね。恭子さんがいなければ、僕は映画も作っていなかったでしょう。つまり、彼女との出会い自体が、僕そのものなんですよ。彼女もそうみたいですけど(笑)」恭子さんは、成城大学在学中から大林さんの自主映画製作に関わり、以来、大林作品を常に支えてきた。そして『転校生』(’82年)から正式にプロデューサーとなる。「彼女は、“私は最初の観客よ”と、必ず現場にいるんです。映画のプロデューサーはお金を集めてきたら現場にいないのが普通ですが、恭子さんは現場に張り付いている。僕が現場でいろんなことを思いついたりすると、横にいる彼女に相談するんです。そうすると、『あ、面白いわね。きっと面白くなると思うから、やってみて』と言って、すぐにその手配をしてくれます。“面白いと思えば、私はOKよ”というのが彼女のスタンス。ときには、容赦なくシーンをカットすることも提案してきます」夫婦であり、クリエーター同士でもある2人。いつも一緒にいれば、ケンカが起きても不思議ではないのだが。「感情的なケンカはしませんが、議論は年中しています。娘の千茱萸がいるときは、参戦させるんですよ。娘は赤ん坊のころから、夫婦で議論するときにそばに置いていましたからね。小さいときの娘は、議論するママの顔を見ながら“あ、パパのほうが間違っている”とか“ママのほうが正しそうだな”とよく思っていたみたいです(笑)」余命3カ月の宣言を受けてから、すでに2年以上が過ぎた’18年11月、大林さんにとってうれしい出来事があった。長年二人三脚で映画を作ってきた恭子さんが、「第42回山路ふみ子映画賞」で映画功労賞を受賞したのだ。「その贈呈式で彼女がいいスピーチをしてくれてね。《私の記憶は7歳のとき、東京大空襲の焼け野原から始まっています。すべてが焼かれ、写真1枚残っていない。昔の記憶も残っていない。戦争を二度と起こさないために、何か役に立てることはないか。そんなときに映画と出合い、それをこれまでずっとやってきました》と。僕は会場で聞いていて“こんなに喋る人だったんだ”と驚かされました。監督というのは好き放題、やりたい放題。それを勝手にやらせてくれたのは、プロデューサーである妻であったと、そのとき気づかされた。そしていまでは、娘の千茱萸、彼女の夫と一緒に、家族で映画を作っている。これは幸せなことです」大林さんの家族もまた、映画を愛し、そして何より新しい映画に挑戦し続ける大林さんを愛していた。そんな家族について語る大林さんの表情は、いつも優しかった。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日4月10日(金)、82歳で死去した大林宣彦監督を追悼する特別企画として、日本テレビ系では4月18日(土)、大林監督がメガホンを取り原田知世主演で筒井康隆の人気SFファンタジー小説を映画化した『時をかける少女』を放送する。『HOUSE ハウス』で商業映画初監督、80年代には本作とともに『転校生』『さびしんぼう』の3作が“尾道三部作”として多くの観客をとりこにしたほか、92年には『青春デンデケデケデケ』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。近年は『この空の花-長岡花火物語』『野のなななのか』、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞をはじめ数々の映画賞を受賞した『花筐/HANAGATAMI』といった作品を世に送り出し、精力的な活動を続けてきたが、16年にがんが発覚。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の製作に向けて闘病を続けていた矢先、82歳の生涯に幕を下ろした大林監督。大林監督を世に知らしめた“尾道三部作”の1作でもあり、監督が角川春樹とタッグを組んで世に送り出したアイドル映画の代表作ともいえるのが本作となる。昨年放送の「あなたの番です」も話題となった原田さんは本作で初の映画主演を務め、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。興行成績も28億円の配給収入をあげて公開年の邦画第2位となるヒットを記録した。物語は、ある日の放課後の実験室でラベンダーの香りを嗅いで以来、時間を跳躍する能力を持ってしまった芳山和子(原田さん)が、同じ毎日を繰り返すなかで、同級生の深町一夫(高柳良一)と淡い想いを寄せるのだが、一夫には“秘密”があって…というもの。当時16歳の原田さんによるフレッシュな演技と、叙情溢れる尾道の風景。そして現在まで数多くの作品が作られる“ループもの”青春ストーリーの元祖ともいえる、時空を超えた切ないラブストーリー。その美しい映像と世界観はいまだに多くの人の心を惹きつけてやまない。『時をかける少女』は4月18日(土)13時30分~日本テレビでオンエア(関東ローカル)。(笠緒)
2020年04月18日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)塚本 晋也(映画監督・俳優)大学生のころ、「『HOUSE/ハウス』という面白い映画があるぞ!」と自主映画仲間と映画談義に花を咲かせました。その後、大好きな『転校生』、『時をかける少女』(ラスト、倒れていた原田知世さんが立ち上がって歌い出す瞬間の驚きとときめき)など好きな映画はたくさんありますが、大林監督とお話するようになったのは、実は2015年に発表した『野火』以降になります。ですから大林監督を慕って行動を共にされていた監督さんたちとも違い、僕には雲の上の人のようにずっと遠くに感じられていました。学生のころうらやましく見ていた自主制作からプロデビューする監督さんたちの、さらにその先をいく存在だったのです。『野火』の上映で、全国のミニシアターからミニシアターへ行脚していたおり、大林監督の故郷にある映画館シネマ尾道で、僕の『野火』と大林監督の『野のなななのか』を上映し、対談をさせていただく大きな機会を得ました。大林監督は、そのすべての映画に戦争というテーマを隠し味としてこめていたと仰いましたが、3.11以降、『この空の花ー長岡花火物語』からははっきりと戦争がモチーフになっていき、その後『野のなななのか』、『花筐』へと続いてゆきます。対談の前に大きなスクリーンで観た『野のなななのか』は、戦争で亡くなった人たちと今この世で生きている自分たちが地続きに感じられる優しい目線で描かれている作品でした。全編が繰り返し歌われる詩のようで、感情が揺さぶられ続けました。そしてこの連作で、年齢や病をものともせず、作品はますますパワフルに溢れ出したのです。対談ではたくさんの大切なことをお話しくださいましたが、衝撃だったのは、大林監督は「僕(大林監督)は戦後の監督で、塚本君は戦前の監督」という視点。また、正義という概念は時代によって変わるので、必要なのは自分を俯瞰してみる正気の目線だ-。という教え。残念ながら自分たち人間は、状況によっては悪魔に変身することができる生き物だと知ってしまったので、そういう状況を作り出さないようひとりひとりが正気の目を持ち続けることが最も大切という思いに至りました。また『斬、』という新作の上映と舞台挨拶でやはりシネマ尾道にうかがったとき、大林監督が新作を撮影されているということを知り陣中見舞いにうかがったこともあります。撮影中にお邪魔するのもいかがなものかとはばかられたのですが、そうっと覗かせてもらうことにしました。そのとき監督はだいぶ小さくなられていましたが、静かに、着実に撮影を進めていらっしゃいました。撮影現場にいることが一番の薬だったのでしょう。そして自分がひょっこり現れたことをたいへんに喜んでくださいました。その後高崎映画祭の授賞式でもご一緒できる機会があったのですが、セレモニーの間どこにいらっしゃるか分からなく、自分の登壇の直前、舞台袖に待機すると車椅子の方が目に入り、その瞬間も大林監督だとはすぐには思わず、通り過ぎて壇上に出てようやく監督だとわかったのです。舞台袖ですべての進行をご覧になっていたのです。しかし目にしても気づかないほど小さくなられていたのでした。僕もゲストを大勢連れていったものですからそのあと直接お話しする機会を逸してしまい、ずっと気になっていました。あのときシネマ尾道さんの計らいで撮影現場にうかがっておいて本当によかったです。しかし高崎映画祭の壇上に出た大林監督は、本当に病気なのかと思うほどしっかりとして、たくさんの貴重なお話をみなさんにしてくださいました。実は新作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、試写やDVDでなく、町の映画館で一観客として観させていただくのを楽しみにしていたので、初日を今かと今かと待っていたのですが、まさに公開予定日に旅立たれてしまいました。映画はお客さんに届いて完成するものと思っていらしたはずですので、そこまではがんばろうとされていたのではないでしょうか。コロナの終息が見えない中亡くなられてしまったと思うと、映画の感想をお届けできなかったことが悔やまれてなりません。亡くなられる数日前に、自分の名前も上げてくださり、「君たちが映画をつないで平和な世の中に・・・」と途切れ途切れお話しをしたという奥様の恭子さんのコメントを読みました。高崎でお話しできなくごめんなさい。やっぱりどんな形ででも新作を観てしまうべきだったといろいろ悔やみましたが、今となってはいかんともしようがありません。大林さんはずっと平和のことを考え、その思いを映画に込め、語っていらっしゃいました。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』はとてつもなくパワフルな映画と各所から耳に入ってきます。もう少ししたら、最高の場所、映画館で堪能させていただきますからね、大林監督。ほんとうにありがとうございました。大林監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』から (C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC塚本 晋也(つかもと・しんや)1960年東京生まれ。映画監督/俳優。日本大学芸術学部卒業後、『電柱小僧の冒険』(1987)でPFFグランプリを受賞。『鉄男』(1989)でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど、国際的な映画祭での評価も高く、ヴェネツィア国際映画祭では審査員も務めた。自作の『野火』(2015)、『斬、』(2018)や、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』(2016)などに、俳優としても出演している。
2020年04月16日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)川本 三郎(映画評論家/文芸評論家)大林宣彦さんは、大仰ではなく、ほとんど「奇跡」のような存在だったと思う。八十歳を過ぎ、癌と闘いながら最後まで映画を作り続け、遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を作り上げたことも「奇跡」だし、なによりも映画人生の大半を「自由人」として映画を作り続けたことが「奇跡」だった。大林さんの世代の映画監督の大半は、映画会社に所属している。当時としては、それが当たり前だった。ところが大林さんは、まったく別のところから現われた。子供の頃から八ミリで映画を作り、映画少年がそのまま大きくなり、テレビのコマーシャルを多数作り、そして、映画を作るようになった。それまでの映画監督、あるいは同世代の映画監督が「撮影所育ち」だったのに対し、大林さんはあくまでも「自立」した「自前」の映画監督として映画を作り続けた。その意味で、映画史のなかの、いい意味での「突然変異」と言っていい。映画会社に属さないということは、経済的には大変だったと思うが、逆に、映画会社の枠にとらわれない自由な映画を作ることが出来た。「映像の魔術師」と呼ばれるほど、従来の映画文法にとらわれない想像力豊かな映画を作り続けることが出来たのは、大林さんが映画会社に所属しなかったことが大きいと思う。大林さんは、映画監督であると同時に「自由人」であり続けた。そこに敬服する。そして、あの優しい風貌に、この言葉は似合わないかもしれないが、偉大なる「一匹狼」だった。それを、奥さんの大林恭子さんや、娘さんの千茱萸(ちぐみ)さんが支え続けたのも素晴しい。矛盾した言い方になるかもしれないが、「家族に支えられた一匹狼」と言えばいいだろうか。「自由人」にふさわしく、大林さんの映画は、テーマよりもメッセージよりも、最初は何よりも、自由奔放なイメージの連続から作られた「奇妙なもの」として立ち現れた。従来の日本映画のこぢんまりした花鳥風月の世界とはまったく違う。アメリカン・アートのポップな感覚、テレビのコマーシャルのカラフルな喧騒には正直、最初はついていけなかった。2016年11月に、『キネマ旬報』の仕事で『花筐/HANAGATAMI』製作中の大林さんにインタビューをした時、「君は、最初の頃、僕の映画を批判していたよね」と言われて、思わず冷や汗をかいたものだった。大林さんの作品で最初に感動したのは、遅れていて、1984年の『廃市』だった。それまでの、にぎやかな世界と違って、福岡県の「柳河」という掘割の町、水の町を舞台にした静かな映画で、大林さんはこんな映画も作るのかと魅了された。福永武彦の原作も好きだったし、何よりも北原白秋が好きだったので、『廃市』を観たあと、すぐに「柳河」に旅した。のち、2012年に、北原白秋論『白秋望景』(新書館)を書いたのも、きっかけは大林さんの『廃市』だった。大林さんは声もよかった。あるところで『廃市』はナレーションの声がいいと書いた。あとで、その声は監督の大林さん自身の声だったと知って、恥かしくもあり、同時にうれしくもあった。かつて木下恵介監督は「作品のなかで必ず映画的実験をする」と言って、作品ごとにそれを試みたが、大林さんも新作ごとに「映画的実験」に挑んだ。ひとつ例を挙げれば2004年の『理由』だろうか。あの宮部みゆきの傑作を映画化する。普通の映画監督ならリアリズムの手法で事件を追っていただろう。ところが大林さんはそうはしなかった。テレビのワイドショーの手法を使った。それまでは映画では使ってはならないとされていた、俳優がまっすぐカメラを見るという禁じ手を逆手にとって、俳優たちがワイドショーのレポーターのように正面からカメラを見て事件を語る。この型破りの手法には驚いた。「自由人」だから出来る冒険だったろう。大林さんの「映画的実験」は近年の『花筐/HANAGATAMI』や『海辺の映画館-キネマの玉手箱』で如何なく発揮されている。どちらの作品も反戦のメッセージが強く打ち出されているが、決してありきたりのリアリズムの枠にはおさまっていない。具象画の世界に突然、抽象画が現われたような新鮮な驚きがある。故郷である尾道を舞台にした尾道三部作をはじめ、小樽、長岡、臼杵、唐津など地方を舞台にした作品を作り続けたことも、東京一極集中の時代にあって意味が大きい。中心に対して、周縁からの抵抗の思いもあっただろう。大林さんの反骨精神を感じる。『廃市〈HDニューマスター版〉』発売・販売:キングレコードKIXF-4286/¥2,500+税 KIBF-4533/¥1,900+税川本 三郎(かわもと・さぶろう)1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞などを文芸著作で各賞受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。
2020年04月15日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)植草 信和(元キネマ旬報編集長)大林さんと最後にお会いしたのは2018年の春だった。クランクイン直前に下された〈余命三ヵ月宣告〉を撥ね返して完成させた『花筐/HANAGATAMI』公開が前年の2017年12月だから、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』準備中だった。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」の取材で、3回に亘って6時間ほどインタビューさせていただいた。場所はご自身のプロダクション〈PSC〉の仕事場兼応接間。恭子夫人に伴われて現れた監督は病魔との戦いに疲れた様子だったが、インタビューを始めるとそれまでの痛々しさを微塵も感じさせないほど饒舌になり、尾道時代の幼年期からの「映画人生」を語ってくれた。個々の作品評価は紙幅の都合で別の機会に譲るとして、大林さんが我々に遺してくれた最大の遺産は何だったのだろうか、と真剣に思う。それを一言で表せば、「後進への映画の道を切り拓いた」ということに尽きる。映画監督への道はそれまで、撮影所の門をくぐった者しか開かれていなかった。だが彼は、CMディレクターであり自主映画の監督に過ぎなかったにも関わらず、『HOUSE /ハウス』で東宝という大メジャーから監督デビューを果たした。しかも興行的にも大成功を収め、一躍時の人、人気監督になった。大林さんの出現は、日本映画史に「大林以前・大林以後」と特筆大書してもいいほど燦然と輝く新たな一ページを加えた。日本映画界が低迷していた中でのその鮮烈な監督デビューは、大森一樹や原田眞人、是枝裕和、岩井俊二という現在の日本映画を牽引する監督たちを登場させる端緒になったといっていい。その他、犬童一心、塚本晋也、手塚眞、今関あきよしなどの大林チルドレンと言われる監督たちも生まれ、その幹から育った監督たちも多くいる。3.11東日本大震災からは「反戦」を刻印する映画を4本作った大林監督、文字通り遺書になった著書『最後の講義/映画とは“フィロソフィー”』の終章は、「映画では、平和を引き寄せられます。本当にそれができるんだから。頼むよ、みんな」という一文で結ばれている。その一文から、手塚治虫が「漫画と少年」の懸け橋になったように、大林さんは「映画と青年」の懸け橋になったのだ、と思える。大島渚、かわなかのぶひろ、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫ら審査員各氏がそろったPFF審査中の貴重なショット。手前左端サングラスが大林監督。写真提供:PFF植草 信和(うえくさ・のぶかず)1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」で、大林宣彦監督のインタビュー&構成を担当。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)中川 右介(作家)最初に大林宣彦監督にお会いしたのは、スマートフォンの記録を見ると、2013年10月29日。当時の私は「関西ウォーカー」誌に、後に『角川映画 1976-1986』(角川文庫)となる記事を連載しており、角川春樹時代の角川映画で最も多く撮った大林監督に、時間をとっていただき、『時をかける少女』などの角川映画時代を語っていただいた。実はその時点まで、どういう本にするか明確な設計図ができていなかったのだが、このインタビューで、「角川春樹と大林宣彦の距離感のある盟友関係」を隠れた主題にするアイデアを思いついた。そのインタビューの際、同行していたカメラマンが「写真のチェックをしますか」ときくと、「それはあなたの仕事でしょう。僕の映画なら、もちろんチェックするけれど、あなたの写真なのだから、あなたが最もいいと思う写真を使いなさい」との答えで、かっこいいなあと思った。そこに、プロとしての矜持を感じた。監督の好きな言葉で言えば、「フィロソフィー」を。その矜持の本質をもっと知りたくなり、『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)という本を企画し、私がインタビューをして構成することになった。原稿に大林監督が手を加え、さらに私が手を入れと、何度も原稿のやりとりがあった。組版してからも大変だった。この本を手にしてていただければ分かるが、一行も余白がない。たとえば、校正刷りで、あるページに2行余白が生じると、大林監督は2行足して埋めていく。映画には余白はない。始まったら最後まで1秒も空白がない。その感覚で、作られた本だった。カメラマンが撮った写真はその人の作品だから口出ししないが、本での自分の発言は自分の作品だから、一字一句までこだわる。そのすさまじさ。一緒に映画を作ることはなかったけれど、この本を作ったことで、プロとしての大林宣彦の仕事の流儀、作法に接することができた。生涯の思い出だ。インタビューの後は、いつも成城学園前駅近くで食事をした。ある晩、店から出てくると、駅周辺にいる人たちが夜空を見上げていた。「なんだろう」と私たちも見上げたが、とくに変わったものは見えない。私はぼんやりと見上げていただけだったが、大林監督は、見上げている人たちのそばへ行き、「何が見えるんですか」ときいた。すごい好奇心だ。「月食です、いま見えなくなったところ」との答えに、「見えないわけだ。見そこなったのは、ツキがなかった」と大笑い。「大林宣彦のダジャレ」のひとつだ。新宿で食事をしたときも、「西武新宿線で帰ります」と言うと、すかさず「ほう、西武線か。セイブ戦線異状なしだといいね」と返された。ダジャレの天才だった。これからも、大林映画は何度でも見ることができるけど、あのダジャレはもうきけない。映画『HOUSE/ハウス』のチラシ中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京生まれ。出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)など、映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)樋口 尚文(映画評論家、映画監督)1977年、東宝のスクリーンに『HOUSE/ハウス』という作品が「乱入」してきた時のインパクトは、当時の若い観客にとってとんでもないものだった。その頃はビデオなどないから、封切りの後は、私のように名画座で何度も観まくる中毒患者が多発した。この作品は言わば邦画らしからぬモダンなタッチで描かれた美少女ホラーだったのだが、中毒まで行った観客はそんな設定やストーリーのうわべに痺れていたのではない。ぼくらを虜にしたのは、特異な画と音で埋め尽くされた映画の行間にたちのぼるフィルムの手ざわり、フィルムの生理のようなものであり、そこに弾けては消える(少女の思春のときの儚さのような)抒情、リリシズムを感じて甘美な疼痛を覚えていた。自然主義的な文学性で語ってきた日本映画の歴史のなかで、フィルムを愛玩しつくした先に降るフィルムそのものの抒情を領分とする作品などあり得なかった。正確に言えば、邦画五社の商業映画でなければ、それは存在した。『HOUSE』のひと昔まえに大林が発表した16mm作品『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を筆頭とする個人映画の諸作である。『いつか見たドラキュラ』は全国の大学祭で上映しないところはないくらいの人気を博したが、それはまさにフィルムの生理で語った画期的な大林調が若者たちを揺さぶった結果であった。『HOUSE』の凄さは、これらの個人映画が発散していた濃厚なフィルムの抒情が、手かげんなく東宝の夏休みアイドル映画に越境していた、ということだ。この「越境」の原点は、それを遡ること二十年前、大林青年が8mmカメラで映画を撮り出した頃にすでに明らかだ。すなわち大林は戦時中の子ども時代から熱狂的な映画ファンであったものの、8mmで作り出したのはフィルムの手ざわり、生理をもって自分ならではの「詩」をうたう習作だった。以来、大林はテレビコマーシャルの売れっ子演出家である時も、16mmのアンダーグラウンド映画の作家である時も、35mmの商業映画の監督をまかせられた時も、全く変わらずに大林の専売特許であるフィルム的抒情をもって作品づくりに傾注した。だから、厳密に言うと『いつか見たドラキュラ』時代の作風が『HOUSE』に越境したというよりも、大林は常に変わらず「私人=詩人」として自分だけのフィルムの「詩」をうたってきた、ということだろう。それは近年のデジタル長篇時代になっても変わらないどころか、より旗幟鮮明に(身体は病み疲れても)情熱的なフィルム語りにのめっていった。そして作家はつねに「私性」に生き、自分だけの「詩」をうたうべし、という大林の実践的な教えは、大林も審査員をつとめていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身者をはじめとする「大林チルドレン」の監督たちに継承されていった。だが、あの『時をかける少女』などをはじめとする口あたりのよいジュブナイルの紙背にひそむ、フィルムそのものの匿名の抒情の戦慄は、なまなかな追随を許さぬ「導師」ならではの境地であろう。畏怖とともに、合掌。新文芸坐で開催された「大林宣彦映画祭2017」のチラシ樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。2017年、新文芸坐での「大林宣彦映画祭」を企画。2019年、大林監督の研究本『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)を責任編集。
2020年04月12日