10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)塚本 晋也(映画監督・俳優)大学生のころ、「『HOUSE/ハウス』という面白い映画があるぞ!」と自主映画仲間と映画談義に花を咲かせました。その後、大好きな『転校生』、『時をかける少女』(ラスト、倒れていた原田知世さんが立ち上がって歌い出す瞬間の驚きとときめき)など好きな映画はたくさんありますが、大林監督とお話するようになったのは、実は2015年に発表した『野火』以降になります。ですから大林監督を慕って行動を共にされていた監督さんたちとも違い、僕には雲の上の人のようにずっと遠くに感じられていました。学生のころうらやましく見ていた自主制作からプロデビューする監督さんたちの、さらにその先をいく存在だったのです。『野火』の上映で、全国のミニシアターからミニシアターへ行脚していたおり、大林監督の故郷にある映画館シネマ尾道で、僕の『野火』と大林監督の『野のなななのか』を上映し、対談をさせていただく大きな機会を得ました。大林監督は、そのすべての映画に戦争というテーマを隠し味としてこめていたと仰いましたが、3.11以降、『この空の花ー長岡花火物語』からははっきりと戦争がモチーフになっていき、その後『野のなななのか』、『花筐』へと続いてゆきます。対談の前に大きなスクリーンで観た『野のなななのか』は、戦争で亡くなった人たちと今この世で生きている自分たちが地続きに感じられる優しい目線で描かれている作品でした。全編が繰り返し歌われる詩のようで、感情が揺さぶられ続けました。そしてこの連作で、年齢や病をものともせず、作品はますますパワフルに溢れ出したのです。対談ではたくさんの大切なことをお話しくださいましたが、衝撃だったのは、大林監督は「僕(大林監督)は戦後の監督で、塚本君は戦前の監督」という視点。また、正義という概念は時代によって変わるので、必要なのは自分を俯瞰してみる正気の目線だ-。という教え。残念ながら自分たち人間は、状況によっては悪魔に変身することができる生き物だと知ってしまったので、そういう状況を作り出さないようひとりひとりが正気の目を持ち続けることが最も大切という思いに至りました。また『斬、』という新作の上映と舞台挨拶でやはりシネマ尾道にうかがったとき、大林監督が新作を撮影されているということを知り陣中見舞いにうかがったこともあります。撮影中にお邪魔するのもいかがなものかとはばかられたのですが、そうっと覗かせてもらうことにしました。そのとき監督はだいぶ小さくなられていましたが、静かに、着実に撮影を進めていらっしゃいました。撮影現場にいることが一番の薬だったのでしょう。そして自分がひょっこり現れたことをたいへんに喜んでくださいました。その後高崎映画祭の授賞式でもご一緒できる機会があったのですが、セレモニーの間どこにいらっしゃるか分からなく、自分の登壇の直前、舞台袖に待機すると車椅子の方が目に入り、その瞬間も大林監督だとはすぐには思わず、通り過ぎて壇上に出てようやく監督だとわかったのです。舞台袖ですべての進行をご覧になっていたのです。しかし目にしても気づかないほど小さくなられていたのでした。僕もゲストを大勢連れていったものですからそのあと直接お話しする機会を逸してしまい、ずっと気になっていました。あのときシネマ尾道さんの計らいで撮影現場にうかがっておいて本当によかったです。しかし高崎映画祭の壇上に出た大林監督は、本当に病気なのかと思うほどしっかりとして、たくさんの貴重なお話をみなさんにしてくださいました。実は新作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、試写やDVDでなく、町の映画館で一観客として観させていただくのを楽しみにしていたので、初日を今かと今かと待っていたのですが、まさに公開予定日に旅立たれてしまいました。映画はお客さんに届いて完成するものと思っていらしたはずですので、そこまではがんばろうとされていたのではないでしょうか。コロナの終息が見えない中亡くなられてしまったと思うと、映画の感想をお届けできなかったことが悔やまれてなりません。亡くなられる数日前に、自分の名前も上げてくださり、「君たちが映画をつないで平和な世の中に・・・」と途切れ途切れお話しをしたという奥様の恭子さんのコメントを読みました。高崎でお話しできなくごめんなさい。やっぱりどんな形ででも新作を観てしまうべきだったといろいろ悔やみましたが、今となってはいかんともしようがありません。大林さんはずっと平和のことを考え、その思いを映画に込め、語っていらっしゃいました。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』はとてつもなくパワフルな映画と各所から耳に入ってきます。もう少ししたら、最高の場所、映画館で堪能させていただきますからね、大林監督。ほんとうにありがとうございました。大林監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』から (C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC塚本 晋也(つかもと・しんや)1960年東京生まれ。映画監督/俳優。日本大学芸術学部卒業後、『電柱小僧の冒険』(1987)でPFFグランプリを受賞。『鉄男』(1989)でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど、国際的な映画祭での評価も高く、ヴェネツィア国際映画祭では審査員も務めた。自作の『野火』(2015)、『斬、』(2018)や、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』(2016)などに、俳優としても出演している。
2020年04月16日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)川本 三郎(映画評論家/文芸評論家)大林宣彦さんは、大仰ではなく、ほとんど「奇跡」のような存在だったと思う。八十歳を過ぎ、癌と闘いながら最後まで映画を作り続け、遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を作り上げたことも「奇跡」だし、なによりも映画人生の大半を「自由人」として映画を作り続けたことが「奇跡」だった。大林さんの世代の映画監督の大半は、映画会社に所属している。当時としては、それが当たり前だった。ところが大林さんは、まったく別のところから現われた。子供の頃から八ミリで映画を作り、映画少年がそのまま大きくなり、テレビのコマーシャルを多数作り、そして、映画を作るようになった。それまでの映画監督、あるいは同世代の映画監督が「撮影所育ち」だったのに対し、大林さんはあくまでも「自立」した「自前」の映画監督として映画を作り続けた。その意味で、映画史のなかの、いい意味での「突然変異」と言っていい。映画会社に属さないということは、経済的には大変だったと思うが、逆に、映画会社の枠にとらわれない自由な映画を作ることが出来た。「映像の魔術師」と呼ばれるほど、従来の映画文法にとらわれない想像力豊かな映画を作り続けることが出来たのは、大林さんが映画会社に所属しなかったことが大きいと思う。大林さんは、映画監督であると同時に「自由人」であり続けた。そこに敬服する。そして、あの優しい風貌に、この言葉は似合わないかもしれないが、偉大なる「一匹狼」だった。それを、奥さんの大林恭子さんや、娘さんの千茱萸(ちぐみ)さんが支え続けたのも素晴しい。矛盾した言い方になるかもしれないが、「家族に支えられた一匹狼」と言えばいいだろうか。「自由人」にふさわしく、大林さんの映画は、テーマよりもメッセージよりも、最初は何よりも、自由奔放なイメージの連続から作られた「奇妙なもの」として立ち現れた。従来の日本映画のこぢんまりした花鳥風月の世界とはまったく違う。アメリカン・アートのポップな感覚、テレビのコマーシャルのカラフルな喧騒には正直、最初はついていけなかった。2016年11月に、『キネマ旬報』の仕事で『花筐/HANAGATAMI』製作中の大林さんにインタビューをした時、「君は、最初の頃、僕の映画を批判していたよね」と言われて、思わず冷や汗をかいたものだった。大林さんの作品で最初に感動したのは、遅れていて、1984年の『廃市』だった。それまでの、にぎやかな世界と違って、福岡県の「柳河」という掘割の町、水の町を舞台にした静かな映画で、大林さんはこんな映画も作るのかと魅了された。福永武彦の原作も好きだったし、何よりも北原白秋が好きだったので、『廃市』を観たあと、すぐに「柳河」に旅した。のち、2012年に、北原白秋論『白秋望景』(新書館)を書いたのも、きっかけは大林さんの『廃市』だった。大林さんは声もよかった。あるところで『廃市』はナレーションの声がいいと書いた。あとで、その声は監督の大林さん自身の声だったと知って、恥かしくもあり、同時にうれしくもあった。かつて木下恵介監督は「作品のなかで必ず映画的実験をする」と言って、作品ごとにそれを試みたが、大林さんも新作ごとに「映画的実験」に挑んだ。ひとつ例を挙げれば2004年の『理由』だろうか。あの宮部みゆきの傑作を映画化する。普通の映画監督ならリアリズムの手法で事件を追っていただろう。ところが大林さんはそうはしなかった。テレビのワイドショーの手法を使った。それまでは映画では使ってはならないとされていた、俳優がまっすぐカメラを見るという禁じ手を逆手にとって、俳優たちがワイドショーのレポーターのように正面からカメラを見て事件を語る。この型破りの手法には驚いた。「自由人」だから出来る冒険だったろう。大林さんの「映画的実験」は近年の『花筐/HANAGATAMI』や『海辺の映画館-キネマの玉手箱』で如何なく発揮されている。どちらの作品も反戦のメッセージが強く打ち出されているが、決してありきたりのリアリズムの枠にはおさまっていない。具象画の世界に突然、抽象画が現われたような新鮮な驚きがある。故郷である尾道を舞台にした尾道三部作をはじめ、小樽、長岡、臼杵、唐津など地方を舞台にした作品を作り続けたことも、東京一極集中の時代にあって意味が大きい。中心に対して、周縁からの抵抗の思いもあっただろう。大林さんの反骨精神を感じる。『廃市〈HDニューマスター版〉』発売・販売:キングレコードKIXF-4286/¥2,500+税 KIBF-4533/¥1,900+税川本 三郎(かわもと・さぶろう)1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞などを文芸著作で各賞受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。
2020年04月15日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)植草 信和(元キネマ旬報編集長)大林さんと最後にお会いしたのは2018年の春だった。クランクイン直前に下された〈余命三ヵ月宣告〉を撥ね返して完成させた『花筐/HANAGATAMI』公開が前年の2017年12月だから、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』準備中だった。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」の取材で、3回に亘って6時間ほどインタビューさせていただいた。場所はご自身のプロダクション〈PSC〉の仕事場兼応接間。恭子夫人に伴われて現れた監督は病魔との戦いに疲れた様子だったが、インタビューを始めるとそれまでの痛々しさを微塵も感じさせないほど饒舌になり、尾道時代の幼年期からの「映画人生」を語ってくれた。個々の作品評価は紙幅の都合で別の機会に譲るとして、大林さんが我々に遺してくれた最大の遺産は何だったのだろうか、と真剣に思う。それを一言で表せば、「後進への映画の道を切り拓いた」ということに尽きる。映画監督への道はそれまで、撮影所の門をくぐった者しか開かれていなかった。だが彼は、CMディレクターであり自主映画の監督に過ぎなかったにも関わらず、『HOUSE /ハウス』で東宝という大メジャーから監督デビューを果たした。しかも興行的にも大成功を収め、一躍時の人、人気監督になった。大林さんの出現は、日本映画史に「大林以前・大林以後」と特筆大書してもいいほど燦然と輝く新たな一ページを加えた。日本映画界が低迷していた中でのその鮮烈な監督デビューは、大森一樹や原田眞人、是枝裕和、岩井俊二という現在の日本映画を牽引する監督たちを登場させる端緒になったといっていい。その他、犬童一心、塚本晋也、手塚眞、今関あきよしなどの大林チルドレンと言われる監督たちも生まれ、その幹から育った監督たちも多くいる。3.11東日本大震災からは「反戦」を刻印する映画を4本作った大林監督、文字通り遺書になった著書『最後の講義/映画とは“フィロソフィー”』の終章は、「映画では、平和を引き寄せられます。本当にそれができるんだから。頼むよ、みんな」という一文で結ばれている。その一文から、手塚治虫が「漫画と少年」の懸け橋になったように、大林さんは「映画と青年」の懸け橋になったのだ、と思える。大島渚、かわなかのぶひろ、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫ら審査員各氏がそろったPFF審査中の貴重なショット。手前左端サングラスが大林監督。写真提供:PFF植草 信和(うえくさ・のぶかず)1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」で、大林宣彦監督のインタビュー&構成を担当。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)中川 右介(作家)最初に大林宣彦監督にお会いしたのは、スマートフォンの記録を見ると、2013年10月29日。当時の私は「関西ウォーカー」誌に、後に『角川映画 1976-1986』(角川文庫)となる記事を連載しており、角川春樹時代の角川映画で最も多く撮った大林監督に、時間をとっていただき、『時をかける少女』などの角川映画時代を語っていただいた。実はその時点まで、どういう本にするか明確な設計図ができていなかったのだが、このインタビューで、「角川春樹と大林宣彦の距離感のある盟友関係」を隠れた主題にするアイデアを思いついた。そのインタビューの際、同行していたカメラマンが「写真のチェックをしますか」ときくと、「それはあなたの仕事でしょう。僕の映画なら、もちろんチェックするけれど、あなたの写真なのだから、あなたが最もいいと思う写真を使いなさい」との答えで、かっこいいなあと思った。そこに、プロとしての矜持を感じた。監督の好きな言葉で言えば、「フィロソフィー」を。その矜持の本質をもっと知りたくなり、『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)という本を企画し、私がインタビューをして構成することになった。原稿に大林監督が手を加え、さらに私が手を入れと、何度も原稿のやりとりがあった。組版してからも大変だった。この本を手にしてていただければ分かるが、一行も余白がない。たとえば、校正刷りで、あるページに2行余白が生じると、大林監督は2行足して埋めていく。映画には余白はない。始まったら最後まで1秒も空白がない。その感覚で、作られた本だった。カメラマンが撮った写真はその人の作品だから口出ししないが、本での自分の発言は自分の作品だから、一字一句までこだわる。そのすさまじさ。一緒に映画を作ることはなかったけれど、この本を作ったことで、プロとしての大林宣彦の仕事の流儀、作法に接することができた。生涯の思い出だ。インタビューの後は、いつも成城学園前駅近くで食事をした。ある晩、店から出てくると、駅周辺にいる人たちが夜空を見上げていた。「なんだろう」と私たちも見上げたが、とくに変わったものは見えない。私はぼんやりと見上げていただけだったが、大林監督は、見上げている人たちのそばへ行き、「何が見えるんですか」ときいた。すごい好奇心だ。「月食です、いま見えなくなったところ」との答えに、「見えないわけだ。見そこなったのは、ツキがなかった」と大笑い。「大林宣彦のダジャレ」のひとつだ。新宿で食事をしたときも、「西武新宿線で帰ります」と言うと、すかさず「ほう、西武線か。セイブ戦線異状なしだといいね」と返された。ダジャレの天才だった。これからも、大林映画は何度でも見ることができるけど、あのダジャレはもうきけない。映画『HOUSE/ハウス』のチラシ中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京生まれ。出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)など、映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)樋口 尚文(映画評論家、映画監督)1977年、東宝のスクリーンに『HOUSE/ハウス』という作品が「乱入」してきた時のインパクトは、当時の若い観客にとってとんでもないものだった。その頃はビデオなどないから、封切りの後は、私のように名画座で何度も観まくる中毒患者が多発した。この作品は言わば邦画らしからぬモダンなタッチで描かれた美少女ホラーだったのだが、中毒まで行った観客はそんな設定やストーリーのうわべに痺れていたのではない。ぼくらを虜にしたのは、特異な画と音で埋め尽くされた映画の行間にたちのぼるフィルムの手ざわり、フィルムの生理のようなものであり、そこに弾けては消える(少女の思春のときの儚さのような)抒情、リリシズムを感じて甘美な疼痛を覚えていた。自然主義的な文学性で語ってきた日本映画の歴史のなかで、フィルムを愛玩しつくした先に降るフィルムそのものの抒情を領分とする作品などあり得なかった。正確に言えば、邦画五社の商業映画でなければ、それは存在した。『HOUSE』のひと昔まえに大林が発表した16mm作品『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を筆頭とする個人映画の諸作である。『いつか見たドラキュラ』は全国の大学祭で上映しないところはないくらいの人気を博したが、それはまさにフィルムの生理で語った画期的な大林調が若者たちを揺さぶった結果であった。『HOUSE』の凄さは、これらの個人映画が発散していた濃厚なフィルムの抒情が、手かげんなく東宝の夏休みアイドル映画に越境していた、ということだ。この「越境」の原点は、それを遡ること二十年前、大林青年が8mmカメラで映画を撮り出した頃にすでに明らかだ。すなわち大林は戦時中の子ども時代から熱狂的な映画ファンであったものの、8mmで作り出したのはフィルムの手ざわり、生理をもって自分ならではの「詩」をうたう習作だった。以来、大林はテレビコマーシャルの売れっ子演出家である時も、16mmのアンダーグラウンド映画の作家である時も、35mmの商業映画の監督をまかせられた時も、全く変わらずに大林の専売特許であるフィルム的抒情をもって作品づくりに傾注した。だから、厳密に言うと『いつか見たドラキュラ』時代の作風が『HOUSE』に越境したというよりも、大林は常に変わらず「私人=詩人」として自分だけのフィルムの「詩」をうたってきた、ということだろう。それは近年のデジタル長篇時代になっても変わらないどころか、より旗幟鮮明に(身体は病み疲れても)情熱的なフィルム語りにのめっていった。そして作家はつねに「私性」に生き、自分だけの「詩」をうたうべし、という大林の実践的な教えは、大林も審査員をつとめていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身者をはじめとする「大林チルドレン」の監督たちに継承されていった。だが、あの『時をかける少女』などをはじめとする口あたりのよいジュブナイルの紙背にひそむ、フィルムそのものの匿名の抒情の戦慄は、なまなかな追随を許さぬ「導師」ならではの境地であろう。畏怖とともに、合掌。新文芸坐で開催された「大林宣彦映画祭2017」のチラシ樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。2017年、新文芸坐での「大林宣彦映画祭」を企画。2019年、大林監督の研究本『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)を責任編集。
2020年04月12日映画監督の大林宣彦さんが4月10日、肺がんのため亡くなった。82歳だった。大林さんにゆかりのある俳優たちからは、追悼の言葉が上がっている。83年の主演作「時をかける少女」で映画デビューを果たした原田知世(52)は《大林宣彦監督 在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします》とTwitterに投稿。また各メディアによると82年の「転校生」で主演の1人を演じた小林聡美(54)は「大林監督は私の根っこであり、お日様でした」「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしたという。16年8月、映画「花筐/HANAGATAMI」の撮影前日に肺がんだと判明した大林さん。ステージ4だと診断され、2日後には余命3カ月と宣告された。しかし、奇跡的に復活を果たした。17年9月、本誌で大林さんは余命宣告に対して「自分でも不思議なほどネガティブな気持ちはいっさいなかった」と告白。そして「それはやはり、伝えなければいけないメッセージがあるから。命懸けで撮らなければならない映画があるからなんです」と語っていた。身を賭して撮り続けたのは、同作で戦争を描いたためだ。映画を通して、反戦を伝えてきた大林さん。そこには黒澤明さん(享年88)に託された願いがあったという。黒沢さんはある日、こう話した。「大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ」「きみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ」大林さんは「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです」と語っていた。そんな大林さんが亡くなった4月10日は、新型コロナウイルスの影響がなければ新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱-」が公開される日だった。同作も戦争をモチーフにした映画だ。18年12月、再び本誌の取材に応じた大林さんは闘病生活について「がんとは共存共生」と表現。そして「地球からしたら、戦争をやめられない人間こそが、がんだっていうことですよ」「勝つためだけに国に殺され、たくさんの人々が不幸になる」として、同作についてこう語っていた。「現代の若者たちが幕末日本や第二次世界大戦中の中国戦線、原爆投下直前の広島にタイムスリップします。現象だけを見ると、戦意高揚の映画に思われるかもしれない。勝って喜んでいるシーンもある。自分でも笑えない幕間喜劇という難しい作品に手を出したな、と思っています」さらに「僕は、“あと30本映画を撮る”と言っているんです。未来のことはわからないけど、そのつもりでいないと生きていることにならないと思っているんです」と、これからについても意気込んでいた。最期まで映画に人生を捧げてきた大林さん。黒沢さんの願いを自身が引き継いだように、次は大林さんの思いを別の誰かが繋いでいくだろう。
2020年04月11日タレントの早見優が11日、オフィシャルブログを更新し、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。早見は、「私が初めてミュージカルに出演したのは、アメリカで大ヒットした映画『グリース』の舞台版でした。1988年。大学を卒業し、アイドル活動も少し落ち着いてきた頃でした」と大林さんとの思い出を回顧。「事務所からはもうレコードも売れる年齢ではないので、もう少し幅広くお芝居などに挑戦するようにと、話がありました。大好きな歌が歌えないのか、、、と落ち込んでいた時に、ミュージカルのお話をいただいたのです。それが『グリース』でした。演出は大林宣彦監督」そして、「舞台が初めての私には、セリフ、踊り、歌を全部こなすのにとても大変な思いをした事を覚えています」と懐かしむ早見。大林さんはそんな早見に対して、どんな時も優しい笑顔で「大丈夫だよ。絶対できるから」と励ましてくれたそうで、「サンデイのソロ曲の、“Hopelessly Devoted to you”を、一度英語で歌ってみなさい、と指示があり、英語で歌ってみたら、サンデイの気持ちがとても分かりやすくて、その気持ちで日本語で歌ってみて、と演出してくださった事があります」と振り返った。「昨年30年ぶりにグリースの出演者のみんなと集まりました。その時に監督に会いたいね、とみんなで話していました」と感慨深げな早見。「優しい笑顔の大林監督」と思い浮かべ、「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼している。
2020年04月11日『カメラを止めるな!』(17)などで知られる上田慎一郎監督が11日、ツイッターを通じ、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。上田監督は、「『ハウス』を観て映画ってこんなに自由なのかと衝撃を受けた」と大林監督が手掛けた同作に触れ、「カメ止めを観て頂いた時はぎっしり手書きの感想を書いて送って下さった」と感謝。「初めてお会いした時は『いいパジャマを着なさい。妻にだけ見せるお洒落だからね』という言葉をもらった」と金言を振り返り、「大林宣彦監督。唯一無二の方でした。ご冥福をお祈りします」と追悼した。また、「コロナでの延期がなければ今日4月10日は大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開初日だった。今日の夕方、『長岡花火大会が中止になった』というニュースを見て、嗚呼、と大林監督の顔がよぎっていた」と感慨深げな上田監督。「なんだろう。色々と考えてしまう」と心境をつづっている。
2020年04月11日原田知世主演『時をかける少女』などの“尾道三部作”をはじめ、数々の名作を世に贈りだしてきた映画作家・大林宣彦監督が、肺がんのため4月10日(金)に82歳で死去。この日は、最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。1938年、広島県尾道市生まれ。3歳のときに自宅の納戸で見つけた“活動写真機”と戯れるうちに映画をつくり始めたという。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用したCMを製作、その作品数は3,000 本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(’82)、『時をかけ る少女』(’83)、『さびしんぼう』(’85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、現在も新世代のクリエイターへ大きな影響を与えつづけている。近年には“大林的戦争三部作”と呼ばれる『この空の花-長岡花火物語』(’11)、『野のなななのか』(’14)、『花筐/HANAGATAMI』(’17)を発表。特に『花筐/HANAGATAMI』は第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。また、2004年春の紫綬褒章受章、 2009年秋の旭日小綬章受章。2019年には令和初の文化功労者にも選ばれていた。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林監督渾身の最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。その公開予定日だった4月10日(金)19時23分、東京都世田谷区の自宅にて息を引き取った大林監督。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定。喪主は、妻で映画プロデューサーの、大林恭子氏が務める。『時をかける少女』でデビューした原田さんは「在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」とTwitterに思いを綴り、また、『青春デンデケデケデケ』に出演した浅野忠信も「ありがとうございました一緒に映画を撮った日々を忘れません」とTwitterを更新。岩井俊二監督は「ちょっとすぐには受け止められない。 エネルギッシュな新作にコメントを書かせて頂いたばかりでした」とまだ信じられないといった様子で、「訃報を聞いて呆然としている」と綴った行定勲監督は「恩師を失ってしまったような気持ちだ。この時、拙作『遠くの空に消えた』を『僕が撮ったらあんな爽やな風のような映画にならない』と気に入ってくださった」と2ショット写真をアップするなど、出演者や映画関係者、映画ファンから悲しみの声が相次いでいる。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は近日公開。(text:cinemacafe.net)
2020年04月11日昨年11月に文化功労者に選ばれた映画作家・大林宣彦さんが4月10日19時23分、肺がんのため東京都世田谷区の自宅で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。なお喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子氏が務める。1938年広島県尾道市生まれの大林宣彦監督は、3歳の時に自宅の納戸で見付けた活動写真機と戯れるうちに映画をつくり始めた。テレビCM 草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、CM作品数は3000本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(82)、『時をかける少女』(83)、『さびしんぼう』(85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、今も新世代のクリエイターへ大きな影響を与え続けている。近年には“大林的戦争三部作”となる『この空の花-長岡花火物語』(11)、『野のなななのか』(14)、『花筐/HANAGATAMI』(17)を発表。『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。大林宣彦監督個人では、2004年春の紫綬褒章受章、2009年秋の旭日小綬章受章。2019年、令和初の文化功労者に選ばれている。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林宣彦監督の最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は、4月10日に公開を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。近日公開を予定している。(C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC
2020年04月11日大林宣彦監督が、20年振りに尾道を舞台に贈る映画『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』が4月10日(金)に公開。大林監督の集大成となる本作から、稲垣吾郎が“大久保利通”、武田鉄矢が“坂本龍馬”、村田雄浩が“西郷隆盛”を演じる“薩長連合”集結カットがお披露目された。大林宣彦監督の44作目、20年ぶりの尾道最新作となる本作から到着したのは、幕末維新に倒幕に奮闘した大久保利通(稲垣吾郎)、坂本龍馬(武田鉄矢)、西郷隆盛(村田雄浩)が一堂に会し、日本の行く末について談笑する薩長連合の志士たちの場面カット。稲垣さんは、MCを務めていた「ゴロウ・デラックス」に大林監督が出演した際、監督から「次の僕の映画にでてよ」と請われたことから、本作の出演へとつながったそう。「時空を超え、思想を超え、宇宙をも一気にとび超えていく世界観。大林監督でなければ1本の作品に納めることは不可能だったと思います。みずみずしく自由に広がる想像力には驚かされるばかりです。大切なメッセージを届けてくださり、ありがとうございます」と、大林作品出演に感慨深げ。なお、これまで坂本龍馬を幾度も演じてきた武田さんは、本作で「人生最後の『龍馬』です」役と断言!監督の前作『花筐/HANAGATAMI』に続く出演で、エノケンこと榎本健一&三木鶏郎による楽曲「武器ウギ〈無茶房弁慶〉」をカバー、本作のためにレコーディングしてエンディング曲として披露。「この作品、映画に対する監督のラブレターのような作品ですよ」とコメント。2004年『理由』以降、全作品に出演し、大林組常連ともいえる村田さんは、「大林組に参加する時は覚悟がいります」と語り、「撮影がはじまっても、現場に行くまで何が起きるか見当もつかない。出来上がった作品を観ても、強烈なメッセージをぶつけられ 細かい所まで覚えていない…だからもう一度見ると、また違うメッセージに引っ張られて…興味が広がって収拾がつかなくなってます。…正直言って…私はいまだに監督の真意に辿り着いていません…」と、圧倒されたかのようにコメントを寄せている。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』4月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2020年03月28日テニス界に彗星のごとく現れたテニスチャンピオン・大坂なおみに密着したNetflixオリジナルドキュメンタリー「Naomi Osaka」(仮題)の制作・独占配信が決定した。2018年に全米オープンでグランドスラム初優勝し、2019年全豪オープンも制し男女通じてアジア人初となる世界ランキング1位を獲得した、プロテニスプレーヤー・大坂さん。本作では、約1年間という長期間にわたって彼女に密着。日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親を持つ彼女が日本から米国へ移住した子ども時代から、史上初となる日本人初のグランドスラム優勝、アジア人初の世界ランキング1位に輝くまでをふり返りながら紐解いていく。常人には伺い知れないプレッシャーを抱え戦う姿や、自身を見つめ直す様子、ユニークで誠実な彼女のプライベートの素顔にも迫り、彼女の歴史といまをリアルに映し出す。また、現在も密着撮影中だそうで、大坂さんは「自分にとって大きな意味を持つこの一年の間に、私のことを本当に理解してくれるチームと協力しながら、たくさんの出会いを通して自分自身のストーリーを語ることができ、とても有意義な経験になりました」とコメントし、「これまでのスポーツドキュメンタリーとは違うものになっているので、それをみなさんにお届けできることに、とてもワクワクしています」と期待している。なお、短編映画『Alone』(原題)でアカデミー賞ノミネートの最終候補作品にも選出される高評価を受けた、ドキュメンタリー界の新進新鋭の女性監督ギャレット・ブラッドリーが本作のメガホンをとった。Netflixオリジナルドキュメンタリー「Naomi Osaka」(仮題)はNetflixにて近日配信予定。(cinemacafe.net)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング
2020年02月13日大林宣彦監督が20年振りに故郷・尾道で撮影した最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の公開日が、4月10日(金)に決定。この度、本作の予告編が公開された。尾道の海辺にある唯一の映画館・瀬戸内キネマが閉館を迎え、日本の戦争映画特集を観ていた若者3人が、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれる。彼らはスクリーンの世界にタイムリープするのだった。戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島へ……。そこで出会ったのは移動劇団・桜隊。歴史上では原爆の犠牲になった桜隊の未来を変えるため、戦争を知らない3人の若者は、歴史を変えようと奔走する。戦争の歴史を辿りながら、無声映画、トーキー、アクション、ミュージカルと、様々な映画表現で、大林宣彦監督の映画への情熱、平和への想いが凝縮された、大林版『ニュー・シネマ・パラダイス』ともいえる作品で、“大林的戦争三部作”『この空の花-長岡花火物語』、『野のなななのか』、『花筐/HANAGATAMI』を経た大林宣彦監督の集大成となるものとなっているという。主要キャストには、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲(新人)、成海璃子、山崎紘菜、常盤貴子が名を連ねた。この度公開された予告編は、武田鉄矢がエノケンの名曲をカバーした主題歌『武器ウギ<無茶坊弁慶>』をバックに、様々な本編シーンが切り取られたものとなっている。”平和への思い”に賛同して集結した、小林稔侍、高橋幸宏、尾美としのり、武田鉄矢、南原清隆、片岡鶴太郎、柄本時生、稲垣吾郎、蛭子能収、浅野忠信、伊藤歩、中江有里、笹野高史、満島真之介、渡辺えり、窪塚俊介、長塚圭史らキャスト陣が登場する。予告編のラストは、山田洋次監督からのコメントも。「とにかくおもしろい。大林監督と病気を闘いながら、前作『花筐/HANAGATAMI』を上まわる作品を作られたことに、とても勇気づけられました」という、あたたかいメッセージで締めくくられている。『海辺の映画館-キネマの玉手箱』4月10日(金)公開
2020年02月13日蜜蝋で作るキャンドルの魅力蜜蝋は、蜜蜂の巣から取れる天然のワックスで、化粧品にも使われる肌に優しい天然成分です。蜜蝋で作ったキャンドルは、火を灯すとほのかにはちみつのような甘い香りを放ちます。天然ワックスで作るためススが出にくく、ゆっくりとまろやかに溶けていくのが特徴です。蜜蝋のテーパーキャンドルは、製作時間30分ほどでDIYできるアイテム。蜜蝋さえあれば、ほかは家にあるもので簡単に作ることができます。材料は以下のものをご準備ください。・蜜蝋ワックス・タコ糸・長めの缶(スチール缶がおすすめ)・小鍋しっかりと蜜蝋を溶かすまずは蜜蝋を小鍋で溶かします。蜜蝋は融点が高いため、通常のロウよりも溶けにくい素材。湯煎だと時間がかかるため、直接火にかける方法が速く溶けておすすめです。だいたい65~70℃で溶けるので、急激に温度上昇しないよう弱火でじっくりと温めていきましょう。蜜蝋が溶けると、はちみつのような美しいゴールドの液体になります。湯煎している長い缶へ注ロウする別の鍋にお湯を沸かし、その中に長めの缶を入れ湯煎します。アルミ缶は軽く湯煎時に安定しないため、細く長いスチール缶を使うのがおすすめ。缶の長さで作れるキャンドルの長さが決まります。湯煎は、グツグツと煮たてず、弱火で一定の温度を保つのがポイント。長い缶に溶けた蜜蝋を注ぎ、ディッピングの準備を整えます。鍋の中で缶が倒れないよう、しっかりと固定しておきましょう。好みの太さになるまでディッピングタコ糸を蜜蝋の中にディッピングしていきましょう。タコ糸を蜜蝋に漬けて、空気にさらし固める工程を何度も繰り返していくと、太く長いキャンドルになっていきます。芯がまっすぐになるように手で形を整えながら、丁寧にディッピングするのがポイントです。ディッピングしている時は、まだ蜜蝋が温かいので火傷に注意しながら行いましょう。お好みの太さになったら、吊るして冷やし固めます。手作りの蜜蝋のテーパーキャンドルは、既製品にはない味のあるあたたかさが魅力。少しいびつなフォルムがいとおしく、ナチュラルな印象です。自分でDIYしたキャンドルを眺めながらのディナータイムは、素敵な時間になることでしょう。クリスマスのテーブルアレンジに、大切な人への贈り物にぴったりな蜜蝋のテーパーキャンドル。甘くやさしい香りと灯で、聖なるクリスマスの夜をあたたかく演出します。出演/大林なおみ
2019年12月10日女優の山崎紘菜が1日、開催中の「第32回東京国際映画祭」で行われた大林宣彦監督最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020年4月公開)の舞台挨拶に、大林監督、常盤貴子、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲とともに登壇。「この映画で、私の夢を全部叶えてくださった」と大林監督への感謝の思いを語った。2016年にステージ4の肺がんで余命3カ月と宣告を受け、それからも映画を撮り続けている大林監督の最新作は、今夜限りで閉館する最終オールナイト上映で3人の若者たちが映画の世界にタイムリープするファンタジー。20年振りに古里「尾道」で撮影を敢行した。『花筐/HANAGATAMI』など、これまでも大林監督作品に出演してきた山崎。本作では「4つの役という大きな課題をいただいた」と明かし、「最初は自分にできるのかなと不安でいっぱいだったんですけど、とても楽しく演じさせていただきました」と撮影を振り返った。そして、「実は私、密かに『ミュージカルをやりたい』、『アクション映画に出たい』、『方言を使う役柄を演じてみたい』と思っていたんです。そうしたら監督がこの映画で、私の夢を全部叶えてくださって、本当にありがたいなと思いました。夢を叶えてくださってありがとうございました」と監督に感謝。山崎の話を聞いていた監督は、「琉球の言葉を語ってくれています。とても素晴らしいですよ」と本作での演技を称えた。
2019年11月01日「第32回東京国際映画祭」特別功労賞に輝いた大林宣彦監督が1日、東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われた贈賞式に出席。「これから3000年は生きたい」「あと2000年、3000年は(映画を)作り続けていきたい」と映画作りへの意欲を語った。国内外を含めた映画界への貢献が目覚ましい人に贈られる “特別功労賞”。2016年にステージ4の肺がんで余命3カ月と宣告を受け、それからも映画を撮り続けている大林監督は、「自主映画、CM、長編映画と長年に亘り、多彩で膨大な数の映画・映像作品を世に送り出し、今なお新たな試みにチャレンジするその存在は正に圧倒的である」として受賞した。贈賞式で監督は「ありがたいですね」と喜び、トロフィーを受け取ると「文化に関する貴重な功労賞というのものをきちんといただきました。すごいね! 重いですよ」と笑顔。大林監督作品に多く出演している常盤貴子も駆けつけ、花束を贈った。大林監督は「今まで人間がやったことより、やらないことのほうがいっぱいある。やらないことをやれば、星の数ほど、それ以上面白いことができる」と言い、「まだこれから3000年は生きてやらなきゃなと、文化功労賞を受賞しまして、しみじみと思いを新たにしています」とさらに制作意欲が増したよう。観客から「可能な限りずっと映画を作り続けますか?」と聞かれると、「未来のことは誰にもわかりませんが、あと2000年、3000年は作り続けていきたい。あの戦争を知っている私が、知らない若い人たちのために映画の学校でハラハラドキドキ、ワクワク、感動的な物語を作り出してお見せしたい」と熱い思いを語った。贈賞式は、大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の舞台挨拶とあわせて行われ、大林監督と常盤のほか、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲、山崎紘菜も登壇した。
2019年11月01日ICD“TREND blast「URABAN ZEN」”ASCH檀渓通店大林敬幸がグランプリを受賞しました!!2019年6月2日にパリで開催された「髪のパリコレ」とも言われるICDの世界大会におきまして、弊社の大林敬幸(檀渓通店勤務)がグランプリを受賞!2,000を超える加盟サロンの美容師の中から予選、パリで開催されたファイナルステージを見事に勝ち抜き、22歳にして世界一の称号を手にすることができました!ICDとは?ICDとは設立90年を迎える美容家の国際機構「INTERNATIONAL DES COIFFEURS DE DREAMS(インターコワフュール)」の名称です。世界のヘアファッションネットワークを構築し、年に一度フランス・パリでイベントを開催しています。インターコワフュールに加盟し、それぞれの国でヘアファッションをリードするサロンの数は2,000を超えています。その中から予選を勝ち抜き、日本代表として出場した大林敬幸が見事グランプリに輝きました!大林敬幸経歴(愛知県名古屋市出身)2014年◇入社2017年◇NHDKウィッグカットコンテスト3位、フォトコンテスト入賞2018年◇NHDKコンテスターセミナーNHDKウィッグカットコンテスト入賞アジアビューティーエキスポ出演ヘアショーエラノーム出演2019年◇ギョウムファンデーションアジアリージョンヘアショー日本チーム参加ICD TREND blast「URABAN ZEN」優勝日本・世界の美容業界から注目されているトータルビューティーサロンASCH(アッシュ)ASCHではヘアのみに限らず、ヘッドスパ・エステ・ネイルなどの各分野のスペシャリストが揃っています。名古屋市内に4店舗展開しているので(檀渓通店、名駅店、八事店、滝の水店)、お近くの店舗に是非一度足をお運びください☆◆店舗情報・ASCH檀渓通店名古屋市昭和区檀渓通3-7予約専用TEL: 050-3759-2854(ご予約以外のお客様はこちら:052-842-1172)駐車場:39台有・ASCH名駅店名古屋市中村区名駅2-45-19 桑山ビル1F予約専用TEL: 050-3759-2850(ご予約以外のお客様はこちら:052-561-6226)駐車場:無し、近くにコインパーキングがございます・ASCH八事店名古屋市瑞穂区弥富町清水ケ岡41予約専用TEL: 050-3759-2873(ご予約以外のお客様はこちら:052-861-7017)駐車場:15台有・ASCH滝の水店名古屋市緑区上旭2-105予約専用TEL: 050-3759-2857(ご予約以外のお客様はこちら:052-892-6100)駐車場:30台有、第2第3駐車場有・営業時間火~土9:00~21:00日のみ 9:00~19:00祝日の月曜日(9:00~19:00)・定休日毎週月曜日※祝日の月曜日は営業します
2019年07月18日2つのワックスの特徴を楽しめるキャンドル上下でワックスを使い分ける「二層のアロマキャンドル」は、見た目がおしゃれなうえにさまざまなメリットも。“ジェルワックス”は美しい透明感が特徴。“ソイワックス”は燃焼時間が長く、香りの広がりも良いので人気があります。消火した後の気になる臭いが少ないのもメリット。また、花材部分と燃焼部分を分けることで、花材への引火の心配もありません。2つのワックスの特徴が楽しめるアロマキャンドルを早速作ってみましょう。花材を瓶に詰めジェルワックスを流し込む今回用意する材料は、ジェルワックス、ソイワックス、キャンドル用の芯、芯を固定するための棒、お好みの花材、フレグランスオイル、着色する場合は染料、透明な瓶、ワックスを溶かすための小鍋、ピンセットです。花材はドライフラワー、またはプリザーブドフラワーを使用しましょう。まず、花材を瓶に詰めデザインを決めます。ジェルワックスを溶かし、一度花材全体にかけて固定しましょう。その後再加熱して、一気に瓶半分まで流し込みます。ソイワックスに香料と染料を添加する下段部分を冷ます間に、ソイワックスを溶かしておきます。溶けたら好みのフレグランスオイルと染料を加えましょう。ソイワックス本来のナチュラルな色を楽しみたい方は染料を入れなくても構いません。瓶の口より長い棒に芯を巻き付け、キャンドルの中央にくるように配置します。そこにソイワックスを流し込んでください。全体が固まるまで30分程度必要です。その間動かさないようにしましょう。全体が固まったらアロマキャンドルの完成30分後、全体が固まったことを確認したら完成です。ジェルワックスの部分に気泡が入ることがありますが、それも味ということで楽しみましょう。今回はジェルワックスの部分は着色しませんでしたが、お好みで色を加えるのもおすすめです。製作時間は20分、全体が固まるまで30分程度と、約1時間で完成する手軽さも魅力。季節によって花材を変えたりオブジェをプラスしたりと、アレンジしてみましょう。手作りキャンドルの香りと光に癒やされてジェルとソイの良いとこどりをした「二層のアロマキャンドル」。火を灯せばやさしい香りが広がります。見た目もかわいく、お部屋に広がるアロマの香りも楽しめます。そのままお部屋に置いておくだけで素敵なインテリアになるので、プレゼントにもおすすめです。やさしい香りと光に癒やされてみませんか。出演/大林なおみ
2019年02月27日俳優の生田斗真と、世界ランキング1位のテニスプレイヤー・大坂なおみが出演する、衣料用洗剤ブランド「アリエール」の新CM「アリエールプラチナスポーツ 液体洗剤篇」「アリエールプラチナスポーツ ジェルボール篇」が28日より全国でオンエアされる。「アリエールプラチナスポーツ 液体洗剤篇」は、真剣な眼差しでラケットを構える大坂の姿から始まる。高くジャンプし、クレーコ ートの土を舞い上がらせながらスマッシュを決めようとする大坂の映像を前に、アリエール主任研究員の生田が登場し、アリエールプラチナスポーツの良さを語る。スタジオには赤土がまかれ、本物のクレーコートを再現して撮影が行われた。大坂は本番さながらの真剣プレイで、ラリーでは勢い余ってボールを機材に当ててしまい笑いをこらえる場面も。コメント撮りでは、照れながらも日本語に挑戦するチャーミングな姿を見せた。また2013年からアリエール主任研究員を務める生田は、今回もスムーズに解説していた。○生田斗真 コメント2013年からアリエールのCMキャラクターを務めさせていただいてますが、今回、日本を大いに盛り上げてくれている 大坂なおみさんと共演させてもらうことはすごく有難いなと思いますし、一緒にアリエールプラチナスポーツを盛り上げていければと思います。アリエールのすごいところは毎回毎回進化を遂げていること。今回アリエールプラチナスポーツの 登場はすごく嬉しく思っていますし、僕自身もスポーツを嗜むので自分でも使うのが楽しみです。○大坂なおみ コメント今回のような素敵なコマーシャルを撮影するのは初めてで、とても楽しかったです。CM撮影は慣れていないですが、 スポーツ界を代表して、アリエールプラチナスポーツのことを皆さんに知ってもらえるようにお役に立てれば嬉しいです。テニスではメンタル面でも強くいることが大切なので、ベストなパフォーマンスを出す為に、汗や汚れに気を取られない ように心掛けています。特にテニスは芝生やクレーコートでプレイをするので、靴下やシャツやスカートに頑固な汚れがつくことはよくあり、汗もよくかくので史上最強の消臭洗浄力というのは心強い味方です。CM撮影の中でも試した新しい詰替用パックは、ボトルに装着すると手放しで詰め替えが出来たので手も汚れず、とても便利だと思いました。5月に控えている全仏オープンはクレーコートで行われるので、試合の時もこの製品を使うのが楽しみです!
2019年02月22日昨年の全米オープンに続き、2019年の全豪オープンでも優勝を飾った大坂なおみ選手。アジア人として初の世界ランキング1位の座も確定し、テニス界の今後を担うスーパースターとして世界中で注目されています。大坂選手のここ1年の躍進の裏側にあったもの、それは日々のメンタルトレーニングです。以前は試合中に感情を爆発させてしまうことがあったものの、彼女が頻繁に「我慢」という言葉を口にしているように、メンタル面でも大きな成長を遂げていたのです。そこで今回は、「怒り」の感情が心身に与える影響や、大坂なおみ選手から学ぶ、子どもでも感情のコントロール(アンガーマネジメント)ができるようになるために家庭内でできることをまとめてみました。「怒り」が子どもの成長に与える悪影響ここでは感情の中でも「怒り」に着目し、怒りが心身に与える影響を見てみましょう。筑波大学で行われた研究では、怒りの感情に適切に対処しない状態が続くと、怒りの感情が持続し、心身共に悪影響を及ぼすことが実験の結果示されています。特に、身体に与える影響としては副交感神経の機能低下が挙げられるとのこと。副交感神経とは自律神経のひとつで、体を緊張状態に導く「交感神経」と対をなしたリラックス状態に働く神経です。副交感神経の機能の低下は交感神経の優位につながり、緊張状態が維持されることから、だるさや倦怠感、冷えやこり、胃腸の不調等の症状に悩まされるのだそう。しかし同時に、この研究では「怒りの持続を避けるための2つの対処法」が示されています。ひとつは怒りの感情を適切に相手に伝えようとすること。もうひとつは相手を見返すために何か行動を起こすことです。反対に単純に怒りの感情を爆発させた場合、怒りは持続し、相手の怒りの感情も喚起させてしまうことがわかっています。この研究結果は、思わず怒りの感情が芽生えたときには怒らないようにするのではなく、怒りという感情に適切に対処できる術を学ぶことの重要性を示していると言えます。また、両親が感情のコントロール方法を学ぶことも重要です。名古屋大学の研究では母親が怒りやすい性格の場合、子どもも怒りやすい性格になることがわかっています。子どもは両親の姿を見て育ちます。自分自身が子供に悪影響を及ぼさないよう、怒りやすいと実感している方はまず自分から変わるよう心がけましょう。感情を爆発させた子どもへの対処法感情を爆発させた子どもへの向き合い方によって、子どもの感情への対処の仕方は変わります。ここでは「親が子どもの気持ちに寄り添う方法」を紹介します。【1】気持ちをしっかりと受け止める感情の爆発に対して叱ったり無視したりすると、子どもの自己肯定感の低下や両親への不安感につながります。まずは子どもの話をじっくり聞いてください。そして「お友だちに嫌なことを言われたんだね。それは悲しいね」など、子どもの気持ちをしっかりと受け止めてあげましょう。子どもによってはうまく感情を言葉にできない場合もあります。そんなときはギュッと抱きしめてあげることも効果的です。「お父さん(お母さん)はあなたの気持ちをわかっているよ」と態度で示してあげるのです。【2】心を解きほぐす手伝いをする感情の爆発は子どもが自分自身の感情をうまく言葉にできず引き起こっている場合に多く見られます。気持ちをしっかり受け止めることで子どもが落ち着いたら、「〇〇ちゃんは、お友だちと一緒に折り紙で遊びたかったけど、お友だちは別の遊びをしたいって言ったんだね。それで〇〇ちゃんは悲しくなって泣いちゃったのね」など、子どもの混乱した心を一緒に整理していきましょう。ただし、一方的な意見の押し付けは禁物。あくまで子どもが自分で考えるお手伝いをするスタンスで臨むことがポイントです。【3】気をそらせる感情の爆発の原因となる出来事には解決できない問題や回復までに時間のかかる問題もあります。その際は別のことで子どもの気をそらしてあげることも大切です。公園やスーパーに行くなど場所を変えたり、美味しいものを食べたり、一緒に子どもの好きなテレビ番組を見たりなど、子どもに合わせて注意を他のところに向けてあげましょう。そんな簡単なことで!?と思うかもしれませんが、大人だって気分転換をしたあとはケロリと嫌なことを忘れてしまう場合もありますよね?子どもだって同じことですよ。普段からできる!家庭内アンガーマネジメント子どもが自分で感情をコントロールできるようになるためには日頃からの習慣づけが必要です。そのアプローチ方法は、「感情から行動にアプローチする方法」と、「行動から感情にアプローチする方法」の2つがあります。今回は大坂なおみ選手も実践していた行動から感情にアプローチする方法を、アンガーマネジメントと呼ばれる1970年代にアメリカで誕生した心理トレーニングから2つ紹介します。【1】「待つ」ことを習慣づける子どもが負の感情を抱いた際にすぐに表現するのではなく、少し待って考えてみるように促しましょう。そうすることで成長してからも自分の気持ちを整理して伝えることが習慣づけられます。たとえば、「時計の3のところまで(怒ることを)待ってみようか」などと言って具体的な時間を示し、無事達成することができたら褒めてあげるなどすると良いです。また、ご褒美を設定することも効果的です。ただし、待つ際に提示した条件を破ることは子どもへの悪影響になります。あくまで約束を守れることだけ条件として提示しましょう。【2】交換日記をする子どもが文字を書けるようになったら連絡帳のような交換日記を始めることをお勧めします。その日にあったことを書いてもらうことで、親が子どもの現在の状況を確認できることはもちろん、子ども自身も自分の気持ちを言葉にすることを習慣づけられるからです。また、一方的に提出を求めるだけでなく、親自身も日記を書くことで、きちんと自分のことを気にかけてくれているのだと子供は実感することができるでしょう。書く時間を設けることが難しい場合はコメント程度でもかまいません。短くてもよいので毎日続けていくことが大切です。もし学校で嫌なことがあったときでも、紙に感情を書き出すことでストレスが軽減されます。この感情を書き出す作業は「エクスプレッシブ・ライティング」と呼ばれ、1日最低8分間書くだけでメンタルが強くなり、ストレスが解消されるとのこと。もしかしたらこちらは、大人にこそ必要かもしれませんね!そして親の側も、家事のことや仕事のことなどを子どもと共有してみるのもオススメです。いつもとちょっと違う、“密度の濃い” 親子の会話ができますよ。(参考)NEWSポストセブン|大坂なおみを勝利に導いた行動から感情に働きかける方法東洋経済ONLINE|大坂なおみが世界の称賛と同情を集めたワケ山内星子(2009),「母親の怒り特性が幼児の怒り特性に与える影響 -媒介変数としての感情会話に着目して-」, Human Developmental Research Vol.23,175-188ベネッセ教育情報サイト|急に怒り出す!感情がコントロールできない子どもの対処法は?YOMIURI ONLINE|子どもでも実践できる!怒りのコントロール方法東海学院大学紀要3(2009)|感情のコントロールプログラム研究の展望:発達障害への適用に向けて東洋経済ONLINE|「感情を紙に書く」習慣でストレスは減らせる
2019年01月27日東京・国立に今年1月にオープンしたアロマキャンドル教室〔SopoCandle〕にて、人気の《ジェルとソイのアロマキャンドル》つくりに挑戦した様子をお届けします。アロマキャンドル界の新定番5年ほど前から流行り始めた2層のアロマキャンドル。小さいので並べて置くとインテリアとして馴染みやすく、その人気は未だ衰えるところを知りません。そこで、今回はそんな2層のアロマキャンドルを体験レッスンで誰でも気軽に作ることができる教室にお邪魔して、実際に作り方を教わった様子をお届けします!「Sopo」はフィンランド語で「かわいい」今回お邪魔したのは、東京・国立市に今年1月にオープンしたばかりの〔SopoCandle〕です。「Sopo(ソポ)」とは、世界一のキャンドル消費量を誇るフィンランドの言葉で、「かわいい」を意味します。素敵な教室名に、胸が高鳴りますね♪今回キャンドルつくりを教えてくれるのは、大林なおみ先生。日本キャンドル協会直営校での講師の経歴を持ち、この度地域に貢献したいと考えて地元にご自分の教室を開いたそうです。生徒さんはご近所さんはもちろんこと、神奈川県や群馬県など遠方から通って来られる方もいるといいます。大豆のナチュラルワックスにこだわりアロマキャンドルつくりで大林先生が力を入れているのは、大豆由来の天然のワックスを使用すること。例えば、上の写真のリースボタニカルは、大豆油脂からできたソイワックスで作るボタニカルキャンドルです。よく使用されるパラフィンワックスに比べて、煙やすすが出にくいという特徴があります。今回つくっていく2層のアロマキャンドルも、1層はソイワックスのナチュラル感が楽しめるものです。もう1層にはジェルワックスを使用し、透明感を出しています。《ジェルとソイのアロマキャンドル》つくりに挑戦それでは、《ジェルとソイのアロマキャンドル》をつくって行きます!最初に、瓶の下半分まで、好きな花や木の実を入れていきます。今回はピンク系と白でまとめていくことにして、白い実・ペッパーベリー・ケイトウ・紫陽花の4種類をチョイス。配置していくときのコツは、外側から見てかわいくなるようにデザインすることだそうです。続いて、熱したジェルワックスを入れて、花や木の実を固定していきます。一気に入れると浮いてしまうので、少しずつ入れていきましょう。また、入れ終わると水面に小さな泡がたくさんできてしまうのですが、それは先生がヒートガンを使って無くしてくれますよ。ジェルワックスを冷やして固めている間に、ソイワックスにつける色と香りを選びます。色と香りの種類はそれぞれ約40。その中から今回は、色はバーガンディー(紫がかった赤)、香りはロマンティックガーデン(上質なフラワー系)を選びました。溶かされたソイワックスの入った小鍋に、色を少しずつ入れてつけていきます。実際の色合いをチェックしたい場合は、セロハンテープの上に垂らすとわかります。色をつけ終わったら、アロマオイルをスプーン一杯(小さじ1/4)だけ入れます。一方で、下半分が固まった瓶に、上の写真のように芯をセットしておきます。そこに、小鍋からソイワックスを注いでいきます。入れ終わったあとは、あまり動かさないようにし、冷やして固まるのを待ちましょう。2時間かからずに2個完成!作業はたったこれだけで完了です。こんな素敵な《ジェルとソイのアロマキャンドル》が、ティータイムを含む2時間の体験レッスンで、2個つくることができました。燃焼時間は約18時間と、ガッツリ使用できるのも嬉しいですね。〔Sopo Candle〕でしか作れないアロマキャンドルもちなみに、上の写真の《スノーボール》は、〔SopoCandle〕でしかつくれないアロマキャンドルです。なぜなら、これを考案したのは大林先生その人なのです!これからのウィンターシーズンにぴったりのキャンドルですね♪かわいくて癒やされるアロマキャンドルつくりに没頭しようこれらのかわいいアロマキャンドルがつくれる大林先生って、そもそもなんでこの道に入ったのか、最後に聞いてみました。実は大林先生は小さい頃から、ろうがたれたり固まったりするところを見たりするのが好きだったと言います。けれど、本格的にキャンドルつくりを始めたのは、約7年前。東日本大震災が起こり、キャンドルナイトなどのイベントを通して、自分でキャンドルをつくれるということを知ってからのこと。つくっている間は他のことを忘れて没頭できるのが気に入ったそうです。そんな大林先生がつくる、かわいくて癒やされるアロマキャンドルを知ってしまったら、ほかの教室にはもう通えないかも!?【SopoCandle】●住所東京都国立市中1-18-38オリーブビル3F●電話070-4370-5200●営業時間10:00~19:00●定休日不定期※レッスン時間はお電話でお問い合わせください。〔Sopo Candle〕HP
2018年12月02日プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手が資生堂のブランドアンバサダーに就任。都内のホテルで開かれたイベントに華やかなドレス姿で登場しました! キラキラかわいい大坂選手の笑顔と女子トークの様子をレポートします!ゴールドドレス姿の大坂選手、登場!今回のイベントは、資生堂ブランドアンバサダーのグローバル契約発表会。会場のステージに、プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手がゴールドのドレス姿で登場です!2018年9月に世界4大大会女子シングルスで日本人初の優勝を勝ち取った大坂選手、いつものテニスウェア姿もかっこいいですが、ドレッシーな装いもお似合いです。契約発表会イベント、まずはサインセレモニーからスタート。資生堂 代表取締役社長兼CEOの魚谷雅彦さんと大坂選手が、テーブル上にある契約書にサインをしています。続いて、魚谷社長より資生堂のミネラルコスメブランド『ベアミネラル』のメイクアップセット一式と、サンケアブランド『アネッサ』の1年分が大坂選手に贈呈されました。こちらは、巨大な『アネッサ』の模型に大坂選手が来年の抱負を書いているところです。後ろ姿も色っぽくてステキ♡大坂選手の抱負は「来年も良い結果が出せるように、楽しい一年になるように」とのこと。2019年の活躍も楽しみですね。ゴールドが大好き!続いて行われたトークセッションでは、まず大坂選手が着用しているドレスが話題に。このゴールドのドレスは、今回のアンバサダー就任を記念して、資生堂からプレゼントされたもの。しかも、資生堂さんがデザインもしたそうです。一周回ってドレスの後ろ姿も見せてくれました。ステキ~!ファッションが大好きな大坂選手は、ドレスの感想を問われると「すごくきれいなので、着ることができてうれしいです」と満面の笑み。また、好きな色は金色とのことで、「ドレスも『アネッサ』のボトルの色も金色なので、うれしい偶然です」と目を輝かせていました。ちなみに、この日は資生堂の『ベアミネラル』でメイクをしてきたという大坂選手。メイクは好きかと問われると、「メイクはすごく好きなんですけど、やり方は勉強中…」とはにかんで、「今日は、プロの方にメイクしてもらった」と明かしました。女子ならではの悩みは…次は、ふだんの肌ケアについて、MCと女子トーク。いつも日差しの強い環境の中で練習をされている大坂選手は、「5時間近く直射日光を浴びていることが多いので、サンケアが非常に大事」といい、「フロリダは特に日差しが強いところなので、ケアはしっかり行っている」とお手入れを徹底されている様子。さらに、将来のシワやシミは気になるかと聞かれると「すぐにシワやシミになったら本当に困るんですけど…」と少し表情を曇らせてから「きれいな肌をキープしたい」と女子ならではの思いを語ってくれました。ちなみに、大坂選手がブランドアンバサダーをつとめるサンケアブランド『アネッサ』は、汗や水にも強くて落ちにくいのがポイント。テニスプレーヤーの彼女にぴったりです。実際に商品を使った感想を問われると、「サラサラしていて、まるで保湿剤を塗っているみたい」と満足した様子。敏感肌の大坂選手にとっては、付け心地がとてもよいそうです。最後に、「とてもお肌に優しくて、肌にいい製品なので、そういったことを多くの方に伝えていきたい」と笑顔で商品をアピール。キュートで女子力も高い大坂選手、イベントでもキラキラ輝いていました。以上、資生堂ブランドアンバサダーグローバル契約発表会イベントレポートでした!
2018年11月23日城田優のハーフ国籍言及が話題 大坂なおみ例に日本の風潮指摘 10月18日、AERA dot.上に掲載された城田優(32)のインタビューが話題を呼んでいる。日本とスペインのハーフであり、スペインの国籍を取得している城田。インタビュアーが「女子テニスの大坂なおみ選手が全米オープンを制覇したときも、国籍のことが話題になりましたね」と話を振った。すると城田は、インタビュアーにこう語った。「ああいうのを見ていると、どこに言ってもここだという居場所がない我々からするとズルいなと思う。良いときだけ『日本人初』って持ち上げるくせに、都合が悪くなったら『やっぱり外人だから』って言うんですよ」大坂なおみ選手(21)は日本とアメリカの二重国籍。アメリカで生活しているが、全米オープンで優勝した際にネットでは『日本すごい!』『特例で二重国籍を認めよう!』といった言葉が並んでいた。そのことを受けての発言だった。カズオ・イシグロ(63)が昨年にノーベル文学賞を受賞した際も、大坂選手と同様の現象が起こっていた。「イシグロさんは幼年期に渡英し、成人後にイギリス国籍を取得しています。限られた日本語しか話せませんが、やはり受賞時には『日本の誇り』といった声が上がっていました。城田さんはそういった“手柄を立てた”ときだけ日本と結びつける風潮を指摘したようです」(スポーツ紙記者)そうした率直な意見を明かした城田に、Twitterでは賛同の声が上がっている。《仰る通り。都合の良いときだけ日本人扱いってのは卑怯だよね》《純血だとか、ハーフ、クォーターだとか移民だとか。議論が狭すぎる。国と言う単位はあっても良いけど、あくまでも枠であって国籍の縛りや重責は必要ないとないよ》
2018年10月18日日本人選手として初の全米オープン覇者となった大坂なおみ選手(20)。決勝はセリーナ・ウィリアムズ(36)の激昂や客席の度を超したブーイングなど、何かと物議を醸す一戦となったが、大坂の史上初の快挙を世界中が祝福している。帰国前夜、大坂は米国の人気トーク番組「エレン・デジェネレス・ショー」に出演。歯に衣着せぬトークが持ち味のデジェネレスは、「表彰式で、セリーナはあなたに何て言っていたの?」と直球の質問を投げかけた。「彼女は、『あなたを誇りに思う、観客のブーイングはあなたに向けられているものじゃない』と言ってくれました。あの時、みんな私に対してブーイングしていると思っていたんです。何が起こっているのかわかりませんでした。あまりにも大きな音で……。ちょっと、精神的に疲れちゃいました」380万ドルの賞金の使い途については、「両親があなたの番組を見られるように大きなテレビを買います」と答え、スタジオが沸いた。このショーでは、デジェネレスがゲストから好きな有名人を聞き出すことが恒例となっており、大坂は俳優のマイケル・B・ジョーダンの名を挙げた。デジェネレスは大坂の座っているソファにお尻をねじ込んで2人でセルフィーを撮り、その場でジョーダンに送信。セルフィー撮影中に、スタッフが大坂の背後に特大テレビを運び、「ご両親に。これで賞金使わなくて済んだわね」というサプライズもあった。最後にデジェネレスは「世界はあなたのものよ。あなたはとっても魅力的」と大坂にエールを送った。皮肉屋な司会者も彼女の魅力に思わず本音を漏らした瞬間だった。
2018年09月13日ハロウィンにぴったりのキャンドルを手作りしてみませんか?ワックスで簡単に作れるキャンディモチーフのキャンドルの作り方を動画でご紹介。ハンドメイドのかわいいキャンドルを飾って、ハロウィンシーズンを更に盛り上げましょう。キャンドルづくりのために準備するもの用意するものは、鍋とバットをそれぞれ2個、ベースになるキャンドル、手作りキャンドル用のパラフィンワックスです。パラフィンワックスは色がついているものもありますが、好みの色のクレヨンを削って入れて色付けしてもよいでしょう。パラフィンワックスが購入できるお店が身近にない場合は、インターネットショッピングを利用したり、100円ショップなどでも手に入る普通のロウソクを削って代用もできます。ワックスを溶かしバットに入れて固めるまずは鍋を2つ使い、2色のパラフィンワックスをゆっくりと溶かしていきます。溶けたワックスは熱くなっていますので、火傷をしないように注意してください。ワックスが溶けたらそれぞれをバットに入れて、固まったら3等分にカットし、そのまま冷蔵庫で冷やします。冷蔵庫に入れたキャンドルは、20分ほどで固まります。少し温め柔らかくして棒状に形を整える冷蔵庫で固めたキャンドルのシートは簡単にバットから取り出せます。取り出したばかりのキャンドルは固くなっていますので、ヒーターなどにかざして少し温め、柔らかくします。柔らかくなったキャンドルは簡単に加工できます。シート状のキャンドルを机の上で手のひらを使って転がし、棒状に丸めていきます。この段階で、2色のキャンドルの棒がそれぞれ3本、合計6本できあがります。ねじり合わせてカットし瓶につめる次に、棒状になった2色のキャンドルをねじりながら合わせていきます。室温が低いところで長時間置いていると固まってきますので、暖かい部屋で一気にねじり合わせていくことがポイントです。ねじり合わせてキャンディのような模様になったら、ハサミでカットしていきます。小さな瓶の中央に、ベースとなるキャンドルを置き、周りにカットしたキャンドルを入れていけば、瓶詰めお菓子のようなかわいらしいキャンディキャンドルのできあがりです。「キャンディキャンドル」を手作りしてみようゆらゆらと揺れるやさしいキャンドルの灯かりを眺めながら、ハロウィンの夜を過ごすのも素敵な演出となりそうです。キャンディモチーフのキャンドルにお菓子を添えて、親しい人へハロウィンのプレゼントとして贈ってみてはいかがでしょうか。出演/大林なおみ
2018年09月11日大坂なおみ選手(20)が9月8日、全米オープンを制覇し、ワイドショーは各局がこぞってこの快挙を報じている。大坂選手の強さだけでなく、試合後のインタビューで見せる屈託のないキャラクターも話題を呼び、大きく取り上げられている。しかしtwitter上では、ワイドショーがつけた“テロップ”に対し、苦言を呈するツイートが並んだ。《大坂なおみ選手が日本語を話してる時、『この人は今たどたどしい日本語を話しています』みたいにカタカナ表記するのやめてほしい》《これマジで失礼でしょ。漫画の宇宙人やないねんから》《日本語喋ってるじゃん。なんでカタカナなの?》たとえば10日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)では、「『強さ』と『ユーモア』世界中を魅了“なおみ節”」と題して大坂選手のインタビューを特集。以下のようなテロップがつけられていた。――3年連続で3回戦進出ですが今の気持ちは?「でもいつも同じじゃない?ウレシイト キンチョウシテタジャナイ今はうれしいとなんか…レンシュウシタイ」(8月30日のインタビュー)「きょうの試合 すごくガンバリマシタ次の試合もガンバリマスおやすみぃ~」(9月7日のインタビュ-)たしかに3歳からアメリカで生活する大坂選手の日本語にはたどたどしい部分もあるが、文法的にまったく問題がない箇所まで「レンシュウシタイ」「ガンバリマス」となぜかカタカナで表記されている。「日本人初の四大大会制覇」と報じる以上、ハイチ系アメリカ人の父を持ち、アメリカで暮らしてきた大坂選手の生い立ちを尊重した報道が求められそうだ。
2018年09月10日恵まれたフィジカルを武器に活躍する、テニスの大坂なおみ選手。彼女の快進撃の裏には、ある変化があるのだとか。大坂なおみ選手は、いま、テニスの世界でもっとも注目されている選手のひとりかもしれない。実際、グランドスラムに次ぐ大きな大会でのツアー初優勝に象徴されるように、今季の大坂選手の活躍は目覚ましい。「大坂選手の最大の強みは、何より180cmの体格から生み出されるケタ違いのパワー。時速200kmを超すサービスが打てる女子選手は、世界でも数えるほどしかいません」そう教えてくれたのは、テニス専門誌『スマッシュ』編集部の赤松恵珠子さん。持って生まれた筋力に加え、プレーに見られる“ある変化”が躍進の原動力になっているという。「今までは武器のパワーに頼りすぎてショットが単調になり、相手にコースを読まれる場面がありました。それが、今季になってからはセンター、ワイド、スライスなど、サービスを豊富に打ち分けられています」その変化を作り出したのが、新コーチに就任したサーシャ・バイン氏。「彼は、全ての球を全力で打っていた大坂選手に対して、通常のショットでも十分に通用することを伝えました。それによって、プレーに余裕ができ、チャンスを的確に狙って決める安定感が身についたようです。さらにメンタル面でも、一度崩れると立ち直れないことが多かった以前に比べ、粘り強く崩れにくい試合運びができていると感じます。これも、ポジティブなサーシャコーチがもたらした効果のひとつでしょう」そうなると、期待が高まるのは、5月末に開幕する全仏オープンをはじめ、日本人史上初の四大大会優勝。「グランドスラムを獲るには、実力はもちろん勢いも大切。圧倒的な女王がいない今こそチャンスだと思います。全仏のクレーコートは粘りが必要なため難しい場面もあると思いますが、皆さんもぜひ一緒に入り込んで、試合を楽しんでください!」※『anan』2018年5月30日号より。写真・Shutterstock/アフロ
2018年05月28日簡単に手作りできる火を灯さないキャンドル火を灯さずに、香りや見た目を楽しむキャンドルを「アロマワックスサシェ」と呼びます。アロマワックスサシェは、壁に飾ったり、トイレやクローゼットなど匂いの気になる場所に置いたり、プレゼントにも最適なアイテム。作り方もアロマキャンドルと同じで、溶かして、色や香りをつけ、好きな型にくりぬくだけと、とても簡単なので、ぜひ作ってみましょう。ワックスに好きな香りをつけます材料となるのは、アロマキャンドル用のワックス。手芸店やインターネット販売などで購入することができます。市販のアロマキャンドルを一度溶かして使っても良いでしょう。ワックスやキャンドルを、汚れても良い鍋に入れて、火にかけて溶かします。溶けたら80℃くらいまで冷まし、好きな香りのアロマオイルを垂らして混ぜていきます。割り箸などでよく混ぜて、香りが付いたら、ワックスを平たいバットに流し込みます。葉っぱに見えるよう色づけします次に色付けをします。使うのはクレヨンのかけら。カッターなどで小さく削り、ワックスの上に散りばめます。葉っぱのガーランドなので、緑と黄色を混ぜてみます。他にも何色か混ぜて自分好みのグラデーションを楽しむのも良いでしょう。クレヨンを入れるとすぐに溶けるので、割り箸などでそっと混ぜながら、マーブル模様になるように描いていきます。好みの色合いになったら少し冷めるまで置いておきましょう。型抜きをし、整えます羊羹ほどの硬さになったら、クッキーの型を使って型抜きをします。次に竹串の尖っていない方を使い、ガーランドとして紐を通すための穴を開けます。穴は、ふちのギリギリだと割れやすくなるので、余裕を持って開けましょう。その後冷蔵庫でしっかり固めます。完全に固まったら型から外します。葉脈の模様を描いたり、ふちを滑らかに整えたりと、最後の仕上げを行うと、完成度がより高くなります。ヒーターの前などで少しずつ温めながらやってみましょう。アロマキャンドルは、自宅で簡単に手作りできる上、アイディア次第でデザインを無限大に作ることが出来る楽しいアイテム。ガーランド風の火を灯さないキャンドルなら、子どもがいて火を使えないというお家でも、飾りとして楽しめます。好きな色や香りの組み合わせや、さらにドライフラワーなどの材料を使って、ぜひオリジナリティ溢れるキャンドルを作ってみてください。出演/大林なおみ
2018年04月14日ソイワックスの特徴をご紹介大豆油脂からできたソイワックスをご存知でしょうか。通常のパラフィンワックスを使用したキャンドルに比べ、煙やすすが出にくいのも特徴。消火後の臭いも気になりません。また、ソイワックスは融点が低く、燃焼時間が長いのも特徴です。ワックスが固形から液体になる速度が速く、香りの広がりも良いと言われています。お好みの花材とアロマでアレンジも楽しい今回用意するものは、お好みの花材、ベースキャンドル、ベースキャンドルよりも一回り大きな型、ソイワックス、お好みのキャンドル用フレグランスオイル、キャンドルの芯を固定するための棒とクリップ、ピンセットです。花材はドライフラワーやプリザーブドフラワーを使用しましょう。生花はワックスの熱で傷むことがあります。また、変色しにくいのでしばらく飾っておきたい場合にもピッタリです。型にベースキャンドルと花材を詰める型にベースキャンドルをセットします。隙間が空いた場所にお好みの花材を埋めていきましょう。このとき、ピンセットを使用すると作業がしやすくなります。ベースキャンドルよりも上にくるように花材を埋めたら、キャンドルの芯が中心になるように固定します。型よりも長い棒に芯を巻きつけ、外れないようにクリップで留めておきましょう。今回はピンクとグリーンベースの花材を用意しましたが、色味や種類をお好みでアレンジしてみてください。溶けたワックスに香料を入れ型に注いでいくソイワックスを溶かし、好みのフレグランスオイルを加えます。気分や使用する場面に合わせて香りを選びましょう。ソイワックスは少し多めに溶かしておくと安心です。ワックスが溶けたら花材が動かないように、ゆっくりと注ぎましょう。今回は花材が少し出るくらいにワックスを注ぎましたが、好みで調整してください。固まったら、ゆっくりと型から取り出しましょう。芯を短く切ったら完成です。透明な瓶や、四角の型などを使用しても素敵なキャンドルが作れます。また、花材のほかにドライフルーツを使用するのもおすすめ。いくつか作って、好みのものを見つけてみてください。ソイワックスで作られたキャンドルは、燃やすだけで空気を清浄化する効果も期待できます。体と心に優しいボタニカルキャンドルに、しばしのあいだ癒されてみませんか?出演/大林なおみ
2018年04月07日東京・六本木で開催中の第30回東京国際映画祭で28日、映画『花筐』(12月16日公開)の舞台挨拶が行われ、肺がん闘病中の大林宣彦監督が本作に込めた思いを語った。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』(77)より以前に書き上げていた幻の脚本を40年の時を経て映画化した『花筐』。檀一雄の純文学『花筐』を原作に、戦争の足音が迫る時代を懸命に生きる若者たちの友情や恋を赤裸々に描き出す。大林監督は自身を「敗戦孤児の世代」といい、「私たちが日本の平和を作らなきゃいけないということで、みんなわけもわからず今までだれもやらなかったことをやりながら生きてきた」と説明。「映画でもプロにはならないで、私は一生アマチュアとして、弱者の立場から自分の個人史、日記みたいな映画を作ってきた」と続け、自身の肩書きが"映画監督"ではなく"映画作家"である理由もそこにあると話した。舞台挨拶には、主演の窪塚俊介をはじめ、長塚圭史、矢作穂香、山崎紘菜、常盤貴子、村田雄浩、岡本太陽も出席。常盤は「なんてやんちゃな監督。こんなに自由に広げてくる監督って世界に今までいたのかなと思うくらい。映画の可能性を広げていただいた」と監督に感銘を受けたいう。窪塚も「(演じた)俊彦は16歳。僕35歳ですからね。キャスティングに関しても自由度がこんなに」と驚いたそうで、同級生役を演じた長塚も「40過ぎてあんな役をやれると思いませんでした」と笑った。キャスト陣から自由さを明かされた大林監督は、遊びが制限されていた戦時中に感じた不自由さを打ち明け、「自由に遊べることが子供であることの一番の証。戦争が終わったあとは、せめて自分が平和に役立つとするならば、自分が信じる映画くらいは自由に作らせてほしいということで、本当に自由に映画を作らせていただきました」と自由に対する強い思いを語る。そして、「ブレないで、そういう敗戦少年の思い出をずっと描いてきましたが、どうもそういう映画がまた作れなくなるんじゃないかと怯えております」と将来的な抑圧を危惧。「3年後にこの映画を作ることが許されるだろうか。今こそ自由の尊さを表現したいということでこしらえたのがこの映画です」と語った。
2017年10月29日