アイドルグループ『Venus Parfait』の初原千絵が2日に自身のアメブロを更新。アイドル活動をする中で妊娠した経緯を説明した。この日、初原は「大事なお知らせがあります」「お腹に新しい命を授かりました」と妊娠したことを報告。「現役アイドルなのにどういうこと?と思う方が多いと思いますが…」と述べつつ「2年前に結婚し、子供を望んでおりましたがなかなか恵まれず…授かって出産を終えるまで夢を待つこともできるけれどこればかりはいつ授かるかわからず」「なので授かった時は産休を取らせていただくことをしっかりと相談したのちにグループに加入し、アイドル活動をさせていただいておりました!」と説明した。続けて「そしてこの度、不妊治療の末 無事にお腹に命が宿ってくれました」と不妊治療を経て妊娠したことを明かし「これまで担当医師に入念に相談し体調が良いことを条件に無理のない範囲で活動を続けてまいりました」と告白。「母子共に健康にすくすく成長しています」と報告し「徐々にお腹が大きく重くなってきたので3月末で一度活動をお休みさせていただく形で4月から産休を取らせていただきます」と今後についてつづった。また「わたしたちVenus Parfaitはママでも人妻でも何歳でもキラキラアイドルができる!ステージで夢を与えられる!というユニットです」と紹介し「それでもわたしたちが好き!パフォーマンスが好き!頑張っている姿に元気をもらえる!と言ってくださる大切なファンの皆様がいる限り私たちはステージに立ち続けますよー!!!」とコメントした。最後に「母子共に健康に出産を終えて元気いっぱいに復帰できるように!まずは体調とお腹の命のことを第一に考え過ごしていきたいと思います…」と明かし「というわけでこれからはプレママブログとなりそうですが!!よろしくお願いしますっ!!」とつづった。
2024年03月02日日本公開から半年以上、全国各地の映画館でロングラン上映を続けている『PLAN75』。この度、第65回ブルーリボン賞にて主演女優賞(倍賞千恵子)&監督賞(早川千絵)を受賞したことを記念して、公開時のメイン館である新宿ピカデリーにて3月10日(金)より再々上映が決定した。6月の公開週にはメイン館の新宿ピカデリーの週末動員数で、『トップガン マーヴェリック』の動員を抑え1位を記録。シネスイッチ銀座では、金曜日の初回からチケットを求めて観客が長蛇の列をなし、土日も満席の回が続出。30代以降の映画ファンを中心に女性のグループ、夫婦・カップルなど複数での鑑賞が多く、幅広い客層に支えられてロングラン上映、現在、興行収入は3.4億円に迫っている。SNSを中心に「震えるほど感動」「頭から離れない」「“生きる”という命題を観る者に突きつける大傑作」など絶賛の声が多く寄せられたほか、“75歳以上に生死の選択権を与える<プラン75>の制度”に対して、賛否両論を巻き起こした本作。作品への口コミの高さに加え、キャスト陣の演技も高く評価され、第46回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、優秀脚本賞や第65回ブルーリボン賞 主演女優賞、監督賞をはじめとした国内の主要映画賞を獲得している。また、第47回トロント国際映画祭のコンテンポラリー・ワールド・シネマ部門や国際映画祭への出品も相次ぎ、フランス、シンガポール、タイ、台湾など30か国以上の国と地域で配給されるなど、世界各国でも評価を受けている。この度、3度目の新宿ピカデリーでの上映決定を受け、倍賞さんは「監督をはじめ、キャスト、スタッフの皆さんと同じ方向を向いて一生懸命に作り上げた作品を多くの方にご覧いただけて嬉しいです」とコメント。なお、早川監督は次回作に向け、脚本を執筆し始めているという。『PLAN 75』は3月10日(金)より新宿ピカデリーにて再々上映、全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:PLAN75 2022年6月17日より新宿ピカデリーほか全国にて公開© 2022『PLAN75』製作委員会 / Urban Factory / Fusee
2023年02月24日株式会社エヌケービーは、青森県三沢市出身のアートディレクター森本 千絵氏が原画・監修を務め、クレアーレ熱海ゆがわら工房で製作、青森空港に設置した大型ステンドグラス「青の森 へ」のグッズを2022年12月20日より発売します。クレアーレアートを核に名産品開発青森県の更なる文化発信・地域振興を目的に、森本氏が主宰を務める株式会社goen°及び青森県を代表する名産品である「津軽びいどろ」の北洋硝子株式会社・「陸奥八仙」の八戸酒造株式会社と共同で開発したもので、2022年12月20日より青森県のお土産店・観光施設、CREARE ART online storeにて販売します。パブリックアートが地域の活性に果たす役割は大きく、日本各地で芸術・文化による街おこしの取り組みが増加しています。NKBは、国内随一のステンドグラス・陶板レリーフの製作工房「クレアーレ熱海ゆがわら工房」(静岡県熱海市)を運営しており、これまで全国に550作品以上のパブリックアートを設置してきました。我々はクレアーレ熱海ゆがわら工房が制作した数々の作品を「クレアーレアート」と称しており、設置された地域の自然・文化が描かれた地域性豊かなデザインが特徴です。このたび、さらなる芸術・文化を通じた地域振興を推し進めるべく、この「クレアーレアート」を核に、作品を設置した地域の自治体や地元企業と連携した観光誘致支援および名産品開発の取り組みを開始しました。本事業は、その第一弾となるもので、ステンドグラス「青の森 へ」のグッズ開発と販売を通じて、青森の地域活性化の一助となることを目指します。ステンドグラス「青の森 へ」グッズ概要青森空港の大型ステンドグラス「青の森 へ」には奥入瀬や白神山地、ねぶた祭など青森の自然と文化が活き活きと描かれており、訪れる人を“青の光”で出迎えています。この作品で表現されている青森の雄大な魅力を感じられるよう、ポストカードを始めとしたステーショナリーから実物と同じガラスを用いたステンドグラス小物、青森県の名産品とのコラボレーション商品まで幅広く展開いたします。「『青の森 へ』津軽びいどろ盃」の形状は、同じ日本酒でもお猪口の形で味わいの感じ方が変わることに着目し、「八仙『青の森 へ』特別ラベル」がもつ果実味とみずみずしく爽やかな後味を最も感じられるよう、北洋硝子株式会社・八戸酒造株式会社と共同で選定いたしました。「青の森 へ」を感じる特別なペアリングをお楽しみいただけます。●販売店舗・青森県内のお土産店・観光施設・CREARE ART online store「青の森 へ」特設ページ※2022年12月20日オープン(画像はプレスリリースより)【参考】※CREARE ART online store「青の森 へ」特設ページ
2022年12月20日株式会社エヌケービー(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:外谷 敬之/以下、NKB)は、青森県三沢市出身のアートディレクター森本 千絵氏が原画・監修を務め、クレアーレ熱海ゆがわら工房で製作、青森空港に設置した大型ステンドグラス「青の森 へ」のグッズを2022年12月20日より発売します。「青の森 へ」グッズ発売青森県の更なる文化発信・地域振興を目的に、森本氏が主宰を務める株式会社goen°(本社:東京都渋谷区、代表取締役:森本 千絵)及び青森県を代表する名産品である「津軽びいどろ」の北洋硝子株式会社(本社:青森県青森市、代表取締役:壁屋 知則)・「陸奥八仙」の八戸酒造株式会社(本社:青森県八戸市、代表取締役社長:駒井 庄三郎)と共同で開発したもので、2022年12月20日より青森県のお土産店・観光施設、CREARE ART online storeにて販売します。パブリックアートが地域の活性に果たす役割は大きく、日本各地で芸術・文化による街おこしの取り組みが増加しています。NKBは、国内随一のステンドグラス・陶板レリーフの製作工房「クレアーレ熱海ゆがわら工房」(静岡県熱海市)を運営しており、これまで全国に550作品以上のパブリックアートを設置してきました。我々はクレアーレ熱海ゆがわら工房が制作した数々の作品を「クレアーレアート」と称しており、設置された地域の自然・文化が描かれた地域性豊かなデザインが特徴です。このたび、さらなる芸術・文化を通じた地域振興を推し進めるべく、この「クレアーレアート」を核に、作品を設置した地域の自治体や地元企業と連携した観光誘致支援および名産品開発の取り組みを開始しました。本事業は、その第一弾となるもので、ステンドグラス「青の森 へ」のグッズ開発と販売を通じて、青森の地域活性化の一助となることを目指します。■ステンドグラス「青の森 へ」グッズ概要青森空港の大型ステンドグラス「青の森 へ」には奥入瀬や白神山地、ねぶた祭など青森の自然と文化が活き活きと描かれており、訪れる人を“青の光”で出迎えています。この作品で表現されている青森の雄大な魅力を感じられるよう、ポストカードを始めとしたステーショナリーから実物と同じガラスを用いたステンドグラス小物、青森県の名産品とのコラボレーション商品まで幅広く展開いたします。ステーショナリー商品青森県名産品コラボレーション商品「『青の森 へ』津軽びいどろ盃」の形状は、同じ日本酒でもお猪口の形で味わいの感じ方が変わることに着目し、「八仙『青の森 へ』特別ラベル」がもつ果実味とみずみずしく爽やかな後味を最も感じられるよう、北洋硝子株式会社・八戸酒造株式会社と共同で選定いたしました。「青の森 へ」を感じる特別なペアリングをお楽しみいただけます。◇北洋硝子株式会社「津軽びいどろ」を生み出すのは青森県にある石塚硝子のグループ会社、北洋硝子株式会社。始まりは1949年、漁業用の浮玉(うきだま)製造からでした。 その成形技術と色ガラスを掛け合わせた工芸品として、「津軽びいどろ」が誕生しました。職人たちは技術開発にも力を注ぎ、美しい色ガラスの調合や、高い技術を要する技法もほぼ独学で習得するなど、常に新しい技へのたゆまない努力を続け、1996年創設初年度の青森県伝統工芸品に指定されました。◇八戸酒造株式会社元文5年(1740年)初代駒井 庄三郎が青雲の志で近江国を出、陸奥の地にて酒造りの道に入り、以来蔵元代々酒を造り続けてきました。現在、八代目庄三郎は青森県の地蔵として県産の米と酵母にこだわり、仕込み水は八戸・蟹沢地区の名水を使用した、時代が求める環境と健康に配慮した安全で美味しい酒造りに挑戦しています。ステンドグラス小物商品●販売店舗・青森県内のお土産店・観光施設・CREARE ART online store「青の森 へ」特設ページ: ※2022年12月20日オープン■ステンドグラス「青の森 へ」について青森空港の大型ステンドグラス「青の森 へ」は、青森県三沢市出身のアートディレクター森本 千絵氏が切絵で制作した原画をもとに、クレアーレ熱海ゆがわら工房(静岡県熱海市)が製作したステンドグラス作品です。本作品には、森本氏が幼少期にみた青森県の豊かな自然や文化が85色約3,200ピースものガラスで色鮮やかに描かれています。四季折々の表情を見せる奥入瀬や白神山地、瑞々しく輝くりんご、表情豊かな温湯こけし、躍動感あふれるねぶた祭―青森の魅力が凝縮された、まるで旅をするように楽しんでいただける作品です。ステンドグラス「青の森 へ」<作品情報>作品タイトル:「青の森 へ」原画・監修 :森本 千絵場所 :青森空港 旅客ターミナルビル1階 チケットロビー設置時期 :2021年2月24日サイズ :H2.4m×W11.4m企画 :公益財団法人日本交通文化協会製作 :クレアーレ熱海ゆがわら工房助成 :一般財団法人日本宝くじ協会<原画家プロフィール>森本 千絵(もりもと ちえ)アートディレクター・コミュニケーションディレクター/武蔵野美術大学術大学視覚伝達デザイン学科客員教授1976年青森県三沢市で産まれ、東京で育つ。武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科を経て博報堂入社。2007年、もっとイノチに近いデザインもしていきたいと考え「出会いを発明する。夢をカタチにし、人をつなげる」をモットーに株式会社goen°を設立。主な仕事に松任谷由実、Official髭男dism、Mr.Children30周年のアートワーク、広告の企画、演出、商品開発、本の装丁、映画・舞台の美術や、動物園や保育園の空間ディレクション、青森空港のステンドグラス壁画を手掛けるなど、活動は多岐にわたる。森本 千絵氏<工房紹介>クレアーレ熱海ゆがわら工房ステンドグラスと陶板レリーフを中心に製作しているアートスタジオ。ここで創られた作品の多くは、パブリックアートとして駅や空港などの公共施設に設置されており、これまで多くの著名アーティストとコラボレーションをしながら1,000近い作品を生み出してきました。この工房で創られた作品を我々はクレアーレアートと呼んでいます。2022年にはCREARE ART online storeを開設、暮らしを彩るクレアーレアートをお届けしてまいります。クレアーレ熱海ゆがわら工房 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月16日大林宣彦監督1989年の名作『北京的西瓜』(ぺきんのすいか)のデジタル配信が開始された。青果店を営む夫婦と中国人留学生たちとの心温まる交流を、実在の人物と実際にあった出来事を基に描いた本作は、およそ20年前にDVD発売されてはいるが、長らく今も続く廃盤状態で入手困難となっていた作品。1989年5月~7月に撮影されたが、天安門事件により、当初予定していた中国での撮影が急きょとん挫したという。現実の青果店の雑然とした空気感、自然で臨場感あふれる撮影手法と演出に安定的に下支えされた物語は、無償の思いやり、愛情と信頼、受けた恩に報いる気持ち、そして時代に翻弄される悲しみまでが、淡々粛々と描かれている。STORY船橋市郊外の青果業・八百春の主人の春三(ベンガル)は、李中山(ウー・ユエ)という中国留学生と知り合ったことから、彼らの苦しい生活を見兼ねて、援助の手を差し伸べた。最初は軽い気持ちでやった春三だったが、次第にエスカレートしていき、ついには自らの生活までをも犠牲にしてしまうのだった。留学生たちは彼を「日本のお父さん」として慕うが、春三が忙しくなればなるほど、女房の美智(もたいまさこ)の負担は重くなり、挙句の果てには店や家庭の危機にまで発展してしまった。「このままでは店が潰れてしまう!」と留学生たちは店を手伝うようになり、春三や美智は感涙にむせんだ。そして数年が過ぎ、中国に帰った李中山から国際電話が入り、彼らの招待で春三と美智は中国へ向かった。映画『北京的西瓜』監督:大林宣彦原作:林小利/久我山通脚本:石松愛弘撮影:長野重一音楽:根田哲雄出演:ベンガル/もたいまさこ/峰岸徹/林泰文(c)1989 MAXDAI CO., LTD.配信はコチラ:
2022年01月02日東京芸術劇場のリサイタル・シリーズ「VS」(ヴァーサス) 第3弾、塩谷哲と大林武司のピアノ・セッションによる公演が2022年3月25日(金)に開催されることが決定した。リサイタル・シリーズ「VS」は、「ピアノ・デュオ(2台のピアノ)演奏」によって、ふたりの異なる個性を持つピアニストがぶつかり合う、新しい形のリサイタル。その第3回目となる公演では、ジャズ界のみならず多彩な活動で音楽界を走り続ける塩谷哲と、NYを拠点とし、MISIAのバンドマスターとしても活躍する大林武司が登場する。ふたりの出会いは大林の出身地・広島で開催された塩谷のコンサート。大林は塩谷の演奏に感動を受け、楽屋を訪れた。そこで塩谷からエールをもらったことが、アメリカ留学の後押しのひとつの要因となったと大林は語っている。そんなふたりが約15年の時を経て、“ピアニスト”と“ピアニスト”として、舞台の上で初共演を果たすことになった。東京芸術劇場のステージで、ピアノを通し、対話するように楽譜も筋書きもないパフォーマンスを披露するふたり。誰も予想できない熱狂的な空間をぜひ、会場で体感してほしい。チケットは好評発売中。■公演概要東京芸術劇場 リサイタル・シリーズ 「VS」Vol.3SHIONOYA Satoru × OHBAYASHI Takeshi2022年3月25日(金) 19:00開演会場:東京芸術劇場 コンサートホール
2021年12月13日「二子玉川ライズ」では、 「THE HOLY FAMILY」をテーマに、コミュニケーションディレクター・アートディレクター森本千絵氏のプロデュースによるクリスマスツリー&イルミネーションを、2020年11月14日から点灯いたします。そのほか、二子玉川ライズ冬の風物詩となっている「Skate Garden 2020」の開催も決定。さらに、豪華商品が当たる「クリスマス抽選会」をオンラインで実施するなど、特別な季節となる2020年の冬を彩ります。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━静かな世界観の中、優しい灯火が二子玉川の街を包み込む二子玉川ライズ 2020年のクリスマス「THE HOLY FAMILY」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ポイント1. “皆が集う”オリジナルの音楽や演出を施したツリーポイント2. クリスマスツリーメイキング&点灯ムービーを公開ポイント3. 二子玉川ライズ全体に施された「影絵」の仕掛けポイント4. 統一された世界観のウィンターイルミネーション■2020年クリスマスのテーマ 「THE HOLY FAMILY」についていつもよりも特別な想いで、大切な人との時間を過ごすことになる2020年のクリスマス。ガレリアという大きな屋根に覆われた空間を一つの家として、これまで集っていた人皆がライズの家族。これまでのように同じ場所に集うことは難しくても、家の象徴であるクリスマスツリーに皆の心が寄り添いあってほしい。音、光、映像など、様々な工夫を凝らし、離れていても心が集える場所に。2020年クリスマスのテーマ「THE HOLY FAMILY」には、そんな想いが込められています。■クリスマスツリーについて今年で3年目のコラボレーションとなる、コミュニケーションディレクター・アートディレクター森本千絵氏のプロデュースによるクリスマスツリー。今年は、原点回帰し、家族、友人、恋人、お互いを思いやり、喜びを分かち合う時間である本来のクリスマスにおいて、皆をあたたかく照らす灯火としてのクリスマスツリーをデザインしています。ナチュラルでオーガニックな素材のオーナメントで彩られたツリーは、見た人の心をやさしく包み込むようなあたたかみのあるデザインとなっています。ツリーのふもとには、「家族が集う場所」の象徴としての家々が立ち並び、再び人が集うことができる日々への願いが込められています。ポイント1. ミヤワキ タカユキ氏による“皆が集う”オリジナルの音楽森本氏と二子玉川ライズのクリスマスプロジェクトは、完全オリジナルの装飾・演出・音楽が特徴です。「THE HOLY FAMILY」では、16:00~24:00までの間、15分に一度、音楽家・ミヤワキ タカユキ氏による音楽の演出、 またその音楽にあわせた光の演出を楽しむことができます。定番のクリスマスソングをモチーフとしながら、“ライズの家族”たちの声を集め、一つの音楽を作り上げるという一風変わった アプローチから生まれたオリジナル音楽で、ツリーを彩ります。▽ミヤワキ タカユキ氏 音楽家1970年 大阪府生まれ。こどもといっしょに、みんながたのしめる音楽づくりを得意とする音楽家。「こどもとおんがく」を軸に活動を展開し、人が奏でる、あたたかさをもったサウンドづくりと、誰にでも受け入れやすい、やさしいメロディーメイクを得意としている。子どもを対象とした企画や商品広告、教材、番組などにもユニークな世界観を取り入れ、ベネッセコーポレーションなど楽曲提供多数。ポイント2. 点灯の瞬間の感動を収めた、クリスマスツリーメイキング&点灯ムービーを公開今年は、新たな試みとして、クリスマスツリーのメイキングから点灯までを収めた特別ムービーを制作し、HP上で公開します。例年、大勢のお客様にお越しいただいていたクリスマスツリー点灯式が今年は見送りとなった中、こんな時期だからこそ、クリスマスツリー点灯の瞬間の感動を皆さまに届けたいという想いから制作したオリジナルムービーです。「人と人がまた繋がりあえる世界が来ますように」。森本千絵氏がツリーに込めたそんな想いが伝わってくるような映像となっています。【サイトURL】 ※準備が整い次第、公開します。※画像は2018年のクリスマスツリー制作の様子です。クリスマスツリー点灯期間:11月14日(土)~ 12月25日(金)※点灯式は実施いたしません。点灯時間:16:00~24:00 ※11月14日の点灯時間は非公開 ※最終日は21:00まで設置場所:二子玉川ライズ ガレリア■装飾・イルミネーションについてポイント3. 二子玉川ライズ全体に施された「影絵」の仕掛けが、幻想的な冬の世界へと引き込みます。「THE HOLY FAMILY」の楽しみ方の一つが、二子玉川ライズの様々な場所に設置された、「影絵」の仕掛けです。ツリーのオーナメントと連動した様々なモニュメントが、夜になると幻想的な光と影のアートを浮かび上がらせます。訪れた方が二子玉川ライズを回遊しながら、思わず写真を撮りたくなるフォトスポットとして、密を気にせず楽しめる仕掛けとなっています。※影絵施策は、12月1日~展開予定です。※画像はイメージです。ポイント4. 統一された世界観のウィンターイルミネーション毎年好評いただいている、二子玉川ライズのウインターイルミネーション。今年は、ガレリアのクリスマスツリーから統一された世界観で、イルミネーションもろうそくの灯火のようなあたたかみのある光を演出します。カラフルできらびやかなクリスマスの電飾とは一線を画した、静かな世界観の演出で、皆さまに癒しをお届けします。イルミネーションは、大階段を中心に二子玉川ライズ全体で展開し、二子玉川の街をあたたかな光で包み込みます。※画像はイメージです。イルミネーション点灯期間: 11月14日(土)~ 2021年3月3日(水)点灯時間:16:00~24:00 ※11月14日の点灯時間は非公開 ※最終日は21:00まで設置場所:二子玉川ライズ全体━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━二子玉川ライズ 冬の風物詩期間限定、本物の氷のリンクが今年も登場!! 「Skate Garden 2020」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━二子玉川ライズの冬の風物詩、「Skate Garden 2020」が12月12日からオープンします。本物の氷の上でスケートができる屋外リンクでは、日中は都会の中での開放感を、夜はライトアップされた中での幻想的な空間でのスケートを楽しめます。「個人レッスン」や「スケート教室」など、初心者から上級者までどなたでもお楽しみいただけます。また、初めてのお子様でも安心の補助器具の貸し出しや、未就学児のお子様が楽しめるキッズタイムなど、親子で楽しめるコンテンツも充実しています。【開催日時】2020年12月12日(土)~2021年2月28日(日)平日13:00~19:00、土日祝11:00~19:00【場所】二子玉川ライズ 中央広場【料金】大人2,000円/学生(中・高・大)1,800円 ※要学生証/小人1,500円(税込)※マスク・手袋の着用が必須となります。※混雑時には入場制限を行う場合があります。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━今年は森本千絵氏作LINEスタンプがもれなく貰える 「オンライン クリスマス抽選会」実施!抽選で豪華商品が当たる!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━「THE HOLY FAMILY」の開催期間中、二子玉川ライズ S.C.にて5,000円(税込)以上お買上げいただいた方を対象に、豪華商品が当たるオンラインクリスマス抽選会を実施します。二子玉川ライズ S.C.でお買上げいただいた期間中のレシート5,000円(税込・合算不可)を1口とし、期間中何度でもご応募可能です。お手持ちのスマートフォン等で対象のレシートを撮影、必要事項を入力するだけで応募が完了します。また、参加賞として、森本千絵氏描き下ろしのクリスマス限定LINEスタンプがもらえます。【開催日時】2020年11月14日(土)~12月25日(金)【当選者発表】商品の発送をもって当選とします。企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年10月28日約3年前「がんが消えた!」と笑顔で語ってくれた大林さん。病魔は大林さんに試練を与え続けたが、映画への熱が冷めることはなかった。それはきっといまでも……。「昨年11月ごろから、新作の公開日に照準を合わせて、大事をとって自宅で療養していました。父は何よりも、母のそばを離れたくない。とにかく自宅が大好きな人でした。亡くなる当日まで、寝室の窓から見える八重桜を眺めながら『きれいだね』と、日課のように話をしていました」悲しみをこらえながら、本誌のインタビューに答えてくれたのは、4月10日、肺がんのため亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)のひとり娘、千茱萸さん。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により公開は延期となったが、大林さんが亡くなった日は、くしくも監督を務めた最新作『海辺の映画館−キネマの玉手箱』の公開予定日だった。’16年8月、「肺がんステージ4、余命3カ月」という宣告を受けた大林さん。本誌はその1年後の’17年8月、そして2年4カ月後の’18年12月に、大林さんに2度インタビューをしている。本誌記者に語りかける大林さんの口調は、まるで親がわが子に語りかけるように優しかった。そして自らの人生哲学を語る情熱は、宣告された余命を大幅に超えて生き続けた大林さんのエネルギッシュさを物語っていた。がん闘病、家族の絆、そして映画にこめた「反戦」への思い……。監督が本誌に残した、約9時間にも及ぶ“魂のメッセージ”に、もう一度触れてみようーー。闘病のなか、映画製作に情熱を注ぎ続けた大林さんは、妻の恭子さん(81)のことを「人生最大の理解者」だと語っていた。「僕と一緒になったときも、『あなたの才能を尊敬しているからお手伝いをします。でも、私があなたを尊敬できなかったらすぐに別れます』と宣言されて、一緒になった。古い時代の人ですから、本当に尽くしてくれますよ。自分の体のことは放っておいても、僕のことを気にしてくれてね。恭子さんがいなければ、僕は映画も作っていなかったでしょう。つまり、彼女との出会い自体が、僕そのものなんですよ。彼女もそうみたいですけど(笑)」恭子さんは、成城大学在学中から大林さんの自主映画製作に関わり、以来、大林作品を常に支えてきた。そして『転校生』(’82年)から正式にプロデューサーとなる。「彼女は、“私は最初の観客よ”と、必ず現場にいるんです。映画のプロデューサーはお金を集めてきたら現場にいないのが普通ですが、恭子さんは現場に張り付いている。僕が現場でいろんなことを思いついたりすると、横にいる彼女に相談するんです。そうすると、『あ、面白いわね。きっと面白くなると思うから、やってみて』と言って、すぐにその手配をしてくれます。“面白いと思えば、私はOKよ”というのが彼女のスタンス。ときには、容赦なくシーンをカットすることも提案してきます」夫婦であり、クリエーター同士でもある2人。いつも一緒にいれば、ケンカが起きても不思議ではないのだが。「感情的なケンカはしませんが、議論は年中しています。娘の千茱萸がいるときは、参戦させるんですよ。娘は赤ん坊のころから、夫婦で議論するときにそばに置いていましたからね。小さいときの娘は、議論するママの顔を見ながら“あ、パパのほうが間違っている”とか“ママのほうが正しそうだな”とよく思っていたみたいです(笑)」余命3カ月の宣言を受けてから、すでに2年以上が過ぎた’18年11月、大林さんにとってうれしい出来事があった。長年二人三脚で映画を作ってきた恭子さんが、「第42回山路ふみ子映画賞」で映画功労賞を受賞したのだ。「その贈呈式で彼女がいいスピーチをしてくれてね。《私の記憶は7歳のとき、東京大空襲の焼け野原から始まっています。すべてが焼かれ、写真1枚残っていない。昔の記憶も残っていない。戦争を二度と起こさないために、何か役に立てることはないか。そんなときに映画と出合い、それをこれまでずっとやってきました》と。僕は会場で聞いていて“こんなに喋る人だったんだ”と驚かされました。監督というのは好き放題、やりたい放題。それを勝手にやらせてくれたのは、プロデューサーである妻であったと、そのとき気づかされた。そしていまでは、娘の千茱萸、彼女の夫と一緒に、家族で映画を作っている。これは幸せなことです」大林さんの家族もまた、映画を愛し、そして何より新しい映画に挑戦し続ける大林さんを愛していた。そんな家族について語る大林さんの表情は、いつも優しかった。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日4月10日(金)、82歳で死去した大林宣彦監督を追悼する特別企画として、日本テレビ系では4月18日(土)、大林監督がメガホンを取り原田知世主演で筒井康隆の人気SFファンタジー小説を映画化した『時をかける少女』を放送する。『HOUSE ハウス』で商業映画初監督、80年代には本作とともに『転校生』『さびしんぼう』の3作が“尾道三部作”として多くの観客をとりこにしたほか、92年には『青春デンデケデケデケ』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。近年は『この空の花-長岡花火物語』『野のなななのか』、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞をはじめ数々の映画賞を受賞した『花筐/HANAGATAMI』といった作品を世に送り出し、精力的な活動を続けてきたが、16年にがんが発覚。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の製作に向けて闘病を続けていた矢先、82歳の生涯に幕を下ろした大林監督。大林監督を世に知らしめた“尾道三部作”の1作でもあり、監督が角川春樹とタッグを組んで世に送り出したアイドル映画の代表作ともいえるのが本作となる。昨年放送の「あなたの番です」も話題となった原田さんは本作で初の映画主演を務め、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。興行成績も28億円の配給収入をあげて公開年の邦画第2位となるヒットを記録した。物語は、ある日の放課後の実験室でラベンダーの香りを嗅いで以来、時間を跳躍する能力を持ってしまった芳山和子(原田さん)が、同じ毎日を繰り返すなかで、同級生の深町一夫(高柳良一)と淡い想いを寄せるのだが、一夫には“秘密”があって…というもの。当時16歳の原田さんによるフレッシュな演技と、叙情溢れる尾道の風景。そして現在まで数多くの作品が作られる“ループもの”青春ストーリーの元祖ともいえる、時空を超えた切ないラブストーリー。その美しい映像と世界観はいまだに多くの人の心を惹きつけてやまない。『時をかける少女』は4月18日(土)13時30分~日本テレビでオンエア(関東ローカル)。(笠緒)
2020年04月18日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)塚本 晋也(映画監督・俳優)大学生のころ、「『HOUSE/ハウス』という面白い映画があるぞ!」と自主映画仲間と映画談義に花を咲かせました。その後、大好きな『転校生』、『時をかける少女』(ラスト、倒れていた原田知世さんが立ち上がって歌い出す瞬間の驚きとときめき)など好きな映画はたくさんありますが、大林監督とお話するようになったのは、実は2015年に発表した『野火』以降になります。ですから大林監督を慕って行動を共にされていた監督さんたちとも違い、僕には雲の上の人のようにずっと遠くに感じられていました。学生のころうらやましく見ていた自主制作からプロデビューする監督さんたちの、さらにその先をいく存在だったのです。『野火』の上映で、全国のミニシアターからミニシアターへ行脚していたおり、大林監督の故郷にある映画館シネマ尾道で、僕の『野火』と大林監督の『野のなななのか』を上映し、対談をさせていただく大きな機会を得ました。大林監督は、そのすべての映画に戦争というテーマを隠し味としてこめていたと仰いましたが、3.11以降、『この空の花ー長岡花火物語』からははっきりと戦争がモチーフになっていき、その後『野のなななのか』、『花筐』へと続いてゆきます。対談の前に大きなスクリーンで観た『野のなななのか』は、戦争で亡くなった人たちと今この世で生きている自分たちが地続きに感じられる優しい目線で描かれている作品でした。全編が繰り返し歌われる詩のようで、感情が揺さぶられ続けました。そしてこの連作で、年齢や病をものともせず、作品はますますパワフルに溢れ出したのです。対談ではたくさんの大切なことをお話しくださいましたが、衝撃だったのは、大林監督は「僕(大林監督)は戦後の監督で、塚本君は戦前の監督」という視点。また、正義という概念は時代によって変わるので、必要なのは自分を俯瞰してみる正気の目線だ-。という教え。残念ながら自分たち人間は、状況によっては悪魔に変身することができる生き物だと知ってしまったので、そういう状況を作り出さないようひとりひとりが正気の目を持ち続けることが最も大切という思いに至りました。また『斬、』という新作の上映と舞台挨拶でやはりシネマ尾道にうかがったとき、大林監督が新作を撮影されているということを知り陣中見舞いにうかがったこともあります。撮影中にお邪魔するのもいかがなものかとはばかられたのですが、そうっと覗かせてもらうことにしました。そのとき監督はだいぶ小さくなられていましたが、静かに、着実に撮影を進めていらっしゃいました。撮影現場にいることが一番の薬だったのでしょう。そして自分がひょっこり現れたことをたいへんに喜んでくださいました。その後高崎映画祭の授賞式でもご一緒できる機会があったのですが、セレモニーの間どこにいらっしゃるか分からなく、自分の登壇の直前、舞台袖に待機すると車椅子の方が目に入り、その瞬間も大林監督だとはすぐには思わず、通り過ぎて壇上に出てようやく監督だとわかったのです。舞台袖ですべての進行をご覧になっていたのです。しかし目にしても気づかないほど小さくなられていたのでした。僕もゲストを大勢連れていったものですからそのあと直接お話しする機会を逸してしまい、ずっと気になっていました。あのときシネマ尾道さんの計らいで撮影現場にうかがっておいて本当によかったです。しかし高崎映画祭の壇上に出た大林監督は、本当に病気なのかと思うほどしっかりとして、たくさんの貴重なお話をみなさんにしてくださいました。実は新作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、試写やDVDでなく、町の映画館で一観客として観させていただくのを楽しみにしていたので、初日を今かと今かと待っていたのですが、まさに公開予定日に旅立たれてしまいました。映画はお客さんに届いて完成するものと思っていらしたはずですので、そこまではがんばろうとされていたのではないでしょうか。コロナの終息が見えない中亡くなられてしまったと思うと、映画の感想をお届けできなかったことが悔やまれてなりません。亡くなられる数日前に、自分の名前も上げてくださり、「君たちが映画をつないで平和な世の中に・・・」と途切れ途切れお話しをしたという奥様の恭子さんのコメントを読みました。高崎でお話しできなくごめんなさい。やっぱりどんな形ででも新作を観てしまうべきだったといろいろ悔やみましたが、今となってはいかんともしようがありません。大林さんはずっと平和のことを考え、その思いを映画に込め、語っていらっしゃいました。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』はとてつもなくパワフルな映画と各所から耳に入ってきます。もう少ししたら、最高の場所、映画館で堪能させていただきますからね、大林監督。ほんとうにありがとうございました。大林監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』から (C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC塚本 晋也(つかもと・しんや)1960年東京生まれ。映画監督/俳優。日本大学芸術学部卒業後、『電柱小僧の冒険』(1987)でPFFグランプリを受賞。『鉄男』(1989)でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど、国際的な映画祭での評価も高く、ヴェネツィア国際映画祭では審査員も務めた。自作の『野火』(2015)、『斬、』(2018)や、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』(2016)などに、俳優としても出演している。
2020年04月16日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)川本 三郎(映画評論家/文芸評論家)大林宣彦さんは、大仰ではなく、ほとんど「奇跡」のような存在だったと思う。八十歳を過ぎ、癌と闘いながら最後まで映画を作り続け、遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を作り上げたことも「奇跡」だし、なによりも映画人生の大半を「自由人」として映画を作り続けたことが「奇跡」だった。大林さんの世代の映画監督の大半は、映画会社に所属している。当時としては、それが当たり前だった。ところが大林さんは、まったく別のところから現われた。子供の頃から八ミリで映画を作り、映画少年がそのまま大きくなり、テレビのコマーシャルを多数作り、そして、映画を作るようになった。それまでの映画監督、あるいは同世代の映画監督が「撮影所育ち」だったのに対し、大林さんはあくまでも「自立」した「自前」の映画監督として映画を作り続けた。その意味で、映画史のなかの、いい意味での「突然変異」と言っていい。映画会社に属さないということは、経済的には大変だったと思うが、逆に、映画会社の枠にとらわれない自由な映画を作ることが出来た。「映像の魔術師」と呼ばれるほど、従来の映画文法にとらわれない想像力豊かな映画を作り続けることが出来たのは、大林さんが映画会社に所属しなかったことが大きいと思う。大林さんは、映画監督であると同時に「自由人」であり続けた。そこに敬服する。そして、あの優しい風貌に、この言葉は似合わないかもしれないが、偉大なる「一匹狼」だった。それを、奥さんの大林恭子さんや、娘さんの千茱萸(ちぐみ)さんが支え続けたのも素晴しい。矛盾した言い方になるかもしれないが、「家族に支えられた一匹狼」と言えばいいだろうか。「自由人」にふさわしく、大林さんの映画は、テーマよりもメッセージよりも、最初は何よりも、自由奔放なイメージの連続から作られた「奇妙なもの」として立ち現れた。従来の日本映画のこぢんまりした花鳥風月の世界とはまったく違う。アメリカン・アートのポップな感覚、テレビのコマーシャルのカラフルな喧騒には正直、最初はついていけなかった。2016年11月に、『キネマ旬報』の仕事で『花筐/HANAGATAMI』製作中の大林さんにインタビューをした時、「君は、最初の頃、僕の映画を批判していたよね」と言われて、思わず冷や汗をかいたものだった。大林さんの作品で最初に感動したのは、遅れていて、1984年の『廃市』だった。それまでの、にぎやかな世界と違って、福岡県の「柳河」という掘割の町、水の町を舞台にした静かな映画で、大林さんはこんな映画も作るのかと魅了された。福永武彦の原作も好きだったし、何よりも北原白秋が好きだったので、『廃市』を観たあと、すぐに「柳河」に旅した。のち、2012年に、北原白秋論『白秋望景』(新書館)を書いたのも、きっかけは大林さんの『廃市』だった。大林さんは声もよかった。あるところで『廃市』はナレーションの声がいいと書いた。あとで、その声は監督の大林さん自身の声だったと知って、恥かしくもあり、同時にうれしくもあった。かつて木下恵介監督は「作品のなかで必ず映画的実験をする」と言って、作品ごとにそれを試みたが、大林さんも新作ごとに「映画的実験」に挑んだ。ひとつ例を挙げれば2004年の『理由』だろうか。あの宮部みゆきの傑作を映画化する。普通の映画監督ならリアリズムの手法で事件を追っていただろう。ところが大林さんはそうはしなかった。テレビのワイドショーの手法を使った。それまでは映画では使ってはならないとされていた、俳優がまっすぐカメラを見るという禁じ手を逆手にとって、俳優たちがワイドショーのレポーターのように正面からカメラを見て事件を語る。この型破りの手法には驚いた。「自由人」だから出来る冒険だったろう。大林さんの「映画的実験」は近年の『花筐/HANAGATAMI』や『海辺の映画館-キネマの玉手箱』で如何なく発揮されている。どちらの作品も反戦のメッセージが強く打ち出されているが、決してありきたりのリアリズムの枠にはおさまっていない。具象画の世界に突然、抽象画が現われたような新鮮な驚きがある。故郷である尾道を舞台にした尾道三部作をはじめ、小樽、長岡、臼杵、唐津など地方を舞台にした作品を作り続けたことも、東京一極集中の時代にあって意味が大きい。中心に対して、周縁からの抵抗の思いもあっただろう。大林さんの反骨精神を感じる。『廃市〈HDニューマスター版〉』発売・販売:キングレコードKIXF-4286/¥2,500+税 KIBF-4533/¥1,900+税川本 三郎(かわもと・さぶろう)1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞などを文芸著作で各賞受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。
2020年04月15日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)植草 信和(元キネマ旬報編集長)大林さんと最後にお会いしたのは2018年の春だった。クランクイン直前に下された〈余命三ヵ月宣告〉を撥ね返して完成させた『花筐/HANAGATAMI』公開が前年の2017年12月だから、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』準備中だった。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」の取材で、3回に亘って6時間ほどインタビューさせていただいた。場所はご自身のプロダクション〈PSC〉の仕事場兼応接間。恭子夫人に伴われて現れた監督は病魔との戦いに疲れた様子だったが、インタビューを始めるとそれまでの痛々しさを微塵も感じさせないほど饒舌になり、尾道時代の幼年期からの「映画人生」を語ってくれた。個々の作品評価は紙幅の都合で別の機会に譲るとして、大林さんが我々に遺してくれた最大の遺産は何だったのだろうか、と真剣に思う。それを一言で表せば、「後進への映画の道を切り拓いた」ということに尽きる。映画監督への道はそれまで、撮影所の門をくぐった者しか開かれていなかった。だが彼は、CMディレクターであり自主映画の監督に過ぎなかったにも関わらず、『HOUSE /ハウス』で東宝という大メジャーから監督デビューを果たした。しかも興行的にも大成功を収め、一躍時の人、人気監督になった。大林さんの出現は、日本映画史に「大林以前・大林以後」と特筆大書してもいいほど燦然と輝く新たな一ページを加えた。日本映画界が低迷していた中でのその鮮烈な監督デビューは、大森一樹や原田眞人、是枝裕和、岩井俊二という現在の日本映画を牽引する監督たちを登場させる端緒になったといっていい。その他、犬童一心、塚本晋也、手塚眞、今関あきよしなどの大林チルドレンと言われる監督たちも生まれ、その幹から育った監督たちも多くいる。3.11東日本大震災からは「反戦」を刻印する映画を4本作った大林監督、文字通り遺書になった著書『最後の講義/映画とは“フィロソフィー”』の終章は、「映画では、平和を引き寄せられます。本当にそれができるんだから。頼むよ、みんな」という一文で結ばれている。その一文から、手塚治虫が「漫画と少年」の懸け橋になったように、大林さんは「映画と青年」の懸け橋になったのだ、と思える。大島渚、かわなかのぶひろ、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫ら審査員各氏がそろったPFF審査中の貴重なショット。手前左端サングラスが大林監督。写真提供:PFF植草 信和(うえくさ・のぶかず)1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」で、大林宣彦監督のインタビュー&構成を担当。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)中川 右介(作家)最初に大林宣彦監督にお会いしたのは、スマートフォンの記録を見ると、2013年10月29日。当時の私は「関西ウォーカー」誌に、後に『角川映画 1976-1986』(角川文庫)となる記事を連載しており、角川春樹時代の角川映画で最も多く撮った大林監督に、時間をとっていただき、『時をかける少女』などの角川映画時代を語っていただいた。実はその時点まで、どういう本にするか明確な設計図ができていなかったのだが、このインタビューで、「角川春樹と大林宣彦の距離感のある盟友関係」を隠れた主題にするアイデアを思いついた。そのインタビューの際、同行していたカメラマンが「写真のチェックをしますか」ときくと、「それはあなたの仕事でしょう。僕の映画なら、もちろんチェックするけれど、あなたの写真なのだから、あなたが最もいいと思う写真を使いなさい」との答えで、かっこいいなあと思った。そこに、プロとしての矜持を感じた。監督の好きな言葉で言えば、「フィロソフィー」を。その矜持の本質をもっと知りたくなり、『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)という本を企画し、私がインタビューをして構成することになった。原稿に大林監督が手を加え、さらに私が手を入れと、何度も原稿のやりとりがあった。組版してからも大変だった。この本を手にしてていただければ分かるが、一行も余白がない。たとえば、校正刷りで、あるページに2行余白が生じると、大林監督は2行足して埋めていく。映画には余白はない。始まったら最後まで1秒も空白がない。その感覚で、作られた本だった。カメラマンが撮った写真はその人の作品だから口出ししないが、本での自分の発言は自分の作品だから、一字一句までこだわる。そのすさまじさ。一緒に映画を作ることはなかったけれど、この本を作ったことで、プロとしての大林宣彦の仕事の流儀、作法に接することができた。生涯の思い出だ。インタビューの後は、いつも成城学園前駅近くで食事をした。ある晩、店から出てくると、駅周辺にいる人たちが夜空を見上げていた。「なんだろう」と私たちも見上げたが、とくに変わったものは見えない。私はぼんやりと見上げていただけだったが、大林監督は、見上げている人たちのそばへ行き、「何が見えるんですか」ときいた。すごい好奇心だ。「月食です、いま見えなくなったところ」との答えに、「見えないわけだ。見そこなったのは、ツキがなかった」と大笑い。「大林宣彦のダジャレ」のひとつだ。新宿で食事をしたときも、「西武新宿線で帰ります」と言うと、すかさず「ほう、西武線か。セイブ戦線異状なしだといいね」と返された。ダジャレの天才だった。これからも、大林映画は何度でも見ることができるけど、あのダジャレはもうきけない。映画『HOUSE/ハウス』のチラシ中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京生まれ。出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)など、映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)樋口 尚文(映画評論家、映画監督)1977年、東宝のスクリーンに『HOUSE/ハウス』という作品が「乱入」してきた時のインパクトは、当時の若い観客にとってとんでもないものだった。その頃はビデオなどないから、封切りの後は、私のように名画座で何度も観まくる中毒患者が多発した。この作品は言わば邦画らしからぬモダンなタッチで描かれた美少女ホラーだったのだが、中毒まで行った観客はそんな設定やストーリーのうわべに痺れていたのではない。ぼくらを虜にしたのは、特異な画と音で埋め尽くされた映画の行間にたちのぼるフィルムの手ざわり、フィルムの生理のようなものであり、そこに弾けては消える(少女の思春のときの儚さのような)抒情、リリシズムを感じて甘美な疼痛を覚えていた。自然主義的な文学性で語ってきた日本映画の歴史のなかで、フィルムを愛玩しつくした先に降るフィルムそのものの抒情を領分とする作品などあり得なかった。正確に言えば、邦画五社の商業映画でなければ、それは存在した。『HOUSE』のひと昔まえに大林が発表した16mm作品『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を筆頭とする個人映画の諸作である。『いつか見たドラキュラ』は全国の大学祭で上映しないところはないくらいの人気を博したが、それはまさにフィルムの生理で語った画期的な大林調が若者たちを揺さぶった結果であった。『HOUSE』の凄さは、これらの個人映画が発散していた濃厚なフィルムの抒情が、手かげんなく東宝の夏休みアイドル映画に越境していた、ということだ。この「越境」の原点は、それを遡ること二十年前、大林青年が8mmカメラで映画を撮り出した頃にすでに明らかだ。すなわち大林は戦時中の子ども時代から熱狂的な映画ファンであったものの、8mmで作り出したのはフィルムの手ざわり、生理をもって自分ならではの「詩」をうたう習作だった。以来、大林はテレビコマーシャルの売れっ子演出家である時も、16mmのアンダーグラウンド映画の作家である時も、35mmの商業映画の監督をまかせられた時も、全く変わらずに大林の専売特許であるフィルム的抒情をもって作品づくりに傾注した。だから、厳密に言うと『いつか見たドラキュラ』時代の作風が『HOUSE』に越境したというよりも、大林は常に変わらず「私人=詩人」として自分だけのフィルムの「詩」をうたってきた、ということだろう。それは近年のデジタル長篇時代になっても変わらないどころか、より旗幟鮮明に(身体は病み疲れても)情熱的なフィルム語りにのめっていった。そして作家はつねに「私性」に生き、自分だけの「詩」をうたうべし、という大林の実践的な教えは、大林も審査員をつとめていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身者をはじめとする「大林チルドレン」の監督たちに継承されていった。だが、あの『時をかける少女』などをはじめとする口あたりのよいジュブナイルの紙背にひそむ、フィルムそのものの匿名の抒情の戦慄は、なまなかな追随を許さぬ「導師」ならではの境地であろう。畏怖とともに、合掌。新文芸坐で開催された「大林宣彦映画祭2017」のチラシ樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。2017年、新文芸坐での「大林宣彦映画祭」を企画。2019年、大林監督の研究本『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)を責任編集。
2020年04月12日映画監督の大林宣彦さんが4月10日、肺がんのため亡くなった。82歳だった。大林さんにゆかりのある俳優たちからは、追悼の言葉が上がっている。83年の主演作「時をかける少女」で映画デビューを果たした原田知世(52)は《大林宣彦監督 在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします》とTwitterに投稿。また各メディアによると82年の「転校生」で主演の1人を演じた小林聡美(54)は「大林監督は私の根っこであり、お日様でした」「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしたという。16年8月、映画「花筐/HANAGATAMI」の撮影前日に肺がんだと判明した大林さん。ステージ4だと診断され、2日後には余命3カ月と宣告された。しかし、奇跡的に復活を果たした。17年9月、本誌で大林さんは余命宣告に対して「自分でも不思議なほどネガティブな気持ちはいっさいなかった」と告白。そして「それはやはり、伝えなければいけないメッセージがあるから。命懸けで撮らなければならない映画があるからなんです」と語っていた。身を賭して撮り続けたのは、同作で戦争を描いたためだ。映画を通して、反戦を伝えてきた大林さん。そこには黒澤明さん(享年88)に託された願いがあったという。黒沢さんはある日、こう話した。「大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ」「きみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ」大林さんは「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです」と語っていた。そんな大林さんが亡くなった4月10日は、新型コロナウイルスの影響がなければ新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱-」が公開される日だった。同作も戦争をモチーフにした映画だ。18年12月、再び本誌の取材に応じた大林さんは闘病生活について「がんとは共存共生」と表現。そして「地球からしたら、戦争をやめられない人間こそが、がんだっていうことですよ」「勝つためだけに国に殺され、たくさんの人々が不幸になる」として、同作についてこう語っていた。「現代の若者たちが幕末日本や第二次世界大戦中の中国戦線、原爆投下直前の広島にタイムスリップします。現象だけを見ると、戦意高揚の映画に思われるかもしれない。勝って喜んでいるシーンもある。自分でも笑えない幕間喜劇という難しい作品に手を出したな、と思っています」さらに「僕は、“あと30本映画を撮る”と言っているんです。未来のことはわからないけど、そのつもりでいないと生きていることにならないと思っているんです」と、これからについても意気込んでいた。最期まで映画に人生を捧げてきた大林さん。黒沢さんの願いを自身が引き継いだように、次は大林さんの思いを別の誰かが繋いでいくだろう。
2020年04月11日タレントの早見優が11日、オフィシャルブログを更新し、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。早見は、「私が初めてミュージカルに出演したのは、アメリカで大ヒットした映画『グリース』の舞台版でした。1988年。大学を卒業し、アイドル活動も少し落ち着いてきた頃でした」と大林さんとの思い出を回顧。「事務所からはもうレコードも売れる年齢ではないので、もう少し幅広くお芝居などに挑戦するようにと、話がありました。大好きな歌が歌えないのか、、、と落ち込んでいた時に、ミュージカルのお話をいただいたのです。それが『グリース』でした。演出は大林宣彦監督」そして、「舞台が初めての私には、セリフ、踊り、歌を全部こなすのにとても大変な思いをした事を覚えています」と懐かしむ早見。大林さんはそんな早見に対して、どんな時も優しい笑顔で「大丈夫だよ。絶対できるから」と励ましてくれたそうで、「サンデイのソロ曲の、“Hopelessly Devoted to you”を、一度英語で歌ってみなさい、と指示があり、英語で歌ってみたら、サンデイの気持ちがとても分かりやすくて、その気持ちで日本語で歌ってみて、と演出してくださった事があります」と振り返った。「昨年30年ぶりにグリースの出演者のみんなと集まりました。その時に監督に会いたいね、とみんなで話していました」と感慨深げな早見。「優しい笑顔の大林監督」と思い浮かべ、「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼している。
2020年04月11日『カメラを止めるな!』(17)などで知られる上田慎一郎監督が11日、ツイッターを通じ、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。上田監督は、「『ハウス』を観て映画ってこんなに自由なのかと衝撃を受けた」と大林監督が手掛けた同作に触れ、「カメ止めを観て頂いた時はぎっしり手書きの感想を書いて送って下さった」と感謝。「初めてお会いした時は『いいパジャマを着なさい。妻にだけ見せるお洒落だからね』という言葉をもらった」と金言を振り返り、「大林宣彦監督。唯一無二の方でした。ご冥福をお祈りします」と追悼した。また、「コロナでの延期がなければ今日4月10日は大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開初日だった。今日の夕方、『長岡花火大会が中止になった』というニュースを見て、嗚呼、と大林監督の顔がよぎっていた」と感慨深げな上田監督。「なんだろう。色々と考えてしまう」と心境をつづっている。
2020年04月11日原田知世主演『時をかける少女』などの“尾道三部作”をはじめ、数々の名作を世に贈りだしてきた映画作家・大林宣彦監督が、肺がんのため4月10日(金)に82歳で死去。この日は、最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。1938年、広島県尾道市生まれ。3歳のときに自宅の納戸で見つけた“活動写真機”と戯れるうちに映画をつくり始めたという。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用したCMを製作、その作品数は3,000 本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(’82)、『時をかけ る少女』(’83)、『さびしんぼう』(’85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、現在も新世代のクリエイターへ大きな影響を与えつづけている。近年には“大林的戦争三部作”と呼ばれる『この空の花-長岡花火物語』(’11)、『野のなななのか』(’14)、『花筐/HANAGATAMI』(’17)を発表。特に『花筐/HANAGATAMI』は第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。また、2004年春の紫綬褒章受章、 2009年秋の旭日小綬章受章。2019年には令和初の文化功労者にも選ばれていた。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林監督渾身の最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。その公開予定日だった4月10日(金)19時23分、東京都世田谷区の自宅にて息を引き取った大林監督。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定。喪主は、妻で映画プロデューサーの、大林恭子氏が務める。『時をかける少女』でデビューした原田さんは「在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」とTwitterに思いを綴り、また、『青春デンデケデケデケ』に出演した浅野忠信も「ありがとうございました一緒に映画を撮った日々を忘れません」とTwitterを更新。岩井俊二監督は「ちょっとすぐには受け止められない。 エネルギッシュな新作にコメントを書かせて頂いたばかりでした」とまだ信じられないといった様子で、「訃報を聞いて呆然としている」と綴った行定勲監督は「恩師を失ってしまったような気持ちだ。この時、拙作『遠くの空に消えた』を『僕が撮ったらあんな爽やな風のような映画にならない』と気に入ってくださった」と2ショット写真をアップするなど、出演者や映画関係者、映画ファンから悲しみの声が相次いでいる。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は近日公開。(text:cinemacafe.net)
2020年04月11日昨年11月に文化功労者に選ばれた映画作家・大林宣彦さんが4月10日19時23分、肺がんのため東京都世田谷区の自宅で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。なお喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子氏が務める。1938年広島県尾道市生まれの大林宣彦監督は、3歳の時に自宅の納戸で見付けた活動写真機と戯れるうちに映画をつくり始めた。テレビCM 草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、CM作品数は3000本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(82)、『時をかける少女』(83)、『さびしんぼう』(85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、今も新世代のクリエイターへ大きな影響を与え続けている。近年には“大林的戦争三部作”となる『この空の花-長岡花火物語』(11)、『野のなななのか』(14)、『花筐/HANAGATAMI』(17)を発表。『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。大林宣彦監督個人では、2004年春の紫綬褒章受章、2009年秋の旭日小綬章受章。2019年、令和初の文化功労者に選ばれている。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林宣彦監督の最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は、4月10日に公開を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。近日公開を予定している。(C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC
2020年04月11日大林宣彦監督が、20年振りに尾道を舞台に贈る映画『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』が4月10日(金)に公開。大林監督の集大成となる本作から、稲垣吾郎が“大久保利通”、武田鉄矢が“坂本龍馬”、村田雄浩が“西郷隆盛”を演じる“薩長連合”集結カットがお披露目された。大林宣彦監督の44作目、20年ぶりの尾道最新作となる本作から到着したのは、幕末維新に倒幕に奮闘した大久保利通(稲垣吾郎)、坂本龍馬(武田鉄矢)、西郷隆盛(村田雄浩)が一堂に会し、日本の行く末について談笑する薩長連合の志士たちの場面カット。稲垣さんは、MCを務めていた「ゴロウ・デラックス」に大林監督が出演した際、監督から「次の僕の映画にでてよ」と請われたことから、本作の出演へとつながったそう。「時空を超え、思想を超え、宇宙をも一気にとび超えていく世界観。大林監督でなければ1本の作品に納めることは不可能だったと思います。みずみずしく自由に広がる想像力には驚かされるばかりです。大切なメッセージを届けてくださり、ありがとうございます」と、大林作品出演に感慨深げ。なお、これまで坂本龍馬を幾度も演じてきた武田さんは、本作で「人生最後の『龍馬』です」役と断言!監督の前作『花筐/HANAGATAMI』に続く出演で、エノケンこと榎本健一&三木鶏郎による楽曲「武器ウギ〈無茶房弁慶〉」をカバー、本作のためにレコーディングしてエンディング曲として披露。「この作品、映画に対する監督のラブレターのような作品ですよ」とコメント。2004年『理由』以降、全作品に出演し、大林組常連ともいえる村田さんは、「大林組に参加する時は覚悟がいります」と語り、「撮影がはじまっても、現場に行くまで何が起きるか見当もつかない。出来上がった作品を観ても、強烈なメッセージをぶつけられ 細かい所まで覚えていない…だからもう一度見ると、また違うメッセージに引っ張られて…興味が広がって収拾がつかなくなってます。…正直言って…私はいまだに監督の真意に辿り着いていません…」と、圧倒されたかのようにコメントを寄せている。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』4月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2020年03月28日大林宣彦監督が20年振りに故郷・尾道で撮影した最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の公開日が、4月10日(金)に決定。この度、本作の予告編が公開された。尾道の海辺にある唯一の映画館・瀬戸内キネマが閉館を迎え、日本の戦争映画特集を観ていた若者3人が、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれる。彼らはスクリーンの世界にタイムリープするのだった。戊辰戦争、日中戦争、沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島へ……。そこで出会ったのは移動劇団・桜隊。歴史上では原爆の犠牲になった桜隊の未来を変えるため、戦争を知らない3人の若者は、歴史を変えようと奔走する。戦争の歴史を辿りながら、無声映画、トーキー、アクション、ミュージカルと、様々な映画表現で、大林宣彦監督の映画への情熱、平和への想いが凝縮された、大林版『ニュー・シネマ・パラダイス』ともいえる作品で、“大林的戦争三部作”『この空の花-長岡花火物語』、『野のなななのか』、『花筐/HANAGATAMI』を経た大林宣彦監督の集大成となるものとなっているという。主要キャストには、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲(新人)、成海璃子、山崎紘菜、常盤貴子が名を連ねた。この度公開された予告編は、武田鉄矢がエノケンの名曲をカバーした主題歌『武器ウギ<無茶坊弁慶>』をバックに、様々な本編シーンが切り取られたものとなっている。”平和への思い”に賛同して集結した、小林稔侍、高橋幸宏、尾美としのり、武田鉄矢、南原清隆、片岡鶴太郎、柄本時生、稲垣吾郎、蛭子能収、浅野忠信、伊藤歩、中江有里、笹野高史、満島真之介、渡辺えり、窪塚俊介、長塚圭史らキャスト陣が登場する。予告編のラストは、山田洋次監督からのコメントも。「とにかくおもしろい。大林監督と病気を闘いながら、前作『花筐/HANAGATAMI』を上まわる作品を作られたことに、とても勇気づけられました」という、あたたかいメッセージで締めくくられている。『海辺の映画館-キネマの玉手箱』4月10日(金)公開
2020年02月13日「~少女コミック50周年企画~ 篠原千絵原画展 FINAL」が、そごう横浜店にて開催される。期間は2019年12月17日(火)から12月23日(月)まで。篠原千絵は、『闇のパープル・アイ』や『天は赤い河のほとり』などを代表作に持つ少女漫画家。1981年、少女コミック増刊「コロネット」からデビューして以来、さまざまな名作を世に送り出し、電子版含む累計発行部数は6000万部を突破。ミステリー、歴史ロマンを中心に幅広いジャンルと美しい筆致で多くのファンを魅了している。「~少女コミック50周年企画~ 篠原千絵原画展」は、2018年11月に東京・池袋でスタートした著者初の大規模原画展。そごう横浜店にて、いよいよラストを迎える。会場では、代表作『闇のパープル・アイ』から連載中の『夢の雫、黄金の鳥籠』まで、貴重な原画を展示。カラーイラスト、コミックス生原稿含む200点以上を並べる。イラストだけでなく、原画展メインビジュアルの制作風景や、過去の貴重なグッズも紹介。図録やトートバッグ、マスキングテープが手に入るオリジナルグッズコーナーや、キャラクターと一緒に写真撮影が可能なフォトスポットも設置する。【詳細】そごう横浜店 ~少女コミック50周年企画~ 篠原千絵原画展 FINAL会期:2019年12月17日(火)~12月23日(月)会場:そごう横浜店8階=催会場(神奈川県横浜市西区高島2丁目18-1)時間:10:00~20:00、最終日は17:00閉場 ※入場は各日閉場の30分前まで。入場料:一般800円、大学生・高校生600円、中学生300円※小学生以下無料、ミレニアム・クラブオン会員は本人に限り200円引グッズ例:・香袋 2種 各4,620円(税込)・トートバッグ 1種 2,750円(税込)・マスキングテープ 2種 各880円(税込)■来場特典各日先着100名に原画展オリジナルポスターカレンダー(非売品・A3サイズ)プレゼント。※1人1日1点限り。なくなり次第終了。■グッズ購入特典原画展会場内の物販コーナーにて1回の会計につき税込3,000円以上購入者に、原画展オリジナルポストカードをプレゼント。※品切れの場合もある。【問い合わせ先】そごう横浜店TEL:045-465-2111(大代表)
2019年12月19日女優の山崎紘菜が1日、開催中の「第32回東京国際映画祭」で行われた大林宣彦監督最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020年4月公開)の舞台挨拶に、大林監督、常盤貴子、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲とともに登壇。「この映画で、私の夢を全部叶えてくださった」と大林監督への感謝の思いを語った。2016年にステージ4の肺がんで余命3カ月と宣告を受け、それからも映画を撮り続けている大林監督の最新作は、今夜限りで閉館する最終オールナイト上映で3人の若者たちが映画の世界にタイムリープするファンタジー。20年振りに古里「尾道」で撮影を敢行した。『花筐/HANAGATAMI』など、これまでも大林監督作品に出演してきた山崎。本作では「4つの役という大きな課題をいただいた」と明かし、「最初は自分にできるのかなと不安でいっぱいだったんですけど、とても楽しく演じさせていただきました」と撮影を振り返った。そして、「実は私、密かに『ミュージカルをやりたい』、『アクション映画に出たい』、『方言を使う役柄を演じてみたい』と思っていたんです。そうしたら監督がこの映画で、私の夢を全部叶えてくださって、本当にありがたいなと思いました。夢を叶えてくださってありがとうございました」と監督に感謝。山崎の話を聞いていた監督は、「琉球の言葉を語ってくれています。とても素晴らしいですよ」と本作での演技を称えた。
2019年11月01日「第32回東京国際映画祭」特別功労賞に輝いた大林宣彦監督が1日、東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで行われた贈賞式に出席。「これから3000年は生きたい」「あと2000年、3000年は(映画を)作り続けていきたい」と映画作りへの意欲を語った。国内外を含めた映画界への貢献が目覚ましい人に贈られる “特別功労賞”。2016年にステージ4の肺がんで余命3カ月と宣告を受け、それからも映画を撮り続けている大林監督は、「自主映画、CM、長編映画と長年に亘り、多彩で膨大な数の映画・映像作品を世に送り出し、今なお新たな試みにチャレンジするその存在は正に圧倒的である」として受賞した。贈賞式で監督は「ありがたいですね」と喜び、トロフィーを受け取ると「文化に関する貴重な功労賞というのものをきちんといただきました。すごいね! 重いですよ」と笑顔。大林監督作品に多く出演している常盤貴子も駆けつけ、花束を贈った。大林監督は「今まで人間がやったことより、やらないことのほうがいっぱいある。やらないことをやれば、星の数ほど、それ以上面白いことができる」と言い、「まだこれから3000年は生きてやらなきゃなと、文化功労賞を受賞しまして、しみじみと思いを新たにしています」とさらに制作意欲が増したよう。観客から「可能な限りずっと映画を作り続けますか?」と聞かれると、「未来のことは誰にもわかりませんが、あと2000年、3000年は作り続けていきたい。あの戦争を知っている私が、知らない若い人たちのために映画の学校でハラハラドキドキ、ワクワク、感動的な物語を作り出してお見せしたい」と熱い思いを語った。贈賞式は、大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の舞台挨拶とあわせて行われ、大林監督と常盤のほか、厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲、山崎紘菜も登壇した。
2019年11月01日ICD“TREND blast「URABAN ZEN」”ASCH檀渓通店大林敬幸がグランプリを受賞しました!!2019年6月2日にパリで開催された「髪のパリコレ」とも言われるICDの世界大会におきまして、弊社の大林敬幸(檀渓通店勤務)がグランプリを受賞!2,000を超える加盟サロンの美容師の中から予選、パリで開催されたファイナルステージを見事に勝ち抜き、22歳にして世界一の称号を手にすることができました!ICDとは?ICDとは設立90年を迎える美容家の国際機構「INTERNATIONAL DES COIFFEURS DE DREAMS(インターコワフュール)」の名称です。世界のヘアファッションネットワークを構築し、年に一度フランス・パリでイベントを開催しています。インターコワフュールに加盟し、それぞれの国でヘアファッションをリードするサロンの数は2,000を超えています。その中から予選を勝ち抜き、日本代表として出場した大林敬幸が見事グランプリに輝きました!大林敬幸経歴(愛知県名古屋市出身)2014年◇入社2017年◇NHDKウィッグカットコンテスト3位、フォトコンテスト入賞2018年◇NHDKコンテスターセミナーNHDKウィッグカットコンテスト入賞アジアビューティーエキスポ出演ヘアショーエラノーム出演2019年◇ギョウムファンデーションアジアリージョンヘアショー日本チーム参加ICD TREND blast「URABAN ZEN」優勝日本・世界の美容業界から注目されているトータルビューティーサロンASCH(アッシュ)ASCHではヘアのみに限らず、ヘッドスパ・エステ・ネイルなどの各分野のスペシャリストが揃っています。名古屋市内に4店舗展開しているので(檀渓通店、名駅店、八事店、滝の水店)、お近くの店舗に是非一度足をお運びください☆◆店舗情報・ASCH檀渓通店名古屋市昭和区檀渓通3-7予約専用TEL: 050-3759-2854(ご予約以外のお客様はこちら:052-842-1172)駐車場:39台有・ASCH名駅店名古屋市中村区名駅2-45-19 桑山ビル1F予約専用TEL: 050-3759-2850(ご予約以外のお客様はこちら:052-561-6226)駐車場:無し、近くにコインパーキングがございます・ASCH八事店名古屋市瑞穂区弥富町清水ケ岡41予約専用TEL: 050-3759-2873(ご予約以外のお客様はこちら:052-861-7017)駐車場:15台有・ASCH滝の水店名古屋市緑区上旭2-105予約専用TEL: 050-3759-2857(ご予約以外のお客様はこちら:052-892-6100)駐車場:30台有、第2第3駐車場有・営業時間火~土9:00~21:00日のみ 9:00~19:00祝日の月曜日(9:00~19:00)・定休日毎週月曜日※祝日の月曜日は営業します
2019年07月18日東京・六本木で開催中の第30回東京国際映画祭で28日、映画『花筐』(12月16日公開)の舞台挨拶が行われ、肺がん闘病中の大林宣彦監督が本作に込めた思いを語った。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』(77)より以前に書き上げていた幻の脚本を40年の時を経て映画化した『花筐』。檀一雄の純文学『花筐』を原作に、戦争の足音が迫る時代を懸命に生きる若者たちの友情や恋を赤裸々に描き出す。大林監督は自身を「敗戦孤児の世代」といい、「私たちが日本の平和を作らなきゃいけないということで、みんなわけもわからず今までだれもやらなかったことをやりながら生きてきた」と説明。「映画でもプロにはならないで、私は一生アマチュアとして、弱者の立場から自分の個人史、日記みたいな映画を作ってきた」と続け、自身の肩書きが"映画監督"ではなく"映画作家"である理由もそこにあると話した。舞台挨拶には、主演の窪塚俊介をはじめ、長塚圭史、矢作穂香、山崎紘菜、常盤貴子、村田雄浩、岡本太陽も出席。常盤は「なんてやんちゃな監督。こんなに自由に広げてくる監督って世界に今までいたのかなと思うくらい。映画の可能性を広げていただいた」と監督に感銘を受けたいう。窪塚も「(演じた)俊彦は16歳。僕35歳ですからね。キャスティングに関しても自由度がこんなに」と驚いたそうで、同級生役を演じた長塚も「40過ぎてあんな役をやれると思いませんでした」と笑った。キャスト陣から自由さを明かされた大林監督は、遊びが制限されていた戦時中に感じた不自由さを打ち明け、「自由に遊べることが子供であることの一番の証。戦争が終わったあとは、せめて自分が平和に役立つとするならば、自分が信じる映画くらいは自由に作らせてほしいということで、本当に自由に映画を作らせていただきました」と自由に対する強い思いを語る。そして、「ブレないで、そういう敗戦少年の思い出をずっと描いてきましたが、どうもそういう映画がまた作れなくなるんじゃないかと怯えております」と将来的な抑圧を危惧。「3年後にこの映画を作ることが許されるだろうか。今こそ自由の尊さを表現したいということでこしらえたのがこの映画です」と語った。
2017年10月29日女優の常盤貴子が28日、東京・六本木で開催中の第30回東京国際映画祭で行われた映画『花筐』(12月16日公開)の舞台挨拶に、大林宣彦監督、主演の窪塚俊介らと出席した。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』(77)より以前に書き上げていた幻の脚本を40年の時を経て映画化した『花筐』。檀一雄の純文学『花筐』を原作に、戦争の足音が迫る時代を懸命に生きる若者たちの友情や恋を赤裸々に描き出す。窪塚演じる主人公・榊山俊彦の叔母役を演じる常盤は、「大林宣彦監督の脳内のフィルターを通ると純文学ってここまで行間が広がるんだ、純文学って幅広いなと思った」と、原作と撮影台本を読んだときの驚きを告白。「さらに完成した映画を見たときに、なんてやんちゃな監督なんだと。こんなに自由に広げてくる監督って世界に今までいたのかなと思うくらい」と続け、「映画を知り尽くしているからだと思うんですけど、それにしてもまあ、自由にやんちゃに好き放題。すごく感激しました。映画の可能性を広げていただけた気がする」と感動したという。また、自身が出演した大林監督作品『野のなななのか』(2014年)を最近見た際に、「当時は何も考えなかった部分が、時間がたって今、すごく涙が出たシーンがあった」と言い、「この映画もきっと、来年、5年後10年後とどんどん変わってくると思うので、その都度その都度、みなさんの人生の中で見ていただけたらと思います」と観客に呼びかけた。舞台挨拶には、常盤、大林監督、窪塚のほか、長塚圭史、矢作穂香、山崎紘菜、村田雄浩、岡本太陽が出席した。
2017年10月28日バレーボール選手時代から変わらないスリムなスタイルと、いつも爽やかな笑顔が印象的な、大林素子さん。現在は女優としても活躍中です。笑顔の秘密とライフスタイルをのぞいてみたくて、ご出演中の舞台『MOTHER〜特攻の母鳥濱トメ物語〜』の稽古場へお邪魔。それも、本番を控えた舞台の上でインタビュー!LIMIA読者だけに、特別にプライベートのことまで教えていただきました。9年続けている舞台はもはやライフワーク大林素子さんは、言わずと知れた、元全日本女子バレーの選手。取材では現役アスリート時代の話も聞いてみたいと思っていましたが、目の前に登場した大林さんは、物腰こそやわらかいけれど、空気感は舞台女優そのもの。一気に、過去ではなく“いまここにいる大林さんの世界”に惹きこまれ、深く知りたいと思いました。――いよいよ舞台『MOTHER』も9回目となるんですね。「はい。今年で9回目ですが、毎年出演者が変わるので、その年ごとの『MOTHER』があるんです。物語は、戦時中の特攻隊の青年たちが通う食堂で、母のように慕われた女性・鳥濱トメさんを中心にしたお話なんですね。始めたころの私はまだトメさんよりも年下で、近い世代が多くいましたが、今はもう、私はトメさんの年齢を追い越しましたし、青年役の役者たちともほぼ親子に近い感じ。そういう点でも、回を重ねるごとに自分自身が成長していけたらなと思っています」――出演する役者さんたちは50人以上いらっしゃるそうですね。そのなかで主役を張る毎日は、ストレスが溜まらないわけがないと思うのですが、どうやってストレス発散していらっしゃいますか?「自分のことを考えるのは二の次で(笑)まずは、スタッフ、キャストさんが良い状況、環境になることが第一なので良いストレス、有り難いストレスと思っています。ちなみに肩から足まで凝り固まってますよ〜(笑)。でも、本当に幸せな板の上に立たせて頂いていることに感謝の日々です」――舞台が終わるまでは一時も気を抜かないストイックな精神力は、日本を代表するアスリート経験をお持ちだからこそ、より強くていらっしゃるのかもしれません。セルフケアは特別なことだと思わず、必要なことにしてしまう――ズバリ、ずっと変わらないスリムなプロポーションの秘訣はなんでしょうか。「よく、女優さんやモデルさんが、特別なことは何もしてないって言うでしょ?そんなことはなくて、みなさん、ちゃんとやってますよ」――やっぱり!?「でも、人様の前に出る職業の身としては、本当に特別なことじゃないんです。例えば今の私なら、睡眠時間をなるべく工夫して取ったり、体に合うサプリメントを摂ったり、マッサージに行ったりしてるんですね。でもそれは特別なことではなく私にとって必要なことで、毎日当たり前に、バレーボールの現役時代からルーティンとしてやっているんです。自分がベストでいることは当たり前で、女優さんやモデルさんにとっての美容も、同じなんだと思いますよ」――女優さんやモデルさんにとって、いつも美しくいることもお仕事のうち。言われてみると、セルフケアも特別ではなく必要なことですね。1日1食がベスト。温かいきのこがあればいい――スポーツキャスター・女優業を始められてから、新たに取り入れたセルフケアはありますか?「喉のケア、ですね。アスリートのころは大丈夫だったのですが、スポーツキャスターや女優をやるようになってからは、どちらも1日中声を使うので、毎日のうがいや喉の保湿、外出時のマスクは欠かせなくなりました。あと、この舞台中はずっと裸足に草履なので、足が冷えるんです。なので寝る時は、足を温めるアイテムを使います」――確かに少し赤くなっていて、寒そうに見えます。体を温めるために、食事にも気を遣っていらっしゃいますか?「野菜をはじめ、基本的に温かいものを食べるようにしています。とくにきのこが大好きで、すっごくよく食べます!炊飯器に入れて炊き込みご飯にしたり、エリンギや舞茸、えのきなどとあわせてレンチンして、ポン酢と一味をかけて食べたりしています。タンパク質が欲しいときは、卵や納豆とご飯、それだけで十分です」――1日3食とも、そのような食生活ですか?「食事は朝と夜の2食か、もしくは夜1食だけのことが多いです。シャンパンや日本酒が大好きなので、それを夜の楽しみにして、朝に野菜とジュースなどでと昼は食べませんね。ちなみに劇中で食事のシーンが私は3回、2公演で6回も物を食べているのでお腹すかないのです!!」――え?朝も昼も食べて、夜はお酒でもいいのでは?(取材陣一同うなずく)「人それぞれに合うやり方があるとは思うんですが、私の場合、お腹をいっぱいにしちゃうと動きが重たくなっちゃうんです」――自分には「食べ過ぎると動きが鈍くなる=食べない」という選択肢がまったくないことに気づきました(笑)。とにかくピンクLOVE!お部屋は大好きなピンクで統一――ご自宅のインテリアにも大林さん流のこだわりがありますか?「まず、お部屋にはそこまでいろいろ置かない派ですね。でも、ピンクが大好きなので、部屋じゅうピンクだらけ。もう、ピンク一色です」――もっともお気に入りのピンクの家具は?「ピンクのソファ!〔大塚家具〕で買いました。ちょっと奮発しましたけど、とっても気持ちいいですよ」「ピンクが好き」とおっしゃったときの、2倍になった大林さんの笑顔がとても印象的でした。声のトーンも上がって、本当にお好きなんだな、ということが伝わってきました。インテリアもセルフケアも、特別じゃなくて自分に必要なもの、自分に心地よいものを取り入れる。それが充実した毎日と笑顔をつくる基本だと、大林さんに教えていただきました。【大林素子(おおばやしもとこ)】1967年6月15日生まれ。東京都出身。八王子実践高等学校を卒業後、バレーボール全日本女子選手として活躍する。現役を引退した後は、モデル、スポーツキャスター、女優として活動。ミュージカルを中心に、積極的に舞台をこなす。●聞き手力武亜矢●カメラ柏木鈴代MOTHER 〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜
2017年10月18日東映は、10月10日に公開される3DCGアニメ映画「GAMBA ガンバと仲間たち」の本編エンドールの企画・演出を担当するアートディレクター・森本千絵氏が、エンドロールのために描き下ろしたガンバとマンプクの1カットを映像に先駆けて公開した。森本氏は、同作のコミュニケーション・ディレクターとして、本編エンドロールの企画・演出のほかにも、宣伝ビジュアルのディレクションなど宣伝に関わる全体的なコンセプトを担当する。今回の企画は、同作の製作総指揮を務める白組・島村達雄社長からの「ただのエンドロールではなく、もうひとつ別の作品を作るくらいの気概で臨んでほしい」というオファーに、森本氏が応える形で実現したという。このたび、現在制作中のエンドロールの映像に先駆け、森本氏が描き下ろしたガンバとマンプクの1カットが公開された。エンドロールでは本編の3DCGとは異なり、手づくり感のあるガンバとマンプクが劇場のスクリーンを飛び出して街を旅する様子が描かれ、本編終了後もガンバとマンプクの新しい物語が楽しめるようになっている。森本氏は、「エンディングの映像はもうひとつの映画をみるかのようにと壮大な依頼をうけ、わたしなりの、ガンバを切り絵でつくり、細かく重ねて白組さんと総力をあげました。映画を見終った方みなさんを劇場から地球の裏側まで旅にいざないます。楽しんでください。」とコメントしている。なお、森本千絵氏は"出逢いを発明する。夢をカタチにし、人をつなげていく。"ための集団「goen°(ゴエン)」を主宰するコミュニケーションディレクター・アートディレクター。1976年青森県三沢市生まれ。武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科客員教授。1999年武蔵野美術大学卒業後、博報堂入社。オンワード樫山、Canonなどの企業広告をはじめ、NHK連続テレビ小説「てっぱん」のオープンニングタイトルや、松任谷由実、Mr.Children、miwa、などのミュージシャンのアートワーク、是枝裕和監督「空気人形」「海街diary」など映画の宣伝や、本の装丁、動物園や保育園の空間ディレクションを手がけるなど活動は多岐に渡る。さらに、独自の色を重ね合わせたコラージュやドローイング等の技法を使い絵本や作品等まで創り出している。伊丹十三賞、日本建築学会賞、日経ウーマンオブザイヤー2012など多数受賞。著書に「アイデアが生まれる、一歩手前のだいじな話(サンマーク出版)」、「うたう作品集(誠文堂新光社)」、「おはなしの は(講談社)」などがある。
2015年07月31日ニューバランス(new balance)が7月、コミュニケーションディレクターでアートディレクターの森本千絵とのコラボレーションシューズ「CW620」(1万2,000円)を発売する。同コラボシューズのコンセプトは“MOTION EMOTION”。森本千絵がニューバランスに対して持つ「変わり続ける感情をもったもの。歩く、跳ねる、踏みつける、佇む、笑う、怒る、寄り添う……そんな揺れる感情と行動が密接する様子。音色や物語が生まれる瞬間をニューバランスに定着させたい、手と手をつなぐと相手の気持ちがわかるように」という思いが込められている。80年代にライトウエイトシューズとして人気を博したスリムシェイプのレトロランニングシューズ「620」をキャンバスに、森本千絵がライブペインティングの手法を用いてデザインしている。シューズはブラックとホワイトの2色のベースカラーで展開。アッパーからインソールまで施された躍動感あるグラフィックが、足元から個性的なスタイリングを完成させる。サイズは22.0cmから25.0cmでウィメンズとしての展開。コラボレーションを記念して7月17日から26日まで、ユナイテッドアローズ原宿本店ウィメンズ館で同シューズの販売会が開催される。
2015年06月17日