元プロレスラーの武藤敬司(61)が15日、自身のX(旧ツイッター)を更新。娘でシンガー・ソングライターの霧愛(むあ)が24歳を迎えたことを伝え、誕生日パーティーでの仲良し“親子2ショット”を紹介した。武藤は「パパ、毎年祝ってくれてありがとう」と親子ショットを添えた娘の投稿をリポストし、「時が経つのは早いなぁ」としみじみ。霧愛は直前の投稿で「家族が少し遅めの誕生日パーティーをしてくれました」と明かしており、アップした動画では仲むつまじい家族のやり取りも披露している。これらの投稿に、ファンからは「そっくりな二人ですね」「素敵な2ショット」「親子で仲良し」「いい親子関係だねー羨ましい」「パパの顔になってるのが微笑ましい」など、祝福を中心にさまざまな反応が寄せられた。
2024年04月17日2024年4月11日に逝去が明かされた、元横綱の曙太郎(あけぼの・たろう)さん。元横綱の曙太郎さんが心不全により逝去突然の訃報に「本当に残念」「一時代を築いた名力士でした」アメリカ合衆国ハワイ州出身の曙太郎さんは、迫力のある相撲で大相撲のブームの立役者となり、1993年に第64代横綱に輝いています。相撲を引退後は、プロレスラーや総合格闘家、タレントとして活躍していました。武藤敬司、「プロレスLOVEを感じた人」曙太郎さんのプロレスの師匠である、元プロレスラーの武藤敬司さん。弟子である曙太郎さんの逝去が明かされた同日、自身のX(Twitter)アカウントで追悼のコメントを寄せています。長い闘病生活の末に、曙選手がお亡くなりになりました。大相撲からプロレス界へ、真摯に向き合う姿勢にプロレスLOVEを感じた人でした。俺の引退前に今一度闘いたかった思いもありましたが叶いませんでした。横綱、ゆっくりと休んでください。心よりご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/6V8ZFS4EJp — 武藤 敬司 (@muto_keiji) April 11, 2024 曙太郎さんは、かつて武藤さんが代表を務めていた、日本のプロレス団体『WRESTLE-1』のリングで日本デビューを果たしました。その後は、武藤さんのもとへ弟子入りし、師弟コンビで『プロレス大賞』の『最優秀賞タッグ』を受賞しています。武藤さんの「引退前に今一度闘いたかった」という言葉からは、二人三脚で苦楽をともにした、2人の絆が伝わってきますね。武藤さんの想いが伝わってくるメッセージは、多くの人の胸を打ちました。・武藤さんたちとプロレスをしている、曙太郎さんの姿はとても楽しそうだった。・弟子に先立たれた武藤さんもつらいだろうな。・曙太郎さんと武藤さんは、本当にすごいコンビだった。天国にいる曙太郎さんも、きっと武藤さんやファンの気持ちをしっかりと受け取っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年04月12日元プロレスラーの武藤敬司(61)が11日、自身のXを更新。元横綱の曙太郎さんの訃報を受け、追悼コメントを発表した。武藤は冒頭で「長い闘病生活の末に、曙選手がお亡くなりになりました」と伝えた。続けて「大相撲からプロレス界へ、真摯に向き合う姿勢にプロレスLOVEを感じた人でした。俺の引退前に今一度闘いたかった思いもありましたが叶いませんでした」と思いをつづった。最後は「横綱、ゆっくりと休んでください。心よりご冥福をお祈り致します。」と結んでいる。曙さんは、1969年5月8日生まれ、米・ハワイ州出身。元大相撲力士。93年横綱に昇進、93年と00年と2回年間最多優勝を獲得。96年には日本に帰化し、日本国籍を取得した。01年の引退後は、K-1デビューやプロレスラーに転向するなど、格闘家としても活躍した。
2024年04月11日東映の大森敬仁プロデューサーが3月31日、自身のX(旧ツイッター)を更新。東映を退社したことを発表した。大森プロデューサーは、『獣電戦隊キョウリュウジャー』(2013)、『仮面ライダードライブ』(2014)、『仮面ライダーエグゼイド』(2016)、『仮面ライダービルド』(2017)、『仮面ライダーゼロワン』(2019年)、『王様戦隊キングオージャー』(2023)といった人気作をチーフプロデューサーとして担当。直近の『キングオージャー』では、さまざまな仕掛けをして大きな話題を集めるなど名物プロデューサーだった。Xで大森プロデューサーは「本日、21年間勤めた会社を退社いたしました」と伝えると「王様たちの最終3話の上映も含め今後考え得る全作品について種を蒔いてきたつもりです」と明かすと「芽吹き、咲きますように…」と願った。後もプロデュース業は継続するそうで「またどこかで、作品を通し再会できることを祈っていますありがとうございましたまた、いつか」と結んでいた。昨年『キョウリュウジャー』が10周年を迎え、『キングオージャー』にオリジナルキャストが出演したことも話題に。今年は『仮面ライダードライブ』が10周年を迎えるが、2021年に行われた『第34回東京国際映画祭』内の上映イベントで「剛はチェイスの復活を望んでいる。これだけ伏線を張っていると、いつかはやらないといけないと思っている」と大森プロデューサーは発言しており、ファンは労いのメッセージを送ると共に注目は、そちらにも集まっている。
2024年03月31日GAORA SPORTSで初の麻雀番組『闘牌一閃!麻雀エキサイトスタジアム』がスタートした。今回の対局では、元アスリートの川合俊一・武藤敬司・亀田大毅・池谷直樹らが、女流雀士の梶梨沙子・都美・相川まりえ・三浦ももこに、番組特別ルールで挑む。2組に分かれた予選卓の1着が決勝に即進出、2着・3着は準決勝に進み、4着は予選敗退。目まぐるしく変化する局面で、一瞬のひらめきをもとにしのぎを削りあう。栄えある初代チャンピオンに輝き、特製チャンピオンベルトを巻くのは…。■『闘牌一閃!麻雀エキサイトスタジアム』#1予選A卓3月20日(水)午後11時30~#2予選B卓3月21日(木)午後11時30分~#3準決勝3月22日(金)午後11時30分~#4決勝3月23日(土)午後11時30分~
2024年03月21日高校野球を通して様々な愛を描く、鈴木亮平主演で贈るドリームヒューマンエンターテインメント「下剋上球児」。この度、元プロ野球選手・鳥谷敬と、声優・伊達さゆりが出演することが分かった。鈴木さん演じる主人公・南雲脩司が顧問を務めることになる、弱小野球部の球児キャストは約半年間のオーディションを経て決定したことが先日発表され、多彩な若き俳優陣も注目を集めている本作。黒木華、井川遥、生瀬勝久、松平健、小泉孝太郎、小日向文世ら錚々たるキャストとの共演にも期待が高まる。このたび、そんな本作に新たに、鳥谷さん、伊達さんの出演が決定。阪神タイガース、千葉ロッテマリーンズでプレーし、2013年にはWBC日本代表に選出された元プロ野球選手で、現在は野球解説者・評論家として活動する鳥谷さん。ドラマ初出演を果たす鳥谷さんがどのような役柄を演じるのか、注目だ。一方、一般公募オーディションを勝ち抜き、「ラブライブ!スーパースター!!」にて澁谷かのん役で声優デビュー。本作がドラマ初出演となる伊達さんは、越山高校に通う放送部員の生徒を演じる。「下剋上球児」は10月15日より毎週日曜日21時~TBSにて放送(※初回25分拡大)。注) このドラマは「下剋上球児」(カンゼン/菊地高弘 著)にインスピレーションを受け企画しましたが、 登場する人物・学校・団体名・あらすじはすべてフィクションです。(シネマカフェ編集部)
2023年09月24日KEITA MARUYAMAは、デザイナー丸山敬太が今、日本各地の気になる作家たちの陶芸・木工・漆・硝子などの作品を、独自の視点でセレクトしたイベント 「ナツの色彩り」 を、2023年7月20日~23日、南青山・丸山邸MAISON de MARUYAMAにて開催します。2022年6月にスタートし、3回目の開催となる今回は、総勢10組以上の作家に依頼し、本イベントのために制作いただいた作品を展示・販売します。そのほか、ヴィンテージや骨董、伝統工芸品なども取り合わせ、同時販売します。「ナツの色彩り」 概要期間:2023年 7 月20日(木)〜 23日(日)11:00〜19:00場所:丸山邸 MAISON de MARUYAMA(東京都港区南⻘山4-25-10)TEL :03-3406-1935出展一覧:【陶芸】 teto ceramics、小川綾、佐々木康弘、須藤拓也、辻精磁社、照井壮、中川直人【ガラス】せきゆうこ 【籠】 橋本晶子【バッグ】 よしのやしまち【ショップ】物色、利菴、u; generalstore and more...※やむを得ない事情により、内容が変更する可能性があります涼やかな硝子の透明、、、 すっきりとした白の質感、、 夏の陽射しに負けない鮮やかな色彩、、 染め付けの爽やかなアオ、、、 竹の籠や、にぎやかなヴィンテージ、、 夏の暮らしを彩る、あれやこれやを丸山邸にそろえました。 「ナツの色彩り」 是非、遊びにいらしてください。丸山敬太出展一覧【陶芸】teto ceramic room2011年、目黒にアトリエ兼陶芸教室「teto ceramic room」オープン。日常を彩る個性あふれる器を手がける。小川綾異なる色や質感を独自の感覚で合わせた世界。大阪・陶音TOON Ceramic Studioで陶芸を学び、TORTUS COPENHAGEN主宰のワークショップ。(2015年デンマーク)へ参加などの経験を経て、作陶拠点を東京へ移す。その他国内外問わず作品を販売。プロダクト提案や開発等にも取り組んでいる。佐々木康弘栃木県益子市を拠点に活動。益子焼の伝統的な釉薬や土を使いながらも、モダンで洗練された作品を創り出す人気陶芸家。須藤拓也1972年、福島県生まれ多摩美術大学二部デザイン学科卒業後、グラフィックデザイナーを経て、2002年、愛知県立窯業高等技術専門校修了。東京都国分寺市にて制作。2018年3月 香川県高松市牟礼へ移転。2019年7月 香川県高松市屋島へ移転。辻精磁社江戸時代初期から我国最初の皇室御用窯として、350余年の歴史と卓越した技術を誇る辻精磁社。日本有数の焼き物の里、有田の中でも異彩を放つ辻家秘伝の「極真焼」という製法は、文化八年、八代当主喜平次により発明された。焼成後製品を取り出すために匣鉢を割るため、熟練の技による一回限りの手間がかかるが、釉薬を施し匣鉢を真空状態で焼成することで気品溢れる光沢と深く柔らかな呉須の発色を生み出す。照井壮佐賀県有田町に生まれ、東京造形大学彫刻科を卒業後、岐⾩県上⽮作にて作陶を始める。2000 年韓国の現代陶芸家・李康孝氏のもとで、約1年オンギ(キムチ壺)修行。2001 年から有田にて作陶中。有田焼ならではの磁土や釉薬をベースに独自の現代的な感性を融合させている。中川直人栃木県益子市を中心に活動。美しく、多様なブルーの色使いが魅力。日曜に溶け込むアートな作品は、独特の存在感を放つ。【硝子】せきゆうこ吹きガラス作家。光と影、冷たさと熱さ、柔らかさと硬さ。相反する不思議な魅力を持つガラス。誰かの日々の暮らしが、お気に入りのガラスでキラキラになるよう願いを込めて製作している。 【籠】橋本晶子岩手県一戸・鳥越地区で竹細工を学ぶ。柴田恵氏に師事後、2013年に独立。全国のギャラリーやセレクトショップの展示会への出品など精力的に活動する。 【バッグ】よしのやしまちSilkとcottonを縫い合わせ作るカゴバッグ。鳥の巣をインスピレーションとするつくりかたで制作。長野県松本市在住。東京都両国生まれ。【ショップ】物色中国磁器、家具の専門店。物色は、中国語で、多くの人や物から自分の好きなものを選ぶか、または適当なものを探し出すことを意味する。利菴中国古陶磁、朝鮮古陶磁、日本古陶磁を中心とした鑑賞陶磁器から日常的に使える古伊万里のうつわ、近代工芸、現代美術、アンティークグラスなど幅広く様々な分野の美術品を取り扱う。 generalstore幡ヶ谷にあるインテリア雑貨店。“気取らずラフに楽しんでもらえる雑貨”をコンセプトに国内外よりフラワーベース、グラス、オブジェなどさまざまなアイテムをセレクトしています。 MARUYAMA(ケイタマルヤマ)ファッションデザイナー丸山敬太によって設立。丸山敬太は、1965 年東京・原宿生まれ。1987 年に文化服装学院を卒業後、BIGIグループの「キャトルセゾン」に入社し、「アツキ・オオニシ」の企画デザイナーを務める。1990年独立後、コスチュームを中心に、フリーデザイナーとして、DREAMS COME TRUEをはじめ、多くのミュージシャンやタレントのステージ衣装やTVやCMでのデザインを手掛けたことが話題となる。ブランド立ち上げと同時に、94 -95秋冬東京コレクションに「KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS」として初参加。1996年、第14回毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞を受賞、東京・青山に旗艦店をオープン。1997 年には、98春夏パリコレクションにて、レディースコレクションを発表。2012年、日本航空の客室乗務員・地上接客部門の制服デザインを手掛け、2014年ブランドデビュー20周年を迎える。近年は、KEITA MARUYAMAとしての活動だけに留まらず、ファストファッションから制服やブランドプロデュースに加え、ファッションの枠を超えて、“食”や“住”への活動の場を積極的に広げている。MAISON de MARUYAMA 丸山邸丸山敬太が自身の考えや世界観を自由に表現するコンセプト型ショップ。KEITA MARUYAMAはもちろん、インテリア、雑貨やヴィンテージなど、衣食住にまつわる さまざまな“モノ”のセレクトに加え、多彩なアーティストやクリエイターとともにつくりだす“コト”の発信も。まるで丸山敬太の自邸さながらの、クリエイティビティに満ちた空間で、ゆったりひとときを過ごすことができる。東京都港区南青山4-25-1012:00-19:00(不定休)03-3406-1935
2023年07月11日2023年2月21日、東京都文京区の『東京ドーム』にて、プロレスラーの武藤敬司さんの引退大会が行われました。メインイベントの引退試合にて、プロレスラー、内藤哲也さんを相手に奮闘するものの敗れてしまった、武藤さん。これで39年のレスラー人生に幕を下ろした…かと思いきや、なんとここから予想外の展開となったのです!「蝶野カモン!」サンケイスポーツによると、マイクを握っていた武藤さんは「まだ自分で歩いて帰れるし、エネルギーも残っている。灰にもなっていない。どうしてもやりたいことが1つある」と話し、「蝶野!俺と戦え!」と放送席にいた蝶野正洋さんをリングに呼び込んだといいます。異例となる延長戦の結果…蝶野さんの必殺技で武藤さんはギブアップ!まさかの引退試合で2連敗を喫すという、伝説を残したのでした。試合後、武藤さんはTwitterにてリング上の蝶野さんとの写真を公開し、感謝の意を表しています。39年間お世話になりました。 pic.twitter.com/ODOMdjw1LP — 武藤 敬司 (@muto_keiji) February 21, 2023 最後まで戦い抜いた、武藤さんの雄姿に多くの人が感動し、ネット上ではコメントが相次いでいました。・引退試合の中でもトップクラスの感動です!まだまだ応援します!・泣ける…!お疲れさまでした…!最高にカッコよかった。・号泣でした。プロレスの沼にハマったのはこの2人がいたからです!本当に今までありがとう!武藤さんは現在60歳。今後は別の形でプロレス界に貢献していくのでしょう。引退後にどんな活躍をしていくのか、楽しみですね![文・構成/grape編集部]
2023年02月22日2022年6月に引退の意向を発表した、プロレスラーの武藤敬司さん。およそ38年もの間、プロレス界をけん引してきた武藤さんの引退発表は、プロレスファンを含む多くの人に衝撃を与えました。世間を震撼させた引退発表から、早8か月。2023年2月21日、ついに武藤さんの引退の日がやって来ました。武藤敬司の引退の日、長州力が送ったメッセージこの日、東京都文京区にある東京ドームで、武藤さんの引退イベントである『KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING"LAST" LOVE~HOLD OUT~』が開催。大会ではメインである武藤さんと内藤哲也さんの試合が行われるほか、多くのプロレスラーによる熱い試合が行われます。テレビ番組などで「今後はリングに上がらない」と宣言している、武藤さん。スターの最後を見届けるため、多くの関係者が集まっています。元プロレスラーであり、タレントとして活躍している長州力(ちょうしゅう・りき)さんも、その1人。イベントが行われる日、長州さんは自身のTwitterを更新し、思い出の写真とともに武藤さんへのメッセージを送りました。敬司いよいよだなドームに見に行きますよ最後まで気を緩めず!頑張れよ。また旅に出るかー長州力 pic.twitter.com/HkLRUSZ8W6 — 長州力 (@rikichannel1203) February 21, 2023 プロレスラーとしてだけでなく、友人として交友を深めてきた武藤さんと長洲さん。添付された写真には、一緒に旅行をした際に撮影したオフショットもあり、2人の仲のよさが伝わってきます。プロレス界の厳しさや苦労の数々をともに乗り越えてきたからこそ、長洲さんは武藤さんの引退を直接見届けたいと思ったのでしょう。長洲さんの気持ちが込められた「最後まで気をゆるめず頑張れよ」というシンプルなエールは、多くの人の心を打ちました。・長洲さん、予想通り観に行くんだ!武藤さんも喜ぶだろうな。・3枚目の温泉の写真がかわいい!素敵な関係だなあ。・絆が伝わってきて涙が出た。「また旅に出るかー」のひと言もいい。プロレスラーとしてリング上で戦うだけでなく、バラエティ番組などにも出演し、プロレス界を盛り上げるために貢献してきた武藤さん。最後の試合も、たくさんの人の心を熱くしてくれるに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2023年02月21日グレート・ムタのラストマッチ会場横浜アリーナでスポーツ報知を発行する報知新聞社(代表取締役社長・依田裕彦)はタブロイド新聞「武藤敬司引退特別号」を発売します。プロレスラー・武藤敬司選手のデビューから現在までを追った特集号です。読売新聞販売店(YC)、主要駅売店、主要コンビニ等(一部地域、店舗を除く)、通信販売サイト「ショップ報知」( )などで発売。一般発売(詳細は後日発表)に先駆け武藤選手の悪の化身、グレート・ムタ選手のラストマッチとなる1月22日(日)の横浜アリーナでは「ムタver.」の表紙でプレミア先行発売(特別価格・税込600円)します。©報知新聞社ロングインタビューやペイント図鑑、特大ポスター付プロレス界のスーパースター、武藤敬司選手が2月21日、東京ドームで引退します。1984年10月のデビューから38年4か月、マット界のトップを疾走したレジェンドの引退カウントダウン企画を、スポーツ報知では14日から続々とスタート! 武藤選手を追い続けた福留崇広記者が、注目を集める引退試合の対戦相手を、関係者の証言から迫りつつ、入門前まで遡って秘話を掘り起こす大型連載を38回にわたってニュースサイト( で配信していきます。引退の日に向けてはタブロイド新聞「武藤敬司引退特別号」を発売。全20ページの紙面では、引退目前の本音を明かした『ロングインタビュー』に、本人公認の「武藤敬司」と「グレート・ムタ」の『ベストバウト・ベスト10』を公開します。千変万化したムタの『ペイント図鑑』、永久保存版の特大ポスター付きです。一般発売を前に、1月22日には武藤選手の悪の化身、グレート・ムタ選手のラストマッチとなる横浜アリーナでは「ムタver.」の表紙でプレミア先行発売(特別価格・税込600円)。ファン必見、見どころ満載の内容です。ご期待ください。©報知新聞社商品名武藤敬司引退特別号ムタ表紙ver.体裁タブロイド判20ページ+特大ポスター、オールカラー価格600円(税込)発売日1月22日(日)販売横浜アリーナ内■スポーツ報知のお買い求めは1部売り150円(税込)全国の読売新聞販売店(YC)、駅売店、コンビニエンスストアなどで販売月ぎめ3,355円(税込)月ぎめ購読の申し込みは以下のサイトか全国の読売新聞販売店(YC)まで ▶過去2か月分のバックナンバーは以下のサイトを参照にお取り寄せできます ▶報知新聞社WEBサイト 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年01月13日松平敬&工藤あかね主催『Voice Duo Vol.3 シュトックハウゼン空を歩く』が2022年12月4日(日)にトーキョーコンサーツ・ラボ(東京都新宿区西早稲田2-3-18)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 日本の現代音楽唱法の専門家として活躍する声楽デュオ・松平敬&工藤あかねによるコンサート。作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンの専門家として、その著書も高い評価を受けているバリトン歌手・松平敬と、音楽評論家としても活躍するソプラノ歌手・工藤あかねによるディープな、そして面白いほど楽しめるシュトックハウゼンの世界。異色の歌手二人が繰り出す、こだわり抜いたプログラムによるヴィルトゥオーゾの演奏をご堪能ください。【公演内容】シュトックハウゼンの『空を私は歩く』は、アメリカ・インディアンの間で伝承されていた12の詩に付曲した、二人の声のための作品である。この作品が書かれたのは、シュトックハウゼンの作風が大きく変貌しつつあった1972年。12の詩に対応する12音セリーを作品の骨格として、様々なレベルの不確定性や『シュティムング』などで試みられた様々な声の実験を取り入れることで、二人の声というシンプルな組み合わせから多彩な響きが導き出されている。また、楽譜の至る所に演劇的な指示が書き込まれており、作品全体が儀式風、あるいはミニ・オペラ的な様相を呈している。日本では滅多に演奏されない50分の大作を体感できる貴重な機会、お見逃しなく!曲目:カールハインツ・シュトックハウゼン:空を私は歩く(1972)ジョン・ケージ:トイ・ピアノのための組曲(1948)ジョン・ケージ:花(1950)ジェルジ・クルターグ:『遊び』(1975- )より松平敬:遊び歌(2022, 初演)(曲順未定)プロフィール松平 敬(バリトン) Takashi Matsudaira, baritone東京芸術大学卒業、同大学院修了。現代声楽曲のスペシャリストとして、湯浅譲二、松平頼暁、高橋悠治、西村朗、川島素晴など150曲以上の作品を初演、クセナキス、シュトックハウゼンなど、演奏至難な作品の日本初演も行う。これまでサントリーホール・サマーフェスティバル、新国立劇場、コンポージアム(東京オペラシティ財団)、東京・春・音楽祭などに出演。CD録音においても、一人の声の多重録音を駆使した『MONO=POLI』(平成22年度文化庁芸術祭レコード部門優秀賞)など3枚のアルバムを発表。チューバの橋本晋哉氏とのユニット「低音デュオ」名義でも2枚のCDをリリース。2019年には著書『シュトックハウゼンのすべて』(アルテス・パブリッシング)を出版。第32、34回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞。 工藤あかね(ソプラノ) Akane Kudo, soprano東京藝術大学卒業。身体表現を伴う先鋭的な作品も含め、数多くの新作初演を手がける。これまでにサントリー芸術財団「サマーフェスティバル」、「Tokyo experimental Festival」、「新しい耳」テッセラ音楽祭、「Tête à Tête The Opera Festival(ロンドン)」、「ダ・ヴィンチ音楽祭in川口」、「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」などに古楽からオペラ、現代音楽に至る幅広い作品で出演。第1回一柳慧コンテンポラリー賞。ヒロイン役を演唱したオペラ「THE鍵KEY」(レロイ作曲)が第19回佐治敬三賞。世界初の正規録音となる、シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」の声とピアノ一台版(シュタイン編、ピアノ:廻由美子氏)のCDをMclassicsよりリリース。公演概要松平敬&工藤あかね『Voice Duo Vol.3 シュトックハウゼン空を歩く』公演日:12月4日(日) 15:00/18:30(※開場は、開演の30分前)会場:トーキョーコンサーツ・ラボ(東京都新宿区西早稲田2-3-18)■出演者松平敬(バリトン、トイ・ピアノ)工藤あかね(ソプラノ)■スタッフ制作協力:ナヤ・コレクティブ主催:松平敬&工藤あかね■チケット料金一般前売:3,000円当日:3,500円学生前売:1,500円当日:2,000円(全席自由・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年10月20日「かつてプロレスとはゴールのないマラソンといった自分ですが、ゴールすることに決めました」そうコメントし、2023年の春までに引退することを宣言している、プロレスラーの武藤敬司さん。2022年10月16日には、福岡県福岡市にある『福岡国際センター』で開催された、『プロレスリング・ノア ABEMA presents DEMOLITION STAGE 2022 in FUKUOKA』に参戦しました。福岡ラストマッチとして戦いきり、感無量な想いが伝わるような、天を仰いだ写真をTwitterに投稿しています。ありがとう、福岡。 pic.twitter.com/2cdlPtlpZ3 — 武藤 敬司 (@muto_keiji) October 16, 2022 帰りの飛行機では、キャビンアテンドから1枚の手紙を受け取ったとのこと。その内容に、武藤さんは胸を打たれたのでした。武藤様今日はご搭乗頂き誠にありがとうございます。昨日は福岡でのラストマッチお疲れ様でした。残りの試合もケガなく最高なものとなりますよう乗務員一同お祈りしてます。そして酷使したお体を第二の人生では労わりながら素適な日々をお過ごし下さい。@muto_keijiーより引用(原文ママ)福岡から帰りの飛行機でCAさんから心温まる手紙を頂いた。 pic.twitter.com/jwxkuOEoT5 — 武藤 敬司 (@muto_keiji) October 17, 2022 全日本空輸株式会社(ANA)のキャビンアテンダントは、武藤さんの福岡ラストマッチを把握していた様子。試合を労い、引退後のことまで想った、温かな言葉をつづったのでした。引退の日が近付いてきていることを実感している中、武藤さんの心に、よりしみたことでしょう。この手紙に、武藤さんのファンの人たちも心が動かされたようです。・手書きって、最高に嬉しいですよね。・ANAってこういうことをしてくれるんだ!粋な計らいだなあ!・感涙しました。なんだか我がことのように喜んでいます。2023年の春までは、もう少し。プロレスラー人生のラストを飾るその時まで、武藤さんの勇姿を目に焼き付けていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2022年10月17日元阪神タイガースの掛布雅之と鳥谷敬が9月10日(土)にホテル日航大阪 スカイテラスでトークショーを開催する。ファンには伝説的な存在として知られるふたりが、本音で語るイベントになるという。当日は、“4代目ミスタータイガース”と呼ばれた掛布雅之と、阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズで合計18年間、プロ野球の第一線を走り続けた鳥谷敬が登壇。今シーズンのタイガースの戦いを振り返り、ふたりの考えや想いが語られるほか、抽選会なども行われる。当日は、他では聞けない“本音トーク”が繰り広げられることになりそうだ。掛布雅之×鳥谷敬プレミアトークショー~ビッグレジェンドが本音で語る~9月10日(土)ホテル日航大阪 スカイテラス13時開場14時開演■チケット情報
2022年08月25日2022年6月12日、日本プロレス界のスーパースター、武藤敬司さんがリング上で引退の意向を発表しました。武藤さんが引退表明をしたのは、同日に開催されたプロレスイベント『CyberFight Festival 2022』でのこと。リング上で、マイクを握った武藤さんは「来年の春までには引退します」と、会場に集まったプロレスファンに向けて宣言しました。武藤敬司から大切なご報告【速報】武藤敬司引退武藤「かつてプロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します」ただいまWRESTLE UNIVERSEで独占生中継! #noah_ghc #cffes2022 pic.twitter.com/AynhlGRixf — プロレスリング・ノア |PROWRESTLING NOAH (@noah_ghc) June 12, 2022 自身のTwitterを通して、武藤さんは改めて引退時期に関して明言するとともに「残り数試合ご声援のほど、よろしくお願いいたします!」とつづっています。かつてプロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します。残り数試合ご声援のほど宜しくお願い致します! #cffes2022 #noah_ghc pic.twitter.com/AegJMCiSl7 — 武藤 敬司 (@muto_keiji) June 12, 2022 長年、日本のプロレス界をけん引した武藤さん。例えプロレスに詳しくなくとも、武藤さんの名前を聞いたことがある人は多いことでしょう。ファイトスタイルはもちろん、プロレスの枠を超え、バラエティ番組やCM、ドラマや映画出演など、幅広く活躍した武藤さんだからこそ、日本のプロレス界に与えた影響は大きかったはず。今回の武藤さんの引退表明に、多くの人が感謝の声をあげました。・武藤さんは俺の青春でした。本当にありがとうございます。・現役生活を無事ゴールできるように願ってます。・時代を作りながら、時代に対応したプロレスをしていたのは、やはり武藤さんだけだといつも思います。武藤さんがリング上で活躍する姿を見ることができるのは、もう1年もありません。「天才」と呼ばれ、一時代を築いた武藤さんの最後の雄姿を、日本中のプロレスファンが見守っています。[文・構成/grape編集部]
2022年06月12日大林宣彦監督1989年の名作『北京的西瓜』(ぺきんのすいか)のデジタル配信が開始された。青果店を営む夫婦と中国人留学生たちとの心温まる交流を、実在の人物と実際にあった出来事を基に描いた本作は、およそ20年前にDVD発売されてはいるが、長らく今も続く廃盤状態で入手困難となっていた作品。1989年5月~7月に撮影されたが、天安門事件により、当初予定していた中国での撮影が急きょとん挫したという。現実の青果店の雑然とした空気感、自然で臨場感あふれる撮影手法と演出に安定的に下支えされた物語は、無償の思いやり、愛情と信頼、受けた恩に報いる気持ち、そして時代に翻弄される悲しみまでが、淡々粛々と描かれている。STORY船橋市郊外の青果業・八百春の主人の春三(ベンガル)は、李中山(ウー・ユエ)という中国留学生と知り合ったことから、彼らの苦しい生活を見兼ねて、援助の手を差し伸べた。最初は軽い気持ちでやった春三だったが、次第にエスカレートしていき、ついには自らの生活までをも犠牲にしてしまうのだった。留学生たちは彼を「日本のお父さん」として慕うが、春三が忙しくなればなるほど、女房の美智(もたいまさこ)の負担は重くなり、挙句の果てには店や家庭の危機にまで発展してしまった。「このままでは店が潰れてしまう!」と留学生たちは店を手伝うようになり、春三や美智は感涙にむせんだ。そして数年が過ぎ、中国に帰った李中山から国際電話が入り、彼らの招待で春三と美智は中国へ向かった。映画『北京的西瓜』監督:大林宣彦原作:林小利/久我山通脚本:石松愛弘撮影:長野重一音楽:根田哲雄出演:ベンガル/もたいまさこ/峰岸徹/林泰文(c)1989 MAXDAI CO., LTD.配信はコチラ:
2022年01月02日東京芸術劇場のリサイタル・シリーズ「VS」(ヴァーサス) 第3弾、塩谷哲と大林武司のピアノ・セッションによる公演が2022年3月25日(金)に開催されることが決定した。リサイタル・シリーズ「VS」は、「ピアノ・デュオ(2台のピアノ)演奏」によって、ふたりの異なる個性を持つピアニストがぶつかり合う、新しい形のリサイタル。その第3回目となる公演では、ジャズ界のみならず多彩な活動で音楽界を走り続ける塩谷哲と、NYを拠点とし、MISIAのバンドマスターとしても活躍する大林武司が登場する。ふたりの出会いは大林の出身地・広島で開催された塩谷のコンサート。大林は塩谷の演奏に感動を受け、楽屋を訪れた。そこで塩谷からエールをもらったことが、アメリカ留学の後押しのひとつの要因となったと大林は語っている。そんなふたりが約15年の時を経て、“ピアニスト”と“ピアニスト”として、舞台の上で初共演を果たすことになった。東京芸術劇場のステージで、ピアノを通し、対話するように楽譜も筋書きもないパフォーマンスを披露するふたり。誰も予想できない熱狂的な空間をぜひ、会場で体感してほしい。チケットは好評発売中。■公演概要東京芸術劇場 リサイタル・シリーズ 「VS」Vol.3SHIONOYA Satoru × OHBAYASHI Takeshi2022年3月25日(金) 19:00開演会場:東京芸術劇場 コンサートホール
2021年12月13日丸山邸にて 2月25日 ー2月28日の4日間、器をはじめ、陶芸、木工、硝子、ヴィンテージ等まで、 丸山敬太選りすぐりのライフスタイルを彩る品々が勢ぞろい。<CASA KEITA -丸山敬太の好きなモノ達-器編>2/25(木) - 2/28(日) 11:00 - 19:00丸山邸にてイベントを開催いたします。僕が今気になる大好きな陶芸や木工、硝子の作家さん達に特別に無理を言って制作していただいた器や、セレクトしたヴィンテージや、骨董の器。。。テーブル周りを中心に、好きなモノたちを、様々な視点で取りそろえました。毎日の暮らしを彩り、豊かな気持ちにさせてくれる、素敵なモノ達をぜひご覧ください。丸山敬太<CASAKEITA-丸山敬太の好きなモノ達ー器編>デザイナー丸山敬太の目線で、作家物から骨董などが選び抜かれたアイテムがそろう、スペシャルなイベントが、4日間の限定で東京青山・丸山邸にて開催される運びとなりましたことをお知らせいたします。「CASAKEITA」は、ファッションブランドであるKEITAMARUYAMA がインテリアやライフスタイルを彩るためのプロジェクトとしてスタートしました。今回は、このコロナ禍の中ご自宅や室内での時間をより大切に、上質に過ごしたい、、、そんな想いから、今回の企画に結びつきました。陶器から、硝子、木工、漆など人気作家のセレクトの他、日本の骨董や、ドイツ、アメリカのヴィンテージまで丸山のチョイスならではの幅広く個性的な器の世界がご体験いただけるイベントとなっております。【参加作家】有永 浩太 @kota_arinaga奥山 泉 @okuizugen我戸幹男商店 @gatomikio_shouten河井工房 @kawaikobo川崎 知美 @kawasakitomomi笹川 健一 @k.sasakawa.glass田辺 京子 @kefukokonoe中里 花子 @monohanako野田 夏実 @natsumi_noda_増田 光 @fur_fa松浦 ナオコ @nao.ushinohana山本 雄次 @yujiyamamoto_souboucraft<kokonn> @kokonn.yanaka佐川 義乱 @giranedobou佐々木 康弘 @rokuroboys中川 直人 @otoya2008比地岡 陽子 @yokohijioka廣田 哲哉 @tetsuya_hirotaSwimsuit Department @swimsuit_departmentギャラリー帝 慎太郎ごのみ器展 @ginza.shintaro @mikado.utsuwa【参加作家詳細】有永浩太Kota Arinaga( 石川県 能登島)石川県 能登島で制作をしているカ硝子作家 。吹き硝子を中心に、さまざまな技法を用いて生み出される硝子作品は、息を呑むほどに美しく、機能性にも優れています。1978 大阪府堺市生1998 フラウエナウ・サマーアカデミー(ドイツ)短期留学2001 倉敷芸術大学芸術学部工芸学科ガラス工芸コース卒業 2001-2009 福島県と東京都のガラス工房に在籍2009-2011 能登島 ( 石川県七尾市 ) を拠点にフリーの作家として活動 2011-2016 金沢卯辰山工芸工房 ガラス工房専門員 2017 能登島に自宅工房 kota glass 設立現在 能登島を拠点に制作奥山 泉Izumi Okuyama(沖縄県)沖縄在住。1969年山形生まれ。彫刻、木工、陶芸、その他もろもろ制作。素材、技法はもちろん、何事も限定することなく、つくりたいものにあわせて物作りを続けていけたらと思っております。我戸幹男商店Gato Mikio Shoten(石川県 山中温泉)明治四十一年 (一九〇八年) ろくろの町、山中温泉にて我戸木工所として創業しました。その木地師の意思を受け継ぎ、天然の素材が生み出す美しい木目、木地師が一つ一つ丁寧に挽き上げた木地の完成度を重んじ、決して隠すこと無く豪快に木目を見せます。それは、裏を返せばごまかしがきかない事を意味し、素材、木地の精度、透明感のある拭漆、すべてが完璧になってこそ成り立ちます。我戸幹男商店では伝統的な山中漆器の高い技術を活かした実用性、和の美意識に基づいた高い芸術性を追求し、長く愛される漆器作りを心掛けています。河井工房Kawai Kobo(京都府 亀岡)三代受け継がれる京焼民窯河井寛次郎の甥、河井武一を初代とする南丹窯は、民藝が持つぬくもりと実用性を両立した独自の京焼民窯を作り続けています。1908-1989初代 河井 武一 Takekazu Kawai1941-二代 河井 透 Toru Kawai1975-当代 河井 亮輝 Akiteru Kawai川崎 知美Tomomi Kawasaki(石川県 金沢)1981 金沢市生まれ2002 卯辰山工芸工房 陶芸修了。 金沢市子来町にTOMOKOBOを開く2014 金沢駅あんと内 作家が営む店wonderspaceオープン2019 食×酒×工芸(体験)をコンセプトにしたLabo白菊を監修三栄工業株式会社代表取締役会社運営、オーダーメイドをメインに制作活動する。笹川 健一Kenichi Sasakawa(京都府)1981 神奈川県生まれ2004 多摩美術大学美術学部工芸学科卒2006 同大学大学院修士課程工芸専攻修了2006-08 財団法人金沢卯辰山工芸工房在籍2009 神奈川で友人達と共同アトリエを持つ2010-14 多摩美術大学工芸学科勤務2014 東京で窯借りをしながらの制作2017 京都府に工房開設田辺 京子Kyoko Tanabe(石川県)1969 石川県金沢生まれ1990 北陸大学外国語学部英米語学科卒業1998 石川県立九谷焼技術研修所専門科 修了2001 金沢卯辰山工芸工房 修了2001~ ひとりでがんばる中里 花子Hanako Nakazato(アメリカメイン州・唐津)唐津に育ち16歳で単身渡米、以後半生をアメリカで過ごす。日本の独特な食文化に目覚め、大学卒業後帰郷し、父 中里隆より陶芸を学ぶ。2000年の東京、万葉洞での親子展を皮切りに、以後日本、アメリカ各地で数々の個展を開催。2007年に故郷唐津に独自の工房 monohanako を設立。2010年にメイン州に monohanakowest を設立。現在、唐津とメインを半年づつ行き来して作陶している。野田 夏実Natsumi Noda(東京都)1992年東京都生まれ。18年東北芸術工科大学美術科工芸コース卒業。19年同大学研究生修了。第57回日本クラフト展奨励賞受賞。現在、東京都江東区にて制作。様々な植物ををモチーフに、人との関わりを大切にしながら会話のきっかけとなるようなコミュケーションツールとしての器を制作する。増田 光Hikari Masuda(愛知県 常滑)1985年横浜生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科で陶芸を学んだ後、陶芸の一大産地、常滑(とこなめ)で修行を重ね、常滑の伝統技法を身につける。独立後は「伝統」を踏まえつつも、枠を超えた自由な発想と制作スタイルで、新たなる常滑焼の魅力を追求し続けている。2019年には、六本木ヒルズA/Dギャラリーで展覧会を開くなど精力的に活動し、日本を代表する陶芸家として、これからますます活躍が期待される女性陶芸家の一人。松浦 ナオコNaoko Matsuura(滋賀県 大津市)2014年 京都高等技術専門学校 図案科 終了2015年 京都産業技術研究所 本科 修了現在、滋賀県大津市にて、夫婦で制作。山本 雄次Yuji Yamamoto(滋賀県 マキノ町)1983年京都市生まれ。京都精華大学芸術学部立体造形学科卒業。大学時代より木の家具を独学で制作。2007年朝日現代クラフト展。2009年日本クラフト展入選。卒業後、本格的に飛騨高山森林たくみ塾で木工修行に努める。スタッフの時派遣されたHay Stack Mountain school(USA)のワークショップで出会った自由な木工に刺激を受け帰国。京都精華大学建築学科の助手を3年勤め、勤務の傍ら、アメリカで見たスキンカヌーを独学で制作後、滋賀県高島市マキノ町にて木工家具屋として独立。独立後、箸などの小物カトラリーから椅子・箱物などの家具・木の表情を生かした大型挽物まで幅広く制作。佐川義乱Giran Sasagawa(茨城県 水戸)茨城県水戸市で活動する陶芸家伝統的なスリップウエアの技法を用いて、現代的なアプローチで作品を産み出すART的でありながら日常にも馴染む器はファッション関係者からの支持も高い佐々木 康弘Yasuhiro Sasaki( 栃木県 益子)栃木県益子市を拠点に活動。益子焼の伝統的な釉薬や土を使いながらも、モダンで洗練された作品を創り出す人気陶芸家。中川 直人Naoto Nakagawa( 栃木県 益子市)栃木県益子市を中心に活動。美しく、多様なブルーの色使いが魅力の陶芸家。日常に溶け込むアートな作品は、独特の存在感を放ちます。比地岡陽子Yoko Hijioka(鹿児島県 姶良)鹿児島県姶良市にてkobo syuroを主宰し、創作活動を行う陶芸家自然豊かな地で生み出される作品は感性が研ぎ澄まされたモダンさと どこか懐かしい温かさを併せ持つ廣田 哲哉Tetsuya Hirota(茨城県 笠間)茨城県の笠間を拠点に活動する陶芸家。シュールで愛くるしく、思わず笑顔になる”イキモノ”たちを産み出しています。万全の感染症対策をして、皆さまのご来店をお待ちしております。陶器市の商品はお電話又はインスタグラム( @keitamaruyama_official )のDMにてご注文いただけます。代金引換(クレジットカード決済可)にてお承りいたします。※別途送料・代引手数料を頂戴いたします。<このイベントに関するお問い合わせ先>TEL : 03-3406-1935MAIL : info@store-keitamaruyama.com丸山邸〒107-0062東京都港区南青山4-25-10企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2021年02月25日数々の雑誌などで活躍中の人気スタイリスト池田敬氏とナノ・ユニバースのコラボレーション第二弾。今回はおうち時間を快適に過ごせて外でも着られるアイテムをナノ・ユニバースとともに考え、厳選された3型が完成しました。冬だからこその鮮やかなカラーバリエーションでお届けするシンプルなリブニット、ハイウエストでありながらも窮屈感を取り除き履き心地の良さにこだわったデニム、リラックス感のあるシルエットでおうち時間にもタウン仕様としても着られるニットオールインワン。きちんと上品に見えるのに心地よい、そんなこだわりの詰まったアイテムで特別なおうち時間をお届けします。スタイリスト池田敬コラボ クルーネックリブニット 9,000円+税カラー:Lピンク/グリーン/オレンジWEBサイト:・デニム合うニットをテーマに制作・一枚で様になる鮮やかなカラーニット・シーズンレスで着やすい薄手の素材。スタイリスト池田敬コラボストレッチテーパードデニム 1万2,000円+税カラー展開:インディゴ/ブラックWEBサイト:・ハイウエストなデザインでスタイルアップ見えするよう計算しつくされたシルエット。・履き心地の良いストレッチ素材・ブーツインでもブーツアウトでも着られるような長めの丈感。スタイリスト池田敬コラボニットオールインワン 1万3,000円+税カラー展開:グレー/ベージュ/グリーンWEBサイト:・リラクシーでありながらこなれ感のあるアイテム・ゆったりとしたトップスと体のラインを拾いすぎないボトムのバランスにこだわった1着・ウエストのリボンでシルエットの調整が可能・シャツやタートルなど重ね着でアレンジのしやすいデザイン▼WEB先行受注開始日:2020年10月9日(金)▼店頭販売開始日:2020年11月5日(金)予定※発売日は予告なく変更となる場合がございます。▼スペシャルコンテンツ 10月9日(金) 17時公開予定URL:【池田敬氏プロフィール】スタイリスト安西こずえ氏に師事後、独立。メンズ、レディスを問わずファッション雑誌を中心に活躍中。トラディショナルでコンサバな着こなしの中に、トレンドを効かせたスタイリングに定評あり。コンテンポラリーなミックス力で男女問わず幅広い世代の人々から支持されている 。企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年10月12日一輪の花を飾ることが、いつもの毎日をとても素敵なものに変えてくれるように、何百年も時を経た美しい器や、手の込んだ刺繍の小さなクッションや、一枚の絵や、丁寧な装丁の詩集もまた同じです。肌ざわりの良いタオルや、どこかの国のマーケットで出会った銀のカトラリー、、職人がひとつひとつ描きあげた張り子の人形や、オリジナルのテキスタイルで張られた家具やら、エプロンやら、ランチョンマット、、、、美味しいお茶や、香りの良いお香やら、、、それこそ、沢山のお気に入りの「モノ」達が、人生を豊かにしてくれることを僕は知っています。今までも、集めたり、つくったりしてきましたが、それぞれにとても素敵な物語りがあったりするので、それを伝えていけるように「CASA KEITA」と言う、まあ、言ってみれば文字通り「僕のお家」のような気分で、これから色々ご紹介していきたいと思っています。楽しくワクワクしたモノ達が、皆さんの人生を彩る事をお手伝い致します、、、なんて言ってますが、とにかく僕の好きなモノばかりを、楽しくご紹介致しますので、(笑)どうぞよろしくお願いいたします。丸山敬太KEITA MARUYAMA(ケイタマルヤマ)は、ライフスタイルを提案する「CASA KEITA」をローンチいたします。デザイナー丸山敬太が選ぶ、現代作家の美しい工芸品から、時を超えて愛されてきた骨董、KEITA MARUYAMAのファブリックを使ったインテリア、本といった様々なアイテムを通じて、ライフスタイルを提案させていただきます。5月8日21時にオンラインストアでスタートした「CASA KEITA」の第一弾は、丸山が金沢や京都で探して来た骨董の器を中心にラインナップ。撮影も丸山本人の自宅で、本人が撮影したもの。丸山が選ぶ時代を超えた美しい和食器を、テーブルコーディネートと共に提案いたします。九谷焼青手輪花小皿で大正時代のものです。九谷焼らしい緑が美しい小皿。細かい唐草の緑の中に、動物たちが生き生きと描かれています。柄が全て違うので、集めてみたくなりますね。表参道菊家さんの練り切りをのせて。・︎九谷青手輪花小皿H20/φ130mm4,500円●写真左九谷焼変形大皿鉢九谷写鷺図。とても大きな青手九谷の大皿。変形した額縁に彩られた中、渓流に一羽の鷺が佇む日本画風の美しい構図。・︎九谷大正鷺図変形皿H50/φ270mm2万9,000円●写真右昭和の作品。唐子が遊ぶ可愛い図柄の青手九谷。少しエッジの効いた四角はモダンなデザインです。丸山がお気に入りのシリーズ。・︎九谷青手唐子四角皿H30/φ140mm4,500円●写真奥明治時代の作品。丸紋の中には日本の古典の文様や風景など、少しモダンなデザインです。金色に縁取られた上口もポイントです。・︎伊万里九紋 鉢染付H90/φ180mm3万5,000円●写真手前大正時代のもので、今ではなかなかお目にかかれない涼しげなガラスの切子皿。蝶の文様が彫られています。これからの季節に。・︎大正ガラス蝶文様4,000円お料理だけでなく、干菓子や和三盆などを中皿に何個か可愛く乗せるのも素敵ですね。ツヤっとした深緑の釉薬はシンプルで、木目のお盆や現代のものとも相性が良いです。 ●写真手前江戸時代の作品。江戸の後期に栄えた淡路島の珉平焼。深い緑の釉薬が美しい。中国陶磁器写として代表的なドラゴンの文様ですが、通常小判型が多く、この中型のサイズは珍しいお品。・︎江戸龍図中皿H30/φ140mm1枚 2万8,000円●写真左奥幕末から明治の頃の伊万里焼八角皿。古い九谷の図柄を使い、図柄帳から器に選んだ唐人柄。八角の形と柄が珍しいお品。・︎幕末~明治伊万里焼八角皿H25/φ125mm5,000円●写真右奥丸山私物他にも数々の歴史ある美しい銘作を取り揃えておりますので、是非オンラインストアへお立ち寄りください。日々を豊かに過ごすお手伝いをさせていただければと思います。「CASA KEITA」のオフィシャルinstagramもスタートしました。下記アドレスよりチェックしてみてくださいね。CASA KEITAオフィシャルinstagram: MARUYAMAオンラインストア: KEITA 第一弾は5月8日21時~発売開始※TOPページにございますCASA KEITAのバナーより特設ページへお越しください。KEITA MARUYAMAオフィシャルinstagram:丸山敬太オフィシャルinstagram:企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年05月13日約3年前「がんが消えた!」と笑顔で語ってくれた大林さん。病魔は大林さんに試練を与え続けたが、映画への熱が冷めることはなかった。それはきっといまでも……。「昨年11月ごろから、新作の公開日に照準を合わせて、大事をとって自宅で療養していました。父は何よりも、母のそばを離れたくない。とにかく自宅が大好きな人でした。亡くなる当日まで、寝室の窓から見える八重桜を眺めながら『きれいだね』と、日課のように話をしていました」悲しみをこらえながら、本誌のインタビューに答えてくれたのは、4月10日、肺がんのため亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)のひとり娘、千茱萸さん。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により公開は延期となったが、大林さんが亡くなった日は、くしくも監督を務めた最新作『海辺の映画館−キネマの玉手箱』の公開予定日だった。’16年8月、「肺がんステージ4、余命3カ月」という宣告を受けた大林さん。本誌はその1年後の’17年8月、そして2年4カ月後の’18年12月に、大林さんに2度インタビューをしている。本誌記者に語りかける大林さんの口調は、まるで親がわが子に語りかけるように優しかった。そして自らの人生哲学を語る情熱は、宣告された余命を大幅に超えて生き続けた大林さんのエネルギッシュさを物語っていた。がん闘病、家族の絆、そして映画にこめた「反戦」への思い……。監督が本誌に残した、約9時間にも及ぶ“魂のメッセージ”に、もう一度触れてみようーー。闘病のなか、映画製作に情熱を注ぎ続けた大林さんは、妻の恭子さん(81)のことを「人生最大の理解者」だと語っていた。「僕と一緒になったときも、『あなたの才能を尊敬しているからお手伝いをします。でも、私があなたを尊敬できなかったらすぐに別れます』と宣言されて、一緒になった。古い時代の人ですから、本当に尽くしてくれますよ。自分の体のことは放っておいても、僕のことを気にしてくれてね。恭子さんがいなければ、僕は映画も作っていなかったでしょう。つまり、彼女との出会い自体が、僕そのものなんですよ。彼女もそうみたいですけど(笑)」恭子さんは、成城大学在学中から大林さんの自主映画製作に関わり、以来、大林作品を常に支えてきた。そして『転校生』(’82年)から正式にプロデューサーとなる。「彼女は、“私は最初の観客よ”と、必ず現場にいるんです。映画のプロデューサーはお金を集めてきたら現場にいないのが普通ですが、恭子さんは現場に張り付いている。僕が現場でいろんなことを思いついたりすると、横にいる彼女に相談するんです。そうすると、『あ、面白いわね。きっと面白くなると思うから、やってみて』と言って、すぐにその手配をしてくれます。“面白いと思えば、私はOKよ”というのが彼女のスタンス。ときには、容赦なくシーンをカットすることも提案してきます」夫婦であり、クリエーター同士でもある2人。いつも一緒にいれば、ケンカが起きても不思議ではないのだが。「感情的なケンカはしませんが、議論は年中しています。娘の千茱萸がいるときは、参戦させるんですよ。娘は赤ん坊のころから、夫婦で議論するときにそばに置いていましたからね。小さいときの娘は、議論するママの顔を見ながら“あ、パパのほうが間違っている”とか“ママのほうが正しそうだな”とよく思っていたみたいです(笑)」余命3カ月の宣言を受けてから、すでに2年以上が過ぎた’18年11月、大林さんにとってうれしい出来事があった。長年二人三脚で映画を作ってきた恭子さんが、「第42回山路ふみ子映画賞」で映画功労賞を受賞したのだ。「その贈呈式で彼女がいいスピーチをしてくれてね。《私の記憶は7歳のとき、東京大空襲の焼け野原から始まっています。すべてが焼かれ、写真1枚残っていない。昔の記憶も残っていない。戦争を二度と起こさないために、何か役に立てることはないか。そんなときに映画と出合い、それをこれまでずっとやってきました》と。僕は会場で聞いていて“こんなに喋る人だったんだ”と驚かされました。監督というのは好き放題、やりたい放題。それを勝手にやらせてくれたのは、プロデューサーである妻であったと、そのとき気づかされた。そしていまでは、娘の千茱萸、彼女の夫と一緒に、家族で映画を作っている。これは幸せなことです」大林さんの家族もまた、映画を愛し、そして何より新しい映画に挑戦し続ける大林さんを愛していた。そんな家族について語る大林さんの表情は、いつも優しかった。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日4月10日(金)、82歳で死去した大林宣彦監督を追悼する特別企画として、日本テレビ系では4月18日(土)、大林監督がメガホンを取り原田知世主演で筒井康隆の人気SFファンタジー小説を映画化した『時をかける少女』を放送する。『HOUSE ハウス』で商業映画初監督、80年代には本作とともに『転校生』『さびしんぼう』の3作が“尾道三部作”として多くの観客をとりこにしたほか、92年には『青春デンデケデケデケ』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。近年は『この空の花-長岡花火物語』『野のなななのか』、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞をはじめ数々の映画賞を受賞した『花筐/HANAGATAMI』といった作品を世に送り出し、精力的な活動を続けてきたが、16年にがんが発覚。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の製作に向けて闘病を続けていた矢先、82歳の生涯に幕を下ろした大林監督。大林監督を世に知らしめた“尾道三部作”の1作でもあり、監督が角川春樹とタッグを組んで世に送り出したアイドル映画の代表作ともいえるのが本作となる。昨年放送の「あなたの番です」も話題となった原田さんは本作で初の映画主演を務め、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。興行成績も28億円の配給収入をあげて公開年の邦画第2位となるヒットを記録した。物語は、ある日の放課後の実験室でラベンダーの香りを嗅いで以来、時間を跳躍する能力を持ってしまった芳山和子(原田さん)が、同じ毎日を繰り返すなかで、同級生の深町一夫(高柳良一)と淡い想いを寄せるのだが、一夫には“秘密”があって…というもの。当時16歳の原田さんによるフレッシュな演技と、叙情溢れる尾道の風景。そして現在まで数多くの作品が作られる“ループもの”青春ストーリーの元祖ともいえる、時空を超えた切ないラブストーリー。その美しい映像と世界観はいまだに多くの人の心を惹きつけてやまない。『時をかける少女』は4月18日(土)13時30分~日本テレビでオンエア(関東ローカル)。(笠緒)
2020年04月18日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)塚本 晋也(映画監督・俳優)大学生のころ、「『HOUSE/ハウス』という面白い映画があるぞ!」と自主映画仲間と映画談義に花を咲かせました。その後、大好きな『転校生』、『時をかける少女』(ラスト、倒れていた原田知世さんが立ち上がって歌い出す瞬間の驚きとときめき)など好きな映画はたくさんありますが、大林監督とお話するようになったのは、実は2015年に発表した『野火』以降になります。ですから大林監督を慕って行動を共にされていた監督さんたちとも違い、僕には雲の上の人のようにずっと遠くに感じられていました。学生のころうらやましく見ていた自主制作からプロデビューする監督さんたちの、さらにその先をいく存在だったのです。『野火』の上映で、全国のミニシアターからミニシアターへ行脚していたおり、大林監督の故郷にある映画館シネマ尾道で、僕の『野火』と大林監督の『野のなななのか』を上映し、対談をさせていただく大きな機会を得ました。大林監督は、そのすべての映画に戦争というテーマを隠し味としてこめていたと仰いましたが、3.11以降、『この空の花ー長岡花火物語』からははっきりと戦争がモチーフになっていき、その後『野のなななのか』、『花筐』へと続いてゆきます。対談の前に大きなスクリーンで観た『野のなななのか』は、戦争で亡くなった人たちと今この世で生きている自分たちが地続きに感じられる優しい目線で描かれている作品でした。全編が繰り返し歌われる詩のようで、感情が揺さぶられ続けました。そしてこの連作で、年齢や病をものともせず、作品はますますパワフルに溢れ出したのです。対談ではたくさんの大切なことをお話しくださいましたが、衝撃だったのは、大林監督は「僕(大林監督)は戦後の監督で、塚本君は戦前の監督」という視点。また、正義という概念は時代によって変わるので、必要なのは自分を俯瞰してみる正気の目線だ-。という教え。残念ながら自分たち人間は、状況によっては悪魔に変身することができる生き物だと知ってしまったので、そういう状況を作り出さないようひとりひとりが正気の目を持ち続けることが最も大切という思いに至りました。また『斬、』という新作の上映と舞台挨拶でやはりシネマ尾道にうかがったとき、大林監督が新作を撮影されているということを知り陣中見舞いにうかがったこともあります。撮影中にお邪魔するのもいかがなものかとはばかられたのですが、そうっと覗かせてもらうことにしました。そのとき監督はだいぶ小さくなられていましたが、静かに、着実に撮影を進めていらっしゃいました。撮影現場にいることが一番の薬だったのでしょう。そして自分がひょっこり現れたことをたいへんに喜んでくださいました。その後高崎映画祭の授賞式でもご一緒できる機会があったのですが、セレモニーの間どこにいらっしゃるか分からなく、自分の登壇の直前、舞台袖に待機すると車椅子の方が目に入り、その瞬間も大林監督だとはすぐには思わず、通り過ぎて壇上に出てようやく監督だとわかったのです。舞台袖ですべての進行をご覧になっていたのです。しかし目にしても気づかないほど小さくなられていたのでした。僕もゲストを大勢連れていったものですからそのあと直接お話しする機会を逸してしまい、ずっと気になっていました。あのときシネマ尾道さんの計らいで撮影現場にうかがっておいて本当によかったです。しかし高崎映画祭の壇上に出た大林監督は、本当に病気なのかと思うほどしっかりとして、たくさんの貴重なお話をみなさんにしてくださいました。実は新作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、試写やDVDでなく、町の映画館で一観客として観させていただくのを楽しみにしていたので、初日を今かと今かと待っていたのですが、まさに公開予定日に旅立たれてしまいました。映画はお客さんに届いて完成するものと思っていらしたはずですので、そこまではがんばろうとされていたのではないでしょうか。コロナの終息が見えない中亡くなられてしまったと思うと、映画の感想をお届けできなかったことが悔やまれてなりません。亡くなられる数日前に、自分の名前も上げてくださり、「君たちが映画をつないで平和な世の中に・・・」と途切れ途切れお話しをしたという奥様の恭子さんのコメントを読みました。高崎でお話しできなくごめんなさい。やっぱりどんな形ででも新作を観てしまうべきだったといろいろ悔やみましたが、今となってはいかんともしようがありません。大林さんはずっと平和のことを考え、その思いを映画に込め、語っていらっしゃいました。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』はとてつもなくパワフルな映画と各所から耳に入ってきます。もう少ししたら、最高の場所、映画館で堪能させていただきますからね、大林監督。ほんとうにありがとうございました。大林監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』から (C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC塚本 晋也(つかもと・しんや)1960年東京生まれ。映画監督/俳優。日本大学芸術学部卒業後、『電柱小僧の冒険』(1987)でPFFグランプリを受賞。『鉄男』(1989)でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど、国際的な映画祭での評価も高く、ヴェネツィア国際映画祭では審査員も務めた。自作の『野火』(2015)、『斬、』(2018)や、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』(2016)などに、俳優としても出演している。
2020年04月16日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)川本 三郎(映画評論家/文芸評論家)大林宣彦さんは、大仰ではなく、ほとんど「奇跡」のような存在だったと思う。八十歳を過ぎ、癌と闘いながら最後まで映画を作り続け、遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を作り上げたことも「奇跡」だし、なによりも映画人生の大半を「自由人」として映画を作り続けたことが「奇跡」だった。大林さんの世代の映画監督の大半は、映画会社に所属している。当時としては、それが当たり前だった。ところが大林さんは、まったく別のところから現われた。子供の頃から八ミリで映画を作り、映画少年がそのまま大きくなり、テレビのコマーシャルを多数作り、そして、映画を作るようになった。それまでの映画監督、あるいは同世代の映画監督が「撮影所育ち」だったのに対し、大林さんはあくまでも「自立」した「自前」の映画監督として映画を作り続けた。その意味で、映画史のなかの、いい意味での「突然変異」と言っていい。映画会社に属さないということは、経済的には大変だったと思うが、逆に、映画会社の枠にとらわれない自由な映画を作ることが出来た。「映像の魔術師」と呼ばれるほど、従来の映画文法にとらわれない想像力豊かな映画を作り続けることが出来たのは、大林さんが映画会社に所属しなかったことが大きいと思う。大林さんは、映画監督であると同時に「自由人」であり続けた。そこに敬服する。そして、あの優しい風貌に、この言葉は似合わないかもしれないが、偉大なる「一匹狼」だった。それを、奥さんの大林恭子さんや、娘さんの千茱萸(ちぐみ)さんが支え続けたのも素晴しい。矛盾した言い方になるかもしれないが、「家族に支えられた一匹狼」と言えばいいだろうか。「自由人」にふさわしく、大林さんの映画は、テーマよりもメッセージよりも、最初は何よりも、自由奔放なイメージの連続から作られた「奇妙なもの」として立ち現れた。従来の日本映画のこぢんまりした花鳥風月の世界とはまったく違う。アメリカン・アートのポップな感覚、テレビのコマーシャルのカラフルな喧騒には正直、最初はついていけなかった。2016年11月に、『キネマ旬報』の仕事で『花筐/HANAGATAMI』製作中の大林さんにインタビューをした時、「君は、最初の頃、僕の映画を批判していたよね」と言われて、思わず冷や汗をかいたものだった。大林さんの作品で最初に感動したのは、遅れていて、1984年の『廃市』だった。それまでの、にぎやかな世界と違って、福岡県の「柳河」という掘割の町、水の町を舞台にした静かな映画で、大林さんはこんな映画も作るのかと魅了された。福永武彦の原作も好きだったし、何よりも北原白秋が好きだったので、『廃市』を観たあと、すぐに「柳河」に旅した。のち、2012年に、北原白秋論『白秋望景』(新書館)を書いたのも、きっかけは大林さんの『廃市』だった。大林さんは声もよかった。あるところで『廃市』はナレーションの声がいいと書いた。あとで、その声は監督の大林さん自身の声だったと知って、恥かしくもあり、同時にうれしくもあった。かつて木下恵介監督は「作品のなかで必ず映画的実験をする」と言って、作品ごとにそれを試みたが、大林さんも新作ごとに「映画的実験」に挑んだ。ひとつ例を挙げれば2004年の『理由』だろうか。あの宮部みゆきの傑作を映画化する。普通の映画監督ならリアリズムの手法で事件を追っていただろう。ところが大林さんはそうはしなかった。テレビのワイドショーの手法を使った。それまでは映画では使ってはならないとされていた、俳優がまっすぐカメラを見るという禁じ手を逆手にとって、俳優たちがワイドショーのレポーターのように正面からカメラを見て事件を語る。この型破りの手法には驚いた。「自由人」だから出来る冒険だったろう。大林さんの「映画的実験」は近年の『花筐/HANAGATAMI』や『海辺の映画館-キネマの玉手箱』で如何なく発揮されている。どちらの作品も反戦のメッセージが強く打ち出されているが、決してありきたりのリアリズムの枠にはおさまっていない。具象画の世界に突然、抽象画が現われたような新鮮な驚きがある。故郷である尾道を舞台にした尾道三部作をはじめ、小樽、長岡、臼杵、唐津など地方を舞台にした作品を作り続けたことも、東京一極集中の時代にあって意味が大きい。中心に対して、周縁からの抵抗の思いもあっただろう。大林さんの反骨精神を感じる。『廃市〈HDニューマスター版〉』発売・販売:キングレコードKIXF-4286/¥2,500+税 KIBF-4533/¥1,900+税川本 三郎(かわもと・さぶろう)1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞などを文芸著作で各賞受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。
2020年04月15日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)植草 信和(元キネマ旬報編集長)大林さんと最後にお会いしたのは2018年の春だった。クランクイン直前に下された〈余命三ヵ月宣告〉を撥ね返して完成させた『花筐/HANAGATAMI』公開が前年の2017年12月だから、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』準備中だった。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」の取材で、3回に亘って6時間ほどインタビューさせていただいた。場所はご自身のプロダクション〈PSC〉の仕事場兼応接間。恭子夫人に伴われて現れた監督は病魔との戦いに疲れた様子だったが、インタビューを始めるとそれまでの痛々しさを微塵も感じさせないほど饒舌になり、尾道時代の幼年期からの「映画人生」を語ってくれた。個々の作品評価は紙幅の都合で別の機会に譲るとして、大林さんが我々に遺してくれた最大の遺産は何だったのだろうか、と真剣に思う。それを一言で表せば、「後進への映画の道を切り拓いた」ということに尽きる。映画監督への道はそれまで、撮影所の門をくぐった者しか開かれていなかった。だが彼は、CMディレクターであり自主映画の監督に過ぎなかったにも関わらず、『HOUSE /ハウス』で東宝という大メジャーから監督デビューを果たした。しかも興行的にも大成功を収め、一躍時の人、人気監督になった。大林さんの出現は、日本映画史に「大林以前・大林以後」と特筆大書してもいいほど燦然と輝く新たな一ページを加えた。日本映画界が低迷していた中でのその鮮烈な監督デビューは、大森一樹や原田眞人、是枝裕和、岩井俊二という現在の日本映画を牽引する監督たちを登場させる端緒になったといっていい。その他、犬童一心、塚本晋也、手塚眞、今関あきよしなどの大林チルドレンと言われる監督たちも生まれ、その幹から育った監督たちも多くいる。3.11東日本大震災からは「反戦」を刻印する映画を4本作った大林監督、文字通り遺書になった著書『最後の講義/映画とは“フィロソフィー”』の終章は、「映画では、平和を引き寄せられます。本当にそれができるんだから。頼むよ、みんな」という一文で結ばれている。その一文から、手塚治虫が「漫画と少年」の懸け橋になったように、大林さんは「映画と青年」の懸け橋になったのだ、と思える。大島渚、かわなかのぶひろ、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫ら審査員各氏がそろったPFF審査中の貴重なショット。手前左端サングラスが大林監督。写真提供:PFF植草 信和(うえくさ・のぶかず)1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」で、大林宣彦監督のインタビュー&構成を担当。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)中川 右介(作家)最初に大林宣彦監督にお会いしたのは、スマートフォンの記録を見ると、2013年10月29日。当時の私は「関西ウォーカー」誌に、後に『角川映画 1976-1986』(角川文庫)となる記事を連載しており、角川春樹時代の角川映画で最も多く撮った大林監督に、時間をとっていただき、『時をかける少女』などの角川映画時代を語っていただいた。実はその時点まで、どういう本にするか明確な設計図ができていなかったのだが、このインタビューで、「角川春樹と大林宣彦の距離感のある盟友関係」を隠れた主題にするアイデアを思いついた。そのインタビューの際、同行していたカメラマンが「写真のチェックをしますか」ときくと、「それはあなたの仕事でしょう。僕の映画なら、もちろんチェックするけれど、あなたの写真なのだから、あなたが最もいいと思う写真を使いなさい」との答えで、かっこいいなあと思った。そこに、プロとしての矜持を感じた。監督の好きな言葉で言えば、「フィロソフィー」を。その矜持の本質をもっと知りたくなり、『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)という本を企画し、私がインタビューをして構成することになった。原稿に大林監督が手を加え、さらに私が手を入れと、何度も原稿のやりとりがあった。組版してからも大変だった。この本を手にしてていただければ分かるが、一行も余白がない。たとえば、校正刷りで、あるページに2行余白が生じると、大林監督は2行足して埋めていく。映画には余白はない。始まったら最後まで1秒も空白がない。その感覚で、作られた本だった。カメラマンが撮った写真はその人の作品だから口出ししないが、本での自分の発言は自分の作品だから、一字一句までこだわる。そのすさまじさ。一緒に映画を作ることはなかったけれど、この本を作ったことで、プロとしての大林宣彦の仕事の流儀、作法に接することができた。生涯の思い出だ。インタビューの後は、いつも成城学園前駅近くで食事をした。ある晩、店から出てくると、駅周辺にいる人たちが夜空を見上げていた。「なんだろう」と私たちも見上げたが、とくに変わったものは見えない。私はぼんやりと見上げていただけだったが、大林監督は、見上げている人たちのそばへ行き、「何が見えるんですか」ときいた。すごい好奇心だ。「月食です、いま見えなくなったところ」との答えに、「見えないわけだ。見そこなったのは、ツキがなかった」と大笑い。「大林宣彦のダジャレ」のひとつだ。新宿で食事をしたときも、「西武新宿線で帰ります」と言うと、すかさず「ほう、西武線か。セイブ戦線異状なしだといいね」と返された。ダジャレの天才だった。これからも、大林映画は何度でも見ることができるけど、あのダジャレはもうきけない。映画『HOUSE/ハウス』のチラシ中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京生まれ。出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)など、映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)樋口 尚文(映画評論家、映画監督)1977年、東宝のスクリーンに『HOUSE/ハウス』という作品が「乱入」してきた時のインパクトは、当時の若い観客にとってとんでもないものだった。その頃はビデオなどないから、封切りの後は、私のように名画座で何度も観まくる中毒患者が多発した。この作品は言わば邦画らしからぬモダンなタッチで描かれた美少女ホラーだったのだが、中毒まで行った観客はそんな設定やストーリーのうわべに痺れていたのではない。ぼくらを虜にしたのは、特異な画と音で埋め尽くされた映画の行間にたちのぼるフィルムの手ざわり、フィルムの生理のようなものであり、そこに弾けては消える(少女の思春のときの儚さのような)抒情、リリシズムを感じて甘美な疼痛を覚えていた。自然主義的な文学性で語ってきた日本映画の歴史のなかで、フィルムを愛玩しつくした先に降るフィルムそのものの抒情を領分とする作品などあり得なかった。正確に言えば、邦画五社の商業映画でなければ、それは存在した。『HOUSE』のひと昔まえに大林が発表した16mm作品『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を筆頭とする個人映画の諸作である。『いつか見たドラキュラ』は全国の大学祭で上映しないところはないくらいの人気を博したが、それはまさにフィルムの生理で語った画期的な大林調が若者たちを揺さぶった結果であった。『HOUSE』の凄さは、これらの個人映画が発散していた濃厚なフィルムの抒情が、手かげんなく東宝の夏休みアイドル映画に越境していた、ということだ。この「越境」の原点は、それを遡ること二十年前、大林青年が8mmカメラで映画を撮り出した頃にすでに明らかだ。すなわち大林は戦時中の子ども時代から熱狂的な映画ファンであったものの、8mmで作り出したのはフィルムの手ざわり、生理をもって自分ならではの「詩」をうたう習作だった。以来、大林はテレビコマーシャルの売れっ子演出家である時も、16mmのアンダーグラウンド映画の作家である時も、35mmの商業映画の監督をまかせられた時も、全く変わらずに大林の専売特許であるフィルム的抒情をもって作品づくりに傾注した。だから、厳密に言うと『いつか見たドラキュラ』時代の作風が『HOUSE』に越境したというよりも、大林は常に変わらず「私人=詩人」として自分だけのフィルムの「詩」をうたってきた、ということだろう。それは近年のデジタル長篇時代になっても変わらないどころか、より旗幟鮮明に(身体は病み疲れても)情熱的なフィルム語りにのめっていった。そして作家はつねに「私性」に生き、自分だけの「詩」をうたうべし、という大林の実践的な教えは、大林も審査員をつとめていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身者をはじめとする「大林チルドレン」の監督たちに継承されていった。だが、あの『時をかける少女』などをはじめとする口あたりのよいジュブナイルの紙背にひそむ、フィルムそのものの匿名の抒情の戦慄は、なまなかな追随を許さぬ「導師」ならではの境地であろう。畏怖とともに、合掌。新文芸坐で開催された「大林宣彦映画祭2017」のチラシ樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。2017年、新文芸坐での「大林宣彦映画祭」を企画。2019年、大林監督の研究本『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)を責任編集。
2020年04月12日映画監督の大林宣彦さんが4月10日、肺がんのため亡くなった。82歳だった。大林さんにゆかりのある俳優たちからは、追悼の言葉が上がっている。83年の主演作「時をかける少女」で映画デビューを果たした原田知世(52)は《大林宣彦監督 在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします》とTwitterに投稿。また各メディアによると82年の「転校生」で主演の1人を演じた小林聡美(54)は「大林監督は私の根っこであり、お日様でした」「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしたという。16年8月、映画「花筐/HANAGATAMI」の撮影前日に肺がんだと判明した大林さん。ステージ4だと診断され、2日後には余命3カ月と宣告された。しかし、奇跡的に復活を果たした。17年9月、本誌で大林さんは余命宣告に対して「自分でも不思議なほどネガティブな気持ちはいっさいなかった」と告白。そして「それはやはり、伝えなければいけないメッセージがあるから。命懸けで撮らなければならない映画があるからなんです」と語っていた。身を賭して撮り続けたのは、同作で戦争を描いたためだ。映画を通して、反戦を伝えてきた大林さん。そこには黒澤明さん(享年88)に託された願いがあったという。黒沢さんはある日、こう話した。「大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ」「きみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ」大林さんは「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです」と語っていた。そんな大林さんが亡くなった4月10日は、新型コロナウイルスの影響がなければ新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱-」が公開される日だった。同作も戦争をモチーフにした映画だ。18年12月、再び本誌の取材に応じた大林さんは闘病生活について「がんとは共存共生」と表現。そして「地球からしたら、戦争をやめられない人間こそが、がんだっていうことですよ」「勝つためだけに国に殺され、たくさんの人々が不幸になる」として、同作についてこう語っていた。「現代の若者たちが幕末日本や第二次世界大戦中の中国戦線、原爆投下直前の広島にタイムスリップします。現象だけを見ると、戦意高揚の映画に思われるかもしれない。勝って喜んでいるシーンもある。自分でも笑えない幕間喜劇という難しい作品に手を出したな、と思っています」さらに「僕は、“あと30本映画を撮る”と言っているんです。未来のことはわからないけど、そのつもりでいないと生きていることにならないと思っているんです」と、これからについても意気込んでいた。最期まで映画に人生を捧げてきた大林さん。黒沢さんの願いを自身が引き継いだように、次は大林さんの思いを別の誰かが繋いでいくだろう。
2020年04月11日タレントの早見優が11日、オフィシャルブログを更新し、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。早見は、「私が初めてミュージカルに出演したのは、アメリカで大ヒットした映画『グリース』の舞台版でした。1988年。大学を卒業し、アイドル活動も少し落ち着いてきた頃でした」と大林さんとの思い出を回顧。「事務所からはもうレコードも売れる年齢ではないので、もう少し幅広くお芝居などに挑戦するようにと、話がありました。大好きな歌が歌えないのか、、、と落ち込んでいた時に、ミュージカルのお話をいただいたのです。それが『グリース』でした。演出は大林宣彦監督」そして、「舞台が初めての私には、セリフ、踊り、歌を全部こなすのにとても大変な思いをした事を覚えています」と懐かしむ早見。大林さんはそんな早見に対して、どんな時も優しい笑顔で「大丈夫だよ。絶対できるから」と励ましてくれたそうで、「サンデイのソロ曲の、“Hopelessly Devoted to you”を、一度英語で歌ってみなさい、と指示があり、英語で歌ってみたら、サンデイの気持ちがとても分かりやすくて、その気持ちで日本語で歌ってみて、と演出してくださった事があります」と振り返った。「昨年30年ぶりにグリースの出演者のみんなと集まりました。その時に監督に会いたいね、とみんなで話していました」と感慨深げな早見。「優しい笑顔の大林監督」と思い浮かべ、「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼している。
2020年04月11日『カメラを止めるな!』(17)などで知られる上田慎一郎監督が11日、ツイッターを通じ、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。上田監督は、「『ハウス』を観て映画ってこんなに自由なのかと衝撃を受けた」と大林監督が手掛けた同作に触れ、「カメ止めを観て頂いた時はぎっしり手書きの感想を書いて送って下さった」と感謝。「初めてお会いした時は『いいパジャマを着なさい。妻にだけ見せるお洒落だからね』という言葉をもらった」と金言を振り返り、「大林宣彦監督。唯一無二の方でした。ご冥福をお祈りします」と追悼した。また、「コロナでの延期がなければ今日4月10日は大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開初日だった。今日の夕方、『長岡花火大会が中止になった』というニュースを見て、嗚呼、と大林監督の顔がよぎっていた」と感慨深げな上田監督。「なんだろう。色々と考えてしまう」と心境をつづっている。
2020年04月11日原田知世主演『時をかける少女』などの“尾道三部作”をはじめ、数々の名作を世に贈りだしてきた映画作家・大林宣彦監督が、肺がんのため4月10日(金)に82歳で死去。この日は、最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。1938年、広島県尾道市生まれ。3歳のときに自宅の納戸で見つけた“活動写真機”と戯れるうちに映画をつくり始めたという。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用したCMを製作、その作品数は3,000 本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(’82)、『時をかけ る少女』(’83)、『さびしんぼう』(’85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、現在も新世代のクリエイターへ大きな影響を与えつづけている。近年には“大林的戦争三部作”と呼ばれる『この空の花-長岡花火物語』(’11)、『野のなななのか』(’14)、『花筐/HANAGATAMI』(’17)を発表。特に『花筐/HANAGATAMI』は第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。また、2004年春の紫綬褒章受章、 2009年秋の旭日小綬章受章。2019年には令和初の文化功労者にも選ばれていた。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林監督渾身の最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。その公開予定日だった4月10日(金)19時23分、東京都世田谷区の自宅にて息を引き取った大林監督。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定。喪主は、妻で映画プロデューサーの、大林恭子氏が務める。『時をかける少女』でデビューした原田さんは「在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」とTwitterに思いを綴り、また、『青春デンデケデケデケ』に出演した浅野忠信も「ありがとうございました一緒に映画を撮った日々を忘れません」とTwitterを更新。岩井俊二監督は「ちょっとすぐには受け止められない。 エネルギッシュな新作にコメントを書かせて頂いたばかりでした」とまだ信じられないといった様子で、「訃報を聞いて呆然としている」と綴った行定勲監督は「恩師を失ってしまったような気持ちだ。この時、拙作『遠くの空に消えた』を『僕が撮ったらあんな爽やな風のような映画にならない』と気に入ってくださった」と2ショット写真をアップするなど、出演者や映画関係者、映画ファンから悲しみの声が相次いでいる。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は近日公開。(text:cinemacafe.net)
2020年04月11日