●ガングロだった女子高生時代「子どもから大人まで世代に関係なく食の楽しさや大切さを伝えていきたい」そう話すのは、“野菜ソムリエCanaco”こと神野佳奈子さん。ABCテレビの通販バラエティ情報番組『TOKIO城島 ほのぼの茂』のコーナー「発見! 全国まるうまグルメ」で全国のご当地食材を使ったレシピを紹介するほか、イチナナライバーとして野菜に関する配信を行うなど、さまざまなメディアで食について発信している。マイナビニュースでは今回、Canacoさんにインタビュー。野菜ソムリエを目指すきっかけとなったガングロ時代のエピソード、『TOKIO城島 ほのぼの茂』に出演して感じたTOKIO・城島茂のすごさなどについて話を聞いた。○■野菜に興味を持った一番のきっかけはガングロなんです――野菜ソムリエとしての活動を始めたきっかけを最初にお伺いできればと思うのですが、かなり壮大だとか。2時間くらい喋れるのですが、今回は5分にまとめさせていただきます(笑)。――取材時間の関係もありますので、大変助かります(笑)!両親が旅行好きで、子どもの頃から47都道府県を色々と回って、野菜の収穫体験をさせてもらっていました。でも、そのときは特に野菜が好きということもなくて、野菜に興味を持った一番のきっかけはガングロなんです。――ガングロ!?そうなんです。私が高校生の頃はガングロブームで、女子高生の5人に1人は肌を黒く焼いていたんじゃないかな? 私も「黒くないと女子高生じゃない!」と思っていました(笑)。夜、歩いてると目と歯しか見えてないくらい本当に真っ黒で、髪の毛も白メッシュを入れていて、毎日池袋にいるような女子高生でした。そんななか、進路を考える時期になって、私は大学に進学したいと思ったのですが、進路担当の先生から「進路を考える前に、まず日焼けをほどほどにしなさい」と言われて。それで、肌を白くするにはどうすればいいんだろうと色々調べていくと、トマトを食べるといいという話を聞いて、ものすごい勢いでミニトマトを食べ始めたんです。でも、1カ月経っても、全然白くならない。なんでだろうと思ってまた調べたら、生のトマトだけを食べててもダメで、あたためたトマトも食べないと効果がないことが分かって。それからトマトを焼いたり、ラーメンに入れたりして食べていると、1カ月で肌が真っ白になったんです! そのおかげか、大学にも合格できました。――すごい! 大学は食に関係する学部に?いえ! 当時はただただ大学に行きたいと思っていて、社会学部に進学しました。でも、自分は大学で何がしたいんだろうと思い始めて……。そんなとき、私は高校生の頃、あんなにも夢中になってトマトのことを調べていたじゃないかと。それがきっかけで、もっと野菜のことを知りたいと思うようになり、大学に行きながら、野菜ソムリエの学校にも半年間通って、資格を取りました。○■「本にしてみませんか?」と声をかけていただいて――まさしくガングロが野菜ソムリエになるきっかけですね。その後はどのようなキャリアを歩むことになるんですか?就職活動中ちょうど、野菜のレストランをこれから始めるという企業を知り、「ここに行くしかない!」と(笑)。それで入社試験を受けて、外食産業の会社に就職しました。当時はまだ野菜ソムリエがあまり知られていなかったのですが、それから野菜ブームが来るんです。コンビニに野菜ジュースが並びはじめ、野菜のレストランも段々と増え、野菜のスイーツが出てきて、畑ブームも来ました。――野菜レストランでは接客もされていたとか。元々人と会うことが好きで、人と会って何かを教えてもらって、それに興味がわいてやりたいと思うことってすごく大切だなと思っていて。女子高生のときも「友だち1,000人作るんだ!」と意気込んでいたので、とにかくいろんな子たちとプリ交換をしていました。当時のプリクラを見ると、全然知らない人もたくさんいて(笑)。●ライブ配信の第一印象「ギャルがいっぱいいると思いました(笑)」――接客業も天職だったんですね(笑)。野菜ソムリエとして個人での活動はどのように始まるんですか?当時、お客さんと交わした野菜についての会話をブログに書いていたんです。「肩こりがひどいんだけど、なんの野菜がいいかな?」「肩こりには春菊がおすすめ」とか、「目の疲れにはナスがおすすめ」とか。そのブログを読んだ方から、「本にしてみませんか?」と声をかけていただいて。でも、副業という言葉もまだないときなので、本を出すなら、会社は辞めないといけません。仕事は楽しくてやりがいを感じていたので、辞めたくなかったんですけど、この先、自分の本を出せる機会なんてないだろうなと思って、本を出すほうの選択肢を選びました。独立してすぐはほとんど仕事がなかったんですけど、女子高生の頃にお世話になっていたマーケティング会社の社長さんから「うちの会社でCanacoちゃんをマネジメントするから、女子高生マーケティングの仕事もしながら、野菜ソムリエとしての活動を増やしていきなよ」と言っていただいて。そのマーケティングの仕事で知り合った方たちからも紹介があって、野菜ソムリエとしての活動も少しずつ増えていきました。○■ライブ配信でも野菜について発信――女子高生の頃の経験がまたしても役に立ったんですね。Canacoさんは現在様々なメディアで活躍しながら、「17LIVE」にも精力的に取り組まれています。配信を始めたのは何かきっかけがあったんですか?コロナ禍に休校中の小学生の生活や学習の習慣づけを支援する、よしお兄さん(小林よしひさ)がMCを務める番組があって、その番組で私は野菜クイズコーナーを担当していたんですけど、その番組を見た方から、「オンラインイベントでも野菜クイズを出してほしい」と声をかけていただいて。すると今度は、Clubhouse(音声SNS)でも野菜のことを話すことになり、リアル、オンライン、音声配信と3つ同時にイベントをやってみましょうとなったんです。でも、同時にいろんな形で発信すると、皆さんそれぞれ視聴環境が違うし、誰にも響かなくなっちゃうなと思ったんですよね。それでメディアを一つに絞ってやってみたいと話したときに、「17LIVE」を勧めてもらいました。――初めてライブ配信をしたときの感想は?ギャルがいっぱいいると思いました(笑)。そんなところにエプロンをした私が出て入って大丈夫かなと心配だったんですけど、誰かが野菜を食べるきっかけになればと、飛び込んでみました。――普段はどんな配信をしているんですか?疲労回復には、アスパラガスの根本部分を食べるのがおすすめと伝えたり、“あしたば”ってどうやって食べたらいいんだろうって気になったときに質問してもらったり。野菜についてちょっとでも気になることがあったときに気軽に遊びに来てもらえるような配信になれば、うれしいなと思っています。――野菜の効能や調理法を調べる人も多いと思うので、配信でそれをリアルタイムで教えてもらえるのは助かりますね。野菜を食べるのがより楽しくなりそうです。文部科学省も食育を推進しているのですが、運動するにも勉強するにも、まずはちゃんと食べないといけません。それくらい“食”って本当に大切なんです。私は春夏秋冬の旬の野菜、47都道府県それぞれのご当地野菜を伝えていきたいと思っているのですが、ライブ配信はピッタリでしたね。全国にリスナーさんがいて、みなさんからも各地の野菜について教えてもらえるんです。●城島茂と牛肉の品評会の話で大盛り上がり○■城島さんは本当に真面目な方――Canacoさんは『TOKIO城島 ほのぼの茂』にも出演されています。城島茂さん、井戸田潤さん、さゆりさん、藤本美貴さんと個性豊かな面々ですよね。そうですね。番組が始まってからもう2年ほど経つのですが、ミキティとは子どもの食事の話をしたり、さゆりさんはご自身もレシピ本を出していらっしゃるので、レシピの話をしたり、楽しく収録させていただいています。城島さんは本当に色々なところに行かれていて、牛肉特集のときは、牛肉の品評会の話で盛り上がりました(笑)。生産者の方も収録にいらっしゃるんですけど、城島さんがあまりにいろいろなことを知ってるので、井戸田さんが「城島さんは生産者側なんですか!?」とツッコミを入れています(笑)。――牛肉の品評会の話で盛り上がれるタレントさんはそういないように思います(笑)。城島さんは本当に真面目な方だなと思いますね。食をテーマにした番組はたくさんあって、出演者の皆さんもすごく勉強されているので、スゴいなと思うんですけど、城島さんは勉強したことというより、経験したことをお話している印象があります。例えば、うずらの卵を特集したときも、本当に「生産者の方ですか!?」ってくらいお話が面白くて(笑)。――城島さんはやはり『ザ! 鉄腕! DASH!!』(日本テレビ系)で身につけたことなんですかね?城島さんがどこで知ったかをお話されることはないんですけど、私も、たぶん井戸田さんも「あっ、これもDASHなのかな」と心の中で思っています(笑)。――番組が長く続くと、レシピ考案も大変そうです。番組で紹介するレシピはどんなふうに考えているんですか?全国の生産者さんたちと一緒に作っている番組なので、日本各地の食材を紹介するのですが、ライブ配信のリスナーさんから教えてもらったこともレシピの参考になっているんです。以前、福岡の明太子を特集したとき、福岡では生の明太子と焼いた明太子を混ぜる人もいるとリスナーさんから教えてもらって、『ほのぼの茂』ではそれを参考にしたレシピを紹介しました。「よくネタが尽きないね」と驚かれることもあるんですけど、47都道府県の旬の食材を追いかけてるし、リスナーさんからもそんなふうに教えてもらえるので、ネタが尽きることは本当にないですね。――最後に、Canacoさんが今後実現したいことを教えていただけますか。一番はやっぱり食育の大切さを伝えることです。日本全国の子ども達に平等に食育の授業を届けるため、年間80~100校の小学校を回っているのですが、赤ちゃんだって生まれた瞬間から何か食べたいし、おばあちゃんちに行くと、大体机の上にお菓子があって「食べる?」と聞いてくれたり(笑)、みんな食べることをずっと考えているんですよね。子どもから大人まで世代に関係なく食の楽しさや大切さを伝えていきたいですし、ライブ配信やテレビ、ラジオなど視聴環境の違う人たち一人ひとりに合った情報を整理して伝えていくのが、私の任務なのかなと思っています。■プロフィール野菜ソムリエCanaco(神野佳奈子)1982年1月14日生まれ。東京都出身。大学在学中に野菜ソムリエの資格を取得。コンビニやメーカーでの野菜を使った食料加工品・菓子などの商品開発、レストランやサラダバーのプロデュースを手がける。これまでに上梓した著者は『大切な人に教えたい野菜の魔法』、『ホイル&ラップ包んで作るおいしいおかず100レシピ』(ブティック社)、『スティックおにぎり』(宝島社)等多数。2022年にライブ配信アプリ「17LIVE」で「かなこりん」の名でライバーとしての活動をスタートさせた。ABCテレビの通販バラエティ情報番組『TOKIO城島 ほのぼの茂』(毎週月曜13:49〜)にレギュラー出演。
2023年08月03日TOKIOの城島茂と国分太一が出演する、ふくしまプライド。の新CM「桃」編、「夏野菜」編が、14日から福島、関東・関西エリア、北海道で順次放送される。新CMでは、城島と国分が福島の大自然を背景に「夏だ! ふくしまウマイぞ!」というセリフと共に全速力で駆け寄りながら登場。「桃」編では、城島が両手に福島県産の桃を手にし、「会いたかったよ! 桃!」と愛おしそうに頬に寄せる。がぶりと丸かじりすると、「ウマイのよ、それしか言えないのよ!」と言い、「農家の皆さん、今年もがんばったね!」と生産者へ労いの言葉を投げかける。一方、「夏野菜」編は「今年もふくしまの夏野菜は絶好調!」と話す国分が、今朝採れたばかりのきゅうりとトマトを頬張り、「きゅうりウマっ! トマトもウマっ! ってか、アマ!」と堪能する。そして、その感動的なおいしさに「お店で出会ったら即買いです!」と思わず声をあげてしまう。また、今秋には松岡昌宏が出演する新CMも公開される予定だ。
2023年07月14日TOKIOの城島茂が出演する、アートネイチャー・増毛の聖地シリーズの新CM「アートネイチャーだけ」編が、17日から放送される。増毛の聖地シリーズの第2弾となる新CM。地名表記から“増毛の聖地”と称される北海道・増毛町を舞台とした前作に続き、新CMでも、“髪多い”という言葉を連想させる神奈川・上大井のキャンプ場を城島が訪れる。上大井という地名に感心するシーンを撮影した城島。カメラが止まったあとも「前回は北海道の増毛町でしたけど、今回の上大井は神奈川県ですか?」と興味津々の様子で、「いろんな地名が出てきますね。前向きなイメージがいいです。ほかにも出てくるのかな~(笑)」と次回作に期待を寄せた。また、モデルと並んで歩くラストシーンでは、「足並みがそろってないと気になるからな~」と念入りに調整。「全員がジャニーズだったら、わざとバラバラに歩いて“味”ってことにできるけど(笑)」とジョークを飛ばす場面も見られたが、本番では見事なウォーキングを披露した。■城島茂インタビュー――撮影を終えた感想をお聞かせください。現場はテンポがよくてチームワークもばっちりで、楽しく撮影できました。――前回は増毛の聖地と呼ばれる北海道・増毛町が舞台でしたが、新CMの舞台となった上大井という地名はご存じでしたか?実は私、この上大井という地名を初めて知りまして……。前回の増毛町も本当にあるのかな? って思ったら本当にあるということで、実際に駅もあって。今回は上大井、申し訳ないんですけど初めて聞いて、全国にいろんな地名があるんだなって勉強になった次第です。――「かみおおい」の地名にちなんで、多くなったら嬉しいものを教えてください。やっぱり「More Hair More Smile」ということで、“笑顔”がたくさん欲しいですね。よくダジャレを言うんですけど、あんまり笑顔をもらえないというか……笑いが起きないので(笑)。「More Smile」ということで(笑顔が)欲しいと思っております。「ダジャレを言うのは誰じゃ!?」……すみません(笑)。――城島さんが親“密度”をアップしたいと思っている人はいますか?TOKIOがCDデビューしたのは1994年なんですけど……来年は2024年で30周年になるんだなって。ということは30周年に向けてメンバー同士、全員で親密度をアップして、いい30年を迎えようと。普段から仲良くしておかなきゃなって思いましたね。――「自分だけができる!」という特技があれば教えてください。(TOKIOの)松岡ですとモノマネとかあるんですけど僕はモノマネもできないので、これといった特技っていうものがないんです。子どもの頃、皆さんできるのかな? と思っていたんですけど……頭皮の自由度が高いといいますか、ジャニーズの中で多分僕だけかと思うんですけど、“手を動かさずに髪が動く”っていう(笑)。(頭皮を動かして髪を揺らす特技を披露しながら)この特技でこの(CMの)仕事をいただいたというわけじゃないんですけども(笑)。お笑い芸人のコロッケさんもこの技できるんですけど、コロッケさん本人に見せたら、「オレ以外にできる人、初めて見た」って言われたので、ジャニーズでは僕だけなのかな?って(笑)。
2023年03月17日TOKIOの城島茂、国分太一、松岡昌宏が12日、都内で行われた「ネスカフェ 沖縄コーヒープロジェクトアンバサダー就任発表会」に出席した。沖縄において大規模な国産コーヒー栽培を目指すプロジェクトのPRアンバサダーに就任したTOKIO。同アンバサダーに選出してもらったことに感謝した国分は「前例がないことにチャレンジすることが人にとって大切なことで、それが20年後、30年後、沖縄でコーヒーを作ることが当たり前になってくる。その先頭に立っている人たちのお話を伺えるということは、本当に幸せです」と目を輝かせ、「前例がないことにチャレンジしている人たちのことを、僕らはめちゃくちゃ大好きです」とにっこり。加えて「僕らももしかしたらジャニーズ事務所で前例がないことをいろいろとやってきている気はするんですけど、そういった部分でもそのマインドを現場に行って感じられたことは幸せだなと思っています」と笑顔を見せ、松岡も「私たちも背伸びすることなく、同じラインに立って一緒に経験していくということが、今回、我々がおおせつかったことなのかなと思います」と吐露した。また、これまでさまざまな農業を体験してきたTOKIOだが、コーヒー豆の栽培に関わるのは未経験だそうで、松岡は「この国でコーヒー(栽培)というものあるのかもしれませんが、知りませんし、新しい沖縄の特産品になるかもしれないと言われている沖縄コーヒープロジェクトが最初だと思うので、(沖縄に) 行ってみて楽しいことばかりなんですよね。(コーヒー栽培のことを)知らないので」と胸を躍らせ、「いくつになっても学べるということは楽しいなと改めて思いますね」と声を弾ませた。さらに、3人は沖縄に行ってコーヒーの苗木植えを行ったそうで、感想を聞かれた城島は「コーヒーを育てる上でただ暑いだけじゃダメだという部分も知りましたし、機械を使って植えさせていただくのも初めてだったので、TOKIOもさすがの初体験ということで、新鮮な気持ちで植えさせていただきました」と語り、「その植えた苗木がどれだけ育つんだろうって部分も楽しみで、ワクワクしながら植えさせていただきました」と目を輝かせた。加えて、現地で感じたことをキーワードで発表する企画で"5年"と挙げた国分は「実はコーヒーの栽培には5年の歳月がかかるんです。何が起こるかわからない中で、結果が出るのが5年ということで、いかに沖縄でやっているプロジェクトがすごいことかということを、ちょっと考えるきっかけになってもらえたら嬉しいなと思っています。私たちもそこをしっかりと伝えていきたいと思います」と言葉に力を込め、「ただ、生産者さんはそこをポジティブに考えながら楽しんで栽培しているので、いろんなことを勉強されてきている方たちなんだなって感じていますね。ぜひみなさん、5年かかるということを、コーヒーを飲むときに思い出していただけたら嬉しいです」と呼びかけた。
2022年10月12日TOKIOの城島茂が出演する、アートネイチャーの新CM「増毛町」編が、1日から放送される。新CMでは、レポート役の城島が“増毛の聖地”と称される北海道・増毛町を訪問。「髪が増えそうな町やな~」と町名に興味を示していると、出会った町民が“1,000本増毛”していることを明かし、城島は彼の毛髪の自然な雰囲気に驚かされる。撮影では、「増毛町(ましけちょう)」という地名を聞き、「本当にあるんですか? どの辺りですか?」と興味津々の様子の城島。全国各地を飛び回っている城島も、知らなかった地名に驚き、撮影終了後には「街の風景、駅の雰囲気とかも一度見てみたい」と話した。また、レポーター役でありながら特別な設定はなかったため、本人として出演してほしいと監督から指示を受けると、自然な演技を披露。しかし、インタビューが失敗するシーンでは、コントのようなリアクションを見せる場面もあった。■城島茂インタビュー――撮影を振り返っての感想と、新 TVCM の見どころをお聞かせてください。実際に増毛された方と撮影をご一緒したんですけど、本当にすごく自然な仕上がりで驚きました! CMでは「実は増毛してるんです」と打ち明けられるシーンがあるんですけど、そこが見どころじゃないかと。私はお芝居じゃなく本気で驚いていますので、そのリアクションも確認していただければと思います。――新CMの舞台となった北海道の「増毛町」をご存知でしたか?今回の撮影で初めて知りました。最初は撮影のための架空の町で、「ぞうもうちょう」って読むのかと思ったんですけど、本当に実在する町だと聞いて驚きました。“増毛の聖地”にもなってると聞いてちょっと驚いたんです。廃線になってるらしいんですけど、「増毛」っていう駅もあるということで……ボクらTOKIOも全国いろんなところを回って日本一周くらいしてるんですけど、さすがに知らなかったですね~。――「増毛町」を舞台としたCMと聞いた時、どう思われましたか?アートネイチャーさんのCMとリンクしてて、言葉のイメージもそうですけど、こうして撮影できるのは本当にありがたいことだと思いました。いろんな町の線路や駅もそうなんですけど、残念ながら廃線っていうことで今は使われていないのかもしれませんけど、やっぱりいろんな方々の思い出とか、訪れる方々の思いもあると思いますので、街の風景、駅の雰囲気とかも一度見てみたいと思いますね。――最近「実は〇〇した」ことを教えてください。実は最近……“ある方”にプレゼントを買いました。どういうことかと言いますと、実はこの撮影する日がうちのメンバーの国分太一の誕生日なんですよ。で、前もって彼へのプレゼントを買ったっていうことなんです。まだ渡してないんですけど。来週みんな揃うので、そこで渡そうかな、と。付き合い長いですから、そんな大そうなものをあげるわけじゃないんですけど……彼の好きなキャンプ系のグッズを、サラッと買ってみたんですけどね(笑)。――“増毛”にちなんで、“今年増やしたいもの”を教えてください。今年増やしたいのは……本当にずっと思ってるんですけど、“人との縁”や“つながり”っていうのは増やしていきたいな~って。TOKIOとしていろんなことをやらせていただいて、いろんな方々と出会わせていただいて、いろんなことを教えていただいて今に至るので、もっともっといろんな方々と出会って“縁”っていうものを、“人とのつながり”を増やしていけたらと思っています。そこがボクらのいちばん大事にしたいところなので。(一年半前に)会社を立ち上げたことによって、普通のタレント活動ではなかなか出会えない方々と会う機会が増えました。今日はCMの撮影ですけど、その裏側では僕らよりも前にスタンバイして、終わってからも片付け作業をする方がいます。そういうことを考えると、「みんなでものを作ってるんやな」っていう感じがするので、今回のアートネイチャーの新CMは出てる人間以外にも、ものづくりの人たちが関わっていることを少しでも感じていただけたらと思います。――城島さんの近況を教えてください。自分が生まれる前からアートネイチャーさんの会社があるわけですから……本当に敬意の念を感じざるを得ません。私は50代に入ってから株式会社 TOKIOを立ち上げたということが大きかったんじゃないかと思います。メンバー全員が“アラフィフ”って呼ばれる世代ですから、「この年からまた新しいことを始めるのは、なんかワクワクするね」って言いながら、50代みんなで頑張っていこうっていう気持ちで会社を立ち上げたんですけど。そういう部分で、自分たちの中でも新しいこと始めたっていう気持ちもありましたし、アイドルグループって言っていいのか……まあアラフィフですけど(笑)、TOKIOのリーダーとしても頑張っていきたいと思っています。
2022年10月01日TOKIOの城島茂が14日、都内で行われた「ふくしまプライド。」新CM発表会にクリエーターの箭内道彦とともに出席した。福島県では、東日本大震災以降、県産農林水産物のおいしさや魅力、安全性について情報発信の取組を強化。その一環として、平成24年度よりCMへの出演に TOKIOを起用し、「ふくしまプライド。」をキャッチフレーズにしたテレビCMやグラフィック広告を制作、オンエア・掲出している。11年目を迎えた今年も新CMが制作され、イベント翌日の15日から全国で順次放映をスタート。新CMは松岡昌宏出演の「産地のきもち・桃」編、国分太一が出演した「産地のきもち・夏野菜」編、城島茂が登場する「産地のきもち・水産物」編があり、それぞれが生産者の本音に耳を傾けながら"産地のきもち"を発信するというストーリーだ。新CMは福島県出身の箭内道彦が監督を担当している。城島が出演したCMは、福島県郡山市にある寿司店で撮影したそうで、「これだったら場所が都内でも分かりませんが、そこは実際に郡山市にある地元の皆さんも愛されている場所で撮影することに意味があると思いました。そして生産者の皆さんも揃って地元でやることが映像からにじみ出る"産地のきもち"も含め、あの場所じゃなかったら出来なかったんじゃなかなと思います」と福島で撮影することの大切さを実感したという。福島には度々訪れている城島は「僕たちはロケでよく行くんですが、仕事で行くという感じではなく、様子を見に行ったり帰るとか戻るとか、そういう思いがあります。『第2のホーム』とTOKIOは言っていますが、"産地のきもち"を皆さんに届ければいいなと思っています」としみじみと語った。イベントの中盤ではCMに出演した福島の生産者も登場。「水産物」編で共演した柴田康寛さんについて城島は「柴田さんがこの出で立ちですからタレントより目立たないでよ! と思うような感じで撮影しました(笑)」と笑いを誘い、「福島のプライドをサラッとした感じで表現していました。ジャニーズと言えども勉強になりましたね」と生産者の演技を絶賛。最後に「20年以上前にメンバー全員で福島の地に足を踏み入れ、色んなことを教わりながら成長させていただきました。2011年に色々あってTOKIOも何かか出来ないかということでさり気なくやってきました。我々TOKIOも色んなことがありましたが、福島の皆さんが僕たちの背中を押してくださりました。福島県には脚を向けて寝られないと思いながら生きています。今後も"生産者のきもち"に寄り添い、全国の皆さんに福島の生産物を届けていくお手伝いが出来たらと思っています」と意気込みを語っていた。
2022年07月14日株式会社TOKIOの社長・城島茂が20日、都内で行われたインクリメントP株式会社 社名変更・新事業発表記者会見に出席し、「自分たちは5人から3人になりましたが、それでも続けていこうと起業しました。前を向いて歩いていこうという思いはみんな一緒だと思う」と未来に意欲を見せていた。2022年1月20日に、インクリメントPからジオテクノロジーズ株式会社に社名変更。代表取締役社長CEOの杉原博茂氏は「メタバースの世界を牽引するESGカンパニーとして新たな成長ステージに」と期待を口にしていたが、そんな杉原社長が活動にシンパシーを感じていたのがTOKIOだったという。2020年7月に設立された株式会社TOKIOの取締役社長に就任した城島。2021年4月には福島県庁企画調整部企画調整課内に同社と市町村や各種団体など関係機関との橋渡し役の窓口として企画実現をサポートする仮想組織としての「TOKIO課」が設置されるなど、幅広い活動を繰り広げているが、杉原社長の熱意に城島は「故郷も一緒、東北での活動など共通点が多い」と不思議な縁を感じているという。さらに城島は「自分たちはタレントとして福島で田植えなどを20年以上やらせてもらっていますが、師匠から教えてもらったことを後輩たちに繋いでいっている。古き良き日本の知恵や技術、思いを、僕はTOKIOのリーダーとして、社長としてこれからも繋いでいきたい」と未来に思いを馳せると「自分も親なので、子供にもしっかり伝えていきたいです」と語っていた。また、さまざまな技術によって、未来の生活を予測できるという杉原社長の言葉に「子供がもうすぐ2歳になるので、どこに保育園ができるのか……みたいな情報が分かるのはとてもいいですね」と笑顔を見せた城島は、「自分たちは5人から3人になりましたが、それでも続けていこうと起業し、新しいものを作っていこうとしています。どの企業も前を向いて歩いていこうという思いは一緒だと思います」と力強く未来を見つめていた。会見にはモデレーターとしてキャスターの小谷真生子も参加した。
2022年01月20日大林宣彦監督1989年の名作『北京的西瓜』(ぺきんのすいか)のデジタル配信が開始された。青果店を営む夫婦と中国人留学生たちとの心温まる交流を、実在の人物と実際にあった出来事を基に描いた本作は、およそ20年前にDVD発売されてはいるが、長らく今も続く廃盤状態で入手困難となっていた作品。1989年5月~7月に撮影されたが、天安門事件により、当初予定していた中国での撮影が急きょとん挫したという。現実の青果店の雑然とした空気感、自然で臨場感あふれる撮影手法と演出に安定的に下支えされた物語は、無償の思いやり、愛情と信頼、受けた恩に報いる気持ち、そして時代に翻弄される悲しみまでが、淡々粛々と描かれている。STORY船橋市郊外の青果業・八百春の主人の春三(ベンガル)は、李中山(ウー・ユエ)という中国留学生と知り合ったことから、彼らの苦しい生活を見兼ねて、援助の手を差し伸べた。最初は軽い気持ちでやった春三だったが、次第にエスカレートしていき、ついには自らの生活までをも犠牲にしてしまうのだった。留学生たちは彼を「日本のお父さん」として慕うが、春三が忙しくなればなるほど、女房の美智(もたいまさこ)の負担は重くなり、挙句の果てには店や家庭の危機にまで発展してしまった。「このままでは店が潰れてしまう!」と留学生たちは店を手伝うようになり、春三や美智は感涙にむせんだ。そして数年が過ぎ、中国に帰った李中山から国際電話が入り、彼らの招待で春三と美智は中国へ向かった。映画『北京的西瓜』監督:大林宣彦原作:林小利/久我山通脚本:石松愛弘撮影:長野重一音楽:根田哲雄出演:ベンガル/もたいまさこ/峰岸徹/林泰文(c)1989 MAXDAI CO., LTD.配信はコチラ:
2022年01月02日東京芸術劇場のリサイタル・シリーズ「VS」(ヴァーサス) 第3弾、塩谷哲と大林武司のピアノ・セッションによる公演が2022年3月25日(金)に開催されることが決定した。リサイタル・シリーズ「VS」は、「ピアノ・デュオ(2台のピアノ)演奏」によって、ふたりの異なる個性を持つピアニストがぶつかり合う、新しい形のリサイタル。その第3回目となる公演では、ジャズ界のみならず多彩な活動で音楽界を走り続ける塩谷哲と、NYを拠点とし、MISIAのバンドマスターとしても活躍する大林武司が登場する。ふたりの出会いは大林の出身地・広島で開催された塩谷のコンサート。大林は塩谷の演奏に感動を受け、楽屋を訪れた。そこで塩谷からエールをもらったことが、アメリカ留学の後押しのひとつの要因となったと大林は語っている。そんなふたりが約15年の時を経て、“ピアニスト”と“ピアニスト”として、舞台の上で初共演を果たすことになった。東京芸術劇場のステージで、ピアノを通し、対話するように楽譜も筋書きもないパフォーマンスを披露するふたり。誰も予想できない熱狂的な空間をぜひ、会場で体感してほしい。チケットは好評発売中。■公演概要東京芸術劇場 リサイタル・シリーズ 「VS」Vol.3SHIONOYA Satoru × OHBAYASHI Takeshi2022年3月25日(金) 19:00開演会場:東京芸術劇場 コンサートホール
2021年12月13日嵐・二宮和也、なにわ男子・西畑大吾、TOKIO・城島茂が出演する、日清オイリオ・鮮度のオイルシリーズの新CM4編が、21日より放送される。新CMでは、これまでCMキャラクターを務めてきた二宮と西畑に加えて、過去に日清オイリオのCMに出演した経験もある城島も出演し、ジャニーズ3世代が集結した。ごま油「追いがけ、味変、ごま油」編、BOSCO「はじめにオリーブオイル」編は二宮と西畑が、アマニ油「オメガ3摂るなら」編、有機えごま油「愛してます」編には、二宮と城島が出演している。二宮と西畑が出演するごま油とオリーブオイルのCMは、料理を食べたときの表情を通じておいしさを伝える内容。監督の「食べてもらいましょう」に満面の笑みを見せ、カットがかかった後も撮影を忘れたかのように料理を楽しんでいた。また、「ごま油×あんぱん」という意外な組み合わせに思わず「えー!」と声を漏らした西畑だったが、一口食べると「超おいしい。これすごいな……」「革命的にうまい!」と驚いた様子でスタッフにグッドサインを出した。二宮と城島の撮影では、久しぶりの同CM撮影に挑んだ城島が「二宮くんのCM、見てたから!」と言うと、「僕も城島さんのCM見てましたから!」「(城島さんは)オイル界のレジェンドですからね!」と声を掛け合う姿が。本番では城島が「クセがないから、“えごま3”が……」と“えごま油”と“オメガ3”の言葉が合体してしまうハプニングもあったが、終始和やかなムードで撮影が進んだ。撮影以外では、世代の枠を超えての交流も。城島が「誰よりもオイルに対する“愛”は負けていません!」と胸を張ると、西畑は「いや、僕の方がオイルを愛していますよ! 家でもほとんど毎日、キムチにオイルをかけて食べています」と対抗し、二宮も「僕も揚げたり、(オイルを)かけたりしてますし、得意中の得意! おまけに、CMの中でも『有機えごま油』のことを“愛してます”って言ってますからね!」とアピールするなど、互いに“オイル愛”を競い合っていた。
2021年10月20日TOKIOの城島茂、国分太一、松岡昌宏が出演する「ネスカフェ ゴールドブレンド」新TVCMが、4日より全国で放送される(ブランドサイトでは、1日より公開)。「ネスカフェ ゴールドブレンド」レギュラーソリュブルコーヒーは9月1日に全面刷新し、上質な香りとすっきりとした後味を実現。ネスレ日本では、「自分の好きな活動を楽しみながら、その結果として社会や周りの人びとにポジティブな影響を与える活動を行っている人」を“違いをつくる人”とし、株式会社TOKIOの事業コンセプトに「なんでもつくろう!」を掲げるTOKIOをCMに起用した。3人は、“違いをつくる人”として新TVCM「スターロースティング製法」篇、「違いをつくる人の」篇に出演する。新CMは、10年ぶりの復活となる「ダバダ」のフレーズでお馴染みのCMソング「目覚め」と共に、TOKIOメンバーのキャラクターが活きる設定とストーリーが見どころ。ロッジでの団らんや焚き火を囲むシーン、農作業に汗を流す表情など、「違いをつくる人の」を表す世界観と共に、「ネスカフェ ゴールドブレンド」の魅力を伝える映像に仕上がっている。3人は打ち合わせの段階から和気あいあい。穏やかな光が差し込むムードのあるロッジでゆったりとテーブルを囲み、静かにカメラが回りはじめると、自然な雰囲気でコーヒーカップを口元に近づけ、それぞれに「ネスカフェ ゴールドブレンド」の香りを楽しんでいた。監督がカットの合図を入れると、城島は「あと味すっきりやね~」と目を細め、国分も「本当に美味しいなぁ」と、まるでプライベートのブレイクタイムを楽しむようにコーヒーを味わっていた。三者三様、TOKIOのメンバーそれぞれの個性を引き出しながら展開するストーリーの中でも、城島のキャラクターは際立っており、「スターロースティング製法」篇で国分と松岡の問いかけに対し、「おかわり」や「いや、味わってる」と、やや的はずれ的に答える場面では、1カット撮り終えるたびにクスクスと笑いが起きるなど和やかなムードで撮影が進んだ。セッティング変更に伴う待機時間でも、国分と松岡が日常的な話題で会話を楽しんでいるところに、聞き役の城島がポツリと合いの手を入れるなど、撮影現場で過ごす3人の姿は常に自然で演出と現実の境目がなかったという。1日、都内で行われた新TVCM記者発表会に3人そろって出席。かっこいい大人の人が出演しているイメージの「ネスカフェ ゴールドブレンド」のCMに起用されたことに驚いたと言い、「うれしい気持ちでいっぱい」「感無量です」「感謝しています」などを心境を語った。
2021年10月01日政府内に設置されている『新型コロナウイルス感染症対策分科会』の、尾身茂会長。刻一刻と変わる感染状況に合わせ、政府に感染対策として行うべき提言を行っています。そんな尾身会長が、2021年8月30日、Instagramを開設。投稿した画像に写っていた、尾身会長の姿が話題を呼んでいます。尾身会長のTシャツには…尾身会長は今回、Instagramを開設した理由についてこのようにつづっています。新型コロナの対策にあたっている専門家チームのリーダーをしています。皆さんの知恵や工夫、意見を参考にさせてほしいと思い、「コロナ専門家有志の会」の一員としてInstagramを始めました!フォロー・シェア・質問などよろしくお願いします!omi.shigeruーより引用尾身会長は、政府から感染対策を取るよう呼びかけられている国民から、じかに意見をもらって今後の対策に活かしたいのでしょう。投稿した写真に写る尾身会長は、白いTシャツを着用。そのTシャツには…。 この投稿をInstagramで見る 尾身茂(おみ しげる)(@omi.shigeru)がシェアした投稿 Tシャツには、『#ねえねえ尾身さん』という、検索時に使うハッシュタグが書かれていました!Instagramの利用者がこのハッシュタグを使うことで、尾身会長に新型コロナウイルス感染症や感染対策について質問することができます。「ねえねえ」と呼びかけるような、親しみを感じられるハッシュタグなので、気軽に尾身会長に質問できそうですよね。尾身会長が着ていたTシャツに、多くの人が反応しました。・尾身会長の優しそうな人柄が伝わりますね!・お茶目なTシャツを着ていて、かわいいと思います。・普段スーツ姿の尾身会長が、Tシャツを着ているのが見慣れなかったので、思わず画面を拡大してしまいました…。早速『#ねえねえ尾身さん』を使った人からは、こうした意見が挙がっていました。・子供が毎日、不安を抱きながら登校しているので、自由にオンライン学習ができる社会になってほしいです。・現在の対策を終わらせる出口戦略や、収束の具体的道筋を示していくことが大切だと思いますよ。これまで政府に届かなかった国民の声も、尾身会長を通して政府に伝わることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年09月02日創業50年の歴史を感じられる檜のカウンター席油で揚げるのに適した質やサイズにこだわった天ぷら名職人の先代に直接伝授された技で伝統の味を守る創業50年の歴史を感じられる檜のカウンター席カウンター席の目の前で店主が一つずつ天ぷらを揚げてくれる赤坂駅から徒歩2分。古き良き天ぷら料理を楽しめる、創業50年の老舗天ぷら専門店【天茂】。店内の檜のカウンター席や柱などの設えは、オープン当時のものを使用し続けています。伝統の味を受け継いだ女性店主が丁寧に揚げる天ぷらのファンは多く、カウンター席はいつも常連客で賑わっています。昔ながらの天ぷらの味に出合うことができる【天茂】の先代は、銀座【天一】で修行し、昭和39年に赤坂で独立しました。現在のビルに移転してから約40年の時を経た店内は、どこか懐かしい雰囲気を醸し出しています。天ぷらの食材はオーソドックスなものが中心。伝統の味を守るために、定番の食材を使い続けることにこだわっています。油で揚げるのに適した質やサイズにこだわった天ぷら天ぷらの素材には、先代からつき合いのある信頼できる業者から仕入れる魚や野菜を使用。クオリティの高い食材の中から、油で揚げるのに最適な質やサイズを選んで仕入れています。気軽に楽しめるランチでは『天丼』や『かき揚げ丼』が好評で、夜の「おまかせコース」なら天ぷらを贅沢に堪能できます。今回は、夜の「おまかせコース」のメニューを3つご紹介します!『海老』『海老』さばきたての活車海老を天ぷらにした一品【天茂】では、新鮮な生きた車海老を天ぷらに使用します。目を離せば跳び回るような活きのいい車海老を手早くさばき、衣をまとわせてサッと揚げます。揚げたての車海老は、プリッとした身とカリッとした頭に分けられているので、それぞれの食感を堪能できます。『穴子』『穴子』一本ずつ丁寧に揚げられている穴子の天ぷらは、一本まるごと衣をつけて油に入れます。サクサクに揚がった衣を切ると、みずみずしい白身がのぞきます。ホクホクの穴子の身は柔らかく、職人の技が光る絶妙な仕上がりに。揚げ油は食感を大切にするために、風味豊かな胡麻油をベースに綿実油をブレンド。高温でカラリと揚げられる工夫が施されています。『天茶漬け』『天茶漬け』かき揚げをあっさりとした茶漬けでいただく夜の「おまかせコース」の締め料理には、かき揚げをのせた『天茶漬け』か『天丼』を選べます。特に『天茶漬け』が人気で、締めにふさわしいあっさりとした風味を楽しめるでしょう。揚げたての天ぷらを楽しめる「おまかせコース」なら、最後の一品までこだわりの天ぷら料理を味わえます。名職人の先代に直接伝授された技で伝統の味を守る2代目を受け継ぎ、伝統の味を守る高畑さん【天茂】を創業した先代の父が天ぷらの名職人だったことから、2代目を受け継ぐことになった店主の高畑さん。おいしい天ぷらを揚げるための技を先代から直接伝授され、伝統の味を守り続けています。先代の味と細やかな技術に加え、気持ちを込めて仕事に励む姿勢が多くの常連客を魅了しています。昔ながらの天ぷら専門店【天茂】。先代から伝統の味を受け継いだ女性店主が、厳選した旬食材の天ぷらを丁寧に揚げてくれます。風情ある落ち着いた雰囲気の店内でいただく天ぷらは格別の味わいでしょう。「おまかせコース」で天ぷらを存分に堪能してみてはいかがでしょうか。料理人プロフィール:高畑粧由里さん1964年生まれ、東京都出身。中高一貫校の教師をしていた30歳の時に先代の父・倉茂富夫さんが病気になり、夜は助手として【天茂】の揚げ場に立ち始める。その後、店を継ぐために約2年半にわたり直接指導を仰ぎ、33歳で2代目に就任。天茂【エリア】赤坂【ジャンル】和食【ランチ平均予算】1400円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】赤坂駅 徒歩2分
2021年08月09日人気グループ『TOKIO』のメンバー、城島茂さんがテレビドラマ『サムライカアサン』で主演を務めることが発表されました。『サムライカアサン』が城島茂主演で実写ドラマ化板羽皆さんの同名漫画を実写化した本作は、息子と夫に全力で愛をそそぐ『ザ・大阪のオカン』こと主人公の伊佐木よい子と、家族の日常を描いたハートフルコメディ。愛が深すぎるがゆえ、時に息子に煙たがられてしまう主人公を、城島茂さんが演じます。なお、城島茂さんは50歳にして本作が初主演ドラマ。自身初となる主演ドラマに緊張感をにじませるも、男性でありながら女性役を演じるという意外性のあるキャスティングには「オカン役には全く抵抗がない」とコメントを寄せています。50歳で連ドラ初主演になるのですが、この歳にしてちょっとドキドキしております。普段バラエティばかりなので、ドラマのお話をいただいて驚きましたが、オカン役には全く抵抗なく(笑)こうして伊佐木よい子の姿になったら、ますますその気になりました。自分の中の母性という部分では、TOKIOのメンバーのことはすごく小さい頃から知っているので、当時のやんちゃな時代が垣間見える、照れ臭そうな笑顔を見ると、カメラを向けてこっち向いて!と言いたくなることはありますね(笑)親は子と共に成長すると聞きますが、僕もこのドラマを通して親として成長できたらと思います。「サムライカアサン」は、出てくる登場人物みんなが主役で、それぞれの人生を一生懸命生きていて、それを見ながら私も頑張らな!それでええやん!って励まされる、笑いたっぷり、ホロリもいっぱいの物語です。10月の放送までぜひ楽しみにしていてください!サムライカアサンーより引用YouTubeでは、『サムライカアサン』の特報映像も解禁され、オカンに扮した城島茂さんの姿を見ることができます。過去には、女性歌手・島茂子に扮するなど女装はお手の物の城島茂さん。オカンの衣装姿にも違和感がありません!テレビドラマ『サムライカアサン』は、2021年10月から日本テレビで放送開始予定。追加キャストも含め、続報にも期待がかかります。[文・構成/grape編集部]
2021年05月22日TOKIOの城島茂、国分太一、松岡昌宏が21日、都内で行われた「うどんで日本を元気にプロジェクト合同記者会見」に、株式会社TOKIOの社長(城島)、副社長(国分と松岡)として出席した。会社設立後、3人そろって公の場に登場するのは初めて。株式会社TOKIOはこのたび、丸亀製麺と共創型パートナーシップを締結。丸亀製麺が展開している「うどんで日本を元気にプロジェクト」で連携することが決定した。今後、両社で、“うどんで日本を元気にしたい”という理念のもと、生活者、生産者、地域社会に元気を届けるために、様々なプロジェクトを企画し、取り組んでいく。会見には、株式会社TOKIOの3人と、トリドールホールディングス代表取締役社長兼CEOの粟田貴也氏、同執行役員兼丸亀製麺取締役鳶本真章氏が出席。城島は社長として調印式で署名を行い、国分と松岡が笑顔で見守っていた。粟田社長は、TOKIOの3人の印象を「モノづくりに対してこだわりが本当にすごい。すべて手作りでやり遂げてしまうこだわりは我々と相通ずるところで、パートナーとして忘れてはいけない根っこの部分だと思う」と述べ、「これまで培ってきたお互いのこだわりに磨きをかけてやっていきたい」と期待を込めた。一方、城島は「丸亀製麺さんは全国展開されているということもあり、それぞれの街に愛され親しまれている印象があります。小さい頃から食べに行かせていただいていますが、お店で一から製麺されているのはすごい。“生きているうどん”というキーワードは、まさにその通りだなと。モノづくりに対するこだわりは株式会社TOKIOとしても勉強になる。共創ということで、何ができるのかワクワクしながらこの場にいます」と話した。さらに、「自分たちが培ってきたアイデアをぶつけながら企画に参加させてもらって、ディスカッションして、素晴らしい何かができないかなと思っています。丸亀製麺さんとともに日本中を元気にできるお手伝いができたら」と力強く語った。城島の滑らかなトークに、国分は「リーダーのときはよく噛んでいたんですけど、社長になったら噛まなくなっている。ちょっと驚いていますけど、ついていっていいですか? これからも」といじり、城島が水を飲むと、「急に水を飲み出すんですね」とすかさずツッコミ。松岡も「うちの城島がこんなに滑らかにしゃべれることが感無量で、マネージャーに言って完パケをもらいたい」と話し、城島が再び水を飲むと、国分が「そして水を飲むのね」とここでもツッコミを入れ、息の合った掛け合いで笑いを誘った。
2021年04月21日アイドルグループ『TOKIO』の元メンバーである山口達也氏が、2020年9月22日に酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕されました。同日、山口さんは信号待ちをしていた乗用車にバイクで追突。警察が呼気検査を行った結果、アルコールが検出されたといいます。山口氏は「運転時に酒が残っていると思わなかった」と容疑を一部否認し、同月26日現在、警察は引き続き調査を行っています。山口達也氏の再逮捕に、『TOKIO』城島茂が悲痛なコメント2018年4月には強制わいせつ行為が発覚し、ジャニーズ事務所との契約を解除した山口氏。またもや飲酒が絡む今回の再逮捕は、世間を騒がせました。2020年9月26日、『TOKIO』のリーダーである城島茂さんがMCを務める情報番組『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日系)でも、今回の事件について特集。城島さんは「一緒に仕事をしてきたメンバーの事件について言及しなくてはいけないのはつらいところもある」と切り出し、世間の人と同じようにテレビの速報でこの事件を知ったといいます。真剣な表情で、城島さんは今回の件についてこのようにコメントしました。みなさんご承知の通り、山口本人が2年前に事件を起こしまして。事務所辞めて、『TOKIO』からも離れて、「頑張ってる」っていうふうには…「(酒を)やめた」ってやり取りをしてたんで。「自分なりに頑張ってる」って聞いてましたし。ちょっとなんかこう…あれから2年経って、許されることではないんでしょうけど、彼なりの頑張りを見守ってた自分もいたもんですから。まあちょっと今(山口氏が逮捕される)映像流れてますけど、ちょっと…直視できない自分がいましたね。お酒を飲んで運転っていうのは、あってはいけないことですし、今回、逮捕ということですけれども「なんでこうなってしまったのかな」っていう残念な気持ちはものすごくありますよね。それが率直な自分の意見なんですけれども。まあ、ほかにもちょっといろいろ思うことありますけどね。ちょっとつらいですよね…はい。週刊ニュースリーダーーより引用定期的に山口氏と連絡を取り、状況を確認していたという城島さん。うまくいっているように感じていたからこそ、今回の事件は衝撃的だったのでしょう。つらそうに眉根をひそめ、城島さんは続いてこのように心境を明かしました。『TOKIO』のデビュー日が21日で今月あったんですけど。彼が(『TOKIO』を)辞めて1人だったっていうのも、さびしかったのか…家族と離れて、離婚もあったんで、切なかったのか、つらかったとは思うんですけれども。自分だけがつらかったわけじゃないでしょうし、自分だけが頑張ってるわけでもないですし、みなさんが頑張ってるとは思うんですよ。だから自分だけがそういう状況じゃないっていうことを分かってほしかったなっていうとこが、自分にも「彼の中で2年前のあのことを、ちゃんと反省とか教訓とか、どこまでを汲みとめてくれてたのかな」っていう。まだまだ甘い部分が残ってたのかなっていう。しっかりとやっぱり今回のことは受け止めてほしいなと思いますし、これまでの反省とか、この2年間が全部無駄になってしまうんで。週刊ニュースリーダーーより引用強制わいせつ事件の際には、『TOKIO』のリーダーとして頭を下げ、涙を浮かべながら山口氏の騒動について謝罪した城島さん。山口氏の行為に傷付いたのは被害者やファンはもちろんのこと、メンバーである城島さんもでしょう。城島さんの痛々しい姿に、多くの人から同情する声や応援する声が上がっています。・きっと城島さんだけじゃなく、ほかのメンバーも同じ心境だと思います。頑張ってほしい。・そりゃつらいよなあ。自分も、逮捕される映像を見てなんともいえない気持ちになったよ…。・もしお酒に依存しているのであれば、山口さんにはちゃんと治療を受けてほしい。心配です。城島さんによると、山口氏は病院やカウンセリングに通い、回復を目指しているとのこと。しかし、簡単に改善するわけではないのでしょう。これ以上誰も傷付かないよう、山口氏が再び前を向いて歩いていけることを祈ります。[文・構成/grape編集部]
2020年09月26日7月16日、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(71)が「旅行自体が感染を起こす事はない」と発言。政府の「Go Toトラベル」事業の是非について注目が集まる中での発言に、インターネット上で物議を醸している。各メディアによると、尾身会長は経団連のフォーラムに出席し「旅行自体が感染を起こす事はないですから。もしその事が起きていれば、もう日本中は感染者だらけですよ」と発言。一方で、3密の状況になるなど旅行先での行動によっては感染のリスクがあるとした。これに対しSNSでは批判や疑問の声が上がっている。《旅行自体が感染を引き起こすわけがないというのは分かるけど、無症状患者が地方にウイルスを運ぶ可能性もあるのでは?》《旅行は現地でご飯食べたりいろんなお店に行ったり観光するのがセットでしょ。そういう場で三密避けるのって難しくないか?》《観光を促進するだけではなくて、その先の対策が大事なんじゃないのかな》政府の「Go Toトラベル」事業は当初7月22日から実施の予定だったが、ネット上で「#GoToキャンペーンを中止してください」というハッシュタグがトレンド入りするなど批判の声が噴出。小池百合子東京都知事(68)も7月15日に行われた会見上で、「実施の時期であるとかその方法については、改めてよーくお考えいただきたい」とした。政府は「Go Toトラベル」の実施について、東京都を目的とする旅行、東京都に居住する人の旅行を除外することを検討。16日に新型コロナウイルス感染症対策分科会で専門家の判断を仰ぎ最終判断をするという。
2020年07月16日笑福亭鶴瓶と生田斗真が出演、テレビ東京開局55周年特別企画スペシャルドラマとして2月に放送された「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」。この度、5月31日(日)に本作のアンコール放送が決定した。終戦直後、日本はアメリカを中心とした連合国軍に占領された。そんな混乱を極めた時代に「日本は絶対立ち直る」と信じ、強力なリーダーシップで日本の独立・復興のために突き進んだのが吉田茂。本作はその吉田を主人公に、混乱を極めた激動の時代に、戦後日本の復興へ命を懸けて邁進する吉田と周囲の人物たちの戦いを、娘・和子の視線から描く骨太ヒューマンドラマ。吉田茂を演じるのは笑福亭鶴瓶、吉田の右腕・白洲次郎は生田斗真が演じ、異色の最強タッグが実現。ほかにも、吉田を支えたこりんを松嶋菜々子、吉田の娘・麻生和子を新木優子、吉田を取り巻く5人の男たちを佐々木蔵之介、安田顕、勝地涼、矢本悠馬、前野朋哉が演じている。放送時、「鶴瓶師匠の迫力演技凄い!」「生田斗真演じる白洲次郎、迫真の演技で痺れる…!」などと多くの反響を呼んだ本作が、熱望の声を受け、アンコール放送が決定。鶴瓶さんは「『ワンマン宰相』、そうでなければまとまらなかったあの時代。強い指導力があってこその事だったと思います。いい意味で熱い時代なのでその熱さを感じてお楽しみください」と呼びかけ、生田さんも「鶴瓶さんと心身共に熱い夏を過ごしました。ドラマ吉田茂がアンコール放送します。見逃してしまった皆様も一度ご覧になられた皆様も、他国からの支配に敢然と戦った男達の物語を堪能してください」とコメントしている。あらすじ第二次世界大戦前、駐英大使の吉田茂(笑福亭鶴瓶)は極東情勢の悪化に心痛めていた。時を同じくして、世界各国を飛び回っていた白洲次郎(生田斗真)も、世界情勢の機微を敏感に感じとっていた。白洲と親交の深い吉田は、娘・和子(新木優子)らが見守る中、戦争回避に向けて動くが、その甲斐も虚しく、日本は第二次世界大戦に踏み切った。1945年、終戦。敗戦国となった日本は、アメリカを中心とした連合国の占領の下、復興に向けて歩み始める。総司令部GHQと向き合う外務大臣のなり手が誰も見つからない中、先の大戦に猛反対し投獄された過去を持つ吉田に白羽の矢が立つ。かくして吉田は外務大臣として、のちに総理大臣として、日本の独立と復興を担うことになる…。スペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」(再)は5月31日(日)19時54分~テレビ東京系にて放送。(cinemacafe.net)
2020年05月22日約3年前「がんが消えた!」と笑顔で語ってくれた大林さん。病魔は大林さんに試練を与え続けたが、映画への熱が冷めることはなかった。それはきっといまでも……。「昨年11月ごろから、新作の公開日に照準を合わせて、大事をとって自宅で療養していました。父は何よりも、母のそばを離れたくない。とにかく自宅が大好きな人でした。亡くなる当日まで、寝室の窓から見える八重桜を眺めながら『きれいだね』と、日課のように話をしていました」悲しみをこらえながら、本誌のインタビューに答えてくれたのは、4月10日、肺がんのため亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)のひとり娘、千茱萸さん。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により公開は延期となったが、大林さんが亡くなった日は、くしくも監督を務めた最新作『海辺の映画館−キネマの玉手箱』の公開予定日だった。’16年8月、「肺がんステージ4、余命3カ月」という宣告を受けた大林さん。本誌はその1年後の’17年8月、そして2年4カ月後の’18年12月に、大林さんに2度インタビューをしている。本誌記者に語りかける大林さんの口調は、まるで親がわが子に語りかけるように優しかった。そして自らの人生哲学を語る情熱は、宣告された余命を大幅に超えて生き続けた大林さんのエネルギッシュさを物語っていた。がん闘病、家族の絆、そして映画にこめた「反戦」への思い……。監督が本誌に残した、約9時間にも及ぶ“魂のメッセージ”に、もう一度触れてみようーー。闘病のなか、映画製作に情熱を注ぎ続けた大林さんは、妻の恭子さん(81)のことを「人生最大の理解者」だと語っていた。「僕と一緒になったときも、『あなたの才能を尊敬しているからお手伝いをします。でも、私があなたを尊敬できなかったらすぐに別れます』と宣言されて、一緒になった。古い時代の人ですから、本当に尽くしてくれますよ。自分の体のことは放っておいても、僕のことを気にしてくれてね。恭子さんがいなければ、僕は映画も作っていなかったでしょう。つまり、彼女との出会い自体が、僕そのものなんですよ。彼女もそうみたいですけど(笑)」恭子さんは、成城大学在学中から大林さんの自主映画製作に関わり、以来、大林作品を常に支えてきた。そして『転校生』(’82年)から正式にプロデューサーとなる。「彼女は、“私は最初の観客よ”と、必ず現場にいるんです。映画のプロデューサーはお金を集めてきたら現場にいないのが普通ですが、恭子さんは現場に張り付いている。僕が現場でいろんなことを思いついたりすると、横にいる彼女に相談するんです。そうすると、『あ、面白いわね。きっと面白くなると思うから、やってみて』と言って、すぐにその手配をしてくれます。“面白いと思えば、私はOKよ”というのが彼女のスタンス。ときには、容赦なくシーンをカットすることも提案してきます」夫婦であり、クリエーター同士でもある2人。いつも一緒にいれば、ケンカが起きても不思議ではないのだが。「感情的なケンカはしませんが、議論は年中しています。娘の千茱萸がいるときは、参戦させるんですよ。娘は赤ん坊のころから、夫婦で議論するときにそばに置いていましたからね。小さいときの娘は、議論するママの顔を見ながら“あ、パパのほうが間違っている”とか“ママのほうが正しそうだな”とよく思っていたみたいです(笑)」余命3カ月の宣言を受けてから、すでに2年以上が過ぎた’18年11月、大林さんにとってうれしい出来事があった。長年二人三脚で映画を作ってきた恭子さんが、「第42回山路ふみ子映画賞」で映画功労賞を受賞したのだ。「その贈呈式で彼女がいいスピーチをしてくれてね。《私の記憶は7歳のとき、東京大空襲の焼け野原から始まっています。すべてが焼かれ、写真1枚残っていない。昔の記憶も残っていない。戦争を二度と起こさないために、何か役に立てることはないか。そんなときに映画と出合い、それをこれまでずっとやってきました》と。僕は会場で聞いていて“こんなに喋る人だったんだ”と驚かされました。監督というのは好き放題、やりたい放題。それを勝手にやらせてくれたのは、プロデューサーである妻であったと、そのとき気づかされた。そしていまでは、娘の千茱萸、彼女の夫と一緒に、家族で映画を作っている。これは幸せなことです」大林さんの家族もまた、映画を愛し、そして何より新しい映画に挑戦し続ける大林さんを愛していた。そんな家族について語る大林さんの表情は、いつも優しかった。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日4月10日(金)、82歳で死去した大林宣彦監督を追悼する特別企画として、日本テレビ系では4月18日(土)、大林監督がメガホンを取り原田知世主演で筒井康隆の人気SFファンタジー小説を映画化した『時をかける少女』を放送する。『HOUSE ハウス』で商業映画初監督、80年代には本作とともに『転校生』『さびしんぼう』の3作が“尾道三部作”として多くの観客をとりこにしたほか、92年には『青春デンデケデケデケ』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。近年は『この空の花-長岡花火物語』『野のなななのか』、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞をはじめ数々の映画賞を受賞した『花筐/HANAGATAMI』といった作品を世に送り出し、精力的な活動を続けてきたが、16年にがんが発覚。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の製作に向けて闘病を続けていた矢先、82歳の生涯に幕を下ろした大林監督。大林監督を世に知らしめた“尾道三部作”の1作でもあり、監督が角川春樹とタッグを組んで世に送り出したアイドル映画の代表作ともいえるのが本作となる。昨年放送の「あなたの番です」も話題となった原田さんは本作で初の映画主演を務め、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。興行成績も28億円の配給収入をあげて公開年の邦画第2位となるヒットを記録した。物語は、ある日の放課後の実験室でラベンダーの香りを嗅いで以来、時間を跳躍する能力を持ってしまった芳山和子(原田さん)が、同じ毎日を繰り返すなかで、同級生の深町一夫(高柳良一)と淡い想いを寄せるのだが、一夫には“秘密”があって…というもの。当時16歳の原田さんによるフレッシュな演技と、叙情溢れる尾道の風景。そして現在まで数多くの作品が作られる“ループもの”青春ストーリーの元祖ともいえる、時空を超えた切ないラブストーリー。その美しい映像と世界観はいまだに多くの人の心を惹きつけてやまない。『時をかける少女』は4月18日(土)13時30分~日本テレビでオンエア(関東ローカル)。(笠緒)
2020年04月18日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)塚本 晋也(映画監督・俳優)大学生のころ、「『HOUSE/ハウス』という面白い映画があるぞ!」と自主映画仲間と映画談義に花を咲かせました。その後、大好きな『転校生』、『時をかける少女』(ラスト、倒れていた原田知世さんが立ち上がって歌い出す瞬間の驚きとときめき)など好きな映画はたくさんありますが、大林監督とお話するようになったのは、実は2015年に発表した『野火』以降になります。ですから大林監督を慕って行動を共にされていた監督さんたちとも違い、僕には雲の上の人のようにずっと遠くに感じられていました。学生のころうらやましく見ていた自主制作からプロデビューする監督さんたちの、さらにその先をいく存在だったのです。『野火』の上映で、全国のミニシアターからミニシアターへ行脚していたおり、大林監督の故郷にある映画館シネマ尾道で、僕の『野火』と大林監督の『野のなななのか』を上映し、対談をさせていただく大きな機会を得ました。大林監督は、そのすべての映画に戦争というテーマを隠し味としてこめていたと仰いましたが、3.11以降、『この空の花ー長岡花火物語』からははっきりと戦争がモチーフになっていき、その後『野のなななのか』、『花筐』へと続いてゆきます。対談の前に大きなスクリーンで観た『野のなななのか』は、戦争で亡くなった人たちと今この世で生きている自分たちが地続きに感じられる優しい目線で描かれている作品でした。全編が繰り返し歌われる詩のようで、感情が揺さぶられ続けました。そしてこの連作で、年齢や病をものともせず、作品はますますパワフルに溢れ出したのです。対談ではたくさんの大切なことをお話しくださいましたが、衝撃だったのは、大林監督は「僕(大林監督)は戦後の監督で、塚本君は戦前の監督」という視点。また、正義という概念は時代によって変わるので、必要なのは自分を俯瞰してみる正気の目線だ-。という教え。残念ながら自分たち人間は、状況によっては悪魔に変身することができる生き物だと知ってしまったので、そういう状況を作り出さないようひとりひとりが正気の目を持ち続けることが最も大切という思いに至りました。また『斬、』という新作の上映と舞台挨拶でやはりシネマ尾道にうかがったとき、大林監督が新作を撮影されているということを知り陣中見舞いにうかがったこともあります。撮影中にお邪魔するのもいかがなものかとはばかられたのですが、そうっと覗かせてもらうことにしました。そのとき監督はだいぶ小さくなられていましたが、静かに、着実に撮影を進めていらっしゃいました。撮影現場にいることが一番の薬だったのでしょう。そして自分がひょっこり現れたことをたいへんに喜んでくださいました。その後高崎映画祭の授賞式でもご一緒できる機会があったのですが、セレモニーの間どこにいらっしゃるか分からなく、自分の登壇の直前、舞台袖に待機すると車椅子の方が目に入り、その瞬間も大林監督だとはすぐには思わず、通り過ぎて壇上に出てようやく監督だとわかったのです。舞台袖ですべての進行をご覧になっていたのです。しかし目にしても気づかないほど小さくなられていたのでした。僕もゲストを大勢連れていったものですからそのあと直接お話しする機会を逸してしまい、ずっと気になっていました。あのときシネマ尾道さんの計らいで撮影現場にうかがっておいて本当によかったです。しかし高崎映画祭の壇上に出た大林監督は、本当に病気なのかと思うほどしっかりとして、たくさんの貴重なお話をみなさんにしてくださいました。実は新作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、試写やDVDでなく、町の映画館で一観客として観させていただくのを楽しみにしていたので、初日を今かと今かと待っていたのですが、まさに公開予定日に旅立たれてしまいました。映画はお客さんに届いて完成するものと思っていらしたはずですので、そこまではがんばろうとされていたのではないでしょうか。コロナの終息が見えない中亡くなられてしまったと思うと、映画の感想をお届けできなかったことが悔やまれてなりません。亡くなられる数日前に、自分の名前も上げてくださり、「君たちが映画をつないで平和な世の中に・・・」と途切れ途切れお話しをしたという奥様の恭子さんのコメントを読みました。高崎でお話しできなくごめんなさい。やっぱりどんな形ででも新作を観てしまうべきだったといろいろ悔やみましたが、今となってはいかんともしようがありません。大林さんはずっと平和のことを考え、その思いを映画に込め、語っていらっしゃいました。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』はとてつもなくパワフルな映画と各所から耳に入ってきます。もう少ししたら、最高の場所、映画館で堪能させていただきますからね、大林監督。ほんとうにありがとうございました。大林監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』から (C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC塚本 晋也(つかもと・しんや)1960年東京生まれ。映画監督/俳優。日本大学芸術学部卒業後、『電柱小僧の冒険』(1987)でPFFグランプリを受賞。『鉄男』(1989)でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど、国際的な映画祭での評価も高く、ヴェネツィア国際映画祭では審査員も務めた。自作の『野火』(2015)、『斬、』(2018)や、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』(2016)などに、俳優としても出演している。
2020年04月16日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)川本 三郎(映画評論家/文芸評論家)大林宣彦さんは、大仰ではなく、ほとんど「奇跡」のような存在だったと思う。八十歳を過ぎ、癌と闘いながら最後まで映画を作り続け、遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を作り上げたことも「奇跡」だし、なによりも映画人生の大半を「自由人」として映画を作り続けたことが「奇跡」だった。大林さんの世代の映画監督の大半は、映画会社に所属している。当時としては、それが当たり前だった。ところが大林さんは、まったく別のところから現われた。子供の頃から八ミリで映画を作り、映画少年がそのまま大きくなり、テレビのコマーシャルを多数作り、そして、映画を作るようになった。それまでの映画監督、あるいは同世代の映画監督が「撮影所育ち」だったのに対し、大林さんはあくまでも「自立」した「自前」の映画監督として映画を作り続けた。その意味で、映画史のなかの、いい意味での「突然変異」と言っていい。映画会社に属さないということは、経済的には大変だったと思うが、逆に、映画会社の枠にとらわれない自由な映画を作ることが出来た。「映像の魔術師」と呼ばれるほど、従来の映画文法にとらわれない想像力豊かな映画を作り続けることが出来たのは、大林さんが映画会社に所属しなかったことが大きいと思う。大林さんは、映画監督であると同時に「自由人」であり続けた。そこに敬服する。そして、あの優しい風貌に、この言葉は似合わないかもしれないが、偉大なる「一匹狼」だった。それを、奥さんの大林恭子さんや、娘さんの千茱萸(ちぐみ)さんが支え続けたのも素晴しい。矛盾した言い方になるかもしれないが、「家族に支えられた一匹狼」と言えばいいだろうか。「自由人」にふさわしく、大林さんの映画は、テーマよりもメッセージよりも、最初は何よりも、自由奔放なイメージの連続から作られた「奇妙なもの」として立ち現れた。従来の日本映画のこぢんまりした花鳥風月の世界とはまったく違う。アメリカン・アートのポップな感覚、テレビのコマーシャルのカラフルな喧騒には正直、最初はついていけなかった。2016年11月に、『キネマ旬報』の仕事で『花筐/HANAGATAMI』製作中の大林さんにインタビューをした時、「君は、最初の頃、僕の映画を批判していたよね」と言われて、思わず冷や汗をかいたものだった。大林さんの作品で最初に感動したのは、遅れていて、1984年の『廃市』だった。それまでの、にぎやかな世界と違って、福岡県の「柳河」という掘割の町、水の町を舞台にした静かな映画で、大林さんはこんな映画も作るのかと魅了された。福永武彦の原作も好きだったし、何よりも北原白秋が好きだったので、『廃市』を観たあと、すぐに「柳河」に旅した。のち、2012年に、北原白秋論『白秋望景』(新書館)を書いたのも、きっかけは大林さんの『廃市』だった。大林さんは声もよかった。あるところで『廃市』はナレーションの声がいいと書いた。あとで、その声は監督の大林さん自身の声だったと知って、恥かしくもあり、同時にうれしくもあった。かつて木下恵介監督は「作品のなかで必ず映画的実験をする」と言って、作品ごとにそれを試みたが、大林さんも新作ごとに「映画的実験」に挑んだ。ひとつ例を挙げれば2004年の『理由』だろうか。あの宮部みゆきの傑作を映画化する。普通の映画監督ならリアリズムの手法で事件を追っていただろう。ところが大林さんはそうはしなかった。テレビのワイドショーの手法を使った。それまでは映画では使ってはならないとされていた、俳優がまっすぐカメラを見るという禁じ手を逆手にとって、俳優たちがワイドショーのレポーターのように正面からカメラを見て事件を語る。この型破りの手法には驚いた。「自由人」だから出来る冒険だったろう。大林さんの「映画的実験」は近年の『花筐/HANAGATAMI』や『海辺の映画館-キネマの玉手箱』で如何なく発揮されている。どちらの作品も反戦のメッセージが強く打ち出されているが、決してありきたりのリアリズムの枠にはおさまっていない。具象画の世界に突然、抽象画が現われたような新鮮な驚きがある。故郷である尾道を舞台にした尾道三部作をはじめ、小樽、長岡、臼杵、唐津など地方を舞台にした作品を作り続けたことも、東京一極集中の時代にあって意味が大きい。中心に対して、周縁からの抵抗の思いもあっただろう。大林さんの反骨精神を感じる。『廃市〈HDニューマスター版〉』発売・販売:キングレコードKIXF-4286/¥2,500+税 KIBF-4533/¥1,900+税川本 三郎(かわもと・さぶろう)1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞などを文芸著作で各賞受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。
2020年04月15日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)植草 信和(元キネマ旬報編集長)大林さんと最後にお会いしたのは2018年の春だった。クランクイン直前に下された〈余命三ヵ月宣告〉を撥ね返して完成させた『花筐/HANAGATAMI』公開が前年の2017年12月だから、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』準備中だった。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」の取材で、3回に亘って6時間ほどインタビューさせていただいた。場所はご自身のプロダクション〈PSC〉の仕事場兼応接間。恭子夫人に伴われて現れた監督は病魔との戦いに疲れた様子だったが、インタビューを始めるとそれまでの痛々しさを微塵も感じさせないほど饒舌になり、尾道時代の幼年期からの「映画人生」を語ってくれた。個々の作品評価は紙幅の都合で別の機会に譲るとして、大林さんが我々に遺してくれた最大の遺産は何だったのだろうか、と真剣に思う。それを一言で表せば、「後進への映画の道を切り拓いた」ということに尽きる。映画監督への道はそれまで、撮影所の門をくぐった者しか開かれていなかった。だが彼は、CMディレクターであり自主映画の監督に過ぎなかったにも関わらず、『HOUSE /ハウス』で東宝という大メジャーから監督デビューを果たした。しかも興行的にも大成功を収め、一躍時の人、人気監督になった。大林さんの出現は、日本映画史に「大林以前・大林以後」と特筆大書してもいいほど燦然と輝く新たな一ページを加えた。日本映画界が低迷していた中でのその鮮烈な監督デビューは、大森一樹や原田眞人、是枝裕和、岩井俊二という現在の日本映画を牽引する監督たちを登場させる端緒になったといっていい。その他、犬童一心、塚本晋也、手塚眞、今関あきよしなどの大林チルドレンと言われる監督たちも生まれ、その幹から育った監督たちも多くいる。3.11東日本大震災からは「反戦」を刻印する映画を4本作った大林監督、文字通り遺書になった著書『最後の講義/映画とは“フィロソフィー”』の終章は、「映画では、平和を引き寄せられます。本当にそれができるんだから。頼むよ、みんな」という一文で結ばれている。その一文から、手塚治虫が「漫画と少年」の懸け橋になったように、大林さんは「映画と青年」の懸け橋になったのだ、と思える。大島渚、かわなかのぶひろ、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫ら審査員各氏がそろったPFF審査中の貴重なショット。手前左端サングラスが大林監督。写真提供:PFF植草 信和(うえくさ・のぶかず)1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。ぴあアプリ「私のクリエイター人生」で、大林宣彦監督のインタビュー&構成を担当。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)中川 右介(作家)最初に大林宣彦監督にお会いしたのは、スマートフォンの記録を見ると、2013年10月29日。当時の私は「関西ウォーカー」誌に、後に『角川映画 1976-1986』(角川文庫)となる記事を連載しており、角川春樹時代の角川映画で最も多く撮った大林監督に、時間をとっていただき、『時をかける少女』などの角川映画時代を語っていただいた。実はその時点まで、どういう本にするか明確な設計図ができていなかったのだが、このインタビューで、「角川春樹と大林宣彦の距離感のある盟友関係」を隠れた主題にするアイデアを思いついた。そのインタビューの際、同行していたカメラマンが「写真のチェックをしますか」ときくと、「それはあなたの仕事でしょう。僕の映画なら、もちろんチェックするけれど、あなたの写真なのだから、あなたが最もいいと思う写真を使いなさい」との答えで、かっこいいなあと思った。そこに、プロとしての矜持を感じた。監督の好きな言葉で言えば、「フィロソフィー」を。その矜持の本質をもっと知りたくなり、『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)という本を企画し、私がインタビューをして構成することになった。原稿に大林監督が手を加え、さらに私が手を入れと、何度も原稿のやりとりがあった。組版してからも大変だった。この本を手にしてていただければ分かるが、一行も余白がない。たとえば、校正刷りで、あるページに2行余白が生じると、大林監督は2行足して埋めていく。映画には余白はない。始まったら最後まで1秒も空白がない。その感覚で、作られた本だった。カメラマンが撮った写真はその人の作品だから口出ししないが、本での自分の発言は自分の作品だから、一字一句までこだわる。そのすさまじさ。一緒に映画を作ることはなかったけれど、この本を作ったことで、プロとしての大林宣彦の仕事の流儀、作法に接することができた。生涯の思い出だ。インタビューの後は、いつも成城学園前駅近くで食事をした。ある晩、店から出てくると、駅周辺にいる人たちが夜空を見上げていた。「なんだろう」と私たちも見上げたが、とくに変わったものは見えない。私はぼんやりと見上げていただけだったが、大林監督は、見上げている人たちのそばへ行き、「何が見えるんですか」ときいた。すごい好奇心だ。「月食です、いま見えなくなったところ」との答えに、「見えないわけだ。見そこなったのは、ツキがなかった」と大笑い。「大林宣彦のダジャレ」のひとつだ。新宿で食事をしたときも、「西武新宿線で帰ります」と言うと、すかさず「ほう、西武線か。セイブ戦線異状なしだといいね」と返された。ダジャレの天才だった。これからも、大林映画は何度でも見ることができるけど、あのダジャレはもうきけない。映画『HOUSE/ハウス』のチラシ中川 右介(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京生まれ。出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。『大林宣彦の体験的仕事術』(PHP新書)など、映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
2020年04月12日10日夜、他界された大林宣彦監督へ哀悼の気持ちをこめ、公私ともに親交があった方々の追悼文を掲載させていただきます。大林監督のご冥福を心よりお祈りいたします。(ぴあ編集部)樋口 尚文(映画評論家、映画監督)1977年、東宝のスクリーンに『HOUSE/ハウス』という作品が「乱入」してきた時のインパクトは、当時の若い観客にとってとんでもないものだった。その頃はビデオなどないから、封切りの後は、私のように名画座で何度も観まくる中毒患者が多発した。この作品は言わば邦画らしからぬモダンなタッチで描かれた美少女ホラーだったのだが、中毒まで行った観客はそんな設定やストーリーのうわべに痺れていたのではない。ぼくらを虜にしたのは、特異な画と音で埋め尽くされた映画の行間にたちのぼるフィルムの手ざわり、フィルムの生理のようなものであり、そこに弾けては消える(少女の思春のときの儚さのような)抒情、リリシズムを感じて甘美な疼痛を覚えていた。自然主義的な文学性で語ってきた日本映画の歴史のなかで、フィルムを愛玩しつくした先に降るフィルムそのものの抒情を領分とする作品などあり得なかった。正確に言えば、邦画五社の商業映画でなければ、それは存在した。『HOUSE』のひと昔まえに大林が発表した16mm作品『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を筆頭とする個人映画の諸作である。『いつか見たドラキュラ』は全国の大学祭で上映しないところはないくらいの人気を博したが、それはまさにフィルムの生理で語った画期的な大林調が若者たちを揺さぶった結果であった。『HOUSE』の凄さは、これらの個人映画が発散していた濃厚なフィルムの抒情が、手かげんなく東宝の夏休みアイドル映画に越境していた、ということだ。この「越境」の原点は、それを遡ること二十年前、大林青年が8mmカメラで映画を撮り出した頃にすでに明らかだ。すなわち大林は戦時中の子ども時代から熱狂的な映画ファンであったものの、8mmで作り出したのはフィルムの手ざわり、生理をもって自分ならではの「詩」をうたう習作だった。以来、大林はテレビコマーシャルの売れっ子演出家である時も、16mmのアンダーグラウンド映画の作家である時も、35mmの商業映画の監督をまかせられた時も、全く変わらずに大林の専売特許であるフィルム的抒情をもって作品づくりに傾注した。だから、厳密に言うと『いつか見たドラキュラ』時代の作風が『HOUSE』に越境したというよりも、大林は常に変わらず「私人=詩人」として自分だけのフィルムの「詩」をうたってきた、ということだろう。それは近年のデジタル長篇時代になっても変わらないどころか、より旗幟鮮明に(身体は病み疲れても)情熱的なフィルム語りにのめっていった。そして作家はつねに「私性」に生き、自分だけの「詩」をうたうべし、という大林の実践的な教えは、大林も審査員をつとめていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身者をはじめとする「大林チルドレン」の監督たちに継承されていった。だが、あの『時をかける少女』などをはじめとする口あたりのよいジュブナイルの紙背にひそむ、フィルムそのものの匿名の抒情の戦慄は、なまなかな追随を許さぬ「導師」ならではの境地であろう。畏怖とともに、合掌。新文芸坐で開催された「大林宣彦映画祭2017」のチラシ樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』。新作『葬式の名人』がDVD・配信リリース。2017年、新文芸坐での「大林宣彦映画祭」を企画。2019年、大林監督の研究本『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)を責任編集。
2020年04月12日映画監督の大林宣彦さんが4月10日、肺がんのため亡くなった。82歳だった。大林さんにゆかりのある俳優たちからは、追悼の言葉が上がっている。83年の主演作「時をかける少女」で映画デビューを果たした原田知世(52)は《大林宣彦監督 在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします》とTwitterに投稿。また各メディアによると82年の「転校生」で主演の1人を演じた小林聡美(54)は「大林監督は私の根っこであり、お日様でした」「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしたという。16年8月、映画「花筐/HANAGATAMI」の撮影前日に肺がんだと判明した大林さん。ステージ4だと診断され、2日後には余命3カ月と宣告された。しかし、奇跡的に復活を果たした。17年9月、本誌で大林さんは余命宣告に対して「自分でも不思議なほどネガティブな気持ちはいっさいなかった」と告白。そして「それはやはり、伝えなければいけないメッセージがあるから。命懸けで撮らなければならない映画があるからなんです」と語っていた。身を賭して撮り続けたのは、同作で戦争を描いたためだ。映画を通して、反戦を伝えてきた大林さん。そこには黒澤明さん(享年88)に託された願いがあったという。黒沢さんはある日、こう話した。「大林くん、人間というのは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。けれども、人間はなぜか映画というものもつくったんだな。映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く、美しさと力があるんだ」「きみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ」大林さんは「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです」と語っていた。そんな大林さんが亡くなった4月10日は、新型コロナウイルスの影響がなければ新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱-」が公開される日だった。同作も戦争をモチーフにした映画だ。18年12月、再び本誌の取材に応じた大林さんは闘病生活について「がんとは共存共生」と表現。そして「地球からしたら、戦争をやめられない人間こそが、がんだっていうことですよ」「勝つためだけに国に殺され、たくさんの人々が不幸になる」として、同作についてこう語っていた。「現代の若者たちが幕末日本や第二次世界大戦中の中国戦線、原爆投下直前の広島にタイムスリップします。現象だけを見ると、戦意高揚の映画に思われるかもしれない。勝って喜んでいるシーンもある。自分でも笑えない幕間喜劇という難しい作品に手を出したな、と思っています」さらに「僕は、“あと30本映画を撮る”と言っているんです。未来のことはわからないけど、そのつもりでいないと生きていることにならないと思っているんです」と、これからについても意気込んでいた。最期まで映画に人生を捧げてきた大林さん。黒沢さんの願いを自身が引き継いだように、次は大林さんの思いを別の誰かが繋いでいくだろう。
2020年04月11日タレントの早見優が11日、オフィシャルブログを更新し、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。早見は、「私が初めてミュージカルに出演したのは、アメリカで大ヒットした映画『グリース』の舞台版でした。1988年。大学を卒業し、アイドル活動も少し落ち着いてきた頃でした」と大林さんとの思い出を回顧。「事務所からはもうレコードも売れる年齢ではないので、もう少し幅広くお芝居などに挑戦するようにと、話がありました。大好きな歌が歌えないのか、、、と落ち込んでいた時に、ミュージカルのお話をいただいたのです。それが『グリース』でした。演出は大林宣彦監督」そして、「舞台が初めての私には、セリフ、踊り、歌を全部こなすのにとても大変な思いをした事を覚えています」と懐かしむ早見。大林さんはそんな早見に対して、どんな時も優しい笑顔で「大丈夫だよ。絶対できるから」と励ましてくれたそうで、「サンデイのソロ曲の、“Hopelessly Devoted to you”を、一度英語で歌ってみなさい、と指示があり、英語で歌ってみたら、サンデイの気持ちがとても分かりやすくて、その気持ちで日本語で歌ってみて、と演出してくださった事があります」と振り返った。「昨年30年ぶりにグリースの出演者のみんなと集まりました。その時に監督に会いたいね、とみんなで話していました」と感慨深げな早見。「優しい笑顔の大林監督」と思い浮かべ、「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼している。
2020年04月11日『カメラを止めるな!』(17)などで知られる上田慎一郎監督が11日、ツイッターを通じ、肺がんで前日に亡くなった映画作家・大林宣彦さん(享年82)を偲んだ。上田監督は、「『ハウス』を観て映画ってこんなに自由なのかと衝撃を受けた」と大林監督が手掛けた同作に触れ、「カメ止めを観て頂いた時はぎっしり手書きの感想を書いて送って下さった」と感謝。「初めてお会いした時は『いいパジャマを着なさい。妻にだけ見せるお洒落だからね』という言葉をもらった」と金言を振り返り、「大林宣彦監督。唯一無二の方でした。ご冥福をお祈りします」と追悼した。また、「コロナでの延期がなければ今日4月10日は大林監督の最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開初日だった。今日の夕方、『長岡花火大会が中止になった』というニュースを見て、嗚呼、と大林監督の顔がよぎっていた」と感慨深げな上田監督。「なんだろう。色々と考えてしまう」と心境をつづっている。
2020年04月11日原田知世主演『時をかける少女』などの“尾道三部作”をはじめ、数々の名作を世に贈りだしてきた映画作家・大林宣彦監督が、肺がんのため4月10日(金)に82歳で死去。この日は、最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』の公開予定日だったが、新型コロナウィルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。1938年、広島県尾道市生まれ。3歳のときに自宅の納戸で見つけた“活動写真機”と戯れるうちに映画をつくり始めたという。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用したCMを製作、その作品数は3,000 本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(’82)、『時をかけ る少女』(’83)、『さびしんぼう』(’85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、現在も新世代のクリエイターへ大きな影響を与えつづけている。近年には“大林的戦争三部作”と呼ばれる『この空の花-長岡花火物語』(’11)、『野のなななのか』(’14)、『花筐/HANAGATAMI』(’17)を発表。特に『花筐/HANAGATAMI』は第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。また、2004年春の紫綬褒章受章、 2009年秋の旭日小綬章受章。2019年には令和初の文化功労者にも選ばれていた。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林監督渾身の最新作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。その公開予定日だった4月10日(金)19時23分、東京都世田谷区の自宅にて息を引き取った大林監督。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定。喪主は、妻で映画プロデューサーの、大林恭子氏が務める。『時をかける少女』でデビューした原田さんは「在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」とTwitterに思いを綴り、また、『青春デンデケデケデケ』に出演した浅野忠信も「ありがとうございました一緒に映画を撮った日々を忘れません」とTwitterを更新。岩井俊二監督は「ちょっとすぐには受け止められない。 エネルギッシュな新作にコメントを書かせて頂いたばかりでした」とまだ信じられないといった様子で、「訃報を聞いて呆然としている」と綴った行定勲監督は「恩師を失ってしまったような気持ちだ。この時、拙作『遠くの空に消えた』を『僕が撮ったらあんな爽やな風のような映画にならない』と気に入ってくださった」と2ショット写真をアップするなど、出演者や映画関係者、映画ファンから悲しみの声が相次いでいる。『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』は近日公開。(text:cinemacafe.net)
2020年04月11日昨年11月に文化功労者に選ばれた映画作家・大林宣彦さんが4月10日19時23分、肺がんのため東京都世田谷区の自宅で亡くなった。82歳。葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。なお喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子氏が務める。1938年広島県尾道市生まれの大林宣彦監督は、3歳の時に自宅の納戸で見付けた活動写真機と戯れるうちに映画をつくり始めた。テレビCM 草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、CM作品数は3000本を超える。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(82)、『時をかける少女』(83)、『さびしんぼう』(85)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、今も新世代のクリエイターへ大きな影響を与え続けている。近年には“大林的戦争三部作”となる『この空の花-長岡花火物語』(11)、『野のなななのか』(14)、『花筐/HANAGATAMI』(17)を発表。『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画ベスト・テン第2位に選ばれ、監督賞を受賞した。大林宣彦監督個人では、2004年春の紫綬褒章受章、2009年秋の旭日小綬章受章。2019年、令和初の文化功労者に選ばれている。肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、みずからの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた大林宣彦監督の最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は、4月10日に公開を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。近日公開を予定している。(C)2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC
2020年04月11日