メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、ストレスについてお話ししてくれました。「ストレス」とは何なのか、気づかないうちにストレス状態になっていることもあるなど詳しく解説!今までも、仕事やママ友との人間関係などでストレスを感じることは多々あったかと思いますが、新型コロナウイルスの影響による社会の変化で、いつも以上にストレスを感じやすくなっている人が多い状況です。社会の変化によるストレスだと、“これがストレスだ”と自分で認識しづらいため、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでしまっている可能性があります。 なんだかいつもと違うと感じたら…ストレスを感じていても、理由がはっきりして、自分でストレスを感じていると認識できていれば対処もできますが、自覚がないと対処のしようもありません。 今まではあまり感じなかったのに、最近、下記のような状態であると感じたらストレスが溜まっている可能性があります。思い当たる節はありませんか? ・漠然とした不安をいつも感じている・落ち込んでいる時間が多い・物事をプラスに考えられない・やる気がでない・集中できない・眠れない・すぐイライラしてしまう・1つ終えるとどっと疲れが出る・頭痛や腹痛など体調不良がある ストレスを発散するにはどうしたらいい?ストレスを軽減するには気分を変えることが一番です。とはいっても、憂うつな気分を簡単に変えられるのであれば、誰も苦労はしません。 すぐにできる対処法として、下記のような方法を試してみてください。・ 深呼吸する・ 軽い運動をする・ 好きな音楽を聴く、お茶を飲んでゆっくりする・ 絵を描いたり、ぬり絵をしたりして意識を集中させる ポイントは、なるべく「考えないこと」です。良いことでも考えているうちに不安や焦りを誘発する考えに行き着くことがあり、ストレスを感じやすくなる可能性があるためです。 なぜ、ストレスは溜めない方がよい?ストレスは本来、“精神的重圧”や“緊張”という意味で、やる気に影響することも多々あり、実は私たちの生活に欠かせないものです。しかしながら、放置してしまうとうつ病を誘発しかねません。うつ病は一度かかってしまうと、いつ治るか本人も周囲もわからず、それがさらに不安となって悪循環に陥り、重度のうつ病になる可能性もあります。またストレスにより、心だけでなく体の不調をきたし生活に大きな支障を与えることもあります。 ストレスは生きていく上で避けては通れないものであり、誰でも感じるものです。対処するために、自分がストレスを感じていると認識することは大切ですが、強く認識することが、かえってストレスになってしまうこともあります。自分なりにうまく付き合って、日々、できるかぎり発散するよう心がけてみてください。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年10月11日5歳の娘さんと生後10カ月の息子さんを持つママは、息子さんを妊娠中に初めて尿もれを経験し、産後も続いてしまったそうです。妊娠中~産後にかけて尿漏れにどう対処したのか、リアルな体験を紹介しています。 私には5歳の娘と生後10カ月の息子がいます。2人目の妊娠で、初めて経験したマイナートラブルの1つに「尿もれ」があります。自分には無縁だと思っていた尿もれを経験し、恥ずかしながら出産後には自然と治まると思い、甘く見ていた私の尿もれ体験談をご紹介します。 尿もれとは無縁だったのに1人目のときは、妊娠中〜出産後も一度も尿もれはありませんでした。そのため退院指導で助産師さんから骨盤底筋のトレーニングを教えてもらったときも、正直なところ「そういう人もいるんだな~」くらいの気持ちで、私には無縁の悩みだと思っていたのです。 1人目の出産から4年以上が経ち、2人目を妊娠。5月末生まれの2人目の妊娠後期は、ちょうど花粉のピークのころでした。妊娠中は花粉症の服薬を控えていたこともあり、大きなくしゃみを連発したそのとき……! 初めてちょろっと漏れる感覚があり、かなりショックだったのをよく覚えています。 産後は自然と治まるはず2人目の妊娠後期に初めて尿もれを経験し、大きなショックを受けてからもなお「妊娠中の尿もれはよくあることだと聞くし、きっと出産後は自然と治まるはず」と自己判断して、尿もれ対策に生理用ナプキンを当てて残りの妊娠期間をしのいだ私。 今になって振り返ってみれば、そう自分に言い聞かせることで、初めて経験した尿もれのショックから目を背けたかったのかもしれません。でも私の期待とは裏腹に、出産後もくしゃみや咳のタイミングで尿もれが続いてしまったのでした。 産後の1カ月健診を機にトレーニング開始出産後、母体の1カ月健診で先生から「何か気になることはありますか?」と聞かれたときに、正直に尿もれのことを相談してみました。先生からは「出産を機に起きる尿もれの場合、骨盤底筋の衰えが原因であることが多いので、毎日最低でも100回お尻の穴を引き締めるイメージでトレーニングするとよい」と教えてもらいました。 毎日意識しないとついつい忘れてしまうので、授乳中をトレーニング時間に設定して100回から200回を目安に続けたところ、産後半年で自然と治まりました。 自分には無縁な悩みだと思っていた尿もれを経験し、本当にショックでこのまま一生続くのではないかと不安な気持ちにもなりました。幸いなことに産後半年で治まりましたが、今後も予防のためにトレーニングは毎日欠かさずにおこなおうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。また、尿漏れ対策に生理用ナプキンを使用するとデリケートゾーンにかゆみや肌トラブルが発生する場合があるので、使用する際は尿漏れ用のナプキンをご使用ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月10日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談を紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし…初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は…妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月02日長女が2歳6カ月になったときに、双子の妊娠がわかったママ。それから双子を出産するまでの間、お姉ちゃんには我慢させ、ごめんねと言いたいことがたくさんあったそうです。そんなママの体験談と、退院後お姉ちゃんに対してどう接したかについてご紹介しています。 大好きな遊びができなくてごめんね寝かしつけの時間に、私のおなかに乗って飛行機ごっこをするのが大好きだったお姉ちゃん。妊娠がわかってからは、「おなかに乗らないで」と私が言うたびに、大好きだった遊びができず泣きじゃくるようになりました。 大好きな遊びをしてあげられなくごめんね⋯…と思う気持ちと、つわりのつらさが重なってしまい……。それまで楽しく過ごしていた寝る前の時間は、私にとってどうしようもない気持ちでいっぱいになる、避けたい時間になっていました。 抱っこしてあげられなくてごめんね双子だということもあって、妊娠12週を過ぎたあたりからおなかが膨らみ始めました。そのころからお姉ちゃんを抱っこして歩くと、おなかが張った感覚がするように。お姉ちゃんを抱っこするのは厳しくなってきたなと感じていたものの、お姉ちゃんはまだまだ甘えたい盛り。 保育園から家まで200mほどの距離を抱っこしてほしいという願いを、聞いてあげられなくなりました。ごめんねと思いながら、大声で泣くお姉ちゃんを叱りながら家まで歩いて帰らせる日々が続きました。 お父さんと離れ離れにさせてごめんね双子出産前後のことを考え、里帰り出産を決意した私。韓国に住んでいる私たちは、夫は韓国に残り、私とお姉ちゃんだけで日本へ帰ることにしました。新型コロナウイルスのワクチン接種が始まる前だったこともあり、夫は出産前後日本にくることができませんでした。 その結果、お姉ちゃんは半年ほど大好きなお父さんに会えない日々を送ることに。私が精神的にも体力的にも頑張れば、韓国での出産も可能だったのに。私のわがままで、大好きなお父さんと会えなくなってしまってごめんね、という気持ちでした。 私の退院後、お姉ちゃんになった記念とそれまで我慢して頑張ったご褒美に、おもちゃを買ってあげました。双子育児に奮闘中の現在も、お姉ちゃんを優先してあげるようにしています。今では「赤ちゃんが泣いてるから、お母さん抱っこしてあげて」と言ってくれるように。「たくさん我慢をさせてごめんね、でも、弟思いのお姉ちゃんに育ってくれてうれしいよ」と言ってあげたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:山口まなみ3歳の娘と双子の男の子の母。韓国人の夫と家族5人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2021年10月02日いよいよ2人目の出産が近づいてきた妊娠37週。産婦人科の先生からは「もういつ生まれても大丈夫」と言われ、陣痛を待つ日々が続きました。しかし出産当日、あろうことか陣痛を放置し、入院費用を安く済ませようとした私の恥ずかしい失敗談をご紹介します。入院費用が無駄になったママ友第2子妊娠中のときのこと。出産したばかりのママ友に会いに行きました。「陣痛が来たと思って、夜中11時に入院したの。そしたら痛みが消えちゃって、病院の朝ごはん食べてそのまま帰ったんだよ」と、出産前の体験談を話してくれました。 彼女の通う産婦人科は、午前0時から翌日午前0時までの24時間で1日分の入院費がかかる仕組み。ママ友は数時間病院にいただけで、2日分の入院費約2万円を支払ったというのです。 そこで私は自分が通う産婦人科の入院費用のシステムを調べることもなく、「とにかくギリギリまで家で耐えよう」というおかしな思考に。 陣痛なのかわからない…我慢すべし!1人目の出産時は陣痛促進剤で陣痛を起こしたため、陣痛が来る前から病院でスタンバイ。痛みがあると、すぐに助産師さんに相談できる状況でした。家で陣痛を待つのは第2子が初めて。 出産予定日前日の午前4時。腰に重い痛みが出てきました。陣痛の間隔をアプリではかるものの、10分だったり、20分だったり。まれにかなり強い痛みがありましたが、起きてきた上の子の朝ごはんを作ったり、洗濯をしていたりすると痛みを忘れることも。 「こんな朝早くに行ったら、早朝の追加料金がかかるかもしれない。これは陣痛じゃない……」。間隔がバラバラという理由だけで、陣痛ではないと自分に言い聞かせ、家で我慢していました。 病院に着いたときには子宮口8cm午前10時を過ぎても、痛みは続いていました。でも間隔は、5分のときもあれば15分のときも。「外来も始まった時間。追加料金もないはず」と思った私。一度病院に電話をしてみると、電話口の助産師さんからすぐ来るようにとの指示。病院へ着き、器械を20分ほどつけて陣痛の確認。子宮口の開きもチェックしてくれました。 すると、助産師さんは焦った様子。陣痛は4~5分間隔、子宮口は8cmも開いていたのです。私はすぐに分娩台へ。点滴の処理が終わるのを待って、助産師さんから「はい、いきんで」の声が掛かります。5回いきんだら、第2子がこの世に誕生していました。病院に到着して約1時間後の話です。 「もう少し入院が遅かったら、家や道端で生まれてたよ。3人目は気をつけて」。そうやさしく注意してくれた助産師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。入院代をケチろうと軽く考えていた私。子どもと自分にとって、非常に危険な行動をしてしまいました。陣痛か迷ったら、まずは病院へ電話をして相談するべきだったと後悔しています。 ※入院のタイミングは産院の指導に従いましょう。また、出産前に何か気になるとこがある場合は、産院に連絡し、指示を仰ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年10月01日私は4人の子どもを育てていますが、下の3人の妊娠中はにおいつわりで苦しい思いをしました。私は妊娠すると嗅覚が異常に鋭くなるらしく、今まで大丈夫だったほとんどすべてのにおいで気持ち悪くなってしまいます。そしてその状態は出産まで続くのですが、周りの人にはなかなか理解してもらえず、妊娠中は耐えて耐えての毎日でした。そのときの体験談をお話しします。 ※コロナ禍前の体験談です。 こんなにおいまでダメになる一番ダメだったにおいが排水溝のにおいで、一番キツいのがお風呂タイムでした。お風呂に入るたびに吐きそうになりながら、鼻息を止めて上の子をお風呂に入れる毎日。シャンプーや洗濯の洗剤、柔軟剤、ソープ類など何から何までダメになり、大好きだった香水やアロマオイルなどのにおいも受け付けなくなりました。 また、玄関を開けて家に入ったときのにおいでさえ気持ち悪くなるくらい、追い詰められていた時期もあります。洗剤やシャンプーに関しては、2人目の妊娠時にいろいろ試して大丈夫な物を見つけられたのが救いでした。 同居ゆえのつらさ自分たちが使う物はなんとかできるのですが、義父母の発するにおいはどうしようもなく、このことでかなりつらさを増していました。義母の洗濯の洗剤や柔軟剤のにおいが強烈で、部屋のほうまで漂ってきて地獄でした。 また、キッチンを共有しているので、そこでの洗剤や義母が洗ったタオルの柔軟剤のにおいが手を拭いただけで付き、具合が悪くなっていました。幸い、食べ物のにおいはわりと平気だったので、料理はできたのが救いかなとは思います。 私がとったせめてもの対策家の中のにおいが基本的に無理なので、体力と相談しながら出かけるようにしていました。家のお風呂以外は不思議と大丈夫だったので、温泉や自分の実家に行ったときには、束の間のにおいからの解放を味わったものです。 また妊娠中でも使用できる薄めたアロマオイルをスプレーしたりして、不快なにおいをごまかしたり、マスクをしたりもしました。他にもドラマを観たり、友人とおしゃべりをしたりして気をそらすことも効果的でした。 においつわりは目に見えにくいので、苦しいのは自分だけで、周りからは理解されにくいのがつらいところだと思います。今さらですが、もっと自分とおなかの赤ちゃんが快適に暮らせるように、家族にお願いしてもよかったのかなとも思います。妊娠中は無理をしたり我慢したりするよりも、工夫することが大事だと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラスト/キヨ著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年09月10日長男が3歳のころの話です。義母と電話で話していると、「2人目ができないのは私のせいだと夫が言っている」と聞かされました。なぜか、私が原因で子どもができないことになっているのです。私も2人目が欲しいと悩んでいた時期で、その言葉は大きなショックでした。そこから私がどのように対処したかや、今の義母との関係についてお伝えします。 男性不妊のわが家義両親には伝えていませんでしたが、私たち夫婦は男性不妊のため、不妊治療で長男を授かりました。私は2人目が欲しいと考えていましたが、夫が不妊原因に対処しようとせず悩んでいました。 そんなときに、義母と電話で話していると「あなたたちが2人目を作らないのは、恭子ちゃん(私)のせいなんでしょ。○○(夫)がそう言っていたわよ」と。夫がそんなことを言うはずないとはわかっています。それでも夫が言っていたと伝えてくる義母に不信感を抱き、ショックと怒りで言葉が出ませんでした。 義母の話は嘘だった以前から、義母は自分の伝えたいことを、誰かが言っていたと遠まわしに伝えてくることはありました。きっと義母自身が、私が2人目を欲しがっていないと考えて、それを責めたい気持ちがあったのだと思います。 念のため、夫に義母から言われたことを確認しましたが、当然ながらそんな事実はなく、義母の言葉は嘘だと判明。妊娠・不妊というとてもプライベートな問題について、軽々しく口を出してくる義母に対して怒りが収まりませんでした。 もう義母に会いたくない義母からの言葉のダメージは強く、翌週に義実家に行く予定でしたが、私はとても行く気にはなれませんでした。義母に会ったら似たようなことを直接言われるのも目に見えていたので、私は義実家に行かないと断固拒否。夫と子どもだけで行ってもらい、私がどうして行かないのかの説明は夫に任せました。 不妊原因については話さなかったようですが、義母の言葉に私が傷ついていることは伝えたので、それ以降、義母から連絡が来ることもなく、会いに行かないことをとがめられることもありませんでした。 義母との関係修復のきっかけ半年ほど義母と距離をとったことで私も冷静に考えられるようになり、義母は、私たちに2人目ができないのを気にしていたのだと考えられるようになりました。でも、それをじょうずに話すことができずに、あのような言い方になったのだと思います。あのときは私自身も2人目ができないことを悩んでいたので、義母の言葉に過敏に反応してしまいました。 そうやって冷静になったころに、子どもの誕生日に義両親からプレゼントが届いたので、いい機会だと思い、プレゼントのお礼の電話を私から義母にしました。直接話したことが関係修復のきっかけとなり、今は義母と適度な距離感で過ごせています。発言に対する謝罪などはありませんが、現状に満足しています。 義両親の言動を変えるのは難しいですが、何もかも我慢する必要もないので、無理せず付き合えるよう距離をとることも大切だと気が付きました。距離をとることで問題が大きくならないよう、義母への説明を夫にお願いしたのもいい判断だったと思います。何より、しっかり冷静になれるまで時間をかけるのが、私にとってはポイントでした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 著者:高橋 恭子6歳男児のママで現在妊活中。理学療法士として働きながら、ヒプノセラピストの資格を取得。仕事、子育て、家事など経験を生かした記事を執筆中
2021年08月30日私は妊娠初期のころ、つわりに耐えながら「これよりきつい陣痛なんて耐えられるのか?」などと思っていました。でも産院で実施されていたヨガに通ったことで出産に良いとされる呼吸法を学び、出産への恐怖が軽くなりました。妊娠中や出産時にどのように良い影響があったのかをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です。 ヨガで妊娠後期トラブルを解消医師から安定期に入ったら体を動かすよう言われました。しかし妊娠後期になると、足のつりやむくみで動くのがおっくうに。毎日の体の不調で気分も落ちていました。そんなときに産院でヨガが開催されていることを知り、健診のついでに参加しました。 ゆったりと無理のない動きのマタニティヨガ。体を伸ばすことがとても気持ちよく、それからは毎週ヨガに通いました。そして足のつりやむくみが解消されていき、気持ちも上向きになりました。 ヨガで学んだソフロロジー呼吸法ヨガではソフロロジー呼吸法の練習がありました。穏やかな音楽をBGMに、呼吸を意識することでリラックスした状態になります。さらにイメトレによって出産を前向きに捉えられるよう、気持ちをコントロールします。お産をラクにする効果があるとされているようです。 気持ちのコントロールには練習が必要。毎週ヨガに通った結果、臨月には練習中にリラックスしすぎて眠ってしまうほどになりました。 陣痛開始! 意識もうろうとしながらも…ヨガで体のトラブルが解消し、ソフロロジー呼吸法で自分をリラックスさせる方法も習得。妊娠41週目、いよいよ陣痛がきました。産院での陣痛中は呼吸を意識しました。そして呼吸を意識する余裕がなくなってきたところでナースコール。 すでに子宮口が9cm開いているとのことでした。私があまりに静かに陣痛に耐えているので、助産師さんもお産が進んでいることに驚いていました。呼吸に集中することで痛みが軽減されていたようです。 出産の瞬間まで呼吸を意識した結果…子宮口が9cm開いていることがわかってすぐに分娩室へ運ばれました。分娩台に乗っても常にソフロロジー呼吸法に集中し、陣痛時間5時間で生まれました。出産の瞬間は呼吸どころではなく痛かったのが正直なところ。ただ出産後に助産師さんから「呼吸が乱れなかったからスルッと生まれましたよ」と言ってもらえました。自然とソフロロジー呼吸法を継続できていたようです。 私の場合、ソフロロジー呼吸法により、出産は最小限の痛みで乗り越えられたようでした。妊娠中は穏やかで落ち着いた時間を過ごせるきっかけになったヨガ。妊娠中にヨガに通い、ソフロロジー呼吸法をマスターしておいてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:海原えめ3歳の男の子を育てるアラフォー母。幼児食インストラクターの資格を保有。育児において食生活を大切にすることを重視している。
2021年08月28日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2021年08月14日私は妊娠35週ごろから、まとめて眠れなくなってしまいました。夜中~朝方にかけて何度も目が覚める、一度目を覚ますとなかなか寝つけない。そんな日が続いたのです。それは子育てが始まっても変わりませんでした。ただ、授乳もありましたし、子どもが成長すれば戻るだろうと楽観していました。しかし断乳しても眠れません。眠れないと、「眠い」以外にもつらいことがいっぱいありました。これは私の睡眠に関わる失敗談です。 お母さんになる練習?私は妊娠35週くらいから、夜中に何度も目が覚めるようになりました。それまでは眠るのに困ったことはなく、子どもへの影響を考えると不安な気持ちになりました。 助産師さんに相談すると、「赤ちゃんが生まれたら夜中におっぱいをあげることになるでしょ。今からお母さんになる練習をしているのよ。昼寝をすれば大丈夫よ」と教えられ、納得してひと安心。それからは時間さえあれば昼寝をするようにしたのです。 断乳しても眠れない!子どもが1歳ごろに夜間断乳したのですが、夜中~早朝にかけて何度も目が覚めるということが続きました。一度目が覚めるとなかなか眠れないこともあり、つらかったです。当然、日中は強い眠気が出ましたし、集中力や判断力も落ち、心身ともに余裕がもてません。 最低限の家事や仕事をするのが精一杯で、子どもや夫にやさしい言葉1つもかけられなくなりました。さらに免疫力も落ちたのか、しょっちゅう風邪を引くようになってしまいました。子どもよりも病院に行く回数が多かったぐらいです。 今はだいぶ元気になりました子どもが3歳になるころ、私の医療費もかさみ、何より自分がつらいので一念発起しました。睡眠に関することをサイトや本で調べ、生活を見直したのです。まず昼寝は15時までに20分以内にしました。 朝は日光浴をして、元気が出てきたら散歩に切り替えました。週末など時間があるときはお風呂にゆっくり浸かるようにしました。生活を見直して3週間もすると、夜中に目覚める回数が減り、目が覚めたとしてもすぐに寝付けるようになったのです。 育児が始まると待ったなしで時間が過ぎていきます。自分のことで何か新しいことを始める余裕なんてありませんでした。出産前から子どものことだけでなく、自分のこともビジョンをもてていたら、トラブルにも対応しやすかっただろうなぁと後悔しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年07月28日32歳で結婚した私には、高齢出産は他人事ではなく、いろいろと調べていました。高齢出産の場合、早産や妊娠高血圧症候群になるリスクが高まること。成功例のような芸能人の高齢出産報道の裏で苦しんでいる母親がたくさんいること。それらを知った私は34歳までに妊娠しなかったら子どもはあきらめようと決めていました。しかし私が妊娠し、告げられた出産予定日は35歳の誕生日をとっくに過ぎた日付でした。 とにかく自重正直、あきらめかけていたときに妊娠した子です。私でも妊娠できたんだ!と驚いたのと同時に、大丈夫なのか?と不安が襲ってきました。情報や知識がある分、恐怖心も強かったのです。だからとにかく自重しました。 無理、無茶、頑張る、は一切しない。早寝、早起き、朝ごはん。おなかを冷やさないように飲み物は温かいものにし、散歩をして血行が悪くならないように過ごしました。その結果、定期健診のたびに助産師さんに誉められ、不安もやわらぎました。 気持ちに余裕が持てる妊娠がわかると同時に子ども中心の生活に切り替えましたが、不満はほとんどありませんでした。というのも結婚が早くはなかったおかげ(?)で、仕事も遊びもたくさんしてきました。結婚してからもしばらく子どもができなかったので、夫と2人で過ごす時間も十分に持てました。 その結果、仕事のキャリアに対する不安や遊びへの未練はほとんどなかったのです。妊娠中は自炊をしたり、散歩をしたり体調を整えることに専念できました。 体力はないけど楽しむ知恵はある出産は想像以上に体力を消耗しました。しかも回復する隙を与えてくれない、怒涛の育児。オシャレをして、おでかけするママたちをネットや雑誌で見ると、まぶしいやらうらやましいやら。けれどしょうがないと受け入れ、今の自分ができることを考えました。 とことん子どもと一緒に過ごしたり、写真をはがきに加工してネットを見られない祖母に子どもの近況を伝えたり、本を読んだり。体を使わず知恵を絞って、みんなと同じではない、私だけの新米ママ生活を作り上げました。 この先、子どもに障害があることがわかるかもしれない、そんな不安は今でもあります。けれどリスクを取って産んだのは私だと腹も据わりつつあります。先のことばかり考えて不安になるのではなく、今を大切に子育てしたいと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年07月19日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は42.4万人でママたちの間でも話題になっています。今回は、46歳で12人目を出産したHISAKOさんが、高齢出産のリスクについて語る動画をご紹介! 12人目がどうしても欲しかった! まずは、12人目の不妊治療について教えてくれました。HISAKOさんは前の旦那さんとのお子さんが10人います。再婚して、11人目となる今の旦那さんとのお子さんが1人生まれただけでも最初は十分と思っていたそうです。でも、どこかで11人目のお子さんと同じ遺伝子を引き継いでいる兄弟を作ってあげたいと思ったそう。 「上の兄弟たちに失礼かもしれないけど、自分の気持ちに嘘つかんとこ!」と明るく本音を話してくれるHISAKOさん。 できることは全部やって、それから諦めようと44歳で不妊治療をスタートしました。しかし、顕微受精を5回行っても妊娠できませんでした。やれることはやったからあきらめようと言いつつ、手帳には排卵の日にハートマークをつけていたそうです。45歳の1年間はそんなふうに過ごしていました。46歳になってそれももうやめようと決めて、普通に過ごし、でも避妊はしないでいたら、なんと自然妊娠が判明! 妊娠が継続するとは思っていなかった 助産師であるHISAKOさんは、46歳での自然妊娠率、流産率などを考えて、奇跡で妊娠はできたけれども、「きっと流産するな」と思ったそうです。ところが、流産せずにお腹の子は乗り切ってくれました。 46歳の妊娠の心配は流産だけではありません。例えば、染色体異常であるダウン症のリスクは、20代であれば1万分の1ですが、35歳になると300分の1に、46歳になると30分の1になるそう。実際にHISAKOさんも出生前診断について考えました。 でも、出生前診断でわかるのは一部の染色体異常のみ。それ以外にも生まれてこないと分からない異常もたくさんある。さらに、生まれたときは元気でも、そのあと病気や怪我をすることもある。そう思ったら、「そんだけわかって、だから何なん?」と思ったそう。 来るもの拒まず受け入れるしかない 結局は、受け入れるしかないというという結果になったHISAKOさん。でも、不安がないとか、すごい覚悟があるとかそういうことではないと言います。「不安ですよ、一緒やで私も」と。今は、障害があたったりしても受け入れると思っているけど(当時妊娠28週)、実際に生まれてきたらどうなるかわからないと話しています。最終的には、出生前診断は受けないことにしたそうです。 このあと9番目の子どもが生まれてすぐに耳の検査に引っかかったこと、7番目の子どもが発達障害であること、2人とも妊娠中は何も問題がなかったことも話してくれています。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年07月11日私には6歳の女の子と生後11カ月の男の子がいます。娘のこともかわいがってくれているものの、息子を妊娠して以来、義理の両親から「長男ファースト」な言動が垣間見えてモヤモヤしてしまった、そんな私の体験談をご紹介します。 「長男なんだから」義理の両親にとって、子どもは夫と妹さんの2人です。結婚当初からよく「長男なんだから、お盆とお彼岸には必ず帰ってきてお墓の管理を」とお義母さんに言われてきた私たち夫婦。 子どもが生まれる前はお義母さんの言う通りに、お墓参りのためだけに春と秋のお彼岸とお盆の年に3回、休みの日に夫と2人電車で2時間かけて帰省。でも、子どもが生まれてからは時間の面でも体力の面でも余裕がなく、自然とお墓参りは免除されるようになりました。 「女の子だったらどうしようかと…」娘を出産してから4年後、念願の第2子を妊娠。娘がすごく育てやすくかわいくてたまらなかった私は、2人目も女の子でもいいと思っていました。でも、お義母さんは違ったようで……。 妊婦健診のたびに性別がわかったのか電話で聞かれ、妊娠6カ月でおなかの中の赤ちゃんが男の子だとわかると、「これでまた女の子だったらどうしようかと思っていたわ! 男の子でよかった~」と心の底から安堵したように言われました。お義母さんに悪気はなく純粋に喜んでいる様子でしたが、「女の子だったらどうしよう」のひと言に、私はすごくモヤモヤしたのをよく覚えています。 「跡取りを産んでくれてありがとう」義理の両親は、会うたびにたくさん遊んでくれたり、おもちゃや洋服などをプレゼントしてくれたりと、娘のこともよくかわいがってくれています。でも、誘っても娘のお宮参りには来なかったので、私は勝手に義理の両親は子どものイベントにはそんなに興味がないのだと思っていました。 その後無事に息子を出産し、初めて会わせたときのことです。「近藤家の跡取りを産んでくれてありがとう」とうれしそうに言うお義母さん。さらには、娘のときにはなかった夫側の親戚への息子のお披露目会やお宮参りの日取りの相談まで……。男の子と女の子でこうも態度が違うものかと、ギャップにすごく驚きました。 お義母さんの何気ない「長男ファースト」な言動にモヤモヤしましたが、義理の両親は昔ながらの「家を守る」という感覚が強いからだと理解しています。嫁いだ身として私は義理の両親の気持ちを尊重しつつも、男の子と女の子の差で娘が疎外感を感じないように娘のイベントにも足を運んでもらえるように気をつけようと思います。 作画/はたこ著者:近藤あいこ6歳女児と1歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月26日3人目を出産する直前、2人の子どもたちの面倒で精一杯だった私は、出産して身軽になってから衣替えをすればいいかなと思っていました。しかし、早めに行動しなかったことを後悔することに……。今回はそのときの体験談をお伝えします。 臨月はおなかが重くて体調がよくない日々8月中旬に私は臨月になり、重たくなったおなかで日中は2人の子どもたちと自宅で過ごしていました。つわりも終わっておらず、常に体調があまりよくない状態。それに加えて育児で手いっぱいに……。 家事や掃除も思うように動けず、晩ごはんを作っているときに気持ち悪くなり、夫が帰宅すると2人の子どもたちを見てもらい、私は寝たきり状態の日々が続きました。 出産時期がちょうど衣替えの季節 冬服を出そうと思ってはいたのですが、日中はしゃぎまわる子どもたちの面倒を見ながら、臨月のおなかの状態で大きな圧縮袋を出して衣替えをするのはなかなか大変でした。 つい「身軽になった産後にやることにしよう」と思い、後回しにしてしまったのです。そして気が付けば9月下旬、3人目を出産したときには夏服だと朝晩が肌寒いと感じる季節になっていました。 おなかは身軽になったけれど…産後、自宅に帰ってから私の体自体は軽くなったものの、2人の子どもたちと生まれた赤ちゃんの面倒を見るのに手いっぱいになってしまいました。というのも、3人目は黄昏泣きと夜泣きがひどく、晩ごはんを作ろうとすると大泣き、夜は1時間おきに起きて泣くという状態……。 私自身、さらに体力的にきつくなってしまってなかなか衣替えができず、そのまま季節はますます寒くなってしまいました。 勢いで衣替えをするはめに!さすがに寒いと感じ、2人の子どもたちが風邪をひいたら困るので、夫が休暇の日に衣替えを決行! 朝からバタバタと勢いで衣替えをしたのですが、日中は子どもたちを公園に連れて行ったりしたので、子ども2人分の衣替えをおこなっただけで1日が終わってしまいました。 そして後日、私や夫の分の衣替えもおこなうことに……。衣替えが遅れた分、私と夫はとても寒い思いをし、お互いに風邪をひいてしまいました。 臨月は身重なだけではなく体調も変わりやすく、何でも後回しにしたことを後悔しました。確かに無理をしてはいけない時期だったとは思いますが、生まれた子が上の子たちと比べて黄昏泣きや夜泣きの頻度が多く、こんなに時間が取れないものだとは思いませんでした。今回の経験で「やれることは今すぐやる!」というのが、私の教訓となりました。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2021年06月23日上の子が1歳を過ぎ、育児に少しずつ慣れてきたタイミングで、わが家で2人目の話題が出るようになりました。上の子との年の差を考えたとき、2歳差は育児が忙しくなりそうで自信がない。3歳差は入園、入学などのタイミングが被るから金銭面で不安。では4歳差、5歳差……? 自分の体力の心配もあり、考えているうちにもう何歳差が良いのかわからなくなりました。そんなとき、友人のひと言が私の背中を押してくれたのです。 何歳差がベスト?もちろん妊娠はタイミング次第というのもあります。1人目は約2年妊活をして授かったので、計画してもその通りに行くとは限りませんでした。妊娠の計画をするならば、通院もしなければいけないかもしれない……。いつから動き出したらいいのかわからず、身動きが取れなくなってしまいました。 そんなとき、友人と会ったときにふとわが家の2人目の話題になり、私は自分の中に抱えていた気持ちを話してみることにしたのです。 大変さは変わらない友人は子どもが2人いて、年の差は3歳でした。私自身、妹と5歳差で年の近いきょうだいに憧れていたこともあったので、「2歳差も考えるんだけど、大変なイメージしかない」という話を友人にしたところ、「わが家は3歳差だけれど、結局上の子にもまだ手がかかるし、そう考えると2歳差も3歳差も変わらないような気がする」と言われたのです。 それを聞いて、なんだかふっと心が軽くなりました。大きく年が離れていれば話は違うかもしれないけれど、確かに子どもが小さいうちは上の子もお世話が必要だなと。 元々2歳差に憧れもありましたし、夫は自身が妹と2歳差。私たち夫婦のなかで「2歳差もありだな」という話になり、気持ちがまとまったころ、自然妊娠で2人目を授かりました。 下の子が生まれてからの子育てそして1歳10カ月差で下の子を出産し、現在2学年差での子育てをしています。上の子が女の子ということもあるかもしれませんが、下の子が生まれたときから上の子は予想していたよりもずっとたくさんお手伝いやお世話をしてくれて、助けられることもとても多いです。 子どもたちはお風呂やごはんなどまだまだ誰かの手が必要ですし、2学年差での子育てを大変だなと思うことは多いですが、産んでみたらなんとかなるものだなということを身をもって実感しています。 私は友人のひと言があったおかげで、2歳差での子育てに対して覚悟や希望のようなものを持って妊娠計画を考えることができました。友人のひと言がなければ、2人目を授かったときも不安しかなかったと思いますし、出産したあとも、「もう少し年が離れていれば」と考えたかもしれないなと思います。 2学年差の子育てで大変なこともたくさんありますが、ネガティブな面ばかり見ずに前向きに子育てできているのは友人のおかげなので、感謝しています。 イラスト/manami.koiso監修/助産師REIKO著者:立田みのり一男一女の母。妊娠、出産を機に退職後、現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年05月24日1人目の子育てが落ち着いたころ、そろそろ2人目をと考え始めました。希望は2学年差! 欲しいからと言ってすぐできるとも限らず、希望の学年差で生まれてくれるかもわからない2人目の出産。結果は1日遅れると3学年差という、本当にギリギリの出産体験談をお話しします。 2人目計画は2学年差!1人目の子育てに慣れてきたころ、2人目を計画するようになりました。希望は2学年差! 2学年差なら上の子も少しは落ち着き、私自身も2人を落ち着いて子育てできるような気がしていました。 学校に行き始めても、きょうだいが一緒に登校できる期間もあり、中学校でも1年間は学校行事が一緒です。何よりきょうだいが同じ場所にいるという安心感があります。 すぐできると思ったのに、焦る2人目さあ、そろそろ2人目をと計画したものの、すぐには妊娠できず。また生理が来たことに数カ月悩んでいましたが、2学年差のラストチャンス! ようやく妊娠することができました。出産予定日は3月末。ギリギリですが、希望の2学年差で出産できると喜びました。 ところが出産予定日を1週間過ぎても陣痛が来ない! 焦りましたが、こればかりはどうにもならないので、上の子と遊びながら体操したり、散歩したりとできるだけ動くようにしていました。 4月1日はどっちの学年!?ようやく陣痛が来たのは3月31日。15時間かかり4月1日の12時57分に無事出産することができました。問題はどちらの学年になるのか。私は4月1日から学年が変わるかもしれないと思っていたので、産院の先生に確認しました。学年が変わるかどうか確認したところ、3月生まれと一緒の学年になるということで、本当にギリギリで上の子と2学年差での出産でした。 1日でも遅れれば3学年差になっていたので、間に合って本当によかったです。ただ、同じ日に同じ産院で産んだママも気にしていましたが、学年で一番遅い誕生日だと大きくなったときに周りの子との体格差など心配事がいろいろありました。 第2子は今は中学生になりましたが、学年で一番遅い誕生日でもそう影響はないようです。ただ、児童手当や福祉医療費などはもらえる期間が短くなり、少し損したような気になることも……。ですが、子育てをしているなかで上の子と2学年差で産んだメリットは多いです。同じように2学年差のきょうだいをもつ友だちも多く、本当によかったと思っています。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月23日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。 ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみのなか、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました!※コロナ禍前の体験談です。 現在娘は7歳、息子は2歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児のなか戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月18日私は36歳のときに3人目を妊娠。妊娠がわかる前は月に1回程度のペースで夜の営みがありました。上の兄たち2人のときは、妊娠中も産後も夫の性欲はあり、セックスレスになることは今回が初めての経験です。私は育児に疲れており、性欲は未だにないのですが、私が思う夫のセックスレスの理由を考えてみました……。 3人目妊娠初期の出来事…妊娠検査薬で妊娠がわかった妊娠初期のころに夜の営みをしました。しかし、その2、3日後に微量の出血と陰部や腟のヒリヒリ感があり、産婦人科を受診。出血の原因は着床出血で、腟のヒリヒリ感はカンジタ腟炎だと医師から言われ、軟膏をもらいました。 私はカンジタ腟炎になったのは初めてで、夫に治るまでは無理だからと伝え、この日からセックスレスがスタートしたように思います。 3人目が女の子とわかると夫に変化が私のカンジダ腟炎は2週間後の妊婦健診で治ったのがわかりましたが、つわりが始まったり切迫流産になったりして私のほうがそれどころではなく、セックスレスのまま妊娠中期に入りました。 そして、夫がおなかの子の性別を気にし出して、担当医から「女の子かも」と言われたことを告げると、太っている父親と思われたくないという一心でダイエットに没頭し始めてしまったのです。 おなかを触ってもらえず不安になる私夫はダイエットに集中して、夜は疲れて爆睡……。胎動があり、兄たちは触ったり声をかけてくれたりするのに、夫は関心がないのかと思うくらいおなかに触れてくれませんでした。 兄たちのときは胎動を感じながら夫婦、親子のスキンシップをとれたのに、今回はまったく近寄ってこない夫。不安に感じ、いつもならしない私がおなかを触ってもらうために夫の布団に潜り込んだくらいです。 私が思う夫のセックスレスの理由私は、きっと3人目が生まれたら夜の営みを求めてくるだろうなと思っていました。ですが、産後5カ月を過ぎてもその素振りはありません。 私自身の性欲はないので、夫に何でしないのかと聞こうとは思わないですが、生まれたのが女の子だったことが、夫に何かしらの気持ちの変化をもたらしたのかもしれません。兄たちのときにはセックスレスにならなかったので、何となく、3人目が女の子だったことが影響しているような気がしたのです。 現在は娘の2時間ごとの夜泣きが始まり、夫婦して体力を削られていますが、もし今後そういう雰囲気になったときには、疲れているからと断わらないようにしたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年05月14日私は7歳と2歳の男の子の母親です。1人目出産後しばらくしてから2人目が欲しいという気持ちが芽生えましたが、仕事や金銭面の課題が残り、5歳差での出産となりました。私が2人目出産時に悩んだことや、5歳差でよかったと思ったことをお伝えします。 1人目出産からのあわただしい生活私が長男を妊娠したのは19歳のときです。医療系の専門学校に通っており、国家試験を翌年に控えていました。いろいろ大変なことが多かったですが、ドタバタしながら20歳で結婚してすぐに出産・育児・復学・国家試験合格とトントン拍子に進み、仕事も決まって徐々に生活は落ち着いていきました。長男が3歳になったころ、私に「2人目が欲しいな……」という気持ちが芽生え、ちょうどそのタイミングで夫から「そろそろ弟か妹をつくってあげたいね」という話が挙がったのです。その夫の一声をきっかけに、「2人目のことを真剣に考えてみようかな」と思うようになりました。 仕事や金銭面の大きな不安2人目について意識しだしたものの、仕事も慣れてきたばかりで、まだまだ勉強したいこともたくさんありました。しかも、私の勤め先は総合病院で、ある特定の分野に関わる専門職は私だけでした。まだ広く浸透していない職種ということもあり、代わりの人が見つかる保証もなく、すぐに妊娠・出産に踏み込める状態ではなかったのです。さらに、やりがいのある仕事をほかの人に取られてしまうかもしれない、私のポジションがなくなってしまうかもしれないという不安も大きかったです。産休・育休に入ってからの生活資金の不安もあり、「もう少し、あともう少し……」と先延ばしにしていた自分がいました。 念願の2人目妊娠計画始動それから2年後のことです。仕事でも少しずつですがキャリアを積み重ね、金銭的にも貯えを増やすことで、「もうそろそろいいかな」と思えるようになりました。自分のなかで不安だった要素は、お金がなかったことと仕事に十分な自信が持てていなかったことだったのです。数年の年月を経て、どちらの課題もクリアし、念願の“2人目妊娠計画”をスタートさせることができました。基礎体温や適度な運動、病院の受診など下準備は定期的にしていたため、順調に妊娠・出産へと至りました。 年の差育児バンザイ!結果としてこのタイミングでの2人目の妊娠は、私にとってベストでした。その理由は2つあります。1つ目は、年中・年長に至るまで上の子だけに愛情をしっかり注げたということです。兄弟がいて学ぶこともたくさんあると思いますが、わが家の場合は上の子と1対1で向き合う時間をじっくりとることができたこともあってか、次男出産後も長男は赤ちゃん返りせずに弟をかわいがってくれました。2つ目は、学校関係です。上の子が6年生のときに下の子が1年生という5歳差であるため、今のところ通学もあまり不安に感じていません。弟の面倒を見ることができる年の差はありがたかったです。高校や大学進学もかぶらないため、金銭的にも大変助かると思います。 2人目を妊娠するまで、たくさんの不安や葛藤がありました。「もし仕事で干されたら?」「もしお金が足りなくなったら?」と、たくさん悩みました。今となれば、2人目妊娠までのモラトリアム期間があってよかったと思っています。自分のタイミングで2人目妊娠に踏み込めたことで、今は何のモヤモヤもなく毎日を過ごしています。 監修/助産師REIKOイラスト/おもち著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2021年05月13日第2子妊娠中に妊娠トラブルでストレスを抱えていたママ。幼い長男の欲求に答えられず、きつく当たってしまうことが増えた結果、長男の言動が変化。ストレス管理をして長男への対応も注意が必要だと学んだことを伝えています。 1歳11カ月の息子はイヤイヤ期に入り、難しい時期。私は2人目妊娠後期に入り、体が重たく動きづらいうえにまさかの妊娠糖尿病になってしまい、毎日の食事管理や血糖測定でストレスMAXに。体の不調が強まるなか、息子のママに甘えたい気持ちにも応えられず、自分の欲求がまったく満たせない毎日で息子にきつく当たってしまうようになりました。そんな私が気づいたことを紹介します。 ママにはわがままでいたい息子1歳11カ月の息子は自己主張も強くなり、いつも一緒の私には我慢せず自分のしたいことを100%ぶつけてきます。息子はたくさん遊んでくれるのでパパのことも大好きですが、夫はしつけにも厳しいので怖い存在。 息子のわがままも最初のうちは「精神的に成長したんだな」と喜ばしい気持ちでしたが、妊娠週数が進むにつれて私は息子の主張がつらくなってきたのです。気づけば家の中にいると息子に怒ってばかりで、息子の主張に「あとでね!」と言う毎日に。 追い打ちの妊娠トラブル妊娠8カ月に入り、妊娠糖尿病の治療が始まりました。唯一の楽しみの甘い物が制限され、毎日の血糖測定の結果に一喜一憂する毎日。甘えたくて私のそばにくる息子にも「もーあっちいって!」「やめなさい!」といつもに以上に怒る日が増えていました。 そしてあるときから、息子は毎日夫が帰宅した音が聞こえると玄関へ猛ダッシュで向かい、その後もずっと夫にべったりくっつくように! 私は、息子が甘えられる存在を探していたことに気づきました。 私の言動を変えると…息子の行動の変化に気づいた私は、「息子はまだ小さくてママの体の変化は理解できないのは当たり前。息子に当たるのはお門違いだ」と反省。私に怒られても毎日笑顔を振りまく息子のことが愛おしく、またかわいそうに思えてきました。 そこでその日から、イライラしても深呼吸して息子を抱きしめることをしました。すると、最近はすねることが多かった息子の表情が明るくなり、私によく笑うようになったのです! 私にとって妊娠トラブルはとてもつらい出来事で、今でも続く食事管理はストレスで簡単ではありません。でも、知らない間に大好きな息子に当たっていた自分に驚き、私の態度でこんなにも息子の様子に変化が出るなんて想像もしていませんでした。子どもはとても繊細だということに気づき、私自身も無理をしないようにして息子への言動に注意していかなければと学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月09日私は現在3歳と生後11カ月のママです。今回は2人目を出産するにあたって、上の子を「産前産後要件」にて入園を希望したところから、運良く保育園に入れた体験談をお話ししたいと思います。 2人目を作る前に経験者の声を聞いた「子どもは2人は欲しい」という気持ちがあった私。しかし1人目のときから産後、実家に頼らないことを決めていたので、2人目の出産後も里帰りはしない予定でした。そのため、慎重におこなった2人目妊活計画。まずは周りの2児ママたちから産後の子育てのしんどさなどを聞いてみることに。「私だったらこの困難をどう乗り切ればいいのか?」と想像でき、とても参考になりました。なかでも上の子が保育園などに通っていない未満児で、基本的に自宅にいるとなると想像以上に大変らしく「実家に頼らないと乗り切れなかった」「こんなに大変であれば、子どもが幼稚園に入園してから2人目を作るべきだった」といった声をたくさん聞きました。 2人育児の壁は高いと感じたそんなママたちの生の声を聞いて、実家に頼れない環境にあった私は、さらに「2人目を作る」ことに慎重にならざるを得ませんでした。私の正直な気持ちとして「誰かの大きな支えがないと、産後の2人育児の壁はとても高い」と当時感じたのも事実です。それでも「2人目は大変そうだから、子どもはひとりでもいい。妊活は控えよう」とは思いませんでした。また、上の子を幼稚園に入園させるまで妊活を控えてきょうだいの年の差をあえてあけるのは自身の年齢に対する懸念もあったので「もし、2人目を作るのなら早い段階で作ったほうがいいな。そのためにはこの難所をどう乗り切ろう」と入念な事前計画をすすめました。 2人目妊娠直後から保活スタートこの難所を乗り切るために実行した具体的な計画は2つあります。1つ目は「上の子のトイトレを2人目妊娠前に済ませて、産後を少しでもラクにすること」です。この計画も運良く上の子が2歳ちょうどあたりで「誘えば、おまるでおしっこができる」レベルに達したので、妊娠中や産後も精神的にはラクでした。2つ目は「上の子を産前産後に保育園へ入れて、育児の負担を少なくする」という方法です。私の住む地域の自治体では、保育園入園要件として「産前産後も利用できる」とありました。保育園や一時預かりといった情報も入念にリサーチ済みだったので、2人目を妊娠した直後から保活をスタートさせ、保育園を10軒は事前見学しました。 無事に保育園へ入園して上の子を保育園に入園させること、しかも私の場合は「産前産後要件」なので中途入園となります。私の住んでいる市ではフルタイムで働くママでも保育園に入園するのが厳しい地域で、正直言って難関でした。しかし本当に運が良く、見事に希望の保育園に受かり、無事に上の子を預けられる環境が整いました。そしてその後、無事に下の子を出産し、退院後は安心して新生児を自宅で見ることができました。 私が「2人目育児に対する大きな壁」と感じたことは、やはり新生児と上の子を退院直後からひとりで見ざるを得ないことでした。基本的に夫の帰宅は22時以降となり子どもたちが寝たあとに帰ってくるので、やはりほぼワンオペには変わりありません。私には「保育園」を利用したことが、体の負担はもちろん、精神的な支えとなり、保育園に対しては大きな感謝でいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じてお住まいの地域の保育課や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月05日上の子が1歳7カ月のときに2人目妊娠が判明した私。妹から「5歳の娘が赤ちゃん返りをして2人目の産後は大変だった!」という話を聞いて、さっそく妊娠中から上の子の赤ちゃん返りを防ぐために行動しました。しかし、なかなか思うようにはいかず……。私の体験談を紹介します。 妊娠中から慣れさせる!姪の壮絶な赤ちゃん返りを横目に、私は「赤ちゃん返りって大変だな。上の子にはそうなってほしくない!」と、子どもが赤ちゃん返りをしなかった友人たちの経験談を聞くことにしました。すると、「妊娠中からが大事。おなかが大きくなってきたら赤ちゃんの存在を上の子に教えてあげることが必要」と助言をもらいました。 私はまさか妊娠中から予防をするとは思っていなくて、「上の子がまだ2歳にもなっていないのにわかるのかな……」と半信半疑で始めてみることにしました。 おこなったこと早速、妊娠5カ月ごろから友人たちが助言してくれた内容を試しました。その内容は上の子に、「おなかをよしよししてもらう」「おなかに声をかけてもらったり耳をあててもらう」こと。 まだ小さい上の子にどこまで理解できるかわかりませんでしたが、毎日続けることにしました。すると、継続して3日目あたりから上の子が私のおなかをよしよしし始めたのです! 思いがけない上の子の反応に「これはいける!」と確信しました。 あれ? うまくいかない…その後も私は上の子と一緒に毎日「おなかに話しかけること」を続けることにしました。しかし、上の子は成長するにつれておなかの赤ちゃんのことよりも「本読んで! これやって!」と訴えることが増えてきたのです。私自身もおなかが大きくなり、毎日の家事や育児、仕事でヘトヘトに。 気づけばおなかに話しかける時間もないまま就寝、という日が続きました。「なんか思うようにいかないな」と感じていますが、「無理せずできる範囲でやればいい」と、今では自分たちのペースでおこなおうと思っています。 友人たちの助言のもと、「よし! 上の子に赤ちゃんの存在を理解させよう!」と意気込んでいた私。しかし、上の子も成長して自我も強くなるし、私自身も妊娠後期に入ってくると体調に変化があり、なかなか思うようにいかないことがわかりました。それでも、ちょっと空いた時間に上の子と楽しみながら続けられたらなと思っています。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月02日私は、“会陰切開”に恐怖を抱きながら2人の男の子を出産しました。1人目は会陰切開をしたうえで出産し、「2人目の出産では絶対に切りたくない!」という気持ちを胸に5年後に再度出産に臨みました。2人目は会陰切開することなく出産! 1人目の出産と2人目の出産で違ったことは、素直に「怖いです」と伝えたことでした。 何もわからずに臨んだ1人目の出産私は1人目を妊娠36週2日のギリギリ早産で出産しました。陣痛が始まってから5時間で出産するという、初産にしてはスピード出産。私は痛みに強いほうなのか、便秘だと思い込みトイレでいきんでいたのを助産師さんに止められたのは、今では笑い話です。 赤ちゃんがおりてくるのも早く、陰部が中から押されるような感覚に、自分でも「いよいよだ」と感じたのを覚えています。初産ということもあり、会陰の伸びが悪く、医師から「ちょっと切ろうか」と言われ、会陰切開をすることになりました。 大きすぎる会陰切開の恐怖…会陰切開が自分の出産に必要な処置であることはわかっていました。会陰が裂けることを防ぎ母体のダメージを軽減したり、赤ちゃんがスムーズに出てきたりするための処置だということは頭では理解しているものの、やっぱり怖かったです。陣痛がきているときに切るから痛みは感じないとは言われましたが、意識しすぎたためか切開時に「ぱちん」と切られた感覚や痛みを感じました。 その後は「いきまないで」という助産師さんの指示のもと、息を小刻みに吸って吐いてを繰り返しながら、無事出産することができました。けれども、その後の陰部への麻酔や縫合時の違和感、産後の会陰の痛みを経験し、「もう次は切りたくないな」というのが正直な気持ちでした。 会陰切開の恐怖再び!初めての育児や仕事の再開でバタバタしているうちに5年が過ぎ、2人目を妊娠しました。5年ぶりの出産にドキドキしながら妊娠39週を迎え、今回は破水から始まる出産となりました。身支度を整えて病院に向かい、すぐに分娩室へと移動。それまでは冷静にいられたものの、徐々に出産時の痛みや陰部の圧迫感、会陰切開への恐怖がよみがえります。 「どうしよう……怖い」。それがそのときの気持ちです。正直、1人目の出産時は余裕がなく、「しっかりしなくちゃ」「なめられたくない」という若さゆえの意地がありました。でも、今回は素直に助産師さんに気持ちを打ち明けました。「すみません。会陰切開したくないです。怖いです……」。 声に出すことで払拭された私の不安助産師さんへ素直に自分の気持ちや希望を伝えると、すぐに会陰に触れたり伸びを見たりしてくれ、「この部分(肛門側を触れながら)が余裕がありそうだから」と、希望を受け入れてくれました。ただ、状況によっては会陰切開が必要な処置であることは再度説明を受けました。 そして、陣痛が強まりいざ出産。助産師さんは“余裕がある”と言っていた部分を広げながら、いきむタイミングを指示してくれ、そのサポートのおかげで切開することなく、3時間という早さで出産できました。もちろん、2人目の出産ということもあって会陰の伸びもよかったのかもしれません。でも、自分の気持ちは声に出して伝えないといけないんだな……とつくづく実感したのです。 不安が多く、デリケートな出産。何人ものお産をサポートしている医師や助産師さんに気持ちを伝えるのは、なんとなくハードルが高いと感じていました。でも、出産は自分だけのものです。私は、自分の気持ちを伝えることで最良のサポートが受けられました。勇気を振り絞って「会陰切開が怖い」と声に出したことで、自分だけの素敵なお産を経験できた、怖がりな私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2021年04月09日私が断乳を考えるようになったきっかけは、私の娘が生後7カ月のときに友人から聞いた断乳の話です。友人は、「子どもが1歳になったころに断乳を試み、子どもに“今日でおしまい”と話して断乳し、夜に寂しくて号泣した」と話していて、ついもらい泣きをしてしまいました。悲しいことが苦手な私は、母子共にできる限り悲しみを少なく断乳したいと考えるようになりました。 どの時間からおっぱいをなくすかを熟考娘が生まれてから1日のうち1回だけは育児用ミルクをあげ、それ以外は母乳をあげていました。娘が生後8カ月の時点では夜間授乳もなく、日中のおっぱいは4回だけで、7:00 離乳食+おっぱい、11:00 ミルク、15:00 おっぱい、18:00 離乳食+おっぱい、22:00 おっぱいというスケジュールでした。 そこで、夕食後ならもし娘がグズったとしても22:00におっぱいをあげるので大丈夫だろうと思い、18:00の離乳食後のおっぱいをなくそうと決意。そして、おっぱいをなくした時間にはおっぱいの代わりに育児用ミルクをあげるようにしたのです。 おっぱいの回数を1日4回→0回へ夕食後の授乳を減らしたくらいではおっぱいは張らなかったので、次の日には朝食後も育児用ミルクへ移行し、残すは15:00とお風呂上がりの22:00のみになりました。授乳を2回にしたころにはやはりおっぱいが少し張ったのですが、15:00と22:00に娘がたっぷり飲んでくれていたので痛くなるほどではありませんでした。3日経つとおっぱいは張らなくなり、次は15:00を減らしてみました。 また3日間でおっぱいが張らなくなり、最後は22:00をやめるというように進みました。思ったより早くおっぱいの回数を減らすことができたので、さすがに0回になったときには少し寂しかったですが、「これが最後だよ」と決めなかったので、涙ながらに授乳せずに済みました。 哺乳びんへの執着も不安…ストローへ移行その後ですが、毎日お風呂で少量だけおっぱいを搾っています。なんとなく溜まってしまう気がして、念のためです。 そして娘が生後9カ月を過ぎてから、結局、哺乳びんはいつやめるのだろうと考え、せっかく断乳できたのだからストローに変えてしまおうと挑戦しました。最初は飲みが悪かったですが、おなかがすいたときに繰り返しあげていたら、1週間くらいで慣れてゴクゴク飲めるようになりました。 娘があまりにもスムーズにグズらずおっぱいから育児用ミルクに移行してくれて、「それでもいいよ」と言ってくれているように感じました。そして、おっぱいをあげない代わりに今まで以上にスキンシップをとろうと心がけるようになりました。私なりの納得のいく断乳ができてよかったです。 監修/助産師REIKOイラスト/おもち 著者:中村もこ0歳女児の母。小学校教諭と旅行代理店、保険営業を経験。現在は保育の勉強をしながら、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月12日食欲がない、疲れがとれない、眠れない、心のもやもやがとれないといった症状が出ていたとしても、風邪などのいわゆる病気と言えるような症状がないため、体に無理がきていることに気づかずに、うつ状態になってしまう人はたくさんいます。 うつになることを避けるために、早めに専門家に診てもらうのがおすすめです。しかし、病状がはっきりしないため、どこで診てもらったらよいかわからない方も多いかと思います。 心療内科・精神科・カウンセリングの違いとは?「心の病ではないか?」と疑ったときに思い浮かぶのが、心療内科・精神科・カウンセリングではないでしょうか。まず心療内科と精神科の大きな違いは、体に症状が現れているかいないかが判断材料となります。 心療内科動悸がする、食欲がない、眠れないなどの症状があり内科のお医者さんに行って診てもらったにも関わらず、異常がみられないと診断されるような場合が対象となります。 精神科うつ病、双極性障害、統合失調症などの精神疾患が表れている場合が対象となります。 いずれも、国家資格である医師の資格をもっている先生に診てもらうことになり、医師は治療薬を処方する薬物治療が可能です。一方、カンセリングをおこなうカウンセラーは医者ではないため、薬の処方はおこなえません。 カウンセリングとは?患者様がカウンセラーや医師との面談や対話を通じて心理的な問題を解消していく治療法です。心療内科や精神科の治療のひとつとしておこなわれます。カウンセラーが独立してカウンセリングのみをおこなっている場合も多くあります。 カウンセリングは、カウンセラーや医師が問題に対して回答を出すものではなく、あくまで心理学に基づいて、どうすればよいかの回答を患者様自身で導き出すための手助けをするのが目的です。患者様が出そうとする回答に対し、基本的に、カウンセラーや医師は否定や提案をしないことになっています。 どんなときに行けばいいの?風邪などの内科的な診断では異常がないにも関わらず、心が晴れない、眠れない、疲れがとれない、吐き気などが収まらないなどの症状が続き、つらいと感じているのであれば診てもらうことをおすすめします。 心療内科・精神科・カウンセリングのどこに行けばよいか迷うのであれば、まずは心療内科に行ってみてください。心療内科でカウンセリングや薬物療法を受けたほうがいいのか、精神科で診てもらったほうがいいのか診断してくれるはずです。 いきなり病院へ行くということにハードルを感じてしまったり、話を聞いてもらうことで少しでも落ち着きそうであればカウンセラーを訪ねてみましょう。うつは一度なってしまうと、治りにくい場合が多く、最悪、命を落とすことにもつながります。つらいと少しでも感じたら、心療内科やカウンセリングに行ってみてください。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年03月04日新型コロナウイルスの影響で、今までとはちがった生活を強いられ、気持ちが晴れない、毎日鬱々とした気分で過ごしている、悲観的な考えばかりが浮かぶという方も多いかと思います。ストレスがたまり、コロナ疲れからコロナ鬱に発展しないためにも、日々、上手に気分転換をすることが大切です。お金をかけずに簡単に気分転換をする方法を紹介します。 体内に空気を入れるストレスを感じると、呼吸が浅くなり身体の緊張や不安を増大させてしまう可能性が高くなります。そのためにも、体内に十分な酸素を取り入れることはとても重要です。なんだか心が暗い、ストレスがたまっていると感じたら、腹式呼吸を意識して、しっかり空気を身体に取り入れるように息を吸って吐きましょう。集中できることに従事する悪い思考がぐるぐると頭から離れなかったり、考えているうちに不安な考えが頭をもたげ落ち込んでしまうときは、そのことについて考えるのをやめてみましょう。 といっても、やめようと思って簡単にやめられる場合は少ないものです。 そんなときは、塗り絵をする、絵を書いてみる、ピアノを弾いてみる、歌をうたう、ランニングをしてみるなど自分が集中できることをやってみましょう。集中している間は悲観的な考えから解きは放れ、気分転換になります。また、集中できることは自分の好きなことである場合が多いので、やり終わったあとに達成感を感じられることも多く、気持ちが軽くなる効果も期待できます。 感情を解放する「涙活」が流行ったように、感情を解放することはストレス発散につながります。お笑いが好きな人はお笑い番組を観て笑う、映画が好きな人は感動する映画を観て泣く、など意識的に笑ったり泣く状況を作りだし普段閉ざしがちな自分の感情を解放してあげましょう。 思い切り笑ったり泣いたりした後には、気分がスッキリしている自分を感じることができるはずです。自分にとってどれが合うかわからない場合は、ひとつずつ試してみてください。また、日々、効果が高いと感じられるものが変わる場合もあります。いろいろやってみることも気分転換のひとつになるのではないでしょうか。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年03月02日妊活中は子どもが欲しい一心で、排卵時期には可能な限り頑張ったものです。ところが、おなかの中に赤ちゃんがいると思うと、したくない気持ちが強くなりました。今回は、私が経験した、妊娠中のセックスライフについてお伝えします。 妊娠した途端にセックスが嫌になった私たち夫婦は、妊娠をした途端にセックスをしなくなりました。私がまったく性欲がわかなくなってしまったのです。自分のおなかの中に命が芽生えたと思うと、セックスなんてできない。私の心は女から母へと変化していたのでしょう。 こういった心の変化は人間の本能でもあると思います。セックスをすることで赤ちゃんに何かあったらいけない、守ってあげなくちゃと感じるのは自然なことではないでしょうか。 夫の気持ちを置いてけぼりにしていたつい最近までセックスのある生活をしていたのに、妊娠してからピタッとなくなる……。夫の気持ちを考えると、少しさみしかったかもしれません。当時は相手の気持ちを考える余裕がありませんでしたが、今思うと夫の気持ちを置いてけぼりにしていたと感じます。 性欲が低下したのは私だけ。夫は今までどおりのセックスライフを過ごしたかったはずです。お互いの気持ちを理解し合おうとする姿勢が必要だったと感じます。 神経質になる必要はないけれど無理は禁物妊娠中のセックスが流産や早産の引き金になってしまうのでは?と、赤ちゃんへの影響を心配していましたが、実際のところ、そこまで神経質になる必要はないのだそう。私が通っていた産婦人科の先生は「安定期に入り、経過も順調で元気な妊婦さんであれば問題なし」と言っていました。 一度だけチャレンジしたことがありますが、緊張して苦痛に感じてしまいました。夫に正直な気持ちを伝えると、理解してもらえたのでありがたいと感じました。 夫婦同じ気持ちになることもあれば、すれ違うこともあります。難しい問題ですが、相手の気持ちを理解し合う関係性を築くきっかけにもなると感じました。思いを一方的に押し付けるのではなく、相手を思いやる気持ちを持っていたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年02月11日妊娠が判明してから、出産するのに必要な自分の体力や筋力に不安を感じました。そこで、毎日1時間の散歩を習慣にすることに。その習慣のおかげで、出産時や産後に助けられたことがありました。 妊娠判明後、体力・筋力が不安に…妊娠する前、ろくに運動をしてこず、出かける予定がないと外にも出ないほどインドアだった私……。妊娠が判明して出産する瞬間を考えたとき、自分の体力や筋力が一気に不安になり、妊娠中でも継続しておこなうことができる運動を考えていました。 妊娠中は激しい運動もできないし、私はつわりがひどくただでさえ動くのがしんどいことが多く⋯⋯。ヨガやストレッチといった屋内でできる運動をしようかとも思いましたが、体が硬く断念。ハード過ぎずすぐに休憩できる運動を考え、毎日1時間以上散歩することに。1日の散歩にかける時間は、合計すると1時間から2時間ほどでした。 散歩を始めたことで生活習慣が整った今までは、昼過ぎに起きてダラダラしてごはんを食べてまた寝て……といった生活をしていました。しかし、子どもが生まれてからのことを考えるとそんな生活も続けていられないなと思ったので、朝に散歩することに。毎朝太陽を浴びながら運動することで体もスッキリし、とても気持ちがいいことがわかり、最初は「赤ちゃんのため……」とおこなっていたことがだんだん楽しくなったのです。それからは進んで散歩に行くことができ、いつもと違う道を通ってみたりして、新しい趣味ができたように感じました。 出産にも役に立った…!?毎日の散歩を続け、いざ出産!となったとき、やっぱり出産は壮絶なものだと実感……。体力は想像していた何倍も必要としたので、毎日散歩をしていたけれど、全然足りない!と感じました。でも、きっと毎日散歩をしていなかったらそんなことを出産中に考える余裕もなかったのかなと、あとで思うように。また、子どもが外に出かけられるようになってからは、一緒に遊ぶのも毎日外に出かけるのもまったくおっくうではなくなっていたので、出産後もとても助かりました。 毎日の散歩で、体力・筋力をつけて生活習慣を見直すことはもちろん、今さらながら外に出る楽しさも知ることができました。これからも子どもと一緒にいろいろなところへ出かけられると思うと、楽しみが尽きません。 監修/助産師REIKO著者:橋本 楓0歳女児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年02月06日1人目のときは自然に妊娠し、順調に出産できました。そのため、2人目も難なく妊娠できると思っていたのですが、思わぬ障害で2人目不妊となってしまいました。両親から励まされるなかで湧き上がってきた「娘にきょうだいがいないとかわいそう」という思いにとらわれた私ですが、妊活を進めるうちに感じるようになってきた想いをつづります。 4歳差出産を目指したけれども…私と夫が結婚の際に立てた家族計画では、4歳差で2人の子どもをと考えていました。1人目は思いもよらない時期に自然妊娠し、無事出産できました。1人目が4歳に近づいてきたころ、「そろそろ妊娠してもいいね」と話し、タイミングをとってみたのです。しかし、そう簡単には妊娠せず数カ月が経過。 「まあ、すぐには妊娠しないよね」と思いながら諦めず進めてみました。ところが、半年経っても一向に妊娠する気配がなかったのです。少し焦ってきた私に、同時期に妊活をして妊娠した友だちが排卵検査薬を紹介してくれたので、試してみることにしました。 自然妊娠は望み薄友だちが紹介してくれた排卵検査薬はネット通販で手に入る物で、1日2回検査することで排卵日が予測できます。私は、基礎体温の計測と合わせて排卵検査薬を使い、排卵日を予測してタイミングをとってみました。しかしながら、妊娠しないまま時が過ぎるばかり。妊活を始めて1年が経つころ、「もしかしたら不妊かもしれない」と思い、産婦人科を受診してみたのです。 受診した結果、私には問題ありませんでした。そこで夫の精子検査をしたところ、精子の機能が弱いことが判明しました。原因ははっきりわかりませんでしたが、検査結果から自然妊娠を期待することは時間を無駄にしかねないため、体外受精をしたほうが良いと医師から告げられたのです。 誰のための妊活?インターネットで治療内容や体験談を調べると、痛みを伴う検査が必要であり、スケジュール調整が大変といった情報が……。すると、妊活への恐怖が私のなかで湧き起こってきたのです。夫は体外受精をするなら一緒に専門医を受診しようと言ってくれたのですが、踏み切ることができませんでした。 一方、私の両親からは「きょうだいがいないとかわいそう」と激励の言葉をかけられ、お友だちにきょうだいができた4歳の娘も、「わたしも赤ちゃんほしい」と言うようになっていました。「きょうだいを作ってあげなきゃ」「両親にまた赤ちゃんを見せてあげたい」など自分たちがどうしたいかというよりも、他者のために妊活するかのようになっていたのです。 自然にまかせて体外受精に進むかどうか悩んでいる間、夫としっかり話し合うこともなくまた1年が経過。ついに娘も小学生になってしまったので、改めて夫と家族計画について話し合いました。 男性不妊であるため、夫の負担も大きくなるだろうこと、痛い治療は怖いことを夫に打ち明けたのです。すると「2人目ができたらうれしいけれど今の幸せを大事にして、自然にまかせていっても良いのでは」と、私と夫の意見は一致していました。 専門医を受診すれば治療法を説明してもらい、安心して体外受精を受けられるかもしれません。でも、結婚当初に考えていた「子どもは2人欲しい」という考えや、周囲の意見に固執しすぎていました。改めて今の自分たちがどうしたいかを夫と一緒に考え、自分たちにとって良い結論が出せてよかったと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:大久保愛理自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年01月31日©TBSスパークル/TBS 2021年1月2日に放送されたTBS「火曜ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』~ガンバレ人類!新春スペシャル!!」。 海野つなみ氏の同名漫画を原作とし、野木亜紀子氏が脚本を手掛けたこの物語。連続ドラマでも、高学歴女性の就職難や、派遣社員の待遇、”高齢童貞“や”高齢処女“、専業主婦の労働対価など、現代女性が抱える問題がたくさん盛り込まれていました。 今回の新春スペシャルでは、妊娠・出産・育児という人生の大きな転機に直面したみくりと平匡の姿が描かれました。そして、これらはコロナ禍の今を生きる私たちに元気を与え、日ごろ声をあげづらかった不満や言葉にしづらかった違和感を解消してくれるものでした。 妊娠・出産で現れる戸惑い、モヤモヤ、テンションの差契約結婚から恋愛へ、そして本物の結婚生活へと移行したみくり(新垣結衣)と平匡(星野源)。しかし、結婚までは「ムズキュン」で楽しかった二人の生活は、みくりの妊娠・出産によって一変。初めて経験するさまざまな問題に、二人は苦悩・葛藤することとなります。これは原作通りの展開で、実際、原作ファンの間にも「二人がくっつくまでが楽しさのピークだった」「妊娠・出産から暗い展開になる」といった声もあるほど。しかし、それこそが現実だということは、妊娠・出産を経験したことのある人は誰もが思うことではないでしょうか。 例えば、妊娠を伝えたときの平匡の塩対応の不思議(嬉しくないわけではない)。まず、妊娠を知った男性が驚きや戸惑いをどう表現したら良いかわからないのはよくあることで、ドラマなどでしばしば見る「やった~~~!」と全身で喜びを表現する夫なんて、なかなかいません。 また、何でも手伝うという平匡に、みくりは思わず反応して、こんな”ド正論“をぶつけます。 「手伝うって何?私も出産は初めてなのに、私が一人で勉強して平匡さんに指示しないといけないの?一緒に勉強して一緒に親になる。夫婦ってそういうものじゃないの?」 思わず口走ってしまった思いに「またやってしまった……」と凹むみくりですが、こうしたモヤモヤを言語化せずに自分の中に溜め込んでいって、後に巨大化し、爆発してしまうのは往々にしてあるもの。平匡の場合は、この指摘から自分が「お手伝い気分」だったことに気づき、自身の意識の低さを反省しましたが、逆ギレする夫も多いですから、ド正論が必ずしも正しい対処法とも言えないのが難しいところです。 論理的かつ合理的なはずの2人。でも思うようにできないまた、妊娠初期の妙な眠気や、ホルモンバランスの乱れによって起こる、わけのわからない不安や悲しさも描かれます。つわりで何も食べられず、欲しいモノを聞かれたみくりが「グレープフルーツゼリー」と言うと、平匡が律儀に近所中を探し回ってくれたものの、ようやく見つけて帰宅したときにはすでに寝ているとか。にもかかわらず、翌日は友人の差し入れのフライドポテトを喜んで食べていたとか。妊娠経験者は共感するものの、当事者以外はおそらくわけがわからない行動でしょう。 その上、みくりは尿漏れや、足のつりなど、小さいけれど、当人には地味につらいトラブルにも悩まされていました。そのため、みくりは宅配便を受け取れず、トイレットペーパーが切れたと言われた平匡が、残業からやっとのことで抜け出して買って帰ると、家にはすでにトイレットペーパーがどっさり……。これは再配達によるものでしたが、「メールくれればいいのに」「元気なら少しぐらい部屋を片付けてくれてもいいのに」と、珍しく愚痴がこぼれる平匡に対し、「つらい」と泣き出すみくりと、「泣きたいのはこっちですよ!」とやはり泣き出す平匡。 本来であれば論理的かつ合理的な二人なのに、頭の中はグチャグチャ、混沌としています。でも、理屈で理解できないことばかり起こるのが、ホルモンの乱れであり、新しい生命を迎え、一緒に生きていくということなのでしょう。 しかも、二人の間だけでも混乱はたくさんあるのに、妊娠・出産をめぐる社会的な問題もいろいろあります。例えば、女性の多い職場ならではの理不尽な「妊娠順番ルール」というマタハラや、夫婦別姓制度、平匡の育休問題などなど……。現代女性が抱える妊娠・出産・育児とはこんなにもハードルが多いのか!という認識を、視聴者に与えたことでしょう。 妊娠・出産・育児の多様性。そこには正解はないさらにこのドラマの大きな特徴は、「あるある」の共感に終始しないこと。ネット上では、例えば、平匡の育休に対して「簡単に育休がとれて羨ましい」という声があったかと思えば、コロナ禍で結局、育休が返上となったことを疑問視する声もありました。また、みくりが無痛分娩を選んだことに対する賛否がTwitter上で盛り上がったり、妊娠中の家の片づけのために家政婦を雇うことに対して羨む声も出たり。 絶賛の声一辺倒でなく、こうした違和感や、意見の衝突があることこそが、この作品の持つ力ではないかと思います。 何故なら、恋愛、結婚、仕事、家事、妊娠、出産、育児……世の中にはさまざまな「こうあるべき」圧力、ときには「呪い」とも呼ばれるものが常にあるもの。しかも、難しいのは、それらに普遍的な「正解」はなく、時代によって、世代によって、家庭や個人によって、何がいいのかが異なるということです。 これまでも妊娠・出産をテーマとするドラマには『コウノドリ』(TBS)や『透明なゆりかご』(NHK総合)など、秀作がいろいろありました。しかし、ど真ん中のテーマとして妊娠・出産を掲げるのではなく、新垣結衣×星野 源出演、野木亜紀子脚本、『逃げ恥』という幅広いファン層をすでに獲得している超人気コンテンツにおいて、さまざまな問題提起をし、気づきや考えるきっかけを提供したことに、大きな意義があるのではないでしょうか。 とはいえ、さまざまな問題を乗り越えて、二人で子育てをしていく姿は新しい子育てのカタチの模索と言えるでしょう。このドラマが世の中に一石を投じることができ、これから妊娠し子育てをしていく世代にとって希望に繋がるものになることを祈っています。 著者:ライター 田幸和歌子
2021年01月27日